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ソシュールと構造主義について

1 :考える名無しさん:2006/02/01(水) 23:12:54
教えてください

2 :考える名無しさん:2006/02/01(水) 23:18:30
申し訳ありませんでした。


私は40才。独身。対人恐怖症の清掃員です。この年になって
貯金もなく、未来に希望もありません。たぶんこのままいつか
静かに死んでいくと思います。私の人生で唯一素人の女性と性交を
したのは大学1年の時でした。相手は1学年上の女性で綺麗な人でした。
ただその人は精神を病んでおり、その後すぐに休学しました。正上位で
セックスしてるとき私の目を見ながら「無様だな、惨めだな、え、おい」とか
言い続けていて怖かったのをおぼえています。それでも私は必死に腰を
動かし続けていました。これがセックスなんだこれがセックスなんだと頭の中で
言い続けていました。その人はずっと私を罵倒し続けていました。今思えば
壮絶な光景です。

あれから20年経ちました。私は今日も2ちゃんをしています。

3 :( ´,_ゝ`):2006/02/02(木) 00:13:30
3絶

4 :ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/02/02(木) 00:38:29
ソシュール→おじさん
構造主義→おじさんたち

5 :考える名無しさん:2006/02/02(木) 22:14:20
言語学板にソシュールスレが一つしかないのにはビックリ

6 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 00:43:17
誰か語ってくれよ

7 :キチガイ:2006/02/07(火) 00:57:29
構造から意味がたちあがるというだけの話だが
おまえらにはわからんとおもう

8 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 18:30:15
ソシュールは理論の影響力に反比例して議論の対象になりにくいのは、資料が
非常に少ないことと、代表書「一般言語学講義」が弟子たちの手でずいぶん手
が入っていてソシュール自身の思想がうまく伝わってないことが一点。
ソシュール自身が著作を出版に否定的であったことが第二点
ソシュール自身が話題性に乏しく、非常に真面目な学者であったことが第三点。
この三点の理由と考えられます。
特に一番目の理由によってソシュールの評価が真っ二つに分かれる。
この辺りは精緻な研究を行った、

丸山圭三郎著「ソシュールの思想」(岩波書店)に詳しい。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000012207/250-3324710-6911413#product-details

まずはこれを突破すること

9 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 18:47:23
でもなんで自分の著作の出版に否定的だったんだろうか。

あれだけの才能とすばらしい業績を持ちながら。

天才とは不可解な代物である 

10 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 19:06:01
巨大烏賊とプテラノドンの闘い

11 :8:2006/02/07(火) 19:24:57
>>9 非常に良い質問です

 これは、この「ソシュールの思想」を読んでもらうのは早いけど、
すぐ知りたいならば、ソシュール自身の理論を理解するとある程度分か
ってくる。言語が差異の体系であるならば、そこには絶対的な言語への
信頼性、通じて人間存在を揺るがす問題が大きく横たわっていたことへ
の深い疑念があったのではないだろうか。つまり、ソシュールは絶対的
なコミニュケーションなど存在しないということを理論的に提出した初
めての人で、それゆえに天才であったわけで、この辺りは、ソシュール
の思想そのものにも繋がってくる。

12 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 19:50:14
>>11の続き
代表書「一般言語学講義」そのものでさえ、直接本人から聞いた割に
ずいぶん弟子同士の食い違いがはなはだしく継ぎ接ぎだらけです。
ソシュール自身が行ったのは言語学批判であるが、それが<近代西欧
知>そのものへのアンチテーゼになったことからも明らかで、自らの
地盤を揺るがすことになることは現代のメディアの有様を見ても明ら
か。自分の説が間違って伝わって悪影響が出ないかぐらいのことは、
当然考えていた。

13 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 19:51:19
それ以外のことばっかりに言及している

14 :8:2006/02/07(火) 19:56:48
>>12の続き 道徳の相対化を行ったのがニーチェならば、<近代西欧
知>の地盤となる言語そのものが相対的なものであると提起したのが
ソシュールです。ソシュールからバルト、ラカン、レヴィ=ストロー
ス、フーコー、デリダらが影響を多く受けた。デリダのソシュール批
判なぞは「一般言語学講義」をそこまで精緻に見ていたわけではない
ので的外れな意見が非常に多く参考にならないですww。

15 :8:2006/02/07(火) 20:03:06
以前は丸山圭三郎スレがあったからこのことは説明する必要がなかった
だけで、わざわざ現地まで行って調査していることからもあまり疑問視
されなかった。日本の2ちゃんねるでは丸山=ソシュールの流れがあった
からでソシュールの直接のスレは立たなかったこともある。

16 :8:2006/02/07(火) 20:12:12
ソシュールで論文を書くなら
「ソシュール小事典」丸山圭三郎(大修館書店)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4469042439/503-5619685-2165519#product-details
もお勧めです

17 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 20:13:13
丸山以外は?

18 :8:2006/02/07(火) 20:25:19
バンヴェニストの一連の著書、チョムスキー等が有名。
レヴィ=ストロースが構造人類学を作った基礎になったヤーコブソン
もある。
 ただし、原著まで追求した人は世界中でも丸山圭三郎だけです。
最もよい影響を受けたというならメルロ=ポンティではないかと思わ
れる。テクスト関連ならばバルトも良い。

19 :8:2006/02/07(火) 20:35:47
日本に出ている「一般言語学講義」は丸山圭三郎を「無視」している
ところがあってある意味危険な部分も無くはない。原著ならエングラ
ー版を当たるのが妥当かもしれないが、断章形式になっていることが
仇になっている。

20 :8:2006/02/07(火) 20:39:38
 ソシュールを根源的語ることは言語=テクストの網の目を縫っていく
作業なので安易にカキコ出来ない構造が厳然としてある。従って、影響
を受けた構造主義の思想家からソシュールについてどう解釈したか、そ
れについてどうかと意見するのが妥当と思います

21 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 20:39:41
何で今さらソシュールなのでしょう?
「言語の恣意性」などはもう古典のチョムスキーがひっくり返した
でしょう?

22 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 20:40:35
構造主義などももうダメダメでしょ。
ブルバキは失敗したしね。


23 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 20:42:05
今はやはりホスト構造主義の時代でしょ。
2チャンネルの時代ですね。
「ぴろーーーん。うそぴょーーーん」のね。


24 :8:2006/02/07(火) 20:47:11
>>21 これについては、バンヴェニストも同様の批判をしているのです。
しかし、ソシュール自身は主知主義を明確に否定していた。

 動物学者、人類学者、それに言語学者たちは、分節言語なるものにつ
いて公衆に語るとき、あたかもそれが、誰にとっても全くわかりきった
概念であるかの要に語っている。彼らはそこで≪分節≫というものを、
ことばに与えられた≪一連の観念≫のごとき精神的事実と混同している
のである。

と言っている。

25 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 20:49:14
ソシュールの思想で現在も残るのは、アナグラム研究だと思う。
「言語が世界に対して開かれている」事はじゅうようだよね。
しかし、現在、この研究を進めるには情報理論的なアプローチが
もっとも適していると思う。
日本にはアナグラムなんてないしね。


26 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 20:53:56
ソシュールの思想、さっそく買いました

27 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 20:54:46
>>24
ありがとう。「文節化」についてソシュールはこだわりがあったのだね。
だけど、現在、その方向で研究を進めるには、やはり情報科学が
もっとも強力な武器になると思う。哲学では無理ではないのかな?
もちろん、ガンでお亡くなりになる直前まで文字通り命をかけて
研究された丸山先生は立派だと思う。


28 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 21:07:38
>>25
自分へのリファーです。
でも、アナグラム研究とか言うと輸入文化になっちゃうね。
翻訳すると、「ナウい」は死んだ。「ゲロゲーロ」は生き残った。
と言ったところだよね。


29 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 21:13:33
>>27
自分へのリファーです。暇なので。
例えば、特定の文化の時間軸を含む確率分布を仮定して(でっち上げて)
その文化からの「特定の」文節化の分布への隔たりを情報論的に
カルバックライブラーのダイバージェンスで測る。そしてそれが
最小になる文節化とは?とかね。


30 :8:2006/02/07(火) 21:27:16
>>27 実際、80〜90年代の記号論派の凋落は、差異の中に差異があるこ
とを忘れていたと言ってよく、最終的に主観的解釈によってしまうと
いうことになってしまった。ソシュールは言語によって言語を語ると
いう無意味さには気付いてた。このことは>>8を読むと分かる。アナグ
ラム研究もそれから発生したわけです。しかし輸入文化としてしまう
のではなく、このインターネットの検索機能から、この情報氾濫、さら
により情報が細分化されたこの状況は、根源的にソシュールのパロール
の問題が解体されているとは言えない。
 つまるところ、人はなぜこれほどの言語によるコミニュケーションを
行うに至ったかという問題でもある。丸山圭三郎はソシュールのこの問
題を継承しつつ生命論に手を出した。それの内容には意見が欲しいけど
充分「哲学的」な問題だと思います。

31 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 21:28:35
共感覚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
共感覚(きょうかんかくsynesthesia、ギリシア語で「共」+「感覚」)とは、
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の五感が未分化である人間の赤ちゃんの
さまざまな感覚が関連しあうこと。例えば、7という文字に青い色を感じたり、
音階のミの音に緑色を感じたり、ハンバーグの形が苦い味に感じたりする
などである。その後の成長による感覚の発達にともなってこうした
共感覚は失われていく。しかしながらたまにこうした共感覚を保持したまま
の大人もいる。

共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じる人は「色聴」と
いわれる。絶対音感を持つ人の中には、色聴の人がいる割合が高い。
音を色で判断しているとすれば、音を判別するとっかかりが通常より
多いことも一因と考えられる。

日本人には色聴が多いといわれるが、少なからず、ヤマハ音楽教室が
階名教育の際に使用している色(赤=ドなど)が影響しているといわれる。
一種の後天的な共感覚と言えよう。


32 :8:2006/02/07(火) 21:34:49
>>27 情報科学的アプローチも有効か>>27-28の展開に期待します。
私は「ポスト構造主義」が明確な「武器」かといえば非常に疑わしい。
いや否定的でもあります。日本でも欧米でも高級サロン的政治の道具に
凋落している状況は目に余るし、人間の生命を脅かすまでのパラダイム
にまではとても無理と思ってます。これは釣りですw

33 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 22:36:46
蛇足 丸山さんという人、真面目な業績と裏腹にとても面白い人で、
   大のカラオケ好きで300曲のレパートリーがあるとか、マンガ
   で「工業哀歌バレーボーイズ」で「この「下品さ」はただごと
   ではない!(笑)」と雑誌で絶賛していたというww

34 :9:2006/02/07(火) 22:38:03
>>9の者です。ご助言ありがとうございます。

>>8さんは専門家の方ですか? ずいぶん詳しいですね。
ちょうど丸山氏の『ソシュールの思想』と『ソシュールを読む』を
買ってそのままだったので、この機会に読んでみます。
私がソシュールに興味を持ったのは、小林秀雄が『本居宣長』の評論上
で明らかにソシュールの言語=認識という思想を応用して、宣長という
人物の業績を解析していたからでした。

最近は、コンディヤックの『人間認識起源論』という岩波文庫が、
その言語=認識論的に再評価を浴びているとかで、購入していました。

35 :8:2006/02/07(火) 22:41:06
>>34 大学時代のゼミの先生が「記号論」を専攻していた関係です
   ソシュールはその先生より研究してしまいましたw

36 :8:2006/02/07(火) 22:47:41
>>33の方、マニアですねw よく知っているw
>>34 「ソシュールを読む」は入門書としては最適。講談社現代新書のアレ
   より突っ込んで、講義形式になって口語で分かりやすい。
http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jinbunya16-2.htm
   研究者は>>8で良いです


37 :8:2006/02/07(火) 23:00:18
ソシュールの思想は人文科学という狭い分野で限定しているとあまり面白みが
ない(それでも構造主義を生み出した流れだけでも面白いけど)。
 オタク達の「萌え」の構造を分析するならこれほど面白いツールもないと思
う。差異の中に差異があるという永久に終わらない<分節化>が人間の欲望と
どうシフトするのか、丸山圭三郎氏は「文化のエロティシズム」でその様を暗
示していた。

38 :8:2006/02/07(火) 23:05:33
>>37 それこそ生物学やら動物行動学とクロスオーバーさせたり、ゲシ
ュタルト心理学と融合したりと方法はかなりあると思う。
 理数系でもプログラミング言語と情報処理でソシュールを援用してい
る動きもあった気がする(この辺は詳しくは無いが)。人文系は>>30
述べた様に哲学的領域まで掘り下げることも可能です。

39 :8:2006/02/07(火) 23:09:23
人工知能である対象を<言分け><身分け>していくことにかなり近づ
いているのではないか。そもそも多くの「経験」で差異の網目を多重に
フレーム化、モジュール化は全く別の分野からソシュール理論の裏づけ
ではないか、とも考えられないだろうか?

40 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 23:36:58
言語相対仮説ってあるけど、サピアやウォーフとかにしたって
言語が認識を決定してるなんて極端なこと言ってたわけじゃないだろ?

41 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 23:48:59
同時に二つの色を見せて区別させると、その2つの色を区別する語を持たない言語を母語とする
人間も、区別する言語の話者と同じ成績なんだってさ。
記憶がかかわるとそれも変わってくるらしいけど。

42 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 23:54:32
>>37
「文化のエロティシズム」って著書もあったっけ?
「文化のフェティシズム」の間違いでは?

43 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 23:56:05
>>40
そうだけど、言語が、広くいえば個別文化が、ヒトの脳の進化発達に
影響を与える可能性はあるんじゃない?

44 :8:2006/02/07(火) 23:59:19
>>40 このことについてはまだ議論があって当然です。ところが実は、
ソシュールは色彩論や音韻論をよく読みますとそうだと言っています。
勿論物理的限界が前提の話として聞いてください。
 例えば、文明社会(便宜上)に生きる我々は視力が6.0も必要な
いわけでサバンナに生きる原住民は何キロも先にある動物を識別する
能力が事実としてある。さらに現在では確認できないがまだそれほど
文明人がフィールドワークしていなかった頃(100年近く前)はエス
キモーは上半身裸になって氷の上に寝ても凍傷にならず、そのまま海
に飛び込んだとか現在では信じられない「事実」が多数見受けられる。
(勿論、物理的限界はあっての話)
 人間は共同体が共有するラングが意識や無意識に逆作用を及ぼすと
いうことを言っていた。レヴィ=ストロースは未開と思われた社会に
も我々でも考えられない程の複雑な社会構造があることを述べている。
 文明社会に生きている我々では普段考えている「常識」を超えた、
認識、構造が横たわってます。インドあたりに行けばそのことがよく
わかります。
さらに例で、ピストルに打たれて死ぬ確立は物理的には実はとても低
いのですが、ピストルによる死亡率は大半がショック死です。これは
ピストルの持つ記号性=象徴が身体にまで影響を与えた例です。 

45 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:07:17
>>41のつづきだけど、同時にじゃなく、再認させると
区別する語を持たない人間の成績は区別する語を持つ方より
わるくなるらしい。
記憶がかかわると言語が認識に影響を与えているみたいだね。

46 :8:2006/02/08(水) 00:10:10
>>42 これは間違いw すいません
でもどこかでそういう丸山氏の論文を見かけたのでごちゃになってまし
た。何せ15年も前なのでw
>>44の続き 文化というラングは我々にとんでもないほどの影響を様々
に及ぼしている。藤田紘一郎氏が日本の清潔主義に警鐘を鳴らしている
のはこのことなんですよ。「貧しい」という意識が人間を惨めにさせる
という逆説が成立するのもその一例でみんなが同様に現代より貧しかっ
た戦後にそんな意識は発生する余地はなかった。皆がそうだったから。
されど自分の家族だけがその時代に戻されたら人間の意識に変容を及ぼ
さざるを得ない。そこに自分の家族と他の家族との差異が発生するから
です。貧しさのあまりショックで死ぬなんてことはしょっちゅう聞きま
す。

47 :8:2006/02/08(水) 00:21:29
>>40 これはまだ私も研究しているところで、すごくナーバスな問題な
んですよw 
>>41>>45 その例はありますよ。ただし年齢により認識のばらつきも
あります。
 幼少時のまだ言語的に未分化な時にバイリンガルにしやすいという例を
聞いたことはないですか?それなどは好例で認識が記憶に関連する以上に
構造化が早期な方が良いというのは、大人になっていくとその構造化の上
にさらに包括的な構造化の負担が大きい為と大脳生理学でいうところのシ
ナプス構造でいわれてます。
 文化という網目が縛る以上に人間が生活できるキャパは想像している以
上に大きいことは研究中ながら大脳を研究している方から聞いたことがあ
ります。北斗神拳の名セリフではないですが、火事場の馬鹿力は実在しま
すw

48 :8:2006/02/08(水) 00:22:47
47
>>40>>42に訂正

49 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:27:34
おもしろい。

50 :8:2006/02/08(水) 00:37:23
>>47の続き 文化人類学はこの様な報告の宝庫なので一々引用は長くな
るので控えますが、宗教的儀式が人間の身体を強靭にして鉄の刀を叩き
折った「神」が降臨した儀式などもその例です。
 レヴィ=ストロースがソシュールを研究したのはこの様な文化的交流
が頻繁にあってその為の構造ツールとしてソシュールが最適だったとい
えるでしょう。ポスト構造主義は「構造」を静的に捕えすぎてはいまい
かという批判がありましたが、当然構造は恒常的ではあっても「不変」
ではありません。その都度捉えなおさなければいけない。
 そろそろ仕事で朝が早いので最後に
メルロ=ポンティの知覚についての名言を

世界とはわれわれの知覚している当のものである

哲学とは己れ自身の端緒のつねに更新されてゆく経験である


51 :8:2006/02/08(水) 00:48:50
>>43 補足:これについても研究中 かしこ

52 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:53:28
「お前はすでに死んでいる」と火事場の馬鹿力にどんな関係があるんですか?

53 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:55:57
>>52 人間は通常潜在能力の30%しか使っていないが北斗神拳は残りの
70%も引き出す、っていうあれでしょw

54 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:56:54
なるほど!

55 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 01:00:25
それだから、殺人事件になりました。

56 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 01:11:43
>哲学とは己れ自身の端緒のつねに更新されてゆく経験である
こういうのは共感する。

でもソシュールは哲学の構造主義の文脈で取り上げられるのは
多分迷惑かもしれないね。

57 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 01:17:57
>>56 ソシュールはメルロ=ポンティと合ってないからそうかもしれな
い。メルロ=ポンティは意外と知られてないけど、フッサール文庫の全
5万頁ある資料に目を通して「知覚の現象学」を興した努力家だから、ソ
シュールについてもかなりオリジナルな解釈をしているし、ある意味丸山
的かもしれないw
 でも俺がソシュールなら許すけどw

58 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 01:24:07
5万頁ぜんぶ?

59 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 01:35:36
>>58 事実らしいが、後期分のみという説もある。ちなみに「知覚の
現象学」は後期を参考にしたというのはガチらしい。少なく見積もって
も2〜3万頁は目を通しているだろう。どちらにしても執念を通り越した
怨念すら感じるがww

60 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 01:43:29
「イデーンII」は?

61 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 01:54:29
>>60 恐らくガチ

62 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 02:00:14
例えば、どんな概念?

63 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 11:35:19
読んだという事実と参考文献として上がっているということと、どんな概念と
言われると返答が非常に難しい。メルロ=ポンティ自身「知覚の現象学」での
参考文献には上がってないけど、「見えるもの見えないもの」にはイデーンU
を参考にした概念が訳注の中にある。「裸の事象」という概念
 むしろ後期の影響は晩年の「見えるもの見えないもの」の方が強いと思われ
る。あとは調べてください。

64 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 13:17:10
加賀野井秀一『知の教科書 ソシュール』
町田健『ソシュールと言語学』


65 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 14:39:39
>>64 ソシュール? 誰それ? って人には良いかも

66 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 20:08:28
フッセルに代表される現象学は「まともな」学問の
前段階だよね。植物学でもはじめは分類学だったしね。
それから、差異の差異である、分子生物学が発展していくのだよね。

67 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 20:15:05
哲学や思想の世界でいつも疑問に思うのは、日本人は、
「哲学やりましょ」といってシャッチョコバッテ哲学やって、
また、フツーの生活にもどるよね。でも、ヨーロッパ人は
セネカのような2流の哲学者でも、「俺は信奉するぜ」と生活の
価値観と一体になっているところがあるよね。もちろん、
アホも多いわけだけどもね。
なぜ、(過激なところもある)日本のお笑い界に注目しないのだろう。
根性ないね。


68 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 20:23:21
ここに赤い玉が三つあります。
ここに赤い玉は三つありますか?
ということだよね。


69 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 20:43:19
>>65だめだよ(きんちゃん風に)
みんな、そんな文献学のようなことばかり言っていては!
哲学しなさい。
もっとも日本では文献学で哲学者として食っていけるのだよね。


70 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 21:05:57
じゃー哲学問題を出すね。
さっきと同じだけど、
ここに白い玉がひとつありまう。
ここに白い玉がひとつありますか?


71 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 21:12:28
もう一つね。これは探求(Zettelだったかな)
なぜ犬はうそをつくことが出来ないのでしょうーーか?


72 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 21:26:26
ソシュールなんて哲学じゃないし
そもそも言語学では認知意味論ですでに乗り越えられてる
無意味

73 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 21:30:55
>>72
認知言語学や認知意味論は過激に面白いのですが、
これらはコンピュー太にのらないのよ。
のっても、実世界で使えないのよね。
そーれはね、理論としてはダメダメね。(マダマダね)


74 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 21:35:47
>>73
ソシュールなんて誰も真面目にやってないと思うけど。
案外ソシュールがメジャーなの?

意味論関係で言語学知ってるけど。


75 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 21:38:17
>>74
こーれはいい人を見つけたね。
今、チャンネル理論はどうなているの?


76 :8:2006/02/08(水) 21:57:54
 ソシュールの理論自体が言語学者で哲学ではない、という意見は多いのです
がこれは表層還元論的すぎます。ソシュールの理論自体は細部で修正される所
はあるが、その根幹の思想はまだ全然問題視されてないのが現実。
 つまる所、言語でもって言語を語ることの無意味さに気付いたこと。人はな
ぜこの様な言語を持ったコミニュケーションを取り始めたということにシフト
することの方が大きな問題ではある。
 確かににブランドのファッションを着替えるかの如く脱ぎ捨てる代物ではな
く、少なくとも現代思想にこれだけ大きな影響力を持ちえた思想ではあるわけ
だから、サルトルやヘーゲルが有効性を持たないのとは全然違う話ではないだ
ろうか。マルクスに至っても理論的有効性は除外しても資本主義に疑問符を投
げかけたことは全然解決されてないし。ソシュールはブランドファッションだ
と思っているなら止めとくことをお勧めします。

77 :8:2006/02/08(水) 22:14:52
多くの人は誤解しているが、人が思想するのは、二種類ある
一番目は
他者に対して自分が優位に立つ自己実現の道具と錯覚しているケース。
二番目は
体内から自分の存在根拠を考えてしまうために必要として思想しているケース

ソシュールは流行とは裏腹に実は後者であって、その無意味性には苦悩
していた。>>8を読むとそう考えざるを得ない。ハイデガーやサルトルや
デリダにも何か優位に立とうとすポーズが伺える。真面目ではあるだろ
うが、何かを隠している。私はそういう誤魔化す思想が嫌いなだけなの
です。
 丸山圭三郎が直接デリダと対談して、結論をはぐらかされたことに憤り
を覚えたらしいが、よくわかる。

78 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 22:17:33
>>76
サルトルとボーボワールなんて
「こいつら、心から言ってないだろ。うそついてるぜ」
なんてね。


79 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 22:25:36
つーか、ソシュールの思想って?

ハイデガーやサルトルのほうが万倍いいよ。


80 :8:2006/02/08(水) 22:25:57
>>78 実は読んでそう思いましたw。
>>77 この後者が「哲学」と呼べるなら私はそう思いたい。
ソシュールという人物そのものは充分「哲学」している言語学者でしょ


81 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 22:32:30
>>74
デイヴィドソンの論理学を用いたの意味論では、「心」を持ち出す
よね。しかし、これは厄介なものにさらに厄介なものを
持ってくることにならない?


82 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 22:36:13
ソシュールの思想は、ただの思想。
ハイデガーもサルトルももっと深いよ。
深いというと笑われるが。



83 :8:2006/02/08(水) 22:47:37
>>79 ハイデガーらが提起している問題がどうでも良いとは思わない
ハイデガーもニーチェの問題を引き継いでいるし哲学初心者は読んで
も良いと思う。
 それはサルトルやデリダもそうでしょう。ヘーゲルにしたって、そ
の時代問題となった理性の問題を突き詰めた。それは評価する。
 その時代の問題点を鋭く指摘する点では充分天才性はある。
しかし、問題が面白いからといって、その後の道筋が明確かどうかは
これまた別問題で、特にヘーゲルなどはキャバクラでボッタくられた
気分にさせられた。どう考えてもおかしいと思った。
 サルトルとて安手の思想ばかりあるのではない。しかし弁証法の融
合という実存主義がある種の実体主義にすりかわり、表層においての
混乱を取り去れば本質的実体がすぐ表れるかの如く考えさせる様にな
った。されどどうにも本人が真面目だからという理由ではなく本人が
本当に苦悩しているかどうかで思想を選ぶ様になったのは私にもそれ
なりの理由があってのことです。若い方は
ハイデガーやサルトルのほうが万倍いいよ。
というのはわかる、私は、充分に打ちのめされたからそう思うわけで
読むなとは言いません、あしからず

84 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 22:57:53
>>83
いや、あなた、ヘーゲル読めてないでしょ。
ヘーゲルは、シュリングの焼きなおしですよ。時代も何もない。
ヘーゲルだけ読んでも分からないよ。
哲学史が含まれているんだからさ。

サルトル=実存主義っという理解も乱暴すぎるよ。
本質実体なんていう言葉は使ってない。

ソシュールは、個別の学問での理論であって、思想ではない。


85 :8:2006/02/08(水) 23:03:07
>>82 正直言って言葉が足りなかったら申し訳ない。>>83にも書いたが
私は深いかどうかで思想家を判断してないので。それならハイデガーな
どは充分深いと思うわけ。
 ソシュールはパロールに最終的にこだわっていた。これはソシュール
の言説のみでは無理なのは知っています。少なくとも現代科学や生物学
等も必要と思っている。ただの思想と揶揄するならどこがどうまずいの
かをお教え下さい

86 :8:2006/02/08(水) 23:11:41
>>84
本質的実体かの「如く」です
よく読んで下さい。これは「結果」です。そう受け止められたという
ことです。

87 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:12:44
>>85
いや、思想じゃないなら、私も知りませんよ。
専門じゃないんだから。

でも、いちおここは、言語学板じゃないし、思想としてのソシュールでしょうよ。
構造主義も含まれているわけだからさ。

だとすると、個人的にソシュールは深くない。
というのは、結局個別の学問だからね。

というわけです。

88 :8:2006/02/08(水) 23:17:23
>>84 いや、読めてないですw途中で投げました。
西欧哲学史が背負う歴史的意味、内部からそれ自体を規定しているもの
のみが真とする言語的閉鎖性、自己陶酔とも取れる熱望が至上の善とす
る態度が嫌だからです

89 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:17:38
>>86
ただの思想というのは、フロイトのようにある特定の学問分野で、科学的なアプローチを経ずに
思索的な活動を行うという意味ですよ。

ハイデガー、サルトルの場合、べつだん思索に目的があるわけじゃあない。



90 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:25:54
ソシュールが使用した「共時態」と「通時態」という区分は
現実的な対象としてあるのではなく、あくまで認識論的な理論装置であることは理解できる

けれど、ソシュールの理論の射程を測るとなるとかなり厄介だと感じている
例えば「通時態」をどう捉えるか
(共時態間の単純な比較で事足りるのか、そうでないのか)が違うだけで
ソシュールはまったくの皮相な言語学者でしかないという評価と
単なる言語学者にとどまらない白熱した知性を持つ
言語哲学者だという評価に分かれると思う

ソシュールやソシュールに直接影響を受けた哲学者を専門的に学んでいる訳ではないので
ソシュールに関してはこの程度のことしか言えないなぁ

んー、専門の人がいるみたいだけど、訊きたいことがあったら質問してもいいのかな?

91 :8:2006/02/09(木) 00:25:27
丸山圭三郎著「ソシュールを読む」より

    (A)substance        (B)forme
   ――――――――――――   ―――――――――――― 
構造 |・実体的同一性と差異の|   |・関係的同一性と差異の| 特
   | 世界        |   | 世界        | 定
   |・自然的図と地の均衡 |――→|・恣意的価値の均衡  |=共
   |・種のゲシュタルト  |   |・文化のゲシュタルト | 時
   ――――――――――――   ―――――――――――― 態
   ――――――――――――   ――――――――――――
   |・実体的変化     |   |・関係的変化     | 通
歴史 |・個の変化      |――→|・価値の変動     | 時
   |・偶発事の発生    |   |・現象の発生     | 態
   ――――――――――――   ――――――――――――
特定共時態はクーンのパラダイムとほぼ近い意味
通時態とは構造史(histoire structurale)と見做せる

92 :8:2006/02/09(木) 00:32:14
>>訂正ww
  (A)substance               (B)forme
構造・実体的同一性と差異の世界      ・関係的同一性と差異の世界
  ・自然的図と地の均衡    ――→  ・恣意的価値の均衡
  ・種のゲシュタルト          ・文化のゲシュタルト

歴史・実体的変化             ・関係的変化
  ・個の変化         ――→  ・価値の変動
  ・偶発事の発生            ・現象の発生

特定共時態はクーンのパラダイムとほぼ近い意味
通時態とは構造史(histoire structurale)と見做せる
        

93 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:35:04
●戦中戦後の世代(1910〜1935)
戦争を経験し日本を見事復興させ今の日本経済を作り上げた最強の世代
戦国時代の武将なみのレベルの高さで感服。一部勘違いあり。
●混乱の世代(1936〜1944)
終戦、復興の混乱期に幼少時代を過ごす。運だけが全てを決めてしまった世代。宝くじ大好き。
●団塊世代(1945〜1949)
自分達が日本を作り上げたと思ってる"超"勘違い世代。 お前らが作ったのは借金。キチガイ多し。
行動力や根性は多少は持ち合わせているがたいした事は無い。 唯一評価できるのは繁殖力の高さ。
ただしあまりにも高すぎて未だにエロイ事件を起こすのもこの世代。
日本を滅ぼそうと密かにたくらんでいる。もういいから早く団体で中央線にダイブして欲しい。
●団塊の金魚の糞世代(1950〜1959)
団塊と一緒に踊ってただけの世代。自主性なし。下の世代にも疑いを持たず踊ること(Yesマン)を求める傾向あり。
上が団塊で且つ人口減少期に生まれた為競争は緩やかで勘違いが増殖。団塊の劣化コピー版。
●バブル世代(1960〜1969)
未だにバブルもう一回とか言ってるバカや、バブル後の脱力感で魂まで抜けた奴が多い
金銭感覚が狂ってるため消費率は高めなのが救いだがほとんどは無能。企業内でがん細胞化している世代
●団塊Jr(1970〜1974)
親世代の団塊に反発するも就職難で返り討ちにあう。
世代人口が一番多いにもかかわらず出生率を下げていたりと、 繁殖力は極めて低い。
団塊の付けを一手に引き受けているのもこの世代。100年後の日本史には悲惨な世代として登場予定
●無味無臭世代(1975〜1979)
いたの?
●無気力世代(1980〜1984)
あきらめモード全開。やる気ナッシング。パラサイト多すぎ。 気持ちはわかるが、仕事しろよと。
愚痴らせたり文句言わせたりすると最強な所や、他人に頼りまくるところは団塊そっくり。
近親憎悪からオヤジ狩りという文化を生み出す。
●DQN世代(1985〜1995)
セックルセックル!小学生のうちから無駄なセックスしすぎ。おまえら大丈夫かよマジで?あんま期待して無いけど頑張って。
●日本終焉を見守る世代(1996〜)
戦後動き出した日本の鼓動がゆっくりと止まるのを見守ることになる世代。彼らの未来は暗く冷たい。

94 :8:2006/02/09(木) 00:37:04
(A)substance=実質の次元
(B)forme  =形相の次元
と訳されてます

95 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:38:11
無気力世代(1980〜1984)は社会問題化しているから資料は十分で、
日本終焉を見守る世代(1996〜)は、単なる予想の範囲に留まっているが、
DQN世代(1985〜1995)をどういった社会現象を指標にしているのか
全くわからないな。

96 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:39:33
幾つかの共時態間、つまり差異のシステム間の比較が「通時態」なのか?
「面の歴史」をイコール「通時態」としてしまうと
差異が差異として戯れる解体と生成のダイナミズムが欠けてしまわないか?

