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【第三巻】信長の正室帰蝶・まむしの娘の謎

1 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:10:19
織田信長正室濃姫(帰蝶)について語りましょう。
濃姫以外の話題は基本的にご遠慮ください。
資料にもとづく憶測、推測はOKですが、
たんなる希望的観測や妄想もご遠慮ください。
なお「〜マンセー」など、明らかな誹謗中傷の言葉を慎み、
荒らしはスルーでお願いします。
荒らされないためにsage進行で行きましょう。

前スレ 【第二巻】信長の正室帰蝶・まむしの娘の謎
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1161084144/

前々スレ 信長の正室帰蝶・まむしの娘の謎
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1159689153/

参考

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E8%9D%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

2 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:11:26
関連スレ

【美濃】斉藤道三について熱く語れ【マムシ】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1142326248/
悲劇の☆お姫様伝説☆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1055001525/
姫さま総合スレ  in  戦国時代板
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150038398/
【道三の放った】濃姫(帰蝶)総合スレ【毒苺】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152424560/
織田勝長総合スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151724055/
美濃斎藤家
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150539318/
*  織田信忠  *
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156156397/

3 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:15:28
クリスマスに立てたのか湯名人は暇だなwww

4 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:36:42
スレたてた人乙!
第二巻をずっとロムらせてもらったよ。
信長、濃姫、生駒その他の側室の事実関係がはっきりしてきた。
率直な感想だが、生駒が信忠の生母には疑問を感じるようになった。
生駒って我々が思うよりもはるかに織田家にとって存在感のない
側室だったよう思えてきた。生駒家だけがその功績を残し、
さらに第三者が武功夜話で従来の生駒像を定着させていったイメージだな。

5 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:59:09
重複してんだろ。いい加減にしろ。

6 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:11:04
織田厨は信長のみならずかみさん贔屓もウザイんだな。
しかも編集人の主観入りまくりのwikiを参考にってもうねw
オナニー討論したいだけなら戦国板でやりゃいいのにさ

7 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:15:06
信長最愛の恋人といわれた生駒も晩年寵愛したというお鍋も子供を3人産んでるけど
その後ばったり産まないのはなぜだい?

単純に信長と床をともにしなくなったということなんだと思うんだけど、
寵愛が深かったということと矛盾してないか?

子供を3人も多く産んだから、この二人への寵愛が深かったと
思われていただけ?だったりして。

8 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:21:10
>>6 Wikiに文句をいえば?ここでそんなこと書き込まれても迷惑なんだけど。


9 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:25:25
>>7 生駒やお鍋を信長が寵愛したって、何を根拠に言ってるの?
その認識もはや古杉
男子を産んで側室の仕事が終了したら、お床入りも終了しただけのこと。


10 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:43:34
>>8みたいな文盲レスが付くとはヤキがまわってきたか?

11 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:09:56
のっけからいやに荒れてるな。
いやならこなきゃいいのに。
結局みんな濃姫好きなんだね。

12 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 21:15:34
いやなら戦国板でやればいいのに。
結局濃姫好きの人たちって勝手なんだね。

13 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 21:41:51
そもそも類が信雄生母と断定はできてないはずだぞ。
武功は嘘だ、土田弥平次の後家でもない、
と生駒に関しては謎が多いままなのに、
類が生駒だとどうして断定できるんだ?
生駒と推測される女性が生駒家に偽装工作されている可能性があるな。

14 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:08:40
生駒マンセーの最近の傾向は、生駒は弥平次の後家ではないので、
信忠の生母になんの矛盾もないんだ、って言い張る。
生駒家の家系図で婚姻関係がはっきりしてるのに。
それでいて、信忠、信雄、五徳の生母である根拠が生駒家の
家系図に記されているから、なんだよ。
一級史料でないにしろ、書いてあるんだから無視できないだろうと
むきになってくる。
ずいぶんご都合主義だよな。

15 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:25:24
>>12
類と断定できないというのは、言い過ぎだと思うね。
類というのは生駒家に伝わっている名前だからだ。
しかし、武功夜話で吉乃が前面に出てきてしまったので、
類という名前が無視されているだけの話。
また、信雄生母と限らないというのは貫あげにくい。
生駒家で類と伝わる、生駒氏女は、なんで信雄が喪主をつとめたというんだ?
信長は、何故信雄を通して久昌寺に知行を与えてるんだ?
信忠に関しては、確かに当時の史料で関係を直接示唆するものはない。
だが、信雄の生母が生駒氏女だというのは、特に疑う必要はないと思う。

16 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:26:08
>>15
間違いです
>貫あげにくい×
考えにくい○

17 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:32:45
生駒マンセーも濃マンセーも傍から見れば同じレベルでご都合主義。
濃以外の話題は遠慮と言いながら指摘されれば信長に関することだから
何たらと都合よく信長を使うのだから人のことはまず言えないだろ。
マンセー同士の叩き合いがしたいなら他板へ逝け。
そして二度と史板にこんなスレ立てるな。

18 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:51:44
>>6
某信長好きサイトの知人数人と飲んだ時にこのスレのことが
話題になったが内容に関してみんな冷笑してたぞ。
正室も側室も懸命に生きて信長を支えたのだし、信忠の側近が
美濃関係者が多いというのは確かなことで、生母が誰だろうと
別に史実がひっくり返るわけでもないのになってね。



19 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:11:38
>>15 よくしらんが、その久昌寺の墓は確かに「類」のものなの?
つまり、後年「これはどうやら家系図によると信雄の母親の墓みたいで
該当するんはたぶん類さんの墓だから」とかなんとかで、類さんの
墓ということになっちゃっとか?
濃姫の墓もそんな感じじゃん。
消去法でこれは濃姫以外考えられない、ということでとりあえず
そうなってるけど、決定的なものってないのでしょ?

20 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:17:54
>>18 生駒家子孫にとっては命がけで守るべきことなんだろ。
生駒家にとって織田家嫡男の生母が生駒だというのが
唯一の自慢話だったんだから。
武功夜話が偽書なんだから、生駒が信長の最愛の女性、
なんていうのも作り話。
嫡男生母が最後の砦だもの。必死なわけだよ。


21 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:35:14
>>20
必死というが生駒家の末裔と直接会ったり話したりしたことあるのかよ。
塩川のところみたく堂々と言っているなら別だが。

22 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:40:43
>>18
リアルで2ちゃんのスレの話なんてしてるのかよ。
キモイ

23 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:50:08
濃姫の話しようぜ

24 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:55:37
>>18
濃姫好きだからといって、ほかの女性を馬鹿にしすぎだよね。
側室たちだって>懸命に生きて信長を支えたのだろうし、に同感。

信忠だって「母の出自が低いコンプ者」呼ばわりされたり気の毒だ。
彼は織田家の家督をついだ者として死んでいったのだし
閨閥事情がどうあれ、歴史が変わるわけもなし。

25 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:58:14
新スレ立つ頃には、必ずスレを立たせたくなさそうな人間が荒らしにくるのはなんとかならないものか

26 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:28:21
関連スレの多さを見てもわかる通り他にも議論できる場が
いくつもあるのに新たに個別スレを立てるからやられるということに
なんで気づかないのかと。
前スレの進行からしてお濃の話だけしたいからなんていう寝言は
もう完全に通用しないよ。

27 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:35:15
側室といえども、ここの一般庶民に可哀想がられるほど身分は低くはない。
変な哀れみをかける方が逆にバカにしてるように思える。

28 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:07:21
生駒の墓の横に柱がたってて、戒名と『吉乃の墓』と書いてある。
『吉乃の墓』とある時点で、断定材料は武功夜話だとわかるし、
そうなると墓の信憑性も怪しいなと思ってるよ。
生駒家に類という女性がいたのは事実だとしても、
はたしてその女性が信長の側室になったのか、どうかは
推測の域をでていないと思う。
側室になったのは生駒家のまったく別の女性だった可能性もある。
そもそもあの墓は後年建立されたものだしね。

それと信雄が喪主になったというけど、生駒が亡くなった当時は
まだ8歳。喪主をつとめたのは本当か?と疑問だった。
だいたい久昌寺って『久昌寺縁記』で「吉乃を失った信長殿は、
小牧山城の望楼に登り、はるか西方、小折新野葬地に向かい、
涙して佇む日が多かった」なんて伝えているところからして
怪しい寺。

29 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:12:41
>>28 吉乃、とあるということは久昌寺縁記って武功夜話が作られてから
付随して作られたものってこと?

30 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:24:28
>>29 あれ?しらなかったの?久昌寺縁記って偽書だよ。

31 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:10:25
生駒って織田家嫡男生母のわりには戒名も墓も粗末だよね。
秀忠生母のお愛の方は死後秀忠が「宝台院殿松誉貞樹大姉」と
謚名をしたり、埋葬されている寺も徳川が全面的に保護してる。
信雄の生母の墓でもあるのに、織田家に関するものが何もなく
生駒カラーのみというのも不思議なもんだ。

32 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:15:50
ちょっとスレから逸れるけど、
大河ドラマや著名小説の流行にともなって
実際の名でもないのに「○○の墓」と標識がたったり
ただの供養塔を墓と宣伝して観光地になったりする。
困りものだよね。


33 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:20:08
>>31 信雄自ら自分は信忠と同腹の生駒の子だ、としきりに強調していたわりには
生母に対して配慮がないね。

34 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:27:11
>>31
ごめん、一行目はそうだよなと同感もするけど
しぼんで衰退した織田家と、全国支配を遂げた将軍家の墓建立と
同じ次元で語れるものだろうか?

秀忠は時代の施政者将軍職であり、
その母として寛永年間に従一位を贈られたような宝台院の墓を
同じように考えるのはちょっとね。

35 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:53:16
>>34 いや一例として思い浮かんだのがお愛の方だったから。
同等までとはいえないけど、信雄の系統は現代まで続いているのに
初代の生母の墓が織田家のカラーがまったくないのも不思議だなと思って。
将軍ご生母なみとはいかないまでも、織田家の家紋のはいった
生駒だけ別格の墓かと思いきや、生駒家当主たちと横並びの普通の墓石って
ちょっとな?と思ったんだ。
信雄もほんの短い期間だけど100万石大名だった時期だって
あったわけだしさ。

36 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:12:11
濃姫の話をしようぜ

37 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:36:23
大大名だった頃は安土殿が側に居て
実の母の墓に手をつけるような状況じゃなかったんじゃない?
フロイスの本だと、信雄と信忠って、ごっちゃに育ってるみたいだったから
生駒女の死後、生駒女の子供達は濃姫が後見してたんだろうと思ってた。
まあ、実際に面倒を見るのは乳母だろうけど。
御料地があるはずなのに更に知行与えているし、以外に信雄と濃姫は親子らしい関係だったのかも?

前スレで、国中往還認可状が本物なら永禄3年9月に奥を下がっていると考えている人が居たけど
そんな早い時期から奥を下がって居たんだとしたら、生駒氏のこと、母親って実感はなかった
かもしれないね。
乳飲み子置いて奥を下がったとしたら、産後の肥立ちが悪くて一時帰郷のつもりが
病が癒えずそのまま奥を下がってしまったとかなのかな。
って、推論に推論を重ねるとどんどん事実から遠ざかっていきそうだけど。

墓に全く手を加えていないなら、あまりにも早い別離の為に、
お腹様としての敬意は払いつつも、親子の情のとなるとピンとこなかったというのも
ありえなくは無い気がするね。

38 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:09:24
その墓の主とは信雄はなんの面識もなかったからだよ。

もし本当なら総見院に墓を移してもよさそうなもんじゃないか?
信高とお鍋は親子仲良くいるぞ。
信忠・信雄・五徳の墓もあるんだから、生母の墓がいっしょでも
信雄の代になっていたら誰も文句をいうものもいなかったろうに。
お鍋の墓は明らかに後日移転したような墓じゃないか?
一人だけ墓石の系統が違うから。

39 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:19:01
「新説・生駒の謎…墓が語る400年後の真実」だな。

>>信雄と濃姫は親子らしい関係

でも信雄も生駒が去って、数年後には北畠家に養子にだされているから。
そこで嫁をもらってるし、濃姫と親子の情を結ぶほどの
時間も機会もなかったと思うよ。

40 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:40:41
信雄が北畠に行ったのは12、3歳ぐらいだっけ。
生駒が五徳を産んで間もなくに奥を下がって、その後濃姫が面倒を見ることになったんだとしたら
10年ほどは一緒にいたことになるから、そこそこ交流はあったかも。

41 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 11:12:10
実子にとっても生駒がその程度の存在だったとしたら
信長にとったらさらにそれ以下の存在価値の女性だったということになる。

類は弥平次と結婚し、後家になってから
出家して39歳で亡くなって葬られ、それがあの墓。
信雄の生母は武功の話とはまったく関係ない生駒家の女性で
信長の側室としてあがり、何らかの理由で
側室を下がることになったあとに誰かと再婚したので、
生駒家に墓がないのでは?

生駒家に伝わる家伝書の類でそのへんがごちゃごちゃになっている
可能性もあるんじゃないかな?

久昌寺縁記が信長に関することが捏造なんだから、寄進されたとか、
信雄が喪主だとかいう箇所も捏造ではないとは言い切れない。

42 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 11:47:51
諸悪の根源が武功夜話ということだな。
あの話にこじつけるために史実がゆがめられてしまったわけだ。


43 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 12:00:05
織田信雄分限帳の一番最初が「生駒式部少輔」だし、信雄と生駒の関係はあるんだろうがなぁ。
そういえば、分限帳には久昌寺の名前はないよな。
生駒の菩提寺だから、信雄が与える必要はないけど。

信雄(茶筅)が喪主だったって言うのは、久昌寺縁起に載ってるか?

44 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 12:55:36
久昌寺縁起には「吉乃」とか吉乃を「信長の室」と書いてあるんだよな。
武功夜話の柱骨になっている偽書の一つじゃないかね。
茶筅が喪主だったとかいう話は縁記の中ではなく、久昌寺の別史料
に載っていたと思ったが、縁記にも載っていたのかもしれん。

45 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 14:44:37
久昌寺の生駒の墓は後年配置換えされてああいう並びになった。
その際墓石も建立しなおしたということだ。
いくら信長側室だったとはいえ歴代当主の並びにあるというのは本来ありえない配置。
生駒を生駒家当主なみの配置にしちゃうあたりが久昌寺の計算高いところだな。

生駒を商業化しているのは生駒家ではないんだよ。
生駒家の子孫にしてみれば武功のような偽書のせいで
史実と異なる生駒像を語られるのも、先祖に対する侮辱さ。

46 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 16:02:15
久昌寺縁記って公に開示されてんの?
伊勢湾台風の時どっかの家の倉から見つかったとかっていうんじゃないだろうな?

47 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 17:05:20
久昌寺縁記って武功夜話の中でしかみないな。
久昌寺縁記では〜のように記されている、みたいな補足説明的なかんじで
武功の信憑性を高めるために作られた偽補足用史料?じゃないかい?

48 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 17:42:53
濃姫の話をしようぜ。

49 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:01:27
偽装と捏造でつくられた生駒像だったんだ・・・

こうなりゃ嫡男ご生母というのも本当に怪しい。

50 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:43:34
濃姫の話をしようぜ。

永禄元年6月に、信長が津島天王祭に連れて行った御簾中は正室の事だと思うんだが、
この時の祭りは、何か特別だったんだろうか?
記録に残ってるのは、この年だけだと思うんだが、何故この年だったんだろう?
丁度、信賢が叛旗を翻した時期だろ?

51 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:49:44
>>41 その説を全部を鵜呑みにはしないけど、
仮に類と生駒が違う人物だったら、信忠・信雄・五徳の生母であっても
なんの矛盾は生じないから、この3人の生母であったというのは
本当だったと思うんだよね。信雄だってすぐに露見するような嘘でたらめを
主張するわけもないよ。(別に生駒に特別思い入れはないけど)

生駒家の家系図って主要人物しか残されてなくて、女子が
ほとんど記されてない。類の妹あたりだったんじゃないか?

52 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:02:11
>>50 この時代で大名夫妻がともに祭りを楽しむことが珍しいことで
なければ単なるレジャーだったんだと思うけど。
異例のことなら、何かしら意味のあることだったのかもしれないな。
御簾中という表現は貴人の妻に対する呼称だから間違いなく
この時点では濃姫を指すと思う。同じ年に濃姫の依頼と思われる
道三の肖像画が常在寺にあるから。

御台やこの御簾中という呼称を側室にも用いたのだろうと
ここのスレでも主張している人がいるけど、このような
記録を作成している人物は当時ではかなり教養が高いはずなので
そんな適当な表記はしないよ。

53 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 20:25:54
なんか古文を思い出したな。
主語がないことが多く(特に源氏物語)、尊敬語、謙譲語で
相手が誰だか推測したり、状況を判断したりしなきゃならんかった。
天皇にしか用いない言い回しとかあったな。
後年まで残るような史料を書くような人物なら
確かに教養を疑われるようなあやふやな言葉づかいはしないだろうな。

54 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:29:16
なんで信孝の生母の身分が低いから兄弟の順序まで後にまわされたんだ?
生駒氏だって当時は全然たいしたことないじゃん。
嫡男と同じ母を持ったからというのはまったく関係ないような気がするんだが。
嫡男生母が信長死後も生きていて、実家とともに勢力を持っていたというなら
まだしもさ。

55 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:08:04
身分が低いからって言うのは、信雄側の文献からだから
単純に、信雄が清洲で生まれたので、生まれて数時間後には
織田家中で周知されてた。
そこに後から報告が来たから、三男でいいやってことになったんじゃ?

56 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:42:11
その時点では信孝の生母はどういうわけか清洲の城内にはいなかった、つまり
公に側室の披露もされてなかった、という意味で生駒より身分が低い、みたいな
感覚で思われていたかもしれないけど。
たぶんそういう立場で生まれた子供は扱いも低く、信雄が優先されちゃったん
だろうな。実子に名を連ねられただけでもラッキーだったかもよ。

57 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 09:49:43
清洲会議って目くそ鼻くそ会議だな。
しょせん身分の低い側室同士の子供が足の引っ張り合いで跡目争い。
生駒が嫡男を産んだと言い張っても、信雄は周囲の誰からも認められなかった。
自分が兄だと言っていた信孝も見方は勝家だけ。
正統な当主になったのは、信忠の名もしれん側女の産んだ怪しげな3才児。
事実上織田家を傀儡に実権をとったのは、さらに怪しげな百姓出身の男。
信忠の奥向きのことをしっかりせずに、正室も娶らなかった
信長の大失策。

58 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 11:30:23
生駒が正室だ、と信雄が生駒家の家系図を偽造してもまったく
意味がなかったんだな。みっともねぇな。

59 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 13:21:57
藤原紀香は平家の血を引くから挙式には12単を着ると
いうことだ。親が在日だというのは誰もが知ってるのに。
出自にコンプがあるやつほど自分の家系図や先祖を高貴なものに
飾りたがるもんさ。

60 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 16:38:46
生駒家は土豪あがりの馬借などの商家。
そこそこ財力はあっても武家としての格式は低い。
信雄も信孝もどっちもどっち。

まぁ信雄がアホだったために、信孝みたいに死に追いやられる
まではいかんかっただけのことだな。

61 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 16:42:06
>>50
津島天王祭は旧暦で6月14、15日に宵祭、朝祭りをしていたそうだ。
本能寺直後の天正十年の祭りでは、信長が乗る予定だった車を素車にして
お渡りってことにしたようだね。
永禄元年(弘治4年という記載みたい)も、信長は女房(漢文の方では「御簾中」)を
連れて行ってるから、年間行事として楽しんでたようだし、ある程度、行動予定の
中に入っていたのかもしれないね。
信賢が信長に敵対したのが5月、はっきり落ち着いたのが7月の浮野の戦後だった
はずだから、尾張国内が揺れている時だしね。

62 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 17:44:26
勝長(信房)が信忠の与力だから、優遇されていない、単なる信忠の家臣という
書き込みを、とあるとこで見たんだが、自分は勝長が信忠の与力というのは、
信長直属で、信忠の下につけられたという意味で受け取っていたんだが、
信忠直属で、誰かの下につけられていたのだろうか?
信忠直属であれば、確かに単なる信忠の家臣だが、信長直属で信忠の下であれば
単なる家臣ではないと思うのだが?

63 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 17:45:51
>>62
>単なる家臣ではないと思うのだが?
は、
単なる信忠の家臣ではないと思うのだが?
です。

64 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 18:07:52
>>63 単なる家臣とそでない家臣の違いがよくわからんが。
とりあえず、当時の与力の定義はこうだったらしい。

【戦国時代織田家では、自らは一国又は半国を領する大名であっても、
その地方を治める部隊長の加勢者として軍事的・政治的に指揮下に
入る者もそう(与力)呼ばれた】

信忠の支配下に置かれたことには変わりないと思うが。

65 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 18:18:15
>>62 勝長が織田家に戻り、元服した頃は、織田家はもはや敵なし状態。
信雄&信孝あたりが元服した頃に比べたら処遇が全然違っていて
当たり前だよ。だから嫡男以外の兄達に比べたら優遇されているように
感じるだけっしょ。

66 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 20:47:05
濃姫の話しようぜ。

67 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:18:02
小見の方が明智光継の姫なら、祖父は美濃守護だった土岐成頼だし、
土岐家とのつながりは義龍よりも小見の方の産んだ濃姫の実弟たちのほうが
強かったと思うが、なぜに美濃国の旧土岐派の連中は
それこそまぎれもなく土岐の血をひく弟達を手にかけた義龍を
支持したんだ?

それと濃姫は美濃国守護の土岐家の血を引く母に持っていたので、
濃姫の子が美濃国の国主になった場合、道三の譲り渡し状により
信長が治めるよりも、より正統性があり、そういう理由もあって
信長があっさり信忠に美濃国を譲ったのでは?とも考えている。
実権はどうせ信長が握っているのだから、美濃を安泰に治める
ことが先決だったのではないかな。

68 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:26:55
道三が強引に美濃を奪った事を嫌っていたので、旧土岐派は
義龍が土岐頼芸の胤であるかもしれない事を利用したんだな。
もし、本当に頼芸の胤なら、より正当性があるってこと。
道三も美濃支配の為に、義龍の実父が頼芸かもという説を
否定せず利用していたようだしね。
あと、実母の深芳野が一色氏の娘だから、足利の血を引くってことで
将軍家により近いという事もあったのかもね。

信忠の美濃支配に関しては、これまでに見ない説だが
ある種の説得力があるね。

69 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:52:41
>>67
道三の姫として濃姫を盾にしたのではなく、土岐の血を引く姫である
濃姫を盾にしたということだな。

確かに美濃には反斎藤分子も多かったろうし、元々の支配者である土岐家の
正統性をだしたほうが治めやすかったと思うけど。

>>68
義龍の実父がどうのこうのは、江戸時代に庶民の勧善懲悪志向のために
創作された、という説があるよ。
主君を裏切った報いが主君の胤である嫡男に抹殺された、としたかったみたい。

義龍と道三が仲違いしたのは、反信長派の義龍と信長友好派の道三の
意見の相違から、親子喧嘩から始まり、そこへ旧土岐派の反道三派が
義龍をたきつけ、さらに道三への不満分子たちが
集まって、あんなことになったんじゃないかな。

道山が義龍の廃嫡をもくろみ、正室の子を嫡男にすえようと
画策したということだから、そのへんもやはり側室の子ゆえの
義龍のあせりみたいなもんがあったかもな。
「范可」という署名からも、道三を実父だと認識した上で
手をかけたことを戒めているようにも思うんだけど。

70 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:46:48
一般的にこの時代の婚姻関係は、女性は嫁ぎ先に入り込むのではなく
実家に属したままの認識で嫁ぎ先で夫と共同生活を営む、という感覚だった
そうだ。固有財産も認められていたし、けっこう女性の権利が強く
守られていた時代でもある。
濃姫は織田家が美濃国を支配することは内心複雑な思いでいたと思うよ。
壷事件の時に思わずそんな不満な気持ちがでて、信長に逆らって
斉藤家の味方をしたのかな、なんて思った。

71 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:35:26
折角美濃を少ない労力で手に入れたのに、壷如きで旧勢力と衝突し泥沼の内戦にはまり込むのを
回避したかったっていうのもあると思うんだけども。
壷を取られて斉藤の面々がそのまま大人しくしているとは思えないし(その場のノリで自害するとか言っちゃった訳だし)。
激昂して前後が見えなくなってしまっていた信長の目を覚まさせただけだと思ってた。
でも、確かに実家に気持ちが有ったというのも充分あり得るよね。

72 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:04:21
政宗も愛姫もすごい紆余曲折あったよね。
愛姫の実家の田村家がらみで、夫婦が本当に険悪になっていたのも事実で、
そのために子供ができたのが遅かったし。
田村家を政宗が乗っ取ったみたいになっちゃったからな。
でも関係が修復したら40才過ぎても愛姫は子供を産んでる。
政宗の母親も実家の最上家がらみでいろいろやってた。
伊達家と最上家で戦がおきそうになった時に
中間地点の小屋に鎧姿でなぎなたもって座り込みをし、
戦を止めさせたなんていう逸話も残っている。
濃姫が実家の名誉のために信長に逆らった(かどうかは確かじゃないが)、
のは、結果的に両家の和解のためのポーズだったんだろうから
それも正室の仕事のうちなんだろうな。

73 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:57:19
信忠の生母が崇福寺に埋葬されているというのをなんかの文献で読んだ。
もちろん生駒ではない別人で、法名も違っていた。
崇福寺に生母の位牌所を信忠がもうけ、寺の税金を免除する判物を
だしたりもしているそうだ。
そのあたりの詳細を知っている人いたら教えてください。


74 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:30:03
崇福寺って元々道三の祈願所として信長が保護した寺で
信長と信忠の遺品を「なへ」が送って廟にしてる寺か。

「なへ」は本当に小倉なのかな?
小倉がなんで道三の祈願所に?という気はするな。

だが、信忠生母の墓所があるのなら、そのくらいはするか?

75 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:14:33
>>73 信忠生母の件はわからないけど、天正5年6月に信忠が崇福寺に関する
判持をだしているから、そのことかな?だとしたら天正5年に生母が亡くなった
ということになるな。

>>74 お鍋は天正10年12月にも丹羽長秀あてにも手紙をだしてる。
信長死後早々に位牌所を設けたり、信長の重臣とのこういうやりとりから
お鍋が正室格でいた、という推測が成り立ったんだろうけど、
淀殿ぐらい権力があれば別だけど、ただの側室の立場ではちょっと考えられないな。
信長の遺品は安土城から持ち出したものだろうけど、側室の立場でそんなこと
許されるのか?という疑問もある。
署名は「な屋」だったから、濃姫の本名は「な屋」だったんじゃないか?

76 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:38:37
当時の信長閨房の中で、発言力を擁していた側室でいいじゃん。

77 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 08:48:28
でも信長死後親族の誰よりも早く位牌所をもうけ信長の供養をした女性が
あっさり秀吉に取り込まれていったというのも不思議な話だ。
結果的に織田家を売るような真似をしたわけだろ?
親族中心の一周忌には出席せずに秀吉が取り仕切った一周忌の
ほうに出席して母子の保身に走っている。
墓などをみても明らかに織田一族とは一線を引かれているし
信長最愛の女性というにはちょっと浅はかすぎる気がする。

78 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:00:39
手紙の主が側室お鍋の方だとなったのは、濃姫が信長が亡くなった頃には
離縁されたか、死んだかで、正室として存在しなかったということが
信じられていたからだと思うよ。
「な屋」なら「なへ」「なべ」ではなく、「なや」という名の女性だったかもしれない。
お鍋の方であると決め付ける根拠は何もないよ。

崇福寺に信忠の生母の墓があったとしても、信忠の系統は断絶したし、
生母が生駒だということになっているので無縁仏となってしまっているだろうな。
過去帳を調べればわかると思うんだけど、そういう情報を寺が個人に教えてくれるのかな?

