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日本史なんでも質問スレッド

1 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 22:02:35


2 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 22:09:50
フジムラの残したものってなんですか?

3 :信長:2006/10/07(土) 02:51:53
馬に変身できる事

4 :日本@なな史さん:2006/10/07(土) 13:57:33
はじめまして日本史を選択している生徒です
古代律令制度についてご教授願います
国・郡・里がありますが
郡にも四等官はあったのですか。
官位はどれくらいなんでしょうか。
出世して都に異動することもあったんでしょうか。
古語辞典にはのっていないんです。
よろしくお願いします

5 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 17:13:45
豊臣秀吉や徳川家康は天下統一をしましたが、朝廷に征夷大将軍や関白を任命されて幕府を開いただけで、日本で一番偉い人ではなかったみたいです。
今までに天皇制を破壊して、一番偉い人になり代わろうとした人はいなかったのですか?
あとなんで天皇家は滅ぼされなかったんでしょうか?

6 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:54:40
>>5ガッ!

7 :うっちー:2006/10/16(月) 16:21:12
難関私立大学向けの参考書でオススメをおしえてくれ

8 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 16:24:36
重複スレです

ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151923443/l50

9 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 18:51:11
>>5
藤原・源・足利・信長・秀吉・徳川
そして現代の我々国民
これらはみな天皇より偉い存在です
天皇はこれらの主権者に従うことで存在が許されてきました
天皇の意思は国の意思にはなりません
日本ではずっと主権者の意思に天皇が従ってきました
だから戦争責任を天皇は負いませんでした

絶対に間違えてはならない事は現在の日本の主権者は国民であり
無責任に主権を放棄してはならないことです
天皇は現実に我々に従っています

10 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 23:11:16
アニミズムと呪術と鬼道の違いを教えてください。

11 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 07:59:43
近藤勇は、どうして組長じゃなくて局長なんですか?

12 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 08:49:26
>>4

郡司も四等官制で長官が「大領」、次官が「少領」、
判官が「主政」、主典が「主帳」といいます。

出世や降格など人事異動があれば勿論、移動はします。
というか郡司になっるためには式部省で「試練」という
試験を受けなくてはならず、大領と少領にいたってはは天皇の裁可を経て
太政官より任官儀式を受けなくては就任出来ないので最低一度は
中央に赴いています。
官位は四等官と
郡の5段階の規模(大郡・上郡・中郡・下郡・小郡)
の組み合わせによって変わります。
例えば大郡(20〜26里)の長官なら正七位で
上郡(12〜15里)の長官だと従七位など、同じ長官でも官位に高い低いがあったりします。

13 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 10:08:33
主権者は国民なので、国民に奉仕する公僕に
は選挙権はいらないのではないでしょうか?

14 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 16:07:52
公僕(公務員)なので団体だろうが個人だろうが政治活動は出来ません。
主権者として残された唯一の政治活動は投票権のみです。

15 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 16:26:33
織田信長が何の罪もない人たちを虐殺していたのは本当ですか?

16 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 16:47:56
>>5
天皇を滅ぼすにしても王政を打倒するにしても、必要なのは、その国の多くが
「そうしても構わない」
と思うような体系化され、整備され、説得力をもつ「理論」なんですね。

そして、その理論が成立する「条件」は、それ以前から、天皇でも国王でも、或いは皇帝
でも、それ(人間社会の最上位)より上に位置する何らかの「権威」が必要だったんです。

イギリスなら「大憲章」は国王といえども従わなければなりません。
中国皇帝は「天命」というものに背く事が「許されないものとされて」いました。

そうすると、もし、大憲章を守らない国王、天命に背くようなことをしている、或いはし
ていると「される」皇帝が現れたらどうなるかということです。これが、「革命理論」で、
これによって「滅ぼす」ことが可能になるのです。

ところが、日本の「天皇」については、そのような理論を構成するために必要な「天皇を
上回るような(どんなに抽象的な概念でも良い)権威」というものを日本民族が持たなか
った、ということが言えます。

「天皇」はまた、そういう形にならないような存在となるような、ある種の工夫が(結果
的に)なされていたとも考えられます。
例えば、中国の場合「易姓革命」ですが、その前提は、すべての人は「姓」を持ち、その
中から「天命」に適う「姓」が皇帝となる、という概念があります
が、天皇には「姓」はありません。従って「姓」を「易(か)」えるという契機が発生し
ません。また、実権をもつものを肯定してしまい、その「権威」を裏付けるような役割
(摂関・征夷大将軍等)を担うことで、自分の存在を否定されずに政権交代を行うような
社会構造を作り上げてしまったという要素がそれに当たると考えられます。

このような体系で存立しているのは、日本の皇室と、タイの王室です。

17 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 16:59:52
中高の教科書で、先ず縄文文化が出てくるのだが、
その文化の行方を教えてほしいと思いますです。

18 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 18:54:33
諸 珍 済 武 興 の読み方おしえてください

19 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 21:37:22
天皇家はスサノウの子孫じゃないのはなぜ?

20 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 22:41:13
ベトナム戦争のはじまった理由おしえてほしい

21 :日本@名無史さん :2006/11/06(月) 16:20:56
>>15
派手さの縄文から実用性重視の弥生文化へと。
というか縄文文化のような見栄えするのは一時的な流行みたいなもんで、
今ガングロギャルがいなくなったのと似てる。

22 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 15:31:56
>>14
しかし、現実には政治活動をしている。

>>20
世界史板に行ってこい。

23 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 20:26:41
「燃え」って何?

24 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 05:38:15
>>18
サン チン セイ コウ ブ

25 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 06:36:32
スレ違いだったらスマソ。
浜松って浜松城みたいな歴史が残ってる場所教えてください。

26 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 08:02:31
>>25
意味がわからん。
浜松にある遺跡旧跡のことを聞いているの?
浜松に浜松城があるような、浜松以外の場所を知りたいの?

山川出版から、各都道府県の「歴史散歩」ってシリーズが出ている。
みたらどうか。

27 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 11:01:15
琉球藩が設置されるまでの琉球は日本の一地方ではなくて
日本とは異なる国だったのですか?
あと琉球人の国王って尚とか言う名前の人ですよね?
琉球人と日本人の名前って同じではないのでしょうか?

28 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 11:04:14
日本史上には蝦夷、アイヌとか言う日本人とは異なる
異民族がでてきますよね?
日本史上には蝦夷アイヌ以外にも異民族は居ないのですか?

29 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 11:15:41
異民族はこれからも創れるよw

そう言うことは、CIAが詳しい。

30 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 20:33:26
なにかの生まれ変わりって言う人を教えてください
上杉謙信・・毘沙門天
伊達政宗・・万海上人 

というような感じの・・


31 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 10:19:01
>>30
美輪明宏…天草四郎

32 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 21:43:10
セックスとオナニーどちらが気持ちいいですか?

33 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 19:01:48
明治維新って幕府(武家政治)から朝廷政治に戻したんですよね?
じゃあ現在の政府は朝廷と言っていいのでしょうか?
象徴になる前は朝廷だったのでしょうか?


34 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 23:52:42
>>33
明治政府は朝廷じゃないです。
でもいつから? というのは難しいですね。王政復古の大号令で、王政の
復活が宣言されていますが、同時に摂政(後に復活)・関白・征夷大将軍
が廃止されていますから、ここで、江戸時代以前のある種の朝廷の体制が
否定されています。

東京が首都になったのはいつか、というのも明確な定義がありません。
明治天皇が東京に行幸してそのまま現在に至るっていう形で、「遷都」と
宣言した訳ではなかったのです。

そんなこんなで来てます。日本という国は。

35 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 09:39:55
最近は説明責任とかやたらヤカマシイが、昔からナシクズシの事実先行で来ていたんだね。

36 :33:2006/11/24(金) 18:47:42
>>34さん、詳しい説明ありがとう。

37 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 23:36:17
>>35
そうなのです。日本国は昔からナシクズシ的に既成事実を積み重ねてきているのですが、
ここに来てナシクズシの速度が異状に早くなってきています。

38 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 20:31:12
西郷隆盛は征韓論者だったのか、反征韓論者だったのか・・・
西郷スレを読むつもりでいますが、基本的に、今日現在では
意見は分かれているという認識(前提)でよろしいでしょうか?

上野の西郷さんの銅像には、反征韓論者であったように書かれていますが、
これもある立場からの認識でしかないということでよろしいでしょうか?

39 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 20:36:21
あと逆説の日本史スレは、なぜあんなに荒れているのでしょうか?
客観的なご意見をおまちしています。

私はこの板は新参者です。

40 :日本@名無史さん :2006/11/26(日) 13:39:30
>>39
宗教上の対立だ、気にするな。

41 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 21:45:05
>>39
ニートが原因

42 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:02:41
リビドーを発散する場が無いからじゃねぃの?

43 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:11:48
少額館のやらせ、騙されないように。

44 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:23:54
>>39
同じ主張が繰り返されていて、論点整理が出来ていないのと、互いに
相手の立場が尊重できないのが主な原因でしょう。
まあ、「逆説の日本史」の著者にそういう傾向があるので、スレもそ
れを反映してしまっているというか。ああいう話題は、チェアマンが
いないと収拾がつかないでしょうね。

45 :日本@名無史さん :2006/11/27(月) 06:17:02
チェアマンを罵倒するのが井沢厨・・・
っつうか、井沢が話題になるとここまで荒れるからこのへんで。
以上、井沢のところでチェアマンになろうとし罵倒された男より。

46 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 20:17:22
>>40->>45
ご意見ありがとうございました。
具体的に突っ込んだところは、今後、傍観するとして、
>>45さんは、大変なご苦労をなさったんですね。

首を突っ込まない、かかわりあわないことが、最善かと思います。

47 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 03:15:04
50代板で面白いレスをみつけました
ここで言われているウルシノクサについて何か心当たりがある人はいらっしゃいますか
http://www.2ch.net/test/-/cafe50/1106424567/872

48 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 03:27:11
>>47
漆の草

49 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 08:46:21
日本史と世界史どっちが簡単ですか?

50 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 12:47:19
教育テレビの日本史のアニメで、日露戦争は
財閥の意向で始まったと放送していたのですが、
具体的に教えてくださるようお願いします。

                 

51 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:27:10
質問なんですが、
・複数為替レート(品目別為替レート?)
・それが実施される以前の日本の貿易実態
というものをどなたか教えていたただけませんか?
少しばかり新書にも当たってみたのですが、この辺りをしっかり解説してくれている本が無くて…



52 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 01:29:35
>>49
そんなこと、簡単には言えない。

53 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 20:06:50
江戸時代に関所ってあるじゃない。
あれ、街道沿いじゃなくって、山をちょっと越えればすぐ破れたりしないの?
ベルリンの壁とか万里の長城みたいに、ずーっと横に長ければ別だけど。

54 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 23:06:24
>>53
先ず普通の人には無理。人が通ったことがないところに踏み込むとまず方角が
分からない。次ぎに足場が悪い。5万の1の地図とコンパスだけで試して見る
といい。見えていても行きたい所にも行けないことがある。まして昔は地図が
不完全だった。余程身支度をしっかりしてないと普通の着物ではボロボロだろ
う。足柄古道や箱根旧道で試してみれば分かろうが小道があっても難渋する。

関所破りの一つの手は、修験者などの案内があるなら可能だろうということ。
しかし他人が絡むと秘密が保てない。

55 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 02:35:41
>>53
よくそういう想像があるけど、概ね>>54さんのいう通り。
あと、付け加えるとすれば、当時の人たちは、よそ者に対する猜疑心が
今よりかなり強かったこと。そしてお上の権力がかなり強かったこと。
いくつかの文献からも窺えるけど、山中で生活している樵や猟師は、よ
そ者が山に入ることを警戒するし、またすぐに関所に通報(注進)があ
る。山狩りにあったりしたら、地元の人間には、まず適わない。従って
関所破りは、我々が想像するより、物凄く困難。

余談だけど、昔も今も、海賊や密漁など、海の不法者も取り締まりに遭
うでしょ? これって何の障害物もないですね。それでも簡単には突破
できない。大自然の前に、人間が自由に行動できる方法や範囲は、意外
に限られているということが言えるのかも知れませんね。


56 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 05:46:26
産婆は関所通してもらえたんだよな。
あと丁稚が柄杓(だったかな)持ってると、通してくれるとか。
リスク犯さなくても、関所通れる方法が、案外あったようですw

57 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 09:57:23
教育テレビの日本史のアニメで、日露戦争は
財閥の意向で始まったと放送していたのですが、
具体的に教えてくださるようお願いします。



58 :54:2006/12/03(日) 16:21:25
>>56
芸人が芸を見せて見とめられると通れたと、先日の学科別の授業形式のバラエティ
でやっていた。
柄杓ってのはお伊勢参りではなかったか。小説だが、子母沢寛の父子鷹(だったと
思うが)小吉がそんなマネして東海道を上った話があった。

先日木曾福島の関所跡を見たが、山の手の上まで垣根を作っていた図があった。
あの辺は今でも川は橋のないところを渡るのは至難だろうねえ。鳥居峠に近い
上流に行けばなんとかなるが、何里も大回りだ。

59 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 20:00:15
通行手形無くしちゃったらどうなるんだろ・・・。
再発行のためにどれだけ馬とか走らせなきゃいけないやら。

60 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:08:11
>海賊や密漁など、海の不法者も取り締まりに遭
>うでしょ? これって何の障害物もないですね。

今はレーダーがあるでしょ。
密漁船や海賊出没地域は、パトロール船が重点監視
してるだろうし。

>>59

江戸時代は、一般人は馬に乗れないよ。

しかし、江戸時代って本当に窮屈な時代だったね。
明治維新がスムーズに行われなかったら、日本は
ロシアの属国になっていた可能性大だよね。

61 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:12:40
天賦人権て具体的にどういう意味?

