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【安宅】三好一族についてかたれ!!Part2【十河】

1 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 16:07:27
「堺幕府」や「三好政権」といった体制を築いた
稀代の一族である三好一族について語るスレです

前スレ
三好一族についてかたれ!!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1037380368/


2 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 16:13:47
復刊ドットコム・戦国三好一族
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13502

勝瑞館跡公式ページ
http://www15.ocn.ne.jp/~shouzui/

3 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 16:16:41
一応張っとく。

松永久秀
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1080053576/l50

語尾に「地味だけど」をつけて三好長慶を応援するスレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1145115977/l50

ここだけ室町時代に時空移動しているスレ巻ノ弐
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1143989041/l50


4 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 16:20:13
南海治乱記の宣伝は戦国三好一族が落ち着いてからで。
とりあえず前スレを埋めよう。

5 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 16:55:52
前スレ埋め完了
遅くなったが>>1->>3

前スレ>>996
詳しく聞かせてください

6 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 17:07:15
>>5
前スレ996です。
ミネルヴァ書房から出ているミネルヴァ日本評伝選より、三好長慶の刊行予定がある模様。
既刊の巻末にある刊行予定リストの中ににあった。著者は仁木宏氏。
ただしHP上の刊行予定書目には未だ掲載されていないため、発行日等は一切は不明。

戦国三好一族の復刊より、こっちの出版のほうが早い可能性もある。

7 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 17:28:45
四国勢力が弱小なのは、致命的。

本州・九州の勢力に1勝も出来ていない。

豊臣軍の前になすすべなく、たった半月で降服したチョーソカベ。

四国統一を武力ではなく調略優先というのも痛い。

武将というより、寝返り工作員だな。

鉄砲を装備した伊予勢に苦戦するは。

水軍ないから、豊臣と海戦出来ないし、上陸され放題。

どう考えても、三好より弱い。鉄砲や水軍持ってる伊予勢のがまし。

三好は9か国支配だけど、チョーソカベは四国だけ(伊予も統一できてないらしい)

九州勢には、負けるし。いいとこなし。

8 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 17:41:08
>>6
情報サンクスです
著者をクグってみたが中々本を出してる方なようで
しかも織豊期の研究もされてるというから長慶をどう扱うのか結構楽しみ

9 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 19:30:52
長宗我部は確かに羨ましいほど評価されてるよな。
戸次川ではやたらと信親ばっか悔やまれてるが
我らが存保も中々かっこいいといえばかっこいい最期だったし
存保さえ生きてれば讃岐の大名として生き残れたのに。

10 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 19:36:09
長宗我部は土佐好きの司馬が書いてくれたからなー。
小説で書かれたイメージって重要だな。

11 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 20:03:22
司馬の『夏草の賦』では
存保はどう描かれてるんだろ?

存保のほうを鬼十河と記述されてるのは聞いたことがあるがw

12 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 22:25:33
南海治乱記
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=19353


13 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 22:34:42
>>11
存保を鬼十河と書いた上に、巨漢で性根の小さい男としている。
これに対して十河の子孫が相当怒ってたのを見た事がある。

14 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 23:16:12
>>13
それは酷いな
一存にまで影響を与えそうだ

15 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 23:26:23
三好が主人公になれば
長曽我部が悪役になるんだし仕方なかろうて。

16 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 23:56:59
マジレスすると三好が主人公の小説って
長慶が殆どだろうし長宗我部の出番はない

17 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 00:33:13
一存主役のもあったけど、当然、長宗我部なんて欠片も出なかった。

18 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 00:58:08
安宅冬康や十河一存の養父ってどういう人なんですか?
あとそれ以前の安宅氏や十河氏ってどういう家だったんですか?

19 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 01:03:13
>>18
十河 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sogo_k.html
安宅 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/atagi_k.html

ここが参考になるかと。

20 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 01:16:05
>>17
詳しく

その一存は事実通り
最強の豪傑でツンデレに描かれてる?

21 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 01:21:56
海音寺潮五郎の「十河物語」
鬼十河エピソードの由来の寒川との戦いの話。

問題なく豪傑でツンデレだと思う。

…多分。

22 ::2006/04/18(火) 01:33:33
十河とは鳥刺しぞなと笑われた卑怯者の十河のことですか?

23 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 02:13:04
>>21
単行本じゃないのかな?
クグったけど情報は一つ…
どちらにせよ今じゃ入手出来ないよな…('A`)
まあそういう幻の本ってのも悪くないか

24 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 08:42:26
>>23
単行本「三河武士」に入ってるが、もう絶版だと思う。
古本屋か図書館で探してみてくれ。

25 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 13:05:41
しかし人少ないなぁ・・・
地味スレに皆行っちゃったのかな・・・

26 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 13:17:50
前スレだって2002年末から3年強かけて埋まったような進みだし、
マターリやればいいんじゃね?

27 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 14:09:29
まあ確かにそうだけどね

伸びるときは伸びて
伸びないときは伸びないのがこのスレだし(まあどのスレもそうだと言えばそうだが

28 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 20:11:45
今思ったのだが復刊ドットコムで
南海治乱記は「上」、「中」、「下」が別になってるけど
これじゃ票が集まらない気がする。

他にも複数に分かれてる本はあるが
ページは一緒だし。

何とか効率を良くするために
ページをまとめられないのかな?

29 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:10:43
>>20
>>21
十河ツンデレ詳しく。
俺の中で鬼十河のイメージが変わる予感。。。。



30 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:27:50
>>29
ヒント:松永久秀

31 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:06:42
>>29
有馬温泉に行く際に松永の助言を無視したり(尤も嫌がらせでいったのだろうが)
戦場で傷を負った際、傷に薬じゃなく塩を塗って
その後、平然と戦場に立ったりしてたし
意地っ張りなのは確か

32 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:36:11
それでもって、身内にはデレとか?

33 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:00:43
>>32
長慶の嫡子である義興没後に
一存の子の義継が本家の後継者になったのだから
意外にかなりデレてたかもね

34 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:28:12
一存って持隆殺害の実行犯なのに、そこら辺何も言われないよな
義賢ばかり攻められてカワイソス

35 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 03:04:09
大形殿を寝取ったんだから仕方ない。
だけど義賢の辞世の句を見るとなんだかな・・・・・
恩があった持隆を殺害するのは避けたかったんだろうな・・・・・

36 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:38:47
十河存保の跡継ぎって、その所領と十河家家臣団取り込みを狙う生駒親正に
毒殺されたんだっけ。
んで、存英ちゃんは財産を失って放浪?

37 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 00:03:10
>>長慶の嫡子である義興没後に
一存の子の義継が本家の後継者になったのだから

一存のほうが先に死んだだろ。

38 :33:2006/04/22(土) 00:54:25
>>37
だから義興の死に関係ないときから
長慶のことを気遣ってたってことです

だとすれば確かにツンデレかな?

39 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:05:46
かっ、勘違いしないでよねっ!
べ、別に兄上のことなんか、心配してないんだからっ!

…という一存が脳内を駆け巡った。

40 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:16:41
気持ちが悪いから止めてくれ。

41 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:35:59
実休も冬康も久秀を重用してる長慶のことを
気にかけてただろうが、
それが一番露骨に表れてたのが一存なんだと思う。
冬長?(゚听)シラネ

42 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:36:28
長宗我部に通じた一宮と新開の最期って、
土佐物語と三好記じゃ書かれ方が真逆なんだが、
どっちが正しいんだ?

43 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 02:17:36
>>36
そう。

>>42
ここで質問しても三好記としか返ってこなそうだが。
俺は両方とも読んだことはないけど。

俺は一宮成助も新開実綱も謀殺されてるほうが真実っぽいと思ってるが
元親は康長の子、康俊を逃がした話もあるようだし…

44 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 15:09:46
三好(十河)と長曽我部は、
敵対同士だったから真逆に書かれてても、
おかしくない罠。

45 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 15:59:36
野口冬長って誰?

