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■  昔から疑ってかかっていた日本史の通説  ■

1 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 15:18:07
例えば、武田信玄の上洛作戦での織田信長絶体絶命説とか、
考えてみると、思い当たることいろいろあるだろ。

2 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 15:18:51
秀吉に男色の気がないこと

3 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 16:30:17
家康腹黒説かな
権謀術数を使ったと解釈できるようなの晩年に少々だし、配下が集まってからだから。
集まるまでは戦以外では真っ向勝負というか定石ばかり行ってる感じだし

4 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 17:26:08
武田騎馬隊の存在

豪族よせあつめの武田家でそんな編制は無理。

5 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 18:49:46
そりゃ明智光秀だろ。
三日天下でソッコー秀吉に敗北、
そんなに馬鹿じゃないっつうの。
桔梗紋は生き続けてた

6 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 20:48:41
戦国時代の幕府・朝廷無力説
有名無実とか言われてるけど近畿以外の地域ではまだ利用されてるし。
関東なんて古河公方が付いた方が人が集まったり、士気が上がったという話もある。

7 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:02:28
今川義元無能説

8 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:09:43
>>1-7まで戦国時代の話題しかないことから
この板のレベルが低くなりつつあることがわかる

9 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 14:39:06
>>8 20ぐらいまでついてから判断すればいいじゃん。
連鎖的に出てくるのは当たり前なんだしさ。で、おたくは疑う通説だせないの?

倭の五王が大和朝廷に繋がっているという説
ばらばらな気がするし、単に中国伝説の帝を真似ているように思えるので

10 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 15:45:22
小説やドラマでよく源義経が軍神のように扱われているが、
明らかにただのばくち打ちです。

11 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 16:16:59
藤原不比等は本当に中臣鎌足の子供なのか?
鎌足は本当に大化の改新の立役者なのか?そもそも実在したのか?
中大兄皇子はほんとうに皇太子なのか?
大海部などは本当に皇族なのか?
道教は悪い野心家で巨根だったのか?


12 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 17:08:39
>>7
今川は有能だけどデブ

13 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 17:33:35
>>8
>>1-7はどう見てもひとりの人間が書いたものだろ。
日本史板のような過疎板では、スレを軌道に乗せるために
しはしば用いられるテクニックだ。

14 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:11:09
>>13 >>6は俺。他は違うよ。これで、少なくても二人だね。
そもそも一人でやったとしても日本史板では例示ってことで別に認められてることなんだが・・・

聖徳太子の有能説、主導改革説
蘇我氏の力と影響力を考慮し、また当時の朝廷の構造を考えるとほぼ不可能と思われるから

15 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:24:29
>3は俺
>>14
日本史初心者がどう思おうが勝手にさせとけ。意見すら言えないんだから。
平将門の乱の主犯が将門であること
朝廷の対応が攻勢的だったり、朝廷内部に主犯が居て隠そうとしたように思うので
増して将門の都での働きとか調べると勝手にあんな大事起こせそうに無いから

16 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:33:48
天皇が万世一系な分けがない。
藤原氏などの権勢を誇った勢力が天皇の実父なんてあたり前にあったろう。
新生児すり替えや皇后を天皇以外が妊娠させる程度はやっていなければおかしい。
権力欲があるのにそのぐらいの事も思いつかないほど日本人は馬鹿じゃない。

17 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 19:10:49
俺の無能説。

そんなわけがあるわけない。

18 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:31:01
>>17
いや、お前は無能説意外聞いたことがない
のだが。

19 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:07:54
天皇家が明治までは仏教徒だったってこと
2ちゃんで気づかされたが言われてみれば仏・法・僧を尊び大仏に国の安全を託し寺を建てて仏に仕えてる。
法王は寺で政務をとり頭を丸めてる。
明治になるまでは仏教は一向宗などの巨大な勢力を築いたが神道(古神道)では自然信仰の習俗でしかなく小さな勢力にもならない。
みんな明治からできた国家神道が日本古来のものと勘違いしてるし神道は本来、山や動物などの自然の中に神が宿るもので昔話に残るその土地での神。
天照なんて中央集権的な存在は日本の歴史と人々が明治までは受け入れなかったのだという事。

20 :日本人:2006/04/21(金) 06:02:16
キリシタン禁令という「定」はキリスト教を禁止することにより外人の流入防止を
はかり、外来伝染病の進入を防いだ。そして長崎出島検疫居留地を建設し、検疫の
強化をはかった。

21 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 07:24:06
万世一系

22 :邪馬台国侍 ◆G5PYesuXOc :2006/04/21(金) 08:01:17
江戸時代の農民は天皇の存在を認識していなかった、というデマ。

23 :邪馬台国侍 ◆G5PYesuXOc :2006/04/21(金) 08:07:40
戦前には国家神道なる不思議な宗教が存在したというデマ。
権力による神社の管理監督は太古から続いているし、
諸外国でも最大勢力の宗教は国家の統制下にあるものだが、
そんな本来、精緻な審議比較の必要なトピックについて、
国家神道なる造語で解った気になってる思考停止君が多い。

24 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 10:10:49
当時は国家神道は宗教ではないという建前になってたんだよな。

25 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 10:44:16

教えてください
聖徳太子不存在説と伝太子画は馬子説という疑いのこと

日本史くわしい先生おねがいします


26 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:44:59
>>14
権力構造のバランス感覚に優れていて、有能であった推古天皇が聖徳太子の
後見人でなかったら、聖徳太子の改革は不可能だったと思う。

27 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:52:21
>電波侍◆G5PYesuXOc
つ神仏習合

28 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:57:13
増健は学生横綱だった

29 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 00:02:40
江戸時代の神社ってのは原則的に寺の附属だろ?


30 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:49:30
ともかく、天皇の神道専修回帰は明治維新後。
ただし、大教宣布が行われた明治天皇の時代でも
天皇の仏寺行幸とか頻繁に行われており、まだ仏教とは切れていません。
昭和天皇の話では大正天皇は漢籍に強く、
仏典の一節なども諳んじていたとのことなので、
実際に神道純粋培養の天皇は今の代からとも言えますね。

31 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 03:10:38
>>26 当時の朝廷の構造を考えると推古天皇が後見人として働いていたかも疑わしい。
大豪族の蘇我氏が聖徳太子を引き立て改革を断行したと。
その際に推古天皇は蘇我氏の賛同者で名分的に協力した程度に思われるので

32 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 13:50:39
>>15
>朝廷内部に主犯が居て隠そうとしたように

これは新説だね。
主犯って例えば誰?

33 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 17:24:32
>>32ここの主旨と違うぞ。突っ込む前に自分の書くかせめてsageろよ。
>>15かなり前に話題に出てた奴か?藤原忠平陰謀説とかの。

真田幸村名将説
父や兄の逸話は残っているが、幸村については皆無。
後世の物語でしか語られていないから、

34 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 19:40:06
ミカドが大事にされてきたと言われるが
歴史を勉強するとミカドも公家もほったらかされてボロ小屋で乞食暮らし、庶民の子供が遊び場として上がりこむ
病気でも無視され死んでも野ざらし  大事にされてないじゃんとわかる
現代でも名前を出して寄付行為をするような売名感覚で豪族達も天皇に寄付とかしてたんだろうか

35 :32:2006/04/22(土) 20:04:35
今川義元上洛説

織田信長、武田信玄のように、大義名分たる将軍からの上洛要請がない。
今川家の出陣関係資料にも上洛に関する文言が見当たらない。


36 :32:2006/04/22(土) 20:11:54
今、思い出したけど、足利一族内では、
「足利が倒れた時は、吉良が立て、吉良が倒れた時は、今川が立て。」
と言われていた。当時、将軍家、吉良家も没落していたことも、
今川義元上洛説の根拠になったのかも。

37 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:01:50
足利将軍家に次いで家格が高かったのは斯波氏。
斯波氏は鎌倉時代は本家の代理も務めていたしな

38 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:47:44
蘇我蝦夷とか入鹿とか、なんで見るからに悪そうな名前なんだ?


39 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:56:10
小野妹子=男 説
名前に子がつくことから明らかに女の子

40 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 02:06:33
違うよ
妹の子供って意味だ
近親相姦のタブーを犯したってことだ
萌え〜


41 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 10:25:06
>>37
理由はわからないが、室町時代に足利一門内で、家格順位が逆転
したんじゃないかな。斯波は管領家になる時、「そんな仕事は、家臣
である細川や畠山の仕事だ。」って、愚痴をこぼしたって本で読んだけどな。

42 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:05:13
オマーンという国があるが、あれは実はオマンと発音するのが正しい。
なぜオマーンになったかというとオマン国際空港をニュースなどで報道しなければならない時困るからだ。


43 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:40:16
じゃあ【朕】は「チン」じゃなくて「てぃん」?

44 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 20:08:54
楽市楽座など、信長の政策。
鶴の一声でがらっと世の中変わるほど簡単じゃない。

45 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 21:47:14
>>38
そうかな?ワロス

46 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 21:54:18
645年までは蘇我氏が大王だったかもしれないらしいね。
改新の方法(騙し討ち)も権威や権力、軍事力全てを持たない者の手段。


47 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:03:25
通説が疑わしいとか言う前に
大化の改新と乙巳の変の違いくらい認識して欲しいものだ。

48 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:06:43
それは教科書を作った人に言ってやれ

49 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:09:28
乙巳の変の主役が中大兄皇子

50 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 13:12:37
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-01.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-02.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-03.htm
男系派の妄言完全論破
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-01.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-02.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-03.htm
男系派の妄言完全論破
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-01.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-02.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-03.htm
男系派の妄言完全論破
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-01.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-02.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-03.htm
男系派の妄言完全論破

51 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:00:27
被差別部落形成の歴史。どう考えても平安時代には既に形成されてる地区が存在する。

52 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:02:33
しかも糾弾闘争系運動をして同和地区と呼ばれるのは本願寺門徒のみだ。

53 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:05:00
明治維新以降の政治経済活動の真実を戦後国民に教育を通して洗脳したと思う。

54 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 14:24:40
豊臣秀吉の存在。
複数の人間が、相まって豊臣秀吉になってしまったのでは
ないか? と今でも疑っている。
学生時代に真剣に調べ初めて早20年・・・
確証が掴めない。

55 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 17:41:16
それよか石田三成の軍師島左近の存在の方が疑わしいわな。
三成って意外にも戦闘能力は優れていたほうだったというけど、
その理由に島左近がいたことに江戸幕府が捏造したんじゃないか。
だから左近の出自も名前もその後も全く不明になっている。

56 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 19:30:25
>>55
左近の出自?
筒井家臣の大和平群谷の島家だろ?違うのか?

57 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 21:21:34
源平時代の戦作法
戦前に名乗りを上げるくらいならともかく、矢戦をしといて一騎打ちで決めるなんてあり得ん
恩賞の報告システム上、武将クラスに戦功を集めるための形式としか思えない

58 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:30:15
>>51
どうしてわかるの?

59 :世界@名無史さん:2006/04/26(水) 12:46:11
>>56
ごめん「経歴」だった
本によっては筒井以外の家臣になり活躍した話が出てきたような気がするんで

60 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 23:09:52
>>50
そんなもの恥ずかしげもなく貼り付けてるから
便所の落書きとかいわれるのですよ (´・ω・`)

61 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 19:40:18
ポチッとなとテレビをつける。
「私が歴史の真実です。私の一族は平安期より国内の出来事をまるでその場に居たかのように見聞し
記憶に焼きつけそれを代々口承してきました。平安時代の真実を皆さんに語りましょう。」
そんな人が現れても信じないのが普通じゃないのか?
712年に1000年前からの口承を形に変えた太安万侶。
神武の傍にいて見聞したのか?いつの時代も権勢の中に身を置いたのか?稗田阿礼とその一族。
この連中の差し出す記述よりも邪馬台国の存在の方を信じる。

62 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 00:11:17
崇徳上皇と平清盛が実は兄弟。

63 :平民バカ:2006/04/30(日) 00:45:01
日本が近代に至るまで中国より遅れていたという説。
俺は菅公の頃ぐらいになるとチャイニーズを見下してすらいたと思う。

64 :平民バカ:2006/04/30(日) 00:48:11
邪馬台国の存在
魏志東夷伝はファンタジー小説。

65 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 01:27:40
王朝交替説

66 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:00:03
聖徳太子の存在

67 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:12:48
日本の存在

68 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:45:52
大和が沖縄へ片道燃料で行ったとかタンクに半分しか燃料が入ってなかった。という与太話。
タンクに半分あれば布哇迄行けるし、経済航行と戦闘航行では燃費が全く違う。



69 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 04:12:56
100%打ち落とされるのがわかっているわけだからどうなんだろうね

70 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:14:00
特攻隊美談
曽祖父が特攻隊員だったけど
出撃後みんなと打ち合わせて不時着して米軍に投降した。
見送り機というのがついて来るんだけど不時着しても見てみぬふり。
特攻隊の生き残りって実は案外多い。出撃したが無念の不時着と言うが大半は自発的投降みたいだ
でも曽祖父がそこで【生】を選んでくれなかったら俺の今は無いわけだから正しい決断。
一億玉砕していたら今の日本が無いのと同じ。

71 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:18:26
お国のため、主君のためにしんでっいったというのは真っ赤な嘘だね
皆誰しも死にたくないものさ

殉死とかも後半はいやいやだったんだろうな

72 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:36:38
現代を生きる日本人はみな

  玉砕しなかった非国民の先祖のおかげで生きている

73 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:49:08
>>71
殉死したのは新しい主君のもとでは居場所が無い側近だけがする。重臣はしないよ。

74 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:56:48
幕末の物価上昇。外国へ日本の産品を輸出して国内品薄で物価上昇したっていうけど、
じゃーその輸出景気は?
実際は出超でそ?
経済混乱で庶民が困窮したことは否定しないんだけど、あれは内外の金銀換算比率
の調整過程で引き起こされたものだろ。

75 :平民バカ:2006/04/30(日) 13:42:47
>>70のジイさんみたいなのが特攻崩れ、残りの人生お釣り、と称して戦友の名を汚して回ったのは有名な話だ。
彼らが特別、卑劣な人間とは思わない。むしろ普通はそうだよ。
けど、それでも、行った人たちがいるんだからな。
裏のない美談などないけど、この国のピンチの時に、少なからず特別な人たちがいたことは事実なんだよ。


76 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 13:45:44
>>73

とりあえずお前は、徳川幕府の初期の将軍たちに誰が殉死してるかよく調べろ

77 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 13:55:52
>>75
貴方の主張している 70さんの曽祖父が戦友の名を汚して回った事実を教えて下さい
70さんの曽祖父が戦友の名誉損壊したと断言されてますので自信があるのでしょうから


78 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:03:27
戦争美談といえば
ラッパ手の木口小平の話

銃弾を受けて即死してもラッパを口から放さずというのは、医学的ありえないと結論が出ていたらしいね
木口小平自身も実はラッパ手でなかったという分析もでている

79 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:05:26
ついでに弁慶の立ち往生も医学的にありえん

80 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:28:09
>>75 
 特攻隊なんて別に「美談」じゃないだろう。
 所詮「生き残り」連中の懐古談。
 正に疑ってかかるべき「通説」だね。
 別に特攻の事実を否定するつもりも
 参加して亡くなった方たちの命を賤しめるつもりないですけど。

81 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:36:42
富士山は死火山

死火山とは向こう五千年噴火していない火山
富士山は250年前に噴火したばかりなので立派な活火山

82 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 15:53:43
>富士山は死火山

それ外国人がネタにした話だろ?
日本人は富士山を神聖視しているから数百年噴火していない山を活火山だと言い張る。とかなんとか・・・
単なる無知の産物。反日厨が食い付きそうなネタ振りはヤメレ

83 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:01:49
>富士山は死火山

その説じたいを聞いた事無い。

84 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:10:02
我々が日本史の通説と思っていることのほとんど歴史小説から引用されている件

85 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:50:26
>83
ソースは忘れたけど確か米の(日本でも名が知られた)新聞か雑誌。
地震だか火山だかの報道のついでに日本人はこの種の事に過敏だと言っていた。
まぁ日本史板とは何の関係も無い話ではあるが・・・

86 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 22:18:51
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-01.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-02.htm
http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/go-go-emperor-03.htm
男系派の妄言完全論破



87 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 22:19:29
>>79 弁慶の立ち往生については医学的に証明されたのだが
大暴れした時に死後硬直を促進させり物質が出るからとかって
古本屋で数年前の歴史物か科学の雑誌で特集あったし、テレビでもやってた

88 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:16:05
ここに書き込む奴らは、少しくらい調べて書けよ

89 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:48:35
お前もスレタイ嫁よ
まだガキンチョのころに疑っていた通説なんだから
個人的見解を素のままにカキコする趣旨だろ

90 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 22:19:13
>>76
側近で取りたてられて大名になったのばかりじゃん

91 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 13:51:38
>>89 根拠あるように言ってるから突っ込まれてるだけだよ。
あからさまに出鱈目な理由を掲示して出すのはまずいでしょ。
それも子供の頃とか限定無いわけだしさ。スレタイ的にもそれはまずいぞ

赤穂浪士での吉良悪人説
業績や他での評判見るととても信じられん。

92 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 00:35:07
>>78-79

只の「死後硬直」でしょ。

93 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 01:25:22
赤穂浪士の討ち入りを昔から怪しいと思っていました。
どう考えても義士などでなく、老人へのリンチにしか思えなかった。

94 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:11:14
木口小兵太の美談については俺も疑っている
そこらへんの生存兵が
死後硬直した死体に転がっていたラッパをつけて美談にしたてたとか
あるいは、そもそも話し自体が美談なのか。
ラッパ手自体がはっきりしていないし、二転三転もするから疑わしいんだよね

95 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:12:14
あるいは、そもそも話し自体が美談なのか。
>話し自体が創作なのか。

96 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:17:13
戦争中にプロパガンダしない国はないだろう。
戦後は勝者も敗者も自分を美化するのは人間的であり当然。

97 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:40:07
五公五民

計算が合わん。

武士は農民の8倍くらい飯を食わないといけない。成人病になる。

98 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:43:43
>>97
米の生産者とそれ以外(武士・商人・僧侶・漁業・林業)
なら五公五民でもあうだろう

99 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 21:24:13
>>91
一応マジレスすると
吉良の業績も結構捏造が多い
特に、この人、江戸に単身赴任している時期が多くて
地元の政治には殆ど関わってないので、地元では良政だったとかそういった話は同情的な作り話とみていいかも

100 :91:2006/05/05(金) 22:07:36
>>99 そういうこともあるのか・・・・
もうちょい範囲広げて調べてみますわ。
レスありがとう!

