2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【プさん】魏志倭人伝を読もう!【来るかな?】@

1 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 04:40:17
三国志の『魏書』巻三十は「烏丸鮮卑東夷伝」です!
その最後に「倭人在帶方東南大海之中・・・」で始まる倭人の条があります!
これをふつう「魏志倭人伝」と呼んでます!
日本の古代史の解明に欠くことのできない第一級の史料でつ!

さあ、魏志倭人伝を、みんなで読んでいきましょう!
でも元々は中国の文献・・・、解釈が難しいところもあります
そこはプラムさん(河童さん?)、読解の手ほどきしてくれないかな?

関連スレ= 「♪邪馬台国 ドンと来い♪ 14」
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1171175255/

荒らし厳禁です。そんなレスはスルーしましょうね

2 :1:2007/02/21(水) 04:41:45
魏志倭人伝が読めるウエブサイトはたくさんあります
ここでは台湾中央研究院の「漢籍電子文献/資料庫」を挙げておきます
http://www.sinica.edu.tw/~tdbproj/handy1/
黒い帯の左端「資料庫」をクリックします
「二十五史」の5番目に三国志があります
その巻三十に東夷伝があり、倭は最後でつ

台湾中央研究院「漢籍電子文献」は二十五史ぜ〜んぶ読めちゃうすごいサイトだけど、
ここをを利用するにあたっての諸問題点を、大東文化大学の渡邉義浩先生が解説されてまつ
http://www.daito.ac.jp/~y-wata/prof/gyou/comp/database.html

3 :1:2007/02/21(水) 04:43:15
ではでは、ここ(冒頭)から行きましょか

>倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑.舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國.

「今使譯所通三十國」は、ちょと意見の相違があるんじゃないかな〜?

4 :1:2007/02/21(水) 05:07:01
>>2
訂正、つーか、ちょと追加でつ。スマソ

× その巻三十に東夷伝があり
   ↓↓↓
〇 その「魏書」の巻三十に東夷伝があり

5 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 07:17:53
スレ主さん 乙です。
ここに おじゃまします。


河童は巣に帰りました。

6 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 07:51:12
>>3

>「今使譯所通三十國」

(私見)

「今使譯所通三十國“從”」と します。この從は 通説である「從郡至倭…」ではなく、(使譯所通三十國)にかかる“從”であり、
郡からの往来を三十国(邪馬台国三十国体制)全体で対応した。 と なります。『今』とは 勿論 魏時です。
『從/したがう』は一般的に 人や生き物に対応した 文字であり、それ以外のものには『循』をあてます。『從/〜より』 と、基点を表す為に使用するにもルールがあり、
関連熟語に、(従前 従来、…)などがあります。

7 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 13:26:48
【漢字から見た魏志倭人伝】

『從/〜より』の使用法則
先に述べたように
(〜より/前置詞)関連熟語として(従前、従来)がありますが
これらの使用共通は
【時間的に〔今/基点〕に向かって、過去から基点(今)に下る事】(〜より)と、なります。

※昔“より”今日(基点)に至るまで=〈従来〉


次にこれを通説となっている『從郡至倭』に当て嵌めてみます。

8 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 13:41:55
【漢字から見た魏志倭人伝】

※通説『從郡至倭』(郡より倭に至るには)

時間経過で見ていくと、明らかに(郡→→倭)となり、倭の方が郡より時間が経過しています。
すると、『從〇/〜より』に矛盾が?
本来、基点に向かって時間が過ぎるのに、ここでは(基点/郡)より倭の方向へ時間が経過しています。
倭に向かう使者が洛陽からの使であり、
途中郡を経由しても、この場合、『從京至郡』(郡基点)としなければなりません。
『從郡至倭』で『從』を(〜より)として使用する場合、基点は『倭』になり
次にくる『循海岸水行…』に矛盾

9 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 14:49:46
【漢字から見た魏志倭人伝】

時間経過、基点の位置関係等から考えると、この通説『從郡至倭』(郡“より”倭に至には)の『從/〜より』の使用は矛盾するものです。
詰まり
先に述べた様に、
●(通説)從=〜より
『…今使譯所通三十國』『從郡至倭循海岸…』
の、文節切りは間違っており
●(私見)從=したがう/動詞
『…今使譯所通三十國從』『郡至倭循海岸…』
と、し

『郡至倭』の意訳は(郡を基点に倭の範囲)と、なります。

(郡より倭に至)等というちっぽけな行程ではなく、『倭の範囲』と言う壮大な書き始めなのです。

10 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 15:11:07
>>3
>舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國

昔100いくつの国があったが、今30国になっている、ということか?
1.最近の市町村合併みたいに整理統合された結果なのか?
2.弱肉強食の戦いの結果なのか?

