2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ロシア古代中世史

1 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 15:23:06 0
スラブ民族の東漸、ヴァイキングの植民、キエフ・ルーシ、タタールのくびき、
モスクワvsトヴェリ、モスクワvsリトアニア、等。

2 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 16:38:34 0
スラブ民族はもともとどの辺りにいたの?

3 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 16:47:30 0
現在のドイツ・ポーランド国境あたりでは?

4 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 17:08:31 0
一番よく聞くのはカルパチア山麓。
その他にもウクライナだとか中央アジアだとか・・・

5 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 17:33:13 0
「原初年代記」にギリシャ人から見たバーニャの記述を載せてるのはギャグとしか思えない。

6 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 18:27:17 0
>>3
ゲルマン民族が移動する前はどこにいたの?

7 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 19:09:00 0
>>6
ポーランドからウクライナあたりまで散らばってたんじゃないの?

8 :世界@名無史さん:2005/07/12(火) 19:46:46 0
>>7
その辺りはゴート族がいたんじゃなかったですか?

9 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 00:18:22 0
最近読んだ本ではこれ↓面白かったですよ。

「白樺の手紙を送りました 〜中世ロシアの都市生活と歴史〜」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4634646501/250-0366455-3348278
 

10 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 11:16:56 0
前から思ってたんだけどクニャージって王と訳したら駄目なの?
キングとかと同系統の言葉なんでしょ?

11 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 15:17:14 0
>>9
樹皮に鉄筆で書いてるやつですね。
「神のしもべオンツィフォルを守り給え」とか、そんな感じだったかな?

12 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 21:55:19 0
古代ロシアないしスラヴ人の男色は、どの程度
盛んだったのでしょうか?

13 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 00:13:28 0
キエフ大公オレーグがビザンツ帝国を攻めるのに使った「車輪付き舟」
ってどんなの?

14 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 12:14:01 0
>>10
クニャージの中の有力な者が後に「大公」を名乗ったからねえ。
「モスクワ大公国」を「モスクワ王国」と訳す人間はおらんな。
その後は「ツアーリ」(皇帝)を名乗ったので、外国の王以外「王」の
称号を使うことはなくなってしまった。

15 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 20:05:03 0
候国って表記はたまに見かけるな。

クニャージが公と呼ばれるのはビザンツの帝権との関係だろうか?
それともカトリック圏の基準で王としての要件を満たしてないからだろうか?

16 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 21:00:11 0
「大公」は日本でいえば「大王」(おおきみ)みたいなの?

17 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 01:02:41 0
古代中世…って資料あんのか?ロシア

18 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 13:49:39 0
ロシア原初年代記とかw

19 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 15:56:57 0
>>17
ビザンツの資料は?

20 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 16:05:56 0
『原初年代記』に限らず、『キエフ年代記』、『ノヴゴロド年代記』、
『ガーリチ・ヴォルイニ年代記』、『ニコン年代記』など、
ロシアの古代・中世史に関する主要な史料は日本語訳や英語訳が出とる罠。

21 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 17:16:02 0
古代のロシア人についてはアッバース朝からヴォルガ・ブルガール国へ派遣された
アラブ人の使節が記録を残している。

それによると、朝になると「ルーシ」たちの首領には一つの洗面器が渡される。
首領は洗面器で顔を洗い、鼻をかみ、つばを吐く。
それが終わると洗面器は下座のものに渡され、下座のものは同じことをする。
それを繰り返して一族郎党全員がひとつの洗面器で用を足すのである・・・

22 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:37:55 0
イブン・ファドラーンだな

23 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:55:03 0
「ヴォルガ・ブルガール旅行記」 イブン=ファドラーン著

24 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:55:47 0
アントニオ・バンデラスがイブン・ファドラーンを演じた映画
「13ウォーリアーズ」でもそんなような光景が描かれていた罠。

25 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:58:11 0
「ルーシ」ってヴァイキングなのかスラヴ人なのかよく分からんのですが

26 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 22:00:44 0
ビザンツはキエフ・ルーシから獣皮、毛皮、乾燥および塩蔵の魚、琥珀、
蜂蜜、北バルカンからの毛皮・亜麻・蜂蜜・金属等を輸入していた。

27 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 00:30:12 0
エルベスラブとルーシって同根なん?

28 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 12:46:41 0
>>25
イブン・ファドランの記録に出てくるルーシはスカンジナビア人とされることが多い。

ジョージ・ヴェルナツキーの「ロシア史」ではアラン人の氏族にルフス・アスというのがいて
それがルーシの元になったとか書いてたけど、何が根拠なんだろう?

29 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 14:03:05 0
>>26
ルーシの輸出品といえば忘れてはいけないのが奴隷

30 :世界@名無史さん:2005/07/17(日) 16:42:35 0
ルーシが最初にビザンツを攻撃したのは860年のこと。
200隻の舟で河を下り、いったんアナトリアの沿岸地方を荒らしまわり、
皇帝ミカエル3世の不在に乗じてコンスタンティノープルの港を占拠。
このときは暴風雨によってルーシの軍勢は撤退を余儀なくされる。

31 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 03:25:23 0
ドン・コサックも船隊でコンスタンティノープル襲ったりしてたらしい。
その時はもうオスマン帝国の時代だけど。
コサックの「チャイカ」ってヴァイキング船が進化したものだとか。

32 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 14:48:34 0
>>31
9世紀にルーシがビザンツを攻めたときには、モノクシュラ(丸木のカヌー
という意味のギリシア語)と呼ばれる舟に乗っていたそうでつ。
樺か柳の長い幹を刳りぬいて造られ、細長くて狭い船底からは厚板が両側へ
高く張り出されて船は全体として長さ60フィート、高さ約12フィート
でした。
これらの舟は甲板がないかわりに二本の舵と一本のマストが付いていて帆と
オールで前進し、40〜70人の乗組員と、彼らの武器や真水、塩魚の蓄え
を積み込むようになっていました。


33 :世界@名無史さん:2005/07/19(火) 16:37:48 0
>>27
いや、多分同根じゃない。
エルベスラブはポーランドやチェコと同じ西スラブ人。
ルーシ人はスカンジナビアから来た連中と東スラブ人の混血。

34 :世界@名無史さん:2005/07/20(水) 23:32:53 0
907年にキエフ公オレーグがコンスタンティノープルに来襲する。
このときはビザンツ側がボスフォラス海峡を防衛していたので、
ルーシの軍勢は舟を地峡を越えて運んだ。
(船を陸上に引き揚げて車輪に載せ、城壁の攻撃に使用したということ)
オレーグはリューリクの死後、彼の子供たちの摂政という立場で権力を
にぎり、キエフの公になった。

35 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 00:26:32 0
>>33
その辺て宗教どうなってんだっけ?
ルーシの方は正教に改宗したが元はどっちも土着宗教持ってたんだったか。
エルベの方はカトリック?

36 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 10:54:22 0
>>35
チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリー、スロベニア、クロアチアが
ローマ・カトリック。
ベラルーシ、ウクライナ、ロシアは東方正教。

37 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 16:22:46 0
>>34
それって実はメフメト2世より500年早いんじゃ・・・

38 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 18:08:06 0
ルーシによる第三回目のコンスタンティノープル来襲は941年のこと。
リューリクの息子イーゴリが、ビザンツ帝国がアラブ軍と戦っていたのに
乗じて攻めこんだ。
しかしビザンツ側は壊れた古い15隻のガレー船に、「ギリシアの火」の
発射管を何本も据え付けて突入した。
この攻撃を食らってルーシの兵は舟から海に飛び込み、トラキア海岸に
逃れた者は農夫や兵士たちの手で惨殺された。
結局ルーシの舟で逃亡できたのは三分の一にすぎなかった。
そして945年に、イーゴリは新たにビザンツ帝国と通商条約を結ぶ。

39 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 20:56:47 0
第二のローマであるコンスタンティノープルは東西教会合同という
裏切りのために異教徒に征服され、第三のローマであるモスクワは
永遠のローマである。

中国が夷族(女真)に支配されている今、真性の中華は我ら李氏朝鮮である。

40 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 21:52:34 0
スヴャトスラフ可汗最強

41 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 22:42:53 0
>>40
スヴャトスラフは熊の毛皮に身を包み、馬の鞍を枕に地面に寝て、馬肉を
炭火で焼いて食べたと伝えられる。
ビザンツ皇帝ニケフォロス2世の誘いを受けてブルガリアを攻撃。
ルーシの軍勢はブルガリアの騎兵隊に勝利し、ブルガリア国王は戦死して
子供たちは捕らえられた。
しかしスヴャトスラフはこれだけでは満足せず、さらに南に進んでビザンツを
征服しようとし、ビザンツの使節カロキュレスはスヴャトスラフと通謀した。
首尾よくコンスタンティノープルを征服した暁には財宝を山分けする約束
だったのである。
しかし、新皇帝ヨアンネス1世ツィミスケスはマルキアノポリス(ペリストラバ)
を占領してブルガリア王の息子たちを解放。スヴャトスラフは相次ぐ敗北で
ドナウ河畔のシリストラまで撤退。ビザンツ軍に包囲されて兵糧のつきた
ルーシはついに降伏。
その後、スヴャトスラフはキエフに帰る途中、ドニエプル河畔の早瀬で
ペチェネグ人の襲撃を受けて討たれる。ペチェネグの公クリャは
スヴャトスラフの頭蓋骨に金を張り、それを杯として酒を飲んだ。

42 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:55:40 0
>スヴャトスラフ可汗
ギリシャで捕虜にした美貌の修道女を息子にプレゼントした人ですね!

43 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:33:13 0
>>42
ウラジーミルはギリシア人修道女の他に、
ポロツク公の娘ログネジを奪って彼女の父と兄を殺しているね。

44 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 11:15:45 0
ビザンツ資料だとスヴャトスラフは「頭を剃り上げて片側に髪の房を残していた。
これは彼の種族では貴族のあかしだった」と描写されているが・・・
ひょっとして後世のザポロージェ・コサックみたいな髪型だろうか?

45 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 12:22:25 0
ロシア史の画像
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His.html
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His2.html
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His3.html
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His4.html
ttp://www.ibiblio.org/sergei/Exs/His/His5.html


46 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 12:25:06 0
>>44
>頭を剃り上げて片側に髪の房を残していた

ttp://www.koza.kiev.ua/img/svyatoslav.jpg
↑こんな髪型?


47 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 12:28:32 0
>>46
すごい。清代の中国人みたいな弁髪だ。

48 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 12:45:20 0
中世ロシアの軍隊の画像
ttp://www.amazon.com/gp/reader/1855328488/ref=sib_dp_pt/103-8198892-9578261#reader-link
ttp://www.amazon.com/gp/reader/1841762342/ref=sib_dp_pt/103-8198892-9578261#reader-link
胸甲や兜やドラムは遊牧民のものによく似ている。

49 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 15:29:43 0
ところでなんで可汗?

50 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 16:13:40 0
>>49
気分の問題

51 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 16:50:36 0
>>48
こっちの方が
ttp://web.archive.org/web/20040208153507/http://www.warclub.enjoy.ru/gallery/soldiers.html

52 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 22:26:17 0
スヴャトスラフがハザール・ハン国を滅ぼした結果、
ルーシはペチェネグ人に悩まされることになった。

53 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 14:34:53 0
ハザール可汗国はスヴャトスラフの遠征で滅ぼされたといわれているけど
ウラジーミル大公の治世にハザール人がユダヤ教の布教にきたという話があるし
13世紀のプラノ・カルピニの記録にもユダヤ教徒のハザール人が出てくるらしい。

54 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 21:18:00 0
そういえば山川の「ポーランド・ウクライナ・バルト史」に
初期のキエフ・ルーシの公が可汗の号を名乗っていたのは
ハザールの後継国だから、みたいな話が載ってたけど・・・

55 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 23:13:51 0
ttp://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/rus.gif
キエフ・ルーシ時代の諸勢力の地図
ハザールは南はアッバース朝と、東北はブルガールと、北西はルーシと
接していた。

ttp://kumism.boo.jp/history/archives/000187.html
9-12世紀ごろのキエフ公国の地図

56 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 11:02:58 0
この時代はハザールのほうがキエフ・ルーシより文明度が高かったの?

57 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 11:14:38 0
>>54
逆にペチェネグ人やポロヴェツ人の可汗に対して、公(クニャージ)という語が
使われている例もある。

58 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 19:04:21 0
>>56
キエフもハザールの将軍クイが建てたものだとか・・・
>>57
ロシアに影響力をふるってないとツァーリにはなれないわけだ。

59 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 20:51:17 0
ノヴゴロドは、バルト海とコンスタンティノープルを結ぶ交易路に位置して
おり、ハンザ同盟諸都市やイギリスとも広く交易し、古くから商業都市として
栄えた。
宮廷のあったキエフとは異なり、ここでは外国人商人が聖堂を寄進した例もある。
また、ノヴゴロドはロシア北部へのキリスト教布教の拠点としても重視
されていた。


60 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 21:58:17 0
ウラジーミルの息子ボリスとグレープはロシア正教会の聖人。

61 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 15:17:40 0
イヴァン雷帝の頃の文書で、ノヴゴロドを「ホルムガルド」と呼んでる例があったような気がするが
そんな古称が後世になっても通用してたのか。

62 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 16:03:49 0
>>58
ツァーリはハーンのロシア語訳だって聞いたが

63 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 19:11:11 0
>>62
ブルガリアのアセンは「ツアール」と名乗っていたけど、
これは何の訳なんだろ?

64 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:24:08 0
>>62
>>63
「カエサル」のスラヴ語形だって教わったが。

でもその割にビザンツ皇帝の称号は「バシレウス」で
カエサルというと副帝のことなんだよな。

65 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 20:44:59 0
ローマ帝国末期から、
正帝=アウグストゥス、副帝=カエサルだったね。
帝国の公用語がギリシャ語になってから、「バシレウス」が
用いられるようになった。


66 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 11:05:50 0
バシレイオス(ヴァシレフス)はペルシアの「シャー」のギリシャ語訳
7世紀にササン朝を破って「キリスト教徒のバシレイオス」(=ローマ皇帝兼ペルシアの王)
を名乗った事から

どこでくい違ったか東欧スラヴは東ローマ皇帝をツァーリ(カエサル)と呼び、
モンゴル支配下のルーシもキプチャク汗を皇帝に準じてツァーリと呼んだ
ピョートル1世がロシア帝国を名乗る際「インペラートル」(「インペラートル・カエサル」=正帝)
を用いたが、結局ツァーリの方が固定された

67 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:09:49 0
近代のブルガリア(まだオスマン朝支配下)で書かれた小説を読んでみたら
農民がコンスタンティノープルのことを「ツァーリグラード」と呼んでいた。
たぶん一般のスラヴ人のあいだではずっと使われてたのか。

68 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 22:53:30 0
モンゴルが遠征では男性は皆殺しにし、女性を徹底的に強姦しました。本当に凄まじい
輪姦だったそうです。その結果、夥しい数の混血児が産まれました。
「白ロシア」という言葉を聞いたことがあると思います。主にベラルーシを指すのですが、
これはモンゴルに蹂躙されておらず、純血が保たれているという意味で「白」が付いてい
ます。ロシア、ウクライナはモンゴルと混血したため含まれません。
なお、似た言葉に「白系ロシア」がありますが、これは非共産系という意味ですので
混同しないように。

69 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 03:32:54 0
ロシアがモンゴルにあっさり征服されたのは、ロシアの公たちが
内輪もめを繰り返していたせい?

70 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 12:50:39 0
>>68
ベラルーシのナショナリストが言ってる与太話だな。
まあ連中はリトヴァという別の野蛮人に蹂躙されたわけだが。
>>69
それに加えて当時のロシアでは都市の防壁が木造だった。

71 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 14:40:01 0
ロシアの専制政治はモンゴルの影響だ、なんていうヤシがいるが、
ビザンツの影響の方がおおきかったと思われ。

72 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 16:39:05 0
>>71
司馬遼太郎あたりかな。
金帳汗国のハーンは命令書を出す際にも大部族の長たちの印が押されてないと
効力がなかったようだし、イブン・バトゥータがチャガタイ汗国を訪れたときの
記録では、ハーンがヤサにもとる行為をすると首領たちによって玉座から
引きずり下ろされる、みたいなことが書いてある。
ハーンといっても必ずしも専制君主のような権力をもっていた訳ではない。

73 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 22:24:02 0
帝政民主主義国家ロシア プーチンの時代
中村 逸郎著
出版 : 岩波書店
ISBN : 4-00-024013-7

「プーチンの時代」はロシア市民にとってどういう時代か。その支配の
メカニズムと内在する問題を明らかにしつつ、「慈父たるツァーリ」に
すがるほかない市民生活の実像と揺れ動く彼らの意識を聞き取り調査から
浮き彫りにする。




74 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 01:38:18 0
>>71
ロシアの専制政治には西欧の影響もある。
ピョートル大帝は、英国国教会やドイツのルター派教会を観察して
聖務会院制度を開発した。聖務会院の多くのメンバーはツアーリが
指名した役人であり、
ツアーリの秘書になった聖職者たちはすべて西欧で教育を受けた者だった。
これ以後、痛悔機密が政治的な捜査の手段に使われたり、痛悔を怠る信徒が
報告されて罰せられるようになった。


75 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:24:52 0
>>68
その理屈だとノヴゴロドやプスコフ、ヴャトカも入ってないとおかしいな

76 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 18:16:35 0
>>75
これらの地域は森林によって隔絶されていたためモンゴル支配を免れた。

ノヴゴロドは12世紀にキエフ公国から独立し、大貴族(ボヤール)と
自由市民とで組織する民会(ヴェーチェ)によって統治された。

77 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 23:01:12 0
ヴャトカってフィン系狩猟民の勢力?

78 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 22:34:56 0
>>30
『原書年代記』では、このときコンスタンティノープルを攻めたのは
アスコルドとディルというキエフの豪族ということになっている。
彼らは総主教フォティオスの持つ聖母マリアの衣が奇蹟を起こしたのに
感じ入ってキリスト教に改宗したと書かれている。

79 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 23:12:59 0
リューリクの兄弟シネウス、トルーバルというのは、ノルド語のsin hus「彼の家族」
treu waer「忠実な戦士たち」をスラヴ人が聞き違えたものだという説があるらしい。

80 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 00:52:55 0
ロシア貴族の3分の1はモンゴル系って本当ですか?
モンゴル支配下で混血が進んだんですか?