101 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:29:44
戦場では部外者には理解できない様様な事例が報告されている。
顔面を吹き飛ばされた兵が敵陣に走りこんで、驚愕した敵兵が逃げだす背後に銃撃を加えた後息絶えた兵とか
狙撃兵に急所を打ち抜かれた指揮官が即死せずに、部下に指揮権委譲した後絶命するとか

畳の上で常識を振りかざして否定することは容易だが、世の中には常人に理解できない事が起こりえるということを
我我は明記すべきではないだろうか・・・












と、消防の頃。人命の神秘を手塚のブラックジャックに教えてもらった漏れが来ましたよ。

102 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 01:26:41
>>97
武士は徴収した米を全部食ってるわけでなく金に替えて生活費等にしてるわけだが

103 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 22:55:34
現在のサラリーマンの税率も実質「五公五民」くらいなのでは?

104 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 22:57:58
公が自分自身なので全然意味合いが違うがな

105 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 04:30:34
赤穂浪士はどう見ても、集団でか弱い老人を虐殺した凶悪犯だろ。

106 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 01:46:57
聖徳太子と十七条の憲法

107 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 15:53:08
教育テレビの高校日本史で武士の誕生が荘園などを守るために生まれたわけではなく、近衛府などの武芸に秀でた貴族から武士が生まれていったと言っている。
いつの間に変わった?
アシスタントの女性と漏れは同じ世代みたいだけど。

108 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 16:16:25
>>87
促進させる物質じゃなく、疲労による筋肉硬直と死後硬直は
どちらも筋肉に乳酸が蓄積することで起こる同じ現象。

だから筋肉が酸素不足になれば死ななくても硬直してしまう。
血流が悪くなると肩こりになったりするのはコレ。



109 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:25:39
死後硬直は分るが
それでも起ったまま死ねるの?
バランスは大丈夫なの?

110 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:34:32
死んでからは矢は刺さらなかったのかな?軽くデコピンされてもバランスは崩れるし

111 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:07:48
あれって持仏堂の入り口を塞ぐように立ってたんだろ。
手には薙刀を持ってたんだし、立ってても不思議は無いんじゃないか?

112 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 09:10:57
《これが日本人の先祖の国??1900年頃の朝鮮半島の写真》
http://photo.jijisama.org/OldKorea.html

朝鮮人は遊牧民族。
日本人は農耕民族。
この写真を見る限り、全く違う民族だと思うな。

113 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 17:56:13
>81
活火山・休火山・死火山という用語は過去のもの。
現在の地学では使われなくなってますよ^^

114 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 18:55:45
>>107

>武士の誕生が荘園などを守るために生まれたわけではなく、
>近衛府などの武芸に秀でた貴族から武士が生まれていったと言っている。
>いつの間に変わった?

気になるから、もっと具体的に教えて。
武芸に秀でた貴族がどうやって武士に変わっていったのか?
それは一部の身分の高い武士であって、
ほとんどの武士は(特に下級武士は)武装農民というのが事実だろう。



115 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 01:33:58
>>114
自分も気になります。昔は歴史の教科書では農民が武装した結果、武士が発生
したという在地領主論的なものが通説でしたが、武士の武芸という視点に着目
した職能論が、教育テレビの高校日本史で放送したのだと思います。確かに
鋤や鍬を持っていた農民が、いきなり弓射や打物も優れていたと考えるのは
早計とも思えます(何となく弱そうですし・・・笑)承平/天慶の乱の頃の
武士(兵、ツワモノと言った方が適切か)の主従的関係は、極めて打算的かつ
流動的で、そう言った従類・伴類のような手下の兵等は、その頃に跋扈していた
群党を坂東に下向した軍事貴族達が従えて組織していったものと思われます。
つまり、在地領主論と職能論はどちらも否定できるものでは無く、融合的に
捉えて考察するものだと思います。

116 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 01:34:58
>>114
自分も気になります。昔は歴史の教科書では農民が武装した結果、武士が発生
したという在地領主論的なものが通説でしたが、武士の武芸という視点に着目
した職能論が、教育テレビの高校日本史で放送したのだと思います。確かに
鋤や鍬を持っていた農民が、いきなり弓射や打物も優れていたと考えるのは
早計とも思えます(何となく弱そうですし・・・笑)承平/天慶の乱の頃の
武士(兵、ツワモノと言った方が適切か)の主従的関係は、極めて打算的かつ
流動的で、そう言った従類・伴類のような手下の兵等は、その頃に跋扈していた
群党を坂東に下向した軍事貴族達が従えて組織していったものと思われます。
つまり、在地領主論と職能論はどちらも否定できるものでは無く、融合的に
捉えて考察するものだと思います。

117 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 12:51:15
職能論では、武士とは鎌倉御家人クラスの者を指します。それ以下の郎党クラスは含みません。

118 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 13:20:54
>>116
ほとんど同じ意見です。
武家という『身分』の発祥は貴族(もしくは貴族に連なる高貴な血筋)、ということでしょう。
その高貴な血筋が源氏であり、平家であり。
各地の荘園領主や土豪などは、武家に土地を寄進し保護を求め、自らも武装していったと(当然武芸も磨く)。
だから、武家の発祥は貴族であり、武士の母体は農民ということになるのだと思います。

そのうえ、南北朝以降になると出自不明の武士はワンサカ出てくるので、
ますます武士と農民の境目は怪しくなるわけですが・・。

119 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 14:07:28
万世一系

120 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:07:16
>>118

そうですね。
桓武天皇以降は日本は段階的に軍隊を廃止していき、平安時代の日本には軍隊はなかった。
京都に検非違使(警察機能)が置かれているだけで、地方には警察すらなかった。
日本各地に軍隊も警察もない状態では、盗賊などに襲われても頼るものがない。
従って、自分達で武装するしかなかった。

平将門の乱や藤原純友の乱が起きた時も、朝廷は軍隊を派遣していません。
この乱を鎮めたのは、朝廷に命じられた地方の有力者です。
地方の有力者が農民を組織して乱を静めました。
この時代に専業兵士は存在していません。
ましてこの時代に専業兵士を雇えるほどの経済力が日本にはありませんでした。
普段は農業をしていて生産力となり、いざ有事となると武装して戦場に行っていました。
普段は農業をしないと、日本の経済が成り立たないという実情もあったのです。
江戸時代でさえ、人口の10%が武士だったので、農民は貧乏な生活をしていました。

日本史の鉄則として、時代がさかのぼる程、職業としての農民と武士の区別はなくなっていきます。
制度としての専業武士が成立したのは、秀吉の刀狩り以降だといえるでしょう。


121 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:08:26
>>116
>鋤や鍬を持っていた農民が、いきなり弓射や打物も優れていたと考えるのは早計とも思えます

戦国時代でも半農半兵で、普段は農業をしていた農民が、合戦になると武器を持って戦に出ていた。
専業兵士を雇ったのは織田信長であり、重商主義により経済力があったから可能だったのでしょう。
武田信玄は重農主義で、兵農分離はできず、普段は農業をしていた農民を合戦に出すしかなかった。
従って、戦国時代でも鋤や鍬を持っていた農民が、いきなり弓射や打物を持って戦場に出て行ったのが事実のようですね。

>何となく弱そうですし
あなたは弱そうと言っていますが、実際は織田軍の専業兵士よりも、武田の半農半兵の方が強かったらしいですよ。



122 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:22:34

鎌倉幕府に活躍した北条氏。
先祖は近畿地方から流れてきた素性のしれない者。
桓武平氏高望流の平直方を祖とすると称するが、ウソだろう。
その流れ者が伊豆地方の農民を組織して、沼地や森林を開拓していった。
土地を開発し、経済力も蓄え、だんだんと大きくなっていった。
そこに転がってきたのが、源氏の貴種「源頼朝」。
北条時政はこの「源頼朝」という駒をどう利用するか考えた。
この「頼朝」という駒を使って関東を支配できるのかと考えた。
時政が頼朝に協力したのは、優れた先見性があったからであると言われている。



123 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:15:38
>>120
>>121
単純に分けすぎというか「言葉」に引きずられているんじゃないかな。

「平安時代に軍隊はない」というのは厳密には嘘。
国家が維持する「軍団」が、各地で志願制の「健児」に変わり、
さらに末期には地方領主に委ねられた。
言ってみれば軍隊の「官から民へ」の移動が起こったにすぎない。

実際、古代ヤマト政権の時代から国造家が軍事、警察を担当していて
律令制に移行した後も、国造家の子弟が舎人となって担当した。
地方でも健児制が導入されると郡司(国造家の流れを汲む地方豪族)が
子弟を健児にしていった。

そういう意味で、「武士」の本体は変わってないとも言える。

124 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 17:32:45
続き
>>121
当時から「傭兵」というのは多数居て、戦争前に雇っていた。
信長は、それを「主力」とした点が新しいだけの話。

織田家の基盤である津島が商業都市なので、主力部隊である
「津島衆」が元々傭兵集団だったとも言われている。

ただ、「傭兵」と言ってもプロもいればフリーターもいるわけだし、
プロは既にどこかの国に雇われている可能性が高いんだから
どうしてもニート、フリーター率が高くなる。
そういう連中が強いわけが無いし、実際、すぐに逃亡してしまって戦線が崩壊してる。

唯一のメリットが「好きな時に戦えて、農業生産に悪影響が無い」ということ。

125 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:56:55
>>119
ほぼ万世1系、または万世1系と法螺ふけるくらいの約1系くらいでも凄い、
でいいじゃないか。他の国には無いんだし。
ヨーロッパとか見てみろよひでーもんだ。

126 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:34:33
>>123

>国家が維持する「軍団」が、各地で志願制の「健児」に変わり

「健児について」

健児の人数は国の代償により異なり“20〜300人”であって、年間に60日間、交替で国府の警備にあたった。
健児の人数は国は“20〜300人”。
“20〜300人”で国を守るのは不可能。
健児が“20〜300人”で何をしていたかと言うと、主に国境などの守備。
つまり、警備員みたいなもの。
第一、“20〜300人”で戦争ができるわけがない。
たまに健児が軍隊だと言う人がいるが、それは勉強不足。





127 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:38:14
>>123


>軍隊の「官から民へ」の移動が起こった
「官から民へ」移動した軍隊が果たして軍隊と言えるのか?
それは私兵だろう。
平安時代の朝廷が軍隊を持っていたなかったので、北面の武士や西面の武士などの私兵を組織した天皇もいた。
その私兵に利用されたのが、源氏や平氏だ。

例えば、「官から民へ」移動した軍隊があったと過程する。
「官」の正親町天皇が軍隊を廃止して、「民」の織田信長は軍隊を作ったとする。
果たして、これは日本国軍か?
答えは“NO”ですね。
織田信長の私兵です。

「官」の正親町天皇が軍隊を廃止して、「民」の織田信長は軍隊を作ったとする。
この軍隊は正親町天皇の指揮の元で動くか?
答えは“NO”ですね。
信長の私兵ですので、信長の指揮で動きます。

平将門の乱や藤原純友の乱が起きた時も、朝廷は軍隊を派遣していません。
乱を鎮めたのは健児でもありません。
平国香などの私兵です。

従って、「官から民へ」移動した軍隊は私兵であり、“20〜300人”の健児は警備員だとということです。


128 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:50:31
>>124

>当時から「傭兵」というのは多数居て、戦争前に雇っていた
>信長は、それを「主力」とした点が新しいだけの話

「傭兵」を多数雇う経済力があり、 それを「主力」としたため長期遠征ができるよになった。
例えば、武田軍VS上杉軍で有名な川中島の戦いは秋〜冬に行われている。
どうして、秋〜冬に行ったこというと、半農半兵だったので稲の刈り入れが終わった秋〜冬にしか戦争ができなかった。
上杉謙信が北条の小田原城を包囲したのにもかかわらず撤退したのも、農業を始めなければいけないからだ。

「傭兵」を多数雇う経済力がある織田軍は一年中戦争ができる。
また、武田や上杉が織田のマネをして、「傭兵」を多数雇おうと思っても、それは不可能。
その理由は、重農主義の武田・上杉には、そこまでの経済力がない。

あなたは信長は傭兵を「主力」とした点が新しいだけの話というが、
それすらできなかった武田信玄・上杉謙信は志半ばに倒れた。


129 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 02:30:45
>>126-128
何か熱くなってるのはわかるんだが、浅い知識を自慢げに語られても困る。
まずあなたの言う「戦争」ってのは「乱」なのか「役」なのか「寇」なのかはっきりさせてくれ。
(そもそも武士の起こりの話で「国軍」なんて言ってる時点で曖昧なのがバレバレだが)

それとあなたの言う「警備員」ってのは日本の警備員のことを言ってるのか?
それともイラクで死んだ斎藤昭彦さんがやてったような「警備員」なのか?

それとあなたの知識の中には「民間委託」という言葉はないのか?
あなたにとって「駐車監視員」は私的な取り締まり員なのか?

ついでに言えば「武士」には「私兵」は含まれないんだって知ってるのか?


130 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 02:55:33
>>128
そんな「学研の日本の歴史〜戦国時代」に載ってそうな話をされても…
だから何?としか言いようがない。

信長は長期遠征を行うために兵農分離(これも後世に作った概念だが)を
行ったわけじゃないし、兵農分離を進めた「から」強かったわけでもない。
自分のところの戦力の利点欠点を把握した上で、欠点を補いつつ利点を
最大限に生かしたから(多少の運もあるけれども)天下取りができた。

それと武田、上杉が「重農主義」?
用語も古臭いが知識も何十年か前のまま止まってるようだね。

131 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 10:40:22
確かに>>128は浅いが>>129、130が上から見下したような言い方するのはキモい
だからキモオタって言われるんだよ・・・

132 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 20:51:20
>>123
>>129

>国家が維持する「軍団」が、各地で志願制の「健児」に変わり、

「健児について」
健児の人数は国の代償により異なり“20〜300人”であって、年間に60日間、交替で国府の警備にあたった。

では質問するが、「平将門の乱」を静めたのは誰だ?
あなたの言う、健児が「平将門の乱」を鎮めたのか?
「乱」を鎮めることのできない、“20〜300人”の健児が軍隊なのか?
あなたの言う軍隊を定義してほしいね。
その定義に、“20〜300人”の健児が入るならば、健児は軍隊なんじゃないかな。

俺は、“20〜300人”の健児は軍隊とは思えない。
あなたは、“20〜300人”の健児は軍隊だと思っていればよいと思うよ。


133 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 20:56:38
>>130

>信長は兵農分離を進めた「から」強かったわけでもない
信長が天下を取れた要因の一つに「兵農分離」はなかったのか?
織田軍が兵農分離をしていなかったならば、信長は天下を取れていたか?
俺は不可能だと思うが、あなたの意見は?

>自分のところの戦力の利点欠点を把握した上で、欠点を補いつつ利点を最大限に生かしたから天下取りができた。
その欠点と利点って何?
具体的に説明して。


134 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:10:04
「西郷隆盛イモ喰って死んだ」説。ロシア云々よりは現実的だけど・・・

135 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:21:38
昔の日本人はナンバ歩きしていた説
近代になって西洋式軍隊行進するようになってから今のように歩けるようになったって説だが
軍隊式行進なんて習っていない赤ちゃんでもハイハイする時に右左交互にしているから絶対に嘘だろ

136 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:24:06
>>135

知ってる!!
江戸時代の日本人はナンバ歩きで、走る時は両手を挙げていたんだろ!!

137 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:28:03
>>136
歩くときに右腕と右足が前に出て、次に左腕と左足を前に出すという歩き方らしいけどね
そんな器用な事できるかよw?
走る時は聞いてなかった

138 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:44:59
>>137

日本人の陸上ハードル選手がナンバ走りを取り入れて、世界新記録を出したらしいね。

意外と効率的な歩き方らしい。

ナンバ歩きだからこそ、東海道中膝栗毛を歩けたとかいう説を聞いたことがるよ。

現代人が東京から京都まで歩くのは厳しい。



139 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:06:04
ここは馬鹿ばっかりやん

140 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:14:13
>>138
競技を間違えてると思うんだが・・・・・・・・・・。

141 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:24:22
>>140

陸上の末次がナンバ歩きを取り入れているのは、NHKのトップランナーでやっていた。
たぶん、陸上のハードルであっているだろう。

142 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:30:23
>>107
あの番組は説明不足。

>>118
武士の語源が中央で生まれたという事であって、
『兵』は地方から成長して来る。
まずは地方において、貴種の種付けからw
母親の地盤を基に成長した子供からが、武に堪能な戦士=『兵』ともいえる。

開発領主=農民という事ではない。

>>120
むちゃくちゃ。


健児は地方郡司子弟の騎兵とされる。

143 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:41:05
>>142

>健児は地方郡司子弟の騎兵とされる

日本史に騎兵は存在しない。
武田騎馬隊も江戸時代に作られた逸話。
勉強不足だな。


144 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:41:30
天草は豊臣秀吉の孫嘘ですか?

