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武田勝頼

1 :山県昌景:2006/11/29(水) 18:33:03
武田勝頼について語ろう

2 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 18:34:30
2ゲット

3 :信長:2006/11/29(水) 18:35:23
この前は虐め過ぎた。ごめん。

4 :武田典厩信繁:2006/11/29(水) 18:48:00
武田勝頼。

彼は、日本戦国史上最も強かった武将と言えまいか・・・。
彼はお家を潰した凡愚の将と取られがちではあるが、家を潰した原因は
勝頼が原因ではない。それは信玄であろう。勝頼を正式な後継者として
示さなかった事が実に悔やまれる。信勝が成人するまでの後見役という
役どころはあまりに不幸すぎるといえるだろう。
穴山梅雪などのような御親類などから、軽く見られたのも頷ける。それは
諏訪の血を引く事が影響していたとは思えないのだが・・・。つまり、
勝頼を正式な後継者と神・信玄が認めなかったこと。これにより、戦国最強
とまで謳われた武田家臣団の屋台骨は揺らぐ事となってしまったといえる
だろう。
ただ、ここで一つ考えて見てほしい。武田譜代衆の面々はほとんど、勝頼
を支持しているではないか。歴史の解釈とは違い、山県三郎右兵衛尉昌景や
馬場美濃守信房などは勝頼を支持していたという。
ただ、御親類衆の力が強すぎたこともあり、それを内外に示す事が出来なかった
事が実に悔やまれる。

恐らく、勝頼は戦国史上でも稀に見る名将であると言える。どちらかと言えば
智将というよりは、猛将と言った方が良いだろう。信長・家康が長篠後も怖れ
続けていた事を忘れてはなるまい。さらには、長篠後においても勝頼は、
家康相手に互角以上の戦をしている。
勝頼の強さと、真田昌幸の知略が融合し、まさに最強のコンビと言えただろうに。
涙なしには語れまい・・・。
もっと簡潔に言おう。自身の評価では・・・・。

信長=勝頼>家康くらいであろうか・・・。長文陳謝。

5 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 19:02:47
北条氏政と対陣した時、決戦して白黒決着とつけようと書状を送ったのが氏政は恐れをなして
決戦をさけた。そのまま対峙していたが徳川家康が攻めてきたことを知ると
うじうじして戦意喪失の氏政をそのままに取って返し物凄い勢いで家康のもとへ向かう
そのあまりに速さと勢いにビビッた家康もまた逃げ出す。
勝頼は家康を取り逃がして悔しがったという

まさに強すぎる大将でしたね

6 :山県昌景:2006/11/29(水) 19:04:06
武田典厩信繁の言うとおりで滅亡したのは、穴山梅雪、木曽義昌、小山田信成や
長篠の戦いに誘導させた、長坂や跡部が悪いのでもしこれらを側近に置いて
いなかったら武田家も変わっていたのであろう。
本当にかわいそうな勝頼でしかたがない

7 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 19:13:37
タイプ的には上杉謙信に近いと思う
ただ謙信と違うのは決定的な長篠の敗戦があること
あれさえなければまだチャンスはあったろう 運が無かったとしかいいようがない

8 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 19:19:47
あれだな辻と似た馬鹿
まだ辻のが世渡りの術やら部下からの信望が有るだけマシ
牟田口の性格と辻の性質…
そりゃ滅びるわけだ

9 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 19:58:35
急ぎすぎた 急がされたというべきかそのおかれた時代と状況が大変だった
決して無能な人ではないけれど 潔く散っていった豪気の武将
最後は信長と似てる 

10 :武田典厩信繁:2006/11/29(水) 23:01:37
その通り。運がなかったのだ・・・。運も実力と言ってしまえばそまでだが(苦笑)

ただ良く考えて見て欲しい。勝頼の力は死後も繁栄されていたのだ。家康を
が震えるほど怖れ、そして信長が怖ろしさのあまり憎みすらしたこの勝頼では
あるが、三方ヶ原にて、その勝頼の鬼神の如き武勇を間近でみた家康はこう思った
に違いない。自分とは格が違うほどの名将であり、二度と直接対決はすまいと。
勝頼とはそれほどの武将なのだ。勝頼の鬼神の如き戦を見なければ、家康も
脱糞&失禁はしなかったはず。
さらには、長篠敗戦後の勝頼は、譜代衆や御親類集以上に、他国衆である
真田昌幸を重要視している。これは勝頼の人材管理能力を如実に示している。
それだけ、部下を見る目も素晴らしかったのだ。あの幻の新府城は、真田昌幸
が築城したようなもの。その勝頼が絶大なる信頼をおいた昌幸。
その昌幸も主君勝頼を慕った。それを家康が見逃すはずはない。
真田の武勇は、ご存知徳川を2度敗退させていることからも分かる。息子・幸村が
大坂の陣のため、大坂城に入場したとき、家康は家来にこういった。
「真田が入場??昌幸か??倅か??」
これは、勝頼に一目置かれ、そして勝頼と共にあった昌幸を畏怖しての意味を
持っている。
さらには、真田幸村の赤備え隊が天王寺の決戦の折、家康本陣に何度も押し寄せ
た時、家康は切腹すら覚悟したという。
これは紛れもなく、真田信繁こと幸村の鬼神の如き攻めが、勝頼の三方ヶ原と
同じように見えたからだ・・・。まだその勝頼のトラウマから家康は抜け切れて
いなかったといえるだろう。
その死後も、存在を恐れさせ、そしてトラウマを与え続けた勝頼。
彼を名将と呼ぶ他何と呼べばよいのか、自身には分からない。





11 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 23:12:38
家康は武田軍が一生のトラウマになってたからね〜

12 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 06:40:17
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

13 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 07:35:49
戦の才能がずばぬけてある人なんだよね
あの強さがいったいどこから来てるのかが興味ある
諏訪衆の力だったのかなんなのか 軍神の申し子みたいな武将だ

14 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 07:42:30
俺の脳内イメージ的には項羽だな(漫画赤龍王)

15 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 08:01:41
しかも美男子で若妻にも愛されまくってたらしいし
肖像画も柔和な感じ 猛々しいだけの人でもなさそうなんだけどね

16 :日本@名無史さん :2006/11/30(木) 13:09:43
信玄の時と違って浅井・朝倉・足利将軍・長島本願寺など、
信長のまわりに武田との同盟者がいなくなっていたことは彼の責任ではないだけに不運だな。

17 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 13:30:13
勝頼は美男子で北条の娘から愛され、そして死ぬほど強かった。
軍神を生かしておくことは、時代が許さなかったのだ。
臆病者である信長は勇将、つまり自分よりも強い武将を生かしておくことを
許さなかったのだ。

18 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 14:45:30
柴田勝頼は口だけで弱いけどな

19 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:25:43
武田家ってね甲斐から追い出されてね
跡部氏が専横していた甲斐をなんとか平定したあとも有力豪族との
微妙なバランスで成り立っててね
時には相続争いで国を二分したり親子で争ったりってしてた土地なのね
勝頼の代になったからってその体質は変わらないどころか
支配地域が広くなったんだから余計に豪族がまとまりつかなくなって
勢いがある頃はそれでも従ってくれるけど勢いがなくなった瞬間の分裂は
非常に速かったんだよね
本人の資質以前に組織体系や支配への正当性って部分でかわいそうな状態だったのさ

20 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:36:18
上杉謙信が北陸から武田勝頼が東海道から同時侵攻すれば面白かったのに

21 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 10:14:05
武田家ってね、勝頼以前数代前まで甲斐に入国すらできなかったんだよ
甲斐に入ってからも親子兄弟でクーデター騒ぎばっかり起こしててね
そのたびに豪族間の力関係が変わってるのさ
一番有名な信玄も父親を追い出して長男から危うく反乱されそうになってるだろ
しかも勝頼は諏訪家を継ぐはずだったから甲斐の豪族にとっては面白くないわな

22 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 11:15:39
勝頼は非運の武将。
愚将だったほうが救われたかもしれないな。

23 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 12:00:20
勝頼は政治が苦手で軍事が得意という点で父よりも祖父の信虎の性質を受け継いでいるな。
まあ三代続けて戦の天才を輩出したというのは大したもんだ。

24 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 12:33:21
内ゲバってのは源氏の宿命だからな 武田も清和源氏らしく
内ゲバばかりやってたようだ 一面、それが活力にもなっているわけだ
骨肉の争い、血を血で洗う抗争というやつだ
 

25 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 13:01:52
新田次郎の勝頼って贔屓の引き倒しだと思う

26 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 13:11:05
政治が苦手というよりも
中央集権化しようとして豪族にそっぽ向かれただけだ
勝ち続けている時には発言力はあるが
長篠での敗戦は豪族連合でしかない武田にとっては痛かったなあ

27 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:13:52
>>21
>甲斐に入国すらできなかったんだよ

甲府の近くの石和にいた筈だが、石和は甲斐ではないと??

28 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:51:44
>>25
小説の主人公なんてそんなもんだろ。
視点を決めて人物造形しなきゃ創作できない。
新田にとっては郷土への愛着もあったしな。

29 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:55:46
読んだけど全然>>25のようなことは感じなかったけどな
淡々とした文章だった 小説じゃないけど その時〜の勝頼の話はちょっとそれっぽかったけどw

30 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 17:19:06
まあ世間一般のイメージ考えると肩に力も入るんだろうが 戦国好きのマニアなら勝頼が無能じゃないことくらい知ってるよな

31 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 17:27:26
正室厨の三条ヲタは、勝頼まで嫌いだもんなw

32 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 19:09:36
>真田昌幸を重要視している。これは勝頼の人材管理能力を如実に示している。

真田はどうかな?真田の勧めで新府城を作って、武田家の財政が急速に悪化した
これが滅びる大きな要因になった
 元々、真田は出自が怪しげだし、近づけるべきではなかった
その後、真田幸村が大阪城に入場、善戦したというのが巷間言われているが
実際は、大阪城の財宝を真田が食いつぶして、豊臣を再起不能にまで持ち込んだ
秀吉の埋蔵金も真田がひそかに掘り出して、どこかに隠匿した
真田が食いついた相手、武田家、石田三成、豊臣家ともに滅亡している
宣伝のうまい真田がその後、本やウワサで人気を煽っているようだが
歴史的に考察してみると、狡猾な食いつぶし屋ではないかと思える

33 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:43:54
>>32
それ立川文庫かなにかですか?

34 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:25:43
韮崎に新府城をつくったのは、穴山の勧めだと、どこかで見たことがある。
そして金を無駄に使わせて、武田の評判を落とし、最後は裏切って
武田を乗っ取ろうとした極悪人、穴山梅窃

35 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:57:44
新田次郎の影響受け過ぎ

36 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 00:31:41
設楽原であんな破滅的な敗北(過信なのか、やむにやまれずか)をし、
高天神城の後詰すらできない男が強いとは思えん。
立場的には諏訪のよそ者ってことで弱かった。

37 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 01:50:49
>>29
武田信玄よんでみ
上杉謙信が基地外のように書かれていてこれはひどいと思った。
郷土愛かなんかしらんがあれ越後の人にとっても噴飯ものだろう

38 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 02:19:29
昔読んだ本では跡部長坂は勝頼に甘言を並べて宿老の献策を排除し、
武田を滅亡に追い込んだ張本人として描かれていて、消防ながらに絞め殺したい程むかついたものだ。
だが新田の本ではその二人は真田曾根に次ぐ有能な文官であり、
逆に穴山らの宿老を武田滅亡の張本人として描いている。
滅亡の責任をどこかに求めなければならないとは言え、あまりに両極端な見方に驚いた。

39 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 02:46:57
新田次郎は郷土贔屓がひど過ぎる。
武田をもちあげるあまり、敵対する人々を極端に貶める所が好かん。
山岳小説や文学では第一人者だが、武田ものは正直いって他地方の人には
不愉快なだけ

40 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 07:20:07
それって単にお前らがアンチ武田だからでは?

41 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 07:23:35
>>37
海音寺の天と地とってどんな感じ?w どうせ武田が悪者扱いだろ?

42 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 08:24:12
時代小説で作者の好き嫌いが出るのはしょうがないわな
善悪をはっきりさせたほうが物語性も引き立つし

43 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 08:42:36
実際 穴山 木曾 小山田は裏切り者だな
親族衆筆頭の穴山が裏切ったのはでかい よって一番の悪人は穴山でいいと思う

44 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 08:44:57
>>39
はは、違うスレでも同じようなことこぼしてただろ?
新田が諏訪氏に肩入れするのも、
作家の個性のひとつと了承して読みなよ。
「小説」なんだからさ。

45 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 09:29:47
そもそも武田家は他家よりも増して豪族連合だからなあ
跡部や長坂の重用に面白くない豪族も多いし
見事に織田家の切り崩しにあってボロボロにされちゃうし

46 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 09:52:29
その織田家とやらも最後はボロボロだったけどな

47 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 13:28:24
>33
立川文庫などではない 以前に豊臣秀吉の埋蔵金について調べたことがある
兵庫県の稲川銀山だが、そこの資料を調べてみて真田の正体を見破った
真田は埋蔵金関係者から埋蔵場所を聞き出して、大判小判を掘り出して隠匿した
大阪冬の陣、夏の陣のドサクサまぎれに埋蔵金関係者を斬り殺している
大阪城入場は徳川家康などと気脈を通じた上で、豊臣の財宝の食いつぶしを
狙って入ったものだろう 現実に兄は徳川方の武将だ
真の悪党とは真田のようなもののことを言うのだろう
大阪夏の陣の後で、家康が真田幸村の首実検をしなかったのも不可解
恐らく、替え玉を殺して幸村に仕立てたのだろう

48 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 15:27:00
>>33
すみません、真田悪党キャンペーンはそれはそれでいいし、
自レスの説明も良いのですが、
武田勝頼についてはどうなんでしょうか。

また、銀山の「資料」って伝承伝説まみれでもありますよね・・・

49 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 15:31:44
ただ勝頼が最後に真田によらずに小山田にいって裏切られたが、
真田にいっても同じ結果になっていたと思う。
昌幸も所詮豪族連合の片割れだし、武田に準じる義理ないから、
どの道詰んでいたと思う。

50 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 15:53:47
どの大名も所詮豪族連合だろw

51 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 15:57:19
織田家の画期的な所はその絶頂期に豪族家臣達に裏切られ滅亡したことだなw

52 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 16:21:07
明智氏や羽柴氏は豪族や国人ではないよ。
なんで織田家を引き合いにだすのか意味不明。

53 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 16:28:42
織田ヲタ以外所詮豪族だの言わねーからw

54 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 16:46:14
織田家が豪族連合ならあの極端なまでの国替え攻撃でとっくに謀反で滅んでるよ


55 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 16:48:02
どっちみち滅んどるがな

56 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 17:34:18
>48
豊臣秀吉の埋蔵金伝説は確かに伝説の部分が多いが、それを確認するため
各種資料を渉猟して分析した その中に真田が掘り出したという記録も
あるのでかなり調べた

勝頼はしょせん諏訪氏の系統で武田が滅ぼした諏訪氏がああいう形で
逆に諏訪氏が武田氏を滅ぼしたものだろうと見ている
その意味で勝頼を頭領にすべきでは無かった 因果は巡るというやつだ

57 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 17:38:36
自分で自分に復讐するかよw 現に高遠では弟仁科五郎が頑強に抵抗してるだろ

58 :ブリ汚:2006/12/19(火) 17:40:07
>>47
首実験ってなんですか?
まさか家康が信長みたいな残酷な事したの?

59 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 18:02:25
>58
首実検というのは、戦争後、誰が誰を倒したかを確認するため
首を家康らにみせて確認してもらうこと、首次第で恩賞がかなり違う
実際には、戦後に首の奪い合いなどが多かったらしいが、、、
福島隊の可児才蔵は首を19個上げている 首の口の中に笹の葉を差し込んで
他のものに取られないようにしていた

60 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:18:51
>>58
おいおい^^;
徳川家康を髑髏に金を塗って実験するようなキチガイと一緒にしないでくれよw


61 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:24:08
金髑髏は空想

62 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 21:24:38
>>55

>>52は織田家が豪族連合だから滅んだと受け取れる発言をしているが、
それじゃあ答えになってないぞ。
滅亡した理由を聞かれて、どっちみち滅んでるがなじゃあ
返事になってない。

63 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 21:25:34
>>52ではなく>>51のレスだった。
まあ文意は通じるだろう。

64 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 21:26:40
豪族だろうがなんだろうが家臣に殺されてるだろうがw
豪族だろうが百姓だろうが関係ねーってこった

65 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 21:28:28
豪族じゃねー家臣とやらに殺されてりゃ世話ねーな
戦国の黄金バッドノブナガはw

66 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 21:33:58
戦国では主君を裏切るものはみんな豪族と呼ばれていたのです

67 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:06:55
ヘイノウブンリすれば謀反は無くなるって信長が言ってた

68 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:23:39
>>43
その中では木曾を別格にしてほしいなぁ。
あの裏切りに不快感は感じないよ。

>>56
んで、いつ信繁が兵庫に行ったの?

69 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:47:08
豪族連合だから滅びるっていかにも織田ヲタの考え付きそうな妄想だね

70 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:03:01
まとまらない山国を守護大名とはいえ、統治に何代もかけて漸く掌握できた
信虎、信玄も勝ち続けることによって求心力を高めてきたが、
勝頼が豪族あがりの重臣たちの進言をはねのけて、大敗し
大将首いっぱいとられて甲斐に逃げ帰ったシナー
超略されるわ、ライバルの織田家は勝頼同様に後継を自他共に認める
信忠が快進撃をつづけ、縁戚を結んでいた北条や、武田と長年戦ってきた
徳川も進撃してきたとあってはそりゃ誰もついていかないわな。
土着でもなんでもない甲斐源氏に最後まで忠誠誓ってもなーんのメリットも
無いし、一門衆筆頭の信君も裏切るわ、重臣の信茂も裏切るわで
求心力がもうなかったんだよ。
あなたは豪族連合の盟主としては不適格。 
大体なんで征服地信濃の諏訪氏の裔をかつがなにゃならん。
勝頼の首さしだして本領安堵とった方が利口じゃね?と名古屋人の俺なら普通に
思うわね

71 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:25:18
勝ち続けても求心力保てないで家臣に殺された尾張のうつけも
同じ尾張の秀吉に後をついでもらったから安心して地獄に行ったろうよ

72 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:26:52
武田勝頼は相当強いよ。軍事的な面で言えば信玄はもとより謙信よりも上じゃないか?謙信は進んだり退いたりの繰り返しで後年まったく良いとこなし。それに比べ勝頼は凄まじいばかりの勢いで進んでいった。
ただ織田に対してはもう少し策を張り巡らせた戦をして欲しかったが…

73 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:28:38
長篠って織田徳川が柵の後ろでビビって引きこもってただけだろw


74 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:32:08
大河信長の長篠の戦いの武田軍のかっこよさは異常

75 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:34:51
>>72
高天神城のことをいっているなら、徳川も織田もうごいてない。
単に小笠原氏との戦いでおちただけ。

一説には信玄は3年間喪に伏せといったとされるが(ちなみにこれ裏とれているのかね信玄の遺言)
勝頼って国内を固めずに翌年高天神城を落としてる。
高坂らが高天神攻めをとめたらしいが、(織田を刺激するから)
ひとっつもきかないから主家滅亡の前兆と危惧してもいる。

で高坂の危惧はあたって後年の大敗北へとつながる。


76 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:37:17
あの柵は武田軍に弱兵尾張兵が糞尿チビっても逃げ出さないために作ったんだよ

77 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:36:43
>>73
そんな相手に大敗し、総崩れになって有力重臣を死なせた
弱い大将がいましたね。

78 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:44:11
それだけ大敗しても相手がびびって追撃できなかったのがすごいよね
よほどのヘタレだったんだね 尾張兵

79 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:53:01
逆に言うと烏合の衆の織田軍ではあれだけの特攻攻撃はできなかったよな 
武田家のために殉じる武将があれだけいたこと自体がすごいし かっこいい
 

80 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:58:11
>>78
それは馬場が死に物狂いでしんがりを勤めたからだろう。
>>78
ムダ死にを喜ぶ、バカ集団ってことかい。自爆集団?


81 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:59:20
家臣に殺され家臣に乗っ取られぐちゃぐちゃになった織田家の醜さより
長篠の戦での武田の武将達の散り様のなんと勇ましくもはかなく美しいことよ

82 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 05:06:04
「およそ軍勝五分をもって上となし、七分をもって中となし、十分をもって下と為す。
その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。
たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。
すべて戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」
勝者に驕りが生じることを戒めた言葉。信玄死後、連戦連勝を重ねた勝頼が長篠で一敗地にまみれたことを重ねると、
実に説得力のある戒めである。

以上wikiより引用

まさしく勝頼の勇将ぶりのなんと底が浅いことか。
戦について父である信玄があの世でないておるわ

83 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 09:44:30
まあ冷静に分析してみれば
信虎も跡を継いでから甲斐統一と信濃で戦い続けるしかなかったし
晴信も跡を継いでから信濃、駿河と戦い続けるしかなかったし
勝頼だって同じで戦い続けることでしか求心力を保てなかったんだよ

織田家との比較で織田家だって豪族の集合体という人もいるかもしれんが
成り立ちの基盤が全然違う
信長のオヤジの時点からしっかりと基盤ができていた信長は自身の代になって
さらにそれを固めているから自分の裁量というのである程度動かせたが
武田家の場合は明らかに豪族の方が力がでかくお館様自身は力を持っていない
名家を担いだ豪族連合って感じの集団だからね
代を変わるごとに主要豪族が裏で暗躍してるんだよ


84 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 09:51:58
>>82
あのさー。ある程度の知識をもった人も多数いるこの板で、
wikiの引用なんてしないでくれる?

