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五胡十六国〜清までの軍事史

1 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 14:51:27 0
中国の軍事史は古代と三国時代ぐらいしか話題にならないので立ててみた。
兵制、戦術、武器防具の変遷などについて語ろう。

2 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:06:45 0
軍事史は軍事板でお願いします。

軍事
http://hobby7.2ch.net/army/

3 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:22:36 0
楊家軍 岳家軍

4 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:56:25 0
>>2
向こうは近代戦かよくても西洋史でしょ。

5 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 17:40:59 0
>>1
古代から近代までまったく進化なんてしてません。
よって終了。

6 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 19:28:05 0
羊馬城と月城とかあったね

7 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 19:48:14 0
戦術つ〜ても、サルフ戦でのやられようを見てると
脱力するわな
ヌルハチが凄すぎるというのもあるんだが、「最後の東洋的社会」の
狩猟部族より何百年も進歩した火器部隊がああも無残にやられたんじゃ
軍事史いくら語ってもしょうねないと言える

8 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 22:08:24 0
>>7
銃ったって近代の連発ライフル銃とか出てくる以前は
クロスボウでも代わりが務まるような使い方だからなあ。
もうちょっと先の時代ならジュンガル部ですら火器を装備してたし
負けて恥ずかしいほど技術力の差はないと思うけど。
1世紀前だったらロシアだってタタール人に
モスクワ焼き払われてる時代ですよ?

9 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 23:03:28 0
シナの中世から近世を語るのかな?
西洋史だと封建軍→国王の傭兵軍→国民軍みたいな流れがあるけど
シナは時代ごとにどういうトレンドだったのかよく分からないね。
教えてエロい人。

10 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 23:18:03 0
半分はモンゴルや女真の軍制の話題になりそうなw

11 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 23:24:50 0
>>10
鉄塔兵マンセー

12 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 01:17:36 0
ミンガンとモクンとか八旗制とか。

13 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 12:15:30 0
>>7
>>8
外人が書いた本でサルフの戦いについて
「残念ながらこの時代の火器はたいして効果的な兵器ではなかった。
二百年後のプロイセンでもマスケット兵が50ヤード先の標的を狙って
命中率はたった6割だった」
とかコメントしてた。

14 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 13:12:03 0
支那の軍事史

1 各地に盗賊の親玉が群雄割拠
2 盗賊の中で最強の集団が天下統一 配下の盗賊を正規軍にする
3 太平の世で軍の質が低下 各地で反乱が勃発
4 1に戻る

15 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 13:36:57 0
春秋戦国時代は、国民軍が存在してた様だが、
漢楚の戦いは、完全に傭兵(食い詰めた農民、浮浪者、無法者)が
主体になってる。故に郷土軍を多く持ってた楚の項羽は強かった。
漢の時代は、各軍閥の私兵が主体。つまり封建領地の軍。
三国志は、完全に傭兵同士の争い。
晋以降は、北方の遊牧民族が常に優勢なので、この騎馬兵達は
ある意味、国民軍だ。
唐は初め封建軍だけど、じょじょに各軍閥の私兵による傭兵軍が主体。
明は封建軍。清は少数の満州族の国民軍が中核の軍隊。
中華民国は、実質各軍閥による傭兵軍。
日中戦争時は、国民&共産党ともに傭兵軍。これはまるっきり
ドイツの30年戦争に近かった。略奪は中国側の傭兵の方がひどい。
共産党政権樹立でようやく国民軍が成立した。

結論から言うと、中国は春秋戦国時代が一番先進的だった。
この頃、斉、燕、晋の北方諸国は、コーカソイドの王国だったとの説も
あるので、紀元後の漢民族と比べて大幅に優れてるのは当然かもしれない。


16 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 13:45:09 0
春秋戦国時代に「国民」と呼べるような存在があったのか?

17 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 15:50:26 0
>>15
宋や元は?

18 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 16:28:31 0
明の「武備志」に載ってる甲冑を見ると、唐の時代からほとんど発展してないような気がするのは俺だけだろうか。

19 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 17:05:03 0
主要な城郭の防御力は凄いんだけどな
19世紀のアヘン戦争以後でも、当時の戦列艦が主砲の水平射撃を
1時間以上浴びせても、びくともしなかったそうだ
何せ城壁厚が平気で15mから30mあるらしいから
コンスタンティノポリスの城壁の比では到底ない


20 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 17:40:49 0
封建軍って何?

21 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:37:43 0
>>8 >>13
当時の火器の限界は充分判ってるんだけど、
塹壕も掘り、防御用戦車も使用してたのに、
徒歩立ちの満州兵にその戦車をひっくり返されて、
揚句は鉄騎に踏み込まれたその不手際ぶりが、何気に
旧日軍の高級統帥に似ていて、チュンコォ不憫(藁

22 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:42:20 0
床|・∀・)

23 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 21:05:46 0
統万城だっけな、「土を蒸して城を築く、錐を刺して一寸入らば、
即ちその工人を殺す」五胡十六国の時?
築城技術も軍事史に入るよね

24 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:48:39 0
>>7
まあ、ヌルハチは騎兵の栄光の最後を象徴する人だろうな。
袁崇かんに火器で怪我させられ死んだのも象徴的ではある。


25 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 04:10:13 0
>>7
その以前に「碧蹄館の戦い」で明の騎馬兵が鉄砲でボコボコにされといて、なお、だもんな。
学習能力がないというか、東洋的停滞というか。
中国は火砲の歴史は古いけど攻城砲止まりで他国みたいに野戦で大量集中投入するという発想がなかったんだろうか?

26 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 14:14:25 0
>>25
明軍は野戦でけっこう火砲使ってたらしい。
仏朗機を荷車に載せて散弾撃ったり、あと一斉発射銃とか。

27 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 14:15:37 0
というかこっちもよろしく

銃・火砲の世界史
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1120655663/l50

28 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 14:56:31 0
漢民族の兵制は基本的に3つあったと思う。

徴兵制 一般の農民から広く徴兵する(>>15で国民軍といってるのはこれのことか?)
傭兵制 志願兵を募集する
軍戸制 一般民衆と別の、世襲の軍事義務をもつ軍戸から兵を取る

北方の騎馬民族の場合は、家畜の世話は女と奴婢にまかせて
壮丁が全員騎馬戦士として戦う。いわば部族皆兵だ。

南方の苗族や壮族の軍団もいたと思うけど詳しくは知らない。

29 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 14:57:21 0
五胡十六国 軍戸制+匈奴などの部族兵
隋唐    徴兵制 のちに傭兵制+節度使の家兵
宋     傭兵制
元     軍戸制+遊牧部族兵
明     軍戸制 のちに傭兵制
清     世襲の八旗兵+緑営(傭兵制)

こんな感じかな? 突っ込み待つ。

30 :7:2005/08/02(火) 20:17:11 0
>>25 >中国は火砲の歴史は古いけど攻城砲止まりで

こういうことらしいですね

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1120655663/l50
"学校の図書館に去年からあったんで読んだけど。
「火器についての包括的で体系的な研究書」というよりは
「なぜ火薬が発明されたのは中国なのに火器が強力な武器に進化したのは西欧だったのか」
という疑問を答えようとした本だ。
結論からいうと「西欧は遊牧民の脅威にさらされていなかったから」。
何じゃそりゃと思うかも知れんが読んでみると非常に説得力がある。
旧大陸(と周囲の島々)のあらゆる地域の火器使用について検討しているので
とても参考になる。"

まだその意味は完全には判らないけどw





31 :7:2005/08/02(火) 20:18:49 0
つうか、個人的には毛唐どものほうが野蛮だっからと思いたいのだがw

32 :7:2005/08/02(火) 20:24:10 0
つうか、もっと個人的には何人かが書いておられたが、防御施設発展の
軍事史を教えてほしい シャンハイクァン防御複合体の形成過程とか
ペイチンの外城、内城、皇城、紫禁城の入れ子構造の心理学とかw


33 :7:2005/08/02(火) 20:42:18 0
蛇足で悪いが、素人なので今まで中国関係で読んだ印象的な本は

「中国の城郭都市」
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=4962
出張中の電車で読んでたら、気味悪がられたw

「蜀碧・嘉定屠城紀略・揚州十日記」
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=1392
有名な最後の本の中に、「満州兵が素手で人を殺すのを見た」という記述を
見出し、「功夫発見!」と叫んで嫁に気味悪がられたw
内容は凄いが、白髪三千条というのは当たってるね

34 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:31:01 0
>>29
そういう軍制の変化の背景に、どういう社会経済的要因があったのか含めて
説明してもらえるとありがたいんですが。
欧州のように封建社会から絶対王政みたいなわかりやすい流れがないので
時代ごとの制度をみても何がどう違うのやら。

35 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 20:20:37 0
>世襲の軍事義務をもつ軍戸

それって、ピョートル以後のロシアで多くの貴族に引退するまで
課せられた軍役義務に似てるんだろうか?
中国では五代以後、世襲貴族が完全に没落したから、世襲軍役を
課せられた軍戸というのは一体どういう性格の集団なんだろ? 

36 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 21:17:55 0
>>35
これのことじゃ?

