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柴田勝家について

1 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:35:14
語れ

2 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:35:45
2ゲット 権六様age

3 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:38:09
北ノ庄城跡の碑の周りは現在歓楽街。君よ古今の感如何。

4 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:39:02
権六様マンセーの人や、アンチ羽柴筑前家紋



5 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:44:41
甕割の甕は越前焼かな、信楽焼かな?時期的に珠洲では無いな。
備前の可能性は低いと思うが。

6 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:50:58
勝家の子孫ている?

7 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:52:51
北ノ庄城の天守は七重だったそうだが、七階という意味なのか。
天守台の穴倉+六階と言うことなのだろうか。望楼型天守だった
だろうから、外観五層だったのか。織豊系城郭だから金箔押瓦は
出土しているのだろうか。

8 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:57:14
市との関係はどうだったのだろう。旧主の妹では・・・

9 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:58:37
織田政権・中堅クラスの前田利長の正妻も、主の娘だよ。

10 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:01:58
通常の房事は遠慮勝になるのかな。歳も歳だし。

11 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:06:01
有名なわりにネタが少ない

12 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:13:32
賤ヶ嶽の采配、越前仕置、高田派改宗とか。

13 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:16:31
>>6
勝家直系はいないと思うけど、柴田家はいたと思う。

14 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:29:44
賤ヶ嶽では佐久間盛政に合わせて長城塁壁を主力で突破すれば
勝てたかも。

15 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:30:21
賤ヶ岳の合戦で、どうすれば勝家は秀吉に勝てたか?


16 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:36:56
>>13サンクス!

勝家と福島正則と加藤清正がタブってしかたがない

17 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:38:51
>>15
政治環境としては勝利はキツイな。

18 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:39:27
徳川家康を味方につければ、勝てたかもしれない。

19 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:46:30
信勝(信行)からの偏諱と考えてよい???

20 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:19:21
柴田勝家関連の文献は何がお薦めでしょうか。『信長公記』以外で。

21 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:26:12
佐久間盛政に付いていって攻撃していたらなんとかなった。と、いうのは大違い。

22 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 08:01:23
大岩山から権現坂までの撤退って成功したんだよな

反撃するところを、前田勢が引いたので総崩れなんだっけ。

23 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 18:44:04
前田勢は5000
こいつらが消えて前田と対陣していた秀吉軍が一気に柴田本陣に殺到
抑えきれず柴田敗走

まあ前田以外にも金森長近とか不破勝光も速攻で逃げてるけどw




24 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 19:51:58
>>20
『福井県史史料編』

25 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 20:02:48
>>15
せっかく長浜を獲得したんだから、そこに居座って瀧川、信孝と
連携してまず信雄を潰して尾張、伊勢、美濃をしっかり押さえる
べきだったろうな。三法師もいることだから旗頭には事欠かん。

そうした上で三法師を当主とした織田家名義で家康との同盟を確認。
信濃を家康の切り取り次第にさせて上杉を牽制させつつ、上杉とは
和睦して後顧の憂いを断つ。

そうしておいて秀吉方を切崩す。池田、筒井あたりは切り崩しの
対象としてちょうどよいのではないかな。

まあこの間秀吉も黙ってはいないからこう簡単にはいかんだろうが、
いずれにしろ、清洲のあとで越前に引っ込んだのがまずかったな。

26 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:28:53
>>25
"(  ゚,_ゝ゚)

27 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:27:46
柴田率いる北陸軍は秀吉軍より数が少ないので山砦に篭って戦うしか
勝つ道がなかったわけ、それで北陸軍の士気を上げるために秀吉本隊がいないときに佐久間が手薄な砦を攻め落としたわけ
そこで帰ってくればいいものを、なぜかそこに残ったんだよ佐久間がよw
そして秀吉本隊が戻ってきて佐久間敗走、それを見た前田はもはや勝ち目なしとみて戦線離脱
この戦いの敗因は部下をまともに御せなかった柴田に責任がある。


28 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:34:08
顕如が秀吉支持を表明した時点で北国軍の敗北は確定事項。
軍事機密情報は真宗門徒を介して羽柴軍に筒抜け。
もはや、北国軍内部の壊走・離反を抑えるだけで精一杯。

29 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:35:33
戦国時代の、日本の馬は、体格が貧弱で、鎧を着た人間を乗せると
それだけで精一杯だった。人が馬に乗っている姿も、遠くから見る
と、やけに背の高い人間がいる、という風にしか、見えなかった。

30 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:37:24
秀吉や利家には勝手に帰られるし、盛政は帰ってこないし
舐められてたんじゃねえのか

31 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:43:36
利家のは「勝手に帰る」なんて生易しいもんじゃねえけどなw





32 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:56:29
佐久間が奇襲で中川清秀を討ち取ったわけだが
そのまま命令どおり戻っていれば北陸軍の士気は高まり、逆に秀吉軍には動揺が走ったはず
ここで佐久間に加勢して全軍で打って出るのも一つの手だが、それだと全面対決になる可能性があり危険
柴田はあくまで山砦に篭り、持久戦で秀吉と戦いたかったはず
持久戦に持ち込み、柴田が秀吉本隊を賤ヶ岳に釘付けにしていれば、家康や滝川が動いて秀吉包囲網ができあがり勝てたかもしれないのに
惜しいことしたな、つか佐久間氏ね


33 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 23:10:19
>>29
その辺りは武田勝頼スレで詳細に検証されてたね。
てかさ、光栄の影響で勝家が騎馬軍団を率いてたようなイメージを持ってる奴って案外多そう。

34 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 23:22:50
>>33
そんな奴はおらんよ。
そもそも尾張は名馬の産地でもないし、
家来衆が自由に馬術を鍛えられるような環境にはない。

むしろ、史実を尊ぶなら信長個人を騎馬S属性にすべきだ。
問題は武将個人がいかに馬術の達人であっても、実際の戦場では全く意味がないという点だが。

35 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 23:54:46
家紋がかわいい
勝手にピヨピヨちゃんって呼んでる

36 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 08:01:51
丹羽家の家紋なんてバツだからな。考えるのが面倒だったかw

37 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 08:30:56
>>35>>36
ワロタ

38 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 08:48:18
日本原産の馬はスピードは無かったがトルクはあったよ。
100Kgくらいなら余裕だって。
ただ遅いからヘロヘロにみえるだけじゃないの?

39 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 08:49:13
織田家がどんな馬に乗ってたのかは知らんが…木曽馬??

