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♪邪馬台国 ドンと来い♪ 14

1 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/11(日) 15:27:35
従来の

『魏志倭人伝』等を読む
『邪馬台国はどこですか』

の 後継スレとして活用してください。


現在、脱妄想強化期間につき  御注意を

尚、現在稼動スレ ♪邪馬台国ドンと来い♪13 が終了しだい御使い下さい。

2 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 15:43:30


3 :前スレまとめ:2007/02/12(月) 00:05:27

[891]プラム ◆TOfHBAKZgM <>
2007/02/11(日) 10:31:13
『臺與でも、人名に非ず』

湖南氏の時代はともかく、我々の時代は中国正史を全て検索出来る環境にある。その恵まれた環境を無視し、「あ〜だこ〜だ」 語ることは 取り組む姿勢が歪んでいまいか?

参考までに、
『臺與』の文字も
「漢書用例」を含め、二十五史内に 18例を数える

つまり、『壹與』にしろ『臺與』にしろ
間違っても人名で無いことの根拠とします。


古代漢籍解析は、ひたすら地道な作業の繰り返し、つまらん歴史観等持ち込む余地無しです。


4 :前スレまとめ:2007/02/12(月) 00:08:48
[937]日本@名無史さん<>
2007/02/11(日) 19:38:20
不毛な誹謗中傷ではなく、議論のために事実のみを提供します。
臺與で二十五史を検索すると18件ヒットする。
そのうち、16件は、漢書「輪臺與渠犂」「輪臺と渠犂」(どちらも地名・国名)
のように、たまたま臺と與が並んだもの。
「陣内と藤原」という記述を見て、
日本語には「内と」という言葉の用例があると言うようなものなので、
用例としては不適切。
臺與が一語として使用されているのは、
梁書「復立卑彌呼宗女臺與為王」
北史「復立卑彌呼宗女臺與為王」
の2件のみ。
壹與で二十五史を検索すると3件ヒットする。
そのうち、2件はたまたま壹と與が並んだもの。
壹與が一語として使用されているのは、
三国志「復立卑彌呼宗女壹與」
のくだりで複数回使用されているもののみ。
臺與もしくは壹與で十三経を検索すると、
これらが一語として使用されている例はヒットしない。


5 :前スレまとめ:2007/02/12(月) 00:09:58

847 名前: プラム ◆TOfHBAKZgM 投稿日: 2007/02/10(土) 17:51:47
>>846

当時「女王」の概念は大陸側に有り、列島側にそのような概念が存在しなかった。 ただそれだけの事だよ

6 :前スレまとめ:2007/02/12(月) 00:12:02

[940]日本@名無史さん<>
2007/02/11(日) 21:17:30

ついでなので、女王が漢字だということについて書いときます。
中国国内で王に封ぜられるのは概ね皇帝の息子とその子孫の男性で、
皇帝の娘は公主です。中国で女性が王に封ぜられた例は、ちょっと思いつかない。
(知らないだけかも知れませんが。)
二十五史で女王を検索すると、所謂女王の意味でないものを除外すると、
ほとんど倭国に関する記述で、西域の伝などでも散見されます。
国内の記述で女王に言及したものはないようです。
こうしてみると、むしろ倭国や西域で女性が君主なのを奇異に感じながらも、
女の王だもんなと思って女王という言葉を作った可能性も否定できません。
日本語に大統領という訳語があっても、
presidentという概念や存在が昔からあったわけではないのと同じです。
>「女王」の概念は大陸側に有り、列島側にそのような概念が存在しなかった
という可能性と、逆に
「女王」の概念は列島側にこそ有り、中国にそのような概念が存在しなかった
という可能性の両方が考えられるように思います。

7 :前スレまとめ:2007/02/12(月) 00:13:15

[965]日本@名無史さん<>
2007/02/11(日) 23:18:13
生徒「Aの根拠はXとします」
先生「XはAの根拠にはなりませんよ。XはBの根拠ですから」
一同 納得

生徒「Xを提示したのはCのことを確認して欲しかったからです」←今ここ
一同「Cって何?」
生徒「CはDです。根拠はYです。」
先生「YはC=Dの根拠にはなりませんよ。YはBの根拠ですから」
一同 納得

生徒「そもそもBのことを先生は知っていますか。Bは$¥]]&#6bも」
一同 ポカーン

8 :前スレまとめ:2007/02/12(月) 00:13:56

[966]日本@名無史さん<sage>
2007/02/11(日) 23:28:40
要するに、
間違えた時に訂正(とか謝罪とか撤回)せず、
その現実に向き合わず、
相手に質問をし(話題を変え、)
わざと論理的でない厨房を装い
相手がキレて議論を投げ出せば儲け物って方針
(自分がキレて議論を終わらせる手もある。)
(完全に不利な場合は保留とか)

だから不真面目としか言えないよ。わるいけど。

9 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 02:16:20
age

10 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/12(月) 02:32:18
プラムの名が無くなればこのスレも平和だろうて

と、言うことで
暫く巣に帰ります。お元気で〜

『プラム理論もしばしお休み』

11 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 02:34:42
>>10
間違いを訂正もせずに放り出して逃げるのかね?

12 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/12(月) 02:45:43
いや〜
あれだけ荒らされコテ叩きされたらスレ存続に影響するから ね

それに、変身名無しのメドもついたし
多分、私が居なくなりノビノビレスするヤシ見つけたら ROMするのも止める


それに、こんな所で間違いもへったくれもないだろう。どっちが正かを決める審判も居ないし
ま、強いて言えば、荒らしを味方に付けた方が『正』か?
しばしの別れじゃ 元気にな!



スレを頼む

13 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 03:37:44
>>12
> あれだけ荒らされコテ叩きされたら
君の誤謬を指摘するのが「荒らし」であり、君の誤謬を正そうとするのが「叩き」かね?

> こんな所で間違いもへったくれもないだろう
・・・で誤魔化せると思っているのかね?
根拠のないプライドに拘って明確な誤りを素直に訂正できないようでは駄目だと、
幼児の頃から散々言われているだろ?

14 :前スレまとめ:2007/02/12(月) 07:31:40
[993]日本@名無史さん<sage>
2007/02/12(月) 00:48:39
何度論破されても、何度フクロにされても、何度辱められても
その度にカムバックしてくるプラムのバイタリティには敬服する。

しかし、その原動力は「学問に対する探究心」とかでは無く、
単に自分が受けた「扱い」への復讐心だ。
同じことを他人にやってみたいだけと言う賎しい願望なんだな。

その証拠といっては何だが、実はプラムはYahoo!にも棲みついている。
そこにはヤツ以上に壊れたのが居てな、いつもセミプロ畿内説論者の
イジメグループの標的にされている。
ナント!我らがプラムくんは、その尻馬に乗ってるつもりでヘボレス付けて
虐め気分を味わって悦に入ってるみたいなんだな。


15 :前スレまとめ:2007/02/12(月) 07:32:35

[999]プラム ◆TOfHBAKZgM <>
2007/02/12(月) 02:11:24
>>997

私は不死身

チョットだぼはぜ釣を


16 :前スレまとめ :2007/02/12(月) 08:09:25
993 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2007/02/12(月) 00:48:39
何度論破されても、何度フクロにされても、何度辱められても
その度にカムバックしてくるプラムのバイタリティには敬服する。

しかし、その原動力は「学問に対する探究心」とかでは無く、
単に自分が受けた「扱い」への復讐心だ。
同じことを他人にやってみたいだけと言う賎しい願望なんだな。

その証拠といっては何だが、実はプラムはYahoo!にも棲みついている。
そこにはヤツ以上に壊れたのが居てな、いつもセミプロ畿内説論者の
イジメグループの標的にされている。
ナント!我らがプラムくんは、その尻馬に乗ってるつもりでヘボレス付けて
虐め気分を味わって悦に入ってるみたいなんだな。


17 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 08:09:57
う〜ん・・・なんで一言「今回はマイッタ」と言えないのだろう?
ここまでザッパリ一刀両断にされたら、かえって白旗も掲げやすいだろうに

いずれ持論を補強する証明でも見つけたら、再び論を展開すればいいだけなのにねぇ

論は論を以て制すべき
惨めな捨て台詞は己の醜悪を晒すだけなんだが・・・

18 :一応九州王朝説:2007/02/12(月) 08:36:42
残念ですよね。このスレの役割って大きかったのに。
漢字の扱いだけじゃなく、結構造形深いところ沢山あったのに、
こんな狭量な部分もあったとは。コテは叩かれる、それが2ch
の常識なのにね。その意味を、これだけ長く続けていたらわか
りそうなもんだけど。

ちなみに、私は関係ないスレでは名無しですが、古代史につい
ては全部このコテですよ。何か勘違いなさってるようだけど。

19 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 08:50:26
>>18
誤解ですよ 関係ないっす。

20 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 09:39:29
>狭量な部分
それはちょっと違うんジャマイカ
まさに「今回はマイッタ」でおkだし、その後の見苦しい言い訳が問題になっているわけだから。
自演のオンパレードについに住民がキレた面もあるのだろうし。

21 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 09:46:30
これが事実ならとんでもない話 >>14

恵也も一見ぷと正反対の内容でありながら奴の自演だったのだから
ぷにとってここは釣堀でしかなかったことになる
一応九州王朝説も見事に釣られて、ぷに笑われていたことになるがそれでもおkなの?

22 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 09:51:10
プラム氏が醜態を晒してまで「人名に非ず」にこだわった理由はなんだ?
そこがイマイチ分からん

人名ではなかったら、何か大きな謎が解決したのかな?
それとも単に自説を論破される事に我慢が出来なかっただけ?

23 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 09:56:40
>>20 それはピンぼけな見方^^^^^^自演のオンパレードはPが>>12で言ってるように
別なラインがあると和紙も見ている。Pもそれなりの古参なら気付いて当然
最近Pに恥じかかされた腹いせ????????????????????????????

24 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 10:06:59
>>23
日本語でおk

25 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 10:07:40
>>22
2チャンネルに来て数ヶ月になるが、プラム氏を見ていると、まず
通説を受け入れない。
伊都国についての「世有王、皆統屬女王國」の解釈。
「倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和」の「與」の解釈など。

要するに、プラム氏は、他人と違う見解を示すことに快感を覚える
タイプだと思う。
一つの漢字には妙にこだわるが、全体の整合性には全く無頓着だな
と感じた。

26 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 10:09:35
>>25
禿同

27 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 10:11:47
>>25
典型的な中2病じゃんw
てか>>23pu乙



28 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 10:29:10
>>25
>2チャンネルに来て数ヶ月になるが、プラム氏を見ていると、まず
通説を受け入れない。
>要するに、プラム氏は、他人と違う見解を示すことに快感を覚える
タイプだと思う。
一つの漢字には妙にこだわるが、全体の整合性には全く無頓着だな
と感じた。

*以前通説を組み合わせてみたが、妥協の最大公約数っぽい
*オレは以前Puが立てた邪馬台国の根本をROMるのが楽しみだった
最近は細部に拘りすぎだがあれはスケールでかかった

29 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 10:33:55
>>27
>>23はPuか?はははははっははははっ よかよか にぎやか結構結構


30 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 11:13:22
>>21
>恵也も一見ぷと正反対の内容でありながら奴の自演だったのだから

誰もそんな事考えてもいないし今回の騒ぎ>>21の仕組んだ事で一件落着

31 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 12:18:32
> 11 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/02/12(月) 02:34:42
> >>10
> 間違いを訂正もせずに放り出して逃げるのかね?

> 12 名前:プラム ◆TOfHBAKZgM [] 投稿日:2007/02/12(月) 02:45:43
> いや〜
> あれだけ荒らされコテ叩きされたらスレ存続に影響するから ね
>
>それに、変身名無しのメドもついたし
>多分、私が居なくなりノビノビレスするヤシ見つけたら ROMするのも止める
>
>それに、こんな所で間違いもへったくれもないだろう。どっちが正かを決める審判も居ないし
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これがぷの本音さ→「こんな所で間違いもへったくれもないだろう。」 
ここは2chだから何でもあり、ウソ・デマ・妄想・自演で当たりまえ。
多分、自分より程度の低い(そうそう居ないと思うが)厨でも引っ掛けて弄くりたかったのかな。
本論部分の書込みをしないのはレベルの低さがバレないようにするため。
デムパな説を展開するのもマトモな議論に巻き込まれないようにする用心だろう。
議論になってもディベート術に長けたヤツならデムパで押し通すことは可能だからね。
他のヤツの手口を見て真似られると思ったんだろう(まあ、ぷの脳みそじゃ無理だったがw)

32 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 12:25:43
>>31必死だな*********額の汗 

33 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 12:40:25
>>31
以前相当puに凹まされたのか?レスに怨念が見える奴もとんでもない自縛霊に粘着されたものだ


34 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 12:47:17
今日からは畿内厨残党を見つけて叩くスレに也なり

35 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 12:51:36
>>puさん あんたの言ってたのはこのことでしょう?

36 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 12:56:56
ここも過疎っていくのかな

スレ主が無惨な最期を遂げたからなぁ・・・もうダメだな

37 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 13:08:10
>>33
> >>31
> 以前相当puに凹まされたのか?レスに怨念が見える奴もとんでもない自縛霊に粘着されたものだ

以前、puに凹まされたヤツなんか居たかあw

38 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 13:12:39
>>37
>>31>>37 (*^_^*)

39 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 13:22:13
プラム自身が恥をかいたのは何回も見たけど、プラムに恥をかかされた香具師は見たことない。
今プラムを支持してた香具師は、今回の騒動で恥をかいたと言えなくはないけど。

そろそろプラムのことはほっといて、本題に移ったのうがいいかも。

40 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 13:34:32
ここってさ、ヤフーと重複してる奴が多そう。
>>11なんかどう見てもあの人の言い回し方だな。


41 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 14:27:14
ダボとハゼしかいないのか・・・出直そう。

42 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 14:46:39
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

43 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/12(月) 15:52:15
>>40
やっぱり気が付いた?

44 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 16:34:33
>>40  ヤは読みにくくないか。専ブラある?


45 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 17:32:25
>>31
> ここは2chだから何でもあり、ウソ・デマ・妄想・自演で当たりまえ。
・・・ということで自らの誤りを修正せずに押し通そうとする。
間違いに固執して素直に改められない性格を直せと何度も繰り返して言われているだろうに。


46 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 17:34:28
>>39
その「恥」とかいった卑小なことにだけ延々と拘る性格を根本的に矯正する必要があるわけですな。

47 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:05:54
論破されたのを素直に認められないようじゃ、人前でオナニーしてんのと同じ

人として終わってる

とりあえずプラムがこのスレに書き込んできた持論は、もう一度全て考証した方がいいね

48 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:10:00
>>46
つまりおまいは「ウソ・デマ・妄想・自演」が恥じゃないと思っているか
卑小なことだと考えているわけかw
真に議論をしたいのなら、これらは徹底排除されるべきと考えるのがまともな人間。
恥知らずはどこまで行っても恥知らずだなw

49 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:13:31
>>48
話をすり替えて誤魔化そうとするのも、根拠のないプライドが異常に高い者の習性の一つ。

50 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:26:53
ダボとハゼの集まりならスレごと消した方がよさそう

51 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:34:10
>>50
なんせ肝心のスレ主がダボハゼだったからなぁ
しかも自分で雑魚ぶりをさらけ出してしまった上に捨て台詞残して逃亡だし

スレを残して晒すもよし、このまま沈めてしまうもよし

52 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:34:58
煽りと叩きになるとここぞとばかり張り切る蛆虫




こんなスレいらね

53 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:41:25
>>52
スレ主が蛆虫ぶりを暴露したのに、そのスレの住人に何を期待してるんだ?

54 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:44:42
叩かれるに値する行為をし続けたのだからしょうがないわな
何年間にも渡る異常事態を是正するには最低でも2,3日はかかるだろうし
それは正常化に向けて避けては通れない産みの苦しみじゃね?

55 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:49:12
ハイハイしまいしまい
何時まで下らん会話してるんだ〜wそこの反省反省とわめき散らす聖人君子君
アンタはいったいなんなのよ人のこと言えるのか?w

何時までもごねてないで主もさっさと戻ってスレの再開だよ
さあさあ再開再開
オイ住人よスレの再開に反対か?まだ煽りと叩きを繰り返すのか?w

56 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:00:29
>>54
>叩かれるに値する行為をし続けたのだからしょうがないわな
何年間にも渡る異常事態を是正するには最低でも2,3日はかかるだろうし
それは正常化に向けて避けては通れない産みの苦しみじゃね?

お前が一人で被害を受けたみたいな言い分だがどうなんだ?
ただのノリでの相乗りならこの辺でやめ時だろうよ。それとも実害でも出たか?w
>何年間にも渡る異常事態
それを全てここで晒し議論しようとでも思ってるのかそれはここの主が一人でやったと
とでも言うのか?実害が出ているならここに出してそれなりの対処が必要になるだろう
一人では無理でも住人で協力すればなんとかなるもんだw
どんな実害なんだ?

57 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:09:50
スレ再開は賛成だが、主の帰還には反対
つか本人がしばらく姿を消すと言ったんだ
これ以上の恥を晒す気はないだろ
またこれ以上の恥をかかす必要もない
それに名無しとして加わると表明してたしね
それは構わんと思う
自分の作ったスレだ、気になるのは当然の事

名無しで紛れ込んでも気付かない振りしてやるのが、せめてものスレ主に対する敬意かと


まぁ徐々に元に戻っていくんじゃないかな

58 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:10:12
とりあえずの問題は
名無しに戻ってプラム帰ってきて!といまだに自演していることだと思います。
住民が協力するとしたら、みんなで声をそろえてそんな奴イラネっていうことではないでしょうか。

59 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:19:03
スレタイがチョーダセーから沈めてしまうに1票。
ヤマタイスレは一個あれば十分だろ。

60 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:52:47
これは次スレ??

61 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 20:00:17
>>57回答すまない。>>58>>59ならどうしてここにいる?ここにいる意味ないだろう
オレも>>57の意見に賛成だ
>>58>>59の意見に賛成の住人は、去るという選択があるのだからなw
ここに残り議論する住人は全てを受け入れる住人だけで十分だと考えるが、主に対し
遺恨ある住人なら尚更ここを離れるべきだろうここは遺恨とする者が主なのだから
例え主が現れても顔を出さなければすむことではないか?w
>>58
>そんな奴イラネっていうことではないでしょうか
そんな奴イラネとする以前に、このスレに残る意味は何なのだw何時現れるとも知れぬスレに固執する
思考に興味をそそられるが

62 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 20:07:08
>>59 スレタイのいきさつ。
昔々九州説と畿内説という人々が別々のスレに分かれておったそうな。
九州説の人々は自由過ぎるw議論をし、畿内説の人々は盛り上がりに欠けるアカデミズム
を楽しんでいたそうな。
ところが、九州スレに迷い込んだ無法者が九州スレを荒らしに荒らしスレが消滅してしまった
ので、九州スレの住民は畿内説スレに大挙して東征したそうな。
畿内スレに長く居たスネヒコ達は九州スレの住民を歓迎せず、九州説禁止の御触れを出して
これを排除しようとしたので、今度は畿内スレが荒れに荒れてしまったそうな。
この大乱を収めるべく、元のスレ分けの提案もあったのじゃが、スネヒコは次スレでも九州説
禁止の張り紙をしたのでスレが荒れたままになり、やむなく何でも来いの人柱を立てようと
いうことになり、四国もエジプトもコテも何でも来いスレが立てられたんじゃ。

・・・ということで、これがないと他に悪影響が生じますww


63 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 20:12:04


baka !


64 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 20:39:09
「安帝の永初元年、倭の国王帥升等」の部分が、
『翰苑』所引の『後漢書』には「倭面上国王帥升」とあり、
唐類函・変塞部倭国の条所引の『通典』には「倭面土地王帥升」とあり、
北宋版『通典』には「倭面土王帥升」とある。

この「面土国」は、「筑志米多国」のことである。

http://yamatonokuni.seesaa.net/article/32720152.html

65 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 20:40:17
少なくても「スレ主は帰ってくんなっ!」ってのが住人の総意だな

>>62
まぁ隔離スレとしてはこれからも機能してもらわんとね
つか、ココは隔離スレだったんかいっww

66 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 20:49:54
ここまで読んでのまとめ
>>58などのようにぷ排除を唱える一派は、要するにここでまともな議論とやらがしたいわけだ。
だから自演行為を忌み嫌う。
対して>>61たちは、本人の弁を借りると
>ここに残り議論する住人は全てを受け入れる住人だけで十分
これは自演も含めて、何でもありでやりたいってことだね。
要するにネタスレで良しと考えていると。

>>62が述べるように、ここはどうやら”人柱”もしくは”隔離スレ”の扱いで立てられたものであると。
ならば話は簡単じゃ内科?
議論をしたいものはここ以外で心ゆくまで真面目に討論し
ネタを楽しむものや隔離された厨房がここでルサンチマンを発散させればいい。
お互いに相手の領域には決して踏み込まないとの確約を取ればいいことだ。

ここで両者に問うが、その住み分けができるか?お互いに干渉しないと約束するか?
相手の領域に踏み込むのは明らかにルール違反であり、それは荒らし行為に該当するとの合意でやっていくと誓うか?

67 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:25:11
>>66
やや見下したような物言いは鼻につくがここが人柱専用だということは理解した。
ルール無用のバトロワ会場で議論する気はない、撤退する。
ただし九州説、九州王朝説、騎馬民族、畿内説などの相反する説に干渉し合わないというのは約束してほしい。
こちらも畿内説には一切干渉しない。

68 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:25:54
>>66
過去の自演行為を主一人に押し付け全てを丸く治めようとする考えなのか?w
主がいなくなった今は自演の文字さえ消滅してしまい、これからは自演行為自体が
霞となり、万一発生した時も主の亡霊のなせる技で解決と
それならその案件に合意するぞw
オレの案件として(固定ハンドルの禁止)はどうかな?固定ハンドルは叩かれるが常識の
2ちゃんねるなら固定ハンドルなんていらないとするのだw
少なくともこのスレだけでもどうか?w

69 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:35:02
>>66 人柱つ〜か「自由な議論」
スレ分けしても相手の主張が気に入らなくて遠征する香具師が出てくる。
スレ分け時代でも九州スレで畿内説批判をすると理屈ぬきで荒らされたから
畿内スレに乱入したという見方もできる。

自由に議論する代わりにソースくらい出せよというのがこのスレの趣旨で
くだらん議論と荒氏は無視すれば宵。
粘着することの方がスレ違い。

70 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:39:28
ダラダラ喋る奴こんなにいるのか?
珍しい人種VS珍しい人種

自作確定だねwww

71 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:44:26
これからここに入ってくる住人は全て名無しであり、過去の柵を一切断ち切っての
スタートとし、自らのモラルに判断を委ねるわけだ。w
万一知らずに入ってきたコテには速やかに事情を知らせれば住む事だよw
過去の悪しき風習は全てコテハンプラム一人の責任とし、かぶってもらおうではないか?w

72 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:46:11
自作大変だw

73 :66:2007/02/12(月) 21:47:23
>>67
見下すつもりはなかったがw
そのほうがよいと思う、がんばってくれ。
>>68
それはID表示のない板の宿命で、コテとはあまり関係がない。
むしろコテが率先して罵倒合戦を繰り広げたがために、叩きも増殖したのは紛れもない事実だろう。
>>69
>自由に議論する代わりにソースくらい出せよというのがこのスレの趣旨
それはなるほどと思うのだが、今回の件はまさにソースも出さずに妄想を言い張ったぷが単に叩かれたということでFA?
その遠征者こそ放置すればいいと思うぜ、スレ違いの一言で。
相手は手を変え品を変えかまってもらおうと必死なんだから。


74 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:48:39
>>70オマエだけ良い子になろうとしてるのwオマエも同種だ

75 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:51:50
>>74
ぼくたんはいい子だよ何がいいたいのでちゅか?

76 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:52:29
>>73puの使用したネタは今後使用した段階であらしケテー?

77 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:54:36
プを排除、あとは今まで通りにやって様子を見る もしくは自然の成り行きに任す
これでいいんじゃね?
無理に自治しようとすると逆に荒れる気がする

78 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:56:02
>>67
>ただし九州説、九州王朝説、騎馬民族、畿内説などの相反する説に干渉し合わないというのは約束してほしい。
>こちらも畿内説には一切干渉しない。

そのルールを他のスレに持ち込まないでね。議論不可能になるから。

79 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:05:00
>>77
>プを排除
相当矛盾に満ちた意見だなwここの主だぞw一応だが
>>73が『妄想を言い張ったぷが』と言ってるようにpuは大事な人材だ
彼の発言が全て妄想の塊ならw真実はその裏に存在するわけだ
そのくらい頭働かせよ

80 :66:2007/02/12(月) 22:05:26
>>77
とりあえずそうするか、俺も様子見るわ
>>78
そうなのか?各説内で対立点があるのが普通で、それが議論を深めるということだろうに。
九州説などは一人一人主張が違うといっても過言ではないぞ。
対して畿内説は九州説ほかにかかわるのすら嫌がっているように見えるしな。
どこにだってかまってチャンや荒らしはつきものだから、無視すればいいだけじゃないかね。


81 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:07:09
>>79

82 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:07:16












ひし













83 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:09:43
>>79その自演が嫌われてるんだよ、いいかげんわかれよプラム

84 :77:2007/02/12(月) 22:21:03
>>79
なら>>56のラインでいいんじゃね?
それなら問題あるまい

そもそもプの妄想に対して「それは違うんじゃない?」という事実を突きつけられた時の
プの醜態が今回の騒ぎの根源だし、結局このザマになって逃げたわけだから擁護のしようもない
妄想の裏にも妄想しかなかったという事だよ
本人の引き際がスッキリしてれば「今回はまいった」で終わってた話だったんだ

>>80
コテ持ちが罵倒合戦を始めなければ相反する意見の議論もかまわないと思う
反証する事によって議論は進んでいくことも多いしな


85 :77:2007/02/12(月) 22:24:15

× なら>>56のラインでいいんじゃね?

○ なら>>57のラインでいいんじゃね?

86 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:24:33
>>67
>こちらも畿内説には一切干渉しない。

そんなことができるなら大変ありがたいが、
畿内説への恨み・つらみ、悪口・雑言抜きに九州説が語れるのか?
できるならまずはやってみせてほしい。

87 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:24:48

「三足土器」を貼れる雰囲気じゃないね。結論決まったら教えてちょ。 ノシ


88 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/12(月) 22:39:58
>>84

すると発端は全て俺にあると言うのか?

89 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/12(月) 22:45:40
>>84

>そもそもプの妄想に対して「それは違うんじゃない?」という事実を突きつけられた時の
プの醜態が今回の騒ぎの根源だし、結局このザマになって逃げたわけだから擁護のしようもない
妄想の裏にも妄想しかなかったという事だよ
本人の引き際がスッキリしてれば「今回はまいった」で終わってた話だったんだ


ここで私が全てを認めることでスレが今後荒れないのなら


【今回はまいった】と認める また根拠見つけ出しいどむつもり


これでいいか

90 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:56:53
>>89
潔いと思う。今後もぜひそうしてくれればと

91 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:59:26
>ぷ
あのなぁ・・・鎮まりかけてんのに何で顔を出す?
自分で作ったスレがかわいくないのか?
ココから離れたくないんなら、そうはっきり言え
それで納得するやつは納得するし、納得しないやつは叩く
2chはそんなもんだ

>【今回はまいった】と認める ←ココで止めとけ
>また根拠見つけ出しいどむつもり ←こういうのは内に秘めて口には出さないもんだ


とにかく >>89の発言を見た以上、少なくてもワシはこのスレは荒さんよ
つうか最初から荒らしたことは無いけどね

92 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:59:40
>>84 
たしかに「ドン来い♪」は九州説が多かったからスレ主を叩いて閉鎖させる
畿内説の陰ry)・・・キバヤシ・・・

ということは置いといて、プさんが、>>1でこれまでの「ドン来い♪」の流れを切って、
<『魏志倭人伝』等を読む』、『邪馬台国はどこですか』の後継スレ>に指定したから、
多くの住民は書けなくなってしまった感もある。

>>89 で解決!ということにして

元のスレ趣旨で立て直して、クマーのAA貼ったら良いんじゃないの。
あとは流れにまかせるしかなかろう。

93 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:00:40
>>89
待ってました
さすがプラムさん
やっぱプラムさんがいないと盛り上がらないよ

94 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:01:42
>>92
    ×  >>84
    ○  >>88

95 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:01:53
プラムを叩いたヤシは反省汁。

96 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:03:15
プラムはやっぱり人気者デスね。僕にはかなわないです。
スレ主だし僕は大歓迎です。

97 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:05:55
これでプラムプラム ◆TOfHBAKZgMに粘着した気持ち悪い人間もいなくなるであろう
本当は頭をさげる必要がないのに、立派な態度と感服する。
頭をさげる必要があるのは、粘着あらしなのに…

98 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:08:31
puは今回も勇気ある大人の対応をしたな。
俺は見直した。ホカにも見直した人はおおいんジャマイカ。

99 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:11:22
初めてカキコします。
プラムさんがいなくなってどうなることかと心配しましたが、これで一件落着ですね。
これからはあげあしを取るよおな事はやめて欲しいなー☆

100 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:15:00
まぁとにかく復帰歓迎派はこれでOK

反対派&叩き派は、しばし静観しといてくれればありがたい

101 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:16:19
やっぱりプラムさんが正しくて叩いていたのはアラシなんだね。
これからプラムさんに刃向かうやつはみんなでスルーを徹底しよう

102 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:19:54
>>89

>ここで私が全てを認めることでスレが今後荒れないのなら


【今回はまいった】と認める また根拠見つけ出しいどむつもり


これでいいか

立派だ。男気を見たぞ。


>>90
全く同意だ。
>>91
空気嫁。
>>93
そうだ。彼の漢字の知識は尊重すべきだからな。
>>95
今頃反省してるさ。
>>97
私もあの粘着は気持ち悪かった。プラムさんが帰ってきた以上もうこないだろう。
>>98
おれも見直した。
>>99
あげあしはイクナイ。そのせいでこのスレが荒らされた。


103 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:21:46
プラムさんに反対意見をいうのは禁止にしたらどうでしょうか
そうすれば荒れませんが。

104 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:24:07
おまいらほめ殺しもいいかげんにしとけよw

105 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:24:15
おっプラム、戻ってきたのか
ありがとう
漏れはプラム叩きの神経がわからん
スレ主を追い出してどうする
引き留めるのが普通

106 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:25:00
っていうか、プラムさん以外はレスもROMも禁止にすれば荒れなくていいよ。

107 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:26:20
>>103
プラム先生さえよければ、その方がいいと思う。漢籍を語らせたら右に出るものはイネーし。
おまえらもそう思うだろ?

