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稲作と畑作の民俗誌

1 :いち:02/03/13 16:00
稲作と畑作について考えてみませんか?

2 :いち:02/03/13 16:00
久し振りに概説書を読んでいたら、「盆や七夕には畑作儀礼としての
側面もある」と書いてあったんですけど、これってのは稲作文化よりも
古い畑作文化の存在を前提としているわけですよね?
でも、普通に考えて、その時期は稲の収穫時期ではないわけですし、
旬のものを供えようとすれば、畑作物を供えるというのは、自然なこと
だと思うのに、なぜそれが文化論になってしまうのでしょうか?

こういう疑問に答えつつ、生業や食生活、年中行事などの視点から
稲作と畑作への見直しを図っていく必要があるのではないでしょうか

3 :ひでよし:02/03/13 17:43
江戸時代の文書に「両度の秋」という表現が使われているのを読んだことがあります

これは「秋は稲と麦の収穫時期である」ということを表しているそうで、和泉国(河内国
だったかな?)の平野部
でも麦が重要な位置を占めていたことを示しているのだと思います
出典はよく覚えていないのですが、その表現だけは印象に残ってます

4 :ひでよし:02/03/13 17:46
改行の位置が変ですね
「平野部」と「でも麦が」は同じ行になってると思って下さい

5 :天之御名無主:02/03/13 18:55
>>2
日本は畑作と稲作地域が完全に分離していないということだと思う

だいたい供え物だけが「儀礼」じゃないでしょ



6 :天之御名無主:02/03/13 18:58
いちさん初心者板ではどうもです。
>>3
麦は確かに秋に収穫する場合もありますけども、春に収穫する
方が多いのではないでしょうか?春のことを「麦秋」とも言いますし。
でも江戸時代は違ったのかな〜?秋の麦も多かったのでしょうか。
生業の聞き取りそしていると戦前くらいまでは田植えの時期には田の周りには
麦のハサガケが並んでたって聞くのですけども。稲の収穫と麦の収穫で
年中行事に二つの山があるようにも考えれますしね。
 それからふるいは畑作文化の話になると焼き畑がでてきますよね。
いきなりここまで話が進むと辛いかもしれませんが・・・・・
でもとにかく生業と絡めて民俗を語りましょう!こんな話の方が泥臭い民俗学って
感じがしてイイです!

7 :山野野衾:02/03/13 19:11
ところで稲藁と麦藁の用途、使用地域の分布はどうなっているのでしょうか。
私の知っている広島県の旧焼山村出身の女性(大正生まれ)は昔家の屋根に
麦藁を使用していたと教えてくれました。
他の地域ではどうだったのか、どなたか身近な具体例をご存知無いでしょうか。

8 :天之御名無主:02/03/13 22:59
糯稲の藁は粳稲の藁より強靱なので、藁細工の材料として好まれた。
沖縄では泡盛の材料には黒麹、味噌、醤油の材料には黄麹と
使い分けるが、蒸し米に粳稲の藁灰を振りかけて発酵させると黒麹、
もち稲の藁灰を振りかけると黄麹ができあがるという。
何故かは科学的には解明されていないが。

9 :ひでよし:02/03/14 08:12
>>6
そう言われてみれば、そうですよね
「稲の秋と麦の秋がある」という意味で「両度の秋」という表現が
使われていたのかもしれないのですが・・・・

出典を思い出して、確認しましたら、また書き込みします
(収穫作業の日雇労働に関する文書だったと思います)

10 :いち:02/03/14 17:25
>>5
>だいたい供え物だけが「儀礼」じゃないでしょ

確かにそうなのですが、ほとんどの概説書には畑作物を供えるから、
畑作儀礼としての側面がある、というようなことが書いてありますし、
十三夜と十五夜に関しても同様な説明がされていたりしますし、それ
で実際のところはどうなのかなと気になりまして…

11 :天之御名無主:02/03/14 18:54
>>5
>だいたい供え物だけが「儀礼」じゃないでしょ

っていっても神饌とか供え物はやはり重要なんじゃないでしょうか?
椎葉なんかでは神楽の前に猪の肉を切って供えたりするでしょ。
あんなのはやはり強烈ですよね〜。畑作関係では確か滋賀県では芋くらべ祭りや
ズイキ祭りとかいう有名な祭りもありますもんね(滋賀じゃなかったかな?)。
 しかし7さん8さんを読んでますと藁もやっぱふかいですね〜。何か本でもでしょうかね?

12 :天之御名無主:02/03/14 19:25
滋賀県野洲郡の三上神社で行われている祭りですね
坪井洋文氏などがいくつか論文を書いておられると思います

13 ::02/03/14 19:31
打ち間違いました・・・・
>>11の最後は「何か本でもでしょうかね?」
でなく「何か本でもないでしょうかね?」です。
法政大学出版会かどこかから、「鮫」とか「キノコ(松茸か?)」
か「曲物」とかもののなまえそのものの本が出てますがそのなかに
藁はなかったかな?灰の研究は確かあったはずだけど・・・・・

14 :天之御名無主:02/03/14 23:19
55-I 藁I、55-II 藁IIと分冊で出てますね。
未読につきsage

15 ::02/03/14 23:54
>>14
ありがとうです。
それにしても恐るべきは!法政大学出版局ものと人間の文化史シリーズ


16 :天之御名無主:02/03/15 16:34
その本では一括して「藁」とされていて、稲藁と麦藁には分けられては
いなかったんじゃないかな?

17 :天之御名無主:02/03/15 23:19
陸稲は畑作になるんでしょうね〜?だとすると水田と普通の畑と焼き畑の
三種類くらいに農耕は分類出来るのかな?でも畦豆なんてのもあるから
もっと複雑か・・・・それぞれに生業形態にたいしやっぱそれぞれ予祝などの
儀礼があったりするのかな?複雑複雑

18 :いち:02/03/16 16:23
>>12
坪井洋文氏といえば「餅なし正月」に関して書いてる方ですよね
確か「畑作文化が稲作文化を拒否していることの現れ」だというような
ことを書いていたと思うのですが、本当にそうなんでしょうか?

19 :天之御名無主:02/03/17 09:36
>>18
最近は「生業複合」ってよく言われてるから、坪井さんみたいな単純な
図式って否定されてますよね。でも坪井洋文の論は再考するに値する
だけの民俗学の金字塔だと思いますが。稲作文化単一のそれまで民俗学に
正面切って批判したのはこの人が初めてでしょ?


20 :天之御名無主:02/03/18 23:10
>>16
稲藁中心の本ではなかったでしょうか?屋根材については日本民俗地図に載ってるかな?


21 :天之御名無主:02/03/18 23:14
麦藁帽子はあっても稲藁帽子は無いよね。
菅笠は違うし。

22 :天之御名無主:02/03/18 23:17
単に夏前に収穫されるのが麦だから麦藁帽子ってことじゃないと思うのですけどもね〜。
民具系に強い人誰かいませんかね〜。あと藁を叩くと強くなるので、時代劇の夜なべ仕事で
たまに叩いているところを見かけますが、あれは稲藁でしょうか?

23 :天之御名無主:02/03/18 23:18
虚無僧の深編み笠は「稲藁帽子」では?

24 :天之御名無主:02/03/18 23:32
いつのまにやら藁スレと化していますな

25 :6:02/03/19 19:25
>>24
ほんまや!自分が藁ネタを振ったばかりに・・・でも興味深いのですけど。
話題が多岐に及ぶのも何なんですが、先月くらいから各地で
「御田植祭」や「おんだ」といった田植えの神事が初めってますよね。
だから時期的にまずは稲作の話題からいった方が良いかなって気もしますが。
だれか何処かの見に行きました?自分は今年も「飛鳥坐神社」に行けなかった(涙)
一度は見に行きたい。

26 :天之御名無主:02/03/20 01:18
広島県大朝町新庄の「新庄の囃田」か、
千代田町壬生の「花田植」がいいぞ。
六月はじめに笛と太鼓で囃しながら田植えする行事だ。

27 :天之御名無主:02/03/21 23:44
なぜ「御田植祭」とかってするの?予祝?

