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◇◇ 明 ◇◇

1 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 15:01:34 0
ここは明代のことについて真面目に語るスレッドです。
真面目に語るのでAAは一切禁止とさせていただきます。

明代のことならなんでもかまいませんが、このスレでは、
『朱元璋スレ』ではほとんど触れられていない明代中期以降
のことを中心に語っていきたいと思っています。
元末明初のことについて語りたい人、AAネタを楽しみたい人は
『朱元璋スレ』に行ってください。

2 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 15:10:04 0
明代初期もOKでないの
どっちでやってもいいじゃないか

3 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 15:44:23 0
朱元璋関係禁止
特に残酷趣味の人は来ないでください。
バラエティに富む明代の文化を楽しく語りませう。

4 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 16:29:16 0
明ってアヘン戦争にまで至る中華の停滞が始まった時代でしょ
技術、学術、文化すべてダメで見るものなし

5 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 17:27:47 0
スレタイに、「東林党のアジト」と入れればよかったのにw

6 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 17:34:55 0
壮族を率いて倭寇と戦った瓦氏夫人について詳しい資料ってないですか?

7 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 17:39:13 0
>>4
そりゃ前期はね。
中期以降は文化が発展しているぞ。

8 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 17:48:39 0
「三眼銃」とか「翼虎銃」とか奇怪な形状をした銃器が次々と開発された時代ですね。

9 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 19:53:06 0
>>1
sageも知らない2ch初心者は辞めておけ。

10 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 20:20:20 0
『海瑞罷官』読んでみたいのだけど邦訳ないの?

11 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 20:37:26 0
俺は「女仙外史」が読みたいです。

12 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 00:54:26 0
中国北宋王朝末期の「靖康の変」の際、長江以北の地方は大飢饉に見舞われ、
一斗の米が数万銭もしたが、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で
買えたという。
明王朝の万歴年間(1617ごろ)、山東省では人肉市場が開かれた。
清王朝の同治年間(1864ごろ)、飢饉で人が食い合った結果、一斤30文
だった人肉は値上がりして120文にまで跳ね上がった。
同時期、江蘇省では80文で買えた。

清の順治9(1652)年、南に逃げた明の残兵が新会の県城を包囲し、
場内が飢餓に見舞われた際、清の官軍は住民を殺して食糧に当てた。
ある将軍が老婆を食べるために殺そうとしたところが、莫という婦人が老婆の
命乞いをした。将軍は老婆を解放し、かわりに莫婦人を煮て食べた。
李婦人は夫を兵士に連れ去られた。婦人が泣いて懇願することには
「夫にはまだ子供がありません。このままでは血筋が絶えてしまいます。かわりに
私を食べて下さい。」
兵士は李婦人を煮て食べ、骨をその夫に与えて埋葬させた。
またある時、周辺数百人の農民が保護を求めて城内へ立ち入ろうとした。
県令は許さなかったが、例の将軍は「城内に入れろ!いざというときは我々の
十日分の食糧となる。」と、彼らを城内に避難させた。
城は八ヶ月に渡って包囲され、一万人もの住人が清の官軍に食べられた。
戦乱が収まった後、将軍が道を歩いていると一人の男が彼を跪いて拝んだ。
訝しがって訊ねる将軍に彼は答えた。
「私の両親も妻も皆あなた様の腹の中で眠っております。彼らには墓がありませぬ
もうじき寒水節だというのにあなた様の腹を拝まなければ他の何を拝めば
良いのでありましょうか」
さすがに将軍は恥じ、逃げるようにその場を去ったという。


13 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 01:32:50 0
食人スレの誤爆か?

14 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 05:51:12 0
明から清への移行期だから、スレ違いではない。

15 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 09:53:29 0
永楽帝が城門をくぐる時に鉄板を落として殺そうとした人ってその後どうなったの?

16 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 11:23:03 0
>>10
文革がらみで調べたら出てくるかも

17 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 11:25:40 O
明《あきら》って歴史の人物の名前ですか?

18 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 11:37:36 0
>>15
鉄ゲンね。たしか殺されたと思う。

19 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 11:40:52 0
   
知能指数半秒

20 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 11:58:59 0
鉄鉉は磔刑のあと死体を油で煮られたそうですね。

というか鉄鉉でぐぐったら日本語のサイトばっかりだね。珍しい。

21 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 15:31:31 0
明代の文壇の変遷

・永楽〜成化期
 台閣体:楊士寄、楊栄、楊溥らが中心
   |
   |台閣体への批判
   ↓
・弘治〜正徳期
 古文辞派(前七子):李夢陽、何景明らが中心
   |
   |復古説の強化
   ↓
・嘉靖〜隆慶期
 古文辞派(後七子):李攀龍、王世禎らが中心

22 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 16:05:28 0
>>20
>というか鉄鉉でぐぐったら日本語のサイトばっかりだね。珍しい
だったら「鐵鉉」でぐぐってみ。ぜーんぶ支那のサイトばっか、珍しくはないんだよ。

23 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 18:56:33 0
鉄鉉や方孝孺ら士大夫階級は徹底的に粛清した永楽帝だが
徐輝祖や李景隆は血縁だから赦免しているんだよね。

24 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 20:37:23 0
鉄鉉は鼻そぎにされた挙句処刑されたがそれでも朱棣の怒りは解けず、
遺体は油が煮えたぎる大釜に放り込まれた。その遺体を棒でつついて動かし、顔を朱棣のほうに
向けようとする。謝罪の形をとらせようとしたのである。
だが、どのようにしても遺体の顔は思う方向に向かない、そうこうしているうちに鉄鉉の遺体ははじけ、
バラバラの炭になってしまった。

25 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 20:41:47 0
永楽帝の血統は孫の宣徳帝もそうだが残酷なのが多いな。
武宗なんか謀反人の皮膚で作った馬鞍を嬉々として使っていたし
万暦帝もヒッキーながら結構残忍な面も見せている。

26 :杉山信者:2006/04/05(水) 20:46:01 0
さすが明らしく殺伐としたスレですね。

27 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 20:49:33 0
阪神副民
滅萬鋼管

28 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 20:51:16 0
天地会の発祥について語ろうか?
自分はおそらく台湾起源説に賛同しているが。

29 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 20:57:16 0
万暦帝は、新式の刑具を考案した。
名付けて「立枷」。いわゆる首かせだが、前部が異様に長く、一種の檻のようである。
長いほうの先端は地面に触れるため、これを装着させられると立ったままで支えるしかない。
「重さ300斤 犯者は立ったまま死す」といわれる由縁である。

東廠や錦衣衛では、皇帝にかかわる事件の罪人にはすべてこの立枷を使用したため、
罪人はその夜のうちに絶命した。直ぐ死なないような場合は、枷の前部を三寸ほど切り落とす。
こうすれば犯罪者は立つことも出来ず腰を屈める。無理な姿勢が続き、たちまち力尽きて絶命した。


30 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 21:17:23 0
こういった残虐な話ばかりをするために
このスレを立てたわけじゃないんだけどよ・・・・。

31 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 21:17:35 0
>>18

ラララ 悔しいのう。 燕賊が憎いのう ギギギ。

32 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 21:31:10 0
>>30
王永寛「酷刑」の愛読者が混じっているのだろう。
どちらにしろ明を語るに残虐な負の部分を見逃すのは甚だ困難だ。
何せ凌遅刑を正式に刑法に明文化した王朝だし。

話題を変えて文徴明でも語ろうか
自称、文天祥の子孫

33 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 21:36:15 0
悲哀

34 :世界@名無史さん:2006/04/05(水) 22:58:26 0
>>30
残虐さもネタとして楽しめないのは悲しいことよ。

35 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 01:39:16 0
大明の暗黒面じゃないほうの話題を振るんだ。>>30


36 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 02:09:05 0
元から明へ天下が移り、朱元璋の粛清の嵐が吹き荒れ、建文帝と燕王が骨肉の争いを繰り広げていた間
ずっと山中に遊んでいた武当派の開祖・張三丰なんかはどうだろう。

37 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 05:29:30 0

明代に王冠という富豪が居た。妾愛人を数十人も抱え、彼女たちが妊娠して
出産間近となると薬で堕胎させた。そしてその胎児を石臼で挽いて挽き肉にした
挙げ句、強壮剤と混ぜて丸薬にして服用にした。
それ以外にも赤子を買い取っては煮て食べた。
やがて悪事は露見し、陵遅の刑に処された。



38 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 08:16:45 0
>>35
暗黒面以外の話なら>>21で挙げているんだけど。

39 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 08:51:58 0
ネタが豊富すぎるせいか住人の関心領域がかみあってない感じがする。

40 :メンドーサ著『シナ大王国誌』:2006/04/06(木) 18:58:52 0
国王はすべての都市に、読み書きと算術を習得させ、また自然哲学・道徳哲学・占星術
・国法その他珍しいことを教授するために、王室の費用で各種の学校を建てている。
これらの学校で教授をし、講座を担当しているひとたちは、専門の学問あるいは万般の
学問について、求めうる最高の学者たちである。少なくとも読み書きだけは、たとえ
どんなに貧乏でも、習得しないものはひとりもいない。なぜならば、これができないと
いうことはかれらのあいだではひどく恥ずかしいこととされているからである。
多数の学生が上級学校のために集まってきて、研鑽につとめる。なぜならばロイティア
(老多)、すなわち紳士やその他の称号を獲得するためにもっとも早い道は、
この学問の道を通ることだからである。

41 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 19:39:42 0
明の内閣制はどう?

42 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 21:20:20 0
初期は皇帝の私設秘書的役割&地位だったけど
尚書を兼ねる頃から実質的に宰相の位置取りになった>内閣

でも権限は司礼監太監や東廠提督の方が遥かに上だったけどね。
何せ四六時中皇帝の側で執務していたし。

43 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 22:20:54 0
東廠って映画の「龍門客桟」なんかでは秘密警察兼特殊部隊みたいに描かれてるけど
実際に独自の軍事力を持ってたんですか?

44 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 22:24:32 0
錦衣衛を動員できる上に高官すら簡単に逮捕投獄できる権限持っていたから
普通の軍事力以上の力を有していたと考えるのが妥当。

45 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 22:37:02 0
>44
あ、錦衣衛を動員できるんですね。
でも映画みたいに政治犯を追って西域にまでいったらさすがにまずいですよねw

46 :世界@名無史さん:2006/04/06(木) 22:40:51 0
基本的に明の領域内なら絶大な権限を持つが流石に西域はね。

ま、明の事実上の宰相は>>42が述べたように東廠や司礼監太監で
内閣大学士は時にその使い走りに落ちる場合もあった。
何せ東廠に睨まれたら一族全滅も覚悟しなきゃならない。

47 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 07:53:50 0
映画といえば武侠ものによく出てくる武当山の道観を建てたのは永楽帝。

48 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 17:45:37 0
康熙王朝や雍正王朝は映像化されてるが
何故か純漢民族国家の明の洪武王朝や永楽王朝が無視されている。


49 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 18:26:33 0
>>42
六部の長官の尚書を兼ねて内閣大学士になった最初の人物は邱濬。
邱濬は礼部尚書を兼ねて文淵閣大学士となった。

明代の内閣大学士は官位が正五品と低い。
張居正や徐光啓なんかを見てみると六部の長官の尚書(正二品)を兼ねて
内閣大学士になっている。清代には地位が正一品となり、
名実ともに宰相となった。
内閣大学士が尚書を兼ねるということは清代にも行われていたのだろうか?

50 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 18:34:52 0
清代の実質的宰相雍正帝以後は軍機大臣→直隷総督

51 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 18:48:51 0
>>50
より正確に言えば直隷総督兼北洋大臣。

52 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:23:37 0
>>48
現代の中国人がテレビで朱元璋や朱棣の生涯を見せられてもゲンナリしそうな気がする。

53 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:32:34 0
群雄時代の太祖やモンゴル遠征する永楽帝なんか
今の中共の宣伝にぴったりじゃないか。

54 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:36:20 0
公式には「モンゴル人も漢民族の一部」という立場では?

55 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:44:40 0
蒙古人も色目人も帰順すれば中華の民として扱うと
北伐の際の檄文に書いてあるからね。

56 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 21:11:20 0
岡田英弘「皇帝たちの中国」p186より

このように軍戸と民戸を分けて、別々の編制にするのは、モンゴル帝国の、遊牧民と定住民の二重組織そのままである。
実際、明朝の軍戸は、どうも元朝時代の非漢人の子孫らしい。東京・駒込の国会図書館支部・東洋文庫には、明代の
世襲の将校たちの名簿があって、これを「選簿」というが、それを見ると、初代の将校たちはみなモンゴル風の名前を
持っている。つまり元朝のとき地方に駐在していた軍隊を、明朝がそのまま引き継いだのが、軍戸の起源だったらしい。

↑逆に元代には非モンゴル人も大勢モンゴル名を名乗ってたと思うんだが・・・

57 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 21:21:54 0
永楽帝は靖難の変で挙兵する際、かなりのモンゴル騎兵を配下に持っていたな。

58 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 21:29:03 0
京営のひとつ「三千営」も蒙古騎兵。

59 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 08:34:59 0
元末の戦乱期には軍戸制の兵団は貧窮化してほとんど役に立たず
民間で組織した義勇兵が官軍の主力だった。ある種明後期の状況に近い。
そうした失敗を見ていた朱元璋がなぜ軍戸制を再び組織したのか?

60 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 12:02:01 0
永楽帝の母が誰なのかもうひとつはっきりしない。
トゴン・テムルの子を宿した女を朱元璋がさらって妾とし、
生まれた子を自分の子として育てたのが永楽帝、なんて話もある。

61 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 12:07:45 0
>>60出典なんだっけ。モンゴル人の伝説だったか。
昔、あやめさんが何処かのスレで書いてたな。

62 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 12:22:28 0
で、順帝は宋の旧皇族の胤だとw

63 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 15:00:50 0
>>59
「海と帝国」でその辺のことを解説してたはず。
手元にないのでなんともいえないが。

64 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 18:45:19 0
>>58
中央軍の京営を構成していたのはは五軍営、三千営、神機営
(嘉靖期には五軍営、神枢営、神機営)だったっけ。

明は軍の最高統帥機関として、元の枢密院にならった五軍都督府を置いていたが、
嘉靖期に京営に統帥のための戎政府が置かれたことにより、五軍都督府は無力化した。
でも、都督は名誉の官職としては見られたそうだ。

65 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 20:49:13 0
>64
京営は土木の変で壊滅したとか何かでちらっと読んだけど、一応存続してたのか。

66 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 21:00:14 0
>>65
土木の変で壊滅したが、景泰期に兵部の于謙によって10団営ほどで再建された。
成化期には12団営ほどになったが、弱体化ぶりはなかなか防げなかった。

嘉靖期になって、永楽期とほぼ同じように五軍営、神枢営、神機営の新三大営で
構成されるようになり、統帥のための戎政府が設置された。

67 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 21:34:05 0
【生死】日本陽明学 【超脱】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1142239107/l50

68 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 21:40:59 0
>>61
「ユーラシア草原からのメッセージ」所収の楊海英「永楽帝をモンゴル人と見たてる理由」
がそのあたりのことに触れてたと思う。

69 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 01:40:03 0
京営の兵士を北辺防衛にまわそうとしたら
「かえって弱体化します」と王陽明に止められたんだよな

70 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 10:45:49 0
完全皇帝独裁体制の確立、大明の特徴この一言のみにあらわされるね。
だが中国至上最強の権力を有した大明皇帝が暗君ぞろいというのが泣けるな。
暗君ぞろいだから、政治を側近や宦官に丸投げするのだが、皇帝をしのぐ力
をもつものは300年間一人も現れなかった。皇帝が変わると、大半が粛清されてるね。

清朝も皇帝独裁だが、最後は西太皇の権力が皇帝をしのいだという点で
だめだったな。権力を皇帝のみ所有する明朝ではありえないことだ。
こういう意味では大明というのはすごいのかもしれない。


71 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 13:37:17 0
道教に凝った嘉靖帝にしろヒッキーの萬暦帝にしろ
皇帝が政治に何十年も関わらずに国を維持できたのは凄いな。

72 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 17:23:18 0
皇帝がダメな分、有能そうな官僚も多くいたし。

73 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 19:02:08 0
永楽帝の瓜蔓抄で処罰された奸臣リストを見てたら
やはり妻女は教坊送りという例が一番多かったんですが
たまに「象奴に配給す」というのがありました。
象使いか何かですか?

あと浣衣局に送られたという例が一件だけあった。

74 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 19:47:56 0
>象奴に配給す

象使いにした、のかそれとも強制的に象使いの妻妾にしたのか
どっちなんだろう。

75 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 20:16:05 0
浣衣局というと、宦官の二十四衙門(官庁)のひとつだな。

76 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 01:33:24 0
>74
方孝孺や黄子澄の妻女が象を乗り回してたらそっちの方が記録に残ってると思うが・・・

まだ鄭和の航海も交趾遠征もやってないのに象がいたんだろうか

77 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 07:37:02 0
象って生き物じゃなくて、別の物をあらわしてんじゃない?


