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なぜ学問板なのに支那と表記しない?7。チー

1 :世界@名無史さん:2007/01/20(土) 23:32:18 0
古代中国、中国史、偉大なアレキサンドリアの頃の中国、聖徳太子の頃の中国、江戸時代の頃の中国・・
このような文章に出くわすたびに、首を傾げてしまう。
中国と支那呼称の問題をこのスレで語りましょう。

過去スレ
なぜ学問板なのに支那と表記しない?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1100749928/
なぜ学問板なのに支那と表記しない? 2
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1102120329/
なぜ学問板なのに支那と表記しない?三
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1108041490/
なぜ学問板なのに支那と表記しない?W
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1119090991/
なぜ学問板なのに支那と表記しない?5
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1136558689/

前スレ↓
なぜ学問板なのに支那と表記しない?6.リィウ
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1154239683/

2 :世界@名無史さん:2007/01/20(土) 23:33:19 0
1000ゲット

3 :世界@名無史さん:2007/01/20(土) 23:35:22 0
891 :世界@名無史さん :2006/12/26(火) 06:03:42 0
語源から言うと、カラやモロコシよりは、まだシナの方が妥当かと。

カラ
朝鮮半島南部にあった加羅に由来。今の韓国南部。
朝鮮半島から中華圏全体、そして諸外国の意味に、示す範囲が拡大していった。
朝鮮を示すときは韓、中華圏や単に外国を示すときは唐と表記する。

モロコシ
諸越に由来。中華圏南部の海岸沿いに、かつて越と呼ばれた地域があり、その南には南越(大越、越南)と
呼ばれた地域があった。
これらの地域をまとめて諸越と呼び、モロコシと訓読みされが、やがて中華圏全域の呼称になり、唐土と
表記するようになった。
昔あった諸々の越のうち、現代は中国ではなく、ベトナムに編入された地域もある。

4 :世界@名無史さん:2007/01/20(土) 23:36:21 0
846 :世界@名無史さん :2006/11/21(火) 18:17:23 0
ところで日本という国名は誰がつけたのだろうか?
通説では日本書紀からという。
さらに新羅本紀に「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名を為す」
というように自ら日本と名乗った、とある。
だけど本当にそうか?この「日出に近き」という方向を示す一文は誰が基準になった場合を
言うのか?もちろんこの場合は新羅から見た場合に日の出る方向(東)だから日本、というのだ。
だとすると日本というのは外国からの日本への呼称ということになりはしないだろうか?
古代日本人(倭人)の自国への自称は「豊葦原の中つ国」である。これが新羅においては日の出ところ、
となって日本、ひいては日本人となるのだ。「自ら名乗り」というのは「新羅人からしたら日本なので
日本と言った」ということではないだろうか?国は変わって支那人は英語圏の外国では「チャイニーズ」と
自称する。これは仏典の漢訳から由来する「支那(China)」から派生したさまざまな呼称がヨーロッパなどに広く分布して
おり、外国人相手には「中国人」というより「支那人(チャイニーズ)」と名乗ったほうが通りがいいからである。
ここで、日本だ。日本も外国人(この場合は朝鮮半島と支那しかない)から見た場合に「日の出る方向、扶桑の国」という
ことで「日本」と「名づけられた」のではなかろうか?古代支那に日本人(倭人)が行く。当然「どこから来たアルか?」と
問われる。そこで「ワから来ました」と答えた。「ワ?ワとはどこにある国アルか?」と官吏がさらに問う。ワ人は東を指差し
「あの日の出てくる方角にある」と答えたはずだ。なぜならその当時ヤマト(統一政権)という自称はなかったはずだからだ。
それを受けて支那人の外交官は「ああ、日の出る方向にあるのか。日の本にある国なわけアルな」とでも言ったかもしれない。
ここから日本呼称が成立したのだと思う。日の出る、旭日の勢いのある国という尊称、ではなく、外国から見た場合の通称という
意味で日本ができ、それを自称としていったのである。どうだろ?

5 :世界@名無史さん:2007/01/20(土) 23:37:17 0
933 :世界@名無史さん :2007/01/15(月) 23:42:14 0
“支那”一詞的由來據說是來自於印度的梵文,在梵文的經典中以Shina稱呼中國;
據說是來自於「秦」(chin)發音的轉變。《辭海》解:“梵語謂中國為支那,
亦作脂那、震旦、真丹、真旦、振旦、神丹等”。
《宋史·天竺國傳》:“天竺表來,譯云伏願支那皇帝福壽圓滿”。
據『西域地名』所云:「支那者,梵文边鄙之称,原为雪山以北诸种之名,后以为中国之号。」
而中國的另一代詞「震旦」是即「支那地(Cina Sthana)」之省稱。
『华严经音义』則云:「支那,此翻为思维,以其国人多所思虑,多所制作,原以为名,
即今汉国是也。」如『西域地名』,則支那一詞不帶褒貶之意。如『华严经音义』,
則為對中國人民思虑深沉之美稱

>則為對中國人民思虑深沉之美稱。

6 :世界@名無史さん:2007/01/20(土) 23:38:46 0
934 :世界@名無史さん :2007/01/16(火) 12:45:38 0
而中國當時的留學生,尤其是反对清朝统治的革命家们,也以支那標誌出身國。
1902年,章太炎等在日本東京發起《支那亡國二百四十二年紀念會》。
1904年,宋教仁在東京創辦了名叫《二十世紀之支那》的雜誌。
另如孫中山的革命伙伴,日本人梅屋庄吉,在辛亥革命成功後在日本發起成立
「支那共和國公認期成同盟會」(此一歷史在廣州黃埔軍校的孫中山紀念館內有記載,
該期成同盟會的匾額亦可見於該地),敦促日本政府承認中華民國,此時的支那也
顯然沒有侮辱之意。

>此時的支那也顯然沒有侮辱之意。
当時の支那に侮蔑の意味が無かった事は、明らかだ。

7 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 00:11:32 0
またスレタイの末尾にキモイものつけてるな。チーってなによ。
杉田かおるの役名か?

