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【日露戦争】旅順攻略における白兵戦5【203高地】

1 :◆WUsbG/S5Xs :2006/07/26(水) 09:05:22 ID:uM+SXPcb0
まじめに語ろう。

前スレ http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1144415831/
(2006/04/07-2006/07/25)

2 ::2006/07/26(水) 09:16:17 ID:uM+SXPcb0
前スレが昨日逝ってしまっていたので立てました。


ところで、「洗心」読んでる人います?
色々とまじめな考察をしていて面白いですよ。

最新刊では、乃木の結婚式遅刻の真相、なるものが載ってました。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 17:33:41 ID:tJ6tyGdA0
即死防止

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 16:27:33 ID:HP6T9qYSO
この枯れっぷりはどうよ

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 22:39:57 ID:9fxFB+BE0

>>1なんか知らんが乙!気合いれてばりばりいきましょう
俺がガキンチョのころ(25年位前)は、
日露戦争に詳しい年寄りがいっぱいいた気がする・・・
ま・あ・あ・た・り・ま・え・で・す・け・ど・ね


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 00:07:06 ID:MEeVQSyc0
>>1
祝 新スレ!
祝 5!

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:40:07 ID:MEeVQSyc0
領海侵犯だと?
もう一回ロシアと戦争だな。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:36:21 ID:uRlCz1EE0
Wikiの伊地知幸介ページは、ちょっとひどい。

伊地知は日清戦争の旅順戦に参加している。
(今連載中の「日露戦争物語」がちょうどそのあたりだったり)
伊地知が第三軍参謀長になった理由として、縁故やら藩閥やら書いているが、
「日清戦争時の参戦実績」を一言も書いてないというのは、おそまつ極まる。
後半にも、「日清戦争に従軍していない、日露戦争まで実戦経験はなかった、
このことから、彼は頭でっかちの学校秀才と評価される向きもある」とある
が、日清戦争に従軍していないどころか旅順そのものに出向いているわけだ
から、そういう評価をするほうがおかしい。

ついでの、昇進が中将どまりだったという段。
伊地知と同期の昇進状況と比較してどうだったのか調べれば、そこに掲載した
「意見」とやらが全くの嘘三昧であることは明々白々。

修正の方法がよくわからないので、出来る方はお手数願います。
Wikiの更なる発展を祈ります。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:31:46 ID:CASB/oOe0
wikiなんてほっとけばいいよ。放置。放置。
でも信じちゃう人がいるんだろーな。
今後のために良くないのかなぁ?

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 17:14:14 ID:7rzP9KjQO
とりあえず別宮氏の本を読んでもらえば乃木無能論は解いてもらえる。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 00:58:16 ID:TwZSR6LV0
スレ違いだが、
別宮氏の日本海海戦の本は何か違和感があるな。

旅順攻囲戦の方はオススメ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 08:33:14 ID:sMuqEJFc0
乃木は愚かと書いている、こうもりのような別宮本を見てどうやったら無能論を解消できるのか
ぜひ聞きたい。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 23:23:13 ID:376XS11P0
キターーーー(゚∀゚)ーーーー!! 「日露戦争物語」キターーーー(゚∀゚)ーーーー!!
日露戦争キターーーー(゚∀゚)ーーーー!!

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 08:48:59 ID:pL0pSEvG0
爾霊山周辺模型、一応は形になりました。
http://www.geocities.jp/ryojyun1904/
ご感想など下さい。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 22:15:32 ID:rutXDNZj0
>>14
お疲れ様です。半信半疑だったけどホントだったのですね。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:01:01 ID:GMhQ0uCP0
>>14
素直にすごいと思いますよ。
もっと山のジオラマっぽいのかと思ってました(小さな兵隊や木があって)


17 :14:2006/09/06(水) 12:46:56 ID:mxZAWCkuO
>>15-16ありがとうございます。
なにしろスケールが1ミリ5メートルですから人はとてもとても。
再トライの時にはもっと大きいスケールで作りたいですね。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 01:26:54 ID:RlzMLj8J0
美しい国 日本
美しい国 ロ

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 13:23:30 ID:UYzS6Tfc0
遺言条々
第七
父君祖父曾祖父君の遺書類は乃木家の歴史とも云ふべきものなる故厳に取纏め真に不用の分
を除き佐々木侯爵家又佐々木神社へ永久無限に御預申度候
www2a.biglobe.ne.jp/~kimura/nogi.htm
佐々木氏(ささきし)は平安時代に起こり近江を地盤とした武家。
名称
沙沙貴神社=ささきじんじゃ 商標登録
註=沙々貴神社・佐々木神社の文字は公式には使用しません。
別名
佐佐木大明神=ささきだいみょうじん 商標登録
御祭神
御本殿・四座五柱の神々を「佐佐木大明神」と申し上げます。
@少彦名神=すくなひこなのかみ(ササキ・鷦鷯郷の祖神)
A大毘古神=おおひこのかみ(*沙沙貴山君の祖神)
B仁徳天皇=おおささきのすめらみこと(幼名=大鷦鷯尊)
C宇多天皇=うだのすめらみこと(宇多源氏の祖神)
 敦実親王=あつみのみこ(佐佐木源氏・近江源氏の祖神)

