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★ビザンツ・周辺諸民族関係史★

1 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 21:12:36 0
一千年におよぶビザンツ帝国の歴史をいろどった周辺諸民族との
関係についてかたりませう。
サーサーン朝、スラヴ人、ブルガリア人、アヴァール人、西突厥、
ヴァンダル人、ゴート人、アラブ人、ノルマン人、ヴェネツィア人、
ジェノヴァ人、セルジューク朝、アルメニア人、カタルーニャ人、
オスマン朝…


2 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:29:10 0
2get

3 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:38:18 0
目の付け所がよさそうなスレだな

期待してレス

4 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:48:43 0
ブルガリア人殺し

5 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:52:55 0
ゼノン帝の本名がタラシデコッサ(トラスカリッセウス)だと
知ったときは思わずのけぞりますた。
もともとイサウリア人の族長だったのね…
彼の治世に西ローマ帝国は滅亡。
また東ゴート王テオドリックがオドアケルを敗死させる。

6 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:52:56 0
西突厥のイステミ可汗ことディザブロスとユスティニアヌス、ホスローの三つ巴外交関係について。

同じ年の内に玄奘三蔵およびヘラクレイオス1世の二人と会見した
西突厥の統葉護可汗ことトンヤブグについて

7 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 22:59:07 0
アフガニスタンのテュルク・シャーが
「FROM KESARO(ローマの副帝or皇帝<カエサル>)」
と名乗ってるのは謎

8 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:11:49 0
>>6
サーサーン朝のホスロー1世は、最初は突厥と手を結んでエフタルを
滅ぼし、突厥の王女を妻に迎えたりしたが、6世紀後半になると突厥
との関係が悪化した。
当時突厥に貢納していたソグド人は、カスピ海の北廻りのルートで
中国産の絹をビザンツへ輸出する新しい通商路の開拓を狙っていたが、
これはサーサーン朝に邪魔されてなかなか実現しなかった。
そして突厥の可汗(ディザブル)はソグド人の王マニアックを使節として
ビザンツ宮廷に派遣し、ビザンツと突厥との同盟を締結させた。

9 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:35:43 0
>>6
統葉護可汗(トンヤブグウ、ジベール)はビザンツ皇帝ヘラクレイオスと
組んでホスロー2世を攻めている。
また玄奘三蔵は統葉護可汗にインドに行く通行証をもらっている。

10 :世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:39:55 0
マニアックにワラタw

11 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 01:01:25 0
ビザンツ帝国の地図
ttp://wps.ablongman.com/wps/media/objects/262/268312/art/figures/KISH_07_149.gif
ユスティニアヌス大帝の時代
ttp://wps.ablongman.com/wps/media/objects/262/268312/art/figures/KISH_07_151.gif
9世紀前半
ttp://www.ata.boun.edu.tr/Faculty/Nadir%20Ozbek/courses/Hist121/Maps/Byzantine%20Empire%201000-1100.jpg
11〜12世紀
ttp://www.lib.utexas.edu/maps/historical/shepherd/byzantine_empire_1355.jpg
14世紀




12 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 01:43:03 0
ベリサリウスやナルセスの時代のビザンツ軍はどんなだったんだろう?
ヤパーリ古代ローマの影響が大きかったのか?

13 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 10:16:36 0
ttp://images.overstock.com/f/102/3117/8h/www.overstock.com/images/products/muze/books/1855322242.jpg
ビザンティン初期、4〜9世紀
ttp://catalog.chaosium.com/images/OSP089.jpg
おそらくヴァリャーギ親衛隊
ttp://www.ospreypublishing.com/osp_img/titlecovers/P3478AL.JPG
後期ビザンティン、1118〜1461年

14 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 10:49:17 0
>>6
あまり知られていないけど、ユスティニアヌスはエチオピアとも同盟して、
彼らにサーサーン朝を攻撃させようと試みている(結局は成功しなかったが)

15 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 15:26:17 0
突厥のトゥルクサントスが、ビザンツの使節ウァレンティノスを迎えたときに
言った言葉

「ここに私の十本の指があるが、ローマ人はこれと同じ多くの舌を有し、
欺瞞と偽証の言辞を弄する。現に貴下が私自身に言う言葉と私の臣下に言う
言葉は別物である。かくして諸国民は次々と諸君の背信的な雄弁に欺かれてきた。
貴下は自分の同盟者を戦争と危険に投げ入れて彼らの労苦を横取りしながら、
これら恩人を平然と見殺しにする。速やかに帰国して君主に復命し、トルコ人は
虚偽を述べたり許したりできない国民であるからローマ皇帝はこの種の背信行為
への罰を必ず受けずにはいない、と伝達せよ。
現に彼は甘い空疎な言葉でわれわれとの友好を乞い求めながら、我が逃亡の民
たるウァルコニ族(注:アヴァール人)とも気脈を通じている。もしも私がこの
哀れな奴隷らを目がけて出撃しようものならば、彼らはわれわれの鞭の音を
聞いただけで慄え上がり、蟻の巣のように我らの無数の騎兵隊の蹄に踏みにじられよう。
私は彼ら騎兵隊によるローマ帝国への侵攻路を知らぬわけではないし、コーカサス
山脈がローマ帝国の難攻不落の防壁だとの空しい強がりにも騙されない。
私はドニエストル、ドナウ、ヘブルスの水路を知悉している。最も好戦的な
国民も過去にトルコ族の武威に屈してきた。東の端から西の端まで大地全体は
我が財産である」

16 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 15:27:18 0
>>14
イエメン総督マスラマとか、ムハンマドが生まれた「象の年」とか、
ヒムヤル王国滅亡とかの関連のはなし?

17 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 16:48:44 0
>>16
ヒムヤル王ドゥナーンがユダヤ教に改宗し、キリスト教徒を弾圧したので、
キリスト教国であるエチオピアが介入してヒムヤル王国を滅ぼした。
ヒムヤル王国が滅亡した後、エチオピア国王はビザンツに正統派主教の派遣を
要請したりしている。
ユスティニアヌスは絹貿易をエチオピア経由に切り替えて、その代わりに
エチオピア(当時はアラビア半島の一部も支配下においていた)にサーサーン朝
を攻撃させようとした。
しかしエチオピアの支配は長くは続かず、アブラハという人物がヒムヤル王国を
簒奪し、ユスティニアヌスは貢納とビザンツの宗主権を受け入れる代わりに
アブラハと友好関係を結んだ。

18 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 20:09:10 0
ttp://homepage2.nifty.com/rhino40/extra-data/derbent/data/what-derbent.htm
デルベントとデルベント要塞

578年から15年間続いた内乱の末、分離した西突厥帝国の統葉護可汗
(トウヤブグカガン)は626年に東ローマ帝国ヘラクレイオス帝と、共通の敵
であるササン朝ペルシャに対抗するために同盟を結んだ。
ハザール族を主力として侵攻した突厥は、デルベントを越えアルバニアを蹂躙、
東ローマ軍とともにティフリス(現グルジアの首都トビリシ)を包囲した。
トゥヤブグカガン暗殺などによる内乱で630年に西突厥帝国が崩壊した後、
その城塞を支配したのは突厥帝国の氏族が支配層となったハザール可汗国だった。
同じ頃、南方の主役もアラブ・イスラム帝国に代わる。
アラブとハザールはデルベント要塞を争奪しあった。そして713年に、
アラブの武将ハビーブ・イブン・マスラマが一人の住民の裏切りによって城塞
に侵入、占領した。
マスラマは要塞の破壊を図ったが、余りに強固のためか機能は残されてしまった
らしい。アルメニア総督ジェラーフ・イブン・アブダラーフ・アル・ハカミの
進軍に始まる『ハザール・アラブ戦争(721年〜737年)』開戦前夜にも
この要塞を巡る攻防戦が起きていたし、ジェラーフが南のアルデビールで
ハザールのバルジールに殲滅された後にその地域の総督についたマスラマは
732年の侵攻でデルベント要塞を包囲しつつ町を通過してハザールに進軍
している。
この後にハザールの立てこもる要塞を水源に毒を流すことによって奪取した
マスラマは、要塞の強化を図っている。

19 :世界@名無史さん:2005/06/25(土) 23:09:05 0
>>4
559年に、ブルガール系のクトリグルの族長ザベルガンが、スラヴ人とともに
コンスタンティノープルを包囲していますな。
このときはベリサリウスが彼らを撃退したが。
ユスティニアヌスが東ゴート王国を滅ぼしたせいで、かえってスラヴ人や
ブルガール人のドナウ河以南への侵入が容易になったのかも。

20 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 19:42:44 0
ブルガリアにいるトルコ系住民はオスマン・トルコ人だけでなく
クマン人やウズ人の子孫も多いとか。

21 :世界@名無史さん:2005/06/26(日) 23:03:35 0
>>20
トルコ系遊牧民といえばペチェネグ人もいたな。
キエフ・ルーシのスヴャトスラフはぺチェネグ人の攻撃を受けて死んだが、
彼らのバックにはビザンツがいたという説もある。
スヴャトスラフはブルガリア人を撃破した後、占領地に居座り続けたので、
ビザンツにとっては疎ましい存在となっていた。

22 :世界@名無史さん:2005/06/27(月) 19:39:10 0
個人的にはスヴャトスラフ可汗と呼びたい。

23 :世界@名無史さん:2005/06/27(月) 20:58:38 0
>>6
ハザール人はもともと西突厥に服属していた。
最後はスヴャトスラフ率いるルーシの軍勢によって滅ぼされる。

ユスティニアヌス2世リノトメトス(鼻削がれ帝)は、クリミア半島のケルソンに
流された後、ハザールの可汗のもとに身を寄せ、その王女と結婚。
ティベリウス3世(アプシマル)はこの可汗を買収してユスティニアヌスを暗殺
させようとしたが失敗。その後ユスティニアヌスはブルガリア人の援助を得て
復位する。
もう一人、コンスタンティヌス5世コプロニュモス(糞)もハザールの王女を
妻に迎え、間に生まれたのがレオン4世。

24 :世界@名無史さん:2005/06/28(火) 18:44:23 0
>>23
このページによるといつ滅びたのかは微妙みたいだ。
ttp://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fha100.html

25 :世界@名無史さん:2005/06/28(火) 22:45:41 0
>>4
帝国の北の国境は長いことドナウ河だったんだけど、コンスタンティヌス4世
ポゴナトゥスの時代に、ドナウ以南にブルガリア人が住み着いてしまう。
7世紀はアラブ人の侵入もあって、帝国にとっては大きな転換期だったとオモ。

26 :世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:06:31 0
預言者ムハンマドの教友、アブー・アイユーブはアラブ軍による第一回
コンスタンティノープル包囲の際にに死去。
彼はムスリムとキリスト教徒双方から神聖視されて、ビザンツ人は旱魃の
ときに、コンスタンティノープルの城壁の下にある彼の墓に詣でて、
雨乞いの礼拝を行ったと伝えられている。

27 :世界@名無史さん:2005/07/01(金) 19:05:05 0
「現在のギリシア人はスラヴ人の子孫」という説がありますが、
南下したスラヴ人はエピロス、テッサリア、西ペロポネソスに多く住み着き、
逆にアッティカや東ギリシアにはほとんど定着しなかったそうでつ。
スラヴ人の農業議事術は、重い土壌・豊富な水量を持つ河川、適度な暑さの夏、
水を保持する森林などのある地域に適したものだったので。

28 :世界@名無史さん:2005/07/01(金) 19:08:12 0
×農業議事術
○農業技術

29 :世界@名無史さん:2005/07/01(金) 19:28:34 0
あまり、というか、ほとんど関係ないが、
「時間線を遡って」ロバート・シルヴァーバーグ
この本は面白かった。主のユスティニアヌス帝時代を扱ったポルノSF小説。

30 :世界@名無史さん:2005/07/05(火) 17:40:20 0
コンスタンティノープルにやってくる外国人商人は、ミタトンとよばれる公共の
建物に滞在し、滞在期間は一回につき3ヶ月または6ヶ月以内とされ、商品も
市の自由市場ではなく、ミタトンでしか売ることができなかった。
彼らが持ち込んだ商品に10分の1税が科せられたのも、ミタトンにおいて
であった。この税は彼らが税の半額を支払う一方、残りの半額は買い手が
払うというものであった。このように自由を制限される代わりに、外国人
商人たちは、ビザンツの地区当局のいやがらせや個人商人による搾取から
守られていた。これらの事柄はビザンツと外国政府との通商条約に定められて
おり、国際貿易制度の一部であった。


31 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 22:33:38 0
シリアやレバノンで単性論が優勢になったのはなぜ?