85 :うんの:2006/12/20(水) 10:22:15
>>617
馬氏は中国系ではないが不明 屋号の「アンダ」の意味は「友達」と聞いた
門中(ムンチュウ)制度は中国から伝わった制度ではない
門中は沖縄の士族などが有した中国風の姓の集団
どちらかいうと韓国の氏の制度に似ている

中国系の久米36世(蔡・鄭など)をはじめ
中国系以外の士族も漢姓を持っている
例えば馬以外には有名なのが尚であと向・毛など星の数ほどある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E4%B8%AD#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AE.E9.96.80.E4.B8.AD

86 :うんの:2006/12/20(水) 10:23:37
85はミスです 申し訳ない


87 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:09:33
>>84
wikiを上回る識見を示せば済む話。
ある程度の知識とやらを見せてくれ。

88 :日本@名無史さん :2006/12/20(水) 12:18:01
相変わらず武田と織田の争いが醜いんだが。


89 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:27:07
謙信かて似たようなもんだ
管領職を継いだ時などは関東に大号令出して8万の軍で小田原城を囲んだもんだが
結局は越後一国だけで終わったじゃないか

90 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:31:17
そうだそうだ。武田は温泉に入っていろ、織田はお茶でも飲んでいろ!
光秀は思いました。

91 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:36:16
小田原・北条氏康「呼んだ?」

92 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:42:15
信玄も信濃征服戦の過程で砥石崩れで板垣、横田など当時の武田家首脳陣が
討ち死にしまくりな敗戦を経験している
ただ、勝頼の時との違いは周囲の環境

晴信砥石崩れ後→三国同盟により東南は磐石、敵は北信村上小笠原連合「のみ」
一度は負けても国力の差が武田>>>村上小笠原
勝頼長篠大敗後→甲相同盟により東南のみ安定、敵は織田、徳川、上杉
上杉とは冷戦状態だったとは言え、北信上野には兵を貼り付けておかないといけない
この差は大きい

93 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:55:11
信玄は上杉を頼れと言い残したそうだが、家名を残せという遺訓の象徴だろう。
勝頼は戦ばたらきの事ばかり考えて織田、徳川、上杉との和平をまったく考えてない。
信玄の死後、わずか一年で高天神を攻め押せばそりゃあ織田・徳川を刺激する。
設楽原以降の急速な弱体化ももとはといえば重臣たちの諫言を試みず
一人つっぱしって将兵を失い、この国主は駄目だと器量を見切られたんだろう。


94 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 12:55:14
>>92
織田が天下人として足場を固め終わったのも大きいと思うよ
長篠の敗戦時点ではまだ崩壊に至っていないからなあ

95 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:01:14
>>94
ですね。相手が悪すぎた気もします。
織田だけでもきついのに徳川までいますしね。
おまけに信玄時代の織田徳川をある程度抑えられる同盟国は軒並み滅んでるし。
この状況でよく7年ももったもんだと思います。

96 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:06:01
長篠の両軍戦死者数−織田600人・武田1000人。

97 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:07:43
>>96
織田は大将首はほとんど死んでない。
武田は文字通り瓦解した。

98 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:18:33
いや、そういう事ではないだろ^^

99 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:27:21
そういうことだよ

100 :日本@名無史さん :2006/12/20(水) 13:28:44
それで武田勝頼が死んだのと同じ年に織田信長も殺されているわけだが

101 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:36:08
マジレスすれば最後の大抵抗勢力である武田を潰したことで
織田の天下が磐石のモノとなりここで一気に信長が役職について天下人になる予定だった
それが九条前久が以前から準備していた信長太政大臣就任説
だが実際には太政大臣に就任する直前に本能寺の変
変を起こしたのは義昭はじめ幕府要職と親交の厚い光秀だったというお話

102 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 13:51:06
>68
>んで、いつ信繁が兵庫に行ったの?

家来が兵庫県の猪名川銀山に行ってるね 3000枚ほど掘り出したということだ
慶長大判は今では1枚1000万円くらいする 昔はどうかわからんが真田丸の
工事費用にでも当てたのだろう

103 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:13:13
>>89
そんなバカな。七尾城などを降して越後+越中+能登+加賀+東上野だ。
(いわゆる手取り川の戦い時に越前の一部にも侵攻している)

>>101
黒幕説はみんな根拠がない。
1の信長、既に織田家の当主で2の信忠がわずか護衛で京にいるという、
千載一遇の好機だったので3の光秀(畿内の軍権・民生を掌握)が天下を狙っただけ、
秀吉の大返しがなければ天下取りは成功していた確率が高い。

104 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:23:48
手取り川の戦い
手取り川の戦い
手取り川の戦い
手取り川の戦い
手取り川の戦い
手取り川の戦い
手取り川の戦い

馬鹿かおまえは 実在していない合戦など出してくる新潟人に哀れみすら覚えるw

105 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:31:49
>>104
だから、「いわゆる」という前置きをしてるだろ。
日本語をお勉強してね。
このとき謙信は七尾城や加賀の大聖寺城などを攻略し、能登、加賀を勢力圏
にしている。

106 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:40:12
いわゆるも糞も手取川の戦いなんて実在していない。
つまり織田の軍勢を排除できていないのに
周辺を実効支配できる道理がないと理解できないのか?

107 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:54:19
>>106
「天正八年閏3月9日、柴田勝家は加賀へ侵入して添川・手取川を越え
、宮の腰に陣を取って諸方へ放火した。」と信長公記の巻十三にあるように、
織田は能登・加賀は謙信が死んで2年たっても支配してなかったんだが。
もっとよく、勉強しましょう。

108 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:31:19
手取川合戦も無かったということ。
そもそも謙信の話題はすれ違いだから失せろ

109 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:32:42
いくら武田が弱体化したからって、甲斐・信濃の原住民とか、土着兵が必死の抵抗をしたら
織田が来ても、数年は持ちこたえただろう。
みんな勝頼を見捨てて逃げ出して、ろくに戦いもできずに武田家滅亡

110 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:40:00
>>109
だから、中央政府ができそうな雰囲気になってきて
それに抵抗しているのが自分のところの殿様だけっていう状態で
なんとか中央政府と仲良くしようぜと言っているのに徹底抗戦と言って聞かないお殿様
これじゃ分裂しても仕方なかろう


111 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:57:44
しかし勝頼馬路で無能だな。
大敗した時点で信長に恥も外聞もなく頭下げて甲斐は本領安堵してください
とお家存続はかればよかったんだよ。

112 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:59:07
だが、ことわる。

降伏した武田逍遥軒みたいに斬首になるんじゃねえの?


113 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:00:05
>>108
89が間違いなので正しただけ。
手取川の合戦があったかどうかは不明だが、七尾城を救援するハズの織田軍が
なぜか越前に退却し、能登・加賀が謙信の支配下に入った。(信長公記)
「謙信の能登・加賀攻略戦」と書いても解りにくいので、一般的な手取川の戦いと
「いわゆる」を付けて書いてるんだよ。文意をよく汲み取りましょう。

114 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:04:20
>>111
長篠では大敗かもしれんが、本願寺はまだ持ちこたえていて、
謙信のはむしろ織田側を押しまくっている状況ではまだ頭を下げるのは
早すぎる。

115 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:12:21
逆に考えれば和議を結ぶにはその時点でしかないんじゃね?
圧倒的に織田家優位になってから和議を結ぶ必要は信長には無いんだし
そこらを見極めるのが国主の役目じゃ

116 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:14:09
まあ無能でないことは確か

117 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:17:11
手取川で織田(柴田勝家)は上杉謙信に大敗してる
秀吉が合戦に反対して戦線離脱したのは有名だが、いずれにせよ負けた
ここの厨は歴史事実まで否定するのかよ

118 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:20:54
>>113
穴山は一族筆頭だったにもかかわらず、温存どころか家康の客将として
伊賀越えもしている落命したけど結構な待遇じゃね。

勝頼も苦しい時期に信長に和議を申し立てていたら、本領安堵ぐらい勝ち取れたと思う。
ま、秀吉の毛利処分のように大幅削減は免れないだろうが、和議していれば本能寺は
予見できないにせよ、信長が無くなった後に旧領韃靼のチャンスもあった。
それもこれも生きていればこそ恥をすすぐ機会もあるわけで
死んでは何もならない。

119 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:28:53
和議した場合の処分だが、信勝に誰かを娶わせて男子がうまれたら家名を継ぐと言う事にしても良いし、
奉納時変後、滝j川も治められなかった事を考慮すると家督を武田信勝にゆずり、滝川が名代として
補佐するという形でも信長にとっては悪くないはず。
予見できないとはいえ、信長は天目山後、わずか数ヶ月で運命が暗転するんだから
なんとしてもそこまでいきのびるべきであったとは思うな。

120 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 16:49:07
信長は本願寺が和議に応じる前なら勝頼から和議だされていたら承諾した可能性が強いんじゃないかな
織田家は実際に徳川や本願寺との和議が成立すると信長の死まで破られていない、このあたり信長は信用できる。
で、本願寺と結ぶと武田と和議を結ぶ必要が無い。 甲斐支配も武田の一族であり、勝頼のいとこでもある穴山が
甲斐・信濃侵攻の過程で寝返っているから武田逍遥軒も勝頼も必要ないと信長が判断した。
仮に穴山より先に勝頼が本願寺より先に恭順の姿勢示したり、武田逍遥軒が寝返っていたら穴山も本領安堵の上、
家康に重用されたかどうか怪しいと思われ。



121 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 17:03:29
信長が和議を受け入れるかどうかだな。
ちなみに信長は和議とか約束ごとはかなり破っている。
加賀の件とか、長島の件とか、朝倉攻めの件とか。
家康に信康の処分を命じたりな。
領地も甲斐一国ぐらいになるだろうな。

122 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 17:05:35
甲斐一国でもいいじゃん。 生きてさえ言えば本能寺で大逆転。
史実では家康が甲斐信濃を併呑したが、勝頼が生きていればやっぱり勝頼につく。

123 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:26:20
肝心なことを忘れているけど
たとえ勝頼が和議を申し出たいといってもそれを豪族達に納得させなきゃならんのだよ
その時点で内乱が起こって周辺国がそれに介入される危険性もあるからな

124 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:01:48
でも挽回できないんじゃね。
次から次へと内通者が出るって事は言い換えてみると、
勝頼体制では自分自身の未来まで危ないと見限っている
訳だ。高坂や馬場も亡くなってしまったし、意外と納得しそうな
気もする。

125 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:22:22
ただ、勝頼は単なる信勝の後見人に過ぎぬ。あまり発言力ない

126 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:42:54
>>70
#重臣たちの進言をはねのけて
って、信憑性低いんじゃなかったっけ?

127 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:06:59
もし、信虎が追放されなかったらどうなっていたろう。
信玄より一年長生きしているんだが、信繁&信虎政権なら織田氏にどう対抗したのかな。
すくなくとも、三国同盟の破棄はなく、天下取りに信玄よりはやくうごけたとおもうんだけどどうよ。

128 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:18:57
んで、どの道から京を目指すんだ?

129 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:31:22
美濃からいくんじゃね

130 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 04:10:53
無能じゃないよな。個別の戦の勇猛さはなかなかのモン。でもさ、内政しっ
かりやってない時点でもう終わっとるよ。それと家臣掌握術。民と家臣から
浮いちゃったら、国主としてやってかれないわ。

131 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 07:59:47
勝頼は戦には弱くなかったが、家臣の信頼がなく、状況判断が甘かった。
織田が強大になった時点で、和議するか、他の大名と同盟するかするべきだった。
少なくとも、北条と同盟続けていたら、織田だって簡単には攻め込まなかっただろう。

まるで、今の日本が、アメリカとの同盟を破棄して、中国に攻め込まれて滅亡するようなものだ

132 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 08:58:40
>>127
少なくとも三国同盟の破棄はあったと思うよ。
氏真君じゃ、どうしようもないよ。
滅ぼしてくれと言ってるようなもんだし。

133 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 10:10:04
勝頼の立場は継いだ時点でかなりつんでる
1.親父の人生全てを賭けた西上途上での頓死
これは、結果として武田家の軍資金兵糧備蓄物資をかなりの規模で消費してしまい、更に
精神的にも武田家将士に疲労感を残しただけとなった
2.周囲の状況
西南は織田徳川、北は上杉 唯一東南の北条とのみ同盟
つまり海津・上野・東美濃・東遠江が敵国との最前線で四正面もあり、機動防御可能なのは
海津〜上野方面のみで、あとは兵の貼り付けしかない
3.跡目としての軽さ
もともと諏訪四郎勝頼という名が表す通り、諏訪家の跡目として扱われ、そのため武田家累代の
「信」の一時をもらえていない
親父も親父で「死後は3年伏せろ」と言って逝く
つまり、3年は合議制で行けと言ってるようなもので、もともと国人衆の集合体のような武田家の
混乱に輪をかけてしまった(重臣衆による合議を予想していたとは思うが台頭してきたのは信玄
在世時には比較的影の薄かった御親類衆)
「俺のあとは信勝。おまえはそれまでの代理ね」と言って逝った親父のおかげでどうにもこうにも軽い
跡継ぎですらないその存在感
4.武田家を武田家たらしめた資金源の枯渇
甲州内にあった有力金山の多くが採掘量減少
つまり、甲信というもともと富裕とは言えない土地を基盤としていた武田家の活動資金が目減りしていた

本人の器量は多少武に偏っていたと思われるが、こんな状況なら信玄が信玄の後を継いでもきついべ

134 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 10:33:09
>>84
だな
wikiなんで誰でも編集出来るし

135 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 10:40:34
>>133
結局のところ、外交戦術がよろしくなかったわけだ
信玄と勝頼を比べてもっとも違うところがそこら辺の機微だな
信玄存命ならば同じ状況に陥っても織田家が優勢となった時点てとっとと和議してると思うぞ

家中の位置という意味では信玄とて磐石じゃなかったし
所詮反オヤジ派である飯富、甘利、板垣らに担がれただけの話であのとき反体制派を追い出したわけだ
勝頼にだって子飼いがいて反体制勢力を追い出すきっかけがなかっただけだ

136 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 10:56:10
>>135
いや〜そこが問題だなと
信玄存命なら信玄が和議するべと決めれば、もともと信玄の代で武田家を甲斐1国から
甲信駿上までの大大名に飛躍させ、織田徳川との敵対を決めたのだから家中も従いやすい
だけど、勝頼の立場は親父の悲願であった西上途上での頓死を受けて だから
和議するべってのはかな〜り言い出しにくいと思う
これがまだ信玄が西上軍をおこさないまま躑躅ケ崎で静かに老衰死したとかなら話は別ですが・・

あと反信虎派=当時の武田有力家臣衆ほぼ全てじゃないですか
勝頼とは立場が違いすぎません?

137 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 11:19:20
信虎派がいなかったわけじゃないだろ
甲斐の内乱を収めた後に急激に権力を握ろうとした信虎を疎ましく思っている豪族は多かったろうが
信虎に引き立てられた人達だって当然いたわけで
もし晴信があそこでそそのかされていなかったらどうなったかわかりませんよ
逆にその危機感から豪族連中は晴信をそそのかして弟に当主を奪われるだのなんだの吹き込んで
取り込んだわけですが

138 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 11:47:22
>>134
>>87

139 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 12:22:25
>>138
意味不明

140 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 12:29:20
>>82で指摘された勝頼の不明を否定できないからwikiを引用するなと
言い出しだ武田厨wiki否定に過ぎないし。

141 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:19:52
日本語でおk

142 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 05:20:45
せめて、信玄の弟の信繁が川中島で戦死してなかったら、武田も滅亡してなかったかな?



143 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 08:40:57
信玄死亡→信繁継承(次期当主は信勝という約束)
なら、武田家は安泰だったかもしれん

信廉という弟もいたが、こっちは駄目
武田家滅亡の際、逃亡した臆病者。
結局織田に見つかって殺されてる

144 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 09:19:04
信繁が生きていてもいなくても
織田包囲網に参加したままだったら結果は一緒だろ
信玄が死ぬ前に上杉を頼れとか言う前に対織田戦線の収拾させろと
遺言してればよかったのにな

145 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:31:48
武田家と豊臣政権って似てるな
信玄、秀吉という1人のカリスマだけで成り立っていたという点
支配力というより強力な人望、カリスマ


家康は先人の失敗を見て、いちはやく隠居し、名目上ながら秀忠をトップとして据え、存命中に諸侯の目に慣れさせた

146 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:46:17
家康はね幕府っていう箱といろいろな決まりを決めたのさ
これが実は重要で組織の元になる

武田家は前述されてるけど武田家の権力集中政策を取る信虎に反抗して
有力豪族が信玄を担ぎ上げて反対派を粛清してるから信玄個人というより
そういうやんわりとした体制としては成り立っていたんだけど
そこには武田家という箱はあっても明文化されたルールがなかったんだよね
秀吉の場合はもうちょっと事情が違って朝廷という箱と関白世襲というルールを
作ったのはよかったんだけど自分で秀次ぶっ殺してルールが実用的でなくなっちゃったんだよね
まあどうでもいい話か

147 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:40:44
結局、信玄の後継ぎとして最も相応しかったまたは器に見合ってたのは、弟・信繁、長男・太郎義信、勝頼の中で誰だろう?

148 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:44:30
あの頃の武田家って家督相続の度に内乱なんだよ
唯一相続の際に内乱が起こらなかったのは実は信玄→勝頼(まあ本当は信勝か)だけなんだよね
勝頼ってのはかなり認められた存在だったと思うよ
この時点で信繁が生きてたら多分内乱かなw

149 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:18:41
義信が生き残って、信玄死後に武田家を継承していたなら、
家臣の団結も、信玄時代と変わらなかったと思われる。
勝頼は譜代や親戚衆からすれば、余所者。とても主君と仰ぐことはできなかった。
あと義信には娘がいた筈だが、もし息子がいたら、嫡孫として家督相続したほうが、
勝頼が相続したよりも、良かっただろう

150 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:20:44
そうしてみると、信繁が生きてた所で武田滅亡という歴史は避けられそうにないな。考えたら勝頼も運が無かった。時代が悪すぎた。信長に敵対して生き残れた戦国大名なんか僅かだもんな。
信長があと十年生きてたら毛利輝元や上杉景勝、長宗下部なんかも滅ぼされてたような気がするよ。



151 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 14:54:59
義信がなんで跡を継げる時期にいなかったかわかるかね?
政策で対立したんだよ
しかも豪族を巻き込んでの壮大な対立になりそうだったんだよね


152 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:29:50
信玄死後の武田と、秀吉死後の豊臣は多少似てる気がする。
信玄も秀吉も実子より実弟の方が優秀であった可能性が高い(勝頼が信繁より劣っていたとも言えないが)。
しかも、実弟とはいえ腹違い。

優秀な弟が自分より早死にしてるのは、信玄も秀吉も死後の家の存続を考えた場合不運だったな。
豊臣も、秀吉の後継ぎが秀頼みたいなクソガキじゃなく秀長(秀長が長生きした場合ね。)だったら滅亡はしなかったかもしれないしね。
歴史にif もしも〜は無いが、そういうのを想像するのは俺は好きだな。



153 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:56:33
>>152
>歴史にif もしも〜は無いが、そういうのを想像するのは俺は好きだな。

はいはい。想像してる自分が好きなんだろ?

154 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 17:13:23
恋に恋した女の子みたいな表現だな

155 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 17:21:46
信繁は同腹じゃなかったっけ?

156 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:04:15
>>155
そんくらいググれカス

157 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:10:55
信玄の後継者の勝頼は、謙信の後継者の景勝よりは優れた武将だったようだな。力量は信長の長男だった信忠くらいか?



158 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:18:12
パパっ子・信忠よりは上だろうさ

159 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:25:25
>>155
晴信とは同母兄弟です

160 :152:2006/12/22(金) 18:43:39
>>159  母ちゃん一緒だったのか。 失礼した。

161 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 19:22:09
定恵院
太郎
次郎
孫六

こいつらは同腹

162 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:21:48
>>157
何を根拠に?w 信忠はともかく、国主を継承し片方は滅び、片方は
生き残ってるわけだから、文句なく景勝が上。

163 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:40:41
>>162
ネタか?
バ景勝が凄いと本気で思っとるんか?

164 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:13:50
>>163
景勝も相当なもんだと思うけどな。
君よりは劣るのかもしれないが。

なーんてことはどうでも良くて、
秀長も同腹じゃなかったっけ?
じゃないと、年齢がおかしな事になったはず。

まぁ、同腹であろうがなかろうが
兄を支えつづけた信繁・秀長って異色だよなぁ。


165 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:26:01
景勝マンセー論者は大概、前田慶次の漫画や一夢庵風流記に影響うけたヤシ

166 :164:2006/12/23(土) 00:00:45
前田慶次の漫画も、一夢庵風流記も見てない。
はい妄想乙。

167 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:05:13
バ景勝マンセーは無知すぎっす

168 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:56:45
パンチ効いてるの湧いてるなw 勝頼も迷惑がってるぞ、信者どもw 

169 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:57:38
まず改行を覚えてね

170 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 02:08:10
景勝って家康が目の前で軍を取って返しているのに、追撃しなかったヘタレでしょw

171 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 02:21:44
>>170
そーそー
その馬鹿

172 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 05:25:48
直江が追撃を強く進言したにも関わらず
領土保全の為に、それを蹴ったっけ
所詮その程度のアホなんだよ

173 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 05:27:39
直江が投手だったらいいなーーw

174 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 05:31:19
伊達と一月にらみ合った挙句の果てに米沢30万石に減らされた訳で、
謙信も信玄もろくな後継者に恵まれてないな。

175 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:47:33
景勝は何気にすごいのでは
徳川、伊達を相手という誌面楚歌の状態で存続したんだし、豊臣への義も示した
伊達政宗よりも上と思うがな
北条氏政も無能とは思わない

176 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 18:14:36
まぁ四面楚歌の状態になっちゃう時点でアレなんだがな
最後まで義を貫けず30万石で手を打っちゃうのもアレだし

177 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 19:31:07
>>176 しかも、織田の北陸攻めでは、かなり押さえ込まれてたらしいしな。謙信は柴田勝家率いる織田家北陸征討軍を返り討ちにしたが、景勝は……。
本能寺の変が起きなきゃ、上杉家も武田家のように滅ぼされてた可能性は高いと思う。
秀吉に押されてた毛利もだが。



178 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:21:11
>>177新発田重家の反乱が6年も続いたんだよね。
柴田勝家と挟撃されたら、ひとたまりもなかったな。

179 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:30:05
>>175
戦を仕掛けた張本人のくせに
家康に土下座してまで、生きながらえて
こんなのを見てたら反吐が出るわ

180 :OPS:2006/12/23(土) 22:30:31
直江山城がいなかったら上杉家は取り潰される予定だったらしい。

181 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:23:40
直江状って本当にあったの?イチャモン?

182 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 23:54:23
>>175
関が原の後も戦いつづけてるしね。
ここで文句言ってるやつらよりは
確実に数段上だろうね。


183 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:05:04
>>178
勝頼の場合と違うのは裏切りは新発田くらいのもので、
甲州崩れのように裏切りがドミノ倒しのように連鎖することはなかった。
例えば、新発田の裏切り後、柴田勝家・佐々成政・前田利家・佐久間盛政ら
3万の兵に攻められた魚津城(守備兵3千8百)は3ヶ月間持ちこたえ玉砕
柴田軍団の進撃の足止めをしている。



184 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:53:52
裏切りの連鎖は堪えるね。ほんと。

185 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:18:01
見殺しにされた高天神城が原因でございます

186 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:13:58
>>179
正確にいうと仕掛けたのは家康。
最初は前田が謀反ということで戦を起こそうとしたが前田がヘタレで戦にならず、
今度は上杉謀反ということで仕掛けたが、前田の場合と違い上杉は売られたケンカを買った。

187 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 04:09:19
勝ちゃん男前。

188 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 08:04:57
景勝も勝頼も実子でないのに親の血を引いて戦上手だったのは、環境の力だろうな
これは現代社会にもいえるが

189 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 08:06:20
親というより武田、上杉の血を引いてか

190 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:32:53
北条室泣ける。あんな連れ添ってくれる奥さんほすぃ。

191 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:59:23
職務放棄して自国に篭って軍備増強こいてる奴なんか討伐されて当然じゃん

192 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:09:22
きめぇ

193 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:03:28
ところで景勝は本来の後継者でなかったとされるから
ある意味簒奪者になるんだろうか?

