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鈴木眞哉史観を疑う

1 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 23:08:07
「戦国時代、騎馬隊はなかった」
「天下人とされる人間は運がいいだけ」
「天下人史観に騙されるな」

「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、
紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。

ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、
鈴木のいう「歴史の真実を見極める」ためには、
天下人史観を否定するかわりに彼の説を無条件に受け入れるだけでいいのか?
彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか?

鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、
それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。

2 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 23:12:49
戦国時代
http://hobby9.2ch.net/sengoku/

3 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 23:41:18
藤本正行はどう?

4 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 23:58:16
藤本はここでは置いて、
ひとまず鈴木眞哉に集中する。
以下鈴木の問題点を上げる。

5 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:03:56
1:他人の説に便乗する

これは鈴木の評価を高めることとなった「騎馬突撃否定」も含めてそうだが、
あたかも鈴木がはじめて通説を批判をし始めたかのように喧伝しているが、
実際はそれまでに他の研究者が発表した説に便乗し、通説批判を繰り返している傾向がある。

特に鈴木が問題とする「天下人史観」なる「信長・秀吉・家康」を過剰評価する史観を否定する際、
鈴木は他の研究者の発表をそのまま引用して自説として発表するケースが多い。

2:レッテル張りが得意

鈴木の大きな特徴と言っていいが、
自説と異なる説を主張する人間に対し「徳川御用史観信者」といったようにレッテル張りをし、
必要以上に相手を貶めて、異説を否定しようとする。
鈴木への異説をきっちり分析した上での反論ならばまだマシだが、
「異論はこうこうこう考えている」と勝手に決め付けた上で、
「おめでたい愚か者」といった風にレッテル張りをし、
自分の説の優位を主張したがる。

6 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:08:08
鈴木氏に自説を否定された三流歴史学者の方ですか?www

7 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:08:41
次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/

8 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:17:06
3:史料を本当に分析しているのか?

鈴木はことあるごとに「一次史料をよく分析すべき」というが、
果たして本人がそれを行っているのかどうか。

戦国時代の合戦形態の分析についてはまだマシだが、
「天下人史観」を語る時に史料批判が酷くなる傾向がある。

例えば「徳川家康は豊臣秀吉の朝鮮出兵を煽った」と鈴木は主張するが、
実はこの主張の元となる史料は鈴木が「脚色が多い為信用できない」と散々語っていた、
あの小瀬甫庵が記した「甫庵太閤記」が史料となっている。

他にも「石田三成は加藤清正らに襲撃された際、家康屋敷に救いを求めた」と平然と記すが、
これも近年の研究発表では、徳富蘇峰が史料の誤読をして、自著の中で記しただけで、
他の史料の中では三成は伏見の自分の屋敷逃げた、と記されていた事が判明しているが、
「通説批判」を得意とする鈴木はこの七将襲撃事件についてはろくに調べていなかったこととなる。

4:好悪の感情で判断をする

上記の問題と通じるが、鈴木は自分の好悪の感情を元に研究の傾向を変える癖がある。
例えば鈴木が高評価をする石田三成についてだと、
「石田三成は家康とよく戦った。家康よりも才能ある人間である」と語るのだが、
その際に引用する史料や論文については無批判に採用している傾向がある。
それは先に徳富蘇峰の論文を無批判に採用していた事からもわかる。

一方で自分が嫌う家康については、
「彼は運だけで天下を取った。関ヶ原における策謀などは運だよりで、
あんなに頼りないものはない」
と切り捨て、家康が具体的にどういう行動を行っていたかろくに分析をしようとはしていない。


9 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:19:51
なんでそんなに必死なの?www

10 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:23:11
5:「運」で全てを結論付けようとする

これは家康論の時に特に顕著だが、
「勝負の行方などは最後は運」と切って捨ててしまう乱暴さがある。

この説を一貫して採用するならばまだいいのだが、
自分の気に入らない人間に対しては「運だけ」と酷評し、
そうでない人間については戦術・戦略などを高く評価する傾向がある。

少なくとも「通説を批判した歴史分析」を主張する人間にしては、
あまりに乱暴な考え方である。

6:4の補記

鈴木の好悪の感情による判断についてであるが、
自分が好む人間については高く評価し、決して批判を加えようとはしない。

11 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:27:31
7:鈴木史観に染まる人間の問題

これが最大の問題と思うのだが、
鈴木の著書を読んだ人間が鈴木の説を鵜呑みにして通説批判を激しく行う傾向がある。
鈴木の説を鵜呑みにするだけでは、
鈴木が批判する「通説信者」と変わりはないが、
この危険について鈴木はまるで察知していないようで、
相変わらず自説を強硬に主張するのみである。

12 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:29:29
以上鈴木の問題点をざっと上げてみた。

13 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:46:56
別に「鈴木」のところを「司馬」「海音寺」「松本」「井沢」「川合」「宇田川」「黒田」等々どれに取り替えても一緒だわな。
先行する既存の説を信奉している人から見れば、どれも許しがたい異端。
神学論争みたいなもんかw

14 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:49:08
槍合わせも無いって書いてたね

15 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:50:33
>>13
それぞれ考え方があるから別にいいんだが、
鈴木の場合、あなたが上げた人に比べると、攻撃的過ぎるのと、
独善的過ぎるのが問題、と思ってね

しかもそれを鵜呑みにする人が少なからずいるし
ちなみに俺は鈴木を全否定せよ、とは思わないよ

合戦形態分析なんかは、
かなり彼も独自に研究して論を発表してるから評価するけど、
それにひきかえ「天下人史観の否定」なるものがいい加減だな、と思ってるだけだから


16 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:52:02
>>14
他にも合戦中の騎馬武者はいない、から、
いつの間にか「追撃とかでの騎馬突撃はあったろう」と微妙にチェンジした

17 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:53:11
刀と首取りから鈴木氏の著作に接したけれども、1を支持する

18 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:55:53
>>17
ありがとう

19 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:55:59
確に読んでて不快感を持った
右翼の教科書批判と似た性質を持っていると思う

20 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:01:05
信玄は強い軍団を作り、戦略性があったと評価しながら、
その弟子的存在の家康については「運に恵まれただけ。彼の策謀も所詮は運だより」と酷評

ハア、と

運に恵まれた状況下で家康がどう動いたのか、
また天下取りを目指した際の徳川家中の状況がどういうものであったのか、
徳川の軍制がどういうものであったのか、そういう総合的な評価をぶっ飛ばして、
「運だけ」というからトンデモだな、と感じる

その癖信長については「戦略性に富んだ人」と褒めるんだが
鈴木の家康論に従えば、どんなに戦略性に豊かであっても、
運に恵まれなけりゃ終わりだと思うんだが

21 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:01:08
>>15
でもあれは「天下人史観」を否定していると言うよりは「『天下人史観』信者」を否定しているように思うんだが。
それにわざわざ刺激的なキャッチをつけるのは耳目を引くための枕に過ぎない。
だって未だに「信長公長篠の三千挺三段撃ち」とか「勇猛武田騎馬軍団」とか「日本刀は万邦無比の神器」なんて素朴に
信じてる人もいるし、それに立脚したエンターテイメントが幅を利かせてるんだからそのくらい言っておかないと誰も気にしないよ。
いわゆる天下人史観で言えば、「関ヶ原の家康公は余裕綽々初めから勝つべくして勝った」みたいなのもそうさ。
笠谷氏あたりもそんなもんじゃない、みたいな説を出してきているけどああいうのも否定しちゃうの?

22 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:04:26
>>21
別に関ヶ原に望む家康が余裕だったとは思わないけどね
ただ彼は彼なりに色々と手を打っているのに「それは運だけ」と酷評し、
一方の三成をべた褒めするから滑稽に感じる

というか、鈴木の主張に従えば、
「三成はどんなに頑張っても家康より運がないから勝てねえんだよ」ともいってるわけで、
それってあまりにも三成を侮辱してると思う

双方あらゆる手立てを尽くしてぶつかった、それがあの合戦じゃないのかな?
どっちか一方が馬鹿とかそう言うものじゃないと思う

23 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:07:59
つか鈴木の言いたいことはわかるんだよ

「天下人様は偉大なり。全てお見通しで余裕綽々で行動をなされました」
こんな馬鹿な事あるか、と彼は言いたいんだと思うのな

ただそれを否定する際に「全ては運でした」とかいうような、
乱暴で侮蔑的な評価はないでしょ、と

三成の行動を認めるならば、家康がどう動いたのかも見るべきだし、
もっと冷静な分析を見せてもらいたかった

合戦形態分析に比べるとあまりに乱暴に感じた

24 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:11:40
鈴木氏の人格攻撃をしているだけで
鈴木氏の説には何も反論できない負け犬www

25 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:21:52
鈴木の本を読んで反発するって心理は理解できるw
漏れもき・ら・い

でも素人が気負ってこの手の本を書くときは止むを得ないんじゃねぃの?
古くは松本清張なんかも読んでいて鼻白む書き方をしているしね

>1の書いている事は学問板で単独スレを立てる程の内容じゃないと思うよ
個人に対する誹謗中傷レベル
もちっとマシな反論なり自説の展開とかできんのかね?

