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征夷大将軍 摂関 太政大臣 2 

1 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 14:34:35
地味に盛り上がりを見せた前スレの2代目です。


2 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 14:49:34
将軍、摂関、太政大臣がいた場合
公の場で偉そうに出来る順は
摂関>太政大臣>将軍ってことでOK?
まぁ、摂関と太政大臣は兼任って場合が多いけど。

3 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 16:48:31
太政大臣>摂関>将軍かなとも思ったが。

4 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 16:56:30
一般庶民の認知度で行けば
将軍>摂関=太政大臣

官位とか宮中序列だと
摂関>=太政大臣>>>将軍だな

まあ江戸時代には将軍が摂関を呼び捨てにしたり摂関が将軍に敬語
使った文章があると何かで読んだ気がするけどうろ覚え

5 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 17:11:17
まあ将軍の岳父が摂関であるケースも多かったしね
近衛モトヒロみたく婿にエバれたのは特別な例だけどさ
室町期の摂家のほうが小さくなっていたと思う

6 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 17:14:52
良スレ続編乙

7 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 19:34:55
社長>常務>部長>次長>課長>係長ってな感じに
明確な上下関係っていうか
官職にはこれにはないのかな。

8 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 19:36:13
前スレって三職推任スレのことか?
趣旨が違うだろ?

9 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 19:37:56
あるが、摂関、太政大臣、征夷大将軍は令外官で、
いわばプロジェクトマネージャーみたいな職だから上下をつけにくいといえばつけにくい。
兼任も大いにあるし。

10 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:03:43
太政大臣は令外官じゃないですよ、欠員でも良い官ではあるけど。

11 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:07:47
あ、太政大臣は則闕だっけか。失礼

12 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:18:36
関白、太政大臣、征夷大将軍
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1157633344/

1 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2006/09/07(木) 21:49:04
この三つのうちどれか一つの官職を与えられるならおまいらはどれを選ぶ?
理由も詳しく。



このスレの続きだろ?

13 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:03:40
征夷大将軍は暗殺されたりするからイヤだな
関白はさすがに殺されないしな
そういや井沢元彦の本読んでて思ったんだが
藤原氏の怨霊って居ないのかな?

14 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:07:25
世界的な知名度では将軍がダントツか。

するたんとかつぁーりとかふぁらおに近いか。

15 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:51:06
時代にもよるが、平安時代なら太政大臣になりたい。
なんといっても太政官の筆頭だもんな。実権もバリバリあるし。
摂政関白も魅力だが仕事は天皇の補佐だしどうせなれるのなら
補佐役の摂政関白より天皇の方が…
将軍、将軍だけはいつの時代でもなりたくない。

16 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 09:52:30
>>15
平安中期には太政大臣はすでに名誉職で実権はないよ。
摂関期には太政官じたい機能してないし

17 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 13:52:33
太政大臣なんか元々名誉職だろ?会社で言えば名誉会長兼相談役みたいな。
実際は左大臣が太政官の筆頭今で言う社長。

18 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:36:35
名誉職というか
適任者がいなければ設置しなかった。

19 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:00:49
下賎なオレならどれでもありがたくいただく。

20 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:21:58
確か摂政って現在の皇室典範にもあるんだよな。
関白はないけど。
最近では昭和天皇がやったとか。
昭和天皇危篤の際には今上天皇が事実上の摂政だったって話。
秀吉は農民あがりでそんな官職を勤めていたのか。

21 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:49:04
摂政は最高法規である日本国憲法の第五条で定められている。


22 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:29:48
>>2-4
摂関は就任の際に普通は一座宣旨を貰うので、摂関≠太政大臣の場合でも、
朝廷内での序列は摂関>太政大臣。

23 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 03:05:58
義満以降は、摂家自体が事実上将軍の家来になっているわけで、官位云々は無意味で
しょうね。>2-4

24 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 03:08:08
関ヶ原合戦前、三成が秀秋相手に関白を餌に味方につけようとして約束したみたいだけど
そんな約束、ちゃんと守れたのかね。

25 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 15:43:39
摂関家が足利、徳川将軍家から下の字をイミナとして貰っている時点で
力関係は明らかだよね。
公的にどうかはしらんが。

26 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 16:30:37
二条家が特にひどかったな。
ほとんど毎回、徳川将軍家の諱名を貰っていた。

27 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 00:38:11
形式上、将軍は朝廷から任命されている官職だから
公では天皇の補佐役である摂関より格下


28 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 09:56:14
今さら初歩的なレスだなw

29 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:52:56
摂関と将軍は置かれたポジションわかりやすいけど、太政大臣だけはなんかわかりにくい。
実権あったりなかったり、名誉職だったり

30 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:12:12
左大臣兼内覧が最強といってみる
江戸期は摂政関白が一番だろうけど

31 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:07:29
摂関と内覧が併置されたときの上下関係とか職務権限とかどうなるんですか?
それとも特に決まってなくてそのとき状況次第でしょうか?

32 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:26:11
水戸光圀は権中納言。しかも隠居後の贈官。
全然たいしたことないのに妙に偉そう。

33 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:27:26
摂関内覧併置時代は俺は専門家でも無いから忠通 頼長時代位しか知らない。
実権を取り上げられた摂関と格は下だが実権ある内覧って感じだけど確かに
興味ありますな。

34 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:30:39
鎮守負傷軍や清々将軍、政党将軍とか将軍職沢山あるがどうして
征夷大将軍だけなんだろ?
幕府開くのなら蝦夷じゃ無くても良さそうだが。


35 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:36:24
摂関で内大臣と太政大臣なら摂関内大臣の方が上だと聞いたしそうだと思う。
特に清華相手の摂家なら納言の摂家嫡子が大臣の清華を見下したとも・・・
一つ疑問なのだが太閤が太政大臣になった場合、その子で摂政右大臣あたりは
どう接していたんだ?
摂関でも太政大臣は長生きしないとなれないしね。

36 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:19:05
>>34
確か、元々は近衛大将の別名だったものが、
右近衛大将だった源頼朝が征夷大将軍になったので、
それ以降征夷大将軍の別名となったお思った。

37 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:26:53
>>35
太閤って事は、前関白だよね。
既に関白になって、かつ、名誉会長的な意味合いで、
太政大臣になったのなら、きっと、位階も一位クラスでしょう。
それに、運がよければ准三后も贈られてる可能性も大。
なら、摂関右大臣の息子より上でしょう。
但し、実権はわからないけどね。

後、同じ太閤でも氏長者かどうかによっても違うんでわ?

38 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 07:27:15
>>34
鎮守府将軍は出羽陸奥の兵を指揮する現地司令官。
征夷大将軍は都から軍を率いていく遠征軍の司令官。
藤原秀衡も鎮守府将軍だったことから頼朝はさらに指揮権が広い征夷大将軍を望んだのだろう

39 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 09:14:36
南北朝期の南朝側には征西大将軍・鎮守大将軍がいて、幕府もどきを開いてた。
どうしても征夷大将軍じゃないといけないわけではないようだ。
頼朝はずっと征夷大将軍だったわけじゃないし、
頼家は最初は近衛中将で幕府の首班だった。
実朝になって初めて跡を継いですぐに征夷大将軍。

40 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 09:35:06
少なくとも鎌倉初期は惣追捕使・惣地頭であることが重要であり、
将軍とかは肩書き程度だったようだ。
なんか頼朝は将軍になりたくなくてすぐに辞任したとか言う学説まであるし。
惣地頭は頼家が危ないって時の相続案で東国と西国の分割案がでてたから、
惣追捕使の方がコアなんだろうと思う。

41 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 09:54:41
無官の道長と摂政頼通じゃあどう考えても道長の方が上だな。
大殿ってやつは官職関係ないもんな。
まあ天皇の外祖父と外叔父とじゃ権威が全然違うってこともある。

42 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 09:56:32
征夷大将軍神話って大体室町時代に出来上がってると見ていいかもわよ


43 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 10:16:24
尊氏は妥協と闘争の結果肩書きだけだけど
鎮守将軍→征東将軍→征夷大将軍って段階を踏んでるな。

44 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 10:20:23
鎌倉時代は少なくても征夷大将軍頼朝では無く右大将頼朝の肩書きだったよな。
承久の乱の時も右大将の恩云々と政子が喚いたし。
まあ右大将兼大納言、征夷大将軍ともすぐに辞任した訳だが。
将軍の中では頼朝、尊氏って官位低くない?二人とも大納言。
鎌倉将軍で大臣は確かに実朝しかいないが低すぎ。

45 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 10:25:02
職制上明らかに上部・下部機関の関係にでもない限り、
官職だけで上下を厳密にするのは難しいんじゃないか?
どうしても位階も加味した序列になるんじゃないかな。

46 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 10:25:15
名目上の王の存在ゆえにそれを名乗れない実質的王のための肩書きとしての征夷大将軍。
官僚機構の中に位置づけられ(その地位は決して高くない)職務権限も定まっている官職
としての征夷大将軍。
この実質と名目の乖離が面倒なところだな。
鎌倉中期には将軍自体が名目上の王になってしまうというややこしさ。

実体として征夷大将軍は概ね四位以上であればよく、せいぜい大納言クラスまでが就任す
る職だった。実朝なんか五位で就任(例外?)。
朝廷内の公的な地位はあまり高くないってのが難しいよね。

47 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 11:28:18
そういえば子供が任官するケースはままあるが、
女性が納言や各部の少弼やらに任官されるケースはあったのかな。
男系が絶家して養子もまたない場合、公家はどうなるんだろう?