40 ::2006/02/16(木) 08:56:36
>>6

真面目な話、柴田勝家には”明確に確認できる実子”はいません。


養子の中でも有名なほうの、柴田勝政(佐久間盛次の子)の子孫は、
その後幕臣となっております。

柴田勝重
http://www.shougai.city.mitaka.tokyo.jp/mitaka/tekuteku1999/b_data/b_0070.html



とはいえ、勝政自体が「賤ヶ岳の戦いで戦死」「いやいや、のちに秀吉に仕えた」など
諸説ありはっきりしないのですが・・・

41 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 15:53:59
ぴよぴよちゃん
http://www2.harimaya.com/sengoku/buke/2_kari.jpg


42 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 19:56:16
勝家の柳ヶ瀬進出は、羽柴をひきつけ伊勢の一益を盛んにさせるため。

決戦目的ではなく、守りの堅い布陣で持久戦にもちこんだ。

大岩山攻撃は占拠目的ではなく、羽柴軍に動揺を与えるため。
勝家は盛政に大岩山砦を捨て、行市山に帰陣するよう命じる。
しかし盛政はそれを拒否、大岩山にて在陣を続ける。

羽柴の本ノ木帰還を知ると、急ぎ引き上げる。
先鋒の攻撃を耐えつつ、権現坂への撤退完了。
援護の勝政にも撤退を命じる。
その時盛政隊から目標を勝政隊へと変更した羽柴軍旗本の攻撃を浴びる。

勝政隊はこれで壊滅した。
その時、茂山の前田勢が盛政隊の壊滅と間違え敦賀方面へと退却を始める。
これを見た盛政隊は昨日の大岩山の疲れのせいもあり、壊滅。

金森、不破なども退却開始。

残された勝家隊は毛受兄弟にしんがりを任せ、退却。

43 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 19:57:44
>>28
顕如は保険のために勝家にも正月のお祝い述べてるよ。

44 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 20:07:40
盛政が早々に行市山に戻っていればなあ。
しかし前田金森不破の内通の可能性があるし、勝利はきついかもな。

ifだが、もし前田らの内通がなく、盛政が素直ならば局地戦達人の勝家が勝ち、
人質をとったといえども、秀吉への忠誠でしたがっている訳じゃない織田家遺臣達も柴田方に寝返るはず。
そして事前に外交していた四国の元親や吉川元春、徳川家康などが加わる。

まあ賤ヶ岳の一戦で勝たなきゃ無意味だが。

45 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 22:52:27
秀吉ってバカだよな

しょぼい

46 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 22:57:38
でもさ、柴田っていえば百戦錬磨の武将だったわけじゃん
経験も豊富だしさ
それが秀吉の前じゃあっちゅーまにやられてさ
秀吉ってほんと天才だったんだなって思うよ
老後はあの体たらくだったけど、若いときはホント切れまくりだったんだろうな
世間的にはゴマスリとコミュニケーション能力でのし上ったサラリーマン的な武将に思われてるけどさ


47 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 23:01:02
柴田勝家の子孫はいますか?

48 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 23:01:45
秀吉だって、百戦錬磨の武将だろう。
毛利攻めでは、播磨・丹波まで影響力を持っていた毛利家を
備中・伯耆国ラインまで後退させた。
上杉景勝と戦った柴田と同じくらいの活躍でしょう。



49 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 00:24:54
播磨とか落とすのすげー時間かかってるのにその後ははえー

50 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 10:05:49
まあ、羽柴は戦略や外交や工作がすごい。

が、戦術が汚点かな。毛利とかにもやられてるし

51 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 07:51:36
>>50
秀吉は軍事そのものは、本人の能力の中ではあまり高くないかも
しれないね。

家康にも小牧長久手では痛い目にあっているし。戦略、調略、外交、
そして機敏さが彼のなによりの持ち味かな。要するに政治家として
極めて優秀なんだろうね。

勝家はちょうど秀吉と得意分野を入れ替えたような感じかな。
政治面より軍事そのものの方が得意な感じか。だから信長が上
にいた場合は秀吉より持ち味がより生かせるのかもね。


52 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 09:19:09
勝家は秀吉より民政家として能力は高いよね

53 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 12:18:16
そうなんだよね。

やっぱ、冬に負けたんだよ。
越前を領土とする奴は有史以来、負ける時は必ずこの負け方してる。

54 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 16:35:02
逆に言えば、そうせざるを得ない状況を作り上げた秀吉サイドの戦略勝ちじゃん。
この話題は辞めた方がいいんじゃない?

>>52
勝家の領内統治はどんな感じだったの?

55 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:12:45
なんつーか、イメージ的にはスケールの小さな武田信玄て感じ

56 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:22:15
その滋賀県と福井県の国境となる国道365号・栃ノ木峠は,
旧北国街道の中でも最高峰地点.
ここに設置される案内板「栃の木峠の由来」(今庄教育委員会)にも記されているように,
賤ヶ岳合戦の5年前の天正6(1578)年9月に柴田勝家が越前・北の庄(福井)を所領してからの後に,
福井と安土もしくは美濃の参勤路として機能させるべく幅三間の道幅へと改修した履歴があることから
その柴田勝家がこの国道365号の開鑿者とも伝わるようになっている.

57 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:31:27
北ノ庄の城下町は安土より大きく、北ノ庄城は安土城より大きい。

58 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 16:24:52
勝家もなかなか政治(・∀・)イイネ!!

59 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 16:42:47
勝家は内政、軍事とも優れてるし
織田家での地位も高く信長の信頼も厚かった
ただ、最後がいまいちパッとしなかったから二流っぽいイメージに…

60 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 18:30:51
最期は落ちゆく主家のために、味方が殆どいなくなった状況になってしまっても主家を支えようとした。
そして、圧倒的な力を持ち主家を喰わんとする敵に立ち向かった。しかし、時勢に負け、気候に負け、天にも見放された状態で勝家は敗戦してしまった。そして、無念の死を遂げた。
しかし、彼は幸せだっただろう。主家のために戦いぬき敗北したとはいえ、滝川一益、佐久間盛政らの獅子奮迅の戦い、毛受勝照による決死の時間稼ぎ、そして主君の妹であり愛する妻でもある市と共に果てる・・・。武人として最高の散り際じゃないか。

61 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 00:09:19
そういう意味では信長自身が家臣から恐れられる存在であったため、
その死後、織田家に殉じようとする家臣が少なかったのかな?
ただ、教科書なんかの記述を見る限り、忠臣としては扱って貰ってないねぇ・・・。

62 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 01:22:23
>>60
勝っちゃん、三法師担いでたっけ?

単純な主導権・・・というかただの二大勢力の覇権争いで、
たまたま信雄、信孝という神輿を担いだだけちゃうの?

63 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 05:18:09
>>61
当時の武士に、基本的に主家に殉じるなんて考えはない。

家康が本能寺で死んでたら、徳川家だって霧散してたろう。

64 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 18:16:11
>>63ありますから。

家を保つ考えを持つ人がいるってことだろ?

65 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 19:05:46
>>64
下克上の世の中なのに?w

そもそも信長の織田家自体が信長の祖父より前は
どこにつながるのかさえ定かでない家だよ。信長
の祖父は守護代の奉行。主家に殉じるなんて考え
を露ほどももっていたら信長のあの働きはありえ
んでしょ。その織田家に従った人間が主家に殉
じるなんて考えが主流と考えるほうがこれまた奇妙
な話だ。

66 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 19:17:24
歴史的にどうこうじゃなくて、人間の心理を考えてくれ。
人は人に共感し従うものであって、制度に仕えるわけじゃない。

67 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 19:21:15
>>66
ならなおさらじゃない?