62 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 22:30:55
いや、私はこれこれ、ここの出身ですっていうことを言ったら、
故郷まで身元確認に似顔絵を役人が持って行かなくちゃならないかなと。

63 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 23:28:45
>>61
人間は生まれながらにして自由・平等であり、幸福を追求するのは天から
与えられたものである、という意味。
実を言うと、人権はだから人間の勝手を表すものではなく、天や神を意識
できないと与えられないものだ、という一面も、実は成立した欧米社会で
はあったんですね。日本人的には連想が困難ですが。

64 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:47:29
将軍家斉の子、徳川斉順が清水徳川家の家督を相続した時期について教えて下さい。
ググってもサイトによってまちまちで…

幕府から「清水家に移れ」と命じられた時点、賄料を賜った時点、実際に清水家に引移った時点、元服した時点などなど。


65 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:06:53
古墳時代に「続縄文文化」っていうのが北海道から東北へ南下してくるらしいんですが、
彼らは何しに南下してきたんでしょうか。移住?

66 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:18:57
ちょっと!武田騎馬軍いなかったし鉄砲三段連射てデタラメだって書いてあったけど?!2ちゃんねるだから嘘ばっかりですよね?

67 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 01:04:30
>>65
南下してない。

>>66
おまえが妄想してるような武田騎馬軍はいない。
鉄砲3段撃ちもない。

68 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 13:16:05
W南下したし騎馬軍団もあったよWW

69 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:08:30
卒論の史料を使っての論証とはどうすればいいのでしょうか。

70 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 15:10:01
>>69
センセに有体に聞け。それが一番。

71 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:02:45
>>69
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1135145039/l50

72 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 23:39:57
さんまの番組で学者が日本は鎖国してないとか言ってたけどどうなの

73 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 03:56:26
わざわざ「鎖国」というヨーロッパからの視点で江戸時代の対外関係を説明するのは不適切だから。

長崎でのオランダや清朝との貿易や松前藩とアイヌ、対馬藩と朝鮮、薩摩藩と琉球などの貿易もあったし、朝鮮通信使をはじめオランダや琉球とも正式な国交があった。

そもそも、幕府の対外政策は東アジアの視点から見ても別に特異な政策ではなく、取り立てて「鎖国」という言葉で説明すると実態が見えなくなる危険がある。


74 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 07:39:03
>>72
「鎖国」って言葉は当時にないよ。
なんでも、オランダ商人だか宣教師かが、帰国して出版した書物に
日本の事を「鎖の国」と表現していたそうな。
それが、日本に逆輸入されて「鎖国」つう言葉が生まれた。

薩摩藩も幕府の了解を得て貿易してたからね〜
「家光が鎖国令を発布した」、つうのは嘘だよ。^^


75 :74:2006/12/10(日) 07:49:28
おいが学校教育で習った、
「士農工商の身分制度が武家制度に合わないから、キリスト教を禁止した。」

これ、嘘じゃないの?

だってキリシタン大名だって居たんだしさ〜
西洋だって僧侶・貴族・平民の階級制度が在ったんだし・・・

「島原の乱」のような圧政のよる一揆が頻発しないように
キリスト教が禁止されたような・・・

そんな気がするんだが・・・


76 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 07:54:00
>60
明治維新がスムーズに行われただけでも、江戸時代にそれだけの蓄積があればこそだろ。

ゴロウニンやプチャーチンらロシア人達は江戸時代を賞賛しており、プチャーチンはロシア領内での
治外法権を日本人に認めたほどだった。

77 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 09:33:59
これは誰ですか?
http://p.pita.st/?m=o9o3hixc

78 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 11:10:12
高校日本史Bの宿題手伝ってくれる方
居ませんか?

79 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 17:29:49
いません

80 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 19:42:50
>>78
自分一人ですることに価値があるのだ。


81 :日本@名無史さん :2006/12/10(日) 20:52:19
わからない点についての質問には答えてくれる人もいないわけではない。
だが何がわからないのかわからないようでは答えようもない。

82 :えっちな18禁さん:2006/12/11(月) 00:44:24
>>32
自分さえよければいいのがオナニーで
一緒に幸せになれるのがセックスさ〜
二人でセックスしてるのに中身はオナニーってのもあるかもよ〜ん

83 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 01:26:08
東北地方って後進地域のイメージが強いんですけど、
東北が日本の発展に貢献したことってあるんでしょうか?

84 :日本@名無史さん :2006/12/11(月) 05:58:52
江戸時代の東日本の流通を調べて来い

85 :三浦佑之『金印偽造事件』:2006/12/11(月) 11:50:19
 上代文学専攻の三浦佑之著『金印偽造事件』(朝日新書)って、専門家に相手にされているのですか。

86 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 15:59:53
明治維新の時に、勝海舟が江戸城を無血開城させ、
江戸の街が戦火に遭う事なく守られたと習いましたが、
江戸城はいつ頃、どのような経緯で無くなったのでしょうか?

どなたか、教えて下さい。

87 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:50:38
武士の階級(官位ではなく)って安土桃山前後の戦国時代はどうなって
いたんですか?大名によって違ったんでしょうか?
雑兵、足軽、足軽大将、侍、侍大将・・・etc こんな感じですか?
どなたか教えて下さいお願いします。

88 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 20:27:54
>>86
江戸城は1868年に新政府に明け渡され、1869年の東京遷都で天皇の住まい(現皇居)になりました。

江戸城の天守閣は1657年の明暦の大火で焼失してから再建されてないので、パッと見てお城の跡だと思わないかもしれませんね。

89 :86:2006/12/11(月) 20:39:51
>>88
レスありがとうございます。

なるほど!明治以前にすでに天守閣は無くなってたんですね。

第二次大戦中には皇居になっていた事は知っていたので、
明治大正期に取り壊したのかな?なんて思ってました。

お陰様で長年の疑問が解けました。どうもありがとうございました。

90 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 21:48:28
 >>83
後進地域て……。
近世以降に関して言えば、そのイメージは一刻も早く捨てた方がよいよ。

東北の漁業は大変盛んで、東北で採れたシャケ(当時は東北でもとれたんですね)や、
イワシを干したやつが、贈答品用の高級品として江戸で珍重されたとか、
北海道から着たマスを加工して江戸に流していたとか、
そういう産業史的なところでみたら、東北のスゴさは枚挙に暇がないぞ。
仙台を中心に、東北経済圏はとても発展したのです。
石巻港みたいな優良な漁港も多いしね。
まぁ、別に東北に限った話じゃないけど。

 こういうんじゃダメ?



91 :83:2006/12/12(火) 12:59:24
>>90
しかしやはり東北がしょぼい感は否めませんね。相応の蓄財をした形跡が見られないし。

92 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 15:35:28
>>91
何を言いたいのか分からんが、優秀な人材ならいくらでも輩出しているが。
ところで君はどこの地域からかな?

93 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 20:35:21
戦国武将は男色の趣味がある人が多いと聞きますが本当ですか?
謙信が結婚しなかったのも男色が趣味だったからですか?
信長と森蘭丸もその関係ですか?


94 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 20:43:10
男色は現代のホモセクシャルとは意味合いが違うから。
仏教では女犯といって男女のSEX自体がいけないこととされていた。
男色はその抜け道。
謙信は仏教に熱心だったから、女犯をしたがらなかっただけで
男色が趣味だった訳ではない。
蘭丸はもともと荒小姓と言われているので、色小姓でなければ
当時の信長と男色関係になかったと思われる。
大体、蘭丸という名前自体、江戸中期の読み物の創作。
本来は乱丸。

95 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 21:58:57
>>94
レスありがとうございます。
参考になりました。
あと、そこで疑問がわいてきたのですが、
SEXがいけないことだとすると
世継をつくって家を存続させる、という考えと反する概念だと思うのですが
そのへんの兼ね合いはどうだったのでしょうか?



96 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:23:23
>>95
実際、子づくりも罪だと言われてたみたいですね。
謙信は僧ではありませんでしたが、女犯を忌み嫌い
妻帯しませんでした。
跡継ぎは養子をとっています。

一般的に女犯は、やはり普通の家の子づくりに関しては、現実的ではないので、
厳しく禁じられていたのは、僧だけという建前になっていたようです。
ですから、僧は稚児という幼い男子を女性のかわりにしていたのです。
しかし比叡山の僧兵などが、女性を普通にはべらしていたのは有名ですね。
比叡山の焼き討ちで、罪もない女子供が犠牲になったと信長の非道を
指摘されることが多いのですが、本来僧だけの場に女性やその子供が
いること自体がおかしいのですね。

97 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:33:13
>>95
書き忘れましたが、武将の男色関係は、当時の男性のたしなみで、常識でした。
仏教の影響もありましたが、戦場で命をかけて戦う主従関係の中で
肉体的、精神的に強く結びつくという意味合いもあったようです。
ただ、女性を連れて行けない戦場での性欲処理という面も確かにありましたし、
日常生活において、小姓という男性が全て世話をするという当時の武将の
生活形態という面の影響も、大きかったと思います。

98 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:46:12
>>57
そんなアニメあったの?
放送日時とか教えて。
当時の日本の資本主義はまだまだ未熟で、
日露戦争は資本家の戦争ではないというのが多数説。

99 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 23:36:28
>>96,97
大変勉強になりました。
疑問がとけてスッキリしました。
とても丁寧に教えていただき感謝しております。
ありがとうございました。

100 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:03:09
57>>98

放送日時、覚えていないんです。
たぶん、10年くらい前だったと思います。

たぶん、満州での日本の財閥の権益を守るためとかではない
かと思うのですが、録画するまもなかったので。

101 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:04:13
西南戦争は何で戦争なんですか?
内戦だから西南の乱では?

102 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:24:42
中央政府に反抗し、自治権を確立することを目的とする内戦=乱
 例:佐賀の乱、承平の乱
中央政府を打倒し、取って代わることを目的とする内戦=戦争
 例:戊辰戦争、南北戦争

という感じでは?

103 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:52:29
単純に規模がでかくなったからでいいんでないかい。
個人的には「西南の役」と言うのが好き。

104 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 07:07:31
「役」は対外戦争でしょ。
文禄・慶長の役や文永・弘安の役。

105 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 13:42:46
前九年・後三年の役というのもある。辺境を貶める表現かな。

あと「変」というのもある。
本能寺の変。承久の乱も承久の変といってたこともある。
規模感で言っているという面もあるが、戦争とも乱とも言えない場合に
使うようだ。規模が大きくなったら「事変」かな。「大変」というと
おかしいしw。

106 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 15:48:44
>>105を補足
変と乱の違いは嘉吉の変と嘉吉の乱をみればいいかな
嘉吉の変→義教暗殺
嘉吉の乱→赤松満祐討伐
政変ってのもあったな、そのまんまクーデターだけど

107 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 16:16:38
承久の乱は、後鳥羽が鎌倉政府を転覆しようとしたから乱。
供給の変は近年は見かけない。
建武の新政も、建武の中興とは今は言わなくなった。

108 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 17:26:36
その人の能力に合わない位を次々に与えて、その人がその位の重圧に耐えられなくして潰す、公家のやり方を何ていうの??

109 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:02:51
>>108
「位打ち」だね

110 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:44:37
>>91
しょうもない偏見のようだし、レスしようかどうかも迷ったけど……

まず、「蓄財をした形跡がない」というのは、どこから引っ張ってきた話?どの時代のどの階層の話?
他の地域で蓄財がされていた証拠は?それを地域差と断定できる根拠は?
それも言わずに後進国呼ばわりはむちゃくちゃですよ。
ひょっとして、大阪の大商人とかと比べてないよね?

まぁ、話が明治以降になってくると、83のイメージはそんなに間違ってはいないわけだけど……
戊辰戦争で負けてから、人的資源がガンガン流出して、殖産興業の流れに完全に立ち遅れちゃうから、
たしかに「蓄財をした証拠がない」と言いきっちゃう気持ちはわからんではないけどね。

111 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:43:34
>>109
ありがとうございます。

112 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:21:41
>>83
>>91
>>110
あの、ひょっとして、酒田の豪商、本間宗久の事をご存じないのですか。
「酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る」
「本間さまにま及びもないが、せめてなりたや殿様に」
江戸中期以降なら、おそらく東北酒田の本間家は、日本一の「蓄財」家
だったでしょう。

そして、本間宗久が編み出した「酒田五法」は現在でも影響大です。
「株価チャート」をご存知でしょうか? あれの基を作った人ですよ。

「東北が日本の発展に貢献したことってあるんでしょうか」どころで
はないです。世界の証券取引は、これで銘柄の動きが分かるようにな
ったんです。
初心者スレでもありましたが、八木アンテナも東北大学で考案され、
現在、世界中で使用されています。
日本の発展を超えて、世界に貢献している面もちゃんとありますから、
「しょぼい」なんて言わないでね。
(私は関西出身ですから、東北びいきで言っているのではないです。)

113 :110:2006/12/14(木) 12:31:16
>>112
酒田の豪商であることはしってましたが、その辺のエピソードは不勉強でした。
当方教育史専攻なので、微妙に疎かったりします。
参考になります。

114 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:48:43
>>100
日露開戦前に日本の満州利権なんてなかったじゃないか〜
本当にそんなアニメを作ったとしたらNHKヒドス

115 :112:2006/12/15(金) 00:27:45
>>113
どうもです。私は今、東京で金融システム開発をやっているソフトウェア
技術者ですが、江戸時代の商人が開発した様々な経済上のノウハウは刮目
すべきだと思っています。為替は鎌倉時代からありますが、複式簿記、引
当や減価償却を近世の早い時期からやっていますし、本間の相場取引の手
腕は、現在の金融デリバティブにも匹敵する凄いものです。

相場取引のテクニカル分析については、享保の頃の酒田の本間宗久と、
現在「ダウ平均株価」にその名を残す19世紀後半のチャールズ・ダウ
のものが嚆矢とされています。鎖国さえなければ、本間が世界最先端
だったでしょう。東北の人は、誇りに思って良いと思いますよ。

116 :112:2006/12/15(金) 00:46:32
あと、挙げるならば、八戸の医師だった安藤昌益も考えても良いでしょう。
「自然真営道」の著者です(出身は出羽の国大館)。
その思想は、アナーキズムとも、空想的社会主義とも取れますが、江戸時
代にこのレベルの思想を持っていたというのも驚嘆すべきことかも知れま
せんね。儒教などの既存の思想を批判的に考察している中から辿りついた
考えのようですが。ずっと後世になって、在日カナダ大使であるハーバー
ト・ノーマンが著書で紹介するまで、日本人の殆どが知りませんでした。

117 :養殖はまち:2006/12/15(金) 01:04:25
中央政府に対する信頼と社会の安定があれば、貨幣素材が金銀でなくても事足りることを知っていた
江戸幕府はすごい。
そして実際に、通貨が不足している事によって引き起こされた元禄バブル崩壊を、金銀の使用比率を
下げた通貨を発行させる事で切り抜けた政策もすごい。
さらに、18世紀初頭、西国に対する東国の経済成長を、銀(西国通貨)に対し金(東国通貨)を
従来より20%程強くして対応した政策も、またまたすごい。
江戸時代、すごいッス!