48 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 13:18:03
公家の場合でも普通に断絶している家とかあったよな
まあ養子には困らんと思うけどw

49 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 13:39:19
少なくとも公式には表向きの官に就任した女性は存在しません。
まあ千何百年の間に一人くらい男で通した女性が居た可能性はゼロではないでしょうが、
仮に居たとしても大変なスキャンダルですから公式の記録には残さないでしょうね。

50 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 13:44:13
平安中期までは普通に世代を経るに従い徐々に官位低下→自然に没落、が通常パターン。
平安末期あたり以後の家格が固まってからは、割り込みも難しいけど、
一度家格が定まってしまえば簡単には没落しない。
なにかの事件で失脚とか、戦国期等に経済的に没落して蓄電・失踪ってところか。

51 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 14:10:07
一条教房は土佐へ逃げちゃうし、近衛前久は全国放浪してるし、
家格さえ決まってればなんでもアリだな。

52 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 16:13:13
近衛と九条に別れたの迄はわかるがその後、近衛から鷹司、九条から一条二条と
別れたのは何故なんだろ?摂関家多くなったら摂関に就ける可能性低くなるのに。
最高家格の公家がほぼ同格の分家を認めるなんて武家じゃ考えられないな。
武家なら完全にランク落とすだろ?御三家みたいにさ。

53 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 16:41:47
松殿が続いていたら、こんなに分立しなかったかもね

54 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 17:38:40
なんか九条が親子げんかと、親のひいきで先に分裂して、
近衛もじゃあうちも分家できないと不公平(3対1だと近衛流が不利)
だって感じだったって聞いたけど。

55 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:20:50
鎌倉幕府の執権が摂関家の力を分散させることを目的として、分立させた
となにかで読んだことがある。ソースは貼れません。
江戸幕府による東西本願寺みたいなものと理解していた。

56 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 22:54:03
理想は左大臣兼内覧兼左近衛大将(随身が付いてかっこいい)

57 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 00:51:46
将軍が実質的王というならば
将軍の下に摂関、太政大臣を位置付ければよかっただろうにと思うが、そうもいかんのか。
実権の弱い摂関、太政大臣がなんで実質王の将軍の上にいる。

58 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 01:26:21
>>57
将軍は日本の99%を仕切る王だがあくまでも1%以下の公家社会の臣下
99%の中では王であり君主だが1%の中ではあくまで下賤の武家の長に過ぎない。
だから太政大臣や摂関よりは官位が下のこと多いって事じゃない?
将軍はあくまで武家だからね。
まあ権力が強いときには大臣を兼ねて最上級公家としての資格を得ることも出来たが。


59 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 01:51:23
天皇の存在がそういうわかりにくい上下関係を作ってしまうのか…

60 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 09:25:16
幕府といっても律令制度を打ち崩すほどのものではなく
その補強的役割というか主導権争いの一環としての存在なんだよね
お公家さん政治にうんざりした地方政権を担っていた武士が自分達でしっかりした政権を作っただけで
別に天皇に取って代わるとか摂関にとって代わるとかそういうものじゃなし
今までずっとやってきててそれが摂関の命令という形にしておくのか将軍の命令という形にしておくかの違い

61 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 10:25:51
日本では天皇に限らず名目上のトップって多いな。
失敗しても実権者が失脚するだけで変動を最小限に押さえるための知恵?
その代わりに社会が変化せず外部に遅れをとる可能性もあるけどね。

62 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 12:45:28
たかが分家に摂家の家格やるなよ・・・・羽林か名家で充分。
百歩譲って清華。
と思うの俺だけ?

63 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 12:53:24
っていうかな。
明治以前の日本には、トップだの官職だのに限らず、
形骸化した機関を廃止するという発想がそもそもない気がする。

64 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:04:42
発想がないんじゃないんだよ
廃止するためにはそのための思想や概念が必要で
それを作ったりパクったりすることをしてこなかったからなんだ
いいのか悪いのかだね

65 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:16:17
>>64
菅原道真って日本的文化から見ればよっぽど異色の人だったんだろうね。
当時なら一種の精神異常に見えたかも知れない。

66 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 18:20:13
>>65
摂関期にいちばんそういう気風が生まれたので、道真とかのじだいはそうでもないんじゃない?
むしろ「朕が未来の先例」と豪語した後醍醐こそ基地外じみていたと思われ

67 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 01:03:05
この三つの官職のうちどれか一つを選べというならば。
関白だ、関白にさえなってしまえば。
もう…もう誰も私に命令など出来なくなるぞ。

68 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 01:05:32
>>33
他に一条兼香が病気の時に息子の道香が内覧になって復帰後も内覧続投という例もあるが、これも親子だから参考にならんか。

69 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 10:11:47
>>66
白河も同じ様な事を言ったが、向こうはきちんと力の裏付けがあったもんな。

70 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 11:16:53
菅原道真ってなんか大改革しようとしてたの?


71 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 11:22:49
菅公の呪いで死んだ左大臣時平がNHKで再評価されたのは面白いね(もてすぎてスキャンダル多かったらしいが)

72 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 12:53:09
征夷大将軍になって禁中並公家諸法度を制定。武家の官位は公家とは
別に定める。ここからは家康はやらなかったが、自ら正一位関白太政
大臣を兼ねる人事を行う。これで完璧じゃね?


73 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 13:32:20
正一位は事実上、最高権力者が死んだ後貰う官位。
生前貰った者も数人いるが異常な君寵によるもの。

74 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 17:11:54
力もねぇ摂関や太政大臣に命令される将軍職なんて
頂いてもしょーがねぇ。

75 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 19:23:02
中臣連鎌子→藤原鎌足(614〜669、56歳。小徳御食子の長子)、大織内大臣(669、56歳)

藤原朝臣武智麿(680〜737、58歳。贈太政大臣不比等長男)
 従二位(734、55歳)→右大臣(734、55歳)→正一位左大臣(737、58歳)→贈太政大臣(760)

葛城王→橘宿禰諸兄→橘朝臣諸兄
 (684〜757、74歳。敏達皇子難波親王の四世孫、贈従二位栗隈王の孫)
 (従四位下治部卿・摂津大夫美努王の子)
  従二位(739、56歳)→正二位(740、57歳)→従一位(743、60歳)→左大臣(743、60歳)
  →正一位(749、66歳)→橘朝臣(750、67歳)→致仕(756、73歳)

藤原朝臣仲麿→藤原恵美朝臣押勝(706〜764、59歳。贈太政大臣武智麿の第三子)
 従二位(750、45歳)→紫微内相(757、52歳)→大保(758、53歳)→藤原恵美朝臣(758)→
 従一位(760、55歳、二階)→大師(760、55歳)→正一位(762、57歳)→誅殺(764)

藤原朝臣永手(714〜771、58歳。参議房前次男)
 従二位(765、52歳)→右大臣(766、53歳)→正二位左大臣(766、53歳)→従一位
 (768?769?、56歳?55歳?)→正一位(770、57歳)

藤原朝臣不比等(659〜720、62歳。大織冠内大臣鎌足次男)
 従二位(704、46歳)→正二位(708)→右大臣(708、50歳)→贈正一位太政大臣→贈淡海公

藤原朝臣宿奈麿→藤原朝臣良継(716〜777、62歳。正三位参議宇合次男)
 内臣(771、56歳)→従二位(774、59歳)→内大臣(777、62歳)→贈従一位

藤原朝臣魚名(722?721〜783、62歳・63歳とも。贈太政大臣房前五男)
 従二位(777、56歳・57歳)→内臣(778、57歳・58歳)→忠臣(778、57歳・58歳)→
 内大臣(779、58歳・59歳)→正二位(781)→左大臣(60歳・61歳)→流罪(782、61歳)