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9C%E5%85%B5%E5%88%B6

>府兵制以前に行われていたのが兵戸制である。これは特定の家に対して永代の兵役義務を負わせる者で、
>その元は魏の曹操が黄巾党の残党30万を配下に入れた青州兵である。その後、兵戸制は南朝・北朝に受け継がれ、
>南朝では文治重視をして武を軽視する考え方から兵戸の没落を招き、宋代に崩壊していた。
>しかし北朝では鮮卑の持つ尚武的な気風から兵戸の地位は慨して高く比較して長い間保持されていた。
>北魏での兵戸は鎮と呼ばれ、特に首都平城を北の柔然から守る六鎮の地位は高く、領土の統治権も持っていた。

37 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:06:05 0
後期明軍の話が出てたので参考のために
戚継光「練兵実紀」にある対モンゴル戦のための部隊編成
(というか洋書からの引き写しです)

歩兵

歩兵の基本的な単位は12名の分隊である。分隊は2種類に分けられる。
1つはマスケット兵の分隊で、分隊長、10名の銃手、伝令からなる。
もう1つは"殺手"の分隊で、分隊長、10名の様々な近接兵器をもった殺手、伝令からなる。
同種の分隊を3つ合わせて37名の小隊になり、3つの小隊がさらに112名の中隊を構成する。
マスケット兵の中隊は合計で90挺のマスケット銃をもつ。
4つの中隊が449名の大隊を構成し、2つの大隊(マスケット兵と殺手)で899名の連隊になる。
3つの連隊が2699名の旅団(323名の士官、2160名の兵士、216名の伝令)を構成し、
1080挺のマスケット銃と216張の弓をもつ。

38 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:06:41 0
騎兵

騎兵の基本的な単位もまた12名の分隊である。
騎兵の分隊には分隊長、多様な武器を装備した10名の兵士(マスケット銃2挺、火槍2本、
三叉の槍2本、槍2本、メイス2本。何名かは同時に弓矢を携帯する)、そして伝令がいる。
騎兵も歩兵と同様に分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団に組織される。
戦場での騎兵旅団は2699名から2988名にまで増援され、1152張の弓、432挺のマスケット銃、
60門の虎蹲砲(軽量の野戦砲)をもつ。
大量の銃と火砲が配備されていることから、これらは騎兵というよりむしろ竜騎兵、
騎馬で移動する歩兵であったようである。

39 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:07:39 0
車兵

車兵旅団の戦車(防御用のワゴン)にはそれぞれ10名の分隊2個が配置されている。
分隊長、御者、2名のラバ追い、6名の砲手からなる第1の分隊は、戦車のところで
2門の旋回砲を操作する。
分隊長、4名のマスケット兵、4名の近接武器をもった兵士、伝令からなる第2の分隊は、
戦車に乗るか、またはその周囲で戦う。
2つの戦車が小隊を構成し、2個小隊が中隊、4個中隊が大隊、4個大隊が連隊、2個連隊が
旅団となる。旅団にはさらに別の17台の戦車が付属し、その内8台は"大将軍"と呼ばれる
大型砲が搭載され、残りの9台には太鼓や火箭やその他の物資を積んである。
合計で、3109名の車兵旅団は145台の戦車と、8門の大型砲、256門の旋回砲、
512挺のマスケット銃を装備している。

40 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:16:29 O
兵戸は一般には被差別民で、奴隷兵士とでもいうべき存在だったらしい。
逃げられないよう刺青を入れられるなど、「なんとしても逃れられない」ものだったそうな。
曹操など後漢末の群雄が流民なんかを兵士として駆り立てたのが始まりという。
それまでは徴兵制。


41 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 23:01:43 0
死以外の解放は望み薄の徴兵制
金の切れ目が縁の切れ目の傭兵制
被差別民が"選ばれちゃう"軍戸制

「仕事といえば駆け足ばかり 飯といえばもやし汁ばかり 
 たまに清郷に出かけると聞くと、皆の相好がくずれたものだ」という
無辜の農民に襲い掛かって拷問しお宝を搾り出す事だけを生業とする
中華民国軍閥兵士の生態は中国4000年の伝統だったんだろなぁ・・

42 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 23:14:30 O
少なくとも古代の徴兵制度については盛大に誤解しているなきみ

43 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 23:58:03 0
>>42
ごめんね、馬鹿で
他の誤解について教えて欲しい

44 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 23:05:09 0
とりあえず傭兵制がおこなわれるのは貨幣経済が発展した時代だろう。
軍戸制は農業人口の減少と関係があるような気がするけどよく分からない。

45 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 00:43:18 0
南宋や金の軍隊について語って

46 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 09:10:46 0
>>44
貨幣経済の発展が、傭兵制に不可欠な要素でもないだろう。
食い詰めた浮浪者にとっては、兵糧で食をつなぐだけでもメリットはあるし、
都市を陥落させた際の略奪で一財産作れるし、軍団を撃破した時も
敵の所持品を分捕れる。
世情不安の社会ならどんな時代でも、傭兵制はポピュラーだ。


47 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 12:58:15 0
>>46
それは王朝交代期か欧州の30年戦争あたりのイメージでは。
統一王朝下での傭兵制は、農民や屯田兵からの徴兵がうまく機能しなくなった時期に
余剰人口を金で雇って軍隊を維持するものじゃないかと。

48 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 15:10:21 0
>>37-39
そんなヨーロッパ諸国とガチで戦えそうな軍隊もってて狩猟民族に滅ぼされた中国人ていったい・・・

49 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 15:12:41 0
>>48
明は反乱軍に滅ぼされたのだが?

50 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 00:32:45 0
それは直接要因でしょ



51 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 01:19:10 0
南明政権を倒したのも、清に寝返った連中だったな。
清軍が最後まで突破できなかった、
山海関や其の近辺の防御システムを具体的に知りたいな。


52 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:15:58 0
山海関は、渤海とその西方の山脈に挟まれた、もっとも狭い隘路に
建築されました。
山海城を中心拠点とし、その両脇に北翼城、南翼城がありました。
さらに渤海の岸には、海からの攻撃に備える寧海城がありました。
これら4つの城は長城で結ばれてます。
山海城の前面には、満州側に大きく張り出してる東羅城が作られました。
これが防衛のポイントです。攻城側にとって、この郭が最もやっかいでした。
長城の上には、大型の紅夷砲、小型のフランキ砲、日本伝来の火縄銃が
配備されました。それは長城に取り付く女真軍に容赦なく浴びせられました。
中でも外側に張り出した東羅城からの側面射撃は、攻城側にとって
大きな脅威でした。長城の海側の舳先にも大砲が取り付けられ、海上から
侵入する敵に砲弾を打ち込みました。


53 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:40:42 0
>>52
築城体系が一目で分る鳥瞰図か地図を
リンクしていただけないでしょうか?
検索してもなかなか見つけられなくて・・

54 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:51:00 0
山海関・詳細マップ

△△△                               |
△△△        東羅城             囲城      |
△月城         ■               ■    入海石城
=▲====■===■===■=======■==■   渤海
△△△  北翼城  山海城  南翼城     寧海城 |
△△△                               |


55 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:52:35 0
本でしかないんですよ。しかもスキャナもないですし・・・

56 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:37:47 0
>>52
サンクス。
こんなに手が込んでたのね。
こりゃ陥落しないわけだわ。

57 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 01:12:05 0
ありがとう、少し思い出した
20世紀になるまでは、複合城郭システムとしては、
間違いなく空前絶後の防御施設ですね
「歴史群像」みたいな鳥瞰図が欲しいな

58 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 08:17:59 0
東羅城を見ると、大阪城の真田丸を思い出すな

59 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 12:46:39 0
「して、出丸は?」
「はっ、真田丸にございます。大御所様」
「なに! 真田とな・・」

超巨大馬面として、ここに最優秀最強の戦闘力を終結したんだろね

60 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 11:59:43 0
城壁に出丸を作るのは、非常に優れた防御法だね。
出丸を避けて城壁を攻めると、出丸からの側面攻撃をくらい
出丸を囲もうとすると、城壁からの側面攻撃をくらうので、
正面からしか攻めざるを得ず、やっとの思いで出丸の壁を突破して
占拠しても、そこに城壁からの攻撃が浴びせられる。
攻城側にとって、これほどイヤなものはあるまい


61 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:39:35 0
イタリア式築城術の角の部分みたいなもんか

62 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:24:30 0
宋の軍制をまともに説明した本とかない?
殿前司、侍衛親軍は副都指揮使くらいまでしか出ず、地方では都総管〜都監クラスで終わり。
その下がよくわからん。

63 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:34:41 O
宋の軍制なら石井仁先生に聞きなよ。

64 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:42:33 0
小岩井弘光「宋代兵制史の研究」とか?
読んでないから内容はよく分からんが・・・

65 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 00:46:56 0
中国の騎兵ってランスチャージとかやってたんですか?
偃月刀とかポールアームを両手で振り回してるイメージしかないんですが。

66 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:18:06 0
あまり組織性がなかったんじゃないかなあ・・・

67 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:34:36 0
>>65
>中国の騎兵ってランスチャージとかやってたんですか?
馬具の発達がそれを可能にしたと同時期に出現したよ。

68 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 20:42:31 0
「馬策」って武器があったよ。
肩にかける紐帯付き騎馬槍の事ね。

69 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 11:08:42 0
>>64
その本読んだけど、基本的軍制抜きでいきなり詳細やってるからさっぱりわからん。
基本的軍制を自明のことだと思ってるんだろうか?
唐の府兵制や清の緑営などはかなり一般的に知られてるからいいけど、宋の軍制はそれほど一般的じゃないと思う。

70 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 15:39:33 0
>>65
清とジュンガル部の戦闘の再現図ですが、八旗兵がランスチャージしてる。
ttp://www.zaimka.ru/images/bobrov2/pic2_big.jpg
>>68
>馬策
右側の人が肩にかけてるやつですね。
ttp://www.zaimka.ru/images/bobrov2/pic3a_big.jpg

71 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 15:41:33 0
>>69
ちらっと読んだけど牢城がどうとかやたらとマニアックな内容だったような・・・

72 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 12:39:30 0
>>71
しかも前提知識となる基本軍制がどこにも書かれてないから全然わからん。

73 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 12:47:00 0
ttp://www.geocities.jp/fukura1234/rekisi/heiseisi.htm
宋の兵制についても書いてある。

74 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 13:36:22 0
DVDで「水滸伝」見たけど宋代の甲冑ダサかった。
個人的意見なのであしからず

「三国演技」の甲冑はカッコイイ
特に官渡の戦いでの曹操陣営
厳密にはこの甲冑が登場するのは南北朝かららしいが

金代と清代初期は同じ部族だけどまたちょっと違うのかしら

75 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 13:50:43 0
宋っていうと歩人甲か

76 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 16:22:23 0
>>74
南北朝から登場する甲冑ってこんなのですか
ttp://www.globaleffects.com/C_pages/Rental/Wardrobe/Armor/Period/CompleteSuit/Oriental/ArmorSamurai736_hi.jpg

77 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 17:40:32 0
>>76
カンフーハッスルで琴の音攻撃で
飛び出してきた幽霊戦士に似てる

78 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 06:26:39 0
三国志演義の鎧って、
南宋の時代のものではなかった?

79 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 12:05:31 0
>>76
これもダサイっすね。

>>78
南宋でしたか。
こういう映画は、どれくらい時代考察してんでしょうか。
世界史の資料集に載ってた岳飛像はゲームに出てくるような
鎧でした

80 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 12:09:36 0
>>76
これもダサイっすね

>>78
南宋でしたか
ちなみに世界史の資料集に載ってる岳飛像はゲームに出てくるような
鎧でした

81 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 07:34:58 0
紀元後の中国の歴史を一言で述べるなら、北方の遊牧民族と南方の農耕民族の争い
となるけど、やはり万里の長城は、防衛よりも馬の足止めの為に作られたのでしょうか?