78 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 10:14:03 0
「情史類略」って本にも、家が籍没されて象奴の妻妾にされることになった未亡人が
自刎して果てるというエピソードがあるようです。

なんか人種差別が絡んでるような気がする。

79 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 17:42:04 0
普通の象だよ

80 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 20:06:16 0
>>70-72
皇帝(中央政府)が腐敗しても地方の末端組織はそれなりに
機能していたみたいね。
明代の官僚機構と法整備が優れていた証拠。
後の清の順治帝や康熙帝もそれを賞賛して中華歴代皇帝の中で
明の太祖を最も上位に置くほど高く評価していた。

81 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 20:46:13 0
>>80
しかし惜しむらくは、内閣大学士の地位が低いことと、官僚の給料が低いことかな。

82 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:00:48 0
内閣大学士は当初、文書係の秘書的役割を求められていたからね。
尚書を兼ねるまでは皇帝の私的秘書の立場だから官位も低い。
後に内書堂が出来て、文才に優れた宦官が続出すると
実質的に内閣大学士の役割が高級宦官に取って代わられた。

俸薄の害は顧炎武も明代の士大夫階級の堕落の一因だと指摘してたな。
給料だけじゃやっていけないから贈賄汚職が公然と行われたし

83 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:10:36 0
>>82
沿海域では、官僚や資産家が密貿易を盛んに行って利益を上げていたそうだ。
嘉靖期に密貿易の取締りを厳しく行った浙江巡撫の朱紈はこうした官僚や資産家の
批判を受けて失脚した。

84 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:18:35 0
倭寇は三割が倭人で後の七割が現地の中国人だったそうだからね。
密貿易を取り締まると、必然的にそうした商人やそれらと癒着している
地方・中央の官僚と衝突して、結果的に弾劾され失脚の上獄死が自殺。

85 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:56:25 0
>>78
人種差別って?

86 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 22:00:21 0
>>85
象を扱う=夷=下賎な存在

こういう意味でしょ。
実際に中国史で象が戦場に使われたのは元代で
フビライがナヤンの反乱鎮圧の親征の際に軍象を使用した記録がある。

87 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 22:05:43 0
東南アジア人が多かったのかな?

88 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 22:12:43 0
>>87
元が軍象を使用したのはチンギスの西征でその存在を知って導入した結果。
明で軍用に使用した記録は自分の知る限り無いな。
せいぜい宮廷内で愛玩用に飼育したか南方諸国からの貢品に含まれていたか

ちなみに東南アジア系の人間は明代、雲南や広東に少なからず住んでいた。

89 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 22:40:37 0
鄭和の大航海はよくクローズアップされるが、
既に唐代に中国〜アラビア航路は開発されていたんだけどね。


90 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 07:31:21 0
唐代はムスリムが中国まで来てたわけだが

91 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 10:14:24 0
唐末期の黄巣の乱のとき、泉州だか広州ではイスラム教徒が数万人も殺されたという。
見方を変えれば、それだけイスラム諸国とつながりがあったわけだ。

92 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 19:54:26 0
五代十国の南漢国の劉氏はアラブ系という説もあるし
広東には漢族風の姓を名乗ったムスリムも多く帰化していたでしょ。
それを完全に断ち切ったのが太祖の海禁鎖国政策。

93 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 20:27:07 0
李贄がムスリムの家系だとどっかで聞いたような

94 :世界@名無史さん:2006/04/11(火) 21:07:18 0
>>93
福建のイスラム教徒の家に生まれたのは史実だよ。

95 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 11:47:08 0
海禁鎖国政策は仕方ないんじゃないか? まだまだモンゴルは手強いから、海に回す金が
あったら、とりあえず陸にあてるというのは真っ当な発想ではないか?

96 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 11:56:31 0
>>93
思想的には殆ど無関係。むしろ天主教への関心が窺える。

97 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 17:32:35 0
>95
海禁のせいで倭寇が発生してよけい軍事コストが・・・

98 :世界@名無史さん:2006/04/12(水) 20:46:20 0
>>97
朝鮮では早くから懐柔策がとられていたが、明では隆慶元年(1567)になって
やっと海禁を解除したからな。

99 :世界@名無史さん:2006/04/13(木) 18:40:35 0
>>95
もしも朱元璋の側近に当時の色目人かイスラム教徒が居れば
当時のユーラシアにおける中華の重要性をアドバイスして
海禁政策を撤廃して民間による自由貿易を活発化させたかも。

100 :世界@名無史さん:2006/04/13(木) 19:51:19 0
「明の太祖朱元璋とムスリム社会」なんて論文もあるよ。
海禁政策には直接関わらないけど。
アゲ

101 :世界@名無史さん:2006/04/13(木) 19:58:40 0
太祖の信仰遍歴

仏教(皇覚寺〜托鉢僧時代)→白蓮教(紅巾軍参加〜韓林児推戴)
→儒教(呉王〜皇帝)
ちなみに老子の道徳経も太祖の愛読書の一つなので道教も入れておく。

イスラム教が入り込む余地が無いな。
それに元の治世下で貧苦の青春時代送った太祖が色目人に好意を持つとは
到底考えにくい。

102 :世界@名無史さん:2006/04/13(木) 20:22:24 0
嘉靖帝は道教を深く信じていたというが
祈願の内容はやはり己の不老長寿かな。
それとももう少し高尚なものがあったんだろうか。
厳嵩が作った青詞の原文はどんなものだったのやら。

103 :世界@名無史さん:2006/04/13(木) 20:28:05 0
単に自分の不老長寿のためだろ。
そうじゃなきゃ政務を放棄したりしない。

中高年以降の嘉靖帝は怪しげな薬のせいで半ば廃人だったそうだし
道教の信仰から足を洗ったとしても政務復帰は無理だったろうな。

104 :世界@名無史さん:2006/04/13(木) 21:00:23 0
厳嵩が作った青詞ではありませんが、見本と言うことで宋の蘇東坡の作品です。
http://cls.admin.yzu.edu.tw/su_shih/su_thing/article/bin/all_body.asp?paper_id=00002992

105 :世界@名無史さん:2006/04/13(木) 21:07:26 0
徐階も青詞作成が上手くて嘉靖帝に重用されて北虜南倭対策したな。
要するに当時で官界で出世するには絶対的存在である皇帝に阿諛追従して
好みを合わせろということね。

106 :世界@名無史さん:2006/04/14(金) 22:05:41 0
洪武帝と清の雍正帝は性格的に似ていると思うのは俺だけか?

107 :世界@名無史さん:2006/04/14(金) 22:47:02 0
>>106
仮に似てたとして、だからどうだと言うのだ?

108 :世界@名無史さん:2006/04/14(金) 23:35:06 0
しかし康煕、雍正帝、乾隆帝の三代は名君とたたえられているからなぁ。

過度の粛清したはずが無い。

109 :世界@名無史さん:2006/04/15(土) 08:30:15 0
名君といえば名君だが、文字の獄を繰返しやらかしてるしなあ。>康煕・雍正・乾隆
思想統制したという点では清の三人の皇帝も洪武帝と共通してるな。

110 :世界@名無史さん:2006/04/15(土) 14:44:30 0
洪武帝も雍正帝も自分で全てを把握していないと気がすまないタイプ。
王朝に批判的で能書きばかりな士大夫どもは嫌い。
雍正帝は身内にも部下にも厳しく、皇族の癖に口はかなり悪い。
しかし、反満活動をやっていた曾静を処刑せず、逆に論破するところなど、
なかなかの定見の持ち主であったことが分かる。

111 :世界@名無史さん:2006/04/15(土) 15:20:26 0
>>111
曾静も結局はバカ息子が殺したけどな
考えると永楽帝と乾隆帝も似ている希ガス

112 :世界@名無史さん:2006/04/15(土) 17:17:08 0
>曾静

「父帝への侮辱は子として許せない」というのが
処刑の理由らしいが、父が許した者を子が殺すのは不孝にならんのかな。


113 :世界@名無史さん:2006/04/16(日) 11:29:30 0
檀上さんの「永楽帝:中華世界システムへの夢」読んだ人いたら、内容紹介でも感想でもお願い

114 :世界@名無史さん:2006/04/16(日) 12:56:41 0
>113
とりあえず永楽帝について知りたかったらこれを読め、みたいな感じですよね。
白帝社から出てる「朱元璋」もおすすめ。

115 :世界@名無史さん:2006/04/16(日) 20:17:26 0
タイトルからだと何だか明代についての新視点の提示みたいだが?

116 :世界@名無史さん:2006/04/17(月) 18:36:38 0
>>112
即位したての新米皇帝としては、何らかの宣言を行うべきだったので
そのスケープゴートにされたのが曾静。
蔓延っていた反満思想への見せしめの効果もあったし。
ちなみに乾隆帝は中華歴代皇帝の中で最も禁書認定をした皇帝。

>>115
苦難スレでまともに明代についての議論が出来なくなったので
別個に立てたのよ。

117 :世界@名無史さん:2006/04/17(月) 18:41:47 0
>>116
そうねぇ、まともに議論できるといいね。

118 :世界@名無史さん:2006/04/17(月) 18:50:11 0
>>114
寺田隆信の永楽帝もお薦めだよ。

119 :世界@名無史さん:2006/04/17(月) 21:56:37 0
>>109
文字の獄は官僚士大夫階級に対する皇帝権の行使の一つと見るべきでは?
科挙合格→官界出世→不正な蓄財・癒着・朋党が中国官僚のパターンで
それに鉄槌を下したという意味合いもある。
特に少数民族である満州族が支配する清では思想統制に名を借りた
官僚層との暗黙の葛藤という一面もある。

尤も、洪武帝は多少被害妄想もあっただろうが。

120 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 09:45:55 0
「海と帝国」で解説されていた戸システムを
知り合いに向かって熱く語っている夢を見た。

121 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 20:42:48 0
海と帝国は明の経済面を知るのに最適の本だが
歴代皇帝の逸話にもう少し紙面を割いてほしかった。
例えば武宗正徳帝とか万暦帝の極端なる吝嗇癖とか。

122 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 21:07:04 0
中公文庫の「明帝国と倭寇」が結構詳しいかな。

123 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 21:11:52 0
モンゴル親征をやった最後の皇帝が正徳帝だったかな?
手ずから数人のモンゴル兵を殺したとか・・・

124 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 21:11:57 0
陳舜臣の「中国の歴史」の五巻と六巻も詳細な記述多いよ。
ちなみに五巻は洪武帝のみで六巻は歴代明帝が詳しく掲載されている。
特に明のラストエンペラー崇禎帝の箇所は遺言まで載っている。

125 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 21:16:55 0
>>123
国境まで行って婦女を攫ったのは確かだが蒙古兵を殺したとは初耳だな。
正式に蒙古遠征を行った最後の皇帝は英宗じゃなかったけ?

126 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 22:32:36 0
>>125
土木の変ね。清朝を除けば英宗(天順帝ではなく正統帝の時ね)が
最後ってことになるだろうね。川越泰博著
『モンゴルに拉致された中国皇帝』が一般向け。
『明代中国の軍制と政治』の第二部が詳しい。

127 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 22:37:37 0
馬市を開けば蒙古との問題が安定すると何故もっと早く気付かなかったのだろうか?

128 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 22:42:56 0
>『モンゴルに拉致された中国皇帝』

この本、于謙に対する見方がかなり厳しい。
国難を救った名臣というより英宗拉致を利用して
景泰帝を擁立するクーデターを行った人物として描かれている。

129 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 23:39:39 0
中国歴代王朝の実績

元>清>前漢>唐>後漢>秦>中共>宋>周>殷>明>夏>民国>隋>晋>新

130 :世界@名無史さん:2006/04/20(木) 08:09:51 0
>>128
『明代中国の軍制と政治』ではどうですか?
于謙が「国難を救った名臣」ではなかったことが
史料に基づいて考証されているのでしょうか?

131 :世界@名無史さん:2006/04/20(木) 13:54:16 0
>>129

宋が中華人民共和国よりも下なんて書いたら、田中芳樹がファビヨるぞw
おまけに元が一等・・・


132 :世界@名無史さん:2006/04/20(木) 16:00:24 0
>>130

『モンゴルに拉致された中国皇帝』のあとがきで
研究成果に基づいていると書かれているぞ。
于謙がどうかは知らんが大体は『明代中国の軍制と政治』に
依拠しているのでは。

133 :世界@名無史さん:2006/04/20(木) 19:12:36 0
>>125
"Firearms"って本でちらっと読んだだけなんだけど・・・
Emperor Zhangde(正徳帝?)は1517年に騎兵軍を率いて
互角の兵力のモンゴル軍を撃破したそうです。

その他にEmperor Zhangdeの事跡として

「虎狩りで大怪我を負った」
「lantern festivalの最中に誤って宮殿を全焼させた」
「将軍に任命した自分自身に対して命令書を出した」

といった事が挙げられていた。

134 :世界@名無史さん:2006/04/20(木) 20:12:08 0
>>99>>100
「東洋」という言葉が、現在とほぼ同じような意味合いで
使われるようになったのも明代だ。

「東洋」という文字は、14世紀の記録『東夷誌略』に初めて見られ、
中国人は当時の南海を貿易上の便宜から、東洋、西洋に区分し、
泉州からスマトラのパレンバンまでの線を境界線とした。

16世紀末の明では、ヨーロッパ地理学の伝来もあり、
広東を通る東経113度線を基軸に東洋、西洋に分けた。
東洋には、ルソン、モルッカ、ボルネオなどを、
西洋には、安南、ジャワ、スマトラ、マラッカなどが挙げられている。
さらに、台湾、琉球、日本は小東洋、インドは小西洋、
ヨーロッパは大西洋と呼んだのだそうだ。

135 :世界@名無史さん:2006/04/20(木) 22:07:00 0
>>133
確認した。手ずからモンゴル兵を殺したかどうかは分からないが、
『明史』武宗本紀には、正徳12年には北辺に出兵しており、
10月には陽和に侵入したモンゴル勢力をを撃退したようだ。
「丁未、親督諸軍禦之、戦五日」とあった。
斬首十六級、明側の死者52人、負傷者563人だそうだ。
ただ、襲来したモンゴル勢力を明の領内で撃退したのであって、
厳密には「親征」と言っていいかどうか・・・。

136 :世界@名無史さん:2006/04/21(金) 22:43:33 0
>>135
ありがとうございます。
そうですね。その本でも親征というより対モンゴル戦に個人的に参加した
最後の皇帝というニュアンスでした。

モンゴル兵を殺したという部分についてはどこで読んだのか思い出せない。

137 :世界@名無史さん:2006/04/23(日) 12:59:39 0
>134
『諸蕃志』には東洋・西洋の区別って無かったっけ?


138 :世界@名無史さん:2006/04/23(日) 13:03:50 0
>>129
中原を統治しても北魏や金は対象外?

139 :世界@名無史さん:2006/04/23(日) 16:05:30 0
中原(華北)だけ支配だと経済的に中途半端な国家体制になるからな。
とは言え、>>129に中華民国があるのは納得できん。
袁世凱死後は地方軍閥による分裂時代だろ・・・

140 :世界@名無史さん:2006/04/24(月) 21:47:47 0
>>128
>>132
『モンゴルに拉致された中国皇帝』の副題ちゃんと見た?
「明英宗の数奇なる運命」だぞ。
英宗からしたら于謙なんぞは、憎んでも余りあるだろうに。
英宗を中心に記述しているのだから
英宗側に立った記述になるのは当然かと。

141 :世界@名無史さん:2006/04/25(火) 19:45:35 0
太上皇時代の英宗は軟禁状態で食事はおろか筆記物にすら事欠く
有様だったから余計、于謙ら景泰帝派に対する恨みがつのったのだろう。
しかし、処刑する際に
「本来なら凌遅刑のところ北京防衛の功績により罪一等を減じて
 まず手足を切断した後、斬首して棄市」は流石に朱元璋の血筋だなと関心した。

142 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 17:14:06 0
于謙といい袁崇煥といい救国の功臣に冷たいのが大明の基本だな。

143 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 20:45:24 0
日本西洋史学会第56回大会の紹介ポスターの背景に、
坤輿万国全図とおぼしき地図が使われていました。

144 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 22:13:05 0
>>142
建国の功臣にもだ。
建国の功臣で、嘉靖まで爵位を保ってたのは
徐達の子孫と木英の子孫二人、
後は劉基の子孫くらいか。

145 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 22:33:18 0
>>144
その反面、皇族宗室は増加していくんだよね。
嘉靖年間だとおよそ十万人以上もの朱一族が国家に寄生する存在として
明の財政圧迫の主因となった。

146 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 23:03:47 0
武定侯郭英の子孫は一応は嘉靖まで続いて、郭勲の代でこけた。

147 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 23:54:29 0
>>146
144だが、ありがとう、間違っていた。
「木英の子孫二人ではなく」
徐達の子孫と木英の子孫と郭英の子孫の計三人だった。
魏国公・黔国公・武定侯。

それにしても功臣世表一は下2/3が白いな〜w。
功臣のあぽーん具合が目に見えて分かるね。

148 :世界@名無史さん:2006/04/28(金) 01:46:52 0
この前、某中国人演奏家の「紫禁城」という歌を聴いた。優雅だな〜〜〜〜。
紫禁城の実態はこのスレにある通りだというのに。

149 :世界@名無史さん:2006/04/28(金) 08:18:06 0
>>145
皇族の数の多さは、リッチなどの宣教師の記録にも書かれている。
徐光啓も「皇族にあてられている資金を北辺の防備にまわせば、
満洲族を撃退できます。」と言っていたし。

明末になると、皇族が職につくことが許され、
崇禎期には、進士になった者も数名いるらしい。

150 :世界@名無史さん:2006/04/28(金) 22:09:06 0
>>143の言う日本西洋史学会第56回大会の紹介ポスターを大学で見てみました。
背景に使われていた坤輿万国全図とおぼしき地図には、次のような地名がありました。

・沙哥多刺島(ソコトラ島)
・馬邏可(マロウコ)
・亞尓的溺里(アルメニア)
・波多里亞(ホトウリア)
・巴尓巴里亞(ハルハリア)
・怒皮亞(ヌヒア)
・忽魯謨斯(ホルムズ)

151 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 00:08:07 0
>>135
>斬首十六級、明側の死者52人、負傷者563人

戦果より損害のほうが大きいw

152 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 01:40:26 0
モンゴル軍相手の場合は略奪される前に追い返せば作戦成功

153 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 23:56:34 0
クルス『中国誌』では皇族たちは邸に半ば軟禁状態で
その代わりみんな美食で丸々と太っているとか書いてたな。

154 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 01:01:27 0
姚雪ギン『叛旗―小説李自成』って
読んだことある人いる?

