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人は何故生きるのですか?

1 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 00:44:07
哲学科出身でも何でも無いんだけど、
なんで人は生きるのか教えてください。
人生とは即ち死への道程ならば、
ショートカットしたいと思う人間は何故ほとんどいないのですか?

2 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 01:20:14
てめえで考えるか、「ショートカット」しちゃって下さい。

3 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/20(土) 01:53:12
>>1
関連スレがありますのでそちらを参考に。
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1161524735/
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1117985964/
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1155978490/
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1102064361/
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1125143954/
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1103720144/
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1135428836/
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1169221447/
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1163201868/


4 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 02:06:04
人生は可能性。
道の果ては死であり、無であり、生きる意味など何もないかもしれない。
けど、何かをできるかもしれない、何かを為せるかもしれない、生きる意味があるかもしれないという可能性。

今の俺にはこれくらいしか言えない。

5 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 02:31:41
目的地に着くために人は近道を使うけど、
死を好んで終着点にしている人がいかほどいるだろうか?

6 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 05:17:22
気付いたら産まれてきてたから生きてる。
死ぬのは苦痛そうだし恐いから現状のままズルズル先延ばしになってる。

7 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 19:25:53
生きているの辛ければ死ねばいいし
楽しければ生きればいい。

8 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 19:58:30
問題を明確にし
目的を達成するためだ
苦痛はそのため過程なり

9 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 20:35:34
ちょっと充足理由律に毒されすぎ

10 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 21:17:57
人としての生き方だけを捜し求めても答えはでねぇっす
人生なんて時間軸の中での1つの事象でしかないんで
人がどうこう考えても大枠は掴めないつうの・・・

というわけで、つべこべ考えず『生きろ』


11 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 21:29:58
だが苦痛は意味に支配されているはずだ

12 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 22:05:45
>>10
同感ですね
「生きる」こと自体に価値があると俺は思います
人だけでなく、生物全体の第一の価値は「生きる」ことにあると思います
「生物の存在する意味は無い」とも言えますが、その考えでは「この世界全て何もかもが無意味である」という結論になるだけです
生物である私達は「生きる」ことに価値を感じ、それにまた人間社会での価値をプラスしていけば良い思います


13 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 22:58:32
それは理由なき価値でしかない
自己欺瞞でしかない

14 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 23:46:28
>>13
生物は誕生そのものが価値の理由になりますよ
だいたい生きる価値の理由などはそこら中に転がっています
全ては「生きている」ことに繋がっています
無から理由は生まれないと思っているかもしれませんが、それならば『理由である理由…である理由…』などとさかのぼり続けるとどこに行き着くのでしょうか?
理由は対象が生まれた後にできるモノです
つまり、無から理由が生まれるんです
価値は生物の誕生の時に生まれ、理由もその時生まれたわけです


15 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 00:58:16
いちいち糞スレに真面目に応えるよな。

感心するよ。

16 :つるじょあ:2007/01/21(日) 01:03:57
サルトルは人間は出現した、といいます。これ以上でも以下でもなく、後から
色々と意味づけはされますが人間は必ずしも意味的な生を送る必要は
ありません。そもそも生きることの意味は古代や中世においては無関係
でした。言語の使用頻度もかなり限定されており、自己という観念自体が希薄
だったので自分自身の生きる意味について考える必要はなかったのです。
普通に日常を送り日常のみでは生きている実感が得られないので祭りを行う。
ここでのポイントは祭りが能動的にではなく受動的に行われたということ
です。さて、近代に入るとここで意味が生まれます。物質的欲求の充足を
目指して近代大工業が発達、価値観は一枚岩ですのでそれに向かって突き
進めばよかった。しかし現代、物質的欲求は充足されると国民的合意は失われ
大きな価値が衰退します。意味は共同体全体から個人へと内面化することと
なり、生きる意味に懊悩する人々が跋扈するようになるわけです。近代以前の
祭りを行うには2つの意味で今日的な複雑な社会がそれを邪魔します。第1に
流動性の高い複雑な社会では社会全体で祭りを行うと社会全体の運営に支障が
出てしまう。第2に祭りを個人で行うにせよ、祭りが社会全体で行われたとき
は受動性だった祭りに能動的にアクセスせざるをえず、結局意味から逃れる
ために意味を経由しなければならないという不条理があります。言語の使用
頻度が高く自己意識が発達した現代においては何事も自己の裁量で生き方を
決定しなければならないのです。さて、以上を踏まえると人間に生きる意味は
ありませんが、そもそも人々が意味を考えること自体人類史上では初めての
ことであり、意味が見つからなければそれに頼らなくても人類の伝統に則った
生き方があるはずです。しかしそれは自己自身で探すしかありません。

17 :つるじょあ:2007/01/21(日) 01:14:25
>>4
>生きる意味があるかもしれないという可能性。
意味に可能性を見出す生き方もあるでしょうが、それだけではありません。
ポイントは祭りです。祭りは非日常を提供するものです。物に触れてみて
最初はそれを自覚していますが、しばらくすると慣れてしまい触っているのか
どうか分からなくなってきますが、日常でも同じことが言えます。生きている
ことに無自覚だと大変危険になるので祭りを行うのであって、未開の部族では
薬物を吸引したり、江戸時代では正月や公開処刑などを通じて生きている実感
を得ていたのです。

18 :つるじょあ:2007/01/21(日) 01:22:22
>>6
>死ぬのは苦痛そうだし恐いから現状のままズルズル先延ばしになってる。
久米宏は言っています。認識する主体がなくて何が宇宙だろう、と。
人は自分の死を知ることは出来ません。何故なら自分の死を認識しようにも
認識する主体である自分が存在していないからです。人は他人の死を見て
死を一般化し自分も死ぬのだと思っていますが、人間は主観性の無限指定から
逃れることは出来ません。サルトルは人は死ぬまで生きる、という命題を否定
しました。訪れるわけもない自らの死に怯えている他人と同調しませんでした。
そう、彼は自分は不死だと思っていたのです。

19 :つるじょあ:2007/01/21(日) 01:25:32
>>10
>つべこべ考えず『生きろ』
よく生きる、というのは比喩として存在するとしても、基本的に人間は
生きているのにそれに対して生きろとはトートロジーではないですか?