それから、「均衡」のなかにもある種の「歪み」みたいなものがないと
変化の相が見えなくない?


97 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:48:29
1985〜1995の丁度中間たる1990年頃からバブル崩壊が起こっている。

98 :8:2006/02/09(木) 00:48:41
 ソシュールの提起した方法によれば、共時的断面に目を据え、その俯
瞰図と俯瞰図とを比較することによって体系総体の不連続的変化を記述
するのが通時的研究であるということになります。


99 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:50:30
1995年はオウム事件が起こってるな。

100 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:54:55
となれば、共時態と共時態の狭間に見出される差異
それが「通時態」であるということですか?

一種の均衡状態としてのシステム、「共時態」
しかしそれはなぜ更なる差異化を、つまり異なった「共時態」へと
移ろいゆくのでしょうか?



101 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:55:39
1985年は特筆すべき事件は無い。


102 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 00:58:41
ただ、気になるのが1989年にコンクリ事件とM事件が起こっている。

103 :8:2006/02/09(木) 00:59:04
ソシュール「一般言語学講義」(SM 71-1516)
通時的事象と共時的事象の対立は出来事と体系の対立である。つまり、
通時的事象はいくつかの<出来事>にすぎない

ソシュールは交互に捉えるべきと言ってます。そこに見えてくるもの
をある意味しつこく記述する

104 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:02:35
「通時態」というのは、あくまで「記述」可能なものであるということ
それがソシュールの主張だということですね

ちなみに原文では<出来事>にはなんという語が充てられていますか
よろしければ教えてください



105 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:02:41
思想シーンでは、浅田彰現象ってとこかな。
90年台に入れば、宮台が活躍を始めるから、
ニューアカデミズムと、遅れてやって来た社会学世代が
混交する時代と言ったところか。

106 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:04:36
だが、思想シーンでの宮台の活躍を後押ししているのは、
DQN世代ではない、無気力世代ぐらいだと言えるだろう。
丁度、ぴかぁ〜あたりの世代が宮台の言論を支持している。

107 :8:2006/02/09(木) 01:05:22
>>100 そうです

ソシュール「一般言語学講義」(手稿 1、断章番号3283・15)
「言語の研究を深めれば深めるほど、言語の中のすべては歴史であるこ
と(…)すなわち言語は事象から構成されていて法則から成っているの
ではないこと、コトバにおいて有機的に見えるものはすべて、実は偶然
であり完全に偶発的であるという事実がわかってくるのである」


108 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:08:08
重要なのは、DQN世代がどういう社会的アクションを起こしたになる。
1990〜の宮台のフィールドワークが対象とした人間の年齢層が、
DQN世代と合致するか、これがキーとなる。

109 :8:2006/02/09(木) 01:10:41
<出来事>evenements(1、2番目のeの上に´)

110 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:12:56
1990〜の宮台のフィールドワークの対象となった人間は、
年齢層がおそらく現在25〜となるから、DQN世代ではない。
これだと無味無臭世代(1975〜1979)と、無気力世代(1980〜1984)が、
範囲に入ることになる。

111 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:16:08
しかし、仮に無気力世代(1980〜1984)だとすると、
宮台がフィールドワークを始めた年から、対象となる人間が、
年齢が十代ギリギリかそれ以下となるので、これはありえない。
だから、宮台のリサーチでは、対象となった世代は、
無味無臭世代(1975〜1979)であると判明する。

112 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:18:17
それから、DQN世代(1985〜1995)の社会的行動が把握できなくても、
その両親の年齢層が、どの世代かどうかは見ることができる。


113 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:20:08
>>107
ソシュールのその言葉には
「真理を探し求めるにあたっては、予期せぬものに出会うことを予期せよ。
真理は見出しがたく、見出されたときには人を途方に暮れさせるものだから」
というヘラクレイトスの断章との一種の共鳴を感じますね

>>109
ホワイトヘッドの有機体の哲学でも
「event」という語が好んで使われているのにも何か類縁性を感じます

差異の体系と有機体の哲学、どちらも関係性を重視し
確定的な総体を前提しないという点で
ポストモダニズム前夜の知的な地平の移り変わりを
見て取ることができるように思えます

114 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:22:48
20〜30が第一子誕生の年として、親の世代は、
子の年齢+20〜30として考えることができる。
DQN世代(1985〜1995)なら11〜21に+20〜30で、
親の年齢が31〜41と考えられる。

115 :8:2006/02/09(木) 01:23:39
ソシュールの歴史観はエピステモロジークで、歴史の偶然性と非連続性
の問題であり、因果律に支配される機械論やそ反対に未来のユートピア
を設定する目的論的歴史観を否定してます
<出来事>は<偶発事>と読み替え可能です。

116 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:30:00
この年齢範囲なら、親の世代が1965〜1975年になる。

 バブル世代(1960〜1969)
   団塊Jr(1970〜1974)
無味無臭世代(1975〜1979)

これがDQN世代(1985〜1995)の親の世代構成になる。

117 :8:2006/02/09(木) 01:31:04
シーニュの表現=内容について(SM73 2136)
「表にはさみを入れれば裏も切れてしまう一枚の譬えを思い出して欲し
い。形態と機能の研究は同じものなのだ。したがって(共時的研究にお
ける)区分をたてることは、人が考えるほど容易なものではない。従来
のこうした区分はいずれも、実際面では役に立たないこともないが、こ
れらの区分を示す境界線をいくら合理的に引こうと試みても、確固たる
足場を得ることは出来ないのである」

118 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:35:04
言い換えれば、ソシュールの歴史観は
「絶対知」や「最後の審判」を、つまり最終審級を、歴史の目的を前提しているような
俗流のヘーゲル的史観やユダヤ‐キリスト教的な歴史観と手を切っている
そういう事でしょうか?

となれば、明証的なものには回収されない何かを
なにかしらの「残余」を、学問の手をすり抜けてしまうなにかを
暗に示唆しているように見えますね

119 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:35:57
主要構成から浮かんでくるDQN世代(1985〜1995)の親が、
少しズレがあるが、団塊Jr(1970〜1974)の親が像を結ぶ。


120 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:39:27
DQN世代(1985〜1995)の親である団塊Jr(1970〜1974)の特長は以下。

>●団塊Jr(1970〜1974)
>親世代の団塊に反発するも就職難で返り討ちにあう。
>世代人口が一番多いにもかかわらず出生率を下げていたりと、 繁殖力は極めて低い。
>団塊の付けを一手に引き受けているのもこの世代。100年後の日本史には悲惨な世代として登場予定

121 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:42:07
「となれば」以降は>>117に引用された文章に対するレスね

122 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:44:08
1970年に誕生している芸能人から大枠のイメージを獲得できる。
音楽ではミスチル桜井やTM西川、お笑いでは長井秀和や岡村隆史がいて、
まだ、比較的若いと言える世代になる。少なくとも初老ではない。

123 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:47:56
家庭的には、30〜40前後の親から、マーケティングの
中心的存在となりやすい層になるだろう。
商品の消費も、家庭的に言えば、一番多い時期にあたる。

124 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:52:50
DVDのハードディスク機能や、パソコン関連全般における、
商品の消費を、DQN世代(1985〜1995)の親が活発にしていると
考えて良いので、子供もそれを同じように消費するようになると
推測できる。

125 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 01:55:46
パソコンでのトラブルなどから起こる社会的問題に関しては、
DQN世代(1985〜1995)が一枚噛んでいることがありえて、
そこから幾つかの帰結を導ける。

126 :8:2006/02/09(木) 02:02:40
>>118 それゆえに苦悩していたということでしょう。

そろそろ仕事もあるので失礼します
あとソシュールの提唱するランガージュはひとり言語能力のことではなく、
シンボル化能力のことを指す概念です。
ロラン・バルト「零度のエクリチュール」
「ソシュールは連辞的なものと連合的なものとが、精神活動の二つの領域を形
態に対応するのではないかと予測していたが、これは言語学の領域を超えるも
のであった」
<記号の体系>(système de signes)ではなく<規則の体系>(sistème de règles)
でもあることをチョムスキーやその亜流が見損なっていることを付記しておきます。

127 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 02:05:14
深夜2時からの仕事か

128 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 02:08:59
>>126
ええ、分かりました
バルトの本は家にあるので読んでおくことにします
おやすみなさい、それではまた

129 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 06:16:56
いつのまにかえらいスレになってるな

130 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 06:37:42
このスレおもろい
ところで丸山氏と町田氏どちらの著作が入門に最適?

131 :質問:2006/02/09(木) 17:34:58
あらゆる概念は言語による恣意的な世界の分節化によって生じるとされますが
世界の分節化という概念がない状態でどうやって世界の分節化が生じたのでしょうか?



132 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 17:41:31
>>130
丸山氏ですね。
町田氏は止めといた方がいいでしょう。

133 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 17:54:02
8はちょっと胡散臭いな。

134 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 18:55:59
胡散臭さすら出さない133よりマシだろう

135 :8:2006/02/09(木) 20:15:44
>>131 非常に濃い質問ですw

メルロ=ポンティ「知覚の現象学」(T・p292)
「事物の命名は、認識のあとにもたらされるのではなくて、それはまさ
に認識そのものである」
つまり、世界が分節化=差異化されると同時に、主体の意識の方も同時に
分節化=差異化されるということです。
 突き詰めれば認識論的問題になっていきます。


136 :8:2006/02/09(木) 20:24:39
>>135の続き

つまり世界の分節化という概念が無い状態という「実在」があって、
世界の分節化が生じたということではなく、意識で分節化を生じ、同時
に世界の分節化が生じたとも言え、ほぼ同時に起こったということでも
あります。

137 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 20:25:32
生物には生得的に区別する機能、
つまり、パターン認識機能が備わっています

138 :8:2006/02/09(木) 20:44:12
「ソシュールが与えた最も大きい影響は、同一性と差異をめぐる発想の転
換、すなわち同一性からではなく差異から出発するという発想であり、
それは現代思想の基本的なものの見方の一つとなっている。たとえば、
現代人の重要な問題の一つはアイデンティティにかんする欲求である。
だがアイデンティティは自己同一性と直訳されるように、人びとが「自
分は自分であること」の同一性にこだわる時にアイデンティティの問題
が生じるのだ。現代では多くの人びとは民族や宗教や固有の文化などに
自分のアイデンティティを求めている。だが現代思想は同一性への欲求
より他者の異文化といった差異を重視するのだ。それは同一性(アイデ
ンティティ)をもとめる欲求が、時として他者の排除や抑圧をもたらす
からである」
小阪修平著「図解雑学 現代思想」

139 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 21:13:35
図解雑学・・・

140 :8:2006/02/09(木) 22:05:59
>>138 わかりやすいので引用しましたまでですw
とても、ラディカルに書かれているとはいえませんが、小阪修平は80年代から
「編集能力」は高いと思っていました。

141 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:10:05
8は加賀野井っぽさが駄目だね。
メルロポンティーを持ってくるところなんてそっくり。

142 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:27:35
静的な構造の理解から動的な発生論的な議論へと移っていく点や
徹底的な記述(フッサールは現象学をはじめ「記述的心理学」と呼んだ)を要求する点で
ソシュールと現象学には接点があると思われます
(また、記述しえない「何か」へ、いやむしろ記述の、明証性の
理解するということの、意味があるということの不可解さへ傾斜していくという点でも)

あのさ、『エクリチュ-ルの零度』を読み返してみたんだけど
昨日引用された部分が見つからなかった(森本・林訳のちくま学芸文庫版)
引用部が具体的にどのあたりに書いてあるのか教えて欲しい


143 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:31:42
引用ってどこ?

144 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:32:34
126 :8:2006/02/09(木) 02:02:40
>>118 それゆえに苦悩していたということでしょう。

そろそろ仕事もあるので失礼します
あとソシュールの提唱するランガージュはひとり言語能力のことではなく、
シンボル化能力のことを指す概念です。
ロラン・バルト「零度のエクリチュール」
「ソシュールは連辞的なものと連合的なものとが、精神活動の二つの領域を形
態に対応するのではないかと予測していたが、これは言語学の領域を超えるも
のであった」
<記号の体系>(système de signes)ではなく<規則の体系>(sistème de règles)
でもあることをチョムスキーやその亜流が見損なっていることを付記しておきます。

145 :8:2006/02/09(木) 22:33:33
ソシュール「一般言語学講義」
「(SM96 159)個々人には分節言語能力と呼ぶことができる一つの能力があ
る。(…)しかし、これはあくまで能力に過ぎず、外から与えれるもう一つの
もの、すなわちラングなしにはこれを行使することは事実上不可能であろう。
(…)ランガージュは抽象的なものであり、それが現前するためには人間存在
を前提とする。(250)このようにランガージュ能力とラングを区別することに
よって、我々は、ラングに<産物>の名を与えることができることがわかる。
これは社会的産物なのである。(261)ランガージュは、常にラングによって現
前すると言えるであろう。」

意味というものは文のレベルで生れる。個々の語単語では、何の意味ももって
いない

146 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:33:35
>ロラン・バルト「零度のエクリチュール」
>「ソシュールは連辞的なものと連合的なものとが、精神活動の二つの領域を形
>態に対応するのではないかと予測していたが、これは言語学の領域を超えるも
>のであった」

これか。


147 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:35:22
>>146は、丸山の本のどっかに載ってたような気がする。
どっちにしても、バルト本体じゃないな。

148 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:40:01
>>145
だからこそ、ソシュールの影響を受けた人たちが
「テクスト」や「プロブレマティック」の研究へと向かったと訳ですね

149 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:43:04
というか、

>ロラン・バルト「零度のエクリチュール」
>「ソシュールは連辞的なものと連合的なものとが、精神活動の二つの領域を形
>態に対応するのではないかと予測していたが、これは言語学の領域を超えるも
>のであった」

この謎が放ったらかしなんだけど。

150 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:44:21
>意味というものは文のレベルで生れる。個々の語単語では、何の意味ももって
いない。

しかし例えばある文Aは同等の意味の単語Bに置き換えられるのではないか?という疑問がわきます。
「この世のありかたを考える」という文は「哲学」という単語に言い換えられるのではないですか?


151 :8:2006/02/09(木) 22:45:44
>>142 ちくま文庫のはわかりません。
みすず書房の「零度のエクリチュール」内の「記号学の原理」を参考
に(159p)に同様の文がありますが、丸山圭三郎はフランス語版を
直訳して引用してますので文が違うかもしれません。私は丸山圭三郎
の「ソシュールを読む」の孫引きをしました。
みすず書房版は「ソシュールは、統合的なものと連合的なもの(われ
われのこれからの用語では体系的なもの)とが、精神活動の二つの形
態に対応するのではないかと予測していたが、これは言語学の領域か
ら足を踏み出していたことになる。」とあります。

152 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:47:19
ああ、なるほどね。

153 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:49:52
>私は丸山圭三郎の「ソシュールを読む」の孫引きをしました。

やっぱそうか。
>>147はあってたな。

154 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:52:45
>>151
ちくま版には「記号学の原理」は所収されてないね
見つからないのも仕方なかったんだな
おかげで四回も読み直したよ(笑)

155 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:53:57
みすず版にしか入ってないからな。


156 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 22:57:36
ちくま版も手軽だろ?

157 :8:2006/02/09(木) 22:58:03
>>150
(SM96 159)
「人間はたとえば歌う能力を持つが、社会が指導しなければ、曲を作る
ことはできないだろう」
(SM104 645・646)
「言語は音のイメージと、心的対立の上に成り立つ体系である。綴織に
譬えてみよう。重要なことは、一連の視覚印象なのであり、色調の組合せ
が織物の意味を形成するのであって、糸がどのように染められたかという
ようなことではない」
(SM 104 644)
「言語をチェスゲームに譬えてみよう。対立させられた価値の働きが可能
でさえあれば、駒を作っている材質(象牙とか木とかの)を知ることはほ
とんど意味を持たない。」
個々の語が担っているのは差異だけなのです。その差異が意味化するの
は、文脈の中に比喩すれば色調の組み合わせ、他の盤上の駒との関係の
中に置かれる時だけであるとなります。

158 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:00:23
>>157
>個々の語が担っているのは差異だけなのです。その差異が意味化するの
>は、文脈の中に比喩すれば色調の組み合わせ、他の盤上の駒との関係の
>中に置かれる時だけであるとなります。

ようするに、

>「ソシュールは連辞的なものと連合的なものとが、精神活動の二つの領域を形
>態に対応するのではないかと予測していたが、これは言語学の領域を超えるも
>のであった」

>この謎が放ったらかしなんだけど。

ってことだわな。

159 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:01:33
>「ソシュールは連辞的なものと連合的なものとが、精神活動の二つの領域を形
>態に対応するのではないかと予測していたが、これは言語学の領域を超えるも
>のであった」

基本概念は分かってるから、
先に展開させないと意味ないよ。


160 :8:2006/02/09(木) 23:02:08
>ちくま版には「記号学の原理」は所収されてないね

そうなんですかwww
それは申し訳ない。「記号学の原理」が載ってないのは非常に残念です。

161 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:03:06
>>156
手軽だがじっくり読むとなると結構面倒ジャマイカ?
『記号学の冒険』(みすず書房)などの方がじっくり読むには楽だった記憶がある

162 :8:2006/02/09(木) 23:08:32
>>159 ここからが本題になりますがww
前説がすごい長かったけど、
ソシュールと構造主義の話になればレヴィ=ストロース、ロラン・バル
ト、ラカン、あとはフーコーとデリダとなりますがどこから始めるべき



163 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:09:28
連辞的なものと連合的なものから始めればいいんでない?

164 :8:2006/02/09(木) 23:10:40
>>162フーコーとデリダは正確には「構造主義」という枠には入らないが
影響を受けたということになれば含めて話をした方が良いと思います。

165 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:12:32
8は何を論じようとしてスレを立てたの?
論じたかったことを言ってみればいいんでない。

166 :8:2006/02/09(木) 23:17:23
>>163
(SM75 2019)
「我々が語るのは、連辞のみである。そのメカニズムは恐らく、我々が
連辞の型を頭脳の中に持っていて、それらの型を用いる時に連合語群を
介入させているのである(…)それぞれの連合群の内部で、何を変えれ
ば単位を差異化し得るのかということを、我々は知っている。だから、
連辞が作り出される瞬間には連合群が介入しているのであって、連合群
なしには連辞は形成されないと言えるのである。」


167 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:18:52
>>166
ラングはその二つのどちら?

168 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:21:55
フロイトの精神分析(精神を一種の「経済」とみる)、マルクシズム(言うまでもなく「経済」)
フッサールやハイデガーの現象学、マルセル・モースらの社会学
これらとの繋がりなしに「構造主義」を語ることは難しいだろうね



169 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:23:43
>>168
解釈はそれ以外にも多いよ。

170 :8:2006/02/09(木) 23:43:16
>>165 私が立てたスレではないですよwソシュールの誤解を解いている
うち、質問に答えるうちにこうなりました。本当ですw

>>167 ラングは連辞・連合関係が<構成された構造>によるものという
ことで、連合を選択能力の結果、連辞を結合能力の結果によるものの謂い
です


171 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:51:50
8はソシュールの原資料を解析した丸山の仕事を評価すると、
そういう認識でよろしいか?

172 :8:2006/02/09(木) 23:55:28
>>171 
>ソシュールの原資料を解析した丸山の仕事を評価する所まではそう
です。もっとも、その後の生命論については正直異論もある。
今仕事の呼び出しがありました。今日の所はこれでw

173 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:58:06
時間帯が不規則な仕事か。

174 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:00:04
だな
それから、丸山の仕事にあまり詳しくないので
誰か詳細を知る方、「生命論」についての情報をお願いします

175 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:02:22
>その後の生命論については正直異論もある。

町田とか加賀野井と同じ認識ってことだな。


176 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:03:04
>>174
後期の本を買えばいい

177 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:05:35
>>176
すげーぶっちゃけですね
今、本屋開いてないし、そこをなんとか><

178 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:10:37
絶版で買えないのか?

179 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 08:55:18
>>165>>170
>>1です。正直、議論にはさっぱりついていけませんがかなり勉強になります。

180 :8:2006/02/10(金) 20:31:53
>>179 用語が難しいですからw でも分かると文化現象の構造分析が面白くな
   りますね。
   民俗学や文化人類学はこれを知ってるかどうかで面白さが全然変わって
   くる

181 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 20:36:33
>>177 http://www.kosho.or.jp/index.html(日本の古本屋)
全国の書店のとネットワークされたサイト。まず見つかる。
値段が張る場合があるが、本当に欲しい本ならこちらがオススメ
アマゾンでも見つからない本も結構発見した
丸山圭三郎だけで219件ヒットした。

182 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 20:57:08
【言語学板】
●今こそ●≪丸山圭三郎≫●語ろう●
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1121400997/l50
加賀野井秀一はどうよ?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1006330170/l50

183 :8:2006/02/10(金) 21:33:39
>>182
なるほど、言語板の方が散々な有様なのはよく分かりました。
言語哲学者としてソシュールを定義した丸山圭三郎のこのコテハンは
何なんでしょう………?
>加賀野井さん本人の口から丸山圭三郎氏に破門されたとカミングアウ
トしてるのは知らなかった。何があったんだ。
何となく推測はできるが…

184 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 21:49:09
Wikipediaより

フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB


185 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 22:59:41
破門とかはどこに書いてあるんだ?

186 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 23:12:03
加賀野井秀一はどうよ?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1006330170/l50

51 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日: 02/04/17 07:09
加賀野井さん、『月刊言語』5月号にこんなこと書いてる。

自著『20世紀言語学入門』(講談社現代新書、1995)について、
「自画自賛は見苦しいが、よくもこれだけコンパクトなスペースにこうも大量の
情報を盛りこめたものだ、と、われながらそう思う。がんばって書いたなあ。
若かったんだなあ」

丸山圭三郎『ソシュールの思想』(岩波書店、1981)について、
「いうまでもなく、わが国にソシュールの真価を知らしめた画期的な著作である。
かく言う筆者は、後に丸山圭三郎氏より破門されてしまったが、その筆者が推薦
するのだから掛値のない良書である」

187 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 23:37:43
トンクス

188 :& ◆8S1oXfpM5M :2006/02/11(土) 00:02:41
笛がふたつあるとする。A,Bとする。
Aを吹くとAを聞いた人は「シェー」をする。
Bを吹いた場合は聞いた人は「両手を上げる」
A,Bは単一の情報源でコーディングされている。
この場合、笛A,Bはソシュールの言う言語であろうか?


189 :& ◆xfvx2QuQRA :2006/02/11(土) 00:09:01
鈞ちゃんが「ピロローーン」と言うと二郎さんが
「とびます、とびます」と言う。その繰り返し
だが、二人の間ではどんどんとコミュニケーションが
進んで行く。これはソシュールの言う言語現象であろうか?


190 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 00:16:36
>>188

>A,Bは単一の情報源でコーディングされている

そのアンフラ・ランガージュはなんなの?
コーディングが可能となる要素がすでにあるってことだよね
なにせコーディング(コード化)されてるんだから

191 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 05:28:09
>>190こんにちは。
この場合、単一の情報源でコーディングされているので
AとBとでは音色が異なりますがAとBは全く同じ言語をしゃべること
になります。

192 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 05:36:32
トートロジーはどうなんだろう?
連続体が入ると「不完全」でそれだけじゃないけど、
まあ、ほとんどトートロジーを話しているわけだよね。
論理学では。で、トートロジーはソシュールの言う
言語かな?


193 :8:2006/02/11(土) 12:34:03
トートロジーが一つの言語(ラング)なのは確かなのですが、言語活動が、観
念と物質の未分節領域<メニング>、ソシュールが<実質>substanceと呼んだ
カオスに同時に働きかけ、これを不連続化<差異化>することによって、初め
て表現=内容という一つの単位を生み出すのです。

194 :8:2006/02/11(土) 12:39:46
>>193 ソシュールの理論の欠点は、言語構造に階層性を設けなかった
ことで、論理学でパラドックスが生じるのはこの階層性を混同するこ
とで発生するとラッセルは言うが、不正確な部分も否めない。正確に
言えば論理学で生じるパラドックスはある限定的な<言語構造>を宿
しているからで、そのパラドックス自体が現実世界(生活世界)にお
いて存在しない、というケースもあり得る。

195 :8:2006/02/11(土) 12:55:03
>>194の続き
論理学では部分の総和を全体と定義していますが、現実世界(生活世界)
では全体は部分の総和より大きくなります。なぜなら、人間の認識が足
し算の様なもののみではなく、掛け算の形を取ったり、はたまた、9×9
=81の様に9+9+9+9+9+9+9+9+9=81とせずその論理構造に依拠
してすぐ81と結びつけることを人間は平気で行う。思惟の経済が働いて
いる為です。これは認知科学で結構話題にはなってますが、人間の認識
は結構いい加減であるにもかかわらず、現実世界でそれほど不自然に感
じない。そこに人間の生命論が必要となる理由があるのです。

196 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 16:05:44
>>194
ラセッルの"Lamified Type Theory"は紆余曲折を経て、
論理学では現在は「語られるもの」(対象言語)と「語るもの」
(メタ言語)を区別して嘘つきのパラドックスを回避しますね。
もちろん意味論はその後もいろいろと発展しているわけですが。

>正確に
>言えば論理学で生じるパラドックスはある限定的な<言語構造>を宿
>しているからで、そのパラドックス自体が現実世界(生活世界)にお
>いて存在しない、というケースもあり得る。

これは何につて言及しているのですか?嘘つきパラドクスは自己言及
に由来すると思うのですが。そして自己言及は日常言語でもあるのでは?

>>8さんは何をしている人なのかが最も興味があったりして。


197 :8:2006/02/11(土) 16:47:40
>>196 あるクレタ島人が自分を当然含むことになるすべてのクレタ人は
嘘つきだと言う有名なパラドックスがありますが、これは「意味」と
言語の「境界性」を混同したという意味で、そういう問題は存在しない
のです。「クレタ島人」という語をいかに精密に分析しても何も出てこ
ないのです。恒常的、実存的に「クレタ島人」という物は存在しなく、
擬似的に成立させ、そこに含まれた諸現象や諸事物の共通項という幻想
をもとに「クレタ島人」という日常言語が成立しているにすぎない。
 自己言及は日常言語にはあり得るが、自己言及のみが日常言語を成立
させている要素ではなく、生活世界は暗黙的に成立している空間でもあ
りそれをまざまざと信じざるを得ない知覚構造とつながっているわけで
す。そこに含まれる語が静的で変化しないという条件でのみ成立すると
いうのが論理学の弱点でその条件が動的であるなら論理学を支える「境
界性」は崩壊します。つまり花は花と呼ばれたとき、それはすでに花で
はなくなると言ったのはブランショでありますが、そこには認識論とし
て花という観念と花という恒常的、実存的幻想は同一ではないというこ
とです。現象学的に言えば臆見(ドグサ)ということになります。
 普段は気にせずとも現実世界は<信念の体系>によって成立している
思惟の経済の世界であると考えるとどうでしょう。

198 :8:2006/02/11(土) 16:49:58
>>196 職業は元営業マンで現在は肉体労働者とでも言っておきますw
大学名は特定されたくないので明かせませんが、社会学部卒です。

199 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 17:31:10
芋か

200 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 18:45:27
200

201 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 19:23:52
今中々熱いスレ

202 :& ◆r5mmMKolO6 :2006/02/11(土) 19:53:30
>>197
ふーむ。
言語の「意味」は我々の生物学的、共同体的なtacit knowingから
規定されており、その「境界」は固定されていない。
したがって、論理学で言う「嘘つきのパラドクス」は存在しない。
クレタ島人と言った時にはもう「逃げ去ってしまっているぜ」という
ことですか。
論理は「近似」として成立すると思ったけど、こんなに「激しい」
からダメダメかな。

>>198
「会議」が多いからあれは肉体労働ですか。



203 :8:2006/02/11(土) 20:24:32
>「会議」が多いからあれは肉体労働ですか。
…まあそんなもんですw

>>202 論理学はある静的な境界条件であることによって成立する。
数学や論理学が「役に立たない」と言っているわけではないですよ。
こういう言い方をすると反論が出るので自己弁護(笑)しときますが、
論理にしろ数学にしろ、構造主義にしろ、常に更新を続けなければ、
その論理に破綻をきたしてしまう。パソコンでウィルス情報を更新し続
ける様に更新しなければ破綻をきたすということはあらゆることに言える
と思います
 極めて単純な話をすれば、他者を問題にする場合、自己をその対象
に飛び込むことでしか獲得出来ず、それゆえに「危険」な「指標」と
して認識され得るということです。ハイデガーは企投とか気遣いとか
の言い方で記述しているが、他者はその周縁に現れる。民俗学は、その
表れ方で、鬼とか魔力=魔性とかで言い表す。文字通り他者との関わ
りは境界争いでもあるが、言語はコミニケーションの手段では断固と
してあるわけです。では何ゆえに他者が問題になるのか?
 ラカンは、「鏡像段階」の理論を提示しました。これは欠点もある理
論ではあるが示唆するところもある。私が言いたいのは、他者の介在が
無しに自己の周縁を実現できないということです。
 社会学で社会の存在なしに自己を実現できないという言い方があるが
これは正確ではない。自己は1人でも自己足りえるが、その輪郭=周縁
に両義性が残余してしまうということである。

204 :8:2006/02/11(土) 20:35:57
>>203の続き
 言語は身体を通じての意味であり、行為そのものである。 他者との関わり
を拒否してしまったら、ただ現象を眺めていれば良いということになり、まし
てや哲学は不要となるw
 自己の分身、それが人間であろうが、動物、植物であろうが、コミニュケー
ションしなければ人間の巨大で過剰な脳は持て余してしまう。オタクが、フィ
ギュア、アニメに何らかの「対話」をするのは生き物ではなく、自己の分身に
過ぎないのかもしれないw

205 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 20:40:41
「単一の情報源でコーディングされている」という言葉の意味がわからない。
「単一のコーディングルールでコーディングされている」ならわかるんだが。

206 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 20:48:33
てゆうか、しろうとだろ。

207 :8:2006/02/11(土) 23:12:34
>>205
情報源=ソース(source)はルールroleとは同一ではない。
 そもそもコード化自体に論理的法則が内在しているのではなく、認識論的恣
意性しかない。ボボボーボ・ボーボボのギャグがある子供のカオスそれ自体を
楽しむという行為だからではないかと思う。子供は秩序や法則を破壊すること
の方を好み、やがて成熟してくると、コード化によって新たな論理を創造する
ことを楽しむ、しかしやがてそれも破壊するという円環構造があり、それは繰
り返される。まるでシヴァ神の創造と破壊のダンスの様に永遠と繰り返される
人間存在の両義的な面がある。大人になろうが、必ずしも創造行為に快楽を見
出すとは限らず、いやむしろ幼児性を引きずって破壊と創造を繰り返すのが人
間の性ではないだろうか…。

208 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 23:26:45
>>207
>情報源=ソース(source)はルールroleとは同一ではない。
ソースがルール役割と同一ではない?
ソースとルールは役割が違うということ?
そりゃ違うとはおもうけど・・・。

何が言いたいのか全然わからない。

209 :8:2006/02/11(土) 23:48:05
>>208 現象学的に言えばソースを思惟対象(コギターツム)と言い、
ルールを思惟(コギト)、そこに思惟作用(コギタチオ)が挟まるが…

 もっと分かりやすく言います。情報源というのは認識(思惟)対象の
ことで、視覚、聴覚、触覚等五感で形成されるイメージのことを言い、
ルールというのは今まで経験を積み重ねてきた自分自身=自己のことで
す。自己は経験を積み重ねてきたコードの「構造」を意識に内包してい
ます。自己→対象と意識を向けるときコード化が生じますが、普段何で
もないときは、ルールとソースに差異が少なく改めて了解事項を増やさ
なくてすみます。

210 :8:2006/02/12(日) 00:00:22
>>209の続き
しかし、>>188>>189に対して>>190と回答しているのは、ランガージュでも
ってする思惟作用(コギタチオ)でも全く今まで自己が築いてきたコードの
「構造」でも妥当できない(理解不能)わけです。しかし、こちらに危機を
及ぼすことは「保証=了解」があるわけですから、コードの「構造」=共同
幻想が崩壊するから笑いが生じるのです。もし>>188>>189の内容が自分に
降りかかって襲ってくるとしたらこれは恐怖になるわけです。笑いと恐怖は
その境界線が明確か不明確かで決定されているわけです。アンフラ・ランガ
ージュというのは理解の外にある性質の象徴化…そういう意味らしいです。

211 :8:2006/02/12(日) 00:07:27
>コードの「構造」=共同幻想が崩壊するから笑いが生じるのです。

に補足すれば、笑いは共同幻想という緊張から開放されるから笑いが
生じるわけで、他者は自己を投影した身体性でもあるから、例えば、
転んで血みどろになったら笑いではないし、ころんでカツラでも取れ
たら笑いになるわけです。この違いをお笑い芸人が切磋琢磨している
ので素人が偉そうなことを言うつもりはないですが…自己を脅かす内
容が一律ではないので絶対性で考えていただきたくないのですが。
 この説明でお分かりいただけました?