145 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:42:36
>>143
おいおいw

146 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:46:22
>>145

なんだ?
武田騎馬隊を信じているのか?
日本に騎兵は存在したと思うか?

147 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:54:48
>>146
自コピペでよろしいか。


小野春風様
ご注文の羊革甲(よろい)

騎兵用としてお使いください。
Madein陸奥

148 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:58:36
>>147

はァ???
自コピペ???
小野春風???

オマエ、バカか?
何か勘違いしてるだろ。
もういいよ。
オマエは帰ってヨシ!!!
さっさと逝け〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

149 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:01:15
ホロン部に釣られたかorz

150 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:05:02
>>147
>>149

自コピペとか言っているけど、本当に知らないよ。
147は何のこと?

151 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:06:07
オレもついこないだ授業で、
『実は武田騎馬隊なんていなかったんだけどねw』って教授がいっててビックラした
なんか日本史くわしくなると色々積み上げてきたものが壊れてく感じするよなw

152 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:20:18
とみせかけて、武田騎馬隊は復活します。

騎馬隊は存在しない、日本刀は使われていないという説の発信者とその根拠を自分て見てみるといい。

意外にいい加減な根拠だったりする。

153 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:25:25
>>143
なかなかユニークな考えですね。「昔から疑ってかかっていた日本史の通説」なら
そういう考えも良いのでは?十人十色、とも言いますし・・・。

>>147
「羊革甲」が、どのような鎧であったか知りたいですね。絵図などが残っていれば
良かったと思います(後の大鎧の原形的な物か?)小野氏の系譜も好古や「三蹟」
の小野道風など、武人や文人など様々な人々が出ましたが、結局は武門の家系には
ならなかったですね。坂上氏も世襲的な武門の系譜には至らなかったですね。

154 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:12:44
農民→武士


155 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:20:04
>>135
着物(和服)だとナンバ歩きのほうが歩きやすいからじゃなかったっけ?

156 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 08:38:21
>>134
>「西郷隆盛イモ喰って死んだ」説
(・∀・)イイ!!

157 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 10:51:22
>>143
武田騎馬軍団というのは存在していないというのは聞いたことがあるが
騎兵は存在しているだろw
つまり、騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団
騎兵=騎馬武者
騎馬武者が日本の歴史上存在しなかったか?
よく考えて書き込めよ、知ったかぶりは恥ずかしいぞw


158 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:09:32
>>157
じゃぁオイラんとこの教授はウソ言ってたのかいな?


159 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:14:02
>>158
教授に疑問ぶつけてみろ。


教授「おまいって椰子はwww単純杉www」
2ちゃんねらーの教授に言われる事疑いなし。

160 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 12:40:28
たんに聞き間違いだろ、そんなん指摘したら単位貰えんくなるぞw

161 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:33:43
>>158

その教授は正しいよ。
武田騎馬軍団なんてものは江戸時代の創作。

騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団は日本史上は存在しなかった。
そして、森林・山地が多い日本に地形は騎兵だけで組織された大規模な軍団を動すのに向いていなかった。

「武田騎馬軍団は存在しなかった」はすでに常識だ。
まだ信じているやつがいるとはな。


162 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:35:47
最近、武田騎馬隊は存在しないというのは常識です。
武田騎馬隊どころか、日本史上に純粋な騎馬隊は存在しなかったと言われています。

調べてみたところ

1、武田軍は騎馬隊の内訳は山県昌景300騎、馬場信春500騎など、主だった武将の騎兵数を合わせても約4000騎、
出来うる限り多く見積もっても約6000騎であり、武田軍1万3千人のうち半分ないし2/3は歩兵であると思われる。
従って、中国において元を建国したモンゴル軍のように、騎兵のみで部隊を構成したという事実はない。
また、武田軍には騎兵の最大の特徴である「機動力」を生かした作戦が見受けられない。
つまり、武田騎馬隊は実質的には騎兵・歩兵混成部隊であると言える。

2、イエズズ会のルイス=フロイスがヨーロッパに書いた『日本覚書』によると、
「われらにおいては、馬(上)で戦う。日本人は戦わねばならぬときには馬から下りる。
われらの馬は非常に美しい。日本のはそれよりずっと劣っている。」 とあります。

3、『甲陽軍鑑』によると
「武田家の大将や役人は、一備え(千名ほど)の中に、7人か8人が馬に乗り、 残りはみな、馬を後に曳かせ、槍をとって攻撃した。(巻6品14)」 とあります。


163 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:38:57
>>162

実は、戦国時代を扱った、江戸時代前期までくらいに書かれたエンターテインメントとしての戦記物、
例えば、武田家のことを書いた「甲陽軍艦」には「武田軍は騎馬軍団であった」なんてことは書いてありません。

武田軍が、19世紀の西洋の騎兵のような騎馬軍団であったとか、戦国時代の合戦が
* 両軍の接触、鉄砲と弓による戦闘
* 長い槍を持った足軽同士による戦闘
* 刀や槍を持った騎馬隊による戦闘
と推移する、といったことは、明治時代以降に言われるようになったことのようです。

その出典は、明治時代以降に陸軍の参謀本部が戦史を各種編纂した際に、上記のようなことが「歴史常識」として定着したようです。

例えば、戦国時代から大阪の陣までの合戦を描いた屏風がたくさん残っています。いずれも、「指揮官が馬に乗り、他の者は徒歩で戦う」様子が描かれています。

多数の騎馬武者が密集して敵に突撃する、なんていう合戦屏風は見たことがないですし、軍記ものの記述でも見たことがありません。

164 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:42:14
>>158

いつの時代でも馬を常備するのはかなり大変な負担です。
それにモンゴルや近代騎兵部隊のイメージから想像しがちですが、そのような「騎馬隊は戦国時代存在しなかった」と見るのが妥当だとおもいます。
馬は高価で相当な身分でないと常備できないし、部隊編成上その数も限られていました。

武田家では乗馬歩兵として機動力を利用するシステムは存在していたのではないかと思います。
上杉氏との戦いで敵の侵攻を狼煙により伝達し動員令を待たずに直ちに北に向かい集結するシステムなどは
当時の軍編成に時間がかかった事を思えば画期的だったと思います。


165 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:44:22
>>162

モンゴル兵の場合は、各人数頭の乗り換え馬を従え、馬糧の豊富な草原を移動するし、生まれたときから乗馬に鍛錬していたのと、
馬上戦が得意でしたから高速で移動し攻撃できましたが都市や城塞を攻撃する場合は歩兵として戦いました。
また征服した土地の住民を歩兵として使用したのです。

騎兵の主任務は敵の側背を急襲、包囲するか敵陣を乱すものでそれにより勝利を誘引する事で、主戦力は歩兵にあります。
日本の戦国時代このような用兵は見あたりません。


>>164
日本馬は体格も貧弱で積載重量も少ないので機動戦には不向きでした。
騎兵突撃の衝撃力を期待出来ず、馬の防具も考えていませんでしたから、敵が長槍で防御陣を作れば乗馬突撃は自殺行為でした。
有名な伊達の騎馬鉄砲隊も敵前で停止、銃撃すると後退するもので突撃はしなかったのです。


166 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:46:51
日本史上に騎馬隊は存在しなかったとは戦史を研究する立場の人にすれば常識だったのですが
騎馬隊という言葉のイメージが先行した結果、騎乗兵だけの部隊という誤解が生じたわけです。

中世の軍隊はどこの国でもたいていそうですが、領地と領民の支配体制と軍事編成は密接な関連があります。
だから騎馬兵が上級武士なわけですから
下級の農民足軽が徒歩になるのは当然です。
それを変えるには常備軍化が必要で近代的な軍隊でないと、騎兵は登場しないわけです。


167 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:48:19
武田軍がどうだったのかとは少々ずれますが。

素朴な疑問なのですが、騎兵ばかりの軍団て強いのですかね?
歩兵にとって騎兵の突撃は脅威ですが、同時に騎兵には馬が弱点となることもあります。
突撃の速度が鈍ったときには歩兵に取り囲まれる諸刃の剣でしょう。
むしろ騎兵(騎馬武者)の周囲に歩兵(徒歩)が取り巻いて1セット、
それが大きな集団を形成するほうが、騎馬の弱点を補い合理的なのではないかなと。

というわけで、近代以来現代でも固定観念化している、『騎兵集団が強い』という通説に疑問を提示します。


168 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:49:10
>>158

武田の騎馬隊というイメージで創造されるのはモンゴル兵や近代の騎兵ですが、
これに相当するようなものは武田家に限らず戦国時代には存在しませんでした。
騎馬隊であれば、兵士まで含めた一隊全部が馬に乗っているべきですが、
武田軍の中で馬に乗っているのはせいぜい1/10〜1/5の幹部クラスだけで、あとはみな徒歩でした。
これでは到底騎馬隊といいうるものではありません。
また、馬に乗っているものたちも戦闘時には馬から下りて戦いました
だいたい、載っているのが日本馬ですから、馬体も小さく体力もないので長くは駆けられませんでした。
これもモンゴル兵や近代の騎兵と違います。
こういうことから言いますと、武田軍に騎馬隊は存在しなかったし、
騎馬隊としての戦闘もなかったというのが最近の有力説になっています。

169 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:54:05
>>157

結論からいってしまえば、はじめからみんな騎馬に乗って突っ込む「騎馬軍団」は存在しない。
だから「武田騎馬軍団」などはなかった。
「武田騎馬軍団」を例に説明しよう。

まず、これが第一の理由として、馬という生物面から見てみる。
日本の馬は、時代劇に使われるサラブレッドではなく「木曽馬」などで馬格は貧弱、背丈は1m20cm〜1m40cmほどである。
おまけにわずかな障害物も飛び越えられず、火炎と轟音にすぐ驚く。
これでは障害物が多い戦場では役に立たない。


170 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:55:30
>>165
>騎兵の主任務は敵の側背を急襲、包囲するか敵陣を乱すものでそれにより勝利を誘引する事で、主戦力は歩兵にあります。
>日本の戦国時代このような用兵は見あたりません。
蒙古も草原の場合はそうなのですが、蒙古から見た場合の辺境、つまりベトナム、インド、日本あたりまでくると
騎兵の機動力が活用できなくなり、苦戦していますね。
蒙古の騎兵による機動力の活用は草原という環境と密接なのかと思います。

>日本馬は体格も貧弱で積載重量も少ないので機動戦には不向きでした。

蒙古馬と日本馬は馬格はほとんど同じなのですよね。
蒙古馬はサラブレッドを見慣れた現代日本人からすると小さいです。
馬の大小はあまり関係ないのではないかと。



171 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:56:02
>>157

あと三つ、決定的な騎馬隊否定の理由がある。
一つ目は軍役帳からいえることである。
これは『長雲寺文書』にあるのだが、それによると、軍役の総人数において310人中、乗馬の者は23人と10%以内である、といっている。

次は、『甲陽軍鑑』の以下の記事である。
武田家の大将や役人は、一備え(千名ほど)の中に、7人か8人が馬に乗り、 残りはみな、馬を後に曳かせ、槍をとって攻撃した。(巻6品14) とある。

最後はイエズズ会の先駆者ルイス=フロイスという宣教師が残した書物による。
フロイスは日本で布教し、織田信長の下で保護された宣教師である。
彼が日本の様子を知らせるために、ヨーロッパに書いた『日本覚書』によると、

 われらにおいては、馬(上)で戦う。日本人は戦わねばならぬときには馬から下りる。(第7章、37)
 われらの馬は非常に美しい。日本のはそれよりずっと劣っている。(第8章、1)

とある。

この事から、馬に乗ったままみんなでワーー!と攻め込まず、日本人は騎乗し たまま戦わない習慣があった事は、明らかである。



172 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:59:10
>>日本の馬は、時代劇に使われるサラブレッドではなく「木曽馬」などで馬格は貧弱、背丈は1m20cm〜1m40cmほどである。
>おまけにわずかな障害物も飛び越えられず、火炎と轟音にすぐ驚く。
>これでは障害物が多い戦場では役に立たない。

サラブレッドは近代になってから品種改良で生まれたいわば『スポーツカー』なので、
むしろ悪路には向かないかと。
上でも述べましたが、日本馬と蒙古馬は基本的に同じ系統の馬で、大きさもほぼ同じです。
轟音で驚く云々については、そもそも訓練しない馬はそんなものですよ。


173 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 17:59:13
>>157

それから『甲陽軍鑑』の記事によれば、騎乗するかどうかはその者の地位や身分によって決まっていたことが確認される。
だから、ちまたにいわれているような「騎馬隊」は存在しなかった。
ただここで、騎馬武者がいて、それが各隊の根幹をなしていれば、「騎馬隊」だと思うかもしれない。
だがそれは当時の編成(身分のある者だけが馬に乗り、のこりは徒歩)からして、徳川軍で織田軍でも北条軍でも同じである。
だから、そういう仮定をすると、「織田騎馬隊」、「徳川騎馬軍団」も存在することになる。

また、長篠の合戦では、連合軍が堀、柵、土塁の三点セットの陣をつくっていたから、普通に考えてもそこへみんなで騎乗して突撃、なんてことは考えられない。
また、『甲陽軍鑑』には長篠での騎馬軍団突撃説は織田方が宣伝したもので、現地の地形からしてもそれはなかったと主張している。
おまけに合戦当日は、雨で田がぬかるんでいてとても馬が走れるような状況でなかった。

騎馬隊の存在を主張する論拠としてよく登場するのが、『龍城文書』というものがあって、「敵は馬一筋に攻撃しくるぞ」と書いてある。
だが、これは書式・内容からいって後世つくられた偽文書の可能性が高く、騎馬隊の存在を立証する史料とはならない。
またこれは偽文書ではないとしても、当時の慣行から追撃戦での騎馬突撃を意識したものだと思われる。


174 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:00:58
>>157

では、日本では馬は何に使われてのだろうか。

それは「追撃戦」である。
歩兵中心の部隊(と数人の騎馬武者)が両軍入り交じって戦う。
そろそろ山が見えたというときに騎馬兵で突撃をかける(実際は歩兵も混じっていたらしい)。というのが実態だったらしい。
『三州長篠合戦記』*5によれば武田勢は馬上の達者、戦いなかばに馬を入れ、敵陣を馳せて破ると聞いているので・・・・ とある。
上の「馬を入れ」というのは馬を突撃させることである。
「戦いなかば」というのは戦いの途中で、の意である。
以上より、馬は敵を追撃するときにつかわれたと考えられる。

ちなみに我が国で近代的な「騎兵隊」がはじめて編成されたのが1862年頃である。



175 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:02:21
騎馬隊神話の定着

ではなぜ「武田騎馬隊」意識が定着してしまったのであろう。
これも『甫庵信長記』にそれをほのめかすような事が書いてあり、それを参謀本部が書いた『日本戦史・長篠役』が装飾したことによる。(「其ノ兵ハ騎戦ヲ好ム」)
これは騎兵が銃手が待ちかまえる敵軍に突撃してはいけない、という題材にしたのかもしれないが、それよりも一方的な思いこみであると思う。
武田の領地である木曽は木曽馬の産地である。
であるからして多分騎兵が多いのであろう、という勝手な思いこみから来ていると考えられる。
それをまた、軍部の意向には逆らえず、大衆小説などに入れられ一般化した。
戦前の歴史学者の権威であった田中義成氏は騎馬隊について存在を認める立場をとっていない。
戦後になってもその傾向は変わらずに、小説やコーエー系ゲームにとりいれられ、「騎馬隊意識」は今でも国民に定着している。



176 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:03:47
日本で騎兵集団がなかった理由の一つに、日本はもともと急峻な地形で平原がすくないうえに、
戦場となるのは多くは山城などの攻防であり、騎兵集団の武器である突入速度を発揮することが難しいのではなかったかと
思います。
であるならば、騎馬武者の周囲を徒歩武者で固め、進軍するほうが合理的ではないかと推測します。



177 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:10:47
>>170

骨格から推定すると、蒙古馬の方が日本馬よりも約10cm大きいらしいですね。
だから、馬体はほとんど同じすね。
私も馬の大小はあまり関係ないと思います。


>>172
一般的な「武田騎馬隊」イメージ的は、黒沢明監督の『影武者』のラストシーンのように、サラブレッドに乗った武士が広い平原馬に乗ったままみんなでワーー!と攻め込んでいるのでしょうね。
軍馬は轟音を耳元で鳴らす訓練をするらしいですね。


178 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:14:19
>>161
よく読め
騎馬軍団は無いという説はあるが騎兵はいるだろって突っ込みだよ
アホ

179 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:15:54
否定する日本史の通説

長篠の戦いとは大まかに言って織田軍と徳川軍の連合軍の鉄砲隊が3000挺の鉄砲で三段打ちを行い、勇猛で知られる甲斐(山梨県)の武田軍の騎馬隊を壊滅させた戦いといわれている。

しかし、「鉄砲で三段打ち」も「武田騎馬隊」も存在しなかったというのは通説らしいですが、どうでしょうか?

