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秀吉による織田家乗っ取り

1 : :2006/01/25(水) 01:56:47
日本史板らしくいきましょう
三戦っぽいネタはスルーで
DQN史観ももちろんスルーで

語りません?

ネットには載ってないマイナー知識を
ご披露ください


2 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 01:59:23
22222

3 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 16:50:01
Q:秀吉はいつまで織田家を主君として擁立していたのか
いいかえれば織田家が名実ともに秀吉の家臣になったのはいつか


>>1はこれに答えろ

じゃなきゃ語ってやらん


4 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:59:59
三法師にいつまで臣下の礼を取っていたのかな

5 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:23:45
>>4
腹の中では最初から臣下になるつもりは無かったと思われ

6 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:32:05
少なくとも大納言になった時点で臣下とは思っていなかっただろうな

7 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 00:20:27
秀吉が岐阜中納言に対面したときってどういう心境なんだろ

8 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 00:51:53
賤が岳で勝家を破った時点で半分くらい決まったんじゃないの?

9 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 01:29:41
>>7
たかだか13万石しか与えていないからな。
石田三成・加藤清正以下の石高だ。



10 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 08:21:43
>9 それでいて家康(亡君の同盟者)に、鼻水垂らして「秀頼を頼みますじょ〜」とは…
みっともね〜エテ公だな

11 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 09:34:04

前田利家を織田閥の代表に仕立て上げた上で上手く丸め込んだ。

12 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 10:25:41
13万石か。旧主に対して、あまりに少ないな。

50万石くらい与えてやればいいものを

13 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 10:30:56

岐阜中納言ってその領地貰った時、何歳だっけ?
年齢と共に加増するよ。くらいの台詞はいったんじゃない?

14 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 10:37:11
>>13
そのセリフ、秀頼に説明する家康と似ているなwww。
「秀頼君御成人の暁には、天下はお返し奉りまする」

ドラマではよくあるシーンだ。(史実ではないと思うが)


15 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 10:46:44
織田家も信忠が京から本能寺の変で落ち延びていれば、
覇権を継続できたかもしれないように、
豊臣家も、成人の男子がいれば存続できただろうにね。
秀長が生きていればねぇ。

16 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 21:10:54
三法師の母親とその一族(塩川氏だったか?)
を何か適当な理由つけて処刑したんだよね?
秀吉様は
さすが織田家の忠臣
信長の息子や信長の奥さんや信長の孫を殺し
信長の娘達は手篭めにするし逆らったら殺すし
さすが織田家の忠臣

何か織田家に恨みでもあったのか秀吉君?


17 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:12:20
まあ信長の家臣は、多かれ少なかれ信長を恨んでいたとは思うけどね
結局信長の暴虐に一番先に耐え切れなくなったのが、
結果的に光秀というだけだったって感じもする

18 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:26:37
丹羽長秀・池田恒興・蜂屋頼隆・森長可
彼らは織田家を盛り立てようという気があったのか?

羽柴秀吉の暴走を止めるために柴田勝家と手を組もうとかなかったのか?

長いものに巻かれてしまったように見える。

19 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:40:06
天下鳥を意識したのは本能寺以降なのだろうか。実はもっと前に・・・

20 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:46:18
日本統一でも満足しないのが、秀吉だからな。
織田家重臣・国持ち大名で、満足するわけがない。

21 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:50:44
>>19
>実はもっと前に・・・

その下準備は感じられる。

羽柴秀吉・・・兵糧攻めにより兵力温存。(毛利家を取り込もうとしていた。)
徳川家康・・・伊賀や甲斐の敗残兵を吸収し兵力強化。(北条家とも同盟。)




22 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:02:27
 信長諸将を切り崩すのは難しいから、中国地方の東半分を元手にしようと
考えていたのかな。

 そういえば、大返しの手際が良すぎるあたり、実は秀吉が黒幕というウワサ
もあるにはあるな。

23 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:09:17
羽柴秀吉は播磨や備前、但馬を良い感じで抑えることができていますね。
徳川家康も三河や遠江、駿河を良い感じで抑えることができていますがw




24 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:11:20
精液を女の顔に塗りたくれ」
ドロッとなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

25 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:12:38
立地的に、信長を怒らせて攻め込まれたときに守りやすいのは、家康よりも秀吉だったように思う。

26 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:27:28
林秀貞が、「織田信行を担いで謀反を企てた」って理由で追放されたからね
あんなので追放されるのなら、同じ行動を取った勝家はもちろん、
上杉攻めで勝手に退去した秀吉にも追い目はある
家康は信康事件などで信長を明らかに恨んでるだろうし

丹羽、池田らへんはリーマン気質なので変な考えは持ってなかったと思うが

27 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:52:35
どうかな?

丹羽長秀は織田信長に近い所にいた分、苦労も多かったかもしれない。
池田恒興はなかなか抜擢されずにいたからな。

林秀貞は本当に何したわけでもないから追放されても仕方がないよ。




28 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 00:15:48
秀吉黒幕説、家康黒幕説、秀吉家康共謀説、朝廷黒幕説、あと何があったっけ?

29 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 00:26:06
一番有力な光秀単独野望説があるが。

30 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 00:30:21
それってどうなの?乱心?比叡山の件なんかもあるし実は
残虐な事もいとわない攻撃的な一面もあったのかな?

31 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 00:35:38
賤ヶ岳合戦以降、織田家の所領はどんなもん?
三法師、信雄、信包、長益、信張などなど。

32 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 00:41:32
信包はたしか伊勢にいたはずなのに
いつの間にか丹波の山の中に押し込められてるよな

信雄は伊勢と尾張だっけ?それに伊賀か
それも秀吉に国替え汁って言われて
拒否したので島流しに遭ったんだよね

三法師ってまだ幼いからなんなんだけど
本来なら信長・信忠直轄領をもらえるはずなのに
秀吉に全部没収されて最終的には岐阜か

長益・・・?所領あったのかな


33 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 00:51:15
ありがdd〜♪

信雄の伊勢の所領は全部じゃないよね?
それにしても織田家、無残だなw

34 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 01:08:12
領地分配では、次男・信雄は尾張国を、3男・信孝は美濃国を相続し、
信長の4男で秀吉の養子である羽柴秀勝は明智光秀の旧領である丹波国を相続した。
家臣団では、柴田勝家が越前国の他に近江長浜を加増され、丹羽長秀が若狭国の他に近江国の2郡を加増された。
新当主である三法師は近江国坂田郡と安土城を相続し、秀吉には山城国が与えられた。

(ウィキ抜粋)

新当主の直轄領が、たった一郡です。とんだ忠義の士の集まりです。

35 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 01:15:53
>>27
池田は信長軍での目立った抜擢は無かった代わりに信忠付きみたいなもんじゃないかな
荒木滅ぼして池田が摂津に入るまで信忠との行動が多かったような…
たしか賤ヶ岳も理由はよくわかってないけど参加してなかったと思うよ

36 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 01:22:59
本能寺の変以降、河内にいた若江三人衆や三好康長はどうなったん?

37 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 01:28:26
>>35
池田恒興は元亀年間から対武田要因として動いていたよ。
そのまま織田信忠の指揮下に入ったけど。

38 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 01:31:07
丹羽長秀って本能寺の時の所領って若狭10万石程度みたいだし、
出世は早かったのに、その後頭打ちになってたみたいだね。

39 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 01:36:53
でも滝川一益もいきなり武田征伐で抜擢されて、
一躍関東において重要な役割を持つ者として出世をした。

丹羽長秀や蜂屋頼隆も頭打ちと言うにはどうかな。

40 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 02:21:28
池田恒興は本能寺があった年には長男の元助に家督を譲っている。
信長在世時から、淡路攻めとか恒興じゃなくて元助が行ったり
してるし事実上隠居状態だったんじゃないの?

41 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 03:01:24
丹羽は政治にも使えるからね
信長も手元において置きたかったんだろう
信長が死んでいなければ
政治を牛耳ったかもしれない

丹羽長秀が急死したのが織田には痛かったんじゃないかな
秀吉は相当嬉しかったんじゃないかと


42 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 03:21:47
>>41
賎が岳、小牧・長久手でも、あっさり秀吉の味方をしてるし
生きていても秀吉のイエスマン

43 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 03:30:43
>>42
あっさりってわけでもない
小牧・長久手では長男(13歳)にたったの3000だけ
つけて派遣している
丹羽の当時の勢力から考えると最低でも10000〜20000は
派遣できたはずでただのイエスマンじゃない
再三の秀吉による上洛要求も拒否してたし
最期は腹を斬って自害したわけだが腹の中にあった
潰瘍を秀吉にどう言う意図かは不明だが送りつけている

ちなみに腹切後数日生きてます。
病気を苦にしての切腹説あるいは
秀吉に対する抗議の切腹説などが言われてます





44 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 03:33:44
>>43
丹羽って胃がんじゃないの?
腹きり説のソースは何?

45 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 04:00:50
三戦のノリやDQN史観は禁止だと

46 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 04:01:39
長秀は小心者だから、重病だから秀吉の元に行けなかっただけですよってことを
証明したくて、疾患だらけの内臓を秀吉に送った

自分の死後、息子の長重が取り潰されるのを極度に恐れて
「息子は一万石でもいいから丹羽の家名は残してくれ」とも頼んだ

47 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 05:14:25
>>43
丹羽長秀は、小牧・長久手の戦いのあと、100万石以上加増されている。
大して働いてないはずなのにおかしいね。


48 :バロン曽志崎:2006/01/27(金) 07:30:46
>>44
『多聞院日記』天正15年4月25日条
「惟住長秀は(略)病死無念とて去十四日に腹を切り、終に十六(日)死了。」
ちゅうか有名どころだから、少しは自分で調べてみれば・・・。

49 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 08:48:50
清洲会議直後

三法師・・・・・・・近江国坂田郡
織田信雄・・・・・尾張国
織田信孝・・・・・美濃国
柴田勝家・・・・・越前国、近江国(伊香郡・浅井郡)
羽柴秀吉・・・・・山城国、播磨国、河内国
羽柴秀勝・・・・・丹波国
羽柴秀長・・・・・但馬国
丹羽長秀・・・・・若狭国、近江国(滋賀郡・高島郡)
池田恒興・・・・・摂津国
滝川一益・・・・・伊勢国(桑名郡・員弁郡・朝明郡・三重郡)
前田利家・・・・・能登国
佐々成政・・・・・越中国
細川忠興・・・・・丹後国
筒井順慶・・・・・大和国
蜂屋頼隆・・・・・和泉国
九鬼嘉隆・・・・・志摩国
宇喜多秀家・・・備前国、美作国
徳川家康・・・・・三河国、遠江国、駿河国

あとは?

50 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 09:59:25
>>49
河内は秀吉のが領有してるの?

51 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 12:30:46
たしか全部じゃないけど河内ももらってなかったっけ。

52 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 18:19:30
秀吉が清洲会議で河内の領有権を獲得していたとは知らなかったよ。
教えてくれてあんがと。

53 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 19:06:14
時は戦国だぞ
下剋上の時代だから乗っ取りもありだろ
織田家だって下克上でのし上がった家だし

三法師も関ヶ原で西軍についてるし
三法師は秀吉を慕っていて、乗っ取られたことなんか
まったく気にしてなかったというぞ


54 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 20:03:04
>>53
三法師はそのように養育されていたんだろ
一種の飼い殺しみたいなもんだったんではないのかな
彼が物の分別が付く頃にはかつて信長や信忠に仕えていた家臣達は
ほとんどが死んでいるか近くにはいなかったからね

55 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 20:27:23
家臣達は、家康側につくように説得してるけどな。

56 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 21:24:13
織田秀信(三法師)は、関ヶ原戦の処分で高野山で蟄居し、
5年後に同山で病死した。(享年 25歳)

家康も赦免して、1〜2万石くらい封じてやってもいいのに・・。



57 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 21:26:27
別に秀吉贔屓で西軍に参加したわけではない。
石田三成から高待遇で迎えられただけ。
それに岐阜城合戦の間際まで身に着ける鎧を選ぶのに時間をかけすぎて敗戦。
よーするに祖父以上の稀代のうつけ。

家臣は最強のうつけにさぞかし涙したであろう。

58 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 00:46:39
>56,>57東軍に与したら,どれくらい加増されたかな?