212 :8:2006/02/12(日) 00:18:31
>笑いと恐怖は その境界線が明確か不明確かで決定されているわけです。

これは長年マンガを読んで分かってきたことなんですが、コード化が徹
底され、自己と対象の境界線がはっきりしたマンガはギャグになり、自
己と対象の境界線が不明確(現実性として迫ってくる)ものは恐怖にな
るのです。対象に如何に没入できるかにあることが第一点
 第二点として、共同幻想の崩壊度、常識を根底から覆す度合い、普段
見えない役割、演技を解体する行動の大きさにある。当然このベクトル
が大きくなれば「過激さ」が大きくなるわけです。
 恐怖マンガの描けるマンガ家はギャグマンガも上手というのはこの二
点をしっかり認識しているからこそなんです。手法を変えればたちまち
ギャグに変身するマンガをいくつか知っています。伊藤潤二とか楳図か
ずおとか…あと逆パターンとして古谷実とかがそうでしょう。

213 :8:2006/02/12(日) 00:39:19
問題 タモリのハナモゲラ中国語によるラップ
http://www.byokan-sunday.haru.gs/flash/movie/tamori.mpeg
この笑いを構造分析してみましょうwwwww

それではおやすみw


214 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 10:32:43
>>209

> もっと分かりやすく言います。情報源というのは認識(思惟)対象の
>ことで、視覚、聴覚、触覚等五感で形成されるイメージのことを言い、
>ルールというのは今まで経験を積み重ねてきた自分自身=自己のことで
>す。

では、その「ルール」は、私が
>>205
で申し上げた「コーディングルール」とは別のものですね。
あなたが、そういった意味で、 >>205 の「コーディングルール」を解釈されているとすると、
私の申し上げたい意図があなたには伝わっていないと思います。

215 :8:2006/02/12(日) 10:37:20
>>214 「コーディングルール」をどのような意図であなたが解釈され
ているか、説明していただけると助かります。

216 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 10:45:42
>>215
意味(セマンテックス)を記号(コード)に置き換えることです。

217 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 10:48:50
>>216
ちょっと補足

意味(セマンテックス)を記号(コード)に置き換えること = コーディング
意味(セマンテックス)を記号(コード)に置き換えるルール = コーディングルール


218 :8:2006/02/12(日) 11:09:30
>意味(セマンテックス)を記号(コード)に置き換えることです

なるほど、わかります。

私はルールという言葉は不適切かもしれない、と指摘したかったという
ことなんです。ソシュールの記号学は、ランガージュによって音とイメ
ージの仲を取り持つという言い方が正しく、ルールというと実体論的に
聞こえてしまいます。勿論あなたはそういう意味で使ったわけではない
と思いますが。
 しかるにソシュールの記号学にも欠点がないわけではない。これはメ
ルロ=ポンティとも多分加賀野井とも違う見解だと思いますが、<記号
学的言語>ではシニフィアン、シニフィエという<意識化された言語>
を基礎に無意識的な作用を付け加え動的モデルを構築するという形を取
るためどうしても無理が発生する。
 意味の形成は文化の次元と生物学の次元と本質的に異なるわけではな
い。意味の形成は<記号学的言語>では説明できないのです。

219 :8:2006/02/12(日) 11:10:24
>>217 やはりそうでしたか

220 :8:2006/02/12(日) 11:22:15
>>202 
>言語の「意味」は我々の生物学的、共同体的なtacit knowingから
>規定されており、その「境界」は固定されていない。

の指摘は言語の本質を突いている。私も同様の解釈なんですがここではテーマ
から大きく脱線しますので
>>168
>フロイトの精神分析(精神を一種の「経済」とみる)、マルクシズム(言うまでもなく「経済」)
>フッサールやハイデガーの現象学、マルセル・モースらの社会学
>これらとの繋がりなしに「構造主義」を語ることは難しいだろうね
ここら辺りを説明したい


221 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 11:28:49
>>218
とりあえず、
>>205
の疑問に答えてください。

222 :8:2006/02/12(日) 11:42:16
>>205
>「単一の情報源でコーディングされている」という言葉の意味がわからない。
>「単一のコーディングルールでコーディングされている」ならわかるんだが。

この場合
>A,Bは単一の情報源でコーディングされている

>そのアンフラ・ランガージュはなんなの?
>コーディングが可能となる要素がすでにあるってことだよね
>なにせコーディング(コード化)されてるんだから

つまり、ある単一の情報源というのは笛A,Bの音ということになり、 笛のメロディ
にはないということですかね…。
実は>>213に似た問題を出したはずですが、うけをねらって残したわけではないで
すよ。これもあらかじめコーディング(コード化)がなされていたということにす
ぎない。つまり打ち合わせ済みということにすぎない


223 :8:2006/02/12(日) 12:03:01
>>222 これ以上の説明は厳しい…。
>「単一のコーディングルールでコーディングされている」
同語反復になっている
→「コード化」=恣意的結びつき、そのものにルールが塗り籠められている
 わけではありません。
あとは考えてください。<記号学的言語>には限界があるのはこういう
循環論になるからです。

224 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 14:12:41
本来ルールとは気付いたらルールになっていただけにすぎないわけでしょ。
次元の異なる対象のカップリングがルールと呼ばれているにすがない

225 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 14:39:53
>>222
不勉強ですいません、
>アンフラ・ランガージュ
の意味を知らないので、全体として意味がわかりません。
いろいろ調べてみましたが、どうしてもわからないので教えていただけませんか。

>>223
>同語反復になっている

規則とその適用は同語反復とはいえないと思いますが。
その考え方だと、「刑事訴訟法で告訴する」も同語反復ということになりますよ。

>→「コード化」=恣意的結びつき、そのものにルールが塗り籠められている
> わけではありません。

何か「ルール」という言葉に特殊な意味を前提されているように思いますが。
私は、恣意的結びつき、そのものをルールと呼称しているわけです。
「塗りこめられるルール」などという、話題に上っていない概念をなぜここで
導入しなければならないのかわかりません。


226 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 14:52:31
規則とその適応というシステムには必ず逸脱という突然変異が生じる
そのように規則と適応というシステム自体がオートポイエティックに変化する
生きたシステムなのである


227 :JOJO:2006/02/12(日) 15:16:52
英語でインフラです。発音が大口の「エ」に近い、nは読まないが、ンを付けて
読んでるように聞こえるからでしょう。

すいません。正確には循環論と言うべきでした。
法律はもともと法律の言説を法律で定義しているから広義では循環論=同語反復になると
ということも言えます。Aを語るのにA内の言説で説明はできないというのは、
ゲーデルの不完全性定理で言われていたり、ヴィトゲンシュタインが「言語の限界
が思考の限界」と「論理哲学論考」で論じられたりしてます。難しいことなんです
があるAを語るときA内に含まれる言説を用いて説明すると必ず循環論≧同語反復に
陥ります。ソシュールが言語で持って言語を語ろうとしたことの限界でもある
のです。論文を書く人によくこの間違いに気付かないことも多いので要注意です。

228 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 15:58:28
>>217
そもそも「意味」(セマンティック)と「記号」を別モノだと言いうるのか?

「記号」を変様させたものが「記号」なのであって
記号の体系(共時態)には「記号」以外の何か(「意味」(サンス))は認められない
認めてしまうと「記号作用のない意味(サンス)」(デリダ『声と現象』)を
前提することになるが、これはもとより「考えること」ができない

直観的な「意味」の現前から「記号」が発生するという誤解があるのだろうと思う
言い換えれば、「記号」、「差異」よりももっと「根源的な何か」が
それこそが「記号」を生み出しているという誤解が

そしてその誤解は記号の記号性を抹消してしまい
記号と切り離すことのできないわたしたちの思考のシステムを見誤らせてしまう

229 :8:2006/02/12(日) 15:58:43
>>227 これ以上の説明は思いつかない…

230 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 17:21:58
>>227(JOJOさん)
>ゲーデルの不完全性定理で言われていたり
これは実際の日常言語では何に対応するのだろう?
基礎論では連続体の濃度の集合(実数)を入れた公理系で
でてくるのだよね。
私は、日常言語には不完全性定理は成立しないと言いたい。
なんてね。

231 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 17:46:43
「記号が生じる前には何らかの観念が必要だ」という説と
「観念は記号の生成とともに発生する」という説ではどちらが正しいか(ソシュールは後者)を比べる便法はありますか?

232 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 19:52:05
論考は一階の述語論理だから「完全性定理」が成立しますね。
だから、「語りえぬものについては沈黙しなけらばならない」
がダメダメよ。とした方がすっきりするかもしれませんね。
つまり「論考」について語ることを許さなくてどうするの?と。
論理学では「対象言語」と「メタ言語」と区別しますね。
もちろん、ハチさんの言うようにこれではダメダメなのですね。


233 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 19:56:16
> 基礎論では連続体の濃度の集合(実数)を入れた公理系で
> でてくるのだよね。

あたりまえのことですが、不完全性定理は自然数論から成り立ちますよ。

234 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 20:04:17
>>233
ありがとうございます。間違っていました。
対角線論法を使っているのですね。


235 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 20:32:56
>>233
いい(聞ける)人を見つけるとね。
加算無限の場合、ゲーデル数で証明できるのは有理数
、証明できないのは無理数と言う理解でいいの?
(勉強しちゃおう、便利だな)


236 :8:2006/02/12(日) 20:40:55
>>232
>つまり「論考」について語ることを許さなくてどうするの?と。
>論理学では「対象言語」と「メタ言語」と区別しますね。
>もちろん、ハチさんの言うようにこれではダメダメなのですね。
>>233
> 基礎論では連続体の濃度の集合(実数)を入れた公理系で
> でてくるのだよね。
>あたりまえのことですが、不完全性定理は自然数論から成り立ちますよ。
そうなんですよ。ありがとうございます。忘れてました。
常に思い出すことも必要ですね。



237 :8:2006/02/12(日) 20:58:53
>>231
ちなみに前者です。数学的公理系の様に論理構造でまとめるという、当初のソシ
ュールとはここで対立します。言語の「意味」は我々の生物学的、共同体的な
tacit knowing規定されている、と考えているからで、結果論として「観念は
記号の生成とともに発生する」という説を取るソシュールに首肯できる部分も
あるが、そこには通時的なものを置き忘れているのが伺える。つまり上部原理
を常に更新し続ける言語化できないtacit knowingの存在…、階層構造化のモ
デル無意識的な領域を前提に構築できなかった理論的限界がここでようやく
おぼろげながらでもわかってくるはずです。


238 :8:2006/02/12(日) 21:04:42
ゲーデルの「不完全性定理」と「完全性定理」は哲学する上でものすご
く学生時代参考にした。
学生時代は『ゲーデル・不完全性定理』吉永良正著・講談社(1992)
を始めに読んだ。すごいインパクトを覚えた。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1058.html
↑ゲーデルのこと、その理論の一端を知りたければ


239 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:05:16
>>227
なんかステハン変わってて、レス先も書いてないんですが・・・・。
推測してレスしないといけないんでしょうか?

240 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:10:00
>>228
そういう考え方で言うのならば、
意味記号(個人的な記号)から言語記号(他者と共有している記号)
への変換、ということになるんでしょうか。

とりあえず、何らかの変換(コード化)が存在することは確かでしょう。

241 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:11:59
>>239 気にするなw

242 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 22:01:51
http://rate.livedoor.biz/archives/50172870.html
野良犬に育てられた4歳男児が町のど真ん中で発見される

これどう思う? 何となくここで語られるべきテーマがある気がする

243 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:06:32
mowgli syndrome って学術的に認められた名前なんかな。
Googっても出てこんけど。

244 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:30:54
>>242
これがソシュールとどうつながるんだ、と直観で分かったら結構賢い。
ラングが形成されるとどこまで改変できるのか、また生活文化が人間の
身体とどう結びつくのか、また言語、文化現象、身体性とどう結びつく
のかという問題でもある、と俺は思うが

245 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:33:43
>>242 昔インドで発見されたオオカミ少女の話を思い出す…

246 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:57:49
言葉は話せないが、たいへん絵のうまい自閉症の少女がいた。
彼女になんとかして言葉を教え込んだ。
そうしたら、前のような絵が書けなくなってしまった。
概念を獲得したのがいけなかった。

247 :考える名無しさん:2006/02/13(月) 00:05:29
>>246 サヴァン症候群ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

248 :考える名無しさん:2006/02/14(火) 22:10:29
実験とはかけ離れたハンパな事例でなんやかんや
やたらと風呂敷を広げるのが哲学板か

249 :考える名無しさん:2006/02/16(木) 00:43:00
思い出したように逸話から何か言ってみたりってのが多すぎるな。
哲学ネタは、昔の人ができる限り最新かつ正しいだろう情報を使って判断したっつーのが多いのは仕方がない。
だからといって、今の俺たちが逸話のまんまそれしか土台にしてないってのはどうしょうもないよ。
しかも、哲学と言われている話題の中でも言語とか人間の思考プロセスみたいな話してるときには特に。


250 :考える名無しさん:2006/02/17(金) 10:13:32
ソシュールとフロイトってなにか関連性ある?

251 :考える名無しさん:2006/02/17(金) 12:14:01
二人とも、ものごとの背後に潜んで、
ものごとを成り立たせるシステムを考えたこと
これは、直接観察できる実体ではなく、概念として存在するものである
このようなモノではないコトという関係性である
構成概念というものを描いたのである
それがフロイトの無意識である

252 :考える名無しさん:2006/02/17(金) 23:42:35
>>250
上のほうで名前が挙がっている(故)丸山圭三郎さんが、たしか、
ソシュールとフロイト(またはラカン)とマルクスとは、思想的にも
非常に似通っている、なんてことを盛んに言っておられたね。

253 :考える名無しさん:2006/02/20(月) 06:02:57
>>8のソシュール論をもっと聞きたい

254 :考える名無しさん:2006/02/20(月) 07:18:27
凄い自演

255 :8:2006/02/20(月) 13:24:18
>>254 自演するほど落ちぶれちゃいませんけど…まあいいです。
今日は休暇ですからたまたま覗いてみましたが、忙しい中、
R・バルト「零度のエクリチュール」(みすず書房)を読み返し、
茂木健一郎「脳とクオリア」など読んでました。
ソシュール論はもう少し待って下さい…。

256 :考える名無しさん:2006/02/20(月) 13:54:41
二行目がなんだかとても蛇足な気がする

257 :8:2006/02/22(水) 13:26:59
>>252
>上のほうで名前が挙がっている(故)丸山圭三郎さんが、たしか、
>ソシュールとフロイト(またはラカン)とマルクスとは、思想的にも
>非常に似通っている、なんてことを盛んに言っておられたね。

 ソシュールはパロールに潜む言語形成する力にひどく拘っていた。
似通っているのは問題意識と拘り方。言語を形成するということは、ラングと
いう社会的言語=共同幻想の境界条件を作り出す人間とは何なのだという点。
それぞれの用語がひどく違っているし、バルト的に言えば楔の入れ方がとても
一定でないが、問題意識を見つめる<まなざし>に近いものがあることはいえ
ます。

258 :8:2006/02/22(水) 13:34:39
>>257の続き
ソシュールの思想はレヴィ=ストロース的構造主義を超える「問題意識」
持っていた点は否定できない。80年代の記号論ブームはバブル真っ盛り
の頃、商品消費の「戦略」として「消費」されてしまった感が強い。特
に、これはバルトによる「記号論」解釈の功罪が大きいと思っているの
だが、バルトが文化を見つめる分析はソシュールの分析とそれほど大き
な隔たりがあるわけではない。問題はソシュールの言語を形成する生命
論に至ろうとする問題意識を切り捨て、ツール化してしまったことは批
判しないといけない。

259 :8:2006/02/22(水) 13:47:33
>>258の続き
 バルトはツール化した「記号論」をあっさりと切り捨て、形式化を脱
出する旅に出てしまい、「テクストの快楽」、「恋愛のディスクール・
断章」等を出して80年に交通事故で亡くなる。その時、バルトは、「記
号論」に見切りを付けたのは限界表明と受け取り、そこに潜む「問題意
識」を忘れたまま現在に至る…というわけです。概ね、凡庸な学者はそ
れをソシュール理論の限界と同一視し、記号論もブームの一過性として
忘れ去られることとなる。構造主義とポスト構造主義にしても、連続性
を持ってきちんと見つめ直す必要があるわけで、「問題意識」を忘れ去
られたまま流行の服を替える様に思想の潮流があるわけではないのです。
 その過渡期に丸山圭三郎さんは冒険の旅に出たわけであるが、これは
「問題意識」を継承して学問の超領野を意識したということです。
学問の超領野を意識しないと問題は明快に見えてこない…このことはは
っきり言っておきたいことです。

260 :考える名無しさん:2006/02/22(水) 20:21:32
>>255
> 茂木健一郎「脳とクオリア」など読んでました。
ハチさん、こんにちは。「脳とクオリア」は本屋さんでちょっと立ち読み
しただけなのですが、どーも、茂木健一郎はレトリックだけの人の
よーな印象がありますね。レトリックを取り去ると当たり前のことしか
言ってないようなね。

261 :8:2006/02/22(水) 20:47:47
>>260 あれはテレビや小著においての「演技」だと思いました。

「脳とクオリア」のガイドは
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0713.html
↑ここを読むと物理学に興味ある人は読みたくなるはず。
私がなぜこの本を読もうと思ったのは、同じく立ち読みで本をパラパラ
とめくっているうちにこの一文に出くわしたからです。

《ある言葉の意味は、その言葉体系の中の他のすべての言語との関係に
よって決まる。》(茂木健一郎「脳とクオリア」p211)

これをマッハの原理に似て相対的視点に立った、否定しがたい命題と言
い放った。これはソシュールだ…と思った。クオリア論には懐疑的なが
らもとりあえず購入して読んでみた。物理学の変換式等が非常に難解な
がら読みきり、これはマッハの「認識の経済」論による脳科学の本で、
内容はこれまた難解なホワイトヘッドの哲学に近い。いきなり読むとこ
んな人間だったのだとカルチャーショックを受けるはず。少なくとも、
物理学と論理学、数学で脳を解析するという行為がただごとではなく、
記述方式も後半になると現象学的になるという変な本ではあります。

262 :8:2006/02/22(水) 21:00:27
>>261の続き
この認識は実体論を排除して、相対的認識論は脳においても「実証性」
があることを裏付けているのですが、そもそも
「脳細胞はニューロンのよる発火がなければ存在は無いのと同じ」
ということを言い放って哲学領域(そんなものは無い方が良いが)を
脅かす主張をしている。例えば臨床実験でかなりのデータがあり、学会
では「常識」なのですが、電極を指し大脳にある局在箇所に微弱な電流
を流すと色々な視覚映像が出現したり、色々な臭いを感じたりするそう
です。存在は生理学的なものを通じて認識を達成されるのは、ここまで
くると疑いようがないのですが、まあこのことを話し続けるときりがな
のでこの辺でやめときます。

263 :8:2006/02/22(水) 21:25:12
大学時代、物理学者、哲学者マッハの「感覚の分析」を読んだのですが、
未だに、哲学、物理学両分野からこれを完全否定することが不可能な
テーゼを引用しておきます。

「真に無条件の恒常性などというものは存在しない。われわれは、ひた
すら、諸条件を看過したり、過小評価したり、常に与えられているもの
と考えたり、随意的に度外視したりすることによって、恒常性に到るの
である。ありとあらゆる恒常な場合を包括する恒常性が唯の一種類だけ
存在する。それは、結合(または関係)の恒常性である。実体や物質も
決して無条件に恒常的なものではない。」(p269)

もちろんこの哲学を有名にしたのはアインシュタインの相対性理論であ
ることは言うまでも無いのですが、マッハは相対性理論を批判したのは
意外と知られていない。なぜなら光を基準にしたから過渡的な理論とし
て厳しく非難したからだ。光に「妥協」したと言ったわけです。
 現在の物理学では知られているが、光はブラックホールや重力場等で
「速度」が変化する。これまた光は重力という制限が発見されたという
わけです。「認識の経済」は物理学の話だけではなく、哲学の話でもあ
るのです。

264 :8:2006/02/22(水) 21:30:38
つまり、関係として捉えていこうとする認識これがソシュールとマッハ
に共通していること、そしてこの認識論が現代思想の「構造主義」とい
う潮流を生み出したわけです。特にレヴィ=ストロースのサルトルとの
論争は有名ですが、これはここでいうところの相対性認識論による近代
至上主義への批判と捕らえることも可能なわけです。

265 :考える名無しさん:2006/02/22(水) 22:20:04
8さんは博学でつね。
でもバルトがあっという間に終わってマッハになってる。
一人で完結してる。
レベル低くても他の人との対話があった方が面白いよ。
元々対話であり産婆術だったんだろ?

266 :8:2006/02/22(水) 22:51:50
>>265 バルトは難しい。きりがない…という意味で。多元的解釈を許すからw
 どうしても「モード」の仕掛け人でもあり、エクリチュール、ディスク
ール、テクストといった用語の活用のセンスがすごい…と思う反面、キザ
だなって思ってしまう(これは趣味の問題なので気にしないで下さい)w
 バルトを知るなら「表徴の帝国」(みすず書房・ちくま学芸文庫)と
いう日本論を書いているので参考に読んでみると面白い。実は理論的面で
有名にしたのは「零度のエクリチュール」「記号学の原理」「テクストの
快楽」。あと「サド・フーリエ・ロヨラ」等どれを読んでもそれなりに
面白い。はっきり言って私は大学で「記号論」のゼミを専攻していた関
係で、バルトを語り出すときりが無いし、結構読んだ。そのため意識的に
強引に切り替えたごめんなさい。
 では「構造主義」としての位置づけで書いてみましょう。

267 :8:2006/02/22(水) 23:14:17
>>266の続き
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0714.html
「テクストの快楽」ロラン・バルト↑の手引き

バルトを語る前に用語を説明します。これは避けて通れないので。
ポスト構造主義の思想家でフーコー、デリダ、ドゥルーズ等
フランスの思想家が使ってますしその意味でも覚えておいてください。

テクスト   (text:原語は編み目。原文、テキスト)、
エクリチュール(écriture:書くの名詞形、書字とか書法とかの言い方が
        あるが日本に適当な訳語がない。私は書くことを通じた
        文体、集合観念という考えで捉えて欲しい。
        文脈で、文体、記録、書類、文書等)
ディスクール (discours:言述、言説、話とか訳される、これまた説明
        が難解な用語。文脈によってはスピーチ、談話、等)
⇔langue、≧palole


268 :考える名無しさん:2006/02/22(水) 23:26:06
おいおい
テクストもパロールも綴りが間違ってるよw

269 :8:2006/02/22(水) 23:40:05
>>267 バルトは、文学におけるテクストとは作者がただ読み手に伝える
だけでなく、「読ませる」ことを通じてたえず新しい意味を解釈、生成、
という運動の中で織られる織物のようなものだという発送があります。
 しかもこれは文学だけでなく、文化全般にまで拡大した。その領域は
、モード、映画、写真、神話分析などに及んだ。日本においては、蓮實
重彦などがダイレクトに影響を受けている(もっとも彼の個性のせいで
思わぬ射程に論が進む人)。主著は「モードの体系」であり、「記号論」
を勉強する人間の基本書になっている。広告業界、ファッション業界で
これを読んでいる人は少なからずいる。
 文化現象を何かある見方に固定するのではなく、広がりをもった複雑
な意味の現象と捉えたことが何より(当時は)新しかった。文化を独自
な意味作用を生む記号と捉えたこと、この転換が優れていた。
 彼の日本論「表徴の帝国」では日本では歌舞伎の隈取り(独自の迫力
の表現)や竜安寺の石庭(庭であって庭でない)等のものを「意味の囚
われない記号を楽しむ国」と見た(日本人からみればそうではない、と
いう反論はあるが、キリスト教社会から見れば重苦しい「意味」に囚わ
れていると思っている)。また東京の皇居が大都会の中に「何も無い空
間」がないが存在することに驚いている。西欧は大聖堂や王宮や広場と
いう「中心」から街が広がっている構造がある(このことは河合隼雄も
日本における「中空構造」として指摘している。伊勢神宮等、中に入る
ごとに何もない空間が広がる構造が日本の精神構造を表現していると指
摘)。彼が日本をフィールドワークしたものと読むと面白いと思います。

270 :8:2006/02/22(水) 23:59:10
>>268 訂正:palole→parole、text→texte 
    時々英語とごちゃになる… ごかんべんをw

彼の名を有名にした「零度のエクリチュール」(1953年)(ちくまは
「エクリチュールの零度」という題名でしたっけ?)。彼37歳の時で
す。エクリチュール…書かれた文章の「意味=構造」が色々な時代に
おいて多元的な「解釈」を持って通過していったと指摘している。
 つまり歴史的にみて「絶対的な」エクリチュールなるものはなく、
そこには解釈が多元的に意味は広がる(拘束条件はあっても)ことを
論じている。つまり階級的なエクリチュール、職人的エクリチュール
など社会的にこうでなくてはいけないと規定していないが、見えない
<制度>に縛られていると読んだ。またディスクール(言説)も私達
が接する「現実」にまで到達しているわけではないと指摘している。
この辺の論旨はフーコーの<エピステーメ>等の用語でさらに発展させ
ている。(ちなみに「零度」というのは何も意味しないことを意味する
記号のことで、よくゴルゴ13が「………」と使うのはこれ)

271 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 00:10:58
>>270
その例は意味してるような。

272 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 00:14:18
>>269
作者が読ませる?

273 :8:2006/02/23(木) 00:24:22
>>271 これは今でも言われているが「………」とはよくマンガで使われ
る様になっているが、バルトは不在、中性的「意味」が籠められていると
いう、実にバルトらしい言い方をしている。つまりそこは不在であるがゆ
えに読むものがそこに意味作用を形成して塗りこんでしまうという。
「すなわち…沈黙とはそこでは、ふたつの層の間に楔を打ち込み、語を
暗号文の断片というより、光、空虚、殺戮、自由のように爆発させる、ひ
とつの同質の詩的空間なのである」
「零度のエクリチュール」(みすず書房版・p71)
さらに零度は主体に自由な解釈を許そうという語からの開放のために空虚
な地帯を作り出し、書き手が「意味」の責任から開放されるのだと続く。
この辺の論旨がバルトが喰えない所ですwww

274 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 00:29:51
文学でつね
意味作用の責任は負っている?
読み手の主体はある?

