2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

『堀秀政』と『蒲生氏郷』が健在だったなら

1 :日本@名無史さん :2007/01/02(火) 01:43:06
豊臣政権の麒麟児の二人が健在なら、豊臣政権は磐石で易々とは徳川家康に政権が移らなかったっろうにな!?



2 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 02:02:37
家康とは器が違い過ぎるだろ

3 :日本@名無史さん :2007/01/02(火) 02:14:55
秀吉は北条征伐後関東を掘秀政を与えようとしていたらしいな
そして家康を会津に移封しさえすれば家康に次の目は無かったんじゃないか?

4 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 03:12:03
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

5 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 09:49:41
結局この二人も
黒田如水、福島正則、加藤清正らと同じだと思うがね
こいつらとどこがどう違うのか言ってみて

6 :日本@名無史さん :2007/01/02(火) 10:36:36
蒲生氏郷は徹底した家康嫌いで前田びいきだよ

7 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 10:49:37
徳川・前田・毛利・宇喜多・上杉(小早川)の五大老制が、
徳川・前田・毛利・宇喜多・蒲生・堀の六大老制で秀吉の死を迎えるわけか。
>>3の言うように堀がどこにどの程度の処遇で封じられるかが問題やな。

8 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 11:28:49
>>3
家康の会津移封は可能なのか?

9 :日本@名無史さん :2007/01/02(火) 14:04:29
家康と言えども太閤殿下のご意向に背けんだろうし、
むしろ背けば徳川征伐の格好の口実になるよ

但し会津に家康を移封した場合には、仙台に氏郷、山形に加藤喜明
仙台の伊達を土佐に、山形の最上を出雲に移封で豊臣は安泰じゃ



10 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 15:57:31
 少なくとも蒲生氏郷が健在なら、秀次切腹事件のきっかけが失われるので、
影響はでると思うよ。
 まあ難癖つけられて結局殺されるかもしれないけど、
秀吉のほうが時間切れになる可能性もあるからね。

11 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:29:20
>>9
元親はどこへ行く?

12 :日本@名無史さん :2007/01/02(火) 21:35:18
小牧長久手で徳川についた長曾我部は越中にでも置いて、
前田と上杉に監視させればどうじゃな



13 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:57:20
かなりの混乱になるだろうから、
やっと戦が終わったってムードを読んで
秀吉はそんなことしないだろうね。

14 :日本@名無史さん :2007/01/02(火) 23:14:42
側近の三成は常に徳川潰しの意見具申を秀吉にしていたそうだが、
秀吉は鷹揚に構えすぎで、結局好機をみすみす逸してしまったな



15 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:27:50
天下統一のために戦い続けることは心身ともに多大な疲労が伴い常人の寿命を縮めてしまう
秀政も氏郷も秀長もその環境に耐え切れずに生命力が尽きてしまう常人だっただけ
家康と同じ土俵では語れないよ

16 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 01:13:42
秀政・氏郷・秀長の生命力も単に各人個々の衛生状態・栄養事情・生活習慣・DNAその他環境等に起因するに過ぎんだろう


17 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 02:15:36
堀秀政を再評価しましょう
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164396819/
◇◆◇蒲生氏郷を語ろう◇◆◇
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152708862/

18 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 08:30:49
それにしても秀吉は家康をのさばらせ杉
豊臣政権の絶頂期に徳川封じ込めまたは徳川征伐を断行すべき

秀吉の死後に家康が豊臣に対してした露骨な仕打ちを考えると、
秀吉ももっと家康を追い詰めていれば。。。。

19 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 08:34:29
そこんとこが秀吉の「甘さ」なんだろうな
後世の同情を引く要因にもなってる

20 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 08:44:47
秀吉は家康を認めていたんじゃないか、だから殺すには忍びないとか、
あるいは天皇の臣下である太閤ともなると、非の打ち所の無い家臣を無闇に討てないとか、
家康殺しは、農民出の庶民宰相の人気を失墜させるとか、
いろいろあるんだろうけど