108 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:28:48
プラムさんって気軽に呼ぶのはいかがなものか。
敬意をもってプラム ◆TOfHBAKZgM先生と呼ぶのが礼儀だ。

109 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:30:56
プラム ◆TOfHBAKZgM先生ハ神聖ニシテ侵スバカラズ

とテンプレに明記するべきだな

110 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:31:33
心底嫌われてるな、ぷ
なんか哀れだ・・・



111 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/12(月) 23:32:42
皆さん勝手な振る舞いにて迷惑かけて申し訳ないです。

>>106
それが正解かも

後はなるべく荒れないように書き込み自由にしてくれ
ここには畿内説も九州説も無い ただの拘り連中だけだ

後はまかせます。  では

112 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:34:30
>>111
この一文を見れば、みな文句はあるまい?
オレは反対派だったが今回は歓迎派にまわる

113 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/12(月) 23:35:25
>>110

これでいいんだよ  だから戻ってきたんだ

114 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:36:31
>>8
プラムに間違いがあると何故断言できますか?
>>11
いつ放りだしたか、証明できますか?
>>13
名無しが何を言っても無駄。
>根拠のないプライドに拘って明確な誤りを素直に訂正できないようでは駄目だと、
幼児の頃から散々言われているだろ?
プライドに根拠は不要。それにそもそも君は幼児の頃のプラム◆TOfHBAKZgMをしらないでしょう。


115 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:37:43
>>89 >>111  

  キラキラ
 +   +      プラムさん、見直しますた。
|  +  +
|" ̄ ゙゙̄`∩  + キラキラ
|      ヽ +  +  +
|●   ● i'゙ ゙゙゙̄`''、+
| (_●_)  ミ     ヾつ +
| ヽノ  ノ●   ● i
{ヽ,__   )´(_●_) `,ミ


116 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:40:11
プラムさん芹澤鴨みたいなみごとな最後でした。

117 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:41:40
これはいくらなんでも酷いな
>>93以降は単なるいじめだ
それ以前に叩いていた奴らとは明らかに別系統の連中だ


118 :自治:2007/02/12(月) 23:43:06
荒れないためのテンプレを募集します。
次スレの>>1に明記して絶対的効力を持たせます。
確定した暁にはその時点で現スレにも適用します。
さあ、みなさん真面目に案を出して下さい。

119 :自治 ◆6md9t.4fsY :2007/02/12(月) 23:48:51
トリつけます。いたって本気です。
責任ある発言を望みます。
特にコテの方の本音を取り入れたいと考えます。

従来の
『魏志倭人伝』等を読む
『邪馬台国はどこですか』
の 後継スレとして存続させるか否か

この際よろしくお願い

120 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 00:11:45
>>114
自分を誤魔化しても他人の目は誤魔化せない。

121 :自治 ◆6md9t.4fsY :2007/02/13(火) 00:21:12
プラム ◆TOfHBAKZgM      九州出身
神奈川県民          太国
一応九州王朝説        恵也 ◆o4NEPA8feA
サガミハラハラ        九州ですが◆uZFVMLIhZI
征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE   愛知県民
奴国 ◆BdeghU15Mk      SOY
橿原一派 ◆6Zok7FAjsY    唐松山
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y 倭奴国
老教授
(敬称略、順不動)お名前が抜けた方失礼しました。

かつて日本史板の看板だった、伝統あるスレの後継スレが危機にさらされております。
ご協力お願い致します。
一貫して名無しを通されている方は名無しでの発言でもかまいません。
よろしくお願いいたします。

122 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 02:41:28
>>114
> >>8
> プラムに間違いがあると何故断言できますか?
> >>11
> いつ放りだしたか、証明できますか?
> >>13
> 名無しが何を言っても無駄。
> >根拠のないプライドに拘って明確な誤りを素直に訂正できないようでは駄目だと、
> 幼児の頃から散々言われているだろ?
> プライドに根拠は不要。それにそもそも君は幼児の頃のプラム◆TOfHBAKZgMをしらないでしょう。

こんなこと書いてるようじゃ、これまでと全く変らないままだろうね。
先ず、第一に相手のレスの主旨を全て読み違えてる又は意図して曲読している。
ここまで完璧に読み違えるのは天性のものかもしれんが・・・

123 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 09:04:31
定時_age

124 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 12:18:52
数ある煽り&釣りのなかで
きっちり>>114がプラムの自演だとバレバレなのに禿藁

125 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 13:15:45
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

126 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 14:29:48
>>124
自分で巻いた餌は自分で食べろw皆判っているから食いつかず無反応wプラム祭は夕べで終わり、皆さん二日酔い

127 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 14:58:05
まぁひとまずは鎮静化だろう

三足コピペ厨もスレが落ち着いたと判断したようだなww

128 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 15:31:56
テンプレ追加

多少荒れても浮き足立つな

129 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 18:19:37
>>119 >従来の『魏志倭人伝』等を読む『邪馬台国はどこですか』 の後継スレ

従来のスレにはそんな限定はなかった。
邪馬台国に関係するものは何でもOKで、むしろ、特定の議論に集中して煮詰まらない
ようにやってきた良さがあった。各人が興味のあるレスにコメすればいい。

「無駄レスはスルー。煽り、粘着禁止。」を従来の>>1のAAに書き加えれば良い。
クマのAAは必須。

>>121のうちの1人が記す。コテ無しで構わないので以下続けよう。

130 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/13(火) 18:41:45
『求む お知恵拝借』


『景初四年』の状況証拠にもなんとかメドがたち、次に『景初五年』の状況証拠作りを試みたく思い
つきましては、謎多き古代史解明の為、一人でも多く知恵を拝借致したく
ここにレス致した次第です。
何か情報が御ざいましたらレス宜しくです。
m(._.)m


では また……。

131 :自治 ◆6md9t.4fsY :2007/02/13(火) 18:47:09
>>128
>>129
ご提案ありがとうございます。

>>all
異議ありませんか?


132 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/13(火) 18:56:10
>>129 自治さん

ご迷惑かけます。


私は異存ありません。




尚、余り顔を出さないよう心がけますので では

133 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 19:14:45
異議なし。

あと個人的に提案

「個人への便乗攻撃禁止。小学生のイジメじゃあるまいし」

議論が白熱して喧嘩腰になるのも多少はやむを得ないと思います。
でも無関係な人間まで便乗するから荒れるのだと思います。

134 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 19:51:12
>>119
コテ禁止にしてほしい。
コテ同士の罵りあいとか見るに耐えない。
名無しなら無用な煽り、叩きが減るはず。

135 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 20:19:09
>>134
このスレだけなら構わない。
が、コテがあるとレスの連続性で内容が理解しやすい。
無駄レスを読まなくて済む。
コテ無しの方が匿名で言いたい放題。前スレのように。


136 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 20:29:23

つーかコイツだろ>>134

137 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 20:30:08
>>131
テンプレ こんなんどうでしょう。

説は否定しても人格は否定するな。

議論の末に自説を翻すのは恥ではない。
自説には潔く、他人は揶揄しない。

138 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 20:49:56
>>135
このスレだけの事を言っている。
またアンカーレスつけることによって連続性はある程度解消される

>>137
>説は否定しても人格は否定するな。

それを有効にする手段の一つがコテの禁止

139 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 21:13:58
先ずはオマエが荒らした事を謝罪する所から始めろよ

140 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 21:17:32
>>122
> 先ず、第一に相手のレスの主旨を全て読み違えてる又は意図して曲読している。
根拠のないプライドに凝り固まって、自らの誤りを素直に認めて素直に訂正することができない
性格異常者に、自らの誤りを認めるのにつながってしまう以前の段階で話をねじ曲げて、
結果として自らの誤りを認めないで済むように仕向けようとする異常な習癖を持った者が多い。

141 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 21:29:59
コテ叩きで荒らし捲くってた張本人が、名無しなら無用な叩きが減る筈とか言い出す始末
こんな卑怯な奴は久しぶりに見るわ

こっちはオマエが荒らし捲くってるのを我慢して黙って来たけど
フザケンナよオマエ

何オマエみたいのが一般人ヅラしといて話の主導権取ろうとしてんだよ

142 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 21:34:43
良識ある言動をしましょう。

この一言でよいかも。それを守れないなら荒らし。

143 :自治 ◆6md9t.4fsY :2007/02/13(火) 22:14:04
テンプレ作成議論への参加ありがとうございます。
今現在、出た案を列記しておきます。
休日のみの参加者もいると思われますので、次の土日を越えたあたりでまとまればと。

第一案
>>129(邪馬台国に関してはなんでもあり)
を骨子に>>128を添付
>>133を添付)

第二案
>>142(テンプレは良識を訴える一言のみ)

A案
>>134(コテの禁止)
反論あり(>>141

甲案
>>137(議論の心掛け)
今のところ反論なし

144 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 22:42:16
誰かが書いてたけど「論には論を以て制する」
議論の応酬で成り立つこのスレには大切な事かと思う

コテ禁止に関しては私は反対だ
禁止したとこで煽りが無くなるとは思えないからね

最初はテンプレであまり細かく規制せず、目に余るような問題が出てきた時に手を入れていく方が良い気がする

145 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 22:52:44
主観対主観なら荒れないが、そこに異質が入れば間違いなく荒れる

146 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 00:16:03
俺は数多くの主観的な意見より、たった一つの客観的な意見を求める。
未熟な意見でも良い、少し強引過ぎる意見でも良い。前向きな客観性を求める意見なら大歓迎だ
俺はそんな議論を望みたい。

下がるとレスを読むことが出来ないので上げる

147 :老教授 ◆DaLsTNW7DE :2007/02/14(水) 08:26:42
これは”あえて”言うのですが・・・

コテハンのほとんどは”荒れる”事をわかっていながら罵倒を繰り返していたように見えます。
そこには荒らしを排除する雰囲気も、正常化しようとする意図もまったく見受けられませんでした。
議論の応酬ではなく、むしろ罵倒合戦を楽しんでいるかそれを望んでいるかのようでもありましたよね。
煽りにはレスしないなんてのは基本中の基本のはずなのに、ごていねいにひとつひとつに反応レスを返す様に多くの住民はため息をついたと思います。
本気で正常化や議論を望むのならそういう類は一切無視するべきであり、現にどこでもそうやってスレ維持しています。
今後はそれを大いに反省した上で参加されれば良いのではと考えます。
自ら荒らしを呼び込むような挑発は慎みましょうよ。
>>121で意見を求められたコテハンの一人から、僭越ながら申し上げます。


148 :老教授 ◆DaLsTNW7DE :2007/02/14(水) 08:39:11
荒れる状態を防ぐ手立てはいくつか確立されています。
まず「よくある質問」の如くQ&A集を作成し、それを伴ったスレ立てを行うことです。
またコテハン参加の場合は、自説を2〜3レスに纏めたセルフテンプレを作成し
それを冒頭に各自が貼り付けることがループを防ぐ最良の方法でもあります。
出来ますれば今からでも実行していただければ、議論の場として正常に機能し始めるかと考えます。

この一週間ほど成り行きをじっと息を潜めて見つめながら、上記を思った次第です。
あくまで”正常な議論”をお望みならですが、ならば出来る限りのお手伝いはさせていただく所存です。

149 :老教授 ◆DaLsTNW7DE :2007/02/14(水) 08:46:09
ところで「マキムク」スレに書き込むにはどうすれば良いのでしょうか(汗)
いつ見ても「人大杉」で見ることさえままならないのですよ。
いくつか宿題をいただいておりますので、そのお答えをさせていただきたいのですが・・・。

150 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 09:20:09
>>149
http://www.monazilla.org/

から好きな専用ブラウザを選んでインストロールする。


151 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 09:21:15
>>老教授 ◆DaLsTNW7DE さんへ
Live2chなどの専用ブラウザをお使いでしょうか?
もし使用されていないので有れば、使用をおすすめします。Live2chなら http://www8.plala.or.jp/uro/live2ch/ で、配布されています。
専用ブラウザは、サーバーの負担が減らせるので、人大杉の影響を受けなくなります。

152 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 09:47:50
>>147
>>148
老教授も馬鹿に燃料注がない方向で放置してた側なんだから
今更>〜もまったく見受けられませんでした<だのオレは高見の見物でしただの言ってんなよ

153 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 10:33:57
『邪馬台国ドンと来い』一見なんでも有りの様に見えてしまいがち、でも最低ルールとして『原文を弄らない』これを守ってほしい。これをルールとし、提示します。

154 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 12:58:10
>>152
少しは協調して下さい。
スレの正常化に向けて意見をかわしていけないのですか?
建設的な発言をお願いします。

155 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 13:20:05
>>147
>コテハンのほとんどは”荒れる”事をわかっていながら罵倒を繰り返していたように見えます。

罵倒の大半は1、2名と推測される名無しですが・・・
むしろ、コテを付けることは名無しでの罵倒を抑制する要因ではないかと思います。

156 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 13:56:00
この際だから事実関係に付いてはハッキリさせてやるって言ってんだよ

157 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 14:39:11
なに?ずっとこのまま自治って、時を過ごそうとしているワケ。
そろそろ始めましょうぞ!

158 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 15:07:49
ある〇〇説では(歴韓国)の文を利用し、韓国内陸を徒歩にて釜山に向かおうと唱えるが、いかがなものか?
ここには水行とは書かれているものの陸行の文字はまだ発掘されていない。
それでもどうしても〇〇説では歩きたいらしい?

159 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:10:04
素人の自説

邪馬台国の卑弥呼は天皇の祖先ではない。
祖先であるなら、記紀に「男王→女王→男王→女王」の系譜があるべき。
神功皇后を賞賛する記紀が、それら女傑を無視するはずがない。

つまり、卑弥呼もイヨ(トヨ)も天皇の祖先には存在しない。
別の家系ならば記述する必要がない。

邪馬台国は、魏に朝貢したのち第三国によって滅ぼされ
系譜も伝承も散逸してしまった幻の王国。
それら、諸侯の攻伐のトーナメントを勝ち上がったのが現在の天皇家。

優勝チームが、地区予選で敗退したチームを知らないのは自然。

160 :素人自説つづき:2007/02/14(水) 16:23:25
歴代天皇の一部に創作があると仮定する。
ついでに神武=祟神と仮定する。
創作を省いた天皇系図は以下となる。

神武(祟神)
垂仁
応神
履中3兄弟
安康
雄略

継体
欽明
敏達
用明

計12代。
平均15年在位とすれば180年。
およそ西暦400年ごろに大王政権が成立した事となる。
卑弥呼が遣使する150年ぐらい前の話。

そうなると、天皇家が邪馬台国の繁栄と無関係な可能性が出てくる。

反論お待ちしてます。

161 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:48:30
乱のあいだ、議論が止まってた話題の一部を整理しました。
1.
プラムさんの壹與が人名ではないという説は、その根拠とした十八件の検索結果は
根拠にならないことはわかりましたが、人名か人名でないかは、決着は付いていません。
2.
前スレ835さんの卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命という主張にたいして、
846さんが倭迹迹日百襲媛命は巫女と記録されていて女王じゃないと反論。
847でプラムさんが、当時「女王」の概念は大陸側に有り、列島側にそのような概念が存在しなかった、とレス。
その後、数回レスが行き交い、前スレ940の女王は日本の概念ではというレスがついて、
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命かどうかの議論はサスペンドになっています。
>>159,160に関連しますね。
3、
女王の概念が大陸か日本かという議論は、女王の概念という言葉が不適当だったため、
議論が行き違ったのではないかと思われます。以下、想像だがプラムさんは、
  当時「女王」という言葉は大陸の言語であり、
  日本側に女性統治者を「女王」という外国語で呼ぶ習慣が無かった。
という意味のことが言いたかったのかもしれない。
これはプラムさんに聞かないと解らないのでコメントを聞いてみたいけど、
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命かどうかの議論の枝葉末節なので、とくに追求する必要もないかな。

162 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:58:53
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

163 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:04:30
中国側から見たら、モモソヒメって
女王にしか見えなかったんじゃないのか?
何故なら、モモソヒメが巫女で、最初に神のお告げを聞いて
それを大王が聞いて政治に生かしたんでしょう?

中国側の価値観からいったら、最初にお告げを聞く巫女こそ
天に最も近い天子(皇帝)そのものじゃん。

そもそも、その当時、律令制国家の中国と
原始的な神権政治をやっている日本とでは
皇帝や王に対する概念も大きく違っていたでしょう。

中国側から見れば、最も高いところで指令を出しているのは
巫女だったモモソヒメだったわけで。モモソヒメ=女王だと思ったんだろう?

むろん、だからといって、モモソヒメが卑弥呼かどうかは分からん。
ただし、当時、寿命が短かった時代において
高齢で長い間、政治の実権の近くに長い間いた女性って
記紀ではモモソヒメ、魏志では卑弥呼しかおらんわけで。
これだけ、共通点の多い両者はいない。
一族に近いと思われる人物の乱の直後に急死するとこなんかも
卑弥呼とモモソヒメはそっくりなんだし。

164 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:19:07
>>159>>160 反論希望ということなので反論します。

>邪馬台国は、魏に朝貢したのち第三国によって滅ぼされ
系譜も伝承も散逸してしまった幻の王国。
それら、諸侯の攻伐のトーナメントを勝ち上がったのが現在の天皇家。

邪馬台国は第三国に滅ぼされたという事ですが、その第三国とはいったいどの場所にあった国なのでしょう?
その国の名称は?現在邪馬台国の比定地は確定していませんし、邪馬台国VS第三国の構図は邪馬台国の名称だけ知れてる事となり
その他の情報は謎のまま それなのに滅ぼされたと考えられるとは いささか短慮ではありませんでしょうか?
邪馬台国が滅ぼされた上で成り立つ貴方の考えは、根底の部分で曖昧ですので、以降の考えも自ずと曖昧である事が導かれます。
すくなくとも、邪馬台国を滅ぼしたという第三国の名称はともかく位置程度の確定ぐらいは出してください。
邪馬台国が九州で、特定された第三国が北海道では話になりませんので。
宜しくお願いします。

165 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:20:46
>>163
北九州の強大な勢力が制海権を掌握している時代に
畿内の原始部族に中国人が会いに行くわけないだろ
妄想にしても、ひどすぎる。


166 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:24:39
>>163
>中国側の価値観からいったら、最初にお告げを聞く巫女こそ
天に最も近い天子(皇帝)そのものじゃん。

それは考えられません。天の子は中国皇帝だけ、天子は一人だけ、その他は臣です。

167 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:28:53
>>165
>北九州の強大な勢力が制海権を掌握している時代に
畿内の原始部族に中国人が会いに行くわけないだろ
妄想にしても、ひどすぎる。

中国人が会いに行くわけがないとする理由は?
その事はどの書のどのあたりを読めば判りますか?

168 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:43:41
農耕社会に、先進国も後進国も無いだろう?
だいたい、畿内から、後漢の鏡とか
多く出土しているのに。

169 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:44:42
農耕社会に、先進国も後進国も無いだろう?
だいたい、畿内から、後漢の鏡とか
多く出土しているのに。

170 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:53:34
>>163
周の武王の時代、兄が武王で弟が周公但だったんだけど、
書経に弟の周公の方がシャーマンだったっぽい記述がある。
漢の皇帝も、方士(霊能者)を沢山抱えて、神仙に取り次いでくれと命令していた。
天子は天の子だけど、シャーマンじゃなくて、
王権とシャーマンの権威は、はっきり区別して認識されていた。
だから、お告げを聞くからという理由だけで巫女=王とは考えないだろう。
モモソヒメ=女王と考えたのなら、他に理由があるはず。と思う。

171 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:55:18
>>165>>167の質問では曖昧ですので、改めて


>北九州の強大な勢力が制海権…


制海権を持っていたとする理由は?当時制海権なるものが存在していたのでしょうか?


>畿内の原始部族


当時、畿内を原始部族と位置付ける時、北九州と畿内では生活レベル、支配レベルにどのような格差が見られたと考えているのでしょうか?

172 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:56:46
当時の日本人が朝鮮半島や大陸に往来するためには、壱岐や対馬は
しっかりと抑えておかなくてはならない。邪馬台国は実際に支配している。
仮に、邪馬台国が畿内にあったとすれば、北九州も同じで、完全に
掌握していなくてはならない。そうでなかったら、すぐ近くの
北九州にすぐに奪われてしまって、自由に帯方郡などには行けなくなる。
同じく、瀬戸内海沿岸も抑えておく必要がある。背後の東海・北陸も同じ。

そうなると、5世紀の武の上表文から考えると、少なくとも、100カ国は
支配していなくてはならない。しかし、邪馬台国連合は29カ国。

すでに、3世紀に壱岐や対馬を支配しているところ、また支配する国の数から
邪馬台国連合は九州と考えられる。

173 :160:2007/02/14(水) 17:57:19
>>164
ありがとうございます。
そこを突かれると返答に窮するのですが…

有力候補はクナ国でしょうか?
個人的には邪馬台国=宮崎、クナ国=熊本とみていますが
根拠のないカンですので…

むしろ、その第三国が特定できていたならば邪馬台国論争は終息してます。
現段階では邪馬台国≠ヤマトとしておいて
第三国はこれから少しじつ絞っていきたいと思います。

174 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:07:46
>>173 頑張って下さい。


参考史料として(隋書倭国伝)の一部を提示しておきます。


都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也

この一文を一文字一文字丁寧に辞書で引きながら和訳してみて下さい。
貴方の今後の考えにきっと役にたつと考えます。


頑張って下さい。

175 :一応九州王朝説:2007/02/14(水) 18:15:59
>>147

>コテハンのほとんどは”荒れる”事をわかっていながら罵倒を繰り返していたように見えます

>議論の応酬ではなく、むしろ罵倒合戦を楽しんでいるかそれを望んでいるかのようでもありましたよね

確かに言い過ぎの所もあったかもしれませんが、別に煽るつもりもましてや罵倒など
した覚えはありません。コテのだれがそんなことしてましたか??
逆に、これだけ2ch歴も長いプラムさんが以外にシャイだったんだな、と。こんなの荒
らしでもなんでもない、2ch的には。

以前から続くプラム氏への酷いコピペは、私も許せないと思いますし、それへのコメン
トも書いてきたつもりです。正直、あそこまで酷いと十分に訴訟の対象になるでしょうね。
まあ相手はひろゆきですがw その時はもし証人として必要ならば私は応じる用意もあ
ります。自分があんな酷い攻撃のターゲットにされたらやっぱりたまりませんよ。

ただ、今回の「イヨ」問題については、一部名無しさんの荒らし以外は、ああいう進行を
取らざるを得ない部分もあった。そんなに無茶なこともなかった。私自身は、用例につ
いての詳しい検証があれば、と言いましたが、教授がどのようなスタンスだったのかは、
さて。
或いは、18の用例について提示してくれた名無しさんが教授だったのかもしれません
が。


176 :160:2007/02/14(水) 18:18:32
>>174
知ってますよ。手元に佐伯有清氏の著書もありますし。

ただ、その隋書の作者が魏の時代の人間なはずもありません。
同じ音韻の「ヤマト」同じ民族の「倭人」などから連想しただけの可能性もあります。
その一文を金科玉条とするのは早計かと思います。

177 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:18:54
>>172

そうだろうか?


これは晋書宣帝紀の一文だが『正始元年春正月東倭重譯納貢』と、
これは三少帝に対する御祝納貢行為、しかも九州勢力とは異なる勢力からと(東倭)の文字から読み取れる。

178 :一応九州王朝説:2007/02/14(水) 18:26:01
スレ主のプラムさん自身がそう望んでいるならともかく、勝手に
隔離スレだの名無し専用だのいわれてもプラム氏自身も面白く
はないと思いますがね。
まあ>>62はワロタwですが、実際その通りではありました。その意
味では、別にプラム氏がスレ主というわけでもないんですがね。

ただ、ひとつ付け加えれば、荒れに荒れていた頃、コテをつけて
議論に責任と継続性を持たせようとしたことで、教授や九州大好
き、その他の人たちのコテが始まったわけです。名前で立場を表
明しようということで。

わたしとしては、プラム氏自身もその小さな問題についての瑕疵も
認められていることですし、現状でかまいません。>>144同様、私も
テンプレの細分化はあまりいい結果にはならないでしょう。まあお題
目みたいなもんですがねw むしろコテ推奨とかつていろんなスレで
行っていたことをすれば荒らしは確実に減ります。名無しさんをNG
アボーンも出来ますしw

179 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:34:20
>>159
地区予選で敗退したチームじゃなくて、直接対戦したんです。
相手が対中国的に名の通ったチームだと知っていたんですよ。知っていて
その名を頂戴したんです。タケルじゃないよw

ヤマト。


180 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:34:54
>>176

それを言い出したらキリが有りません。
時代史はその時代が終了しないと書くことが出来ないと言う特性が有りますし、『金科玉条』とする訳では有りませんが、その史書を最大の史料とし、検証するより手だてが無いのです。細かく検証、校勘をしていく訳にもいきませんし……
少なくとも、魏徴は我々よりも恵まれた才能と環境に有った事だけは確かでしょうし。

181 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 19:01:11
>>173
そういえば熊本の松橋・城南は昔からの稲作地ですねぇ
んでこの地区から宮崎の高千穂に至る九州横断ルートが、鎌倉時代にはすでにあったはず

182 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 19:05:18
>>176


『都於邪靡堆』
私は魏徴が何故『都』と改めて書いたか?何故『邪靡堆』の文字を選択したか?その引き合いに、過去記事の無い『邪馬臺者』を登場させたのかという疑問を
以前抱いた為です。

佐伯氏はその辺り、どのようなコメントをしているでしょうか?

183 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 19:23:17
>>178
もう その辺で

184 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/14(水) 20:20:30
>>175
なになになに?なにがあったの?
忙しかったからあまりは入れなくて事情がよめないんだけど。

185 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/14(水) 20:32:28
邪靡堆と書いた事からも、やはりヤマタイという呼び名が妥当でしょう。
ヤマイーと言う謂いは根拠も無ければ、それに当たる想定地も無いから。

186 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 21:20:22
>>185

>邪靡堆と書いた事からも、やはりヤマタイという呼び名が妥当でしょう。
ヤマイーと言う謂いは根拠も無ければ、それに当たる想定地も無いから。


ほんとにそれだけで判断していいのですか?

後漢書倭伝(註文)

案 : 今名邪摩(惟)[堆],音之訛也 .(今名を案ずるに、邪摩(惟)[堆]の音を之に訛える)


これでも(ヤマタイ)一本で押し通しますか?

187 :自治 ◆6md9t.4fsY :2007/02/14(水) 22:13:36
テンプレ作成議論への参加ありがとうございます。
今現在、出た案を列記しておきます。
休日のみの参加者もいると思われますので、次の土日を越えたあたりでまとまればと。

第一案
>>129(邪馬台国に関してはなんでもあり)
を骨子に128を添付(133を添付)
賛同意見(132)

第二案
>>142(テンプレは良識を訴える一言のみ)

第三案
>>153(原文を弄らない)

A案
>>134(コテの禁止)
賛同意見あり(135)
反論あり(141,144,155,175,178)

甲案
>>137(議論の心掛け)
賛同意見(144)
今のところ反論なし

乙案
>>147-8(議論の心掛けと運営手法)

188 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:21:18
>>180
>その史書を最大の史料とし、検証するより手だてが無いのです。

文献は重視すべきだと思いますね。
でも、文献もたくさんある。三国志の倭人伝も重要。

189 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/14(水) 22:25:35
>>186
いいんじゃないんですか。

190 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:32:23
史料そのものが検証の対象であることをお忘れなく。

191 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:45:42
>>186
185ではないですが、その読みは違いますよ。

案 : 今名邪摩(惟)[堆],音之訛也 .
案ずるに、今 邪摩堆と名づくるは、音の訛なり。
邪馬臺國が正しくて、今(この注が書かれた当時、多分唐)邪摩堆と言っているのは音がなまったものだ。

ちなみに、(惟)[堆] は、中華書局標点本の底本である紹興本に惟とあるのを、
校勘作業の結果、他の本で堆に改めたということです。
ピンインだと臺はtaiで堆はduiですが、辞書によっては韻もちがうようです。

192 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:49:26
>>190

>史料そのものが検証の対象であることをお忘れなく

当然の事かと。しかし、今ここで校勘する訳にはいきませんのでこのまま弄らず続行すべきかと

193 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:58:48
>>191

>案 : 今名邪摩(惟)[堆],音之訛也 .
案ずるに、今 邪摩堆と名づくるは、音の訛なり。
邪馬臺國が正しくて、今(この注が書かれた当時、多分唐)邪摩堆と言っているのは音がなまったものだ。

ちなみに、(惟)[堆] は、中華書局標点本の底本である紹興本に惟とあるのを、
校勘作業の結果、他の本で堆に改めたということです。
ピンインだと臺はtaiで堆はduiですが、辞書によっては韻もちがうようです。


その事は存じ上げています。
しかし、校勘作業の結果とはいえその校勘自体完全な作業ではなかったということで《(惟)[堆]》と今だ惟の文字は消えることなくのこっているわけです。
だから、あくまでここでは弄らないを基本としたいのです。
書かれているものをその通りに

和訳感謝します。  

194 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:05:53
>>186ですが、あくまでも註訳文ですので 用例としては使えないのも事実かと
このような議論もあるという事で   参考までに

195 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:15:40
陳寿は、他の書物には「臺」書かれているのを、だいたい「壹」に換えて?
いるわけだけど、(たとえば、邪馬臺国を邪馬壹国)ひとつだけ「臺」
のままの部分がある。
それは倭人伝の一番最後にある「因詣臺」のところ。
つまり、「中国の都である臺に詣でて」ということで、臺(台)というのは、
都を表している。となると、邪馬台国というのは、都という意味が
もともと含まれているのかもしれない。

196 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:18:06
>>193
> しかし、校勘作業の結果とはいえその校勘自体完全な作業ではなかったということで《(惟)[堆]》と今> だ惟の文字は消えることなくのこっているわけです。
元の字を残しているのは、底本に何と書いてあるかを明示する目的なのに、何故に、
「その校勘自体完全な作業ではなかった」結果であるかのように歪曲しようとするのか?


197 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:21:46
>>195

>邪馬台国というのは、都という意味が
もともと含まれているのかもしれない。


いい読みしていますね

でも、
>陳寿は、他の書物には「臺」書かれているのを、だいたい「壹」に換えて?

ここの解釈は違うのでは? 陳寿が先行史料ですから

198 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:28:29
「校勘」をされると困るみたいな香具師が一匹混じってるな

199 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:32:42
>>197
陳寿のほうが年代的には先行していて、たとえば范曄のほうはずっと
あとになるわけだけど、三国志と後漢書では明らかに違って部分があるわけ
です。三国志という先行資料があり、それを参考にしているはずなのに、
違っている部分があるし、三国志には書かれていないもので、のちの
後漢書には書かれているものもある。

これは、別の資料があったのではないか。陳寿も范曄も似たような
資料をもとに書いたのではないかと考えられるわけです。

先行資料がありながら、違うものをあえて書いたものの方がかえって
信頼性が高いかもしれない。

200 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:41:18
>>196


>歪曲しようとするのか

歪曲などとはトンでもない


>>198

「校勘」をされると困るみたいな香具師が一匹混じってるな

全然困りませんので気がすむまで「校勘」してください。

私はあくまで(紹興本、紹煕本)を元にするだけですから

>>196
>>193のレスは誤解を招くゆえ取り消します。


201 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:43:05
>>195
陳寿も范曄も本人が書いたものは存在しない。
たしか最も古い写本で紀元1000年以降のはず。
写本が繰り返されるうちに混入した誤字かどうかの区別は?