180 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:19:09
>>179

長篠の戦いでの武田軍の敗因は

1、勝頼は父親の信玄からも軽率だと評されるように、一勇の将ではあったが、全軍を指揮すると共に大局を見渡す事が必要な大将の器量はなかった。
2、信玄が謀反の疑いありとして長男の義信を殺してしまったのが敗北のそもそもの原因かもしれない。

181 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:22:53
>>177

武田の騎馬隊は存在しないよ。

黒沢明監督は『影武者』のラストシーンと撮るために、長篠に行ったが山地だったのでビックリしたらしい。
日本で『影武者』のラストシーンを撮影する場所を探したが、日本にそんな場所はなかった。
だから、モンゴルまで行って撮影したらしいね。


182 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:30:15
>>181

私は武田騎馬隊はなかった。という説を支持しているのですが。

ただ、蒙古馬と日本馬を比較すると、蒙古馬の方が日本馬よりも約10cm大きいらしいです。
従って、武田騎馬隊の一般的なイメージとしては黒沢明監督の『影武者』のラストシーンのようなサラブレッドを想像しますが
馬の大小は関係ないということを主張したかったのです。



183 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:49:25
おいおい必死になって長文ごくろうさん。
オレは日本には騎兵は存在しないっていう事に
騎兵=騎馬武者は存在したと言っただけだぞ
その際に武田騎馬軍団という騎馬武者だけの大規模な軍団は存在しなかったという説はあると紹介してあるぞ
何を勘違いしたのか知らんが、偉いきばって騎馬軍団否定レスを書き込んでいるのだ?
オレのレスがお前の脳の変なスイッチ入れてしまったのか?w

184 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:51:28
誰がどの文か分かりません。。


185 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:55:50
なんか変なスイッチ入った人がいるのは確かだけど

186 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:58:23
関連書も結構出てるよ。
しかも田舎の図書館にもあるから。お勉強しよーな!

187 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:59:29
157 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 10:51:22
>>143
武田騎馬軍団というのは存在していないというのは聞いたことがあるが
騎兵は存在しているだろw
つまり、騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団
騎兵=騎馬武者
騎馬武者が日本の歴史上存在しなかったか?
よく考えて書き込めよ、知ったかぶりは恥ずかしいぞw



158 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 11:09:32
>>157
じゃぁオイラんとこの教授はウソ言ってたのかいな?





188 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:00:02


159 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 11:14:02
>>158
教授に疑問ぶつけてみろ。


教授「おまいって椰子はwww単純杉www」
2ちゃんねらーの教授に言われる事疑いなし。


160 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 12:40:28
たんに聞き間違いだろ、そんなん指摘したら単位貰えんくなるぞw


161 :日本@名無史さん :2006/06/03(土) 17:33:43
>>158

その教授は正しいよ。
武田騎馬軍団なんてものは江戸時代の創作。

騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団は日本史上は存在しなかった。
そして、森林・山地が多い日本に地形は騎兵だけで組織された大規模な軍団を動すのに向いていなかった。

「武田騎馬軍団は存在しなかった」はすでに常識だ。
まだ信じているやつがいるとはな。


189 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:02:13
次々と通説を打ち砕く 鈴木デムパ真哉・藤本正行 について
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/l50

190 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:02:47
>>187-188
この流れから騎馬軍団を信じている奴いるのかな?
    ↓
騎馬軍団否定スレの長文だぞ

痛過ぎるだろw

191 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:12:55
スイッチ入れちゃったらみたいだろ?
納得したか?>>184-185

192 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:17:35
>>179

まず鉄砲三千なのだが、これは現在では一千丁程度だったのではないかというのが定説になっている。
鉄砲の数を三千と記しているのは小瀬補安が江戸時代に書いた『信長記』だけである。
信頼に足る資料には鉄砲衆一千がかき集められたと書かれているのである。
つまり鉄砲衆は諸国の大名からかき集められた混成部隊であり、交代で射撃するなどという戦法の訓練を受けられたはずがないのである。

そして長篠の戦いが実は八時間に及ぶ激闘だった事も重要なポイントである。
例えば、八時間の戦いの内の半分の四時間射撃をしていたとして弾丸の数と火薬の量はいったいどれほどになるのだろう。
1分で一発発射したとして四時間で240発。
火薬の量も半端ではないだろう。
それだけの弾丸を鉄砲足軽ひとりひとりが持っていたとは考えづらいのではないだろうか。
しかも銃身そのものも、当時の鉄砲の銃身がそれだけの長時間射撃に耐えられたとは思えない。
そう考えると鉄砲はピンポイントで使用されただけであって、戦いそのものはオーソドックスな白兵戦が行われていたのではないだろうか。
つまり戦いの経緯は『長篠合戦図屏風』で描かれている通り、槍兵が馬防柵の前で武田軍と一定の戦いを行い柵の近くに誘い込んだ後鉄砲隊が射撃を行い武田軍が退却、
というのが延々と八時間繰り返されたのではないだろうか。


193 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:21:25
3段撃ちってNHKの「そのとき歴史が動いた」で実際
シミュレートしてやってみてたけど、とってもしんどいらしいね。
しかも長篠では雨だったので視界も悪るいし、雨でぬかるみはできるしで、
とても鉄砲撃つには不向きだったとか。

194 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:21:34
そういえば一斉射撃は意味が無いというのも聞いたことがある
一斉射撃にすると準備の一番遅い射撃手に合わせる必要があるので非合理的だというのだ

195 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:23:41
でも映画だと弓矢でも鉄砲でも篭城している守備側は一斉射撃しているな
なんでだろうか?

196 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:27:19
>>195
一番最初に撃つ射撃は必然的に一斉になるでしょ

197 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:27:53
長篠の戦いで勝敗を決したのは、戦術面では鉄砲より野戦築城が大きいと思います。
織田・徳川軍が野戦築城したため、防御力が上がったのです。

ちなみに、このことを学習したのは、豊臣秀吉と徳川家康です。
後の小牧・長久手の戦いでは、双方とも野戦築城したため、正面決戦ができなくなりました。
(しびれを切らした秀吉が陣地を出て迂回攻撃に出ますが、それを見破った徳川家康に、あっけなく撃破されています)

あと作戦面では、鳶ノ巣砦の攻略が大きかったと思われます。

198 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:33:26
>>197

長篠の戦い(本来の場所は設楽原らしい)の騎馬隊や鉄砲の三段撃ちは良質の資料には記載がなく、後世の講談まがいの軍記にあるだけです。
この時代、騎馬専門の部隊などどの戦国大名にも存在せず、武士が騎兵(騎馬弓兵)であったのは、せいぜい鎌倉時代までで、
それも馬で突撃すねようなことはなく、弓を射あうだけで、兵力もせいぜい数十から数百人程度でした。
その後、戦闘の規模が大きくなると徒歩兵が増え、馬に乗るのは士官クラスだけとなり、それは武田軍も同様でした。
鉄砲については織田方の鉄砲も千丁ていどでしかも信長直属の鉄砲隊ではなく統一した訓練がされているわけではなく三段撃ちなど危険でできませんでした。
武田軍の敗因は本来の兵力差からいえば武田軍はこのさい撤退するべきであるのにどういうわけか戦いに出てしまったということが最大で、
兵力は多くしかも野戦築城までして準備している織田・徳川連合軍が勝つのは当然でした。

199 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:39:44
>>197
>>198

野戦築城って何?

200 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:43:21
>>199
野戦場に城のような堀とか柵を巡らせた防衛陣地作ることだろう?

201 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:49:50
>>199
山梨県の野戦築市にあるお城のことだよ。

202 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:53:20
>>194

弾幕射撃(一斉射撃)というのは確かに効果的で世界史的にみても長城の戦いの15年後にオランダで使用されそれなりに効果があったらしいですが、
但し実用化するにはまず大量の鉄砲、そして統一的な訓練が必要なわけで、オランダの例はそれらを行えるだけの資金的・時間的な余裕があったからです。

一方信長の場合は、鉄砲それ自体は早くから注目していたようで(但しこれはどの戦国大名も同じ)資金も豊富ですから数も多く所有していたようですが、
当時の信長にはそちらにまわせるだけの余裕はなかったと言われており
最近の定説では1000挺ぐらいとされています。
実際の使われ方については、鉄砲の上手い兵士に従者を何人かつけて、撃つ人、弾込める人、火薬詰める人と役割を分けることで少しでも効率を良くしようとしていたようではありますが、
これは雑賀衆など従来から行われていた方法です。

203 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:01:40
武田騎馬隊や鉄砲の三段撃ちは良質の資料には記載がなく、後世の講談まがいの軍記にあるだけです。
でなぜそんな定説が事実として教科書にまで載るようになったかについては、元ネタは歴史書というか日記風の軍事詳報的な大田牛一の「信長公記」を元にした小瀬甫庵の歴史書というよりも小説「信長記」(江戸初期のベストセラー)に出てくる逸話で、
このエピソードを明治の日本陸軍が採用したためらしいです。
ちなみに「信長公記」では鉄砲は1000挺ですが、版によっては小さく3の字が追加されていたりして、「信長記」では完全に3000挺になっています。
なぜ陸軍が採用したかについては単に戦訓を載せる際に、具体例があった方が分かりやすいからというぐらいの単純な理由で、大事なのは史実ではなく戦訓(ex.鉄砲の前に騎馬が突撃すべきでない)ですから脚色が入っていてもかまわなかったのでしょう。

204 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:07:48
>>199

毎日新聞社「長篠の戦」

上 武田の騎馬隊はなかった
中 ありえない「鉄砲三段撃ち」
下 武田軍の敵は「城」だった
http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/nazo_nihon4.html



205 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:11:11
鈴木真哉かよw

206 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:14:57
なあ、ずっと疑問なんだが、長篠はほんとに鉄砲だけで勝ったといえるの?
前衛は鉄砲の火力に任せていたとして、後ろに控える本隊以下数万の兵士は只突っ立ってただけなのか?
どうも合点がいかんよ。
第一な、鉄砲揃えて待ってて、会戦後に飛び込んできた敵に銃弾浴びせるだけで勝てるような自信があって、なぜあげに動員するか分からん。
兵力は半数か同等でもいけたんじゃないのか?と。

鉄砲隊以外の兵力(鳶の巣除く)が接敵、小競り合いでもやったというような資料はないの?

207 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:20:08
「信長公記から考察する長篠合戦」

「武田四郎鳶の巣山へ取り上り、居陣候はば、何れともなすべからざる候」
つまり武田勢が鳶の巣山に居座ったならば、どうにもならなかったろうと太田が指摘しているように、わざわざ武田勢は設楽原に出てきている。
なぜ出てきたか、それについて触れられていないことは残念なことである。
真に太田は単なる秘書に過ぎず、武田勢を誘引する作戦計画の秘密など知る由もなかったのであろう。
この空白を埋めるために、武田勢の部将たちが将来を悲観して自滅攻撃を繰り返したという珍説が生まれ、今も通説として罷り通っている。


208 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:23:08
>>199

「信長公記から考察する長篠合戦」

「志多羅の郷は、一段地形くぼき所に候。敵がたへ見へざる様に、段々に御人数三万ばかり立て置かる」
と太田牛一が記しているように設楽原は山間を流れる川が谷を削り河岸段丘を形成している。
そこへ信長は隠蔽した陣地を段状に構築したのである。
信長の軍勢は三万、戦場は南北三十町(三キロ強)にも満たないとされており、概算で一メートルあたり十人が存在したことになる。
これだけの数がいれば、かなり大規模な陣地の構築が可能であったろう。
時間的にも余裕はあった。着陣した十八日は休息するとしても、決戦当日の二十一日までには中二日がある。
空堀を掘り、土を積み、柵を張るくらいは、造作もない。

「身がくしとして、鉄炮にて待ち請け、うたせられ候」
という具合に、遮蔽物に身を潜めた鉄炮足軽が、武田勢を銃撃したことは間違いない。
ただ「身がくし」というものが、土を積んだ胸壁なのか、楯や竹束を並べたものなのか、この記述を見ただけでは何とも言い難い。
確実に言えることは、「敵がたへ見へざる」陣地を構築した織田勢が武田勢を銃撃したということである。
武田勢からすれば、敵状不明のまま攻撃を開始し、敵陣に突入すると隠蔽陣地から不意に銃撃されたわけである。
この場合、一番に攻めた山県隊は強行偵察部隊と考えるべきで、損害を覚悟したうえで敵陣に突入したのは当然と言わねばならない。



209 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:25:52
>>206

このスレを読んでみると>>197 >>198 などが正しいんじゃないか?



210 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:32:57
ふーん、ありがとう。

しばらくこのスレ読んどくよ。

211 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:37:51
>>206

これは信用できる史料を引用している。

http://www3.ocn.ne.jp/~zeon/sengoku/nagasino.htm

212 :199:2006/06/03(土) 20:46:10
>>208

サンクス!
なんか長篠の戦いのイメージが変わりましたね。
馬防柵はなかったんですね。

「織田軍は空堀を掘り、土を積み、柵を張り、土を積んだ胸壁や楯や竹束を並べた遮蔽物に身を潜めた鉄炮足軽が、武田勢を銃撃」したのか。
それが野戦築城ですね。

なんで武田勝頼はそのように野戦築城した場所を攻めたんでしょうか?
圧倒的に不利ですよね?
攻守交替している感じがありますよね。


213 :206:2006/06/03(土) 20:58:44
>>211
さんくす!
今までの疑問に応えるものだよ。

214 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:02:40
武田勝頼は無謀にも野戦築城した場所を攻めたのか?


215 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:13:23
野戦築城が完成する前に武田軍は織田軍に攻撃できなかったのか?

216 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:28:30
なんか、ヒトラー命令でロシアの防御陣地を攻めた、クルスク機甲戦みたいだな。

217 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:35:07
>>212
大河ドラマで見るような所謂「馬防柵」は無かったと思うが、それぞれの陣では防御用の柵はあったと思われる。

218 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:18:26
日本史上での大衆に人気のある2大人物
織田信長、坂本竜馬

219 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:21:40
ttp://www2.ttcn.ne.jp/~history/collaborate/nagashino/07.htm

一番、山県三郎兵衛、推太鼓を打つて懸り来り供鉄炮を以て散々に打立てられ引退

二番に正用軒、入替、かゝればのき、退ば引付、御下知のごとく鉄炮にて過半人数うたれては其時引入るなり。

三番に西上野小幡一党、赤武者にて入替り懸り来る。
関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。
人数を備へ候身がくしをして、鉄炮にて待請けうたせられ候へば、過半打倒され無人になつて引退く。

四番に典厩一党黒武者にて懸り来り候。
かくのごとく、御敵入替へ侯へども、御人数一首も御出しなく、鉄炮ばかりを相加へ、
足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ引入るなり。

五番に馬場美濃守、推太鼓推にてかゝり来り、人数を備へ、右同前に勢衆うたれ引退く。

220 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:36:28
>>219
太田牛一『信長公記』、長篠(設楽原)合戦部分。

騎馬武者の記述があるのは三番のみ。
一番と二番と四番と五番に騎馬は出てこない。

221 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:00:38
なんか馬鹿が一人沸いただけでスレの雰囲気が変わったなw

222 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:20:46
と一番の馬鹿が申しております

223 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:55:42
楽しいね

224 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:01:00
つーかコピペはコピペと断り書きをして欲しい罠>211
真面目に反論しようとした漏れの長文が無駄になっちまったじゃねぃか・・・




日本史の通説つか三戦厨の通説↓
伊達家の騎馬鉄砲隊は信憑性の無い講談・軍記にしか登場しない

225 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:04:24
>>221
確実に複数人が書き込んでいるだろう。
一人で自作自演できる量じゃない。

226 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:17:05
>>225
いやいや、健児が軍隊かどうかとか騎兵は居ないとか言ってた楽しい輩のこと。
>>120近辺を境にスレの雰囲気が全く変わってる。

227 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 09:42:48
そういや、武田信玄のスレがなくなったよね。
もう、みんな武田騎馬隊を信じていない証拠だね。

誰かネタスレで
戦国最強!!信玄公が率いた武田騎馬隊!!
みたいなスレを立ててよ。

228 :竜之介 ◆87xY9YGmUQ :2006/06/04(日) 10:35:00
竜之介様が日本史板を制覇するぞ!!!

これまでの業績(すべて日本史板)

上杉謙信が上野(群馬)を支配していたことに萌える
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1148197411/l50
日本史の本質について語るぞ!!!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149082009/l50
日本史のタイムリーな記事を集めるぞ!!!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149379345/


229 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 21:34:40
戦国最強!!信玄公が率いた武田騎馬隊!

どうして武田騎馬隊とか言われているのに、
上杉騎馬隊・真田騎馬隊は言われないんだ?

真田も信州だよ。


230 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 22:05:15
最強じゃなかったからでしょ

231 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 00:07:57
>>226

あんたって、あちこちで珍説披露してる人?
某スレの161とか。
(http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145427487/l50)
何か似てるよ。


232 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 01:47:10
武田騎馬隊とかなかったからでしょ
江戸時代の空想話でしょ

233 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 02:03:42
武田ヲタ隔離にはちょうど良かった場所なのにな

234 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:30:29
武田ヲタは根強いね。
まだ武田騎馬隊は戦国最強!!とか言ってるの?
武田騎馬隊は江戸時代に作られた講談だよ。

235 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:43:40
★戦国最強 武田騎馬隊の存続はこのスレにあり★

かつては“戦国最強!!”と謳われた「武田騎馬隊」も、今や存在すらなかったという声が聞こえるこの頃。

しかし、そんな声を吹き飛ばし、風林火山の旗の下にひれ伏そうではないか!!

