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武家社会開祖:源頼朝

1 :誠意小将軍:2006/03/21(火) 01:46:57
鎌倉幕府の創設者である源頼朝はもっと評価されてもいいと思う。
自分の一族に過酷な姿勢をとったがそのときにはある意味しかた
がないことであった。それよりも武家社会700年の礎を創った
重要な人物で日本の大恩人とも私は考えている。彼がいなければ
日本は荒れた時代がもっと長く続いたろう。
鎌倉幕府がいいくに(1192)創るといわれるのも示唆的だと
思う。
頼朝ファン、反頼朝派も武家社会について考えることのある人も
自由に語り合って見よう。

2 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 04:51:25
そう思うか?

3 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 12:16:30
ここで語るべ?

頼朝=極悪人というイメージはどうすれば消えるのか
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1114044773/

4 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 19:57:13
義経は人気があるが頼朝は人気が無いな。
一族殺しが仇になったのかな。逆に義経は
悲劇のヒーローで過大評価かもしれない。
政治家としては頼朝が上、軍略家としては
義経が上と言うところか。結局、性格が噛
み合わなかっただけかもしれない。

5 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 20:05:33
頼朝は朝廷の忠実なる犬であることを誇っていたどうしようもない人物だからな…。
こいつのせいで後の将軍も犬となることが決定した。

6 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 21:29:35
頼朝は反日ブサヨ

7 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 21:42:22
時代になつく敏感犬
忠犬テンコロ

8 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 23:34:59
どうして頼朝はここまで人気がないのだろう。
そんなに悪者だったのだろうか。私にはそれほどとは思えないのだけれど。

9 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:09:31
>>8
「義経は悲劇の美少年」の反動

10 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:20:22
頼朝は武士の保護を行っただけだからな
結果として武家政権とかに発展しただけだろ
歴史好きというか歴史オタク以外の研究者とかには評価低くなかった気がしたけど?

11 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 15:41:14
将門や清盛、泰時じゃ駄目なの?

12 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 16:00:46
>>8
歴史研究者の間じゃ、むしろ義経のほうが人気がない。頼朝の評価はそこそこ高い。

>>10
頼朝は武士の保護なんかしていない。むしろ武士の狼藉をとどめ、荘園制的秩序を保護したからこそ朝廷からも歓迎された。
本所と地頭の争論では、無条件に地頭のほうが罰せられるのが、承久以前の幕府裁判。

13 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 17:33:54
何を成したかを考えれば頼朝の功績は非常に大きいだろう。
日本史の中でも大きな変革があったが、その原点になったのが
頼朝の鎌倉幕府創設ではなかったかと思うよ。
誇張かもしれんが、これを境に日本は中国、朝鮮半島と違う社会体制
を進んでいったと考えてもいいのではないだろうか?

14 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 21:56:46
>>12 派閥争いからの解除ってのは武士保護に入らないの?

15 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 22:03:35
>>12
朝廷に平和的に公認させた独自武家政府を築きたかったんだと思う。

天下の政を都ではなく鎌倉で行うことに、
当時では驚くべき斬新性があった。


16 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 11:41:41
>>13
確かにかつての律令国家のような中国の模倣の体制でなく
全く別の支配体制になったこと、それを構築したことは、
頼朝の実績だろう。(それが良いものであったかどうかは
別として)ここから、新しい日本の歴史が始まった。

17 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:32:39
ということは
大化の改新
鎌倉幕府創設
明治維新
が日本史の3大イベントってことでよろしいか?

18 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 01:40:43
>>17
あんがいそうかもしれない。
あと、加えるとしたらモノ野辺と蘇我の戦い。
第二次世界大戦敗北かな。

19 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 09:33:02
人身の乱もな

20 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:45:30
日本史の大きな節目を創った男頼朝
女なら妻の北条政子か。
(いい、悪いは別として)
それは間違えないようだ。

21 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:27:03
夫婦そろって歴史を変えたんだよね。
もっと人気あってもいいのに
どっちもダークな面がつきまとうからなあ。

22 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 19:46:33
頼朝って実際どの程度リーダーシップを発揮してたのかな
実は全然実権なんか無かったとかって説は無いの?
なんか死に様は吾妻鏡でサラッと回想されてるだけだし息子たちはあんな事になっちゃうしで消え方が寂し過ぎない?


23 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 20:21:44
>>21
源平時代自体影薄いからな・・・鎌倉となるもっと(ry
面白いのになあ鎌倉。

24 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:01:24
安定期というか、大乱とか大事件が無いと一般的には取り上げられないからねw
御家人とかの栄枯盛衰話知りたいのになぁ

25 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:01:41
頼朝のイメージ

@やたらと信仰深い
@坂東武者を統率する武人的、京の官僚を使って政治をする貴人的な印象



26 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 14:24:30
鎌倉時代の御家人同士による戦いは面白いものもあるんだがな。

27 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:33:47
鎌倉幕府の権力はどれほどのものだったのだろうか?
初期は頼朝のカリスマ性に依拠して立てられた政権
だったのかもしれない。

28 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:18:49
源頼朝にカリスマ性はない!
ただ関東武士団に担がれた神輿に過ぎない。
100歩譲って少しはあったとしても大姫入内の件で完璧見捨てられた。
関東武士団にとって自分らを苦しめた朝廷に入り込もうとする
頼朝は裏切り者以外何者でもない。
頼朝は落馬という少し怪しげな死。
頼家、実朝は暗殺。
頼朝ら源氏将軍は利用だけされてあとは捨てられた可愛そうな人達です。

29 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:35:55
「日本の合戦」って買った人いる?値段高いなあ。

30 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 16:50:42
清盛は自力で天下を取った。
頼朝は他力で天下を取った。
だから頼朝は人気がない。

31 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 17:00:53
保元の乱
最大の功労者は義朝

32 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 17:57:11
>>31
なぜ?
夜討ちを進言したから?