28 :天之御名無主:02/03/22 01:20
今の時期だと予祝儀礼ですね。
例外的に秋にやるところもあるそうですが、これは何でしょう?

29 :天之御名無主:02/03/22 10:54
豊作祈願の儀礼ではあるのは確かなんでしょうけど、予祝とはまだ
起こっていないことを「予め祝っておく」という意味ですので、実際に
苗を植えているわけですし、予祝って感じはしないんですけど…

30 :山野野衾:02/03/22 14:13
>26
古式が分かるのは大朝の方でしたか。元々周辺地域でも行われたそうですね。
他には岡山県、鹿児島県のものも面白いかと。どなたか地元の方はおられま
せんか。

31 :天之御名無主:02/03/22 15:07
>>29
ほんまですね!そういわれれば予祝じゃない。「田植え」自体を芸能とみなし、
神に奉納しているってことなのかな?
それから>>28さんの書いてる秋にするとこってどこですか?

32 :26:02/03/22 21:48
囃田の儀式はまず代かきから始まる。鞍と幟で飾られた牛が代掻き歌に
挽かれて田を均し、田植えの準備をする。
準備が整った田に田植えの一団が到着し、ささら、大太鼓、笛で囃しつつ
田の神「サンバイ様」を招く歌を斉唱する。
「歌い初めをまずサンバイにまいらしょう ヤーハーレヤレ まず
サンバイにまいらしょう さんばいはヤーレ 何処から降りゃる
宮の方から 宮の方からヤーレ 葦毛の駒に手綱よりかけ・・・」

次に苗取り歌と共に早乙女が苗をとりまとめる
「苗取り上手が苗をとるを見やれ 水も揺るがぬ 苗をとるを見やれ」
準備が整い、あとは笛太鼓の演奏にのせて歌いつつ田植えをする。
これもサンバイの名を持つ音頭取りが一小節を歌い、続けて早乙女が
斉唱、三度繰り返して次の歌を続ける。
「ホトトギス小菅の笠を傾けて 聞けども飽かぬホトトギス」
「なんと早乙女さんや 浅う植えてたもれや
  浅う植えりゃ 一反で二斗の米が多いよ」
夕暮れ、田植え終わりが近づき、日暮れの歌を歌う。
「音戸ノ瀬戸で清盛公はの 日の丸の扇で お日を招きもどいた」
「今日の田友達は名残惜しや友達 洗い河原で文をまいらしょうやれ」
田植えのハレの日は男女交歓の場でも有ったのだ。


33 :天之御名無主:02/03/22 23:22
>>32
田の神「サンバイ様」ってイイッスね!
サツキ サミダレ サオトメ と「サ」って言うのは
稲となんか関係あってって聞いたことあるけど。
関西では田植えの終わりを「サナブリ」って言ったりするし。

いや〜でもエエっすね〜。これぞ民俗って感じ。26さん報告ありがとう!

34 :28:02/03/23 00:37
御田植祭は豊かな実りを祈念して行うもので、
田植えを祝うものではありませんぜよ。
ですから田植えと同時に行っても予祝行事です。
早いところでは例えば大神神社が元旦に行いますし、
遅いところでは宇佐神宮などで7月下旬です。

秋…と言ったのは大分県国見町城山社の9月上旬です。
旧暦の9月から新暦に移す時に違いが出たのだと思いますが
新暦の9月だと収穫前ではあるにせよ実りは決まってしまっていて
ちょっと遅いような気がします。

35 :ひでよし:02/03/23 13:55
>>9
『近世賎民制と地域社会 和泉国の歴史像』(藤本清二郎、清文堂出版、
1997)に引用されていた文書で、弘化3年(1846)に書かれたものです

「年両度之秋人足百八、九十人より弐百人年々差出候」とあり、枝郷である
嶋村から本郷である福田村に約200人の人足を出しているという内容です
藤本氏は「春秋の麦・稲の収穫時」の人足だとしていますが、それが妥当だ
と思います

僕の記憶違いでしたのので、訂正しておきます

36 :29:02/03/23 15:37
>>34
>御田植祭は豊かな実りを祈念して行うもので、
>田植えを祝うものではありませんぜよ。
>ですから田植えと同時に行っても予祝行事です。

正月に松葉を苗に見立てて、田植えの所作をするというようなのが
予祝だと思ってたんですけど…

37 :天之御名無主:02/03/24 18:10
>正月に松葉を苗に見立てて、田植えの所作をするというようなのが
と本当に田植えをする行事と同列にあつかっても良いもんでしょうか?
正月とかって稲魂がどうこうとかも、いったりしますね。


38 :ひでよし:02/03/25 11:44
正月に行われる歩射や粥占なども予祝儀礼として位置付けられていますからね
「予祝」の定義について、改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか

39 :天之御名無主:02/03/27 21:12
なぜに多くの地方で山の神がおられて田の神がおられぬのか教えを乞う。

40 :天之御名無主:02/03/27 21:23
>>39
九州南部は有名な田の神さん地帯です。お地蔵さんみたいなカッコの
「タノカンサー」(田の神さん)が田の傍らなどに祀られています。
田の神と山の神は循環しているという話もありますね。秋に田の神が
山に帰り、春に降りて来るとか。


41 :天之御名無主:02/03/27 21:36
かつて杜氏は秋に来て春に帰りましたが、九州南部では
田の神は春に降り来て、秋にやまに帰られたのですね。

42 :天之御名無主:02/03/28 21:56
滋賀県なんかに多い「野神」ってあれは何の神様ですか?田畑?

43 :42:02/03/28 21:57
意味なく下げてしまいました・・・・上げときます。

44 :ひでよし:02/03/30 11:03
福田アジオ氏のムラ・ノラ・ヤマ(ハラ)の同心円構造でいうと、
生産空間である「ノラ」に祀られている神で、田の神の一つだと
されていますよね

「野神」が「ノラ」の神なのだとすれば、田の神だけではなく、畑の
神でもあるということになるのだと思います

ここが簡潔にまとめられていますので、参考までに・・・・
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/judi/forum/forum7/rez001.htm

45 :天之御名無主:02/04/01 07:39
戦国時代を舞台にした小説を書いています。尾張、美濃で歌われた
田植え歌の歌詞をご存知の方、教えて下さい。

46 :山野野衾:02/04/01 22:20
>45
田植えかどうかはさておき、小唄位でしたら「上井覚兼日記」等に出ています。
うちの隣の○松(人名)は○○(地名)の戦に頼まれて一年経っても帰りゃせぬ二
年経っても帰りゃせぬ三年経ったら首が来た(歌詞うろ覚え)
これで駄目でしたら地域の田植え歌でも参考になさっては。ほとんどが近世のもの
ですが。