59 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 08:35:25
>>56
赦免する気はあったかもしれんけど早死にしすぎ。
大阪の陣まで生きてたら赦免されて、戦功を立てたことにしてもらって
小藩くらいはもらえたかもしれん。

>>58
働きによると思うけど重要な拠点の美濃に置いとくわけにもいかないから
辺境に20万石くらいで動いたんじゃないかな?

60 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 21:00:33
淀君は周辺に織田有楽斎や織田常真入道など、織田姓をもつ連中を集めていたから、岐阜中納言も生きていれば高野山から赦免後、大坂城に流寓し、
叔父信雄とともに開戦直前に退転し、徳川から数万石を安堵された一武家貴族としてほそぼそとつづいた可能性が極めて濃厚で有ります

61 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 21:05:23
「数万石」は「ほそぼそ」じゃなくて堂々たる大身だと思う。
織田信長の子孫で旗本になった家系は少なくない。

62 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 21:11:13
本能寺の変にかんする秀吉家康共謀共同正犯説ってどういうものですか?

63 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 21:44:45
織田秀信は、会津征伐に参加しなかったんだな。
小山軍議に出席していれば、「流れ」で徳川に味方できたのにな・・・。


64 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:03:04
流れで徳川に味方した場合、美濃岐阜から越前大野18万石に転封の可能性大

65 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:05:30
上杉征伐に織田秀信?
正直、こられても邪魔なだけだろw


66 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:20:21
越前大野だとまずいのか? 岐阜13万石から18万石だから、悪くないと思う。

67 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:41:59
織田・徳川同盟っていつまで続いたん?

68 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:47:41

秀信が生きていたら、というのはないと思う。
秀信の弟の秀則は生きていたのに、何の所領も与えられてないし。
さすがに織田家の嫡流を残すのはまずいでしょ。


69 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 00:01:44
サルが芯だ時に改名する(家信は無理かw)くらいの知恵はなかたんか?

70 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 00:10:10
せめて叔父である信雄のような強かさがあればなw

71 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 09:55:39
岐阜中納言は祖父信長の秀麗な容貌と芸術的才能を受け継いだに過ぎないとのことだから、家康の腹つもりでは、
いずれ高野山から赦免し、江戸に招き、数千石の扶知で御伽衆か高家として幕府の儀典掛になるのか一番ありうる筋ですな

72 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 14:55:40
秀信は暗殺なんじゃないかとも思う
信雄とか有楽とかどうでもいいザコと違って、秀信は織田家の正式な後継ぎだしな
家康が、こいつ担ぎ出して反乱する奴が出てきたら困ると思ったんじゃないかと

73 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 15:16:16
>>72
>家康が、こいつ担ぎ出して反乱する奴が出てきたら困ると思ったんじゃないかと

今更、誰が秀信を担ぎ出すんだろう?
秀吉に取り込まれた丹羽家や池田家、または森家かなw


あまりの戯けぶりに家康が哀れんで病死にさせた方がまだ説得力があるよ。

74 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 19:25:27
岐阜中納言は1580年生まれで、その後はしばらく安土にいて、岐阜13万3000石
に封ぜられたのは1590年。

75 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 00:26:51
>>74
安土城は、1590年まであったのか? 

秀信は、対毛利戦の鉄鋼艦(戦後、行方不明)の「在りか」を知っているのかな?

76 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 02:12:33
>>75
朝鮮征伐の時に李舜臣に沈められたんじゃなかったっけ?


77 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 03:15:11
>>73
>秀吉に取り込まれた丹羽家や池田家、または森家かなw

前田家を出しもしない浅知恵君が人のこと笑えるのかな

78 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 05:01:45
ただ鉄の板を貼り付けただけの木造船でしょ>鉄鋼船
外洋航海能力もないだろうし、瀬戸内海の制海権を握った後は海にでも沈めたんじゃないの?

79 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 14:59:35
解体したはず

80 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 15:07:56
>>78
簡単に言うね。
鉄板が厚いと船が沈む。薄すぎると意味がないということで
試行錯誤を繰り返したらしい。大きさはペリー艦隊の軍艦と同規模。
「動きが遅いから包囲しよう」と考えた毛利水軍が集結するや、
大砲がドカン。圧勝だったそうだ。





81 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 17:25:05
ルイス・フロイス「日本史」秀吉について
「彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた
身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主、抜け目無く狡猾
極度な淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺」

82 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 18:10:13
鉄鋼船はその巨大さゆえ機動力は皆無だったみたいだね
織田家得意の威圧するものだったんでは?どーんと構えて
港に近寄れなくしただけなんじゃない?

83 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 18:43:30
>>81
フロイスの頭の中(というか当時の欧州人の頭の中)

キリスト教を信仰するorキリスト教に好意的→頭いい
キリスト教を信仰しないorキリスト教に敵意→頭悪い

これを踏まえないとフロイスの著書は読む意味が無い



84 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 20:52:50
三法師が利口なら家康に泣きついただろうになあ。
少しは待遇がよかったのではないか?

85 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 21:37:52
フロイスは伴天連追放令を出した秀吉が、よほど嫌いだったのだろう
悪く書いている 反対に信長には好意的だ
が、日本の歴史家の捏造本よりは外国人の見た信長像、秀吉像が
正鵠を射ているとも考えられる いずれにしても貴重な資料だろう

86 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:12:41
江戸中納言秀忠・武蔵
本多中務大輔・安房上総酒井雅楽頭・上野
大久保加賀守・相模
榊原式部大輔・下野
井伊・下総

87 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:13:35
ふーん

88 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:01:08
吉法師ってどこ行ったのさ?


89 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:17:34
領地は少ないけど官位は中納言だからね。
かなり厚遇してもらっていたと思うよ。

90 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:31:35
この辺で、むくいを待てや羽柴筑前の辞世希望。

91 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:46:47
>>77
>前田家を出しもしない浅知恵君が人のこと笑えるのかな

浅知恵とは笑わせるね。

前田家も秀吉に取り込まれていることを知らないとはな。
君の無能さに恐れ入ります。

92 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:57:36
>>85
フロイスの信長に対する記録は、
生前は好感の内容が多いけど、
死後は天罰を受けたような悪意に満ちた内容に変わるよね。

93 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 00:48:33
>>91
ん?意味がよくわからない
それに77は前田が秀吉に取り込まれているのを知っているからこそ
なんでそこに前田がないんだと聞いているのでは?

>秀吉に取り込まれた丹羽家や池田家、または森家かなwより
前田や丹羽、または池田かなの方が話が通じやすいと思われ

94 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 10:07:49
>>93
>なんでそこに前田がないんだと聞いているのでは?

文をよく読め。脳内解釈で判断しないように。

95 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 10:14:01
秀吉の内通者前田利家なんか取り上げても仕方がない。
歴史に疎い人を喜ばせる気はないよ。

96 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 11:07:55
織田信孝(辞世の句)
昔より 主のうつみの 野間なれば
 むくいを待てや 羽柴筑前

1583年(天正11年)5月2日

97 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 11:40:57
織田家家臣で幕末まで残ったのは前田、丹羽、池田くらいか?


98 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 11:48:24
>>97
大河ドラマの主役・山内家がいる。

99 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 12:38:47
丹羽はある意味潰れたけどな

100 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 12:40:13
丹羽が越前、若狭、美濃の一部120万石からわずか小松13万石に減封されたのは
何が原因だったんですか?


101 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 16:12:04
>>100
丹羽家臣が軍法に背いたとか
なんとか・・・

いずれにせよわけわからん理由です
理由なんかどうでもいいのです
要するに丹羽を潰せば織田政権簒奪は
完成です



102 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 16:32:31
>>98
山内が含まれるなら藤堂や蜂須賀も

103 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 16:47:33
>>97
稲葉家も入るな。

104 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 16:48:52
細川家も、織田政権の丹後国主だ。

105 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 16:56:53
秀吉に朝廷が好意的なのは歴史的事実だろう 献金が多かったせいか?
尾張中村の百姓の出身で天下取になったのは奇跡みたいなものだが
出自については丹波の樹下というサンカの流れという説も有る
秀吉の時代に金山が多く発見され、産出量も激増した サンカが応援?
本能寺の変も朝廷と秀吉の連動作戦ということもあるのではないか?
秀吉の旗印の「ヒョウタン」が天皇陵の前方後円墳の形に似ているように思える
なにか、秀吉と朝廷は因縁がるのではないか?いくら戦国時代といえども
尾張の水のみ百姓の出で天下が取れるとは思えない

106 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 18:42:31
>>105
そんなに朝廷と仲が良い秀吉に征夷大将軍を与えなかったのは何故?
わざわざ伝統を壊してまで関白に就かせるのは朝廷として不本意なのでは?

107 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 19:03:22
征夷大将軍は、先例により源氏でなければならず、秀吉は源氏では
無かったので無理だろう 徳川は吉良の系図を借用して源氏を
僭称したようだが、、、
もともと鎌倉時代以降、朝廷の権威は失墜しており、財政状態も
ひどかったのを、秀吉が財政援助して、持ち上げて権威を高める
努力をしたのでやや復権したのだろう それほど大した存在ではなかった
信長が部下を集めて「おまえら天皇というのを知っているか?」と
尋ねたら部下はみんな「知らない」と答えた
そこで信長は「わしが一番教養がある、京に天皇というのがいる」のを
知っているといった 本当かどうかは知らんがその程度の存在だろう
秀吉にとっては朝廷を持ち上げて、自分の権威付けに利用する必要があった

108 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 19:08:17
秀吉が桐紋を使用し始めたのはいつだろうか?
また、桐紋を使うまで、秀吉が使っていた紋は何なんだろう。 

109 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 19:11:44
>徳川は吉良の系図を借用して源氏を僭称したようだが、、、

前から疑問に思っていたのだが、足利支流の吉良の系図を借用(召し上げ)して、
なんで新田支流の得川の子孫になるんだろう。
足利と新田では、同じ清和源氏とはいえ、全然系統がちがうと思うのだが。

110 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 19:37:17
あくまで推測だが、三河で源氏の名門といえば吉良ということは
知っていたので吉良の系図を借用、直系は名が売れているので
系図のはしっこのほうにあった得川というのが良さそうなので採用
後日に新田系と判明したが朝廷に提出済みだったのでそのまま得川に
吉良と新田も多少はつながっていたものだろう

111 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 19:40:03
秀吉が摂家豊臣を創設したのは、今出川(菊亭)の入れ知恵なの?

112 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 20:16:46
>>109
今みたいに家系図が”史料”として取り扱われている訳ではないので、例えば清和源氏の世系を
知っているのは先祖伝来の系図を持つ家のみだったんだと思う。
系図調査しているとよく見られるのが、例えば清和源氏を称していても清和天皇からの世系が
書いてあるわけではなく、初代から記述が始まっているもの。
これはこの家に清和源氏の世系が伝来しておらず、苦し紛れに創作したものだろう。
吉良家の系図には清和源氏の世系はもちろん、得川(世良田)氏の数代についても記述が
あったんだと思う。

113 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 20:18:58
>>107
司馬の小説をそのまま・・・おいおい

114 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 20:45:08
>109-110,>112家系図には直系(自分ち)だけでなく傍系も記載されてますもんね。
千葉家の系図に遠い親戚の葛西家があったりするし。

115 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 20:55:25
>>107
朝廷の官位を私称したり、源氏や平家の末裔を自称するくらいだから、
下級武士でも、「天皇の存在」を知っていたと思うぞ。

116 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 21:03:49
>106
与えようとしたが秀吉側が断った。有名な話。

117 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 21:22:46
>>116
そんな話しは知らんぞw
本当に有名なのか?
征夷大将軍にならなかったのは先に関白になったから。
関白になった時点では東海道〜関東を屈服させていないので
征夷大将軍になる資格がなかった。
征夷大将軍に共通するのは関東に何らかの地盤を持つことだから。

118 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 21:35:24
>>117
今谷明の受け売りしても恥をかくだけだぞ。


119 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 23:29:29
足利義昭の養子になろうとしたけど、失敗して関白になったと思ったが。

120 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 23:31:01
>>119
それは徳川幕府が広めた俗説だ。よそで自慢げにしゃべると恥をかくぞ。

121 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 00:47:32
信長は平氏を名乗っていたが三職推薦があった。摂家将軍もあったし、源氏でなければならない理由はないと思うが

122 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:00:08
岡野説は無視ですか?