79 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 13:01:07
永姫も生母では謎がある。
前田家関連の史料「本藩歴譜」には生駒が生母と記されている。
鶴林寺には生母の位牌や墓といわれていたものもあったそうだ。
なので久昌寺の吉乃とはまったくの別人ということになる。
永姫生母が亡くなったされたのは1618年という記録もある。
それとここの過去スレにあったと思うんだけど、
前田利家、信長、信長室(濃姫もしくは永の生母)、信忠、の供養搭が
瑞龍寺にあるが、この搭は寺伝では慶長18年の建立なので、
濃姫が亡くなった翌年に建立されたのは間違いないだろう。

80 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 13:16:48
>>79だけど、搭の信長室は濃姫に間違いないだろうという意味

81 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 15:25:48
類の話がデタラメなら、墓石に書いてあることも鵜呑みにできない。
生駒は信雄と永姫の生母だったんじゃないか?
永姫は信雄の子供を養女にもらってるしな。

82 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 22:01:06
永姫と信房の母親が一緒なんじゃないか?
信雄のアホが改易になった後は勝良は前田家に仕えている。
永姫を頼ったんだろう。

83 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 22:20:39
>>75
「な屋」がなんで鍋の事になったんだろう?
織田信長総合事典には「なへ」という署名で載っているのだが。
「へ」と「屋」は間違える様な崩し文字でもないよなぁ。

84 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 10:31:08
>>83 手紙の原文は「な屋」だよ。
つい最近まで濃姫は道三死後離縁、その頃病死、という定説に従って
その後の正室は吉乃、吉乃亡き後はお鍋、という定説があったので
当主の弔いを誰より早くやるのは正室(と思われていた)お鍋だろうから、
「な屋」は「お鍋」だ、と勝手に解釈されていただけだと思う。
でも濃姫が信長死後も生きていたのは寺の過去帳からも明らかだから
この手紙や丹羽長秀にだした手紙も濃姫が書いたものではないかと思う。
織田家と縁があって、岐阜で中立を保てる近場の寺に
とりあえず弔いを願ったのだろう。

85 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 10:38:46
>>79 「本藩歴譜」は近世編集の史料なので、史実と異なることがあっても
仕方がないと思う。
信雄の生母とは別人の生駒家出身の女性が生母である可能性が考えられるけど
生駒家関連の史料にはそのようなことは書かれていないので
その可能性は薄いかな。
生駒が信長の後室であると信じられていたので、永姫の格を高めるために
意図的にそう記したとも考えられるけど。

86 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 10:45:13
>>84
なるほど、そう考えると一番自然だね。
書状は丹羽長秀にあれほど上からものを書いている理由が分からないと
思っていたのだが、「なへ」ではなく「な屋」で、
鍋ではなく濃姫なら自然な書き方だ。
「おや子のきちう(記帳)をさせ申候」
など、身内でないと書けないね。
単なる側室が、信長信忠親子をそんな風に書くとは思えない。

しかし、言継卿記は昔から一次史料として研究されていたはずなのに
どうして、永禄12年の壷事件の信長本妻は無視されてきたんだろうな?
あれを読めば、濃姫健在は分かると思うのだが。
そして、それ以降各文献に出てくる、御台、北の方、本妻の事が
濃姫の事と分かると思うのだが。

87 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 10:58:12
>>84
岐阜県史の資料編が「なへ」になってるから
鍋の手紙だと信じていたよ。

一度岐阜県史を編纂したところに、原文は「な屋」で間違いないのかと
濃姫が信長死後生存していたと昨今いわれるようになった事を考慮して
「な屋」が濃姫の本名である可能性はあるのか問い合わせてみてもいいかもな。

88 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 12:44:52
>>86
言継卿記を読んでも、
信長本妻=濃姫、と断定はできないからじゃないかな?


それと、上のほうで誰かが書いていたけど、
壺事件のいきさつで、
「信長本妻」が、信長に対して対等の影響力を持っていたとは解釈できないと思う。
自害すると言ったのは、「信長本妻の姉妹十六人」
騒動を仲裁したのは、前後の記述から推測して、「しうとめ」

信長本妻の立場は明瞭でない。
まあ、おそらく「しうとめ」とともに仲裁したのだろうと思うけど、推測の域を出ない。

89 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 13:00:32
言継卿記を読んでも斎藤氏の名前は出て来ないからね。
一色義龍で出てくるから、パッと流し読みしたら、斎藤家周辺の話とは思わない。

言継卿記の壷事件が注目され始めたのは、武功以降だから、
武功で吉乃が正室扱いになったというのが定説になってしまったあと。
それ以前から注目されていれば、誰も濃姫ではないとは疑わなかっただろう。
定説を覆すのは、学閥などが絡んで、難しい。
武功夜話は偽書で、まともな論文の引用にはされないが、未だに、側室関連は
武功夜話の記述にそった説で終始しているから、言継卿記の信長本妻を濃姫だと
認定するには、その武功夜話にそった信長の奥関連を、最初から潰さなくてはならなくなる。

90 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 17:03:01
武功が偽書であるということは現在の生駒家子孫ですら認定してるよw

>>88 影響力はともかく斎藤一族出身が信長本妻であったのは文面から確か。
義龍の後妻が斉藤家ではない他家の壷を所有するはずはないし、史料にある
斎藤氏は佐藤忠能のことなら彼は斉藤家の家臣だ。
それと濃姫が信長に嫁いだことも事実。
濃姫が亡くなった、離縁されたというのは、武功のために後年辻褄合わせに
推測されていただけ。
素直に濃姫が壷事件の時の本妻であったということでいいのでは?

ただ言継は直接関係者から聞いた話なので日記に書き記したけど
その他の史料にはないから、大騒動というものではなかったと思うよ。

91 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 17:16:50
>>90
信長本妻の兄弟女子16人が自害するといい、
国衆17人と女子の男を合わせて30数人が切腹すると言ってる訳で
合わせて50人近くの騒動であるけれど、他の史料にないから
本当に極々身内ですませた騒動なんだろうな。

佐藤は言継が岐阜に滞在中に佐藤入道とか、国衆佐藤紀伊守入道などの表現で
言継卿記に度々出てくるから、佐藤忠能の事でまず間違いない。

92 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:01:44
>>91 死ぬのなんのもダチョウ倶楽部の「訴えてやる」レベルの本気度だと思われ
ところで「しうとめ」のところに信長が訪れたのも含みがあったかも。
「しうとめ」が小見の方なら祖父は美濃守護だった土岐成頼。
道三後家であり、土岐の出身でもある小見の方を手厚く扱うことは
美濃統治にプラスになるだろうからさ。
城に呼ばずにわざわざ訪ねて行くあたりが心憎いな。

93 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:14:26
>>90

生駒家子孫も認定はしているが、史学界では未だに信長の奥関係は
武功にそう形だから、言継卿記の信長本妻を、史学界で濃姫だと
いう流れに持っていくには、今ある定説を覆して行く努力が
必要だろうと>>89で書いたつもりなんだ。

94 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:33:16
やらせ発掘の藤村氏と武功夜話がかぶるよ。
史実を歪曲することって犯罪じゃないけど、かなり悪質。
関連する史実の検証もややこしくなる。

95 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:42:49
>>92
>死ぬのなんのもダチョウ倶楽部の「訴えてやる」レベルの本気度だと思われ
実際そうだったんだろうな。
当の佐藤入道は前日にも前々日にも言継のところにフラフラ来てるし、
切羽詰まった状態だったら、そんな出歩いたりしないだろう。


96 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:00:02
>>95
俺もそう思うな。
勝手にイメージを膨らませて一族みんなが信長に詰め寄っていると思ってたけど、
実際は信長ぬきのところでそのぐらいの勢いで盛り上がっていただけかも。
意外とあっさりと騒動はおさまったのかもしれん。

ところで正月暇だったので例の「御台平産」の件を検証してみた。
信長は上洛後すぐに岐阜にもどっている。その後永禄12年1月5日に
三好3人衆が義昭の居所の本圀寺を襲撃したので、知らせを受けて
再度京都にむかったんだ。それからけっこう長く京都に滞在し
義昭のために二条城を普請したり、ルイス・フロイスと会見してる。

最初の上洛は上洛戦というくらいだから戦闘中でもあるのに臨月近い妊婦である
御台を連れていくというのはどう考えても不自然なんだよね。
でもその出産の話が事実なら御台と子供は岐阜に戻り、
御台は一度戻った信長と再度京都に随行したのではないかな?
10月に出産したから、2度目の上洛の時は心身ともに回復してるから
御台を慰安旅行がてら連れ出しても不思議じゃない。
今度は戦が目的ではなく、義昭警護と京都の治安維持がメインだから
御台を随行していてもなんら問題がないと思う。
永禄12年の2月29日の「公方様御台様〜」が信長御台であることはほぼ間違いないだ
ろうしね。
調べたところによると当時の大名の奥や側室達の楽しみは四季折々の者詣や
遊山、湯治、花見、茶会だったそうだ。思っていたより外にでてレジャーを
楽しんでいたようだし、なんといっても京都は女性の憧れの地であったらしい。
御台が夫の上洛に便乗して京見物をしたがったとしても不思議じゃないんだ。

97 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:47:37
>>96 
本当は信長が宿泊中に美濃から「御台平産」という知らせがとどいた、
だったりして。そのへんの事実関係がわからないのでいつのまにか御台も
宿泊していたことになったのかも。

めでたい出来事と、不慮の事件、仏の神秘、をMIXして大衆の
興味や関心を惹いて、信心をあおるために大げさに脚色して
いると思う。

でも超有名人の実名いりで捏造まではしないだろうから、その時に「御台平産」は
あったと思うんだけどね。

98 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:52:25
>>96
自分も、その事は考えたなぁ。
だが、上洛戦の時はゆっくり京に進軍してるんだが、
正月は3日で雪の中を駆け通して驚かせる程のスピードだったらしい。
戦の時に同道しているなら、無防備に供を付けて戻すより、
信長の本陣と一緒に行動する方が安全だと思う。
正月も、あとから呼び寄せたでもいいが、そっちの方が考えにくい気もする。
御台の寝所に近付かせないようにというのも、赤ん坊がいたからと考えた方が
自然じゃないかと思うのだが?
生後随分経って、岐阜に連れ帰ったから誰の子供か不明であったとする方が、
記録に残ってない辻褄は合う。
もちろん、信忠との兼ね合いで、生母を曖昧にしておいたと考えた場合だが。

99 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:05:50
>>98 >>御台の寝所に近付かせないようにというのも
これは三好の襲撃もあったように京の町にまだまだ不穏な空気があったために
お触れをだしただけじゃないか?「公方様御台様」となっているから。
最初の上洛で一緒に京都に行ったのなら、いったん信長だけが先に岐阜に帰ってしまったのが
疑問に残るんだよね。信長が再び京に来たのはあくまで三好衆の襲撃があって、
その後長居したのは二条城の普請を自ら指揮したからだし、三好の事件が
なければ京都にまた来なかったかもしれない。
信長が先陣で京に行き、今度は長く滞在するということで後から
御台が子供を乳母に預けてのんびり京都にのぼったかもよ?

どっちにしても、「近江國輿地志」と寺の記録、史実が一致する点が多いので
御台平産の話はけっこう信憑性がでてきたよね。

100 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:13:35
信長は襲撃の知らせを受けて通常3日かかる行程を2日で京都に到着したそうだ。
突然の知らせで右往左往して大急ぎで駆けつけたそうで、途中凍死するものまで
でたということだし、輿に乗った御台を連れては絶対無理だと思う。


101 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:15:01
>>99
>「近江國輿地志」と寺の記録、史実が一致する点が多い
そうか?
寺の記録に関しては、永禄11年の記録は「近江國輿地志略」に
書かれているもの以外は出てきていないと思ったが……。
寺の出火の記録の事か?
それとも安産柿の事か?

だが、永禄12年の、御台が京にいる事と合わせて考えると、
一概に合致しないとは確かに言えないんだよな。

個人的には道三の13回忌の年のうちに、御台が京の妙覚寺に
行きたかったという事で、永禄11年の9月同道説を押したいところだ。

102 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:16:10
>>93
学界にはサヨ系のキチガイが沢山いるから、そんなアホどもは相手にするな
ここは日本史板であって、小説板ではない
卑劣極まりない極悪書の事なんか、もう二度と持ち出すな!

103 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:30:35
成菩提院の記録では永禄11年8月7日、9月21日(この時御台出産か?)、
美濃へ帰る途中の10月27日に泊まって、その後150石の寺領を寄進したとある。
宿泊中に火事があったので寄進をしたとも思われるけど、安産を感謝して
寄進したともとれるな。

104 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:49:37
9/21と10/27は信長公記の記述とも一致するな

105 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 10:20:53
当時美濃から京都まで3日あればついたのか。
もっとかかるのかと思ってた。
8月7日にも信長が成菩提院に宿泊しているなら、この時に出産したのでは?
あるいはこの寺は常宿にしていたというからもっと以前に泊まった時のことかも
しれない。強引に上洛戦の時の宿泊とくっつけなくてもいいように思えてきた。
出産は出産で上洛戦とは関係なくあって、その後
永禄12年の2月頃信長が京都に長居するということで単独で濃姫が京都に来たのかも
しれないし。
「近江國輿地志」の御台出産の箇所に永禄11年ということは
書かれていなけど、翌年永禄12年の2月に「公方様御台様」の箇所から
濃姫が京都にいたから出産の時期は上洛戦の時だ、と推測しただけなんでしょ?

106 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 10:26:56
8月7日は浅井長政に会いに行った時だから京都は関係ないな

107 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 11:36:36
8月7日に長政に会った時の話は、浅井三代記に詳しいが
御台が一緒に行っていた記述はないな。
遠藤喜右衛門が暗殺しようとしたのを
浅井長政が止めたという話が載っている。
200人くらいの軍勢しか連れていなかったとか、
14〜15人程の小姓しか側に連れていなかったなど載っている。

108 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 11:49:11
濃姫と明智光秀がいとこだと最近知った。ほんとびっくり

109 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 12:03:19
>>105の説のように、永禄11年の上洛時にこだわらなければ
勝長以外でも濃姫の実子である可能性のある子供たちがでてくるんじゃないか?

>>108 従兄妹同士というのはかなり眉唾。
光秀の実父が誰だったかは謎のまま。
教養の高さから身分がそんなに低い出ではないだろうことぐらいしかわかってない。
未亡人になった生母が明智の男性と再婚した、という説もあるし出自は永遠に謎
のままだろうな。

110 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 12:11:20
そういえば、光秀が鉄砲の武器商人だったんじゃないかという説を
ヤフトピに書いてた人がいたな。
信長は鉄砲とその技術が必要だったので、
明智の出ではないのを分かっていて、
滅亡した妻の(生母の)実家である、名門の明智をそのまま名乗らせたのかも。

111 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 12:18:39
>>109
上洛戦にこだわらなければ、他の子供の可能性はあるだろうが、
成菩提院の場所からして、定宿にしたのは永禄11年の浅井長政面会後だと思うんだよな。
実際、信長が、それ以前にその近辺にのんびり泊まった記録がないからな。
また、他の記録に火事が永禄年間だったと出ていたはずなんで、
永禄は13年4月23日までだから、11〜13年までで可能性のあるのは
勝長と秀勝くらいか。
しかし、秀勝の生母は、書状が残っていて、とても正室のものではない。
姫ならば、他にも可能性はあると思うのだが、秀子くらいになるのか?
11年以前の永禄年間の生まれなら、冬姫という事も考えられるが、どうだろう?

112 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 12:33:54
冬姫ビンゴかもよ。
蒲生氏郷に嫁がせ、身内として信長も取り立てていたし、
冬姫夫妻が安土城と目と鼻の先にある日野城に住むようになったのは
偶然ではないかも。
信雄改易後は庇護されていた信長に母や妻子だちはそれぞれの
実家や母方実家を頼っていったようだけど、その間の濃姫の
所在がわからなかった。
でも冬姫を産んだのなら蒲生家の庇護を受け、その近くに居館が
あったのかもしれない。

113 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 12:42:56
>>95 この佐藤忠能は信長に寝返った報復で娘が斬首され晒されてんだよな。
その姫の怨念が例の幽霊団地騒動の元凶だったそうだが・・・

元主君の斎藤家の名誉のために腹を切るのなんのと
騒いでいる場合ではないぞな。

114 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 13:02:50
でも、佐藤忠能の養子に斎藤新五郎がはいっているから
斎藤家のためってことになるんじゃないの?

115 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 14:42:19
古戦場の怨霊とか、歴史出来事の怨念とか
霊障の原因としてもっともらしく聞えるらしいから
霊能者とやらにとって、歴史って便利な存在だよな。

116 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:19:34
あの幽霊団地の除霊の番組みてたが、こんなところにつながっていたとは
びっくり。そういえば、信長がどうたらこうたらという説明もあったが
まったく気にしないでみていた。
斎藤忠能の娘が父親のせいで殺され、晒し首になったというのは
本当のことだったの?

117 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:22:33
逸話の類いだから分からんが、
信長のすすめで、濃姫の弟を養子にしてるし
何らかの尽力なりがあって、優遇されたんだろ。

118 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 16:01:27
佐藤忠能は堂洞城攻めの時に嫡男の右衛門をなくしていて、
もし伝説が本当なら娘もそんな死に方をしてまで犠牲をはらって
織田家に降りたので、信長が斎藤新五郎を養子に斡旋したんだろうな。


119 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 16:33:19
おれは>>73がずっと気になっているんだけど。
もし本当なら信忠は信雄と同腹ではなくなるし、
そうなると生駒に間することがこれまで以上に
否定される流れになるな。
崇高寺に足を運べば教えてくれるのかな?
ついでにお鍋の署名の件もオリジナルが寺にあるのだから
「なへ」か「な屋」のどっちが正しいのか、ぐらいは教えてくれないかな?

120 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 17:50:05
自分も気になる。
原文が「なへ」ではなく「な屋」なら、鍋とは別人の可能性も出て来る。
鍋認定された時代は安土殿の事も知られていなくて、鍋が正室代わりとされていたので、「な」がつくなら鍋だろうと安直に判断されたんだろう。
安土殿の本名に近づいたかも知れないと思うと、少し興奮してしまった。

121 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 18:42:43
http://www.nobunaga-lab.com/labo/07_ibutu/07-03_iseki/byousyo/soufukuji.html

これを見る限り「な屋」と原文にあるようだが。

122 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:15:46
>>121
「な屋」なのに(なべ)になっちゃってるね。
これは鍋が書いた手紙であるという思い込みからなのかな。

123 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:19:51
「おなべ」の本名が「な屋」もしくは「なや」ということはないのか?

124 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:53:04
言継日記にはお鍋の方のことを「前右府妾御ナヘ」とあるので、
周囲からは「おなへ」もしくは「おなべ」と呼ばれていたことは確かだろうな。
でも当時の身分のある女性がある程度の年齢になれば本名で呼ばれることはなかった
と思うんだけど。

125 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:55:43
秀吉の鍋宛の書状など、全て「なへ」となっているから、鍋は「なへ」だろう

126 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:57:02
「小倉なへ」な

127 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:18:59
>>125 それなら崇福寺の手紙の主はお鍋のはずがない。
やはり濃姫なんじゃないか?
それならすっきりする。
「うへのいはいしゅ」(上の位牌所)と「上」に様をつけてないのも不思議だった。
信孝も天正10年12月に崇福寺あてに判物をだしていて
「上様御墓所たる上は」としているのに。
身内で信長に「様」をつけずにすまされるのは、親と正室だけじゃないかな。
それに信孝も崇福寺を信長の菩提寺と認めていたぐらいだから、
ある程度権威のある立場の女性が位牌所を設置しなければおかしい。
側室の立場のお鍋が信長の親族が誰もしていないのに早々に
崇福寺にあんな書状をだすのは疑問だった。
丹羽に宛てた手紙の内容も濃姫が書いたものならすべて合点がいく。

128 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:26:28
ごめん、このレスが不愉快な人はスルーして下さい。

単純な感想なんだけど、
濃姫以外の妾室たちの事跡をみな否定へと走っていないか?


129 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:33:14
今まで差出人はお鍋だと信じ込んで疑ったこともなかった。
あの手紙の差出人がお鍋だと認定された理由って何だったんだろう。

130 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:46:41
>>128 正室と側室とでは役割も立場も違うから現代人の感覚だと
結果的にそう思われてしまうだけのことだな。

>>129 濃姫が道三の死後離縁された、もしくは生駒があらわれるあたりで
死んだ、ということがまことしやかに信じられたからだと思う。
濃姫が信長死後も生きていたという前提だったら、あの手紙を書いたのは
信長の御台だった濃姫だという推測のもとに、濃姫の手紙、となっていたはず。
そんでもって、濃姫の本名はな屋だった、ということになっていただろう。

ただ道三死後離縁されていたと信じられていたのはそれなりに根拠があったと
思うんだよね。生駒のことは別として、当時の婚姻制度は政略結婚だったので
両家が対立したら離縁して妻が実家に返されるのが当たり前だったから。
義龍と対立したことで、濃姫は離縁されて然るべき、という認識から
そういうことになっていたのかもしれない。

131 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:54:04
>>128 妾室を否定しているのではなく、思い込みから生じた
誤った認識を正しているだけです。


132 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:57:22
なや姫か・・・
奇蝶姫のほうがよかったな・・・

でも、なや→なあ→のお→のう、と変換して「お濃」と呼ばれるようになったとか?

133 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 21:00:26
>>130
信長の奥関係がしっかり研究された事って、
武功以前ってなかったと思うんだよね。
美濃の譲り状について記した道三の遺言状にしても、
言継卿記の壷事件にしても、信雄の分限帳にしても、
話題になるようになったのって、ここ最近だ。
村井貞勝と光秀と朝日日乗が書いた、
例の御台の寝所に近づけさせるなという文書の
御台というのは、公方は御台を娶っていないはずだから、
信長の御台の事ではないか?と
いうのを20数年前に何かで読んだが
その時だって、濃姫とはされていなかった。
結局、斎藤家とは対立したという、単純な図式でのみ
濃姫の事が語られてきて、義龍は兄だが父親の敵という
特殊な関係は無視されてきたんだろうな。


134 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 21:16:13
>>133 >>斎藤家とは対立したという、単純な図式でのみ

厳密には濃姫の実家の斉藤家の道三チームとは同盟関係のままで、
義龍チームと対立したわけだからな。
しかし信長は道三のために援軍に行ったり、譲り渡状の存在もわかって
いながら、濃姫が離縁されたという説になんの疑問をもたない歴史家たちって
不思議だな。

135 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 22:19:54
自分の持っている桑田忠親の著作に
「信長側室おなべ自筆黒印状」が挿図(写真)で載っている。


136 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 22:23:48
>>135
うpよろ

137 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 22:28:45
>>135 署名はなへか?な屋か?

138 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 23:18:12
道三チームなんてねぇだろバカ。

139 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 10:49:07
>>134 
史料に濃姫には子がなく妾の産んだ子を養子にした、とあるのに早々に
死んだの離縁しただのといって、生駒が事実上の正室だったという説に
なんの矛盾も感じなかったのかな?というのも疑問だ。


140 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:27:33
>>127 6月6日の頃って信長の首も遺骸すらも見つかっておらず、諸侯の間では
「本当に信長は死んだのか?」と思われていた頃。
御台である濃姫が側近の話などから信長の死を確信し、位牌所を設置したことで
信長の死が公に認められた、とも解釈できる。
逆をいえば、側室の立場のお鍋が勝手に信長が死んだ、と認めるような行為は
できないだろう。政局を左右する問題でもある。
御台である濃姫が信長の死を認めたので、それに追随するように
信長乳母の養徳院やお市の方が法会を行ったんだろう。
信長の遺骸が見つかっていない以上、どこかで生きていた可能性もあったわけで
御台が亡くなったことを認めなければ大徳寺の葬礼だって行うことは難しかったろうさ。
葬礼の最中にひょっこり信長がぼろぼろの姿で現れたら面白かったろうな。

141 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 12:27:50
>>140 >>葬礼の最中にひょっこり信長がぼろぼろの姿で現れたら

秀吉が信長にぶった切られ、そのまま秀吉の葬式になったろうな。

142 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 12:45:48
でもさ、お鍋の方が信長の寵愛を受けていたというのは事実だよね?
3人も信長の子供を産んでるし。
他の側室で子供を二人以上産んだとされるのはとりあえず生駒だけだし、
この二人はやはり信長の寵愛を受けていたといってもいいんじゃないかな。
もちろん二人が正室格だったということには同意はしないけど。

生駒がいた頃は濃姫は20代でまだまだ現役だったけど、
お鍋がきた頃はさすがに褥の回数も減っただろうから、そのあたりも
お鍋が寵愛された理由かもしれないな、と想像してみた。

143 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 13:15:49
やはり、御湯殿の上の日記で
「信長にて焦がれたる」と見染められた
「あこゝ」が後年の寵愛が深かった気がする。

144 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 13:19:36
「あこゝ」ってどこの誰?

145 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 16:47:50
「あこゝ」は三条西身枝の娘
一次史料である「御湯殿の上の日記」の
天正九年三月六日のところに、信長が見初めて
側室にした様な事が書かれている。


146 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 16:50:10
三条西身枝× 三条西実枝〇

147 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 17:10:50
天正9年3月10日に信長は安土へ京都から下向してる。
この時西条の娘をお持ち帰りしたんだな。
でも三条西は織田信長の後援で大納言に任じられているから、
偶然姫を見初めたということは考えられず(公家の姫が顔出してふらふら
出歩くことはまずない)、出世の見返りに信長に娘を差し出したんだろ思うけどね。
この三条西女がもし信長の子供を産んだとしたら
徳大寺実久室あたりだと思う。生まれたのは信長の亡くなった前後あたりで、
時期的にぴったりだし、徳大寺は同じ藤原摂家系統の家柄だしな。

148 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 12:04:43
>>147
信長が亡くなったあとは、妻妾はそれぞれの実家に身を寄せたものも
いるだろうから実家に帰って、そこから徳大時家に嫁がせたのかもしれないな。
この婚姻にはなんの政治的な背景がないから、秀吉はなんにも絡んでなさそうだ。

お鍋の崇福寺への書状や丹羽へのあのような書状は不自然だもんな。

ただ濃姫が信長が亡くなった時に正室であったということが100%事実である、
という確証がなければ、濃姫ではない別人の後室が書いた書状であった、
ともとれないでもないな。その後室の名前が「な屋」だったとか?