118 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 02:21:53
ぶり・・・・・・

119 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 07:00:55
昔の女の人は何を使って
髪を結んでいたんですか?
糸だと緩んできそうですよね

120 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 11:13:51
>>119
http://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/edokesyou03.html


121 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 13:37:21
100>>114

財閥の満州利権ではなく、財閥の満州進出
のためだったかもしれません。

なにしろ、突然唐突に日露戦争の原因に財閥
の経済活動の話しがでてきたので。。

122 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:12:12
>>121
日露戦争の原因はやはり経済ではなく朝鮮半島の軍事的価値でしょうね。
歴史の教科書でもそのように説明されているはず。
ロシアに朝鮮半島全土を支配する意思があったかどうかは微妙ですが・・・
戦勝の結果として財閥の満州進出が進んだというのはあるでしょう。

123 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:45:22
満州の鉄道の利権は魅力的だったろうね。

124 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:02:22
>日露戦争の原因はやはり経済ではなく朝鮮半島の軍事的価値でしょうね。

重複スレでマジれすってのもアレだがw
40年前の岩波講座でも、もちっとマシな考察をしているが?

125 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 11:35:01
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ


126 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 12:10:49
>>125
同じモノを違うトコにも挙げて、人のことを言えないよ

127 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 17:25:34
>>125
そうですね
馬鹿ですね
一日中張り付いて
このレスです
めいわくですね

128 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:46:22
太国さんは古神道の最高権威なのですか?

129 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 21:58:07
>>106
ウィキペディアで「元弘の乱」と「元弘の変」のどっちが正しい項目名かでもめた事があった。

130 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:54:02
徳川幕府はなぜ、冊封体制に入らず清と貿易できたの?

131 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:32:52
イギリスもフランスも冊封なんかされてないじゃまいか>清との貿易

132 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:21:51
>>128
いいえ違います。
ブーブー言う動物のような人ですね。


133 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 20:47:47
なんで、日本・イタリア・ドイツはソ連の社会主義をイヤだと思ったんですか?

134 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:52:23
資本主義の欠陥である年金や保険など相互扶助社会保障制度を国民に要求
されるのを嫌ったのです。

135 :135:2006/12/27(水) 23:32:07
今、年賀状を作っています。
書状の様に昔詞で作りたいので翻訳できる方、どなたか教えてください。

「新年明けましておめでとう御座います。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。」

だいたいこういう文章で細かいところはおまかせします。
割と堅苦しい感じでお願いします。

自力だと 「新年明けまして祝着至極に存じ奉り御座候。」とかであってますか?

それとも、もしかして文学系の板で聞いた方がいいのでしょうか。
ああ、マルチになりませんように・・。

136 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 23:39:13
>>135
後半二行に同意、もう来んなよ

137 :135:2006/12/27(水) 23:41:47
>>136

わかりました。
どうもありがとう御座候ず。

138 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 23:52:18
左翼の殆どが在日。 ところで在日とは・・・・?
戦前、及び戦後の混乱期、半島に居住していて酷い差別を受けていた白丁という
朝鮮奴隷が日本に(密)入国し混乱期の日本に乗じて駅前や商店街、その他の土地、家屋を占領、占有し、
自分達は敗戦国民ではなく3国人だと屁理屈をコイて、日本国で強盗、強姦など暴虐の限りを尽くした結果、多くの
日本人に3国人は酷い、悪いという印象を与えると 今度は手のひらを返したように
自分達を3国人というのは差別、蔑称であると言い始め、自分達は日本人に酷い差別を
受けたというストーリーを捏造し 無法者の集団の力で在日特権を確保、増大させてきたのが
所謂 在日韓国朝鮮人どもです。
左翼はそういう奴らの代弁者であって まさに日本、日本人の敵であるのが実態です。
即ち、各職場、マスコミ、政治家の一部、公務員、労組、日教組、解放同盟、ヤクザ エセ右翼。。。の中に
彼らが蠢き日本を食いつぶそうとしています。
そういう穢れた生物が左翼です。
日本人のみなさん、奴らに騙されないようにしましょう!


日本は支那・韓国・朝鮮!どもの理不尽な嘘の捏造、恐喝、屁理屈に絶対に
屈してはなりません。

http://www.geocities.com/deepgreenpigment/#006


139 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:31:46
長篠の戦についての質問です。


教科書には織田側が馬よけの柵を設けて、鉄砲隊を配置し、突進してくる武田騎馬隊を
打ち破ったとあるのですが・・・・

武田の騎馬隊は「突進」してどうするつもりだったのでしょうか。鉄砲はおいておいて、
設けられた柵に対してどのように攻略するつもりだったのでしょうか。

@柵の設置に気付いていなかった
A馬でジャンプしてこえる。
B馬の体当たりで壊す
C近くに寄ったら馬から下りて柵を破壊して後続が突進する。
D露払いをする決死隊がいて柵をはかいするはずだった。

どのような感じなのでしょうか・・・・・

140 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:30:22
中津藩の小笠原長胤が元禄十一年に改易されたのは有名な話ですが、
その原因は寵臣を筆頭家老に任命したために家政が治まらなくなったせいだ
と言われて居ます。
この筆頭家老に任命された寵臣は、たしか秋元とかいう名字の人物だった
かと記憶して居りますが、うろ覚えで定かではありません。
この寵臣の正しい姓名などの情報に関して御教示下さい。
何とぞ宜しく御願い申し上げます。

141 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 11:33:33
>>139
騎馬隊なんて無かったら、そんなの考えなくてもいいよね

142 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 13:02:59
何故、日本・イタリア・ドイツはソ連の社会主義を封じたかったんでしょうか?
学校でそこを今習ってるんですが、その背景が習ってないので、わからないので
どなたか教えてください

143 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 13:21:27
>>142
近代史板の方が詳しいと思われます。

144 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:55:55
>>142
革命を輸出されることを恐れたから。以上。

145 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:11:47
若松(会津)・高松・松山・松江・松本は、外様大名が改名し、又は造った街です。しかし全て改易され、御家門("松"平)領となりますた。やはり"松"の字がいけなかったのでしょうか?

例えば、外様が"松"の地を踏み、或いは"松"の上で生活する事が、呪術的に松平一門(徳川も)に禍をもたらすと考えた天海が、それらを奪ったとか?

146 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:14:32
中公文庫「日本の歴史6武士の登場」巻末の解説に、
武士の登場が外部(外国)の影響なしにまったく自主的に行われたという、
本文中の解釈は全くの誤りであり、古い学説である。
現在ではアジアの中の日本という観点から新たな解釈が生まれてきている、というようなことが書かれています。
この場合、アジア情勢のどういう点が日本の武士の登場を促したと言われているのでしょうか?

147 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:18:22
なんで、日本・イタリア・ドイツはソ連の社会主義をイヤだと思ったんですか?


148 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 23:00:23
>146
武士の起源はムサとか、侍の起源はサウラビとかいうやつじゃないの?
韓国から武士団がやってきて日本を支配したということでしょ>アジアの中の日本

149 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 23:47:23
剣道はウリナラ起源とか合気道はウリナラ起源とか
いうのと同じで武士はウリナラ起源と言ってるだけ

150 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:09:00
学校で使っていた教科書が【日本史A】って書いてあるんですが、
短大受験の科目が【日本史B】なんですが、これってやっぱり違う種類という事なんですか?
たいした違いがないなら、その教科書使って勉強しようと思っているんですが。
良かったら教えてください。お願いします。

151 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:25:30
日本・イタリア・ドイツの枢軸同盟は本質的に社会主義ソ連と同じだったからです。例えばナチスドイツは国家社会主義であって名称は違えど実質独裁体制。
その心は領土拡大でありぶつかれば潰しあいになります。本来の社会主義思想とは逸脱している点にご注意して下さい。

152 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:51:04
>>150たいした違いはないだろうね

153 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 01:35:19
日本史A=近現代
日本史B=通史

だいたい高校でBを履修してないと受けれないと思うが?

154 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 14:59:55
>>152レスありがとうございました

>>153履修してないといけないんですか?!でも、短大の資料(受験資格欄みたいな)にはそのようなことは書いてないのですが・・・。
先生も何も言ってこないし・・・でもそこは自分で調べろってことかな・・・。
あと、言われて調べてみたところ高校でやったのはやっぱ近現代でした。
そして、短大では縄文や室町等もでるのでいちようなので、どうにかしないと・・・。
なので世界史Bにしようかと思ったら(選択式)受験科目は世界史A・・・orz

若干スレ違いっぽいのにレス本当ありがとうございました。

155 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:13:51
>147
日本の侵略は市場の拡大とセットになってます。
満州建国も市場創出のためです。
なぜ市場がいるかと言うと、日本は植民地に資本財を投下し、資本主義を育てたからです。
そうなると、朝鮮や台湾資本が成長します。ですが日本は彼らに日本市場を開かなかった。
変わりに新たな市場を開拓し、そこに輸出させる手法を用いたのです。
要するに、日本の侵略は、資本主義的な性質を帯びた侵略なのです(東南アジアは除く)。
従って、共産主義は日本帝国にとっては最も忌み嫌うべき存在でした。

156 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:44:45
日本の歴史って余り熱心には勉強しなかったけど、
昔の日本ってアメリカみたいだったのな。

157 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:06:24
>>147
日本に限定して答えるが、
155だけでは、民衆からも日本共産党が嫌われた理由の説明が付かない。

ソ連式の共産主義は皇帝を打倒してできたものだった。
戦前の日本共産党は殆どソ連のコピーに過ぎなかったので、
「天皇を打倒せよ!」というスローガンを掲げた。
ところが日本人は戦前も戦後も天皇が大好きだった。
なので殆どの日本人にとっては「アカは死ね」ってなことになった。

あと、労働者の党を掲げながらひよわなインテリしか集まらなかったせいで、
労働者のためになるようなことは殆ど何一つせず、
革命のためのテロばかりしていた。
そのうち内ゲバで党員同士殺し合うようになった。
なので国民から愛想を付かされた。

その、内ゲバで党員を殺した一人である宮本顕治は、
1990年代まで共産党のトップにいた。


158 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:31:09
>>146
あんまり気にしない方がいいと思う。
日本古代史って昔は外国の事を無視しすぎ国内重視過ぎたが、
今では逆にアジア史かってぐらい国外を重視しすぎている。
通史なら中公版は前者、講談社版は後者。
講談社版を読むと妙に朝鮮史に詳しくなるw

159 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:40:21
多利思比孤、の「比孤」が男性を表すのは有名な話でしょうが、
どういう意味からそうなるのでしょうか?
私が知る限り、
『孤』が男の性器を表し、『比』がくっつくと言う意味を表すとか、
そうなのですか?少々、相応しくない質問なのかもしれませんが、
知り合いの高校生に質問され、答えかねたため、是非をしりたいなと・・・。
お願いします

160 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:29:37
>そうなると、朝鮮や台湾資本が成長します。ですが日本は彼らに日本市場を開かなかった。

市場を開放したから朝鮮国内では米を始め生活物資が欠乏したんじゃないの?
朝鮮国内での米不足は日帝の収奪と一昔前までは言われていたけどねw


161 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:45:17
>>146
刀伊の入寇撃退に武士が活躍したことが該当するものだと思われ。
前九年の役を使うと安倍頼信あたりが逃亡の際、サハリンや沿海州へ立ち寄ったことが関連するとか…

162 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 06:01:19
昔の日本の気温って今に比べてどうだったのかな?
勝手な想像だけど平安時代は今より暖かくて
江戸時代は今より寒かったみたいな感じで・・

163 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:23:32
>160
米以外の話です。1919年以降は朝鮮人地主に企業設立をすすめましたから。



164 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 14:19:06
>>162
妄想ばかりの常駐豚か・・・

165 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 14:33:24
植民地台湾の一大産業は日本へのバナナ輸出。
当時の日本人にとってはまさに帝国主義の果実であり黄色い宝石。

166 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 15:36:17
黄色い宝石って普通に宝石じゃまいか。

167 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:25:44
>165
製糖業もある

168 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:37:37
あのこの板には、
豚の容姿に、
猿の脳、
馬鹿なコテが多すぎませんか?

169 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:58:46
台湾人は偉いよ、台湾米の輸出を収奪とは言わないもん

170 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 18:05:04
イベリコ○は
何故おいしいのでつか?