32 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 22:43:34 0
もともと単性論が盛んな地域だったでしょ。
こっちで単性論、西方でそうじゃないのが流行ったから論争になった。

なんでもともと東方で単性論が流行したのかはエロイひとに丸投げ。

33 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 19:40:36 0
>>32
シリアやエジプトでは、オリエント的な一神教の伝統が強かったからでは?
ちなみに聖像破壊運動を行ったレオン4世はシリア出身。
聖像を復興させたエイレーネーはアテネ出身。

34 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 00:08:44 0
ビザンツ帝国とイスラーム勢力の関係はどうよ?
ハールーン・アル・ラシードとニケフォロス1世の戦い、
アラブ人による2度のコンスタンティノープル包囲、
ニケフォロス2世フォカスの東地中海の制海権回復…

35 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 20:20:01 0
>>34
ミカエル8世は一時期ルーム・セルジューク朝の武将をやってたらしいですね。
モンゴル軍と戦って撃退したとか。

36 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 00:14:31 0
>>35
イサキオス・コムネノスとヨハネス・コムネノスの父子もルーム・セルジューク朝
のスルタンの宮廷に亡命していた。
後にオスマン朝のスルタンは、この史実をもとに自分たちにビザンツ皇帝
一族の血が流れていると主張する。

37 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 16:15:59 0
イスラーム海軍は、835年までには「ギリシアの火」を装備するようになった。
844年にはスペインの後ウマイヤ朝も使用。
これに対しブルガリア王クルムは、812年にメセンブリアで36個の銅製サイフォンと
「ギリシアの火」を捕獲したにもかかわらず、それを使って何もすることが
できなかった。

38 :世界@名無史さん:2005/07/20(水) 10:27:49 0
加藤隆『一神教の誕生』(講談社現代新書)より引用

「ギリシア文化の影響が色濃く残っていた地中海沿岸東部の地域においては、
世俗世界に対する教会指導者たちの指導は、たいへんに綿密で、また文化的
レベルの高いものだった。また一般の人々の文化的レベルもそれに見合った
ものだったと考えられる。したがってこの東部世界では、キリスト教の
西洋的特徴が神学上の詳細な立場も含めて社会全体にかなり確固としたものと
して浸透したと考えられる。このために伝統的な西洋的あり方以外の傾向に
柔軟に対応できなくなる。ビザンチン帝国は、ある意味では西洋的キリスト教
としての文化的レベルが高かったために滅亡したということができるのでは
ないだろうか」

39 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 16:28:39 0
コンスタンティノープル陥落後、ビザンツ文化のギリシャローマ的部分がイタリアに行って
ルネサンスになり、ヘシュカズムなどの神秘主義的なものがロシアに行った、というのを聞いて
すごく納得した覚えがある。

40 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 17:36:35 0
>>39
フィレンツェ宗教会議後、イシドルス枢機卿がモスクワに行ったが、
彼はロシアの主教会議で糾弾されて修道院内に幽閉され、ほうほうの体で
脱出した。
高橋保行氏は、思索することに信仰の重点を置いていたビザンチン時代の
正教に比べると、ロシア国教時代の正教は情緒的に信仰を把握することが
重視されていると書いている。


41 :世界@名無史さん:2005/07/21(木) 18:25:18 0
ttp://teenoso.hp.infoseek.co.jp/fiction.html

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43 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 00:07:12 0
>>38
>西洋的キリスト教 としての文化的レベルが高かった

西欧人はビザンツ人が戦争よりも外交交渉や貢納金の支払いで問題を解決
しようとするのを見て、彼らを臆病・狡猾と非難したが、そもそも東方教会の
教父たちは、戦争はキリスト教徒にふさわしくないことと考えていたの。
聖バシレイオスは、兵士が命令に服従しなければならないことは理解しつつも、
戦争で殺人の罪を負った者は、むこう3年間懺悔のしるしとして、秘蹟に
あずかるのを控えるべきだと主張していた。したがって戦死は光栄なことだ
とは考えられていなかったし、ビザンツ教会は異教徒との戦争に格別の恩恵を
与えるのを常に拒否してきた。
ビザンツ人は複雑な外交交渉や貢納金の支払いをしなければならなくなっても、
そのほうが道徳的にはずっと良いことだと思っていた。
しかし西方ラテン教会最大の教父である聖アウグスティヌスは、神の命令による
戦いは許される、と考えていた。またゲルマン文化の影響を受けてできあがった
西欧の社会では騎士道のルールが成立し、軍事的英雄に名声がもたらされる
ようになった。

44 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 00:11:48 0
ビザンチン帝国とは、要するに「キリスト教化したギリシャ人によるローマ帝国」ですよね?


45 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 08:57:48 0
>>41-42
禿藁

46 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 11:43:29 0
>>44
そうでつ。
ここでいう「ギリシャ人」には、異民族出身でギリシャ化された人々も
入りますが。
レオン1世はトラキア人、ゼノンはイサウリア人、ユスティヌス1世と
ユスティニアヌス大帝はイリリクム出身、レオン3世はシリア人、レオン5世は
アルメニア人、ミカエル2世はフリュギア人、バシレイオス1世はアルメニア系
マケドニア人。
ティベリウス3世もゴート人だという説がある。

47 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 12:34:58 0
プロウィンキア
テマ
プロノイア

48 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:27:34 0
今も昔も戦争には金がかかるものだが、
外交交渉や貢納で切り抜けたほうが結局は安くついたんだよな。
ビザンツ人にとって戦争は万策尽きたときの最期の手段だった。

49 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 14:02:54 0
オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズの『ビザンティン帝国の軍隊』に、
「同時代の他国人とは異なり、彼らは早くから、一つの戦闘で勝ちを収めることは
必ずしも戦争に勝利することにはならないという事実に気づいていた。そして、
政治的に無益な戦役で兵や物資を浪費するかわりに、しばしば条約を結び、
賄賂を贈って敵国を買収したのである」
と書いてあった。
ビザンツ人ができるだけ戦争を避けようとしたのは、ある意味彼らの合理的な
性格のあらわれといえる。

50 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 20:21:53 0
コンスタンティノポリスを放棄して
モレアで雌伏とかは考えなかったみたいけど。

51 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:24:02 0
>>50
聖母のイコンがコンスタンティノープルを守ってくれる、と
考えていたのかな?


52 :世界@名無史さん:2005/07/26(火) 16:20:34 0
ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂宝物館には、第四回十字軍のコンスタンティ
ノープル占領のさいに持ち帰られた工芸品が展示されている。

ttp://docenti.lett.unisi.it/files/3/1/13/6/Venezia_Tesoro_di_San_Marco_Grotta_della_Vergine.jpg
レオン6世の冠(クリスタルの部分は後補)
ttp://docenti.lett.unisi.it/files/3/1/13/5/Venezia_San_Marco_Calice_di_Romano_III.jpg
皇帝ロマノスの銘のある盃
ttp://www.cmontmorency.qc.ca/~vgauthier/images/paladoro.jpg
パラ・ドーロ(祭壇衝立)

53 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 12:58:23 0
ヘラクリウス帝はカルタゴに遷都しようと考えたことがあったらしいな。

54 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 19:04:00 0
>>53
もともとヘラクレイオス父子は北アフリカの総督だったしね。
ホスロー2世の手にエジプトが落ちてから、首都は飢餓に苦しめられていた。

55 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 21:25:47 0
ttp://www.byzantium1200.com/index.html
BYZANTIUM 1200
↑コンスタンティノープルの建築をCGで再現しているサイト。
ttp://www.isidore-of-seville.com/istanbulmosaic/
イスタンブール、モザイク博物館のHP。
大宮殿のモザイクはここに展示されている。



56 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 02:08:46 0
ヘラクレイオスを支えた将軍たちって名前を聞かないが
資料が全く残っていないのか?

エジプトを制圧したのはいとこのニキタスだったかな

57 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 21:38:53 0
>>56
首都を防衛したのはヴォノス、皇帝と一緒に戦ったのは弟のテオドロス。

58 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 23:17:59 0
>>56
北アフリカでアラブ軍と戦ったのはコメス(督軍)グレゴリウス。
結局はアル・ズバイルの手で討ち取られるんだが。

59 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 23:37:02 0
おお、レスありがとうございます。

ヘラクレイオスの生涯ってドラマそのもので興味あるんだけど
なにしろそれを取り上げた和書がない・・・
ギリシャ語どころか英書も読めないヘタレで

塩野婆でもいいから小説書いて欲しいところだよ
でも、ビザンツ嫌いそうだからな、彼女は。

60 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:21:38 0
>>59
ユスティニアヌス大帝は書くかもしれないけど、ヘラクレイオスや
バシレイオスは無理かなあ…

バシレイオスはサーサーン朝との戦いで、市民の持つ金製品から
ハギア・ソフィア大聖堂の金製品まで溶かしてハザール人に与え、
サーサーン朝を北から攻撃させた。
同時にビザンツ軍が南からサーサーン朝に攻め込み、627年に
ホスロー2世はダスタギルド(クテシフォンの北111q)の宮殿を焼かれ、
翌年側近に暗殺される。
この戦争で両帝国が征服地で重税を取り立て、住民を拉致して行った
ので、アンティオキアやアレクサンドリア郊外の農村は荒廃した。
さらにこの戦争で疲弊した両帝国は、イスラーム勢力を止めることが
できなくなる。

61 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:33:44 0
>>60
 でもイスラムの侵攻までそれから6,7年はあったんでしょ。

62 :若狭 ◆yqXqaUpMzk :2005/08/03(水) 00:36:35 0
>>60さん
すみません。
私はただいま勉強中のもので恐縮ですが、
バシレイオス(ヴァシリオス)とヘラクレイオス(イラクリオス)と記述を間違えて折られませんか?
それともマケドニア朝以外にバシレイオスがいたんでしょうか?

生意気言ってすみません、私自身も良く分からないもので、確認までに。

63 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:49:00 0
>>61
いわゆる「肥沃な三日月地帯」の南には、ビザンツと同盟関係にあった
ベドウィンのベヌ・ガッサーン王国、サーサーン朝と同盟関係にあった
同じくベドウィンのラフミド王国があった。
これらの王国は農民と遊牧民の微妙なバランスの上に存在していたのだが、
かつてローマ軍が築いた要塞は荒れるままに放置され、ベドウィンは
両帝国に対する忠誠心を失っていた。ペルシャ軍がイェルサレムを
占領していたとき、早くもベドウィンがここで略奪を行っている。
しかしビザンツ側はこのような変化にまったく気づいていなかった。
ダマスクスにいたビザンツの宦官に、ベドウィンが給与の支払いを
求めると、宦官は「皇帝は自分の兵士に支払う給与にも事欠いている
というのに、お前ら犬どもにやる金などあるわけがない」といって
追い払った。
また、北シリアが荒廃していた時期に、メッカから来た商人たちの
おかげで、ダマスクス、ボストラ、ゲラサ、ガザは好景気に沸いていた。
かくしてアラブ軍はビザンツの防衛線を簡単に突破する。

64 :60:2005/08/03(水) 01:34:05 0
>>62
バシレイオスとヘラクレイオスを間違えた…スマソ。

65 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 02:12:24 0
ヘラクレイオス帝(在位610〜641)
バシレイオス1世(在位867〜886)
バシレイオス2世ブルガロクトノス(在位976〜1025)

66 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 08:07:07 0
バシレイオスって「王」って意味なんだけど
中世ローマ帝国では事実上「皇帝」を意味したんだよなあ。
サファヴィー朝の「シャー」もそんな感じだな。

67 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 10:46:10 0
>>66
イラン(ペルシア)のシャーは「シャー・ハン・シャー」(王の中の王)だから
事実上の皇帝といっていい。

シリアのヤルムークで、ハリード率いるアラブ軍と戦って敗北したのは
将軍マヌエル。
シリア人やエジプト人(単性論)は、ビザンツ皇帝の下で迫害・搾取される
よりも、ムスリムの下で貢納を払って信教の自由が認められるほうを
選んだ。

68 :若狭 ◆yqXqaUpMzk :2005/08/03(水) 23:30:58 0
>>64 60さん
私が自分に自信を持てないためにつまらないことを申しました。
ありがとうございます。

>>63 さん
ガッサーン朝はムウタの戦い、ヤムルークの戦いでビザンツ側として重要な働きをしたそうですね。
単性説キリスト教を報じていたそうですが、ビザンツに殉じて滅んでしまった。
最初にムハンマドの使者を斬ったから途中で裏切れなくなったんでしょうかね。


イラクリオスはアヴァール人に対する備えとしてセルビア人やクロアチア人がバルカン半島に住むことを許可したとあります。
彼らは626年のアヴァール人のコンスタンティノープル襲撃の際、どのような行動をとっていたののでしょう?
アヴァールの軍勢に加わっててビザンツに寝返ったのか、
アヴァールの敗北後に移住を開始したのか。

69 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 02:16:24 0
>>68
スラヴ人はこのときのコンスタンティノープル攻撃に加わり、敗北後も
バルカン半島に居残りました。
ヘラクレイオス帝も、このことに関してさしたる対策をたてなかったようです。

ヘラクレイオス帝がアヴァール人に対する備えとしてセルビア人やクロアチア人に
バルカン半島に住むことを許可したという話は単なる伝説で、スラヴ人の
バルカン半島定住は、もっと複雑で長期間にわたっておこなわれたようです。

70 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 20:42:22 0
>>53
コンスタンス2世もシチリアに遷都しようとした。
ローマと新興アラブ勢力の両方を監視するのに都合がよいと考えたので。
(結局は暗殺されたが)

71 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 01:46:43 0
質問であります。
9世紀頃、エジプトのアレキサンドリアはビザンチン領ですか?
それともイスラム領でしたか?