123 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:59:00
秀吉が関白になりたかったから。

124 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 02:20:38
現職の征夷大将軍がいたから
将軍になれなかったんじゃないの?

足利義昭が織田軍に奉じられて上洛したとき
前任の足利義栄がまだ生きていて
すぐには将軍宣下が出なかったような希ガス


125 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 02:25:50
『征夷大将軍』『関白』、後者の方が字数が少なく覚えやすいからじゃね?

126 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 05:27:54
関白>征夷大将軍だから
関白になれそうな感じだったんで
征夷大将軍はやめたんでしょ。

127 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 06:37:11
征夷大将軍は所詮武士の官位だしねー
そりゃ関白のほうが断然上

128 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 09:19:42
秀吉は生きている間に統治機構の整備と
秀頼の関白就任を実現させておくべきだったな。
幼少だというなら秀秋でもいいし。
秀次を殺さないのが一番よかったけど。

129 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 10:33:01
秀吉のやることは唐入より徳川征伐だなw
秀吉は家康を臣下に加えたことで自己満足してしまったんだろうなw

130 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 12:07:57
>征夷大将軍は、先例により源氏でなければならず
まだこんな事言ってる馬鹿がいるのか。

131 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 12:27:02
家康を蝦夷移封すれば良かったんだよ
拒否すれば征伐の口実になるしね

132 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 12:40:44
>>129
@まず、家康に隠居を命じる。秀忠を廃嫡し、結城秀康に跡を継がせる。
A徳川領250万石を、徳川一族で分割相続させる。(秀康領は上野・武蔵・相模のみとする)
B家康の4男・忠吉と5男・信吉には子がいないので、豊臣家縁者を養子にさせる。

133 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:06:00
豊臣家って養子に出すほど縁者いるのか?
木下氏あたりのことを言ってる?

134 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 21:07:20
秀吉は豊臣株式会社の代表取締役でいられたら、
それでいいやって感じだよな。
自分以外の大株主がいても別にいいよって感じで。
家康も、徳川株式会社を株式交換で豊臣株式会社に吸収されても、
豊臣株式会社の大株主になれたから、それでいいと思ってたんじゃない。
秀長や秀次が死んで、唐入りするとか、
子供が幼年のまま秀吉が死ぬとか、
そんなことを秀吉に臣従した時点の家康は考えてなかっただろうしね。

135 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 11:34:56
というと家康は秀長・秀次が死んだあたりから天下を考えるようになったのか。

136 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 12:17:35
征夷大将軍ぐなっていっとしてそれで豊臣にどう影響するの?
滅亡まぬがれたりするわけでもないでしょ?

137 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 12:56:12
>>136
>征夷大将軍ぐなっていっとしてそれで豊臣にどう影響するの?
標準語でお願い致します。



138 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 13:24:00
136ではないが、
征夷大将軍になったとしてそれで豊臣にどう影響するの?
ではないかと。

139 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 13:44:45
136ではないが、
征夷大将軍グニャとしてそれで遠江にどう影響するの?
ではないかと。


140 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 13:45:16
ぐなっていっとしよう

141 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 14:52:00
136ではないが、
征夷大将軍群馬亭としてそれで遠江にどう栄光するの?
ではないかと。

142 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 14:54:57
good night? it?

143 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 15:30:23
>>136よ、おやすみ。zzzzz

144 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 16:56:13
136ではないが
征夷大将軍なぐってよしとしてそれが豊臣にどう影響するの?


145 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 17:36:40
>>136
の人気に嫉妬

146 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 17:39:34
136ではないが、
征夷大将軍がない帝都としてそれは豊臣にどう影響するの?
ではないかと。

147 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 22:22:41
136ではないが、
征夷大将軍が泣いているとしてそれは遠江にどう影響するの?
ではないかと。


148 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:17:15
>>136よ、
どれがぐなっているのか早く教えて丁髷

149 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:27:00
136ではないが、
征夷大将軍グニャったがイッたとしてそれで豊臣にどう影響するの?
滅亡まぬがれたりするわけでもないでしょ?
だと思われ。

150 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:37:36
滅亡まぬがれたりする確率が3上がった。

151 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:59:45
知力が1上がった。新しい呪文をおぼえた!

152 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 07:55:55
バルス!

153 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 10:07:27
>>136
おまいちょっと人気者だからっていい気になるなよ?

154 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 12:00:34
リアルめがねっ娘門脇が可愛いということを4億円持ちのびびりに教えたうえで、
ハピマテ10万枚買ってくれと要請したんですよ。断られましたけどね。

155 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 18:24:04
やべ
このままでは
ネタスレになってしまう

えーっと
えーっと

なんかネタない?


156 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 19:53:21
何だかんだ言っても信雄は家系が残ったんだからえらい。
叔父有楽斎の子孫の2つの小大名家も、途中で信雄の子孫が継いでるし。
やはり中途半端に有能じゃなかったのが勝因だろう。

157 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 00:12:08
家康の失敗は、関ヶ原合戦後に大坂城西の丸を返上したことだな。

大坂城から引き揚げたから、豊臣家をコントロールできず
老骨を鞭打って冬の寒空の中を出陣する羽目になった。
西の丸に1万の兵と本多正純を常駐させれば、天下の大戦にはならなかったはずだ。

158 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 00:39:19
>>157
それは失敗とは言えないだろう。
家康としては、自分の存命中に豊臣家を滅ぼしておきたかったわけで、
別に戦争を回避するのが目的じゃあない。

その後も淀君が豊臣家を仕切っていたら、大阪の陣がなくてもいずれは自滅したかもしれないが、
それより先に家康が死んでたかもしれないわけで、家康不在の徳川家と秀頼健在の豊臣家なら
諸大名の中から豊臣方に与するものがでないとも限らない。

むしろ、関ヶ原の責を豊臣に帰することができなかったことの方が誤算じゃないのか?


159 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 00:47:22
西の丸を返上せずに大軍を常駐させておけば、文書一本で主戦派の大野治長
を追放できたよ。金蔵も密かに使えないから、浪人たちも集められない。

160 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 01:35:31
大野治長を追放できても豊臣秀頼は健在だな。

161 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 02:23:40
豊臣自体潰したいのに戦争おきないと意味ないだろう。



162 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 03:37:50
江戸時代に豊臣家があったら、さぞかし迷惑だろうな。
いずれ家なき子たちに良いように利用されて終わっただろうし。

家康としては存命中に有力な織田家(幸い秀吉自ら・・)や豊臣家は潰しておきたかっただろうね。

163 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 04:16:33
豊臣に関しては、三奉行のへたれっぷりが全てを決したな。
特に増田。8000は動かせたのに・・・
改易のち切腹とはねぇ

164 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 04:30:09
そもそも徳川家に敵対してまで豊臣家を盛り立てようという忠臣は石田三成と宇喜多秀家くらいなのでは?
福島正則や加藤清正にいたっては忠臣面しているが徳川と戦う気は毛頭無いしな。

注・・・外様は抜きでね。

165 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 06:36:47
大坂城西の丸を家康が掌握し続けていれば、曹操が後漢の献帝を実質軟禁するように、
家康が秀頼を監視することができたはず。

戦争が起きて、危うく死にかけて馬印も一時行方不明www。

166 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 06:54:41
じゃあ秀吉は宇喜多に200万石くらい与えとけばよかったんじゃないの?


167 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 07:22:15
>>166
秀家には100万石、三成には大阪近くでせめて60万石あたりでもいい仕事してそうだ。
あとどうせなら陸奥には上杉でなく前田を行かして、上杉は越後から能登越中までの
150万石にすればよかったのに。そうすれば大阪近くで仲間いっぱいで。
上杉征伐とか言ってもすぐ近くならああもうまく行かないだろうし。

168 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 09:45:52
秀吉は自分が死んだ後こうも皆が寝返ると考えなかったのかな?
一応五大老・五奉行を作って体制維持は考えてはいたけど
国内に敵を多く残したまま朝鮮に行ったのは失敗だったな。

169 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 09:51:48
豊臣は公家として生き残る算段はしなかったんだろうか?
幸いにして摂家の家格を持ってたわけだし、徳川に疑いを持たせないために
近衛大将をかけられない大臣家くらいに家格を落として2万石くらいの領土で我慢してれば
幕府もわざわざ潰そうとするとも思えんのだけど。

170 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 11:44:26
>>167
>秀家には100万石、三成には大阪近くでせめて60万石あたりでもいい仕事してそうだ。
>あとどうせなら陸奥には上杉でなく前田を行かして、上杉は越後から能登越中までの
>150万石にすればよかったのに。

大谷吉継に越前・加賀を与える。
宇喜多秀家に駿河・遠江・三河・甲斐を与える。
佐竹義宣に常陸・下野を与える。
これで少しはマシになるかな?


>>169
>豊臣は公家として生き残る算段はしなかったんだろうか?

淀君には無理だと思う。

171 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 13:27:19
秀吉が豊臣VS徳川を予想していたとして、

宇喜多秀家、小早川秀秋、佐竹義宣、大谷吉継、上杉景勝、石田三成、加藤清正、福島正則、加藤嘉明、毛利輝元
VS
徳川家康

負けるわけないし

172 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 13:48:11
まあ豊臣が生き残るには大阪を出るくらいしか
方法がなかっただろうな。
プライドが許さないだろうけど。

173 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 14:03:28
>>171
五大老の前田の名が無いのは信用できないからかな?

174 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:06:11
秀吉は前田を信用しまくりだろ、秀頼の後見人に任命してるし

175 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:35:36
>>171
>秀吉が豊臣VS徳川を予想していたとして、

それを予想できたとしても・・・

石田三成や小西行長らの派閥と福島正則や加藤清正らの派閥の仲が険悪で、
豊臣家の内部分裂を引き起こすことは予想していなかったんだろうなw

あと、金吾が徳川家康に協力することも予測はできなかっただろう。

>>174
>秀吉は前田を信用しまくりだろ、秀頼の後見人に任命してるし

芳春院や利長は前田家安泰のために徳川家との争いを避けているがw

176 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:41:41
>>175の追加
っていうか、そんなに利家を信頼しているんなら、
加賀・能登・越中の他に越後も与えて関東の監視でもさせておけば良かったんだよ。

177 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:44:23
ただ豪族連合体のような政権なのだから瓦解しやすいことはわかるはず。
北関東に堀秀正(?)を配置しようとしたともいうし。

178 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:59:08
スレ違い

179 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:01:55
>>178
いまさらw

180 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:03:59
秀吉が秀頼に残したモノ・・・
1・・・百姓の血筋(血が入っているのかなw)
2・・・内部分裂の豊臣政権(石田vs福島 淀君vs北政所)
3・・・律義者面した徳川家康

181 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:09:00
秀長様さえご存命であれば

182 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:15:01
よーするに前田利家は豊臣秀吉に作られたオナペット!

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のように自らが勝ち取るような生き様は全く無い。
自分の得意な処刑執行や裏切りによる非人の手段で成り上がるような生き様を演じている。

ナンバー4とは認められない。

183 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:16:27
>>182は誤爆(スマソ)

184 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:07:03
秀長秀次利家あたりが長生きしてればな。

それでも家康の圧倒的寿命の前では無意味か。

185 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:17:57
駿河に中村式部一忠、甲斐に浅野弾正少弼長政、越後に堀丹後守秀治、野州宇都宮に蒲生飛騨守秀行、常陸に佐竹右京大夫義宣

186 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:18:40
ただ秀吉は家康がそうでるとは思わなかっただろうからな。
朝鮮を占領して家康を転封すれば良かったかな?