171 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 18:38:10
掛屋と札差しの違いを教えてください><

172 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 18:39:32
肉汁たっぷり
脂ギッシュな板ですよねw

173 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:19:22
ちょっとブヨブヨしていますよ
気持ち悪いくらいに

174 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:21:19
>162
気候変動の影響はあるって何かで読んだ。
源平合戦とか南北朝とかのあたりは、寒期に入っていて、作物がよく取れなくて人心がすさんだとか。
何に書いてあったのかな。見つかり次第また書きます。

175 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:42:45
>>162
ちょっと今手許にデータはありませんが、太陽黒点数の変化が地球全体の
気候にも変動を与えるので、ちょっと当たってみても良いかも知れません。
およそ11年周期です。黒点数が少ないと、太陽活動が減退しており、寒冷
化します。最近の太陽黒点数のピークは2001年です。±5.5年で最小と
なりますので、目的の時代と照合とかしてみてください。

176 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 00:40:33
邪馬台国って、ヤマト王朝そのものじゃないんですか?
邪馬台国って当然中国の当て字だろうし、邪馬台国はヤマト国とも読めるような気もするが…。
日本書紀にもちゃんと西から東へ大規模な征伐を行ったことも記録してるし。
かなり有力だと思うんですが、なんで教科書ではまったく別の組織として扱われるんですか?

177 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 00:58:12
平安末・江戸後期が寒冷期

178 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 01:00:31
>>176
確証がないから。
古代は推測が入るのは仕方ないことだけど、教科書に推測はのらない。
だから古代史は考古学的記述にならざるを得ない。

179 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 03:22:03
>>176
例えばその辺を、大学でそっち系の研究をしているいろんな教授に聞いてみれば
いろいろな説を教えてくれると思うよ。相手に暇があり、こちらに熱意があれば。
邪馬台国と大和王権の連続性を示す証拠があれば、随分古代史は変わるだろうね。

180 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 17:56:00
2倍年暦とか欠史八代とかを提唱している人って、
結局記紀は間違いだと認めているんですよね?
間違いなのに、その他が信用出来るなんて・・・
ちょっとおかしくね!


181 :カメハメフ:2007/01/08(月) 18:39:52
日本とハワイとの歴史上の関係はいつからなのでしょうか。雑誌でなんか日本が占領できた可能性があったとか書いていたんですが、ちなみにソースはアンティークルアー関係の雑誌記事です

182 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:39:18
>>181
ハワイはいいとこですね(^^


183 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:47:28
>>180
私は提唱している当事者ではありませんが、こうしたことは言えるのでは。
それは、史料にせよ何にせよ、虚実は両方あるということです。
間違いは、間違い。しかし、真実を知りたい場合に、何か汲み取れることはないだろうか。
そのような考え方が、何かを知る場合に必要なことだと思います。

184 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 21:54:04
>>183
いいね!!!
だけど核芯忘れていない?
記紀信用するのしないの定義づけるの?

185 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:15:43
>記紀信用するのしないの定義

朝鮮が日本に文明を授けたニダ
→前後の文脈から間違い(誤伝)が明白でも記紀の記述を全肯定

朝鮮に係わりがないことが明白
→プッwソースが記紀だってよwww馬鹿だよこいつwwwwwww

186 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:18:05
>>185
太国の得意分野だ!

187 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:47:31
>>184
核「心」だよ。ハングルの習いすぎで漢字を知らないのかね?

どんなたわけた寝言であっても、何もない0から数多くの寝言を生み出せる莫迦はそれほどいない。
記紀はおろか、旧事本紀だの古語拾遺だのって文献、さらに各地の神社の縁起や言い伝えなどが
それぞれではあまり信用に値しないのは研究者も承知の上。
その上で、9割の寝言と尾鰭と嘘八百を剥ぎ取った、残りの1割の事実を探そうとしているわけだよ。

188 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:04:19
城下町の種類って、一体どんなのがあるんだ?


最近、港町も城下町の一種だという話を聞いて、ふと疑問に思ったんだが。

189 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:05:28
アルコール依存症でも、
2チャンしてもいいのですか?

190 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:06:22
城下に港があれば自動的に港町=城下町でしょ。

191 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:15:06
>>190
うーむ、なんか違うんだ。城の無い城下町、みたいな話の内容で、そこで港町の話が…
元々城下だったわけじゃなく、城無き城下町として発展したやらなんやら…

スマン、理系人間だからそっちは疎くて…
ググってもひっかからないからさ、気になっちまったんだ

192 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:19:50
武田騎馬軍団は実在したよ?じゃなきゃ大河ドラマおかしいべ?

193 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:42:01
>191

日本史板は自治が機能していないので、あまり意味は無いことなのですが(苦笑
いちおう↓が正規の質問スレです。多分マルチ扱いにはならないと思います(除、このスレを立てた方)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1162310418/l50

194 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:58:34
>>193
あああ、わざわざすみません。
ありがとうっ

195 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 00:53:01
関裕二さんスレってないぽ!?

196 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:07:39
>>192
まあそれを言えば、あんな体格であんな口調の侍もおかしいし
あんな馬格の馬ばかりなのもおかしいし。
現代人が逆立ちしたって昔の人間になりきれるわけでもないのだから、諦めろ。

197 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:47:45
大河ドラマがおかしいんだよ。

198 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:58:02
大物時代劇スタアがいなくなった戦後の時代劇はすべて、どこかおかしい。

199 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 16:28:21
板違い

ここは「学問・文系」の日本史板です。
時代劇の話題→時代劇板
に移動してください

200 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 17:55:19
1570年元亀1年安土桃山

1573年天正1年

こんな感じの縄文辺りから教えて下さい。

201 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 18:17:55
一人ぼっちで寂しい豚さんが、
興奮して荒らしています。
放置が一番いいでしょうか?

202 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 18:33:47
近衛府では左右大将がいますが、どっちが上席なのでしょう。
また、どうして大将、中将、少将なのでしょう。大将、中将、「小将」ではなくて。

203 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 18:45:04
琉球王国の言語は最初から日本語だったのでしょうか?
それとも日本に同化されていく際に日本語が取り入れられていったのですか?

204 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:28:36
スレ違い

ここは重複スレです。
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart18【歓迎】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1162310418/l50
に移動してください

205 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:42:16
>>201はいそうですね

206 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:04:57
>>202
左右あれば「左」が上です。
左大臣>右大臣
左近衛大将>右近衛大将

「少将」は「小将」と書く例もあるようです。
が、「小」には余り良い意味合いがないからではないでしょうか。
特に、政治家としては「小人」ではありませんからね。

207 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:10:25
>>203
琉球方言を日本語と関連ある別の言語として見るか、それともかなり古い時代に
本土日本語から分裂した古語方言とみるかでまた言い方も違うと思うが
少なくとも現在琉球方言とされている言語は強く日本語との関連を持つ。
そして、琉球語以前に同島民が話していたと思しき言語の痕跡は見つかっていないので
元々あの島々に住んでいた人々がどういう言語体系を持っていたかは判然としない。
とりあえず、琉球王国として通商していた時期においては、既に日本語と近い言語を喋っていたとされている。

208 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 20:54:29
司馬遼太郎の著作「竜馬がゆく」の中で中岡慎太郎が暗殺されたおりに「卑怯憎むべし、剛胆愛すべし」と言い残したと書いてありました
これは史実なのでしょうか?それとも司馬さんの創作でしょうか?
けっこう調べてみましたがわかりません
ソースわかる人いましたら、おしえてください

209 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:34:58
調べてわからなければ全部創作にしる

210 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:57:45
昔、テレビで
「源平合戦で源氏が勝ったから(日の丸)白地に赤丸なのであって
 平家が勝っていたならば赤地に白丸だった!」と言ってる人がいたのですが
 
どうなんでしょうか?


211 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 23:51:29
>>210
日章旗そのものは源平以前からあった。
怪しい歴史なんかだと、日高見国の元国旗だったとか言ってるけど。
新羅三郎が帝より賜った日章旗、なんてのもある。
ただ、白地赤丸の日章旗というのは平安以降徐々に広まっていったらしい。由来は不明だが
共に天皇に起源を持つ源平両家という名族中の名族にあやかった可能性は十分にありうる。
特に武家にとり、由来を源平両家にたどるのはよくあったことだしね。

212 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 19:32:28
天草四郎について教えていただけないでしょうか?

213 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 20:57:14
神武の即位が元年の暦法の名称は?
その暦法だと今年は何年?

214 :210:2007/01/15(月) 21:09:18
ありがとう御座います。
いろいろヒントがあったので調べてみます。

215 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:30:04
>>212
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%8D%89%E5%9B%9B%E9%83%8E

>>213
http://tmp6.2ch.net/asia/#2

216 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:30:41
小学生の時、担任の先生が持っていた本が大好きで、休み時間にいつも読んでました。日本の歴史上の人物事典だったのですが、名前だけじゃなく一人ひとりの肖像画や写真も載っていました。日本の歴代天皇から始まり、近代史の人物まで載っていたような気がします。
学校で習うおなじみの人物はもちろん、それ以外の人物も載っていたので大変面白かったです。
少し前から探しているのですが、図書館や大きな本屋さんなどでも置いてありません。タイトルも出版元もわからないのですが、似たような本をお持ちの方がおりましたらぜひ情報を下さい。お願いします。

217 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:39:38
太国は何でニートになったんですか?

218 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 23:14:36
決まっているだろ!

219 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 00:04:38
中津藩の小笠原長胤が元禄十一年に改易されたのは有名な話ですが、
その原因は寵臣を筆頭家老に任命したために家政が治まらなくなったせいだ
と言われて居ます。
この筆頭家老に任命された寵臣は、たしか秋元とかいう名字の人物だった
かと記憶して居りますが、うろ覚えで定かではありません。
この寵臣の正しい姓名などの情報に関して御教示下さい。
何とぞ宜しく御願い申し上げます。

220 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:31:07
801 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/18(木) 19:56:14
>>797
学術的根拠のない叙情的なことをうだうだ書くなよ。

住吉大社の西側に上町断層が南北に走っている。
そして上町断層の西側大阪湾が陥没側、東側の上町台地側が隆起側となる。
(12年前の阪神淡路地震は六甲山の南側の5本の断層線の北から4本目が動いたもの。)
(六甲山が隆起側、大阪湾が陥没側。大阪では断層が南北に走り生駒信貴山が隆起側、大阪湾が陥没側)
上町断層の東側が上町台地、住吉大社は上町台地の西端に西向きにあるのだ。
住吉大社ができた時には、その入り口は大阪湾に面して海辺にあったわけだ。
大阪湾沿岸の神社は海に面接して立てられた一般則に住吉大社もしたがっている。
(したがって大阪湾での一般論として同じ場所では古い神社ほど内陸部に位置する)
又上町台地の地層は上町台地の西端が最も高く東に緩く傾斜している。
つまり、地形的には東西方向では住吉大社が最も高い位置になる。
だから住吉大社の西面が海に接していても長居が海であったことにならない。
しかし長居の東は、上町台地が東に傾斜して下がっているので、河内湾の海となる。


こんなに短時間に傾くの?


221 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:16:56
こんな馬鹿のあいては可哀想

222 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 22:35:59
>>220
太国確実w

223 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 23:05:21
805 :日本@名無史さん :2007/01/18(木) 21:04:18
論理思考のない人に、何を言ってもまったく無駄。
九州王朝大好きさんは、今、糠に釘を打たされている状態。

Qこれどう解釈すればいいのでしょうか?

224 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:47:25
質問
 日本史に限ったことではありませんが、なぜ大名達は互いに争うのですか?人間として、あってるのですか?

225 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 02:02:39
>>224
少なくとも、互いに争った諸国大名の誰一人として
「わしらは人間としてこれでいいんだろうか」と考えてた奴がいないことは確かだなw

そういう悩みを抱えて出家した大名といえば
それこそインドの釈迦牟尼がそのまんま。

226 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 11:01:16
遣隋使とか遣唐使は知ってるけど
遣明使ってあったの?
どっかの大学の講義の宣伝に載ってたんだけど

227 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 12:01:13
読めない
書けない
証拠が無い
三拍子揃えばこの板から追放しましょう

228 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 15:24:48
太国の事?

229 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 15:55:15
>>226
一応Wikiにも項目があるし、最近では足利義満による冊封体制に従うことによる日明交易を
そう一部では呼ぶのかもしれないね。
ただ、遣隋使が後の遣唐使との間に密接な連続性を持ち、長期間継続することを前提に行われたものであるのに対し
足利の場合は100年と言うきわめて短期間で終わり、結果的には冊封体制に組み込まれることもなく
また、交易の日本側の主体が君主であり正当な政府である天皇とその王朝ではなく
その一家臣に過ぎない征夷大将軍と幕府であったと言う意味で、厳密に冊封と言えないことなどから
遣隋使や遣唐使と一概に同列に扱うわけには行かないだろう。

230 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 16:25:24
一日中自作していると、ニートも人恋しくなるらしい。
出てきた馬鹿は、迷惑極まりない!

231 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:52:25
>長居の浦は、「松と鶴」だから、淡水ですね。

これ認識間違いと、文章間違いがありませんか?


232 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:56:35
>住吉大社のそばまで海であれば、大坂が島である説はとうに崩れています。

これ意味不明なんですが?何言いたいんでしょうか?

233 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:09:36
桓武天皇は胡散臭いですよね?

234 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 23:43:11
>>232
反論したいだけみたいだねwww

235 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 04:01:57
>>233
そんなこと言っちゃうと平家の方々がぶち切れるから誰も言わない。

236 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 09:25:19
>>235
あなたの頭がぶち切れてますよw

237 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 10:18:25
うちは二階家だから問題ない

238 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 11:13:40
>長居の浦は、「松と鶴」だから、淡水ですね。
何コレ?