強引にすすめて家督を襲うのもある意味長尾上杉家らしいんだけど…

194 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 14:47:09
上杉景勝には直江景綱という股肱の家臣がいた
義信には飯富という重臣がつけられたが、勝頼は余所者だから守り役はいなかった?
最後に残ったのは、穴山とか小山田とかの裏切り者だけ

195 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 16:08:33
当然勝頼にだって守役はおりますが

196 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 16:30:24
>>188
勝頼は信玄の実子ではないという新説がでたのかーw

>>194
側室とはいえ名流諏訪家の母をもつ信玄の子に
守役のいないはずが無いだろ。
というより、大名家の子息なら乳母に守役・お側衆がいて当然なんだが。
それに、穴山や小山田を単純に裏切り者と書く知識にも笑える。


197 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 16:36:00
穴山や小山田、秋山と比べると
今川の朝比奈泰朝の天晴れぶりは光るな

198 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 16:54:02
勝頼についてた守役は、只の小物なんだろ
当然、家臣への影響力はゼロ

199 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 17:25:31
ただどうだろう? 勝頼の性格からして、気に入らない意見いうジジイを
遠ざけ、好みの意見具申する奴を近くに置いた結果小物しか残らんという
傾向はあると思う。それも勝頼の資質になるわけだが。

200 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 17:45:27
跡部とか長坂が小物かと。。。

201 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 19:31:47
>>197
秋山と一言で言うが、勝頼の幼少期から仕えて
天目山に殉じた秋山紀伊守一族もいるのだがな。
小山田信繁の従兄弟や甥と伝わる小山田の一党で
天目山で殉じている者もいる。

武田の場合、同じ名字でも色んな系統がいることを知ろうね。

202 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 19:34:38
訂正
×小山田信繁
  ↓
○小山田信茂

203 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:01:03
>>197
もしかしたらw
大河板に朝比奈で大河やれって書いてた?

204 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:53:36
朝比奈で大河は無理だろw

205 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 14:02:58
後で裏切るか最初に裏切るかでは天と地ほどの差だな。
木曾や穴山は安泰なのに、小山田信茂や武田信廉は主君を裏切ったという理由で処刑。

206 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 14:18:43
裏切りのタイミングもそうだが
世の中の情勢も重要だぞ
他の勢力が強くて取り急ぎ安定させたい場合だと助かるが
他の勢力を潰した後だと徹底的に処断される

207 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:58:54
信長がいなかったら、勝頼も長生きしただろうに
信長なんて、今川に潰されて消えるべきだった

208 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:07:27
穴山も木曽も、裏切り者は結局不幸な結末を迎えて
滅亡している
勝頼の祟りだ

209 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:45:30
w祟るくらいの力があったら、滅亡してないだろうよ。

だいたい祟りなんていってたら
戦国乱世の盛者必衰は、みんな祟り祟られで解明できるよな。

210 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 12:04:24
信玄が対織田で友好関係を結び続けていればよかったのだよ
中央のくだらない政争に巻き込まれおって

211 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 13:09:43
かみさん姉妹の嫁ぎ先が嫁ぎ先だから仕方ないべ。

212 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 13:12:38
それを言ったら織田とて娘の嫁ぎ先予定地だったろうに

213 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 13:50:04
すでに嫁に出ているのとまだ出ていないのとではかなりの開きがある。

214 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 13:58:14
祟りっちゃあ、やっぱタケミナカタの子孫が諏訪を出るのは冒険だったんだよ。

215 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 20:37:29
信玄の娘を嫁にしておきながら裏切った木曽と穴山は
地獄に落ちただろう

216 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:54:17
木曽の親父は武田に殺されてるのだが

217 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 07:55:14
穴夜間うめゆきwは、勝頼より自分のほうが、武田家の継承者にふさわしいと
たわけ事を言っていたらしい

うまくいったと喜んでたら、本能寺の変後の逃亡に失敗して自滅
日本有数の大馬鹿者だ

218 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 08:03:00
その発言は創作だろ、流石に。
信玄の血を引いていない穴山が武田家当主になれる道理はない。

219 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 13:20:58
梅雪の母親は、信玄の姉妹らしい
そして穴山家も、武田からの分家

220 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:28:20
>>215穴山・小山田・木曾は、半独立の豪族だからな。織田と従属的同盟を結んでる徳川みたいなもんだ。武田宗家と倶に滅亡し、また領民が虐殺されるいわれはない。
>>217武田直臣の約半数は、武田宗家と同じ甲斐源氏。武田を名乗る一門衆や板垣・馬場・甘利・穴山・逸見・山縣等の重臣、果ては武川衆(柳澤 他)等の小身まで数えたら限がない。
穴山信君(梅雪)は武田庶流のなかでも一番の大身。信玄の義弟でもあり、一門衆筆頭。初め諏訪家を嗣ぎ、又いままさに武田家を自壊させた勝頼(諱に武田一門の<信>がなく、諏訪神家党の<頼>がある)よりも、自分こそが統領にふさわしいと考えてもおかしくはない。

221 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:34:15
>>220
>信玄の義弟でもあり
義弟というのは、妹の夫のことだろ?

穴山梅雪の妻は信玄の娘だから、信玄の甥でもあり、義理の息子でもあるが
義弟ではないと思う

222 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:25:58
>>221間違い指摘dクスm(_ _)m
なんか、実際に梅雪の子が@武田の家名を継いだA武田の家督を嗣いだ って説があるけど、両方とも本当なのかな?
もし正しいなら、穴山家誅滅は甲斐支配を狙った家康の仕業だね。

223 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 01:13:58
武田本家を相続する予定だった穴矢間ウメユキwの息子は、歴史から消滅した
おそらく、家康に暗殺されたのだろう

224 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 01:26:15
穴山梅雪暗殺は、下山領及び江尻を欲しかった家康の仕業だろう。ゆくゆくは甲斐国全部を狙っていただろうし。
そればかりか河尻秀隆暗殺も、家康が武田旧臣を扇動したからに違いない。河尻(川尻)家が西軍につくのも当然。


信長も、武田旧臣に対しては寛容に処置し、甲斐を穴山・小山田両家に任せればよかったのにな。

225 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 02:34:37
梅雪の暗殺なんて話は架空戦記のたぐいで、
実際には梅雪は家康がとったルートを一日おくれでとっていて
宇治で土民一揆に殺されたわけだが、
家康を妙にかんぐってしまわずに一緒に帰れば普通に帰れたろうし、
かえって家康を暗殺するチャンスもあったかもしれない。



226 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 04:34:17
>>224
生きるか死ぬかの伊賀越えを敢行している最中にそんな策謀巡らす余裕なんかあるもんかい
実際は持病の痔が悪化して騎乗での移動ができず家康一行から取り残されたってだけの話だ

227 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 09:28:00
梅雪暗殺は家康の仕業でないにしても
梅雪息子の暗殺は、家康がやったに違いない

228 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 10:23:28
禿同
明智と共謀し、信長を暗殺した黒幕も家康
穴山を証拠隠滅で暗殺したと考えれば辻褄が合うな

229 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 10:43:46
>>226『神君伊賀越え』なんて徳川幕府による作り話だろ。

230 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 12:26:46
鉄砲がなけりゃ勝頼が最強になれたんだろうか?

231 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 12:36:53
>>230
無理。
長篠では鉄砲以前に、既に兵力が違いすぎる。

232 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 12:57:05
兵力の差は絶対ではない。日本軍がそれを証明している。
この意見に反対する奴は全て三国人認定するから反論しないように。

233 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:35:27
>232
反論ではなくて質問。

先の大戦では兵力に劣る日本軍がそのままボロ負けする結果となったわけなのに
いったい何を証明してるの?

234 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:42:34
やっぱ長篠での直接の敗因は、兵力と鉄砲?

235 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:45:55
情報が入手にしくい時代こそ寡兵でも勝つことが出来たが、
近代からの情報戦では基本的に物量で決まってしまう

236 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 17:28:21
>>233
232ではないが、さすがにそういう質問を投げかける君の歴史知識自体が幼稚すぎるぞ
太平洋戦争とは島嶼戦と海戦の繰り返し
海域を制した方が勝った

兵力の差が絶対ではないというのは近代に入ってからなら日露時の大陸での陣地戦や
独仏戦争やWW2のバルバロッサ作戦1年目、クルスク戦車戦などのことだろうな

237 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:07:30
長篠の合戦で武田が惨敗したのは
戦力の差と、前後から挟撃されたからだ。
織田が襲来する情報があった時点で陣形を立て直すか、撤退するべきだった。
それができない勝頼は阿呆

238 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:10:13
まぁ、親の七光りってところか?
調子に乗っていたんじゃないのか?

239 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:12:26
長篠で大敗し、高天神城を見殺しにしたので、
勝頼の信用度は地に落ちた。

240 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:35:19
高天神城の見殺しは信長の謀略だよ、あれによって完全に信用が低下した。
長篠後にすぐに攻めなかったのは、自滅するまで辛抱強く待ってたから、
孫子の戦わずして勝つ作戦

調子に乗っていたというより第二次大戦の日本軍や三国志の蜀と一緒で、国力に
差がある以上常に勝ち続けるしかないので、決戦を急ぎ無理をしたから。


241 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:48:58
なんかレベルが落ちた。

242 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:59:42
>>234
いや、やはり陣城だろうね。
連子川を堀としてその背後に三重の馬防柵と空堀、これは設楽原に城を一つ作ったのとほぼ同義。
城攻めには敵の10倍の兵力が必要というのは兵法の基本中の基本、にも関わらず1万5千の兵力で3万5千(うち千が鉄砲部隊)が籠る陣城を攻めたのは勝頼の慢心としか言いようがない。

243 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 22:48:46
やっと信長自らやってきたんだから、決戦を急ぐでしょう普通。
いちいち甲斐から来るだけで負担がかかるし、兵農分離してないから
時期が限られるし、連戦連勝で勢いに乗ってることだし信長なんて大した事ないと
思ったんじゃない。

244 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 23:04:40
>>243
>やっと信長自らやってきたんだから、決戦を急ぐでしょう普通
‥普通のやり方で勝てる信長なら天下統一の一歩前まで行かんでしょうに
>いちいち甲斐から来るだけで負担がかかるし、兵農分離してないから時期が限られるし
‥だからといって無謀な戦を仕掛ける理由にはならない
彼我の情勢を良く見極め、不利と悟ったなら敢えて干戈を交えず撤退する事も時には必要
その見極めが出来るか否かがそのまま信玄と勝頼の決定的な差と言える
>連戦連勝で勢いに乗ってることだし信長なんて大した事ないと思ったんじゃない
‥それこそ慢心以外の何物でもない
一軍の将としてもっとも忌避すべき事
この一事をもって彼が『強すぎたる大将』と呼ばれる所以となる

245 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 23:55:49
>敢えて干戈を交えず撤退する事も時には必要
それを信長がしていたから武田軍が疲弊したんだよ。
>やっと信長自らやってきたんだから
それこそが信長の心理戦。
武人としては勝頼は強いが将としての経験は薄い、そこをみごとに利用されたということ。



246 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:10:47
>>245
誰のレスに対する回答なのかワカンネ
取り敢えず、sageくらいちゃんとしようぜ?

247 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:25:33
>>238
親が偉大なとこはデカいが、ライバル心だと思う。勝気な性格が裏目だと
思う。内政おろそかにして外征ばっかしとる。なまじっか無能で阿呆じゃ
ないとこがまずかった。老臣を見返してやろうという気持ちも強かったろう。

248 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:29:55
仁科盛信と一緒に高遠城で討ち死にしてたら神だったと思う片倉住人

249 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:34:36
>>247
まぁ、無理もない事かもしれん。
いくら信玄の実子とはいっても、所詮本来であれば諏訪氏総領となるべき立場。つまり他の重臣と同じような位置付けでしかなかった。それがいきなり武田源氏150万石の頂点に収まったワケだから、他の一門衆や重臣衆に対し色々とコンプレックスを持っても致し方無い事であって…

250 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:41:16
>>248
再起を計るべく落ちゆく勝頼に時間を稼がせる為の盛信の奮戦であったのに、その勝頼自身が高遠くんだりで織田の小倅ごときに首を渡してしまったとすれば、神どころかそれこそ救いようの無い大たわけ者としか言い様が無いのでは?
名門甲斐源氏の血脈を守るべき立場の者が率先して死地に飛び込んでどうすんだw

251 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:49:08
家臣団からも重く扱われずに助けてくれたかもしれない真田にも頼らずに
最期は小山田に裏切られて右往左往して死ぬよりは、
兄弟守ろうとして供に死ぬなんて未だ華があるじゃないか。

252 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:49:49
>>249
うん、そういう姿勢になったのはしゃーないとして、やっぱ国主として
の能力がちと欠けてた。やり方がマズイ。父の信玄は内政もかなり念入りに
やってたもんな。秀吉も元同僚みたいな奴の上に立たなきゃならないことに
なるけど、自分のやり方で従わざるを得なくしていったわけで。

253 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:59:21
ヘタレな2代目ってことで勝頼の武将としての器量は
同じように先代が偉大過ぎた輝元、秀忠、秀頼と同格



254 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:05:25
輝元は親戚が優秀なのと、中央から離れてたのでラッキーだったねw

255 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:44:06
勝頼は個々の戦には勝つことがあっても大局観が欠けていた。
そもそも戦国時代に成り上がった武将は、外交や間諜を使っての工作が上手かった。
戦の前に最大限の謀略をめぐらして、寝返りとか離反とか誘ってから戦を仕掛けるのが普通だ。
それにひきかえ、勝頼は、目をつぶって正面からぶつかっていくような戦ばかり。

256 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:46:46
>>251
兄弟以前に宗家を守る家臣だろ
なんの為に盛信が命張って織田の大軍を食い止めたのか、その理由をよく考えてみろ
そもそも一国の太守ともあろう立場の者が戦場の華と散る道を安易に選んでいてはお家が立ち行かんだろう
小山田の謀反にしたって結果論でしかない。外様の真田よりは同族の小山田をと考えるのは当然だし、要害である岩殿山に拠って再挙の機会を伺おうと考えるのもまた国主としては当然行き着く考えだろうに

257 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:55:55
小山田は旧臣ではあっても、武田の同族ではない筈だが。
どこかに小山田が武田一族だという新説が生まれた?

258 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:55:58
>>252
そこが勝頼が父信玄にも、信長にも、また秀吉や家康といった英傑に一歩及ばない所以かもしれん…
尤も秀吉にしても信長死後の織田家臣団を『そっくりそのまま自分の家臣団として継承』していたら相当苦労しただろうけどね
織田家臣団がそれぞれ独立大名の体をもって分裂してくれたからこそ、秀吉はあそこまで迅速に信長後の中原を制覇する事ができたんだと思う

259 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:57:23
んなことしても戦が長引くだけだからとっとと滅んで正解

260 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 02:01:05
>>257
小山田信有の妻は信虎の妹

261 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 02:02:23
>>259
戦国のいくさとベトナム戦争の区別もつかんのかw

262 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 02:31:08
安堵状発行してもらえるなら武田にこだわる必要ないしなぁ
親分が守ってくれないなら鞍替えも悪いこっちゃねぇし

263 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 06:10:51
>>260
妻が武田出身だったら同族??
そんなこと言ったら、今川とか北条も武田の同族になってしまうぞ

264 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 07:11:32
今川と武田は先祖が兄弟なんだから同族だろ。

265 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 08:10:05
勝頼は引こうとしてなかったっけ?

266 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 09:48:20
北条は、清和源氏でもないし、武田の同族ではない

267 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 09:49:59
偽源氏の得川(新田支流と自称)だって、武田の同族になってしまう
きりがない

268 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 11:22:04
北条も平で皇室から別れたわけだから同族だよw
って言ったら日本人はみな同族になってしまうかも

269 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 11:26:21
北条は武田と違って義理堅いよな
義元亡き後の今川家の対処とか見れば一目瞭然

裏切りで領地拡大して裏切りで滅亡と

270 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 14:37:04
>>268
このスレの流れからいくと、後北条氏だろ。違うだろw

271 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 14:37:29
人類みな兄弟

272 ::日本@名無史さん :2006/12/30(土) 14:43:35
武田活よりは諏訪の能無しwww後継ぎに失敗して武田軍内部分裂崩壊w

273 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 15:37:51
>>263
いや、小山田は元々平氏だし。
でも母親(祖母との説もあり)が信玄の伯母である以上、同族であると言っても過言はないんじゃ?
同族という言葉に語弊があるなら、親族と言い換えても良いが。
なんにせよ、信茂が武田源氏の血をひく人物であるのは事実。

274 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 15:48:23
>>272
後継が上手くいかなかったのは信玄の責任だろw
片田舎の弱小土豪じゃねんだぞ、7ヶ国150万石にまで広がった一大王国の継承だ。前の殿様が死んだからってハイじゃあ次と簡単にいくようなもんじゃない。
しかも継ぐ勝頼自身は元来家来筋の人間。実子の中で最長子だったからたまたま陣代になれたけど、本来なら武田の屋形に収まるような立場じゃなかった。
そういう人間を後継に立てるなら、それ相応の手続きを取って権力の継承が滞りなくいくような手回しをぬかり無くしなければならない。が、信玄がそういった手順を履んだ形跡は殆ど無い。
いわば勝頼は、なんの下準備も無いまま身の程に合わない『武田王国の長』に据えられてしまった、とも言える。
憐れとしか言い様がない。

275 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 16:35:36
年齢的に無理あるかもしれないけど、
信玄が生きてたら、長篠は三方ヶ原みたいになったと思う?

276 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 16:50:10
>>275
信玄ならそもそも撤退してる。

戦う前に既に決着がついているように深慮遠謀を巡らすのが信玄の戦の真骨頂。海のものとも山のものとも知れない状態の敵陣に無謀な攻撃を仕掛けさせるような信玄なら、第四次川中島で既に謙信に討ち取られていたことだろう。

277 :275:2006/12/30(土) 18:17:11
確かにそうだな。うん。
分かりやすい回答ありがとう。

278 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 19:21:25
信玄の遺言では、信玄の後継者は勝頼ではなく、
勝頼の息子の信勝
勝頼は信勝が18才になるまでの後見人

そして信勝が18才になった時、信長が攻め込んできて
武田家滅亡

つまり勝頼は、職権濫用して会社を潰してしまった会社の相談役のようなものだ

279 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:00:23
×武田勝頼
○武田負頼

改名しました

280 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:19:44
>>278
>勝頼は後見人
ソースはなんだ?甲陽軍鑑か?
あれの勝頼に関する記述は殆ど私怨だからアテにならんぞ。
不安定ながらも勝頼は武田の屋形であった。これは厳然たる事実だ。

281 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:55:04
ああ義信さえ生き延びていれば・・・・
すべては信玄が悪い

282 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:58:05
>>279
勝ち戦の方が多い。

283 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 01:17:45
勝ち負けの数ではない
家を滅亡させてしまったのだから、他にいくら勝っていても駄目だ
武田負頼はミジメ

284 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 01:25:38
いくら信玄でも織田の鉄砲隊の前には為す術もないだろ
武田は資金源も枯渇してたしあの時の信長は誰も止められんよ
信長に従わなかったら確実に滅ぼされてた
三方ヶ原時の時の織田ならともかく長篠の時なら信玄でも無理





285 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 01:55:06
従うまでいかんでも、同盟でもいいわけさ。位置的には毛利や長曽我部より
キツくない。信長は用心深い男だから、諜報者を使って、勝頼の資質や
民心の離反なんかを探って勝てる可能性高いと見て長篠に出ている。
長篠までの期間、信玄が政治的権謀を駆使してれば分からない。信長は
勝てなければ出ないから、長篠の戦いはない。仮定だから断言はできんよ。

286 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 02:22:23
結局プロセスなんだよな。信長の信玄在世時の平身低頭で分かるとおり、
一流の将は、有利なほうに有利なほうに下ごしらえして、極力負ける戦
は避ける。勝てそうな戦をやる。信長も信玄も同じ。

287 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:20:21
そう戦国時代って、単に戦の時に兵何千で勝った負けたって言ってるけど
実はその前に、記録に残っていない水面下で
諜報戦や政治駆け引き等、かなりの戦いがなされていたんじゃないか
って気がする。
忍者の活動なんて記録に残ってないのでよくわからんが、
記録に残る部分だけみても結局の所、よくわからない。

288 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:35:14
信玄の上洛にしたところで、
自分の体が良くないことを知っていたはずの信玄がなぜ
死の直前になってようやく兵を挙げたのか、わからない。
(信長の贈り物作戦に騙されてうっかりしてたとか言う人がいるがそんな筈はなかろう。)

三方が原で、あの慎重な家康が、なぜ負け戦と知りつつ打って出たのかも、わからない。
(信玄が浜松城を無視して素通りするのが家康のプライドを刺激したのだ、
とか言うけど、それ位でむざむざ死地に赴くようなアホなら天下は取れない。)

三方が原の後、なんで信玄はすぐ上洛に向わずに
何か月もぐずぐずしていたのかも、よくわからない。
(これは単に病気が悪化したからかも知れんが)

289 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:27:16
>>288
上杉北条が留守を狙わないと確信がもてない限り動けん
逆に死を感じたからこそラストチャンスと見切りで動いたともいえる

口先だけでは信用されないから行動で示した、行動する事によって
配下の意識統一を図った。
ただ、適当なとこで切り上げる予定がうんこ漏らすほどの大負け
になったのは計算外だったのかもしんない。

徳川の抗戦により織田に準備有り、と勘繰ったっつーのも有るかも
しんない


290 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:54:37
>>278
信玄の後継は勝頼で勝頼陣代説は一次史料にはない俗説。
まだこんなの信じてる人がいるんだな。
あと武田信勝の享年は15歳。

291 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 21:38:31
信玄って上洛をしようとしたことあったっけ?
家康の三方が原は、前線を見殺しにしないという
必死のポーズでしょ。


292 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:05:14
なんか特定小説家の代弁スレが多いですね

293 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:47:47
必死のポーズって
それで全軍がボロ負けしてちゃ仕方ないじゃんw さすがに家康もそんなにアホではないのでは。

歴史を見る時に、全部無理やり説明つけようとしないで、
わからんものはわからん、と認める態度は重要だと思うよ。

三方原で何故家康が無謀な出陣をしたのかは、誰にもわからない謎。
それをはっきり認識した上で、家康側に何か重大な作戦ミスがあったのだろうとか、
信玄の計略がさえまくって家康が出陣せざるを得ない何らかの状況に追い詰められたのだろうとか、
色々空想をふくらませることは自由。

294 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:53:24
うん自由にやらしてもらってま

295 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 02:53:27
>>280,>>290清和源氏共通の通字である[義]、或いは甲斐源氏(小笠原・南部を含む)の通字[信]が諱にないのは何故ですか?
[頼]も源氏の諱に使われますが、勝頼公の場合は諏訪一門の通字として用いたと考えられます。
武田の屋形であったならば、何故に改名しなかったのですか?
この一事だけでも、統領ではなくあくまでも重臣の筆頭に過ぎないと言えなくはないでしょう?

296 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 02:56:45
>>293
三方原では早々に家康の本陣勢が崩壊し、パニックになった家康は
とても逃げ切れぬと自害しようとした(夏の陣でも同じ)。
本能寺の変を堺で聞いた時も自害しようとして家臣に止められている。
そんなにアホではないかもしれないが沈着冷静という感じでもない。


297 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 03:28:57
家康は織田方に目付け役として平手なんかをつけられていたため動くしかなかったのでは?まぁ平手はそのとき死んだけどな!