76 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 19:24:20
鎌足の大織冠(正一位相当)は死の直前だが、前後の時期には二位以上相当さえなく、
家柄からいっても非常な君寵といえよう。
武智麿も死の直前、これは当時の聖武天皇は藤原氏におんぶにだっこだから当然か?
諸兄は、単なる重臣に対する厚遇と思われる、しかし棚上げみたいな感もある。
仲麿はまあ非常な君寵に間違いない。正確には叔母光明皇后の寵愛だが。
永手のは光仁天皇の擁立の老臣に対する厚遇だろうな。
不比等はなっても良いんだけどな、間に合わなかったのか、遠慮か?
良継はもう少し長生すれば、魚名は失脚しなければ、生前正一位の可能性はあったよう
にも思うがやや微妙?
その後はさほど重みのある重臣自体が不在。
冬嗣はもう少し長生きすれば可能性有り。長生きの緒嗣は冬嗣を越えられなかったのか?
源常は四十歳前と早死にすぎる。
良房は当然なるべきなのなっていない。年齢も七十近く生きてるのに。
少なくとこのころまでに生前正一位を避ける習慣が生まれたのだと思う。

77 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:27:19
大織冠を余豊ショウも貰ってることってどういうことなんだろうな・・
鎌足とコイツしか貰ってないんだろ
どう考えても同一人物だよな

78 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:14:13
藤原良房はなぜ側室を迎えなかったのだろうか・・

79 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:18:29
種なしで娘も本当は父親が違うとか言う話が・・・・・・

80 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:46:34
>74
>力もねぇ摂関や太政大臣に命令される将軍職なんて
将軍の命令に逆らって出奔、免職になった関白がいましたね。

81 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:04:23
「摂関制の成立と展開」米田雄介著、吉川弘文館より
内臣
 中臣鎌子(645〜669、以後内大臣、669没)
 藤原房前(721〜737没?)
 藤原仲麻呂(749?〜750)
  紫微内相の前に内臣だったのではないか?(757年4月14日付内臣宣有り)。
  内侍宣の間違いの可能性有り?
 藤原良継(771〜777、以後内大臣、777没)
 藤原魚名(778〜778、忠臣778〜779、以後内大臣→転左大臣)
内臣類似
 藤原真楯(748〜749?)、詔特令参奉宣吐納。
 藤原百川(778〜779没)、内外機務莫不関知。
 藤原縄麻呂(779〜779没) 式部卿百川薨後。相継用事。
 藤原種継(784〜785没)、中外之事皆取決焉。
准摂政
 多くは元摂政の関白への処遇。1019年の頼通が初例で、1300年の二条兼基まで11例有り。
 他は初例である967年の実頼、第二例の1015年の道長、最終例の1846年の鷹司政通の3例。

82 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:05:15
内覧
 @摂関不在時、A摂関在任中
 イ大臣・納言、ロ前摂関、ハ現職摂関に類型

 @イは、通常関白補任の前提。鎌倉時代以後の例外は、近衛尚通(江戸幕府の介入)と一条房
  通(理由不明)。
  なお後醍醐時代は、摂関を置かない方針で前関白3名が左右大臣で内覧となっている。
 @ロは、頼通を含め3例、摂関不在時に経験者を任じたもの。
 Aイは、11例。何らかの理由で摂関足り得ない場合の単なる処遇、摂関候補者が急病で余
  命幾ばくもない場合、摂関が実権を喪失した場合、頼長のごとき政治的任命、前関白への
  単なる処遇等種々のパターンがある。
 Aロは、道家のごとく実質的に摂関以上の権力を有した場合が多い。
 Aハは、前摂関が内覧の場合に、摂関を内覧としたものだったが、後には前摂関が内覧でな
  くても任命される場合が多くなってきた。もっとも実質的には無意味で、内覧でない関白
  も権限に違いはない。

 元禄年間までは天皇代替わりがあると改めて内覧となっていたが、以後は一度任命されると
そのままになった。
 江戸時代末期になると官職でないため幕府の介入を受けない内覧が政治的に利用された。

83 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:05:50
  氏名   任命時の官職 任命年  任命時の摂関 備考
1 藤原時平 大納言    897  不在
2 菅原道真 権大納言   897  不在
3 藤原兼通 権中納言   972  不在     摂政藤原伊尹辞任
4 藤原伊周 内大臣    995  関白藤原道隆 道隆病中の間
5 藤原道長 権大納言   995  不在     関白藤原道兼死去
6 藤原道長 左大臣    1011 不在     三条天皇即位の為更新
7 藤原頼通 前関白    1067 不在     頼通関白辞任
8 藤原師実 左大臣    1075 不在     関白藤原教通死去
9 藤原忠実 権大納言   1099 不在     関白藤原師通死去
10 藤原忠実 関白     1121 同人     関白に内覧の権を復置
11 藤原忠通 内大臣    1121 不在     関白忠実辞任
12 藤原忠実 前関白    1132 関白藤原忠通 
13 藤原頼長 左大臣    1151 関白藤原忠通 

14 藤原兼実 右大臣    1185 摂政藤原基通
15 九条良経 左大臣    1202 摂政藤原基通 基通の氏長者停める
16 九条道家 前関白    1231 関白九条教実 
17 近衛兼経 前関白    1242 関白二条良実
18 二条良実 関白     1242 同人     関白に内覧宣下の初例か?
19 二条良実 前関白    1265 関白一条実経
20 二条良実 前関白    1267 関白近衛基平
 以後省略。

84 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:59:05
どの官職が最も偉いのかになると面倒くせーなぁ。
将軍、摂関、太政大臣の中で
最も女にモテた官職はどれなのかだったら簡単なんだけどな。
これならサルでもわかる。

85 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 09:49:28
>>84
どの役職であれめったに好きな相手とは結婚できんぞ

86 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:45:31
摂関と征夷大将軍の兼任って確かいないよね。なぜだろう?
こういうことを研究している人っているのかな?
研究者にとっては当たり前すぎて研究対象外?

87 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:56:25
朝廷と幕府ってどっちが統治能力高かったんだろ?
制度上は中央集権的な朝廷が高いんだろうが実際ちがくない?
律令制と封建制ってどっちが進んだ文化?
中国朝鮮はずっと律令制できて封建制度育たなかったよね。
日本の場合、律令制、封建制と進んだ後、明治維新で中央集権に戻ってるし

88 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 11:28:19
>>87
資本主義は封建制の解体過程から生まれた。
よって、一度封建制を経験しないと、資本主義は育たない。

89 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 12:32:30
>>88
それは欧州限定のお話であってなぜかは欧州史を学ばなければならんわな
どうでもいい話でごめんね

90 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 12:48:43
>>86
鎌倉幕府と江戸幕府は関東が本拠地だから、天皇を直接補佐する摂関に
ならないんでしょう。室町幕府は義満が違う野望を持っていた。

91 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:18:28
>>88-89
そして典型的なマルクス史観でもある。

92 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:19:15
そりゃそうだ
だって資本主義を定義したのがマルクスなんだもん

93 :日本@名無しさん:2007/01/26(金) 13:22:10
>>86
語弊を承知で例えるならば、関白太政大臣とは元内閣総理大臣が
天皇の補筆を兼務するようなものです。これは現代人にとっても
あまり違和感を感じない地位でしょう。

しかし摂関と征夷大将軍を兼任するとしたら、まあ強いて例えるなら
朝鮮総督が天皇の補筆を兼務するようなもの。これはどうでしょう。
違和感を感じるのではないでしょうか。

というのも、征夷大将軍は軍事権の行使者に過ぎませんし、思い切り
拡大解釈しても「代官のようなもの」。しかも「治まっていない地域
限定の代官」に過ぎないからです。

しかし(太政)大臣は違います。全ての官のトップであり、領土全てに
対し権限を行使できる存在です。

征夷大将軍というものの限界がここにあります。
ここを超越するには、足利義満と同じような考えを持つしかありません。
でなければ、秀吉のように初めから関白太政大臣を選択して将軍を
考えないか、あるいは徳川家のように内大臣を兼務して関白を考え
ない手段しかありません。

94 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:23:01
明治が鎌倉の終わりなんです

95 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:01:18
>>93を要約すると
「出先の長と本庁の幹部の違い」だね。
そもそも摂関は天皇の側近という職務。
その点では近衛大将も変わらない。
征夷大将軍や鎮守府将軍は出先の長だから、原義から言うと兼務はおかしいんだよね。
秀吉ほどの権力者でも摂関のその性質には妥協して、
京(のはしっこ)に住んだしね。
早いとこ関白辞めて太閤になっちゃいたい気持ちも分かる。

太政大臣はあれかな?いわゆる「位打ち」枠だったのかな?
則闕の職ってことである面では摂関より見栄えもいいし
その割に実権はあやふやで、うるさい名望家を収めておくのにちょうどいい。
名望家の側でも摂関と違って京に常駐でないから損はない。

96 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:03:53
秀吉が太閤になったのって
秀次に関白を早急に引き継ぐことによって豊臣家の天下を世襲させるためでしょ

秀頼が生まれてから少々歯車がくるってしまったが

97 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:06:42
>>87
朝廷には軍隊がないからね。強制力をもたなければ誰もいうことをきかないし。
しかも徴税権も早くに失っている。

98 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:13:49
朝廷が権力を失っていく背景ってのが実に面白い日本的なんだよね
代理代理でどんどん実権が末端に移動していく
結果組織的下克上で武士が台頭してくるわけだ

99 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:20:40
その繰り返しで権威と権力がべっこにあると

100 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:40:53
武士政権が出来上がっても同じだな
結局中央は何もしないから代理代理で権力が末端に移動していき
結果組織的下克上でありえないくらい下層からの人間が天下を取ってしまうという

101 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:01:16
武家政権確立以降の朝廷にとっては洛中の外は夷の地って事でオッケー?