239 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 13:20:05
>>236
つまり235は平家一門と。

240 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 13:30:50
>>239 ?何が言いたいの?
うさん‐くさ・い【×胡散臭い】
[形]うさんくさ・し[ク]どことなく怪しい。疑わしい。油断ができない。「―・い人物」



241 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 17:04:59
すみません教えてください・・
江戸時代の対外交流の窓口となった4つの地域とはどこでしょうか?
あとできたらで良いのですがその地域の当時の特色などを
教えていただければ幸いです。よろしくお願いします・・・

242 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 19:04:45
>>241
1.長崎・出島での幕府とオランダとの交易
2.日本と朝鮮に両属していた対馬藩による釜山倭館での交易
3.薩摩藩と清国に両属していた琉球王国による清国や東南アジア諸国との交易
4.松前藩による北海道のアイヌ民族を仲立ちとした清国や北方民族との交易(山丹交易)

4つというとこんな感じですかね?

243 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 19:42:28
>>242
山丹交易は清の成立のずっと前から行われている。

244 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:53:31
>>243
つっても清の成立が幕府による松前交易の掌握とあまり時期が離れていないので
「江戸時代の」と限定するなら正しいと言えないこともない。
それ以前は中央の統制から離れてたし、江戸時代とも言いづらいからね。
部分的に江戸期と被っているというのはあるんだけど。
>>240
洒落が分からなければ、書き込まないほうが無難だと思う。

245 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:55:02
すみません、資料を探しているのですが、諫懲後正と言う本は
出版されているのでしょうか。
ご存知の方がおいででしたらお教えください。

246 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:20:11
あのインターネット検索程度の返事なら聞きたくないですね。

247 :241:2007/01/22(月) 00:33:49
>>242
どうもありがとうございます!助かります!
あと思ったのですが当時対外交流の窓口は4つ以上あったのでしょうか?

248 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 02:31:43
>>246
大学の教授にアポとって質問してくれば?

249 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 04:04:43
敦賀なんかも蝦夷と貿易してたが
細かいのを挙げるとキリがないが

250 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 20:27:54
>>一応、勘合貿易は朝貢貿易の形式だし、隋の歴史を考えれば期間の長短は関係ないのでは?

251 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 22:21:40
>>247
長崎、対馬、琉球、蝦夷を鎖国時代の「四口」と呼ぶこともあるようなので、
代表的なものとしてはこの4つでいいのでは。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%96%E5%9B%BD
ひっかけ的なことをいうと横浜や函館の開港も江戸時代のことですね。
あと、北前船による蝦夷と日本各地とのネットワークや、金沢の銭屋五兵衛の
ような私貿易・密貿易もあわせると本当にキリがないような。

252 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 07:46:59
読み書きもまともに出来ない荒らしが毎日来て困ります。
いつも一人ぼっちで自作をしていますが、寂しくなるとやってきます。
ピントはずれの無知なレスを連発し、明らかに荒らして行きます。
この荒らしを撃退するにはどうすればいいのでしょう???

253 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 11:25:17
院政って何で行われたの?
どうして天皇のまま政治やんなかったの?

254 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 12:40:33
私はあらして無いなんて
一々書き込む人は
あらし確定ですよね?W

255 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 12:49:40
>>254
私は荒らし容疑者ですってしゃしゃり出てくるのかよ!

256 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 14:27:11
語るに落ちる!
史コテによる自虐ワザ!

257 :日本史バカいちだい:2007/01/24(水) 14:45:13
何で伊藤博文は国会開設の勅諭で国会の開設を9年後にしたんですか?伊藤の政治的意図を教えて下さい。時間を確保したかったからとかそういう漠然とした答えは止めて下さいお願いします。

258 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:52:50
>>257
まず憲法の制定が必要だった。また、主要な法律(刑法や民法)。
更にもっと必要なのが、近代的な行政府。結果的には内閣制度。
議会はそれらが出来てから出ないと、混乱を招く恐れがありますね。
議会運営を仕切るために必要なものを揃える必要があったからで、
単なる時間稼ぎではないようです。

漠然としていたら、ご容赦。

259 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:49:10
>語るに落ちる!
>史コテによる自虐ワザ!
www


260 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:01:06
>>257
即時開設したら政党に有利な国会になりかねないからだよ。
>>258のような準備期間の設定という意味でも必要。
国会開設勅諭は政府にとっても具体的に動きますって宣言。

>>253
簡単に言えば、自分の皇統を継続させたいという意図で始まったのが院政。


261 :日本史バカいちだい:2007/01/24(水) 23:07:35
258さん、ありがとうございました 次に津田左右吉と会津八一についての関連性を教えて下さい

262 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 01:34:52
>>253
それまでの朝廷は摂関政治で藤原氏専制。
いうなれば、政治の実権が天皇の母方の祖父から父方の祖父に移ったということ。
簡単に言えば、天皇は確かに偉いが
上皇は、天皇家の家父長としてある意味で天皇より偉かった。
また、それまで主に摂関家によって、天皇は幼いうちに即位→若いうちに退位ということが多かったので
それを一朝一夕に変えることはできなかったというのがある。
>>257
「次は」じゃねーよ。自分で調べろ。

263 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 03:14:08
奥羽列藩同盟締結のきっかけとなった世良修蔵の密書露見の件で、質問です。

一般には、世良が大山宛の密書を福島藩士に届けさせようとしたが、福島藩士は仙台藩に
それを持って行って、その中身を読まれた、ということになっています。どうして、世良は
こんな軽率なことをしたのでしょうか。福島藩士の行動は十分予想できると思うのですが。
むしろ、露見して彼らが怒るのを挑発したのではないかという気さえするのですが。
油断していたんでしょうか?このあたりの事情に詳しい人、教えてください。

264 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 09:52:25
>>253
回答としては、>>262さんのものがベストです。歴史の流れに即していうと
そのようになりますね。
あと、付け加えるとすれば、やはり組織(律令制)が形骸化し、黒幕政治
が主流になってきた、ということでしょう。組織の規定通りだと、何事を
やるのも良かれ悪しかれ面倒なものになります。特に新しいことをやる際
には大きな障害となる場合の方が多くなります。
そういった枠組みやしがらみを抜け出すには、組織の外にあって実権を握
るというやり方がベストです。
これは、後の鎌倉幕府も、やがては執権政治から、得宗専制になっていく
過程で同様の傾向を見せています。
黒幕はラクです。組織に縛られませんし、責任も基本的に取らなくて良い
ですから。ただし、恣意的になり、調整局面であっても調整が利かないと
いう点がありますね。


265 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 12:18:04
壬申戸籍にある区分けの地士(646戸)って郷士のことですか?ずいぶん少ないような気が・・・

266 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 16:44:08
昭和初期に政党政治の政府と軍部の行動が一致しないことが多かったが
それらの事例を挙げて、なぜ一致しなかったのか答えなさい
って問題が試験ででるので誰かお願いします…

267 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 16:51:19
中田有紀さんと結婚する為には何をしたらいいでしょうか><

268 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:24:05
質問
武士が身分を優位に保つためにもった特権のうち
・姓を公式に称すること
・刀を腰に差して外出できる特権
をそれぞれおしえてください

269 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:51:20
>>267
まず長州小力でないこと。
長州小力に似てないこと。
長州小力みたいな性格でないこと。

見た目がいいこと。
カネ持ってること。
一流大学卒業であること。


270 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:55:47
馬場辰猪の「日本監獄論」とはどんな論ですか?


271 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 23:56:23
>>268
何を聞きたいのか分からないが・・・
まず「苗字帯刀」であって「姓」という訳ではない。
姓なら源とか平とかになってしまうが。
教えてという場合、どこが分からないのかを明らかにしてね。

272 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 00:04:11
>>266
じゃあ何で一致しちゃいけないんだ? って解答用紙で反論してみれば?
責任は取らないけど。
自分で考えてね。

273 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 02:46:44
>>271
氏は古代氏族を除けば源平藤橘、あと豊臣のみ。これがいわゆる本姓であり、武家の名字が公称できる由来。
姓は羽柴、真田、松平といったものでこれは名田、領地の名乗り。これが名字。
苗字というのは家族名。で、庶民は本姓を持たないために私称ということになる。
というわけで違う。
武士に許されたのは名字帯刀。一応建前上、武家=領地がある、つまり名字を持つ、なので。
もちろん名字と苗字が時代を降るごとに混同されていったことも確認する必要がある。

274 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:42:10
なんで日蓮宗は右翼が多いのか教えてください。
あと、鎌倉時代に流行った時宗ってどんな宗教なんですか?(学校の先生にはちょっとおかしい宗教と聞いてます)

275 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:39:41
「我は毘沙門天の化身なり」と言った猛将 上杉謙信(長尾輝虎)が実は女性だったと言うのは、どうなんでしょうか?ご意見お持ちの方おられますか?

276 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 15:34:34
>>275


277 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 17:00:04
>>274
日蓮宗に右翼が多いというのは統計もない以上推測でしかないだろうが
日蓮宗は、その成立過程において元寇を経験したというのが大きな影響を与えている。
宗教純化運動に近いのかもしれない。ただ、国粋主義やナショナリズムと直接混交したわけではない。

時宗については事典でもどうぞ。簡単に言えば、念仏さえ唱えれば信じてなくても往生できると説いた阿弥陀信仰系の流派。
聖や芸人を多く擁したが、無知蒙昧な庶民を教化するには楽しく踊って歌って教えるのが一番だったから。現代で言えばなんだろうか。
マンガ太陽の法なんかを発行してる某クソカルトとかの方法論に近い。
もちろん、中身は全然別で、きちんとした仏教。失礼だが、あんたの先生の見方はとても公平に歴史を教えるべき教師のそれとは思えんな。

>>275
エロゲでもやってろ。なんなら、伝上杉謙信着用の具足でも見て、女の胸が入るかどうか見てみたら?

278 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 19:24:30
>>275
両性具有

279 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 20:54:05


280 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:28:55
質問
 「天領」ってなんやねん?俺はその天領に住んでるけど、うちの家系はつまらん地主。近くの他の家をみてもそんな感じ。これが天領なのか?「天領=糞」ではないのか?

281 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:02:54
Wiki見れボケ。

282 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:31:07
厨房が尋ね、厨房が答える。
それが日本史板質問スレクオリティ

283 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 01:02:10
さすがに質問レベルが低すぎないか・・・?

284 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 08:03:29
質問レベルを云々するのはよくない。
低レベルだと思われるような簡単な質問にどう答えるかで解答者の知識量が見え隠れするし、
いかに簡単な質問といえども、そこから(質問者以外のROM専にとっても)新しい発見があるかもしれない。

レベルは関係なく質問は活発に行われるべきだ。そこから議論が生まれるのだから。


まあ、それはともかくとして質問なんだが、11c頃から出た歴史書に『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』ってあるよな?
あれってなんで全部『鏡』なんだ?
昔は『鏡』という字に今ではない特別な意味があったとか?
今で言う『史』みたいな意味を持ってた?

285 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 08:40:40
>>284
前段でちょっといいこと言ってるかも、と思った俺がバカだった。
要は後段のググればわかるレベルの質問を正当化したかっただけなのね。
氏んでください。

286 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:49:11
日本史なんでも質問スレッドだろ?

レベルとか関係ねーだろ



287 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 13:28:39
さぁ〜盛り上がってまいりましたw

288 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 13:54:33
>>284
鏡のことなら、植草元教授にお聞き下さい。
経済理論と同じくらいに詳しいと存じます。

289 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 15:28:57
ガイシュツかもしれないけど・・
三浦梧楼は閔妃を殺した後に死姦したってほんと?
あと、満州事変の実行犯は河本大作じゃないのも?
友達が誇らしげに言っていたんだが、どうも信じられなくて。

290 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 16:17:14
>>289
その質問は近代史板でどうぞ。

291 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 20:40:44
■第九回「皇室と日本を考える」学習会

東京都 豊島区勤労福祉会館第六会議室
2月3日(土)17時40分〜20時40分くらい(最大延長30分)

◎二月のテーマ「A)日本建国の理念/B)古代日本の正義と悪」

※今回は、学習会の冒頭に、当日その場で参加された皆さんに、
 二つのテーマのうちどちらを聞きたいか選んでいただきます。

A)神話と歴史から考える日本建国の理念

「紀元節」を前に、日本の建国を考える。
神武天皇の実在性は?皇紀2600年は事実なのか?
「天壌無窮」の神勅と建国の理想「八紘一宇」からみた国家観。

B)「大祓」の行からみた古代日本の「正義と悪」

六月と十二月に行なわれる神道の「大祓」の行。
そこから古代思想における正義論・悪魔論・人生論・幸福論を導きだし、
日本人の倫理と生き方を考える。

○参加費:無料 (懇親会参加者は飲食代適宜)

■主催 皇室と日本を考える会(http://nihon.lar.jp/

詳しくは下記のスレをご覧ください。
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1147608766/

292 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 15:43:13
八幡神社ってやはり秦氏の神社ですか?