小説ながら崇禎帝の宮廷生活について実に詳細に書き込まれていた。
中共の階級闘争史観で書かれているから朝廷=悪、李自成軍=善とされてる問題があるが。
李自成軍が地主の砦を攻め落として老幼問わず虐殺やって
「頑強に抵抗した彼らが悪いのである」とか書いているのには引いた・・・。
ちなみに邦訳されたのは全体のごく一部で北京陥落、皇帝自尽までは訳されていない。

155 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 01:08:57 0
11月22日の朝日新聞から悪徳D○Bパイロットスクール敗訴の記事

ー ヘリ免許取れず学校に賠償命令 ー
「米国でヘリコプター免許を取ろうとしたが、
勧誘文句の2〜3ヶ月 の留学では取得できなかった」などとして、
東京、埼玉、栃木の男性 計3人が、日本技研
を相手に計約1700万円の損害賠償を求めた訴訟の
判決が21日、東京地裁であった。富岡章裁判官は
「3人が留学した 米国訓練校の態勢に不備があったのに、
必要な改善策を講じなかった」 と述べて計421万円の支払いを命じた。
判決は「3人が留学した訓練校は ヘリコプターの数が少なく、
他の現地校より訓練期間が長期化している」 と指摘。原告2人について
超過訓練費用分の損害を認め4割を減額。途中帰国した1人には当初代金
の半額を 支払うように命じた。





156 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 08:15:11 0
>>154
最初読んだとき宮廷の儀礼の描写が細かすぎて挫折した。

将軍の使用人が「実は私は東廠の手の者で・・・」
「お前は工部の誰某の紹介だったから信用していたのに・・・」
みたいなやりとりがあって面白かった。

157 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 16:50:55 0
5月3日(水) NHK総合
19:30-20:45
鄭和・偉大なる旅人(1) 「運命の航海」
▽華麗な巨大木造帆船
▽試練を乗り越え抜てきされた世界最大の航海事業のリーダー
▽インドネシア、マラッカインド紀行

22:00-23:15
鄭和・偉大なる旅人(2) 「見果てぬ夢」
▽未知の世界だった中東・アフリカへの航海
▽鄭和船団乗組員の血をひく家族
▽6度目の航海にまつわる謎
▽消された記録

明ファンなら見るべきかな。

158 :世界@名無史さん:2006/05/01(月) 08:19:12 0
>>151
「斬首」をどう解釈するかだな。
@文字通り戦場で首切った人数を指すのか、
A戦死者の外に、捕えた16人を死刑の刑罰としての「斬」に処したのか
刑罰とするなら、捕虜にしたは部隊長のような一定程度の大将首が
16人とも考えられる。
まぁ、いずれにせよ、判断するには史料が足りないわな。

159 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 13:34:41 0
趙翼『二十二史箚記』に
「明中葉南北用兵強弱不同」という記事があるよ

160 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 20:32:11 0
>>157
今夜のは、2月の再放送だがな。
107 :世界@名無史さん :2006/01/13(金) 18:25:19 0
2月にNHKハイビジョンにて2夜連続 鄭和 特集をするらしい。
CGフル活用
大航海時代 in アジア
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1113727389/107
”史上空前の巨大船団を特撮CGで完全再現、世界14か国をロケ・・・” 
偉大なる旅人・鄭和 2006/05/03 午後7・30〜8・45、午後10・00〜11・15
http://www3.nhk.or.jp/omoban/main0503.html#20060503002

161 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 21:20:05 0
鄭和の大航海だとか何だとかっていっても、
海禁をやっていて閉鎖的な明代前期は好きじゃない。
ヨーロッパ人の来航があったり、海禁が解除されるようになった
明代後期のほうが、俺は好きだね。

162 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 21:38:56 0
中世以降はヘタレまっしぐらの漢民族。
この明帝国も初期だけ。サルホの戦いでは近代兵器が旧兵器に破れるという大失態。
まあヌルハチが神過ぎただけだがな

163 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 21:48:37 0
ヌルハチ真綿。


ところで中国史の「中世」って何時?

164 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 22:31:20 0
それ以前に鳥銃や虎蹲砲や仏郎機が近代兵器といえるのかどうか

165 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 23:17:13 0
>>163
時代区分論花盛りしころの論文でもよみなさいな。

166 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 23:37:19 0
NHK実況は受ける。鄭和を元代の人間という奴がいれば、それを訂正し
た奴も、永楽帝を明の2代皇帝といっていたww

167 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 23:38:58 0
鄭和の業績は評価できるが、あの番組のラストの共和国マンセーには反吐がでたな。


168 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 23:39:37 0
一応三国時代〜五代十国までを中世ということでいいの?

169 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 23:44:54 0
永楽帝に従わないものはベトナムのごとく、モンゴルのごとく、セイロンのごとく、平和を乱すものとして征伐する。
現代日本も、中国に臣下の礼をとらず、沖縄を返還しない「反平和国家」。
滅ぼすに値する

170 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 23:48:18 0
永楽帝はベトナムを侵略し、ベトナム人のごく自生を否定し、凄まじい漢化政策を行った。
当然激しい抵抗が起こったが、すべて死刑に処するという、犬HKが「平和」と呼ぶ虐殺で対抗した。

171 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 23:50:57 0
>>166
明の支配が未だ及んでいない地域=元とするなら
まぁ、「元の御代」に生まれたということで、元代の
人物とは言えなくもないが、明朝につかえて活躍したのだから
明代の人物とするのが妥当だろうな。
永楽帝を3代目としたのは嘉靖年間以後だっけ?



172 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 00:01:26 0
中華思想が「平和」だという認識はスゴイなwww
朝貢貿易は、中国皇帝に対して貢ぎ物を差し上げ、
偉大なる中国皇帝さまより王にして貰い、
慰労の品を下賜されるというもの。
中国の藩属国化&忠誠を証明する儀式。
朝鮮が大好きな儀式。

173 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 00:12:22 0
『鄭和』第一回で建文帝の肖像画が小さくだけど出てたな。初めて見た。
本物なのか後世の創作かどっちなんだろ。

174 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 00:23:26 0
朝貢はその構造から帝国の財政を圧迫し、発展する余地が無い。
また、帝国は経済的に発展可能なモデルを必要としなかった。
周りに覇者がいないと、どうしても内向きになってしまうのだな。

175 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 14:37:34 0
建文帝の肖像
http://www.ls11.com/UploadFiles/20041115104827307.jpg

176 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 14:54:15 0
>>167
第2部終盤の明が対外積極策を継続していたら、16世紀以降の西欧列強による
アジア植民地化は起こらず、況や20世紀の世界共通語が英語でなく中国語だった
かもしれないというくだりのことか?

177 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 18:38:21 0
インド・東南アジアを巡って欧州と対立→敗退して国力減退
アヘン戦争の結末が100年単位で早まっただけのような

178 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 20:19:51 0
TRPGのガープスのサプリでMing-3っていう
そういう設定の世界があったけどね。
19世紀中葉までにロシア、トルコ、イラン以外は
朝貢国になっているという時間線。

179 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 20:57:45 0
>>171
建文の年号を認めたのは万暦帝。
でも建文帝が正式な明二代皇帝と認知されるのは次代の清の乾隆年間。

「鄭和」の劇中で洪武帝の肖像画が出たけど
今の中国の歴史学界は、あれが本当の太祖の顔と認知しているのだろうか?

180 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 21:39:31 0
後代に伝聞と憶測で書かれた肖像画が、
同時代に書かれたものより正確だという証拠は無い。

181 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 23:07:13 0
>>162
必ずしもそうではないだろ。
日本の戦国時代は、人間が最も人間らしく生きた時代と言われるが、
それは明代中期以降の中国にも当てはまる。
人間の美醜両面がはっきりと現れて、活気がありそうな感じがする。
また、李攀龍や王世禎などの古文辞や、明末の黄宗羲や王船山、顧炎武
による考証学は一種のルネサンスだと俺は思うね。

182 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 23:35:30 O
↑禿同
王守仁、戚継光、秦良玉等有能な人物も多くいる。
漢民族がヘタレに見えるのはほとんどの場合、一部の指導者に問題があると思う。

183 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 00:26:19 0
明は官僚の俸給が低かったので有名だな。
しかも皇帝の体罰で死者続出だったので、
高級官僚は出仕する前に家族と水杯を交わしていたんだとww
そこまでして宮仕えするのは、他に何か役得があったんだろうな。

184 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 01:01:07 0
官僚になれば、清官でも三代食えるほどの財産が作れたといいます。

185 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 01:01:09 0
>>179

映像的には、綺麗な美化された顔のほうを出したいだろうさ。


186 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 08:22:26 O
明祖の不細工な方の肖像画を描いた絵師は無事だったんだろぅか

187 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 13:01:16 0
>>172NHKは歴史ある壮大な古代遺跡に住んでいれば、ネズミでもゴキブリでも偉いと感じるんだろ

188 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 02:32:21 0
二年前、台湾の本屋で太祖陛下の一代記を発見した。
表紙に書かれていた、黄色の袍を纏った陛下の顔をみて目が点になった。
何と、あの金城武そっくりに描かれていたのだ。

嗚呼陛下!ルックスもイケメンでありまする!

189 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 18:23:08 0
顧炎武は「俸薄の害」と呼んで官僚が副業の汚職贈賄に走ったと
非難していたな>>183
高級官僚でも人事部門の吏部尚書なら賄賂もらい放題で
戸部と工部は公金着服・横領が公然と行われた。
逆に兵部だと役得少ない上に対モンゴル・倭寇で責任取らされる例が多くて
不人気な官職だった。

190 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 19:22:37 0
>>189
監察機関である都察院も賄賂もらいまくりだったそうだ。
宣教師の記録にもそう書いてあるらしい。

191 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 19:41:54 0
賄賂貰わない官僚の方が珍しいのは明に限らず中華王朝の特徴だ。
明代だと海瑞なんか南京吏部右侍郎の官職だったけど賄賂拒否した
清貧を貫いたので、死ぬ時は家具はボロボロで葬式代すらなく
それを哀れんだ同僚が醵金してようやく葬儀が執り行われた。

192 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 22:32:09 0
今の中共に関するデータらしいデータは無いが、香港やシンガポールなんかの数値が漢人系の基準になるのかな?

http://www.dataranking.com/table.cgi?TP=so04-3&LG=j&RG=0

193 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 22:54:43 0
反乱者の中には無敵大王と自称した者がいるらしいね。

194 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 23:10:06 0
         ハ,,ハ
        ('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って!
      /ヽ   〈/\ お別れの時にはお土産を持たせてね!
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195 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 23:36:45 0
>>193
明末の賊魁は派手な二つ名をもってるの多いから・・・
水滸伝の影響だとかで。

196 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 00:34:44 0
凌遅刑の話がいいなー

197 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 09:50:56 0
小説李自成は毛沢東=李自成だと毛沢東が思ったことが最大の理由で、酷い美化が
なされています。そうなると江青まで李自成の皇后とイコールにされてついでに美
化がなされ、彼女が文革で失脚すると、皇后も悪人にされたそうです。
そんなのりで紅軍の将軍も疎かに出来なくなり、しまいには馬の飼葉係の爺さんに
至るまで、善人揃いの百パーセント人民の軍になったとか
たまに頼りない奴や嫌な奴がいると必ず裏切ったり投降したりする、てのりで、こ
の人物は革命に紛れ込んでた異分子ですよ、と親切に予告してくれるそうです。

現実の政治状況に右往左往を余儀なくされて、小説李自成は一巻一巻がニ、三冊の
巨編だそうですが、三巻辺りでもうどうしょうもないくらいに頓挫しているとか
ちなみに、完結前に作者が死んだので、秘書が適当に終わらせたそうです

198 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 21:42:26 0
小説李自成は結局駄作に終わったのか・・・。
毛沢東が出来具合を褒めたという既刊分の文章を見て嫌な予感はしていたんだが。

199 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 23:36:14 0
ディティールは凄いよ。

200 :世界@名無史さん:2006/05/09(火) 09:19:22 0
完全な駄作でもないようです。
歴史考証は精密で、敵陣営の崇禎帝を始めとする明や、ホワンタイジら満州の描写
も素晴らしく、現在に至るまでの近代中国文壇で唯一の読むに足る歴史小説だとか

他の歴史小説がどんな内容なのか聞きたくなるような話ですが、共産主義政権にお
いて文学が逢着しなければならない悲劇の体現としか言いようがありません

201 :世界@名無史さん:2006/05/12(金) 02:50:26 0
なんだ、高島俊男の受け売りか。小説の感想くらい自分の言葉で語ってくれよ。

202 :世界@名無史さん:2006/05/12(金) 10:05:16 0
こないだNHKでやってた鄭和の番組で、雲南に侵攻した明軍の装備が
漢代みたいな黒い漆塗りの小札鎧だったけど時代考証としてどうなんでしょうか。

203 :世界@名無史さん:2006/05/12(金) 22:10:29 0
明の軍装なんかを図入りで載せている史料ってないかな

204 :世界@名無史さん:2006/05/13(土) 00:53:58 0
>203
劉永華「中國古代軍戎服飾」

205 :世界@名無史さん:2006/05/13(土) 01:13:08 0
『三才図絵』

206 :203:2006/05/13(土) 13:29:20 0
ありがとう(´・∀・`)

207 :世界@名無史さん:2006/05/15(月) 21:56:38 0
>>196
凌遅刑が法律で明文化されたのは明からだけど
実際は魏晋南北朝から一種の私刑として行われていた。

五代の時、正式な刑罰に導入されそうになったが官僚の上奏で公には
禁止された。
でも同時代の遼朝では結構広く実施されていたそうだ。

太祖が凌遅刑に拘った理由は知らん。

208 :世界@名無史さん:2006/05/15(月) 22:08:35 0
病的な加虐性趣味の中国人が集うスレはここか?まったく、
ヴァカばっかりだな。

209 :世界@名無史さん:2006/05/15(月) 22:12:47 0
明=残虐な刑罰が氾濫する暗黒帝国・モンゴルの遺産を食い潰した悪しき後継者
これが杉山史観。

210 :世界@名無史さん:2006/05/16(火) 20:06:06 0
ほんとに明王朝と中共政権は似ているなぁ。ww
初代の毛沢東と洪武帝は本当に生き写しみたいに良く似ているし、
影の薄い華国鋒と2代目建文帝もそっくりだし、
ケ小平と永楽帝も良く似ている。
過剰にナショナリズムを煽り、万里の長城を今日まで残るレンガ造りにしたのは
明王朝だが、今の中共政権も、同じように軍事に力を注ぎ、国民は飢えても
原爆や宇宙開発に力を入れるところは、本当にそっくりだ。
日本との関係でもあるときは大変力を入れて、懐良親王や足利義満が朝貢を
受け入れるとものすごく喜んだりしたかと思うと、国書ではグダグダ言うと
攻め滅ばすぞと高圧的だったり、日本と手を結んだといっては高官を
死刑にしたり、中共政権でも、毛沢東の時代は日本のおかげで天下を取れました
とおべんちゃらを言ったかと思うと、日本鬼子と国民を煽り、日本と仲が良すぎる
といっては総書記を失脚させたり、本当に良く似ている。
最後に、明の時代は南蛮貿易で銀が大量に入ったり、新しい農作物が入ったりして
経済全体は発展したのだが、貧富の格差が拡大して、結局農民反乱で自滅してしまったが、
今の中共政権も経済全体は相当発展しているそうだが、貧富の格差が拡大して、
農民の暴動が多発しているみたいだ。

211 :世界@名無史さん:2006/05/16(火) 23:54:16 0
そろそろ紅巾の乱が起きるんでないか?チャンコロに英雄が生まれる
と碌な事にならないが。

212 :世界@名無史さん:2006/05/17(水) 00:19:45 0
嘗て共産党の御用作家は小説李自成で
地主殺しを美化、賞賛する文章を連ねて
毛沢東はそんな小説を褒めていた。

中南海に住む共産党幹部どもは
同じ事を安徽省あたりの農民にされても
文句は言えまい。

213 :名無的発言者:2006/05/17(水) 12:42:30 0
同じく、広東省の農民に資産を略奪されたうえ、私刑に
なっても文句は言えないだろう

214 :世界@名無史さん:2006/05/17(水) 13:18:33 0
明末の反乱のときは江南は平和だったんじゃなかった?

