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最後の陸軍大臣・阿南惟幾

1 :日本@名無史:2005/11/23(水) 10:31:05 ID:Fcmb71k10
稀代の名将?二股膏薬?

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 20:24:04 ID:wEokcfEN0
梵鐘

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/24(木) 12:53:42 ID:Qq/l3LaFO
阿南さんは「徳将」に一票
ちなみに最後の陸相は下村定さんにつきスレタイは間違い
だから過疎杉?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/24(木) 13:46:34 ID:l/AvwohJ0
お約束の定番ネタ。
終戦クーデターについて腹芸派と関与派に別れてディベートしてください。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 03:01:42 ID:7VuNmlQF0
たしか阿南大将の倅が話題になった時、すこしテレビとかでもとり上げられたよな。
朝日テレビ(ニュースステーション)では本土決戦を主張した人としか報道されなかったのに驚いたな。
俺も「徳将」に一票だな。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 03:54:16 ID:lltIfmEN0
>>5
3だけど、テレビではそんな一面的な言い方なのかぁ
事実だけど、そこだけ言うなら、むしろ終戦時の職務だけ言ったほうが正確って感じだな

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 14:02:13 ID:u2KfxQMF0
別宮翁の阿南幕府については、このスレ的にどうよw

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/27(日) 08:43:25 ID:fXB97GMs0
最後じゃないし。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/27(日) 08:49:46 ID:fXB97GMs0
陸軍大臣
1945.04.07-1945.08.15 阿南惟幾
1920.08.15-1920.08.23 東久邇宮稔彦
1920.08.23-1920.12.01 下村 定

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/27(日) 23:47:13 ID:UFw6w8K1O
学生時代に永井荷風をぶん殴った人ですね

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/28(月) 00:06:08 ID:C8vcwr5j0
有名な日誌の一節
「一、徳義は戦力なり。
   将帥は利害を論ずるより先ず道義を以って判断の基礎とすべし。
 ニ、勇怯の差は小なり、責任観念の差は大なり。
   智謀の差は小なり、実行力の差は大なり。」
この後ろに続く部分はそうでも無いんだが、この二つは今でも通用すると思うんだよね
仕事をする上で、俺も密かに信条としてたりする

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/28(月) 01:20:53 ID:voVmng0HO
米内を斬れ〜い(酔)

13 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/28(月) 17:56:38 ID:w1BOlZk10
>>10
寺内寿一じゃありませんか。
永井自身も日記で述べている事です。山田風太郎先生が、軟派な永井とはソ
リが合わなかったからとされたのは、何に拠ったものか存じませんが、永井
を軟派というのは、今から見れば語弊があるものの、自分から腕っ節が弱く
喧嘩をしない事を誇っており、酒場でからまれて殴られそうになり、逃げ帰
った事も一度や二度ではありませんでしたから、明治の男にしては大人しい
方であったのかもしれませんね。
なお、永井の日記はあまりに反軍国的な内容が目立った事から墨や切取で抹
消された箇所も多く、寺内云々は対米開戦の頃に文人としての矜持を考えた
永井が思い直して記憶を頼りに復元した箇所に出て来る話ですが、その前の
二行ほどが分からないままです。何と書かれていたのやら。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 22:44:18 ID:jIzWpOlu0
誰、阿南惟幾って?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/30(水) 00:41:46 ID:YKr8BAFK0
釣れますか?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/30(水) 05:40:10 ID:HzmHOmv3O
阿鳴惟幾

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/30(水) 22:52:59 ID:ea/N4AaM0
永井荷風は、本間雅晴になら 殴られても文句いえんだろう

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/01(木) 15:10:05 ID:7ELSsNDa0
永井荷風(1879/12/3生れ)と寺内寿一(1879/8/8生れ)は同年、中学でも同級で
文弱な荷風はよく寺内に殴られたらしい(日記には喧嘩したと書いてるが)
阿南は1887年東京生まれ(箪笥町)だが、かなり年下だし中学は徳島で入り、広島の
幼年学校に入っている(後、中央)、本間も1887年生れだけど、新潟の農家の出
中学時代にまみえることが可能なのは永井(親が高級官僚)と寺内(親は軍人、首相)