織田家に従った人間は信長個人の力量に惹かれた(良い意味でも
悪い意味でも)場合が多かろう。その信長がいなくなった。
誰もが認める後継者でこれまた人望があった信忠もまた消えた。
こうなると、求心力が一気に失われるから織田家のことなんか
より保身に走る者が大勢出るのは自然だろうて。その中で勝家が
織田家第一と考えたならそれはそれで魅力的でいいんじゃない
かな。

68 :66:2006/02/22(水) 20:03:16
>>67
同じことだよ。いちいち突っ掛かるな。

69 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 20:43:54
>>68
なに怒ってんの?さっぱりわからんw

70 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 23:10:00
まあ、豊臣家の末路を例として見れば忠臣など言えるのは数えるほどの
小者ばかりで・・・
恩顧の大名で主家に殉ずる大名など皆無に等しかったと思いますが。
当時朱子学的感覚は殆ど無いと思われ。

71 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 06:47:20
>>69
>>68 を怒っていると捉えるおまいの精神構造が問題だ・・・。

72 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 13:50:14
敵に屈して生きながらえるぐらいなら、散々暴れ回った上で死んで、
我が名を後世に残そう、的な玉砕は多々あったと思うけどな

73 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 15:35:03
いまでもそうやって、
ゴミみたいなプライドを折ることもできない子供で、
俺の言うこと聞かない奴は全部敵!みたいな・・・

逆ギレする掲示板荒らしとかいるけどな

74 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:28:51
ニート荒らしと戦国武将を一緒くたにするのは、さすがに武将が気の毒

75 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:56:56
>>72
今の世でも命より名を惜しむ人間は多いよ。

76 :64:2006/02/24(金) 17:31:11
ひさびさに来店。

>>65
忠誠を誓うやつもいれば、保身で変心するやつもいるんだね。

77 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 20:59:23
特別展が楽しみだね!

78 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 11:04:39
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう

79 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 22:23:26
権六様(´∀`∩)↑age↑

80 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 16:40:42
保守

81 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 17:59:40
>>51
小牧長久手はしょうがないだろ。まだ天下が固まってないのだから、
池田恒おきの顔を立てなきゃならなかったんだから。
>>52
比較するなら根拠も出そうね、在日君。

82 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 18:11:54
娘(大野木殿)がいたようだ。

原田直政の後妻になり、直政死後柴田勝家の家臣・原
元次に再嫁して、長光と女子の二人の子をもうける。

http://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/jiten/onokitono.htm





83 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 19:56:45
>>81くんの頭の中では秀吉がヒーローか

84 :83:2006/03/11(土) 19:58:04
>>81あと、過去レスに実績が載ってるから。呼んでね。

85 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 21:37:16
系図 

http://www.geocities.jp/kawabemasatake/sibata.html

http://twt.at.infoseek.co.jp/gozoku/shibata.htm

http://nekhet.ddo.jp/people/japan/sibata01.html

86 :利家:2006/03/11(土) 23:18:24
権ちゃんゴメンナサイ

87 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 23:29:43
>>61
忠臣も何も、勝家って謀反歴なかったっけ?

88 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 23:45:43
勝家の子孫は長崎県の五島魚目(現・新上五島町)に落ち延び、
炭焼き職人として永らえました

89 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 23:51:48
最初は信行を主君として信長に謀反。次は主君、信行を信長に売っての点数稼ぎ。

90 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 10:51:41
信秀に取り立てられる→信勝付きの家老へ→信勝が兄信長に挑戦
→信秀の恩によって信勝に付く→戦に負け、頭剃髪→信勝2度目の反抗→
遠ざけられていたせいもあり、2度目の反抗に厭きれ、信長に報告
→信長の家臣となる→上洛戦のころに活躍するようになる。


結果勝家は、信勝から信長に寝返ったことになる。
ちなみに反抗首謀者林兄弟は信長家老だったので、信長から信勝へ裏切ったことになる。

91 :90:2006/03/12(日) 10:53:49
俺の持論です

92 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 18:14:09
25日が待ち遠しいね、みんな。

93 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 18:59:56
>>92
なんのこと?

94 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 20:04:35
>>93

>>77


95 :93:2006/03/13(月) 18:16:24
>>94特別展って何ですか?

96 :92:2006/03/14(火) 07:24:17
>>95

ほい。

tp://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/tenji/tenran/katsuie.html

個人的には文書が少なそうなんであまり魅力を感じないけど、
肖像画とか屏風絵とか好きな人にはおすすめ。

97 :93:2006/03/14(火) 14:30:09
マジサンクス”!!!!こんなのがあったとは!!!!!!1

98 :93:2006/03/14(火) 14:34:59
ま、茨城在住なので行けませんがね。

99 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 18:03:08
おれ、好きだよ?

100 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 18:09:09
>>96
福井市内の寺に、大変美しい「勝家の刀」があったはずなのですが・・・

出てないね。

101 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:03:27
ところで、勝家が割った甕は何焼なんだろう。
越前か常滑かひょっとして備前か?丹波は当時甕焼いてたかな・・・
珠洲でないのは確かだと思ふ。

102 :92:2006/03/31(金) 22:19:32
>>101
信楽焼かもしれんね。

103 :1:2006/03/32(土) 00:24:13
復活ですか

104 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 16:01:03
>>102
ああ、近江だから信楽の供給圏内ですね。忘れてました。

105 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 13:21:48
http://hp27.0zero.jp/533/sengokudai/

106 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 20:23:26
勝家が勝ったら戦国の世が長引き長曾我部と伊達が天下争いするんだろう

107 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:30:09
>>106
勝家が勝ったら、織田家(信孝)の天下だな。
市が信孝の仲介で嫁に来たこともあり、また成人でもあるので、
秀吉が三法師丸にしたように傀儡化はできんだろう。
長宗我部は織田(柴田)の敵ではないし、伊達は上杉・北条に比べれば格落ち。

108 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:48:57
でも秀吉に戦勝したら柴田が実質ナンバー1でしょ
信孝と今度は対立しない?
その気が無くても疑われるとかありそう

109 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 02:47:35
>>108
信孝と、叔父甥の関係でも、疑われる可能性はあるね。
信孝が頭がよければ対立はしないと思うが、信雄のように疑心暗鬼に
なって自分の家老を殺してしまうような性格なら、そうなる可能性もある。

110 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 14:01:04
勝家はかなりの人格者で信望厚かったみたいよ。

111 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:00:59
>>108
お前が信じてるような小説みたいに勝家はへたれじゃないし、
秀吉のように世が荒れない

112 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:04:24
勝家のことなにもわからず馬鹿にしている奴が多すぎてかなわん。

