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知への愛、それ以前に無知への愛を!

1 :暗愚:2006/11/15(水) 03:01:42
認識の努力より先に言葉を紡ぎ、自分の内側だけで物事に意味を与え、整理してしまう。それが諸悪の根元なのに教育の問題として大切に語られることもない。

2 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 03:30:11
しかし、それって言語能力に長けた人だよね。勘違いの認識だとしても
瞬間的に言語化しちゃうんだから。
1のような人は単にトロいだけなのかもしれないね。1は頭の回転が遅
いんじゃないの。

3 :暗愚:2006/11/15(水) 03:44:10
判断するのは遅いね、たしかに。

裁判官は時間をかけて判断するはずだけど、言語能力が低いだろうとは思わないし、頭の回転が遅いわけでもないでしょ?

4 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 05:31:18
無知への愛は知への愛の一種です。

5 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 07:06:53
知ったかぶりをするなと言っているみたいですね。
悪い意味で主観的な認識より、物事をじっと観察せよ、と。
これって、十分知への愛だと思いますよ。

6 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 07:30:38
俺はその意見に反対だな。
徹底的に語る事によって無知である自己が見えてくる。
閉じこもってじっと観察しているよりも、たとえ中途半端な意見でも
他者とのぶつかり合いがあった方が、無知への自覚にたどり着けるね。
学校は恥や失敗をしてもいい場所。
間違っているかもしれないが、俺はこう思うと言える場所にしてほしい
ね。無知を悟らせるために、質問をして相手に喋らせる方法をとって
いた昔の哲学者がいたんだよね。

7 :暗愚:2006/11/15(水) 07:34:23
いや、無知への愛が知への愛の一つであることは自覚しています。

ただ、自分が「知らない」のに気が付かずに語り始めるのに平気な人が多すぎ、安易に「わかった気分になってしまう」人が多すぎるように思う。

タイトルにある「知への愛」とは、いってみれば疑問点符つきだと思っていただいていいです。



8 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 07:54:56
>>6

考え方に違いがあるとは思えません。

徹底的に話し会うなら、徹底的に相手の話を聞かなければならないし、同じく語らなければならない。

そのさい、相手をより深く理解するために、「相手を理解する自分の中のフレーム変更」が必要になることもある。

例えば、
I love you
は日本語での理解フレームに移して把握しようとすれば、「私は貴方を愛しています」などとなりますが、両者言葉の間にはなおも容易くは埋まらない溝がある。

本気で
I love you
を理解しようとすれば、英語ぜんは゜んをと英語の文化を学ぶ必要がある。

9 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 08:06:48
>>7
要は「無知の知」ではないでしょうか?

10 :暗愚:2006/11/15(水) 08:15:27
ちなみに異なる言語間における理解フレームの相違は、たやすくきつ゛くことができると思いますが、同一言語内でもありふれたものとして「理解フレーム」の相違は存在しているように思います。



11 :暗愚:2006/11/15(水) 09:04:24
>>9

「無知の知である」、YesかNoか。

なぜ、それいじょうに問いかけを続けないのかをききかえしたい。

「把握した」という気分を求めているような気がします。

無知のを警戒することができる人は、貴方のようには言葉を用いないだろうと思う。

気分をおちつかせるための定義なんてどうでもいいし、気分をおちつかせるための定義を安易に求める人=無知で平気な人だと思うから。


12 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 14:45:34
無知=コヒーレンスな状態?

13 :暗愚:2006/11/15(水) 17:51:40
コヒーレンスという言葉の真意がよくわかりません。

首尾一貫性とか結合・団結状態とかをイメージしているのでしょうか?

ダイアレクティケー(対話技術)という意味でのヘーゲルの弁証法(ダイアレクティケー)で、運動を失った状態は、僕の言う「わかったつもり」に陥る状態であると言えるかもしれません。

応えになってるかな?

14 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 18:00:00
哲学を愛智の意と言い知を愛すること、との解釈が一般的ですよね。
でも知を望むことをわざわざ知を愛する、なんて言わなくても良いんじゃないの、
私は本物の人間愛が人の知能を育て智恵を産みだすことを意として哲学を愛智の意とした、と思うんですよ。
これなら哲学が諸学の源と言う訳も哲学の哲の文字が道理にあかるいこと、を指すのも順序立てられます。
なんか、哲学界全体が間違ってる気がするな、、
無知の知も無知で有ることを知った時から人は知の希求が始まる、で良いんじゃないの。
だいたい偉そうに、ややっこしい言葉を残すのが間違いだよ。


15 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 18:23:30
自然哲学が始祖なわけだが

16 :暗愚:2006/11/15(水) 21:37:12
>>14

なんと反応したらよいか、困惑します。
とりあえず、「良いんじゃないの」と繰り返しかたる貴方自身が
把握できた内容を飛び越えて何事かを判断していないかを自問時答してみて下さい。

そのさい、「自分の内側だけで理解した気分にひたっていないか」を合わせて考えてみるのが良さそうです。

重ねて丁寧に示唆するなら、

>だいたい偉そうに、ややっこしい言葉をのこす

と感じた貴方が、

僕の側に「ややっこしい」部分のわかりやすい説明を求める以前に、

>間違いだよ

と何事かを判断できるような気分に陥るのはどういうことか考えてみてほしい。
一通り理解し、「間違いだよ」と主張できるのなら、ややっこしくはないはずです。

17 :暗愚:2006/11/15(水) 21:44:04
バックボーンとして(西洋独特の)人間愛が根源によこたわっているのは間違いないし、それを抜きにして西洋哲学は考えられない。


18 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 22:45:36
>>17
西洋哲学でなくとも人が理に目覚める為には自己愛から人間愛に心を移すことが欠かせませんね。
自己愛から人間愛に心を移すことで人は物事の理を悟り、哲学の目的とする道理にあかるく成れる、と言う仕組みです。
ですから理の道を求める哲学に哲学用語や理解に苦しむ言葉なぞ不用です、と言っているのです。
哲学界は反哲学徒を育て、人々を理の道から遠ざけているのが実状ですよ。
元もと、理とは大衆と良心に拠って産みだされるもので有り、理を扱う哲学が大衆に受け入れられないことが既に矛盾しています。
貴方に「ややっこしい」部分のわかりやすい説明を求めている分けでは有りませんので誤解を招いたので有ればお詫びします。