46 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 16:28:02
>>45
三好元長の五男。
すなわち長慶、義賢、冬康、一存の弟。
しかしそれ以外のことは謎。

47 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 22:09:59
三好笑岩っていつ死んだの?

48 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 07:52:26
>>47
明確な時期というのは不明。
しかし宗休記では津田宗及の茶会に出てること(1584年)
元親記では秀吉に降った長曽我部元親を歓迎してるので
長曽我部元親が降った1585年までは生きていたと思われる。

手軽な資料といえるかわからんが
信長の野望の武将ファイルでも1585年が没年になってるし
1585年が一つの目安と思ったほうがいいかと。

49 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 15:37:27
三好義継が死んだ後の三好家当主は十河存保ですか?

50 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 17:14:30
>>49
存保は長治の死後に跡を継いだから、
義継死後に長治、長治死後に存保、という流れで当主になったはず。

しかし本家の当主ながら勝手に信長に降伏し、
その後すぐに離反して死んだ義継のことを庶家の長治、信康、存保は
どうに思っていたのだろう。
義継の跡を継ぐという認識はあったのやら。

51 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:24:04
>>50
いや、義継は松永久秀の傀儡みたいなもんだし、本拠地四国に帰っていないので
久秀・義継が三人衆と袂を別ったときに四国三好の宗家の家督は事実上、長治に移動している。
もともと本州三好と四国三好は、元長や長慶のようなカリスマがいないと海を挟んでいるせいもあって
バラバラになりやすいしね。
長治亡き後、阿波三好の頭領格だった三好式部少輔康俊だって本州に行っちゃったオヤジの康長の
意向に関係なくさっさと長宗我部に降伏してるし。


52 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:31:37
三好式部少輔が別宮浦で討死したあと、式部少輔の子・小太郎(三好俊永)は
元親に降り土佐に移され、長宗我部家改易後は山内家に仕えたそうですが、
長宗我部家・山内家の家臣として何か活躍した事跡はありますか?


53 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 00:14:52
何だか一問一答の流れになってきたな・・・
質問も勿論いいが、語り合うスレなんだから語り合うことも忘れずに
じゃないと流れが止まって直ぐにネタ切れになるだろうし

54 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 02:37:54
>>53
じゃあ何か語れ
話題出せ

別に話題が次から次へとあって流れていくようなサイトじゃなくて、
誰かの書き込みでAGEられたのをきっかけに、チョコチョコっと
書き込まれてはまた沈むのがこのスレ
パラパラと質問が書き込まれる中に話がふくらませていけるものがあれば
それを語り合えばいいだけじゃん

>>52
なぜ祖父の笑岩は孫を取り返して、いっしょに豊臣家に仕えなかった
のだろう?
三好秀次に家督を譲ったので遠慮したのかな

55 :53:2006/04/25(火) 21:27:56
>>54
質問は質問でも前のレスに続いていないようなものが
何度も続けば流れは止まる
現に>>42から一つ、二つ置きに質問が来てるし、語り合う暇もない
俺が話題を出すとしても直ぐに質問がくるような流れだから
>>53のようなことをいったの
あと質問の中には検索すれば出てくるようなものもあるわけだが

>じゃあ何か語れ
>話題出せ
じゃああんたは今まで出た質問に答えてるんだよな?
そうじゃないなら凄い余分で不愉快なこといってるぞ

56 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 03:34:50
戦国三好一族が75票まで来たな。
何だか数えるのが楽しくなってきた。

しかし南海治乱記は伸びないなー。
戦国三好一族と1年しか登録日が違わないのに。

57 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 10:42:00
>>56
何か古い専門書っぽくて敷居が高く見えるのかも。

南海〜は話の辻褄が合っていないところがあったりするけど、読んでいて面白い。
史料価値はちょっと低いけど、読み物としては十二分に楽しめる。

58 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 12:56:25
南海〜が伸びないのは、
やはり上、中、下が三つに分散されてるというのもあると思う。

59 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 13:44:09
完全版みたいな形で一冊で出ると、読みやすくて助かるんだけどな<南海〜

昔阿波物語とか三好記も訳本が出ると、読む人が増えていいのに。
昔阿波の元長が祖谷に流される話とか、
どんだけ田舎なんだよって感じで面白かった。

60 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 14:23:40
南海治乱記ってどういう本
なんですか?

61 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 17:33:26
昔阿波物語は群書類従にはないですよね
何みればよめますか?
おねがいします。

62 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 17:53:55
>>61
四国史料集
既に絶版だけどな

63 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 22:06:19
三好民部大輔一秀と笑厳康長って、兄弟のくせに全然タイプ違うよなあ。
一秀は元長軍の中でも猛将として名高いのに、康長は策士タイプ。
康長が先に死んで一秀が残っていれば、三好一族の良い後見役になっただろうに。

それから三好長逸の子で文武両道、仁義にあつく兵に慕われ、将軍義輝に
「武人の鑑」とほめられた三好久介長将。
彼が早くに戦死したのも残念。

64 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:12:00
>「武人の鑑」とほめられた三好久介長将
詳しく

65 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 04:39:53
知らなかった、三好兵庫(久助、久介)って長逸の子供だったのか
そういえば同じ三人衆の政康って子供や孫はいないのかな?
弟の政勝は旗本になったので可政とか勝正、長賢などの子孫の名前が残っているけど
政康だってあんなに長生きしたのなら子供がいてもよさそうなものだが・・・

66 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 20:39:03
同性愛者だったんだよ。ここにも書いてある。
http://ip.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=9712345sss&BookId=1&PageId=139593&PN1=20&PN2=0&PN3=0&TP=25&SPA=210&SSL=

〇真田幸村入城す
真田幸村は少年時代、上杉家へ人質に出され、当主景勝に毎日のように性的辱めを受けていたところを豊臣秀吉に救われ、秀吉の側近大谷吉継の娘と婚儀を結ぶなど厚遇を受けていたため、亡き秀吉の子、秀頼の尻を守る戦いに命をかけることを決断。
関ヶ原後幽閉されていた紀州九度山を脱出し大坂へ向かう。

その彼の元には、甲賀の中でも特に性的拷問に強い忍や、日々男色に耽るエキスパートゲイの破戒僧など、家康の性欲に負けない剛の者が結集。
真田十勇士を名乗っていた。


67 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 23:19:38
>>66
それなんてry

68 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 23:37:19
ネタの誤爆?

69 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 03:17:47
('A`;) 政康が「日々男色に耽るエキスパートゲイの破戒僧」・・・


70 :オウム横山弁護士:2006/05/02(火) 04:19:54
も、も、も、もぉ、やめてぇ〜〜〜〜〜。

71 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:47:54
>>65
三好政康って政高って子供いなかったっけ?

72 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 15:19:12
三好も長宗我部も元々は同じ細川被官だったんだよね。
長宗我部元親の「元」は細川晴元からの偏諱だし。

73 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 15:41:18
篠原某も三好党なの?同姓なので気になる

74 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 17:25:06
>>73
確か篠原家は最初は細川家の家臣だったと。
持隆暗殺後に長房が義賢に仕えたんだし。

75 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 12:12:20
>>72
細川氏が土佐に影響力をもっていたのは、細川政元(長宗我部氏では兼序の代)
までで、細川氏は畿内における同族同士の争いで土佐への実質的な支配権を
喪失した後は、大平、本山、吉良、津野、安芸、香宗我部、長宗我部などの
豪族による分割支配となった。
ただ、豪族同士で延々と争っていてはお互いしんどいということで、
土佐国司・一条氏が土佐守護・細川氏に代わる象徴・調停役・土佐国棟梁として
豪族たちの上座につく形となった。
だから、畿内に接する三好氏と異なり、長宗我部氏が細川氏から離れたのは早い。
しかもその後、一度滅んで一条氏によって復興してもらっているから、国親以降の
長宗我部氏は細川氏の被官とは言いがたいんじゃないか?