33 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 13:45:05
>>30
そのように見えるだけでそれなりに苦労、努力はしていたのだろうけど。
徳川家康もある意味他力で天下を取ったように見えるけどそれも家康人気
が低い所以か。

34 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 14:18:21
>本所と地頭の争論では、無条件に地頭のほうが罰せられるのが、承久以前の幕府裁判。

裁判結果はそうだけど、この時期の幕府は判決の実力行使をしなかったので、
現実には地頭が勢力を伸ばし続けていた。




35 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 12:49:03
地頭は倒るるところに土を掴めと言うがそれほど欲張り?

36 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 14:37:49
>>30
戦争経験なら頼朝の方が豊富だけどね
指揮官としてはともかく

37 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 14:59:58
>>35
地頭じゃなくて受領じゃね?

38 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:24:44
守護、地頭とよく並んで紹介されるけど役割や身分の違いはどうなの?

39 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 02:22:31
      __,,,...............,,__、
     .,,::'゙;'''""''゙''''゙゙""''ニ=;;;;..`.
     lッ'゙  頼朝       ゙;;;;;;::.,,
    /´_,,,..      ..,,,_    ゙{;;;;;;;i
    f''"゙  、  . '   ゙゙゙"`   'i;;;f ヽ
    l ;-。= .}     =。-、 U |:;l .;:!
    }  ̄ ;       ̄     1{ bl    政子様万歳!!
    !、  .,.,,,,、      ノ  、ソ
    'i   ' `゛  `        i;;; 
    ヽ _,.=ニニニ=__,、     l;;'       _,,,.-―v、
     i   `¬―'´U       ___ム  ヾ、,: `ヽ
      )`ー---― '           `ヽ、_  ,,.ソ
      ,ゝー――''''"       :        ~ヽ
       ! !       ,.'   /  !         ヽ.
       !  ::.     ;!       ;          ヽ.
      ,| :  :::...  ,;"                   i
     i                :              i
     ヾ              ,:'.  ,; ノ         ヽ
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      |   ;:|`ヽ、__ヾ   , /;;;;;;;:::"/!     ヽ   |
      i   ;:|     ヽ    ,| ヾ、   `)     \  !、
       !   ;|      |    |   ヽ  :/       ヾ  :i!
       |  ;:|       !  ,:,i    / .:|        |  :|
       |  :|       |  ,/,i  ,.-'",;、 ,/         !  ;|
     _ノ  :|         /   ,!  `ーー'"         ノ  i;
    /rrrn ノ      /   /               LLL,,,ノ
             (,rrn_,,,ノ
    頼朝は政子の犬

40 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 08:36:47
>>39
そうでもないと想うけどな。
自分で政治体制考えていただろう。

41 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 15:26:31
政子に弱いってイメージが強いからなあ

42 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 09:17:58
伊豆に流刑されていたおり、
北条政子の前に地元武士の娘に子どもを生ませていたが、
父親に殺された。
その武士は後にどうなったのだろうか?

43 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 17:12:44
頼朝に破れ助命されたが自害した。

44 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 17:47:45
>>43
伊東祐親たんのことか?地元に銅像が立ってるんだってね。祭りとかもあるみたい。
伊豆行ってみてーな。
余談だがマガジン連載の遮那王義経って漫画で伊東の姫との悲恋がしっかり描かれてたな。
素直に嬉しかったよ・・・八重姫もかわいかったし・・・政子も美人だけど。



45 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 18:11:49
伊東は尻つまみあう祭りがあるなw

46 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 18:35:59
>>44
日向の伊東氏の同族?
日向の伊東氏は、伊豆の伊東から発祥?。

47 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:46:36
頼朝が義経や兄弟を殺さなかったら、源氏の時代は長く続いたのでは?
 結局は、北条の傀儡みたいなものか・・幕府の基礎を作らされて、暗殺されて・・かわいそっす

48 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:06:36
伊豆で震度5だってさ・・・蛭が小島は無事か!? 

49 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 15:05:36
 奥州藤原氏は幕府体制の先駆である。
 幕府の本質は如何に朝廷の支配下でありながら
 土地に土着し独立した政権を維持するか?であるといえる。
 国司は任期切れで都に戻るが、奥州藤原政権はこれを実力で
 土着したのである。
 奥州藤原政権は朝廷の組織に組み入れられながら
 好きにやっていけるシステムを模倣したといえる。
 これを頼朝は模倣したのだ。
 その後頼朝が必死に奥州へ討ち入ったのは
 義家へのあこがれもあるが、陸奥軍政における
 朝廷から既に与えられた独立的な特例的先例が欲しかったのである。
 またその証拠保全の意味もあったであろう。

 歴史学の権威 高橋克彦


50 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 14:20:33
>>49
なるほど。そうかもしれない。
北条政子が頼朝野恩を言ったときも土地を与えてもらったからだろうし
一所懸命は土地に執着するところから生まれたからだという。
何年か前まで続いていた土地神話はこのときに生まれた?

あまり関係ないけど歴史の権威と書いてるけど誰が言ったの。
あまりそのようなこと言わないほうがいいように思うけど。

51 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 21:11:24
>>47
むしろ義経を殺さなければ幕府は開けてなかったよ。と思う。
それにもともと頼朝は死ぬ運命だったし、よく続いたと思うよ。

52 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:15:00
>>51
兄弟が理解し合い新しいいい国を創ることもできたとも思うのだが。
鎌倉幕府と形は違う可能性もあるが。

53 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 06:52:46
だいたい、鎌倉幕府が開かれたのは1192年となっているが、
これも実は確かではない。
いろいろな説があるそうだ。

それに、頼朝にあれだけ武士が急に集ったのも不自然。
誰か黒幕か、それに匹敵する勢力がバックにいたのでは?