298 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 06:49:50
>>296
その後の政治的しぶとさ、したたかさを見るとやはりなかなか沈着冷静な
人物だと思うが。取り乱しても家臣の言う事に耳傾けるし、どこまで本気
の逆上か分からんとこがある。結局自害してないしw
三方が原はさしもの家康もまだ若いし切迫してるので、逆上したというのも
あるかもだが、ま、分からんな実際は。
結果的に家康の+になったのは確かだな。周囲に計算だけではない律儀者と
いう印象を与えた影響は大きい。


299 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 10:05:03
>>295
徳川秀忠、綱吉、吉宗も正当な当主だが通字が入ってないな。
もともと跡をつぐはずでなかった者が継ぐ場合、通字が入らないわけだが
だからといってそれが正当の後継者でない、とは限らない。
(家茂のように改名する場合もあるが)

300 :OPS:2007/01/01(月) 10:18:08
将軍家はやりたい放題。

301 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:16:48
>>298
家康は人質時代の話や子供達に気性が激しいのが多いのからして
生来の気質は激しい気性だったんだろうな。
それが苦労や経験をつんで抑えられるようになったのだろう。

302 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 16:40:32
家康の正室の長子で、徳川家を継承する予定だったのは信康
家康の父親は広忠、祖父は清康
徳川宗家の通字が家になったのは、家光以降
それまでは、康か忠が通字

303 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 16:42:46
家康の正室の長子で、徳川家を継承する予定だったのは信康
家康の父親は広忠、祖父は清康
徳川宗家の通字が家になったのは、家光以降
それまでは、康か忠が通字

304 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:47:37
秀忠も家忠に改名する予定だったが花山院家の当主も家忠だったので遠慮して出来なかった。
少なくとも徳川家では家康の時点で「家」を通字とする認識はあった。

305 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 07:16:24
信長が恐ろしくて信つけたが信家では家が下にきて気に食わなかった
のかも

306 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:55:41
家康の息子の信康の信は信長から
秀康と秀忠の秀は秀吉からもらった字

たやすく改名できないだろ

307 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:59:15
天と地と

308 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:52:06
諏訪四郎神勝頼の話をして下さい。

309 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 05:10:57
シンゲンにカリスマ性がありすぎたから家臣団がカツヨリについていかず…

310 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 07:58:18
信家って何か変だな

311 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:01:59
負頼には信頼できる重臣がいなかったのか
義信死刑に関連して誅殺された飯富のような、命がけで主君を守る重臣がいたら
負頼の最後も違っていただろう

312 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:04:32
>>246
偉そうに講釈たれる244にだろ!


>>290
16歳だよ〜

>>293
家康が信玄の息子だった説がでてるな。



313 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:23:55
さすがに上杉、織田、徳川を敵に回したら勝てない罠
信長は機が熟すまで武田や上杉に貢物贈って矛先が向かわないように尽力したしな
外交下手過ぎ
戦がいくら上手くても勝てないわな

314 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:52:11
武田滅亡時の武田周辺の外交関係は

同盟 なし
友好 上杉
敵対 北条
戦闘中 織田 徳川

おまけに内部分裂して家臣もついてこないのでは、信長に勝てる訳ない

315 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:55:20
平安末期から続く甲斐武田400年が、わずか数ヶ月で滅び去ったんだから
哀れだ

316 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:15:24
信玄も名家を踏み潰してたから
自業自得かもよ。

317 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:21:02
表裏あざなえる縄の如しの戦国乱世で自業自得ってのもねぇw

318 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:58:26
>>315
次男の子孫が高家として残ったから、滅び去ったわけではないだろ。
血筋でいえば正室の子だし。



319 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 02:04:06
森鴎外の「伊澤蘭軒」に、
旗本伊澤氏は武田信玄の裔だって書いてあったような。
(「伊澤」の苗字は、石和温泉の「石和」から来ているらしい)
武田氏の裔も結構残っていたものと思われる。

320 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 07:49:19
>318
次男の子孫が明治になって男爵授爵の沙汰がきたけど
「伯爵の上杉家より同格以上でないならいらない」と
断ったとか。

321 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 09:16:59
やっぱりそういうのってあるんだな。
スケートの織田くんのお母さんも嫁いだときに
お姑さんから明智の家紋だから桔梗は買うなって
言われたらしいし。

322 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 10:35:20
最近の光秀美化の傾向について
信成はどう思ってんのかな
頭悪そうだし特に思うところなしって感じかな

323 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 12:51:00
織田君は博愛主義者だからたぶん何とも思ってないと予想。

324 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 13:20:15
悲劇の人は日本では一般的に人気がある。
私も勝頼、石田三成など好きだ。
特に負け組に最後まで忠節を尽くす家臣などにはぐっと来る。
光秀も、優秀で人格者、家康黒幕説があり、信長のひどい仕打ちを考えると、
忠義と逆だが、美化の傾向があるのだろう。

325 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 02:32:41
信成は信長の血というよりは信高の子孫だよな。
祖先自体信長とほとんどかかわってないし(小さい頃に死んだ)
長じてからもあまりみるべきところない・・・・・
値は引いているが、だから何?って感じ

326 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 02:36:56
wikiみると、毛利や南部の血もはいっているじゃん信成

327 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 09:05:51
総理候補のスキャンダル(義信事件)で1年生議員がいきなり総理になるよ
うなもんだから、経験不足もあるし党内(武田家)からのやっかみや連立の失敗、
もあるし野党(信長)に対抗するのは難しかったんじゃないの。

328 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:07:06
>>325
そうクサすなよ。
平民のひがみに映るぞ。

329 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 02:50:06
>>327
むしろ武田のぐだぐだぶりは野党の迷走ぶりに似ているんじゃないか?
織田という与党に対抗しなきゃいけないのにまったく纏まる気配がないという…

330 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 13:17:42
諏訪勝頼

331 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 05:31:17
朝倉義景の意味不明な撤退が織田包囲網を崩壊させたよなあ・・・・
信玄がたとえ死んでも、朝倉がしっかりしてりゃあのまま上洛しても
よかったろ。

332 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 14:07:13
漫画「センゴク」での朝倉義景の格好よさは異常

333 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 20:14:13
負頼が家督を継ぐよりも、信廉を影武者にして、信勝の成人まで待ったほうが良かった

334 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:00:17
どの道、信玄の死自体遺言に3年は付せとかかれてあったか真偽は別として
あっというまにしれわたっているから無理。



335 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:23:38
>>333
そんなことをしていたら今の戦に強いという評価も消えていそうだが

336 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:06:22
逃廉じゃなぁ…

337 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:29:33
信玄の北進策から南進策への転換そのものが失敗なんじゃなかろうか
短期的には領土拡張できたけど嫡男の死と征服したはずの信濃の豪族
諏訪氏の名跡を継がす予定の4男を暫定とはいえ、後を託す羽目に
なった事がミスっだったな。

機略や機知に富んだと思われる信玄が、自国が豪族連増であるという
認識はあったろうに求心力に不安のある勝頼を仮とはいえ国主に
せざるを得ない点で詰んでるんだよな。
当初は信玄も毛利家のように有力豪族に自分の血族をいれて磐石
にしていく構想だったと思うが、思えば桶狭間で今川が頓死した事が
日本史を大きくかえたのかもしれん。

338 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:51:34
北進しようが寿命はそうかわらんだろ、弱り目で肥沃な駿河遠江を見逃す手は無い罠

339 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:59:49
さらに北進したら、果てしない泥沼になると思うんだが・・・
北も東も駄目となると南しか行き場が無いんだよね。
西に進めれば良かったんだけどね。

340 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:13:45
西というと美濃攻めということになるか。
あそこ信濃から当時の道路事情で大軍攻勢は可能なんだろうか

341 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:38:42
可能、関ヶ原時は秀忠3万5千が進軍した(途中で止まったけど)
当時は中山道(東山道)の方が主要道路

342 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 03:14:21
そうなんだ。
なんで信玄はじゃあ寿命がせまっているのにわざわざ徳川の領地からいったんだろ?
信濃から直接信長の岐阜攻めてもよかったんじゃね

343 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 03:54:22
あそこまで早く逝くとは、気づいてたかどうだか。家康とは領地を接してる
わけだし、無傷で残してくより現実に潰走さしてるから決して間違いじゃ
ないと思うんだが。

344 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 03:56:47
まずは徳川を葬ってから、織田と戦うつもりだったんだろう
美濃から行ったら、いきなり無傷の織田・徳川連合軍と戦うことになる
どっちにしろ、織田を倒さなければ、京都に行けない

345 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 04:00:14
勝頼は「ピュロスぼ勝利」みたいだね

346 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 06:10:49
>>344
でも逆に考えると、補給線がながすぎるし、徳川をつぶす気が信玄にあったかどうかちと疑問。
三方ガ原の合戦では、信玄の行軍につられた家康が合戦を挑んできたけど、あれも徳川が
出てくるなんてそうとう博打にちかいんでは?
出てきたから良かったけど、もし出なかったらどうするつもりだったんだろう。

もう一つは合戦といっても今川の時みたいに大将が戦で死ぬ確率なんてそうは無い。
普通に考えて合戦して国主が逃げて篭城するとなると、長期戦を強いられる訳で
その間に信長をとりまく状況が好転する可能性も考えられるわけで、
徳川戦にかなりのリソース割く必要があると事前に予測できたはず。
さらに、三河武士の結束考えると、信玄といえどもそうたやすく慰撫できんだろうし、
次の尾張攻略も信長の地元なんだよね。
うすうす死期が近いと本人も自覚して上洛したんだろうけど、信玄の戦にしては
かなり雑だとおもうんだね。三方ガ原の戦い自体は圧勝だったんだけど、
あの上洛半ば見切り発車だったんじゃないだろうか。


347 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 06:39:08
信玄の西進は慎重だった。
二俣城攻略にも二ヶ月、野田城攻略にも一ヶ月費やした。
ルートも美濃、三河、遠江の三方から侵攻し、
美濃で織田を引き付け、遠江で徳川を叩いて弱体化させ、
その後三河をじっくり攻略する戦略だったと思う。
飯田から三河へのルートを確保し、三河の拠点の確保し、
織田と徳川を分断して、その後北条と共に徳川を締め上げ、
遠江を確保し徳川を滅亡させるはずが、野田城攻略で体調不良で退却、死亡し頓挫。

一方の勝頼は、三河のみから侵攻し、長篠城攻略の間に奇襲を受け、簡単に退路を断たれてしまう。
攻略できていない足助方面を、1万5千の軍が、細い山道をまとまって退却するのは不可能。
激しい追撃で壊滅するのは必至だった。
袋の鼠になった勝頼軍は織田、徳川が作った防護陣地に突っ込んで、
兵力を減らしてから退却するしかなかったのである。

348 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 21:47:04
信繁が川中島で戦死したのと、今川問題で嫡子義信を誅殺したのが
武田家の運の尽きだ
どちらかが信玄後を継承していたなら、甲斐武田は大名として
現代まで存続していただろう

349 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 06:33:19
長篠の戦後に、織田から同盟の誘いがあったらしいが、負頼は断った
情勢判断ができない負頼は阿呆

350 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 14:26:25
カス頼は、家督を辞退すべきだった。
仁科五郎が相続したほうが、武田家には幸せだっただろう

351 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:37:58
>>348
当然帝王学は嫡男義信に教えてただろうしな
徳川も嫡男切腹させたけど、上から順に次男秀忠に家督を譲った

柴田勝家もいくら器量があるとはいえ三男の信孝を立てずに、愚鈍とはいえ次男の信雄を立てていたら変わってたのかもな

352 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:54:25
秀忠が次男?

353 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:59:35
徳川家康の次男は秀康
秀忠は三男

織田信長の息子信雄、信孝は、実は信孝のほうが先に生まれている。
長男の信忠と信雄の母親が同じだから、信雄が優遇されて次男ということにされた

354 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 17:27:09
信雄誕生の報告が早かったことも理由にある

355 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 17:32:27
織田信雄は、今川氏真に比肩する軟弱息子だから、
信雄についていく家来は、いないだろう

356 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:17:20
氏真は別に軟弱じゃないだろ

357 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:52:35
蛆坐寝は、軟弱なんかじゃない

馬鹿だ

358 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:04:16
氏真:蹴鞠
信雄:能楽

戦国時代に武芸をおろそかにして、娯楽に耽る軟弱者は
武士失格

359 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:21:30
勝頼は景勝と景虎の争いに巻き込まれ最期は氏政を頼った阿房

360 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 00:09:10
>>348
大名として現代まで存続?

信玄の西進が可能だったとするとか、
このスレって、なんかおかしくね?

361 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 01:51:36
>>351
ちゃんと調べてから書き込んで下さい

362 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 02:24:13
仮に武田家が織田と同盟していたら、徳川幕府成立はなかった
徳川は、三河・遠江だけの弱小大名でおわり

363 :OPS:2007/01/12(金) 10:12:11
武田家の滅亡理由はたくさんある。

364 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 12:08:36
織田に南信濃あたりを献上して同盟し、謙信後の越後に向かえば、
武田家は繁栄しただろうに
北条まで敵にして景勝を援助しても利益はなかった。
すべては負頼の愚鈍のせいだ

365 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 13:25:03
「売家と唐様で書く三代目」の典型だな
凡庸な勝頼では戦国時代の荒波を乗り切るだけの能力が無かった

366 :OPS:2007/01/12(金) 13:30:27
勝頼は考え方が古かったのでは?

367 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 13:37:44
勝頼は人並み以上の能力のある武将だが、ああいう戦国期の
荒々しい局面を乗り切る、能力、運が無かった
信玄時代の情報網を捨て去ったのが致命傷になった

368 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 13:46:56
上杉家の相続争いで、北条の要請で景虎を援助する筈が、
景勝から賄賂をもらって、景虎を見殺しにした勝頼は阿呆
景虎が上杉家を相続していれば、武田・北条・上杉の同盟が成立して、
織田だって、うかつに攻め込めかっただろうに

1.織田と同盟
2.北条・上杉と同盟
どちらもできない勝頼は、滅ぶべくして滅びた

369 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:45:46
信繁が信玄の跡を継いで、勝頼が実務担当ならおもしろかっただろうな

370 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 16:57:02
義信が家督相続して、氏真を家来として、織田・徳川連合軍と戦う様子を
想像してみる

371 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:21:46
信長に尻尾ふって仲間になっておけば、信長急死後に織田家を乗っ取って
武田幕府が誕生したという可能性もある











わけないかw

372 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:49:18
>>368
個人的には長條の敗戦よりもそっちの方が痛かったと思う
なんでまた嫁の実家を怒らせるような阿呆な判断しちゃったのかね?

373 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 21:02:33
救援の救援で自ら出てるのに当の北条の動きが鈍いんだもん。
温厚な勝っちゃんでもプンプンですよ。

374 :かつより:2007/01/12(金) 21:25:00
もーぅぷんぷんっ!

375 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 01:56:25
>>373
それもあるが、当座の金に目がくらんだんだろう
景勝は謙信の金蔵を抑えて、金をばらまいて工作していたらしいから
あと、上野国の西半分をもらうとか、こまかいオマケもついてきたらしいが
北条を敵にまわすことになるとは、思いつかなかったんだろうか、負頼は


376 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 07:59:53
負頼とか面白いと思って書いてんの?

377 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 08:04:08
母方の祖父と叔父を信玄に殺された勝頼
まともに武田を守る気には なれんな


378 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 08:07:25
負頼は負け組です

379 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 08:23:33
>>376
面白かろうが面白くなかろうが
負頼は負頼。

380 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 12:32:20
勝頼も人を見る目が無い 真田などを近づけるものだから
ロクなことにならなかった 自業自得というものだろう

381 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 18:43:22
>>380
真田がなにしたっけ?

382 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 22:33:23
被害妄想のアンチでしょう。スルーしましょw

383 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:53:12
北条を信用していたらあっさり背後を突かれてお陀仏しそうなんだが

384 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:09:47
>>349
えーあれだけぼろくそにまけて断ったの?
滅びて当たり前ジャン

385 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:20:32
本当は平和だった戦国時代
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1033130728/


このスレの議論をみていると

信玄ってまさしくこういうスタイルの具現者だよね。
逆に勝頼はこういう事が苦手な猪武者。 

25 名前:南蛮の宣教師 投稿日:02/09/29 12:22
>>13
日本での戦の大半は戦うまえから勝負は見えている。
日本人に重んじられるのは「形」。
その形を作るために実際の戦闘が行われる。


386 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 05:09:01
>>380
もっとちゃんと歴史を勉強しろよ
真田を近付けてロクな事にならなかったって、一体何の事を指してるんだ?

ろくに調べもしないであーだこーだ言うアフォが多くて困る

387 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 08:42:13
最後は真田ではなく、多少血縁があり旧知の小山田を頼って裏切られたわけだが
真田を頼って上田あたりに籠城してたら、歴史は変わってた?

388 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 10:15:37
>>383
北条としては拡張してくる織田に対して緩衝地帯が欲しいから
簡単に滅ぼしちゃう事はないと思う。

>>387
真田の次男坊が養子入りしていつの間にか中身がサナダ化
とか
どっちにせよ逃げ守るにはええ土地柄だども再起戦の兵集めには
向いてないわな

389 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 10:27:04
真田昌幸は勝頼夫妻の御殿を築造して、かなり本気で勝頼を助けようとしていたみたいだな
ただ、戦力的にいって真田を頼っても到底勝ち目は無い
織田とその同盟者の北条への降伏という選択肢が無いのなら、上杉への従属という形しかもう駄目でしょ

390 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:17:56
負頼のせいで、長篠で真田兄弟が戦死し、
他家(武藤?)に養子にでていた昌幸が復帰して家督相続したわけだが
昌幸の心境としては、兄を死に至らしめた負頼をうらんでるのか、
それとも、結果として家督相続できたので負頼に感謝してるのか、どちらだろうか?

391 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:30:42
父である信玄は確かに名将だったが、当時最大の勢力を誇る
織田・徳川に喧嘩売るだけ売って、想定外だったんだろうが
亡くなってしまったからね。武田家滅亡の一因は信玄にもある。

家を滅ぼしたから、凡愚のように書かれてる書物もあるが
気の毒ではある。

392 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:47:00
古くから続くがウリは古くから続いているというだけな老舗企業を一代(信虎の甲斐統一を絡めると
めんどくさくなるから割愛)でその地方を代表する大企業に育て上げた親父が信玄
その親父の旗振りのもと、あちこちから金を集めるだけ集めて社の有為な人材も全て投入した
1大巨大プロジェクトが開始される
本社の役員幹部クラスには親戚一同(信廉や穴山など)、たたき上げ(馬場、山県、高坂など)、中途入社
組(真田など)がずらり
辣腕社長は持病を抱えながらまだまだ現役でやる気満々な為、社の内外で後継者と目される息子勝頼は
本社での肩書きはなく、数ある支社のうちの1社の裁量を任されてるに過ぎない
準備万端巨大プロジェクト発動
開発は順調だが一面もう後戻りできないほどの資金人材を注ぎ込んだところで突然の辣腕親父の訃報
遺言「おまえの息子に会社を譲る。おまえはそれまでのつなぎ」

こんな状況で後を継いだら実際きついべ

393 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 15:01:59
過去レスで織田側から和睦の打診があったと書かれているけど、裏はとれているの?
重臣があれだけ逝ってしまった状態なら甲斐一国でも安堵してもうお家存続はかるか
おたての乱で目先の金にめがくるまにゃよかったんだよ

つか、女房も北条からの嫁だし、普通にかんがえて景勝に付く理由ないよなあ

394 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 15:08:22
>>393
岩村城落城の時人質にしていた信長の息子を返したこともあったし、和睦の芽は無かったわけじゃないのにな
なんでだろ?重臣達の反対とかかなぁ?

395 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 18:13:55
>>390
表裏比興と言われた彼も、一応勝頼滅亡のときは本気で助けようとしてた
っぽい。迎える御殿も新築してたし、矢沢頼綱に兵の召抱えなんかも命じ
てる。気持ちは推量するほかないが、小姓としてついてた信玄への義理と
真田単独での独立への不安のような気もする。結果的に、真田家のみで
遊泳してくわけだが、このあとのことで、それまではあくまで武田傘下の
真田だったわけだから。

396 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 18:35:55
武田家にいた信長の息子は、名義上信玄の養子ということになっていたらしい
その信長の息子を送り返したことで、逆に武田家と織田家の絶縁という
意味にとられてしまった可能性もある

397 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 19:31:50
重臣の反対説もどうなんかなあ信玄の頃からついてきた有力家臣は長篠の戦いで死んでる。
家督をついたところで、信玄とは別の世代だし、一門衆も、譜代も続々内通者ばかりしょ?
そもそも長篠の戦い自体が、奥三河の豪族奥平氏が勝頼を見限って徳川についた事が
原因なんだし、徹底抗戦派って思うほどいないんじゃね?

398 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 20:13:57
いないだろうね。特に、勝頼最期の状況じゃ甲斐で徹底抗戦は自滅しかない。
ただ例外的な家臣が、北信濃に地盤を持ち、山深い岩櫃城を要す真田。
昌幸もバカじゃないから、徹底抗戦玉砕は考えてないだろう。ただ甲府近辺
と違って、時間稼ぎは可能な配置。勝頼の生き延びる稀有な可能性とは考え
られる。あくまで低いけどね。後世から見たら本能寺までもてばナンとか
なるからw

399 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 20:49:51
景勝を選択した理由がよく見えないなぁ
当時の武田家は困窮していて当座の金が必要だったのかもしれないけど…

400 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 21:10:07
武田が滅ばないと本能寺起きないだろ。

401 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 21:33:30
>>399
北条からとついで来た妻と不仲だったのならわからんでもないけど、
夫婦仲はよかったんだよな。
天目山の最後前に実家に帰るようにすすめても応じず勝よりと共に
自刃しているだけに謎。
ヌッころされた上杉景虎は氏康の7男で勝頼の正室と兄弟だから
義兄弟の関係にあたる。
それほどの縁を反故にするほど景勝の条件が良かったのかね?

