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天照大神は男神か女神か

1 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 12:32:01
天照大神は女神だとする説はもう古い。

最近は、男神説が次々と登場して、女神説は否定されつつある?

記紀やホツマツタヱや社伝を参考に、天照大神の正体を解き明かそうではないか。

2 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 13:34:23
んだんだ

3 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 13:39:58
平安時代から、伊勢神宮に奉納される天照大神の衣装は男性のものであったらしい。

ならば男神か。


しかし、古事記にはこうある。

須佐之男命が天の安川(現滋賀県野洲川)の天照大御神のもとを訪れて、
宇気比(うけひ)を行ったときのこと。

「弟が来た理由は、きっと忠誠心からではないと」語って、
[御髪を解きて、御美豆羅( みみずら)に纏(ま)きて]
(女形の髪を解いて男髪のみづらに纏めて)男装して弟と対峙したとある。

ならばやっぱり女神なのか。


さて、真相はどちらだ。

4 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 14:08:57
どちらにしても作り話(ry

5 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 16:17:57
上の記述に、記紀の倍以上の信頼性が高い伝承内容を誇る、
日本最古の叙事詩ホツマツタヱの伝承をプラスすると、とんでもない推理が可能になる。

ここだけの(ホツマツタヱを読んだ人だけの)内緒の話なのだが、
天照大神(アマテルカミ)のイミ名(生前人だったときの本名)は、どうやらワカヒトと言うらしい。

ワカは、大家の跡取りに付けられる、若大将などの若の意味と思っていい。
ヒトは日人の意味であり、
昭和天皇のイミ名が裕仁だったように、天照大神のイミ名を若仁(ワカヒト)と書く人もいる。

没後、天照大神という名で神社に祀られてはいるが、生前はアマテルカミと呼ばれていたらしい。
ここで言うカミとは、神のことではなくて、為政者のカミ、
つまり御上(おかみ)などの上(カミ)つまり上様という意味で使われていたことになる。

なので、正しく意味を表すには、天照上(アマテルカミ)と書くのが適当と思われる。

似たような当時の言葉に、クニカミというものがあり、一般に国神と書かれることがあるが、
これは国司のことなので、原意を表すには国上と書いたほうがよいと思われる。

6 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 16:21:13
じつは、天照大神が男神か女神かを考えるうえで、非常に重要な情報が、ホツマツタヱには存在する。

若日人(ワカヒト天照大神)様には、姉がいたことなっているのだ。
昼間に生まれたから昼子(ヒルコ)姫と名づけられ、
親の厄年の穢れによる災いが及ぶのを避ける意味で、形だけ捨て子にされて、
禊司(みそぎつかさ)の家で幼児期を過ごしたとあるのだ。

彼女が捨て子にされて拾われた地には、
今も、広田(ヒロタ)神社という、この地域で最も古い神社が現存している。
元々祀られていた人物は、昼子姫を拾って育てた、
禊司のカナガキさん(死後神社に祀られた名は住吉神として有名)だ。
もちろん、天照上(アマテルカミ)の姉を拾って育てた功績を称えられて、
彼女を拾ったことにちなんで名が付けられた神社に、真っ先に現地で祀られているわけだ。

しっかり物証となる神社が今日まで残っているのだから、
記紀に記されていない昼子姫の伝承を、安易に嘘偽りとは考えにくいことになる。

7 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 16:22:42
この姉は、形だけ捨て子にされたあとで実家に戻されるとき、
天照上の妹ということにされ、名を若昼女(ワカヒルメ)と改めている。
和歌山県で稲田が病害虫の被害にあった知らせを聞くと、
皇后ムカツ姫(神社に祭られている名は瀬織津姫)と現地に赴いて、
桧扇を片手に即興の和歌(マジナイウタ)を詠みながら、
教え草の燻煙を用いて穂虫を駆除して、人々を飢饉から救ったとされている。