47 :天之御名無主:02/04/01 22:36
中国地方の田植え歌なら「田植草子」という良い本がある。

48 :45:02/04/01 23:08
レスありがとうございまいた。

49 :26:02/04/02 21:18
広島県千代田町壬生の「花田植」の歌詞の例

笠の端は揃うたがどこ笠が揃うた つつき笠 京笠にや大和笠が揃うた
大和笠よりや大仙笠が揃うた ヤーハーハーレ ヤーハレ 大仙笠が揃うた

皐月の早乙女と春の鴬はの 面白い音を出す 春の鴬はの

京の清水寺の滝の水 滝の水 やれ流れて行くのは加茂川の

京の三十三間堂の仏の数はなんぼうか 三万三千三百三十三体ござる げにやれ

宮島の千畳敷はどなたが建立なされた 飛騨が匠の竹田が番匠清盛様が建立よ

田主殿の前田にや咲くのは何の花やれ  稲の花銭の花 咲いて徳の花やれ

50 :ひでよし:02/04/03 12:00
「諸国の百姓田稲を苅り取るの後、其の跡に麦を蒔き、田麦と号し、領主等件の麦の
所当を徴収す」ることが行われているが、それは「租税の法」ではないから、「自今以後、
田麦の所当を取るべ」きではなく、これは「農民に依怙を為」す(農民に味方をする)よう
にしろという法令が鎌倉幕府から出されています

この法令によって鎌倉時代には稲と麦の二毛作が広く行われていたことと、裏作の麦は
徴収するべきではないとされていたことがわかります
これは租税としてほとんどを徴収されてしまう稲に対し、麦は百姓にとって重要な食料と
されていたからだと考えられています

51 :天之御名無主:02/04/05 08:52
「貧乏人は麦を食え!」(by池田勇人)

52 :天之御名無主:02/04/05 17:21
 麦ってどうやって食べてたんでしょう?全てうどんにしたり
したわけでもないでしょうし、すべて米と一緒に麦飯にしたわけでも
ないでしょうし。

53 :天之御名無主:02/04/05 21:18
麦の食べ方だが、大麦の場合は麦飯か麦粥、もしくは麦焦がしにした。
小麦は粉にしてすいとんにして食べた。
饂飩や饅頭は手間がかかるので御馳走だった。

54 :天之御名無主:02/04/05 21:48
          阪神ワッショイ!!
      \\  阪神ワッショイ!! //
  +   + \\ 阪神ワッショイ!!/+
                             +
   +    ⌒*⌒  ⌒*⌒   ⌒*⌒
      ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
 +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ  +
       ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
       (_)し' し(_) (_)_)


55 :いち:02/04/06 07:28
池田勇人首相の「貧乏人は麦を食え!」発言(暴言?)からも明らかなように、
ほんの数10年前までは麦が重要な食物であったにも関らず、麦に関しては
知らないことだらけです
例えば、麦飯の麦と米の割合とか、播種から収穫までの作業とか、それ以外
にもいろいろとあると思います

これらのことに関して詳しく書いている文献がありましたら、教えて下さい

56 : :02/04/06 13:20
 

57 :天之御名無主:02/04/06 14:17
>>55
ごめんなさい、質問が↓は、
>池田勇人首相の「貧乏人は麦を食え!」発言(暴言?)からも明らかなように、
何がこの発言により明らかにされているの?

>麦飯の麦と米の割合とか、播種から収穫までの作業
これらについてだと、各地の報告書、市町村史などを見た方がわかりやすいと思われ。

それ以外はちょっと今調べ中。


58 :いち:02/04/06 15:35
池田勇人首相といえば、所得倍増計画を掲げた人物だっとと思うのですが、
その際の具体的な目標というのが白いご飯を食べられるようにするということ
だったのだと思うのです(ちょっと違うかも…)

その当時はまだ麦飯を食べている民衆が多くいたからこそ、「貧乏人は麦を
食え!」という発言が出てきたのだと思うのですが、その時代の食生活という
のが、どのようなものであったのかがよくわからないのです
民俗調査をしたことは何度かあるのですが、麦の話というのはほとんど聞いた
ことがありませんので、それでこういうスレを立てて情報を希望している、という
わけです

59 :天之御名無主:02/04/06 16:10
『田畑と雑木林の民俗』という本がある。
平成6年頃発行されたもので、埼玉県の麦作儀礼について詳しい解説がある


60 :天之御名無主:02/04/06 18:06
麦に関する有名な俗信

「戌の日に麦蒔きをしてはいけない」
昔、弘法大師が中国に留学したときに初めて麦という作物を見た。
日本に持ち帰って広めようと思い、畑から穂を盗み取ったところ、
犬に見とがめられて吠えつかれた。しかし、事情を知らない飼い主は
「坊様に失礼なことする」と、その犬を殺してしまった。

そこで、その犬を弔うために戌の日には麦蒔きしないのだ。

61 :天之御名無主:02/04/07 15:25
焼き畑の農耕儀礼を教えて下さい。

62 :57:02/04/08 23:41
>>58
>その際の具体的な目標というのが白いご飯を食べられるようにするということ
>だったのだと思うのです
なるほど、そういうことなんですね。
そうそう、『日本民俗大辞典』によると1960年代から70年代にかけて
麦飯から白飯(白米のみ)に変わったそうですよ。

>その時代の食生活というのが、どのようなものであったのかがよくわからないのです。
その時代というのは、昭和30年代後半ですよね。
コレは結構、調査に、話を聞きにいけば聞ける話だと思いますが。
身近にいる50代以上の人に聞くだけでも結構聞ける気が…。

でも、詳細な事例は市町村史、報告書がいい気がするんだけど…、だめ?
『長野県史』の民俗編なんか異様にたくさん出てるしなー。

それから、水稲耕作が伝わる以前に水田に出来る芋(ちょっとどういうものかわかんないんで、すいません)を作っていたから、水稲耕作をすんなり受け入れることが出来た、
という話を聞いたことがあるんだけどソースがわかんねー。



63 :かいば:02/04/09 01:17
どういう調理のしかたを知ってるかで、
稲作と麦作が別れたんじゃないかと、
思ったりしてます。

64 :ひでよし:02/04/09 17:15
『日本の食文化 昭和初期・全国食事習俗の記録』(成城大学民俗学研究所編、
岩崎美術社、1900)には「救荒食」の項目が設けられ、昭和飢饉の際の食生活が
報告されているそうです
(僕はまだ読んでいないので、これ以上は書けません)

飢饉の際の救荒食として畑作物が重要な役割を果たしたという指摘は歴史学の分野
からもなされています
菊池勇夫氏の『飢饉の社会史』(校倉書房、1993)や藤木久志氏の『戦争と飢餓の戦
国を行く』(朝日選書、2001)などはお薦めです

65 :天之御名無主:02/04/14 07:28
>>61
http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/yakihata.html

椎葉村に伝わる火入れの際の歌だそうです

66 :天之御名無主:02/04/14 07:29
「歌」じゃなくて「祝詞」(?)ですね

67 :いち:02/04/20 08:37
赤飯の由来に関して、古代の赤米祭祀の影響が残っているんだと
いう説や火を重視する焼畑文化の影響ではないかという説がある
のですが、これはどうなのでしょう?

確かに「赤」という色に特別な意味を見出すことはできるのでしょうが、
それを赤米や焼畑などにそのまま結び付けることができるのかという
気がするのですが…

68 :天之御名無主:02/04/28 22:53
もう田植え始まってるところありますよね〜。
早稲となかてと晩稲って今でも作りわけてるんでしょうかね?

69 :山野野衾:02/04/28 22:57
>62
遅レスですが、現在九十歳以上の人からアワ飯の話を聞かせて頂いた事があ
ります。しかし現在では何処の民宿でも出るものは(故意にでも無いと)変
わりがありませんね。

70 :57:02/04/29 21:10
>>69
商品化すると…、ってことでしょうかね。



71 :天之御名無主:02/04/29 21:35
江戸時代に南部藩などでは畑作から稲作への転換がはかられ、
それ以降、東北では飢饉に対する抵抗力を失った

・・・と、宮本常一は書いている。


72 :天之御名無主:02/04/29 21:38
>>65
それ、「寺川郷談」に出てるのといっしょだ。
ビクーリ!
寺川は高知県土佐郡本川村にあります。
水田がなく、米が一粒もできないところで、
藩政期には年貢が免除されてたことで有名。
みんな焼畑で食べてたところ。

73 :天之御名無主:02/05/02 16:01
>>71
なるほどね。目から鱗。
宮本の言うことってのは、いちいち鋭い。

>>72
それも宮本が報告してるのを読んだことあるような・・・
「民俗学への道」だったかな?