19 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 00:20:45
語源的な言い争いをしても無意味なような

20 :暗愚:2006/11/16(木) 00:52:55
>>18

> 西洋哲学でなくとも人が理に目覚める為には自己愛から人間愛に心を移すことが欠かせませんね。
> 自己愛から人間愛に心を移すことで人は物事の理を悟り、哲学の目的とする道理にあかるく成れる、と言う仕組みです。

全く同感です。

> ですから理の道を求める哲学に哲学用語や理解に苦しむ言葉なぞ不用です

ここは少し見解が違います。というのも、相手の言葉を理解するためには、自分の持つ理解の枠組みを一旦乗り越えてゆかなければならない場合があるからです。参照 >>8
哲学は根源に人間愛を持つことは共通の理解なわけですから、理解のさい時として自己超克が必要になることも哲学において本質的であることも同意してくいただけるのではないかと思う。無論、双方にとって解りやすいのが求められるべきではありますが。

とはいえ、アカデミックな言葉が深く考えもせず乱用される場合がかなり多く、げんなりすることも多い。

だが、その場合は、相手の思考のいたらなさを指摘してやれば良いだけです。

その前提として、難しい言葉にであった時に、恥ずかしがらす納得出来るまで「それってどういう意味?」と尋ねることが出来るということと、相手がそんな自分を馬鹿にしたりすることはないという安心感が必要になります。
> 元もと、理とは大衆と良心に拠って産みだされるもので有り、理を扱う哲学が大衆に受け入れられない

哲学は個人の問によって出発し、それまで自分が立っていた独断のまどろみの内からこえでてゆく。そのため、「いまだ独断のまどろみの内側にとどまる大衆」は哲学者にとって常に自分の背後を歩む存在になってしまい、それは哲学の本性上やむをえない。

アカデニズムに対する無用な劣等感を貴方の言葉の中に感じる。

大切なのは、いかに認識の努力と相互理解を目指した対話を行うかであって、「言葉つかいの難解さ」はそれ自体としてはどうでもいい。

ただ、哲学書を読み進む場合は、著者に尋ねることが不可能であるため、しょうがないので自分自身を著者の所に持ち上げてゆくという一方的な努力が必要になってしまいます。

21 :暗愚:2006/11/16(木) 01:57:28
>>19

語源的な言い争いをしたという了解は僕の中には無く、そのため何を指していっているのかがよくわかりません。

まだレスの総数もすくないし、もう一度よみなおして頂き、それでも同じように感じられるのであれば、

1、何をもって語源的な言い争いと言うのか
2、無意味と感じられる理由はどういったものか

の二点を明確にしていただかないと、少なくとも僕にはまともな反応ができません。

以上を踏まえた上でごひはんをお待ちします。

22 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 02:22:51
で?

23 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 02:53:10
いんぎんぶれい

24 :暗愚:2006/11/16(木) 03:12:58
>>18

>>17
> 西洋哲学でなくとも人が理に目覚める為には自己愛から人間愛に心を移すことが欠かせませんね。

丁寧さをさぼって応えてしまったので、書き足します。

貴方が西洋的・哲学的考え方を好むのはわかるし、僕はそれを好ましく感じます。

但し、どうも自己批判が足りない。

貴方の言う「理」はあくまで西洋を発祥とする「理」であって、個人間の衝突を回避したうえで、集団・社会をまとめあげようとする東洋的、儒教的世界のなかで、「人間愛」によって目指されるべき「理」とはその質がそもそも違う。

西洋的理の内側から抜け出して考える(このばあいの"考える"も、その質が変化している)のではなく、西洋的考え方の内側にとどまりつつ゛けて異質なものを排除してしまうので、貴方の言う「理」が「西洋哲学でなくとも」と感じられてしまう。

今の日本は東西がブレンドされた価値観がひろまっており、分裂しているので私たちの苦悩のタネがつきない。

例えば、「問答」をとおして「理」を獲得する手法は、今ではないがしろにされているが、かといって西洋的手法が一般化しているわけでもない。

25 :暗愚:2006/11/16(木) 04:36:38
>>23
僕の言葉は文字通りの意味しかもってないですよ。

前述した内容を踏まえて批判して頂ければ嬉しく思います。


26 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 08:17:14
>>1
「認識の努力より先に言葉を紡ぎ」とは具体的にどのような状態?
俺は「努力はするものの認識を達する前に言葉を紡がないとならない状況」が大半だと思うんだが。
掘り下げておくと、君の主張からは、認識を達するまで言葉を紡がないようにすれば、つまり多数を納得させる意味を物事に与えて整理できてから言葉を紡げば教育の問題が全て解決する、と読み取れるんだが、それは現実として可能なのか、ということだ。
言葉を紡ぐ前により巨大な共同体の納得を得るには言葉を紡がなくてはならない、というジレンマに陥る気がするんだが、とりあえず君の論の曖昧な部分を具体的に聞いてからだな。

27 :暗愚:2006/11/16(木) 08:45:43
掘り下げてもらえることを大変嬉しく思う。それだけの力がある君の様な人に掘り下げてつっこんでもらえるのは嬉しいものです。次のレスで本題に。

28 :9:2006/11/16(木) 08:52:02
>>11
認識への衝動を否定しているのですね。
言葉で定義し知ったつもりになるのではなく、ありのままに見つめるということか。

29 :暗愚:2006/11/16(木) 09:44:41
いくつか具体的に問掛けをしていただいてます。一つ一つの問に応えていきたいと思いますが、すこしだけまってもらって、以下の主張の中に応えになっている部分がないかさがしてみてほしい。

基本イメージはそれほど難しくなく、

道を歩いているときにすれちがった程度の相手には、何事をも評価すべきでない、というのが出発点です。

ふとっていて可愛くない女性があるいていたとしても、その人の人格を尊敬し、「ブスだなぁ」と思う事をタブーにする。

人間愛と無知の自覚の出発点です。

要はこの「認識の努力」を、より精密で高度なものとして育てあげる必要がある。

多分君も、とおりすがりの人に「あいつは不細工なので、しんだっていいやつだ」と発言してからでなければ、認識不足に気が付けないという、構造上のジレンマに悩まされることもないだろう。

自分が相手についてまだ何も理解してないと、気が付くことができれば、実に容易い事だとは思いませか?

