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武士道ってキモいと思ふ・・・Part2

1 :日本@名無史さん:2006/08/26(土) 15:41:52
イギリス人からの「キリスト教徒でない
日本人は何を道徳教育の支柱にしているのか?」
という質問に答えられずに悔しい思いをした
農学者の新渡戸稲造が、
山本常朝という実戦経験はもちろん
武術の心得すらない江戸時代の爺さんの妄言集である
(おそらくは戦乱の世が終わったため
荒くれ者の武士を素直な小役人に育てあげるための
マニュアルとして編纂されたもの)葉隠をもとにして、
身分制が解体され士族反乱も鎮圧されてから
数十年経って初めてでっちあげた、
武士道という精神論。

学徒動員・神風特攻やエコノミックアニマルなど、
なぜか実践者はいつも武士の末裔でなく百姓庶民の末裔である
この不思議なテクニカルタームについて語ろう!

前スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1134657433/l50


2 :日本@名無史さん:2006/08/26(土) 20:30:22
武士って、寵童から取り入って出世した奴が多いな。
衆道と武士道は切り離せないな。

3 :武士=芸能人説(職能的武士論):2006/08/26(土) 20:59:40
武士=芸能人説(職能的武士論)に立てば、
武士とは武という芸(技術)によって他者と区別される社会的存在である。
当時、技術(芸能)は人から人へと個別・即物的に学習・伝達されたから、
限られた人間集団・家系で技術を独占し公開しないという職業的利害が作
用すると、技術(芸能)は特定の家系にのみ伝えられる家業・家職となり、
武士の場合にも「兵ノ家」や「武芸の家」や「武器の家」が出現した。
武士と社会的に認知されるには、単に武装して武芸に秀でているだけで
は充分ではなく、「兵ノ家」の「家ヲ継ギタル兵」でないといけない。


4 :常識のウソ:2006/08/26(土) 21:02:53
平安中期、貴族は都で儀式や享楽にあけくれ、かたや東国農村では新興の
武士が営々と農業経営や開発にいそしむ。やがて武士は源平内乱・鎌倉幕
府の創設を経て、退廃した貴族にとって代わり、時代の主役となる。
これが、あなたやわたしの小学校以来の常識であった。
両者は善玉・悪玉、イソップの寓話でいえばアリとキリギリスの関係にある。

5 :武士の発生母体は都の貴族社会:2006/08/26(土) 21:04:07
武士の発生母体は都の貴族社会であり、
その登場の時期も奈良・平安時代初期にまでさかのぼる。
だから貴族と武士を単純に新旧の対立と見るのはあたらない。
華美文弱と質実剛健の対比も、意識・無意識の先入観とでき
あいの価値観による、誇張や事実の歪曲であることが多いのである。


6 :新渡戸の『武士道』はキリスト教的価値観:2006/08/26(土) 21:11:17
新渡戸の『武士道』はキリスト教的価値観によって抽出された、江戸期に
おける日本の武士道精神を基盤とする道徳体系を記述した書であり、全世界の
キリスト教徒、またはキリスト教的価値観を持った人々を読者として想定し、
書かれたものである。武士の実態、歴史を綴ったものではなく、ましてや武士
道の研究書でもない。例を挙げれば、武家社会では常識だった衆道の流行、側
室の存在など書くつもりもなく、このような価値判断からは書けるはずもな
かったのである。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 22:29:21

安寧と閉塞の時代に生きた武士は思った。

「なるようにしかならん」
「どうせそんなもんだろ」

これは「道教」である。「老子」である。
やる気なしの諦めモードである。

え え い 、じ じ む さ い ん じ ゃ 。

8 :日本@名無史さん:2006/08/28(月) 19:21:15


9 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 01:17:21
東国と騎馬文化(坂東武者)

7世紀の後半、朝鮮半島の情勢変化とともに百済のの国運があぶなくなった。この「朝鮮半島の情勢変化」というのが、
武蔵の国にひびくのである。・・・

滅亡した百済人は、当然ながらさかんに倭に流入した。

「百済の男女二千余人を以って、東国に居く」
とある。二千という数字は大きい。生存条件さえよければ100年で20万人に達することもできるであろう。

百済人がその故郷にあったころ、戦闘にあけくれていた。北は高句麗の圧迫をふせぎ、東は新羅と戦いつづけていたから、かれ
らは日本地帯のひとびととはちがい、戦闘に習熟していた。
しかも百済人は、北方の高句麗騎兵になやまされつづけていたから、当然、騎射には習熟していたにちがいない。
このころの大和から西日本一帯は、瀬戸内海があるため船には長じていた(白村江の海戦で敗れたものの)。しかし馬にはきわ
めて不熟練であり、第一馬そのものがあまりいなかった。