82 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 16:31:30 0
>>81
ちゃんと城壁になってた部分は防御の役割を果たしてたみたいですが。
場所によっては柵だけとか烽台が連なってるだけだったり。

83 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 17:02:36 0
万里の長城の東端の山海関は>>52のように天下の堅城なわけだしね。

84 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 19:54:38 0
>>75
歩人甲は鋼鉄の板を鉄の釘でとめて作った鎧で、重さが50キロもあり、
平地では重騎兵ともまともに戦えたそうです。

中国の鎧は他にこんなのがあった気がします。
・紙甲・・・紙と布で作った鎧
・皮甲・・・皮の鎧
・鎖子甲・・・小さな鉄環を繋げて作った鎧、つまり、鎖かたびら
・綿甲・・・厚手の綿の布地に鋼鉄の板を植え込み、それを銅の鋲で
      とめて作った鎧

85 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 19:57:17 0
>>84
「世界の武器防具・中国編」もってるので知ってるよ
でも、わざわざ書いてくれてありがとう
このスレの住人ならこの本はお勧めかもね

86 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 22:33:11 0
東アジアって西洋やイスラム圏に比べるとなぜかチェインメイルがあまり普及してない。
元の色目人部隊は使ってたらしいが。

87 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 13:25:04 0
むしろ西方の軍隊はなんであんなに鎖帷子ばっかり着てるのか、そっちの方が不思議

88 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 18:35:01 0
>>86,>>87
もともと鎖子甲は西方由来のもので、中央アジアのソグド人の唐への朝貢品
の中にあったそうです。

89 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 18:36:32 0
>>88
ソースをお願い。
ソースあれば説得力アリで信じます

90 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 00:34:36 0
>>89
>>88じゃないが、唐の時代に存在したってことは、文献に記されているらしい
ただ、クルド人の朝貢品ってことは、はじめて知った

91 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 11:44:45 0
>>90
うんうん、そうなんだよね、ソグト人の朝貢っていうの初耳なんだよね。
だから、出典史料なりそういう解釈をした書籍なりを
示してくれると嬉しいよね。
ボクも読みたいし。

92 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 12:26:22 0
>>91
「文明の道2巻〜陸と海のシルクロード〜」でそんなことが書かれていたと
思うのですが。

93 :世界@名無史さん:2005/08/21(日) 12:46:41 0
>>92サンクスコ!!
読んでみます。

94 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:48:21 0
"Oriental Armour"って本でも「唐の鎖子甲はサマルカンドからの朝貢品」とか書いてた。

宋代の「連鎖甲」ってのもチェインメイルだったらしい。

95 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 21:04:40 0
鎖子甲って、防御性能はどうだったんだろう?軽量で動きやすそうなのは
想像できるけど、刀や槍、弓矢に対してはどのくらい強かったのかなあ?

96 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 21:49:10 0
チェインメイルは斬撃には強いけど、槍や矢などの突き刺す攻撃には弱い。
中国ではクロスボウや彎弓のような強力な飛び道具が早くから使われていたので
あまり普及しなかったのでは?

97 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 17:22:29 0
>>96
鎖かたびらは剣による攻撃に対しては強いが、穴ボコだらけだから当然
弓矢には弱い。だから、その弱点を補うために紙と布で作った鎧である
紙甲や皮でできた皮甲と一緒に使っていたそうです。

98 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:47:28 0
>>97
それはロシアやビザンツの軍隊でもそうだな。
向こうはラメラーの胴衣とかを着けてることが多いが。

ところで中国にはキルト縫いの防衣ってなかったのか?
中央アジアあたりではポピュラーだったらしいが。

99 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 22:38:37 0
>>98
>中国にはキルト縫いの防衣ってなかったのか?
あるよ

100 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 23:39:29 0
綿襖甲がそうだっけか。

101 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 12:44:45 0
清の八旗兵なんかは19世紀頃まで綿甲を装備してたようだが
そうすると綿甲が最強ということになるのか?

102 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 13:08:37 0
test

103 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 21:35:38 0
>>101
後期の清軍が着ていた綿甲は一種の制服で、内側に装甲が施されておらずペラペラだったらしい。

清朝末期の、太平天国の乱で湘軍や淮軍が出てくる頃にはもう鎧は着てなかったのでは。

104 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 16:38:00 0
湘軍や淮軍も最初の頃は刀や槍で戦ってたらしいけど。

105 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 18:25:53 0
>>101
綿甲は金属の硬さと布のクッション力で刀や槍による攻撃に対してはもちろん、
弓矢や銃火器に対しても強かったようだ。故宮博物院には黄色い布地に刺繍を
施した豪奢な乾隆帝の綿甲があります。


106 :世界@名無史さん:2005/09/01(木) 18:39:02 0
福岡の元寇史料館に「蒙古式甲冑」として綿甲が展示されてるらしい
ttp://chinese-armour.freewebspace.com/images/arm11a.jpg
清代のとほとんど変わらないように見えるけど時代は合ってるんだろうか

107 :世界@名無史さん:2005/09/02(金) 20:58:03 0
元寇の軍隊ってほとんど革のコートしか着てないように見えるが

108 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 15:20:51 0
>>15
古代に一種の国民皆兵があったからといってそれが先進的だというのは後知恵だろう。
春秋戦国の軍隊が冒頓単于の匈奴と戦っても勝てるとは限らない。
それに中国の軍制はナポレオンやフリードリッヒ大王と対抗するために発達したわけではない。

109 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 16:33:57 0
>>108
意味不明

110 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:39:49 0
>>109
中国は中国なりの条件のなかでベストを尽くしてきたということ。
実際、明末の状況なんかをみても、軍事システムの欠陥というよりは
政治的な混乱のせいで国防に失敗するパターンが中国には多いと思う。

111 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 14:50:45 0
20世紀初頭の清の兵隊
ttp://thomaschen.freewebspace.com/images/militia.jpg
ttp://thomaschen.freewebspace.com/images/milita2.jpg
ttp://thomaschen.freewebspace.com/images/militia3.jpg

112 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 11:08:19 0
太平天国革命のとき清軍も太平軍も官職を大盤振る舞いしている。
清は記名提督だけで8,000人。当然総兵、副将あたりはもっと多い。
一方の太平軍も王だけで2,700人もいたらしい。
日本ではこういう話はあまり聞かない。ケチなのか?

113 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 13:25:10 0
ポストや恩賜のばらまきは本来やるべきではない手段の一つよ。
地位に伴う権限や責任は空文化しかねないし、
ひいては政権そのものの権威が喪失する。

中国史上でも、これをやれば必ず諫められるし、
実際、その後に破滅を招いた例はある。

114 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 15:00:52 0
太平天国って政府首脳からして
「万歳を名乗っていいのは俺だけだ」
とかで争ってて面白いよね。

115 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 16:02:36 0
日清戦争の時に、清の敗因として
清軍は密集陣形しかできない。
なぜなら分散陣形をすると兵が逃亡するから。というのがあって。
 中国では昔から大軍団の兵制しかできないんじゃないかと思う。
 
  

116 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 16:17:10 0
>>115
中国でも全時代通じてそんなにモチベーション低かった訳じゃないでしょう。
密集陣ばかりだと偃月刀とかああいう類の武器は使えないしね。

でも中国だと督戦隊とかはかなり歴史が古そうだが・・・

117 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 16:49:35 0
王朝も世代を重ねると、軍も貴族化して
囚人兵や徴兵を前線に立たせるようになって
 次第に大軍団、密集陣形しかできなくなってくるんじゃないか?

 そして、遊牧民とかに強力な軍団が生まれて、機動力で大軍団を撃破。
 新王朝を設立。
 その王朝も世代を重ねると、また貴族化の繰り返しのような。

 

118 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 17:12:56 0
支那は軍の貴族化というより、王朝初期に軍事を担っていた階層が没落して
軍が機能を果たさなくなることが多い。

119 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 19:02:40 0
日清戦争の清軍ってどんな感じだったのか
詳しい人解説キボン

120 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 19:11:58 0
満州八旗は軍隊としては使い物にならないので
李鴻章の北洋軍が主力。
装備は太平天国時代と五十歩百歩。

121 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 19:21:38 0
いまだに連弩を使ってたらしい。

122 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:01:57 0
>>119
「日露戦争物語」でも嫁

123 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:34:32 0
ふと思ったけど中国が日本に艦隊よこしてくる時って
唐、元、清と大抵北方民族系の王朝だよね。

124 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:46:23 0
唐が日本に艦隊派遣したっけ?

125 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:51:50 0
>>124
白村江と、戦後2000人の使節を送ったときじゃないの?

126 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 21:03:21 0
敵艦に向かって女物の尿盥をかざした・・・ってそれはアヘン戦争か

127 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 21:43:50 0
>>113
管領職や○○守、○○介なんてのを乱発してないか?

128 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:12:44 0
>>127
それって名誉称号みたいのでないの?

129 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 12:05:58 0
金の鉄騎兵の画像うpきぼん

130 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 16:35:15 0
ttp://images.google.co.jp/images?q=%E6%8B%90%E5%AD%90%E9%A6%AC&hl=ja&lr=lang_ja&sa=N&tab=wi

131 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 08:51:37 0
韓国の歴史漫画みたいなインチキ臭い絵だな

132 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 19:42:30 0
ウォーゲームのサイトより
左の兵科をクリックすると画像が出ます

三国時代
ttp://www.dbaol.com/armies/army_72_figure_1.htm
唐・五代
ttp://www.dbaol.com/armies/army_95_figure_1.htm

ttp://www.dbaol.com/armies/army_116_figure_1.htm
契丹
ttp://www.dbaol.com/armies/army_114_figure_1.htm
モンゴル
ttp://www.dbaol.com/armies/army_154_figure_1.htm

ttp://www.dbaol.com/armies/army_174_figure_1.htm

133 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:08:09 0
ついでにこれも

匈奴、鮮卑など
ttp://www.dbaol.com/armies/army_62_figure_1.htm
朝鮮
ttp://www.dbaol.com/armies/army_78_figure_1.htm
チベット
ttp://www.dbaol.com/armies/army_97_figure_1.htm
ヴェトナム
ttp://www.dbaol.com/armies/army_71_figure_1.htm
クメール シャム
ttp://www.dbaol.com/armies/army_110_figure_1.htm
ビルマ
ttp://www.dbaol.com/armies/army_98_figure_1.htm

134 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 12:59:43 0
>>123
唐は出身は北方系かもしれんが、漢化している。
それから現在の中国を建設した毛沢東は湖南出身だから南方系。ケ小平は四川。江沢民は上海。

135 :世界@名無史さん:2005/09/15(木) 16:34:51 0
元寇の主力も漢人と高麗人だった。
モンゴル人は士官クラスだけ。

136 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 03:09:55 0
白村江で倭・百済連合が勝てた可能性はある?