187 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:34:21
家康をおらんかい400万石に加増転封していた公算が極めて濃厚

188 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:44:06
さすがの家康も泣いて嫌がるだろw>朝鮮半島への転封

189 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:53:24
そうとも言えない。
家康なら明と手を組んで豊臣政権を打倒!
実際にやったら歴史上最低の人物に成り下がるがw

190 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 18:31:44
言葉も通じない地に飛ばされたら、領地を安定させるだけで一生終わる
だろ。それに明と組んでも日本に勝てるわけない。元寇の時代とは違う。
日本兵と朝鮮、明兵とは洗練度がまるで違う。鉄砲の保有量も桁違いで、
明兵5人でようやく日本兵1人と相対できるぐらいの差があったろう。
しかも地の利は今度は日本側にある。家康を朝鮮に飛ばすのは
一つの案だろうな。

191 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 19:23:56
>>190
>日本兵と朝鮮、明兵とは洗練度がまるで違う。

それほど差があるのなら唐入りが失敗したのは何故?

192 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 20:27:51
まあ朝鮮討伐などしないで
イチャモンつけて徳川攻めをすれば良かったのにな。

193 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 20:47:55
明軍に勝てるわけないもんな、日本軍は。
むこうは焦土戦術のプロだもん。
日中戦争と同じ。

194 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:00:05
対外戦争はただ戦争で勝って敵軍追っ払らえば勝利というわけにはいかないからね
元も清も戦争すればだいたい勝ったけど、完全に中国を征服するにはかなり時間をかけているし

195 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:14:21
元も清も、人間よりも多くの馬を保有する軍隊で、
羊を連れて自給できるような連中だから。
焦土戦術に強いっていうのが中国相手に戦争して勝つ条件だな。

196 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:45:03
>>190
妄想に凝り固まるなよw
いろんな人の意見に耳を傾ける力をつけろ

197 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 00:26:33
織田信雄を尾張・伊勢から除封したあとには石田三成を中部探題として尾張100万石に封ずるべきであった

198 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 00:31:56
秀吉の権力Maxの1592頃に家康に言いがかりをつけて攻めても、
東北も安定してないから死ぬまでには戦乱は終わらないだろうね

199 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 01:02:44
家康に250万石あげたんだっけか
あげすぎだ

200 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 01:03:02
毛利の弱体化が優先事項だったからな

201 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 01:30:56
250万は移転後開拓しまくってで当初は150万くらいじゃなかったかな?

202 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 04:47:18
家康が関東入府から殖産に心を砕いたのは事実だが、
そんな10年かそこらで石高が倍増するわけないでそ
「権現様が来るまでは江戸は鄙びた漁村だった」と同じプロパガンダ

203 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 07:12:31
>>193 196
いやあの、189は「朝鮮に飛ばされた家康が明と組んで日本に攻め込む」
ということを言ってるんだろ。おまいらこそ文をよく読め。
それなら日本勝利は確実だと思うが。まあ、すでに弱体化していた明が、日本に大軍を
派遣する力すらあったは思わないが。遠征する力すらで勝てるとは思えないが。
それに明兵より日本兵が強いのは事実だろ。それは唐攻めでの戦績が証明してる。
アウェイの日本で焦土戦術て・・・。あんまり自虐史観に凝り固まらない方がいいよ。


204 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 07:19:20
もちつけ、途中おかしくなってるぞ・・。
まあ、確かに、逆に明が日本に攻め込んだとしても、まず勝ち目はないだろうな。
元寇の昔ですら後半戦は日本軍に盛り返されてたくらいだし。


205 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 08:08:37
>>203
スレの流れからいえば、191の唐入り失敗理由に対する返答じゃないのか?

206 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 11:18:33
それななら>>190の答えも変だろう?
妄想が入りすぎているしなw

207 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 11:54:25
>>190>>193>>196って同一人物なのか?

208 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 12:45:09
>>207
違うと思われ

209 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 12:51:52
江戸末期の石高
徳川・松平家が断トツで

支藩含めた外様実高ベストテン

一位前田家、156万3千石
二位伊達家、111万3千石
三位毛利家、100万1千石
四位池田家、90万8千石
五位島津家、78万8千石
六位細川家、71万6千石
七位黒田家、57万9千石
八位佐竹家、41万2千石
九位蜂須賀家、40万9千石
十位は鍋島家といいたいところだが、意外な伏兵、
真の十位は有馬家、36万6千石
鍋島家は十一位でした。

210 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 14:59:21
なんか話がややこしくなってるな・・・よし俺が収給してやろう。
まず、>>187が、朝鮮に家康を飛ばすという構想を考えた。
そこに、>>189が、その朝鮮に飛ばされた家康が、明と結んで、日本に攻め込む
という仮説を持ち出した。それに対し、>>190が意を唱えた。
その意見に対し、明兵がザコとののしられてることに憤激した>>191>>193が、
叩く。そこから、なぜか、唐攻めが成功したか否か?という流れになる。
そこへ>>203が、>>190はこういうことを言いたかったんじゃないか?という説明をする。

誰と誰が同一人物で、誰が妄想家で、誰が自虐的日本人で、誰が間違っていて、誰が正しいかは
とりあえず抜きにして、種々のすれ違いがあり、まあ、こんなややこしいことになってしまったわけだな。

211 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 15:23:53
>>188
家康なら大喜びだろ。

212 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 16:36:02
清国成立のときの明の兵を見れば、強いか弱いかははっきりする。

213 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 03:46:16
明は李自成の乱で滅んだんであって満州族が滅ぼしたわけではないからな

214 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 03:50:48
何此処、雑談スレ?

215 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 11:07:29
雑談スレに成り果てたな

216 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 11:12:16
豊臣家に話が言ってるしな。
このスレの趣旨は、
いつ、秀吉が織田家に対して臣従の礼を取らなくなったのかって話。
織田家家臣をどうやって、豊臣家家臣にしたのかってスレだったはず

217 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 11:47:04
信長死んだ瞬間に思ったんじゃね?

あの当時とすればもう老境にさしかかってたし
秀光にかぎらず、信長UZEEEとは内心おもってる配下おおかっただろう・・・。

218 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 13:24:38
柴田勝家を倒したときかな。
旧織田の幹部が全て従っているんだし、
織田の家は残っているけれど臣下の礼などしなくなっただろう。

219 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 13:34:01
信長も晩年はただの石っころを「これは俺の分身で神だ、みんな拝め」って言ったり
いきなり光秀の領地取り上げて、自分の領地は敵攻めて取れ
取れなかったら知らんって言い出したり、かなり耄碌してきてたしな
まあうざいことはうざいだろうな

220 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 13:43:44
>219その話、信じてるの? プッ

221 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 15:10:00
織田家は信長以外はすべて無能の馬鹿ばかりだから
秀吉が天下取ったほうが安定する

222 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 15:15:47
>>221
それは豊臣政権も同じことが言えるのでは?
内部抗争がある分だけ豊臣政権の方が悪いがw

223 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 15:59:43
徳川政権の場合はどうなんだといいたい。

224 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 16:10:55
その「安定」させることができる秀吉を家臣に持つ織田家のほうが
安定しそうな気がするのはおれだけか。

225 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 17:32:46
1588年に後陽成天皇が聚楽第に行幸した時、秀吉は諸大名に
朝廷や関白秀吉に違背のないことを誓わせた誓紙を提出させてる
この時明確に秀吉>織田家の序列が成立したんじゃないの?

226 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 17:47:07
>>225
そこが一番はっきりするとこだな。

227 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 14:26:11
本能寺の変の黒幕は秀吉と利休。
さらに毛利の庇護を受けた義昭と正親町天皇を通じて
光秀を煽り、信長と信忠父子を葬った下手人。

きっと、秀吉や光秀以外にも信長についていけない
大名や豪族が結構多かったんだろうと思う。

228 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 16:38:05
秀吉はともかく利休とは・・・

229 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 18:07:17
それなんて へうげもの?

230 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 21:41:15
>>227
千利休は明智光秀と同一人物という噂がある
なんでも秀吉と光秀は気脈を通じ合って本能寺を起こしたとか
そう考えれば、中国大返しの早業も考えやすくなる
その後、謀叛者としての汚名を被ることになった光秀は、利休として政権の近くにいることになったとか

231 :日本@名無史さん :2006/02/22(水) 22:00:04
>>230
光秀の顔は、旧織田家の家臣や織田一族、公家なら知っている。
それは有り得ない。

天海=光秀を唱える説を信じる人に言いたいが、
江戸城中で天海が細川忠興・織田信雄に会ったらどうするの?

232 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 22:09:21
剃髪してそれなりの格好して、あまり表に出なければ騙せないこともないだろう。

天海は知らん

233 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 22:46:20
利休と天海が同人物というのはトンデモ??

234 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 06:20:09
シャアとクワトロが同一人物というのはトンデモ??

235 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 18:22:36
秀吉はよっぽど芝居がかったことが好きな人なんだろうな。
三法師をかついだふりして権力にありついたり、
諸将の前で「徳川三河守、上洛大儀」と言い放ったりしてるし。
猿芝居を見て秀吉を偉大な人間と勘違いするのは浅薄な人間にちがいない。

光秀と共謀して信長を倒し、その光秀を討ち取ったふりして天下を取り、
その後、光秀を千利休としてかくまうぐらいのことはやりかねんな。
秀吉と利休が不仲になったのは、利休が光秀だとすれば、
秀吉だけ脚光浴びてるのが面白くなかったんだろうな。
それ以外、利休が秀吉に反抗する理由はないし。

天海も光秀だったとすれば、「国家安康」の難癖を考えついたのは天海だそうだから、
やっぱり秀吉のことはあまりよく思っていなかったということだろう。

236 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 18:55:23
DQN史観は禁止と1に書いてあるぞ

237 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:27:18
俺は逆に家康が好きになった。

あれじゃ、政宗が秀吉嫌いになるのも頷ける。

238 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:12:43
>>236
DQN(Dumbly Qualified Negligence)=「愚かにも(正しいものと)認定されてしまった怠慢、あるいは失敗」

DQN史観とは、従来の秀吉像に安住している人たちにふさわしい。

239 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:36:14
秀頼には悪いが、親の今まで極悪行為の因果応報と思ったほうがいいかも・・・
仮え、豊家が悲惨な滅亡を遂げようとも・・・

なんだか家康がいい人に思えてきた。

240 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 01:40:30
いい人に見せるのも家康の才覚

241 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 18:43:21
織田を乗っ取ったんだから、徳川に乗っ取られても仕方ない

秀吉派はこの単純な論理を永久に納得できない

242 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 19:41:46
ドラえもんの話でもあっただろ?
同じ失敗をしても普通に叱られるタイプと、「こいつならしょうがないや」と何故か憎まれないタイプ
生来陰湿で不人気な家康は前者で、陽気で機智に富んだ秀吉が後者だったということ
理不尽だとは思うが、世の中そういう風になってる

243 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 20:12:22
だから、勝手にそういう風な理屈をつけて理解しようとしないということ

244 :日本@名無史さん:2006/02/28(火) 19:08:09
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう

245 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 02:54:47
結局、結論は何なの?

秀吉が天下を取ったのは、どう見ても乗っ取りでしょ?
世論は批判しなかったの?
筋では信長の息子に天下を取らせるべきだったのでは?
この世論の批判を秀吉はどうやって回避したの?

246 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 14:26:45
欲のある奴を取り込んで懐柔。

247 :日本@名無史さん:2006/03/05(日) 20:40:58
時代の流れだろうね。
これには誰も勝てない。

248 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 07:56:39
信長の息子を君主にして、秀吉はただの後見人になるべきだっていう
意見を強硬に主張していた大名はいなかったのですか?

秀吉のライバルは柴田勝家ですが、柴田はどういう主張を持っていたのでしょうか?

249 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 07:58:22
信長の息子は最後まで秀吉の主君だよ。
その点では秀吉は謀反をしたわけではない。


250 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 08:03:09
と、と。息子じゃなくて孫ね。

251 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 08:53:54
>>249
そうなんですか?
すいません、最終的な秀吉の身分ていったいなんだったんですか?
公家的な官位としては、関白なんですよね。

大名としては、どういう地位だったんですか?
それにたいして、信長の孫の最終的な地位は?

