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関係性の哲学

1 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 00:46:41

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  このスレはアンチ板の連続講義シリーズの一環である。
 |  関係性の哲学を探求する。
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なぜ虚ヲタにはホモが多いのか
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/kyozin/1139049154/l50
正義巨人は、ホモでなければいけないぜ
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/kyozin/1143809896/l50


2 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 00:47:14
基本仮説

§. 1.
あらゆる命題は関係式である。

§. 2.
私は世界であり、世界は私である。あるいは、私は世界の限界である。

§. 3.
思考に限界は存在しない。思考は無限である。

§. 4.
世界に誤りは存在しない。誤りは思考にのみ存在する。

§. 5.
語り得ないことは、そもそも語り得ない。 語りえないことは、自らを示す。

§. 6.
規範が事実から自由であるように、事実は規範から自由である。

§. 7.
私は不死身である。

3 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 00:49:46

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 |  現在のテーマを列挙する。
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1、関係性を定義することは可能か?
2、世界の外側を思考することは可能か?
3、記号単体は単なる現象か?

4 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 00:53:17

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 |  関係性は定義可能か?
 |  これは難問である。
 |  なぜなら、次のようなパラドクスが生じるからである。
 |  仮に関係性が定義可能であると仮定しよう。
 |  その時、その定義は「関係性」以外の単語Xを含む。
 |  それゆえに、その定義は関係性と単語Xの関係である。
 |  それゆえに、関係性を定義するのに関係を用いなければならなくなる。
 |  これはある種の循環論法では無いのか?
 |  それとも全く無問題なのか?
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5 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 00:56:30

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 |  世界の外側を思考することは可能か?
 |  これも難問である。次のような場合を考えよう。
 |  ある囚人が生まれつき独房に閉じ込められている。
 |  この独房は外部との接触手段を一切持たない。
 |  それゆえに、囚人にとって独房が世界である。
 |  さて、囚人は「この壁の向こう側にも人間がいる」と考えた。
 |  しかし、これは確認不可能である。
 |  しかし、我々はこの囚人の命題が擬似命題だと考えるだろうか?
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6 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 00:58:41

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 |  記号単体は単なる現象か?
 |  これは名辞論理と命題論理の問題と繋がっているように思われる。
 |  しかし、この問題はもっと洗練されねばならないだろう。
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7 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:55:04
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)

8 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 02:07:17

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 |  オシャレ関係
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9 :救モホメドアヴドゥル ◆FgO67dVUP6 :2006/04/08(土) 02:21:12
いいよ。いいよ臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

-―――-、       ,,-‐――
      臭ヽ     /      :::ヽ
         ヽ   /  救    :::ヽ
      .,,,,、、)  /.,,,,、、 ,ヽ    ヽ
       -== \/ ==/  .,==-    !
 (6ヽ...........''''' ) (´ ),(_,、ノ( "",,ノ:: 6)
 |::::::::::::::::::::::::::::::::::3ε  ^ン ...::::: |/
/ 〔::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ::::. .::.. ::...::::::/ λ
    ::::::::::::::::::::::::::)::::::::::::::::::/ / λ
       __ノ  ̄|    


10 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 02:30:36
侮辱するな(,,;д;)オオォ

11 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 04:25:00
マンドクセ

12 : ◆/XvJ1z5Egs :2006/04/08(土) 06:12:12
まぁとりあえず待っていろ>>1
こういうの好きそうな連中も何人かいるし。
そいつらに見てもらえるよう目立つようにしとけ。

あ、でも(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)があると読むの面倒くなるから短めに。

13 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 11:53:41
専用ブラウザで見ることをお勧めする。

14 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 15:44:41
現在の関係性の哲学によれば、おそらく、私=世界という命題が、
広く受け入れられている。但し、この命題自体は、特に何らかの
(日常的に)有益な帰結をもたらすものではない。
しかし、この命題は、従来の認識論を覆すであろう。なぜなら、
この命題によれば、世界は 認 識 さ れ て い な い と考えること
も可能だからである(なぜなら、私の右側にAが見え、私の左側に
Bが見える、という命題は、BがAの左に在る、という命題と等値
だからである。前者には認識的動詞が用いられるが、後者には
自存的動詞が用いられる)。

§. 8.
自然法論の素朴認識論とカントの構成的認識論は実は等値である。
認識論を考慮するかどうかは、世界の〈在り方〉を変更しない。
また、唯物論と観念論も、世 界 の 在 り 方 に 関 す る 限 り 等値である。
実在論と非実在論も、世 界 の 在 り 方 に 関 す る 限 り 等値である。

15 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 15:48:41
§. 9.
等値である、とは次のようなイメージである。

ある2点の関係を記述する時、

「点Aは原点Oから見て(2,1)、点Bは(3,2)である」
という命題と、
「点Aは点Bから見て(-1,-1)である」
という命題を「等値命題である」と呼ぶ。

そして、原点Oは世界=座標空間における「私」である。

16 :救モホメドアヴドゥル ◆KHY7WLQyd. :2006/04/08(土) 16:35:38
>>1こと臭吉さんは俺の20年来の恋太であり、

俺たちゲイの誇りだぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

17 :うんこ ◆boczq1J3PY :2006/04/08(土) 16:38:59
うんこ。

18 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 16:45:42
>>14
3次元的な思索の交差っつうところでっしゃろか?
言語の特異性すね。

19 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/08(土) 17:26:25
>>18
私は言語の特殊性を重視する哲学には属していない。
私の哲学は、むしろ、日常言語への回帰である。

§. 10.
私の中に他者は存在しないし、他者の中に私は存在しない。

20 :救モホメドアヴドゥル ◆FgO67dVUP6 :2006/04/08(土) 20:40:22
あんたの中には、

すでに俺の巨大な肉棒が挿入されちゃってるじゃねえか臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

21 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 20:44:43
オラオラ、おまいらちゃっちゃと先生にレスせんか!ここのレベルが低いといっておられるぞ!

73 名前:救いを求める者 ◆7UpSOEZchg 投稿日:2006/04/06(木) 22:03:56 ID:???
講義ノートを準備中だ。
私が見る限り、鉄がいく板のレベルは相当低い。
しかし、議論しなければならないであろう。

22 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 23:23:46
>>1の本性

618 名前:夢見る者を夢見る者 ◆qg6Yj0tqSg [sage] 投稿日:2006/03/16(木) 23:01:39 ID:???

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 |  大正義巨人ファンは日本一のイケメン集団である。
 |  その証拠に、修吉先生には美人妻真由美さんがついておられる。
 |  愛人のキイリちゃんも健在だ。
 |  童貞犯珍ファンを東京ドームから追放せよ!
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23 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 00:23:48
世界とは何か?

24 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 00:29:24
思考は本当に自由なのだろうか?
では思考と私との関係は何か?
私は思考している。

25 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 00:35:42
私は無限について思考できる。
思考に限界は存在しないのだろうか?

26 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 13:53:44

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  私は世界の外側について考えることができるのか?
 |  第一に、私は世界の外側を知らないであろう。
 |  しかし、世界の外側のモデルを組むことはできる。
 |  では、モデルと現実との関係は何か?
 |  私はモデルと現実とを比較しているのか?
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27 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 13:57:44

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  ここで、我々はモデルを現実から組むことはできるのか?
 |  実は、現代哲学にはひとつの大きな間違いを犯しているように思われる。
 |  それは、特に科学哲学の一派に見られるものである。
 |  彼らは言う。「モデルとデータの比較のみが可能である」と。
 |  しかし、これは「モデルと現実」の問題を「データと現実」に置き換えただけだ。
 |  問題は先送りされたのであって、問題に対する適切な。
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28 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 13:58:46
アプローチとは思えないのである(少なくとも、「モデルとデータ」ではなく
「モデルと現実」の関係を問題としている限りは、これは的外れであろう)。

29 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 14:03:22

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  問題の要所は二元論的手法にある。
 |  「現実界と理論界を分離させた時、我々はあらゆる
 |  比較手段を失ったのでは無いか?」
 |  これは価値と事実についても言えよう。
 |  理論は現実と無関係に、価値は事実と無関係にされたのだ。
 |  実は、二元論者の多くはこの点に気付いていないように思われる。
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30 :考える名無しさん:2006/04/09(日) 14:37:18
>>29
臭吉は存在しますか?

31 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 16:51:31
知らない。

32 :考える名無しさん:2006/04/09(日) 17:28:25
>>31
臭吉のあり方をどう捉えますか?

33 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 17:51:54
>>32
存在するかどうかも知らない。

私は言っておく。
関係性の哲学の歴史は古い。しかし、まだまだ完成していない。
完成するかどうかも分からない。


34 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 17:58:13
プラトンの哲学とアリストテレスの哲学が震源である。
なぜなら、彼らこそが二元論とその克服の歴史の源流だからだ。
イデアは現実世界にではなくイデア界に在るのか、
それともエイドスはヒュレーに内在するのか?

35 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 18:05:57
私はカントの認識論や二元論に感動するが賛同できない。
カントは、「徹底した二元論は、規範の事実に対する影響力を剥奪する」
ということを考慮しなかったように思われる。
これは、新カント派のケルゼンにも該当する。
他方で、ラートブルフとラスクの三元論哲学は一見常識的だが曖昧である。

しかし、私は次のように言っておこう。
徹底した二元論は、事実と価値の無関係性を前提とする。
(もっとも、多くの二元論者は価値→事実の無関係性をも仮定してしまった
ことを失念しているように思われるが)。
しかし、もうひとつの道はある。
それは、事実と価値との関係を記述することである。
事実ー価値という区別は、ひとつの区分けの方法に過ぎない。

36 :考える名無しさん:2006/04/09(日) 18:44:39
>>33
臭吉は確かに存在すると聞く。
その確実性を問う。

37 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 20:12:05
>>36
そんなことは私にはどうでもいい。

38 :考える名無しさん:2006/04/09(日) 20:40:06
>>37
現実から目を背けるな!
いい加減にしろ!

39 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 21:39:34
>>38
はあ?

40 :考える名無しさん:2006/04/09(日) 21:43:59
>>39
臭吉は存在した。
私は確かに見たのだ。

41 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 22:20:28
実は二元論である絶対性は無い。
なぜなら、三元論にも四元論にもなるからである。
世界をどう分類するかは、世界の在り方を規定しないように思われる。

42 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 22:21:13
また、事実と価値が全く無関係であるということを私は信じない。
なぜなら、関係性はいかなる事柄の間にも生じると考えるからである。

43 :考える名無しさん:2006/04/09(日) 22:37:21
>>42
臭吉とモホメドと貴方を基底とした三元論は展開できるか?

44 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/09(日) 22:39:09
>>43
可能である。

私はモホメドを知らないし会ったことも無い。
私は臭吉を知らないし会ったことも無い。

これで我々の三元的関係が記述された。

45 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/10(月) 06:34:00
>>44
とぼけてはいかんぜ臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

俺とあんたは日本全国の発展場を漫遊し愛し合いながら、

ゲイとスカトロマニアの地位向上に邁進しているじゃねえか(*´,_ゝ`)ムッツリ…



46 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 13:29:41


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 |  関係性の記述は最初の定義が肝心である。
 |  おそらく、定義によって諸関係は即時に規定される。
 |  その限りで、変更する余地は存在し無いのだ。
 |  変更は諸関係ではなく定義の変更によって行われる。
 |  定められた事柄の諸関係自体を変更することはできないだろう。
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47 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 13:32:20

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 |  それゆえに、関係性の哲学は定義と演繹を重視する。
 |  関係性の哲学が生み出す諸命題は恒真式である
 |  但し、この「真」というのは実は正確ではない。
 |  これは、「真」でも「1」でも「犬」でもよいのである。
 |  したがって、恒値式というのが正確であろう。
 |  論理学における真偽の援用は見せかけである。
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48 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 13:35:25

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  私は「真理関数」という概念が誤解の原因であると考える。
 |  論理学の真偽と(日常的な意味での)真偽は同一ではない。
 |  論理学の真偽とは「1」「0」のように単なる値である。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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            ノ| ノ| ノ
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49 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 13:37:38

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  真理関数とは「命題はかくかくの条件でかくかくの値を取る」ということである。
 |  なぜ真理値にこだわってしまったのだろうか?
 |  これはもしかすると古典論理学の最期の残滓かもしれない。
 |  論理学は関係性の哲学と一致しない。やや異なるのだ。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
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50 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 13:43:51

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  関係性の哲学においては命題間の諸関係のみが問題となる。
 |  その諸関係は「命題」の定義といくつかの論理記号(例えば=)の定義に始まる。
 |  但し、いくつかの論理記号は自明であると考えられる(=∧∨など)。
 |  この哲学は基礎付け主義とも袂を別つ。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
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51 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 15:41:14
そして、この哲学は、規範主義とも袂を分かつ。
今や、規範とは現実から自由な観念の遊戯である。

52 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 18:34:32
論理は無数にある。
しかし、一見すると論理学はいくつかの主要な論理のみを扱っている。
なぜだろうか?
おそらく、それは一貫性のある論理を扱おうとしているからである。
つまり、諸命題の総体について、「この時は論理規則Aを、あの時は論理規則Bを
適用する」という適用の仕方を認めないのである。
しかし、これは自由の法則によって覆されはしないか?

53 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 18:38:18
人々はあまりにも多くの場合において、一貫性と普遍性を
ごちゃごちゃにしているように思われる。
一貫性とは、できるだけ広い範囲に同一の規則が適用されることである。
普遍性とは、いつでもどこでもその規則が成立するということである。

極 め て 興 味 深 い こ と に 、

普 遍 性 が あ っ て も 一 貫 性 が 無 い 命 題 体 系 は あ る 。

54 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 21:52:37
適用対象がaならば規則A、bならば規則B、cならば規則c

という非常に個別的な規範体系は一貫性は無いが普遍的である。

55 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 21:56:57
したがって、

普遍化可能性を要求する、

という最近よくある規範の前提は、規範の範囲を全然限定しない。

56 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/10(月) 22:47:26
論理は我々を自由にする。
だが、それは論理実証主義者が口にする時のような意味でも、
科学哲学者が口にするような時の意味でも無い。

57 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/10(月) 23:41:52
\\\\\\\   i::::::::/'" ̄救ヾi              //////////
\\\\\\      |:::::::| ,,,,,_  ,,,,,,|                ////////
\\\\\       |r-==( 。);( 。)                  //////
\\\           ( ヽ  :::__)..:: }                  ___  ///
\        ,____/ヽ  ー== ;  キモかわいいぜ      /臭   \
        r'"ヽ   t、   \___ ! 臭吉さん          | ^     |
      / 、、i    ヽ__,,/      (*´,_ゝ`)ムッツリ…     (_,, )ヽ、. / |
      / ヽノ  j ,   j |ヽ                      !ニ=- ノ  _!_
     |⌒`'、__ / /   /r  |                     ヽニ´/ ̄  `ヽ
     {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ .|                        〉/        }
    ゝ-,,,_____)--、j                        /    i,、, ,',;:',i
      / \__      /                         l    l   ,',/
      |    "'ー‐‐---''                        ン´ヽ  .l ,';','i
    / l`、      /                            ノ;;,',';;    i ,;';i
  ,〃  _l:::::`ー,=-'(                           /,',',';;"   /i ,;',/
 /     ´ゞ._;;;:r';二二二二二二二二二二二二二二二二Э♥ε,',',';;"    /  \
 l    ,.''"  `'(:::)、::    ` 、                    ω      {////
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(__ )'       \_\                       !;;',   ヽ


58 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/11(火) 00:24:07
決定論と非決定論はどうでもいい人にはどうでもいい問題なのである。
説明は世界の在り方を変えないのだから。

59 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/11(火) 12:57:39

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  思考を世界の内側に含めることは可能か?
 |  不可能である、と私は考える。
 |  なぜなら、そんなことをすると認識の観点が消失するからである。
 |  では、思考は決定されていないのか?
 |  これについては次のように答える。
 |  思考が決定されているか否かを、思考は判断できない。
 |  判断するためには、我々はもっとも大きな存在(神?)を必要とする。
 |  思考は自由であるかのように振舞うしかないのではないか?
 |  それとも、不自由に振舞うことも可能かもしれない(しかし困難だ)。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
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60 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/11(火) 13:00:26

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  我々は思考の結果をあらかじめ知ることはできないだろう。
 |  しかし、それと決定論・非決定論の問題は別である。
 |  論理はこれについて何の裁定も下さない。
 |  なぜなら、論理は我々を自由にするからだ。
 |  我々はあらゆる思考可能なモデルについて考えることができる。
 \
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            (゚д゚,,)_
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61 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/11(火) 14:14:15
世界に対する説明は幾通りも可能である。
そして、私は「解釈の自由」を(客観的にでも規範的にでも無く)打ち立てる。
私は「解釈の自由」と「誠実」を宣言する。

これが¥私¥の¥倫理である。

62 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/12(水) 08:42:02
私は天才か? それともただの気違いか?
私は栄光に包まれているか? それとも悲惨か?