215 :世界@名無史さん:2006/05/18(木) 17:04:58 0
>>214
江南に戦火が及び始めたのは南京政権と清が戦争始めた頃。
詳しくは「揚州十日記」を読んで。

216 :世界@名無史さん:2006/05/18(木) 18:14:52 0
嘉定屠城紀略もな

217 :世界@名無史さん:2006/05/18(木) 18:46:32 0
揚州での「八十万人虐殺」は流石に誇張だろうが
「十日記」での清軍の残虐ぶりの記述そのものは真実だろうな。

218 :世界@名無史さん:2006/05/18(木) 18:53:01 0
揚州の虐殺は史可法(南京兵部尚書)が清の降伏勧告蹴った為に起きた。


219 :世界@名無史さん:2006/05/18(木) 23:41:47 0
何とかして南明が存続できる道はなかったんだろうか?
清軍といっても将兵の大半は漢族だろう。
順逆の理を説いて明朝側に取り込めなかったのかねえ。

220 :世界@名無史さん:2006/05/19(金) 08:46:35 0
そんな事いったら洪武帝の軍隊だって多数がもと元軍だし・・・

221 :世界@名無史さん:2006/05/19(金) 09:39:05 0
よほど明朝は馬鹿殿そろいだったのだろうな。ww
清朝は特に最初の頃は名君が出たからなぁ。
やっぱり、北方騎馬民族も最初中華へ出た頃は素朴で、比較的まともだったが
中華に染まってくるとおかしくなってくるからなぁ。
清朝だって、最初は纏足なんかするなと何回も廃止令を出していたのに、
西太后は纏足をしていたくらいだからなぁ。
(していたはずだと思う、間違えていたらごめんなさい)

222 :世界@名無史さん:2006/05/19(金) 12:28:32 0
>>220
当時の「元軍」てのは紅巾賊に対抗して地主層が組織した自警団が多かった。
康茂才とかの武将はそういう連中。

223 :世界@名無史さん:2006/05/19(金) 15:46:57 0
>>221
あれだけ池沼皇帝ぞろいの明が
200年以上存続できたことが
逆に不思議。
221はバカ皇帝ばっかりなのに何故
200年ももったと考える?

224 :世界@名無史さん:2006/05/19(金) 17:11:32 0
明は超大国だしw

225 :221:2006/05/19(金) 22:14:38 0
明と(中国)共産党政権はよく似ている。
(一)秘密警察の発達
共産党政権は本当に秘密警察が発達している。ソ連でもKGBがかなり発達
していたが、明でも宦官を中心にした秘密警察が発達していた。
(一)軍隊組織
共産党政権は通常の軍隊の命令系統のほかに政治将校がいて、常に箸の上げ
おろしに至るまで目を光らせていたが、明王朝でも職業軍人が軍事的合理性
のみにおいて動くことができずに、必ず文官の指導に従い、なおかつ宦官
が監視していた。
(一)この時代鉄砲や大砲が普及して、文字を持たないただの遊牧民族の
騎馬部隊では要塞に閉じこもった農耕民族の部隊を打ち破ることができなく
なった。オスマントルコや満州民族の例があるが、彼らは農耕民族から
大砲や鉄砲を調達し、また自分たちの仲間として受け入れている。
(一)言論統制の徹底。
共産党政権の言論統制はもう言うまい。洪武帝は、清王朝でもやっていたが、
文字の獄をやっていて、ちょっとでも自分の気に喰わない文字を見つけると
たちまち著者を死刑にしていたので、学者は何も書かなくなってしまったし、
毛沢東みたいに、なんか儒教のスローガンを毎日民衆に唱えさせていた。
(一)官僚制の発達
共産党体制になると官僚制が発達して、ブレジネフ時代のソ連みたいに
上が少々無能でも何とか社会は回転するが、明王朝もあの時代にしては
科挙を実施していたし、皇帝は馬鹿ぞろいだったが、官僚はそこそこ
有能なのが時々出たからなんとかもちこたえた。
共産党体制は一度確立すると結構持ちこたえるものだ。
ソ連だって七十何年も続いたし、中国共産党体制、金王朝はいまだに続いて
いるし。

226 :世界@名無史さん:2006/05/20(土) 09:12:46 0
>文字を持たないただの遊牧民族

既にウイグル文字やパスパ文字があったんだが

227 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:04:06 0
>>219
重税取り立てる腐敗した明朝よりも、弁髪さえすれば助けてくれる
清の方を選んだんでしょ。当時の漢人は。

228 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:16:27 0
>>221
なんだかんだいって経済が廻ってたから、日本さえ朝鮮に攻め込まなければもっと存続したかもよ
>みんみん

229 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:30:06 0
朝鮮の役がなくてもボバイの乱と楊応龍の乱が・・・

230 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:32:13 0
魏忠賢と東林党の党争がなければ、まだ幾分かは明の寿命も延びただろうが

231 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:36:44 0
魏忠賢がいても天啓帝が英邁であったなら・・・。
こういえば切りが無いけどな。

232 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:38:02 0
天文学的な数のifが無いと存続できない明哀れw

233 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:43:50 0
いや、元に比べたらかなり土台がしっかりしてるよ?
って慰めにもならんか

234 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 22:18:34 0
嗚呼、大明三百年の江山は何故に失はれしや。

時代が萬暦を超えたらやはりもう限界だったのかな。
後金と盟約を結んで宋と遼のように互いを「南北朝」として承認していれば・・・。

235 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 18:05:15 0
万暦後期以降は東林党と閣臣派・宦官の派閥争いで
後金=清なんて大半の官僚士大夫にとっては思考外だったんだろ。
徐光啓などの少数の良識派は真剣に対策考えていたが

236 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 21:01:32 0
番歴低の子孫が今、日本に来てピッキングや強盗を
やってるわけだw

237 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 21:12:14 0
今の日本には万歴帝(私は乾隆帝を崇拝しているので暦は禁句)の真似を
している若者が多い。

238 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 21:59:26 0
引き篭もりw

239 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:02:06 0
万暦帝が張居正の死後、政務を放棄した様に見られているが
倭寇の処刑式典には顔を出していた。

尤も彼が引き篭もったのはアヘン中毒という説もある。


240 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:16:40 0
それでも、玄宗皇帝や徽宗皇帝みたいな惨めな最期じゃないから
積極的無能じゃない分良かったのかもよ。

241 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:26:11 0
>>234
>宋と遼のように互いを「南北朝」として承認していれば・・・。

上田信氏が『海と帝国』で、「宋以降近代まで、中国が長期にわたって分裂
することが無くなったのは、もちろん北は南の食料無しでは生きていけず、
南は南で北の食料需要無しでは経済が回らないようになっていたからだ」
というようなことを書いていた記憶があるから、おそらく南北朝は無理ぽい。

242 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:34:48 0
南明政権が清に臣従して歳幣送れば可能だったかも知れんが
既に清の上層部が南明の腐敗ぶりを見て「これなら江南統治も可能」と
判断したからな。

243 :世界@名無史さん:2006/05/23(火) 08:25:29 0
>>234
太祖が海禁をはじめとする、時代の流れに逆行するような政策ばかりとったから。
太祖よりも、明朝の体制を時代の流れに適応させようと努力した官僚たちのほうが
立派。

244 :世界@名無史さん:2006/05/23(火) 10:51:03 0
>>243
時代の流れって具体的に何よ

245 :世界@名無史さん:2006/05/23(火) 13:43:47 0
抽象的な言葉を使って、さも理解しているかの如き態度をとるのは問題。

246 :世界@名無史さん:2006/05/23(火) 23:04:41 0
立派って、具体的にどういうこと?
太祖の何と、明のいつの時代の官僚の何を比較するの?
それって比較しうるものなの?
それで正しい歴史的評価ができるの?

247 :世界@名無史さん:2006/05/24(水) 20:00:14 0
日本人が靖国参拝を続けるなら漢字を使うな

248 :世界@名無史さん:2006/05/24(水) 20:20:40 0
あれだろ、元の銀本位の経済を明初に否定したのが結局一条鞭法で無駄になったとか
そういう話じゃないの?

249 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 15:33:15 0
元の銀本位経済システムを廃棄したのは、元の制度の継承否定により
漢民族主体の王朝復興という看板と
自作農を増やして貧富の差を解消するために取った経済理由による。
海禁も私的貿易が国内での商人の勃興の理由なので、これを取り締まり
同時に古来からの朝貢貿易に帰す事で復古的な中華王朝システムの
再興という観点から見れる。

太祖の建国功臣の内の士大夫出身者が元朝システムを
儒学的観点から否定的に見ていたのも大きな要因。

250 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 19:17:26 0
でも戸システムとか変な部分は継承してるんだ

251 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 19:23:05 0
教科書通り

252 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 20:28:11 0
太祖は儒教的農本主義国家を理想として海禁したが
それを永楽帝が反故にして、その後の歴代皇帝も統一した政策を取れなかったのが
明の不幸だよな。

253 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 20:42:09 0
「板切れ一枚も浮かべるのを許さず」って出典何でしたっけ?

254 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 20:43:51 0
>>253
それは清の康熙帝が台湾の鄭氏政権に対抗する為に行った海禁の際の言葉じゃない?


255 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 22:57:58 0
モンゴルの支配が続いていれば、チャンコロももっとマトモだった
ろうに。

256 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 03:21:40 0
日本人は漢字を使うな。どうしても使いたいなら中国に
謝罪してからだ!

257 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 07:36:03 0
中国は漢字使ってないだろ。
漢字みたいな記号は使っているが。

258 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 12:04:45 0
万暦帝の陵は紅衛兵によって暴かれ、帝の遺体は后とともにガソリンかけられて焼かれたそうな。


哀れだのう・・・

259 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 12:25:04 0
何たる事だ・・・。

いくら暗君とはいえ、仮にも中華に君臨した帝王だろう。

陳舜臣氏によれば口髭を生やした状態で遺体が保存されていたそうだが。

260 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 12:55:30 0
>口髭を生やした状態で遺体が保存

ヨーロッパだったら心臓に杭が打たれそう

261 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 13:48:58 0
伍子胥も楚王の墓暴いて遺体にむち打ったし
伝統なんじゃないの

262 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 15:32:18 0
「寸板下海するを許さず」
巡撫朱ガンの文集には、
太祖以来の規則としてでてたような。


263 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 23:22:41 0
山崎岳「巡撫朱紈の見た海──明代嘉靖年間の沿海衛所と「大倭寇」前夜の人々」
ってのが面白かった。泣ける論文ってのは初めて読んだよw

264 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 00:01:51 0
中国について語るのは尖閣諸島を中国の領域と認めて
からにしろ

265 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 01:06:59 0
>>262
だとしたら海禁が解除されるまで漁民とかの生活は・・・

266 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 08:49:19 0
だから漁戸とか特殊なものは除外だろ。
それに、実際にそこまで厳格に徹底して運用されていた
かどうかも怪しいし。
あくまで「朝廷としては・・・」ってこと。

267 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 17:24:16 0
倭奴が得意とする歴史捏造か

268 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 22:23:27 0
>>265
司馬遼太郎の本か小室直樹の本に漁民は科挙の受験資格がなかったと
書いてあったような気がする。
漁民は儒教体制では人間扱いされていなかったんだろう。
今でも韓国は漁民とか船乗りは社会的地位が低くて、
北朝鮮に韓国の漁民が相当拉致されているのに、政府が本気になって
交渉しないと、韓国の拉致被害者が日本に来て訴えてきたことがあった。


269 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 22:31:24 0
田中芳樹の「運命」には「中国は古くから、すべての階級に大臣への出身の道が開かれていた!」と
マンセー論が書かれていたが、肝心の「義務教育がない」や「漁民に受験資格がない」などとは
一切かかれていなかったなぁ。

270 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 23:00:08 0
厳密には漁戸とか、三代前までに俳優などの卑しい職業についていない、
犯罪者を出していないなどの規程はあるが、
一般の大多数に対しては、受験出来たし出世の機会はあった。

ただし、科擧に受かるほどの勉強をさせられるだけの経済力が
その家にあるかどうかは別として。

王朝側としては、勉強するしないは個々人の問題、
国家が介入すべきものではないって考えていたのかもね。
優秀な人材を登用するのは国家の仕事、
優秀な人材を作るのは、出世をさせたい家/親族の仕事。

271 :世界@名無史さん:2006/05/28(日) 00:41:25 0
漁戸と九州あたりの海上民との交流はあった?

272 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 21:13:49 0
その道では有名な「蘭秀山の乱」では済州島まで逃げてるな。

273 :世界@名無史さん:2006/05/30(火) 23:03:41 0
宮崎一定『科擧』の抜粋マダ?

274 :世界@名無史さん:2006/05/30(火) 23:05:38 0
靖国!
靖国!!
靖国!!!

275 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 09:51:22 0
朱紈は空気の読めない人

276 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 11:06:51 0
清官と呼ばれる連中はみんな空気読めないヨ
正義感だけで行動して、結局後期倭寇の騒乱の引き金ひいただけ。

277 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 17:11:10 0
高級官僚たちが交易問題に限らず政治全てで「空気を読み続けた」結果が
大明の滅亡に繋がった。清官たちに栄光あれ!

278 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 17:58:38 0
暗黙の了解で空気読み続けたから、
200年以上も持ったんじゃねー?
逆説的だけど。

279 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 19:48:17 0
太祖の遺訓守って海禁続けるか
太宗(成祖永楽帝の嘉靖年間前の廟号)の海外積極政策の間で揺れ動いて
結局、責任被るのが嫌でズルズル引きずったのが本当の所だろ。

明代で清官と呼ばれた官僚は怏々にして弾劾され獄死・杖刑
或いは貧困の果ての死が待っていた。

280 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 22:14:48 0
揺れ動いたというのは間違い。
積極政策は、すでに劉大夏の時で放棄されている。
海外どころか、北方に対しても消極姿勢となる。
まぁ、「積極的」という語のとらえ方次第だが。
清官の末路が悲惨なのことについては、同じ見解ではある。

281 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 13:22:47 0
清官はたいてい
利権と既得権益の構造を
指摘しそれを取り除こうとするから
それまでその構造に乗っかって甘い汁すってた
連中からは睨まれる。
そういった腐敗構造の中で空気を読み続けた結果、
シロアリの如く王朝の屋台骨を食い倒した。
そして、新しく建てた家(清朝)に寄生し、
徐々に腐食させていくわけだな。

282 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 21:25:01 0
歴代王朝でも稀に見る薄給と文化的素養の低さ
それに皇帝・高位宦官に睨まれたら最悪、族滅の危険を孕めば
自然と事勿れ主義・腐敗の公然化が蔓延する。

清官はそんな明の歴史の一服に清涼剤だが
得てして悲劇なんだよな。

283 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 22:42:42 0
本当に改革したいなら、目先の小事にウダウダ言ってないで
張居正みたいに腹黒く生きれば良いんだよ。
清官なんて自慢にもならない。

284 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 23:15:05 0
腹黒く生きれば生きたで死後弾劾されるぞ。

285 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 23:19:54 0
権勢誇った本人の死後に一族族滅とかね

286 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 10:12:30 O
何もしないのが1番良いの?

287 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 13:35:42 0
何もしなければ王朝はいずれは滅ぶ
富の偏在を有る程度是正し続けなくては
国家体制は維持できない。
そのリセットスイッチとしての易姓革命なわけだ。

288 :世界@名無史さん:2006/06/05(月) 19:35:00 0
言論で士大夫を殺す無かれと石刻遺訓で残した宋代と正反対で
ちょっとした諫言で族滅に繋がる暗黒王朝。それが明。

289 :世界@名無史さん:2006/06/05(月) 23:18:22 0
宋って新法旧法の争いでドロドロだろ。何が士大夫を殺すなかれだ。

290 :世界@名無史さん:2006/06/05(月) 23:41:51 0
タテマエ上は流罪で済んでるからな

291 :世界@名無史さん:2006/06/06(火) 08:33:59 0
殺すのアタリマエだったから、
わざわざ石に刻んで遺さなきゃならんかったんだろ。
鵜呑みにするなよ。

292 :世界@名無史さん:2006/06/07(水) 07:40:38 0
東林党なんかは
公然と皇帝を批判したりしているから
むしろ言論に対しては自由な雰囲気だったのでは?

293 :世界@名無史さん:2006/06/08(木) 20:57:13 0
>>292
言論の自由と言うより、政務に無責任な皇帝の元で
閣臣・高官の粗探しをする言官の言いたい放題状態。
単なる無責任に過ぎない。

294 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 22:18:52 0
永楽帝の安南侵攻についてわかりやすい本とかないかね?

