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中世以前の東南アジア

1 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 18:36:57 0
琉球とかチャンパーとかシュリーヴィジャヤとか。
なんとなくエキゾチック。

2 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 19:34:54 0
とりあえずガジャ・マダ最強といっておく

3 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 19:43:55 0
マンコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

4 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 19:50:05 0
ガジャ・マダといえばパラパだが、
結局パラパって何なのよ

5 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 20:06:52 0
なんかの果物だとか、セクースの秘儀だとか、名誉を称える顕彰式だとか、諸説紛々

6 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 22:48:32 0
マンコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

7 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:35:55 0
義浄の南海寄帰内法伝の邦訳が一万円で売っているそうです。

8 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:42:35 0
まんこっこっお

9 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:50:17 0
フィリピン史はマゼラン以前の記録というとどれほどあるんでしょうか。
漢籍に時おり登場するか、あとはスールー経由でイスラムの文書が残っているのかな。

10 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:50:50 0
コーーーーーマン

11 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 02:14:55 0
インドネシアってスンダランドとサフルランドのどっちに入るんだっけ。

12 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 10:36:39 0
おおよそ、ウォーレス線を境に西側がスンダランド、東側がサフルランド、だったかな。

13 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 18:10:51 0
すまん。ウォーレス線がどの辺りだか忘れてしまったocn

14 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 23:03:07 0
まんちっち

15 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 02:02:33 0
モルッカ諸島のあたりの海峡を南北に走ってるんだっけか <ウォーレス線

オセアニアとアジアの境界でもあるんだったな。

16 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 17:40:21 0
>オセアニアとアジアの境界でもあるんだったな。
へぇ、知らんかった。

17 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 12:59:11 0
琉球は東南アジアと交易していたっていうけど本当か?
どの本を見ても日本や中国との関係ばかりで
東南アジアについては一言も触れられていないんだが

18 :トメ・ピレス『東方諸国記』より 1/2:2005/08/21(日) 14:54:16 0
レケオ〔琉球〕人はゴーレスと呼ぱれる。かれらはこれらの名前のどちらかで
知られているが、レキオ〔レケオに同じ〕人というのが主な名前である。国王と
すべての人民は異教徒である。国王はシナ(中国)の国王の臣下で、〔彼に〕
朝貢している。彼の島は大きく、人口が多い。かれらは独特の形の小船を
持っている。またジュンコ(ジャンク型の船)は3、4隻持っているが、かれらは
たえずそれをシナから買い入れている。かれらはそれ以外は船を持っていない。

かれらはシナとマラカ(マラッカ)で取引を行なう。しばしぱ彼らはシナ人と
いっしょに取引をし、またしばしば自分自身でシナのフォケン〔福建〕の港で
取引をする。それはシナ本土にあり、カントン〔広東〕に近く、そこから一昼夜の
航海のところにある。マラヨ(マレー)人はマラカの人々に対し、ポルトガル人と
レキオ〔琉球〕人との間には何の相違もないが、ポルトガル人は婦人を買い、
レキオ人はそれをしないだけであると語っている。

19 :トメ・ピレス『東方諸国記』より 2/2:2005/08/21(日) 14:54:38 0
レキオ人は、かれらの土地には小麦と米と独特の酒と肉とを持っているだけで
ある。魚はたいへん豊富である。……(中略)……われわれの諸王国でミラン
〔ミラノ〕について語るように、シナ人やその他のすべての国民はレキオ人に
ついて語る。かれらは正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全世界と
ひきかえでも自分たちの同胞を売るようなことはしない。かれらはこれについて
は死を賭ける。かれらは色の白い人々で、シナ人よりも良い服装をしており、
気位が高い。かれらはシナに渡航して、マラカからシナへ来た商品を持ち帰る。
かれらはジャポン〔日本〕へ赴く。それは海路7、8日の航程のところにある島
である。かれらはそこでこの島にある黄金と銅とを商品と交換に買い入れる。
レキオ人は自分の商品を自由に掛け売りする。そして代金を受け取る際に、
もし人々がかれらを欺いたとしたら、かれらは剣を手にして代金を取り立てる