275 :8:2006/02/23(木) 00:32:16
>>272 読み手に読まれるということです。
>>273 零度は書き手、読み手が語の拘束を受けずに自由になる空間で
あると論じている。このくらませっぷり(ごまかし)が「ふざけるな!」
と当時は思ったが今思えば外れていない。


276 :8:2006/02/23(木) 00:44:06
バルトは文語(過去を背負う文体)から開放されるには別の方法として
白いエクリチュールを創造せよと解いている。これは法(モード)から
開放された形式、零度のエクリチュールが必要いう。
 されど「…不幸にも白いエクリチュールほど不実なものはない。自律
運動がはじめに自由があった場所自体で練り上げられ、硬化した形式の
網がますますスピーチの最初の新鮮さを圧迫し、あるエクリチュールが
不定の言語にとってかわって再生する。作家はついに古典派となり、そ
のプリミチーフ(原始的な)創造活動のエピゴーネン(追随者)と化し、
社会はかれのエクリチュールをひとつの流儀にかえ、それもまた自らの
形式的神話のとりことしてしまう」で終わっている。現在の文学の世界
だけでなく、テレビ番組等の今の状況を予言しているが投げっぱなしな
んですよwwバルトさん…。

277 :8:2006/02/23(木) 00:59:26
バルトを読むと現在の日本の批評家がなぜ賞賛をしたのかはよくわかる。
はっきりいって文体もフランス独特の散文体でもないのにレトリックに
満ちているし、さすが文芸批評家と思わせる。バルトは自分を教授とか
批評家とか定義されることを嫌い、争い(批評)を差異に切り替えた人
で80年代から現代に到る文芸批評で彼の影響を受けていない文芸批評家
は恐らく一人もいないであろう。このスタイルはかなりマネされている。
 そう…ここまで語ればわかると思いますが、バルトを語るとどこにも
たどりつかない。じゃどうすれば良いのかという骨針、方向がない。
つまりその作業に出た矢先に交通事故で死んでしまったからです。彼は
公にはしてないがゲイでマザコンだったらしい。結構ハンサムなのに…
生涯独身でした。ミッシェル・フーコーとも交際して別れたようだ。

278 :8:2006/02/23(木) 01:23:49
ソシュール理論の波及効果
言語学以外の構造主義
レヴィ=ストロース、ラカン、バルト
アルチュセール、フーコー(彼はポスト構造主義ともいえますが、過渡期
などで説明の必要がありそう)
哲学ではメルロ=ポンティ

順番から言って次はラカンあたりかな…これまた難解なんだけど
(アルチュセールは読んでないので概略しか知りません。マルクスの
再生に興味なかったからですが)

279 :8:2006/02/23(木) 01:26:58
>>278の続き
質問が無かったら、ラカンを語りたいです。
質問があったらカキコよろしくお願いします。ラカンを説明するのは
気合がいるし、纏めるのが時間が必要なので
今日はこれくらいでおやすみなさい。

280 :8:2006/02/23(木) 18:23:51
ジャック・ラカンについて…経歴、用語説明・理論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3
ジャック・ラカン「テレヴィジオン」への評論
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0911.html
まずは資料として

281 :8:2006/02/23(木) 18:28:44
>>280 ジャック・ラカンを説明すると退屈なので、フロイトの系譜が
現代思想の位置づけとしてどうなのか、日本でフロイト理論はどうな
のか、この辺を説明した方が面白い気もするが… 岸田秀とか絡める
と楽しいんだが。

282 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 18:33:50
ラカンは構造主義者じゃない!と言ってみる・・・

283 :8:2006/02/23(木) 18:40:33
>>282
 正確には「構造主義」を口に出してスローガンにしたのは、レヴィ=
ストロースだけですよね。知ってます。ラカンも確か「自分は構造主義
者じゃない!」と言っておられるわけでまあ、ぴかぁ〜 さんの言う通り
なんですが。


284 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 18:45:11
いや、いって見ただけですから(笑)
中期の象徴界の「無意識は言語のように構造化されている」は
もろ構造主義です。
続きをどうぞ・・・

285 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 18:54:58
ぴかぁ〜の知ったかが始まったぞw

286 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 19:05:14
>>284
>「無意識は言語のように構造化されている」
有名なテーゼで正確には
「無意識はランガージュ(言語活動)と同様に構造化されている」
といいますが、ランガージュは言語活動一般をさしてます。
ランガージュは
丸山圭三郎解釈では、(frag=ソシュール原資料の断章)
「ランガージュは、人類を他の動物から分別するしるしであり、人間的
な、あるいは社会学的といってもよい性格をもつ能力」(frag.3283.8)
らしく、さらに丸山はリビドー、エロティシズムに非常に近いエネルギー
と定義しているが…
 この当時ソシュールのテキストは誤解多数の「一般言語学講義」に、
集約されているので、訳し方もまちまちらしい。従ってラカンの文脈から
して言語活動あたりが適当ではないかと思われる。フランス語は隠喩・換喩
等のレトリックが多いので訳し方を間違えると全然違うことになる危険な
言語ww

287 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 19:11:38
さすがソシュール派ですね。言葉にうるさい(笑)
ランガージュ(言語活動)というのが大きなポイントですね。
ラカンは精神分析ですから、それまではパロールを重視していた。
ランガージュ(言語活動)重視は、中期の構造主義への大きな転換であったわけですね。

288 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 19:19:32
知ったかでよく言えるなw

289 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 19:24:42
しかも松岡正剛のページから画像の無断転載してるしw



290 :8:2006/02/23(木) 19:30:23
「無意識はランガージュ(言語活動)と同様に構造化されている」
というのは、ラカンによれば、任意の主体(他者)によって話される
言語活動とした。これはいささか複雑な物言いだが、ラカンはソシュール
の原資料のことを知らず、自分で独創的にランガージュを定義したらしい。
 つまりラカンの解釈によれば無意識は「他者との交流」によって発生す
る存在とした。ここからややこしいが、自己としての誰かは、いつも自分
のことを語っているつもりになっている。しかし自分のことを語ろうとす
ればするほど、そのランガージュはいつの間にか他者を語っていると言い
放った。つまり他者との語らいと比較でしか自己を規定できないからです。
 岸田秀はネオテニー(幼形進化)の理論を取り入れ、人間は本能の形式
が壊れた動物と主張したらしいが、ラカンもネオテニーの理論は気にして
いたらしい(「エクリT」みすず書房)。
 しかしラカンも<シニフィアン連鎖>という言い方で欲望のグラフを作
成して(「エクリV」みすず書房)心(もしくは魂)からもはみ出してい
ることを見抜いた(この辺は記号論のコノテーションと同じで意味連関が
膨れ上がる<過剰>性と同じ)。
  S
  ―
  s ラカンはこういう表記をした。(ラージSがシニフィアン、スモールsがシニフィエ)

 シニフィアン連鎖とはソシュールや記号論と同じでシニフィアン
(Sa=S)、シニフィエ(Sé=s)でシニフィアンが優位とする主張でこれは
ソシュールに間違いなく由来するもの。



291 :8:2006/02/23(木) 19:46:57
 フロイト理論は実体論を逃れられないという欠点や理論的構造欠陥
が否定できないのだが、ラカンはフロイト解釈する側に問題があると
した。つまりフロイトの曖昧な点を読む側を分析するというある意味
バルト的な戦略を取った。ラカンは「リビドー」を外すというフロイト
理論の脱臼(保留)を行って、患者の意味「構造」を分析した、結局は
無意識の他者性に達成してしまったという意味では結果論としてバタイ
ユの言説に近くなってしまった。
 実を言えば、岸田秀というフロイト派の方がいる。この人の内容は
晦渋極まりないラカンの文章と打って変わって全然明快に文化現象を分
析して語っているが、非常に違う言説だが実はラカンと共通点が結構あ
る。

292 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 19:52:19
8よ、気をつけろよw
前見た時は、ぴかぁ〜のブログにあのグラフの図が無断転載してあったぞ。
8が>>280で出したリンクを出したから分かったものの、隙あれば無断でパクるからなw

293 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 19:58:14
ラカンはフロイトだけで語ると見えないです。
ある意味で、ハイデガーそのものですから。

注)雑音がうるさいですが、無視してください。
  ボクのいくところ、いくところににつきまとう
  頭のおかしい子ですから、放置願います。

294 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 20:01:55
ぴかぁ〜のブログを見たら、なんとあのグラフが消えているじゃないか。
8がリンク出したんで、パクったのがばれると思って外したんだろw

295 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 20:04:12
>>293
松岡正剛のサイトからの無断転載を指摘しているだけですが、何か?

296 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 20:13:45
8はなんで自分にレスするんだ?

297 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 20:15:35
ぴかぁ〜って本当に、人間としての器が小さいよね。

298 :8:2006/02/23(木) 20:17:36
共通点として
1 本能形式をなくしているとした
2 無意識が社会的言説の構造を持つとした(岸田はフロイト理論は社
 会心理学であるとした。
3 意味は無意識にある「他者」が決めたものとした

岸田秀もラカンの翻訳をしているので、理論のことは知っていたが、
引用形跡が全く無いがどうして共通項が多い。私は「構造主義」とい
うのは、言説を徹底的に分析してその意味内容との格闘から生まれた
運動と自分の中で定義している。まあ個人的見解ですが。
 柄谷行人が「マルクスの可能性の中心」という本を出したが、ラカ
ンと岸田なら「フロイトの可能性の中心」となるだろう。いずれにし
てもフロイト理論の有効性と欠点を双方とも同じベクトルで見ていた
ことは確か

299 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 20:24:33
対話するつもりが無いならブログでやったらいいじゃね?

300 :8:2006/02/23(木) 20:30:16
>>298の続き
丸山圭三郎の様に「ソシュールの可能性の中心」とまで語る必要は今
感じてないんですが、少なくとも自分以外の他者が「彼は何ゆえ語り
どう考えていたのか」を理解するということは「哲学」的認識論の問
題として重要ですし、バタイユなんかもそういう読まれ方をすると、
面白いのかもしれまいし、十分哲学じゃないですか。自分は他者と如
何に理解に到達するのかはフッサールの言説では少ないけど、それこ
そ「現象学」と「構造主義」は導入部が違う様に見えて問題意識は似
ていませんか?どうでしょう…

301 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 20:33:32
>私は「構造主義」とい
>うのは、言説を徹底的に分析してその意味内容との格闘から生まれた
>運動と自分の中で定義している。まあ個人的見解ですが。

岸田は良く知りませんが、
哲学史的な構造主義の位置づけは、物そのもの、現象(認識世界)に、
続く、象徴界(言語=無意識)の第三項の導入にあると、言われていますね。

302 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 20:35:40
>岸田は良く知りませんが、

岸田すら読んで奴がラカンを語るとは……
さすが、ぴかぁ〜クオリティーw

303 :8:2006/02/23(木) 20:42:52
>>301 無意識≧他者=言語と規定しているラカンやバタイユの言説に即す
ならぴかぁ〜さんの理解は正しいと私は思います。
 近代は理性による自己の克服を至上のものとしていたが、その地盤を揺る
がしたのは他ならないニーチェとフロイトだと思います。ニーチェは道徳に
潜む権力を告発した(「道徳の系譜」)この系譜と構造主義の流れを組む、
言説分析、構造理解の二つが大きいと踏んでいます。
 つまるところ、例えば、マルクス主義が謳歌されていて、イデオロギーに
陶酔する人間の深層を見つめることができなかったとこう読んでますがどう
です?

304 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 20:44:47
>>303
無駄無駄。

岸田すら読んでないんだから、
ラカンだって、8に何か言わせようとして適当にキーワード
並べてることに気付けよ。

305 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 20:59:25
>>303
マルクスの商品分析をフロイトの夢分析は同じ構造だと、
ジジェクはいいます。さらにマルクスは下部構造としての
経済活動をあげます。
その意味では、理性の下部構造を分析した者として、
ニーチェ、マルクス、フロイトをあげることができます。
そしてこの3人ともがダーウィンに影響されていることは、
忘れてはいけないでしょう。

だから、マルクス主義は、人間の深層を見つめてはいました。
しかしそれを実践へ展開するときに、失敗するのだと思います。
それはニーチェも同じで、超人思想、永久回帰など。

これは哲学家の宿命ですね。分析はすばらしいが、実践するときに躓く。
ヘーゲル、フッサール、ハイデガーなどもしかりです。

306 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 21:02:27
>ニーチェ、マルクス、フロイトをあげることができます。
>ヘーゲル、フッサール、ハイデガーなどもしかりです。

確実に保障するが、一冊もぴかぁ〜は読んでないぞ。

307 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 21:15:38
>>305 私はラカンの孫弟子のジジェクは読んでないが、柄谷行人が
「マルクスの可能性の中心」で下部構造との分析や、マルクスの商品
分析、貨幣=物象論がフロイトに似ている構造があったという意味で
はそうだと言えるが、これはマルクスの理解がそこに及ばず労働価値
説にいきなり飛躍してしまった。アルチュセールはこれを認識論的切
断といっている。人間の深層を見る視点があったことはあったが、マ
ルクスの言説は明らかに分裂している。それをさらに教条的にマルク
ス主義ともなれば、道徳的熱狂とイデオロギーが人間主義前期マルク
スの解釈と融合することで燃え上がった。労働価値説は明らかにおか
しい。人間主義的な部分がマルクスにあったからといっても、これは
間違っています。

308 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 21:20:36
物質から来ました

309 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 21:21:29
vipだろ?

310 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 21:22:06
いや物質だってば

311 :8:2006/02/23(木) 21:29:01
>>305 マルクス、エンゲルスの「責任」は明らかにある。分析と実践
が多くの場合失敗するのは、人格的立脚がないからで、その意味では
ヘーゲルも同様ではないかと思われる。私はヘーゲルの失敗は「絶対知」
という<神>を志向したという意味で鋭かったがそこにに至ろうとする
弁証法的展開が明らかに理性的な「虚偽」であり、そこにはヘーゲル的
な恣意的な理解でしかない。弁証法は魅力ある理性的展開であるが価値
はないと思っている。ニーチェもデュオニソスという非理性を志向しな
がらそれを超人思想という偶像に狂喜するあまり、そこにおけるプロセ
スを理性的に永遠回帰という「証明」をやらかしてしまった。徹底的に
疑うべきだったと思う。早急すぎたと思っている。
 ハイデガーはまだ読むべき示唆があると思うが、最終的に矛盾がある。


312 :8:2006/02/23(木) 21:38:44
>>305 ハイデガーの存在論=世界理解の志向がどうしても納得できな
いのは、そこにおける関心が何なのか、そして認識としての飛躍はい
かなる形で達成されるのかに難点がある。その意味でそこに潜む近代
的な文化の恣意性を見抜けなかったということです。
 フッサールの現象学には他者性に対する理解が少ない。現象学自体は
<還元>プロセスは思考法としては結構臨床医療の分野で利用されてい
る。もっともその中でも多くはメルロ=ポンティだったりするのだが。
 特に幻肢の現象についての考察はかなり有効度が高いという臨床報告
も多いようです。フッサールの思想はともかくとしても、<現象学>の
利用価値はまだあるようです。もっともこれは<哲学領域>なる<幻想>
を排除してでの話ではありますが。

313 :8:2006/02/23(木) 21:40:56
>>312の続き 非常に長くなりましたが、その意味で現象学と構造分析
という手法はまだ有効性があると踏んでいます。問われなければならな
いのはそこに至る志向プロセスを如何に相対化して記述することが可能
か…ここが問われなければならないと思いますがどうです?

314 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 21:51:48
マルクス論、ハイデガー論などの詳細の議論はありますが、

哲学とは人間の「症候」である、ということでしょう。
あれが、正しい、間違いといってしまった時点で、すでに躓いている。
またローティ的にいえば、分析と実践の統一は諦めなければならない。
大きすぎる話ですが。

315 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 21:57:44
>その意味で現象学と構造分析という手法はまだ有効性があると踏んでいます。

どのような意味で有効化ですね。
たとえば認知科学の世界では、クオリアなど、いまごろ現象学が回帰して
います。
あるいは最近の社会分析では、まだ構造主義的な分析は有効でしょう。

「歴史は終わった」、「哲学は終わった」とヘーゲルから受け継いだ、
コジェーブの言葉があります。コジェーブはソシュールとは別の
構造主義の父のような人です。
哲学は、文学の一分野なのか、なにかまだ有効なのか。

316 :8:2006/02/23(木) 22:00:57
>>314 症候? 「病」という意味ですか?
>分析と実践の統一は諦めなければならない。
これには異論がありますね。そもそもそれを諦めたら「哲学」や思想の
存在価値が無くなってしまうじゃないですか…。
(個人的には良い意味で無くても良いと思ってますがw)
 

317 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 22:01:54
→どのような意味で有効かですね。

話が発散しすぎていますね。このようなことを議論するスレでは
ないんでしょうね。

318 :8:2006/02/23(木) 22:11:27
>>315 
>たとえば認知科学の世界では、クオリアなど、いまごろ現象学が回帰しています。

これはそうです。その意味ではです。
メルロ=ポンティの細かい点はミスもあるが、全体として<生理的なも
の>を通じてでしか身体から世界認識は達成できないという着眼点は評
価すべきでしょう。一部非難もあるようですが、これについて異論があれ
下さい

構造分析手法は、一部でしか有効性を持たないということではなく徹底
的に構造分析による相対化と現象学と併用しなけば「哲学」に明日はな
いでしょう、多分。どうです?


319 :8:2006/02/23(木) 22:13:28
>>317 まあそうなんでしょうが、関心あればどうぞwww

320 :8:2006/02/23(木) 22:27:40
質問・意見があったらカキコよろしくお願いします。
次はフーコーを目論んでますが…
今日はこれくらいでおやすみなさい。

321 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/23(木) 22:37:13
>>319
いきなり発散した話もなんなので、ボチボチレスさせてもらいます。
がんばってください。

322 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 23:23:15
あーあ、8にぴかぁ〜が寄生しちゃったよw
これからぴかぁ〜はパクリ放題だね。

323 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 01:30:13
このスレ面白いなぁ。いいスレ見つけた。
ぴかぁ〜粘着もいるにはいるが邪魔にならない程度のほどよい茶化しが絶妙な味わいだ。

324 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 03:18:28
現代思想だいっきらい


ソシュールなんてどうでもいい

325 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 04:09:27
うわああああああああああああああああんわかんないyooooo

326 :8:2006/02/24(金) 18:47:51
>>320
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0545.html
ミッシェル・フーコー「知の考古学」

 フーコーはやたらと「難解」だって言われている。
けれどインターネット社会の今フーコーの理解のやり方自体を変えていかない
とおそらく「難解」のまま終わってしまう。特に彼の「人間の終焉」の言説は
注意しておく必要があります。
 フーコーは十八世紀末以前に<<人間>>は実在しなかったと爆弾発言をかました。
これは「言葉と物」(p328)で述べられている内容であります。彼のエピステ
ーメの概念やこの「人間の終焉」の言説は勿論ソシュールの影響によるもです。
 その言葉を精密に理解すれば、manは女性を意味しないが以前は男性と女性は別
の生物として捕らえられ、キリスト教社会では女性の主体性は存在しなかったと
言える。つまり生物学的人間は近代に至って出来上がった<概念>による構築物
であるいったわけで、言葉の理解を拡張してフーコーは時代による<知>の集合
として捕らえなおす主張を始めた。
 また当初、精神病理学を目指していた中「狂気の歴史」「精神疾患と心理学」
「臨床医学の誕生」等に向けられた<まなざし>は「狂気」=精神病というも
のが時代で如何なる形で捉えられ<権力>による排除が行われたという意味で
一貫している。


327 :8:2006/02/24(金) 18:59:15
>>326 フーコーが「難解」と言われる理由はいくつかありますが
1 彼がフランス独特の散文体によるレトリックの文体の名手で、文構成が
  日本の述語が後部にくる文体と合わない
2 彼独自の専門用語、<知>や<エピステーメ>、<言説(ディスクール)>、
  <言表(エノンセ)>、<アルシーフ(集蔵体)>、<表象>などの翻訳に
  よる誤解。実際用語の多くはフランスの高校生レベルでも分かる用語なのだが
  厳密に翻訳しようとする日本人による弊害


328 :8:2006/02/24(金) 19:11:37
>>327の続き つまるところ、用語さえ理解すればフーコーの言っている
ことは
「現代は見えない他方からのまなざしからの<権力>に囲まれている」
「近代的人間はヨーロッパの総合知による構築物にすぎない」
「エピステーメ(パラダイムと言っても良い)は考古学的切断がある」
「中世には<精神病>存在せず、近世において時代の理解を超越したも
 のとして<排除>する構造が実現した」
「やがてそれが精神病院という<垣根>を作り囲って排除した」
「エピステーメは時代によってアルシーフという規則で集約され常識・
 前提として時代の知を動かす」
「性愛は時代によって変化している文化だ」など
フーコーは独自の哲学というより、実践的な思想が主な主張で現代でも
多くの議論がかもし出される思想家と言える

329 :8:2006/02/24(金) 19:15:43
>>328の続き 
まとめるとこんな感じかな…あと84年にエイズのよる敗血症による死亡
とホモセクシャルであったことも重要ですねw彼がゲイであったことは
彼のマイノリティ(社会的少数派)についてもまなざしで一貫している
とは思いますが。彼がゲイであることの濃い発言でもどうぞw

330 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 20:15:43
お前フランス語できるの?

331 :8:2006/02/24(金) 20:53:40
>>330 辞書首っ引きですが読めます。
大学時代、フランス語を取っていたが、先生がフーコーを知ってました。
「『言葉と物』ああ、あれね中学生の歴史ぐらいの用語しってればわかる
レベルだよ。実際高校生にもかなり読まれていたし。でも内容は高度だよ
ね…あんなものがベストセラーになるフランスは怖い国だね(笑)」
と言っていたし、大学の図書館に行って原書も辞書首っ引きで読んでみた。
たしかにエピステーメはギリシャ語だけど文脈でわかるし、ディスクール
とかもスピーチくらのニュアンスで流通しているしエノンセとかも文面
ぐらいの意味なら流通している。つまりフランスは換喩表現の幅が日本と
非常に違う。フランス語は同じ語でも幅が非常に広い。つまり「詩的」な
んです。レトリック表現に長けているというより、フランス語はひとつに
籠める意味のキャパシティがでかいわけです。
ソシュール理論になりますがフランス語と英語の対応で説明しますと
mouton(マトン)=sheep(シープ・羊)+mutton(マトン・羊肉)
bœuf(ベフ)=ox(オックス・牛)+beef(ビーフ・牛肉)
 ちなみにオックスフォード(Oxford)という地名は牛の渡し場という
意味から来ている。英語の対比から見てもフランス語のより英語の方が
語の分裂が多い。これのせいです

332 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 21:21:05
>>331
フランス語は同じ語でも幅が非常に広い
それって語彙が少ないだけでしょ?

333 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 21:25:04
ますます現代思想がキモくなってきた

334 :8:2006/02/24(金) 21:41:25
>>332 蛇足ついでにこういう事例がある。皆さんの意見も聞きたい
 物理学者ファインマンが来日したとき
「日本語はその場に応じて三つも四つも言い換えがある」として
「こんな国語は僕の性に合わない」と日本語の勉強をやめてしまった
とか、5ヶ国語を話す日産のカルロス・ゴーンが
「日本語は話せそうだが(日本語で)書類を書くのは(今からではおそ
らく)無理だ」
と言った逸話がある。これは日本語が高度に分節性を持った言語でしか
も単語で漢字、ひらがな、カタカナまである。
 来日したラカンが日本語のような文字の使い方をする人々には精神分
析は(もしかしたら)必要ないのではないか、と言ったそうです。つま
り漢字の音・訓読み(中国、日本との分節性)、ひらがな、外来語に使
用する「カタカナ」という文字、つまり読み替えを意識的に行える語な
のではないかと言いたかったのではないだろうか。外のものを取り入れ
ながら、しかもそれを外のものと意識できる日本語独自の分節性は日本
のナショナリズムの深層の何かを暗示してないだろうか?
(柄谷行人「日本精神分析」より)

335 :8:2006/02/24(金) 21:57:29
>>334の続き
 つまり、日本が単一民族と意識できるのはこの通時的分節性が高いか
らと言われている。>>332で指摘していますが、じゃなぜ語彙が少ない
=分節性が低いといえるのか?
 西欧と日本では詩の構成からして全然違う。この辺は重要な問題では
ある私は思いますが。人によっては「つまらん」ことかもしれまんが。
 

336 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/24(金) 22:08:40
ある意味で日本人はとても海外に開いていますね。
国際規格などができると、まめにそれを受け入れ取り入れる。
たとえばアメリカなどいまだにフィートなど、容易に変更しない。
しかしこれは逆に、日本が素朴な単一民族的な安心の支えられている
からかもしれないですね。

337 :8:2006/02/24(金) 22:26:24
>>336 日本語は言語による外部からの侵入に(表面上は)柔軟に受け
入れつつも同時に排除しているという二重構造がある。これが西欧に
なると単位・通貨・基準を誇示(もしくは固持)しようとしている。
 日本は言語(外来語)の侵入に柔軟というか排除を簡単にしてしまう。
これは非常に日本という国が言語に立脚した統一性が高いことがいえます。
日本語は外国語との差異の比較が難しいじゃないかという意味ではソシ
ュールの理論に難点があるのではないかという反論がいまだに後を絶た
ないのですが、逆に日本語の恣意性の高い<差異化>こそ唯一特殊なケ
ースで未だに議論が絶えない。今韓国にいってごらんなさい。最近まで
中国語・漢字・日本語の看板があったのに、今や国がハングル語に統一
して言語の締め出しをしてしまった。これは何を意味するのか…

338 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/24(金) 22:36:17
ハイコンテクスト/ローコンテクストというのがありますね。
日本はハイコンテクストと言われています。
コンテクストの「同じもの」性の強い結びつきという幻想が、
外部に柔軟であり、排他である、ということですね。
ローコンテストでは柔軟であるという余裕がなく、
排他的になる。

今韓国は単に国策では?

339 :8:2006/02/24(金) 22:46:39
>>337の続き
例えばロシア語を例に取れば(外来語が結構多い)、、CTOПは外来語で
英語の読みのままストップと読みますロシア語のアルファベット表を参
考にしまして読み方変換しますと
C→és T→té О→ó П→pé となりほぼストップに近い形で読み
ます。これではロシアは言語によるイデオロギーの統一は無理です。
ハングルも古代の日本語の読み方に近いのではという報告もあるぐらい
ですし、言葉(パロール)は日本に強姦されたために文字という記号に
よる復権かもしれませんね。

340 :8:2006/02/24(金) 22:54:52
>>338 国策なんですがいみじくも無意識レベルで無視できない問題点
ではあります。つまり韓国は自己を回復するためには、中国やロシアの
様に外来象形文字を排除することだと考えたのではないかと思われる。
 フランス語、ドイツ語、英語になると、読み方(シニフィアン)での
差異化が強いが、結構共通のスペルも見受けられる。これは、ラテン語
に端を発して(日本に譬えれば)方言レベルで差異化が起こったと言える
わけであるがロシアや韓国などは歴史的に外圧により屈服の歴史の方が
多かったからこそ、人類学的にいえば象形文字による共同体の復権を形成
したのだといえると思います。

341 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 23:01:32
これどうかしら
ttp://web.archive.org/web/20031101223420/www.nct9.ne.jp/mandala/study.html

342 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 23:02:14
それは、単純
に日本と違って自分の国が大好きだからじゃないんですか?

343 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/24(金) 23:02:21
簡単にいうとナショナリズムの台頭ですね。
なぜいまナショナリズムか。
アジアの日本バッシング、日本の嫌韓、
イスラムとアメリカの対立。
世界が小さくなりすぎたのですね。

長期的な言語構造の変化と、短期的な意識(ナショナリズム)を
対比するのは無理があるような気がします。

344 :8:2006/02/24(金) 23:11:14
>>341 これは私独自の解釈+岸田秀+レインの理論を述べれば
外的自己=シニフィアン(視覚・聴覚・イメージ)つまり標識・文字
内的自己=シニフィエ(概念・意味)としたらどうですか?
(R・D・レインの用語「外的自己」「内的自己」を使って表記)
外的自己は表の顔つまりタテマエ、仮面のことで
内的自己は裏の顔つまりホンネのことです

レインによれば、人間のこの二面性は分裂病(統合失調)におこる症状
として現象学的に記述していますが、この相互の遊離の差異が大きけれ
ば大きくなるほど自己同一性を保つことができなくなるという。つまり
外的自己・内的自己が国民感情の集合体と捉えるとわかる。
 この記述方式は岸田秀の「ものぐさ精神分析」にならって書いてます
ので間違っていたら岸田批判として許してくださいw

345 :8:2006/02/24(金) 23:31:37
>>344
もちろん、単純化は危険なのは承知してます。岸田秀はフロイト理論を
国を一つの人格として外的自己、内的自己にわけて歴史的に記述してい
る。もちろん大雑把な部分も否めないが、ものすごく明快ではある。
一度読んでみるのをオススメします。
 少なくとも、共同幻想=ラングが個々の意識の集合表象ならば、ソシ
ュールは21歳の時の論文で「インド=ヨーロッパ諸語における母音の原
初体系に関する覚書」の中で母音の差異化が国レベル(共同体レベル)
での構造を歴史的に記述している。こんな簡単だったら楽ですが、古代
少なくとも言語(ラング)は共同体の共通項であったのは間違いない。
 従って世界が縮小化したのは情報通信の発達によるわけですが、そう
なれば言葉シニフィアンかシニフィエによる差異化を促進することにな
るわけです。
例えば「テラワロスwwwwwwwwwwww」と書けば自分の「属性」=自己同一性を
表明しているのと同じで方言は自分の故郷を確認する意味でも自己同一
性を一時的にせよ回復する安心感を与えそれが共同幻想を形成している。
 本気で受け取らないで下さい。こういう見方も面白いと思うだけにし
てください。

346 :8:2006/02/24(金) 23:58:08
>>342さんは良いことを言った。韓国が自己欺瞞による強迫神経症にかか
っているとも分析できるわけですwww
これまた岸田秀的に分析する韓国の反日教育は有名ですが、日本人を観
察するにつれてどうもイメージと違うぞという内的自己の意見を抑圧し
反日=外的自己との認識の差は遊離し、自己同一性を回復しようとする。
 内的自己が強固に抑圧されるにつれ自分の観察結果が信じられなくな
り自己欺瞞によって神経症と同じ自己防衛機制が働き、日本に対する文
化の拒絶となって表れる。
 日本のマンガは面白い、されど日本の文化だ。韓国自身の欺瞞を覆い
隠す意味で日本の文字記号を排除することであたかも韓国自身の文化で
あるかのような錯覚=新たな欺瞞を作り出すことでしかなかった。
 韓国が日本に対して強固に自己主張をやまないのは、かつてアメリカ
がインディアンを虐殺して国を形成したことを抑圧したことや湾岸戦争
やイラク侵攻などの正当性のない一方的攻撃を抑圧する様子とよく似て
いる。自己欺瞞を抱えたまま判断を信じられない状態が続行すれば人間
は他者を圧倒する行動に出る。これと全く同じと思います。
 まあこの理論は笑い話ですませて欲しいですがw

347 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/25(土) 00:04:45
二つの危険がありますね。
一つは、歴史主義的な誤謬。先ほど言った、言語構造という長期的なものを、
短期の現象に短絡する。これこそがナショナリズムそのものになる。
もう一つは、構造主義的な危険ですね。ポスト構造主義的にいえば、「国という人格」、
統一した言語(ラング)のような静的な内部信仰そのものが、外部を排除している。

それでも、ボクも世界的なナショナリズムの台頭は言語の影響が大きいと思っています。
それはネットの影響です。ネットがテクストをベースにしているということです。
たとえば最近は、韓国は身近になり、ドラマなどテレビでやってます。ここではパロール
とともに、表情などの情報があります。しかしハングル語のHPを見たことありますか。
HPのまで「立ちすんで」しまいます。それは徹底的な「疎外感」です。
さらにアラビア語などではさらに強烈です。

ワンクリックでいけるのに、徹底的に疎外されるというネットの世界。
それは噂で「中国の掲示文で日本バッシングが行われている」としか伝わりません。

日本人同士でもそうですね。このようなテクストのみのコミュニケーションでは、
コンテクストの共有が難しく、意味の宙づりが起こります。
心理学的にもテキストのみの交換では、相手がきつく感じるというデータがあります。

348 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/25(土) 00:12:24
ネットがこれだけ爆発に普及する。
意味が宙づりされ、コミュニケーションが失敗するのに、
みなが2ちゃんねるに向かう。

すなわちナショナリズムの否定的にばかりとることはない、
ということです。たとえば、日韓は確実に近づいて、だから
軋轢が生まれる。そしてこの融合は止まらない。

たとえば昨年の中国での日本バッシングデモに参加した中国人を
取材すると、家の中、日本製品だらけ。そして個人的には
必ずしも、日本人をそれほど嫌っていない。
ある意味で、ノリなのですね。そしてこのノリを生んでいるのが、
ネットでの呼びかけだった。2ちゃんねるの「祭り」と同じなのですね。

349 :8:2006/02/25(土) 00:25:30
>>347 私は構造主義と現象学の相対性認識論者なんですがww
ただ私は一つの国を<生命>と見る視野は現時点で必要と思ってますが
言語による通時的レベルでの分析を縦の糸とするなら、
共時的レベルでの横の糸の現象学的分析も必要になると思います。
現象学的分析はとりあえず自明と思っている認識を宙吊り(還元)して
記述する方法ですがこの方法がインターネットのよる情報検索で
ぴかぁ〜さんに認識するプロセスを記述していただけるとありが
たいですがw

350 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/25(土) 00:30:04
>言語による通時的レベルでの分析を縦の糸とするなら、
>共時的レベルでの横の糸の現象学的分析も必要になると思います。

何回か出てきましたが、これがよくわかりません。
言語の差異の体系は共時的では?
共時的レベルでの横の糸の現象学(フッサール?)とは?

