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【ダナン発】ベトナム戦争とその時代【最終便】

1 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 20:27:53 0
戦後の歴史の中でのベトナム戦争を語ってください。
本当に必要な戦争だったのか?
代理戦争として冷戦下の世界に
アメリカの覇権の歴史に与えた影響などなど。

2 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 20:30:07 0
とりあえずアメリカは北ベトナムに宣戦布告してないから
「戦争」でなく「紛争」ではないか?と言ってみる。

3 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 20:31:21 0
ベトナム介入はケネディの大失敗だろ

4 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 20:32:18 0
韓国がベトナム戦争に参戦した影響が現在も残っている。韓国軍による虐殺や、
韓国軍兵士による現地ベトナム人女性への買春やレイプで生まれた子供が、
現在1万人以上存在しているが、韓国より謝罪や補償が全くされていないため、
両国間で問題になっている(韓越混血児問題)。また、ベトナム戦争について、
韓国の国定教科書では1行程度しかふれられていないため、韓国が戦争に参加
した歴史を知らない若者は多い。その記述内容は「共産侵略を受けている
ベトナムを支援するために国軍を派兵した」というものである。

5 :参考:2006/09/16(土) 20:34:15 0
1960年:南ベトナム解放民族戦線結成(12月)
1961年:ジョン・F・ケネディがアメリカ大統領に就任(1月)、アメリカが南ベトナムにヘリコプター部隊と軍事顧問団を派遣(11月)
1962年:アメリカ軍が「南ベトナム軍事援助司令部(MACV)」を設置(2月)、南ベトナムとラオスが国交断絶(11月)
1963年:アプバクの戦い(1月)、南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領暗殺(11月)
1964年:南ベトナムでグエン・カーン将軍によるクーデター(1月)、トンキン湾事件発生(8月)
1965年:アメリカ軍による北爆開始(2月)、アメリカ海兵隊がダナンに上陸(3月)、韓国軍派遣(10月)
1966年:北ベトナムに対するB-52による初空襲(4月)、初のクリスマス休戦(12月)
1967年:南ベトナム解放民族戦線がダナン基地を攻撃(7月)、グエン・バン・チューが南ベトナム大統領に就任(9月)
1968年:テト攻勢開始(1月)、ソンミ村虐殺事件(3月)、パリ和平交渉開始(5月)
1969年:北ベトナムが南ベトナム臨時革命政府の樹立を発表(6月)、ホー・チ・ミン死去(9月)
1970年:南ベトナム軍とアメリカ軍がカンボジアに侵攻(4月)、カンボジア内戦勃発
1971年:南ベトナム軍とアメリカ軍がラオスに侵攻(2月)、ニューヨーカー誌に「ペンタゴン・ペーパーズ」連載開始、南ベトナム大統領選挙(10月)
1972年:北ベトナムの戦闘機がアメリカ艦艇を初攻撃(4月)、アメリカ軍無制限北爆再開・停止(12月)
1973年:パリ協定締結(1月)、アメリカ軍がベトナムから撤兵完了(3月)
1974年:北ベトナム軍がプノンペンを包囲(2月)、リチャード・ニクソン大統領辞任(8月)
1975年:北ベトナム軍全面攻撃開始(3月)、サイゴン陥落(4月)


6 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 20:37:24 0
本日をもって貴様らはウジ虫を卒業する
本日から貴様らは海兵隊員である

兄弟の絆に結ばれる

貴様らのくたばるその日まで

どこにいようと海兵隊員は貴様らの兄弟だ

多くはベトナムへ向かう

ある者は二度と戻らない

だが肝に銘じておけ

海兵は死ぬ

死ぬために我々は存在する

だが海兵は永遠である

つまり―――貴様らも永遠である!


7 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 20:46:39 0
    /ノ 0ヽ
   _|___|_      
   ヽ( # ゚Д゚)ノ   下がってろウジ虫ども! 。
     | 个 |      訓練教官のハートマン先任軍曹が7をgetする!
    ノ| ̄ ̄ヽ
     ∪⌒∪

>>1 貴様!俺の海兵隊をどうするつもりだ!
>>2 口でクソたれる前と後に「サー」と言え!
>>3 ふざけるな!大声だせ!タマ落としたか!
>>4 貴様には両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!
>>5 アカの手先のおフェラ豚め!
>>6 まるでそびえ立つクソだ!
>>8 タマ切り取ってグズの家系を絶ってやる!
>>9 じじいのファックの方がまだ気合いが入ってる! 
>>10 ベトナムに行く前に戦争が終わっちまうぞ、アホ!


8 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 20:50:12 0
ベトナム戦争はアメリカにとって充分に有益だったのじゃないかね。
あれだけ軍需が拡大したのだから。

9 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 22:02:22 0
東南アジアの赤化を食い止めてたのは事実。
ソ連にも出費を強いて冷戦終結の一因にもなったしね。

10 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 11:22:33 0
何年か前、海外のテレビでマクナマラと北ベトナムの指導者達が直接会談して
ベトナム戦争を回顧するという番組を見た覚えがある。
その時北ベトナムの関係者が「我々はソ連の指導方針を受け入れるつもりはなかったのですがアメリカはそのことを知っていましたか?」
とマクナマラに問うた。マクナマラは愕然として「いいえ。今、その事実を知りました」と答えていた。
結論は、あの戦争は充分回避できたものだということで両者が一致していた。
まあ、あとからなら何とでも言えるといえばそれまでだが、当事国同士がこういう番組で討論ができること事態がすごいと思った。

11 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 11:28:02 0
日本なんかに住んでりゃ、そういった当然の「マスコミ」が不思議に思えるんだろ

12 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 11:30:21 0
マクナマラってトンキン湾事件の真相を戦後まで知らなかったっていうけど
本当なのかね。本当ならあまりにお粗末な気がするが。

13 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 14:15:40 0
>>10
朝鮮戦争がスターリンのおかげで、なかなか終結できなかったからね。
アメリカは「ソ連の影あり」と思い込むし、北ベトナムはソ連に主導権渡すことだけは勘弁ってなるわな。

14 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 19:08:40 0
ベスト&ブライテスト age


15 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 20:11:36 O
実際、あんだけダラダラと明確な戦略目標もなく介入し続けたのは
政治的な問題以外に軍需を必要としてた人間がアメリカに沢山いたからだろうね。

16 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 23:26:04 O
ケネディは本当にベトナムから撤兵するつもりだったかな?
それとも暗殺されてなくても介入が激化するのは避けられなかった?

17 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 01:36:36 0
ホーグエンザップとキッシンジャーってまだ存命なんだよな・・・

18 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 04:31:34 0
「ボー」・グエン・ザップ(漢字を当てると武元甲)な
1912年生まれだからもう相当の高齢だわ

19 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 11:31:25 O
少なくともロバート・ケネディは撤兵するつもりだった。

20 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 19:07:59 O
ウエストモーランドはNVAや解放勢力の兵力増強を的確に報告していたCIAの調査報告を握り潰してテト攻勢を招くわけだが
なぜウエストモーランドはそのような行為をしたのか疑問だ
もし米海兵隊でなければケサンは第2のディエンビィエンフーになっていただろう


21 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 21:40:21 0
60年代ってカウンターカルチャーやロックが盛り上がっててかっこいいよね・・・
戦争はいやだがあの頃のアメリカに生きてみたかった・・・

22 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 22:00:24 0
>>21
そんなに格好よくないよ。
みんな夢見がちだっただけだな。
あと、あの頃の若者はロックとかサブカルチャーとかいうものに免疫がなかった。

23 :世界@名無史さん:2006/09/22(金) 17:41:06 0
麻薬に対してもきちんとした知識がなかった。

24 :世界@名無史さん:2006/09/22(金) 20:48:16 O
>>21
ラス・ベガスをやっつけろ
って映画を見るといいよ。あの映画のラストに60年代カルチャーの結論が明快に出ている。
あと日本の60年代はアメリカのそれとは全然別。当たり前だけど。
なんかこの世代に育った日本の作家とかって、「60年代(70年代)の自分達の青春」を妙に美化して誇らしげに語る人が多いけど。
日本ではそういう海外のカルチャーに興味もって触れてた人自体が極々少数派だった。
今と比べたら断然少ない。言わば文系のオタクな人々だった。
そんな連中が格好いい青春なんて送ってるはずがない。

25 :世界@名無史さん:2006/09/22(金) 21:39:18 0
ディーン・ラスクかマクジョージ・バンディーがイギリスの外相に「なんでイギリスはアメリカと一緒に戦ってくれなかった
んだ!ヨークシャーにソ連が侵攻してもアメリカは関知しないからな!!」って言い放ったらしいなw

26 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 11:31:01 0
南北ベトナムが出来た経緯をひとまず置い説けば、米の介入は十分理解できる範囲だったと思う。
内戦と外戦の違いはあっても、朝鮮の時と似た様なモンだろう。
67年頃、この戦争も先が見えたと思った人は多かったはず。
(てゆうか、米市民も余り関心無かったんじゃないの?)

68年の旧正月、突っ込んだ片足が容易に引っこ抜けないことに気付いたんだと思う。

27 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 13:13:30 O
テト攻勢は戦術的な作戦としては失敗に終わったけど
あれでアメリカはベトナム派兵を大増員するはめになった。
最終的には50万人くらいだったかな。今のイラク派兵が15万人くらいだから負担の規模の大きさは半端ではなかっただろう。

28 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 06:53:28 0
なんでアメリカ負けたの?不思議でつ。

29 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 07:08:46 O
ステイツは負けてない。負けたのは南ベトナム政府だ。
と在日米軍の人が言ってたよ。

30 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 07:24:34 0
>>29
米軍だって負けだよ

31 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 22:02:47 O
確かにひとつひとつの戦闘には負けていないだろう
朝鮮戦争のときは温帯でハゲ山が多く、正規戦が主だったため、兵力不足にもかかわらず国連軍がやや優勢で戦争は終結した
しかしベトナムは年中深いジャングルの熱帯雨林で航空偵察では限度があり、不正規戦が主
しかも三方が海の朝鮮半島と違い、カンボジア、ラオス経由の補給が容易であった
アメリカを消耗戦に引きずり込み厭戦気運を高めた

32 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 22:24:47 0
>>24
大学行ける人間がまだ少ないご時世
その学生もゲバ棒振るってる人間の方がヒッピーより多かったろう

33 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 23:01:52 0
>>28
殺した人数で勝敗を決めるならアメリカの勝ちだ。


34 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 02:06:52 0
この場合「殺した人数では勝ち」になんの意味があるん?
ホーチミンだって覚悟の上。それでも国民は付いて行き統一を果たした。

独・ソ戦はもちろん、フィン・ソ戦争でも死傷者が多かったのはソ連軍。

35 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 00:28:36 0
日本もベトナムみたいに、本土で消耗戦やってたらアメリカに勝てた?
ベトナムってあのベトナム戦争以前にも、自力でフランスを倒したんでしょ?

36 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 01:41:50 0
ベトナムにはソ連がいたけど日本は四面楚歌だったから微妙。

37 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 06:09:32 O
日本は核がきた後も、本土防衛をやるつもりだったが、ロシアがきたため満州からの補給ができなくなり戦争をやめました。
ついでに本土防衛には、満州の最強部隊を日本に呼び寄せて戦うつもりでした。

ていうか、本土でない硫黄島とかの激戦ぶりを見れば、本土防衛できるか否かはわかることでしょう。

まあ、日本に一旦身を引いて50年100年後に再起を図るというもののあり方があれば(よく指摘される)満州から撤退してでも何とか台湾だけは押さえて、防衛戦をするということができたかもしれないのに。

38 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 09:41:22 0
中国から来た軍事顧問が人海戦術を主張して
ゲリラ戦を主張するヴェトナム人と意見が対立したそうだ。

その中国人は元や明の遠征軍がゲリラ戦に悩まされて
撤退したのを知らなかったんだろうか・・・

39 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 10:13:30 0
>>35
ヴェトナム戦争でアメリカは世論に負けたんだよ
アメリカが介入するにはヴェトナムはリスクが大きすぎた戦争。
だから日本が直接アメリカに戦争を仕掛けた(実際はやむなくかもしれんが・・・)
大東亜戦争は日本が降伏するまで続けられたと思う
ヴェトナムでは北爆停止以降、大胆な爆撃もままならまかったけど
アメリカが実質被害を受けてる戦争で、爆撃停止なんかありえないから
ガンガン爆撃されてきっと日本は散々な負け方になると思うよ


40 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 18:58:22 O
ディエンビェンフーではベトナム軍は正規戦で勝利した
投入した重火砲も仏軍より多い
もちろん1975年の最終戦も正規戦での勝利
ケサン、ユエ(フエ)ではNVAは正規戦で挑んだが米軍に敗れた
やはり米軍は仏軍や南ベトナム政府軍よりは強いというわけか

41 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 19:03:52 O
あとポル・ポト打倒戦争や中越戦争も正規戦だったな
この当時はアメリカ、イスラエルを除けば正規戦の強い国ともいえる

42 :世界@名無史さん:2006/09/30(土) 09:54:15 0
戦後にヴェトナム人が「フランス人が米軍の装備と物量で来たら勝てなかった」
といったそうだ。でもソースは不明なので話半分で。

43 :世界@名無史さん:2006/09/30(土) 12:28:34 0
ベトミン軍がディエンビエンフー戦(53年11月ごろ〜54年5月)で、仏軍に勝る重装備で攻撃できたのは、
朝鮮戦争が休戦(53年7月)して、そこから大量の武器が流れ込んだから?

44 :世界@名無史さん:2006/09/30(土) 13:18:56 O
中ソの直接援助だと思いましたが
榴弾砲多数を山上に人力で担ぎ上げたのはすごいね
仏軍も空挺部隊や外人部隊のような精鋭集めて敗れたのはショックだったろうね
まああんな空輸しか補給できない孤立したところに陣地作ったというのは戦略眼がなかったと言われてもしかたがない

45 :世界@名無史さん:2006/10/01(日) 13:39:29 0
アメリカの戦略に一貫性がないよね。

朝鮮戦争を休戦で手打ちした事により、当然そこに流れるべき武器弾薬が、
北ベトナムに行き先が変更されて、フランスが窮地に立たされ、結局撤退。

ヴェトナムの共産化阻止を諦めたのかと思えば、
今度は民衆から高い支持を得ているわけでもなさそうな、
南ヴェトナム政府に大量の武器援助。

46 :世界@名無史さん:2006/10/01(日) 15:17:03 O
公共事業としての戦争という側面があったのは否定できないだろう。
反共から始まった筈の介入が、途中から軍需の拡大とその持続にすり替わっていた。
議会が予算を通したからそれを使い切らないといけないという事もある。
故に明確な戦略目標を設定できず、面子の問題もあってなかなか撤兵できなかった。
いわば企業栄えて万骨枯る。

47 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 12:56:36 0
南ベトナム兵の脱走率と幽霊登録率は高くて
実際の兵力に収集かけたら公称の三分の一しかあつまらなったらしい

48 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 14:20:09 0
>>40
アメリカは正規戦では勝ってたが「もう一つの戦争」農村のゲリラ戦で負けたと
マクナマラの本に書いてあった。
理由は上にもあるように南ベトナム軍の脱走率は高く士気も低いのに
VCの徴募率と士気は高く情報網も広かったという。

49 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 14:22:24 0
>ヴェトナムでは北爆停止以降、大胆な爆撃もままならまかったけど

でもラオスとカンボジアは後期もかなりひどく爆撃されていたよ

50 :世界@名無史さん:2006/10/07(土) 14:51:45 0
>>10
>我々はソ連の指導方針を受け入れるつもりはなかった
ソ連の援助がなけりゃ戦争できないんだから
そんなの口先だけだわな。

51 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:07:00 0
漏れ、学生時代(80年代)に本多勝一に傾倒したクチ。
長い間、アメリカ、南ベトナム政府は悪、北ベトナム、解放戦線は正義、
という、本多・朝日に代表される、ベトナム戦争当時のマスコミの主流の
論調を単純に信じていた。
いろいろ読んだ中で、小森義久の「ベトナム報道1300日」は、そういった
論調とは明らかに異なっていて、南ベトナムの大多数の民衆は、決して共産
勢力を支持していなかったと書かれていた。
当時は、小森は右翼で信用できないと思ったが、その後の世界情勢の激変で、
こっちの考えが変わり、後年、小森の視点が正しかったのだと思うように
なった。
サイゴン政権が腐敗した政権だったのは事実としても、単なる米帝の傀儡
に過ぎなかったとは言えないと思うようになった。
教えてチャンで゙スマソだが、北ベトナム、解放戦線に偏っていない、公平な視点で
書かれた通史などがあったら、是非読みたいと思っているのだが。
amazonで検索したが、どれがいいのかよく分らなかった。
(通史ではないが、小森著「ベトナムの記憶―戦争と革命とそして人間」が
絶版になっているが残念だ。)

52 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 21:05:56 O
スレタイの『ダナン発最終便』って
アメリカが撤退した時の最終便を指すのね。知らんかった。
難民が殺到したらしいね。

53 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 21:11:58 0
マクナマラ回顧録を読み始めたけど
ゴ・ジン・ジエムがクーデターで倒されても
みんなのんきにバカンスなのな。
アメリカがなんでクーデターを煽ったのかも、よくわからん。
クーデターにしたら傀儡てことで、政権は正当性を失って
民心離反するだろに

それに読んでてマクナマラはやっぱ国防長官には向いて
なかったんではとの疑問が。やっぱ、この人は生産ラインで
カイゼン運動してるのが似合ってる希ガス。
マクナマラじゃどうやってもホーチミンに勝てないだろ。


54 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 00:54:31 0
>>51
>南ベトナムの大多数の民衆は、決して共産勢力を支持していなかったと書かれていた。

共産主義がどうのうこうので、戦争していたんじゃない。

南ベトナムの大多数の民衆である小作人にとって、南ベトナム政府は支持するには、
あまりにもかけ離れた政権だったってことでしょうな。

55 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 10:56:35 0
「マクナマラ回顧録」元国防長官ロバート・マクナマラ著
「輝ける嘘」ニューヨークタイムスのニール・シーハン記者著 全米図書ピュリツァー賞
「果てしなき論争」元国防長官ロバート・マクナマラ編・著
「ベトナム戦争秘密報告」サイマル出版会
「ベトナム戦争報告」筑摩書房 ダニエル・エルズバーグ 著者は国防総省の役人

この辺が資料的にも一番価値があると思います。
小森氏の本も結構読んだけどわりと大都会住民の目線で戦争を見てる感じがしました。

自分も54さんと同じく、南ベトナム民衆(大部分は農村)は共産主義のために戦ったんではなく
農村を爆撃し枯葉剤を散布し政治犯を何十万人と捕らえていたサイゴンの政府が
支持するにはあまりにかけ離れた存在だったと思う。
もちろん、都市部の富裕層の人々や華僑なんかはサイゴンの政府を支持する人も
多かったしそういう格差・地域差によって差が結構あったと思います。


56 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 11:31:42 0
本多勝一もあれだけど小森義久もまず親米反共ありきって感じで個人的には全ては信用できない。
どっちもどっちって感じ。

当時のベトナムは農村と都会でだいぶ格差があったし戦闘の状況も全く違うので
基本的におおざっぱにとらえると農村住民VS中流以上の都市住民の対立という見方であっていると思う。
農村住民の支持を勝ち取っていたなら、脱走が多いとか徴兵が出来ないとか
政府の為に村に自衛団まで組織したのに逆に政府軍が駐留するたび寝首をかかれるとか
そんな事はなかったはず。

57 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 12:27:13 0
小作人に農地を分け与え、都市の工場で、
農村の不満層を吸収すれば展開は違ったかもしれない

しかし小作人から収奪することで生計を立てている支配層、
何もかも海外から持ち込んだ米軍では、いつまでたっても戦争は終わらない

58 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 12:46:49 0
国民の9割が農民で農業が根幹産業の国で
農村と田畑を爆撃と枯葉剤で破壊して人口を都市に吸収したものの
都市の産業は米軍相手のサービス業&商業がほとんど全て。
米軍が撤退したら荒れた田畑とサービス業で日銭を稼いでた大量の失業者が残っただけ。

結局基地経済のままだったって事。
でも米軍駐留中にその関係で恩恵を受けてた比較的裕福な都市層は
統一後出国しちゃって、田畑と農村は復興もままならず西側経済封鎖の中最貧国に転落・・・というなんとも苦い勝利。

元々ベトミンが抗仏戦争で勝利したあと農民に分配した土地を
サイゴンの政府が政府支配地強化の為に取り上げてしまったというのもよくない。


59 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 14:53:53 0
農民は物質を欲していた訳ではなく権利を欲していた。
農地で汗水たらして働いた者としての当然の権利を。

ここを米政府は真剣に理解しようとせず、労せずしてその収穫物への権利を主張した連中に組した。

60 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 20:56:09 0
日本だとベトナム反戦が実存主義と変に結びついて
「反戦デモがアンガージュマンなんだ!!」とか
わけのわからない主張がまかり通ってましたね。
ベトナム農民とかこれ聞いたらどう思うんだろうか・・・

61 :世界@名無史さん:2006/10/11(水) 23:59:58 0
この戦争、どうやったらアメリカが勝てたんでしょうかね?