293 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 22:49:56
>>292
「宇佐八幡宮」というからには宇佐氏の神社でしょ。
八幡=秦氏というのは、
1.金達寿がいろんなトンデモ説を司馬遼太郎に吹き込む。
2.司馬が面白がってあちこちに書く。
3.世間に広まる。
というサイクルの一環として出てきたものではないのか。

294 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:43:15
疑問!
昨日のTV見て思ったのですが、織田信長はなぜ天皇とか朝廷共を殺さなかったのですか?
あれほど武力があるんなら簡単そうに思えるんですが。

295 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:54:14
>>294
正当性というものが重要であり便利であるから、
暴力のもたらす恐怖は強力な支配力を発揮する反面、反発も大きく
それを維持す為には莫大なコストが掛かるから。

周りに自身が正当な支配者であると認めさせる方がコストは
低く抑えられる、その正当性を保障するのが既存の権威である
朝廷となる。

296 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 01:00:13
295
トン。
しかし誰かれともなく殺す性格してるんだから、朝廷や天皇を殺せば否応なしにハクが上がるし歴史に名が残せるじゃないか。
その方が手っ取り早い。

297 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 01:15:46
>>294
日本中を敵に廻すから


298 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 01:17:06
>>296
朝廷の官位と、朝廷に認められた豊臣の氏を積極的に利用しようとした秀吉や
鎌倉スタイルの、朝廷から一歩はなれた政治体制を志向した家康と違って
信長はどういうやり方で朝廷を扱おうとしていたか、いまいちわからない、というのが答え。
それに1582年の時点だと、朝廷を滅ぼす、あるいは積極的に無視することは
周囲に毛利、長宗我部、島津、大友、上杉、北条といった大大名が生き残っている以上、デメリットのほうが大きい。
有名な官位辞任に際しても、当時信長は名目上とはいえ家督を嫡子に譲り、隠居していることを考慮すると
どこまで朝廷を軽んじた行動だったのか不明だしね。

あと、歴史に名を残すとか、きちんと記録された日本史上初めての天皇殺しを行って箔をつけるだとか
そういったことを考えていなかったのは確かだと思うよ。
中国と違って、日本は青史に個人で名を残すという行為に拘らないといわれるが
要するにどんな書物より、家名と家名につけられた官位がその人の名声を後世に伝え残す役割を果たすから。

299 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 01:17:56
>>296
「ぶっ殺す!」的なチンピラレベルの箔はチンピラにしか評価されない
歴史を変えたという評価は破壊より創造したものに与えられる

君の発想はクラスの人気者になりたくてチンチン出して机の上で
クルクル回って見ました、、つーのと同じレベル


300 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 01:32:08
天皇を殺し、朝廷を潰すには信長自身はもとより、配下にも正当化出来る理由が必要。

でないと、配下に見限られたり、敵対勢力に大儀名分を与えるだけで、自滅する危険がある。

将軍義昭を追放しただけでもそれなりにデメリットがあったわけで、毛利や北条、上杉、長曽我部など健在してて九州や奥州は手付かずの状態なんだから、そんな政治的リスクが大きくメリットの少ないことはしない。

信長が、そのあたりを理解出来ない程度の人間だったら、とっくに自滅してるはず。


301 :日本@名無しさん:2007/01/31(水) 02:17:17
>>296
歴史に名を残したいだけなら、別に天皇を弑す必要はないでしょう。
そんなテロリストみたいなことをしなくても実力で天下を取れたのですから。
それに、信長にとっては天皇(朝廷)なんかよりも強大な宗教組織を潰す
ほうが先。石山本願寺との講和は天皇の勅があってできたのですから、
天皇を殺す必要なんて更々ないかと。

>>298
近畿に地盤を置く限り、朝廷を無視することはできない相談です。
また正親町天皇とは虚々実々の駆け引きがあり、それが現実にあったの
ですから、信長は朝廷を重く見ていた以外のコメントはつけられないと思います。

ただあのような関係であったなら、正親町天皇は信長を「平清盛の再来」とみなして
政治行動を起こさざるを得ないですし、信長は信長で、親王たちを子飼いにし
機会を捉えて正親町天皇にいつどのような形で譲位をさせるのかは考えざるを
得ません。

しかし本能寺の変の時点では、まだ考えなくてもよい頃であったと思われますし、
それゆえに信長の意図は不明ということになっているのでしょう。天下統一を
果たしてからでも遅くないからです。その頃には正親町天皇も老い、親王たちも
壮年に達するのですから。

302 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 04:43:38
教えてチャンですみません。
パソが壊れてググれないのでお願いします。
歴史上に千姫という人がいたらしいんですが、どんな人だったかエロイ人教えてください。
ケータイからスマソ。

303 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 05:13:44
>>302
関ヶ原の合戦の後、豊臣秀頼と結婚した人。

徳川二代将軍秀忠の娘で、家康の孫娘になる。

大坂夏の陣で、落城前に救出される。

後に再婚。

まぁ、運命に翻弄された憐れな女性ですな。

304 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 05:26:24
>>303
ありがとうございました。

305 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 09:38:22
信長は無政府主義者じゃなくて現実主義者。
だから、何でも破壊すりゃいいなどといった厨房的発想は持っていない。

306 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 10:25:40
現代でも既得権益につかって何も動かない腐った社会を見てると
信長は立派で正しい行動だったとしか言いようがないよな

307 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 10:30:59
スレ違いっぽいんですが、乙巳の変などをベースにした映像作品
ってありますか?

308 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 13:33:17
 壇ノ浦の合戦が終わったあと生け捕りにした建礼門院を義経が犯したというのは
事実なのでしょうか?


309 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 16:20:43
>>308
梶原景時の頼朝に対する書状でそういう讒言があったという話
(出典は「源平盛衰記」だったかな)。
完全な盛衰記のフィクションかもしれないし、当時巷間にそういう風説があったの
かもしれない。あるいは景時のでっちあげかもしれない。
いずれにせよ、真実など当事者しかわからん話ということに気づきましょう。


310 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 17:53:18
またまた質問して申し訳ない。
大阪城のお堀を家康の要求で埋めてしまったのは何故? 又、埋められなかったらどうなってましたか?

311 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:17:35
外堀を埋めるのが講和の条件だったからですね。それを強引に内堀まで
埋めちゃった。そんでお城は丸裸。もう出撃するしかない=滅亡と。
大雑把ですがこんなもんで。IFはねぇ・・おそかれはやかれ滅亡は
免れないかと思うんですが・・。


312 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:36:22
>>307
NHKドラマスペシャル 大化改新
http://shopping.yahoo.co.jp/p:127581:domain=dvd
NHK「その時歴史が動いた」 ミステリー大化改新〜蘇我入鹿暗殺の実像〜
http://store.yahoo.co.jp/digiconeiga/crbi-5111.html
飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛 II 月組 (公演DVD)
http://store.yahoo.co.jp/musical-shop/c8f4c4bbcd3.html

313 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 20:03:07
武藤章「軍務局長武藤章回想録」 本庄繁「本庄日記」
額田担「陸軍省人事局長の回想」 杉山元「杉山メモ」
宇垣纏「戦藻録」        八原博通「沖縄決戦」
今村均「今村均回顧録」     淵田美津雄「真珠湾攻撃」
中村明人「駐タイ回想録」    宮崎周一「宮崎周一中将日誌」
佐々木到一「ある軍人の自伝」  樋口季一郎「アッツキスカ軍司令官の回想録」
服部卓四郎「大東亜戦争全史」  西浦進「昭和戦争史の証言」

これらはどれくらいの資料価値がありますか?
誰かこの中で持っているものがあれば解説をお願いします。
(買ったほうがよいor買わなくてもよい、でも結構です。)

314 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 20:21:30
律令体制の確立に果たした不比等が行った役割とは何だったんですか?

315 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 10:20:51
>>312
ありがとう。

316 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 11:17:10
南淵請安は結局どーなったんですかね?

317 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 19:27:32
>>313
あなたがそれ全部読める環境にいて、かつ全部読破できるほどの根気があるなら
本当にうらやましい限り。
それだけ読めば戦記物小説のあらすじの一本ぐらい頭に浮かんでくるよ。
そうしたらさらに資料を集めて肉付けして、小説でも漫画でもいいから何かカタチにして
世に出してくれ。

「私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ
詳しく書くつもりである。75ミリ野砲の砲声と三八銃の響きを再現したいと思っている。
それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私に出来る
唯一つのことだからである。」(大岡昇平「レイテ戦記」)

318 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 20:11:03
■-允恭天皇の病を治した医師-■

 『日本書紀』に「三年春正月、使いを遣して良き医くすしをシラキに求む。秋八月に、医、シラキより至(もう)でたり、
即ち天皇の病を治めしむ」とあるが、『古事記』は天皇即位の時「シラキの国主、御調物(みつぎもの)八十一艘を貢進す。
爾(ここ)に御調の大使、名は金波鎮漢紀武(こむはちむかむきむ)という。この人深く薬方を知れり。故、帝皇の御病を
治め差いやしき」とある。
 『古事記』にはシラキから来た医者の名が記されている。『日本書紀』には、日本側が医者を求めたところ、
シラキが大使としてこの医者を日本国に送り、允恭天皇の病を治したとある。
 允恭天皇は、西暦454年に39歳で亡くなったが、この時代(4〜5世紀)、日本と新羅(シンラ。辰韓)は敵対関係にあり、
ヤマト朝廷は、新羅を征伐するために何度もシラキに軍を派遣している。433年に、日本領=百済と志羅紀が、新羅・高句麗=連合
の侵略から国を守るために同盟を結んでいる。この事実は、允恭天皇の治世において日本と新羅が敵対してことを示している。
 したがって、シラキから大使として送られた医者=金波鎮漢紀武は、新羅人(ワイ人。朝鮮人)ではない。
允恭天皇の時代に日本に来た金波鎮漢紀武は、志羅紀人(シラキ人。倭人)なのである。日本民族の国である志羅紀(弁韓)から、
コムハチムカムキムは派遣されたのだ。
 允恭天皇が亡くなった翌年、西暦455年に高句麗が百済を攻撃するが、この時、志羅紀が百済を救っている。
允恭天皇の時代には、百済と志羅紀の間に強固な同盟関係が成立していたことが分かる。
 512年〜525年頃に、新羅の侵略により任那と志羅紀は一時滅びたようだ。しかし、544年に高句麗が百済を攻めた時に、
志羅紀が百済を救援しているので、544年以前に、ヤマト朝廷の支援により志羅紀と任那は復活したのだろう。


319 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 21:11:20
絵島生島事件がどういう事件だったのか教えて下さい。お願いします。

320 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 22:24:33

編年
それは国際的には
否定され排他される
非科学的な
年代基準

科学の無い考古学は日本にしかない
外国に認められない学問を、何故日本では必死に守っているの?



321 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:09:34
>>320 鮮人ごくろう!

奸国の半万年よりは余程まし


322 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:45:08
>>316
明日香の石舞台を真っ赤に染めて
葛城山の向こうに沈んでゆく
あの夕陽だけが知っているのさ。

323 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 00:50:21
320が鮮人だったとしたら自爆している件

324 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 09:46:00
↑みたいな馬鹿しかいないの日本史板って?

325 :なかさ:2007/02/02(金) 12:41:20
スレ違いだったらすいません

十返舎一九の波の絵のタイトル教えて下さい

326 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 20:34:43
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1169979531/46
46 :日本@名無史さん :2007/02/02(金) 17:04:17
日本史は「知る」ことや「考える」ことを
目的とするような無味乾燥なものではない。
この点において他の学問とは決定的に異なる。
日本史の醍醐味は「味わう」ことや「悦ぶ」ことにあるのであって、
そこにおいては真実やロジックは排斥される。
この姿勢を許容できない者こそ、私は無粋者と嘲笑ってやりたい。
司馬遼太郎等フィクション歴史ライトノベルの
シンプルな勧善懲悪や浪花節エピソードは、
感性を豊かにし人生に深みを与える。

                       日本史板って学問板じゃないの?


327 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:39:10
>十返舎一九の波の絵
何じゃそれは?画像も貼らずに(ry

328 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 22:40:58
>>327
有名だろw太国さん?

329 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 23:18:53
282 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2007/01/26(金) 23:31:07
厨房が尋ね、厨房が答える。
それが日本史板質問スレクオリティ

330 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 11:25:44
>>314
藤原不比等。
英訳するとピアレス藤原またはフジワラ・ザ・グレーテスト。
いろんな意味での藤原王朝の創始者。

331 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 12:51:34
戊辰戦争では洋式の軍服を着ていた薩摩や長州の武士たちが、
西南戦争や萩の乱では和装の甲冑に戻ったのはなぜ?

332 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 13:10:04
年末年始にフジテレビのヒストリーXってキチガイ番組やってたが、
一体どこの制作会社だったんだろうな

333 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 13:16:40
>>331
洋服の供給が断たれたからでしょ。
自前の繊維工場を持ってるわけでもなし。

334 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 14:17:52
できれば古代の神社について詳しく知りたい
相当のスレありますか?

335 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 14:24:23
>>333
10年前に着た軍服は残ってなかったの?

336 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 16:21:42
>>335
西南戦争に参加したすべてが戊辰戦争に参加したとはいえない。
むしろ西郷下野で鹿児島に戻ってきた上級将校は別としても、大体は鹿児島に残っていた
武士が多かったから。軍服もって無くてもおかしくは無いし、
軍服なんて戦闘してればすぐぼろぼろになるだろうし、昔使ってた軍服を着ることはできないんじゃね?

337 :保存しましょう:2007/02/03(土) 16:41:14
■古代カラ半島と日本国の古代史年表■
(省略・・・)
396年- 高句麗、百済を撃ち、58城を奪い、百済王弟を人質とする。
397年- 百済、倭国に救援を求め、太子を人質とする。
433年- 百済、任那・志羅紀との同盟を強化。
(省略・・・)
475年- 百済文周王が任那に避難して即位。任那領=熊津(現・忠清南道公州市)に遷都。
477年- 百済兵官佐平解仇、文周王を殺し、三斤王を立てる。
479年- 百済東城王即位。
490年- 北魏、数十万騎百済を攻める(南斉書)。
495年- 高句麗、百済の雉壌城を攻め、志羅紀が百済を救援する。
501年- 東城王暗殺され、武寧王が即位。
512年- 新羅が于山島(国)を侵略し、併合。
(省略・・・)
565年- 高句麗の侵略により漢城(コマ)が滅亡。漢城人(コマ人)集団が倭国に帰化する。←(注目!
594年- 新羅=真平王が隋に使者を派遣。隋により楽浪郡公・新羅王の冊封を受ける。高句麗への事大政策を中止。
598年- 高句麗が隋の遼西地方に攻撃を加える。これにより、隋と高句麗の戦争が始まる。新羅が高句麗と断交。
(省略・・・)
616年- 百済=武王が、高句麗と新羅の関係悪化を好機と判断し、新羅の母山城を攻撃。
624年- 新羅=真平王が唐に接近。唐の冊封を受けて、楽浪郡公・新羅王の称号を得る。
638年- 百済が、新羅の独山城を攻撃。
641年- 百済義慈王が即位。
641年- 高句麗が新羅の七重城を攻撃する。
642年- 百済、新羅を攻めるために高句麗と同盟。
645年- 倭国(日本国)に、三韓(百済・漢城〈コマ〉・志羅紀)の使者が派遣され、三国の調の儀式が行われる。←(注目!
      中臣鎌子と中大兄皇子が、蘇我入鹿を暗殺。
645年- 倭国と百済・志羅紀の連合軍が、新羅を攻撃。旧任那領を奪還する。(ここも注目!
663年- 倭国の百済救援軍、白村江(はくすきのえ)戦争で唐軍に大敗。

★565年に注目! 高句麗人は古代日本に移住していないという事実!!