20 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 01:32:19
>>14
あのねえ、生物自体が認識として価値を“生み出す”のなら分かるよ。
つまり価値の創造。

だが“生まれた”っていうのはなんだ?意味不明だよ。

21 :つるじょあ:2007/01/21(日) 01:41:33
>>11
>理由は対象が生まれた後にできるモノです
つまり相対的な意味しか人間はもてないということですよね。それは全く
その通りと思います。ただ、そこで提案があります。意味それ自体をも相対化
すると言うことです。自己に立ち返ることの重要性を、即ち実存を主題に預言
者のように主張したのが実存主義者の開祖とされるキルケゴールやニーチェ
です。両者とも生前は早すぎたために一般には受け入れられませんでした。
神の死や、ニヒリズムの到来は近代以降の問題です。つまりこの掲示板で
生きる意味を探している人たちの悩みを近代以前の大衆は持っていなかった。
これを踏まえて当方が主張したいことは、意味的に生きる我々は人類史上から
見たら特別なことであり、伝統的には意味は不要であった、意味がなければ
生きられないと苦しんでいる人を呪縛する意味的な生は相対化されるべきです。
さて、今日的な社会において生きる実感を得る困難さは2つあります。一方が
祭りが受動性だった時代と比べて能動性にならざるを得ないこと、他方は自分
自身に適合した祭りと社会の構成原理とが合意できるのかという所にあります。
一方は目的が言語の滅殺であったのにも拘らず言語を経由しなければ享楽
(ニーチェの言う光)に辿り着けないということ。他方は享楽追求
(キルケゴールの言う審美的実存)にも大別して内的享楽追及と外的享楽追及
の2つがあるのですが、外的なものは反社会性に繋がる可能性があるという
ことです。

22 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 02:14:51
>つるじょあ
つまり、意味がなければ生きられないとか言ってるヤツには強制的に麻薬でも打ってラリらせてれば(祭り)生きていけるようになるということですね
そうやって生きたとして虚しいじゃないですか?
要するにこの命題の本質はそこにあると思います

23 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/21(日) 02:22:38
定期的な快楽がなきゃ生きられないのか。

24 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 03:35:46
>>20
生物としての価値ですよ
生物が価値を創造するのはもちろんです、「生きてる」こと自体も生物の創造した価値だと思っています
生物に「生の価値」はあるのかどうか、つまり生物が存在する理由はあるのかどうかを考えました
そして、生物は理由もなく生まれたが生まれた時に生物としての生の価値や理由も生まれたのではないかと思いました
分裂したり子孫を作ったりとするのが生物でありますし、生物は「生きてる」価値そのものであるような気がします
我々は生物であるからこそ、「生きている」価値を感じ、その根本的な所には「生」そのものを価値としてるのではないのかと思うのです
同じようなことを何回も言っていますが
生物である価値は生物として持っていると思います


25 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 04:37:51
>生物は「生きてる」価値そのものである
はっきり言って、それは宗教であって哲学でない
仮にそれを認め、頑張って分裂したり子孫を作ったりしても、その内ありとあらゆる生命が死滅するのだから意味がない、虚しい、「価値」とするだけの値打ちが無い

26 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 07:58:05

生体物質は集合してより高次の構造をとっている


27 :つるじょあ:2007/01/21(日) 13:46:54
>>22
>意味がなければ生きられないとか言ってるヤツには強制的に麻薬でも打って
いえ、意味を相対化したいのです。意味、意味、と意味がないと生きられない
と苦しんでいる人たちにそれは一つの生き方でしかないと提案したいのです。

>そうやって生きたとして虚しいじゃないですか?
人間の実存形式はポスト構造主義哲学では意味と強度、キルケゴールの哲学
では宗教的実存Aと審美的実存、などと言われます。前者は意味、後者は
意味を経由するもののそれ自体は非論理的です。後者には外的なものと
内的なものがあり、これらは本人の相性で選択できるものです。社会の
構成原理と並存できるのかという新たな課題があるにせよ、前時代的な
意味からの呪縛をとくことが必要と思います。

28 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 17:16:19
人は死に向かって生かされている。
であるならば、人類を含む全ての生物は滅亡に向かって生かされている
と言えるのではないか。
いつか滅亡するのならば、人類が存在し続け発展する意味はあるのかと
いうことになるが、そのようなものは無い。
そもそも人類であろうと地球であろうと意味があって生み出されたものでは
ないわけであって、人類であれ何であれ、何がしかの意味が宿っている
特別な存在であると考えるのは傲慢というものだ。


29 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 18:44:37
>>1 人は何故生きるのですか?
生きる価値観、生き甲斐を得られない理由が有ります。
貴方自身が>人は何故生きるのですか?と言うことを知りたいだけか、生き甲斐を得たいのかの何れですか?
それに拠って答え方が違ってきます。


30 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 19:59:19
何故生きるかという問いを出す前にまず身の程を知ることだな。体を鍛え美化し洗練し生きる上での弊害となったものを見つめ直しそれをどう打ち砕くか熟考した上で排斥しつとに信念を持ち理想を掲げそこに自らの潜在意識が開花され燦然としてるから

31 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 20:58:55
死もフィクションなんだから

32 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 21:10:45
産めよ殖せよというだろう?
あとはおまけだ。

33 :りくーつ・こねりー ◆Cgc5LCr8co :2007/01/21(日) 21:11:57
>>1
> 人は何故生きるのですか?

死にたくないから
死にたけりゃ、ほっといても死んじゃうだろうし
死なないから生きてるだけだと思うよ

> ショートカットしたいと思う人間は何故ほとんどいないのですか?

いっぺん、自分が本気で死のうと決心してみるといいんじゃないかな?
それで死ねなかったら、その時に死ねなかった理由が、あなたにとっての理由だと思うよ

34 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 21:14:22
なんで人は食べるのか教えてください。
食事とは即ち完食への道程ならば、
ショートカットしたいと思う人間は何故ほとんどいないのですか?

食後よりも、食べてる途中で幸せを感じます

35 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 22:22:46
大森荘蔵は「人生にはいかなる意味もない。生そのものに死臭が漂っている。」と断言した。
中島義道は言っている。
自殺する人には、@死ぬのは怖いぞ、痛いぞ。A家族、友人、恋人、親戚が悲しむぞ、
人を悲しませるんじゃないよ。
の2点しか言えない、と。
ぼくが言う。価値ある人生などない。それは幻想だ。それは、ニーチェのことばをもじって言えば、人生に価値があるというこの虚偽は人間がそれなしには生きられない虚偽だ。
では自殺するか。
否、人生には意味も価値もないが、生きてゆくことには快楽がある。
「悦楽はあまりに富んでいるがゆえに,苦痛を渇望する。地獄を,憎悪を,屈辱を,不具を,一口にいえば世界を渇望する。」「悦楽はすべてのことが永遠ならんことを欲するのだ,深い深い永遠を欲するのだ。」(ニーチェ手塚訳)
だから、自分からは絶対死なんぞ。

36 :考える名無しさん:2007/01/21(日) 23:28:33
>>25
誰から見た価値を言っているのですか?
俺は生物から見た価値を言っているのですよ
生物が結果滅亡してしまえば、生物の存在価値はないなど、意味がわかりません
誰目線で価値の判断をしているのでしょうか?
結果はこうなるとかの話ではなく、「生物が生きることを価値としている」ことが重要なのですよ
あなたは、生物以外のモノが生物に価値を見出だそうとしているような目線で見ています
己の価値は己が決めるのです
生物は生物自身に「生きる」価値を見出だしているのだと思います


37 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 00:28:18
>>28
「生物は死に向かって生かされている」
↑こういった考えは間違っています
生物は「生かされている」のではなく、自ら生きようとしているのです

それに、「死に向かって」は変です
よく『私達は死に向かって生きている』と言いますが、『死についてよく考えようよ』ということを言っているに過ぎません
人ならではの「死」への苦悩を見つめて考えるべきだと言っているに過ぎないのですよ
本来、「生物が死に向かって生きている」はかなり矛盾した考えなのです
「死」は生物が無(生がないモノ)になることを言います
いや、無になるのではなく、無に戻ると言うべきですね
無から生物が生まれ、それ以来、生物から生物へと生を繋げています
そう、生物が生を繋げようをしようしたからこそ、生物はまだ存在しているのです
結果的に無に戻ることがあっても、それは無に向かっていることではありません
生物は無を出発点とし、生の存在維持に向かって生きていると考えるべきなのです