54 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 08:44:55
「急」に集まっては居ないだろう。

55 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 10:10:16
>>51
義経とか他の会ったこともなかった異母弟なんて他人同然のような希ガス。
平治の乱をともにした二人の異母兄(義平・朝長)についてはどう思ってたんだろうと思うことがあるが。
>>54
兵を集めるのには最初は苦労してたよな。北条家なんて小さいし。
よっぽどそんときの体制に不満のある奴も多かったんだろうな。 

書きこみ数がおねだり追っかけ妻スレに負けてるぞーーーーー!!
  

56 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 20:05:57
貴種を担いだ

57 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:51:45
義経ってナーンか明かるいですね。
分かってないというか。思慮が足りないというか。
ノコノコ奥州迄行ってしまうし。
父親が同じなら自分は頼朝と同等の兄弟と思い込んでいるし。
頼朝にとって母親が違う上、美貌で父の愛人になった下女の生んだ腹違いの弟なんて「下僕の1人」でしかない、と思っていることが全く分かっていない。
こういう明かるさ?「ノーテンキ」ぶりも当時の日本人の感覚には無かったんじゃないかと思います。
普通、発想の違う人間って日本では社会から追われるのに(秀吉同様)義経は愛されているから天性の明かるい性格だったのかしら?
義経の実際の姿はチビでデッパらしいのにイメージとしては美男子で女にもてるタイプに変わってる。
虚像が愛されるスター性では日本1の男なのでしょう。
トクな人です。


58 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:12:34
義経は実際は独善的なところがあり他人の意見を聞き入れないところが
有ったようだ。自分は正しいゆえ責められるとは想わなかったのかも。

59 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:41:16
>虚像が愛されるスター性では日本1の男なのでしょう。

そのわりにお年寄りにしか人気ないのは時代なんかねえ・・・九郎。

60 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 13:10:58
義経の人気が下がったのは、義経の良くない面がクローズアップされてきた
からだろうな。逆に今まで無能扱いだった範頼が、最近はずいぶん再評価
されてきてる感じだな。去年の大河ドラマでも総大将らしく描かれていたし、
九州制圧や壇ノ浦での陸上からの攻撃などで義経をサポートして
平家討伐に大きな功績を残した武将として再評価されてきてるし。

61 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 13:13:57
電車男役者は大河に必要だったのだろうか?w

62 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 13:36:05
それと義経はちょっとぐらいワルまたはノーテンキなほうがカッコいいという風潮があるような気もするな。



63 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 22:49:00
いろいろな人物をわざと悪くしたりする風潮が有るんじゃない。

64 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 23:02:59
「幕府の開祖」ではないだろ。
家人の調停が必要だから鎌倉に常駐していたけど、
もっと長生きしていたら京都に移り住んだだろうし。

あれが幕府になったのは結果論であって・・。



65 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 00:39:09
>>64
長生きしていたらどうなっていたかはifなのでコメントは避けるが
結果的に武家社会、征夷大将軍を中心とする700年続く日本の体制を
創造したのが源頼朝であることは間違えではないのかい。

66 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 00:41:51
漏れはこの人は日本史上最高の政治力をもった人だった思う

67 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 02:07:50
日本最高かどうか分からないが斬新敵新しい政治形態を創ったのは確か。
独創性、開明性があったと思う。

68 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 11:19:11
>>64
何か根拠があるのか? 


69 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 16:28:39
日本の政治体制が抜本的に変化したのは史上4回、
大化の改新と鎌倉幕府開幕と明治維新とポツダム宣言受諾。
このうち外圧によって完全に強制的に行われたポツダム宣言を除けば、
実質的にはわずか3回。
もちろん、いずれも諸々の要素が絡み、深い経緯があってのことだから、
誰か一人の功績とするのは早計だが、
その一つの成立に主体的に大きく関与した点で頼朝の日本史への影響は計り知れない。

70 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 21:59:48
大化の改新って一言でいうと、どんな変化だっけ?

71 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:03:08
律令国家ができたんだよ。大宝律令とかができ、公知公民によって土地や人民はみんな国家のものになったわけだ。

72 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:35:14
律令国家が出来たのは、早くとも淨御原、普通は大宝以降と見るのが一般的。
大化改新なるものは、それほど前代と断絶していない。(公地公民も行われていない。)

そおゆう意味では鎌倉幕府も同じ。頼朝が開幕した最大の理由は、
当時の国家体制・経済体制・社会体制である、荘園制の維持。
転換点はむしろ承久、あるいは蒙古襲来に求めるべき。武家政権という意味でなら更に下る。

戦前・戦後もむしろ連続性のほうが大きい。現在にまで繋がる
我が国の官僚制の政治における優越性は、戦中の統制経済、
権力集中によって出来上がったものが、戦後も引き継がれたもの。

明治維新は、まあ、そうかな。しかしこれとて、最近は享保ごろに、その始点を求める説が多い。

73 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:36:13
武家社会開祖:源実朝

74 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:44:18
義経然り、義仲然り、空気の読めなさ加減が人に愛されるのでは?
頼朝は頭がよさそげな所が、鼻につくのではないのかしら・・・?
多少、おバカちゃんっぽい方が可愛げあったりする気がします

75 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:46:37
>>72
武家が、朝廷から半独立した全国統治機関を作った意義は大きいと思う。
当時は京都が唯一の日本の首都だったからね。平泉も奥州限定の地域首都だし。



76 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:49:42
それは一般民衆の感性だな。
研究者の中じゃ頼朝のほうが人気ある。
どころではなく、義経はヴァカ扱い。
義仲は、義経みたいにはヴァカにされてないみたい。

77 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:57:20
そんな、あなたに質問です。
源平関連で、面白そうな書籍探してます。
何かオススメありますか?