402 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 21:56:52
>>401
武田からみればだが
景虎は氏康の息子
北条家当主氏政も氏康の息子
相越同盟の関係
景勝との跡目争いに勝利すれば黙ってても関東〜越中越後を覆う大北条の版図が成立
武田とは信玄娘&氏康娘を交互に嫁がせた縁戚関係済み
この状況で氏政が越後に兵を出さないんだぜ

おいおい、武田が助けるよりあんたら北条が全力で行けよ
なにしてんのさ!と思うだろ

403 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:18:42
でも北条との同盟は勝頼が長篠の戦敗戦後に要請して氏政の姉をもらって
実現させたものだぞ。
越後には信濃と境界を接している武田側が近いし、一刻を争う情勢だから
あえて氏政が託したというのにあっさり和睦して景虎見捨てるんだもの
ただでさえ織田・徳川敵に回しているのに北条と再度敵対してどうするつもり
だったんだろうとは思うな。
なんというか、目先の事しか考えていないように見えて仕方ない。

404 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:28:28
>>403
そこは見かたによるだろうな
相越同盟の関係は長く、武田が上杉と和睦したのは謙信晩年でまだ日が浅い
それと君が書いてる通り、織田徳川と直接戦い領地を接してるのは武田
つまり武田が万単位の軍を北に動かすとそれだけ織田徳川からの圧迫が強まる
対して、北条の周囲には北条軍が北上したとしてあえて立ち向かえるほどの動員力を
持った大名はいない
あとは大軍を甲府から信濃の諏訪経由海津を経て飯山を越えて派遣するのと
小田原から武蔵〜上野の関東平野を経て三国峠から派遣するのとでは
どっちかと言うと行軍は後者のほうがスムーズ

ここらへんが不信感だったんだろ


405 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:28:32
>>400
それは言い切れない。勝頼が生きて真田に亡命した状態なら同じだろうw
甲斐南信濃が徳川織田の安全圏になるんだぞ。北条とも良好な状態。
西に向かっても不思議じゃない。

406 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:39:14
信長って多方面戦略だからな。長篠で大勝しても一気に潰そうとせず、
しばらく放っておいた。甲府侵攻後も、追い出しただけで良しとし、
西を開拓する方法は有り得る。上信越は滝川と、堺で遊ぶはずの家康
で抑えは充分。

407 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 23:58:49
武田勝頼の男色相手は誰が有名ですか?

408 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 01:28:05
勝頼は戦場から側室、または奥向きの女性(誰かは不明)に
あてた見舞いの手紙とかが残っている。
男色相手は聞いた事が無い。

としんば、居たとしても(別に居ても構わないが)
ただの腐女子風味の興味本位でしか物事を捉えられない奴に
そういう事を聞かれたくない罠。

409 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 02:21:19
>>404
北条方(というより氏政の心情と戦略をここで考えてみる)
勝頼が先代つまり信玄が氏真(つまり氏康の娘婿 氏政にとっては義兄弟)の放逐を詫び
同盟をむすんだが、長篠の戦での武田弱体化の一報は氏政も承知している。
(なんせ豪族の奥平氏(国人層ですら信玄の死時点でみかぎっている)
氏政としては同盟を結んだといっても事実上の従属同盟的な捕らえ方をしていたのでは?
その代わり、一門衆として遇するということで自分の娘を嫁に出した、
だから義兄弟である景虎の救援、および北条の援軍がくるまで持ちこたえてほしいと
要請したんでは。
ところが勝頼はこの後におよんでもまだ戦国大名として自立していけると判断していて
景勝を支援し、景虎を見捨てた これに氏政が激怒して同盟が反故になった
というか、氏政は雄大な構想を描いていたのではないか
三国同盟の盟主として君臨し、織田家と天下争覇の戦いにうってでるような。

410 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 02:26:02
氏政にしてみれば織田家に対抗する毛利氏や乗りあがる過程での吉川、小早川家を従えて
中国の雄となっていく戦略をおそらく知っていただろうし、ならば関東だけでなく、
景虎と勝頼を通じて東の巨大な織田家と戦う抗争があったと思うんだけどどうよ。

411 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 07:50:45
負頼の後妻は、北条氏康の娘で氏政の妹
負頼と共に自害した時、まだ20才前だったらしい

上のほうのレスで、氏政の姉だとか、氏政の娘だとか書かれているが、
いい加減なことは書かないでくれ

412 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 08:24:47
新府城をつくるように勧めておいて、いざ織田・徳川がせめてきたら
裏切って寝返る穴山の不気味wは、人間の屑

413 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 09:48:26
>>409>>410
長篠で大敗したとは言え謙信死亡時点の武田領は甲・信・駿・西上野だぜ
北条とそれほどの石高差はない

414 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 11:00:14
>>441
へー、北条夫人についてのそんな基礎的なことも知らないで
書き込む奴がいるんだw

415 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 11:37:12
>>404
逆、逆
甲越は講和が成っていたが
相越は臨戦体制バリバリ
なんせ謙信が北条討伐の陣触れを出したまま逝っちまったんだから

それから補給考えたら三國峠越えよりも千曲川沿いのほうがラクだと思われ
実際に荒砥・樺沢を落とした後の北条越冬軍は坂戸攻略に手間取り孤立化して壊滅

さらに両陣に親族分けて家の存続図って様子見していた越後国人を尻目に
景勝側の主力の一画となった信濃衆の本領を攻め取れれば乱の勝敗にかなりの
影響を及ぼしただろうし、氏照氏邦軍が坂戸攻略に釘付けにされる必要性も
低下していたと思われる。

416 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 13:08:17
織田がせめてきた時、亜納屋間の不気味が裏切らなければ、
少しは戦ができていただろう
の不気味が裏切ったせいで、雪崩のように家臣が去っていってしまった

417 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 16:57:26
武田はどの道自立は無理だ。北条氏政の元に越後、甲斐が結集し、対織田戦に望むべきであった。

418 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:53:14
蛆政は、勝頼を遙かに凌ぐ阿呆
湯漬けにかける汁の量を一回で決められなくて氏康に嘆かれた。
事実、秀吉が好条件で和睦を申し出ていたのに、情勢判断ができなくて
北条家を潰した張本人

419 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 20:49:11
料理人の作る汁の濃さが毎回違ってたからだよ、だから
飯にかけてちょうど良い塩梅な量が毎回違うんだよ。
親父は味覚ボケが始まって気が付かなかっただけだよ。

420 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:00:51
そういえば味覚が変わったら脳梗塞の兆候だとよく言うよな

421 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:30:46
>>418
そういう後世に創作された俗説を、真面目に書くなよ!

422 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:34:26
しかし、信玄、氏康、謙信と比べて勝頼、氏政、景勝のヘタレ具合や家を衰退させていく様はひどすぎるな。
織田や徳川の相手になってないじゃん

423 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:39:54
まぁ、どっちみち小田原評定までの過程見てると、氏政ってアホでしょw

424 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:13:08
氏政は、自分のアホを自覚したから、早く隠居したのか?
しかし隠居したあとも、北条家のことには口をはさんでるから
家康みたいな偽隠居だ

425 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 02:12:12
>>422


 信 雄 よ り は ま し だ



426 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 02:19:04
いや 信雄よりも氏政のほうが ひどい
信雄は仮にも織田家の血脈を残し、子孫は弱小大名として幕末まで続いた。

それに引き替え北条家は、氏政のせいで、ほぼ全滅w
(氏政の甥の子孫が河内あたりで一万石で残ったらしいが)

427 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 02:35:07
勝頼は がんがった。
偉い、感動した(嘘

428 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 02:50:14
不適当な例えかもしれないが、現代の病院に例えると、
名医の院長(信玄)が、負債をかかえて事業拡大していた途中で突然亡くなり、
そのあとを才能はないが情熱だけはある
私大医学部出の息子(勝頼)が継いだというところか

名医の素質があった兄(義信)は先に亡くなっていて、病院のスタッフは新院長に馴染まない
それにもかかわらず、新院長は昔ながらの手法で診療ミスを繰り返し、
ついには患者もスタッフも愛想をつかして来なくなり営業停止






429 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 04:09:03
いや立派な宗教団体の頭になられた。

430 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 10:37:25
誤:私大医学部出の息子(勝頼)
正:私大医学部出の私生児(勝頼)

そりゃ娘としては自分の亭主(親族)や息子に継がせたいよな

431 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 11:34:39
重税かけまくって軍役課しまくって領国は疲弊の一途
信玄時代でさえ略奪と人身売買がないと軍勢を維持できなかった程度なのに、織田徳川相手の二正面消耗戦やってれば長篠の大敗が無くてもいずれ負ける
陣代云々は軍鑑にしかないから信憑性がアレだが、それを除いても家を継いだ状況が悪すぎる

432 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 12:16:00
勝頼なる一族

433 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 12:28:35
信玄は、赤字を隠して事業拡大していた
それでも信玄存命中は、信玄のカリスマ性で家臣の求心力が保たれていたが、
信玄没後に勝頼が、同じように事業拡大しようとしても人がついてこない

病院でいうと、稀に難病の手術に成功する(戦に勝つ)ことはあるが、普段は
風邪や擦り傷さえ満足に治せない、藪医者が勝頼だ
さらに、誤診のまま医療ミスを連発して、自滅


434 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 13:33:43
武田家で昌が付く家臣が多いけど、
これって信縄の父信昌と関係あります?

435 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 17:44:00
>>430
>私生児
って言い様、馬鹿?
もしや正室厨?


436 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 18:32:59
妾の子が必死やん

437 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:30:21
正妻の子供でないと駄目なのか?
徳川15代で正妻の子は、家康、家光、慶喜だけ
父が将軍で母が正室なのは、家光だけだ

ttp://www12.ocn.ne.jp/~kyubun/mokuji.html

438 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 00:58:50
>>437
勿論、そんなことはないが、勝頼は他家を継ぐ予定だった人物で、
つまり他の重臣と同じ立場の同僚にすぎない。
それに比べ、義信は足利義輝より偏諱を受けた武田家を継ぎ予定の嫡男で、
最近の研究では知勇兼備の武将であり、重臣たちの信望もあったことがわかっている。
また穴山信君が最終的に勝頼を裏切った原因は義信と親しかったせいもある。
当然、ほとんどの重臣は信玄の死後は勝頼とはウマが合わなかった。

信玄が溺愛する諏訪御寮人とのあいだに出来た子供(勝頼)を後継者にしたがり、
正等な嫡男を死なせたことが結果としては武田の崩壊につながった。

諏訪支店をまかされていたメカケの子が急に本社でイバリだしたら、
誰でも苦々しく思うでしょ。


439 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 01:18:57
>>4387-438
家にもよる。
信長は庶子の兄 信広がいたが家督継承権が無かった。
徳川氏の場合、信忠が若くしてなくなった為、秀忠がついたが、
兄の秀康は一度も秀忠の官位を上回れず捨て置かれている。



440 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 01:24:05
>>458
付記すると、勝頼は朝廷から織田氏の横槍で信玄のように
官位を貰えなかった。
下克上の世の中で平時よりは権威は下がっているが、
豪族への求心力としては使える「権威」が信玄時にはあり、
勝頼には無かった(つまりとるだけの力が信玄時代より下がったと
みなされた)事も武田の将来を不安視されたところで織田・徳川の
内通・離間策が成功した。

441 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 01:34:27
>>438
正室と側室の社会的な地位の違いはわかってるけど
>メカケの子が
こういう言い方ってすごく嫌だよな。某スレみたいだ。

442 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 07:33:58
おまえら釣られやすいなw
>>438は詐欺師が書く文のお手本のようなもんだぞ

1 >勿論、そんなことはないが、勝頼は他家を継ぐ予定だった人物で、
2 >つまり他の重臣と同じ立場の同僚にすぎない。
  義信謀反前までなら1は真実。謀反発覚後の2は異なる。→つまりわざと時系列を混同
3 >それに比べ、義信は足利義輝より偏諱を受けた武田家を継ぎ予定の嫡男で、
  事実→つまり事実1と事実3の間に嘘2を混ぜる
4 >最近の研究では知勇兼備の武将であり、重臣たちの信望もあったことがわかっている。
  ここで憶測→事実3の後だけに抵抗無しに読めてしまう心理効果大
5 >また穴山信君が最終的に勝頼を裏切った原因は義信と親しかったせいもある。
  無理やり関連付け
6 >当然、ほとんどの重臣は信玄の死後は勝頼とはウマが合わなかった。
  5を元に憶測を「断言」
事実1→嘘2→事実3→憶測4→4に基づき関連付け5→5を元に6で憶測を断言
誘導型文の見本のようなものだ

これを逆で書いてみると、不思議なことに最後の2行以外、電波ちっくになるw
穴山信君が最終的に勝頼を裏切った原因は義信と親しかったせいもある。
当然、ほとんどの重臣は信玄の死後は勝頼とはウマが合わなかった。
なぜなら義信は最近の研究では知勇兼備の武将であり、重臣たちの信望もあったことがわかっている。
また義信は足利義輝より偏諱を受けた武田家を継ぎ予定の嫡男でもある。
対して、勝頼は他家を継ぐ予定だった人物で、つまり他の重臣と同じ立場の同僚にすぎない。

443 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 08:05:43
長久手読む気にならん。まぁ、乙。

444 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 09:38:10
勝頼は他家を継ぐ予定だった人物というより
既に他家を継いだ人物だな

諏訪の家督を他に譲った形跡も無いことだし
諏訪の籍のまま武田の総領に乗り込んでくればそりゃ反発されるよな
名分が立たないとただの乗っ取りだもの

445 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:10:09
勝頼の相続の件なんてさんざん色んなのに書かれてるので
今さら長文読む気にならんな。

446 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 22:01:22
梅雪斎も典厩も逍遙軒も諏訪勝頼なんて担ぐ気さらさら無かった
で終了してしまうもんな、事実として

447 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:55:07
胃腸薬で復活したから良いじゃないか。

448 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 09:15:14
勝頼の為に最後まで戦ったのは、弟の五郎と従兄弟の信豊くらい
可愛そうな最後だ

449 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 09:50:06
勝頼の娘婿である宮原氏は今も続いてるの?勝頼の血を残して。

450 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 16:49:41
織田に降伏できないような状態で家督を継がされれば信玄の再来だろうと無理
信玄自身、朝倉が退陣すると慌てふためくほどだったんだもん
畿内の勢力が織田の足絡みを本気でしてくれてようやく互角になれるかどうか
フリーハンドになれば武田に勝ち目無し

451 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:04:44
信玄死んでから滅亡まで何年あると思ってんだ。再来=つまり能力同等
なら、こんな冒険するかw 内政外交やることは山ほどあるわ。無理なんて
言い切れるわけない。

452 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:56:19
そこでやはり長篠の戦にもどるわけだな
あの戦は武田氏を見限った奥平氏を〆る意味で
是が非でも勝たねばならない戦
で、〆るどころか、逆に〆られましたorzな結末だったから
もう離反しまくられたわけで義元死んだとの今川氏と
同様の領国崩壊が起っているわけで。



453 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:27:32
やはり武田が滅びなくても本能寺が起きたなんてのはおかしいよ。
どう見てもタイムスケジュールが大きく狂うしさ。

454 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:00:44
源氏武田が平氏織田?に滅ぼされて源氏明智?は俺何やってるんだろう
とか思って敵は本能寺にありと思って本能寺を起こしたと俺は思ってる
から武田滅亡と本能寺は絡んでると俺は思う。

455 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:18:11
>>452「一将は得がたし」と謂うが、歴戦の猛将を数多く失ったあの一戦に、四郎勝頼公の限界が…

>>454たかが2chとはいえ一応学術板なんだから、織田が平氏なんてカキコするなよ。

456 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:21:29
>>455
本能寺前は織田は平氏って言ってたんじゃなかったっけ?
それを光秀が真に受けたんじゃないかって意味だけど。

457 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:39:15
織田・徳川が高天神城の降伏を許さず、皆殺しにしたのは、
勝頼が家臣の助けにもこれない腰抜けだということを宣伝するためらしい
家臣の信頼を完璧になくした勝頼、惨め

458 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:10:47
庇護してこその国主 庇護できないとなれば他家に走るこれ当然の話

459 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 01:19:36
>>449
どこかで「信松尼公記」を探して嫁。

460 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 09:19:14
勝頼は、外交とか工作が下手
というか、全くやってない?
長篠の奥平だって、戦の前に勧誘すれば、もう一度寝返るかもしれんのに


461 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 09:29:11
信玄は、家康と今川共同撃破の盟約を交わしながら一方的に裏切って攻撃をかけた
その結果北条・徳川・上杉に包囲された時、信長に仲介してもらって上杉の兵を退かせて助かったにもかかわらず信長が苦しい時には自分は臆面もなく裏切った
こういう過去があるから、武田家に対する信頼度っていうのは近隣勢力ほど持ちえなくなる
人心が離れて織田徳川と手打ちできなくて当然

462 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:03:11
>>460
無理。 勝頼は奥平氏からとった人質を処刑した。
動揺する奥平氏陣営に
家康は自分の娘を与えて一門に入れるとまで手形を出してるから。



463 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:18:07
>>461
信長は親切で仲介したわけじゃないぜ。自分が弱いからw 強者との約束は
守り、弱者との約束は踏みにじる。程度の差こそあれ信長家康も同じですw

464 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:42:44
信長が平家とは笑わせる

465 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:56:35
勝頼はすぐに人質、処刑しちゃうからね。
奥平の妻子も磔にしなければ少しは変わってたのにね。

あと新府城を出て天目山に向かうときも
片っ端から人質を残虐な方法で処刑してる。
そのため、地下人にうらみを買い不利になったとか。

466 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:07:12
おっとと、処刑されたのは妻ではなく
奥平貞能の次男の仙千代や貞能の弟の娘などだった。
本来は奥平貞能の妻が人質になる予定だったが、
病弱な母親が人質になるのを庇い仙千代が自ら志願して人質になったという。
そのような親孝行で優しげな息子を殺された貞能の怒りは激しかったろう。

467 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:10:17
人質を出してる家が主家を裏切れば人質を処刑するのは当然だろ
そこで処刑しなくて何の為の人質なんだ?
まさか裏切ったくらいで人質を殺されるとは思いもしませんでした!
なんてぼけた主張を繰り広げるのか?w

468 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:20:02
>>467
勿論そうだ。
しかし人間は感情の動物だ。
奥平と武田は人質処刑により関係修復不可能になったのも事実。
人質をあえて殺さず切り札としてうまく利用する手もあったのではないか?
少なくとも殺さなければ長篠城での奥平の必死の抵抗はなかったかもしれない。

また新府城を出る時に甲斐の武士から取った人質を片っ端から殺害したのは
勝頼の腹の虫がおさまる以外は全く無意味というかマイナスだった。
むしろ寛大に人質を開放していればもう少し行く先々で庇護を受けられ、
マシな最後を遂げられたと思われ。

469 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:20:52
裏切ったら人質を処刑されるのは当たり前だろw

アホばっか

470 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:27:05
奥平は家康の娘を嫁にして、譜代扱いで大出世

471 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:27:19
>>468
結果論で物を言うのは簡単だがw

472 :日本@名無史さん :2007/01/22(月) 19:42:35
勝頼ってとんでもない奴だな

473 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 19:48:44
人質を見せしめと考えるのか、交渉の材料と考えるかだな。
後者だとしたら人質は生きていればこその価値で、
殺してしまっては交渉決裂で全くの無意味。
けど勝頼は前者を重視したんだろう。
滅亡寸前の時はどうせ滅ぶのなら道連れを作りたかっただけかな。
あまりほめられたことではないけど、絶望した人間だからね。

474 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 21:05:08
ていうか武田家滅亡は悲劇的な最後と同情されてるが
これは現代人だからそう思うのであって、

当時としては
過剰に税を取り立て、
過剰に不毛な戦を行い。
新府城建築のためにたくさんの人夫を酷使し
たくさんの人質を殺した
クソ野郎が死んでセイセイした嬉しい。
って感じなんじゃないのか?

他家だけに限った事ではないが、
「悲劇の英雄」だの「悲劇的滅亡」なんてのは
時間が経ってから後世の人が作るものなんだろうね。

475 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 21:13:08
>>474
その前にだ
気違い親父が後継者を殺してしまった事から始まる家中の不和があるから

476 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:43:37
信玄の外交はたった三歩先のことすら想定してないからな
おまいはニワトリかっつーの
目の前のエサを啄ばんでるだけかよ

477 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:01:39
>>476
その信玄が上洛なんかして、天下統一果たせたでしょうか?
自分は返り討ちにあうか、撤退するがオチと思ってますが、
あなたのお考えを教えて下さい。

478 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:50:26
>>473
裏切ったら人質には死が文献みても当時の常識だっただろ
殺されるのがわが子だろうと妻だろうと父母だろうとわかってて見捨ててまでもの
覚悟で裏切りだぞ
逆にそんな交渉材料にとか言ってると余計に足元見られるぜw
織田御坊丸殺されず織田に送り返す→信長から武田にはもう覇気がないねと武田攻めが始まる
関ヶ原前夜の東軍方人質(表面上は豊臣家臣同士の争いだから死までは元からないけど)屋敷群
からの監視&軟禁解除→うはwおkkkkと西軍舐められる

479 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 02:53:23
>>474
木曾義昌さん あの世からの書き込みでっか?
ま、金ばらい悪いくせに賦役ばかり挙句の果てにオキニの側室や子をヌッころされたら恨み骨髄でんな

480 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 02:56:22
>>479
長野では評価されている木曽さんを悪く言うなカス

481 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 04:12:12
山梨では不忠の裏切りもの扱いだよボケ

482 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 04:48:39
>>481
長野では見事な処世術の御殿様ですよw

うっしっし

483 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 07:41:20
長野人は征服されている分際で何をほざいているんだ

484 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 07:57:35
木曽義昌の子孫が家康に連れられて、千葉の銚子の手前に領地をもらった
そして、そこは木曽の祖先、義仲にちなんで旭市と名付けられた。
結局断絶した
勝頼の祟りだ

485 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 08:15:36
人質はかならずしも殺すものではなく、後の交渉材料として生かしておくことも多いが
奥平氏の場合、一度徳川氏を裏切ってついた上での再裏切りだから
見逃せば一度味方につけた国人衆に示しがつかない
勝頼ら武田側としては看過できることじゃない。いきおい武断的になって当然だろう
長篠の一戦の結果があまりにアレだからそこまで失敗に見られてしまう

486 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 08:49:11
勝頼が悪く言われているのは尾張や三河者の陰謀

487 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 09:25:51
勝頼を一番悪くいってるの(=軍鑑作者)はにわか甲州人(祖父の代で信虎にスカウトされたので甲斐に来た)の小幡だけどな

488 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 11:15:38
今川方の鳴海城(現:名古屋市緑区)の後詰に出てきた義元を信長が破ったように、
長篠城の後詰に出てきた織田・徳川連合軍を破りたかったようだが、
同じように数倍の敵でも鉄砲を多数装備した陣城への攻撃では、可能性はゼロ%だ。
勝頼の頭が悪かったことは確かだな。

489 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 11:38:17
天目山にて自刃する寸前真田昌幸が大菩薩方面から五千の兵で救出 想像したら楽しくなる

490 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 11:42:18
>>488
そこは信長・家康の作戦勝ち
酒井忠次・金森長近らの長篠城救助を兼ねた後方奇襲で突撃をしたくなくてもしなければならない状態に追い込んだ
信玄だろうが謙信だろうが、あるいは勝頼が信長だろうが挟み撃ち喰らったらおわりだよ

491 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 14:07:07
こいつより今川氏真のが惨くね?
こいつは自身の戦で部将無くしたけど、氏真は親父があの世まで引き連れちゃってるし(´・ω・`)カワイソス

492 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 15:52:47
>>490
信玄は>>347のような事をやって準備し、勝頼は同じく>>347に書いている事柄しかやらずに
負けるべくして負けている

493 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 20:23:12
>>490
鳶の巣山砦が落ちて退路が遮断されたとしても、正面突破しなくともいいだろう。


494 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 01:13:39
ってか俺やお前らが勝頼でも、


あの時点で、勝頼以上には立ち回れないよ。

495 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 01:23:23
>>494
当たり前田のクラッカー

496 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 08:21:17
>>493
じゃあどうするんだ?
背後の長篠を狙って動けば強大な織田徳川本隊に背後つかれてあぼん
あの陣形になったら敵の主力を一時的にでも突き放さないと転進できない
持久戦は論外だし

497 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 10:20:31
全面に約2倍の敵、敵地、補給拠点を落とされた、背後にもまだ落ちない敵城だしな

498 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:06:02
信玄の頃はまだ財政が豊かだったが、勝頼の頃は財政が逼迫していて
>>347の信玄のような長期的軍事作戦はとれなくなっていたのでは

499 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:28:48
金山枯渇はよく言われる原因の一つだな
史料的な根拠があるのかなぁ?