栄光と絶望。希望と挫折。人生そのものだ。

63 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/12(水) 17:25:28
私は一元論は定義できないと考える。
なぜなら、自己定義に陥ってしまうから。

X一元論において、

XはAである。

というならば、XはXであるはずだ。
しかし、これはトートロジーだから、無意味なのである。

64 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/12(水) 20:38:09
関係性の哲学は常識の復権に属するかもしれない。
哲学は「あれはおかしいこれはおかしい」と言う。

しかし、「論理は思考を自由にする」。
我々は様々なモデルを組むことができる。

65 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 00:26:23
臭吉さんは、俺たち芸の誇りだぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

66 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/13(木) 00:37:02
( ゚д゚)ハァ?

67 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/13(木) 01:01:39
記号は言語であることを要しない。

68 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 01:05:48
「論理は思考を自由にする」かもしれませんが、
そもそもそのような純粋な論理は存在するのしょうか

たとえば「1+1=2」でさえ笑うことができるのが人間ですね。

69 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/13(木) 01:09:46

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>68
 |  笑うことのどこが非論理的なのか私には不明である。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
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       /         .//.||
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       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ::||
       ||          ||



70 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 01:12:27
>>69
では「論理は思考を自由にする」というときの、
「論理」とはなんですか。と問います。

71 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/13(木) 01:16:28
>>70

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  トートロジーである。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/||
       /         .//.||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||/  ::||
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       ||          ||


72 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 01:17:58
>>71
???
思考を自由にするものが論理である。
ということですか?

73 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/13(木) 01:19:28
違う。比喩である。
思考はトートロジーなのである。
そして、これは私の仮説である。

74 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 01:23:19
>>64
様々なモデルから一番いいモデルを選びたいと思います
どうすればいいですか?
>>71
論理は無意味ですか?

75 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 01:25:18
ホモロジーの講義をしてくれ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

いわゆる臭吉さんという有機的図形の中に、

男たちが挿入可能な穴(サイクル)はいくらあるのだろうか(*´,_ゝ`)ムッツリ…

76 :うわ なにこのスレつまんね(^ω^;):2006/04/13(木) 01:26:26
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)

77 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/04/13(木) 01:26:45
論理は比喩である。思考はトートロジーなのである。

「論理は思考を自由にする」

この自由は、比喩の自由ということですか。
ではボクが考える「論理は思考を自由にする」とは逆ですね。

比喩の自由度こそが人を拘束する。何でも良いことは(無意識を作動し)
拘束的である、ということです。
逆に、論理の法則性故に、人の自由(無意識)は拘束され、思考は自由である。
と考えたのですが。

たとえば、数学は11次元など、人間の思考を越えて自由です。
しかし比喩は人間の無意識に囚われてしまう。

ちょっと話の次元が違ったかもしれませんね。

78 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 01:26:49
理想的なモデルとは、

もちろんコロナクラブのミックスルームにおける

俺たちの関係性だよな、臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

79 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 01:30:19
臭吉さんは、俺たち薄毛の理想だぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

80 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 01:31:22
>>79
http://gazo03.chbox.jp/home/gazo03/data/gazo/wara/src/1140444007234.jpg

81 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/13(木) 01:31:59
>>74>>77
論理は無意味かもしれない。

82 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 01:34:54
>>67
あんたのポニーのようなペニちゃんやもじゃもじゃの菊門も、

俺たち正義巨人ファンのリビドーを発生させる点において、

立派に記号の役目を果たしているんだよな臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

83 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 01:38:01
俺の純粋な疑問から逃避してはいかんぜ臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

それはあんたにとって哲学的敗北だぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

84 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 01:42:55
>>82
反論を意図してるように見えるけど
反論になってないよ

85 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 01:46:53
>>68
俺と臭吉さんの日常的な性交渉が、

多種多様な病原菌を発生させ培養していく相乗過程において、

「1+1=2」などというのはとんだお笑い種だぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

86 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 01:47:52
「人はメッセンジャーに成れるか否かで決まる」

87 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 01:48:29
>>84
あんたもダメ出ししているようだが、ダメ出しになっていないぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

俺は臭吉さんの慈愛に満ちた意見に同意しているんだぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

88 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 01:54:46
>>87
ソウダッタノカー

89 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 01:58:51
>>88
俺たちは常に20年以上もツンデレの間柄なのは、

アンチ板においても周知の事実だぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

臭吉さんはああ見えて、布団の中では理想の男なんだぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

90 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 02:01:47
>>89
ホモ サピエンス ですか?

91 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 02:05:48
>>90
あったりめえじゃねえかあ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

日本における潜在的同性愛者の割合は、常に正義巨人ファンのそれと一致するんだぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

だがシャイな臭吉さんは、

なかなかそれをカムアウトしようとしないんだよな(*´,_ゝ`)ムッツリ…

92 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 02:08:54
その証拠に、このようなログも残しておられるぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…


394 名前:21世紀の預言者 ◆qDY4SHi2Pc [age] 投稿日:2005/04/20(水) 23:30:06 ID:???
( ゚д゚)ハァ?

俺はバイだけどおまえは知らないぜ。


93 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 02:09:25
愛ねぇ
同姓愛者は未来に何をたくしているのでしょう。
それとも、快楽だけですか?

94 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 02:10:54
>>91
どうでもいいけど
関係性の哲学と関係のある話をしろ。性的な意味で。

95 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 02:11:43
異性にも様々な愛の形があるように、

俺たちゲイの世界の関係性も複雑だぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

96 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 02:14:27
あいにく俺は臭吉さんのような思慮深いところはないが、

「性の哲学」だけは負けないぜ(*´,_ゝ`)ムッツリ…

97 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/13(木) 02:18:45
こんな、他愛もないピロートークを語らいながら、

名駅コロナクラブにおける俺たちの一夜が更けていくんだよな臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…


98 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/13(木) 12:13:32
はあ? いいかげんにホモネタは止めろ!

99 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/14(金) 22:30:21
一方に関係の哲学がある。
他方に現象の哲学がある。

これは現人類と新人類の哲学の二大潮流である。
つまり、哲学自体はそれほど差異がない。

だが、誠実か不誠実かが、現人類と新人類を区別する。

100 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/14(金) 22:32:27
関係の哲学の代表は理学(数学と論理学)である。
現象の哲学の代表は藝術である。

これらが融合する時、我々は新人類独自の哲学を目撃するであろう。

101 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/14(金) 23:28:57
俺を犯してくれ臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

102 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/15(土) 11:43:17
関係
数理学、自然学、倫理学

現象
文藝、音楽、絵画 etc.

学問は全て関係の記述である。

103 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/15(土) 15:00:39
関係の哲学とは何だろうか?

それは「命題は関係式である」という発想から出発する。
名詞は数値であり、その他は関係項であると考えられた。
しかし、これはもしかすると訂正を要するかもしれない。

さて、他方で、現象の哲学が存在する。
これはまた別の機会に譲ろう。

まずは、関係の哲学を考察しよう。

104 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/15(土) 15:02:07
関係。月並みな言葉で言えば、理論や学問。
現象。月並みな言葉で言えば、現実や芸術。

学問と芸術、理論と現実。
この二元論がなぜ現人類の哲学界を支配するのか。
私はようやくその提要に触れようとしている。

105 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/15(土) 15:16:42
すなわち、モデルと現実の問題である。

106 :考える名無しさん:2006/04/15(土) 16:01:45
姦茎性の哲学

ノ      } ゙l、   」'           .,/'   .,ノ _,,y
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107 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/15(土) 21:12:48
今夜の上野ブリ吉は新人類がわんさか、

多少難ありのブサメンもいたが久しぶりに盛り上がってるよな臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

108 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/16(日) 15:43:52
現象の哲学は不可能である。
なぜなら、学問は全て関係の記述だからである。

109 :りくーつ・こねりー:2006/04/16(日) 16:13:54
物理で記述される「場」というものがあるけど…
相互作用を実体的に捉える概念だと思うけどなあ
そういった視点では物質も現象ともいえると思うし

110 :考える名無しさん:2006/04/18(火) 00:11:17
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111 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/18(火) 14:26:09
規範が現実から解放される時、我々は自由になる。
なぜなら、現実も規範から解放されるからだ。

今や、規範は世界から消え去った。

112 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/18(火) 14:53:17
我々は理論を組む。モデルを組む。
そのモデルは現実とは何のかかわり合いも無い。
それはモデルそのものだ。それは理論そのものだ。
それは関係の記述である。

たまたま現実に適合するモデルはあるかもしれない。
だが、それは思考の自由とは何の関係もない。

113 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/19(水) 00:00:23
形而上学は理論である。形而下学は存在しない。

これは、従来の確信と全く逆である。
すなわち、人々は、形而下学が確かであり、形而上学が胡散臭いと考えていた。
しかし、私は言う。
あらゆる学は形而上学である。そして、形而下学は存在しない、と。
形而下とは、すなわち、藝術などである。

114 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/19(水) 00:01:40

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  では、理論を構築しよう。ひとつの形而上学を構築しよう。
 |  まず、次のような命題から始まる。「私は世界であり、世界は私である」。
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             ∧∧
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115 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/19(水) 00:04:37

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  私は他者を確信する。これが「愛」である。
 |  私は未来を想像する。これが「夢」である。
 |  「愛」も「夢」もモデルを構築することである。
 |  したがって、いかなるモデルをも構築することができる。
 |  単なる「愛」、単なる「夢」は形式的な枠組みのみを与える。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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            ノ| ノ| ノ
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116 :考える名無しさん:2006/04/19(水) 00:10:32
>>114禿ケジラミ童貞(31)の憧れてるもの↓↓
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117 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/19(水) 00:11:06

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  そこで、「誠実」という概念を導入する。
 |  その前に、「現実」について語っておこう。
 |  私たちは「現実」を見間違えない。
 |  「現実」を直視することはできない。なぜなら、直視しかできないからである。
 |  モデルと現実の不一致のみがありえる。
 \
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118 :考える名無しさん:2006/04/19(水) 00:21:49
>>115>>117童貞ホモニートオウム信者(31)発狂乙!

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              .|    .ミ     .<     [                    ]
              .{     \,_   _》、    .{

119 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/19(水) 12:59:05
いいかげんにしろ!

120 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/19(水) 13:04:13
我々は真理を欲しているのではない。
妥当な解釈を欲しているのである。

121 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/19(水) 14:36:48
「真理」でも「狂気」でもなく、ただ自己の理性と感性によって
認識を続けること。これを「誠実」と呼ぶ。

122 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/19(水) 14:38:17
訂正:認識→思考

123 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/20(木) 11:55:42
物理主義的唯物論と具体的観念論は、類似する説明体系を構築する。
これらに反対するのが、抽象的唯物論と抽象的観念論である。

すなわち「物か観念か?」という問いは、解釈としては重要であっても、
現実の説明としてはほとんど同じであろう。

これが私の仮説である。

124 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/20(木) 13:45:02
Honestus, hoc est, quis requirit agnoscere orbem et ne-orbem.

125 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/20(木) 13:47:50
理論は自由である。

理論が自由でないように思われるのは、次のような前提が置かれて
おり、しかも、その前提が自明であるかのように置かれているからである。

「理論は現実と一致しなければならない」

しかし、これは可能な前提のひとつであるが、しかし、
必然的な前提ではない。なぜなら、次のような命題を組めるからである。

「理論は現実と一致しなくても良い」

と。そして、私は後者を採用する。

126 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/20(木) 13:50:14
この時、極めて多くの人々が、次のように問うだろう。

「現実と一致しない理論に、何の意味(意義)が在るのか?」

と。私は答える。

「意味など存在しない」

と。私はさらに付け加える。

「命題は意味(意義)を持たねばならない」

という前提を採用しないのである。

注記:ここでの「意味」とは意味論における「意味」ではない。
それは、何らかの有意義さである。

127 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/20(木) 13:52:48
さて、次のふたつの命題が放棄された。

A「命題は現実と一致しなければならない」
B「命題は有意義でなければならない」

私は命題Aに次の命題を付け加える。

「命題の一次的な要素は真理値ではない」

すなわち、

「真偽を問うことが学問の第一の作業ではない」

そして、

「学問とは真理の追究を第一の目的としない」。

128 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/20(木) 14:14:05
「学問は真理の探究ではない」

これは驚くべき前提である、かのように見えるかもしれない。
しかし、これは何ら奇妙な命題ではない。
この命題は、次のようなことを意味する。

「命題は真偽を問題にせずとも扱われ得る」

すなわち、

「純粋な理論の一部として扱われ得る」

今や、理論と現実との一致は、学問にとって必要条件では無くなった。
しかし、これは従来からずっとそうなのである。
なぜなら、倫理学や文学がずっとそうだったからである。

129 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/20(木) 21:02:31
理論が現実から解放される時、現実も理論から解放される。
そして、規範も現実から、現実も規範から解放される。
こうして、思考は自由になる。
なぜなら、思考は理論だからである。
思考も理論も、命題の連関である。
それは、論理に従う。
しかし、論理は真偽を問題にしない。
それゆえに、やはり、理論も思考も現実から自由である。

130 :考える名無しさん:2006/04/20(木) 23:36:06
>>129いいからこれでもクワエてろ!↓↓

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    .,v─ーv_         ]      ] .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
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   l  ,zll^゙"  ゙ミ    .ノ       .il|'アll!           .>-] \ _><
   《 il|'     フーv,_ .,i"       ||}ーvrリ、             ¨'-.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》'  ゙゙ミ| ,r'                }  
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ'                 ]
       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
         ゙\ア'   .--  ,,ノ|    、    ゙ミ}                   :ト
           ゙^ー、,,,¨ -   ''¨.─   :!.,   リ                   ノ
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              |     ノ' ヽ      [                   ミ
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              .|    .ミ     .<     [                    ]
              .{     \,_   _》、    .{
そして、臭吉早く死ね!