8 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 03:04:20 0
次スレはポンか?

9 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 12:59:55 O
パーだろ、案外知識が無い人達なのね

10 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:29:27 0
チーといえば、ホワイトチーチーだ

11 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:31:19 0
仏典検索 「脂那」「支那」「震旦」
http://www.google.com/search?hl=zh-TW&q=site%3Abuddhist-canon.com++%E8%84%82%E9%82%A3&btnG=%E6%90%9C%E5%B0%8B&lr=
http://www.google.com/search?hl=zh-TW&q=site%3Abuddhist-canon.com++%E6%94%AF%E9%82%A3&btnG=%E6%90%9C%E5%B0%8B&lr=
http://www.google.com/search?hl=zh-TW&q=site%3Abuddhist-canon.com++%E9%9C%87%E6%97%A6&btnG=%E6%90%9C%E5%B0%8B&lr=

唐梵兩語雙對集
http://www.buddhist-canon.com/REF/misc/T541242c.htm

二十四史に一例だけ見える「支那」は中研院から検索を
http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/

12 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:31:23 0
冊封体制と日本
日本列島の勢力は弥生時代・古墳時代から朝貢を行っており、467年には倭の五王である「倭王武」が安東大将軍を、
479年には征夷大将軍の称号を受かるなど冊封国家であった。しかしながら607年、遣隋使(小野妹子)が持参した国書にある
記述「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」は、この体制からの自立を意図したものだとされている。
その後、冊封国家以外とは国交を持たなかった中国との交易を続けたいなどの思惑から、その後も関係を維持するため冊封を受けて朝貢も続いた。

隆盛を誇った唐が滅びた鎌倉時代になってから、冊封や朝貢を意識することはなく日本は独自に軍事力を増強し始め、
次第に日本は独自の道を進んだが、南北朝時代、自勢力の正統性を証明する為に懐良親王などか「日本国王」として冊封を受けた。
室町時代になると、倭寇撲滅など明との貿易を意識した3代将軍足利義満が朝貢して「日本国王」に冊封され、
室町幕府が滅びるまで朝貢形式の勘合貿易が続く。従属的な朝貢形式の貿易は日本のメンツを傷つけるものとして
4代将軍義持の時に一時中断されるが、莫大な利益をもたらした明との貿易と幕府の財政状況の悪化を考慮し、
6代将軍義教の時に再開。国内の商人や倭寇に中国人も多数いたためか明側の要望もあり、その後、室町幕府が滅びるまで続いた。

江戸時代になると冊封体制下にあった琉球を介して、明と貿易をするようになる。
満州族に制圧され掛かった明は徳川家光に援軍を求めたが、家光は断った。 柳川一件、大君一件などを通じ、
江戸幕府及び天皇の日本の冊封体制における立場は曖昧なものであり続けたが、
名実共に冊封体制から離脱したのは明治維新以降と考えられる

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81

(´・ω・`)倭奴は2000年間中国様の属国で冊封体制下にゐたんだから中国様を中国様と呼ぶのは当然だよね

(´・ω・`)倭奴は2000年間中国様の属国で冊封体制下にゐたんだから中国様を中国様と呼ぶのは当然だよね

(´・ω・`)倭奴は2000年間中国様の属国で冊封体制下にゐたんだから中国様を中国様と呼ぶのは当然だよね

(´・ω・`)倭奴は2000年間中国様の属国で冊封体制下にゐたんだから中国様を中国様と呼ぶのは当然だよね

13 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:32:10 0
▼よく分かる日本の歴史
   ┃
   ┃有史以前 : 無人の地。
   ┃1世紀 : 倭の奴国中国から金印を授かる。
   ┃此頃から日本(倭)は中国(漢)の属国になる。
   ┃4世紀 : 沢山の国に分れていた所を百済人が征服、統一。
   ┃7世紀 : 中国(隋)の属国になる。
   ┃9世紀 : 中国(唐)の属国になる。
   ┃17世紀 : 鎖国し世界の孤児となる。(併し中国の冊封体制下)
   ┃19世紀後半 :日清戦争。一時的に冊封体制から離脱
   ┃20世紀前半 : 戦争を繰り返す。お父さんである中国に対し、非道の限りを尽くす。
   ┃弱体化した帝政ロシアに勝った事で勘違い、世界に戦争を仕掛けてボコボコにされる。
   ┃20世紀後半以後 : アメリカの属国になる。併し中国の冊封体制下にも戻る。

属国なんだから中国様を中国と呼ぶのは当然

14 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:33:00 0
ry『彼等(日本人)は中国を支那と呼んでいる。この支那とはどういう意味であろうか、
  これは死にかかった人間の意である。これでも分るように彼等の眼中には中国の
  存在はないため、我等を中華民族と呼ばないで始終支那といっている。』
  このように台湾の中国政府蒋主席が対日戦争中の言論の中にいっているくらいに
  「支那」という言葉は中国人を非常に侮べつしたものである。
                1952年12月30日朝日新聞学芸欄 劉 勝光