202 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:48:44
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
(中略)
お前は本当に紹興本、紹煕本だけでいいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、『邪馬壹が正しい』って言いたいだけちゃうんかと。
(後略)

203 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:52:42
>>199
何らかの理由で現在は失われている資料も存在したと考えるのが妥当でしょうね。
現存していても墳墓とかに埋もれていて日の目を見ていない「新資料」もありうるし。


204 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:52:57
>>200
あのー、話が進んでしまったようですが、せっかく書いたので貼っておきます。参考にしてください。

人がすることですから、完全な校勘はないですが、ここの校勘は、そんなに問題ではないでしょう。
魏徴の隋書と李賢のこの注が書かれたのは、ほぼ同じ時期です。
隋書に「都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也 .」あるので、唐のこの時代に邪靡堆と書かれ読まれているのは
邪馬臺のことだというのが、魏徴と李賢の共通の見解だったのです。
そのため李賢は後漢書の邪馬臺國に、いま邪靡堆と言っているのは音がなまったのだという注をつけたのです。
だから、ここは邪靡堆でなければおかしいのです。
一応、邪靡堆と邪靡惟の両方が使われていた可能性を考えてみても、
臺と堆は発音が似ている。臺と惟では発音が違う。堆と惟は字形が似ている。
ということからすれば、誤刻の可能性を考えるほうがはるかに自然です。
中華書局が《(惟)[堆]》と残したのは、採取審慎的態度という原則を貫いたためで、
この校勘が危うかったからではないと思います。

205 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:53:33
>>199

范曄の書いた後漢書は何時の時代に書かれ、何を参考にしようとも
その内容は(魏時未満)であり決して魏時や編纂者の生きた時代の様子を書けないのが
鉄則です。但し、陳寿は魏時より過去になる後漢時に触れる事は可能です。
其の辺りが後漢書と魏志のダブル部分ではないでしょうか?
陳寿の時代、当然先行史料となるべき後漢書は存在していなかった

(私見ですが)
范曄は多分、陳寿が「今」と記述した事に   ニンまりと



206 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:54:28
>>201
それは何とも言えないし、それを考え始めたら、何が正しいのか
わからなくなってしまう。
ただ、誤字ではないものもある。それは狗奴国についての部分。
後漢書では拘奴国となっているのだが。

後漢書では、「自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王」
となっていて、三国志の倭人伝では
「此女王境界所盡。其南有狗奴國、男子爲王」となっている。
この違いが何を意味するのか。

でも、後漢書の記述が取り上げられることはほとんどなかった。
もっぱら、倭人伝の記述でのみ狗奴国は議論の対象になった。
畿内説にとって都合の悪い記述だったということもあるのかもしれない。

207 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:58:45
>>201
現存する最古のものは誤刻が多いとされている刊本ですね。

> 写本が繰り返されるうちに混入した誤字かどうかの区別は?
そのために、他の資料と勘合する必要があるわけで、その結果、「壱」は「台」の誤りと
判明したりしているわけですな。

208 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:00:43
>>204
お疲れ様です。FAQですね。

209 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:01:00
>>204

>邪馬臺のことだというのが

正確には邪馬臺者  ここ間違わないでくれとっても大事な部分だから


それに、都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也
の部分は時期がきたらじっくり意見を述べたい  今はこの辺で、もっと時間を遡りますか?

210 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:02:23
>>209
> 正確には邪馬臺者  ここ間違わないでくれとっても大事な部分だから

して、そのココロは?

211 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:07:12
>>209
「所謂〜者」というのは定型句なので、「>邪馬臺のことだというのが」で問題ないと考えます。

212 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:07:40
>>210
つまり、移ったということじゃないのかな?

213 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:10:22
>>210

>して、そのココロは?

(都於邪靡堆)     今日はこの辺でご勘弁  疲れました〜。



214 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:11:25
>>207  そうその考え!
ある単語の文字にこだわるなら著作とその写本ごとの単語を列記する
のが最初にするべき作業ではないかと思ったわけです。

その上で、次に、どう考えても別系統の文字は何かという視点から
「一、台」、「堆」とを分ける。

別系統となれば別の時代に用いられていた当て字となるから、それを
参考にもう一方の系統の当て字の「発音」を推測できる。
それで「一」はダメだろうという推測が成り立つ。

というような方法論の応用はどうかということです。

215 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:12:46
>>213
わたしも疲れました〜。今日はこの辺にしときましょうね。

216 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:22:50
>>215おつかれ〜

217 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:29:58
卑弥呼は、モモソヒメだったんだね。



218 :一応九州王朝説:2007/02/15(木) 03:34:43
>>195
そうであるが故に、「臺」字を忌避した説の根拠にもなるわけで。
私はそっちの方がありそうな気がします。

堆と臺は音も意味も一致する字として使用されたので、陳寿が
そこまで明確に忌避する以上、逆にこの「臺」が自然地形でなく
>>195さんも言うように、王都の意味で使用されていた可能性も
あるのではないか?と。


219 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 07:45:18
>>218

>堆と臺は音も意味も一致する字として使用されたので…


音はともかく、文字は違いますから意味は当然違うでしょう。
あの部分は文字が違うからこそ重要な部分なのです。『都於邪靡堆』と、『都』の文字が文頭に有りますから、邪靡堆には(都)の意味合いが含まれない事が解ります。
そういう事ではないでしょうか?

220 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 08:00:25
邪馬臺者は元来邪馬臺と言われる場所に住まうからこそ邪馬臺者
それをワザワザ改めて
時代の離れた隋書に書き連ねる可き者では有りません。
邪靡堆を支配する者が邪馬臺者で有ることが重要なのではないでしょうか?
邪靡堆を治める者は普通、邪馬臺者ではなく邪靡堆者どすから

221 :阿蘇山は移動した:2007/02/15(木) 12:24:33
魏志に奴国の東の海岸、不彌国から南へ行くと邪馬台国。なら、宮崎市
説は、可能性が高い。確かに宮崎の東は海であるが、北部には、中国地方、
四国などがあり、奈良より、記述に近い。
隋書は南北3月行。東西5月行で九州では無理。近畿から西が統一された
とかんがえらる。首都は奈良が無難。で隋書は600年ごろで、邪馬台国
は250年ごろ。600年の情報で邪馬台国を考えると、引用された文
ができる。この文から、邪馬台国近畿説を補強するには、魏志で矛盾が
ですぎる。結論決めて、あう文書を使うのは、いかがなものか?

222 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 12:42:07
>>221

>不彌國から南に行くと

行っちゃダメ
奴國、不彌國間は往復するだけ チャント書いて有るでしょう。

『東行不彌國』と
(不彌国へ行く、方角は東)と。

『東』は、行く方向でも有り、不彌国の有る方角でもある

223 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 15:46:14
素直にage

224 :阿蘇山は移動した:2007/02/15(木) 16:26:56
後漢に奴国が金印をもらってることは、後漢時代に近畿と中国が、交易
してないことを示すとともに、それ以前も交易してないことを意味する。
近畿には漢式鏡はないはず。あれば、それはイミテーションを意味する。
新井氏の論文のデーターから年号の入った鏡16枚のグラフをつくって
みたら、中国製は、赤鳥元年、7年、黄武元年、2年の4つだけである。
景初3年、4年、正初元年など日本製に分類された。

225 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 17:16:44
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

226 :阿蘇山は移動した:2007/02/15(木) 19:52:17
>>220
電波
>>225
あなたの家では、今でもそうでしょ。


227 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:12:16
>>226

>電波

そう結論付けた理由を述べて下さい。

228 :一応九州王朝説:2007/02/15(木) 20:17:51
>>219

なるほど、そう言われたらそうですね。「都於」がつくと、普通に国名の事に
読むのが普通となります。

とすれば、「堆」「臺」は「台のような土地」ということで確定でいいんでしょうか。
字が誤字だとしても、この間違いだと、「台のようになった土地・国」という情報
が同時に語り伝えられてきたという事になりますが。

漢字に詳しいプラム氏の出番かと思いますが・・・・・。出てきてくれないかな?

229 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:41:41
>>228

この場合、単に『臺、堆』の文字を比べるのではなく、『邪馬臺と邪靡堆』を比べる可きなのですが
しかし、判りやすいように『臺と堆』に限定してみます。

『臺』は後に新字(台)とされる様に
・高く盛り上がった様子を表します。

一方
『堆』は
訓、うずたかい
・「台」が盛り上がったに対し、盛り上がったモノがさらに幾重にも重なり合う様子を表します。


単純に、これが『臺』から『堆』への変化です。

230 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:47:17
>>227
倭人伝を中国語文として中国語の文法に則って読めば「>>220のようなことはありえない」。

英語文で「I hav ea book」とあったら、それは「I have a bookの書き間違い・誤植」と
判断するのが妥当であって、文法的に成り立ち得ないワケの分からないこじつけを
でっち上げる余地などないのと似たようなものですな。


231 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:52:58
>>228-229
そういう可能性もあると思いますが、そうすると、誰がどういう根拠で名付けたのか?とか、
「中国で漢字を割り振ってやった地名の類い」に地形を盛り込むことがあるのか?
という疑問も生じますね。

232 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 21:15:53
>>230

>中国語の文法に沿って読めば

一つお伺いしたいのですが?
中国の文法は 古代漢文と現代漢文では同じということでしょうか?

233 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 21:29:15
>>230

>「I have a book 」→「I hav ea book」

これは少し可笑しなたとえかでは?
漢字には一文字一文字に意味がありますが、貴方が例えた「hav」や「ea」にはどんな意味がありますか?

「have」は「have」で意味がある単語で、漢字で言うと一文字分です

「I have a book」を「Ia have book」と訳してますよと指摘されているならまだ判りますが?

234 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 21:33:04
>>228
プラム氏はすでに出てきているでしょう。
あの人の説は独特だからすぐにわかる。

235 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 21:35:11
>>231

>誰がどういう根拠で

大変ムズイ質問です。
当時史書を編纂者或いは、其の時参考にした資料を書いた官史ではないでしょうか?
そこまでの詳しい事情は、私にも判りませんし
後は主観的な考察以外は・・・・・・・。

236 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 21:36:23
>>228

それでは次に『邪馬臺』から『邪靡堆』への変化を見てみます。

過去後漢書等に登場する『邪馬臺國』の様子は
【使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。其大倭王居邪馬臺國】

『邪靡堆』の『邪』の文字は両方同じですので省略します。
そして(馬)の文字の代りに、魏徴先生は『靡』を
『靡』は
訓、なびく  たおれ伏す  従う  であり

『○靡堆』は  負けたモノが重なり高く という意味になり
<意味解釈は>
→支配地が広がる

『邪馬臺』の文字から『邪靡堆』の文字への変化で、魏時の支配領地から隋の時代には支配領地が拡大し
【都於邪靡堆】新たに広がった所に都を置いた事が読み取れるのです。



237 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 22:04:15
>>236
隋書倭国伝の「都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也.」を
「新たに広がった所(邪靡堆)に都を置いたのは、魏志邪馬臺と言っている者たちである。」
と読むということですか?

238 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 22:05:10
×魏志邪馬臺と言っている者たちである。
○魏志で邪馬臺と言っている者たちである。

239 :一応九州王朝説:2007/02/15(木) 22:11:12
>>234
ああ、なるほどw

そう言われてみれば、そのようですね。

240 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 22:21:07
>>237さん

こんな具合ですがどうでしょう?

【都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也】
(都は邪靡堆に、そこを治めるは魏志に言われる邪馬壹者である)

ここでオモロイのは
ワザワザ『都』と改めて記述している事で、その原因を(邪馬臺→邪靡堆)(ヤマタイ)の変化により表現している事です。
そして、邪馬臺の文字を残す事により、邪馬臺の時代から今日まで尚もその地には従来からの都が存在している事を同時に表現されていてます
邪馬臺はその勢力が拡大し、拡大された新たの場所にもう一つの都を置いた
それが、『都於邪靡堆』の文章です。(靡堆/従えし広がる)そこに都

241 :一応九州王朝説:2007/02/15(木) 22:48:38
では、こういうのも有りですかね。

「昔ヤマタイ国があった。今、それは拡大して、都の位置も変わり、
ヤマト国と言う。」
こうなれば面白いと思いますがね。


まあ、醒めたことを言えば、中国正史といえども、誤記の例も山ほど
あるんで、ほんとにその文字自体にどれほどの意味があるのか、と
思うのが正直な所。音さえあってればおkなんて思ってた気もする。
それは卑字もあったろうし、重要な問題については絶対間違えなかっ
たと思いますが。曹操とか李世民とか漢とか、なんて場合は。
でも、原語自体が違う外国の名前はその限りにあらず、って事でしょう。

実際、本によって推も惟も壹も一あって、なんだかなあって感じもするしw





242 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 22:51:19
”独自の見解氏”か”通説氏”のどちらか片方でいい、
お願いですからコテつけて下さい。普段使っているハンドルでもステハンでも結構です。
漢文が得意でない私は、どちらが通説か知ったうえで判断したく思うのですが。

243 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:02:27
>>241

>まあ、醒めたことを言えば・・・・・・・・

確かに其の意見は有りかとかんがえます。
でも、それ言い出したらキリ無いし それを考えた時点で邪馬台國を追う事を止めます。
私はただ、与えられたモノを消化していくだけです。
比べる事の出来ないほど、私より編纂者の方が優秀ですから・・・・


244 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:06:38
>>242

>漢文が得意でない私は、どちらが通説か知ったうえで判断したく思うのですが


ブッチャケお手本となる通説があれば、邪馬台国問題なんて存在しませんよ。

245 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:13:17
>>241

>「昔ヤマタイ国があった。今、それは拡大して、都の位置も変わり、
ヤマト国と言う。」
こうなれば面白いと思いますがね。


さあそれはどおでしょう? せめて旧唐書まで下った時点での考察かと
それに、「ヤマト」は(大和)であり(大倭)の方がしっくりきますし・・・
今の段階ではなんとも

246 :242:2007/02/15(木) 23:14:33
>>244
では>>230氏と>>233氏の発言がどれだかわかるようにしていただくと助かるのですが。
IDが出ない板に不慣れな者のわがままを、どうか聞いてはくださらんですか。

247 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:37:07
>>246 >>233本人です。 今日の私の発言は

219 220 222 227 229 232 233 235 236 240 243 245

以上です。

248 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:38:38
ただの当て字でしょ

249 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:38:41
気持ちの悪い出鱈目を並べる輩がいるから疲れますな。

250 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:39:44
>>233
ありもしない「新たな意味」を捏造しようとする点で同断ということですよ。

251 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:44:18
>>248

>ただの当て字でしょ

漢字には意味があります。文字を書いた時点で意思表示

252 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:46:04
どおやらスレが荒れそうな雲行きですので この辺で失礼します。

253 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:01:05
外国の言葉に漢字当てはめるだけにそこまで考えないでしょ。

254 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:01:34
魏徴というのは、7世紀の人ですよね。
聖徳太子が使いを送ったりした後で、都が大和であるのは明らかな時代。
だから、「其地勢東高西下」などという文章が出てくる。

しかし、一方で、「在會稽之東、與儋耳相近」というのも出てくる。
これは、倭人伝からそのままとったもので、大和の地理を知っていれば
出てこないだろうと思われる言葉。

三国志と隋書では、国の名前が微妙に違っているものがある。
たとえば、対馬国と都斯麻國など。つまり、魏の時代と唐の時代では
日本の国の名前に当てる字は異なっていた。
邪靡堆もその一つ。要するに、あまり詳しくない魏徴が気を利かせたつもり
で深い意味もなく書いたというのもありかもしれない。
白熱した議論の水を差すような、身もふたもない意見だけれども。

255 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:01:49
>>233さんの説が、全くの「独自な見解」です。
なんだかスレが荒れる原因になりそうで、ちょっとびびりぎみですが、
その誤りを以下に指摘します。
まず、漢文の読みの面から。
都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也
を普通に読めば、
邪靡堆に都す。則ち魏志の所謂(いわゆる)邪馬臺なる者なり。
邪靡堆に都を置いた。それはつまり魏志で言っている邪馬臺のことである。
「所謂〜者」は、漢文の定型句で、「邪馬臺の者たち」という意味にはなりません。
邪馬臺者を「邪馬臺の者たち」と取っている所に、根本的な読み誤りがあります。

次に、史書・注釈書の編纂当時の事情から。
隋書は唐の太宗・高宗の勅で、魏徴・長孫無忌によって編纂されました。
ウィキペディアによると列伝部分は魏徴によって636年に完成したそうです。
一方、後漢書の注を作った李賢は、675年に唐の高宗の皇太子に立てられました。
隋書の編纂と後漢書注の作成は、ほぼ40〜50年の間しかありません。
魏徴・長孫無忌・李賢は、みな朝廷に集う人々で、遠隔地で別々に編纂されたのでもありません。

256 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:02:49
>>255のつづき
そして、李賢は後漢書の「其大倭王居邪馬臺國」に
「案:今名邪摩堆,音之訛也.(案ずるに、今、邪摩堆と言っているのは、音がなまったものだ。)」
と注をつけています。
つまり、後漢書が編纂された時代に邪馬臺と言われていたものが、
音がなまって唐代には邪摩堆と呼ばれていると李賢は言っているわけです。
もし、>>236さんの言う、
>『邪馬臺』の文字から『邪靡堆』の文字への変化で、魏時の支配領地から隋の時代には支配領地が拡大し
>【都於邪靡堆】新たに広がった所に都を置いた事が読み取れるのです。
が正しいのならば、隋書を編纂した魏徴と時代・場所・間柄が近しく、
皇太子という朝廷の書庫を容易に使える立場にあり、その才能を則天武后に疎まれた李賢が、
その意味の変化を全く知らず、単なる音のなまりだとして後漢書の注をつくり、
1400年近く後の>>236さんが、始めてその秘められた意味を見出したということになります。
まあ、有り得ない話です。

257 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:06:41
>>255
>>256
ありがとうございました。よくわかりました。


258 :242:2007/02/16(金) 00:17:05
>>247
ご協力ありがとうございます。助かりました。
>>255
わかりやすい解説ありがとうございます。


259 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:22:22
>>255>>256

何故そこまで否定できるのに、肝心な部分(邪馬台国の謎)は霧中なのです?
それに、>>233では漢字の解釈を主体として説明しているのですから、その部分の否定も同時に行わなければ、片手落ちの否定にはなりませんか?

260 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:23:31
>>251
> 漢字には意味があります。文字を書いた時点で意思表示

間違ってます。
外国の国名や人名などは、単純に音を割り振るだけが通例なので、割り振られた文字の意味を
つなぎ合わせて「翻訳」しようとしたりするのは牽強付会の誹りを免れないです。

261 :阿蘇山は移動した:2007/02/16(金) 00:23:47
>>227
あなたは、意味わかりますか?
2つむだにつかった。

262 :橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/02/16(金) 00:26:13
>>259
つ学習

263 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:29:06
>>259
問い返す前に、「>>220は誤り」ということは理解できたのか、明示すること。

264 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:31:22
>>260

寝る前に

単純に割り振ったモノを教えて下さい。
尚、主観じゃ無い客観的なモノを

265 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:31:36
>>263
あれ? >>257=>>259ですか?

266 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:33:14
>>264
「単純に音を割り振った実例を1つたりとも知らない」ということですね?
明確な回答をどうぞ。

267 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:35:21
257は259ではありません。

268 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:36:48
>>267
そうですか。それなら>>263の回答をどうぞ。

269 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:37:45
>>262

ま、私の説は今の所
ブッチャケ

一対 百万ぐらいな勝負かな?
それでも敢えてガンバリまする。 逆に言えば百万相手でも このくらいはガンバレるほど 曖昧な部分が多く、従来の考えは隙だらけ

270 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:41:39
>>266

魏志倭人伝にそのような箇所ありましたか?

271 :橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/02/16(金) 00:41:50
>>269
分かりにくくてごめんなさい。
対応において同じ過ちをくりかえさないで欲しいという意味で「学習」をつかいました。


272 :267:2007/02/16(金) 00:46:14
>>268
267=257≠259です。
ちなみに「>>220は誤り」に異議なし。

273 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:51:53
一度に沢山質問されても困ります。 それに
私の説を否定した所で何も前に進まないし、
どおせまともに受け取る住人なんて居ませんから
正しい解釈を提示し、前に進んで下さい。

274 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:56:23
yesかnoかで問われたらまずそれに答える。
次に疑問があれば質問する。
そうすると議論がすすむ。


275 :橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/02/16(金) 01:02:10
>>273
次から「まともに受け取る住民がいるとは思えない説ですが」、
とか「質問に耐える説ではないですが」とか断ってから書き込むことも検討して下さい。


276 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:17:49
>>254

> 三国志と隋書では、国の名前が微妙に違っているものがある。
> たとえば、対馬国と都斯麻國など。つまり、魏の時代と唐の時代では
> 日本の国の名前に当てる字は異なっていた。
> 邪靡堆もその一つ。要するに、あまり詳しくない魏徴が気を利かせたつもり
> で深い意味もなく書いたというのもありかもしれない。

「つしま」と言う地名の日本語音、「対」「馬」と言う漢字の中国音、
それぞれ、3世紀と7世紀で全く同じと言うことは無いだろう。
「つしま」と言う日本語音を漢字で標記するのにその使用文字が
時代ごとに変っていても別段不思議なことでは無いよ。

277 :255:2007/02/16(金) 01:28:05
>>259
レスが遅くなってすみません。
>何故そこまで否定できるのに、肝心な部分(邪馬台国の謎)は霧中なのです?
出てきた説の間違いを指摘するのは比較的簡単ですが、
穴の無い新しい説を提出するのは、とても難しいからです。
だから、これだけ完全否定しても、けっして馬鹿にしているのではなく
説を提出するまでの努力は大変なものだったろうと推察しております。
ただ、間違っているものは間違っているというのが、
学問に対しても、努力して説を提出した人にも誠実なあり方だし、
それでこそ進歩があると思っています。

>>236さんが邪馬臺→邪靡堆の変化を漢字の解釈によって説明しようとしているのを否定したのではありません。
(こじつけっぽいなとは思っていますが、感想と論証は別ですから。)
それを証明しようとして隋書の記述を用いているのを間違いだと指摘しているのです。
第一に、漢文の文法的に、そう読めない。
第二に、李賢がそれを音の訛だと言っている以上、
魏徴もそう考えていたのでなければおかしい。
つまり、李賢・魏徴は邪馬臺→邪靡堆の変化について「音の訛」説に立つわけです。
だから、>>236さんが、音の訛ではないという説に立つならば、
隋書以外の文献なり出土文物によって証明しなければならないということです。

278 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:34:15
>>276

漢字は表記した時点で意味を成しますが
単純に、音に対する当て字だけと解釈出来る問題ではないと考えます。


(取るに足らない意見ですが)

279 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 02:19:46
だからたかが周辺のちっぽけな国を漢字表記するのにそこまで凝らないって。

280 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 02:33:24
>>270
> 魏志倭人伝にそのような箇所ありましたか?
当たり前でしょ。


281 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 02:40:58
三国志 魏志 東夷 鮮卑伝
鮮卑?日多,田畜射獵,不足給食。後檀石槐乃案行烏侯秦水,廣袤數百里,停不流,中有魚而不能得。
聞汗人善捕魚,於是檀石槐東?汗國,得千餘家,徙置烏侯秦水上,使捕魚以助糧。

後漢書 鮮卑伝
種?日多,田畜射獵不足給食,檀石槐乃自徇行,見烏集秦水廣從數百里,水停不流,其中有魚,不能得之。
聞倭人善網捕,於是東?倭人國,得千餘家,徙置秦水上。令捕魚以助糧食。


ちなみに汗と倭は同じ音でそのふたつが入れ替わった以外ほとんどおなじな文章

282 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 02:42:42
>>278
> 単純に、音に対する当て字だけと解釈出来る問題ではないと考えます。
ありもしない「意味」を捏造することをもって「解釈」とは呼ばない。

283 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 02:56:56
>>281
変わったフォントのせいか、一部が化けているみたいですね。これならどうかな?

三国志 魏志 東夷 鮮卑伝
鮮卑衆日多、田畜射獵、不足給食。後檀石槐乃案行烏侯秦水、廣袤數百里、停不流、中有魚而不能得。
聞汗人善捕魚、於是檀石槐東撃汗國、得千餘家、徙置烏侯秦水上、使捕魚以助糧。

後漢書 鮮卑伝
種衆日多、田畜射獵不足給食、檀石槐乃自徇行、見烏侯秦水廣從數百里、水停不流、其中有魚、不能得之。
聞倭人善網捕、於是東撃倭人國、得千餘家、徙置秦水上、令捕魚以助糧食。

>>281さん、そちらだといがかですか?

284 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 03:05:29
>283
>>281さん、そちらだといがかですか?」では意味不明ですね。

>>281さん、そちらが文案を書くときに使ったエディタとかで表示すると、本来とは違った字に
なってしまうとか、不自然な点などはありますか?」


285 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 03:07:19
隋代までの漢文は「省略の極致」を美しい文章としていた時期があるからなぁ
特に高貴な人物が目を通す事を前提に記してる書はこの傾向が強いし・・・
ホント、漢文は奥が深い

これを読み解こうと奮闘してるスレの住人達には頭が下がる思いだ

286 :一応九州王朝説:2007/02/16(金) 06:34:58
おはようございます。あれからも議論は続いていたようですねw


当時極東情勢は非常に重要な問題だったので、記述内容そのものに
誤りは少なかったと思います。でも、繰り返しますが、私も>>260さんと
同様の立場です。そんなに深い意味を見いだせるのかどうか。推、堆、
惟、臺、一、壹・・・。この部分だけでもこれだけの文字変化があるわけ
ですから。
馬の方も「摩」「魔」「靡」とありますよね。

ただ、このことで着目する必要があるのは、むしろ「訛った」の部分かと
思われます。それは、文献上で訛ったのか、それとも人が語り伝えてい
く中で訛ったのか。もし後者であれば、倭国、倭人や邪馬台国がそれな
りに人口に膾炙していたということも考えられます。どれほどの頻度で中
国社会に登場していたのか。
邪馬台国の後継国家が九州か畿内か、いずれにしても巫女を共立して
ようやく静まった時代より遥かに強大に成長していたはずの倭の五王時
代ですから、直接、間接にいろんな交流があったのか、それともなかった
のか。「遂に絶つ」なんてのもありますが。

287 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 07:39:20
>>277
ありがとうございます。

288 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 08:00:51
>>286
おはようございます。

漢字だけの国と、そうでない国とでは漢字に対する姿勢は自ずと違って来て当然ではないでしょうか?
擬音は別として
意味を持たない漢字表記が、漢字だけを使用している国に存在するとは考えられませんし(主観ですみません)、今だそれを見つけ出した事も私にはありません。

どおか、意味の無い漢字表記がありましたら 教えて下さい。 これは私の説の根底部分ですので宜しくお願いします。


m(._.)m

289 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:16:47
壁に書かれた


「夜露死苦」の文字

290 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 10:45:22
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

291 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 11:01:04
>>283
どうして汗と倭が入れ替わったのだろう。

292 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:32:56
>>277さん 昨晩の>>256のレスに対し二、三コメントします。

>後漢書が編纂された時代に邪馬臺と言われたものが音が訛って唐代には邪靡堆と呼ばれていると李賢は言っている

●編纂された時代ではなく、編纂された対象時代と私は認識しています。

●この李賢の註の対象は後世の漢人読者に対するコメントであり、
漢人達が書を読むに当たり音韻の訛りによる変化を後世に註として知らしめたモノで、決して内容まで触れた訳ではありません。

>>256での音韻変化については私も異議ありません。
…続く→

293 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:43:37
>>277さん >>292の続きです。


しかし、漢人読者を対象にする漢字表記は、既に漢語として捉らえなければなりません。 漢語で有る以上音韻のみならず 必ず文字は字義を伴い 意味が存在します。 これは口伝承ではなく記録(文字)伝承ですから

李賢の註は、その「音韻」部分の註と捉らえ、字義については一切触れなかったと判断します。


如何でしょうか?

私の意味解釈も完璧では有りませんので、>>256の様な細かな具体的な指摘反論は大いに歓迎致します。

294 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 13:31:44
>>293
ちょっと文章を練る暇がないので、箇条書きで失礼します。
最初に「編纂された対象時代」という言葉が、何を意味しているのかが解りません。

以下、私見です。
後漢書に邪馬臺國と書いてあるので、范ヨウの時代はそう表記していた。
李賢の注「今=唐代には邪靡堆と表記されている。その理由は音が変化したからである。」
音の「訛」である以上、日本側からの情報によって変化したのではなく、
中国国内の中国人の事情で誤ったのである。
音が変化したから、必然的に表記に用いる漢字が変化したのである。
列島の政治状況と漢字の変化は関係がない。
だから李賢は字義には触れていない。
さて、音が変化したために表記に用いる字が変化したわけだが、
なぜ邪靡堆という文字が選ばれたのかという所に、選んだ者の意図を推察することは出来る。
しかし、それは音の変化にともなって起こった二次的な現象であって、
邪靡堆という文字から読み取れる意味によって邪馬臺→邪靡堆という変化が起こったのではない。

私自身は、ひらがな・カタカナ・漢字があるなかで、漢字を選んだわけでなく、
漢字しかない国なのだから、邪靡堆は音写であることが第一義だろうと思います。
その上で、コカコーラを可口可楽と表記するように、その音に対してどういう漢字を当てるかに
翻訳者や編纂者の意図が反映されることはあると思います。
そこで、邪靡堆に靡の字を当てた意図を推測すれば、
邪靡堆が中国の天子の徳に「なびき たおれ伏し 従う」国という意味を込めたかったのではないでしょうか。
中華思想のお国柄や、匈奴などの名づけ方を考えれば、
邪靡堆に列島の政治状況を織り込んだと考えるより妥当性は高いと思います。
付記、完顔阿骨打などは、ほとんど意味の無い音写のように思えます。

295 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 13:59:03
>>294
貴重な意見ありがとうございます。


>編纂された時代


范曄の編纂した後漢書は五世紀の編纂であることは周知であります。
しかし、対象は「後漢」であり例え編纂時期が何時であろうと
魏時未満の情報を記録の中に残さねばなりません。
編纂者の生きた時代の認識を残した時点で、その記録は「後漢書」では無くなるし、意味がありません。

その様な意味でレスしました。

そのような理由で、李賢の「今」も
李賢の生きた時代では無く対象とする史書代の「今」と、捉らえる可きかと考えます。

296 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 14:36:53
>>294 さん


>コカコーラ(可口可楽)

この例は いけません。
時代背景も情報量も違いすぎます。
コカコーラは文字に落とさなくとも そのイメージ、実物を身近に検証出来ますので、それを当て字化しても影響が殆どありません。
その様な環境対象物と、書物だけが情報の寄り所とする世界では、自ずと文字に対する影響度合いは違ってくるし、重要性は想像以上かと


如何ですか?

297 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 17:56:00
文字に落とさなくても分かるって屁理屈にしか聞こえない。
漢字しかない国で「コカコーラ」を書こうと思えば当て字しかない。
漢字しかない国で「ヤマタイ」を書こうと思えば当て字しかない。
だいたい日本は逆のパターンで当て字使ってたじゃん。

298 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 18:27:06
>>295
確かに、後漢書の邪馬臺國は、編纂時ではなく後漢の時代とするべきですね。
そこは間違っていました。
注は史書の対象時代とは関係なく、参考になる文献を全ての時代から集めて作るので、
注に「今」という場合は注が作られた時代ということです。

299 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 18:32:01
>>296
>それを当て字化しても影響が殆どありません。
当て字化したことが、コカコーラ自体のイメージに影響しないということでしょうか。

>自ずと文字に対する影響度合いは違ってくるし
文字に対する何のどのような影響なのでしょうか。

292=296ならば、老婆心ながらアドバイスを一つ。
私の実体験で、充分に書いたと思っても自分の言いたい事は正確に伝わらず、
そこから三倍くらい言葉を足してしつこいくらい説明して、
ようやく読む人に通じるんだなと痛感したことがあります。
1〜2行のレスが普通の2chで、いつも長々と書いているのはそのためです。
「編纂時は間違ってた」「今は唐代」「質問の意味がわからん」で終わったら、
荒れるだけで議論になりませんしね。
いずれにせよ、みなさん、そろそろ飽きてきてないかな。
他の話題の移ったほうが良いかもしれない。
ところで、議論とは別にコカコーラに「口にす可し、楽しむ可し」って当てるなんて、
「考えたヤツ、スゲー」と思いませんでした?

300 :やはり畿内:2007/02/16(金) 18:44:20
邪馬臺国、不毛の百年論争を嗤う
----学閥対立に隠れていた笠井史学がいま蘇生する

http://21ccs.jp/soso/gyakujun/gyakujijunji_15.html

301 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 19:06:54
>>299さん


>他の話題に移ったほうが良いかも


少し引っ張り過ぎましたかな? 先程の質問は 少し考えを纏めてから、後日レス入れて置くと言うことでどうでしょうか?