78 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:09:49
>>72
全てが変化するわけでも、変化が一時に起こるわけでもない。
そんな事は当たり前。

79 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:17:03
>>78
そんなこたあわかってるよ。
じゃあ、あんたは大化改新以降が律令国家で、鎌倉幕府以降が中世です、
なんて大声で言えるかい。
今どきそんな明治時代の学説みたいなこと言ったら笑われるよ。
いや、笑われもしないな、たぶん。憐れみの目をもって見られる。

80 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:31:46
律令国家は8世紀、中世は院政期から。
そんな分かり切ったことで喧嘩するな。

81 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 07:53:32
>>79
変化が一時の起こるわけでもないと言っているのに、
何で二行目以下の突っ込みになるの?

82 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 05:03:46
日本史においては頼朝の評価は高く、義経はかなり低い。


83 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 10:14:28
頼朝公はチョンの子孫藤原摂関から国を取り戻したウリナラ大和民族の恩人ニダ

84 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 10:20:59
義経様は大陸に渡ってちんこすは〜んとなり、日本男児の偉大さを世界に知らしめたウリナラ大和民族の英雄ニダ

85 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:36:01
ちんこすは〜んゎもんごりあ〜んニダ

86 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 15:40:51
頼朝って死ぬ時落馬したんでしょ?

87 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 22:28:12
その頼朝は梶原景時の言う事を信じていたな

88 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 22:32:18
流れブタ切りスマソだが 義経が頼朝にラブレターめいた手紙を送ったのは 本当?
義経はブラコン?

89 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 22:50:01
あるていど間違いなかろう

90 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 21:55:55
ラブレターって言い草は・・・・素敵だ。
腰越状なー。何かいてあったんだろな・・・

91 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:27:29
義経他、異母弟たちって、頼朝に対して、
「なんで母親が違うだけでテメーがでかい顔してんだよ」
とか思わなかったのかなあといつも思う。現代的な考え方かなあ?これは。


92 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:20:50
母親の出自こそが重要なのが古代中世の日本社会。

女性の地位が低下した江戸時代のほうが、吉宗が将軍になれたりする。


93 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 16:22:09
元始女性は太陽だった
と言った人がいたな。

94 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 17:19:07
頼朝の母は熱田神宮の宮司(従四位)の娘で正妻
義経の母は雑仕女とか。読んだような

95 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:51:26
新恩給与・本領安堵。ここに武家政権独立の要諦がある。

96 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 01:24:51
頼朝のことを引き上げたのは妻の政子?
恩恵を海よりも深く、山よりも高いといって
武士たちを従わせた。
何処まで本気だったか分からないが。

97 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:09:16
坂東武者にとっては本当に頼朝に恩義を感じていたのだろうな。

98 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:32:14
>>97
単に御輿として担ぐのに丁度良かっただけなのかもよ。

99 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 01:22:33
でも百年以上続き、元という世界最強の相手にも勝つには
本当の結びつきを頼朝が作ったとも思われる。
中国にも統一しても100続かない国もいくつかある。
強大に見えたソビエト連邦でさえ100年続かないと言うこともある。

100 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 15:21:08
頼光スレきぼん

101 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:00:14
新羅三郎頼光

102 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:37:07
>>99
漏れは頼朝ファンだが、
元寇はやはり北条氏の政策が大きく貢献していた

103 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:33:08
頼朝の功績は認めるが、晩年は娘を入宮させることにこだわりすぎて
ちょっと見っとも無い。
北条氏の方が純粋に武家政権の樹立を望んでいた。

104 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:41:55
所詮は島の部族社会なんだねー。世界は興味が無いし中途半端!1番悪いか?

105 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:02:58
>>100
頼光は、弓馬トレーニング不足の京武者。

106 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:01:58
もし義平が生きていたら、頼朝も出る幕なかったろうな。

107 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:53:01
義平は武名は高いが、駆け引きや政略はだめぽ
しかし、三浦一族や新田氏と姻戚関係を形成している点はあなどれないものがある。

108 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:57:05
三浦が姻戚は違ったな…
確か傅役?

109 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 22:35:58
頼朝の母、尾張熱田大宮司藤原氏。
義平の母、相模三浦氏。

嫡男頼朝。出自の差。

110 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:25:39
頼家・実朝・大姫・三幡の母、北条氏。

12世紀における東国武士の認識・・・三浦>>>>>北条

111 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:39:22
北条は伊豆だからな・・・

112 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:44:51
つーか頼朝は最初の蜂起ではボロ負けして命からがら逃げ出し
源氏の御大将という看板ひとつで各地の豪族を集めて鎌倉入りした
当然そこに集った房総武相各国の地侍の兵力が頼朝政権の基盤であり
北条は初期には頼朝の嫁の実家という以上の存在ではなかった

113 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 04:10:46
>>111
伊豆だと何かまずいの?

114 :日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:14:29
北条は頼朝の妻がいたから力を付けたの?