26 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:27:36
今のところ人格攻撃や誹謗中傷になるような発言には思えないが・・。

27 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:32:32
>>25
あなたのような専門家の意見をむしろ聞きたいのよ

例えば小牧長久手の戦いについてだけど、鈴木は、
「戦いでは負けたが、全体としてはこれは秀吉が有利だった。
大体秀吉はいつでも家康を潰せたが、
しかし秀吉は唐入りをしたかったから家康とさっさと講和して、西国攻めにこだわった
秀吉が家康を恐れていたなどということはない」
と主張するのね。

小牧長久手に限れば鈴木の主張は理解できる。
あれは明らかに秀吉の外交の勝利だと思うよ。

しかし、そのあと秀吉が家康に対し朝日姫、
さらには生母大政所まで人質を差し出した事についても、
上の理由で説明されるだけではちょっと納得がいかない。
つか、家康からも秀康という人質を取っている状況下で、
ここまで気を使う理由は何だ、と思う。

それに鈴木の言葉を借りれば家康は、
「奥州の伊達や北条などと手を組んだらチャンスはあった」とも言うわけよ。

そういう状況下でもなお、
秀吉は鈴木の言うように家康のことを「いつでも潰せる」と余裕で見ていたのかね。

ここが引っかかるんですわ。

あなたの考えを教えて。

28 :25:2007/01/19(金) 01:42:18
>27は>1?
すまんが明日にしてくれ今日はもう寝るから

29 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:44:00
>>28
そうだよ
まあ遅いし
またゆっくり教えてくだされ

30 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 02:05:16
>>25
>でも素人が気負ってこの手の本を書くときは止むを得ないんじゃねぃの?
そういう部分ってあるだろうなあ。
相手はなんとも思ってないのに一人熱く燃え上がるって感じで

31 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:14:55
極論を書きすぎで鈴木の伝えたい真意が伝わらなくなってるな
余計な反感かいすぎ

32 :25:2007/01/19(金) 23:00:04
>27
>あなたのような専門家の意見
専門家であれば鈴木のような下品な人間の相手などしないと思うのだが(苦笑

>ここまで気を使う理由は何だ
講和を信じてノコノコ出て行ったらあっさりアボーンなんて例はいくらでもあるが?
ようは両者の立ち位置の差。秀吉は早く全国を平定したいから家康など眼中に無い
これに対して家康は自家の存亡がかかっている

>「奥州の伊達や北条などと手を組んだらチャンスはあった」
チャンスなら常にある。問題は可能性なのか蓋然性なのかだがねw

>秀吉は鈴木の言うように家康のことを「いつでも潰せる」と余裕で見ていたのか
何時でも潰せたと思うよ。秀吉には信長をして「大家者」と言わせる程の財力があった
五畿内を支配下に置いた秀吉に経済力で対抗できる大名は存在しない
実際、家康は小牧長久手の時の無理な動員が禍して領内を大凶作に追い込んでいるしね

33 :25:2007/01/19(金) 23:03:04
訂正

五畿内→畿内中枢

34 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:49:00
>>32
ご丁寧にありがとうね。本当にレスくれるとは思わんかった。
お互いいけ好かない鈴木の為にわざわざ時間を取らせてしまい申し分けない。

で早速なんだが。

>講和を信じてノコノコ出て行ったらあっさりアボーンなんて例はいくらでもあるが?
>ようは両者の立ち位置の差。秀吉は早く全国を平定したいから家康など眼中に無い
>これに対して家康は自家の存亡がかかっている

ごめん、この部分もう少し詳しく説明してくれるかな。
ちょっとわかりづらい。

これは要するに家康が秀吉のことを信用出来ないだろうから、
秀吉としてはこうした策をとるしかなかった、という事かな?
実際家忠日記か何かでは、
「大政所を人質に差し出してくれたら上洛する」ということで話がついてたみたいね。

35 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:01:09
>何時でも潰せたと思うよ。秀吉には信長をして「大家者」と言わせる程の財力があった
>五畿内を支配下に置いた秀吉に経済力で対抗できる大名は存在しない
>実際、家康は小牧長久手の時の無理な動員が禍して領内を大凶作に追い込んでいるしね

鈴木に反発しておいて何だが、俺もこの当時の秀吉の優位性を否定するつもりはない。
よく「石高では家康は秀吉を上回っていた」というけど、
経済力ではおっしゃるように諸大名を圧倒してるからね。

ただね、俺が鈴木に噛み付いてる一つの理由はここなんだけど、
「そんなに秀吉は家康のことを軽視していたのか?」と。

鈴木なんかは「秀吉はいつでも家康を潰せた」と言うけども、
現実にはこの小牧長久手の後そういう行動はとっていないよね。
明らかに合戦を避け、外交交渉で臣従させようと躍起になってると思うのよ。
先に書いた身内を人質に差し出す行動もそうだし、
逆に家康が差し出した人質である秀康に1万石を与えて面倒みるとか、
「お前なんかいつでも潰せるんじゃボケ」と余裕風吹かす人間がする行動にしては、
かなり気を使ってる行動に見える。

諸大名を従え関白に任命され、既に圧倒的に優位だったのは秀吉、
ということを否定するつもりはないよ。
実際家康もそのことをわかってたから臣従したんだろうし。

この当時の秀吉が家康に施した外交策を他の家にも取っていた、と言うなら、
「秀吉は家康をいつでも潰せると軽視していた」と言っても文句はない。

けど、実際は家康以外には施していないですよね?

そういう背景を鑑みると、
小牧長久手の戦いで家康を恐れたかどうかは知らないけれども、
秀吉が家康という存在を軽く扱っていた、というのは違うと思うんだけどなあ。

36 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:11:18
つかここまで書いてきて思った。

>専門家であれば鈴木のような下品な人間の相手などしないと思うのだが(苦笑
そうなの?w

つか歴史学会とかでは鈴木ってどういう風に見られているんだろうか。
軍忠状などを元にした合戦形態の分析はともかく、
個人的にはかなりトンデモに近いと思われる、
「天下人史観の否定」についても評価するやつがいるのかな?

37 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:13:52
>これは要するに家康が秀吉のことを信用出来ないだろうから、
>秀吉としてはこうした策をとるしかなかった、という事かな?

両者の落とし所だったと思うが何が不満なの?

38 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:17:45
>35

秀吉にしてみれば寛容な支配者というイメージが重要なんだよ


39 : :2007/01/20(土) 00:22:14
問題提起としては面白いんだけどねぇ……。

40 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:23:37
>>37
けど妹離縁させて、わざわざ正室として送り込む必要まであるか?
もし鈴木のいうようにそれほどまでに秀吉が有利ならば、
家臣レベルでの外交交渉で決着つければいいもの、と思うんだけど。

つか「大政所出したら上洛してやる」なんて家康の要求自体、
当時既に「天下人」としての地位を固めた秀吉にとっては無礼千万なわけで、
十分戦の口実になった、と思うんだけどなあ。
ぶっ潰せばいいのに、と思う。隣の北条もろとも。

鈴木の言うようにそれほどまで秀吉が有利だったら、の話だけどね。

>>38
ああそれは同意。
「絶対的な独裁者」として秀吉は天下統一に乗り出す事は出来てないよね。

秀吉の支配ってすごく華々しいけど、
現実のところは「従ってくれたらつぶしたりしませんよ」
と、諸大名の既得権益を保証してるんだよね。
もっとも子供がいない、とかの理由で情け容赦なく改易を施したりもしてるけど。

朝鮮出兵とかの独裁傾向が強くなるのは政権末期の事で、
確かに家康が臣従した当時は、そんなに強攻策をとれてはいないよね。

巨大な大名連立政権って感じ。

41 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:31:59
>>39
「天下人を過剰評価するな。史実を突き詰めよう」という鈴木の姿勢は正しい。
ただ彼の悪弊である「侮蔑癖」が悪い意味で全開になって、
しかも自分の考えと似通った人間の論文とかを採用して持論を展開するだけだから始末が悪い。

志は立派だけど、その行動がまるっきし逆、というか。
少なくとも鈴木の真意はなかなか理解されないだろうし、
あの研究というか執筆姿勢では「史実」を突き詰められるとは思えない。

つか300ページくらいの本一冊で、
日本史上すべての天下人について今までの通説をふっとばし話を進めよう、
というのが無理があるんだけどな。

ただどうも本人がそのことに全く気づいていないっぽい。

42 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 01:27:05
今さらだが、25よ、わざわざありがとう

43 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 12:56:26
やっぱり井沢先生以外は糞

44 :21:2007/01/20(土) 19:39:29
>>30-31
「信長公長篠の三千挺三段撃ちは革新的戦術で戦国時代における用兵の精華」
「勇猛武田騎馬軍団の機動力・衝撃力は戦国最強」
「日本刀は万邦無比の神器にして古来から武士の魂であった」
「映画や大河ドラマの合戦シーンは正しい」
「関ヶ原の家康公は何でもお見通しで余裕綽々勝つべくして勝った。それに気付かず挙兵した三成はDQN」
と素朴に信じている人たちから過去に大分叩かれた経験でもあって、過敏性気味に反応してるって部分はあると思ってるんだが。
何しろ歴史のプロを以って任じているアカデミズムな人たちや、軍事の専門家たる旧陸軍の戦史研究家でさえチャンバラの大規模
なのが日本の合戦の特色だと信じてたくらいだから。
「自分が生きているうちに、このことは正しておかなければ」という過大な使命感を背負っちゃってるのかもしれん。
比較するのはおこがましいが、天動説時代におけるガリレオみたいなもんかとも思う。

45 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:40:59
オレは玉木正之が嫌いなので、鈴木を読むたび「玉木ザマアミロ!」と心の中で快哉を叫ぶ。

46 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:33:04
>>44
鈴木の考え方の傾向として以下の特徴があるね。

1:今日伝わる歴史の通説は「天下人史観」に毒された嘘偽りのものである。

2:よって今日伝わる通説は信じられない。

これが鈴木の考えの基本線であり、根源だね。
絶対的な先入観と言っていい。

で、この先入観に基づいて、以下のように鈴木は研究を施す傾向がある。

1):通説は否定されなければならないので、
 研究対象についての通説否定を唱える自分の考えと一致する他の研究者の論文を探す。

2):その論文を裏付ける史料を探し、自説に肉付けを施す。

3):通説を唱える人間の主張を独自に規定し、これを侮蔑的に否定しながら、
 自説の優位性を強硬に主張する。

47 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:36:04
>>44
おこがましいでごいす

48 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:54:02
>>46続き

以上の特徴を有する鈴木の研究の何が問題かと言うと、

1:自分の先入観(通説は間違い)を絶対的に考え、これに異を唱える意見を一切否定する。
 わかりやすくいえば頑固。

2:自説に都合のいい(納得できる)他の研究発表、史料のみを無批判に採用し、
 これだけをもって高圧的に通説否定をしてしまう。以下例文参照。
 
例):「○○は通説とされるが、××さんの最近の研究では、
   実際は△△だったのではないか、という通説とはまるで逆の考え方が示されている。
   それを裏付けるように◇◇という史料には●●という記述があって、これを裏付けている。
   常識的に考えれば、◇◇という史料とその時の情勢を考えれば、
   ××さんのように考えるほうが通説よりもはるかに自然のように思われる。
   こうしてみると、○○という通説は実は天下人史観に毒された信者が、
   バカの一つ覚えのように勝手に信仰しているだけなのである」

このように通説批判を行う他の研究者の論文を紹介しそれを裏付ける史料を紹介し、
自分がそれに納得理由出来る理由を軽く述べたあと、
それをもって「通説は間違い」と一方的に断言してしまう。

中には軍忠状などを元に合戦形態の分析を行ったような好例もあるが、
「天下人批判」などの際はこういう乱暴な分析を行う傾向がある。

実際、「信憑性が低い」と自ら述べていた小瀬甫庵の甫庵太閤記を史料としていたり、
戦国期よりはるか後にまとめられた常山紀談の記述だけを信用して人物批評を行っている。