>コカコーラに「口にす可し、楽しむ可し」ってあてるなんて「考えたヤツ、スゲー」と 思いませんでした。


実感です。その「スゲー」と感じた事がキッカケで 漢字にこだわり始めたのですから。
漢字を自由自在に操り、文字に対して謳歌する
彼等は私達の想像を遥かに越えた位置で文字を操り、自ら世界を創ります。特に文字への依存度が高かった スーパー国学者達

302 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 19:46:12
>>288
> 意味を持たない漢字表記が、漢字だけを使用している国に存在するとは考えられません

頭っからそのように決めつけて、「その決めつけを理由」として、「当て字」として使われている
漢字の組み合わせから、本来は存在しない「意味の類い」を捏造しようと企んでも無駄です。

303 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 19:49:11
>>298
>注は史書の対象時代とは関係なく、参考になる文献を全ての時代から集めて作るので、
>注に「今」という場合は注が作られた時代ということです。

全くその通りだな

304 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 19:53:10
>>301
「売り込んで金を儲けるために考案した商品名」なのだから、例外的に特殊な工夫が凝らされていることがあっても何の不思議もないでしょう。
そういった特殊な例外に捕らわれること自体が根本的に間違っています。

305 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:06:14
>>304


私はコカコーラの事を言っている訳ではありませんよ!古代の賢人達が文字を使い言葉遊びしている様子を述べているのです。

306 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:13:04
>>302-304


ツッコミはもうお腹イッパイですので、たまには何か新しい材料を提示して下さい。その材料を元に 新な議論をしましょう。

ただ、記・紀ネタだけは勘弁して下さい。他所スレで沢山展開していますから!

307 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:55:34
>>306
kwsk

308 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:06:17
>>305
「コカコーラの例から、何の根拠もなく、古代の賢人達が文字を使い言葉遊びしている様子を妄想した」と書くのが正確。

309 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:13:02
>>308

なぜそのようにスレを荒そうとするのかな?

これはかなり有名な文字遊びの例だから貴方もご存知のはず

薛綜はみずから酒を酌してまわり、酒をすすめるついでにいった、
「蜀とはなんでありましょう。犬がいると獨(ひと)りになり、
目を横につけて身を苟(かが)め、お腹(なか)には虫が入っております。」
張奉がいった、「あなたの呉についても分解して解釈してみてくれないか。」
薛綜は即座に答えた、「口がなければ天となり、口があると呉になります。
万邦に君臨して、天子の都なのであります。」
これを聞いて人々は喜びさんざめき、張奉は返す言葉もなかった。


310 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:14:15
>>308

なぜそのようにスレを荒そうとするのかな?

これはかなり有名な文字遊びの例だから貴方もご存知のはず

薛綜はみずから酒を酌してまわり、酒をすすめるついでにいった、
「蜀とはなんでありましょう。犬がいると獨(ひと)りになり、
目を横につけて身を苟(かが)め、お腹(なか)には虫が入っております。」
張奉がいった、「あなたの呉についても分解して解釈してみてくれないか。」
薛綜は即座に答えた、「口がなければ天となり、口があると呉になります。
万邦に君臨して、天子の都なのであります。」
これを聞いて人々は喜びさんざめき、張奉は返す言葉もなかった。


311 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:16:03
>>309>>310の二度レススマソです。

312 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:25:44
議論が煮詰まってきたね。同時並行でいいから別ネタもしようよ。
A、鏡(方格、内向、▲、画文etc)について
B、古墳年代(邪馬台国時代になるかどうかのもの)
C、初期の天皇(実在性、年代etc)
D、それ以外


313 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:13:48
>>291
これは、鮮卑族・檀石槐の記事なんだけど書き出しが<桓帝時,鮮卑檀石槐者>で、霊帝・光和中に亡くなった時まで書いてある。
まさに桓霊間であり<於是東?倭人國>したのが光和元年冬。
倭国大乱の時期とぴったり合うんだよね。

314 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:29:49
>>309
まるで何の関係もないことは明白。
担当の役人が東夷の国名のネーミングで凝る可能性があった可能性などないでしょ。

315 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 23:15:34
>>313
同じ後漢書には、倭国の大乱について
倭國大亂、更相攻伐、歴年無主。有一女子名曰卑彌呼
とあるから、いわゆる倭国の大乱は、やはり内乱だと思う。
「於是東撃倭人國」をうかがわせる記述はないわけで。

三国志の「於是檀石槐東撃汗國」のほうが妥当だと思うけど、
どうして後漢書がわざわざ換えたのか。不思議。

316 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 23:37:08
>>315
そこが倭と呼ぶ地域だったからでしょ

317 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 23:54:57
>>312 テコ入れ・・・・(古墳の年代について)

1、天皇稜は、同時期と推測される陵墓と群をなしていることが多い。
  以下  http://www.geocities.jp/j_imada1999/xa_kfn02.htm   の図を参照
2、崇神稜に隣接する櫛山古墳、天神山古墳はほぼ同時期と推測できる。
3、そのすぐ下に12代景行稜があり、同様に隣接の古墳は同時期と考えられる。
4、その下に石塚、矢塚、黒塚古墳があり、その下に箸墓、ホケノ山古墳がある。

(ここから先は異論があると思いますが)
5、上記2〜4の各古墳は一定期間内に連続して作られたと推測できる。
6、その順序としては
  (A説) 石塚等→ホケノ山→箸墓→崇神→景行
  (B説) (石塚等、ホケノ山)→(箸墓、崇神)→景行
  
私は、基本的には、全部が崇神稜の前後50年以内と考えていますが、その順序に
ついては、考えが定まりません。

年代はとりあえず置いといてw、順序について議論しましょうか。

318 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 01:54:15
邪馬臺国、不毛の百年論争を嗤う
----学閥対立に隠れていた笠井史学がいま蘇生する

http://21ccs.jp/soso/gyakujun/gyakujijunji_15.html

319 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 01:57:44
>>317  自己レス。
崇神、景行は、陵墓の比定は正しいと考えられるので、崇神稜→景行稜

問題は、崇神稜と箸墓の順序
1、記紀の伝承からは、モモソヒメの方が年長で先に亡くなったと考えられる。
2、しかし、崇神稜が山裾で地形を利用しているのに対して、箸墓は平野部に
築造されている点で箸墓を新しく見る要素もある。
3、箸墓の方が前方部が発達している点も箸墓を新しく見る要素になる。

ということで、どっちが先か良くわからない。
とりあえず、ほぼ同じ頃で年長のモモソヒメの箸墓の方が先ではないかと
考えています。zzzzzz・・


320 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 07:38:27
邪馬台国の所在地(人口から推定)
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/32083231.html

邪馬台国の所在地(官名・人名などから推定)
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/32352359.html

邪馬台国の所在地(諸国の国名から推定)
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/32405249.html

321 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 09:07:09
>>320
邪馬台国の人口割り出しにいきなり太閤検地とは?
いやはやなんでもアリアリですな

322 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 10:02:58
ほつま には、
稜の位置 は宮からみて 男=西方 女=東方 と出ています
モモソ姫=箸墓の場合 宮の位置は、何処?

323 :SOY:2007/02/17(土) 11:27:04
>稜の位置 は宮からみて 男=西方 女=東方 と出ています
>モモソ姫=箸墓の場合 宮の位置は、何処?

倭迹迹日百襲姫命のことを問う前に、陵と宮の位置の関係を一度検証
すべきかと考えます。

全てを調べるのが大変だとしても、例えば、初代〜9代の天皇の宮と
陵の位置を地図にプロットし検証するくらいの労は惜しむべきではな
いと考えます。

324 :唐松山:2007/02/17(土) 12:33:01
むむ そのトオリ 
よって 箸墓の西方にモモソ姫の宮が設定できない私は、
箸墓は、 モモソ姫...つらい


325 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 13:41:45
>>320
>西暦3世紀の日本の人口は、どの程度なのか分からないが
>西暦16世紀の日本より少ないのは確か。ただ、どの程度、
>少ないのかは分からない。

この程度の認識で、邪馬台国の所在地を人口から推定というのは
どんなものか?

326 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 14:47:03
>>325
でもさ、奴国2万余戸というのは、
ほぼ確実に分かっているんだろう?
これが博多湾岸にあった国だということは。
だとしたら、地理的な条件から、邪馬台国が何処にあったのか
想像しやすくなるじゃん。

327 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 14:51:34
>>322 >>323
ほつまは知りませんが、欠史8代の宮と陵の関係は、鳥越憲三郎が
2〜5代は畝傍山麓に集中し、6〜9代は宮の北東または北西にある
という規則性を理由に実在性を認める説を唱えている。

彼の説が議論されることはめったにないけど、この説は伝承をそのまま
プロットした場合の規則性を述べているので、検討の価値がありそう。

328 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:04:32
>>327

>彼の説が議論されることは滅多にないけど


あの和訳ひど過ぎるもん

329 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:07:49
卑弥呼=モモソヒメでしょう?
もう、ほぼ確実じゃん。



330 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:19:42
>>326
確かに、通説では、博多湾岸に奴国があったとされる。
でも、倭人伝によると、末盧国から東南に陸行五百里で伊都国。
伊都国から東南に陸行百里で奴国。だから、博多が奴国というのは疑問。
まあ、これについてはいろんな説があるが、個人的に一番問題と思うのは
どうして陸行かということ。
船で行けるのに、荷物抱えて、食料抱えて(当時レストランはない)
どうして歩いて行かなくてはならないのかという点。

それに、戸数も問題で、奴国の二万戸。投馬国の五万戸、邪馬台国の
七万戸は、疑問がある。ずっと後の平安京でも10万人程度らしい。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/kuni/yomo15.html

331 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:21:52
>>329
結論だけ言ってはだめ。理由を言わなくては。


332 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:33:38
>>330
まあそのへんは魏の使者が私見で戸数を推測したか、倭人が見栄を張って多く言った可能性もある
というか平安京のその試算はその範囲に住める人数を割り出したわけでしょう。倭人伝でのクニの範囲は都市部とその周りの広範囲なわけですし。平安京と同じ試算をするならば環濠の内側に住める人数となってしまう。

333 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:45:46
>>332
何度も出ているけど、西暦200年頃の人口を推定したものもある。
それによると、畿内の人口は3万人程度。畿内周辺が7万人程度。
北九州が4万人。南九州が6万5千人。
山陽が4万9千人。となっている。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/EV_P_NJ1.html

これから考えても、倭人伝の戸数は誇張があると思う。

334 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:48:26
半島から鉄を輸入してたように、米も輸入してたんです><

だから人口はチョー多くても良いんです><

335 :SOY:2007/02/17(土) 15:52:03
>>327
>2〜5代は畝傍山麓に集中し、6〜9代は宮の北東または北西にある
>という規則性を理由に実在性を認める説を唱えている。

鳥越氏が指摘しているように、確かに宮の移動、陵の位置には
ある種の規則性があります。

そういうこともあり、『秀真伝』の一文を確かめもせずに根拠
とするのはあまりにも無謀だと私は思いました。

336 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 15:53:17
>>334


>半島から米の輸入

半島には
外に出すほど豊かな田園地帯は無いけど!
最近ではIMFが、北を見えれば重油よこせとヨコシマな……

キムチなら多少分けてくれるかも…

337 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 16:26:47
そんなインチキ人口推計なんて当てに成りません><

その五倍程度が実際です><

338 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 17:57:41
キムチなんて最近のくいものだろw

339 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 22:20:51
そう、唐辛子は日本から朝鮮に伝わったらしい。
豊臣秀吉が伝えたらしい。

340 :一応九州王朝説:2007/02/17(土) 23:29:38
>>332
畿内説に有利な所がこの人口問題ですが、確かに面積や領域と
して投馬国=吉備、邪馬台国=奈良をあてると丁度いいぐらいで
す。でも、これらの数字について、「家」で表現されている地域と違
ってそれぞれの国の伝聞の数と考えられるので、その国の支配領
域を表している可能性もあります。私的にはそれに賭けたいがw

戸数については魏側が誇張した可能性もある。
支配領域として東の端の大きな国が手に入ったんだから、呉や蜀
に対して大きな宣伝になるわけで。

一大国3000戸は現在の壱岐と同じと言うことは良く言われます
が、現代と同じというのもそもそも多すぎるので、やはり全体に
過大な数字だったと思います。
でも、他の地域と比べると、高句麗が3万戸、三韓合計が15万戸、
倭合計が15万戸だから、バランス的には違和感はないですね。
倭の場合は他21国はわからないわけで、倍の30万戸あったとし
たら半島と日本の面積比や現代の韓国との人口比でも丁度いい。
そういう風に見るのがいいんじゃないでしょうか。未だに畿内説の
学者さんにはこの人口問題を持ち出す人が多いけど、前提として
この戸数の根拠が分かってないですから。

341 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 23:33:11
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

342 :SOY:2007/02/18(日) 00:01:18
>>340
一応九州王朝説の意見におおむね賛成です。やはり、人口の記述は
参考にはできても、以下の点で邪馬台国の所在地まで決めてしまう
のは危険かと思われます。

1.魏志倭人伝に記述された人口は正確なのか
2.邪馬台国の時代の人口予想は正確なのか
(1) 耕地面積から算出されたものなのか
(2) 未発掘の遺跡まで考慮して算出されたものなのか
(3) どういう計算でどれだけの誤差があるものなのか
(4) 人口変動の予測は正しいのか
3.人口を割り当てる範囲を恣意的に選んではいないか

曖昧な点を組み合わせて予測する以上、人口から考える邪馬台国の
所在地は論者のさじ加減になってしまうように思われます。

343 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 00:09:30
>>325
人口の数字自体はともかく、人口の「比率」は、ある程度参考にできるでしょう。
といっても、何千とされるところより何万とされるところのほうが明らかに多い
→各地の比定は地勢などから考えて矛盾がないようにする、
程度に控え目に把握したほうが無難だとは思うけど。


344 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/18(日) 05:17:36
>>333
>それによると、畿内の人口は3万人程度。畿内周辺が7万人程度。

アンタは根源的思考力が足らん!
そんな大昔の人口を、どうやって調べたのかを考えなさい。
ずいぶんいい加減な子供並みの手法でしょう。

それを誤魔化すのに「異常に詳しい数字」を使ってるだけの詐欺師の手法。

俺の推理じゃ、遺跡を調べ適当に何人生活してたとかドンブリ勘定した数字を集めただけだろ。
現在に残らなかった遺跡や、小規模の集落なんて計算方法さえないのが現実だろうに・・・

345 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 06:11:36
>>344
いつに変わらぬこの物言い。変わらぬところが素晴らしい。

346 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 09:09:05
大型古墳を造るのにシュベルカー5台は使ったと思いますよ

347 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 09:19:27
大昔のことなんて・・・と言い出したらこのスレの意味ないじゃん
そう頭ごなしに否定せずに色んな意見くみ上げていこうぜ

348 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 10:32:42
違うよ。当時は八百万人の神さまがまだ生息していたので、昼は人が
作ったが夜は神が土木工事をしてくれたので、工期は半分で収まった
のさ。

349 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 10:47:27
ポンペイの遺跡のような大規模な遺跡でさえ1万5千くらいの人口だった。
4-5万の人口ないしそれ以上だとどれ位の広さの遺構が必要なのか、
確認される住居跡はどれ位なのか、例えば吉野ヶ里ぐらいでどれ位の人が
生活していたのか、などから検証したらわかる筈。
一つの集落に1万人を超える人が住んでいたとは思えないのだが。

350 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 10:49:57
皆さんが遺跡から推計してるのは弥生人人口の一部なんですよ><

しかも縄文人はそんなトコに一緒に住んでる訳じゃないんです><

351 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 10:56:44
>>350
お宅誰と会話してるか知らないが、倭人伝記述の人口の事を鑑みるに、
集落にも相当な人口が集中していたと考えられるのである。

352 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 11:07:28
倭人伝は漢代に少なくとも百余国在った後の三十国のお話しなんですよぉ!><

勿論一つの国なら1万人以上のありますし、大陸と通じてない国や
それ以下意味の集落でも人は沢山居るんですぅ!><

しかも縄文人人口もまだまだ沢山残ってるんですよぉ!><
つまり倭人伝の戸数自体はまぁまぁ妥当な線なんですぅ!><

353 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 11:23:49
>>352
おたくねえ、何をもってそんな事言えるのか知らないが
奴国を例に挙げても2万戸というのが一つの集落の人口をさすのか
全体に散らばっている各集落人口、つまり奴国の総人口をさすのかさえはっきりしてないんだから。
例えば、奴国という一つの集落に2万戸が集中していたと考えるなら、
それ相当の遺跡が見つからなければならない。それが無いのはどういう訳か?ということを暗に言ってんの。
有る程度の証拠が見つからないと想像でしかないでしょうから。

354 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 12:46:42
見つかる大規模集落跡でもせいぜい数十から百戸クラス
これらの集落が百以上集合して一国を形成したとすれば・・・人口を養うに必要な耕作地も相当な面積になるなぁ

これが一カ所に集中してれば、江戸期の城下町並の規模だ

355 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 13:07:03
当時のクニが、今の郡くらいの規模だったといわれているから、
やはり私が考えるように「数」の単位が違うとしか思えない。
古代はインドなどでも今とは数え方が違う。当時の数の10分の1か、100分の1にあたる。

356 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 14:34:14
>>344
そんなに批判的になるなら、自分で調べてみればいい。
調べられないだろう?
要するに、人がそれなりの根拠に基づいて発表した数字よりも、自分の
思い込みのほうを優先させているだけのこと。

吉野ヶ里にしても、最近は千人が住んでいたといわれるが、発見当初は
五百人といわれた。考古学者などは、これは集落ではなく都市だ。
と言っていた。多くの遺跡を発掘してきた人がそのように言う。
古代の人口なんてそんなもの。

357 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/18(日) 14:39:39
>>353

>奴国を例に挙げても2万戸というのが一つの集落の人口をさすのか
全体に散らばっている各集落人口、つまり奴国の総人口をさすのかさえはっきりしてないんだから


この場合『奴國百里』 この百里は区間距離ではなく行政区画範囲

358 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 14:45:42
>>354

交易拠点などの要所を支配することで「クニ」として自立できる場合(壱岐や対馬)もあるが、
普通は治水上の共同作業や水利権の調整などが古代王権の役割と考えられる。
だから、有る程度の河川の流域が当時の「クニ」の規模の最低の目安になると思おう。
筑紫の一環濠集落(隣と1qと離れていない例も)ごときが「クニ」として自立するのは有りえない。
万戸を超える規模の「クニ」で有れば、複数の水系単位が交易拠点を中心に「連合」した形態
の政治的にはより発展した姿の「クニ」ではないだろうか。

359 :一応九州王朝説:2007/02/18(日) 14:54:51
>>358
そんな一面的なクニの定義をのたまわれてもwww

>治水上の共同作業や水利権の調整などが古代王権の役割と考えられる。

環壕集落でも十分要求されるわけですが?

>有る程度の河川の流域が当時の「クニ」の規模の最低の目安になると思おう。

非常に一般的かつ漠然としすぎですね。現在の国土交通省の一級河川にも、
小川や用水路程度の物もあるわけですが。短くても推量が豊富、或いは川や水
そのものが乏しい地域、湖や大きな湖沼、日本の自然地形は実に多様で、更に
そこから水を運河等で引くなども多様な形態があったんじゃないですか?
鉄や金属器、土器、翡翠などの装飾品や黒曜石等の生産品由来の国、対外的
脅威から組織された国、農業祭祀を頂点に頂く国、同一民族や同一時に移住し
た部族・・・・・。
色々だと思うが。



360 :358:2007/02/18(日) 15:28:40
>>359

>>そんな一面的なクニの定義をのたまわれても

まあ、「王権」の定義にもよるけどね。

>>環壕集落でも十分要求されるわけですが

「環濠」単位で行われる治水(どぶさらい程度のことになると思うが)と
水系単位の治水(用水路排水路などによる流路の変更等)じゃさあ、
必要とされる権力機構のレベルが違う。
町内会長さんレベルと市長さん、知事さんレベルの違いだね。
どのレベルの権力を「王権」の機能と呼ぶかは個人の判断に別れるところだが。

>>現在の国土交通省の一級河川にも小川や用水路程度の物もあるわけですが。

水系と言う概念で考えてくださいな。
今の一級河川とは概ね複数の府県に跨る水系が指定されている。
一級河川の「小川」の水は他の河川を通らずに海まで流れて行くのかな?

>>短くても推量が豊富、或いは川や水そのものが乏しい地域、湖や大きな湖沼、
>>日本の自然地形は実に多様で、更にそこから水を運河等で引くなども多様な形態が
>>あったんじゃないですか?

そういう事が水系単位の治水と言うことでしょう。それが、何か?

>>鉄や金属器、土器、翡翠などの装飾品や黒曜石等の生産品由来〜

「交易拠点」にあることで自立する「クニ」もあるし、まあ、それ以外の性格を
もった「クニ」の成立を否定はしない。
ただ、「農業祭祀を頂点に頂く国」などは「王権」制度の形態を述べているだけで、
「クニ」の成立要件と同等に扱うような事象ではないぞ。

361 :317:2007/02/18(日) 16:43:02
>>319 さらに自己レス。
ちょっと考え直して、崇神稜→箸墓→景行稜の順にします。

1、記紀では崇神よりモモソヒメの方が年長であるが、前方部の発達や位置からは
陵は崇神の方が古い形であり、崇神稜の方が先に作られたとする方がいい。
2、崇神稜は崇神の生前に作り始め、箸墓はモモソヒメの没後に作り始めた。
3、天皇陵は、没後に作り始めたとも考えられるが(自分が前スレでそう書いたw)、
仁徳稜のように生前に着工したものもある。
  http://www.h5.dion.ne.jp/~kaidou/htm/ninntokuryou.html
4、このように考えると、箸墓の巨大な濠、渡り堤(景行稜にもある)、特殊器台など
の新しい大型古墳の要素や前方部の発達段階と整合する。

これはどうでしょうか?

362 :SOY:2007/02/18(日) 17:02:41
>>361
>ちょっと考え直して、崇神稜→箸墓→景行稜の順にします。

崇神陵と景行陵の順についてはよく分かりませんが、崇神陵と箸墓では
やはり箸墓の方が古いのではないでしょうか。

崇神陵の前方部や記紀から年代を予想するのは危ういように思えます。
ここは手堅く土器から年代を決めるのが無難かと思われます。

崇神陵の土器の情報が少ないとしても、陪塚と考えられている天神山
古墳などを参考にすればある程度相対的な年代での前後関係は予想で
きると思います。

>特殊器台などの新しい大型古墳の要素や前方部の発達段階

前方部は年代とともに質量を増してゆくという考え方はありますが、
それも全体的な傾向でしかなく、特に箸墓のあの前方部は少し別格
のようにも思えます。

特殊器台は寧ろ古いという証ではないでしょうか。

363 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 17:12:50
う〜ん・・・江戸時代の藩勢を調べてみたけど、コメ換算で一人当たり一石必要ってのは、あながち的外れな数値ではないなぁ
この時期の人口が分からん事には、耕作地面積からクニの候補地を絞り出すのは無理だけどねw

364 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 17:13:40
>>357
あなたプラムさんじゃないの?隠し立てせず堂々といきやしょうや。
その他の事はどうなったっていいじゃないの。後は野となれ山となれで。
だから反論します。奴國百里だけ、行政区だとどうして言えるのですか?

365 :唐松山:2007/02/18(日) 17:15:26
崇神の時代 鉄器の量は?
私は、まだ 木の鍬が主流だと オモw


366 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 17:31:02
>>362
土器では箸墓(布留0式)と崇神(?)との比較は難しいですね。

特殊器台については、石塚、矢塚、ホケノ山と比べると新しい要素になると
考えています。石塚、矢塚、ホケノ山と崇神稜は、形が類似しています。

渡り堤も景行稜につながる新しい要素ではないかとみています。
箸墓周濠の馬具(木製あぶみ)も同様に新しく見る要素になります。

確かに、両者の近辺の古墳との比較では、
 A:黒塚(三角縁多数)−天神山(三角、画文帯並行)−崇神(?)
 B:箸墓(?)−ホケノ山(画文帯のみ)
となるので、箸墓の方が古くなる要素があります。
しかし、A、B両グループで山裾側が古い古墳になると考えると、崇神と箸墓の
年代が逆転する可能性も出てきます。

367 :SOY:2007/02/18(日) 19:09:29
>>362
>土器では箸墓(布留0式)と崇神(?)との比較は難しいですね。

崇神陵や天神山古墳から埴輪が出土していると認識してました。
今、本を見てみると、崇神陵には埴輪があるけど天神山古墳には
埴輪はなさそうです。

となると、確かに年代の確定は難しいですね。

368 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:22:53
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

369 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:38:50
う〜む・・・同一地域での米の収穫高の時代比較にチャレンジしたが、資料が少な過ぎて頓挫した
鹿児島の山田村(鎌倉期は御領)の資料が出てきたが、鎌倉初期と江戸末期を比較してせいぜい1・5倍強ってとこ
しかも正確な年数は分からんし、新田開発とかが計算に入ってない

せめて平安期くらいの資料があれば、平野部でどれくらいの人口が養えたかが推測できるのだが・・・

370 :征東大将軍 ◆pRDe3lEVnE :2007/02/18(日) 20:07:34
>>364
プラムさんではありません。河童さんです。

371 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 20:16:13
>>370
でもプラムさんに物言いが似てますね。河童さんは神出鬼没で、正体不明といったところです。
そういえば貴方もそうですね。だからお聞きします。奴國百里だけ、行政区だとどうして言えるのですか?

372 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 20:56:40
プラムさん。敢えてだいぶ前に貴方に言った言葉を再び繰り返します。
「傷ついちゃだめーっ。」「負けちゃだめーっ。」と。

373 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/18(日) 21:00:56
>>371

>奴國百里だけ、行政区だとどうして言えるのですか?

『東南至奴國百里』
貴方がこの百里を区間距離と捉える限り説明は無用になります。しかし、区間距離と捉える事の
出来ない人にはこの百里の数値は、別の世界の魅力溢れる数値に見えるのです。
区間行程距離百里の場合、必ず起点と着点がありますから、これらの地点を瞬時に判断できるはず。
どうです?起点と着点がわかりますか?

374 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 21:01:14
プラムさん。たった一人で戦って苦しかったですね。そんな中でドン来いスレを立て続けてくれてありがとう。

375 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 21:07:34
東南の方に100里行けばぬこくがありますよ

376 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 21:14:13
>>373河童さんへ。
言われてる意味は解ります。それなら、他の距離の記述もそう言えるのですか?

377 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/18(日) 21:26:48
>>375

>東南の方に100里行けばぬこくがありますよ

それはそれで素晴らしい発見です。それで?起点と着点は何処ですか?

>>376

>言われてる意味は解ります。それなら、他の距離の記述もそう言えるのですか?

起点と着点が設定出来るのであれば、その数値は距離ではないかとまずは設定できます。
『里』は訓でサトといいます。
もともと距離的度量衡の前に、サトという範囲の概念が先行する文字です。
『里』が、距離の単位に解釈されるには、文章内容の環境が整った時であり、
距離数値の絶対条件である(起点と着点)が必要となるのです。




378 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 21:34:32
平野部でどれくらいの人口が養えたか でなく
平野部でどれくらいの水田が 可能であったか? こちらが先

ちなみに 関東の開発は、日本武以降 西側の丹沢、秩父山塊の山裾より始まる。
平野部 小川が無いと水田は、まだ不可能

379 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 21:49:04
プラムさんへ
初めてこのスレの最初から読んだけど、プラムさん正直過ぎるんじゃないの?
汚いことしたり、人を苛めたりする人間は最後は滅びます。
古代中国の箴言に「巧詐は拙誠に如かず」《「韓非子」説林上から》
巧みにいつわりごまかすのは、つたなくても誠意があるのには及ばない。というじゃない。
拙くても誠意の有る人に、人を欺く人は適わないのです。中国4千年の知恵は今も生きています。
そんな人は、たとえ今どれほど恵まれていても阿鼻叫喚の最後を迎えるでしょう。

380 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/18(日) 21:55:52
>>379

貴方の言葉は十分プラムに伝わっていると思います。



381 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:00:33
>>378
まさにご指摘の通り
だからこそせめて平安期以前の資料が欲しかったりするわけです
上記の山田村では鎌倉初期に民間レベルで大規模潅漑工事を匂わせる記述が出てまして・・・
この時期に耕作可能面積が急増した可能性があるのです
だからそれ以前のデータが欲しいんですよねぇ
あと連作障害の問題とかもあるますし

382 :358:2007/02/18(日) 22:07:31
>>377

起点・着点と言う言葉が、全てマラソンコースのスタートとゴールの場合のように
地図に落とせるような具体的な点である必要は無いと言うことは解りますか? 
「東京・大阪間は約500キロ」と言う場合の両端は、単に「東京」「大阪」と言う
脳内イメージの「点」であることは理解していますか?

383 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 22:14:35
>>380
ありがとうございます。でもコテハン叩きなど許せません。
あくまで忌憚無く議論しながら、お互い高みに上っていく事を目指しているわけであって、
勝った負けたでは無いのです。

384 :唐松山:2007/02/18(日) 22:22:37
用水路の開発は、(長大な物) 京極天皇の時代 姓氏録で名前を探していると出てくる

後は、その後の話に成るかも知れないが、町田 水田一枚の大きさ
本当に一枚一坪みたいな田んぼ この生産力は?


385 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/18(日) 22:29:45
>>382

>起点・着点と言う言葉が、全てマラソンコースのスタートとゴールの場合のように
地図に落とせるような具体的な点である必要は無いと言うことは解りますか? 
「東京・大阪間は約500キロ」と言う場合の両端は、単に「東京」「大阪」と言う
脳内イメージの「点」であることは理解していますか?


きちんと文章を理解していれば倭人伝に書かれている行程文はさほど難しいわけではありませんし
、起点と着点の確認も文章から読み取れます。
起点と着点が確認出来る以上、貴方の言われていることは当て嵌まりません
これは文章による表現ですから、その点を考慮下し
リアル地図のような、『そこの十字路のコンビニの点前が起点』というわけにはいかない事は
了承ください。

>「東京・大阪間は約500キロ」と言う場合の両端は、単に「東京」「大阪」と言う

この、約500キロという数値にもチャントした起点と着点が存在している事を認識して下さい
500という数値が示されていればそこには必ず500という数値に対する起因が発生しているのです。
決して、脳内で導きだされた数値ではありません。


386 :唐松山:2007/02/18(日) 22:34:04
でも 是は水田であって 焼畑は、全く考慮されていないから
焼畑と害獣(もちろん食料)のほうが生産量は、上 かも
骨が遺跡から出なくなるのは焼いて肥料にしたから 等
見るべき課題は、多すぎ


387 :一応九州王朝説:2007/02/18(日) 22:35:29
>>381

つ ttp://contest.thinkquest.jp/tqj2000/30413/c/rice/c/rekisi1.htm

これで見ると面積は大して変わってないんだね。
もちろん弥生時代は不明だけど、縄文後期から稲作が始まったとして、
サイトのグラフの800年代まで2000年近くあるわけだから、弥生後期
には相当の耕地があったと考えてもいいかもしれない。数字的なことは
言えないけど。

388 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:47:48
中国の書物なのに日本語読みしてうんぬんかんぬん言ってるやつって何なの?w

389 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:49:19
山田村での鎌倉期の一町あたりの生産高は、推定で八石余だそうです
明治二年で十二石四斗
これが他地域と多いのか少ないのかは勉強不足で分かりませんです・・・ハイ

390 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:02:13
>>387
それでいくと養える人口は江戸期の三分の一かぁ

391 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/18(日) 23:04:34
>>382さん

>「東京・大阪間は約500キロ」

これを文章化すると『Aさんは新幹線にて東京から大阪まで移動しました。その移動距離は
約500キロです。』  こういうことでしょう?

新幹線という移動手段が書かれていれば、約500キロという数値が
具体的となり、東京駅の(0キロポスト)から新大阪駅の基準ポスト迄の事だと把握でき、(東京、大阪)
間の約500キロという数値の起点と着点が想定できるのです。
決して脳内ではありません。

392 :358:2007/02/18(日) 23:23:43
>>391
> >>382さん
> >「東京・大阪間は約500キロ」
> これを文章化すると『Aさんは新幹線にて東京から大阪まで移動しました。その移動距離は
> 約500キロです。』  こういうことでしょう?