それとも、漢時の昔は100いくつの国々と使駅が通じていたが、今は
それが30国に減った、すなわち残り70いくつの国々は今は判らん、と
いうことか?

11 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 15:26:55
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

12 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 15:32:27
【漢字から見た魏志倭人伝】

(郡より倭に至るには)と(〜より)と 使用したい場合の使用例を上げれば、倭人伝の中でも使われている
『“自”郡至女王國…』
の様に『從』ではなく『自/〜より』とす可きでしょう。

13 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 15:56:05
>>10 疑問の続き。>今使譯所通三十國

旁國として国名のみ記された国々が21国ある。これにプラス、

對馬國、一大(支?)國、末盧國、伊都國、
奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹(臺?)國

の8国で、計29国となる。とすると、あと1国はどれか?
1.狗奴國。(しかし卑弥呼と不和だったんだろう?)
2・狗邪韓國。(しかし半島にあり、倭人の国なのかどうか?)

また奴國は二つ出てくるが、勘違いによる同一国とすれば・・・???

14 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 16:15:31
>>10>>13

たぶんここに>>3(スレ主)は来ない(来るかもしれないけど)とおもいます。
このスレは、私をこのスレに隔離するため立てたスレ。
今ここに居るのは 貴方と私の二人だけです。

15 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 16:49:25
>>14
>このスレは、私をこのスレに隔離するため立てたスレ。
>今ここに居るのは 貴方と私の二人だけです。

いやいや、そう捨てたものではない。案外良スレだと思う。
邪馬台国関連スレでは、倭人伝そっちのけの連中が多すぎる。
記紀の倍暦云々・・・私は嫌いだ。もっと倭人伝を丁寧に読むべき。
ドンと来いシリーズは間口が広すぎて、議論が噛み合わない。
私には倭人伝を独自解釈する力量は未だしだが、疑問は色々湧く。
真摯に倭人伝と取り組んでおれば、次第に参加者も増えるだろう。
よろしくご指導願いたい。

16 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 17:52:34
>>15

>いやいや、そう捨てたものではない。案外良スレだと思う。
邪馬台国関連スレでは、倭人伝そっちのけの連中が多すぎる。
記紀の倍暦云々・・・私は嫌いだ。もっと倭人伝を丁寧に読むべき。
ドンと来いシリーズは間口が広すぎて、議論が噛み合わない。
私には倭人伝を独自解釈する力量は未だしだが、疑問は色々湧く。
真摯に倭人伝と取り組んでおれば、次第に参加者も増えるだろう。
よろしくご指導願いたい。


こちらこそです。
参考にはならないと思いますが >>10>>13 の問いにレス入れておきますので、
御伽噺気分で眺めてください。

17 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 18:40:33
>>15 >>10の問いに対するレスです

>舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國

昔100いくつの国があったが、今30国になっている、ということか?
1.最近の市町村合併みたいに整理統合された結果なのか?
2.弱肉強食の戦いの結果なのか?
それとも、漢時の昔は100いくつの国々と使駅が通じていたが、今は
それが30国に減った、すなわち残り70いくつの国々は今は判らん、と
いうことか?

●後発となってしまった范曄は(後漢書倭伝)にて 陳寿の『舊百餘國』の文を見て
『凡百餘國』と記述した
(凡百)= 辞書にも記載あるように、この百は数詞としては扱われておらず(さまざま・・・)
陳寿の百も数詞でない確率が高いと考えられ、(百貨店、百面相、・・・)と同じ意味かと(さまざまな、数多くの)

要するに、残り70とかの問題ではないと考えます。(元々100と言う意味ではないので)

舊(百餘國)多くの国が(凡百餘國)さまざまな国が

18 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 19:34:06
>>17
プラムさん、具体的にはどういうこと?
100余国あったのが30国に減ったのではなく、「朝貢するのが30カ国に減った」と読んでるけど。
倭国大乱の後約30カ国の邪馬台国連合がそのまま朝貢したと考える方が自然では?