通説・それに対する反論双方を多角的に分析するという視点が根本的に欠けており、
そのため非常に検証があいまいなまま強引に通説批判を行ってしまうのだ。

49 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:26:00
小牧長久手についていろいろかかれてたが、
関ヶ原についての鈴木の分析もぶっ飛んでいる。

なかなか面白いので、鈴木の主張を以下に書く。
ここでは学問板らしく、彼の主張について検討を加えていただきたい。

1:関ヶ原の戦いは家康の意のままに進んだような戦いではない。

2:家康とは大きく地位的に格差のあった三成が家康と互角の戦いを繰り広げた事は、
 彼が家康よりもすぐれていることを証明している。
 もし家康と三成の立場が逆転していたならば、
 家康はひたすら三成に平身低頭していたに違いない。
 そのことは家康の信長、秀吉への態度を見ればわかる。

3:上杉討伐の為に、家康が出兵したあと三成が兵を上げたことは、
 「家康の策に三成が乗った」とされるが、このとき以外にいつ三成は行動を起こせたというのか。

4:小山評定では家康は理由は分からないが落ち込んでいた。
 常識的に見ればこの時点では家康は不利な状況だった。
 西軍が秀頼を要している事、東軍諸将の家中では西軍につくべしという声が多かった事や、
 毛利家家臣が「西軍勝利」を信じていた事でも東軍の不利がわかる。

5:この窮地を脱する事が出来たのは福島正則らが愚かにも家康に忠節を誓ったからである。
 窮地を脱する事が出来たのは家康の機略によるものでも、直臣の働きによるものでもない。
 正則達がおろかだった為である。

(つづく)

50 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:39:37
(つづき)

6:9月15日の関ヶ原決戦は通説では、
 家康の謀略によって西軍が関ヶ原におびき出され惨敗したとされるが、
 藤本正行や藤井尚夫の調査によれば、
 西軍が関ヶ原に出たことはむしろ予定通りの行動であった事がわかる。

7:西軍は開戦当初は善戦した。
 小早川、毛利など傍観する諸将が多い中、西軍が善戦できたのは、
 これは関ヶ原の各陣において、西軍方が要塞化して待ち構えていたからである。
 藤井尚夫の調査によれば西軍は持久戦の構えだった。

8:なぜこのような状況から東軍が勝利したのかといえば、
 小早川秀秋が裏切り、と吉川広家が不戦の構えをとったためである。
 NHKの番組や家康信者が主張するような「西洋式の鎧を家康が着用していた為」ではない。

9:小早川も毛利も早くから家康と内応していたから当然といえば当然の結果だが、
 しかしこれをもって三成は愚かだったとはいえない。
 三成も小早川秀秋の裏切りを予感し、彼を味方に惹き付けようと努力していたためである。

10:小早川・毛利の裏切りを家康の「謀略の成功」とするのは家康信者の過大評価である。
  もし毛利が家康との内応を破って東軍に挑みかかったら小早川も裏切る事は出来なかっただろうし、
  逆に小早川が西軍に味方したままだったら、
  毛利も広家一人では抑えきれず、東軍に攻めざるを得なかったに違いない。
  実際家康は小早川がなかなか裏切らず焦って爪を噛んでいた。
  吉川もいつまでも毛利を抑えていられる保証はない。
  もし家康が小早川・吉川の裏切りを頭から信じて作戦を立てていたとしたらおめでたい限りである。

(つづく)

51 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:45:00
(つづき)

11:三成は小物ではない。家康が彼よりすぐれていたのは地位と偽りの声望と、
  そして何よりツキである。
  検討してみれば三成の行動には戦略的にも戦術的にも決定的な誤りがあるとは思われない。
  あえて言えば、島左近の「家康を暗殺すべし」という素晴らしい献策を三成が採用しなかった事だ。

12:三成には他にもミスがあるといえばあるがそれは家康も同じことだ。
  家康の最大の誤算は三成を過小評価していたことだ。
  しかし三成には家康との格差を埋めるだけの才幹があり、
  両者の格差は埋まり、どちらが勝ってもおかしくないところまで進んでしまった。
  結局両者の勝敗を分けたのはツキの差である。


以上。

52 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:52:50
個人的な見解。

1:同意。

2:三成が優れていた、ということには同意だが、
 家康よりも優れていたかどうかは判断のつけようがない。それぞれ優れていたということだろう。
 なお、三成と家康の立場が逆転したらとかは関ヶ原の合戦を考える際、まったく無意味である。

3:同意。

4:基本的に同意。
 ただ、「家康が落ち込んでいた」というのは家康の侍医の記述であるが、
 この侍医の記述を信じるならば、
 会津出兵に際し、伏見城で一人不気味に微笑む家康のすがたについても記すべきかもしれない。
 家康の焦る部分のみを描くのは公平ではない感が否めない。

5:若干異論あり。
 鈴木の記述だと福島正則らが愚かにも家康に忠誠を勝手に誓ったかのようであるが、
 「関ヶ原軍記大成」の記述では黒田長政が福島発言を導くべく、暗躍していたことが記されている。
 黒田長政と家康が結託をしていると思われる場面は他の史料でもいくつか見ることが出来、
 「福島正則らが愚かにも家康に忠誠を誓ったから家康は窮地を脱出できた」というような単純なものではないと考える。
 家康側の工作についても記すべきであろう。 

53 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:11:24
6:藤本・藤井両氏の記述を読んだ事がないので答えようがない。

7:西軍が奮戦したことは同意。藤井の調査については知らないので答えられない。

8:同意。ただし、「家康が西洋鎧を云々」については知らない。
 こんな史実を持って家康有利を主張する人間の記述を読んだこともない。
 というか関ヶ原の合戦をこんな鎧云々で語る人間をもって「家康信者」などと決め付ける必要はないと考える。

9:同意。しかし三成側の工作は結果失敗に終わっている。
 なぜ失敗したのか、その理由を検証すべき。

10:異議あり。結論が乱暴すぎる。
  基本的に家康側の工作があって初めて、
  この小早川・毛利の裏切りという「僥倖」がまわってきたということを無視している。
  毛利・小早川双方の裏切りは鈴木の言うとおり、不安定な要素があるものではあるが、
  「失敗するかもしれないから」と何もしなかったら、この僥倖がめぐらなかった事は確かである。
  
  鈴木がここでするべきは、西軍総大将家を分裂させ、
  主力軍の内応を取っていた家康側の工作についての詳細の検証であろう。
  それはいつごろから行ったものだったのか、
  念入りに行ったものだったのか、軽く行っていたものだったのか?
  
  そしてその謀略を受けた側はどういう反応を示す可能性があったか、それを家康側はどう読んでいたか。
  
  そういった家康側の外交戦略の詳細を見た上で、
  「この裏切りが謀略の成功と見るか僥倖であったか」判断がある程度のつくだろう。
  鈴木が唱えているものは、彼がもっとも嫌う典型の結果論である。
 
  また、小早川が裏切らずイラついた家康が小早川に催促を行った事実を無視している。
  家康は小早川が裏切るのをじっと待っていたわけではない。
  せめて「こんな事実はないだろう」というくらいの否定するか何かの記述はすべき。


54 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:32:42
>>51

11:三成が小物ではない、という部分については同意。
  しかし、島左近が家康を暗殺すべきと提案したとされるのは、
  関ヶ原より100年以上もたったあとに記された「常山紀談」に記されるのみである。
  この記述だけで三成が軽率と判断するのはいかがなものか。
  当時の史料に当たるべし、という鈴木の哲学に反している事はまちがいない。
  
  また、三成は他には何ら失敗はないというが、
  家康よりも地位が離れていて、はじめは前田、その後毛利を旗頭に行動をせざるを得なかった三成が、
  総大将毛利家の分裂・裏切りを想定していなかったのは大きな失敗ではないか?
  少なくとも総大将毛利勢を完全に味方に引き入ることは、
  西軍の士気を高める意味でも、統率を測る意味でも最低条件だったはずである。

  また、家康が西上してくることを読んでいなかった点についても無視をするのはいかがなものか。

12:異論あり。
  
  お互いに知恵の限りを尽くして戦い、
  時には策が成功し、時に失敗しながら迎えたのがこの戦いであろう。
  
  確かにもし一つ歯車の動きが違えば、流れは大きく逆転する可能性もあっただろう。
  これをツキだといえばそれまでだが、
  しかし、少なくとも鈴木の自説に都合のいい部分のみを採用した論理の組み立て、
 (=天下人家康は運に恵まれていただけ。対する三成は有能だったが不運だっただけ)
 では「この戦いは運が全てでした」と結論を出せるようなものではない。

55 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:41:13
総論

「関ヶ原は家康の思惑通りに進んだ戦いではない。三成は決して無能ではなかったのだ」
ということを強く主張したかったのが鈴木の本意だろう。

しかし、その本意を主張する為に必要以上に三成を褒め上げ、
逆に家康を貶め、あげく「全ては運でした」という乱暴な結論を持ってくることには、
異論をはさまざるをえない。

鈴木のいうように「本当の歴史」を明かしたいのならば、多角的な視点を持って、
東軍・西軍の双方の詳細を研究するべきだ。その上で持論を発表すればいい。

しかし、残念ながら「史実の発掘」よりも「天下人史観の否定」を優先したためか、
非常に雑で乱暴な研究発表となっている。

実際あとがきでも「従来の俗説は採用せず」と通説否定の姿勢を強く打ち出しているが、
しかし、その「採用せず」の根拠があいまいだ。

通説を採用しない理由よりも、
「通説を採用しないこと」を重視していたのではないか、と違和感を感じてしまう。

「偉大なる神君家康公が勝つべくして勝った戦い」という関ヶ原観を吹き飛ばすにはいい著作であるが、
「これで関ヶ原の真相を知る事ができる」というのは異なると思う。

56 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:45:03
雑賀を褒める為に、武田を貶める鈴木。

57 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:49:01
>>56
ところが武田については絶賛なんだな、これが
上杉と武田は戦国時代の「竜虎のような存在」なんだそうだ

58 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 10:04:30
>>53
6.7.
ttp://www.sengokushi.com/
にそこんところが記されています。

59 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 02:22:48
鈴木の研究が雑だと言うのは同意だけども…

けれど鈴木の言うように、
家康が最初から小早川の裏切りや吉川の内応を信じきってたとは思えんな
>>58のリンク先にあるように、そんな政治工作に頼らずとも、
合戦で勝てる方法を家康は模索していたはず