この歌がじつに素晴らしかったため、
和歌山県の人々は、和歌の歌の言霊効果で穂虫が去ったと錯覚して、若昼女を祀り上げ、
「若姫様が歌を歌ったら、枯れかけていた稲すら若返った」と駄洒落を言い合い、
歌姫伝説を作ったらしいのだ。
もちろん彼女の名が、
そのまま若の国から和歌山県(和歌という表記は後世の当て字)へと受け継がれて、
2千年後の今日まで、しっかり当時の出来事が伝説として残っているのだ。

没後和歌の女神として現地の玉津島神社に祀られている表記は、
稚日女(ワカヒルメ)尊となっているが、
原意からみて若日女(ワカヒメ)または和歌姫と表記するのが望ましいだろう。

8 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 16:26:44
さて、若姫様は天照上の勅使阿智彦(アチヒコ、没後神社に祀られている名は思兼尊)を
一目見て好きになってしまい、返事(カエゴト)が出来ない回歌(マワリウタ)を詠んで、
無理やり結婚してしまったのだそうだ。

このときの恋の歌を用いたテクニックが、伝説化されて後世に語り継がれ、
恋人同士の間で和歌を詠みあう風習が出来たのだという。
さすがは和歌の女神として祀られているだけのことはあるらしい。

皇后ムカツ姫が同時期に現地を訪れた際に建てられて残された防衛拠点『國懸神宮』と、
皇后が一時的にお住まいだった宮の跡『日前神宮』は、その地域で最も古い神社の形で、
はっきりと足跡を今日まで残している。

アチヒコ(思兼尊)と結婚した後、しばらくは紀州に滞在して新婚生活を送った時期があったため、
ゆかりが深くなったのだと思われるが、日前神宮に祀られている神は、
思兼尊と、それに連なる天岩戸伝説にも登場する一族で固められている。

このように、ホツマツタヱの伝承は今日まで痕跡が残っているだけでなく、
じつは、天の岩戸伝説の本当の意味を謎解きするうえで、
この神社にこの一族が祀られていることが、非常に重要な意味を持ってくる。

9 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 16:27:51
若日人(ワカヒト天照大神)様の妹、若昼女様は、
思兼尊のハートを和歌パワーで射止めた後に、結婚してからは下照日女(シタテルヒメ)と改名し、
結婚後、野洲川(ヤスカワ)に宮を造って、天照上の日嗣(ヒツギ)の皇子、
忍穂耳尊(オシホミミ)の御子守(ミコモリ)をしつつ、
実子手力男尊を育てたのだと伝えられている。

ここが重要なポイントなのだが、天の安川は古事記で、天照大神と須佐之男命が対峙して、
宇気比(うけひ)を行った重要な場所なのだ。

なぜ、滋賀県野洲川の地に、天照大神が住んでいて、
わざわざ須佐之男命が訪ねていく必要があったのか、疑問の向きも多いと思う。
そんな場所に天照大神が住んでいたなどという話は、他に残っていない。

じつは、ここだけの内緒の話(ホツマツタヱを読んだ人のみ知っている話)なのだが、
ホツマツタヱでは、宇気比のやり取りは天照大神とではなく、
姉の和歌姫とやっていることになっている。

このことから、ホツマツタヱの研究者の間では一般に、
古事記や日本書紀が、道鏡などによって、女帝を正当化するために改竄されている、
といった、根拠が曖昧な説がちらほらと散見される。

ところが、発想を少し転換して、天の岩戸伝説との関係を考えると、
思わぬ真実が隠されていることが見えてくるのだ。

10 :橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/02/13(火) 12:22:35
>>1

基本はロムラーの橿原一派と申します。終止符スレから参りました。
ホツマの学問的な解釈は珍しいので、非常に興味があります。
記紀、風土記や漢籍だけではあまりに情報が少ない。
それらの誤りや恣意を総合的に補正できる手段としてはおもしろいと思います。

それと、できればトリップをつけていただけるとありがたいです。


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