115 :日本@名無史さん:2006/08/08(火) 19:27:23
娘の旦那って事もあって真っ先に頼朝に着いたから、その後発言力を持ったんじゃないかなー。
何かの本で読んだ記憶では、頼朝が旗揚げした最初の戦いでは、頼朝の側近と北条家の兵が主力
だったはずだけど、100騎もいなかったと書いてあったような気がする。

116 :日本@名無史さん:2006/08/19(土) 12:01:16
もちage


117 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 02:14:09
>>94
頼朝の同母妹は受領階級(頼朝の隆盛で権中納言)の正室
義経の同母妹は左大臣の妾


118 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 10:38:27
>>115
義経の兵も百と少しだったような記憶がある。

119 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 10:43:35
武家政権の中で本州、九州、四国の全土を統一出来たのは頼朝、秀吉、家康ぐらいだよな?

120 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 10:53:52
>>119
寵童上がりが多いな。武士の宿命なんだろうけど。

121 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 11:09:19
>>119
足利将軍家の時は、最盛期の義満の時でさえ関東は関東公方がいて
将軍家が直接支配してたとは言えないし・・・
鎌倉・室町・江戸幕府の中では、足利将軍家の支配力が一番弱い。
戦乱が絶えなかったのも、室町時代だ・・・

122 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 05:23:00
>>119
明治政府が日本中を支配できたのは奇跡
本州の長州、九州の薩摩、四国の土佐がいたのが幸いかも
頼朝の時代に日本全体を市中に治められたのは更なる奇跡かも

123 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 05:28:24
史実の義経もそうとう食えない男だぞ。
頼朝はイケメンなだけまだマシ

124 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:59:56
白河院政開始の時点で実質的な武家社会でしょ。

125 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 18:14:24
>>124
院政期も源義朝や平清盛達は活躍したけど、結局上皇や天皇の意向には
逆らえる立場になかったからね・・・
やっぱり、義経の件で上皇に大きな借りを作って上皇にも意見を言えるようになってからの
頼朝から武家社会が始まったと言えるのでは・・・

126 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 18:17:18
>>125
「借り」じゃなくて「貸し」だったか・・・

127 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 18:34:46
どうして頼朝は、(平)政子と結婚したの?

128 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 18:38:52
>>127
政治的な意味があるとすれば、北条家の兵力が欲しかったから・・・
ぐらいしか思いつかんが。流罪地の近所にいるし・・・
まさか、純愛ってことはないだろー。

129 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 18:57:43
政子のほうはめろめろりんQ
政子は10歳も歳若の田舎娘だし丸め込めやすかったかもしれないが、
このころの北条氏は弱小だった説もあるし実は純愛だったかもしれんぞ。
だらだら14年ぐらいかけて4人も子ども作りゃあエロエロバカッポーだろw
男を武器にして天下を取れたやつって他にいるかな?

130 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 19:09:47
頼朝って、幕府開いて十年も立たないうちに馬から落ちて死んだんだっけ?

息子は修禅寺ヒッキーに歌ヲタだし

131 :日本@名無史さん :2006/09/17(日) 19:55:27
いまの学説では広域暴力団源組の親分。源氏はやくざの頭。

132 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 20:04:30
>>129
当時の北条氏は伊豆の田舎豪族に過ぎないし
石橋山でもひとたまりもなく敗れた
頼朝政権の基盤は落ち延びて安房上総下総武蔵と回って
行く先々で従えてきた千葉党武蔵党の力だよ
北条氏の奇跡は頼朝没後そうした連中を
各個撃破で滅ぼしていったことだな
それには「頼朝の妻」北条政子のカリスマが役に立った

133 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 20:17:56
>>128>>129

「純愛」って思おうよ。

「結婚した」ってのは歴史的事実として揺るがせないが
「どう思って」二人が結婚したのかは結局わからんし、そのこと自体は歴史に影響を与えてないんだから

美しいドラマにしておこうよ。
俺だったらかなり年下で、気丈でカワイイ女の子にあんなことされたら、若いしどうせやること無い流人だし
一気に燃え上がるよ。
それくらい燃え上がる(萌えあがる?)男じゃないと、クールな判断力だけの男じゃ坂東武士もついて来なかったとおもうけどなあ。


134 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 22:17:57
そういや、あとで時政が頼朝かついで勢力つけようとしただの、
頼朝が北条の兵力あてにしたとかいうけど、
流人の頼朝と政子が結婚したのって
頼朝が北条の館に出入りしている間に政子とできちゃって
単に普通に子供できたからしゃーないかって感じなんじゃないのかとおもふ。

135 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 00:07:13
罪人の子供だから普通は抹殺されてもおかしくないんだけど、
時政に何か計算があったのかな。

136 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 00:32:34
そこまで計算はなかったと思うよ。
歴史は後から見ると、さも誰かが仕組んだようにうまい具合に流れているようにみえるけど
実際その時その場で生きている人間のほとんどは、先々どうなってゆくのかさっぱりわからない。
頼朝と政子が結婚した時点で、田舎の小地主、北条のオヤジにそこまで計算できるとは思えない。

単にかわいい娘が選んだ婿で、一応貴種だし頭も悪くなさそうだし、まあいいか、ぐらいじゃないかな。




137 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:59:11
>>131
まあ幕府も、律令に記載されてない非合法組織だからね・・・
武力でもって実質支配していたのを、朝廷に後付けで認めさせたって感じだ。

138 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:07:16
>>131
王朝国家はインテリヤクザ

139 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 20:36:00
>>131
昔、何かの雑誌で読んだことには武士そのものが
もともとヤクザのようなものだったという。
だとしたら暴力組織が700年支配していたことになる。
しかし、善政を行った人もいるしヤクザとばかりいえないね。

140 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:11:24
田舎の一介の娘が、都から来た綺麗なオニーちゃんを追っかけてできたモノ・・・
それが鎌倉。
でも所詮は偶発的な出来ことだったんだろうな。歴史って不思議だ。

141 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 11:41:32
頼朝と北条とのつながりは
全部あとづけなんだろうな、と思う。
大体挙兵のときも、危なくなったから仕方なくって感じだし。
平氏倒して新しい政権を・・なんて考えはなかったんじゃないか。


142 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 19:58:54
>>131
近畿の左翼系学者が広めた説だそうな。
ただ流行は過ぎてる。

143 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 21:45:08
>>141
まあ北条家としては、頼朝の首を清盛に差し出して褒美をもらうという選択肢も
あったし、そうして当然でもあったんだけどね。
そうしなかったって事は、時政には平氏政権には後がない事を確信してたんじゃないか?