*沙沙貴山君ー沙々城山君とも書く。
  蒲生郡・神崎郡の大領であったが、中世以降の佐佐木氏と融合した。沙沙貴神社の神主家は系譜を継承している。
沙沙貴神社
〒521-1351 滋賀県蒲生郡安土町常楽寺1番
http://www.biwa.ne.jp/~skk/rekishi/index2.htm

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 13:24:46 ID:UYzS6Tfc0
宇多源氏流佐々木氏の子孫に乃木希典大将
敦実親王(あつみしんのう、寛平5年(893年) − 康保4年3月2日(967年4月14日))は、宇多天皇の第8皇子
。母は藤原高藤の娘胤子。醍醐天皇の同母弟にあたる。室として藤原時平の娘を娶り、
子の雅信、重信、寛信は源朝臣の姓を賜って臣籍に下り、宇多源氏の祖となった。他の子に、寛朝、雅慶らの僧がいる。

六角氏
隅立て四つ目結
(宇多源氏佐々木氏流)
六角氏は佐々木氏の嫡流といわれる。宇多天皇の皇子敦実親王が子の源雅信の子扶義を養子とし、
その扶義の子成頼が近江国蒲生郡佐々木庄に居住し、佐々木氏を称したのがはじまりといわれる。
しかし、佐々木庄には大彦命の後裔といわれる佐々木貴山氏という古くからの豪族もあり
両者の間には錯綜したところがあって、確実なところは分からないというのが実情である。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/rokkaku.html


[14] 日本の苗字七千傑さんからのコメント(2005年07月28日 02時17分52秒 ) パスワード
URL=http://www.myj7000.jp-biz.net/index.htm
源六位さんへ
近江国蒲生郡沙々貴神社の祭神は大彦命、少彦命、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王である。
祭神は佐々木氏族の先祖を暗示している。
ササキは仁徳天皇の御名代部である雀部(サザキべ)に由来するものと思われ、近江国蒲生郡
は雀部朝臣、雀部臣、佐々貴山公、佐々貴山君などの本貫地である。
平安中期に宇多源氏流の佐々木氏が佐々木庄の下司と佐々木(沙々貴)神社の神主を兼務するあたりから、
佐々貴山氏が衰えて佐々木氏が蒲生郡に次第に繁衍する。
蒲生郡に共住した佐々貴山氏と佐々木氏の関係は不明だが、多くの地方豪族の祖が中央から下向
した貴族の庶子を婿養子にして源平藤橘に改姓した様に、佐々木氏の多くも古代の雀部氏や佐々貴山氏の末裔
であることも真実である。
佐々木氏の全てが佐々木成頼の末裔と考えるのはナンセンスであるが、佐々木神社神主や鎌倉守護に
系譜を持つ様な由緒正しい佐々木氏の末裔であれば宇多源氏と考えて良さそうである。


21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 13:26:35 ID:UYzS6Tfc0
Yagiken Web Site: 湖東の渡来人
しからば当時の琵琶湖の東岸はどうであったのだろう。

「日本書紀」天智8年(669年)には、百済人男女7百余人を近江国蒲生(がもう)郡に移住させた
という記載があり、愛知(えち)郡や神前(かんざき)郡も含めた湖東地域にも、当時既に
百済系の豪族が住み着いていたとされている。行ってはいないが、蒲生郡日野町小野(この)には、大津京の学職頭
(ふみのつかさのかみ、当時の文部大臣)を努めた百済人、鬼室(きしつ)氏を祭る鬼室神社があるらしい。

ひょうごの遺跡21号
用途は荷札と考えられ、乃木出羽守が受取人である可能性が高いものです。なお、乃木氏の名前は、惣
持寺(宮内にある寺院)本尊造立奉加帳(天文3年−1535)に乃木日向守、乃木丹後守が見られ、出羽守も
当地の武士と考えられます。
www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iseki21.htm - 41k

奉加帳(ほうがちょう)
奉加帳(ほうがちょう)とは、本来は、社寺の造営などに財物を寄付・寄進する際、目録や姓名を記入す
る帳面のことです。転じて、旅行・行事などに寄付してもらい姓名・金額を記す寄進帳のことをいいます。