こんな意味の在る名前で呼ぶなんて右翼って最低だよね
日本はずっと中国様の属国だったのに


15 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:33:27 0
日本人の考える「支那」のイメージに近い単語 China Proper
http://depts.washington.edu/chinaciv/geo/proper.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/China_proper




16 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:34:14 0
皇国支那和議決約之図
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/b10_8301/b10_8301.jpg
支那の少女
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.jp/hk-mikmu/gall7.html
支那の女
http://museum.umic.ueda.nagano.jp/kanae/picture/midium_img/midium_111.html
支那婦人
http://ultra.ihp.sinica.edu.tw/~yency/theme03/htm/f5w19.htm
「送人帰支那」
"Sending You Off Back to China"
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/b10_8809/b10_8809.jpg
焼スス 支那白扇
http://www.kyoto-wel.com/item/IS81162N00056.html
支那表具(唐表具)
http://www.srch.net/kakejiku/hyoso/hyoso15.htm
支那米の袋 夢野久作
http://mirror.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2101_18783.html




17 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:34:18 0
 「シナ(支那)」ということばは、中国古代の王朝の一つ「秦(シン)」が語源といわれ、
英語の「チャイナ」も同じ出所だとされています。日本にも、仏典を通じてこの名称が伝えられ
、江戸時代にしだいに普及し、明治時代にも引き継がれました。

 このように、「シナ」は、外国人が中国を呼ぶ用語として、それなりの歴史的根拠をもっています。
しかし、問題は、それが、戦前・戦中、日本の中国侵略と結びついて、中国にたいする侮蔑語として使用されたことであり、
中国国民はこの呼称を拒否しています。当時、日本政府は、「中華民国(中国)」というその時期の正式国号を無視し、
ことさら「シナ」、「シナ人」などと呼んで、中国と中国人をさげすむ態度をとりました。
これは、中国侵略戦争のさい唱えられた「膺懲(ようちょう)支那」(「支那を懲罰せよ」)などというスローガンに端的に示されています。

 戦後は、侵略戦争への反省を重要な柱とする憲法が施行され、中国(一九四九年十月以降、
正式名称=「中華人民共和国」)との関係でも、日本は「戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、
深く反省する」(七二年の日中共同声明)ことを確認しています。

 こうした歴史の真実を直視すれば、中国を「シナ」と呼ぶことは、単に時代錯誤というだけでなく、
過去の侵略戦争への無反省がその根底にあることは明らかでしょう。

ソース:赤旗新聞

18 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:35:20 0
 日本では、孫文もかつて「支那」という呼称を使ったことがあるではないかと弁解する人もいる。
孫文は一八九九年、一九〇三年の少数の場合に確かに「支那」という言葉を使ったことがある。
当時は「支那」という言葉がさげすむ意味へと変わる初期にあったことも理由の一つとしてあげられよう。
一九〇五年以後、「支那」のさげすむ意味が逐次濃厚になり、そのときから孫文は二度と「支那」を使わなくなり、
そのかわり「中国」を用いるようになった。もう一つの理由は、孫文は革命者として、「支那」は清王朝と等しいと考え、
「中国」はその革命を進めて樹立をめざす中華民国であり、中華民国の建国以前「支那」と呼称したのは清王朝を指すものであって、
辛亥革命後、「中国」と改称した。


http://kyoto.cool.ne.jp/jiangbo/china/edu/edu004.htm


国士様がシナを使いたがるのはなぜ?
地域名ならなぜ政治の話題で好んで使う?
現在の政治関連なら現体制が絡むことでもあるし、現国名でないと誤解が生じやすくなるだろう。
国名なら国境線がほぼ確定した国家を指す名詞として機能するが、地域名では国家を指す名詞として不十分だ。
それに二十世紀前半の中国史を語ってるわけでもないだろう国士様は。

※ネトウヨは蔑称らしいので国士様にしました。

19 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:37:12 0
>>14
原典は↓
日本為要併呑我們中國,而須先征服俄羅斯,吃下美國,擊破英國,
才可這到他的目的,這是他們早已決定的國策。他叫我們中國叫「支那」,
這「支那」兩字,照日本話是什麼意義呢? 就是半死人!
可知他眼中就沒有我們中國,所以不稱我們中國為中華民國,
而始終叫我們為「支那」。其次,他叫俄國叫什麼呢?他叫「露西亞」,
露是雨露的露,這個「露」字,是表示什麼意義呢?他就是自比日本為太陽,
將俄國看作是露水,太陽一照到露水,那露水馬上就要乾!
由此可見日本的國策,早已決定,他非消滅俄國不可。
再看他叫美國叫甚麼呢?我們是叫「美利堅」,而他日本則叫「米利堅」,
亦叫做米國。米原來是人們一種必需的食糧,他拿這個字來叫美國,
意思就是決心要把美國吃下去!