144 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 21:57:18
>>103
北条氏も武家政権の樹立を望んでなかっただろ。
あれが武家政権になったのは結果論。源頼朝のころは、
純粋に源頼朝のための家政機関だ。


145 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:02:29
>>137
幕府の存在そのものは、合法だろ。どの大貴族でも持っているただの家政機関だ。
ただ、その家政機関が頼朝の死後暴走し、非合法活動しまくったのは事実だけど。


146 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:17:07
別に頼朝が居なくてもいずれ武家の誰かが天下を取ったと思うが
東国に本拠を置いたのは評価できると思う。


147 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:23:26
地震だらけなのに

148 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:12:40
結局頼朝と政子が若さゆえにおかしたあやまちが問題なんだな。

149 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 19:20:38
>>145
律令は、明治維新まで生きてたけど結局幕府の存在を認めるような
文章は追加されなかったと思っていたんだがな・・・
現在でも日本国憲法に自衛隊を認めるような文章も無いのに
実質、自衛隊は存在していて必要とされているだろ。
法律をなかなか改正しないって悪い癖は、今に始まったことじゃないんだよ・・・

150 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 23:11:06
>>149
日本国憲法にも、家政機関を認めるとか禁止するとかいう規定はないよ。


151 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 02:55:58
慶応3年10月14日徳川慶喜が大政を奉還してからも
家政機関としての江戸幕府は続いたんだよな

トップ人事だけでも
慶応3年12月19日大河内豊前守正質が老中
同月30日酒井雅楽頭忠惇が老中
慶応4年1月10日立花出雲守種恭は老中格

木村芥舟が勘定奉行に任じられたのなんか慶応4年3月22日だ

152 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 21:19:45
遅レスだが>>123
頼朝がイケメンって神護寺のヤツ見て言ってるの?
あれは頼朝とは別人の可能性があるんだがね。


153 :日本@名無史さん :2006/10/18(水) 21:12:42
頼朝義経で売り出し中のピシ沼先生。熊本大会発表はどうでしたか?

154 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:14:14
白旗神社にある頼朝像(木像だったっけ)は本物?
これは伝頼朝像(足利直義かもしれんが)より目が大きいのが特徴だよな。
そういやー時代ずれるけど清少納言は枕草子で「男は目が大きいほうがいい」と書いてたなあ・・・ 

まあどのみち政子が家出したいぃぃぃぃとか愛人の家ぶっ壊してまで独り占めしたいぃぃぃぃとか思わせるくらいの
性的魅力はあったとオモ。


155 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 03:14:15
北条に乗っ取られちゃったけどね

156 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 03:41:41
北条が政権とってからの征夷大将軍はどんな人がなったにかな?
何か権限はあったのかな?

157 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 07:25:25
本当に子孫いないの?政子ー義時ラインでそんなにしっかりガードされていたの?

158 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 02:35:42
頼朝って暗殺されたの?

159 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 16:57:57
>>158
証拠はないが、暗殺と思われてもおかしくないタイミングで死んでるな。
自ら戦場に出て戦った事のある頼朝が落馬で死ぬってのも考えづらいし、
晩年、朝廷に接近したりして東国武士団に不信感を抱かせていたのも事実だ。

160 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 20:14:46
どうでもいいが吾妻鏡の回想的な部分にある
頼朝落馬、どれだけ信憑性があるのだろう。
他の同時代史料にはそんなことは書いていない。落馬の事実を
こと上げしすぎると思う。
もうひとつの付け加えとくと、吾妻鏡は北条サイドが作成した
史書。あんまり鵜呑みにするのはどうかと思う。政子の静御前
擁護もなんだかうそ臭い。泰時ヨイショも目につく。他にも
変なヨイショ、当てこすり(たとえば経時こきおろし、時頼ヨイショ
の記事)。そこいらを勘案しつつ読み解いていくの肝要かと。
まあ、まともな学者だったら当然の前提だろう。

161 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 21:14:00
《付けたし》みんな北条のことばっかりいうけど
頼朝生前においては比企氏の方がある意味重要でしょう。
頼朝にとっての比企氏の重要性が閑却されがちなのは、
無批判に吾妻鏡の記事を受け取りすぎているからでは。
頼朝の乳母。安達、伊東(頼朝の命を救った息子が一人いたね)などが
比企氏の婿(他にもいたが今ど忘れ)。そして極めつけ嫡男頼家の乳母夫。
頼家の正妻も比企氏だ。
あと、義経がどうとかこうとかいう変な大衆文学レベルの話はどうでもいいじゃない?
兄弟を殺しているやつなんてこの時代ゴマンといるよ。そんんなことを情緒的に
突いていたら、キリないよ。義経人気及び過大視は義経記のの流行とか、唱導文学とかの
せいもあるのでは。だれかこの辺りのこと、啓蒙的にかいつまんでレクチャー
してくれたらありがたい。まあ近現代は講談、大衆文学、テレビ、マンガの影響大
なんだろうが。大河ドラマなんて観て真に受けるのはどうかしている。あれは気休めの娯楽。
例:藤原泰衡(弟を殺す)、新羅三郎(兄貴の子供を殺)、北条時宗(異母兄貴を殺した)、
義平(叔父を攻め殺す)、平清盛(叔父)、源頼家(叔父を処刑)、藤原清衡(異父弟殺)、
畠山重忠(衣笠攻めで実の祖父を敗死させる)、源義朝(親父と一緒に弟たちも処刑)
近世例:武田晴信(長男を殺した。ついでにいとこも)、織田信長(同母弟、あと叔母
もだな。ついでに甥も加えとくか)。源義家(兄弟を殺してはいないけど、
晩年は同母弟とは物凄い確執だ。同母弟というのがミソ。いざとなれば殺すことだって
アリだと思う)。
他にいっぱいいるけど、まずはこれだけ挙げとく。