例えば但馬の開拓神は伝承の最も古いもので大永4年(1524)の出石神社蔵惣持寺文書「
沙門某勧進状」に見られるように
天日槍(あめのひぼこ)とするものであり、それゆえ本書は江戸以前には遡り得ない。
www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken41.htm
天日槍(あめのひぼこ)を祀る重要文化財 義経も参拝した

この神社の主祭神は、新羅(しらぎ)国の王子、天日槍(あめのひぼこ)で、相殿神が天津彦根命
(あまつひこねのみこと)及び、天目一箇神(あめのひとつのかみ)が奉斉されています。
天日槍は、この鏡の地で陶器に適した土をみつけ従人達を、この地に留め、新羅の優れた製陶技術
を伝え広めたと日本書紀に記述されています。
www.town.ryuoh.shiga.jp/yoshitune/kagami.html

但馬国(たじまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。
現在の兵庫県北部にあたる。但州と呼ぶこともある。延喜式での格は上国、近国。
ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%86%E9%A6%AC%E5%9B%BD



22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 13:28:19 ID:UYzS6Tfc0
沙沙貴山君というのは、陵戸(みささぎのへ)、つまり、天皇や皇后の御陵の番人を指したものという。
『続日本紀』の称徳天皇天平神護元年(七六五)に佐々貴山公人足と見えるのも一族であろう。
仁徳天皇を挙げているのは御陵の大きいことから大雀命(おおささぎのみこと)と称えられ、その御名代部
(みなしろべ)を雀部(ささきべ)といって日本各地にあった。近江蒲生郡篠笥(ささき)郷も雀部郷の転じた
ものであろうとされている。しかし、佐々貴山公と佐々木氏と直接のつながりはなさそうで、篠笥(ささき)郷を所領と
した敦実親王(宇多天皇の子)の後裔(源氏)が佐々木を称したということではあるまいか。


 佐々木氏といえば家紋は四つ目結と知られているが、近江へ来てみるとほとんど平四つ目である。
。勝楽寺の寺紋もそうであったし、六角・京極両家も、この沙沙貴神社の神紋も平四つ目である。
またこの平四つ目も古くは加世貴四つ目といって、中央に的のようなものがあり、さらにこれから四つ目の間を
カギテのようなものが通っていたらしい。全国の佐々木さんのほとんどが○に隅み立て四つ目であるのは後代の加工で、
かえって本家から遠ざかるものかもしれない。 

【勝楽寺の寺紋もそうであったし】

高麗神社から、2、3分の所に聖天院があるので訪ねてみた。
ここは王若光の没後、王の侍念僧勝楽が王の冥福を祈る、菩提寺とした所である。
だが完成をまたず没したため、王の第3子であり勝楽の弟子であった聖雲と王孫・弘仁
により落成されたと伝えられる。本尊には王が守護仏として故国より持ってきた聖天
尊を祭ったところから聖天院勝楽寺と言う。
http://www.threeweb.ad.jp/~hando/torai1.htm


23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 13:29:39 ID:UYzS6Tfc0
境内に乃木大将の石碑があった。
 石碑には次の如く書かれていた。

   乃木さんのお言葉

 私は沙沙貴神社に、度々参詣するが、

 この神社には私のお祖父さん、

 その又お祖父さん

 又ずっと先のお祖父さんが祭ってある。

 この村の方々、

 皆さんのお父さんや、お兄さんは、

 お宮の祭りを盛んにしてくださるので

 私は非常に喜んでいる。

 我々人間は祖先が本である。

 その本を忘れてはならぬ。

 本乱れて末治まるものはない。

 祖先の大恩忘れるようではだめである。

 是非、祖先をうやまうようにしてほしいと

 この爺が言ったと、よく覚えて貰いたい。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 13:31:15 ID:UYzS6Tfc0
乃木将軍の故郷、蒲生郡について

*近江商人 代表格としては、琵琶湖東部に位置する、八幡商人、日野商人、五個荘商人ですが、
それぞれ商いが違いました。
*保内商人 日野・五個荘の狭間にあって、特に呉服、塩相物、紙等を商いの主としていました。
行商先は若狭国の小浜と伊勢国の桑名だったと聞いています。発祥は、中世(1400年頃)蒲生郡
の延暦寺領、保珍保(荘園)中野、今崎、今堀、小今、市辺、三津屋、蛇溝、柴原、下二俣、尻無、大森の11ヶ
村から成る領内のうち、畑作地帯の野方といわれる住人が結集した商人団です。