102 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:15:04
考えると秀吉は凄いな。
百姓上がりで関白/太政大臣+権力バリバリとは。
下賎な官職、将軍になる必要なんてねぇ。

103 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:36:26
関白より摂政のほうがいいな。

104 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:39:50
摂政は天皇小さいからやりたい放題

105 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:45:08
朝廷の治まらない地を治めるのが誠意大将軍!
朝廷の治める地は江戸時代で10万石位か?
直轄3万、隠居1万、公家5万?

106 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:56:52
初歩的な質問でスマンけど

官人の手当って、何で(米?土地?貨幣?)、
どのくらい支払う仕組みだったんだろう?
初期ヤマトも徴税はしてた訳だから無給ってことはないよね。

107 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 17:07:37
税金徴収は鎌倉〜安土桃山時代以前は基本が銭納だったような
かといって市場経済に貨幣が流通していたというわけじゃないけどね
それ以前とかだと租庸調とかのお話なんだろうが

108 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 18:00:25
京都朝廷は皇位継承順位について武蔵守、得宗家におうかがいをたてた。
権力順位、武蔵守>天皇



109 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 18:51:18
>>75
いるんだ。てっきりお稲荷様だけだと思ってました。

110 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:13:51
得宗家はあくまで陪臣だからなあ。。。日本史異常権力構造の極地だよね。
官位も4位でしょ?

111 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:21:22
武蔵守? 相模太守じゃないの

112 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 12:02:02
武蔵守は連署だった気がする

113 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:58:34
暇だから信長の野望やってたら、
我が信長さんは
上総介→尾張守→従三位参議→中納言(従三位如元)
→従一位太政大臣→正一位関白

だったと思う。確か。
位階がかなり飛び級してるな。。。
強豪国になってからいきなり猟官運動始めたから。。。
史実の秀吉もそうだから、摂政を経ない関白はあってもいいんだよね?
太政大臣を辞して関白って流れはよくわかんないな。
太政大臣って閑職でしょ。

114 ::2007/01/27(土) 22:29:52
バカじゃねえの?

115 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 01:40:37
>>113
ゲームでは最高官職は将軍でいいな。
関白とか太政大臣なんて官職をゲームに加えたら
どれが最も偉い官職なのか混乱するから。
ゲームは子供もやるわけだし、そこはわかりやすく作らんとな。
まぁ、そんたけこの3つの官職はわかりにくい。

116 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 03:32:48





       ゲ ー ム の は な し は 戦 国 板 で や れ 。






117 :日本@名無しさん:2007/01/28(日) 03:40:03
>>113
天皇が成人しているのなら摂政はいらんから。


118 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 06:45:17
一応、将軍も鎌倉以降は天皇の子孫にあたる源氏の流れを組んでいる者ではないとなれないわけで。
結局、権力者なんてずーと公家で回していたようなもんだ。



119 :日本@名無しさん:2007/01/28(日) 07:47:04
>>114
別に馬鹿なはなしはしてないぞ。

>>113
その通りで、太政大臣を辞して関白という流れは普通ありえない。
そもそも全く別の官職だから。
しかも左・右大臣の経験がないのに太政大臣に就くなど、ほぼ前例が無い。
平清盛と豊臣秀吉くらいじゃないかな。

秀吉の場合は、まず関白になってから太政大臣に任じられている。
太政大臣になったのは後陽成天皇即位式当日のことだそうだ。
関白としての功績を称える意味での名誉称号扱いだったといえる。

でもまあそもそも、摂政関白は太政官の首席(太政・左・右大臣)で
ないとなれないもので、内大臣から武家関白(この時点では、
まだ内大臣を兼務していた)ということだけでも、秀吉は異例中の異例。

その点信長は、右大臣の経験があったから太政大臣になるのは無問題。
尤も、事実は近衛前久の辞任や三職補任問題で、例外が発生する余地も
ありえたのだが。



120 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 07:57:30
太政大臣なんて官職、実質いらねぇよな。
常設ではないにしろ、なんでこんな官職を残しておいたんだろ。

121 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 10:24:15
>>119
ゲーム脳の開き直りは見苦しい。


122 :日本@名無しさん:2007/01/28(日) 12:57:51
>>120
「実質」はいりませんがね、太政大臣も必要な職なのですよ。
皇家に上皇、軍に元帥、会社に会長や相談役があるように。

そもそもトップは、二十年三十年もやっていられるものではないのです。
仮にやれるくらいのタフな人だったとしても、「老害」とかいわれる悪影響を
及ぼすもの。逆に言うなら、そこそこ若いうちしかできないんです。
その後の受け皿として、太政大臣は必要なのです。

トップにとってはいざというとき相談できる立場(地位)の人として。
あるいは周囲/部下の不興を買ったら祭り上げられる場所として。
政治闘争解決の手段としても、この地位が不必要であるとは思えません。

ご本人にとっても、トップの経験を生かしてトップの相談相手になれる場所(地位)。
また組織の制約からある程度自由に動ける立場になれますから、各界との
付き合いにも何かと便利なんで。


123 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:07:20
>>119
そもそも内大臣から摂関って秀吉以外にも結構いるのだが?

124 :113:2007/01/28(日) 15:13:00
113≠119
スレ止まったから裾野が広い話題を提供しようとおもっただけなのに…

125 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:20:50
得宗家が鎌倉将軍から上のイミナを貰って通字の時の下に付けるのってどういう意味があるの?
時頼、時宗みたいに。
普通、主君より貰った字は上に付ける物だと思うが。

126 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 19:32:06
>>106
律令制度で行くと下っ端(六位以下)は布の類と鍬、五位以上はそれプラス田を支給。
四位以上(規定上は改訂後、本来は三位以上だけ)はさらに特定の家が支配下に入り、
そこからの税を直接もらえる。

127 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:41:14
摂関が左大臣になりたいんだけど、長老が左大臣に居座ってて、しかも落ち度がないから
首にもできないし、とか言うとき太政大臣になっていただいて、左大臣になる。
とかいろいろ便利に使えるから。
日本の場合政争もあまりはっきり決着つけないことも多いよね。
唐の左右僕射がちょっと似てるかもしれない。

128 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:50:41
菅原道真は見事に飛ばされたわけですが。
藤原道長だって外戚になるために一族と競ってるし。

129 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:16:12
得宗は若くて出家するってことももあるけど五位止まりも多い、
他の北条一門の方が官位が高い(四位)場合もけっこうある。
貞時は四位だけど、これは平頼綱の子の助宗が
自分の官位をあげたかったためではないだろうか。
主人が五位なのに執事の子が五位ってわけにはいかないだろうし。

130 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:26:51
得宗は若くて出家するってことももあるけど五位止まりも多い、
他の北条一門の方が官位が高い(四位)場合もけっこうある。
貞時は四位だけど、これは平頼綱の子の助宗が
自分の官位をあげたかったためではないだろうか。
主人が五位なのに執事の子が五位ってわけにはいかないだろうし。

131 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 23:47:12
>>126
その鍬を使えば下級官人も私有農地が持てますね。
というか、鍬の私有といえばそれしかないというか。
三位以上の遇し方といい、律令時代から土地の私有や税の私徴は半ば公然としたものだったってことですかね?

132 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 09:40:21
それこそ本音と建前の世界だわな

133 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 10:00:24
北条家嫡流歴代の最高位階
 義時従四位下、泰時正四位下、貞時従四位上、時頼・時宗・高時は正五位下
時宗・貞時・高時には昇進パターンがあり、
 左馬権頭→執権または連署→相模守
武蔵守・陸奥守・相模守は、執権・連署及び就任予定者の官で、陸奥守は武蔵守より格上。北条一門で四位になれるのは、得宗家及び執権・連署就任可能な主要分家の要人。

ところで本来嫡子じゃなかった時頼はともかく、時宗はなんで宗時じゃないんだろう?

134 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 10:32:45
徳川歴代将軍の官位昇進は異常。
 極官はまだしも先例があるけど、生まれついての将軍の場合の初叙が無茶苦茶。
 家光の従三位を先例に最高従二位、つまり尾張・紀伊の極官と同じ。
 一世源氏だって普通は四位、嵯峨源氏に従三位が確か一人。
 徳川の威勢恐るべし。
ちなみに摂関家でも従五位上(現職摂関の孫だと正五位下) 

135 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 10:44:44
そりゃあんた
事実上日本の国主なんだから当たり前だろ

136 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 10:51:32
それはそうなんだけど足利は歴代五位から、
なんで徳川は一歩を踏み出したんだろう?