338 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 18:39:12


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の
部分は空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた
簀のこ(すのこ)の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより
蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,湯気が立つ。
この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



339 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 22:24:23
>>331
筒袖やタッツケ袴といった日本古来の軍装は、
洋服と比べても機能面でさほどの遜色はない、
という点もある。
性能が同等なら、簡単に手に入って普段から
着慣れている方を選ぶのが自然だろう。
それと比べると、羽織袴姿で殺し合っていた
新撰組や志士の人たちは歴史的に見ても異常。
お疲れ様でした、としか言いようがない。

340 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 23:38:23
松永弾正について詳しく教えてください。

341 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 23:58:56
忌み名(本当の?漢字がでない)や字のことをしりたいです。
少し自分なりに調べたのですが
忌み名→本当の名前。呼んではいけない。書状や死後使う?
字→普段呼ぶ名前。名前だけでなく官職も使う
という感じであっていますか?
あと幼名というのがいまいちわかりません。
源義経の場合
幼名:牛若丸 字:九郎(判官) 忌み名:義経
でいいんでしょうか?
ドラマなどで「信長様」とか呼んでることがありますが
あれって当時からすると絶対にないことなのでしょうか?
あと苗字が二つあったりするのもわかりません。
HPでみたのでいうと織田三郎平朝臣信長とか…
質問の羅列で申し訳ないですけど教えてください。

342 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 00:06:00
>>339
当時の錦絵とか見たら、西郷軍の大半は軽装どころか鎧を着込んでるが。

343 :日本@名無しさん:2007/02/04(日) 00:36:43
>>341
とりあえず、こちらをどうぞ(↓)
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1162310418/508-510


344 :日本@名無しさん:2007/02/04(日) 01:13:10
>>341
【姓】
(1)姓(かばね)
(2)氏(うじ)
(3)名字、苗字(みょうじ)

【名】
(1)幼名(ようみょう)
(2)諱、忌み名(いみな)、実名(じつみょう)
(3)字(あざな)、仮名(けみょう)
・受領名(ずりょうめい)
・百官名(ひゃっかんな)…図書、監物、玄蕃、主税、采女、主水、弾正など
・東百官(あずまひゃっかん)…伊織、源内、左門、求馬、一学など
・輩行(はいこう)…〇太郎、×次郎など
(4)法名(ほうみょう)
(5)諡(おくりな)、称え名(たたえな)
・国風諡号(こくふうしごう)…〇〇ノミコトなど
・漢風諡号(かんぷうしごう)、追号(ついごう)…〇〇天皇、××院など
・戒名(かいみょう)
(6)雅号(がごう)
・俳号、吟号など

おおざっぱだが、本気で知りたければ全ての呼称を検索して、読んでくれ。

345 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 01:22:46
>>343-343
ありがとうございます。
早速343のスレも読んできました。
>>341の答えが知りたい方は>>343の507〜のレスを読んでください。

346 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 01:54:45
>羽織袴姿で殺し合っていた新撰組や志士の人たちは歴史的に見ても異常。

オイオイw

347 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 16:44:01
古地図や写真等を本から抜粋してホームページに載せたいのですが、
著作権法違反にならずに載せる方法はありませんか?

348 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 18:06:08
http://sports10.2ch.net/test/read.cgi/bicycle/1152843688/201-300
ここのスレ主の言いたい事ってなんだろ?

349 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 19:03:52
>>347

本スレの>>668と同じ人?
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1162310418/668

350 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 08:31:41
>>349違いますよ。別人ですが、そこも今読みました。
思いきって載せてしまおうかな。ちょっと不安です。

351 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 09:00:35
これがほぼ当てはまるんじゃないですかね

http://pc10.2ch.net/test/read.cgi/hp/1150034902/339-340

352 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 12:25:58
>>351どうも親切にありがとうございます。参考になります!

353 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 18:09:41
島原の乱で犠牲になった日本人は西洋の宣教師によって殺されたようなもんだな。
だいたい、宣教師が日本に来なかったらこんなことは起こらなかった。
宣教師がくだらんキリスト教で一部の日本人を洗脳したせいで一部が壊れてしまった。
日本には独自の神道、仏教などがあるんだよ。
日本にまでくるんじゃねーよ!! くそ宣教師が!!

354 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:44:43
>>346
シカゴギャングもコーザ・ノストラ(マフィア)も、紳士服で戦ってるぞw

355 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 01:18:42
浅井父子と朝倉のナイスな盃は今どこにあるの?


356 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 02:11:23
>>355
沢彦和尚により丁重に葬られたそうです。
アーメン♪


357 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 02:21:36
>>356
秀吉が持っていって、後に黄金の茶室に飾って悦に行っていた。
秀吉の死後、淀君は丁重に大奥で祀っていた(父ちゃんと爺ちゃんです)
が大坂城落城の際、坂崎出羽守が家康の命を受け、回収に向かったが、
途中で千姫に欲情してしまい、盃そっちのけ(坂崎のくせにw)で千姫
を救い出し、放置してきた。
家康は激怒し、千姫は本多家に嫁にやってしまい、坂崎を放置。
結局放置プレイの果てに、大阪で灰燼に帰してしまいました。

#この物語はすべてフィクションです。

358 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 03:35:24
356=357
電波乙

359 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 04:03:51
家康は一人っ子ですか?

360 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 04:17:57
>>359
異父弟がいる

361 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 05:00:21
ありがとう(^-^)/

362 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 07:44:53
歴史上の人物で、『生ごみのかたまり』みたいな名前の人いたよね?」

363 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 10:18:22
新羅系の神社が弾圧にあってバラバラに小さくされたのになんで、伏見稲荷や
八幡神宮は小さくならずに大きくなったのでしょうか

364 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 13:16:25
ドクロ杯は謎って事でok?


365 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 20:52:33
>>363
質問は日本語で

366 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 03:07:43
平安時代の京都商人の生活ぶりをリアルに知ってる人がいたら教えてください。
例えば、カンザシなど売ってる小間物屋と貴族との関わり方とか、商人の一日のスケジュールとか食事の内容とか。何でも構いませんので教えてください。

367 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 03:43:35
>>366
質問は日本語で

368 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 21:39:07
プラ国って誰ですか?
またどんな人ですか?

369 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:48:25
質問
昔の日本に「えた・非人」という身分もあったそうですが、本当に人でない者が人の形になって表れた者がいたのですか?言葉が悪いですが、同じように昔の日本には男尊女卑があり、これは案外実用的だったようですね。なので、自分は「えた・非人」を信じてます。

マジレスをお願いします。

370 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 20:47:56
>369
>>昔の日本には男尊女卑があり、これは案外実用的だったようですね。
実用的って何が?意味不明。

>>自分は「えた・非人」を信じてます。
信じる信じないの問題ではない。

マジレスしてみますた

371 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:55:51
>>369−370
日本史板に
質問を躊躇する
自作は止めてくれ

君のレベルじゃ誰も呼べん!

372 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 22:03:50
東北生まれにはそのような被差別部落問題が分からないんですが。
西日本を旅行すると「人権宣言都市」やら「差別をなくして明るい・・・」なんたらの垂れ幕の役場を良く見ますが、どうなんでしょう?
現状では差別を食い物にして逆差別を生み出している印象が強いのですが。

 イデオロギーにとらわれないまっとう被差別部落史を紹介してください。

 なお、個人的には「部落」と云う言葉に愛着を持っている人間で、小学校時代には何々部落出身であることがアイデンティティーでの中心でした。
「部落」と云う言葉が禁止用語扱いなのは哀しいです・・・行政区画の用語として復活しないかなあ、「集落」なんて地理学用語にしか思えない。

373 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 22:06:14
>>372
君のレベルじゃ誰も呼べん!


374 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 23:55:58
>>372
うーん、どうしましょうか。
一応、部落についてのひとつの見解を提示しましょう(歴史的な)。

簡単に言えば、部落とは一種の「アパルトヘイト」の名残です。
日本民族の黎明期、この列島には最初縄文人が住んでいました。
そこへ、弥生人が移り住んできた訳です。縄文人も農耕を営んでは
いたという説が有力になってきましたが、傾向としては狩猟系の縄
文人に、農耕系の弥生人。また、文化的にも技術的にも弥生人の方
が進んでいたと考えられます。それまでは、列島に満遍なく縄文人
は分布していたでしょうが、後からやってきた弥生人に住処を奪われ、
次第に東日本に勢力は後退していったのでしょう。

しかしながら、西日本にも残留した縄文人はいたはずです。彼らは弥
生人から差別を受け、居住地も限定的になって行きました。彼らは狩
猟的な生活習慣(皮の加工とか、屠殺の習慣など)があり、それは弥
生人の蔑視の対象となったと思われます。また、山岳地に隠れ住んだ
人々もいたことでしょう(サンカ、マタギ、樵など)。これらは縄文
人の系統の末裔だと考えられます。

東日本は、縄文一色だったので、基本的にそのような差別意識は希薄
だったと思われます。後に蝦夷社会に西の勢力が進出したときに、や
はり、「俘囚」という形のアパルトヘイトが成立していますが、奥州
藤原氏の平定で、それらは原型を失ったと思われます。

日本民族はほぼ単一だと思われていますが、縄文・弥生の異なる系統
の人たちのせめぎ合いが、日本の歴史の上にも影を落としているよう
ですね。


375 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 00:57:11
古い古杉>>374


376 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 01:45:14
では新しい凝り過ぎの新説をどーぞw

377 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 07:46:05
質問です。
「駿州加島郡」は、現在のどの辺りかご教示下さい。


378 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 21:11:10
弥生時代の道具の「鉄鎌」って、どう読んだらいいんですか?

379 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:26:22
てつがま

380 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:30:18

卑弥呼がスサノオの部屋まで自分の意志で付いてきて犯されたら和漢ですか?W

381 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:30:44
>>377
このへんじゃね?
http://library.fujishi.jp/hp/08_history/pdf/h15_001.pdf
http://library.fujishi.jp/hp/08_history/top.html

382 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:50:53
>>380
近親相姦?

383 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:53:14
>>382
質問が読めてませんね
可哀相な脳味噌ですねw

384 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:37:46
>>383
ひょっとして、マトモな回答を期待してたのか?
回答は、質問相応のものが返ってくるよw

385 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:46:01
>>384
あのさーもう一度読み返したほうがいんじゃね これじゃ又突っ込まれると思うよ 無防備だねw

386 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 08:41:07
>>381
ご教示、ありがとうございます。
駿州富士郡に加島郷があったことがわかりました。
現在の、富士見市加島町辺りと見当がつきました。

387 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 10:30:00
プラムさんの弁護士決まったですか?

388 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 13:31:21
目安箱について おしえて
授業では、 無記名で誹謗中傷の道具になったと 教わった記憶があるんですが
wikiには記名だったってありますう
wikiはホント?

389 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 13:35:17
高杉晋作について質問です。
こちらに写真があるのですが→ttp://www.city.hagi.yamaguchi.jp/portal/news/sinsaku/img/sinsaku02.jpeg

何故、彼は裸足なのですか?
坂本龍馬・木戸孝允…等、上野彦馬が撮影した被写体は、
皆、靴又は草履を履いています。
何故に彼だけが…?

390 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 14:17:27
>>388
目安箱には記名のものも無記名のものもあった。

>>389
室内で撮影したので草履を脱いだんでしょ。

391 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 15:23:02
井伊直政時代の箕輪城(現高崎市)の遺構に関する現地説明会が、
近くあると思うのですが、正確な日時が判る方、いらっしゃいますか?
HPほか広報が見当たらないのですが…。今日は役所休みですし。

392 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 15:40:05
>>391
「箕輪城 現地説明会」でぐぐれるじゃないか。

393 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 15:52:48
松山藩主久松家の明治の当主・久松 定謨(ひさまつ さだこと)の実父で
松平勝実という人物(旗本らしい)の家系についてわかりませんか?
やはり久松系松平の家系ですか?

394 :日本@名無しさん:2007/02/10(土) 17:13:46
>>393
Yes.
松山藩系図

1松平定勝┬2定行─3定頼─4定長
       ├女子─島津綱貴─吉貴─継豊─重年─重豪─斉宣─13勝善=15久松定昭
       ├定実─定之─定員─定蔵─定寅─定朝─勝安─勝実─16定謨─17定武
       └定房─定時─5定直┬6定英┬7定喬=10定国┬11定則
                     │     └8定功      └12定通=14勝成
                     └定章─9定静
 

395 :公募ではありませんが、嘱託可能な院卒を探しています。:2007/02/11(日) 11:47:12
はじめまして。
T県S市の生涯学習課生涯学習係長です。
公募している訳ではないのですが、
現在、市史編纂に関して史料分析、研究、筆耕が
できる嘱託職員を緊急に探しています。
院卒程度の能力があって、こちらで働ける方が
おりましたら、自薦他薦を問わずメールにて
ご連絡ください。(対象者の履歴等の記載も
お忘れなく。なお、現段階では個人情報の
問題がありますで、個人が特定できる記載は
されなくてもかまいません。)

連絡方法は、本市HPの生涯学習課のアドレスへ
生涯学習係長あてと明記して送信ください。
(メールを読んで、こちらで接触の必要ありと
判断した方のみご連絡します。)

ご注意
担当係への直接問い合わせはご遠慮ください。
お電話での問い合わせにも応じかねます。

ttp://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/

396 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 16:07:00
>>395
なんで、栃木県さくら市のHPへ誘導しておいて、T県S市なんて伏せてるの?