295 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 08:29:57 0
>294
シンガポール大学のサイトから
ttp://www.ari.nus.edu.sg/docs/wps/wps03_011.pdf

296 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 01:40:35 O
どうして誰も書き込まないの

297 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 01:47:41 0
田中芳樹は明のベトナム侵略をマンセーして、そのあとで「この時代に『侵略』という概念は無い」などと
妙なかばい立てしていたな。

中国様マンセーのせいで、思考が停止してしまうんだよ。

298 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 14:06:39 0
明軍の捕虜になって後に工部尚書にまで出世した、黎澄の著作について書いてある。
ttp://www.tsuru.ac.jp/~library/kiyo/pdf/050153.pdf

299 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 18:10:52 0
>ベトナム侵略をマンセー
>そのあとで「この時代に『侵略』という概念は無い」

最低だな田中。
「瀆武」を知らんとは言わせんぞ。
前漢の時代から領土拡大の為に将兵の命を費やすことは悪だという概念があっただろうが。

300 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 23:00:57 0
>>299
墨子だって無益な戦争を反対していたしな。田中は二重基準だから嫌だ。現代のシナが
日本を侵略したらマンセーするんだろう。

301 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 23:23:22 0
田中芳樹は漢民族マンセーで、女真族の清やモンゴルの元は嫌い。

だからもし元が漢民族王朝だったら、元寇をマンセーしただろうな。
「台風さえ来なければ、日本は中国様の一部になれたのだ!」と。

302 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 23:59:52 0
>>301
向こうは田中を含めた日本人を嫌っているのになw。

大体元が勝っていれば田中はおらんぞ。私はシナ人の美点は認めるが、日本を否定して
シナを持ち上げるなんて先祖に無礼だと思う。そんな人間誰も信じないだろうし。

303 :世界@名無史さん:2006/06/17(土) 08:23:28 0
同意する部分も多いが、
スレ違いなので田中スレでやろうぜ

304 :世界@名無史さん:2006/06/17(土) 12:05:00 0
>>221
遅レスながら西太后は纏足をしておりません
また纏足反対運動「天足」運動にも賛同しています
ttp://www.shwalker.com/shanghai/contents/oldshanghai/200511/index.html

305 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 18:28:06 0
明代とは異なるが、朱子学の開祖、朱熹は男女別権の象徴として
纏足を奨励している。

余談だが、太祖の馬皇后は出自からして纏足していなかったと
考えるのが妥当。

306 :221:2006/06/19(月) 19:30:32 0
そうでしたか。申し訳ございません。
まあしかし何処から纏足という発想が出てきたのかなぁ。
宦官ならまだ理解できるのだ。
遊牧民族は家畜を去勢するし、戦争捕虜なんか皆殺しにするのは
気の毒だ。さりとてそのままにするのもなんだな、それならば家畜と
同じように扱えということで。
纏足なんか、締りがいいだけというだけ?でほかにメリットがないだろう。
ほかの文明圏でも歩くのに困るから、宦官はあっても纏足はないだろう。




307 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 19:43:13 0
纏足の原点は五代十国時代の南唐の李Uが足の小さい宮女を詞に詠んだ際
「金蓮」と称して、その典雅さを賛美したのが始まりだそうだ。
ちなみに貧困層や客家では女性も貴重な労働力なので
纏足は行わなかった。

308 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:54:11 0
富裕な家の妾にするためや遊郭に売るのを目的に
娘に纏足をする貧乏人もいたが、そいつらは少数派だろうな。

309 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 23:58:47 0
後宮では、宦官は必要不可欠だったね。
女官たちは纏足しているから、雑多な仕事をするどころか上手く歩くこともできない。
だから雑用にどうしても男手が必要だが、男女関連の揉め事が起こっては困る。
だから去勢させた男をあてた。

しかし睾丸を取り去れば、男性ホルモンが作り出せない。これでは筋肉が退化し、
力仕事など出来ないのではないか?

310 :世界@名無史さん:2006/06/20(火) 00:21:11 0
>>309
女子レスリングの選手なんかは運動不足の男の人より力があると思いますよ。思うほど
弱くないのでは?水滸伝の童貫なんかも結構力があったみたいです。

311 :世界@名無史さん:2006/06/20(火) 01:25:05 0
明の軍制って元々
都指揮使−指揮使−千戸−百戸−総旗−小旗
だったけど、途中から総兵、参将とか協総指揮、把総指揮なんて変なのがでてくる。
このへんの仕組について詳細に書かれた本あったら教えて。

312 :世界@名無史さん:2006/06/20(火) 11:48:08 0
>>311
何をみてそれに気づいた?

313 :世界@名無史さん:2006/06/20(火) 19:32:11 0
>>311
たしかその階級のそれぞれにソ連の政治将校みたいな
文官がくっついてるんだよね。

314 :世界@名無史さん:2006/06/20(火) 19:48:08 0
孫文は三権分立のほかに監察が必要だと唱えていたが、
中華の伝統だとそのような発想になるわけだ。
トロッキーが、政治将校の制度を考えたといわれてるが、
案外中華の歴史を読んでいたのかなぁ。

315 :世界@名無史さん:2006/06/21(水) 00:37:49 0
>>315
民國期の話、スレ違いでスマンが、
司法・行政・立法 +軍事・監察
三権+二権で、国家の五権といわれてる。

316 :世界@名無史さん:2006/06/21(水) 01:29:12 0
で、ちと話を戻すが、ガイエは宋がベトナムに侵攻したものの対するベトナムの名将、李常傑の善戦によって
散々に打ち負かされた事実を完璧スルーしている。

317 :世界@名無史さん:2006/06/21(水) 07:51:08 0
>>311
総兵、副総兵、参将、遊撃将軍などは各鎮(行軍状態)における職務名
よって任命される人間の官品は規定されておらず
また基本的には世襲ではない。都指揮使以下は世襲の衛所官

>>313
文官が出張ってくるのは確かだが、政治将校という認識はいかがなものか。


318 :世界@名無史さん:2006/06/26(月) 19:44:19 0
>>313
>>317
洪武年間は監軍は文官だったが永楽以後は宦官が担当していた。

319 :世界@名無史さん:2006/06/27(火) 07:20:08 0
>>317
都指揮使って世襲だったか?
指揮使以下の間違いではないか?

320 :世界@名無史さん:2006/06/28(水) 21:53:59 0
>>318
16世紀に倭寇の活動が活発になったのは、嘉靖帝が即位したときに
監軍として地方に赴いていた宦官が一掃されたからとかって聞いたんだけど。

321 :世界@名無史さん:2006/06/28(水) 22:34:45 0
>>320
後期倭寇の活発化が在外宦官の廃止に起因するというのですね。
不勉強ゆえか初耳ですな。できればどこでお聞きになったのか、
どなたがおっしゃっていたのか
教えて頂けると嬉しいです。宜しくお願いします。

322 :世界@名無史さん:2006/06/29(木) 00:05:23 0
宦官って真面目に働いてたのかな

323 :世界@名無史さん:2006/06/29(木) 14:00:07 0
明は魅力が足りない
清は人材が足りない
中共は知性が足りない

324 :世界@名無史さん:2006/06/29(木) 22:03:23 0
>>322
殆どの宦官は泣かず飛ばずで苦労の末死に、一部の宦官が悪名を残しながら栄華を
極めます。ちなみに北京が北方民族に攻められたとき、群臣を怒鳴りつけて籠城させ
勝利をもたらした宦官がいたはず。

325 :世界@名無史さん:2006/06/30(金) 08:24:22 0
>>323
民国は?

326 :世界@名無史さん:2006/06/30(金) 18:32:20 0
>>319
明では軍の最高統帥機関として、元の枢密院にならった五軍都督府を
おいていたけど、各都督府の長官の都督などは公、侯、伯などの有爵者
だけに限られていたんでしょ。
五軍都督府って、衛所制があろうとなかろうと機能しなさそうな感じが
するんだが。

327 :世界@名無史さん:2006/06/30(金) 21:58:49 0
>>326
なぜそう思うのだね?
そもそも五軍都督府を326氏は
どう理解しているのか、そこから確認する必要があるだろう。
326氏、見解を聞かせてほしい

328 :世界@名無史さん:2006/06/30(金) 23:12:39 0
名前は格好いいんだけどな。
中身はよくしらんな。

329 :世界@名無史さん:2006/06/30(金) 23:41:21 0
>>328
格好いい?五軍都督府という名前、歴史上の用語ですので、
格好いいとか悪いとか、そういう問題ではないような気がしますが、
どこがどう格好良く感じられたのでしょうか?
五軍都督府という用語に何を想像されたのか、
非常に興味があります。

330 :世界@名無史さん:2006/06/30(金) 23:51:25 0
元では世襲の将官の子弟が酒色におぼれる一方で、一般の軍戸が貧窮化して
軍事力が弱体化したというが、明でも全く同じ轍を踏んでるよね。

331 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 16:35:18 0
>>330
衛所の経済基盤であった屯田が、高級武官の私有地化していったり、
兵士が逃亡するようになったからでしょ。

332 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 17:43:06 0
李成梁も世襲制の将官の家だったが貧乏なので就職活動が出来ずに
四十まで今で言うニートだったな。

333 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 18:30:04 0
貧乏旗本の次男坊みたいな扱いか

334 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 22:06:43 0
>>332
衛所官のせがれの就職活動とは?
武挙のこと?

それでも李家軍を築き上げたんだからすごいけど

335 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 22:12:44 0
>>334
陳舜臣の「中国の歴史」によると北京に上京する金が工面出来なかったそうだ。
でもとある有力者の援助でようやく仕官出来て、後はトントン拍子の出世。

336 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 22:30:22 0
後期の明で大きな軍功をたてた人はたいてい後で弾劾されてるような。

337 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 22:35:24 0
当時の御史ら言官は武官の粗探しして弾劾するのが仕事だったからな。
何も言わないと職務怠慢で逆に自分らが危ない。

338 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 00:40:24 0
明確な根拠を明示しなくては
玉石の区別をつけられないよな。
情報のソースを明らかにしてくれ。

339 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 16:00:39 0
>>337
言官というと、六科給事中も含まれるな。

340 :世界@名無史さん:2006/07/03(月) 17:55:42 0
>>337
>>339
張居正はそれの対抗手段として、あらゆる公文書を言官に回して読ませて
もし弾劾が出て来たら
「それについて何時、何についての上奏文や文書を読んだのか」
と逆に問い返して、言官を黙らせた。
時には杖刑をちらつかせて黙らせたから、ある意味言論弾圧と言えなくも無いが。

341 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 19:05:55 0
>>340
そのうえ張居正は宦官の馮保とも結びついていたし、
万暦帝もまだ幼少だったからな。

342 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 19:07:45 0
明代の中央高級官僚は宦官と結託しないと怖いからな。

343 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 22:07:24 0
明と日本とどちらに住むのがよいのか、と言うのは愚問ですが、明って暗い印象が
ありますね。知識がないせいかな。

344 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 22:13:06 0
明=暗黒時代
杉山正明信者ですな。

345 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 22:37:59 0
>>344
いや、その杉山さんって知らないんです。

宦官の魏仲賢とか劉謹とかの話や変人の武宗や万暦帝の話を読むと、宮廷も民衆も
大変だと言う印象があるので。香港映画でも東廠と戦う話を見て結構怖かったです。

346 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 22:39:16 0
明は明って言うくらいだから明るいんだよ。
明代の宦官について詳しく書いてある本ってあるのけ?

347 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 22:44:11 0
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4198914028/249-5302308-0197924?v=glance&n=465392
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4122041864/249-5302308-0197924?v=glance&n=465392

この二冊が中国の宦官史の専門書。

348 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 22:46:02 0
>>346
三田村泰助氏が書かれた「宦官」と言う本なら読みました。劉謹たちの話は何で
読んだのか忘れました。

349 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 23:29:10 0
>>347
了解した!

350 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 00:26:22 0
>>344
明は中凶によく似ているからな。
誰も中凶の国に住んで国籍を移したいとは思わんだろう。

351 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 10:49:14 0
>>350
時間軸としては明の方が先だろ。
そうすると書き方としては「中京は明によく似ている」だろう


352 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 11:07:31 O
このスレは明のことに詳しそうな人ばかりだと思うので質問します!

一条鞭法は土地税と人頭税を一緒に払うものだとよく聞くんですが、土地を持ってない市民もいましたよね?無産市民とか…。そういう人たちは人頭税だけ払ったのでしょうか?

353 :世界@名無史さん:2006/07/08(土) 20:59:35 0
税を払えない市民・農民は戸籍地から逃亡して流民・盗賊
これが明を含めた中国史セオリー

354 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 09:59:05 0
小作人とかはいなかったんかい?

355 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 10:52:44 O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

356 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 00:46:55 0
大土地所有者のもとで働く佃戸はいるよ。
土地を借りてる。
というか、大土地所有者の多くは免税特権をもつ郷紳。
自作農は、土地を郷紳にわざと寄託して、そこの佃戸になる。
すると、郷紳に小作料を払うかわりに、税金逃れができた。
自作農の数が減って大土地所有が進行する仕組み。

357 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 01:00:33 0
日本史専攻じゃないんでそっち方面は工房レベルなんだが、なんだか日本中世の「荘園制度」とか思い浮かべたのは俺だけか?

358 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 20:40:32 0
華北は小規模農家が多かった(今もか)らしいですね。

359 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 20:49:36 0
洪武年間の華北は元末の動乱で農業も文化度も
遥かに江南に劣っていた。

360 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 20:52:18 0
>359
そういや反乱が始まったのって黄河の工事現場でしたっけ。

361 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 20:56:50 0
韓山童の反乱のことか?
元が強制に徴発した黄河の工事がきっかけで紅巾の乱が起きたな。
尤も、元代では農民暴動は日常茶飯事だったけど。

362 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 19:51:56 0
明末の流賊反乱も華北だったね。

363 :世界@名無史さん:2006/07/13(木) 18:18:08 0
明末の反乱は対女真族の軍事費増大による増税に加えて
駅站などの公共事業の廃止に伴う失業者が拍車をかけたな。

364 :世界@名無史さん:2006/07/13(木) 18:32:54 0
国会図書館って使えねーな

365 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 09:03:40 0
>>359
14世紀〜17世紀にかけて、世界の平均気温は現在よりも2℃ほど低かったらしい。
だから、凶作も頻発していた。

366 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 17:17:40 0
14世紀はそれに加えてペストの大流行も重なったからね。
中国では白蓮教の乱があったし
フランスでもジャックリーの乱と世界中で農民暴動が続発した時期。

367 :世界@名無史さん:2006/07/21(金) 09:16:21 0
>>365
気温が低く、まともに農業ができなかった華北は江南に依存していたんだよな。
永楽帝が北京に遷都してからの江南の負担は一段と重くなった。
なかでも浙江省は全国で一番重い税が課せられていた。

368 :世界@名無史さん:2006/07/24(月) 22:02:06 0
>なかでも浙江省は全国で一番重い税が課せられていた。
張士誠の本拠地で最後まで洪武帝に反抗したから
その懲罰の意味もあっただろう。

369 :世界@名無史さん:2006/07/28(金) 14:11:32 0
>>368
浙江省に重税が課せられたのは、農業、商工業が発達していたことと、
大運河の起点だったことが挙げられそうだな。

370 :世界@名無史さん:2006/07/28(金) 22:44:18 0
塩の産地だから塩税を取り易かったんだよ。

371 :世界@名無史さん:2006/07/31(月) 09:44:54 0
>>370
塩というと明代には、開中法もあるな。

372 :世界@名無史さん:2006/08/04(金) 10:01:38 0
>>362
明末の華北は流賊が跳梁跋扈する空間だったが、
華中、華南はどうだったんだろう。

373 :世界@名無史さん:2006/08/05(土) 16:27:44 0
age

374 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 20:58:48 0
>>372
華南は比較的安定していた。
李自成の乱の際、北京の宮廷では南京への遷都も案に上がっている。

375 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 22:02:00 0
食事の前に『鉄鉉』で検索すると食欲がわくよ!

376 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 08:06:38 0
>>374
でも、崇禎帝は「宋朝南渡の轍を踏んではならない。」と反対した。

377 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 08:41:58 0
王陽明の伝記とか読むと山賊がやたらと多いような>華南

378 :世界@名無史さん:2006/08/10(木) 09:51:22 0
>>377
華南に山賊が多かったのは、郷紳の台頭などにより、土地を失った農民たちが
多かったからかな?

379 :世界@名無史さん:2006/08/10(木) 11:41:33 0
>>346
いや暗いだろw 凌遅八千刀と金瓶梅だからな

380 :世界@名無史さん:2006/08/10(木) 12:40:47 0
>>379
でも文化面では、まさに「明」という感じだ。
儒学においては、王陽明や李贄の陽明学が興り、明末には考証学の創始者である
黄宗羲や顧炎武を輩出しているし、文学では、文章家の帰有光や、詩人の李攀龍、
袁宏道が活躍している。絵画や書では、沈周や文徴明、董其昌といった著名人が
多く活躍している。また、青花や五彩といった景徳鎮の陶磁器など、
目を見張る工芸品が数多く作られたのもこの時代だ。

381 :世界@名無史さん:2006/08/10(木) 22:30:34 0
金瓶梅明るいじゃないか、十分に。

382 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 05:30:38 0
>>381
金瓶梅からは、今さえ良ければ後がどうなろうとかまわない、刹那主義ばかり感じられる

383 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 18:10:06 0
>>381
金瓶梅の登場は、儒教でがんじがらめにされ性(もちろん朱子学でいうものではない)
について語ることをはばかられていた中国社会が、性を発見し、
ルソーのいうような「性の成長」を遂げたことを証明するものだ。

こう考えているのは俺だけか?

384 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 18:24:58 0
金瓶梅は描かれた時期(万暦期)の様相を良くも悪くも
ほぼ正確に描写しているな。
刹那主義も感じられるが、むしろ民間の活力を強く感じられる。

385 :世界@名無史さん:2006/08/14(月) 17:34:16 0
>>384
都市での商工業が盛んになったり、
海禁も解除され、民間の私貿易も公認されたりしたからだろうな。

386 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 19:52:24 0
>>384
景徳鎮で製造される陶磁器もこの時期になると、官営の官窯から民営の民窯
に業務が移管されているしね。
また、明代は陶磁器の生産が景徳鎮一辺倒ではあったが、明末になると、
福建省の徳化などでも製造が行われるようになってきている。

387 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 20:07:46 0
陶磁器繋がりで弘治帝は民力休養から一時期官営の官窯の活動を
休止させた事があり、その為弘治年間の陶磁器は古美術商の間でも
高値で取引されてるとか。

388 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 20:15:53 0
金瓶梅は、確かに風俗の描写は克明だから、歴史学者にしてみれば時代考証の金字塔だろう。
しかし読者にしてみれば、かったるいことこのうえない。
物語の複線が込められているならともかく、着物のガラや食事の献立の描写が細かすぎ、
読むのが辛い!