そういう奴の大半が勝家のこと「柴田」って呼んでる

113 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:07:46
完全に洗脳されてるやつは>>110のことを信じない
えー、うそだろ?とか ありえないだろw とか言いそうだなw



114 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:19:43
裏切りの柴田
そのせいで信長に疑われ前田や佐々たちを監視役としてつけられている

115 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:58:56
柴田なんて頭かたいマジメオヤジって風にしか見られてなかったんじゃないの
秀吉に帰られるし、盛政はいう事聞かないし、利家は裏切るし

116 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:27:22
柴田と滝川ってなんかタブるよな
信長がトップにいて活きるっつーか
そんなイメージがある
逆に秀吉や明智は個人でもやってけるイメージ


117 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:34:33
明智は個人じゃ潰れると思う
やっぱ秀吉だけ頭一つ抜けてるよ

118 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:47:38
明智は運がわるいし秀吉は良すぎたな。運、不運で歴史解釈すると嫌われるけど実際ヒヤヒヤものみたいな現実てあると思うよ。勝家はガッツイて行くタイプじゃなかっただけと。だから誠意あるかも逆に思う。

119 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:36:43
>>117
頭ひとつ抜けてたのは明智だな、秀吉に中国、滝川に関東をまかせよう
としていたらしいが、京の前後に所領を持ち、畿内の武将を組下にしていた
光秀のほうを上に見ていたのは確かだろう。

明智は朝倉の客分(身分は幕臣)だったし、秀吉は今川に仕えていたわけだが、
この二人は譜代でもなく、自分の能力が活かせる所ならどこでもよかった。
勝家が勝っていれば織田家は残った可能性が高い。


120 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:38:44
勝家が秀吉に勝ったとしても、織田領土を統一して維持できそうにないなあ
なんか詰めが甘い

121 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:40:04
>>114
治世方法まで、文書で通達されてるしなw
信用、まるでない。
当然だけど

122 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:17:25
やはり信勝から信長に裏切ったから、監視役つけられたのか

123 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 21:19:15
>>120
正しいのか正しくないのか、わからんが、
そういうイメージを後生のイメージという

124 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 18:39:52
なんか秀吉とかに比べたら冴えない。
光秀の方が勝家よりずっとやり手でキャラ立ってる感じがするよ

125 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 21:53:31
毛利より強い上杉から守ったのは凄いね。

126 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 23:51:57
勝家が丹羽長秀に送った書状が見つかったらしいね。
今日の朝日新聞に出てた。

127 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 00:29:01
>>126
kwsk

何面に載ってるの?
どこ版?

128 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 01:01:03
朝日東京版の22面。
ここに詳しく載ってる。

http://www.shizushin.com/cultuer/20060426000000000036.htm
http://www.tokugawa.ne.jp/j/news/2006/0408.htm

129 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 01:06:59
結局、長秀は秀吉に付いてるけどな

130 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 01:37:02
>>128
ありがと。

愛知県史研究の10号ってもう出てたんだね。
春は刊行ラッシュでお金がもたんよ。

131 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 02:02:57
>>124
それは後世の小説等の影響でしょう。
ヘッドハンティングされたり、実力で登用された明智、羽柴、滝川に比べれば、
譜代ということで損をしているが、実力はこの3人に劣らない。
賤ヶ岳の時点でも、当時の人は二人の実力は同等と見ていた(家康など)。

132 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 10:31:59
124じゃないが
>>131お前も小説の影響じゃないか?
柴田家が譜代かどうかは微妙だお

133 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 12:10:00
勝家以前の柴田家ってよくわかってないらしいしな

134 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 13:59:02
でも、少なくとも信秀の代から織田家につかえていたわけで

135 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 14:39:25
>>128
ちょっと一方的な持論の展開なので、長秀の気分を害した可能性
もあるなあw
直接会って、長秀の意見も聞き入れれば同盟できたかもしれないが・・・。

136 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 15:20:10
そこが勝家っぽいと言えば勝家っぽいじゃないか
不器用なオヤジなんだよ

137 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 16:36:04
きみたちは当時の書状とかにくわしいんだね

138 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 16:37:12
若きころ勝家は信秀に能力を認められて信勝家老になったわけで
実力で

139 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:10:24
信勝は家臣に人気があったらしいにアホだったのかね?

140 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:18:33
  ∧_∧
    ( ゚д゚ )      ∧_∧
   /    \     ( ゚д゚ )
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141 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 23:54:00
信勝も勝家に裏切られるし、信長も光秀にやられたわけで因果はめぐる。

142 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 00:12:27
>>140
清洲会議キター

143 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 00:18:38
大変な男色好みだったから嗣子が居なかった。
お市との間に子女が生まれなかったのも
衆道愛好家だったからである。



144 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 01:31:12
問題は、何故チンゲンは孫に縁起悪い諱を与えたのか?だ

145 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 08:41:41
>>143
勝家は、お市が一応織田の姫だから、遠慮したのかなあ

子供生んでも養子がいるから、後々争いになるのを控えたのかな

146 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 17:56:27
勝家とお市が再婚したのは本能寺の後じゃなかった?
そうならお市も40近いはずだし、時間的にも
一年に満たない期間だし、とても子供が出来るとは思えないが。

147 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 21:12:37
>>128
明日久能に行く用事があるからついでに見てくるつもり

てか、なんで徳川家がその書状を持っているのかが気になる。
丹羽宛の書状なのにどこから何の目的で入手したんだろうね。

148 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:50:29
実は丹羽に届かないようにかっぱらったとか言ってみるテスト

149 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:59:24
この書状の要約を読んでみると、
当時の徳川は織田家の分国大名扱いか。
まぁ、確かにそういう側面はあるが・・・
徳川をどういう風に織田家中は見てたのかな。
徳川家康に息子を切腹させる信長との関係なんか、
同盟国というレベルではないしな。

150 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:01:36
武田跡地の仕置きが完了して、信長が京都で「何らかの地位を得た」時に、
徳川家は”正式に”属下大名となることを決断しなきゃいけなくなる。

だから黒幕説とか出るんだろうね。

151 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:08:16
信康切腹については信長の命令というより
家康自らがそうさせた可能性の方が近年は高いらしい

152 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:34:14
信長の生きてた頃の家康に天下取りの野心はない
信長の下で大名として生きていければいいと思っていた

153 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 23:46:52
同盟関係と主君:家臣関係というのは戦国末期のこの時代でもまだあやふやだったからな。
毛利も初期は国人衆の旗頭的な存在で、
必ずしも主君という存在ではなかった。
織田と徳川を同盟関係ってみなすのは、
現代人が後から歴史を見てるからなのかもしれない。

154 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 00:11:48
>>149
軍団長と同格って感じだと思う

155 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:00:29
>154軍団長と家康の違い…
軍団長 @与力は被官ではなく同僚 A領地・領民は信長から預ってるもの B支配機構にも信長直属の目付が
家康 @自前の家臣A領地・領民も徳川家のもの(信長の承認による)B支配機構に織田家の人間は居ない

つまり家康は、軍団長よりも自治権がある分だけ格上???