・南ベトナム政権の仕切り直し
・1965年あたりで一気に大量の兵力投入
・同時に徹底的かつ速やかな北爆

これくらいしか思いつかないけど

62 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 00:47:45 0
最初っから北ベトナムと握手すればよかった。
ホーも、何が何でも反米って訳ではない。

63 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 12:32:19 0
マクナマラが
北ベトナムは農業社会で破壊すべき工業基盤がもともと大してないし
南ベトナムで徴募される兵隊の存在は北爆でどうにかなるものでもなかった、というようなことを
言うような事言ってる。

朝鮮戦争みたいな正規戦主体の戦争では米軍大量投入は効果的だったろうが
ベトナムみたいな農村ゲリラの廃絶には外国軍の大量投入は一番向かないやり方。


64 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:00:54 0
しかし、テト攻勢が軍事的に失敗に終わった後、北ベトナム・解放戦線が、
一時非常に劣勢な状態に追い込まれ、このまま負けてしまうのではないかと
思われた時期があったと読んだ覚えがあるが。

65 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:15:03 O
ベトナム戦争って日中戦争に似てる。
戦術的にいくら勝っても戦略目標を満たせずに泥沼化してる所が…
日本は泥沼の原因を米英のせいにして、愚かな南進政策をとってアメリカとの戦争へと暴走した。
それを考えればアメリカは大した後腐れなく撤退できた方じゃないのかな。対ソ開戦することもなく、軍需産業も儲けさせられたし。

66 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:18:29 O
同時に国内で反戦デモしてた中流階級も潰せたし
よかったね

67 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:30:43 0
>>85
今回も、民主党が、イラク撤退を主張し始めたね。


68 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 20:32:39 0
>>67

>>65
に訂正



69 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 22:30:04 0
>>64
テト攻勢で大打撃を受けたのは、民族解放戦線の正規軍部隊。
質的にも古参の指導クラスを失ったのでこれ以後正規戦の場合は北ベトナム軍の主導で行われていく傾向になった。

ただしNLFは正規軍以外に、非正規軍、地方軍、パートタイムゲリラ、連絡係や見張りの村人・・・と
雑多な部門で構成されていて米軍内部でも兵力を報告するのにどこで線を引くか
かなり悩ましい問題だった、らしい。

末端の戦闘要員まで入れると数十万の違いが出てくる、ウエストモーランドはそれを過小評価してる、みたいな話を
情報部長がCBSの番組で発言してウエストモーランドと訴訟沙汰になった件があったと思う。


70 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 23:31:03 0
ドミノ理論だと南ベトナムを取られたら、自動的に
タイやマレーも赤化することになってるけど、
現実はそんなことないわけで。。。
アメリカは柔軟に構えて、タイあたりまで撤退すればよかったのに
メンツにこだわるとあまりいいことないね。

71 :世界@名無史さん:2006/10/12(木) 23:57:30 0
中国内戦の結果を見てビビった
農民一揆軍と共産主義が結びつく事を阻止するべく、もがき続けた

72 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 00:11:49 0
どうせ介入するならベトナムじゃなくて
中国だよねぇ〜

73 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 02:04:33 O
ベトナム戦争ではメディア特にTVが当局の規制をほとんど受けずに取材したため米国内で反戦気運が高まった
当局が積極的にメディアを利用し世論操作したイラク戦争とは大きな違いだと思う

74 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 03:47:51 0
そのベトナム戦争の反省を踏まえて湾岸戦争以降は当局によるメディア操作が行われるようになった。
水鳥や少女が好例。

75 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 09:46:14 0
>>73
ジョンソン時代とニクソン時代でだいぶ違う気がすんだけど。

米軍のラオス侵攻はテレビカメラが入ったりの報道は一切許されなかった。
「カンボジア秘密爆撃」もそう。
ここらへんの内実の詳しい報道は、実際ほとんど無いと思う。
「パリ秘密交渉」とかも。

76 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 19:27:25 0
>>73
やっぱ大使館占領中継が効いた?
突入したベトコン兵士は1人だけ捕虜になったんだけど、何でだろうな?
昔読んだマンガでは、隊長がその兵士を銃床ではっ倒して
「サイゴンは近いうち必ず陥落する。お前はそれまで生きて、その様子をしっかり見届けるんだ!」
とゆう様なことを言ってたが、事実に基づくのかな。

77 :世界@名無史さん:2006/10/21(土) 11:23:14 0
イラク帰りの米兵の友達が何人かいるんだけど
前線で治安維持とかしてた奴はなんか暗くなってたな・・・
後方で通信関係の仕事してた奴は単に退屈だったとしか言ってなかったけど。

78 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 12:08:01 0
ヴェトナム戦争時代の米兵も人種によって、死傷率が違っていた。
高学歴で後方勤務が多い白人より、前線勤務が多い黒人の方が死傷率が高かった。

79 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 15:55:28 0
>>78
黒人は身体能力が高いから重要な最前線で活躍したのだ。
オリンピックや世界陸上のアメリカ代表に黒人が多いのと同じ。


80 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 15:58:50 0
アメリカの特殊部隊は優秀な精鋭に黒人が多い。

81 :世界@名無史さん:2006/10/23(月) 20:28:33 O
デルタフォースはほとんど白人ばかりだと聞いたが。
ブラックホークダウンの原作にそう書いてある。

82 :世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:16:55 0
ベトナム軍に捕まった米軍捕虜が九割九分九厘の打率で
ジャングルの肥やしになってるのは確かだろうな

83 :世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:35:08 0
ヴェトナム戦争のMIAって今でもジャングルの檻の中で暮らしてるの?

84 :世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:43:47 0
ヴェトナム戦争とは言っても、行方不明の米兵の多くはラオスででしょう
ジャングルの中にしか拠点の無かったパテートラオでは、そんな邪魔なやつら管理できない

85 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 23:02:21 O
ベトナム軍て、士気を維持するために
日本の大本営発表みたいに自軍の損害をほとんど兵に知らせてなかったらしいね。
勝ったからまだいいけど、戦後は軍部がのさばって色々と利権化しちゃって大変だったみたい。

86 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 23:42:58 0
正直に公表デキンわな
テト攻勢なんてベトミン壊滅だしなw

87 :世界@名無史さん:2006/11/06(月) 23:33:11 O
>>85
戦後は軍部の力が半端なく伸長して、軍が工場を経営して冷蔵庫とか売ったりとか
かなり腐敗ぶりが酷かったらしいな。
中国の人民解放軍も軍が何から何まで地域の利権を独占して、軍隊がリゾートホテル経営してたりするらしいけど。

88 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 22:22:18 0
テト攻勢以後にホイーラーがジョンソンにあてた報告によれば
「敵は農村地帯では比較的自由に行動し、おそらくは大量に兵員を徴募している」
「敵は人口の密集した低地では甚大な打撃をこうむったがその他では事実上無傷である」
(朝日ジャーナル別冊ベトナム秘密報告)
とあるのでテト以後も農村のゲリラ勢力は残存してたと見るべきじゃないかなあ。

>>69に手ぶかい打撃を受けたのは正規軍でゲリラ民兵部門は別ってのは正しいと思う。
ただ農村の領土もこのころ米軍の索敵殲滅作戦でかなり失ったらしいから
テト以後苦境に立ったのはまちがいない。

89 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 21:40:00 O
昨日のメル・ギブソン主演のベトナム戦争物の映画も史実がもと?

90 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:23:27 0
映画見てないけどイアドランの戦いは北ベトナム軍が加わった初の決戦。
トンキン湾事件を機に米軍が本格介入開始するとそれに応じて北軍も順次増加。

ちなみにそれ以前の戦いはまったく南部ベトミンと現地人によるものであったとのことです。
(CIA報告、ペンタゴン内部文書、国防長官の後年の書籍、機密解除文書、等)
しかしこれらが公になったのはだいぶ後で、当時は50年代からの各地の蜂起や反乱は
北のしわざと米国は言ってた。

まあ米映画って北軍あいての戦ばっかでゲリラ戦とかあんま描きたがらない気がする。

91 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:31:29 0
なんと言うかアメリカは4年以上戦争続けられない国なんだな

92 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:34:33 0
グダグダの地域紛争でもなければそう何年も近代戦争なんて続けられんでしょ。
どこの国でも・・・

93 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 05:31:07 0
日本のベトナム反戦運動は幼稚極まりない。奴等はアフォか?
東西の代理戦争なのにアメリカが全部悪いみたいに言うチャラさときたらもう
「ソ連や中国は綺麗な国」みたいなゲボみたいな思い込みに眩暈がするよ

94 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 13:23:06 0
>>90

戦争後に作成された映画なのに、なぜ負けたのか理由がひとつも分からない不思議な作品
「ああいった形の戦闘も確かにありました」って言いたいのだろうか

95 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 13:49:11 O
>>93
あの連中の主張って今振り返ると本当に馬鹿らしいよな。
ベトナムまで行って傭兵として戦った学生とかいないのかね。

96 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 14:35:02 0
>>93
末端舎弟同士の抗争に本部が介入しちゃったってのが本当なんだけどね。

97 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 14:50:23 0
同時期にソ連のチェコスロバキア介入に反対して赤の広場でゲリラデモを実行して拘束された
ロシア人7人組のほうが余程かっこいい。数年前にNHKで特集をやってた。

98 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 17:56:13 O
毛同士が世界革命を起こす上で
反共産主義に敵対する共産国家又は共産組織の中で
ソ連以上に存在感を演出しリーダーシップを
とっていく為には致し方ない高度な政治判断に基づく
打倒米国共産圏繁栄政策の一環であり
その成果は今日の中国共産党の繁栄とその世界に対する
度重なる支援と指導をみれば一目瞭然だとチャットでアルバニア人に言われました

99 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 19:50:25 0
>>98
ホッジャ必死だなって言ってやれ

100 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 20:35:41 0
100ゲット

101 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 21:07:27 O
>>1

あの頃の日本は熱かったよ。時代そのものが熱かった。
今と違って若者が闘う事を知ってた。
今の若い連中はみんな事なかれでしょ?だから右翼政権が出来ても誰も批判しようとしないし、格差が酷くなってるのにむしろ社会に迎合しようとしてる。
こんな考える事を止めた連中ばかりで、この先この国はどうなってしまうのだろうと心配になってしまう。

102 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 22:00:26 0
>>101
>若者が闘う事を知ってた。
社会主義者にそそのかされて仲間同士で殺しあってたなw

103 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 23:12:48 0
>>98
何者かがアルバニア人にそのようなけしからぬ言葉を吐くよう教えたのであり
彼らは通りすがりの窓の下でひどい悪態を叫んで逃げていく愚連隊なみの
悪罵をソ連共産党に投げつけることで約束の3コペイカをもらった、
もしもっと激しく罵ればもう5ペイカもらった上に褒めてもらえるだろうと
チャットでロシア人にいわれますた

104 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 01:22:56 O
>>103
そのような馬鹿なロシア人はフルシチョフの様な
軟弱な修正主義に毒された反革命分子であり直ちに
粛正し、厳しい自己批判を行わせた後、中国義友軍に従軍させ
朝鮮戦争の最前線にでも送るか、雀と一緒に叩き殺せば良い…と
毛沢東と周恩来がチャットしてるのを見たと
友達が言ってた。

105 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 01:35:01 0
>>104
教条的スローガンよりも美味しい肉シチューを食べることのほうが大切であり、
すきっ腹を抱えるより満腹の中で革命のために戦うほうがベターである。
核戦争がおきればアメリカは2千万人、ソ連は5千万人しか生き残れまいが
中国は3億の人民が残るなどと無謀な煽動的言辞を弄する戦争挑発者的
誇大妄想狂の毛沢東はソ連にアメリカをけしかけて大破壊の中で中国が
覇権を握ろうとしているのだと同志フルシチョフが言ってたのを聞いたと
モスクワの娼婦が言ってた。

106 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 12:25:18 O
ベトナム戦争の米軍は第2次世界大戦、朝鮮戦争と違い軍編制に変化が生じていた

今では当たり前などだが、部隊が白人、黒人の混成になった

朝鮮戦争時、九州に駐留していた第25歩兵師団第24歩兵連隊は黒人連隊であったが、他の白人連隊に比べ、規律は悪く、暴動も起こしていた
一方、米海軍はしばらく黒人の入隊を拒んでいた
フィリピン人の入隊は許されていたのだが

107 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 14:48:12 0
ベトコンの黒人兵に対するプロパガンダ

「真の敵と、『ニガー』と呼ぶ奴等と戦え!」

108 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 15:21:34 0
>あの頃の日本は熱かったよ。時代そのものが熱かった。
>今と違って若者が闘う事を知ってた。

これでいくと、戦前の日本は熱かった、時代そのものが熱かった、
今と違ってロシアやアメリカといった強大な敵とさえ
戦う事を怖れなかった、闘う事を知っていた勇敢で
誇り高い人々だった、と評価しなくちゃいけないな。

109 :世界@名無史さん:2006/11/14(火) 04:03:55 0
それを言うと戦国時代の日本人は農民や坊主まで武装して(ry

110 :世界@名無史さん:2006/11/14(火) 07:11:28 0
それなら強大なマンモスと戦ってた石器時代は

111 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 18:56:20 0
結局日本人は有史以来ただの一度もホンモノの戦争を体験していないということだ。

112 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 20:07:15 0

フエ大虐殺って本当にあったの?


113 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 21:15:23 O
>>101
こんな化石みたいな親父がまだいたとは。
で、結局戦いはどうなったんですか?
普通に就職してたらそんな暇ないと思うけど。

114 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 22:33:27 0
>>112
政権側に属する役人・警察・軍人・教師その家族などに対するVCのテロはあった
書物によって違うが2000〜2800人。その数の中どこまで故意か戦闘の巻き添えかは正しくわかってない
ただテトの際は都市への空爆もあったので総数では民間人の死者1.43万死んでんだよね。


115 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 22:57:27 0
見落とされがちな話だが1.2万は空爆の死者

116 :世界@名無史さん:2006/11/22(水) 09:43:08 0
南ヴェトナムの都市への爆撃でもそんな無茶なことをしていたの?
こんな事やっていても、米兵は地元民から「信頼と理解」を得ていたと信じていたのだろうか。

117 :世界@名無史さん:2006/11/22(水) 11:56:05 0
ベンチェ・ショロン・クアンチなんかは都市でも爆撃が酷かったという話。
今のファルージャみたいなもんか。


118 :アシャウ937:2006/12/07(木) 17:19:22 0
1960年代に青春を送った団塊世代の中には、
ベトナム反戦運動の経験を、得々として語るものがいる。
今、評論家やキャスターなどで、反戦運動をした連中も多い。

しかし、ほとんどが北が勝った戦後以降には、関心がない。
国内の南派の粛正や、ボートピープルなど、ソンミ以上の非人道的な問題が多発したのに。

アメリカが絡むときだけ「反戦・人権」。それ以外は無関心。
明らかなダブルスタンダードだが、こういう態度が日本のマスメディアや
ジャーナリズムを歪ませてきたと思う。

119 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 19:40:44 O
かといって例え南ベトナムが勝利したとしても現在のベトナムよりいい国になったか疑問だ
社会主義はかなり問題があり欠点のある政治システムだが、少なくとも発展途上国にとって良いことはある。それは子供たちに教育を強制できることだ
とかく発展途上国、特に最貧国で貧しい家庭は子供を沢山作り教育を受けさせずに幼いときから働かせ、その両親が年金がわりに子供たちを扱うからだ

120 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 20:43:02 0
>>118
それで、アメリカ国内の反戦運動については?
反戦運動は別に日本だけでなく、世界的に行われていたと思うのだが。

北ベトナムの戦略によって、、、
そんな外交戦略は今では当たり前だが、
当時の北ベトナムは記者を大事に扱っていた。らしい。

121 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 23:21:47 0
だってアメリカは当事国じゃん。
戦争やめさせるんなら、北べ・ベトコンに手引かせる選択肢だって当然あるはず。
単に反米、反自民してただけだろ。何かその人たち、未だにNVAとベトコンの違い分かってない人もいる・・・

122 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 23:23:40 0
>>119
>南ベトナムが勝利

ドラゴンレディがのさばっている社会?
ヴェトナム人の誰もが想像したくない社会だな

123 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 23:32:24 0
>>121
もしかしてPAVNとヴィエトミン?

124 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 08:39:54 0
>>112
陸井三郎の「ベトナム帰還兵の証言」(米の議会記録文書の邦訳だと)の中に
「避難民でごったがえすフエ市の街路に米軍の戦闘機がナパームを投下して
その死者を北ベトナム軍のせいにした」という米パイロットの証言があったなあ。
そういう数字も入ってるのだろう。


125 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 08:50:35 0
戦後基幹産業国有化が進められ基幹産業を握っていた華僑が圧迫され
北ベトナムの華僑20万のうち19万人と
南ベトナムの華僑120万のうち60万以上が
ボートピープルとして国外脱出した

難民の大部分は華僑です

126 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 09:12:32 0
まじな話
共産側に殺された民間人より
旧政府側に殺された南の民間人のがはるかに多いんだけどね

127 :アシャウ937:2006/12/08(金) 13:43:34 0
>>119さん
もし、「南が勝ったら?」というのは、とてもおもしろい問題だと思う。
ご指摘のように、社会主義国は初等・中等教育は充実している。
だが、「平等」ではなく、労働党子弟は特別の学校に行き、
対米協力者や仏教徒・カトリックなどは、キャンプに入れられたり、粛正も多い。

おれの私見だが、南が勝ったらアメリカの援助で腐敗は進むが、一方で経済的な成長も大きかったと思う。
要するに、中国の開放政策、ベトナムのドイモイと同じことが、もっと早く起こり、
人々の犠牲は、より少なかったのではないか。

128 :アシャウ937:2006/12/08(金) 13:44:39 0
>>120さん
アメリカの若者は、徴兵制で問題の当事者だった。
西ヨーロッパの若者も多くが徴兵制の下にあり、具体的な危険を間近に感じていた。
しかし、日本の「反戦運動」は、安全は米軍に担保され、現実から遊離した「遊び半分」だったと思う。
他の自由世界の若者と、日本の若者の置かれた環境は、相当違う。


129 :アシャウ937:2006/12/08(金) 13:46:09 0

>>126さん
それはどうだろうか。
共産側は、開放した村で地主層を大量に処刑している。
また、対米協力者、南側の官憲などを、暗殺・テロなどで継続的に殺している。
さらに、戦闘では中立的な農民を民兵に仕立て、損害の多い最前線に立たせている。
別に、ホーチミンルート建設では、少数民族を排除し、戦後米側で戦った部族を虐殺している。
正確な統計は今出せないが、どちらが民間人を多く殺したかと言えば、
共産側が多いだろう。
誤爆、誤砲撃、誤射撃は、どちらにもあり、米軍はそれを比較的正直に公表する。


130 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 14:18:41 0
なぜ負けたかに戻すけどね

中東 直接援助は小 →イスラエル(圧倒)
極東 直接援助は中 →半々(妥協)
インドシナ 直接援助大→南ベトナム 大敗

それと、米軍は陸戦に弱い、メキシコの戦いでもそう。
太平洋戦争では孤立した日本陸軍守備隊を海軍航空隊制圧下で破砕。
沖縄、硫黄島も空から見れば海軍の支援は全面から受けられる。
朝鮮戦争も基本的に東西の海域を使えたが、重深があるから効果的ではなかった
B-29はボロボロ落とされるし。
ベトナムはかなり前のレス主の言う通り。
米陸軍の兵士は、空軍や海兵隊機が来るとタコ壺に隠れたが、
海軍機が飛来したら見物してたそうだ。
なんといっても技量の差が激しかった。
誤爆の率は空軍と海兵隊機がダントツ。
で、湾岸戦争では、サウジの空軍基地が全面的に使え
紅海に二隻 地中海に二隻 ペルシャ湾に二隻の空母を配置し
サウジの基地を効果的に使って空襲し勝利。
ーーここまでーーー
アフガン戦 インド洋のガルシア環礁程度の策源根拠地では空母は二隻しか動かせない
しかもパキスタンやインドには降りられない
仕方がないからキティーホークを艦載機無しで出して中継空母とした(空母大鳳や信濃と同じ使い方)
後背地のキルギスタン諸国に基地を何とか作れたのでこれも良かった。
イラク戦→空母は一隻、サウジは中立し、基地使用出来ず、常に制空圏の空白が生じ、その時間が漏れてゲリラ大暴れ。
バクダート周辺では海軍機は後続力の問題で来れず、
空軍機は連日の機動で損耗、何故か米国製スティンガーが飛んできてヘリが落ちまくる。
まさにベトナムw

結局ね米軍は常に強力な海軍空母部隊の航空支援が受けられないとダメなの。
二次大戦欧州戦時は別、あれは完璧にドイツ軍が戦意を喪失してた。
ただ、まとまると大打撃を受けたバルジとかな。

131 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 14:23:06 0
>>129
役人や官憲に対するテロ、誤爆の類による共産側の行為による民間人死者だが
米側で推計数字が一応出てるがそれでも1957年から1973年までの間に
累計で3万7000人を超えてない。
この数字はニクソンの回顧録でも採用されてるよ。

あと南軍の脱走者にしても米軍MACVの公式発表では
十分の一以下に修正して発表たんだけどな。
だから「比較的正直」というのはかなり眉唾。





132 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 15:33:41 O
日本軍も太平洋戦争開戦当初、少数の海兵隊守備隊しかいなかったウェーク島攻略にてこずっていたはずだが
しかも駆逐艦1隻撃沈されてるし
硫黄島以外は全て米軍より日本軍の方が被害が大きい
訓練不足で当地の治安維持が主目的、しかも侵攻してくるとは想起せず油断していたフィリピン、マレー、ミャンマーの米英植民地軍に勝ったところでそれが実際の実力かどうか判断しかねるし、日本もこの時は圧倒的航空優勢が利している
ノモンハンで日本軍が惨敗したとき、ソ連軍の主力の狙撃兵師団はウラル地区で招集され大部分は銃で実弾を撃ったことない兵で構成されていた

133 :アシャウ937:2006/12/08(金) 16:46:26 0
>>131さん
両者による民間人の死者の問題だが、
「累計で3万7000人を超えてない」は、戦争中の数字だが、
共産国家の常として、権力奪取後の粛正がある。

例えば南側に立って戦った少数民族のモン族に限っても、
20万人以上が強制移住され、その過半が死んだと言われている。
もちろん、それ以前も、共産側は占領地において同様な「政策」をとっている。

「南軍の脱走者」はどういう関係があるのだろうか。
おれは、「誤爆・誤射」など、いわゆる同士討ちについて「比較的正直」と指摘した。
同士討ちは、どの軍隊でも戦闘状態になれば、数パーセントはあると言われている。
ただ、旧日本軍を始め、それを公表するところは、少ないということ。


134 :アシャウ937:2006/12/08(金) 16:55:31 0
>>130さん
ベトナム戦争での米軍の敗北について、
「常に強力な海軍空母部隊の航空支援が受けられないとダメ」
と言う指摘だが、どうだろうか。