76 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 12:16:34
篠原長房 永正10年(1531)〜 天正元年(1573)7月16日

三好氏の家臣。
もとは阿波守護であった細川氏に仕えていたが、三好義賢の力が台頭してくると、
その家臣となる。
(ただし、三好氏がすでに阿波・讃岐の筆頭実力者だったので、父親の代から
三好氏の指揮下)
1562年、久米田の戦いで義賢は戦死したが、長房は戦場からの逃走に成功した。
その後は義賢の子・三好長治を補佐して足利義栄の擁立など、悪評の強い人物
ではあるが、三好氏の分国法である新加制式の編纂にあたるなど、三好長慶の
死後に衰退した三好氏を支えようとした忠臣でもあった。
やがて織田信長が上洛してくると、しばらくは三好三人衆と協力して信長と
敵対したが、やがて信長の強大さを悟って降伏し、その家臣となりその体制下での
三好氏存続を模索する。
しかし、彼と不仲であった一族(弟とも)の篠原自遁が「長房が裏切りを
画策している」と讒言する。
それに対して怒った長治が細川真之と協力して攻めて来たため、長房は自害を
余儀なくされた。

77 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 21:46:43
細川の下で重んじられていたので、
細川撤退後に袋叩きになったんじゃないの?
だとすれば、元被官でしょ。

78 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 12:49:31
それなら何で一族の讒言が原因なの?
同じ元被官でしょ。

79 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 22:55:25
篠原長房カコイイ!

860 :日本@名無史さん :2006/03/25(土) 08:54:28
 ____ 統率 武勇 智謀 政治 魅力 野心 仁義 
 三好長慶 85  69  85  90  92  88  78 
 三好義賢 78  72  73  77  63  95  36 
 安宅冬康 75  68  72  71  70  54  82 
 十河一存 82  92  46  54  85  75  64 
 三好長逸 70  65  67  74  64  62  61 
 三好政康 62  72  57  64  60  70  54 
 石成友通 62  66  64  73  68  72  51 
 三好康長 45  41  65  71  63  61  50 
 篠原長房 65  60  82  89  65  58  72 
 松永久秀 79  72  94  94  68  99  11 
 松永長頼 84  86  73  85  70  69  77 
 三好政長 65  60  72  81  59  89  25 
 三好政勝 65  67  60  62  61  77  56 
 三好長房 60  62  43  55  53  55  58
 三好義興 63  64  62  60  70  65  66
 三好義継 56  66  49  52  65  67  58
 三好長治 25  49  29  36  39  82  21
 十河存保 72  74  64  63  67  73  61
 十河存英 42  59  53  34  51  58  57
 安宅信康 61  62  53  42  57  61  68
 安宅清康 53  54  60  58  55  44  62
 三好康俊 44  51  51  59  53  62  48
 三好房一 51  62  59  60  61  54  55

80 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:50:47
>>77-78
自遁(肥前守)がのちに小少将に操られて長房(右京之進、弾正、紫雲)を討って四国の三好勢力の
崩壊を招いたように軽率な人柄であったのに対し、長房はその破滅の原因となったぐらい
謹直マジメなヒトだったので、自遁の不行状に篠原一族の筆頭としてあれこれと諫言・説教を
することもあり憎まれていた。

その説教を受けることの原因となった自遁の浮気相手が義賢の妻の小少将(大形殿)。
小少将は細川持隆の妻として細川真之を生み、持隆が義賢に殺されると義賢の妻となり
三好長治を生み、義賢の死後は自遁などの男と遊びまわっていた。
小少将は、あれこれと長治や自遁に諫言・説教する長房を不愉快に想い、自遁や長治を
動かして、長房を攻撃、死に至らしめた。
なお、小少将は細川真之と三好長治という自分の子供たちが争い、長宗我部方に
ついた真之が長治を滅ぼし、その真之も十河存保に自害に追い込まれ、自遁が元親に追われて
淡路に逃げると、今度は元親の妾となり右近大夫を生んだ強烈な女性。
長宗我部氏が滅びると、右近大夫を連れて「細川つながり」で細川忠興を頼って身を寄せた。
ちなみに、その右近大夫は大阪の陣の際に盛親の手紙を受け、盛親の孫・盛胤を引き連れ上京。
落城後伏見にて切腹を言い渡された。
切腹の折りには郎党、小宮崎久兵衛が「若は切腹を知らぬゆえ拙者が先に手本を」と
言って腹を切り、それを見た右近大夫は「心得たり」と笑って切腹して果てたと言われている。

篠原一族は、筆頭の上桜城主の篠原弾正紫雲のほかに、そのライバル木津城主の篠原肥前守自遁、 
長治の側近として権力を振るった今切城城主・篠原玄蕃亮、そのほかに八万夷山城主・篠原佐吉兵衛、
三好郡中庄城主篠原三河守など、細川〜三好家の中でもかなりの大族。

81 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 02:19:28
>>75
長宗我部国親の「国」も細川高国の偏諱だったはず。

82 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 10:33:26
>>81
信長からもらって信親、ってのもある
田舎者の常で、中央の偉い人の名前を欲しがるクセがあるんだよ

偏諱なんて飾りです
田舎者にはそれがワカランのですよ


83 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 20:27:51
しかしそんな田舎者のほうが知名度が高く、小説のネタになりやすいのも
また事実・・・!

84 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:34:32
>>82
当時の信長って、それほどのものでもないだろ。

85 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:38:56
>>80
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー

86 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:50:18
なんで評価低いんだろうな この一族

87 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 01:30:22
>>86
・メジャーな作家による小説がない
・光栄で優遇されていない
・信長・秀吉・家康の手によって明示的に滅ぼされるのではなく、フェードアウトで
 歴史から消えていったのでドラマ性にかける

88 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 09:00:35
小説にはしづらいのは確か
シバリョウ的小説はまず無理
やるなら「たそがれ長慶」ってとこだな

89 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 12:37:25
加えて

同族同士や元仲間の裏切りや小競り合いが多くてわかりにくい。
松永久秀のほうがキャラが立っている。
将軍家とまともにやりあってるので、逆賊っぽい扱いがぬぐえない。

90 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 17:24:28
松永久秀は今週の日曜日に大河ドラマに出てたな。一回きりとはいえ出るだけまし。
やっぱり長生きして信長と絡んだのと、派手な死に様はドラマになりやすいな。

将軍殺しも松永のせいになっていた。本当は三好三人衆とかいろいろあるんだけど
ドラマ的には「信長そっくりの悪人」という扱いだから別にいいのか。

突き抜けた悪人のほうが人々の関心が集まるからね。あ、別に三好が悪人とか
そういうわけじゃないんだけど。

91 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 00:42:33
いっそ、大河とは言わんが年末・正月の特別時代劇で「超奸雄!松永久秀」とか
やらないかな?
だったら、脇役として三好一族が登場することが出来る

92 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 11:54:11
そんな番組だと
我らが長慶様は若ボケにされ
鬼十河様はわけわからんプロレスラーが配役になったりしそうなんだが

93 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 18:12:49
つーか松永の影に隠れてるのが現状だし
松永主役じゃ逆効果になりそうだ。

94 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 20:28:31
自治厨ですまんけど、日本史板でドラマの話はよそうぜ

95 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 08:36:21
>>94
たまにやるくらい、別にいいんじゃないの。
そんなにネタがあるわけもないスレなんだから。
そもそも日本史板でドラマネタ禁止なんてルールも存在しないし。


96 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 18:58:48
新鮮なネタがあるわけもないというのなら、過去の人物や事象について語る主旨の
この板のほとんどのスレが該当してしまうわな

97 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 21:16:22
>>94
他になにか話したいことでもあるのかい?