しかしそれが思うようにいかず、
結局以前から行っていた西軍への政治工作を頼るしかなくなってしまった
特に小早川の裏切りは最重要案件なので、
何とか謀略を成功させようとわざわざ鉄砲で催促までして、強引に裏切らせた

運がよかったというよりも、
正々堂々と戦う(野戦としてそれぞれ戦術を立てて戦う)んじゃ勝てないので、
インチキして勝ちました、そんな感じだね

60 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 03:41:04
>>59
>もし家康が小早川・吉川の裏切りを頭から信じて作戦を立てていたとしたらおめでたい限りである。
これは鈴木の指摘は間違いとは言い切れない。
むしろ家康像を正確に見てると思う。

実際小山評定の後も、
長く江戸に滞在して「本当に味方なのか?」と東軍諸将の動向を見守ってたような男だけに、
「小早川・吉川は大丈夫だ」と安心しきっていたとは思えん。

家康にしたら、小早川・吉川の動向についてはあくまで保険だったんじゃない?
特に小早川の裏切りなんてのは。
ただ、予想以上に苦戦する事になったので、
小早川の裏切り、という保険に頼らざるをえなくなったんだろうな。

こういう保険を用意したことを家康の「用意周到」と評価するか、
それともその保険が良い様に働いただけで結局運だ、と言うのは、
人それぞれの判断によるだろうけどね。

61 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:45:00
小早川や吉川については目付を付けたり人質誓紙交換をしてるんだが?
鈴木が言うような運頼みの工作じゃなく、念入りなものだよ
それで安心してたかどうか知らないが
しかしこういった家康の工作が生きて西軍を苦しめ敗北させたのは疑い様がないだろ

62 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:41:24
熱くなってるところ申し訳ないが、
こんなの熱く議論するほどのことか?
ちょっとでも歴史かじってる人間なら、
鈴木がろくに調べもせず極論を言ってることくらい一目瞭然だろ?
史板で議論するほどのことじゃないと思う
少なくとも関ケ原については

63 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:40:13
というか大筋はみんな一致してない?

64 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 02:33:48
大筋って?

65 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 04:03:08
自作自演の邪魔はしないでくださいね。

66 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 07:04:16
茶々を入れてるのは徳川家の関係者に違いない

67 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 13:37:11
>>62
東照宮の氏子乙。

68 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 15:04:32
鈴木信者乙

69 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 18:55:22
>>60
毛利勢の陣がどこにあったか知ってて言ってるのか?
もし毛利勢が動けば東軍は側背を毛利勢と、その背後に陣取ってしまった長宗我部勢に襲われる訳なんだが。

70 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 19:31:32
だから何?
おまえが60のどの部分が気に入らず、再考を促しているのか?

71 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:36:39
どうも鈴木の「家康は運がよかっただけ」っていう部分に、
過剰反応してる人がいるようだが…

上のほうでもあるけど、鈴木の本意はそこじゃなく、
「天下人とされる人だって万能じゃないんですよ。
一つ何かが違えば、全く違う歴史が展開していたのかもしれませんよ」
ということをいいたいだけだろう

なんか「鈴木は家康の政治工作を無視している」とかあるけど、
そんなのは鈴木はとうに承知の上だと思うんだよ。
今まではそんな家康の政治工作を中心に関ヶ原をみて、
「家康の策にはまった三成は愚かだ」という考え方がはびこってるから、
いや、実際は三成も十分手をつくしていたということを説明したかったんだろう。
そして三成の活躍をより強烈に印象付けたいからこそ、
あえて「家康は運だけ」と強弁してるんじゃないの?

家康好きな人にしたらそんなこと書かれたら気分が悪いだろうけど、
家康を蔑視したいのが鈴木の本意じゃないと思うけどな
「運だけ」という部分だけを取り上げて過剰反応するのは鈴木が少し気の毒な気がする

72 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:44:21
鈴木が言う「ぐ、軍師」なんかいなかった、は本当なの?お兄ちゃん?

73 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:56:20
軍師なんて江戸時代の軍学者が三国志を読んで妄想を膨らませただけ

74 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 23:30:18
>>69
そんなところに危険なところに家康がわざわざ陣取るということは、
どれだけ家康側の工作が進んでいたか、ってことを言っているのかな?
保険なんかじゃなく、確信犯だと

75 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 23:38:14
>>13
すいません、ここにいう「川合」「宇田川」「黒田」とは中世史のあの人達ですか?
流石に「鈴木」「司馬」「海音寺」「井沢」といった方々と同列にするのはどうかと思いますが。
それはそれとして「松本」って誰?

76 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 23:39:55
>>75
「清張」じゃないですか?

77 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 02:07:44
>>71
俺は家康好きだけど、鈴木のいう「運の人」というのは、
言われてみれば間違いないのかなあって気もするけどね
ただ、無能な人間が幸運に救われただけ、というより、
運がめぐってきた時を抜け目なく見逃さず、
そこでしたたかに動いて己の利益を生み出してるって感じ

三河一向一揆の後の旗本先手役に見られる直轄軍の強化や、
信長死後の旧武田領の簒奪、
小牧長久手講和後の秀吉との2年に及ぶ外交戦によって、
「秀吉を怖れさせた」という宣伝を世間に売ったこと、
豊臣家の分裂に巧みにつけいっていき、関ヶ原を誘発したところなど……

自分に巡ってきた幸運を抜け目なく見逃さず、
したたかに自分のものにしてるところがもしかしたらこの人の才能なのかもね
鈴木は家康を「運の人」とは言っても無能の人とは言ってないしなw

78 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 16:25:44
>>77
>無能な人間が幸運に救われただけ、というより、
 運がめぐってきた時を抜け目なく見逃さず、
 そこでしたたかに動いて己の利益を生み出してるって感じ

同意。家康という人は「老獪な政治家」という評価が一番合うと思う。


79 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 18:54:13
老獪さが出てくるのが秀吉が死んでからだからな。

80 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 18:57:06
運の人は秀吉でしょ 鈴木さん。

81 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 19:50:26
運の人と決め付けることで、何が何でも家康を認めたくない鈴木

82 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:20:18
>>78
合戦が得意な武将というよりしたたかな政治家って感じだよな
関ヶ原でも戦略を立てて挑んできた三成に政略で勝利した感じ

>>79
秀吉死後は老獪さは露骨だけど、それまでもなかなかしたたかだよ
小牧長久手後も秀吉相手に頭下げずに2年粘ってる姿とか見ると、
したたかな政略を展開する男だなあ、と思う
鈴木の説を借りればさらに秀吉の朝鮮出兵を煽って、
豊臣体制を弱体化させてるわけだし

83 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:35:06
なんで戦国時代研究の水準が低いかっていうと、みんな日本史が好きなせいで、
必要以上に「物語・逸話」に毒されちゃってるせいではないか。だから科学として
の歴史学的議論が進展しない。
鈴木さんのダメなところは、もちろんいろいろと面白い指摘はあるものの、物語風歴史学を
批判するのに、同じ物語風歴史学を以てしているところ。新しい方法論を提示できなければ、
結局のところ、目くそ、鼻くその類だろう。

84 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:26:04
>>83
俺最近知って驚いたんだけど、
戦国時代の大名家の家臣団の組織・機構の研究ってそんなに進んでないらしいね
武田って「武田家臣団」とか言うけど、実態はどうだったかさっぱりわからないとか

そういう「基本的研究」がおっしゃるような「物語逸話」にとらわれすぎて、
ないがしろにされすぎてるのかもね

鈴木の場合の「科学的研究」は軍忠状への注目だったんだろうな

85 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:56:22
>>83
しかもその物語が都合のいい他人の物語をパクリまくったあげく、
「勝者は運がいいだけだった」というトンデモな落ち

86 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:07:04
>>84
だってあなた、守護家はほとんど滅びちゃったでしょ。畿内近国なんてほぼ全滅ですよ。
戦国時代の大名家の家臣団の組織・機構の研究なんて文書の残っている毛利とかに限られる。
まともな研究者なら「「物語逸話」にとらわれすぎ」な人なんていない・・・と思うけど、
だからといってではどう突破口を開くのかということが物凄い難問なわけです。
そもそも例えば長篠の三千挺三段撃ちという通説を批判されても、へーとは思いはすれど
で、それを明らかにすることがどういう意味を持つの?という疑問がよぎるのです。
まあ、自分の金で好きなこと研究する分には問題ないわけだし、有益なこともあったりはするけどね。

87 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:08:50
>>82
鈴木風に言えば「War」と「Battle」の違いが分かってるというところかな。



三上章という在野の日本語学者の評伝読み終えたんだが、
在野の研究家は、学会の主流に黙殺されるのがままある
(反駁されるより精神的にキツイ)から、
鈴木氏もあんな調子になっちゃったのかなぁとも思った。

ここがそうみたいに、話の種としては面白い。
NHK教育で日本刀のシリーズでゲストで出られたのはよかったねw

88 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:20:11
>>87
鈴木ってテレビ出たの!?
講談社新書のやつでしか顔写真みた事なかったや
狐目の神経質そうな顔したじいさんだよね?

ちなみに「War」と「Battle」って例えは、南條範夫の丸パクリなんだよねw

89 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 02:18:56
>>86
戦国期の三河松平家(徳川)ですら、その実態はよくわからなかったそうだからねえ
新行紀一、煎本増夫あたりの地味な研究でようやく、その実態が見え始めたようだけど

鈴木の功績といえば、
軍忠状から合戦実態の分析を行おうとした、この点じゃないか?