351 :8:2006/02/25(土) 00:34:57
>>347
>国という人格」、 統一した言語(ラング)のような静的な内部信仰
そのものが、外部を排除している。
これは正しいと思います。なぜなら現時点で<国家幻想>というか、
<共同幻想>を支えているのは<言語=ラング>です。
ぴか〜さんが指摘した通り、現在世界中の情報が飛び交うITの時代にお
いて<共同幻想>を最も確認できるのは物理的な空間での境界ではなく
<言語=ラング>です。それはテキストレベルで音声言語による対話が
厳しい状況の中ならそこには記号としてのエクリチュール<文体=ラン
グ>が最も<共同幻想>を確認できる効率の良い手段だからです。
 もっともそのことによって国家交渉する政治レベルと国民感情のレベ
ルは一層拍車をかける形で差異が一層広がることになります。

352 :8:2006/02/25(土) 00:36:21
>>350 逆でしたw誤植です。


353 :8:2006/02/25(土) 00:41:17
>>350 この場合、>>351で書いた様な自分の視点に立ち返って考え
直すことを言います。これは勿論日本についての記述ですがw
 つまり<共同幻想>を考え直す場合自分を通じて<日本>というものを
如何に認識するに至ったかを考え直すということで、当然自分史として
振り返ることも意味します

354 :8:2006/02/25(土) 00:49:54
相対性認識論というのは、ある制約し続ける境界条件(前提)を意識
した上で関係として捕らえるということです。一般でいうところの
構造主義は構造を前提にしている必要条件を置き忘れているが、この
関係を捉えた上でその前提をこれまた関係で捉えなおすことです。
 つまり終わりがなくいつまでたっても現時点で言えるとしか結論が
つかないんですが、その前提という端緒を常に志向し続ける態度のこ
とでこれが最も重要です。従って一つの国を語る場合、隣国や関係を
持った国との言語の関わりあいも含めて、考察することです。
 この方法論はかなり使えますので覚えておくと良いでしょう

355 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/25(土) 00:51:07
>>351
デリダはエクリチュールの引用可能性(物質としての文脈からの切り取られこと)を
指摘しましたが、ネットのコピペ天国はそれを表しています。

かつて、2ちゃんでニューヨークテロをネタにしたコピペが流行りました。
それは、2ちゃんねるの中ではネタで済んだが、誰かがそれを英訳して、アメリカの
掲示板に貼り付けて、大問題になりました。アメリカ人には2ちゃんねるのノリは
絶対に伝わらない。ネットではそのような事が起こっています。

ここで起こっているのは、「言語」間の差異の体系のようなものですね。
軋轢が言語圏という内部を浮き彫りにする。差異が<共同幻想>を生む。

356 :8:2006/02/25(土) 00:59:07
>>355 差異が<共同幻想>を生む。
正確に言えば差異化が共同体内部に受け入れるものと排除するものを
同時に作り出していると言えると思います。
 言語圏というのは良い言葉ですこれは使えそうw

357 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/25(土) 01:06:56
>>356
ポスモダ的には、受け入れるものと排除するものが差異化を生み、
共同体幻想を生むという順序なんですね。
システム論でもそうですが、動的作動が、静的幻想を生む。
静的幻想は「存在しない」んです。

ネットでは、ナショナリズムというよりも、言語圏で差異化が
生まれるとボクが思います。
グーグルは、言語差をなくす全訳化技術を目指していますが。
コンテクスト(文脈)は訳せないでしょうね。
これは、デリダのエクリチュールの「散種」に繋がります。

358 :考える名無しさん:2006/02/25(土) 01:19:53
↑おまえもう30代だろう

359 :8:2006/02/25(土) 01:24:40
連続書き込み制限で遅くなりました。
ところで文字は人類学の話では特に象形文字は伝達手段の外に呪術的な意味も
あったらしいですが、現時点では、世界を突き動かしているダイナリズムは
<言語圏>という キーワードに集約されそうです。国のことを語りだすと脱
線が続くのでこれくらいにしておきたいです。
今日のところはお休みなさい。
この問題はちょっと考える時間を下さい
 次回日本での構造主義〜ポスト構造主義への系譜。70年代〜80年代は得意
技なので語ろうと思います。この場合お勧めの著書も紹介したい。


360 :考える名無しさん:2006/02/25(土) 01:32:10
>ぴかぁ〜

■  もう哲学はいいよ 働こうよ!  ■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140797328/

361 :考える名無しさん:2006/02/25(土) 04:25:41
ふむふむ。なるほど

362 :8:2006/02/25(土) 20:38:14
>>359 70年代山口昌男の登場からニュー・アカデニズム(ニューアカ)の時代
に突入した背景はバブル経済に突入するのに呼応する形で重厚な思想より、軽
妙な思想を好まれる形での転換をもたらしたけど、<知と戯れる>という影響
だけなら今でもその系譜が残っている。実際商品として思想が流通するという
ことが起こったが、本来の思想の中身を問うことをしていたのかどうか、ここ
を問い直すべきかと思います。
 大きくは70年代は山口昌男の構造主義の系譜と、廣松渉の科学哲学の系譜が
あったけれども文章の語り口からしても全く違うし、そもそもムーブメント自
体どれだけの人間は思想の中身を読んでいたのかも疑問に思う。
 山口昌男「文化と両義性」と廣松渉「もの・こと・ことば」からして文体も
全く違う。山口昌男の「中心と周縁」トリックスター(道化)論、演劇論、な
んかも紐解いても意外と理論背景は変わってない。そういう意味では一度理解
されればその「構造」において読み直せばすむといったことも生じやすい。
 廣松渉「もの・こと・ことば」などを読むと数学用語や論理学とか「事的世
界観」といった漢字の多い硬質な文体だ。勿論思想の中身を読んで議論した人
も多いであろうが入門するにはあまりに敷居が高い。こういった潮流はマルク
ス主義が問い直されパラダイムといった大げさなものではなく知的であること
が「必要」と思った時期という面もありそう。リアルな世代よりもう少し若い
世代である私としてはその知的雰囲気みたいなものを嗅ぎ取る程度のことしか
できないので、紹介に移りたいと思う。
※ちなみにここで紹介している本は一度読むことをおすすめします。

363 :考える名無しさん:2006/02/25(土) 20:54:44
ハチさん、こにゃにゃちわ。
よーく考えよー、考えててみるとお金は大事だけど、
この世の中は「もの」でなく「こと」なんだよね。
ふしぎだなー。


364 :考える名無しさん:2006/02/25(土) 20:57:57
いや、8の言ってることはオーソドックス過ぎる。


365 :考える名無しさん:2006/02/25(土) 21:02:11
>>364
ちがうよ。ハチさんは「エロ」松さんの話をしているだけだよ。


366 :8:2006/02/25(土) 21:02:20
 その中で現在でも発行している「現代思想」という雑誌、ここを中心
にその思想潮流がかなり窺い知れる。三浦雅士編集長時代の「現代思想」
のエネルギーはすごいものがあった。「臨時増刊総特集・現代思想の109人」
(1978年)などは思想家紹介としてはこれ以上ハイセンスでかつ的確な
本を出すエネルギーは現在にはないと思われる。80年前後はこの本を読
めば最新の思想がほとんど手に入るほどのエネルギーがあったが、メデ
ィアの分散化や編集長辞任もありそこまでのエネルギーは残っていない
と思われる。故人となった丸山圭三郎と廣松渉を除けばまだ現在でも活
躍している方々ばかりだ。
個人個人について語りたい場合は別スレもあるのでそちらへ
 私としては、他には紹介したい本としては
浅田彰  「構造と力」「逃走論」
吉本隆明 「共同幻想論」「言語にとって美とはなにか」
蓮實重彦 「表層批評宣言」「映画 誘惑のエクリチュール」「映画の神話学」
柄谷行人 「日本近代文学の起源」「隠喩としての建築」「日本精神分析」
栗本慎一郎「幻想としての経済」「パンツをはいたサル」「意味と生命」
中沢新一 「雪片曲線論」「カイエ・ソバージュT〜X」
岸田秀  「ものぐさ精神分析(正・続)」
三浦雅士 「私という現象」
あたりかな…

367 :8:2006/02/25(土) 21:09:31
>>364 オーソドックスですよねw ここは私の趣味の話に入って
しまうのであえてブレーキをかけてます。はいw
 私が個人個人をどう思っているかとか他にはどうかとか
他にどんな本がいいかとか、個人的意見があればどうぞ。

368 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 00:02:07
フーコーのあとに日本の思想に飛ぶのも唐突ですね。

369 :8:2006/02/26(日) 00:15:41
>>368 フーコーの問題にでも戻りましょうか?
日本の思想と絡めるか、日本の思想の方を進めるか
ぴかぁ〜さん次第ですw

370 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 00:27:25
>>367
ハチさん、こんにちは。
元コント55号の欽ちゃんはどう思いますか?
欽ちゃん自身の才能、思想性というよりも全盛時の時代における
位置づけですが。
やはり、現代の「神」、「語りべ」はお笑い界なのかな?
ソシュールとも関係するよーな。


371 :8:2006/02/26(日) 00:42:58
>>370 今ものすごい質問したのを知ってますかwwww?
 私はお笑いが「カオスの縁」を更新するものでなければ関心がないで
すね。私は欽ちゃんは全盛期における位置づけですよ。コント55号をリ
アルで聞いたわけではないのでコメントは難しい。むしろドリフとたけ
ちゃんマンの世代ですから。リアルで聞いた「欽どん」はその時は「安
心感」に浸れるが今は何があったか忘れるぐらいです。
 忘れるくらいなら番組自体に大した「哲学」がなかったと思っている。
忘れられないと言えば高校時代、夜中にやっていた「カノッサの屈辱」が
忘れられないwあのラディカルな歴史パロディは何なのかと思った。
 末井昭は言った、エロ本に思想は必要ないが「哲学」は必要だと、末井
は行動哲学者だと思う。彼の行動自体が「哲学」を引き起こしている。
間違っても彼の言説でではない。

372 :8:2006/02/26(日) 00:47:30
>>371の続き お笑いは解説を加えると面白くなくなるとよくいいます。
多くは手品の種明かしみたいなものだからかもしれない。ソシュール的
に言えば「赤信号みんなで渡れば怖くない」でしょか?解説するまでも
ないですが、あっと驚く「カオスの縁」を更新したのと思った。

373 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 00:48:45
>「カオスの縁」

この板のこの単語を使うのはボクだけだと思っていました(笑)

374 :8:2006/02/26(日) 00:55:29
>>373 最近また物理学を勉強中でしてw
「ご冗談でしょう、ファインマンさん」→「ファインマン物理学」
に入ってます。
 でも大学時代、マッハと相対性理論、ゲーデルの不完全性定理、
W・ハイゼンベルグの不確定性定理はある程度覚えた。相対性認識
論者の私の思想背景はこういうところです。でもプリコジンの複
雑系や散逸構造論にはまだアナロジーが過ぎると疑問がありますが


375 :8:2006/02/26(日) 01:08:14
>>374の続き お笑いはラディカルさと思考スピードが速くなくて
は生き残れないと思っている。上方漫才は思考スピードは速いがラ
ディカルさが足りない傾向があるし、関東圏はラディカルな奴が比
較的いるが思考スピードが足りない傾向がある。この両立ができた
奴は有名になれるでしょう多分。綾小路きみまろなんかはとてもラ
ディカルだと思いますよ。

376 :8:2006/02/26(日) 01:36:49
そろそろ寝ます。おやすみなさい

377 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 02:31:59
おっちゃんやるな。

378 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 13:23:34
「相対性認識論」は造語ですか。
「相対性」はマッハから来ているのですね。

プリコジンの散逸構造論は熱力学で、アナロジーではないです。
カウフマンなどの複雑系はアナロジーが過ぎるかもしれませんが。

379 :8:2006/02/26(日) 13:46:58
>>378 うまく書けてなかった。申し訳ないw
 熱力学としての散逸構造論でもって生命論を解こうとするところに
プリコジンの「無理」が出ていると言いたかった。生命現象はそれだ
けでなく、それでこそ身体に埋め込まれた「経済的共同体」を説明し
ようとしたところに補完される色々な神経化学とか生理学とかをもっ
と包括的に捕らえなおすべきだった。さらに動物行動学も。

380 :8:2006/02/26(日) 13:49:58
>>380 初代生命(LUCA)の発生を解く鍵になることは私も「混沌から
の秩序」を読んで直観したが、この自己組織化を複雑系やカオス理論
をもって解けるのかどうか…この辺が懐疑的でもっと包括的前提を置
き忘れている気がしてしょうがない

381 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 14:03:05
そこでルーマンのオートポイエーシスですよ。

382 :8:2006/02/26(日) 14:16:05
>>381 物理学は手当たり次第読んでるわけではなく、芋づる方式で
読んでるのでご説明のほどw

383 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 14:17:58
ヴァレラは物理学に近いかもしれないが、
ルーマンは社会学なので、物理学とは関係ないかもね。

384 :8:2006/02/26(日) 14:24:53
>>382 社会学部出身者なのに、社会学者の本が好きになれなかった私。
卒論だって現象学的身体論です。ルーマンと言われて誰それ?と思って
しまった私は異端者ですねw

385 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 14:50:18
>>379
複雑系で、ブリゴジンの散逸構造論はポイントですが、
ブリゴジンは直接、生命現象に言及していましたっけ?

ヴァレラのオートポイエーシスには神経系システムからきた、複雑系です。
河本によると
第二世代 自己組織化 
段三世代 オートポイエーシス

ここでは、ルーマンがあまり関係ないかも。

386 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 15:07:07
>>379
プリコジンの散逸構造論は、自己組織化の物理的に証明された一現象で、
自己組織化は様々な複雑な形態が、アナロジー的に思考されています。
いわば、その一形態が神経化学から思考されたオートポイエーシス(自己産出)です。

387 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 15:08:22
一つだけ確認させてください。
第二世代までは物質現象を記述することはできたんですが、
生命現象になると無理が出て来たんですね。
そこで生命現象をあつかう第三世代システム理論が重要になってきたんです。

388 :8:2006/02/26(日) 15:13:37
>>385 ここを参照
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0909.html
「確実性の終焉」イリヤ・プリゴジン

さすがにプリコジンも躊躇って書いているがどう考えてもそう言及して
いるとしか思えない。従って曖昧さが残る

389 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 15:17:52
一つだけ確認させてください。
生命現象になると無理がでるとは、自己産出性ですね。
第二世代までは、外部があり内部があった。そこに境界が発生する。
しかし第三世代は自ら内部、境界を産出する。

それでも第二、第三は河本的ですね。
第二自体まだよくわかっていないからです。

390 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 15:22:50
第二、第三の分類は河本的

391 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 15:31:17
>>390
たとえば、
生命体⊆オートポイエティック・システム⊆オートノミー・システム
という捕らえ方について妥当だと思われますか?


392 :8:2006/02/26(日) 15:34:09
>>386 生命内部の「生命時計」なる時間演算子を提出している
「存在から発展へ」
 ここが極めて難解。どうも「カオスの縁」がこの辺らしく、時間を
秩序づける演算式が埋め込まれていることに示唆がある。生命現象を
置き忘れた社会科学は客観性の神話に結びつき、人間の集団としての
社会と個人の生理現象を無視した非個人的な結論に到達せざるを得な
い。個人の生理現象の集合は、社会の生理現象を反映していることは
明白。ここに自己組織化は集団現象にも適応できるとは思っている。
されどこれは、コミュニケーションとしての言語にキーワードがある
と思う。人間が他の生物と明白に分けているのはこの分節性のあるコ
ミュニケーションとしての言語、パロールではないかと直観している。
 最近ダーウィンがいみじくも気がついていながら全く誰も考察され
なかった「喉頭器官」がある。


393 :8:2006/02/26(日) 15:44:41
>>393 喉頭つまり「のどちんこ」のことでこれが明確にサルと違う。
人間は食べ物を飲み込みながら息ができない。しかしサルはできる。
時々気管肢に詰らせ、咳き込んだ経験もある方もいるはずだが、どう
もこれが言語を話す際の分節化を可能にした要因らしいことまでは分
かってきた(なぜ?といわれてもいまのところ不明)
 この分節化と言語は生命現象から考察されないと解けないし、集団
としての<共同幻想>を維持してるのは<言語圏>である。こういう
考察の仕方もありかとw

394 :8:2006/02/26(日) 15:54:52
<言語圏>をもっと象徴(シンボル)として包括的に捉えるという方法
もある。<言語圏>の他にR・ドーキンスは文化遺伝子(ミーム)は、
脳の中にあるニューロンに実在するものではないか(「延長された表現
型」)で述べているが、これを最近の用語で「クオリア」と言い変えて
もいい。我々を日本人たらしめているのは<言語圏>という集合である
がさらに分節化した個々の小共同体の説明ができない。志向される「何
か」を仮定する場合、色々な言い方で言い換えると浮かび上がってくる
こともある。

395 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 16:08:42
>>392
>ここに自己組織化は集団現象にも適応できるとは思っている。
>されどこれは、コミュニケーションとしての言語にキーワードがある
>と思う。人間が他の生物と明白に分けているのはこの分節性のあるコ
>ミュニケーションとしての言語、パロールではないかと直観している。

これはもはや一般的な見解では?
ルーマンのシステム論しかり、様々な人類学しかり。
だたこの板には、生命現象と社会科学を素朴に短絡する人が多いですが、
「自然主義的な誤謬」には十分注意する必要があるでしょう。

396 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 16:22:55
>>394
ここでの<言語圏>はラカンの象徴界に近いのではないのでしょうか。
象徴界は本質的に主体の内面にある、それぞれのものです。
そして共有されているだろうことによって、あたかも統一された共同体が
存在するようにして、共同体自身が現れる。
最近はラカンはオートポイエーシス的に解析されたりしています。

397 :8:2006/02/26(日) 16:30:31
>>395 私は断言を避けている。なぜならそうアナロジーを感じるの
ももっと別の「何か」がそうさせている可能性だって否定してない。
 それこそ脳のしくみが分かったからといって「総て」が分かると
は言っていない。還元主義に思われるもは最も嫌なのであえて付け
加えておきます。そもそも地球というガイアがあると「仮定」して
生物と重力の関係はまだ生命現象を説明するには全然不十分で、重
力が一体何なのかは物理学でまだ明確な答えも出ていない。重力と
いう現象を前に生命発生の<境界条件>を明示することは現時点で
はできない。
 ヴェイユは重力にある<神>を感じていたのは全く根拠のないこ
とではなく、兄の数学者アンドレ・ヴェイユの影響で彼女は物理学
も結構知っていた。最新のアインシュタインの「相対性理論」と数
学に関する考察の興味深い考察もある(「科学について」)。
 ここを徹底的に追い込みその上部階層(端緒)を志向して記述し
てこそようやく浮かび上がるものでしかないからだ。仮説を立てて
もそれが間違いであることは物理学の分野でも同じなのだから。

398 :8:2006/02/26(日) 16:37:43
>ここでの<言語圏>はラカンの象徴界に近いのではないのでしょうか
そうですね、私はユングの物理的遺伝の難点を排除した「元型」という
クオリア、集合的無意識はこのことと近いかもしれません。R・ドーキ
ンスはミーム(文化的遺伝子)は脳内のニューロンに実在するのでは
ないかと明確に示唆している(「延長された表現型」)がミームが文化
を伝播する表現型なのだとしたら、クオリアも現時点ではそうと考えら
れている。

399 :8:2006/02/26(日) 16:45:13
>>398の続き ユング批判としては物理的遺伝という難点があることを
除けば集合的無意識も<言語圏>≒象徴界とも言える。ただし、それが
脳内でどの様なプロセスをもって形成されるのかは現時点では全くわか
らないのですがw
>>397で言った重力という<神>は「ガイア」という生命発生を条件づけ
る<境界条件>であるとシモーヌ・ヴェイユはおそらく言いたかったの
ではないか…。彼女の生涯は常に重力に縛られることで自分の臨界点を
追い詰める哲学だったと自分の中では解釈している。重力という<神>
は人間に何をさせたかったのか…そう感じていたのではないかと思いま
すね。

400 :8:2006/02/26(日) 16:51:53
>>397の補足 R・ファインマンは哲学者の数学的神話と安易に物理現象
を記述していい気になっている理系学者の両方を批判していた。結局、
物理学は現時点で端緒の学問でしかないのに、それを客観的な<神>
とすりかえるが如きの短絡主義を批判していた。そのことを謙虚に受け
止めるべきでしょうね

401 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 17:00:45
ミームが脳に局在するという説は知りませんでしたね
私はミームは共時的、つまり縦のコミュニケーションと
通時的、つまり横のコミュニケーションのカップリングだと認識していました。

402 :8:2006/02/26(日) 17:06:23
>>398 メルロ=ポンティにしても「見えるもの見えないもの」で見え
るものにすべてあらわれる<境界条件>をひどく気にしていた。これ
は生命は満ち溢れている、手がかりはこの世界そのものだということ
につきる。しかし未完のまま亡くなってしまった。だからこれ以上の
言説は得られない。後期ヴィトゲンシュタインにしても「言語ゲーム」
ですでにコミュニケーションが成立する他者としての人間は気にして
いたが、残念なことにヴィトゲンシュタインにしてもここで完結して
いる。ここまでくると西洋的知がいささか邪魔になってくるときもあ
るが、まだ私は現時点でふんばってるw

403 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 17:18:59
ようは人間と動物、精神と身体の断絶の問題ですね。
それを<言語圏>、<ミーム>、<クオリア>で
繋ごうとする。ここに心身(心脳)問題があります。

すなわちこの「断絶」にセンシティブでなければならない。
とうことですね。

ヴィトゲンシュタインにしても「言語ゲーム」の成立に、
クリプキ、デイビットソンなどは「共同体」を想定しました。
これはラカンの象徴界に繋がりますが、これは明確なあるものでなく、
神性(人々が共同体があるという信じること)によって保証される。

あるいは、ラカンは「性関係は存在しない」といいまいた。
人間は動物のようにアプリオリな生殖のための性関係を
持つことはできない。

404 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 17:20:31
ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」

405 :8:2006/02/26(日) 17:24:02
>>401 「利己的遺伝子」の方が有名で「延長された表現型」でこの言説
があるのを忘れられているがこれは「事実」書かれていました。
「脳がシナプスの結合様式として情報を保存しているとすると、ミーム
は原理的にはシナプス構造の明確に決まった様式(パターン)として顕
微鏡下で見ることができるはずである。また、脳が情報を「散らばせた」
かたちで保存しているとすると、ミームは顕微鏡のスライド上には局在
しないことになるが、それでもなお、ミームを脳のなかなかに物理的に
に定住するものと私は考えたい」(「延長された表現型」p212)
この頃(1982年)はCTやMRIなど実用化には厳しい状況だったので、顕微
鏡という発言は許されると思うが、明確に言っています。

406 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 17:33:17
なるほど
だからネオ・ダーウィニストのドキュンスは馬鹿にされていたんですね
たしか無責任な言いっ放しの後は、ミームについて言及してないですよね?

407 :8:2006/02/26(日) 17:35:24
>すなわちこの「断絶」にセンシティブでなければならない。
とうことですね。

そうです。この底のしれない「断絶」、クレバスが横たわっている

>あるいは、ラカンは「性関係は存在しない」といいまいた。
>人間は動物のようにアプリオリな生殖のための性関係を
>持つことはできない。

その辺はバタイユの言説でも明解で、性の<形式>がどう見ても動物の
それとは違う。ラカンはネオテニー(幼形進化)の説を気にしていた。
どうして人間はネオテニーが起こったかはまだわかりません。しかし、
このことによって人間の育児期間が格段に延長されてしまった。
 文化人類学の成果でどうも人間の育児は小規模の共同体の中で子供を
養育する様な<機能性>の面影がある。実際子育ては老人が孫を育てた
方が精神も安定して成長する「事実」があるが、<何か>が共同体のバ
ランスを崩壊させてしまった。これが文明人の末路と思われる。


408 :8:2006/02/26(日) 17:37:52
>>406 この頃の<限界>=<カオスの縁>だったのだと思いますねw

409 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 17:45:33
ラカンはネオテニー(幼形進化)はフロイトから来ているものでしょ。
人間は早熟で生まれ、統一した自我を持たないために、
生まれた後に他者像(鏡像)によって統一的な身体像(自我)をもつ。
それは人間がそのはじめから自分が他者へと疎外されている。
それを取り戻すために、欲望は他者の欲望である。
ここに他者との「断絶」があります。

410 :8:2006/02/26(日) 17:47:31
>>407の<何か>というのは病気=精神病ではないかという考察もある
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0684.html
「天才と分裂病の進化論」ディヴィット・ホロビン(新潮社)
ここでドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイディプス」(河出書房新社)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1082.html
で資本主義とスキゾフレニー(分裂病=統合失調)に関する考察も
あわせれば人間はある時遺伝的に突然変異(私はウィルス進化説も平行して
あったと思っているが)が起こり狂気を宿す生物になったという仮説です

411 :8:2006/02/26(日) 17:57:11
>>409 ラカンの説がどこから仕入れたかはあまり気にしてなかったが
鏡像段階がいかにして起こるか、>>410の説もひどく気になっているが
買うのもちょっとww
 統一した自我を持てなくなった「原因」でこれだって言えるにはあま
りに>>410を決め付けるには厳しいかもしれないが、人間が先天的に精
神分裂を持って生れてきているのではないか、というのはラカンは、
「エクリV」の中で過剰なリビドー(欲望)がはみ出しているグラフか
らも明らかではないかと思われる。こう来るとバタイユの<過剰>とか
エロディシズムというキーワードも気になってきます。
 

412 :8:2006/02/26(日) 18:01:40
>>411の続き ただ私は逆にパラノイア(偏執症)になることもありう
るし、精神分裂だからと言い切れるか、決め付けるわけにはいけない。
これでは実体論になってしまう。ただここでバタイユの<過剰>を持
ち出すまでもなく欲望のエネルギーが「シニフィアン連鎖」からはみ
出している、ここに問題の<中心>が見えてくる。

413 :8:2006/02/26(日) 18:04:11
>>413 ここでようやく進化論からの大きな<脱線>がありましたが、
<中心>が見えてきた気がしますがどうですか?