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/01(木) 18:10:31 ID:asevtwGk0
昭和天皇のオキニ。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/02(金) 19:48:05 ID:Nj68FCE/0
永井荷風はたしか明治の軍人田村怡興造の娘(本間の先妻、17がいってる意味はこれ?)
と浮気したはず、先方からしつこく言い寄られたらしいが後難を怖れて途中でから
逃げてしまった(田村は参謀本部次長で対露作戦を立案したが病死)

21 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/03(土) 13:16:42 ID:75kty9mI0
>>20
昭和11年に、これまで交際した16人の女性の名を挙げた中に、
「白鳩銀子。本名田村智子。大正九年頃折々出会ふ。陸軍中将田村の
(以下三字分欠)三女」とありますね。
「この外臨時のもの挙ぐるに遑あらず」。芸術家は女性遍歴が多いほど
創作意欲が高いという研究結果が出たと、最近目にしましたが・・・。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 10:53:18 ID:65UsRHnc0
そうなの?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 11:53:21 ID:VgRZtqJo0
田村怡興造は甲州の出で部内では「今信玄」と呼ばれていたが川上操六の死後
後を次いで対露戦研究に没頭したがやはり過労で病死、その後釜に就いたのが
児玉源太郎。児玉は既に中将で来年は大将が確実で現ポストは内相、台湾総督)
いわば降格人事にひとしかったが自ら次長職を希望した


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 00:32:05 ID:n4GC8+920
今信玄だって
プッ

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/08(木) 22:47:37 ID:8NpBWhwd0
誰、阿南惟幾って?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/09(金) 03:56:08 ID:0ZCc03zt0
>>19
細川日記には「阿南は性格が強すぎる」という天皇の発言がでてくる。この点微妙。
「どんどん行け」の阿南は確かに性格が強すぎると言われる要素はあるんだけどね。
侍従武官経験ありの忠臣という文脈で語られることが多いが二人の君臣関係は
やはり最後まで微妙だったと思う。同じく細川日記に阿南の
「陛下の思想は平和主義であり、自由主義であらせられる。
是を御変へする様、側近を取り替へねばならぬ」という発言もでてくる。
昭和天皇の「阿南には阿南の考えがあったのだろう」という発言が二人の距離感を
よく表している。

27 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/11(日) 20:44:32 ID:8h0DrRcT0
陸軍内の綱紀粛正が問題となった時、阿南はどうだと意見を求められ、外面
武骨に見えますが、理想を断行するという性格ではないと見られていますね。
↑同じく、『細川日記』昭和19年8月26日条。
翌20年6月10日条に、九州視察の結果、「米英撃滅」の自信を得たと言っ
て、揚々たるものであったとありますが、根拠があったのでしょうか。

細川氏の立場は、阿南氏寄りのものではありませんでしたから、その点も考
慮しておく必要がありますが・・・。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/12(月) 01:40:40 ID:Kj9D7Cqt0
2.26当時幼年学校長であった阿南が、生徒を集めて決起将校を厳しく批難した事は
良く知られていますが、一方日誌の中では相当に気の毒がっていたようですね。
このあたりを見ても「理想を断行する性格では無い」という細川さんの分析は、
当たっているかも知れません。
終戦前の阿南の態度を私は大変立派だと思っているのですが、
この辺の若者に甘い面が、宮城事件に繋がっている嫌いはあると感じます。

ところで、20年6月10日の細川日記を見て思ったのですが、
この時、長谷川清海軍大将が戦力査閲使として全国の防備を見て回っている事を
阿南は知っていたはずですね(言上は6月12日かな)。
御上には事実が伝わるが、それが直ちに巷間に流布されるわけではない
という前提で、陸軍はいまだ士気盛んであると見せるための、情報操作を
試みたのではなかと感じました。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/12(月) 02:06:41 ID:eBRzLvSI0
8月の時点だと阿南はもう確実に物量的に戦争継続は不可能と認識していたと思う。
同時に「国体護持が不可能なら一億玉砕」と本気で思っていたとも思うけど。
6月だとどうなんだろう?