ここで今話題になってる家康らの「天下人史観」については、
それについて記した出版した本はいずれも絶版になってるし、
何より鈴木自身が初めて「天下人史観」について記した「天下人の条件」の中で、
「わからない事はわからないままで終わった。問題提起だけは出来たと思う」
みたいな自信なさげなこと書いてるからねえ。
はっきり言って不発に終わったっぽいね。

90 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 02:20:31
>>87
>在野の研究家は、学会の主流に黙殺されるのがままある
>(反駁されるより精神的にキツイ)から、
>鈴木氏もあんな調子になっちゃったのかなぁとも思った。

かまってちゃんかよw

けど彼の煽り方は下品でみっともないよね。
70の大人のやる事じゃないよ。
そのくせ自分を正当化するのには必死だしw

91 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 08:37:20
>>90
>自分を正当化するのには必死
これは研究者にもしばしば見られる態度だし、まして在野の人で学閥とかの支援が全く
期待できないんだから、ある程度仕方がないんじゃないかと思うよ。
それより問題なのは、鈴木さんとか立花さんとかをきちんと成敗できない研究者の側
ではないかなあ。いや、おれは学術論文しか書かない、っていう反論もありかもしれな
いけれど、誰か一冊、新書なり選書なり書けばすむことじゃん。それができない、とい
うことは、戦国時代の研究者のレベルを疑われてもやむを得ない。

92 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 12:38:42
>>88
なるほど。南条範夫は元満鉄調査部でしたね。

NHK出演はこちら。軍忠状から戦国時代の戦争を語るチョイ役です。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200604/thurseday.html#3



そういえば「藤村由加」をバッサリやったのは学界でも傍流の安本美典だったな。

93 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 16:44:31
>>91
> それより問題なのは、鈴木さんとか立花さんとかをきちんと成敗できない研究者の側
> ではないかなあ。

つ[バカにつきあうとバカが伝染る]

94 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 17:42:49
そうはいっても、鈴木さんはまだしも、立花さんはうらやましいくらい売れてるじゃない。
ああ、じぇらしいよー。

95 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:17:56
>>91
「煽りはスルー」ということで無視されてるんじゃないの?
実際あんな攻撃的な文章書く人間相手にまともに相手したいとは思わんわな
しかも持論は「運が全て」と研究全てを否定・放棄するようなものだし

96 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:44:08
軍忠状の調査も、どうかと思う。

あれは怪我の原因だけが書いてあるもので、そこから刀は首取り用だと断定し、
強いては『遠戦志向』と結論付けるやり方は強引ではないか?

97 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:39:00
>>96
都合のいい史料を都合のいいように解釈するのが鈴木流
けど軍忠状はかなり説得力あるけどな

98 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:50:08
なんでもいいけど複数の板に同じスレ立てて同じレスしてる奴は頭おかしいのか
ネットマナー知らないのかどっちよ
自分のサイトで真っ向から反論すればいいじゃん
男らしくないよ

99 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:55:38
そもそも、白兵戦の前に射撃で地ならしをするのは近代に到るまで万国共通。



100 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:17:55
>>97
> けど軍忠状はかなり説得力あるけどな

皆無。世界に誇れる日本刀による傷があんなに少ないと言うのは捏造としか言いようがない。
鈴木は「あるある」の製作者とレベル一緒。

101 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:39:45
>>100
>世界に誇れる日本刀による傷があんなに少ないと言うのは捏造としか言いようがない。
釣りですか?

102 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 07:31:45
>>101
反日ブサヨ工作員乙!

103 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:17:26
どちらもサヨクだろ。

自作自演

104 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:21:51
負傷の理由で「遠戦志向」が決まるなら、ナポレオンも遠戦志向。


105 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:29:34
やはり鈴木はトンデモってことか

106 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:43:54
 安土古城図は本能寺の変の犯人達を教えている
 安土廃城約百年後に描かれた物で何の目的で描かれたか判らない。大手道の脇
に羽柴秀吉、家康公、武藤助左衛門、江藤加賀右衛門、武井肥後入道夕庵の屋敷
がある。本丸に堀秀政の名がある。しかし、この大手道は繖山から流れる川の流
域にあり、沼と湿田に阻まれて道として機能していない。普通大手門は玄関であ
るから城下町に続く筈だがこの大手道は続いていない。道幅も広く直線的で、防
御面から見ると不可解である。この大手道は偽りの道で本当の大手道は百々橋に
続く道である。すると安土古城図は何を言いたいのか。城攻めは大手門から攻撃
するから、本能寺の変の犯人を教えているのである。
 武藤助左衛門、江藤加賀右衛門、武井肥後入道夕庵は信長の家臣名簿にない。
暗号になっていてそれぞれ、武門の誉れ高い五郎左衛門尉である丹羽長秀、加賀
の太守前田利家、信長の死後仏門に入り肥後へ移った細川藤孝と読める。
 また、本能寺の変の犯人はその後の出世度でも判る。変の前から変の後にどの
様に変わったか。
 光秀 34万石→0 信長の死後、後継者争いの生存競争の為に事前に味方を
作って置かなかったとは考えられない。
 秀吉 12万石→200万石 毛利との短期間の和睦、中国大返し、短期間で
武将を味方にする事は無理。
 家康 200万石→250万石 変後の混乱中に駿河と甲斐を手に入れた。
 丹羽長秀 10万石→123万石 山崎の戦いの戦功だけでは恩賞が多すぎる。
 前田利家 12万石→100万石 賤ヶ岳の戦いでの柴田軍離脱だけでは恩賞
が多すぎる。
 堀秀政 2万石→29万石 大した戦功もないのに加増されている。
 細川藤孝 11万石→39万石 戦功もないのに加増されている。
 6月2日は信長の中国出陣の日で、明智軍は早朝2条城の周りで待機していた。
藤孝が書いた信長の偽の朱印状(信長は中国出陣を中止して安土へ帰った)に騙さ
れ、事情を聞く為に安土へ向かった。周山城に隠れていた秀吉軍が明智軍にすり替
わった。2条城は堀秀政の裏切りで大手門が開き秀吉軍、丹羽軍に攻撃されて信長
が討たれた。安土城は家康の指揮で利家軍、信雄軍に攻撃されて信忠が討たれた。

107 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:47:16
 安土古城図は本能寺の変の犯人達を教えている 続編
 本能寺の変の犯人はその後の出世度でも判る。
 京極高次 0→1万石 浅井氏に滅ぼされてから再興、手柄なしの再興はな
い。高次と近江衆が裏切って安土城の大手門を開いたのである。家康は信雄に
信忠を討ったら天下を取らせてやるとそそのかしたのである。
 安国寺恵瓊 0→3万石 手柄なしの加増はない。
 小早川隆景 6万石→63万石 手柄なしの加増はない。
 毛利輝元 160万石→112万石 秀吉との和睦の条件である5ヶ国割譲
は小早川隆景がその代わりの領地を得ているので成り立たない。毛利は秀吉と
同盟を組み八百長の戦争をしていた。高松城にいたのは秀吉の影武者と宇喜多
軍である。
 信長の妹・お市の3姉妹の茶々は秀吉の側室、小督は家康の嫡男・秀忠の正
室、お初は京極高次の正室になっている。なぜ、利用価値のない信長の血筋の
娘を嫁にしたのか。それは信長の怨霊封じの為である。怨霊は自分の血筋の者
には祟れない。
 信孝らの四国渡海は6月1日の予定であったが、本能寺の変の知らせを待つ
かのように延びていた。とても偶然とは思えない。
 大化の改新で朝鮮人の蘇我氏(中大兄皇子ら)が聖徳太子を暗殺した。本能
寺の変の首魁は秀吉である。いつまで嘘の歴史を引きずって行くつもりか。日
本の恥である。  


108 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 18:39:56
何かのミステリー小説?

109 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 18:52:51
けっこう面白かったのに、だんだんこのスレ自体が鈴木化している。

110 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:30:34
>>109
どのあたりまで面白く、
どのあたりから鈴木化していると思われるか?

111 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 01:01:13
大学・大学院の史学科に籍を置いていたからといって特に方法論的に優位というわけではないのは確か。
在野の人が独学で研究をしたからといって必ずしも不利ではないのが史学。
でも、アカデミックな場にいて何が得られるかというと他者に辛辣に批判されるということなんだよね。
在野の人たちってその機会が無い、或いは少ないから、なかにはあさっての方向に突っ走ってしまう人がいるわけで。
鈴木さんは内容によっては良い研究もあるけど。

112 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 01:37:20
>>111
アマチュアの場合基本的にスルーされるんだよな
鈴木だって歴史関係者に注目されたのって、
一番は「遠戦志向・騎馬隊否定」
他には「武功夜話否定」や「本能寺の変」検証くらいでしょ?

通説を否定する、と彼が息巻く割には相手されてないっぽいよね
歴史界で小林よしのりのゴー宣気取ってすべりまくってる感じ

113 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:34:33
>>112
> 一番は「遠戦志向・騎馬隊否定」
> 他には「武功夜話否定」や「本能寺の変」検証くらいでしょ?

それも、もう論破されて色褪せちゃってるわけだがな。

114 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:54:53
論破って?くわしく

115 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 22:53:25
鈴木スレの鈴木化ワロス

116 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:35:19
「遠戦志向」の根拠は軍忠状だけど、そもそも軍忠状というのは基本的に生還者の負傷の原因は書かれているが、
戦死者の死因が書かれている例は少ない。負け戦で敗走した場合など尚更。
弓鉄砲で敵と距離をとって戦った場合と、槍刀で接近戦を戦った場合の負傷者は、どちらが生還率が高いだろうか?
当然距離をとって戦った方が後退しやすく、生還しやすい=軍忠状によって後世に負傷の原因が伝わりやすい。
よって軍忠状を分析した結果、弓鉄砲による負傷者が多いのは当たり前。
軍忠状の分析から戦国の戦いは遠戦志向だったと結論づけるのはあまりにも早計。

また、軍忠状の発給対象となる戦いは、城攻め、小競り合い、合戦と、多岐に亘る。
このようなものを一纏めにして分析しても意味がない。

はっきり言って鈴木の説は、「遠戦志向」について言えば、
滅茶苦茶な分析法による議論の価値もないレベルの主張。

117 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:17:26
鈴木のイチャモンは間違ってるという理由で
鈴木が批判した説が正しいことが証明されるわけですね!

118 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:38:08

鈴木説が間違っていることが証明されるだけ。

119 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:06:14
>>113
本能寺の本は藤本正行との共著だが
これがいつ誰に論破されたんだ?
刊行から1年も経ってないが。
むしろこの本で藤田達生の「足利義昭黒幕説」が
論破されてるのだと思うが。

120 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:17:58
>>119
つ[一事が万事]

121 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 00:55:11
>>116
そういう真っ向な反論を行った著名な研究家とかいるの?
あとこれに対する鈴木の返事は…?