81 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 12:34:15 0
ttp://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/mikhnik.htm
かつてペレストロイカの最中に、あるエストニアの学者が、今日のロシア人は、
モンゴルに征服されたときにロシア女性がモンゴル男性に強姦されて生まれた
人間の末裔であり、だから野蛮なのだという趣旨の発言をして、物議を醸した
ことがある(3)。これほどあからさまな人種差別的発言はさすがに珍しいが、
ロシアは「モンゴル的」「タタール的」「アジア的」であり、だから
「ヨーロッパ」たるバルト三国やポーランドよりも劣っているし、民主主義に
遠いのだ、といった発言は決して少なくない。そのような論理に従うなら、
モンゴル人やタタール人は一体どうしたらよいのかなどという問題は、
こうした発言をする中欧諸国の人の念頭には全く浮かばないかのようである。

82 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 16:21:11 0
>>80
ルーシ諸公国は政治的にはひんぱんにタタールに介入されてたけど
ロシア人と遊牧タタール人は森林地帯とステップ地帯で住み分けてたので
あまり交流はなかったらしい。

その傍証になる例。14世紀のペストはクリミア半島のジェノヴァ人植民都市カッファから
ヨーロッパに伝染したのは有名な話だけど、ハンザ同盟とノヴゴロドを経由して、
やっとモスクワまでたどり着いてる。

83 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 16:26:42 0
ロシアのタタール系貴族は、モスクワ大公国に征服されて帰順した連中。
カザン汗国出身のカシモフ家とか、マンギト部のエディゲが先祖のユスポフ家とか。

84 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 21:42:31 0
ガーリチ・ヴォルイニ公国のダニエルは、西欧の勢力と手をつないでモンゴル
軍を撃滅しようと考えた。
ローマ教皇はダニエルがカトリックに改宗することを条件に、十字軍を送る
ことを約束した。しかし、国民が反対したためこの計画は失敗し、ガーリチ・
ヴォルイニ公国はモンゴルに鎮圧された。
この後、ポーランドのカジェミシ3世は、十字軍を結成し、ロシアを正教と
モンゴル支配から解放するという名目で、まずガーリチ地方を占拠し、次いで
ノヴゴロドも影響下に置いた。

85 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 16:25:07 0
13C後半のガリチ・ヴォルイニ地方
ttp://www.personal.ceu.hu/students/97/Roman_Zakharii/gal.htm

86 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 17:09:52 0
どっかのスレで、中国が小国分立でなく帝国化したのは、遊牧民の圧力に
対抗するためと書いてあったが、
ロシアの場合はどうなんだろ?

87 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 16:11:30 0
>>86
モスクワ大公家が「全ルーシのツァーリ」になれたのは、タタールの力をうまく利用して
ライバルを潰してきたというのも大きいのでは?
イヴァン銭袋公なんかはヴィホード(ハンへの貢税)の徴収者として力をつけた訳だし。

農耕社会にたいする遊牧民の脅威は、ふつうは騎馬軍団による略奪行という形で現れるけど
金帳汗国が健在だった頃はむしろ、ルーシ諸公の内訌にタタールが武力介入してきて
その結果ロシアが荒廃するパターンが多かったようですね。

88 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 16:40:09 0
府主教ピョートルがロシア正教会の中心をウラジーミルからモスクワに
移したのは、イヴァン銭袋公の時代だったっけ?


89 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 16:52:11 0
>>88
たしかそうだったと思う・・・
中心を移したというより緊急避難みたいな感じだったらしいですが。

90 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 13:55:19 0
ロシアの場合西と東からまったく別のタイプの軍隊が攻めてくるのがキツい。

91 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 14:48:18 0
>>90
中世では、ロシア=弱小国、ポーランド=強大国。
スウェーデンやドイツ騎士修道会も攻めてくるし。

92 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:38:00 0
スウェーデンのノヴゴロド侵略って地味に「十字軍」なんだよな(w

93 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:44:55 0
>>92
アレクサンドル・ネフスキーが最初に直面した敵はモンゴルではなく、
この十字軍だった。
スウェーデン十字軍はリガをロシアでの根拠地とし、ノヴゴロドと
プスコフをおさえようとしていた。
結局アレクサンドル・ネフスキーが1240年と1242年の2回にわたって勝利。


94 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 11:55:19 0
チュード湖の戦いの十字軍は100人程度だったっていう人いるけどどうなん?
それは騎士だけの数じゃないのかって以前から疑問に思ってたが。

95 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 13:13:40 0
>>94
正確な数はわからんが、ロシア側に比べて劣勢だったのは確からしい。
もともと騎士修道会はローマ教皇の呼びかけに義理で応じて、本気で
ノヴゴロドの征服を目指していたわけではないから。

96 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:23:32 0
>>92
第四回十字軍以降、「分離主義者」たる東方正教徒にも
十字軍を送るようになった。

97 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 00:06:22 0
エイゼンシュテインの「アレクサンドル・ネフスキー」に出てきた十字軍は
思いっきり邪教徒扱いされててかなり笑えたな。

98 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 01:00:12 0
>>97
ttp://freemasonry.bcy.ca/anti-masonry/swastika/nevsky.html
ttp://www.carleton.edu/curricular/MEDA/classes/media110/Severson/pics/alexnevskystill.gif

こんな感じ?

99 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 01:03:26 0
>>98
それ。というかスワスチカ付いてたのかよ!

100 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:16:12 0
>>90-91
ロシアの覇権主義は、東西から攻められていた頃の反動と考えると腑に落ちるものがある。

101 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:22:00 0
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa18.html
エイゼンシュテイン式ネフスキー

容易に想像できることでしょうが、登場するドイツ人たちは完全な悪玉
です。特に前半のプスコフ征服のシーンにおいてしかりで、騎士団長
自ら意味もなく赤ん坊を火の中に投げ込むという残虐超人ぶりを
見せつけ、ドイツ憎しの感情を否が応でもかき立ててくれます。
もう一つ、注目すべきは騎士団に属する歩兵の兜。これがドイツ軍の
ヘルメットにそっくりなのです。もちろん完全に同じというわけでは
なく、視界を確保するスリットを残して顔の上半部を完全に覆っている
ため印象はかなり違っています。どちらかと言うとトルメキア軍
(「風の谷のナウシカ」)のヘルメットに似ていますし、「北斗の拳」
では拳王軍にも同じような輩がいたような。ただし耳の横から後頭部に
かけての広がりはドイツ式ヘルメットの特徴を残しており、映画の
作り手がナチスの軍隊を意識していることは明らかです。
容赦ない殺戮を行うドイツ騎士たち、歩兵の頭にはナチ式ヘルメット…
露骨ですね。同時代のドイツ人にとっては嫌がらせ以外の何物でもない
でしょう(そのつもりで作っているとは思いますが)。

102 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:23:05 0
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/zatuwa18.html
一方でドイツ騎士団にはこれ見よがしにカトリックの坊主がつき従って
いるのですが、これが黒いローブを全身にまとった魔道師のごとき
奇怪な人物で、野営地にわざわざオルガンを持ち込んで陰気な曲を
奏でるという役どころ。とても聖職者とは思えないような胡散臭さを
漂わせています。

103 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 03:59:37 0
>>82
そのペストが流行したとき、モスクワ府主教の聖アレクセイが人々を助けて
国の危機を救ったとか。

104 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 01:09:21 0
このスレの住人は、
カルパナ・サーヘニー『ロシアのオリエンタリズム』(柏書房)
を読んだことある?
あまりに感情的すぎだとか、事実誤認があるとか批判されているけど。

105 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 15:45:56 0
>>104
たしかインド人女性が書いた本だったか。
「エルズルム紀行」のプーシキンの行動にいちいち細かいツッコミ入れてたような。
よく覚えてないけど。

106 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 21:07:44 0
クリコヴォの戦いでは、モンゴル軍にリトアニアやジェノヴァが加勢していた。


107 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 12:53:55 0
>>106
モルドヴィンやチェルケス人、アラン人も加わった寄せ集めの軍隊だったらしい。
ちなみにヴォルガ流域にいた謎の種族「ブルタス」もママイ側に参戦してるが
彼らについての記録はこれを最後に途絶える・・・

108 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 12:56:13 0
「ブルタス」はブロドニキと関係あったとかアラン人の系統だったとか
色々言われてますが。

109 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 18:00:10 0
>>106-107
彼らがモンゴル側に味方したのは、「敵の敵は味方」という発想から?

110 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 00:43:07 0
ただ動員されて、戦利品につられて

111 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 22:15:57 0
第二次露土戦争や、クリミア戦争のとき、西欧諸国は同じキリスト教国である
ロシアではなく、オスマン帝国に味方した。

112 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 03:08:24 0
ヒトラードイツやドゥーチェイタリアは多神教徒の国である日本と同盟しているから
さほど不思議ではなかろう。

113 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 21:41:25 0
「イヴァン雷帝の書庫」は単なる伝説?

114 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 23:01:34 0
>>113
アンリ・トロワイヤの本にちらっと出てた気がするが
たしかテーマ別に4つの部屋があったってやつ?

115 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:58:09 0
>>67
今でも使われている。ブルガリアのソフィアで、イスタンブールまでの切符を買ったとき
窓口のおばさんが、「ツァーリグラッド」と言ったので驚いた。
因みにブルガリアではベリコ・タルノボのことを第2次ブルガリア王国時代、
「ツァーリグラッド」と言った。

116 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 10:44:26 0
スルタングラードのほうが相応しいと思うが・・・?
トルコ支配時代にはスルタンカリフもブルガリア語セルビア語で「ツァーリ」と言っていたのか?

117 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 18:43:09 0
>>114
ビザンツ皇女が、古代ギリシアの貴重な文献を持参金として持ってきた
そうな。


118 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 02:17:36 0
115ですが、トルコでイスタンブールをなんていってたか、知りませんでした。
ビザンツ時代は単に「ポリス」といっていたそうで、日本語で言えば、「みやこ」という
ことになると思います。最近では東京のことをみやこ、ということは
なくなりましたが、「都(と)は」という言い方や、「上京」という言葉に
ちょっと残ってますね。

スラブ人がスルタンのことをなんていってたか興味がありますね。

119 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 21:40:57 0
>>118
「バルカン総合スレ」なら知っている人がいるかも。

イヴァン雷帝の時代、所有派に属していたモスクワ府主教フィリップは
ツァーリに逆らって最後には絞殺される。

120 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 14:02:47 0
ttp://www.ohtan.net/column/200308/20030826.html
ニコライ一世治世下のロシアを1839年に旅行したフランス貴族のアストルフ・
ド・キュスティーヌ(Astlphe de Custine)は、旅行記をパリで1843年に出版しま
す。

 「ロシアは野蛮人から解放されてまだ四世紀しかたっていない。西側世界が同様
の危機に直面したのは14世紀も前だ。」(PP31)、「「ロシア人はまだ文明化してい
ない。彼らは組織化された(regimented)タタール人以上の何者でもない。」
(PP74)、「モンゴル人の侵略以来、スラブ人は奴隷になってしまった・・最初は征
服者の、そしてその後は自分達の貴族達によって。そして農奴制がロシアに確立し
た。単に事実としてではなく、社会の根本法として。」(PP31)、「ビザンツ帝国の
ミニチュア版とモンゴル(horde)の凶暴さの不自然な合成物<こそロシアだ>」
(PP37)、「四世紀もの間、欧州とアジアの間で揺れ動いてきたロシアは、いまだ自
らの努力で人間精神の歴史に何物かを貢献するに至っていない。何となれば、ロシ
アの国民的性格(national character)は借り物によって影が薄くなってしまって
いるからだ。」(PP229)、



121 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 21:00:24 0
ピョートル大帝がスウェーデンと戦ったとき、アジア系の民族もロシア軍に
加わっていた。

122 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:37:23 0
聖キュリロスとメトディウスを援助したモラヴィアの豪族ロストスラブって、
どんな人物だったの?

123 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:43:29 0
>>121
カルムイク人とかか。弓矢で戦ってたんだろうか?

124 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 16:02:17 0
>>123
バシキール人も。

125 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 22:03:54 0
17世紀頃には遊牧民も普通にマスケット銃とか使ってたらしいけど。

126 :世界@名無史さん:2005/08/23(火) 17:14:38 0
イヴァン雷帝は玉座をカザン皇子シメオン・ベクブラートヴィチに一時
譲ったことがある。
いったい何がやりたかったんだろうか?

127 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 11:20:26 0
>>126
1.狂人のきまぐれ
2.チンギス裔から帝位を禅譲されることによってハクつけ

この二つ以外の説もあるかも知れないけど見たことないなー

128 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 15:59:29 0
スクルィンニコフの「イヴァン雷帝」にシメオンへの禅譲について触れてる箇所があったか思い出せない

129 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 16:24:13 0
>>127
3.佯狂者に「一年以内に大公の命が失われる」と預言され、身代わりを
たてた
4.オプリチニナ廃止後、「非常大権」が使えなくなったので、嘆願書を
傀儡大公に提出することによって、実質的な勅令を貴族・聖職者会議の
意向を気にすることなく出せるようにした。

という説もある。

130 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 16:32:25 0
>>129
4だったらせこいですね。
治世の初期にも退位すると脅して貴族の力を弱めたらしいけど。

131 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 19:15:50 0
モンゴール!モンゴール!ボレボレ!ゴーラ!

132 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 20:28:12 0
『ラドネジの聖セルギイ伝』に、聖者がパンを二つに裂いて一つを熊に
渡してやった、というエピソードが紹介されている。
三浦清美氏いわく、異教的な霊威を敵意をもって撲滅するのではなく、
祝福によってキリスト教の信仰の中へと取り込むのだそうで。

ロシア人の「二重信仰」について、宗教改革を経験しなかったからだという
人がいるが、東方正教会の、「キリスト教化しても既存の文化を全面的に
継承する」という考え方も影響しているかもしれない。
だからビザンティン帝国では古典ギリシャの文化が否定されなかった。

133 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 06:21:47 0
>>131
グイン厨きもいっー☆

134 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:10:42 0
>>132
宗教改革というか魔女狩りがなかったせいでは。
「ウシの乳が出なくなったのは隣のババアが呪いをかけたからだ」
みたいなレベルの「魔女狩り」はあったらしいが・・・

135 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:29:38 0
フィンランドの叙事詩『カレワラ』が今日まで伝わったのは、あの地域が
ロシアに支配されていたからだという説をどっかで読んだことがある。

136 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 11:46:28 0
阿部勤也『西欧中世の罪と罰』(弘文堂)に、ローマ・カトリック圏で使われて
いた「贖罪規定書」の内容が紹介されている。
そこでは異教の迷信・呪術・魔術のたぐいが、司祭に告解し、贖罪をしなければ
ならない罪として事細かに記されている。
ロシア正教会の場合、司祭が信者にこういう指導を行っていたんだろうか?

137 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 20:19:26 0
ゲルマン人の王たちは、ゲルマンの神々の末裔ということになっていたけど、
東スラヴの公たちはどうだったの?

138 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 21:03:08 0
いつのまにか強国になって居るんだよね。


139 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 01:27:12 0
>>137
フセスラフ人狼公は、「母親が魔術によって生んだ」ということに
されていたはず。

140 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 09:46:27 0
帝王切開でもしたのかな?

141 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 11:46:24 0
>>136
ロシアの場合、広大な地域に人口が拡散してたので聖職者の数が足りなくて
農民は地面に掘った穴に口をつけて告解してたとか・・・
大地崇拝とキリスト教の習合だという話。

142 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:03:48 0
>>141
『カラマーゾフの兄弟』で、アリョーシャが大地に接吻する場面が
出てくるけど、あれもそうなの?


143 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:36:19 0
>>142
そういうニュアンスだったと思う。
「悪霊」でテロリストの名前がピョートルなのも伝統文化を破壊した
ピョートル大帝を意識してつけたんだとか。

144 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 19:54:55 0
>>141
「罪と罰」でも、ラスコーリニコフが大地に接吻する場面があるよね。

145 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 20:41:09 0
露助はロシアの大地(ロジーナちゃん)が大好きだからな。

146 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 21:12:00 0
東方正教会の聖職者にいわせると、
アリョーシャの大地への接吻は、異教的な意味を持つものではなく、
神の創造した天地であるこの世を受け入れ、アリョーシャの生活の中に
神との親しい交わりがはじまったことを表しているのだとか。

147 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 22:59:10 0
川の水にあたまつっこんだらギリシア正教者

148 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 00:42:16 0
ロシアの農民は、近代になっても、『土地は人の手により造られたものでは
なく、売り買いされてはならない』、『神の賜物』などと述べ、森や水域
なども含めた土地の私的所有を否定し、土地の帰属をそこへ投下された労働に
よって主張したといわれる。

中世初期のスカンジナビアでも、オーダルと呼ばれる農民世襲地があって、
この土地を他人に譲渡した場合、たとえそれが数世代前のことであっても、
オーダルの所有権は移らず、金を払えば事実上いつでも取り戻し可能。
つまりオーダルの権利は土地にではなく、人と家についていたのであった。

149 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 02:23:26 0
アメリカがユネスコを脱退したとき
世界遺産は東側諸国集中しまくっていて不公平だと妄言を言ったことは有名ですが
まあ、中国はわかるとしてロシア(ソ連)って世界遺産がゴロゴロあるような歴史のある国なんですか

150 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 02:31:39 0
単に、グランドキャニオンくらいしか誇れる世界遺産のないアメリカが逆切れしただけ
中国ほどではないにしろ、西欧や日本にも世界遺産はゴロゴロあるよ

ロシアは文化系の遺産は並程度だが、自然系の世界遺産はかなりあったはず。

151 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 11:11:01 0
ttp://4travel.jp/overseas/area/europe/russia/sekaiisan/
ロシアの世界遺産

152 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 16:14:31 0
てゆうか遺産登録しておかないと
東側だとすぐに壊されるからじゃないの?

共産主義の下どれほどの歴史的遺物が壊されたことか…


153 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 20:38:23 0
>>152
共産主義時代に破壊されたものといえば、「モスクワ救世主キリスト教会」。
(1997年に再建されたが)

ところで、モスクワの「赤の広場」にある、イヴァン雷帝が建てた聖ヴァシリー
聖堂は、ドームの高さも大きさも色彩もまちまちというのが変わってるね。
ハギア・ソフィアのようなビザンツ時代の建築ともまた違っている。
のちに西欧人から「病的な夢想の産物」などといわれたりしたが…

154 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 20:52:16 0
>>152
あまりに偏狭な見方だと思う
反中の漏れからみたって、歴史の古さという点では
アメリカは中露に遠く及ばないと思うぞ
遺産の絶対数も当然ぜんぜん違う

155 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 21:46:11 0
>>136
第一八〇章 お前は、ある女たちがするように悪魔に唆されて次のようなことをしたことがあるか。
洗礼を受けずに子どもが死んだとき、子どもの死体を取り上げ、どこか秘密の場所に置き、子どもの体を
杭で刺して、もしこうしなければこの子は生き返り、多くの者に害をなすという。お前がそのようなことをし、
あるいはそれに同意を与えて信じた場合は、指定された日に二年間の贖罪を果たさねばならない。
 阿部謹也『西洋中世の罪と罰』p202

↑この辺はロシアのメルトヴャーキ、不浄の死者に関する信仰に似てるね。

156 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 23:38:01 0
ttp://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/tyburn.htm
命は神によって与えられ、それを奪うのもまた神の専権事項であるため、
自殺は悪魔に魅入られた者による神への冒涜行為であり、コモンロー上の
重罪とされていた(felo-de-se)。自殺者は財産を国王に没収されたうえ、
その死体も墓地に埋葬してもらえず、自殺現場から最も近い十字路に運ばれ、
そこに心臓に杭を刺して埋められた。十字路の象徴する十字架の力と、
死体の上を常に人馬が踏み固めることで、自殺者の悪霊がさまよい出て
生者に害をなすのを阻止できると考えられていたのである。

157 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 00:05:02 0
不浄の死者って吸血鬼と違うの?