156 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 12:50:10
まあ武田滅亡後に信長から駿河を加増されたりしてる時点で、
配下に毛の生えたようなもんだったろう

157 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 18:29:56
>>155
軍団長格の人間が饗応役につくのだから、表面上は同盟者扱い。
一応、属国レベルだろうかw
実質家臣だが、公の場では対等であるかのように演出された特殊
な関係。
饗応役がそのへんの事情を勘違いして、信長を怒らせ刀持ちに叩
かれたw

158 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 19:26:17
宇喜田とかはどうだったんだろう。
宇喜田は秀吉を仲介にして織田家に服属したわけだが、
宇喜田のようにして、織田家に服属してた地方豪族は多い。
徳川を織田家分国として扱うのは、織田家としては当然なのかも。

159 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 21:40:09
信長が同盟を結んだ相手は徳川・浅井・上杉
それ以外の豪族はあくまでも配下に過ぎない

160 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 22:09:25
そろそろ誰か突っ込んでやれよ。。。

161 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 22:48:50
軍団長と同格なんてありえない。ようするに外様あつかいで最後にポア 南無阿弥陀

162 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 23:14:31
上杉までいっちゃったかノ(´д`*)

163 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 23:39:54
>>159
そうか?
中国戦線を考えたら、宇喜田は重要な役割を果たしてる。
東海道戦線での徳川の働きにも劣らないほどだ。
同盟関係と服属関係が明確化してないというのは、
本能寺の変前後では当然の感覚ではないか?


164 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:24:47
決して対等ではない同盟でよいのかな?

浅井が服属してれば、近江は取り上げて替わりに加賀・越中あたりを与えて、対上杉の最前線かな?

165 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:49:30
浅井があの時点で朝倉につかなかったら、もしかしたら本能寺の変後に浅井幕府が出来ていたかも?

166 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 11:52:33
信長は長政を副将軍にし、畿内数カ国を与える。
と妄想

167 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:09:50
浅井は所詮、妹婿でしかないし。
その所領って実は大した事ないし。
軍事活動でも特に凄い事もないし。


三法師、信雄、信孝みんな生きてるし。

168 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:14:18
>>167
それは家康も同じこと。

まあ浅井が北近江から越前にかけての所領を本能寺の変、仮に起こったとして、まで保ててたらその後の展開次第ではわからんぞw

169 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:23:05
浅井が朝倉攻めの時に叛旗を翻さずにおとなしくしてたら、
信長の畿内制圧は相当に早い時期に完了してたんじゃないか?
本能寺の変の頃にはもう九州攻めや四国攻めか、
関東平定か欧州攻略の時期になってただろ。

170 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:25:30
凄いな。欧州か・・・

171 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:24:39
いや、誰かに寝首をかかれてるさ。

172 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:30:50
柴田勝家に息子いないの?

173 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 02:26:25
ナポレオン以上の速さだなw

174 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 08:20:52
>>169
叛旗

っつーかよ、「浅井を裏切ったのが信長」ですよ。

175 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 02:12:09
そうだよな、信義をまもらんやつ(信長)は、
たとえ自身が滅んだとしても討つべきだ。浅井はえらい。

176 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 02:32:43
>174-175「領民の生活の守護者」という立場を裏切った浅井。

177 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 13:39:53
>>176
浅井の事情はともかく、
義理の兄弟・浅井を簡単に裏切った非道の信長という事実に変更はない。


178 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 14:31:36
浅井との同盟の条件の「朝倉家とは敵対しない」を破ったのだから、
大義名分は浅井にある。
信長が文句をたれるのはおかしいし、謀反でもなんでもない。
同盟関係であって、臣下ではないしね。

179 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 15:07:44
話は変わるが、平山郁夫だっけ?子孫だと名乗ってるの。

180 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 21:31:03
>177-178戦国時代なんだから、強い方(織田)について家を残さないとな。
大体「信義」なんて言っても、戦国大名はみんな汚いことやってる。浅井だって京極家から江北を奪ってるしな。

181 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 21:41:01
>>180
あの時点でどちらが強いかはわからないだろ。

仮に織田が強くても自分が朝倉につくことで
朝倉の方が強くなるのならばそうする方が得。



182 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 22:54:38
>181義秋だって義景を見限って信長についたんだぜ。

183 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 17:34:02
まあ足利だからな
自由なのかもね

184 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 00:08:26
>>181
信玄が病死しなければ浅井・朝倉方が勝利していた可能性大

185 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 08:55:34
信行も信長も信孝もお市も…。勝家にかかわったばかりに…

186 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 11:16:51
勝家は関係ない。お市と信孝はサルが悪いだろ。

187 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 12:26:52
大変な男色好みだったから嗣子が居なかった。
お市との間に子女が生まれなかったのも
衆道愛好家で女色に無関心だったからである。
いかにも戦国武将らしい人物ではある。




188 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 04:33:50
日本海側に所領を賜ったばっかりに、
冬期に軍事行動を制限されたのが痛かったな。
とこんで、日本海側の海上権益というか、交易はどのくらいの収益があったのだろうな。
中国地方の山内家なんかは、大いに儲けてたみたいだが。

189 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 09:51:45
織田家で最強でしょうね

190 :柴田恭兵:2006/05/15(月) 18:54:39
どうも、柴田恭兵です。
俺の先祖は、柴田勝家と侍女との間に出来た男子で名は勝智。
勝智は賤ヶ岳の戦いの前夜、勝家と対面した前田利家に預けら
れ城から出された。
その後、豊臣政権下では柴田姓をはばかり新発田勝智として
前田利家に仕え、その家系は明治維新まで続き維新後柴田姓に
戻し僕柴田恭兵にいたる。

191 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 20:39:45
柴田は対上杉担当だったけど、
上杉って船で若狭に乗りつけて、兵5000で京都進軍したことあったよな。
これってすごくないか?

192 :1:2006/05/16(火) 17:07:44
>>190
本人だったらすげえや
ファンです。まじめに

193 :日本@名無史さん:2006/05/16(火) 22:31:34
>>189
・・・的なことを言われがちだけど、この人の戦績って結局、どうなん?

ノブヤボで「騎馬適正」とかつけられがちだけど、
そんな話しあったっけ?


194 :日本@名無史さん:2006/05/16(火) 23:59:19
ノブヤボではその武将の「強さ」を表現するために攻撃力の高い騎馬適正をむりやりひっつけただけ。
勝家とまったく同じなのが上杉謙信。彼は騎馬隊なんか率いてないしね。謙信が得意なのは足軽隊だ。
「武田騎馬隊」も怪しいもんだが,そこは大目に見ておくw

195 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 00:41:06
>>194
謙信は>>191などによると、どうやら上陸奇襲作戦が得意みたいです。
水軍適正をどうかよろしく。

つか勝家、本当に”強かった”のか?と。

196 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 15:13:26
>>195
とりあえず君は信長公記を読むと良い

197 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 15:39:55
信長公記で勝家強かったっけ?