全然違うね。



393 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:28:46
>>388
本国の中国でも、漢文は話し言葉から遊離した記号という面がある。
中国は、つい最近北京語が普及するまでは、各地で異なる言語を
用いる一方、漢字という共通の記号を共通のルールで解釈することに
より、意思疎通を図ってきた。

漢字の解釈はその共通ルールさえ踏み外さなければ、日本でやっても
同じです。

394 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:36:48
弥生期の農耕は水深2m以下の浅い小川しか利用できません。
その小川をせき止める形で耕地に水を入れます。
ただしそれを数十年繰り返すと泥などの堆積によって川が潰れます。
これは弥生期の集落が数十年しか存続しないことで分かります。

つまり当時の耕地可能領域は狭く、さらにその永続性も薄いのです。
養える人口はいわずもがなでしょう。

395 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 00:02:01
つーかなんで米しか食ってないとしか考えられないの?
倭人伝でも耕作地が少ないと書かれてるが、漁労がメインで、栗等の
畑作・採集してるとされている。魚の干物や貝が多かっただろうね。
今や江戸の米中心の食生活をベースにするのは大いなる幻想。それで
なくとも江戸時代さえ白米食えるのは武士の一部だけだぞ。卑弥呼な
んて箸さえ知らなかったんだからな。
だからこそ気候や潮流等の自然現象に祈る鬼道がもてはやされたんだ
ろが。

396 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 00:39:15
>>395
米が人口推測の材料として比較対象しやすかったというだけの理由ですよ
海産物やその他の産物を利用してるのは、後世とて一緒です

海産物とかは不確定要素が多すぎますからねぇ

397 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 00:51:54
>>344
地形を地形図から立体的に把握することが出来なくて、平面図の白地図のようにしか見えない
せいで、日本列島のような起伏の激しい場所なら、居住地でありえた地域範囲は限られる
ということさえ理解できないということは分かった。

398 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 00:59:34
>>394
人為的に生じた堆積程度なら、台風などによる氾濫で、周期的に洗い流されたと考えるほうが
穏当ではないでしょうか。
逆に、泥濘が底まで攫われて、そのままでは耕作が不能になることもありえるわけですが。

399 :358:2007/02/19(月) 01:09:17
>>395

考古学的に板付などは、良質の耕作条件が揃う水稲依存率の高い集落であるが、
それでも、多くの狩猟系遺物(石鏃などの猟具や猪・鹿などの獣骨)が出土する。
依然として半農半猟社会と言える。
また、九州地区では、他の地域に較べて水稲依存率が高い(おそらく栽培種の50%以上)傾向が、
見受けられるが、東に行くに従って、ヒエ、ムギ、ソバ、アズキ等の雑穀類栽培が増加する。
特に東日本では、アクの少ない良質なドングリ種が豊富なことから、
弥生時代に入ってからも主要な食料源であったと思われる。
出土土器の種類では、縄文期に較べると調理系と貯蔵系の構成比が貯蔵系優位
に変化することから、食料生産量自体の増加は認めらるところだが、
それをもって食糧事情の改善とは言えないようだ。
食料貯蔵=剰余の発生により集団間、個人間に貧富の差が生じるなど、
貧者には厳しい食料事情であったようだ。
集落の消滅なども生産性の低下などの経済的事情で生じたものが多いと思う。


400 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 01:26:22
一時的に堰を切って泥を流すという手もありますねぇ・・・
溜まった泥を浚渫して水田に投入し、地力の衰えを防ぐという手法も行われていたかもしれません

とは言っても、やはり数十年程度の耕作が限界でしょうね
畑だと肥料無しでは数年で耕作不可になりますし

401 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 01:45:55
>>398
では1つの弥生期集落の存続期間があまりにも短いことはどう説明しますか?

402 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 01:53:59
>>399
東日本は縄文後期以降衰退が目立つね。
それは中期の反映があったからこそそう見えるわけなんだけど。
中期にはクリの栽培が栄えたみたいだけど、何らかの原因でできなくなったらしい。
ドングリよりもクリのほうが明らかに美味だし、ドングリに移行する意味はないからね。
東日本、特に南関東は衰退が著しかったらしいし、「弥生時代」に当てはめるべきかも微妙。
まぁ弥生時代は地域差が著しいからその指標そのものの再考が叫ばれ始めてるけど。

剰余による階層分化はマルクス的思考だね。
最近では新しい論も提唱されてるけどはてさて。

403 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 02:27:28
>>401

398さんではありませんが、私は地力の衰えを第一に挙げたいと思います
水田を長期に渡って維持するには、相当量の肥料投入が必要です
栽培密度が違うので単純比較は出来ませんが、江戸期の農家は糞尿を近隣に買いに行っていたほどですからさらに家畜の堆肥に魚粉など、地力を維持するには大量の肥料が不可欠です

もちろん弥生人も出来る限りの努力はしたでしょうが、収量の減少は避けられなかったと考えます

知り合いの水田では一反ああたり毎年六トン以上の堆肥を投入し、さらに大量の化学肥料を使います

水田の地力を維持するのは大変な事なのです

404 :358:2007/02/19(月) 02:32:02
>>402

>ドングリに移行する意味はないからね。

いや、東北産のドングリは今でも美味しいよ。
そりゃ、クリよりは喰いにくいかもしれんが、
ちゃんと、弥生時代以降も栄養源として利用されてるじゃないか。
西のドングリはアクが強いのでCPが悪すぎたんだよ。

405 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/19(月) 02:54:38
>>402
どんぐりの灰汁は煮炊きをして抜いたのです。
くりは急落の周りに木を植えて育てていましたが、気候などに左右されやすく、
収穫にも斑があったようです。
では good night,

406 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 02:55:57
>>400
比較的平坦で、しかし微地形が入り組んだ場所の小さい川沿いなのであれば、そういった
自然力利用の土地改善(?)も可能だったと仮定しても矛盾はないんじゃないでしょうか。

>>401
米だけで問題なく食っていけたならともかく、他の収穫物の類いも重要だったなら、
そちらの都合で移動する必要が生ずることはありえますね。
ただ、自然地形利用の稲作に適した地形がそうそうふんだんにあった(というかある)
はずはないのだから、極力移動しないで済むようにしたであろうことは動かない見当。
何なんですかね?

407 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/19(月) 02:57:08
>>405 
急落 改め 集落

408 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 10:58:02
弥生時代の佐賀平野はほとんど海だったらしい。
吉野ヶ里の近くまで海岸線が来ていたらしい。

409 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 12:32:29
『百』は 数値だけとは限らない。『百』が数値となるときは、数値となる可き原因がある。
さあ
数値諸君!
数値で有る可き要因を探しなさい。

そこに要因が存在しないとき、それは数値ではない。

410 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 13:05:11
邪馬台国総論
http://yamatonokuni.seesaa.net/

411 :317:2007/02/19(月) 13:41:46
>>366>>367 の続きで、とりあえず、(崇神稜、箸墓)の順序は置いといて、

崇神稜と矢塚、石塚、勝山等とホケノ山の順序はどうなんだろう。
 A説:矢塚等→ホケノ山→崇神稜
 B説:(矢塚等、ホケノ山、崇神稜)=同時期

1、形の類似性からは同時期とも考えられる。
2、ホケノ山と天神山(崇神稜隣接)の鏡の比較からは、崇神稜はホケノ山よりは
新しいように見える。
3、位置関係からは、(山裾→平地)の関係が、(崇神稜、ホケノ山)→矢塚等と
いう関係になり、ホケノ山は矢塚等よりも古いように見える。
崇神稜から山裾を下った位置にある黒塚は崇神稜よりも明らかに新しい。
4、崇神稜に隣接する櫛山古墳はタテツキと類似した形で、(崇神稜、矢塚等)の
前方後円墳時代より前の可能性がある。つまり、崇神稜には矢塚等よりも古く見る
要素がある。

などと色々考えておりますが、今ひとつ考えが定まりません。
今のところ、崇神稜と矢塚等はほぼ同時期と考えております。
ホケノ山は崇神稜よりも少し古いか。

412 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 15:49:37
誘惑のage

413 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 17:27:11
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

414 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 19:29:02
>>404
東北ってか三内丸山でクリの栽培は盛んだった。
東北のドングリがうまくても移行する意味はないよ。

明らかにクリの栽培が何らかの理由でできなくなったための代用。

415 :358:2007/02/19(月) 20:39:31
>>414
> >>404
> 東北ってか三内丸山でクリの栽培は盛んだった。
> 東北のドングリがうまくても移行する意味はないよ。
> 明らかにクリの栽培が何らかの理由でできなくなったための代用。

クリよりドングリが美味いとか言ってないけど・・・

416 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 20:50:58
>>451
だから・・・ドングリよりうまいクリを栽培してた実績があるんだから・・・。
クリの栽培に何らかの支障が起きたってことが分かるだろ・・・?
日本語理解してくれよ。

ドングリに移行したのはクリの栽培ができなくなったから(>>402

いや東北のドングリはうまい(>>404

東北のドングリがうまくてもクリに及ばないなら移行する意味はない(>>414

クリよりドングリがうまいとか言ってない(>>415

オレのレスちゃんと読んでくれ。上のやりとりおかしいだろ?

417 :SOY:2007/02/19(月) 20:56:41
>>411
私としてはやはり土器で決めたいところです。

昔、買った本に崇神陵の埴輪片の写真が載っていました。素人の目で
言うのも何ですが、どう見ても新しい感じの埴輪片でした。

そこから私は以下のように考えます。

石塚→ホケノ山→箸墓古墳→崇神陵

418 :358:2007/02/19(月) 20:59:29
>>409
> 『百』は 数値だけとは限らない。『百』が数値となるときは、数値となる可き原因がある。
> さあ
> 数値諸君!
> 数値で有る可き要因を探しなさい。
> そこに要因が存在しないとき、それは数値ではない。

「原因」とか「要因」とか、漢文読解では余り使われない用語、
具体的なイメージが浮かばない言葉ですね。
どう言う雰囲気で理解すればいいのでしょうかね。

>373 名前:河童 ◆EY2wfgakAQ [] 投稿日:2007/02/18(日) 21:00:56
>『東南至奴國百里』
>貴方がこの百里を区間距離と捉える限り説明は無用になります。しかし、区間距離と捉える事の
>出来ない人にはこの百里の数値は、別の世界の魅力溢れる数値に見えるのです。

あなた、>>373で「百里」は「魅力溢れる数値に見える」と言ってますが、
この場合の「原因」「要因」は何ですか?
あなた独自の用語法の見本として、ちょいと説明してみてくれますか?

419 :358:2007/02/19(月) 21:33:26
>>416

俺は「ドングリ」の方が美味しいから「クリ」を食わなくなったなんて言って無いじゃん。
ソバやムギなどの雑穀類の一つとして東日本では「ドングリ」も食うよって言ってるだけ。
何か、あなたの読み違いじゃないかなと思うけど・・・
それを「日本語理解してくれよ。」って言い方は無いんじゃない?
もう一度よく読んでね♪

[俺]東に行くに従って、ヒエ、ムギ、ソバ、アズキ等の雑穀類栽培が増加する。
>特に東日本では、アクの少ない良質なドングリ種が豊富なことから、
>弥生時代に入ってからも主要な食料源であったと思われる。
>西のドングリはアクが強いのでCPが悪すぎたんだよ。(>>399

[君]ドングリよりもクリのほうが明らかに美味だし、ドングリに移行する意味はないからね。
>ドングリに移行したのはクリの栽培ができなくなったから(>>402

[俺]いや、東北産のドングリは今でも美味しいよ。
>そりゃ、クリよりは喰いにくいかもしれんが、
>ちゃんと、弥生時代以降も栄養源として利用されてるじゃないか。(>>404

[君]東北ってか三内丸山でクリの栽培は盛んだった。
>東北のドングリがうまくても移行する意味はないよ。
>明らかにクリの栽培が何らかの理由でできなくなったための代用。(>>414

[俺]クリよりドングリがうまいとか言ってないけど・・・(>>415

[君]だから・・・ドングリよりうまいクリを栽培してた実績があるんだから・・・。
>クリの栽培に何らかの支障が起きたってことが分かるだろ・・・?
>オレのレスちゃんと読んでくれ。上のやりとりおかしいだろ?(>>416

うん、すごくおかしいよ。あなたがだけど。

420 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/19(月) 21:34:11
>>408
吉野ヶ里はまるで、敵が海から上陸でもするかのように内陸でなく海に向かって防御体制が敷かれているようですね。
そこで呉の奴隷狩りに備えたのではないかという説が出てくるわけです。

421 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 21:38:50
>>418

貴方ぐらいになればこの『百里』という文字が区間行程距離で無い事はお解り戴ける筈
区間行程距離とする『百』という数値を導き出す為の
起点と着点が設定出来ませんから、当然そこには数値など存在しないのです。
これが『百のもじを数』と捉えるべき(原因或いは起因)です。 それが存在しない。


422 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:51:17
>>419
はぁ・・・。そのドングリについて補足説明しただけだろw
そしてそれを弥生時代なんて曖昧な指標に当てはめていいのかって話をしただけ。

縄文期からクリの栽培があってそれの代用としてドングリを食ってたんなら
それは弥生時代じゃないでしょってこと。
弥生時代のコメの話してんのに(コメだけ食ったとは思ってない。念のため。)
明らかに弥生色の薄い、縄文期の延長上にある地域をひっぱってきてんのがおかしいっつってんの。

もしかして弥生時代は日本列島全域に等しく展開されてると思ってんのか?

423 :358:2007/02/19(月) 21:51:49
>>421
> >>418
> 貴方ぐらいになればこの『百里』という文字が区間行程距離で無い事はお解り戴ける筈
> 区間行程距離とする『百』という数値を導き出す為の
> 起点と着点が設定出来ませんから、当然そこには数値など存在しないのです。
> これが『百のもじを数』と捉えるべき(原因或いは起因)です。 それが存在しない。

「貴方ぐらいになれば」って解らないから聞いてるんだけど。
すまんが、もう少し詳しく説明してくだされ。
「起点・着点」の定義って何?
「区間距離と捉える事の出来ない人にはこの百里の数値は、
 別の世界の魅力溢れる数値に見えるのです」ってどういう意味?
「百」は「数値」なの?それとも違うの?

424 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 21:52:00
『東南至奴國百里』
ここには『東南陸行五百里・・・』のように「陸行」(陸=移動手段・行=起点から着点に一方向)
の文が存在しませんので、この文からは(距離数値)を求める事は出来ません。

郡使往来行程記事は「東南至奴國・・・・」の点前(郡使往来常所駐)で終了しているという事です。

425 :317:2007/02/19(月) 22:06:21
>>417 土器ですか。
今検索したところでは、布留0式、纒向T式、庄内1式、庄内3式と諸説があった。
http://www.keyton-co.jp/gensetu/060325makimuku144/doc1.htm

まず、庄内式を3式まで分類できるかは少し疑問。布留0式だと箸墓と同じ。
纒向独自の土器編年と庄内、布留年代との接合はよく分からない。
そもそも、新井の同位体比分析では、庄内、布留が同時並行で古墳時代の前後に
存在することになる。地域差、氏族間での使用土器の差が大きいのか?

ということで、土器による編年はあまり重視していません。
ただ、葺石や埴輪が確認されていないことは、古く見る要素ですね。

しかし、古墳の規格性からは、崇神稜、ホケノ山と同じ規格となることが、気になる。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku238.htm  の真ん中あたり。
時代差を認めるとしても、その後の規格の変遷からは、崇神稜と余り変わらない時期
ではないかと考えています。

426 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 22:07:30
>>423
>「百」は「数値」なの?それとも違うの?

もちろん(100)という数詞でもあります。でも、百姓の「百」は(100)ですか?
そお言うことです。

>「起点・着点」の定義って何?

文字の意味そのもので、文章により表現はさまざまです。

>「区間距離と捉える事の出来ない人にはこの百里の数値は、
 別の世界の魅力溢れる数値に見えるのです」ってどういう意味?

「百里」が(100里)にしか見えない人にはこれだけの世界ですが、その枠を越えると世界が(百姓、百科事典、百獣の王
百出、百面相・・・)の世界に思考を変える事ができる。そういうことです。
その他 「里」の文字にも広がりを与えられる訳です。

427 :358:2007/02/19(月) 22:15:27
>>422
> >>419

> 縄文期からクリの栽培があってそれの代用としてドングリを食ってたんなら
> それは弥生時代じゃないでしょってこと。

弥生人はドングリ食っちゃいけないのかな?ドングリ食うような奴らは縄文人だと!
これは「弥生」の新しい定義だね。

> 弥生時代のコメの話してんのに(コメだけ食ったとは思ってない。念のため。)

いやさ、「コメだけ食ってたのか」つー話題がでたので、雑穀食についてレスをした訳なんだけど。

> 明らかに弥生色の薄い、縄文期の延長上にある地域をひっぱってきてんのがおかしいっつってんの。

うん、地域による食性の違いを説明しようとしたので西日本だけじゃ何かなと思ってさ。
だけど、水稲耕作と併せてドングリの採集もしてたんだろう、東北じゃさ。
青森の垂柳遺跡は「弥生」の遺跡でしょ。

> もしかして弥生時代は日本列島全域に等しく展開されてると思ってんのか?

だからさ、何であなたにそんな言われ方されなきゃいけないのかな。

428 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 22:18:27
漢字には必ず活用するにあたり、必ずルール(法則)があるということです。

「往復」と「往来」の違いのように 意味的には似ていますが、活用は全く違う

429 :日本史@名無しさん:2007/02/19(月) 22:20:27
プラムさんだよなあ、どう見ても・・・・・。

いや、いいんだけど。

430 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:24:01
>>427
地域で「弥生」の流入度が違うなら例とふさわしくないよ。
そんなことも理解できんとは。マジ疲れるw

431 :358:2007/02/19(月) 22:30:46
>>426
> >>423
> >「百」は「数値」なの?それとも違うの?
> もちろん(100)という数詞でもあります。でも、百姓の「百」は(100)ですか?
> そお言うことです。

「伯済」とも書かれて単なる音借かもしれない「百済」を例に出されるとちょいと微妙だけど。
俺は「百姓」の「百」は「100」だと思うけど。単に「いっぱい」の意に擬制されているだけだろ。
あなたは、何で違うと思うの?

> >「起点・着点」の定義って何?
> 文字の意味そのもので、文章により表現はさまざまです。

何んだよ、それじゃあなたがどういう意味で使ってるのか判らないよ。

> >「区間距離と捉える事の出来ない人にはこの百里の数値は、
>  別の世界の魅力溢れる数値に見えるのです」ってどういう意味?
> 「百里」が(100里)にしか見えない人にはこれだけの世界ですが、
> その枠を越えると世界が(百姓、百科事典、百獣の王百出、百面相・・・)の世界に思考を変える事ができる。
> そういうことです。
> その他 「里」の文字にも広がりを与えられる訳です。

だからさ、『東南至奴國百里』の「百」は「数値」なの?そうじゃないの?
あなたには「別の世界の魅力溢れる数値」に見えてるなら「数値」じゃないのかな?
百姓の百はやっぱし「100」なんじゃないの?

432 :358:2007/02/19(月) 22:46:00
>>424
> 『東南至奴國百里』
> ここには『東南陸行五百里・・・』のように「陸行」(陸=移動手段・行=起点から着点に一方向)
> の文が存在しませんので、この文からは(距離数値)を求める事は出来ません。
> 郡使往来行程記事は「東南至奴國・・・・」の点前(郡使往来常所駐)で終了しているという事です。

じゃ、「百里」は何ですか?
漢書西域傳の場合はどうですか?
大月氏國、治監氏城、去長安萬一千六百里。
不屬都護。戸十萬、口四十萬、勝兵十萬人。
東至都護治所四千七百四十里、西至安息四十九日。

東至都護治所「四千七百四十里」は?
西至安息「四十九日」は?
これは「数値」じゃないんですか?

433 :358:2007/02/19(月) 22:48:08
>>430
> >>427
> 地域で「弥生」の流入度が違うなら例とふさわしくないよ。
> そんなことも理解できんとは。マジ疲れるw

そんな考え方だと「地域差」なんて説明できないことになるね。

434 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:52:52
>>428
うーん・・・イマイチよく分かんないんだけど
つまり具体的な距離や面積ではなく、クニ(行政機関)としてのランクや執行能力
を表現してるとか、そういう意味なんすかね

435 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:54:38
>>433
地域差の説明と貴方がやった「例」とはまったく別問題。
すり替えがすきですね^^

436 :SOY:2007/02/19(月) 22:55:29
>>425
>そもそも、新井の同位体比分析では、庄内、布留が同時並行で古墳時代の前後に
>存在することになる。地域差、氏族間での使用土器の差が大きいのか?

同位体比分析の結果を誤認識しているように思えます。庄内と布留が
同時並行で古墳時代の前後というよりは、同位体比分析では庄内と布
留と古墳時代の区別がつけられないと解釈した方が良いのでは?

安本氏のページ見てみました。

確かに崇神陵とホケノ山は似ているから同時期と書かれていました。

私はこのあたりに古墳の形から年代を見ることの限界があるように
思います。

果たして、安本氏が崇神陵の埴輪片を見た時、これは庄内の土器と
答えるのかが非常に興味深いです。

素人でも円筒埴輪片を見て庄内と答える人は少ないくらいですから。

437 :358:2007/02/19(月) 22:57:47
>>428
> 漢字には必ず活用するにあたり、必ずルール(法則)があるということです。
> 「往復」と「往来」の違いのように 意味的には似ていますが、活用は全く違う

漢字の「活用」ってどう言う意味で使ってます?

>「往復」と「往来」の違いのように

これって「往」が変化したりするわけじゃないですよね。
普通に「熟語」の意味の違いでしょう。
違うのは二番目の文字の意味の差。
「復」は同じと言う意味から、元いたところに戻ることで
「来」は「来る」、単に来るだけだから同じところに戻らなくてもよいつーことだよね。
別に「活用」なんてことばで定義するようなことじゃないでしょう。

438 :358:2007/02/19(月) 22:59:44
>>435
> >>433
> 地域差の説明と貴方がやった「例」とはまったく別問題。
> すり替えがすきですね^^

そうかなあ?
たぶん、あなたの思い過ごしだと思うよ。

439 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 23:00:04
>>431

文章における起点と着点の捉え方は こちらを参照下さい。

385:河童◆EY2wfgakAQ 02/18(日) 22:29
>>382

>起点・着点と言う言葉が、全てマラソンコースのスタートとゴールの場合のように
地図に落とせるような具体的な点である必要は無いと言うことは解りますか? 
「東京・大阪間は約500キロ」と言う場合の両端は、単に「東京」「大阪」と言う
脳内イメージの「点」であることは理解していますか?


きちんと文章を理解していれば倭人伝に書かれている行程文はさほど難しいわけではありませんし
、起点と着点の確認も文章から読み取れます。
起点と着点が確認出来る以上、貴方の言われていることは当て嵌まりません
これは文章による表現ですから、その点を考慮下し
リアル地図のような、『そこの十字路のコンビニの点前が起点』というわけにはいかない事は
了承ください。

>「東京・大阪間は約500キロ」と言う場合の両端は、単に「東京」「大阪」と言う

この、約500キロという数値にもチャントした起点と着点が存在している事を認識して下さい
500という数値が示されていればそこには必ず500という数値に対する起因が発生しているのです。
決して、脳内で導きだされた数値ではありません。



440 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:02:32
>>438
それならばどれほど楽なことか・・・。

441 :358:2007/02/19(月) 23:02:55
>>435

あとさ、勝手な「すりかえ」呼ばわりは失礼だと思うよ。

442 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 23:03:32
>>437

>漢字の「活用」ってどう言う意味で使ってます?

利用する       間違っていますか?

443 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:04:15
>>441
失礼ってw
分かった分かった。あんたが偉いよ凄いよ!
これでいいですか?^^

444 :358:2007/02/19(月) 23:07:14
>>443
> >>441
> 失礼ってw
> 分かった分かった。あんたが偉いよ凄いよ!
> これでいいですか?^^

うん。
じゃあね。

445 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:10:23
>>439
そんな抽象的なことをごちゃごちゃ並べずに、原文に即して、
起点○○ 着点×× 千餘里
起点△△ 着点◆◆ 五百里
と例示して、それに対してこの百里は起点・着点が特定できない。
だから、この百里は■■と考える。
というふうに、はっきり・ズバリ・明確に説明すれば済むこと。

446 :317:2007/02/19(月) 23:18:53
>>436
新井の結論は、「庄内、布留の墳墓・遺跡から出土する鏡と、庄内、布留の古墳
から出土する鏡とは、同位体比率の分布に明白な差異が存在する。」というもの。
私は、これを庄内、布留が古墳時代の前後にまたがるものと理解しています。

もともと庄内式は、畿内でも一部特定の地域からのみ出土するもので畿内全般への
普及がないので、庄内が普及していない地域では、各地の旧来の土器を使用し、
その後に別系統で布留式が始り、古墳時代に入っていったというように、地域、氏族
ごとの使用土器の差が大きかったと見ています。
そのため、年代指標としては、土器は二次的なものと考えています。

前方後円墳の規格の変遷は、崇神以後の変遷の大きさからは、石塚等〜崇神まで
の期間を長く見ることは、不自然ではないかと考えています。
崇神に隣接する櫛山(楯築に類似)と崇神稜との違いは、隣接から両者の時期が近い
と考えれば、崇神稜の陵墓の規格が長い期間とは考え難くなります。


447 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 23:22:17
>>437

>普通に「熟語」の意味の違いでしょう。
違うのは二番目の文字の意味の差。
「復」は同じと言う意味から、元いたところに戻ることで
「来」は「来る」、単に来るだけだから同じところに戻らなくてもよいつーことだよね。


そんなにムズク考えないで
「往復」= ゆきかえり   「往来」=行っ(たり)来(たり)

往復は(単一/一度きり) に対し  往来は(単一ではない複数) 
♪ 往復と往来の使われ方のちがいのルールは(単一か複数)かの違いです。

あなたの言われている『違うのは二番目(復)の文字の意味の差。』
は、『復』の文字を使用する為のルールで
「往復、復習、復讐、回復」などの比較に相当するものです、この場合の「往復、往来」の比較には
適切ではないと考えます。

448 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 23:28:34
>>445

>そんな抽象的なことをごちゃごちゃ並べずに、原文に即して、
起点○○ 着点×× 千餘里
起点△△ 着点◆◆ 五百里
と例示して、それに対してこの百里は起点・着点が特定できない。
だから、この百里は■■と考える。
というふうに、はっきり・ズバリ・明確に説明すれば済むこと。


それで解るの?   それで解ってもらえればこちらも苦労いらないし
絶対混乱すると思ったから・・・・・・・・

449 :358:2007/02/19(月) 23:28:50
>>439

>文章における起点と着点の捉え方は こちらを参照下さい。

>>「東京・大阪間は約500キロ」と言う場合の両端は、単に「東京」「大阪」と言う
>この、約500キロという数値にもチャントした起点と着点が存在している事を認識して下さい
>500という数値が示されていればそこには必ず500という数値に対する起因が発生しているのです。
>決して、脳内で導きだされた数値ではありません。
>これを文章化すると『Aさんは新幹線にて東京から大阪まで移動しました。その移動距離は
>約500キロです。』  こういうことでしょう?

それは違うと言うようなことを昨日書きましたが、詳しく書かなかったので読みすごされましたかね。

あなたは「新幹線に乗って」と書き換えてますが、言った本人は「新幹線」でとは考えていません。
高速道路とも羽田から飛行機でとか竹芝から船でとも考えていません。
この場合、移動方法なんて考えていないのです。
頭にあるのは「東京・大阪間は約500キロ」と言う情報だけです。
誰かからの伝聞だったのか、はたまた、和歌山まで500キロと言う知識からの推定かもしれません。
だから、この場合、起点着点の定義は脳内の漠然とした認識です。
漠然とした地図が脳内にあって「起点」東京と「着点」大阪の間は500キロと認識しているだけ。
実際、東京・大阪間は500キロじゃないですよね。

でも、今のあなたの説の展開上では、脳内だろうが何だろうが「起因」になるものがあればOKなんでしょう?
それが「省略」されるケースは絶対認められないところでしょうけど。

450 :358:2007/02/19(月) 23:32:37
>>448

> だから、この百里は■■と考える。

実のところ、最初から、■■の部分をはっきり・ズバリ・明確に説明して欲しかっただけなんですけどね。


451 :358:2007/02/19(月) 23:38:21
>>447
> >>437
> >普通に「熟語」の意味の違いでしょう。
> 違うのは二番目の文字の意味の差。
> 「復」は同じと言う意味から、元いたところに戻ることで
> 「来」は「来る」、単に来るだけだから同じところに戻らなくてもよいつーことだよね。
> そんなにムズク考えないで
> 「往復」= ゆきかえり   「往来」=行っ(たり)来(たり)
> 往復は(単一/一度きり) に対し  往来は(単一ではない複数)
> ♪ 往復と往来の使われ方のちがいのルールは(単一か複数)かの違いです。
> あなたの言われている『違うのは二番目(復)の文字の意味の差。』
> は、『復』の文字を使用する為のルールで
> 「往復、復習、復讐、回復」などの比較に相当するものです、この場合の「往復、往来」の比較には
> 適切ではないと考えます。

何で?
因みに「往来」は一度でも二度でも同じことだから単・複を表すことばじゃないよ。

452 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 23:38:29
>>450

行政区画範囲(都市)

453 :358:2007/02/19(月) 23:41:26
>>452
> >>450
> 行政区画範囲(都市)

何で?
都市を一次元的に表現するんですか?
漢書西域傳の大月氏条の場合はどうですか?

454 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:44:23
>>452
行政区画範囲(都市)というなら、「方可四百餘里」や「方可三百里」のように
「方可」がついている場合とどうちがうの?

455 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 23:51:49
>>451

>因みに「往来」は一度でも二度でも同じことだから単・複を表すことばじゃないよ。

じゃあ今度、駅に行って「往来切符」と注文してみれば?


現代で言えば 往復切符と定期券 みたいなニュアンスかな?
一度きりだから「往復」、回数を限定(一度きりを含まない)できないから「往来」

456 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:52:13
河童はさっさと持論を言えよw
いい加減UZEEEEEEEEEE!!

457 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:02:20
>>456
いや、

>452 名前:河童 ◆EY2wfgakAQ [] 投稿日:2007/02/19(月) 23:38:29
>>450

>行政区画範囲(都市)

って、ようやく持論が出たところ。これから、何故そう思うのかを小一時間。

458 :358:2007/02/20(火) 00:02:52
>>455
>じゃあ今度、駅に行って「往来切符」と注文してみれば?

そんな切符売って無いだろうw
その大役はあなたに譲るさ。

459 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:10:00
論争とはちょっと違うような気がする

460 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 00:11:50
>>454

>行政区画範囲(都市)というなら、「方可四百餘里」や「方可三百里」のように
「方可」がついている場合とどうちがうの?


一度律暦志読んでからの方が説明しやすいんですが?

簡単に説明するよ

「方」は「直線的な→」で「移動」を意味し。「可」の字意は「限定された範囲を把握」という意味解釈だが、コノ場合の活用は字義(文字のカタチ)の意味解釈になり、「起点から直線的ニ方向(九○度に近い)で範囲を把握」という意味解釈。

           「□」  +    「¬」   =    「可」 
●「可」の字義 ⇒「範囲」     「ニ方向」     「範囲を把握」



多分解んないだろうな




461 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 00:14:01
>>456

>河童はさっさと持論を言えよw
いい加減UZEEEEEEEEEE!!