Yagiken Web Site: 湖東の渡来人
司馬遼太郎は、「歴史を紀行する」の近江商人を創った血の秘密(滋賀)の章で、この塔のことを
、「塔などというものではなく、朝鮮人そのものの抽象化された姿がそこに立っているようで
をかぶり、面長扁平の相貌を天に曝しつつ白い麻の上衣を着、白い麻の朝鮮袴をはいた背の高
いある。朝鮮風のカンムリをかぶり、面長扁平の相貌を天に曝しつつ白い麻の上衣を着、白い
麻の朝鮮袴をはいた背の高い五十男が、凝然としてこの異国の丘に立っているようである。」と表現している。
http://yagiken.cocolog-nifty.com/yagiken_web_site/2005/12/post_44bf.html

安倍晋三 - 現人神、皇太子御一家の応援団、368からすの開運予言
http://wiki.livedoor.jp/niwaka368/d/%B0%C2%C7%DC%BF%B8%BB%B0

● 蒲生郡佐々木庄より起る近江の大族佐々木氏は、宇多源氏敦実親王後裔として源姓を称
するが、実際にはやはり佐々貴山君の流れであろう。佐々木一族は近江・出雲などに大いに繁衍し
江南の六角を宗家とし、江北の京極(苗字はともに京の居館の地名に因る)がこれに準じて、多くの苗字
を輩出したが、ここでは詳細は省略。(中略)
塩冶〔塩谷〕−出雲佐々木氏の宗族、神門郡塩屋に起る。野木〔乃木〕、乃白〔野白〕以下略 

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 14:59:40 ID:UYzS6Tfc0
8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:36:21 ID:uRlCz1EE0
Wikiの伊地知幸介ページは、ちょっとひどい。

伊地知は日清戦争の旅順戦に参加している。
(今連載中の「日露戦争物語」がちょうどそのあたりだったり)
(参照)

植民地支配の責任を問う!
在日朝鮮人は発言する!
【集会開催の賛同人】
伊地知紀子☆★

【連絡先】
住所:新宿区大京町3、新大京マンション304
   90年協議会気付
電話&FAX:03(3353)0579
e-mail:jaeil1214@ml-c8.infoseek.co.jp


26 :伊地知るみ議員:2006/10/24(火) 15:47:02 ID:UYzS6Tfc0
86 :日出づる処の名無し :2006/08/06(日) 10:28:52 ID:PYyMtDyG
独島(竹島)問題や小泉首相の靖国参拝問題、そして教科書採択問題と(略
http://richiji.kgnet.gr.jp/back/item/1140588166/1124840364.html

在日に投票権を与える政策を出している神奈川県大和市ですが、
その市議会議員大和市議会議員 伊知地るみ のHPを見てビックリ。↑のように
竹島のことを「独島」と呼び、括弧付けで(竹島)と表現。

他にも
・日の丸に強く抵抗感を持つ人もいる、国旗の掲揚はすべきではない
・残念ながら日の丸は、やはり戦争のシンボルです。日本の軍隊が攻め入り、
 占領したところに真っ先に翻るのが日の丸です。
・つくる会・扶桑社の教科書について→「近現代史を日本に都合よく見ようとする歴史感に貫かれています」
・日本人が韓国に大挙している「韓流」ブームの秘密など韓国大好きなご様子

メールあて先はこちら rumine-san@jcom.home.ne.jp
HP http://richiji.kgnet.gr.jp/index.html

皆さんのお住まいの市議会議員はどうですか?国会議員の発言ばかりに目が行って
身近なところを忘れてました。こりゃ在日に参政権が渡ってもおかしくないや。
うかうかしてられませんね。


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 21:47:59 ID:Yvpg2Rrj0
二百三高地の激戦
無能だった司令部
この異常な戦死傷者の原因はひとえに司令部の無能による。軍司令官はいうまでもなく乃木希典
そして参謀長が伊地知幸介である。乃木は長州、伊地知は薩摩出身である。伊地知はまた
砲術の専門家として知られていた。日露戦争当時はまだ薩長閥が歴然とあり、この人事は能力よ
りは派閥均衡が重視されたものであったといわれている。
それにしてもこの乃木・伊地知のコンビは旧日本軍においては最悪のコンビであったろう。
平洋戦争の時でさえ、こんなひどい人事はなかったと思う。伊地知は砲術の専門家とし
ての自負が攻城戦を一つの作戦に固執させ、いたずらに砲撃→白兵戦というパターンを繰り
返した。さらに作戦目的を二百三高地に限局せず、旅順要塞全般の攻撃を行った。このため
に攻撃は広く薄いものとなり、いたずらに犠牲者を増やすのみとなったのである。乃木は乃
木でこの参謀長の拙劣なやり方を注意しようともせず、ただ拱手しているだけであった。
かわいそうなのはこんな日本最低の司令部に使われた兵達である。トップがバカだといかに下
のものは大変なことになるか、の見本がこの乃木第三軍である。このバカコンビのも
とで一万数千人の兵が死んだ。その多くは死ななくてもよかったはずの命である。
http://www7.plala.or.jp/machikun/essayg.htm
植民地支配の責任を問う!
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28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 19:44:08 ID:tULfdiFi0
二○三高地や旅順要塞陥落戦の時に西欧の色々な国の武官が
観戦に来ていて、資料集めをして本国に持ち帰ってるんだけど、
その後の第一次世界大戦の時、西欧の要塞陥落戦は皆旅順の
ときと同じ戦法を採っているんだよね。その中には7万5千の
兵の損失を被った国もあった。だから乃木の方法は当時としては
常識的な正攻法で一概に非難はできない。児玉源太郎が頭良過ぎただけ。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 21:41:12 ID:k0GlPMXeO
児玉何かしたっけ?ガミガミ言いにきたけど。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 17:12:42 ID:gwbA28pyO
ガミガミ言いに来たんですよ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:02:16 ID:fwO8hvcs0
海は死にますかぁ〜
山は死にますかぁ〜