21 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 09:01:05
当時の蒲生の血筋って早死にとか突然死が多いんじゃなかったか?
病状の記録まで知らないから憶測に過ぎないけど、心臓とかに遺伝的な
原因があったのかもしれん。まぁ釣られてみたけど。

秀吉が徳川を一番警戒してたのは東海道の配置を見れば露骨にわかるけど、
徳川が無くなると前田の独走が恐ろしいんじゃないか。官位・領地においても
加藤に小西とか、伊達に蒲生とか、対抗させて均衡取る方法をやってるし。
利家利長は良くても、いずれ・・という不安が起こる。官位領地にしても家康に
与えなきゃ前田にも与えないで言いと言うのは矛盾が起こるし、家康にだけ多く領地
与えて後から潰す、前田にも与えないとなると死後の指揮を取るものがいなくなって
それこそ力のバランスが取れなくなる。結局は家康利家の律儀さにかけるしかなかったんじゃないか。
小牧の後の関係修復で官位つり上げたし、小田原の役に徳川使ったし。

やるとしたら、小田原の役で徳川の力に頼らずに功をとらせず、秀次に世論が納得するほど
大功を堀らにサポートさせて取らせて関東まるごと秀次にあげる。
・・そうすると秀頼が生まれたら恐ろしいな。堀に与えても後が恐いし、関東を
一気に与えずに分散させて与えるしかない。徳川は伊達征伐で東北に飛ばすか、
近くで恐いけど三河討伐かけるか・・。でも結局は秀頼成人まで統率者がいない。
三成に100万石あたえるとか。結局は律儀さにかけるしかない。

22 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 11:49:21
>>21
前田は、対家康用に領土と位を与えたんだろ?
家康を討つことができるのなら、
そこで止めてしまえばよいこと。

23 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 11:52:10
秀吉は石田を北九州百万石に封じようとした、とあるが……

24 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 11:53:44
一番警戒している仮想敵をやはり僻地に追いやって封じ込めなきゃいかんよね
徳川を会津・出羽庄内とか筑前とか、その上で豊臣恩顧を隣接させて配置する。
前田は対徳川の最大勢力として拮抗させなきゃいかんので、相応に処遇する。
だが秀吉の構想では、豊臣家を六摂関家筆頭の家柄をキープしさえすれば、
徳川と言えども手出しはすまいと考えていたのでは。
ましてや前田が豊臣にとって代わるとは考えさえもしていないと思うが

25 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 12:11:15
>>21
石田に百万石与えた場合加藤清正、福島正則、細川忠興・・等武功派が一気に爆発、
あるいは同様に加藤・福島等にも同程度の処遇をしないと豊臣家の土台そのものが
おかしくなる、拠ってそれはないでしょう

26 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 12:37:59
>>22
前田が突出しないかな?天下統一後?小田原平定後?
徳川無くしても前田だけというのは長期的に考えると無理ないか。
利長が動かないで秀頼成人を待つというのも結構可能性あるけど、それよりも
前田と徳川で双方を牽制させて相殺させるほうが秀吉は現実的だったんじゃないか。

書いてて思ったけど、それなら堀と前田で両輪にすればよかったのかな。
とりあえず徳川をどうにかしなきゃいけないのは当然だけど。

>>24
封じ込めといえば、信長が光秀・秀吉にしてやられたことを考えて秀吉は
片腕だった黒田を九州に追いやって12万石?に封じたから黒田を一番警戒していたのかも
・・・という推測だが。たとえそうだとしても、家康を野放しにしたのは甘かったな。
家康を追いやれず、封じ込められなかった原因は小田原平定の先鋒やらせたことにあると思うな。
もう一つ推測するなら、それまで敵だった北条の遺臣が反旗を翻して一揆→難癖つけて
佐々のように呼び出しておいて切腹、とかやる気じゃなかったのか。それも関東まとめて
事前に氏直と婚姻結び北条に恩を売っておいた家康の器量にしてやられたという感じ。