信玄公が率いた戦国最強の武田騎馬隊を絶賛するスレが誕生したのだ!!


みたいな新スレが出てきそうな予感。。。。

236 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:00:07
武田騎馬軍団というのは存在していないというのは聞いたことがあるが
騎兵は存在しているだろw
つまり、騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団
騎兵=騎馬武者
騎馬武者が日本の歴史上存在しなかったか?
だから、武田騎馬隊は存在したんだよ
よく考えて書き込めよ、知ったかぶりは恥ずかしいぞw


237 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:01:56
武田バカは生きてて恥ずかしくないのか?w

238 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:09:48
>>231
ここにコピペしてどーすんだよw
つか>>120

239 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 10:21:40
>>236
結局概念の問題で、「部隊の中に何%騎馬が居たら騎馬隊と呼ぶ」
というような基準があるわけじゃないから論争の種になるんだよ。

騎馬軍団の元ネタと言われる甲陽軍監ですら「騎馬は武将の移動用」だと
言ってるわけだから、武田に関しては「騎馬部隊」というものすらも無かった
可能性があると思うぞ。

馬に鎧を着せていたり、馬に蹴られて負傷するって話があるんだから
戦国時代の全ての国、勢力で騎馬隊が無かったってことは無いだろうけど。


240 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 14:51:07
吉川弘文館「中世日本の諸相上」所収の「古代末期の傭兵と傭兵隊長」福田豊彦著
健児の国別定員
      (延暦11年6月14日官符)                    (延喜式)
324人                                       陸奥
200人  陸奥・近江                              常陸・近江
150人  下総                                   武蔵・下総
105人  武蔵
100人  伊勢・相模・上総・美濃・信濃・上野・下野・越前        伊勢・相模・上総・美濃・信濃・上野・下野・越前
       越後・出雲・播磨                           越後・出雲・播磨・讃岐
60人   遠江                                   遠江・紀伊
50人   尾張・駿河・能登・越中・丹波・但馬・因幡・伯耆        尾張・三河・駿河・甲斐・加賀・能登・越中・丹波・但馬
      美作・備前・備中・備後・長門・讃岐・伊予             因幡・伯耆・美作・備前・備中・備後・周防・長門・伊予
40人                                        山城・安芸
30人  大和・河内・摂津・山城・伊賀・三河・伊豆・甲斐         河内・摂津・伊賀・志摩・伊豆・安房・飛騨・若狭・佐渡
      安房・若狭・丹後・石見・隠岐・安芸・周防・紀伊        丹後・石見・隠岐・淡路・阿波・土佐
      淡路・阿波・土佐
25人  和泉
20人                                         和泉
      51国3155人                              57国3964人



241 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 14:52:51
ここは日本史板だぞ、おい。
なにが武田騎馬軍団だボケ。
そんなもん否定している人間はゴマンといるだろ。

242 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 19:13:25
信玄上洛の、信長絶体絶命は微妙なところ。焦土戦術を使えば、兵農分離していない
武田軍は確実に潰れるが、信長の天下取りが3〜4年は遅れたのは確かだと思う。
本拠地が京から遠く、兵農分離していなく、本願寺と結んでしまった信玄が天下をとるのは難しいだろうが、
朝倉、本願寺と連携すれば、信長を討つだけならできたかとも思う。

243 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 20:14:51
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1149675570/l50
縄文・弥生時代にありそうなスレ

244 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 20:21:43
そもそも隊でなく、自身の知行地から軍役衆率いただけだからね
その集団を隊と呼ぶのかと言えば・・・

245 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 23:21:07
>>120

平安時代にまともな軍隊は日本になかったのは本当らしい。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1103855145/l50

246 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 23:27:12
というか平安時代にまともな日本は無かった。
地方政権未収束。
坂上ジローがアテルイ倒して完了なんて超嘘

247 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 01:02:58
戦国最強なのは信玄公が率いた武田騎馬隊に決定!!!!

248 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 01:15:48
>>245
朝鮮人発見!

249 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 09:46:42
武田の騎馬隊を未だに信じている人間がいるとは驚き。

250 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:14:40
秀吉の誕生日が元旦。

251 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:17:37
武田の騎馬隊は存在していたよ。
ソース:信長の野望

252 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:22:45
>>251
反騎馬隊の方々は、牛と馬とも見分けられん。捨て置け。

253 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:53:36
武田の騎馬隊は最強で、信玄が生きてたら天下は彼のものだったよ。
ソース:信長の野望

254 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 18:43:08
武田といえば騎馬軍団と誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団なんだよ
わかる?
別に騎馬武者100パーセントの編成が騎馬軍団と定義されているわけじゃないでしょう?

255 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:06:02
ただちょっと歩兵より騎馬の割合が高いから騎馬軍団

256 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:18:25
圧倒的に歩兵の方が割合高いっつーの

257 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:44:38
単一民族!
容姿の差が激しすぎる!


258 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:50:18
>>254

>武田といえば騎馬軍団と誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団なんだよ

もうムチャクチャの理論。
これだから武田ヲタはキモイ。
キモさではモー娘ヲタと同等にキモい。

259 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:03:23
武田といえば騎馬軍団だ!と武田ヲタが呼んでいれば、それはすでにキモイんだよ
武田騎馬軍団は武田ヲタの脳内妄想なんだよ
わかる?
別に武田ヲタが100パーセントのキモイと定義されているわけじゃないでしょう?




260 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:13:37
武田騎馬隊を信じているヤツは三戦版に行け。
ここは日本史版だ。
もっとレベルの高い話をしようぜ。


261 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:28:36
信じてない奴が三戦板行くべき。
妄想よりたちが悪い。

262 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:42:19
信じないやつは

  /          \
    /  //// | | |ヽ \
   /  ノ /   \ヽ |
   / ノ ,-─、 |,─-、| |
   |  |  ∪   |  ̄ | | 
   |ゝ||    、,、_)    | |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ヽ |ヽ /    ヽ  |ノ < つまみ出せ♪
     | ヽヽ二二ノ' |   |  つまみ出せ♪
     \   ー   /    \________
      \__ソ/
       ┏||┛
       ┏━━┛

263 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:03:44
なんだ、このスレは???
なんて低レベルな争いだ。

264 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:12:27
アホ発見!!
武田ヲタが暴れています。

265 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:14:42
昔から疑ってかかっていた日本史の通説

平安時代にまともな軍隊はなかった

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1103855145/l50

266 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:19:38
武田ヲタは根強いな。
世界が終わるまで騎馬隊を信じ続けるんだろう。

武田ヲタは無視しとけ。
スレは荒れる。

267 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:37:40
信玄公をバカにするな!!
武田騎馬隊は世界最強なんだよ!!

268 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:09:23
武田騎馬隊は世界最強って・・・
それって本気で言ってんの?
武田ヲタは狂っているな。
信玄は世界に出ていないだろ。

269 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:35:57
>>263-268までがage厨による世界最強の自演だということはわかった。

270 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:55:39
このスレで騎兵に関する考察されてるyo。

日本の戦国時代 合戦の虚像と真実2
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147453486/



271 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:14:33
どうやら武田ヲタの騎馬隊の定義は
騎兵がいる軍団はすべて騎馬隊ということらしい。
だったらそう思えばいい。

これで満足か?




272 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:18:03
>武田騎馬軍団というのは存在していないというのは聞いたことがあるが
>騎兵は存在しているだろw
>つまり、騎馬軍団=騎兵だけで組織された大規模な軍団
>騎兵=騎馬武者
>騎馬武者が日本の歴史上存在しなかったか?
>だから、武田騎馬隊は存在したんだよ
>よく考えて書き込めよ、反論もできないくせに井沢ヲタの知ったかぶりは恥ずかしいぞw




(゚听) シネヨ




273 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:20:29
>>263


>>118
>>120
>>143
>>146
>>騎馬隊厨

274 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:24:32
つか、大元は

>>143
> 日本史に騎兵は存在しない。

から始まったのに、なぜか騎馬「軍団」の存在云々に話が変わっている。
議論するなら「騎馬武者」というのが居たのかどうかじゃないのか?
(俺は騎馬は移動用で、通常戦闘の際には下馬して戦っていたと思っているが)

275 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:27:33
>>242
無理無理。刈入れ時になったら兵を引いて終わるオチ

276 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:34:20
>>254

武田といえば騎馬軍団ではないと誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団でない
でOK?w


277 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:37:46
有名な「長篠合戦図屏風」を見ても
騎馬武者は徒歩兵を従えた単位となっていて、騎馬隊(騎馬兵だけの集団)は
どこにも描かれていないんだがな

「長篠合戦図屏風」
http://www.tokugawa-art-museum.jp/special/2002/sengoku/images/obj04.jpg


278 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:40:53
昔の馬は、足が短く、ポニーのような馬であったことを忘れずに…
下りなくても戦えるかもよ。

279 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:42:29
煽って面白がってるだけだろ。

280 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 01:06:42
武田の騎馬隊とか、まだ信じている人いるの?

281 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 01:29:48
     ∩_
           〈〈〈 ヽ
          〈⊃  }
   ∩___∩  |   |
   | ノ      ヽ !   !
  /  ●   ● |  /
  |    ( _●_)  ミ/ <こいつただの馬鹿じゃん
 彡、   |∪|  /
/ __  ヽノ /
(___)   /



282 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:37:43
驚愕の新事実

武田騎馬軍団はポニーに乗っていた!!!!

283 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:40:09
小幡の領有していたあたりは馬なんか大量に飼えるような土地じゃない。

http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E138.55.7.1N36.13.37.3&ZM=7


284 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:47:22
映画やドラマの中では、武田騎馬軍団は確かに存在する(藁)イチオシは
角川映画「天と地と」あたりか?壮大、と言うよりもマスゲームを連想
させられる。史実はどうだろうか。騎馬は人が乗るだけでなく、様々な
物資の輸送にも必要不可欠だ。騎馬武者とて一頭の馬に乗っているどころか
乗り換え馬が数頭は揃えていたのが常識(高位の武士の場合)よって「軍団」
と言える規模の騎馬隊が組織されていたかは疑問ながら、存在は否定出来ない。
但し、戦国時代に平安時代の様な騎射戦術が、大規模な形で存続していたかは
疑問であろう。五百年以上の時の隔たりを考えれば・・・。


285 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 03:04:31
小笠原に大敗してるからね、弱かったみたい。

286 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 04:28:10
小栗はドバイ直輸入の馬に乗っていた。曲渕なんかとの登城の際、
普通に乗っていても六馬身はちぎって到達してたそうだ。

287 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 04:56:20
>>283
ぐぐったら簡単に出てくる。



甘楽町の歴史をたどる
ttp://www.town.kanra.gunma.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&Cc=7d43090a21041a5

平安時代の『延喜式』には上野国の御牧の一つである「新屋の牧」
が開設されたとあり、当町の新屋地区内であると想定されている。

288 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 05:18:37

勉強になったよ。でも当時の人口と合戦の規模考えたらさ、
騎馬1000もいりゃあ既に騎馬隊もしくは騎馬部隊と呼べる
と思わない?まして総動員して5000程度つったら、当時と
しては騎馬率画期的に他より多かったんでないの?何千騎以上
いれば日本史で騎馬隊成立すると考えてるの?定義は?
モンゴル引き合いに出すのもなんかちがくない?

289 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 16:57:53
昔から疑っていた通説が、武田騎馬隊とは・・・。
武田騎馬隊も鉄砲3段撃ちもなかったなんて常識だろう。
本気で信じているの?


290 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 07:20:47
事実です。
ソース:信長の野望の付録についていた歴史資料。

291 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 09:31:08
>>289
常識?
馬鹿だな、現在主流に傾いてきている説っていうだけだ
時代が変れば主流になる説は変っていくだけの話
それも分からずに一つの説を「真実」と思い込むほうが厨なんだよ、ワカル?

292 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 09:50:01
「無敵の武田騎馬軍団」という評価は長篠になって突然出てきた表現で
それまでの武田の戦で騎馬軍団のおかげで勝てたとされる戦はない
そもそも武田は長篠城を落とすために攻め込んできたのであって
何千もの騎馬軍団を持ってきたところで城攻めには無用の代物だろう

293 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 10:40:58
武田は雷のような嘶きを発する鉄騎馬軍団を持っていたって、
私の調べた資料には載っていましたよ。

294 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 13:56:25
武田騎馬軍団を真実だと思い込むレベルの低いスレ

295 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 14:04:57
>>293

その文献の名前は?
「武田は雷のような嘶きを発する鉄騎馬軍団」なんて書いてあるのならば、どうせ悪書でしょうな。

296 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 14:21:13
久しぶりに見てみたが武田騎馬軍団を信じているバカが一人いるな。
一人自作自演おつかれさん。

297 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 14:27:39
>>295
ごめん、脳内文書・・・

298 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 15:18:33
武田ヲタは、無視するに限る

299 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 23:04:01
     ∩_
           〈〈〈 ヽ
          〈⊃  }
   ∩___∩  |   |
   | ノ      ヽ !   !
  /  ●   ● |  /
  |    ( _●_)  ミ/ <武田騎馬軍団は世界最強だったんだよ!
 彡、   |∪|  /
/ __  ヽノ /
(___)   /

300 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:12:03
カルトでしか見えない何かと戦う武田ヲタw
キモイ

301 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 03:13:37
武田信玄ってカルト宗教だったの?

302 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 04:38:11
武田ヲタの気狂い・気違いぶりは、宗教に近いものがあるだろう。
本当に気持ち悪いやつらだ。

こいつなんか特に武田騎馬隊宗教に狂っている。
>>254
>武田といえば騎馬軍団と誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団なんだよ
>わかる?
>別に騎馬武者100パーセントの編成が騎馬軍団と定義されているわけじゃないでしょう?


誰かが武田騎馬隊と呼べば、武田騎馬隊が成立するらしい。
では、誰かが武田鉄砲隊と呼べば、武田鉄砲隊は成立するのか?
そんなバカな話はない。

武田騎馬隊宗教に狂っている>>254の妄想の中では、武田騎馬隊は大活躍しているんだろうね。


303 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 08:02:41
とりあえず来年の信玄公祭から行進は徒歩だな

304 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:46:06
武田の騎馬軍団は存在していた!
ソース:武田の騎馬軍団で検索

305 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:09:26
>>303
移動には馬を使っていたのだからおK。

306 :254:2006/06/11(日) 15:26:07
俺は254だが、オマエラ適当なことばっか言ってんじゃねーぞ!!
武田騎馬軍団はいたんだよ!
武田といえば騎馬軍団と誰かが呼んでいれば、それは騎馬軍団が存在した証拠なんだよ!!
わかる?
俺が武田騎馬軍団は存在したっと思ってんだから、戦国時代のも存在したんだよ!1
わかる?
ねえ、わかる?
ワカル?

307 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:15:18
「白馬は馬ではない」ですか?

308 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:29:52
騎馬軍団なんてないよ。
日本の地形に騎馬軍団は不利。
検索したら「騎馬隊はなかった」って詳しい史料がすぐに出て来たよ。

http://www2.ttcn.ne.jp/~history/collaborate/nagashino/03.htm


309 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:32:42
馬は食料だろ。

310 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:44:38
>>306

どうやら武田ヲタの騎馬隊の定義は
騎兵が1頭でもいる軍団はすべて騎馬隊ということらしい。
だったらそう思えばいい。

これで満足か?




311 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:59:16
たぶん釣れて満足だろ

312 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:32:37
>>310
お前バカか?
1頭は違うでしょ。
騎馬軍団は2頭から!

313 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:08:51
でも、信玄って馬の乗っているイメージなくね?

314 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:27:18
どっしり鎮座してるイメージ大

315 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 03:24:17
あと、
ものすごい勢いで侵略してるイメージと、
しーんと静かにしてるイメージと、
めちゃめちゃ素早く動いてそうなイメージも大

316 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 03:25:44
武田騎馬軍団は月面に着陸した

317 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 10:33:22
>>308
武田騎馬軍団云々はともかく、そのサイトの理屈にもかなりおかしなところがあるぞ。

日本の馬ってモンゴル軍の使っていた馬とほぼ同じくらいの馬格だべ。
木曽馬などの馬格が貧弱だから戦場では役に立たないとか言い出したら、モンゴル軍の馬
だって戦場では役に立たないだろ。

あと、「馬の実態」の章で、日本では騎馬兵を戦いの途中で突入させ、主に「追撃戦」で
使用したってことを、いかにも本来の騎兵の使用法から外れるみたいに書いてるけどさ、
それって世界の戦史でも歩兵隊と騎兵隊を併用する際の最も一般的な戦い方だから。

318 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 11:45:46
ポニーのような馬で中国大返しできるのかね?
予め準備してなきゃ不可能だと思うが

319 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 12:46:49
>>318
一応信長の勢力圏なんで、途中の武家から馬を徴発して、
疲れきった馬は交換して戻ったと考えられる。
事前に連絡して根回し・準備までは、出来たかどうか。

秀吉お得意の金を与える&免状作戦も使っただろう。

320 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 16:58:18
事実は知らんが
みんなが集まる席で 「武田騎馬軍団はうそだ。」
と言い切ったなら、可哀想な目で見られるかもね。


321 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:45:05
なんで武田スレになっちゃってんの
・゜・(ノД`)・゜・。

322 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:57:28
騎馬軍団を認めない厨が常駐しているしな。

323 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:15:27
>>322

武田騎馬軍団を信じているバカが一人いるな。
一人自作自演おつかれさん。


324 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:21:04
>>323
よくわかったな。
お前頭もいいし、なかなか筋が良い。

325 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:32:27
そんな事くらいジーコでも解るわw

326 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 16:55:35
武田の騎馬隊というイメージで創造されるのはモンゴル兵や近代の騎兵ですが、これに相当するようなものは武田に限らず戦国には存在しませんでした。
騎馬隊であれば、兵士まで含めた一隊全部が馬に乗っているべきですが、武田軍の中で馬に乗っているのはせいぜい1/10〜1/5の幹部クラスだけで、あとはみな徒歩でした。
これでは到底騎馬隊といいうるものではありません。
また、馬に乗っているものたちも戦闘時には馬から下りて戦いました
だいたい、載っているのが日本馬ですから、馬体も小さく体力もないので長くは駆けられませんでした。
これもモンゴル兵や近代の騎兵と違います。
こういうことから言いますと、武田軍に騎馬隊は存在しなかったし、騎馬隊としての戦闘もなかったというのが最近の有力説になっています。

327 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 17:21:48
↑その通り。騎馬に乗った武者は居た。しかしそれを大々的に組織した軍団は幻。戦場では必ず下馬。蹄鉄の技術無しで馬を使い回すのも無理。因みに木曽馬なども明治に品種改良されているから戦国時代とは違う。

328 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 17:30:41
身長が150ぐらいが普通だった時代だし
現代でいえば小学生ぐらいのチビだったら
当時の馬でも人の足よか早く
せめて自転車ぐらいの速度はだせたんじゃ

あと舗装されてないような平地や山が多いから
馬が駆けれないよね?
なんで戦の伝令なんかは馬使ってたん?