"抵禦外侮與復興民族 ─中華民國二十三年七月十三日對廬山軍官訓練團講─”

20 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:39:31 0
913 :世界@名無史さん :2007/01/10(水) 20:29:38 0
>896の大意は「支那を侵略し、英米と肩を並べた日本が半死人=支那として
見下したのはけしからんアル」といったいつもの反日内容。アヘン戦争時の
尊大な中華思想が抜けるのはいつになるやら。

915 :世界@名無史さん :2007/01/13(土) 20:41:51 O
>>913
ありがとう
>>895に記されている抄訳は知られたところだけど、>>896は訳されていない部分を含んでいる。
ロシアやアメリカに言及しているらしいその未訳部分を知りたかったんだ

916 :世界@名無史さん :2007/01/13(土) 22:26:38 0
全く支那語の分からん香具師が口から出任せの大意を述べたり、それに礼を言ったりするスレはここですか?w
>>915
次に彼らはロシアを何と呼んでいるか?「露西亜」と呼んでいる。露は雨露の露、この「露」の字はどのような意味を表しているか?彼らは日本を太陽に比しており、ロシアを露と見なしている。ひとたび太陽が露に照れば、露はたちまち乾いてしまう!
このことから日本の国策は、ロシアを消滅しないのは不可であるとつとに決定するものと見られる。
さらに彼らはアメリカを何と呼んでいるか?我々は「美利堅」と呼ぶが、日本は則ち「米利堅」と呼び、また米国と呼ぶ。米とは元々人間に必要な食料であり、彼らがこの字を使ってアメリカを呼ぶのは、アメリカを呑み下してしまおうとの決心の意味である!

21 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:40:40 0
あんまり「シナ」「シナ」言ってると、↓の本を見るだけでハァハァしちゃうよ?
                「シナノ」の王墓の考古学 雄山閣 (2006/12)
http://ec2.images-amazon.com/images/P/4639019572.01._SS500_SCLZZZZZZZ_V48678545_.jpg


22 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:41:24 0
★ シナチクとメンマの違いとは!?
http://www.geocities.jp/bokuookokomo/zatu76.htm
geonames-China
http://www.geonames.de/coucn.html#cn


23 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:42:54 0
支那

梵語に.漢國を支那泥舎(.ナテイシャ)といへり.この泥舎は.中國といふを
麼駄也泥舎(マダヤテイシャ).天竺國を[口皿]怒泥舎(キドテイシャ)などいふを見れば.國といふ
ことゝ見ゆ.支那(シナ)は按(オモフ)に晉の字音なるべし.佛書の初
て唐山(モロコシ)へ来たるは.後漢明帝の時なりといへども.盛(サカリ)に
行(オコナ)はれたりしは.晋代より六朝の間.天竺の僧等おほく来
て.専ら翻譯のわざをせしことゞも見ゆ.今こゝにも
人の尊(タフト)むめる.法華経は晋の鳩麼羅汁(クマラジフ)といひし僧
の翻訳せしなり.されば.晉字を梵音にうつして支那
といへるなるべし.晉は舌内声の字にて.門を摩那.文を
謨尼といふにおなじ.又按に.八字三昧經に.於此瞻部洲東
北方有國名大振郡云々.この大振郡は.大秦にて.大支那
といはむがごとし.漢書張騫傳に.益發使抵安息奄蔡
犂軒條支身毒國云々.とある註に.師古曰自安息以下五
國皆西域胡也.犂即大秦國也といへり.是によりて見れ
ば.本は秦字の音にや.されど秦晋ともに舌内聲なれ
ば.義は違(タカ)ふ事なし.また震旦とも書(カケ)り.是も支那と同
じ.那字の漢音ダなれば.シダとも.シナとも轉るなり.震
旦の二字.共に舌内聲なれども.韻を省(ハブ)きてシダと呼(ヨ)
べるなり.今俗シンダンと唱(トナ)ふるは僻事(ヒガコト)なり.是らは.御
國言(ミクニゴト)にわたらぬことなれども.天竺の音は御國(ミクニ)の音と
いとちかく.脣舌内の韻などのさま違(タガ)ふ事なければ.
因(チナミ)にいふなり.御(ミ)國にても信濃をシナヌ.雲梯をウナ
デ.民太をミノダ.雲飛をウネビなと訓るがごとし.此
雲民信等の字は.文欣真諄等の韻にて.共に舌内
聲なり.
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/ingaku/yojirei/07.JPG
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/ingaku/yojirei/08.JPG


24 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:43:35 0
支 那 内 學 院
http://www.jingangdhyanaincnet.org/12/1201/1201j1/1201j1g.html
http://www.guoxue.com/fxyj/fjyjjg/jg015.htm




25 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:45:31 0
シナの五にんきょうだい (単行本) クレール・H・ビショップ
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4916016068/250-2842960-8547417?v=glance&n=465392

支那そば勝丸ホームページ
ttp://www.katsumaru.jp/
支那そばや本店
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~raumen/danna/men102.htm
支那そばや
ttp://www.ne.jp/asahi/taru/roads/new_page_36.htm
目黒区タウン ラーメン道 支那そば 八雲
ttp://www.meguroku-town.com/do/001/004/
支那そばや台南トップページ
ttp://www.shinseido.jp/tainan/
支那そば一
ttp://www.walkerplus.com/tokai/gourmet/contents/tou011.html
支那そばや 群馬店
ttp://www.01ch.com/ramen/shinasobaya-gunma.html
支那そば北熊
ttp://www.shinasoba-hokuyu.com/
支那そば けん
ttp://www.maruyaso.jp/inn5.html
支那そば 八島
ttp://www.ramendb.com/shop.php?sid=145
支那そば 大津 天下ご麺
ttp://r.gnavi.co.jp/k669300/

支那そば館の謎 (単行本(ソフトカバー)) 北森 鴻
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334923984/250-2842960-8547417?v=glance&n=465392
WWEのシナ
http://www.wwefanclub.ne.jp/superstars/detail.php?id=71


26 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:47:53 0
<支那呼称問題についての参考文献>

支那は悪い言葉だろうか(文春文庫『本が好き、悪口いうのはもっと好き』所収)高島俊男著
「支那」の発生から消滅まで(第一書房『中国留学生史談』所収)さねとう けいしゅう著 絶版