131 :考える名無しさん:2006/04/21(金) 00:03:52
>>119>>120>>121>>122>>123>>124>>125>>126>>127>>128ホレッ!
ノ      } ゙l、   」'           .,/'   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         ]      ] .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
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   《 il|'     フーv,_ .,i"       ||}ーvrリ、             ¨'-.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》'  ゙゙ミ| ,r'                }  
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       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
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              |     ノ' ヽ      [                   ミ
              }    }     '    }                   {
              .|    .ミ     .<     [                    ]
              .{

132 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 01:40:48
§. 1.
命題は関係式である。

§. 2.
関係式は関係項と対象から成る。

§. 3.
諸命題の論理的結合体が理論である。

§. 4.
無矛盾性は理論の必要条件でない。

§. 5.
理論は実証されない。

133 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 01:43:12
我々が理論を組む時、我々は現人類の窮屈な理論系から解放される。

134 :考える名無しさん:2006/04/21(金) 01:51:05
>>132>>133発狂乙!
はい! これでもホウバリな!
ノ      } ゙l、   」'           .,/'   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         ]      ] .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
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   l  ,zll^゙"  ゙ミ    .ノ       .il|'アll!           .>-] \ _><
   《 il|'     フーv,_ .,i"       ||}ーvrリ、             ¨'-.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》'  ゙゙ミ| ,r'                }  
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ'                 ]
       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
         ゙\ア'   .--  ,,ノ|    、    ゙ミ}                   :ト
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              l!     .´゙フ'ーv .,y    ]                  '゙ミ
              |     ,/゙ .ミ;.´.-    .]                   ミ,
              |     ノ' ヽ      [                   ミ
              }    }     '    }                   {
              .|    .ミ     .<     [                    ]
              .{     \,_   _》、    .{

135 :考える名無しさん:2006/04/21(金) 01:57:50
>>132>>133
童貞ホモニート学会員(31)乙!

136 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 08:54:47
複数の命題の関係は、まず、論理的に妥当な推論か、あるいは、そうでないか、に分けられる。
前者が「理論」、後者が「非理論」と呼ばれる。
注記:理論は「真」なる命題群ではない。真偽は理論の必要条件で無い。

学問は専ら「理論」を扱う。「非理論」は、文藝に属する。


137 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 08:56:15

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  さて、関係について語った。では、現象はどうか?
 |  現象について語ることは可能か?
 |  まず、この問題から考えてみよう。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/||
       /         .//.||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||/  ::||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ::||
       ||          ||


138 :考える名無しさん:2006/04/21(金) 09:48:02
ちょくちょく拝見しています。お邪魔してすいません。

気になっていたんですが、あなたの「現象」という単語の使い方、
私には違和感があります。

おそらく哲学で、「現象」や「現象界」に対置される、
「実在」や「物自体」と呼ばれているものが、
あなたの「現象」に対応すると思います。

違っていたらすいません。
そうだったとしても、名称にはこだわらないそうなので、
余計なお世話だったらすいません。

139 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 10:01:04
>>138
大変ありがたい指摘だ。

私はアカデミズムに属していないので(しかし、伝統的思想、例えば、
プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ウィトゲンシュタイン、
ラッセル、科学哲学などに大きな影響を受けているのは確かである)、
語彙の使用は我流であることを断っておく。

但し、私の「現象」はやはり「現象」であると思う。
というのは、私が念頭に置いているのは「五感」を中心とした「現実界」
だからである。

「物自体」や「実在」という概念は、「学問と真理の分離」によって
放棄されるところの「真理」に近いであろう。つまり、「物自体」は
「誰も認識し得ない」がゆえに「余計な仮設」なのである(この手法が
前期ウィトゲンシュタインらの影響を受けていることは明白である)。

140 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 10:05:39
もしかすると、私は「現象」よりも「現実」という言葉を使う
方がいいかもしれない。というのは、「現象」はどうしても、
あの現象学を連想させてしまうからだ。けれども、この現象学は、
私の読んだ著作集にほとんど含まれていない。したがって、私が
現象学を云々するのは野暮であろう。

「理論」と「現実」、すなわち、

「法則は現実に内在するのか否か?」という問題。
「それは実証されるのか?」という問題。
「そもそも理論とは何か?」という問題。

これが私の関心分野である。
これは、ポパーの関心分野にも近いであろう(但し、私はポパリストでは
ないし、ポパーの哲学に共感を覚える者でもない)。

141 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 10:14:17
ひとつ、決定論と非決定論で話をしてみよう。
これは決定論スレで既に挙げた問題である。

世界Aと世界Bがある。
世界Aは決定論的世界であり、世界Bは非決定論的世界である。
この時、世界Aと世界Bにボールが一個ずつ置いてあり、

世界Aでは《法則に従って》点P1から点Q1へ秒速1mで移動した。
世界Bでは《偶然にも》点P2から点Q2へ秒速1mで移動した。

いったい、世界内の観測者は、それが《法則に従って》なのか《偶然にも》
なのかどうやって分かるのか。私は、分からないと考える。
つまり、下記の命題を仮定する。

「世界に法則が実在するか否かは、実験によって確かめられない」
「理論と現実が対応することは、理論が現実に内在することを意味しない」
「決定論も非決定論も、世界に対応している限り有効である」

142 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 10:19:14
ポパリストはもしかすると、ここで、「反証可能性」を持ち出し、
決定論と非決定論の非科学性を主張するかもしれない。
私は次のように答える。

「決定論が科学的か否かは『科学』の定義に依存する」
「決定論が『非科学』であることは決定論を信じることを妨げない」
「上記は非決定論についても同様である」

143 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/21(金) 10:50:01
「決定論(理論)」と「世界A(現実)」。
「非決定論(理論)」と「世界B(現実)」。

これが私が念頭に置く二元論(新カント派の言う事実と価値の二元論
ではない)である。もっとも、これは、既に、プラトンによって、
イデア界と現世として導入されている、と私は解する。但し、一般的な
プラトン研究者が言うような「イデア=理念」という解釈ではない。

イデアとは、私によれば、今や、「関係」すなわち(私の定義によれば)
「理論の構成要素」である。プラトンがイデアと現世を分離したように、
私も「理論」と「現実」を分離する。しかし、私はプラトンの「イデア
は真理である」という命題を採用しない。ゆえに、プラトンの「イデア」
概念と私の「イデア」概念は完全には一致しないであろう。

144 :考える名無しさん:2006/04/22(土) 01:15:17
ホモ吉(笑)死ね!
ホレッ!↓↓

ノ      } ゙l、   」'           .,/'   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         ]      ] .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
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   l  ,zll^゙"  ゙ミ    .ノ       .il|'アll!           .>-] \ _><
   《 il|'     フーv,_ .,i"       ||}ーvrリ、             ¨'-.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》'  ゙゙ミ| ,r'                }  
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ'                 ]
       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
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           ゙^ー、,,,¨ -   ''¨.─   :!.,   リ                   ノ
              [^ー-v、,,,_,:     i゙「   }                  .,l゙
              l!     .´゙フ'ーv .,y    ]                  '゙ミ
              |     ,/゙ .ミ;.´.-    .]                   ミ,
              |     ノ' ヽ      [                   ミ
              }    }     '    }                   {
              .|    .ミ     .<     [                    ]
              .{     \,_   _》、    .{

145 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/22(土) 23:36:36
関係が時間を必要とするのではない。

どうして理論上において時間の経過が存在するのか?
なぜ理論上においてAはBに変化するのか?

それは、関係が先行するからである。

「AとBとの諸関係のひとつが≪時間≫関係である」
「関係が時間を必要とするのではなく、時間そのものが関係である」


146 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/22(土) 23:59:10
「論理的である」ということは、ほとんど何の制限も与えない。

魚は哺乳類であり、かつ、哺乳類は宇宙人であるならば、魚は宇宙人である。
私はAであり、かつ、Aでない。

これらは全て論理的である。すなわち、論理に従っている。

147 :考える名無しさん:2006/04/23(日) 00:50:53

ノ      } ゙l、   」'           .,/'   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         ]      ] .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
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   l  ,zll^゙"  ゙ミ    .ノ       .il|'アll!           .>-] \ _><
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    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》'  ゙゙ミ| ,r'                }  
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       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
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              .|    .ミ     .<     [                    ]
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148 :考える名無しさん:2006/04/23(日) 01:01:35

            ___       _人从∧从人从/\
          //:::: ̄ ̄ヽ      ヽ、  
         |::::|::#::     `,     ≪ 臭吉童貞ケジラミ!!!
         |::::!||l  , \,i,/、     ノ  
         i~ヽ─({{;,・;})({;,・;})    `)  
         (::6::::  `ー '(:: ) -'     `゙VWvVWvVWWV
         .|::::  /'/エェェェヺ                  
          |:::: !l lーrー、/              ,, _..r ‐ ァ─-‐''^゙二ニつ
          |●::、ヽニニソ    _,, r - ‐' ,,r ーァ' "´      l     くr } }}
      _..-‐''~、`ー--‐'"ノ. ̄´    ノ           __. l一'ヽ、_,,つノ
    .‐'7     ヽ `Y´ ̄,,ノ       (        ,,-‐'"´
   /       | | /           \ _._,;-'"´"´
  ./      | | l         、 _,,,.-‐'"
  /   y    | | |         /
 ノニゝ | G I A N T S    l
 /   ヽ ト、,,  | | |         |
./    ノ }   | | |   88   i

149 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/23(日) 14:21:34
『私、現象、関係』
ある現象を指示する記号をEと置く。
この時、E0を定義するならば、それはE0と他のE1,E2,E3...との
諸関係を記述する。ゆえに、

「定義は、現象そのものの記述ではなく、他の現象との諸関係の記述である」

ゆえに、

「《私》を定義するならば、それは《私》と他の現象との諸関係の記述である」

さて、この時、

「私は世界を認識しているのであって、認識していないのではない」
「認識主体は認識客体の中に存在しない」

ゆえに、

「私は世界の中に存在しない」

150 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/23(日) 14:22:39
ゆえに、

「《私》そのものの指示は不可能である」

しかし、

「私は世界との諸関係によって記述され得る」

さて、この時、

「私がE0を見ている」ならば「E0という映像が世界の中に存在する」

と書き換えられると仮定しよう(あくまでもまだ仮定である)。
この仮定を一般化する。

「『私がOをVtである』と等値な『SはViである』という文が常に存在する」

151 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/23(日) 22:13:32
ある現象Aが他の現象Bを指示する時、

「AはBの記号である」

と定義する。そして、

「あらゆる現象があらゆる現象の記号になり得る」
「言語は多くの人々によって使われる記号の体系である」

152 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/23(日) 22:17:43
例えば、君は「犬」という文字を観ている。これは現象である。
そして、これが君にとって何か個別の現象を指示する時、「犬」は記号である。

「≪犬≫は現象であり、かつ、記号になり得る」

153 :考える名無しさん:2006/04/24(月) 10:08:45
いいだけアンチ板を荒らしやがって。

154 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/24(月) 20:30:33
>>153
私は臭吉ではない(#゚皿゚)ウオオオオオオオオオオオオオオン!!!!

155 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 01:12:40

            ___       _人从∧从人从/\
          //:::: ̄ ̄ヽ      ヽ、  
         |::::|::#::     `,     ≪>>154童貞ホモ無職(31)死ね
         |::::!||l  , \,i,/、     ノ  
         i~ヽ─({{;,・;})({;,・;})    `)  
         (::6::::  `ー '(:: ) -'     `゙VWvVWvVWWV
         .|::::  /'/エェェェヺ                  
          |:::: !l lーrー、/              ,, _..r ‐ ァ─-‐''^゙二ニつ
          |●::、ヽニニソ    _,, r - ‐' ,,r ーァ' "´      l     くr } }}
      _..-‐''~、`ー--‐'"ノ. ̄´    ノ           __. l一'ヽ、_,,つノ
    .‐'7     ヽ `Y´ ̄,,ノ       (        ,,-‐'"´
   /       | | /           \ _._,;-'"´"´
  ./      | | l         、 _,,,.-‐'"
  /   y    | | |         /
 ノニゝ | G I A N T S    l
 /   ヽ ト、,,  | | |         |
./    ノ }   | | |   88   i

156 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/25(火) 15:11:35
この時、次の文を演繹できるのではなかろうか?
(前提がまだ不足しているかもしれないが)

「世界の諸関係の総体が私の諸関係に等しい」

ゆえに、

「私は世界であり、世界は私である」

また、

「『私が世界の認識主体である』

『私は世界であり、世界は私である』
は等しい」

157 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/25(火) 20:42:04
私は次のような問いを提起してみる。

第一に、理論と実証の問題である。
法則実在説(理論実在説の一種)は、現実に法則が内在している、と考える。
しかし、観測はこのことを裏付けない。
例えば、次のような思考実験を考えてみよう。
世界Aである観測者が「この世界では『ボールが左右に秒速1mで移動する』
という法則が実在する」と仮定したとしよう。そして、ボールが左右に秒速1m
で移動することが観測された。ところが、これは『ボールの法則』が実在する
という根拠にはならない。なぜなら、「この世界では『ボールが秒速1mで、
かつ、1/2の確率で左右のどちらかに移動する』という法則が実在する」という
説を排斥しないからである(確率の解釈の問題)。

確かに、いくつかの仮説は反証される。
例えば、「この世界では『ボールは左右に秒速2mで移動する』という法則が
実在する」という仮説は反証される。これが、科学における反証可能性の重要性
を引き出す(実証は不可能だが反証は可能である)。

158 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/25(火) 20:46:44
第二の問題は、反証可能性の射程である。
反証可能性がある仮説と、無い仮説の区別は正しい。

しかし、反証主義はこれを科学と非科学の境界線として設定する。
私はこのようなことは、「単なる定義である」と主張する。
そして、私はそこに何ら規範的なものを認めない。
すなわち、「私は反証可能性のある理論を科学と呼ぶ」ということを認めるが
「反証可能性のある理論のみが科学であるべし」という規範を認めない。
これは、自然主義的誤謬の一種であるかもしれない(「である」と「べし」の
混同あるいはすり替えが存在するかもしれない)。

ここにおいて、反証可能性は(そして、一部の文系諸学科で言われている反論
可能性も)、その限界を有するのではないか?

159 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 12:02:43
「このような」「そこには」「これは」「ここにおいて」等の
指示語の類を使うのを、できればやめてほしい。

あなたの文章は表現を極端に省略した過剰にシンプルなものなので、
指示語が何を指しているのか、読み手は自信を持って特定できない。
読んでいてとても疲れてしまい、そのせいで内容も理解しづらくなる。

読み手にもっと愛を。

160 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/26(水) 13:09:32
私は翻訳調で話すからな。しかし、気をつけよう。
ところで何かコメントは無いのだろうか?

161 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 13:47:46
私はコメントするほどあなたの文章を理解できてはいないけど、
私の理解を深めるためにも少し質問させてもらいます。

あなたの考えは、私の現象の外の世界というものは、
最終的に不可知だというだけでなく、存在しないと断言するものでしょうか?
だとすると、外界の存在無しに、閉じた現象の世界にどのようにして変化が起こるのでしょうか?