72 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:10:46 0
>>71
イスラーム領。
アムル・イブン・アル・アーシが征服。

73 :71:2005/08/06(土) 23:50:38 0
そうでありましたか。

何せ荒木飛呂彦の漫画に、「聖マルコの遺骸はビザンチン帝国のアレキサンドリアからベネチアに運ばれた。
聖人の遺骸の功徳でベネチアは以後千年にわたって栄えた」とあったので、
「ビザンチン帝国はイスラムの勃興とともに小アジアとバルカン半島以外の領土を全て奪われたんじゃなかったのか?」と
いぶかしく思っていたのですよ。

74 :世界@名無史さん:2005/08/06(土) 23:53:26 0
>>73
ビザンツはイスラーム勢力の勃興後も、南イタリアやクリミアに
ひつこく領土を持っている。

75 :朱由檢:2005/08/07(日) 00:12:42 0
828年に聖マルコの遺骸を騙し取ってきた話は有名だけど、
当時は既にアレキサンドリアはイスラム領だよね。
たしかアレキサンドリア陥落は642年だったと思う。
ニハーヴァントの戦いと同じ年だったからなんとなく覚えてる。

76 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:23:46 0
ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂はコンスタンティノープルの
聖使徒聖堂を模したもの。


77 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:25:30 0
確か聖マルコさまの遺骸の上に豚肉を載せ、イスラムの目を欺いたんだよね?

78 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 00:56:47 0
>>77
Yes.

ヨハネス・カンタクゼノスの治世にコンスタンティノープルで
ジェノヴァVSヴェネツィアの戦いが起きたね。
ペラ(ガラタ)地区に居住していたジェノヴァ人をヴェネツィア艦隊が
襲撃したのがきっかけ。

79 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 01:02:46 0
マルコの名はローマの軍神マルスに由来する、ある意味勇ましい名前。

しかし日本人は「母を尋ねて三千里」のマルコ少年や「ちびまる子ちゃん」を思い出してしまう。


80 :若狭 ◆yqXqaUpMzk :2005/08/07(日) 01:28:59 0
>>69 さん
ありがとうございます。
626年の包囲について、スラブ人のが動向が気になったもので。
どうやら撃退はビザンツの独力と見るべきで、勝利の結果バルカンにビザンツに従うスラブ人が入っていったようですね。

81 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 21:06:59 0
ビザンツ帝国滅亡の原因は何?
両アンドロニコスが外国勢力を引っ張り込んだこと?
第四回十字軍による弱体化?
ビザンツが地中海世界システムの「辺境」に落ちぶれたこと?

82 :朱由檢:2005/08/07(日) 22:20:59 0
パレオロゴス朝ビザンツ期には官職を売買するようになり、
それまでのような有能な官吏が集まらなくなったことも重要。

83 :朱由檢:2005/08/07(日) 22:23:44 0
それから、マンジケルトの戦いの惨状を調べればわかると思うけど、
傭兵が軍隊の中核になっていたこともビザンツのアキレス腱になっていた。

84 :朱由檢:2005/08/07(日) 22:27:30 0
さらに商業における地理的プラス要因も交易権をジェノヴァ、ヴェネツィアに握られ、
利潤を吸い上げられていた。

85 :朱由檢:2005/08/07(日) 22:32:47 0
政治、軍事、経済すべて行き詰まり、
ビザンツ帝国の最後はただの一都市国家になりさがっていたの。
ビザンツ帝国好きだからなんか悲しくなるよ。

86 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:50:58 0
オスマン朝がティムールに敗れて弱体化した後、何か手を打てなかったんだろうか。
でも東地中海自体、新大陸の発見後は重要性を失っていったからなあ。
近世に入るとヴェネツィアもオスマン朝に押されて地中海の重要拠点を失って
いくし。

87 :朱由檢:2005/08/07(日) 23:09:14 0
ヴェネツィアはオスマン朝がティムールに敗れて弱体化した時期(1416年)には、
艦隊を派遣したりするんだけど、ガリポリで殲滅されちゃうの。
ビザンツ帝国は…もう無理ぽ。
調べたらわかると思うけど、情けなさすぎて書き込む気も失せちゃう。
…もっと、志を大きく持とうよ〜って、感じ。

88 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 23:53:29 0
手だてをする余裕も力も残ってなかったってことだと思うよ

89 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 01:04:52 0
ゾエという女がビザンチン帝国を弱体化に向かわせたのだ。

90 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 01:06:10 O
我等の母ゾエを守れ!

91 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 16:40:49 0
佐藤次高『イスラームの国家と王権』(岩波書店)より引用

4−15世紀のビザンツ皇帝は、一貫して「神の代理」として位置づけられて
いたから、一見すれば、アッバース朝時代のように、「神の代理」とされた
カリフとは類似の性格を帯びていたようにも思われる。しかしビザンツ皇帝は
司法・行政・立法など国政のあらゆる面で最終の決定権をもつ専制的な絶対君主
であった。このような通説に対し井上浩一は、貴族による皇帝批判や皇帝に
あるべき統治の原理を示す君主鑑を再検討することによって、専制皇帝理念の
見直しを試みる。その結果、井上はこの理念を空疎なものとして退けるのではなく、
むしろ失政を契機に、皇帝への批判が、皇帝をも縛る「憲法」を掲げて公然と
表明されるという、現実の政治・社会関係を重視しなければならないと説く。
(中略)ビザンツ皇帝の場合には、失政を重ねる皇帝への批判は行われたが、
この種の批判が、イスラーム世界の「フトバを切る」というような明確な
政治手段として確立していたわけではなかった。しかもビザンツ皇帝は、
司法・行政・立法など国政のあらゆる面で最終の決定権を持つ絶対君主で
あった
ことは前述の通りである。これに対してカリフは、アッバース朝時代のように、
たとえ「神の代理」ではあっても、イスラームの教義解釈やイスラーム法制定の
分野に立ち入る権限は与えられていなかったことが特徴である。この点で、
さまざまに制約されたカリフ権は、いわば全能のビザンツ皇帝権とは根本的に
性格を異にしていたとみなければならない。


92 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:19:05 0
一口にビザンツ皇帝権といっても、
ユスティニアヌス大帝の時代と、
バシレイオス2世の時代とではかなり差があるような。
ユスティニアヌスはハギア・ソフィアを建てるための土地を手に入れるのに
苦労したが、
バシレイオス2世は有無を言わさず貴族や大土地所有者の土地を取り上げている。


93 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 19:36:20 0
ガセネタかも知れませんが、何かでアレクシオス1が中国の宋に使節を
送ったというのを聞いたような気がするのですが、どうなのでしょう?

94 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:15:46 0
朱元璋がビザンツに使節を送った例もある。

95 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:45:35 0
絹の製造法は中国→ペルシア→ビザンツという経路で伝わった。

96 :世界@名無史さん:2005/08/23(火) 23:37:16 0
6世紀のビザンツ帝国では、遊牧民の騎兵について将軍たちが研究していた。
ビザンツ人は中華思想を持つ一方で、蛮族のものでも取り入れるという
柔軟な考え方を持っていたことがわかる。

97 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 05:01:49 0
中国もそうだよ。
趙は騎射を取り入れ
秦の膨張を止めた。

98 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 11:46:25 0
ビザンツ軍といえばクルソレス(弓騎兵)とデフェンソレス(重装騎兵)の連携攻撃。

99 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 20:39:19 0
>>98
マウリキオスが「戦術論」を書いたころには、もう古代ローマの軍隊とは
かなり違ったものになっていたようですな。
9〜12世紀にかけて、テマ兵に代わって傭兵の比重が増えていく。

100 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:22:43 0
戦術論について解説してるページがあった
ttp://www.au.af.mil/au/awc/awcgate/strategikon/strategikon.htm

ビザンツ軍とモンゴルが戦闘した例はあったんでしょうか?

101 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:30:29 0
>>100
バトゥの兄弟のバラカが指揮する軍勢はブルガリアとトラキアへ侵入したが、
彼はノヴゴロドへ転進したためビザンツとモンゴルの衝突は回避された。
ミカエル・パライオロゴスは、トラキアの城郭でモンゴル軍に包囲された
ことがあるが、彼らの目的はイザディン(トルコのスルタン)の救出だったので、
彼の身柄と財宝を引き渡されて満足した。

102 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:38:05 0
ミカエル8世については>>35みたいな話もあるね。
というかモンゴル軍がトラキアまで来てたとは。

103 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 02:03:54 0
ベリサリウス(´・ω・) カワイソス

104 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 20:30:38 0
>>103
灼熱の北アフリカ(ヴァンダル王国)からイタリア半島(東ゴート王国)まで
転戦してるんだよね。
主君にも妻にも恵まれなかった悲劇の人。

105 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 21:06:23 0
トレビゾンド帝国とか、マイナーな割には妙に長続きしている国があったな。

106 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 23:38:02 0
ジャン・メイエンドルフ

ビザンツ文明は何世紀ものあいだ、『アテネ』と『イェルサレム』、翰林院
(アカデミア)と福音(ゴスペル)、古典古代の叡智とキリスト教的神秘主義の
知識(グノーシス)の直截性とのあいだの、解決しがたいジレンマのなかで
生きつづけてきた。

107 :ナポレオン ◆oxskxXY/hA :2005/08/27(土) 00:40:04 0
>>105
むっちゃ英語表記ですな>トレビゾンド

108 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 19:53:17 0
史上最強の宦官ナルセス

109 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 21:34:35 0
ゴート王トティラはナルセスとの戦いで死亡。
その後ナルセスはローマを征服。
新しいゴート王にテイアスが選出され、これまたナルセス率いるビザンツ軍と
戦って敗死。
その後フランク族、アレマンニ族がイタリア半島に侵入してきたが、
ナルセスは彼らを撃退する。
その後ナルセスは15年間総督としてイタリアを統治。

110 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 22:40:56 0
>>102
ブルガリアを略奪に来たキプチャク汗国軍がトラキアまでたどり着いた例もあるよ。

111 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 23:08:46 0
ビザンツが現代まで続いてくれたら…

と思いつつ、近代ナショナリズムのうねりの中でやはり
解体してしまうのかな。

112 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 23:31:30 0
>>111
オスマン帝国と同じような末路をたどったりして。

113 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 00:10:32 0
後期ビザンツの力では史実のトルコのようにバルカン諸国を征服できないと思うので
ブルガリアやセルビアのような国々が早くから独立することになるのでは?
というかギリシャも3つぐらいに分裂してたりして。

114 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 20:16:04 0
モレア辺りでくすぶってても良かったのに。
1453年帝国滅亡、という事実は変わらなくても
「実質」と「完全」じゃやっぱり違う。

115 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 21:59:29 0
ミカエル・パライオロゴスがコンスタンティノープルを回復して、
アナトリア方面の防衛がおろそかになったことがかえって滅亡をはやめた。


116 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 08:52:50 0
奪回したのは配下の武将だからミカエルに責任はない。

117 :世界@名無史さん:2005/09/01(木) 17:51:31 0
たまたま近くに来たら門があいてたので占領したんだっけ?

118 :世界@名無史さん:2005/09/01(木) 20:38:41 0
280 :ラテン帝国の滅亡 :2005/08/03(水) 12:53:30 0
1261年、ミカエル・パライオロゴスはジェノヴァ人と協定を結び、コンスタン
ティノープル奪回を援助するという条件で、彼らに帝国内の諸特権を認めた。
ニケーア軍が首都に接近したのは、ラテン人守備隊のほとんどがヴェネツィア
艦隊とともに黒海のダフヌジア島を奪取するために出かけた後であった。
選ばれた数人の兵士が、首都郊外の農民たちに教わった地下通路を通って
市内に忍び込み、城壁の守備兵を倒して城門を開けた。
翌朝、ニケーア軍がコンスタンティノープルに入城し、通りはミカエルを
歓呼して出迎えるギリシャ人であふれかえった。
ラテン皇帝ボードワンは事態を知ってヴェネツィア艦隊に伝令を送ったが、
ギリシア軍はヴェネツィア船が上陸する予定の埠頭に火を放ち、彼らを
撃退した。ボードワンとその従者たちは宮殿からボートで沖に漕ぎ出し、
ヴェネツィア船にたどりつき、反撃をあきらめた。
かくしてラテン帝国はあっさり消滅。

119 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 23:44:54 0
パライオロゴス朝に、大論争の末、「ヘシュカスモス」(静寂主義)が
ビザンツ教会の正統教義として認められることになったけど、伝統墨守の
傾向が強いビザンツ教会にしては思い切ったことをしたもんだね。

120 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 21:07:36 0
ユスティニアヌス大帝の「偉業」のうち
ベリサリウスの功績が50%前後を占めてると思う。
あとはナルセスとテオドラとユスティヌス一世ので大半は(略

121 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:53:45 0
トラブゾン帝国の軍隊ってどんな感じだったんでしょう?
かなりしょぼそうな予感がするけど。

122 :世界@名無史さん:2005/09/15(木) 10:13:11 0
>>120
何だかんだ言って、ベリサリウスが遠征を続けていられたのはユスティニアヌス1世のお陰だと思うが。
普通はあんな遠征遠征遠征の間に国が破綻する。
ローマ法大全や蚕密輸も忘れてはイケナイ

123 :世界@名無史さん:2005/10/05(水) 19:22:25 0
ベリサリウスの頃のビザンツ軍ってどんな感じですか?