ウザイなら 寝る。    おやすみ

462 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:18:26
>>456

>>379
>>383

463 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:31:05
戦前の頃は海はもっと豊かだった。鰯なんてそう手づかみでも獲
れたし、中等学校の帰りに蛤や蜆を夕ご飯のおかずに浜で取った
ものだ。多少、砂を噛んでいてもご愛嬌だった。

東北は鮭が秋に川を遡上してくるのは常識だった。川の水も綺麗
だった。東北では鮭だけで1年間食せる数百種類の調理の工夫があ
った。アイヌの頃から干したり燻製にしたり、漬けたり、保存食
として鮭は神の魚として称えられたのだ。

邪馬台国は対馬海峡を挟む海峡王国だった。中国の使者は「沈
没」して魚を取る姿に感銘を受けたようだ。九州近海は暖流・寒
流の交わる大漁場である。甘鯛、かます、きびなご、あら等は一
夜干しや鍋等にして食べられた。海女漁はその頃からあったので
ある。中国人達は目敏く、彼らが海中から真珠を取ることにも関
心があったことが文面からも見える。

痩せた九州の土地では農業は畑作のが向いている。人々を養って
いたのはやはり漁労だったに違いない。逆にそれほど海に精通し
ていた故に朝鮮へ渡っていたのだろう。

464 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:36:29
>>460
いや、言いたいことはわかるよ。
点Aから、ほぼ直角二方向で一定距離の所に点B,Cがあって、
線分ABと線分ACで囲まれる部分が方可だと言いたいんでしょ。
でも、方可四百餘里は方四百餘里可(ばかり)だと思うよ。
理由1 飲可五六斗 飲むこと五六斗ばかり
理由2 史書の外国の記述で方可○○里が多い。
     十三経で、国制を説明するのに方○○里は頻出するのに
     方可○○里は一つもない。
     つまり、可は「だいたい」

それと、律暦志の当該部分おしえて。読んどくから。

465 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:39:46
つまり中国の城塞都市とは違うタイプの行政区域or都市の規模を表すために
「東南至百里」と表現したという事ですか?

466 :358:2007/02/20(火) 01:00:12
で、何で「方」百里じゃないんだろう?
只々、一直線に百里なのか?
必要なことは何も説明しないで寝ちまったな。

467 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 01:00:32
>>424
距離の表示は距離の表示。

数字は現代的な意味での正確な測定数値ではあり得ず、何百里とかいうのより明らかに短い
くらいに把握したほうが無難のはずだし、郡から邪馬台国までの経由地がどうなっているかは、
また別問題ですけどね。

468 :SOY:2007/02/20(火) 07:30:37
>>446
>新井の結論は、「庄内、布留の墳墓・遺跡から出土する鏡と、庄内、布留の古墳
>から出土する鏡とは、同位体比率の分布に明白な差異が存在する。」というもの。
>私は、これを庄内、布留が古墳時代の前後にまたがるものと理解しています。

>>425で『新井の同位体比分析では』となっていたので、
新井氏の結論と自身の意見が混在し、あたかも新井氏が
そのように言っているかのような発言になっていたので、
指摘しました。

>そのため、年代指標としては、土器は二次的なものと考えています。

私は同じ土器が地域によって極端な時代差があるとは見ていませんが、
学者でも伝播に著しく時間がかかるようなことを言っている人がいる
くらいだからこれについては水掛論にしかならないかも知れませんね。

>前方後円墳の規格の変遷

これに編年観を与えているのも土器だと思います。土器編年を否定
して前方後円墳の規格の変遷に編年観を与えることが可能なのか気
になります。規格が似ているから同じ年代と考えて良いかを実証す
るにも土器編年が不可欠のような気がします。

469 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 07:32:58
>>464

>(ばかり)

それじゃあ学校の授業だよ!テストの答案はそれでもOKだけど
『可』の文字を漢和辞典から引用したにすぎない。そこまでしたのだったら、(ばかり)の日本語を今度は国語辞典で検索すべきだろう。
その作業を皆怠っているわけ、漢和辞典は、漢語文字を日本語に変換しているに過ぎないだけだから。
日本語にも様々な意味があるだろう?


中国の律令を検索してみたらどおですか?

『方』は 正方形(四辺のうちの一辺)

470 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 07:47:48
>>465


>東南至百里

じゃ、なく『東南至奴国百里』だろう。
この(百里)は(東南至奴国)全てにかかります。

471 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 07:55:33
>>466

『方百里』とは書いてないからだよ 取り敢えず『方』がなんであるか調べよう。


>>467

今も昔も書かれた数詞に変わりなし、変化するのは時代に則した度量衡だけ
今の 100 は 昔も 100

472 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 10:27:10
う〜ん・・・副官の記載の後に(百里)が記されてれば納得なのだが・・・
他はクニの概要を説明する項目の記載順序が比較的統一されてるのに、なにゆえに奴国だけ(不弥国もか?)・・・って気がする

473 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/20(火) 11:00:47
○人大杉状態をなんとかするべし、自由に書き込めないぞ。

○というか、当時、邪馬台国がどの程度の規模の海軍を持っていたかで、
場所が決まるような気がする。大舟の大海軍を持っていたら、
どこでも自由に都を造れるだろ?

474 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 11:32:38
いろいろと問題の多い『安本流数理』歴史学批判

古代の王、一代十年説
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/zatu/zaturon.html#junen

安本ダイアグラム
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/zatu/zaturon.html#yasumoto

475 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 12:47:38
>>471は何で『奴國百里』の自己解釈の説明をしないんだろう。
説明なしで話を続けられても、読者はちんぷんかんぷんです。
みなの興味はそこにあるのになあ。

476 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 12:53:38
>>475
それがプラムクオリティ
だから奴がいると荒れるのさw

477 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 12:54:58
>>475

下準備の無い人に説明しても チンプンカンプンで、説明にならないだろう?

とにかく
これが何を意味するかよりも、『東南至奴国百里』の(百里)が、区間距離で無いことを認識するほうが先決だよ 説明はその後からでも遅くない。

478 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 13:04:21
それより

こっちが聞きたいくらいだよ!
なんであの『百里』が区間距離になるのか?


誰か説明してくれ!

479 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 13:08:53
>>477
それよりも先に、あなたが「区間距離ではない」の論拠を示す方が先かと

これと似たような論争が前スレであったなぁ・・・
確か言い出したのはプラム氏だったかな?
議論を誘導するように小出しのネタをはぐらかしながら出してたが、あの時は結局ハッキリした論拠は
最期まで示されなかった

480 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 13:58:35
>>478
河童 ◆EY2wfgakAQ=プラムにも実はよく分かっていないのだと思う。
彼はとにかく定説と違う認識さえ示せればそれでいいのであって
そこに根拠などはないのではないか?
だからそこを突っ込まれるとひたすらはぐらかすわけだ。

481 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 14:27:06
>>480
禿同です
河童氏のレスは、反論を装った一種の荒らし行為と見ます
以後俺はスルーします

482 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 14:37:05
>>479

区間距離でない理由は既にしめした。

「理由」

起点と着点を明確に示せない。


>>480-481
私はプラムではないので、ノーコメント。
それに、何度説明しても何一つ明確な反論、自分の考えを述べられない馬鹿に付き合うほど
こちらも暇じゃやい。

483 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:04:25
>>482
何度でも言いますが、あなたは何一つ説明していません。
相手があきれ返ってスルーしたらこっちのものだとでも思っているのですか?
最後に一言罵倒を付け加える芸風も変わってませんが
何よりまったく反省せずに延々と同じ手口で荒らしを続ける精神構造も変わらないようですね。
もう誰も馬鹿だとか面白いとかで笑ってはくれませんよ。

484 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:08:53
奴の根拠は 

思 い つ き

それ以外無いから説明できない
いい加減出て行ってくれないものかねえ

485 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 15:20:05
>>483

20や30 のレスで説明したかしないかの判断をしてもらいたくは無い。


>>484

自分が去れば済むこと
自分でスレ立てして、お気に入りだけ集めればよい。(そもそも、言ってる事が矛盾だらけ)

出ていってほしい相手が出ていかなければ、黙って去ればいい事 スルーするなら、賛同求めるな! 黙って行動。

486 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:26:03
>>485
えええ!?
>>482で「何度説明しても」って言っておきながら
>>485では「20や30 のレスで説明したかしないかの判断をしてもらいたくは無い」
どないせーちゅうねんw

>自分でスレ立てして、お気に入りだけ集めればよい
そういうことは自分のホムペかブログでやることで、ここでは禁止事項。
つか世間の常識ですよ、それって???

487 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:31:27
>>485
>出ていってほしい相手が出ていかなければ、黙って去ればいい事 スルーするなら、賛同求めるな! 黙って行動。
2重3重に間違っている、詭弁ですらない
禁則事項に違反している者に退去を勧告するのが普通の感覚
決してここは何をしてもいい場所ではない、そのような場所は仮想空間にも現実世界にも無い
お前さんは暴力団がに対して立ち退き運動をしている者に対しても、同じ台詞を言えるか?

488 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 15:37:51
>>486

>>479>>485が同一人物なら こちら側の矛盾発言だから陳謝する

しかし、こちらは別人だと考えそれに見合ったレスを
>>479には、あのレス数で十分と判断し、>>485にはかなりの説明レス数を必要と考えたからだ。


矛盾あるかね?


自分でスレ立てるくらいなら違反じゃないだろう。

489 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 15:50:43
>>487

もう少しまともな例え方してくれよ〜
誰が暴力団だって? アホくさ!
違反だと考えたら黙って削除依頼出せばいい

490 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 15:55:54
以後 古代史に関連なきレスはスルーする

491 :317:2007/02/20(火) 16:15:32
>>468
土器編年は確かに水掛け論になりやすい不確実性があると思います。

ただ、特殊器台、円筒埴輪はその変遷を比較的単純に一本化して見ることが
できるので、ある程度の年代指標になると思います。

箸墓は同じ宮山型特殊器台を有する古墳(西殿塚、中山大塚、弁天塚)との
比較では新しく見る要素があると考えています。>>366はその趣旨です。
ただ、宮山型という前提での話ですが。
この前提ではやはり(崇神、石塚等)→箸墓の流れがあるように見えます。


492 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 16:28:55
>>482
起点と着点がハッキリ明記されてないと区間距離ではないと?
それなら行政区域であるとも明記されてないのだが?

起点「伊都国」着点「奴国」ではない可能性を見出だしただけで、一気に「だから行政区域である」と飛躍
できる論拠をみんなは聞きたいのでは?

まさか「行」という文字がが書いてないからと言い出すんじゃないでしょうね・・・

493 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 16:48:26
>>482

>469 名前:河童 ◆EY2wfgakAQ [] 投稿日:2007/02/20(火) 07:32:58
>>464

>>(ばかり)

>それじゃあ学校の授業だよ!テストの答案はそれでもOKだけど
>『可』の文字を漢和辞典から引用したにすぎない。そこまでしたのだったら、(ばかり)の日本語を今度は国語辞典で検索すべきだろう。
>その作業を皆怠っているわけ、漢和辞典は、漢語文字を日本語に変換しているに過ぎないだけだから。
>日本語にも様々な意味があるだろう?


>中国の律令を検索してみたらどおですか?

>『方』は 正方形(四辺のうちの一辺)

「国語辞典にはこうあります。中国の律令にはこうあります。だから、あなたの意見は、ここが違います。こう考えるべきです。」
というのが議論だろう。
「調べたら?」「調べました。だから?私の意見の否定にも、あなたの意見の証拠にもなりませんよ。」
という部分が無駄だし、多くの人がイライラする所。最初から、君が「こういう根拠があるので、こうです。」
と、はっきり意見を書いてくれたら、反論のしようもあるが、「オレの説はこうだ。根拠はオマエラで調べろ。」では議論にならん。
それを踏まえて、>>492に答えてやってくれ。

494 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 17:00:40
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

495 :493:2007/02/20(火) 17:12:44
ついでに言っとくと、

>482 名前:河童 ◆EY2wfgakAQ [] 投稿日:2007/02/20(火) 14:37:05
>>479

>区間距離でない理由は既にしめした。

>「理由」

>起点と着点を明確に示せない。

これも理由になってないから。
魏志倭人伝の中で、区間距離である場合の起点・着点の示し方と具体的に比較して、
だから起点と着点がないと示さなければ、「そう思う」でしかない。
君が具体的な論拠を示したのは>>424の「陸行」が無いという部分だけ。
「はさほど難しいわけではありません」と言ってるんだからやってね。

496 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 17:15:22
>>492

今忙しいので、後でレスいれます。 それまで理解出来るように、中国の律令と、漢書律暦志をザ〜ットでいいから目を通しておいてくれ!

497 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 18:13:43
>>476

>>379
>>383

498 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 18:17:20
>>487
こんな所で間違いもへったくれもないだろう。どっちが正かを決める審判も居ないし
ま、強いて言えば、荒らしを味方に付けた方が『正』か?

499 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 18:31:32
>>495

申し訳ないが、貴方には前向きに学ぼうとする意思が見受けられないので、要望に対するレス、お断り致します。

500 :SOY:2007/02/20(火) 18:49:15
>>491
>ただ、特殊器台、円筒埴輪はその変遷を比較的単純に一本化して見ることが
>できるので、ある程度の年代指標になると思います。

そうなると崇神陵の埴輪片は無視できないと思います。

>箸墓は同じ宮山型特殊器台を有する古墳(西殿塚、中山大塚、弁天塚)との
>比較では新しく見る要素があると考えています。>>366はその趣旨です。
>ただ、宮山型という前提での話ですが。

私の目ではあの破片から中山大塚、弁天塚、箸墓の前後関係を見ること
はできません。どれも古く見えます。

箸墓の特殊器台が新しいと判断できる慧眼を持ちながら、何故、箸墓の
特殊器台より崇神陵の埴輪の方が古いと考えられるのが不思議です。

501 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 18:54:37
>>495


陸行が無い事が解っただけでも儲けもの(タダで取得出来た) それでいいじゃん

502 :492:2007/02/20(火) 18:54:50
>>499
それは私にも言ってるのかい?
私も495氏と言わんとする事は同筋だが

他のヤマタイのスレでも495氏と同じような事を言われてたでしょ?

私はヤボは言わないが、前スレと同じ失敗を繰り返す気なのかい?
大切なのはコテを変える事ではなく、論の進め方と示し方を変えるべきでは?

「オレは知識がある、お前達にはない。だからオレの言う事を理解できまい。だからオレに学べ」では
耳を傾ける姿勢を相手に求める事も難しくなるのでは?

503 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 19:01:13
>>502

いや〜 そうではないよ

質問する側も質問の質と言うものがあると思いますが?

504 :492:2007/02/20(火) 19:14:37
>>503
質問の質とは?
具体的な論拠を示されなければ、つっこんだ質問も反証もしようがないのではないかい?
はぐらかしの論を張った揚句「勉強してから来てくれ」という姿勢では、質問の質を問う以前の問題だ

相手に対して先生役をしたいのは分かるが、学ぶ姿勢を求めるなら教える工夫もしなくてはならない

まして論拠を示さず論陣を張るようでは、前スレの恵也氏との「行」論戦の繰り返しではないか
あの論戦のリベンジかと思って新たな論拠を期待していたのに、再びスカされた気分だ

505 :358:2007/02/20(火) 19:22:46
>>482
> >>479
> 区間距離でない理由は既にしめした。
> 「理由」  起点と着点を明確に示せない。
> >>480-481
> それに、何度説明しても何一つ明確な反論、自分の考えを述べられない馬鹿に付き合うほど
> こちらも暇じゃやい。

これがあなたの言う「区間距離でない理由」なんでしょう?
>>424
> 『東南至奴國百里』
> ここには『東南陸行五百里・・・』のように「陸行」(陸=移動手段・行=起点から着点に一方向)
> の文が存在しませんので、この文からは(距離数値)を求める事は出来ません。
> 郡使往来行程記事は「東南至奴國・・・・」の点前(郡使往来常所駐)で終了しているという事です。

俺はこれに対して>>432でこう問うているが「スルー」のままだね。
それなのに「既にしめした」は無いんじゃないのかな?

>じゃ、「百里」は何ですか?
>漢書西域傳の場合はどうですか?
>大月氏國、治監氏城、去長安萬一千六百里。
>不屬都護。戸十萬、口四十萬、勝兵十萬人。
>東至都護治所四千七百四十里、西至安息四十九日。

>東至都護治所「四千七百四十里」は?西至安息「四十九日」は?
>これは「数値」じゃないんですか?

『東南至奴國百里』と『東至都護治所四千七百四十里』は用例も文体も全く同じだ。
「都護治所」の「行政区画」とやらは「四千七百四十里」なんだろうか?

「何度説明しても何一つ明確な反論、自分の考えを述べられない馬鹿」
こんなことを言い放った貴方のことだから、きっと今度こそ答えてくれるよね。

506 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 19:24:20
どうでもいいがアラシは去ってくれ

507 :492:2007/02/20(火) 19:39:42
ここにいるのはアラシではなく、河童氏が明解な論拠を提示する事を心待ちにしてる者だと思うが
ところがスカされまくって焦らされ続けてるのだから、厳しい言葉が出るのは当然だろう

それが出なければ議論も賛同も反証もできず、新たな知識を得る事も議論の展開も出来ないのだから

508 :495:2007/02/20(火) 19:43:53
>>501
私の言いたいことは、492氏が言ってくれているので省略するが、
>>495で指摘したことは、私の学ぼうとする意思とは無関係に、
君の説を論証するために必要な手続きなんだよ。


陸行が無いことについては、末盧國で上陸しているんだから、
水行でなければ陸行するのは当然。
末盧國→伊都國→奴國→不彌國と陸路が続いて、
そこから水行二十日、それでそこまでの陸行は省略したと私は考えている。
どこか間違ってるかな〜?河童さんでなくても良いので、
間違っているなら指摘してください。
聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥と言いますから。
そういうわけで、今のところ、
>陸行が無い事が解っただけでも儲けもの(タダで取得出来た) それでいいじゃん
と言われても、何も儲けてないし。信者じゃないから。
陸行の省略ではなく、行政区域だから書いてないんだとする根拠はなんだか教えてくれ。
それで納得できたら、本当に儲けものなんだけど・・・。

>>506
この流れの、どこがアラシ?論点を整理して議論しようとしているだけだろう?

509 :492:2007/02/20(火) 20:05:43
>>508
私は「伊都国−奴国−不弥国」に疑問を持ってるんだ
「伊都国−不弥国」で、奴国に関しての記述は伊都国に隣接する重要国にサラリと触れた部分と考えてる
だから前スレの「行」論争を非常に注目して見ていた
ところが明解な論拠が提示されないまま、グダグダに流れてしまった

今回こそパワーアップした論拠を提示してくれるなら、持論のヒントを得られやしないかと期待してたんだ

しかしアラシ扱いとはね・・・

510 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 20:29:26
>>509
なるほど。伊都国を起点にして東南に行くと奴国、東に行くと不弥国で、
不弥国から南に投馬国というわけだね。
文章の書き方だけを見れば、奴国と不弥国に差がないので、そう考えるなら、むしろ、
伊都国を起点にして東南に行くと奴国、東に行くと不弥国、南に水行すると投馬国で、
「伊都国国−投馬国」で奴国と不弥国の両方が隣接重要国と考えるか、
「伊都国−奴国−不弥国−投馬国」と考える方がしっくりくるけど。
前スレの「行」論争は見てないんです。

511 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 20:31:45
>>510 = >>495です。

512 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 20:39:26
で、一番最初に何を説明すればいいのかな?

>先生役

とんでもない
取り消してくれ

513 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 20:41:52
>>510の 基本的な疑問からいきますか?


どうかな? 意見を求めたいが。

514 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 20:50:12
>>513
まずは>>492と、>>505
『東南至奴國百里』と『東至都護治所四千七百四十里』は用例も文体も全く同じだ。
「都護治所」の「行政区画」とやらは「四千七百四十里」なんだろうか?
に答えてみて。

515 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 20:53:54
>>510

>伊都国を起点に

伊都国と言う面に起点を求めることは出来ない。


>東南に行くと


文中に、移動手段が書かれていないので 行く事が出来ない(何で行くのか明確でない)。

516 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 21:11:24
>>515
だから、何が起点で何が着点なのか具体的に述べよと。何故具体的な話を避けるんだ。
>>495
>魏志倭人伝の中で、区間距離である場合の起点・着点の示し方と具体的に比較して、
>だから起点と着点がないと示さなければ、「そう思う」でしかない。
と問えば、「前向きに学ぼうとする意思が見受けられないので」答えないという。

517 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 21:31:02
>>514

>『東南至奴國百里』と『東至都護治所四千七百四十里』は用例も文体も全く同じだ。
「都護治所」の「行政区画」とやらは「四千七百四十里」なんだろうか?
に答えてみて。


申し訳ないが、文体が似ているだけで前後の文がなければ判断できない
それに、「百」という文字をすくなくとも数詞で捉える事ができないという前提じょうけんとして
行政区画地域と、最終的に結論しているのだが
その、四千七百四十里という文字はいったい数詞の他に何があるのか教えてほしい。

私には「東4740里に都護治所の範囲」としか読めないが

518 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/20(火) 21:33:57
なんか起点着点とか言う話だけになってるけど。
今は距離を言うとき、市であれば市役所が起点だよね。邪馬台国時代はどこが起点だったのだろう。

519 :317:2007/02/20(火) 21:37:21
>>500
>私の目ではあの破片から中山大塚、弁天塚、箸墓の前後関係を見ること
はできません。どれも古く見えます。

特殊器台〜埴輪の流れがあり、特殊器台を出土する古墳が少ないことは
特殊器台の時期が長くはないという意味で新しく見る要素(箸墓だけを
突出して古く見ることに否定的な要素)にはなると考えています。

>崇神陵の埴輪
確かに、特殊器台〜埴輪の流れからは、埴輪は崇神稜の方が新しいと
見る要素ですね。
たぶん円筒埴輪ではないかと思いますが、正直なところこの埴輪をどう
見たらよいのか分かりません。
近藤は、後世に何回か行われた祭祀のときの特殊器台、埴輪が混在する
ことを述べていますが、崇神稜の埴輪が築造時のものであると確認されれば
箸墓→崇神になると思います。


520 :太国:2007/02/20(火) 21:41:08
【盲点】 いよいよ判明!

卑弥呼≠比売大神

521 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 21:41:43
>>516

>何が起点で何が着点なのか具体的に述べよと。何故具体的な話を避けるんだ。

避けてはいない
因みに聞くけど 伊都国は「点」なのか? 「伊都」じゃあなく「伊都國」と書いてある以上は範囲だぞ
起点はあくまで起(点)だよ

水行し次に陸行する場合の点は、水域と陸行の境に移動進行ラインが交わるクロス点(詰まり港)
これが文章表現における点の取り方の、一例だよ  

522 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 21:47:15
>>518

>今は距離を言うとき、市であれば市役所が起点だよね。邪馬台国時代はどこが起点だったのだろう。

きょうは冴えていますね
東京駅といえば(0キロポスト)



523 :492:2007/02/20(火) 22:09:23
>>510
不弥国が「東至不弥国百里」と記載されてれば納得できる
しかし「行」が入っている以上、奴国と別の意があると考えるんだ
むしろ一連の流れの中で奴国のみが別という事

私は下手の横好きで書を少し学んでいる
所謂「省略の極致」に漢書の美を求めるなら、不弥国も奴国と同じく「行」が省略された方が美しい
私は書の観点から見ているので「美しい」と「正しい」が同義ではないという事を理解してもらえたら
有り難い

不弥国に関しては「陸行」の「陸」のみが省略されたと思う
「行」を省略されなかったのは奴国の紹介で横道に逸れた文の流れを行程の説明に戻すためと、奴国が
「女王国への経由地ではない」と知らせるためだと考える

524 :492:2007/02/20(火) 22:17:04
>>515
ならば不弥国の「東行」はどうなのだろうか?

>>517に関しては、今は出先で携帯からなので手元に資料が無く確認できない
帰宅してからレスさせて貰いたい

525 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 22:19:57
又渡一海千餘里至末盧國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛行不見前人。好捕魚鰒。水無深淺、皆沈沒取之。
東南陸行五百里到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸。世有王皆統屬女王國。郡使往來常所駐。
東南至奴國百里。官曰[凹/儿]馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。
東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。
南至投馬國水行二十日。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳[革是]。可七萬餘戸。

526 :492:2007/02/20(火) 22:23:26
>>518
それだと海上路以外の全ての記述は「起点と着点がない」って事になってしまいますな
なのに陸上に入ってからも「陸行」や移動日数の記述がある

陸上に全ての距離や移動日数が「距離では無く行政区域である」ならともかく・・・

527 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 22:32:54
>>515

>ならば不弥国の「東行」はどうなのだろうか?

「東行至不彌國百里」
やはり奴国と同じ扱いかでは

「陸、或いは水」の文字がありませんから、実質移動にはなりませんし、やはり
ここでも(起、着点)を設ける事ができません。
ここでの『行』の解釈は、(学校に行く、会社に行く)などと同じような使用例かと
詰まり
奴國を基準に 奴國→不彌國→奴國 と読むべきでは 

『学校に行く』 この表現には、単に学校に行きっぱなしではなく、必ず(登・下校)が含まれると
いうことです。そこが『陸・水』行 などとは違った『行』の使用例でしょう。
文字は、前後の文脈により解釈は違ってきますので(しかし字義は変わらない)

528 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 22:38:33
>>526

>それだと海上路以外の全ての記述は「起点と着点がない」って事になってしまいますな
なのに陸上に入ってからも「陸行」や移動日数の記述がある

陸上に全ての距離や移動日数が「距離では無く行政区域である」ならともかく・


だから『至 と 到』の正しい解釈が必要になり、編纂者も使い分けているのです。

>移動日数の記述がある

今これを説明すると混乱を招くおそれがありますから、時期がきたら必ず触れます。ご了承下さい。

529 :358:2007/02/20(火) 22:42:48
>>517
 >>514氏じゃないが、元レスが私のものなので出張る。

>>>『東南至奴國百里』と『東至都護治所四千七百四十里』は用例も文体も全く同じだ。
>「都護治所」の「行政区画」とやらは「四千七百四十里」なんだろうか?

>申し訳ないが、文体が似ているだけで前後の文がなければ判断できない

元の>>432では全文を掲げているんだが再掲しよう。

大月氏國、治監氏城、去長安萬一千六百里。不屬都護。戸十萬、口四十萬、勝兵十萬人。
東至都護治所四千七百四十里、西至安息四十九日行、南與kei[冠网厂垂中扁炎旁右剣]賓接。
土地風氣、物類所有、民俗錢貨、與安息同。出一封tak[冠上嚢脚石脚木]駝。

さあ、再度御見解を伺おうかな。
ちなみに、漢書西域伝からの引用なんだから貴方が知らないのも変じゃないの?

>それに、「百」という文字をすくなくとも数詞で捉える事ができないという前提じょうけんとして
>行政区画地域と、最終的に結論しているのだが

「百」が数詞じゃないと「行政区画」になるとしか読みようが無い文章だがそれでOK?

>その、四千七百四十里という文字はいったい数詞の他に何があるのか教えてほしい。

「数詞+距離単位の里」と考えてる以外はありません、と言ってるように読めるがそれでOK?
それだと、貴方の今までの発言とは根底から矛盾する発言になるが。

>私には「東4740里に都護治所の範囲」としか読めないが

それだと「○○里先に都護治所の範囲がある」とも取れる。
「だから、この百里は行政区画範囲」とは明確に表現が違うな。
こっちの方は「行政区画が100里」の様に読める。いったいどっちなの?

530 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/20(火) 22:45:40
>>347
>そう頭ごなしに否定せずに色んな意見くみ上げていこうぜ

俺は中身のある話には「頭ごなしに否定」なんてしてないよ。
魏志倭人伝は大昔のことではあるけど、書いた本人が卑弥呼と同時代に生きた人間だし
記事自身が非常に信頼の出来る記述になってると見てる。

その点、この時代の人口なんて調査法も判らぬアヤフヤ数字。
俺が再調査する事も出来ないし、否定せざるを得ない。
あなたも少し数字に対する、根源的思考法を身に付けなさい。

531 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/20(火) 22:50:57
>>348
>違うよ。当時は八百万人の神さまがまだ生息していたので

今だって八百万の神は存在してるよ。
俺はそう信じてるし、四国88ヶ所徒歩遍路を2回おこなった、信心深い人間だ。

それから世界の圧倒的多数は、神の実在を信じてます。
日本の今の学校教育と、マスコミのせいで信心深い人間は少なくなったようだが
世界ではそれでも少数派。

海外旅行する時は宗教の欄に「仏教徒」くらい書いておけよ。
無宗教なんて書いたら、奇異な人間と見られるぜ!

532 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/20(火) 22:59:38
>>349
>一つの集落に1万人を超える人が住んでいたとは思えないのだが。

一つの集落ならそれくらいが限度だろう。
しかし魏志倭人伝には1つの集落じゃなく「国」という単位で書いてあります。

俺は邪馬台国を多くの大小の集落から成り立った「宮崎県〜大分県まで」を領土とした
大国だったと見てる。

中国の魏の大きさや、公孫氏の領土の大きさを考えればその程度は常識の範囲の広さだろう。
日本だけが諸外国からそんなに遅れた国家だったとは思えない。
文明は伝染するもの。
中国や朝鮮から多数の人間が、戦禍を逃れ日本に来てるはず。
卑弥呼でさえ公孫氏の血縁だったという記録さえある。

533 :SOY:2007/02/20(火) 23:04:26
>>519
>特殊器台〜埴輪の流れがあり、特殊器台を出土する古墳が少ないことは
>特殊器台の時期が長くはないという意味で新しく見る要素(箸墓だけを
>突出して古く見ることに否定的な要素)にはなると考えています。

箸墓だけを突出して古く見ることはできないという意見に賛成です。
上記の説明も実に説得力があると思います。

私も特殊器台の期間を短く見ています。(少数派かも知れませんが)

>近藤は、後世に何回か行われた祭祀のときの特殊器台、埴輪が混在する
>ことを述べていますが、崇神稜の埴輪が築造時のものであると確認されれば
>箸墓→崇神になると思います。

確かに資料数が少ないのでこれだけでは崇神陵の年代確定の決定打には
ならないかも知れませんね。

結論は出ませんが、何となくこの数回のやりとりで自分なりに
崇神陵の位置付けについて少し整理することがきました。

感謝します。

534 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 23:05:03
>>529

>それだと「○○里先に都護治所の範囲がある」とも取れる

ちょっと論点がずれてるような?
「○○里」この○○に相当する 四千七百四十里 これは数詞以外に読み様が無い
例え 起点着点が明確でなくとも
この○○が完全に数詞の場合、後に来る『里』は自ずと『距離の単位(里)』

しかし、『東南至奴國百里』の『百』の場合 数詞以外にも意味を求める事が出来
条件が全く違う。 このような時は必ず その両方の検証が必要になる。
それに、郡使往来行程文は(郡使往来常所駐)で終わっているので よりいっそう
『百』を数詞とする根拠はなくなるのだが

ここで『百』が数詞で無いとすると後の『里』は(距離単位・里)ではなくなり
別な解釈の選択となります。

535 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/20(火) 23:08:09
>>353
>奴国を例に挙げても2万戸というのが一つの集落の人口をさすのか 全体に散らばっている
>各集落人口、つまり奴国の総人口をさすのかさえはっきりしてないんだから。

はっきりしてるよ。
「国」と書いてあるだろう。
邪馬台国なんて8万戸、42万人くらいの国だって書いてあるんじゃないの?

それを「奴国だけは別で集落であって奴国村だ」なんて言い出したら、マトモナ国語力を疑われるぜ!

