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江戸時代の庶民の生活

1 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 15:21:05
真実を今・・・

2 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 15:25:36
2ゲッツ

3 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 15:29:45
慶長年間の生活と、慶応年間の生活では、まったく違うんだがw

4 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:09:05
江戸時代自体、100年間越えてるし・・・

5 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:16:58
身障者の将軍を2人も出しながら徳川政権は、身障者保護の政策を打出していません。
例外としては盲人保護政策があり、これは手厚くて、かなり徹底したものでした。
検校制度の公認と奨励がそれです。
検校制度はとても一口に言えないぐらい複雑なものですが、
大まかにいうとすれば盲人たちを検校・勾当(こうとう)・座頭(ざとう)・市(いち)の4段階に分け、
1番上の検校ともなると社会的に大名の位の待遇を受けたと言います。
外出は立派な駕龍(かご)に乗り、大名と同じ人数のお供が付きました。
位が1段階上るごとに相当な金額を納めなければならないのですが、
そのかわり適当に配当金もあって、相互扶助のシステムになっていました。

6 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:28:14
 ∧_∧
 (`・ェ・´) 呆れるほどの駄スレでレスが少なくても
  0  0  気にしちゃダメ!
  |  |  もう次はないよ!糞スレ立てないで!
  ∪∪

7 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 03:06:29
町人にとって一番よかったのはいつ頃?

8 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 06:47:12
後になればなるほど庶民の力はまして行くし、色々と充実してきた。
逆に武士にとっては後になればなるほど困窮していく。

9 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 14:12:58
>>7



10 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 17:13:07
確かにw

11 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 11:56:44
今の町人は税金取られすぎ

12 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 08:20:42
 んー。
「町人」を広い意味で遣っているな。
 狭い意味では家持町人・地主町人なんだが。
 税金等を払っているのも上記町人だけ。
 混乱を避けるために用語の取り決めをしたほうがいいかもしれん。
 

13 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:00:30
>>7
個人的には文政期じゃないかと
町人ではなく庶民といった方がスレの趣旨に合うと思う

といっても、このまま落ちそうなスレだが・・・

14 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:51:31
いわゆる「町人」=「庶民」の月収ってどれくらいですか?
5年から10年程度の経験値を持つ「建具屋」とか、鳶職人や大工が妻子を養えたのでしょうか?
時代劇などでは全身にタトゥーを施した鳶職人(町火消し)の「若い衆」が出てきますが、全身にタトゥー・・・しかも「和彫り」ともなると相当の金額がかかったと思われます。多分、現在の価格で数百万円。
鳶職人の収入ってそんなに良かったんですか?


15 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 10:43:14
>>14
その辺の資料の有名どころはたぶん文政年間漫録だな
月給って考え方は当時あまりないと思うが
中級大工の収入は一日5匁4分
月によって仕事日数は違うみたいだが、年間で294日働いて1貫87匁6分
相場次第だが、大体年収が25両弱かな
月収なら平均2両そこそこってことになるだろうか
結構多く見えるが、まぁ文政期は結構インフレしてるしね
当時の米の値段は一石(150kg)で1両2分くらいかな
ちなみに、文政期の裏長屋の家賃は500文程度と聞いたことがある
仕事があれば、それなりに家族を養えるんじゃないか?

彫り物師の相場がどんなもんかは全く知らんが、そんなに高いだろうか
刺青自体当時の高所得者がやるもんじゃない気がするがねぇ
親分しか出来ないっていうモノでもないだろうし

16 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 14:50:24
だいたいの家は一部屋に大家族が寝起きしていたようだけど
若夫婦の性生活は どうしていたんだろうか?
夜中にこっそり?
それとも、山奥に逝ってやってた?

17 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:12:13
別にどこででもやれるだろw
いちいち布団敷いてやらなきゃならないわけでもないし

18 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 01:12:36
>>14さん
ガエン者の彫代は、町内や縁のある有力者の間に奉加帳を廻して捻出します
大体道具持ちとして、一人前として認められた位でしょうかね
鳶や消防の他、町内の雑事も引き受けてましたから、衣食住とかその他の心配はなかったんですよ
彫物の費用ですが、職人の1日分の手間賃と同じと云うのが相場です
名刺一枚分位の面積を一坪といって、1日に二つ分位つづ彫りすすんだようですね
人によりますが大体二時間位です


19 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 02:42:29
>>16
長屋で夜中に隣の女房の声が五月蝿いって話も残ってるし、たいして隠れてやるって感覚も無いんじゃなかろうか
昔の炭鉱町とかだと、昼に帰ってきた旦那がドア開けたままやってたとかいう話はあるし
結構近代まで日本は下層レベルではそんな感覚だと思うよ

20 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 02:47:08
肉体労働者はただでも宵越えの金は持たないって言ったしな

21 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 02:54:23
九州の炭鉱だと奄美方面の出身者が多いだろうけど、南方系のおおらかな習俗かね?