137 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 16:04:51 0
>>136
十二分にある。なんせ、倭・百済連合軍のほうがずっと数が多かったらしいし。

138 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 18:28:54 0
>>137
日本書紀には唐の艦隊に左右から挟み撃ちにされたと書いてあるけど
数で優勢な側がそんな風に包囲されるんだろうか?

139 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 19:31:47 0
地形的な問題もあったんじゃないか?

140 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 21:59:43 0
船の大きさはどうだったの?
数で圧倒していても、日本の船は小さそうだし。

141 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 23:22:02 0
>>140
3次に分けて計4万人以上派兵したわけで、それなりの大きさの船を
使っていたのは間違いないかと。

142 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 23:25:15 0
唐の船と比べての比較でないと意味無いし・・・

143 :世界@名無史さん:2005/09/20(火) 14:20:50 0
唐軍がいわゆる軍だったのに対して、日本側は地主というか豪族というような人々の寄せ集めで指揮系統がはっきりしていなかったような気がする。

144 :世界@名無史さん:2005/09/20(火) 16:39:43 0
>>142
唐は百済には海路侵攻したとはいえ、基本的にそうそうまともな海軍
はもっていないはず。船は伝統的に海運国家の倭・百済連合軍のほうが
上の可能性大。もっとも、日本の船は白村江以降急速にダメダメになって、
遣唐使では遭難続出したわけだけど。いくら多少危険な南島路や南路に
なったからといっても、あんまりにも遭難しすぎ。新羅船のほうがはるかに
安全なんだものなぁ。

145 :世界@名無史さん:2005/09/20(火) 17:01:16 0
>144
白村江で、日本は優れた造船技師達まで一緒にあぼーんしちゃったの?
ソースって有るんですか?

146 :世界@名無史さん:2005/09/21(水) 14:03:22 0
そういえば唐の海戦って白村江以外に聞いたことないな。
というか中国王朝全般にいえることか。

147 :世界@名無史さん:2005/09/21(水) 19:04:11 0
>>144
新羅は陸伝いの安全なルートで中国に行けたからでないの?

148 :世界@名無史さん:2005/09/22(木) 02:54:54 0
>>146
黄海海戦

149 :世界@名無史さん:2005/09/22(木) 07:32:41 0
>>147
船自体も新羅船のほうがはるかにしっかりしていた。

150 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 20:38:52 0
唐代は国営の水軍よりも民間の貿易船の方が優れていた。
当時、アラビア海までの航海も可能だったし。

151 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 20:56:12 0
ジャンクができたのもあの辺の時代だっけ?

152 :世界@名無史さん:2005/09/24(土) 11:41:17 0
結局>>144は妄想だったのか…

153 :世界@名無史さん:2005/09/25(日) 20:51:18 0
>>146
崖山の戦い

154 :世界@名無史さん:2005/09/25(日) 21:30:57 0
>>152
バカ?

155 :世界@名無史さん:2005/09/25(日) 22:56:00 0
>>146
つ朝鮮の役

156 :世界@名無史さん:2005/09/26(月) 00:06:33 0
>>154
お前がな

157 :世界@名無史さん:2005/09/26(月) 00:10:12 0
>>156
包茎?

158 :世界@名無史さん:2005/09/26(月) 14:52:56 0
>>151
ジャンクが発達したのは黄巣の乱でアラビア人の船がいなくなってからだとか。

159 :世界@名無史さん:2005/09/27(火) 03:29:15 0
>>157
お前がな

160 :世界@名無史さん:2005/09/28(水) 20:54:55 0
シナだと河で艦隊戦やってることが多いような。
三国志の赤壁の戦いは実際は元末の鄱陽湖の戦いがモデルになったらしいですね。

161 :世界@名無史さん:2005/09/29(木) 01:31:22 0
海戦する敵が居ないし。


162 :世界@名無史さん:2005/09/29(木) 20:16:31 0
>>161
つ倭寇

163 :世界@名無史さん:2005/09/29(木) 23:18:23 0
明の官軍が倭寇に勝ったときは陸で叩いてることが多いみたいだね。

鄭和の航海のとき、東南アジアで海賊と戦ってたような。

164 :世界@名無史さん:2005/09/29(木) 23:42:57 O
和冦が和請う

165 :世界@名無史さん:2005/10/03(月) 18:21:27 0
日清戦争だかのとき、敵の戦艦に向かって全裸のババアを立たせたとかいうのは本当ですか?

166 :世界@名無史さん:2005/10/03(月) 23:31:02 0
アヘン戦争じゃなかった?

167 :世界@名無史さん:2005/10/04(火) 15:27:47 0
>>165
陰門陣で検索したら出てくるかも。
軍事史というより民俗学の話題のような気もするが。

168 :世界@名無史さん:2005/10/04(火) 17:13:56 0
  Λ_Λ
 <=( ´∀`)< 高仙芝マンセー

169 :世界@名無史さん:2005/10/04(火) 18:47:55 0
>>167
全部中国語のサイト

170 :世界@名無史さん:2005/10/05(水) 16:22:53 0
>>169
実吉達郎『中国妖怪人物事典』
相田洋『中国中世の民衆文化 : 呪術・規範・反乱』
あたりに記述があったかと。
>>166
阿片戦争のときに清の大砲は撃っても届かないのにイギリスの砲はやたらと命中。
そこで清の将軍はイギリス軍が陰門陣をおこなっているに違いないと思って
婦人用の便器を集めてイギリスの戦艦に向けたと・・・

171 :世界@名無史さん:2005/10/06(木) 19:03:27 0
>>146
望海堝の戦い

172 :世界@名無史さん:2005/10/08(土) 03:16:44 0
で、ババアはなんの意味があるの?

173 :世界@名無史さん:2005/10/08(土) 22:53:30 0
>>172
醜いから目を背けてしまい狙いを外す。

174 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 13:45:52 0
イギリス艦ははるか遠くから砲撃してましたが。

175 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 22:23:19 0
>>174
ブルーベリー食ってるから目がいい。

176 :世界@名無史さん:2005/10/11(火) 17:17:50 0
アロー号戦争のときの清兵
ttp://www.informationwar.org/wars%20gallery/China-2ndopiumwar02.JPG

手に持ってる盾はいわゆる「籐牌」のようだ。

177 :世界@名無史さん:2005/10/11(火) 17:24:09 0
>>172
女性器には不思議な力が秘められているものさ。
ゲルマン人だって下丸出しの女性が戦場に来てたはず。

海戦といえば呉の楼船なんて有名だけど、その技術は伝わってたのかな?

178 :世界@名無史さん:2005/10/11(火) 17:53:31 0
元寇のときの「千料舟」も楼船みたいなもんか

179 :170:2005/10/12(水) 17:56:39 0
>>172
下ネタなんであまり書きたくない。

唐代の鎧の着用手順
ttp://www.allempires.com/forum/uploads/Conanthedestroyer/2005-07-01_092436_post-17-1115342127.jpg

180 :世界@名無史さん:2005/10/13(木) 20:15:46 0
清朝創立いらいの陸軍(八旗・緑営)はほとんど軍事的価値はなく、太平天国の乱の鎮圧に際して新設された勇軍・練軍の
二種の軍隊が一応の戦力をもっていたが、それも多くは定員にかけていた。日清戦争開戦時の兵力三十五万、開戦後の募集兵を
加えて約九十八万の兵力と称されたが、そのなかには未熟な新募兵が多く、かつ広大な領土に散在していて、運輸上の不便も
あって、実際戦場にでることができたものは、そのうちごくわずかであった。しかも、前にものべたように、これら勇・練二軍を
主力とする清国軍は北洋大臣李鴻章の指揮下にあり、いわば李鴻章の北洋(直隷=河北・山東・奉天の三省)支配の根源をなす
軍事力であって、中国全体の防衛にあたるというより、李鴻章の支配を維持するための私的な性格をまぬがれない軍隊であった。
だから、その士気においてもおとり、戦闘にあたっての指揮官のあいだの不統一もあいついでさらけだされ、近代的な統一国家の
軍隊としての性格をいちじるしく欠いていた。かつまた、装備の点でも、日本軍が日本人の体格に適した軽快な村田銃(一八八四年
村田砲兵中佐によって改良されたもの)で統一されていたのに対して、清国軍の兵器は種類きわめて雑然とし、いちじるしい場合には
一営(部隊の単位)中でも、数種を混用する有様であった。清国軍の小銃の大部分をしめたのはモーゼル銃であったが、その他にも
レミントン・グラー・スナイドルなどの小銃がまじり、さらに刀・槍・旗・幟などをもつだけのものもあって、戦闘員五〇〇名の
一営で、実際に銃をもつものは、役三〇〇にすぎないという状況であった。
中塚明「日清戦争の研究」より

181 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 03:23:50 0
>>176
少年兵?

182 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 21:55:52 0
>>181
籐甲兵

183 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 23:35:38 0
籐編みのヘルメットは現代でも華南や東南アジアで現役だよね。工事現場とか。

184 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 20:05:52 0
「戦略戦術兵器事典 中国古代編」に褌一丁で籐編みの胴鎧と兜を装備した
台湾原住民のイラストがあったな。

185 :世界@名無史さん:2005/12/24(土) 20:25:33 0
各王朝内での変遷はあるけど、
各王朝を跨った軍事史の研究あまりないのかな?

土地制度や税制、官僚制度の研究は沢山あるのにね。

186 :世界@名無史さん:2005/12/24(土) 21:04:23 0
>185
欧米だとMedieval Chinese Warfareとかいった本を書く人がいるけど
日本の支那学者はあまりそういうのが好きじゃないのかも

187 :世界@名無史さん:2005/12/25(日) 00:21:04 0
山崎清一「明代兵制の研究」

188 :世界@名無史さん:2006/01/20(金) 14:44:43 0
鍾相・楊葵の乱で使われた外輪船って動力は何だったんですか?