389 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 21:23:48 0
>>386-387
明代につくられた陶磁器には、こういったものがある。

・青花:白磁に青いコバルトで絵付けをしたもの。日本でいう染付け。
    元代〜宣徳期にはペルシア方面から伝わった蘇麻離青、
    弘治期には中国産の土青、正徳期〜嘉靖期には新たに西方から
    伝わった回青というコバルトが用いられた。

・釉裏紅:白磁に銅の赤で絵付けをしたもの。元末〜宣徳期のものが有名。

・豆彩(闘彩):青花の細い線で文様を描き、明るい色の上絵具(特に
        緑色が中心)で彩色を加えたもの。成化期のものが有名。
        現存するものは少ない。

・五彩:赤、黄、緑、青、黒、ときには金の上絵具を用いて絵付けをしたもの。
    日本でいう赤絵。嘉靖期、隆慶期、万暦期、天啓期のものが有名。

390 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 21:27:19 0
イスタンブールのトプカプ宮殿の陶磁器コレクションは凄いが
あれも明代のものがほとんど?

391 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 13:12:22 0
>>390
それはわからないが、トプカプ宮殿に収蔵されている陶磁器の大部分は
青花だってことは確かだ。

392 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 13:27:50 0
天工開物を読むといろんな産業が開発されてたのが判る。

393 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 13:52:06 0
>392
あれって自国で作ってないものまで載ってるよな。
日本刀とか。

394 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 21:39:07 0
>>386
明代の陶磁器の生産は景徳鎮一辺倒だと思われているが、
成化、弘治期ごろまでは、龍泉窯は景徳鎮に次ぐ生産をしていた。
ここでつくられた天竜寺青磁は有名。
明末には、白磁をつくった徳化窯など、福建、広東方面でも
窯元が興っている。そこでつくられた陶磁器は「スワトー・ウェア」と
呼ばれ、ヨーロッパに輸出された。

395 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 19:57:24 0
>>393
明末には「倭刀」として明国内でも作られていたみたいだよ。
尤も、形だけが「倭刀」で生産工程や切れ味などは全くの別物。

396 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 22:08:23 0
>>395
苗刀の先祖みたいなものでしょうか。
あと倭寇が落としていった伝書を元にしたという剣術書も出版されてたような。

397 :世界@名無史さん:2006/08/20(日) 20:42:06 0
>>396
おそらくそうでしょ。
苗刀の剣術vs日本刀の剣術は日中戦争で結果が出てるけど、
スレ違いとか板違いとか言われそうだな・・・。

398 :世界@名無史さん:2006/08/20(日) 22:18:38 0
純粋な輸入品の倭刀なら鄭成功が家業の貿易で得て
実戦で使用していたそうだが。

399 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 10:12:14 0
明代という時代を勉強してみたいんだが、なんか良い本ないですか?
概説書はだいたい読んだんで、もっと掘り下げてあるものがあったら教えてください

400 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 10:35:12 0
>>395
日明貿易では、日本刀が日本の輸出品となっていたが、
需要が大きかったため、粗製濫造されることが多かったそうだ。

401 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 10:46:24 0
明の鉄器を買い集めて、刀にして再輸出してたとか倭寇関係の本に書いてたような。

402 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:35:33 0
>>400
明における日本刀の需要が高かったため、日本では、粗製濫造される傾向が
強かった。日本では、特に注文によって鍛えた刀を注文打、
それ以外のものは数打物、束刀と呼んで区別していたそうだ。

403 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 19:44:52 0
>>399
太祖洪武帝についてはこの二冊がお薦め。
『明の太祖朱元璋』 檀上寛 白帝社
『超巨人・明の太祖朱元璋』呉[日含]講談社

明代については下記の二冊。
『海と帝国―明清時代』 上田信  講談社
『明清と李朝の時代』岸本美緒  中央公論社

これらが今現在、容易に入手出来る本。


404 :399:2006/08/21(月) 20:14:18 0
>>403
ありがとうございます

405 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 20:35:08 0
403じゃないけど明代を扱った良書と幾つか挙げとく

永楽帝  寺田 隆信 中央公論社
・靖難の変の記述が詳細かつ丁寧で読みやすい。

鄭和の南海大遠征―永楽帝の世界秩序再編  宮崎 正勝  中央公論社
・鄭和航海の簡略な説明書としては最適。


406 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 21:00:16 0
明王朝末期の進士、鄭マン(マンの字はおおざとに曼)は文才と声望で世間を
騒がせた。しかし明朝最後の皇帝、崇禎帝の御代に派閥争いに巻き込まれた挙げ句、
「母を鞭打ち、妹を犯した」かどで告発され、大逆非道の罪を着せられた。
帝は非常にも自ら「凌遅」に処すよう指示したのである。

崇禎12(1639)年、八月二十六日の早朝、鄭を北京皇城西の甘石橋下の
四牌楼の刑場に連行するよう、聖旨があった。すでに小屋が造られて前には先が
二股の柱が打ち込まれている。首切り役人達は鉄鈎と小刀を研ぎ澄ました。
午前十時ころ、牢役人が鄭を刑場に連行した。彼は柳の枝の籠に座ったままで、
召使いの少年に後事を細かく託している。すでに周辺の道も空き地も黒山の
人だかり、やがて西城察院の長官が人だかりを掻き分けて到着し、声高らかに
聖旨を読み上げた。「法に照らして三千六百刀!」首切り役人達が一斉に
唱和する。爆竹が三度はじけ、刑は執行された。

群衆は一層騒がしくなった。有る者は首を伸ばし、有る者は屋根に上がり、
切り刻みの様を見物しようとする。しかし群衆はあまりにも多く、少し
離れれば刑の執行など見ることも出来ない。
かなりの時が過ぎ、件の二股の柱に血の滴る新鮮な心臓と肺が吊り下げられた。
又しばらくすると今度は生首が吊り上がり、更に胴体が吊り下げられる。
その肉体は細かい麻糸のように切り刻まれており、まるでハリネズミのよう。
肉は削ぎ落とされてはいなかったのだ。
刑の終了が宣告された。将校が皇帝に執刀回数を報告するため、早馬で
駆け出していった。
首切り役人は鄭の遺体を引きずりおろし、肉を細切れにすると売り始めた。
群衆は競って買い求める。吹き出物の薬にするためである。



407 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 21:02:20 0
そのコピペも久々だな・・・

408 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 21:04:33 0
やはり明代=凌遅がこの板のイメージキャラみたいなものか。

409 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 22:43:15 0
>>399
矢沢利彦著『西洋人の見た十六〜十八世紀の中国皇帝』
矢沢利彦著『西洋人の見た十六〜十八世紀の中国官僚』

こういったものもある。

410 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 23:17:13 0
>>406
これなんの史料に載ってるん?

411 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 23:23:35 0
>>410
王永寛『酷刑』

俺はよく知らんが記述が信用できないとか言われてた。
詳しい人解説お願い。

412 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 15:17:02 0
>>384
「金瓶梅」が一発で変換できることを知った。
「紅楼夢」も勿論一発で変換できるのだが、
「凌遅」は不可能だった…


413 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 20:19:25 0
>>389
明の五彩の技法は、明末に渡った陶工によって日本にも伝わって
有田焼の赤絵にも影響を与えている。
有田では、当初は朝鮮式の割り竹状の窯が使われていたが、
17世紀前半から、中国式の階段状の窯が使われるようになった。

414 :世界@名無史さん:2006/08/23(水) 20:29:17 0
>>411
史記などの正史から隋唐演義などの小説まで一緒くたに「史料」
として扱っている点。
ちなみに皆さん御馴染みの洪武帝と永楽帝も常連として幾つか逸話
(無論、残虐な逸話ばかりだが)が紹介されているが
その出所も上は明史から下は民間説話や野史まで際限が無い。

415 :世界@名無史さん:2006/08/24(木) 13:22:02 0
minminmin

416 :世界@名無史さん:2006/08/24(木) 19:41:16 0
ミンミン騒がしいのも、もうすぐ終わりか・・・

417 :世界@名無史さん:2006/08/24(木) 21:52:42 0
シンシンと雪の降る季節が来るのさ

418 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 09:17:51 0
燕王軍が済南城を攻囲したときに、鉄鉉が「太祖の神牌」を城壁にかかげたので
砲撃できなくなったそうですが、神牌ってどういう物ですか? 肖像画か何か?

419 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 16:26:01 0
鉄鉉の妻子可哀想

420 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 16:29:39 0
鉄鉉を含めた建文帝側の要人の妻子を含めた一族は官奴として酷使されたか
遼東や雲南といった辺境に流刑にされていた。
赦免されたのは永楽帝の死後。

421 :世界@名無史さん:2006/08/29(火) 12:56:40 0
>>416>>417
それ、うまいなw

422 :世界@名無史さん:2006/09/02(土) 19:08:52 0
>>418
神牌は何だかわからない。鉄券なら知っているが。

423 :世界@名無史さん:2006/09/02(土) 21:34:21 0
靖難の変後の中国(特に華北以南)では戦乱で馬の数が足りなくなり
女真族や明に投降した蒙古部族から馬を買いあさった。

424 :世界@名無史さん:2006/09/02(土) 21:53:04 0
英宗の伝記なんか出てたんだ・・・・ホスィぞ

425 :世界@名無史さん:2006/09/02(土) 21:57:45 0
これか?

モンゴルに拉致された中国皇帝―明 英宗の数奇なる運命
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426 :世界@名無史さん:2006/09/02(土) 22:08:45 0
>>423
明代には「響馬」って漢人の馬賊がいたらしいけど
そいつらもモンゴルから馬を買ってたのか。

427 :世界@名無史さん:2006/09/02(土) 22:16:21 0
馬市経由で買う官製の馬と蜜貿易で購入した馬があったのは確か。
何せ江南じゃ気候的問題で馬の飼育&繁殖は困難なので。

428 :世界@名無史さん:2006/09/03(日) 16:28:11 0
繁字体縦書きの「明史」購入したい・・・。
全巻でいくらくらいするんだろ。

429 :世界@名無史さん:2006/09/03(日) 17:26:27 0
中華書局から出てるやつ買えばいいじゃん。

430 :世界@名無史さん:2006/09/03(日) 22:26:22 0
ミンミンの死体が山盛りになっとるorz

431 :世界@名無史さん:2006/09/04(月) 00:34:25 0
なるほど。李自西の乱か。

432 :世界@名無史さん:2006/09/04(月) 22:38:12 0
中華書局から『南明史』っての出てるけど、買った人いる?

433 :世界@名無史さん:2006/09/04(月) 22:41:51 0
いや初耳だ。
内容は南京政権から永暦帝までか?
鄭成功も入るのかね?

434 :世界@名無史さん:2006/09/04(月) 23:05:42 0
銭海岳撰 中華書局 A5/5626頁/繁体字■21,000円(税込)
ISBN7-101-04429-8/2006.05

崇禎帝が北京で自害した崇禎17年(1644年)から、永暦帝が昆明で殺害された永暦15年(1661年)
までの17年間しか続かなかった南明政権は、明清史上において無視できない存在であるが、
その歴史を全面的に記述する史書はなかった。
120巻から成る本書は、3,400余種の図書や文献を参照し、紀・志・表・伝の4つの部分に分けて、
南明に関する政治・経済・人物・戦争を網羅的に記述する紀伝体史書として、この穴を埋める。

というものらしい。ちょっと欲しかったりする。

435 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 16:49:49 0
鄭成功伝や孫可望伝なら読んで見たい。

436 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 16:54:23 0
銭謙益伝もあるかな?

437 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 17:58:59 0
南明史 全14冊 繁体字 縦排 A5 1117頁
 銭海岳撰 中華書局刊 21,000円(やすい!)

438 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 18:03:23 0
頁数まちがえた。5626ページだ。

439 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 18:06:59 0
しかしよく資料が残っていたな。
南明に関する史料文献は乾隆帝の代の焚書の対象になって
大半が亡失したと聞いていたが。

440 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 18:11:00 0
福・唐・桂・魯4藩の事跡について詳述したもののようだが、鄭氏政権の本末や
韓王の活動について記述してるのかどうか。

441 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 18:21:17 0
5626ページってけっこうな量じゃないかな。
十七年間のことでこれだけのページ数ってことは、中身は濃いのかなあ。

442 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 18:22:45 0
参考資料に『揚州十日記』は使われているのかな?
だとしたらグロ描写ありになるが

443 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 18:38:52 0
>>439
民国になってから史料はわんさか出てきたみたいだ。

444 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 18:40:33 0
夏休みに北京に行ったときに『南明史』をパラパラ立ち読みしたら、
結構充実したかんじの内容だった。

445 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 18:42:22 0
いいなあ欲しいなあ

446 :世界@名無史さん :2006/09/08(金) 05:56:48 0
中国史の本読んだけど、
永楽没降は、皇帝はひたすら淫楽に耽り、宦官が権勢をほしいままにして圧政を敷き、
大小の民衆叛乱に、異民族の侵入、と酷い状態だったみたいだけど。

でも、なんだかんだ、それで200年以上王朝が続き、唐宋みたいに、
地方軍閥が跋扈したり、宦官が皇帝の廃立をしたりとかまではならず、
なんとか持ちこたえたわけだよね。

なんでだろ??悪いイメージが誇張されてるだけとか??

447 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 09:03:41 0
元だったら崩壊してたような局面がいくつかありますね。

448 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 19:50:32 0
>>446
永楽帝以降も名君が出ていますのでそれは言いすぎかと。宦官は個々の皇帝に
寵愛されるだけなので、皇帝が変われば終わりです。

449 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 21:57:47 0
>>446
皇帝に大したやつがいないからといって、よくない時代と決め付けるのも
短絡的。

450 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 22:02:00 0
明代中興の祖に対する評価はなぜか芳しくない・・・

451 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 22:05:41 0
弘治帝の事か?
彼のした事って前代で無駄飯食らっていた連中追放して
後はごく普通に政務こなしてたくらいだし。
明代では普通に政務こなせば名君扱いされる。
(つまり政務を放棄して個人的欲望に走る皇帝が多すぎたという意味)

452 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 22:06:56 0
>中興の祖

孝宗弘治帝?

453 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 22:55:01 0
でも太祖洪武帝が築き上げた超中央集権体制で
「ごく普通に」政務をこなしたということ自体凄いことなのかも。
ヤワな奴なら過労で倒れかねない程の膨大な業務が毎日毎日……。

454 :世界@名無史さん:2006/09/10(日) 13:19:43 0
>>453
皇帝一人ですべての政務をこなすというのは、誰がどう考えたって無理なことだ。
宰相、政務総理機関というものがあったほうが自然だ。
名君が続こうが、暗君が続こうが、内閣は宰相の機関として発達していったと思う。

455 :世界@名無史さん :2006/09/10(日) 22:57:03 0
中国史だと、士大夫層=正義みたいな固定観念があるから、
明朝=宦官が権限握ってる=ダメみたいな評価になるのかな。


456 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 08:36:46 0
>>455
政治面では宦官の跋扈があったが、文化面では文徴明や董其昌のような
士大夫、文人が活躍したというのもまた事実だし。

457 :世界@名無史さん:2006/09/12(火) 14:37:59 0
>>455
後漢末期には、太学の学生達による猛烈な反宦官運動が展開されて、
腐敗宦官が皆殺しにされたりもした。

458 :世界@名無史さん:2006/09/12(火) 15:30:44 0
>>455
正史は士大夫が書いているから、おのずと彼らの階級に都合の良い書物になってる。
近現代に外国人が見れば、官吏や地主の搾取の方が、庶民にとってはよほど深刻だったのだが。

459 :世界@名無史さん:2006/09/12(火) 19:26:31 0
ダ・クルスの中国誌は読む価値ありますかね?

460 :世界@名無史さん:2006/09/13(水) 08:39:42 0
>>454
皇帝が、全ての地域の実情に詳しかったとも思えないよね。
都市の外に出れば、無法地帯というか農村ごとに武装したボスや、匪賊の跋扈する世界。
今日の共産党支配下でも、大して変わっていないくらい。
随分ずれた裁決もしていただろうな。


461 :世界@名無史さん:2006/09/13(水) 08:43:09 0
>農村ごとに武装したボス

郷紳のことかね?

462 :世界@名無史さん:2006/09/15(金) 12:44:56 0
新スレ立てました。
【厨】中国板を強制ID制にしないか?【工作員】
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1158274729/l50

後で管理人に提出する予定です。

463 :世界@名無史さん:2006/09/15(金) 12:57:29 0
明代は王陽明を輩出したということで日本の幕末史にも、かなり影響は強いと思うんだけど、
世界史板の皆さんの陽明学の評価はどうでしょうか?

464 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 17:48:29 0
万暦の三大征キター!!

465 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 10:29:13 0
>>463
明の庶民文化の優れたもののうちの一つだし、まあ結構いいことも
いってるんだけど、ね。李卓吾とかはちょっとやりすぎかなあと。
あと端的にいっちゃうと王陽明の陽明学と日本陽明学は別モンかなあと
いうのが漏れの考え。王陽明みたいな豪傑くんが広めた豪快な思想が、
なんで日本に来るとあんなに説教くさくなるのか不思議でしょうがないね!
水滸伝の補筆者馮夢龍が陽明学者で、黒旋風李キが陽明学を体現した
人物だってことからも、明代陽明学の豪快さがわかると思う。
馮夢龍『王陽明靖乱録』なんてバリバリの演義小説なんだけど知名度低いし、
明代陽明学を紹介した島田虔次さんの本とか読まれてないよなあ。

特に安岡正篤のやつは漏れは陽明学とは認めたくない。あれは俗流朱子学。
「事上練磨(磨練の間違い)」とか、初歩的な用語の誤りも世間で
広まってるし、なんとかなんないのかと思うよ、うん。

466 :世界@名無史さん :2006/09/17(日) 16:32:05 0
>>465
この辺の中国思想って、素人には、わけわかんないですね。
「理」「気」「心」…ハァ
なんか、漢字漢文文化のせいで、字義が多義的になり、
混乱に拍車をかけている感じがする。

467 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 16:42:57 0
>>466
朱子学=観念論・大義名分論重視
陽明学=実学・考証重視

こんな風に捉えておけ。

468 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 22:48:39 0
明の滅亡時期のwiki書き換えられてるな。
末代が、家光に援軍を頼んだとか書かれてた辺り。
ホントかどうかは知らんが

469 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 01:40:22 0
南明の日本乞師は有名だろ。

470 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 20:08:48 0
その部がかき消されてるってこった。
前見たときはあったはずだが。

471 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 21:22:36 0
書き加えられたんじゃなくて消されたのか・・・。

節操無くローマにも乞師してたのにな。>南明
カトリックに改宗するから援兵キボンヌって。

472 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 21:54:38 0
そういや太祖がビザンティウムに即位の詔送ったりしてたな。

473 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 03:49:36 0
>>470
「冊封」のページにあったよ。


474 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 11:56:38 0
>>465
水滸伝の黒旋風李逵が陽明学を体現した人物として書かれたってのは初めて聞いた。
それって有名な話?