414 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 18:26:47
>>413
精神分析的な、パラノ/スキゾ(神性症/精神病)は、オディプス/アンチオディプスと
いうことでしょ。精神分析では、人間はみな神経症です。それは、社会的な去勢
(オディプス・コンプレックス)によるものです。そしてここから欲動(生物的な力)は、
「死の欲動」(フロイトの快感原則の彼岸)と言われます。

ラカンでは精神病は、象徴界の排除と考えられますが、ドゥルーズの「アンチ・オイディプス」も、
それに繋がります。去勢以前に人間には原初的な器質的な欲動(生の欲動)がある。
ドゥルーズの「器官なき身体」は病気ではなく、去勢される前の力ですね。
ここでは、死/生が断絶があります。そしてここに戻ります。

>ようは人間と動物、精神と身体の断絶の問題ですね。
>それを<言語圏>、<ミーム>、<クオリア>で
>繋ごうとする。ここに心身(心脳)問題があります。

心身(心脳)問題=人間/動物、精神/身体、死/生
これは、人間の倫理的ものも含め、西洋哲学が維持している断絶です。
そしてたとえばフロイトはデカルトを継承して言うというように、精神分析にもあります。
これに対抗するのが、進化論の系統ですね。進化という連続性が「断絶」を解体する。
だからダーウィンは進化論の公表に尻込みし、そして大きな社会的な問題になった。
科学は進化論の系統にあります。認知科学、心理学。
科学では唯一、精神分析が「断絶」と継承しています。

415 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 18:40:06
この「断絶」の本質は、1回性(唯一性)と反復性です。
すなわち動物とは違う人間、身体に還元されない精神とは、「この私」という代替のない
1回性です。

科学は、本質的に反証可能性という還元主義的ですね。
たとえば心理学でも人間の1回性を扱うのでなく、統計学的に行動をあつかう。
統計学的とは、同じ単位が多数存在することを前提にしている。たとえば身体に
ついて、同じ身体が多数存在していることから、医学、認知科学は成立する。

しかし精神は、代替がきかない、そして同じものはなく、ただ一つなのです。
精神分析はなぜ精神分析学ではないのか。人間を扱うと言うことは、
一人一人、1回1回が唯一なのです。

だからラカンのネオテニー(幼形進化)はあまり重要ではない。いわば、「断絶」が
先にあり、後付けなのです。(笑)
そして科学は唯一性を扱うことができない。「この私」と扱えない。
そして科学が人間を扱うときに、「この私」を多くのうちの一人に抑圧する。
このことにセンシティブでなければならない、ということですね。

416 :8:2006/02/26(日) 18:44:35
>>414 ダーウィンの人間とサルの「断絶」を進化論における自然淘汰で説明が
つくのかはいまだにホットな議論ではあります。遺伝子の98.8%がチンパンジ
ーと同じなわけでどう考えてもこれだけでは説明がつかない。
 それこそこれほどのサルとの差異があることは遺伝子では説明のつかない現
象が数多く横たわっている。遺伝子レベルではアフリカでたった一人の女性の
遺伝子(通称イブと呼ばれている)から人間は発生しているといわれているが
どう考えてもこれはおかしい。考古学的物証が挙がらない限りこの議論は終わ
らないと思われる。
 唯一の<手がかり>は脳という問題。ぴか〜さんとそこで一致してくるわけ
で、私もかなり回り道をしたけれど問題はそこに潜んでいると思います。

417 :8:2006/02/26(日) 19:02:51
>だからラカンのネオテニー(幼形進化)はあまり重要ではない。いわば、「断絶」が
先にあり、後付けなのです。(笑)

問題はその<背後>でしょうね。何ゆえそうなったか…


418 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 19:09:03
ついでなので、続けます。この象徴界(科学大系も含めて言説、あるいは社会)には
穴があります。ゲーテルの不完全性定理の消失点(断絶)、自己言及という「この私とはなにか」に
答えられない。そして逆説的にこの答えられないことが、「この私」の存在を支えている。

たとえば、ハイデガーではこの切れ目からの「良心の呼び声」によって、現存在の
唯一性が支えられる。そしてラカンでは、対象aあるいはファルスですね。
象徴界から現実界へ開いた穴。

たとえば、八さんにしろボクにしろ、懸命に統一した世界像を造ろうとしています。
しかしその世界像は失敗する、なぜなら、世界像をつくろうとする八さんの唯一性、
「この私は誰か」という穴はふさがらない。

すなわち、この世界像の形成が、「この私は誰か」という穴を塞ごうする欲望、
神経症的な所作である、ということです。
この「断絶」の本質(恐ろしさ)はここにあります。ラカン的には、「メタ言語は存在しない」。
誰も俯瞰した、メタになった世界像を組み立てられない。八さんも、ボクも
その一部である、ということですね。

419 :8:2006/02/26(日) 19:14:50
>>417の続き
大学の専門分化の<制度>の中では中々こういう議論が出てこないw
もっとも<創造的>かつセンシティブな超領野的に見てこないとまった
くわからない迷路に迷い込むばかりだ。この、認識論=存在論の問題に
ついてはいかがでしょうか?科学的知の問題、村上陽一郎は文化の科学
というものの実在を指摘している。複雑系で一時期、カオスの縁を<創
発>と言っていたがもともとこれはマイケル・ポランニーの用語だった。
私はアナロジーが過ぎると思っているが、認識の中に存在の<手がかり>
があるとは考えてます。ここでようやく「哲学」的な問題に立ち戻るわ
けですが、そもそも<知>とはなんなのかと

420 :8:2006/02/26(日) 19:18:21
>>418 そうです。統一的に捕らえようとする欲望がそうさせているとし
か言いようがないのですがw 普通の人間はここらで納得するんですねw


421 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 19:27:12
>>415
ぴかちゃん。
>統計学的とは、同じ単位が多数存在することを前提にしている。
なぜそう思うの?
それはfrequentistの立場で、Bayesianは違うよ。
でね、このごろは機械学習でもBayesianが主流になってるよ。
オートポーシスオートサンオトサンオカネアルカイイオンナイルヨ。

422 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 19:30:54
>>421
ベイズ理論ですか。どのように違うかもう少し説明願います。

423 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 19:37:22
>>422
ぴかちゃん。
「ベイズ理論」とゆーコトバで言われるのはね、もっと狭いの
だけどね。Bayesianでは確率を「信念」として考えるのだよ。
だから、分布のパラメータも確率変数になるのだよね。
でもでも、今でもfrequentist vs, Bayesianでセッションが
できちゃうのだけどね。
オートポーシスオートサンオトサンオカネアルカイイオンナイルヨ。


424 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 19:47:11
>>423
エセとはいいませんが、残念ながら、末端議論ですね。
本論とはあまり関係がないと思いますよ。

425 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 19:49:23
いろいろ突っ込みどころがありすぎて突っ込む気にさえなりませんが、一点だけ。
条件付け確率は不確実性を未来のわからなさではなく
情報・知識不足によるわからなさと捕らえます
既に事は決定しているが、知らないから不確実なんだと。
ですから、この時の確率は主観的なものになります
未来は誰にたいしても開かれ、客観的なものでありますが
情報・知識不足は個人差があり、その意味では主観的なのです
そして、ベイズの逆確率ですが
これは結果から原因を逆に推定していく構造です
不確実性の出来事に直面した時に複数の要因を想定した場合
そのどれが真の原因なのかを推定しようというものです
数式ははしょりますが、情報の蓄積とともに
主観が変化していくさまを表現したモデルになっております

426 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 19:58:16
>>425
勉強会込みですから、
どんどん突っ込んじゃってください。(笑)

427 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 19:59:08
∧_●
  (・∀・∩)<ラッキーこんな所にウンコーが落ちてる
  (つ  J
  / ヽ ノ
  し (.....)

428 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 20:27:48
>>ぴかちゃん、ハチさん、こんにちは。
でね、脳の神経細胞は入力が入ってくるとビビビビビ〜〜とね
出力を出すのだけど、同じ入力にはいつも同じではなくてね、
「確率的」に振舞っちゃうの。そこで、いまではBayesianで
解析してやろうというのが主流みたいだよ。イギリスのケンブリッジ
なんか「極真総本部」みたいだよ。でも茂木さんは
セクシーではないと言って嫌いみたいだけど。


429 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 20:35:32
>>424
ぴかちゃん。
たとえばね、ケンブリッジのDavid MacKayさんのホームページを
見てごらん。これはね、「マッケイ」と読むのではないよ。
「マッカイ」とね読まないとね。
>>425
これは、ベイズの定理でBayesianのごくごく一部だよね。
コクゴクゴックンアーオイシカッタ。



430 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 20:41:24
まとめ:
社会思想が脳理論に迫ってきている。例えばデイビッドソンは「心」を
脳の神経細胞に帰着させよーとした。
したがって、脳の解明が理科系だけでなく重要である。
現在は脳の数理的な解明はBayesianでアプローチするのが主流である。
オートポーシスオートサンオトサンオカネアルカイイオンナイルヨ。



431 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 20:42:19
>>428
突っ込みどころ満載ですが一点だけ
「セクシーじゃない」の前には
池上高志風に言うとを必ず付けてください
ルールです


432 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 20:50:18
>>431
レスありがとうございます。
でもねえ、>425の説明を読むとねえ。
(わかっちゃうものもあるのだよね)


433 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 20:55:00
>>430
認知科学も終わったと言われつつ、オーポエブームも去りつつあり、
ベイズブームが来るかどうかですね。
「ニューロン」「クオリア」「オーポエ」「ベイズ」
ここにあるのは、まさに「断絶」であり、否定神学ですね。

何ができるか、でしょうね。

434 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 21:01:23
>>431
まあ、私にとってはどうでもいいのだけどね。
親切心から。
>突っ込みどころ満載ですが一点だけ
こーゆーレトリックは使わない方が良いと思うよ。
皆見ているからね。
オートポーシスオートサンオトサンオカネアルカイイオンナイルヨ。

435 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 21:04:05
>>433
断絶というのは河本氏の言う
存在の裂け目と若干違いがあるかも知れませんが
その裂け目をいかにしてつなぐ=カップリングしていくかが課題なんでしょう

436 :8:2006/02/26(日) 21:06:26
>>428 その「確率的」ってのがどこまでの言っているのかが極めて怪
しいけど、身体からのフィードバックや思惟がいつも同じ様に考えてい
るわけではないですからね、 その説を極端化すると脳機能局在が成立し
ないことになってしまう。
何たって新陳代謝や身体機能の<統合形式>ではあっても部分の総和は
全体にならず、全体は部分の総和以上になりますからw
今のところは過渡的にしかお答えできません。
ちょっと考えさせて…議論して脳がバクハツしそうでw
>>420の続き
「知」の迷宮に迷い込まずに今のところは「整理」が必要でしょう
まあ、すぐ「結論」を急ぐ<私>も怪しいものだと思いますw
今日のところはここらで落ちようと思います。ここまで議論出来たことに
感謝します。また必要とあらばお呼び下さいw 質問・ご意見あればカキコ
して下さい。覗いてみてまた研究してまいりますw


437 :考える名無しさん:2006/02/26(日) 21:08:56
>>433
ぴかちゃん、こんにちは。レスありがとうございます。
(私も暇だなあ。逃げていたりして)
>ベイズブームが来るかどうかですね。
確かでない物事を扱うのに、デンプスター&シェイファーとかいろいろ
あったのですが、結局、Bayesで扱うのが理論的に唯一の方法です。
だから、「Bayesで脳を知ろう」でよくてこれはブームでないのだけど、
>否定神学ですね。
結局、メタフィジックスはなくなってしまうのかなあ?



438 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 21:10:22
>>434
あなたのような自己の主張に乏しく他人の発言まかせで
いつでも逃げられる位置にいる人を相手にしても無駄ですから

439 :こて:2006/02/26(日) 21:22:39
やっぱコテつけないとね。

440 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 21:29:04
>>435
オーポエのカップリングも意味が広いですが、
心身問題をクリアーできるのか、ということですね。
おそらくこれだけでは難しい、と思います。

>>437
グーグル、ヤフなど、ベイズばやりですね。
なにができるか、ということだと思います。
もう少しその可能性を語ってもらえると、ありがたいですが。

441 :池田構造主義科学論者:2006/02/26(日) 21:37:28
>>437氏にはキツいことを言ってしまいましたが
氏はいつもそれらしいことだけ言うだけで言葉たらずなんですね
ですから、「じゃあ何?」の部分が無いんです
私の知らない分野に詳しそうなんでそこらへん突っ込んで語ってみてください
まずは、私が書いたベイズ理論での不備について書いてみてください

442 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 21:41:32
おじゃまします。個人的なまとめに入ります。
ご迷惑でも、これがボクのスタイルなので・・・(笑)

■「断絶」を閉じる欲望が「断絶」を開く

精神と身体の「断絶」

ラカンのネオテニー(幼形進化)はフロイトから来ているものでしょ。人間は早熟で生まれ、統一した
自我を持たないために、生まれた後に他者像(鏡像)によって統一的な身体像(自我)をもつ。これに
よって人間はそのはじめから自分を他者へと疎外されている。そしてそれを取り戻すために、欲望は
他者の欲望である。ここに他者との「断絶」があります。そして、動物と人間の断絶があります。

さらにラディカルには、ラカンは「性関係は存在しない」といいました。人間は動物のようにアプリオリな
生殖のための性関係を持つことはできない。

また精神分析的な、パラノ/スキゾ(神性症/精神病)は、オディプス/アンチオディプスということ
でしょ。精神分析では、人間はみな神経症です。それは、社会的な去勢(オディプス・コンプレックス)に
よるものです。そしてここから欲動(生物的な力)は、「死の欲動」(フロイトの「快感原則の彼岸」)と
言われます。

443 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 21:42:23
ラカンでは精神病は、父の名(象徴界)の排除と考えられます。ドゥルーズの「アンチ・オイディプス」も、
それに繋がります。去勢以前に人間には原初的な器質的な欲動(生の欲動)がある。ドゥルーズの
「器官なき身体」は精神病という病気ではなく、去勢される前の本当の生命の力ですね。ここには、
死/生が断絶があります。

精神と身体、人間と動物、死と生の「断絶」の問題です。それを「象徴界」、「ミーム」、「クオリア」などで
繋ごうとする。ここに心身(心脳)問題があります。これは、人間の倫理的ものも含め、西洋哲学が
維持している「断絶」です。そしてたとえばフロイトはデカルトを継承して言うというように、精神分析も
同じ「断絶」を維持しています。

これに対抗するのが、進化論の系統です。進化という連続性が「断絶」を解体する。だからダーウィン
は進化論の公表に尻込みし、そして公表によって大きな社会的な問題になった。科学は進化論の
系統にあります。認知科学、心理学。科学では唯一、精神分析が「断絶」と継承しています。

444 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 21:43:14
「断絶」による唯一性

この「断絶」の本質は、1回性(唯一性)と反復性です。動物とは違う人間、身体に還元されない精神、
私だけが引き受ける一回性としての死とは、「この私」という代替のない一回性です。科学は、本質的
に反証可能性という還元主義的です。たとえば心理学でも人間の1回性を扱うのでなく、統計学的に
行動をあつかう。統計学的とは、同じ単位が多数存在することを前提にしている。たとえば身体に
ついて、同じ身体が多数存在していることから、医学、認知科学は成立する。

しかし精神は、代替がきかない、そして同じものはなく、ただ一つなのです。精神分析はなぜ
精神分析学ではないのか。人間を扱うと言うことは、一人一人、1回1回が唯一なのです。そして
科学は唯一性を扱うことができない。「この私」と扱えない。そして科学が人間を扱うときに、「この私」を
多くのうちの一人に抑圧する。このことにセンシティブでなければならない、ということですね。

445 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 21:44:37
「断絶」を閉じる欲望が「断絶」を開く

ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の成立に、クリプキ、デイビットソンなどは「共同体」を想定
しました。これはラカンの象徴界に繋がりますが、これは明確にある象徴界(社会)ではなく、神性
(人々が共同体があるという信じること)によって保証されています。

この象徴界(科学大系も含めて言説、あるいは社会)には穴があります。ゲーテルの不完全性定理の
消失点(断絶)、自己言及という「この私とはなにか」に答えられない。そして逆説的にこの答え
られないことが、「この私」の存在を支えている。たとえば、ハイデガーではこの切れ目からの
「良心の呼び声」によって、現存在の唯一性が支えられる。そしてラカンでは、対象aあるいは
ファルスです。象徴界から現実界へ開いた穴。これは否定神学システムと呼ばれます。

たとえば、みな懸命に統一した世界像を造ろうとしています。しかしその世界像は失敗する、なぜなら、
世界像をつくろうとする人の唯一性、「この私は誰か」という穴はふさがらない。ラカン的には、
「メタ言語は存在しない」。誰も俯瞰した、メタになった世界像を組み立てられない。ボクたちもその一部
である。ということです。

この世界像の形成は、「断絶」を越えたいという欲望、「この私は誰か」という穴を塞ごうする欲望
であり、それが神経症的な所作である。そしてこの「断絶」の本質(恐ろしさ)は、「断絶」塞ごうという
欲望が「断絶」を開くということです。

446 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/26(日) 23:07:07
>>425
>そして、ベイズの逆確率ですが
>これは結果から原因を逆に推定していく構造です

このように考えるとベイズ論とはデータベース的ですね。
将来に起こることを事をいくつか想定し、それぞれの確率を計算する。

たとえば予測で言えば、創発があります。自己組織化などは、
カオスチックで初期条件によってなにが起こるかわからない。

最近のベイズブームは、グーグル、ヤフなどで活用されたことにあります。
特にグーグルは、ネット世界のすべての知を再編成しようとすると
豪語しています。

これは、ネット上の創発性、カオスチックな(カオスの縁的)動きを、
データベース的に管理しようとすることでしょう。

447 :池田構造主義科学論者:2006/02/27(月) 00:53:59
>>446
一つだけ確認させてください。
ベイズの本質は学習型だということです
つまり、統計と異なり、データが無かったり、
たった一つ段階の推定から始められるのです
そして、新しい情報が付加され蓄積していくたびに
確率が正確性を増して推移していきます
こうして、ベイズでは情報の蓄積とともに
統計と変わらない結論を導けるようになるのです
また、今までの情報を一から洗い直す必要もなく
最新の情報だけをアップデートしてゆけば
洗い直したのと同じ確率が導けるのです

448 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 09:59:11
>>447
本来、結果とは、不確実で、カオスチックで、自己組織的であるが、
ベイズでは、先にデーターベース化された結果が、学習によって、
事後的に確証されていくということですね。

統計ですから、概念的には反復によって起こる確率(仮にそれが複数回
繰り返された場合の確率)ということですね。

だから1回性のカオスチックで、自己組織的な結果は、排除される。

449 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 10:35:23
■「断絶」を閉じる欲望が「断絶」を開く

精神と身体の「断絶」

ラカンのネオテニー(幼形進化)はフロイトから来ているものでしょ。人間は早熟で生まれ、統一した自我を
持たないために、生まれた後に他者像(鏡像)によって統一的な身体像(自我)をもつ。これによって
人間はそのはじめから自分を他者へと疎外されている。そしてそれを取り戻すために、他者の欲望を
欲望する。ここに他者との「断絶」があります。

そして、これはヘーゲル的な、「人間」という欲望する動物と「動物」という欲求する動物の断絶が
あります。さらにラディカルには、ラカンは「性関係は存在しない」といいました。人間は動物のように
アプリオリな生殖のための性関係を持つことはできない。

また精神分析では、人間はみな神経症である、と言われます。それは、社会的な去勢(オディプス・
コンプレックス)によるものです。そしてここから欲動(生物的な力)は、「死の欲動」(フロイトの「快感原則
の彼岸」)と言われます。

450 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 10:46:39
すいません誤爆です

451 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 16:29:43
ベイズを少し見ましたが、ここでいう主観とは心理主義の取り入れですね。
客観=功利主義からずれる人間の主観=心理主義
すなわち反復される主観であり、一回性ではない、ですね。

452 :8:2006/02/27(月) 17:01:23
>>451 現在「創発」=「自己組織化」という現象を巡って少々考察し
たい部分があります。夜8:00以降参上します。仕事が終わってから
参加したいとは思いますが、一度下のサイトを読んで頂きたい。では
(栗本スレでも良かったのですが、こっちの方が「流れ」が良さそうなので)
「暗黙知の次元」マイケル・ポランニー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1042.html



453 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 17:35:20
>>451
「暗黙知」ですか、お待ちしています。
追記、張らせていただきます。

454 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 17:36:12
■否定神学システム=3項システム

このような否定神学システムとは、外部から流入する不確実性をある一元的な意味へと変換し、
統一した世界像へと組み込むことによって、主体という自己同一性を維持するシステムであると、
考えることができる。ただこのような否定神学システムは、脳でも身体でもなく、位相的に存在する
主体の維持システムである。だから外部は、また身体外、脳外ではない。たとえば身体そのものは
外部である。

ラカン的には「現実界→解釈項(象徴界)→想像界」の図式になる。これは、パースの記号論の三項に
繋がると言われる。「断絶」の向こう現実界(外部)から内部へ進入するカオスティックな情報は、
解釈項としての象徴界(言語)によって変換され、想像界という統一した世界像としての「空想
(ファンタジー)」を形成する。そこではファルスとして自己同一性の空想も形成されることになる。

さらにラカンでは、「断絶」の向こうの現実界を享楽と呼ぶ。享楽はそれに近づくことによって主体が
崩壊するものであり、象徴界によって禁じられた(去勢された)ものである。そして禁じられている故に
欲望が目指される。しかし主体が崩壊する前に、空想化して、欲望は空想を追いかける。しかしそれは
満足を与えないために、欲望はトライし続ける。

たとえばこのようなシステムは人工知能でも再現可能のように思われる。しかし人工知能に欠けている
のは、解釈項としての象徴界である。ラカンにおいて象徴界は大文字の他者との言われる。この変換
の正当性は信頼(神性)によって保証される。そして「欲望とは大文字の他者の欲望である」と言われる
ように、欲望の対象であり、原因となる空想を想起し、象徴界を新陳代謝させるという自己組織的な
システムである。

455 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:37:31
3項システムとオーポエとの関係性は?

456 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 18:03:57
110 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 12:32:21
しろうと嫌われてるなあ

457 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 19:31:07
>>455
3項システムとオーポエについては、いくつか言及がありますね。
斉藤環、河本、ホフマイヤー

内部オーポエ(想像界、象徴界)と外部オーポエ(現実界)の
カップリングみたいな感じになるのではないでしょうか。

458 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 19:33:39
「断絶」(切れ目)を介したカップリングみたいな感じになるのではないでしょうか。


459 :池田構造主義科学論者:2006/02/27(月) 19:43:41
腹抱えて笑いました。
かえって免疫力がつきました。
ありがとうございます

460 :8:2006/02/27(月) 20:09:58
 参上しましたw
始めにお断りしますが、マイケル・ポランニーに関する私が思う難点
だけを申し上げておきます。されどこの難点はポランニーの理論のこと
ではなく、実証性批判は一切ございません。
 ポランニーは記述する際に層の理論がありますが、上部と下部は上に
も下にもほぼ無限に広がりを見せるシステムとして論じております。し
かし記述する際にそのレベルの混同が多く見受けられる部分があり、ち
ょっと読みにくい部分が出る場合がある。この点のみです。
 ちょうどこの本が出たての頃は批判と賛同の真っ二つで、西欧知に毒
される者からは拒絶が、賛同の方々は積極的に受け入れた。されどこの
本は言語的知(明示知)を否定しているわけではない。むしろ、非言語
知を忘れてはならず、その上で言語的知は成立しているといっているか
らだ。一部では(特に竹田青嗣の批判例)構造主義的な読み込みしかで
きない西欧知を前提としていると全く誤解する話になってくるので、あ
らかじめお断りしておきます。ちなみに、この理論を批判することは、
自らの認知構造を否定することと同義語であることを申し上げておきま
す。日本に発行されているマイケル・ポランニーに関する著書は全て読
んでます。その点は申し上げておきます。あと面白いことにマイケル・
ポランニーは<英語圏>と<日本>では受け入れられてますが、フラン
スやドイツなどでは殆ど知られていない(私が知らないだけかもしれな
いが)のも不思議な現象と思う。

461 :8:2006/02/27(月) 20:22:18
>>460の続き
マイケル・ポランニーについての手引き
「個人的知識」(ハーベスト社)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4938551004/250-3324710-6911413
R・ゲルウィック「マイケル・ポラニーの世界」(多賀出版)
(なぜ小出版社あつかいばかりだったのか…この当時の闇が見え隠れする)


462 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 20:25:05
エイドスとヒュレー、現象と物自体、意識と無意識、深層と表層、のような二層構造ではなく、
無限に連なるシステムの階層として捉える発想はすばらしいね。

463 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 20:26:23
>マイケル・ ポランニーは<英語圏>と<日本>では受け入れられてますが、
>フランスやドイツなどでは殆ど知られていない(私が知らないだけかもしれな
>いが)のも不思議な現象と思う。

当然のような気がします。フロイトのぶつかるのでは。

464 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 20:28:54
>>447
気にするなよ。君は文系だね。
Bayesについて本当に理解したいなら、灯台出版会から入門書がでてるよ。
お礼にはおよばないよ。

465 :池田構造主義科学論者:2006/02/27(月) 20:41:21
>>464
もしかして、繁枡の?
でw?
自分の力で表現してごらん

466 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 20:43:12
生徒たちが纏めた一般言語学講義でシニフィエ-シニフィアン、言語の恣意性なんてものが注目されたものだから、
ソシュールも二層構造連中の仲間と思われがちだけど、アナグラム研究をしていたという事実から言って、
彼もポランニーのように、上部と下部の無限の連なりと、上下のフィードバックは想定していて、
あくまで各階層のシステムとしての独立性についてだけ講義で語ったということなんではないのかと思う。

467 :8:2006/02/27(月) 20:44:50
>>461 「創発」という用語はマイケル・ポランニーが始めて提唱した
用語であることは前に書きましたが、これを生命論として提唱したのが
ポランニーが始めてだった。生物が自己組織化的運動の中に非生命シス
テムの境界条件を制御する上位レベルとその制限を受ける下位のレベル
の関係がある。この上位レベルが行う制御を周縁制御の原理と呼んだ。
 当時はこれを批判する向きもあったがどうも認知システム(大脳・身
体)もこの構造が埋め込まれており、単なるアナロジーで済まないもの
いや生命の根源に関わる問題であるとようやく知られる様になってきた。
この<包括的存在>を確立することを、非生命的存在からの生命の創発
(Emergence)と呼んだ。これが複雑系の理論の端緒となり、カオス理論
にシフトする形で広がり始めたわけではあるが、この理論は現在の物理
学・化学、認知科学などで知れ渡っている。
 また大脳生理学の分野でも幻視の治療に認知のメカニズムに「潜入」
し独自の「鏡箱」を提唱したラマチャンドランも彼の影響が大きいこと
を洩らしている。意外と彼の本を「流行」の産物が如き読み方をする人
が多いことは残念であるが、「創発」という現象は大脳生理学のクオリ
ア出現の問題でもあるらしく、大脳の中が階層構造であったり、彼の示
唆した内容を本気で考えていた人は当時は栗本慎一郎だけだったが、い
ずれにしても私にとっても大きな影響を受けたことは正直なところです。


468 :8:2006/02/27(月) 21:01:52
>>463 フロイトの言説に囚われているのは正直悲しいかな…。
医学の臨床結果を持っても否定は出来ないんですが、恐らくこの理論
を認知の「外部」が如き読み込みをする誤解があるがこれは間違い。
これは「知る」ということが生命発生の境界発生から創発して上部の
システムへシフトするのは進化論の分野も見逃している「力」の構造
であり彼はそう<信じた>。
>>466 ソシュールから離れている様で実は言語発生の仕組みを論じる
為にすごい回り道をしてますが、このシステムは知ること=在ることは
同じことであると断言してます。認知のメカニズムが大脳生理学の成果
を調べても彼のいわんとするところが決してアナロジーではなく「事実」
を語っていることが始めてこの本を読んでから10年たってわかった。
 彼は個人的(これからは人格的と読み替えます)なものを置き忘れた
道徳完全主義・科学客観主義を批判し、「信じること」「責任をもつこ
と」についての再提起を行った。一部では宗教的言説がうっとうしいと
馬鹿な日本人らしい拒絶があるが、今の人文科学における人格的拒否の
客観的言説が「無責任」と同義語であることは今更いうまでもない。

469 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 21:14:02
>>468
フロイトを知った文化では、インパクトが少ない、ということです。
言語化できない「知」=無意識、言語化できる「知」=前意識、あるいは超自我

システム論自体は古い概念ですからね。
カントでもすでに生命を有機構成(オーガニゼイション)として説明していた。
ベルクソン、ベルタランフィなど、生命について考察多々あり、
自己組織化(セルフオーガニゼイション)をポランニーの発明のようなことは、
無理がありますね。

ボクの印象では、「創発」「暗黙値」という日本で言葉が流行りましたが、
それは、ビジネス、ノンフィクションサイエンス系など文系の書物でしたね。
正直、システム論関連で、ポランニーは聞いたことがない。(笑)

470 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 21:17:06
>>468
そうですね。
俺は良く知らないが、ぴかぁ〜が、マルクス、フロイト、ソシュールの相似性について語ったフランス人がいた、
と紹介していたが、それもやはりフロイトにとらわれ過ぎた見方の一例なのではないかとおもう。
ソシュール、ハイデガー、ポランニー、ケストラーは、
システム論的「人格」主義とでも言うようなものを見据えた人たちだろうとおもう。

>>463
極端な言い方をすれば、フランス人はポランニーが読み取れない、
ドイツ人はハイデガーで間に合っていた、そんなところじゃないですかね。

471 :8:2006/02/27(月) 21:20:12
>>468の続き すでに大脳生理学で言語発生の条件がソシュールの言説
とかなり一致しており、関係を構築する、ニューロンの刺激を受けない
細胞は「無い=存在しない」のと同じということは非常に重要なことで
ある。
 ところでスワヒリ語で「釘をたたく」ことを「ンドンドンド」と言う
らしい。音の円環からアナグラムで相対的関係でいけば「ドンドンドン
」になるし、ソシュールの言説はかなり先見性があったと言ってよい。
 しかるに他者を知ることは、自己を投出=潜入することであり、自己
を持って他者を理解するわけであるから極めて危険な行為である。しか
しこの身体≦精神の潜入がなければ自転車はおろか自動車にも乗れない
のだから。このことをメルロ=ポンティが論じようとしたことでフッサ
ールにはなかった論旨であった。従ってメルロ=ポンティにおける両義
性という概念も<カオスの縁>と言い換え、精神を上部レベル、身体を
下位のレベルと変えて読めば彼の論旨はすごくよくわかる。メルロ=ポ
ンティは知覚における身体と精神を並列的に記述したところに難点があ
るが、マイケル・ポランニーも彼からは影響を受けた。本国フランスで
は勿論こんな読み込みはされておらず、<論理的>つじつまが合わない
から放置プレイを決め込むありさまである。
 人間には存在を規定する「知」と「外部」を両面持つが故に矛盾をか
かえることとなった。ポランニーもこの人間の可能性(ポテンシャル)
に正直悩んでおり、最後の授業では「神よ!」と言って締めくくったと
いう。

472 :8:2006/02/27(月) 21:34:30
>>469 「印象」で語ることは極めて危険ですからね。フタをあけるま
では現象学的還元(エポケー)するのが良いですね。フロイトは初めて
「外部」を語ったという意味では評価しているが、ユングはそれだけで
はないと批判した。つまりユングが志向していたのはこのことではない
かと思われる。従って「暗黙知」における無意識の探求に出た。従って
オカルト呼ばわりされているが、「内感」と呼ばれるポテンシャルが人
間を引き上げ、「不意の確証」に出会う。これは抽象論では無く、暗黙
知のメカニズムは恐らくに人間の「最後の砦」ではないかと思われる。
 これが崩壊すれば狂気が心を蝕み論理構造も崩壊するであろう。
>>470 その臨界点で「創発」もあると思われるが、今のところ私もこの
理論に「確信」が持つのに10年かかった。私は西欧知の<臨界点>は
「知っている」が言葉で表すのにはまた10年くらいかかりそうだw

473 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 21:40:51
急がばまわれですな、旦那。

474 :8:2006/02/27(月) 21:41:55
>>472の続き 古い新しいという色分けも危険かもしれないですね。
「新しい」という「古い」言い回しには正直飽き飽きしている私ですが
回り道も確証が得られる一つの方法ですから。ポランニーもアインシュ
タインが16歳の頃にすでに相対性理論の内感があったと、アインシュタ
インに手紙を出して立証したという。つまり言語で語るのにその<手が
かり>への、<潜入>によってその理論に到達するのはそれから何十年
も後なわけであるから私はぴか〜さんにがんばって欲しいと思いますが
ねw

475 :8:2006/02/27(月) 21:47:23
>>474の続き 勿論紆余曲折あって間違いが発見される危険性もある。
だからこそ世界探索の道具創りに勤しんでいる現代の西欧知すらも、
一時確信を保留して経験の中から「実感」そして「確信」が得られる
わけですから、古い言い方ではありますが「失敗を恐れてはならない」
わけですよ。アインシュタインにしてもエーテル風があると思ってい
たし、それが間違いであると突き詰める段階で分かってきたわけですか
ら。

476 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 22:00:24
え?今日はこういう終わり方なの?

477 :8:2006/02/27(月) 22:18:06
>>476 まさか、ここからが長いw突き詰めると暗黙知と外部の連関が
如何に分離しているか、いやぴか〜さんの言い方で「断絶」という問題
がある。ポランニーもなぜ「分離」しているのかには正直悩んだ。
おそらくそれぞれが全く人間の意識でもって規定が不可能な領域という
意味では共通しているのではあるが直観と想像力の縁が揺らげば精神病
に至るという「爆弾」も持っている。問題はここである。つまり暗黙知
が「人間の最後の砦」という点は断言できるが、人間は内部に「外部」
が埋め込まれている。従ってここを如何に規定しうるかということにな
る。「理性」では恐らく無理ではないかとは考えている。

478 :8:2006/02/27(月) 22:24:53
>>477 直観と想像力を分かつ言説がまだない以上、西欧知の可能性も
ないこともないが、これだけでは不足なのは事実。それこそ、大脳の
構造をしっかり調べ<精神分析>との折り合いを規定してこないこと
には大変危険であると思われる。精神病の多くが薬物療法で改善が見
込まれるからと言って決してそれだけではなくまだ<未知の領域>が
横たわっているのもまた事実。さらに認知障害という問題が一体どこ
までを言う言説なのかという、フーコーが言っていた狂気の問題もあ
る。ここはかなりセンシティブな問題です。それこそサヴァン症候群
の様な問題もあり<制度>の問題は全然かたづいてないからです。

479 :8:2006/02/27(月) 22:34:02
>>478の続き 西欧的知はジレンマに陥っている。このことは認めない
と話が進まない。しかるにそこで再規定しなおすことが迫られている。
<知>と<外部>の問題は極めて綱渡りであり、社会学の多くが無責任
な言説の虜になっているし、現代の客観信仰は問い直されないといけな
い。だからといって科学的知が世界を説明になっているというある意味
恐ろしい言説が無矛盾であるのか、それこそ<神>に聞かないと分から
ないかもしれないがwだからといって信頼にたるしろものなのかどうか
これまた極めてナーバスです。この点について詰めていかないといけな
いのではないでしょうか?