22 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 03:53:30
北海道の炭鉱でも似たようなのは聞いたことがある
無論夏場のことだが

23 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 03:54:54
ちなみに江戸には引き手茶屋?とかそんな名前のラブホもあるぜ

24 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:07:15
 思いつきで書き込むが。
 ある人物を想定する。
 江戸市中、貧乏長屋に住んでいる独り者の若い男。
 仕事は居職ではなく出職とする。
 この者の日常的な食事はどうだったんだろうな。
 化政期になると外食産業は大発展するが、それまでは食事はどうだったんだろう。
 お茶一杯いれるにも火からおこさないといけない。飯を炊くのも時間がかかる。
 すごくめんどうだと思う。
 もしおれだったら、飲むのは水、飯は近所のおかみさんに頼んでいくばくか払ってわけてもらうかもしれない。
 どうだったんだろうな。

25 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:14:46
江戸っ子は、一日百文で食えるだけの米を買って食ってたらしいな。

26 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:38:18
>>23
出会い茶屋のことだろう。
今のラブホのようなものだったらしいが、それを描いた浮世絵まで残っているからな。


27 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:41:11
>>24
屋台が江戸などの町のいたるところに登場したからね。
当時の屋台の登場は大阪万博以降のファミレスやファーストフードの登場に似ているところがある。

28 :squid-e-5.ipse.media.kyoto-u.ac.jp ◆iYpWoaA4h2 :2006/12/25(月) 15:34:09
庶民というより独身者が多かったことが要因。
男女比率が偏っているとか住環境が最低で育児放棄も多かった。
実際に捨て子も多くて綱吉などは取り締まるように指示していた。



29 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 18:21:04
>>28
江戸の町人の話なのか普通の村の話なのかくわしくお聞きしたいです


30 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 18:51:30
江戸だろ

31 : ◆iYpWoaA4h2 :2006/12/25(月) 20:25:06
江戸は単身赴任者がとにかく多かったのです。各藩の屋敷も国元から家臣だけでなく陪臣
もいっぱい来ています。機密保持とかもあるんだろうけど必ずしも江戸出身者を雇用したわけでは
なかったので武士人数の数倍そんな感じの人たちがいます。

また労働者移入も建築労働者の不足から近隣からの流入しますが
(技術者はもっと不足していたので熟練工とかは、かなり売り手市場だったとか)
基本的に男性労働者です。女性の社会進出(就職先がない)というか移動(流入)は
男性ほど大きくなかったのでかなり男女比率が偏ってきます。

商家でも奉公人も男性社会です。商業規模が大きくなって従業員数も増えるのですが
家族を持てるような境遇じゃなかったり長屋住まいだったりでちっとも改善しません。
早婚化と晩婚化の二極化がかなりひどかったそうですよ。早めに結婚して
おかないと競争率が高くなると言う面も。現在のお見合いは大正期に写真が庶民にも
普及した時代に様式が固まったようですが、本来は仲人がかなり積極的に働きかけて
どうこうするものでした。茶店や芝居小屋を舞台に江戸・大坂では庶民の間にお見合いが
流行しています(それ以前は上流社会のみ)。仲人には両家から手数料(実際は名目が違いますが)
入るのでビジネスとして大きかったのが理由です。これには芝居興行主とかも係わっているのですが
門前の茶店や茶房も同じで良縁とかを売りにする寺院もかなりありました。

32 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:35:32
    (⌒∨⌒)/::"\
  (⌒\:::::::::/⌒(⌒∨⌒)
 ( ̄>::( ゚∀゚)<(⌒\:::::::/⌒)
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 <(__>::( ゚∀゚)::<__し//J\::::::/⌒;☆☆^
 |ヽ(_/::::::::\_)(_>::( ゚∀゚).つ|/` <メリー! 江戸時代って休日あんの?
 | ヽ. (_∧_) // (_(ノ:::::::\_)
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  l   `.:7 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ し"J
   ヽ  /     .:::/
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  ヾニニ=/./☆\=ニン
   / / /|  |ヽ \
   (__ ̄l/__U"U V`