124 :世界@名無史さん:2005/10/12(水) 09:23:28 0
よくは分からないが、当時の東帝国の軍は戦えば大体負けるといわれているくらい弱かったらしい。
現にべりサリウスは歩兵をほとんどあてにしないで、騎兵を戦闘のメインに使ってたな。
あとは、鉄の精製法がよかったのかどうかは知らないが、ペルシア軍の矢で鎧を貫くことは出来なかったそうだ。

125 :世界@名無史さん:2005/10/12(水) 16:24:40 0
ナルセスがフランク族と戦ったときも歩兵は敵の突撃を受け止められなかったが
騎兵の側面攻撃で勝利を収めている。

126 :世界@名無史さん:2005/10/12(水) 18:22:42 0
皇帝のことをバシレイオス(王)と呼んでた時期
他国の王のことは何と呼んでたんだろうか?
ラテン語のrexでも使ってたとか?

127 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 19:06:01 0
バルカンにはスラブ人、シリア・エジプトにはアラブ人、アナトリアにはトルコ人。
異民族押し寄せ杉。こうして根拠地を失ったビザンツ人は滅んでいったのだなぁ、と思う。

128 :世界@名無史さん:2005/10/20(木) 16:11:40 0
ユスティニアヌス時代にギリシア火が出来てたらどんなによかったかといつも思うよ。

129 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 21:50:12 0
age

130 :世界@名無史さん:2005/10/26(水) 12:00:52 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。





131 :世界@名無史さん:2005/10/29(土) 19:44:19 0
ナルセルも去勢してたっけ?

132 :世界@名無史さん:2005/10/29(土) 20:19:17 0
ナルセスは宦官だったから去勢してたよ。ギリシア・ローマには
存在していた宦官は、中世の西ヨーロッパでは廃れたけれど、
唯一ビザンティンでは存在し続けた。


133 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 14:47:50 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。






134 :世界@名無史さん:2005/11/04(金) 17:56:16 0
age


135 :世界@名無史さん:2005/11/04(金) 22:14:50 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。








136 :世界@名無史さん:2005/11/05(土) 00:32:00 0
>>135
嫌です。

137 :世界@名無史さん:2005/11/09(水) 21:57:28 0
あげ

138 :ナポレオン ◆oxskxXY/hA :2005/11/11(金) 02:21:40 0
>>126
そのとおり、ラテン諸国の王はρεξ(レクス)。
そのほか、ハザールとかイスラム系のほうをなんと読んでたかは知りませんけど。
どこかで可汗に由来するカガノスという言葉を使ってた、と読んだ記憶もあるのですが、
どこまでホントなのかは不明。

ヴァシリオス(バシレイオス)は人名、あるいは「王の」という形容詞であって、「王」じゃないですよ。
王はヴァシレフス(バシレウス)。

139 :世界@名無史さん:2005/11/11(金) 21:57:33 0
近代ギリシャ王国じゃ自国の王も他国の王も同じふうに呼んでたんだよな。

140 :世界@名無史さん:2005/11/16(水) 18:15:21 0
あげ

141 :世界@名無史さん:2005/11/17(木) 08:17:58 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。





142 :世界@名無史さん:2005/11/17(木) 18:37:12 0
asa

143 :世界@名無史さん:2005/11/17(木) 18:49:09 0
>>141
そうだよ。

144 :世界@名無史さん:2005/11/17(木) 19:10:02 0
つうか、ビザンツで去勢は愛欲を立った人とかで尊敬されたそうだ
しかも、宦官になると奴隷から脱却できるらしい

145 :世界@名無史さん:2005/11/17(木) 20:08:00 0
宦官になるくらいなら性奴隷のほうがいい鴨

146 :世界@名無史さん:2005/11/18(金) 01:24:49 0
コンスタンティノープル総主教に宦官が就いた例もあるしな。

147 :世界@名無史さん:2005/12/05(月) 23:09:55 0
まあどうなんだろうね。

148 :ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 22:04:21 0 ?##
     //
   _//
/ ||_ノ          __________________
\/// ̄\      /
 |> <_> \     | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。
 く\___|    <
 |∇     \   | 明日宮内庁を爆破する。
  \__/       \
    |≧||≦ ̄|       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜
天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので
あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景
には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差
が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、
天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。
さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう
ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民
はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消
し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。
世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的
意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー
そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。

149 :世界@名無史さん:2005/12/16(金) 21:26:37 0
▲▽基地反対派・ごるごるもあ(知念靖雄)の輝かしい犯罪経歴(プケラ▽▲
http://perape.hp.infoseek.co.jp/column/e00/colm_e49.htm

・本名:知念靖雄(27)
・住所:大阪市此花区酉島
・中卒のひきこもりDQN
・自称「プログラムエンジニア」(プで、自作のソフトを作ったが叩かれたので、
そのソフトにシステム破壊コードを仕込んで、利用者に迷惑をかけた低脳野郎。
・精神分裂症患者の真性キチガイで地元の此花区役所にも脅迫した前科があり。
・同じ病に苦しむ患者さんに対して、金品を騙し取ろうと偽薬の販売を画策した卑劣漢。
・民主党を支持する「民主厨」。
・反米・反日のブサヨ。
・沖縄マンセーの琉球土人で排外主義者。
・ここ最近、「沖縄ってどんな所?」という沖縄の恥を晒したコピペが出回っているが、
これは「ごるごるもあ退治」のために開発されたものと言われている。

150 :世界@名無史さん:2005/12/17(土) 08:55:00 0
激しくすれ違い

151 :世界@名無史さん:2006/01/03(火) 22:37:02 0
そのとおりや

152 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 08:32:26 0
カタルーニャ人?

153 :世界@名無史さん:2006/01/21(土) 09:46:02 0
        ,.-─ ─-、─-、
      , イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
      ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii /  Λ
    ,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
   ノ/,/ミ三ニヲ´        ゙、ノi!
  {V /ミ三二,イ , -─        Yソ
  レ'/三二彡イ  .:ィこラ   ;:こラ  j{
  V;;;::. ;ヲヾ!V    ー '′ i ー ' ソ
   Vニミ( 入 、      r  j  ,′
   ヾミ、`ゝ  ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
     ヽ ヽ     -''ニニ‐  /
        |  `、     ⌒  ,/
       |    > ---- r‐'´
      ヽ_         |
         ヽ _ _ 」

     ウプレカス [ Uprecus ]
  ( 西暦一世紀前半 〜 没年不明 )
 
 
ttp://www.din.or.jp/~sage14/20051003.jpg


154 :世界@名無史さん:2006/01/30(月) 00:04:27 0
こいつがどうしたんだ

155 :世界@名無史さん:2006/02/05(日) 00:30:02 0
>>152
どうしたんだ?

156 :世界@名無史さん:2006/02/05(日) 00:52:19 0
プリスコスの邦訳ってある?

157 :世界@名無史さん:2006/02/05(日) 09:46:52 0
マケドニア朝の三大軍人皇帝
ニケフォロス2世フォーカス、ヨハネス1世ツィミスケス、バシレイオス2世

ブルガリアと戦いバルカン半島制圧、分裂傾向のイスラム勢力を破り小アジア奪還と
東地中海の制海権奪還。中世の全盛期をつくった皇帝。

158 :世界@名無史さん:2006/02/14(火) 20:09:46 0
後、もう一人軍人皇帝が続いてくれたらローマとエジプト
はビザンツのものになっていただろう。

というのは本当かな?

159 :世界@名無史さん:2006/02/14(火) 21:29:47 0
攻勢限界点に達してたっぽい(主戦力の軍事貴族部隊の従軍拒否とか)から_だと思う

160 :世界@名無史さん:2006/02/25(土) 08:12:22 0
エルサレムぐらいは奪回できたな

161 :世界@名無史さん:2006/03/15(水) 22:58:00 0
保守

162 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 19:44:27 0
保守

163 :世界@名無史さん:2006/03/27(月) 11:54:53 0
age

164 :世界@名無史さん:2006/03/32(土) 15:04:17 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%B4%E3%82%B9%E7%8E%8B%E6%9C%9D

165 :世界@名無史さん:2006/04/03(月) 09:25:00 0
ハイビジョン特集 シリーズ ビザンチン帝国

第1回 黄金の至宝 〜千年の栄華をたどる〜 4月3日(月)後9:00〜10:50
第2回 砂漠の修道院 〜生き残りの戦略〜 4月4日(火)後9:00〜10:50
第3回 黄昏の夢 〜次なる時代へ〜 4月5日(水)後9:00〜10:50

166 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 19:54:39 0
ビザンツの衰退は官僚の腐敗が原因でおk?

167 :世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:03:29 0
いや、封建化の進行だろう。

168 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 20:56:49 0
>>166
軍管区制の影響。
実質的な封建体制。

169 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 22:12:53 0
テマ制の崩壊後じゃなかったっけ?封建化の進行は。
イスラム勢力に圧迫されて体制がガタガタになるまでは
テマ長官の首の挿げ替えは中央がやってたような。

170 :世界@名無史さん:2006/04/25(火) 21:42:41 0
保守

171 :世界@名無史さん:2006/04/25(火) 22:25:22 O
自分はマヌエル1世の外交転換も衰退の一因だと思いますが
ヴェネツィアを敵にまわしたのはまずかったのでは
かなり恨まれましたからね

第4次十字軍のときのヴェネツィア総督ダンドロはマヌエルのヴェネツィア人一斉逮捕事件時、在コンスタンティノープル大使でこの時の事件の際に盲目になったと言われていますし

172 :世界@名無史さん:2006/04/25(火) 22:27:04 0
ピザ連想してしまうのは俺だけ?

173 :世界@名無史さん:2006/04/25(火) 23:46:53 0
お前だけ。

174 :世界@名無史さん:2006/05/01(月) 19:46:26 0
マンツィケルトの戦いは痛かったな

175 :Caesar ◆CaesarBk/Q :2006/05/01(月) 23:00:49 0
3千台もの車両で構成された大規模な軍需品の輸送隊や
移動に1200名の人力が必要な巨大な投石機など優れた軍備を備えていながら、
兵士の多くは種々雑多な民族の傭兵でその装備は馬も持たないような体たらくだったから、
兵力でずっと劣勢であるはずのセルジューク=トルコに大敗を喫したんだったな。
この時、トルコ側から申し入れられた和平交渉が決裂しなければと残念に思う。

176 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 21:14:28 0
その交渉が一時的に首尾よく結べても、
ビザンツ軍の体質が弱体である限りは、
いつかどこかで破綻したように思うんだ。

まぁ、それはそれとして、ビザンツがいままで存続したら、
困ったDQN国家だったんではないかと思うw
いや、好きなんだけどさ。

177 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 22:24:43 0
>>176
>ビザンツがいままで存続したら、 困ったDQN国家だったんではないかと思うw

ちょとワロタwww

たしかに塩野女史にも
「ヴェネチア人から見たらビザンツ人は宗教上の問題と政治上の問題を切り離そうとしない
合理性に欠けたまことにだらしのない民族」
とか書かれてたしなw

178 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:15:41 0
そりゃそうですよ<DQN

国家元首は神の代理人
ギリシア〜アナトリアに住みながらローマ人
世界帝国を夢見る半島国家

どこぞのお隣さんも真っ青だって
まぁ実績があるぶん、性質がいいのか悪いのか

179 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 23:27:58 O
ギリシャのヴェニゼロスはビザンティン復興を目指していた

180 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 10:27:19 0
>178
>ギリシア〜アナトリアに住みながらローマ人


…何度も言われてる事だけど、コンスタンティノポリス=新ローマな。

181 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 14:23:31 0
>>178
現代的観念から見れば適当な国家とはいえんがDQNとは言葉が過ぎるぞ

182 :Caesar ◆CaesarBk/Q :2006/05/06(土) 16:49:07 0
>ビザンツがDQN
『天上のキリストの帝国の不完全な模造であり、
最後の審判の日までに地上すべての人類を統一しておくよう神から任ぜられた、唯一の帝国』

というイデオロギーが現代社会に通用するかといえばそうではないだろうが、
行政制度は国内の状況に応じて柔軟な変化が取られていたし、
(プロノイア制度のように本来一代限りで授与される土地所有権が
世襲・売買されるなど必ずしも効果を発揮したわけではないが)
他民族を支配する帝国として、長期の寿命を得るためには
上記のような確固たる思想が必要だったのではないだろうか。

183 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 11:02:37 O
ビザンティンは地理的位置が悪すぎる
日本のような僻地にあれば生き残れたかも
イスラム商人は朝鮮まで来ていたが、日本のことは無視していたし、難破しなければポルトガル人も来なかっただろう僻地にあれば3000年は続いたかも
ただ僻地にあると文化でトップクラスにはなれないだろうが

184 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 11:43:51 0
初心者の質問。
ビザンツ帝国って
どういう民族が構成していたの?
支配者はギリシャ人?