生田滋・加藤栄一・長岡新治郎訳
『大航海時代叢書』Vより

20 :『歴代宝案』より:2005/08/21(日) 15:01:47 0
右,暹羅国に咨す

為照するに,本國は貢物稀少なり。今,正使實達魯等を遣わし,勝字号海船
一隻に坐駕し,磁器等の物を装載し,貴國の出産の地面に前到して,胡椒,
蘇木等の貨を収買し,回國して應用せしむるの除外(ほか),専ら礼物を備え,
詣前し奉献して少しく達意を伸ぶ。仍お希(ねが)わくは海納せよ。煩(ねが)
わくは四海一家を念(おも)い,貿易を従容し,早(すみ)やかに発するを
為さんことを。風迅に*かん(*「そうにょう」に「旱」の字です)*趁(*正しくは
「そうにょう」に「弥」の「ゆみへん」をとった字)して回國すれば便益ならん。
今,礼物の数目を将(もっ)て後に開坐す。須らく咨に至るべき者なり。今,
奉献の礼物を開(しる)し,後に開坐す。
織金段五匹,素段貳拾匹,硫黄三千庁,今報ず貳阡五伯斤正,腰刀五柄,
摺紙扇三十把,大青盤貳拾箇,小青盤四伯箇,小青碗貳千箇。

宣徳貳年(1427)九月十七日

※琉球王府がシャムに送った外交文書

21 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 03:16:09 0
>>18
わざわざどうも。
独特の形の小船というのが気になるな。

22 :世界@名無史さん:2005/08/23(火) 01:02:52 0
サバニ?

23 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 01:23:23 0
フィリピンが歴史上に登場するのはいつごろだろう。
宋代の史書に登場しているんでしたっけ。
南部諸島には仏教の碑文が建てられた記憶が。

24 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 01:26:24 0
山東省には今でもミンダナオのイスラム教徒の子孫を名乗る連中が住んでるんだよな。
明に朝貢した帰りに王子が死んだので墓守に残ったとかそういう理由で。

25 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 01:29:31 0
>>24
それはおそらく始祖伝説で、やはり実際の所は
元代の色目人の後裔だったりするんだろうか。

26 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 01:40:39 0
>>25
山東省にもあっちこっちに結構な数の回族が住んでるけど、
ミンダナオの子孫を自称する人たちはひとつの村にしか住んでないから、
そうやって括らなくても良いように思うが。

27 :世界@名無史さん:2005/09/02(金) 03:37:17 0
>ミンダナオの子孫を自称する人たち

いつごろ、いかなる経緯で山東省にたどり着いたのだろう?
フィリピン南部にイスラムが浸透したのは古くても元代以降だっけ?

28 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 22:27:48 0
ルソン島とは宋代に通交があったらしいが。

29 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 01:17:38 0
>>28
麻逸のことか?
それならミンドロ島に比定されているはずだが。

30 :世界@名無史さん:2005/09/18(日) 19:41:14 0
有史前のフィリピンは中国方面よりもむしろ
マレーシア方面からの文化的影響のほうが強かったのかな。
ミンダナオ島かスールー諸島あたりに碑文も建てられたんだっけ。

31 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 03:06:22 0
オーストロネシア語族の拡散ルートとしては台湾〜フィリピンルートが有力視されているが、
台湾と福建も明代以前はそんなに交渉がなかったし南方の文化的影響の方が強かった
と思うよ。

フィリピン史最古の現地史料はインド系の文字で書かれた銅板文書だったはずだし。

32 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 14:02:18 0
ミクロネシアに限ってはフィリピン諸島から直接
東方へ航海した形跡もあるらしい。

もっとも紀元後の移住が主らしいが。
このとき稲作も携えてきたとかなんとか。グアムにはマゼラン以前に水田があったらしいが。

33 :世界@名無史さん:2005/10/06(木) 00:52:35 0
鑿型石斧文化圏の北限は父島だったっけな。


34 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 02:59:30 0
ナレスワン大王最強!

35 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 10:32:03 0
ミャンマーの話題ってまったく登場しないね。
一時はインドへも進出したり、仇敵タイを攻め滅ぼしたりと
元気な時代もあったが、今はわずかにスーチー女史くらいしかニュースがないなあ。
 

36 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 20:35:43 0
>一時はインドへも進出

詳しく

37 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 22:30:04 0
インドってホントかよ。
アラカンを征服したのだって、かなり遅くじゃなかったか?