198 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 19:09:52
柴田が強いという根拠

*戦で「かかれ」が口癖だった
*あえて貴重な水瓶を割って戦に勝った経験が一度ある

これだけ

199 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 22:37:08
>>197
とりあえず活躍してるのが、若いころは安食の戦いとか稲生の戦いとかかな

上洛戦以降は織田家のトップクラスでそれはもう最強で


200 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 23:13:18
>198甕破(わ)り(=瓶割り)は創作かも‥

でも、対上杉を命じられ越前を護り抜いたからには、相当強いのだろう。越後兵は精強だからね。

201 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 14:51:34
先生、「越後兵が精強」というのもどうかと思います。
まわりが弱かった、のではないかと・・・


>安食の戦いとか稲生の戦いとかかな
それで勝家、そんなに強かったんですか?

勝家が嫌いなわけじゃないんですよ。
でも、柴田勝家(織田家中)最強伝説ってちょっとおかしくない?って思うんです。


202 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 14:57:15
最強ってのはいいすぎたwただ好きだから誇ってみた。

しかし采配は家中一 政治も家中一

203 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 14:58:00
>>201
最強を作るとしたら、君は誰を推す?

204 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 23:09:59
政治は明智のが上じゃまいか?

205 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 02:02:46
>>202
だからその、采配と政治の逸話とかあれば教えて欲しい。

勝家が嫌いじゃないんですってば。
ただ、もしかして俺ら、なにも知らずに過大評価してないか?と思って。
私には
「貫禄だけは充分で、
 当時の家臣団では年長者なので若い奴らの上に”置いておく”には適任。
 しかし不器用で加賀攻略に手間取っちゃいましたよ。」
そんなイメージ。


>>203
局地戦なら、遊佐教光とかうーん・・・、
個人戦闘なら、もしかしたら(若い頃の)前田利家とか?技能だけなら矢代勝介か大島光義。
謀略戦なら、浅井朝倉家臣団を崩壊させた秀吉、
政治なら、原田直政とか・・・官僚でよければ村井親子か一瞬ですが万見重元、
大軍団統率とかなら、やっぱり秀吉か信忠。

・・・もしかしたら織田軍団「すっげー強い”武将”」っていないのかも

206 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 04:30:26
化け物じみた指揮官は信長本人ぐらいだな

207 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 15:00:11
信長も

>「選りすぐりの手勢という純戦闘集団を使っての、敵の隙を突いた奇襲」は信長の得意
(wikiのとある項目から抜粋)

いつもこんな感じでしょ?
機を見るのに敏感だけどあんまり”強い”っていうイメージはないな。

おまけに狙撃されてるしwww


208 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 20:47:36
wikiには相当な手直しが必要だね・・・
>207の引用先の文章を書いた香具師は三戦厨レベルかorz

209 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 21:47:54
信長ってそんな感じだぞ。
手勢だけ率いて突っ込んだり、逃走したり、奇襲かけたり、電撃移動したり

で、最終的に「手勢の、なかでも側近だけ」の状態で奇襲かけられて討ち死に。

210 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 12:38:12
信長は戦略が上手かったのであって,戦術に対しての評価は低いんじゃないかな。

211 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 12:59:36
戦場を設定し戦力を集中させる事は上手だけど、純粋に戦術・用兵に関しては
ポカが多いって印象。

212 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 18:06:43
無駄を省いて、相手の隙を着いて、ツボだけ突いてぶっ壊す。
それも自分で。

そんな感じ。

213 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 20:55:30
>>211
>>212
信長のこと?勝家?

214 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 03:46:45
手勢しかまともに戦術単位では動かないのが封建社会の軍隊。
国人層の小領主の寄せ集めだもん。みんな

215 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 20:46:28
>>210
長篠の戦いにおいて、長篠城に敵を引き付けつつ防御陣を敷いた
戦術は高い評価を得れるとおもうが。

216 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:18:06
戦術はどうかなぁ。

だが設楽ヶ原の布陣は良かった。

217 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 22:33:50
桶狭間合戦の戦術は今川の本陣を正確に突いた奇襲作戦だから良かったよ思われ
他にも自ら馬廻衆を率いた合戦はなかなか良いんじゃないか?

218 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 22:38:40
だから桶狭間や田楽狭間なんて地名は当時無いの。 あれはデタラメな話しだから^^

219 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:38:57
>>218
でたらめな話で義元は討ち死にしてしまったのね
哀れだ・・・さぞかし無念であろうよ

220 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 01:36:03
義元は架空の人物です^^

221 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 07:44:52
柴田勝全って、名前まで貰っといて何で勝家と喧嘩したん?

222 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 07:52:13
男色家だから魅力のある勇将だ。

223 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 09:18:08
勇将とか知将とか猛将とか



学校行け

224 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 19:47:40
猛将はともかく知将は学校行く必要ないでしょ。
あ、教える為?

225 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 20:19:59
学ぶため

226 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:46:21
>>223
同意。

っていうか厨臭い単語だよな。義将とか忠将とか、、、なんだかなぁ。
こんなものを使う奴は日本史板じゃなく、ロビーとか行けばいいのにな。
仲間がいっぱいいるだろうに。

227 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:01:21
>>226
それは現代人の感覚だからでしょ。
封建社会を語るうえでははずせない。

228 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:16:35
ではそろそろ、松下論文と臼井論文の感想プリーズ。

229 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 09:36:04
>>227
内容ではなく、単語の厨臭さについて

「○○は義将だろ」
「いや、猛将だね」

・・・こんな会話が当たり前に、学術板で流れるなんてそんな世の中じゃ

230 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 16:09:10
たしかに
武将か軍師の分類しかできないで、被官や与騎って単語すら知らん奴も多いし
中国史なんか酷い奴はもっと酷い

231 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 17:28:16
与騎ってなに?

232 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 17:56:10
度量の低い御仁等がいらっしゃる

233 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:12:00
>>230
「○○は義理と忠誠が高いから忠将だ」
「いや、智謀が高いから軍師だよ」

こんな感じだもんな。
どんどん「○将」っての増えてくし。

234 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:23:05
またきたか

235 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:23:37
俺のスレでこんな あほらしい事 話すな

236 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:43:43
>>233
別に忠将だろうが軍師だろうがおかしくないでしょ。
むしろ過剰に反応する方が厨臭いし。

237 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:14:59
>>236
三戦板に帰れば?

238 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:19:02
どうも柴田です

239 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:15:50
>>233
歴史的背景としてそういう風に呼ばれた時代だったってことでしょ

240 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 03:16:12
>230与力(または寄騎)だろ。なんだよ与騎って…w

241 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 04:01:47
>>239
お前、初動から間違ってないか?
忠将とか義将とかって


    そ も そ も 史 学 用 語 じ ゃ な い ぞ



勇将とか猛将とかって単語は「ゲーム用語」もしくは「KOEI用語」でしかない。
無双とかのぶやぼから「歴史(学)に興味持ってくれる」のは、まぁいいことなんだろうけどさ。
で、その手の単語で一生懸命レスする若者は、微笑ましいですよ。

でも度を超すとただの厨扱いで相当。

242 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 04:29:18
んなこたぁーない

243 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 04:59:56
>>241
検索するとTVや論文、本のタイトルなどでも使われてるわけだが?