189 :世界@名無史さん:2006/01/20(金) 14:45:13 0
age

190 :世界@名無史さん:2006/01/21(土) 17:54:48 0
>188
人力で足こぎだったっけ?

191 :世界@名無史さん:2006/01/23(月) 09:15:00 0
飛輪船は轆轤を回して漕いでた。

ソースは「モンゴルの残光」w

192 :世界@名無史さん:2006/02/01(水) 23:15:33 0
飛輪船の再現図を発見
ttp://server2.uploadit.org/files/shaggyback-sungpaddleboat.jpg

車輪に草が絡まって立ち往生しそうには見えないけど

193 :世界@名無史さん:2006/02/01(水) 23:33:32 0
元寇のときの船
ttp://server3.uploadit.org/files/shaggyback-koreaship.jpg

194 :世界@名無史さん:2006/02/02(木) 20:06:35 0
中国軍事史をやってる学者って誰がいる?


195 :世界@名無史さん:2006/02/02(木) 21:46:50 0
David Andrew Graffとか

196 :世界@名無史さん:2006/02/02(木) 22:27:38 0
中国じゃないけど、「鉄砲と戦国合戦」などの著者の宇田川武久は
李氏朝鮮の兵器についての論文をいくつか発表してる。

197 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 17:09:42 0
416年、東晋の劉裕が率いる北伐軍は、後秦の本拠地である長安に向かって黄河を遡行。
後秦の同盟国であった北魏は数千の騎兵にこれを追わせた。
劉裕は700の兵を北岸に上陸させ、100台の荷車を半月形に並べて防御陣地を築いた。
さらに劉裕の部下の朱超石が2000人と100張の大弩(バリスタ?)を率いて上陸。
1台の荷車に20人の兵と1張の大弩が配置される形となった。
戦闘が始まったとき、寄せ手の魏軍は増援部隊をえてすでに3万騎を超えていた。
朱超石はまず威力の弱い弓矢を放って魏軍を油断させ、馬槊(ランス)を構えた騎馬隊が突撃を
しかけてくるところへ大弩と弓矢を一斉に放ち、撃退するが、魏軍にとっては微々たる損害であった。
そこで朱超石は数千本の矟(これもランスの一種)を3〜4尺に切らせた。
それを一人の兵が保持し、背後からもう一人の兵が大槌で魏の騎兵に打ち込んだ。
大槌で叩き込まれた矟は一本で数人の魏兵を刺し貫いたという。
この攻撃によって魏軍は大勢の死傷者を出して潰走し、2700人の晋軍が3万を超える魏軍を
破ったのであった。

198 :世界@名無史さん:2006/02/14(火) 16:57:11 0
軍事史というか各王朝の甲冑に興味のある俺ですが
↑この頃の北魏の騎兵は異民族丸出しの格好ですか?
朝廷とかの服装とか礼儀作法とかは・・どうだったんでしょうか?

199 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 21:59:41 0
>>198
当時だと両当甲、筒袖鎧、明光鎧あたりですかね。
ものの本で拓跋の貴族の再現図を見たことあるけど、ソグド人みたいな衣装でした。
キジル石窟の壁画とか参考にしたらしいですが。

200 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 22:58:21 0
200ゲット

201 :世界@名無史さん:2006/02/17(金) 19:22:00 0
>>199
ご丁寧にありがとうございます。
そういえば筒袖鎧、明光鎧は鎧マニアの方のサイトで見た事はありましたわ。



202 :世界@名無史さん:2006/03/02(木) 17:10:47 0
よその掲示板で読んだ話だけど、五胡十六国や南北朝時代の騎兵は非常に重装備だったらしい。
人も馬もラメラー装甲で覆われて、しかもこの頃鐙が導入されたので馬上での戦闘を安定しておこなう
ことができるようになり、西欧騎士のように騎槍突撃をしてたそうだ。
でも唐代までにそうした重騎兵は廃れてより軽装の騎兵に取って代わられてしまった。
なぜかというと重騎兵の脅威に対抗して歩兵が密集陣を組んで戦うようになり、さらに逆茂木や荷車による
野戦築城術が発達して騎兵の突撃を阻止できるようになった。
また高速で移動する軽騎兵を攻撃することができず、結局何の役にも立たない兵科になってしまったという。

203 :世界@名無史さん:2006/03/02(木) 21:18:50 0
>>202
遼や西夏や金の重騎兵は?

204 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 23:39:57 0
>>203
それはよくわからない・・・
軽騎兵の時代が続いたので重騎兵に対抗するノウハウが失われて
重騎兵の有効性が復活したのかな?

岳飛は歩人甲と斬馬刀で武装した重装歩兵隊で
金の鉄浮図を撃破してたが・・・

205 :世界@名無史さん:2006/03/07(火) 09:28:22 0
というか契丹や女真族はあんな甲冑をつくる鉄をどこで手に入れてたのか
昔のモンゴルは鉄不足で骨の鏃を使ってたらしいが・・・

206 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 03:54:58 0
>>205
当時モンゴルの北部やシベリアは、鉄の一大産出地なんじゃなかったっけ?
モンゴルの時代の、巨大な製鉄所の跡があったとか。

207 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 18:11:58 0
その辺は白石典之「モンゴル帝国史の考古学的研究」が詳しい。

208 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 19:04:09 0
秦漢時代の馬はポニーだったけど、
晋〜隋の重装騎兵時代の馬は大型化してたのかな?

209 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 21:19:56 0
>>206
突厥は製鉄業に通じていたし、『集史』の中にあるモンゴル族の伝説には、
モンゴル族の祖先が、巨大なふいごを使って周囲の鉄山を溶かして、
居住地を広げたというものがあるし。

210 :世界@名無史さん:2006/03/09(木) 01:06:41 0
>>208
ポニーに馬甲着せたらこんなことになりそうだ
ttp://www.dbaol.com/armies/army_114_figure_1.htm

中央アジアにけっこう大型種がいたんでない?
アラブ馬とかももともとあの辺の品種だったらしいし

211 :世界@名無史さん:2006/03/09(木) 01:21:02 0
五胡十六国時代の冉閔が乗ってた「朱龍」は大型種だったのかな?

212 :世界@名無史さん:2006/03/09(木) 12:22:12 0
漢武帝が求めた汗血馬とか、河西回廊で調練されていた軍馬とかは大型ではないのかな?


213 :世界@名無史さん:2006/03/13(月) 19:03:18 0
>>206
>>209
メルキト族のいたバイカル湖南方、アルタイ山脈の北麓、キルギスのいた
ケムケムジュート地方などに鉄産地があったようですね。

214 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 20:59:38 0
まだやってるの

215 :世界@名無史さん:2006/03/30(木) 10:09:37 0
がんばれ

216 :世界@名無史さん:2006/03/31(金) 19:54:27 0
ここってモンゴル軍の話はおk?

217 :世界@名無史さん:2006/04/10(月) 09:40:32 0
なんつーマニアックな本だ
ttp://www.amazon.com/gp/product/1861761449/qid=1144629390/sr=1-1/ref=sr_1_1/002-3640376-0344817?s=books&v=glance&n=283155

218 :世界@名無史さん:2006/04/16(日) 16:50:57 0
金の謀克+猛安。

219 :世界@名無史さん:2006/05/02(火) 21:02:39 0
朝鮮では紙でできた鎧を使ってたらしいですけど、どんな物だったんでしょう?

220 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 07:26:00 0
ハン板あたりのネタじゃねえの?

221 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 13:20:16 0
紙甲はあるよ。どんだけ普及したのか知らんけど。
もともとは唐で作られたんじゃなかったかな。

222 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 13:24:43 0
経費節約に属国の下級兵士に着せてたのか?

223 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 14:02:12 0
紙つってもぺらぺらじゃなくて三センチくらい厚さがあって
木綿とかの布も使われてたから投射武器には有効だったみたい。
接近戦だとダメだろうけど。

唐の徐商が作った紙甲は強力な矢も防いだとか。
主に軽装の歩兵(弓、;弩兵)用として宋や明でも使われてた。

224 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 14:56:40 0
まじレスすると
元軍の騎兵が着込んでいたものもそれに近い。
矢による戦いを前提にしてあり、
軽量で補修性にも優れていた。

225 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 19:27:19 0
「武備志」の紙甲
ttp://www.geocities.jp/fukura1234/heikijiten/yoroi/12.htm

"Oriental Armour"って本によると10〜15枚の紙を縫い合わせて作ったもので
倭寇と戦ってた南方の明軍がよく使ってたらしい。
なんでも銃弾を防いだことがあるとか・・・

まあ一番の利点は低コストだったんだろうけど。

>222
いくらなんでも朝貢国の武器防具まで面倒みないと思われ。

226 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 20:56:37 0
雨降ったら重そう
それでも普通の鎧より軽いのかな

227 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 21:00:23 0
和傘みたいに
表面に油を塗ってたんじゃないか?

228 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 14:17:59 0
英Wikiに紙甲の記事があった。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Paper_Armour

「水気を吸うとさらに強靭になる」とか書いてある・・・

「米軍弾道学センター」とかいう機関が実際に紙甲を作って実験したそうだ。
コンポジット・ボウから放たれた矢に、青銅や鉄のスケールよりよく耐えることができたらしい。

229 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 15:02:47 0
そういえば
水に浸した布は弾丸も跳ね返す(というより懐柔する?)って聞いたことがあるな。
それと同じなんだろうか?

230 :美麗:2006/05/05(金) 16:53:03 0
チャンコロの捏造史なんか語ってもねw

231 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 20:27:41 0
↑偽者?

232 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:54:12 0
>>224
モンゴル兵は矢による負傷を軽くするために
絹の肌着を身に着けていたらしいね。

233 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 00:14:55 0
戦前の漫画に出てくる支那兵(たぶん軍閥系)は背中に番傘と青龍刀を襷クロスに
しょってるけど、あれってリアルな装備だったのか?

234 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 01:49:14 0
ttp://thomaschen.freewebspace.com/images/xxdadao1.jpg (拡大可能)

こういうやつ?
正式には青龍刀じゃなくて大刀だが

235 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 21:28:16 0
民国時代、直隷派軍閥の曹棍麾下に「苗刀営」という
陰流を基にした刀術で戦う部隊があったね。

236 :世界@名無史さん:2006/05/17(水) 10:55:24 0
>225
元は一時期高麗に火薬を供給していた。倭寇対策のためだとかで。

237 :世界@名無史さん:2006/05/20(土) 22:09:43 0
高麗で自製したことはあったんだろうか?