329 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 17:55:37
そこに道があるから

330 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:30:06
>>324

俺は323ですが、325の発言は俺ではありません。


331 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:31:49
>>308
> これも馬という生物面から見てみると、日本の馬は、時代劇に使われるサラブレッド、
>ではなく木曽馬などで馬格は貧弱、背丈は1m20cm〜1m40cmほどである。おまけにわずかな障害物も飛び越えられず、火炎と轟音にすぐ驚く。
>これでは障害物が多い戦場では役に立たない。これが第一の理由である。

そこのサイトで気に食わない箇所はここ。
サラブレッドは近代に品種改良によってうまれたスポーツカー。
悪路をこれで走ればすぐに骨折する。細い足はガラスの足。

日本馬の大きさを理由にして、日本馬が戦で使われない理由にすることは当たらない。
なぜなら草原の覇者となった蒙古軍が乗る蒙古馬は日本馬と同じ系列の馬で小型。
同じ馬格なのに、一方は草原の覇者扱いで一方はわずかな障害も飛べない駄馬扱い。
これは矛盾というもの。
サラブレッドでも訓練していなければ、甲冑武者乗せて走ったら30分だかしか持たない。
「天と地と」のカナダロケでもそんな話があった。
最後に、「火炎と轟音にすぐ驚く」というもの。「障害を飛べない云々」もそうだが、
訓練しない馬はそんなものだ。
これは偏見以上の何者でもない。

この作者の念頭では、現代のサラブレッドと何の訓練もしていない木曽馬を比較しているのだろう。
結構、こういう人が多いけど、日本馬を馬鹿にしすぎ。
戦場で一番大事な馬は、粗食で丈夫な馬。


332 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:30:22
信頼度が高いとされている太田牛一の書いた信長公記では、長篠合戦について

「関東衆(武田軍)馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打って
懸り来る。人数を備へ候身がくしをして、鉄砲にて待請けうたせられ候へば、
過半打倒され無人になって引退く」

と記述しているのだが、それについてはどうなのさ?

333 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 01:43:48
まあ太田牛一の書くことだからな〜

334 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 06:39:08
とのたまう>>333が信を置いているのが「甫庵信長記」と「武功夜話」だからな〜

335 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 18:28:05
>>332
卑怯な奴だな。
その文の前後をあえて書かず、恣意的な解釈でミスリードを誘っている。

それは小幡隊の事だ、カス。

336 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:03:16
いくらなんでもカスは酷すぎじゃね?
一応「どうなのさ?」って意見を求めてるわけだし・・・。

337 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:14:58
いや、カス以下の下郎。

338 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:24:27
関東衆馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打って懸り来る。

武田軍【不正解】



関東衆馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打って懸り来る。

西上野小幡一党【正解】

339 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:42:38
>>336
>「関東衆( 武 田 軍 )馬上の巧者にて
と言ってるからな。

知らない奴が見たら誤解しかねない、質の悪い論法だよ。

340 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 22:07:19
旗本八万騎

騎兵が八万も居るなら、武田騎馬何とかなど敵ではない。

341 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 23:08:34
>>335
ニュートンプレス出版の『<原本現代訳>信長公記』では「関東衆(武田軍)」って書いてあるよ。

342 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 23:53:45
織田信長革命家説
織田信長優秀説

ただ運の良い癇癪持ちで、組織作りがまるでダメな凡将だと思う


343 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 12:29:58
>>341
219を見ればわかるが、この場合の関東衆は小幡にかかる。

なぜならば
>関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。
時に攻撃を担当していたのが
>三番に西上野小幡一党、
だから。

もし、関東衆=武田軍ならば、山県や馬場は武田軍ではない事になる。
確かに>>332だけみれば関東衆=武田軍と取れないこともないが、
前後の文意を取れば、関東衆=武田軍は成り立たない。

344 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 12:43:02
小幡一党は武田軍じゃん。
武田軍の中に騎馬兵を主力とした部隊があったかどうかが問題なんだろ。

345 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:50:07
確かに小幡は武田軍なのは事実だ。
ただ小幡隊∈武田軍であって、小幡隊=武田軍ではない。

波状攻撃の一手を任されていること、貫高や小幡自身が国人であることを考えれば、
小幡隊は一備え(或いはそれ以上)、小幡隊単独である程度のまとまりのある軍事組織。
騎馬武者を初め、槍・弓・鉄砲や近習といった戦闘要員から、旗持ちや小荷駄とかも含む一個の戦闘集団。
騎馬武者含有率が後北条のように高かった事は疑いないし、
騎馬戦術に優れているだろうことも推測できるが、
そもそも騎馬戦術は相手の虚を突く戦術。
後北条だって決して槍や弓・鉄砲を疎かにしていた訳ではない。

備えである以上、戦闘の基本である槍や弓・鉄砲ほど主眼が置かれたかどうかは疑わしい。

346 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:33:45
>>325
あほな中田はわからない

347 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 03:58:43
>>343
その場合、
> 関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。

の「是又」はどこに掛かるんだ?

348 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 04:00:18
>>345
長々と書いているけど、結局、
> そもそも騎馬戦術は相手の虚を突く戦術。

これしか根拠(というか主観のバックグラウンドでしかないが)になってない。

349 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:32:19
そういう時は、「武功夜話」に準拠しておけばだいたい間違いはない。

350 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 16:14:07
武功夜話は偽書だ。
疑わしき書物だな。

351 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 16:16:02
武功夜話の問題性と偽書説
しかしながら、前野家文書の史料性については、疑問が提示されている。
例えば、昭和29年の町村合併で初めてできた合成地名のような、明治以前には存在しなかった地名が散見されるなど、
用語・固有名詞や記述などに時代を超越した言葉が現れること、
当事者である前野一族の覚書をもとにしているにも関わらず、他の同時代に書かれた複数の根本的な史料と致命的な食い違いがみられることなどの矛盾点がある。

また、前野家文書は非公開とされ、原文はおろか、その写真さえ公開されず、発見以来40年以上経過しているにもかかわらず専門家による検証がなされておらず、
現在ではほぼ偽書と断定されている。

学会からは完全に無視されており、学術論文等に使用することは避けるべきである。



352 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:29:09
じゃあ前野家文書ってだれがもっているの?
なんで公開しないんだろう

353 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 21:34:41
これ↓

ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/B000F72NTY/250-4365087-0389011

354 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 22:38:16
>>350
鈴木さん、乙。往生際悪いよ。

355 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 18:29:10
           / . : : : ::::::::::::::::::::::::::::::::::ミヽ::::ゞ、
          i ; ; ;;;;;;;;;::::::::::::::::::::::::::::::::::::lリゞ;;:::ゞ
          /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノイ,/;;;;/::;;〃i/いリ;;;;;;:::::`、
            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ,/;;;;/ノ;;/;ノノハノハw;;;:::::';
            !;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ,ノノイノハノノノイノヽ、ノハ;;;::::!
           l;;;;;;;;r'ヽ;;;;!  -─ノノ-ノ '´─-ヽ;;:;:;:::/ カイザー・ラインハルトと同じく
          ハ;;;;;!リ〉リ'   r-rェァ'`  ,rェッ  !;;;;:ソ 嫁さんが筆おろしだった。
          ,リ;;;;;;),  ヽ           l    /;:ノ ミラクル・ヤンが、童貞元帥だったなんて
          ,/)ぃ,l:リ  l        ,_」   / 後世の歴史家は、なんて言うだろうか?
      _,.、-‐!  ヾ:!、Y       ___   /`ー -、_
_,.、-‐' ̄''ー- 、 l    \  ヽ     ー   /`ー-、_ i`ヽ、_
``ヽ、_,.、-ー-‐'ヾ 〔《l \ \     / \     `ー-,l ';
   ヽ、      ヽ      r'、  `ー‐',i ,r-‐'゙}        l! !
    .ヽ、     `、   /.、 \   / 〉\/          / ,}
      ヽ ゙l、  ヽ/、;:;:;:゙:、 \_/_,.r'             / / ク
`''‐-:、,_  ^:、 !       `ー、;;ヽ、,.ィ':;/          i / イr'゙ \
    ``''‐-:゙i ,|           `!;:;:;:;:〉     ___{_/ィレ'゙ _,.、‐':
ー─- 、___ミi、           ,}:;:;:/,-‐'" ̄ヽ、ヽ  ヽ、 ̄ヽ、   \
         `ヽ、   _,,..、-一''"         ゙i `l    `ヽ,.ー-ヽ、
         _,.、-‐'"                |  | ,ノー-、,    ヽ
      _,、-'"/                     |  イ'r
30過ぎまで童貞だった私が、新スレを立てたので、挨拶にやってまいりました。
【自衛隊のヤン・ウェンリー】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1150468063/

356 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 18:29:54
    ,iリ'     /  ,r'',; ,;i' ,/ソノク、 f | ,| `゙'<ミi    ヽ、
   ,r'    `ー<二ノ'ノ,,r'ノ/∠;;ニム<リ ! ,!     | ;i ハ   ト、,,_
  ,/  /     二-'';彡'" ̄ー--、,_`ヽ、     ゙い,i | ゙i l  `:r"
  / 〃   _,,   ""|´      、,_ヽ、>、_      |゙ソリ | | i l,i
 i' //   _,-'二ニ、-;イ         ( ・)ヾ'-ミ;ッ   _,{ ,ノ,ノ リ
 | 〃,i'  ,r'",ヘ、゙!-ヲ         `''ー ''ヾ'  ,rくご三-'゙ッ''-"
 ゙V ,i' 〃| ( _,) l'"|                 ヽ(・)ヽ,r"
  i' .| //ヘ. ヽヽ、゙''"               ;;   ゙ヾ" i'
  | y ;' ゙ヽ、                 、 r-~''ーソ ,|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ゙Y  ,,   /''-r:ヘ                _ -''"   |   | 俺も、女房だけだ!!
  |  ,i' ;i ,/  i, :i,          /二二_`ー、    l  .ノヘ、___________
  ゙i | | ,|,il!   i, ゙i,           ̄`''ー--、フ'   /
   `!、i |ヾ    'l,  ゝ,          =ー-    /
    ,べ     'l   `''-、             ,r'
  ,r┴--::、、,,,_  |     `'-、_         ,/
  }二'''''ー--::、 ̄``'''ー-:、,,,_   `''-:、,,_    /
  f---:、ヽ、    ̄,、~`フ=ー-ニ`'''-、_  ``i''''''"
 ,i' /   ヽヽ、   ゙i,`(´,r─-:、 `i '|゙`ニー'、

ヤン・ウェンリーと同じく女房で筆おろし&女房オンリーのミッターマイヤーです。
艦隊運動同様あっちの早さも疾風な私が新スレ立てました。
【自衛隊のヤン・ウェンリー】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1150468063/

357 :日本@名無史さん:2006/06/25(日) 19:58:59
武功夜話は昭和になって書かれたことが最近わかってきている。


358 :日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:50:23
劇的なのは大概デタラメ!当たり前だよな^^

359 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 02:04:47
武士は平安時代後半に誕生した当時から馬に乗る存在でした。
平安末期や鎌倉時代の戦いで軍勢を表現する場合、「100騎」とか書かれますが、これは、確かに騎乗の武士100人という意味でしょう。
しかし、室町時代半ば以降、足軽という徒歩の兵種が出現し、合戦の人数が何万人にも上る時代となってからは、騎乗の武士の数は、軍勢のうちの何%かになりました。
馬を1頭養うには大きな経済的な負担がかかり、馬を保有できる人間は、領地をもつなど領主か、その特定の家来に限られます。
近代の軍隊で言うなら、指揮官か士官クラスのものしか騎乗できないのが常でした。
当然ながら、何万もの軍勢の多数派は、徒歩の兵隊ということになります。

そして、その特別の存在の騎乗の武士は、鎌倉時代なら、「やあやあ我こそは・・」と名乗りあって戦った、家名を重んじ個人戦を基本とする存在です。
戦国時代の戦いは、さすがにもはや、名乗り合うことはありませんでしたが、
それでも、個々の有力な武士はやはり一族郎党を引き連れて、有力者とその家来単位で戦うのが常です。
彼らを集めて全体の統率のとれた「騎馬軍団」に仕立て上げるというのは、戦国時代の武士の存在を無視することになります。
つまり、後世の発想からはできても、現実には、そう言う軍団の編成はあり得ないのです。
19世紀以降の近代的な騎馬隊、たとえば、インディアンと戦ったアメリカ合衆国の騎兵隊のような
一人一人の騎馬兵が、単に部隊の一構成員として参加し、部隊長とか中隊長・小隊長の下で統制されて戦うというのは、戦国時代にも江戸にもありえませんでした。

このことを伝える証拠の一つに、ルイス・フロイスの「証言」があります。
『ヨーロッパ文化と日本文化』といって、そのものズバリ、文化の比較を行ったものです。
その本に次のように書かれています。
「われわれの間には、曹長、小隊長、十人組隊長、百人組隊長などがある。
日本人はいっさいこのようなことを気にかけない。」

http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekarauroko/jyuhou_to_rekishi02-03.htm

360 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 02:06:44
「それなら」と、あくまで騎馬軍団に固執される方は思われるかもしれません。
「武田軍は、有力武士が率いる一族郎党の中に馬に乗ることができる家来の数が他の戦国大名よりも多く、結果的に、多数の騎馬兵をもった、騎馬軍団である。」

しかし、これも、事実ではありません。
たしかに、武田氏の本国甲斐(現在の山梨県)には、古代律令制の時代から、「牧」(東国には、律令時代には馬を育てる官営の牧場があり、牧と呼ばれた)が多く、
他の地域よりは馬の供給量は多かったかも知れません。
しかし、現在残っている資料を見る限り、武田軍の騎馬兵の数は他の大名と比較して、そう多くはありませんでした。

所属 戦闘員総数 騎馬兵の数 騎馬兵の割合 資料の出典
武田軍 237 23 9.7% 永禄・天正期の甲斐・信濃の軍役状
上杉軍 5514 566 10.3% 天正3年の軍役帳

武田軍上杉軍とも、騎馬兵の割合は、同じく全体の10%程でした。

361 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:32:25
>>360
隣国と比較してもしょうがない。

362 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 19:23:34
ログ読んで思ったが、>>61には誰もつっこまないのか。

363 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:19:13
誰もいねえ

364 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:32:51
>>362
君がつっこんだからOK

365 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 03:37:26
>>61
まったく同感だ

366 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 03:48:10
>>61
文字がない時代の口承は非常に保存状態が良い。常識だろ?
あと記紀の元ネタは口承じゃない。

素人はROMっててね。

367 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 07:36:22
>>357
それは、すべて藤本さんの思い込みです。

368 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 10:27:14
>>366
常識じゃないよ。
1000年間何人もの人間が代々伝えてオリジナルが伝わると思う?
伝わると思うならその考えが非常識。

369 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:03:56
>>367
昭和ってことはないだろうねぇ。
だが、偽書である事は間違いない事だろうねぇ。

370 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:10:14
>>367
あ、それと、藤本さんは昭和なんていってないよ。
小和田さんが「明治40年以降成立はあり得ない」って藤本さんに対していってる程度。
ちなみに、藤本さんは明治40年以降成立ともいっていない。
小和田さんが、よく読みもしないで、藤本さんが「明治40年以降成立」と言っていると
どこかで誤った話を聞いてきたんだろうね。
藤本さんは武功夜話内の各記述と他の一次資料の記述の比較と、後年作られた読み物などの記述から、
「偽書だろう」と言っているだけだよ。
江戸時代などに作られた創作読み物に出てくる逸話が登場したり、江戸時代以降の国割りが
そのまま書かれていたり、文章の言い回しや、書状の体裁が、戦国期のものではないっていってるだけさ。