ご存知のように、アメリカは、南ベトナム地上軍への支援のため、
ディキシーステーションをもうけ、常に1〜2隻の空母を活動させていた。
北部には、ヤンキーステーションがあり、3隻程度を展開していた。

南北含め、常時5〜6隻の空母群配備というのは、移動中、訓練中、整備中を含めれば、
その3倍の空母が必要と言うことで、アメリカとしては、
かなりに空母航空部隊の支援があった、と見るべきではないだろうか。


135 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 21:52:07 0
>>127
>おれの私見だが、南が勝ったらアメリカの援助で腐敗は進むが、
>一方で経済的な成長も大きかったと思う。

多分、その腐敗が将来にわたって大きな犠牲を生むんだろうな。
早く、大きな経済成長が必ずしも良いというわけではなく、
本来もっと、ゆっくりした時間を過ごしてた人達だったんだろうな。

今のベトナムを見ていると経済成長をとても早く感じる。

何にせよ大国の線引きから、自らの努力で統一を果たし
現在自分の国に強い誇りを持てたのは、良いことだね。

136 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 21:58:50 0
>>133
つまり、
>>126さんの
>共産側に殺された民間人より
>旧政府側に殺された南の民間人のがはるかに多い
という指摘に対して、

>>129さんの
>誤爆、誤砲撃、誤射撃は、どちらにもあり、米軍はそれを比較的正直に公表する。

はどういう関係があるのだろうか。
と、言うことでしょうね。

137 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 22:09:57 0
>>135
ソ連から援助を受けて何が誇りだ。

138 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 22:12:02 0
◆「共産主義黒書」
 平成9年(1997)にフランスで刊行された「共産主義黒書」は、
共産主義の犯罪を厳しく検証しています。編者ステファン・クルトワによると、
共産主義による犠牲者は、8,000万人から1億人にのぼるとされます。
この数字は、ヒトラー・ナチズムによる犠牲者数とされる2,500万人を
軽く上回ります。クルトワは同書において、共産主義体制により殺害された
犠牲者数の国・地域別の一覧を提示しています。
それによると、

 ソ連       2,000万人
 中国      6,500万人
 ベトナム      100万人
 北朝鮮       200万人
 カンボジア     200万人
 東欧         100万人
 ラテンアメリカ    15万人
 アフリカ       170万人
 アフガニスタン  150万人
 コミンテルンと権力を握っていない共産党 約1万人
----------------------------------
 総計         約1億人
となっています。

139 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 22:17:29 0
>>137
そんな考え方じゃ、一生誇りは持てないままだ。

140 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 22:28:06 0
>>133

戦後の粛清に関する数字だけど
NYタイムス記者Neil Sheehan の「After The War was over」に
米側が南側協力者の収容者数と犠牲者の見積もりをしているのが
載っていて(それらは旧政府協力者=米政府の受け入れリストに入る人々など)
それによると数年以上の長期収容者10万人のうち6400人が施設から未帰還という事で
処刑・粛清の疑惑がかかってるのこの数字だそうです。

少数民族のモン族は米軍と関係が深く特殊部隊に多くいたので
上の数字に軍関係者としてかなり含まれていると思われる。

しかし戦後モン族何十万という数字が死んだという話の根拠はなく
それは「フセイン政権下で100万人が死んだ」式の誇大プロパガンタと同じでしょう。

>>131の「米推計でも戦中の共産側による民間人死者の累計が3万七千人を超えない」
という話とあわせても、戦中戦後何十万もの虐殺が起こった、というのは考えにくい。

戦後南部でも警察・治安部隊・軍などは地元部隊からなってるわけで
本当にアシャウ氏のいうような何十万も殺されてるならば、
南部人に武器を渡して治安維持させるなどという事は絶対不可能です。
それこそ50年代後半のベトミン蜂起のようになってしますはず。


141 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 22:50:26 O
ベトナム戦争でどちらかにに正義を求めるなら、「モンの悲劇」を読んでからにするコトを勧めます。

142 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 22:57:06 0
>>141
正義を求めるつもりは無いが、どちらかって言うのは
どことどこを指しているんだろうか、、、

143 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 23:01:00 O
>142
ベトナムorアメリカ
中国やソ連、ラオス・カンボジアを含めてもいい。最大の悪は、いみじくも共産主義が嫌う「国家」を共産側が掲げた事実でしょう。

144 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 23:11:46 0
何を指摘しようが、どんなプロパガンダを掲げようが、
枯葉剤を大量散布する様な連中が正義には見えんだろうな。

145 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 23:14:47 0
モン族はベトナムにもいたがベトナムよりむしろラオスでしょ。
米軍撤退前にタイ領に部族ごと移動。
戦後ラオス政府はモン族の帰還を拒否。
その後大量に米国に移住。
イラクのクルド人みたいなもん。
インドシナ戦争では仏軍に組織されベトナム戦争では米軍に組織された。
ベトミン・ベトコンに入る者も一部いた。

モン族20万強制移住ってのはラオスの話と混同してると思う。

146 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 00:22:56 O
でも戦後にはベトナムで強制移住みたいなのがあったらしいじゃないですか。スターリンの朝鮮人強制移住みたいに。
モンだけじゃなく、タイ・ラーデ・カー・ヤオ・クォミンタンも巻き込まれてますし。
そもそも少数民族にとってはもちろん、ラオスとベトナムに明確な境界って無い気がするんですが....

147 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 00:32:39 0
日本も含め、わざわざ少数民族に配慮して国境線引く国はあまし無い。

148 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 01:06:04 0
133はラオス中心とするインドシナ全域のモンの話を戦後南ベトナムの話と混同してない?
モン族ってラオス北部、北ベトナム北部、タイビルマ北部に居住する
雲南から南下した中国系の少数民族で一番多いのはラオス。
(だから>>145のレスをベトコン→パテトラオに訂正)

インドシナ戦争では仏軍に組織されたがそれ以前にもキン族とは長い事対立してたし
ベトナム戦争以前から根深い対立がある。
ラオスのモン族は戦後追放みたいになって流浪したし
中越戦争の頃には中越国境あたりに住むモン族はかなり迫害受けてたようだが。

で、>>131>>140のレスは南部ベトナムの話をしてるので間違ってはないよ。



149 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 03:01:48 0
>>139
200万のボートピープル(鮫や魚や蟹のえさになった奴を除いてナ)を犠牲にして
その上ソ連の援助が無いとやっていけない「誇り」って奴かWww

150 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 10:03:15 0
シーレーンを第7艦隊に守ってもらってる国の人間が言うか。

151 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 10:25:22 0
UNHCRの数字によるとインドシナ三国から海路陸路で出国しそのまま海外で定住したものは130万。
また上記の親族が移民枠で空路出国したのが約60万
行き先は米が最も多く75〜2000年の間までの移住者インドシナ三国合計で159.8万人

海外で生まれた二世を含んでたり
一部難民やタイにいたのは帰還がかなり進んでいるので各資料でゆれはあるけども。

ちなみにベトナムからは華僑、華人が80万は出国したといわれ
かなり比率高い


152 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 10:57:24 0
>>149
ボートピープルも犠牲者
南北ベトナム人も犠牲者
大国のエゴに翻弄されながらも、自分らの生活を守りぬいた誇り高き民族だな。

153 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 11:22:17 0
自分も「インドシナ〜ベトナム戦争」を戦い抜いた(北)ベトナムには脱帽する。
でも、手放しで犠牲者扱いするのはどうか?
ペとナムって東南アジアでは(少なくとも軍事的には)大国だぞ。
シアヌーク殿下がえらく迷惑してた(笑)。

154 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 12:06:38 0
ボートピーポー=大半はチャンコロ
誇り高い民族ではありません。
ベトナム人より数が多いために西海岸には中国人難民施設がわざわざ作られベトナム人施設よりにぎわってた。
サイゴンに里帰りした中国人難民はいまや成功者でベトナムに投資再開したはいいが
商売上手すぎてベトナム人の分まで儲けてしまう。

また華僑でもベトナム国籍持つのと持たないのがいた。
ジェム時代、農村から徴兵が上手くいかなかった為華僑に国籍やって
徴兵を課そうという腹で華僑のベトナム国籍取得が急速に進められた。
中国籍の華人のみ華僑として扱ってる書物も多い。

ちなみに70年代中越戦争前後にピークだった海路出国は
80年に空路出国の道が開けて以降下火となった。


155 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 13:08:31 0
南が勝ったら経済成長と言うよりも、南は勝つためには経済成長させるしかなかった。
北は持っている人たち(地主、華僑、フランス人など)から、奪う事を目標に掲げ、味方集めしていたからな。

南は同じ事が出来ない以上、パイを大きくする事が求められた。

156 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 13:18:02 0
でもそれって、アメリカがドルばらまいてただけじゃん。
それもでも経済成長って言うのかね。

157 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 13:33:00 0
モン族ってラオスが主戦場だよね。
ラオスは人口が少なくトップ間でも血縁関係が強いことから左右両派の対立もあまり深くなく
早くから連立政権が出来るくらいだった。

米国としてはもっと先鋭的な反共の尖兵が欲しく
主要民族のラオ族と歴史的に対立していた山岳民族のモン族に目をつけた。
米CIAと結んで平地ラオス人やベトナム革命勢力と戦ったが
戦中から反共戦略上の理由で米にタイやカンボジア山岳部に移住させられた。

その間平地ラオス人の住むジャール平原や東北部諸都市には米軍の絨毯爆撃で
200万トンの爆弾が落とされて30万が死んだ。

戦後ラオ族との遺恨は残り辛酸を舐めタイで難民してたがモン族みなまとめて米国移住、てなとこでしょ。


158 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 13:34:13 0
アメリカは2次産業を発展させる意識が乏しかったからな
自国や協力国(韓国など)から物資を調達していたし

工場で働いて、給料を得る形をとって、不満分子になる恐れのある層を拘束していたら、
ゲリラ側は戦力の補充に苦しんでいたのでは

サービス業だけでは、吸収できなかったのでしょう。

159 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 13:50:09 0
ハノイでのAPECでブッシュも何やら言っていたが、
このスレを見ても、ベトナムが後世に与えた影響って大きい。
割りに、当事者=ベトナム人の言葉はあまり参照されず、
周りが騒いでいる感じがして、それが好きだ。

160 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 16:41:11 O
クォミンタン=Kuomintang=中國國民黨残留兵のベトナム戦争時の働きについて、詳しい方はいませんか?

パテトラオと中国人民軍にラオス北部で対抗していたというくらいしか知らないんですが.....

161 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 00:17:00 0
>>160 今手元にないが、この本に詳しく載ってるよ。
ttp://www.asiabunko.com/se_goldentriangle.htm

162 :アシャウ937:2006/12/11(月) 12:00:36 0
>>135さん
「腐敗が将来にわたって大きな犠牲を生む」
確かにその通りだと思う。
ホーチミンで交通違反(駐車禁止、スピード、ヘルメット未着)などをしても、
10万ドンだせば、たいてい片が付くだろう。
党幹部子弟の特権は昔からだが、ドイモイ以降は、経済的な腐敗も加わった。

しかし、それでもおれは、庶民がバイクにのり、テレビを楽しみ、
努力次第では、会社を作ったり、私立学校に入れたり出来る今の方が良いと思う。

163 :アシャウ937:2006/12/11(月) 12:01:12 0

>>136さん
「誤射、誤爆」との関係について。
共産側は、民間人殺害があっても、基本的発表しないということ。
仮に糾合地区の村人で、「南側協力者」「地主」を大量に処刑し、
その中にグレーゾーンがいても、「間違って一部無実の民間人を処刑した」とは発表しない。
もちろん、ベトナムのような戦場では、戦闘時に誤射で民間人を殺傷することは良くあるが、
米軍はある程度公表しても、共産側は公表することは少ない。
こういった事情も、「殺された数」にかなり関係してくる。
……という意味です。


164 :アシャウ937:2006/12/11(月) 12:01:49 0
>>138さん
ご指摘の「ベトナム 100万人 」は、戦闘時と民間人を含んだ数字だと思う。
ここには、解放後の米軍協力者などの強制収容所、強制労働などの犠牲者は
含まれていないように思う。、

>>140さん
おれはモン族のことは、以下の本で読んだ。
http://www.mekong.ne.jp/books/nonfiction/000401.htm
http://ch-k.kyodo.co.jp/17kyodo/backnumber/backnumber2001/job/job39.html
プロパガンダも含まれているかも知れないが、数字についてはこれ以上は分からない。

「戦後南部でも警察・治安部隊・軍などは地元部隊からなってる」
これは、ちがう。
解放直後は現地行政組織を利用したところもあったが、その後治安組織は
ベトナム労働党か、「北」出身者に置き換えられ、現在でも変わっていない。

「ベトミン蜂起」
南の連中は、ベトミンほど組織力もないし、支援国家もすでにない。
だから、大量のボートピープルが出現した。

解放後にサイゴンを始め、南各都市から大量の旧政府関係者、軍人などが
強制連行され、収容所で強制労働、学習させられ、粛正があったことは、事実。
その具体的な数字は、社会主義政権の常として、なかなか明らかにはならないだろう。



165 :アシャウ937:2006/12/11(月) 12:07:36 0
>>158さん
これは大事な指摘だと思う。
二次産業の労働者は、基本的に民主国家支持者になると思う。
それと、農民に土地を持たせて自作農にするのも効果があったろう。

アメリカは、そういう地道な作戦が苦手で、かつ、白黒分けたがるので
中間層を取りこぼすことになる(今のイラクが典型だ)。

現在でも、ベトナムは工業が弱い。
まともな工場は、外資系の会社ばかりだ。
手先が器用で、機械の扱いは見事なものだが、簡単なバイクの部品も、
なかなか国産化できず、外国から輸入している。
今のベトナムの二次産業は、基本的にアッセンブリーではないか。


166 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 12:19:11 0
>>157
モン族は一枚岩じゃなく
リ氏族とロ氏族の両氏族が長い間反目・抗争しててそれに目をつけた形で
前者は仏・米に組織され、後者はモン・リヤ(共産モン)としてベトミン・パテトラオに組織された。
ベトナム北部にもモンがいてそれらは北ベトナム軍に入って戦った。

モンの被害が大きいのは米CIAの前線部隊だった事と
左右両陣営に分れて同族同士でも前線で戦った事から。
そして平野ラオ族のみならず左派モンも米の大量爆撃を受けた。

ホーチミンルート含めラオス全土への爆撃は史上最大級で30万人は死んだ。
5百キロ爆弾、クラスター爆弾、ナパームが数百トン、枯葉剤、サリン爆弾なども使用された。
投下爆弾の10〜30%が不発弾でジャール平原は今も復興せず土地利用の妨げになってる。

167 :アシャウ937:2006/12/11(月) 13:25:44 0
>>166さん

モン族に限らず、ベトナムの少数民族は、外部勢力に利用されてきた。
フランス植民地時代は、モンタニという(山岳民族ということか)で、
内部に対立要因のある部族は、分裂させ、敵対部族のある場合は、対立させて、つかった。

モン族は大きい方だが、クメール系などは、ホーチミンルート建設で利用し、
解放後は、ポルポト内通を疑われて(まあ口実)住居を追われたりした。
少数民族にとって、キャンプに入れられたり、強制移住は、即座に疾病や飢餓とむすびつく。
こういった部族は、正確な人口統計などないので、解放後の死傷者は、正確には分からない。
モン族が比較的分かっているのは、米軍の軍属としてIDカードがあったからだ。



168 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 13:43:09 0

★朝日新聞は日本の若者から信頼されています★

誹謗中傷を繰り返しているのは一部の若者だけです。
彼らは戦争に憧れ、軍国主義に憧れているだけに過ぎません。


http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1165751720/l50




169 :世界史@名無史さん:2006/12/11(月) 13:48:51 0
北ベトナムが勝てたのは国の中に引っ込みジャングルや川などの自然を
利用出来るうえ、負けそうと分かればすぐ逃げることが出来るからだ。
その上、後ろから直接に支那、ソ連から支援されてたからいくらでも戦えた。
ベトナム兵でもこれが島での戦場だったら超雑魚だろ。
南ベトナムを支援していたアメリカは遠い所から兵を送らなければならず
ハンデが大きい。 だいたいこんな感じでしょうか?


170 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 17:03:30 0
ん〜間違ってはいないと思うけど
NVAはゲリラ戦に強いだけでなく、正規戦でも欧米の軍隊とタメで戦える能力を持ってだぞ(例えばケサン攻防戦)。
こんな軍隊はそうざらにはないだろう。
それに南ベトナムへの補給は陸路。猛烈な空爆にもかかわらずこれを維持し続けた。
また米→南べは確かに遠いが、間は海。しかもじゃまする潜水艦とかもいない。
フネで物を運ぶのが一番楽。
却って地続きのソ連・アフガンの方が補給しんどかった(トラックでしか運べないから)。

171 :アシャウ937:2006/12/11(月) 18:09:10 0
>>169さん >>170さん
おれは>>170さんの方が正しいと思う。

北ベトナム軍(NLFの軍事部門も含む)は、与えられた状況のなかで、
ゲリラ戦から、機甲部隊を使った正規軍同士の戦いまで、さまざまな戦闘に能力を発揮した。

>170さんがあげているケサンもそうだし、広範なテト攻勢、1975年の「電撃戦」といい、
開発途上国の軍隊としては、高度な作戦能力を示している。
また、一貫してホーチミンルート建設に戦争資源を投入し、補給を重視したのも、
近代戦を良く理解していたといえる。

ベトナム軍の戦闘能力は、中越戦争でも発揮され、戦力に勝る中国正規軍を、
二線級の部隊で釘付けにし、戦力集中後、簡単に追い返していることにもあらわれている。

補給の面では、陸路の多かったソ連、中国からよりも、アメリカの方が有利だった。
共産側は、アメリカの制海権があるトンキン湾、ハイフォン港の爆撃などを
かいくぐって輸送しなくてはならない。
それに対し、アメリカは、兵力は安価な海上輸送で、軍需物資は日本から豊富に調達できた。

総合的に見て(北)ベトナム軍は、世界でも屈指の優れた軍隊といえるのではないか。

172 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 18:37:09 0
しかもあまり言わない奥ゆかしい国だな。
米国とも国交を回復して、懸案の中国への抑止迄考えているし。

173 :アシャウ937:2006/12/11(月) 18:53:03 0
>>172さん
その通りですね。
ベトナムは伝統的に中国とは仲が悪い。
韓国が中国の支配を喜んで受け入れたのと比較すると、
ベトナムは、あくまで政治的支配に抵抗している。

元と戦って、一応追い返したのは、東アジアでは
日本とベトナムくらいではないか。
アメリカが中国のカウンターとして利用したくなるのもよく分かる。

174 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 20:24:36 O
>161
有難う御坐います。

>166
たしか右派モンの村も、アメリカの爆撃を受けたんですよね? それもモン族パイロットによって。ファイダン将軍も左派政権では冷遇されたと聞きます。大国の論理に振り回された民族は確かにモンだけではないですが....

>167
自分はフランス語わからないんですが、モンタニ、とはモンタニャードのコトでしょうか?

175 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 20:31:58 0
>米軍の軍属としてIDカードがあったからだ

ちょっと教えてほしいのだが、
アメリカは南ベトナム人には基本的に全てIDカード発行した。
ラオスとかカンボジアもそうなの?
ラオスのモンは人口六十万人くらいいたらしいが「軍属」IDカード持ってたのは
どのくらい?南ベトナムは?
あなたは戦中戦後の移住で20万のうち過半数が死んだ、と書いたが
IDカードでどう調べるの?

176 :アシャウ937:2006/12/11(月) 20:36:04 0
>>174さん
モン族も悲劇的な運命をたどりましたね。

チュン・ニュー・ダンの「裏切られたベトナム革命」を読むと、素朴な愛国者だった、
チュンが、解放戦線に身を投じ、結局解放後に北政府に裏切られていく過程が、
まさに理想主義の崩壊と、権力闘争を生々しく描いていて、ベトナムの重さを感じます。

なるほど、モンタニは、フランス語のモンタニャードのことでしたか。
現地のベトナム人が「モンタニ」というので、何語かと思いました。


177 :>174:2006/12/11(月) 21:16:15 O
>175
モン族その他の山岳民族によって組織された特殊攻撃部隊は、秘密戦争を戦うために軍とは切り離されてCIAによって組織されてますよね。それも軍事顧問という形で。
撃墜されても直ぐに回収されたパイロットがいたことから、フライングタイガースの服に中国語で連合国印がついていたように、しっかりと管理されていたものと思われます
(フライングタイガース自体が、CIAの前身によって組織されてます。また、特殊攻撃部隊の回収や補給を行った飛行機運輸会社エア=アメリカは闇スポンサーがCIAで、経営も全てCIAの会社であり、フライングタイガースの後身とアメリカ政府も認めています)

>176
ベトナム共産党とラオス共産党は結構えげつないですよね。
まずフランスからの独立とベトナム戦争にあたり、親欧米派を粛清。
そして1972年の米中接近で、中国の裏切りに対して華僑虐殺。
ベトナム戦争終了で南ベトナムの資産階級虐殺。
クメールルージュの文革中国化で親カンボジア派を粛清。
中越戦争で親中派を粛清。
一連の過程で行き過ぎに警告をしてきた南ベトナムの共産主義者を粛清....