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 22:45:48 ID:ObXWh0Y30
何しに来たですかぁ〜

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 07:21:32 ID:igMUA2U70
いやぁ 最近、
「日露戦争に投資した男 〜 ユダヤ人銀行家の日記」 田畑則重 新潮新書
「阿片の中国史」 譚 ろ(=王+路)美 新潮新書
「ロシアにおける広瀬武夫(上)」 島田謹二 朝日新聞社
とか読んだ(もしくは読みかけ)んで 一気に日露戦争前後の緊張した雰囲気が伝わってきました!

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 06:03:43 ID:AYaOg0+R0
田中国重(当時少佐参謀)大将の証言 「田中義一伝記(上)原書房306-307P」

「バルチック艦隊の回航前に何としても旅順を陥落せしめねばならぬ状況に処して、
満州軍総司令部においては二○三高地の占領を確実にすべきであるとの意見の下に、
児玉総参謀長が再び旅順に往かれることになり、私が随行を命ぜられたのであるが、
出発に先立ち田中(義一)中佐は私を呼んで、『二○三高地占領のため重砲火力を
集中するように従来しばしば注意したのであるが、それがまだ実行されないように
思われるから、今度君が行けば是非それを実行するように研究してくれよ』と特に
注意されたので、私は直ちにそれを調査研究した。」


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 06:05:16 ID:AYaOg0+R0
「しかるに、当時第三軍に対する糧食弾薬の補給の不十分であったことは、話にも
ならぬ状態で、二十八珊榴弾砲の集中が効果がないように思われかつ従来実行され
なかったのは畢竟その為であると思ったから、十分に弾薬その他の補給をさせるよう
田中中佐が保証するということで、陣地の変換をも行って二十八珊榴弾砲二十四門
を二○三高地に集中したのである。」
「従来幾度も二○三高地を占領したのにも拘わらず、そのつど敵の海軍砲のために
忽ち奪回されてしまったのは砲弾が不十分であったために我が軍の砲撃が続かなか
った結果である。是において私は、二十四門の重砲火を集中し得るように砲弾の補給
を充実してから戦闘を開始した。終日二○三高地の砲撃を休めないで、終に敵の
掩護海軍砲も沈黙し確実に二○三高地を占領することができた。」

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 06:06:40 ID:AYaOg0+R0
「しかして二○三高地の占領が実に旅順を陥落せしめた主因となったのである。
二○三高地占領当時、児玉総参謀長は高崎山におられたが、その占領が予想外に早
かったので非常に喜ばれたものである。私は敢えて断言するが、二○三高地の占領
を確実にかつ速やかならしめたのは田中中佐の建策にもよるのであって、しかもそ
れがひいて旅順開城の基因となったのであるから、田中参謀の功績や実に多大であ
ると云わねばならぬ。」

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 06:07:51 ID:AYaOg0+R0
「二十八珊榴弾砲の陣地を変換させた」とある。「二十八珊榴弾砲陣地移動説」の
出所なのかな。
しかしこれがまったくの嘘であることは、このスレに来るような人はわかるはず。
正直言ってデタラメ言ってるなあ、いいのかねこんなん言って、そして書き残して、
と思った。
それでも、まあ注目すべきところはあるとも思う。

これによれば、一旦戦闘が休止したのち、弾薬の補給が充実されてから戦闘が再開
されたことになる。
ここでいわれる弾薬補給とは、攻囲軍内で備蓄弾薬をやりくりするということでは
なくて、第三軍の管轄外から送られてくることを意味するわけだが、このような事
がこの短期間で可能なのかどうか?実際に行われたのかどうか?