137 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 11:00:04
>>134
江戸時代の武家の官位は公家の官位と別枠だから、
単純には比較できない。

138 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 11:43:56
摂関家の場合は5位から累進して二十歳位で大臣なるよ。
30歳位で摂関になって上がり。
年齢で行けば将軍家よりもはるかに若く大臣になれる。
それに比べたら徳川は最初は大納言から始まるけど襲名後、内大臣に
なってからは昇進スピード異常に遅くなる。
家督継ぐまでは何歳になっても内大臣なれないし。
右大臣になるのに10年以上、左大臣は後期には殆どいねー


139 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:11:10
大臣は武家官位の枠外だから、
そもそも大臣は「なった」という事実が大事な時代だから、数日交代で複数が内大臣を持ち回りした例もある。

140 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 14:05:04
初叙年齢の言語道断な低年齢化や昇進レコードの更新は奈良時代に既に始まってるんだけ
ど、一世源氏を除く臣下の場合初叙位階の上昇は漸進的で五位以下に止まってるんだよね。
つまりその後の昇進がどうあれとにかく最初は五位以下っていう牢固な原則があった。
なぜ徳川に至って初めて四位の壁を超越して一気に三位まで行っちゃったんだろう?
おまけで一門や有力大名の一部に四位スタートもいるけどね。
一門とはいえあくまでも家臣である尾張・紀伊が年取ったら三位の場合が有るってのが、
原因だろうか?少なくとも家臣と同格異常ないと駄目だとか。

141 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 16:40:15
確かに太政大臣は祭り上げにうってつけの官職だよね。
無任所の顧問、相談役みたいな。

ちなみに家康の主な官職は員外官ばかり。
内大臣や太政大臣も職掌が特にないし。
近衛大将と右大臣くらいかな?
朝廷の独任的重職って言ったら。

142 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 17:01:05
あかさたなはまやらあかさ          あかさたなは     テスト

143 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 18:06:20
尾張紀伊の家督時官位は従三位左近衛権中将

144 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 18:16:13
摂家の序列は近衛>九条その後はどうなるん?

145 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:04:43
藤原良房はなぜ側室を迎えなかったか?

146 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:17:51
各家いろいろ主張はあるだろうけど、
公家社会の認識は近衛>>>九条>他三家だろうな。
近衛だけはいくつか特別待遇が有ったらしいから。

147 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:19:37
>>145
女嫌いで年下趣味だったとか?基経は養子と言うより稚児だったとか?
なんて答えを期待してるんですか?

148 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:33:27
近衛だけは別格だよ。
殿上元服できるのは公家の中でも近衛だけ。
他は一緒じゃないの?
ウィキの著述では九条流の嫡流は一条だけど皇別摂家が近衛と一条だけ
だからって九条よりも上って事はねーよな。

後、足利の官位昇進は清華に準じていると認識してオッケーかな?


149 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:47:44
日本(律令制の日本)てあれですか?

建前上、「ローマ帝国」が続いてきた欧州のミニチュアみたいなもんなんですか?

150 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:03:58
江戸幕府関係が最初から高位であまり昇進しないのは、
実は儀式が面倒くさい&官位昇進の礼金をケチった。だったりして。

151 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:05:33
なんか新年の挨拶関係でも内容は忘れたけど近衛だけの特別待遇があった。

152 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:52:56
徳川と北条と同じような東国の田舎の土豪出身なのに、官位に対する態度が非常に対照的。
何でだろう?

153 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:59:08
五摂家筆頭近衛家 それは------

臣下として天皇家に最も近い家柄
日本最高の貴族

154 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:05:37
とりあえず、荻外荘は椿山荘や雅叙園や叙々苑みたいに開放しろよ。

155 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:42:26
近衛前久が本能寺でシロだっていうのは散々裏が取れているだけどな。

156 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:45:44
>>152
徳川は将軍であり武家の棟梁。
執権北条はあくまでも幕府の中での大老に過ぎない。
朝廷から見たらあくまでも陪臣。
陪臣武家は普通公卿に列せられることは無いよ。

157 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:47:32
>>153
そうだね。
結局、藤原忠通の嫡子が近衛家祖で三男が九条家祖だから、天皇家や宮家との外戚関係が一番色濃いのは嫡流でしょうね。

158 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:00:26
>157
>結局、藤原忠通の嫡子が近衛家祖で三男が九条家祖だから、天皇家や宮家との外戚関係が一番色濃いのは嫡流でしょうね。
 その時代はまだ長男か三男かで決定的な差がつく時代じゃないと思いますが。実際、
九條流だけが残って、近衛が松殿と同じように没落していてもおかしくはなかったわ
けだし。
 後世でも氏長者その他は持ち回りな訳だし。近衛家を意図的に引き上げて利用しよ
うとした、信長〜家康あたりの思惑が大きいんじゃないでしょうか。

159 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:15:52
頼通以降はだいたい長男優先がはっきりしてるけどな

160 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:48:52
>>158
それも理に叶ってると思うし正しいかと。
私が言ってるのは、卵が先か鶏が先か的議論になるので、なるべく簡潔に述べると、長子優先と前例主義が重なってしまったってことです。
結果が出てしまえば、どちらも同じなのですが、基実と兼実の年齢差は確か6歳かと。
現代で換算すれは9歳は離れた間柄。
関白に補任も年長の基実が先であり氏長者もしかり。
これが近衛家のみならず宮中の前例です。やはり、早い方が優先としてみなされるのかと思います。早ければ、権力中枢で更なる既成事実化、つまり前例や慣行を築けることは物理的に容易かと考えます。
調べていなく恐縮ですが、近衛家と九条家は同時期創設でしょうか?


161 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:05:41
いやっほー

162 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 11:54:32
こうして時代で比較してみると面白いね
同じ官職なんかでも意味合いが全然違うし
その都度改革されていて同じ武士政権と一言では呼べなくなるよね

163 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 18:31:18
【コーヒーたいむ】


さだまさしが関白宣言してから、その後世の中から関白って言葉が失せました。
その代わり殺生な事件が多発してます。これは摂政復活を暗示してるのではないかと。妄想。
されど今の皇族をみればまんざら…。

164 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 18:43:06
議院内閣制を廃止して摂関を復活させよう
血筋の悪い人によい政治ができるわけない

165 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 19:30:39
一条は、皇后になった人多いよね。

166 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 20:18:58
征夷大将軍と太政大臣、どっちも最初の数人以外は当初の目的と違った使われ方をした。

167 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 20:26:28
日本の場合、このあたりの高官に府官が居ないのは本家に比べた特徴かな。
向こうは国家の正式な官職だが任命権は長官(最高級大臣や将軍)にあるって言うのが
割とはやってた。
まあ日本がまねする時代はちょうど下火だったんだけどね。

168 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 20:54:11
日本は『和』を一番とする国だから、皆仲良くポストの持ち回りが争いを防ぐ最善の方法だと体得してるんだよ。
令外官は、つまりその論理的証明じゃないかな。
それなりのコンセンサスがついたポストならば、役割はその時勢の解釈でどうにでもできちゃうし。
今でも似た様なこと永田町あたりでやってるから。

169 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:02:37
俗な日本人論はつまらん

170 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:10:59
>>164
血筋が良い人は民衆を搾取します

171 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:26:50
>>169
それでは、俗ではない君の講釈を拝読しましょう。

172 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 11:14:34
これらが実際に選択肢として選べた人間って信長・秀吉・家康くらいか?


173 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:15:52
義満は無理だし頼朝はそれ以前に亡くなったし
事実上信長と秀吉だけじゃないか?
家康は選択肢が限られていたと思うし

174 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 01:16:44
藤原良房
『源氏物語』の主人公のモデルとも言われている。
嫁さんは、嵯峨天皇の娘潔姫(もちろん一度臣下にくだされて源氏姓となっているが)。
嵯峨天皇は、自分の娘をやるほど良房が気に入ったわけだが、どこに引かれたのか。
答え。顔。それほど美しい貴公子だったそうな。光源氏のモデルと言われる所以である。
世の中にはいるんですねぇ。「家柄も良く」「頭も良く」「顔も良い」という人類の敵みたいな奴が。

175 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 08:24:04
そうかそれでか、普通なら長男の長良の方を選ぶのになぜ良房だろうと思ったんだ。
同母兄弟なのに変だと思ったよ。
>「家柄も良く」「頭も良く」「顔も良い」
性格は悪かったようだが、おそらく北家嫡流歴代で一番の悪人。
彼の男系子孫が居ないのは幸い。

176 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 09:44:52
まさに華麗なる一族

177 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 09:49:28
そのころはまだ長子優先では無かったと思われ

178 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 09:52:56
さすがに同母兄弟だと長子有利だったんじゃないか?