238 :美麗:2006/05/21(日) 00:37:46 0
中国の軍備はすべて中央アジアや欧州のパクリですよ

239 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 00:39:23 0
しっかり両足を乗っけるための鐙は中国発って話があったな

240 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 08:20:57 0
>236
崔茂宣って役人が元人から製法を聞き出して作ったらしい。
>238
あと南方の山岳民や日本の影響も多少ある。
>239
たしか漢人は馬に乗るのが下手だったので片側にステップをつけたのが起源だとか?

241 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 17:12:37 0
悪漢族は乗馬もセクースも下手糞ですよ

242 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 18:52:49 0
>南方の山岳民や日本の影響

具体的には?

243 :世界@名無史さん:2006/05/21(日) 19:03:36 0
日本の影響といえば明清時代の倭刀があるな
南方の影響は藤甲とか?

244 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 01:48:35 0
呉鉤刀とか。

「中國古代軍戎服飾」って本に明代のヤオ族の戦士の絵が載ってたけど
木製のスケールメイル、マントを着てターバンを巻き佩刀を腰に下げた姿だった。

245 :世界@名無史さん:2006/05/23(火) 13:12:42 0
アチャン族は刀作りのうまい集団として、雲南の諸民族に名がひびいている。
タイ族も、チンポー族も、リス族も、ワ族も、みなアチャン人の鍛冶屋集落へ、
自分らの使う刀を求めに出かけてゆく。
アチャン刀は、明代に漢族から製法を得たという言い伝えがあるが、日本刀に
形のよく似た、ソリのある長刀と、鋭利な短刀の大小からなる。この刀は、雲南
山地の部族社会の戦士にとって大事な武器であった。

村松一弥『中国の少数民族』p188〜189

大小を用いるというのが興味深い。

246 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 23:25:12 0
苗族のように日本人のような顔立ちをしてたりして

247 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 02:50:07 0
>>245
>アチャン族
ttp://www.dhtjb.com/UPLOAD/NewsIMG/200412301023410.jpg
ttp://www.cnmuseum.com/images/nation/ac.jpg

248 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 07:29:06 0
チンポー族がいるならマンコー族とかコーマン族ってのはいないのか?

249 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 08:34:28 0
マンコー って人名であったよね。

250 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 08:44:15 0
阿昌刀 真ん中のやつがかなり和刀っぽい
ttp://www.yn.xinhuanet.com/newscenter/2005-01/02/content_3496390.htm

>248
景頗族な

251 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 21:36:13 0
>>248
チン(京)族で我慢せい。

252 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 19:23:23 0
明代の江南では苗族や壮族など山岳民が補助兵として用いられていた。
壮族の「狼兵」は獰猛さで恐れられていて、王陽明が一般人への被害を恐れて派兵を止めさせたほど。

元末にも楊完者率いる「苗軍」が江南で暴れまわったことがある。

253 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 10:12:23 0
>>245
大小というか、中央アジアの騎馬民族はたいていサーベルのほかに
落馬した敵にとどめを刺す短剣も装備してるよ。
脇差よりは短いけど。

254 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 10:49:11 O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

255 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 03:42:25 0
          ___
        ./    \
        .| ^   ^ |
        | .>ノ(、_, )ヽ、.|   
         ! ! -=ニ=- ノ!    <なあ、正史板作った方がいい
    /´⌒´ \`ニニ´/´^ヽ⌒ヽ
   /   ィ   , ̄ ヽ  , )` `ヽ
  /    ノ^  ー   '` ー 'ヽ   ゙i
  ノ  ,,,ノ            Y´゙  )
 (   < |       ⌒     !  /
  ヽ_  \           ノ_/    
    ヽ、__ ヽ.ー    ,,,@,,, ノ  ソ、  
      〈J .〉  ヾ、.::;;;;;;::.ノ |ヽ-´  
      /""     ;ミシミッ    |    
       レ     イミ.ニニ⊃リ    
      ,ゝ    ,ノ `ー−' ヽ ノ     
     / ` レリ  i´   リ     
     i    /    `、   i     
     〉  イ      〉  |     
    /  ::|      (_ヽ \、     
    (。mnノ       `ヽ、_nm

256 :世界@名無史さん:2006/07/27(木) 12:33:01 0
>>240
足懸りにするための輪ならインドの方が早い。
中国なら最も早くて東晋だけど、インドは紀元前2世紀の例がある。

257 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 04:46:31 0
>>252
苗族は清末まで大反乱を繰り返したもんなあ。
あの粘り強さはどこからくるんだろう。

258 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 08:44:31 0
>>257
地の利と都からの距離

259 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 08:54:17 0
壮族が一度倭寇と戦ってるけど負けてたな。

260 :世界@名無史さん:2006/08/20(日) 23:09:20 0
>>258
うむ、全国から凶悪なのが集まってくるわけだな。

261 :世界@名無史さん:2006/08/20(日) 23:52:29 0
>>260
梁山泊じゃないんですから

そういや梁山泊のモデルの一つになったのは太行山で
盗賊まがいの連中が金軍を相手にゲリラ戦をしていたとか

262 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 13:56:10 0
ルイス・フロイスはスペインと日本の武器や軍制の比較を書き残してるけど
中国についてそういう事を書いた南蛮人はいなかったんだろうか。

263 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 14:21:01 0
フロイスは中国いってないから

264 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 17:06:19 0
別にフロイスでなくてもいいんだけど。イエズス会士とか。

265 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 20:14:07 0
フロイスの「日本史」で朝鮮で戦った明軍の様子が載ってるよ。
「彼らの鉄砲は、無数の弾丸を放っても一人も死ななかった」とか書いてて笑える。

266 :世界@名無史さん:2006/08/26(土) 01:33:39 0
明に鉄砲があったというのがまず初耳だ。

267 :世界@名無史さん:2006/08/26(土) 17:12:27 0
大砲に関しては亜細亜の中じゃ先進国ですぜ。

268 :世界@名無史さん:2006/08/26(土) 19:49:27 0
>>266
中国の土着の銃器はトリガーのない差し火式の銅銃だったけど(李氏朝鮮で使ってた勝字銃筒もそのタイプ)
火縄銃も万暦の三大征の以前に伝来してた。
持ち込んだのはポルトガル人とも辛五郎という倭寇だともいわれてるらしいが。
でも銃身を青銅で鋳造してたので暴発しやすく日本軍相手には苦戦したそうだ。

そういや「シナ大王国史」だったと思うが、明軍の演習を見たジェズイットが「このような軍隊が士気旺盛なら
容易に全世界を征服するであろう」とかやたらと持ち上げてたような。

269 :世界@名無史さん:2006/08/27(日) 11:27:26 0
いくら最新式の銃があったとしても使う人間が中華方式で
強制的にかり集めてきた農民兵なんだからどうしようもない。
大量に動員した兵士に形ばかりの劣悪な装備を支給して
督戦隊で脅しをかけながら戦わせるのが中華のやり方。
そのような軍隊が少数精鋭の女真族や日本に負けたのも
ある意味必然といえる。

270 :世界@名無史さん:2006/08/27(日) 13:54:51 0
当時の明軍主力は家丁のはずだけど。
家丁こそ少数精鋭なんだけどな。

271 :世界@名無史さん:2006/08/27(日) 17:33:06 0
>劣悪な装備

祖承訓が朝鮮に連れてきた騎兵は重装甲で日本の槍や刀が通じなかったらしいが。

272 :世界@名無史さん:2006/08/27(日) 23:39:42 0
>>271
初めて聞いた。ソースは?

273 :世界@名無史さん:2006/08/27(日) 23:43:04 0
というかなんで「秀吉の朝鮮征伐の考察」スレに書かないの?

274 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 02:57:20 0
>>270
貴重な精鋭を朝鮮なんかにレンタルするか?って話ではないの?

275 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 12:38:35 0
>>274
有名な李如松も家丁を連れて行ったよ。

276 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 19:29:02 0
>272
ルイス・フロイス「日本史」第3部にそういう記述がある。
あと下瀬七兵衛頼直「朝鮮渡海日記」の碧蹄館の戦いのくだりでも
「唐人」の装備について似たようなことを書いてる。
>274
ヒント: 仮道入明

277 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 23:45:44 0
その重装甲の鎧というのは鄭成功の鉄人隊が着てたのと同じようなタイプか?
日本の甲冑を参考にしたらしいが

278 :世界@名無史さん:2006/08/29(火) 18:00:34 0
「朝鮮渡海日記」での明軍の描写

大明國しゆこしらへの事面には赤きとろめんを仕り候て裏にはくろかねを二寸四方ほとに切り候て
くさり付候ながき道服のやうに候甲もくろかねを白くみかき候て着候小手もくろかねにて矢も不立候
刀共にて候少もきれず候武具の事候鐵砲玉口三ッ明にて筒三ッを一ッにはり合わせ候一度にも
三度にも自由にはなし申候半弓も朝鮮のよりははりつ能く矢の箙木にて候叉刀は三尺はかりのも
二尺四五寸ものありさきは剣のやうに仕候馬の大きさけしからず候男もけしからず大き候上衆も
けしからずおぢ被入にや日本にてもかはとの働は稀成よし其沙汰候何も武邊つよき唐人かと上衆も
手ををかれ候や

裏に黒鉄をつけた道服のようなものというのは恐らく綿甲だろう。
「甲もくろかねを白くみかき候て着候」というのは↓のような鉄製のラメラーアーマーかな?
ttp://chinese-armour.freewebspace.com/images/swordpolearm.jpg (嘉靖帝と近衛騎兵)
あと旧式火器の「三眼銃」も言及されているようだ。

279 :世界@名無史さん:2006/08/30(水) 19:11:16 0
>仮道入明
「正史」には無い所謂「野史」の部類に入るのだろうが、万暦期には「秀吉漢人説」というのが明では一般的に流布していたようだ。
大雑把にこれを解説すると「平秀吉(豊臣秀吉)は元々は漢人で、倭寇に参加して功を立て、最終的に『日本国王』となった。そして日本の兵を以って明を滅ぼし、自らを中国の皇帝にしようとして兵を挙げた」というもの。