−−−−−(引用開始)−−−−−
邪馬壹国に着く。女王の都である。官を伊支馬(いきま)、次官を弥馬升(みます)という。
その次を弥馬獲支(みまかき)といい、その次を奴佳(なかて)という。七万戸余りある。
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

536 :317:2007/02/20(火) 23:14:46
>>533 >感謝します。
こちらこそ、駄文にお付き合い頂き有難うございます。

しかし、まだ「ちょっと」続きますw(たぶん)。

537 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 23:16:54
>>529

このように、文中において数詞『百』と数詞以外『百』の混乱を避ける意味もあり
漢籍文の『百』には(一百)と表示し数詞であることを強調しています。

これがこの場面の『百』を数詞で無いとする根拠のもう一つです。

まだ必要?  そろそろ疲れた

538 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/20(火) 23:17:58
>>355
>当時のクニが、今の郡くらいの規模だったといわれているから、

それは根拠のないどこかのバカが言い出した山勘だろう。
こういった話にはマトモナ根拠がないのが常識。

古代インドの数の数え方が違っていたなんて、どんな根拠があるんだい。
むしろゼロという数字を発見したほどに数学的知識が、昔から発達していたと見るべき。
それを10分の1とかに、後世のロクに知らない人間がすることを「傲慢」という。

−−−−−(引用開始)−−−−−
何もないことが世界の全ての始まりであり、少数と整数との唯一のボーダーとなるわけです。
宇宙の始まりもゼロからの発進であり、すべての美学もまたゼロが全ての元となるのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/cores691/42806860.html

539 :358:2007/02/20(火) 23:21:49
>>534
> >>529
> >それだと「○○里先に都護治所の範囲がある」とも取れる
> ちょっと論点がずれてるような?
> 「○○里」この○○に相当する 四千七百四十里 これは数詞以外に読み様が無い
> 例え 起点着点が明確でなくとも
> この○○が完全に数詞の場合、後に来る『里』は自ずと『距離の単位(里)』
> しかし、『東南至奴國百里』の『百』の場合 数詞以外にも意味を求める事が出来
> 条件が全く違う。 このような時は必ず その両方の検証が必要になる。

じゃ、「起点、着点が不明」って言うのは、貴方の論旨と直接関係ないのね。
じゃ、「奴國百里」が数詞じゃないってどうやって検証したの?
早い話、その検証内容の方が「決めて」なわけじゃん。
過去レスの表示でもよいから教えて。

> それに、郡使往来行程文は(郡使往来常所駐)で終わっているので よりいっそう
> 『百』を数詞とする根拠はなくなるのだが

「郡使往来常所駐」で終わっていると何故、「百」を数詞とする根拠はなくなるの?
これも「起点・着点」の話しよりも重要な論拠じゃないの、何で今まで黙ってたのさ。


540 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 23:25:43
悪いけど、『百』の数詞でない根拠提示はこれで打ち止め これ以上提示するつもりはないよ
秘密の一つや二つくらい手中に置いておきたいから

541 :495:2007/02/20(火) 23:25:48
>>517
しかし、『百』を数詞でないとする根拠は、君の言う起点・着点が明示できないことしか無いんだろう。
そこで、結局、起点・着点のところに戻ってしまうんだが、

>水域と陸行の境に移動進行ラインが交わるクロス点(詰まり港)

人工衛星で正確な測量が可能な時代ならいざしらず、渡一海千餘里とか陸行五百里とか水行二十日などと記述している文章で、
それが文意を左右するほどの重要なことか?
港に着いて「末盧國に着いたな〜」と上陸し、休憩するなり宿泊するなりして、そうした施設から
「じゃあ、次は伊都國へ」と出発する。陸行五百里に港と施設の差がどれほど影響するんだ?
港から出発しようが宿泊施設から出発しようが末盧國から出発するんだ。
そんなに点をきっちり決めるなら、数字のほうが五百里なんてアバウトなものじゃなく、
現代の測量が小数点以下までとは行かないまでも、もう少しきっちりしてなきゃおかしいだろう。

>これが文章表現における点の取り方の、一例だよ 

それは、君のルールじゃないのか。それとも史書はそのように記述するというルールでもあるの。
それと、もう一つは、行政区画範囲なら方可三百里とはどう違うの?

542 :日本史@名無しさん:2007/02/20(火) 23:29:17
なんかなあ・・・。またおんなじ事の繰り返しだねw

・文字へのこだわり
・深い根拠無しの強弁
・ぷ が消えたと同時に出現
・対話にならない

以上の点から、どっからみても河童=ぷ ですた。
どうもありがとうございました。

543 :358:2007/02/20(火) 23:31:14
>>540
> 悪いけど、『百』の数詞でない根拠提示はこれで打ち止め これ以上提示するつもりはないよ

それって、結局のとこ何も説明してくれてないよ。

> 秘密の一つや二つくらい手中に置いておきたいから

なんじゃ、そりゃw

544 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:32:51
>>542
河童にプラムですか?と聞くから違うと答える
「あなたは以前プラムという名前で書き込んでた人ですよね?」
と質問しないといけない訳です。

545 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:33:21
まどろっこしいこと言わないで自分の思うことを書けばいいじゃんバカッパさん。
それが分かるやつは分かるし、反論のしようもあるってもんだ。

納得してほしいんでしょ?バカッパさんが一人だけ「気付いた」真実をw
なんなら学べとか調べろとか偉そうなこと言わないで説明しろよw

546 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:33:51
これも「今回は参った」でいいのにね。
わざと嵐を呼び込もうとしてるとしか思えない。

いくら名前を変えても、こういうのが続くとそのうち誰からも相手にされなくなるよ。

547 :阿蘇山は移動した:2007/02/20(火) 23:34:19
何かもめてるようですね。岩波みたら、「東南至奴国百里」「東行至不彌国
百里」どうみても往復と解せない。そもそも、邪馬台国へ行く道を示す記事。
関係ないところは21か国にいれればいい。放射式など誤りであるのは、
いまさら言う必要もない。ただ、距離をちじめるための詭弁か、電波。
相手にする必要はない。

548 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:37:10
真面目に取り組んでいる我々を混乱に陥れて楽しんでいるのだとおもう。
そうでなきゃ、全く理解力がない人か。
そのどちらかだね。

549 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 23:41:33
>>539

>「郡使往来常所駐」で終わっていると何故、「百」を数詞とする根拠はなくなるの?
これも「起点・着点」の話しよりも重要な論拠じゃないの、何で今まで黙ってたのさ。


初めて言ったことではないよ

550 :阿蘇山は移動した:2007/02/20(火) 23:45:35
人口は、伊都国を注意する必要がある。魏略(岩波文庫136ページ)
に戸万余 とある。魏志では、千余戸 とある。従来魏志の書き間違い
とされてきたが、陳寿は、倭の数字を魏の数値に直したとすると、どう
ですか。つまり、倭人は、1桁多く数えた。南水行20日は、魏では2日
5万余戸は、5千余戸。卑弥呼の塚も径百余歩は、径十余歩。これなら、
九州でもありえる。

551 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 23:46:20
>>541

>人工衛星で正確な測量が可能な時代ならいざしらず、渡一海千餘里とか陸行五百里とか水行二十日などと記述している文章で、
それが文意を左右するほどの重要なことか?
港に着いて「末盧國に着いたな〜」と上陸し、休憩するなり宿泊するなりして、そうした施設から
「じゃあ、次は伊都國へ」と出発する。陸行五百里に港と施設の差がどれほど影響するんだ?
港から出発しようが宿泊施設から出発しようが末盧國から出発するんだ。
そんなに点をきっちり決めるなら、数字のほうが五百里なんてアバウトなものじゃなく、
現代の測量が小数点以下までとは行かないまでも、もう少しきっちりしてなきゃおかしいだろう


なぜ最後の〆を『おかしいだろう』と締めくくる?  反論なのに

552 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:50:15
>>549
> >>539
> >「郡使往来常所駐」で終わっていると何故、「百」を数詞とする根拠はなくなるの?
> これも「起点・着点」の話しよりも重要な論拠じゃないの、何で今まで黙ってたのさ。
> 初めて言ったことではないよ

だから「結論」だけ言われても解らんじゃないか。
その論拠は説明しないで「秘密」なんだろう。
まあ、「起点・着点」も説明しないで秘密しとけば良かったんじゃないのw

553 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:51:51
>>552
ソレダ!!

554 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 23:57:31
>>546

>いくら名前を変えても、こういうのが続くとそのうち誰からも相手にされなくなるよ。

忠告ありがとう
相手がいなくなったら相手してくれ  な   それまでは無視でいいから



555 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:59:43
>>550
どういう意味?
伊都国の戸数だけ魏に変換して他の数字は倭人の数え方のままってこと?

556 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:59:54
>>550
じゃ、卑弥呼さんが魏帝に贈った「男生口四人、女生口六人」は
本当は、男0.4人、女0.6人、だったんだね〜。 おもしろいな〜 (^w^;

557 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/21(水) 00:00:47
>>552

>だから「結論」だけ言われても解らんじゃないか。
その論拠は説明しないで「秘密」なんだろう。
まあ、「起点・着点」も説明しないで秘密しとけば良かったんじゃないのw

わざわざ
ヒニクいいにレスしたの?     

558 :546:2007/02/21(水) 00:01:43
>>554
>相手がいなくなったら相手してくれ
断る
>それまでは無視でいいから
断る

>わざと嵐を呼び込もうとしてるとしか思えない。
を否定できないのならな



559 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/21(水) 00:05:17
>>548

>真面目に取り組んでいる我々を混乱に陥れて楽しんでいるのだとおもう。
そうでなきゃ、全く理解力がない人か。
そのどちらかだね。


それより
議論に参加した事あったっけ?  スレ間違えたの?

560 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:05:43
>>554
> >>546
> >いくら名前を変えても、こういうのが続くとそのうち誰からも相手にされなくなるよ。
> 忠告ありがとう
> 相手がいなくなったら相手してくれ  な   それまでは無視でいいから


う〜〜〜〜〜む。
キミの場合、既に「まともな議論の相手」「意見交換を楽しむ仲間」としては、
ほぼ、全員から認められていない、そう言う観点では「無視」されてるよ。

単に弄くって遊ぶ対象として見てるヤツか、
剥きになって「かまってチャン」を演じるキミが哀れなので声かけてくれる奇特な人、
キミの周りにはその二種類の人しかいない。


561 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/21(水) 00:09:08
>>558

>>相手がいなくなったら相手してくれ
断る
>それまでは無視でいいから
断る

>わざと嵐を呼び込もうとしてるとしか思えない。
を否定できないのならな


そんな冷たい事言わずに 付き合えよ   あと400レスの辛抱だ

562 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/21(水) 00:12:02
>>560

>>554
> >>546
> >いくら名前を変えても、こういうのが続くとそのうち誰からも相手にされなくなるよ。
> 忠告ありがとう
> 相手がいなくなったら相手してくれ  な   それまでは無視でいいから


う〜〜〜〜〜む。
キミの場合、既に「まともな議論の相手」「意見交換を楽しむ仲間」としては、
ほぼ、全員から認められていない、そう言う観点では「無視」されてるよ。

単に弄くって遊ぶ対象として見てるヤツか、
剥きになって「かまってチャン」を演じるキミが哀れなので声かけてくれる奇特な人、
キミの周りにはその二種類の人しかいない。


ん〜っ   なら 消えるか    あと400レスだったのに   残念

563 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:14:03
>>561
アラシしてくれ、という意味だね。
もう誰もまともに相手にはしていないよ。
はっきり言うと、お前は板を間違えている。
迷惑なんだよ。

564 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/21(水) 00:15:29

PS

で、 『百』と『一百』には触れないわけね



クスクス  クスクス        こんなもんか?

565 :495:2007/02/21(水) 00:16:39
河童さん
あのね、「又攻楚漢中,取地六百里」とか「故益封之百里」とかの用例もあるしね、
○○里がある程度の広がりを示す場合もあるわけで、
奴國百里が行政区画範囲だという君の説を頭から否定してかかってる訳じゃないんだよ。
結論の他は、起点だ着点だって抽象的なことと例え話しか言わないで、
論拠となる具体的なものを示さないから議論にならないと非難されているんだよ。
だから、「そこは間違っているんじゃないか」という質問に対して、
具体的根拠を示さずに間違っていないと言ったり、質問で返したり、○○を調べろだのというのは
議論にならないから、基本的にはやめてね。
特に、○○を調べろというのは、資料をどう読むかが人によって違ってくることもあるので、
意味が無いことが多いよ。
ここでも、まさに魏志倭人伝という資料をどう読むかで揉めてるんだから。
「私はこの資料をこう読んだ」という提示をしないとね。
なんだか、また前スレの終わりみたいな雰囲気になってきてるから、気をつけてね。

>なぜ最後の〆を『おかしいだろう』と締めくくる?  反論なのに

オレはおかしいと思う。キミもおかしいと思うだろう。え、思わないのかい。じゃあ、説明してよ。
そこまで、噛み分けて書いてあげなければキミには通じないのだろうか。
いい加減、揚げ足を取るようなことはやめて、きちんと議論をしようよ。

『百』と『一百』、両方の用例があるね。

566 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:16:42
>>564
捨てぜりふはいいから、もうくるな

567 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/21(水) 00:17:49
>>550
>卑弥呼の塚も径百余歩は、径十余歩。これなら、 九州でもありえる。

魏志倭人伝は短里で書かれてます。
だから径100歩は、直径30mくらいの円墳です。

魏志倭人伝は卑弥呼と同時代の陳寿が書き残した書物で、コピーが現存してる。
魏略は歴史の闇に消えてしまった書物で、本物はコピーさえない。

信用性に天と地の差がある。

568 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:18:37
なんかこの展開見たことあるぞ・・・デジャヴュか


569 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:23:24
>>568
俺も何回も見た。
消えて安心しても、しばらくしてまた出てくる。
言葉の責任が取れない人間だからな。
こういう場合は隔離スレが一番いいんだがな。
プラム君専用スレを真剣に考えてもいいかも試練名。

570 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:24:56
プが存在する限り繰返されること。
幻視、幻覚じゃあない、現実だ。

571 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:25:34
>>568

元コテ連が名無しに変身しお祭り騒ぎ
そろそろ名前晒すか。

572 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:25:37
いつものパターンだとそろそろ擁護レスがあるはず

573 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:26:14
>>569
しかし、何だか妙に癖になる感じ。
プラムも河童もいなくなったら、寂しくなる予感。

574 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/21(水) 00:27:03
>>551
>現代の測量が小数点以下までとは行かないまでも、もう少しきっちりしてなきゃおかしいだろう

天体観測で現在地を調べたから、測量技術の未熟さで測量の単位が1000里になったんだよ。
500里以下の単位は、歩幅かなにかで概略の数字を出したんだろう。

当時の広大な中国大陸で、呉や蜀と戦争するのに現在地の測量技術なしでは戦争にもならんよ。
誤差があるとはいえ、当時の軍隊は現在地を確認する技術を持っていたと見るべき。
軍隊が迷子になったり、輸送隊まで戦場につけなくなってしまうよ。

575 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:27:21
>>573
プラム乙

576 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:29:15
>>571
さらしてみそ

577 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:30:51
やはりプロ固定か

578 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:30:58
>>569

> こういう場合は隔離スレが一番いいんだがな。
> プラム君専用スレを真剣に考えてもいいかも試練名。

過去には在った。
ヤツが自分で起てたんだけど。
延々と独白みたいなレスが続いてたのかもしれんが、
その結末がどうなったかは知らない。
もう、今は無いみたいだな。
もしかしたら、ここをそういうスレにしたかったのかもしれない。

だとしたら、放置してあげなくちゃいけなかったかな・・・・
何もここに集まらなくても、他に似たようなスレ、いっぱいあるもんな。

579 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:33:16
>>578
だとしたら
[1]プラム ◆TOfHBAKZgM <>
2007/02/11(日) 15:27:35
従来の

『魏志倭人伝』等を読む
『邪馬台国はどこですか』

の 後継スレとして活用してください。

は卑怯ですね。
まともなスレを装ってる。

580 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:34:58
だからアラシはでていってくれよおおおおお

581 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:36:26
>>569
>プラム君専用スレを真剣に考えてもいいかも試練名。

なんでしたら、ぼく、プラムさんが大活躍できそうな新スレ、立てますよ
勝手にやって、よろしいでつか?

582 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/21(水) 00:36:22
>>565

ありがとね

失礼があった事は、申し訳ない。


>「百」と「一百」用例が有ったね


やっと 正常な人が現れたのに 残念。




また 暇出来たら顔出します。

583 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:38:11
>>581
よろしくお願いです。

584 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:42:28
>>574
測量技術は持っていただろうと思う。
始皇帝は度量衡を統一して原器を全国に配布していたくらいだから、
中国国内なら、もし都市間の距離を測るための起点が制定されていたとしても
それほど驚かないよ。
ただ、陳寿が日本の国と国の間の距離を記述するのに河童氏が言うほど
起点だ着点だと神経質に注意を払ったとはとうてい思えないということなんだ。
そこまで注意を払うなら、結果の方も五百里とかの概数ではなくて
五百三十六里とか細かく記述するもんじゃないのかと思うのです。

585 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:43:24
>>582
>やっと 正常な人が現れたのに 残念。
他の人が正常でないという資格はお前にはない。
>また 暇出来たら顔出します。
今度来たら徹底的に排除する。

586 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:46:36
>>581
> >プラム君専用スレを真剣に考えてもいいかも試練名。
> なんでしたら、ぼく、プラムさんが大活躍できそうな新スレ、立てますよ
> 勝手にやって、よろしいでつか?

過去ログ漁ったらそれらしのが有った。参考までにタイトル等を紹介

【BC2】邪馬台国の根本【AD3】
1 名前:プラム ◆RvhHf7kqyY [sage] 投稿日:2006/04/18(火) 22:06:00
【楽浪海中有倭人分為百余国以歳時来献見云】
ここから始まる日本の歴史
この辺りのスレが無いので立てて見ました。
2 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/04/18(火) 22:25:24
2取れたら
ヒミコとsex
3 名前:プラム ◆RvhHf7kqyY [sage] 投稿日:2006/04/18(火) 22:25:26
【百餘國】の「百」とは
数値ではない。この「百」とは「百姓」の「百」と同じ意味解釈(…沢山…)です。
邪馬台国が建国されるBC 2C以前のその地域には、王権国家が百余国あったのではなく
小さな村々で成り立っていた事を述べている。
〜〜〜〜〜〜 中 略 〜〜〜〜〜〜〜〜
915 名前:プラム ◆TOfHBAKZgM [] 投稿日:2006/12/29(金) 10:32:56
隋書に「阿蘇山」の文字が掲載してあればすぐ
熊本の阿蘇山と 意を解す有様
掲示板でカキコしている間はまだ可愛いげが有るが、これを堂々と著書にし、金取るなんざあまるで詐欺しだね
「阿蘇」なんて中国漢籍で検索かければゾロゾロ出てくる そんな奴の意訳本をバイブルに語っちゃうあたりは とても(>_<)
右も左も 自分勝手な感想文だらけ 正に冬休みバージョン只今満開か?
916 名前:プラム ◆TOfHBAKZgM [] 投稿日:2007/01/03(水) 01:31:29
明けましておめでとうございます
917 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2007/01/05(金) 23:57:55
日本史板の常識
コテ=馬鹿

587 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:48:08
>>586
ワロス

588 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:48:37
>>582
なぜ かんたんにに、すがたをけすなんていえるんだよ ばっきゃろおおおおお
むちもうまいなやからをけいもーし、みちびくのがあなたのやくめじゃないのかよおおお
もういなくなるなんていうなよおおおお

589 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:48:43
なんと今年の正月明けまで生きていたんだなあ

590 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:50:53
>>588
呼ぶな

591 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:51:29
>>471
厳密な測定数字ではあり得ないのだから、細かい数字自体を云々するのはナンセンス。

592 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:51:32
>>583
>よろしくお願いです。
>>586
>過去ログ漁ったらそれらしのが有った。参考までにタイトル等を紹介

はい。お引き受けしまつ。参考資料、ありがとう
スレタイは、こんな感じになるかな、たぶん

 「プラムさんと一緒に厳密に読もう!魏志倭人伝」

あすの朝をお楽しみに〜

593 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:53:39
>>592

> スレタイは、こんな感じになるかな、たぶん
>  「プラムさんと一緒に厳密に読もう!魏志倭人伝」
> あすの朝をお楽しみに〜

 「プラムさんと一緒に秘密にしよう!魏志倭人伝」の方がよくね?

594 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 00:53:49
>>590
その手のは、来ないと称して様子をうかがう習癖を持っているから、呼ぶも呼ばないも関係なし。

595 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:01:59
>>582
あなたがいなければこのすれはさびれるんだよおおお
そんなのあなたがいちばんよくわかっているじゃないかあああ
おれたちをみすてないでくれよおおおお

596 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:04:45
>>584
ちょっと逸れますが、漁師は、測量器械など使うまでもなく、目当てにできる島や山などの
位置関係から、日常的に行動している範囲であれば、海上における位置を相当に正確に
把握できるので、海峡をひんぱんに行き来していた船乗りなら、海上といえども距離は
かなり正確に把握できていたと考えても構わないでしょう。
それが陳寿がベースとした報告の作成者に正しく伝わったかどうかは別問題ですが。

597 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:06:26
>>595
来ないと称して様子をうかがう習癖を持った、異常な自己顕示欲に侵された輩は、
いわゆる自作自演を常套手段としている。


598 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:11:07
>>597
おれはかわどうさんじゃないよおおお
なまえがにほんあっとななしさんになってるじゃないかよおおお
じさくじえんをもーそうしているおまえなんかどっかいっちゃえよおおおお

599 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:14:06
>>598
 >>592の立てる新スレに行きなさい。

600 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:16:50
>>599
おまえらがしんすれたててそこにいけよおおおお
ここはぷらむさんがたてたすれだよおおお
でていくのはおまえらだよおおおお

601 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:25:47
>>600

> 『魏志倭人伝』等を読む
> 『邪馬台国はどこですか』
> の 後継スレとして活用してください。
なのだから、すき勝手なことをするな アホ


602 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:26:56
たてよみ?

603 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:34:16
>>601
あほっていうほうがあほだってばーちゃんいってたぞおおおおお
おまえなんてきらいだああああ

604 :492:2007/02/21(水) 01:46:55
あらら・・・やっとスレを覗きにこれたと思ったら、荒れちゃってますねぇ

605 :スレ主:2007/02/21(水) 02:12:30
俺がすれぬし 俺には向かう者はでていけ(>_<)

606 :スレ主:2007/02/21(水) 02:24:25
ここはプラムさんのスレ
おれの悪口言う人はでていけ

607 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 02:32:54
ほんものならきゃっぷつけろよおおおお

608 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 02:36:44
どうでもいいからもう来るな。

609 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 02:37:59
1 名前:プラム ◆TOfHBAKZgM 2007/02/11(日) 15:27:35
↑こいつ超がつくほど アホ


610 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 02:38:22
>>535
吉野ヶ里のような遺跡をすぐ何々国ではないか、と想定したりするから都市国家のようなイメージがある。
例えば吉野ヶ里が中心都市で無かったとすればあのような遺跡が行政区には数多く点在していなければならないということになり、
もっとたくさんの遺構が見つからないと人口の想定に合わない気がする。
発見例が少なすぎる。

611 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 02:43:16
>>538恵也さんてお経読んだことあるんでしょ。
お経に出てくる数の単位は今とは違うみたいよ。
だから古代の中国でも違っていたと思うけど。

612 :スレ主:2007/02/21(水) 02:51:08
スレ主から一言
>>610>>611
『魏志倭人伝』等を読む
『邪馬台国はどこですか』
の 後継スレとして活用してください。
活用できない人はヨソいってください。

613 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 03:03:17
ビール飲んで寝ちゃったので夜中に3連発目。
恵也さん、太国さん、河童さんが出揃うとスレが急ににぎやかになる。それでいいんじゃない。
誰が言ってるのが正しいのか、間違ってるのかどうせ解りっこないんだから。
こんなして各地の知らない人と邪馬台国の会話をすることが面白いんであって。
だから河童氏もいちいち消えたりする事無いよ。漢字の本来持っている意味から入る特異な切り口で、
一般向けは確かにしないだろうけど、それはそれで勉強になる。
彼を謗っているみんなもそのように受け止めていけばよろしかろう。

614 :一応九州王朝説:2007/02/21(水) 05:48:34
>>610
発掘例というべきですね。既に沢山予想はされていますし、
実際に見つかっていてもちょろっと堀っただけであとは破壊
されまくり。
九州はどこもそんなんです。卑弥呼の墓も既にアボーソかも。

615 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 06:10:36
>>614
これは失礼。でも弥生時代の人口ってぶっちゃけどのくらいあったのでしょうかね。

616 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 07:15:41
お! 良いスレ出来たから向こうに移ります。

ではでは。


スレ立て主乙です。

617 :阿蘇山は移動した:2007/02/21(水) 09:24:35
>>556
生口は、中国につれていってるので、魏でかぞえてます。1桁
ずらさないでいい。
>>567
短里可能性がありますが、吉野ヶ里 柱 間隔 とかでヤフーで
検索すると2m20cmらしい。魏の1里は436mくらい。
吉野ヶ里の2倍は440cm。なんか、長里のきもするが、三内丸山も
2m20cm?日本古来の基準かな?不明。

618 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:40:57
>>616
いかないでえ
みすてないでえ
このすれさびれるうううううう

619 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:13:15
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

620 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 12:00:49
>>615
弥生時代の人口は、ぶっちゃけ分からない。
土器編年で推定した2300年前から弥生時代を仮定した場合と
AMS年代測定法で推定した3000年以上前から弥生時代を仮定した場合と
では、その後の人口推移も全く違ってくる。
特に、邪馬台国があった頃の人口は全然違ったものになってくる。

ちなみに、魏志に書かれている戸数から判断したら
AMS年代測定法でやったほうが真実を表していると思う。

今、考古学会は、外国で研究成果を発表しても
土器編年だけでは全く相手にされない。
安本らアマチュアは土器編年にしがみついているが
外国の学会で成果を発表しようと思ったら、
AMS年代測定法と年輪年代測定法の精度を上げていくしか
方法が無いわけで。


621 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/21(水) 13:24:18
>>610
>例えば吉野ヶ里が中心都市で無かったとすれば

当然中心都市のひとつだよ。
その周りに歴史の闇に消えた無数の集落があったと見るべき。

1700年の歴史に残る設備は、ちっとやそっとの物じゃ残りはしない。
30人くらいの人間が集まって生活するだけじゃ、風化、腐敗、錆び、植物などで土に帰るよ。

622 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/21(水) 14:47:17
>>611
>お経に出てくる数の単位は今とは違うみたいよ。

俺が覚えてるお経は般若心経くらいで、他のお経は覚えてない。
弥勒菩薩が何億年未来に生まれるとかというのは、タダの後世の人間が作った寓話に過ぎない。
数の単位以前の問題だよ。

般若心経も含めて、ほとんどのお経はお釈迦さんが死んで300年以上後に、お釈迦さんが言わ
れたとして新しく作られたもの。

だから大袈裟、嘘の寓話のオンパレードと見るべき。

−−−−−(引用開始)−−−−−
この南伝上座部仏教は、釈尊の死後500人の弟子たちがあつまって記憶を確認し合った
〔第一結集〕に基づく阿含経(あごんきょう)を経典とする。
http://ww3.enjoy.ne.jp/~fukiko/j-b-3-5.html

623 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/21(水) 15:01:48
>>617
>短里可能性がありますが、吉野ヶ里 柱 間隔 とかでヤフーで
>検索すると2m20cmらしい。魏の1里は436mくらい。

魏の1里というのは、根拠がない。
むしろ魏志倭人伝に出てる、確実に現在にもわかる距離を基準に測るべき問題。

狗奴韓国(釜山)から一支国(壱岐)までの距離が、魏志倭人伝には2000里と書いてある。
釜山から壱岐までが約160kmだから

1里=80mと計算できる。
よって魏志倭人伝の距離は短里で書かれてることが証明されたわけだ。

韓国80km南→対馬80km南→壱岐(一大国)80km→唐津(末盧國)40km東南
→小城町(伊都国)8km東南→佐賀市(奴国)8km東→千代田町(不弥国)80km南→
三角港(投馬国)40km南→芦北に上陸100km→宮崎市・・「ここが邪馬台国」
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

624 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 16:24:11
短里=55m

625 :阿蘇山は移動した:2007/02/21(水) 16:43:48
魏の1里は、法令できめてるので、根拠はあるが。短里は、実測からは
もういいですよ。そんなことくりかえさないで。ただ、平井さんの研究では、
1里436mは、中原だけで(首都および周辺)まわりの遠い部分では周
の時代の1里80mがつかわれてたというのがある。建物、道路間隔から
基準尺度をもとめた。まあ、ある意味違う面から証明されたと言えるかも
しれないが。きめつけずに、まだ柔軟に考えたほうがいい。

626 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 18:35:11
陳寿本人が見聞したワケではないし、問題は魏の記録の正確さだろうな。
魏の官吏もまた、本人が見聞したわけでもなく
ただ随行者からの伝聞を記録したにすぎないだろう。
随行者が現地で記録したのかも微妙だ。
帰国してから記憶を頼りに記録した可能性もある。

倭人伝の字句に拘泥しても出口は見えないような気がする。

627 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:14:44
プラムが移動して河童も消えた点

628 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 19:20:52
>>626
でもそれで片付けるのはどうかなあ。
ヒストリアなんかだったら200年後だけど、そんなに時間的に離れてはいないし隣国だし、
何度も魏使は倭と行き来してるから、そんないい加減な正史は遺さないと思うけどなあ。

629 :626:2007/02/21(水) 19:39:35
>>628
もちろん、一級の資料として研究するのは必要ですけどね。
でも錯誤や誤写なども考えられますので、
一字一句まで精査すると余計な労力を消費してしまいそうです。

大意をつかんで、あとは傍証と照合する程度にするべきではないでしょうか?