178 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 22:08:08 0
>>アシャウさん

治安部隊というか警察と軍の事ね。
上層クラスは解放戦線や北出身者だが実務は現地人から採用している。
サイゴンの運動場でサイゴン警察対ハノイ警察で
サッカー大会やって現地家族らが観戦してたりします。

軍もそうで
ベトナム軍は中越戦争は北部人部隊が、78年カンボジア侵攻は南部人部隊が戦った。
帰還式典ではサイゴンで現地の家族らが国旗持って帰還兵歓迎していたし
カンボジア戦線帰還兵はサイゴンに沢山います。
将校クラスは北出身や解放戦線の関係だが兵隊は南部現地採用です。

179 :世界@名無史さん:2006/12/12(火) 02:36:50 0
>>173
「東アジア」と「元」で括ったらそもそも日朝(+越)しかないわけで…。

180 :世界@名無史さん:2006/12/12(火) 04:05:50 O
最近ラオスに行ったが、モンのやつらはアメリカ亡命した親類からの送金でみんないい生活しているって言ってたよ。

181 :アシャウ937:2006/12/12(火) 11:15:14 0
>>178さん
ベトナムの警察や軍で南部人を採用していても、それは旧NLFの親族や関係者、
または、労働党関係者ではないだろうか?
1975年以降、南部、特に都市部には、北部から労働党員とその家族が、
大量に移住し、軍関係者を含めると相当な数に上る。
ホーチミンの行政や治安組織を握るのは、こういった「革命の人」たちだ。

ベトナムは、今不動産価格が高騰して、それでも受けている連中がかなりいる。
目抜き通りなどの物件の所有者を調べてみると、多くの場合が北部出身者で、
解放後に移住してきた人たちだ。

中国でもそうだが、社会主義国の開放政策は、国家財産、特に国営企業と不動産を、
党幹部所有にすることで、資本主義経済への呼び水にして成功した。
これらは、市場化への道だが、一方で特権的な階層を生むことにもつながる。
労働党幹部は、ドイモイで従来の政治的な特権に加え、経済的な力もつけている。

182 :世界@名無史さん:2006/12/12(火) 20:57:54 0
北と南では方言は勿論の事、単語の綴りまで違っていたな。
理髪店という単語も北と南で綴りが違っていて、移住した人は、結構戸惑っているかもな。

183 :世界@名無史さん:2006/12/12(火) 22:22:26 0
>ベトナムの警察や軍で南部人を採用していても、それは旧NLFの親族や関係者、
>または、労働党関係者ではないだろうか?

カンボジア侵攻の兵力は期間を通じて数十万の若者がいたわけですが
それらは南部で徴兵されていました。
同時期の中越戦争は北部人部隊、カンボジア戦争は南部人部隊といわれて
期間式典の家族らも南部訛りの現地人でした。
当時も今も南部基地では地元師団が形成されてますよ。

まあ将校クラスがNLFや移住してきた北部人関係というのは否定しません。
行政組織もね。

アシャウさん登場以来スレの流れがやたら速いのでサゲます。

184 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 14:35:00 0
アメリカがベトナムとの国交回復する段になって、
米国内の国交回復反対派のデモがニュースとして取り上げられていて、
それが中年暴走族の格好なので、ちょっと引いた

この戦争に関わった人たちは、死ぬまで苦しみ続ける人も多いのだろう

185 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 16:10:22 0
ベトナムから国に帰ってみれば空港にウジ虫共がうじゃうじゃ居てオレに抗議するんだ!
女や赤ん坊殺したの何のって言いたい放題だ!あいつ等に何が分かる!
あいつ等も、俺達と同じナムに居て、同じ思いをしてあそこで立って喚いていんのか!

「皆、絶望して苦しんでいたんだ、もう済んだことだ」

ナムじゃ戦車にも乗れたし、百万もする武器も自由に使えた、
お互い助け合い支え合っていた、だがここには何もねぇーーー!
でも国に帰って見りゃ駐車場の係り員にもなれねぇんだ!

「おまえは私が育てた最後の隊員だ無駄に死んでくれるな」

                             ランボー 1 FastBlood

186 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 20:30:17 0
>>163
>米軍はある程度公表しても、共産側は公表することは少ない。
ベトナムでは確信犯で民間人を殺していたケースも少なくないが
これらも「誤」射にカウントするのかね?

イラクを見ても思うんだが、公表したからって誤爆が許されるわけじゃないよな。。
ましてや米軍はわざわざ、外国まで戦争に行ってるんだから
民間人を殺したことについては当事国の誤射より、真摯に受け止めるべきだろうな。
公表するのもいいが、もう少し良い責任の取り方は無いものだろうか。

187 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 20:58:37 0
名札や看板があるわけじゃないし
名札や看板があってもそれが正しいわけでもないし


188 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 21:17:54 0
そして招待状があるわけでもない。

189 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 21:29:24 0
ならドロボーだな

190 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 22:09:57 0
>>175
モン族はタイ、ラオス北部、北ベトナム北部に住んでるメオザオ語系
中国から南下した少数民族で
ベトナム共和国(南の)にはいない
南部にいるのはマレー語系とかモンクメール語系の南方起源人種の雑多な山岳諸民族で全く別もの
ラオスのCIA傭兵部隊はリ氏族系のモンおおよそ3万5千人程度

右派のリ族モンと古くから抗争してたのはロ族系の左派モン(モン・リヤ)で
戦前白スカートはいてた部族は米戦闘機から見つからないようにとの理由で
戦後黒スカートになった

191 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 22:53:42 0
>>140
それは誤り。

・戦後再教育キャンプ収容になってた旧政府・軍協力者10万人うち9.4万人釈放
 
・9.4万の被収容者とそのベトナムに残ってた家族 合計して約50万人

・米は特別難民計画で3年以上の被収容者と、その扶養家族受け入れに同意=3年ルール
  (扶養家族と3年以上の被収容者本人あわせて14.5万)

・92春までに14.5万のうち渡米希望したもの家族4.5万被収容者4.5万計9万人渡米

・失業率緩和の為ベトナム側は9.4万人の被収容者とその扶養家族ら、あわせて50万全員の受け入れを米に要請
  (当時ベトナムの失業率25%以上、米は3年以下の被収容者に関しては受け入れ断る=1992時点)

・米が問題視してるのは10万人のうち未釈放6000人分(1992年)

Neil Sheehan / After The War Was Over/1992 当時の米紙参照の事



192 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 23:02:09 0
今ひとつ、どこを指して誤りと言ってるのか解からない

193 :世界@名無史さん:2006/12/16(土) 21:33:24 0
>>186
マスコミに漏れた分のみ「誤爆」「誤射」として少なめに公表されてただけです

194 :アシャウ937:2006/12/18(月) 17:54:11 0
>>183さん
ベトナム戦争時、戦後の犠牲者、軍隊・役人の登用は、
おれがベトナムの知り合いから直接聞いた話なので、立場や経験による、
バイアスがかかっている可能性がある。

範囲南部人出身者の「地元師団」は、なるほどと思う。
ある意味、カンボジアなどの前線に南部人兵士をかり出すのは、
朝鮮戦争時に旧国民党投降者を、「義勇軍」に仕立てて、朝鮮戦争にかり出した、
中国共産党のやり方に似ているような気がする。

軍、公安に関しては、今も旧MACV関係者は、将校、幹部には、登用されないという。共産党入党、士官学校入学などは、「親子親族3代」に渡って調査するという。


195 :アシャウ937:2006/12/18(月) 17:55:42 0
>>185さん
ランボーは、アメリカにとってのベトナム戦争の重さを象徴する映画でしたね。
これは、ベトナム人にとっても、あるいはより以上に
「ランボー的な重さ」を引きずっていると思う。

旧NLFの活動家などは、民族独立を信じて闘い、気づいてみれば、共産党に利用され、
戦後は「北」の支配下に置かれ、悪ければ粛正の対象になったのだから、
ロイヤリティーから見ると、ランボー以上の絶望と混乱を味わっていると思う。

そういった問題を全て含んだ上で、ベトナム政府は、複雑な国際環境と、時代の中で、
うまく政策の舵取りと、国家運営をやっていると思う。
対中関係、対米関係の正常化には、おそらく党内で激論(場合によっては粛正)が
必要だったのではないか。


196 :世界@名無史さん:2006/12/18(月) 19:29:23 0
>>195
ですね、ランボーも2までは娯楽としても、
政府に踊らされて苦悩する兵隊を描いた点でも良かったですが、
三は大失敗でしたね。 
>ロイヤリティー
これは両者将兵一致でしょう
下の会話って、おそらく米兵もベトコンも同じとみた一兵士の代弁だと思う。

「また勲章もらえるな」
もらう権利があるのはあいつ等ですよ
「今回も悪かったな、だが国を恨んじゃいかんぞ」
恨む? 死んでもいい
「何が望みだ?」

望みっ!オレの望み!このベトナムに来て、腹ぶち抜かれて
泥水の中、のたうち回って死んだ兵隊の望みは、

オレ達が国を愛するように、国も!オレ達を愛して欲しい!それだけです。

「これからどうやって生きる……?」

その日その日を…。 END       ランボー2 

197 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 00:10:46 0
スタローンが徴兵猶予者ってのがなぁ

平気な顔して、こういった作品に出てきたら、
生き残ったベテランは、死んでいった戦友たちにどう語りかけているんだろうか

198 :アシャウ937:2006/12/19(火) 12:08:05 0
>>196さん
しかし、よくランボーの台詞を憶えて?いますねww
おれが好きなのは、やはり「1」ですね。

個人の愛国心を利用しつつ、冷徹に切り捨てる国家の存在。
社会の底辺で、国家から遠いゆえに、逆に国への愛憎が強いランボー的プアホワイト。
国から見捨てられたにもかかわらず、ロイヤリティーを人格の底に引きずっている男。

こういう連中は、戦争の後にはどこでも出てきたんだろうな。
時々シクロの運転手で、片言の英語で戦争時代のことを話すおじさんがいるが、
戦後をどう生きてきたかを想像すると、胸が痛くなる。


199 :アシャウ937:2006/12/19(火) 12:08:38 0

>>197さん
おれの勝手な思い入れだと、スタローンは、兵役拒否者であるがゆえに、
映画を作り続けるのではないか?

裏切りや、自分の弱さを実感すればするほど、
そこから逃れるために、強い男、死んでいった仲間を追悼する作品をつくる。
もし、スタローンが戦争に行ったら、映画を作るエネルギーは出てこなかったかも知れない。


200 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 14:44:22 0
明確に宣言した徴兵拒否者ではなく、逃げ切った徴兵忌避者なんだよな。
またこの映画が受けた層、ターゲットとした層は、帰還兵ではなく、アメリカに残った人たち。

だから2で描かれている、ベトナム兵の描写も、極めていい加減でも問題なし。

201 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 15:07:43 O
>>140
訂正ありがとう。原文確認したら「数年以上の長期収容者」でなく「3年以上と以下あわせて」
92までの未釈放「6400人」でなく「6000人」ですね。
記憶だよりの部分があったようです。

>>190
そういやモンはベトナムでは北ベトナムでも北部の山岳地域居住で17度線以南にゃいなかったですね。
80年までモン自治区があったのも北ベトナムでしたし。
戦後焼畑農業から低地農業に転換して移住があったようです。

戦後ベトナムの20万モン移住話に関して
>ベトナム戦争時、戦後の犠牲者、軍隊・役人の登用は、
>おれがベトナムの知り合いから直接聞いた話なので、立場や経験による、
>バイアスがかかっている可能性がある

とあるが、多分そう思います。
ラオスのモンにしても革命前50万(多くて60万説)
左右両陣営あわせ戦死20万〜23万
うち出国十数

202 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 15:22:31 0
なんか切れてしまいました。

ラオスのモンにしても革命前50万(多くて60万説)
左右両陣営あわせ戦死20万〜23万
うち出国十数万(タイや海外で出生した分など現在30万人に増)
のこり十数万(〜20万)が現在40万人に増

というところなようです。

ちなみにラオス難民の大部分はやはりモン族だそうです。

>>116
1968年を機に、農村だけだった無差別爆撃地域が都市にまで拡大されました。
空軍は拡大しても地上軍は縮小したので、一見戦線は拡大してなかった
ように見えたが。

203 :アシャウ937:2006/12/19(火) 17:29:36 0
ラムズフェルド国防長官が更迭され、
アメリカのイラク政策の失敗が明らかになりつつある。
イラクは、よくベトナム戦争と対比されることが多いが、
今後の進展は、どうなるのだろうか。

ベトナム戦争が、アメリカの外交や国内を変えたように、
イラクも同様な影響力を持つのだろうか。

何か ? ばかりですがww、おれの手に余る問題なので、ベトナム戦に詳しい
諸賢のご意見を拝聴したいと思います。


204 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 19:30:21 0
アシャウさんの書き込みをざっと読みますと
推薦しておられるチュン氏の著書の内容のままですね。
おそらくはかなり、影響を受けたのでしょう。

205 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 19:49:26 O
ベトナム戦争時代のアメリカは選抜徴兵制じゃなかったか
プアホワイトやアフリカ系はまさに貧乏くじ引いて戦地に送られた
戦争当初は戦争が労働者層に支持されていた
なぜなら当初の反戦運動は徴兵されて戦地に行く可能性のない裕福な家庭の大学生によって行われていたからだ
しかしながら茶の間のTVで戦争の実相が編集のできないリアルタイムで放送されはじめた
ベトナム戦争時代は軍当局による規制がなく、自由取材が許され、またメディアやジャーナリストの中には敵国北ベトナムで取材に行く者もあった
これら生の情報の流入と長期の戦争で厭戦機運の高まりもあいまって反戦運動は階層を問わず広まった

206 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 20:11:29 0
出征した黒人の比率は、本土の黒人比率と変わらなかったが、
死傷率は突出していた。

高学歴で事務処理能力も高い白人は後方勤務に、
そのような能力を持ち合わせていない黒人は前線へと送られた為。

しかし映画では、白人が主役。

207 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 20:54:50 0
>>206
黒人は足が速いから最前線へ送られたのさ。
陸上オリンピックのアメリカ代表に黒人が多いのと同じ。


208 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 21:22:01 O
ベトナム戦争で初めて白人、アフリカ系の混成で部隊編成し実戦投入された
朝鮮戦争では白人とアフリカ系は別々の部隊編成
アフリカ系で構成された第25歩兵師団第24歩兵連隊はちょっとした敵の攻撃にも混乱をきたし散々だった。また規律もひどく、日本駐留時代には暴動を起こしたこともあった
僚友部隊で白人兵で構成された第27歩兵連隊が海兵隊並の活躍で師団から抽出され軍予備として重用されたのとは大違いであった
ベトナム戦争時代は前線部隊と後方部隊の比率が3:2となり、前線部隊の比率が小さくなった
一般前線部隊の比率は3分の1がアフリカ系となった
しかしながら空軍、スペシャルフォース、海兵隊Reconは白人の比率が高かった
これらの部隊では身体能力以外の能力も必要とされたからだ

209 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 22:50:57 0
>>204
そうでもない。本に書いてない事もかなり混ざってるし

しかしこの人ほとんどのレスに毎回全レスしてるけど
自分のスレみたいになってるね

210 :世界@名無史さん:2006/12/20(水) 09:30:39 0
ペンタゴンの米軍資料によると
サイゴン政府軍はテト以前から毎年平均10万人あたりの脱走者出していた。
テト以後徴兵年齢が大幅に拡大され人員が増えたが、脱走率もまた倍増していたらしい。

211 :アシャウ937:2006/12/20(水) 11:15:08 0
>>204さん
そのとおりですね。
あとは、ハルバースタム「ベスト・アンド・ブライテスト」の影響が大きいな。
また、東京のメコンセンター関係の、海外ベトナム人組織の出版物もよく見ています。

>>209さん
いやいや、関心のあるものだけですよww
おれは商売でベトナム人と付き合いがあるので、つい真剣になってしまいます。

212 :世界@名無史さん:2006/12/20(水) 11:16:22 0
>>203
>イラクも同様な影響力を持つのだろうか。
簡単に書けば 
1.1990年から16年に渡って維持してきたペルシャ湾、紅海での米勢力圏の崩壊
2.スンニー派総本山のサウド家がイラクスンニ派を支援し、イランシーア派がイラクシーア派と連携
3.ソ連…じゃないロシア南下政策が伸張
4.クルド労働党VS愛国同盟がどう動くか、クルド解放同盟だって一枚岩じゃない
5.周辺アラブ世界のシーア派VSスンニ派への構図
6.イスラエル防衛の困難化 
7.ベイルート方面へのフランス勢力の伸張
8.シリアのイラク方面への伸張
9.NATO東南部のトルコの政情不安定化
10.イラクシンドロームによる今後10年にわたるイラク帰還兵の問題

ベトナムよりタチが悪い。

213 :世界@名無史さん:2006/12/20(水) 11:25:18 0
>アシャウ937 >198
>よくランボーの台詞を憶えて?いますねw
邦訳による声優のやりとりが真に迫っていた時代のをVTRに録ってましたから。
現在も良く覚えているんです。後はハンバーガーヒルぐらいですか真に迫った映画は
今のは全部政治プロパな腐敗臭があってダメです。それと、リバイバルDVDの字幕。
担当翻訳者は、いくら字数制限があるにせよ訳がヘタクソです。明らかに専門用語を知りません。
>203
ラムズフェルドは90年の湾岸危機でも主導的役目を負いましたが
あの頃は、サウジに派遣された第一陣の軍の最高指揮官シュワルツコフを筆頭に
戦争反対、目的を果たしたいなら、欧州展開の第七軍団をよこせだったかな。
途中でやめちゃったパウエルもやはり戦争突入には反対、
とにかくホワイトハウスの首脳部どころか軍部まで反対でしたから。
二世は何を血迷ったんでしょうね。 スレとは関係ありませんので後は略

>211
ベトナムで商売ですかw 最近は観光も軌道に乗っていると聞きましたが、さてさてw


214 :アシャウ937:2006/12/20(水) 20:50:17 0
>>213さん
実は、アシャウというのは、「ハンバーガーヒル」の舞台ですね。
ラムズフェルドは、現地の司令部が、もっと兵力が必要だ、
というのを値切りに値切って、「少数精鋭」の特殊部隊&ハイテクで
乗り切ろうとしたような気がするな。
しかし、結局陸戦というのは、地べたをはい回るような、泥臭い戦。
頭数がないと、どうしようもないでしょう。

観光ではなりませんww
ベトナムは、今中国リスク回避のためか、日系企業の進出が盛んなんですよ。

215 :アシャウ937:2006/12/20(水) 20:57:44 0
>>212さん
良く整理され、かつ問題点が摘出されていて、参考になります。

5で、イラクで両派の内紛が拡大していますが、今後国同士の戦闘まで行きますかね?
6は、今イスラエルがやっている「壁」の建設は、効果があるのか?
アラブ人口の増加で、ユダヤ人の方が少なくなったら、どうするんだろう?
8 シリアのアサド大統領の息子は、意外と有能みたいですね。
9 おれがトルコ人なら、校までバカにするEUなんかには、絶対入らないと思うが。

仮に、アメリカが中途半端な形でイラクから撤退した場合、
アメリカ協力者は、当然イラク国内にいると危ない。
また、1975年のホーチミンのような、脱出劇が再現するかも知れない。



216 :世界@名無史さん:2006/12/20(水) 21:17:58 0
今ベトナムは帰国ラッシュ
子供の頃出国した人や、二世が続々と訪越してる

217 :世界@名無史さん:2006/12/20(水) 22:03:47 0
>アシャウ937氏
ども、いつか近いウチ、世界史板に
【バグダート発】イラク戦争とその時代【最終便】 ってのが出来るかもね。
笑い事じゃなく。
>「ハンバーガーヒル」の舞台ですね。
制作秘話で、出演した役者を全員比島の某所に監禁して徹底的に訓練したとかw
>、「少数精鋭」の特殊部隊&ハイテクで乗り切ろうとしたような気がするな
わたしの情報筋では、第101/82空挺師団、第五軍団(隷下には歩兵と機甲三個師団)だけだったらしい<米軍
英軍は、第一機甲師団隷下・第七機甲旅団(砂漠のネズミ)だけらしい。
そして肝心の補給兵站が四日目で破綻したそうです。策源地がクゥエートだけじゃねw
そういえば随行した従軍記者のフィルムはついにドキュメンタリーとして
編集もされず放映もされませんでしたね(出来無かったんでしょうね)
>日系企業の進出が盛んなんですよ。
なるほど、参考になりました。

answer 5、ちょっと分かりませんね 6 効果云々つうよりゲットーと同じでしょうね、悪い癖ですよ。
8 ちなみにシリア大統領とサウド家、ヨルダンの王家、と日本は仲良しですね。
9 むしろEUというよりNATOとして欧州圏にいたいのが本音でしょう。

218 :世界@名無史さん:2006/12/20(水) 23:49:31 0
アメリカ人の理想主義者が夢想していたような国際橋が、
彼らの意思とはあまり関係なく完成。


「東西回廊」ほぼ貫通、第2メコン国際橋で開通式
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061220-00000313-yom-int

 【サバナケット(ラオス南部)=太田誠】タイ東北部ムクダハンとラオス南部サバナケットを結ぶ第2メコン
国際橋が20日完成し、メコン川流域諸国や日本から関係者が出席し開通式が行われた。

 橋の完成で、インドシナ半島を横断し、ベトナム中部ダナンからミャンマーのモーラミャインまでを結ぶ
全長約1450キロの「東西回廊」がほぼ貫通し、物流の活性化による経済発展に期待が高まっている。

 2004年3月に起工したこの橋は、全長約1600メートル。国際協力銀行が約81億円の円借款を供与
し支援した。開通式には、タイのシリントン王女のほか、同国のスラユット、ラオスのブアソン、ベトナムの
グエン・タン・ズンの3首相が参加した。ラオス第3の都市サバナケットの市場で野菜を売っていた
ジョイさん(22)は、「橋の開通で、私の商売も良くなるはず」と笑顔を見せていた。


219 :アシャウ937:2006/12/21(木) 11:15:44 0
>>217さん
ご教示、サンクスです。
「比島の某所に監禁して徹底的に訓練」
「地獄の黙示録」もフィリピン撮影ですね。
比軍は、兵器などをレンタルしてもうけているのかな。

イラク戦でも、攻撃の主軸は第三歩兵師団(機械化師団?)でしたね。
トルコ方面からの挟撃ができなくなって、戦闘が超過すると思ったけど、
陸上戦自体は簡単に終わってしまい、それでラムズフェルドは、
こういうスタイルの戦争で、今後もやっていけると慢心したのではないか。