185 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 12:40:25 0
ギリシア人によるギリシア人のための東ローマ帝国。
それがビザンツ。

構成民族は時代と範囲が広すぎて把握すんのめんどい。

186 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:36:32 O
>>184
ギリシャ人、アルメニア人、スラヴ系ほか
ちなみに彼等の自称は「ローマ人」。

といっても時代によって支配領域が違うから、当然変わる。


>>185
「東」はいらない。
あとアルメニア人の王朝が二つあるのを無視するのはイクナイ。

187 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 17:33:56 0
he

188 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 07:44:30 O
明日のNHKスペシャルは『千年の帝国ビザンチン』

189 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 09:57:57 0
>>188
紹介、ありがとう。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/060602.html

190 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 13:21:59 O
ビザンティンの最盛期である10〜11Cの王朝、マケドニア朝はアルメニア人の王朝だよ

191 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 13:51:11 0
明日のNHKスペシャルだが、こんなマニアックな内容で
よく成立したなあ。
てっきりコンスタンティノープルの陥落を描くのかと
思っていたのに。メフメット2世とコンスタンティヌス11世
の物語の方が、一般受けしないか?

192 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 14:06:35 0
まあ、コンスタンティノープル陥落直前の領土は、都周辺のほんの少ししかなかったから
栄光のビザンチンを語るには華が無さ過ぎるんだろうよ。

193 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 22:42:36 0
その番組は見ないとね。
結局つまらないかも知れないが滅多に見られるテーマじゃない。
明日まで常時あげ推奨します。

194 :世界@名無史さん:2006/06/01(木) 22:50:47 0
その番組は例の『鄭和』のように、以前BSで放映したもの?

195 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 08:19:05 O
>>194
多分、四月にハイビジョンで三回に渡って放送された特番のダイジェ
ストだと思う。あれは益田朋幸、井上浩一ら専門家陣が協力してるから内容的には結構まともだっ
たらしいよ。

196 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 13:35:22 0
「ブルガリア人殺し」「サラセン人の青褪めた死」もちゃんと放映してくれるのかね。


197 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 15:19:21 O
マイナーどころでバシレイオス2世没前後の名将マニアケスとか

198 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 15:42:47 O
>>196
「イスラムとの共存」がテーマっぽいからなぁ。

>>197
それは絶対出ない。勿論トルニキオスも有り得ない。

199 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 16:07:06 O
一斉逮捕事件でヴェネツィア人を憤激させ、第4回十字軍の遠因を作ったマヌイル1世は

200 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 20:03:28 0
あげ

201 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 21:13:32 0
NHKスペシャル期待age

202 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 21:27:07 0
このスレ以外にビザンチンスレはないのかや?

203 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 22:24:04 0
質問すんません
NHKスペシャル内で「双頭の鷹(鷲?)」を模しているビザンツの旗ってのが出てきたんですが、
これってハプスブルク家となんか関係あるんでしょうか?

204 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 22:43:55 O

ハプスブルク、っていうかドイツ人どもがパクッたw

205 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 22:48:35 0
>>195
なるほど、これダイジェストなのか。
通りで駆け脚な展開の訳だ。

206 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:01:36 0
感動age。
ハイビジョン放送の番組DVD発売激しくきぼんぬ。

207 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:03:09 0
今日の番組の主題は、「ビザンチンが滅んだのが、中東、東欧の宗教対立の原因。諸悪の根源はオスマントルコ!」
でいいですか?

208 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:10:07 0
そう受け取られないよう、十字軍批判で一応バランスとってた感じ

209 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:17:05 0
TBSではヤラセとデンパ垂れ流し番組を量産してる
テレビマンユニオンにしてはまともな作りだったな。

210 :世界@名無史さん:2006/06/02(金) 23:23:14 0
>>207
オスマン帝国は他に比べれば寛容だったろ

211 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 07:09:07 0
アレが東ローマの国章みたいに思われてるけど
実際は双頭の鷲を紋章に使ったのって
パレオロゴス朝だけだったらしいけどね。

212 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 08:56:12 O
>>211
元はパレオロゴス家の紋章だったらしい。
もっとも双頭の鷲自体はアッシリア帝国時代あたりからあったみたい
だし、鷲がローマ皇帝のシンボルだったのは確かだが。

213 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 11:56:56 0
>>211
ラテン帝国にコンスタンティノープルを陥落させられるまでは、
双頭なんて気毛頭ないからな

唯一正統なローマ帝国として、宗主国気取りで

パレオロゴス朝になって、対ムスリムで西の援助が欲しいから、旧ローマ世界統一の象徴として作った国章

214 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 12:42:34 0
現代の宗教絡みの話をやんわりとバランス取ろうとするのは公共電波上仕方ないよね。
折れにとっちゃ坊主の話なんぞどうでもいいのだ。
禿ソフィヤの屋根からの映像がいちばんグッドで鳥肌ものだったよ。

215 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 16:15:35 O
>>214
正教の修道院内の生活は、
俺にとっては興味深かった。
一般人にとって正教と言ったら、
多くはロシア正教をイメージするだろうし。
勿論俺も含めて。

216 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 17:29:06 0
ロシア正教ってロシア正教会の意味か?

例えばギリシャ正教会よりロシア正教会の方がそんなに有名か?
むしろ一般人はカソリックのように正教も正教会毎に違いなんてないって思っていそうだが


217 :215:2006/06/03(土) 18:01:06 O
>>216
いや、カトリックほどギリシャ正教のことを理解してなかったもので。
それで上述の感想となった次第です。正教にも分派が存在していて、
バチカンに相当する権威があり、公会議を開催して教義を確認し合ったりとかするんでしょうか?


218 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 00:27:16 0
正教はカトリックのような単一組織ではない。実際には各民族ごとに中心となる司教座が
あるかんじだね。ロシア正教、ルーマニア正教のように国名を関していることが多い。
でも、正教はひとつという概念が今でも根強い。

219 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 15:55:06 0
基督教と大食の融和を演出する為に黙殺された偶像崇拝(´・ω・`)カワイソス

220 :217:2006/06/04(日) 22:19:37 O
>>218
詳しいご説明感謝します。
番組では正教も聖体拝領を重視しているのが興味を引きました。
聖体の教義を持たないのは、主にプロテスタント系なんでしょうね。
マリアの被昇天などは、正教の教義にも見られるのでしょうか?
バチカンによって公認されたのが、近代という事を考え合わせると、どうも無さそうですが。
脱線ネタで失礼

221 :世界@名無史さん:2006/06/06(火) 07:16:08 0
正教はマリア信仰強いぞ
被昇天は就寝という。

222 :世界@名無史さん:2006/06/06(火) 08:04:58 O
コンスタンティノポリスの守護聖人は聖母マリアだったらしいしね。

223 :世界@名無史さん:2006/06/11(日) 14:43:17 0
ビザンチン社会を構成していた人々の特徴は、正教信仰の担い手であることと、ギリシャ・ローマ古典文化の継承者であるという自負心でしょう。

224 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 03:28:02 0
最近まで東方正教会と東方カトリックと単性論の東方諸教会の違いがよく分かっていなかった

225 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 09:08:10 0
ヘラクレイオス時代にビザンチン社会が明確に形成されだしたことと、エジプト、シリアを喪失したことにより、単性説派と縁が切れ国家運営が楽になったことは、大きく関連していると思われ

226 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 21:43:55 O
>>225
それ、ちょっと専門書読めば、すぐに発見できるじゃん

227 :世界@名無史さん:2006/06/15(木) 09:58:21 0
>>226氏 
223です。
たぶん、>>225氏の書き込みは、>>224氏へのレスだったのでしょう。
224氏にとってあまり認識できていなっかた
「東方正教会と東方カトリックと単性論の東方諸教会の違いが」
ビザンツ帝国にとって、大変だったことを225氏は強調した
かったのではと思います。

小生自身も、クリスチャンの信仰を持つ親友のおかげで
「違い」が如何に、クリスチャンのみなさんにとって重大事か
知ることができました。

その親友に出会うまでは、宗教に関して能天気でしたから←小生

225氏、226氏、横からごめんなさい。
違っていたら反論をキボンヌ(_ _)

228 :世界@名無史さん:2006/06/22(木) 12:06:40 0
こんしゅたんてぃのぽりす


229 :世界@名無史さん:2006/06/27(火) 09:38:00 0
228さん、次はここのスレに行ってね
        ↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1096085519/


230 :世界@名無史さん:2006/06/27(火) 12:29:42 0
おしゅまんていこく


231 :世界@名無史さん:2006/06/30(金) 05:03:50 0
もまいら、喜べ!
ジブリの最新映画、ゲド戦記はビザンチン帝国が時代背景に選ばれているぞ!
建物や町並み、服装からそうだとわかったよ。

http://www.ghibli.jp/

232 :世界@名無史さん:2006/06/30(金) 05:15:35 0
ゲド戦記の予告編
ttp://www.ghibli.jp/26trailer/ged2_lg.swf

233 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 18:19:19 O
ジブリ嫌いだけど興味が湧いてきた

234 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 21:27:07 0
>>231
映画を通じてビザンツ帝国とか東欧史とかに関心持つ人が
少しでも増えれば映画の出来云々別でそれだけでも功績あるな。

漏れ個人も「ホルス」のおかげでシベリウスとか北欧系の音楽好きになった
(勿論ホルスのは間宮氏の音楽ってのは知ってるけどね)

235 :世界@名無史さん:2006/08/06(日) 12:04:01 0
アース・シーというからには、モデルは
エーゲ海かアドリア海あたりだろうか?

236 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 00:04:51 O
多島海世界らしいからエーゲ海かと。
王都には巨大なドーム宮殿が…

237 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 00:37:23 0
紫衣って実際に紫色でないって事でOKでつか?

238 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 09:09:02 0
原作はマヤっぽいんだけどな。
登場人物の肌もネイティブ・アメリカン赤褐色か黒褐色インド人だし。
んで東北の侵略的な帝国の住民が肌の白い白人www

ビザンティンをモデルにしてるのはむしろロード・オブ・ザリングの第三部だな。確実。

239 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 09:12:54 0
>んで東北の侵略的な帝国の住民が肌の白い白人www

ルーシですw

240 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 15:53:39 O
原作知らんけど多島海でマヤって…
ロードオブザリングは確実。
ゴンドール=ビザンツ
ミナス・ティリス=コンスタンティノープル

241 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 18:05:23 0
ゲド戦記の映画が駄作といわれてるんだけど・・・・

242 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 18:12:42 0
わざわざビザンツスレで言う事じゃないだろ。
そりゃ素人監督&役者使った時点で駄作は決まっていたが。

243 :世界@名無史さん:2006/08/10(木) 02:15:36 0
話題変わるけど、サンクトペテルブルクからロシアを南下して
オデッサ航路でイスタンブールに入って、
そこからドナウ沿いにウィーンまで一ヶ月くらかけて旅行するプランを考えたら
どんなに貧乏旅行しても費用30万は堅いことが判明して萎えたw

ビザンツ世界周辺を十万前後で格安旅行した猛者いない?
帝国と帝国の敵たちの版図をめぐってみたいよ。

244 :世界@名無史さん:2006/08/10(木) 17:24:57 0
皆でAOE(Age Of Empires エイジ オブ エンパイア)シリーズで遊ぼう。
数多くの個性溢れる文明から一つを選び、町を発展させ、軍備を整えて相手国と戦うリアルタイム戦略ゲームです。
超簡単な解説はこちら。各製品ページもいけます
http://www.microsoft.com/japan/games/aom_special/

現行スレ(ニュー速VIP)
http://ex16.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1155160710/

※ゲーム本体は現行スレの>>3からどうぞ


245 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 01:27:57 0
>>241
どんな名作でも、今回は確実に「駄作」という人間が一定以上
いただろうな。

246 :世界@名無史さん :2006/08/14(月) 00:17:28 0
おそらくビザンツ風にしておくと宗教的に中立っぽく見えると思ったんだろうな。


247 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 16:52:20 0
実際つまんなかったので>ゲド戦記
主題歌は良いんだが

248 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 18:12:33 0
【イノシシって】VIPでAOE【おいしいの?】
http://ex16.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1155628746/


249 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 23:30:56 O
>>246
実際のビザンツは正教会が国教の、バリバリ祭政一致体制なんだけど、たいてい
の日本人はそんなこと知らんからな。

250 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 13:28:20 0
>>240
確実も何も原作者が明言してたはず。
ゴンドール=ビザンツ
アルノール=西ローマ、フランク

251 :世界@名無史さん:2006/08/24(木) 09:33:16 0
426 :世界@名無史さん :2006/07/14(金) 02:49:55 0
>>410
東方正教会はギリシャ哲学そのものだろ。
政教の合致はギリシャ哲学そのものなんだけどな、実は。
哲人王は古代ローマ〜ビザンチンでは皇帝の政教の一致と
言う形で実現したとも解釈できる。これはロシアに継承されていくんだな。

古代ギリシャ哲学の西欧的解釈に毒された意見だなw
カトリック史観と言うやつだなw

252 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 19:10:37 0
正教会を「東方」なんて呼び方するなボケ、それこそカソリック史観だろ


253 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 19:44:46 0
ビザンツ人は民主政を「恥ずべき政体」と呼んでいたが、これもプラトンの
デモクラシー嫌いを受け継いだもの?