158 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 01:07:13 0
ttp://src-home.slav.hokudai.ac.jp/publictn/51/fujiwara_note.pdf
現代ロシアにおける呪術の語り

159 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 13:52:41 0
>>157
不浄の死者の一種が西欧に伝わってポピュラーになったのがいわゆるヴァンパイアでは。

平賀英一郎の「吸血鬼伝承」によると、中世初期には西欧にも、悪人や異常な死を遂げた者の死体が
死後も生命を保ち災いをなす(吸血など)という信仰があったようです。
カソリック圏で煉獄の概念が生まれてから消えていったらしい。

160 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 14:33:27 0
ヴァムピールと同系統のロシア語「ウプィリ」が中世において
どういう実体を指していたのかはよく分からないようです。

ウプィリという語の初出は1047年の記録で、ノヴゴロドの聖職者か
公のひとりの名前としてあらわれるらしい。
英語圏のサイトで検索すると「"Upir Lichy"すなわち邪悪な吸血鬼の意」
と解説されてるのがほとんどだけれども、おそらくそれらが典拠にして
いると思われるJan L. Perkowskiの"The Darkling"を読んでみても
何を根拠にそういってるのかは分からない。
ちなみにロシア語で検索するとなぜかУпырь Лихой(ウプィリ・リホーイ)
として出てくる。

詳しい方解説キボン

161 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 15:58:57 0
ttp://www.schemer.org/ars/temp/vampire.php
語源をスラヴ諸語に求める説は現在もっとも広く受け入れられている。
例えば、ポーランド語の「翼をそなえた」 upierzyc または「翼ある
亡霊」 upior であるとするものがある。『ポーランド帝国自然史』
(1721)の著者ルツァチンスキーによると「屍衣を食べ、己が肉を
食らい、墓場から蘇り、人に襲いかかり首を絞める怪物を、男なら
ウピール upir、女ならウピールチカ Upierzyca と呼んでいる」
のであり、更に「ウピールとは、翼の生えた、容易に動き回ることの
できる人体という意味である」。また、ロシアの言語学者ソボレフスキー
やフランスのスラヴ語学者ヴァイヤンは -pir をロシア語の「飛翔する」
parit’、「羽」pero に結び付けた.
一方、セルビア語の vampir の綴りから、「飛ぶ」 pir と否定を表す
vam が組み合わさったとする説もある。スラヴ祖語の形からのアプローチ
として、ポーランドの言語学者ブリュックナーは、『ポーランド語語源辞典』
(1957)において -pyr’ に注目し、それを 「飛ぶ」per という動詞の
語根と関係付けた。彼は、「大蝙蝠」を意味するロシア語の netophy’
(ne-to-phy’)、ポーランド語の nietoperz(nie-to-perz)が、
否定詞的接頭辞と「飛ぶもの」との結合から「鳥ではないもの」という
意味になっている語構成法の類推から、 吸血鬼の原語を「鳥に似て
非なるもの」の意に解釈し、「原初的なヴァムピールは長い鋭い嘴を
もって、犠牲者の血を吸う夜鳥の姿をしていたからである」と説明
している。

162 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 16:33:15 0
>>161
平賀英一郎さんの「吸血鬼伝承」からの抜粋ですね。
ちなみにその本ではUpyr系統の語のテュルク語源説も紹介してました。
タタール人などの間にはテュルク語のop「飲み込む」を語源とするウベル、オブル等の言葉があり
「魔女、悪霊、食らうもの」といった意味があるそうです。
あまり主流の説ではないようですが。

ちなみにロシアでウプィリが吸血鬼を表すようになったのは、西欧の吸血鬼小説の流行でヴァンピール
という言葉が逆輸入されてからの現象らしいです。

163 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 18:55:50 0
東方正教会では、聖堂は神の小宇宙が地上に降り立ったものと考えられ、
柱は建物を支えるものではなく、天上から下がる蔦のようなものとみなされた。
宇宙を象徴する形がドームである。

ちなみに、ロシアの農家も宇宙の構造をモデルとしている。
居間の四隅のうちの一角は「美しの隅」と呼ばれ、三角形の神棚の上に
イコンが置かれる。
その対角線上に「ペーチ(竈)のある隅」があり、そこには祖先の霊が宿ると
信じられた。
また、地下室と屋根裏は家の中の「異界」であって、ドモヴォイ(家の精)
が好む居場所である。


164 :世界@名無史さん:2005/09/01(木) 16:46:02 0
ロシアの佯狂者(ユロージヴイ)は、ビザンツが起源?

165 :世界@名無史さん:2005/09/02(金) 20:25:39 0
>>164
俺が読んだ本ではロシアの特殊な現象とか書いてたけど。
アジアには結構あるんじゃない? 古代中国とか。

166 :世界@名無史さん:2005/09/02(金) 22:36:04 0
>>165
ビザンツ帝国には「サロイ」と呼ばれた「聖なる愚者」がいたそうだよ。


167 :世界@名無史さん:2005/09/03(土) 20:36:01 0
ロシアの酒といえばウォッカを思い浮かべる人が多いが、
キエフ・ルーシの時代に飲まれていたのは蜂蜜酒で、ウォッカはまだ
存在していなかった。
ウォッカについては、ポーランド起源説とロシア起源説の二つがあり、
ロシアで広く飲まれるようになったのは12世紀ごろ。

168 :世界@名無史さん:2005/09/03(土) 20:49:54 0
「クワス」っていうビールもどきのような酒もあったとか。
黒パンから作れるらしいけど。

169 :世界@名無史さん:2005/09/03(土) 23:27:48 0
ウォッカの起源については、ソ連共産主義時代の1977年、
ソ連の衛星国であるはずのポーランドが「ウォッカの起源は我が国にあり!」との主張のもと、
他国の蒸留酒に対する「ウォッカ」の名称の使用を違法であるとして、
ハーグ国際裁判所に訴えた、という経緯がある。

結局はソ連側が「ウォッカの起源は1446年・ロシア」という調査結果を提出し、
これが認められてポーランドの訴えは棄却された。

170 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 22:35:19 0
キエフ・ルーシ時代の「従士」は、
西欧の騎士や日本の武士みたいなもの?

171 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 22:52:17 0
従士はむしろヤクザの子分の方に近いかもしれん。

172 :世界@名無史さん:2005/09/05(月) 14:44:53 0
ルーシの公は従士たちに対して常に気前よくなければならなかった。
年代記やブィリーナにはウラジーミル公が酒宴を行う場面がよく出てくる。
もっともこれはゲルマンの王たちも同じで、遠征から戻った王は大宴会を
催して戦利品を分け与えた。
惜しげもなく戦利品を分け与える能力こそ王の権威を高め、多くの部下を
引き付けたのである。

173 :世界@名無史さん:2005/09/05(月) 19:19:22 0
少なくともキエフ・ルーシの初期には、西欧の封建社会のような
軍事奉仕と引き換えに封土を授与するようなシステムはなかった。
クニャージはドルジーナの軍事力によって戦利品を獲得し、また
冬にスラヴやフィンの諸部族から貢税を集めて回り、春になると
物資を搭載した船団を編成してビザンツ帝国で交易した。
従士はそうした活動から分け前を得ていた。

174 :世界@名無史さん:2005/09/05(月) 19:29:03 0
山川「ロシア史」の昔の版によると、スヴャトスラフやウラジーミル大公の頃のドルジーナは
鎖帷子と大盾、槍などを装備した重装歩兵で、密集陣を組んで戦ったらしい。

175 :世界@名無史さん:2005/09/05(月) 19:46:30 0
日本の武士に近いのはむしろ16世紀の「ドヴォリャンストヴォ」(士族)
かもしれない。
彼らは封地を受けるかわりにツァーリ権力の支柱として軍役を担った。


176 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 15:47:13 0
戦闘スタイルで西欧のナイトのようなものがロシアにあったかというと
キエフ公国の初期から騎乗して戦うドルジーナは存在していたけど、
遊牧民の影響を受けた軽装弓騎兵だったようだ。
その後、11世紀ごろから西欧やビザンツの影響で、重装甲をつけて
ランスで戦う騎兵が主流になったらしい。ヨーロッパ風の鎖鎧のうえに
ラメラー・アーマーまでつけてたので西欧の騎士より重装甲だったとか。
モンゴル征服後はふたたび遊牧民のスタイルの影響が強くなった。
16世紀モスクワ大公国の勤務士族はタタールやオスマン・トルコ風の
装備をした弓騎兵が多数だったという。

177 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 18:27:21 0
キエフ・ルーシ以来、ロシアの貴族は土地を世襲地(ヴォチナ)として所有して
おり、自分の上級の君主から自由に離脱する権利を持っていた。
14世紀なかばのイヴァーン・カリターの息子たちのあいだの条約文書にも、
「大貴族と自由身分の家臣は自由である。われらを離れて、汝のもとに
赴こうと、汝を離れてわれらのもとに来ようと、われらは悪意を持たぬ」
とある。

178 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:04:29 0
>>177
貴族は世襲地をそもそもどうやって手に入れたの?

179 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 13:24:28 0
>>178
従士が公への奉仕から得た富で土地を買ったりとか
部族の酋長クラスの連中が土地貴族になったり。
そういう連中がのちに「ボヤール(大貴族)」になった。

イワン雷帝はそいつらが邪魔でぬっ殺した。

180 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 13:29:00 0
あげ忘れた

誰か小士族(ヂェチ・ボヤールスキエ)とかについて解説キボン

181 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 16:56:43 0
>>180
貴族が代官(都市とその周辺を管轄)を務めたのに対し、
小士族は郷司(郷を管轄)を務めることが多かったらしいね。
(代官・郷司は徴税権と裁判権を与えられており、モスクワ大公は
彼らを通して間接支配を行った)

182 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 15:33:00 0
きっとポメスチエが地方に多かったからか

183 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 00:22:06 0
西欧・ロシア・日本の封建制度の違いを説明してくれる人キボン

184 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:23:28 0
>>183
ものすごく簡単に西欧の封建領主と中世ロシアの土地貴族を比較すると・・・
ロシアの貴族は地代徴収、領主裁判権、領民の賦役などの権利はあったけど
その領地は完全な私有地で、軍役と引き換えに安堵されたものではなかった。
そのため主君をかえても領地を保持する権利があった。
農民もある領主の土地から別の領主の土地へ自由に移住する権利があった。
奴隷や債務者なら別だが。

ちなみにこれはモスクワ大公国が「大ロシア」を統一して
中央集権化をすすめる以前の話です。

185 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:35:47 0
ビザンツ帝国では、皇帝は
「地上における神の代理人」
「法を超えた存在」
「全世界の主」
とされていた。
ロシアのツァーリも、この皇帝概念を受けついでいて、ミハイル・ロマノフは
ゼムスキー・ソボルに対して
「私がツァーリになったのは、それがお前たちの願いだったからである。
したがって、お前たちは統治に必要な資金を私に提供すべきであり、また
私のやり方に口を挟むべきではない」
と主張するようになった。

186 :184:2005/09/12(月) 14:41:22 0
なんだか書いてから色々疑問がわいてきた

・修道院や教会領も兵を出す義務があったのか?(特にタタールの頚木以後)
・農民などは動員されていたのか? ホロープぐらいか?
 モンゴルはロシアの全住民から一定の割合で徴兵したそうだが?

昔Lord and Peasants in Russiaとか読んだきりだからなー 読み返すか・・・

187 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 10:00:24 0
非スラヴ人出身のロシア貴族って例えばどんな人がいますか。

188 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 15:34:22 0
ユスポフ家とウルソフ家の先祖はノガイ人。
ツルゲーネフ、カラムジン、スヴォーロフ、クトゥーゾフ、シリンスキー、
ヴェリアミノフもテュルク系の名前。

ちなみにイヴァン雷帝は母方からママイ汗の血を引いている。


189 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 16:28:33 0
帝政ロシアの軍人、音楽家には沿バルト地方のドイツ人家系出身者
が多かった。
例えば日露戦争のステッセル将軍など。

190 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 18:27:51 0
リューリク一門(北欧出身)

191 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 23:39:01 0
>>136
していたようです。
白石治朗「ロシアの神々と民間信仰」に

ノヴゴロトの大主教イオアンは、その署名なき『教戒』(一一六六年)において、
「夫の愛が冷めると、水で自分の体を洗い、その水を夫に飲ませるような妻がいる。
この場合、彼女には六週間の贖罪のための罰(エピチミヤー)が科せられる」、と述べた。

とあるので。
というか「贖罪規定書」にもこれと全く同じケースがあった様な?

192 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:05:51 0
カルロ・ギンズブルクのベナンダンティに関する記述を読むと、
宗教改革・魔女狩りが行われる前の西欧はロシアとあまり変わらない
社会だったみたいですね。


193 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:17:39 0
>>192
ロシアにも魔女裁判はあったらしいけど、サバトの観念がなかったとか。
サバトはシャーマニズムと関係があるとかいわれてるらしいけど、ロシア人もフィン人やタタール人から
シャーマニズムの影響を受けてるらしいので、妙な話。

ギンズブルクの「闇の歴史」を読むとコーカサスあたりでも「夜の戦い」があったらしいけど・・・

194 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:49:08 0
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』に、目をつけた者を誰でも異端に
してしまう恐ろしい異端審問間が出てくるが、
東方正教圏では、このような異端審問の制度はほとんど存在しなかった。
ボゴミル派にしても、指導者バシレイオス一人が処刑されて終わりだったし、
バシレイオスに対しても最後まで皇帝が正統派への復帰をうながしている。

195 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 18:47:33 0
古儀式派なんかは拷問をうけたり大量処刑されたりしたようだけど。

196 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 20:42:30 0
西欧の異端審問は、緻密で、システム化された印象を与えるな。
ロシアにおける異端迫害はどうだったんだろうか?

197 :世界@名無史さん:2005/09/15(木) 12:45:07 0
修道士なんかで異端思想に取りつかれた人は修道院内で監禁されたらしい。
基本的に発狂したヤシと同じような扱い?

198 :世界@名無史さん:2005/09/15(木) 15:21:31 0
>>197
西欧だと、罪(同性愛など)を犯した修道士は、修道院内の牢に
閉じ込められた。
東方正教圏では、修道士はあまり教養が高くなく、聖書も典礼に
必要な箇所しか読まないという者が多かった。

>>195
古儀式派の場合、小屋に火を放って集団自殺というパターンが多い。
ニコンに敵対したアヴァクームは流刑の末、火あぶりの刑に処せられた

199 :世界@名無史さん:2005/09/16(金) 20:50:43 0
キリスト教に改宗する以前の東スラヴ人は、斧をよく貨幣代わりに
使っていたし、死者と一緒に埋葬したりしていた。
斧は民衆のあいだでは「雷電」と呼ばれ、雷に打たれて倒れた木の近くに
あった石は、雷神の使った斧のかけらだとして崇められていた。


200 :世界@名無史さん:2005/09/16(金) 22:56:34 0
>>199
ロシアの雷石については何かで読んだ気がするけど
たしかべレムナイトの化石とか書いてたような・・・

201 :世界@名無史さん:2005/09/17(土) 20:03:11 0
ロシア人は性病(梅毒)のことを「ラテン病」と読んでいたそうな…
最初はイタリアからクラクフを経由して入ってきた。

202 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 02:07:23 0
よりによってポーランドから

203 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 20:28:37 0
イヴァン雷帝の「オプリーチニナ」は、モスクワ公国がこれまでしょっちゅう
接触してきたチュートンおよびリヴォニア騎士団をモデルにしたという説が
ある。

204 :世界@名無史さん:2005/09/20(火) 21:35:26 0
アレクサンドル・ネフスキーについて、モンゴルに屈服したことを非難し、
彼こそがロシアにおけるモンゴル支配が定着するきっかけを作った張本人、
と決めつける見方も存在するけど、
あの時代、カトリック勢力と協力してモンゴルに対抗するということは
可能だったのか?

205 :世界@名無史さん:2005/09/21(水) 09:05:01 0
>>198
ビザンチンの坊主がバチカンより無教養だったと言うことかな?

206 :世界@名無史さん:2005/09/21(水) 09:56:14 0
>204

教皇が書簡をロシアの諸侯+西欧の有力者に出していることは事実。
但しリアルタイムで皇帝フリードリヒと喧嘩中。
ま、協力できても勝てるかは話は別だけど・・・。

207 :世界@名無史さん:2005/09/21(水) 11:35:58 0
>>204
それをやろうとしたガリチ・ヴォルイニ公国は結局モンゴルにやられたじゃん。

208 :世界@名無史さん:2005/09/21(水) 20:21:11 0
>>205
ビザンティン帝国の高位聖職者(総主教など)は、事実上、官僚が僧服を
まとっているようなものだった。
したがって古典教養は身につけていた。
これに対し修道士は、ヘシュカスモスの例にも見られるように、
古典教養を不要なものと考えていた。

209 :世界@名無史さん:2005/09/22(木) 08:14:57 0
>>167
回教徒が化学・製薬の手法として開発したランビキでの蒸留法を、韃靼人を介して
知ったものだろう。

210 :世界@名無史さん:2005/09/22(木) 09:07:32 0
>>172
太閤秀吉みたいだな。
戦争やっちゃあ、茶会。
茶会で大盤振る舞い。

211 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 17:02:46 0
ウォッカは民衆の間で、不思議な治癒の効能を持つ一種の生命の霊薬と
信じられていた。

212 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 17:20:53 0
ウイスキーも原語uisge beata(アイルランド語)は「命の水」の意味だもんな。
寒い土地にゃやはり蒸留酒ですかね。

213 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 22:01:56 0
ムスリムのヴォルガ・ブルガールはあんな寒い所でちゃんと禁酒戒を守ってたのか?

214 :世界@名無史さん:2005/09/24(土) 17:43:49 0
>>213
あのあたりのムスリムはあまり戒律を厳格に守ってなかったかもしれない。

>>187
音楽家のラフマニノフの祖先もタタール人。
イヴァン雷帝は、ヴォルガ・タタール人を征服したとき、彼らに対して
「改宗するか、封建的特権を放棄するか」
と迫ったので、多くのタタール人貴族は改宗を選んでロシア宮廷に出仕した。


215 :世界@名無史さん:2005/09/25(日) 18:23:54 0
イワン雷帝がカザンを攻囲したとき城壁の上に「シャーマン」が出てきて
ロシア軍に向かって呪詛の儀式を行ったそうだ。
というかお前らイスラム教徒じゃなかったのかと。

216 :215:2005/09/25(日) 19:19:55 0
ちなみにロシア軍はイコンを持ってきて対抗したらしい(w

217 :世界@名無史さん:2005/09/26(月) 20:29:31 0
大庭柯公は、ロシアのタタール人について、バリサムという飲料を飲んで、
葡萄酒は一切口にしないと書いている。
キリスト教に改宗したタタール人の信仰については、ロシア正教・イスラーム・
シャーマニズムが入り混じっていることが多かった。

218 :世界@名無史さん:2005/09/26(月) 20:34:17 0
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~kafkas/writers/oobakako/
大庭柯公のコーカサス見聞録

219 :世界@名無史さん:2005/09/27(火) 16:26:22 0
ワインだけを飲まないってのはムスリムがよく使う手だな。

220 :世界@名無史さん:2005/09/27(火) 21:12:07 0
キエフ・ルーシ文明の後継者は、モスクワ公国ではなく、ガーリチ・ヴォルイニ
公国であるという説はどうよ?
(キエフ・ルーシとモスクワ公国およびロシア帝国の間には大きな断絶が
あるという説)

221 :世界@名無史さん:2005/09/28(水) 20:13:49 0
>>220
キエフ・ルーシとウクライナもかなり断絶があると思う。

222 :世界@名無史さん:2005/09/28(水) 20:37:08 0
モンゴル支配時代にキエフの辺りってどうなってたの?