179 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 13:24:36
太政大臣に棚age

180 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 16:05:39
>>178
はるか後世、後の徳川家光だってあぶなかったじゃないか。
同母弟を実の両親が贔屓したがために。

181 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 16:10:07
大田区立郷土博物館
http://inoues.net/museum2/ohtaku.html

東京都大田区田園調布1丁目にある多摩川台古墳群。多摩川の丘陵地帯に分布するこの古墳群は、
我が国でも近畿を除けば屈指の古墳群である。
江戸時代までは、「狐狸の住む板東平野」として蔑視される関東地方だが、この古墳群を見ると、
渡来人たちはしっかりとこの地方にも根を下ろしていたのが窺える。

182 :日本@名無しさん:2007/02/02(金) 16:48:07
>>177-178
確かに一般解ではそうだし、兄のほうが昇進も早かろう。
だが、あの時代のあの世界だから、天皇の寵愛を受けるかどうかで違ってくるぞ。

183 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 17:22:46
長子継承に正式になったのって江戸時代からとかか?

平安貴族などは母親方の家柄によって父親が同じでも全然出世は違うよね
通婚だからってのもあるんだろうけど
多少時代が経って武士の時代になっても正室腹の長子が基本的に継ぐことになるよね
もし庶子ならば正室の養子という形を取って跡を継ぐとか


184 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 19:24:34
なんにせよ良房は嵯峨天皇の構想を全部自分の利益のためにぶちこわした。
結果論としては嵯峨天皇は人を見る目がなかったと言わざる得ないだろう。

185 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 20:02:11
>>184
詳しく

186 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 17:35:12
摂政になりたいなぁ。
絶対に摂政になりたいの。何がなんでも摂政になりたい。
いつか摂政になれる日が来ないかなぁ。

187 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 18:30:23
摂政といえば今や女の子の憧れの職業だしね。
人気職業ランキングではアナウンサーやキャビンアテンダントを抜いて堂々のトップらしいね。

188 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 19:02:13
春ですね

189 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 19:24:05
やはり臣下で史上最高位についたのは豊臣秀次だよな。
摂政と関白を同時に兼ねたのは彼だけだもんな。
摂政関白豊臣秀次、うーむすごい。
あと女性しかも外国人で摂政になったのは玉藻さん、
実は人間でさえなかったてんだから、これまた空前絶後だね。

190 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 19:30:48
高橋書店 漢検協会 準1級受験2冊セット
http://auction.item.rakuten.co.jp/10045799/a/10000015


191 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 19:36:03
摂政との合コンはハードルが高いよ。でも万が一摂政と付き合うことになったら男としてはステイタス性が高い。

192 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 20:23:20
関白は失政しても政治責任は取らなくとも良いでおk?

193 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 21:15:50
院政もそうだが藤原摂関政治ってさあ、どうやって朝廷内で権力取ったかが重要なだけで
政治的に何をやったかってあまり語られていない希ガス。
平安後期って歴史的な意義あるのか?

194 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 21:19:51
日本史上天皇を除く最高権力者リストかあ
摂関 太政大臣 将軍の他に執権と近代の内閣総理大臣、他に何があるだろ?

195 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 21:25:25
そんなこと言ったら戦後の日本政治だって意味ないよな。

196 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 21:38:23
日本史上天皇を除く最高権力者リストかあ
摂関 太政大臣 将軍の他に執権と近代の内閣総理大臣、他に何があるだろ?

197 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 21:46:41
そもそも摂政との合コンなんてあんまりないよね。

198 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 22:39:39
誰か実際に摂政と付き合ったことある奴いる?

199 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 22:41:08
誰か実際に摂政と付き合ったことある奴いる?

200 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 23:08:15
>>194
大臣(おおおみ)は入らないか?

201 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 23:13:48
>>199
いるだろ過去には。
宮家の女王と付き合ってる奴は今でもいるだろ。

202 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 23:50:07
どうせ摂政になるなら普通の摂政ではなくカリスマ摂政かスーパー摂政を目指したい。無理だろうけど。

203 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 00:20:01
貴重な良スレがまた、さほどの造詣を必要としない妄想レスで埋められて行く
内容がしっかりしててコンスタントに伸びる史板最後のスレだったが
ここもバカ→伸びる、まとも→止まるパターンになるなら諦めもつくから他の板探すからいいわ

204 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 00:40:39
料理が得意な摂政とお付き合いしてみたいな。

205 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 14:41:03
性位

206 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 16:56:54
摂政と出会うチャンスなんてめったにないな。

207 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 17:22:08
折衝

208 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 17:46:49
スタイルがいいだけじゃ摂政にはなれないんだな。

209 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:24:35
摂政養成学校とかに入らないと摂政になるのは難しいのかな?

210 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:43:00

受験落ちたのか…可哀想だが来年もある頑張れよ!ビルからは絶対落ちるなよ!
摂政になるのは学校行こうが合コンしようが無理だぞ。
家柄と運と能力が必要だ。それ以上に今は法制化されないから根本的に無理だぞ。この位知らなきゃお受験失敗しても仕方ないよな。悪いことは言わない、予備校の手続き早くした方がいいぞ。

211 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 12:42:25
面白いか?

212 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 13:41:52
バカにとっては面白いのだろうな。


213 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 16:23:58
同じ位階相当でも太政官と神祇官では格が違ったらしいよな。
明治以後の神祇官は事実上国学者の隔離棟だったから当然だが。
ちなみに、陸軍とかでは同じ少尉格でも部隊付兵科士官と余科ではやはり格が違ったものだそうだ。

214 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 16:31:20
軍隊はというか自衛隊かは今でも格の違いは随所にあるぞ
普通の自衛官と技官との差とか
司令部と現場の差とか
職種の差とか

215 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 16:41:39
俺は格下でいいから仕事がラクで責任も軽い地位でいいよ

216 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:08:23
神祇伯はいいよね。
百官の筆頭にして大した仕事もないし権力もないから1000年も世襲。

217 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 07:00:13
ある意味プチ天皇

218 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 07:28:14
おまえらキモイな

219 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 11:57:57
室町将軍でも従4位ぐらいなのに
安土桃山になんで武家で中納言とか内大臣とか
高官職が増えるのか。


220 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 12:41:05
秀吉の財力政治力だろ。


221 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 12:59:27
室町いっぱいをかけて貴族荘園が横領されまくったからな。
というか、地元のライバルと私有地を争ううちに貴族への付け届けが忘れ去られたというか

222 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:08:06
畿内の荘園保護を打ち出したのが秀吉

223 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:52:54
>>219
幕府を開かなかった秀吉は、鎌倉・室町幕府にあった幕府の役職に代わるステータスとして朝廷の官職を与えたから。

224 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 23:44:55
>>223
それはわかるけど
なんで公家にはその官職を与えなかったの?

225 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 08:53:36
>>224
公家が機能してなかったから
秀吉がやったことは思惑云々おいといて朝廷でも下克上をやったんだよ
前例無視で大大名に官職を割り振って事実上の統治機構にしようとしたわけだ
家康がその後住み分けをして公家の保護をしてるのさ

226 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:32:11
>>225
ひでぇ。
秀吉ってひでぇ男だな!


227 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:53:56
>>225
秀吉が武家に官位濫発させたのは事実だが、
朝廷を統治機構にしようとしたわけじゃないだろ。
武家の統制に官位を利用しただけ。

228 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 14:17:38
>>227
それを統治機構と呼ぶのではないか?
序列を官位ベースで考えるわけだろ?

229 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 14:33:33
一部に言う「秀吉の王政復古」ということでいいのですか?

豊臣体制が続いていたら日本の歴史の来し方も違っていたのだろうか?

230 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 16:29:37
>>228
一例で足りると思うんだが、
たとえば加藤主計頭が財政担当者の長だったわけじゃないだろ

231 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 17:45:41
話がかみ合ってない議論はよせw

232 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 18:41:25
摂関とか大臣とかって、直属の官房とか事務局の類がないっていうのは、
一つの特徴じゃないだろうか?
少納言局は太政官の事務局であって大臣の事務局じゃないしね。
つまりブレインや手足がないってことで、日本の貴族はやはり弱体だったのでは?

233 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:50:13
しかしまあ人大杉とは摂政ですね、本当に何とかならないものでしょうか?
早く征夷を見せて欲しいものです。

234 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:22:58
百姓あがりの秀吉に
関白とか太政大臣とかの官職をくれてやって
武家にポンポン、朝廷の官職を与えてやって
公家はどう思ったのかな。
王政復古と思ってたんだろうか。

235 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:29:47
大名諸侯の序列を官位によってつけることと、
統治機構を朝廷とすることは全く別。
官位はあくまで格付けであって、統治機構そのものは「豊臣家」が担った。

236 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 22:47:11
亭主関白ゆめの夢、女房関白わしゃ殺生(摂政)

237 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 23:06:23
>>233
おじょうず!