500 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 15:03:03
掘りつくして枯渇したのか、堀衆が見限って枯渇したのか

501 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 16:32:29
>>498
内政やって国を富ませながら、外征やるのが領地広げたい場合の基本だから。
外征外征じゃ金もなくなる。そのへんも込みで勝頼の器。

502 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:10:20
>>497
織田・徳川軍の陣城は敵が突撃してくれて自分自身をすりへらさなければ何の意味もない(機動力ゼロ)。
そこで鳶の巣山を獲り退路を遮断し、背後からの攻撃でハサミ撃ちになる恐怖で、
正面突破させたわけで、その術中にはまったのがバカ勝頼。
鳶の巣山の酒井勢は4千、長篠城の守兵はたった5百、帰りの駄賃に酒井勢を撃破すればいい。



503 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:08:23
この辺で勝頼の内政策にみるべきものがあったかどうか誰か考察してくれない?
信玄の内政と勝頼の内政を比較してみたらまたちがう一面がでてくるのではないか


504 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 01:16:14
>>502
それはおもいっきり結果論だよな
長篠に今までまともに対陣すら避けていた織田徳川連合軍がやっと出て来た
東美濃に攻め込んでも高天神城を落としても出て来なかった織田徳川連合軍がだ
その野戦陣を突破できると踏んだからこそ、むしろ逃してはならないと逸った
ところが当時の感覚だと極端な過ぎる柵と鉄砲陣が待っていたからこそ、あの結果があったわけよ
途中でいさぎよく退けなかったのはともかくとしてな

505 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 03:41:04
信玄堤とかあるよね。洪水を減らし石高を増やすための土木工事とか。
勝頼はなんかやってる? あと租税率とかだよね。軍事費を捻出するため
だけにやってるようだと、最悪の国主だよな。

506 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 03:42:45
やってるというか、自転車操業的に上がってるようだと、、、の意。

507 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 10:48:54
>>504
それは伊勢長島を壊滅させ、後方の不安がなくなったから、
織田も援軍を出せるようになったわけだよ。
せっかく水軍をもちながら長島の救援に使わなかった勝頼はバカ。
結果的に九鬼水軍にやられたとしてもね。

508 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 11:41:48
>>502
信長軍本隊が敵が背後を見せても陣城に篭ったまま動かない案山子の集団ならその暴論が現実味を帯びるなw

509 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 12:13:51
長篠での織田の取った戦法こそ啄木鳥戦法の完成形じゃないか!
さては小幡の奴が信長の戦術を剽窃したな

510 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 17:34:33
>>508
案山子とは言わないがせっかく築いた陣城の利点が無駄になることは確かだ。
むしろ後方へ退却と見せて、陣城を出てきたところを引き返し、織田・徳川を撃つ手もある。

511 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 18:11:08
一日たったが、今の時点では勝頼の内政で特に見るべきものは〜だったというレスがないところをみると
やはり外征中心の国主という認識でFA?

512 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 18:20:11
>>511
1日でレスがなければFAなのか?w
オマエの思考回路にはついていけねーよw
ってか、もともと金採掘と他国の収奪で甲斐から雄飛したのが晴信の代だ
甲信の名物なんて蕎麦やイナゴとかだぞ
米が取れればイナゴなんて食わねーだろ
蕎麦ってのはな、痩せた土地に適してる植物だ
メイン収入源の金山が枯渇してしまえば内政も糞もねーぞ

513 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 18:43:56
その割に山梨では蕎麦粉系より小麦粉系を 
使った名物が多いように思うのだが…。

514 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 19:27:28
>>502
は?
酒井を蹴散らして退却しようとする武田軍を
織田が追撃しないで傍観するとでも思ってるのか?

515 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 19:44:50
嗚呼、後の大久保長安が金山を掘りまくっていたら、
勝頼も長生きできただろうに

516 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:46:42
>>512
身の丈にあわない外征をやめて内政で基盤固めれば済む話。
主敵の徳川はあの頃まだ一万人ぐらいしか動員できなかったが、
武田の動員は2万ー3万規模 外征しなければまだ豪族や領民に
負荷かけずに領国経営していけた。

織田の圧力にじり貧になるというのなら、講和も致し方なし
反対する重臣の説得も含めて国をどうするかかんがえてこその
国主だろう

あれこれ含めて勝頼の器量だよ 





517 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:40:59
>>512
イナゴは米の代わりじゃないだろ。

518 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:01:55
>>503
名前や書名は忘れたが当時の経済学研究をしている史学者が
信玄の後継者を家康というなら信長の後継者は勝頼だと言っている。
内政面でも勝頼は裏目に出てしまってはいたけど、その経済改革の内容は
実は信長が推し進めていたものと酷似していてその筆頭に上がるのが
甲州枡による単位統一といった内容だった。

経済改革というのは急激にやれば反動や混乱が生じるのは当たり前のことで
(近年ではロシアなどの旧共産圏の経済混乱がいい例)
信長はこれを知っていてか比較的緩やかにい推し進めていたから
スムーズに運んでいたが勝頼はもともと経済基盤があまりよくない状態にも
かかわらず急速に推し進めようとしたからスムーズに運ぶものも
運ばなくなってしまったんではないかなと。

519 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:31:09
経済改革というわりには賦役負担の増加が木曽氏の謀反につながったように
勝頼への求心力低下の一因にもなってる長篠の戦も信玄の時の徳川領侵入
とは打って変わって十分な時間と多方面からのルートを確立しないまま
侵入している。
これが勝頼の戦略性の有無に起因するものか財政難によるものかで判断が
分かれるところだが、賦役の増加から考えてみると財政的な理由が大きいと
思われ。

520 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:54:37
2chでマトモなレスをみたのって
随分久しぶりのような希ガス(w

521 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 02:32:58
そこで春日山のヘソクリに飛び付いてアボンと

522 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 03:28:07
信玄の最晩年に
棟別銭免除の代わりに軍役ふやしたつけがきいてきたんじゃないか

523 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 04:20:13
>>521
嫁の実家の要請を無下にして景勝に味方するぐらいだからよほど金がなかったのかな
普通は逆の行動をとると思うんだが・・・・・。

524 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 06:33:42
自ら兵を率いたんだが・・・。
嫁の実家が来てくれないわけだが・・・。

525 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 08:27:54
軍鑑っていうのは勝頼に厳しいし創作疑いが濃いからアレなんだが
それによると、勝頼が館に商人呼んだだけでえらい評判が悪くなったとされている
信長は商人を武士を差し置いて銀山の代官にするほど重用していたし、謙信だって神余氏らを使って畿内へ青ソなどの売却で儲けていた実例がすぐ傍にあるのに
この話が本当なら、えらく甲州の武士は後進的で保守的ってことになる

526 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 09:19:23
>>518
なるほど。経済基盤の差は大きいな。
金を産む町の差
織田家の堺・京・大津 武田家の江尻港・金山(信玄時代末期には枯渇気味)
これが投資可能な資金量の差につながり
絶え間ない大型土木工事による領内経済循環効果
織田家の岐阜城下整備・安土城建設 武田家の新府城建設・信玄時代の甲斐治水事業
あとは物流経済に対応すべき内政官僚の人材(質量)あたりかな

527 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 09:34:26
駿河攻略で得た金山や港などの利権は、穴山氏らを介した間接支配に過ぎず効率があまりよくなかった可能性もある
武田家は家臣の離反に悩まされた越後上杉家同様、大名権力の確立という点ではかなり遅れていた中世大名の典型
信虎の例がある通り、その気になれば家臣が主君を放逐することも可能だった

528 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 11:21:19
そう考えると毛利元就はすげーよな

529 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:40:41
なんかサラリーマン社長みたいだな。

530 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:50:24
諏訪氏の名跡をついだ4男はある意味養子にだされていた実子が長男&先代のあぼーんで
急遽登場した場つなぎ国主だからな

531 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:23:24
>>528
毛利の場合
当時世界の1/3の産出量を誇った石見銀山の支配と村上・小早川水軍による瀬戸内海の
制圧が経済的には影響大だったろうな
元就後期には豊前を押さえて門司下関〜伊予水道〜石山までつながる当時の日本経済の
大動脈からあがってくる海運利権
これらからの余裕資金が大であったからこそ、九州山陰山陽と軍を休ませずに動員可能だった
だろうし、羽柴軍との攻防にしても万単位で備中にずっと貼り付けてる
山陽山陰の石高だけだとあれだけの軍事行動は経済的にモタナイ

532 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 17:41:00
まあ毛利元就はえげつないんだけどな
本来家督をつぐはつの幼児が変死し、後見役に過ぎない元就が
実権を握り反対する家中を粛清し、吉川、小早川を乗っ取り、
石見銀山を握る尼子を謀略で新宮党を亡き者にし、尼子を乗っ取り
斉藤道三以上の汚い事ばかりしているな。
勝頼は正々堂々と戦っている武士としての本分は勝頼の方が上。

533 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 18:13:58
>>532  キレイも汚いも強ければ生き残り、生き残った方が正義。 それが戦国の世。



534 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 19:41:11
>>499
金山枯渇は良く聞くけどそこまで金山に頼り切っていたのか俺も疑問
なぜか資料的根拠は見たことがないけど
勝頼スレでは一様に信玄の代で掘り当てて
信玄の代で掘り尽くしたように言うので余程の定説なのだろうと思うが

>>518
不勉強ですまない
甲州枡は信玄が定めたものだと一般に流布されているが
勝頼が定めたと言う論拠を教えてくれ
武田滅亡後、領有した徳川が甲州枡の使用を認めているので
余程領民には好評を博していたのだろうと思ったが。
(反動や混乱が起きるような事と言えば明治3年の甲州枡廃止の時の騒動位

>>526
>領内経済循環効果 武田家の新府城建設・信玄時代の甲斐治水事業

信玄の治水の方は国内の生産や領民の生活向上に欠かせないが
新府城はタダの無駄遣いではないだろうか?
一門や重臣すらも国府移転に難色を示していたのは
逼迫した財政で何をやっているんだと言う懸念以外の何ものでもないし
領民の労力を狩り出し領民の血税で城を建てるなんて
雇用促進にもなりゃしない。


535 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 19:51:15
>>534
新本拠建設(人足に金落ちる・人足目当ての商業活性化)→旧本拠からの官民商の移転
(林業活性化・人足に金落ちる・人足目当ての商業活性化)
こういうのは直近よりも1年〜数年先に効いてくるもんだな

536 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:34:39
人は板垣 人は城じゃなかったのか勝頼よ

537 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:44:06
>>535
>直近よりも1年〜数年先に効いてくるもんだな

と、なると長篠になんか出ないで同時期から新府城建設していたら
結構国力も回復できて武田家健在で諸侯の勢力図も多少代わっていたかもね

538 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:51:53
>>534
>>518が言っているのは多分制定したしないではなく
甲州枡基準の単位統一に成功したという意味だと思われ。
確かに考案制定は信玄かもしれないけど、それを領国内で
完全なものにして、領国外から来る商人にも甲州枡単位で
取引させる段階までは確かいっていなかったと思う。
あまり詳しくないんでかじった程度の知識だから違ってたらスマソ

539 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:31:53
>>536
ワロタ

540 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:53:16
>>520
見るスレは選べよ。
武田スレはこんなもんだ。
それを楽しむのがいいんだ。

541 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:54:59
>>521
「稀代の財テク武将上杉謙信」だったそうだし、金の力はでかい。
http://homepage3.nifty.com/k-haruaki/koborehanasi.htm

542 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 00:08:44
やっぱり妾の子だからダメなのよ 
景虎を見殺しにしたくせに最期は奥さんの縁(北条)を頼ろうとしたのだから
ちょべりば

543 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 03:09:55
小山田の岩殿より上州吾妻へ御退きなされば御安心と存じます真田昌幸

544 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 08:12:04
妾どうのなんていうな 
あそこのスレと同じになっちまう

545 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 08:32:51
妾って言ったって
北条の娘なんぞよりは余程、由緒ある家の姫君なんだが・・・

546 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 09:28:28
諏訪家攻略のいきさつが不吉すぎるからじゃないの?
姉婿を騙まし討ちにして、和睦を装って手の内に入れたら切腹させてその家の娘を山賊の如く側室に
信玄ファンには悪いけど、ちょっと欲望丸出しすぎる

547 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 13:51:40
信玄スレで姪を側室にしたのは単なる政略結婚だよと郷土びいきしているヤシがいるようだけど
>>546のいうようにどうみても欲望が先行しているよな。父を失って嘆き悲しむ姪を組み敷いて犯す
信玄 ホント屑ですわな

548 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 20:46:30
滅ぼした家の姫を側室にしてもメリットって無いよな
降伏を許した相手からなら人質とかこれからは味方として遇する証明とかになるけど
当時のことだから現在とは倫理観が違うだろうけど。家臣達が反対したという話が事実ならやっぱりアレだったんだろうな

549 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:51:03
>>548
要は征服欲ででしょ。
信虎、信玄、勝頼、それぞれ形はちがうが成敗したり、同盟裏切ったり、息子廃嫡しようとしたりするとなど
それぞれ微妙にやったやらないはあるが、ある意味親子三代の血なんだなと納得w

550 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 22:31:23
親子の争いは武田家のお約束事

551 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 23:49:03
極端な話、勝豊が元服したとしても勝頼との間で家中が分裂したんじゃね?
信玄がややこしい遺言のこすから・・・・・

552 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 00:44:24
>>545
由緒あっても実はない。

553 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 04:31:13
信玄の父、信虎がしっかりしていたら
信玄は廃嫡されいただろう

554 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 07:48:02
諏訪の大祝を
由緒はあっても実がないとかw
側室にしてもメリットがないとかw
大丈夫かこのスレ?

555 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 09:12:40
不吉ではあっても、将来子をなせば諏訪地方の鎮撫になるからな。
それぐらい諏訪神社とこの血筋とは地元にとって重要だった。

556 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 09:54:54
諏訪頼重をだまし討ちにした信玄は、諏訪大社の祟りで
逝ったということでOK?

557 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 10:57:20
メリットになると踏んだのが山本勘介、というのが小説的な定番だが
結局デメリットしかもたらさなかったわけだからなぁ、これは結果論だけども
……って諏訪頼重の遺児がいたはずだけどどうなった?血筋的には縁戚なんだから、家臣団の不満受けつつ側室取るよりかこっちを名目上立てたほうがよっぽどマシだろうに

558 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 11:49:15
結局武田勝頼は
外交的には
@長篠の合戦に臨んでしまったこと
A御館の乱で景勝に肩入れしたこと
が武田家滅亡の端緒であり、
内政面での失政がそれに拍車をかけたということですかね。
ただし、父信玄の負の財産を受け継いだ面もあり、
さらに当時の織田徳川連合軍が強すぎたという側面もある。
自身にも周囲の状況にも問題があったということか。
後はどちらに重きをおくかによっては勝頼の評価が
人によって変わってくるということですね。


559 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:03:07
>>554-555
また自演で信玄擁護か 

560 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:39:40
諏訪御料人は当時12か13ぐらいじゃないか
極悪人でロリコン。現代なら間違いなく死刑

561 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:47:44
甥にあたる諏訪寅王丸って信玄にころされたのかな?

562 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:08:39
>>559
→z>>554-555
どうした手が震えてたのか?

まあ甲陽軍鑑が跡部&長坂を極端に悪く書くのも偏に
負け頼がヘタレであったからに尽きる
だが如何に亡んでも主家は主家、主君は主君なので直接
負け頼の真実を有りの侭には書けない罠
んで本来はそばに仕え忠臣だった二人にとばっちりが来た訳で・・・


563 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 14:57:18
> 甥にあたる
叔父にあたる、では?

564 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:41:34
信玄はクズで武田滅亡の真犯人で確定。


でも


諏訪は「利用」できるだろ。

565 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:10:00
信玄があのタイミングで死ななければ……というけど
そんな最悪なタイミングを呼ぶような死に際の妄執で遠征すんなと
しかし軍鑑の勝頼嫌いは異常だな。人柄は静かで良かったとかフォロー入れてるところもあるけどさ

566 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:00:30
奥平は裏切る(自分を高く売る)ことに大成功したな
後の徳川の世での扱われ方を考えたらこれ以上無いくらいの最高値な気がする


567 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:42:59
>>563はぁ?
諏訪寅王丸は信玄の甥だが

568 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:46:02
>>548
諏訪家は神様の家系だぞ。

569 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 23:05:39
晴信入道信玄公は名将だが、名君ではない
四郎勝頼公は勇将だが、名将ではない

570 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 01:29:37
名君で名将は上杉謙信

571 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 06:39:05
>>566
裏切るタイミングって重要だね。
土壇場で裏切った小山田くんなんて散々だし。

572 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 06:50:01
穴山、小山田に関しては、裏切ったというより
見限ったという印象でいるけどね。

573 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:02:31
勝頼を招きながら、境界で鉄砲撃ち掛けたわけだから
小山田は十分酷いと思うw

574 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 17:37:20
>>569
>>570
小学校へ帰れ

575 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 17:50:01
>>574
また山梨人か・・・・・脊髄反射レスをいい加減やめたら?

576 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:40:21
↑真性反射レス厨

577 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:45:47
と山梨人の負け惜しみ  まともな反論できないからおらが郷土の信玄を美化する事しかできませんw

578 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:06:29
なぁ 今思ったんだが、長篠の戦いのときに、敵に突っ込まずに、柵を迂回してはさみ打ちするみたいにすれば勝てたのでは?

実際に三段打ち無かったわけだからさ。

579 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:11:05
>>578
はさみうちにするってことは、ただでさえ少ない兵を減らして
各個撃破される可能性もあるんだが。三段撃ちとか、あってもなくても
どうでもいいから関係ない。


580 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:39:47
>>578
相手も案山子じゃないんで迂回しようとすればそれに対応してきます。
ついでによほどの馬鹿でもない限り地形を利用して陣地を構築するので
気楽に迂回はできないと思われます。

581 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:26:29
変形や変身するときは、攻撃しちゃいけないんだぜ。

582 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 08:16:21
「長篠日記」だと>>578の通り迂回襲撃を試みた、とある
しかし撃退されて失敗した

583 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 10:12:37
三段撃ちはなかったとは言い切れないんじゃないか?
信長記にはあるんだし

信長記の全てが嘘とはいえまい

584 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 10:34:49
やはり長篠日記のほうになら「千挺宛放懸、一段宛立替打ツベシ(1千丁ずつ入れ替わりながら撃ち掛けろ)」という信長の命令があったとされる

585 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 13:50:55
三交代撃ち、はあったんだよ。

でももしかしたら
・重心焼けるまで連打!連打!で打ってるAチーム
・wktkしながら銃と体を休めて、弾薬補給とかしてるるBチーム
・疲弊して、焼けた銃身冷やしてるCチーム

かもしれないけどね。

586 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 08:22:26
諏訪御料人のことで信玄を責めるのは後世の価値観じゃないか?
後のことだが、武田氏が志賀城を落とした時には身分の低い者を奴隷にしただけではなく、城主夫人以下上級武士の妻女も戦利品扱いしている
小山田信茂が城主夫人を恩賞として貰って側室にしているように、武田氏では略奪婚が当然とされていた
家臣団が不吉だからと反対したのに、創作の軍師山本勘介ただ一人が賛成して話が通ったというほうがよっぽど非現実的

587 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 11:40:41
ようするに武田氏は盗賊とかわらない大名だったと。

588 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 11:45:42
秋山信友も、美濃岩村城を攻め落とした時に城主未亡人を妻にしてるしな
信長の叔母だったんだけど、これが後に信友破滅の原因に

589 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 11:47:58
信玄の三大敗戦の一つ・上田原合戦で志賀城兵やその家族と縁戚にあった豪族達が先陣を務めたという話がある
ある意味因果応報な損害

590 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 11:57:27
山梨人は長野や群馬、静岡市周辺の人々を売り飛ばし強制労働させる
トンでもない連中だという事か 
上杉謙信を基地外あつかいする小説をマンセーするくせに自分たちの
下ことを反省しない県民性をあらためたら?

591 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 12:06:27
当主が当主なら、家臣も家臣。これで勝頼不吉とかっておめーらの行い全体のほうがよっぽど悪行積んでるよw

592 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 12:11:57
いや実際謙信は自分は女を近づけてないけど、関東で略奪や奴隷狩りしまくって市場のレートは自分で決める越後マフィア軍団のボス
十分嫌だよ

593 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 12:19:29
中世までの戦争は、敵軍の女をレイプするのを楽しみに戦争をしてた
武田軍も例外ではない
変わったのは織田信長が出てからだ 彼は軍律厳しくしてレイプを
許さなかった 末端ではいろいろあっただろうがね

594 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 12:23:02
山梨人が何ほざこうと、上杉謙信に人望があつまっていたのは事実。
だまし討ちにして姪を犯すは占領した町で>>586のような事をやる武田
軍はまさしく鬼畜。

上杉は義将と後世まで称えられるが、武田は所詮恐怖支配しかできない
豪族連合w
信玄が死ぬとみな離反していく事から見ても人心はついていかない


595 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 12:25:01
>>593
勝頼も人質殺しまくっているよな。
人心離れかけているのに更に輪にかけるようなことばかり
していて、まさに因果応報ワロス

596 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 12:56:09
>上杉は義将と後世まで称えられるが、武田は所詮恐怖支配しかできない

上杉は佐渡金山が発見されて財政がよくなった
武田は黒川銀山が枯渇して財政破たんしたので滅亡した
それだけのことだ 恐怖支配はどこの大名も同じだ

597 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 13:01:30
>>594
>義将と後世まで称えられるが

○将、なんていう用語使うのは小学生だけ。
全国の小学校で大人気なの?
いま小学校は謙信ブーム?すごいな!