19 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 19:58:02
>>15 >>13の回答です。  ここは私見結論だけ

>1.狗奴國。(しかし卑弥呼と不和だったんだろう?)

●多分ここからの判断かと思われますが
『其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王』
『其八年太守王kui[扁斤旁頁]到官倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和』

(不和)=三十国除外は早計かと
狗奴國も三十国の一つです。(ここは結論だけ、理由は行程記事解析が終了してから)


>2・狗邪韓國。(しかし半島にあり、倭人の国なのかどうか?)

●倭人の国という記載がありませんから(韓国と)三十国には含まれません

>また奴國は二つ出てくるが、勘違いによる同一国とすれば・・・???

●勘違いと、後世の史書編纂者達がいっているのでしょうか?  つまり主観判断ですね
(私見結論) 二つの奴國は同じです。(行程記事解析の途中で必ず触れる所ですので、そのおりに説明します)

>三十国

● 對馬國、 一大國、 末盧國、 伊都國、 奴國、 不彌國
  投馬國、 女王國、
  斯馬國、已百支國、伊邪國、都支國、彌奴國、好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、
  呼邑國、奴蘇奴國、鬼國、爲吾國、鬼奴國、邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國
  狗奴國、 朱儒國   (計三十国です)

20 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 20:12:44
>>18

>100余国あったのが30国に減ったのではなく、「朝貢するのが30カ国に減った」と読んでるけど。
倭国大乱の後約30カ国の邪馬台国連合がそのまま朝貢したと考える方が自然では?


●倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑(舊)百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從(陳寿)
●倭在韓東南大海中依山嶋爲居凡百餘國(自武帝滅朝鮮)使驛通於漢者三十許國(范曄)

私は同範囲内にて沢山の(邑)が(自武帝滅朝鮮)以降(三十国)に集約されたと見ています。
つまり、邪馬台国三十国体制のたんじょうです。
范曄も(自武帝滅朝鮮)と陳寿の(旧)の文字を漢時に置き換えていますので
私にはそれだけしかここでは汲み取れません。

21 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:17:05
>>19
ほう。プラムは朱儒國を三十国に含めるのか。

22 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 20:35:07
>>21

自信をもって『ハイ』

(理由は まだ先の話ですからそこに辿り着いた時)

23 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 20:49:00
>>18

朝貢するのは
後漢時も魏時も変わらず三十国纏めて代表が

『後漢時』
自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國(三十国がゆるされ)
『魏時』
今使譯所通三十国從(三十国を従え)

24 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 22:49:59
【漢字から見た魏志倭人伝】
『郡至倭』(郡を基点に倭の範囲は)

続きです。
『郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千余里』

「循海岸」(海岸に沿って)
→この場合、『海岸』とは(海と陸との境部分で、陸地側の事です。)
『沿う』とは
その海岸の両サイドにあたる@陸地域とA海水域の二通りに別けられ、「循海岸」だけでは判断出来ません。
その二通りの選択の内どちらかを指定する為、次の『水行』の文字が用意されているのですよ。
要するに、海岸に沿って移動する場所は(海水域)だと
『循海岸水行』(海岸に沿って海水域を進む)と


25 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 22:53:53
【漢字から見る魏志倭人伝】

これではまだ、どの海水域を進むか位置が特定されないので、次に『歴韓国』の文が

『歴韓国』の文章は、韓国を徒歩にて横断したり、川を遡る為に用意された文言ではなく、『循海岸水行』の進行航路の位置を知らしめる為に用意されたものです。
『歴韓国』(韓国をへる)と
『循海岸水行歴韓国』
(韓国の海岸水域に沿って航行する)と

『歴』は、韓国の海岸水域を航行すれば、自然と様々な地域を通過するので (歴)なのです。
沿岸の馬韓にしろ弁辰にしろ、その中には様々な国があることは韓伝に書いてありましたね
『経韓国』ではなく『歴韓国』と書いてあるのは そのため

『経 と 歴』の違いは後ほど


26 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 23:26:03
まあ、邪魔する人が居ないから落ち着いて読める。
プラムさんも水を得た魚のように元気だし。
でも難しい。

27 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 00:03:58
そのうち レス纏めて本でも出そうかな? demo 文才ねえから無理か