38 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 00:33:19
 ,========、、
│            |||| 
│ DEATH. NOTE. ||||
│   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .||||  
│ 福島瑞穂   _. |||| 
│ 2007/1/22     |||| 
│ 白血病____.|||| 
│ _______. |||| 
│         _ |||| 
│            |||| 

福島瑞穂

白血病


死ぬ直前に実際は今まで経験したことのないような
悪夢が襲いもがき苦しむが、その顔は安らかな様相を振舞い、
決して医師や家族などの人からは苦しみを悟られないようにしながら
まるで地獄に堕ちたような永遠の苦しみに包まれ、
2007年12月22日午前1時00分、白血病で死亡。

39 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 03:15:31
>意味がないと生きられないと苦しんでいる人たちにそれは一つの生き方でしかないと提案したいのです
それはそうですね、おっしゃる所は分かるつもりです
>前時代的な意味からの呪縛をとくことが必要と思います。
要するに、あなたの言う所は統治論ですか?
意味がないと生きられないと苦しんでいる人たちはそうやって生きればいいと思うのですが、なぜ駄目なのでしょう?
社会の構成原理と並存しなくてもいいと思うのですが、何故駄目なのでしょう?

>生物から見た価値を言っているのですよ
そうですか
要するにあなたの言葉は、人間の自我に向けての言葉では無く、何十兆という細胞へ向けて語りかけているのですね
人間の自我以外から見た価値になんの意味があるのでしょう?(「価値」とするだけの値打ちが無いと書いたのはこの意味です)
虚しいですね、観念遊びだと思います

>自分からは絶対死なんぞ
ニーチェは分かりやすい
精神医学でタナトス、死への本能なんて言われるけれども、自殺が快楽になるのなら求めるべきなのでしょうね

40 :つるじょあ:2007/01/22(月) 03:45:16
>>39
>意味がないと生きられないと苦しんでいる人たちはそうやって生きればいい
>と思うのですが、なぜ駄目なのでしょう?
社会的立場に立って理想的な生き方を提示しているだけで駄目だなんて誰も
言っていませんよ。逆に質問です。そもそも苦しんでいる人たちはそのまま
苦しんで生きればよい、とのことですが何故そうでないと駄目なのでしょう?

>社会の構成原理と並存しなくてもいいと思うのですが、何故駄目なのでしょう?
並存すべきという主張をしたことはありません。それどころか一定の逸脱行為の
ある社会こそ正常な社会の常態ですので社会的には一定数は肯定され得ます。

41 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 03:58:18
>何故そうでないと駄目なのでしょう?
そうでないと駄目とは言ってないです
社会的立場に立った理想的な生き方をしても意味が無いということです
>並存すべきという主張をしたことはありません
「社会の構成原理と並存できるのかという新たな課題・・・」と書き込みされていたので、そう思いました

そして、結局の所、統治論な訳ですね?
思うに、「人は何故生きるのか?」ということを言う人は社会を存続させようとする意味に疑問を持っていると思いますので、あなたの意見はそういう意味では無力だと思います

42 :つるじょあ:2007/01/22(月) 12:08:52
>>41
>「人は何故生きるのか?」ということを言う人は社会を存続させようとする
>意味に疑問を持っている
当方は>>16において人生は無意味であると喝破しています。その上で苦しんで
いる人たちに苦しみから解放する一助となろうと近代以前の「人は何故生きるのか?」
と疑問に思わなかった生と、近代以降の「人は何故生きるのか?」という疑問が
生まれた背景を説明し選択肢を増やそうとしているだけです。それに社会の構成原理
と合わない実存を否定しているのではありません。最初に宣言した人生の無意味性は、
全てが自由であることを意味します。神がいなければ全ては許されるといったのは
ドストエフスキーですが、神は意味を与えるものですから無意味な人生では全て
が許されます。この様に当方の提案は端的に「人は何故生きるのか?」の問いに
快が不快を上回るから、といった自明性を超えて、意味のみを追って苦しむ
現代の生を相対化し、社会的立場に立脚した生をその相対性に加えたかっただけです。

43 :つるじょあ:2007/01/22(月) 14:17:35
訂正

社会的立場に立脚した生

現代社会に即した生

44 :x:2007/01/22(月) 15:29:49
JAPS天皇のガン悪化しろ
JAPS天皇のガン悪化しろ
JAPS天皇のガン悪化しろ
JAPS天皇のガン悪化しろ


45 :20:2007/01/22(月) 16:06:39
>>24
あのさ。
価値っていうのはそれを認識するものがあって初めて概念として存在するものでしょ?
あなたにとっては「価値」というのは目に見えない粒子か何かなのか?
というか実のところあなたは“何となく”言っているだけで自分の主張していることをよく理解していないだろう。
あなたは「生を選ぶ者」を肯定したい。そして「死を選ぶ者」を否定したい。
そのために「生」へ絶対的な価値を付与しようとしているだけに思える。
「後から作った価値」では心もとないので「元からあった価値」をね。

>我々は生物であるからこそ、「生きている」価値を感じ、その根本的な所には「生」そのものを価値としてるのではないのかと思うのです

それは違う。あなたが生を選んでいる者だから生に価値を感じているだけだ。
生よりも死を選ぶ者にとっては死に価値がある。

46 ::2007/01/22(月) 23:24:52
死への価値なんて誰も知らん
その先に価値があるやもしれんから死を選ぶんだろが


47 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 00:46:25
>意味のみを追って苦しむ現代の生を相対化し、社会的立場に立脚した生をその相対性に加えたかっただけです
なるほど、分かりました
意味を求めることも無意味だと考える訳ですね
あなたがどれほど頭が良いのか知りませんが、それは傲慢な考えではないでしょうか?
各個人がひたすらに意味を求めるべきであるのが筋であると私は考えます
また、人生は無意味であると喝破した上で「社会的立場に立脚した」等という配慮をするのは、やはり滑稽にしか思えません

48 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:07:54
>>47
じゃあ(((人生の意味を求める)ことに意味がない)と思ってる人)は無意味とでも
言いたいのですか?

49 :つるじょあ:2007/01/23(火) 01:10:40
>>47
>各個人がひたすらに意味を求めるべきであるのが筋であると私は考えます
何の筋でしょうか?ある時代にはある時代に即した実存形式があり、当方は
生き方の全てを相対化した上で恩恵を受けやすい生き方を提示しています。
当方はその筋で意味的に生きることを否定しませんがそれは前時代的な
実存形式であると言いたい。

>人生は無意味であると喝破した上で「社会的立場に立脚した」等という
>配慮をするのは、やはり滑稽にしか思えません
非常に貴方はのんきな方ですね。意味の牢獄という社会進化の袋小路に到達
した「敢えて」の境地を全く理解されていません。無意味だから自由に生きろ、
快が不快を上回るから生きている、そんな自明性を主張することに何か意味が
あるのでしょうか。

50 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:15:23
>>47
何か特定の目的(x_1)のために生きてる訳ではありません。
何を欲求しているか、その欲求してるモノ(f(x_n))が目的であるのです。

51 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:35:42
>じゃあ(((人生の意味を求める)ことに意味がない)と思ってる人)は無意味とでも言いたいのですか?
無意味じゃないんですか?
補足しておくと、「人生の意味を求めることが確固とした意味を持つ」ということでなく、「意味の可能性を持つ」ということです