>>25
まぁ最後の石田は冗談半分というか奇策だわな。
清正を九州にやる前に三成を筑前筑後において島津黒田封じしようとしたらしいけど
三成が中央で政務取りたいから断って、加藤小西の二人で競争させて朝鮮の行軍競争に
利用しようとしたというのは聞いたことがある。というか石田の記録に断った書状があったはず。
石田ら譜代に徳川ら外様を抑えるくらい領地あたえようと思ったら毛利上杉伊達あたりを
倒さなければならなかっただろうけど、それも天下統一すらあやしくなる。外に領地求めても失敗。
家康を抑えるのを後から考えてたらどうしようもないな。

27 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 12:55:44
北条征伐後関東宇都宮まで視察した秀吉は広大な関東平野を眺めながら、
家康に関東を与えたことに大きな不安を感じたそうだ
この後悔が後々現実のものになる。。。。。

堀秀政さえ存命ならば、関東を秀政に、家康を会津に追いやって、
佐竹と共に家康を牽制できたのに

28 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:34:29
堀を大きくすれば、堀に怯えることになる。

29 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 21:11:01
堀を大きくしても、出る杭は打たれることになる。

30 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 22:11:50
早く死ぬことで家康に尻尾振る姿を見せずに済んだんだからこの2人はラッキーだったな
この2人が生きていたところで結果は変わらず別の誰かが生きていればと語られるだけだろ

31 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 22:25:24
でも司馬遼太郎は、「秀吉は晩年、無能暴慢のその甥小早川秀秋を移封させ、三成を北九州百万石に封じようとした」といっている。

32 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 10:54:15
司馬はなぁ。

33 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 11:08:50
司馬の小説って人物の外見の描写にくだらんほど紙面さくからな
内容も糞
竜馬とか取り上げる題材が良いだけジャン

34 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 12:51:24
結局、「秀長没+秀次処刑+朝鮮出兵→豊家中枢大分裂」
という基本的な流れは所与とすると、
この二人が生きながらえたとしても、
秀吉没後の有力外様諸侯による多元均衡をやや複雑化させるに過ぎないとも言える。



35 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 00:48:56
>>33
小説として割り切れば面白いぞ。


36 :日本@名無史さん :2007/01/06(土) 18:24:40
>>33
功名が辻・・・とか必ずしも取り上げる題材が良いとは限らんゾ


37 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:33:43
山内一豊は、戦前の教育受けてる人は皆知ってるからな。
書いたときを考えれば美味しい題材。

38 :日本@名無史さん :2007/01/06(土) 20:44:55
>>37
一豊よりむしろ千代だろw

39 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:20:18
芝イラネ

40 :OPS:2007/01/06(土) 21:27:35
司馬遼太郎は小説としてはおもしろいが戦争の解釈がいい加減だから
小林よしのりからは保守派として批判されている。

41 :日本@名無史さん :2007/01/06(土) 23:55:09
>>34
豊家中枢大分裂の結果織田家復古派に再編成されて、信長小姓出身の氏郷・秀政・細川忠興あたりが中核となって、
有力外様諸侯が織田系大名として豊家恩顧もやがて飲み込み徳川に対抗する一大勢力となる。
やがて東西対決に・・・・

42 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 00:04:13
>>41
そんな馬鹿な。
織田家の「核」となる人物がいないじゃないか。
勿論、織田秀信はその器じゃないよ。

結局、蒲生も堀も家康について一件落着だよ。
大体蒲生氏郷だって、秀吉のこと猿扱いしてたくせに
表面上は秀吉についたじゃないか。
氏郷はいくら家康嫌いでも力の原理をわきまえてる人だよ。

43 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 00:09:08
>>21
多分癌抑制遺伝子が壊れてて、癌になりやすい家系なんだと思う。


44 :日本@名無史さん :2007/01/07(日) 00:49:42
>>42
その昔天下布武の下に結集した織田恩顧と言うよりも信長恩顧の武将が、
信長の目指した南蛮の先進文化の影響下にある重商主義国家造りを掲げて、
氏郷・秀政・忠興・池田輝政等が中核となったトロイカ体制の政権が大坂に樹立。