28 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 00:29:55
サガミハラハラさんのように、自費出版してみるのも面白いかも。

29 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 10:11:09

【九州ですが氏 注目】


別すれにての会話

668(九州ですが)
>倭にはたくさん魏から人が来ている

●やっぱ、これはマズいよ! 魏であることの特定も出来ないし、イッパイという量の判断も出来ない。


669 (名無し)発言
>文献も考古事実も無い。



(あるよ)
文献史実 『郡使往来』

ここで生きてくる
『往復』と『往来』の違いが


これで解らなきゃ 議論無用(価値なし) ムダ

30 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 11:33:34
【漢字から見る魏志倭人伝】

これから先多数登場する『至と到』 そこに触れる前に、(前説明)

『至』について
「至」=音/シ 訓/いた‐る

この「至/いた‐る」、正確には(いた)で、これだけでは全く意味が解りません。 これは漢字一文字だけの「至」も同じ事です。前後に他の文字(文とし)を加え、初めて意味をなします。
※訓「いた」も同様で、「いた」の後に(ラ行)の“送りがな”が付きはじめて意味ある言葉になります。
(いた)‐らば
(いた)‐り
(いた)‐る
(いた)‐れ
(いた)‐ろう

と、

31 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 11:53:55
【漢字から見た魏志倭人伝】

漢語『至』=和語『いた』
漢字の『至』も和語同様(至)一文字だけでは字義はあれども 文としての意味は有りません。
『至』も前後に別の文字が加わり 意味が生まれます。
(至高)(至極)(夏至)(必至)の様に

●和語(いた)は(ラ行)が加わり 意味が生まれ
『いた』+『る』=(至る)と言う“動詞”が生まれます。

普段私達が何気に解釈している【(至)=(いた‐る)】は、漢語と和語の間に生まれた 誤認識となります。
『至』≠(いた‐る)が正しいのです。

32 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 12:36:23
【漢字から見た魏志倭人伝】

『至』=(いた)であり、『至』≠(いた‐る/動詞)で無い事は説明しました。
実はこの(いた‐る)と言う動詞に相当する『至』を使用した熟語が 存在しないという事が。
詰まり、『至』と言う文字に、読み下せるように(る)とルビふる事は 誤った行為だということです。

和語『至る』と 漢語『至ル』は 決して同じではなく、それどころか『至ル』自体が誤りと いう事実が!

その区別の為に、もう一つの『到』(到る/いた‐る)があるのです。
漢語『至ル』ではなく『到ル』なのです。

33 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 13:41:38
【漢字から見た魏志倭人伝】


『至』の文字に『至ル』とルビふる行為が 間違いと断定してしまうと 少し過言すぎるので、
(誤解しやすい行為)と、しておきましょう。

34 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 15:32:48
【漢字から見た魏志倭人伝】

では『郡至倭循海岸水行歴韓國…』の続き
『乍南乍東』

一般的には(たちまち南したちまち東)と、和訳されていますが
イメージとして かなり緊迫感を与える表現であり、よく言われる『島や暗礁を避ける』行為とは程遠いと、まるで急流下りです。
それなら、平安期頃に表現された(〜し“つつ”)から発生した『〜しながら』が、もっとも相応しい表現かと
●「南しながら東、東しながら南」と、

船首は南に向いているが何等かの要因で東に、東に向いているが南にと

ここは 『〜しながら』と和訳します。

35 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 17:06:12
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

36 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 20:12:08
【漢字から見た魏志倭人伝】

『至』を元に出来た文字の中に「到 ・致」があり、どちらも(いた)と訓じられ、
先にも説明したように『至』は(ラ行送りがな)が付き 意味をなします。
そして『到や致』も
『致』+(サ行)
『到』+(ル)
で 意味とし効果します。
『至』は(ラ行)全てに効果するけど、『到』は面白いことに(ル)だけしか効果せず、まるで『至る』の補助的用語見たいです。

37 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 20:18:11
御心配いたみいります。まずはお礼まで。

38 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 20:35:22
【漢字から見た魏志倭人伝】

『到』(音 トウ )
この文字もやはり「至」同様(いた)であり(ル)が送りがなとなり“動詞”として効果します。
しかし「至」とは違い「到」の文字は
(到着、到来、到底)の様に、熟語として“動詞”効果が存在し、ルビ(ル)が 「到」に付加され『到ル』となり、
ここが漢語『至と到』の大きな違いです。