98 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 08:12:33
>>53の質問禁止さん=>>94の自治厨さんなのかな?

このスレを高尚なネタを上品に語り合うスレに限定したいみたいだけど、そんなことしてたら
このスレは限られたヒトだけのカビの生えたスレになっちゃうよ。
三好ネタで新しい素材がこれからそんなに出てくるとも思えないし。

俺としては、新しい三好ファンの発掘のためにも、質問厨な初心者もOK、
IF話やドラマネタなどの「レベルの低い話」もある程度ならOK、
にして活気のあるスレであってほしいな。


99 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 08:24:27
南海治乱記の千松丸のくだりはドラマになりそうだ
泣ける

100 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 10:44:56
確かにあれは泣けるな。
命すつるも子ゆえにすたれ、けなげなれとよ、千松丸

治乱記だったかは忘れたけど、九州に赴いていたはずの十河の兵が
続々と十河城に入っていくのを見かけたから、
勝って帰って来たんだなと城に赴いたら、そんなような兵は来ていないと言われて、
じゃああの兵は何だったんだ?九州で何があったんだ?と
いぶかしく思ったとか言う逸話も泣ける。四国に帰りたかったんだろうな…。

101 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 17:09:39
>>98
同意

102 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 05:16:59
伏見城で鳥居元忠らとともに戦死した佐野綱正は笑岩の旧臣だそうですが、
三好一族ではない三好家臣で、その後の歴史にちょっとぐらい名前の出た
ヒトっていますか?

103 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 00:58:08
松永久秀

104 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 01:24:27
高山右近

105 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 02:05:13
横田村詮

106 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 02:13:27
石成友道

107 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 08:58:22
中村一氏が岸和田城主になった時に
三好氏の旧臣を何人か召抱えてるな。上で出てる横田とか。
関ヶ原の前哨戦で討死した成合利忠もそうじゃなかったかな。

108 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 14:38:17
… ┳長秀━━━┰(元長)
  ┃        ┣一秀
  ┃        ┗康長 ━━┯康俊 ━━━俊永
  ┃                └信吉(秀次)<羽柴>
  ┣頼澄<小笠原>━政成
  ┣長光<芥川>
  ┣長則━━━━長逸
  ┗元長━━━┳長慶 ━━┯義興 ━━━義資
           ┣勝長    └(義継)
           ┣義賢 ━━┳長治
           ┃       ┣存保<十河>━存英
           ┃       ┣冬次
           ┃       ┗長助
           ┣冬康<安宅>┳信康
           ┃       ┣清康 ━━━重俊
           ┃       ┗康重
           ┣一存<十河>┳義継
           ┃       ┣存之
           ┃       └(存保)
           ┗冬長<野口>─長宗
… ┳勝長     ┏政康    ┏可政
  ┗政長━━━┻政勝 ━━┻長富

109 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 15:32:12
>>108
随分詳しい系図だな。
野口冬長の子供まで乗ってるし。

つーか元長って長秀の嫡男じゃなくて之長の四男だったの?

110 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 15:40:52
訂正

×四男だったの?

○五男だったの?

111 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 15:42:06
元長は長秀の子。
系図によっては之長の子になっていたりもするけど。
あとこのコピペだと一秀が長秀の子だけど、
之長の子になっている系図もある。

112 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 09:49:44
>最終更新 2006-5-122
ワラタ

113 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 00:52:53
>>102
三好家といえばキリシタン武将が欠かせない。

三好長慶はキリシタンに寛容だったので、配下に三箇氏とか結城氏とか池田氏とか
キリシタン武将がけっこういたが、みんな没落して消えていった。
中でも河内の三箇領主の三箇頼照は有名で、フロイスなどの南蛮人宣教師が残した
資料にちょこちょこ出てくる。
三箇頼照は熱心な信者で優れた宗教論を述べ、フランシスコ・カブラルが
「日本人って超賢い!」と感心してインドのゴアに書簡を送らさせるに至った人物。
キリシタン嫌い多羅尾常陸介に「毛利に通じている」と讒言されて信長に幽閉されるも、
息子の頼連の堂々たる弁明と佐久間信盛の取り成しで解放された。
頼連に領地を譲って信仰に没頭したが、頼連が明智光秀に加担したため没落、
その後は大坂で布教を続け、バテレン追放令が出されてからは宣教師オルガンティノの
潜伏を助け、小豆島、播磨室津、堺、近江永原などを転々とし高齢のため没した。
頼連もまた優れた人物で、多羅尾常陸介の讒言の際は信長に殺されかけたが、臆することなく
堂々と弁明したため、信長も感心し許した。
明智光秀に加担して所領を失った後、筒井定次、小西行長などに仕えた。





114 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 13:44:24
本能寺後の状況で明智光秀に加担したってだけでアホだろ。

115 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 13:49:04
結城秀康の家臣で、生国阿波の三好六郎兵衛っているね

116 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 03:10:24
>>114
信長はキリシタンを厚遇してはいたが貿易のために利用しているだけで、
自らを神になぞらえていることは一神教であるキリシタンの頼連には
ガマンしがたかったんじゃないの?
ましてや、過去に讒言をとりあげて頼照・頼連を殺そうとしたわけだし、
怨みをもっていてもおかしくはない。
また、光秀は高山右近にも「キリシタンを優遇するから加担しろ」と
誘いをかけているので、それにのったのかもしれない。

117 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 13:33:00
三好家臣(陪臣?)の結城山城守忠正と
下総の結城氏に深い繋がりがあったのなら面白いのになぁ。

118 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 20:39:22
>>117
結城忠正は幕臣では?
あの当時の幕臣の多くが実質的な支配者である三好長慶に従っていた。

それから深いかどうかは別として、もとは下総結城氏でしょ。
結城氏の誰かが京の都で将軍家に仕え、畿内に土地をもらって定着し、
その末裔でしょ。
武田・高などの多くの鎌倉・室町時代の大族は、たいていその一部が
将軍直臣として地元とは別に畿内に所領をもらって小豪族・土豪と
なっているから。


119 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 10:29:12
内藤如安
高山右近
三箇頼照
結城忠正
田原対馬守

確かに三好関連の武将はキリシタン武将も多いよね。

120 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 19:33:22
三好笑岩も晩年に黒田如水の勧めでキリシタンになったはず

121 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 02:10:48
三好氏の家臣(時には敵)といえば摂津国人衆。
池田氏、伊丹氏、塩川氏、三宅氏、茨木氏、能勢氏などいろいろな国人がおり、
その姓のもとになった地名もいまも数多く大阪・兵庫に残っている。
これら国人衆は、三好氏とともに滅んだ者、織田氏の畿内進出時に滅ぼされた者、
荒木村重とともに滅んだ者、明智光秀とともに滅んだ者などがおり、秀吉の天下獲りの
ことまで大名級の国人として残っていたのは塩川氏ぐらい(それもお家騒動で滅亡)。
池田氏は、三好三人衆と結んで兄・勝正を追放した池田知正が、主従逆転で
荒木村重に仕え、次に秀吉に仕えたが二千七百八十石で大名とは言えない。
能勢頼次は明智光秀に加担して所領を失い、宇喜多氏、豊臣大納言家などに仕え、
関ケ原の戦いで軍功があって旧領である能勢に旗本級の所領で復帰。
伊丹氏は、本家は荒木村重に滅ぼされたが、庶流が武田・徳川に御船奉行として仕えている。

122 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 03:51:58
塩川(塩河)ってのは塩じいの先祖なんだよな。

123 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 09:49:08
へ〜。

でも摂津国人衆ってかつては細川の家臣でもあったわけだし、相反常無き家臣
というイメージ。独立領主みたいなもんかな。

124 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 08:24:44
三好一族およびその家臣・陪臣の中で、家康時代まで大名または万石取りの陪臣として
残ったのは
 柳生宗厳・宗矩 松永久秀家臣→秀吉家臣(隠田発覚で失領)→家康家臣
ぐらい?
生駒氏・蜂須賀氏の家臣として万石もらったヒトいるのかなあ?