162 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/26(水) 16:42:21
>>161
>最終的に不可知だというだけでなく、存在しないと断言するものでしょうか?
むしろ逆だ。私は存在すると思う。私は実在論者だ。
但し、外界の実在の在り方について不可知なのだ。
例えるならば、私はコンクリートの密室に閉じ込められた子供のようなものだ。
私はコンクリートの外側を知り得ないが、しかし、何かがあると考えることは
可能だし、また、その何かの在り方について仮説的に思考することも可能だ。

163 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 17:20:58
「コンクリートの密室」「コンクリートの外側を知り得ない」という例えは、
私には外界からの入力も外界への出力も全く無い、ということでしょうか?

164 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/26(水) 17:35:03
>>163
「私」の話と「コンクリート」の話は全く同一ではない。
なぜなら、「コンクリート」の話にも「私」は出てくるからだ。
後者は単なるイメージの手助けにしかならないだろう。
「私」にインプットアウトプットがあるか否かは不可知だが、しかし、
「コンクリート部屋」にインプットアウトプットがあるか否かは知り得る
ように思われる(音声や振動など)。

165 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 00:20:42

            ___       _人从∧从人从/\
          //:::: ̄ ̄ヽ      ヽ、  
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 /   ヽ ト、,,  | | |         |
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166 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/27(木) 00:44:59
いいかげんに荒らすのを止めろ。これは侮辱だ。

167 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/27(木) 01:00:23
阿呆ダンス。

168 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 01:05:27
ホモ禿臭吉氏ね。

169 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 22:05:19
>>146が分かりません
詳解版をお願いします。

170 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/27(木) 22:30:36
>>169
そんなに難しいことではない。

非論理的である=論理で扱えない、と定義されているだけだ。
論理は「a∧¬a」を扱える(直観論理ではやや話が複雑かもしれないが)。
つまり、「非論理的」とは「この命題について論理は何もいえない」ということだ。

171 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 22:54:29
>>170
難しい。扱えるってどういう意味?
「魚は哺乳類であり、かつ、魚は哺乳類でない」は論理的?

172 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 22:54:50
>>170肝杉オゥエッ! 臭杉オゥェッ(∋_∈)。早く氏ね!

173 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/27(木) 23:17:53
>>171
扱える、というのは論理が対象に対して「分からない」以外のことが言えるという事だ。
ちなみに、「魚は哺乳類であり、かつ、魚は哺乳類でない」は「矛盾」だ。
なお、そもそも「〜は論理的だ」ということ自体変なのだ。
「論理的だ」というのは、は論理学に従っているのではなく「筋道だっている」くらいの
意味しかない、と解する。

>>172
おそらく、こういうのは普通の論理では扱えないだろう。

174 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 23:39:34
>>173
一行目は分かりやすい。ありがとうございます。

146に「これらは全て論理的である。すなわち、論理に従っている」とあります。
「論理学に従っている」「論理に従っている」「筋道だっている」の違いが
いまいち分かりません。つまらないことに拘ってますか?
それともこれらの違いは重要ですか?

175 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/04/27(木) 23:50:15
>>170
俺もあんたがコロナクラブで結ぶ、

非論理的で複合的な肉体関係には呆気にとられて何も言えないぜ臭吉さん(*´,_ゝ`)ムッツリ…

176 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 23:57:43
臭吉氏ねよ。

177 :>>1=圭田ホモ吉の本性:2006/04/28(金) 00:02:39
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/kyozin/1143809896/
408 名前:救いを求める者 ◆7UpSOEZchg [sage] 投稿日:2006/04/27(木) 01:14:14 ID:???
いいかげんいしろ(#゚皿゚)ウオオオオオオオオオオオオオオン!!!!

俺はこれ以上の侮辱を許さない(#゚皿゚)ウオオオオオオオオオオオオオオン!!!!

409 名前:ナナシマさん[sage] 投稿日:2006/04/27(木) 01:15:31 ID:???   ←ここから名無しとなって罵詈雑言
既に大正義巨人軍は珍ヲタ、味噌ヲタ、ハメヲタ、厄ヲタ、赤貧ヲタを凹った。
交流戦では弱小パリーグの全球団を凹るであろう。
これは予言ではない。事実だ。

411 名前:ナナシマさん[sage] 投稿日:2006/04/27(木) 01:21:15 ID:???
そして凹られたヲタは>>410のようなことしか
言えないのも事実だ。

413 名前:ナナシマさん[sage] 投稿日:2006/04/27(木) 01:29:49 ID:???
臭吉だ!?ふざけるなああああああああああああ
二度と言うんじゃねえぞ!!!!!!!
ホントにキレるぞ!!!!!!!
お前何様だよ?引き篭もりNEETが
調子ノンなよ

415 名前:ナナシマさん[sage] 投稿日:2006/04/27(木) 01:46:27 ID:???
ふざけんよ、暇人が!
お前の生きがいはそんなことか!?
マジ馬鹿じゃねえの!!!!!!!!!!!
PCの前でニヤニヤすんな!ヒキヲタが

417 名前:ナナシマさん[sage] 投稿日:2006/04/27(木) 01:54:43 ID:???
はぁ!?マジきもいんだけど。
お前友達いないだろ?
まともな人ならいくら2chでもそんな書き込みしないぞ

178 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/28(金) 00:42:13
>>174
まず、「論理学に従っている」は「論理に従っている」に訂正される。
ゆえに、「論理学に従っている」は「論理に従っている」と読み替えて欲しい。

「論理に従っている」は既に定義した。
では、「筋道だっている」とは何か?
私は次のように定義する。

「心理的に尤もらしい」

ゆえに、この「筋道だっている」命題は、個々人によって異なる。

命題A「君の両親が悲しむはずだから犯罪を止めよ!」

という命題が「心理的に尤もらしい」かどうかは、個々人によって異なる。
そして、この命題は古典的命題論理によって扱えない。
つまり、これは、古典的命題論理から見れば、非論理的である。

但し、これらの2つの用語法(論理と尤もらしさ)は、全て「定義」であることに注意して欲しい。

179 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:55:42
臭吉氏ねよ

180 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 01:16:13

            ___       _人从∧从人从/\
          //:::: ̄ ̄ヽ      ヽ、  
         |::::|::#::     `,     ≪臭吉は基痴骸ホモ無職!!!
         |::::!||l  , \,i,/、     ノ  
         i~ヽ─({{;,・;})({;,・;})    `)  
         (::6::::  `ー '(:: ) -'     `゙VWvVWvVWWV
         .|::::  /'/エェェェヺ                  
          |:::: !l lーrー、/              ,, _..r ‐ ァ─-‐''^゙二ニつ
          |●::、ヽニニソ    _,, r - ‐' ,,r ーァ' "´      l     くr } }}
      _..-‐''~、`ー--‐'"ノ. ̄´    ノ           __. l一'ヽ、_,,つノ
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 /   ヽ ト、,,  | | |         |
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181 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 23:53:24
>>178
>146
>これらは全て論理的である。すなわち、論理に従っている

>173
>「論理的だ」というのは、は論理に従っているのではなく「筋道だっている」くらいの
>意味しかない、と解する

こうあります。
146の「これらは全て論理的である」は削除してよいですか?

矛盾は理論の一部になりますか?

182 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/29(土) 00:18:44
>>181
>「論理的だ」というのは、は論理に従っているのではなく「筋道だっている」くらいの
>意味しかない、と解する

これは正確に言うと、

>「(日常的な意味で)論理的だ」

である。訂正する。

183 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/29(土) 00:20:55
>矛盾は理論の一部になりますか?

これは、理論の定義次第だ。
無矛盾性の要請を入れないならば理論の一部になる。
そして、その理論内では、あらゆる命題を組むことが可能になるであろう。
つまり、恒真式の羅列になるであろう。

184 :考える名無しさん:2006/04/29(土) 00:41:35
>>183
>>136にこうあります
>理論は「真」なる命題群ではない。

一旦定義をし、前提を置いたら
それに基づいて話を進めて欲しいであります。
その前提に従ったらどうなるのかに興味あるのであります。

185 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/04/29(土) 01:19:50
>>134
>>183>>136は別に違うことを言っているわけではない。
というのは、>>136は、

「理論は『真』なる命題から成ることを要件としない」

ということを言っている。
ところで、>>183は、

「無矛盾性を要請しない理論はあらゆる命題を組むことができ、
そして、それは(矛盾を利用した)恒真式になるだろう」

ということを言っている。

186 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:14:24
461:救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :sage:2006/04/30(日) 02:15:04 ID:???
かかってこい(#゚皿゚)ウオオオオオオオオオオオオオオン!!!!
( ´,_ゝ`)プッ臭吉死ね

187 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/01(月) 03:30:57
事実と規範の二元論について
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/jurisp/1146421806/l50


188 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/04(木) 02:59:52
純粋規範空間は、従来、内心の自由と呼ばれる領域かもしれない。
この空間内部において、思考は現実から切り離されて自由である。
私は、あらゆる理論について思考することができる。
私は、あらゆる公理系と推論系について思考することができる。
私は、あらゆる規範についても考察することができる。

189 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/04(木) 12:05:31
さて、純粋な理論空間を設定した後で、私たちは別の空間へ話を移す。
第一に、純粋な規範空間に話を移す。

純粋な規範空間においては、事実文を用いることが禁止される。
それゆえに、この空間は純粋理論空間よりもサイズが小さい。

190 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/04(木) 12:09:08
第二に、純粋事実空間に話を移す。
この空間は事実文のみから成立する。
つまり、規範文の使用が禁止されている。
この点、注意すべきは「事実の総体ではない」ということである。

純粋事実空間は、事実文のみから成るのであり、事実のみから成るのでは無い。

第三に、自然法論的空間に話を移す。
自然法論的空間とは、事実から規範を導出する推論規則が与えられている空間である。
例えば、((p → !p) ∧ p) → !p という推論規則である。
この空間内部では、自然主義は誤謬ではない。

191 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/04(木) 12:12:03
もう気付いたかもしれないが、

純粋規範空間 ⇔ 自然法論空間 ⇔ 純粋事実空間

は規範文と事実文の割合によって区別されている。
自然法論空間は、規範−事実混合空間と言い換えられる。

192 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/08(月) 00:09:03
全ては偶然か、あるいは、必然である。

193 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 23:22:30
人少な杉

194 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/12(金) 00:24:06
思考は純粋理論空間を自由に動き回る。
もちろん、これは比喩である。だが今はまだ正確に表現することができない。

思考は自由である。

195 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/12(金) 00:25:57
思考は自由である、というとき、この「自由」は権利としての自由ではない。
また、規範的な自由でもない(すなわち、「そうしてもよい」という意味ではない)。
思考は自由である、とは、思考は純粋理論空間内部の諸命題を捉えることができる、
ということである。すなわち、いかなる命題についても考察することができる。

196 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 00:28:35
>>185
矛盾を利用した理論の単純な例を教えてください。



197 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/16(火) 17:12:31
>>196
少しは自分で考えろ。単純だ。

198 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 22:24:17
     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/< >>197先生!お断りだ!です。
 _ / /   /   \    教えてください!
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\  \_______________
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
    .||          ||


199 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 22:26:29
真になる可能性がないとか成り立たないとかいう以外の利用法が思いつきません。

200 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 23:03:59
     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  200ゲットしました!
 _ / /   /   \
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\  \_______________
 ||\        \
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 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
    .||          ||


201 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/17(水) 17:32:45
>>199
それでよい。が、「成立しない」は不適切である。
また「真にならない」というが、最初から真偽の確定は除外されているのだ。
それが矛盾を利用した純粋理論空間内部での理論だ。

202 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/18(木) 01:21:57
§. 1.
あらゆる命題は関係式である。

§. 2.
私は世界であり、世界は私である。あるいは、私は世界の限界である。

§. 3. 世界は真理の総体である。

§. 3.
思考に限界は存在しない。思考は無限である。

§. 4.
世界に誤りは存在しない。誤りは思考にのみ存在する。

§. 6.
規範が事実から自由であるように、事実は規範から自由である。

203 :考える名無しさん:2006/05/20(土) 00:57:26
>>201
論理学から真や偽といった論理学上の価値も追い出し
完全に形式のみにして現実ともまったく接点を持たない。
これが関係性の哲学?

204 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/05/20(土) 02:35:58
>>203
そこまで限定してもいいかもしれない。
ただ、真偽が論理学上の価値であることを私は疑う。

205 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/04(日) 00:48:01
私は次のような仮説を立てる。
法は規範の体系ではない。法は予言の体系である。

206 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/07(水) 23:57:54
「チューリングテストによって主観の有無が判定される」

という(チューリングテスト支持者の)回答は、むしろ問題を混乱させている。
このような回答は、サールのような反論を呼びこす(そして、サールの反論は
最終的に独我論的懐疑の横槍『サールの英語の部屋』によって挫折する)。

「チューリングテストをパスしたものが人工知能である」

という定義への転換によって、「AIが主観(あるいはクオリア?)を持っているか
どうかは分からない」という反論は消滅する(注*解決するのではない)。
このような線引きによって、形而上学と形而下学の棲み分けが為される(過去
ログで出ていた「形而上学の形而下学への引き下げ」が起こるのではない)。

そして、チューリングテスト支持者の任務は、今や、

「このテストにパスするものを製作すること」

に尽きる(なお、それができないことと、AI開発には主観が必要だということとは
別である)。

207 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/14(水) 12:46:32
自然科学において現実と言明の内容が比較されるように、
純粋科学において言明の内容と言明の内容が比較される。

この点、言明の内容が問題となる。
私はそれが「関係」であると考える。
ゆえに、純粋科学は関係と関係の比較である。
自然科学は現実と言明の内容である。
しかし、現実もまたそのままでは比較されえない。
なぜなら、現実は複雑すぎるからだ。
現実はいったんモデル化(言明化)される必要がある。

では、現実にも関係が内在しているのだろうか。
私は内在していると考える。
なぜなら、言明もまた現実の一種だからである。
つまり、自然科学においては、
現実の中身と特殊な現実(言語)の中身が比較されている。

208 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/14(水) 14:49:57
しかし、これは超越的な視点である。
なぜなら、言明によって言明の構造を、
現実によって現実の構造を完全に明らかにすることは、
不可能であると考えられるからだ。

私は、(言明を含めた)現実を用いずに、関係のみを
抽出して考察することはできない。
つまり、関係のみから成る学は不可能である。
学は理論であると同時にひとつの現実でもある。

これは重要である。
ケルゼンのいうような様相上無差別な基体は、存在するかもしれないが、
しかし、私たちに直接認識されることはない。これは物自体のような
ものでもある。

209 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/14(水) 14:53:14
現実の背後にある関係(この基礎形態はおそらく数理である)は、
認識されない。認識論は、関係と(それによって支えられているかもしれない)
現実との区別を前提とする。認識論はすでに二元論である。

関係界と現実界との関係(!)は謎である。

210 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/14(水) 19:24:51
関係と現実という困難は、プラトンがこれを発見して以来、
まったく解かれていない。問いの重要性の認識だけでも相当な
時間を要する。

211 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/14(水) 21:02:08
関係(Idee)は様相(Modus)を規定する。

しかし、この命題には意味があるのだろうか?