お鍋のその後を見る限りお鍋が後室に格上げされていた、
なんていうことだけはないだろうな。

149 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 14:21:32
頼朝像だと思われてた肖像画だって、実は足利直義像かもしれないようだし
お鍋の書状だと思われてたものが、実は違う人が書いた書状って可能性もあるのかもね。

150 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 15:06:31
な屋さんが、土田御前だった可能性って無いのかな?
信長の妻妾と伝えられてるから、妻妾の中で論じる方が自然なんだろうけど
文面だけだったら、土田御前もありえるような気がするんだが。

信長公記などに見られる、本能寺の描写を考えると
な屋さんが濃姫で、信房が濃姫実子なら、信房がスルーされているのが謎

151 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 17:25:56
>>150 信房濃姫実子説は、永禄年の出産に限定し、なおかつ無事に成人した
という前提での話だから。
出産はしたけど夭折した可能性は当時の乳幼児の死亡率を考えたら50%以上ある
わけで、生まれたのは姫だったということだって当然ありえる。
信房の子が後継者候補にすらあがらず、御台の後見を受けることなく、
その子孫は前田家に仕えたというのだから、濃姫実子説はないと思ってる。
濃姫の後見があれば、勝良が三法師を押しのけるだけの支持は得られたと思うよ。
安土桃山あたりまでの武家では後家の権威は思いのほか強かったと
女性史関連の文献に書いてあったしな。

152 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 17:30:55
>>150 いわれてみれば土田御前でも可能性ありだと思う。
母親なら「上の位牌所」という書き方も納得。
どっちにしてもな屋がお鍋の方という線は絶対ないような気がする。

153 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:42:02
しかし丹羽長秀にあてた手紙はのんきすぎるんじゃないか?
天正12年12月は丹羽は信孝攻めのために陣取りしていた最中。
てんやわんやの時に「そのうち崇福寺にでもきてくれ」といわれても
返事に困ったろうにな。


154 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:20:00
お鍋(小倉)の書いた書状で「な屋」と著されたものは
他にもあるんだろうか?
自分が知っているものは「なへ」「ナヘ」なんだけど。

155 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 23:13:35
吉乃がらみだと濃姫よりもちょっとでも下におかれる書き込みがあると
アンチがはりついてくるけど、お鍋だといいわけか?
お鍋萌えっていないのかな。
同じ後家で信長の子供を複数もうけた
寵妾なのに、どこが違うんだ?

156 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 23:28:52
あのマムシの娘の美濃の姫より寵愛された、というあたりが萌えるのだろう。
それと嫡男の生母、というあたりで織田家にとってなくてはならない存在だと
勝手に思い込んでいるようだ。
お鍋の場合は競争相手がいないし、子供も話題性が乏しく興味がわかないんだろうな。

157 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 00:14:13
信長は生母に愛されずにいたが、生母と親戚の吉乃を愛して
人から愛される喜びを知ったから、
母性を感じさせる年上の後家好きになった。
だから、信長は吉乃のかわりに後家のお鍋を寵愛した
なんてことを、本気で言ってた人もいたから
お鍋は吉乃のスペア扱いってことなのかもね。
まぁ、歴史のHowToモノでも、そんな論調で書いてたりするから
アンチっていうか、本気でそうだと思い込んでる人もいるんだろ。

158 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 08:02:35
>>157
吉乃だって(プッ
大河ドラマ好きの馬鹿は大河ドラマ板へ行け!

159 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 08:39:19
アンチの心理を考察してるだけの人に対して
その突っ込みは、読解力の無さを
露呈してるだけで、無様だぞ。
あとsageを覚えてくれ。

160 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 10:07:36
生母に愛されないので年上の生駒に母性を感じて云々かんぬんて
まったく説得力ないよね。
大名の嫡男なんて物心つくまえに正室が産んだって親から引き離されて
養育されるのが慣習なんだから、大名は全員信長と同じ境遇で育ってるのに。
子供は戦略の駒であったから女性は愛玩具ではなく駒を産む道具、
と割り切って子作りに励んだから、生駒もお鍋もその中の一人に
過ぎなかったと思う。多少身体の相性が他の側室よりもよかったとかは
あったろうけどさ。
家光だって生母に疎まれて乳母育ちだけど、側室に母性系の
女性を選んでないぞ。お万の方は尼僧だったくらいだから中性的だったろうし。
お万の方みたいに、公家出身でしかも子供を産んで
ないのに大奥の支配者になり、親族も厚遇されているのは
家光のなみなみならぬ寵愛がなければ不可能なので家光最愛の女性
といえるとは思うけど、生駒やお鍋は子供の数だけが根拠のような気がするな。

161 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 11:24:07
正室のポストが空いたら側室の中で一番愛されれば正室の後釜になれると思ってるから
生駒後室、お鍋後室説が消えないんだな。
現代人の感覚で戦国時代の婚姻制度を語ろうというのがそもそもの間違いだな。



162 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 14:07:05
>>73 1571年元亀2年6月11日 
信忠が奇妙丸の頃に崇福寺へ「信長判形」により一切の諸役を免除する判物を
だしている。元服前の奇妙時代に判物をだしたのはなぜかと思っていたけど
生母の埋葬や位牌所の設置に伴なうものであったのかもしれない。
天正5年の判物はちょうど7回忌あたりの頃。
法要をしたことによる便宜だったか?

ここをロムってよかったよ。
思わぬ生駒とお鍋の新説にめぐり合えた。
それと濃姫の本名が「な屋」であるかもしれないという説もかなり
インパクトがあった。

163 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 14:56:02
>>153 丹羽長秀に宛てた手紙がどうして崇福寺に残ってんだ?

164 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 10:18:30
>>154 秀吉のお鍋への手紙の宛名も「小倉なへ」なんだって。
どう考えたって「な屋」と「なへ」は別人だと思うんだけど。

165 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 10:37:32
>>164

秀吉からお鍋に宛てての手紙の宛名は、列記すれば次のようになる。
天正11年8月朔日(1日)「小椋鍋殿」
天正12年11月10日「御なへの御かた」
天正19年10月21日「おくらとのへ」(同日同じ宛名で2通。別内容)

毛利輝元、宇喜多秀家、徳川家康の連名からの書状では
慶長4年12月朔日(1日)「小倉殿」

言経卿記
「前右府妾御なへ」

ただ、「へ」の変体仮名の「扁」の崩し文字は「屋」の崩し文字に似ているそうだ。

166 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 11:32:19
>>165 少なくとも「安土殿」と呼ばれていた事実はないわけだな。
信雄の分限帳の「安土殿」は信長正室ではなく、正室格となっていたお鍋であった
なんていうことをいっていた歴史家もいたからな。
への変体仮名の件を確かめるためにも元の書状をみたいが、
どこかにその書状の写真はないもんかな?

167 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 11:37:25
「へ」の変体仮名は「遍」「邊」「弊」「倍」。
ちなみに「や」は「夜」「耶」「屋」。

168 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 11:58:21
>>166
お鍋は天正11年から秀吉に知行を与えられているから
>>165の天正11年8月の書状の内容が、その知行について)
天正13〜14年の記録である、信雄の分限帳に載るとは思えないな。
安土殿とお鍋は別人だろう。
お鍋を安土殿と言っていたのは、分限帳の記載年代が知られていなかったからと
考えれば納得は行くが、既にその説が一人歩きしているきらいはあるな。

>>135が持っている本に載っている写真では、どのように見えるんだろう?
気になるな。
確かに>>167の書いている様に、「へ」は通常「遍」で「扁」はほとんど見た事がないな。
うちの変体仮名の辞典には「篇」は載っているが、「屋」の崩しとは明らかに違う。
だが「遍」の方は似ていると言ってみれば、言えなくはない様な気もしなくはない。

169 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 12:49:27
分限帳に載っている安土殿は信長正室は間違いない。
ただその正室が濃姫というので確定でいいのかな?


170 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 14:24:58
分限帳の安土殿は、他の女性の記載方法などから見て
安土城の「女主」であるというのは確定だと思う。
そして、それはお鍋ではない事も間違っていないと思う。
「女主」が誰かという事になると、濃姫と確定ではないが、
言継卿記の壷事件を精査すれば、斎藤家親族の女性が
正室であった事は間違いない。
斎藤家で、濃姫以外に信長の正室になった女性は知られていない。
馬場殿は、濃姫が生きているから、叔母姪の間で正室側室なんて駄目だから
信長にはやらんと言われているくらいだからな。
もっとも、信憑性の高い文献ではないので、馬場殿の存在自体「?」だが。

永禄11年の上洛以降、信長の動向は公家衆の日記や記録に出てくるが、
側室に上がった公家の娘の話みたいなのも出てくるのに、
正室が変わったとか亡くなったという記述はないから、
おそらく正室が変わっていないと考えるのが妥当。
そう考えると、壷事件は永禄12年だから、
「女主」が濃姫の可能性が高いとなる。

そんなところだろう。

武功夜話で吉乃が正室になったなどという、おかしな説が出てきたせいで
濃姫がその時点で死んでいたとされたのが、
それ以降の文献に出てくる御台が誰か分からないとされた一番の理由だし
吉乃死後、秀吉絡みで有名だったお鍋が正室代わりだったなんてことになったのだろう。

171 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 14:33:11
>>170 そうだよな。冷静に検証すればそれ以外の可能性はないよな。
ところで武功が広まる以前は濃姫はどういう扱いだったんだろう?
ゆるぎない正室の立場という認識だったのだろうか?

172 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:23:44
>>165 秀吉の鍋への手紙はひらがなで「なへ」なの?

173 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:36:36
>>171
そもそも、武功以前は、信長の御台の記録がある文献自体が知られていない。
武功で、側室が正室に取って代わるなんておかしいだろうと考えた人間が、
色々な文献から御台や本妻や北の方の記述を見つけてきたんだ。
あと、岡田正人氏が、養華院殿要津妙玄大姉を発見したのが大きかった。

174 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:48:56
>>173 サンクス。養華院殿要津妙玄大姉が信長御台とかかれていたのは
総見寺の過去帳だったよね?これはもう紛れもない事実だろうな。

175 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 16:07:26
実際、武功夜話で吉乃が正室になったとされる以前に、
信長御台と書かれている文献群が、広く知られていたら、
特に言継卿記の壷事件などが、有名であったら、
御台が誰か分からないなんて事にはならなかったんだろうか?
それでも、武功夜話で吉乃が正室になったって事になって、
濃姫と思われていたが、濃姫ではなかったとされていたんだろうか?
それとも、吉乃が正室代わりで、濃姫は別居させられていた
岐阜に信長が入ったら、吉乃も死んでるし、岐阜にいる斎藤一族達の
親戚の力で復権したみたいに言われてたとか?
そういえば、壷事件が知られ始めて、武功がまだ真実を書いていると
思われていた頃に、そんな説を言っていた人がいた様な……。
あれは誰だったかな?

自分としては、何故「武功夜話が真実を書いている」という事になったのか
という事の方が、興味があるんだけどね。
普通に史学部出身程度のリーマンである自分でも、読んだ瞬間に
「戦国期の常識も知らんのに、戦国期の文献を創作するなんてチャレンジャーだな」と
思ったものだがな。

176 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 16:13:34
「久昌寺縁起」なんてもっとたち悪くないか?
思いっきり「吉乃は」なんて書いてある。
この縁起をもとに武功が創作されたような気もするんだよな。

177 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 16:26:26
創作したと思われる最右翼は津田応助。
江南市周辺の郷土史家で、系図研究と制作をしていた人物。

178 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 17:51:39
系図研究してるんなら、生駒氏息女と土田弥平次を結びつけるのも簡単ってことか。
製作もしてるなら、その手の書式にも詳しいだろうし。
しかし、戦国期の奥の常識はなかったと・・・。

179 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 17:59:55
>>175
型破りな信長だから、奥の常識なんか守らなかったとでも思ったのかね?

家族に関しては、超保守的なのにな。
信康に嫁がせた徳姫以外、自分の実の娘は賭けに出る事なく、
安全な近しい人間の元に嫁がせているくらい、保守的なのに。
まして、潔癖だったと言われる信長が、奥の乱れに繋がる様な
奥の規律を乱す様な事をするわけないと思うがな。

吉乃を寵愛して、濃姫を遠ざけて別居なんかしてたら、
信長は寧々にあんな手紙を書けないだろう。
そのまま、わが身に降り掛かる批判の答えなんだからな。

180 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 18:31:21
>>系図研究と制作をしていた人物。

金もらって先祖が農民の家系に強引に祖先を源氏にくっつちゃう仕事みたいの
してたんだろうなw
生駒家の家系図が都合よくかかれている理由もわかった。
生駒が「信長室」と堂々と書いてあるのもうなずける。

181 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 21:20:03
>>160
旅行に行ってたので、亀なレスだけど。
前々から思ってたけど、時代の流れで世情も奥向きの体制も
また規模も違う徳川大奥を持ち出す人、ちょっと違うと思う。

>お万の方は尼僧だったから中性的
出家の身なので脂粉の匂いを感じさせなかったことはあろうけど、
大奥資料本での作家の推測をそのまんま使うのもどうかな。
戦国乱世とは事情も全く異なるのにさ。


182 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 22:26:57
>>172
「小椋鍋」の「鍋」は漢字。
「御なへの御かた」の「なへ」はひらがな。

「鍋」を「な屋」とは読まないから、
崇福寺の書状が「な屋」であった場合別人が書いた事になるだろうな。
「な屋」ではなく「な遍」や「な篇」だったりしたら、
鍋の可能性が高くなるって感じか。

直接崇福寺の住職にメールで聞いてみるかな?

183 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 10:01:50
お鍋の墓はお粗末だな。
信高が高家に取り立てられ出世したので、そのおかげで
生母として信高も埋葬された織田家の菩提にいれてもらったってかんじ。
どうみても、信高の亡くなった後か同時期にどっかの墓から移転されたんだろうな。
石が粗末なのは同じ敷地内なのであえて正室と差をつけたのか?

184 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 10:30:25
>>183
お鍋の墓は江戸期に子孫によって作られたというのを、
前スレか、他の濃姫スレで読んだ事があるのだが、
これは事実?
事実なら、総見院のお鍋の墓がある場所に、
お鍋の墓ができる前に、誰の墓があったのかが
気になるのだが。
土田御前か、もしくは濃姫が生んだ姫辺りじゃないかと
思っているんだが……。
土田御前の墓って、見つかっていないよな?

185 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 16:09:13
>>184
たしか土田御前の墓は三重県津市にあったはずです。
信包建立だったかな。

186 :185:2007/01/17(水) 16:19:06
自分でググって調べました。津市の四天王寺だそうです。
ついでに戒名は「報春院花屋寿永大禅尼」ということで、
上で「な屋=土田御前」説を出している方がいましたが、
可能性ありそうですね。

187 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 16:30:58
お鍋の方も諸説あるんだけど、こういう説もあるよ。
小倉左近大夫良親の息女で、本能寺の変後に実家の小倉に帰って親元にいたそうだ。
「近江輿地志略」「淡海温故録」参照。
ちなみに小倉賢治の室で切腹後どうのこうのは後年の創作話と考えた方がいい。
小倉家出身だったので、小倉なべ、と名乗っていたのだろう。

本能寺の変の時お鍋の長子である信高は大垣城主の氏家氏のもとで養育されていたこと、
安土城内の信長の親、妻妾、子供たちは蒲生家の保護のもと近くの日野城に
避難しているのに、お鍋が日野城に避難せずに実家にいたことから、
お鍋は安土城の奥で公認されていた側室ではなかったのではないかと考えられる。
坂氏同様に城内におかれず、安土城下もしくは、居館を与えられていたのではないだろうか。
ただ実家のある小倉は滋賀県で安土とは遠いので緊急時の避難先にはちょっとリスクが
高いので不自然さは残るが、とりあえず日野城に避難して落ち着いてから
実家に逃れたとすれば不思議はない。

お鍋は濃姫たちと行動を伴にした様子はなく、信雄に庇護されていた痕跡もない。
秀吉の取立てによってお鍋が表舞台にでてきた経緯から、
正室の息のかかっていないことから、信長の男子をもうけた側室を
秀吉が利用したのだろう。

お鍋が正室格といわれてきたのは崇福寺への書状が根拠だったんだ。
あたかも正室クラスのがだす命令書だし、家臣の丹羽にもあのような指令を出せる
立場なのは安土城内でも相当権力のある女性であるはず→お鍋は正室格、
となっていただけ。
もしお鍋の書状でないと判明したら、たんなる側室以外の何ものでも
なかったことになる。

188 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 16:38:25
>>185 そうだ、信雄改易後土田御前は信包の元に身を寄せたんだよな。
なので信包は土田御前腹だと言われているんだった。
信包を信長が厚遇していたのはそのためだったのかもな。
公記をみても常にbRの扱いだし。

189 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 17:20:24
>>185
ありがとう。
戒名からすると、「屋」が入っている事から、土田御前の可能性があるね。

濃姫と言われている戒名は「養華院殿要津妙玄大姉」か。
奇妙丸の「妙」が入っているなぁ。
帰蝶は奇蝶とも言われるし、組み合わせると「奇妙」
偶然だろうが、縁を感じる。
単なる呟きなんで、スルーして下さい。

190 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 17:50:47
>>189
確かに「屋」が入っているが、「や」の崩し文字と考えると、
「屋」が本当に本名に使われたかどうかは不明。
また、戦国期にはまだ、名前の字をとって法名をつける事が今程
普通の事とはなっていない。
信長の子供達も、「巌」という字は織田家の法名の決まりだったから
入っているが、名前の一字は入っていない。
(信房=勝長には巌も入っていないが)
入っているのは永姫くらいだと思われる。


191 :190:2007/01/17(水) 18:04:14
あ、でも、「な屋」が土田御前ではないと否定している訳ではないよ。
あの書状なら、正室か土田御前のいずれかが可能性が高いからね。

あと、土田御前の法名だが、通常戒名部分に名前の一字は使われる。
土田御前の場合、「屋」が使われているのは道号部分だから、
そこもちょっと疑問だと思う。

192 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 23:01:32
崇福寺への書状の写真、以下の本に写真が載ってました。
本屋で立ち読みしましたが私には崩し文字読めませんので判別無理でした。
どなたかよろしくお願いします。

ttp://www.amazon.co.jp/考証-織田信長事典-西ヶ谷-恭弘/dp/4490105509/sr=1-1/qid=1169042051/ref=sr_1_1/249-8557062-1915567?ie=UTF8&s=books

ttp://www.amazon.co.jp/桃山時代の女性-桑田-忠親/dp/464206642X/sr=1-1/qid=1169042128/ref=sr_1_1/249-8557062-1915567?ie=UTF8&s=books

193 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 00:14:09
織田信長事典ならお鍋の辺りのコピーもってたなと思って、
資料を引っ張り出して来て見てるんだが……。

小さい写真で、コピーだから黒ずんでいるのと、
おまけに下半分が上下逆さまになっていて見えにくい。
それに、黒印とかぶっているのでよく分からん。

「遍」の崩しにも見えるし、「屋」の崩しにも見える。

ttp://www.imgup.org/iup317071.jpg.html
パス:nou

194 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 00:50:34
>>193
黒印の直前のくるんとした文字だよな?
あれ、「な」の崩し文字じゃないか?
「奈」の崩し文字があんな感じだ。

天正拾年六月六日 奈(の崩し文字)(黒印)
という風に見える。
戦国期の女性は、名前の頭一文字で署名をすませる場合も多々あったから
「奈」一文字でもおかしくはない。

195 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 01:30:32
「桃山時代の女性」を所持しているけれど
黒印にかぶっててよくわかりません。

196 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 08:14:02
>>193
見えている該当の文字だが、「遍」の崩しにしては
最初、一回止めてから左下へ線が延びているので
少し違う気がする。
「屋」という気もするが、違うという気もする。
「奈」の崩し文字としても、一回止めている部分が気になる。
が、署名の一文字目である事も間違いなさそうだ。
「遍」であろうが「屋」であろうが、一文字目に来る場合
鍋の訳はないので、「奈」の崩し文字で、黒印部分に
「へ」と分かる字がくるんだろか?
拡大して見ている限りでは、定かではないな。

197 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 08:16:23
「六日」を「な」と読み間違えて、
該当の字を二文字目としたのかな?

198 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 11:03:04
手元の本に>>193と同じ消息の写真があったのでよくよくみてみた。
「奈」の崩し文字と「六日」が似てるので、なんの疑問も持たずに
ずっと「奈遍」と書いてあるのかと思ってたよ。
でもよくみると六月六日で墨が薄くなっていて、次の字を書くときに一度墨を
付け直したため、問題の字は前の字よりも濃い。
なので上の字とは一度間隔をおいていることから、上の文字とつながってはいないな。
それと正方形の印の下にはもう一文字あるようにはみえないけど、
問題の字の一部がかぶっていると思う。
可能性としては非常に簡素な変換仮名なら問題の字の下に書かれているかも
しれない。(「い」とか「こ」とか)印にかくれて見えなくなっているかもしれないな。
オリジナルの消息文をみればそのあたりはわかるはず。

この問題の文字は「な」の変体仮名でメジャーなあたりの「奈、那、難、名、南」
はどれもちがう。
ぱっと見一番近いのは「遍」あるいは「豪」かなとも思ったけど、
いかんせん変体させている上に、字には個人の癖もでるし、勝手に簡略化してる
可能性もあるので判読は難しいな。

「な」ではないことは確かなので、なべが書いたものではないのでは?
名前の最初の一文字を手紙などで署名することはあっても、あとの一文字は
ないよ。

専門家に鑑定しなおしてもらいたいな。

199 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 11:44:57
おぉ!
すごい検証がされてるんだね。
お鍋ではない、としたら濃姫なのか土田御前のどっちか、あるいは
それ以外の信長に関わる女性なのかが気になるな。
もしお鍋が一緒に日野城に逃れたとしたら正室を差し置いてそんな
命令書をだしたり、勝手に位牌所を設置したことが解せなかった。
お鍋が正室と行動をともにしていないなら、今度は安土城内にいなかった
ことになって、お鍋が信長の寵愛を受けていた、ということと矛盾が生じる。
でもこの書状をお鍋が書いたものでないならそのへんの疑問が解消されるよ。
一文字だけの解読だけなんだから、この消息の検証は簡単といえば
簡単なことなんだけど……

200 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 11:46:24
これ、正室以外の女性の排斥運動?

201 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 12:02:47
単純に、鍋の書状とされている書状の署名の鑑定。

202 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 12:02:49
>>200信長公御正室濃姫さまのスレだから当然じゃんw
子産みマシンの側室が立場をわきまえるスレでもあるww

203 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 12:15:45
200はごもっとも。
201は感じ悪。
こんな時間にあっという間に反応あるのが愉快。

204 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 12:40:15
>>203

鍋の書状とされている書状の、署名鑑定以外の何なんだ?
そんなに感じ悪かったか?

205 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 13:31:36
>>198
自分には「間」の崩し文字に似ているように見えた。
門構えが、上の一旦止めているのと合致する気がしたんだが。

206 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 13:37:57
崩し字が読めないので鑑定には加われないが、六月六日の部分の墨が薄いことだけはわかる。

207 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 13:51:19
>>205

確かに、上で一旦止めているのが門構えの特徴に似てるな。
「遍」も「屋」もまず止めないからな。
そうすると「間」は「ま」の崩し文字だな。

208 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:01:03
一応↓を参考にしてみたんだけど
ttp://www.nisk.jp/shodokisochishiki/soushonohayaoboeho.html
ttp://www.nisk.jp/shodokisochishiki/soushonohayaoboeho.html

結局よくわからず。さらによく署名の部分をみたんだけど、
印のふちのところの上辺に2点墨が丸くなって
ふちとくっついているのがわかる。
汚れにしては鮮明なので、謎の文字の一部じゃないかと思った。
そうなると、しんにょう・えんにょうの線かなとも思えてみたり。
もしくは下につく偏かな?(こころ・れっかなど)

ちょっと調べたんだけど、今でもそうらしいだけど正式な文書に印を押すときは
最後の文字にちょっとかぶるように押すそうだ。
後から書き加えられないようにするためみたい。
そう考えると謎文字の下にはもう文字がないと思うので署名は一文字だと思う。

209 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:02:58
鑑定よろ!お金?
http://bbsp.net/?f=26F3D3D2

210 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:03:38
ごめん、二つ目は↓を参考にした
ttp://www10.plala.or.jp/koin/koinhentaigana.html

211 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:13:11
「間」なら「おまあ様」あたりかね?


212 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:22:38
なんだか、段々混乱してきたぞ。
ちょっと整理してみるか。
・「六日」の崩し文字が「な」に見えることから「天正拾年六月な〜」とされてきたか?
・問題の字と「六日」の間には一文字分空間があり、墨も付けなおしている事から
 署名の一文字目と考えられる。
・黒印にかぶっている部分は問題の字の一部か?
・だとすれば、れっか、したごころ、にょうなどか?
・問題の字は、上が「つ」のように一旦止まっている事から門構えの可能性あり。
・現状候補として上がっているのは「遍」「屋」「豪」「間」

ところで、黒印というのは個人の物なのか?
鍋個人の黒印なんだろうか?
それともこの書状にしか出て来ない黒印なのか?

213 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:24:50
>>204
間違い。
ごもっともは201で、
感じ悪は202でした。
>201さん、ごめんなさい。

>>208
現代でも署名のはじにかかるように捺印したりしますが。

214 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:31:04
>>213 とりあえず>>208には>>今でもそうらしいだけど
とあるので、そんなの承知の上と思われw

215 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:32:12
つうか、>>213のほうがよほど感じ悪いんですけど。
いちゃもんつけに来てるの?

216 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:38:20
これって寺にお鍋の書状として伝わってたのかな?

217 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:41:32
意外と、元々は信長正室書状って伝わってたりしてな。
正室代わりだったのは鍋って言うのが常識だった時代もあるし、
「六日」の崩し文字見て、
「お! 「な」だ!! 信長正室なら鍋が正室代わりで安土城にいたはずだから鍋の書状だな!!」
なんてことになったのかも知れん。

218 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 15:32:05
>>217 消息文が発見されたのがいつの時期かで違ってくると思う。
濃姫死亡説・離縁説が通説となってから発見されれば、晩年の寵妾だった誰かのもの、
署名にそれらしい文字もあるのでお鍋だろう、となったのかもしれない。
でも濃姫死亡説などなければ署名をしっかり検証したろうから、
今我々が論議することもなく専門家に解読されそれが濃姫の本名という
ことになっていただろうな。

内容から側室がだしたものであるとは考えられないけど、濃姫の命を受けて
お鍋がだしたんだろうと推測していた歴史家もいた。
署名を自分の目で検証せずにお鍋が書いた、と先入観を持ってしまうと
そういう無理矢理なこじつけ論になってしまうんだな。

219 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 18:46:11
女性書簡の研究は進んでいないからね。

220 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:20:53
秀吉は豪姫にあてた手紙で「五もし(五もじ)」と書いているけど、
これが豪姫の本名だったということ?
そうだとしたら「豪」という名は何なの?


221 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:33:02
濃姫の濃みたいな呼び名からの当て字かな?
または、豪が本名で、それに「五」を当て、
女性の使う接尾語である「もし(もじ)」を付け加えたかな?
「もじ」は付けた言葉を美しく言いたい時につけるから、
豪の事を美しく品よくしたってことじゃない?