223 :世界@名無史さん:2005/09/28(水) 21:05:23 0
>>222
ヤロスラフ賢公の死後、キエフ・ルーシは分裂・衰退し、
10以上の独立の公国が各地に成立してくる。
ドニエプル河畔の交易が衰退したこともあって、キエフ地方は
人がいなくなり、荒廃していった。


224 :世界@名無史さん:2005/09/28(水) 21:07:13 0
ダルガの直接統治→リトアニア領みたいな感じかな

225 :世界@名無史さん:2005/09/29(木) 08:50:50 0
キエフ・ルーシの後継者はポーランド・リトアニア大公国ということか?

226 :世界@名無史さん:2005/09/29(木) 23:12:58 0
というか、教科書的なロシア史でいうとルーシの政治の中心が
キエフからウラジーミル、モスクワと移ってきたとなるわけだが
それで問題があるんだろうか。

キエフ・ルーシとモスクワ・ルーシが断絶してるって主張する人は
ウクライナのナショナリストなんかでしょう?
昔は普通のヨーロッパの封建国家だったルーシがモンゴルの侵入の影響で
強権的・専制的ロシア帝国になってしまったというシナリオで、
東洋的専制の大ロシアと違ってウクライナは西欧的だと。
傍から見ればかなり釈然としないものがあるんだが。

227 :世界@名無史さん:2005/09/30(金) 05:57:03 0
ウクライナって、第三者から見ると全然西欧的に見えないけどな。
それと、ルーシの封建制と西欧の封建制にはかなり違いがあるように思えるが。
ノヴゴロドやプスコフのヴェーチェ(民会)にしても、定期的に召集されていた
わけではないし、威嚇や脅しによって反対意見を黙らせるといった方法が
採用されていた。

228 :世界@名無史さん:2005/09/30(金) 16:05:21 0
何でキエフルーシがウラジーミル以下全員改宗したのか良く解らんのですが
資料は原初年代記ぐらいでしょうか?学説ではどうなってるんでしょ

229 :世界@名無史さん:2005/09/30(金) 20:11:40 0
>>228
ウラジーミルは勅令で洗礼を拒否する者はみな神および君主の敵とみなすと
宣言したので、次の世代にはキリスト教化が完了したそうな。
ただロシアでは「二重信仰」という言葉に象徴されるように、国がキリスト教化
されても異教は根強く残っていた。

230 :世界@名無史さん:2005/09/30(金) 21:38:20 0
ウラジーミルの力って全土に強制できるほど強かったんだろうか
そんだけ強いならキリスト教導入して権威強化するまでもない気がするが…
ルーシの洗礼はビザンツとのパイプを確保するためのものだったのかな?

231 :世界@名無史さん:2005/09/30(金) 22:10:32 0
>>230
そうでつ。
ウラディーミルはビザンツ皇女を妻に得たいと望んでいた。
洗礼と結婚の儀式はケルソンで行われ、ウラジーミルはこの街を
皇帝バシレイオスへ返還。
ウラジーミルの二人の兄弟は洗礼を受けずに死んだために、その遺体を
掘り返して死後の聖餐を受けた。

232 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 00:21:27 0
相当の武力で脅かされたかしらんが、くれと言われて親戚の女性でなく
妹くれてやったのも太っ腹だな。
それともこの時期ビザンツの皇族にそれほどの価値はなかったのか?

233 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 00:28:50 0
>>232
ちょうどこの時期、貴族バルダス・フォーカスの反乱が起こり、これに多くの
貴族が参加した。
さすがのバシレイオスも手を焼き、ルーシから6000の援軍を貰う代わりに
妹のアンナを嫁がせた。

234 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 09:57:44 0
まあそれで結果的にビザンツ皇室の血がロシアを通してヨーロッパ諸侯に伝わって残ったわけだ。

235 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 19:32:59 0
ウズベク・ハンとかがビザンツの姫と結婚してたから
皇室の血はタタールの王族にも結構残ってるだろうな。

236 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 22:56:25 0
『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)を読んだら、

「ウクライナの地は、古代からクリミアを通じてギリシア・ローマ(その後の
イタリア)世界および海の世界とつながっているのである。この開放性は、
他のスラヴ諸国の歴史が内陸的な印象を与えるのとは対照的に、ウクライナの
大きな特色である」

と書いてあるんだが、チョトウクライナを持ち上げすぎでねーの?

237 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 23:12:53 0
他国の印象はともかく一応事実じゃないか?

238 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 23:22:08 0
>>234
ビザンツ皇帝家なんてしょっちゅう入れ替わってるわけだが。
それをいうならむしろイワン3世とパレオロゴス家のソフィアの結婚を。
それにしても果たしてロマノフ家に伝わってるものやら・・・

239 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 23:41:52 0
マケドニア朝ね。


240 :世界@名無史さん:2005/10/01(土) 23:57:07 0
>>236-237
ノヴゴロドなんかも、ハンザ同盟諸都市との関係で開放的・海洋的な
印象を与えるがな。


241 :世界@名無史さん:2005/10/02(日) 19:27:02 0
>>236
その窓口であるクリミアが18世紀までタタール人の領土だったんだけどな。

クリミアを本拠地にしてたママイもロシア人との戦いにジェノヴァの弩兵連れてきてたし
クリム汗国とオスマン帝国との関係をみても地中海とつながってるのは確かなんだが。

そういえばマムルーク朝のスルタン・バイバルスもクリミア出身だったらしい。
ソルハトに彼の建てたモスクがあるとか。


242 :世界@名無史さん:2005/10/02(日) 23:13:46 0
ギリシアの史料に出てくるタウロイ人というのはどんな民族だったんだろうか。
人身供犠の習慣があったように描かれているけど。

243 :世界@名無史さん:2005/10/03(月) 16:15:19 0
>>242
キンメリア人の一派だっけ?

244 :世界@名無史さん:2005/10/04(火) 18:14:19 0
そういえばトムトラカニ公国っていつまであったんでしょう?

245 :世界@名無史さん:2005/10/04(火) 18:15:24 0
>>232
それまでキリスト教徒の王家にすら嫁がせることは稀だったのに
当時異教徒だったルーシに皇妹嫁がせるなんてすげー事件、
と読んだ本には書かれてたが

246 :世界@名無史さん:2005/10/05(水) 03:47:00 0
>>245
そんな大事件とは思わんがな。
当時、西欧諸国でビザンツと国境を接していたのはイタリアの小国家だけ。
両者間で切実な事情ってのはないしな。
もうちょっと後になれば、南スラブ諸国やハンガリーとは普通に親戚関係になってるし。


247 :世界@名無史さん:2005/10/05(水) 11:18:49 0
>>245
ハザールから嫁とってたりしたじゃん。

248 :世界@名無史さん:2005/10/06(木) 01:28:24 0
tp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/senrei1.html
>当時ビザンツ帝国とその皇帝はキリスト教世界全体の中で非常に高いステータスを誇っており、
>他のすべての国を野蛮国と見下しているようなところがあって、
>他国の首長と婚姻関係を取り結ぶのには非常に慎重な態度をとっていました。
>とりわけ皇帝の実の娘が異国に嫁ぐことは滅多にありませんでした。
>現にこれよりしばらく前、ヨアンネス・ツィミスケスの時代に神聖ローマ帝国から
>皇帝オットー2世の妻としてビザンツの皇女をという打診があったのですが、
>結局この時も皇帝の娘ではなく一族の女性ということで話がまとまっています。

ともあるが果たして?

249 :世界@名無史さん:2005/10/06(木) 17:12:37 0
山川の「ポーランド・ウクライナ・バルト史」より

当時、この地域で帝国としての地位を認められていたのは、ビザンツ帝国、アラブ帝国(アッバース朝)、
それとハザール・ハン国の三つであった。キエフ・ルーシのヴラジーミルに嫁いだのはビザンツの皇女
アンナであった。アンナはその前にドイツのオットー二世に求婚されたことがあるが、これをすげなく
拒否している。理由は格が違うというものであった。そのアンナがヴラジーミルに嫁いでいることは
ビザンツとキエフ・ルーシの格が違わなかったことを示している。それはルーシがハザール帝国の後継者
であるからであった。

↑この章の著者は、ロストフに亡命してきたハザールの可汗の娘がルーシ商人団の長と結婚して
「ルーシ可汗国」ができたという説をとっています。

250 :世界@名無史さん:2005/10/08(土) 00:25:20 0
ルーシ・ハン?

251 :世界@名無史さん:2005/10/08(土) 01:15:49 0
この時代の言い方はカガンでは。

スヴャトスラフあたりは本当に草原のハーンになろうとしてたような感じが・・・

252 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 11:16:45 0
こんなのがネット上で読めるとは
ttp://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/russia/medieval_russia.htm

253 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 13:43:16 0
スラヴ人とヴァイキングの混成部隊で河伝いに移動してるようじゃ草原を支配するのは無理だな。

254 :世界@名無史さん:2005/10/11(火) 18:33:39 0
キエフ・ルーシの時代には軍隊の側面を防御するために
ペチェネグ人の軽騎兵を雇ったりしてた。
「黒頭巾」とかが有名。

255 :世界@名無史さん:2005/10/12(水) 02:26:03 0
http://www.shin-bungeiza.com/allnight.html
池袋 新文芸座
10/29 世界の映画作家シリーズ(27) エイゼンシュテイン〈特別出演 澤登翠の活弁付き〉
ストライキ(1925・ソ連/ロシア映画社)[活弁:澤登翠] 23:15〜
戦艦ポチョムキン(1925・ソ連/ロシア映画社)〈サウンド版/音楽:ショスタコヴィチ〉 0:45〜
十月(1928・ソ連/ロシア映画社)〈サウンド版/音楽:ショスタコヴィチ〉 2:15〜

アレクサンドル・ネフスキー(1938・ソ連/ロシア映画社)※エイゼンシュテイン初のトーキー映画 4:10〜5:55
http://www.shin-bungeiza.com/photo/alexander_nevsky.jpg
全席自由 (券番号順にご入場いただきます)
一般2200円、友の会・前売1800円(友の会の前売券は当館でのみ販売)




256 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 11:23:56 0
中世ロシアが舞台の小説ってあります? 日本語で読めるやつで。

257 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 17:17:39 0
>>256
V・ヤン「征服者2 バト汗西へ行く」
モンゴルのロシア侵攻の話。

バルトス・ヘップナー「コサック軍シベリアをゆく」
イェルマークのシベリア遠征。図書館では児童文学のコーナーにある。

ローズマリー・サトクリフ「ヴァイキングの誓い」
「ヴァリャーギからグレキまで」のルートでコンスタンティノープルに行く話。
途中でウラジーミル大公のキエフを通る。これも児童文学。

258 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 17:28:41 0
筒井康隆訳、手塚治虫イラストの『イリヤ・ムウロメツ』もあるでよ

259 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 17:37:46 0
>>258
以前読んだけど、手塚治虫がロシアのブィリーナ風の絵を描いてあまり違和感ないのが凄かった。

260 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 23:49:45 0
よくロシア人にモンゴル人の血が流れてる、といわれるが、
フィン系民族のほうがロシア人に与えた影響は大きかったと思われ。

261 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 19:14:26 0
農村に呪術師がやたらといたのもその影響?
イワン雷帝なんかもフィンランドから魔術師を呼んだりしてたらしいけど。

262 :世界@名無史さん:2005/10/19(水) 12:55:16 0
サンクト・ペテルブルクも、もともとはフィン人の漁民が住んでいた
沼地だった。

263 :世界@名無史さん:2005/10/19(水) 13:57:38 0
何かの年代記にノヴゴロド人が「チュジ」の村を訪ねて
魔術師に占ってもらう話があるね。

クリュチェフスキーの「ロシア史講話」に書いてあるけど
フィン人の習俗にロシア人の影響でキリスト教の要素が入って
そうして変化した異教文化をロシア人が取り入れたりして
次第にどっちがどっちだか訳がわからなくなっていったとか。

264 :世界@名無史さん:2005/10/19(水) 16:09:58 0
クリュチェフスキーは、大ロシア人の突き出た頬骨、浅黒い肌の色、
厚い鼻はほかのスラヴ系とは一線を画しており、フィン人の祖先から
受け継いだものだと考えていた。

265 :世界@名無史さん:2005/10/19(水) 17:18:04 0
ロシア人に関するステレオタイプに、「大酒飲みで、どんちゃん騒ぎを
好む」というのがあるけど、
中世には西欧でも似たような状況だったようです。
例えば、9世紀末にランスのヒンクマールという聖職者が、ゲルマン人が
やっているような宴会はやめなければならない、飲み食いをし、歌を歌い、
踊り狂ってめちゃくちゃな無礼講になってしまうような宴会はやめさせて、
おごそかにやれと主張しています。

266 :世界@名無史さん:2005/10/20(木) 20:33:00 0
>>265
西欧でも11世紀ぐらいまで農村では二重信仰だったようですね。

なんか図書館に、イワン雷帝の頃にロシアを訪れたイギリス人が遺した記録を
まとめた本があって、「粗暴で野蛮な国」ってタイトルなんだけど・・・w
まだ読んでないので何ともいえないが。

267 :世界@名無史さん:2005/10/20(木) 21:05:40 0
>>266
イヴァン雷帝は、エリザベス1世に結婚を申し込んでいい返事が
もらえなかったので、イギリス使節のトマス・ランドルフを4ヶ月
軟禁した。
ようやく謁見の許可が出ても、雪の中を徒歩で宮殿に向かわなければ
ならなかった。


268 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 10:27:10 0
クルプスキー公の手紙をもってきた使者は拷問にかけられたから
それよりマシかな。

269 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 21:43:45 0
11世紀以前の西欧では「神明裁判」も行われていた。
熱鉄裁判とか冷水裁判のことね。
もっとも「決闘裁判」だけは近世まで生き残る。

270 :ty270410:2005/10/21(金) 23:54:38 0
日本語訳が出ていたと思うが,ベルナツキーが東西二つのロシアがあるという趣旨の本を書いていたような記憶がある.
東がモスクワで西がリトワニア・ガリシアだったように思う.

271 :ty270410:2005/10/22(土) 00:15:02 0
>>270アマゾンで調べたらあった.次の本だ!
ヴェルナツキー『東西ロシアの黎明−−モスクワ公国とリトワニア公国』
むかし,本屋で立ち読みしたが,こくのある内容だった.

272 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 05:30:14 0
>>266
多分面白いと思う。
ロシアの君主への述懐のところね。

273 :世界@名無史さん:2005/10/22(土) 10:07:00 0
ttp://pws.prserv.net/metha/oleg1.htm
「これがロシア人の姿だよ。ロシア人は内と外との落差がすごいんだ。内側は
外国人にはなかなか見せないよね。知識人であればあるほど、パーティーの
時のはめのはずしかたはすごいんだよ」
ビデオが終わって、オレーグは言いました。
いいよ、もう。ロシア人の内側なんか知りたくないぞ!!Methaは
思いました。わたしは常識的で冷静で、控えめな日本人なのだ!
日本の飲み会とかも相当に下品だと思っていましたが、ロシアのそれは、
そんなレベルではありません。下品とか上品とかの世界ではないのです。
それはもう四次元の世界でした。そうか!ロシア人はウチュウ人なのだ!

274 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 19:19:45 0
実際、ハザールってロシアにとってどういう存在だったんでしょうか?

今でもその影響があるってなんとか陰謀説として取り上げるサイトも
多いようですが。

275 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 19:54:49 0
>>271
ヴェルナツキーは「ロシア史」も邦訳が出てますね。
近世まで読んだんですが、イラン系遊牧民のアラン人とスラヴ人の混成集団「ルフス・アス」が
ルーシの起源になったとか興味深い話がいろいろと書いてありました。
あまり一般的に受け入れられている説ではないようですが。
"Mongols and Russia"や"Origins of Russia"なんかも翻訳してほしいですね。
>>274
山川の「ポーランド・ウクライナ・バルト史」では、キエフ・ルーシの項を書いた人が
ロシアはハザールの後継国だと主張してました。

276 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 20:15:47 0
ハザールの話は>>249で既出だったか

277 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 22:31:47 0
ロシアには賎民とか、日本の被差別部落民みたいなのはあったの?
西欧でも、近代以前は死刑執行人とか、特定の職業の人が差別されていたが。

278 :ty270410:2005/10/23(日) 22:52:39 0
>>275
同感です.特に「Mongols and Russia」は是非邦訳してほしいですね!
中国語訳があるそうです.

>山川の「ポーランド・ウクライナ・バルト史」では、キエフ・ルーシの項を書いた人が
>ロシアはハザールの後継国だと主張してました。

読んだことがあります.確か出典が注記してあったと思います.

279 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 15:50:07 0
>>273
輪になって回るのはフリスティ派の集会を思わせるな

280 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 18:44:32 0
>>277
スコモロフというジプシーのような旅芸人が放浪していたけど
ある種正教会からマークされる存在だったとか。
刑吏はどうだったんだろう?
ニコン改革以後の分離派も被差別民みたいなものかと。
>>278
「一五年程前、十世紀のハザール文書が発掘・解読され」たのを
元にした記述らしいので、参考資料にあげられていたこの本かも。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0801412218/qid%3D1130147015/249-7528561-2423523

281 :ty270410:2005/10/24(月) 22:22:37 0
>>280
Amazonのサイトのご教示ありがとうございます.
面白そうな本ですね!


282 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 22:28:23 0
>>277
中世といっても中世後期、死刑執行人などが名簿の末尾に記載
されたり順番が行列の最後になったりとその兆しが登場する。
特定の地域に住む・住まわせるとかはどうだろうね。
ユダヤ人やジプシー(ロマ)など民族的な部分に置き換わって
いるのか?

283 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 16:47:20 0
>>282
阿部謹也の本とかだと、共同体の外部の自然にじかに接する職業が
ある時期を境に畏怖の対象から被差別身分になったという見方だけど
そういった部分はロシアではどうなんだろう?
「ロシアの神々と民間信仰」でも読み直してみるか・・・

284 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 08:51:03 0
ロシアの中世っていつの時代よ

285 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 11:00:45 0
イヴァン3世までは間違いなく中世でない?