30 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/12(月) 19:21:46 ID:zDPLQlFs0
>>28
私が気になっていたのは、山本七平氏が『一下級将校の見た帝國陸軍』の中
で、旧日本陸軍の問題点の一つ、「員数主義」を解説された箇所の記述です。
員数主義というのは、書類上数字が合っていれば、調達先や実態を考慮せ
ずに容認し、その機能性を無視した上に、合わせられないものまで無理に
合わせてしまうという、張りぼての様な志向の事、の様ですが。
(なお、巷間伝えられたものでしかないと、本人の断りがあります)

「本土決戦を主張する阿南陸相は、すでに戦備は完了し、九十九里浜の陣
地も完成しているから、ここで米軍に一撃を加えるべきだと強硬に繰り返
す。降伏、決戦の論議が平行線をたどって決着がつかず、鈴木首相が天皇
に「聖断」を乞うたとき、天皇が言った決定的な言葉は、侍従武官を派遣
して調べさせたところ、九十九里浜には陣地などはない、という意味の言
葉である。
この言葉はおそらく、小松さんの「ネグロス航空要塞などはない」という言
葉の「ない」と同じ「ない」であろう。そして大本営にとってネグロス航空
要塞が「あった」如くに、阿南陸相にとっては九十九里浜の陣地は「あった」
のである。

31 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/12(月) 19:29:38 ID:zDPLQlFs0
結局これは、「員数としてはあるが、実体としてはない」ということであり、
「実体としてはない」と言われたときには、降伏しかないという実情を示し
たことにほかならない。そして米軍の攻撃は、常に員数という虚構を吹き飛
ばして「実体」としてはなにもない」ことだけを指摘し続けただけに等しい。

小松さん=小松真一氏。『虜人日記』の中で、「形式化した軍隊では『実質
よりも員数、員数さえあえば後はどうでも』という思想は上下を通じ徹底し
ていた」と述べられた方。
で、何が気になったかというと、この話の真偽と、もしかしたら九州の備え
というのも、実は「員数」だけ合ったものでは無かったかという事で。
九州がどうなっていたのかお伺いしたかったのですが、阿南氏個人からは離
れてしまい、申し訳ありません。

>なお、巷間伝えられたものでしかないと、
補足。「本土決戦を主張する阿南陸相は」以下の逸話の信頼性を述べたもの。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/18(日) 13:32:57 ID:uJMEVuJcO
吉田茂の逮捕は阿南の決定でやったようだね

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/19(月) 01:48:12 ID:iVvY/4iz0
>>32
ソースきぼん


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/19(月) 05:35:41 ID:oH20/ugO0
阿南の陸相就任から1週間後(4/15)に吉田が逮捕されたのでそうとる向きもある
吉田自身は「回想十年」の中で、「私は当時、鈴木首相や阿南陸相とは懇意の間柄であったから
まさか死刑にはせんだろうと多寡をくくっていた」。当時、軍事課長だった荒尾興功大佐は
「阿南閣下は吉田茂氏が逮捕されたことを聞かれますと、直ぐ釈放せよ、と言われました。
いやこれは兵務局長那須閣下の御任務です、と申し上げると、すぐ那須閣下を呼び、即時釈放を
厳命されました」と語っている。でも実際に釈放されたのは40日後だから・・・
島田法務中将は吉田に、「実は起訴するか不起訴か陸軍内で大分問題になってもめたが最後に
阿南閣下の裁断で不起訴と決定した」に告げた。吉田は海軍の小沢治三郎を訪問、和平交渉(依頼)
のため第三国へ向かう潜水艦を出して欲しい、と相談に行った後、逮捕されたのでむしろ小沢を疑ったみたい

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/19(月) 05:37:53 ID:oH20/ugO0
32≠34です

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/21(水) 23:09:24 ID:8ApymIw80 ?
息子は中国大使だよな

37 :日本@名無史:2005/12/22(木) 00:32:25 ID:4rpU6Pcm0
四男(故人)は講談社の社長やってたよ。今の社長はその奥さん。
ゆくゆくは息子が跡を継ぐ。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/22(木) 15:07:59 ID:Gt22sHZO0
山野のIDが変わっているが、世界史や日本史板の彼と同一人物?