125 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 02:31:58
興福寺

126 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 02:45:51
誘導

【河野・安芸】四国の戦国大名【長宗我部】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149000541/

127 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 19:53:38
ちがうだろ。三好がスレタイに入っていない。
それに四国だけではない時期もあるし、畿内とのつながりもある。

似て非なるものだよ。

128 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:19:20
>>124
三好家臣やその支配下にあった大名・豪族たちの土地は、三好長慶死亡後に
支配者が何度も入れ替わったせいで、万石所有者は根こそぎ消えちゃったね。
三好笑岩・織田信孝の長宗我部攻めが成功するか、豊臣秀次がああいう終わり方を
せずに三好系家臣団をそのまま保持していれば、三好宗家滅亡後も何人かは
万石の所領のまま残れただろうけど。


129 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 06:49:05
>>127
先にそちらのスレがあったんならまだしも、
後から立てたスレに「誘導」ってのは、おかしくないかい?

「こういうスレ立てました、こちらも宜しく」
ってかんじだろ常識敵に考えて。

130 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 21:16:29
アホはほっとけよ。

131 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 18:19:48
三好家中には、山城・堺などの商人から土豪、そして武士になった者も多く、
三好系の武将たちが三好秀次に仕えた後に秀次が切腹・取り潰しになったとき、
また商人に戻ったそうです。
秀次は近江八幡市の基礎を作り、近江商人の発展を助けた人物として知られていますが、
近江商人の中に三好旧臣もおり、長慶の位牌を作りそれを毎日拝む者もいたそうです。


132 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 14:14:25
>>80
それ、何か計算するとおかしくね?
真之の生年は不明だが弟の三好長治が1553年なのでこれ以前には生れている。
ならばその時点で小少将は「子供を生める年齢」で最低でも15-6としよう。
で、篠原自遁が淡路に逃げたのは1582年。

とすると、小少将が元親の妾になったのは最低でも40代半ばってことにならんか?
妾になるだけならありだろうがそれから子供生むってさすがにきついと思うぞ…
どこかで複数の女性の話が混ざったと考える方が妥当じゃないか?

133 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 16:06:03
えーと、何マジレスしてるの?>>80は全部ネタだと思ってたけど。

134 :132:2006/06/07(水) 16:55:49
ネタというかたまに聞く俗説だと思ってた。Wikipadiaにもまんま載ってるし。
で、年齢おかしいよな、とは思ってたんだけどここらへんの定説を見た事が
なかったからマジレスした。
詳しい人がいればこっちの勘違いか間違いに突っ込み入るだろうと思って。

>>133
ネタじゃない定説ってどうなってるか、分かるなら教えてくれると嬉しい。

135 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 19:32:26
さあ?俗説以外ないんじゃない?聞いた事がないので。

136 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 18:07:33
>>132
40代でも美人かもしれないし、子供を生んだのが10歳ぐらいのときだったのかもしれん。
人間のことなんだから、常識とは違う例外的な存在だっていないとはいえない。
今のところ、>>80の話が一番流布されている話じゃん。

ちなみに研究者の間では、
「細川持隆・三好義賢の妻である小少将の『娘』である小少将が長宗我部元親に嫁いだ」
という説が今のところ妥当なところじゃないかと言われている。

137 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 18:33:31
何で安宅清康は織田信長に討伐されたの?
淡路平定は黒田や仙石が行ったみたいだけど
三好康長や十河存之は織田に属して長曾我部元親と戦っていたのに

教えてもらえるとありがたいレス

138 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 18:54:29
スマソ
今気がついた

×十河存之→○十河存保

139 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 19:52:03
まあ、何を信じようと個人の自由だがね。

140 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:04:55
>>137
もうその頃には宗家が存在してないので、
安宅も十河も独自の意思で動いていたんだと思う。

まあひょっとしたら信康の死が関係してるのかも。
年齢を見れば織田に謀殺された可能性もあるし。

141 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:10:44
>>140
ありがd

可能性となると毛利か長曾我部と結びついていたかも
真相はわからないままか

142 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 12:38:31
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

143 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:43:00
>>142
細川晴元のスレがあるな。
でも三好関連のスレはまだ必要ないと思うよ。
三戦板にもあるんだからこれ以上スレを立てたら分散して過疎るだろうし。

144 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 03:39:03
>>143
そこら辺の話は自治スレの流れ見て判断してくれ。

145 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 10:17:12
三好一族は守護になってなかったはずでしょ?

146 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 10:40:43
長慶を摂津半国守護と見る向きもあるらしい

147 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 10:49:38
レスサンクスです
一時期はあれだけ支配しながら尼子と違ってなってないのはなぜかな
と思ってました

148 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 13:43:03
細川氏に遠慮してたから?

149 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 14:04:04
俺、今から守護!とかいってなれるもんでもないし、
ちゃんと公的に認められないと
将軍家をあれだけ圧迫してたら、任命されるのは難しいんじゃないだろうか

150 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 04:17:22
>>149が正解
xx国守護職の任命権は幕府。
xx守(国司)任命権は朝廷。
だから、幕府や管領と対立しつづけた三好長慶は、守護代にはなれても守護になりにくい。
それに、長慶の支配地域は細川氏や畠山氏などの名目だけとはいえ守護がいわけだし。

また、下克上時代に差し掛かっており、幕府が有名無実化している以上、守護職に
ほとんど実権が伴わなくなっており、守護という幕府任命職に各地の大名が興味を
持たなくなりはじめる時代だった。
その国を手に入れるには実力による実効支配しかないことを知っていた当時の
大名たちの中には「どうせ権威だけの肩書きなら、献金すれば簡単にもらえる国司を・・・」
ということで、朝廷に献金して、支配地または支配したい国の「xx守」という
国司の肩書きをもらう者も出始めていた。
三好氏もその例に漏れない。
安宅冬康=摂津守、十河一存=讃岐守、十河存保=河内守、三好長治=阿波守、三好義継=左京大夫、三好康長=山城守
などが、朝廷の職と三好氏の支配地をからめた任命の例。
なお、宗家は筑前守が伝統であったため、長慶や義興は支配地に関係なく
筑前守を朝廷からもらっている。


151 :150:2006/06/14(水) 04:18:12
>>137
安宅信康は石山本願寺&三好三人衆に協力したが、元亀3年(1572)に信長に降伏し、
天正5年(1577)と6年には織田水軍として毛利水軍と戦っている。
天正6年に信康が死んだ後、家督を継いだ清康は信長に背いたため、天正9年に
羽柴秀吉の攻撃を受けて降伏、安土に赴いて信長に本領を安堵された。

三好長治(というより、当時の三好政権の主催者・篠原長房)は元亀2年(1571)の
時点ですでに信長と和睦して、毛利氏の備前支配地に侵攻している。
天正元年(1573)、篠原長房が三好長治のために滅ぼされると、三好氏はいったん
織田氏と敵対関係に戻り、三好康長は天正3年(1575)に信長に降伏、十河存保は
勝瑞城主となった天正6年以降に信長に従属している。
三好長慶4兄弟・篠原長房といった人物を失ったあとの三好一族の対織田外交政策は
混乱しっぱなし。


152 :150:2006/06/14(水) 04:28:42
ちなみに篠原氏はもともとは橘氏。
没落して近江の篠原に流れ着き、篠原氏を名乗ったのは長房の祖父の宗半。
宗半は三好長秀と知り合う機会があり、長秀に誘われて阿波に入国。
宗半の子・大和守の代には阿波・讃岐各地にその勢力を広げて、細川・三好に
従う有力な豪族となり、大和守の長男が阿波の名門・四之宮家を継いだので
次男の長房が篠原氏の宗家となり、三男の肥前守が後に自遁として篠原家と
三好家滅亡の発端となる。

(-_-)ねむ・・・W杯のせいで生活不規則だわ。

153 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 11:27:52
>>150
長慶の筑前守は僭称だと思ってたが、
正式に朝廷より頂いた物なの?