イラク戦の報道は隠されている部分が多いですね。
空爆や砲撃の悲惨な現場映像が、そのうち漏洩してくるかも知れない。

ベトナム人は、歴史的に中国嫌いなので、日本政府としても、抑えにいいから、
援助額もかなり増えています。
ベトナム戦争時代の残虐行為と、現在の威張りで、韓国人も嫌われています。
近い将来、中国の深釧特区並みの生産拠点になる可能性があります。
>>218さんが紹介していますが、この「アジアハイウェイ」は、発展に起爆剤になるでしょう。

220 :世界@名無史さん:2006/12/21(木) 18:12:59 0
ハンバーガーヒルで有名なアプビア山のふもと、山岳民族パコ族が住んでいた

戦争中、「無差別爆撃地帯」に指定されたそこには、爆撃とともに枯葉剤が降り注ぎ、
パコ族たちは洞穴を掘って生活していた

戦争が終った時、枯葉剤と爆撃によってパコの人口は三分の一にまで減少していた
かつて豊かなバナナ林は枯葉剤で失われ、今は大きな木はもう育たない

「枯葉剤の村の子供たち」 アーニ出版 パコ族と村のカラー写真多数
ご覧ください


221 :アシャウ937:2006/12/22(金) 17:11:46 0
>>220さん
この本は知りませんでした。ご教示多謝。
ベトナムで商売関係で会っていて、やや親しくなって
政府の役人のいないところにいくと、戦争の話も聞くことができます。
(「革命の人」がいる場では、まず1975年以前の話はタブーですww)

枯れ葉剤の話は微妙ですが、おれの実感では、「奇形・異常出産」などは、
ある程度、政治的な誇張があるかも知れません。
少数民族については、フランス時代の方が弾圧が酷かったという人もいます。

日本も二次大戦中、食料の徴発で、農村部で大量の餓死者を招いた、
といったことをしているのですが、ベトナム人は(ある程度本音だとして)、
フランス人、アメリカ人、日本人に好意を持っています。
反対に嫌いなのが韓国人、中国人、ラオス、カンボジア人など。
この辺の対外感情は、ちょっと不思議です。

222 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 19:05:09 0
共産主義者の仕事は権力闘争ですから

223 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 19:50:57 0
>>221
韓国人はベトナム戦争で汚れ仕事を一手に引き受けたからじゃない?
他のは周辺諸国の人間は嫌うという一般的な法則でそ。

224 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 20:22:28 0
>>221
>この辺の対外感情は
近親憎悪みたいなもんでしょう。また階層に置いてもその感情はかなり違うかと。

後、ご存じと思いますが地政学的、経済学的な観点からベトナム・インドシナ戦争をみると、
ベトナムが一手に米国を引き込んだおかげで、周辺国は物資調達等で経済的に潤ったとあります。
この場合でも地政学的解釈は悪意と取っていいと思います。
具体例は朝鮮動乱での日本の特需ですね、単純に比較は出来ませんがね


225 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 23:39:15 0
アメリカのベトナム帰還兵の証言集なんか読むと
ソンミ村みたいな事件て実は
大して珍しくもなかったみたいですね。

そういう証言を反戦系帰還兵団体が公聴会なんかで後押ししていた。
団体の規模はだいたい三万人だそうです。

226 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 00:02:38 O
ハンバーガー・ヒルの戦い
何かとこのスレで話題になっていますね
自分はこのDVDは見た事ないけど多少この戦いを調べたことあります
この戦いの影響はこれより軍事的には規模が大きかったケサンの戦いとは比べものにならないくらい大きいものでした
知ってる人はウザいかもしれませんが、北ベトナム軍(NVA)の戦略・戦術を知るためにもいいと思うので書き込ませてください

 投入部隊
・米軍
第101空挺師団
3/187大隊“ラッカサンズ”(“ラッカサンズ”の由来は日本駐留時代に日本人と交流するなかで職種を問われた時
当時の日本ではパラシュートという単語が理解してもらえなかった
やがて落下傘が同じ意味であることがわかり
それ以来、部隊ニックネームになった)
4個中隊編成
重火器は軽装備の空挺部隊のため、迫撃砲と90ミリ無反動砲
(後者は対狙撃兵に威力を発揮する)
大隊長はウェルドン“タイガー”ハニーカット中佐

同大隊の任務は
第1軍団戦区北側にある
ラオス国境付近アシャウ渓谷にあるドン・アプ・ビア(937高地)と周囲の高地群の制圧
俗にハンバーガーヒルの戦いといわれるが公式にはドン・アプ・ビアの戦いである

227 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 00:35:20 O
・北ベトナム軍(NVA)
第29歩兵連隊“ホーチミンの誇り”
珍しい名称受賞部隊である精鋭部隊
4個大隊(第6〜9大隊)編成
ドン・アプ・ビアには第7、8大隊
第6、9大隊はすぐ近くのラオス国内
1個分隊の編成は分隊長指揮下に
AK47(自動小銃) 6人
SKS(軽機関銃) 2人
RPG7(ロケットランチャー) 1人
で構成されだいたい3つのバンカー(蛸壺)に分散していた
分隊毎にRPGを配布しているため火力的には強力であり
陣地はよく射撃統制され偽装も巧みであった
さらに高地上のため、手榴弾は転がすだけでも損害を与えることができた
他に特徴的には
・機動予備部隊(敵が突出したとき、敵の側背に回り込み攻撃する)
・狙撃兵(砲爆撃の影響を受けにくい30m以上の木に潜んだ)
・高射機関砲(中隊は解体され、歩兵中隊に分散、非武装・軽装備の“救難”ヘリのみ狙い撃ちにした)
・122ミリ重迫撃砲(国境付近の洞窟に潜み、夜間のみ射撃)
・濃密で巧みなクレイモア(指向性)地雷原
・突撃工兵隊〔サッパーズ〕(長距離挺進し破壊活動を行う)

 NVAの戦略目的は
米軍部隊を捕捉し、多大な損害を与え、“政治的影響”を米国内外に与えることである

228 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 00:52:12 O
アシャウ渓谷はNVAの南ベトナム侵入のための安全な基地で
1968年のテト攻勢におけるフエ攻撃の拠点になった
在ベトナム米軍総司令官ウエストモーランド将軍はアシャウ渓谷に対する大規模な作戦を立案
1968年4月デラウェア作戦
第1空中騎兵師団基幹
限定的な戦果しかあげられず
1969年1月デューイ・キャニオン作戦
第3海兵連隊
1700名を殺害し、数tの軍事物資を捕獲・破壊し成功するが
海兵隊撤収後、再びNVAが占拠

そして今回アパッチ・スノー作戦のため
第101空挺師団が選ばれた
3/187大隊“ラッカサンズ”
1/506大隊“クラヒーズ”
2/501大隊
2/3大隊
が作戦に参加

ドン・アプ・ビア(937高地)を担当戦区にされたのが
3/187大隊である

229 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 02:11:01 0
>>227
なんだいなんだい、恐ろしく近代的な軍編成じゃないか。
戦略予備軍…この場合は戦術予備までいるのかい。

戦車があればと言う感じだな、
コンバットにある「丘は血に染まった(前後編)邦訳)」と同じ気分になったんだろな<米海兵隊

230 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 02:35:38 O
5月10日
0800 3/187大隊A、C、D中隊LZ(降着地点)にヘリで降着
A、C中隊は偵察地域へ移動するが、密林と切り立った渓谷で難渋
D中隊は大隊指揮所(CP)を設置
大隊長ハニーカット中佐は予備のB中隊を誘致し、CP南東にあるアシャウ地区の制高地である937高地への前進を命じる

5月11日
ハニーカット中佐はCPを937高地に移動させることを決定
A中隊をラオス国境へ
B中隊を937高地へ
D中隊を渓谷地帯へ
それぞれ威力偵察(RIF)を命ずる
B中隊はたちまち大規模な敵陣地群に遭遇し、激戦に巻き込まれる
戦死した敵兵のIDより敵が第29歩兵連隊所属と判明
攻撃は結局、頓挫
その間にCPが味方の武装ヘリにより誤射され
2名戦死、ハニーカット中佐を含む35名負傷

5月12日
ハニーカット中佐は敵情を正確に掴まぬうちに937高地に対し、今度は3個中隊を投入し、RIFを強行
A中隊は国境地帯より引き揚げCPに予備として残置
B中隊は1000ポンド遅発爆弾による航空支援後、攻撃するが、頑強に抵抗される
C中隊は伏撃と狙撃により停滞
D中隊は25〜30度の急勾配と激しい抵抗により進めなかった
夜間、敵突撃工兵隊(サッパーズ)は10キロ東方にあった砲兵陣地を攻撃覆滅した

231 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 02:58:14 O
5月13日
ハニーカット中佐は再度RIF発起
しかしわずかな地歩しか得られず
敵は高射機関砲で負傷者を後送する救難ヘリのみに狙いを定め狙撃
ハニーカット中佐は南方で作戦中の1/506大隊“クラヒーズ”に国境線の敵補給路を遮断してくれるよう要請

5月14日
ハニーカット中佐は作戦を変更
計画された“突撃”を命じる
D中隊は急勾配の渓谷で阻止された
B中隊は濃密なクレイモア地雷に入り込み立ち往生
C中隊のみ937高地南1500mの900高地の山頂まであと40mのところまで突破
しかし孤立したC中隊に対しNVAは機動予備部隊を中隊側背に迂回移動させ、攻撃し大損害を与えた
B中隊はC中隊の危機を知り、損害をかえりみずに友軍救援のため地雷原を強行突破
しかし突破したところで味方の武装ヘリにまたもや誤射され損害をうける
当時のヘリに搭載された視認装備はまだ初歩的であり、かつ背の高い密林では敵味方の識別は困難だった
どうにかB中隊はC中隊のところまで達し、救出離脱したが
C中隊の戦闘可能要員は31名に激減していた

232 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 03:26:37 O
5月15日
ハニーカット中佐はまだ諦めず、A、B中隊に攻撃を命ずる
損害にも関わらす米空挺隊員の士気は高かった
両中隊の側背に回り込もうとしたNVAの機動予備1個中隊を捕捉、殲滅した
B中隊は山頂のすぐ近くまで突破した
B中隊は山頂に対する最終攻撃のため、攻撃ヘリ“コブラ”に支援要請
しかしここでみたび誤射を受けた
しかも今度は“コブラ”の攻撃であり、多数のロケット弾を放ち機関砲で射撃してきた
固定航空機ではピンポイント攻撃であるが、攻撃・武装ヘリでは一定地点で停止しながら継続的攻撃ができるため損害は続出した
B中隊長リットナン大尉は負傷、中隊戦力は50%に低下
A中隊も濃密な陣地群と狙撃兵により攻撃は頓挫した
夜間、敵1個中隊がCPを奇襲するが、撃退
現時点で937高地の南の800高地と南西の916高地は奪取したが、肝心の937高地と900高地はまだ敵の手にあった

5月16〜17日
大隊各中隊の戦力は50%以下になっていた
ここに至り、ようやくツァイス師団長は1/506大隊に増援を命ずる
この頃からドン・アプ・ビア(937高地)は“ハンバーガー・ヒル”と呼ばれるようになった

233 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 03:52:02 O
5月18日
3/187大隊はA、D中隊を前衛に、B、C中隊を後衛にし攻撃再開
1/506大隊は南方より攻撃
NVAは前衛部隊をやりすごした
その時、後衛のB中隊は四たび味方の武装ヘリの攻撃を受けた
武装ヘリの攻撃が終ると今度は前衛をやりすごしたNVAによる猛射撃が始まった
米武装ヘリの攻撃はNVAにとって効果的な航空支援となった
しかしながら敵“味方”の攻撃にも関わらず山頂から75m地点まで突破に成功
最終攻撃を準備
そして攻撃を発起しようとした時、猛烈なスコールが降り、土砂崩れが起きた
米軍は歯ぎしりしながら攻撃開始線まで撤退した
これまでの損害で
C、D中隊の戦力は20%となった
甚大なのは将校の死傷であった
中隊長4人のうち2人
小隊長12人のうち8人
が死傷
空挺部隊ということもあり、将校が陣頭指揮をとっていたためと思われる

5月19日
ツァイス師団長は“ラッカサンズ”を“クラヒーズ”に交代させようとしたが、ハニーカット中佐が断固反対した
師団長はやむなく1/506大隊A中隊をハニーカット中佐に配属させた
師団長は2/501大隊と南ベトナム(ARVN)第1歩兵師団2/3大隊も誘致した

234 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 04:10:39 O
5月20日
敵の圧倒的兵力を見てとったNVAは犠牲のため2個小隊を残し撤退した(NVAがよく使う撤退戦法)
残置された2個小隊は文字通り殲滅された
戦いは終わった

11日間の戦いでの損害
NVA側
遺棄死体633
米軍
戦死70
負傷372
しかし米にとって甚大なのは軍事的損害ではなかった
戦闘中は衰えなかった士気も銃後、無謀な攻撃を繰り返したハニーカット中佐に非難が集中し、将校に対する不審感を兵に抱かせた
もっと深刻なのは米国内での反応だった
エドワード・ケネディ上院議員をはじめ軍に対する非難が高まった
かつてケサンでは戦死者155名を出したが、こんな非難は起らなかった

結論的にハンバーガー・ヒルの戦いはNVAの戦略目的である“政治的影響”を及ぼすことができたため、NVA側も甚大な損害を受けたものの米軍に対し、戦略的勝利を納めたことになる

235 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 19:35:24 0
乙彼

しかし、陸戦には法則があって、
敵兵の10パーセントを戦死傷させれば撃退したと報告でき
敵兵の20パーセントを戦死傷させれば全滅させたと報告でき
敵兵の30パーセントを戦傷させれば壊滅させたと報告できる

一名の負傷者は三名の手を拘束するし、一個の兵団に所属する
各種兵員が負傷すれば軍組織が崩れ、弾力性を喪失するからだ。

236 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:28:37 O
>>229
シルバーバヨネット作戦は海兵じゃなくて陸軍だべさ。
詳しくはハル・ムーアの手記で

237 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:39:06 0
あらためて思えば、30年前の近代的な戦争なのに竹の罠って凄い。

この時代に、よく戦争で竹を使うなんて発想が出てくるよな。

238 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 23:01:01 0
アメリカはベトナムでの教訓を、今の今まで生かさなかった具体例

米軍“ハローワーク作戦” イラクの治安、雇用を武器に
ttp://www.business-i.jp/news/world-page/news/200612190017a.nwc

 銃を捨てて労働しよう−。米国防総省が、イラクの治安回復に向け新機軸を打ち出した。戦乱の中で
閉鎖されたイラク国内の工場を再開させることで、武装勢力兵士の就職を支援。テロ攻撃の沈静化を狙う。米紙ワシントン・ポストが伝えた。

 報道によると、イラク戦争の混乱で、以前は工場などで働いていたイラク人の大部分が失業し、平均
所得は以前の5分の1に激減したとみられている。同省は、バグダッド市内での爆弾テロや米軍を狙った
攻撃を繰り返す武装勢力には、こうした失業イラク人が生活を維持するために加わっていると分析。治安
回復には、雇用機会の拡大が有効と判断した。

 同省のプロジェクトチームは、過去半年にわたりバグダッドやナジャフなど治安が悪化している地域で、
旧国営工場200カ所のうち、セメント、繊維、ゴム工場など26カ所を視察した。この中で操業可能な
10工場を来月までに再開し、まず1万1000人分の雇用を確保。数カ月以内に段階的に再開工場を
増やす考えだ。

 治安回復が遅れている中で、米企業などによる新規投資は望めないため、再開した工場で作られた
製品をイラク駐留米軍が買い取る方式で支援する。年間40億ドル(約4680億円)の駐留経費の多くは、
これまで周辺のヨルダンやクウェートからの物品購入に当てられていたが、このうち4分の1に当たる
1億ドル分についてイラク製品に切り替える計画だ。

 さらに、米国政府はイラク駐留米軍撤退の可能性をにらみ、米軍による調達分を米国企業に肩代わり
させたい考えだ。商務省は建機大手、キャタピラーや化学大手、ダウ・ケミカルなど米企業数十社に、
イラク地場企業との取引拡大を打診。複数の企業が米国政府の方針に協力する考えを表明したという。

239 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 23:34:14 0
>ペンタゴンの米軍資料によると
>サイゴン政府軍はテト以前から毎年平均10万人あたりの脱走者出していた。
>テト以後徴兵年齢が大幅に拡大され人員が増えたが、脱走率もまた倍増していたらしい


戦争後期には、ひと月あたり二万人脱走していた。
ちなみに政府軍の死者は75年までに約25万だから
脱走した人間がその何倍いたという事になる。

240 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 23:49:00 0
兵隊になる事に意味を見出していないのだから、脱走するのは当然よ。
南ベトナム政府は、兵士達にいったい何をしてあげたの?

241 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 13:40:00 0
南越がお粗末な傀儡国家であったこと、失策が多かったこと
北越にとってはラッキーだったのか

長いこと大国に苦しめられてきた歴史があるが、統一の際にはラッキーな事が重なった
幾つもの有利な点があってようやく、大国を退けることができたという感じで
少しでもその要素が失われていたら、あっさりと負けていたかもしれない

あの時代にホーチミンのような人物が現れたのは偶然か時代の必然かということは
ベトナム人でも度々考えることらしい

242 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 16:29:39 0
ゲリラはみんな貧乏人。
命を賭けてゲリラと戦っても、何も得るものがない。
失いたくない物がある人たちだけが、ゲリラと死闘を演じればよかったが、
そんなアメリカの庇護のもと、特権を貪っていた層などごく僅か。

高い士気を要求できるはずもない。

243 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 01:32:31 0
失うものなんて無いと思ってた貧乏人たちも、イザ戦争が終わって
社会主義国家が出来たら、命かながら国を捨てて逃げ出す羽目になったけどな。

244 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 10:06:29 0
海外に行ったのは 華僑が過半数以上、残りは旧政府関係者
を中心とする都市部の比較的恵まれた階層がほとんど

軍から出てた毎年10万人の脱走者は、徴兵された農村部の若者達

全然別物だからさりげなく一緒にしないように

245 :アシャウ937:2006/12/25(月) 16:53:37 0
>>244さん
ボートピープルについては「華僑」「旧政府」というイメージがあるが、誤解だろう。
もちろん、一部はそうだが、多くは一般のベトナム人だ。
この誤解は、ベトナム政府の宣伝(逃げたのはブルジョワ階級で、悪政の結果ではない)
もあったが、それ以上に日本のメディアによる「偏向」報道が大きい。
どういう訳か、日本のメディア、特に大新聞は、ボートピープルを華僑、旧政府と決めつけ、
日本領海に流れ着いた人たちと、政治亡命者とは認めなかった。
そのため、多くの悲劇が発生している(加藤紘一の著作に詳しい)。

おれは、北関東にあるカトリック系の収容施設に行って話を聞いたことがある。
すでに多くの亡命者(ボートピープル)は、日本で自立したり(店舗経営が多い)、
子供をアメリカにやって安定した生活をしている人が多い。
一部、精神障害者の人が施設に残り、成功したベトナム人は週末に集まって、
バザーやボランティアをして、ベトナム人の交流の場になっている。

彼らに直接話を聞いても、ボートピープルの主体は、ベトナム人(キン族)で、
普通の農民、商人などである(ベトナムではIDカードに民族名が書いてある)。
元兵士の家族もいたが、徴兵制だったので、当然だ。

ベトナム戦争中は、反戦など訴えたメディアや知識人たちが、
実際の政治的迫害を逃れ、必死の亡命を行うベトナム人を全く無視し、
そのため多くの犠牲を生んだことは、忘れてはならないことだと思う。


246 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 17:50:44 0
ベトナムは、今もいろんな諸民族や部族の集合体なんですよね?
華僑とは別にして、少数民族は一杯居ると思う。

遡れば、漢王朝頃の越南国からか

247 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 19:20:36 0
ほとんどの国ってそんなもんじゃないの?

248 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 21:20:11 0
>どういう訳か、日本のメディア、特に大新聞は、ボートピープルを華僑、旧政府と決めつけ、

例外は勿論いるが殆どが華僑、旧政府というのは間違ってない。
ちなみに日本の受入数は一万人ほど。
特に中越関係悪化からきた迫害で華僑の流出の目立った多さは別に日本だけでなく
ほとんどの難民を受け入れた米国の新聞メディアでも報道されてた。

ニクソンの著書によれば86年時点で華僑はベトナムから数十万規模で大量出国したとして
86年在米ベトナム出身難民は約40万
うち13万程度は戦後すぐから流出した旧政府系のベトナム人なので
実際中国系の割合はかなり多い。

その後上記家族や旧政府系ベトナム人の移民枠受け入れが空路で増えたが
中国系は更にベトナムから流出し続けた。
(現在でも縁故移民とかでベトナムの華僑人口は年々減ってる)

華僑=中国籍の在ベトナム中国人
華人=ベトナム籍の在ベトナム中国人(ジェム時代に華僑のベトナム籍取得政策で増えた)
戦後、民族籍は選択できるようになった。

財産取られて辛苦を舐めた中国系は反共意識から自身を「南ベトナム人」と定義し
名前をベトナムの発音で名乗ってる人もかなり多い。

249 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 23:10:54 0
>>245
自分で見聞きした者を信じるのは重要だけど、それしか信じないのは視野狭窄だぞ。
お前の発言見てみると、変なバイアスかかりまくり。

250 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 23:27:06 0
逃げ出すのにさえ金はいるわけで、泳いで来たとでも言うの?