>何の筋でしょうか?
考えの筋であり、論理の筋です
「人生に意味は無い」と思いながらも、何かの落ち度があるのではと思って意味を求めるのです、こちらの方が自然ではないですか?
>実存形式
この言葉の意味がよく分かりません
背景の思想とともに教えてください
>意味の牢獄という社会進化の袋小路に到達した「敢えて」の境地を全く理解されていません。
私自身理解していないと思います
「人生は無意味である」とするにも関わらず、社会進化には意味を認めるのですか?
矛盾していると思うのですが・・・
>無意味だから自由に生きろ、快が不快を上回るから生きている、そんな自明性を主張することに何か意味があるのでしょうか。
確かに「ニーチェは分かりやすい」と言いましたが、私がその立場に立っているという意味で言ったのではありません

52 :BUCH:2007/01/23(火) 01:39:10
>>51
何か特定の目的(x_1)があって、それを欲求してる訳じゃないでしょう?
不確定の要素の中から、システマチックに欲求してるモノ(f(x_n)→p)が目的であるのです。
即ち、目的を欲求より先に設定するのは、因果律的に不可逆的なのです。

53 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:42:21
>何か特定の目的(x_1)のために生きてる訳ではありません。
>何を欲求しているか、その欲求してるモノ(f(x_n))が目的であるのです。
私の論のどの部分と関わるのか分からないです、指摘して下さい

54 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:47:24
>目的を欲求より先に設定するのは、因果律的に不可逆的なのです。
書き込みが前後してしまいました
「目的を欲求より先に設定するのは、因果律的に不可逆的なのです」というのは分かります
しかし、私は人生の目的を語っているのではなく、人生の意味を語っているのですが・・・
関連すると考えるなら、どのような理論で関連するのか言って下さい

55 :BUCH:2007/01/23(火) 01:48:00
>>53
>>[各個人がひたすらに意味を求めるべきであるのが筋]

これに対して反論しています。
決定システムf(x)が、機能してれば良いのです。何が目的であったかは、事後的に解釈してるだけです。
人生の意味を追い求めるのは、結局同一律(P→P)により、人生の意味を追い求める目的といったナンセンスです。


56 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 01:49:30
意味があるとも
無意味とも
極端に偏らず中道をゆけっ!
ってことは?
誰か教えて

57 :BUCH:2007/01/23(火) 02:05:27
>>56
直観主義かな?排中律P∨¬Pを認めないのだから。
数学的には(ab=0)→ (a=0)∨(b=0) を直接結論することはできないって立場。
でも、中道を排除してるから、一寸違うな。

58 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 02:21:09
>人生の意味を追い求めるのは、結局同一律(P→P)により、人生の意味を追い求める目的といったナンセンスです。
>>54でも書きましたが、私は意味と目的を区別しますので、有意味なことを言っているつもりです

>極端に偏らず中道をゆけっ!
中道という言葉に思考停止しろ、と言っているのに過ぎないと思います
意味と無意味の中道とは何でしょう?
なぜ中道を行かなければならないのでしょう?
内容希薄ですよ

59 :BUCH:2007/01/23(火) 02:30:42
>>58
ああ、そうですか。誤解があれば申し訳ありません。
「人生の意味を…が筋」の中で使用されてる意味は(≒価値)ですか?
それとも(≒内容)のことですか?
どちらのニュアンスが違いのでしょう?

60 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 02:37:07
>どちらのニュアンスが違いのでしょう?
(≒価値)の語義で使っています

61 :BUCH:2007/01/23(火) 02:40:34

人生の意味(意味≒内容)であっても(意味≒価値)であっても、その時点t_aでの
評価になるでしょう?過去を振り返ることです。
ではなくて、結局「どういう人生を歩むか(価値を持たせるのか)」(≒目的)ってのが、
趣意じゃないのですか?

62 :BUCH:2007/01/23(火) 02:56:29
>>58
で、>52に戻るのです。
人生の意味を追い求める人は、ただ人生の意味を追い求める作業が目的になるのだから、
ナンセンスだと主張しているのです。
一般に「自分の人生の意味は○○だと」いう時は、既に解が定まってるのだから、
実は振り返ってるだけなのですよ。
つまり被定義項が定まってないと、価値定義(評価)は付与されないのです。
その辺りを、ゆっくりと内省されて下さい。
僕は、もう寝ますから。

63 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 18:01:06
>その辺りを、ゆっくりと内省されて下さい。
なるほど
ちょっと考えを煮詰めたいと思います

64 :考える名無しさん:2007/01/24(水) 02:42:47
精神を病んでるわけではないが、自殺したり殺されたり事故死するのが恐くて身を守り続け、
その結果として惰性的に生き続けてるようにしか思えない

生きがいも幸せの追求も、苦しみを慰める手段にしか感じられない
(どんなに苦しくても死ぬのが恐くて死ぬときまで死ねないから)
正直、1の苦しみを回避するためなら10の幸せを回避しても構わないわ

生きる苦痛が死の恐怖を超えたとき自殺が成立するんだろうか?

65 :BUCH:2007/01/24(水) 10:21:49
>>64 そうでしょうね。
自己保存(本能?或いは決定システム)よりも、自殺したいという欲求が上回る程の
耐え難い苦痛が存在してるのでしょう。

66 :考える名無しさん:2007/01/24(水) 14:55:29
>65
苦痛の増大による敷居の超越が原因とは限らない。
むしろ敷居自体が一時的に下がって(あるいは消えて)、
発作的に一線を超えるケースの方が多いのでは。

67 :つるじょあ:2007/01/24(水) 19:23:16
>>51
>何かの落ち度
意味にもまだ可能性があるかもしれないということでしょうか?よく分から
ないです。

>この言葉の意味がよく分かりません
人間の存在のあり方、つまり単に生き方でもとり合えず良いと思います。
ただ、多義的な言葉ですのでとり合えずということでお願いします。

>「人生は無意味である」とするにも関わらず、社会進化には意味を認める
>のですか?
無意味であるから享楽を得るのですが、社会構成上意味を経由しないと
享楽は得られないのです。これを意味の牢獄といい、この獄鎖は外れること
はありません。

68 :つるじょあ:2007/01/24(水) 19:25:10
>>51
>背景の思想とともに教えてください
古代ギリシャのポリスであるアテネでは、市民は初期においてはアゴラという
広場に、後期にはプニュクスの丘に集まり社会的決定を下しました。ここでは
共同性と公共性は等置的であり、この様な社会がソキエタス・キウィリス(政治
市民社会)です。しかしそういった市民社会の観念は共同体間のコミュニケー
ション領域が問題となると、古代・中世から大転換することになります。経済的
な取引が行われる商業経済は共同体の成員ではなく共同体の間に分布する
ものが担いました(網野善彦)。この商業的コミュニケーションが16世紀〜17
世紀に歴史的に漸増的に拡大すると、経済主体が一定のルールに基づいて
共生するコミュニケーション領域を市民社会と呼ぶようになります。この様な
社会がビュルガーリッヘ・ゲゼルシャフト(経済市民社会)です。こういった
間共同体的なコミュニケーションは、間共同体的ルールと想像力無しでは
成立しません。そのような領域こそが経済市民社会の公共性です。さて、マスロー
は欲求を、階層組織を形成させ配列して低次の欲求が満たされるとさらに高次の
欲求が生じると主張しました。近代は物質的欲求の時代であり、それを満たす為に
国家が一つの共同体であるかのように振舞われることになります。共同性とは
面識圏内の同空間・同時間における共通の体験地平ですが、国家と国民の
幻想の相互投射に媒介される中、会ったことも無い人間と同朋意識を持つように
なります。(つづく)

