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親を殺さなければ自分の人生は手に入らない

1 :考える名無しさん:2007/02/09(金) 22:46:59
所有権をめぐる議論では、しばしばロックの「自己の身体は自己のものである、
故に自己の身体によって生産されたものは自己のものである」という主張が引用される。
ノージックの議論も基本的にこれに沿ってなされている。
しかし、自己の身体は自己のものなのだろうか?この論法に従うならば、自己の身体は親のものにならないか。
であるならば、自己の身体を手に入れるためには、親を殺すか、死ぬのを待つかしかないのである。

2 :考える名無しさん:2007/02/09(金) 22:57:33
やっぱり、ニートか。
家出な。
寄生虫。

エサはうまいかい?

3 :考える名無しさん:2007/02/09(金) 23:11:08
自己が「自己を手に入れるんだ〜。」と言った時点で矛盾しない?
言えるんだけど、丸い四角みたいな矛盾。

4 :考える名無しさん:2007/02/09(金) 23:13:58
    /゛ヽ 丿     ゝ、、_ \   ̄\  |\  )、        、 i
   / ヽ | /     ヽ||iii';;=、 、 \    \| \丿 \       ||/
  /  ,| |/       `"'< `i ゛ヽ`=''  、,___,;--―'ノノ      /
 | / ヾ ||     '  ノ-,=―--_,/'/    ,i ノ
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 | ヽ        '          | |  ̄゛゛ ' / /ノ/
  ヽ                /   ,  |      //i
  嗚呼なんてすばらしき東大法。


5 :考える名無しさん:2007/02/09(金) 23:40:07
>>3
もう少し詳しく。

6 :考える名無しさん:2007/02/09(金) 23:45:55
自己の身体によって生産されたものは自己のものである
って変じゃね?

7 :考える名無しさん:2007/02/09(金) 23:58:56
やっぱり、「自己」と「身体」を切り分けてるのに違和感がある。

8 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 09:04:11
身体って言ってるのは嘘だな

精神が問題の筈、ほんとは

9 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 09:42:37
え?w

10 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 11:46:30
うんこにも責任を持て。

11 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 13:24:10
>自己が「自己を手に入れるんだ〜。」と言った時点で矛盾しない?
言えるんだけど、丸い四角みたいな矛盾。

自己が自己を欲するということは、自己がないからで、そうなれば言うことができないはず。
つまり、自己自身がそれを言えてしまうと言うことは求めているのは自己ではない。錯覚?または別の希望。

丸い四角も言葉上の存在。

12 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 13:34:05
身体の半分は国家のもので、国家が身体を守ってくれるし国家を守る
ために身体を半分提供しなければいけない。俺は小林よしのりを
読み過ぎてバカになった。

13 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 13:36:38
いや、求めている対象は「自己の身体」であって、自己自身ではないでしょ。
「自己=身体」の立場をとるなら別だけど。

>>8
「…しかし人は誰でも自分自身の一身については所有権をもっている。…
 …そこで彼が自然が備えそこにそれを残しておいたその状態から取り出すものは
 なんでも、彼が自分の労働を混えたのであり、…このようにしてそれは彼の所有となるのである」。

あんまり長く引用しない(めんどい)けど、いってるよ。

『市民政府論』鵜飼信成(訳)、1968の岩波文庫でpp.32−33だよん。

14 ::2007/02/10(土) 14:06:32
ああ、ハンドルつけとくべきでしたね。
>>5=>>13=>>1です。

15 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 16:38:09
>「自己=身体」の立場をとるなら別だけど。

確かにこれに近いな。
しかし俺が思うに、自己は「身体の自己」のほうが
適切なんだよな。
身体上位ってこと。

16 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 16:39:13
>>1
でもノージックはこんな風にも言ってるよ。

  自分のものを混ぜ合わせるとなんでも自分のものになるんなら、
  おれのトマトジュースを海に注ぎ込めば、海は俺のものになるのかYO!

まあ、こんな感じ。

17 ::2007/02/10(土) 17:17:20
>>15
そういう見方があり得るのは認めます。
しかし、ここではロックやノージックの論法に従って議論を開始しました。
彼らの主張においては、明らかに「自己」と「自己の身体」は区別されているので、
>>1のような言い回しも可能になる、ということです。

>>16
確かにそんな感じのことを言ってますね。
『アナーキー・国家・ユートピア』の上下どっちかに、書いてあったと思います。
でもそれは不適切な例です。ロックは「じゅうぶんに、かつたっぷりと」他の人たちのためにも
残っていなければならない、と但し書きをしていますし、それに「労働を」混入させるということに重点を置いているからです。

18 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 18:12:04
ん〜。
論法に従い、そのような方法で自己の身体を手に
入れたコトは、それ以前の自己の身体とどう違う
かと言いたいのだが。(後者が幽霊なら理解可)
たしかに所有権がちがう。他者の物でも一発で理解する。