475 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 13:17:46 0
陽明学というか童心では。
誰が書いたのか知らないけど。

476 :世界@名無史さん:2006/09/23(土) 22:37:34 0
ホシュ

477 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 14:50:08 0
李逵は陽明学徒というより、アダルトチルドレンかサイコパスって感じだ

478 :世界@名無史さん:2006/09/24(日) 22:36:49 0
当時の士大夫は水滸伝のような通俗小説なぞ読んで
尚且つまともな研究対象としていたのか?
李卓吾はともかくとして

479 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 09:52:14 0
この世俗主義は同時期のルネサンス期のヨーロッパと似ているな。

480 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 10:01:09 0
陳友諒の部下に黒旋風ってのが実際にいたらしいですね。

481 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 11:44:16 0
正徳帝の生涯を映画化してもらいたいな。
ある意味、康煕帝以上の最高傑作になりそうな予感。
感じとしては中国版カリギュラか。

482 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 18:40:19 0
正徳帝を描くとなると性的描写は避けられんが
今の中共では無理だろう。豹房での乱痴気騒ぎとか
人妻強姦とか変態そのもの。

483 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 20:03:44 0
ストーリー軽視のエログロ路線でいくとしたら
最大の見せ場は劉瑾の凌遅三千刀の場面か。

484 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 20:10:51 0
正徳帝はルックスもイケメンでつか?

485 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 20:34:37 0
>正徳帝

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%BE%B3%E5%B8%9D

父の弘治帝は端正な容貌なのに、正徳帝は顔で品性の下劣さがにじみ出てる。


486 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 20:43:10 0
ふむ。
サル顔の秀吉を多少きれいにした感じだな。

487 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 20:56:51 0
正徳帝の時代に皇族の反乱が二件も起きている。
うち一件は王陽明が鎮圧した。
靖難の役の再来を密かに望む中央官僚もいたかもしれない。

488 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 21:17:43 0
>>485 洪武帝の顔の遺伝子が出現したのだろうか。

489 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 22:30:57 0
>>485
好みの問題だろう。

490 :世界@名無史さん:2006/09/28(木) 11:22:31 0
もし正徳帝が万暦帝並に長生きしてたら、明はどうなってたのであろうか・・・

491 :世界@名無史さん:2006/09/28(木) 14:12:09 0
>>490
劉瑾か、他の側近(宦官も含む)が帝位簒奪した可能性高し。
或いは>>487の言う様な地方皇族の反乱が多発して
皇統が別の王家に移ったかもしれない。

492 :世界@名無史さん:2006/09/28(木) 20:41:12 0
>>491
皇族らの反乱による混乱を狙って、アルタン・ハーンが
一気に北京を殲滅して明を制してた可能性も高い。

493 :世界@名無史さん:2006/09/28(木) 20:45:48 0
軍事オタの正徳帝ならモンゴル親征をやりかねないな。
そして土木の変の二の舞。

歴史は繰り返す・・・

494 :世界@名無史さん :2006/09/29(金) 00:37:38 0
正徳帝の「好色」の内容については、確たることはわからんそうだ。
ま、後宮内部のことだしな。
次の嘉靖帝もひけをとらず、8〜14歳の少女を選抜して、後宮の奴婢にしたとか。
天下泰平だな。

495 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 08:37:06 0
>>492
明代の蒙古って野戦には強そうだが
城市を落とす能力あったのかなあ?

496 :世界@名無史さん :2006/09/29(金) 12:30:48 0
正徳帝って、子供いないんだよね。
あれほど女狂いしたのに、実は不能だったとか。

497 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 14:49:52 0
>>480
それって、朱元璋配下の黒将軍、黒先鋒とか呼ばれていた花雲の間違いじゃないか?
陳友諒配下で異名を持っている武将は、双刀趙(趙普勝)と溌張(張必先)ぐらいしかいないだろ?

498 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 19:45:06 0
>>497
たしか中山八郎って人の本に書いてあった。
そのうち調べてくる。

499 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 21:05:27 0
嘉靖帝を暗殺しそこねた宮女達は、やはり凌遅で処刑されたのでありましょうか?

500 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 21:43:43 0
>>499

凌遅ではなく磔刑だったと思う。
宮中で処刑、晒し者にされて遺骸を朝鮮の使者が目撃していたはず。

501 :世界@名無史さん:2006/10/02(月) 18:19:15 0
>>494
嘉靖帝が幼女を後宮に入れたのは当時、珍重されていた薬『紅鉛丸』の
材料に幼女の生理中の血が必要だったから。
この薬は精力増強や長寿の秘薬として流行したが
過度の服用で早死にした人も居た(例・張居正)

>>499
皇帝暗殺は大逆罪だから凌遅だった筈。
連座して死刑になった宮女も百人を越え、その屍骸は>>500の言う様に
晒されて朝鮮の使者が目撃していて記録に残している。
詳細については下記の本を参考に。
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4198914028/sr=1-1/qid=1159780678/ref=sr_1_1/250-6809547-5226632?ie=UTF8&s=books

502 :世界@名無史さん:2006/10/02(月) 21:11:04 0
>>497
中山八郎「陳友諒の第一回南京攻撃」より

更に実録の既掲の文の続きには、勝に乗じた明軍が采石に至ったところ、陳友諒と
その将の張定辺とは、黒旋風と号する者の率いる皀旗軍を出して迎戦し、叉敗れたため、
陳は昼夜息むを得ず、遂に余兵を収め、太平を棄て、遁れ去ったと伝えて居り、罪惟録
にも陳軍中に皀旗なるものがあって、最も驍健であったが、尽く明軍に披靡して水に
投じたとある。記事録の前掲の記事の末尾に見えている僉院黒張とは恐らく実録に
謂う所の黒旋風のことで、その率いる皀旗軍というのは、曾て明太祖に調されて趙普勝の
討伐に差遣され、却って趙普勝のために擒えられ、趙の凋落後陳友諒の麾下に隷した
もので、恐らくもと地方の地主が組織した自衛の民兵から転化した雑軍であろう。

503 :497:2006/10/03(火) 00:38:42 0
>>502
へ〜、そんなのがいたんだ。
それにしても、元末に関する論文は大抵目を通していた気になっていたけど、それはまだ未読でした。
できれば出典を教えてくれませんか?

504 :世界@名無史さん:2006/10/03(火) 01:17:47 0
紅鉛丸は実際のところ効くものでしょうか。迷信の塊みたいで飲みたくないですよ。

505 :世界@名無史さん :2006/10/03(火) 08:20:54 0
>>501
長寿薬ってロクなのないな。
唐代の諸皇帝も、「不老長寿」のためと称して、有毒な金丹薬を服用、
かえって寿命縮めたとか。

506 :世界@名無史さん:2006/10/03(火) 08:26:32 0
>出典

載ってる本ってことですよね?
自分が読んだのは中山八郎「明清史論集」(汲古書院、1995)

507 :497:2006/10/03(火) 14:14:41 0
>>506
サンクス、今度図書館で探してきます。

508 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 07:32:46 0
hosyu

509 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 08:48:14 0
明帝国は、自分がほろぼしたモンゴル皇帝の娘を、売春婦におとし子孫代々ずっと
男に体を売らせる奴隷身分におとした。

国家公認の、官営の売春宿である。お相手するのは本物の王女様。
中国人がよろこんで利用したのいうまでもない。
客に種付けされモンゴル王女に娘ができると、また売春婦となる。そしてその子も・・・

モンゴル王女を売春婦に落とすことで、民衆に古いモンゴルへの軽蔑をうえつけ
新しい明帝国の権力をしめしたのである。これが中国人のやりかただ。

某新聞の望むように日本が中国様の支配下になったら、どうなるか想像できるね。

510 :世界@名無史さん:2006/10/13(金) 23:25:37 0
>>509
ソース

511 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 10:42:26 0
509じゃないが世界史板で似たような話を何度か目にした。

512 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 13:06:32 0
ここが世界史板だ

513 :世界@名無史さん:2006/10/15(日) 17:03:46 0
>512
? たしかにそうだが?

514 :世界@名無史さん:2006/10/16(月) 20:30:26 0
明代に旧モンゴル貴族の女性を官妓としていたのは事実。
ソースは清史稿の太宗本紀。

ある漢人官僚が太宗に漢人の女性を奴隷とするのは辞めて欲しいと上奏したら
太宗が「明は蒙古や我等(女真族)の先祖を官妓としていたではないか!」と激怒。
その官僚は清に仕えながら明に心を寄せているとの罪状で処罰された。

515 :世界@名無史さん:2006/10/16(月) 23:23:51 O
秦・漢・晋・隋・唐・宋 全て地名をもとにしてますが、
新・元・明・清は雅称ですよね?

516 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 00:07:52 0
新は雅称だったっけ?
何か地名があったような気もする。

元以降は確かに雅称。

話は変わるけど南明では弘光帝から最後の永暦帝まで皇帝は皆殺されているが
彼等の最期の言葉や辞世の詩は残っていないのだろうか。

517 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 00:10:59 0
大元=天(易に由来)
大明=太陽
大清=天
ということだったはず。

518 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 00:15:27 0
>>516
新は新都侯に由来するらしい。

519 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 02:54:34 0
ああ!
陛下の頭のごとく光り輝く大明帝国でありまする!

520 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 03:54:59 0
>>519
待て、スレを間違えとるwww

521 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 05:52:46 0
「金」が無視されとるがな。

宋(木)→金(金)→元(土)→明(火)→清(水)
→民国(木?)→人民共和国(金?)

522 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 08:43:24 0
>>514
>>509のコピペとの関係が分かるようで分からぬので
もっと詳しく紹介してください。

523 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 15:03:27 0
>>522
「明はモンゴルの王族を売春婦にしたよ」(>>509
 ↓
「ソースは?」
 ↓
「清の時代に『明はやってた』って言った、という記録があるよ」(>>514


524 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 20:45:21 0
>>523
いや、そうじゃなくてその官妓となった蒙古人や女真人について、
誰がどういう状況で官妓になったのかもう少しはっきりしないと
>>509のソースとしていいのかどうか判断がつかないんですが。

525 :世界@名無史さん:2006/10/20(金) 09:26:13 0
>>521
国名の由来についてのコメントか?
だとすると何故五行か?



526 :世界@名無史さん:2006/10/20(金) 09:30:39 0
元以降は五行関係ないとか杉山正明が書いてたような

527 :世界@名無史さん:2006/10/20(金) 18:24:21 0
杉山はモンゴルについて語ってりゃいい。

528 :世界@名無史さん:2006/10/20(金) 19:43:45 0
女真→満洲 金(後金)→清
なんでサンズイの文字を三つも揃えて改名したんだろうね?

杉山氏が言っていたのは、「五行」じゃなくて「地名」じゃね?

529 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 02:43:33 0


中国英雄板(仮)
http://hobby8.2ch.net/chinahero/


530 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 12:47:42 O
明が南海への遠征を続けたとして、西洋のようになれただろうか。

531 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 13:14:40 0
>>530
予算が足りなくてどの道続けられなかったとか

というかガープスのサプリにあった歴史改変ものでそういうシナリオが実際にあるけど

532 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 21:04:53 0
正徳帝が水難による病で死なずに寧波の乱まで生きてたら
マジで日本征伐を実行しようとしたかも。
で、取り巻きが日本は美女だらけでお宝に満ち溢れてるなどと煽てたら
親征軍を率いて自ら日本乗り込みを企んだ可能性大・・・。

533 :世界@名無史さん:2006/10/24(火) 21:06:54 0
でも当時の日本は戦国に突入していたんだっけ?
朝鮮の役の際、明は日本にボロ負けだったから、たぶん成功しなかっただろう。


534 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 10:14:39 0
朱元璋ですら南朝の懐良親王に挑発されても遠征できなかったというのに

史上日本に艦隊を送ってきた王朝が唐・元・清であることからわかるように
まずモンゴルをどうにかしてないと日本に遠征する余裕なんてないんだと思うが

535 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 12:58:14 0
え?清が艦隊を送ってきた?
と一瞬思ったが、日清戦争のことだったのね。

536 :世界@名無史さん:2006/10/25(水) 16:13:03 0
>>474
島田虔次『中国に於ける近代思惟の挫折』に出てる説で、
宋江を朱子学的、李キを陽明学的だとしているね、島田さんは。

まあ、李キ=「梁山泊第一の活仏」と言い出した李卓吾末流の金人瑞とかの
説を受け継いでいるんだろうと思う。

537 :世界@名無史さん:2006/10/28(土) 20:43:52 0
>>533
その当時の東アジアはヨーロッパ人の来航が始まった時期でもあるな。

538 :世界@名無史さん:2006/10/30(月) 09:44:12 0
>>537
明代というと、海を通じての外国との接触ばかりが強調されているような
感があるが、陸上交通での接触はどうだったんだろう。

539 :世界@名無史さん:2006/10/30(月) 13:38:12 O
>>516新は新野より

540 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 20:07:22 0
>>538
陸上交易というと、モンゴルの動向や満洲族の台頭が挙げられるが、
明代の西域との交流はどうだったんだろう。

541 :世界@名無史さん:2006/11/02(木) 20:21:54 0
折角蒙古が作り上げた、交通路や金融制度(為替のようなもの)を、阿呆蛮族になり下がった
漢人が破壊してしまった。
甘粛や陜西で西域と接触のあった一部の先進的な人は文化に惚れて回教徒になった。(回族の祖先)

542 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 20:40:51 0
>>540
オスマン帝国のルーミー銃(魯密銃)が西域を通じて明にも伝わっている。

543 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 22:24:46 0
>>133の本では「仏朗機」の語源はイタリア語で
インドを経由して伝わったとか書いてた。

544 :世界@名無史さん:2006/11/04(土) 10:38:32 0
西南シルクロードについて
上田信がなんか書いてたなぁ。
題名は忘れた。ご存じの方お願いします。

545 :世界@名無史さん:2006/11/04(土) 11:22:55 0
>>540
明代の西域に関する記録としては、15世紀末に許進によって著された『平番始末』がある。
甘粛巡撫であった許進はハミを攻略したトゥルファンのスルタン、アフマドを撃退して、
この書物をつくった。

546 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 09:54:55 0
>>540
イエズス会の宣教師、ゴーエシュがインドからシルクロードを通って
明の粛州にまで至っている。ゴーエシュ自身の手によるシルクロードについての
記録は残っていないが、北京にたどりついた彼の従者が、彼の見聞を
マテオ=リッチに話したので、リッチの報告書には書かれている。

547 :世界@名無史さん:2006/11/07(火) 16:08:47 0
>>546
なんでゴーエシュはインドから陸路で中国まで行ったの?
その当時なら海路でも行けたはずだが。

548 :世界@名無史さん:2006/11/07(火) 21:12:00 0
そういやThe Rise of Islam and the Bengal Frontierって本に
ベンガルで明の使節が書き残した文章、ってのが引用されてた気がした

549 :世界@名無史さん:2006/11/08(水) 19:11:42 0
>>547
中国に行くための別のルートを開拓するため。
また彼は、ローマ教皇庁から、キタイとシナは同一なのかどうか
調査するように言われていた。

550 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 19:43:51 0
オルテリウスの世界地図には、シナとキタイという地名が書かれているって、
なんかの本で読んだことがあったな。

551 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 19:53:55 0
ローマとラテンは同じなのかどうか
 とか
フランクとヨーロッパは同じなのかどうか
 とか
というくらい、意味の乏しい調査だな

552 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 20:47:33 0
>>550
シナとキタイの二つが描かれた地図の写真(?)ならネットか本で見た記憶があるよ。

553 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 01:33:46 0
見たことないけどキタイが華北でシナが江南だと予想してみる。

554 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 01:54:31 0
>>550
>>552
漢族と契丹族の支配領域を示した地図なんじゃないの?

555 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 09:01:05 0
>>554
「シナ」は海路を通じて英語やフランス語などに取り入れられた語で、
「キタイ」は陸路を通じてアラビア語やペルシア語、スラヴ語などに
取り入れられた語じゃなかったっけ?

556 :554:2006/11/13(月) 00:43:00 0
>>555
その説は知りませんでした。ありがとうございます。
香港のCathey Pacific Airlinesは借用語なんですかね?

557 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 13:13:07 0
シナ、キタイのほかに中国のことを指す語は他に何かあったっけ?

558 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 19:01:01 0
タタール

559 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 19:07:44 0
セリカ

560 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 19:17:12 O
チャンコロ

561 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 23:33:23 0
>>557
漢(Han)・唐(Tang)は漢字文化圏でしか通用しないかな?