630 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:43:49
倭人伝はいきあたりばったりの適当な数字を書いたとしか思えない。
いくら読むんでも読みとけるはずがない。

631 :サガミハラハラ:2007/02/21(水) 20:12:21
いきあたりばったりの適当な数字では意味がないのですよ。
それでは書かないと同じことで、いや、書かないほうがいいのですよ。間違いがないだけ。

632 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:15:40
厳密に書く理由はないよな。
話半分ってか数字を信用しなくていいってか参考程度にしかならない。

633 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 20:17:39
>>629
錯誤や誤写まで詳しく解明しようというのはやりすぎだと思います。
誤写はどこまでいっても誤写であり、女王国を女三国、等だと思いますが。

634 :サガミハラハラ:2007/02/21(水) 20:24:20
>>632
それでは次に行ったひとは道に迷うでしょう。
何のための記録なのか、意味を失います。

635 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:43:33
旅行ガイドじゃないんだからw

636 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 21:51:06
>>630
今時の週刊誌じゃあるまいし、いい加減なわけ無いでしょう。
卑しくも親魏倭王のクニですよ。魏の皇帝も正確な倭国の情報を得たがったに違いありません。
魏使はこれが始めての来倭じゃないんですよ。
皇帝の目にも触れるんですよ。倭人も大陸に行ってるんですよ。
魏史韓伝、フヨ伝、なども葬制などが詳しく書かれているんですよ。
最終日に思い出しながら書くあんたの夏休みの宿題絵日記じゃないんだから。


637 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 21:56:41
>>628
ですな。
厳密な調査に行ったとは考えにくいのだから、色々な数字自体は鵜のみにすべきではないですが。


638 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 21:58:58
>>630
何らかの資料が自分の思い込み決めつけと矛盾して都合が悪い者はよくそういうよね。

639 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:00:21
>>632
距離や人口の数字そのものはね。

640 :592です:2007/02/21(水) 22:12:09
プラムさんに頑張ってもらうスレ、立てましたよ
さっそくプラムさん、レスしてくださってます
いま「舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從郡至倭循海岸水行歴韓國」のとこ解説中
さすがプラムさんだ、「今使譯所通三十國從。 郡至倭循海岸水行」と切って読むんだよ、すご〜い
ときどき覗いてみてね〜

【プさん】魏志倭人伝を読もう!【来るかな?】@
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1172000417/

プラムさん、ご機嫌にレスしてるみたいだから、あんまり荒らさないでね
河童さんは、巣に帰ちゃったって

641 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:16:05
>>640
お疲れ。これからはそのスレ向きの話題(根拠なき独自解釈)は誘導するよー。

642 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 23:07:25
倭人伝の記述に、科学などが進んだ現代と同様に考えて正確を期すのは無理。
しかし当時の常識の範疇においては正史として十分事足りる内容である。



643 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 23:20:12
要するに現代と邪馬台国時代の物事の表し方の違いは何だったのか、
当時の倭国、中国にわたって検証していく事が邪馬台国の謎を解く鍵であり、
むやみに「信用出来ない」を連発してはいけない。
今と当時があらゆる面で違っているのはむしろ当然の事であるから。

644 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 23:41:26
三國志は?撰ではなく私撰で、陳寿の死後に正史と認められた。
三國志編纂にあたって、陳寿が恣意的に記述したという悪い噂も無きにしも非ず。
そういうことを抜きにして、陳寿が手に入った資料をもとに正確に編纂したとしても、
では、その資料の信頼性はどうだったのかが問われることになる。
執筆者自信が現地調査をしたのでないかぎり、
伝言ゲームの正確性という問題は、どうしたって付いてまわると思う。
一方で、皆が自説に都合の良いように文献を疑ったり改変したりすれば、
収拾がつかなくなる。
そこら辺のバランスと節度は、各自のセンスに任せるしかないでしょう。

645 :阿蘇山は移動した:2007/02/21(水) 23:49:09
>>640
「今使譯所通三十國從。 郡至倭循海岸水行」間違い
「今使譯所通三十國。從郡至倭、循海岸水行」中華書局
トンデモ説の見本ですね。

646 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 23:52:06
>>644
結局倭人伝のどこがどう信用できないのか、ということもまた証明する必要がある。
想像の域を出ない倭人伝に対する否定的な意見もまた信用する事ができない。

647 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 23:56:10
そこに辿り付いたら末期的症状
自分が悪いんじゃない書の信憑性が確認できないからだ古代だから誤字
もあれば脱字もある自分は精一杯考えた自分が悪いのではない書の信憑性が確認できないのだ

648 :317:2007/02/22(木) 00:09:07
初期の前方後円墳について議論してきた流れで・・・

大型内向花文鏡を出土した古墳はいつごろ作られたのか?
1、平原王墓(径46.5cm)
2、下池山古墳(前方後方墳、全長120m、勾玉や碧玉の石釧も出土、割竹型木棺、
径37.6cmの鏡)
3、柳本大塚古墳(前方後円墳、全長約100m、径39.7センチの内行花文鏡)
*2、3の位置は参照→http://www.geocities.jp/j_imada1999/xa_kfn02.htm
上の写真の解説は、http://www4.kcn.ne.jp/~ntsuchi/kofun2.html 

・普通に考えれば、1→(2、3)の時代順ではないかと思う。
・大型内向花文鏡の技術、思想が、1→(2、3)に伝播したと考えれば、1と(2、3)の
時期はそんなに離れていないように思える。
・(2、3)を神獣鏡の時代より古いと考えると、ホケノ山より古いことになる。特に2の
副葬品は古く見る要素がある。

http://sakura.canvas.ne.jp/spr/markmaeda/naikoukamonnkyou.htm などを読んだ
限りでは、1→(2,3)で、その間隔は50年以内ではないかと考えています。

興味のある方のレスをお待ちしております。

649 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/22(木) 00:17:33
>>625
>魏の1里は、法令できめてるので、根拠はあるが

法令ってなんだ?
魏の法律の記録が1700年間の歴史を越えて、現代に残ってるのかな。
俺には信じられん。

魏志倭人伝でさえ原文は散逸し、コピーした書物しか残ってないのに
魏の法律なんて、どんな方法で残ったんだろう・・・・・

650 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 00:18:05
>>647
誰も誤字脱字の類を言ってるのではない。あくまで内容の事だ。

651 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 00:20:11
>>647
とはいえ、漢文の世界では魯魚亥豕とか魯魚の誤りというのは有名。
魯が魚になるとか、「己亥河を渉る」が「三匹の豚が河を渉る」になっちゃったという話。
トリビアとしても面白いので、リンク貼っときます。

ttp://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/zassi2-2.html

652 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/22(木) 00:29:00
>>626
>帰国してから記憶を頼りに記録した可能性もある。

可能性をいったら、無限の可能性はある。
確実に判るのは、他の記録と違い卑弥呼と同時期に生きてた作者が書いたのが魏志倭人伝という事

このメリットは大きな信頼性になる。
しかも作者陳寿は魏の禅譲国の記録関係のお役人で機密史料にも触れれる立場。

その点、他の記録は卑弥呼が死んで、数百年後に伝聞や記録・噂を調べて書き残されたものがほとんど。
あなたが「赤穂浪士」のことをお正月の忠臣蔵で見聞きして書いたようなもんだ。
それじゃ信頼性では格段に落ちるよ。

653 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/22(木) 00:37:01
>>635
>旅行ガイドじゃないんだからw

旅行ガイドの意味もあるよ。
作者の陳寿は晋の役人だぜ、晋の役人や商人、軍人が邪馬台国に行く必要が出た時の
役に立つ書物を作るのは陳寿の役目だろう。

それとも彼らを迷子にして、給料を貰ってる国家:晋に損害を与えるような記録を残すかい?
何のために給料を貰ってるのか、アンタだって判るだろうに・・・

654 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 00:42:27
>>653
何が悲しゅうて晋の役人や商人、軍人が三国志をガイドに出張せにゃならんのだ・・・
てか見ることすら本来は出来ないんだけどね


655 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 00:45:32
>>630 「倭人伝はいきあたりばったりの適当な数字を書いたとしか思えない。
いくら読むんでも読みとけるはずがない」
 
古代とはいえ、お役所仕事だけがとりえの役人が、そんないい加減な事するわけ無いでしょう。
この人からこれを除けば、何にも残らないのに。
うちの親戚も役人ばっか。ただ真面目だけがとりえだってうちのパパが言ってた。


656 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 00:48:22
倭人伝至上主義からそろそろ抜け出るべきだと思うよ

657 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 00:51:57
>>656
あのねえ、文献は何より確かなものなの。邪馬台国論争もここから起こったの。わかる?
畿内説も倭人伝の記述に合わせようと躍起になってるの。

658 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 00:56:53
陳寿は倭国どころか半島にも西方にも実際行ったことがないってのは知ってるよね?
しかもそれら四方の野蛮人の国wに関する資料はほとんどないわけよ。
魏略にしても何を元に書かれたのか不明だし、陳寿にしてみれば確認の方法すらない。
行き当たりばったりでもないだろうけどね、元資料にそう書いてあっただけの話だろう。
だいたい三国志の中でそこはメインでもなんでもないわけ。
例外的に倭人伝がやや詳細に書かれているが、そこめでの信憑性を求めると陳寿がカワイソす。

659 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:01:10
>畿内説も倭人伝の記述に合わせようと躍起になってるの
なってないよ、邪馬台国の位置なんて大した問題じゃないとは思ってるけどね

660 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:03:10
>文献は何より確かなものなの
そんな認識では君が文献扱うの無理だわ

661 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:05:06
>>657
その何より確かな文献で、倭の位置はいくつもあるのだが

662 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:10:17
しかもショウコウ本とショウキ本では字も内容も若干違うし

663 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:23:10
>>658
> 魏略にしても何を元に書かれたのか不明だし
へ? だから何だというのかな?

> 陳寿にしてみれば確認の方法すらない
へ? 同時代人なのに何で「確認の方法すらない」ことになるのかね?


664 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:35:24
>>648
最近ちっとも考古学の勉強してないが、むかし読んだ小林行雄先生の本なんかには、
こんな感じの記載があったと思う。
 「古墳時代前期の古墳でも、石釧・鍬形石・車輪石などのいわゆる石製腕飾類を
  副葬品として全く含まない古墳の方が、それらを含んでいる古墳よりも古い」
今はどうか知らんが、もしこの見解が正しいのであれば、下池山古墳について648が書く

>特に2(=下池山古墳)の副葬品は古く見る要素がある。

はちょっと解せない。石釧が出土しているのであるから。で、橿考研が、
 「黒塚古墳の年代については、(中略)、中山大塚古墳よりは新しく、下池山古墳よりは古い」
と発表したのは、そんなところを考慮してるんじゃないかな、と思う。
http://www.kashikoken.jp/from-site/kuro-97.htm

665 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/22(木) 02:08:27
>>656
>倭人伝至上主義からそろそろ抜け出るべきだと思うよ

魏志倭人伝がなかったら、邪馬台国の存在さえ現代からは判らなかったんじゃないかな。
歴史の闇にかろうじて生き残った理由が、魏志倭人伝だと思うけど・・

それらの記録がなかったら、宮崎などに大昔の遺跡・遺物などがタダ存在してるという
話だけになるでしょう。

−−−−−(引用開始)−−−−−
自分の畑の古墳を掘ったところ、石棺が出土し、その中に古玉や鉄器など30余品と
ともに穀璧(玉璧)があった。この串間で出土した穀璧は鳥や竜、穀物などの模様がある。

現在、国内でもっとも大きく欠損もない、完璧なものである。”
(宮崎県の歴史散歩より、一部抜粋)
http://www.kushima.co.jp/jc636/

666 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 03:32:20
倭人伝を一文献として参考にするのと「至上主義」はぜんぜん違う。
どう読んだってこれ以上は無駄だっつってんだよw
妙にこねくり回して珍説出すなら他の史料当たれよ

667 :317:2007/02/22(木) 03:40:49
>>664  レス感謝!
「石釧」でいろいろ検索してみましたが、古そうなものから新しいものまで色々。

(古そうなもの)
石不動古墳(京都八幡市)・・・全長75mの前方後円墳、画文帯同向式神獣鏡 径 19.2cm(破砕鏡)
                *画文帯で破砕鏡ということからは、古そう。
桜谷古墳(富山)…内行花文鏡1面と管玉13個、石釧3個、紡錘車1個、管玉3個、青琅かん1個、金管3個、
            小玉17個(画文帯以前の時期か?)
櫛山古墳…(タテツキ型?)、車輪石・石釧・石製模造品・埴輪
(新しそうなもの)
西車塚古墳・・・全長115mの前方後円墳、円筒埴輪、盤龍鏡、六獣形鏡、変形方格四神鏡、
         三角縁唐草文帯二神二獣鏡、繪文樣式~獸鏡         
(よく分からないもの)
向山古墳(松坂市)・・・全長71.4mの前方後方墳、葺石と円筒埴輪列を有する。櫛歯文鏡、内行花文鏡、
             変形獣帯鏡、碧玉製の車輪石・石釧・筒形石製品

調た感じでは、玉・石製品は出雲、吉備の影響がありそう。三角縁出現より古い時期から始まっている。
前方後円墳以外からの出土が目立つ。前方後円墳出現前まで遡る可能性もありそうだが、よく分からない。
ZZZzzzzzz・・・・

668 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 06:54:52
いちいち倭の土を踏まなくてもどれだけでも確認の方法はある。
倭にはたくさん魏から人が来ている。クナ国との紛争のときもちゃんと来ているでしょう。
後で来た人があの記述はは間違っている、と思うようなでたらめなものだとは思えない。

669 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:02:28
>どれだけでも確認の方法はある
ちょっと日本語がおかしいが、それはいいとして何か具体的な文献でもあるのかい?
そういった直接的な比較検討史料が存在しないから、誰も言い切ったりしないんだわ。
>倭にはたくさん魏から人が来ている
そんなことを示す文献も考古事実もない。張政(とその御一行様)は確かに具体的に書かれているがそれをして”たくさん”とは誇大表現。
君の話は”思えない”という主観だけで根拠が全くない。
その手の論理展開が得意だった香具師が別スレに隔離されていることからも分かるように、学問板ではそれはご法度なの。
第一(これも信憑性の問題はあるが)隋書では魏志の記述は間違いだとして訂正している。
つまり・・・
>後で来た人があの記述はは間違っている
と言ったわけだ。

どちらが正しいかを検証するのなら議論としての意義はあるが
そのはずだ、そうと思うなんてのを根拠にしてはいけない。

670 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:12:10
そういう意味では、その理論に説得力が薄かろうが
実際に自分で現地調査しようとする姿勢には敬意を表しますね。

671 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:21:21
隋の時代には邪馬台国は跡形も無くきえさっていたのです。
隋の人は邪馬台国を確認できなかったのです。

672 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:21:59
いっぺん書き下し文でいいから魏志を通して読んでみ。
ギョタクをして自信喪失するほどの名文と称せられたはずの陳寿にしてはずいぶんお粗末な構成になっている部分が散見できるから。
倭人伝もその例に漏れず、他の段では見られないような接続詞や構成の乱れが目に付くはずだ。
このことから文章段落が一度ばらばらになった可能性すら指摘されている。
また写本時に誤写も含めて、どこか段落がごそっと落丁した形跡すらある。

もちろんこれも数少ない当時の史料を比較検討して出された、ひとつの仮説だが
それを言下に否定できない時点で、史料の絶対視もまた出来ないと考えざるを得ない。

倭人伝だけで解けるのなら300年も苦労しないのよw
他の史料を参考にしてもそう。
未知数があまりにも多い方程式みたいなものだから、どんな解釈でも出来たりするんだわ。
文献解釈に対してはもっと謙虚さを持って欲しいな。

673 :阿蘇山は移動した:2007/02/22(木) 08:45:22
倭人伝だけで解けると思う。300年とけないから、解けないというのは
どうかな?あま、厳密には、倭人伝と今の地図をつかいますが。

674 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:47:20
当時の地図でもなければねえ。

675 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:48:21
>>672
後世の記録は別として
邪馬台国の位置や卑弥呼は倭人伝以外からも
存在が確認されるの?

676 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:54:44
幕末にはオロシャが北にいると言われた。
今は北西にロシアがあり、幕末のオロシャとはロシアのことであると説明される。

677 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:58:10
倭人伝を軽視はしませんが、言葉遊びがしたいだけの人もいますよね・・

678 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:58:15
倭人伝の記述をみれば分かるけど
著者は、一つの情報源から書いたのではなくて
色んな情報源から得た情報を元に、それを繋ぎ合わせて
日本のことを書いているから
矛盾まみれの文書になっている。


679 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 09:50:48
>>672>>678
このような達見の方がいらっしゃるとは思いませんでした。
白石を嚆矢とする定説通説に盲従する論者ばかりかとおもっておりました。

680 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 12:39:05
>>672
ギョタク?誰だ?
三重ぐらいに間違ってそうだな。

681 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 13:19:16
国家と言う名の元に於いて行われる殺人《死刑》
国家と言う名の元に於いて行われる墓荒らし《発掘》

682 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 16:24:50
>>681
これがいわゆる中2病か

683 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 16:39:40
>>680
カタカナで書くと北斗の拳みたいでかっこいいな

ギョケン?

684 :阿蘇山は移動した:2007/02/22(木) 19:03:42
地図は、当時のはいらない。今のが必要。地形は、邪馬台国時代とあまり
かわってないので。

685 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 19:12:55
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

686 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 19:28:55
倭人伝を「行き当たりばったりの文章」
とか言うのに対して、一人の魏使が見聞して書いたのではなく、
複数の魏使によって、倭国は見聞されているのは疑いないことだと言いたかったわけよ。
「たくさんの」とはそういう意味なの。

687 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 21:28:46
上の方に、当時の中国の公式遣使の陣容について書かかれてるよ。

688 :SOY:2007/02/22(木) 22:47:06
>>667
>(古そうなもの)

>櫛山古墳…(タテツキ型?)、車輪石・石釧・石製模造品・埴輪

石釧と同様に長持形石棺という要素も櫛山古墳が極端に古くないことを
示しているかも知れません。

689 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 23:09:42
>>686
実はそれすら疑わしい。
ちなみに魏使ではなく元報告を遺したのは郡使、この違いは大きい。
だから山椒の美味しさを知らない、草木茂りまくりなどの散文的表現もいり混じっているなど他の地域報告では見られない特徴を倭人の項は持っている。
もっと言うと明らかに3世紀の倭国、しかも北九州ではまず有り得なかった報告がなされている。
その代表的なものが貫頭衣。幅1寸を超える織物作成技術は当時の倭国では先進のはずの北九州ですらまだない。
もちろん畿内でも無かったと考えられている。
牛馬無しと書きながら、養豚養鶏にまったく触れていないのも不自然ともいえる。
まあ他国の分についてはそれすらも書いていないのだから、これも解釈が難しいのだが。


690 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 23:18:40
腫れ物にでも触れる様な流れ

691 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 23:39:06
ただそれでも他の時代の史書からすると比較的まともな環境で書かれただけあって
三国志の信憑性は、その後の史書よりは高いと考えてもよい。
だがここで問題なのが、4世紀成立の国策による史書であったにもかかわらず
後の時代に国策として残されなかったということにある。
現存する12世紀の2冊は、極端な言い方をすると私家本にあたるものであって
いつどういうルートで元情報を手に入れたのかがほとんどわかっていない。
ハイショウシの註にしても永らく真偽論争が続いたのも、彼自身がそのような仕事を遺していたとの客観的検証資料が存在しなかったためでもある。
つまり4世紀の原本が木簡か竹簡であったことはほぼ確実だが、それがきっちりとした形で後世に残されていないというのが問題なわけだ。
それでも12世紀本2つと、魏略逸文、そして後漢書などの後の時代の資料との整合性から、そう見てもよいのではないかとの考え方が定説になっている。

だがこれは朝に書いたことの繰り返しになるが
明らかに段落欠如と見られる部分や誤字も、あの短い倭人伝の中にもあるのは紛れも無い事実。
それは無理に南を東の間違いだとせずとも、壱岐を一大国と誤記していること,
以って卑弥呼死すの繋がりの悪さからも明らかである。
さらに国政記事と風俗記事が入り乱れてきちんと並んでいない不自然な構成からも
3世紀の国策文書がそのままの形で12世紀に伝わったとは考えられないわけさ。

それとすまんな>ALL
あれは魚豢(ぎょかん)がどうしても出てこなくて四苦八苦した挙句の失敗だった、許してたもれ。


692 :SOY:2007/02/22(木) 23:39:54
>>689
>その代表的なものが貫頭衣。幅1寸を超える織物作成技術は当時の倭国では先進のはずの北九州ですらまだない。
>もちろん畿内でも無かったと考えられている。

何を根拠にそのような意見を述べられているのか理解しがたい。
1寸ってかなりきわどい幅だし……


693 :317:2007/02/23(金) 00:03:38
>>688 >長持形石棺
見落していました。埴輪もあるし、崇神稜と同じ頃という可能性が高そうです。
しかし、何故あんな形(双方中円墳)なんだろうか?

大型内向花文鏡については、画文帯や三角縁と同伴していないことや、平原の
古さからみて、ホケノ山や石塚よりも遡る可能性を考えています。

しかし、未発掘の古墳(天皇稜、西都原等)や、盗掘の可能性などを考えると、
平原〜(下池山、柳本大塚)の間に中継的なものがある可能性もあり、現状では
鏡のみで両者の年代を古く見ることは難しいですね(新しく見る根拠もないとは
思いますが)。

前方後円墳重視で古墳年代を古く見る考えの「畿内王権的」視点は、北條が
「古墳時代象を見直す」で批判しておりますが、私も前方後円墳にこだわらずに
古墳のはじまりを見たほうがいいと考えています。

694 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 00:18:05
>>692
これはこちらの書き方も悪かった。
1寸を超える幅の1枚布は作れなかったと正確に書くべきだったね。
やや古いレポだが基本ラインは今も変わっていない。
http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/saguru2-5.htm
そのページの下のほうにある下手糞wなイラストにあるように
2枚以上の布を縫い合わせて作っていたわけだ。
木製織機の一部も福岡県から出土している。
これは中国で言うとは似て非なるものであるし
実際問題4世紀の原本に、貫頭衣と本当に書いてあったのかどうかも検証できないんだわ。
通信状態がよくないのでここで中断する、悪い。


695 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 00:28:07
「1寸」のわきゃねーだろーがw

696 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 01:09:38
>>674
地勢図はあるけどね。

697 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/23(金) 03:25:00
>>691
私達日本人はは魏志倭人伝の存在によって邪馬台国の存在を知り、
その情報提供によって閉ざされた謎の時代の解明に明け暮れて来たといってよい。
しかし倭人伝に対しそこまで疑ってかかるということは、もはや邪馬台国、卑弥呼の存在すら疑わしいと考えているに等しい。
であれば、どこまでも水掛け論。そのようなそちらの考え方は、母の胎内から生まれた子が、母から生まれたことを疑い、
日本人として生を受けながら自分はアメリカ人だと言い張っているような何かしら傲慢で、ちぐはぐしたものを感じる。
倭人伝は邪馬台国、卑弥呼の母である。倭人伝を拠所とせず、何を拠所とするのか、
実際は考古学の年代測定など倭人伝よりもさらに不確かなものばかりであろう。
従って、その様な考え方の人とは何も会話する余地は無い。


698 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/23(金) 03:29:41
>>675
>邪馬台国の位置や卑弥呼は倭人伝以外からも
>存在が確認されるの?

朝鮮の歴史書(三国史記)に西暦180年頃の卑弥呼の記事があります。
しかし三国史記は作られたのが西暦1100年ころの書物で、信頼性がないし記事の中身も単純。

中国の後漢書、隋書などにも卑弥呼の記事があるがこれらもずっと後世に作られたもので
魏志倭人伝ほどの同時代の信頼性がない。
また邪馬台国の位置を、詳細に記述したものではない。

その点、魏志倭人伝は作者が卑弥呼と同時代に生きた人で、魏の禅譲国である晋の役人
しかも記録をする仕事をやっていた方だ。
国家の機密文書にも触れた方と思われる。格が違うというべき!

−−−−−(引用開始)−−−−−
陳寿は蜀の国で233年に生まれ297年に65歳で亡くなっています 邪馬台国の女王の
卑弥呼とほぼ同時代の人です
http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm

699 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/23(金) 03:32:20
>>678
>日本のことを書いているから 矛盾まみれの文書になっている。

アンタマトモに読んでないのじゃないの。
自分で実際に読んでからにしなさい!

他人の又聞きを書くもんじゃない。

700 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/23(金) 03:46:27
ありゃ。こんな時間に起きてられた?

701 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/23(金) 03:46:31
>>689
>幅1寸を超える織物作成技術は当時の倭国では先進のはずの北九州ですらまだない。

なかったという証拠はどこにあるの?
織物は長い時間では残らないもの、切れ端が少し残るくらいが関の山。

豚やニワトリが見慣れたものなら、ワザワザ書かないのが常識だろうに。
見慣れてないから特別に書いたと読むべき。

魏からは植物学者、動物学者、軍人、通訳ら多数が邪馬台国まで実際に行ったものと思われる。
ナポレオンがエジプトを遠征した時に学者を同行したのと同じ現象だろう。
さもなければ、これだけの記事は書けるものじゃない。

−−−−−(引用開始)−−−−−
倭国では真珠や青玉がとれる。山には赤土がでます。木では、クス、トチ、
   クスノキ、ボケ、クヌギ、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデなどがある。
   竹では、シノダケ、ヤダケ、カヅラダケがあります。
   また、ショウガ、タチバナ、サンショウ、ミョウガなどもある。しかし、賞味することをしらない。
   オオザルやクロキジもいます。

702 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/23(金) 03:49:52
「オオザルやクロキジもいます」特にこのフレーズがおもしろいね。僕いつも笑っちゃう。


703 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/23(金) 03:53:41
>>691の人、「その点、魏志倭人伝は作者が卑弥呼と同時代に生きた人で、魏の禅譲国である晋の役人
しかも記録をする仕事をやっていた方だ。
国家の機密文書にも触れた方と思われる。格が違うというべき! 」にどう反論しますか?

704 :恵也 ◆o4NEPA8feA :2007/02/23(金) 03:55:03
>>700
>ありゃ。こんな時間に起きてられた?

俺は自然体でね、有るがままが俺の生き方。
でももう寝る、今日は高知に行かんとイカン。

705 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/23(金) 03:57:22
>>704「俺は自然体でね、有るがままが俺の生き方。 でももう寝る、」
右に同じ。僕も遅刻するわけにはいかないので、もう寝る。

706 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 05:15:11
邪馬台国総論
http://yamatonokuni.seesaa.net/

畿内?九州?


707 :阿蘇山は移動した:2007/02/23(金) 08:31:07
奴国は、博多とすれば、東の海岸から南。南九州でしょう?

708 :675:2007/02/23(金) 08:32:31
>>697
>倭人伝を拠所とせず、何を拠所とするのか、

そのことを私も言いたかった。


709 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/23(金) 12:34:55
>>706
下記の地図を富山県庁で初めて見たとき、
大陸側から見ると、古代(倭)のみならず、
現代韓国北朝鮮中国ロシアにとって、自国の安全保障上、
日本が脅威威圧を与えているのは、なるほどと思った。

http://yamatonokuni.seesaa.net/article/31289979.html

古代大陸側は南を上にした地図(指南車の語源か?)を思い浮かべていたのではないだろうか?

710 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 13:29:38
>>697
九州ですがの書き込みがとんちんかんな理由が判ったよ。
要するに君は宗教的もしくは民族的観点から、記紀や倭人伝の内容は疑うべからずと主張したいんだね。
文献史学はまず史料を徹底的に疑う学問であるといってよい。
それがつまり検証という行為であり、ひいては歴史学の基礎でもある。
なのに君は疑うことすら拒否している。そしてなぜ疑ってはいけないのかに対して感情論でしか答えられない。
それなら完全に板違い。歴史学とは疑う者達の集まりであるといっても過言ではない。


711 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 13:43:02
>>703
それは単なる君の仮説、いやこうであるべきだという思い込みに過ぎない。
>魏志倭人伝は作者が卑弥呼と同時代に生きた人
君の同時代の定義は大雑把だな、100年、少なくとも50年違うぞ。だが・・・
>魏の禅譲国である晋の役人
だから他の史書よりはまともな環境で書かれたものだと言った。しかし・・・
>しかも記録をする仕事をやっていた方だ
陳寿の生涯を調べてみることだな。晋で史書編纂に関わったのは晩年の話であり、しかも彼にとっては膨大な仕事の一部でしかない。そんで・・・
>国家の機密文書にも触れた方と思われる。格が違うというべき!
これはもう仮説どころか想像でしかない。
君のいけないところは、その想像部分を根拠に語ろうとするところ。
だから説得力が無いし、宗教だと揶揄される。

712 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 13:50:44
>>710
とはいえ、一部の人の「南」は「東」の間違いだとか

全行程一万二千余里で、九州に到達した時点で一万余里

消化してるのに畿内にあるだとか、疑いの範疇すら越えてますよね

713 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 13:57:24
>>701
せめて引用ページを読んでからにしてくれ。
それと考え方がおかしい。
存在したという物的証拠があってこそあったといってよい。
君の論理だと、先カンブリア紀に人類の化石が無いのが非存在の証明にならないということになる。
また古代史に意外なくらい無知だということもよく判った。
牛馬より豚のほうが当時はよほど珍しい。
弥生後期の佐賀、福岡、熊本などから多岐にわたり豚の骨と養豚の遺構が出土しているが
これは半島では見られず、中国でもごく稀である。

714 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 14:07:08
>魏からは植物学者、動物学者、軍人、通訳ら多数が邪馬台国まで実際に行ったものと思われる
ここまで来るともう笑うしかないが・・・
こんな情報はそれまで伊都国に往来している郡吏たちの機構感想文レベルで十分に解釈できる。
君の仮定が正しいのなら、なぜその学者さんたちは西国や半島では何も言っていないのだ?
まさか倭国にのみ調査団が派遣されたわけでもあるまいに。

わざと勘違いしているふりをしているのかどうか知らないが
三国志の全否定をしているわけではない。
詳細かつ膨大な史料証左の結果、疑わしいまたは事実に反する記述もある。
だからすべてを鵜呑みに出来ないと言っているのだ。
これはごく当たり前のことを述べているに過ぎないはずだが、どこが気に入らない?
一字一句ひとつの間違いも無いとしたいのなら、繰り返すがそれは宗教。

715 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 14:17:09
>>712
>一部の人の「南」は「東」の間違いだとか
ここでもよく言われているが、それは死滅した昔の畿内説。
今時そんな妄言を言う学者も素人もいない。
>全行程一万二千余里で、九州に到達した時点で一万余里
その残り二千余里の中に陸行水行やら5万戸、7万戸の大国がどうしても当てはまらない。
畿内九州に関係なく、記述そのものに矛盾がある。矛盾が無いとする説などそれこそ無い。
だから九州説でもかつては短里やら放射やら色々考えたわけだろ?
これも死滅した昔の九州説だがね。

716 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 14:50:27
>>714
>繰り返すがそれは宗教だ宗教宗教ってあんた、以前宗教で嫌な事でも
>まさか倭国のみに調査団が派遣されたわけでもアルマーニ
倭国の他に調査団が派遣されたわけ?w

717 :阿蘇山は移動した:2007/02/23(金) 15:14:44
ここは、日本史板。鏡や古墳は第2ステージで、まず、魏志の行程の
解釈からはじめないといけない。土器などはあとで。まあ、近畿説は、
こまるでしょうけど。邪馬台国は、魏志からですので。
あと、私が日数を10分の1にするということと、数字がでたらめとは、
まったく逆のことです。ご注意ください。

718 :阿蘇山は不動:2007/02/23(金) 15:30:14
>>717
スレタイが「ドンと来い」なんだから、文献も考古も、
民俗も、学説史も・・・。なんでもアリでいいのでは?

>魏志の行程の解釈からはじめないといけない

あなたがそうするのを咎めたりはしないよ。
でも、他人にそれを押し付けるのはどうか。
新スレ「魏志倭人伝を読もう」も立ったことだし・・・

719 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 16:13:55
>>717
おいおいお14スレでまだはじめですか><

720 :阿蘇山は移動した:2007/02/23(金) 16:43:14
>>718
ごもっともなご意見。引っ越します。

721 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 16:57:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

722 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 17:19:29
>>719
>おいおいお14スレでまだはじめですか><

唐傘連判

723 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 17:39:49
「自女王国以北」〜の件について質問です。

畿内にしても九州にしても、真北に「遠絶」なほどの大地はありません。
東なら、畿内でも九州でも理解できますが。

当時の大陸からみた日本地図は、現在の日本を90℃右横に倒した形だと聞いた事があります。

それなら東の誤写かもしれませんが、東と北を間違えるのも不自然です。
さらに女王国と敵対した「狗奴国」は南にあるとされてます。
北を支配し、南と争う邪馬台国。
やはり東西と置き換えるべきなのでしょうか?

724 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/23(金) 18:10:03
>>710>>711
なんかえらそうな事言ってるけど、おたくたち何にも持論を展開してないじゃないですか。
このドン来いスレのシリーズも、早14ステージ。みんなで色んな議論を戦わせてきた。
それを見下し、蔑視するかのごとき発言はみんなに対して慇懃無礼。
何故おたくらが持論を展開できぬのか、理由は一つ。みんなの猛攻を受けるのは必至だからだ。
その時、本当にトンチンカンなのはどちらなのか白昼の元に晒される。それを恐れて持論が展開出来ないで居る臆病者といえる。
それをせずに人の非難ばかりに終始し、上げ足ばかり取ろうとするのは、卑怯者の一言に尽きる。
その謗りを免れたいのなら、さっさとこのスレの本意である邪馬台国に関しての自らの意見を述べなさい。

725 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/23(金) 18:20:26
>>723
女王国より北にある国々が「遠絶」してるとは書いていないでしょう。
和訳:女王国より北にある国々の、その戸数や道のりは簡単に記載できるが、
   それ以外の国はとても遠くにあるため詳しく調べることは出来ない。

と書いてるだけの話。「遠絶」してるのは、「それ以外の国々」とある。


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