後は程度の問題です。

但し、そうした能力の習得は楽じゃない。

おそらく、
まず始めに、指摘されて無知にきつ゛く。
そこからがたいせつで、自分が無知を抱えたまま判断してしまう構造のパターンを何度も反省して把握しようとつとめる。

さらに、「もう自分は無知のまま判断することはない」と思える自信が育って暫く後に、ある時些細な出来事をひるかえってなんとなく考えていると、まさか自分が陥るはずがないと思っていた「無知」にはまり込んでいる自分を発見し、愕然となる。

自分の力だけで自分の無知にきずき、愕然とする経験はとても大切。

教えてもらったり、反論されたりしなくとも、自分への批判が出来るようになれば、認識の階段をより高くのぼってゆけるし、そうした過程を経過しなければ、認識の鋭さは獲得出来ないだろうと信じる。

30 :26:2006/11/16(木) 10:31:00
>>29
なんかよく分からんが、「ブスをブスと思う事をタブーにすること」が認識の努力だとして、それをより精密で高度なものとして育てあげるというのは、「あるものの一部の欠点を見てその全体を否定しないようにする」ってことかな。
とするならば、君の論を突き詰めると何も否定できなくなる。
無知と知の線引きの最適点など決められようはずもなく、どれだけ自分が理解したつもりでも「完全に理解したとは言えない」という批判を否定することは論理的に不可能。
「完璧な認識」ができなければ全体を批判してはいけないのは理想だが、完璧な認識が「神の領域」である限り、君の論からは現実的な解決は何も生み出されない。
以上を簡単に言うと、「やっぱりブスはブス」ということだ。

31 :暗愚:2006/11/16(木) 13:11:31
どうでもいいかもしれんが、27の自分の書き込みに自己嫌悪。上からものをいっているようにとられても仕方のないかきっふ゜りだ。

先の「いんぎんぶれい」にもやはり一抹の真理がある。

どうしても、哲学考えているとき、相手には「印象」を払拭した理解のあり方を期待してしまう。

嫌な印象与えてしまっていたらごめん。
単純にうれしかっただけなんだ。


32 :18:2006/11/16(木) 14:35:42
>>20
> 西洋哲学でなくとも人が理に目覚める為には自己愛から人間愛に心を移すことが欠かせませんね。
> 自己愛から人間愛に心を移すことで人は物事の理を悟り、哲学の目的とする道理にあかるく成れる、と言う仕組みです。

☆全く同感です。
折角、同感を戴いたのに御理解をして頂け無かったようですね。
哲学は力を崇拝し理に反する蒙昧に被い尽くされ悲惨な人生を強いられている、絶対多数の大衆の立場に立ち、この矛盾の全てを理を以て人類を平和に導く為の目的が有ります。
絶対多数の大衆の立場に立つ、哲学ですから万民に容易く受け入れられ無ければ成りません。
万民とは大工の寅さんや左官の八さん、農業の熊さん、勿論無学でも、と言う人達です。
ですから真の哲学はアカデミックな言葉も難解な言い回しも必要なく【 自己愛から人間愛に心を移すこと】で人は物事の理を悟り、哲学の目的とする道理にあかるく成れる、と言う仕組みとお伝えしています。
【 自己愛から人間愛に心を移すこと】哲学は、これ以外は必要有りませんし、これ以外は全て無駄なことです。
冷静な:暗愚さんの心に期待をしますので、この件を踏まえ最高をして下さいね。

33 :18:2006/11/16(木) 14:37:53
>>32ラスト最高は再考です。

34 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 14:50:43
>>20
>>32は無視していいからな

35 :9:2006/11/16(木) 15:06:57
>>29
君の言っていることは偽善だね。
無知の自覚というより自己欺瞞だね。

36 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 15:40:28
>>34さん>>20の書き込みは>>18宛だよ。


37 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 16:19:47
>>1
俺は反対だ。
断定、決めつけ、先入観、固定観念、知ったような振りは大事だ。
それが無ければ、仮説を立てられないし、先入観が裏切られる驚きもない。
最初に先入観があって始めて無知の知が意味を持ってくる。

38 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 18:31:32
>>29
29限定で意見を言わしていただくが、ブスだなあと思ってしまうことと、太っていてかわいくない
と認識してしまうことの間には、それほどの差はないのではないか。また、他人との関わりを限定
しているような気がする。村上春樹「ノルウェイの森」の冒頭で、スチュワーデスの人と関わりを
持たなければ、その後の展開もないわけで、人生においても往々にして、こういった選択肢の偶然
性ということは、重要だと思う。


39 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 19:13:05
      ____        
    /      \      
   /         ヽ    
   |  ^   ^     |  
   | .>ノ(、_, )ヽ、    / あい♪あい♪あ♪
   | ! -=ニ=-  ′ 6 l    やいや♪や♪でゅっらぁっ♪
.   ヽ  `ニニ´    ,-′   踊ろう♪踊ろう♪
     ヽ (((((( /ヽ       
     / |/\/ l ^ヽ   
     | |      |  | 

40 :暗愚:2006/11/16(木) 20:20:32
>>32


揚げ足取りだとか思わずに考えてほしいのですが、

まずもって今日私たちが使う意味での「大衆」という社会層は、近代国家成立を待たなければ現れません。
哲学の成立は、貴方が考えておられるであろう現代的な意味での人間愛を起源にしているわけではないと思うので、過度の一般化は避けてください。
但し、主権在民がなり基本的人権の思想がねつ゛きつつある今日の哲学は、その時代状況を考えれば、世界人類全ての哲学を目指すべきなのでしょう。
そしてその哲学は自己否定を含むものでなければなりません。ただ一つの考え方が世界を席巻すべきではないからです。

それに、貴方の考え方だと、「多数決」が絶対正義になってしまうんじゃ?

無知の民衆のモウマイを救うのが哲学者のつとめだとすれば、哲学者は絶対悪になりますよね?

今日最大の力の所在は民衆です。主権在民の国家の大多数を占める民衆は、はっきりと力を宿しています。

総じて、いつの時代も力のあるところに、正義もある。

41 :暗愚:2006/11/16(木) 20:53:31
真剣に語りかけてくれるなら、排除したくない。


この質問はとくに応えてもらう必要はないけど、それって「異質」を排除しようとする発想?