162 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 21:26:07
神護寺の肖像は頼朝像として個人的に好みじゃないな。
公家臭いよ。東国の王という感じが出ていない。
俺と同じ感想持っている人、いるかな?

163 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:00:45
武士ヤクザ説って、×横×先生とか関西系の学者の言い方ですね。


164 :日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:09:22
武家政権の開祖は平清盛だ
ただし、貴族化して堕落してしまったが

165 :ラロシェフコー:2006/11/13(月) 23:16:05
平清盛は貴族みたいなものだから堕落はあたらないと思う。
一応当時も流布していた風説(白河の落胤説)もあることだし。
大体、彼が太政大臣になれたのもこの風説のおかげでしょう。
源義朝もみたく関東に基盤を置いてる訳じゃなし。清盛は伊勢平氏
という関西系の軍事貴族だからね。ただ地方の武士たちの権益を
汲み取れなかった(取る気がなかった)という意味では、貴族化した
武家政権とうはいえると思う。

166 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:46:37
*頼朝・尊氏・家康 戦力比較*

【戦術】
尊氏>家康>>>頼朝
(頼朝負けすぎだよ頼朝)
【戦略】
家康>頼朝>尊氏
(尊氏は戦闘に勝って戦争に負ける典型)
【政治】
頼朝>>家康>>尊氏
(武家開祖は伊達じゃない、尊氏叛乱多すぎ)
【カリスマ】
頼朝>>尊氏>家康
(家康は好かれる人には好かれるんだけどねぇ)

【幕府を開く過程での主なライバル】
頼朝:平清盛 平重盛 木曾義仲
尊氏:後醍醐天皇 楠木正成 新田義貞
家康:豊臣秀吉 前田利家 石田三成 
(ちょww頼朝ショボスwww、尊氏はこのメンツでよく生き残ったわ)

167 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:36:33
頼朝は公家の血が濃すぎる。浮いてる。
政子と結婚してそれが解消されたな。

168 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:44:36
>>163
教徒系はそれほど問題じゃない。
電波流しは首大系。

169 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 20:55:49
すいません、「教徒系」は、「京都系」で分かるののですが、
「首大系」って何ですか?

170 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:19:16
閣下が改名した大学

171 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:50:46
なるほど言われてみれば確かに変わっていたんでした。
鳥津から酒徒という訳ですね。

172 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 12:32:42
そもそもどうして頼朝が蝦夷と戦う征夷大将軍に任ぜられ、
はるか後方の鎌倉で幕府を開き、
それが継続して存在し武士に対する管理組織になるのか
さっぱりわからないのですが

GHQみたいなものというのは分かるが。
戦う相手もいないのに、司令部を開き、鎌倉時代を通じて非常事態が続いていうこと?
筋道が異常だと思う。

173 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 21:14:11
頼朝はすぐに征夷大将軍を辞官している。
頼朝が欲しかったのは官位そのものよりそういう地位にあったことがあるという事実だけ。

なぜ鎮守府将軍じゃなくて征夷大将軍かというと、鎮守府将軍は奥羽の鎮守府に常駐して奥羽の兵の指揮権をだけ持つ。
征夷大将軍は京から朝廷の軍を率いて赴くから全国支配という点では征夷大将軍じゃないとだめだったのだろう。

174 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 09:26:15
>>172
頼朝が征夷大将軍に任じられる前から、実質関東を中心に武力によって実質支配してたわけで、
将軍に任じられたから幕府を開けたってわけじゃないよ。
頼朝が将軍に任じられる前に、侍所や政所(確か呼び名は違ったと思うが)といった部署はできていて
朝廷とは独立した形で、武家政権はスタートしていた。
頼朝が征夷大将軍に任じられたというのは、朝廷に頼朝の政権を認めさせたってことで、後々尊氏や家康も
このパターンをとるようになった。頼朝にとっては、官位は何でも良かったんじゃないかな。

175 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 23:01:04
頼朝の母は熱田宮司藤原季範の娘・由良御前だけど頼朝とは仲が良いのか?
里帰りした時に産んだって書いてあったけど、頼朝は母をどう思っていたんだ?

176 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 16:21:36
里帰りして産むのは当時の慣習

177 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 20:25:45
覇者にむごいエピソードはつきもの。
しかし同時にそれを補う美談・快談があるもの。
頼朝になにかイイ話はあるでしょうか?