74 :天之御名無主:02/05/04 23:36
もう田植え真っ盛りなんじゃない?あげ!

75 :天之御名無主:02/05/16 23:21
サナブリage

76 :天之御名無主:02/05/16 23:24
田の水口祭りした?
ソーリage

77 :天之御名無主:02/05/17 19:58
田の神関係の事例報告、柳田國男と早川孝太郎はよく参考にさせて貰ったが
如何せん全集は纏めて書架から取り出すと重すぎて萎え。

78 :天之御名無主:02/06/15 01:25
ありゃ!今日(6月14日)住吉大社の御田植え神事だったのか〜〜〜相変わらず
平日にしてるんやな〜さすがに国指定の無形重要文化財は強気!
誰か行きましたか?雨だったかもしれないから見やすかったかな?


79 :天之御名無主:02/06/15 04:32
陸稲は、稲だけど畑でつくるので田植えはないのでしょうか。
五穀も水稲を除くとすべて畑作なのですか。
田植えができる水田を維持するために弥生時代頃から灌漑農業に移行したのですか。
縄文時代の稲作って陸稲なのですか。
日本の田植えに梅雨は不可欠ですが中国南部にも梅雨あるいは雨期はあるのですか。
夜中に書いているとどうしても教えて君になってしまう。反省。もう夜中には、訂正、夜中にも書きません。

80 :天之御名無主:02/06/16 11:08
>>79
どれも面白そうな質問だけど、畑作から水田っていう単純な流れではなくて、
水田にしても湿田と乾田があったし、畑作も普通の畑と焼き畑があったし、
これらが数十年前まで混在してあったってのが日本の農業だと思います。
焼き畑なんて戦後すぐはまだけっこうしてたんじゃないかな。湿田の話も聞くし。


81 :天之御名無主:02/06/21 08:59
乾田の棚田って裏作で何かつくってたのですか?地力維持の方法とか
なんかは不思議??

82 :天之御名無主:02/07/02 09:48
宮本常一ファンは多いけど、宮本のある意味専門分野である生業系の民俗は
もの凄く人気ないですね・・・・何を作って何を採って何を食べていたかや、
それに関する民俗的な技術や伝承といった実際の生活を知らないと、その他の
民俗なんてわかるわけないと思うんですが・・・・違うかな??

83 :山野野衾:02/07/02 15:57
>82
勿論嫌いでは無い上に寧ろ好きな研究者なのですが、宮本先生が監修してお
られた地元の○○市史民俗編が生業についてやたら詳しかった割に自分が興
味のあった伝説や世間話を欠いていたのでガッカリした事がありました。
別に不満があるとかいう訳では無いのですが、民俗史は本当に研究者の顔が
出て来ますね。

84 :天之御名無主:02/07/03 07:01
百姓ではないのでやろうにもわからない、
というのが正直なところ。
田んぼに入ったこともないもの。



85 : :02/07/05 00:35
>>84
マジ笑えないよね。

いつもお世話になってる土地のおばちゃんとこへ、
この前べつの大学の若手研究者が来て聞き取り調査したらしい。
畑に生えてるゴマがなんだかわからなかったと驚いてた。

86 : :02/07/05 02:35
ゴマがなってるところ知らない(;´Д`)

87 :天之御名無主:02/08/02 01:30
もう田植えすんで草取りも済んで農家は「昼寝」したりする季節になったのでしょうか?
昼寝するのはやっぱ水田稲作が主体の地域だけなのか?

88 :天之御名無主:02/08/02 01:48
>>87
大阪郊外(和泉一帯)の畑作地域でも昼寝の習慣はちょっと前まであったよ。
いまは農家が減ってベットタウン化がはなはだしいが。

89 :87:02/08/02 22:34
>>88
なるほど〜別に稲作特化地域じゃなくてもどこでも昼寝はあるんですね〜。
確かに暑い昼間に農作業する必然性って無いような気もしますもんね〜。
でもやっぱ8月は暑いしそこそこ農閑期だったりするからお盆とかがあるのかな〜?
そこまで考えると飛躍しすぎでしょうが(笑)

90 :天之御名無主:02/08/31 02:02
田植えの時期が早くなり、植える品種も少なくなってきている昨今、
早稲、なかて、晩稲の区別もかなりなくなってきていると思うのですが、
このような状況は稲作関係の儀礼に何か影響しているのでしょうか??
収穫を祝う秋祭りって今ではもうかなり収穫後になってますしね〜。

91 :天之御名無主:02/08/31 04:32
食糧増産が叫ばれた戦時期に品種改良が加速してるという罠。
儀礼に影響というならそのころから。
当時の変化を体験として知ってる世代から聞き取りするなら
今が最後のチャンスだな。
それ以降しか知らない世代に聞いても「昔からこうだった」と
答えるに決まってるから、聞き取りのさいには注意が必要。

92 :天之御名無主:02/08/31 07:46
>「昔からこうだった」と答えるに決まってる

俺も含めてみーんな同じ問題に直面していますね(泣)

93 :シコクビエ:02/09/06 01:56
椎葉村以外で密かに焼き畑やってる所って無いのでしょうか?
もう椎葉クニ子さんはイイです(^^;

94 :ソルガム:02/09/15 04:09
今日、何かのコマーシャルで、海外の焼き畑地帯に水田の指導をしているって
のがあった。焼き畑による森林破壊をなくすのが目的らしいけど、
無軌道な焼き畑が悪いのであって、焼き畑自体は決して悪くないと思う!
焼き畑にもすごい民俗的な知恵が有り、山を休ませたり、転作を工夫したりと
なかなかすごい文化だと思う。水田に特化した結果、江戸時代の東北の飢饉なんかが
起こったとも言われるし、焼き畑=悪 水田=善 って言う構図は止めてもらいたい!!
と切に思った次第であります。ジャングルでの無茶な焼き畑は問題だと思うけどね。

95 :倭奴:02/09/15 11:50
日本史板にリンク張ってもいいけどここにも書きこむよ。
渡来人は来たのか。イネの専門家である佐藤洋一郎氏の近著「稲の日本史」(角川選書
2002年)におもしろいこと書いてある。
漏れもある理由から、半島からの渡来人が弥生時代に多量にやって来たとは考えてい
なかったので、 納得、納得。
なお、佐藤氏も焼き畑=悪と考えることに疑問を呈している。

縄文時代には日本列島に焼き畑農耕の熱帯ジャポニカによる稲作が伝えられた。
熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカは遺伝子レベルで識別ができる。起源は不明だ
が、フィリピン、台湾あたりから、琉球列島を通って伝えられたようである。
 縄文稲作に懐疑的な考古学者がいるが、焼き畑式の稲作なら荒起こしや、しろ
かきはしないので、籾を地中に植えるための槍のような農具があればいい。われ
われが考えるような農具が見つからないのも当たり前。また焼き畑式だから、水
田跡が見つからないのは当たり前。
 縄文晩期になって温帯ジャポニカの水田稲作が伝えられたが、すぐに全国に広
がったようではなく、縄文稲作の要素を残しながら熱帯ジャポニカと温帯ジャポ
ニカが同じ水田で作られた。今に見るような温帯ジャポニカの水田に完全に切り
替わるのは、近世になってからである。新たな発見がされるたびに、縄文稲作と
弥生稲作の間には断絶はなく、むしろ連続しているとみる方が適切である。
 また、持ち込まれたジャポニカもごく少数であって、縄文後期に、渡来人が手に
手に稲を携え、大量に移住してきたとは思えない。
 経路は中国大陸から直接やって来きた、朝鮮半島経由の二通り考えられる
証拠がある。