254 :世界@名無史さん:2006/08/26(土) 13:28:05 0
民主制なんて衆愚で拝金なだけだからな
失政しても殺されないから権力者は無責任になるし


255 :世界@名無史さん:2006/08/30(水) 23:15:59 O
>>254
民主政は最善ではないが、最悪を防ぐ方法としては有効、って言ったのはチャー
チルだっけ?


専制君主制は有能なのがトップなら良いんだけど、バシレイオス二世没後のマケ
ドニア朝みたいに怠惰、無能、病弱なのが続くと悲惨だからなぁ。

256 :世界@名無史さん:2006/08/30(水) 23:25:01 0
>>253
アテネでシクッタからじゃね?

257 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 11:19:04 0
>>255
>最悪を防ぐ方法としては有効

国力にゆとりがある内は、そうかもしれないな。

しかし、民主制は民主制でも、一定以上納税するなり、兵役を経験するなり、
相応に国家に貢献した者のみの制限選挙にすべきと思うがな。

所得税不払い、国民年金不払い、給食費不払い、万引き等前科有りにも選挙権なんてやりすぎだろ。

普通選挙民主制だって、国民の教育水準やモラルが高い内は良いが、って感じだな。

258 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 15:04:04 O
バシレイオス2世没後はマニアケスという有能な将軍がイタリア、東部戦線で敵対勢力に打撃を与え、国土を維持していたが
謀反の嫌疑がかけられ謀殺され、帝国は一時低落傾向にあった
しかしながら、しばらくしてアレクシオス1世、ヨアネス2世という有能な皇帝が輩出され、回復する
もちろん貴族中心、軍も傭兵中心、海軍力もヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサに頼ることになるが

259 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 15:07:36 0
>海軍力もヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサに頼ることになるが

これがビザンツ衰退&滅亡の遠因。


260 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 16:52:16 O
ビザンツ長期存続の鍵の一つには、海軍力もあるからねぇ。
陸ではブルガリアに首都のすぐ近くまで迫られている時でも、シチリアに拠点持
ってたりするし。

261 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 17:07:09 0
その海軍力もビザンツ末期にはオスマントルコと二股かけてたからな。
とても信用できる軍隊じゃない。

とは言え末期のビザンツ軍は正規軍は僅か数千・・・
これでどうしろというのだ??

262 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 18:14:52 0
海軍の維持はコストが掛かるが、陸軍と違って直ぐには編成出来ないから、維持しないとな。


263 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:57:05 0
陸軍でも忠誠心低く、質の悪い外国人の傭兵に依存しまくりで
マンツィケルト(マラズギルト)でもミュリオケファロンでも惨敗だろ。

264 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 21:11:03 0
>>257
ハインラインの「宇宙の戦士」の世界はそんな感じだったな
軍務経験者にしか参政権無し、だっけ

265 :世界@名無史さん:2006/09/01(金) 00:11:39 0
>>263
一般人を歩兵として陸軍を編成する方が、艦隊を建造して操船させるよりは、相当楽だろ。

中世では、烏合の衆でも槍持たせればそれなりの戦力だからな。


266 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 01:17:05 O
ヴァリャーグ皇帝親衛隊で一網打尽

267 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 21:17:37 O
ベネディクト16世がマヌエル2世の発言を不用意に引用した結果、大騒ぎに。

268 :世界@名無史さん:2006/09/16(土) 23:30:51 0
「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、スルタンのターバンを見るほうがましだ」

269 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 00:25:41 0
ttp://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006091601000776
ローマ法王が事実上の謝罪 聖戦発言は「遺憾」

【ローマ16日共同】ローマ法王庁は16日声明を発表、法王ベネディクト16世が12日の演説で
イスラム教の「ジハード(聖戦)」を批判したとされる問題について、法王が「極めて遺憾に思っている」ことを明らかにした。事実上の謝罪。
声明はまた、法王がイスラム教信仰に敬意を表していると強調、理解を求めた。ロイター通信が伝えた。

法王の演説内容が伝えられた13日以降、イスラム世界で抗議行動や謝罪要求が相次ぎ、
法王は謝罪を表明せざるを得ない状況に追い込まれたが、これで騒ぎが沈静化するかどうかは不透明だ。

16日もヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ナブルスにあるキリスト教会に火炎瓶が投げ込まれるなど抗議行動が続き、
トルコのエルドアン首相も「法王は(発言を取り消して)一歩後退すべきだ」と発言の撤回を求めた。

ロイターなどによると、法王庁のベルトーネ国務長官は声明で「法王は、演説でイスラム教徒の
感情を傷つけるような内容があったとすれば、極めて遺憾に思っている」とした。
声明はまた、法王が「イスラム教徒に対し尊敬の念」を抱いていると強調、法王の発言の真意が正しく理解されることを願っているとした。

法王は12日、ドイツのレーゲンスブルクで演説。聖戦を命じるイスラムの教えを「邪悪で残酷」と評した
ビザンチン帝国皇帝の発言を引用したほか「暴力は神の本質とは相いれない」などと述べた。イスラム諸国で聖戦批判と受け止められた。

>「邪悪で残酷」と評したビザンチン帝国皇帝の発言を引用した

これってどの皇帝の発言内容の引用なのかな?



270 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 01:16:48 0

おまえ、このスレに居るならその程度知っておけよ…

「預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」

271 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 01:30:16 0
そもそもムハンマドを預言者と認めているのか?

272 :世界@名無史さん:2006/09/17(日) 10:58:26 0
邪悪と残酷だけを預言した=>つまり悪魔とは認めているのさ

273 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 20:27:35 O
マヌエルの場合、オスマンの脅威に直面してたし、バヤジット1世に殺されそう
になったらしいから、イスラムを悪く言いたくもなる罠。

274 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 21:56:12 0
イスラームに好感持っているキリスト教徒何て、古今東西誰一人いないだろ

275 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 22:00:40 0
>>274
フリードリッヒ2世とか。
そばで観察したムスリムは「こいつ無神論者だ」と思ったらしいが。

276 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 23:35:25 0
つまり無神論者。

277 :世界@名無史さん:2006/09/18(月) 23:38:36 0
一見、ムスリムとクリスチャンとの宗教の対決に見えていても
結局は、政治上、経済上の利害の対立。

かつての歴史上の戦争の大半は、利害の対立で起きているし
聖戦なんて言ってるけど結局…神の名で人を殺すんでしょう?

かつては、聖地奪還を口実に、クリスチャンの十字軍が中東を荒らしまわり、
今は、聖戦(ジハード)の名のもとにムスリムのテロが横行する…

宗教の名のもとに戦争を煽る行為は、邪悪だと思う。

それに、ベネディクト16世が、非を認めて失言を謝罪しているんだったら
許してあげるべきでしょう。
教皇と言ったって、所詮は人間だし、誤りもあるでしょう。
それを、ことさらにわめき散らして批判し、修道女を射殺するとは…

278 :TDNコピペ:2006/09/19(火) 00:48:30 0
【ビザンティン帝国滅亡の由来】

ローマ皇帝に扮した小国君主らがオスマン帝国のスルタンを挑発
 ↓
「降伏しないか?支配するのは俺だけど」 「嫌だよ、、、降伏なんか」などの
会話を経て戦争に。
 ↓
ウルバンの巨砲で城壁をほじくられ、「堅固な城壁だなぁ」などと称えられる
 ↓
金角湾の封鎖で「アッー アッー!」とオスマン艦隊が悶える
 ↓
丸太に油を塗りながら沢山の艦隊に山を越させる。「気持ちいい!」と悶えながら
補給経路を絶つ。このあと、双方の代表が和平交渉を行い、スルタンメフメト2世は命・一部支配権の保障を
約束。「ヤダッ、ヤダッ、ヤダッ、ヤダッ!」とコンスタンティノス11世は落涙させながら声をあげる。
 ↓
西欧の援軍は加わらず終局が始まる。ヤラれるばかりだったビザンツが一転、攻勢に出られず、
コンスタンティノープルを舞台にして滅び始める。小刻みに双頭の鷲の紋章を破りながら、「アッー、アッー、イク!」
と叫んで、コンスタンティノス11世もオスマン軍の中に勢い良く特攻。
あとイワン3世がコンスタンティノス11世の姪と結婚して「ローマ帝国の継承者」と吠えたらしい。

279 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 09:50:43 0
>>278
間違ってはいないけど
何なんだよ「アッー!」ってw

280 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 13:05:44 O
>>378
イヴァン3世がローマ帝国の継承を意識していたかどうかは、疑いんだけどな。

281 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 19:50:39 0
マヌエル1世が無理しすぎた挙げ句、セルジューク朝に惨敗したのが原因だろ
それ以降はただの属国


282 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 22:09:29 O

『ビザンツ 幻影の世界帝国』を読むべし。

283 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 23:40:36 0
読んだことあるけど、何か?

284 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 13:29:32 O
マヌエル1世の場合、セルジュークだけでなく、盟友関係にあったヴェネツィア、神聖ローマ帝国を切り、ジェノヴァ、フランス、ノルマン・シチリア王国と結んだことがより深刻な問題を引き起こした
特に帝都におけるヴェネツィア人の一斉逮捕事件はかなり強引で不法、後々まで遺恨を残した
その当時のヴェネツィアの駐在大使だったダンドロはこの事件で失明した
ダンドロはのちの第4次十字軍時のヴェネツィア総督であり、視点を変えれば第4次十字軍は彼ダンドロとヴェネツィア人の復讐ともいえる

285 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 13:46:43 O
>>283
読んでいれば、>>284の指摘や、コムネノス朝の統治体制自体に限界があったっ
てことも分かるだろう?あれを読んでいながらセルジューク朝に負けたことだけ
を挙げるとは…一体何を読んでいたのやら。

286 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 19:27:44 0
あのな、>>284の内容なんて百も承知なの。最後の決定打がセルジューク朝への惨敗だって言ってるだけだろ。
なに偉そうに語ってるんだ?

287 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 19:29:38 0
そもそも「無理しすぎた」に対ヴェネツィアが含まれるのが分からないのか?

288 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 21:20:21 O
そういう>>286の言い方も、かなり偉そうな件について

289 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 21:57:42 O
当時のコムネノス朝のビザンツの海軍力はヴェネツィアに全面的に頼っており
海軍力のみならずビサンツの国内海運もヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサに全面的に頼っていた
もしイタリア商業都市にソッポ向かれるとビザンツは経済的に麻痺状態になってしまう

290 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 22:13:15 O
ビザンツにとって致命的な一撃を問うならむしろ第4次十字軍による帝都失陥でないだろうか
後にミカエル8世により帝都は回復するものの
もはや帝国は死に体
西欧諸勢力は海軍力・海運力・農業技術で既に帝国を凌駕していたが、いまやイスラムには及ばないものの政治的・文化的にも成長していた
それに帝国は常にセルジュークと敵対関係にあったわけでない
むしろセルジュークの方が先に滅亡していることも念頭におくべきでは
またセルビア、第2ブルガリア帝国の伸長も過小評価できない

291 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 22:44:57 O
ルーム・セルジュークのおかげで、ニカイア帝国はモンゴル人と直接当たらずに
済んだ、っていう面もあるしね。

292 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 23:05:01 O
とにかく1回の戦いで惨敗しても帝国が揺るぐことはありません
過去のカンナエ、アドリアノープルの大敗でも帝国は揺らがなかった
しかし帝都の失陥は帝国の威信までも崩してしまう
410年の西ゴートのアラリックによるローマ占領と第4次十字軍のコンスタンティノープル占領がそれです
特に後者は過去にゴート、アヴァール、イスラムと侵入者を退け難攻不落をうたっていただけに衝撃的でした
410年のときは東帝国が健在であったためローマ帝国は存続しましたが

293 :世界@名無史さん:2006/09/20(水) 23:12:36 O
あとモンゴルに関してはむしろマムルーク朝によって阻止されたと見るべきでしょう
またキリスト教徒に友好的だったフラグの建国したイル・ハン国は再建された帝国とは盟友関係にあったはずです

294 :世界@名無史さん:2006/09/21(木) 15:17:42 0
ルーム・セルジュークをどうしてもアナトリア・セルジュークと呼んでしまう件について

295 :世界@名無史さん:2006/10/19(木) 20:24:23 0
あげ

296 :世界@名無史さん:2006/10/26(木) 18:21:31 O
ビザンツ再興を目指しトルコ人を虐殺しまくったギリシャの基地外首相ヴェニゼロス

297 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 13:26:33 0
>>296
冷静に客観視したら「狂ってる」、同感です。

でも、ギリシャ国民の中じゃ、人気ナンバー1なんですね。
こういうヴェニゼロスみたいなおっさんは、扱いにくいです。

現代ギリシャ史を理解する上で、きちんと理解しなければならない人物の一人と思います。


298 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 23:15:41 0
アナトリアまで欲を出さず、東トラキアとコンスタンチノープルだけに
軍事力を展開していたら失地回復の可能性はあったと思う。

299 :世界@名無史さん:2006/11/02(木) 01:11:26 O
でもそれでは敗戦国とはいえブルガリアも黙っていないでしょ
最悪第3次バルカン戦争?(ギリシャ、ユーゴスラビア、ルーマニアvsトルコ、ブルガリア、イタリアなんてね)

300 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 07:58:22 0
そんな余裕は無いのでは

301 :世界@名無史さん:2006/11/06(月) 23:01:22 O
ビザンツは敵同士を戦わせて弱体化させるのが国是だったからな。
自分でアナトリアまで攻めて行くなら、予め東の方のクルド人かなんかを焚きつ
けておけば良かったのに。

302 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 04:43:05 0
《新刊情報》
ttp://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/nihon-bun/tanpin/21002.htm
最後のローマ皇帝 大帝ユスティニアヌスと皇妃テオドラ
野中恵子
作品社 

貧農の子から東方のローマ帝国(ビザンツ帝国)皇帝に上り詰め、失われた
領土の回復に情熱を燃やした大帝ユスティニアヌス1世と、場末の女優から
皇妃となった絶世の美女テオドラの激動の時代を駆け抜けた波瀾の生涯。

303 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 11:29:39 0
>>302
ユスティニアヌスは「最後のローマ皇帝」って言われてましたっけ?
この本が初めて?