33 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:36:15
>>31
くわしくありがとうございました

34 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:38:04
勉強になるなあ

35 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:38:09
京からの呉服屋の江戸出店なんかも、京からの単身赴任者が多かったらしい。
今も昔もかわんねえなあ

36 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:19:30
 男女の比率で思い出したが、ずっと前に読んだなにかに書いてあった。(出典忘却。失礼)
 江戸では冬のほうが女が少ない、という調査結果があったそうだ。
 その記述では、理由として、江戸の火事が挙げられていた。
 江戸では大火がたびたび起こるが、時期的に冬が多く、そのため季節によって江戸の男女比が違ったのではないか。
 という説が述べられてあった。
 近郊から江戸へ働きに出ている女は、冬場は実家に戻ることがあったとか。
 どうしてもいざというときは、女のほうが危険を脱するのが男より難しいからだろう。
 おれは詳しくないのでこれについては判断できないが、確かに火事にあって焼け死ぬことを考えれば、そうかもなとも思う。
 出典忘却ゆえ、読み流してくれ。

37 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:21:56
36補足。
「女が少ない」というのは「それ以外の季節にくらべて女の比率がさらに低くなった」の意。

38 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 00:19:14
今の様な握りすしは、江戸時代文化文政のころできたもので、それまでは押しずしでした。
文化の頃で深川の松のすしができて、名を轟かせていますが、押しずしでした。

文政年間のはじめに、江戸本所元町の与兵衛と言うひとが、それまでの早すし、
(酢を混ぜた飯の上に魚をのせたものを、小型の桶にいれて一晩ほど圧して
つくったものでした。

清水と静岡の間に国吉田と言うところがありますが、そこの桶ずしは梅酢を使って
いましたので長持ちし、有名でしたが昭和の初めになくなってしまいました。)
その早すしを改良して、山葵をはさみ(それまでは梅酢につけた生姜です)、海老や
こはだを主とする握りすしをはじめました。

39 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 01:11:13
旨そうだなあ

40 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 12:09:39
鮒とかコハダとか今と嗜好が違うんだな

41 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 21:06:01
限られた種類しか魚がなかったんでしょう


42 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:21:05
赤身の肉は食べる風習がなかったよ。鮭ぐらい?

43 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:56:59
それって近海でしか漁をしなかったから?
でも鯨は赤肉だよね


44 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:52:32
             /\_,,  -―――--  _
             | ∧       ___      `ヽ
         / ̄ ̄`  ヽ   ノ´__`ヽ      \
         \   _ノヽ〕斗- ―――‐\       \
          \/   /          \      )
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            | /_ノl   斗-ハl l/リ/ハ`刈  l |
            〃 /  ハ i|八 ィfテト  イr'ハトj イ /
            /  /ハ从ハハ い}    ゞ-'〃/l/
              / /l  トi i}込 " '。 "//斗  は、はわわ、ご主人様、鯨は魚じゃないですよ
           /  |  !.N f´ _`≧ェイ「ニニ人___
           〆    , /   /  て)(_) `ヽ   \


45 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:46:08
        ( ^ω^)
        ( つ¶つ¶
      (⌒⌒⌒⌒⌒⌒)
        (,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,ノ
         .;ヽ, <,、  ドガッ!
          、ノ (、
         ,;,) ('、'
      ;.、人,ノ  <,人,ノ',.;バリバリバリ
      ;.,,)       (,;
     :、) \(;^ω^)/ うわ、そうだった

46 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:46:37
よく考えると血みたいに真っ赤な食べ物って怖いよな・・・。
葡萄酒飲む外国人が悪鬼扱いされたのもうなずける。

47 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:17:04
>>40
コハダの握り食ったことないの?
旨いよ

48 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 09:57:25
石高について調べてみたけど今の貨幣価値でいくらかなど書いていたが、
どうも納得がいかない。 というのは江戸時代貨幣が存在していたとしても
今ほど流通してたわけではなく変わりに米を貨幣代わりに使っていた訳で、
物々交換など。今のように全て貨幣で決済してた訳ではない。

よって相対価値としてみるのが一番かと思う。例えば、大名家は今で言う企業
に一番近い存在なので、今の国家予算が80兆近くで、トヨタが売上高20兆
近く。要するに4分の一 で当時の総石高が2000万石 幕府が400万石
だったとして5分の一 今のお金にすると16兆くらいになる。
なので100万石の前田家は今で云う、4兆円くらいの企業の長ということになり
一万石の大名で売上げ400億の企業の長と同じくらいの力があったんでは
ないだろうか。
そう計算すると当時の凄さが伝わってくるし納得がいくのだが。

49 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 11:12:14
1万石で大体1億くらい。これ以上が大名って言われるよ。

1石っで一万だな。わりと上級な300石級でも年収300万だから
それほど裕福なわけではない。



50 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 11:39:54
>>44日本人って鯨が魚じゃないと気がついたのは何時からなのでしょうか?