238 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:53:20
SE姦家はお盛んです

239 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 20:46:08
おお

240 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 00:41:08
家光って梅毒で死んだって昔本で読んだ記憶がある。
嫌だったろうな女達は。あっ家光はバイセクシャルだったから、小姓も嫌だったろうな。

241 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 00:53:23
坂本竜馬もそうだったんだろ?

どうもアンチにより嫉妬、もしくはネガティヴキャンペーンにしか思えん

242 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:35:52
摂家を調べようとwiki見てたらさ
「九条家は九条流の嫡流ではない」
「一条家は天皇家から養子をもらっており、そういう例は近衛家と二つしかない」
「よって一条家が嫡流だ」
って書かれてたんだけど・・・
wikiってそんな根拠のない理由で書いてもOKなの?
例えば近衛家が断絶したとき女系の細川家が継いだだろ?
なんで天皇家や宮家から養子をもらわなかったんだ?
上記の理屈だと「近衛家は近衛流の嫡流じゃなくなった。なぜなら細川家から養子が入ったからだ」
って書かれてもおかしくないよね?
ちゃんと取材して書いて欲しいよ。


243 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:46:52
Wikiなんて飾りです

244 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 12:50:34
ウィキも2chも玉石混淆。

245 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 13:38:10
近衛家が断絶したとき女系の細川家が入ったのは戦後の話だ。
一平民にすぎない。

246 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:29:08
大河板で風林火山の
三条夫人の話が出ていたんだけど
公家の中でも格が違うというレスがあったが
どういう意味よ。公家は公家だろ。


247 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:45:51
そりゃあんた清華家の娘さんだでねえ

248 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:59:37
関白と征夷大将軍を兼務した歴史上の人物はいないけどもしいたとしたら最強だっただろうね。

249 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:14:56
最強でもないだろ
問題はその権力基盤のほうだからな
役職なんて飾りです

250 :日本@名無しさん:2007/02/14(水) 19:27:35
>>248
それだったら親征した雄略天皇が史上最強だろう。
人臣じゃないのは内緒だが。


251 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 20:21:29
摂家・清華・大臣家・平堂上の区分は厳然としてあった。
平堂上のなかでも羽林・名家・半家の別はあったが、
羽林と名家はほぼ同格のようだ。むしろ羽林内部の差の方が大きい。
つまり名家の上位>羽林の下位って感じ。
半家はかなり落ちる。
しかし平堂上内部では旧家と新家の差もかなりあるようで、
出来星の羽林と由緒正しい半家ではどっちが上か微妙かも?

252 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 21:27:14
清華以下は表向きはあくまでも直臣だが、実質的には半分摂家の家臣で両属状態みたいな
感じらしい。というわけで摂家と清華の間には越えられない壁がある。
大臣家はかなり落ちて、少なくとも江戸中期以後の官位昇進では羽林や名家の上位数家と
区別されていない。
とくに羽林の最上位4家と大臣家は、旧家のうちしかるべき家に包括されている。

253 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:23:58
大臣家っていう割りには
ここから大臣があまり誕生していないような。

254 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:58:06
>>240
アッー!

255 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 01:09:46
将軍と関白じゃ相当官位が違いすぎるだろ

256 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 10:52:57
いくら貴族が没落したとはいえ
甲斐の片田舎の権力基盤もあやしい武田家に清華家の娘が嫁ぐとはなあ

257 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 11:09:48
>>252
江戸期以降の話しな。
清華の中でも摂家の門流となっている家とそうでない家がある。
源氏の久我・広幡、藤氏の中でも三条・徳大寺は、門流となって
いないようだよ。

258 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 11:19:40
>>256
清華家も落ちぶれたもんだな。

259 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 13:15:11
家格形成期(平安中期〜鎌倉初期)に大臣足り得たのが大臣家。
その後に権力者に取り入ったりして大臣になったりして先例を作り、
時々大臣を出せる羽林や名家もあるけど、
家格は一度定まってしまうと簡単には動かないから。
摂家はよほど早死にしない限り大臣にはなれるが、
清華でも大臣になれない場合はあるし、
それ以下はなかなか空きがないということらしい。

260 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 14:20:26
調べたけど
三条家って家格毎に3種類あるんだな。
中でも三条西家ってのが三条家の中では最も
格式あるみたいだ。

261 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 15:04:17
家格は転法輪三条家が清華、三条西家が大臣家だが?

262 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 15:37:50
そして武田家と婚姻関係を結んだのは転法輪三条家(清華家)なんだな

263 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 19:39:37
三条西家は知行高が転法輪三条より高かっただけだよ。
家格とは関係ない。

264 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:24:04
ヒストリーチャンネルの「徳川家康と徳川幕府」はしょぼいw

265 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 16:55:56
>>263
なにいってんだコラ!
知行高は大いに家格と関係あるだろうがっ!
摂家筆頭の近衛家は
公家中最高の知行高3000石だぞ。


266 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 17:04:54
前田家の100万石に比べたら酷い格差だなw

267 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 17:17:33
3000石あれば貴族生活はかなりラクチンだと思われますが
参勤交代があるわけじゃなし
養う家臣もいるわけじゃなし

268 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 18:09:42
江戸時代の摂家は現職摂関でなくても人事に発言権があるから、
やはり公家社会では怖い存在だったんだろう。

269 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 18:13:25
家格と知行高は関連があるが、完全に同調しているわけではないので逆転現象も多い。
さすがに摂家より知行高が多い平堂上はないが、清華や大臣家より多い家は何軒かある。
なので知行高が多い=家格が高いではない。

270 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 19:45:56
むーん。
鎌倉公方流の喜連川氏は実質4500石で10万石の家格だから、藩財政は火の車みたいだな。
江戸時代の公家って楽チンなの?

271 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:27:34
楽なのも有ればそうでないのも有ります。
新家の30石公卿とかは同心クラスなのに格式落とせないからド貧乏。
領地がある家の場合は表高と実高が乖離してる場合もあるし、
近衛家は実収1万石とも言われ非常に裕福だったらしい。
一条とか鷹司あたりは表高も近衛の半分程度で、実高もたいしたことがなく、
摂関に成ったときもらえる給与がかなり魅力だったらしい。
あと家業で免状を出したりして相当儲かる家もあった。

272 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:54:32
新家30石三人扶持はかわいそうだよね

273 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:08:12
あと娘を裕福な大名家に送り込めば、援助もあったらしい。
特に御台所を出した摂家・宮家なんかは特に優雅な暮らしができたのでわ。
また寺社伝奏を持っている公卿も僧官を取り次ぐとリベートもあった。

蔵米の公卿は、儀式に着ていく衣装がすべて自家でまかなえず貸衣装で挑んだとか。

274 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:33:52
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    ',  ヽ ヽ         ',':,   ,! l、  ,イ
    l   !"´!         ヾ! ,.ィ竺t:、 リ
    l   l  l         人.'´三`' /l          f'^i-、__
    |   |  |,. ―- 、_r≦´、、 `'ー' " ト、       {゙ヽ丶ヽヽ
    |   |_|_::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヾミ丶、、ヽヽー-、_  ヽヽ丶ヽヽ
    |  /   i\::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`丶.`'=┘::}:::::::`,==、! ,l_.l,..ヽヽ、
    ト、_.|    l / ̄`ヽ:::::::::::::::::::::::::::::::::`'ー-一'::::〈::ヽ ゙',   、_ ',
    ノ  `'ー‐(⌒ヽ ノ l::ヽ:::::::::::i::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ:ヽ ゝ -‐ァ
   ,! __,,.. -r-、`'ーr'´ ノ、:::ヽ::::::::l!:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヾヽ   ;'
    l       ヽ_,.ノ  /::ヽ}::::'i,::::::|l:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ丶、_,. -‐
   {  -‐' ´ ̄ソ  /::::::::::::::::|l:::::||::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::l!:::::::::::ト-

ttp://www.nicovideo.jp/watch/ut49jki2kpq7c

東方軍 VS 陰陽軍 の戦い 琴姫の役

275 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 23:02:56
>>273
ま、武士でも登城前に質屋に寄って質入れしている裃を借りてから登城するのもいたしね

276 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 14:47:09
結論:近衛家に生まれていればよかった でOK?