42 :暗愚:2006/11/16(木) 20:56:46
41は34にたいしてでした。ごめん。

43 :暗愚:2006/11/16(木) 21:10:31
傷付けてしまってから無知にきつ゛くようでは遅い。

殺してからでも遅い。

米のイラク侵略は、ゴメンですませられない。

大量破壊兵器はみつならなかったが、多くの国民はそれを信じた。

君の言葉あまりに酷い。

44 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 21:46:17
暗くて愚かな奴だな

45 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 21:54:44
>>43
無知ゆえに絶対に誰も傷つけたくないなら、君は生涯何もできない。
「イラク戦争ダメ」くらい小学生でも言えるが、君は敢えてそれを唱えることで何を証明したいのか。
教育現場に何を求めているのか。
君の主張は単に君が気に入らないだけのレベルでしかなさそうに見えるが。

46 :暗愚:2006/11/16(木) 22:07:49
>>38

> ブスだなあと思ってしまうことと、太っていてかわいくない 認識してしまうことの間には、それほどの差はないのではないか。

ご指摘の疑問、ごもっともです。

要は
「道を歩いているブス(1)をブス(2)と表現することをタブーとする」
としたうえで、
「さあ、1と2を区別したまえ!」
と求めるようなものだと感じるわけですよね。

「そもそもブスと認識しない」

というのが応えになるでしょうか?

それでもよくよく考えてみれば奇妙なことになったり、矛盾にはまったりしそうですね。

理を立ててその無理な点を暴きたててくれる人、論豪募集です。


47 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 22:24:41
>>46
ブスとは例えば山田花子がそうであって、ブスという記号に対してブスと認識しないことは不可能であり、ブスを無くしたいなら全員が同じ人間になるしかない。
そしてそれは現実として不可能なので、君の論は根本から無理がある。
以上。

48 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 22:36:43
>>47
ブスという記号は個人個人の認識に依拠する物で、解釈に差が生まれるので、
かならずしもブスが絶対的であるわけではない。

49 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 22:40:33
>>48
そんなことは当たり前。
そして上の話題と関係無い。

50 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 22:50:39
>>49
当たり前のことが本当のことなんじゃないの?芸でも披露するつもり?
上の話題とどう関係ないの?

51 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 22:54:08
無知の愛はスポーツをする事だと思う。

52 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 22:57:17
>>50
ブスをブスと認識することの是非の話題に、ブスが絶対的でないことがどのように関わってくるのか教えてくれよw
君のように「〜は相対的である」としか言わず、原理へ無限後退して現実から剥離していくアホは沢山いるよ。

53 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 23:03:41
>>52
ブスに対する認識が絶対的でないことは、ブスをブスと認識することの是非を論ずる際に、前提として
必要な考えじゃない?当たり前のことと言ってるのに現実から剥離しているとは矛盾じゃないですか?


54 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 23:09:10
>>53
じゃあ「ブスが絶対的でないこと」を用いて「ブスをブスと認識することの是非」に対して何か語ってくれw
原理として当たり前であることと現実から剥離することとは独立。
ブスが相対的であろうが山田花子は世間的にブスだ。
ちなみに矛盾とは「A=BかつA≠B」が成り立つことをいう。

55 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 23:10:37
コーディネーターの腕がいいから、大体綺麗にはなるんじゃないの

56 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 23:21:07
>>54
ブスと言われる人に対して、すべての人がブスだと思うと言ってなかった?
原理として当たり前であるってどういう意味だよ。
世間的にブスであるとは誰かが恣意的に決めることだろうよ。
矛盾という言葉が適切でなければ、おかしいと言わせてもらおう。

57 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 23:32:31
スッピンの女ってみんな眉毛が無いから、すべての女はブスって
いうのは当たらずとも遠からずだよね。仏教修行では、女の腸には糞が
詰まってるから女は糞袋だと思えと、性欲を抑えるために屁理屈を
作り出してるし。顔は化粧で嘘をつける。整形できる。結局
顔じゃないんだよ。大事なのは心だよ。ちなみに偽乳は嫌い。

58 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 23:47:34
外見なんて変わるんだよ。ブスと思ったらブスと思えばいいし、
美人と思えば美人だと思えばいい。ブスだって整形して半年後は
美人になるかもしれないし、美人だって硫酸かけられて酷い顔に
なるかもしれない。その瞬間で美人だと思ったら美人だと
言えばいい。よく知らないから判断しないなんて関係ない。
よく知っていたって、次は違うかもしれないし間違っているかも
しれないんだ。その時その時で瞬間に感じたことをハッキリさせれ
ばいい。

59 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 23:57:45
54さん、いっておられることが、いまひとつ、わからなかったので、
子供にでもわかるように、ゆっくり説明していただければうれしく思います。

60 :32:2006/11/16(木) 23:58:54
>>42
短い文章で意思の疎通を図ることは難しいですね。
大衆とは社会を支配層と、そうでない人達とに二分して後者の人を指します。
そして支配層に虐げられている大衆の中から、その矛盾にメスを入れる心の探究が哲学の始まりです。
後に哲学は人の知性を高め探求心を増幅させることが判明し、哲学を諸学の源と言う地位に位置付けたのです。
>ただ一つの考え方が世界を席巻すべきではないからです。
人類史の全ては理を否定する蒙昧と言う、ただ一つの考え方が世界を支配してきました。
気づかぬと思いますが今現在も皆さんは蒙昧と言う、ただ一つの考え方に支配され生きているのです。
その蒙昧に心を捕らえられた大衆は支配層の蒙昧主義者達に簡単に操られてしまいます。
ですから知性の稀薄な大衆の数が多くても支配社会を消滅し平和な社会を構築することなどできません。
>無知の民衆のモウマイを救うのが哲学者のつとめだとすれば、哲学者は絶対悪になりますよね?
民衆が蒙昧ではなく人類全体が蒙昧に捕らえられている、と申し上げています。
もしも人類を蒙昧から救える哲学者が現れれば1000個のノーベル賞に匹敵するでしょうね。
>総じて、いつの時代も力のあるところに、正義もある。
その正義は力を崇拝する蒙昧な正義で理を重んじる本当の正義では有りませんね。