122 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 16:03:19
>>116
一応それに対する鈴木の反論と思しき文章
「戦国15大合戦の真相 第2章つくられた戦国合戦像とその裏側」より

「私は戦国時代の負傷者延べ1578名の統計をとってみたことがある。
その結果わかったのは、弓、鉄砲、石・礫(つぶて)などの遠戦兵器、
つまり広い意味での「飛び道具」によるものが72%強に達するということであった」

(中略)

「刀や槍でやられると致死率が高いから、
負傷者としては出ないのだと負け惜しみをいった人もいるが、
槍はともかく、刀では金属鎧はもちろん革鎧も切れないことは、甲冑の専門家が指摘している。
だいたい負傷者に対する戦死者の比率がはるかに低いのだし、
その戦死者も多くは即死者ではなく、
飛び道具でやられて動けないでいるところを首を取られたような者たちだったのだから、
刀はもちろん、槍の効用も誇大に評価すべきではない」


相変わらず熱い文章でございますなw

123 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 16:11:48
ちなみにこれは「川中島合戦」を分析したものなんだけど、
他にもここで話題の「家康批判」に関連しそうな部分があるから紹介する。
なかなか面白いことをおっしゃる。

「戦国大名たちはできるだけ、戦わずに勝つことを心がけたし、
どうしても戦わねばならない場合でも、なんとか損害の少ない方法を選ぼうと苦心した。
信玄などは、この<戦わずして勝ちたい>派の見本のような男であった。
そんな信玄がやたら損害の出そうな戦闘(引用者注:川中島合戦の事)など企画したはずがない」

家康も秀吉死後は似た考え方の持ち主だったと思うのですが、
これについては「運がよかっただけ」と切捨て、
信玄については「戦わないで勝つことを心がげた=政略を駆使した」
と評価するのはなかなかおもしろいですね。


124 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 16:21:38
あと謙信・信玄の評価についての鈴木の文章

「謙信と信玄は、戦国時代の龍虎とでもいうべき存在だった。
(中略)
頼山陽が「日本外史」で論評したように、
二人の強さは群雄の中でも、とび抜けていたからである」

「同じ強いといっても強いなりがまったく違うし、
人柄や政治、軍事の手法なども正反対といってもよい」

「腹黒く、計算高い謀将信玄に対して、
清廉無私、正義感の強い勇将というイメージでとらえられている謙信」

鈴木さん、どうやら信玄と謙信がお好きなようですね。

ただ相変わらず自分に都合のいい論文等を引用し、
「信玄の強さ」が徳川御用史観=天下人史観によって形作られた可能性があることを無視し、
さらには、「家康を過大評価する御用学者」と切り捨てた頼山陽の日本外史まで引用してみせる、
鮮やかなテクニックには感服仕りました。

125 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 16:37:12
なんか史料を読んでわかったつもりになっちゃってる歴史作家の人物評みたいだね。

126 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 16:52:29
>>125
「強い」というのが何を根拠にしてそう言っているのかがわからないよな

あと、
「信玄は自分の軍団を命令に忠実に動かすようにしたかった。
どれほど結果が伴なったかは分からないが、これは偉い」
みたいなこというけど、こんなことで信玄を評価するならば、
三河統一後に「旗本先手備」なる直臣の親衛隊を作って、
領主連合から一歩進んだ軍政を組織した家康のことも評価すべきだろうと思う
「三河軍団」の有名どころはほとんどこの先手備出身なんだから

こういう訳のわからん偏りがこの人の研究の評価を下げてしまってると思う

127 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 17:36:34
鈴木スレの鈴木化ワロス

128 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 08:29:03
>>6
学者さんは全然必死じゃないと思う。
多分、生暖かく見てるというか。
三段撃ちを否定されたからって、じゃあ反論してやろうとかにはならないだろ。
話が些末すぎるしw
小和田先生辺りはこっそり気にしているに違いないだろうけど。

鈴木さんの著作に実害を受けているのは、仮想戦記物のライターさんとか
信長関連で食い扶持をなんとか得ている雑誌編集者とかである、と言ってみるテスト。
あと駄文を書いてバイト代を稼いでいた院生とかw
一番頭に来ているのはこいつらだろうな。
どの鈴木スレも、最初に理論否定ではなく人格否定から入るあたりが全てを示唆しているかと。

129 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 20:45:55
つうか必死なのは鈴木だけの悪寒

130 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 21:12:42
戦史、軍事史の類が史学界で傍流なのかもね。

信長は3段撃ちをやった、だから偉い、ってのは学術論文じゃまずやらんだろうし。

しかし、鈴木の本にあった「日本海海戦の名前が一度も出てこない日露戦争の論文」
(東郷平八郎だったかも?)というのも、なんだかなぁ。

131 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 23:27:16
>>128
散々言われてることだが、鈴木の言いたいことはわかるが、
あの攻撃的な文章と自説のみを絶対的に考える頑固さが余計な誤解を招いているのだろう
多分あのままじゃまともに相手をされることはないと思う

132 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:27:28
要するに「言い方がむかつく」って事か。
説教されて逆ギレする中学生みたいだなw

あと相手にされるもされないもないっしょ。
武田騎馬隊ら三段撃ちやら、本気で研究している学者がどれだけいるのさ。
だいたい鈴木さんが喧嘩を売ってるのって、研究者じゃなくて売文家でしょ?
確かにその人達にしてみれば、相手にされなくなってくれないかなぁ、だわなw

133 :25:2007/02/02(金) 01:04:51
>128
>132

>1が知識の全く無い厨房であることはすでに確定しているし
多分6〜7割りの書き込みは>1であろうと推測しているのだが
あえて問う
自らの書き込みも>1と大差の無いレベルだということは
認識しているの?

134 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 01:20:08
25も大差あるとは思えないが

135 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 01:32:28
>>132
鈴木がケンカ売ってるのは疑いなく信じられている歴史の通説
研究家であれ売文家であれそういう通説を信じてるやつは許せんのだと思うよ
25が書いてるように素人が気負って書いてるだけ
ただ普通に自分の研究を書いてても注目されないから、ああいう書き方するんだろ

136 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 01:36:35
>>133
おそらくは鈴木の本を読んで、
「うわ、この人の書いてることすげー」って感心しちゃって、
鈴木の事慕っている人間だと思うから、無駄な問いかけだと思う

137 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 02:12:15
25はツンデレ

138 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 02:58:06
>>132
>要するに「言い方がむかつく」って事か。
>説教されて逆ギレする中学生みたいだなw

ムカツクとかは別にして、
定年を過ぎた老人にしては子供のように煽りまくる文章書く人だなあと思う
そんなのだから反発を買うのは止むを得ないんじゃないの?
逆にそんな彼の姿に痛快さを覚える人もいるんだろうなとも思う
容赦なく切り捨てていく姿を見ているのは読んでて気持ちいいものね

鈴木については彼を好きになるか嫌いになるかはっきりと別れそうだね

>>133
25は鈴木を嫌っている割には同じく鈴木を嫌う1を無知と切り捨て、
そうかと思えば1の疑問に付き合う不思議な人だよねw
そんな25は鈴木への反論とかはあるの?史板らしく知的に披露してみてよ

139 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 03:38:37
>>133
涙目でレッテル貼りか。
おまいはダサすぎw

>>136
鈴木さんのせいでネタをつぶされて困っている人がいるだろうなと、
想像しうる事を書いただけなのに。
信者だなんて失礼なw
色んな意味でニヤニヤして鈴木さんの活躍を見守っているだけですよ。
もちろん鈴木信者も、鈴木さんに煽られてうろたえる連中もねw

140 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 03:42:17
さん付けで鈴木を読んでいる時点で
信者っぽく見えるんだよなw

141 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 03:46:13
「鈴木さん」でこのスレ検索してみろ

142 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 04:21:28
>>140
野毛の図書館でよく見かけたから。
単にそれだけなんだけど。

敬称つけたら即信者扱いかよ、馬鹿くさいw

143 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 08:26:40
>>132
> 要するに「言い方がむかつく」って事か。
> 説教されて逆ギレする中学生みたいだなw

「知ってるが、お前の言い方が(ry」のAAみたいなもんかw

144 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/02(金) 10:20:09
○「信長は謀略で殺されたのか? 本能寺の変、謀略説ヲ嗤う」
鈴木真哉、藤本正行著を読んだが、断じて「朝廷説」の部分は違うと断言する。
是非、「聖戦、マハーカーラの女・本能寺の真因」を読み、
当時の京都の防御機能、盗賊よけの木戸についての意見を聞きたいものだ。

○さっさと人大杉をなんとかして「大庭博氏が朝廷説について語るスレ」を簡単に見れるようにするべし。
「聖戦」の作者は超大物学者との論戦を待ってるぞ。

145 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 11:09:03
食い扶持潰されて涙目になっている格好の例ですなw
>>144

146 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 16:22:13
本能寺の本は好著と思うけどなあ

147 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 17:48:51
鈴木>>>>>>大庭

148 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 17:58:21
あらら博ちゃんはこっちに来てたのか。
「信長は謀略で殺されたのか? 本能寺の変、謀略説ヲ嗤う」でまったく
取り上げられていないのに。

>「聖戦」の作者は超大物学者との論戦を待ってるぞ。

って自分が2ちゃんねるに引きこもっているくせに。


149 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 18:01:21
騎馬隊はあっただろ

150 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 20:07:47
大庭>>>>>>鈴木

151 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 20:13:48
日本でまともに軍事・戦史を教えるところって防衛大くらいか?

その辺の評価はどうなんだろう? 桶狭間を「奇襲」にしたのが日本の悲劇だったわけだし。

152 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:12:39
大庭て、、やっぱ鈴木さんスゲーは。2ちゃんの底が解る。巷での噂道り本当に2ちゃんてそのレベルな。

153 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:35:35
必死だねえ

154 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:37:31
ハクチ

155 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:38:36
してこの博ちゃんとは何者?

156 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:39:01
うhbkhj「

157 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:50:33
ウィキでは無理かな?とにかく検索!それが限界。

158 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:54:22
マイナーな存在なのか?