277 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 18:15:24
次男以下だと30石公卿にところに養子にやられたりして、
まあ摂家とかは普通は坊さんにされるからそんなことはないようだ。
表向き結婚できなくてもかまわなければそれもいいかも。

278 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 18:49:34
>>271
近衛は酒造地の伊丹を領していたのが大きいかも

279 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:25:04
>>277
貧乏公家に養子に行くくらいなら、門跡寺院に入って美少年の小坊主を侍らせているほうが極楽だ

280 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 01:00:44
いつの世も貧乏って必ずあるんだな…

281 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 11:45:46
江戸時代は下手な農民よりも支配階層の方が貧乏な時代だからなあ

282 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 22:46:15
何の為の支配者層なんだろうな
名誉や地位だけでは生活は厳しいよな

283 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:36:21
臨戦体制のままだから貧乏になるのは当然。

284 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:46:46
上級公家や皇族の嫡男以外は門跡寺院に入って出家しないとダメだから
辛いね。伏見宮系なんか抹消して江戸時代に宮家増設していたら今、こんな事にならなかったのに・・・
一生童貞、結婚も出来ないって俺は嫌だ。
まあ世俗で貧乏曝すよりも格式の高い寺院でお坊さんやっていた方が家の体面は保てるのだろうが・

285 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:07:42
尼門跡の方が勿体ない希ガス

286 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 07:17:21
>>284
いやいや、世の中のことには全て建て前と本音というものがあって、坊さん達も実際は・・・・

287 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 08:19:41
当時医者と城坊主も坊主頭だった。
そこで僧侶が遊郭に行く場合どちらかに化けるのだが、
城坊主の方がもてたそうだ。(付け届けで金があるから?)
まあ京都の場合は医者に化けたんでしょうね。

288 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:37:14
公家石高
        寛文5年1665        慶応元年1865  ※小数点以下切捨、50石以下は現米
『摂家』
近衛       1797石         2860石
九条       2043石         3043石
二条       1708石         1708石
一条       1019石         2044石
鷹司       1000石         1500石

『清華』
久我        700石          700石
三条(転法輪)    269石          469石
西園寺       597石          597石
徳大寺       410石          410石
花山院       715石          750石
大炊御門      200石          400石
菊亭(今出川)   1355石         1355石
広幡                      500石
醍醐        存在せず          300石

289 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:38:00
『大臣家』
中院        300石          500石
正親町三条     200石          200石
三条西       502石          502石

『閑院流』
正親町       352石          352石
滋野井                     180石
姉小路       200石          200石
清水谷       200石          200石
四辻        200石          200石
小倉        150石          150石
河鰭        150石          150石
阿野        478石          478石
橋本        200石          200石
花園        150石          150石
裏辻        150石          150石
梅園        150石          150石
山本        150石          150石
大宮        130石          130石
武者小路      130石          130石
風早                       30石3人扶持
押小路                     130石
高松                       30石3人扶持
園池                       30石3人扶持
藪         180石          180石
西四辻                      30石3人扶持
中園        130石          150石
高丘                       30石3人扶持

290 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:38:35
『花山院流』
中山        200石          200石
飛鳥井       928石          928石
難波        300石          300石
野々宮(野宮)    150石          200石
今城        181石          180石

『中御門流』
中御門(松木)    341石          341石
持明院       200石          200石
園         186石          180石
東園        180石          180石
壬生                      130石
高野                      150石
石野                       30石3人扶持
石山                       30石3人扶持
六角                       30石3人扶持

『御子左流』
冷泉(上)      300石          300石
冷泉(下)      150石          180石
藤谷        200石          200石
入江                       30石3人扶持

291 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:39:34
『日野流』
日野     103石?(1037石?)    1053石
広橋     600石(子息250)       850石
烏丸        954石          954石
柳原        202石          202石
竹屋        180石          180石
日野西       200石          200石
勘解由小路     130石          130石
裏松        130石          130石
三室戸                     130石
外山                       30石3人扶持
豊岡                       30石3人扶持
北小路                      30石3人扶持

『勧修寺流』
甘露寺       200石          200石
葉室        183石          183石
勧修寺       708石          708石
万里小路      390石          390石
清閑寺       180石          180石
中御門       200石          200石
小川坊城      180石          180石
芝山                      100石
池尻                       50石3人扶持
梅小路                      50石3人扶持
岡崎                       30石3人扶持
穂波                       30石3人扶持
堤                        30石3人扶持

292 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:40:26
『四条流』
四条        180石          180石
山科        300石          300石
鷲尾        180石          180石
油小路       150石          150石
櫛笥        183石          183石
西大路       100石          100石
八条                      150石

『水無瀬流』
水無瀬       631石          631石
七条        150石          200石
町尻                       30石3人扶持
桜井                       30石3人扶持
山井                       30石3人扶持

『高倉流』
高倉        812石          812石 
堀川        180石          180石
樋口        200石          200石

『二条分家』
富小路       200石          200石

293 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:19:10
『村上源氏』
六条        265石          265石
久世        200石          200石
岩倉        150石          150石
千種        150石          150石
梅渓        150石          150石
愛宕                      130石
東久世                      30石3人扶持
植松                      130石

『宇多源氏』
庭田        350石          350石
綾小路       200石          200石
五辻                      200石
大原                       30石3人扶持
滋光寺                      30石3人扶持

『王氏(花山源氏)』
白川        200石          200石

『清和源氏』
竹内        187石          187石

294 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:20:17
『菅原氏』
高辻        200石          200石
五条        171石          171石
東坊城       301石          300石
唐橋        182石          182石
清岡                       30石3人扶持
桑原                       30石3人扶持

『平氏』
西桐院       260石          260石
平松        200石          200石
長谷                       30石3人扶持
交野                       30石3人扶持
石井                      130石

『清原氏』
舟橋        400石          400石
伏原        230石          230石
沢                        30石3人扶持

『安倍氏』
土御門       177石          177石
倉橋        150石          150石

『大中臣氏』
藤波        172石         1000石

295 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:20:55
『卜部氏』
吉田        769石          760石
荻原       1000石         1000石
錦織                       30石3人扶持
藤井                       30石3人扶持

『丹波氏』
錦小路                      30石3人扶持

『大江氏』
北小路                      60石

『維新後の堂上取立』
松崎(甘露寺分家)                 30石3人扶持(慶応3年10/24(1867)列堂上)
北小路(大江氏)                  30石3人扶持(慶応3年11/20(1867)列堂上)
岩倉(村上源氏岩倉分家、具視の三男)        40石(明治元年6(1868)列堂上)
玉松(閑院流山本家分家)              30石3人扶持(明治2年1/19(1869)列堂上) 
若王子(四条流山科分家)              30石3人扶持(明治2年2/21(1869)列堂上)

296 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:27:27
新家の標準らしい30石3人扶持は別として、200石、180石、150石、130石
が多く、このあたりが標準的なんだろう。
あと300石と100石もきりがいい。
半端なところは家自体に加えて領地自体に由緒があるんだろうな。
摂家の中でなぜか二条だけが加増なし。
とりあえず消滅した家はないようだし、大幅な減封もないようだ。

297 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:40:57
平堂上の新家はどうも200石が最高らしい。
正親町三条は大臣家以上の中で極端に少ないのはなぜだろう?
平堂上での500石以上は旧家の中でも一門の嫡系とか新道関係が多いようだ。

298 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 12:26:20
宮家の江戸時代初期の石高分からない?
幕末なら分かるんだけど。

299 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 17:47:52
残念ながら手持ちの本だと華族と公家しか載ってないので皇族である宮家は不明。

300 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 18:36:26
一応、幕末の宮家の石高

伏見宮   1022石2斗5升3合1勺
桂宮    3006石6斗余
有栖川宮 1000石
閑院宮   1016石9斗1升6合

http://www.eonet.ne.jp/~yanaken/miyasama/shinnouke1.htm

301 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:40:56
ここは公家スレか?


302 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:00:03
公家スレってわけでもないけど最近公家の収入の話が出てたから。
江戸幕府は朝廷の統制に摂家を利用、その見返りなんだろうか摂家は上記の200年で平
均5割領地が増えている。ただしなぜか一条は約倍、二条のみ加増なし。
摂家は現任摂関以外でも公家人事に関与していた。
摂家以外の公家にはこれが大きい訳で、人事権を持つ相手に頭が上がらないのはいつの時
代も変わらない。
徳川は摂家さえ押さえて(飴と鞭)おけばまあある程度の統制が効いたってことだね。

303 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 09:48:17
>>293
>『王氏(花山源氏)』
>白川        200石          200石

これに神祇料100石が付いた


304 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 09:52:32
>>295
>荻原       1000石         1000石

「荻」原じゃなくて、「萩」原。

「荻原でも萩原でもどっちでもいいじゃないか」 byふかわりょう

とは言わせん!!


305 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 11:02:38
>>303-304
神祇料は知ってましたけど家領の表として作ったんであえてはずしました。
注記くらいはして置いた方が良かったですかね。
萩原だったんですか?ずっと荻原だと思ってたんで確かめもしなかったです。
どうもご指摘ありがとうございます。

306 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 14:14:56
伯王家って王氏扱いだったのか。王号は単なる慣例で源氏だと思ってた。

307 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 15:31:45
>>306
神祇伯在任中のみ王号を称した。
神祇伯任官前、辞官後は、源朝臣。

308 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 21:15:30
萩原 荻原

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