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 06:13:50 ID:AYaOg0+R0
また、煙台の満州軍総司令部から重砲火力を集中するようにしばしば従来から注意
されていた、ということだが、これはありえるのだろうか。
主攻変更決定は11/27、児玉が煙台を出発するのは11/29。時期的に無理があるよう
に感じる。
有名な「二○三高地に対する状況不利なるは……」の有名な訓電にも、重砲火力に
ついての言葉はない。

もうね、正直何が本当で何が嘘やら、まあそこが面白いんですが。
ちょうど今は12月、二○三高地攻略戦の最終期です。祈鎮魂。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 11:27:02 ID:RASXpmMp0
>しかしこれがまったくの嘘であることは、このスレに来るような人はわかるはず。
>正直言ってデタラメ言ってるなあ、いいのかねこんなん言って、そして書き残して、
>と思った。

>ここでいわれる弾薬補給とは、攻囲軍内で備蓄弾薬をやりくりするということでは
>なくて、第三軍の管轄外から送られてくることを意味するわけだが、このような事
>がこの短期間で可能なのかどうか?実際に行われたのかどうか?

もうねアホかと

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 11:51:16 ID:yYMljWbr0
>>39
>これによれば、一旦戦闘が休止したのち、
>弾薬の補給が充実されてから戦闘が再開されたことになる。

ここを抜かしているのはどうしてですか?アホだから?

短期間で弾薬の補給を充実させるというのは可能なのか、と思うが。
消費弾薬量とかの表なら公刊戦史とかで見れるけど、補給弾薬量ってのを
調べる方法?ってのはあるのかね。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 05:43:29 ID:G3RXoGADO
田中の証言はその都度違ってておかしい。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 09:14:23 ID:+QIlSSNZ0
>>40
>補給弾薬量調べる方法
明治三十七八年戦役統計あたりから数値を拾う。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 01:33:10 ID:Zj0dtPR30
あぁ、このスレにいる真面目な人たちのように
物理的な合理性を遵守する人が太平洋戦争のヘッドにいたらなぁ・・

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:38:18 ID:dsrh3HLz0
みなさん
もし、あの頃の兵隊さんのように
「突撃〜〜〜〜」って言われたら
死ぬとわかってて、突撃できますか????

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:13:16 ID:QQwXij5i0
できません。


インパール作戦とかガダルカナル島の兵士の手記とか読んでると・・
我々は使い捨ての道具にはなりたくありません。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 02:43:59 ID:tDYj8Epz0
この田中はRじゃなかろうか

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 09:14:20 ID:OleTH0EA0
73 名前: 投稿日: 2001/06/17(日) 08:08

このスレを見て大山さんに興味を持った自分は
昨夜大山巌の本を買ってきて、ようやく読み終えました。
自分が印象を深く感じたのは、日清戦争時のエピソード。

旅順攻撃の為、手薄となっていた金州へ清国兵が
迫るとの電報を受け取った司令部は大慌て。
参謀が大山へ報告しに行くと、彼はこの激戦の最中に
犬に餌をやってました。それを聞いた参謀達は、一気に
張り詰めたものが取れてしまいました。
そして、大山は乃木少将を派遣せよと命令しました。
勝ち戦になりかけている場所から、突如応援を命じられて
何の異議も唱えず確実に任務を遂行するには乃木が
うってつけでした。
「閣下は何も考えて無いようで、ちゃんと考えている」と
大山と初めて仕事をする参謀達も尊敬の念を持ったそうです。

長くなって申し訳ないです。



48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 11:46:22 ID:rYImyxnD0
乃木は旅順攻略には参加してないよ。
部下の部隊を増援として派遣しただけで、乃木の本隊は金州で警備中。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 17:17:52 ID:d9NV4h5MO
乃木は旅順攻略には参加している。
乃木旅団は予備隊として用いられていたから、咄嗟の派遣隊に宛てるにも好都合だったのだろう。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 16:42:23 ID:gg0+4qyW0
確かに参加してはいた。ごめん。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 00:16:26 ID:e7GjaaAI0
どおも〜〜〜
希典です〜〜
幸介です〜〜
「ふたりあわせて たっちです〜〜〜」


「ゆうたいりだつ〜〜〜〜」

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 22:40:17 ID:e7GjaaAI0
【日本3大兄弟】 秋山兄弟 大迫兄弟 叶姉妹 【仲良し兄弟】

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 22:41:07 ID:pMa8QPHi0
>>23

なんか泣けましたよ。いい言葉だ。乃木のすべてをものがたっているようだ。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:05:07 ID:ei2KsNz2O
露軍降伏

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:11:56 ID:NJ8qtSd00
一戸兵衛少将「ヨウシ。俺ガ行ッテ駆逐シテヤロウ」

将軍でありながら突撃しP堡塁を奪取した一戸は神。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:13:43 ID:pMa8QPHi0
守りきれればよかったけどな