96 :倭奴:02/09/15 11:54
続き
佐藤氏の著書からの引用

・・・・引用開始・・・・
やって来た渡来人たちの人口は、ある推定によると一〇〇万人にも達するといわれた。これ
だけのヒトがわずか数百年の弥生時代にやってきたのなら、列島の人と文化はその渡来のをき
っかけに大きく変化したに違いない。渡来人が手に手にイネと稲作の技術を携えてきたのなら、
列島の生業はこの時期に大きく変化したに違いない。
 こうした大変革の主体者である多量の渡来人は本当にやってきたのか。今現在、その明確な
答えは得られていない。しかし、−−ここにもくりかえし述べたように−−今私たちの手中に
あるデータは必ずしも二重構造説によらなくとも説明ができそうである。
 渡来人たちが稲作の文化も持たず何も伝えず、ただ数だけがやってきたという「強弁」はむ
ろん可能である。しかしもしそれが事実であるなら、渡来人の集団はたんに奴隷の集団にすぎ
なかったことになる。
(中略)
                         従来、この大変革の主体者たちが渡来
人であったと考えられてきたわけであるが、前項に書いたように、もし「渡来人がこなかっ
た」とするなら、この変革の担い手は誰なのか。消去法でいけば変革の主体者は在来のいわゆ
る縄文人であったことになる。水田稲作をはじめとする弥生時代を特徴づける文化的要素は縄文
人達によって日本列島にもち込まれたことになる。変革は、外的な力によってではなく主体
的に行われたことになる。端的にいえば、水田稲作の技術は大陸に渡った縄文人たちが日本列
島にもち帰ったものだということにもなる。
 渡来人が変革の主体者であったとする見解に対して、在来の縄文人たちが自らを自らの手で
「変革」したとする見解は以前からあった。この見解に、再び光を当ててみることが必要であ
ろう。
・・・・引用終わり・・・・

  >>しかしもしそれが事実であるなら、渡来人の集団はたんに奴隷の集団にすぎ
  >>  なかったことになる。
  腹を抱えてワッハハ、膝を叩いて思わずガテン。

97 :コギャルとHな出会い:02/09/15 12:07
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98 :ソルガム:02/09/15 17:28
さっそく佐藤洋一郎「稲の日本史」(角川選書2002年)を読んでみるです!


99 :コウリャン:02/09/19 00:54
もうすぐ中秋の名月ですが、月見の供え物と生業の関係ってありますか?
芋名月とか栗名月って聞いたことあるのですが??
供え物のことではないのかな?たんなる生業暦なのでしょうか?

100 :畦豆:02/09/30 23:47
秋になるとあちこちで「案山子祭り」が行われるけど、あれを見るたびに
げんなりしてしまう・・・人形方の田圃の案山子って効果あるのかな?
畑の「ヤイカガシ」なんかのほうは効きそうだけど。鉦や太鼓などで脅す以外、
もとは田圃でもヤイカガシ的なことしてたのでしょうか?

101 :天之御名無主:02/10/17 17:17
 秋なので上げますよ〜

102 :天之御名無主:02/12/02 20:00
此訳

  上田壱町七反歩半         十四
   此取米拾弐石七斗五升壱合     反七斗五升取

  中田三町九畝拾歩半        十二
     内壱畝五歩     前々川欠引
   残三町八畝五歩半
    此取米弐拾石三升弐合      反六斗五升取

  下田五町六反七畝歩半       十
     内壱反弐畝拾三歩  前々川欠引
   残五町五反四畝拾七歩半
    此取米弐拾九石三斗九升三合   反五斗三升取

  下々田弐反六畝拾三歩半      八
   此取米壱石五升八合        反四斗取

  新下々田弐町六反七畝廿一歩半   六
      弐反六畝七歩   前々川欠引

実際の割付から引用したんですが、石盛が十四,十二,十,八、六となってるのは何でか分かりますか?
一般では十五から始まる奇数じゃないですか

103 :天之御名無主:02/12/02 23:10
>>102
う〜〜〜ん??こんなのは民俗学よりも農政史、農業史なんかの史学専門の人に
聞いた方がイイかもしれないですね〜??

104 :山崎渉:03/01/11 03:13
(^^)

105 :天之御名無主:03/01/12 18:40
    

106 :山崎渉:03/03/13 13:27
(^^)

107 :天之御名無主:03/03/26 18:23
石盛とは何のことですか。

108 :天之御名無主:03/04/03 14:10
>>94
あのCM嫌な感じです。「パンが無ければケーキを食え」のような、
能天気なイメージが。白米を箸で食べる事しか知らない現代日本人に
あんなCM見せてどうするのか…

109 ::03/04/03 14:56
★おすすめ★
http://bbs.1oku.com/bbs/bbs.phtml?id=yasuko

110 :天之御名無主:03/04/09 19:50
a

111 :山崎渉:03/04/17 09:24
(^^)

112 :山崎渉:03/04/20 04:53
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

113 :山崎渉:03/05/21 22:44
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

114 :山崎渉:03/05/28 15:05
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

115 :山崎 渉:03/07/15 12:48

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

116 :天之御名無主:03/09/21 00:52


117 :>>108:03/09/21 07:48
【 「パプアの焼き畑」よそで撮影 コスモ石油の広告写真 】

 パプアニューギニアで環境保護に取り組んでいることをPRする石油業界大手「コスモ石油」の
広告で使われた写真が、実際はパプアで撮影されたものではなく、米国やブラジルで撮影された
ものだったことが分かった。市民団体からの指摘に同社は「配慮が足りなかった」として、広告の
差し止めや写真の差し替えを検討している。しかし、市民団体は「現地での同社の活動は、そも
そも環境保護になっていない」ともいっている。

 広告は、パプアの焼き畑農業を環境破壊とし、そこで稲作への転換を手伝う自社の「功績」を
訴える狙いで、昨夏からテレビや新聞、自社のホームページに掲載してきた。

 樹木や下草などが炎と激しい煙をあげて燃える写真と、それを背景に「生きるために森を焼く
人たちに、森を守ろう、という言葉は届かない。」「焼畑による森林破壊 毎分約30000平方
メートル」などと比較的大きな文字で記されている。

 さらに、焼き畑農業を「熱帯雨林が広がる国々に古くから伝わる農法」とし、それが人口増や
貧困などで「破滅的農業へと変貌(へんぼう)した」と説明。同社は、パプアで焼き畑に従事する
農民が稲作で暮らしていけるよう支援していると訴えている。

118 :>>108:03/09/21 07:49
 ところが、使われた写真は米国オクラホマ州での草焼きや、ブラジルのアマゾンの熱帯林で
撮影されたものだった。今年7月、市民団体「パプアニューギニアとソロモン諸島の森を守る会」
(辻垣正彦代表)が「パプアにしては焼き畑が大規模すぎる」と同社に問い合わせて分かった。

 同社は「現地で焼き畑が森林破壊の1つの要因だと聞き、その資料写真を業者から取り寄せて、
その中から象徴的なもの3枚を選んで使ったが、配慮に欠けていた。写真は止められるものから
止め、テレビCMについては改訂時に正確なものにしていく」と説明している。

 しかし、パプアニューギニア環境保全省によれば、そもそも森林破壊の70%は商業伐採が
原因で、焼き畑によるものは10%以下という。守る会の辻垣代表らは「コスモ社の活動はむしろ、
森と共存している現地の伝統的な農業とイモの食文化の破壊につながるのではないか」と指摘
している。 (09/01 16:57)

119 :94:03/09/27 18:02
>>107>>108
そうだったのか〜〜〜やっぱりあのCMは無理があると思ったけども、
農耕文化を冒涜しているようなことを裏でしたいたんですね。
ざまぁ見ろ!!って感じです!やっぱ見る人が見ればわかるんですな〜。

120 :94:03/09/27 18:03
間違えた(^^;>>117>>118だった m(_ _)m

121 :天之御名無主:03/09/27 21:16
◎弥生人は朝鮮を経由していない!!