所有権は1>>の場合、丸い四角の世界の話しのような。

19 :1:2007/02/10(土) 18:39:51
>>18
たとえば、奴隷は奴隷主を殺すことによって、あるいは自分自身を買い直すことによって、
自分の人生を手に入れることが出来る、と考えてみてはどうでしょうか。

20 :1:2007/02/10(土) 18:41:00
>>19
ああ、親子の関係は奴隷主ー奴隷の関係と異なることはわかっていますが、あくまで例です。
自分自身を手に入れる=自己が客体化される場面もある、ということです。

21 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 19:07:11
>自分自身を手に入れる=自己が客体化される場面もある、ということです。

ん〜。
これを錯覚か、別の希望をそこに見出しているの
かと思ったワケで。

奴隷が奴隷であるゆえんは、命令者から自立出来ないため。自己が身体を殺すことは自殺。



22 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 19:29:39
>この論法に従うならば、自己の身体は親のものにならないか。
であるならば、自己の身体を手に入れるためには、親を殺すか、死ぬのを待つかしかないのである。

成人するのを待てばいいだけ・・

そもそも人間の身体は誰の所有物でもないと思うけど、
子供の身体を自分の所有物と思っている馬鹿な親がいるとしても、
子供が二十歳過ぎてまでそう思っている人はめったにいないと思う・・


23 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 19:33:08
物質の所有は社会契約だし、だから幻想だし、約束事に過ぎんのでさ。

24 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 19:38:44
>>22
そんな次元の話じゃないと思うぞ。

25 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 20:36:08
>>24
人間の親子関係を、「生産」とか「所有」でとらえることに無理があるんですよ。
子供は成長して、次第に親から独立するんだから。
「成人」はその一つの目印みたいなものでしょ・・

たとえば、三十代の人から「身体は親のもの」という発想はなかなか出てこないと思いますよ・・
だからたぶん1さんは未成年だろうと推測したわけです。


26 :1:2007/02/10(土) 21:41:22
>>25
>人間の親子関係を、「生産」とか「所有」でとらえることに無理があるんですよ。
親子や家族関係を「所有」という観点から捉えるのは別段珍しいことではありません。
たとえば、藤野寛(2000)「家族と所有」『所有のエチカ』、大庭健、鷲田清一(編)、ナカニシヤ出版。

>子供は成長して、次第に親から独立するんだから。
>「成人」はその一つの目印みたいなものでしょ・・
>>24さんのおっしゃるように、そうした次元で話していません。
それに、自分の「常識」を過度に一般化するのはどうかと思いますよ。
たとえば、親が死ぬまで長男が同居して、同じ生業をすることが一般的だった時代を考えてみれば、
いつから「独立した」と言えるのかなんて、わからないとおもいますが(じっさい、子の結婚後も
親の強い介入をうけていたみたいですし)。
ここでは、ロックやノージックの論法を敷衍するとこうなるよね、と考えることを通して、
近代的な「私的所有」の基本にある原理が、どのような限界をもつのか(もたないのか)みているわけです。
一種の思考実験ですね。このあたり、説明不足だったようで、すいません。

>たとえば、三十代の人から「身体は親のもの」という発想はなかなか出てこないと思いますよ・・
>だからたぶん1さんは未成年だろうと推測したわけです。
成人していますし、別に人生相談をしているわけではありません。
そうだったら怖いですよねw親には感謝こそすれ、殺そうなんて思ったこともありませんw


27 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 22:09:25
>>26
>親子や家族関係を「所有」という観点から捉えるのは別段珍しいことではありません。
>たとえば、藤野寛(2000)「家族と所有」『所有のエチカ』、大庭健、鷲田清一(編)、ナカニシヤ出版。

その本は、「愛」を「所有への欲望」と捉えているみたいですね。
その線で考えれば、親からの独立後は、
「俺の身体は妻のものである。したがって妻を殺さねば・・」みたいになるかもしれませんね・・

>たとえば、親が死ぬまで長男が同居して、同じ生業をすることが一般的だった時代を考えてみれば、
>いつから「独立した」と言えるのかなんて、わからないとおもいますが(じっさい、子の結婚後も
>親の強い介入をうけていたみたいですし)。

そういうことです。人それぞれです。
三十代でも十代の時と親からの独立度、自立度が変わらない人だって、稀にはいるでしょう。

28 :考える名無しさん:2007/02/10(土) 22:47:14
>>26
代理母契約なんてのは子どもの譲渡とみることが出来るかもね。

29 :考える名無しさん:2007/02/11(日) 23:43:26
>>1
それはたしかに言えるかもしれないが、
単に親子の関係性を示してるだけで、
子は子で、自己の身体の所有を主張することもできるんじゃないか。

子は親の所有物であり、子にとっては自己の所有物。
割合がどの程度かはわからないけど。

30 :考える名無しさん:2007/02/11(日) 23:55:03
>>29
そうするとやはり、100%の人生を手に入れるためには(比喩的にであれ)殺さなければならなくなるんじゃないか。

31 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 01:12:25
ベーコンが菜食主義者なのは納得がいかない

32 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 01:13:34
お前はつまらん

33 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 01:18:22
>>30
やっぱりここで「所有」の定義を明確にせんと、先に進まないような気がする。

だって夫婦なんて、言いようによっては互いが互いの所有物だし。


ってか今更になって>>1
>死ぬのを待つしかない
ってのもなんか不自然に思えてきた。

たとえば捨てられた子供ですら親が死んだ瞬間に、
その子の身体が初めて自己の所有物にー
ってのは違和感ありあり。
ま、しょせんは感覚だが。

34 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 01:22:05
その汚いことばかり入ってくるのはどんな耳をしているのかな?