つまり、明側では「朝鮮を征服する為に挙兵した」のではなく「明を滅ぼす為に挙兵した」という認識を持っていた事になる。

280 :世界@名無史さん:2006/08/30(水) 21:03:55 0
明は大規模な倭寇ぐらいにしか考えてなかったとか司馬遼が書いてたような。
まあ司馬遼だからはっきりしないけど。

281 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 16:31:53 0
家丁ってのはあれだ、高級将校が貧農や犯罪者を金で雇った私兵で、格言の「よい鉄は釘にならず、
よい人は兵にならず」ってのを地でいくような存在。
むしろそんな連中に頼らなければならなかった明の衰退ぶりを象徴してるといえる。

282 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 16:54:02 0
なるほどな。
秀吉の撤退後、ほどなく遊牧民族風情に国滅ぼされてるしな。

283 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 17:38:57 0
李如松の家丁が、碧蹄館戦で身を挺して如松を守った話は泣ける。

284 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 18:55:45 0
age

285 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 22:37:43 0
別にあげる必要はないんじゃw

286 :世界@名無史さん:2006/09/01(金) 14:00:27 0
家丁は所謂一を以て十に當る、摧鋒、陥陣の士なり、というように当時の軍隊の中では精鋭でした。
平時は敵地の奥深くまで偵察行をおこない、戦闘では先鋒になって戦った。そのために中央政府にも
戦力として認められ、サラリーが出てました。

もともと辺境の危険地帯に派遣された将領の使用人なので、適性のある志望者は出自を問わず入れていた。
だから民間の腕自慢の他にも脱走兵やら無籍者やらモンゴル人やら多彩な顔ぶれだった。
そいつらは将領と主従関係であったうえに、有能な者は指揮官に引き上げられ、将領の苗字を名乗ったり
婚姻関係を結んだりして擬似的な家族関係を持ち、家臣団のように組織された。
この辺は唐の節度使に似てる。

有名どころでは李如松の副将だった査大受や、袁崇煥に殺された毛文竜なんかも家丁出身。

当時、軍事関係で身を立てたいと思ったら辺将の家丁になるぐらいしか道はなかったと思われる。
正規戦力の衛所軍では下級将校や兵卒の階級は世襲だったので。

287 :世界@名無史さん:2006/09/01(金) 17:28:17 0
うむ

288 :世界@名無史さん:2006/09/01(金) 19:32:33 0
関寧鉄騎!!

289 :世界@名無史さん:2006/09/01(金) 19:51:21 0
?

290 :世界@名無史さん:2006/09/02(土) 15:13:41 0
>>282
滅ぼしたのは叛乱軍だろ

291 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 00:02:41 0
>>282
漢人風情に滅ぼされてるね。
しかし、反乱によって国を滅亡させることができるというのはすごい。
日本など所詮は武装地主内での権力闘争に過ぎず、大多数の平民は無関係。
こんなだから愚直に規則を守ることを良いことだと勘違いしたり、「お上が何とかしてくれる」という愚かな考え方がはびこることになったんだ。

292 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 00:48:51 0
釣り乙

そういやヌルハチの頃の満州族の軍隊について読んでたら
綿甲のことを「10枚から20枚の綿布を重ねて矢を通さないようにしたもの」
とか書いてたんですが、普通は綿甲って布地の裏に鉄札を貼り付けた鎧
じゃないんですかね?

293 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 02:31:49 0
>>291
一応マジレス。
そのお上への信頼っていうのが成り立つってことは、日本の為政者がかなりな善政を行ってた証拠なわけで。
それが世界に類例のない治安の良さを実現したし、国家への帰属意識を生んで大戦での異様な粘りにつながってる。

294 :世界@名無史さん:2006/09/10(日) 20:11:55 0
>>290>>293は同じ事を語ってるだけだな。

というか二人とも天保〜幕末にかけての日本史を調べてみると面白いよ。
日本で全国的な反乱・国家崩壊が起きなかったのは住民が従順だったからでも
為政者が善良だったからでもないということが分かる。
それこそ水滸伝的な世界がある所にはあったからね。
流民が都市部に流れ込んだりとか、百姓の暴動で渡世人や博徒が先頭に立って
名主の屋敷に木砲をぶち込んだりとか、逆に百姓が民兵に組織されたりとか
そういうことが実際に起きてたから。

政権交代が易姓革命のような形をとらなかったのはシステムの違いが大きいだろう。

295 :294:2006/09/10(日) 21:02:16 0
>>291>>293でした。

296 :世界@名無史さん:2006/10/03(火) 09:06:44 0
フアン・ゴンザレス・デ・メンドーサ 『シナ大王国史』 第二部第一巻

ビレイ(巡撫)はこの日からエスパニャ人たちに何度か見物に出かけることを許可し、そして一行を
特別に歓待することを部下に命じた。そのひとつは、月の初めの何日かにわたって全国内でいっせいに
おこなわれる習慣になっている閲兵の儀式に一行を連れて行ったことで、これはまことにたいへんな
見ものであった。
この閲兵は市の城壁に接している広場で次のようにしておこなわれた。およそ二万名の槍兵(ピケーロ)
と火縄銃手(アルカブセーロ)がラッパと太鼓の音にあわせてじつに機敏に行動した。まず合図と同時に
進軍隊形をつくり、つぎの合図では密集隊形となり、そのつぎの合図では火縄銃隊が本隊から散開して
整然と射撃をおこない、ふたたびもとの位置にもどった。これが終了すると槍隊が散開してまことに巧妙に
目標に襲いかかった。その有様を見てエスパニャ人たちは、この軍隊が世界のどの軍隊よりも優秀であり、
もしもかれらの士気が旺盛で、その訓練と兵員数と同様に優っているならば、容易に全世界を征服する
ことができるであろう、とおもったほどである。

↑16世紀半ばの福州での記録だそうだが、ピケーロってパイク兵のことだろ?
何でいきなりパイク&ショットの編成になってるんだ?

297 :世界@名無史さん:2006/10/09(月) 22:03:37 0
やれやれ


298 :世界@名無史さん:2006/10/10(火) 07:50:50 0


299 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 22:27:21 0
月例屠城に上がりました。

300 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:44:36 0
300ゲット

301 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 02:07:06 0
ここだと屠城なのかよw

302 :世界@名無史さん:2006/11/14(火) 13:28:11 0
中国史上弓の名手は大勢いるが銃の名手ってのは聞いたことないな。

303 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 14:33:04 0
「海上の戦いに特別な戦術というものはない。大きな船が小さな船に勝ち、大きな銃が
小さな銃に勝つ。船の多い側が船の少ない側に勝ち、銃の多い側が銃の少ない側に勝つ」

と16世紀の明の武将・兪大猷は断言している。

白村江の戦いでは唐の艦隊が数で優る大和朝廷の艦隊を包囲して勝っているのに
その後900年でおそろしく退化してしまったようだ。

304 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 21:30:47 0
当時の唐の艦隊は、和船よりかなり巨大だったんじゃなかろうか。
ま、実際のとこはわからんけど、生みからの遠征ができてたんだから舟もでかかろう。

そうだとすれば、明時代の大将の言ってることは、大まかには当たってるな。

305 :世界@名無史さん:2006/11/30(木) 02:58:10 0
朝鮮の役のときも「倭人は鉄砲を使うがこちらは大砲、負けるはずがない」とか断言した武将がたしかいた
実際は明軍も火縄銃は使ってたらしいが

306 :世界@名無史さん:2006/11/30(木) 14:27:24 0
>>304
白村江の戦いはよく知らんからWikiを見てみたけど
唐は7000人が170隻に分乗してたから一隻約40人?
日本側は29,000人が1000隻だから一隻約30人か。
>>305
宋応昌なんかは
「説者謂、倭之鳥銃、我難障蔽、倭之利刀、我難架隔。然我之快鎗、三眼鎗及諸神器、豈不能当鳥銃」
とかいってたらしいですね。実際に戦ってみる前の話ですが。

307 :世界@名無史さん:2006/12/01(金) 22:15:53 0
白村江で倭・百済の兵力が上だったというソースは? ウィキ以外で

308 :世界@名無史さん:2006/12/01(金) 23:01:01 0
>>307
とりあえず、お前がwikiとwikipediaの区別もつかない知能障害者ってことは理解できた。

309 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 02:34:26 0
「三国史記」に日本側の艘数
「日本書紀」に唐の艘数が書いてある

310 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 11:24:13 0
唐・日本は遠征しているからそれなりの大きさの船だと思うけど
現地の百済は普段生活で使っている釣り船クラスも合わせてカウントしているような気がしますが。
民衆がが避難に使ったり、輸送任務などで現地徴発船も入ってる可能性があるし


311 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 13:14:10 0
韓国の国立博物館で三国時代の船があるそうだけど
一人漕ぎの胴がふくらんだカヌーみたいな船らしい。

遣唐船なんかは2本マストでそれなりの大きさだったようだけど。

312 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 16:09:46 0
白村江に限らず釣り船クラスでも戦に参加するもんなのか?

313 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:53:51 0
>>312
日本、中国などの史料や兵書でも大将クラスが乗るのは大型船だけど、数人乗りの小型船も記述されている。
日本だと物見船、中国だと艇、先登、赤馬とか種類もいろいろあったみたい。

小型戦は、敵に見つかりにくく、小回りも効くので偵察・連絡手段としてや、
奇襲戦(泳ぎが得意な人間がそっと敵に近づいて潜り、船底に穴を空けるとか敵船に上がって戦う)など使われ方も載っている。


314 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 14:20:08 0
そこで最近話題になってたコレ
ttp://sky.geocities.jp/jyunpujyunpu/nhksptaikanokaisin/hakusonkou

315 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 20:22:25 0
>>314
あー、電波を感じますな。
北宋時代に編纂された=北宋時代の軍船を描いたものって決め付けているところが。
武経総要は当時の最新軍事技術のみを書いた書物じゃないよ。軍事に関する百科事典みたいなもの
現代の百科事典に書いてある400年前の説明(関が原くらいだな)が現代の技術を基準に書いてあるか?って考えればわかりそうですが。

(1)引用されている絵は唐のものではない
(2)唐の時代の船と(1)の時代の船は構造が違う(1だけだと、全然進歩してないなら唐の船も同じ構造ってことになるから)
って2点をきちんと説明出来ないと。

316 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 21:14:07 0
>>315
常識では380年も経てば大きく技術は変わる。
中国が進歩の無い化石のような国家で、常識に反して唐の時代の船と北宋時代
の船が変化してないことをキミが説明出来ないとな。

317 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 21:21:02 0
>>316
そういうことを言ってるんじゃないの?