159 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:04:27
意味不明な独り言を連投するキチガイは
どこの板にもいるのだな

160 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:10:30
史板じゃ有名じゃねえの?<博ちゃん

161 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:11:07
キチガイ×
基地害〇

162 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:35:19
銀山光秋『聖戦マハーカーラの女 本能寺の変の真相』
発行/日本図書刊行会、発売/近代文芸社 1997年2月20日 第一刷

銀山光秋(本名 大庭 博(おおば・ひろし))
昭和33年6月4日生
歴史研究家、フリーライター

内容はほとんど盗作だがオリジナルを主張し「朝廷黒幕説」を説く精神異常者。
一流研究者は2ちゃんも見ているハズと主張する精神異常者。
職場のPCを使い平日の午前中に書き込む精神異常者。
自費出版で借金塗れの精神異常者。

163 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:39:16
>>162
御丁寧にサンクス

164 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:46:10
>>162
付け加えるなら、相手にされていないのを反論出来ないからだとのたまう精神異常者。
当然、鈴木眞哉の著書にも取り上げられていない。

165 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:47:06
いくらなんでもこんなのと鈴木を比べるのは鈴木に失礼だろ

166 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:55:30
本人専用のスレがあるんだけど「もうずっと人多すぎ」で書き込めないから
本人がこっちに来たらしい。

167 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:01:17
迷惑な話だな
鈴木の家康評はともかく、本能寺分析はかなり信憑性高いと思うだけに

168 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:05:47
どだい黒幕説なんて妄想だからね。

169 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:10:10
俺も「秀吉が実は黒幕だ」とか言ったのにはうんざりしてたから、
鈴木嫌いとは言え、黒幕説批判はよくやってくれた、と思うな
桐野も昔「真説・本能寺」で黒幕説批判を行っていたが、
鈴木と桐野の二つの本はあわせて読んでおくと良さそう

170 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:16:01
大庭博は妄想しすぎてオカシクなっちゃったんだね。

171 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:40:41
ハイ、もう2ちゃんで真面目は終了ー。

172 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 04:35:54
>>166
こっちに逃げたらしいよ。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1170033316/

173 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 12:02:38
メインは藤本氏だけど、「武功夜話」斬りは面白かった。

174 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 12:27:24
>>169
桐野氏の本能寺と関ヶ原は両方とも良いよ。
紙質が何か安っぽいけど。

175 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 14:18:32
関ヶ原といえば近衛龍春の本や笠谷の本もいいよね。

176 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 00:41:26
桐野作人も歴史群像か何かで騎馬隊突撃はなかったという鈴木説に反論していたな

177 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 13:03:07
武田騎馬軍団も本当はあったと思う。

178 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 17:24:30
>>176
桐野さんは、騎馬隊突撃がないと困る派なんでw
もっとも、他にはもっとややこしい主張の仕方をする人もいるんだけどね。

179 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 18:26:02
そもそも騎馬隊突撃があろうが無かろうがどうでもいいのが戦国期の研究者の大半

180 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 19:09:32
鈴木信者は頑張るなあ

181 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 19:56:22
信者は存在しなかった

182 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:06:35
信者は自分が信者であると認めないからな

183 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:22:23

突飛なセンセ−ショナリズムで世間の耳目を集め、本を売って儲ける鈴木商法。

184 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:24:32
ネタがないならおとなしく帰れよ

185 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:52:55
で、武功夜話って本当はどうなの?

186 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:27:01
武功夜話は偽書?
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169263287/

187 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 12:40:51
鈴木は嘘つき、武功夜話も偽書ではなく本物。

188 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:32:07
ここはデスノートではありません
憎い人の名前を連呼しても死にません

189 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 17:46:46
ワロス

190 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 03:51:11
>>187
だな。今となっては武功夜話抜きに戦国時代を語ることが出来ないくらい重要な資料になっているからな。
未だに武功夜話に対して疑いを抱いているのは鈴木・藤本とその信者だけになってしまった。

191 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 05:23:28
ワロス

192 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 12:38:36
鈴木って優秀な人間に対してものすごい嫉妬深いみたいだね。
墨俣城がなかったなんてそんな馬鹿な。
秀吉の才能を妬むにもほどがある。

193 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:19:46
鈴木の著作には日本の歴史を貶めようと言うどす黒い自虐歴史観が波打ってる。
鈴木って自虐サヨ?もしかしてマジでチョンじゃないの?

194 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:42:55
食い扶持を潰された恨みは恐ろしいwwww

195 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 19:29:48
信者がアンチのフリして幼稚なカキコしてるだけだろ

196 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 22:08:32
鈴木はどうかと思うが、藤本はしごく真っ当な研究者だと思うぞ。
武功夜話については偽書かどうかはともかく資料価値は極めて低いと見るのが至当。

197 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 22:22:47
>>194
お前相変わらずそういう煽り好きだよなあw

198 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 22:42:00
情けないスレたてんな

199 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 23:03:59
ようこそ鈴木さん

200 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 23:33:12
情けない事いふな。ヤシくん^^

201 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 00:09:26
何がスルーできて何がスルーできないかを観察しましょう

202 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 00:12:53
考察と言う言語をもっと考察しましょう

203 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 01:08:53
>>197
最初に「食い扶持」と言い出したものだが。
そのレス、俺じゃねえよ。
言葉が勝手に伝播してるみたいw
俺もびっくりした。

204 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 18:57:38
>>196
信者乙。
もし藤本が真っ当な研究者ならタッグ組む相手をもう少し考えるはずだろ。

205 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 10:41:24
鈴木が藤本に便乗してるだけだと思うが

206 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 00:55:51
最近の鈴木は「通説批判」から「トンデモ批判」へと移行しているように思う

武功夜話批判とか本能寺陰謀論批判など、
自説の主張が通り易い敵を相手にしているように思う

207 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 00:08:39
鈴木のPHPから2月発売予定の新書ってどうなったんだ?
まったく宣伝されてないが
じいさん身体ヤバイのか?

208 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 02:08:15

突飛なセンセ−ショナリズムで世間の耳目を集め、本を売って儲ける鈴木商法。

209 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 02:15:37
鈴木ハウジング

210 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 17:34:52
兵糧攻めされたライターが突撃

211 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:28:59
>>205
もしそうなら、藤本もちゃんと「迷惑だ」ってはっきり言うべきだろう。
言えないのであれば、結局は鈴木と同類だと言う汚名を甘受せざるを得ない。

212 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 19:30:41
>>211
長篠合戦分析や武功夜話批判・本能寺陰謀説批判などでは協力してるし、
「通説批判」という共通目的があるためむやみに対立しないだけだろ

けれど鈴木の著書を見たらわかるが、
彼が通説批判を行う際は大概藤本の論文を引用する傾向があるのははっきりしてる

213 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:23:13
鈴木がPHP新書で新刊出したな
ちらっと立ち読みしただけだが
これまでの主張を繰り返してるだけで何の新味もなかった

214 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:21:34
戦国の通説はうそばっか
天下人史観に毒されるな

いつも通りのこんな感じ?

215 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:28:42
鈴木が便乗する研究者に比べろくに研究してないことがよくわかるな

216 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 00:00:54
でも結局は実証主義の典型だからな。
批判するにも限界ある。
現実ヒド過ぎだしなW

217 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 00:12:06
>>216
実証主義の典型なら他人の研究の引用ばかりせずに、
もっと独自の研究をしていただきたいものですね

218 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 01:03:59
>>142
今さらなレスだが…

どんな人なの、実際の鈴木って?
本の文章どおり、すごくえらそうなじいさん?

219 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 02:07:07
>>217
ポマイは何処に住む歴史学者気取りニート?

220 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 02:14:50
>>219
そういう自分勝手な思い込みでレッテル張りするのが大好きなのは、
鈴木さんとそっくりですね

221 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 10:49:11
>>1
既出かもしれんが、渡部昇一の歴史史観ってのはどうよ?

222 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 11:07:46
>>221
1980年代のNHKで放送された、「歴史への招待」では小栗忠順など同時代のイタリアのサルジニア王国の首相カブールと比較して、論評したり、評価していたよ。
慶応2年(1866)、徳川幕府がフランス帝国政府にお願いした陸軍の軍事顧問団を巡る番組『外人部隊戊辰をいく』の中で、徳川の遺産があったからこそ、明治の近代化が速やかに行われたのだと、コメントを残しています。
1990年代、具体的には、バブル崩壊から3〜4年後ぐらいから論評が変わってきたと思うよ。小栗を売国奴扱いしたり、近藤勇の獄門は当然だとか、過去の放送で披露したコメントから180度向きは変わっているね。
今は王政復古、万歳!だけどね。



223 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 11:48:01
>>220
ビンゴWW

224 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 22:06:31
連スレしたくね〜んだよ?カマンベール

225 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 21:20:23
鈴木氏の新刊を読んだけど、このスレで議論になった部分は、
(家康は運の人・関ヶ原は西軍が有利だったなどといった鈴木氏の主張)
鈴木氏の主張は若干トーンダウンしてる印象

・「家康は運の人」という主張

→新刊内、家康の記述ではなし。
かわって家康は今川、豊臣などに対し恩を踏みにじるような悪辣な行動をとった、と主張。
「苦労忍従を重ねた人」というイメージを否定し、
「恩義を踏みにじる悪人」と訴えたいらしい。

・「関ヶ原は西軍が有利だった」という主張

→山内一豊の項目での記述を見る限り、
 「西軍にも勝てる可能性は十分にあった」と若干トーンダウン


「騎馬武者否定」とかは相変わらずだったけど、
「天下人史観」、特に家康についての主張は若干変わったっぽい。
何かあったのだろうか?

226 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 01:35:39
オイオイ
もちとオネガイ

227 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 14:23:52
>>225
って言うか、鈴木氏が揶揄してる「家康が勝ったのは西洋式の甲冑を着用してたからだ」なんて寝言言ってる人って誰さ?
本当にそんなこと言ってるとしたら、鈴木氏よりも使えねぇw
もっとも、「日本刀は万邦無比の神器」って言ってる手合いは今でも普通にいるよ。日本刀コレクターとか。
あの連中からしたら日本刀を尊ばない鈴木氏は非国民にしか見えないんじゃないかい?