244 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 07:20:39
>>224
ワラタ

245 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 08:49:08
猛将などは昔からある褒め言葉であってKOEIが発明したわけではないぞ
KOEIが発明したのは猛将伝という金儲けシステム

246 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 09:30:43
三戦板の三国志(というか中国史)関係のスレなんてもっとやばいよ。

全て武将でひと括り。
その中で頭脳労働が得意とみなされた人物は軍師。
上記いずれにも該当し難いと思うと、あとは文官でひとまとめにしてる人も。

こうしてみるといかにゲームに毒され過ぎてる人が多いのがわかるってもんでしょ。

247 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 10:56:29
>>246
そりゃそうだが、君はそういった掲示板の発言に毒され過ぎ

248 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:01:58
柴田勝家はどう考えても猛将だろ。

249 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 12:17:45
勝家が猛将だったなんて

250 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:23:04
良かったね瓶割って死んでなくて
死んでたら凡人扱いなんだろな

251 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:03:28
>>243

「頭悪そうな本」がほとんどだけどなwwwwww


252 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:09:31
>>248
いや、柴田勝家は勇将だと俺は思う

253 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:23:19
>>251
そうじゃなくて、一般的に使われている言葉。
光栄に毒された人々がよく使うが、そういうのをよく目にする
人々が毒されてアンチとして過剰反応し易い。
ゲームが作り出した人の業。


254 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 16:08:14
横レス悪いが

>>253
一般的じゃないと思うよ。
一般的と思ってしまうほど、毒されてるのかもね。

255 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 16:17:19
>>254
それ根拠がないでしょ

256 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:04:58
日々分厚い専門書読む歴史バカもいれば、
信長の野望好きでかじる程度に小説とか読む人もいるでしょ
後者の人だって歴史好きなんだし、別に否定することないんじゃない?
むしろゲームでそういう人達が増えて喜ばしいと思うんだが
三成だって戦働きしたし、勝家も政治したっていう事ぐらい知らない人いるでしょ。コーエーのファンじゃなくても。

知識が浅い歴史ファンだからって無双みたいなキャラゲーにしか興味ない人ばかりじゃないって事を忘れないように

257 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:23:38
>>256
koei関連のスレ覘いてるぐらいだから、騒いでる奴らも同類でしょ。

258 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:51:37
興味を持つのはいい。

ゲーム・小説の内容が史実だと思われると困る。
ゲーム・小説の内容が歴史学だと思われるのも困る。

259 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:58:43
>>258
それはそうだが、この場合当てはまらないよな

260 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:21:48
てか高校のとき歴ゲーで柴田つえ〜、で興味もって、柴田について軽く調べたんだ。
そしたら「瓶割り柴田」の異名があるとか…

そこで歴史になかなか詳しい先生に休み時間質問して聞いたら「瓶割り柴田」の話しをしてくれたあと一言。「あんまり誉められるような事じゃなく、私は逆にこの逸話は悪いお手本のように感じる」と言ってて「ハァ?」
と思いました。

援軍がいつくるかも分からん状況で絶対絶命なんだよ?それを士気を高めるために瓶を壊し決死の覚悟をさせ追い払う原動力になったんだから正しい判断だったのだから臨機応変で良かったのではないか?
と思うんですが

どーでしょ?

261 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:27:43
そもそも「瓶割り柴田」の話自体が創作なんじゃ…

262 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:56:04
創作かどうかはこの際置いといて、もし撃退されて城に帰る事になったら干からびて死んじゃうじゃん

263 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:08:36
その、歴史になかなか詳しい先生に背水の陣って知ってますか?
と聞いてごらんw

264 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:09:23
>>260
これはうまい精神的鼓舞だよね。

>>262
死んで城に帰って干からびるってことか?

265 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:10:00
背水の陣も上策ではないだろ

266 :263:2006/06/04(日) 00:13:19
スマソ三戦厨に占拠されたスレに書き込んだ漏れが馬鹿だった
今後はROMに徹するよ>265

267 :1:2006/06/04(日) 00:15:55
>>266
かなしいね。かなしいよ。

268 :1:2006/06/04(日) 00:18:03
思えば俺は勝家の人気を高めるために、
一般人に知られざる勝家の業績を知らしめるために、
このスレを立てたんだった。

ほとんど無駄だったな。

269 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:59:47
少し前の頃は子孫の墓とか出てたんだけどなぁ

上策とか下策とか

270 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 08:49:23
上策とか下作とかって


    そ も そ も 史 学 用 語 じ ゃ な い ぞ


271 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 09:56:12
知将・野村克也監督

272 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 09:57:56
池沼・長嶋茂雄終身名誉監督

273 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 09:59:01
野村克也監督は武将ではないよ

274 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 10:47:08
柴田勝家を猛将とか言ってるやつは全然歴史がわかってない。
どう考えても知将だろ。

275 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 10:47:09
>>263が何でそこまで拗ねてしまうのかわからない

276 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 11:21:44
三戦板に毒された輩はタチが悪いな

277 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 12:32:36
日本史板のスレタイをざっと見ても三戦板と大して変わらん気がするがな。

278 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 12:58:12
日本史板にも良スレは有ったけど
半年ぐらい前に三戦厨が残らず食い荒らしていったからね

279 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:18:22
そういう奴に限ってやたら知ったかぶって排他的なんだよなぁ・・・

280 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 14:17:18
その対策には、厨用語の撲滅
(使うと笑われる)
これかなり効果的だと思うんだけど

281 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 20:36:34
柴田勝家は武将です

282 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 21:40:34
柴田恭平は俳優です

283 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 22:08:28
柴田理恵は武将です

284 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 01:07:46
権六様マンセー!!



285 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 03:12:01
五月蝿いわ朝鮮人

286 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 17:20:32
権六様〜〜〜最強。

秀吉氏ね

287 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 20:33:48
そんじゃ質問なんだけどさ
武藤舜秀の跡を継いだ康秀っているじゃん
その人は賤ヶ岳合戦の時は柴田勝家に組したの?

288 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 21:37:36
たしか舜秀って所領敦賀だったよね。
その後はさすがに知らんなぁ。
武藤厨は ここには いないかな?

289 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 21:39:15
いま福井県史見てきた

敦賀では武藤舜秀の遺領を子康秀が継ぎ、やがて蜂屋頼隆が代わり、
そのあとに秀吉に近侍して奉行でもあった大谷吉継が入ることになった。

290 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 22:33:38
福井県史は史料編もネット公開してくれたら神なんだが…

291 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:35:11
>>290
それは常々思います。

292 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:45:50
ところで丹羽長秀も治めていたよね。
近江二郡・若狭・越前・加賀二郡でよかったかな?