222 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:49:55
222

223 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:52:38
>>220
そのまんま「五」が名前で「いつ(姫)」とでも呼んでたかもしれないよ。
一文字名は珍しくない。
ねねだって本当は「ね」だけ。
漢字に関しては後年の当て字だから、史料によって
何パターンもあったりするだけだから、「五」→「豪」と
勝手に変えられたという可能性のほうが高い。

224 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:56:02
なんだ「もじ」は接尾語だったんだ。
勉強になりやんした。

225 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 20:23:41
>>223
寧々の名前が一文字の「ね」というのは、
それこそ書状の署名に「ね」と一文字だけの物を見た
桑田忠親が、「ね」一文字だと言い始めた説だから
一文字じゃないと思うよ。
桑田忠親は、書状の署名に頭一文字だけ書くのを知らなかったのだろうか?

wikiだけど、自分の知ってる話とほぼ同じ話が載ってるので読んでみて。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%B0%E9%99%A2

226 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:29:21
>>225のWikiを読んだら、

>>徳川秀忠の正室崇源院(名はごう)が姉の常高院に宛てた消息でも
「五」と自署している。

とあるので、豪姫の本名は「ごう」であることは間違いなさそうだ。

ということは、お鍋は「なべ」と本名がわれているので、
解読不明の文字が「な」であるならお鍋の可能性が大なんだな。
「な」以外の文字なら濃姫の可能性大だが、フルネームは
そこからは推測不可能ということになるわけだ。

お鍋か否かが判明するだけでもかなりの発見だけど。

227 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:38:34
>>223
>ねねだって本当は「ね」だけ。
その件に関しては、225も言っているとおり
桑田忠親の推論が必ずしも正しくないということが
わりと普及しているだけどな。

>後年の当て字
いや、色んな例があるけど、
みな自分の名でさえ平気であて字を使ったりしているぞ。

228 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:49:24
NHKの歴史番組担当者は、桑田忠親と角田文衛の論争を知らないんだろうな。
で、どこかで「ね」一文字の手紙を見て、桑田と同じ恥をさらしている。(笑

229 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:07:07
署名の文字は通説の「きちょう」の「奇」や「帰」でもなさそうだな。
その他濃姫本名は「ききょう」「こちょう」説があったけど、どうだろう?

230 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:25:07
帰蝶の「帰」の崩し文字に似てる。
東大の史料編纂所のデータベースにある電子崩し字字典に
「帰」の崩し文字で似ている字があった。
だが、「遍」にも似ている字がある。

ttp://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller

231 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:30:56
六月六日のあとの字は、少なくとも「な」には見えないよね。

232 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:00:44
>>230 これは実例つきでいろんなくずし文字も確認できて便利だ、サンクス。
文字の下のほうが「廉」のくずし文字に似てる。
下方に横線が入っているので、刻印にかぶっているあたりもOK。
でも上方が違うんだよな。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller


233 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:28:41
>>232
上の点が繋がったとしたら、門構えかもと思う「つ」の様な形になるかも?

234 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:29:44
「帰」は全然似てないかと思ったけど、>>230ので調べると確かに似た感じの字があるね。

235 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:09:49
これを「なへ」もしくは「な屋」と読むのって
上の小さい部分を「な」だと解釈してるってことか。

236 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 08:41:35
物置から浅野内匠頭の史料=江戸時代の数千点見つかる−兵庫
(時事通信社 - 01月18日 23:10)
忠臣蔵で知られる浅野内匠頭に関する古文書など数千点が
兵庫県相生市の民家の物置から見つかり、寄贈された同県たつの
市立龍野歴史文化資料館が18日、一部を公開した。
同資料館などは「赤穂浅野家は断絶したので、史料は極めて少なかった。
江戸幕府の職制を研究する上でも貴重だ」としている。
見つかったのは、相生市の旧庄屋の当主三木尚子さん宅。
初代長重から4代目の長矩(浅野内匠頭)までの本家赤穂浅野家と、
分家の若狭野浅野家の史料が物置に眠っていた。

濃姫に関する史料もこれから発見される可能性もある。
期待しよう!

237 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 10:20:12
>>232「廉」に似てるなら「簾」じゃないか?
「御簾中」は正室の意味だから、信長正室ということで「簾」
を用いていたとか?


238 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 11:12:09
>>235 この一塊で一文字だから、「なへ」ということ自体ありえない。
「な」は「奈」の変体だと間延びしたひらがなの「ふ」に似ていて、
「六日」と書かれているところと似てるんだ。
そのあたりから「なへ」(下の変体文字を「遍」とでも読んだのかも)と
解釈されていたのかもしれない。
でも一番可能性が高いのは、寺伝の「この2通はお鍋の方の手紙」という話を
のを信じ、そういう先入観でみていたから署名のことなんてさほど
気にせずに歴史家がそれを前提に容認してきたからだと思う。
実際問題「手紙を誰が書いた」なんてどうでもよく
「いち早く崇福寺で信長の位牌所の設置がされた、信長公縁の寺である」
という事実の証明さえできれば寺側はよかったんだろうな。

>>237 「御簾中」という言葉は公家以外でも武家の正室にもすでに使用されて
いた時代だから、ありえなくはないかな。本当に「簾」だったらだけど。
秀吉も豪にあてた手紙では「大かう」と書いていたし、名前以外を署名に用いる
ことはあっただろう。

239 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 12:45:49
淀殿の署名はどうなってるんだろう?
茶々?茶?
それとも最初の一文字をとって知?とでも?

240 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 19:32:06
今回崇福寺文書を調べていて、>>73の書いていると思われる、
信忠の判物を見つけたんだけど。
天正5年6月に出している。
生母かどうか分からないけど、「當寺爲久庵慶珠位牌所者」という一分がある。
「久庵桂昌」の当て字で「久庵慶珠」って書いてるんじゃないのか?
ただ、自分は法名の当て字なんか見たの初めてなんだが、
当て字を使う事あるのか?
それに、崇福寺が生駒類の位牌所になってたという記録って
見た事ないんだが。
それとも、似た法名だから、生母が一緒ってことになったとか?
同じ側室で、こんな似た法名になんかするかな?
信雄とは別の、生駒家の女性の可能性があるとか?

241 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 19:53:03
「久庵桂昌」と「久庵慶珠」って似てるな。
確かにこのあたりで信忠生駒生母説がでたのかもな。

ただ信忠の生母とは書いてないんでしょ?
織田家に縁のある女性の位牌所をもうけたのかもしれないな。

生駒は織田家に縁のある寺に葬られたのではなく生駒家の菩提寺に
埋葬されてる。この「久庵慶珠」は織田家の息のかかった寺に埋葬され、
織田家の新当主から寺に免税などを認めているあたり、久昌寺に埋葬されている
女性は織田家とは係わり合いが薄く、むしろこの慶珠のほうがそれこそ
信忠、信雄、五徳の生母(同腹説が事実なら)かもしれない、と思えるけど。
武功夜話に登場する吉乃の話がでたらめで、モデルになった類のことも確かな
ことはわからず、後家になった話も嘘だというなら、そういうことになるのでは?

久昌寺のいってることは「久昌寺縁起」を創作しちまったことで
まったく信用できない。

242 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:57:36
どっちの法名にしても信忠の生母でもある信長側室にしては
お粗末だな。生前出家した戒名のようだけど、せめて
諡号でもっと立派な戒名をつけたりしないのか?

243 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:58:41
可能性としては二つあると思うんだ。
一つは、「久庵慶珠」という法名の女性が信忠の本当の生母で、
元亀2年に亡くなって、それで元服前の奇妙のまま、
崇福寺に制札を出し、七回忌の法要で、また制札を出した。
これは、信雄が茶筅のまま生駒類の喪主をつとめたのと合致するやり方。
嫡男の生母の弔いとしては、格式として矛盾がない。

もう一つは、生駒類が亡くなって葬られた時は、まだ美濃は攻略出来てなかったから、
生駒家の菩提寺である久昌寺に葬られたが、美濃攻略後、元亀2年に、
織田家の方では、奇妙の生母の位牌所を崇福寺に新たに設け、
生駒家の方での位牌所はそのままにしていた。
新たに崇福寺に位牌所を作った時に、法名の道号部分を久庵のままで、
戒名部分を慶珠に変更したという仮説。
ただ、美濃攻略して、崇福寺が織田家の菩提寺になったのは永禄10年9月の
信長が禁制判物を出している時だと考えられるから、
なんで元亀2年までそうしなかったのか、
そして、天正5年の判物の意味は?という疑問が出てくる。

印象としては、上の説の方が納得出来るんだが、
あまりに法名が似過ぎているから下の説も捨てきれない。

244 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 08:33:31
なんかますます生駒が信忠を産んだとする説に無理が生じてきたな。
信雄が生駒の喪主をつとめたのに、生駒の位牌所設置を信忠がやったというのは
不自然だ。それに信忠は濃姫の養子になったので生母とは一線を引いていた、
という従来の説に矛盾がでてくる。
やはり信忠と信雄の生母が異なっていた、ということなんだな。
二人とも現役の側室のままなくなったのではなく、いったん下がってから
仏門に入っていたようなので、二人とも未亡人だったのは事実かもしれない。
境遇も戒名も似ていたので、同腹説が信じられてきたとも考えられる。

245 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 10:24:57
これで信忠と信雄の同腹説が完全に消えたな。
依然信忠生母が誰だったのかという謎は残るが。

246 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 11:12:58
信忠の生母は信忠が濃姫の養子になった時点で奥から遠ざけられたのかもな。
信長も寺ごとに異なる戒名だし、「久庵桂昌」と「久庵慶珠」が同一人物で
あってもおかしくはないんだけど、その場合まったく違う戒名をつけるだろうからな。
粗末な戒名はちょっと解せないけど、正室も生存していたし、立場上
立派な戒名をつけることをはばかったのかもしれない。

247 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:22:44
ヤフトピから拾ってきた、崇福寺文書。

勝手に張るとまずいかな?
でも、うpしてるヤフトピの人、ここの住人みたいだから、許してな。

ttp://photos.yahoo.co.jp/take04429

248 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:48:27
ttp://photos.yahoo.co.jp/ph/take04429/vwp?.dir=/5615&.src=ph&.dnm=ac27.jpg&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/ph/take04429/lst%3f%26.dir=/5615%26.src=ph%26.view=t

「署名部分だけ」というところをみると、やはり刻印上部のふちに
文字の下の部分がかぶってる。字の下部に左右にのびた線が入っているようなので、
強いていえば「廉」が一番にているか?
刻印の字は漢字一文字なのかな?こっちの判読も誰かお願い。

249 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:18:08
>>248 
よっくみたけど、刻印の文字は署名の変体文字と同一の文字じゃないか?
下の方に横線がある。


250 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:21:10
自分は「簾」を縦長に崩した場合が一番似ていると思う。
「廉」だと、点を繋げた場合、「つ」みたいになる部分が一つ多くなる。

251 :250:2007/01/20(土) 21:23:44
あ、多くはならないのか、点を繋げると「廉」と似るかも。
勘違い、スマソ

252 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:31:57
「廉」なら読み方は「レン」「かど」「やす」「い」。
濃姫は「きちょう」ではなく「いちょう」だったとか?

253 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:17:29
>>252 「やす」か「れん」が本名でそのまんま署名したのでは?
全員がいつでも一文字署名をしていたというわけではないからさ。
変体仮名が「廉」だったらの話だけど。

254 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:44:29
とりあえずおまいら論文発表でもしろ


255 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:18:35
>>254
だよね。
ここのみならず戦国板然りヤフーの方でも同じようなことを
よく見かける最近の状況には正直萎える。
信忠生母は濃姫という話題や生駒以外の信忠生母に関するは話題なんて
2ちゃんで火がついたた話なのにさも昔からあった逸話とまで書いて
あってちょっとね・・・。

256 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:23:12
自分は濃姫好きだし、そりゃ濃姫が大切にされてた(かも)とか
子供生んでた(かも)という説があるならそれはそれで嬉しいけど
最近の流れはなんか怖いと感じるんだけど・・・。

257 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:49:29
妄想と願望が入り混じった意見など色々あって、2ちゃんのスレの話題としては結構面白いよ。
それ以上でもそれ以下でもないと考えればいいのに。

258 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:01:14
せめてまとめサイトとか作れたらいいんだけど。

259 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:01:22
2ちゃんの中だけの話じゃないから指摘されてるというのに
相変わらず自己都合よく解釈するそのオメデタさはもはや才能

260 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:03:42
>>259
暴走する奴のことまで知るかよ

261 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:11:42
2ちゃんの中でない話をここで指摘されても一体どうしろと?

262 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:46:49
両方に出入りしている人間への忠告かと。

263 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:06:59
要するにここにいる濃姫ヲタは三条ヲタと同列ということか。
戦国板にも同じスレがあるなら続きはそっちでどうぞ。

264 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:12:23
>>248
パッと見、「ゐ」に見えたりしたんだけれどやはりわからないなあ

265 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:15:30
>>263
またそれかよw

266 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:15:51
うーん・・・やっぱり廉かな。

267 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:20:13
やめなよ。反発している人の意見も一理あるのは確か。
それにスレタイに書いてあるお約束事を見事に破っているのは
ここの住民であるのも確か。だからつけこまれるんだよ。
それでなくても姫系スレは嫌がられる傾向にあるんだし。

268 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:23:06
じゃ、2ちゃん以外で語るときは気を付けてねってことで。

269 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:31:35
2ちゃんの中でも気を付けてね。 
わざわざ史板でやり続ける必要があるスレじゃないから

270 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 07:34:53
良いだろ面白いよ。
おそらくヤフーの本人達が書き込んでるんだろうがね。

271 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 10:26:15
前スレに明らかにヤフーのトピ主の女が登場していたのが笑ったなw
オレ様に論破され、逆切れして去っていった。

272 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 10:45:48
ハイハイ、それは良かったね。

273 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 11:49:49
う〜ん、よかった、よかった。
自称生駒の子孫の女ね。

274 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 11:59:10
鍋の手紙とされていた手紙の署名は明らかに「なへ」とはかかれていない。
その検証をすることがおかしいか?
何の疑問をもたずに「鍋の手紙だ」と信じる方がおかしくないか?
側室たたきでもなんでもないのに、難癖つけるだけの
投稿ならやめてくれないかな。迷惑だよ。

275 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 12:58:11
ローカルルールだけじゃなくスレタイに書いてあることすら 
満足に守れないくせに何を偉そうに言っているんだか

276 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 13:05:44
>>274
全く問題ないと思う。余計なのはスルーしていこう

277 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 13:32:20
だから論文発表でもしろよ。


278 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 14:19:36
>>274
検証が悪いのではないと思う。
ただ、仮にここで「はい、これは鍋じゃなくて、○○のお手紙でした」って
結果が出ても世間的にはいつまで経っても鍋の手紙。
なのにここではあたかも公で認められているかのようにそれを「鍋のものじゃない」
と断言するような発言が多くなる。
濃姫出産した可能性がある、生駒が信忠生母ではない可能性がある、
あくまでもここで議論されたに過ぎない事なのに、ウィキペディアやその他で
さも公然の事実のようにそれを書いている人がいるのが問題だと思う。

自分も濃姫は好きだけど、ここでの論争をよそで書いたりするのは
正直どうかと思うしね・・・。
所詮2ch内でおこった話題なだけだし、世間的には認められてるわけでもない。
よそでも吹聴したい、認められたいのなら>>277のいうように論文でも書けばいいと思う

279 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 15:01:18
wiki、その他で書く場合、その論の根拠となる理由を書けばいいと思うけどね。
例えば信忠の生母に関しての考察も、通常の正常分娩の妊娠期間が
人によって100日だったり500日だったりはしないんだから、
充分説明になり得る。
武功夜話にこだわらなければ、生母を否定する物でもないという説明もあるしな。
もっとも、吉乃の項目の、生母説の考察は、生駒氏息女生母説の否定よりも、
武功夜話が偽書だと言う証明のうちの一つだと思って読んでいたが。
鍋の書状にしても、ここであろうが、他所であろうが、色々な画像とともに
検証する分には、いいと思うね。
誰かが「屋」だと言って、ただそれを実際に見ないで、勝手に話を作る訳ではないからね。
ここで言うのは良くて、他所で言うのは駄目というのは、ここでの話題をここだけで収めて
他にその説の可能性を流されては困る人なのか?と、勘ぐられるだけだと思う。


世間的に、未だに武功夜話が本当だと思っている人が、大勢いるからと言って、
武功夜話が本当の事を書いているとは、ここにいる人間は誰も思わないだろ?
それは、検証されておかしいと思える点を、きちんと認識しているからだ。
特に、ここで言うなら、濃姫と、吉乃についての記述は、年代矛盾からおかしいと
誰に対しても説明出来る人は多いと思う。
武功夜話の事もそうだが、根拠を示して説明出来るなら、何をどこで言っても
構わないんじゃないのかな?
妄想と言われないだけの、説明を出来るならね。

280 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 15:20:05
>>279
だからその考え方が一般的に認められているかどうかっていうのが
一番の問題なんだと思うよ。
例えば一般的にはいまだに濃姫は死亡して、生駒が正妻になったとか
信忠・信雄・五徳の生母であり、信長の生涯で一番愛された女性という説が
主流だよね。
いろんな文献を読めばそれが違う可能性が高いという事実があっても
それはあくまで一部の中でそういう定義になっているだけで
世間じゃやっぱり武功夜話の方が正しいんだよね。


武功夜話とここでの検証の違いは、論文として発表されたり
出版物として紹介されていないから。
あくまで「ネットに流れた噂話」に過ぎない話を、さも当然のように
語られているから問題なんだと思う。
どっちが本当だとか、どっちが正しい、どっちが嘘、そんな問題は
特に大きな問題じゃない。
世間的に発表しなければあくまで「妄想」に過ぎないって話。
「ネットで流れた噂話」程度に過ぎない話題をさも当然のように
wikiやらその他に広めるのはどうかと思うだけ。
論文書いてそれが新設になれば別にかまわないと思うけどね。
歴史的にみてそっちの方が面白いし。

281 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 15:42:43
誰も書くのは駄目なんて言っていないだろ。
要は三条夫人の次はお濃かよ(by三村風)って感じで
ウザクなりだしているってことなんだろうな。

そういえば前々スレあたりで酒井だかの家でお濃の本名はなべと
伝わっているとかいう書き込みがあった時は全く相手にしないというか
むしろバカにしていた感があったレスの方が多く付いたにも
関わらず、今はあの書簡はなべのものじゃない、濃か土田かもという
流れになっているのが何ともこのスレ住民の特徴を表していて
おもしろい。そういうミクシーよろしくな性質が災いしていると
いうことにいい加減気づいた方がいいとも思われ。

282 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:06:46
そう言えば、以前に濃姫の本名はなべって説が出てたな。
当時はそれはないだろと思ったけど、とんでもに思える説でも
切り捨てちゃダメなんだなとよくわかったw
そういうとんでも話でも語れるのは2ちゃんぐらいなんだから
ここで語るのはいいと思うけどね。
違う所に書き込む時は妄想語りじゃなく根拠のある説にすればいい。

283 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:17:19
立派な肩書きを持った学者の学会での発表はまさにここで繰り広げられている
ようなもんばっかりだよ。
断片的な史料をくっつき合わせてものすごい妄想たくましい自論を論文にして発表する。
濃姫論争はそれなりの一次史料の裏付けもあるしかなりまし。
武功レベルの眉唾論を堂々と発表している学者を多数知っているし
ここの論争を頭ごなしに否定する前に一度学会に出席してみたらどうだ?
いろんな学説の発表があってびっくりするぞ。

284 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:29:54
>>275 
「なべ」ではなく「濃姫」ではないのか、という検証ですがなにか?

>>283 
武功がなければ生駒正室説や生駒家あっての織田信長みたいな
学説を発表しても眉唾もので誰にも相手にされなかったわけかw
秀吉誕生も生駒家のおかげだなんて欲張りすぎだしなww

急に論文論文と逆切れしている連中はなんなんでしょうね?
2ちゃんをどう利用しようと個人の勝手。
気に入らなければわざわざこなけりゃいいじゃん。

285 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 17:54:20
>>281 君があの署名を「なへ」と読めるならそう思うだろうね。
どこがどう「なへ」となるのかぜひご教授願いたい。

ところで急に荒れ出したのはなぜだ?
Yahooと連動したとたんのような気がする。

286 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:02:58
ウザイからだろ

287 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:08:36
>>283
自信満々で断言するような書き方をしている人がいるからじゃないの?

288 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:09:59
>>285
前も濃姫関係のこと書いてたブログが叩かれてたし、
そういうのが気に入らない人がいるんじゃないの。

289 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:10:59
>>287 そんな書き込み方このスレに限らないじゃん。

290 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:12:51
追放されたバ○ンが一人で荒らしていると思われ

291 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:14:20
いつもの吉乃ageの人じゃないの?
吉乃の事、少しでも普通の側室だった風に書くと、
凄い勢いで食いついて来る人が、
一人か複数か知らないけど、いるからなぁ。
鍋の事だけ話題になってる分には、気にしてなかったんだろうけど、
信忠の判物の内容で、また生母説に疑問って話が出たから
食いついてきたんだと思うけど。

292 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:14:29
自分の気に入るような書き方する人ばっかりじゃなくても仕方ないだろ。

293 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:15:29
濃姫に関係することを書かれるのが嫌なのではなく
書き込んでいる人間の性質が叩かれてんじゃね?
同じ濃姫サイトでも叩かれもせず平和なのもあるのだし。
あからさまな孫受け、もしくはソースは2ちゃん状態なら
叩かれても仕方なし。

294 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:20:24
>>288 正妻を僻む癖があるのは自分が妾腹腹で生まれたか、父親が
愛人のもとに行ったきりで捨てられたかの境遇なんだろうか?



295 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:25:55
>>291 そっか、忘れてたがそのネタでてたね。
明らかに信忠の生母の戒名が生駒と違うことがわかっちゃったし、
それで食いついてきたわけか。
なっとく。
吉乃ageの人って生駒の子孫なのかな?
Yahooのトピ主もそうだけど異常。
生駒家にとって信長の寵愛を受けていた側室が先祖にいた、
ということが最大の家宝なのだろうか?
生駒はたんなる側室の一人で信忠の母でもなければ
織田家から捨て置かれて寂しく死んでいった、
なんていうことを絶対認められないんだろうな。

296 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:35:37
個人叩きしたいなら他所でやれば?

297 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:43:43
暇なんだろうね。












それと無知。

298 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:43:55
ってか濃姫マンセー気味な自分が見てても
最近ここ気持ち悪い書き込み多いよ。。。

鍋の書状と言われていたものの検証は
濃姫と無関係とも言えないし、その事には誰も文句言ってないと思う。
ただここでの話をよそでしている人がいるともにょる。
お前が考え出した事じゃなく、2chソースじゃんか。。。と。
よそでここで得た知識ひけらかすようなマネはみっともないと思う。

299 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:47:31
気持ち悪いなら見ないしかないよ。
自分の思うような書き込みばかりになるなんてことはないだろうし。

300 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:54:28
自分が思うような書き込みばかりになる云々というなら
反発レスだってあってもいいではないかな。
他の人も言っているがそういう勝手さがけむたがれるんでは?

301 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:58:44
ここの奴らはここで調べたこと、話し合った事をさも当然の事のようにとらえ、
それを外部にもらしているから反論者が出て来るんだと思う。
例えるなら特定キャラスレ、もしくはファンサイトだけで盛り上がってれば
いいだけなのにそれを公式設定と履き違え、よそにまで自分の脳内妄想を
書き込むってところか・・・。

ここでの話し合いがあってるわけでもないので、wikiなどへの書き込みは
正直控えたほうがいいのではないかと思った

302 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:07:31
要するに、ここでの話をさも自分の説のように他で語られるのが嫌ってことか

303 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:10:37
あ、wikiってことは生駒についての書き込みのことか

304 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:15:23
>>302
自分の説というか、ここでの話を公然の事実のように語るのが
どうかと思うだけなんだけどな。
信忠の生母が生駒じゃないなんて話ここでしか出てない話題だろ。
実際それを詳しく紐解いて調べた学者もいないわけなんだし
断定してよそに書き込むのは痛いなと思う。

305 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:18:32
>>298 それなら見るきゃいいじゃん。
わざわざコメントしなくてもいいのでは?
特定の人物を限定してのスレッドなんだから偏っていて
当たり前。それがいやなら「お姫様」や「戦国時代」などの
アバウトなスレにいけば?


306 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:20:07
>>304 >>実際それを詳しく紐解いて調べた学者もいないわけなんだし

武功夜話の偽書を証明する本を書いた人はすでに指摘していたと思うけど?
違ったっけ?

307 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:21:34
>>304
wikiに新たに出た>>240の説なんて書き込んじゃダメだってことだね

308 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:22:54
前から思っていたけど、先に他のサイトなどで書いている書き込みを
引っ張ってきて、ここに書き込む人がいて、その後で、先に書いてた人が、
ここの書き込みを引っ張ったって非難されてるのは、あったからな。
wikiの生駒の書き込みは、wikiの方が矛盾点指摘してたのは先だったからな。
信忠の生母説は、後だったけど。

309 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:24:10
信忠や秀信の所で森の名を出してあるのもどうかな〜。
塩川女の墓所関係から森じゃないかという話ももとは2ちゃんだし。
論文書けと言っている人達も、結局他所にまで書いて根回し?みたいな
ことをするぐらいなら学会で発表してみろってことなんだろうし。
学会では資料提示も無いトンデモ説も飛び交うみたいだから
確かに発表してみるとおもしろいかもね。

310 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:25:14
>>305
偏っているのは誰も文句言ってない気がしますよ。
ここでの話題をよそに持ち出すなっていうだけなような・・・


311 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:28:17
ここで最初に話題に上がった話もあるし、
よそのHPやwikiで最初に話題に上がった話もある。
よそで先に話題に上がったものまで、
2chの話題を孫引きしていると、
非難している奴がいるのも事実。

結局匿名なんだから、どうしようもないさ。

312 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:28:19
このスレの丸パクリでいいから誰か発表してみて

313 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:31:36
>>312
是非、見てみたいね。
学会じゃなくても、何か公に出せば面白いんじゃないかと思う。

ここで非難している人間(私の含め)は別にここの説を非難しているわけじゃなよ。
ファンサイトみたいなノリになってて、さらにその脳内妄想をよそで語っている人が
いるから、ちょっとそれは・・・って思っているだけだと思う。

314 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:31:51
生駒に関してもまだまだ研究の余地はあるよ。
加賀藩の「本藩歴譜」では永姫生母は「生駒氏」とある。
でもその生母の墓から亡くなった命日が生駒では矛盾が生じるし、
永姫の誕生は生駒の死後ということにもなってしまうので
間違いとされてスルーされている。
ちなみに永姫生母は法名「春誉妙澄大姉」で元和4年3月3日没(慶長16年7月8日説もあり)。
生駒が類でないとすれば永姫の生母が生駒氏である可能性は充分考えられるし、
信雄と同腹だったかもしれない。信雄の姫を永姫は養女にしてるし。
武功夜話の吉乃が架空の人物だったのだから、
生駒の検証だってきちんとされるべきで
生駒の立場が濃姫と比べてどうだ、なんていう不毛な論争は意味がない。

315 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:32:56
まずは歴読あたりにでも書けばいいんじゃないのか?

316 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:33:19
>>312
禿同

そこから、何かが始まる

317 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:36:45
この中の人で、是非。

318 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:37:22
>>314 永姫の生母が生駒氏なら久昌寺にある墓石にしっかり信忠・信雄・五徳
の生母、とある類さんは誰なんだ?ということになるな。
もっとも墓石は後年伝承をもとにつくったんだろうけど。
信雄系は現在もいるのなら、墓の主とDNA鑑定すればはっきりするのか?