286 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 11:05:22 0
というかそういう細かい区分とは別に、一般的に知られている「帝政ロシア」より以前の
いわば中世的ロシアというのがあるんだよね。
まだ農奴制も成立しておらず、諸侯のヴォチナが群雄割拠した状態で互いに争っていた。

287 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 12:50:09 0
>>286
分領制時代のロシアについては、一般にはほとんど知られてないね。
この時代は分割相続で、各公国が細分化していく危険性を抱えていた。
それぞれの公国を見ると、ロストフ・スーズダリは公の権力が強く、
ガーリチ・ヴォルイニ公国は貴族勢力が強く、ノヴゴロド共和国は
都市民と民会勢力が強いなどの特徴があった。

288 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:39:03 0
ほう

289 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:44:07 0
ガリチは土着貴族の勢力が強かった。
ヴォルイニは普通・・・だったかな?

290 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 01:38:30 0
ロシア人は古代と中世まとめて古ルーシ(ドリェヴニャー・ルーシ)というらしい。

291 :世界@名無史さん:2005/11/01(火) 15:05:18 0
>>283
>共同体の外部の自然にじかに接する職業が
>ある時期を境に畏怖の対象から被差別身分になった

ロシアの場合、19世紀になっても白痴が「聖なる愚者」として畏怖の
対象になっていたね。
白痴に超自然的な能力(悪魔祓いなど)があると信じられていた。
その一方で農民たちは司祭や修道士にはあまり畏怖の念を持っていなかった。
(なにしろ“修道士たちの罪の子”ばっかりが集まって住んでいる集落が
あったぐらいだから)

292 :世界@名無史さん:2005/11/02(水) 19:16:40 0
21 :天之御名無主 :2005/05/13(金) 16:34:58
ロシアでは昔から聖職者の数が少なく、教会も数ヶ村に一軒しかないような状態で
(しかも村々が大森林の中で広範囲に散らばってたりした)キリスト教の教義が
人口に膾炙するのはようやく近代になってからだったようだ。
19世紀になっても旅人を川に沈めてヴォジャノーイの生贄にしたり、疫病が起きると
老婆を生き埋めにしたりしてたという。またキリストのことを「聞いたことすらない」
という農民までいたらしい。

↑これ見たときはネタだろうと思ってたけど
ものの本で読んだら結構洒落になってなかった

293 :世界@名無史さん:2005/11/02(水) 20:59:17 0
>>292
日本で人柱や持衰の習慣が無くなったのはいつごろなんだろうか?
あと、室町時代には真言立川流という邪教が流行したことがあったよな。
密教に陰陽道と修験道の呪法が混入したもので、女犯肉食大絶賛、男女和合
の悦楽こそ涅槃と説いた。


294 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 03:10:52 0
立川流は邪教ってほどのもんでもないよ。スレ違いなんで深入りしないが。
明確な人柱は、さすがに埴輪ができておしまいとはいわんが
少なくとも鎌倉時代の武家にとってはおろかしいことだったみたいね。
船に女が乗ってるから海が荒れる→捨てる、みたいな話は平安後期になってもあったけど。

295 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 14:10:52 0
スラヴ人にも昔は人柱の習慣があったらしく、ハプスブルク時代のクロアチアかどっかで
オーストリア人の技師が橋を作ろうとして2回失敗したんだが、すると周辺住民の間で
「あいつらは人柱にするための娘を探している」と噂になってパニックが起きたそうだ。

296 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 15:57:38 0
>>295
興味深いですね。
南スラヴ系民族の間では、宴会の間は自分の物と他人の物の区別がなくなる、
という習慣もあったとか。

297 :世界@名無史さん:2005/11/03(木) 20:29:02 0
ノヴゴロドの建国者がゲルマン系だったというのは
現在のロシアの国民感情ではどう折り合いをつけられているのですか
そんなこと誰も気にしてないかな

298 :世界@名無史さん:2005/11/04(金) 19:32:29 0
>>297
リューリクが北欧人だったことに比べればたいした問題ではないかと。

つかそれを最初に言い出した学者はシベリア流刑になったとか。

299 :世界@名無史さん:2005/11/08(火) 20:48:46 0
モスクワ大公国の成長・統一の原因を、ロシア全土に網の目のように広がる
河川網に求めている学者もいる。
ヨーロッパでは山脈などの地形上の生涯が統一を阻んだが、
ロシアでは平坦で河川が広がっていることから統一・均質化が容易だった。

300 :世界@名無史さん:2005/11/10(木) 22:42:12 0
そしてそれがのちのシベリア大東征でも大いに役立った、と。

301 :世界@名無史さん:2005/11/15(火) 15:27:42 O
素朴な疑問。何でロシアはあんなに国土が広いの?。

302 :世界@名無史さん:2005/11/15(火) 16:44:39 0
俺のロシアは偉大です。
島国土人は黙ってリャいいんだよw

303 :世界@名無史さん:2005/11/15(火) 18:26:34 0
>>301
寒いから

304 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 21:51:12 0
とある本でウラジーミル聖公はスヴャトスラフとスラヴ人女性との「混血」と書かれてたんだが、
そうなんだろうか?

305 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 23:09:34 0
>>304
ttp://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1-1-6.htm
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/hosetu29.html
ノヴゴロド人?

306 :世界@名無史さん:2005/11/23(水) 00:30:51 0
リュベチのマルクの娘・マルシャって人でしょ?>ウラジミル母
マルクってスカンジナビア系の名前に聞こえるが…
ドブルィニャってのはスラブ系の名前?

307 :世界@名無史さん:2005/11/24(木) 00:53:44 0
マルシャはウラジミールの祖母オリガの侍女をしてたから
ウラジミールは「召使いの子」とか呼ばれた。

308 :世界@名無史さん:2005/11/24(木) 01:52:49 0
兄貴のドブルィニャがスビャトスラフの側近になるくらいだから
同じくヴャリャーグじゃねえの?>マルシャ
っていうかリューリク家にしろそれ以外にしろ
その時期にはもうほとんどスラヴ化してんじゃ・・・

309 :世界@名無史さん:2005/11/25(金) 01:49:45 0
てゆーか摂政オリガだって改名したけどスラブ人じゃん

310 :世界@名無史さん:2005/11/26(土) 08:36:36 0
それがどうした

311 :世界@名無史さん:2005/11/29(火) 18:03:55 0
東北大学 東北アジア研究センター公開講演会
http://www.cneas.tohoku.ac.jp/

「三人の大統領とソ連・ロシア:ペレストロイカ、ソ連崩壊、再興」

日時:2005年12月3日(土) 15:00−17:30
会場:仙台国際センター
一般の聴講を歓迎します。(聴講は無料です。)
http://www.cneas.tohoku.ac.jp/jap/overall/kouenkai051203.html

312 :世界@名無史さん:2005/11/30(水) 20:24:59 0
>>301
イワン雷帝の時代にヴォルガ流域と西シベリアに進出するまでは
ポーランド・リトアニア連合が欧州最大の版図を持ってた。
>>304
本の題名きぼん。

313 :世界@名無史さん:2005/12/01(木) 13:17:09 0
ボリス・ゴドゥノフの先祖がタタール人の王族だったというのは
本当ですか?

314 :世界@名無史さん:2005/12/01(木) 15:12:57 0
何故ロシア人の間では男色やレスビエンヌが盛んだったのですか?




315 :世界@名無史さん:2005/12/03(土) 16:30:39 0
>313
チェタというタタール人が先祖だったといわれてるらしいが
検索すると王族だったとかムルザ(貴族)だったとかいろんな説が・・・
イヴァン1世の時代にロシアに来たらしいです。

316 :世界@名無史さん:2005/12/03(土) 22:58:57 0
ボリス・ゴドゥノフは1589年、モスクワに総主教座を設けることに成功。
これでモスクワはコンスタンチノープル・エルサレム・アレクサンドリア・
アンティオキアに並ぶことになった。



317 :世界@名無史さん:2005/12/04(日) 15:39:38 0
スターリンはオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』の愛好者だったらすぃ。

318 :世界@名無史さん:2005/12/04(日) 19:57:02 0
>>314
民俗社会での乱交や近親相姦は聞いたことがあるが同性愛は寡聞にして知らない。

ラスプーチンが聖地巡礼の途上でアトス山に立ち寄ったとき、そこの修道士たちが
男色をおこなったのを知り「ここは呪われた場所だ!」といって立ち去ったとか。
性的にルーズだった彼も同性愛は悪徳とみなしていたようだ。

319 :世界@名無史さん:2005/12/06(火) 03:13:29 0
>>312
『ロシア民族夜話』って本です
ttp://pub.maruzen.co.jp/shop/4621051903.html
あとこっちは小説ですが『大公ウラジーミル』って本
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120015386/qid%3D1133805806/250-7243223-9536212
でもあらすじで混血と書いてました

あまり知られてないソースがあるのだろうか?

320 :世界@名無史さん:2005/12/18(日) 20:07:43 0
オスプレイ・メンアットアームズで「イヴァン雷帝の軍隊」が1月に出るらしい。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1841769258/qid=1134903910/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/250-2671630-8740226

321 :世界@名無史さん:2005/12/22(木) 16:00:56 0
age

322 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 10:31:30 0
中世にロシア人の奴隷がヨーロッパに輸出されてたそうですが
彼らはキリスト教徒とはみなされていなかったのでしょうか?

323 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 16:43:45 0
>>322
西欧に輸出されてたかは知らないが、ベネチアやジェノバの商人が
モンゴルからロシア人の奴隷を買って転売してた。

マムルーク朝のブルジ軍団(チェルケス人やロシア人の奴隷)も
彼らによって運ばれてきたんだろう。

324 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 18:57:15 0
イベリアや北アフリカのイスラム帝国(後ウマイヤ朝やアッバース朝)に売ってた。
マインツがヨーロッパの仲買人(ユダヤ人)の中心地だったらしいよ。
当時はまだすべてのロシア人がキリスト教徒であったわけではない。
同様に異教徒であった東ドイツのソルブ人や、バルト海沿岸のプロイセン人なども、
キリスト教徒であったドイツ人やポーランド人やボヘミア人に狩られて売り飛ばされていた。

325 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 23:37:55 0
後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世がスラヴ人軍団を用いてたのは有名だな。
彼の将軍のひとりはナジャというスラヴ人奴隷出身者だった。

326 :世界@名無史さん:2005/12/31(土) 10:09:28 0
>>324
>当時はまだすべてのロシア人がキリスト教徒であったわけではない。
いわゆる二重信仰のことですか?

327 :世界@名無史さん:2005/12/31(土) 10:31:43 0
13 :朱由檢 :2005/03/22(火) 16:25:47 0
スラブ人の12歳の少女が50ドゥカート。現在の金額で245000円。

タタル人の10歳の少年が49ドゥカート。現在の金額で240100円。

歳をとるともう少しやすくなっていた。うろ覚えですまん。

328 :世界@名無史さん:2005/12/31(土) 11:17:05 0
年代不明で、
1ドゥカード=49000円はどっから出てくるんだ?

329 :世界@名無史さん:2005/12/31(土) 22:37:13 0
本人に聞くという手もあるだろうが
ロシア関係のスレって見てんのかねえ

330 :世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:44:47 0
まあタタール人が出てくるから13世紀以降の話だろうな。
クリミアのイタリア商人がモンゴル人の子供をさらって売り飛ばしたりしてたとか。

331 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 22:10:59 0
>>327
「奴隷 ドゥカート」でぐぐってみた。

人のねだん
ttp://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/A008.htm
ヨーロッパ 14世紀
14世紀後半、イタリアの商人ダティーニさんが購入した奴隷:
○タタール人の少年アントネット 47 フィオリーノ
○10または12歳の少女    50 ドゥカート(+物品税5ドゥカート)
○大人の女バルトロメア     47 フィオリーノ
○大人の女ジョヴァンナ     60 フィオリーノ
フィオリーノはフィレンツの金貨、ドゥカートはヴェネチアの金貨で共に3.53gの純金。
このころの女中さんの給料は年10〜12フィオリーノだったので、奴隷を買っても5〜6年で元がとれたらしいです。
このころの奴隷にはスラブ人が多く、スラブ(Slav)は奴隷(Slave)の語源になっています。

332 :世界@名無史さん:2006/01/12(木) 01:52:53 0
それが中世末期の話だってのが・・・

イタリア・ルネサンスに貢献したビザンツの知識人も売られてきた連中だとか
どっかのスレで書いてたような

333 :世界@名無史さん:2006/01/12(木) 23:32:59 0
コンスタンティノープル陥落で追い出された人たち?

334 :世界@名無史さん:2006/01/19(木) 14:10:24 0
>>94-95
リヴォニアを征服した刀剣騎士団は当時ドイツ騎士団に吸収されていたが
ペイプス湖の戦いに参加した連中のうち、刀剣騎士団の関係者はロシア進出の
野心があったようだ。ドイツ騎士団員はリトアニアとの戦いを優先していて
あまり乗り気でなかった模様。
あとエストニア北部を占領していたデンマークの軍勢も参戦していたらしい。

335 :fisianasann ◆l5Ju6Ly8I2 :2006/01/19(木) 23:39:39 0


336 :世界@名無史さん:2006/01/20(金) 01:32:57 0
金3.53g=49000円も変だし。
女中の給料が10−12フィオリーノ=49万から58.8万も変だし。

337 :世界@名無史さん:2006/01/20(金) 06:48:46 0
「ドュカート」とよばれるヴェネツィアの金貨は、
重さでは3.56グラムと、「フィオリーノ」(フィレンツェの貨幣)と同じだが、
「フィオリーノ」が18金であるのに反し、
「ドュカート」は24金であり、純度に至っては0.997という、
まったく純金といってもよい純度を誇っていた。
しかも、1284年に造り始めてから、1797年のヴェネツィア共和国の崩壊に至る
500年間、その純度を保ち続けたのである。

338 :世界@名無史さん:2006/01/20(金) 08:40:12 0
「氷上の戦い」はネフスキーがどうとかいうよりも
4月なのに氷結した湖の上で軍隊が戦ってるあたりが
ロシアの凄さを感じさせる。

339 :世界@名無史さん:2006/01/20(金) 14:33:36 0
>>338
あの辺だと、3月後半〜4月半ばくらいが湖沼の氷結の終わるボーダーライン。
人間ならギリギリまで大丈夫だけど、車だと重すぎて、割れ目に落ちて沈没してしまうことが今でもある。

重い甲冑に身を包んだチュートン騎士にとって、極めて危険な戦場であったことは言うまでもない。

340 :世界@名無史さん:2006/01/20(金) 21:26:42 0
>>338
中世ロシアについての本で「冬季は氷結した河川がハイウェイになるので進軍が容易」
という文章を読んだときには強烈な異世界感を覚えました。

341 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 16:14:29 0
>>314
中世の寓話で熊がソドミーをする話があるらしいが、詳細不明

342 :世界@名無史さん:2006/01/31(火) 19:10:08 0
聖人が素手で熊を殴り殺す国

343 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 21:36:04 0
凄い世界ですな・・・

344 :アヴァクーム:2006/02/16(木) 22:02:13 0
>>342
殴り殺したが、後で息を吹き返した。
もう一頭は森へ追い放った。

345 :世界@名無史さん:2006/03/05(日) 12:31:27 0
勇次郎ですか・・・

346 :世界@名無史さん:2006/03/05(日) 15:42:16 0
>>326
多重信仰と考えたほうがいいね。
王侯貴族はロシア正教だが、庶民のなかには土着の宗教の信者も多かった。
東スラブは宗教の多様性があったようだし、ペルミ人など、非スラブ系白人もロシアに包含されているから、
中世ロシアの宗教事情はとにかく複雑だ。

347 :世界@名無史さん:2006/03/07(火) 08:33:03 0
イスラムに改宗したロシア人も結構いたんでないかという気がする。
現代の「タタール人」のヨーロッパ的な容貌を見てると・・・

348 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 01:52:27 0
>>77
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1068115988/
414 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 04/04/15 02:29
ヴャトカ共和国 
ノヴゴロド共和国の植民地だったが11XX年代末に独立。 
首都フルィノフ(現キーロフ)。 
領域は北と東がノヴゴロドの勢力圏(ドヴィナ地方)、西はモスクワ大公国、 
南はカザン汗国。 
支配を取り戻そうとするノヴゴロドと対立。ドヴィナ地方住民やモスクワ領 
となったウスチュグ市とも対立。南へ拡張する過程で北へ拡張するカザン汗国 
と接触、対立。 
ビャトカはノヴゴロドとカザン汗国とのバランスをとりつつモスクワの保護を 
取り付けることが多かったがモスクワが強大化したのでカザンとの連携を図った。 

モスクワの1451-1452の内戦時に干渉、その際敵対したヴァシーリィ二世が 
モスクワの支配者となり、ヴャトカを攻撃。1460年にヴャトカは破られモスクワに
忠誠を誓ったがすぐに再び独立。 
1468年のモスクワのイワン三世がカザン汗国と戦争。ヴャトカに援軍を要請したが 
これを拒否、中立。 
1471年、モスクワによるノヴゴロド遠征に参加。ノヴゴロドはモスクワに併合される。 
1486年、ヴャトカによるモスクワ領ウスチュグの略奪。 
1487年、モスクワによるカザン遠征への参加拒否。 
1489年、イワン三世によるビャトカ攻撃。モスクワの他、トヴェリや長年ヴャトカと 
対立してきたウスチュグ、ドヴィナ、さらにモスクワ勢力下となったカザンの軍も 
参加。1489/08に降伏。9月に全ビャトカ市民及びその家族(数千人?)をモスクワに 
強制移住。指導者は処刑。他の全ビャトカ人はモスクワ大公への仕官を強制さる。 

こうしてヴャトカが滅んだあと一応独立国として残ったのはリャザン公国の半分と 
プスコフ市だけだったがどちらもすっかりモスクワの勢力下にあった。 

ネタ元:東西ロシアの黎明 

349 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 13:02:11 0
>348
ヴャトカの首都はヴャトカ市だとずっと思ってたよ・・・

350 :世界@名無史さん:2006/03/08(水) 22:33:56 0
>>349
元はフルィノフだが1781年ヴャトカに改称し、1934年にキーロフに改称したらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%95

351 :世界@名無史さん:2006/03/09(木) 16:21:56 0
14世紀後半にノヴゴロドの河川賊がヴャトカ(フルィノフ?)を占領してるけど
略奪しただけで去ってるな。

352 :世界@名無史さん:2006/03/15(水) 00:33:56 0
14世紀後半からカザン汗国成立までのヴォルガ・ブルガールってどうなってたんだろう?
中心都市だったらしいブルガールは河川賊に占領されたりドンスコイの攻撃を受けたりしてるけど。

353 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 19:51:21 0
 

354 :世界@名無史さん:2006/03/31(金) 16:27:39 0
age

355 :世界@名無史さん:2006/03/32(土) 09:29:47 0
古代ボスポラス王国の時代の黒海北岸は小麦の一大産地だったけど
キエフ公国とかはあまりあの辺で農業をやってないのは何故?