「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず

122 :天之御名無主:03/09/28 00:06
>>120
なぜか巨人応援実況板にw

1380 :闘魂名無し@3連勝 :2003/09/25(木) 22:28 ID:jDuz7ekc
>>1364
すまん。スレの流れとはまったく違うのだが
「焼畑農業」これを例えとして用いてるのはわかる。
だがな、焼畑は決して破壊的な農法じゃないんだ。
焼畑は文字通り傾斜地の林地を払い、そこに火入れして
行う農法だ。一回こしらえた農地は二年〜長くて四、五年
作物を取る。
そしてだな。ここからが重要だ。
耕作放棄した後はそこを休閑地として極相林(10〜20年生の木)
になるまでおいておくんだ。焼畑は一見「火入れ」が重要のように
思えるが、実は休閑し、畑地を林地に返すのが重要だったりする。
長々とすまん。もしわかってるのだとしたらすまん。
そしてスレを汚してしまってすまん。
焼畑を誤解されるのが忍びないもんでつい・・・




123 :天之御名無主:03/10/17 22:24
イモ正月の坪井洋文先生、全く名前がでてこない。。。
忘れられた研究者になってしまったんかいな。

124 :山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/17 22:35
>123
計三つのレスに登場してらっしゃいますが。比較的若いうちに亡くな
られましたね。

125 :天之御名無主:04/01/03 04:31
東京の板橋では、今年も2月に田遊びが行なわれるらしい。
水田が全くなくなった場所なのだけど、
国指定になってしまった文化財であるためか、
勝手にやめることができないそうだ。
農家が消えたにもかかわらず、農業の予祝行事を行なうのは、
文化財だからしかたなく継承しているだけのか、
近所の神社でおこなわれるだけに興味がある。
その実情、ご存知の方、いませんか?

126 :とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/03 21:50
>>125
そこのことはわかりませんが、
全国的に神事・神楽のかなりの部分が、
地域の小中学生(転入者も含む)の「地域学習」として担っているので、
目くじら立てることもないかと。

127 :天之御名無主:04/01/03 22:35
>>126
125です。不勉強でよくわからないのですが、
神事、神楽は、明らかに宗教行事や神事芸能ではないでしょうか。
特定の宗教儀礼を「地域学習」に取り込むなんて、
今の学校では、全国的に本当にやっているのですか。
獅子舞や祭囃子などの風流系の芸能なら分かるけど。


128 :とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/03 23:22
>>127
…神教分離ですか?
まぁ、そこらは「伝統」が強い地域が多い、ということで。
(大阪北部のとある市の山間部では、授業中に秋祭りの演目を教えてもらっていたそうです)

沖縄に行った時には、ノロが幼稚園のプール開きの安全祈願によばれていたと、
地方ニュースで放送していて、驚いた経験があります。

129 : :04/01/03 23:24
http://jbbs.shitaraba.com/study/3665/
ミヤディちゃんねるに来るでやんすよ

130 :天之御名無主:04/01/04 00:01
>>128
そうですね。
神教分離にやかましい地方自治体が、庁舎を建てるときも、
神主を呼んで地鎮祭をしますからね。
農家では、田植え正月や虫追いの行事が、
こんなに機械化されても生きているし。
やはり、創価学会などのうるさがたのための、
パフォーマンスなのか。

131 :MMMM:04/01/11 11:11
正月なんで、坪井洋文の「イモ」と「稲」読んだんだよね。
民俗学批判稲一元論批判が、なんか古色を帯びてるのはもう仕方ないとおもった。

それで、稲の相対化しようって意図だけが伝わってくるけど、
モチなし正月をぐるぐる回ってるだけって読後感でした。
その印象をもたらしたのは、モチの位置づけが明らかではない点からきてるんだとおもう。

坪井は、稲=モチとしてる。少なくとも稲≠モチという視点がない。

そんで教えて欲しいんですが、
モチは稲ではないとする民俗学者って、あたらしい人ではいますか?

132 :天之御名無主:04/01/11 13:03
>>131
むー。
安室氏の「餅と日本人」はもう読んでそうですね。
そこになんか書いてなかったですか?

133 :天之御名無主:04/01/11 13:09
あとはハレの食としての雑穀を
研究している増田昭子氏かなあ。

増田昭子 『雑穀の社会史』(2001 吉川弘文館)
なんかをご参考に。

あとは野本寛一氏が堅果類による
餅づくりのあり方を論じていたりする。

134 :MMMM:04/01/11 14:11
『餅と日本人』は読んだんだけど覚えてない&手元ないっす。
確認してみます。増田昭子『雑穀の社会史』、探します。
ありがとーございます。>>132さん。

んで、モチは芋であるといってる人はいないですかね?
東アジアでの餅の分布(坂本・佐々木)みると、日本に入ってきたときから餅は、
芋の代替として位置づけられてるとしか思えないのに、たしか安室も坪井も、
それに言及してない。そのへんが落ち着き悪くて…。

135 :MMMM:04/01/22 22:45
えーと坪井は、「稲作の象徴である餅」といってる。

モチへの偏愛は稲作文化圏をおおうものじゃない、餅は稲作と重ならない。
劣性のモチ質を大事にしてるのは、日本を含む東アジア圏に限定されてる。
タロイモ、ヤムイモの耕作がおそらく稲作以前にあったかもしれない地域。

モチが芋の象徴であるとすれば、米粉で作る繭玉、鏡餅、
餅形状の東西分布、モチ/イモの代替性などについて説明が容易になるきがするんだけど、
どうなんでしょうね。

136 :天之御名無主:04/02/28 01:07
おれんどごはタノガミコサマどヤマノガミコサマいる。コウシンコどネンブツコど、あどエビスコだのオシラサマだのあんだがよ。ほがのどごでもあんだべ?

137 :天之御名無主:04/05/25 20:11

◎弥生時代の始まり、紀元前10世紀後半
 
国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授らは23日、千葉大で開かれた日本考古学
協会の研究発表会で、北部九州出土の弥生時代早期初めの土器に付着した炭化
物を放射性炭素年代測定した結果から「水田稲作の開始(弥生時代早期)は
紀元前十世紀後半」と発表した。

 同教授らは昨年、弥生早期の始まりを前十世紀とする説を出したが、早期初め
のデータを得られないまま早期後半の測定値などから推定していた。

138 : :04/05/25 20:12
今回の発表によると、佐賀県の菜畑遺跡から出土した「山の寺式」土器
(早期初め)の炭化物は、前930―前800年。福岡市の板付遺跡の「夜臼1式」
(早期前半)は前900―前790年だった。その結果、早期初めは前945―前915年
と推定されるという。

 また水田稲作が各地に広がった弥生前期の始まりは、北部九州が前九世紀末
だが、高知県の居徳遺跡や高松市の東中筋遺跡などの土器の測定から、四国や
近畿は前8―7世紀ごろとみられるという。〔共同〕 (07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20040524AT3K2302C23052004.html

139 :天之御名無主:04/05/25 20:12
弥生期の渡来人と水田稲作による弥生時代の始まりとは全くの無関係。

水田稲作は前10紀後半に北九州から始まり、前8世紀には奈良まで伝わって
いた事が分かっている。

ただし、渡来人の渡来時間が早まるという発表は一切無い。

つまり渡来人は日本の稲作とは全然関係のない人々。

140 :天之御名無主:04/05/26 01:30
ガ━━━━━━━━━Σ<`∀′;>━━━━━━━━━━━ンニダ!