252 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 09:13:44
>>245
当時は下克上の時代だよ。

器量ある者が上にたつのが当然とされた時代。
もちろん他方で世襲の筋目への尊重という観念
もまったくないわけではないが、主君を上回る
実力者の配下が出た場合、その配下が乗っ取る
ことへの抵抗は薄かった。

そもそも信長にしてからが主筋の清洲守護代家、
斯波家を潰し、足利将軍家を潰して天下の主と
なった(完全ではないが)人間。その他の数多
の当時の戦国大名は皆似たようなことしてのし
上がってきた連中だから抵抗感は薄いよ。

ま、秀吉自身がそのことをよーく自覚していた
から、自分の死後幼い秀頼を残す際に見苦しい
までに家康その他に泣きついているわけで。

家康が3年程で将軍職を秀忠に譲ったのはそうし
た流れを断ち切る意図だね。

253 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 10:17:58
>>252
なるほど。
けっきょく、秀吉が一代天下で、家康が200年の幕府を築けたのは、
有力大名を生前につぶせたというのが大きかったのかな?

秀吉→家康を関東に追いやったが、ついには潰すことができなかった。
家康→豊臣家を生きている内に、潰すことに成功。

この違いかな?
家康だって、他の有力大名を残したら、死後天下を奪われた可能性もあるのかな?

254 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 10:32:05
>>253
当然そうだろうね。

あと後継者がしっかりした成人だったということはとても
大きいだろう。信長の場合は信忠が一緒に死んだのが決定的。
誰もが認める後継者だったからね。その後残ったのが幼い
三法師と他家に出されてた信雄と信孝だからあんなになって
しまった。秀吉の場合は言わずもがな。

ちなみに家康は遺言でしきりに西国大名を警戒した言葉を
残している。あれだけやってもなお不安だったんだろ。
島津とか毛利とかがいたからね。特に島津は無傷だったし。

255 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 00:53:18
後継者は秀次でよかったのにな。

凡庸とはいえ秀吉死去までには関白としての在任期間もそれなりに出来るし、
跡継ぎも既に生まれていて不安も無かったのに。

256 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 03:38:24
一代成り上がりだから体制維持よりも自分の血統による継承
のほうが大事だったんだちょ。

257 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 08:37:32
ようするに、秀吉が豊臣家の政権を長期化したかったら、家康を意地で
潰すしかなかったって訳か。

現実問題として、秀吉は生前中に家康を潰すことはできたの?
そこまでは強権を振るう力はなかったの?
秀吉が朝鮮出兵をせずに、難癖つけて、家康を攻めていたら歴史はどう
なっていただろうか?

258 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 08:44:47
>>257
そんでも幼い秀頼残して秀吉が死んだら、やはり天下は争乱に
なる可能性がある。家康が生きてる場合よりは可能性は低いが。

足利義満みたいな例もあるから、三成あたりが補佐して秀頼
成人までもたせる可能性もあるな。もっとも秀頼が義満と違う
のは、南北朝時代はまだ下克上が徹底しておらず、足利家の
正嫡という立場に現実的アドバンテージが十分あったという
点だな。

259 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 11:24:45
age

260 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 11:35:44
家康を潰すより理想的には五大老そのものを作らない方が良かった気がする
将来的に第二、第三の徳川が現れないとも限らないからね。権力を持った大大名は危険だ

261 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 11:52:43
>>260
なるほど。
現実的に秀吉は大名連合のリーダーでしかなかった。
それにたいして、家康は、かんぜんに他の大名に対する
徳川家の支配体制を確立した。

262 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 13:54:06
>>260
五大老がなかったら、豊臣的秩序そのものが存在しないということを意味すると思うが

263 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 15:15:26
>>262
明徳の乱のように、秀吉みずから出陣して家康を成敗すべきだったね。
徳川家が消えれば、豊臣政権は磐石だ。
(五大老の前田と宇喜多は、譜代同然)


264 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 15:41:42
話が脱線しすぎ

265 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 16:04:53
小牧、長久手のとき、どんなに犠牲を払ってもデブ康をつぶせなかった
ものだろうか。豚康が小牧山城に立てこもったとき、10万対8千、その差
12倍。城攻め3倍兵の法則から言っても、それほど堅城ともいえない小牧山城
を力攻めで落とすことはできたのではないかとも思うが。


266 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 16:12:09
>>265
あの時は、丹羽長秀・佐々成政に離反の動きがあった。
紀伊の根来・雑賀衆も大坂城付近まで進出している。
毛利輝元も秀吉を主と仰いでいるとはいえ、まだ親しくはない。

長期戦は、秀吉にとって不利だ。


267 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 16:13:40
秀吉の方針は、海外領土を獲得して外へ外へと拡張することだったから、
徳川をつぶすとか、そういう仮定はそもそも考え及ばない。
結果としては失敗に終わったが、その方針自体は間違いじゃない。
むしろ、国際的にみればそちらの方が常識で、外国から見て異常なのは
むしろ家康。だから、徳川をどうやって滅ぼすかより、どうやったら
海外領土を獲得できたか(シナチョンにこだわらず)のほうを語りあった方が
いいのではないか?

268 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 16:14:51
>>266
力攻め。


269 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 16:18:38
>>267
それは、老いぼれてからの方針だから

270 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 16:35:32
>>267
もちっと海軍の充実を図りたかったね。

世は大航海時代なんだから、海軍で東シナ海から
インド洋にかけてを押さえて拠点の海港をも押さえ
て交易で利益を図れば良かったのではないかな。

大陸押さえても実は大して利益もなかったからね。


271 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 16:55:41
出兵直前にイスパニアにふられたのが痛かったな。
イスパニアの軍船を使って明本土に上陸してれば相当展開が変わったはず。
あと、琉球、台湾を先に征服して交易で力をつけたり、あとは、>>270のいうように、
ヨーロッパ諸国のトレンドに倣って、海軍力を充実させ、東南アジアやアメリカ大陸を
目指すというのも考えられる。

272 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 17:27:45
小牧、長久手のときに、家康と秀吉がガチンコで戦ったら、やっぱり家康が苦しかったの?
なんか概説書では、秀吉のほうが戦いを嫌ったみたいだけど。
でも、当時の内に意地でも、家康を潰していくべきだったように思う。

>>266みたいに、戦略上、断念せざるを得なかったんだろうか?

273 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 17:51:01
>>272
はっきりいって当時は旧織田家の連中は秀吉のことなんて
なんとも思ってなかった。むしろ同僚のくせに自分らの盟主
みたいな立場になったことを嫉妬してたろう。

よって長期戦になったら秀吉の勢力が足下から崩れる
可能性が高かった。

なので秀吉にしたら家康と戦いたくないし、潰す余裕なんて
全然なかったということだと思う。

274 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 19:14:15
丹羽長秀の所領は越前120万石。
佐々成政の所領は越中38万石。

秀吉と家康が戦っている時に、
丹羽・佐々連合軍4万が京都を攻めたら大変だったと思う。
戦後、佐々家は征伐され、丹羽家は120万石から4万石へ大幅減封を命じられた。

275 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 20:23:37
秀吉は家康を暗殺してしまえばよかったんじゃない?

276 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 06:13:03
それができるんならその逆もあるってことで

277 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 17:38:33
家康が不振な死をとげたら、上杉・島津・毛利(小早川)あたりは明日は我が身という感じで
豊臣政権への不信感が増すだろうな。

278 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 10:09:34
>>262
だから理想的と言ったんだ

279 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 11:04:01
>258

南北朝時代だとしても一代成り上がり百姓の孫という立場の幼児秀頼に
そこまで尽くすやつはいなかっただろう。
自分の権力や利害のために秀頼をたてるというのはあってもね。


280 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:44:50
秀頼は秀吉の孫じゃなくて息子だが・・・

281 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 00:27:09
どうも信長を殺したのは秀吉のような気がして最近ならないのだけどさ。
自分が直接殺したのではなく、一緒に天下を取ろうといってそそのかして
他人に殺させておいて、その後口封じに自分が殺す。

考えられなくもないでしょう

282 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 18:05:58
> 281

というよりも、朝廷や将軍が動いているのを知っていて
あえて直接手を下さず動くチャンスを狙っていたんじゃないかと思うよ。
だから、柴田勝家よりも早く弔い合戦に参じ、
家中で優位な立場に立てたんじゃないかな?

283 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:25:13
そうなんか

284 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 15:59:45
秀吉黒幕説か。
よく聞くけど、いつも思うのが明智はなぜ人質を取らなかった
のだろうか。
誰と共謀したとしても人質を取ると考えるのだが。
こんなことをやってハシゴを外されたらたまらん。

285 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:28:01
秀吉がいろいろと情報操作や光秀を精神的にノイローゼに追い込んで挙兵させたという可能性が濃厚

286 :南京大虐殺の首謀者:2006/04/30(日) 16:41:03

南京城攻略の折、降伏した中国兵数千人を城壁の傍らに立たせておき銃剣にて全員を刺殺した時の司令官は
昭和天皇の叔父で天皇に顔がそっくりの朝香の宮と言う奴だ。
南京大虐殺は天皇家の命令で行われたことは明らかだね。
そうやって在日である天皇家は、日本の名誉を著しく傷付けるような指導を日本国民に対してして来た訳だ。
そんな天皇制にしがみ付いている奴はバカか狂人かのどっちかだね。

あるリベラルな知識人が二十年ほど前に、先の戦争は国民にも責任があると言ったことをヒントに、
天皇には責任が無いみたいなズレたことを言い出した右翼がいるが、
国民主権国家となってから、その天皇制を廃棄しないでいたことは今度は本当に国民の責任である。


287 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 00:56:49
毛利攻めをしてるときから、信長が光秀に討たれることをしってたんでは?
だから、あれほど用意周到に準備して中国大返しができたのでは・・
 信長が討たれたのは、朝廷や義昭や光秀が画作してたからというのが有力では?
秀吉はそのことを知っていて利用しただけだったとか・・

288 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:03:30
正直、光秀を討つ事によって、秀吉は織田家ナンバー1の柴田勝家と、ようやく
対等になれただけだよ。
そのあと、清洲会議での策略やら、信長葬儀やら、賤ヶ岳やら、色々ステップを
踏まないといけなかった。

正直、信長暗殺をやるなら、もっと待つべきだった。
毛利を討った後であれば、上杉相手に苦戦している勝家を尻目に、秀吉が
織田家ナンバ−1になる。
そこで信長を暗殺すれば、もっと楽に天下が手中に納まったはず。

正直、柴田勝家のほうが先にとって返す事ができたら、秀吉のほうが織田家
から放逐されていたよ。

289 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:26:28
>>287
もし秀吉がなんらかのトラブルの匂いを感じて大返しの準備をしていたのなら、
そのトラブルの匂いの元は光秀周辺というよりは、
京都見物中の家康周辺に対して感じてたんじゃないか、と密かに思ってる。
根拠はないがw

290 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:34:55
くだらない陰謀説って、まだすたれてないだな。
まあ、可能性を考えれば何だって妄想することは可能だけど、
どれも状況証拠にさえもなってない。

>>287
大返しが出来たのは、秀吉が毛利との情報戦に勝って、
毛利と講和が結べたからで、そんなことはありえんが、
あらかじめ本能寺を知っていたとしても、毛利が本能寺で
信長親子が死んだことを知っていれば講和はなく、
上杉と戦っていた柴田のように簡単には京には戻れない。
そうなれば、すでに丹波、山城、近江を制圧した光秀は、
元々の組下武将が多い畿内も簡単に掌握し200〜300万石程度
の勢力になるので、秀吉単独では対抗できなくなる。
また、講和を結んだ後でも、本能寺を知った毛利が追撃すれば、
大返しはなかった。

291 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:47:58
講和後、本能寺を知った吉川元春が追撃を主張したが、小早川隆景が止めに入ると予測はできず、やはり大バクチだった

292 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 11:40:59
 光秀が謀反を起こすことを、余地してたとして、細川や筒井などと裏で秀吉がつながってたと思うしかない。
でなければ、あれほどの寝返りは、起こらなかったかと、細川や筒井は山崎の合戦で兵をださなかっただろ・・
 しかし、大返しには、疑問がありまくるなんであれほどの速さで帰れたのかだ、大返しの途中で誰かに襲われるって可能性があるかもしれんし

秀吉自体が察知してなくても、黒田考高や秀長が用意をしてたかもしれんし。
 
 毛利と講和できたってこと自体があやしいのでは?毛利より先に情報を得たのは、間者が秀吉につかまったからだろ?
それに、たとえ毛利が先に信長死亡の情報をつかんでいても反撃する余裕はなかったと思う。

293 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 16:37:41
秀吉一派が犯人。信忠もついでに殺す。信長救援に来た光秀に罪をなすりつけ討滅。死人に口なし。
朝廷には莫大な献納を約束して口止め。
真相を薄々感付いた信澄や勝家を あぼ〜ん して 歴史を改竄して一丁あがり。

294 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 16:46:48
光秀が安土城の宝物庫を開けて朝廷やら家臣やらに配ったらしいが、光秀はタダのコソドロかいな

295 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 23:00:20
もし仮に秀吉が真の黒幕だったとして徳川家はどこまで察知してたんだろうか!?
光秀を唆して主君を討ち主家乗っ取りなんて江戸時代の倫理観だと
武士の風上にも置けぬ外道だしもっと反秀吉プロパガンダとして広めて良さそうなもんだ。


296 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:31:24
中国をとっておきたかったのは、スペインに先駆けるつもりだったからでしょう。

297 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 00:57:13
>>295
自分も共犯だったとしたら・・・?