Wikiは明らかにここのスレとタイアップしてるなw
荒らしが大挙押しかけてきたのもわかった。
あれを読んだ初心者は誰も生駒を信忠生母とは思わないわな。

319 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:38:39
一段落ついたかな?

署名の件だが、黒印の印影で名前が分からないだろうか?
自分は、崩し文字は「廉」が一番近いと思ったが
印影は「廉」ではないように思う。

320 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:40:51
>>319
濃姫スレなんだからいい加減信長スレでやれば?

321 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:41:40
織田家、徳川家、前田家に生駒の血が嫡流で続くはずだったかもしれない?って
すごいことだな。(永も生駒の子なら)


322 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:49:34
>>321 でも信忠→親子でお切腹
信雄→改易二度、流刑、流浪後、波乱の人生で孫の代で落ち着く
五徳→信康お切腹で子供たちとも生き別れ

生駒の子供達に焦点をあてたほうがドラマティックで面白い。

323 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 19:50:33
>>320 わからないやつだな。「廉」が濃姫の名前の一部か本名そのものかもしれない
という検証でもあるんだよ。

324 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:13:21
生駒が信忠生母でないといういろんな証拠もでてきてしまい、
こうなったら2ちゃんの閉鎖を心から願っている生駒マンセーが
多数いるんだろうな。
それで全て振り出しに戻り、生駒が信長最愛の女性で嫡男信忠と
信雄、五徳の生母で、濃姫なきあとの正室であった、となれる。
そうそうWikiの削除依頼しなきゃね。
でも閉鎖後にしないとダメだよw

325 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:30:46
「廉」に見えるのは、それこそ「農(濃)」じゃないのかな。

326 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:49:19
>>325 くずし字辞典でみたけど違う。


327 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:51:22
>>324
そういう考え方の奴のがあんまりいないと思うけど・・・。
そういう考え方、性格悪いよ
逆に濃姫好きが叩かれる原因自分で作ってどうするの?

328 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:53:36
学会ってマユツバでも発表しておkなんだね
ちょっと信じられない。

このスレの住人で現役大学生とか教授とかいないのか?
誰か発表してみてくれよ

329 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:14:29
>>328 科学系や化学系は実験による考察になるから嘘は発表できないけど
(実験結果を捏造した研究者は過去にはいたけどその世界から抹殺された)、
歴史は限られた史料と推論が主だから、はっきりいって説は無限大。
「信長の棺」「光秀天海説」なんかはまるで推理小説みたいだけど
もそれなりの一次史料や物的証拠などを挙げているので
まったく違うという否定材料もなく、信じる信じないは別としてまかり通る。
藤村教授は偽装発掘をしたので、あっという間に歴史が何万年か変わったけど、
史料一つで一夜にして通説が覆ることがあっても当然。

330 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:15:55
濃姫は処女嫁だから、信長から愛された。
生駒は非処女だから、心の底からは愛されなかった。

男はみんな処女が好きなんだよ。

331 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:17:18
>「信長の棺」「光秀天海説」なんかはまるで推理小説みたいだけど
もそれなりの一次史料や物的証拠などを挙げているので

おいおい正気かい?良い病院紹介しようか。


332 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:53:52
>>331 よ〜く読んでみたか?一次史料の都合のよいところを
ピンポイントで抽出してつなぎ合わせて自説をかためてんだよ。



333 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:04:21
>>330
民俗学的にみると昔は処女の方が忌み嫌われたり
女性として完全に認めてもらえなかったり。
江戸時代より前までの話だけどね。

334 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:17:23
>>332
「風聞(噂)」や「憶測」、一次史料にも色々あるからね。
それを指摘すれば否定できるだろ。

335 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:18:15
>>330
今だってそうじゃん。
妻は処女、浮気相手は床上手がいいに決まってる。
でも浮気相手が孕みやすい体質なのは大問題。

336 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:20:57
>>334 光秀=天海説の本を何冊か読んだが、読み終わるとすっかり
その気になってしまう。東照宮には確かに桔梗紋があるしなぁなんてね。
だから歴史は面白いのかもしれない。

337 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:23:03
自分の性的傾向を過去の偉人に重ね合わせて語るのはやめてください

338 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:34:28
このスレになってからのすべての濃姫寄り意見の推測に
疑問をもつ人たちが風穴をあけてくれて良かった。

濃姫のスレだからといって偏りが目立ちすぎだ。
同一人物が書き様かえて長々と問答してる風も感じるしね。

339 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:49:59
このスレになってからというか、以前から定期的にこんな状況になってたけどな。

340 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 03:10:03
戦国時代(仮)板の濃姫スレが閑散としてるのは
IDが出るせいなのだろうと思っている。

341 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 08:33:07
>>338 そこ落ちちゃって閲覧できないんだけど…どうやったら見れるんだろう?

>>濃姫のスレだからといって偏りが目立ちすぎだ。

というか、今までの検証が濃姫が死んだ、ということが前提だったために
濃姫に該当すべきところが生駒やお鍋と勝手に思われていただけなのでは?
例えばお鍋の書状にはどこをどう読んだってお鍋の署名はないぞ?
強引に濃姫にもっていっているのではなく、お鍋の書状とするほうが
強引で無理があるのではないか?と指摘しているだけだろうに。
今までの検証の根底が覆るわけだから、いっせいに側室の存在が否定され
る傾向になるのは当然の事だと思うよ。自分は別に濃姫贔屓ではないけどね。

342 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 08:42:45
おーい、チンカス野郎ども。精液だせや

343 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:16:18
>>341
落ちてなんてないけど?面倒くさがらずにきちんと戦国板にも行って
検索してきたら?
【道三の放った】濃姫(帰蝶)総合スレ【毒苺】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152424560/l50

あと濃姫贔屓ではないというけど側室の存在が否定される傾向が当然と
いうこと自体がバリバリ贔屓なんじゃないかな。側室がいて然りな時代なんだし。
死んだことが前提というのも言いすぎでしょ。消息不明とかいてある
書物も多かったけどね。

344 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:05:08
正室を贔屓、とか側室を贔屓ってなんだか変だなあと思うのだけれど。
好き嫌いでしかものを語れないのかね

>>343
贔屓の反対は否定か?正室についてちゃんと調べてみようと思うことが
側室否定か?

なんでこんな流れになったんだ?お鍋の書状と言われているものについて
検証していたはずなのに。

345 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:12:03
>>341
>濃姫が死んだ、ということが前提だったために
ここでの推測が少し偏っていないか?との疑問レスにたいして
すべてこの言い方がついて回っているんだね。
少々強引な議論も、それを掲げればOKみたいな。

濃姫は若くして亡くなったという説が周知されすぎて
正室不在という奥向きが広く認識されていたので、
「濃姫の事跡がみな側室たちにすりかえられていたのでは」
と、いうような疑問が生じて
その検証がここで行われていることで良いんだよね?
でも中にはただの側室叩き(あえて叩きと言う)や
無闇な存在否定を感じるレスも多々見られたよ、私感だけど。
自分は側室贔屓でも濃姫否定派でもないけどね。

346 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:12:43
>>343 よくロムってる?側室を卑下するという意味での否定ではないよ。
これまで濃姫ではなく生駒やお鍋だと思われていた史料のできごとが
やっぱり濃姫だったんだな、というこれまでの認識の否定。
側室ではありえないことを「正室格の側室がいた」などという強引な
説をもちだしたりしてたけど、あまりに不自然で無理がありすぎた。
正室が存在したんだから、それまでの解釈がすべて否定された、というだけ。

死んだ、と公然と書いている文献はたくさんあったよ。
生駒が正室だったというこじつけのために強引に死亡説がでたというだけ。
離縁説は道三の国譲り状があるので信長が離縁できる立場ではないので矛盾が生じ
死亡説をとるしかなかったんだろう。
ただ美濃攻略後は濃姫が史料に登場しないから、そういう説がでてきたという
側面もあって、実際は史料に正室を示す内容のことはけっこうあるから、
関心の薄いことで研究自体がすすんでいなかっただけだろう。

347 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:14:16
哀しいかな、やはり贔屓の引き倒し・・・

348 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:17:53
生駒や鍋のことと思われることがいつお濃だと認められたんだ? 
希望推測したいなら戦国板でやれよ

349 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:21:00
>>345 ちょっと違うかな。
>>ただの側室叩き(あえて叩きと言う)

ではなく、武功夜話たたきが根底にある。
捏造された側室像を検証するうちに正室が持ち上げられ、側室が叩かれている
ような印象になってしまったんだよ。
叩かれていると感じるのは生駒だけでしょ?
お鍋に関しては冷静に検証していると思ったよ。
署名という物的証拠があるから、無謀な叩きにはなりようがない。

350 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:24:05
>>348 それじゃ、濃姫がいつ亡くなったか、あるいは離縁されたのか、
史料に御台の存在を示す言葉があれだけあるのに、消息不明だとする
根拠をご教授くださいな。
それと喧嘩ごなしならそれこそあなたこそ戦国版へどうぞ。
不愉快ならこなきゃいいじゃない?


351 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:25:24
またまたバ○ン登場と思われ
側室たたきにはかならず登場

352 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:41:07
>>349
崩し字や当時のお鍋の所在を推測、周囲の状況も考慮して、
冷静に平明に論じてる人もいると思っているよ。
でも、最初から「側室のくせに越権行為」的な思考ありき、
又は鍋の存在位置真っ向から否定レスもあると感じたよ。

>署名という物的証拠があるから、
それはここではまだ未解読で不明な部分だよね。
古文書読解の専門家の意見でも用意されないと何とも言えないな。

353 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:42:43
>>352
>>最初から「側室のくせに越権行為」的な思考ありき、
又は鍋の存在位置真っ向から否定レスもあると感じたよ。

例えばどのレス?
荒らしはスルーしろよ。そんなの常識だから。


354 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:13:03
>>353 >>最初から「側室のくせに越権行為」的な思考ありき、

つか、信長の生死が定かではない時に勝手に位牌所なんて定めちゃったら
信長に対しても失礼だろっつうの。政局の混乱を招くようなことに
なりかねんのだぞ?
信長の配偶者ならいいんじゃん。そういう決定権をもってるわけだしさ。
側室って無位無官な立場なわけだし、その家の家来達は臣下の礼をとらない存在。
お鍋が単独でやったことなら大それたことしてるよ。
ただだれかが正室に託されてやったのだろう、みたいな解釈をしていたから
それを信じてたけど、よく考えたらそんな必要はないわな。

355 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:15:07
ところで分家は最近見当たらないが落ち武者か?

356 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:28:12
>>350
何をキレテんだ?
断言的な言い回しをするから突っ込まれる。

357 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:37:56
>>354
も少し落ち着いた文章を書いたらどうか。

ところで
>側室は無位無官な立場
それは肯定するとして、
無位無官という言葉尻に引っ掛かって聞くけど
信長正室が官位を持っていたという記録も無いよね?


358 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:42:00
>>357 正室は官位など必用ないだろう?その家の正室という立場で全てを保証されてるし
当主と同格扱いされたから。

359 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:47:31
>>358
なら、無位無官などという言葉を比較に用いる必要もないかと。

360 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:56:59
というかだんだんプロ三条夫人贔屓と同じになってきてるよね。
彼女(達かも)が言わんとしていたことで三条夫人お濃を三条夫人に
生駒を諏訪御寮人に、鍋を油川夫人に置き換えるとわかりやすい。

361 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:58:55
正室は当主と同格の権威をもつ立場なので家に間する発言権も強く
家臣への権威も当主同様にあった。
ゆえに、正室があのような手紙をだしても自然な行為。
しかし無位無官のなんの織田家内で公に権威を持たない側室の立場であのような手紙を
だすのはあまりに不自然。側室であってもせめて公に身分が高いなどの立場
なら丹羽に出した手紙も多少は納得してもいいけど。

ということをいいたかっただけ。

362 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:59:21
ごめん余分な言葉が入っていたので書き直し。

というかだんだんプロ三条夫人贔屓と同じになってきてるよね。
彼女(達かも)が言わんとしていたことでお濃を三条夫人に
生駒を諏訪御寮人に、鍋を油川夫人に置き換えるとわかりやすい。

363 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 12:59:44
いいかげん側室贔屓の連中も立場をわきまえて真実を受け入れろ

364 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 13:07:35
>>360
上手く捉えているとも、少し家中の事情が違うとも、
何とも言えない比喩。
「円光院三条夫人」にならって、織田家研究者のうち誰かが
「養華院濃姫」とか「安土殿濃姫」という風な著作を出版するとかね。

岡田正人氏にこのスレを読んでもらって感想が聞きたいw

365 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 13:13:20
ここで叩いている人全てが側室贔屓というわけじゃないでしょ。
明日は自分の首が飛ぶかもしれない時代、正妻も側室もお互いの立場を
尊重しあって家中をおさめていたんじゃないの?
時には正妻が側室を支え、時には側室が正妻を支え、うまく役割分担を
していたんじゃないかなと思うよ。

366 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 13:15:30
ちょっと誤解している人もいるみたいだけど、もし濃姫なりの正室が
信長の死を認め位牌所を設置したあとに、お鍋などの側室が
別の寺院に位牌所をもうけたとしたらさほど問題にはならないと思う。
岐阜以外の信長縁の地などのその側室が入魂にしている寺などに
依頼するのだって構わないんじゃないか?死に方が死に方だし
葬儀が行われたのがかなりあとだし。
ただあの時期に公然とやった、というところで側室では合点がいかない、
ということだから。あと長秀の手紙の内容も。
側室の分際でお鍋が位牌所を設けたことをですぎてるのなんのと言ってるのではないよ。
少なくとも自分はそういう見解。

367 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 13:17:48
濃姫の承諾の元で鍋が出したという見方もできるかも。

368 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 13:20:11
>>363
>側室贔屓の連中
なにをもって側室贔屓と目するのか不明瞭だけど、
濃姫の生存や正室の立場を否定するようなスレも見当たらないよ。

369 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 13:20:50
>>365 正室と側室だって当主と家来同様の主従関係が根本にあったろうから
確かに支えあってはいたろうけど、対等のそれとはちょっと意味合いが違うかな。
側室はなんといっても子供を産むのが仕事だからね。
子供を産んでも30才を超えた側室は暇を出されたという家もあったわけで
もっと淡々とした関係だったんじゃないか?

370 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 13:24:17
>>368
側室贔屓の連中とは、いつまでたっても正室と側室の立場の違いを認識をせずに
両者は同等であるべきという考えに固執している人たち。
あるいは、当主の愛情を得て嫡男を産んだ側室のほうが正室よりも優ると
信じて疑わないやから。

371 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 13:29:12
>>370
もう止めなよ。

372 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 14:32:11
臣下の礼で思い出したが、大名の家で当主に臣下の礼をとらないのは正室と
その親だけだったそうだ。
と亡くなった江戸時代研究家のなんとかさんが言っていた。

373 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:04:27
>>369
30越えで褥下がりって江戸時代の大奥じゃん

374 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:19:25
側室って長期間に渡って複数の子供を産むケースって珍しくない?
生駒にしても3人産んだら打ち止め。
大名家奥にはよりよい子孫を残すためにいろいろ制約があったんだろうか?


375 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:33:04
期間については正室も同じだろ。(例外もいるが)
それに奥向き都合なんて家々で異なる。
武田家の場合、油川夫人は比較的長期間にわたって
複数子供を産んでいたようだが。

376 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:02:16
伊達の愛姫やお江与あたりもかなり長期にわたって子供を作ってる。
濃姫の「御台平産」が事実なら婚姻後20年近くたってからの出産になる。
正室には夫としてのおつとめ義務みたいのがあったのかな。
けっこうハードジョブだったかもw

377 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:08:30
妊娠というのはいくらがんばってもできない時はできないし
できる時は一発でも的中するものだからな。
子供の数でどうこういう切り口は全くのナンセンス。

378 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:11:29
月のうち、祥月命日やその他諸々で忌み日があり、
その日は、同衾出来ないから、それ以外で、
正室や側室の生理、妊娠などを避けてローテーションを
組んでいるはずだから、それほど夜に関しては
ハードという事も、通常はないと思うのだが。
ただ、武将によってはローテーションを組んでいなくて
その日の気分で相手を決めることが普通だったり、
また他には、側室を閨に呼ぶのは正室の生理期間中だけなんて、
江戸期の奥制度とは違い、その辺色々だから、
信長がどうだったかって事につきるだろうなぁ。

379 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:15:00
生駒の場合は産後の肥立ちが悪い、ということだったけど
あのネタは武功か・・・
10男6女を産んだ三好さんみたいな女性が正室になったら天下無敵だったわけだな。

380 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:21:33
>>379
産後の肥立ちが悪い以前に、信長はそれすら知らなかった事に武功はなってる。
それが創作か、真実かは分からないが、生駒が生前出家している事を考えると
徳姫出産後、何らかの理由で奥を下がり、出家したのかもな。

信長の側室は、姫を生んだ後、身分の低い女性だからという理由で、
家臣に下げ渡された側室もいた記録がある。
子を産んでいない側室なら、記録に残ってないだけで、結構そういう事があったかもね。
別に、その当時、信長に限らずそういう事はおこなわれていたそうだし、
道三も、土岐頼芸の側室だった深芳野を下げ渡されてるよね。
あまり、側室に寵愛なり、子供なりなどが偏らないように、調整していたのかも。

381 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:42:11
認知されない信長の隠し子(とわれる面々)

織田信正(生母は塙直政の妹「直子」)
生駒直勝(生母は森可成長女)
乙殿(生母は信長侍女OR濃姫侍女)
岡部又右衛門の養女(生母は熱田中瀬村の『猫の目』といわれた女)
松姫(生母不詳)

>>380がいっているのは、生駒直勝。身ごもったまま家臣の吉田直元に
下げ渡された。吉田姓から生駒姓になったのは天正末期。
隠し子かどうかは定かではないが、実在の人物。

382 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:44:25
ごめん、乙殿も懐妊中埴原常安に下げ渡された側室の子。
のちの雅楽介。

383 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:49:15
松姫の母は武田松

384 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 16:55:17
なるほど。もしやと思っていたが本能寺の黒幕はやはり信忠か。
熱愛する姫を父親に寝取られたらそりゃ殺したくもなるな。

385 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:03:20
>>384
信玄ざまぁ〜みろプギャー(AA略と言いながら
種を植え付けていたりしてw

386 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:05:04
>>381
いや、自分が想定したのは岡部又右衛門の方だったんで
姫って書いたんだが。
生まれてから、母子揃って下げ渡されたというのは、
張州雑志に書いてある。
まぁ、逸話の類いだがね。

生駒直勝の生母が森可成の長女というのは、検証されていなかったように思ったが。
しかし、不思議なんだが、大正末期に生駒姓になったのに
なんで吉田直勝じゃないんだろう?


387 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:08:35
一応まじでフォローいれとくけど、佐渡相川遊女の始まりは
この信長息女とされた「松姫」という伝説があるそうだ。
本能寺の変後比丘尼となって佐渡に渡ったんだとさ。

ちなみに信忠室についてもこんな話がある。
北条氏直に信長の姫をもらうという約束があった。(武田滅亡で焦った氏政が
三嶋神社輿入れを急ぐ願文をおさめている)
本能寺の変後信忠家臣の多賀内蔵丞が伴って小田原へ下向したという。
でも氏家が婚姻をしたのは家康の姫の督姫。
その逃げた姫は氏直婚約者ではなく信忠室で、
北条氏の姫だったのでは?という説もある。
天正8年の同盟の時に二重の婚姻関係を結んだのでは?という説だ。

388 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:13:23
>>384
いやむしろそれをどこかで知った家康がやったんじゃね?
おのれ・・・信玄公の愛娘をよりによってといった感じかと。

389 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:13:39
>>386 大正じゃないよ、天正だよ!
7才で初めて信長と謁見を許され、その時に生駒姓を賜ったが
実際改姓したのは天正末年、と『生駒文書』にある。
なんで生駒姓?とかなり疑問は残る。
もしかしたら、生駒の家系に信長の血が流れていると思わせるための風説の流布
とも思われるけど。

390 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:21:35
天正末期に改正したんなら、信長じゃなく、
本当は信雄に生駒姓を名乗るように言われたんじゃないの?
信長と謁見そのものは、してたかも知れないけど。

391 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:22:28
間違えた。
改正×
改姓○

392 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:28:27
>>387
佐渡といえば金山、金山といえば甲斐、甲斐といえば武田
武田にいた金山衆のいえば大久保長安、大久保長安といえば八王子
八王子といえば信松尼・・・・w

というお遊びは兎、彼女の墓所は早川にあるお寺に墓所があったと
相模国風土記には書いてあったな。確かに北条氏の姫の方が
しっくりくるんだがなぜか両家共に婚姻事実の記録がない。
この点は松姫と状況が同じだね。

393 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:44:41
でも氏直の許婚の姫は本能寺の変の時安土城にいたなら
濃姫たちと一緒に日野城に逃れないのは変だな。
信忠の家臣をともなっていたということは、
岐阜城にいたのだろうか?
それならやはり信忠室という可能性もあるけど。
でも当時岐阜城にいた三法師は前田玄以に保護されて
清洲城へ避難したし、とりあえず一緒に同行するよな。
わからん。たんなる自問自答になってしまった。

394 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:55:27
>>389,384
とりあえず、生駒直勝が信長の落し胤かどうかはともかく、
生母が森可成の長女ってことはないんじゃないの?
森家と言えば、信長にとってかなり重要な側近一族。
わざわざ長可の嫁を池田の娘から娶るように、
信長直々に働きかけたくらいだからなぁ。
恒興の長男元助には、斎藤道三の娘か孫を娶らせているくらいだし
その相聟に選んでいるくらいだから、ほぼ一族に準ずる程、
頼りにしてた家だぞ。
本能寺で一緒に死んだ小姓の顔ぶれからも、いかに重用していたか分かる。
そんな家の娘を、下げ渡すとは思えないがな?
可成の正室の娘じゃなく、側室腹だったとしても、少し疑問なんだけど。

395 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:59:39
>>394
抜けた。
>恒興の長男元助には、斎藤道三の娘か孫を娶らせているくらいだし
>その相聟に選んでいるくらいだから、ほぼ一族に準ずる程、
の、2行の間に
「娶らせる時、濃姫の養女として娶らせたという逸話も聞いたことがある。」
というのを入れてくれ。


396 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:04:25
信忠室に関しては北条関係にらしき姫が見つからないんだよね。
養女だったとしても記録が残ると思うけど氏政にも氏直にも
そういう養女はいないし。

397 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:11:50
>>394
森家であっても下げ渡す時は下げ渡すんじゃねーの?
信長に預けていたわけじゃなく側室としてあげたわけだから。

398 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:11:59
森家で思い出したが、>>309で書かれている、信忠室の森家の女性という説は
某学長が、我が御先祖の塩川鈴姫が三法師の生母だと言い出す前は
ごく普通にあった説の一つ。
墓所が一緒だし、墓所である来迎寺は、森可成が葬られている事で
信長の焼き討ちを免れたという事で有名な寺だからね。
塩川氏女説が出てきても、しばらくは森氏女説も並列して書かれていた物だが
いつの間にか塩川氏女説だけになってしまったな。

399 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:25:42
>>397
吉田直元が深芳野を下げ渡された道三くらい、
信長や織田家にとって目立った働きをしたならともかく、
そんな功績も知られていない家臣に下げ渡す身分かな?と思うが。
それこそ、身分が低く下げ渡されたというならともかく、
それなりの身分である森家の女性なら、もう少し上の功労者に
下げ渡すと思うのだが。
信正生母の直子だって、別に下げ渡された訳じゃなく、
信正だけ養子に出されているんだし、それも織田一族にだ。
塙直政よりは、森可成の方が重鎮じゃないのかな?

400 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:33:37
御落胤説はあくまで説。
森の女が側室だったかどうかも定かではないし、中条も同様。
側室下げ渡は珍しくはないけど、火種を残さないようにせめて
子供がいないかどうかを確認してからじゃないか?
孕んでいたら戦略の駒になる大事な子供だ。何人いても邪魔にはならんだろうし。

北条氏直許婚のことだけど、三嶋神社の輿入れ祈願文の話が事実なら
どの姫がその許婚だったんだろう?なんで両家ともに記録がないんだ?

401 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:41:47
でも松姫婚約のことも織田家関連の史料に書いてあるものあるか?
婚約レベルでは破談も珍しくないとかで書き残さないのかな?

402 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:47:14
確かにね。
森可成の娘が側室になっていたとしても、それは極めて自然。
ただ、下げ渡しとなると、その相手が疑問ってだけだから、
まぁ、逸話の一つとして聞いておくよ。

403 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:15:10
ここまで自演大好きな輩が多く集まるスレも珍しい

で、>>400
三嶋大社の祈願文は本当もなにも現物が三嶋大社に現存してんだよ。
きちんと氏政の自筆で花押も押してな。
そのくらい知っとけよ。

404 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:39:25
>>403 昨日から粘着乙!

405 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:42:27
>>403 とっとと戦国版いけや

406 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:42:31
オマエモナー

407 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:59:12
>>1-406
ここ数日よく上がるから何かと思って覗いてみたけどなんか凄いね。
正直なところ、自論を勝手に説と言ってみたり、mixiーみたいなノリで
進行していきたいならそれこそ戦国板でやった方がいいと思うよ。
三戦板が史板から分離した事情を考えれば、史板で戦国ネタが盛り上がるのを
嫌う人がいてもそれはおかしくないことでこうなるのも仕方がないかな。

408 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 20:16:11
>>407 2チャンの利用法を勝手に定義つけてんじゃねぇよ。
どう利用しようがこっちの勝手だろ?

409 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 20:26:55
>>408
そうでした。ここは匿名掲示板なのでローカルルールをいくら設定しても
最終的にどう利用するかはその人の勝手でしたね。
でしゃばったことを言いまして失礼しました。

410 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 20:34:50
ここって仕切り屋さんの多い板だな。
学問関係の板ってこういうもんなのか。

411 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 20:40:08
多分根本にあるのはそういう問題ではないんじゃないかなと思われ。
う〜ん、史板にしてはレス進行速度が早すぎる=省略みたいに
思われてんじゃないの?話題もループだし。

412 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 20:52:57
>>407
どう利用しても人の勝手だけど、
個人的にミクシーやファンサイトみたいな
馴れ合いの場所で2chを使うのは何だかな('A`)
そういう馴れ合いの展開が好みならミクシーにも
濃姫スレあるんだし、そっちでやったらいいと思う。
どうせ住人そのままかぶってるでしょ?

413 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 21:06:24
ここってそんな高尚なところか?

414 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 21:26:51
書きたいことがんがん書いておけ!
そのうち閉鎖なんだから・・・

415 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 21:32:50
>>413
高尚っつーか、馴れ合いの場所になってるのが
モニョルって話じゃないか?
俺もここ最近あがってて見たらどこの同人サイトのノリだよww
と思ったしw
手紙の検証あたりは面白かったが。

416 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 21:44:14
>>415
要するに、ミクシーやファンサイトにいるのと同じ人達が
ここでも馴れ合ってるんじゃないかと疑ってるってこと?