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/22(木) 18:43:59 ID:TwWynQ+30
阿南は、3度目で陸軍大学校に合格した。陸士では上だった石原莞爾と同期だった。
そして、石原とは親友だった。東條が陸軍大臣のときに陸軍次官で、石原の予備役編入に猛反対した。
最後の切腹のときに、娘婿の竹下正彦中佐に石原に伝言を伝えた。何だかは明らかではない。
しかし、「米内を斬れ!」と激しく罵ったのは事実だ。
石原と同じアメリカへの参戦に反対した米内の本質を見透かしていたのだろう。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/23(金) 08:45:58 ID:T8ZOQrEx0
何年か前自衛隊がイラクに行く時女性自衛官で阿南って人いたな。
かなりの美人だった。
珍しい苗字だし彼女大臣の血縁なんじゃないかな。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/23(金) 09:41:22 ID:9+o24+CH0
阿南監督

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/25(日) 16:11:06 ID:1WrV7n6T0
阿南司令官の大敗北。
第11軍司令官の時、香港攻略の支援と称して、はるか北方の漢口から南下して
長沙を目指し「大敗北」。之に詳しい人いませんか?

個人的カンですが、之が切腹の直接動機では?と推定しているのですが。

日本国敗戦の責任をとったのではなく、個人的に切腹の機会を探していたのを
周辺の関係者も知っていたから、「敗戦時の陸軍大臣」にしたのでは。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/25(日) 21:28:48 ID:JxbIuR8/0
>>42
「一死大罪を謝す」は長沙作戦についてはかなり詳細に記述されていたと思う
しかし、同書の中では終戦時の自決との関連は述べられておらず
俺も、長沙における蹉跌は阿南の攻勢主義の表れで、彼自身それほど
気にしてはいなかったのでは無いかと感じる

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 21:40:37 ID:4Dx4CJKU0
>>43
では、その不必要かつ無意味(国益)な敗北を反省できない「陸軍大臣」?

ナンなんですか???


45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/27(火) 00:23:28 ID:9Rv/A5kq0
>>44
なぜ阿南が時の陸相になったのか
その時、陸相は何をするべきで、実際に阿南はなにをしたのか
彼本人に聞けないのだから、残された史料の断片から
様々なパズルを組み立ててみれば良いじゃないか
パズルを弄りもせずにナンなのかと聞いてみても、
君自身が得られる物は少ないぞ

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/30(金) 21:45:57 ID:p8XAMKJt0
>45
別の、事例。
乃木大将の「殉死」。
遺書では、西南の役での「連隊旗を敵手に奪われる」が動機と明記された。
だが、世間(日本)と世界(開国後、明治です)は、明治天皇陛下への「殉死」と
理解された。(事実だろうと、私も推定します)

結果、日本陸軍では「連隊旗を敵に渡す=連隊長の自決」と了解され、
連隊旗防衛専門の分隊(小隊か?)をおいて、敵に連隊旗を渡した例は発生していない。
これも、ちとおかしいが、まあ渡さない方がいいのは確か。
(軍の目的が、国家の為に「勝利」をもぎ取る事にある以上、仮に「連隊旗」で勝利が得られるのなら、
 何本でも敵手に渡すのが、軍だと思う。結果連隊長が何人自決しようと)

阿南陸軍大臣の「自決」
世間と、世界では「大戦での陸軍の敗北の責任を負った」と理解されている。
これは、是か非か?

私は、非と考える。自決は、大陸での「大敗北」時にしてこそ、意味がありえた。
「軍の暴走と、国益無視。官僚としての自身と部下の利益追求」での敗北を明記して、自決。
できていれば・・・・・
これで、勝利できるとは、考えないが。教訓としては使える。
「国益無視の官僚の私益追求は、局長級の自決(現代では辞職)」の了解ができたかも?

翻って、現在の陸自の代表が何らかの戦争で敗北したとしよう、自決すべきでない場合でも、
自決を要求されますよ。これ、絶対に国益にならないと考えますけど。

結論。近代においては、敗軍の将兵を大いに語るべし。たとえ、ののしられようと、称えられようと。
これで、靖国の半分と「遺族年金」の将官級以上は今よりましな、結末になるんでは?