69 :つるじょあ:2007/01/24(水) 19:27:09
>>51
これは想像の共同体(アンダーソン)と言われ、その為に無名戦士の墓や、
特定言語の標準化や、メディアによる情報が用いられることになります。
そして近代大工業が隆盛し人々の欲求を満たすようになりますが、しかし欲求が
満たされると次は心的欲求の充足の時代になり、国自体で追っていた意味が
個々人に内面化します。そうなると大いなる価値が衰退して価値観が多様化、
社会の流動性は高まります。ではこの様な現代に即した実存形式とは何でしょうか?
それを語る前段階として尊厳について説明します。尊厳観には2種類あり、一方が
崇高なものとの一体化であるという枢軸国的依存的尊厳観(スメルサー統合理論)、
他方が社会関係の中の自由な試行錯誤によって積み重ねられた自尊心とする
連合国的自立的尊厳観(ミル自由論)です。後者は市民革命や独立革命を通して
自らの血で国家を守るということが尊いという意識がありますが、前者の日本では
明治五年の学校教育令から三十二年の高等女学校令にかけての近代化教育に
おいて個人が所属する最高の共同体は国家であるという思考的枠組みが人為的に
刷り込まれていきます。天皇であれGHQであれ、自らではなく上から与えられたと
いう意識があるので依存的尊厳観が生き続けるのです。近代においては伝統的
村社会から切り離された都市労働者を国家という共同体が代替したのですが、
現代において物質的欲求が充足されると国家や会社など自己自身でないものは
尊厳として役に立たなくなります。(つづく)

70 :つるじょあ:2007/01/24(水) 19:28:44
>>51
国自体で追っていた意味が個々人に内面化すると大いなる価値が衰退して
価値観が多様化、社会の流動性は高まり企業生命は短くなって会社では
リストラの嵐、終身雇用制度や年功序列の給与体系は退行するからです。
流動性の高い社会では他のものに依拠することは望ましくなく、自尊感情は
自立的尊厳に基づくことこそ幸福へと繋がります。ではこの自尊感情
(セルフエステーム)とはなんでしょうか?自尊感情には他者信頼と自己信頼が
あります。他者信頼は自尊感情の規範的側面、自己信頼は自尊感情の認知的
側面です。一方は、自分にとっての重要な他者を参照枠として形成し、自分がそう
あるべき理想的な意識から、そうあるはずの自分という意識までの幅のことです。
他方は自己責任で行う試行錯誤の積み重ねによって得られる自信で、試行錯誤の
繰り返しによってますます自己信頼が強化されます。価値が多様化し先行き不
透明な社会(自明性が無いという意味で分からないという意味ではありません)
では、何が良いのかは自己責任で行われるべきで、前時代的な体験による
啓蒙は意味を成しません。年長者の固まった考えでは現代社会に対応できない
のです。ではどの様な教育制度が現代に即しているのでしょうか。70年に
入って先進国の多くは従来の協調性を重視する画一的教育から脱し、
インディペンデンシー(自立)とコントリビューション(相互扶助)を重視する教育
にシフトします。授業も教師も選択性になり、流動性の高い社会に即した人格が
形成されます。(つづく)

71 :つるじょあ:2007/01/24(水) 19:30:56
>>51
ここでは酒鬼薔薇のいう透明な存在にはなりえず、鋳型にはめ込むような
画一教育からくるストレスや、ストレス解消のための標的になることから
防衛するためのピュア・プレッシャー(同調圧力)もありません。
インディペンデンシーによって自己信頼を得そして能力主義社会に対応した
能力を身に付けていき、コントリビューションによって社会性を獲得していく。
しかしここで日本ならではの問題があります。それは西洋的個人主義という
伝統の不在です。農耕文化である日本では個が育ちません。そこで日本
ならではの時代に即した実存形式が浮かび上がってきます。西洋では個々人
を支えるものが試行錯誤で得た自己自身でしたが、日本人の場合はそれが
共同体となります。共同体といいましてもそれは崇高なるものへの一元的
所属を意味しません。つまりさまざまなレベルにある中間集団を多元的に
所属するのです。一元的所属に根を下ろす近代的生き方が現代に即しない以上、
さまざまな共同体に浅くしかも複数の根で同時的に根付く。都合が悪くなれば
複数の根の一つを抜いてしまえば良い。携帯は複数の共同体における成員で
あることを確かめるツールとして役に立つのです。このように人格とは社会
関係に基づいた一つのシステムに他なりません。社会的諸関係と切り離した
人間はもはや人間ではなく、それはフォイエルバッハの主張する抽象的人間
であり、それはもはや人間とは関係がありません。

72 :考える名無しさん:2007/01/24(水) 22:52:30
>意味にもまだ可能性があるかもしれないということでしょうか?よく分からないです。
我ながら、表現不適当で他人には分からないと反省しています
また、自分自身引っかかることがあり、少し考えを煮詰めたいと思います
>無意味であるから享楽を得るのですが、社会構成上意味を経由しないと享楽は得られないのです。これを意味の牢獄といい、この獄鎖は外れることはありません。
詳しい説明ありがとございます、前レスの意味も分かりました
「社会構成上意味を経由しないと享楽は得られない」とありますが、麻薬でもやっていればいいと思うのですが?


73 :考える名無しさん:2007/01/24(水) 23:32:37
西洋における人格は自分という対社会的システム。
日本における人格は立場という社会内システム。


74 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/25(木) 00:24:29
まあ西洋では自分たちで社会を作り上げていこうという意志が強いってことですかね。


75 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 00:26:09
いやどうかな。
こうかな。

西洋人は社会的動物である。
日本人は社会の動物である。
西洋人は考えてもいい葦である。
日本人は考えてはいけない葦である。


76 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 01:24:23
日本はね、地理的によくない。
試しに土地を変えて試してみるといい。
日本全部引越し。

77 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 01:28:37
西洋は人がまずあって、人によって社会は作りだされたものという見方でしょ。
人が原理。社会は人を主体とする客体。
生きる意味も人が決められる。

でも日本では日本自体が原理でしかも人も日本になっている。
日本も一つの思想にすぎないんだが空気のように存在しているように思えるのは、
日本人の人格が日本で出来ているから。
日本が〜主義とか言っても、それは日本原理と矛盾しない形に整えられてしまう。
日本人が生きる意味を見いだすには日本に価値を見いだすしかない。

78 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 01:32:25
日本人にとっては天動説でも問題ない。
海の向こうはひたすらに、海だ。
こんな地形がまずかったんだ。

79 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 01:46:08
あなたは死にません。あなたは日本で出来てますから。 日本万歳ですから。
ってことか!!