141 :天之御名無主:05/01/22 21:22:25
>>96
>在来の縄文人たちが自らを自らの手で 「変革」したとする見解...
水稲以外の青銅器や鉄器や文字や機織等も同様にという見解なのですか?
水稲以外の諸文化を視野に入れれば「弥生時代を特徴づける文化的要素は縄文
人達によって日本列島にもち込まれた」にはならないが。何より現代人の血液種等の
人類学的特徴の分布地域差からして、先住民に呑み込まれない相当数の渡来者が、集中
来住したわけで、どういう来住者であれ固有の文化を持たぬ人間はありえないが。

142 :天之御名無主:05/01/30 16:26:30
現在NHK教育で「再検討・稲作農耕文化」放送中。
田遊びの再現など非常に興味深い。

143 :天之御名無主:05/02/03 03:30:06
<丶`∀´> ウリ達は騎馬民族なので関係ないニダ。

144 :天之御名無主:2005/05/04(水) 20:22:44
稲作だけでは、冷夏や病気や害虫で稲がアウトになったとき餓死してしまうから、
近代に入るまでは両方作るのが当たり前だったのでは?
また、主食も稲だけに限らず同じイネ科の粟や稗や黍や麦も作り、
ある作物がその年採れなくても食べていける工夫をしていた

あとは柿とか栗とかも作っていた

主食が稲だけに偏ったのは、化学肥料や農薬が発達し、また食糧輸入をすることで
不作でも餓死の危険がなくなったここ数十年じゃないでしょうか

145 :天之御名無主:2006/06/30(金) 20:44:28
陸穂って見ないね。つい昔は作ってたけど。

146 :天之御名無主:2006/07/08(土) 00:18:43


147 :天之御名無主:2006/07/24(月) 18:39:35
>>145
古い書き込みにレスをつけるのも変だけど、最近認識を新たにしたのでご紹介。
他の人には、そんなこと分かっているってことかも知れないが。

水稲栽培は、初期は水田、後水を抜く。これが地中の嫌気菌、好気菌の交替を
生み、連作を容易にしているという。陸稲はこの点不利。水の便が悪ければ
次善の手になるが、連作が困難な上、手間隙かかる代物のよう。

農業の生産性向上策で、田圃の規模を大きくしている一方、輸入も増えて
休耕田も多い時代。陸稲を作る必要性が減少した。陸稲でぐぐると生産して
ないことはない。

148 :天之御名無主:2006/08/26(土) 00:30:13
>>147
連作障害については理解できます。
生産性についてはどのくらいの差異があるのでしょうか?
(現在では水田では平均して一反につき10俵として)
また
>手間隙かかる代物のよう。
とはどのような部分ででしょうか?
水田維持(水路の整備や水抜け対策)や水田での作業手順
(田起し、水入れ、代掻き、苗取り、田植え、草取り・・)
以上のものでしょうか?
陸稲でぐぐっても断片的にしかわかりません。すみません。
当方、山間地域での山焼きと陸稲栽培を計画してる者です。

149 :天之御名無主:2006/08/26(土) 08:58:06
>>148
>当方、山間地域での山焼きと陸稲栽培を計画してる者です。

実利的なことでしたら、この板(民俗学・神話学)住人はほとんどが門外漢だと思うのですが。
こちらで聞かれたほうがよくはありませんか?

農業、漁業、林業@2ch掲示板
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農学@2ch掲示板
http://science4.2ch.net/nougaku/

150 :148:2006/08/26(土) 15:25:31
>>149
どうも失礼しました。

現代農業では焼畑は否定的だし、焼畑技法自体忘れられています。
聞いても今時なんでそんな馬鹿なことやるんだ?的な反応が圧倒的ですね。
この板なら様々な伝承や資料による知恵を授けていただけるのではないか
と思ってつい聞いてしまいました。

本やネットでも調べてみましたが「焼いて、蒔く」程度の記述しか見つけら
れず本当にこれで良いのか?書いてはないけど実際には多少の畑地造成や
表土流出の対策は必要ではないのか?アフリカや東南アジアの例では本当に
「焼いたら種を撒き散らして、或いは堀棒で穴掘って埋めて終わり」だそう
ですが日本でもそれでいいのか?と疑問に思ったしだいです。
まぁ昔はいざ知らず、焼いた跡を普通に畑として使えばいいだけの事ですね。
板違いすみませんでした。

151 :天之御名無主:2006/08/28(月) 21:45:08
>山間地域での山焼き
消防や自治体から許可が下りそうですか?

152 :天之御名無主:2006/09/23(土) 05:37:26
【中国】中国北部、4千年前の“小麦”伝来がきっかけで農業が発展 中華文明の形成に影響
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1158952870/l50
中国の学者たちは「中華文明のルーツを探るプロジェクト」の第一段階の研究活動で、「西ア
ジアを起源とする小麦が4500年前に中国の中央部地域に伝来したたことは、中国の北部で
根本的な農業革命を引き起こすきっかけとなり、この地域がそれ以後の長い間に中国の政治、
文化ひいては経済の中心となるための確固たる基盤を打ち固めた」という結論を引き出した。

陶寺、新砦、二里頭、王城崗など4ヵ所の遺跡から発掘された数万粒の炭化したさまざまな
種類の植物のタネなど貴重な植物遺物に対する測定や数量化分析を通じて、「紀元前2500
年から紀元前1500年にかけての時期に、この地域の農耕生産はアワを主な農作物としてい
た」ことが明らかになった。つまり、中国北部では伝統的な畑作農業が行われていたというこ
とである。

紀元前2500年から紀元前2000年までの竜山時代に、この地域においてはアワの栽培だけで
なく、イネもは重要な農産物となっている。二里頭時代に、イネの作付け規模や人々の生活に
おける地位はこれまでなく重要なものとなっていた。また、西アジアを起源とする小麦がこの
地域に伝来し、中国の商代(紀元前16世紀−紀元前1066年)の初期の二里崗期において、
イネの地位はいくらか低下し、小麦の作付け規模が急きょ大幅に向上した。この地域の農業
生産における小麦の台頭は、中国北部の畑作農業の作付け制度の根本的な変革を告げる
ものと言える。

153 :天之御名無主:2006/09/27(水) 16:18:30
陸稲は「稲作」の内に入るけど、畑作でもあるよね。
水稲と陸稲それぞれ同じ面積の田で栽培したとき、どちらがより多く収穫を
得ることができて、どちらがより軽い労働で済むのでしょうか?素朴な疑
問です。

154 :天之御名無主:2006/09/27(水) 18:12:19
>>153
数字までは挙げることはできないけど、一般に
水稲のほうが収穫量も多く、労働力も掛からず、味も上で、連作障害もないというね。