397 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 19:07:25
>>396
建前は公募じゃないからな。
きっと何か事情があるんだよ。
許してやれよ。

398 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:48:41
献策に引っかかるとお役所はうるさいんだろう。
むしろ2ちゃんで募集する自治体があるなんて、面白いね。

ただ、板は良いとして、ここは質問スレだから、そこをね(ry

399 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:00:08
>嘱託職員を緊急に探しています。

緊急というからには何か事情があるんだろうが
用が済んだらポイかな?


400 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:41:30
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%B6%8A%E5%9C%B0%E6%96%B9

この中で、
「親鸞が直江津に流されたので、上越地方は浄土真宗の地盤となった」
と言う内容の記述があるのですが、本当でしょうか?
確か親鸞は国府を出て越後一円を回ったあと関東に入ったと聞いたのですが。

ひょっとしたら宗教板で聞くべき質問かもしれませんが、まずはこちらにて。

401 :日本@名無しさん:2007/02/12(月) 22:23:03
>>400
田村実造「『歎異抄』を読む」によると、聖人は国府(直江津)に流されて五年、
赦免されるもそのまま二年留まった後、関東へ入ったそうです。
越後にいる間、地元の豪族らしい三善為教の娘(恵信尼)と結婚し男子を
儲けました。このときどれだけの布教活動をしたのかまでは浅学にして
知りませんが… 


402 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 22:30:27
>>399
(お許しください)

募集じゃなくて、(あくまでも)
採用にあたいするような人材が
いらっしゃいますでしょうか否かの
(なんでも)質問ですから・・・。

403 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:08:40
>>402>>398へのレスじゃまいか

いずれにしても好きな歴史の仕事ができるなら
俺だったら金を払ってでもそんな仕事がしたい。

まだ高校生だけど・・・。

404 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:44:48
>400
親鸞は、越後では「非僧非俗」の流刑者として過ごしていたのだから、
>>401さんもおっしゃるように、どれだけ布教ができたのかは怪しいと思います。
北陸が後に「真宗王国」と呼ばれるのは、越前を根拠地に強力な布教活動を
行った蓮如の力が大きいのでしょうし。

「浄土真宗と北陸門徒」(千葉乗隆)
http://access-jp.net/amida/monsi/tiba01/

越後の民衆に浄土の教えを説く流罪者親鸞、という光景はなかなか魅力的ですが・・・

405 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:22:13
元々蓮如以前の真宗は衰微のきわみだったそうだからな。
まあ布教と言っても女犯僧と見分けのつかない状況で、
かつ流刑者で
おまけに教えはするが教団も道場も否定しますっていう桁外れの坊さんだったから
どこまでついてくる人がいたやら。

406 :400:2007/02/14(水) 20:58:23
>>401>>404>>405
ありがとうございます。

別の項目には浄土真宗が直江津から西へ進んで
北陸に広まったかのように書かれていて、おや?と思っていたのですが、
言って見れば逆方向なわけですね。(あと時代も)

越後での布教については各地に「越後七不思議」なるものが伝わっているほどなので
記録には残らぬまでも、民衆に広く伝わっていたのではないかと思いたいのですが…。

407 :日本@名無しさん:2007/02/14(水) 21:53:47
>>406
真宗のコアである『教行信証』は越後時代の後、関東に入ってからの執筆ですし、
聖人の布教活動も関東で本格化します。越後時代は法難と思索の頃ですので、
この頃の聖人にの資料はあまりないらしく、また>>405さんの仰るような境遇でも
あったのですから、何をしていていたのかは学者の間でも意見が分かれているそうです。

後世、蓮如らが「聖人ゆかりの地」という触れ込みで布教し、その際に聖人の色々な
伝説が出てきたり生まれたりしたというのが本当のところではないでしょうか。

408 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 04:21:43
後に一向宗が日本を席巻するようになって
「俺達越後人は宗祖最初の門徒だい」
ということを強調するために、さも手厚く迎えたかのように見せかけただけだろうね。
あざといし小ずるいが、所詮庶民の猿知恵だ。

409 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 17:12:25
時代劇で「江戸市中」とか「市中引き回し」という台詞をよく聞くけど、
その時代って「町奉行」って言葉もあるくらいだから、都市の単位は
「町」だったんですよね?
だとしたら「江戸町中」「町中引き回し」と言った方が正しいのですか?

410 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 18:24:20
市は行政単位の「市」とは違います。

411 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 18:33:11
その場合の市は「人が集まってる場所、集まる場所」って意味になります。

412 :409:2007/02/15(木) 19:06:48
>>410-411
それでは江戸時代にも既に「市中」と言う言葉があったという
認識でいいのですね?どうもありがとうございました。

413 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 22:19:53
>>408
その辺は記録がないから何とでも言える罠

一応、七不思議のいくつかには蓮如が訪れ、歌を残している事を記しておく

414 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 16:48:37
男〇三郎
〇には


を合わせた漢字が入ります
何と読むか、どういう人物か教えて下さいm(_ _)m

415 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 17:09:55
>>414

おぶすま・さぶろう、でググレば出てくる


416 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 17:54:28
物語の人

417 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 17:55:12
史上最強の名君って誰ですか?

418 :414:2007/02/17(土) 18:02:50
415 416
ありがとうございます!m(_ _)m

419 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 18:16:18
徳川次郎三郎家康とかいうけど、

このときはまだ長男に一郎とか決まってなかったのですかね?


420 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 21:48:30
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

421 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 09:15:52
>>419

それは逆。古い時代は長男が太郎、次男が次郎・・・と原則が守られていたが
だんだんに崩れた。
やがて世襲されるようになり、(祖父)二郎三郎---(父)二郎三郎---(子)二郎三郎
てな家が多くなる。
徳川家の嫡子は代々、竹千代だろ

422 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 01:36:05
信長と秀吉の検地の相違ってなんでしょうか?

423 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 02:17:10
山川の教科書見たら分かるだろそれくらい。

信長がやったのは指出検地。
そこを支配している香具師にその収穫量などを申告させる形だ。
一方秀吉はすべての土地に竿を入れて実際に検地をしている。

戦国期は基本的に指出検地なわけだが、例外が後北条氏。
北条氏は実際に竿入れして、面積や生産力を把握していった。
そして検地によって確定した情報を元に年貢を決定し、それまで農村に留保されていた余剰の一部の収奪に成功。
さらにこの検地の情報を元にして貫高制を確立していったんだね。

そして、信長も実は北条氏のような検地を行っている。1570年代に行った越前検地だ。
秀吉の太閤検地は、信長の越前検地をモデルにして全国に実施したものと言ってもいいくらい。

大雑把な理解としては信長=指出検地、秀吉=検地でいいと思う。

424 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 02:48:18
>>423
ありがとうございます。
自分の学校では教科書が資料集タイプのものしかなく、
きっちり記載されていなかったんです・・。

425 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 11:08:15
水戸学では有栖川宮が正当な南朝方の出だとしているとききました。
でも有栖川宮の始祖は後陽成天皇の皇子だから北朝の血筋だと思いますが
なぜ水戸学では南朝の出だと教えているのですが?

426 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 11:36:22
>>425
>>水戸学では有栖川宮が正当な南朝方の出だとしているとききました。

デムパです。以上




427 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 12:18:17
>大雑把な理解としては信長=指出検地、秀吉=検地でいいと思う。

デムパです。以上

428 :日本史@名無しさん:2007/02/19(月) 14:43:46
封建制度について教えてください
できれば中国やヨーロッパのものとの共通点、違う点など
教えてくださると助かります

429 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 19:35:33
>>427 
ネタにマジレスするけど、それが電波ならどう説明すんだよ。
信長の土地政策をはじめ内政は他大名と比べても変わらないか劣ってるよ。
流通の支配については特記すべき点だが。
本能寺なかったらその後何かやってた可能性はあるけど。

書いてて気づいたがそれって自己紹介か?w
なら分かりやすいように【私は】デムパですって書いてくれよなw

430 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 20:46:25
>流通の支配については特記すべき点だが

デムパです。以上

431 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:05:22
だから私はって入れろってw

432 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:30:52
こういう学術系の板にも電波は入り込むんだなあ

433 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:52:31
>>432

電波はおまえやん?

434 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:46:28
>>433
やれやれ、何を根拠に……頭の中で等号がいっぱい飛び交ってるんかね?

435 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:11:21
秀吉が本能寺の変からわずか8年間で全国統一できた理由ってなんでしょうか?

436 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:23:20
すでに粗方統一されてたこと
小牧長久手以降懐柔をもっぱらとしたこと

じゃね?

437 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:24:05
早良親王ってどこで死んだんですか?
この前地元の神社の新聞を見たらここは早良親王が隠れ住んでいたって記事があったんで気になってカキコしました。

438 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 21:01:38
>>437
ネットで調べると、配流先の淡路島に向かって船で淀川を下っている
途中で衰弱死したということになっているけど、あなたの地元には、
「実は生きていた早良親王」という伝説でもあるの?

439 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 21:09:31

静御前とか小野小町と同様、全国どこでも墓があるんじゃねーの



440 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 22:57:19
須崎市にある坂本竜馬の墓は本物なの?

441 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:40:03
白虎隊が戦った日数は1日という解釈でよいでしょうか?

442 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:15:46
>>440
墓とは死者を悼むため、または先祖を祀るためにあるのだから、
その想いに嘘がないかぎり、墓は本物。
うちの近所の墓地にも外地で戦死した日本兵の墓がいくつもあって、
遺骨なんて入ってるわけないんだけど、それを建てた人たちの心情を
思うと泣けてくる。

>>441
中村彰彦「白虎隊」という本もあることだし、隊士の大半は会津戦争を
最初から最後まで戦い抜いて、明治の世まで生き残ったということで
いいんじゃないの?

443 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 12:58:40
今、江戸時代の米価と貨幣単位について調べてるのですが、
(時期によって違うでしょうが、おおざっぱに)、
米にまつわるところがなかなか難しいので困ってます。
まず、江戸時代の米の買い相場(市場価格)でいう「1石」は精米でしょうか、籾米でしょうか?
また、この当時の精米率はどの程度だったんでしょうか?
(一升を精米すると何合になった?)
あと基本的なことですが、精米一升が何キロに相当するかもよく分かりません。
どうかご回答をよろしくお願いします。

444 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 21:16:33
1合=150グラム
10合=1升

445 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:20:57
>>443
>江戸時代の米の買い相場(市場価格)でいう「1石」は精米でしょうか、籾米でしょうか?
アップストリーム(年貢米から米問屋まで)は籾米。
ダウンストリーム(米問屋から小売店、消費者)は玄米または白米。
ということだろうと私は考えています。ネット上のソースは示せないのですが・・・

>当時の精米率はどの程度だったんでしょうか?
精米というのはそんなに高度な技術ではないので、今とほぼ同じでしょう。
籾米を玄米にすると、体積で半分程度、重量で7割程度になります。
玄米の表皮を削って、重量で10%ぐらい落とすと、いわゆる白米になります。

>精米一升が何キロに相当するか
>>444さんもいっておられますが、精米一升は約1.5キログラムです。

446 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:27:29
>>444
ありがとうございます!
これでかなり作業が進みます。
精米率と、買い相場が籾高か白米高かはせめて前者さえ判れば、後者は「場合分け」で対処できます。
余談ですが、江戸〜明治くらいまで言われた「一升飯」っては相当な量ですな。
いくら副菜に乏しいと言ってもコウコばかりで1500gも食えやしませんよ。
余談ついでに。
せっかく吉宗が新奇製造物の禁令敷いて米価をあくまで安定に持って行っているのに、
米→金→銀→銅というようなザッパでも(というかザッパであることに価値がある)、
マトリクス的なフローってなっかなか見あたらないんですよ。
なんでなんやろ。
何も俺みたいなド素人がやらんでも、考証の取捨選択さえしたら(それが一番難しく、できないでいるんだが)、
簡単な算数だけなのに。
というわけで事務屋が本業の自分がやってます…。

447 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:43:57
>>445
より詳しい情報、有難うございます!
これで考察の道具がたいがい揃ったので後は事務処理だけ、の筈なんですが…
ダウンの方は白米とすると、今の米価(精米)がなべてキロ400円くらいですから、
買いで1石=1両とすると1両=60万円となり、
吉原が3分で新造つきで遊べたことと思い合わせると、
金4分で1両ですから、
これは明治後か戦後にべらぼうな米価の値上げがあったと想定しない限りちょっと想像できません。
この辺はどう考えたらよろしいのでしょう…

448 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:57:50
>>447
連投すみません。
私落語が好きなんですが、侍話の古典落語で職人(米を売る側でなく買う側)の会話に
「米がやすくなったなあ!」
「両に5斗5升だ、これなら暮らしやすいよ」
というのがあるんですね。
安くて5斗5升なら、普通で(想像で)5升くらい、
ウィキには「江戸期通して1石=1両は保たれた」とありますんで、
この会話は少なくとも籾高で突き合わせての話でしょうね。
まあ古典落語の大半は明治にできてるので、
明治当時の相場の可能性はあります。
それにしてもウィキを信じるなら両(円)に5斗は明治になっていきなり高すぎですわな。


449 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 18:18:54
日本史で近現代が苦手なやつ!!石黒先生の「受験生が本当に欲しかった日本近現代史」買え!絶対に苦手を克服できる!そして何回も繰り返せ!っつか「読むだけ日本史」も買え!無駄がなくてまじヤバいくらいいぞ!

450 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 18:53:50
江戸時代〜大正くらいまでの遠江(浜松)の人口わかる?

>>449
了解



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