『ホントのはなし』(小学館文庫)呉智英著
『日本人と中国人』(祥伝社)イザヤ・ペンダサン著
『日本とシナ―1500年の真実』(PHP)渡部昇一著


27 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:49:28 0
ヒステリーで優しい時は、非常に優しく、こわい時は、非常にこわい、佐々木先生に變つてから、
慧眞はめつきり幼稚園へ行きたくなくなつた。バスケツトを下げて、
「イツテマヰリマス」を云ふ時ももとのやうに、はしやがなくなつた。
「どうしたの?チビちやんは、此の頃餘り幼稚園へ行きたくないやうね。何か嫌な事があつたの?」
と玉華が心配そうに聞いても只小さい聲で、
「ダツテ今度の先生、とつても嫌なんだもの」と云ふばかりであつた。慧眞の一番嫌なのは、先生が時々
「みんなはヨイコですから、支那人のやうに惡いヒトになつては不可ませんよ。」
と云ふことであつた。「支那人のやうな惡い人」と云ふ言葉が幼い慧眞の胸にも鋭どく突き指すのだつた。
淋しい日が幾日か續く。

『漂浪の小羊』陳將蛛@戦後初期台湾文学叢刊1 南天書局

28 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:52:38 0
「お前、支那ポコペンだらう。」大將らしい大きな男の子が云ふ。慧眞はあまり突然なので、呆氣に取られた。
「チヤンコロ!」「チヤンコロ!」イタヅラツコは口々に叫んで、忽ち慧眞を圍んだ。
「あんた達はどうして其んな事を云ふの、私は何も云はないのに……」慧眞は激して云つた。まはりを圍んだ男の子達の中で、
一人が、「お前は支那人だからさ、ポコペンだからさ」と落ち着き拂つて云ふ。
「ポコペンなんて云ふものぢやないわ。ちやんと中國人つてお云ひなさいよ。」
「何生意氣云つてゐるんだい。馬鹿野郎!」鼻垂れ大將は、棒を持つた方の手をサツと高く上げた。
と潮の寄せるやうに三十人位の、イヂメツコ部隊の伏兵が押し寄せて來た。
「デ!ンデンデン」「チヤンコロ!」「支那の敗殘兵!」
さあ大變だと慧眞は思つた。幾らこちらが正しくても、一人對三十五人では話しにならぬ、しかも敵は男の子である。

『漂浪の小羊』陳將蛛@戦後初期台湾文学叢刊1 南天書局

29 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:54:02 0
今日も亦歸りにイヂメツコ達に會つた。慧眞はいつもの通りに其の横を通り抜けて、走らうとすると大將が彼女のかぼそい腕をムヅと掴んで、
「ヤイお前、支那ポコペンの癖に級長になるなんて生意氣だぞ」慧眞は驚いた。掴まれた腕を振りほどかうとすると、もう一人のが、
「すこし、馬鹿にしてやらうなあ」と慧眞の頭を叩かうとした。「イヤーン。」慧眞は、一目散に逃げ出した。後の方で、
「ヤーイ、チヤンコロ」「バカヤロー!生意氣!」「ハハ……イヤーンだつてさ。」
と、はやす聲が聞こえる。慧眞は走るのを止めた。「馬鹿な日本の子供達だ。」慧眞はつぶやいた。
一丁位も駈けたので心臓は、まだドキドキと大きく打つて、肩が波のやうに動く。

『漂浪の小羊』陳將蛛@戦後初期台湾文学叢刊1 南天書局
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4000238280/249-7744789-2600363?v=glance&n=465392&s=books

30 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:56:29 0
日 本 の 皆 樣

私達 は 本日 皆樣 に 爆 彈 を
投下するために來たのではありま
せん。 お國の政府の申込んだ降
服條件を アメリカ イ キ リ ス
支那 並に ソビエット聯邦を 代
表して アメリカ政府が 送りまし
た囘答を お 知 ら せ す る。

↑米軍が空から撒いた終戦勧告ビラ
http://homepage3.nifty.com/saitamapeacemuseum/Tenji/DENTAN.HTM

31 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:58:36 0
 漢口北端の坦々とした九キロの道を、私は鶏を背負い、支那兵(ツンコピン)の捨てて行った
日傘を拾って、秋の陽をさけながら、歩いたのですけれど、白い蝶々が二つ三つ、進軍してゆく
兵隊さんの頭上をひらひら飛んでいたのをおもい出します。

      『戦線』林 芙美子 S13.12.15 朝日新聞社  H18.7.25 中公文庫

32 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 18:59:58 0
 こんな処で病気になりたくないと思います。
 私はこんな支那の片田舎の歴史なんか知りもしませんし、知ろうともおもいません。
たとえ、ここで孔子が生まれ、李白が生まれていたにせよ、私の知ったことではないでは
ありませんか。私はこんな汚い土の上に死にたくないと思います。ry
 母さん(ムーチン)!母さん!私はこのごろ覚えた支那の子供の母を呼ぶ声を真似て、
あんまり苦しいので、母さん!母さん!と呼んでみます。梅干を溶かした舌の切れる
ような熱い茶を持って来て下さい。ああありがとう、私はふうふう茶碗を吹く真似をして、
梅干を舌へ転ばしています。渦巻くような酸味が舌の上へ湧きあがる。
私は眼がまいそうにうれしいのです。