293 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 23:02:31
漢の一言だな

294 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 12:00:01
やっぱりいい人だよなぁ。

295 :日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:03:34
柴田勝家の系図や子孫を教えて下さい。

296 :日本@名無史さん:2006/06/14(水) 17:59:51
>>295

>>1-294
ドゾー

297 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 18:01:40
辞世の句
夏の夜の夢路儚き(はかなき)後の名を雲井にあげよ山不如(ほととぎす)

298 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:58:00
勝家は大した人物じゃないよ

299 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 21:37:49






                 え











300 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 21:38:29
>>298
え?(笑)

301 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 22:29:29
お互い余呉合戦は本当に天下分け目だった。

秀吉は本能寺事件以後、勢力を強大化し、有利にすすめてきた。

決戦に勝った方が決定的な勢力を誇る。

勝家が負けたら中立の毛利が羽柴に付いた。金森前田不破などが降伏していた
秀吉が負けたら中立の毛利が柴田に付く 友好の徳川。旧織田家臣、柴田に寝返り(人質を取っているが、忠誠心での協力ではない)

ちなみに余呉戦の前、長宗我部元親は羽柴側の十河を攻撃し勝利した(小牧長久手の時と諸説あり)

302 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 15:42:01
アニメ2
http://anime.2ch.net/anime2/

303 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 18:58:54
      

304 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 19:38:11
猛将とか名将という言葉を歴史用語ではなく
ゲームに毒された連中の発言とか言ってる連中こそおかしくないか?
当時は普通に四天王とか龍とか鬼とか虎とかもっとイタイ例えが普通にあったんだがな。
何で、そんなに呼称があるかというと「軍勢を鼓舞するため」という
ちゃんとした理由もあるので、必ずしもおかしくはない。
つまり末端兵士が「わが軍勢は名将OO殿が率いているから必ず勝てる」というようにな。

つーか、猛将は史学用語ではないにしろ、
今の人間も当時の人間も史学用語で考え行動してるわけではない。
上杉謙信など自分を毘沙門天の化身と思い込んでる程の厨で。
当時の上杉軍は出陣前に必ず春日山白にある毘沙門堂に参拝してから出陣するのだが、
あるとき、どうしても時間がなかった時に
謙信は「毘沙門天の化身であるわしに向かって参拝せい」と言ったという逸話がある。

305 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 12:16:16
現代の感覚での色眼鏡になってしまうのは仕方がないとおもうけどね。
商用にクローズアップした部分のみを指摘して、じゃ、実際の歴史的
背景としてどう扱われていたかを無視してしまった悪い例。

306 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 19:21:59
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

307 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 18:32:45
知将とか勇将とか猛将とかって大辞林に書かれてる

308 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 11:14:26
辞書もいい加減だね

309 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 18:58:47
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?stype=0&dtype=2&p=%CD%A6%BE%AD

検索したら出たw
コーエーすげぇwww

310 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 09:05:49
信長が元服したあたりからすでに登場しているのに柴田勝家って知名度高いけどその実像って知られていないよな。
若い頃・壮年あたりは思慮深いというより豪快な面が目立ったんだろうな。しかし年を重ねて織田家が勢力を拡大していくにつれ次第に一軍を統率するにふさわしい力量を備えていったんだろうと思う。意外にこつこつ努力する人だったのかも。
余呉の戦いなんか
互いに経験を重ねた者同士の知力の伯仲した名勝負(適当な表現でないけど)だと思うが。



311 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 13:08:19
勇将の下に弱卒なしっていつ出来た言葉だろうな

312 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 13:12:19
だからって「○○は勇将だろ」「いや謀将だね!」という風に使うのはどうかと思うわけで。

313 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 13:47:04
他にどう使えと・・・

314 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 16:43:47
新参の明智とすら婚姻結んでるのに秀吉とは結んでなかったんだよね

315 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:06:32
俺自身はあんまり謀将名将の色分けには興味ないなぁ

でも猛将〜〇〇〜でその武将やらのイメージ膨らませるのもまた楽しいことだろうし。


316 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:13:37
俺自身はあんまり謀将名将の色分けには興味ないなぁ

でも猛将〜〇〇〜でその武将やらのイメージ膨らませるのもまた楽しいことだろうし。


317 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:54:42
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

318 :日本@名無史さん:2006/07/25(火) 02:06:03
>>311
一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭のライオンの群れより強いって言葉なら、
古くから西洋ではあるそうだが。
洋の東西を問わずにそういう言葉があるってことは、
近代以前の戦争では司令官の資質が重要だったんだろうな。

319 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 13:03:22
ほー

320 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 22:58:37
未来永劫、福井は権六様の町だ。

321 :日本@名無史さん:2006/09/02(土) 21:33:09
俺んちの家紋
 http://www2.harimaya.com/sengoku/buke/2_kari.jpg
これと同じなんだけど・・・

祖母さんから聞いた話しだけど、合戦に負けてこの地に流れてきたと・・・


322 :日本@名無史さん:2006/09/02(土) 22:44:29
柴田勝家は、確かに猛将だったが時代の流れを読めなかったのが敗因だな。



323 :日本@名無史さん:2006/09/03(日) 00:06:07
勝家の肖像画(賤ヶ岳の合戦で負けたあと絵師に書かせた物だそうな)
を見ると泣けてくるな
なんでも「俺の負けっぷりを書いてくれ」と言ったとか。。。

324 :日本@名無史さん:2006/09/03(日) 00:15:37
>>321
柳川ですか?

325 :321:2006/09/03(日) 00:23:12
東京です

あと我が家に決まり?があり、礼服のネクタイに家紋を入れるのですが
注文する度に珍しがられます。


326 :日本@名無史さん:2006/09/03(日) 01:03:57
>>325
家は調布市?
勝家の甥の勝政の子孫が旗本としてそのあたりを与えられてたらしいが。

327 :321:2006/09/03(日) 17:26:58
いえ、23区内です。


328 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 12:43:22
>>322君、はずかしくないかね。

329 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 18:05:14
>>328
ん?なにが?

330 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 03:04:35
時代の流れは秀吉に傾いていた、とでも言うんだろきっと。

331 :信長:2006/09/13(水) 21:31:02
ゴンローク

332 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:28:29
柴田家家臣団はご健在か?

333 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 20:04:55
>>322
時流の流れっていっても・・・w
秀吉の家臣になればよかったのか?w
許可するわけないww
>>332
わからんなあ。

334 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 18:59:53
そうか?

335 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 13:52:56
はい?

336 :信長:2006/11/09(木) 01:31:25
ゴンローク

337 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 15:50:37
>>310
勝家にせよ明智にせよ、秀吉に負けた奴の功績はとことんパクられるか抹消されてるからなぁ。

338 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:47:53
有名なのに過疎だな。

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