てか金持ちは、いざとなったら逃げる手段を選択できる事が、
必死に戦えなかった遠因だな。

251 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 23:39:55 0
ある人に聞いたが胴巻きに金塊巻いて
香港と中国の海を泳いで往復している強者が居たらしい。

252 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 00:13:10 0
一部記憶ちがってた。訂正させて

ニクソンの著書によれば86年時点で華僑はベトナムから数十万規模で大量出国してて
86年在米ベトナム出身難民は約45万 ←ここ
うち13万程度は戦後すぐから流出した旧政府系のベトナム人なので
実際中国系の割合はかなり多い。

つまり86年時点で難民45万のうち30万は中国人という事

>>125 >>151 にもあるが中国系は80年代末までに80万程が国外流出した。
1975-2000まで渡米したベトナム出身難民75万3518&移民42万9095のうち
過半数の70万以上は中国系。けして「一部」でない。


>>250
後期には国連が見舞金出す事にしたら見舞金目当てで中国や北ベトナムの貧乏人の難民発生。
そのため見舞金中止。
貧乏人でもその気なら。


253 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 00:21:26 0
変わり様が無くいくらでもどうにでも視点によって変わる暗い過去は捨て去ろう。
なんて書いたら、スレが潰れるか

254 :アシャウ937:2006/12/26(火) 11:54:34 0
>>249さん
「視野狭窄」や「バイアス」はその通り。
おっしゃるように、おれは、直接ベトナム人や、在住の外人から聞いた話か、
それをきっかけに本やメディアを調べた話しか書いていない。

>>250さん
たいていは、沿岸の漁師の船を雇って逃げ出すので、
泳ぐのは、その船から他国への上陸や、他国船籍の船へ渉る場合ではないか。

ニャチャン近くの人で、1度目は燃料切れで失敗、またベトナムに漂着。
1か月ほど留守だったが、町の役人には「山の親戚の所に行っていた」とごまかす。
その後、2度目で成功。
香港経由で今アメリカにいて、毎年親戚にドルを送っている。


255 :アシャウ937:2006/12/26(火) 12:02:04 0
>>248>>252さん
詳しい数字をサンクス。
そういう統計的な数字はよくしらないので、ソースをご教示願えないか?

あと「中国系80万人」の「中国系」は民族籍を指すのか、
それとも先祖が中国系という意味なのか。
おれの知っている「脱出船グループ」は、香港の収容所に入る前に、
漢字の書けるやつに教わって、みんな漢字の名前を書いたそうだ。

ご承知のように、ベトナム人の名前は漢字由来のものが多く、たいてい漢字で書ける。
グェン=阮、ボー=武。例えばホーチミンは胡志明など。
「中国系」と称した方が、待遇がよかったからだそうだ。

>>251さん
似たような話はおれも聞いたな。
香港には、ボートピープルの収容所があったから、そこから港のアメリカの船に、
泳いで行った、といった話。


256 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 12:19:01 0
ソースはSoutheastasia resource action centerの
americans from cambodia Laos and vietnam 2003
&当時の米新聞報道など

中国系ベトナム人=華人(ジエム政策でベトナム籍になったものなど)華僑(中国籍)あわせて
中華街のショロンは昔、ベトナム語より中国語が流通してて
とある中国系ベトナム人の難民によると
中国系の人はベトナム語つたなくて喋るとすぐわかっちゃうそう。
脱出の際は、田舎まで距離歩くので普通の洋装では目立つ為
アオババ(寝巻き)とノン(編み笠)で地元民に変装して行ったそうです。

257 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 14:33:13 0
第二次大戦から混乱期東南アジア全域に中国系が多数逃げてきて
移住してる。ほとんどがショロンで商業。

オーストラリアもインドシナ系華人の率がかなり高い。
シドニー郊外に漢字とベトナム語の入り混じった看板のエスニックタウンがある。

1986年オーストラリアにおける華僑華人の人口は約20万人であったが
出身地別ではベトナム39% マレーシア22% 中国18% 香港13%
シンガポール8%となっている
(華人月刊 1989年三月号 の資料)

※オーストラリアが受け入れたベトナム難民1988年までに8.5万人
1993年までにインドシナ三国合計で13万人受け入れ



258 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 15:19:27 0
>ご承知のように、ベトナム人の名前は漢字由来のものが多く、たいてい漢字で書ける。

ベトナムにも漢字で書けない名字があるのでしょうか?

259 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 19:35:11 0
なかなか勉強になるレスだ。

260 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 20:12:42 0
ケネディが存命なら・・・

おそらく65年までに撤退してたでしょうね。そうなるとベトナム統一も10年早まるわけで・・・

南ベトナムの崩壊を10年遅らせただけという事になりますね〜〜〜 ベトナム戦争の功績は。

マクナマラの伝記読むと、ジョンソンの南ベトナムへの派兵は特別勝ち目がありそうだからではなく、
このままだと南ベトナムが崩壊し中国の影響力が拡大する。だから地上軍を派遣して何とか南ベトナムの
崩壊を防ごうとしただけのようです。
ジョンソン本人はベトナムでの戦争拡大は嫌ってました。それよりも「偉大な社会計画」の方を実行したかったようです。

それにケネディーはジョンソンのスキャンダルを探してました。例のエステス事件とか・・・副大統領を変えてしまうつもりのようでした。
それも暗殺事件の原因の1つでしょう。南部民主党は、ケネディーと敵対してましたからね。


261 :アシャウ937:2006/12/26(火) 20:28:07 0
>>256さんご紹介の Southeastasia resource action center をざっと見てみたが、
いやすごい情報量と、貴重な一次情報が多く、感心した。
カリフォルニアの東南アジア人の老齢化対策とか、モンタニヤードの声明文とか、
興味が尽きない。
ご教示を感謝する。

まあ、こだわるようだが、
>渡米したベトナム出身難民75万3518&移民42万9095のうち過半数の70万以上は中国系
とうのは、どこにでているのだろうか。

英語版のウィキペディアで Boat people は以下のような数字になっている。

* United States - 823,000
* Australia and Canada - 137,000 each
* France - 96,000
* Germany and UK - 19,000 each

まあ、おれの(バイアスのかかった)直接聞いた話と、
「中華系半分以上」というのは、あまりに離れた印象なので。

262 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 20:58:35 0
>>261
>おれの(バイアスのかかった)直接聞いた話と、

100万以上いたベトナム難民の内訳を直接、聞いたの?

一体、誰から・・・受け入れ国の政府高官とかから直接??

263 :アシャウ937:2006/12/26(火) 22:28:39 0
>>262さん
おれの聞いた「話」は、商売で付き合うベトナム人ビジネスマン、
ハノイ、HCMの外人連中、また、現地で親しくなったベトナム人とその家族など。

たまには、政府のちょっと偉そうな人を見ることもあるが、
ボートピープルの話などは、絶対に出来ませんよww。

ベトナムは当然新聞、テレビがあるが、連中は「信頼できる筋」(口コミ)
情報の方を重要視する。
どこで橋ができるとか、列車事故が起きたとか(大事故の報道は少ない)、
政府高官の**は、ホーおじさんの隠し子だとか。
それらは、噂も多いが意外に事実の入っていて、なかなかおもしろい。
つまり、それらが、「バイアスのかかった話」ということ。



264 :アシャウ937:2006/12/26(火) 22:38:57 0
>>256さん

以下、まあどうでも良いことだけど。

「中華街のショロンは昔、ベトナム語より中国語が流通」
これは、「今」もそう。
漢字の看板ばかりだし、市場、店内では中国語が飛び交っている。

「中国系の人はベトナム語つたなくて喋るとすぐわかっちゃう」
これはどうか?
ドイモイ以降のビジネス系中国人は別として、ベトナムに住んでる華僑は、
まず、現地語(ベトナムは地域によってそうとう言葉が違う)を普通に使う。
地域のベトナム語をちゃんと話せない華僑は、まれではないか。
これは、その地の「方言」が話せなくて、怪しまれたと言うことか。

「アオババ(寝巻き)」
まあ、パジャマに見えないことはないが、寝間着ではない。
アオザイ(南部だとアオダイ)が正装だとすると、普段着。
つまり、日常着ているカジュアルウェアで、昼間着るもの。


265 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 22:40:32 0
2chみたいだなw
しかし、どこかの先進国の新聞も似た様なものか。


266 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 22:44:44 0
>>261
823000+137000+137000+96000+19000+19000=1231000
これは文よく読むとベトナムのみに限定しているのでなく、欧米六カ国がインドシナ三国合計で難民受入した数を書いています。
これにその他日本などの受入数を合計してインドシナ三国から130万人が海外に定住。ソースUNHCR
>>151にあるとおり。

252であげた数字は書いたとおり同センターのamericans from cambodia Laos and vietnam 2003
&当時の米新聞報道など がソース。
中華系が60万〜80万以上出国というのは、華人関係の出版物、東南アジアの華僑年鑑やそれに類するもの
でもたびたび言われてた。ニクソンも数十万といってますね。
貴方の聞いた話とは違うかもしれないが貴方が文句言ったとおり当時の新聞も。


267 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 22:49:37 0
貴方の聞いた話とは違うかもしれないが一例としてオーストラリアの華人比率↓

1986年オーストラリアにおける華僑華人の人口は約20万人であったが
出身地別ではベトナム39% マレーシア22% 中国18% 香港13%
シンガポール8%となっている
(華人月刊 1989年三月号 の資料)

※オーストラリアが受け入れたベトナム難民1988年までに8.5万人
1993年までにインドシナ三国合計で13万人受け入れ

これは華人月刊の数字は二世の数字も含んでるかもしれないが
いずれにしろかなりの確立で中国系がいる事はわかってもらえるでしょうか


268 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 23:05:20 0
資料は手元に全部おいてるわけでなく、思い出したものなどを
ぐぐったりほんのメモ程度なので今全部全部出せるわけでないので申し訳ないです。

>中国系の人はベトナム語つたなくて喋るとすぐわかっちゃう
これは比較的若いベトナム華僑の難民の人から聞いた話
第二次大戦後ベトナムに流入した華僑たちは歴史があさく家や学校でも中国語使ってたようで
75年当時はベトナム語完璧でない人も結構いた聞いた。
勿論流暢な人もいるでしょう。

あと>香港人が同胞として中国系を厚遇するからベトナム人が中国系を名乗る

これはあったとしても定住先のアメリカまで来たら逆に不都合が多いしやる必要ないだろう。
また逆にベトナム華僑も普通にベトナム人として名前もベトナム風に名乗ってるし。




269 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 23:11:57 0
>>263
ああ、なるほど

難民について「直接」聞いたって何の事かと思いました。

270 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 23:33:01 0
下のは東南アジアの「華僑」人口について           単位(万人)
NPO法人 国際社会貢献センターの資料だそうですが
ベトナムの華僑人口流出の規模を示す一つになると思います。
資料によって色々差異はあるし華僑と華人の線引きでまた違ってくると思います。
一応下のは「華僑」としてます。

    タイ インドネシア マレーシア フィリピン シンガポール ベトナム ミャンマー 
1967年 380  275     339     12     143     112    40
1995年 500  600     470     100     200    100    80

30年間の出生による人口増加などで他の東南アジア諸国が
かなり増加してるのに比べ、ベトナムだけ華僑人口減少してますが
やはり相当数出国した影響と思われる。
その数80万としても妥当ではないでしょうか。




271 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 01:27:14 O
>260
ケネディはベトナムからは撤退したかもしれん。しかしそうすると、ラオスとカンボジアを更なる惨状にした可能性もある。ラオスにCIA投入を押し切って、タイと台湾から志願兵かきあつめたのだから

272 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 09:57:02 0
スマン。また間違えてしまった。
1967年のは「華僑」1995年のは「華僑と華人」である。       単位(万人)
NPO法人 国際社会貢献センターの資料

         タイ インドネシア マレーシア フィリピン シンガポール ベトナム ミャンマー 
1967年(華僑)    380  275     339     12     143     112    40
1995年(華僑・華人) 500  600     470     100     200    100    80

ベトナムの場合ジェム時代から華僑のベトナム国籍取得政策が進められていた事もあり
1967年は華人を含めると実際はもっと多いといわれてる。
その為ベトナムでの華人華僑の減少率はもっと高いです。
華僑は中国や中華民国の国籍持を持つので華僑年鑑などからどの国でも数が特定できるが
(南部ベトナムからは1987年までに華僑60万出国)
華人は資料によって差があります。
しかし、中国系全体は南部だけで相当数出国してるのは間違いないです。
北部の華人も20万は出国してるようですし。

※タイは最近では中国系のタイ国籍化(華人化)が進んでる

273 :アシャウ937:2006/12/27(水) 10:35:46 0
>>266->>268さん
いろいろ詳しい数字をありがとう。
なるほど、大局的に見ると、そう言う事実があるのかも知れませんね。

>>268に関してですが、ベトナムに住む華人の流入には、いくつかの波があったようです。

最初は、レ王朝とか、フランスが出てくる以前から、きている連中。
二度目は、19世紀中期にフランスが植民地政策に乗り出して、越人支配のために、
中国人を間接統治の下級官僚や商売人(買弁)として使うために入ってきた連中。
三度目は、19世紀末から20世紀前半にかけて、清朝の崩壊、中国の混乱をのがれ、
一期、二期の親戚、同族、宗族などを頼ってきた連中。
四度目は、対仏、対米戦争時に軍事援助関係で来越し、居着いた連中と、解放後(1975)以降、きた中国人。

このうち、1から3期までの華人は、現地にまあとけ込み、社会で一定の地歩を築いているのが多いから、まあ、ベトナムが不自由なのは、4期以降ではないか。


274 :アシャウ937:2006/12/27(水) 10:37:42 0

>>269さん
「難民について「直接」聞いた」

直接の難民系とは違うが、日本国内のボートピープルや、亡命者については、
東京のメコンセンターが詳しいです。
http://www.mmjp.or.jp/mekongcenter/mekongjp.html

大井駅前のばっちい店だが、在日越人のひとつの拠点になっていて、
ベトナム国内では言いにくい傾向の本なども出版している。
文字通り「元難民」の人も出入りしているので、興味があれば話も聞けますww。


275 :アシャウ937:2006/12/27(水) 10:49:27 0
ベトナムの「信頼できる筋」から聞いた話。
今の首相のグェン・タン・ズンが、実はホーチミン主席の隠し子だった、
という話は、ベトナム人の間で根強いものがある。

教科書や公式には、ホー主席は、生涯独身童貞?で、一生をベトナムに捧げた、
ということになっているようで、そこがまたベトナム人の人気の秘密。
ベトナムの坊さんは、日本の生臭坊主と違い、妻帯肉食をしないので、その連想がある。

だが、「家族的思考」が原則のベトナム人にとって、やはり物足りない。
どこかにホーおじさんの子がいて欲しい、いるに違いない、ということでズンがそれに。

もっとも、ズンの経歴や党内のバックグランドを見ると、確かに出世が早く、
おれの印象でも、本人の実力意外に何かあるような気がする(本当に隠し子だったりして)。
もっともズンを含めベトナム政府の指導部は、現実的思考と実行力があり、
他の旧・現社会主義国(ソ連、東欧、北、キューバなど)に比べると、かなり優秀だと思う。、


276 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 12:20:27 0
やはりホー爺ちゃんだろうがなんだろうが
陰謀であろうが醜聞であろうが

 夢は欲しい所ですな。

277 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 00:45:21 0
> アシャウ氏

> 二度目は、19世紀中期にフランスが植民地政策に乗り出して、越人支配のために、
> 中国人を間接統治の下級官僚や商売人(買弁)として使うために入ってきた連中。

ソースは?フランス当局は基本的に華僑の流入を抑制する政策を採っていたし、
間接統治下のトンキン・アンナンは地元の知識人を下級官吏に採用していた。
直接統治下のコーチシナでも、華僑を官吏として積極採用したという話は聞いたことがない。

> 今の首相のグェン・タン・ズンが、実はホーチミン主席の隠し子だった、
> という話は、ベトナム人の間で根強いものがある。

それはノン・ドゥック・マイン。

278 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 09:33:39 0
268ですが私が話したのは第二次大戦末期にショロンに移住した華僑家族。
WWUの頃にベトナムに流入した華僑家族も多かったそうです。
「不自由」ほどではないがネイティブからみたら多少発音が違和感あったらしい。
話きくに家庭では中国語、ショロンの学校でも中国語会話が主だったそうです。
今のショロンの学校はベトナム語と中国語両方でやってるらしい。

279 :アシャウ937:2006/12/28(木) 18:47:27 0
>>277さん
フランスが植民地時代にとった「民族政策」は以下に。
「現代アジアの肖像ホーチミン」著者忘れた(岩波書店)
「ベトナム戦争」松岡完(中公新書)

おれの>>273の「間接統治の下級官僚や商売人」は、商売人の方に力点がある。
「官吏」のほうだと、知り合い女の子の話。
彼女の家は今HCMにあるが、1975年以降の移住一家で、
以前はハノイに住み、女の子の爺さんが税関?で石炭の検査をやっていたという。
彼女は中華系で、爺さんの親戚?は、石炭関連の仕事で
役所で働いていたのが多いと言っていた。
まあ、例によってwwおれのレスは聞いた話が多いが、上記もうろ覚えですまん。

「隠し子」話は、まあ、そんなもんでしょう。

>>278さん
華人は家の中では中国語を使うのが多いから、訛りがあるかも知れませんね。
ドイモイ以前は、学校で中国語を教えるのを禁止していたんじゃないですか?
まあ、進歩と言えば進歩かな。

280 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 21:13:21 0
>教科書や公式には、ホー主席は、生涯独身童貞?で、一生をベトナムに捧げた、
たしか留学時代に恋人がいたはずですが、、、
もっともベトナムでは結婚するまでセックスしない人も多いですが。

アシャウさんの話から推測するに、元PAVNら北の知合いは少ないのではないでしょうか。
親しい知合いができたら、話を聞いてみるといいでしょう。多分、認識が変わると思います。
なかなか口の重い人が多いですけどね。

281 :世界@名無史さん:2006/12/29(金) 11:01:57 0
そこで手話ですよ?

282 :世界@名無史さん:2007/01/01(月) 12:02:12 0
「ベトナム戦争」って表現は、これで正しいのかな?
フランスが主に関わっていて時代は、「インドシナ戦争」と呼ばれていて、
この二つを「第一次インドシナ戦争」「第二次インドシナ戦争」と
表記する文献も多いよな。

またこの戦争にかかわった国のひとつであるラオスでは、
後者を「ラオス・アメリカ戦争」と呼んでいるけど、
アメリカ側では、「ラオス内戦」との表現しかされていない訳?

283 :世界@名無史さん:2007/01/02(火) 01:30:00 0
アメリカがラオスにやったのは、右派への援助・空爆・ラムソン719作戦ぐらいだろ?
ラムソンにしても戦ったのは北ベトナム軍だし。

ホーチミンルートの「提供」は、立派に北ベトナムに協力してる事になるから
(もちろん好きで許してる訳じゃなく北べ軍が怖いから、強えーもん)
爆撃や侵攻はある程度は仕方がないかも。

ベトナムもあの戦いは「アメリカ戦争」だが、ラオスもだとはチッタアおこがましい。

284 :世界@名無史さん:2007/01/02(火) 02:57:57 0
カンプチア内戦と、その遠因になるカンプチア侵攻も忘れないであげてくださいw

285 :世界@名無史さん:2007/01/02(火) 06:37:04 0
一つの戦争に対する呼称が一つであるべき、と言うわけでもあるまい。


286 :世界@名無史さん:2007/01/02(火) 22:24:05 0
しかし、過去の歴史から俯瞰すれば、今のインドシナはある意味
小康状態でおだやかではなかろうか、いろいろ問題はあるにせよね。

287 :世界@名無史さん:2007/01/02(火) 23:08:04 0
ラオスの戦争の影が薄いのはカンボジア侵攻時と違いニュースや新聞での
写真報道が許可されなかった為。
爆弾投下量で言えば古今の戦争でも最大規模と言っていい。
地上軍を縮小して空爆規模を拡大するマスコミ目くらまし対策の路線が非常に功を奏したといえる。

ちなみにラムソン作戦で同じ黄色の南べ軍投入には
ラオス右派さえ反発していたまた領内への空爆にも非協力的であった。
だから実際にはラオス空軍機にはラオス政府軍でなくタイ人や米人パイロットが搭乗していた。

288 :世界@名無史さん:2007/01/02(火) 23:44:03 0
タイから空爆に出かけた米兵が、ベトナム軍の対空砲火にビビって、
いそいそとラオス上空に引き返し、余った爆弾をラオス領内に適当に落として、帰還した。

ラオスへの投下量って、戦略爆撃でもなく、戦術爆撃でもない爆弾がいっぱい落とされた。

落とされた側は、アメリカと戦争していると思っても仕方がない。

289 :世界@名無史さん:2007/01/03(水) 09:29:06 O
しかしそのベトナム軍とは大量にラオスに駐留してたベトナム軍じゃないのですか?

290 :世界@名無史さん:2007/01/03(水) 11:51:50 0
ホールートにはベトナム軍がいたのはまじ。
ベトナム軍を叩くといってパテトラオ勢力下のラオスの東北部の人口密集地帯にも
大量空爆してたのもまじ。
ラオス右派が空爆や南べ軍の侵攻に反対してたのもまじ。
ラオス右派とコン・レの中立派とパテトラオで政治的な連立も出来ていたが
なぜか中立派要人の暗殺が相次ぎ、政情不安化し米の本格介入にいたったのもまじ。

いろいろ複雑なんです。

291 :世界@名無史さん:2007/01/03(水) 19:49:46 0
まぁ、そんな複雑な地域に、共産主義のドミノ倒しを阻止するって
単純な原理でのめり込んでいったアメリカが可哀想だな。

292 :旅の者:2007/01/04(木) 12:59:55 0
失礼します。はじめまして。
通りすがりの旅の者です。  日本の一庶民から、平和の発信を。
世界中の紛争地域の方々へ停戦を呼びかけたい
3月3日〜5月5日まで、暫時停戦を!。
人気歌手の歌う「情報」という曲(だったと思う)には、こんな詩が (うろ覚え・取意)
 触れ合う人と人との暖かさまで「ウソ」だというのであれば、そんな現実はボクが変えてみせる・・
はたして、私に何が出来るのか・・・
3/3〜5/5の停戦を、本格的に呼びかけていきたいと考えています。
 主旨にご賛同あれば(勝手なお願いにはなりますが・・)
 ブログ・HPで親しい方近しい人へ、是非、呼びかけを。m(_ _)m
人種・民族・宗教・政治信条・国家体制に関わりなく、
 「停戦」と「平和」何より「子供たちの安穏」を思う
 全世界の方々へ、 共感の輪が広がることを、祈念しています。            
 私からは、
 ・あちこち、立ち寄った場所へ書きこみ、111を越えました。
 ・韓国語へ自動翻訳されるサイトへの転載も。
 ・1月中に『333』2月末までに『555』のサイトヘ呼びかけます。
 賛同の方へは、心より御礼申し上げます。
 統一したマークも考えました 
       v^^。   ←「ピーシュ」と言います。
      3/2に掲げてくださると有りがたいです。
       どぅぞよろしく   提案者(とおりすがり)


293 :世界@名無史さん:2007/01/04(木) 13:15:16 0
>>291
複雑は複雑だが、結局国内に北ベトナム軍&ホーチミンルートの駐留・存在を許している以上
中立国」では無いので、巻き込まれるのは仕方がない。
酷な言い方だが、しっかりした政権を作って北ベトナムの影響を排除出来ないラオス自身の責任。

294 :世界@名無史さん:2007/01/04(木) 20:02:17 0
タイミング良く、ラオスに落とされたクラスター爆弾の記事が、
毎日新聞に載っていたので、参考まで。

STOPクラスター:第1部・無差別兵器の悲劇/2 ラオス 散乱する「ボンビー」
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20070103ddm007030066000c.html

295 :世界@名無史さん:2007/01/04(木) 21:16:23 0
>>293では、いかにも「高みの見物」的なことを言ったが、
ペトナムの支配権は「第1次インドシナ」で勝ったベトミンにあると思っているので(イデオロギに関係なく血の収穫)、
そもそもアメリカが横やり入れたのが元凶とは思っている。

ただ地球連邦政府が無い以上、降りかかった火の粉は自分で払わなきゃダメなので・・・

296 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 11:45:48 0
>>58元々ベトミンが抗仏戦争で勝利したあと農民に分配した土地をサイゴンの政府が政府支配地強化の為に取り上げてしまったというのもよくない.