35 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 01:41:15
スミマセヌ、33は誤爆デス。

36 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 04:02:52
前提がおかしい。
自己を圧殺する社会、圧殺の対処方法の無い社会では「自己=身体」
の論理は合理的といえるだろうが、
それ以外の社会では、身体を共有・複合的財としたほうが合理的。

悲しみ
私は65歳です
このあいだ転んで
右の手首を骨折しました。
なおっても元のようにはならない
と病院で言われ
腕をさすって泣きました。
お父さんお母さんごめんなさい。
二人ともとっくに死んでいませんが
二人にもらった身です。
今も私は子供です。
おばあさんではありません。      石垣 りん



37 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 16:11:59
腹が減るのは自己かね。
身体かね。

38 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 17:18:35
腹が減ったという認識の原因は何かね。
脳か?胃か?細胞か?焼き鳥屋からの匂いか?習慣か?

あらゆるものに因を求めることが可能なら、当然身体の構成要素を他者とすることも
認識論上では可能だろうよ。

身体は個人のものという考えが普通の認識だと思うが、
その価値観から導き出すことの出来る論理は、えらく想像力が貧困となる。

私は人の認識はえらく不完全だと思う。
論理の有効性は、想像の広がりの範囲で判定せざるを得ない。

39 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 17:51:54
脳だろ、そりゃ。

40 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 18:00:03
なぜ
腹減った
との文章になるのかな?



41 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 18:16:57
自己がどれほど想像力を逞しくしても「腹減った
」感覚を手に入れることは難しい。
しかし、その逆は簡単なこと。どちらが支配的か。自己は2次的。

42 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 18:32:34
>>13の「人は誰でも自分自身の一身については所有権を持っている」
の一文で解決しないか?
“人”と“もの”を区別すればいいだけ。
人だけは例外にすればいいだけ。
そもそも所有権なんてものは人間にしかないだろうからな。

43 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 18:55:06
>>40
表現一つ持ってきてどうすんの。
それに、「I'm hungry.」では「I」が主語だけど?

44 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 18:56:26
>>42
だから、そこの根拠じゃん。

45 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 19:12:10
>>44
だから所有権というものは人間のみにあるものだからだよ。
それが人間のみがものと分け隔てられる理由。

46 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 19:22:27
いや、人間のみに所有権があることと、人間が所有権の対象とならないこととは違うでしょ?

47 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 19:28:08
>>43

いい問題だ。
この文章のIが感受している主体だとする。
しかし、これが自己なら2次的であり、ならば主体ではない。
そうなると文章および思考が間違いを犯している
となる。だれがそれを使うのか?
身体はそう言う道具を使わない。


48 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 19:31:50
身体は腹が減ったと言葉では告げない。

49 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 19:46:16
>>46
人間を例外視しなければ所有権という概念が成立しえないでしょ?

50 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 19:50:43
ん?どうして?
だいたい所有権は、物件=モノに対する権利と債権=人に対する権利があると説明されるわけで、
人に対して所有権が及ばないなんてことはないよ。

51 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 19:52:10
>>48
だが刺激で訴える。
コミュニケーション方法が全て言語のみで行われるわけではない。
言葉で表現しきれないニュアンスはボディーランゲージ。踊り。音楽。絵
などを行い確かめ合われる。

それ以外にも、精密に機能し続ける五感を解して無意識的に私たちは
微細な事柄を「コミュニケーション」として受け取っている。
「空気」で物事を感じるなど生活の中に証拠を確かめる事ができる。

52 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 20:00:56
>>50
人に所有権を認めない、あるいは全ての生物・事物に所有権を認めるとそれは恣意的なものとしか成立しえないから。
つうか債権というのは相手自体を所有しているわけじゃないだろ。

53 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 20:10:36
言っておくが、コミュニケーションの一部として
だけ言語があるわけではない。
思考の道具としてもつかわれるんだよ。
ちなみに俺は頭の中では踊りはあまり使わない、日本語を使う。



54 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 20:16:41
いやいやだから、
>人に所有権を認めない、あるいは全ての生物・事物に
>所有権を認めるとそれは恣意的なものとしか成立しえないから。
それがどうして、人に 対 し て 所有権が及ばないことの根拠になりえるのよ。

55 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 22:24:14
古代ギリシャでは・・どうでしたっけ?

56 :考える名無しさん:2007/02/21(水) 11:41:57
思想によって所有権の存否なんて変わるんじゃないの
キリスト教では自分の身体は神の所有物でしょ

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