480 :8:2006/02/27(月) 22:38:59
>>479の続き バタイユは西欧における<神=外部>にかなりしつこい
追求をした。私はその知は脱構築では哲学というものを解体は無理と
思っている。この点においてはデリダを批判しないといけないが、言説
の虜になるか言説は信頼に足りうるか、<未来>に保障がない以上、こ
のジレンマを如何に脱出しうるのかはやはり問われないと思いますが
どうですか?

481 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 22:40:58
ぴかあさん
まとめて

482 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 22:45:18
ぴかぁ〜には無理です。

483 :8:2006/02/27(月) 22:56:40
今日のところは明日早朝から出張で、仕事の関係で早く寝たいので
よろしくお願いします。意見・質問・疑問点あればカキコよろしく
お願いします。

484 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 22:59:03
8は誰の哲学をベースに話を進めたいんだ?


485 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 23:14:32
>全く人間の意識でもって規定が不可能な領域

絶対に規定(理解)不可能な領域がある、とポランニーは言っているのですか?
「内部に埋め込まれた外部」とはどういうものなのですか?

「領域」というように範囲が限定されるならば、
あくまでそれは、我々が自己の身体から発して段階的に、
あるいは、別の説明の次元へと意識が移されることによって可能なんじゃないですか?

ただ、いかなるものにも限界があるので、「すべてを」「同時に」意識することは不可能であり、
常に意識されたものの背後に意識されていないものがあるとは言えます。
それだけのことではないのですか?

人間が理性によって「外部」(未規定なもの?)を規定し尽くすことができない、
というのは、人間の理性にも限界があるはずなので、その通りでしょう。
しかし、仮に「暗黙知」が非理性的なものであるとして、
暗黙知によっても、もちろん同様に、規定しつくすことなどはできないはずです。

ですから、「すべてを規定しつくす方法はないのか?」という問いの立て方には、
不毛なものを感じます。

「断絶」というのは、上位のシステムと下位のシステムがなぜ別のものであるのか、
なぜ上位下位といった階層の連鎖が形成されるのかということでしょうか?

486 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 23:31:22
ようするに進化だろ。
動物的な瞬間の反射活動の低次回路や人間的な思考活動の高次回路の違いですね。

487 :8:2006/02/27(月) 23:39:04
>>485 寝る前にレスがあったので最後に付け加えておきます。ポランニー
は「全く人間の意識でもって規定が不可能な領域」というのはあると「個人的
知識」でいっております。特に最後の章の苦しい発言は彼の正直な告白でしょう。
それこそ宇宙そのものであり、<神>とも言えるのかもしれません。
二番目の質問にはそうとしか言えません。なぜではなく「そう」だからです。
(この辺は「暗黙知の次元」「個人的知識」を読んでいただきたい)
三番目の質問はそうですが自立的に同時に統合を行っている暗黙知は意識の上
に上らないだけで「ほぼ」「同時に」包括的存在を形成しているとしかいえない
からです。この辺は今の私でもわかりません。
 私はすべてを規定しつくす方法はないのか?という言い方には語弊があった
のは認めます。常に端緒を更新することでしかありえないからで、されど信じる
ことを置き忘れるから「不毛に」感じるに過ぎないのです。
 最後の質問こそ議論されてしかるべきでしょう。私も煮詰めたいw
「私」が「すべての答え」を持ってるなら悩まず議論しませんからw

488 :8:2006/02/27(月) 23:43:04
>>484 ポランニーが私のベースにはありますが、それこそ「すべて」
ではないですよ。「私」の中では「どれどれ」等といったことではな
く「有機的」に溶け合っていますので「どれ」と言われると困りますw


489 :8:2006/02/27(月) 23:43:44
>>489 ではおやすみなさいw

490 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/02/27(月) 23:45:58
たまたまあたった語源学系のサイトは知的外外延収拾としては
参考になったが

次逝け。

ああ、平和・・・。

491 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 00:34:58
八さんは、ポランニー、ラマチャンドラン、栗本慎一郎、ソシュール、メルロ=ポンティ、ユング、
バタイユ、デリダ、フーコーとアクロバティックですね。ボクなりに、まとめるてみます。
キーワードはボクがいう(精神と身体の)内部と外部の「断絶」ですね。

>>462さんが二層構造といっていますが、たとえばカントの現象と物自体では、
現象とは人間が認識する内部であり、現実(リアリティ)であり、物自体は人間が認識できない外部
です。そこには「断絶」があるのです。そして構造主義は、「断絶」の近辺にある第三項である
「無意識」を発見したのです。だからこの「断絶」がいかに繋がれるか、ということがこのスレの議論
の論点です。

たとえばボクは、>>454で否定神学システムによって、内部と外部のあり方を説明しました。

>このような否定神学システムとは、外部から流入する不確実性をある一元的な意味へと変換し、
>統一した世界像(内部)へと組み込むことによって、主体という自己同一性を維持するシステム
>であると、 考えることができる。
>ただこのような否定神学システムは、脳でも身体でもなく、位相的に存在する
>主体の維持システムである。だから外部は、また身体外、脳外ではない。たとえば身体そのものは
>外部である。

492 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 00:39:52
特にここで、ボクはラカンを元に、内部を中心に、構造主義的(無意識=象徴界)に語ました。
そして外部は身体、そして不確実性としてしか語りませんでした。
これは、西欧知?大陸哲学的には外部を語ることにストイックなのことです。
ここがフロイト=ラカンとユングを分けた点です。
たとえばフロイトは内部と外部の「断絶」、あるいは内部寄りに無意識をおきました。
子供ころに手に入れた内部が抑圧され、「断絶」を埋めているのが無意識という「知」です。
それに対して、ユングは無意識を拡張し、「元型」にいたります。これは、生まれる前からの
先天的な外部にある「知」です。
フロイトはまさにこの先天的な「知」においてユングを批判したのですが。
大陸哲学では外部に「知」はない。そこには「断絶」があるのです。
だからラカンは「性関係は存在しない」といいました。

>>442-445に示しました。
>精神と身体、人間と動物、死と生の「断絶」の問題です。それを「象徴界」、「ミーム」、「クオリア」などで
>繋ごうとする。ここに心身(心脳)問題があります。これは、人間の倫理的ものも含め、西洋哲学が
>維持している「断絶」です。そしてたとえばフロイトはデカルトを継承して言うというように、精神分析も
>同じ「断絶」を維持しています。
>これに対抗するのが、進化論の系統です。進化という連続性が「断絶」を解体する。だからダーウィン
>は進化論の公表に尻込みし、そして公表によって大きな社会的な問題になった。科学は進化論の
>系統にあります。認知科学、心理学。科学では唯一、精神分析が「断絶」と継承しています。

493 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 00:42:22
しかし進化論系である、認知科学などは、この外部の「知」を語ります。
八さんのいうポランニーでは「言語的知(明示知)/非言語知」です。
たとえば、八さんの場合は、ポランニーによって、

>「知る」ということが生命発生の境界発生から創発して上部の
>システムへシフトするのは進化論の分野も見逃している「力」の構造
>であり彼(ポランニー)は<信じた>。

上部/下部が内部/外部に相当します。そして外部をポランニーの場合は、
「進化論の分野も見逃している「力」の構造」=外部から内部への「力の構造」を
「暗黙知」、「創発」として示したのです。

>つまりユングが志向していたのはこのことではないかと思われる。従って「暗黙知」における
>無意識の探求に出た。従ってオカルト呼ばわりされているが、「内感」と呼ばれるポテンシャルが
>人間を引き上げ、「不意の確証」に出会う。これは抽象論では無く、暗黙知のメカニズムは恐らくに
>人間の「最後の砦」ではないかと思われる。
>これが崩壊すれば狂気が心を蝕み論理構造も崩壊するであろう。

そして八さんは、構造主義的(ソシュール)、現象学的(ポンティ)の断絶部と、
ポランニー的、認知科学的な外部をつなげることが試みるのです。

494 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 00:42:59
>メルロ=ポンティにおける両義性という概念も<カオスの縁>と言い換え、
>精神を上部レベル、身体を下位のレベルと変えて読めば彼の論旨はすごくよくわかる。

>認知のメカニズムが大脳生理学の成果を調べても彼のいわんとするところが決して
>アナロジーではなく「事実」を語っていることが始めてこの本を読んでから10年たってわかった。

>大脳生理学で言語発生の条件がソシュールの言説とかなり一致しており、関係を構築する、
>ニューロンの刺激を受けない細胞は「無い=存在しない」のと同じということは非常に
>重要なことである。

>問題はここである。つまり暗黙知が「人間の最後の砦」という点は断言できるが、
>人間は内部に「外部」が埋め込まれている。従ってここを如何に規定しうるかということになる。

495 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 00:53:36
再度まとめると、
想像界(イメージ)+象徴界(言語)という内部と、現実界(身体)という認識外の
外部があり、「断絶」があります。動物では、象徴界(言語)はなく、内部と外部が繋がり「断絶」が
ありません。しかし人間には「断絶」があり、それを埋める語りで、象徴界(言語)=無意識がある。
これが構造主義的な「人間」像です。

では外部(身体)とはどのようなもので、どのように繋がれ、断絶されているのか。それは進化論的に
動物的な人間として語られます。それは脳神経学であり、心理学であり、認知科学である。

八さんによると、外部の画期的な、極限的な、そしてオカルトチックな点に、ポランニーの「暗黙知」
がある、ということです。

496 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 01:02:18
問題は「断絶」です。人間と動物の断絶、精神と身体の断絶。
これはただ安易に、進化論的に連続性で語らないこと、
このセンシティブがもつことです。
八さんがポランニーを選んだのは、「断絶」にセンシティブであるための
微妙な位置、まだまだオカルトチックに取られかねない点ですね。

497 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 01:16:06
構図を書くと

内部(精神) 想像界(現象)
断絶     象徴界(言語、無意識)
外部(身体) 外部知、現実界(物自体)

断絶・・・構造主義、フロイト、ラカン
外部知・・・ポランニー、ユング
現実界(物自体)・・・脳神経学、認知科学

・外部知の存在は証明されていない。オカルトとも言われる。
・動物には断絶はない。

498 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 01:33:49
ボクがポランニーを良く知りませんが、
フロイト、ラカン派ですから、外部知の存在には、否定的ですね。
ピンカーやチョムスキーなどのように、脳(身体)=現実界(物自体)に
言語の原的な認識構造=あることを認識する存在認識はあると思いますが、
それが、暗黙知というところまで体系化されているとは思いません。

暗黙知なる知は、後天的な無意識で説明できるのではないでしょうか。

499 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 01:43:59
実は「暗黙知の次元」は持っているが、読んでない(笑)

500 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 09:16:44
500

501 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 09:36:27
哲学はなんでもないことをなんでもあるように大風呂敷を広げ迷子になるのがお得意ですから

502 :8:2006/02/28(火) 10:00:39
>>497
仕事の休憩時間の合間にw 少しぴか〜さん訂正下さい
栗本は暗黙知、ユング的な無意識領域を(先天的な)内知、暴走機関車の「欲
望」(欲求でなく)を外部(バタイユがエロティシズムと呼んだもの)と言い
ました。言語的知を外知と呼びました
この辺はキチンとご理解下さい。欲望としての外部、内知、外知は分かてお考
え下さい。
>実は「暗黙知の次元」は持っているが、読んでない(笑)
あるなら読んでくださいよ、変な偏向は持たずにw

503 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 10:37:37
呼び方はそれぞれですが、このスレでの分類は、以下のようになると思います。

内部・・・精神、後天的(アポステリオリ)
     →バタイユのエロティシズム、フロイトの超自我、ラカンの象徴界
「断絶」
外部・・・身体、先天的(アプリオリ)
     →暗黙知、ユング的な無意識領域、ラカン、フロイトの「欲動」、エス、現実界


薄い本なので読み始めました。構造主義前の本なのですね。
書かれた時代が重要だと思います。
認知科学の先駆けなのがわかりますが、今となっては、上述の分類での
内部知と外部知が混同されていると思います。

504 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 10:41:52
外部=系統的に運命づけられたハード機能

内部=固体的に獲得するソフト機能


505 :8:2006/02/28(火) 11:00:34
>>503 勿論難点があるところもあるが、正直この線引きもすごい難しい
と思っています。
 思考が更新を続けなければならない理由は、徹底的に欲望支配の言説
が潜り込まずに知を獲得し、そこを詰めていかなければいけない訳は
脳の構造そのものにある、つまり「考えない」ことは欲望に支配される
ことと同様であるからで、その意味では徹底的に疑う目も否定しては
ならない。が、「確信」を持ったならそのことを<信じる>しかない。
 現象学でいう<妥当>がなければ思考は前に進んでいかないからです。
問題は教条的に客観視することを拒否する態度こそ最も重要で、しかし
最後まで疑い続ければそれこそ、疑うことの魔力に支配され考えをやめ
ることと同様の結果を招く。人間は有限の生命であるからこそどこかで
<限定された妥協>をせねばならず、謙虚になるところも必要でしょう。
その意味で哲学も<必要>なのかも知れません。


506 :8:2006/02/28(火) 11:04:27
>>505の続き 仕事の休憩がもう終わりますのでこれで失礼します。
バタイユのエロティシズムに関して夜9:00以降論じてみたいと思います。
ラカンの<欲望>との差異は正直気になっているので色々見解を下さい。
では。

507 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 11:10:39
機械?

508 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 14:20:43
ポランニー「暗黙知の次元」を読みました。ボクなりの感想です。

まずこれは、構造主義以前であるということ。すなわち認識論→(ソシュール的)言語論転回
以前であること。
そして認識論のうちの現象学を根底にしていること。すなわち精神分析系フロイトと心理学系
フッサールで、フッサールを継承し、フロイトには一切触れていないということ。
これらの注意が必要でしょう。

まず、現象学は本質的に独我論であり、内部に閉じます。だからいかに「断絶」を越えて、
内部から外部にでるかが、大きな問題です。この世界の実証性であり、さらには他我の存在です。
ポランニーは、認識を明示的統合と暗黙的統合で考えます。
明示的な統合は意識された要素を、組み立て全体とする。これは現象学の志向性でしょう。
だから、内部の作動であり、「断絶」は越えられません。

それに対して、暗黙的統合は、意識でなく、意識の裏(身体)で行われる統合です。
ここでは部分の総和以上の結果として統合されます。これが「創発」と呼ばれます。
暗黙的統合は、意識の外、身体側の作動であり、「断絶」を越えている、ということです。
だから他我問題も、身体による創発的な力によって、他者に情報が伝達されるとされます。

509 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 14:21:23
しかし外部での作動とされる暗黙知は、(ソシュール的)言語論転回以前であることと
無意識的な作動についての話なのに、フロイトについては一切触れられていないことから、
(ソシュール的)言語論転回以後として、読み直す必要があります。
暗黙知は、言語化されない知とされますが、ここでの言語は意識的ということであり、
構造主義ラカンのテーゼ「無意識は言語活動のように構造化されている」は考慮されて
いません。

たとえば、暗黙知の例で出てくる例、教育によって道徳が内面化されるは、
フーコーの規律訓練型権力に対応するでしょう。
あるいはプラトンの規則のパラドクスも、ヴィトゲンシュタインの規則のパラドクスに対応します。
これらは、外部でなく、内部、すなわち言語(無意識)の作用と考えられています。
さらに、その他の例において、後天的な言語獲得を考慮せずに考えられないのでないでしょうか。
(この当たりは、ポランニーの例を考えるよりも、最新の認知科学を参考にする方がよいでしょう。)

すなわち、ポランニーの暗黙知は、無意識(象徴界、言語)も内包されており、
(ソシュール的)言語論転回以後から見ると、「断絶」の外部の作動とすることがむずかしいのでは
ないか。
さらには、仮に暗黙知が外部の作動としても、結局、「断絶」をいかに越えるのかは、
ただ創発的な力というだけで、明確にされていません。

510 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 14:22:18
ポランニーの「創発」は、システム論的には、ゲシュタルト、有機構成、階層論で説明されます。
これを、無生物から生物へ、進化論の推進力、社会統合の力として、広く転回されますが、
ここに新しさがあるかは、やや疑問です。
むしろ暗黙知として、この創発=生命的な力を現象学的志向性とつなげたものところは、
現象学の新たな転回ではないでしょうか。最近の認知科学で現象学が使われていることを
考えると、認知科学の走りとも言えます。

正直いえば、宇宙論、進化論、認識論、現象学、倫理という壮大な世界を、「創発」のみでつなぐのは、
今となっては、カルトチックであると言われても仕方がないとは思います。
鉱物(宇宙論)/生命(進化論)/人間(認識論、倫理)
統一論においては、断絶はこのように2カ所あります。
統一論を俯瞰して神話を語りたいのは人間の欲望ですが、やはり「断絶」にセンシティブでないと、
ダメなんですね。

511 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 14:25:54
あくまでボクなりの感想ですのであしからず。

512 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 15:19:55
追記
やはり、(ソシュール的)言語論転回と混同するのは、違いますね。
暗黙知は、意識の外、身体側の作動であるということは、以下のように説明されます。

>>
ある人間による身体の巧みな動作は、別な人間が認識できるリアルな存在である。
しかもそれは、ただそれを包括することによってのみ認識できるリアルな存在なのである。
また、このリアルな存在を包括する行為は、その行為の対象たる「動作」と類似の構造を
もっている、と。P62

他のすべての暗黙知の事例において、包括する行為の構造と、その行為の対象たる
包括的存在の構造は、一致する。P63
<<

だから言語コミュニケーションは認識論であり不確実であるが、そこにある「動作(行為)」は
存在論的な次元を開き、リアルである。
たとえば、相手の「動作(行為)」を見て認識するのではなく、技の伝承のように、
体と体のコミュニケーションによって、認識を越えた身体的に同期する。
そこに主体と客体と要素とした高次の統合(創発)が生まれる、というようなことでしょう。
たとえば社会も言語をもとにした幻想の共同体ですが、その下部に人間という「行為」が
統合された、創発性が働いている、というようなことでしょうか。
「断絶」を「行為」の創発性が越えるというのは、ルーマンのシステム論にも繋がります。

ボクは、このような同期を「他者からの呼び声」と呼びました。動物では同期しているが、
人間では同期は失われているが、ただ遠くから呼びかけている。
だから、コミュニケーションは必ず失敗する。「独我論」世界からは人は抜け出せない。
ということです。

そしてこのように「生物学的な同期」は動物にはあるが、人間では「断絶」しているというのが、
大陸哲学的です。

513 :8:2006/02/28(火) 15:37:11
仕事休憩中にコメント
確かに>>510の通り「神話」かもしれませんね。ただ、生態系システムと
して語れない社会学は「意味」を持たないと思いますがね。
 実はマイケル・ポランニーの物理化学の功績は「カオス理論」の端緒だ
ったのはご存知ですか?彼が提示した「吸着ポテンシャル理論」は複雑系
やカオス理論でかなり研究が進んでいます。具体的には活性炭の脱臭効果
がそうですが、原子や分子が物質に引き寄せられる効果を言いますが、こ
れは分子が「場」のポテンシャルエネルギーの相互効果に吸着したり乖離
したりする現象のことで発表してから認められるのに20年かかったらしい。
量子論でこの効果の裏づけが得られたわけですが、これは雲や空中の分子
があたかも「生命」を持つかの「如く」振舞う様にポランニーは注目した
からでしょう。もっとも性急しすぎたという部分はぴか〜さんの言う通り
でしょう。しかしこれまた<揺らぎ>=<カオスの縁>なんでしょうが、
この「断絶」を埋めるべくはこれからのことでしょう。
 一度「吸着 ポテンシャル」でグーグルしてみてください。面白いです
よwおっと休憩終了w

514 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 15:58:50
『暗黙知の次元』は科学哲学の書であることを忘れないで欲しい。

515 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 16:22:14
>>513
それは外部での成果ですね。だから関係ない、むしろ弊害なんです。
外部で成果をあげた人がその延長で内部をかたる、自然科学で優秀だからそれを人間に展開することが間違いのもとなのです。
これを養老猛化と呼びましょう。養老猛の話は結構すきなんですが、
あれは彼の脳科学の成果と関係はないんです。彼が脳科学などを生きた中の彼なりの人生訓でしかない。
この混同は成功者が神聖化されること例ですね。

516 :8:2006/02/28(火) 16:51:57
>>515 仕事が終わったのでコメント。>>510 浅い読み方をするウブな素人
はそう読むという意味では、正しいですね。ぴか〜さんはいい指摘してま
すが。「誤解」が多いのはそこなんですがね。もっとも、私もなんとも思
いませんけど。別に神聖化の過程なんかは私は全然興味ないですが、要は
一過した整合性を持っているかどうか、最終的にはこれだけですから。
ポランニーの「知と存在」を読めば分かりますが、ポランニーは吸着ポテ
ンシャル理論が受け入れられなかったのは残念であるが、別にそれは、社
会として正常であると「責任」こそ述べられなければならないと謙虚に語
っている。
 彼は極めて冷静だ。私も冷静であるが。
科学的価値とは@厳密さ A体系的重要性 B主題の本質的興味であると
した。これだけである。「知と存在」には科学哲学としての彼の冷徹な形
でまなざしを忘れない一方でBこそが科学的推進力になりうるという意味
で否定していない。ただ素人による有害な干渉については警戒しなくては
いけないことはくどいほと書いてある。経済的動機による何世紀もの人類
を誤らせていたのは実用上のことである(原爆の例をだすまでもないが)
そのことについて「言説」は警戒と責任をもたなければならないとしてい
る。
 実際フーコーの「知の考古学」はこの様な言説に関する集蔵体とエピス
テーメの関係であるとか極めてセンシティブな問題でもポテンシャルを志向
することは科学を推進する力になることは「事実」なんでしょう。また、ポ
ランニーは科学共同体がなぜ言説を受け入れたり拒絶したりするかにも注目
している。彼は暗黙の知が働いているとしている。ただポランニーも人間的
な権威を理念化しすぎているきらいがあるのだが(日本においての学内派閥
とか)権威構造については少々無防備すぎる。この辺はフーコーの権力論か
ら考察するのが正しいのではないかと思われる。

517 :8:2006/02/28(火) 17:11:28
>>516 一般の素人が受け入れた印象でもってある人間の評価すること
と実際の物理学での「実証性」のポテンシャルを混同することは分けて
お考えのことと思いますが(もっとも日本の評論家連中は多くこの間
違いをやらかしてますが)、少々文脈がそう受け取られかねないので
ご注意の程

518 :8:2006/02/28(火) 17:22:30
>>515について
すいません。フォローが強いのはポランニーは「例外」と言いたいだけ
ですから。もっともポランニーの神聖化は断固として反対ですが、ただ
「人格的」に凡庸な現象と一緒に語られるといらだちを覚える人も見え
ますので(結構このスレにも多く見受けられます)。

519 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 17:24:41
訂正させていただきました。

■ポランニー「暗黙知の次元」は素朴な形而上学か?

ポランニーはブレンターノに言及するなど、「現象学」を根底にしているのではないでしょうか。
現象学は本質的に独我論であり、「内部」に閉じます。だからいかに「断絶」を越えて、「内部」から
「外部」へ向かうか、の問題があります。この世界の実証性であり、さらには他我問題です。
ポランニーは、認識を「明示的統合」と「暗黙的統合」に分けます。「明示的な統合」は意識された
要素を、組み立て全体とするという、現象学の志向性に近いでしょう。だから「明示的な統合」は
内部の作動であり、「断絶」は越えられません。

それに対して、「暗黙的統合」は、意識でなく、意識の裏(身体)で行われる統合です。だから
「暗黙的統合」は、「断絶」の向こう「外部」です。これによって、世界の実証性であり、さらには
他我問題は解決されます。

520 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 17:25:46
しかしこのような意識外を語る場合には、フロイトの精神分析の無意識、そしてそれに繋がる
構造主義系の(ソシュール的)言語論転回と比較することが必要でしょう。特のポランニー「暗黙知の
次元」では、フロイト、あるいは構造主義の無意識への言及がありません。

暗黙知は、「言語化されない知」としてしめされていますが、ここでの「言語」は「意識的」ということで
あり、ラカンのテーゼ「無意識は言語活動のように構造化されている」に代表されるような「無意識の
言語」については、考慮されていません。

たとえば、暗黙知の例で出てくる例、教育によって道徳が内面化されるは、フーコーの規律訓練型権力
に対応するでしょう。あるいはプラトンの規則のパラドクスも、ヴィトゲンシュタインの規則のパラドクス
に対応します。これらは(無意識的な)言語の作用と考えられています。さらに、その他の例の顔の
認識なども、後天的な言語獲得を考慮せずには考えられないのでないでしょうか。

521 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 17:26:49
このように考えると、ポランニーの暗黙知は、無意識(象徴界、言語)の作用と考えられます。では
「暗黙知」と無意識の差異はどこにあるのか。

>>
ある人間による身体の巧みな動作は、別な人間が認識できるリアルな存在である。しかもそれは、ただ
それを包括することによってのみ認識できるリアルな存在なのである。また、このリアルな存在を包括
する行為は、その行為の対象たる「動作」と類似の構造をもっている、と。P62

他のすべての暗黙知の事例において、包括する行為の構造と、その行為の対象たる包括的存在の
構造は、一致する。P63
<<

これは、言語コミュニケーションは認識論であり不確実であるが、そこにある「動作(行為)」は存在論的
な次元を開き、リアルである。たとえば、相手の「動作(行為)」を見て認識するのではなく、技の伝承
のように、体と体のコミュニケーションによって、認識を越えた身体的に「同期」する。そこに主体と客体
と要素とした高次の統合(創発)が生まれる、というようなことでしょう。たとえば社会も言語をもとにした
幻想の共同体ですが、その下部に人間という「行為」が統合された、「創発」が働いている、というような
ことでしょうか。

そしてこのように「生物学的な同期」は動物にはあるが、人間では「断絶」している考えるのが、
大陸哲学的であり、安易な「同期」は形而上学である、となるでしょう。

ちなみに、ボクは、このような「同期」を「他者からの呼び声」と呼びました。動物では「同期」している
が、人間では「同期」は失われ、「断絶してている。ただ遠くから呼びかけられている。だから、
コミュニケーションは欲望されるが、必ず失敗する、と考えます。

522 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 17:30:59
きびしん評価ですが、大陸哲学では、ポスト構造主義以降、
いまは、これぐらいの批判哲学言説が一般なんです。

523 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 17:33:59
鉱物(宇宙論)/生命(進化論)/人間(認識論、倫理)

ポランニーの時代は、創発性が新しく、統一的に
創発性があるということで語れたと思いますが、
現在の議論は、全体に創発性は働いているとして、
断絶とはなにか、だと思います。

524 :8:2006/02/28(火) 17:55:53
>>520 素朴な形而上学的言説と受け取りかねない部分が「暗黙知の次元」
のみ読み込む際、誤解はあります。かなり簡潔にかかれているので実証性と
いうことなら「個人的知識」に書かれてます(さらに実証性を問いたい
場合はさらに「知と存在」、簡潔にポラニーを知りたい場合はR・ゲルウ
ィック「マイケル・ポラニーの世界」を読んでください)
(A)意味付与 (B)意味読解 (C)人格(人・個人)の三つの構造がある
とした。この三つが三角形を形成し言語が形成されるとしている。したが
って(C)が暗黙知であるわけで「無意識は言語活動のように構造化されて
いる」つまり近位項から遠位項へ意味を注目する「潜入」ということは、
意味を内在化させるということで無意識レベル(暗黙知レベル)で構造
化がなされるということです。ソシュールとの違いは平面的相対記述か
上下の階層化モデルかの違いであります。ポランニーは明示知(言語知)が無ければ
非言語知も成立しえないという関係にこそ語られなければならず、ただ言
語表現する際に下位のレベルの意味解体が起こるということを指摘している。
ラカンは言語で語りにくい場合あえて質問の中断をし、イメージの意味を
記述するという精神分析を行ったことはご存知と思いますが、このことと
全く矛盾してません。つまり言葉で語ろうとすると言葉につまるだけで、
言語的に構造化(この場合階層化)されていると言えます。
 階層化モデルとして@音声A単語B文C文体(スタイル)D文芸作品
など提出してます。階層化モデルは完全ではありませんが、限界制御の
原理が上下の関係を明確に語っている(「暗黙知の次元」を参照)

525 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 18:01:14
>鉱物(宇宙論)/生命(進化論)/人間(認識論、倫理)

それは何なの?ポパー?

526 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 18:06:50
>>521
>断絶

動物であれ人間であれ、隣接する上下の階層は、
異質なシステムでありながら、フィードバックし合う、
というのがポランニーの考えでは?

527 :8:2006/02/28(火) 18:22:59
>>521
この辺についてですが、私的にはこう考えています。
意識自体が<過剰>であり、多くの動物が無意識の海の中にいると見る
方が妥当で無意識は欲求と知(暗黙知)から成り立っており、認知のメ
カニズムは無意識レベルで内在化されている。
されど意識は<過剰>=言語(ラング)であるから普段は欲求を抑圧に
かかりそのことによってリビドーは意識の上に上ろうと必死になる、あ
る時その意識と無意識の断絶(境界)を潜り抜け<過剰>によって大き
く燃え上がる。
これは別のベクトルで語ればバタイユの言う<蕩尽>にもなるであろう
がしかしこれが全てではない。
 以外と忘れられているのが「脳内麻薬」の問題で人間だけが「負のフ
ィードバック」が存在せず、快感物質を運ぶA10神経は無髄神経と言われ
ている。<過剰>に快感物質が運び込まれ意識で抑圧することでリビド
ーは変質し、あるときは病気に、あるときはバクハツする。
 快感物質では大きく2種類ある
ドーパミン「燃える」快感
セロトニン「萌える」快感(このわけ方は私の独断です)
もちろん同時に放出されることもあり、この快感物質が脳の構造化を
促している。つまり全く違う方向からですがw

528 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 18:30:58
>「負のフィードバック」が存在せず

負のフィードバックとは例えばどういうものですか?

529 :8:2006/02/28(火) 18:34:33
>>521 私は意識と無意識の間に深い断絶があると申し上げてますが、これは
脳の大脳辺縁系が<過剰>に大きくなったことから生じた「業」とも言える
が、どうしてその様にサルから<進化(退化?)>したのかは実証されてませ
んが「事実」です。精神分析的言説も良いのですが、私は臨床医学や生理学的
言説も放り込む「必要」があるとは思います。

530 :8:2006/02/28(火) 18:42:09
>>528 簡単に言えば、例えばこたつは「正のフィードバック」と「負の
フィードバック」が相互に制御して温度を一定に保つことができますが
、「負のフィードバック」が無ければ、温度の上昇を止めることが出来
ず、オーバーヒートを起こす現象に似ているでしょう。つまり自省が聞
かず<過剰>に快感物質が出る限り出てしまうことを言います。

531 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 18:57:51
なるほど、よく分かりました。

進化の過程で、ブレーキのぶっ壊れたサルが文明を作り、
ブレーキを後天的に身につけるようになったということですね。
荀子の性悪説を彷彿とさせます。

532 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 19:02:18
順序として、身体などの「要素」を先に見るべきだということですかね?