だが死によって、これも思想かもしれないが、日本にも亀裂が入る。
この高齢者時代というのは、革命的時代かもしれないな。


80 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 01:58:57
高齢者の年金や退職金だけでやりくりする国には、亀裂もはいるだろうよ。

81 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/25(木) 02:21:03
その亀裂がカルトを呼び寄せた。西洋を目指すなら真似をしてキリストに帰依し、乗り越える過程が必要だ。
それも嫌なら滅び行くのを待つのみだ。新世界を望みながら2ちゃんねらはそれを潰しているんだよ。
独自の案を出すことはインターターネットを含めメディアの無理矢理距離を置く手法で潰された。
文字だけ反映した反論だけがこだまする。人間的魅力は崩壊しかつてない程の地獄がやってくる。
潰れればいい。自分たちが潰していることに気づかずに。




82 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 02:24:40
主客身分の何のための?という論理なき日本と資本主義がくっ付くと、酷いな。

資本主義のための資本主義
成長のための成長


83 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 02:28:15
ある意味、「諦め」が一行目にあり、そのあとに人生スタートしてるのが、
日本人だと思う。
そんな日本人を見て、俺は、海外に当てがあってよかったなと思おうよ。
だが、
日本語を第一ヶ国語に覚えてしまった因果を解決しなければいけない。


と、心の中のことは置いておいて、
俺は思うに、
>>81氏のような、ある程度具体化した思考を持った人達が
物理的に接しあうコミュニティが欠落してることが、
それに拍車をかけ、本人にとっては、酒を飲まずにはやってられない日々を
送る要因を作ってると思う。そのままでは、崩壊しかない。
力を持つものが、物理的に分散するところまで、この日本国はプログラムしていたのか。

84 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/25(木) 02:38:59
キミは何もわかってない、って言うつもりはない。
コミュニティは仕事場しかない。
だが、本当に言葉だけでは伝わらんよ。
新年会等でも周りにあわせておいて「本当はそう思ってない癖に」っていわれる。
非言語的領域が日本人は多くを占めてるさ。これがなぞだ。


85 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 02:48:17
んんん。日本的に考えると、物理的に接しないほうが、思想の実体化には効率がいいのかな・・?
というか、建前での人付き合いが、求めているものではないことはわかる。
なんというか、それぞれ個人の思考を相乗させる人間関係がなかなか築けないと言いたかったんだ。

86 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 02:58:13
自演臭がしてきたな。

87 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 03:03:58
自演は日本人のすること。
よって、
自演臭はしていなかった。

88 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/25(木) 03:14:20
>>86
自演かよ。俺も自演じゃねかって調べたこと何度もある。
けどわかんねえんだよ。疑惑に終わる。どうでもいい。
自演でもいいが>>86独りが哲板を操ってるのか?
俺は疑いすぎて、俺以外は自演だろうと思ったこともある。
自己の判断力に少しでも自身がありゃもうすこし大目に見れるだろ。
自己 vs 不特定多数 だろ。まあ自分のためだ。遠慮なく意見言えるしな。
驚かされて、惑わされて、揺さぶられて、頑固になって、やめちまえと思って、戻ってくる。
本当は思考停止がいやなんじゃなく思考停止していたい。俺もそうだ。楽だもん。
けどここに来れば揺さぶられる。自演だろうが何だろうが年季入ってるならくるわない筈だ。


89 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 03:40:40
自演的思考に偏りがちな人は弁護士向きかも

90 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 03:42:31
でも、日本から出たことなく、そんなにしっかりした思想を身に付けれた人が
いたとしたら、本当に尊敬する。
この社会の中で、自分にしか見えない壁を見ながら、自分を育ててきた人だってわかるから。

91 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 03:53:40
確かに哲学者最高位だけのことはあって素晴らしいとは思う。
俺も見習ってウルトラ哲学者にならないといけない。

92 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 03:55:40
いや、俺は、芯から哲学者最高位は尊敬している。
それ以外の人格は反吐以下だと思っている。

93 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:04:41
すごい自演だなw
ニート

94 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:25:17
>>93
凄いな。自治厨

95 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:40:00
高齢者社会を迎えつつ勝手に静かな革命が進み日本という一思想は内外の協力もあって恐らく滅びさるだろう。
日本を国をあげて対象化し始めている時点でもはや勢力が衰えてる証だし。
日本を取り戻すために知識体系として日本をしっかり浮かび上がらせるようであればもう末期ガン。
明治以来少しずつ、日本という思想、思想でありながら魂と呼べる程に根深い思想は衰退してきたと思う。
外国とあまり縁のない島国だったからこそそんな主客未分化の日本がありえたんであって、もう無理だね。
そろそろ力尽きるはず。

96 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:48:07
日本の革命は、音を立てずに訪れるよ。
前世代の特徴を捉えた結果にすぎないわけだけれどね。
でも、
革命は、事前にはわからない。
革命に気付いたときには手遅れだ。
若い人は馬鹿ではなくて、さらに賢い人達だって
何世代にも渡って歴史は言うけど、人は納得したがらないものだ。

97 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 04:58:40
俺が何故生きるかといったらミラクル哲学者になるためだ。

98 :枠からは出れない:2007/01/25(木) 09:45:52
単細胞多細胞に関係なく生物全てに「自殺因子」が存在しているのだから
自殺することは本能の中のものでもあるよね
人間社会で感じる意味も快楽も全部、生を維持する本能
子孫作ったりするのも、同種を増やそうとする本能だしなー
全部は生物のプログラミングでしかねぇ??
人は生物なわけだし生物の枠を超えれるわけないっということか・・・
まあ当たり前か
そう考えると『人は何故生きているのか』なんてバカらしく思うよね
『生物だから』で終わりそうなことだ

『何故生きているのか』とかじゃなくて
人類として人類のために『人類をどうやって滅亡させないようにするか』と人類らしく考えとけば
いいんじゃねぇの???










99 :枠からは出れない:2007/01/25(木) 09:48:01
>>98
失礼
プログラミング ではなくて プログラム だね



100 :10:2007/01/25(木) 13:07:52
原点回帰。
何故生きるのか・・
人として生まれ、家族とふれあい、社会に接し、パートーナーを選び、
子を産み育て、病やコンプレックスと付き合って、そして死を迎える。

その過程で様々な選択を余儀なくされるわけなんだけど、僕らって
何度も間違っちゃうよね。でも、いつしか間違った箇所で正しい
選択をできるようになるんよね。だげどその先にも新しい選択肢が
でてきっちゃって・・の反復をすることで僕らの世界は前進していくわけで 

101 :考える名無しさん:2007/01/27(土) 00:48:57
   / ̄ ̄\
 / ノ  \ \
 |  (●)(●) |
. |  (__人__)  |    いいかい?人というものは、ときどき醜悪な本性を見せるものなのだよ。
  |   ` ⌒´  ノ     おじさんを見てごらん、四十年この会社の為だけを考えて行動してきた。   
.  |         }     だが、今ではその会社に裏切られ、こうして命を絶たれようとしている。
.  ヽ        }      おじさんは全てを悟った、会社の為のこの四十年は全て無駄だったと。     
   ヽ     ノ        \ そろそろ、おじさんは逝かなきゃいけない、家族の事よろしく頼む。
   /    く  \        \
    |     .\   \        \
    |    |ヽ、二⌒)、         \


102 :考える名無しさん:2007/01/27(土) 10:48:45
>>71
「西洋的個人主義という伝統の不在です。農耕文化である日本では個が育ちません。」
(純粋な西洋とはいえないかも知れぬが、)現代米国社会と現代日本の社会の相似性は
どう説明するのか。あまりにも、古い図式的思考ではないか。

103 :考える名無しさん:2007/01/27(土) 14:44:55
欲望があるから生きるだけだ。

104 :考える名無しさん:2007/01/31(水) 12:29:11
>>6
激しく同意。

105 :考える名無しさん:2007/01/31(水) 12:30:14
>>12
> 「生きる」こと自体に価値があると俺は思います
> 人だけでなく、生物全体の第一の価値は「生きる」ことにあると思います
どんな価値があるの?