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 20:24:39 ID:uly7qqJOO
まるで守りきれなかったみたいな言い方だね。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 21:45:15 ID:U9U7jQer0
守れたんだ

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 00:34:49 ID:eGE8y3DW0
P堡塁は一戸の功績を讃え、一戸堡塁と呼ばれた。
盤龍山東、西堡塁も奪取後危うく取り返されそうになったが
これまた一戸少将が突撃しロシア兵を駆逐して確保できた。
日露戦の陸戦で、将軍なのに最前線に突撃したのは一戸兵衛少将
ただ一人である。旅順陥落後、奉天会戦においては、その有能さと
勇猛さを買われて乃木軍参謀長に抜擢された。

60 :59:2007/01/24(水) 00:39:36 ID:eGE8y3DW0
忘れてました。白襷隊の隊長の中村覚少将も最前線に突撃してましたね。
成果は皆無でしたが、彼を責めることはできません。
乃木軍司令部が(ry

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 01:17:15 ID:///5RFUQO
奉天時の参謀長は一戸じゃない。
書き込みする前に調べるくらいの事はしなさい。
ついでに言うなら、陣頭指揮と突撃とは全然違う。

お前突撃言いたいだけ違うか。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 02:58:16 ID:ye2izut90
何と言っても影薄子なのは伊地知の後任の小泉とか言う参謀長だろ。
全軍移動中に小便しそこなって転落して負傷後送だからな。
で、一人置いて奉天後が一戸参謀長だったか?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 14:12:46 ID:wB+If69Y0
第三軍参謀長
初代・伊地知幸介少将:エピソード事欠かず
二代・小泉 正保少将:就任間もなく鉄橋から転落負傷
三代・松永 正敏少将:就任時既に病状悪化、奉天ではほとんど寝たきり
四代・一戸 兵衛少将:真打ち登場と思いきや会戦なし

旅順第一回総攻撃の時、一戸旅団は奮戦の末に目標望台まであと一歩となるが
ここで軍は攻撃中止、退却を命令する。
一戸が「軍はなぜ現場の実情にあわない命令を出すのか」と憤慨し、のちに
「なぜあのような命令を出したのか、後でわかった」と言ったという。
後に軍参謀長となった事で当時の情況を客観的に理解できたということだ。
が、司馬小説では、この一戸の述懐をして「軍司令部は後方にあったので、
現場の実情がわからなかったのだ」と解釈したという頓珍漢な事を書いている。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 20:53:56 ID:P838PlrT0
一番カコイィのは金沢第七師団の古賀少尉(のちに中尉)ですyo
ロシア人のイワンとガチのバーリトゥドゥで引き分けちゃうんだから。
日本人格闘家にもみならってほしいものだ。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 06:33:19 ID:/RPYPrfw0
一戸が「軍はなぜ現場の実情にあわない命令を出すのか」と憤慨し、のちに
「なぜあのような命令を出したのか、後でわかった」と言ったという。
後に軍参謀長となった事で当時の情況を客観的に理解できたということだ。
が、司馬小説では、この一戸の述懐をして「軍司令部は後方にあったので、
現場の実情がわからなかったのだ」と解釈したという頓珍漢な事を書いている。
                                〜〜〜〜

|-`).。oO(どこがどう頓珍漢なの?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 09:43:30 ID:oq6/8zHCO
書いてあるじゃん?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 04:37:02 ID:VvJ41zyN0
>>65
一戸少将が欲しがった兵力など第三軍のどこにも存在しなかった。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 06:36:46 ID:7+r9T6t+0
>>67 おまえさんには第一師団がどういう状態だったか知らんようだな。

そういうこった。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 09:15:54 ID:RFdSsQmT0
第一師団を使えってこと?

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 09:23:40 ID:5CzdGzLzO
まるであったみたいな言い方だね。

一戸は新鋭二個連隊あらば、と言ったが、そんなの第一師団にあった?

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 10:08:57 ID:RFdSsQmT0
第一師団は西方で大頂子山と水師営付近の堡塁の攻略をやっているわけだし、
いくらなんでも引き抜けないだろう。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 10:29:16 ID:2MNh/Wq10
>>68
>そういうこった。

どういうこったよ。 情けねえな。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 22:47:07 ID:5CzdGzLzO
一戸って、奉天ではあんまり目立たない。
旅順でも、あの状況であの場所にいたからこその殊勲だと思う。
東鶏冠山堡塁担当だったら八月に戦死してたかも。
本防御線担当でなかったらあまり注目されなかっただろう。

歴史って面白いと思う。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 23:12:41 ID:SfC5k+fQ0
一戸って名前がかっこいい。だから英雄扱いなのさ

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 01:26:06 ID:ruG2eJ+c0
一の屁、二の屁、三の屁、四の屁、五の屁、六の屁、七の屁、蜂の屁