417 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:04:55
そういうことにだろう。ついでにヤフーも付け加えておいてくれ。
ヤフーにいるtで始まるIDの奴は発言内容からしてここ住民の可能性大。

418 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:16:16
けっこうけっこう、あがってるね。
どこかの濃姫スレは完全に終わってる。
ついでに分家もな。
盛り上がるのは大いに結構。
よけいなレスはスルーすればよろし。

419 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:19:31
生駒玉砕。
お鍋撃沈寸前。
正室アンチが急にわいわいうるさいわけだにゃ。

420 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:22:24
>>417
そういうのを嫌がってたわけね。
でもそういうのと全然縁のない人間も見てるんだけどな。

421 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:22:29
>>416
どう考えてもそうだろうな・・・。
あとwikiに書き込んでるのもここの住人でFAだろうし。

とりあえずここで出たまだ希望をこめた予測に過ぎないことを
よそでベラベラ鼻高々に語るのはやめてほしい。。。
なんつーか、世間から見たら「はぁ?」な事をさも当然にように
吹聴しているのも痛いし、そんなこと知ってる自分に酔ってるのが見え見えで
こっぱずかしい気持ちになるからな・・・

422 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:26:18
ほんとに自問自答は多いと思うぞ、ここ。
閑散としてるときは閑散なのに、一気に長文で盛り上がる。
やけに意見が一致する。

松姫のことも、北条と織田の縁組のことも
過去の関連スレで話題になったことばかり。
今さらなことで盛り上がるのも特徴だな。

423 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:29:13
今、ヤフーの掲示板見てきた。。。
ここで出た内容まんまコピペしてあるに等しいじゃん、あれ。。
ここでの検証はあくまで「かもしれない」の域を出ないものだし
(もちろん今までの定説もですが)
どうにかしてここでの話を一般化したいのかもしれないけれど、
あくまでネットで広まった噂に過ぎないわけだし、いろんなところに
コピペ状態で書き込むのはどうかと思うよ、、?
一般化してない単なる「妄想」の域をまだでない話題なんだし、
ここだけでおとなしく会話しませんか。。。?

424 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:32:42
>>422
ここでの話題をどうにかして一般化したいっていう奴がいるんじゃないのか?
生駒の子孫とやらが必死で信長の最愛の妻は生駒御前だったと言っていたように、
何がなんでも濃姫の正室としての立場をかっこたるものとしたい奴がいるような気がする。

少し前に武田に人質行ってた信長の息子が優遇されてて、濃姫の出産話題も出てきて
もしかしたら息子かも?みたいな展開になったけど、
その時も話題を投げかけた奴はそういう流れにしたくて自作自演してたんじゃないかって
話題が出てきていた。
今回も大なり小なり、自作自演は多いと感じる。
じゃなきゃここまで同意連呼の長文検証は行われないと思う。

425 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:32:56
松姫や織田と北条の話はこの際関係ないだろ

426 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:40:07
大河ドラマ見てる延長で日本史板も覗いてる程度の者にとっては
ここは意外なネタが多くて楽しめるから続けて欲しいんだけどな。

427 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:50:20
ここって例のブログやってる女性の
脳内妄想書き散らしの場所に思えてきたな・・

428 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:57:38
ここの話題もネットの情報もソースを探せばみな同じ史料なわけだろ?
それをコピペもなにもないさ。
信長の本だって何百冊でてるだろうけど、ほとんど同じようなループネタ。
しかし定期的に荒られるのはなんでかね?


429 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:58:16
>>426
濃姫はもとより齋藤家のさの字も出てこない風林火山を見た人が
武田・今川・北条スレよりここを覗くってなんか不自然

430 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:58:49
そこのブログ、>>427みたいに定期的に攻撃する人間がいるね。
粘着されて大変だな。

431 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:03:09
>>430
本人乙!

432 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:04:25
>>429
今年の風林火山だけ見てるわけじゃないよ。
藤真利子の濃姫や菊池桃子の帰蝶だって見てたし。
松阪慶子のは記憶にないのが残念。
信長には濃姫、義経には静御前がいいと思ってるけど
三条夫人にはこだわりはない。

433 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:09:11
リップサービスであっても信玄には三条夫人とも書いて欲しかったなぁw

434 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:11:40
三条夫人といえば紺野美沙子・・・
初登場の時の公家まゆ、白塗りの恐ろしい顔が忘れらない(ぶるぶる)
いまだに三条夫人といえばあのイメージだ。

435 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:15:50
でもあの当時の女性の化粧法って武家・公家関係なく
そんな感じだったみたいだよ。眉毛も抜いちゃうし。
江戸に時代が下ってもそれは同じ。

436 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:16:23
>>430
ミクシーの濃姫コミュに書かれているまんまが
ここの内容。しかも長文。口調も一緒。
全ての疑問にレス。
最初は「この人すごいな」と思っていたけど、
ここまでくると、いい加減自演だと思えてくる。

437 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:16:36
しかもお歯黒してんだよ。
おとろちぃ。

438 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:17:08
>>424
それは感じる。
濃姫に、ほんとに恨みも何もないけど
何だか振興キャンペーンはられてるような印象がここにもあった。

「その文書だって実は濃姫なんじゃない?」
「信長から優遇された○○の生母はきっと濃姫!」調が目立ちすぎ。
少しでも異を唱えると、側室厨と断定されたり
「正室と側室の立場もわからない無知」の一辺倒で
それが嫌で書き込みを遠慮する人もいたのではないか。

439 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:22:28
濃姫ヲタ同士の内ゲバって感じ

440 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:23:51
>>438
>それが嫌で書き込みを遠慮する人もいたのではないか。
それまさに私だったり・・w
濃姫は好きなんだけど(多分戦国女性で一番)
信長夫人に関わる全てが濃姫って事を言われると
「おいおい、さすがにそれはないだろうw」と・・・。
ただ自分は単なる歴史好きってだけで大した考証も出来ないし
何回か「さすがにそれは濃姫に結びつけ過ぎじゃないか」と書き込んだところ
「生駒厨乙」やら「バ○ンまたきたのかw」とか言われた事が・・・。

441 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:24:07
匿名だからね、いろんな人がいるんだろ。

442 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:24:49
三条夫人を愛してる女性もヤフに書いていた。
他の板でも頑張っていたっけ。
正室擁護って、女に多いのでしょうかね。

自分は既女だけど、正室も側室もみな愛すべき乱世の女性だよ。
ひとかどの大家の正室に納まってもいいような家の娘でも
家の浮沈で側室になったり、
家内で実権をもつ正室でも側室に敗北感をもつ人もいたろうし、
妻妾の社会的立場の相違はじゅうじゅう理解してるけど、
みな必死に戦国を生きてた女たちだ。
それを同じ女が差別したり貶めたりするのが、不思議だ。


443 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:25:10
>>435
ちょっと前にやってた「大奥〜華の乱〜」のお伝@小池栄子がまさに
そんな感じだったよw
眉毛そって(?)塗りつぶしw眉毛なくてすごい怖かったw

444 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:28:27
>>442
正室も側室も人としては平等だけど、身分の違いはどうしようもなくあって
対等の立場ではないと思ってるよ。
それが差別だとは思わないけどね。

445 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:28:45
>>440
自分もバ○ン認定されたなぁ。
それも、ここだけじゃなくIDの出る戦国板の方でまで。

違うと言った所で、匿名だから証明もできないから、
そのまま放置したら、尻尾巻いて逃げたみたいに言われたし。
思い込んでいる人間は、自分の中でFA出てるんだから、
どう言っても無駄なんだろ。

446 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:31:20
ミクシーとかヤフーまで見てる濃いヲタ同士の確執ってやつですか

447 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:32:49
つかいい加減スレチな書き込みをチャット感覚でやるのやめてくれる?
迷惑だって気がつけよ。
そんなやつらが何言っても説得力がねぇよ。

448 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:35:51
スレチというなら鍋や生駒の話題も十分スレチ
信長が絡んでいる良いなんていう寝言はヤメテネ

449 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:36:09
正室と側室ってあの時代じゃ言い方悪いけど
「伴侶」と「子産みマシーン」くらい差があるものだとは思っているけど
それにしてもさすがに、
嫡男産んだの→濃姫
手紙書いたの→濃姫
男子産んだの→濃姫
・・・と何から何まで濃姫に結びつけるのはいかがなものか。
冗談で「もしかしたらそうかもね〜w」程度で押さえておけばいいものの
マジっぽいし、さらにヤフーやら他のところにまで飛び火させるのが問題かと。

450 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:36:10
バ○ンていたね、そういう人。どうしたかね。
生駒男爵の自称末裔なんじゃないかね、HNからして。
生駒ネタにはすごい食いつきだったしな。


451 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:40:56
嫡男産んだの→濃姫・・・どこでそんなレスがある?教えてくれ。たぶんない。
手紙書いたの→濃姫 ・・・鍋ではないのは署名から明らか。では誰だ?濃姫?
             という推測の域だが、どこか無理のある推測か?
男子産んだの→濃姫・・・御台平産の史料があるので出産はしたらしい。でもそれが
            信房だと主張しているのはほんの一部で、姫や夭折説
            もでてるんですけど。

452 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:42:19
アンチが必死なのはそれだけ反論の余地がなくなってきたからだよ。
相手にすんなよ、しょせんやつらは負け犬さ。


453 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:44:49
>>450
そういうことは最悪板でやれば?
あとバロンさんは別に変な人には思えなかったけどな。
食いつきというより打倒生駒みたいな流れを止めようとしていたり
なんでもかんでも濃姫優位になりそうな流れを変えようとしていた
ようにも思えるし。
義龍に関係した一條氏女の話でここの住民が軍記ものはなんだとかんだと
追い出しにかかっているのは見ていて鳥肌だったけどね。

454 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:46:33
>>452
もうそういうのやめてよ・・・・・・・・・
あなたみたいな人の書き込みで荒れるんじゃない。
釣りなのか、それとも真性なのかしらないけど、
濃姫スレでちょっとでも自分の意見が通らないからって
違う意見出した人をアンチ扱いしないで。
そもそもこういう流れになったのだって、排他的な書き込みが
実際あったからなんだし、荒れるもとになるような事書かないでよ・・・・

455 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:47:08
>>451
書簡について鍋のものではないのは確かと断言するということは
それだけ自信もあるのだろうから学会で発表しろよ。
楽しみにしてるぞ。

456 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:47:14
>>453 バロンさん乙!久しぶりw

結局どこの一条さんかは教えてくれないままでしたね?

457 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:49:13
>>455 くずし文字も読めないの?

458 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:49:48
ごめん、全く崩し文字が読めない俺だが
>鍋ではないのは署名から明らか。
これはもう100%確定なのか?
墨が飛んで文字が消えてたりする可能性や、
そういうものがある限り、素人目でぱっとネットや雑誌の写真見た程度で
断定なんて出来るもんじゃないと思うんだが。

個人的にそういう鑑定って本物の書状を虫眼鏡?でじっくり見たり、
場合によっては機械で調べたりしてはじめてわかる問題だと
思ってるんだけど・・・ネットや本の写真程度で判別できるもんなのか?
つーかしていいの?w

459 :453:2007/01/22(月) 23:50:13
予想はついていたけど私も認定されちゃった・・・orz

460 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:51:07
>>456
お前いい加減きもいよ。


461 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:53:00
>>458 
Yahoo掲示板のほうでものっすごくはっきりうつしてくれてるよ
みてごらん

>>459
こっちも想定内の展開に笑ったよ

462 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:53:08
>>459
気にする事ないさ。

この前から断定的口調で書き込んでる変な人なんだろ。
濃姫ヲタを装ったアンチに見えるくらいだから、放置しよう。

463 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:56:04
すっごいレスがのびてると思ったらほとんど不毛な荒らしだったのね。
今度は何が原因?松姫?生駒?

464 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:58:31
>>463 
今度も生駒みたい。
たぶん、信忠が生母の位牌所を崇福寺にもうけ、その生母の戒名が
生駒と違っていた、ということで火がつきだしたと思う。
それがいつの間にかお鍋のことにも点火してしまい、
いつものようなありさまです。

465 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:00:08
>>461
いや、ものすっごくはっきりうつっていたとしても、
本物を調べないままネットの画像なんかで「あ、これ鍋じゃない」とか
判断してもいいものなのかね?
ぶっちゃけネットの画像ならいくらでも修正可能っしょ?
アップしてくれた人がそういう事しているって言うんじゃなくて
やっぱり歴史モノを調べるなら本物を見なきゃ確定は出来ないんじゃないか?

>>463
不毛っつーか、荒してた?人が言いたい事は、
ここで出たまだ確定もしていない話題をよその掲示板やら何やらで
あたかも本当の事のように吹聴するのはどうなんだっていう話だった。

466 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:02:54
えーっと・・多分荒していた本人なんですが
(荒してたつもりはないんですけれど)
別に生駒は全く綺麗さっぱり関係ないです。
むしろはっきり言ってしまうと生駒は好きじゃないので
別に生母だろうと単なる側女だろうと、どっちでもいいです。

ここでの話題がヤフーやミクシーや、wikiなんかに
確証を得られないままの状態なのにさも当然のように書かれていたことが
「おいおい、先走りすぎだろう」と感じただけなので。
なんか新しい知識を知って誰かに言いたくてたまらない人がいるんだろうな、と
思えてしまったので・・。

467 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:03:59
>なんか新しい知識を知って誰かに言いたくてたまらない人がいるんだろうな
これはありそうwwww
中二病かw

468 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:06:29
>>465 そんなことあんたが気にせんでもよろしい。
顔も知らない赤の他人の書いていることを鵜呑みに信じたとしたら信じる方にも問題がある。


469 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:10:22
>>458
最終的な判定は現物調査だよ。
おっしゃるとおり消えている部分やうまく修正や加筆されている場合も
ありえなくはないので、書簡内容にもよるけど今回のような場合は
事情が事情だけに多方面からかなり詳しく調査されると思う。
ちなみだけど、昨年本能寺関係で上杉景勝の書簡が発表されたけどこれも
実は発見されてから2年間という調査期間を経て発表された。
そのくらい本来の調査期間というものは書簡一枚でもかかるものなんだよ。

470 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:10:26
すごいレス伸びてるな。
それこそ自作自演じゃないのかと思うぐらいw

471 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:11:18
例えばここで書いてあることを断定口調でどっかの歴史もののサイトでみたとしても
まずそれが事実かどうか調べるよ。信じる信じないはそれからの問題。
こっちの知らない情報が知ることができたらそれはそれでうれしい。
事実と違うことでも、関係ないことでも検証する楽しみもある。
自分のしらない視点での意見はむしろ感謝するけどね。
人はそれぞれだからあまり自分の価値観を押し付けないで欲しいな。
その結果荒れているんだからさ。

472 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:11:45
まぁ・・・・・ここで出た希望含めた想像の範囲内だった話題を
ヤフーでそのまま書き込んだりすると、正直「濃姫好き」を
ひとくくりで「空気読めない痛い奴ら」みたいな扱いされる可能性は否めんな。
三条夫人の時もそうだったが、一部の人間が暴走したせいで
その他の三条夫人好きが迷惑をこうむった。

濃姫好きな気持ちはわかったから、あんまり暴走するなよ。って事でいいんジャマイカ?

473 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:12:42
>>451
あいかわらず、無理やりな追い込みだねw

474 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:13:29
ヤフー読んできたけど、あの生駒子孫のトピ主に
武功夜話は創作と納得させているだけでも凄いとは思ったな。
「でも」「そうかもしれないけど」と
トピ主が抵抗してたけど。

475 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:14:26
濃姫好きは生駒好きよりマシだと思う。
生駒好きはもう空想ファンタジーの世界を語るだから嫌だ。

476 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:15:13
>>473 なら反論してこい

477 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:15:59
>>474 >>武功夜話は創作と納得させているだけでも

そんな馬鹿いまだにいるの?

478 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:17:21
>>475
最近はどっちもどっち。

479 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:18:19
>>477
あのトピ主は、「吉乃が誰よりも一番信長に愛されたんです」と
ホームページまで作ってる有名人だから。
自分も、トピの最初の方で書き込んだ事あったけど、辟易して逃げた。

480 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:20:03
>>479 そんな馬鹿がまだいるんだ。すっかり脳内吉乃常態なのかな?

481 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:20:06
>>471
全く自分が考えもしなかった意見を見付けると新鮮でいいよね。

482 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:21:28
>>477
世間一般ではいまだに
信長最愛の女性は生駒
ですよ。

483 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:22:05
>>480
馬鹿と言ったら可哀想かもね。
生駒「吉乃」の子孫なんだってさ。
誇りなんだろ。

484 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:22:18
このアンチの群れが今度はYahooの書き込みに殺到したら
そのトピ主発狂しそうだなw

485 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:23:42
そんなことはない。少し被害妄想入ってない?
司馬や山岡作品のおかげで信長とお濃は仲睦まじい夫婦と
思っている人も少なくないよ。

486 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:24:07
>>483 だって生駒吉乃なんていないじゃん。やっぱり馬鹿だよ。

487 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:25:05
個人叩きなら別のところでやれば?

488 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:26:33
ドラマになると両極端になるよね。
吉乃オンリーか濃姫オンリー。
でも濃姫は本能寺で信長とともになぎなたでたたかい、矢を渡し、最期をむかえる
と信じている人多いぞ。微笑みながら亡くなるお濃に覚悟を決める信長で決まり。

489 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:26:48
なんか最近荒れ気味で嫌になってきたよ・・・・・


信長の最愛の女性が吉乃か、そうじゃないのかなんて
当の信長に聞かなきゃわからないじゃん。
そう思っている人がいてもいいじゃない別に・・・
私は濃姫が大切にされてたらいいなって思うけど、
本当の事なんて信長に聞かなきゃわからない事なんだし、
吉乃が一番愛されていたって思ってる人がいても別にいいじゃない。
逆に何で吉乃が愛されていたって事が嫌なのかそれがわかんない。
いいじゃん、べつに。そう思いたい人だっているんだし。
子供2人も生ませた以上ある程度の情あった女の人なんだしさ・・・。

490 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:27:30
あ〜、でもその山岡濃姫の最期は美しかった。

491 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:28:13
>>490
ドラマ化で涼風まよがやってた時は・・・('A`)

492 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:29:59
>>491
自分の理想の女優さんに、脳内変換

493 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:30:43
>>485
去年の大河で本能寺のシーンがあって濃姫も本能寺で死ぬ設定だったんだけど
ブログなどでは、濃姫はとっくに死んでてこの頃一番寵愛されてたのは吉乃
本能寺で一緒に死んだのは吉乃のはずなどという意見が結構あったりしたw

494 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:31:48
濃姫好きは武功夜話にあるように生駒が正室のような立場で信長の寵愛を一身に受け、
信長が生駒の死を悲しみ久昌寺の方を眺めて夜な夜な涙した、なんていうのは
嘘だ、と指摘してるだけさ。

一度生駒は生駒できちんと検証したらどうかね?
武功のせいでかなり人物像が歪んでいる。
本当に類がモデルだったのかも怪しいし。

495 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:33:01
>>493
一部のブログの反応=世間一般なのか。そりゃすごい罠

496 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:34:22
>>495
世間一般なんてどこに書いてるんだよ。
妄想力すごすぎ。

497 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:35:34
山岡濃姫はちょっと賢すぎ。
まるで千代状態だ。


498 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:36:03
>>495
今一般的に出ている信長関連の本
(信長の秘密とか、そういう初心者が簡単に読める考察?系)
ではいまだに「信長の最愛の女性は吉乃」って出ているよ。
ここの濃姫スレを見つけて、晩年まで大切にされてたって説が今は
また盛り返しているんだなと嬉しくなって大きい書店まわったけど
出ている本の9割が「信長の初恋(もしくは最愛の女性)は吉乃」となっていた。

499 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:36:05
>>489
誰が最愛の女性かなんて信長にしかわからないよな。
与太な憶測だけど、信長当人にもそんな順位意識なかったりしてね。
誰が一番の寵を得ていたかなんて、歴史の大勢にも影響しないし。
でも、誰々こそ信長に一番大事にされていたとの主張のあとに
他の女性の否定がつくのは痛いんだな。

500 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:36:26
>確証を得られないままの状態なのにさも当然のように書かれていたことが
って、お鍋説だって確証のないのに、さも当然のように書かれてたことなんだけどね。
ダブスタの典型だね。

>やっぱり歴史モノを調べるなら本物を見なきゃ確定は出来ないんじゃないか?
現物見たら確定できるなら自分で調べてから反論すればとしか言いようがないな、
>469氏の示す如く簡単じゃないけどね。
確定するまではどんなものでも、広狭あれど調べられる範囲で論述するしかないでしょが



501 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:37:45
この前見た深夜番組では、信長は熟女好みにされてたな。

502 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:37:52
>>496
495は>>482=>>493と思って書いたんじゃねーの?

503 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:42:17
>って、お鍋説だって確証のないのに、さも当然のように書かれてたことなんだけどね。
だったらまぁ・・・学会で発表しろって話じゃねーの?w
お鍋だ、お鍋じゃないの差はぶっちゃけ「公の場で発表したもの」かどうかなんだし。
同じ土俵に上がらない以上「脳内妄想」にすぎないし、
それをネットでまことしやかに広めている奴もいるし。

504 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:42:24
>>498
それを信じる信じないは読み手が判断することだから
そういう本が多いからといって生駒が最愛の女性と認識されていると
いうことにはならないんじゃないかな。

505 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:43:26
山岡氏の作品では確か信忠、信雄、信孝の生母がみな違う側室だったような気がする。
彼は生駒最愛説を払拭して創作したのかもね。

506 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:45:43
>>504
「歴史が好き」程度で歴史関連の本を読んでいる人間は
小説の設定なら「フィクション」と思っても
そういう考察本なら信じてしまう人って多いかと。
ここの住人ほど世の中の歴史好きはコアなわけじゃない。

507 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:50:01
>>504
淀殿だってかなり悪女のイメージそのまんまの本ばっかり。
ねねに喧嘩をうったという黒ユリの話は創作だし、秀頼の胤も当時の奥の制度からいって
秀吉以外は考えられないらしいのに、どの本をみても秀吉の子???ばっかり。
三の丸と杯のことで言い争ったという話もまったくの創造話なんだってさ。
いくつもの本で書かれているから事実であるという認識はやっぱり違うんだよね。

508 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:54:29
世間一般ってことなら、一番有名なのはやっぱり濃姫だろう。
でも豆知識本とか読んでる「歴史好き」が、実は最愛の人は吉乃なんだよと
その一般層に豆知識を教えちゃったりするんだよなw

509 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:59:09
うちの時代劇好きの親父は吉乃の存在すらよく知らんかったぞ。

510 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:01:13
読み手がどう判断するかなんて読んだ本人しかわからないこと。
そんなに生駒が最愛の女性だったということを言われたり
書かれたりするのが嫌なら自分で本を出すなり論文発表するなり
すればいいだけ。他人がどう思っていようとも自分が
濃と信長は仲睦まじい夫婦だったと思うならそれでいいじゃん。

511 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:04:23
武功夜話アレルギーみたいなもんだな

512 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:13:15
ヤフーに中2病クン出没

513 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:28:17
>503
学会で発表しなければ脳内妄想だといってるようにしか読めませんが、
正直理解の範疇を越えます。どの学会も、学会そのものはオープンな
組織であってトンデモに近い発表を行う演者は数知れずなので、学会
発表それ自体が論証の正当性や優越性を示すものではないですね。
学会報告にこだわるなら、貴兄の推奨する学会報告を論証の質の論証と
共に提示する必要があるでしょう。

本スレに限ると、信長の死まで御台として存在していた濃姫(と思しき
女性)が良質の記録にあるのに対し、生駒吉乃は武功夜話にしか存在
しない、その事跡(正室に近い側室だの後室だの)は信ずるに価しない
ことの論証には成功していると思いますね。

514 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:36:42
>>505
山岡が作品を書いてた頃には生駒最愛説なんて影も形もなかったと思うが。

515 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:44:21
>>513
こちらの以前のレスにも、>トンデモに近い発表 とか
学会の発表内情について説明してくれた同様なレスがありましたが
513さんも何かの研究団体や学会組織に参加している人なんですか?
やはり、戦国関係?


516 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 02:48:14
>>513
2ちゃんの中だけで成功しても意味ないんじゃ。
所詮2ちゃんなんだから。
それでよしとするなら話は別になるけどさ。
第一、最近では武功は偽書だとする風潮が強いんだから
信ずるに価するものかどうかなんて今さら感さえ感じるが。

517 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 08:13:55
確かに武功アレルギーってあるかもな。

518 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 10:00:54
学会で発表する=公認され史実と認証されるわけじゃないよ。
権威ある学会なら単独で発表させてもうなんてまず無理。
この世界も学歴派閥があいかわらずすごいからね。
新しい説の認証を得るには大家の皆様の太鼓判をいただかないと無理。
マスコミにでるような人物は似非、本は難読な大学の教科書になるようなもの
しか認めない、出身大学は、どの先生研究室で何年ただ働きしたか、
どの先生の論文のお手伝いをしたのか、ということで実力が決まる世界さ。
このスレのいろんな検証をどっかの研究室の下っ端の助手が見つけ、上司に報告し、
それなりの検証をしてくれ、信憑性が高いということになれば、
新説として公認を受けれる可能性はあるかな。
その場合そのトップの教授なりの名前で発表されその人一人の手柄になるけど。

519 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 10:11:55
学会の内幕なんてものじゃなくて抄録見れば良くも悪くも玉石混交なのは判ります。
いま手元にある例では科学史学会で偽書の東日流外三群史に依拠した報告がされたことがあります。歴史の学会が例外っ訳じゃありません。

520 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:52:49
>東日流外三群史
何もそんな例出さなくてもさwww

521 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 22:35:48
>>511
自分も最初山岡信長から入り濃姫が妻としての立場ある書き方だったので
それに影響され、その後武功夜話を知り吉乃が最愛の女性だったと
読んで割とショックだった。
その後武功夜話は嘘だとわかって、それ以来武功夜話アレルギーに。


最近このスレを知って、濃姫の地位が「妻」として保障されていた可能性があると
知り嬉しい反面、何だか武功夜話ブームの時のように
吉乃が濃姫になっただけで(歴史的に紐解いて確率高いと言えども)
何か濃姫をたてまくってる気がしてそれが何かなぁ。。。という感じ。
濃姫が妻として大切にされていたことが事実なら嬉しいんだけど、
でもそんなうまい具合に濃姫マンセー(と言うと言い方悪いけど)な
歴史になるのかなぁと疑心があったりもする。


522 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 23:23:03
つーかさ、こういうスレ自体の評価よりもさ

崇福治に春日局が結構足を運んでるんだけどこれどう思う?
位牌に関する文書の署名が見るからにお鍋の方じゃないらしいのに
お鍋の方と伝わってるのに関係在ると思う?とかさ

そういうことを話したいんだよね・・・・・・。

まぁ濃姫の存在を消すとするとあの時期しか無いわけだけどさ。
家康の時期なら、織田遺臣の気持ちを逆撫でて特に得になることもなし
時代が下れば、織田の威光なんてものの数ではなくなるわけだし
ちょうど端境期ではあるけど
でもそうだとしても、春日局がそういうことしたい理由とか気持ちがわかんね。

でも崩し字に慣れてるはずの昔の寺の住職が、お鍋の方と伝えたのは
故意に、そう伝えた可能性も考慮に入れる必要もありそうなきがするんだけど
どうよ?

523 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 23:35:47
寺にお鍋の書状だと伝わってたの?