304 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 11:44:29 0
ユスティニアヌス以降は「ローマ皇帝」なんかじゃねえって言いたいんじゃないか?

305 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 14:56:28 O
ユリアヌスのほうがふさわしいのでは?

306 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 16:37:24 0
それは著者に言えよ

307 :世界@名無史さん:2006/11/09(木) 21:35:30 O
>>303
井上浩一教授の「生き残った帝国ビザンティン」で既に「最後の古代ローマ皇帝」
って書かれてる。

308 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 12:51:36 0
>>307
そうですか。ありがとうございます。
まあ、あれだけ領土を拡大(奪還?)しましたからねえ。
環地中海でなければ、ローマっぽくないですもんねえ。

309 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 13:48:02 0
問題はそこじゃないと思うが。
むしろ文化的な側面とか、西側への態度の違いとかが問題なんじゃないの?

310 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 12:07:43 0
ユスティニアヌスの後は、回復した領土ボロボロ失うわ権力闘争で皇帝コロコロ変わるわ
ペルシアは五月蝿いわ北から野蛮人がちょっかい出してくるわで、ビザンツは完全に内向き
になっちゃって、汎ローマ主義は雲散霧消しちゃうからじゃないのかねえ。

311 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 00:06:21 0
絶世の美女か・・。
テオドラって、肖像画とか残ってないの?


312 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 00:08:48 0
有名なユスティニアヌスとテオドラのモザイクが残っているジャン。

313 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 12:35:35 O
ビザンティンは自らの力量を悟りバルカン、小アジアの地域大国として存在することで繁栄したのでは?
バシレイオス2世、アレクシオス1世、ヨハネス2世の治世時では軍事行動は前出の域内にとどめ、繁栄した
ユスティニアヌスは確かに領域を拡大したが、莫大な戦費をイタリアなど被征服地で課税しすぐに反発が起った
マヌエル1世などは身勝手なイタリア遠征や同盟国への裏切り、海軍力を頼っていたヴェネツィア人に対する一斉逮捕事件等を行って国内外で反発を受け、次世代での第4次十字軍を誘因した

314 :世界@名無史さん:2006/11/16(木) 23:46:56 O
>>313
バシレイオス2世は南イタリアでも軍事行動を起こしてるし、没した時はシチリ
ア遠征の準備中だった、って言われてるけどね。

315 :世界@名無史さん:2006/11/22(水) 12:51:21 O
バシレイオス2世治世時と没後しばらくはマニアケスという卓越した将軍がいましたね
バシレイオス2世没後もイタリア戦線や東部戦線で勝利し、よく国土を維持した
スウェーデン出身のヴァイキングを中心としたヴァリャーグ親衛隊を指揮してランゴバルト配下の(ノルマンディー地区に居住し、フランス化したヴァイキング子孫の)ノルマン人傭兵部隊に勝利したことありましたね
そんなマニアケスも謀反の疑いを懸けられ反乱を起こし、憤死
彼が皇帝になっていれば・・

316 :世界@名無史さん:2006/11/27(月) 23:37:30 O
そもそもバシレイオス2世 は自分は独身、弟にも息子がいない、って分かってた
のに後継者をどうしようと思ってたんだろ?早いうちに姪の誰かと有能な将軍を
結婚させるとかしとけばよかったのに。コンスタンティノス8世以降はダメな皇
帝ばっかりで、あっけなく国が傾いちゃったからな。

317 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 21:58:13 0
今更ながら見ましたが
>>302の本はあくまで「小説」扱いのようですね

ちなみに何故ユスティニアヌス1世が「最後のローマ皇帝」とみなすタイトルになったかは
全く書かれていませんでした

318 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 22:03:55 0
>>317
面白かった?
当時の人々の暮らしとか、街の様子とかのディティール
は描かれていた?

319 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 22:06:07 0
>>317
多分出版社が「こういうタイトルにしないと売れませんよ!!」とか言って、
ムリムリにつけさせたんだろ。最近そういうの多いらしいし。

まあ、「大体真ん中くらいのローマ皇帝」とか「比較的後半の方のローマ皇帝」じゃ、
確かに読む気はおきないけどw

320 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 22:06:15 0
>>318
いや、チラっと見ただけですのでそこまではわからないです
作者が「私はこういう見解から、ユスティニアヌス1世を最後のローマ皇帝とみなす。以降の皇帝は違う」
みたいな文章が無かったのが残念

321 :世界@名無史さん:2006/11/30(木) 02:06:29 O
わずか数千の兵から決起し、虚栄心のかたまりの暴君ユスティニアヌスの過酷な重税から多くのローマ人を解放した若き東ゴート王トティラに幸あれ

322 :勝利者ユスティニアヌス:2006/12/04(月) 23:22:55 O
>>321
氏ね、バルバロイどもめ!

323 :世界@名無史さん:2006/12/15(金) 21:54:12 0
12世紀末のアンゲロス王朝において、パライロゴロス家やラスカリス家って
どこかの領地を与えられてたんでしょうか?どこを領有してたんでしょうか?
また、この時代の他の有力な貴族家ってありますでしょうか?

324 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 15:57:43 0
ビザンツの英雄を3人ほど教えてください

325 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 23:24:28 O
ベリサリウス
ヘラクレイオス
バシレイオス2世


ベリサリウスとヘラクレイオスは晩年がな…

326 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 00:04:14 0
>>325
ありがとうございます
列伝なんかがあれば面白いですね

327 :世界@名無史さん:2006/12/26(火) 00:18:00 O
325さんに基本的に同意だが
前に書いたような気がするが、バシレイオス2世というより彼の配下のマニアケス将軍が英雄の名にふさわしいのでは?
皇帝死後も彼の活躍で領土を維持できたのだから(謀反の疑いかけられ謀殺されるが)
あとアレクシオス1世、ヨアネス2世父子も英雄候補ではないかな
ビザンティンの始まりをコンスタンティヌス大帝まで遡らせるなら、もちろん彼も文句なしに英雄だろう

328 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 07:05:38 0
ローマ帝国が西と東に分裂した後、1000年も「全世界の支配者」という幻影を巧みに操りながら、
次々と押し寄せる敵から身を守り抜き、その輝かしい歴史を刻んだ国、東ローマ。
ヘレニズム文化の後継者として、荘厳で華麗なビザンチン芸術を生み出し、
コスモポリタンの都として、多くの芸術家たちが集まりました。
柔軟に、そしてしたたかに、複雑な国際情勢を生き抜いた千年王国の全貌を伝えます。
http://www.bs-i.co.jp/main/documentary/show.php?157

329 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 08:08:47 O
BS-i、放送するの何度目だ?
間違いなく三回はやってるよね。

330 :世界@名無史さん:2007/01/13(土) 05:03:48 0
マニアケス将軍てだれ? そんな奴いたの?
バシレイオスが勝利したのはブルガリアじゃね?

331 :世界@名無史さん:2007/01/27(土) 14:07:55 0
東ローマとか、ビザンツ帝国スレって無いんだな・・・

332 :世界@名無史さん:2007/01/29(月) 03:14:30 0
ウィキペディアで東ローマ帝国が優秀な記事で取り上げられてた

333 :世界@名無史さん:2007/02/04(日) 19:04:17 O
>>330
少しは自分で調べろ。

334 :世界@名無史さん:2007/02/06(火) 21:28:32 O
>>332
参考文献がちゃんとしてるし、ビザンツサイトの管理人だの、院生だのが寄って
たかって手を加えたからな。ビザンツ関連は歴代皇帝の記事も詳しいし、結構まとも。


古代ローマ関連は、参考文献に塩野を挙げてる馬鹿とかがいてダメ。

335 :世界@名無史さん:2007/02/07(水) 08:21:37 0
やはりイスタンブールを取り返さないとビザンツの復活はありえないな

336 :世界@名無史さん:2007/02/07(水) 11:07:01 0
復活する必要は無いでしょう

337 :世界@名無史さん:2007/02/07(水) 18:44:48 0
テロリスト、イスラム教徒撃退のため、必要はある。

338 :世界@名無史さん:2007/02/07(水) 18:46:02 0
侵略者、イスラム教徒撃退のため、必要はある。

339 :世界@名無史さん:2007/02/07(水) 20:56:23 0
誰が皇帝になるんだ?ギリシャ人?

340 :世界@名無史さん:2007/02/07(水) 22:08:44 O
>>339
少なくとも、東方正教会の信者でギリシャ語がわからないと駄目だな。
ただ、イギリスとイタリアにバレオロゴス朝の末裔がいるから、それを担ぐのもありか。

341 :世界@名無史さん:2007/02/07(水) 22:16:13 0
>>340
そんな人がいるんだ
東方正教は絶対だなw

342 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 05:39:04 0
帝国と慈善、なかなか面白かったぞ。

343 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 08:18:55 O
>>342
大月先生のか。あれ、値段が高いんだよねぇ。

344 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 15:09:49 0
今なら王族の人がマルタ騎士団のように建国できるんじゃないかい?
西洋ならわりとやりそうな気がしそうだが

345 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 15:26:07 0
市民と軍と元老院の承認はどうする?

346 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 16:03:58 0
>>345
シーランドを見ればそれほど大した問題ではないだろ

347 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 18:00:11 0
自分の周り人のビザンツに対する評価が
「鍵のかけ忘れで滅亡した情けない帝国」「文化だけ認める」「弱腰外交国家」
とかばっかりで悲しくなる・・・

348 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 18:50:44 O
外交は弱腰じゃなくて「狡猾」なんだけどね。「戦わずして勝つ」が基本方針だ
し、あの立地条件で四方の敵にいちいち兵を出してたら、国が持たない。

まあ、外交下手な島国の国民には理解されにくいよな。

349 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 20:37:47 0
西欧にも理解されにくかったわけで。
けっきょく苦労なんて当人にしかわからんてか・・・

350 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 20:38:48 0
鍵のかけ忘れで滅亡したのはラテン帝国じゃなかったか

351 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 21:17:51 0
当時の状況を考えればやむなしだろ

352 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 22:30:40 O
>>349
西欧諸国も、後には悪く言えばずる賢い外交を覚えたけどな。

>>350
ビザンツだよ。5月29日の夜に、大城壁のケルコポルタ門という門の通用口に閂
をかけ忘れた。
まあ、仮に閂がかかっていても、遅かれ早かれオスマン軍に城壁突破されていた
だろうが。

353 :世界@名無史さん:2007/02/08(木) 22:50:41 0
スレが進んでおる。それもものすごい速さだ。

354 :世界@名無史さん:2007/02/09(金) 00:53:34 O
ヴェニゼロス

355 :世界@名無史さん:2007/02/10(土) 23:03:06 0
2ちゃんねるはビザンツ復活を応援します!

356 :世界@名無史さん:2007/02/10(土) 23:54:26 0
2ちゃんねるでのビザンツの知名度ってどれ位だ?

357 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 02:55:28 0
「ビザンツ歴史★行」←やばかった!
ここまで酷杉なビザンツ関係の本を初めて読んだ!
東ローマ帝国と日本の封建制の比較について触れていたが、
あんまし検討されてなかったし、美術史(レベルの落ちる)&旅行記だった、
俺みたいな歴史マニアでもこれは酷杉だってわかるよ、マジで!

358 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 03:58:43 0
>>356
古代ローマ>>イスラーム>>>>>>>>>>>>>ビザンツ

ビザンツってなに?東ローマ?ああ、ローマ帝国の残ったやつでしょ、高校の教科書にはユスティニアヌスと十字軍、コンスタンティノープル陥落で少しでるだけ・・・
ビザンツ関係のスレはここだけ、まさに2chの辺境!

359 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 04:23:54 0
全ローマの皇帝

360 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 04:52:17 O
>>358
>ビザンツ関係のスレはここだけ、まさに2chの辺境!

【聖ソフィア】ユスティニアヌス一世【西地中海】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1130504110/

361 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 10:58:17 0
相手にするな、釣りだよ。
どうせアレクサンドロススレから出てきたんだろ

362 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 20:40:46 O
>>358は、自分の無知蒙昧ぶりを自慢したいのか?