154 :137:2006/06/14(水) 12:16:16
>>151
ありがd

>天正元年(1573)、篠原長房が三好長治のために滅ぼされる
元亀三年(1572)と思っていたけど違うの?
変な突っ込みスマソ^^;

155 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 16:45:00
>>153
三好一族の役職名は本物だよ。
三好長慶の家族だけじゃなく、長逸の日向守とか政康の下野守とかもね。
そもそも、田舎大名と違って、京に居て金もあるのに自称する必要ないわけだし。


156 :日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:02:05
>>155
へーそうなんだ。
正式なものってことは賜った年月もはっきりしてるんだよね?
調べればすぐわかるかな。

157 :バロン曽志崎:2006/06/15(木) 19:19:02
「歴名土代」で確認できるのは、長慶、義長(興)、長逸だけの様ですね。
長慶 天文22.3.- 従四位下、永禄3.1.21 修理大夫
義長 永禄3.1.21 筑前守 同4.1.28 従四位下
長逸 永禄3.9.15 従四位下

158 :日本@名無史さん:2006/06/23(金) 00:04:43
age

159 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 13:17:20
保守

160 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 02:33:41
三好長慶ジャパン
 一存・長頼の破壊力のある2トップを備えた、撃的な4−4−2システムを採用。
 前線の司令塔はFKの名手・長逸、2トップと政康、義興の若手攻撃的MFを
 コントロールする。
 クセのあるもう一方の守備的MF・久秀は攻撃にも参加。
 安定感のある4バックは、隙を見て主将の義賢がサイドからオーバーラップし、
 敵を脅かす。
 その場合には、友通、康長、長房で3バックに速やかに移行して、敵の侵入を
 防御する。
 ベテランのDF長房とGKの冬康は、メンバーからの信頼も厚い。

        十河一存 松永長頼      
  
   三好政康           三好義興

      三好長逸     松永久秀
     
   石成友通           三好義賢

      三好康長     篠原長房    

            安宅冬康



161 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 03:03:44
七条兼仲は?

162 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 07:53:21
控えのFWじゃねーの

163 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 10:41:38
年齢的に康長のスタミナが心配だ

164 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:55:29
実際の三好家にはチームワークみたいなのは無かったが、
何気に強そうな件。

165 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:00:23
>>157
三好ごときが歴名土代に載ってるってだけで新鮮な驚きだ。

166 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 03:01:12
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=8139262&link=19LJccxLwVHbFP11oT1dhB1eBx22Gz2lpN3sWn+RxIII&Url=http%3A%2F%2Fsearch.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fsearch%2Fsearch.php%3Fp%253D%2525BB%2525B0%2525B9%2525A5


仙石秀久、十河存保、長宗我部父子などが島津軍に合戦をいどんだが撃退され、仙石秀久は指揮官としての不手際を問われて改易処分を受けることとなったようですので十河存保も同じかと思います。
ただ、十河存保はこの戦いで戦死してしまったので子の十河存英が存続を認められずに改易されたのだと思います。

今更遅いだろうけどこれはベストアンサーじゃないよな?

167 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 07:24:30
>>166
全然違う。存英は、そもそも存保の嫡子ではない。
十河民部大輔存保は、秀吉に従うことでそのほかの讃岐の諸大名が軒並み所領を失う中で
唯一存続を認められたが、与えられたのは山田郡の二万石だけだった。
仙石久秀に従って絶望的な戦いに突入する際に、家臣数名に「おまえたちは早々に国へ
帰って、千松丸を秀吉公に見参させて、私が言った事をよく伝えよ」と言い残し戦死した。
嫡子・仙千代は生駒親正が預かり、九州平定後に存保の遺言どおり秀吉に目どおりして、
同情されたり「父にも劣らない」と褒められたりした。
しかし、まだ幼いため生駒親正預かりのまま、三千石がとりあえず与えられることになった。
しかし、帰国後すぐに食物を口に入れて吐血して死亡し、家臣たちは毒殺犯を捜査したが
見つからなかった。
讃岐の人々は、十河氏の旧領と家臣団を奪いたい生駒氏の仕業だと噂したが証拠はなく、
また存英は赤子にすぎないので十河家は窮地に陥った。
十河家旧臣たちは、廃絶され帰農または他家に仕えている香川氏、羽床氏、安富氏などの
讃岐の名門の子供の中から人物を選んで十河家を継がせたいと申し出たが認められることなく
十河家は廃絶となった。
山田郡の領民・旧臣はこれを悲しんで「命捨つるも子ゆえに廃れ、けなげなれとよ千松丸」
と唄って涙を流した。
そして、存保、千松丸の位牌は、十河家の旧領である十河城の傍にある浄土寺に祭られた。

生駒雅楽(親正)は奸智に長けた人物で、十河家旧領を押領するために、甥の大塚釆女を
使って仙千代を毒殺したとされる。
また九州討伐の際に、宮部・南条の軍に撃破され遁走した島津義弘を追撃しようとした
豊臣秀長を、兵法に詳しい尾藤知宣が諌めてやめさせた事があった。
尾藤知宣の判断が正しかったかどうかは別として、島津氏は逃走するフリをして敵を
誘い込む戦法をよく使ったため、特に誤まった諫言というほどのことはなかった。
しかし、「知宣のせいで島津義弘の首をとる機会を逃すことになった」との噂が広まり、
秀吉はこれに怒って尾藤知宣の所領を取り上げ追放した。
十河存保が死亡し仙石久秀が去って、讃岐に残る唯一のライバル・尾藤知宣を秀吉に
誣告したのは、讃岐一国支配の地位を手に入れたかった生駒親正の仕業とも言われている。

168 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 12:29:53
( ・ω・)
へー、生駒親正って三好氏とそんな因縁があったのか
三好ファンの俺としては「三好氏なきあとの三好旧領を蜂須賀氏と
ともに支配した武将」っていうだけの認識しかなかったよ
「秀吉の下人時代からの縁で成りあがった、凡庸で特に優れた武功も
ない人」だと思っていたけど、この話を聞いて狡猾・陰険という
これまでと違ったイメージがわいてきた
武功もないわりには国持ち大名になるのが速いし中老まで登ったけど、
そういう暗黒面の政治的有能さをもった人物なら、その昇進も
うなずけなくはないな

169 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 13:53:05
存英も政勝を頼って徳川方にはつけなかったのだろうか?
政康が豊臣方にいるのを見れば無理があるだろうけど。

170 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 17:47:53
勝瑞展が昨日から始まったらしいよ。
http://www15.ocn.ne.jp/~shouzui/shozuiten_a.htm

しかし16年度からの出土品を併せると結構な数になるね。

171 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:02:38
三好政勝は晴元党からの流れだから、存英らに親戚意識はなかったのかも。

172 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 15:36:50
長慶が死んだ後に和睦してなかったっけ?