61 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 00:05:28
57さん、すっぴんの女の人は、すべて眉毛がないんですね。
面白いですね。顔と心は違うのですね。もう少し具体的にあなたの気持ち
を述べていただけたらと思います。

62 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 00:19:14
>>56
ブスと言われる人に対して、すべての人がブスだと思うと言ってませんw
原理として当たり前であるって「『〜は相対的である』は原理として正しい」という意味ですw
ブスであるとは誰かが恣意的に決めることであり多数決的に「通念」となっていきますw
世間的なブスは「誰か」には決められませんw
矛盾という言葉が適切ではないですw
おかしいのは君の頭ですw
さあ早く「ブスが相対的であること」を用いて「ブスをブスと認識することの是非」について語ってくれw

63 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 00:44:08
62さん、ごめんな、「『〜は相対的である』は原理として正しい」の意味をもう少し
説明してください。アホですいません。

64 :暗愚:2006/11/17(金) 01:35:32
>>44

>暗くて愚かな奴だな

ふふっ
君のウィットに向き合って、すっかり

完笑

だよ。

65 :暗愚:2006/11/17(金) 03:23:55
>>45
ご免なさい。

↓の
>>43
の暗愚の発言は、

↓の
>>37
の発言へのレスであると示唆し忘れていました。多分そのせいで誤解を与えてしまった?

確信はないのですが、37→43の順で読みなおしてもらえたらわかっていたたけるのでは。

僕の主旨は、認識の努力を放棄して、独断と偏見にまみれ、その上で戦争賛成と唱えた一部の米国民と同じような事をしてよいのか、といっていたつもりであって、「戦争反対」が主旨ではありません。
そのつもりになってよくよく43だけを読んでみても「戦争反対」なんて一言も書いてないですよね?

ぼくは43で、戦争賛成も、反対も表明しつもりはなく、慎重に言葉を選んでいるはずです。

じゃあじっさいはどうなんだと訪ねられたら、「よくわからない」という所です。

自衛隊イラク派遣なら賛成。

66 :暗愚:2006/11/17(金) 06:46:57
>>60

> 短い文章で意思の疎通を図ることは難しいですね。

確かに。
僕は、貴方の考え方を自分の中で批判するのを一旦やめて、貴方になったつもりで考えてみた。
すると、貴方が実に誠実であり、悪意がなく無私であり、心優しい人であるかわかる。
ところが、発言内容を検討すると、とても危うく危険であるのを感じます。少なくとも、生きにくい呪縛に捕われてしまったんだなあ、と。
さて、
僕にとっては困ったことに、貴方の思想はなかなか強靭で、外側からの批判を被ったところで、内的整合性は、ちょっとやそっとでは揺らがないのではないかと思う。

そこで、僕の側の師匠を紹介します。

「道徳の系譜」
フリードリヒ・ニーチェ
岩波文庫

僕はこの書物に出会い、打ちのめされ、傷ついた上で愛さずにはいられなくなりました。

岩波文庫に納められているくらいの古典の名著ですので、小難しいのがきらいでも、何とか頑張って読んでみてもらえないかと思います。嫌悪感すら抱くかもしれません。ですが困難を乗り越えてでも読み解く価値があると思います。

67 :暗愚:2006/11/17(金) 07:33:40
>>60

人類全体がモウマイにつつまれている、としてしまうと、貴方の中の考えを崩すことは出来ない気がするし、貴方は自分以外の他者を次々と拒絶してしまうでしょう。

道を歩いている女性に「ブス」と評価を与える事を愚かなことだと考えて貰えるなら、本棚に並んだ書物もその背表紙を見ただけで「この書物もモウマイにつつまれている」とするわけにはいかないでしょう。

例え世界がモウマイにつつまれていたとしても、そこから脱出しようともがくことは無意味ではありますまい。

これでは貴方は世の中に不平を抱きつつ゛け、厭世気分に捕われたまま死を待っているかのようじゃないですか。

もっと人の英知を信じてもらえないものか。

僕ていどの頭脳が100人分あったとしても、とても敵わないような偉大な頭脳はいくらでもいる。

アカデミズムは民衆のためのものではないとか、モウマイにつつまれているとか言う前に、己のひしょうさを知り、身を低め、謙虚になって他者に学ぶように出来ないでしょうか。
ここでのテーマである「無知の知」という考え方に関連することでもあります。


68 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 07:53:05
>>65
なんか香ばしいな・・・。

>僕の主旨は、認識の努力を放棄して、独断と偏見にまみれ、その上で戦争賛成と唱えた一部の米国民と同じような事をしてよいのか、といっていたつもりであって、「戦争反対」が主旨ではありません。
>じゃあじっさいはどうなんだと訪ねられたら、「よくわからない」という所です。

「僕は何となく人々の思考が気に入りません」とどこが違うの?
アタマワルソウ。

69 :68:2006/11/17(金) 08:02:39
>>65
君には分かりにくいかも知れんから言い直しておくと、君の論は人の全ての発言を君の基準で「認識不足」にできる。

「AはBである」
「認識不足じゃないのか!よく分からないけど!」

そんな思想はゴミだと思わないか?
「人々は蒙昧である」とか言ってる奴と大差無いよおまえ。

70 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 09:03:43
>>1
勉強してこい!
認識不足じゃ!

71 :暗愚:2006/11/17(金) 12:18:11
独断オッケー論にたいして、はやとちったきがする。



72 :暗愚:2006/11/17(金) 12:22:48
>>69

ああ、やっぱり僕の方が届いてなかった?