356 :世界@名無史さん:2006/03/32(土) 23:37:33 0
ヒント:遊牧民

357 :世界@名無史さん:2006/04/02(日) 09:11:40 0
遊牧民なら古代のキンメリア、スキタイからずっとあの辺にいる罠

358 :世界@名無史さん:2006/04/02(日) 19:27:49 0
スキタイみたいに遊牧民が農耕民を支配する体制で安定していると
ウクライナあたりも安全に農地として利用できるんだろうけど
「イーゴリ公軍記」の時代みたいに遊牧民と定住民の力が拮抗してると
あの辺の農村は遊牧民の襲撃の対象となってしまう。

クリミア汗国を滅ぼす頃にはかなり南の方まで開拓されてたみたいだけど。

359 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 01:59:59 0
そもそも遊牧ぺチェネグ人がドニエプル流域にまで入り込んできたのは
スヴャトスラフがハザール可汗国に大打撃を与えて地域の秩序が崩壊したため。


スヴャトスラフ自身もぺチェネグ人に襲われて殺されている。

360 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 08:38:34 0
トムトロカン公国ってなんであんな孤立した場所にあるの?

361 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 16:22:06 0
>360
たしかハザール時代からスラヴ人の集団がいたんでは。

タマン半島は沼地と河のために陸から切り離されて島のようになってるらしい。
外敵が侵入しにくいのかも。

362 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 17:40:51 0
あげ

363 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 20:47:11 0
しかしスヴャトスラフが来る以前のトムトラカニってどうなってたんだろう?
ウラジーミル大公がムスチスラフを派遣するまでは誰かが治めてたのか?

364 :世界@名無史さん:2006/05/01(月) 22:26:01 0
白樺文書はロシア以外では存在するのか?
北欧とか?

365 :世界@名無史さん:2006/05/02(火) 09:31:29 0
>364
ゲルマン人の遺跡でルーン文字の刻まれた樹皮が出土してるとか。
籤引に使ったらしい。

366 :世界@名無史さん:2006/05/02(火) 10:51:20 0
そういや「カラーイラスト世界の生活史6 ヴァイキング」て本に
バーニャ式蒸し風呂に入るヴァイキングの絵があったな。
ヴェニークで体をはたくところまでそっくりだった。

367 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 20:56:53 0
中世初期のポーランドにもドルジーナとかあったらしいですね。

368 :世界@名無史さん:2006/05/24(水) 18:57:51 0
ほお

369 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 20:49:20 0
質問させてくださいm(_ _)m
ロシアに「ナイトの称号」という称号は存在するのでしょうか?
検索してみたのですが正しい情報が得られませんでした。。。

370 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 22:36:35 0
>>369
イギリス中世の騎士階級にあたるものはロシアに存在しないと思う。
ドルジーナというのは、侯(クニャーシ)・豪族(ボヤール)・主教が
自衛のために所有していた正規軍(騎馬軍)。上級軍と下級軍に分かれていて、
上級軍は親衛隊のようなもので高貴な家の子弟が属し、為政者の政治的な
諮問機関のような役割を果たしたが、封土と軍事奉仕の双務関係で結ばれた、
国王と対等な中世西欧の「騎士階級(ナイト)」とは違うと思う。

371 :369:2006/05/25(木) 23:07:15 0
詳しい解説ありがとうございます。
ということは社会貢献した方には英国政府から名誉ナイトの称号を授与など
ニュースなどで度々耳にすると思いますが、
そういった名誉にあたる称号もロシアには存在しないのですか?
スレ違いだったら申し訳ないですm(_ _)m

372 :ty270410:2006/05/25(木) 23:25:02 0
>>348
ヴェルナツキーの本,面白そうですね!
たしか,八重洲ブックセンターの棚にならんでいたような!

373 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 23:37:35 0
>>371
そういう名誉称号なら労働英雄とか?

374 :370:2006/05/26(金) 03:05:20 0
>>371
ロシアは13cからモンゴル支配に服し、そのなかで群雄割拠状態で公国が現れ、
その公国のなかに為政者である侯(クニャーシ)と、彼から封土をもらう
家臣(ウヂェーリヌイ・クニャーシ)という社会関係が生じた。
モスクワ公国時代もクニャーシの称号は保存され、ピョートル時代に貴族制度が
整備されて、クニャーシは伯爵と男爵に並ぶ「公爵」となった。
イギリスのナイトは、5−6世紀のアーサー王伝説にみられるような騎士階級に
遡るので経緯が異なる。あえて近いとするなら、クニャーシだが、ロシア革命で
貴族制度自体が全否定されてしまったので、現在にまで継承される由緒ある
称号はロシアにはまったくない。逆に、イギリスは名目的な王政や貴族称号を
残しているから、今も階級社会のままなのだと思う。

375 :370:2006/05/26(金) 03:32:40 0
付け加えると、モンゴル襲来前のクニャーシはリューリク一族の末裔であることを
主張していたので、その後、ドサクサまぎれに出てきたクニャーシもその慣習に
倣った。もちろん、家系を歴史的に証明することはできない。
ちなみに「戦争と平和」で有名なトルストイの母方の祖父が「公爵」で、同じく
リューリクの末裔であると主張していたが、ユダヤ人がアブラハムの支族である
という主張と同レベルだ。

376 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 08:37:07 0
現代ロシア語で騎士は「ルィツァーリ」というけど、どう見てもドイツの「リッター」からの借用語だな。
ポーランドもその系統の語を使ってたと思う。

そういやマイアヒの英語版では「やあ、僕だよ、騎士だよ」となってた歌詞が
元のモルドヴァ語では「やあ、僕だよ、ハイドゥク(馬賊)だよ」・・・
さすがウクライナの隣の国だけある。

377 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 09:01:44 0
ポーランドはシラフタだな。

ポーランドの場合周辺諸部族を圧して統一を成したのがレフ族という部族だが、
レフには代々族長がいるとはいえ、それ以外は平等で、階級社会ではなかった。
そこで他部族の連中の有力者をレフの民と同一に扱うように扱うときに、さてどう区別して呼ぶか困った。
外国の言葉を探してみたところそのころまでにすでにモラビア→ボヘミアと王国を形成し階級社会だったボヘミアの言葉に
シラフタというのがあったのでそれを借用した。
このシラフタという言葉は元はドイツ語ゲシレヒトで、ボヘミアへ外来語として入っていたものだった。
だからシラフタは元をただせばドイツ語だが、ポーランド人が借用したのはボヘミア語からというちょっと複雑な経緯がある。

378 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 12:53:53 0
>377
シュラフタってジェントリーみたいなものかと思ってたけど。

いわゆる騎士の訳語としてはリチェシュとかいう語があるみたい。

379 :ニッポンレンポウコク:2006/05/26(金) 13:26:43 0
世界から羨む日本連邦国
下のリンク(画像)をクリック
http://kr.img.dc.yahoo.com/b7/data/history/f2/1148617024_ghkfqlseks_4573485.jpg
http://kr.img.dc.yahoo.com/b7/data/history/earth_asia_1280.JPG


380 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 22:02:29 0
>>372
ヴェルナツキーなら「ロシア史」も手軽な通史としては結構面白いですね。
30分ぐらいで近世まで読み進められるけどw

381 :世界@名無史さん:2006/05/28(日) 18:38:19 0
>>376
あれ?「outlaw」じゃなかったっけ>マイアヒ
でもナイトになってた覚えもあるな…
ハイドゥクはアンチオスマンで義賊扱いだったか

382 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 14:55:50 O
ロシアやウクライナはタタールの血が入ってる人が結構いますよね?
スラブ人だけど東洋的な感じの人をよく見るので。

383 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 19:41:40 0
目が腫れぼったくて頬骨突き出しで
広顔で短頭絶壁白人ね
ブサイクで有名

384 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 21:02:26 0
逆にタタールスタンあたりへ行くとテュルク系の細顔が多いとか。

385 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 18:23:03 0
>>337
バルトの貴族にlievenという姓があるけど、このレフ族となにか関係が
あるの?


386 :世界@名無史さん:2006/06/05(月) 10:16:52 0
レフ・トルストイという人もいるな。

387 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 16:02:53 0
そっちはライオンって意味じゃなかったけ

388 :世界@名無史さん:2006/06/12(月) 11:10:07 0
>>81遅レスだが、そもそもエストニアもフィン・ウゴル語族だからアジア系ですね。
もっとも、ロシアの貴族の三分の一はモンゴル系だとも聞くが…

著名人の名前もふくめて、ロシアには改宗タタール出自の姓がいっぱいあるそうな。
自分が知っている例としてはゴーゴリとかツルゲーネフとかコルサコフとか、あと
クトゥゾフなんかもそうらしい。
語尾に「フ」が付いている姓に、タタール出自が多い気がしますね? ソ連の歴代
書記長にも、あんがい出自はアジア系の人がいるのかな?

にしても2ちゃんは学徒の宝庫ですね。「ロシアの源流」以外で、素人にこんなに
濃い話を聞かせてくれる日本語情報源は、見当たらない。

ついでに質問をもういっこ。
岡田英弘先生は、有名な「クリコヴォの戦い」は「当時の関連諸国の外交文書には該
当する記述がなく、作り話か、もしくは語るに値しない小競り合いが後世、喧伝され
るうちに大きくなったものだろう」と言われていますが、そういう理解でいいのです
かね…?

389 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 20:10:36 0
>388
クリコヴォの戦いは、ネットに繋いだばかりの頃に興味をもっていろいろ検索してみたけど・・・
どっかロシア語のサイトにあった両軍布陣図なんか、タタール側のジェノヴァ弩兵の位置まで
特定されてて凄かった。
当時の記録については「ロシア年代記集成を読め」とかいうのが多かったような。
多分そっちのソースしかないんじゃないかと。

ttp://www.xenophon-mil.org/rushistory/battles/kulidocs.htm
このページではクリコヴォ関係の2次資料が網羅されてるけど
"The battle or aspects of the campaign are also mentioned in Arab and Persian records."
とか書いてるのが気になってしょうがない・・・

390 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 09:49:55 0
>>389レスさんきゅ。
要するに信頼にたる一次資料はないと。だけど話が膨らんで尤もらしい枝葉(=二次
資料)がくっついてしまい、そっちが既成事実になったって感じですね。

391 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 19:50:03 0
年代記の記述が信頼できないのかどうかは専門家じゃないのでちょっと。

・ラドネジの聖セルゲイの祝福
・聖ニコラが空中に出現
・修道士ペレスヴェートとタタールの武将チェルベイの一騎討ち
・セルプーホフ公がタタール軍の右翼を奇襲

といった妙に細かいディティールは同時代史料にあるのかな?
モスクワ勢が側面攻撃を受けないよう森に挟まれた場所に布陣したりとか
タタールの右翼が強力なのは妙にリアルなんだけど。

392 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 20:36:39 0
あと「ドミートリー公は自分の黄金細工の甲冑を家臣の一人に着せて
自分は最前線で剣を振るって戦った」という話もあるらしい。
さすがにそれはどうかと思うんだけど。

393 :世界@名無史さん:2006/06/25(日) 08:27:23 0
ルーシがキリスト教に改宗した後、ギリシアの古典はどの程度伝わったの?
ビザンツ経由で伝来してもよさそうなんだが。

394 :世界@名無史さん:2006/06/25(日) 19:41:15 0
>>393
カエサルにつながる系図を捏造したりしてるからギリシャ・ローマについて
まったく知らないということはないだろうけど・・・

ウラル山脈あたりの狩猟民を「アレクサンドロスが鉄門の彼方に封じ込めた民族」と
呼んでる例があるとか。

395 :世界@名無史さん:2006/06/25(日) 20:27:06 0
>>393
法律関係だと、教会を通じてビザンツ教会法集が伝わったが、教会裁判所の
管轄が及んだのは家族法・相続法の分野だけだった。

396 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 01:12:55 0
今読んでるリトアニア史の本にちらっと書いてあったけど
ヨアンネス・マララスの年代記をロシア語に翻訳した人(修道僧?)は
「リトアニアの異教徒を古代ギリシャ人と同一視し、彼らがなぜ火葬を
おこなうようになったかを記述している」そうだ。

397 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 03:22:52 0
ロシア革命以前の公爵家は
イヴァンとか以前の時代からの公国の支配者の子孫
が多いって事ですか?


伯爵とかは軍功を上げた人中心ですね。


398 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 15:27:50 0
>>396
イブン・ファドランの時代のルーシは「なぜ愛する者の亡骸を土に埋めて
虫の餌食にするのか」とかアラブ人に食ってかかってたけどね。
>>397
トヴェリ公家とか最後どうなったんだろう・・・

399 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 22:35:15 0
>トヴェリ公家とか最後どうなったんだろう

最後の一人はイヴァン雷帝に処刑されたそうでつ。ウィキ情報だけど。

ウィキの同じページを見てたら、中東やインド、アフリカまで旅したアファナーシー・ニキーチンが
トヴェリ公の臣下だったと初めて知った・・・

400 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 19:27:14 0
>>399えーと、記憶モードなのでハッキリ断言できないのだけれど…
イヴァン雷帝のリューリク朝が滅んだあとに興ったロマノフ王朝は、トヴェリ公
とも浅からぬ繋がりがあった希ガス。もちろん直系ではなかったにしても。

まあトヴェリもモスクヴァも、系図上ではつながりがあり、まったくの他人では
なかったはずですけどね。いずれもアレクサンドル・ネフスキーの系譜の、範囲
内だったと記憶してまつ

401 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 23:44:30 0
            フセヴォロド
               │
            ヤロスラフU世
       ┌――――─┴―――――――――――┐
   アレクサンドル                  ヤロスラフV世
  ┌――┴―┬――――┬―――――┐      │
ドミートリー アンドレイ ヴァシーリー ダニール  トヴェリ公家
  │   ┌―┴―┐   │       │
イヴァン ボリス ミハイル 断絶    モスクワ公家
  │   │     │
 断絶  断絶   断絶


そういえばシュイスキー公もネフスキーの血を引いてると主張したらしいが・・・

402 :世界@名無史さん:2006/07/03(月) 11:50:42 0
ttp://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2006-07/kaisetsu.html
ロシア文化フェスティバル2006 IN JAPAN ロシア・ソビエト映画祭
ttp://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2006-07/nittei.html  スケジュール
2006年7月4日(火)−7月30日(日) → 上映スケジュール
東京国立近代美術館フィルムセンター

7/5(水)3:00pm  7/23(日)3:00pm
ステンカ・ラージン(12分・18fps・35mm・無声・白黒) 1908年制作
ロシア民謡「ステンカ・ラージン」の物語を、歌詞に基づいて映画化したロシア初の劇映画で、ロシア映画の発展の基礎となった。
ロケーション撮影が捉えるヴォルガ河や森などの大自然の中で物語が展開される。

セヴァストポリの防衛(52分・18fps・35mm・無声・白黒) 1911年制作
帝政時代のロシアを代表するハンジョンコフ社の製作によるロシア初の長篇映画。
19世紀半ばのクリミア戦争で、ロシア軍がトルコ・イギリス・フランスの連合軍と戦った有名な戦闘を題材とした歴史スペクタクル映画。


403 :世界@名無史さん:2006/07/03(月) 11:56:33 0
>>402
7/11(火)3:00pm  7/30(日)2:00pm
イワン雷帝 第1部(99分・35mm・白黒) 1944年制作
初代皇帝(ツァーリ)としてロシア帝国の強大化に尽力したイワン4世(雷帝)を描いたエイゼンシュテイン最後の作品。
第1部では、封建制の支配するロシアを中央集権国家にまとめ上げる過程が綴られるが、
戦火を逃れて疎開先のアルマ・アタ(現カザフスタン)で撮影された。

7/11(火)7:00pm  7/30(日)5:00pm
イワン雷帝 第2部(85分・35mm・パートカラー) 1945年制作
モスクワで完成された第2部では、権謀術数の渦巻く雷帝と貴族たちとの暗闘が描かれる。
だが、独裁者の孤独を描く暗い作品だとして、その死後まで公開されず、一部撮影された第3部の素材も破棄させられた。
最後のカラー部分は、エイゼンシュテイン唯一の色彩映像。

ttp://www.momat.go.jp/FC/information.html
ttp://www.momat.go.jp/FC/NFC-map2006.jpg
アクセス方法

404 :世界@名無史さん:2006/07/05(水) 19:36:12 0
>>166
イスラム圏の「マジュヌーン」もそう。

405 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 02:52:21 0
>>385
レフ族はLech

chの発音は下唇を上の前歯につけるfじゃなく、
上下の歯で摩擦音を加える独特のhだから、語源は違うと思う

406 :世界@名無史さん:2006/07/08(土) 20:05:57 0
ビザンティン帝国やロシアなど東方正教の国では
アラビア数字が伝わる前はローマ数字を使ってたんですか?

407 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 21:19:31 0
ちょっとお尋ねしますが、
イヴァン以前の封建時代を扱った、手ごろに充実した本って
ありますか?

ロシア史はピョートル以前の書籍って少ないですよね。
封建時代は資料が少なそうだが、

408 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 21:39:25 0
>407
「タタールのくびき」の時代の政治史なら何といっても三浦清美「ロシアの源流」

自分の場合、あとは山川世界歴史大系のロシア史とか適当に読み漁っただけなんで・・・

409 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 20:31:44 0
ネット上なら>>252のページ

410 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 09:14:54 0
封建時代のロシアには、なぜかアリストテレス哲学が入ってこなかった
そうで。(もちろんローマ法も)
それと、ロシアの場合土地が広大すぎて、都市があちこちに発達するという
かたちにはならず、都市的な空間があっても日本でいう家の子郎党的な関係で、
西欧のようなレーン的な契約関係ではなかったと。

411 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 15:15:09 0
>>252のリンク先の文教大の加藤一郎教授って、日本の代表的なホロコースト否定論者じゃなかったっけ?
で、以下のサイトの黒幕だが、いつから変節したんだろ?