524 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 23:47:46
単純になへ=お濃、鍋=小倉ってだけじゃねーの?
勝長と違いお濃の場合は存在を消すとか大げさなことじゃなくて
たまたま似たような名前で混同されたとかな。
本能寺の頃の生き残りなんて江戸時代に入った頃は岐阜にはほとんど
いなかったんだし。

525 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 00:35:11
濃姫の場合は春日局というよりねねの方が何か関係していそうに思う。

526 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 00:58:14
なんで? ねねさんが実権持ってた時期はまだ濃姫生きてるよ? 生きてる人間の存在消すなんてできんの?
それに高台院一押しだった西軍に秀信がついてるし、高台院が濃姫と政治的に対立していた可能性は考えにくい。

527 :>513:2007/01/24(水) 01:11:07
>516
>2ちゃんの中だけで成功しても意味ないんじゃ。
>所詮2ちゃんなんだから。
Wikiなんかにも反映されてきていますね。2ちゃんだけではない。
そうなると学会で報告しろとか本書けとかいう人が出てきたから、
別に学会発表それ自体が優越性を示すものではありませんよ、
論述の評価はその論旨によりますよと提示したのが513の趣旨で、
いわば当たり前のことを言ってるだけですから。

>第一、最近では武功は偽書だとする風潮が強いんだから
>信ずるに価するものかどうかなんて今さら感さえ感じるが。
それは貴君が偽書であったという結果から見ているからではないですか?
そう思っていない方も相当数いらっしゃように数々のレスからは見受け
られますし。

528 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 01:19:47
そのwikiに書き込んだのがここの人間の可能性が高いから
指摘されてたんじゃないの?
wikiは書こうと思えば誰でも書けるしそれについてWiki側が
きちんと調査するわけでもないよ。

529 :>513:2007/01/24(水) 01:33:11
>520
わかり易い例かと思ったものでW。
ちなみに東日流の場合も、同様に偽書性の検証は、なつかしのパソ通フォーラム
でも行われていました。学会で偽書性が検討されたことは殆どなかったと思います。
この手の怪しげなものは史料として用いず黙殺することが研究者の姿勢だそう
ですので(私はこの姿勢は誤っていると思いますが)。

ですから、2ちゃんであっても武功夜話関連のノイズを除去した上で、
濃姫に関しての情報を補填してくれたこのスレには素直に有り難く思ってます。

530 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 01:33:45
>>527
武功が偽書とわかった上でレスしてる奴の方が多いと思われ。
わかった上でさらにダメ押しして遊んでたように俺は感じたし
悪意満々にも見えた。

531 :>513:2007/01/24(水) 01:51:50
>528
貴君が言ってるのがどこのどの記述か判らないので一般論ですけど
誰でも書けるのだから、Wikiの規定守っている限り、別に構わないでしょ。
偽書性が明らかな文書による記述は訂正されるべきで、それをだれがやったのか
についてこだわる理由が判らない。

532 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 01:55:55
>>529
学会が意味ないものならば通史と称するものも崩壊して
日本史界も崩壊するからこれからは言ったもん勝ちの
学問にかわっていくことになるな・・・。

533 :>513:2007/01/24(水) 01:58:09
>530
見えちゃったのならしょうがないですね。
私には見えませんでしたけどってなりますけど。元々乏しい中身がなくなり
ますので、この類のレスはこれで終わります。失礼

534 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 02:05:56
>>532
極端な話だけど、明治天皇はすり返られたため天皇の血は
ひいていないという話も認められる可能性があるっていうこと?

535 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 02:09:38
話が飛び杉w

536 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 10:21:12
>>522 崇福寺七世慶甫和尚が姻威関係にあったというから、その縁で足を
運んだだけだろ?元々崇福寺は稲葉一鉄と縁が深いからその縁もあったろうし。
春日局と一鉄は二重の姻戚関係があって一鉄は義祖父にあたってる。

>>530 武功が偽書なのは承知の上だけど、濃姫ばかりが脚光をあびる
ような展開も納得がいかんのだろう。
気持ちはわからなくはないけど、荒らし行為を煽るような書き込みは
勘弁してもらいたい。

537 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 10:42:53
>>524
でもお鍋は秀吉からの手紙や言継日記から本名は「なへ」であることは間違い
ないよ。小椋(小倉)は実家の姓だよ。
「小椋鍋殿」「御なへの御かた」「おくらとのへ」「小倉殿」「前右府妾御なへ」
と署名が残ってるから。

538 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 12:42:16
もし濃姫の本名も「なへ」であったら、なんで崇福寺の手紙が
側室お鍋と断定されてんだ?とてもそうにはみえないけどもし署名が「なへ」なら
内容や状況からやっぱり正室なへが書いた、という結論になるんじゃないかな?
それでもこの手紙は側室なへだ、と思わせる説得材料はなにもないよな。

織田信孝は天正10年12月21日に崇福寺あてに判物をだし、
「崇福寺を信長の御墓所」と定め、保護を認めている。
その信孝を攻めるために同時期岐阜に戻ってきた丹羽長秀への崇福寺の
保護を求めている手紙のことを考えると、濃姫なりお鍋なりが
信孝にも同様の手紙をだしたのかな、とも思った。
それをうけて信孝が判物をだしたのかなって。

539 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:17:46
>>538
信孝が大徳寺総見院の墓は信長御墓所と認めていなかったのはわかる。

540 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 14:59:19
濃姫依頼説はなかなか面白いね。
というのはもし濃姫だったら大きな意味を持つと思うんだ。
正室である濃姫が依頼した位牌所であるということは
崇福寺にある信長の墓こそが本家本元の墓、という意味合いになる。
なので濃姫をはじめ信雄、信孝なども総見院の葬儀に出席しなかったともとれるし。
遺骨のかけらすらないわけだから、骨があるないは関係ないわけだし。
鍋が位牌所を依頼し、その後も丹長にあんな書状をだしておきながら
総見院の葬儀に出席したことって矛盾してないか?

541 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 15:15:39
いつ説に昇格したんだ?

542 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 15:32:24
>>540
『妙心寺史』には、天正11年6月2日に信長公夫人主催で妙心寺で
一周忌を執り行ったと記載されているから、基本的には濃姫としては
妙心寺が信長菩提寺、という位置付けだったんじゃないかな。
崇福寺にはあの混乱期の暫定的な供養所ということで位牌だけを安置していた
のではないかと思う。

それとお鍋の方と信孝は天正12年12月の段階なら秀吉がらみで仲がいい関係とは
思えないのでお鍋が定めた位牌所を認めるような判物をだすとは
思えないなとは思った。

543 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 17:09:03
崇福寺は妙心寺派の末寺。
暫定的に末寺で弔いをし、その後信長と
縁の深い妙心寺で正式に菩提を弔うつもりだったとか?
お鍋は大徳寺の葬儀にも一周忌にも出席しているので
そう考えるとお鍋が位牌所をもうけたり、
長秀にあんな手紙をだすのは不自然だな。

544 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 19:44:52
>>542 秀吉も大徳寺で同じ日に一周忌やってんだろ?
その日にぶつけるってすごい勇気・・・
お鍋は大徳寺のほうにでてるってことは完全に濃姫に喧嘩売ってんじゃんw

545 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 20:09:13
喧嘩って訳じゃないだろ。
息子達の行く末を考えれば、
秀吉に庇護を求めたんだろう。
正室との確執よりも、
我が身、我が子可愛さだと思う。

546 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 20:35:08
信孝母も打算があって息子の暴走を止めなかったのかもな。
あわよくば織田家の後継者になれるかもしれないわけだしな。


547 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:04:33
素朴な疑問なんだけど、丹羽は信孝攻めで岐阜にきたんでしょ?
鍋にしろ濃姫にしろ信長の墓がどうのこうのと言う前に、
そのことについて何も触れないのかな?
秀吉に取り込まれた鍋なら黙認だろうけど、
濃姫だったら一言思いとどまるようにとか、今回のことはとても残念だとか
書いても良さそうだけど。

548 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:04:44
>>544
>喧嘩うってんじゃんw
言葉のあやだろうけど、憶測で不適切な発言かと。



549 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:19:53
濃姫の立場をここは高く見ている感じだけど
自分はそこまで権限はなかったんじゃないかと思っている。

勿論、信長が生きている間は正室の地位にいて、
織田家のファーストレディだったとは思う。
他の側室達とは全く違う次元の人だったとも思う。
ただ、信長の死後そこまで権限持っていたかというと
何となく納得できないな・・・。
信長が生きている間もきっと、女主人ではあったけど
自己主張するわけでもなく、ごくごく一般的な女性で
奥を取り仕切っていただけじゃないのかな。
信長の死後、濃姫の名が出てこないのも多分ひっそりと暮らしていたからじゃないのかな
もし織田としても重要な人物で力を持っているのなら、
豊臣の正室・ねねのようにその後の文献にも出てくるでしょう。

信長の生前も正室に地位を与えたという話はないし(知行地はあったね)
別に表立って行動している事は何一つない。
名前が出てきても「信長と御台様は・・・」というように夫とセット。
生前も死後も、表舞台に出ないでひっそりと生きている人だったんじゃないだろうか。

550 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:29:45
このスレでも、濃姫は政治的なことには口を出さない人だったんだろうって意見が多かったような

551 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:36:40
>>549
生駒厨うざい

552 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:40:01
煽り屋キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!!

553 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:44:02
信長死後の文献にねねのように登場しないのは、
織田家が実質嫡流で途絶え、信雄以下息子達は政治の表舞台から
姿を消したからだよ。
安土桃山までの正室はかなり権威のある存在で
きちんと嫡流で続いていけば後家の権力はかなりあって
廃嫡する権限すら持っていたんだよ。
当主が亡くなり嫡男が幼少であれば後見人として女当主として
采配をふるう権限もあったし。(岩村城主の遠山夫人みたいに)
女は政治の道具という固定観念があるから意外だけど本当みたいだ。
ねねが文献に登場するのは有名大名とコネクションが強かったのと、
なにより秀頼の代になっても豊臣は徳川と二分する大大名だったから
だろうね。
もしねねが秀頼を養子にして幼少の頃から母親として接し、秀吉亡き後に
後見人として大阪城にいたら、誰も大阪城に大砲をむけることもできず、
外堀も内堀も埋められる事もなく、徳川の天下統一は難しかったんじゃないか?

554 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:45:57
>>553 つまり側室淀殿の子のままでは後継者の正統性がないと・・・

555 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:55:08
>>553
確か秀頼と高台院の仲は良好だったはず。
淀どのも高台院には礼を尽くしているし、
高台院も淀どのを気遣いしていたようだけど・・・。
秀頼も高台院を母親として(義理だけど)慕っていたようだし
高台院も秀頼を気遣う文を送っている。

一般的に言われている茶々がねねを追い出し、
自ら豊臣の実験を握り、ねねは日陰者になった(徳川についた)というのは
後世の作り話らしいよ。

556 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:56:09
>>549
みんなで仲良く濃姫について語っているのに
水差すようなこと言うのやめてください!
濃姫をそんなに下に見たいならこのスレ来なければいいでしょ!

557 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:56:29
養子というか、秀頼はねねの子供なんだが。
淀の方はお袋さまではあっても親権者ではない。
この辺の解釈は難しいが、
側室は正室の出産を代理する者と考えると
授乳や子守の代理者である乳母と立場的には同じだ。

558 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:57:36
また急にレスが多くなったなw

559 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:00:15
自作自演が多いんでしょう。

560 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:02:36
確か秀頼はねねの子供だよね。
淀はあくまで「お腹さま」なだけで
「かかさま」はねねだった気がする。

豊臣の家系図的にいうと、秀頼は秀吉とねねの間の子供である感じか。
この時代男と婚姻関係にあるのは正妻のみで、側室は正室の公認愛人であるだけ
だった気がする。

561 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:04:10
>>555 
でも武家の慣習を無視して嫡男の秀頼を正室の手に渡さず淀殿の手元に
おいたのは事実。捨の時はねねが手元で育てていたのに。
淀殿にせっつかれたのかしらないが、このことが豊臣の滅亡を招いたといっても
過言ではないぞ。ねねが大阪城を出て淀殿にあとを譲ったのは秀吉の遺言に従ったということだから
秀吉最大の失策といえような。


562 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:08:40
>>560 正室の子というよりその家の子、という感覚かな。

563 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:13:25
三法師が清洲会議で秀吉の強引な後押しがなければ後継者と認められなかったのは
やっぱり生母がらみでなのかな?
信忠に正室がいて、その正室の実子やきちんとした後見ができる立場の女性だったら
まったく問題なく後継者になれたのであろうか?

564 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:21:08
秀吉も馬鹿だよね。
ごり押しなんてしないで、信長夫人である安土殿を味方につければ
安土殿が養子としたり、もしくは嫡孫と認めれば
あれだけ苦労しなくてもよかったのにね。
柴田勝家やお市だって、信長正室であり当時の織田家では
トップクラスの地位にある人間の言う事なんだから聞くのに。

565 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:22:03
>>563 このスレではそう結論ずけられそうだな。


566 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:27:26
>>564 見方につけたくてもついてくれなかったのだろうさ。
でも濃姫的には信忠系統が家督を継ぐことに異存はなかったのでは?
信忠は養子にした嫡男だったんだから。
しかしお市も思い切ったことをしたもんだ。
当時の柴田って60才過ぎてたんじゃないか?
お市はまだ35才だっけ?まだまだきれいだったろうに。
ところで一般的には柴田に嫁いだとなっているけど
柴田はあの年で正室はいなかったのか?
普通に考えて側室として送り込まれたと思うのだけど。

567 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:31:10
>>564
あまり釣れないみたいだね

568 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:38:06
>>566
うろ覚えですまんが、確か正室がいた。
その他側室も何人かいた。
確か勝家とともにみな自害したとなんかの史料にあったような気がする。
お市と正式に祝言をあげた、という記録はないんじゃないか?

569 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:56:33
というか、濃姫は信長死んだ後の織田家に興味あんまなかったのでは?
もし今言われているように子供がいないのなら子供の将来を考える必要もなく、
長年連れ添った夫も死に、養子縁組した嫡男も死んだ。
もう後はひっそりと余生を過ごして趣味(あったかどうか知らないけど)とかを
エンジョイしつつ夫の冥福を祈り写経の日々だったんじゃないのかなぁ?
夫の生前も歴史の表舞台に立ってどうこうって女性ではなかったようだし
ひっそりとごくごく親しい身内や侍女たちと暮らしていたんじゃないかと思えてならない。

570 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:03:50
>>551
>549の文章を読んで、生駒厨とは思えない。
濃姫の立場を充分にわかっての発言に思えるけどね。

>>556
どこが、濃姫を下に見てるんだよwww
水を差しにきてるのはアンタでしょ。

と。

571 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:09:43
>>570
釣りに構うと居つかれるよ。

572 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:12:44
さては570=551=556だな

573 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:25:42
>>556ですけど、>>551なんて知りません。

>>570
濃姫を生駒より下にしたいのが見えてます。

574 :570:2007/01/24(水) 23:26:04
>>572
あほ。違うわ。


575 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:35:37
どっちが上だ下だとくだらん論争するならまじに戦国板でやれ。
正室だろうと側室だろうと織田家に貢献したのは間違いない史実だろうが。

576 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:15:10
>>575
わざとやってるんだろうから何言っても無駄

577 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 08:31:45
>>575
どっちが上か下かなら答えはでてる。
どうあがいたって正室には側室はかなわん。
側室が生んだ子供も正室の子と認知され、取り上げられて
奥を出ていけと言われたら文句一ついえずに従うだけ。
そんなの常識だろうに。
それと正室は家同士の問題で嫁いでくるから誰でもなれるものではない。
両家の友好関係を守ることができるのはその正室となった女性に託される。
でも側室は子供さえ産めばいいのだから誰でも構わない。
身分も不問。
そのあたりだって全然貢献の意味合いが違うんだけどね。

578 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 09:34:51
濃姫がいても齋藤家との友好関係は守れなかったけど?

579 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 09:53:28
>>578
斎藤道三との友好関係は守られてたじゃんw
婚姻による同盟関係は一代限りの友好条約だって知らないの?


580 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 10:33:46
>>578 義龍との友好関係はなかったが、濃姫がいてくれたおかげで誰に遠慮する
ことなく美濃をゲットできた。織田家にとっては濃姫の功績は∞

581 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 10:53:39
>>561 >>秀吉最大の失策といえような。

家の存続に失敗したという点では確かに武家にとって致命傷な失策だったね。
そのへん武家出身でない秀吉の認識の甘さだったと思う。
秀吉は「血」にこだわったんだろうな。側室腹とはいえ織田、浅井の血をひく
姫の産んだ子は高貴なものだ、みたいな。
確かにねねは足軽クラス出身だけど、豊臣家にとってはたとえ秀吉のかつての主筋である織田や
の血を引く淀殿よりも、正室ねねのほうが諸侯にとって重きを置かれる
存在だったのに。
家康はその点をよく認識していたよね。
だから慇懃無礼に淀殿のことを扱っていて、ねねのことを正室としてたてていた。
家康の作戦かな、とも思ったけど当時の武家の慣習からすればそれが
当たり前のことだったのかもしれない。生母とはいえ正室が生きているのに
側室の立場で女城主のごとく采配をふるう資格はないわけだから。

582 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 13:22:46
>>578
しばらく放置したすることを推奨する。

583 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 13:55:28
>>577とか>>581とかの書き込みをみてまた正室アンチの連中が逆上しそうだな。
今晩また大騒ぎだな・・・・・

おれは信忠生母と思われる崇福寺に墓所があった「久庵慶珠」のことをもっと
詳しく知りたいね。唯一ループネタでないのはこれだけだ。

584 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 14:18:36
いい加減自演厨基地外は失せろ。

585 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 14:22:08
>>584
君こそ早く失せて戦後版に失せなよ。
信忠の生母が生駒でないと確定しちゃうのがまずいの?
こんなに早く反応しちゃってw


586 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 14:53:44
ん?戦後板なんてあったっけ?

587 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 15:13:13
>>584>>585もどっちも完全に基地外だな。

588 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 18:09:15
三条夫人と比べるのが好きな人とか
側室の身分が低いと言うのは差別の人とかは
まだ来ないんですか

589 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 18:21:01
側室の身分が低いなんていうのは差別でもなんでもないよな。
そういう常識を認識できない人はこないでほしい。

590 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 18:39:58
キンモー☆

591 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:56:54
ところでWikiには
>>結婚当初は、鷺山城で生まれ育った事から、「鷺山殿」と呼ばれていたようだ。

と濃姫を紹介しているが、濃姫が育ったのは稲葉山城で嫁いだ後の
1554年に道三が家督を義龍にゆずり、鷲山城で隠居してるんだけど。
たぶん濃姫は鷲山城なんて入ったことすらなかったと思うよ。
なので結婚当初は「岐阜山殿」と呼ばれていたと思う。

592 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:28:04
濃姫の呼び名や本名に関しては私も興味あるな。

嫁いで来た時は、美濃御前や美濃の御方様と呼ばれていたのかな、と思っていたり。
(ソースも根拠もありません)
「濃姫」という名も諸説あるけど「美濃出身の高貴なお嬢さん」という意味で
信長がつけた云々というものもあるし。
ちょっと前に書いた気がするけど(戦国板の方だったかも)
家臣や侍女には「御方様」「奥方様」で良かったんだろうけど
信長は何て呼んでいたんだろう。
住む場所によって名前は変わっていただろうから、公式の呼び名(?)は
小牧どの、安土どの等になるんだろうけど、さすがに夫の信長がそれを
呼んでいたとも思えないし・・・。
一般的に知られている「濃姫」から「於濃」なのか、
それとも親からもらった幼名(?)で呼ばれていたのか(帰蝶or胡蝶?)
はたまたあだ名大好き人間の信長が勝手にあだ名つけたのか・・・。

593 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 08:37:54
>>591のWikiの修正を誰か頼みます。
鷲山城と岐阜山城の説明を読む限りやはり矛盾がある。

濃姫の本名はなんだったんだろうな。
濃姫本人の書簡が現存していないので不詳のまま。
もしお鍋が書いたとされる書簡がお鍋のものではないとなれば濃姫だった
可能性が大なので、署名から名前の一部なりが判明するだろうけど。



594 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:42:39
>591濃姫が嫁いだのが天文18年なら確かにそうだね。
その頃、鷺山城は土岐頼芸がまだ居た可能性がある。
しかし岐阜山殿はイタダケナイ。
この時期に岐阜は無い。
どうせなら稲葉山殿でしょう。

595 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:58:45
確かな史料に稲葉山と記されている訳ではない。
比較的古い物に記されている名では井口城、金華山城、がある。
とすれば井口殿、金華山殿か?

596 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:25:12
「天文十八年二月廿四日、
尾州古渡の城主織田上総介信長に嫁す。
帰蝶の方といふ。又鷺山殿ともいふ」
と美濃国諸旧記に出てくるからな。
嫁ぐ時点の呼び名からの推測なのかもな。

597 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:17:55
美濃国諸旧記にはおかしな記述も多いが、
全面否定すると、2月24日という婚礼の日も、帰蝶って名前も否定する事になる。
鷺山殿という名前もそれなりの理由があって書かれているんだろうけど
いつの時点でそう呼ばれていたかは、美濃国諸旧記だけでは分からな。
大体、濃姫は鷺山城で正室だった訳ではないんだから、
美濃にいる時に呼ばれていたなら、
鷺山城に誰も正室がいない状態で住んでいたとしか考えられない。
尾張に行ってから呼ばれたなら、鷺山城から嫁いだから、そう呼ばれていた
というくらいの理由しかないだろう。
美濃国諸旧記の中にも、生母の小見の方は稲葉山に輿入れしたとなっている。
鷺山城が出てくるのは、道三が最期に住んだという事くらいしかないんじゃないか?

598 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:28:27
>>597 確かに「美濃国諸旧記」にはおかしな点が多く信憑性を疑問視されているのは
事実。ただ武功夜話よりもはるかに客観的な記述な書き方なので意図的に
捏造しているというよりも、編纂する時にきちんとした史実を検証
しなくて、伝承の類をそのまま書き記したためだと思う。
小見の方も濃姫輿入れ後にすぐに亡くなったとあるけど、壷事件後に
「姑」のもとへ出向いている記録があるし、詳細なところではかなり
いい加減なのは事実だと思うけどね。

599 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:27:45
大亀だが、署名の文字は「兼」ではないだろうか?
例のデータベースでみたら似ている文字もあったが。

600 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:47:49

現在、会社の女(B子)と不倫中なのだが、色々と考えさせられるね。

本妻(A子)との仲は完全に冷え切ってるとは言え、
B子の「子供が欲しい」要求は、どう考えても無理な訳で…。
最近、家にも帰ってない訳で…。


601 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:27:14
>>600
妻は婚姻後に購入した不動産、株、などは潜在的に共有する権利を有する。
専業主婦であっても夫の給与の半分の権利もある。
結婚後の預貯金の半分も妻に権利がある。
離婚時の財産分与はきっちり半分もっていかれることを覚悟しよう。
さらに>>600の場合は不倫ということで有責配偶者となって
妻への慰謝料も発生するだろう。
なお別居期間中妻が無収入であれば夫は婚姻費用の支払い義務がある。
子供がいれば養育費込みなので婚費はかなりの額になり、それは
離婚成立の前日まで発生する。支払いを拒否すれば裁判所の
強制執行も免れず、給与差し押さえ等の処分もあるので気をつけるように。
ちなみに弁護士費用は依頼費が30万円〜50万円、裁判所への出頭費用が
その都度3万5千円〜4万円、交通費、郵便費用別途必要、さらに
成功報酬等も発生する場合がある。
A子のところに戻って目を覚ませ。
B子へ慰謝料を払う方がはるかに安くてすむぞ。

602 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:43:31
スレ (´∀`( ´∀`) チガイ

603 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:56:37
というかここは自演練習場所だからどうでもいいよ

604 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 17:20:08
美濃国諸旧記で分かるのは、美濃国諸旧記が書かれた頃は、
「濃姫」という呼称が一般的ではなかったという事だけだと思う。
「濃姫」は江戸期の歌舞伎から来てると聞いたことがあるが。

605 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:11:59
そういえば昔、「鍋」という名前は信長が付けたものというのを
読んだ事があるなぁ。信憑性はさっぱりだけど。
その筆者は「小倉女の顔が鍋の底のように黒かったから多分鍋とつけたんだろう」
とか書いていましたが・・・・・・w


606 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:35:29
信長御台の出産の件ですが。

結婚後18〜19年経っていて、まだ閨を共にしていた…という事は
ちょっと信じがたいような気はしなくもない。
(あの時代若い女はいくらでもいるのに言い方悪いけど
長年連れ添った古女房をわざわざ夜伽相手に選ぶ事もないし)
でも、伊達政宗の正室・愛姫も41歳で出産しているので、
あの時代年齢重ねても閨を共にする夫婦は多かったのかもしれない。
秀吉もねねに「久々に会うんだし、一晩中語り明かして一緒に寝よう!」と
言う書状を送っているので、秀吉ねね夫妻がヤったかヤらないかはともかくとして
同衾したりするのは普通だったのかも。。。?

607 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:48:59
>>606 濃姫は輿入れしたとき14才といわれているから、19年たっていても
まだ33才なんだからばりばりOKだと思う。

608 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:50:09
>>606 濃姫は輿入れしたとき14才といわれているから、19年たっていても
まだ33才なんだからばりばりOKだと思う。

609 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 22:22:22
>>605 
お鍋の方が母性的な女性だったので信長が台所道具の名前をつけ寵愛した、
という説をおれもどこかで読んだ。



610 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 22:29:24
ここの内容、全部Yahoo掲示板の書き込みまんまじゃないですか、、、
あそこで語られた事を、ここでさも自分の意見のようにしてる人恥ずかしくないんですか?
ちゃんと一言「ここで見た事なんだけど」って断ってから書くならまだいいけど
何で人の調べた事を自分の手柄のように扱うの?

611 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:39:58
私もお鍋って名前は信長が付けたと何かで読んだ気がするけど
その根拠って何なんだろう?
濃姫も信長が付けた呼び名で呼ばれてたのかな。

612 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:56:00
>>611
変な名前だから?w

613 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 01:24:33
五徳とか茶筅とか杓とか、そういう名付けが信長らしいと、
歴史作家の人々歴読とかに書いているのは良く読むよ。

で、そういうふざけた名をつけられたのも側室の子だからだと、
側室の子だから粗略な名をつけたのだと、
このスレで誰かが言ってたな。ここらしい見解だwww

信長らしい愛情のこもった名じゃないのかという意見もあるのに。

614 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 01:31:01
戦国のDQNネーム

615 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 08:55:25
>>613
自分は奇妙や茶筅が愛情あるとは思えないし、
かといって、坊丸とかが愛情あるとも思えないw
多分「どっちも何も考えず、直感で決めた」が一番信長らしいと感じる。
「変な顔・・・奇妙でいいや。名前」
「お、生まれたばっかなのに髪ふさふさw 茶筅ゆえそうじゃね?w」
多分その程度の直感で決めてそうな気がする・・・

616 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 09:48:42
>>610 それ逆なんだよ。
ここでの検証をそのまんまYahooで書き込まれてるの。
嘘だと思うならどっちの検証が先か日付を調べてみなよ。
ただね、誰の検証も手柄もなにもないと思うよ。
ここでの検証は問題提議でしかなく確定したわけでもない。
歴史オタの間では2ちゃんなどで論議される以前から
ループされていたネタかもしれないしね。
ここでの検証があっちこっちに広がって盲目的に信じていた
誤りなどが再度見直されるきっかけになったらそれでいいじゃんw

617 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 10:52:15
ここってさ、本来濃姫を語る場所なのに
濃姫の地位向上(手紙は濃姫が書いたものとか、濃姫の出産など)
に関わること以外伸びないよね。
濃姫話題なら何でも雑談していいんだから、
今回の本名のこととかだって今までのレス量考えれば
もっと伸びててもよさそうなのにな。

なんか「信長夫人」のした事と言われたこと、全て
濃姫に当てはめる行為以外基本的に興味ないのかね?