そういう日本列島にあって、その東の辺陬に突如馬文化が成立するというのは、百済人二千の入植という事実をはずしては考え
られない。

10 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 04:16:02
>>5
北面の武士、西面の武士は白河の寵童上がりがほとんどだろうに。

11 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 07:25:36
2千人の百済人たちはその技術をもって武蔵国の田園をふやして行ったにちがいなく、田園がふえるにつれ当然ながら人口もふえた。

開墾地主が、簇生した。その開墾地主が、つまりは武士である。これが荘園制度とからんでいわゆる坂東武士団がつくられてゆく。
かれらは自分の開墾地の擁護をたのむために京都朝廷に口きき役として源氏や平家などといった筋目の京都人を棟梁に押したて、
みずからの家系をも源平籐橘に系譜にあわせて創ってゆき、つまりは系譜の上からいえばたれもが桓武天皇や清和天皇の子孫に
なりおおせて、たれもが百済人と土着人の子孫といわなくなる

12 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:06:02
http://www.nantoeri.or.jp/pdf/c001/rizicyou0604.htm
武士は貧乏であこがれの的ではなかった。エリート意識がなく、職業に貴賤がなかった。

これが現実だったんだね。

そうだよね武士の写真見ても髪はボサボサ服はボロボロ。

それなのに自分の先祖が武士って
    .__∩_
   /.   \
 /_ノ   \\
 | ( ●)(●) |
. |  (__人__) | バーカ、恥ずかしくないの?
  |    ⌒´  ノ   士族=人力車夫=現代のタクシードライバー
.  |         }     wwww
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \


13 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :2006/09/16(土) 21:21:22

      ドッカーン!
      (⌒⌒⌒)
      |||
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   /::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
  /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\〜プーン
  |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン
  |;;;;;;;;;;ノ∪  \,) ,,/ ヽ〜
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  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)〜
  | ∪< ∵∵   3 ∵> ムッキー!
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14 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 16:57:15
http://www.nantoeri.or.jp/pdf/c001/rizicyou0604.htm
武士は貧乏であこがれの的ではなかった。エリート意識がなく、職業に貴賤がなかった。

これが現実だったんだね。

そうだよね武士の写真見ても髪はボサボサ服はボロボロ。

それなのに自分の先祖が武士って自慢する奴
    .__∩_
   /.   \
 /_ノ   \\
 | ( ●)(●) |
. |  (__人__) | バーカ、恥ずかしくないの?
  |    ⌒´  ノ   士族=人力車夫=現代のタクシードライバー
.  |         }     wwww
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
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15 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 22:38:54
>>14
最近良く見るこのコンドームなんだ?

16 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 23:52:20
ちんぽ

17 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 04:37:53
江戸時代ってそんなに良い時代だったんか?>>14読むと本当にそう思うんだが…。現代の方が地獄に見えて来た………

18 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 06:40:08
>>16
そうかちんぽか

19 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 07:47:06
ニート=浪人(野侍)

20 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 08:34:45
そもそも新渡戸の武士道は葉隠の中世的な武士観とは
完全にベツモノの、江戸時以降の代儒教的な価値観に
色濃く影響を受けた武士道だったはずだが。

すくなくとも葉隠は新渡戸の武士道とは武士観においては
対極を為す書物だぞ。

21 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 09:35:19
>>17
何しろ、女の一人旅が出来るぐらい街道が整備されて治安が良かったからな。


22 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 12:22:49
>>17

江戸時代の日本のような平和な時代は、
国際化され続ける今日では絶対に実現はできないだろうね。

国際的な天皇のようなもの、
国際的な徳川家康のような者、

の存在が必要だからね。

23 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 12:48:32
>>22
今日とは言えないかもしれないが
(あ、北朝鮮があったか)、
旧共産圏も江戸時代の日本並に治安が良くはなかったか。

このふたつの社会を見るに、
軍事力を背景にした強権による
徹底した管理社会と思想統制、
加えて庶民に対する愚民化政策を駆使すれば、
今日においても犯罪のない社会は可能であるかと思う。

24 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 15:11:17
新渡戸稲造の「武士道」は変態的だが、
徳川時代の「武士道」とりわけ「衆道」は
一等素晴らしく賞讃に値する制度だったゼッ!