38 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 20:20:28 0
アッサム・アラカン・シャンを征服したよ。
ビルマ史上最大の版図だったな。

コンバウン王朝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%8E%8B%E6%9C%9D

39 :世界@名無史さん:2005/11/05(土) 20:46:46 0
ムエタイもビルマ起源だそうだし。

40 :世界@名無史さん:2005/11/07(月) 22:51:03 0
ミャンマー、ヤンゴンから新首都ピンマナへ移転着々
http://www.asahi.com/international/update/1107/001.html

「ヤンゴン」って「戦いの終わり」という意味だったんんですね。

41 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 10:11:43 0
>>38
スゲー

42 :世界@名無史さん:2005/12/04(日) 17:28:07 0
1758年 シャン地方やマニプールに遠征
1759年 タイの首都アユタヤ攻撃、撤退
1766年 シンビュシン王、アユタヤを陥落させる
1769年 清軍とアヴァ近郊で停戦協定を結び、撤退させる
1782年 ボードーパヤー王、マウンマウン王を殺害。アマラプラに新王都建設
1795年 アラカン王国を征服
1814年 マニプール王国を支配下に入れる
1817年 アッサム王国を支配下に入れる


43 :世界@名無史さん:2005/12/07(水) 23:32:55 0
なんというか、消える炎の最後の輝き、って感じの最後の一世紀だったんだな・・・

44 :世界@名無史さん:2005/12/27(火) 00:48:11 0
アラカン山脈を越えて侵攻したのは、先にも後にもこれ一回じゃなかろうか、もしかして。
インドの王朝がビルマへ攻め入った話は聞かないし。

45 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 15:57:19 0
アラカン山脈ってそんなに越えがたいのかねえ
日本軍もインパール作戦で散々苦労してるけどさ

46 :世界@名無史さん:2006/02/01(水) 13:02:46 0
世界屈指の豪雨地帯でもあったはず。

47 :世界@名無史さん:2006/02/04(土) 00:02:45 0
東南アジアの中世っていつ?

48 :世界@名無史さん:2006/02/04(土) 03:32:14 0
>>47
いろいろ説はあるけど、9/10〜14/15世紀くらいが主流ではないかな。

49 :世界@名無史さん:2006/02/13(月) 01:32:51 0
フィリピンにも古代/中世の区分ってあるんかいな?

50 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 23:12:41 0
50ゲット

51 :世界@名無史さん:2006/03/11(土) 20:24:27 0
国家が発生しなかったのに文字文化が普及したフィリピンって
なんだか珍しい例かも。

52 :世界@名無史さん:2006/03/11(土) 20:50:11 0
>>49
原始時代
スペインに征服されて、植民地時代
第二次世界大戦後に独立して、現代

>>51
文字は普及していないぞ。
日本の弥生時代の遺跡から出てくる剣や鏡に銘文が彫ってあるだろ、字の意味なんか
理解しなくても、宝物として持ち込まれたものだ。


53 :世界@名無史さん:2006/03/12(日) 22:02:20 0
>>51
インド系文字がマレーシア経由で北上し、フィリピン各島に伝播していたよ。
独自の改変を施されたオリジナル文字が各島にあったそうな。
交易品ではなく、各地の言語で竹筒や木簡に刻まれた叙事詩や占術書などが残っている。
長編叙事詩「フドフド」などはマゼラン到達以前に完成していたしね。
 

54 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 20:34:24 0
 

55 :世界@名無史さん:2006/03/30(木) 18:44:31 0
age

56 :世界@名無史さん:2006/04/03(月) 09:35:18 0
age

57 :世界@名無史さん:2006/04/04(火) 14:26:12 0
パガン朝文学。
そこそこ栄えたらしくて、翻訳も何点か出てたはずなんで読んでみたいんだが、書名がわからん。

パガン朝時代、既に現在の○の組み合わせみたいなビルマ文字でかかれていたのだろうか。

58 :世界@名無史さん:2006/04/16(日) 02:14:48 0
ビルマ最古の文字記録が1112年建立のミャゼディ碑文。
パガン朝チャンシッター王の遺徳を讃えた四角柱の顕彰碑に
モン語・パーリ語・ピュー語・ビルマ語の四言語で刻んであるもの。

もうこの時点でランドルト環のような字形ができあがっていたようで。

59 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 18:30:33 0
月例保守に上がりました。

60 :世界@名無史さん:2006/05/28(日) 17:37:18 0
>>53
これが最古の文献らしいな。

フィリピン最古の文字記録「ラグナ銅板文書」
http://www.halohalo.info/JAPANsite/what/History/History.htm

61 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 13:13:15 0
とんぎりスマン

カンボジアの「王の年代記」が出版されたので
札幌で図書館にリクエストしたら ダメだった。
たしかに高いんだけど、カンボジアの歴史を調べてたら
必ず出てくる書物なので、悲しい。