これは、カナリ大きいと思いますね。べトミンが、農地解放1回やったのにゴ ジェン ジェム大統領がまた地主制にもどしたのなら農村部に
べトコンがハビコルノモ無理ないでしょう。馬鹿じゃないですか?南ベトナムが安定しなかったのはこれが大きいと思いますね。

ベトナムに勝てない理由は、北ベトナムに上陸作戦しないし原爆も落さないし、
中国に遠慮しすぎ、ベトナム戦争が本格化したときには中国は原爆もってたから
やっぱり核武装は効くね!アメリカが日本の核武装嫌がるわけだwww

297 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 15:51:43 0
イラクに増派が決まったみたいだけど、
撤退前に一時的に勝利して有利な条件で撤退
これってどっかで見た破滅パターンじゃ・・・・


298 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 20:30:11 0
ラインバッカー作戦のように、外には強気なところも見せつつも、
裏交渉で撤退時期でも探っているのかな?

299 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 21:04:46 0
>アメリカが日本の核武装嫌がるわけだwww

やれやれって言っている論客もアメリカには多いよw

300 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 22:30:42 0
>>297
破滅パターンというか、一応防衛のためだろうな。
撤退したら、政府が崩壊するのは目に見えているよ。

それだけじゃなくスンニーのサウジ シーアのイランが、
虎視眈々とイラクをねらっている可能性も拭えない。
現在のイラク政府軍じゃ、とても戦えない。
イスラエルは、イランから挑発されているけど、
オシラク原発攻撃した、バビロン作戦時とは状況も違うし、しばらくは様子を注視か。

日本核武装?MAD理論や、軍事には如何に金掛かるかを知らない日本の学生政治家に絶望したよ

301 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 03:18:13 0
このケネディ大統領暗殺事件は、政治的には共和党や保守派にはあまり得点にならなかったと思う。

暗殺されたのは1963年の11月だったが、この時期の暗殺は共和党にはとって結果的に不利に。
1年後の64年の12月に大統領の本選挙があり、この直前に暗殺すれば民主党は大混乱になり共和党の勝利の可能性があった。
暗殺決行を1年後にずらせば大統領の座を共和党が奪回するチャンスがあった。しかし暗殺は63年の11月に。
その後ジョンソンは政治的に立ち直り64年の大統領選挙で共和党のゴールドウォーター上院議員に圧勝!
60年代の末期まで共和党は民主党のジョンソン政権に圧倒される事態に。

ケネディの公約の人種差別撤廃の公民権法もジョンソン政権で成立した。
共和党も1部の極右(ゴールドウォーター上院議員)以外は公民権法に賛成。むしろ反対派は、南部民主党が多かった。
その後ジョンソン大統領は、貧困層の救済を目的とした「偉大なる社会」計画の企画、これに共和党が大反対!
南部を中心に大規模公共事業・インフラ整備・健康保険(メディケア)の整備等かなりの制作パッケージだけど
ベトナム戦争の戦費拡大で中途半端に。ジョンソン大統領は、ベトナム戦争か偉大なる社会計画かどちらかに絞るべきだった。
両方やるなんておばかさん!財政赤字もこの頃から拡大の一途、双子の赤字もレーガン大統領だけの責任ではない。
その結果、南部の白人票(南部民主党)は70年代以降ごっそり共和党に鞍替え。


302 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 03:19:59 0
民主党が政治的にガタガタになるのは、ベトナム戦争のテト攻勢以後、それまではニクソンもロックフェラーもレーガンも
ゴールドウォーターも大統領になれる可能性はほとんど無し。おまけに反戦運動は高まるし、ジョンソンはベトナムで転んだね。
民主党内で反戦は台頭www何のためにケネディ暗殺してまで大統領になったのかワカンネ?結局バックレwww

おまけにジョンソンとマクナマラは67年まで爆撃目標限定させていた。おかげで戦略物資は隠されるし
後から爆撃を拡大しても効果半減、あわてて枯葉剤散布でべトちゃんドクちゃんwww

ニクソンが70年代にラインバッカー1・2で何とか北ベトナムを抑え、72年の4月にはニクソンは戦術核の使用も検討、
キッシンジャーの反対で取止め。ジョンソン時代は、参謀本部が戦術核の使用を提案したけどジョンソンは中国の核武装を
理由に拒否、マクナマラ国防長官も同じ。やっぱ核武装は効くね!
ジョンソンよりニクソンの方が戦争をエスカレーションしてる。カンボジアやラオスにまで戦争拡大するし
はっきり言ってやりすぎ。ウォーターゲート事件の下地はむしろこちらじゃないかと思う。

303 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 03:27:35 0

グエン バン チュー大統領=マリキ首相

グエン カ オキ=チャラビ

304 :アシャウ937:2007/01/11(木) 20:20:43 0
>>303さん
イラクがベトナムになる可能性は高いと思う。
ただ、イラクには、アメリカが去った後、支配権を握るべき、
ベトナム労働党がいない(統一後ベトナム共産党に改称)。

シーア派、スンニ派、クルドで統一要因よりも、分裂要因がつよい。
可能性としては、イランに支援されたシーア派だが、
他の2派を圧倒できるかどうか疑問だ。

ベ労働党は、アメリカが引いた後、中国、ソ連の干渉をうまくすり抜け、
全土を支配した。
可能性としては、中国がカンボジアを後押しして、
べ労働党に圧力をかける道もあったろうが、
南ベトナムの崩壊が早すぎで間に合わなかったのではないか。

中国の国共内戦と、1975年の北ベの全土統一は、
今では共産側の勝利が当然のように思えるが、当時の観点からみれば、
かなり、危うい勝利だったような気がする。
グェン・バン・チューの戦争指導には、明らかな戦術ミスがあった。

305 :世界@名無史さん:2007/01/14(日) 23:54:09 0

厚生省人口問題研究所地域構造研究室長 若林敬子氏によれば
中越戦争の影響により、ベトナムからは111万1000人の華僑が
移民・難民としてアメリカ・カナダ・フランス・オーストラリア等に
移住している。

これはベトナム移民&難民の四分の三にあたる数字である。

若林敬子著「中国人口超大国のゆくえ」岩波新書にくわしい。





306 :アシャウ937:2007/01/15(月) 15:47:20 0
年末年始、久しぶりに「観光」でベトナムに行ってきました。

地方にいくと、ODAで作られた「日本橋」や「日本道」があちこちにあり、
なぜか、あまり関係のないおれまでありがたがられるので、面はゆい気分。

ホーチミンはさらに高層ビルが増え、バイクの排気ガスで頭が痛くなる。
ヴイ・ティ・ズアン通りあたりのパソコン屋では、
すでに、Windows VISTAが動いていて、ちょっとそそられた。
(DVD1枚10000ドン)

ある政府施設で、きれいな日本語を話すベトナム人女性と知り合った。
北系らしい、色白の美人で、そう言うところで働くのは、身元のしっかりした子である。
聞いたら、やはり父親が党の相当の地位にいるらしかった。
興味深いのは、「父は、アメリカの爆撃機を壊しました」と言っていたこと。

場の雰囲気で詳しく聞けなかったが、
戦闘機パイロットか、対空部隊にでもいたのだろうか。
父親を本当に尊敬している口ぶりで、ベトナム戦争の一端に触れた思いだった。


307 :世界@名無史さん:2007/01/17(水) 01:47:07 0
>ラオスのモンにしても革命前50万(多くて60万説)
>左右両陣営あわせ戦死20万〜23万
>うち出国十数万(タイや海外で出生した分など現在30万人に増)
>のこり十数万(〜20万)が現在40万人に増

何をソースですか。


308 :世界@名無史さん:2007/01/17(水) 09:34:06 0
"モン族の悲劇"と題して
「60万人のうち三分の一の二十数万人死亡」としてる↓
http://www.d5.dion.ne.jp/~robaya/lao1.html

20万以上戦死して20万ちかく渡米↓23万在米
http://oreido.seesaa.net/category/56873.html

いずれも一般の方が自分のHPで旅行記や雑記のついでに書いてるので正確度は不明ですが・・。
「モンの悲劇」からの転載。
「人口50万」は同じ著者の「ラオスは戦場だった」より。ソースは本に書いてなかった
のでわかりませんが。
2007年で米国はじめ海外に30万、ラオスには45万くらいいるらしい。

309 :世界@名無史さん:2007/01/17(水) 13:03:17 0
「ラオス概説」では1995年国勢で32万人。2000国勢には40万程度
2000米国勢では19万。その他仏、豪州に2〜3万くらい。

モン族の戦前人口は1968年 30万人 1972の調査でラオス全体で29.3万人。
旧ラオス政府高官で亡命モン族の博士の著作「Les Hmong du Laos au development」より。
オーストラリア国立大のモン族出身博士Gary Leeや、
St LuciaQueensland University Press 「Comtemporary Laos」では
1973年30万人とする。

1968〜70年はラオス空爆が最高潮でその時期に大勢死んだと思われる。
UNHCRのGrant Evans の著書では米軍支配下に住むモン族60%、パテトラオ地域のモン40%とする
(基本的にパテトラオ地域は無差別爆撃地域。また米軍支配下地域も
敵が進出すると空からの爆撃対象となった)

戦中戦後の死者数は正確な数字は今も出てないが米側のいろんな推計では
75年までだいたい2万〜4万とかの辺で人口の一割程度は確実らしい。
(敵方のモンについてはなお不明)

件の本ではラオスのモン人口 1968年29.3万人 1999年45万人とするが
ソース明示してないのでよくわからん。
著者に言わすと20万が戦死して戦後10万死んだらしいが
こういった数字のソースは明示されてなく計算が成り立つのかは不明。
73年30万−15万近く出国としてもね。


310 :世界@名無史さん:2007/01/17(水) 13:38:50 0
あとベトナムで爆撃地帯の山岳民が20万〜22万戦死して
戦後25万病死したとか
第二次インドシナ戦争中に中国人軍人&民間人が
32万人ラオスとベトナムに投入されたとか
どんな資料が元なのかいまいちはっきりしない。
コンレー派の動きは無視されてるし
パテトラオが初参加の1958年の選挙で第一党の得票得た事なんかは触れてない。


311 :世界@名無史さん:2007/01/17(水) 14:48:23 0
パテトラオって所謂赤軍なの?
スパヌウォンって完全な体制派であるはずの王族までいるのに、赤軍っておかしくない?
より広範な支持層を持っていたと思うけど。

312 :僕ちゃん:2007/01/17(水) 18:34:29 0
戦争末期、
グエン・バン・チュー → チャン・バン・フォン → ズオン・バン・ミン
短期間に大統領が次々に変わったんだね。

313 :世界@名無史さん:2007/01/17(水) 22:05:33 0
ラオ・イサラ→ネオ・ラオ・イサラ→ラオス愛国戦線(パテトラオ)

1946-54 第一次インドシナ戦争 
  ラオ・イサラ、クメール・イサラク、ベトミンと合同で抗仏闘争
1954 ジュネーブ協定 
  ベトミン17度線以北に集結を余儀なくされる
  ラオス条項でラオ・イサラはポンサリー、サムヌア二県に集結を余儀なくされる

1955 12/25 ラオ・イサラ抜きで選挙38議席 スバナプーマ政権成立
   ラオ・イサラと交渉、ソ連と国交、中立路線
1956 1/6 ラオ・イサラ→ラオス愛国戦線(戦闘部隊パテトラオ)と改称

1958 5/4 北部二県と統合の為新設21議席を選挙
       ラオス愛国戦線得票トップで入閣 
   8/8 右派により中立派プーマ追放&左派閣僚排除・弾圧
(以降CIA管理による形式選挙のみ)

1959 5/15 ラオス愛国戦線指導者拘禁
        →幹部サムヌアへ脱走 内戦勃発
1960 8/9 コン・レの反右派クーデター
      プーマ内閣成立
   12/12 右派によるクーデター
        →内戦
1961 コン・レ軍&パテトラオ国土の半分支配
       (中立派東部、パテトラオ北部、右派南部)
  6/19 プーマ首相&三派連合政府で合意
      中立派要人暗殺あいつぐ→プーマ右傾化、
1963 4/ ラオス愛国戦線閣僚引き上げ
1964    米空爆開始


314 :世界@名無史さん:2007/01/17(水) 22:32:49 0
      1955選挙 1958補欠選挙  計

進歩党    18 3 21
独立党    10 1 11
国民連合党  2 - 2
ラオス愛国戦線 - 9 9
平和・中立党   3 4 7
民主党      3 0 3
無所属      2 4 6

計       38 21 59

進歩党 独立党 国民連合党 三党が与党右派
ラオス愛国戦線 平和中立党 が左派 
民主党           が中道   とされる 

www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Report/pdf/2001_03_06_12032.pdf

315 :アシャウ937:2007/01/18(木) 10:42:17 0
>>312さん
南ベトナム最後の大統領、ズオン・バン・ミンで、
ホーチミンの知り合いから、おもしろい話を聞いた。

サイゴン陥落が迫り、大統領官邸でミンが北ベトナム軍が入ってくるのを待っていた。
例の有名な戦車突入の後、北の将校がミンのいる部屋に入ってきた。

ミン「あなたにベトナム共和国の政権をお渡しするため、ずっと待っていました」
北将校「お前たちは、前から政権など持っていない。
渡すものなど何も持っていない」

近藤鉱一のサイゴンが陥落した前後を描いたドキュメンタリーがあるが、
ひとつの国家が滅びるというのは、すさまじいものがある。

316 :世界@名無史さん:2007/01/18(木) 10:48:14 0
最初の選挙は都市部しか参加してなかったでしょ

317 :世界@名無史さん:2007/01/18(木) 11:20:50 0
1955選挙は村落部は政府に任命された村長に賄賂渡して形式翼賛選挙。
パテトラオと選挙方法で合意した1958の選挙では
アメリカは村落部で勝つためにラオス国家予算をはるかに超える
300万ドルの援助を農村対策につぎ込んだ。
しかし実際には村落に援助は行き渡っておらず左派が勝ってしまう。
で、援助停止→右派による左派追放→援助再開

318 :世界@名無史さん:2007/01/22(月) 22:01:39 O
「ジエム大統領」とか「チュー大統領」とかって、表記としては正しいんでしょうか?

ゴ=ファーストネーム
ディン=ミドルネーム
ジエム=ファミリーネーム

って勘違いした欧米式の表記じゃありませんかね?
で、メディアを通じて日本にもそれが広まったように思えます。

「ゴ大統領」「グエン大統領」って表記が正しいんじゃ?
中にはそう表記する文献もありますが。

319 :世界@名無史さん:2007/01/23(火) 01:40:12 0
>>318

インドシナ半島って、ファミリーネームって重要視されていないんだよね。
もともと無かったが、欧米列強に付けろと言われて、仕方なく父の名を付けたとか。

ベトナムは中国の影響からか、昔からファミリーネームは持っていたが、
人を区別する時には、ファーストネームを使用していた。

ジェムもファーストネームだが、もっぱらこれが使われた。

320 :アシャウ937:2007/01/24(水) 15:58:46 0
>>318さん
もっともな意見ですが、現状を考えるとちょっと難しい。
ベトナムは姓(ファミリーネーム)の数が少なく、
仮にゴ、グェン式で書いたとすると、何人もの同名が出てきて混乱するのでは?
なんせ、グェン(阮)だけで、20%位いるのではないか?

ベトナム人同士でも、ファーストネームで呼び合っている。
しかも、これも同名が多い。
声調で違うが、欧米フォントではスペルが同じなので、
外人には、区別した発音が出来ない。

余談ですが、欧米各国と比較しても、日本は逆に以上に姓が多いような気がする。
どうしてですかね?

321 :世界@名無史さん:2007/01/25(木) 09:01:52 0
そりゃぁ,おめぇ、、昔っからのしきたりだがらだなや。w

322 :世界@名無史さん:2007/01/25(木) 20:50:24 0
「君は戦場を知っているか」毎日新聞日曜版編集部 P197〜

米海兵隊がベトナム中部のダナンに上陸したのは1965年三月十日。
上陸の二日前米軍はダナン郊外に猛爆撃をかけ市庁舎から50キロ離れた学校では80人の子供が死亡
三月十日米軍の大部隊がレッドビーチに初上陸しフーロック村に進軍。
上陸した米海兵隊の部隊名は「DIVISION NO 3」。そしてこの計2.2万〜2.4万の部隊は
ダナン周辺の三つの駐屯地に分かれ米軍特有のキャンプを作り、これらの基地を
中心に半径6,70キロの範囲で焦土作戦を開始。
当時のマクナマラ国防長官が直接指揮しまず安全地帯を確保した。

1967-8年の乾季に米軍は徹底的な掃討作戦を実施クアンナムダナン地区の
1014の村が攻撃され927の村が完全に破壊。テュイボー地区のディエンバン村では
一回の攻撃で160人が殺された。多くの村で2,30人と殺されクアンナムダナン地区では
20万人が殺され13.5万人が負傷した。ほとんどの家族が少なくとも一人や二人身内をなくしている



323 :世界@名無史さん:2007/01/27(土) 00:33:13 0
1965年、ジョンソン大統領が、南ベトナムに大量増派を決定したの理由は、

農民のべトコンへの参加が「戦略村計画」にもかかわらず60年の農民の
一斉蜂起以来、一向に収まらずジェム政権の農村部での権力機構の崩壊が
露見した事。
65年初頭、べトコンの勢力が、60年以来7千人から10万人までに膨らみ、
べトコンの中から始めて誕生した第9師団が、ビンサーでザイゴン正規軍の
精鋭部隊を独力で撃破した。63年にも米軍事顧問の指揮するサイゴン軍が、
アプバクの戦いでべトコンに敗れているのに続いてである。
このことでサイゴン政府の軍事的崩壊の可能性をペンタゴンが認識し
マクジョージ バンディ安全保障担当補佐官が南ベトナムへの米陸軍の
大量派兵をジョンソン大統領に進言、2年以内の短期決戦という条件の下
ジョンソン大統領は、66年までに50万人の増派を決定。
マクナマラ国防長官も反対せず実行され、67年までにべトコンは大打撃を
受け、南ベトナムのべトコン支配領域を大幅に縮小した。
そこでべトコンは独力での対米軍戦闘を断念し、北ベトナムへ人民軍の南下と
ホーチミンルートを使っての武器供給、人民軍との共同作戦行動の本格化を要請。
以前からべトコンは北から武器供給は受けていたがホーチミンルートへの
米軍の爆撃はほとんど無くこの時点での北ベトナムの補給拡大は可能であった。

324 :世界@名無史さん:2007/01/28(日) 09:46:52 0
確かに67年だけを見れば、アメリカの目論見通りって感じがするな。
第1騎兵師団強い!(馬が一頭もいない騎兵部隊って・・・)

でも朝鮮戦争が結局中国軍相手に戦う羽目になったのと同様、
この戦争も、ペトコン相手だけにはとどまらないとは思わなかったんだろうか?

325 :世界@名無史さん:2007/01/28(日) 11:16:25 0
>65年初頭、べトコンの勢力が、60年以来7千人から10万人までに膨らみ、

それは正規軍のみで、ということ?
サイマル出版のベトナム戦争秘密報告では米推定で1961時点で
NLF人員は30万人となってる。

1967年前後の南ベトナムのベトコン支配地区に対する米攻勢の激しさには同意。


326 :アシャウ937:2007/01/29(月) 16:34:18 0

>>323さん
今から見ると、ベトナム戦争での米国の敗北は、必然みたいだけど、
具体的に事実を見てみると、結構別の可能性も考えられますね。

1967年までの米軍と南ベトナム軍の作戦は、一定の成功を収めていたのでは。
そして、1968年のテト攻勢になるわけですが、戦術的には、
北の望んだ人民の放棄は起こらず、反撃に出た米、南軍に攻勢発起点まで押し戻される。
北側の打撃も大きく、戦闘という点から言えば、米側が勝ったと言える。
しかし、、アメリカは大使館を占拠され、国家の威信を失い、
国内の反戦運動は激化した。

この時点で、アメリカがイラク戦のような情報操作をしていて、
戦力の強化を続けていたら、ベトコンの戦闘部隊の大半は、殲滅か、
国外に逃げ出していたのではないだろうか。



327 :アシャウ937:2007/01/29(月) 16:35:00 0

>>323さん
今から見ると、ベトナム戦争での米国の敗北は、必然みたいだけど、
具体的に事実を見てみると、結構別の可能性も考えられますね。

1967年までの米軍と南ベトナム軍の作戦は、一定の成功を収めていたのでは。
そして、1968年のテト攻勢になるわけですが、戦術的には、
北の望んだ人民の放棄は起こらず、反撃に出た米、南軍に攻勢発起点まで押し戻される。
北側の打撃も大きく、戦闘という点から言えば、米側が勝ったと言える。
しかし、、アメリカは大使館を占拠され、国家の威信を失い、
国内の反戦運動は激化した。

この時点で、アメリカがイラク戦のような情報操作をしていて、
戦力の強化を続けていたら、ベトコンの戦闘部隊の大半は、殲滅か、
国外に逃げ出していたのではないだろうか。



328 :世界@名無史さん:2007/01/29(月) 20:22:23 0
旧正月の攻勢なんていくらなんでも空気読まなさ過ぎな事やらかされて、流石の南政府軍もブチ切れて真面目に戦ったと聞きますからね。確かに攻勢に転じるチャンスではあった。

しかし、この好機を活用できるほどアメリカがヴェトナムを理解していれば、67年までに南の人民があれほどの政府不信に陥っていなかったとも言える訳で。

329 :世界@名無史さん:2007/01/29(月) 21:22:57 0
>>328
>旧正月の攻勢なんていくらなんでも
>空気読まなさ過ぎな事やらかされて、
>流石の南政府軍もブチ切れて真面目に戦ったと聞きますからね。
                   ↓
>この好機を活用できるほどアメリカがヴェトナムを理解していれば

それだ!