歴史的修正主義研究会
http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/

ソフィア先生の逆転裁判
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/sohiasenseinogyakutensaiban2_mokuji.html

ソフィア先生の逆転裁判2
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_05_17.html


違ってたらスマソ。

412 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 15:21:23 0
歴史的修正主義研究会関係スレ

ホロコースト 39
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1150820575/l50

413 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 19:45:58 0
>410
ロシアの場合、河の合流点に城砦を建てて
その周りに町ができることが多いらしいですね。
モスクワとか。

414 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 20:03:08 0
>>413
川が自然の掘割の役目を果たすからね

415 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 20:28:33 0
10〜11世紀に西欧では「農業革命」(三圃制・牛耕・有輪犂)が起こり、
「農業生産力の向上→余剰生産物の発生→交換経済の成立→都市や商人
ギルドの成立」という方向へ進む。
日本では13世紀ごろに二毛作が普及し、肥料・鉄製農具・牛馬を利用した
農耕が広がる。荘園・公領の中心地や交通の要地、寺社の門前では定期市が
開かれ、商工業が発展していった。

ロシアの場合、19世紀でも国民の90%が農業に従事していたらしい。
ロシア農民の農業が農奴制から抜け出したばかりで、中世以来の原始的な
輪作と粗放的なやり方にとどまっていた。(森を切り開いたり、沼地を
埋め立てたりして地所がつくられ、3〜4年利用されると自然に帰され、
また森の一部を耕す)

416 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 23:50:49 0
19世紀までってことはないだろ

417 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 08:45:24 0
一部北の地方では近代まで焼き畑農業が続いてたらしいけど未詳

418 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 13:48:29 0
>>416
たしか、19世紀初頭の人口調査の結果、農民(農奴含む)90パーセントって
資料、自分も見たことあるなあ…。


419 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 15:26:20 0
ロシアは土地が広いから西欧のような三圃制の必要はなかったね。各地主の土地も広大だったし。
だが広大なだけに馬を動力にして耕したり、車輪の付いた大きな犂は使っていた。
そもそも近世ロシアの農奴制は地主貴族が余剰生産物を外国に売って成り立っていたんだから。

焼畑はヤロスラヴリとかリャザンとかあっちのほうね。
モスコヴィやノヴゴロドのほうじゃなく。

420 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 23:39:56 0
>419
山川の「ロシア史」旧版では14−15世紀に三圃制が
広まったとか書いてたけど。

ただしどこにどの程度広まったのか全然書いてない。

421 :世界@名無史さん:2006/07/13(木) 01:21:27 0
三圃制を取り入れて余剰作物を積極的に作って西欧への輸出にまわした南部や西部と
わざわざそんなことまでする必要のなかったのんびりした東部とで分かれるんじゃないかな

422 :世界@名無史さん:2006/07/13(木) 20:48:40 0
山内昌之の「ラディカル・ヒストリー」によると、ロシアは
モンゴル支配下での活発な経済活動の恩恵をほとんど
受けられなかったらしい。

キプチャク汗国からヨーロッパに伝わった黒死病が
西からノヴゴロド経由でロシアに流行したってのは
なんか象徴的。

423 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 00:24:48 0
恩恵というより、ロシア側が拒否してたんじゃないの?
タタールのくびきという言い方するくらいだから。

424 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 01:20:15 0
モンゴル帝国なんて幻想

425 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 02:41:53 0
>>415
ロシアなんて一括りにするから無理がある。
ウクライナやカフカース地方、中央アジアや極東、どこの地域いつの時代を
言っているか明確にしないとなんだかわからん意見になる。

426 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 02:49:55 0
>>410
東方正教会はギリシャ哲学そのものだろ。
政教の合致はギリシャ哲学そのものなんだけどな、実は。
哲人王は古代ローマ〜ビザンチンでは皇帝の政教の一致と
言う形で実現したとも解釈できる。これはロシアに継承されていくんだな。

古代ギリシャ哲学の西欧的解釈に毒された意見だなw
カトリック史観と言うやつだなw

427 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 20:18:01 0
>>422
>ロシアは モンゴル支配下での活発な経済活動の恩恵をほとんど
>受けられなかったらしい。

ロシアにとってのモンゴル帝国は、アフリカにとってのヨーロッパ植民地
帝国みたいなものだったのか?


428 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 02:46:04 0
>>427
いや全然違う。モンゴルの搾取の対象じゃなかったし。緩やかな政治的支配関係。
インドとイギリスの関係に似ている?
インドが統一されてたらの前提だが。

429 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 08:58:27 0
>>428
貢納という形で搾取はしていたけど。
ルーシから貢納が支払われ、小国分立の状態で安定していれば
あとはわりとどうでも良かったようだ。

430 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 10:41:30 0
古代中世のロシアは日本と共通した点が多いような。
隣接する文明(中国、ビザンツ)の影響を受けながら直接支配はされなかった
ところとか、小国分立の状態だったところなど。
日本の場合、分権的な状態が江戸時代まで続いたけど、ロシアは途中で
中央集権的になったのが違うところ。

431 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 11:59:41 0
モンゴル支配の初期の段階では破壊も激しく税金も高かったが14世紀にリトアニアに
ルーシの西半分を奪われてからはそれに対抗するために残りのルーシの協力も必要
だったし締め付けも緩んだと聞く。
緩んだモンゴル支配体制の中で東部ルーシのトップの地位を奪取したモスクワは
最終的にモンゴルもリトアニアもことごとく併合した。

432 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 14:11:06 0
ワシーリー・クリュチェフスキーはロシア人が作業を注意深く計画したり、
几帳面に行ったりしないのは、不安定な気候のせいだと書いているが、
アメリカ人も、中国人も、国土が広い国の国民は大雑把なところがあるように
思えるけどね。


433 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 00:42:22 0
>>431
リトアニアにキエフあたりまで奪われるしワラキアやモルダヴィアは独立するし
キプチャク汗国も14世紀は大したことがないような。

434 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 00:50:52 0
タタールのくびき時代にもヴォルガ河ではそこそこ活発な交易があったらしく
イスラム商人やアルメニア商人、ロシア商人などがヴォルガ河上で
ノヴゴロドの河川賊に襲われてる。

435 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 01:07:33 0
>>430
「外来の世界宗教が伝来しても土着信仰を駆逐することはなかった」とかも。

436 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 19:46:14 0
>>435
パキスタンやバングラデシュは、イスラーム国家なのにカースト制度が
残っている。
中国も、庶民レベルでは儒教や仏教よりも道教のほうが馴染み深い。

437 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 20:37:42 0
イスラームでは、カーストを廃止する運動を起こさないの?

438 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 20:48:54 0
>>426
>哲人王は古代ローマ〜ビザンチンでは皇帝の政教の一致と
>言う形で実現したとも解釈できる。

プラトンは、哲学に親しむ者が政治を担当するのが国家にとって理想である、
と書いているが、この理想が実現したのはマルクス・アウレリウス・アントニヌス
帝の治世だけでは?

439 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 23:58:44 0
ロシア史で哲人王っぽいのはイワン雷帝ぐらいか
哲学というより神学の本ばかり読んでるけど

440 :世界@名無史さん:2006/07/18(火) 09:08:39 0
ある人が、哲人政治家なんぞないほうがよい、なぜなら哲学とは知と善の追求
だが、政治とは知と感と善と悪とのバランスをとることにある、プラトンが
言ったからといってすべてを良しとする必要はない、と書いていた。

ギリシア人はローマ人に比べて、政治の才能はペリクレスのような例外を除いて
劣っていたように思える。


441 :世界@名無史さん:2006/07/18(火) 09:34:50 0
>>406
アラビア数字が伝わる以前は、文字に数を割り当てる、いわゆる「ギリシャ数字」を使用していた。
ロシアだとキリル文字の一つ一つに数字が割り当てられた。
http://www.s-ivy.jp/letter_numeral.html

442 :世界@名無史さん:2006/07/18(火) 13:05:31 0
>>426
政教一致の哲人王というと、中国の皇帝を連想させる。

443 :世界@名無史さん:2006/07/18(火) 18:18:53 0
古代の親政時代の日本もそうだろ>政教一致

444 :世界@名無史さん:2006/07/18(火) 22:43:00 0
>>443
『中世ヨーロッパの身分制議会』(A・R・マイヤーズ、刀水書房)に、

日本の君主と家臣の関係は擬制の血縁関係に基づいており、ヨーロッパの封建
制度のような契約によるものではなかった。また、ヨーロッパの聖職者に相当
する神道の神主たちが、ヨーロッパの聖職者のように独自の身分を形成したり、
特権を要求したりすることもなかった。

という記述があった。
要するに政教(聖俗)が分離したカトリック教会見のほうが特殊だということ
なんだろう。

445 :世界@名無史さん:2006/07/19(水) 21:28:58 0
正教の国でもビザンツとロシア帝国以外は政教分離してたと思うけど

446 :世界@名無史さん:2006/07/19(水) 22:48:33 0
>>445
詳しく。

447 :世界@名無史さん:2006/07/21(金) 07:04:25 0
>>438
それをカトリック史観と言います。ビザンチン皇帝の権威や功績を
認めたくないんだよ。皇帝がキリスト教道徳で統治していたんだから単なる
読書家の皇帝とは違う。マルクスアウレリウスの治世なんてゲルマン討伐
に奔走していたのであって哲学なんかその統治に生きてはいない。
彼の慰安程度のものだ。自省録はゲルマン討伐の遠征中に書かれたものだ。
アウレリウス帝の統治は戦争と遠征の連続だよ。哲学が生きようがない。
プラトンが理想とした統治は一種の道徳による統治だ。キリスト教を国教に
してからの方がそれに近いと言えるだろうな。
余談になるがアウレリウス帝の細君とその息子は淫乱で有名だ。
細君の不逞は知らなかったと言われているが、哲学ばかりに耽っていた世間知らず
と言うよりか遠征の連続でかまっているひまはなかったんだろうな。
家庭にさえ道徳がなかったのはいた仕方あるまいな。
>>445
中世キリスト教会の最高権威はコンスタンチノープルだよ事実上は。(ビザンチン滅亡後はクレムリン。)
その権威が政教一致していたからカトリックも実はそれを理想としていた。
実現できなかったのはゲルマンガリア系の部族の王を従えられなかったからだな。

古代以来キリスト教の教会の権威はその都市の政治力が事実上決定していた。
つまり必ずしもローマが最高権威にはなれなかったと言うことだな。
政教の分離は寧ろ妥協の産物でしかなかったと言うのが本当のところだな。


448 :世界@名無史さん:2006/07/21(金) 15:12:33 0
ttp://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2006-07/kaisetsu.html
ttp://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2006-07/nittei.html
ロシア文化フェスティバル2006 IN JAPAN
ロシア・ソビエト映画祭

7/11(火)3:00pm 7/30(日)2:00pm
イワン雷帝 第1部(99分・35mm・白黒)
Иван Грозный(1-я серия)
7/11(火)7:00pm 7/30(日)5:00pm
イワン雷帝 第2部(85分・35mm・パートカラー)
Иван Грозный(2-я серия)


449 :世界@名無史さん:2006/08/06(日) 10:05:44 0
>>370
>ドルジーナというのは、侯(クニャーシ)・豪族(ボヤール)・主教が
>自衛のために所有していた正規軍(騎馬軍)。

主教など教会人も兵を率いて戦った?

450 :世界@名無史さん:2006/08/06(日) 10:17:39 0
>>449
西欧でも、初期中世は司教自ら武装して従軍することは珍しくなかった。
神聖ローマ皇帝オットー2世が、コトローネ近郊でサラセン軍と
戦ったとき、皇帝軍の擁する騎士2000名のうち、修道院長および
司教が提供した騎士が3分の2を占めていた。
歴代ローマ教皇にも、武器の扱いに熟達しているものが何人もいた。

451 :世界@名無史さん:2006/08/06(日) 16:59:08 0
カソリックは、聖職者が剣で戦うのは血が流れるから駄目だが
槌矛で叩き殺すのはOKとか、訳分からない理論があったな。

452 :世界@名無史さん:2006/08/06(日) 22:41:54 0
昔のモンゴルや元でも、死刑で斬殺は大地を汚すとしてご法度。
罪人はおおきなズタ袋に入れて、みんなであちこちに投げつけて殺す。

453 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 03:09:45 0
>>451
殴って血が飛び散る程度ならまだしも、斬ったら血がベットリだからね。

454 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 13:43:03 0
>449
N・M・ニコリスキー「ロシア教会史」って本にちょっと触れてたが、
モスクワ府主教やノヴゴロドの大主教は、立場上戦争に参加できなかったので
ヴォエヴォダ(軍司令官)を任命して部隊の指揮を取らせてたそうだ。

正教ではわりと武力の行使に否定的で、異教徒に殺された人間でも
非抵抗を貫かないと殉教者として認められなかったとか。

455 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 13:50:46 0
スラブ人って小さい民族だったんだよね。
それがたった1000年程度で何でヨーロッパ最大の民族になったの?
特にロシアの増え方は半端じゃない。

456 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 13:58:54 0
>455
ロシアは領土が広くなっただけで数はそれほど増えてないんでは

457 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 14:42:19 0
>>455
じゃがいもが入ってきたのが大きいんじゃないの。
増えたのはそう遠い時代の話じゃないのかも。

458 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 14:55:20 0
18世紀のロシアは、フランスより人口が少なかった。

459 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 15:47:20 0
>>456
もともとロシア人は1億以上でウクライナが6000万弱でポーランドが4000万弱もいたってこと?
んなわけないだろさすがに?

>>457
でもじゃがいもは西欧にだって入ってきてるし

460 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 18:06:22 0
頭悪そう

461 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 18:30:42 0
教科書と教卓の匂いがプンプンすんな
大学の中にずっと引き篭もってろ

462 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 20:21:27 0
>>455
自然増では?
フィン系民族がスラヴ人にある程度吸収されたみたいだけど
それほど人口が多かった訳でもないだろうし

463 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 14:44:42 0
学問系の板なんだから、教科書と教卓の匂いが嫌ならおまえが出てけ

464 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 23:48:22 0
1446年にモンゴルがモスクワの市民100人につき2ルーブルの割合で
貢納を要求したが、そのときの合計が2000ルーブルに達したので
もしこれが正確なら当時のモスクワの人口は10万人以上で
同時代のロンドンやパリよりも大きな都市だったことになる。
・・・とものの本に書いてました。

465 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 01:46:02 0
>>464
だとすれば食料・上下水道・燃料といったライフラインはどうしてたんだろうね?

466 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 02:03:42 0
我慢させる

467 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 03:04:37 0
都市というのはそこに行けば何かいいことがあると期待するからみんな集まって都市化するのであって、
我慢するんじゃ田舎で農奴やってたほうがまし
つか15世紀はまだロシアでは自作農の時代か?

468 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 08:37:53 0
農民はまだ法的な身分じゃなかったみたいだけど
移動の自由がだんだん制限されていった時代では。
「他の土地への移住はユーリーの日の前後に限る」
とかいうのが一般化して。

469 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 13:36:25 0
帝政時代のロシアでは、都市に移住しても、農奴身分というのは何年経っても
変わらなかったみたい。
貴族の館で使われている農奴が典型だけど、家の子郎党的な形で、従属的な
人々がイエ経済の中に包摂されている。

ところで、中世のノブゴロドやプスコフではどうなっていたんだろうか?

470 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 21:02:08 0
>>465
よく知らんけどネット上で中世ノヴゴロドを紹介してるサイトでは
「道路を舗装する丸太は十年おきぐらいに取り替えないと
汚物に埋もれてしまう」
とか凄いこと書いてあったよ。

都市でも中庭で家畜を飼ったり菜園作ったりしてたらしい。

471 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 21:54:07 0
>>470
読んでみたいのでURLよろしく

472 :世界@名無史さん:2006/08/10(木) 00:59:08 0
>471
ここです
ttp://www.geocities.com/medievalnovgorod/

473 :世界@名無史さん:2006/08/14(月) 19:24:34 0
カルカ河の戦いでモンゴルに味方した「ブロドニキ」は
アラン人とルーマニア系の混成集団だったという説があるらしいですが
それについて詳しい人がいたら解説お願いします。

474 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 00:36:33 0
>>472
ありがとう。

475 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 22:00:14 0
裏滲ーみる・錫足り広告

476 :世界@名無史さん:2006/08/17(木) 22:09:48 0
ロシアの子供向けの本で「古代ルーシ」ってのが図書館にあったんで見てみたが、
挿絵で神々の像に礼拝する古代スラヴ人が、後頭部を頭頂近くまで剃り上げて
前髪を伸ばしたちょっと形容しがたい髪型だった・・・

477 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 00:39:03 0
>>476
>>46の画像みたいな髪型?

478 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 01:49:12 0
>>477
いや、辮髪にはしてませんでした。

479 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 02:33:15 0
他と区別をつけるために部族ごとに髪型が違ってたってことはないの?

480 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 08:36:50 0
オスプレイのメンアットアームズでは
ゲルマン人みたいに頭頂で束ねて結んでる絵もあったような。

481 :世界@名無史さん:2006/08/24(木) 17:43:55 0
魁!男塾みたいな髪型?

482 :世界@名無史さん:2006/09/01(金) 23:30:12 0
「東ヨーロッパ人種」とはEast-Nordidという長身・長頭・長顔・金髪・碧眼の典型的北方人種で白人のなかで最も美しい。

写真と解説
http://www.snpa.nordish.net/rg-eastnordic.htm


483 :世界@名無史さん:2006/09/02(土) 22:51:36 0
ヴァイキングはノヴゴロドをホルムガルド、コンスタンティノープルをミクラガルドと呼んでたけど
途中のキエフはどう呼んでたんですか?

484 :世界@名無史さん:2006/09/03(日) 03:02:11 0
【百聞は一見に如かず】

バルト三国人=クロマニヨン系異常醜悪人種「Baltid」
http://www.snpa.nordish.net/rg-baltid.htm

スラブ人の中核=美しい北方人種「East Nordid」(古代中世スラブ人の容貌はこれ)
http://www.snpa.nordish.net/rg-eastnordic.htm

スラブ人が拡散して辺縁部で一部が「Baltid」に汚された証拠は「East Baltid」
http://www.snpa.nordish.net/rg-east.htm

ドイツ人などのクロマニヨン系醜悪丸顔ゲルマン人は「Borreby」
http://www.snpa.nordish.net/rg-borreby.html


485 :世界@名無史さん:2006/09/03(日) 18:09:40 0
新版でました

【百聞は一見に如かず】

バルト三国人=クロマニヨン系異常醜悪人種「Baltid」
http://www.snpa.nordish.net/rg-baltid.htm

スラブ人の中核=美しい北方人種「East Nordid」
http://www.snpa.nordish.net/rg-eastnordic.htm

スラブ人が拡散して辺縁部で一部が「Baltid」に汚された証拠は「East Baltid」
http://www.snpa.nordish.net/rg-east.htm

ドイツ北部・デンマーク・ノルウェー・オランダ・イングランドなど北欧北海沿岸のクロマニヨン系醜悪丸顔ゲルマン人は「Borreby」
http://www.snpa.nordish.net/rg-borreby.html

ドイツ南部(主にバイエルン)の多数派は丸顔短頭で平べったい顔の「Alpinid」
http://www.snpa.nordish.net/gloss1.htm#ALPINID


486 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 18:37:24 0
異民族の非支配層に飲み込まれてしまうなんて半島みたい

487 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 18:53:00 0
>>486
何のこと?

488 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 20:44:52 0
>>480-481
ttp://img231.imageshack.us/my.php?image=armiesofmedievalrussia75012500.jpg
この髪型?