あと、個人的には「家康は運の人」ってのは一つのたとえ話だと解釈してるよ。
信長・秀吉と違って260年間かけて神格化されちゃって「東照大権現何でもお見通し」みたいに扱われちゃってる部分に疑問
を感じてるってことなんだろう。
「天の時、地の利、人の和」と言う表現があるが、家康には実力だけじゃなくそれらがあったから天下が取れた。
今でも、実力があっても台頭できない人がいる一方で実力があってもなくても何となく台頭する人がいるでしょう。
ただ、実力がない人が台頭しても長くその地位を保つことはできないことが多いから、家康に能力がなかったとは言えない。
260余年持つだけの土台を築けたわけだから、当然並み以上の能力はあったと思うのが普通。
でも、人間なので「何でもお見通し」なわけじゃない。

・・・・・それはともかく、「西軍が勝った場合の山内一豊」と「直江兼続と小判の話はあり得ない」にはワロタ。

228 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 15:48:50
読んできたけどトーンダウンも何も相変わらず同じ主張繰り返してるだけじゃん

229 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:46:03
>>227
>「家康が勝ったのは西洋式の甲冑を着用してたからだ」
まあこんな説唱えるのが電波丸出しなのは明らかなのだが、
これを批判する鈴木の書き方で問題だな、と思うのは、
「関ヶ原で家康は謀略を駆使し勝利したという通説を否定された人間が、
苦し紛れに何とか家康を持ち上げようとして唱えだした説」
と印象付ける書き方してるんだよな

少なくとも俺は関ヶ原関連の本を読んでいる限り、
家康の謀略を「評価」する人間が、西洋甲冑を勝因にしている文章は見た事がない

鈴木の主張したい事は、227の言うとおりで間違いないと思うが、
(「天下人は実力だけでなく運という要素もあった」)
こういう勝手なレッテル貼りが鈴木の嫌われる一因なんだろうと思う

230 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:41:39
藤本と共著の本能寺の本に比べれば今回のは精彩を欠くなあ

「戦国時代の通説は全て誤りだ。全ての真相を暴く」などと気負わず、
一つ一つの事象を丁寧に研究するほうがいいと思うのだが…

風呂敷広げすぎて収拾がつかない感じ
だから他人の研究の引用ばかりになってしまうのだろうし

231 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 02:35:20
>信長・秀吉と違って260年間かけて神格化されちゃって、
>「東照大権現何でもお見通し」
>みたいに扱われちゃってる部分に疑問 を感じてるってことなんだろう。

同意。鈴木氏が訴えたい事はおそらくはそういう事だと思われ。

「家康に実力があるのは認めるが、
『偉大なる家康公は全てお見通し』というようなそんな完璧なものじゃない」
これを言いたいだけなんだと思う。

上のほうでも取り上げられてた関ヶ原での家康の「ツキの勝利」についても、
「家康が毛利や小早川を内応させるなど、謀略を働いてたことは確かだけども、
その謀略によって完璧に勝利したわけじゃないよ。
関ヶ原の合戦当日、西軍の健闘によってその謀略は崩れる可能性もあったんだよ」
と、要は「勝負は最初から既に決まっていた」
というような通説を否定したいだけだろう。

ただ「ツキ」という言葉を強調するから、
「家康がツキだけで勝ったちゅうんかい」と反発を買うのだろうけどw

232 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 18:55:50
「最初から勝負は決まっていた」なんて通説あるか?
今時そんなこと思ってる奴の方が少なかろう

233 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 19:43:53
今回の鈴木の「敵」は大河ドラマ史観だから

234 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:23:21
関ヶ原の事で「家康を持ち上げるな」といいたいなら、
「秀忠遅参も勢力温存を図った家康の陰謀」
なんて主張こそ木っ端微塵に論破してもらいたいのだがな

235 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 02:39:25
>>234
もう、それはとっくに笠谷氏に論破されちゃってるからw
本来の徳川軍団の先手備えはみんな秀忠に付けちゃって、家康の手元には旗本備え主体になってるということころが既に
家康にとっては誤算。
おかげで、外様大名に大盤振る舞いをせねばならなくなった。これだけでも「東照大権現何でもお見通し」「家康公は勝つ
べくしてお勝ちになられた」「秀忠遅参は主力温存策」などとは言えないことがわかる。
勝つには勝ったが、冷や汗物だったんじゃないだろうか。
本来の主力が滞りなく来ていれば、最初から毛利傍観、小早川寝返りなど期待せずに力押しで勝つ自信が皆無とは言え
ないが、史実よりはストレスを感じないで戦えたと思われ。

236 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 03:05:33
>>235
笠谷鈴木の両氏は関ヶ原について、
「家康が勝つべくして勝ったのではない。
西軍は健闘していたし、関ヶ原当日の決戦の流れ次第では、
東軍の勝利を決定付けた家康の西軍内応策が崩れる可能性もあった」
という評価だよな。

その上で笠谷氏は家康、三成双方の行動を分析した結果、
「三成は家康を関東に釘付けにさせるところまでは彼の想定どおりで成功したが、
その後家康が急に西上してくるのは予想外だった。ここで三成の戦略に大きな破綻が生じた」
という結論を導くのに対し、
鈴木氏は「三成に何ら失敗はない。家康は運だけ」と結論付けると。
でその鈴木説に「なんでやねん」と過剰反応する人も少なからず現れるとw

けど鈴木氏の評価というのは家康好きな人たちにはむかつくかもしれないけれど、
見方を変えればこの人「歴史上の不当な評価を受ける敗者」にすごく愛情持ってて、
不当な評価を吹き飛ばそうと、過剰なほどに好評価してるように思うから、
「敗者にすごく優しい歴史研究家」という見方も出来ると思うんだけどね。

237 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 21:41:13
>>236
まさに「戦場は過誤の連続。で、過誤が少なかった方が勝つ」という古言どおりの話しだねぇ。
家康はまず挙兵の規模の予想を誤り、子飼いの兵力集中に失敗し、最後は敵の傍観と寝返りで勝った。
三成は東軍の西上の時期を誤り、借り物の兵力集中に失敗し、秀頼の担ぎ出しに失敗したため求心力を失って最後は
味方の傍観と寝返りで負けた。
ただ、三成は身上が少ないながらこの準備期間で一方の勢力を糾合できたことは大したものだと思う。
そもそも、いわゆる「東照権現史観」でない人たちの意見というのは表現がラジカルな鈴木説と表現がリベラルな笠谷説の間
の数直線上に分布してるんだと思われ。

で、鈴木氏の説を言いすぎだと思う人というのは、そもそも真性の「東照権現史観」信者じゃない人が多いんだと思う。
本当の信者には、あれほどの表現でも刷毛で撫でたような刺激にしかならんのだろうw
「鉄炮と日本人」「刀と首取り」でも、狂信的日本刀信者の信仰にはまったく影響を与えてないからねぇ。
もっとも、笠谷氏の説も以前ここへ投げ込んだら「家康公の旗本が弱いわけないだろヴァカ」ということになったわけだがw

238 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:37:43
双方誤算が生じているが、
結果論になるかもしれないけれど三成の誤算はかなり大きな誤算なんだよね。

特に総大将毛利家をはじめとして西軍諸将が打倒徳川で一致団結していないということ。
借り物の軍隊に頼らざるを得なかった三成にとってこれは致命的なミスだったのではないか、と。

何が痛いって西軍が一致団結していないということで、
二大老三奉行結束しての大々的な西軍の挙兵規模に驚かされた家康に、
彼得意の内応の調略が入り込める隙を作ってしまった。

のちの大阪攻めや本願寺への施策を見てもわかるけど、
家康って相手を分裂して弱体化させる、っていうのを得意にしてるからね。
実際この西軍の不安定さとそこに乗じた家康の内応策が関ヶ原の勝敗を決してしまった。

もっとも吉川広家の場合は伏見攻めで手柄を立てるほど活躍するなど、
かなり巧妙な裏切りを見せているから、三成がそれを見極めるのは困難だったかもしれないけれど。

239 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:54:07
鈴木氏は、
「家康信者は家康の吉川らへの事前の調略を褒め称えるが、
実際のそれは不安定なもので吉川らが裏切る保証などはない」
というけれど、その不安定さを少しでも少なくする為に、
念入りにも誓紙交換や人質の交換を行っているのね。

だから鈴木氏がいうほど家康の調略と言うのは不安定なものじゃない。
実際家康の関ヶ原での本陣の構え方を見る限り、
吉川の内応についてはほぼ確実な情勢だったんだろうと思うよ。

ただし、そういう内応策があったからと言って、
じゃあそれが関ヶ原における家康の作戦の全てだったのかというと違うと思うな。

おそらくは家康は野戦で西軍に勝利する自信があったんだろうと思う。
吉川が傍観する中一気に西軍を圧倒し、
その東軍の勢いに引きずられるような形で小早川が裏切るというのを想定したのではないか、と。



240 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:54:17
ところが西軍の思わぬ健闘で、家康の目論見が崩れ始めた。
西軍に苦戦するし、その影響か小早川も裏切らない。
このままこう着状態が続けば、いつまで吉川も傍観を保っていられるかわからない。

要は野戦で苦戦するだけじゃなく、
念入りに推し進めた家康の内応策の崩壊という危険性まで生じ始めたわけだ。
つまり東軍壊滅の危機だわね。

けれど、結局小早川は最初の約束通り西軍を裏切り、
東軍に勝利をもたらした、と。

これは家康の施していた内応策が東軍の危機を救う形で勝利したわけで、
確かに家康の「政略」が勝利をもたらしたには違いないんだけれど、
ただそれは「すべて家康の目論見どおりの勝利」というようなものではないんだよね。

実際は西軍の健闘によって破綻寸前の危機にあった家康の政略が、
何とか破られる事なく機能して勝利できた、ということなんだよね。

241 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 02:07:16
じゃあなんで家康の政略が敗れなかったのか、
というとこれは鈴木氏のいう「運」という部分ももちろんあるだろうけど、
勝利を決定付けた小早川の裏切りについていえば個人的にはやはり鈴木氏が主張する、
「家康の声望・地位」も大きく影響したのではないか、と。

東西両軍こう着状態に陥った中、どちらにつくのが得か、と判断する時に、
三成・家康双方を両天秤にかけた結果、
「五大老筆頭の実力者で朝鮮の役では自分をかばってくれた事もある家康につくほうがいい」
と考えたんじゃないのかなあ。

言い換えれば、
「三成は関白の地位を与えるというけれど、本当に出来るのか?」
と三成に懐疑的になっていたということだけど。

あと吉川の傍観姿勢についていうと、
吉川広家は毛利家の「大公」的な存在だからね。
実際毛利秀元は関ヶ原では最後まで広家の顔を立てているし、
簡単に「吉川殿を無視して」と勝手に動ける雰囲気は毛利にはなかったと思うよ。
少なくとも軍事作戦面では安国寺よりもはるかに毛利家内部では影響力を持っていたと思う。
ただあのままこう着状態が続いていればどうなったかはわからないけれども。

とにかくそういう要素も絡みあって、家康の「政略」はぎりぎり保たれてたんだろう。

242 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 01:07:50
何か物分りの良い人ばかりになっちゃってつまらんなぁw
「東照権現信者」の方、「日本刀最強兵器信者」の方って世間には結構多いみたいなのにこのスレにはいないのかね?
久しぶりに、狂信的な燃料投下を見てみたいものだ。

243 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 01:52:10
その物分りのいい人にも噛み付きまくってるのが鈴木ではないのか、と

244 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 01:55:07
つか今時鈴木が噛み付くような「家康公は勝つべくして勝った」なんていうようなのいるのか?
少なくとも関ヶ原を知るような人間は>>237-241のような理解をしているのが主流だと思うんだが

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