533 :8:2006/02/28(火) 19:28:25
>>526 同感です
>>532 自転車に乗っている時、意識を手足に向け厳密化しようとする
と、バランスを崩して倒れてしまいますが、他者を観察することである
程度の要素のデータを取ることはできます。従ってメルロ=ポンティは
自分が精神病になるわけにもいかないから臨床資料からあたったのはそ
のためでしょう。
>>530 バタイユの言説は具体的に何なのかと言えば、人間の脳に埋め
込まれた「制御不能の快感構造」そのもののことです。そうすると、バ
タイユのいわんとすることがかなり明解にわかるようになります。
つまり「制御不能の快感構造」=「呪われた部分」=「エロティシズム」
であるわけです。つまり「エロティシズム」の延長で「他者」を見ている
わけです。
 この頃脳みそを見ることは解剖学的データが全く無かったが、バタイユ
があと20年長生きしていたら恐らく脳の解剖に取り付かれたはずである。
何といってもこれほどエロティシズムを追及した人が実行しないわけが
ないと思いますがw
「エロティシズムは人間の意識の中で、人間における存在とは何かを
 問題とするところのものである」つまり意識自体だ
「エロティシズムは人間の内面生活の一面である。エロティシズムは欲望
の対象を外部に求めているために、私たちはとかく思い違いをしているの
である」(以上「エロティシズム」より)
間違いなく、バタイユは人間に<外部=他者>が埋め込まれていると見た。
断絶している理由は、制御不能の快感構造とこの<過剰>な意識を持つ脳
そのものであると見ています。思惟するのも<過剰>を前提とした問いに
他ならず、いつかは解体(蕩尽)される日がくることを示唆しています。

534 :8:2006/02/28(火) 19:36:43
>>533の続き ちなみに脳に麻薬が効くわけは、麻薬が脳内麻薬の分子
構造が似ているからで、脳内に毒物が入ることを防ぐ門をうまくごまか
しているかららしいです。極論を言えば文明が発展した所に麻薬が無か
ったことは厳密な意味でも有り得ず、それこそ文明の影に麻薬ありと言
ってもいいすぎではないのかもしません。
(ちなみに脳内麻薬のドーパミン=燃える快感、セロトニン=萌える快感
という定義はいかなるもんでしょwwww)


535 :8:2006/02/28(火) 19:41:57
>>531 栗本さんはそれを「パンツ」といったのです

536 :8:2006/02/28(火) 20:06:51
>>533についての補足
 バタイユの言説に矛盾を感じておられる方々は、この制御不能の快感
構造に向けた言説が西欧哲学言説の矛盾そのものを表面化している。フ
ーコーはだからこそバタイユを評価した。哲学的言説は全く違うベクト
ルで組み立て直すならこのことにこそ求められるべきで、だからこそ、
彼が否定するのは意識であり、ニーチェが永遠回帰というつじつま合わせ
の言説に急ぎすぎたのと違うのはここではないかと思います。
 バタイユは西欧においては意識こそ理性であり他者であり外部であった
とこう言いたかったはずである。それは本来必要でない<過剰>であると
こうも言いたかったはずである。だから私は再三脳の構造を理解すること
が哲学的言説を解体するであるとこういいたいわけです。


537 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:14:39
>>536
>だから私は再三脳の構造を理解すること
>が哲学的言説を解体するであるとこういいたいわけです。
利根川進先生も"resolution of メタフィジックス"を言って
いますね。

538 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 20:15:32
>>524
>したがって(C)が暗黙知であるわけで「無意識は言語活動のように構造化されて
>いる」つまり近位項から遠位項へ意味を注目する「潜入」ということは、
>意味を内在化させるということで無意識レベル(暗黙知レベル)で構造
>化がなされるということです。

暗黙知は「身体の行為がリアルである」わけですから、これは無理があるのでは
ないでしょうか。
あと>>527もそうですが「無意識」をどのような意味で使うかですね。
フロイトも時期によって違いますが、身体側の外部におくときに、
言語側の内部に場合があります。
ラカンは、「無意識は言語活動のように構造化されている」というように、
内部ですね。

仮に「自転車の乗り方を体で覚える」ような、暗黙知があるとして、
暗黙知の本質は、ポランニーがいうのは、言語コミュニケーションは失敗するが、
暗黙知(行為)は「断絶」を越えて、他者に伝達される、といっていることです。

539 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 20:17:16
>間違いなく、バタイユは人間に<外部=他者>が埋め込まれていると見た。
>断絶している理由は、制御不能の快感構造とこの<過剰>な意識を持つ脳
>そのものであると見ています。

暴走しましたね。(笑)エロティシズムは文化(言語)ではないのでしょうか。

>(ちなみに脳内麻薬のドーパミン=燃える快感、セロトニン=萌える快感
>という定義はいかなるもんでしょwwww)

エロティシズムを身体、脳(外部)で感じるとしても、問題はソフト(内部)ではないですか。
これだと、薬物投入も、エロティシズムでも変わらないですね(笑)

540 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 20:21:45
>>534
>この頃脳みそを見ることは解剖学的データが全く無かったが、バタイユ
>があと20年長生きしていたら恐らく脳の解剖に取り付かれたはずである。

構造主義者(コジェーブの弟子)たるバタイユにはこれはまずないでしょう。
なぜポランニーが欧州で受け入れられないか、と同じ理由です。
「性関係は存在しないのです」
エロティシズムしかり、文化的なものは身体(脳)反応に
還元することはないのです。
欲望はどこまでも社会的な行為なのです。

541 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:41:14
>>536
>だから私は再三脳の構造を理解すること
>が哲学的言説を解体するであるとこういいたいわけです。

意味分からん。
脳科学に還元したら、たんなる心理主義じゃん。フッサール以前ですよ。


542 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:56:11
東浩樹がいろいろゆってるね。
あれも断絶認識ということでいいのかな。

543 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 20:58:40
>>542
いろいろではわかりません。
なんですか?

544 :8:2006/02/28(火) 20:59:38
>身体の行為がリアルである
これはわかりますが、そもそも身体を「制御」しているのは人格(個人)で
あり、これは連続性で持って語っていかないとダメではないでしょうか?
階層レベルで語っていくなら人格(便宜上「精神」としますが)は身体の制御
をするが、身体のレベルでは精神に「制限」を与えていると言えるわけで、
これはダイナリズムで語っていかないと「意味」が見えてこない。「言葉」
ではなく言葉の持つ「意味」に注目していただきたい。暗黙知的には矛盾
してません。精神は身体の意味です(栗本慎一郎「意味と生命」より)
>エロティシズムは文化(言語)である
なら言語は外部であり社会でもあるわけです。この辺の連続性は「確信」が
ありますが、明示が難しいレベルです。研究著書で大木幸介著「脳・麻薬・文明」
を読んでみてください
>>540 これは<過剰>に冗談が入ってますw本気にするとは(笑)
>>541 いえ、フッサールの現象学が脳の研究に利用されてます。なぜなら、
脳のニューロン構造は実体でなくニューロン相対的構造としてしか記述ができない
のが現実だからです。(茂木健一郎「脳とクオリア」を参考)
 たしかこのことは前書いたと思ったがすいません

545 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 21:09:48
内部・・・心、後天的(アポステリオリ)
     →想像界、象徴界(言語、無意識) 、バタイユのエロティシズム、フロイトの超自我
断絶    
外部・・・身体、先天的(アプリオリ)
     →暗黙知?、ユング的な無意識領域、ラカン、フロイトの「欲動」、エス、現実界(物自体)
       脳神経学、認知科学

なぜ、内部と外部の断絶にセンシティブでなければならないのかは、もう一度いうと、
たとえば、エロティシズムを脳の快感物質に還元すると、これは外部であり、
先天的(アプリオリ)ということになります。
先天的なものは、遺伝子によって決定され、進化によって変化する。
すると、進化という変化単位を、文化や、人の寿命と比べると、長すぎて、
エロティシズムはほとんど「真理」です。

すなわちボクたちの脳には、人の個性、文化に変わらず、「これがエロティシズムだ」
というものがあるということになります。
あなたがなんといおうと、これがお前のエロティシズムだと、「真実」と
突きつけられるわけです。

546 :8:2006/02/28(火) 21:12:16
>>544の続き
何度も申し上げますが、物事は関係でしか捉えられず、そこには、ある
境界条件でしか妥当は有り得ないからです。これが私の相対的認識論です。
 従ってある関係の上位のレベルを志向することでしかこうだとしか、
いえません。従って私は意図的にいろいろな言い方で言い換えしてます
が、結局は認知科学は相対的記述の境界条件を研究することでしか、上位
のレベルはわかりません。私は還元主義者ではもちろんありませんので
それこそ、上位下位階層の途中で「予感」以上のことは語れません。
申し訳ないですが。
 それこそ発見のプロセスは一義的な記述では有り得ないといったのは
ほかならぬポランニーであって、英文も最初はわからなくとも何度も読
んでいると「意味」が浮かび上がる経験はないでしょうか?
 残念ながら私を「理解」いただくなら今まで勧めた本を読んでいただ
かないことにはわからないかもしれません。その意味では私の敗北かも
しれないのですが(笑)ある制約を受けた関係でこうだとしかいえませ
ん。申し訳ないですが限界表明します。

547 :8:2006/02/28(火) 21:19:06
 意識/無意識はどうしても相対化できない、だからこそ相対化するこ
とがなお重要なんです。ある経験の出来事でしか、「意味」は表現で
きないからです。いい議論ができたと思います。勉強します。
ではまたお会いしましょう。

548 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/28(火) 21:38:34
>>546
たとえばポランニーという、「暗黙知という身体の行為がリアルである」というのは、
ポンティの身体論にも繋がるもので、現象学的な展開でしょう。
ハイデガーの道具性とも繋がり、面白いですね。

ただポンティの両義性でもそうですが、単純な心身の両義性ではないように、
「断絶」にセンシティブです。
文化としての心があり、遺伝という身体がある。たとえば、認知科学でも
身体の機能を語るのはよい、それを人間性のようなつなげるとき、
「断絶」を横断するときに、センシティブでなければならない。
そしていかにつなげるかだと思います。
その意味で、大陸哲学は、徹底的に心側に臨界点を探るのです。
それがボクは、ラカン、デリダ、ドゥルーズなどだと思うのです。
(フロイトは「断絶」にセンシティブではないですね。)

一方で、英米系、特に心理学、認知科学は、進化論流れで、
「断絶」にセンシティブでない。ゲーム脳的なことを簡単にいいます。

どう敗北されたのか、よくわかりませんが(笑)
素朴な認知科学系の人が増えている中で、構造主義など米系の知見もあるので、
面白い考察ができるのだと思います。これからも頑張ってください。

549 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 21:39:40
ユング派や仏教?などでは無意識は想定しない。
すべて意識だととらえるのである。
それは、表層意識から深層意識へと階層性をなしていると。

550 :考える名無しさん:2006/03/01(水) 11:30:50
ネタぎれ?

551 :8:2006/03/01(水) 14:43:39
>>550 ネタ切れじゃありません。ジャーゴン(専門用語・業界用語)の論議に
移る必要はないと思っただけです。如何に明解に述べようとも専門用語を語る
ことに自己陶酔を覚える前に撤退したかっただけです。だから横断的に色々な
言い換えをして、できる限りわかりやすく語ろうとしただけです。明解に語る
ことを忘れる方が多い中(ぴか〜さんにもいえるかもしれないが)、成るべく
難しい問題を分かりやすく語るという経験を積まれることを期待します。私は
出版社にいて、営業マンでしたからこのことを痛切に感じる一方、分かりやす
いからといって安易に受け止め誤解されるジレンマに苦しんだから忠告してお
きます。

552 :8:2006/03/01(水) 14:52:25
>>550の続き 言葉に囚われるな!そのことをソシュールは最も警戒し
たことで、ポスト構造主義から現代に至る系譜は、ジャーゴンによる差
異の戯れに埋没していることを申し上げ終了とします。

553 :哲学野郎:2006/03/01(水) 14:56:25
 なんか今、個人サイトで『新思想創造論議同盟』
ってやつがすごいらしいね。知ってる?
結構有名らしいよ。きっと未来の思想部門1位だね。
 BIGLOBEで新思想創造論議同盟って検索すると出てくるよ。
特に掲示板がすごいらしい。
みんな参加してみれば?まだ人が少ない見たいだけど
凄まじい急成長だよ?
↓掲示板のアドレスはこれらしい↓
http://bbs7.fc2.com/php/e.php/deathnote/

554 :考える名無しさん:2006/03/01(水) 15:01:23
「言葉と病い」豊永武盛
って本があるんだけど、氏の持論から考えると、
音の表現とイメージ内容はあながち恣意的とは言いがたくなるんだよ。
まあ、検証するのは難しいんだけど。

555 :考える名無しさん:2006/03/01(水) 19:20:22
>>554
ペッペパプパペホニョロロロンロ。

556 :考える名無しさん:2006/03/01(水) 19:40:53
パッピプパキレルガエルイヌロン。


557 :考える名無しさん:2006/03/01(水) 19:54:52
→・←
←・→


558 :考える名無しさん:2006/03/01(水) 20:32:17
>>557
ホニョ〜オオロンロンビッパヨンパルザンゴタンケロ!


559 :考える名無しさん:2006/03/01(水) 21:07:21
8よ〜〜〜。
ぴかあーよ〜〜〜、何か分けわからないこと言ってくれよ〜〜。
みんなどこ行ったんだ〜〜。何か面白しれえこと言ってくれよーー。

....The wind
Crosses the brown land, unheard. The nymphs are departed.
Sweet Thames, run softly, till I end my song.


560 :考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:45:53
終わりだな

561 :考える名無しさん:2006/03/06(月) 16:34:57
ソシュールってなんで言語学板でシカトされてんの?

562 :考える名無しさん:2006/03/06(月) 16:45:34
>>561 >>8以下を読め

563 :考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:38:13
>>561
言語学板の住民においても、ソシュールは現代言語学の祖という認識があるが
しかしソシュールを専門的に研究しているやつはあんまりいないだろう
あそこの住人の多くは、おそらく生成文法か伝統的国文法のプロパーで
あとは応用言語学(日本語教育)とか言語情報処理とかいろいろだけど
ソシュールは古典過ぎて、基礎として知ってはいても、研究対象としている
やつはあまりいないと思う
本当は、ソシュールとチョムスキーだどうだとか、議論できるやつがいれば
いいんだけど、そこは言語学板のレベルの低さというやつだな

564 :考える名無しさん:2006/03/07(火) 19:57:15
>>561 こういう質問スレを発見「言語学者だけど質問ある?」
院生が質問に答えてる
http://www.nyasoku.com/archives/50384322.html

565 :考える名無しさん:2006/03/09(木) 11:59:06
「ソシュールのアナグラム」(水声社)
ジャン・スタロバンスキー

566 :考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:48:01
>>561
言語学を批判して一般記号学を提唱した人だから?

567 :考える名無しさん:2006/03/16(木) 07:30:45
ソシュールは言語学を転覆させるようなことを目論んだ人というより、
従来の言語学が縦軸だとすると横軸を新たに設けようとした人だともう。

568 :考える名無しさん:2006/03/16(木) 21:39:51
そうやって言語学に都合がいいように解釈して取り込んじゃうのね

569 :考える名無しさん:2006/03/17(金) 00:23:29
言語学者はソシュールをそのように他者的に捉えてはいないと思うが・・・
ソシュールに批判されたとかソシュールをとりこむとかいう認識の人はあんまいないような

570 :考える名無しさん:2006/03/17(金) 06:48:38
この板はまだ有効ですか?すいません、どなたかこの文献の参考文献、
なにから引用されているかご存知の方がいたら教えてください!

http://members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/arch-text/saussure.htm

571 :考える名無しさん:2006/03/17(金) 18:55:26
ソシュールは生前まとまった著書は残さなかったらしいから
おそらく死後弟子たちがまとめた『一般言語学講義』あたりだろう

572 :考える名無しさん:2006/03/18(土) 01:46:12
>>569
> ソシュールに批判されたとかソシュールをとりこむとかいう認識の人はあんまいないような

だからそれが、都合がいいように解釈(=無毒化)して取り込んじゃうという意味。

573 :名無し募集中。。。:2006/03/18(土) 02:55:46
構造主義を一からとなるとやっぱソシュールから入るのがいいの?

574 :考える名無しさん:2006/03/18(土) 11:45:24
レヴィ=ストロースの『神話論理』がとうとう刊行されるらしい。
4月中旬、みすず書房より、全5巻で。
初回は『生のものと火を通したもの・神話論理1』で
早見洋太郎訳で、A5判560頁・予価8400円。

575 :考える名無しさん:2006/03/18(土) 21:43:26
>>572

とりこむってのは、自分以外の他者に対して行う行為だろ
ソシュール以後の言語学はソシュールがベースになってるから
ソシュールをとりこむも糞もない

576 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 15:26:11
572の奴は「ソシュールの可能性ABCのうち、言語学はAしか見てない」
って言いたいんじゃね?
572は俺とは他人だから知らねえけど
だからといってBC要素に何を持ってくるか言わねえから話がゴミになってるんだと。
つーか、もしそれが記号論とかだったら嫌だな

577 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:27:02
>>574
>『生のものと火を通したもの・神話論理1』
生のものは食あたりの可能性があるので進められません。
冗談ではありません、ジョウダンズです。

578 :考える名無しさん:2006/03/23(木) 15:26:36
ははは

579 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 06:10:28
>>575 >>576
あと、ソシュールの場合は、講義ノートの問題もある。
ソシュールをベースにしたとされるソシュール以後の言語学は、
一般言語学講義に基づいている。
しかしご存知のごとく、そのノートには・・・

580 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 10:35:30
ラカンはソシュールのぱくりってことで

581 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 13:23:08
>>580 アホ?

582 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 15:43:36
579ってアホ?
自分だけ分かってるとか思ってるの?

583 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 19:47:33
>>582
582って真性のアフォ?
ご存知のごとく・・・って書いてあるのが読めないの?

584 :考える名無しさん:2006/03/30(木) 21:49:14
>583
「ご存じのごとく」はそれ以前の3行には係ってないんだが
自分で何を書いたか分かってないくらいバカなの?

まあ575と576にそんなレス付けてるバカだからしょうがないか
言語学がくみ取れていないソシュールと突っ込まれて何も
言えてないバカがプルっていようにしか思えない

単にそれをかきゃいいのに、突っ込まれるたびに逃げるだけ
だから叩かれるんだよ

って書いても理解出来ないんだろうな

585 :考える名無しさん:2006/03/31(金) 12:49:48
俺が馬鹿だからなのか、よく状況がのみこめないんだが
>>584は何をファビョってるの?

586 :584:2006/03/31(金) 23:03:57
笑った
バカが逃げた


587 :584:2006/03/31(金) 23:06:37
568.572のアホが出てこないと話にならないんだがな
ああ、ここ哲学板だったね
バカが無限後退しながら喚くための板なんだよね

588 :考える名無しさん:2006/04/12(水) 10:45:13
ソシュールって名前の響きで得してるよね

589 :考える名無しさん:2006/04/14(金) 04:10:46
肝心なデリダを忘れとる

590 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 00:45:12
∩( ・ω・)∩ばんじゃーい

591 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 02:15:45
カキコないな。ひさしぶりに>>8に光臨してほしい

592 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 02:22:54
生成スレ<22>
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1147595207/
で待っているぞ、あほども!

593 :考える名無しさん:2006/06/29(木) 10:20:17
>>8よ、降臨せよ!

594 :MEME1:2006/07/01(土) 02:00:49
8さんこんなところにカキコんでいたんですね。
MEME1です。
元気そうで何よりです。
たまたま、「意味と生命」で検索したらここに来ました。
あいかわらず、たくさん書き込みますね。営業のせいもあるんですかね。
時間差で、もう来ないのかもしれませんが、一応痕跡を残しておきます。
また、どこかで出会えるといいですね。

595 :考える名無しさん:2006/07/01(土) 23:23:40
え?

596 :考える名無しさん:2006/08/10(木) 15:18:34
>>8

597 :考える名無しさん :2006/08/17(木) 19:53:18
ソシュールをちゃんと読んでるやつ、少ないんだろうなぁ・・・。

598 :考える名無しさん:2006/08/18(金) 08:24:28
と読んだこともないヤツは思ってます。

599 :考える名無しさん :2006/08/18(金) 12:08:17
       ↑
少なくともオマエは読んでないようだな。

600 :考える名無しさん :2006/08/18(金) 12:34:10
丸山圭三郎を再評価すべきだ、そろそろ。

601 :考える名無しさん:2006/08/23(水) 18:56:53
我が師 ソシュール せんせー

602 :考える名無しさん:2006/09/13(水) 16:12:41
丸山さんは深読みしすぎ

603 :考える名無しさん :2006/09/23(土) 23:55:52
深読みする丸山氏、いい学者だ。

604 :考える名無しさん:2006/10/19(木) 12:42:21
深読みで間違ってるのは駄目だろ

605 :考える名無しさん :2006/10/20(金) 04:06:23
深読みせずして、進歩なし。

606 :考える名無しさん:2006/10/20(金) 07:02:56
丸山圭三郎の本をソシュールの反訳と
いった人がいたけど
どういういう意味か
丸山圭三郎は文献をにぎって
公開しなかったということか。


607 :考える名無しさん :2006/10/20(金) 08:03:29
>>606
それはない
ゴデル、エングラーが原資料を公開していて
それを丹念に読んで「講義」の歪曲を明らかにしたんだから。


608 :考える名無しさん :2006/10/21(土) 11:39:49
丸山はいち早く「ソシュールは旧来の言語学を超えようとした存在であり言語哲学と言ってもいい」と
言っていたが、当時の日本の言語学界は「妄言、ソシュールを誤読している」など
猛反発にあった。
飯田隆の『言語哲学大全・全4巻』が2002年に完結してみると、丸山の思考のベクトルは
決して間違っていなかった事が読み取れる。
ソシュールを言語哲学者としても何ら問題は無い、もちろん丸山も言語哲学者であった。

609 :考える名無しさん:2006/10/22(日) 18:57:57
ソシュールあるから、今さらいらねえよなぁ

610 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 10:34:57
>>607
そっか、そりゃ、「講義」に依拠してソシュール学を
築いた連中からしてみりゃ面白くないだろうね。

611 :考える名無しさん :2006/10/26(木) 17:20:23
>>610
丸山はフランス文学研究者で言語学プロパーでは無いからよけいにプロパーから
反発をくらった。
しかも丸山は英語も仏語もペラペラで専門的な議論が出来る上級者レベルだったから
デリダやドゥルーズその他の大御所達にだって直接ばんばん議論した。
残念なのはその記録を録音とか残さなかったから、大っぴらにはなってないが…。
デリダは竹田に論破されたのが有名だけど、その前に80年代すでに丸山が「グラマトロジーについて」を
批判する切り出し方で完全論破しているという事実がある。

612 :考える名無しさん:2006/10/26(木) 19:55:15
>>611 丸山圭三郎著「文化とフェティシズム」
   P167〜 第三章「3.ソシュールとデリダ」のことね。
P173
「私の話を聞いたデリダは、一見デリダらしからぬ社交的笑みを浮かべて
《それを伺って安心しました》と言った。

613 :考える名無しさん :2006/10/26(木) 21:10:07
>>612
ほんの一部しか書いてないけどね
デリダと丸山は複数回議論してるから。
栗本慎一郎が「パンツを脱いだサル」でデリダを辛辣に批判しているのも
わかるね、丸山から色々と聞いてるから。
デリダは偉大だと思うよもちろん、でも丸山は我々が考える以上に偉大な存在
なのかもしれないね、交流があった井筒俊彦も一目置く存在だった。

614 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 00:56:57
丸山は廣松と柄谷に完全論破されてたが?

615 :考える名無しさん :2006/10/27(金) 04:11:07
逆だ、廣松と柄谷が丸山に論破されているというのが事実。

616 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 12:34:38
つうか後期丸山は完全に電波だったな・・・

617 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 13:36:17
>>612
それはたしか、記憶が定かじゃないけど、丸山氏がデリダ氏に向かって、
自分からみたソシュールの思想とデリダさんのそれとが異なっている面はありつつも
意外と近い関係にあると思います、とか言ったことにデリダ氏が応えた言葉だよね。

618 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 13:38:58
つか、晩年の祖シュールも電波だった

619 :考える名無しさん :2006/10/27(金) 13:49:24
思い切って飛躍しない思想ほどつまらんものはない
偉大な学者ほど晩年は逸脱した思考を披露している
丸山の後期にしても実際読んでいるヤツいないだろ
風評だけで判断するのが衆愚というものなんだよね


620 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 04:51:19
言葉の連想による思想の運動が起きにくい日本で丸山氏のような存在が
在ったことは確かに快挙と言えるけどソシュールと同じでいかんせん
主著がないのがもったいない。

621 :考える名無しさん :2006/11/02(木) 11:19:59
丸山はあまりにも死が早すぎた
最晩年は北山修とか河合隼雄に「今一番興味があるのはユングなんです」って
言ってた。
言語に徹底してこだわってきた人が真逆のユングを思想に取り入れたとき
どんな思想が出てくる楽しみだったのに。


622 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:55:25
ビートたけしさんのテレビ番組(だったかな?)に出演なさって
日本のカラオケ文化論かなにかを語っていたよね?
いまはこういう方向の関心に向いてしまったのかと思ったもん。

623 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 19:56:26
日本語が変だった。こういう方向に関心が向いて

624 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 09:53:36
ソシュール以前ってシニフィアンとシニフィエ的な概念ってまったく
存在しなかったんですか?ありそうなものですが

625 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 19:38:50


626 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 09:41:53
丸山の後継者っているの?

627 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 19:11:45
中大文学部出身のあれがいるだろ

628 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 15:42:04
加賀野井秀一、前田英樹、立川健二
の3人衆が弟子とされてる人たちでしょ
ほかにも末永朱胤とかいるけど、名前挙がるのは上の3人だな

629 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 17:55:32
立川っていま何やってんの?
つか生きてんの?


630 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 21:21:06
ソシュールの最大の功績をおしえれ

631 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 21:49:40
1 人間は<言語>によって世界観を構築し、
  その世界観を通じて見たい様に見えている生物である。ということを論じた。
  (今のイスラムや北朝鮮の状況がそれを物語っている)
2 その<言語>は我々の意識せざる部分(敢えて無意識とは言わなかったが)
  について言及した先駆者(フロイトが「夢判断」を出版した年にソシュール
  は死去した)。
3 人間が動物を最も隔たっている部分は<記号>というものに<欲望>を持つ
  ということに最終的に気づいた(最初はラングにこだわり、最終的にはパロール
  に至り、アナグラム研究で頓挫したが……)

632 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 21:57:28
4 記号は差異によって成り立ち、そこに恣意性という概念を導入した。
  (現代社会の記号の差異化の差異化という状況の分析の先駆者)
5 しかし、言語が実は<無意識的>な個人的発話行為<パロール>が
  ラング<社会的言語観>との、これまた<差異>でしか見出しにくい
  ことは分かっていたが、まだ何がそれを生み出しているかはまだ言及
  できてない。(現代でも大脳内の「クオリア」の問題でもあり現代でも
  分かってないのだが……。つまり人間は何によってそれを質感として
  いるかということで極めて哲学的課題は現代に至るも不明のまま)


633 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 22:05:53
長く書いてみたが、最大の功績が、人間の最も他の生物と違う<言語>に
ついて意識的に操作して<記号>でもって社会を獲得してきた生物である
ということを初めて論じた学者であるということ。この<無意識的>に
根ざした<意識的>に<記号>を操るということを言及したことが最大の
功績。もっと言ってみれば我々は「自分はこうだ」といってはみるが、そ
れは我々の意識せざる「環境」や自己の思惑を超越した身体的「何か」に
無意識的に突き動かされる不気味な<構造>こそソシュールの真骨頂であ
るといえる。フロイトよりソシュールの方が文明観への追求が深く、それ
ゆえに深いと思う。

634 :考える名無しさん:2007/01/23(火) 04:13:26
なるほど。馬鹿なおれでもよくわかりました。
ソシュールがこの時代に生きてたらどうなってたんだろうな

635 :考える名無しさん:2007/01/24(水) 11:52:13
ソシュールをレヴィ=ストロースの構造主義と同列視しては理解を誤る。

636 :考える名無しさん:2007/01/24(水) 12:14:12
長く書いてみたが、最大の功績が、人間の最も他の生物と違う<言語>に
ついて意識的に操作して<存在>でもって社会を獲得してきた生物である
ということを初めて論じた学者であるということ。この<意識的>に
根ざした<無意識的>に<存在>を操るということを言及したことが最大の
功績。もっと言ってみれば我々は「自分はこうだ」といってはみるが、それ
は我々の意識せざる「世界内存在」や自己の思惑を超越した身体的「延長」に
無意識的に突き動かされる不気味な<気づき>こそハイデガーの真骨頂である
といえる。ニーチェよりハイデガーの方が文明観への追求が深く、それゆえに
深いと思う。


637 :考える名無しさん:2007/01/27(土) 08:42:18
レヴィ=ストロースはソシュールの言語学を継承しているわけではない。
「親族の基本構造」(1945)を見てもソシュールへの言及は無いに等しい(注で
1回のみ)。初期のレヴィ=ストロースが影響を受けたのはヤコブソン、特に音韻論
であって深く掘り下げた形跡はまるでない。ところが事は単純ではない。後々、
調べてみると、ヤコブソンの理論的基礎にソシュールは決定的な寄与をしており、
レヴィ=ストロースにせよそれを受けたバルトやその他の構造主義者にせよ、
そのことを師ってのち、淵源に遡ってソシュールを研究するに至ったのである。
そそて現在では文化人類学者にとってえソシュール理解は必須になっている。
「ソシュール小事典」(丸山圭三郎編)

638 :633:2007/01/27(土) 08:54:34
>>636 うまく書いているね。確かに「存在」も「言語」であり<記号>
であるのは間違いない。ソシュールとハイデガーは切り口は全く違うのだが
近いことは言ってるようですね。さらにハイデガーが褒めた、メルロ=ポンティ
はかなりソシュールの「一般言語学講義」を読み込んでいてこの本の内容の
矛盾点を、自分で研究して自分の考えで論旨を立てている。彼の異能さが
伺える。その結果、ソシュールの言語観と驚くほど酷似している形になった。

639 :考える名無しさん:2007/02/01(木) 12:30:22
なるほど、おもしろそうだなあ

640 :考える名無しさん:2007/02/02(金) 12:22:46
ポンティについては加賀野井がなんか書いてたような

641 :考える名無しさん:2007/02/02(金) 12:26:36
ポンティいうな

642 :考える名無しさん:2007/02/02(金) 15:06:45
じゃあ、ポンたん

643 :考える名無しさん:2007/02/08(木) 20:15:34
Jカラーの「ソシュール」ってどう?

644 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 16:13:30
講義の新訳買う?

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