298 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 00:52:19
もしさ、家康が信長暗殺を知ってたというより、共犯だったかもしれんね。あるいみ、長男を切腹させられてるし。
その恨みってのもあるだろうし

299 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 01:43:47
俺はポコチン星人である。

300 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 00:06:18
え?

301 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 08:16:38
甲信奪取の手際の良さから見て徳川もグル

302 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 16:31:15
>>49
清洲会議の所領再分配とは
「織田家の家臣だった秀吉など陪臣が、直轄領を得た直臣になった」
ということでいいのかな?
なんかドサクサ紛れにみんなして、織田家から独立したように思えるんだが。
織田一門もよくこれを許したなというか、許さざるをえなかったというか…

303 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 19:41:29
一体誰に対して直臣になったというのか
秀長なんかはともかく、勝家や秀吉は信長生前から直臣だったはずだけど

304 :302:2006/05/24(水) 00:32:48
>>303
表現がおかしかったから訂正。

秀吉や勝家はそれまでは織田家配下の武将に過ぎなかったのが、清洲会議以降は
独立大名になったってこと。

305 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 01:19:10
秀吉や勝家は独立大名ではないよ。
三法師という傀儡がいる以上、織田政権内の有力武将だと思うのだが・・・。

306 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 01:28:41
>>301
甲信奪取の手際は悪いよ。
本当に手際がいいなら同盟国の北条家と若神子で長期対陣なんかしないだろう。
しかも初期の段階では数に勝る北条軍の方が優勢で徳川軍は新府城に籠城という状態。

結果も甲斐一国は抑えたものの信濃については切り取り次第・・・。

307 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 07:46:30
数で圧倒的に劣ってるんだから長期対陣せざるえないでしょう
数で圧倒的に劣りながら真田を手懐け、北条の後背を危うくさせ
甲信を譲渡させたのは十分手際が良いと思うけど
結果的に甲信の大部分を手に入れて全国でも屈指の大名になったじゃん

308 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 09:42:28
徳川家康も形的には同盟者だが、実はどうやら織田政権下の大名っぽいね。

ttp://www.tokugawa.ne.jp/j/news/2006/0408.htm

309 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 10:34:21
形式的にも従属豪族から、従属の国持ち大名に変わっただけだろ
家忠日記なんざ、最初から信長様と家康という扱いだぞ


310 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:49:52
>>307
文の流れをよく読んでくれ。
グルなら手際が悪いということ。

グルじゃなければ家康はよく対応しているよ。

311 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:20:48
>>309
それだと同盟関係というより主従関係の方が近いじゃん

312 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 00:30:58
信長が死後、長益(右楽)も信雄(常真)も豊臣家の食客になったが、豊臣家(羽柴家)の主家であることには何ら変わりはないわけだがな。

313 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 10:14:42
秀吉が天下取ったのって天正11年と考えていいのかな?

314 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:47:11
>>312
「主従」関係とはいっても当事者間がそう認識する間のみ有効な
非公式なもんじゃね?

315 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:01:47
主従逆転がいつかわからん

316 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 01:07:53
1588年

317 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 11:38:33
秀吉と織田家の関係は松永久秀と三好家のそれに似ているな。

318 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 10:20:52
>>136の人気に嫉妬

319 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 18:17:17
>>317
そりゃちがうだろ

秀吉の忠誠心は織田ではなく信長が対象だっただけじゃないか?
久秀はもうなんつーかよくわからんw

320 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:58:11
わからんね

321 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 22:49:55
ほう

322 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:48:53
>>302
信長、信忠が死んで実質的に独立してしまったってことだろ。
清洲会議があってもなくても、家臣を統率できてなかったんだから変わらん。

323 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:53:39
諸大名も、秀吉の場合は後継者が信長の四男だから
万が一の場合も大丈夫だろと安心したんじゃないかな。

324 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 18:16:07
今、ものすごくおもしろいことを考え付いたのでまずはご報告。

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このスレにも、お役にたつとのことですので、はっておきます。 主

325 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 10:54:21
なにそれ?

326 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 23:55:13
秀吉って人の好い顔の裏に、
すっごいものがとぐろ巻いている気がしてならないんだよね。
信長の側室(信孝の母)や信忠の側室を処刑したり(だよね??)、
罪もない秀次の妻妾や乳飲み子を含む子全て首切ったりしているし。
時代的には普通の感覚なんだろうけど、いい人を売りすぎていて、
反対にダーティーな部分が浮かび上がってきちゃう。
秀吉なら、平気で人や情報を操縦して思うままに操りそう。
もともと織田家に忠誠心なんか持っていなかったんじゃないかな。
どうも一枚かんでいるような気がしてならない。
素人考えでスイマセン。

327 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 18:29:27
>>326
織田家というより信長個人に対して忠誠を誓ってた。
織田家の譜代ではない秀吉は信長亡き後の織田家から天下を奪ってしまった。
まあ、そうなる要因を作ったのが信長なわけで、佐久間信盛や林通勝など古参の老臣を追放してしまい、秀吉の織田家乗っ取りを許してしまったのだ。


328 :日本@名無史さん:2006/08/05(土) 15:10:57
そうかね

329 :日本@名無史さん:2006/08/08(火) 07:51:41
例えば、陶晴賢は大内家から枝分かれした家柄であり一族であるから、大内義隆に謀反を起こした後でも大内家の当主を立てており、あくまで自分は大内家の家臣であって滅ぼそうと考えてたわけではない。
毛利家だって、当主の輝元がダメでも小早川隆景や吉川元春は輝元をもりたてたし、上杉家の直江兼続にしても当主の景勝を守り立ている。

ところが光秀や秀吉の場合は織田の一族でもなければ譜代でもないから、織田家に対する考えが非常に軽い。松永久秀や伊勢宗瑞と一緒。

330 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 18:51:33
最期はみじめだったね。
「秀頼をたのむ、たのむ」と言いながら死んでいった。
五大老のだれかが自分と同じことをやるのでは、と心配でならなかったのだろう。
その不吉な予感は、みごと的中した!


331 :日本@名無史さん :2006/08/09(水) 19:17:22

   はげねずみ


332 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 21:19:00
因果応報って奴だが、主筋である三坊師(秀信)は秀吉に殺されていない。それどころが美濃一国安堵されてるから主家を重んじてはいる。
信長の嫡男・信忠は父の後を追い自害したが、次男・三男はどうかというと

次男・信孝は、伊勢の滝川一益や越前の柴田勝家と結び、反秀吉同盟を画策した首謀者なので、切腹させられ妻・娘・生母は磔。
三男・信雄は、天正十八年、北条氏降伏後、家康の旧領転封を拒否したため、領地没収及び下野国追放(以後、各地に配流されるが、後に許され御伽衆に加えられる)

いずれにしても、逆らってる。ところが秀頼の場合は、家康の一方的な言い掛かりで殺されてるから不憫。
家康は心底は秀吉に服従してなかったと見える。


333 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 02:21:36
織田家の子息から結果的に天下を奪った秀吉は主家を重んじてないと思う

334 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 04:30:00
天下取れそうな状況と地方大名の家臣では立場違うし
忠臣と呼べる人間じゃないのは確かだがそういうもんだろ戦国時代って
劉備も息子が雑魚ならお前が君主になれって言ってるぜカッコぶー

335 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 10:15:17
>>332
信長と秀吉は完全な主従関係。
秀吉と家康とは立場が違うだろ。

336 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 15:34:31
清洲会議の時点では、羽柴も柴田も形式的にはみんな織田の家臣ということはわかる。
秀吉が関白になった頃には、もう秀吉が天下人ってこともはっきりしてる。

問題はその間のどの時点で秀吉と織田秀信の主従関係が逆転したかってことだ。
いくら本を読んでも、はっきりしない。

337 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 15:37:25
ある日、突然、いままで家来だった秀吉に土下座させられるような激変があったのか、
それとも徐々に秀吉や周囲の態度が変化していって、気がついたら家来扱いになってるのか、
その辺の変化がよくわからん。

338 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 17:53:00
調べるほど好きになるのが信長
調べるほど嫌いになるのが秀吉
誰も調べないのが家康

339 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 18:52:03
逆だな、俺は。

昔は嫌いだったが、いまは好きになったのが家康
昔は好きだったが、いまは嫌いになったのが秀吉
昔もいまも嫌いなのが信長

340 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 19:10:46
>97
浅野は?



341 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 19:47:36
俺は
昔は嫌いだったが、いまは好きになったのが家康
昔は好きだったが、いまは嫌いになったのが秀吉
調べるほど好きになるのが信長。

英雄像って普通詳しく知れば知るほどイメージと現実とのギャップに失望させられることが多いけど
信長はそんなことにはならない。分け入っても分け入っても信長。



342 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 21:20:47
もし自分が家臣になるんだったら、家康が一番安心して仕えられる。

343 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 21:29:04
調べれば調べるほど好きでも嫌いでもないのは変わらない天下人三人

344 :天之御名無主:2006/08/12(土) 21:40:34
織田の傍系子孫です。尾張中村で生まれた百姓は大嫌いです。

345 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 21:43:15
見方を変えれば信長がこれまで推進してきた天下統一事業を継承したのが秀吉なんだから、その意味では、織田家の忠臣とも言えるんだけどね。
要するに、自分が仕えてきた人の遺産を壊す事が無く、さらに押し固めたと言ってもいいだろう。
それを保守しようとしたのが、石田三成だと思う。彼は出来れば浅野やら加藤やら福島やら豊臣子飼の大名にそっぽを向いて欲しくなかったはず。
豊臣家臣の分裂を利用して、織田家の継承者である豊臣家を壊したのが、徳川家康。

346 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 22:02:27
信長が一緒に天下取ろうぜと言ったのは家康だけ。
家康こそ信長亡き後に相応しい

347 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 22:19:42
信孝や信雄が亡父・信長の後を継いで天下人になれるとは到底思えないが。
それこそ土佐から長曾我部が、安芸から毛利が、越後から上杉が攻めてきて織田家はあぼーんだわ。
やっぱり秀吉が信長の後を継いだからこそ、土佐の長曾我部も、越後の上杉も、安芸の毛利も降伏してきたわけで。

348 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 22:32:43
本能寺の変前は、滝川一益の方が信長より関東管領として関東を任されてた事からして、秀吉より格上だったはず。
しかし、その滝川一益は北條に神流川で戦いを挑んで破れ、伊勢にノコノコ逃げ帰り、秀吉から臆病者呼ばわり(清洲会議には出席できず)された時点で、織田家での地位は秀吉の方が上になってた。
まあ、とっさに毛利と和睦・中国大返しをして主君の仇を討った秀吉と、敵に惨敗し関東を放棄した一益とは比べるのもおかしな話だけどね。

349 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 06:02:36
肥前の熊 「忠臣ヅラした者には気をつけましょうね」

350 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 06:23:57
完全に織田家主導の従属同盟(後期はもろ)だったのに対等の同盟であったかのように見せかける徳川史観にはうんざり

351 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 06:28:11
【梟の城】

352 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 06:31:28
自分は
昔から嫌いだったが、今は大嫌いになったのが家康(でも彼の業績は認める)
昔は大好きだったが、今はそうでもなくなったのが秀吉
信長はよくわからない


353 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 15:47:11
三法師はその後どうなったの?