      『戦線』林 芙美子 S13.12.15 朝日新聞社  H18.7.25 中公文庫

33 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:01:42 0
 戦線は苦しく残酷な場面もありますが、また実に堂々とした、切ないほど美しい場面も豊富にあるのです。
私は、或る部落を通る時に、抗戦してくる支那兵を捕えた兵隊のこんな対話をきいたことがあります。
「いっそ火焙りにしてやりたいくらいだ」
「馬鹿、日本男子らしく一刀のもとに斬り捨てろ。それでなかったら銃殺だ」
「いや、俺は田家鎮であいつの死んでいった姿を考えると、胸くそが悪くて、癪にさわるんだ……」
「まァいい一刀のもとに男らしくやれッ」
捕えられた中国兵は実に堂々たる一刀のもとに、何の苦悶もなくさっと逝ってしまいました。
私は、この兵隊の対話を、どっちもうなずける気持ちで聞いたのです。こんなことは少しも残酷なこと
だとは思いません。あなたはどんなにお考えになりますか。こう言う純粋な兵隊の心理も解って戴きたく
おもいます。戦死して行った戦友への激しい思いは、こうした場合の兵隊の心を、

      『戦線』林 芙美子 S13.12.15 朝日新聞社  H18.7.25 中公文庫

34 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:02:30 0
 私は戦線へ来て思うことは、内容空疎な急ぎ足の日支親善はまっぴらごめんだということでした。
極端に言えば、日支親善なんかいまは早いとさえも思ったりしますがどうでしょうか……

      『戦線』林 芙美子 S13.12.15 朝日新聞社  H18.7.25 中公文庫

35 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:03:26 0
シナモンの「シナ」をハングルで書いてみると시나となります。
これを分解するとㅅㅣㄴㅏになるね。これが実は

 
ㅅ=s
ㅣ=i
ㄴ=n
ㅏ=a

とそれぞれ対応しているわけ。


36 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:05:18 0
われわれが(なぜそう言うのか理由も根拠も知らぬままに)、チナ(27)と呼びならわしてきたこの国は、
周辺諸国の人たちからはサングレイ(28)と呼ばれ、またチナ人自身の言語ではタイビンコ(大明国)という。
タイビンコとは王国というほどの意味にすぎない。

『シナ大王国史』大航海時代叢書Y(岩波書店)ゴンサーレス・デ・メンドーサ著 長南実/矢沢利彦訳1965/12
Ioan Gonzalez de Mendoca,"Historia de las cosas mas notables,ritos y costumbres del Gran Reyno de la China,
ssabidas assi por los libros de los mesmos Chinas,como por relacion de religiosos y otras personas que an estado eo el sicho Reyno",Roma,1585.

37 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:06:03 0
(27)「この極東の国はわれわれヨーロッパ人にはいろいろの名称で知られてきた。
もっとも古い、すなわちトロメオ[プトレマイオス]時代の呼び名はシナSinaであり、
ついでタメルラン[通常ティムールをさすが、ここでは蒙古]時代には、
後述するところによって明らかなように、マルコ・ポーロによってカタイオCataioという名で伝えられている。
しかしこれらの期間を通じてもっとも著名な名称はチナChinaという名である。
この名は長い危険な航海の末にこの国に到着し、その極東地域、すなわち広東省で通商に従事しているポルトガル人が創始したものである。
われわれイタリア人やそのほかの国民はこれをキナChinaと呼ぶのだと思っているが、
これはエスパニャ語の発音と綴字法とに誤られているためであって、
エスパニャ語の口語ではニ、三の文字の場合、ラテン語式の発音法をとらないのである」
(Ricci,op.cit.,vol.I,pp.7-9)
『シナ大王国史』大航海時代叢書Y(岩波書店)ゴンサーレス・デ・メンドーサ著 長南実/矢沢利彦訳1965/12
Ioan Gonzalez de Mendoca,"Historia de las cosas mas notables,ritos y costumbres del Gran Reyno de la China,
ssabidas assi por los libros de los mesmos Chinas,como por relacion de religiosos y otras personas que an estado eo el sicho Reyno",Roma,1585

38 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:06:44 0
(28)西洋の諸学者の間ではこの名の起源についてさまざまの意見がある。
かれらはおおむねこの語を中国語起源としているが、ボクサーはこれに反対してタガログ語起源であろうとし、
フィリピン諸島に来たエスパニャ人は原住民から聞いたこの語をもって、
中国人なべて、ことに福建省から諸島にやって来るものを呼んでいたが、
十七世紀には次第にフィリピン諸島に居住する中国人を意味することになったとしている。
なおボクサーがマニラで手に入れた一五九〇年ごろの文書に中国人の男女を描いた図があり、
この絵の上部には「Sangley 常来」と説明が書いてある。
(Boxer,op.cit.,p.260)アビラ・ヒロン『日本王国記』大航海時代叢書]T
『シナ大王国史』大航海時代叢書Y(岩波書店)ゴンサーレス・デ・メンドーサ著 長南実/矢沢利彦訳1965/12
Ioan Gonzalez de Mendoca,"Historia de las cosas mas notables,ritos y costumbres del Gran Reyno de la China,
ssabidas assi por los libros de los mesmos Chinas,como por relacion de religiosos y otras personas que an estado eo el sicho Reyno",Roma,1585

39 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:08:21 0
837 :世界@名無史さん :2006/11/19(日) 23:56:59 0
>>833>>835
石原慎太郎は楊振亞・第五任駐日大使から、
シナという言葉を使うのは全然構わないが、
漢字に当てはめて「支那」と書かれるのは困ると言われたそうだ。
「支那」はまったく意味のない当て字で、支那人にとって迷惑かつ不愉快なので、
漢字を止めてくれれば結構だと言われたらしい。

石原慎太郎がこのはなしを「Noと言える中国人」の著者・張蔵蔵にしたところ、
それは楊大使個人の考えで、大部分の支那人は異なった考えを持っていると即座に反論されている。

「日中激突 −Noと言えるのはどっちだ」『文藝春秋』1997/11月号  新潮文庫版「Noと言える中国」(莫邦富編訳)再録

はっきりと支那共産党が明文化してるわけじゃなくて、個人個人のものさしででたらめに判断してるんじゃないの?