まだ混乱してるので、69もちゃんとよんでないけど、すっきりしたらがんばってみる。

73 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 15:06:29
>>72
ぜひ頑張ってくれ。君はまだ若そうだから、物事の理を悟った中年よりも遥かに希望がある。

74 :60:2006/11/17(金) 19:42:49
>>66
別の意味合いで会話の交わせる人と会うのは楽しいことですね。
ニーチェの言葉は良く理解できますが、人類社会を悲惨な劇場とする要因は宗教や我が身の安泰のみを企てる支配層にも有りますが、その根底に潜む人々の心に原因が有る、と言うことを見逃しては成りません。
人類社会の全ての事象は、全て個々の心が集まり産みだされるもので有り、その事象に変化を試みる場合は惨劇の要因を扱うのでは無く、惨劇の原因を産みだす個々の心に目を向ける必要が有ると思いませんか?
原始時代から代々受け継がれてきた力を崇拝し理に反する、大衆の蒙昧的意識が陰湿な蒙昧主義者達を主と迎え入れ人類史を面々と送ってきたのです。
哲学の哲の文字は道理にあかるいこと、を示しますが人が道理にあかるく成る為には物事の理を悟る必要がありますね。
つまり物事の理を悟る、と言うことは理に反する蒙昧に真っ向から立ち向かうことが哲学の意図するところなのです。
人が知能を育て智恵を産みだす為にも物事の理を悟る、と言う作業は欠かせませんが哲学も物事の理を悟り物事の是非・善悪を明確に弁別する心をそだて人類の蒙昧社会に於いて翻弄されない正しい智恵を産みだす為に存在するのですね。
「ツァラトゥストラ」は読みましたが貴方がお奨めの「道徳の系譜」を読んで見ます。
>>67
女性の評価は心を見ぬ、無知蒙昧な人類の多数決で決められるもので有り、外見だけの評価は取るに足らないことですよ。
私は世界平和を目的とし時間の許す限り己の良心を師とし十余年の間、人の心の探究に没頭し近年、その方法を見いだしました。
ですから積極的に社会と関わっていますし、他者の言葉を冷静に捕らえ判断しますが、正しいことを曲げて自分を売るなど浅ましい考えの持ち合わせは有りません。
但し、求めるものが純粋で有る人には、それに相応しい柔軟さと謙虚さは人一倍、備えていますよ。
最後に、理を疎かにする者は哲学を疎かにするだけで無く、己の人生をも無駄に消費することに繋がります、とお伝えします。

75 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 19:52:56
>>74まだ日本語の勉強してないんだね。

76 :暗愚:2006/11/17(金) 20:52:55
**************1

>>69

>君の論は人の全ての発言を君の基準で「認識不足」にできる。

うーんと…

「幽霊は確かに存在する」
「証拠不足(認識不足)じゃないか。存在しないことも証明できないので、たしかなことは言えないが」

これは一見問題無いけど、

そのさい、「証拠十分」かどうかの明確な判定基準が存在せず、いわば「証拠十分であることの十分な証拠」が必要になり、無限に後退してしまい、かくしてそもそも証明は不可能。従って人は独断に頼らざるを得ない。

ということでだいたいよいかと思う。

ネックなのは「よくわからないとしながらも論拠を求める」所ではないんじゃないかな?


77 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 21:16:18
>>76
そこらへんの理解はあるんだな。
さて、そこで「ブスをブスと断じること」にどのような問題が生じるか考えよう。
通りすがりのブスは実は頭が良いかも知れないし悪いかも知れない。
更にいうなら実はブスの仮面を被っているだけかも知れないし素顔かも知れない。
ただ、そこにいる通りすがりのブスがブスなことだけは確かであり、そう認識することを「認識不足」と唱えてみたところで、じゃあどこまで認識したら発言して良いんですか?ってことになる。
結局は君の論によれば、何も言えなくなるかも知れないし、何でも言えるかも知れない。
ブスがブスであることの論拠なんて「ブスだから」で十分であり、>>1のような「大事な教育問題」に発展しようが無いということだ。

78 :暗愚:2006/11/17(金) 23:04:46
**************2
(↑連続性を表現する印であり、前後の間に挿入される書き込みはとりあえず無視されていることを示すものとします)

おそらく、認識と言語が持つ社会性が忘れられていると思う。

神の存在証明は、神を信じる者がその独自の判断根拠の内側にどどまり、自分とは異なる判断根拠の提示を求める他者の考え方を無視してしまえば、容易く成立させることができる 。曰く「神は存在する。以上、完璧な証明である」



79 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 23:28:58
ぶす、とはなんだろう。とりあえず、ぶすは、自分がその人といて自分の心がときめかないひと
のことなんかな。

80 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 23:29:08
馬鹿臭がする

81 :暗愚:2006/11/18(土) 00:12:04
****************3

おそらく、日常生活上の判断が問題になっていると思われますので、経験に先だった正しい判断の有無という大問題を横に置いて考えてみますと、

正しい認識の判断基準は、法律と司法の裁量によって、定められている。

有り得ないことですが、「思い込みにより人を傷付けたら死刑」ということがほぼ間違い無いと予想されるなら、国民はそれに合わせて思い込みしないようにするより他はない。



82 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 00:17:22
80さん、馬鹿臭ということばから、あなたの思いをもう少し書いてください。
馬鹿集だけだとわかりにくいからね。


83 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 00:35:45
男も女も自分が見たいように相手を見る。
ブスカワイイやキモカワイイというくらいで、
ブス≠可愛くない だ。
ブスの中にカワイさを見つけて妥協していく。
たとえ誤魔化しだとも、そうやって生きていくのが人間。

84 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 00:43:54
なぜブスと言ってはいけないのか?
それはブスという言葉が相手を傷つけるから。
なぜブスという言葉が相手を傷つけるのか?。
それはブスという言葉に侮蔑的な意味合いがあるから。
ではブスという言葉に侮蔑的な意味合いを持たせず使えばいいのか?
しかしそれを判断するのはブス自身なのできっと無意味だろう。
ブスはブスであることに劣等感を抱いているのでブスという言葉がまさに事実であっても侮蔑と捉えるであろう。
このように考えていくとある疑問が湧いてくる、
「なぜ我々はブスにここまで気をつかわなければならないのか?」

85 :暗愚:2006/11/18(土) 00:45:41
***************4

これは脇道に逸れるかもしれませんが、気になることなので書きます。

僕はある思い込みの激しい人を真剣になって理解しようとしたことがあります。
とても深刻だと感じたことがあります。
思い込みの激しい人と、傷つけ合いながらも話し合い、誤解であることが判明するのならば、それでよいかもしれません。
が、衝突によって浮き上がる部分は氷山の一角に過ぎず、当の本人はそのことに気が付けませんし、より悪い事に、周囲の人も同じように気が付かない場合がある。

そのとき、思い込みの激しい人は、王として周囲に君臨し、「自分より劣った」人をしたがえるカリスマ、暴君となる。



86 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 00:55:14
>>75
日本人の若者達の読解力は世界16位と言う、先進国を遙かに凌ぐ下位に有ります。
貴方も意味が分からないので有れば時間の無駄ですので、話しに参加する必要は有りませんよ。




87 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 00:58:40
>>86いや単におまえが文法ミスしまくってるだけだから

88 :蒙昧:2006/11/18(土) 02:14:51
なんというか、>>29の例え(ブスどうこう)から発展した発言・議論はどうも見当違いな気がするな。
>>1もその流れで発言しているように見える(>>67)から俺こそが見当違いなのかもしれんが、一応訊いておく。

>>29は「ブスをブスと判断する」事を問題にしているのではなく
「限られた一面(例では外見)を見てその人を理解したつもりになる」事をこそ問題にしていたんじゃなかったのか?