っていうか上杉謙信の手元こそが「大豪族連合」なんだが・・・

598 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 13:28:33
王将

599 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 13:41:03
>>596
大久保長安は見つけているから
単に彫り衆が逃げたんだろ。
武田の人徳がうかがえるw

600 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 14:23:24
佐渡金山が本格的に開発されたの江戸時代なってからだよ。
これも長安さんなんだけどさ。
謙信が度々関東に出陣したのも収穫時の食料目当てっていうのも
あるからね。人攫って身代金も取ってたし。んでも当時これは
普通のことだったみたい。


601 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 14:37:01
武田滅亡後に、織田軍が旧武田領民にした悪逆非道の所業はひどい
難癖つけて坊主を殺したり、隠れていた武田旧臣を虐待したり
手先の皮尻は殺されて当然だ

602 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 14:42:48
武田の普通は他家の非常識

ところで長安は蔵前衆として信玄に仕えていたけど勝頼から疎まれて勝頼滅亡後に
徳川家に仕官した 徳川の財政に大いに寄与したわけだが、武田が金が無かったと
いうのはそういう意味で嘘だし(信玄の頃はあった)
あってうえで、人を売り飛ばすわ、和議すると持ちかけてだまし討ちにした諏訪氏の
姪を孕ませる訳だ。

ま、甲斐人の「普通」なぞ金丸の金ののべ棒事件をみていたらどの程度の代物か
わかるけどなw

603 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 14:58:01
武田嫌われてるなあ・・評判いい行政官もいたんだよ。
内藤とか内藤とか・・内藤しか思い浮かばん。


604 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 15:07:52
織田が武田に非道なことをしたというのは@
徳川のプロパガンダ

605 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 15:54:01
恵林寺燃やしたっていう事実はあるけどね。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」−快川紹喜。
六角かくまった容疑で。


606 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 16:18:47
>>601
他家に散々すき放題してきたくせして自分らがされると「残虐非道」になるんだ
へーえ

607 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:23:12
内藤さんは若い頃相州に留学してたから

608 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:37:08
鬼美濃の原さんも留学してなかったっけ。
留学っつうか本家が向こうなのか。確か。


609 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 21:00:45
天目山までの随行した人たちは どんな人たちなんですか?図書館 ネットにもないんで・・・だれか わかる方 おしえてください

610 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 01:28:25
いたら此処にいないでしょ
名にあやかり親筋を頼ったら裏切られ 奥さんの実家へ逝こうとして 田野で果てた 勝気な一武将 愚将だよね 秀忠の方がかなりとまし

611 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 01:53:31
>>609
5百人ほどいた勝頼一行だが、小山田の離反で岩殿城に入れず
百人弱に減少、死に場所を求めて武田家の先祖の墓がある天目山をめざしたが
土屋昌恒、小宮山友晴、跡部勝資、長坂光堅らの重臣は最後まで付き従った。
なを土屋昌恒の子孫は徳川家に取り立てられ大名になっている。

>>600
謙信の時代には高根金山や上田銀山等があり、
上杉家は重商主義で財力はすごかった。
ttp://www.trex-net.co.jp/market/colum_detail/007.html

612 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 02:04:52
謙信が残した春日山の黄金で勝頼が景勝に転ぶぐらいだからな
なまじっかの資金ではなかっただろうな

613 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 07:25:00
武田の家臣甘利氏の子孫が国会議員になって威張ってるらしいが
武田滅亡後は、誰に尻尾振ってついていったんだ?

614 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 13:56:40
謙信死後の遺産調査では、2万7千両程が貯蓄されていたそうだ
……家臣の反乱が頻発するほど酷使して、領民が一揆に走ったり街が離散するほど税金とって自分だけ儲ける男が義将?
越後の倫理観は日本人のものじゃないのか?

615 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 15:14:33
勝頼が商人を館に呼ぶようになったのは、財政破綻をどうにかしたいからでしょ
それまで批判されたら普通は腐る罠
軍役や税金の過重さは信玄時代からの負の遺産でもあるのに

616 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 17:57:42
木曽氏の反乱は勝頼からの賦役が不満で内通に走ったもの。
上杉氏に対する国人層の反乱は酷使によるものではない。
民間伝承とはいえ、川中島の合戦の時に越後兵は米を食っているが、
甲斐兵は陸稲が支給されていた
両軍の福利厚生は上杉の勝ちといえる。



617 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 18:38:47
越後の英雄は 上杉謙信と田中角栄


618 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 19:04:13
武田勝頼の男色相手では誰が知られていますか。

619 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 19:07:23
甲斐の英雄は武田信玄と金丸信

620 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 21:51:41
金丸といえば、武田の庶流にあたるらしいなw
この先祖にして、この子孫ありw

621 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 22:23:37
庶流の庶流のまた庶流ぐらいか自称じゃね?
旧温会に入会を認められなかった時点で怪しい以外何者でもない。

622 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 22:37:10
金丸をはずそうと必死だなwwww

623 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:09:07
お前ら仲良くしないと
シベ寒にぬっ殺されるぞ

624 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:45:41
>>614
一揆は信玄と結んだ本願寺によるものが多く、武将の裏切りは信玄の調略。
実際は謙信の収入のほとんどは通商によるもので年貢の比重は少なく、
美談とされる「敵に塩を送る」も経済上の利益を優先して甲斐の塩商人
に塩を売るのを禁じなかっただけだ。
もちろん、だれもがやっている多少の略奪より遠征費の方がはるかに巨大で、
勝頼などは遠征費をひねりだすのに四苦八苦、金も掘り尽くし年貢を上げるしかない。
一方の上杉は、越後では金銀の産出が豊富で、佐渡金山の開発は謙信の死後になるが、
ほかに越後上田銀山、佐渡の鶴子銀山、西三川砂金山などがあり、謙信はそれらをすべて支配し
ていたわけで、2度の上洛で朝廷や将軍、公卿に多額の献金ができたのも、これらの金銀鉱
山があったればこそ。
 もうひとつ、謙信の財源となっていたのが、越後特産の青苧(あおそ)という織物原料で、
この植物の繊維で織ったのが「越後上布」で、木綿が普及する以前は代表的な衣料品の生地と
して使われていた。謙信は上方に青苧を運ぶ商人を統制し、多額の上納金や入港料を獲
得し、財源としていた。(あおそによる収入だけでも米30万石以上に相当した)


625 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:57:33
相模の英雄は北條早雲と小泉純一郎

626 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 01:36:02
貧乏な癖に身内ばかりで愛憎劇やって民や豪族に負担を強いる武田家は
ほろぶべくしてほろんだといえるw

627 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 01:38:27
>>625
北條早雲は相模というより伊豆の英雄じゃねーの?
相模進出は彼の人生でも相当後期の話だし、
どちらかというと、氏綱、氏康のイメージが強い

628 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 02:05:02
>>627

http://www.ibarakankou.jp/sounmap.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E9%9B%B2%E3%81%AE%E9%87%8C%E8%8D%8F%E5%8E%9F%E9%A7%85



629 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 10:12:40
武田派は上杉を貶し、上杉派は武田を貶してるけど
後北条派から見ればどっちも一族間の争いも酷いし民衆に苛斂誅求を強いた暴君一族にしか見えない
いってやったいってやった(AA略

630 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 11:42:06
まだ嫡子でもなかった時代に前線指揮官として奮戦すれば「大将のやることじゃねー」って文句言われる
家をついで改革しようとすれば文句の荒らし
仕舞いには父親の負債もまとめて押し付けられた暗君評価
可哀相な人、としか思えなくなってきた

631 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 12:27:06
http://shingen3.hp.infoseek.co.jp/shingen/takedakeizu.html

家計図みると金丸氏は穴山氏と同時期に興った家らしいな

632 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:03:39
>>630
愛妾の子を無理やり跡継ぎにしようとして、無理に無理をかさね、
家中の不和を招いた信玄が一番の暗君。

633 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:44:04
>>625
お前余所者だろ?
相模の英雄は頼朝だ!
北条?んなもの一般人は認知外だ。

俺ら歴史オタくらいしか評価しないって。

634 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 01:10:11
相模つうか、鎌倉の英雄だろ?
小田原市の英雄は後北条氏だろう。

どちらを支持するかで鎌倉ものか小田原ものかわかる。

635 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 01:47:31
>>632
さんざん言われてることだが、
当初から諏訪四郎勝頼を後継者にと目論んでいたわけではないはず。

>>633
鎌倉駅周辺に頼朝像が無い。山の中の公園にひっそりとある。
源平争乱舞台の物語〜講談、歌舞伎のヒーローである義経と
対極の位置にある頼朝は灰色のイメージで大衆に人気がない。
また、鎌倉市民に親しまれている感じはないな。

小田原駅前には早雲の像がちゃんとある。
五代祭りは大きな催しだし、市民に親しまれてはいると思う。

636 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 02:13:42
神奈川の英雄は、坂田金時に決まってるわぼけええええええええええええええええ

637 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 02:26:16
早雲も頼朝も、元は余所者
その点、信玄は生まれも育ちも甲斐

638 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 02:26:53
勝頼は諏訪の英雄ということでOK?

639 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 07:44:59
勝頼は軍人として1流だが、大将の器では無かった

640 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 08:25:12
勝頼は、甲斐を乗っ取った諏訪の英雄

641 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 08:35:58
武田は豪族連合集団
その上に信虎がスカウトした他国出身者の足軽グループだの
国人上がりの伝統的重臣集団だの
信玄期に取り立てられた新参衆だの
派閥争いの種がこれでもか、というぐらい存在する
戦略的にも対上杉を主張する側と、対織田徳川戦争継続を続ける側がいて足の引っ張り合い
これで織田は武田の数倍の規模の強敵なんだから、誰が当主でもぐっちゃぐちゃになりそうだ

642 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 08:52:51
信玄は元就以下ってことでFAだな

643 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 09:44:00
軍鑑の悪質な創作でよく知られるのが、信玄以来の譜代を勝頼が贔屓した奸臣とでっち上げたことだが
勝頼派の重臣とそ例外の重臣の派閥争いはあったんだろうな
普通に考えれば、勝頼に最後まで殉じた跡部氏や長坂氏のほうがはるかに忠臣なのに……

644 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 14:00:44
結局は諏訪氏の娘は愛の力?でわが子を武田の後継者にし、結果的には
武田を滅亡に追い込むことで、父の復讐を果たしたわけだ。

645 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 16:32:56
淀と同じだお

646 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 23:49:59
勝頼は よくやった、偉い










祖父(母方)の怨念をはらして、武田を滅ぼした

647 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 00:05:29
>>642
元就以下って・・
元就より凄いの探すほうが

648 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 10:42:38
勝頼の母親は、いつまで生きていたんでしょうか?
勝頼に同母兄弟は?

649 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 19:51:16
>>641
その時代はどこでもそうなんだが。
例外は織田くらいなもの。


650 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 19:58:59
>>648
25才とか、二十代半ばとか普通は言われている。
他に子はいない。

これくらいのことは、簡単に調べられることなんで
自分で調べてみようね。
ただしwikiは盲信しないこと。

651 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 06:16:52
親子ほども年の離れた禿入道の肉棒に突き上げられ女の世転びを感じてしまう諏訪御寮人は
今日も中田氏されるのであった

652 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 08:16:37
>>649
いや、足軽大将クラスに他国者を大量に入れたのは武田信虎ぐらいでしょ

653 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 10:29:08
信玄は豪族連合体の武田を、晩年近くにはなんとか大名権力で強く纏めることができた
しかしそれは旧式の宗教権威で自己を神格化(天台宗座主・己を不動明王の化身とした)したりと、信玄以降の継続性が難しい手段を持って
勝頼の代になって豪族達が自分たちの主導権を奪い返そうとするのは当然で、領国が不安定化するのは当然だった
むしろ直接離反や謀反の動きが長篠以前は新参衆ぐらいしか出なかっただけ立派なもの

654 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:18:50
信玄がはなった精から勝頼となる精子が御寮人の卵子と合体した。
勝頼の人生は今から始まろうとしている。

655 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:30:15
勝頼の母が処女を奪われたのは何時ですか?

656 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 23:11:08
平宗盛とか藤原泰衡よりはマシだから叩かないでいやう

657 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:47:07
>>654
また始まるのかよw
もう楽にしてやれよ。

658 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 01:05:26
よしおまえら武田オタが生まれたばかりの勝頼に憑依したという家庭で
おまいらの天下統一論をぶちあげてみてくれ

659 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 14:34:58
織田にとにかく命乞い

660 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:36:40
織田軍が甲斐を攻撃してくるまでじっくり待つ
重臣達とは終始雑談
その一方で地侍を使って情報収集
信長の本陣を把握したら敦盛を待って出陣しt(ry

661 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 19:34:15
もし桶狭間で信玄が勝っていたら・・・・

662 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 19:38:17
朝倉の腰抜けとの同盟破棄。謙信には勝頼を人質に渡してでも同盟。何なら毘沙門天を共に崇拝してもいい。で、浅井に頑張ってもらうため姉川決戦時には徳川を岡崎に釘付けにしておく。
いくさの前にはよく食べてよく寝てトイレは完備させる。「敵は本能である」。

663 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 21:25:32
そんなに小山田氏が 悪いのか?

664 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 21:44:20
鞍替えは悪くないが、騙まし討ちはいかんな

665 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 21:50:55
北から謙信が進撃、南から武田が同時に進撃すれば
信長と家康など木っ端微塵になるお

666 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 12:00:01
>>665
逆に木っ端微塵にされかねないな、それだと
講談補正のない史実の謙信が同盟者の役に立った試しはないしw

667 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 12:14:39
謙信の場合は北条・武田・越中の一揆(本願寺)勢ら3方向全て敵だったわけだが、
勝頼が長篠の敗戦後、謙信と和睦し、本願寺が味方になるといっきに能登・加賀を制圧している、
信玄・謙信同盟なら織田は簡単に粉砕されただろう。


668 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 12:20:10
無理。勝頼が代代わりした時点では織田の勢力は圧倒的
武田が織田を引っ掻き回せた原因である畿内の反織田勢力は軒並み各個撃破喰らってる
条件がここまで悪化した以上対抗は無謀
毛利や上杉といった大勢力すら織田の一地方軍と互角がやっとなんだから

669 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:18:51
石高だけで考えても、1982年の時点で
織田800万石
武田120万石

さらに織田は京、堺を掌握して金銭収入もある
武田は金山枯渇で八方塞がり

勝頼は 情勢判断ができなかったことで終わっていた

670 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:21:03
織田800万石は武田旧領併合後だから
武田滅亡前の織田領は約700万石

671 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:41:46
すなおに謙信は戦国ランスで側室になっていればいいんだよ。
ランスともラブラブHだしそれでおk

672 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 16:50:17
つい最近まで勝頼生きてたんだな

673 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 16:54:42
勝頼の勝は どこからもらった字?

674 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 17:06:06
>>669
そんなに石高はないね、三方が原の時点では尾張・伊勢・美濃・近江・
山城・摂津・河内・和泉・大和・志摩くらいで400万石程度。
しかも内部には本願寺・伊勢長島・雑賀等・浅井の反織田勢力があり
ある程度の兵力を貼り付けておく必要がある。実質は200万石程度?
信玄・謙信連合ということなら信玄が死ぬ以前が前提だろうし、
信玄・謙信・浅井・朝倉の連合軍の前には、やはりひとたまりもない。

675 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:01:43
織田は農本主義というより重商主義。
保守的な武田と石高異常に財政基盤がちがう。

676 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:18:48
お聞きしたい 小山田家の家紋は なんですか?ものしりのかた よろしくお願いします。

677 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 05:18:24
家康Ye(ya)sは完全に信長のパシリ
今度からYESマンと呼んでやろう


678 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 08:49:44
史実では「ひとたまりもない」勢力なんて一つもなかったけどな
織田は2度の包囲網を逆に撃破したし、即潰れたようなイメージがある朝倉氏も数年の激闘の末
長篠後の武田ですらそこそこ持ってるんだから
ゲームのイメージで騙ってる奴多すぎるw

679 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 11:47:39
朝倉氏といえば、漫画戦国で織田が越前に侵入してから自ら軍を率いて
織田と戦い 後世いわれるような惰弱な武将から国主として
見事な最後をとげたような描写がされているが本当なんだろうか
漫画喫茶でよんだだけだから何の史料か忘れたけど、
朝倉関係の史書を根拠として作品中に提示していた

680 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 11:48:05
>>677
信長の篭城指示を無視して信玄相手に出撃したじゃないか
負けたけど

681 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 12:36:03
勝てるとおもって出撃した
今は反省している  

NY家康

682 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 13:29:19
>>678
史上稀な ひとたまりもなく滅びたのが武田家
哀れだ

683 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 13:55:09
つ六角

684 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 13:58:11
天目山で勝頼が自刃したときに、一緒に自刃したのが27人だったか?
他の武将が戦に敗れて自刃する場合はせいぜい4、5人
ひどい場合は1人というケースも多い
27人が追い腹で自刃したというのは、さすが勝頼、さすが武田だな
やせても枯れても、さすが武田だな

685 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 14:06:06
俗説かもしれないけど、朝倉氏が滅ぶときに
腹を切るものが一人もいないとなれば朝倉の名折れといって腹切った
人がいたのに比べたらまだマシかもね

686 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 16:48:42
敗軍の将の最後を見ると、最後までお供しますといってた家来も
1人さり、2人去り、中には引き止めに行って来ると言って
そのまま逃げたり、、、最後は小者までいなくなり1人で
自刃したというケースもある 忠義がウリの侍だが、現実を見ると
報酬をくれない上司を見捨てるのも早いようだ 損得勘定も早いようだ

687 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 18:25:15
敗走途中で力尽きたものもいるだろうしな

688 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 18:55:09
YES家康
イエ〜♪

689 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 21:42:59
>>686
だれその悲惨すぎる最期の人

690 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 21:58:53
甲州は元々土豪が割拠していたのを信虎がやっと制圧できた位だから
武田家臣団というのもいざとなれば自分の所領を守るのが第一なわけで。

信玄没後、苦労知らずの勇猛果敢な勝頼は、戦いに次ぐ戦いで家臣と領民を疲弊させて
いたから、そのタイミングに、天下布武をほぼ完成しつつあった信長が重い腰を上げて甲州征伐となれば、
領地を持つ武田家臣達の第一の願いは、何よりも所領安堵しかなかったろう。

そんな中で、最後まで勝頼を主人と仰ぎ忠義を貫いた、高遠城の篭城衆と、天目山まで付き従った
家臣達は、末代まで語り継ぐに値する、日本武士の鑑だと思う。

幕末の、会津藩士や幕府方で最後まで戦った、骨のある人たちを思うと、
やはり同じような感動を覚える。損得ではなく義理人情を取る人格に。



691 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:13:09
高遠城で討ち死にしたのは、勝頼の弟の仁科五郎
家臣とは言えまい
500人で織田大軍相手に奮戦したんだから、武田勢が1万くらい集まっていたら
簡単には武田は滅びなかっただろう

692 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 23:34:24
>>691
信玄死亡後、まだ2−3マンできる動員力があったが、国人や領民からの搾取がひどすぎて
奥平や木曾など次々に離反している勝頼はもう国主として終わっているよ。

>>686がいうように江戸期じゃないんだから、豪族連合の神輿の器量がなければ
あっというまに捨てられてしまう。
仁科はまだふんばったが穴山や小山田ら次々と離反している現状やわずか27人で落ち延びる
体たらく考えると一万人動員なぞ末期には夢のまた夢。

693 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:18:06
>>686
あの時代に忠義なんてない。

694 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:38:01
一万人いたら高遠はすぐには落ちないかもだけど、
やはり武田家は簡単に滅びたと思うよ。

695 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:39:50
武田勝頼は愚将ではない
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169113631/

696 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 01:06:54
>>679
まあ史実じゃ武田は織田に対して特に何も出来ず
元亀時代に一番織田家を苦しめ、戦火を交えたのは朝倉家だからなー

697 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 01:32:07
信玄は口だけだったものな。 陣をなぜ撤退したのかと朝倉に詰問状おくっているが、
おまえの行動がおそすぎんだよとよしかげにも言い分ある罠

698 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 03:23:51
>>691
高遠城の守兵は5百ではなく3千で対する織田軍は3万、
しかもたった10時間で落城、高橋紹運が岩屋城で7百の兵を
もって5万の島津軍を迎え撃ち,2週間の激闘で
島津軍に多大な損害をあたえた事例に比べて武田兵弱すぎだ。
高遠城は3月2日の一日で落ちたが同じ年の3月11日、
越中魚津城はやはり3千弱の兵で柴田勝家・佐々成政・前田利家・佐久間盛政ら
3万8千の兵に包囲されたが、約3ヶ月持ちこたえて6月3日に玉砕してる。


699 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 06:58:30
>>691
そもそもその高遠城の戦いが
武田軍の唯一の組織的抵抗だったのだが・・・・
すんごい空論だな。

700 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 07:32:39
>>698
高遠の籠城兵が3000人?
どこの資料ですか?

701 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 09:10:07
武田の組織的抵抗なんて鳥居峠合戦で裏切り者の木曽義昌勢に敗退した時点で崩壊を始めている
新参者ならともかく、親類衆から出た裏切り者一人討てないってことでそれまで糊塗してきた信玄以来の不満が一気に噴出したんだろ

702 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 09:17:21
信虎を追放しなかったらよかった

703 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 09:45:49
武田軍が1万いたら1万討ち取られて終りだろ
それよりも高遠城の看板で織田軍が信忠軍だけで五万三千になってるほうが問題だと思うぞ
織田軍は兵士が湧いて出る魔法のツボでも持ってたのかとw

704 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 12:19:36
武田頼政は勝頼の子孫ですか?

705 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 12:39:10
3千で籠城したら、余程のへぼでない限り一日や二日じゃあ落城しないだろ
高遠城は規模のわりに、籠城兵が少なかったから、あっけなく落城したんだ思う

706 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 14:47:16
勝頼は戦国の犠牲者
信長という冷酷非常な悪魔が本能寺で死ななければ
毛利・上杉・長曾我部・北条・伊達・島津も一族皆殺しの憂き目をあっていたに違いない

707 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 14:52:36
>>705
ネットで検索するかぎりどのサイトも3千としているようだ。
ちなみに、松尾城、大島城などは戦わずして城主が逃亡してるが、
高遠城の場合は支城の春日城の城主などが2千の兵で高遠に入城したり、
諏訪・伊那の名のある武将がめずらしく結構入城している。信
長公記によれば首級400以上を得たとあるから、
なで斬りではないので実際はその何倍かは守備兵はいたハズだ。
兜首だけでも100以上ということは守備兵は5百では変な気がする。

708 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 16:21:13
三千って織田軍に比べたら少ないけど、普通の感覚でいけば立派な軍勢だよな
木曽謀反の段階で勝頼が率いた軍勢が1万5千だから、単純計算で全決戦兵力の五分の一程度が集中して守った事になる

709 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 19:24:32
ネットに載ってる数字を事実と思う香具師は
納豆ダイエットでもやってなさい

710 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 23:42:20
信長公記によれば名のある将だけでも仁科盛信、原隼人、春日河内守、
渡辺金大夫、畑野源左衛門、飛志越後守、神林十兵衛、今福又左衛門、
小山田備中守、小山田大学、小幡因幡守、小幡五郎兵衛、小幡清左衛門、
諏訪勝右衛門、飯島民部丞、飯島小太郎、今福筑前守らがいて、
小山田備中守だけでも騎馬70の大将なので足軽はその5倍以上とすると、
小山田備中守勢だけで5百になるから、守備兵5百というのはありえんな。


711 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 00:10:09
左平次はよく高遠から逃げれたな。

712 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 03:39:45
>>710
尾張者のソースをうのみにしてるのw
公平なソースでおながいしますw

713 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 09:55:05
織田方にすれば、少ない軍勢相手に苦戦したなんて恥ずかしいから
相手が大軍だったから手こずったと記録に残す
負けた武田には記録が残らないから、歴史の資料は勝者の大本営発表

そして、それを鵜呑みにする大衆は、今日も納豆ダイエットに励むのであった

714 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 10:00:06
信玄が家康並に大往生して、勝頼が軍事面のみに専念できていたらどうなっていたんだろうなあ

715 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 10:26:13
           ↑
信玄が長生きしていれば、勝頼はただの諏訪地方の城主
後継者は勝頼の息子の信勝

716 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 11:02:03
信玄が、大往生しても 織田には、勝てん
武田、上杉 この支配体制は、鎌倉時代をそのまま引きずっている。
金の切れ目が縁の切れ目 で 小山田以下各武将は、裏切ったとは、微塵も思っていない。


717 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 11:47:34
信玄があそこであのタイミングで乙ってなければ
徳川領は、西遠江と海岸沿い三河のみとなった可能性が大
理由として18松平が結束を維持して徹底抗戦できたとも思えない
となると織田のような方面軍に近いものができあがる
北は、西上野北信濃に内藤・真田→遊軍として海津に高坂
西は、東美濃に秋山・木曽に木曽→遊軍として諏訪に勝頼
東は、郡内に小山田
南は、駿河に穴山
実際のところ、東と南に関しては北条に接する方面は安定
最前線が、西上野の内藤、北三河の山家三方衆、東美濃の秋山
三河〜遠江にかけて武田本隊がうろちょろ
こうなってしまうと徳川は降伏か玉砕しか選択肢がなくなる
三河が武田の影響下に入れば織田の本拠尾張は織田にとって大事な穀倉から一転して最前線

718 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 12:43:43
高遠勢をベタ誉めしてる信長公記が公平じゃないなら、何が公平だとw
じゃあ甲乱記あたりの軍記物臭いのでもだせと?
むしろ高遠城看板の織田軍水増しにそこはかとない郷土贔屓を感じるが

719 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 23:03:31
>>717
ていうか、同時に馬場信春が3千人だっけ美濃に先発隊だしているから
尾張と美濃の分断そして決戦があの年の春先にあるんじゃね。

720 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 14:53:59
>>716
ばかなことを言うな、勝つか負けるかは支配体制がどうたらこうたらとかは無関係。
純粋に軍事能力だけで決まる。
モンゴルに征服された国の支配体制や経済力が、モンゴルに劣っていたとでも?
ローマ帝国はゲルマンの部族より劣っていたのか?