62 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 18:34:00 0
>60
900年頃だとしたら、東南アジアでも相当古いほうだよな。
インドに隣接したミャンマーでさえ、まだ固有の文字は登場してなかった希ガス。

63 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 12:41:36 0
 

64 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 19:05:55 0
うちのインド史の教授が「人間の通るところじゃありません」と言い切ってた。

65 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 19:06:55 0


>>45にあてたレス

66 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 21:19:57 0
http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/0083638d.c9f9a13a/?url=http%3a%2f%2fwww.rakuten.co.jp%2fasianratu%2f
アジアすき集まれ〜〜

67 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 07:12:02 0
フィリピン南部まで仏教が浸透してたんだよね。
スールー諸島かミンダナオ島あたりに石碑がなかったっけ。

68 :世界@名無史さん:2006/07/19(水) 21:38:45 0
【カンボジア】17世紀の日本人町の発掘調査始まる プノンペン郊外[07/18]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1153272973/

69 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 00:38:16 0
マニラには呂宋交易の頃の日本人町などは残っていないのかな。

70 :世界@名無史さん:2006/09/05(火) 02:43:35 0
月例漂海に上がりました。

71 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 14:30:21 0
東南アジアでは大規模な海賊集団ってあったんでしょうか。
倭寇のようにいくつもの国を股にかけて広域に荒らすような。

72 :世界@名無史さん:2006/09/27(水) 18:27:48 O
シャイレンドラとシュリービジャヤと区別がつかないwww

73 :世界@名無史さん:2006/09/28(木) 22:44:27 0
>>71
ブギス人とかイラヌン人とか。

74 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 19:20:54 O
ブギス人って海賊もやってたん?
傭兵や航海者としては有名だが
あとイラヌン人ってよく知らない
別名はある?

75 :世界@名無史さん:2006/09/29(金) 20:41:18 0
イラヌン人はマラナオ人の亜集団です。

76 :世界@名無史さん:2006/09/30(土) 00:47:23 0
サマ人とか。

77 :世界@名無史さん:2006/09/30(土) 01:31:21 O
夏人?

78 :世界@名無史さん:2006/10/16(月) 01:57:07 0
 

79 :世界@名無史さん:2006/11/04(土) 12:17:51 0
ブギス文字
ttp://www.nacos.com/moji/83-3.htm

現役の文字です。

80 :世界@名無史さん:2006/11/06(月) 23:17:11 0
コンバウンの意味を調べているのだが、分かりません。
地名ではないようなので、アラウンパヤーの家名のようにも思えますが、
ビルマ人には苗字がないため、それも違うような気もします。
語源は何か知っている方いらっしゃいませんか?

81 :世界@名無史さん:2006/11/07(火) 03:11:45 0
アラウンパヤの出身地の古名らしいけど

82 :世界@名無史さん:2006/11/07(火) 23:50:04 0
>81
サンクス!! 困ってたの。なるほどそういう意味ですか。

83 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 17:21:45 0
>>45
アラカン山脈はいまだに自動車が通り抜けられる横断道路がないそうな。
アジアハイウェーもこの区間が途絶したまんま。

84 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 14:28:48 0
猿岩石のヒッチハイクでも
ここだけ飛ばしてインドへ進んでたっけ。

85 :世界@名無史さん:2007/01/13(土) 18:47:06 0
ミャンマはスリランカへも遠征したことがあったんじゃなかったっけ?

86 :世界@名無史さん:2007/01/20(土) 12:56:08 0
東南アジアで現地語表記のために作られた最初の文字は
ビルマのモン文字よりも>>60のほうが先ってことになるのか。
なにげにフィリピンはすごいな。

87 :世界@名無史さん:2007/01/24(水) 01:11:56 0
>>52は恥かいたわけねw

88 :世界@名無史さん:2007/01/24(水) 11:08:38 0
ラグナ銅板文書って、(いちおう)10世紀(ってことになってるん)だろ。
チャム文字の碑文とかの方が古いじゃん。

89 :世界@名無史さん:2007/01/27(土) 21:01:45 0
古い順に並べるとこんな感じか。

チャム文字(4世紀〜)
クメール文字(7世紀〜)
モン文字(6世紀〜)

90 :世界@名無史さん:2007/01/28(日) 16:39:11 0
インドから見て一番手前のビルマから順々にインド文化が伝わると
イメージしていまいそうだが、実際はそうでもないんだな。

むしろメコン下流に早く文明が開けるのは、海運上の立地と平野の広さだろうか?

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