371 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:11:38
そのとき歴史が動いたで知ったんだが
聖武天皇は暴君だったが仏教を知り行基に弟子入りして善政を敷けるようになった。
東大寺の大仏を造り自分は下級僧侶として仏に仕えて一生を過ごした。
天皇は神道のイメージだが実際には坊さんの格好をしたり寺や仏像ばかり造ったり崇めたり
寺に篭って法王と名乗ったり戒名をもらって仏の下に旅立ったり、、、、
天皇は仏教徒なんだな。京の都も奈良も天皇の周囲は寺と坊さんばかりだし。

372 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:08:07
>>368
文字の発達していない民族の口承(伝承)とか聞いたことないの?
びっくりするくらい実際の歴史事象と重なってるよ。
どこの何族かは忘れたけど。

言葉の力と文字の力を侮りすぎだよ。
後世に伝えるのにとても便利な文字が発達してしまうと
言葉の力はなくなっていくもんだ。

現在の常識で考えすぎだよあんた。

373 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:56:07
>>370
鈴木さん乙。互いに庇いあって美しい友情ですね。でも、真実はそんな甘っちょろいものではありませんよ。

374 :日本@名無史さん :2006/07/02(日) 19:12:29
>>372
368が言ってるのは現代の常識じゃなくて、口承の限界じゃないの?
どうせ記述に比べて情報量圧倒的に少ないのでは。わかっても大枠
だけでしょ?どの辺の詳細まで口承できるものなのか示してみてよ。
あと期間も。普通に考えて千年は持たなそう。

375 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 20:54:17
口承の限界を現代の常識で考えすぎてるっていってんのw

アイヌの口承だったと思うんだけどなぁ。
専門家ではないし示せって言われてもw

376 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:09:00
記紀の神話なんか、ギリシャ神話からのパクリだらけじゃないか。
日本神話の口承ではない。

377 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 22:26:42
>>374
まず「口承」ってものを勘違いして無いか?
毎日毎日、同じ言葉を復唱し続けて、自分の人生を語るのと同じレベルの
「記憶」を刷り込まされるんだよ。ただの「暗記」だと思ったら大間違い。

そして一人が覚えるのではなく、「家」単位でその記憶を共有する。
その中で最も正確に記憶できている人間が、次の記憶を伝承していく。

宮大工の西岡常一の本なんかを読むと、理由のわからない口伝も大量にあって、
でも法隆寺などの復興工事の際には、その口伝が「失われた技術」を伝えていた。
千年以上昔の技術(しかもノウハウは失われている)も口伝で伝えることは可能だということだ。


だけど、それを以って記紀の口伝が正確かどうかの判断基準にはならない。
歴史はケースバイケースのあつまりで、法則として当てはめることができないから。

同様に歴史を「普通に考えて」判断するというのも全く無意味。
「普通に考え」られるレベルの人間が口承なんてしているわけがないだろ。

378 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 23:54:31
>>373
自分は鈴木さんじゃないけど、じゃぁ、あなたの言う真実とは?
まさか、武功夜話が偽書じゃなく一次資料とか馬鹿な事言わないよね?

379 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 12:50:39
>>378
もうそう決め付けるところが鈴木臭ぷんぷんなのだが。

380 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:12:17
まともな史学者は武功夜話は扱わないよ
やはり史料としての信憑性に欠けるから
原本が確認できないんじゃそういう扱いになるのは当然

381 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:30:44
>>373、379
教えてほしい、武功夜話をどう思ってる?
自分のスタンスをはっきりさせてほしいな?
武功夜話を一次資料と思っているなら、あなた(達)のカキコはわかる。
だが、思っていないとしたら、煽りではないのか?
そして、当たり前の事だが、史学者が武功夜話を一次資料として扱わない事への
あなた(達)の考えはどうなんだろう?
そして、小和田氏が、明治40年以降成立とは思えないと藤本氏に対していったのは事実だ。
だが、明治40年以降成立と藤本氏が書いている事実はない。
あなた(達)のスタンスはどこにありますか?

382 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 17:11:33
武功夜話を書き留めたのが原本でしょ

383 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 17:44:22
>>381
まず、あなたのその高圧的な物言いを改めるところから始めるのが良いのではないでしょうか。
そのような態度では、誰もあなたに対してちゃんとした応対をしようとは思わないですよ。

384 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:10:46
ぷっ、態度の問題かよ。程度が低いねー。

385 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:28:35
日本史板で、自著の宣伝するなよ>>>鈴木or藤本
ときどき見るが、さもしいというか、浅ましい

386 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:37:14
武功夜話を否定されて怒ってる人達って、武功厨っていう人達?

387 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:41:39
てか、図書館長は引っ込みがつかないんだろ。
専門外に手を広げ、ロクに調べもしないうちに飛びついた史料を
一次史料のような扱いで著書を出版、大河でも考証を担当し
戦国といえばこの人とまで称されるようにもなった。

ところが、その史料の問題点を指摘する人が現れ、某はお濃の墓と
思われるものを突き止め、某が唱えているお濃は江戸時代まで
生きていたという説の方が支持され初めている上に、最近では
お濃と思われる信長御台出産記述も発見される始末。
もし、これらを含めお濃が信長御台として君臨し続けていたことが
証明されれば、生駒と信長のことをさも真実のように書いてきた館長に
してみれば自分の面子も掛かってくるのは必然。
そりゃ、必死になっていろいろ突っついてくるだろうよ。

388 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 22:33:50
偽書にホイホイと引っかかるなんて恥ずかしいよなw

389 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 22:36:47
いいのかいホイホイ付いて来ちまって
俺はノンケでも平気で喰っちまう男だぜ
こんなセリフのある本があったが何だっけ?

390 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:25:29
そういった意味では、古事記・日本書紀も偽書だよにゃあ(笑

391 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:47:08
現代の歴史学では、実証主義は史料を狭く解釈しすぎていると批判されている。
心性史や社会史は上記のような史料批判で残った史料を用いるだけでは、
ほとんど捉えられないであろう。
例えば実証主義の立場から見ると、うわさや伝説は「真実でない」として
一蹴されてしまうが、そうしたうわさや伝説を受け入れ、
伝えていった民衆の心性をテーマに捉えることによって、
歴史のある側面が浮き彫りにされることもある。

wikiから抜粋。ここテストにでるから。



392 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 07:55:11
武功夜話の昭和成立説を言ってるのは勝村氏の著書ですけど。

>>391
そういう理由で武功夜話を批判している人は少ないと思うな。
あれを一次資料としては使えない、そういう意味で偽書と言っているんだと思うけど。
一部は信用おけるかも知れないが、全てが信用おける訳じゃない、ということでしょ?
(個人的には、どの部分が信用をおけるものか、武功夜話を読んでも自分には信用おける
箇所を見いだせなかったけど)
その辺の逸話集と同程度の扱いだったら問題になっていないと思うよ。
全てが信用のおける一次資料だと、お墨付きを与えた人達が問題だという、論調だと思う。
逸話というものの価値は、逸話として認められているのは間違いない。
だが、その範疇を大きく越えてしまったからね。

393 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 09:53:23
>>392
場合によっては一次資料として使える、そういう意味だと思うけど。
そして、歴史学としての現在の考え方は実証主義に固執するような
考え方に陥りやすいってことを言っているんだし、このスレもその例外ではないでしょ。

394 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 10:48:00
>>393
一部は使えるものもあるよね、各種文献には。
「甲陽軍鑑」なんかもそうだよね。

で、「武功夜話」にはそういう部分があるかないかって話になると、
最初に作られたと言う21巻本(それ以前のモノもあるという話だけど)の中を
調べるしかないけど、持ち主は拒否しているよね。
確か、小和田氏も、ざっと表面的に見ただけだったと思う。
筆跡を比べたりとか、訳本と内容が合っているかも、きちんと調べられていない。
紙質に関しては、江戸時代の紙は現代でも手に入るくらいだから、参考にするのは難しい。
当然墨に関してなんて調べられてもいない。
そうなると、今出回っている「武功夜話」としての内容で考えるしかない訳だけど、
他の一次資料と比べてみて、ほとんどに齟齬がある。
「武功夜話」にしか書かれていない部分は比べ様がないと言うけれど、前後に起きた
事件等と照らし合わせてみて、どうもおかしいという部分が多分にある。
逸話として、その中に含まれているメッセージ性を読み取るのはいいと思うよ。
でも、信用のおける一次資料というものでは、それはないと思う。
「武功夜話」で一番の問題になっているのは、信用のおける一次資料だと、世に蔓延した
間違った認識だと思う。
一部が使えるとか、逸話としてのメッセージ性を……などと言うのは、専門家なら
分かっているだろうけどね。
実証主義だけに傾倒していくのはよくないかも知れない。
けれど、まったく事実と違うと思われるような逸話が一人歩きしているから、「武功夜話」が
問題になっているんだと思う。
他の文献の話じゃなく、「武功夜話」に限って言えばね(他の文献でも同じような事は
あるモノもあるけど)
そして、それを蔓延させる為のお墨付きを与えた、一部歴史学者やマスコミが、
問題視されているんだと思うけど?

395 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 11:16:03
>>387
岡田正人を某と指してるのって、何か意味でもあんの?
かえっていやらしいな。

あと、信長御台の出産記述の本「近江何たら」のことを
自慢げに書き込む奴多いけど、普及キャンペーンでもしてるのかw

396 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 11:34:39
>>395
吉乃よりになった信長周辺の女関係を正室よりに戻したいとかかな。
武功夜話よりは、近江國輿地志は信用できる部分もあるから、仕方がないね。
ただ、その部分がその信用できる部分かどうかはしらね。

397 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 12:29:02
もし、濃姫が勝長を産んだとしたら、何歳の時ですか?

398 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:32:53
永禄11年ってことだから、数えで34歳かな?
実年齢だと、32か33。

399 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:20:10
>>395
武功の普及キャンペーンに比べれば実にかわいいもんだ。
御台出産について話題になるのは当たり前だろ。
長いこと信長御台には子供はいなかったと信じられてきたのだから
それが覆るかもしれないある意味大発見なのだから。

そして、信忠のまわりや信長側近、公家の日記等で考えればお濃を
遠ざけたとか返したなんてまずはあり得ないことを、そんなことは
おかまいなしで武功に沿った形で信長奥事情が語られてきた反動が
今きているともいえる。
姫スレでも書かれていたことだが、お鍋の件含めある意味短絡的な
風潮が今の歴史研究者やマスゴミにはある。
いろんな意味で、色眼鏡を外して信長奥関係は一度リセットして
再検証してみる必要があるのは確かだと思われ。

これは、お濃に限らず築山殿や淀にも言えることなんだがな。

400 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 18:02:10
>>399
武功夜話も、武功夜話拾遺を見ても、吉乃が御台になったなんて記事はないんだけどね。
だから、どうして濃姫を返されただの死んだだの言いたかったのか、その理由が
よくわからないと思わないか?

武功夜話には吉乃の座敷に関して「久庵様の新居御座敷も御普請なされ」だから、
吉乃の座敷も御台御殿の中に用意したってだけ。
武功夜話拾遺にいたっては、
「小牧御殿へ御移りになり御側室に成られ増る、この吉野女三子の母久庵殿の事なり。
先に清須に御移りは申四月日、小牧新御殿小牧殿の事。 」
ってなってる。
吉乃は小牧御殿に移って側室になった。
つまり今まで側室じゃない非公式の愛妾だったって言う事と、
清洲に吉乃より先に移ったのは、小牧御殿の主である小牧殿だって事が書いてある。
申四月ってのは、永禄3年4月ってことかな?
御台御殿の主である小牧殿は、永禄3年には清洲に移ってるってことだよね。
小牧城完成が永禄6年、御台御殿が出来たのがおそらく永禄8年の事。
小牧殿って言うのは便宜上の呼び名だから、土地の名前で呼ばれるのは正室の事だ。
御台御殿ってくらいだから、正室は御台って呼ばれていたんだろうな。
おそらくそれは、濃姫の事で、これのどこをどう訳したら、吉乃が御台になったとか、
濃姫が返されたってことになるのか、そっちの方が不思議なんだよな。

要するに、濃姫が死んだとか返されて、吉乃が御台になったって事にした方が
センセーショナルで耳目を集めやすかったからってことなんだろうか?

401 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 20:30:18
>>398
サンクス。
32か33なら出産は可能だね。

402 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 03:09:33
ごめん、400
概要はわかるんだけど、細かな文意が通りにくい・・・

403 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 08:52:08
>>402
「武功夜話」自体にも吉乃が御台になった事が書かれていないのを、「武功夜話」の記述を引用して
説明しているんでしょ?
その上で、「御台になったと言って回った人達は、なんでそんな事を言ったのかな?」という
>>400の疑問じゃないの?
吉乃が御台になったことにした方が、センセーショナルだから、言った人自身に注目が集まるからか?
それを狙ってやったのか?というような意味だと解釈したが。

自分は、吉乃が御台になっていないのに、なったという事に現代の某研究者達がしたのか
ということも気になるけど、
それよりも、「武功夜話」の原作者は、なんで永禄8年になってから信長が吉乃をわざわざ
引き取ったことにしたのかの方が気になる。
徳姫誕生が2年で、その産褥で病気になったのに、何年もそれを知らなかった事を書いている訳でしょ?

404 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 10:25:31
戦国史への興味、しかも信長の妻妾に著しく興味をもつ人間なんて少数でしょう。
センセーショナルというほど、
世間の興味は向いていないので、みなさん安心して下さい。

405 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 12:56:46
発表された当時、新聞で大々的に特集組んでたのは見た事ある。
朝日新聞だったか、日経だったかで。
おじさん達がその頃よくその事話題にしてたなぁ。

功名が辻の放送が始まってから、そのときのおじさんの一人が
「本当は、吉乃が御台になって、濃姫は美濃に返されちゃったんだよ」
なんて、得意げに言ったと思ったら、同調してるおじさんが何人かいた。
思わず、それ間違ってるって言っちゃったよ。
そしたら、新聞に書いてあったんだぞNHKでもやってたぞって反論されたなぁ。
マスゴミをそのまま信じるなよって思ったよ。
今じゃ、自分もおじさんだが。

406 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:06:47
自分の周囲にはそういうドラマ設定を本気にする人はいないな。


407 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:22:33
ドラマ設定じゃなく、武功夜話の吉乃が御台になった説が発表されたときの特集の事でしょ?

408 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:23:31
もう20年くらい前の話だけどね。<吉乃が御台になった説特集
確か朝日の夕刊の1面使っての特集だったね

409 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 11:33:17
信長、信玄
正室厨と側室厨の戦いw

410 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 12:03:16
>>405
「旧石器捏造事件も発覚するまでは新聞やNHKでやってたでしょ。」

って反論してやればよかったのに。

411 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 12:19:12
なんだか、微妙の論点をずらしている人間がいるな。

信長の妻妾の事など興味ない人間の方が多いが、
最近の御台長命説を知らない人でも吉乃御台説は知っている人も意外といる。
新聞やNHKで大々的に新しい説として発表されたから、印象に残っている。
武功普及キャンペーンはある意味その当時の事を知っている人間には成功している。

と、いう事でしょ?
ちなみに、最近功名が辻関連でブログを回ってると、吉乃御台説を真実のように
書いてあるブログはとっても多いから(年代的に若いと思われるブログ主でも)、
その説は引き継がれている感じはする。
たまに、御台長命説を書いてあるブログに噛み付いている人もいたりする。

412 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 00:38:10
からかうつもりは無いけどさ
つまりは濃姫厨と吉乃厨の争い・・・って程度に思えるよ。
どっちもどっちって感じでね。

413 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 21:49:15
ここも工作員率が高いからな。
本国に不利なカキコは、否定するのが奴らの仕事だから。

414 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 01:07:35
高視聴率取った大河ドラマ「秀吉」が吉乃マンセーだったから
自称歴史好きのおじさんおばさんは吉乃御台説を信じてたりするよ。
NHKの影響力恐るべし。

415 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 16:30:05
そういえば大河ドラマ「秀吉」では信雄は信孝よりも数ヶ月後に生まれたけど
吉乃の子だから次男として扱われたってあったけど本当なの?

416 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 17:29:45
>>415

信孝は確かに先に生まれているが、熱田で生まれているので報告が遅くなったため
先に報告を受けた信雄が次男になった。

417 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 17:33:55
>>415
数ヶ月ってこともない、確か40日弱だった筈

418 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:14:09
信忠が嫡男になれたのは吉乃の子だったから
織田姓を名乗れたのは吉乃の子の信忠と信雄だけ
なんて意見もブログでは結構見受けられるなw

419 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:51:38
信雄って神戸じゃなかたか?

420 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:55:36
信雄は北畠

421 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 19:00:33
>>418
信忠が嫡男になったのって、濃姫の養子になったからじゃなかったっけ?
吉乃って馬借の娘でしょ?
馬借の娘が生んだからって嫡男にするメリットないじゃん。

422 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 20:29:48
あーそか。
北畠信雄と神戸信孝か。

恥ずかしorz

423 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 20:30:59
>>418
最愛の吉乃の産んだ子だから嫡男になったと思い込んでる人もいるようだよw

424 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:17:20
>>421
逆。
信忠を嫡男指定したから、さらにその立場を強化するために、正室の養子にした。

425 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:35:43
信孝が先に生まれてたら、信孝が養子になってたんだろうか。

426 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:59:30
>>424
あれ? そんな資料残ってたっけ?
勢州軍記には
「彼ノ信長公ノ之御台斎藤山城入道ノ之息女ノ腹ニ無若君也、
嫡子信忠卿モ亦妾人ノ腹也、弘治三年丁巳誕生、是御台ノ之御養子也」
是という字は、よい事、正しい事として定めるという意味だから、
御台の養子として定めた事によって、本来御台の実子が嫡子となるところを
御台に男子が生まれなかったので、妾腹でも嫡子になったと解釈していたが?