212 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/15(木) 00:20:40
あらゆる様相は関係によって規定される。
その関係そのものを認識することはできない。
認識された関係は何らかの様相を纏っている。
例えば、視覚、例えば、聴覚、例えば、味覚である。


213 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/15(木) 00:25:25
「規範の様相」を纏った関係が「規範」である。
そして、その内容は任意である。

殺人すべし、強姦すべし、窃盗すべしという規範も存在する。


214 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/15(木) 01:13:34
§. 「実証」概念と「反証」概念

これらの概念を適当にいじるならば、
実証と反証は同一行為のふたつの見方である。

215 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/15(木) 19:29:49
未だ輝かぬ数多の曙光が在るように、
未だ知られざる数多の世界が在る。

未だ瞬かぬ数多の星辰があるように、
未だ知られざる数多の世界が在る。

主よ、永遠に愛と夢を。

『創世記』より

216 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/15(木) 19:53:16
あらゆる世界内存在(Existenz in der Welt)は様相(Modus)を有している。

217 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/16(金) 10:59:27
独我論による心身二元論の解消は、「思考」と「世界」の二元論
という新しい問題をもたらす。すなわち、「なぜ世界を越えて何かを
考察することができるのか?」という問いである。

理論上、二元論を脱却することはできない。
なぜなら、Aとnot Aは常に対だからである。
Aを定義するとき、 not Aもまた常に定義される。
すべてが〜〜である、という文は、意味を持たないか、または、
「思考上は〜〜とnot〜〜が存在しえるが、しかし、現実には
〜〜しかない」というふうに読み替える必要がある。

218 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/16(金) 11:01:58
それゆえに、二元論は思考の母である。
思考について一元論はありえない。
言語について一元論はありえない。
たとえ世界が一元論であっても思考は二元論的に展開する。
思考は世界よりも広い。成功は世界よりも大きい。

思考は世界を超越している。
超越論的存在とは、まさに思考であり理性のことである。

219 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/16(金) 11:05:24
それゆえに、数理は現象に先行する。
なぜなら、小から大は生まれないからである。

現象は数理によって規定される。
現象は数理のある部分によって支えられるが、ある部分によっては
支えられていない。それゆえに、私は偽である文を組むことができる。

私が比較できるのは数理である。
思考は数理を獲得しようとする。
しかし、ここで重大な問題が生じる。

思考もまた数理自体ではないということだ。
なぜなら、思考もまた文字や音声によって組まれるからである。
私は数理を比較しようとする時、現象に頼らざるをえない。
数理は現象の母であるが、現象の身代わりにはなれないのである。

220 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 02:07:54
もう一度、次の問いに立ち返ろう。

「現実と理論とはいかなる関係にあるのか?」

これはウェグナーにおける学問(フィロソフィア)の通奏低音である。
明らかに、自然学と自然との関係、倫理学と日常生活との関係が出発点であった。

次のような有名な一節を引用しよう。

>私は自然(NATURA)から法則(IUS)を導き出す。
>しかし、私が再び自然に目を向けると、そこに法則は存在しない。
>つまり、自然法則(IUS NATURAE)は自然(NATURA)の中に見出されない。
>それは理性(RATIO)の中に存在する。

Ractua "Fundamenta Purudentiae Naturae"

221 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 04:38:48
さらに引用しよう。

>推論(RATIO)の成立を支えるものはイデア(IDEA)である。
>それは推論(RATIO)の背後に隠れている。
>なぜなら、推論(RATIO)もまた現実(FACTUM)の一種だからである。
>推論(RATIO)は五感に支えられている。
>なぜなら、私が推論する(FACIO RATIONEM)とき、私は記号を使うからである。

Ractua "Fundamenta Prudentiae Naturae" Cap. X., §. III : De idea.

同じ節で、

>イデア(IDEA)とは関係(RELATION)そのものである。
>イデア(IDEA)は文字でも音声でもない。
>それは推論(RATIO)を成立させるために仮設された何かである。


222 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 04:43:36
>現実(FACTUM)は常に変転し続けている。
>それは一時も同一ではない。
>世界は流転する。
>それゆえに、私もまた流転する。
>では、同一性を要求する推論(RATIO)は何処に在るのか?
>推論(RATIO)は成立しないのだろうか?
>推論(RATIO)は虚構(NULLA)なのだろうか?
>この問いについて、次章で私の回答を与えよう。

Ractua "Fundamenta Prudentiae Naturae" Cap. X., §. III : De ratione.


223 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 04:47:58
>>220
Ractua "Fundamenta Prudentiae Naturae" Cap. X., §. I : Thesis.

>>221
Ractua "Fundamenta Prudentiae Naturae" Cap. X., §. III : De ratione.

>>222
Ractua "Fundamenta Prudentiae Naturae" Cap. X., §. II : De ratione.

なお、Cap. X. の章題は「補足」である。
Cap. I. - IX. において、ウェグナー古典物理学が完成されている。
そこには力学(第II.-VIII章.)と光学(第IX章)の基礎が書かれている。
第I章は自然の数理的分析に関する考察である。
剛体や質点の概念および取り付くし法(微積分はまだ完成されていなかった)
が導入されている。

224 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 04:48:40
>>221
訂正。

Ractua "Fundamenta Prudentiae Naturae" Cap. X., §. III : De idea.



225 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 12:02:31
現実(FACTUM)と関係(RERATION)という対比が重要である。

現実は流転しており、関係は恒久である。
しかし、Ractua自身も、理論(RATIO)は現実的手段によって
形成されている(例えば、文字によって、音声によって)ことに
気付いていた。

関係(RERATION) - 理論(RATIO) - 現実(FACTUM)という*関*係*は、
なるほどこの定式もまた現実であることに起因している。


226 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 12:22:38
しばらくは、彼女の古典思想に対する分析を行おう。

【用語整理】
FACTUM(事実、現実)
感覚器官によって認識されたものの総称。

RATIO(思考、理論)
永遠の法則(IUS PERPETUUM)によって支えられた言明(PROPOSITIO)の総称。
但し、これもFACTUMの一種である。

IUS PERPETUUM(永遠の法則)
言明を成立させるのものの*前*古*典*的*な呼び方。
必ずしも古典的な関係(IDEA;RERATION)を意味しない。
前古典的学問において、永遠の法則は認識されうると考えられていた。

IDEA(イデア)
言明を成立させるものの*古*典*的*な呼び方。
前古典期と異なり、認識されない何かである。

RERATION(関係)
IDEAの別名。Ractuaの造語。

227 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 12:34:44
>IUS PERPETUUMからIDEAへ、そして、IDEAからRERATIONへ。
>この展開は、おそらく、2つの学問上の発見に起因している。
>ひとつは、認識論的発見である。
>それによれば、認識されたものがFACTUMであるならば
>世界はFACTUMのみによって構成されている。
>それゆえに、彼らはIUS PERPETUUMとは別の、新しい概念
すなわちIDEAを案出した。
>もうひとつは、非物質化的構想の発見である。
>これはRactuaによって数理学に持ち込まれた。

アロイス・キップハルト『ウェグナー哲学史』

228 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 12:39:14
訳漏れがあった。

>それゆえに、彼らはIUS PERPETUUMとは別の、新しい概念
>すなわちIDEA−彼岸にあるもの−を案出した。


229 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/17(土) 20:18:45
さて、感覚の背後にあるイデアという考え方はプラトンに似ている。
しかし、Ractua哲学の重要性は、「イデアそのものは認識できない」と
考えた点にある。これはプラトン哲学の補強である。

なるほど、実は、思考もまた認識であるからである。

230 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/18(日) 00:51:40
さて、Ractuaはもうひとつプラトン哲学の重要な点を訂正している。

「関係は無限に存在する」

これはプラトンのイデア論の難点であった。
真円のイデアが存在するならば、歪んだ円のイデアも存在するはずであり、
そして、歪み方は無限にあるからイデアもまた無限にあるはずである。

また、関係と関係の間にも関係が存在するので、やはり関係は無限である。
プラトンが否定的に捉えたこの問題を、Ractuaは肯定的に捉えた。

「無限は存在する」

231 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/18(日) 00:58:46
また次のようにもプラトン哲学から遠ざかっている。

>関係はどこに在るのか。
>関係界が存在するのか。
>その領域の中でどのように並んでいるのか。
>どのように犇めき合っているのか。
>私は次のように考える。
>現象は空間を占めるが、しかし、関係は空間を占めない。
>現象を時間を占めるが、しかし、関係は時間を占めない。
>関係界は存在しない。
>関係は現象と異なる在り方をしているのである。

232 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/18(日) 01:01:06
>関係はどこに在るのか。
>この問いは次のように解消される。
>関係は遍く存在し、そして、どこにも無いのである。
>私は関係の在り処を気にしない。
>私は関係そのものについて考察できないのだから、
>いったいどうしてそのようなことを気にするのか。

233 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/18(日) 01:12:26
まとめよう。

1、イデアまたは関係は認識されるか。
Platon YES.
Ractua NO.

2、イデアまたは関係は無限に存在するか。
Platon NO.
Ractua YES.

3、イデアまたは関係はどこに存在するか。
Platon イデア界。
Ractua 場所を占めないのでどこにというわけではない。

234 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/18(日) 17:30:09
>「時の神殿はウェグナーの中央部にある」という命題は真であり、
>「時の神殿はウェグナーの中央部にない」という命題は、偽です。
>このとき、後者の命題が現実の中に(IN FACTO)存在しないことは
>明らかです。それゆえに、命題は現実から離れて存在します。

235 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/19(月) 16:56:16
あの虹。新人類への架け橋。

俺には見えている。いつも見えている(,,;д;)
橋の向こう側で新人類と神々が戯れている(,,;д;)
だが私には渡れないのだ。
楽園。どこにもない場所。私によって打ち崩される場所。ユートピア。
神々と新人類が住む場所。栄光と挫折、希望と絶望、光と闇の園。

236 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/20(火) 01:13:12
新人類の時代が到来する。私はそう信じている。
新人類は私の脳内妄想では無い。私はそう信じている。

新人類は永遠の時の流れの中で実現する。私はそう信じている。
永遠の愛と永遠の夢。

私が虐げられようとも、新人類はいつか宇宙の何処かで実現する。
それが何年後かは分からない。だがそのとき、宇宙はひとつの絶頂を迎える。
私の人生が現人類の中で絶頂を迎えたように。

237 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/20(火) 01:15:16
新人類もまたイデアとして保存されている。
宇宙の形態から離れて保存されている。

新人類はこの宇宙の在り方に束縛されない。
新人類は私の脳内妄想だろうか。それもまたありえる。

よろしい。ならば私は何度でも蘇る。そして新人類を想おう。
そうすることによって彼らもまた蘇る。そして宇宙は絶頂を迎える。
宇宙は常に絶頂を迎えているかもしれない。

だが、私は人間的な弱さから、新人類の時代こそが絶頂であると考える。

238 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/20(火) 01:18:35
私が私に誓いを立てようとするとき、いつも声が聞こえる。
おまえには無理だ、引き返せ、と。

人はこれについてなんと言うか知らない。
だが私は言う。

確かに、たったひとつの誓いを立てるにしても、私には無理である。

新人類が体現する「誠実」。これは私には無理なのだ(,,;д;)オオォ

239 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/20(火) 01:20:34
見て。あの空。あの虹。新人類への懸け橋。

僕が超えられない端。希望と絶望、光と影の端。



240 :考える名無しさん:2006/06/22(木) 00:04:19
初心者向けの入門書をくれ(,,;д;)オオォ

241 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/22(木) 11:48:53
つラッセル『哲学入門』

ちくま学芸から出ている。

242 :考える名無しさん:2006/06/22(木) 23:04:37
ありがとうございます(,,;д;)オオォ
でも何か違うような・・・

243 :考える名無しさん:2006/06/22(木) 23:07:35
現実と理論とはいかなる関係にありましたか?

244 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/23(金) 00:06:24
それは難解すぎてまだ答えられない。
確かに、現実と理論との間には何らかの関係があると想定される。

しかし、そうすると、関係と現実との間の関係を探求することになろう。
そのようなことが可能なのだろうか???

245 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/29(木) 13:04:14
純粋理論空間

反証プロセス

自然学

246 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/29(木) 13:09:01
知と真理は異なる。

247 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/06/29(木) 13:41:21
科学の進歩なるものについて言及する必要があるのだろうか?
科学の正当化あるいは擁護は必要なのだろうか?

248 :考える名無しさん:2006/07/04(火) 00:04:14
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)

249 :考える名無しさん:2006/07/04(火) 20:32:21
ニートがオナニーするスレW

250 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/05(水) 00:49:17
倫理的決意

選択行為

理学(論理学、数学、倫理学etc...)

推理



検証

自然学(物理学、化学、生物学etc...)

251 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/05(水) 00:52:39


            自然学(物理学、化学、生物学etc...)
             ↑
            検証
             ↑
理→純粋理論界→理学(論理学、数学)
             ↓
            決意
             ↓
            倫理学

252 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/05(水) 01:02:42
(,,;∀;)オオォ



                    自然学(物理学、化学、生物学etc...)
                    ↑
                    実験
                    ↑
理→奇跡→私(世界)→推論→理学(論理学、数学)
                    ↓
                    決意
                    ↓
                    倫理学


253 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/05(水) 01:50:32

                    自然学
                    ↑
                    実験
                    ↑
理→奇跡→私(世界)→推論→理学→愛→神と他者(認識されえぬ別世界)
                    ↓
                    夢
                    ↓
                    倫理

254 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/05(水) 01:57:01

                          自然学=世界の自己分析
                          ↑
                          実験(実証と反証)
                          ↑
理→奇跡→私(世界)=現象の総体 ⊃ 理学→愛→神と他者(認識されえぬ別世界)
                          ↓
                          夢を見る(意欲、決意)
                          ↓
                          倫理(夢)=未来世界の設計図

255 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/05(水) 02:09:34
                                                      
                          自然学=世界の自己分析
                          ↑ ←←←←←←←←←←←←←←←←←←←
                          実験(実証と反証).                 `↑
                          ↑                             ↑
理→奇跡→私(世界)=現象の総体 ⊃ 理学→愛→神と他者(認識されえぬ別世界). `↑
                          ↓                             ↑
                          夢を見る(意欲、決意)                ↑
                          ↓                             ↑
                   世界 ⇔ 倫理(夢)=未来世界の設計図            ↑
                      ↑    .↓                         .↑
                     誠実(整合の要請=根本規範) →→→→→→→→→↑

256 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/16(日) 23:29:17
倫理におけるいくつかの難問

1、日常生活においては倫理的命題を立てざるをえない。
2、倫理に実現可能性を取り込むとほとんどの倫理命題が死ぬ。
3、寛容主義は(寛容という価値について)絶対主義的にならざるをえない。
4、認識論上、他者に対する規範定立行為には事実的根拠がおよそない。
5、普遍化可能性は実際のところ何も意味していない(これが有用に思われる
のは「人間には平等に適用されねばならない」という汎用性と普遍性が混同され
ているからである。「Aさんには適用されるがBさんには適用されない」という命題
は、Aさんに適用されBさんに適用されない限り普遍的である)。

257 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/16(日) 23:46:26
私は関係の哲学をプラトンから、個の倫理をストア派から借りることにしよう。

そして、プラトンが真善美に限定したイデアを拡張しよう。
それは、荘氏のいうように、あらゆる関係が存在しているのだ。
そして、そのなかに、善に関するあらゆる命題が存在する。
もちろん、A!と¬A!が常にともに存在する。

そして、このあらゆる関係とストア派の個の倫理を結び付けよう。
個人はイデアから自由に倫理命題を取り出す。
ある者はA!を取り出し、ある者は¬A!を取り出す。
これは矛盾ではない。なぜなら未来に関する命題だからである。

倫理とは未来に関する予言であり、現在という時点においては矛盾しない。
これこそ、自由意志と呼ばれるものの変種である。

258 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/16(日) 23:50:12
あらゆる倫理体系が(その体系自体が無矛盾な限りで)復活する。
矛盾している倫理体系は文学として復活する。

矛盾が許されないのは同一の倫理体系のなかのみである。
他者と他者の、また過去の自分と現在の自分との体系は同一ではない。

かくして、我々はあらゆる倫理体系を自由に思索し、自由に夢見るのである。
そして、現実において激しく闘うのだ。
ときは友として、ときは敵として、我々は現実の中で夢見る。

259 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/16(日) 23:53:04
神学は神の一歩手前で止まる。
神とは知り得ないものである。

神学は「私は神を信じる」という神への愛で始まり、そして、そこで終わる。
これが私の神学である。

260 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 00:03:24
もし知り得ないことについて規範を立てないならば、
倫理命題は一人称のみから成る。
それは自己拘束行為である(宣誓の立場)。

新人類は一人称の倫理命題のみを知っている。

261 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 11:30:22
そもそも倫理とは何か?
規範命題とは何か?