47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/13(金) 12:25:01 ID:d1fLI9fA0
>>10
お茶吹いた

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/13(金) 15:16:52 ID:ioNRIqim0
敗戦の責任大臣が、
まだ中国・アジアの戦線から兵士・国民を復員させてないのに
自分だけ腹切りはダメダメ。


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/13(金) 16:28:53 ID:rpTzwgZf0
総辞職するから復員と関係ない。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 00:38:47 ID:zKhDRukq0
あの自決は軍の蜂起阻止に一定の効果があったと思うよ。
本人が意図したかどうかは別として。


51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 06:25:12 ID:a+NZfE880
>50
禿同。

現職 陸軍大臣なら、誰でもよい。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 06:30:34 ID:a+NZfE880
>46
ttp://www.usleaf2001.com/uh/uh003_07.html

参考どぞ!!

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/22(日) 04:24:58 ID:qulHa5fj0
>>35
そうですね、四男・惟道は野間家(講談社創業家)の家付き娘・佐和子
(現講談社社長)と結婚してムコ入りし、社長となるも87年、急性硬膜下出血で急逝。
佐和子は、いわば長男・省伸副社長が跡を継ぐまでの”中継ぎ女帝”ですな。
そんで六男・阿南惟茂が現中国大使だよね。
今年3月で勇退するけど、ヤツの在任期間(2000年〜)は、
瀋陽総領事館事件やら反日デモやらで日中関係は最悪に……。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 15:54:37 ID:KpyMpuHe0
阿南の息子の中でも惟茂は、糞だね。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 01:46:49 ID:QoxYrKis0
っていうか陸軍大臣はみんな糞。
蛆虫だとすれば昭和天皇は糞。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/07(火) 09:44:42 ID:NH2q0+fi0
「一死大罪を謝す」って、わからん。死んだって償えんだろうに。
終戦間際の御前会議だって「勝機はある」っていう趣旨のことを
いってたんだろ。
こんな狂人が大臣だったなんて・・・
それにしても、陸大が自動的に出世する学歴主義にはため息が出る。
阿南や辻政信は、日米開戦前に予備役編入が妥当だよね〜〜

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/08(水) 01:25:09 ID:Ra3rqJ4iO
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

意外とおもしれーぞ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 21:52:08 ID:Oh7bxpNF0
>>42 佐々木春隆の体験記が面白かった覚えなら…心底たまったもんじゃない、とは思ったが。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 14:21:06 ID:i2GGyfKN0
「日本の一番長い日」では、三船敏郎が演ってましたな。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/29(水) 02:14:00 ID:mOc5VSTA0
あの映画は名作ですね、最近DVD化されたんで入手しました

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 04:15:03 ID:mbKDYo7a0
外務省の息子がひどすぎ。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 08:53:49 ID:weqlc/E10
阿南は三国同盟推進派で米内内閣の倒閣にも激しく策謀

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 09:14:48 ID:jRzIJ4bh0
阿南家の人々は、日本にとってなんの役にも立っていないね。

むしろ、足を引っ張る人ばかりのような希ガス。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 19:46:23 ID:qFb0Eh1o0
「一死大罪を謝す」

家族全員を連れて行ってくれれば、後々問題が発生することもなかったろうに。
何番目のガキが新日鉄の役員で、上海の宝山製鉄所を建設することになったし、
中国大使をやっていた馬鹿は、新日鉄の相談役に天下り?
ゲッペルスは家族全員で死んだよね。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 21:45:20 ID:dya67D+8O
東條、牟田口、富永、服部、辻は一家揃って戦後もぬくぬく。高額の恩給も貰っていたしな。
東條家のオヤジは吊されたが

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 01:17:31 ID:urZEdR2G0
>>65
東條家ははずせよ。
どれだけ世間のバッシングを受けたかお前知らないだろ。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 03:09:57 ID:Frzomn14O
>>65 辻、自衛隊災害救助基礎作った人


東條 考えかたが違う。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 12:30:06 ID:anQHpSxEO
東條がやった事(私的な制裁とか)を考えれば非難も当たり前だろ
首相として軍人としてというより一個人としてやってきた事が悪すぎる


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 01:51:25 ID:9jop3vaX0
そんでも阿南は忠臣だし、若手の心をちゃんと掴んでたんじゃない?
一家連れてかなかったけど(当たり前)、終戦のどさくさに不始末をしでかした
連中はあらかた連れて行ったし、信頼できる部下に事後を託することもした。
おいら一番尊敬してる軍人は鈴木貫太郎だけど、その次に阿南さんだな。