363 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 23:34:54 0
スレが復興?しているw

全然関係ないんだけどビザンツ料理ってのはどんな感じだったんだろう?

ローマ料理→ビザンツ料理→ギリシャ料理
こんな進化してったんだろうか?
個人的には宮廷料理は発達したのかが気になる!

昔読んだ本には魚のフライとかがでて、豪華だったと書いてあった。(今からすれば大した事無いけど)

あと、教皇の使いの坊さんが料理に魚臭くてまずいソースばっかかけるから最低だと言ってたが、このソースってもしかしてガルム?!

364 :煽りには煽りでw:2007/02/12(月) 07:43:09 0
>>343
借りれ。
>>358
古代ローマだの西欧史だのに飽き足りなくなった輩が
行きつく境地と賞賛しておく。真の歴史オタの素堀だなw

極東に住んでいながらビザンチンに関心がもてないのは塩婆の
ような更年期障害と同類だなw
枯渇した子宮で歴史を解釈するとああなるんだろうなww
馬鹿は気楽でいいなw

ビザンチン的に日本の歴史のターニングポイントを指摘すると
ラクスマン、ウィッテ、レーニン、スターリン、プーチン、と言うことになるな。
勿論、開国の端緒、日露戦争からの慢心、北一輝への影響、敗戦への決定打と朝鮮戦争、
そしてピョンヤン宣言の契機と言うことだ。

365 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 11:57:37 O
確かに古代ギリシャ・ローマや西洋、ペルシャ、イスラムなどの歴史がある程度
分かってからじゃないと、ビザンツは理解しにくいからな。ビザンツが分からな
い、っていうのは、自分が世界史のド素人だということを認めてるようなものだな。

366 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 12:48:34 0
>>361


367 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 18:22:05 0
現代ギリシャ料理はテュルク(トルコとはあえて書かない)の影響をモロに受けてる希ガス。

368 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 18:23:21 0

テュルク=トルコだと言う突っ込みは無しね♥

369 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 19:19:13 0
トルコ料理といってもケバブぐらいしか知らない俺ガイル
ギリシア料理ってイメージ薄いよな〜
イタリアの隣みたいなもんだけどさ

370 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 21:13:09 0
ギリシャ料理って書いたげど実際に食ったこは無い・・
トルコの影響受けてんだ、

トルコ料理に魚を使うのはビザンツの影響かな?


371 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 21:27:15 0
海のそばにやってきたからでしょう

372 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 22:08:59 0
ギリシアでもバクラヴァが食されていると知って驚いた。
トルコでもイランでもシリアでも大人気だが、ギリシアもなんだ。

373 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 23:51:18 0
>>371
普通に考えればそうだが、もともと遊牧民だから調理技術とかは影響を受けたのでわ?



374 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 01:29:55 0
イコンの聖人の鼻の形は魚からきている。

375 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 03:17:20 0
魚崇めてたのか?



376 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 07:50:17 O
今のトルコ料理も、ギリシャ料理も、トマト入ってるし、タラモはジャガイモ入
ってるからなぁ…。ビザンツは世俗の絵画がロクに残ってないし…。

>>375
古代ローマでキリスト教が禁じられていた時代のカタコンベには魚が書いてある
って聞いたことがあるな。キリストの名前だか何だかと「魚」の綴りが似てたと
かで(うろ覚え)。

377 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 18:42:57 0
新大陸の食材は偉大だな

パンとかの方が伝統的なものが残ってそうな気がする
正教会のミサとかで使うだろうから


378 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 19:28:54 0
正教の聖体拝領のパンはイーストが入ってない。
平べったい硬くてパサパサで酸っぱい。

379 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 19:51:01 0
現代にビザンツ帝国が残っていたら

人口:1700万人
首都:コンスタンチノープル (人口970万人) 
政治:フェラチオスU世を元首とする立憲君主制
宗教:国教はギリシャ正教
領土:コンスタンチノープル、トラキア・マケドニア、エーゲ海諸島、エフェソス周辺
言語:ギリシャ語。英語、イタリア語、トルコ語も広く通用する。
主要な産業:観光業、手工業、出稼ぎ
経済レベル: GDPは香港をやや下回り、一人あたりGDPでは香港の3分の1程度。
国内の政治問題:マケドニア分離独立運動
EU:そんな西側の作った組織には乗らない。

             



380 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 22:03:46 0
>>379
フェラチオスU世って誰ですか?

381 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 22:11:11 0
実に弱そうなビザンツ帝国(いまなら共和国か?)だが、
地域的には世界で一番住んでみたい国かもしれない。

382 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 22:15:37 0
380のような領地になると、半月の本土と点在する星のような形になるな。
エーゲ海諸島のうち、どこまでをビザンツ領にできるかによって観光立国としてのパワーが変わる。
東エーゲ海だけか、ミコノスやサントニーニが含まれるのかでエラい差だ。

383 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 22:44:08 0
そういや、ギリシャはトルコから独立する際、コンスタンティノープルを組み込めなかったことを
今でもうらんでいるらしいね。

コンスタンティノープルがギリシャのものになっていたら、
アヤソフィアでの荘厳なミサが見られたのになぁ。

384 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:16:43 0
ギリシャ人の良い評判をあんま聞かないから
なんかトルコ領で良かったような気がする・・・

385 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:18:58 0
アヤソフィアで泣いて、俺らのもんだって言ってたギリシャ人の人がテレビに出てた。どっかの民族と被ったなぁ

ギリシャってトルコに攻め込んだよね、負けたけど・・・
もし勝って、アナトリア併合出来てたら皇帝としてギリシャ王は即位したのだろうか?

まあ、その後、悲劇が待ってるんだろうけどw

386 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:29:42 0
確か、パンでも教皇と揉めたんだよねw
日本人がらすればすごく小さな事で揉めてるって笑い事だが、
当人同士はすごく真剣なことだったんだろうねw

387 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:46:42 0
まあ、「神学論争」ってくらいだから、当事者以外にはあまりにもどうでもよく、
当事者にとっては、恐ろしく重大で絶対に妥協の余地のないことなんだろうよ。
西側も、なぜ聖体パンにイースト菌を入れていいのか、スコラ派学者を総動員して
恐ろしく緻密で、気が遠くなるようなボリュームの文書とかを作って公会議に出してるはずw

388 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:54:41 0
アテネとコンスタンチノープルの両方が新生ギリシャ共和国(または王国)の領土に
なったとしたら、首都はどっちになるんだ?
結構国内の地域対立に発展しそうな気もするが。

389 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 23:57:01 0
まぁ、滅んだからいいんだよ。
現存して生臭い事件を起こすよりも、自分好みの妄想を被せられるからね

390 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 00:10:33 0
確かにどっちかな?

ウィキのメガリ・イデアの項にはコンスタンティノープルを首都
にしようとしていたとあるが揉めそうだなw

アナトリア取れたら統治にはコンスタンティノープルの方が便利そう。

そして、コンスタンティノポリス総主教とアテネ大主教が激しく喧嘩するwww


391 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 06:11:15 0
列強が国際管理するコンスタンチノープル自由市(または自由国)なんてのも考えられていたらしいな

392 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 06:29:13 0
列強の共同管理=植民地租界だろ。
マカオみたいに売春都市、カジノ都市になるのがオチだろうw


393 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 07:13:02 0
ならねーよ。
貧相な黄色い釣り目のアジア人種が横行闊歩するマカオと一緒にするなw
コンスタンティノポリス=コスモポリスを見てみたかったな。

394 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 07:20:12 0
>>393
そしてそこでお前は現地のネオナチから陰惨な暴力を受けるわけかw

395 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 08:33:37 0
>貧相な黄色い釣り目のアジア人種が横行闊歩する

書いてる奴がマンマこれだから滑稽なんだよな。この手のレス。


396 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 10:01:02 0
ボスポラス海峡って今でも戦略的に重要な地点なんでしょうか?

397 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 10:15:02 0
やはり、コンスタンティノポリスだろ。
なにせ、ビザンチンの都、正教の都だからな。
ギリシャ人にとってはアテネより重要な地だろう。

398 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 12:39:26 0
>>396
中世に比べれば重要度下がってるにしても、
今でもたいした要衝だよ。

399 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 13:03:12 0
西欧とバルカンは表と裏みたいだな
俺は西欧が没落したらまたバルカンが復活すると思う


400 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 15:31:32 O
その前に日本は跡形もなくなっているだろう
心配するな

401 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 15:41:21 0
>>400
( ´∀`).。oO(チョン乙って言ってほしいのかなあ…)

402 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 15:48:16 0
ギリシャモナーの「ヘレー」がいたなぁ。
トルコモナーに向かって「ヘビョーン」していたなぁ。

403 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 15:52:11 0
  88888    ヘレー
 ( `∀´)   出身地 アテネ
 (_つノノl|つ  誇り高いヘレネス(ギリシャ人)。
  Ll_|_|_l.||   旧宗主国トルコに謝罪と賠償を
 (__)_)   要求する点はニダーそっくり。


   ヘビョーン               ヾ
 .88888   ウオー!           □
∩#`Д´)'') トルコに強く抗議し  (・Ω・ ;) そんな事言われても・・・
ヽ ノノl| ノ  謝罪と賠償を(ry    (    )
 (,,つ .ノ                 | | |
   .し'                 (_(_)

トルコモナーはパシャと呼ぶそうです。


404 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 17:28:37 0
ギリシャの歴史は半万年

405 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 13:09:38 O
世界史上に輝かしい文化を残し、中世には大国ビザンツを築いたギリシャ人を、
隣の大国に頭が上がらず、馬鹿にしていたはずの島国に追い越され、世界史上に
たいした実績も残さず、模倣と捏造しかしていない輩どもと一緒にするのは失礼。

406 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 14:22:11 0
このスレ一匹、すごい白人コンプの香具師が混じってるよね

407 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 16:01:44 0
でも確かに、ギリシャ美術、ギリシャ哲学は西洋の文明に多大なる影響を与えた。
しかしチョン半島は、ただのストロー。

コンスタンティノープルは憧れの都だが、
ソウルが憧れの都だった時期があったか?

408 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 16:15:57 O
ハン板でやってくれ

409 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 17:25:13 0
またそうやって誤魔化す!

410 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 21:06:16 0
>>405
>>407
ぜひこいつを論破してやって下さい。
ttp://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1169166992/

411 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 21:43:22 0
荒らす先が寂れたからこっちに来たってわけか。

しかし、ビザンツは古代ギリシアとは相当隔絶した存在。
古典古代のギリシア叩きとは無関係だと思うが

412 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 04:39:12 0
でもないと思うよ。
ロゴスを重視し、ギリシャ哲学を重視し、哲人王を理想とし、
ギリシャ語を話し、市民兵に近い農民兵をもち、商業に活路を見出し、
なんと言っても地中海文明の体現者と言える。
そもそも古典文化を温存しイスラームや西欧に伝えたのはビザンチン人、
つまりギリシャ人のインテリだよ。

また西欧、特に内陸部、より地中海沿海部に関心が高かったのも似ている。
そして古代ギリシャの先進地域は元々小アジア近辺の植民地だよ。
半島周辺は寧ろ後になって発展した地域だ。

更には都市国家の一つアテネの全盛期は32年間のペリクレス独裁時代だし、
アテナイ人はペルシャの皇帝制度に憧れてもいた。
ビザンチンでその理想を現実化したとも解釈できる。


413 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 21:23:29 O
>>412
ビザンツというと、古代ギリシャ・ローマとの断絶を強調したがる奴がいるからな。
ホントは古代から受け継がれた面と、変化した面の両方を見ないといけないのだが。

414 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 06:39:08 0
中世の西欧なんて田舎・辺境もいいところだからな・・・

415 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 06:33:30 0
栄光の再征服の時代は過ぎ、煽りや釣りが横行し、
帝国は再び長き停滞の時代へと進んでいきます、
そして、ゆっくりと、しかし、確実にこのスレは
滅んでいきます。だって、そういう国でしたから

416 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 15:45:51 0
トルコの軍旗が翻ったコンスタンティノープルを
船の上から万感の思いで見届けるのも悪くは無いジャマイカ

417 :世界@名無史さん:2007/02/21(水) 22:06:34 0
滅びるから美しい。
むしろよく1000年以上続いたと褒めたたえてもいい。

418 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 03:57:47 0
1000年続いた国って結局世界史上いくつあるんだ?


419 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 07:31:16 0
>>413
 一つにはローマカトリックの立場から、その正統性は自らに
確保しておきたいものな
>>418
 「国」の定義にも拠るな。個々の王朝や政権の変遷を無視すれば、
「日本」も「中国」も立派に続いているよ

420 :世界@名無史さん:2007/02/22(木) 09:30:25 0
個人的には
元朝の中原征服により
中華帝国は一旦滅亡した、と思うわけだが。
さらに厳密に言うなら
南朝陳が滅亡した時点で中華の嫡流は…。

421 :あえて釣られてみる:2007/02/22(木) 22:41:03 O
>>415
バルバロイ乙。

>>419
日本の西洋史教育は西欧の史観経由だから、どうしてもね…>>415みたいなビザ
ンツ史をロクに知りもしないアホが出る。

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