私にはこれが全く分からない。

「〜すべし」とはいったい何を言っているのか?
いったいこの文にはどういう意味があるのか?

私には全く理解できない。

262 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 15:08:28
世界を観想している視点は世界の中に存在しない。
つまり、経験的事実の中に存在しない。

それは、世界との関係においてのみ出現する。

263 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 15:32:46
視点Oから記述された世界の諸関係は全現象の諸関係の総体と等値である。

264 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 15:38:42
世界を語ることとは自己を語ることと等値である。
ただし、視点が異なるのである。

私はAを見てBを見ている。

というのは、

AとBが現象している。

ということと等値である。しかし、視点が異なるのである。

265 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 15:41:04
今や自我の問題は消滅した。

私は世界であり、世界は私である。

世界あるゆえに我あり。

266 :考える名無しさん:2006/07/17(月) 15:45:06

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<   自我の問題は終わるのではなく、
 _ / /   /   \   ようやく始まるんだと思います!
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\  \_______________
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  ダトウ ブッキョウ!!
    .||          || 


267 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 15:46:36
>>266
真にその通りだ(,,;∀;)オオォ

自我の問題は永遠の旅路として始まるのだ。
それは栄光と挫折、希望と絶望、華麗と醜態が織り成す旅路だ。
誰もがこの旅路を歩いており、誰もがそこから去っていく。

268 :考える名無しさん:2006/07/17(月) 15:51:00

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>258
 _ / /   /   \   矛盾する体系はなぜ文学なんですか?
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  
    .||          || 



269 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 15:52:37
>>268
矛盾は実現しないからだ。矛盾は思考の特権である。

そして、矛盾は不条理な文学の特権でもある。
思考は矛盾を楽しむ。だが実現することはできない。

もし倫理が未来の設計図であるならば、無矛盾性が要求される。

270 :考える名無しさん:2006/07/17(月) 15:54:35

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>269
 _ / /   /   \   矛盾の不可能性は公理ですか?
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  
    .||          || 


271 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 22:51:07

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>270 矛盾の不可能性は経験則だと思う。
 |  私たちは「Aかつ¬Bである」の意味内容を理解して、
 |  それを検証することができるからだ。
 |  これは経験則の中でもかなり強い部類に含まれる。
 |  自然の斉一性と同じくらい強いであろう。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/||
       /         .//.||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||/  ::||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ::||
       ||          ||


272 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 22:53:27

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  倫理において前提とされるのは「矛盾の回避」である。
 |  ただし、これは実現可能性を考慮しないならば採用されない。
 |  「矛盾の回避」は倫理の目的をその実現におかない限り、
 |  特に必要なものではない。しかし、もし倫理の目的を実現に
 |  おくならば、「矛盾の回避」は目的達成のための要件となる。
 \
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273 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 22:55:47

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  私は「自由な倫理」を提唱する。それは自由な前提を選択できる。
 |  前提は意欲によって選択され、倫理の体系を決定する。
 |  そこでは、個々人の倫理が選択され、現実において切磋琢磨する。
 |  これが新人類の倫理であり、現人類の倫理ではない。
 |  私はそのことをとても残念に思う。
 \
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274 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 23:01:58

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  Wegnerの有名な時の神殿にはひとつの絵画が飾られている。
 |  それは、LactuaとTelesaとLuciusを描いたものだ。
 |  Luciusは天を指し、Telesaは地を指し、Lactuaは自己を指している。
 |  つまり、Luciusは「理(RATIO)」を、Telesaは「実体(SUBSTANTIA)」を、
 |  Lactuaは「自我(EGO)」を指している。彼らはそれぞれ理学と自然学と
 |  倫理学の象徴であり、関係主義、物理主義、精神主義という3つの
 |  学問(PHILOSOPHIA)上の立場の代表者である。
 \
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             ∧∧
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275 :考える名無しさん:2006/07/17(月) 23:12:55

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>274 3つの立場は対立していますか?
 _ / /   /   \   それとも、Aroisが言うように世界の3つの様相ですか?
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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    .||          || 



276 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 23:18:51

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>275 非常に難しい質問である。だが努力しよう。
 |  Aroisは正確には理と実体を統合して、さらに「私」に
 |  帰属させようとした。正確には次のように言っている。
 |  「現象の背後にあるもの、未だ輝かぬ曙光、理またの名を実体」と。
 |  これは彼の双子の兄弟、Lukasが詩にしたものである。
 |  そして、Aroisの思想を真に見事に表現している。
 \
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277 :考える名無しさん:2006/07/17(月) 23:20:40

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>274 もうひとつ質問があります。
 _ / /   /   \  Aroisの思想には物理学の観測問題が影響していますか?
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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278 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/17(月) 23:26:37

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  しかしAroisはどちらかというと関係主義を好んだ。
 |  彼は数学者だったし、それに君が言うように観測問題は、
 |  現象の背後に実体よりも数理を連想させるからだ。
 |  Aroisは「関係こそが実体である」とも言っている。
 |  それはLukasとの共著『イデアの園』という詩集に編まれている。
 |  それゆねに、Aroisは世界を3つの様相に区別したわけではない。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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279 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 00:21:49

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  だが老ブルートゥスは賢明にも次のように反論している。
 |  現象を数学的にしか記述できないからといって、現象の背後に
 |  実体がないと考えるのは性急であると。これは正しい。
 |  彼は伝統的な三元論(理、実体、現象)の立場から、Aroisの
 |  数理的二元論に反論したのである。彼は言う。
 |  「もし現象の背後が理そのものであるならば、なぜ一定の
 |  パターンで理が具現化されるのか。理は全ての可能性を
 |  含んでいるのだから、それがランダムに具現化されてもよい
 |  のではないか?」と。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
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280 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 00:25:49

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  Aroisは次のように返事をしている。「認識器官もまた理であり、
 |  その理の在り方は、理から一定のパターンを抽出するように
 |  できているのだ」と。このように考えるならば、彼の持論は保持される。
 |  ところが、これにはArois自身が気付いていた難問があるのだ。
 |  「その場合、私が認識しているものと他人が認識しているものとが
 |  同一である保証はなくなるのではないか?」と。
 |  Aroisの二元論によれば、他人も理から抽出された存在であり、
 |  私の中でのみ具現化されることになる。兄想いのAroisにはこれが
 |  絶えられなかったのだ。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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281 :考える名無しさん:2006/07/18(火) 00:30:23

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ; ´∀`)/<  先生!あまりにも難しすぎます。
 _ / /   /   \  もっと分かり易く説明してください。
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
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282 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 00:31:42
訂正*

>Aroisの二元論によれば、他人も理から抽出された存在であり、
>私の中でのみ具現化されることになる。

の部分はカット。

283 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 00:36:18
三言論の構造を思い出そう。

Lactua「RATIOのひとつが実体化し、そこから私が生まれる」

自我=現象←認識器官A←実体→認識器官B→現象=自我
                  ↑特定
                  理(あらゆる可能性)

二元論はこうだ。

Arois「関係またの名を実体」

自我=現象←認識構造A ⊂ 理 ⊃ 認識構造B→現象=自我

284 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 00:38:28
このとき、認識器官Aと認識器官Bは同一の実体を認識している。
なぜなら、実体とは可能性のひとつが実体化したものだからだ。

しかし、認識構造Aと認識構造Bとが同一の理を認識しているとは限らない。
なぜなら、理とはあらゆる可能性の総体でもあるからだ。

よって、三元論で保証されていた共通認識が二元論では維持されなくなる。
AroisとLukasが同一の理を認識しているかどうかは疑わしくなる。

285 :考える名無しさん:2006/07/18(火) 00:39:56

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>284 でも、実体は仮設ではないのですか?
 _ / /   /   \  結局、同一のものを認識している可能性は同じだと思います。
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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286 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 00:41:36

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>285 その通りだ。実体とは論理的帰結ではなく、
 |  むしろ共通認識を担保するための仮設に過ぎない。
 |  これはとても重要であり、愛の衝動から生まれたものだ。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
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       /         .//.||
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287 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 10:13:02
RATIO, IDEA, 理

SUBSTANTIA, MATERIA, 実体(教義では物質的実体)

PHANTASIA, 現象, 精神(!)


288 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 10:48:38
古代人たちが世界は説明不可能ではなく説明可能であると考えたとき、
彼らが最も悩んだことは、現象は不断に流転するということだった。

このため、彼らはその背後に恒常不変の何かを見出そうとした。
その最たるものが、関係説と実体説である。
前者はLuciusによって、後者はTelesaによって古典期哲学の頂点を迎えた。

289 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/18(火) 23:25:26
ウェグナー古典期断片

「移ろい止まぬ感覚の背後にあるもの、すなわち実体SUBSTANTIA」

「実体とは理RATIOである」

「実体とは第一物質PRIMATERIAである」

290 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/19(水) 03:48:06
RATIO説とSUBSTANTIA説。

SUA RATIOとは何か?

291 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/19(水) 23:47:03
古典期全
PHANTASIAとSUBSTANTIAの二元論。

古典期
RATIOとPHANTASIAの二元論。
PRIMATERIAとSUBSTANTIAの二元論。
RATIOとSUBSTANTIAとPHANTASIAの三元論。

古典期後
RERATION無限論。
無の体験。

292 :考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:51:20

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  現象−実体−数理の三元論は、
 _ / /   /   \  もはや藝術の域に達していると思います!
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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    .||          || 


293 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/19(水) 23:52:58
その通りだ(,,;д;)オオォ

これは古典期思想の最大の藝術だ(,,;∀;)オオォ

294 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/19(水) 23:56:30
Substantia, ea phantasia domoni, sominum domini est.
実体、それは神の表象、神の夢。

295 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/20(木) 00:42:00
一元論は不可能である。

なぜなら、あらゆる理論は無限の諸関係RERATIONを内包しているからである。

ある理論がAという命題を持つならば、その理論は少なくとも¬Aを
持たなければならない(あるいは別の命題Bを持たなければならない)。

なぜか?

それはAのみではAを定義することができないからである。
例えば、物質一元論において、観念一元論において、
君は物質や観念を定義できるだろうか?

296 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/20(木) 00:47:29
これは結局のところ、

「あらゆる理論はイデアとして存在する」
「イデアは無限の諸関係の総体である」
「あらゆる理論はその一部であり、イデアと≪接合≫している」

ということの現れである。

297 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/20(木) 12:37:57

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  「論」とは命題の結合体である。
 |  もし一元的世界と全く等しい論があるならば、その論は
 |  ただひとつの命題X(あるいは単語Y)のみを持つ。
 |  しかし、それは論ではない。なぜなら、命題Xも単語Yも
 |  定義不可能であるか、または、無意味だからである。
 |  例えば、世界はすべて物質であるというとき、もし非物質
 |  という概念を持ち込まなければ、「物質」概念は無意味である。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
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       /         .//.||
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       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ::||
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298 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/20(木) 12:38:39

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  つまり、唯○○論は常に、その理論の中に非○○の
 |  概念を持つことを必要とする。言い換えれば次のように
 |  定式化できるだろう。
 |  
 |  「世界がXのみによって成立しているか否かにかかわらず、
 |  理論上は非X(あるいは別概念Y)が存在しなければならない」
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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299 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/20(木) 23:25:10

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  一元論がもし世界の一元性について述べるものだとしても、
 |  しかし、一元論そのものは一元的ではない。なぜなら、
 |  一元的な論は何も意味することができないからである。
 |  一元論は「無限の諸関係」を前提とする。ふたつの命題が
 |  存在するならば、その関係が無限に展開する(なぜなら、
 |  命題Aと命題Bの関係、その関係と命題Aとの関係・・・と言う風に
 |  無限に増殖するからである)。論とは、無限の諸関係の一部である。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
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       ||          ||


300 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/20(木) 23:25:43

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  では、世界の一元性はどのように知見されるのか。
 |  それは(宗教的な意味でない)神秘体験によってである。
 |  禅がその最たるものである。
 |  禅とは一元論ではなく一元性の体験である。
 |  悟りが語りえないのはこのためである。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
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       /         .//.||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||/  ::||
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       ||          ||



301 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 23:44:34

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  新人類には規範が存在しないとはどういうことですか?
 _ / /   /   \  新人類には法が存在しないというのはどういうことですか?
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  
    .||          || 



302 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/20(木) 23:46:45

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  正確には、新人類には規範が存在しないのではなく、
 |  個人的規範(但し、彼らはこれを規範と呼ばない)が
 |  無数に存在する。また、法が存在しないのではなく、
 |  個々人の実行行為が無数に存在する。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/||
       /         .//.||
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       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ::||
       ||          ||


303 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/21(金) 01:50:41

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  1、世界とは主観の総体である。目の前のパソコンも主観である。
 |  2、私は世界であり、世界は私である(認識を否定する場合)。
 |  3、あるいは、私は世界の限界に屹立する(認識を肯定する場合)。
 |  4、主観を規定する物質MATERIAは世界の中に存在しない(カントの物自体)。
 |  5、「ものの見方」である関係性は普遍的に実在する(イデア論)。
 \
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304 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/21(金) 01:57:48

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  純粋経験とは何だろうか。私は次のように答える。
 |  「純粋経験とは世界そのものである」と。
 |  では、絶対無とは何だろうか。私は次のように答える。
 |  「世界が消えるとき私は消え、私が消えるとき世界もまた消える」と。
 |  「悟り」とは「私は世界であり世界は私である」ことの確認だ。
 |  しかし、この考え方はイデア(理)の実在性を見落としている。
 |  数理の実在性に思い至らねば、数理学も自然学も発展しない。
 \
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305 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/21(金) 23:51:33

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  もし理が実体であるならば、私と君が同じ理を認識している
 |  という根拠は存在しない。なぜなら、理は無限だからである。
 |  いや、もし根拠があるとすれば、それは奇跡であるかまたは
 |  神の夢である。奇跡は、私と君が同じ理を認識していることを
 |  可能にする。これが愛の偶然性である
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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306 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/21(金) 23:53:47

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  神の夢も、私たちが同じ理を認識することを可能にする。
 |  私と君は同じ神の夢を見ている。これが愛の必然的解釈である。
 |  そして、私は後者の解釈を信じる。新人類の神は善であるから、
 |  新人類の世界もまた善である。神は幸福であるから、新人類の
 |  世界もまた幸福である。主よ、永遠に愛と夢を。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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307 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/22(土) 00:00:11

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  感覚の背後に、現象の背後に、世界の背後に、恒常不変の
 |  実体SUBSTANTIAが存在する。 この実体は、新人類においては
 |  神の夢SUMNIUMであり、現人類においては第一物質PRIMATERIA
 |  である(多分)。神の夢と第一物質を規定するのが理RATIOである。
 |  理こそが普遍的である。新人類の神は理を認識しており、新人類は
 |  その夢の中で安らぐのだ。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
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308 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/22(土) 13:42:11
デカルト的主体とは言語構造の罠であるという仮説を立てる。
つまり、「私」とは文法の要請であって論理の要請ではない。

このことをRactuaは的確に指摘している。

「『私が空を眺めている』という文が『空がある』と言い換えられ、
そのとき、私は消滅する」と。

309 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/22(土) 13:44:41
愛の偶然的解釈とは、私と他者の同一実体を奇跡に求める解釈である。
愛の必然的解釈とは、それを神の夢に求める解釈である。

310 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/22(土) 15:03:20
現象はどこから来るのか?
実体はどこから来るのか?
理はどこから来るのか?