427 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 00:50:19
>>426
すまぬ。俺の推測だす。
正室の長男が、一応自動的に嫡男になるが、正室に子がなければ、側室の子でも嫡男になれる。
信長は早めに後継者を決めておこうと、側室が生んだ、長男〜4男あたりまでを比較して、
信忠が一番優秀と判断して、これを嫡男と定め、
自分が同腹の弟と家督争いの戦争の末、弟を殺さざるを得なかったことの反省から、
信忠のみを正室の養子として、さらにその立場を補強した。
(これによって他の兄弟は信忠の競争者になる余地がなくなった)
以上が、勢州軍記のその文章からの俺の推測だす。

さらに、長男は尾張の小城に飼い殺し状態。
3男以下は他家に養子に出す。
一方、嫡男・信忠は手元において、折りに触れて後継者として教育。
同じ息子でもえらく差別的な扱いだす。

吉乃(?)が死んだ時、その遺児として信忠・信雄・五徳が残されたが、
他の子をそのままにして信忠のみを正室の養子とした点に、
養子縁組よりも嫡男決定が先と、これも推測だす。

428 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:22:58
>>427
なるほど。
でも、吉乃が正式に側室になった時点では、既に信忠は吉乃の手元にはおらず、
先に小牧に引き取られていたようですので、私は、養子と嫡男になったのが
同時と考えています。
御台の子供になったから、嫡男たる資格を得た。
これで家中からの異論がおさまるからです。
また、信忠を先に嫡男にすると、生駒家が力を持ちかねません。
日本は伝統的に、跡取りを生んだ女の家が栄えるという風潮があります。
摂関政治などはこの最たるものですね。
しかしながら、信長は、生駒家を大きく取り立てた歴史的な事実はありませんので、
生駒家が力を持つのを避けたと考えられます。
むしろ、往還状をだして馬借としての地位を保証しただけに終わっているともいえます。
とすれば、生駒家が勘違いしないように、養子を先にする方が、妥当かと思います。
あと、おそらく、子供達を比べて誰が優秀かなどと判断するよりも、もっと幼い時期に、
養子になっていると思いますよ。
信雄は勢州軍記からも、生駒の腹である事は広く知られていたようですが、
信忠に関しては、どこの側室の腹かはそう知られていなかった節があります。
とすると、やはり、話が広まるよりも先に養子になっていたと考えれると思いますので
かなり幼い時期にそうなったと考えるのがいいのではないでしょうか?


429 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 01:27:01
信忠は赤ちゃんの時に養子になったような気がする。
生まれた時から区別して育ててないと、後々揉めそうだし。
まぁ全くの推測だけどw

430 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 03:57:16
>>428
なるほど、サンクスだす。
ただ、そうすると、なぜ信忠が選ばれたのかが、新たに疑問になってくる。
なぜ、長男・信正ではいけなかったのか?
吉乃の子を嫡男にしたかったのか?
信正のあつかいは、ひどいよ。

431 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 07:47:53
>>430
信正は本当に信長の子供かどうか判然としないという説がある。
だから、信長の血を引いていない可能性がある子供を嫡男に出来ない。
けれど、血を引いている可能性もあるから、一族の婿養子にしたという感じかな。

432 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 09:01:34
>>428
吉乃の喪主も信雄で信忠じゃなかったね。
吉乃生前から、信忠は養子に出てたと考えた方がしっくりくるね。

433 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:02:55
史板の人の考える「昔から疑ってかかっていた日本史の通説」は
織田信長の閨閥だけ・・・なんだね。

スケール小さw

434 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:23:32
今現在の話題を「だけ」って…

435 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 12:30:36
>>433
それはスケールの大きくするネタを振ってみてから言うセリフだよな

436 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 13:38:30
鈴木眞哉先生の本を読んでいたら「本願寺を巡る戦いでの織田信長軍の鉄船
の存在も怪しい」と書いてありますがどうですか?

鉄船のことが書いてある史料は多門院英俊の日記に「鉄ノ船ナリ」とただこの
一言だけらしいです しかも伝聞

これは鈴木嫌いの人でも「鉄船の存在は怪しい」と思ってしまうんじゃない
ですか?
この前のNHKそのとき歴史が動いたでも大々的にCGを作成して喧伝してまし
たけどね

437 :436:2006/07/12(水) 13:46:11
追記
直接織田水軍を見たであろう太田もオルガンチノも鉄船の記録はしておらず、
織田水軍を担った九鬼家の記録にも「鉄船」の記述は一切ないとのこと
火砲の威力にのみ触れているらしいです

巨大鉄船は存在しなかったのでは?

438 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 14:16:19
存在しない、という仮定に立つと、どうやって村上水軍の
焙烙、火矢などの火計攻撃に対処したのかが謎になるな。

巨大船だったのは間違いない(多数記録がある)。
火計攻撃に耐えうる「何か」の策を講じていたのは確か。
有る資料には「鉄ノ船」と書かれている。

これから鉄甲船(鉄船だと意味が違うぞ)という解釈は変ではないと思う。

439 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 14:30:39
蒸気機関の船があったんだよ!

440 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 15:29:25
ナ,ナンd

441 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 16:23:17
鉄甲船と鉄船を間違えてる人が多い?
おそらく普通の木造船に鉄板をいくらか張ったものというのが
信長の「鉄ノ船」に関する解釈だったと思うが……。
当時の製鉄技術を考えても、そう大掛かりな鉄板を製造するのは難しかっただろうから、
火矢などが刺さらない程度の工夫だったと思う。

442 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 20:46:00
ネタニマジレスカコイイ!

443 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 20:49:06
ここはマジレス専用スレです

444 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 22:54:31
>>42

じゃあ沖縄のあの湖は「マーン湖」でよいのだな。

445 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 23:12:57
それが正しいかどうかはまた別です

446 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 15:00:42
( ・∀・)∩ ウンコビーム クラワスゾー   εε=ヽ(;´Д`)ノ ヤメテー
    ⊃



( ・∀・)∩ ニヤニヤ               Σ(;´Д`) ヒイィィィッ!!             ∩(・∀・ ) フッフッフ
    ⊃                                              ⊂


                      \人人人人人/
                      .<    人   >
      /VVVVVVVVVVVVVVVV<  (__)  >VVVVVVVVVVVVVVVヽ
( ・∀・)∩ ウンコビ━━━━━━ム <\(__)/> ム━━━━━ビコンウ ∩(・∀・ )
    ⊃ VVVVVVVVVVVVVVVVV< ( ・∀・ ) >VVVVVVVVVVVVVVVV  ⊂
                       /Y^Y^Y^Y^Y\
                        ウンコー!!


447 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:29:08
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=26%2F11%2F30.086&lon=127%2F41%2F9.072&layer=1&sc=3&mode=map&size=l&pointer=on&p=&CE.x=511&CE.y=397
沖縄のあの湖

448 :日本@名無史さん:2006/08/05(土) 01:40:45
>>441
NHKのその時で詳しくやってたな。

449 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 15:32:39
age

450 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 21:19:34
バヌアツのエロマンガ島も有りだよな?

451 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 22:24:44
昔からではないが、ふと、清正とか浅野幸長とかあの辺は全員暗殺じゃないの?と思った。
歴史上、病死ということになってる暗殺毒殺のケースって一体どれくらいあるんだろうな。

452 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 22:34:09
早乙女貢参上

453 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 16:14:04
なぁ、「トンデモと言われてるけど実は事実なんじゃないのと思っている説」みたなスレある?
なかったら誰か立てたいんだけども。

454 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:09:54
昔から疑っていた・・・
は見たことあるな。

455 :453:2006/09/14(木) 00:23:16
っていうか文章メタメタだなw
雰囲気で察してくれ。

456 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 03:11:40
そういう説がたくさんあるのか?

457 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:44:16
ここはアホのスレだな

458 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:11:33
信玄は毒殺だし光秀と秀吉は組んで信長を暗殺をしたし

関ヶ原の家康はたぶん三人目

459 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:42:47
>>453
徳川家康は5人いた

460 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 13:29:40
>>459
伊達政宗は三人(儀山政宗、愛姫政宗、貞山政宗)いた

461 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 22:31:38
『家康は今川の人質時代いじめられてばかりだった』は本当ですか?

462 :OPS:2006/10/26(木) 22:46:42
>>461
話では今川氏真にいじられたような。
まあ数年経ったら立場が逆転するんだけどね。
ちなみに家康は今川家から独立後氏真を攻めている。

463 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 02:23:00
雪斎にはかわいがられていたんじゃないの?

464 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 03:19:16
>>461
実際は義元と縁戚の築山殿をもらったりして結構優遇されていたようだ。
但し、かつての主君の氏真から独立し攻めたりしている(謀反)ので、
その正当性を主張するためそういう話にした。


465 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 17:16:13
ヒミコなんて居たの?

466 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:51:08
>>462
氏真がいじめてたってのは山岡荘八の創作だろうね
本当にいじめてたら孕石主水と同じように処分されてただろうし

467 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 07:57:25
氏真は家康のことなんか眼中になかったんじゃないか?

468 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 15:15:50
山岡の創作というか、、徳川政権があとで悪く見られないように捏造したんでしょ。
徳川は武田と組んで今側領を犯してるから、そのことで悪く見られないように、
氏真が蹴鞠ばっかやっててボンクラでその上家康に酷い扱いをしたという風に作り上げたんだな。


469 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 05:23:30
>468
>徳川政権があとで悪く見られないように捏造したんでしょ。
具体的な史料なり根拠なりを示してくれないと、
その意見自体がおまいの「捏造」ってことになりかねんぞ。

470 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 05:33:20
ゴッドハンド藤村新一の偉大な業績を教えてください。

471 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 06:47:07
>>469
じゃー手っ取り早く。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022568437/sr=8-3/qid=1162848885/ref=sr_1_3/249-9998545-4655505?ie=UTF8&s=books
これ読んで。
徳川政権が自分達の事をどう正当化してきたか、三河物語を中心に、
他の記録や文書を絡めて描いて見せている。他に北条や武田や毛利のプロパガンダなんかもある。
読み物としても面白いから買って損はない。

472 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 09:12:28
>>471
面白そう・・・と思ったけど朝日新聞社かぁ・・・
一気に説得力なくした

473 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 12:38:50
>>472
たしかに朝日だけど、著作の中まで思想的に介入するわけない。
確かにある思想に傾向のある書籍を出したりはしてるけども。
出版社はともかく、山室恭子は実証的な歴史研究では異才といっていい。
面白いかもと思ったら是非読む事をお勧めする。
1ランク上の戦国観を知りたいあなたに(´ω`)

474 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 18:07:46
>>471
朝日だからって何でもかんでも捏造するって発想はよくないぞ。
中には真性もいるだろうが、朝日もあくまでも商売でああいう言論やってるんだから。
それにこういう分野はそういう思想とはまた別。
何にしても先入観で食わず嫌いはよくない。
とにかくまずは自分で読んだ上で判断なされよ。



475 :日本@名無史さん :2006/11/08(水) 20:25:10
朝日を敵視する井沢元彦なんて捏造ばかりじゃないかw


476 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 22:28:06
では真実の語り部、扶桑社の
『紀元前に実在した津軽古代王国の謎』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4594006213/sr=1-85/qid=1162991861/ref=sr_1_85/249-9956622-7630765?ie=UTF8&s=books

『北条家の英知-日本最強の一族』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4594030815/sr=1-101/qid=1162992073/ref=sr_1_101/249-9956622-7630765?ie=UTF8&s=books

でも読んで真実に触れるといい

477 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 18:53:11
>>476
後北条家かと思って凄い勢いでクリックした

478 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 04:01:16
秀頼が秀吉の息子

479 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:28:12
>>476
さすが腐掻社w

480 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:03:26
>475

井沢の何処が捏造で?

481 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:54:15
一番の被害者は吉良上野介でしょう
毎年この時期になると憎まれるからな

482 :日本@名無史さん :2006/11/18(土) 21:00:37
>475
小学校で歴史勉強しなおして来い

483 :日本@名無史:2006/11/18(土) 22:13:57
養老院で復習する

484 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:11:27
ヨーロッパ基準で日本でまともな新聞は赤旗だけだからなー

485 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 21:11:05
あげ

486 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 21:35:59
田沼意次

田沼恋しき

って有名な狂歌が残ってるのに
一昔前までは汚職侍の代名詞


なんだかね

487 :日本@名無史さん :2006/12/11(月) 06:00:03
もとの濁りの田沼

濁っていたんだから汚職だろ

488 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 06:08:21
そうとは限らんだろ
白河によるレッテルを引用符つきで引いただけ
という解釈も十分ありうる

489 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 06:09:22
俺が引用符を忘れたなw
「白河」側によるレッテル貼り、だ

490 :日本@名無史さん :2006/12/11(月) 11:24:17
一般庶民の狂歌なんだから、どっちの側ってこともないと思いますが

491 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 11:36:00
>>487
田沼=汚職政治家ってのは松平定信が田沼一派を失脚させる際に
プロパガンダとして流布させたもので、一般庶民もそう思ってたってこと。

それを元に、辻善之助が田沼に批判的な論文を書いたことでイメージが定着した。

492 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 14:19:47
要するに一般庶民の生活的には田沼治世のが気楽に暮らせたってこったろ

それが全てとは思わないがさ

493 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 16:12:03
>>490
>>489はまさにそう言ってるんだよ

494 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:30:36
あげ

495 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 11:59:44
当時は市場経済の勃興期で、経済学の概念も稚拙だったので、
「物価が上がり過ぎて生活が苦しいのも、国庫がピンチなのも田沼が悪い」
と言われれば、妄信しても仕方がないよね。

で、その後に行われた財政改革は、超緊縮財政で、急激なデフレが
起こり、どんな身分にあっても不況に苦しんだことは想像に難くないが、
庶民が 「白川の治世より、田沼時代の方がマシだったなあ」 と思うのは
これまたムリもない話。

ただ、後世、我々がこれらの事件を評価すれば、「幕府の財政を立て直せなかった
田沼は失脚して然るべきだったし、白川の緊縮財政は、急すぎて社会が不安定化
させただろうが、他の誰も、別の方法を持っていなかっただろう。」 となると思う。

496 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:59:03
財政は改善の方向に向かったはずだが?

497 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 13:54:46
田沼は親子そろって大ばか者です。

498 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:33:15
>>496
今のマスゴミが「景気は回復傾向」と報道しているのと同じw

499 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 00:20:02
蘇我入鹿

500 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 16:22:58
徳川吉宗の統制的な重農主義経済が完全に破綻して、家重が代わって
浮上させたのが経済に明るい田沼ら若手官僚が開発していた商業経済を
盛んにして市民を富ませて税収で幕府を潤わせる重商主義経済。

田沼は無駄の削減と不正の摘発を行いつつ通貨改革、貿易格差の是正、
税収の組織化を行ったので幕府開闢以来最高の利益・備蓄をもたらした。
このまま田沼時代が続いていれば日本の経済はもっと進化し、幕府の
近代化もスムーズに進行したはずなのだが、家柄第一の守旧派がクーデター
を起こして改革派は一時追放され、松平定信の「寛政の改革」が始まる。

ところが商業経済を全く理解できない農業第一の定信らがやった事は、
出稼ぎ農民の強制送還や副業の禁止による流通の破壊、会計監査の廃止、
通貨改悪による支出の莫大な増、それに伴う国防の縮小、歳入なき福祉
政策などで田沼時代のたくわえをほとんど使い潰して国家経済を事実上
再起不能にした。「田沼時代以後に幕府の経済政策なし」という学者まで
いる有様。
はっきり言って幕府の崩壊は、定信と彼を利用した一橋将軍家の無能
無定見によるもの。歴史教育はいつも暫定的な結論でしか無い見本だ。

501 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:00:01
あ、それと田沼は庶民に禁令をあまり出さなかったことで有名。
結構有名だけど、逆恨みで殺された息子のことを誹謗中傷する
町人の落首や出版物も統制しようとしなかった。だから当時の
民衆はこの最高権力者を思う存分笑い飛ばし罵る物を残している。

一方の松平定信は徹底した思想弾圧を行い、出版はもとより蔵書や
持ち物まで検閲するすさまじさで、批判を一切許さなかった。例の
「かほどうるさきものはなし」の歌を詠んだと疑われた幕臣は、
潔白をほぼ証明したにもかかわらず、その疑いがあったというだけで
左遷されている。

権力と周囲に合わせたがる日本では、権力者の都合による歪曲は結構
簡単に実行されて定着しちゃうもの。


502 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 22:27:56
批判ばっかの出版物が並んでいるから、その時代が暗黒的だった、
という解釈ではなく、批判したものでも出版することができたから開明的だった、という見方な。

503 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:55:38
大河ドラマ「風林火山」を見ていると、武田信虎が、重臣に意見を
はかることもなく、何でもかんでも一人で決めているが、
あんなことあるわけない。

504 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:57:52
「毛利元就」で、元就の親父が、やけに重臣に気を使っていたが、
あれの方がまだリアル。
 ただし、ドラマを史実に忠実に再現してやるようになったら、
面白くないので、俺は全然見ないと思う。

505 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:43:34
日本史の通説って「○○物語」や軍記物、講談
といった「お話」が元になっているものが多いよね。
つまり、かなりのものが嘘八百w

506 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 02:18:05
一体どこで物語を根拠にした通説が流れてるのかと小一時間(ry

そういうのはな、
俗 説 っていうんだバカ。

507 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:37:15
あげ

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