>>29に対する一連の発言は問題に対する焦点がずれている気がする。
ちょっと気になっただけなんで見当違いだったらスルーでよろしく。

89 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 02:21:53
おまえらブスなのか?笑

90 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 03:13:24
限られた一面を見て理解したつもりになるのは確かに問題あるよな。
でも、みんなブスには興味ないのよ。あ、ブスだ、で終わり。
そして、より美しいモノ、よりエロいもの、よりカッコイイ物を探す。
こういう軽薄な奴が嫌いだって事なんだよな。よく分かるよ。でも
しょうがないんじゃないの。こういうの個人の自由だし。
俺も嫌いだけど、半分諦めることも必要かなと思うし、悩むところだな。

91 :暗愚:2006/11/18(土) 03:46:16
****************5

虐待やイジメは、人の認識の力にハンディを背負わせる。

人間不信が独断を産み出してしまうだろうから。

きわめて深く傷つけられた経験を持つ人は、誤解を繰り返す自分自身をコントロールできないため、そうした人に「誤解をするな、認識を研け」と求めるのは、非常に残酷な要求となる。

だが、攻撃性は攻撃性を再生産する。

認識のレベルが全体として高まれば、日常における無用な攻撃を減らせる。

よって、すべからず努力すべし。

***********終了


92 :蒙昧:2006/11/18(土) 04:13:44
>>90
>みんなブスには興味ないのよ。あ、ブスだ、で終わり。
>そして、より美しいモノ、よりエロいもの、よりカッコイイ物を探す。

いや、いいんじゃね?それで。
認識・理解以前の興味が無いってのは、このスレの趣旨からすれば特に問題無い意見だし、
男なら大抵そうだろ。関わりあいになりたいと思うきっかけに欠けてるから。
しかしこのスレにおいて問題は「ブス」ではないから、そろそろブストークやめない?

93 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 05:57:33
>>88
>「ブスをブスと判断する」事を問題にしているのではなく「限られた一面(例では外見)を見てその人を理解したつもりになる」事をこそ問題にしていたんじゃなかったのか?

おまえの表現力不足のみが原因の焦点ズレだな。そしておまえが憎む「通りすがりの女の顔を見てその人の全てを理解したと思う奴」なんてほとんど(あるいは全く)存在しない。
普通は「その人が本当はどんな人かは知らないがブスなことだけは確か」という意味を侮蔑と嘲笑を交えて「ブスだなw」と表現するんだよ。
そこから>>1のような「大事な教育問題」などは浮上して来ない。
まだまだおまえは結構なアホだが、まあ頑張ってくれ。

94 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 06:18:35
1は教育問題に広げたいんだけど、出発は個人的問題だよね。
誤解されて傷ついた。1はもう傷つきたくないって事だよね。
誤解を説くために説明するのもメンドイと。という事は、自分は真実を
知っており、他者は真実を知らないというのが1の基本姿勢だよね。
そうなると1の狙いは、無知の知などではなく、自分こそ真実を知り
他者は無知だという攻撃心を隠していることになるよ。

95 :暗愚:2006/11/18(土) 06:44:35
理性的な方へ

なぜみなさんは名前を入力しないのですか?

(入力しろと求めてるんじゃないです)

96 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 14:29:00
>>95
まさか自分が理性的だとでも思ってるの?

97 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 20:19:20
>>95
まずは、君の意見を聞かせほしい

とりあえず考え付く理由を挙げておく
・名前を書くのに一手間かかる
(形式に則る、個々の主観はどうあれ共通目的は雑談であるため。)
・あえて名前を入れるまでも無い
(匿名で発言できる板で、なぜあえてトリップを入れようと思う必要性があるか、利点があれば誰もが分け合ってそうする)
・人は公の場で発言するとき、自分の発言が他者へ与える影響を少なからず考慮する
(誰もしない事をしたい、目立ちたいという本能的な欲求、時に品性や自尊心が理性の暴走に歯止めをかける)
・ちなみに私は多くの場合、メモ帳に保存する、それだけ。

欲求を何に投影するか。個よりも大勢のほうが利益の振れ幅は当然大きい
そういう意味では、トリップをいれることで、独自性と注目を集めるという意味では発言力に差が出る


98 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 00:56:52
阿呆なスレ主まだーチンチン

99 :暗愚:2006/11/19(日) 01:35:24
>>97

僕も他の場所では無名。

自分では単に流されているだけだと思うし、その手軽さと名を入れるめんどくささが、この場所にはある。その流れに乗るのが、この場所ではウムをいわせず正しい。

だが、なんだかとってもグロテスクだ。
そう感じる自分は、単に周囲になじめず、「カタイ」だけかもしれない。

手軽な理由は楽に列挙できる。

君があげた理由そのものは、わざわざ批判しなければならないものじゃない。ごく自然なものなのだから。

だが、自己批判がまるでみられない。素直に考えを述べただけ。

そして重要なのは、批判精神のけつじょを嘆く僕の方が異常なのだということ。
「異常」という言葉に掛け値はなく、裏の意味で「オレノホウガスゴイモンネ」はないつもり。

めいじょうしがたいグロテスクさだ。

ホントにじぶんが嫌になる。

本気で君が正しいと思ってる!