618 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:07:57
>>617 
>>なんか「信長夫人」のした事と言われたこと、全て
濃姫に当てはめる行為以外基本的に興味ないのかね?

信長夫人といわれる立場は濃姫だけじゃん。
その信長夫人がしたことと言われたことが、全て濃姫がしたことと
認識して何がわるいんだい?
信長夫人のしたことを側室がしたこととするほうが
よほど無理矢理で不自然だと思うが?

619 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:14:30
>>618
別に認識する事が悪いわけじゃないよ。
ただそういう話題で「濃姫はやっぱ正室として云々」という
いい加減ループな話題にしか食いつかないのは何故だろうなと
不思議に思っただけだよ。
濃姫好きなら、たとえ答えでないものだとしても
本名とかに食いつきいいだろうに。

620 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:37:35
>>619
それってここにくる連中がずっと常連ばっかりなら、という前提だよね?
いつも同じオタやアンチばかりが常駐しているわけではないし、
新参者が同様の傾向になっていくことを繰り返しているだけなのではないか?
濃姫好き新参者にしてみたらずっと吉乃やお鍋を後室だと信じさせられていた
わけだし、そうでないということが史料などで実証されると興奮して
偏ったリアクションになるのもわからないではないよ。
濃姫好きといっても濃姫のどこに興味があるかは人それぞれだし、
正室と側室の定義もわからず同調したり非難している連中もやっぱり存在するし、
書き込みに統一感や自分の気に入る書き込みを要求するのはまったくのナンセンスだね。

本名の件は自分はとても興味がある。
お鍋と思われていた書簡がどうやら別人。
もし濃姫であれば署名から濃姫の本名がわかるかも。
信忠の生母は生駒ではなく「久庵慶珠」という女性の可能性が考えられる。

というのは歴史関係のサイトではどこでも見当たらない話題だったよ。
これはあなどれない考察だよ。


621 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:55:15
信忠の生母が生駒でなく慶珠さんなら兄妹もこういう組み合わせだったのかもよ。

信忠&五徳が同腹(久庵慶珠)→離縁後信忠の元に身を寄せていた
               
信雄&永姫が同腹(久庵桂昌)→前田家の史料に生駒が生母とある
               信雄の姫を永が養女に迎えている

622 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 12:03:49
ふと三国志の呉夫人を思い出した。

『生駒女』に該当する側室は本来二人いた…という説はどうだろう。
生駒姉妹で信長の奥へ上がり、例えば姉は信忠と五徳を産み妹は信雄と永姫を産んだ。
そして二人しばらくして奥を去り出家。
戒名も似ているし可能性はあるんじゃないかな。


ソースはないけどw

623 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 12:18:36
可能性は否定できないよね。
姉妹でなくてもたまたま生駒家から親族関係にある側室が二人でた、
ということは考えられる。
ただね同時期に二人も生駒家から信長の側室になったなら生駒家に伝わる史料に
なにかしらの記録が残っていると思うんだけど。

624 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 12:27:35
お市は長政と別れて姫達を連れて信包のもとに身を寄せていた。
土田御前も信雄改易後信包の元に身を寄せて余生を過ごしたから
信長、信包、お市、は土田腹だったと見解する専門家もいたな。

625 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 15:11:58
姉妹等親族が同時期に側室になるって古代ではよくあったんだろうけど
戦国の頃にもあったのかな。
姉が亡くなった後に妹がとかならありそうだけど。

626 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:17:34
>>625
古代では天皇家と蘇我家や摂関家のように天皇家と血縁関係を強くもつことが
家の繁栄の象徴で、また天皇家も婚姻関係により嫁の実家の強いサポートが
必用な関係だったからね。
戦国大名で姉妹で側室にあげた大名っていないんじゃないか?
非人道的な行為でもあるから武家ではそんなことしないと思うけど。

627 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:55:33
非人道的!?
別に戦前とかでも普通にあったけど……。
名家でもなんでもないが、ウチの親戚でもそういうのざらざらあるけどなぁ。
後妻が姉妹だと、先妻の子を大事にしてくれるんよ。それが一番大きい。
あとはしきたりとか似てる家を探すのがメンドイとかそんなしょうもない理由。

628 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:57:39
あ、生きてる時に同時に上げることなんね。恥ずかしいまちがいをしてしまった・・・・・・。

629 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 23:12:28
>非人道的な行為でもあるから武家ではそんなことしないと思うけど。
非人道的って・・・・・・。
今の価値観で当時の行動を考えちゃダメでしょ。
姉妹どんぶりが非人道的なら、そもそも「腹は借り物」って
考え方そのものが非人道的でしょ。

630 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 23:40:13
古代だって近親婚は当たり前だけど同腹の兄妹の性的関係は
絶対タブーで、関係がばれると「畜生」と罵られ社会的に抹殺された。
側室制度においては「借り腹」はまったく問題ない行為だけど、
姉妹や母娘と関係を持つ、というどんぶりはタブーだよ。
現代人の感覚だとどれもこれも非人道的な行為だけどさ。

631 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 23:53:42
秀吉が冬姫を側室に望んだというのが本当で、実現していれば姉妹どんぶりだな。
しかも冬姫と三の丸殿は姉妹かつ養母娘でもある。

632 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 11:54:50
秀吉はお市と3姉妹全員側室にしたかったろうにw
冗談はさておき、かつての天皇家では自分が産んだ皇子に自分の実妹を
入内させて世継ぎを一族でかためたするのはよくあることだったよね。
古代の天皇家では異腹の姉妹を妻にしているケースはよくあったし、
その子供同士の婚姻もあった。
血族結婚は流産や夭折してしまうことが多く、
不具者のまま長生きする事ないということでそういった
血族婚のデメリットよりも、血縁を濃くすることで保証される
一族の繁栄を優先していたようだ。
夭折せずに成長できた場合は優性遺伝で優秀な逸材がでてくることもある
メリットもあったようだし。聖徳太子なんかがその最たる例なのかな。

戦国期になると大名クラスでは婚姻制度が他家との政略結婚がメインだし、
側室も政略的な意味合いであがってくるケースが多いから
濃い近親婚は意図的にしなかったようだね。
むしろ閉鎖的な地域の庶民あたりはかなり濃い近親婚を
していたようだね。戦後までそういった地域は一部にあったようだよ。

633 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:42:06
一定の話題じゃないとここ盛り上がらないよね。


>>620
このスレ覗いて書き込みするのは常連だけかと。
新規さんは多分ほぼいないと見て間違いないと思う。

634 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:11:46
>>633
その証拠は?
たんなる臆測ってことないよね、そこまで断言するならw

635 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:16:11
>>632
>>戦後までそういった地域は一部にあったようだよ

あったよ、うちの父方の実家の近くにあったB地区。

636 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:51:16
>>633
ものすごい思い込みだなw

637 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:51:25
>>634
一定の話題になると盛り上がるところかとw

638 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:56:45
>>637
その一定の話題が気に入らないの?

639 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 14:23:22
>>638
話題は気に入らないも何もない。
むしろ面白いことが発見できていい。
ただそれが自作自演多い事を感じ取ると何かむなしくなるw

640 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:28:45
>>639 なんで自作自演だと思い込んじゃうんだろう?
他の同調者のすべてを自作自演と思い込みすぎなんじゃないか?
戦国版で同様のことをぼやいているのは君か?
自作自演叩きの自作自演がバレバレだが。


641 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:41:46
>>640
どっちもどっちだとは思いますが、自演は明らかだと私も思います。
というより、濃姫出産話題を出したあたりから武田に人質に行っていた息子の
話の流れはそういう風にもって行きたかったんだろうなというのがありありと見えます。


っとまぁこれだけだと荒し同然なのでちょっと話題を。
この時代政略結婚が主流だったわけだけだし、現代の夫婦感情やらと一緒にしては
いけないんだとは思うのですが……。
この時代の武将に「恋愛感情」とかあったんでしょうかね?
例えば濃姫=安土殿で大切にされていたとしても、能力主義の信長の事だから
「こいつは出来る女だから、奥治めるのに役立つ」という理由で大切にしているなら
それは恋愛感情とは違うと思うし。
本当のところは信長に聞いてみなきゃわからない事ですがw
何かこの時代の武将の行動見ている限り、秀吉以外は女房に惚れているという
感じじゃない気がするんですよね。
どっちかというと、恋愛感情はお小姓へのものがそんな気がw

642 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:47:23
>>640
戦国板で言ってるのも私だよ。
だって2chだけでなく、個人サイトのBBSやヤフー、ミクシィ
濃姫関連全てに同じ話題コピペされてるんだもん・・・。
いい加減自演かと疑いたくもなるよ。。。w

643 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:56:31
自分がそうやって斜めから見てるから、何でも歪んで見えるんじゃないの

644 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:02:41
そうそう、ひねくれてるよね

645 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:05:39
自作自演も偏ってるけど、何でも自作自演と決め付けるのも偏ってる。
まさにどっちもどっちって奴か。

646 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:05:48
>>642
正しい事を広めてナニが悪いの?

647 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:07:31
っていうか、自作自演だと何か都合が悪いの?
都合悪いのって生駒厨だけだと思うんだけどw
世間では正しい歴史を求められてるのに、何故濃姫>生駒の図が
出てくるのを嫌がるの?
生駒が正室になれないとそんなに不満?ww

648 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:19:54
自作自演って、少なくとも下げるの知らない人のはよく分かるよ。
自分で釣って、釣られたフリして荒らしてりゃ、そら荒れるよな。
意図が見え見えだから、激しくもにょる。

一体何人が2chを見ているのかと思っているのかな。
別々の人間がそれぞれ別々にコピペする事だってあるだろ。
大体、2ch発祥と言ってる意見だって、それ以前にカキコされてる
別の掲示板なんか、知ってると、馬鹿じゃね?って思う事もある。

649 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:40:08
なんつーか、アレだ。
このスレは腐女子の同人サイトか?って思うな・・・。
キャラやらカップリング論争でもめているのと同じように見えるw

650 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:43:49
歴史物の同人サイトまであるのかよ。
いろんなサイト見てる濃いヲタが多いみたいだから、面白そうなネタをこっちにも持ってきて。
生駒ネタは荒れるので他ので。

651 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:51:34
>>650
いや、自分が言ってるのはここでの論争が
腐女子の同人サイト並だな、という事ねw

でも歴史ものの同人サイトはあるw

652 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:52:08
>>641 庶民ですら恋愛結婚は難しかった時代だからね。
恋愛感情がなんたるか、がわからなくて一生終えた人も多いだろうな。
ただねねに宛てた手紙を読むと女性に意外と優しい一面があるので、
正室&側室にはモテモテの信長だったんじゃないか?

653 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:01:53
あのねねに宛てた手紙も、本当にねねを思って不憫で書いたものか
「よーっし、ここで部下の奥方の点数稼いどけば、後々役にたつだろw」
という打算で行われたものかは・・・・・・どうなんだろうねw
個人的には前者であってほしいけどw

現代における恋愛感情かどうかは微妙だけど、
ガラシャに対する細川忠興の感情も熱愛としか呼べないよね。。。w
40近く(もしくは40過ぎ)まで同衾している夫婦や
ラブレターに近い書状が残っている夫婦はそういう感情が多少はあったんだろうと思う。

654 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:25:30
>>653
濃姫を京都に何回か連れ立っているし、御料所を賜ってあげたりしているので
冷え切った夫婦ではなかったと思う。結婚当初の立場が斉藤家>>>>>織田家
で、結婚後もしばらくは舅のバックアップに助けられたから、実は信長は嫁には
頭が上がらなかったりして・・・

ガラシャは忠興嫉妬説は疑わしいそうだよ。
ガラシャは光秀謀反後幽閉され、重度のノイローゼになって自分から
部屋に閉じこもるようになり、自害しないように見張りをつけていたらしい。
忠興には側室もたっくさんいたし、通説通りに妻ばかり熱愛した殿様というわけでは
ないらしい。後室をもたなかったのもガラシャを愛していたからなんて
いわれているけど、実際はもう政略結婚の必要もなく、あえて室をもつ
必用がなかったからというだけだろうね。ただガラシャに幽閉後も子供を産ませてるし
(妻はノイローゼだっちゅうのに)、実はキリスト教に寛容だったので
ガラシャに愛情がないことはなかったろうな。

655 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:06:53
>>632代々続く近親婚で奇形になって鼻がなかったという武田の家臣がいなかったか?
なんでも武田家との縁組が慣習だったそうなんだけど。
小説の話だったかな?


656 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:56:43
江戸時代の奥事情(と言っても大奥のみだけど)は色々調べたけど、
戦国時代の奥のことなんてみんな何で調べたの?
ここで言われている「戦国時代の奥だとこれは当たり前」とか
普通に書かれているけど、自分には知らん事ばっかりで置いてけぼりくらってる気分だ。
ちょっと読んでみたいんだけど、皆何でそういうのを知ったの?

657 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:00:14
「女性史」のジャンルで中世あたりに重点を置いているものを探すといいよ。
俺もこういうものを読むまでは昔の女性は家の犠牲になってかわいそうだ、と
勝手に思い込んでいたけどそうでもないんだよ。
こういうのを読んでから戦国ものを読むと見方も変わってくるよ。


658 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:35:50
>>656 大奥制度と基本ラインは一緒だと思うな。
戦国→正室は他家との同盟関係のために送られる使者
大奥→正室は公家との融合のために送られる使者

戦国→側室は正室の借り腹&人質&献上品で正室に統括される
大奥→側室は正室の借り腹オンリーで正室を頂点とする大奥の組織に取り込まれる

659 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:45:43
>>657-658
ありがとうございます。
調べてみる。

でも、大奥だと正室がトップとは名ばかりで、
実際は大奥取締りや子供を生んだ側室が権力を握り
正室は閨を共にすることすらほとんどなかったそうだけど。
戦国時代は正室の管理のもとで側室はおかれていて
それは名実共に守られていたみたいだし・・・。
戦国時代では守られていた奥の仕組みが、江戸になり大奥という一大組織になると
どんどん崩れてきたって事なんだろうか。

660 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 21:03:15
>>659
権力を持てるのは子供を産んだ側室ではなく、世継ぎを産んだ側室。
それも権力を行使できるのは世代が代わって我が子が将軍についてからだから。
それまでは取り締まり役のにらみの下でおとなしく従うだけだ。
正室は名前ばかりとはいえ、将軍亡き後も前将軍の御台ということで
次の将軍も恭しく扱ったし、将軍生母であっても前御台の上座に座ることの
許されないから、やっぱり正室の権威はご生母様よりあったよ。
30才で褥辞退は正室も側室も一緒だったからそのへんは平等かな。
それと意外だけど子供を産んだ御台所は6人だったかな。
子供が世継ぎになれたのは江与だけだったけど、あとは夭折してしまったり
姫しか産まれてない。そこそこ褥をともにしてたってことでしょう。
ただ戦国時代は正室は家のことにがんがん口出ししていたから
政治に一切の介入がなくなったことが大奥の御台と戦国のそれとは異なる。
他国の大名夫人も参勤交代で結婚当初から人質生活だから、戦国時代とは
事情は大きく変わったろうね。

661 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 21:16:11
江戸城の将軍家大奥を考えると、見誤る気がする。
敢えて比較するなら、江戸期の諸大名家の奥制度と比較するのがよろしいかと。

662 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 22:13:20
数日前からこのスレ見れなかったんだけど、
なにが起こってたの?

663 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 15:31:48
人大杉規制長いな

664 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 17:06:56
江戸期の諸大名家の奥も参考にならないし、比較にならないかと。
参勤交代で正室と嫡男は江戸屋敷にいたし、国元に側室がいた人も多いから
正室をトップとした奥制度ではないと思われ。

ちなみに大奥で御台は確かに肩書きの上ではトップだし、
一応敬意は払われているけど、お飾りになっていたパターンも多い。
御台が大奥を動かしていたわけではないし、戦国時代と江戸時代は
全く異なる奥文化だったと思ったほうがいいと思う。

665 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:09:47
>>646
>正しいことを広めてナニが悪いの?
ハハハハハ

666 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:21:40
なにロングパスしてんの…
私も前の話を掘りかえしたかった所なので人のこと言えないけど
信忠が位牌を置いた久庵慶珠と生駒女の戒名は似すぎているので
双方信長の側室とすると、やっぱり時期的なものだけでは
信忠の生駒女生母説は否定できないと思うんだけど、どうだろう
生駒女が生母なら、信長は生駒女の喪主を信雄にするなど
信忠と生駒女を、意図してかそうでないかは別にして、切り離している
で、信長の意向に軽く逆らって生母の位牌を置いたとしたら
その年が信忠が美濃を実質的に掌握した年と見ていいんでは

667 :666:2007/02/05(月) 23:42:10
崇福寺に宛てた書状が濃姫のものだったとすると
崇福寺の位牌所も墓石も信長と一緒というのも濃姫が差配した可能性が高い訳で
実母同然に育ててくれたと想像される濃姫に遠慮がなかったのか、など
疑問はつきない訳だけど

生母に拘らず、信忠の曾祖母とみた方がすっきりしそうなんだけど
そういう見方は無理なんかな
小見の方の母親とか、明智まで織田当主が拝みに行く訳にも行かんしって
位牌所設置した可能性ってないのかな?

668 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 11:10:18
>>666
>信長の意向に軽く逆らって生母の位牌を置いたとしたら
>その年が信忠が美濃を実質的に掌握した年と見ていいんでは
判物の内容からして、位牌所おいたのは天正5年じゃなく、
もっと以前じゃないかな?
奇妙のまま判物出してる元亀2年においたんじゃないか?
元服前に判物出してるのは、生母の喪主だったからと考えれば
違和感はないけど、それだけに限定する必要はないな。
墓所はなく、位牌所だけなら、生駒氏息女の可能性もあるけど、
岐阜に移ってすぐならともかく、何年も経ってからって言うのが不思議だ。
元服して信重になったから改めてなら分かるけど、奇妙のままだしな。

>生母に拘らず、信忠の曾祖母とみた方がすっきりしそうなんだけど
>そういう見方は無理なんかな
>小見の方の母親とか
小見の方の母親なら、いくらでも斎藤家や美濃の縁者がいるんだから
信忠がする必要ないよ。
岐阜に縁者達が設置した位牌所に、拝みにいけばいいだけ。

669 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 22:50:13
小見の方の母親の没年月日って、解からないものなのかな?
どこで調べれば解かるんだろう? やっぱ寺かな?
斉藤家の面々なら、信忠が美濃のトップなんで岐阜の廟は信忠が設置しろって
言い出しかねない印象があるんだけど。
一スレ目の引用なんだけどさ、ちょっとバロンさんの文で気になる文面があって

>55 名前:バロン曽志崎[sage] 投稿日:2006/10/03(火) 04:00:57
>信忠が「三郎」と名乗ったとする資料が無いわけではない。
>例えば群書類従本織田系図では信忠は永禄十一年に元服し「三郎」と称した
>とある。
>ただし、元亀二年付けの信忠の書状(崇福寺文書)の署名は未だ「奇妙」で
>あるし、天正元年の書状(小川文書)では既に「管九郎信重」であり、どう
>好意的にとっても元亀三年前後の一年程度に「三郎」と名乗った可能性があ
>るかもしれないというレベル。

永禄11年て、美濃に入ったばかりの頃だよね。
群書類従本織田系図がどの程度あてになるのか解からないんだけど
実際に永禄十一年に信忠の元服に関するイベントがあったのだとしたら
信忠を元服させ三郎と名乗らそうとしたけれど、斉藤家の反対で叶わず
信忠の元服を引き伸ばすことにした(その間に美濃の統治を固めるつもり)
というのが、ありそうな線なんだけど。
で、時間稼ぎしている間に三方が原の戦いがあって窮地に陥り
諦めて斉藤家当主の名前の九郎が入った勘九郎にしたと。
道三と同じ新九郎にせず、道三の父の名にしたのは、親心かな
新九郎は、道三は我が子に殺される、義龍は親殺し・早死にと、ろくな運命を辿った人が居ない。

まぁ結構強引な案なんだけどさ
群書類従本織田系図が、伝聞にすら基づいていない可能性もあるのかもしれないし
それにしても、5年間、九郎の名前を空席にして粘っていとしたら斉藤家の執念凄すぎる。
というか、むしろ理解不能。
何の脈絡もなく九郎と名づけた方がいっそすっきりするんだけど
「勘九郎」であるからには斉藤家と無関係な可能性は低そうだよね。

670 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 14:58:35
一人で長文書くばっかりしていい加減ウザがられてそうなんだけど、もう一つ蒸し返し
於坊と於次が双子で濃姫の実子なんじゃないかって説が
於次のお袋が正室らしくない行動をとっているために却下になったことなんだけど
双子が生まれたら、一人は別の人の子とするんではないかな。

結城秀康は双子だったらしいけど、双子の片割れは家康に認知さえされなかったし
いかに革新的な信長といえども、双子をそのまま公表はできないんじゃないかと。
双子が生まれて、慌てて濃姫付きの侍女にでも手をつけていたことにして
その人が於次のお袋と公表して、だけど生まれた子供の後見は濃姫がしますなんて
言い出しすことも有り得そうな (あくまで濃姫の子で双子という仮定に立った場合ね)
於坊は健康、於次は生まれつき体が弱いけど
そういうのって生まれた時の体重差が最後まで響いていることも多いし
言いにくいことだけど、お手つきの子と公表されるとしたら於坊ではなく於次の方だと思う

お袋と公表された人もそれなりに於次の面倒見るだろうし
お袋と養観院が別人で、養観院=養華院の可能性も捨てきれない気がするんだけども

671 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:10:29
>>670
実は、自分もそれは考えた。
ほぼ同じ推理。

双子だったら、離して育てるから早い時期に片方侍女へ。
もう片方は、2人の顔がすごく似てるのが分かり始めた、まずい!!
ってことで遠山家へお預け、後々東濃を支配したら、
正室実子ってことで戻すかって気楽に思ってたら、そのまま武田へ人質。
こりゃ、どうせ生き延びても、武田マンセーに洗脳されてくるだろうから、
素直に信忠を嫡男にしとくかってなかんじの流れを推理してたぜ。

672 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:15:39
や、双子だったとしても、信長は顔が似ているとか気にしないんじゃないかな。
多分建前が「双子じゃない」ことになれば、充分だよ。
専制君主が双子じゃないと言い張っているのに、そこを指摘するような
向こう見ずな家臣はまず居ないだろう。
於坊を遠山に養子に出すのもかなり嫌がってるし、離して育てようと思っていたかも謎。
養観院=養華院=濃姫だったのなら、離して育てる意志は無かったと受け取った方が
自然なんじゃないかな。

信忠が養子で、於坊、於次が実子だったとしたら
遠山夫人が於坊を養子にといったのが、双子っていうことで足下見てたから
養子と実子の間で、どっちに継がせるか揺れている信長に
実子の方出せと言ったと取れなくもないのか。色々深いな。

濃姫の子だったとしたら、於次は一応お手つきの子となっているけれど
正室の子というのを、秀吉に上手く利用された形になるのかな。
秀吉が、本能寺後早々に蒲生氏郷についてもらえたのも、冬姫の同母弟の於次のお陰だろうし。

信忠を嫡男とするかどうかについては、於坊が武田に取られる前にあった初陣(小谷城攻め)で
その時織田が一箇所に集められる最大動員数を突っ込んでいて
内容も割と無理のない戦い方になっているし、もうこの時点で世継ぎ確定かと
盛大に具足初めを祝いたかったんだろうけど、浅井が挑発に乗らなかったので
ちょっと空振り気味かなww
ともあれ、於次が秀吉の中国攻めの中で信長の立会いもなく初陣したのとは対照的だと思う。
つーか、信長は信忠と他の子区別しすぎ・・・・・・。

色々と総合するとやっぱり、於坊、於次が濃姫実子だったなら
信忠も実子の可能性が高いんじゃないかな。(濃姫に若君なしって表記が嘘になる訳だし)
信忠を取り巻く斉藤家の動きが、信忠養子で、於坊・於次が実子とすると解せないし。
信雄の「信忠と母が一緒」という主張は信雄の後見をしたのが濃姫だったからと考えられないこともないし。
両方実子と考えるか、もしくは寺で生まれた子は姫か早世と考えて勢州軍記を信用するか
どちらかなんじゃないかと。

673 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:54:43
いい加減我ながらウザすなので、これで語るのはラストで
671には失礼なレスつけてて心苦しいし。

根拠といえるようなものはないんだけど、信忠と信房は同母兄弟のような気がする。
信房があのタイミングで帰ってきたのは、1581年7月までの信長と信忠の不和が影響していると思う。
4ヶ月間目通りも許さず、帝に仲裁まで頼んでようやく収集した、お家の大事。
ここに、信長が帰還を熱望している勝長を投入したら、きっと親子で戦い始めるはずと踏んでの
勝長の送還ではないかと。

それに、後々まで勝長を甲斐に置くことに対して不安があったろうとは思う。
上杉の御館の乱で、勝頼が北条側の景虎の支援をやめ、景勝支持に転じたのは
勿論、景勝の財力も魅力だっただろうけど、縁戚関係にある後継者候補を押しのけて
実家の勢力が強大な養子に肩入れするのに抵抗があったというのもあるんじゃないかな。
勝頼も織田家の息子を抱えていることで、内側から切り崩される可能性はゼロではなかった訳だし。
(重税で嫌になっている家臣達に織田に寝返る名目として利用されたり、色々)

で、信房が織田に帰ったら
正月行事や左義長を盛大に執り行う織田の年間スケジュールを考えると最速で、武田攻め決行。
帝に仲裁を頼んだ不和は、能やらなんや、意味不明な原因だったのに
信長の援軍を待てとの命を無視して武田攻めを決行した結果が、家臣団が揃い踏みしている中での
「天下の儀も御与奪」ですよ。
もう、はめるつもり満々だったとしか。

仮に本当にフェイクだったとして、信長、信忠、どっちの発案だったかは解からないけれど
家臣団が本気にしたら家が瓦解しかけかねない策に乗ったか、発案したとしたら
信忠にとっても、信房の織田家への生還は、悲願だったんじゃないかな。
信房が織田に帰ってきてからは、いつも一緒にいる感じだしね。

674 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 18:21:13
>>673
>671には失礼なレスつけてて心苦しいし

自分は、>>673ほど、真面目に考察して書き込んだ訳じゃないんで
気にする必要なんかないさ。

於坊、於次双子説面白い。
信忠とも同母だったら、色々納得出来る事もあるが、
残ってる文献を考えると、そこまではなと思ってしまうがな。

信忠が、生駒生母ではないと考えた方が、
しっくり来る事が多いんだが、ちょっと上で出てる
久庵慶珠の事をもう少し調べてみたいものだ。


675 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 18:24:24
電波がdjと聞いてdできますた!

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