330 :世界@名無史さん:2007/01/30(火) 02:14:24 0
軍事的にたとえ勝利しても、農民を敵側に走らせる南ベトナム政府の政治では、
結局元の木阿弥でしょう。

サイゴンの腐敗が収拾が付かない以上、出口戦略を持ち得ないまま、
ただただジョンソンの再選のみの為だけ、米兵は戦い続けることになった。

331 :アシャウ937:2007/01/30(火) 13:22:19 0
>>328さん
「アメリカがヴェトナムを理解していれば」
それが一番の問題ですね。
しかし、南ベトナム軍は弱いな。
同兵力の場合、NLF正規軍には、まず、負けているのではないか。

>>330さん
「農民を敵側に走らせる南ベトナム政府の政治」
ゴ・ジン・ジェムは、腐敗と圧政で有名ですが、
当時と、1975年の解放後の両方を知っているじいさんに話を聞いたら、
「コミュニストよりも、ジェムの方がまだましだった」
と(内緒で)話してくれました。

おれの関心だと南の「第三勢力」は、解放戦線とNLFが南政権を倒せば、
民主国家になり、第三勢力(民族主義、反植民地主義、民主主義などの諸派)も
参加した、挙国政府が作れると楽観していた人が多かったと思います。

反政府運動で有名なアン・クアンジ派の僧侶などは、NLFがサイゴンを占領後、
自分たちを歓迎、または政府枢要の地位に就けてくれる、と楽しみに待っていたところ、
そのまま、収容所に入れられてしまった、という話を聞いたことがあります。

要するに、闘争においては、共産側の方が幻想が無く、リアリストだったと言うことかな。


332 :世界@名無史さん:2007/01/30(火) 14:34:42 0
未来の政治体制を農民が現体制と比較する事は、あまり重要な事ではなく、
ジェム政権が解決出来ようも無い問題を抱えて、農民の意見など政治に反映させられなかった事が、
南が瓦解してしまった最大の原因。

当時の農民にとって、南は評価に値しないほど腐敗していた事がそもそも問題。

333 :世界@名無史さん:2007/01/30(火) 19:36:35 0
そもそも、統一政府という機構が必要だったかどうかも不明。
あの辺の農民さんは、帝力なんぞ我にあらんや が理想かもな。

334 :世界@名無史さん:2007/01/30(火) 19:45:30 0
>流石の南政府軍もブチ切れて真面目に戦った

どうだか。テトの時は脱走兵も急増したのが事実。

335 :世界@名無史さん:2007/01/30(火) 19:49:08 0
最大の要因は当のアメリカ人自身が命を捨ててまでベトナムで戦う覚悟が無かったこと。


336 :世界@名無史さん:2007/01/30(火) 19:53:15 0
死にたくないアメリカ人と死ぬ覚悟のベトナム人の戦いになっては
いくらアメリカが超大国とは言え戦争はできない。


337 :世界@名無史さん:2007/01/30(火) 20:46:11 0
ゴ・ディン・ジェム自身が、農民の支持を受けて大統領になったわけではない。
在住外人(フランス・華僑)とアメリカ政府の支援を受けた、彼らの利益保護者でしかなかった。
だから農民に対する統治は無茶苦茶で、当然のごとく農民は武器を取って、
20世紀版農民一揆を始めるに至った。

338 :世界@名無史さん:2007/02/02(金) 22:20:36 0
>>333
本来ならば、ベトミンによるインドシナ戦争の勝利によりベトナム全土が北ベトナム(?)として独立するはずだった。
(ホーチミン曰く、半分のリンゴでガマンした・・・)
だから北べが残り半分を取り戻そうとするのは当然ではある。
明治新政府だって蝦夷共和国なんて認めなかったじゃん。

339 :世界@名無史さん:2007/02/02(金) 22:38:43 0
1965年3月1日付 英国外相スチュアートより同首相ウィルソンへの覚書

「アメリカは、南ベトナムにおいてhopeless positionに置かれているため勝利する事は不可能であり、
 またその威信を国際的に、そして大統領の立場を国内的に傷つけることのないような道もいまだ見出す事が出来ないでいる」

流石w

340 :世界@名無史さん:2007/02/03(土) 23:45:47 0
北ベトナムとアメリカじゃ勝利条件が違うからな

北ベトナムはアメリカを追い出せば勝ち
アメリカは南ベトナムを北に対抗できる安定した国家にすれば勝ち
アメリカの勝利条件厳し過ぎw

341 :衆愚につける薬はないw:2007/02/04(日) 04:55:31 0
>>340
つーか、カトリックの腐敗していたゴ政権支援している時点でアウトww
つまり1955年の時点で終わっていたww
植民地政策の傀儡とみなされても仕方ない政権だったわけだなw
実際1954年までフランス支援していたのは米国だからな。
因みに吉田茂もイスンマンもカトリック。蒋介石親子もクリスチャン。
米国は実にクリスチャンが好きだなww
>>327
背景わかってねーな。
ベトナム戦争はイラク戦争同様国民の大半の支持のもとに米国が始めた戦争だ。
しかし長期戦から徴兵に至り国民の馬鹿どもがようやく真剣に考えるようになって
馬鹿悟り始めたと言う流れだよ。転機は徴兵であり内政問題だ。
外交や戦場ばかりを云々してもなにもわからんよ。
ベトナムにせよ、イラクにせよ、そもそもどこにある国かも下手すると最後までわからずに
戦争支持したり反対したりしているアホを当時の「国民」と言うんだがww
民主政治の馬鹿さ加減が露呈した戦争と言える。
戦争は只管政治だ。政治の延長ではない。政治音痴のドイツ人の軍人の戦争論とか言う
マヌケな本は戦争を政治の延長と言いながら実に政治に関する言及に乏しい。
ドイツ人の致命的な限界だなwww
共産側が優れていたのは徹底して政治的な戦争をしたからだ。政治とはプロパガンダだよ。
テト攻勢なんてその典型(流石にこればかりは偶然だが、もともとそういった戦争してきた
から起きた必然的な偶然とも言える)なんだよ。特に国内政治のそれは重要と言う見本みたいな戦争だな。
英国が戦後社会主義的な福祉政策を重視し、労働党が与党になれた理由の一つは
戦争においての社会主義的政策や共産主義者の健闘に国民が肯定的な評価をしたからだと
言われている。それが平時でも有効と考えた時点でやはりアホな国民だったわけだが、
共産主義とは戦時共産主義こそ本質であり平時においては馬鹿の鼻歌でしかないだろうなw
共産主義は戦時においては実に効果的な体制なのかもしれない。
粛清、総動員体制、プロパガンダ、国有化、計画経済、情報統制、
工作活動、洗脳教育、国際化、等々、戦争のための体制だな。



342 :衆愚につける薬はないw:2007/02/04(日) 04:57:40 0
馬鹿ほど外交や軍事でしか戦争を語れない。戦争を内政から語れるようらになるとなかなかなんだけどねww
それは戦争が只管政治だからだ。

http://www.combat.ch/modules/org_library_tinyd4/content/index.php?id=13
外部のものではなかなか見通すことが困難なアメリカ地上戦闘部隊の弱体化である。これは兵器、
兵員の量についてではなく、兵員の質の変化である。すでに述べてきたように、1965年から在ベトナム・
アメリカ軍の数は加速度的に急増してきた。各年ごとの兵員数を振り返ってみると、
1965年182,000名 1966年391,100名 1967年478,200名 1968年525,000名
この他に、タイ、フィリピンなどの周辺諸国に約20万名となっている。
この大増援のため、兵士の質の低下が目立ちだした。アメリカ国内では徴兵が活発化し、それ間で徴兵を
免除されていた大学生まで戦場に狩り出されることになった。1966年にベトナムの最前線にいるアメリカ地上部
隊の兵士のほとんどすべてが志願兵であったが、67年夏から徴兵された兵士が前線へ出始めた。そして
68年には陸軍歩兵部隊の兵士の40%が徴兵によるものであった。
全員が志願兵によって構成されている海兵隊の場合、戦闘意欲は高かったが、陸軍部隊の一部では1967年
秋から士気の低下が見られるようになった。そしてこの現象は翌1968年から著しくなり、それはアメリカ国内の
反戦ムードの高まりとともに陸軍全体に拡大して行くのである。

転機は1967年だな、そして翌年から反戦運動も先鋭化していくんだよ。
米「国民」にとって戦争が他人事ではなくなるからだ。

えーと、徴兵を貫き通して滅亡した政府もあったな。どこのマヌケな明治政府だったかな?
徴兵は国民の政治への関心を異常に高める。
自国防衛以外では禁じ手と言うことだ。
だからイラクでこれだけ兵員不足でも米国は徴兵はしなかったんだよ。



343 :世界@名無史さん:2007/02/04(日) 17:06:09 0
>>339
まさに今のイラクだなぁ

344 :世界@名無史さん:2007/02/04(日) 17:46:24 0
>>342
枯葉剤とか、軍事の視点だけで実施された作戦とかもひどかったな。
農業国ベトナムで、農民が手塩にかけて育てた農産物を、
枯葉剤で台無しにされて、米兵を憎まないわけ無いよな。

345 :世界@名無史さん:2007/02/05(月) 03:09:48 0
75年にサイゴンが陥落した事に限って言えば、

アメリカの国内事情が大きいと思います。ベトナム反戦運動とウォーターゲート事件ですね。

ニクソン政権は、ベトナム反戦に立ち向かう形で70年代にベトナム戦争を
エスカレーション(秘密爆撃・海上封鎖・カンボジアとラオス侵攻・北爆等)
した。が、かえってアメリカ国内の反戦運動が激化、ケント大学ではデモに
参加していた学生まで射殺。サイレントマジョリティや南部の白人層を味方
につけニクソンは大統領に再選されたが、議会選挙では大敗。そのため戦争
予算の削減に直面、リベラルな世論を無視した形での戦争拡大は、次第に
ニクソン政権への反感が出ていた。すでにウォーターゲート事件発覚前から
50年代のマッカーシズムに同調した過去やいくつかの副大統領時代の
不正資金問題(ハワード ヒューズからの不正献金問題)は批判の対象になっていた。
それにハワードヒューズからの不正献金は恒常化しニクソンの弟まで金銭的な
授受があった。特にジャック アンダーソン記者が暴露したITTからの不正
献金問題はウォーターゲート事件以前の最大の政治問題となっており独占禁止
法による司法省のITTのM&A抑制を共和党への献金で阻止した疑惑は
議会でも問題化していた。


346 :世界@名無史さん:2007/02/05(月) 03:10:58 0
決め手は、ウォーターゲート事件でニクソン大統領の辞任にまで発展した。
この事件は、単なる「3流のこそ泥」ではなく大統領のウソや捜査妨害が
問題になっていたが、基本的にはベトナム戦争継続政策への反発する世論
がこの事件をより大きくしたと考えられる。ニクソンはパリ和平協定締結後も
北ベトナムの軍事的行動が活発化した折には再度の北爆をもくろんでいた。
しかしニクソンは辞任、後任のフォードは北爆・介入はせずサイゴンに
北ベトナム軍が迫ってきても爆撃の再開はしなかった。ウォーターゲート事件
の後遺症や反戦運動に配慮したフォード大統領の判断だった。これを考えると
アメリカの75年の再度の介入や北爆がなかったことがサイゴン陥落に
大きく影響した。もしニクソン政権が継続し75年に再度の北爆(ラインバッカー3?)
があればサイゴンの陥落は?だと思う。中部高原は陥落してたとしてもね。

しかしどうせ76年には大統領選でカーター民主党政権になり南ベトナムは
見捨てられたかもね。


347 :アシャウ937:2007/02/05(月) 20:21:33 0

去年、古本屋でベトナムのタイトルに惹かれて、以下のような本を購入。
装丁もちゃちだし、イラストも最悪、でしばらく放っておいたが、
先週末読み出したら、これがすごい内容だった。

「ベトナムのスパイX-30」ダン・タイン著、日隈真澄訳、
新興出版社(現代史の証言双書)1985年

ゴ・ジン・ジェム政権誕生直前に、フランス留学帰りのベトナム人がジェムに面会。
両親を共産主義者に殺された復讐をしたい、といって工作員に志願する。
その後、実績を上げてジェムの補佐官になり、ベトコンとスパイ戦をする、と言う内容。

原著は、1975年の解放後、地元の新聞に連載されたらしいが、
文章は素人くさいが、スパイ工作の詳細、連絡法、ジェム当時の解放区の様子、
アメリカ顧問団とジェム政権の関係など、迫真の内容だった。
ジェム、ニュー、ランズデール以下、実名がたくさん登場する。

おもしろかったのは、マダム・ニューのキャラ、労働党とベトコンの関係、
ちらちらと出てくる日本の影、当時のベトナム人の政治意識などなど。

ちょうど、グレアム・グリーンの「静かなアメリカ人」と近い時代を扱っているが、
文体(翻訳)を別にすれば、ジョン・ル・カレの作品に近いレベルだと思う。

で、著者のダン・タインを調べたが、日本に訳されているのはこれ一冊らしい。
どういう人で、他の著作など、ご存知方がいれば、ご教示ください。


348 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 08:01:47 0
戦争に対する「国民の支持」は勝手気ままなもので、
優位に立っている時は逝け逝けなのに、苦境に立つと反戦平和だのと見苦しい面もある。
開戦当初は支持していたくせにこの後に及んで反戦に転向してブッシュ批判する
ヒラリーは変節漢の典型だが、アメリカ人はこれが信用できるのか。


349 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 12:52:00 0
裏面心理作戦

CIA全身OSSがベトナムでやってた戦略。
敵に不利益な行動・情報を敵の姿に偽装して行う。
偽プロパガンタを書いた偽ビラをベトミンの認印入りでばらまいたりしていた。

350 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 13:24:44 0
為政者は、これから始める戦争に対して、ありとあらゆる正当性を、
サポートするための情報を、リークし続けるものだからな。

その情報に嘘が紛れ込まされていると、国民の逝け逝け心理が冷えた時に、
国民を一気に反戦へと向わせてしまう。

ブッシュも大量破壊兵器の情報なくして、アルカイダとフセインの密接な関係なくして、
戦争へと突入できたかどうか。

351 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 13:26:07 0
1972の攻勢を止めたのはラインバッカー(北爆)のおかげばっかではない。
南部都市のクアンチ自体一ヶ月近く猛空爆を受けた。

352 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 13:33:22 0
>>350
フセインとアルカイダって米が言うほど密接でもないよ。
他所からみたら、あこらへんのイスラムなんてみんな一緒に思うかも知れないけど。

353 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 13:47:01 0
最近は「イラク戦開始の正当性なし」との情報が、頻繁に流されるようになったな。
政府関係者も敏感にブッシュ後を見据えて動いている。

354 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 15:32:22 0
んじゃ久間発言は単なるポロリじゃなくてブッシュ後を見据えた発言だったんだW

355 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 21:15:57 0
>352 フセインとアルカイダねえ。
赤報隊(朝日新聞襲った連中)と中核派or革マル位には仲がいいんじゃないか? どっちも日本の反体制派だ。

356 :世界@名無史さん:2007/02/19(月) 22:21:31 0
フセインスンニ派でアルカイダはシーア派だっけ

357 :世界@名無史さん:2007/02/19(月) 22:23:16 0
アルカイダとフセインは仲良くないんでないの?確か

358 :世界@名無史さん:2007/02/19(月) 23:14:00 0
ラディンはもともとスンナ派の下位宗派のワッハーブ派のはず。
フセイン・アルカイダが仲悪いと言われてるのは世俗派と原理主義者だからでしょ。

359 :世界@名無史さん:2007/02/19(月) 23:35:23 0
今のイラクは旧フセイン派とアルカイダと反米共闘してんじゃないの?

360 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 00:55:24 0
ベトナム人てノグソ普通にしてるらしいね

361 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 00:56:16 0
CIA暗躍しまくりだったんだろね

362 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:08:11 0
CIAはビールばら撒いてベトコン酔わそうとか田んぼにピラニア撒いて米収穫できないようにしようとか計画していた

363 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:09:09 0
ベトナムは下水道整備が遅れてるから
みんな普通にノグソだよ

364 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:13:36 0
>>362
CIAはベンジャミンを田圃に降ろす気か!

ビールはここだベンジャミン! ゴォォォォオ−−−−−−

365 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:31:02 0
おしっこ臭とかウンコ臭に反応して爆弾落とす装置とか実用化してたんだっけ?
爆撃地帯に指定されたらもう生活まともにできないな。

366 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:37:10 0
ベトナム人は河でウンコして魚に食わせ、その魚をまた食べる
見事な食物連鎖だ

367 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:39:35 0
ベンジャミンってなんですか

368 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:41:54 0
ベトナム人は朝決まった畑にウンコしにいくらしい。
トイレがないから。

369 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 23:49:18 0
CIAは万単位でいたんじゃね。
下手したら戦争全期とおしで考えたら数十万くらいいたかも。

370 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 00:27:23 0
米軍基地のウンコ掃除は雇われベトナム人の仕事だったがそういう雇われベトナム人がベトコンで基地内の集合場所なんかどういうわけか事前に漏れて爆弾しかけられたりしていた。

371 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 00:28:22 0
つまりは基地の中にベトコンが無数に何食わぬ顔して働いてたから情報が筒抜けだった

372 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 00:29:59 0
周りはベトコンだらけ、これじゃ負けるわ

373 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 00:58:52 0
ベトコンは政府軍の中にもおったからな。
だから米軍は重要な作戦は政府軍に漏らさなかったらしい。
こうなると何がなんだか

374 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 01:20:39 0
テト攻勢を事前に察知できていないところから見ると、逆の情報網はさっぱりだった。
米兵は味方である南ベトナム政府を、オオカミ少年の集団だとして相手にしていなかったんだろうな。

375 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 01:34:48 0
>>374
そして、そんな政府をそもそも守る必要があるのかっていう根本的な問題が…

376 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 02:33:16 0
>>374
いや、テト攻勢の情報は上がってきてたよ。
ただ、上層部が

             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _    またまたご冗談を
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _〜:、         /_.}'':,    
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙

と、取り合わなかったので、ああなっちゃった。

377 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 09:33:54 0
どこの誰がテト攻勢を予見してたの?

378 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 09:34:54 0
ていうか政府軍にテト攻勢予期してたやつなんていたっけ

379 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 09:36:50 0
>>374
あ、政府軍じゃなくて南ベトナム政府ね。ごめん

380 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 09:54:09 0
南ベトナム政府がテト攻勢を予期してたって初耳だけど
予期じゃなくて年中同じ事言ってただけでは?
いつ誰が予期したの?

381 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 10:14:26 0
予期してません

382 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 23:03:55 0
米軍が後方支援をベトナム人じゃなく米国から自前で大量に連れ込んだは、雇われベトナム人がベトコンばっかで信用置けなかったからって見方は正しい?

383 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 00:38:07 0
予期する情報があったといっても、米兵が「あいつら、また敵が大攻勢を仕掛けてくるとか言っているよ」と、
情報網としてまるで信用されていないのなら、何がどう伝わっていようが一緒。

384 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 01:09:10 0
信用されないのは狼少年だからというより
米の情報横流ししてたから。そういう意味で。

385 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 01:28:05 0
つーか、ゲリラと民兵の寄せ集めのベトミンが攻勢に出るなんて軍事的に見れば基地外沙汰
現にベトミンは壊滅してる。
北ベトナムが共産党の言うことを聞かないベトミンを潰すために仕掛けた謀略だ
て説があるぐらい。

386 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 01:28:52 0
サイゴン政府の情報網てどの程度のもんだろう
むしろ筒抜けになってるイメージある

387 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 01:46:46 0
壊滅というか打撃をうけたのはベトミン正規軍で
地方軍やゲリラや民兵はそのままって米報告があるが

388 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 01:48:34 0
共産党の言う事聞かないベトミンって?
テト攻勢の時はまだ労働党、そもそもベトミンてホーチミンを頭に党が核になってる組織じゃなかったか

389 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 01:53:31 0
テト攻勢を予期したって誰が?

390 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 11:02:23 0
MACVはテトでNLFは仕官クラスを大勢失ったと発表。テトの後は数ヶ月間全土に爆撃、それもあり退潮を余儀なくされ。
NLFマダムビンが人民軍副司令官になったのもテト以後か1970くらいじゃなかったけ。
正規戦は北が主導しなければやっていけない状態に。



391 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 11:07:35 0
テト攻勢は空爆を農村から都市に拡大する契機ともなった。それ以前はまがりなりにも都市へは空爆を控えていた。
デルタ地域のベンチェなんかはコテンパンにやられた。

392 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 11:16:56 0
テト攻勢ん時は人口の三分の二が居住するフエの都城内は南べ軍の航空隊と米軍の砲撃で空砲爆が二週間以上続き、壊滅状態となる

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