特に『至と到』の文字は行程記事に於いて『着点』として大変重要な使い分けが行われ、注意しなければならないところです。

では、実際に解釈してみましょう。

39 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 20:37:10
>>37

いえいえ

40 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 21:25:34
【漢字から見た魏志倭人伝】

『着点、至と到』
行程文区間距離に○○里と明確に数値が記載されれば、そこには測量に伴う基点と
着点が存在し それは面ではなく点であることは道理です。
倭人伝は書である以上、その起点・着点を文章にて表現しなければなりません。
距離測量行程記事ではなく、単にその土地の位置関係であれば、通常その地域の中心地域から目的範囲の
中心地までの゛道のり或いは最短距離となりますが
行程記事に関しては【移動手段が明確化】されていますので、起点と着点も明確にしなければなりません。
そこが、通常地理志と倭人伝行程記事の違いです。
周りを見渡すと、この辺が曖昧になり結果トンデモない和訳が発生するところです。

では、着点『至と到』を点としてどのように表現するか説明します。

41 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 21:52:48
【漢字から見た魏志倭人伝】

『至と至』
簡単に説明すると
●『至』という文字には(限定された範囲)という文字本来の意味があります。
これは、熟語(冬至、至急、至福・・・)などからも判断できると思います。
詰まり 「至」には(点が存在しない)ことがこれで判り、先にも述べたように動詞的な移動もこの文字自体には存在しないと
いうことです。

●『到』文字には(限定された範囲の境で、進行方向に接する地点)という地理的文字本来の意味を有している事です。
到の文字は(いた-る)と動詞活用する事ができ、熟語(到着)と同じような効果が発生するという事
この「到」の文字には文章にて【明確に着点】を表す為の効果が発生するという事です。
文章において、地理的環境により明確に(点)を設ける事の出来ない(同水域内・或いは同陸域内)に
着点を設ける時などに最適な文字なのです。
だから 訓(いた)に対して送りがな(ル)だけが効果し、【到ル】と動詞活用ができるのです。

42 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 22:17:39
【漢字から見た魏志倭人伝】

通常『到』という文字は余り多く使われませんし、倭人伝行程記事内でも

●郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
●東南陸行五百里到伊都國
の、二ヶ所だけの使用だけで

明らかに文中にて点を確認出来る、 (水行から陸地へ、陸から水行へ)と
地理的条件変化により『港』が点と判る文中には改めて『到』と、点を設けることなく『至』とし範囲
だけの記述で、十分対応できるのです。

だから『又渡一海千餘里(至)末盧國』この文は、末盧の港であることが容易に判る為
『到』ではなく『至』と記述したのです。



43 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:21:41
倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯所通三十國

 和訳:倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で成り立っていて、
   もとは百余りの国があって漢の時代には朝貢する者もいたが、今は使者や通訳など
   通ってくるのは、30カ国である。


從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至
對馬國其大官曰卑狗福曰卑奴母離所居絶方可四百餘里土地山險多深林道路如禽
鹿徑有千餘戸無良田食海物自活乗船南北糴


 和訳:帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、南に行ったり
   東に行ったりするうちに、倭から見て北岸にある狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。
   それから初めて海を渡り、一千里余りで対馬国に着く。この国では、
   大官を卑拘といい、副官を卑奴母離という。この国は孤島で、面積は四方四百里余りある。
   険しい山や森林が多く、道路は禽や鹿の踏み分けた道のようである。
   千戸余りあるが、良田は無く、海産物を食べて自活しているが、船で南北の方へ米の買いだしに行く。


又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里多竹木叢
林有三千許家差有田地耗田猶不足食亦南北市糴


 和訳:さらに瀚海という名の海を南の方に千里余り程渡って行くと、一大国(一支国)に着く。
   ここでも官を卑狗、副官を卑奴母離という。四方三百里で、竹林や雑木林が多く、
   三千戸ばかりの家がある。田畑は少しはあるが、食べるのには不足しているので、
   この国もまた、南北へ米を買いだしに行く。

44 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:36:51
又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深
淺皆沈沒取之


 和訳:また、千余里程海を渡ると末盧國に着く。四千戸余りあり、山麓や沿岸沿いに居住している。
   前の人が見えないほどに草木が生い茂っている。水の深い浅いに関係無く住民はもぐって魚や鰒(あわび)を捕る。