100 :暗愚:2006/11/19(日) 02:33:15
>>88

>>29は「ブスをブスと判断する」事を問題にしているのではなく
> 「限られた一面(例では外見)を見てその人を理解したつもりになる」事をこそ問題にしていたんじゃなかったのか?
ブスをブスと判断することと、限れた面から判断することは、同じことだと思います。

たぶん、混乱させているのは、「わかる」というのが即自的であり、「わかっつもりになる」が対自的であるためではないかと想像します。

そして、この「わかる」と「わかったつもりになる」は、どうがんばっても区別できない。

不可知にはなりません。


101 :暗愚:2006/11/19(日) 03:01:50
ブスという言葉にひっぱられて、表層的な道徳論を連想しないでくださいね。



102 :暗愚:2006/11/19(日) 03:12:41
>>84

「なぜ我々はブスにここまで気をつかわなければならないのか?」

無知の自覚の問題からはじまっているのを忘れちゃってるよ。

103 :暗愚:2006/11/19(日) 03:44:34
ブスをブスといってはならないのは、あくまで利己的な理由から。

相手が傷付くから→自分が困るから。

道徳的になりたいという心は、自分を守るために必要。

僕が求めているのは、無知の自覚=善人とマスメディアや教育等で宣伝し、国民を洗脳することを通じ、無知の自覚の再生産を促す。

むろん、ゆきすぎた禁欲主義的な無知の自覚は非生産的であるため、適度にコントロールするひつようがある。

僕の個人的嗜好はどうでもよく、模索しながら社会がおとしどころをさがすだろう。

なぜ無知の知なのかという問題は、今の時代のカウンターパワーとして有用であるように思われるから。

一つの考え方をすりこむだけで、広大な適用範囲が期待できる。


104 :暗愚:2006/11/19(日) 04:37:21
エコロジーが新しい価値観として成立してきているので、無知の知もできないことはないだろう。

ただし、反道徳的事象が「無知の自覚」の欠如からきけつしたのだとする因果関係を国民にしめさなければならない。

ネックになるのはこの部分だろう。現実性はたしかに薄く、「エコロジー」ほど強くはならないのは明らかだ。



105 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 08:11:16
暗愚氏の狙いは大衆の意思を操作して暗愚氏の色に染め上げたいという事。
自分の思想を人の脳に刻みつけたいという意図がある。
自分の思い描いたデザイン通りに世界を変えたい。
暗愚氏は洗脳のテクニックで、まず人々が現在持っている信念を
揺るがそうとする。信念が揺らいで不安になった人々に暗愚氏の思想を
吹き込むという作戦。と見た。

106 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 13:02:09
>>104
そろそろ恣意的に言葉を並べるのを中断し、君の主張をまとめてくれないかな?

107 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 21:20:54
>>103
相手を傷つけても別に困らない人はブスと言っても問題ないの?

108 :蒙昧:2006/11/20(月) 00:19:08
>ブスをブスと判断することと、限れた面から判断することは、同じことだと思います。

いや違うと思うが。
「ブス=顔の構造が不快な人」だと俺は考えているが、
ブスをブスと判断することは「この女の顔は不快だ。醜い」と思うことであり、
限られた面からその人を分かったつもりになるというのは(この例えの場合)、
「この女の顔は不快だ。だから存在価値が無い。それがこの女の全てだ、死んだって良い」
あるいは「この女は顔が悪いから中身も悪いんだろう」と考えることだろう。
前者には後者のように評価の発展や推測は無く、あくまで感想に過ぎない。
これは明らかに別種の行いだ、と俺は思う。
ブスはあくまで顔の評価だ。「ブスだけど内面は尊敬できる人」はごまんといるだろう。
外面評価と内面評価は別系統であり、正負が並立し得る。

まあ、>>88は俺が見当違いだったみたいだな。わざわざ返答をくれた事に感謝する。

109 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 01:56:12
「わかる」は、心身から納得するが、「わかったつもりになる」は、
頭ないし概念の判断で、私自身(心身)に不安定さが残ります。

110 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 01:56:46
「わかる」は、心身から納得するが、「わかったつもりになる」は、
頭ないし概念の判断で、私自身(心身)に不安定さが残ります。

111 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 01:23:15
蒙昧さんへ、美人とブスの問題は動物としての人間の本能やな。
本能をいくら論じていても何で生きていかねばいかんのか
俺はあんまりわからん。何で死んだらだめなのか。
考えて見たけど、死ぬときに痛いから死ねないという情けない
理由しか見出せない自分がいるな。

112 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:28:04
わかると、わかったつもりになる、の区別はできませんね。

113 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:43:52
できるだろ。意識性と肉体性の違いだもの。

114 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:45:36
>>1  本当にそう思う。

115 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 20:41:31
分かり合えなくて良い。
認め合えばそれで良い。

そもそも分かり合う事なんて不可能。
認め合う事しか出来ない。

116 :考える名無しさん:2007/01/15(月) 16:55:02
>>115
自分のスレにお帰りなさい

117 :考える名無しさん:2007/01/15(月) 19:25:33
立て看板 設置させてください、<(_"_)>ペコリ

『  ☆彡 目も見えず、耳も聞こえぬお人が、桜の木に抱きついている。
桜を、見たい、聞きたい、と言う。
さて、どうやって?

坐禅と見性第50章 公案と見性B流れる水
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1167920142/

二ではない(不二、ふに)、一の如し(一如、いちにょ)、それは、ほとけさま(さとり)のことです、どうですか、参禅していきませんか?
問う。
『 この場に坐したままで、30メートル先のローソクの炎を吹き消せ。 』
答える。     ・・・と。

☆彡沢木興道老師のなぞなぞ?

アメリカに 「我が妻は我が父の母なり、我が父は我が子なり、我が妹は我が孫なり」 という言葉があったそうな。

☆彡碧巌録(へきがんろく)第45則 趙州布衫(じょうしゅうふさん)

【本則】
禅僧「万法は一に帰す。では、一はどこに帰しますか」

趙州「私は若い頃、青州に住み、一領の布衫(実務着、サラリーマンなら背広と言うことかと)を作った。    その重さは7斤(4.2kg)もあった」

また、あるひと(ジャック、ラカン) 曰く(いわく)
「世界をキリストは支えている。キリストを聖クリストファーが支えている。では、その聖クリストファーを支えているのは何?」という謎々と同じかと。

‥‥……━★ 友好スレ
精神世界で癒される第19章
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/healing/1168176226/

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