155 :天之御名無主:2006/09/30(土) 19:22:55
>>154

返答ありがとうございます。水稲のほうが軽作業とは…逆だと思って
いたので。田植え機やコンバインなど使えば、ということでしょうか。

私は弥生時代以前(稲作が日本列島に普及する前)は、治水工事や灌漑
・排水設備のいらない、木の棒一本で土を耕せて種も蒔ける陸稲の方が
楽だから、縄文時代の気候風土にマッチした陸稲や畑作を縄文人は好ん
でいたのかなーと思っていました、カッチリした統率力もいらなそうで
牧歌的だし。
波打ち際のように常に大陸から南洋からシベリアから色んな地域から移
り住んでくる人を受け入れていた縄文文化の中で、あえて水稲よりも陸稲
を選んでいたのかなー、と。

156 :天之御名無主:2006/09/30(土) 20:48:34
問題は初期インフラの労働力とメンテナンスの差だろうな。利水事業
が必要かそうでないかは大きな違い。



157 :天之御名無主:2006/09/30(土) 22:31:45
>>155
>陸稲の方が楽だから
連作障害ひとつ考えてみても、楽なんていってられないと思う。
水田は奇跡的と言ってよいほど、連作障害がないそうです。>>147さんが触れられてますけど。
陸稲は水稲とは違って、連作障害が起こります。
作るといっても、2〜3年で耕作地を変える必要があるでしょ。しかもその2〜3年の期間も一年ごとに収穫量は
減っていくわけだし。
収穫量が減っていくというのは、土壌の特定養分の欠乏、表土流出、センチュウなどの病原微生物の増加、
土壌微生物相の変化、イネの病気にかかりやすくなる、などデメリットがあるからですよね。
土壌消毒や追肥、連作を中止して畑を休ませるといったケア面だけでも手間の掛かることだと思いますよ。

158 :天之御名無主:2006/10/04(水) 00:07:12
昔、陸稲見たけど畑一面じゃなくて、畑の一部に稲が交じってる感じでしたよ。
毎年場所を変えていたのかな。

159 :天之御名無主:2006/10/04(水) 15:10:40
>>153

[ 陸稲 ] 『読売新聞』より引用

畑で栽培する稲で、用水路などの施設が不十分な地域でも作れるが、
水稲に比べ面積当たりの収量は約半分。

昭和40年代ごろまでは、水稲の供給不足を補う役目もあったが、その後、
コメの生産自体が過剰になったため、現在では主にもち米の品種が作ら
れている。
昨年(2005年)は作付面積4000ヘクタール、収穫量1万1900トン。
ちなみに水稲は170万2000ヘクタール、906万2000トン。

160 :天之御名無主:2006/10/04(水) 20:37:09
>>153
>水稲と陸稲それぞれ同じ面積の田で栽培したとき、どちらがより多く収穫を
>>154
>数字までは挙げることはできないけど

平成16年度の『農林水産統計』によると、全国平均で、

  水稲の作柄は、10a当たり収量は514kg。
  陸稲の作柄は、10a当たり収量は200kg。

単年度だけで判断するのは早計ではあるけれど、参考までに。

161 :天之御名無主:2006/10/05(木) 19:22:39
稗とか粟、黍なんかもまだ作っている場所はあるんですか?
今、陸稲はどのような場所、地方で作られているんですか?

162 :天之御名無主:2006/10/05(木) 19:50:58
>本やネットでも調べてみましたが

>>161さんが>>148=150さんだとすると
どういう本を読まれて、どういう調べ方をされているのか聞いてみたいですね。

163 :天之御名無主:2006/10/13(金) 14:26:39
153、155です。
以前畑作や陸稲のことを調べたとき、年代は忘れましたが連作障害を防ぐ為か、
粟などのを収穫したあと一旦畑を焼いてアズキや大豆や杉、イモ類を時期を
ずらして植えていたように思います。そうやってローテーションでいくつかの
土地をぐるぐるすれば少しは連作障害を防げるのでしょうか?

水稲が国の一大事業で一人の権力者が収穫を独占したような時期では
なかった縄文時代、畑の作物は、漁労や狩猟や採集といった食料調達に
比べて二の次で、出来が60点でもいいや位だったんじゃないかと勝手
に思ったので「楽」と言ってしまいました。縄文遺跡からの出土品も動物
をかたどった物や骨も多いけれど、農業に関するものって土器や宗教的
な遺構には見られないので…。

164 :天之御名無主:2006/10/13(金) 14:33:15
連投してすみません。
>>157さん、158さん、159さん、160さん、
ありがとうございました。とても参考になります。

165 :天之御名無主:2006/10/19(木) 17:19:20
日本で今、焼き畑なんて許可が下りるのだらうか

166 :天之御名無主:2006/10/19(木) 19:32:55
>>165
まず無理だろうね。
例外的に認められているのは、このスレでも何度か出てきている椎葉村くらいでは。

167 :天之御名無主:2006/10/20(金) 00:57:27
焼畑の許可は状況によって得られますよ。禁止されているものではありません。
ttp://www.maff.go.jp/denmado/tetsuduki/forest/detail/570H301317300.html

焼畑体験者(主に古老)が監督にあたり、防火帯(火道)の整備ほか延焼対策が
なされるならば焼畑が昔には盛んに行われていた地域では許可は普通に下ります。
ただ近年は焼畑申請が無いため許可事例も無いということです。
昨年は高知県の二箇所で焼畑が行われました。
「例外的」に許される地域とかはありません。例外的というならば焼畑が一般的
ではない地域での焼畑事業とそれに対する許可行為こそが例外的なんでしょうが・・


168 :Bookmark:2006/10/22(日) 13:56:16
稲作と畑作の民俗誌
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1016002808/l50

赤く染める意義
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1029681217/l50

日本人の生業ってなんだ!農業?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1043174672/l50

日本はコメの国・瑞穂の国だ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1075289009/l50

和食の食材の種類の豊富さは世界一?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1080264161/l50

なぜ日本人は米、稲を祭り上げるのが好きなのか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1122550517/l50

イネ科の植物がなかったら世界はどうなっていたか
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1142847035/l50

環境破壊の世界史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1116068297/l50

169 :天之御名無主:2006/10/26(木) 07:59:46

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1018708685/185

>185 :天之御名無主[sage] :2006/08/29(火) 13:10:11
>稲作は縄文時代に始まっている。

>日本における稲作の歴史は永きに渡って弥生時代に始まるとされてきた。
>しかし、近年になって縄文後期に属する南溝手遺跡の土器片中から
>プラント・オパールが発見されたことにより、約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による
>稲作が行われていることが判明している。
>また朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、
>縄文時代前期にまで遡れるとする説もある。
>また、水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたことも判明しつつ
>ある。
>さらに近年の炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが、少なくとも紀元前9世紀まで
>遡る可能性が出てきたことも特筆すべきことだろう。
>朝鮮半島よりも早期に稲作が行われていたことを示すデータとして注目されている。

170 :天之御名無主:2006/10/29(日) 11:37:20
数ヵ月後、数年後の話のタネになるかもしれないから、転載します。


スレを立てるまでもない質問7
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1139311681/805-806

  > 805 :天之御名無主[] :2006/09/09(土) 09:17:28
  > 宮崎県椎葉村の焼畑農業って、どこが民俗学的に重要なのかわかりません。
  > 焼畑後の作物の植え方の方が民俗学的に重要だと思うんですが、どうでしょうか?
  >
  > 806 :ダンの花[] :2006/09/09(土) 12:37:13
  > 銭金をみたね。
  > 柳田の「後狩詞記」が椎葉が重視されるようになった発端じゃなかろうか。
  > 研究の積み重ねがある地ということが学問として重要ということだけで、特に椎葉が特別ってわけではないと思う。
  > 詳しいことは↓
  > ttp://www.shiiba-soed.jp/yanagita-rink.htm

171 :天之御名無主:2007/02/23(金) 18:13:33
陸稲作ってるけど、味はおちるよね

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