東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國
郡使往來常所駐


 和訳:陸に上がって東南の方に五百里ほど行くと伊都国に着く。官を爾支といい、
   副官を泄謨觚・柄渠觚(せもこ・へここ)という。千戸余りある。代々王がいるが、
   みな女王国に属している。帯方郡使が来るときは必ずここに滞在する。


東南至奴國百里官曰馬觚副曰卑奴母離有二萬餘戸


 和訳:東南の方に百里行くと奴国に着く。官を馬觚(しまこ)という。副官を卑奴母離という。二万戸あまりある。

45 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 08:48:38
『至』 は魏使が実際に訪れたという表現で
『到』 はそちらに行きますと○○国ですよーという案内文でいいんじゃない?

46 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 11:59:15
>>45

>いいんじゃない

じゃあ『致』はどうするの?

その場しのぎに曖昧な解釈していたら、漢字自体意味が無くなりただの抽象画になっちゃうんでは?
決まった法則がありからこそ、皆が平等に使えて便利何では?

47 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 12:41:59
【漢字から見た魏志倭人伝】

前置きとして簡単に『至と到』の使い分けを説明したので、先へ

次は
『到其北岸狗邪韓國七千餘里』

『到』(到る)
『其北岸狗邪韓國』(北の岸に狗邪韓の範囲)
『七千餘里』(郡から到其までの区間距離)

『其北岸』
其が意味する対象は、当然(倭人在帯方東南大海之中)であり、大海の中に視点を置き「大海の北の岸」となります。
其(大海の中・水域)の北の岸に狗邪韓の範囲が在ると
詰まり、『到』とする着点は、倭の領海域と韓の領海域の境に(同海域内)、進行航路が接した 地点 と、なります

48 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 13:01:41
【漢字から見た魏志倭人伝】

郡を基点に倭に向かった船は韓半島南海域で韓領域の終を迎えた。そこが『到』(着点)になる訳です。
その着点の北の岸には、韓半島南岸に位置する狗邪韓域があり、その「着点」までの区間距離が 七千餘里ということです。
もう一つ付け加えるなら、その「到/着点」は、次の目的までの「発点」でもあるのです。

だから狗邪韓國に、寄港した。等という解釈は(倭人伝に限れば)間違った解釈なのです。

49 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 13:18:43
【漢字から見た魏志倭人伝】

『狗邪韓国』

陳壽がワザワザこの地域を記述したのは、行程文に於いては『到/着点』の目安(目印)にしか過ぎませんが、後ほどの外交記事に深く関わって来る為に記述した地域で有ることを付け加えておきます。

これで
『郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里』の文節、韓領海域水行程が修了しました。

(郡を基点に倭の範囲は、韓の海岸に沿い船にて(乍南乍東)しながらへり、狗邪韓域の南水域(韓・倭の境)に着いた。その区間七千餘里)

次からいよいよ『倭領域』です。

50 :阿蘇山は移動した:2007/02/23(金) 16:49:09
旧は、昔はという程度。あつまって30になったか?100あるが
30だけ通じるのかは、判断できない。
渤海は、砂漠のようなの意味。対馬から壱岐は、60kmで54km
まで見えないので、ここでこう表現した。韓国から対馬は見える。
壱岐から九州はみえる。

51 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 16:56:14
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

52 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 16:58:32
>>50

四世紀にGoogleEarthあったっけ?

53 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 17:55:26
>>50
渤海じゃなくて瀚海(かんかい)だろ。

対馬のナントカ山だったかナントカ展望台だったか、
韓国も壱岐も、それに九州本土も一望に見えると聞いたんだが。

プラム氏おつかれ。聞きたいこともあるがまた今度。
ある程度進んだら、「倭人伝 プラム流現代日本語訳」として
纏めてくれるなら有難い。

54 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 18:11:17
>>53

>プラム氏おつかれ。聞きたいこともあるがまた今度。
ある程度進んだら、「倭人伝 プラム流現代日本語訳」として
纏めてくれるなら有難い。


了解   かなり時間かかるけど

55 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 18:54:15
>>53
対馬から韓国は展望台なんか登らなくたって見えるよ。
壱岐より韓国のほうが近いもん。

30 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)