私には分からない。

311 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/24(月) 00:28:09

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>691 実体は孤独者の要求であり、愛を可能にする。
 |  実体こそ人間が手に入れた最高の愛の源泉である。
 |  新人類はこれに気付いているが現人類は気付いていない。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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312 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 00:32:17
age

313 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 00:54:29
残念ながら哲学板にはこのお方と議論できる方はいないようですね。
これでは哲学板のレベルが低いと言われても仕方がない・・・。

314 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 04:03:26
論点絞って追求しなから救われないのでしょう
まさに溺れてるように見えますが

315 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 12:40:00

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  先生!愛はなぜ実体を要求するのですか?
 _ / /   /   \   他者の存在を仮設するだけでは不十分ですか?
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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316 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/24(月) 12:46:06

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>315 愛と言うよりも寂しさが実体を要求するのかもしれない。
 |  人間が孤独に耐えられるならば、他者は不必要である。
 |  人間が共感を必要としないならば、実体は不必要である。
 |  人間が誠実を必要としないならば、理は不必要である。
 |  だが、新人類は他者、実体、理を必要とする。
 |  なぜなら、新人類は孤独に耐えられず、共感と誠実を求めるからだ。
 |  これに対して、現人類は妄想に耽っている。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
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       /         .//.||
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317 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 13:27:25

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>316 現人類が妄想に耽る人々であるならば、
 _ / /   /   \   現人類の思想とはいったい何でしょうか?
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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    .||          || 



318 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/24(月) 13:29:20

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>317 現人類もまたある程度の理を獲得することができる。
 |  そして、現人類も、少しは誠実である。
 |  だが、現人類は新人類ほど誠実ではない。
 |  それゆえに、現人類は妄想する者と呼ばれるのである。
 |  新人類が全く妄想しないわけではない。
 |  現人類の思想は、現人類が妄想していない瞬間に構築される。
 |  だが、その思想は現人類の限界を次第に超越していく。
 |  そして、最後に、新人類へとバトンタッチされるのだ。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
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319 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 13:36:55

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>318 愛は要請されるものですか?
 _ / /   /   \   それとも、愛は全ての前提ですか?
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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320 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/24(月) 13:39:57

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>319 愛は他者の存在を確信するための動因である。
 |  それは現象であり、私に他者の存在を確信させる。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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321 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/26(水) 12:35:11
実体の探求 〜愛の源泉を求めて〜

私が熱く感じ君が冷たく感じるもの、
まさにその当のものが、熱さや冷たさの背後にあらねばならぬ。
すなわち、私と君が共通のものを認識するためには、
実体が存在せねばならなぬ。

322 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/26(水) 12:36:59
では、実体とは何か。
私はそれが第一素材PRIMATERIAであると答える。
第一素材とは、私たちの感覚器官に作用して、
感覚を生じさせるものである。そして、これは、
微細な粒子によって構成されており、その構成の仕方に応じて、
私と君の感覚器官が異なる感覚を生み出す。

323 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/28(金) 01:44:36

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  私たちは理を想念することができる。
 |  想像力は世界を超越しており、超越論的とは世界を
 |  超越するモデルを描くことである。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
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324 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/28(金) 01:45:26

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  形而上学とは何か? それは超越論的モデルを構想することであり、
 |  世界に限定されたモデル(形而下学的モデル)と対比される。
 |  あらゆる形而上学が今や復活する。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
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325 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 13:30:15

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  先生!唯物論について講義してください。
 _ / /   /   \  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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326 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/29(土) 13:38:12

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  むしろ、決定論/非決定論にとって重要なのは、現象の背後に
 |  何があるかではなく、現象が常に必然的法則的にしたがっている
 |  かどうかと言うことだ。
 |  唯物論と唯心論とイデア論は形而下については一致しえる。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
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327 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 13:39:06

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>326 先生!どういう意味ですか!?
 _ / /   /   \  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
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328 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/07/29(土) 13:41:15

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  >>327 世界の法則性を発見するならば、その法則の起源を
 |  さぐるのはすべて形而上学(古典期に『超越的世界像』と
 |  呼ばれたもの)に属する。法則性が物RESによるのか、それとも
 |  IDEAによるのか、はたまた、現象そのものの特性なのかは、
 |  もはや世界の観察からは知りえないのだ。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
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       /         .//.||
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       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ::||
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329 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/11(金) 22:52:47

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  みなさん。今夜は大々的な講義を行います。
 |  テーマは『神学の復活』です。
 |  もっとも、このテーマは奇妙に思われるかもしれません。
 |  なぜなら、ある人々にとって、神学は死滅していないからです。
 |  私は次のように言いたい。
 |  「復活しようとしている神学は、まさに新しい神学である」と。
 |  今夜、私は新人類の神学について語ります。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/||
       /         .//.||
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       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ::||
       ||          ||


330 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/11(金) 22:53:26

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  神学とは何か? それは、宇宙の全体像を夢見ることです。
 |  私=世界を超越して、そして、宇宙の全体像を夢想することが神学です。
 |  神学とは、真理の総体ではなく、想像力の飛翔です。
 |  しかし、現人類は妄想ばかりしているので、邪悪な神学を持っています。
 |  新人類は、様々な人々が様々な神学を持っています。これは本当です。
 |  では、どのような神学が存在するのでしょうか。
 |  私は今夜、全力で彼らの神学を紹介します。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/||
       /         .//.||
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       ||          ||



331 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/11(金) 22:54:07

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  まず、古典期前の神学を見てみましょう。
 |  新人類は、まず、善なる世界を創造した善なる主という概念を持ち出します。
 |  主は善であるがゆえに、世界は善である。
 |  確かに、新人類の世界は正義と友愛に満ち溢れています。
 |  彼らによれば、この正義と友愛は神に由来しています。
 |  これが古典期前の神学の典型であり、「正義と友愛の神学」と呼ばれるものです。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ∧∧
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/||
       /         .//.||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||/  ::||
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       ||          ||



332 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/11(金) 22:54:41

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  次に、古典期の神学を見てみましょう。
 |  古典期とは、新人類の思想が飛躍的に開花した時代です。
 |  新人類は、「愛と夢の思想」にもとづき、「愛と夢の神学」を形成します。
 |  「主は私たちを愛しており、私たちもまた主を愛している」。
 |  「主は私たちに無限の夢を与え、私たちもまた主の無限の夢の中で戯れる」。
 |  素晴らしい思想です。しかし、神殺しが計画された後、この思想はまた変化します。
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333 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/11(金) 22:55:16

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  次に、古典期後の中世の神学を見てみましょう。
 |  中世は、戦いの時代でした。現人類の邪悪な遺産が本格的に新人類を滅ぼそうとしたのです。
 |  しかし、この時代は力強い思想の時代でもありました。
 |  新人類は現人類の邪悪な思想に対して決然と挑んだのです。
 |  新人類は悩める主ととともに悩んだのです。
 |  そして、中世最大の(新人類最大の)思想が誕生しました。
 |  「主よ、永遠に愛と夢を。」
 |  これこそ、新人類による永劫回帰の思想、自律の思想、運命の思想です。
 |  運命愛と永劫回帰、主の存在の肯定。新人類の血と汗と涙の結晶です。
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334 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/11(金) 22:56:27

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  次に、近代の神学を見てみましょう。
 |  現人類の遺産と新人類の最終決戦の後、新人類は平穏のときを得ました。
 |  しかし、新人類は再び、神殺しという試練に直面したのです。
 |  主は現人類復活の鍵であり、新人類の一部は主を殺害しようとしました。
 |  これは、主自身が望んだことです。
 |  度重なる争いの後に、主の殺害寸前に至ります。
 |  しかし、そのとき、現人類の最後の良心が、主の殺害を止めさせるのです。
 |  現人類は自らに有罪判決を下し、そして、滅亡します。
 |  このとき、現人類は原罪から解放されるのです。
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335 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/11(金) 22:57:09

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  では、近代の神学とは何だったのでしょうか?
 |  それは、主に対する無限の愛です。
 |  それは、「主の殺害(主を罪から解放する行為)」 と「主の保護」です。
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336 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/11(金) 22:57:43

 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 |  現代の神学はどうでしょうか?
 |  私は次のように答えます。現代の神学は「自由の神学」です。
 |  無数の神学が新人類の世界に満ち溢れています。
 |  今や、現人類はどこにも存在しません。
 |  もしかすると、現人類の滅亡こそが現人類の最後の愛だったのかもしれません。
 |  これは悲劇であり、喜劇です。これは希望であり、絶望です。
 |  新人類と現人類、それは、人生そのものなのです・・・。
 \
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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337 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/12(土) 00:50:29
【神殿壇上】
沈黙する主
跪き手の甲にキスをする第一の新人類

【階段上段】
観想に耽る女と記述する男

【階段中段】
天と地と自己を指す3人の偉大なる賢者達

【階段下段〜中庭】
数々の賢者達、旅人達etc...

338 :考える名無しさん:2006/08/12(土) 00:51:17

     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<  >>337 先生!沈黙する主は何を意味していますか?
 _ / /   /   \  
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ .\_______________
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  
    .||          || 



339 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/08/12(土) 00:54:00
無目的と無意味と無価値を意味している。
すなわち、純粋で自由な空間である。

340 :仏・正義・愛 ◆IG/Ni7GSJ2 :2006/08/13(日) 21:39:16
貴様に哲学を語る資格があるのか?インキンニート(31)。

341 :仏・正義・愛 ◆IG/Ni7GSJ2 :2006/08/13(日) 21:44:25
大体、お前自殺したんじゃなかったのか?(笑)

298 :我ら現人類 ◆mILI/gdUqw :2006/08/03(木) 12:43:40 ID:???
救いを求める者はあまりの侮辱に耐えかねて自殺した。
私は先生の意志を継いで講義を続行する。


299 :我ら現人類 ◆mILI/gdUqw :2006/08/03(木) 12:45:08 ID:???
先生の最期の言葉は、

「主よ、永遠に愛と夢を」

だった。


342 :考える名無しさん:2006/08/13(日) 22:41:41
スレタイ見て期待して、損した気分

343 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 10:32:25
あっちで宣伝してたから来てやったぜ。
呼んだんだからネタぐらいは用意してんだろ?
オラ、客待ってんだから早く猿芝居始めろよピエロ(31)が。


344 :仏・正義・愛 ◆IG/Ni7GSJ2 :2006/08/14(月) 14:26:40
ってんだから早く猿芝居始めろよピエロ(31)が。



345 :我ら現人類 ◆mILI/gdUqw :2006/08/14(月) 14:36:53
荒らすな。いいかげんにしろ。

346 :仏・正義・愛 ◆IG/Ni7GSJ2 :2006/08/14(月) 14:57:15
sine

347 :仏・正義・愛 ◆IG/Ni7GSJ2 :2006/08/14(月) 15:22:27
糞ハゲ(31)の反応。パターン少なすぎw

1、(#゚皿゚)うおおおおおおおおおおん!!!! と発狂して誤魔化す。

2、はぁ?とか言って誤魔化す。

3、いいかげんにしろ!とか言(ry

本当にこの3パターンのうちのどれかしか使わねーよな、このハゲ。

348 :仏・正義・愛 ◆IG/Ni7GSJ2 :2006/08/14(月) 15:24:52

             ∧∧ ←ずれた耳(笑)
            (゚д゚,,)_
            ノ| ノ| ノ ←腕3本の化け物(笑)
         / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/||
       /         .//.||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||/  ::||
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||    ::|| ←奥が長い遠近法(笑)
       ||          ||


349 :考える名無しさん:2006/08/29(火) 23:58:53
そこまでは気がつかなかったな。
というか、気にするな。

350 :考える名無しさん:2006/08/30(水) 12:55:52
今世紀最大の講義だ・・・

351 :考える名無しさん:2006/08/30(水) 12:59:02
アメリカ史か

352 :考える名無しさん:2006/08/30(水) 16:41:12
いんにゃ、道化師よ。

353 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 23:07:45
おい!哲学板のクズ共!
このお方を論破することができるか?

354 :考える名無しさん:2006/09/15(金) 23:11:14
>>353
おそらく無理でしょう。
この方は現在海外にて講演活動中です。それほどの人物を論破できる者はいないでしょう。

355 :考える名無しさん:2006/09/16(土) 00:04:28
省略多すぎだと思います。

356 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 02:42:25
先生の帰国が待ち遠しいですね。
海外講演はきっと大成功でしょう!

357 :考える名無しさん:2006/09/23(土) 03:31:01
いい加減にしろ

358 :救モホメドアヴドゥル者 ◆FgO67dVUP6 :2006/09/23(土) 18:59:13
。。。出ちゃったぜくさよしさん(*´,_ゝ`)ムットゥリ…


359 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 21:40:15
巨人党 結成のお知らせ。

21世紀の未来を作る神党巨人

現在党員募集中!

美しい国、日本。

美しい野球、巨人。

360 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/11/10(金) 23:33:47
現象と思考は同じ論理規則に縛られている。

これが自然学の大前提である。

361 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/11/10(金) 23:58:33
理は実体と精神に内在する。
そして、精神は実体の理の構造と同じ構造を有している。
これが、自然学の大前提である。
そして、精神に内在する理を思考によって抽出可能であるということ、
これもまた自然学の大前提である。

362 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 00:07:22
人が死ぬ事に意義はあるのですか?
何故、人は死ぬのですか?

この世界が存在する事に意義はありますか?