173 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 17:11:45
確かに和解したが、本願寺戦の初期に信長に降伏して三好宗家とは
やはり袂を分かっている。

174 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 09:22:28
三好宗家も篠原長房が信長との和睦を成立させたけど、長治とその側近たちのせいでまた敵対
その後、康長が信長に降伏して十河存保たちを再度和睦に導いた

しかし、政康は信長側の記録にも長宗我部戦にも顔を出さないが、どこで
何をしていたのかねえ?
三好康長あたりの手引きで、信長に降伏して秀吉預かりで蟄居状態にでもあったのかな?

175 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 10:59:03
政康は天正7年に島津の使者を吉田兼見のとこに案内してる記録は残ってるけど、
それ以降は見たことがないな。

176 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 16:59:14
【畿内】三好氏総合スレ【四国】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152011322/l50

戦国時代板にもスレが立ったのでこっちが過疎りそうだな…。
上手いこと住み分けが出来るといいんだが。

177 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 19:20:56
>>176
いっそのこと三戦板の地味スレをネタスレにするってのはどう?
同じ三戦板にある島津義久のスレのような。

178 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 01:27:31
>>174
わけわからんヒトだよね、政康。

一応、曲がりなりにも畿内政府の要人として活躍し、将軍殺害、大仏焼失などを
やらかした後、信長に敗れて敗走・行方不明。
恐らく、三好家の数少ない生き残り・三好康長か弟・政勝あたりを頼って、
信長・秀吉に降ったはずなのに、その後の本能寺・秀吉vs勝家、秀吉vs家康、
朝鮮の役、関ヶ原でも音沙汰なし。
それなのに長生きして、大坂の役では真田十勇士みたいな色物の伝説に
名前が残る程度の活躍をしている。
何やってんだか、このヒト。

179 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 09:30:17
三好長逸は、織田軍の敗戦時に死んだのか?
それとも政康のように、一旦は逃走し世に隠れて生きていくうちに老衰死や病没したのか?


180 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 12:35:11
>>179
大名級の武将の戦死例はやはり少ないし、織田軍の攻撃もそんなに
激烈ではなかったことや、背後に堺、本願寺、四国と逃げ場所が
たくさんあることからも、表舞台から退いている間に自然死した
と考えるのが妥当かな

しかし、定期的にほかのスレのurlを貼っては誘導しようとする奴が
あらわれるのは何故?
誘導もスレ立ても全部同一人物か・・・

181 :バロン曽志崎:2006/07/08(土) 13:40:44
「当代記」の三好氏についての記述に
(前略)、終に信長の天下と成り、其後三好日向守(長逸)・同下野(政康)
は、堺に隠居令め、老病にて相果て、…(後略)
とあるが、この部分は軍記とまでは言えないが覚書に近い部分なので、真実
かと言われるとちょっと悩む。

182 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 12:05:54
康長のバカ息子の裏切りのせいで、矢野駿河守、森飛騨守、河村左馬亮という三人の
親三好派重鎮や一族の三好越後守勝時が全滅したのが、三好氏のトドメを差した。
このバカがいなければ、十河存保・三好康長に三好長逸と三好政康が加わって、
織田政権下で讃岐か阿波のうち、半国ぐらいは三好一族で確保できただろうに。


183 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 00:29:17
>>181
初心者なので質問。
「当代記」というその書物は現代語訳が出ていますか?
その書物は売っているのでしょうか?

184 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 19:00:35
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

185 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 23:16:41
>>181
三好家と堺の関係が良好のまま
信長が力ずくで堺を分捕ったわけだから
堺・会合衆の中にも信長のことを快く思ってなかったのもいたのかもしれない。
だから長逸を匿うくらいのことをしていてもおかしくないかもよ。
真実かどうかはさて置き、結構現実味があると思う。

186 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:15:31
>>185
匿うなんて危険なことは、堺はやらない。
政康、長逸は信長に降伏したうえで、その意志を示すために隠居しただけでしょ。


187 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 19:28:20
>>186
まあネタ半分って感じで言ったのは確かだが
何故、堺はやらないと言い切れる?
本能寺の変だって堺・会合衆黒幕説があるし
やらないと言い切れるなら納得できる説明を頼む。

188 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:18:43
>>160
その4−4−2が、後半は3−5−2に変更


       十河存保     三好康長
  
   矢野駿河守   河村左馬亮   森飛騨守

       三好勝時     三好隼人佐
     
      篠原自遁  三好長治  三好房一

            三好徳太郎



189 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 07:43:11
>>187
言い切れる。

堺の歴史の中において、被保護者およびその敵が有名人の場合は「保護・庇護する」
ことはあっても「匿う」ことはしない。
極端に、一方の当事者に肩入れするのは商売に差し支えるから。

それに、本能寺の変の堺黒幕説なんてxx黒幕説の中でもマイナー(=信憑性低い)。
百歩譲って、信長が交易の利益を独占しようとする「共通の敵」というような理由で、
堺会合衆が信長暗殺を企んだなどという、馬鹿げた陰謀説に理があったとしよう。
しかし、「三好長逸・政康を匿う」などということは、堺会合衆全員に「共通する利益」
ではありえないし、当時の信長は「堺の共通の敵」ではない。
当時は、すでに堺商人の中でも利害関係が分かれており、信長政権に食い込んでいる
商人がいくらでもいる中で、あえて会合衆が反信長(三好長逸・長逸を匿う)ことで
意見が一致するはずがない。
そんなことをすれば、信長派に告げ口されて財産没収、下手すれば刑死するだけ。
堺では商売相手を落としいれるような、激しい商人同士の争いが日常茶飯事だった
ことは証明されており、彼等が一致団結するのは「共通の敵・利益」があるときだけ。

会合衆ではなく、たまたま三好氏に恩を感じる一部の商人が匿ったというのもありえない。
三好長逸・政康は、三好政権の実務担当の奉行として畿内に広く顔の知れ渡っており、
現代ならまだしも、当時のように開放的で人の出入りが簡単で、下人たちの噂話も
すぐに広まる堺の中の屋敷で匿い続けるということは不可能。

そもそも、長逸・政康が逃げ込む場所として、阿波・讃岐・丹波などの三好氏に
関係がある場所はいくらでもある中で、何故わざわざ信長の支配下にある堺に匿われる
必要があるのか100%説明不能。
だから、堺で隠居していたのであれば、それは三好康長らとともに信長に降伏したうえで
正々堂々と隠居状態にあったと考えるほうが自然。

190 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 22:06:44
>>187,>>189
人物辞典としてそこそこ評価の高い「戦国大名家臣団辞典」でも、
三好長逸は信長に降伏して北斎と名乗って隠居した説を採っています。
そのほかにも同様の説を採る資料もいくつかありますので、>>189さんの
言う「降伏&隠居」が妥当ではないかと思います。
三好笑巌が織田軍の四国攻めの前線指揮官となったのに、長逸・政康らは
堺隠居または閉門蟄居の身だったのは、
 ・三好政権の中枢にあって、三人衆として権力を振るい、その後も
  義輝殺害や大仏焼失などに関与し、笑巌より「罪が重い」こと
 ・両名は主に畿内で活躍し、四国に足がかりが少ない
  しかし笑巌は阿波に所領をもち、実際に息子の式部大輔康俊は
  岩倉城主として四国に在り、当面の敵・長宗我部元親に降伏して
  敵の武将となっていること
という立場の違いがあったのでしょう。


191 :バロン曽志崎:2006/07/14(金) 19:13:33
>>183
続群書類従完成会というところから出版されています。
活字化はされていますが、現代語訳はされていません。
一度、図書館で見てみた方がいいと思います。

192 :日本@名無史さん:2006/07/25(火) 01:00:42
好き好き好き好き好き好き 愛してる
好き好き好き好き好き好き 実休さん

とんちはあざやかだよ 一級品
度胸は満点だよ  一級品
いたずらきびしく  一級品!
だけど、イクサはからっきしだよ 三級品!