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/31(水) 13:37:58 ID:5u17Bjq40
ttp://www.h6.dion.ne.jp/~skrskr/page060.html

なかなかの力作と思われ。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/31(水) 20:18:54 ID:pw8KLO8E0
>旅順要塞に籠城したロシア軍兵力は、陸海軍合計で5万8千人ほど居た。

ということは、第一回総攻撃後の状態では、日本軍とロシア軍の戦力は完全に逆転していたわけか。
ロシア軍が攻勢転移を試みるには十分な戦力差だったと思うが、なぜやらなかったのだろうか。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 00:00:30 ID:FaweqTDj0
寒かったから


79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 20:14:56 ID:FB+2RZNDO
どうしてロシア側に相手兵力が判ると思うのか知りたい。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 00:52:29 ID:mqTef1NP0
戦場の匂いじゃ

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 13:14:58 ID:tEqI/S/0O
↑エピソードの名前は知っているが、内容は知らないという痛さ

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 21:27:22 ID:Bn5nbL570
>>76 自画自賛か

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 01:27:43 ID:KANL1Wo/O
別に作者じゃないが、これ2chでも話題になってたじゃん。
数万以下ってのは0〜も含むんだとかお馬鹿な意見もあったね。懐かしい。

その時のの集大成みたいだし、内容もよかったからさ。
多分、作者はあの時に議論に加わってた人だろうとは思う。


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 18:31:05 ID:KpRgtuBt0
http://www.h6.dion.ne.jp/~skrskr/page060.html

>敵の損害を見積もった参謀がとてつもなく楽観的で
>あったか、はたまた軍の建制もろくすっぽ知らん論外の
>無能者であったかした可能性は、零ではないだろうが……
>天文学的に低いだろう。

作者の思い込みだな この部分は。


>それでは、「兵員数」の見積りについてはどうだろうか?

>残念ながら、戦役当時の官報や、戦後編纂された公刊戦史でも、
>日本側による「ロシア軍の兵数見積」については
>ほとんど触れられていない。機密もあったであろうし、そもそも正確
>な数字なんぞ判るわけもないだろうが。

>公刊戦史では、敢えて情報の出所を記さず

敢えてって公刊戦史の色々な記事で情報の出所を書いてあるのか?
かなり思い込んでるからトンデモ論が出来上がってるな。

>そうだ。敵兵力の見積りについて、乃木さんは部隊数でしか報告してなかったから、
>正確な兵数は不詳のままだったじゃないか。1万3千だの5千だのと書いたって、
>じっさい五月まではそうだったんだから、説明が足りないだけでウソというわけじゃない

兵数を報告したのは大本営でもなく、軍でもなく別の部署の人間なんだが・・

乃木は敵の防備並びに戊兵の状態は強襲を以って必ずしもその目的を
達し難きに非ずと判断したんだぞ?

乃木は軍の建制もろくすっぽ知らん論外の無能者であったという
結論を導きたいらしい。







85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 19:45:17 ID:Nj74u4i0O
匿名掲示板でウダウダと批判とは見苦しい事この上ない。
そこにある掲示板で堂々と意見を述べてみろ。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 19:52:41 ID:Nj74u4i0O
あーちなみに、思い込みというかそこはどうだろうなというのは、所々私も感じた。
でも全体としてあんたよりはあっちの意見に同意。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 20:09:58 ID:KpRgtuBt0
>匿名掲示板でウダウダと批判とは見苦しい事この上ない。

おいおいおまえは自分自身を否定するのか?おまえは名無しじゃないのかw


あのHPの意見どおりであれば、

第3軍司令官は諸情報を統合して要塞の防備並びに防備の状態は
強襲によるも必ずしも目的を達成し難きにあらざるを判断したわけだ。

その諸情報はそれまでの情報等、書いてあるとおりなわけだな?
そこから目的を達成し難きにあらざると判断したんだが。


守備隊は3万と判断してて 強襲によるも必ずしも目的を達成し難きにあらざると
判断いしたなら とことんこの司令官はアフォだよ。しかももっとも堅固な東北部から
攻撃かけたんだからな。

もともと、参謀本部の計画は西方からの攻撃だったけど、伊地知と乃木が東北部に
固執した結果だしな。  そっちの方が面白いなw そうしよう。

馬鹿な意見だよ 全く。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 20:18:32 ID:21wQGWv10
Nj74u4i0O 何だこいつ HPの作者が自説を擁護しているの? 

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 20:24:14 ID:Nj74u4i0O
>>87
ヒント:匿名同士

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 22:47:47 ID:aaUu3mWT0
旅順でもっとも堅固なのは北正面。
東北正面じゃない。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 23:29:32 ID:/33PNRPF0
秋山

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