178 :武陽陰士:2006/12/10(日) 23:00:14
頼朝の同腹の弟は、頼朝旗揚げの時に平家に殺される。それを丁寧に、
平家を憚らず弔った法師がいた。後日、この法師に頼朝は褒美をやった。
同腹の弟のことはけっこう気にかけている。
あと、不遇の時に世話になった相手にはけっこう恩返しをしている。
頼朝の美談というのは探せば他にもないことはない。



179 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 02:17:04
北条氏の操り人形だろ。
落馬絶命も陰謀だったんじゃないの?
源氏の血が絶やされたし。


180 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 23:22:38
政子のお産の時に安産祈願の道を作る石を
もうそこそこ偉くなってたのに
他の連中と一緒に手ずから並べたってのが結構いい話
浮気もしたけどw

181 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 02:47:40
世界史人物事典だったか、外人が書いた本で唯一日本人からはよりともが載ってたな
なのに日本じゃ人気薄w

182 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 02:58:16
>>179
鎌倉幕府初期の北条氏の力はそんなに強くないよ
武力では武蔵相模房総の各地に盤踞していた武士団より弱い
むしろ頼朝の姻戚というバックボーンがあればこその立場
だから頼朝が死んだ時が北条氏にとっては最大の危機
以後他の有力御家人を各個撃破で崩していった

183 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:05:08
>>182
本当そうだね。

184 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:19:25
「鎌倉初期における北条勢力の過大視」史観ってのがあるよね。
一般には。私は、これが鎌倉素人を見極める指標としてるんだけどね。

185 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:53:41
>>178
長寿院落慶供養での一条能保室と範頼の
扱いの違いを見ればわかるよね
範頼は源頼兼、平賀義信より序列は下で
やはり異腹の兄弟は扱いが違う

186 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:29:51
嫡男から見れば異腹の兄弟は臣下だよな

話は違うがフビライにはモゲという同い年の異腹の兄弟がいて
しかも乳母の子だから一緒に育った間柄
モンケ死後の大ハーン位争奪戦でフビライのために大活躍してる

187 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 13:56:58
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ

188 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:25:48
>>176
俺は頼朝が母をどう思っていたのか知りたいんだが。

189 :武陽陰士:2006/12/24(日) 12:37:00
>>188
当時、それなりの身分の人間はその字の如く乳母がお乳をやり育てた。
けっこう実母とは距離があったと思う。今の母子密着の核家族とは
まるで違う。
頼朝の子供である頼家が比企氏にベッタリで実母の政子とは少々
疎遠なのも致しかたないことという訳だ。
頼朝が母親のことをどう思ってたというのは、さしあたって
よくわからないとしかいえない。まあ実母だから嫌いじゃないことは
確かだろう。当たり前か。


190 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:15:54
>>188
>>188が言うとおり。当時の貴人は自分の兄弟より乳母の子供を信頼して側近として重宝する傾向にあるし

191 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:26:36
頼朝は日本人には人気無いんだよな。
と、いうか源平関係で人気あるのって義経だけか?
『日本人が好きな偉人100人』では、第二弾の美女編では
女限定に絞った甲斐あって、政子、静、巴がランクインしたけど
第一弾と、第三弾の天才編では、義経一人がランクインして
孤高奮闘しているんだよな(第一弾では21位、天才編は54位くらいだったか?)
おそらく第四弾の英雄編でも義経一人が頑張って源平合戦の面目を保つことになるだろうな
兄貴なんだから頼朝ももう少し頑張れよ
武家社会の開祖が100位にすら一度も入れないってのは情け無いぞ

192 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:14:03
NHKで最新の頼朝デッサン画がやってるぞ。

193 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:16:06
↑実朝とそっくりじゃん!

194 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:27:24
そりゃ親子ですからw

195 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 23:04:19
>>191
近代以降はあまり人気無いよな
中世から近世にかけては、武士からは人気というか、信仰に近い支持が強かったけど
皇国史観の影響かな?

196 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:29:57
別に頼朝とか尊氏って何も皇室を破壊しようとかした事はないよな。
個人的にヤバイのは足利義満だ。コイツは自分が自ら王を名乗って天皇を廃しようとしてたからなぁ。
だから頼朝や尊氏は別に嫌いじゃないよ。

197 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 20:07:16
>>196
義時は?上皇島流しにしちゃうのはまずいでしょ。
私は好きだけど。

198 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 19:35:33
結構いい

199 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 20:34:20
>>197
鎌倉時代はまだそこまでバリバリの皇国史観があったわけじゃない。
あと、摂関家以下有力公家はほとんど義時と通じるか無関心だったから単に保元の乱で崇徳上皇が流されたのと同じ位に扱われていた。


200 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 19:27:04
質問します。東国王権の成立は1192年の頼朝が征夷大将軍の任命を指標とされてきましたが、1185年の守護 地頭の設置を有力視する説がありますが、
皆さんはどのように見解しますか?


201 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 19:44:17
>>200
あなた、日本語不自由だね。

202 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 16:22:59
>>200
幕府の成立は守護・地頭を設置する権利を朝廷から得た時期でいいと思うよ。
これによって、頼朝の名で武士の土地を保障したり褒美を与えることが出来るようになった訳で、
いわゆる「御恩と奉公」の関係が成り立った。
侍所や政所といった組織も出来て、頼朝が征夷大将軍に任命されたのは
朝廷が後付けで頼朝の政権を認めたという事に過ぎない。

203 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 19:21:38
>>199
崇徳とは違うんじゃない?
武家が上皇島流しにするんなて前代未聞だよ。
南北朝時代の不敬な武士たち(師直とかね)の発生の淵源だよ、あの事件は。
義時だって内心ビビッてたんだからね。
義時だけじゃないかな。鎌倉方はみんなね。



204 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 19:25:53
不敬ってそんな観念はないぞ
天皇を廃位したりしていた平安貴族は逆賊ばっかりかい?

205 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 19:32:39
武家がどれほど見下された存在か、分からないかな。
平安に天皇を廃位したのは「ミウチ」だよ。
馬の骨じゃない。
相模守にしかすぎない、「受領」にやられたんだよ。


206 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 19:38:45
藤原氏を辿ると馬の骨

207 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 21:09:47
>>206
馬の骨というのは当時の公家方の見方。
俺のじゃない。


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