51 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 12:31:41
獣肉禁止は四つ足じゃなきゃよかったみたいだよ。

52 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:04:45
>>49

おいおい それが間違ってるということ。 上級武士300石で年収300万
って今の庶民の給料。一石で庶民で一年食べれる米の量。といっても米は
食べるだけではなく他のものと交換できる今の貨幣価値と近いものがあって
必ずしも今の米の価値とは違う。なので300石は今の9億から12億の価値は
あるよ。
それに石高は今の企業の売上げと同じなので、そこから家来の食事、軍備とか
諸経費が引かれるので長の手取りはもっと少なくなる。

53 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:06:58
いくらなんでも水増ししすぎだ・・・

54 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:23:43
俸禄は藩が借り入れるということで半分は借金だったそうだが。会津とかは60%藩に取り上げられる。

55 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:21:51
そんなことないよ 当時の武士階級は全体の7パーセントくらい。しかも
上級武士なんてほんの数パーセント。
大名家なんて庶民からすれば雲の上の存在だからそれぐらいの方が現実的。
それに大大名なんて参勤交代など出費が多くて大変だったし経費が思っている
以上に掛かってる。なのでもし1万石の大名が現代でその当時の人数分の家来
を抱えて維持しようと思えば400億くらいないとやっていけないと思う。

56 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:04:33
一石は約140s。10sの米が4,000円として年収5万6千円。
1万石なら単純に1万倍で5億6千万。

もっと買いたたかれるような気もするが。そんなところだな。

一万石の常備兵数は、200名。+馬上14騎、鉄砲20挺、弓10張、槍50本、旗3本
なので雑兵10石、弓・槍を20石・旗・鉄砲・を30石、馬を40石と換算すると

2000+560 +600 +200 +1000 +90 と換算で4450石が常備兵数。
収入の約半分は俸禄だな。

57 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:10:57
>>56
で、300石なら10億円ぐらいなの?

58 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:58:35
一万石の常備兵 200名の生活(現在の生活費)と武器弾薬(現在の車や家)
を維持する為には、現在の貨幣価値で5億6千万では、到底無理な数字。
現在の価値ということを考えないと意味がない。
それに米は今の米の価値とは同じではない(貨幣価値がある)という発想でないと間違えるよ。
こういうことはマクロ経済で判断して細かなズレはミクロ経済で埋める作業をし
ないと正確な今の価値として算出できない。

59 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:10:08
それから年収5万6千だと日本で生活できますか?

60 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:43:24
明治には1両=1円だったんだろ?
5万6千両ってえらいお大尽じゃんか


61 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 11:12:20
5万6千円と書いてますよ。

62 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:18:23
米が4000円って高すぎだろう。江戸期の価値は、2000円くらいじゃないか?

63 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:03:39
>>24
火って起こすの面倒だから
一旦つけると種火を長時間保持するようにしてた
火事が多発する要因のひとつだった。

64 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:07:30
>38
握り寿司って文政時代ぐらいのものだから
日本の食文化史のなかでの
カレーライスと50年ぐらいしか差がないんだよな。

握り寿司とカレーって伝統の度合いって同じようなレベルと
いってもいい。

65 :日本@名無史さん :2007/01/11(木) 21:58:20
やっぱ歳とって一人前に働けなくなったら、野垂れ死にするしかなかった?

66 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:19:27
歳をとる前に死ぬ。平均年齢四十才くらいの時代だから。

67 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:36:37
>>65
世話してくれる子供がいるんじゃね
おとっつぁん、おかゆができたわよ

68 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:38:10
>>66
平均寿命が低いのは
現代よりも乳幼児期に死ぬケースが多くて
その寄与が大だから。
無事成人したら老齢まで生きる人が大半ではないかな。

69 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:53:07
疫病とかもある。ばたばた死んでいったそうだよ
医療体制や栄養状態も悪いしね


70 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:41:12
江戸時代になると宗門改帳を頼りに町村単位の平均余命を知ることが出来る
これによると1600年頃の寿命はよくてもせいぜい30才程度であった。
ちなみに記入されていない乳幼児の死亡は入れていない。