562 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 09:15:22 0
明の末期の崇禎15(1642)年四月、かつて北宋の都として栄えた開封の街が、李自成率いる
反乱軍に包囲された、以後城内の百万もの人間は、貴賎問わず飢餓地獄に叩き落されていくのである。

包囲されて数ヶ月のちの八月下旬にはついに穀物の備蓄が尽き、人々はドブの糸ミミズを掬い上げ、
葱とともに炒めて食った。味は魚に似ていたという。一斤800銭で売られ、のちには三千銭に高騰した。
屋根の上のれんげ草も食料として売られ、最初200銭、後に1100銭。溝の水草も食った。
肥やし用の人糞に湧いた蛆も食い、それが尽きると粘土や馬糞を炒め、無理やり水で飲み下した。
これらが尽きるとついに人間に手を出す。大人数で哀れな一人を追い込んで捕まえて喰らう。
敵の捕虜を切り刻んで城壁からばら撒くと、兵士も民も競って肉片を拾った。
九月はじめになると、身内同士でも喰らいあった。父は子を、夫は妻を、兄は弟を喰らう畜生道。
金持ちは守備兵に財産をすべて没収された挙句、皆殺しにされていた。このころには人肉以外の食料は
完全に尽き、肉をそぎ落とされた白骨が城内に散乱している。ボロをまとい垢まみれ、幽鬼の如く瘠せた
生き残りが、白骨を打ち割り、骨髄までもすすって生きながらえていた。

9月18日、ついに開封の街は陥落した。かつての人口は100万人。戦が始まると新たに城外から2万人逃げ込んできて、
やがて城壁の内部のほとんどが餓死戦死、そして食われた。生きて城外に出られたのは1万人のみだった。
街の中心には明王室の宗室の宮殿があり、兵士や女官が1万人いたが、このうち生き残れたのは200人のみだった。

数ヶ月の篭城戦で、100万人が死に絶えたのである。


563 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 18:30:34 0
>>540
明代には、西方から七宝の技法が伝わってきて、景泰藍という七宝が
中国で作られるようになったのだが、ここでいう西方って、
どこの国のことなのかな?

564 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 18:49:48 0
>>535
新造艦をみせびらかしに、日本に表敬交流を申し入れ、受け入れられてきたものの、
長崎の女郎屋で乱痴気騒ぎを起こして追い出され、呉軍港に訪問したときには艦砲に
洗濯物(股引)が干してあって、軍規の低さを見た日本に日清戦争を決断させたという。

日清戦争では、日本の支配地には攻め込まれていないよ。

565 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 21:07:27 0
 明代の皇帝・大臣・豪商・豪族は大変ぜいたくな生活を送り、淫らに婦女を弄び、退廃的な者が非常に多かった。

 明の憲宗朱見深は万貴妃を寵愛し、房中術を習い、大臣・道士・僧侶たちが競って房中の秘方を献上すると、よく信任した。
明の武宗朱厚照は特に荒れすさみ、宦官の劉瑾に俳優や音楽・女色を集めさせ、宮中での遊戯には度がなかった。彼は西方
の異民族の僧に房中術を習い、のちには淫薬を服用し、一日に十数人の婦女と遊んだ。明の世宗は道教を信奉し、道教の方
術を性交の技法の助けとして用いた。

 当時の社会的に淫らな気風は、房中術の研究や発展を促進しただけでなく、道教の外丹術や内丹術にも影響を及ぼした。明
代の道教の金丹術は主に紅鉛や秋石を作ることへ変わった。紅鉛は少女の最初の月経を清水にさらし、丹砂・没薬・童便など
を加えて錬成したものである。秋石は童便から精製した男性ホルモンの結晶体である。そのほかにも道教の内丹術が房中術と
結び付き、陰から採って陽を補い、少女を外鼎として丹を結ぶという閨丹という方法も作り出され、泥水丹法とも呼ばれた。

 性行為の楽しみを増すことができ、寿命を延ばすこともできるとなれば、世の人々がその方法を用いないわけがない。だから、
明代の裕福なちょっとした有力者は、道教で処方する薬によって陽を助けて淫らな行為を行った。皇帝の場合はなおさらである。
明の世宗は紅鉛を好んだだけでなく、秋石も用い、陶仲文や朝廷内の大臣・道士はたびたびこれを献上した。嘉靖31年(1552年)
の冬には、8歳から14歳の300人の処女を首都に集め、嘉靖34年(1555年)の秋にも10歳以下の160人の処女を首都に集めた。
前者は皇帝が閨丹を実習するための外鼎として用い、後者は薬を煉り紅鉛を作るために用いた。当時の人は龍涎香もよく献上し
た。香を嗅いで心を動せば、エクスタシーを助長できると考えられた。明の時代に《金瓶梅》・《肉蒲団》などの小説が世に出たこと
は、もっともなことである。


566 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 22:22:00 0
どこの文章?

567 :世界@名無史さん:2006/11/16(木) 03:47:49 0
朱氏ってなんでこんなに基地外が多いのか
マジでなんかの精神病でも患っている一族なのか?
他の皇帝家みてもここまで狂っている一族いないような・・・・

568 :世界@名無史さん:2006/11/17(金) 21:14:24 0
超巨星・朱元璋の子孫と思えば「なんじゃこりゃ?」と思うかも知れんが、
「蒙古の奴隷の子孫」と思えば「こんなもんじゃね」と思えるかも知れん。

569 :世界@名無史さん:2006/11/17(金) 22:25:13 0
>>565にはとりあげられてないが明の皇族で殺人快楽症だった基地外がいたはずだが
名前思い出せない

570 :世界@名無史さん:2006/11/17(金) 23:17:56 0
明代の歴史についての蝋人形館 その2
http://blog.goo.ne.jp/peking_2005/e/2e4930c4d81101418a39c24fbbee9678

571 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 22:35:56 0
>>569
太祖の五男周王の子で新安王に封じられた朱有熹のことか?
人肉が大好物で王府を通りかかる一般人を片っ端から捕らえては
食用にしていた人物。

572 :世界@名無史さん:2006/11/19(日) 22:47:06 0
朱元璋苦難スレでAA付きで解説があったなあ。

573 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 00:06:15 0
>>571
ものすごい基地外だな
その人物の末路はどーなったの?

574 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 00:08:45 0
ぐぐったら書いてた
http://b5.chinanews.sina.com/bbs/text/20/2006/0817/3556.html

明太祖朱元璋的第五子周定王朱□的兒子朱有熹,他有活吃人的嗜好,
最愛生吃人的肝、膽和腦汁。?天天K后,他看見有人經過他所居住的王府旁邊,
就命令手下人把他們引誘到府中殺死,供他食用。后來,人們都不敢從他的府邸前后經過。
像朱有熹這樣的帝室貴胄,竟然如此歿暴,其下的凶官悍將的吃人行為也就不足為奇了。


575 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 00:18:07 0
宣徳年間に王位を廃されて庶人に落とされた事までしか記述がない。
恐らく食った人の親類縁者に復讐されて殺されたのだろうな。

576 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 00:26:26 0
朱瞻基「しゅせんき」 (1399-1435):明朝五代目皇帝、宣徳帝(宣宗)。
永楽帝の孫。朱高熾(明朝四代目皇帝、洪煕帝、仁宗)の嫡男。
祖父、永楽帝の親征に従い、意見具申が容れられたこともあり、永楽帝の評価は高かった。
病弱な朱高熾が永楽帝の後継者たり得たのは、この朱瞻基の存在によるところが大きいと言われている。
わずか在位一年で父、洪煕帝が死ぬと、皇帝に即位する。
即位直後、叔父、朱高煦(漢王)が反乱を起こすが、親征し即座にこれを鎮圧した。
洪熙帝が進めていた南京遷都を取り止め、首都を北京から動かさなかった。
また、鄭和艦隊の派遣を再開するなど、政治路線は永楽帝のそれに近かったようである。
曽祖父、祖父のDNAを強く受け継いだためか、
叔父、漢王を銅缸に閉じ込め焼き殺すなど、果断ではあるが非常に残忍な性癖を持つ。

577 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 02:26:29 0
>>568
中国史なんて、遊牧民の王朝と漢人の王朝とが交互にあって、
遊牧民系の王朝のときには社会制度も技術・文化も発展し、
漢人の王朝のときに衰退するということの繰り返しだし。


578 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 03:19:22 0
宋は文化面でも優れていたと思うけどね。外交は背信の連続だが。

579 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 04:01:18 0
外交が下手なのは中華王朝の伝統でしょ。
清のアヘン戦争まで、まともな外交などなかった。

580 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 09:25:56 0
>>577
そんなことが早稲田の過去問にも書いてあったのを見たことがある。
そこでは、宋・明代は、次の元・清代の準備期間だとかなんとかって
ことで共通している、とあった。

581 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 11:15:35 0
岡田英弘っぽい説だな

遊牧民の王朝と漢人の王朝とが交互にあって、
遊牧民系の王朝のときには社会制度も技術・文化も発展し、
漢人の王朝のときに衰退するということの繰り返しだし。


582 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 12:31:23 0
>>576
漢王は宣徳帝から帝位を簒奪しようとして
クーデター起こしたんだから、前近代中国において
この見せしめとしての処刑は当然の処理だと思うが。

583 :世界@名無史さん:2006/11/20(月) 22:04:44 0
朱元璋は遺言書に朝鮮人の危険性を語り日本に攻めてはいけないと述べてる
やはり戦略家としては一流と思うね

584 :世界@名無史さん:2006/11/21(火) 02:21:02 0
というかモンゴルと対峙してる状態で普通に無理>朝鮮や日本

585 :世界@名無史さん:2006/11/21(火) 22:21:33 0
宋は唐の遺産を、明は元の遺産を、清は前期の遊牧王朝色の強い時代に築き上げたものを
後期が、それぞれ食いつぶしたものだ。
宋が優れているように見えるのは、何百年も通用する文化を持った隋・唐が偉大だったからだ。

586 :世界@名無史さん:2006/11/22(水) 10:11:18 O
五代十国面白いんだけど
宋は唐の影響?

587 :世界@名無史さん:2006/11/22(水) 20:55:51 0
五代十国は混乱期だし。

588 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 02:16:47 0
>>584
常識的に考えればモンゴルの危険を語りながら死んでいくと思うが
朝鮮人の危険性を語りながら死んでいく朱元璋すげー

589 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 09:08:33 0
>>588
当時の明にとって高麗・朝鮮が軍事的に脅威だった訳ではない。
単に侵攻する際のコストの問題だと思われる。

590 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 12:59:08 0
北元と高麗が連携していた頃は巻き返しの目もあったと思う。
反乱起こって李氏が政権握ってから半島が安定化したものの、
李成桂が謀反起こさず増援任務果たしていればだいぶちがったんじゃね?



591 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 15:29:40 0
>>589
朝鮮半島に攻めるのではなく
朝鮮人がいかに危険かを語ってるんだけど

592 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 15:51:51 0
>>591
詳しく

593 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 21:32:41 0
>>590
満州を押さえてたナハチュがあっけなく明に降伏してるし・・・

594 :世界@名無史さん:2006/11/25(土) 05:32:40 0
wiki見てきたけど、明朝ってクズ皇帝の連続じゃん。
暗愚とかいうレベルじゃなくて、既知外ばかりって感じだ。
よく何百年も国を保てたな。そっちの方がすげぇよ。

595 :世界@名無史さん:2006/11/25(土) 11:01:18 0
誰が皇帝やっても大丈夫だという明朝の国家システム。
皇帝の質に左右されないという安定感。すごいぞ。
皇帝なんてその国家システムの一機関だということだな。

596 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 10:01:58 0
張居正と李成梁の関係ってどんな感じだったんですか?
戚継光みたいに様々なサポートを受けていたんでしょうか。

597 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 18:29:06 0
>>596
戚継光はどんなサポートを受けていたの?

598 :世界@名無史さん:2006/12/05(火) 09:57:23 0
【韓国】<コラム>東亜論説委員「韓国の独立は『文化国力』で守られた」[04/15]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1113702153/
韓国が長い間独立国家で暮して来たことは本当にすごい事だ。中国はアジアの盟主として
韓国を征服する機会が何回もあったはずで、そのための力も持っていたが、どうして韓国を
完全に占領しなかったのか知りたい。歴史的に中国は韓国から「兄事」を受ける地位に満足した。
明を建国した朱元璋が後代に残した遺訓は、その解答の糸口を提供する。太祖は周辺国の
中16カ国におろそかに触れてはいけないと遺言を残したが一番目にで指折った国が高麗、
二番目がベトナムだった。「高麗人は刺刺しくて面従腹背」と言うのが理由だった。 唐は
韓国を侵略してから撤退した後、王朝が崩れて王が死亡するひどい目にあった事がある。
中国は韓国を負担に思って征服をあきらめたのだ。
中国が韓国を甘く見られなくした底力は何だろう。やっぱり私たちの文化的自負心だ。(中略)
韓国が世界2位の経済大国日本に対して持つ認識の中には文化的優越感が一席を占める
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1113702153/l50


>「高麗人は刺刺しくて面従腹背」
さすが朱元璋


599 :世界@名無史さん:2006/12/06(水) 20:28:13 0
>>597
戚継光は、倭寇問題が一段落したあと、北辺の防衛に当らせられている。

600 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 19:45:46 0
600ゲット

601 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 19:50:43 0
え……韓国が独立を保っていたって? いつ?

602 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 19:56:22 0
史料に書いてあるんだが。

603 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 21:35:37 0
>>601
とりあえず、西暦でいうと1948年〜2006年の現在まで。

604 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 14:22:52 0
『坤輿万国全図』にも、「属国」とある朝鮮。

605 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 22:08:36 0
今日、『世界ふしぎ発見』で上海が取り上げられていたけど、
徐光啓の故郷・徐家淮が出ていなかったのが残念だったな。

606 :世界@名無史さん:2006/12/10(日) 09:25:11 0
>>597
管轄軍区に予算を重点的に割り当てたり
文官・武官の反対者をよそへ転任させたり

607 :世界@名無史さん:2006/12/14(木) 21:14:37 0
>>596
李成梁は罷免されたけど、そのあとまた復帰してなかったけ?

608 :世界@名無史さん:2006/12/16(土) 18:44:57 0
>>606
李成梁など辺境の軍人は、その資金を恣意的に使っていたんだよな。

609 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 13:34:22 0
age

610 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 17:10:22 0
すまんが質問させてくれ。
一条鞭法の「鞭法」てどういう意味?

611 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 18:36:48 0
>>610
「鞭」は、簡便の「便」だったと思う。

612 :610:2006/12/25(月) 00:07:01 0
高校の教科書だと「鞭(ムチ)」になってる。
ちなみに「便法」だとどういう意味?

613 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 12:29:36 0
 

614 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 19:25:27 0
>>610
「鞭」という字が用いられているのは、ただ単に音が似ているからというだけ。

「一条」は、「(土地税、丁税をはじめとするもろもろの税を)一括して銀で
納入する」という意味で、「鞭(便)法」は「簡便な(納税)法」という意味
になるんじゃないか?

615 :610:2006/12/25(月) 20:22:35 0
>>611
>>614
ありがとうございました。

616 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 11:00:39 0
>>594
最後の方になると、完全無学の文盲が皇帝になる始末。
しかも、そのアホ皇帝を手中に収めて権勢を振るった奴も無学の文盲。
これって中国史上なみならず世界史上の負の大快挙と言ってもいい。

617 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 21:24:32 0
>>616
皇帝がダメだからって、暗黒時代だのなんだのって決め付けるのもよくない。

皇帝がダメなのは周知のことなんだし、もっと他のことについて語ろう。

618 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 21:28:44 0
じゃ明の文化人でも語ろうか。
まずは唐寅。

619 :世界@名無史さん:2006/12/29(金) 09:25:02 0
徐光啓

620 :世界@名無史さん:2007/01/04(木) 04:01:52 0
実際暗黒時代だろう。
陽明学なんてのも危機の時代に生まれた取扱危険思想ととらえたほうがわかりやすい

621 :世界@名無史さん:2007/01/05(金) 05:12:10 0
>>620
日本では革命の思想として捉えられることの多い陽明学だが(実際はそういう学問ではない)、
王陽明は宦官の腐敗や異民族の反乱も、明という国家としての正当な手順を踏んでいるし、この時点でも取り扱い危険思想と思われていたんだろうか?
腐敗宦官や朱子学派には疎まれていただろうけど。

622 :世界@名無史さん:2007/01/05(金) 05:16:15 0
訂正
>王陽明は宦官の腐敗や異民族の反乱も、明という国家としての正当な手順を踏んでいるし

王陽明は宦官の腐敗や異民族の反乱も、明という国家としての正当な手順を踏んで批判、鎮圧しているし

623 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 01:05:15 0
>>622
山賊や皇族の反乱を鎮圧したのは前にちらっと読んだけど
少数民族とも戦ってたの? 苗族とか?

624 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 14:46:06 0
>>623
広西の瑤(ヤオ)族の反乱でしょうね。
ちなみに王陽明はこの乱を平定した帰途に没してます。

625 :世界@名無史さん:2007/01/12(金) 22:34:04 0
>>615

中国には「泰山流双条鞭(二本の鞭を操る)」や「泰山流千条鞭(千本の鞭を操る)」と
いった武道の流派があるので、一条鞭法というのは「税の納入方法を一本の
鞭のように統一する」という意味じゃないか? 俺は十年以上前から そう解釈してたけど・・・
(半分 ギャグも入っているが 結論は大真面目だ)

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