40 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:12:35 0
「学問板」としてはいうならば
・支那という単語に差別的な意味は無い
・支那の由来はサンスクリット語で秦がなまったもの
・現在欧州で使われている「シナ大陸」を表す単語はチャイナ、ヒーナ、チーノなど秦を元にしたものと、
 キタイ、ヒタイなど契丹を元にしたもののニ系統
・「中華民國」「中華人民共和国」の短縮としての「中國」「中国」は現代の国名であり、殷以来の国家を表すには不適切
・ただし礼記などにも「中国」が中原国家の美称として使われた形跡はあるのでそれをもとにMiddle Kingdomの意で「中国」というのは問題ない
・仮に地理的にあらわすならば中原、China properの意味として「支那(シナ)」がふさわしい

以下はスレ違いであり論外
・「中共が日本に中国呼称を押し付けるのは暴論だ!」→中華民國KMTが日本に中国呼称を押し付けるのならいいのでしょうか?スレ違いです
・「中国呼称を公務員に義務付けているのは中共の横暴であり政府がヘタレだ!」
 →中国呼称を公務員に義務付けたのは1946年7月の中華民國日本占領團の命令です
・「支那は右翼の言葉だ!」→右翼の定義は個人個人で違います。「中国様」と呼ぶ自虐的な右翼もいます
・「tu-ka、一般的にはもう『中国』が普及してるんだし中国でいいじゃん」→そうかもしれませんがここでは学問板のみとしての議論です
・「でも軍国主義時代に支那って呼んでたんだから差別の意味があるでしょ!」
 →1930年10月日本政府は外交文書での「支那」呼称の撤廃と「中華民國」の使用を閣議決定しました。
 ⇒さらに南京維新政府(汪兆銘政権)に対しては、段階的に日本国内での「支那」呼称廃止も約束しています。
 →支那に差別の意味はないのに、戦前の軍部も政府も誤った善隣外交を繰り広げていたようですネ お人よしすぎます!
・「大体『中華』人民共和国の略で中国なんて認めたら中共の中華主義を認めることになるでしょ!」
 →『中華』民國の略の中國を認めて、台湾の正当中華、中華復興運動を支持しましょう。実害がないので、楽ですよ
・「中国って言葉を聞くと虫唾が走るから許せない!!」→支那と呼びましょう
・「支那、中共って言葉を聞くと虫唾が走るニダ。アイゴーーーーーーーーーーーーー」→共匪、ゴキブリと呼びましょう

41 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:31:18 0
when the Middle kingdom begun using lacquer on househoid utensils,
furniture and art objects, and to preserve histrical objects carvd on bamboo.

「1421: 中国が新大陸を発見した年」257ページ ギャンヴィン・メンジーズ
ttp://www.amazon.com/gp/reader/006054094X/ref=sib_dp_pt/102-2822866-9351353#reader-link


42 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 19:35:20 O
なら脂那でおk?

43 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 20:09:20 0
我一向喜愛吃油膩食物
我れ一向して油膩し食物を喫することを喜び愛せり
ウォイーシャン シーアイチー ヨウニーシーウー

為什麼在現在 却説不能
現在にありて却ってあたわずというを甚だあやしむなり 
ウェイシェンマ ザイシェンザイ チュェシュオブーノン

難道年紀大了 就不能像従前
年紀大にしてすなわち従前のごとくあたわずとはいい難し 
ナンダオニィェンジーダーリャオ ジウブーノン シャンツォンチエン

假装不幸福 做不到
幸福にあらずと偽り装うをなすはいたらざる
ジャーチュワンブーシンフー ズオブーダオ

是因為"黒烏龍茶”改変了我
これ黒ウーロン茶がためによりて あらためかわりし我れ
シーインウェイ “くろうーろん” ガイビエンリャオウォ

譲我イ門 品嘗着 油的香濃
我らに譲り給え 油のかぐわし濃しを甞んことを
ランウォメン ピンチャンジャ ヨウダシャンノン

没恋愛 没有油 人生不敢想
恋もなけり 油もなけり 人の生くるに敢えて想わざる
メイリエンアイ メイヨウヨウ レンションブーガンシャン

那雟不是 太無味
それすべてあらざりし およそ味なきなり
ナーチィーブーシー タイウーウェイ

44 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 20:15:42 0
>>1
乙だけど、なんで「世界史板の猫娘」止めちゃったの?