> 「生物の存在する意味は無い」とも言えますが、その考えでは「この世界全て何もかもが無意味である」という結論になるだけです
その結論だと思うが?

106 :考える名無しさん:2007/01/31(水) 12:51:55
>>35
> 中島義道は言っている。
> 自殺する人には、@死ぬのは怖いぞ、痛いぞ。A家族、友人、恋人、親戚が悲しむぞ、
> 人を悲しませるんじゃないよ。
> の2点しか言えない、と。
激しく同意。

107 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 11:50:54
なるほど

108 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 12:18:02
A家族、友人、恋人、親戚が悲しむぞ

引きこもりのニートにも悲しんでくれる人はいるのでしょうか?

109 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 12:25:58
>>102
>現代米国社会と現代日本の社会の相似性はどう説明するのか

日本とアメリカってそんなに似てるの?

110 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 17:17:07
死ねないから生きている

111 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 17:24:05
>>108
もちろんいる。

112 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 18:01:12
死ぬことはできないし、前向きに生きることもできない
もう、死んだように生きるしかないよ
しょうがないじゃん!

113 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/02/15(木) 19:58:01
愛されない不遇が葛藤からの逃避をうながす。
生きていればその場しのぎの優越感を浸ることができる。

114 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/02/15(木) 19:58:36
優越感を→優越感に

115 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/02/15(木) 20:01:18
浸る→得るでもおk。

116 :考える名無しさん:2007/02/16(金) 00:04:11
自分の子孫を残すため

117 :考える名無しさん:2007/02/16(金) 00:14:32
てst

118 :考える名無しさん:2007/02/17(土) 23:09:29
>>109
そっくりなところが多い。
アメリカでの問題はそのうち日本にもやってくる。
アメリカと日本はすごい勢いで相互浸透しているようだ。
これを社会学的統計学的に実証できるひとはいない?

119 :考える名無しさん:2007/02/17(土) 23:12:32


フジテレビの「サイエンスミステリー」早期老化症のアシュリーは有名なカナダの少女だが、15歳になった。脳の満腹中枢が遺伝子的にない娘(身長167で体重154キロ)無限の食欲を持つ。逆に
胃の細胞が作るというグレリンという空腹・食欲をおこすホルモンのない少女。(食事をしたことがない。小腸にチューブで栄養を補給して生きている。)背骨の異常で、2足歩行ができないトルコの28歳の青年。
世界で数人の難病の人間も生きている。平凡で当たり前のことがありがたいと思う。
つまり、なぜ生きるのかという問いは、平凡な、苦難のないひとの贅沢病か。

120 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 06:51:51
>>119
まあ、どうかなあ? 人間の幸福感っていうのはそれぞれの人の生活の範囲内で相対的に決まると思うのよね。
たとえば、日本で貧乏な人にアフリカの難民に比べればよほど贅沢な暮らしをしていると言っても、関係ない
別な世界の話だとしか思えないでしょう。日頃の生活で付き合っている人たちと比べて、自分が幸福であると
思えるかどうかなのよ。だから障害者とか取り上げて、君たちは彼らよりよほど幸福なんだよと言っても、
何の励ましにもならない。
幸福は他人と比較できるものではないと思う人もいるかもしれないけど、他人と比較しないで幸福になれる
ほど達観した人はなかなかいないと思う。そういう人は世捨て人といってもいい。

121 :ん?:2007/02/18(日) 14:24:45
私は日々他者と比較しないでも、自分は十分幸せだと感じていますが。
世捨て人のようだといわれると心外だなあ。

122 :ん?:2007/02/18(日) 14:26:24
私は日々他者と比較しないでも、自分は十分幸せだと感じていますが。
世捨て人のようだといわれると心外だなあ。

123 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:05:11
私も人は子孫を残すために、生きていると思います。


124 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:13:23

おまえは残さなくてもイイよ。

125 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:25:56
言われなくても、残せない。

126 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:49:13
結局スピリチュアルカウンセラーの江原とかがいう輪廻とか背後霊はなくやっぱりみんな血が繋がっているとかDNAが作用して古から覚醒したり他人(誰か)が昔自分だったときの記憶とかが作用しているんだろうな。不思議なことも全部。

127 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 19:53:12
みんな結局どっかで繋がっている。回りにいる人間が二十五年前に自分だったか百年前に自分だったか千年前に自分だったか一億年前に自分だったかの違いでどんな人間も昔自分だったんだから嫌いになったり好きになったりするのも自然なこと。ならば嫌いでも許しあえばいいのに…

128 :光のマナ識 希望の阿頼耶識:2007/02/18(日) 19:57:14
だから子孫が残らなければそのまま行き止まりになるのではないか?つまり子孫を残すべき

129 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 20:19:33
>>1ひょろっこい精子が人間になるんだぞ。
その生命力たるもの無限の可能性を存在付けてないかな?
精子に対して君は何故そんなに必死に泳いでるの?とは聞けないぜ源なんだから。

130 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 20:20:56
そうやって考えていくと自分はどこを通ってどうやってここまで生き延びてきたのかのルーツが必要になる。小説家でなくとも。歴史の洗い直しや国語から自分のルーツを知りたくなる旅が必要になる。また回りにいる親兄弟友人やあかの他人に到るまでいつの時代

131 :父方は源氏から足利と新田:2007/02/18(日) 20:27:38
いつの時代会ってきたかまたいつ自分だったか。名字名前生誕地親戚の名字や友人関係。すべての人が必要になってくる。日常会話や空気に自分のルーツのヒントが隠されている。

132 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 20:44:33
>>1
「ショートカットしたいと思う人がほとんどいない」
というよりも
「ショートカットしたくてもできない人が殆ど」
というかんじ。

なぜなら、やりかたをしらないから。

133 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 20:48:12
不思議なことはあったよ。おまえらが全員知っていて俺が知らないことがあるよな。あれは悲しいを通りこして笑いがきたぞ。笑いが起こったとき意味もわからず急に笑いが起きて次いで溜め息がついてでた。何故だ

134 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 21:22:51
>>132あんなに小さな精子から複雑な思考を持つ人間までになるのだから。
死に方を知っていてもそれは意味を為さない事は潜在的に理解しているという事になる。
だが例外というものは不思議と常に付き纏うので、そういう事が現実に存在する普遍的ルールにはなって欲しくはないんだよな。
そしてそれが一種のバロメーターになってる事自体以上なんだよ。

135 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 02:39:30
死ぬのも熱意が必要だ。

自殺に熱心な人は、
死ぬために生まれてきたんだろう。

でも、自殺は生きてる人間の積極的行為であって、
死とは関係が無いし、結果として死ぬだけ。

その証拠に、死人は自殺しないだろ。

136 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 05:20:49
俺を楽しませるため。
がんばって生きろ。

137 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 08:07:26
生きるという言葉は、個人の様々な活動の全体の結果に
ついて言っているのだから、生きる目的は本人には分からない。
いろいろ試行錯誤しているその結果、生きているわけだから。
転ぶつもりの無い人に、なんの目的で石につまずいて転んだのかと
聞いても意味がないように。

138 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 08:25:12
>人は何故生きるのですか?