ただ平和な時代では
寛文11(1671)年から享保10(1725)年のそれは男36.8才、女29.0才
享保11(1726)年から安永4(1775)年になると、男42.7才、女44.0才
ぐらいになっているので平時の寿命はそんなものなのだろう。

医療技術が進歩していない状況では
四十才ぐらいが限度だったようだ。
人生五十年というのは長生きした現在の八十ぐらいに相当すると
考えていいだろう。

最大の疫病天然痘やこのほかにも腸チフス、マラリア、赤痢などの流行病が
あるので体力のない人間は生き残れない。

71 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:59:12
平安時代末期とか京の町は死体だらけだったそうなので、それに比べればましであろう

72 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 01:04:22
江戸時代は埋葬
平安時代は遺棄

73 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 02:29:37
でも坊さんが額に梵字書いたり卒塔婆を立ててくれるよ。

74 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 04:11:02
平均が40って老人とかいないじゃん。

75 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:06:52
栄養状態が悪いから老けるのも早いんだよ


76 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:52:36
>>74
80才 1
20才 2人
の平均は40になる。
早く死ぬ人間が多い分平均寿命はさがるが年寄は普通にいる。
比率は今よりすくないだろうけど。

77 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 18:53:08
江戸期の記録を見ると80とかはさすがに珍しいようで顕彰されたりしてる。

平均40と言っても現在の60くらいの感じなのだろう。
隠居とか40代の話が多いから今で言う定年だな。元服が10代なので
当主が20代というのはそう不自然でもない。

78 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:18:27
>>70
子供の死亡率
>>73
卒塔婆は身分の高い大人。

79 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:45:13
>宗門帳なので死亡年齢のみ。乳幼児や元服前の児童については書かない。
>庶民に卒塔婆を立てることで功徳という話となる。死体ごとに立てて
回収した数が万に達したって平安時代の飢饉の記述である。

80 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:53:23
平安時代に卒塔婆を立てることが成仏の方法として考案された。別物だが施餓鬼の一種。
どちらかというと中国の有徳講に近い。地蔵尊や仏像を数多く作成する百万佛と同じ発想だが
それよりかは簡易な方法。多くの衆を仏法に導くことで功を積むことになる。

寛正飢饉(1406)では、平安期と同じように卒塔婆を遺棄死体に置いていった話が伝わっている。
「洛北の一僧が木片の卒塔婆84,000をつくり、死骸 に一つ一つ置いていったところ二ヶ月で残り2,000になった」

81 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 00:11:01
宗門改帳は幼児も記載する

82 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:41:51
宗門改帳は、基本的に門徒の移動なので宗教行事をできる部分と婚姻(宗門の移動)からの部分的にしか分からない。
成人の死亡年齢は期日が記入されるので分かるが乳幼児〜児童に関しては曖昧な点が多い。平均寿命を
割り出すときは分かっている部分から解読して割り出すのでほとんど乳幼児に関しては除外している。
葬儀をして戒名をつけるような階層では当然記入されるが、地方によって差異があり一家構成だけの宗門開帳や
財産まで詳細に記載されているものも存在する。基本的に宗教的意図によって作成されたので寺院の都合と
いうことなのだろう。一般に解読や調査対象として幕府直轄領や保存状況の良い信州諸寺の資料が使われる
事が多い。形式的には領主と請負の名主・寺院で二部作られるはずだが寺院が直接請け合っていない場合は
保存されていないケースが多く、本来はすべて記入されているはずだが寺院側のみだと葬礼に関する記述のみ
保存されているということが発生する。厳密には宗門記述から消えた年代で特定できるが資料欠損などで
解読が困難な場合もある。

つまり成人していない場合は、一家の宗門から消えるだけで死亡に関しても詳しくは
書かれないことも多い。おそらく葬儀を行ったかどうかの差異だと思われるが端的な例では成人以前の幼児期死亡率
が高い時代は乳幼児の葬礼に関して寺院を必ずしも通していない。寺院ではなく民間信仰である
地蔵尊(六道を迷わぬという菩薩信仰。寺院は通常如来)での供養や葬礼的には戒名ではなく合葬される。
もっとも地域差があるので一概には言えないが、寺院支配、依存の強い場合や浄土真宗などの旦那寺と門徒と
との距離が近いところは一般にそうではない場合も多い。本来の力点が人口動勢の確認ではなく成人の宗門移動に
関してのチェックであることが理由である(もともとキリシタンへの改宗防止の監視のため)。