>>352
漏れの場合は、
昔は大好きだったが、今はどうでも良くなったのが家康
昔は大嫌いだったが、今は大好きになったのが信長
昔はどうでもよかったが、今はそれなりに興味を持つようになったのが秀吉

354 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 16:44:27
高野山で死んだじゃん

355 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 20:33:39
秀吉と織田宗家の主従関係が逆転した時期がいまいちはっかりしない。
織田家やかつての朋輩を家臣化した明確な区切りってあるの?

356 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 20:55:54
信長と家康の関係って同盟者というより主従関係に近いわな

357 :日本@名無史さん:2006/08/14(月) 07:28:22
上のほうでもレスしたけど1588年の聚楽第行幸だろう
その時諸大名は朝廷と関白秀吉に背かない誓紙を提出させられてる
秀信がその時いたかどうかは知らんが、信雄や織田家旧臣も全部署名してる
以前から官位で秀吉>織田家になったり、実質的な権力では秀吉が圧倒してたけど、
明確な主従関係逆転といえばこの時じゃないか?

358 :日本@名無史さん:2006/08/15(火) 10:32:38
>>357
やっぱりそうなのか。
学者がこの件についての論文ないのかな?

学会で論争するに値する重要論点だと思うのだが。

東洋史の方で曹操の簒奪過程についてならアカデミックな史学で手厚く論じられているのだが。

359 :日本@名無史さん:2006/08/15(火) 11:22:11
上杉とか毛利が正式に臣下の礼をとった時期ってのも、よくわからん。

360 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 10:19:33
>>359
上杉、毛利が大阪城に来て秀吉に臣下の礼を取ったのはそれぞれ天正14年、天正16年


361 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 10:58:54
上杉家&毛利家の当主がそれぞれ秀吉に会いに上洛した年だな>天正14年、天正16年
こうして見ると毛利が「正式に」秀吉に臣従したのは意外と遅いな
本能寺の変で秀吉と和睦、四国征伐や九州征伐でも従軍してるからバリバリの秀吉派だと思ってたけど

362 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 11:34:33
秀吉って信長に何て呼ばれてたの?

363 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 11:58:46
はげねずみ

364 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 12:11:58
毛利と旧織田勢力って、和睦時点では対等なのかな。
それとも地方権力の毛利が中央政権である織田→秀吉と和睦するというのは、
中央の権威を認めて従属的な同盟関係に入るってことなのかな。

365 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 12:45:35
皇太子夫妻はわずかな手勢のみでオランダに出かける。

366 :日本@名無史さん:2006/08/18(金) 08:13:57
まさか織田家の御一門が百姓上りの門前に馬をつなぐ事になろうとは

367 :日本@名無史さん:2006/08/18(金) 13:00:16
織田家自体が中途半端な家柄だけどな。
守護代の家臣の一土豪にすぎなかったわけだし。

368 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 19:48:12
信長の毛利攻めというのは、対等の戦国大名同士の互角の戦争というよりは、
前右大臣で将軍にもなろうかという天下人による田舎大名の討伐だよな。
ならば、毛利氏は秀吉と講和した時点で、織田政権(当時)に臣属したってこと?

同様に柴田勝家と上杉の戦いも、中央政権による反抗的な田舎大名の討伐であって、
その時点では上杉側も織田政権を上位の中央権力として認めていたの?

369 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 19:59:20
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

370 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 04:49:24
織田秀信は祖父の信長に容貌が似ていて、傾いた甲冑を着けてたらしいよね。
見てみたいけど現存してないのかなぁ…。


371 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 06:32:31
>>368無官の信長だから田舎大名の討伐とは言えまい,足利義昭は毛利家にいるし,

372 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 13:08:00
本能寺の変は、秀吉の陰謀っぽいね

373 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 13:20:18
うんこ

374 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 13:54:59
本能寺の陰謀が朝廷、光秀、秀吉、家康らが例え関わっていたとしても、
少数の伴を付けなかった事で、信長はオワタ。慢心していた時点で・・・
秀吉も家康を生前に対処できなかった時点でオワタ。
別に実力がある奴が知行を増やせて、名跡、世襲で実力もない奴が大禄でのさばるよりは。
(農民上がりの秀吉にとって、小早川秀秋など凡将だが一門を増やす為に大禄を与えているけど)

ただ統一過程、統一直後はともかく。
統一以降の政権としては、実力がある奴は排除(政権簒奪の恐れ、自らの政権が簒奪してるだけに、その怖さをしっているw)
だから、世襲の馬鹿殿(アホすぎると内乱がおきてしまうので、そこそこ凡人クラス)が外様だと運営はスムーズに。

375 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 15:45:33
>>374
日本語でok


376 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 17:33:46
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

377 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 12:40:41
信長軍団に興味のある一人の工房としては、
羽柴の乗っ取りはたいへん許し難いものである。
それに対抗した柴田をはじめ滝川や三男信孝の勇気はすばらしい。

378 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 13:37:33
>>377
勉強してきなさい

379 :日本@名無史さん:2006/09/06(水) 18:26:14
ぼくは
織田家のQ太郎

380 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:40:42

俺は、昔は実直な正直者と信じていたが、今はそのイメージが崩れつつあるのが家康
昔は尊敬していたが、今は憐れみを感じるのが秀吉。
知れば知るほど、調べれば調べるほど、好きになっていくのが信長。

あと一つ、信長はあの世で、秀吉も家康も光秀に対しても、
恨んでいないと思う。三人とも恐ろしく働き者だから…。

381 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:45:46
>>380
あの世のことが分かるのかよ?バーカ


382 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:55:13
豊臣秀吉

弟豊臣秀長

兄弟揃って甲冑調査で身長測ったとこ、身長150cmだと

383 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:56:35
岡村隆史と同じかよ。道理で猿と呼ばれるわけだ

384 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 02:53:01
>>380
おかしいな、家康は陰謀好きの狸親父というのが一般のイメージだとおもったが?
いいがかりをつけて秀吉もしなかった主君殺しをするだけでアウト。
信長が好きというのもわからん、信長は光秀より器量が劣るし、
誰も大内義隆が陶隆房より上だとは思わんだろう。
陶隆房を討った元就は秀吉のようなものだ。

385 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 03:08:22
>>384
他人の個人的な感想にケチつけてどうすんだよww
>>380は一般的とは書いてないだろ、どこにも。

あと、俺は信長厨じゃないが光秀よりも信長の方が器量が劣るという根拠は何だ?

386 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 11:38:40
信長→トータス松本
秀吉(秀長)→岡村隆史(矢部っち)
家康(忠勝)→アンタッチャブル山崎(柴田)


387 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 15:56:11
>>382
歴史が動いたネタか。
伊達政宗の身長もそんなもんだから当時は特に小さいわけではない。
例外のひとりが藤堂高虎でデカかった。

388 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 10:12:43
大身の戦国大名に正直者なんて居る訳無いだろ。

389 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 10:14:21
戦国時代の平均って160じゃなかったか?

390 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 22:07:21
ひできちだけど気持ちよかったよ。三の丸のまんこ。

391 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 10:45:24
信忠が自害してなければ乗っ取りはなかったはず

392 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 17:35:31
>>390
その時何が君の頭の中をかけめぐったのか。


393 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 19:01:41
秀吉は小物時代、信長に小便を顔面にかけられたとか。

垣根から男根を出す信長に顔射された秀吉。
この天下人二人の、あまりにバカみたいなエピソード好き。

394 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 19:57:07
秀頼は197pだぞ^^

395 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 21:29:48
馬鹿
180cmだよ
で、家康は150cmだから
二条城の対面で、「これは殺してしまわねば」と決意したんだよ
140cmのチビだったら、飼い殺しですんだと思うけどね

396 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 02:05:14
三法師

397 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 02:29:29
奇妙丸

398 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 13:31:58
秀頼が180cm?
これって秀吉の子じゃないって事だろ・・

399 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 14:00:10
淀の父、浅井長政の体格は大きかったし、
小さい頃から栄養のあるもんばかり食べてそうだからでかくても不思議じゃない。

400 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 14:56:52
ざっとスレを一読してざっと適当にレスしてみる
本能寺の変で今までの語りつくされた陰謀説があるのだが
おれの妄想も聞いてくれ

信長が太政大臣希望、近衛前久が太政大臣に就任しその後辞任、そのときに信長を後任として推挙
まあこれは有名な説の一つではあるのだが
これで信長が事実上天下人として朝廷を使うことが決定した
まあその後の秀吉政権などでも朝廷を利用していることから朝廷路線は決定していたんだろう
そこで思い出してみて欲しい
光秀ってそもそも義昭奉戴論者であり幕府管領家でもある細川とも婚姻関係を持っている
もう有名無実となってしまった幕府の権威などというものはどうでもいいだろうが
実際に幕府を作るとなれば自分達が優遇されるだろうと思っていたのに朝廷となれば話は違ってきてしまう
ましてや幕府推進主義の光秀は優遇されないだろうと
信長を襲った後の光秀が一番待っていたもの、それはかつて一度は京都に信長と共に奉戴した義昭そのものなんではないのかと

まあおれのタラレバはおいといて
こっちのスレもなかなか勉強になりますよ

関白、太政大臣、征夷大将軍
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157633344/



401 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:36:43
秀吉が織田家を乗っ取る前に信雄による北畠家乗っ取りが行われている。

402 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:00:04
ちなみに大野治長は大柄だったらしい

403 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:48:39
>>401それを言うなら神戸・長野家もそう。

秀吉が違うのは主家(ただの主ではなく、信長のお陰で農民?→大名)を圧倒し、またその一族を殺戮してる事。それが天下の為なら仕方ないが、全て私欲の為。また、織田の血を引く姫は強姦。
それでいて「秀頼を頼みますじょ」と鼻水と小便垂らして… ホントにみっともないよな。

孔明にあとを託す玄徳とはえらい違いだ。

404 :OPS:2006/12/14(木) 22:06:54
大野治長は武将としての能力は皆無。

405 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:07:31
ここに「うんこぉ!」と書き込んでください
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/cat/1165701605/l50
幸せになれますよ。


406 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:25:22
>>403
同意。
子供の頃は、
「信長は残虐非道。家康は狸おやじ。秀吉こそが真の天下人」と思ってたけど
秀吉の纂奪のひどさを知るにつれ、
この私欲の塊みたいな人物が嫌いになった。
これは主君への裏切りっつーよりも、
根本的に、死者(信長)への哀惜の念さえ全く感じられない、っていうレベル。

家康が秀頼をさしおいて天下取るときにも
「すまんね、まああんたの家が潰れるのは自業自得だから、
しかたないよ」としか思わなかっただろうし、
状況を見ていた他の大名たちも、そう思ったことだろう。

407 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:40:20
>>403
アホな
孔明と家康を比較するには
余りにも孔明に失礼すぎる

408 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:53:37
別に孔明と家康を比較してるわけじゃないと思うが。


それに、死後の国の存続さえ全うできなかった孔明より
トリッキーなまでに精巧な政治体制を作り
戦乱の世紀の後に、いきなり300年もの太平な時代を出現させた
家康&崇伝の方が、政治家としての力量は上だった、
と見ることもできる。

409 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:31:20
信長だって守護代殺して尾張のっとってるけどな
あの時代はそういうもん
今の倫理を戦国時代に照らし合わせるのは愚か者のすること

410 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:39:05
しかしスレチすまんが
国を纂奪する力と人望をもち、それをしても誰にも悪く言われなかっただろうに
しなかった孔明は、つくづく偉いよな。
秀吉とは大違いだ。

411 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:53:12
>>国を纂奪する力と人望をもち、それをしても誰にも悪く言われなかっただろうに
>>しなかった孔明

つ{{要出典}}


412 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 16:02:04
確かに死を目前にした時の後継者指名は人柄が表に出るね

「強き者が跡を取れ」のアレキサンダー
「秀頼を頼み参らせる」の秀吉

413 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 20:37:57
>>411
つ{{三国志演義}}

414 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:38:30
低レベルな秀吉アンチは書き込みするなよ
見てて恥ずかしい

415 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:50:18
漏れは最高レベルな秀吉アンチですので
書き込みさせていただきます

416 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 02:25:21
>>409守護代殺しって言うが、織田一族内の権力闘争とも言える。それにその守護代とやらは守護(武衛さま)を殺してるんだから。尾張守護職からみたら弾正忠家は陪臣だ。しかし織田家全体の主家はやはり斯波家だから、守護代信清殺しに大義名分はある。


弱肉強食の戦国時代に現代の価値観を当てはめるな! というが、通じる部分もあるだろ?
天下は一人の天下ではなく天下の天下である、と言う事だ。
信長・家康と比べてさえ、秀吉の行動は己の欲望を満たす為だけのものであると言っても過言ではなく、とても英雄とは言えない。漏れは在日ではないが、秀吉は好きになれない。

417 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 02:41:25
担がれた三法師はどうなったの?