489 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 21:01:56 0
>>488
それです。
やはりメンアットアームズはけっこう読者人口が多い・・・

490 :世界@名無史さん:2006/09/10(日) 11:32:48 0
>>488
絵が間違ってる。古代スラブはプラチナブロンド。
http://www.snpa.nordish.net/rg-eastnordic.htm


491 :世界@名無史さん:2006/09/10(日) 18:43:06 0
>490
右上の注釈を見れば分かるが「古代」ではない。

492 :世界@名無史さん:2006/09/11(月) 21:05:07 0
>>482
その写真見せて、「最も美しい」は無いだろ

493 :世界@名無史さん:2006/09/14(木) 22:41:43 0
>>483
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Gardariki

Koenugardr

494 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 08:43:35 0
>493
wikiは見てませんでした。ありがとうございます。
スモレンスク→スマレスキア スーズダリ→スルダラールとか興味深いですね。

495 :世界@名無史さん:2006/10/03(火) 21:02:18 0
オスプレイ・メンアットアームズの古ルーシ関係。
デヴィッド・ニコルが一人で書いてた "Armies of Medieval Russia, 750-1250 "
は普通だったが、シュパコフスキーとかいうロシア人と書いた
"Medieval Russian Armies 1250 - 1450" "Armies of Ivan the Terrible"
は何か大雑把な内容だったな。

496 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 19:33:41 0
モルドヴァってよくスラヴ人に同化されずに済んだな

497 :世界@名無史さん:2006/11/02(木) 10:54:21 0
トルストイの「イワンの馬鹿」ってあるじゃないですか。

あの物語が書かれたのは1885年だけど、
物語自体はいつ頃なんでしょうか。

二人の兄が国を作っちゃうけど、
ロシアにも諸国乱立する戦国みたいな時代あったんですか?

498 :世界@名無史さん:2006/11/02(木) 17:26:49 0
【ロシア】 ウォッカ代わりに工業用アルコール飲み15人死亡、400人以上入院 [061027]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1161889176/l50

【ロシア】偽ウオツカによる死者多発・・市販の消毒薬や化粧落とし用アルコールを飲む人も [10/29]
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1162115792/l50

499 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 00:39:08 0
>>497 あれ子供の頃に「世界の文学」の類で読んだきりだけど
「インド王が攻めてくる」ってのがストーリーにあったような…


てゆうか創作民話にマジレス乙orz


500 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 01:38:58 0
>>497
12世紀から15世紀までは割とそんな感じじゃないですか。
>>499
魔法を使う勇士がインドへ攻め込む話を以前読んだような。
ヴォロフ・フセスラヴィチだったかな?

501 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 05:57:40 0
>500
割と有名なブィリーナにあったね。蟻に変身して城に忍び込む話。

502 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 00:25:20 0
ロシア:極右団体などが外国人排斥訴えデモ

ロシアでは4日、極右団体などが外国人排斥やロシア人至上主義を訴えるデモ「ロシアの行進」を全土で行った。
インタファクス通信などによると、一部は治安当局と衝突し、首都モスクワで約100人、サンクトペテルブルクで約50人が身柄を拘束された。
11月4日は、1612年にモスクワがポーランド軍の支配から解放された記念日。【モスクワ支局】

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20061105k0000m030102000c.html



503 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 20:43:23 0
インドは結局一度も侵略されなかったが
イランは9世紀以来断続的に襲撃されてるな。

504 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 22:06:09 0
>>503 地形の問題ですかね。
ヤパーリイランて開放的な地形で南ロシアみたいに周囲からの侵入を許しやすいのか?
(と、若干軌道修正)


505 :世界@名無史さん:2006/11/06(月) 12:48:23 0
ステンカ・ラージン?

506 :世界@名無史さん:2006/11/22(水) 17:46:08 0
ルーシ国家の建設とハザールとを非常に強く結びつけて考える研究者も存在します。当然と言うべきか、主にロシア国外においてですが。

 最近日本で出版された『ポーランド・ウクライナ・バルト史』(山川 新版世界各国史20 1998年)のキエフ・ルーシ(ウクライナ史)においては、
この考え方が強く反映されています。実際、ここで述べられているキエフ・ルーシ論は、多少なりともこの時代に触れたことのある人なら驚くべき内容になっている、
と言えるほどです。
 それによれば、ルーシは元来フランス南部からこの地に進出してきた商人団の名称で、それが9世紀に至ってハザール可汗の家系とつながり、
いわばハザール国家の後継者としての地位を得て南ロシアの覇権を獲得した、とのことです。上記のごとくルーシの公がいくつかの史料で「可汗」と呼ばれているのもこれで説明できる、
というわけです。尚、都市キエフの起源そのものもハザールの砦から発展したものとされています。





507 :世界@名無史さん:2006/11/23(木) 03:03:39 0
なんかそのレスハザール史スレでも見たような

508 :世界@名無史さん:2006/11/23(木) 05:05:34 0
レス期待してんじゃ・・?

509 :世界@名無史さん:2006/11/23(木) 13:38:22 0
「ポーランド・ウクライナ・バルト史」が手元にないんだけど
フランス南部から進出してきたのはユダヤ系の「ラダニヤ」商人団でなかったっけ?

510 :世界@名無史さん:2006/11/23(木) 19:31:49 0
「ラダニヤ」商人団ってなに_>?

511 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 16:03:58 0
>>510
ビザンツと新興のイスラム帝国の争いで地中海が二分されたのに乗じて
勢力を伸ばしたユダヤ商人の一派らしいです。
奴隷貿易とかやってたらしい。

512 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 16:28:14 0
ユダヤ商人が宦官に売り飛ばすために白人奴隷を去勢していた町がスペインにあったと聞きましたがどこなのでしょうか?

513 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 19:28:50 0
>>512
ルセナでは?

514 :世界@名無史さん:2006/11/25(土) 02:49:54 0
>>506の元ネタっぽいオメリアン・プリツァクって人が書いた論文?がネット上にあったけど
それによると暗黒時代のフランス南部に、アルルとマルセイユを本拠としたユダヤ系の「ラダニヤ」と
ロデーズ(中世フランス語ではルシ)を拠点とした非ユダヤ系の「ルーシ」という二つの商人団が
あって、奴隷貿易のため東欧に進出していたが、「ルーシ」は北欧のヴァイキングと手を組んで
ドニエプルやヴォルガ水系へ乗り出した。
そしてカバル革命でハザールの可汗がロストフのルーシ商人団のところへ亡命してきて
「ルーシ可汗国」が生まれる・・・
というんだけど専門家じゃないので正直どう捉えていいのか分かりません。

515 :世界@名無史さん:2006/11/25(土) 05:05:13 0
>>514
反ユダヤ系トンデモ陰謀論ネタですか

516 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 00:03:01 0
カバール革命で亡命したハザール人とルス商人団が姻戚関係なったってのは
結構前に発見されたヨシフ文書だかキエフ文書だかに書かれてたような。

ただ、それでルーシが立派な国家の第一歩踏んだと言うなら、違うと思う。
勢力拡大の原因になるくらい政治的な意味があれば、
その「政略結婚」はビザンツの記録に残ってるはずだから。

517 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 09:43:15 0
まあ遊牧民のハーンの娘婿になったロシア人ってのは歴史上何人もいるけど
禅譲ってのはさすがに聞いたことがないな。

518 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 20:49:56 0
「カバール」革命ってなんですか?

519 :世界@名無史さん:2006/11/28(火) 22:10:58 0
検索もできねえの?

520 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 05:06:39 0
カバール=マジャール?

521 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 09:44:11 0
>>520
=じゃなくて構成部族の一つでは

522 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 12:04:38 0
>517
カシモフのツァーリ→イヴァン雷帝

523 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 13:19:23 0
カルムイクに対しても強かった頃にはツァーリと呼んでいたようだ

524 :世界@名無史さん:2006/11/30(木) 09:12:22 0
カルムイクの首長の称号ってハンでしたっけ
それともホンタイジだったか

525 :世界@名無史さん:2006/11/30(木) 19:42:25 0
>>524
「タイシ」

ロシア使節によると
「カルムイクのツァーリ自身は、自分ではツァーリと言わないが、
配下の者は彼をツァーリと呼ぶ。」

526 :世界@名無史さん:2006/12/01(金) 12:41:52 0
コサックの居たCherkasskには、その名の通りチェルケス人居住地だったのか?

527 :世界@名無史さん:2006/12/01(金) 15:53:34 0
>>1
いまごろだが、古代中世ならスラブ民族の東漸、じゃなくて西漸だろ?

528 :世界@名無史さん:2006/12/01(金) 18:52:19 0
東漸もしただろ?
モンゴルなどにあぼーんされたが。

529 :世界@名無史さん:2006/12/01(金) 22:17:13 0
>527
ヴェンド人とか?

530 :世界@名無史さん:2006/12/01(金) 22:56:06 0
西漸はゲルマンにあぼーんされた。

531 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 12:53:57 0
>>528
東漸した部族はモンゴルにあぼーんされてない
中世後期まで東漸したこういう東スラブ諸部族が↓
http://www.euratlas.com/time/nea1300.htm
全部ルースキーになった↓
http://www.euratlas.com/time/nea1600.htm

>>529
最近はヴェンド以前にも西漸したらしいとなっている
タキトゥスが『ゲルマニア』でゲルマン人として記録している部族のいくつかはスラブ族らしい
シレジアのルギィ族とか、バルト海沿岸のリュギィ族とか

532 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 12:55:25 0
>>530
古代にスラブ系部族がゲルマン系部族と衝突したという記録はない

533 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 13:00:14 0
バンデラス主演の映画「13ウォリアーズ」では
ヴェンド人、どえらい蛮族として描かれているな・・・
熊崇拝はともかく、あそこまで原始人じゃなかったろうに。

534 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 17:38:03 0
プラハ・コルチャク文化の担い手がヴェンド人
それより西のプシェヴォルスク文化の担い手がルギィ人で、デブチン文化の担い手がリュギィ人
全てスラブ族に特有の「火葬」の習慣があることが分かった

プシェヴォルスク文化とデブチン文化の東のヴィスワ川沿いにヴィエルバルク文化があって、
土葬の習慣がありこれは明らかにゴート人

ヴィエルバルク文化のさらに東にバルト文化があって、これはおそらくバルト系部族

535 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 21:18:04 0
>>533
あれはべーオウルフ伝説を元にしてるから
沼の怪物ウェンデルのもじりかと思ったけど

536 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 22:17:27 0
スキタイ系遊牧民とゲルマン系ゴート族がスラヴ農民の支配権を巡って争い、
ゴート人が勝利し、スキタイの残滓はクリミアにて滅亡したという。


537 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 09:31:58 0
>536
ゴート族もクリミアで滅亡したけどね。
滅亡させたのがオスマン帝国だってのが凄いが。

ヴェネチアの大使のバルバロって人がクリミアにいたとき
ドイツ人の召使いにゴート族と話をさせてみたら
普通に通じたそうだ。

538 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 12:57:02 0
>>536
スキタイとゴートじゃ時代が合わない。

539 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 13:15:36 0
スラブは大昔はスクラブと呼ばれて(名乗って?)いたんでしょうか。


540 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 13:19:26 0
6世紀ごろはスクラヴェニとアントがいた。
もっと大昔はそういう言い方がない。一つの民族だったことはないから。
部族ごとにネウロイ族とかブディノイ族とか名乗っていた。
いくつかの部族はローマ人によってゲルマン民族と看做されていた。

541 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 13:20:10 0
サルマタイですね

542 :世界@名無史さん:2006/12/03(日) 13:21:03 0
↑は>>538

543 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 19:08:49 0
マッサゲタイ=スキタイ?

544 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 19:52:32 0
スキタイは黄金文化を発展させたが、同じに弱体化も進行してしまい、
素朴な遊牧民生活を維持していた同じイラン系遊牧民のマッサゲタイに
攻撃され敗北し衰退していった。
マッサゲタイの墳墓の装飾品はスキタイに比べ質素で遊牧民の面影を強く示している。


545 :世界@名無史さん:2006/12/10(日) 10:04:25 0
>>544
南露ステップ地帯ってそういうパターンを14世紀まで繰り返してますよね。
あの辺の遊牧民が東から侵略されると必ず負けるのは何なんですかね。

546 :世界@名無史さん:2006/12/10(日) 20:54:30 0
漢民族の影響を受けた契丹が女真に敗れ更に女真が弱体化しモンゴルに滅ぼされると言うパターンを繰り返している。


547 :世界@名無史さん:2006/12/10(日) 21:45:02 0
「だったん人の踊り」の「だったん人」ってマッサゲタイの末裔ですか?

548 :世界@名無史さん:2006/12/11(月) 01:44:23 0
>547
「イーゴリ公」に出てくるやつならトルコ系のポロヴェツ人

中央アジアのトルコ系民族も多かれ少なかれイラン系の
血を引いてるのかも知れないが・・・

549 :世界@名無史さん:2006/12/16(土) 08:57:12 0
イーゴリ公はポロヴェツ人をせん滅

550 :世界@名無史さん:2006/12/18(月) 02:29:47 0
できずに捕虜になった

551 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 01:02:17 0
イーゴリ公はポロヴェツ人によって処刑

552 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 11:17:28 0
されそうになったが脱走

553 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 16:06:41 0
イーゴリ公は最後までポロヴェツ人に徹底抗戦

554 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 21:32:50 0
何この流れw

555 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 13:18:57 0
>>553
イーゴリ公の息子がポロヴェツ汗の娘と結婚して和解。

556 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 13:19:34 0
どこが英雄なんじゃい、と

557 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 13:20:59 0
モンゴルにあぼーんされたから、こういうバラッドしか許されなかった(残らなかった)のではなからろうか?

558 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 13:50:25 O
全ルーシの統一と連合を唱えた先駆者だったから
著者に美化されてるけど

559 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 14:51:18 0
イーゴリ公の文学と史実は違うの?

560 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 19:11:59 0
>>558
それは文学の中の話なのでは?

561 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 19:29:59 O
そう、小さな町の公イーゴリが勝手にクマンに挑んでって
命からがら逃げ帰るってのが史実だけど、
遠征記の作者が気をきかせて、イーゴリは当時分裂してた全ルーシを統合するために
単身立ち向かっていった、愛国心あふれる英雄ってことになってる。

詳しくは岩波文庫の奴を詠んだ方がいい。短いし。

562 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 21:56:43 0
ポロヴェツ人って投石機やギリシャ火のようなものまで使ってたらしいですね。

563 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 23:47:45 0
ギリシャ火はビサンツの最高軍事機密。
よって製法も伝わっていないはず。

564 :世界@名無史さん:2006/12/23(土) 23:56:59 0
一方で『物語』の作者は年代記と同じくルーシの内乱を嘆き、
諸公に対して一致団結してポロヴェツ軍に当たるよう呼びかけている。
内戦に明け暮れる諸公を振り返らせ、同じルーシとして結束させるには、
ポロヴェツという「他者」の存在が絶好の媒体となったのであろう。
従って野蛮なる略奪者としてのポロヴェツ描写は年代記とあまり変わっていない。
 だが現実には諸公が内戦に際してポロヴェツと手を結ぶことは日常茶飯事であった。
当のイーゴリ自身、のちに息子ウラジーミルをポロヴェツ公の娘と結婚させている。
『物語』においても、脱走したイーゴリを追跡するポロヴェツ公に「彼の子を我々の娘を持ってつなぎ止めよう」と語らせており、
ルーシとポロヴェツとの関係がそれほど単純なものではなかったことがうかがえる。


565 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 00:18:13 0
>>563
あれだよ、ファーストガンダムのソーラレイシステムと同じ。
人一人持てるだけの鏡を何百個も使って一つの点に集める。
これで敵の船を火事にする。

566 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 00:33:08 0
>>563
562でいったのは十字軍時代の中近東で使われていたナフトのような焼夷兵器のことです。
たしかギリシャ火と呼ばれていたと思います。
ヤクボフスキー「金帳汗國史」ではロシアの年代記からの引用として

不信仰にして忌はしきコンチャク(Kontchak)はキプチャクの大軍勢を率ゐて露西亜に攻め入り、
火を放ちて露西亜の都邑を焼き拂へり。彼等の中に活ける火を發射する回教徒あり。その弓は
自動的に發射する仕組みにして、男子五十人力にして辛うじて引き張ることを得るなり。

という文章を挙げていますが、おそらくバリスタのようなもので飛ばしていたんでしょうか。

567 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 03:25:32 0
つまり東スラブはもともと遊牧民族の要素が混入していた

568 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 01:00:36 0
西スラヴになるけど昔ポーランド貴族の間でワシ等はサルマティアの子孫だー
てな考えが流行ったらしいですな。

569 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 02:29:04 0
一方ロシア人は「「そうだ、我等はスキタイ人だ! スキタイ人だ!」とやけくそな詩を書いた。

570 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 03:44:08 0
というか、オペラになっても話自体はしょぼい。
まあ、オペラのストーリーなんて、現代人の感覚からすればしょぼいものばっかりだけど。

571 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 10:44:15 0
支配層はよそ者
原住スラブ農民は奴隷

572 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 10:51:45 0
プラハ・コルチャク文化の担い手が一部奴隷にされたことは確かなんだが、
その文化圏がスラブ全体と一致するかというとそうでもない。

573 :世界@名無史さん:2006/12/29(金) 09:06:33 0
ウクライナ人はウクライナにおける国家の誕生をキエフルーシではなくスキタイ王朝にまで遡らせている。


574 :世界@名無史さん:2006/12/29(金) 13:32:30 0
つまりフメリニツキーの乱はサルマタイへの復讐だったとw

575 :世界@名無史さん:2006/12/29(金) 20:52:42 0
そりゃ現ウクライナ地域の最初の国となればスキタイだろうな。
キンメリアも国の呈をなしていたかもしれんがはっきりしないし。

576 :世界@名無史さん:2006/12/29(金) 21:07:45 0
関係ないがビザンツの年代記か何かで
クリミア辺りからやってきたヴァリャーギを
「タウロスキタイ」と呼んでる例があるらしいですね

577 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 21:44:03 0
>>565
ヘウレーカかよ

578 :世界@名無史さん:2007/01/14(日) 14:11:24 0
リトアニアの君主ってなんで大公を名乗ってたんですか?

579 :世界@名無史さん:2007/01/15(月) 01:16:42 O
>>576
それはヘロドトスの様式でそう呼んだだけだろ
実態が違うにも関わらず、蛮族をギリシア古典風に呼び倣わすのはままあった
ニケタス・コニアテスなんかも自著でクマン人をスキタイ人と呼んでいる

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4

580 :世界@名無史さん:2007/01/15(月) 09:54:10 0
まあフランス人をケルトとか呼んでた連中だから

581 :世界@名無史さん:2007/01/16(火) 00:12:37 0
これは酷い!
ロシアの人種差別主義者による集団暴行

その動画
http://www.kotaro269.com/archives/50324225.html?1165982877
http://www.youtube.com/watch?v=79wU5B6hAEQ


582 :世界@名無史さん:2007/01/16(火) 18:24:19 0
てす


583 :世界@名無史さん:2007/01/26(金) 22:55:31 0
ところでおまいら東大出版会の新刊『タタールのくびき』ってどうですか?

584 :世界@名無史さん:2007/01/27(土) 09:56:59 0
>>583
出てるの知らなかった。ありがとう。
目次を見るとタタールのくびきというよりネフスキーについての内容
がほとんどなんだろうか。

585 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 14:16:49 0
『タタールのくびき』地元のH大の図書館にも入ってない
著者本人はいるのにw

153 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)