318 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 21:37:37 0
は?

319 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 21:51:33 0
>>315
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
北宋時代の『武経総要』の船が、380年前の唐初期の船を描いてるってかーーーーー!!

320 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 22:05:50 0
いや、そこで思考停止しちゃマズいだろ世界史板住人として

321 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 22:31:25 0
>>319
>北宋時代の『武経総要』の船が、380年前の唐初期の船を描いてるってかーーーーー!!

今現在売っている本で、軍事に関する絵やCGが載っているとして
 ・昔のものをそのまま載せている(信長などの肖像画とか、合戦の屏風図)
 ・現在までの長い間の研究をもとに想像図や復元したもの(安土城など現在では失われたものを根拠があって描いたもの)
 ・現在存在しているもの(自衛隊の戦車を撮影した写真)
があるだろ?

戦車の写真をもとに戦国時代の戦争を説明したらそれは間違っているが上の2つの例は間違っていない
(研究結果が間違っているということはある)

そもそも、例のNHKのCG批判している人は北宋時代と唐で軍船にどんな変革があったと思ってるの?
大きく変わったといえば火薬使用だけど、それはNHKのCGには出ていない。
巨大な船で遠征したのは、早くは三国時代(呉から遼東や台湾)などで実例があるんだが。
純軍事に限らないと秦の徐福とか。
途中寄港も出来ない遠距離を数千人レベルの人がどうやって移動すると思ってるんだろう?







322 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 22:46:15 0
>>321
隋代ですら大運河を大船が行き来してたわけだからな。

323 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:10:58 0
>>321
だから〜 『武経総要』の船が同時代の技術を載せたのじゃなくて
遠い昔の技術を載せたって根拠は?

324 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:12:12 0
>>321
唐初期〜北宋期は相当造船技術や航海技術の進歩があったはずだぞ。
例えば、遠洋航海には欠かせない羅針盤が使われだしたのも北宋時代だし。
羅針盤を使った遠洋航海の開始によって、本格的な外洋船が建造され、
造船技術が発達したわけだし。

しかも『武経総要』の絵とCG船がどれだけ大きさが違うか。
誇張するにしても普通2割り増しとか3割り増しとかでしない?
あれ体積比だったら確実に100倍以上だぞ!!www

>徐福
そんな消息不明になった人を出さないでくれw

325 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:13:46 0
てゆうか、あのCGを肯定する人の気が知れない

326 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:15:55 0
船の大きさはともかく(絵と比較してどうするw、文章記述があるだろ)
宋代にあんな古典的装備はないだろうなw

327 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:17:02 0
>>322
運河を行きかう船じゃ黄海横断するの無理じゃね?

328 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:22:06 0
>宋代にあんな古典的装備はないだろうなw
そうか? じゃ宋代はどんな装備だ

329 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:23:29 0
宋代の船は車輪がついた外輪船じゃなかったか?

330 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:31:09 0
>>329
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
宋代は外輪船艦隊の時代?
存在したかどうかはともかく、標準的なものではなかっただろ<外輪船

331 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:32:02 0
>>329
宋代の船の記述はは明代の資料に書いてあるものだから捏造、とか言いそう。

332 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:39:52 0
外輪船としてはこのへんとか
ttp://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/sokansen.htm

333 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:43:21 0
『武経総要』に唐初の技術だとの記述がない限り、書かれた時と同時代の技術の記述と見るべき。

>>321
>今現在売っている本で、軍事に関する絵やCGが載っているとして
今のこいうのだって、「いつの時代の物」とか明記してるだろ。

334 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 23:47:14 0
誰か『武経総要』持ってるやつがいればいいんだが

335 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 02:02:58 0
南宋の外輪船の再現図 オスプレイの本より
ttp://server2.uploadit.org/files/shaggyback-sungpaddleboat.jpg

336 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 21:32:47 0
元寇で外輪船は使われなかったよね。
なんでかな?
外洋では使用不可なのかな?

そもそも、内陸の河川、運河でも、一般的なのは櫓走船じゃね?

337 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 23:51:27 0
昨日の話の流れを見て、書店でちょっと調べてみたけど

>>336
>元寇で外輪船は使われなかったよね。
学研の歴史群像シリーズの本「図説 中国武器集成」って本に漢と明の時代の水軍のイラスト・説明があった。
明の船には外輪船があったんだけど、河川などでは使われたけど、外洋だと波のせいで外輪の性能が落ちるので
外洋向けではあまり使用されなかったというような説明がついていました。

後、NHKのCGで出ていたクレーンみたいな形で近寄ってきた小型船の上から重量物を落として破壊する武器が
隋が陳を攻めたときの船に実装されていたとの記述もありました。
高さ15mで6基(だったかな?立ち読みだったので)装備と明確に書いてあったから当時の記録に残っていたのでしょう


338 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 00:05:22 0
>>337に続いてもう一つ
吉川弘文館から出ている戦争の日本史シリーズの1巻目に白村江の戦いが載っていて
そこには、例の武経総要の絵が付いていて”唐の”軍船とはっきり書かれていました。
だから、その筆者はあの絵がはっきりと唐代の船を描いていると判断してるんだと思う。
宋代のもので唐代とは形が異なる可能性があるなら”中国側の軍船”とか、絵は”絵は宋時代のもの”って注釈を付けそうだなと。

また、唐側の記録では、唐の船を軍船、日本側の船を舟と表記していて
これは両者のサイズが異なることを表現しているのだろうと推測されていました。

さすがに武経総要そのものはなかったです。w
どっちの本も最近出た本だしそこそこ歴史関係の本が揃っている一般書店ならあると思うので、参考までに。


339 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 01:23:20 0
>吉川弘文館から出ている戦争の日本史シリーズの1巻目に白村江の戦いが載っていて
>そこには、例の武経総要の絵が付いていて”唐の”軍船とはっきり書かれていました。
>だから、その筆者はあの絵がはっきりと唐代の船を描いていると判断してるんだと思う。

その本もインチキという判断でFA。
全然違う時代の絵なんか持ってきちゃダメだろ。

340 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 01:48:09 0
まあ、NHK的には
「他にも同じ事やった奴もいるじゃないか!!」
と言い訳出来るなwww

341 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 11:53:54 0
インチキだという根拠が薄いな
武経総要に同時代のものだと書いてあるのか?
ファイナルアンサーするくらいだから、「宋代に書かれた唐の船」
ではないという確固たる証拠があるんだよな?

342 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 12:12:40 0
315が絶賛発狂中

343 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:10:37 0
この季節に楼船なんか海に出したら風で横倒しになるんでない?
五牙だって川船だろうし。

344 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 16:36:55 0
武経総要の絵が「宋代に書かれた唐の船」なんて言ったらそれこそインチキ

345 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 16:45:40 0
で、実際唐の船はどんなんだったの?

346 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 20:50:59 0

>>345
>で、実際唐の船はどんなんだったの?
インチキって言ってる人はそれで証明すんだって思ってるから、
唐代の船と宋代の船の違いなんて調べないんじゃない?

あの絵が唐代の船のものだって言っている人は、あの絵のとおりって話になるし。




347 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 21:07:38 0
宋代の歩兵が重装歩兵だったんだな
金かかるわけだw
軽騎兵の満州族やモンゴルに負けるわけだ

348 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 21:10:40 0
三国志に出てくるようなウェディングケーキみたいに段状になったガレー船と
元・明・清のジャンク船の間の過渡期みたいな感じでしょうか?>唐代の船

隋の煬帝の御座船は前者だったような。

349 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 21:12:29 0
>>347
金の重装騎兵に対抗してたらしいですね。

350 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 23:45:14 0
後唐の頃は騎兵中心と思うのですが、
宋が歩兵中心なのは遼・西夏に馬の産地を抑えられたという理由?
華北おさえてるんだから、ある程度の質量の馬は確保できそうに思うんだけど。
それとも何か軍事上の改革があったのでしょうか。


351 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 02:03:29 0
>>350
金国も内蒙古の馬産地を奪われてからガタガタになったような

352 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 20:09:40 0
>>350
重装騎兵からトレンドが重装歩兵にかわっただけじゃない?
追撃が出来ないから会戦方式で宋が勝ってもどうにもならなかったみたい

353 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 21:01:34 0
>>352
北朝〜隋 重装騎兵
唐 軽装騎兵
宋 歩兵 という流れだったと思う。

北朝時代(北斉と北周)は重装騎兵が正面からぶつかるような感じで戦っていた。
唐の太宗(李世民)が軽装騎兵中心の軍備にして機動力を重視する
宋軍も元は沙陀族の後唐起源の軍だろうから騎兵中心でも不思議じゃないのに
歩兵が中心なのはなんだかなと。

他の十国を攻めるには地形や城攻めのために歩兵も増やすだろうけど、
西夏・遼との戦いでは騎兵が必要不可欠なのは判っていただろうし。


354 :世界@名無史さん:2007/02/20(火) 09:38:11 0
>>353
>唐の太宗(李世民)が軽装騎兵中心の軍備にして機動力を重視する

そうなんですか?
隋唐の軍隊って徴兵された農民がとぼとぼと高句麗まで歩いていくようなイメージが
いや、詳しくは知らないですけど

355 :世界@名無史さん:2007/02/20(火) 14:23:02 0
まあ唐でも歩兵のほうが多かったことは間違いないけど
全軍の三割くらいが軽騎兵だったし、
騎兵単独での運用もよくあった(李靖が突厥を長距離奇襲したときとか)
ので軽騎兵重視の時代だったといえる

356 :世界@名無史さん:2007/02/20(火) 17:11:15 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

357 :世界@名無史さん:2007/02/20(火) 17:40:46 0
>>354
無理だっつーの(w
補給考えろ(w

358 :世界@名無史さん:2007/02/20(火) 20:11:29 0
8世紀西安城内にあった軍隊と突厥の軍って何か違いあったノア?
服装、武器、その他。

359 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 13:43:33 0
よく分からんけどとりあえず突厥の画像置いておきます
ttp://tinypic.com/jsj6nr.jpg

360 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 13:50:51 0
こっちは漢人っぽい服装だな・・・
ttp://img79.imageshack.us/img79/8480/turk28kt.jpg

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