721 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 15:20:02
動員能力は経済的規模に比例する。
たとえば覇者となった秀吉の奥州仕置や関ヶ原後の家康への諸大名服従のように
経済基盤と大勢力は密接な関係にある。

それとモンゴルと大遠征に徒手空拳で挑んだわけではない。
多くの兵を食わす兵站実務は多くの実務官僚の手腕あってのことだよ。
表層的な遊牧民族像にまどわされるな


722 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 15:24:06
>ローマ帝国はゲルマンの部族より劣っていたのか?

末期の防衛はローマも市民兵から蛮族あがりの傭兵主体の軍構成と
なっており、コストが国家財政を圧迫した。
辺境防衛がコストを圧迫し身丈にあわない帝国規模となって徐々に侵入し、
やがてはオドアゲルが帝国中枢部の傍らにまで食い込み簒奪したものだ

723 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:17:03
お聞きしたいが 郡内領主小山田氏は 裏切りものと多数に 書かれているが 擁護する文面がある。ただ 単に意見の違いなのか?

724 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 00:29:43
武田負頼
上杉景負
北条負直


725 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 10:41:46
小山田氏は、元々武田の家臣ではなく同盟者に過ぎないから裏切りじゃないという意見があったな
無茶苦茶なようで実は武田家の体質を如実に現している

726 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/13(火) 10:49:54
○人大杉状態をなんとかするべし。

○北条氏康は天下をとり、日本を統一できるのは武田信玄しかいないと言っていた。
外交、家臣統御、戦略、戦術、政治手腕
ことごとく信長以上だとかんがえていたようだ。



727 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 00:42:49
>>726
読むのが難しいぞ。
句点はちゃんとうてよ。

728 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 08:59:44
捏造での信玄マンセーはスレ違いどころか板違い
とっとと戦国板辺りでも池w

729 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:16:58
武田と豊臣家の崩壊って似てるな
同盟政権で、家臣とか言い難い関係
リーダーの強烈なカリスマに頼っている感じで
子孫にはそんなもの当然ないわけで崩壊したと

730 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:26:56
両家の衰退、滅亡に家康が関わっているな

731 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:28:10
付け加えると今川の崩壊、戦国大名としての滅亡も家康が深く関与している。

なんつうか、家康って相手の弱体化がすごくうまい


732 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:29:59
家康は神様だからさ


疫病神のほうだけど

733 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 18:03:27
今川氏真が家康を太らせて、勝頼の遺領を本能寺の変後のどさくさもふくめて大半を併合し、
氏政が死んで関東の大大名となり、三成が死んで天下人となる。

734 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:20:44
>>733
勢力を伸ばした奴は、みんな誰かの犠牲の上に立ってるぞ。

735 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 01:23:35
まあそうなんだけど、後世有名になった囃子歌が書き込まれて幕府に一日で回収された
板木の状況を地でいっているからな
http://www.kabuki-za.com/syoku/no16.html

絵の中には「君が代をつきかためたり春のもち」とあります。4人の武者の紋所などから見て餅を搗くのが信長、
が立ち、神君家康の名誉をそこなうものとして、出版後1日たらずで板木は回収されたのだそうです


736 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 01:24:22
途中切れた

絵の中には「君が代をつきかためたり春のもち」とあります。4人の武者の紋所などから見て
餅を搗くのが信長、餅をこねるのが光秀、餅をのすのが秀吉、餅をたべるのが家康という
評判が立ち、神君家康の名誉をそこなうものとして、出版後1日たらずで板木は回収されたのだそうです。


737 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 01:40:34
信玄は駿河の今川を狙わないで 裏切り者家康を氏真と共に攻めて
三河をとればよかった
そうすれば義信が武田家を継承して、大大名として残っただろう

738 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 10:00:03
織田と同盟してるお前なんか信用できるかと拒否られてる

739 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 13:04:31
結果からみると、負頼は武田の当主にふさわしくなかったということだ

740 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 13:07:16
お家騒動は武田の伝統芸
信玄以前の世代だってやってるから

741 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 13:22:50
お家騒動なんて他家にも普通にあるもんだけどな。
枚挙にいとまが無いということ。

742 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 13:25:52
つまりお家騒動と無縁の北条氏は武田より上、と

743 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 14:08:25
お家騒動って何代も続く名門の家でよく起こるからね

744 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 14:21:25
>>743
つまり名門で代を重ねるとアホが量産されるってことかw

745 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 16:55:17
>>742
幻庵の存在がおおきかったんじゃね
で彼が死んでだめになったと

746 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 08:43:01
駄目になってねーじゃん
お家騒動なんてあったか?

747 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:28:29
周囲の情勢を判断できない点では、武田負頼も北条蛆馬茶も同レベル
ただし北条は家臣や親族の結束が 負頼よりも強かった

748 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:42:05
全て信玄のせいだな
国人や親族を甘やかす豪族連合から脱却できず、嫡子殺しの後釜という負い目を勝頼に残した
信玄が講談で脚色されるような名将ならこの辺りをどうにかできた

749 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:54:03
>講談で脚色される
のが名将なのかーwww

750 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 10:25:44
講談で脚色されているような
って言いたかったんだろうな多分?


751 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 11:32:42
2万5千で1万1千に順当勝ちしたお陰で徳川時代に大ヨイショされてるのは確か

752 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:11:17
信玄=家康が負けた武将 > 家康

家康を崇めれば崇めるほど、信玄が神に近づくという罠

753 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:18:36
>>748
川中島ものの講談は普通にあるぞw

754 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:23:34
>>746
彼が死んで8ヶ月後に秀吉の侵攻→家中の対応が割れて後手後手に→戦国大名としての滅亡

755 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:29:56
北条は早雲、氏綱、氏康と名将が三代続き、
氏康の息子も氏政を除けば、並以上

それに比べ武田は、信玄はいいとして、先代の信虎は暴君、
信玄の弟の信繁は早死、末っ子信廉は臆病者
有望だったかもしれない義信は誅殺と、一族は惨憺
ろくな家臣も残っていないのでは、武田は滅亡して当然


756 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:40:14
>>754
それはお家騒動じゃないんじゃぁ……

757 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 14:11:22
小田原評定なんて後世にまで汚名が残るほどの迷走状態だろう
幻庵が生きていれば服属、徹底抗戦、 さらに篭城、野戦策など
ある程度方針を絞り込めただろう

あれでは戦う前に負けている。

758 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 15:41:56
勝頼から「頼」の字をもらった家臣はいるのか?

759 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 18:34:41
源頼朝

760 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:24:29
>>755
氏政も優秀だろうが
少なくとも九州征伐を招いた島津の義久と同程度ぐらいには

761 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:11:49
>>758
阿部頼母

762 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:49:27
蛆馬詐は、自分の阿呆加減を在る程度自覚していたから
早めに隠居して息子氏直に家督を譲ったんだろうけど
完全な隠居ではなく、何でも口だししていたから、北条が滅亡した

763 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:51:12
ガッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハ
ガッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハ
ガッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハ
ガッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハ
ガッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハ
ガッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハ

764 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:56:38
        _,,,,,,,,
     , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,
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. ',. ,'           , r'      今は反省している。
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765 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 23:59:24
小田原評定なんてウソで籠城で決まっていた。外郭も画期的だ。
豊臣家も最終局面(大阪の陣)ではその戦略を採用したほど凄い。
もし氏政が秀吉に帰依していたら五大老みたいになれたのかな
でもやっぱり自決したのかな今の東京はどうなっていたのかな

766 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 07:53:04
東京はないな!たぶんに 名古屋辺りかな?!家康だから 江戸にできたようなもの。なみなみならぬ 土木技術でつくられている。

767 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 12:19:01
>>766
東京は湿地帯でしょう。
多分、三浦半島〜鎌倉〜小田原くらいまでに都市機能が集中する。

768 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 13:44:27
>>762
北条家は代々、隠居にて代替わりしてるはず。
代々バカ家系だとでも言うのか?

769 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 17:06:11
勝頼公 最後の地 田野には どう いけばいいですかね?

770 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 18:14:24
グーグルで検索すればでるよ>田野


771 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 22:38:23
>>769
徒歩。

772 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 00:36:14
氏政だけは、真性阿呆

773 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 00:40:50
>>765
>小田原評定なんてウソで籠城で決まっていた
この人は 小田原評定の意味を知らない人?

774 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 00:42:28
ウィーン会議みたいなもんだ


775 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 08:02:02
765は、小田原評定を、秀吉との戦の前の評定と勘違いしているようだ

776 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 12:23:55
会議はおどる?!

777 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 16:39:27
されど進まず

778 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:37:47
まぁ よきにはからえ。はっはっはっ。秀吉の城攻めは 見事だよね。

779 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 02:53:04
勝頼には 遠山氏の娘(織田信長の養女)と北条氏康の娘の他に 妻(側室?)がいたようだが
詳細を知っている方は いますか?

780 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 05:04:21
>>755
軍事面だけ見れば武田家は信虎、晴信、勝頼と天才が三代続いたわけだが。

781 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 10:14:19
信長が生きていたら首都は名古屋!!!

782 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 10:56:05
段々と京に本拠を近付けているわけだが。

783 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 11:02:35
NHKで経石キタ━━━━━━(>∀<)━━━━━━ !!

784 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 12:55:08
腎臓結石は痛いらしいお

785 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 14:19:59
NHKまた来たな
ヌースサイトはまだ出てないぽいけど

勝頼の墓から大量の経石が発掘
勝頼の死後170年後に建てられた事から江戸中期の人々の勝頼に対する想いが
強かったと思われる と県の人が言っております

786 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 14:22:30
ttp://www.nhk.or.jp/kofu/lnews/04.html

787 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 15:09:00
信玄って戦上手か?
むしろ優勢な中大負けが何回もある戦術下手じゃ?
戦略・謀略の人で信虎や勝頼とは大分違うタイプでしょ

788 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 17:50:46
>>779
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E5%A4%AB%E4%BA%BA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%A7%AB

789 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:45:58
ttp://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070219-159094.html
「武田勝頼の墓」から多数の経石

山梨県甲州市教育委員会は19日、同市の寺院・景徳院にある県指定史跡「武田勝頼の墓」から、
墨で経文が書かれた経石が約5400個見つかったと発表した。墓から経石が発見されるのは全国的にも珍しいという。

景徳院は、勝頼が自害した地に、徳川家康が武田家の旧家臣に命じて建立させたと伝わっている。
現存する墓は勝頼の死から約200年後の1775年に建てられた。同じ場所に正室の北条夫人と嫡男・信勝の墓もある。

帝京大山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「武田家にまつわる逸話が多くつくられるなど、
江戸時代には武田ブームが度々起こった。供養に大量の経石が使われたのはそうした時代背景も関係あるのでは」と話した。

甲州市教委によると、土台の石組みがゆがんで石塔が傾くなどしたため、昨年11月から墓の保存修理工事を開始。
翌12月、土台内から大量の経石が見つかった。大きさは数センチから数十センチとさまざまで
勝頼、北条夫人、信勝の戒名が書かれた約25センチ四方の平らな石も見つかった。

市教委は経石に書かれた文字をさらに詳しく調査するとしている。

[2007年2月19日20時40分]



790 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:46:55
勝頼の頭蓋骨は信長の玩具にされたというのは 本当だろうか?
浅井・朝倉の頭蓋骨杯は本当らしいが

791 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:55:31
>>790
さらりと嘘つくなよ。

792 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:12:16
>>790
ふーん、聞いたことないなー

793 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:51:41
>>787
村上やらが強かったから。

と、大概返ってくる。
オマケでそれに比べて信長の相手は義龍やら三好やらで雑魚ばかりが相手でラッキーだよな、というのも。

794 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 05:37:08
328 :可愛い奥様:2007/02/15(木) 14:25:59 ID:KBOVeypU0
NHKの大河ドラマの武田家に毘沙門天が奉られてるのがよく映ってます。と、いうことは武田家は秦氏?

ソース
皆さんこんばんは。鞍馬寺について書き込みます。
京都の北方に位置する鞍馬寺。ご本尊は毘沙門天。毘沙門天は寅年寅月寅日に出現したといわれて
いるそうです。毘沙門天は別名を多聞天といいます。三つの寅が毘沙門天に関係するようです。「ミトラ」です。
古代アーリア人の太陽神「ミトラ」なのです。毘沙門天はインドでは、クベラと呼ばれる財宝の神様です。クベラが
なまって鞍馬と呼ぶようになったと言う説もあります。ミトラはマイトレーヤです。つまり、弥勒菩薩。鞍馬寺の創建
には、秦氏の影があるのは言うまでもないようです。広隆寺の弥勒菩薩です。かつて広隆寺の境内にあった大辟神社
の祭りである牛祭りで登場するのが、マタラ神といわれ、マタラの正体は、ミトラであり。さらに、マタラ神の周りに
は4人の鬼がいて、彼らは四天王と呼ばれています。曼荼羅の世界が鞍馬にあります。
義経が鞍馬に預けられたのも意味があるのかも。鞍馬の天狗とは忍者だったとしたら、秦氏
が関連していると思います。奥州藤原氏を頼っていったのもバックに秦氏があったのかもしれません。平家方
にも秦氏がいたことも間違いないようです。
島津氏も秦氏ですね。家紋の○に+の字。田の原型です。田は水田ではなく囲いの中に植物が植わっている様子を描
いたものだそうです。つまり桑畑だったようで、日本の畑は焼畑を表しており、畠は焼いた後の灰が白く見えるところから
畠とされています。僕の家の紋は丸に木瓜。よく見ると○に+の字に見え、その上、○のなかに植物が植わっています。


795 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 05:38:08
多聞院毘沙門堂
 三富開拓農民の祈願所とするため、柳沢吉保の命により元禄9年 (1696年) に毘沙門社として創建されました。  
 本尊は、像高一寸四分(約四センチ)の金の毘沙門天で、武田信玄の守り本尊であったと伝えられています。信玄は、これを兜の中に納めて戦場に出ていたので、その加護により川中島の戦いで上杉謙信の刀から危うく逃れたと伝えられています。
 武田家滅亡後、この像は人手に渡りましたが、武田家遺臣の血を引く柳沢吉保が入手し、毘沙門社の本尊として祀りました。

796 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 22:20:19
信長は信玄と戦うのを避けた
勝頼は信長に負けて逝った

797 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:37:05
信玄だって信長と直接対決を避けたじゃないか。朝倉に押し付けようとするヒドイ方法で……
そもそも信玄生存時から、重税のために離散する領民が続出している
国人は恩田すら売り払うような状態
甲州法度がさかんに追加されたのは徴税と軍役を確保できなくなってきたのを修正するため
妙法寺記(勝山記)なんかを見ると、むしろ信玄の代で領国が破綻しなかったのが不思議なくらい
徳川史観のために信玄の負債さえ一括して責任にされた勝頼はかなり不幸

798 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:47:53
西に朝倉三好等などがいるのにわざわざ東の武田と事を構える意味が無い。
むしろ武田と衝突するのは愚の骨頂。

799 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:52:49
>>797
戦う前に寿命が来たのやんか

800 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:58:30
信玄が死んだ原因って、朝倉が帰国して信長と対決しなければならなくなったストレスによる病状悪化でしょ?w
煽りでもなんでもなくて、単独対決になった場合の織田と武田の格差はそこまで開いていたし
徳川さえ潰せない状況で信長とその大軍が迫ってきたら悪夢でしょ

801 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:18:50
信長かっけー!

802 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:23:42
>>800
徳川はもう潰されてましたがw

第一、あれ以上、深追いする必要はなかったのだよ

803 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:26:00
>>802
新歴史発掘者登場!
徳川が潰されたって史料提示ヨロw

804 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:33:44
武田家退却の二ヵ月後には駿河各所に乱入してる徳川軍を追う必要がないとは

805 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:34:11
>>803
三方が原で壊滅寸前だっただろw

目の前が涙になってますよ

806 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:35:22
あの時点で徳川は潰れてないが、武田が織田に勝って織田勢力を駆逐してしまいさえすれば、どうせ孤立した徳川ごとき配下になるんだから放置しても間違いではないだろう。
一応の無力化は出来たんだから無理な城攻で損害を増やすほどのことじゃないと思う。

807 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:36:07
>>806
だな

808 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:40:28
と、信玄らが徳川を甘くみていたせいで甲斐への帰還3ヶ月も経たないうちに反撃を喰らいはじめると
普通に不徹底だろこれって

809 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:44:14
>>808
反撃じゃなくて晴信が本当に死んだかの様子見

810 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:47:46
夜の闇のせいだろ
徳川軍は視界が悪いせいで混乱して幹部の討死がほとんど無かったにも関わらず分散状態に陥ったが
一方の武田方も追撃を徹底できなかった
普通に浜松囲んで家康降伏させれば良いと思うんだが、なぜか浜松には手を出そうともしてないね
三方ヶ原戦後の武田軍の行動ペースは遅いし、屈服の使者を待ってたんだろうか?

811 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:58:07
翌年には武田信豊後詰を阻止して長篠城を奪回もしている
これっていわゆる狸寝入り……

812 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 11:27:49
武田が最強だなんてホントお笑い

813 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 11:42:43
信玄末期が唯一無二の徳川打倒のチャンスだった
織田が朝倉らの圧力から解放されれば、国力差による援護でもろ武田の不利
しかし信玄は浜松を囲もうともせず、三方ヶ原後吉田城まで出張ってきた家康を再度攻撃しようともせず小城に拘って時間浪費
実際、この辺り何を考えてたかわからない。徳川屈服を狙うにしても上洛を本気でやろうとしたにしても半端
必死に寸土を稼ぎ続けようとしたとしか

814 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 18:33:13
朝廷からの密使を待っていたのでは?

815 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:25:33
病状が末期になっていて思考も混濁し迷走しただけなんじゃないの

816 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 21:57:54
しかし、信長って仏門にはいった謙信、信玄、本願寺との戦いで
仏って力ないんだねと実感w

817 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 00:57:41
信長は仏の力を悪用する輩に罰を与えたにすぎないのさ

818 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:32:26
>>816
信長の師は沢彦と言って臨済宗(妙心寺)の高僧だよ。
「岐阜」「天下布武」というのもこの人が考えたもので影のブレーンなのだ。
仏って力あるんだね?
この妙心寺出身の僧には今川義元の師になった太原雪斎もいる。
まあ、禅宗はほかの本願寺派や法華宗、根来寺とはちがい兵力(僧兵)はもたず、
一匹狼が多い(一休、沢庵和尚など)。
謙信の場合は、もともと僧籍に入っていたのを強制的に還俗させられもので、
晩年の一時期を除き、本願寺と戦争していた。また僧籍に戻っただけさ(禅宗)。


819 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 03:05:19
>>181
謙信と本願寺の戦争なんてスンニ派とシーア派がたたかうようなもの

ちなみに岐阜の地名や天下布武は仏教には関係の無い由来だな
守旧勢力の信じる仏教を破壊して新時代を作り上げていっているわけだ
チンピラのような仏教オタが賢しげにいっても恥をかくだけ
失せろ



820 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 03:08:57
>>818
ちなみに武田スレなら恵林寺燃やして快川殺したのはどう思うのかな?
仏教オタの糞解釈ででぜひ仏って力あるんだね?ってのを見せて欲しいものだな


821 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 06:39:50
仏の祟りで本能寺で逝った

822 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 08:36:38
もしも、湖衣姫が長生きして、勝頼の弟・妹を量産していたら
歴史は変わっていただろう

823 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/22(木) 11:01:47
○人大杉状態をなんとかするべし、自由に書き込めないぞ。

○この前のNHKで、重臣らが信虎を追放したのは、あとを暗愚な晴信につがせ
国政を牛耳ろうとしたから、などと言っていた。
そうなら、もともと甲斐の団結などたいしたことはなく、ただ信玄についていれば、
金になる、程度の忠誠だったことになる。
勝頼のころもそうなら、長い戦いする大将だが新領地も得られんと、
評価が下がって、裏切られただけ、にならないか。

824 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 12:03:23
nhkがネタ元かよ。
つか専ブラぐらいつかえ。

825 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 14:21:19
旗指し物がダサイ
大 の一文字萎える

826 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 17:45:44
>>821
仏は祟らない

827 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 02:26:05
諏訪四郎勝頼は無位無官
信長と同盟したら官位をもらえただろうに

信玄は従四位下大膳太夫

828 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 02:29:29
勝頼時代に官位を持っていた武田家臣がいたら、勝頼は家臣以下w

真田昌幸は安房守だった筈だが、官位をもらったのは勝頼滅亡後?

829 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 02:46:23
確か合戦の勝率だと信玄が一番だとか。

830 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 08:21:21
>>829
それは敗北を無理矢理引き分けにするおかしなファンの算定
信玄時代以来の重税が何時の間にか勝頼のせいにされた事と同じぐらいタチ悪い話だよ

831 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 14:04:51
ttp://shingen3.hp.infoseek.co.jp/shingen/shin_kassen.html
こういうのだな。

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