秀信は確かに器ではないが、キリシタンで信長直系なので象徴的存在として、
織田系大名の求心力になって役割発揮。



45 :日本@名無史さん :2007/01/07(日) 01:25:22
>>44
旧織田派     織田秀信・蒲生氏郷・堀秀政・池田輝政・細川忠興

豊臣派北政所系  前田利家・浅野長政・加藤清正・福島正則・加藤嘉明・山内一豊

豊臣派淀系    石田三成・小西行長・増田長盛・上杉景勝・佐竹義宣

豊臣系中間派   毛利輝元・宇喜多秀家・蜂須賀家正

徳川派      徳川家康・藤堂高虎・最上義光

その他有力大名  伊達政宗・島津義久・黒田如水



46 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 06:46:17
利家がいる限り史実みたく誰も動けないだろ。

47 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 08:59:13
>結局、蒲生も堀も家康について一件落着だよ。

これになる可能性が一番高いな
結局こいつらが生きていた所で、その時の利害関係で行動に出るもんだよ

48 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 09:42:18
>>42
蒲生氏郷って会津に移封になったとき、加増で喜ぶと思いきや落涙して「遠国では御奉公叶わず」と言ってみせたが、
後年朝鮮出兵を聞いたときに、「猿め、死に場所を失うて狂うたか」と言ったとか。

きちんと裏表がわかってる人だよなw

49 :OPS:2007/01/07(日) 10:42:38
蒲生氏郷があくまで従うとしたら秀吉ではなくて信長か利家だろ。

50 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 13:50:20
氏郷が長生きしてれば所領はそのまま政宗、家康の牽制なのはわかるが
このスレでは堀は一体どこに入っていたと仮定するの?関八州が堀とは考えられん。
というのも、家康入れたのだって小田原攻め奥州攻めの功に応えての関東だし、
堀がその功に見合う活躍するのは無理がある、堀を関東・家康を東海道もあり得るが
堀も脅威になるかもしれないし、それより家康を遠方に飛ばすほうを優先するだろうし。
むしろ堀は福島とか一豊みたいに東海道のどこかに置かれるはず。おそらく尾張か三河
に優遇しまくったとしても50万石くらい。尾張は織田発祥、三河は城、町等家康の地盤があるし。

51 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 14:37:04
まあ、それだけ>>1が馬鹿だった事で

52 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 14:42:55
むしろ、「小早川隆景と前田利家が健在だったらなら」じゃないだろうか?

53 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 16:04:45
じゃぁ「織田信長と北条幻庵が健在だったら」も

54 :日本@名無史さん :2007/01/07(日) 18:25:01
それなら「武田信玄と上杉謙信が健在だったらなら」もいけるんじゃない?

55 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:21:44
んでは「太原雪斎」と「朝倉宗滴」が健在だったら

56 :OPS:2007/01/07(日) 19:36:03
小早川隆景が健在でも彼は前田利家同等に豊臣家に忠誠があったかまあ五大老に就任するならそれなりに秀吉の信頼もあったはず。
信長が健在でも信長の政権は長続きしなかったと思う。
北条幻庵が長生きしていたら北条家は少なくとも減俸程度で済んだかもしれない。
謙信が長生きしていたら少なくとも柴田勝家は北陸担当の武将ではないな。
少なくとも秀吉が篭絡したはず。


57 :日本@名無史さん :2007/01/07(日) 21:14:00
>>56
猿めに軍神謙信公を篭絡できますかな?


58 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 21:34:15
小早川の方が前田より忠義はあっただろうな
朝鮮で戦ってるし

59 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 22:10:10
>>57
信玄に戦略的に敗北した厨が軍神だって?
ゲラゲラ

60 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 22:20:17
謙信はHGだから武田が今川ルートで和睦した時に美少年を謙信に差し出してる。

61 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:30:27
それでも北信濃は信玄の支配地になったんだろ?
それとも、美少年1人で北信濃を諦めたアホなのか?

62 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 15:08:19
美少年で諦めたが上洛したいから柴田勝家・前田利家・佐々成政を攻めたんだろ。

63 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 18:31:08
で、あんた
手取川で柴田率いる織田の大軍を散々に打ち破った
と言い出すんではなかろうね?

64 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:33:57
>>49
娘娶っているしなあ。
側室1人も作らなかったってのはなかがよかったのか
信長が恐かったのか男で浮気してたのか4。

16 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)