70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 09:36:09 ID:ry6DThzY0
>>68
だからって「罪が残る」というやり方は好かん。
それは中華圏の考え方だ。日本の考え方は「死んだら罪は消える」「恨みは一代で終える」。
これは神道の性善説に基づいた考え方。子孫にまでヤリ玉にあがるのなんて持っての他。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 19:16:58 ID:hj2UsPJs0
正直死人に文句言える分際でも無いよ、我々は

戦争は人間性で語れたら楽だ

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 20:29:04 ID:JrFuO1qvO
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

中学校の同窓会に行こうとしたら
「中学の時のクラスメートや先生に、愛知のキチガイ脳糞古川だなんて、わかったらどうする。
 みっともない。
 愛知のキチガイ脳糞古川の身で、同窓会なんかに行くな!」
と怒られた。

「同窓会くらい、いいだろう」と反論したら
「親の言うことが聞けないのか!」と玄関先から、家の中に
押し倒された。

脳糞古川だと、同窓会にも行けないのか?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 00:36:06 ID:GVR4u4nI0
東郷外相の意見を聞けなかった軍部・・・

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 06:12:11 ID:SPIBLCvd0
>>1
自決が最高にカッコ良い
正に本物の武士
それに比べて、自決し損ねの東条は屑
ところで、阿南は靖国神社に
合祀されてるよね
文官で病死の松岡でさえ合祀されてるんだから

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 09:15:47 ID:r9iho+Af0
>>74
「理性冷静さを欠いた情緒的な精神主義で何百万人の国民を死なすことになろうが、
死ねば許されるだろう」みたいな、>>70 にあるような、甘ったれた考え方を持ったやつらが
国家指導に携わったことが、あの時代の不幸だったな。


しかし、小泉や >>70 のような甘ったれた思考精神性のやつらがまだまだウジャウジャいるのかと思うと、
先が思いやられるな。
阿南だの大西だの、テメエひとりが汚い臭い腸(はらわた)ぶちまけたところで、それで済む問題と済まない問題ってもんが
あるんだよな。


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 10:04:34 ID:ALThJRXS0
糞尿を部屋中に撒き散らし穢いヤシ

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 11:38:19 ID:TGGZiTN/0
ずっと“あなん”だと思ってた

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 05:29:15 ID:6jZ6y3naO
>>74
靖国は本来、自決者を祀りませんが、自決直前の阿南陸相が、敗戦に際して自決した軍人を昭和殉難者と呼んで合祀するよう命令しています。
なので当然合祀されています。
松岡洋右は合祀されてましたっけ……広田弘毅は合祀されていますが、彼らをA級戦犯だからといって祀るのは、昭和殉難者を祀るよりも不思議なことですね。
敗戦国の精一杯の抵抗なのでしょうか。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 03:37:03 ID:uspeULg50
戦場に斃れた人間だけではなく、永田町や霞ヶ関や市ヶ谷から駒を動かしていただけの人間も
祀るなどという、不届き千万恥知らずなことをやりだしたのは、阿南だったのか!


80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 06:49:58 ID:pWqtwD0CO
終戦クーデタの首謀者だろ?
梅津に見捨てられた時点で無理だったが。
総意は終戦だよ。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:18:42 ID:oMhZN/Sf0
もともと梅津美治郎が本土決戦を主張したのは陸軍の立場上と国体維持が
かかってるからだしどこまで本心だか判らない。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:19:54 ID:pWqtwD0CO
梅津と豊田は椅子が主張した継戦なんだろうけど、阿南は何なの?
米内は終戦派だったじゃん。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 03:15:47 ID:8fxfmUqn0
判断基準が我々とは違うんだからしょうがあんめえ
国体の保障が得られる前と後、天皇が阿南を諭す前と後で
阿南の態度は大きく変わっている

因みに阿南が推薦して鈴木内閣の国務大臣にした安井に
かなり前の時点で「本土決戦はやらんよ、第一陛下がお許しにならない」
と語っている。

俺は気迷い>腹芸>徹底抗戦の線だと思うがな

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