45 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 20:46:30 0
チーってなんだよ、チーってw
地井武男か?w

46 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 20:55:16 0
俺は"雪恥(せっち)"を薦めたんだがな。
次スレは、なぜ学問板なのに支那と表記しない?くるくる。パー

47 :世界@名無史さん:2007/01/21(日) 21:44:28 0
加えて宋代になりますと、禅院でも、「今上皇帝万歳万歳万々歳」なんていうことを申しました。
これは古い時代の仏教者の立場とは違うと思うんです。たとえば廬山(中国江西省南康府。中国浄土宗
の聖地)の慧遠の「不敬王者」という言葉は、帝王に対してお辞儀しなかったことですね。
その態度で通しましたから、彼は廬山から外へは出なかったわけです。それは古い仏教者の立場を
示す一つのしるしでございますね。
それから、唐までの仏教者はインドに対する絶対の崇敬の気持がありまして、たとえば玄奘三蔵が
「中国」といった時にはシナのことじゃないんですね。あれはがんジス川の流域のことなんです。
そして自分の国を「秦土辺地」といってるんです。正法という点から見ると、理想の国はあちらにある、
こっちははしっこだから、ほんとうの教えを求めたいと思って、命がけでインドに巡礼にいったわけです。
仏典で中国と申しますと、今申し上げたように大体ガンジス川の流域のことなんです。
バラモン教の法典でいう場合の「中国」は、ガンジス川とジャムナー川の、ちょっと上流のほうなんです。
つまりガンジス川の中流地帯に仏教が出て、新しい文明が興ったわけでございましょう。
そこが世界の真中だと思っていますから、漢民族の仏教者は素直に受け継いでインドからの宗教に
驚嘆していたわけです。
ところが宋代になると違いますね。禅僧でも、「中華」という言葉を使っていますでしょう。
自分の国が中心だという、ある意味では漢民族の伝統的な概念を受けているわけでございますね。
そして、それが宋代の国家権力あるいは世俗的な支配権力というものと結びついていたと思います。

『濁世の仏教 〔仏教史講義〕』 中村元+水上勉 1980/4/25初版 (朝日出版社)

48 :世界@名無史さん:2007/01/22(月) 01:26:38 0
また「日本は支那の冊封に入ったアル!」ってデタラメ歴史のコピペしてやがる・・
ここは支那共産党も見ているのか?

49 :世界@名無史さん:2007/01/22(月) 05:59:15 0
共産党の言うことをきかないと臓器売買のために殺されたり味の素の原料にされちゃうので。

50 :世界@名無史さん:2007/01/23(火) 00:19:15 0
唐代までの仏教の学問というのは、どっちかというと体系的ですね。
達磨大師に帰せられている二入四行の論でも、かなり体系的で、インド的なんです。
ところが、唐末に五代の乱(九〇七-九六〇 唐の滅亡から宋の統一にいたる分裂・抗争の時代)がございましょう、
そうするともうすっかりお寺は荒れはててしまい、経典はどこに行ったかわからなくなる。
そこで難しいインド的な教義の体系を離れて、中国風のとらえ方をする。そこから禅問答が出てきたと思うんですね。
意表をつくような禅問答というのは、割合、宋代のものが多うございましょう。
唐代のものを見ますと論理があるんですよ。たとえば言葉では言い表せないということにしても、
それはそれで一つの論理であり得るわけです。「極大は極小と同じ」なんていうのは、西洋でいったら、
コインキデンツィア・オポジトールム(相反するものの一致)と申しますが、
そういう形式論理を超えた一つの論理が唐代の禅問答にもあるわけです。ところが、宋代の禅問答を見ますと、
これは私なんかにはわかりませんですわね。自由奔放になって、その代わり銘々の人の
生活や体験に即して禅を生かそうとしたというふうに、かなり変わってきたような気がするんでございます。

『濁世の仏教 〔仏教史講義〕』 中村元+水上勉 1980/4/25初版 (朝日出版社)


51 :世界@名無史さん:2007/01/23(火) 00:49:18 0
【厳粛】
靖国神社を参拝に訪れた吉本興業の村上ショージとMr.オクレ(写真有り)
http://society4.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1166498286/l50

52 :世界@名無史さん:2007/01/29(月) 19:45:09 0

「欧米がchinaと使っているのだから、日本もシナと言っていいはず」という主張への反論としては、
言葉は文脈によってその意味を全く違えるのであって、日本語における支那と欧米の言語におけるchinaは全く意味が異なるという意見もある。
ただし逆に言えば日本語の文脈上で支那を尊敬すべき呼称として使用されている例もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3


なんかちょっと前と記述が変わってるけど未だに意味不明な文章だな

53 :世界@名無史さん:2007/02/04(日) 19:37:14 0
もてない男がからんでるんジャマイカ

54 :世界@名無史さん:2007/02/05(月) 23:57:50 0
>>26 追加
『貝と羊の中国人』加藤徹(新潮新書)
「中国に「『支那』は差別語だ」と言われたら」小谷野敦 『歴史の嘘を見破る』中嶋嶺雄編(文春新書)所収

後者は、以前の「晴れときどきラディカル」などの主張に比べ、だいぶ2ちゃんに毒されたと思う。
以前の作品の、呉智英「支那=China」主張の起源を1981年とした箇所は参考になった。

55 :世界@名無史さん:2007/02/06(火) 00:03:07 0
せいぜい東洋史の範囲限定ですが、
人大杉に対する避難先

支那英雄板
http://hobby9.2ch.net/chinahero/


56 :世界@名無史さん:2007/02/06(火) 11:36:42 0
普通に専ブラ入れればいいと思うが

57 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 12:05:38 0
Shina (支那, Shina? シナ); IPA: [?ina]) is a Japanese term that is viewed by most Chinese people as a highly offensive racist term for
China. Originally a word used neutrally in both Chinese and Japanese, the word gained a derogatory tone due to its widespread
usage in the context of the Second Sino-Japanese War.


racist term for China. (´・ω・`)ここの倭人はひどいね

58 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 18:24:11 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

59 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 00:22:49 0
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

60 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 19:31:54 O
……もしかして鼎は金属製でなければならないのか?
リンク先読んでないけど

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