83 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:55:51
   _iヽv、
  /_ \
 ノ.ノ  `ヽ ヽ
 ヽ| l  l イ),ゝ
  ヽ、- ノ 
   /▽´ ))
   /  | |
  ヽ、_б
    | | .|
    (_(___|

   _iヽv、
  /_ \
 ノ.ノ  `ヽ ヽ
 ヽ|ー ー イ),へ
  ,<>っ /ヽ/
  〈_〈 ▽´ /
   /   〈
  ヽ、   .〉
    |丁|´
    (_(ノ 


84 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:58:20
『神奈川県史』近世史料編の宗門改帳、60代70代も珍しくない。

85 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:02:05
神奈川県民は長生きなのだな。よいことだ。

86 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:06:57
神奈川は気候がいいから100才以上でも平気だよ。
伊豆とか温泉があるでしょ。北条早雲も享年88

87 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:08:09
>86
百才超えてねえぞ

88 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:15:57
>>86
早雲の年齢は、江戸時代になって作られた家系図からの逆算なんで間違ってるって説もあるよ。
80才以上になってからも合戦してるとか無理あるし。


89 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:17:12
気にすんな

90 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:19:01
まあ、そうだね。(笑)

91 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:23:12
もっとシンプルに墓碑で考えると、50〜60代が多そうな印象がある。江戸後期に限定されちゃうけど。
90代後半の長生き爺さん婆さん『新編武蔵風土記稿』

>>86
湯河原までw
>>88
あるね

92 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:36:54
数えだし多少多めに申告しても問題ないよ。
暦とか閏月が2月あったりするしw

93 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 14:40:09
100年以上と言えば

武内宿禰は、12代景行天皇から16代仁徳天皇まで5代の天皇に仕えた
わけだけど(神功皇后を入れると6代)。
たとえば、35代皇極天皇(642年即位)から40代天武天皇(673年即位)まで6代の
天皇に仕えたとしても、30数年程度。これなら6代の天皇に仕えることも有り
うる。

5代の天皇の在位期間を長くしたために、武内宿禰の寿命も長くせざるを
得なかったということも考えられる。

というわけで、景行天皇から仁徳天皇までの在位期間は、けっこう短かったと
考えることも出来る。日本書紀の寿命自体はありえないから、天皇の在位期間が
短かったか、あるいは武内宿禰は一人ではなかったかのどちらかかな。

94 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 14:58:16
100年以上は無理あるだろ

95 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 15:55:01
>>56
1万石の大名ってのは、四公六民だと4千石が見入りだから、
もっと厳しいよ。


96 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 16:00:48
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97 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 18:02:33
>>95
常備兵力を馬鹿正直に揃えればスデに赤字か・・・
実際は、俸禄を与えた家臣が用意する兵力分もあるんで4450石がコスト
そのものではないはずだが。どっちにしても苦しい財政だな。

98 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:15:40
一万石にそれほど期待されても困る

99 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:01:15
オナニーはどのようにしてたのかな?

100 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:10:28
してなかったんじゃないかな

101 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 20:12:34
してたろ。男の同性愛者が多かったのは事実。性欲もそれなりに……

102 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 14:07:30
手淫船ってのがあったくらいだしな

103 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 14:16:24
あるあ・・・
ねーよwwwwwwww

104 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:45:07
長生きできねぇ
純潔信仰があったのは養生で長生きできると
考えられたからだ

105 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 18:29:09
まあ仏門とかはそうだな。で長生きしたヤツが一族の為に沙門と。

106 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:28:53
人減らしだろ

107 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 19:37:41
いや当主のスペア。当主が不慮の死とかなった場合に還俗して家を継ぐ。

108 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:36:19
スペアは普通にそのまま部屋住みじゃね

109 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 23:55:59
当主が元気でそのままだったとき困りそうじゃん

110 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:09:14
部屋住みが普通。還俗はタブーだからめったにやらない

111 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 03:10:03
普通にやってるよ。家を存続させるの優先だから。
出家が本当に家との縁を絶つことだったのは平安以前。
江戸期は檀家と表裏一体でぶっちゃけ生臭い。

112 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 03:20:00
うちは当主の弟のうち出家したのが2人、部屋住みが1人
当主が死んで部屋住みが継いだけどそれも亡くなって
傍系から養子取ったけどなあ


113 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 03:34:28
寺での地位も偉くなるからなぁ。

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