あ〜!あ〜! 南無三だぁ〜!(鉄砲ズド〜ン)

とんちんかんちん とんちんかんちん
気にしない 気にしない 気にしない
望みは高く果てしなくわからんちんども とっちめちん
とんちんかんちん 実休さん

好き好き好き好き好き好き 愛してる
好き好き好き好き好き好き 実休さん 実休さん!


193 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 01:50:08

 ジーコ:三好長慶

 オシム:三好康長





194 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 07:59:13
復刊ドットコム< http://www.fukkan.com/ >より、新着投票・投稿のおしらせです。

■「戦国三好一族」(今谷 明)

【投票情報】(現在81票 復刊交渉開始まであと19票)
昨日1票の投票がありました。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=13502




195 :十河一存:2006/10/06(金) 05:12:27
最近、近世城郭建築の創始者であることが、松永久秀氏であることが認知されてきたようで
良かった、良かった。

196 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 07:24:54
日本語でok

197 :十河一存:2006/10/06(金) 13:46:33
国営放送の「歴史は動いた」がマンネリ化しちょるけん、面白なかけん
こんなんを考えたんじゃ。

(1)「三好長慶、芥川山より号令す!!」
     安土・桃山時代の先駆け。

(2)「久秀、多門山に城を建てる」
     近世城郭建築の先駆け

(3)「十河一存、月代を剃る」
     戦国チョンマゲへアの先駆け

(4)「三好実休、千利休と口切りの茶会を開く」
     戦国、大名茶人の先駆け

江戸城大奥の改革が歴史を動かしたなどよりも面白いと思うのよ。 

198 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 14:14:11
一存以前から月代は存在してるけどな

199 :十河一存:2006/10/06(金) 15:31:25
>198
面積がちがうんとちがう???

200 :安宅冬康:2006/10/06(金) 15:37:41
>197
超、激しく同意!!

ついでにワシのもお願いします。  兄弟!!

201 :十河一存:2006/10/06(金) 15:46:59

(5)「安宅冬康、軍船に大砲を積む!」
     戦国、 太艦巨砲主義の先駆け!!

(6)「篠原長房、キリスト教神学校を造る!」
     バチカン市国への蜂須賀桜植樹の先駆け!
  

202 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 20:57:09
篠原氏はもともとは橘氏。

203 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 22:49:38
安宅氏も橘氏。

204 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 23:07:01
立花満子
ちゃんと読めたら100点

205 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 22:55:28
>>204
たちばな・・・ま、まま、まん・・・








勃起した

206 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 06:03:59
>>205
40日の前の書き込みに何を言ってるんだ君は?

207 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 10:14:41
たちまんこと言ってるようにしか見えんが。

208 :205:2006/12/22(金) 00:33:33
>>206
いや、すまん。あまりにも過疎ってるんで人がいるのかどうか反応を見ようと・・・


最近は三好氏関連のニュースはないのか?

遺跡がどうとか新しい本が出たとかなんでもいいんだが(´・ω・)

209 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:04:10
ニュースか…ゲームに長慶や三人衆が出てた位だな
来年の戦国三好フェスティバルに期待するよ

210 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:23:02
復刊ドットコムの票が86まで来たくらいか
大阪に期待するのは止めたよ、来年は徳島行くよ
だけどそのネーミングに一抹の不安

211 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 12:28:58
来年、狩野松栄・永徳による聚光院障壁画が京都国立博物館に委託される。
以降の聚光院での展示はレプリカ。
方丈で現物を拝めるのは、冬の特別公開が最後となる。


212 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 12:40:14
な、なんだってー!
そういやそんな話、前に聞いたような聞かなかったような。
来春京都行く予定だったのに。
う か つ

213 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:05:09
>>212
ちなみに公開は3月18日まで

来年は京都と徳島に行くから金がない…

214 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:58:44
京都在住の俺は勝ち組の流れ?

せっかくの機会だから行ってみようかな。

215 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:44:01
(´・ω・`)チョウケイ

(`ヘ´)ジッキュー

( ゚∀゚)フユヤス

(`Д´)オニソゴー

<丶`∀´>ヒサヒデ


216 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 14:37:56
  _, ._
( ゚ Д゚)ハルモト
( ゚Д゚)ヨシテル
(・A・)マサカツ
(*´・Д・)モチタカ

217 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 00:20:08
復刊ドットコムの「戦国三好一族」の復刊、なかなか到達しないなあ


218 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:58:14
漫画「黒田三十六計」に安宅清康と十河存保が出てたよ

219 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:11:46
>>208
小さいけど

勝瑞城館跡全域が国史跡に 文科省、8800平方メートル追加指定 2007/02/07 10:28
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_117081169294&v=&vm=1

藍住町勝瑞にある国内最大級の中世の館跡・勝瑞城館跡の一部八千八百平方メートルが六日、文部科学省から国史跡に追加指定された。
同城館跡は二〇〇一年、四万千八百平方メートルが国史跡の指定を受けており、全域五万六百平方メートルの指定が完了した。

 勝瑞城館跡は、戦国時代の武将三好氏の居館とされる。三好氏の菩提(ぼだい)寺である見性寺周辺の城跡が八千六百平方メートル。
現在、藍住町教委の発掘調査が進められている館跡が答申部分を含め四万二千平方メートル。
遺跡からは昨年の発掘調査で、国内最大級の中世園池跡が見つかるなど、貴重な遺構が相次いで出土している。

 藍住町は昨年七月、勝瑞館跡の東側で大規模な庭園跡が発見された部分について文科省に追加申請。
十一月に国の文化審議会(阿刀田高会長)が伊吹文明文科相に指定するよう答申していた。追
加指定区画には発掘された礎石などから館跡の中心施設「主殿」があったと考えられている。

 昨年三月から町と徳島大チーム(代表・平井松午総合科学部教授)が連携し、城館跡周辺の史跡をコンピューターグラフィック(CG)で立体的に復元中。
中世の町並みを再現したバーチャル画像を秋までに完成させ、十月の国民文化祭企画展でメーン展示として紹介する。

 町は周辺地域を含めた美観地区・守護町勝瑞遺跡として、遺構や史跡群を生かした公園整備を計画。
前田薫町教育長は「秋の国文祭を控え全域指定は勝瑞遺跡を全国にアピールする上で弾みとなる。
史跡の町有地化を進めて貴重な文化遺産の保存整備に全力を挙げたい」と話

220 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:54:55
>中世の町並みを再現したバーチャル画像を秋までに完成させ、十月の国民文化祭企画展でメーン展示として紹介する。

秋に徳島に行く予定だから楽しみだ

221 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 13:30:13
>十月の国民文化祭企画展
このスレ的狙い目はこの辺りか
戦国浪漫・勝瑞探訪 10月27日〜 10月28日
戦国天下人「三好長慶」フェスティバル 11月2日〜 11月4日
両方ってなると一週間ほど滞在せなあかんな・・・

222 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 16:00:27
>両方ってなると一週間ほど滞在せなあかんな・・・
そこが辛いところなんだよな
途中の空いてる日を使って、十河城址や淡路にでも行くかな…

223 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 17:43:04
遠く東国から参加しようとしてる俺には、資金と休暇申請が最大の関門だ。

224 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 11:10:32
>戦国天下人「三好長慶」フェスティバル 11月2日〜 11月4日
   〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < 細川氏も取り上げてくれなきゃヤダヤダ!
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ジタバタ
         _, ,_
     〃〃(`Д´ ∩ < 三好長慶だけなんてヤダヤダヤダ
        ⊂   (
          ヽ∩ つ  ジタバタ

    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( つД´) < 頼之もフェスティバルしてくれなきゃヤダー
       `ヽ_ ノ ⊂ノ
              ジタバタ
       ∩
     ⊂⌒(  _, ,_) < 三好スレって分かってるけど…
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ヒック...ヒック...

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