その答えを見つける為。

139 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 08:25:33
人間は楽しい事をする為に生きてるんじゃなかろうか
気持ちいい事をする事が生きる活力になる
快楽に満ちた人生なら人生なら死にたいと思わないだろ
SEXが気持ちよくなく 自殺が気持ちよかったら
人間はとっくに絶滅してると思う
普遍的に人間は快楽を求めて生きてきた そして不快を避けて生きてきた
と思う

140 :凡人:2007/02/19(月) 10:05:15

考える必要のない問題、考える必要のある問題を見極める為にも、またその答をだす為にも全て、知恵を必
要としますが、その知恵を産みだす為の仕組みと言う法則が有ります。
しかし人類社会に於いては大切な知恵を産みだせない仕組みに取り込まれるように組まれていますので
誰もが知恵を持っていると言う思い込みで人生を過ごしてしまいます。
知恵を産みだす為に必要な知能の育て方を目的とし、また人類の永久的平和を思い長年、探求した法則を
ホームページで纏めることができました。
yahoo!で「心の仕組み」を索引して一番目の心の仕組みドットコムが私のページですのでお読みに成っ
て下されば人類の抱える全ての問題を解き明かす知恵を産みだす為の方法を記して有ります。


141 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 14:14:45

例えるなら時計の歯車

歯車は何故回るのか?


何故なら歯車は回るのに適した形に作れており、回るように力をかけられるからだ

ただ回り、摩耗し、故障し、壊れ、次は新しい歯車がまたそこで回る

歯車は自身が時計を動かしていることなど知るよしもない

それと同じ


生命体は何故生きるのか?

何故なら生命体は生きるように作られ、生きたいという本能に押されているからだ

ただ生きて、年老い、故障し、死に、また新しい生命体が自分の変わりに生き続ける

そして生命体は何故生きるのか知るよしもない

もしかしたら俺らは神様の時計の歯車の一つなのかもしれないな

……哲学ってこんな感じか?

142 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 17:49:07
生きるための肉体との感動と情動があるから、FA

143 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 18:23:45
孤独と束縛を与えられたから。

144 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 18:56:48
心に純粋なところがあるから

145 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 18:57:51
>>141
一寸違います。
義のために自ら死のうとする者たちもかつていた。
生命体であるが故に本能が生きようとさせるのではない。
人間であるが故に本能さえも狂わせて何かを成し遂げようとするのだ。
理想やら大義などのために観念を死守するためなら何でもするのだ。
自分が何を守ろうとするのかによって生きるかどうか決まる。


146 :優しい名無しさん:2007/02/19(月) 19:07:58
結果的な状態であり、目的は無い。乾きを癒す目的で水を飲み、国を
良くする目的で道徳的に振舞う。その結果、生きている状態が、
ただ在るというだけ。国を良くするために、結果的に死んでもいい。
生きているのも死んでいるのも、結果的な状態の差にすぎない。
だから、何のために生きるかという問いについて考えるのは、
無意味である。

147 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 20:48:01
生命という、計り知れぬほどの大きな存在に包まれているこの世。
人類も、その大河に身をゆだねる存在のひとつ。
つまり人類は、生命という流れに右往左往しているわけだ。
生命の流れにおいて、道端に転がる石ころほどもない人類という存在が
生命の意味や理由について真理を導き出せるはずなどない。
我々が考える以上に、生命は重く大きく深い。
我々はただ、その流れに身を任せ、その限られた次元の中で
進化していくほかないのだ。

148 :幼い名無しさん:2007/02/19(月) 21:04:16
>なんで人は生きるのか教えてください。
生きる理由があるんでしょう、みんなもっている理由が。
多分、その理由が多すぎて気づいてないんだとおもう。

>ショートカットしたいと思う人間は何故ほとんど居ないのですか?
ショートカットしたゴールには意味が無いからじゃないですか?

あんまり長い間生きてないから、そう語れるわけじゃないけど。

149 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 02:49:02
>>145
反論ではないんだが……いや、反論という形になってしまうんだが補足させてくれ

自分は生命体の本能……大原則は「進化」と「子孫繁栄」にあると考えている
個人が生きるのはもちろん、人間という種としてより進化した子孫を残すためにな

その本能を個人ではなく元の「人間」という種にまで広げると個人が本能を押さえ込んでやっていると思っていることさえ本能に含まれるということがわかる

誰かのための犠牲

夢のための死

そんなことはそこらへんの虫は当たり前のようにやってのける

蜜蜂は巣を襲われれば自らの命と引き換えに相手を刺し、蟻は未知の餌を求めて行列から離れ死んでいく


戦争がいい例だ。こういう言い方は失礼かもしれないが神風特攻隊なんてやってることは蜜蜂と寸分違わない

生命体はどんなに進化しても本能から離れることはない。人だけが違うなんてことはないんだ


150 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 16:56:23
考えれば考えるほど
何に対しても意味が見出せない・・・

151 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 19:12:10
>>150
まだ作ってる途中なんだから当たり前だ


152 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 19:18:45
>>1
美味いものを食って、可愛い女を抱いて、ほどほどに博打もして、ついでに、
「人生の意味・意義」の答えを探すために生きるのよ。

153 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 20:04:10
http://blog.m.livedoor.jp/bob927/index.cgi?sso=7d2f6341d3ebda3f45a2273f04edd5cca5b1b1e7
ー哲学ブログー

154 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 23:07:47
>>1
人間として生まれて知性や理性、その他の言葉では言い表せない内面的なモノがあるから、その様な考えが生まれる。
でも結局は人それぞれ。
あなたがその答えを見つけ全うするのも生きる故。
あなたではない人は、他の事を見つけ生きる故。
なぜ生きるかを見つけられない人はそれが生きる故。
人間であるが故その様になります。
人間では無い生き物は今日生きるために、生きている。
なぜ生きるかなんて考えない。
人間であるが故の考えでありますね。





これにてスレ終了


155 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 23:50:52
俺は、今まで経験してきた幸せな出来事を忘れられないから、生きてるんだと思う。
また、心の底から楽しめるような何かがあるかもしれない、って思うから生きる。

156 :考える名無しさん:2007/02/22(木) 17:55:53
>>149ただ本能のままに生きる動物とは違い人間には本能を抑えるための理性がある。

157 :考える名無しさん:2007/02/22(木) 18:09:07
偏見など捨ててエヴァのTV最終回見ろ(それ以外見なくていい)
お前たちが疑問に思っていることが、お題とされているから。

エヴァ厨逝ってきます…スマソ

158 :考える名無しさん:2007/02/23(金) 00:19:25
うん。生きることについて深く考えることが滑稽になったよ。

こんなことより、アスカについて深く知りたくなった。テヘッ!

159 :考える名無しさん:2007/02/23(金) 02:31:02
エヴァやそのキャラクターのことなどはどうでもいい。エヴァの最後の二話はスレタイを同じ意味だから見る価値はある。

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