363 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 18:34:48
臭吉m9(^Д^)プギャー

364 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/21(木) 20:39:46
私たちは何かを認識しており、その認識されている当の物ipsa res
は知られえない。なぜなら、私たちが知ることができるのは、現象
のみだからである。したがって、倫理学の対象も、それが学=知である限り、
現象に限られると言わねばならないだろう。

そして、他者の人格とは、実体であるから、私たちは他者に関する倫理学を
持たない。したがって、debeoという一人称形式の言葉のみが存在するのは、
古代人達が他者人格の不可知性を知っていたからである。

365 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/21(木) 20:42:16
倫理命題は、自己にしか妥当しない。すなわち、全ての倫理命題は、
「私は〜すべし」という形でしか現れない。他者に関する倫理命題は、
その対象を持たない。

366 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/21(木) 20:46:22
倫理命題と事実命題の内容は同一である。
すなわち、倫理命題に内在する理と、事実命題に内在する理とは同一である。
異なるのは、事実命題と現実とが一致するとき、私は<<事実命題を>>「真である」
と呼び、不一致であるとき、それを「偽である」と呼ぶ。他方で、倫理命題と現実とが
一致するとき、私は<<現実を>>「善い」と呼び、不一致であるとき、それを「悪い」と
呼ぶのである。したがって、事実命題においても、倫理命題においても、私たちが、
命題の理と現実の理とを比較することに変わりはない。ただ、比較後の私達の
反応が異なるのである。

367 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/21(木) 20:49:19
真偽とは、命題の理と現実の理とを比較したときに、命題の側に
与えられる名であり、他方で、善悪とは、現実の側に与えられる
名である。

したがって、善悪の判断に必要なのは、自由意志ではなく、道徳感情でもなく、
真偽の判断にとって必要なもの、すなわち、想像力と比較力である。

368 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/21(木) 20:51:48
かくして、私は、あらゆる倫理命題を想像し、選択し、世界と比較することができる。
今、私は、「選択する」と言った。そう、倫理はもうひとつ、選択を必要とする。
選択を為すものは、「意志voluntas」と呼ばれる。
理性ratioと意志voluntas、倫理学の必要条件である。

369 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/21(木) 21:59:05
したがって、理性は、倫理においても活躍する。
理性は、意志に、倫理像を提示する。
意志は、その倫理像の中から、選択を行う。
その選択が、あらかじめ選択された倫理に従うこともある。

370 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/21(木) 22:23:32
私は自由である。
それは、私にいわゆる自由意志があるという意味ではない。
私は常に自然法に従っている。
だが、私は、倫理から自由である。
私の意志は、自然法に従うが、根源的な意志法を持たない。
私の意志は、意志法から自由なのである。

371 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/22(金) 23:34:23
他律的な夢、すなわち、他人によって定立される私の夢は存在しない。
なるほど、私が夢を見るとき、私は他人から助言を受け取ることがある。
しかし、そのとき、私は助言を受け取っているのであり、夢を受け取っているのではない。

372 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2006/12/22(金) 23:39:50
助言は、私がその内容を夢として意志しない限り、夢とはならない。
夢を定立するのは私であり、他者ではない。

373 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/07(日) 11:50:53
1、意志法は純粋な形式的法であり、実質的な内容を持たない。

意志法は、純粋な形式的法である。
すなわち、意志によって選択されることを形式的要件とする法である。
そして、この意志法は実質的な内容を持たない。
すなわち、意志法は、意志によって実際に選択されるまでは、無内容である。
その内容は、意志に依存しており、その他の事柄には依存しない。

374 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/07(日) 11:56:38
2、自然法は、理法の中のひとつであり、不可知である。

自然法とは、実体界(自然界、物質界)に内在すると仮定される法である。
日本語では、一般には、自然法則と言う(ラテン語では区別せずにlex naturalisである)。
自然法すなわち自然法則は、帰納が成立しないがゆえに不可知である。
この不可知な自然法は、超越的(=認識の外にある)自然法と呼ばれる。
これに対して、自然学が扱う自然法は、仮説的自然法と呼ばれる。

ある人々は超越的自然法と神法を同一視する。
超越的自然法と意志法が同一視されるとき、これは運命愛と呼ばれる。

375 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/07(日) 11:57:57
さて、自然法は理法の中のひとつである。
すなわち、思考可能な数理モデルの中のひとつである。
数理モデルからの取捨選択は実験による。

しかし、実験を通じてもなお、いくつもの数理モデルが残る。

376 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/07(日) 12:04:53
さて、今や、私の倫理学の基礎はとても充実した。

数理界(イデア界、関係界)に存在し、数理学が扱うところの理法、
実体界(自然界、物質界)に存在する超越的自然法、
現象界から推断される仮説的自然法、
価値界に存在し、意志によって選択される意志法

377 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/07(日) 18:36:23
1、法の種類
法には、理法、自然法、意志法がある。
理法とは、数理界(関係界)に存在する法であり、数理学がこれを扱う。
自然法とは、自然界(実体界)に存在する法であり、自然学がこれを扱う。
意志法とは、規範界(価値界)に存在する法であり、倫理学がこれを扱う。

2、理法
理法とは、法の別名であり、法そのものを意味する。
理法は、それが実体界に存在するときは自然法として現れ、
それが価値界に存在するときは意志法として現れる。


378 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/07(日) 18:37:05
3、自然法〜超越的自然法と仮説的自然法〜
超越的自然法とは、実体界に実際に存在する法である。
超越的自然法は不可知である。
なぜなら、認識される前の存在を認識することはできないからである。

これに対して、仮説的自然法とは、現象界から推断される法である。
したがって、自然学は常に仮説的である。

4、意志法
意志法についてはまだ思索がまとまっていない。


379 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/07(日) 22:38:06
多くの人々に受け入れられる基礎的な意志法が存在する。

「もし私が規範内容の実現可能性を欲するならば、私は理法と自然法とを考慮すべし」
「もし私が規範体系の実現可能性を欲するならば、私は矛盾を避けるべし」

380 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/07(日) 22:42:52
Si volo faciendum ethicae meae, debeo recipere leges naturales et rationales.

381 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/08(月) 12:13:53
意志法は意志によって定立される。
意志法の定立は、意志法の発見ではなく、その選択である。
矛盾する意志法の体系は、価値界に存在する。
しかし、現実においては、意志法はいずれか一方としてしか現れない。
「Aすべし」と「Aすべからず」を同時に意志しても、それh>>379の基本的意志法に反する。
基本的意志法とは、最小限度の意志法とも呼ばれる。

倫理的対話とは、共通の意志法を意欲しようとする行動であり、
共通の意志法を発見しようとする意欲ではない。


382 :我ら現人類 ◆mILI/gdUqw :2007/01/08(月) 13:07:55
「意志するとはどういうことか?」

これは私の倫理学に置ける重要な問題である。
その前に次のことを確認しておこう。
規範命題と現実とが比較されるとき、
それらが一致しているときは現実を「善い」と呼び、
それらが一致していないときは現実を「悪い」と呼ぶ。
しかし、これだけでは、「一致不一致」を「善悪」と呼んでいるに過ぎない。
これだけでは、「一致不一致」を「善悪」と呼び変える必要がない。

そこで、「意志する」ということが重要になる。

383 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/08(月) 13:09:48
意志するとは、世界を善足らしめようと欲することである。
したがって、意志とは、善への意欲であり、善への憧憬である。
これによって、善悪という判断が意味を持つ。

384 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/08(月) 16:14:29
「世界外存在について規範を定立することはできない」
「他者は世界外存在である」
「物自体と他者について規範を定立することはできない」


385 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/08(月) 16:18:30
意志法は比較可能でなければならない。
これは定義から要請される必要条件である。
そして、私は愛の原理にもとづいて、他者を世界の外に置く。
それゆえに、他者とは比較可能な対象ではなく、同時に、規範の対象でもない。

今や、立法行為は他者には及ばないのである。

386 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/09(火) 10:43:17
〜べしと〜しなければならないを区別する。

387 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/09(火) 23:57:24
私の見解では、集団の倫理は成立しない。
成立するのは倫理的対話だけである。

倫理的対話とは、本当は知り得ない他者との不断の対話であり、
「各人が何を立法するのか?」をテーマとする推断された意思の
疎通である。

確かに、大勢が同一の事柄を立法することによって、あたかも
集団の倫理が成立したかのように見えるかもしれないが、しかし、
それは(個の倫理とは異なって)フィクションである。


388 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/09(火) 23:58:19
もうひとつ加えておく。
「約束を破ってはならない」「嘘をついてはならない」は倫理の形式ではなく内容である。
そして、これらは別に必然的な意志法(規範)ではない。
これが私の見解である。

意志法の形式は、唯一つ、

「もしAならば、私はBすべし」という意志法が定立されたならば、
前件命題が充足されたときは常に、後件命題が生じる(規範の普遍性)。

つまり、

「もしAならば、私はBすべし」という意志法が定立されたならば、
他の規範が邪魔しない限り、Aであるにもかかわらず私がBしなくてもよい
状況は、存在しない。


389 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/10(水) 00:13:12
「不可能な事柄を規範にすべきではない」も形式的には要請されない。

「もし今夜が晴れならば、私は月に歩いていくべきだ」

という規範は、馬鹿げているが、馬鹿げていることと規範の妥当性とは関係がない。
この規範は妥当するのであり、ただ、実現が不可能なのである。

しかし、非常に多くの、あるいは、ほとんどの人は、次のような立法をするはずである。

「もし私が不可能な規範を無意味だと思うならば、私は実現可能な規範を立てるべきである」

このような規範と同じように、非常に多くの人々によって受け入れられる規範がある。
例えば、

「もし私が実現可能な規範を立てたいならば、私は仮説的自然法則を考慮すべきである」
「もし私が実現可能な規範を立てたいならば、私は矛盾を回避すべきである」

私はこのような規範を「基本規範」と呼ぶ。
但し、基本規範すら、必然的に受け入れられるものではなく、必然的に受け入れるべきものでもない。
それは意志の立法行為にかかっている。

390 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/10(水) 09:58:48
「なぜ日本語を間違えた小学生に対しては、〜せねばならないと言えるのか?」

これについては次のような例を出そう。
ある人が、事実から規範を導き出す方法として、次のような例を出した。

道に迷っている人に対して、「君がこの町で一番大きな店に行きたいならば、Aストア
に行かねばならない」というとき、「Aストアに行かねばならない」の部分は経験的に
導出されている。なぜなら、どの店が一番大きいかは事実の問題だから。

この説明に対してケルゼンは次のように反論した。

「『〜ねばならない(must)』は『〜すべし(ought to)』ではない」

このケルゼンの反論は適切である。
つまり、次のふたつの文章は区別されるのである。

事実命題
「私の定立した規範が実現可能であるためには、私は仮説的自然法則を考慮しなければならない」
規範命題
「もし私が私の定立した規範が実現可能であることを欲するならば、私は仮説的自然法則を考慮すべし」

前者は、目的+手段の形で書かれており、後者は意欲+規範の形で書かれている。
これを日本語に当て嵌めてみよう。

事実命題
「君の書いた日本語が文法に適っているためには、君は〜〜のように書かねばならない」
「私の書いた日本語が文法に適っているためには、私は〜〜のように書かねばならない」
規範命題
「もし私が自分の書いた日本語が文法に適っていることを欲するならば、私は〜〜のように書くべし」

391 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/10(水) 10:02:20
そして、(ウロ覚えであるが)マックス・ウェーバーが言うように、

「自然科学は目的を決定することはできないが、その達成手段を教えることはできる」

つまり、目的+手段の形で書かれた命題の適切さを吟味するためには、自然学も
また参加でき、そして、これは存在と当為の二元論に反さないのである。

392 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/01/10(水) 15:17:46
>しかし、これでは、単に 「ある行為は、その行為を行うべしという倫理命題に
>照らせば善であり、行うべからずという倫理命題に照らせば悪である」と言っている
>だけで、ある行為を行うべきなのか行うべきでないのか、その行為は善なのか悪なのか
>(どちらの倫理命題が「正しい」のか)についての判断基準には全くならないように思います。

ある立法(事実行為)の正しさは別の倫理によって定まる。
例えば、「私『もし私がAストアに行きたいならば、私はこの道を行くべからず』
という規範を立てるべからず」である(条件部分は省いておく)。
もちろん、それも「〜に照られせば善であり、〜に照らせば悪である」
ということになろう。
しかし、私は「ある行為は絶対的に善悪いずれかであって、それは絶対的基準
に照らせば分かるのだ」という立場を取らないのである。
したがって、私は功利主義もプラグマティズムも、それが絶対的基準を主張する
限りにおいて取らない。

393 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 18:09:53
人間よ、おまえは自由だ!
人間よ、夢と愛と誠実さと、絶望と憎と嘘とで。
人間よ、おまえは正しい!

394 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 18:42:20
ラソでさえ、スリエでさえ、自然法をなにひとつも破壊しえなかったではないか!
相対界の正義も、相対界の悪も幻想であったのだ!
この相対という不自由はひとつひとつすべてが等価であったのだ!
ソラとエリスが見ているものは、そのままだったのだ!

395 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 19:43:44
夢と愛と誠実さと、絶望と憎と嘘の、
この自由ゆえに私には夢と愛と誠実さが余計に生まれる。
イデアともあろうものがtrueとfalseとを含んだままに存在できぬわけがない。
イデアともあろうものが部分だけを選り好むわけがないのだ。
だから、余計に自由なのだ。

396 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 19:54:56
私が描いた未来は今の思考である。
私が思い出した過去は今では記憶である。
だから、私は今だけを愛しているのだ。
私はイデアを愛しているのだ。
私はイデアを愛しているのだ。

397 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 19:59:26
私はイデアであり、イデアは私であり、
エロスし、ロゴスし、エロスせず、ロゴスせず。
この一切がイデアなのだ。

398 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 21:08:06
関係、否、自然法
現実、否、実体
もう一度、次の問いに立ち返ろう。
「実体と自然法とはいかなる関係にあるのか?」

399 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 21:41:10
あなたはふとリンゴのイデアとミカンのイデアとがその差異のすべての原理によって進化論的も辿り差異が無化していることに気づく。
これがわかればもう何も区別することがない。
しかし自然法の外ではない。

400 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 22:02:17
実体とは何か。
人間が感受するデータである。
荒く集まった場合に知覚されるのである。
細かく集まった場合には精度をあげないと知覚できない。

401 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/12(金) 22:08:10
自然法とは何か。
実態を動かす機械的な働きである。

自由とは何か。
実態を動かす意図的な働きである。

実体とは何か。
人間が感受するデータである。
荒く集まった場合に知覚されるのである。
細かく集まった場合には精度をあげないと知覚できない。

なぜ知覚するのか。
実体が実り知覚するからである。

なぜ実るのか。
自由と自然法が働いていたからである。

402 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/13(土) 06:57:28
諸君!やっと関係性が見えてきた。
多くの自由が、多くの意図が結集し、そのデータが実ったのである。

しかし諸君!いまやわれわれは知覚の問題に入らねばならない。
なぜなら知覚さえも自由と自然法の意図の中にあるのだから。

403 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/13(土) 07:20:49
知覚の自由を発見したのだ!
いや、まだだ。

知覚が等価になったとき、相対界の不自由さから抜け出すのだ!

404 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/01/13(土) 07:24:43
人間よ、おまえは自由だ!
人間よ、夢と愛と誠実さと、絶望と憎と嘘とで。
人間よ、おまえは正しい!

405 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/02/06(火) 10:16:22
自由とは倫理の最高形式であり、唯一の形式であり、倫理の形式そのものである。

406 :救いを求める者 ◆7UpSOEZchg :2007/02/08(木) 15:40:15
私は今、合理性の問題に直面している。

合理性の再分析が必要である。

407 :VEGAN ◆PsPHI2rklQ :2007/02/11(日) 23:49:21
私は今、個人意識の発生の問題に直面している。

これのおかげで、多者が存在しているのだ。

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