25 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 21:43:36
武士道はそのバックボーンが、儒教(朱子学)であり
本居宣長があげつらったか「カラゴコロ」であり理屈っぽい
所詮借り物の思想であり、情念的な日本人にとっては本来的には合わないものだ

26 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 01:28:19
>>9>>11
坂東武者が朝鮮系騎馬民族だったのは事実としても、関東は高句麗が濃かった。
司馬遼太郎はなぜ百済を強調してたのか。。

27 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 08:33:31
武士道って生計を支える働き手という観点と
西洋医学の発達していない当時に戦争で傷を負いカタワになった時のこととか
精神論ではなく、現実論としての
家族を養っていかなければならないという男の重き任務について
どれだけ戦から離れた人間が理解しているかどうかだよな。

28 :唐語のブシン(不信)から出たのが武士:2006/10/03(火) 14:33:41
恐れ多くも陽成帝でさえ藤原基経に追われ山へ逃げて木地師とならせたまう。が、
11世紀は青眼の賊船が次々と来襲。山から原住民を人間狩りしてきて出征させたが、
戻ってから叛かぬよう片刃の刀をもたせた。一を唐語で「イ」と呼ぶから「刀イ(伊)
の乱」。この時、頼光四天王として坂田金時らも現れるが、唐語のブシン(不信)か
ら出たのが武士ゆえ、従五位止りで昇殿は不許。


29 :北条政子の世:2006/10/03(火) 14:35:22
ようやく文治革命で夷津[伊豆]の夷頭[伊東]の北条政子の世になると京を征伐
し、尊い方を隠岐や土佐へ流罪にし、御所への目付に六波羅探題をおくが、世変わり
して足利期になると新しく散所奉行ができ、北条氏の残党と共に、足利創業時に邪魔
した南朝方の子孫をも特殊部落にしたから地名にも残る。


30 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 11:26:56
ほう

31 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 21:41:09

「武士道」という言葉が一般に定着したのは実は明治時代後半のことで、
新渡戸先生の『武士道』の刊行などは、その契機になっていたようです。
もともと「武士道」なるものが形成されたのは江戸時代のことです。
天下泰平の世において、サムライの戦闘精神が、
文化的に形式主義の磨きをかけられたものがそれでした。
これに対して新渡戸先生の『武士道』が説くところのものは広義の「武士道」とでも言うべきものです。
つまり副題に「日本の精神」とあるように、
武士を中心とする日本人の精神一般についてなのです。

武士道による「台湾精神と日本精神」
李登輝前総統講演全文
http://www.yorozubp.com/0303/030301.htm


32 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 23:42:24
武士道について調べてるんですが
第一次〜第二次世界大戦中はどのような形で日本人の中にあったのでしょう?

33 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 23:46:21
教育再生特命委員会は1日、地方議員から教育現場の声を聞いた。

日教組や全教が支配する学校では、「人権」「平等」「平和」「国際理解」
の名の下に、公立中学校の卒業式で韓国旗が掲揚された事例や、
反日・反天皇教育のパネル展が校内で開かれたことなどが紹介された。

議員からは「指摘された問題は氷山の一角だ。実態調査をするべき」
などの意見が出された。中山成彬委員長は、「地方議員は学校現場に
入りやすく実態を把握しやすいので地方議員の力を借りて教育再生を
図りたい」と述べたうえで、「今後は党として教育再生を目指す地方議員
の会を全国展開したい」との考えを示した。

ソース:自民党
http://www.jimin.jp/jimin/daily/06_12/01/181201d.shtml


34 :寝こみを襲うも卑怯ならず:2006/12/04(月) 20:32:47
真珠湾攻撃において山本長官は「奇襲は良い、然し枕を蹴上げずに刀を
下ろしては、神武以来の武道がたたぬ」と語っていたが、山本の参謀長
である宇垣少将は「寝こみを襲うも卑怯ならず」(一二月二日の『戦藻録』)
と書いていた。

日本が騙し討ちと今尚非難されることに関しての導き出される結論は
「大使館員の勤務シフトと暗号解読の不手際。浄書のタイピングに時
間がかかり過ぎた。その原因をつくったのが大使館側の怠慢にある」
というのが定説になっている。

斉藤氏はこれらの失態が実は表層的なものに過ぎないとして、
一つの資料を元に大胆な推論を展開している。斉藤氏が新たに入手し
た資料は、堀井枢密院書記官長の属官として次の協議に同席していた
諸橋襄書記官が生前行ったインタビューの速記録である。


35 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 21:34:51
死して屍 シシカバブー

36 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:26:34
http://www.youtube.com/watch?v=rlTwTNYmWGk

37 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:11:11
あげ

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