418 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 07:04:30
その守護代殺しの大義名分である新しく擁立した守護を追放して、
更に足利義昭も京から追い出してますが>信長
頭おかしいのか

419 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 07:54:10
>>408
家康は天下統一後
孔明は天下統一前

420 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 08:06:48
家康と孔明は死んだときの状況がまるっきり違うので
死んだ後の状況まで比べるのはちと無理があるような

421 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 08:17:51
三国時代は三国がそれぞれ敵対してた状況のまま
孔明は死んだのにたいして

家康は、同盟を組んでいて味方で、信長秀吉の死に、
いわば味方の連合同士のトップを誰が取るかの争いに過ぎないし
天下統一して基礎を固める時間が十分にあって死ねたからな

422 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 08:19:02
やべ日本語おかしくなった
訂正するの面倒だから>>421は読み飛ばしてー

423 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 08:25:26
>>417
どうもならなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E7%A7%80%E4%BF%A1

清洲会議で織田家の後継者に決めたのは、1582年。
賤ヶ岳が1583年、小牧・長久手が1584年。
小牧・長久手が終るともう、秀吉は三法師を完全無視し、臣下扱い。
わずか2年前に自分が三法師を織田家当主に決めたのは全く忘れたみたいに。
そういうところが秀吉って大嫌いだ。

424 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 08:40:09
>>423
> 浮世を捨て僧となって高野山で修行を積むというのが、
> 改易された秀信に残された唯一の選択肢であった。
> しかし、祖父信長の行った高野山攻めが仇となり逆に高野山から追放されてしまい

カワイソスwwwwwwwwww

425 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 09:48:11
>>417
三法師自身は成人し岐阜13万石大名になった後家康により改易
坊さんになって寺で若くして死んでしまったよ

秀吉には当時秀勝という名で信長から養子をもらっていて
秀勝に跡を譲るからという名目で天下を狙っていたフシがある
若くして秀勝が死ぬわけだがその年に秀吉は関白になる
これはもう秀勝が必要ないと思ったから消したのか、それとも秀勝がいなくなって織田家を立てる理由が
なくなったからなのか

426 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 17:37:20
>>423
あのさ、史板でwikiなんかから拾ってくるなよw

秀信の母が武田の松姫説なんて与太説、
胡散臭い文書に載ってた大嘘が、いまだに書いてあるんだからさ。


427 :日本@名無史さん :2006/12/18(月) 18:36:40
>425
秀吉は権力を握ってから、殺しまくったからな。
一説では秀長とその息子も殺したと言われている。

428 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 11:06:15
甥で養子の秀次も、秀吉に殺されたという説があるくらいだしな。

429 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 11:51:32
てか実際そうじゃん

430 :428:2006/12/19(火) 11:53:46
>>429
そんな言い方しなくたっていいじゃん。

431 :日本@名無史さん :2006/12/19(火) 18:49:11
秀吉が殺した人間のリストを作ったら、どれだけの長さになるか?

432 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:26:35
秀吉の子孫はいるの?直系はいないだろうけど。
あのスケートの織田は信長の直系じゃないのに
あんなに教科書の信長像に似てるんだから、
秀吉の子孫もいたら、かなり似てると思うが。

433 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:20:41
>>431
百頁くらい。

434 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:51:46
>>432
嫡男の家系ではないが、元々七男信高の家系で、後に信雄の家系から養子貰ってるけど、一応直系のはずだよ。

435 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 02:06:43
>>424
因果応報でワロタw

436 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 20:56:22
実朝の首っていう唐木の読んでピンときた。
明智の黒幕は秀吉じゃないかって。
明智を真っ先にやれるのは
明智に自分以外は誰もつかないって一番よく知ってる秀吉しかないもの。

437 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 17:17:50
 ずいずいずっころばし ごまみそずい
お〇んこちん宝はめまくり、ごまのはいの秀吉淀はめっこ
 茶壷に追われて トッピンシャン
茶壷=千利休(光秀)が自分の正体をばらして、秀吉を追及する 
 抜けたらドンドコショ 俵のねずみが
利休切腹で危機を脱して、腹鼓を打って笑う 俵藤太(藤原氏)の子孫のはげねずみ(秀吉)が
 米くってチュー チューチューチュー
天下を盗んで(千万石取りとなって)チューと鳴いて喜ぶ 
 おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでも
殺されて怨霊となった信長(おっ父さん)と濃姫が幽界から、秀吉に早く来いと呼んでいるが 
 行っこなしよ
なかなか死なない  
 井戸の周りでお茶碗欠いたのだーれ
茶室で茶碗=利休を切腹(芝居)させたのはだれだ
本能寺の真犯人(鬼)は誰だ
                       天海(光秀)作


438 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 21:53:31
>>俵藤太(藤原氏)の子孫
は、冬姫の旦那だろうがバーカ

439 :日本@名無史さん :2006/12/26(火) 23:38:20
>>437
濃姫は、秀吉の死後に亡くなっているだろ。


440 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:55:19
濃姫って本能寺で共倒れしたんじゃないの?

441 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:14:22
>>440
濃姫は慶長17年まで生きてると最近では言われてるな。
総見院の織田家墓所の見取図に養華と書かれた墓石がある。
また、泰厳相公縁会名簿には
「養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七年壬子七月九日 信長公御台」
と、出てくる。
信長生前も、信長公御台とか信長正室などの記述なら、意外と色々ある。
あと、本能寺の翌日に、安土城からの蒲生氏郷が信長の親族を日野城に移すんだが
その中に、北の方、御台などの記述のある文献が複数あるから
本能寺に濃姫はいなかったと思われるな。

442 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:29:38
>>418
足利義昭の都落ちは本人の選択によるもので
信長による追放などではない。

443 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 23:21:00
そんなに長生きで、あんな有名人なのに記録が不明確ってのはあり得ない。
普通に考えて岐阜入りあたりで死んでいるのでは。

444 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 23:38:36
>>441
別に煽りとかじゃなくて丁度いい機会だから聞きたいんだけど、
たまに、「最近では」「最近の研究では」みたいなレス見かけるんだけど、
こんな歴史家の最新の見解ってどこで知ることが出来るの?
歴史街道とか?w

445 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 23:48:11
>>443
永禄12年に濃姫以外考えようがない、斎藤家親族の信長本妻が
一次史料にあたる言継卿記に出てくる。
その後、公家衆の日記に信長の動向は、詳しく記されていくが、
御台や本妻や北の方が死んだとか、離縁されたという記録は出て来ない。
しかしながら、北の方や御台の記録は残っている。
つまり、濃姫は生きていた事になるね。
天正13年あたりの記録である織田信雄分限帳には、
安土城の女主である安土殿の記載があるから、御台はその時点で生きていたと思われる。

ちなみに、どこでって、各資料についての論文など、研究者の発表を追ってれば
普通に分かる事だけど?
各種文献も、活字化されているから、読めば分かる。

446 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 23:56:09
>>445
>安土城の女主である安土殿の記載があるから
少し補足すると、織田信雄分限帳に出てくる女性は、
かつて女主(正室)として住んでいた最後の城の名称で出てくる。
徳姫などは岡崎殿、信長の妹は犬山殿みたいにね。
安土城にかつて女主として住んでいたのは、信長の御台だから、安土殿は
信長の御台の事とされている。
織田信雄分限帳の安土殿の記載が発表された直後は、お鍋の方の事ではないかと言われていたが、
天正13年頃の記録と分かり、お鍋の方は天正11年から秀吉に知行を与えられているから
信雄の分限帳に出てくる事はありえないので、別人と考えられる。


447 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 09:00:02
妙心寺では、信長公夫人が一周忌の法要をおこなってるな。
同日、秀吉が総見院でおこなっているし、お鍋はそっちに出席しているから
妙心寺の一周忌の主催者な訳はない。
信忠の生母であるらしい生駒類も、信孝の生母である坂氏も既に死んでいる。
妙心寺は、お市が法会を、秀吉に先駆けておこなった曰く付きの寺だから、
そこで秀吉主催の法要に出ず、一周忌法要を主催できるのは、
信長の正室くらいなものだ。

448 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 15:06:05
濃姫は信長の後継者争いの場に出てこないけど
発言権はなかったの?
それともそういう資料は秀吉が焚書でもしたの?

449 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 16:54:37
信忠って、濃姫の正式な養子で、正室腹格だから、
三法師が跡を継ぐなら、別にいいと思ったとかじゃないの?

信忠と一緒に二条城で討死した信房(勝長)が
濃姫の実子じゃないかという話が出てきたりしてるし、
夫に養子に実子がいっぺんに死んで、気が抜けたとか?
まぁ、それは妄想だが、信忠筋の子供が跡を取るのは
濃姫としては異存なかったと思うけどね。

450 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 23:37:53
だって、それは秀吉の陰謀だってことはみえみえだったんじゃないの?

451 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:12:49
>>443
>そんなに長生きで、あんな有名人なのに記録が不明確ってのはあり得ない。

男でも子孫が没落したりすると普通にありえるし、
資料の残りにくい女だと不明確なのが普通なんだがな。

452 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:36:35
秀吉が信長の嫡孫の名前に、秀の字を入れた時点で
怪しいよね。実子には信の字入れてないし。

453 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 23:40:51
なんてこったい

454 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 10:21:52
秀吉ってひどい奴だよな

455 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 09:04:20
秀吉と他の織田家臣団との間に主従関係が成立した時期はいつ?
賤ヶ岳の前はまだ、柴田側についてる連中もいるからちがうような。
また、それまで朋輩だった大名や織田の直臣だった連中をどういう手続きで家臣化したの?

456 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 09:07:04
既に結論ついてるから過去レス検索してみてはどう

457 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 09:07:53
たとえば、秀吉と丹羽とか堀の関係って、ある日、ある時点でいきなり秀吉が
相手を呼び捨てにしたり命令調で家臣呼ばわりしたの?

それともお互い、対等→周囲がやや秀吉に丁重→完全に主従としての態度・・・と
徐々になしくずしに変遷していったのか?

458 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 04:35:38
タイミングとしては所領の安堵状とか官位の受領とかの時じゃねか
親分子分の格が付くのは

459 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 09:44:46
織田自体主家殺しの地方豪族なんだから
織田家臣が秀吉に隷属するのも当然。
そもそも、武家の棟梁の足利だって皇室を攻めてたし
源氏だって帝を擁する関白家の平家を帝含めて皆殺し。
日本人が同情する義経は罪のない幼帝を入水へ追い込んだ大逆の極悪人。




460 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 09:46:40
大体、信長みたいな虐殺鬼、殺されて自業自得
あの鬼畜の家系が衰えて結構だよ


461 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 11:58:39
でも、家康みたいに極悪非道なイメージが薄いのはなぜだろう。

462 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:14:08
>>461
その家康の極悪非道なイメージははどこから感じてるの?

463 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 14:06:36
別に秀吉が乗っ取ってもいい。
でも、そのタイミングとか、同僚への言葉使いや態度の豹変がいつなのかが気になる。

たとえば賤ヶ岳では、秀吉はあくまで秀吉派大名の盟主であり、三法師の筆頭重臣だから、
同じ織田重臣の丹羽とかには対等か先輩として立てる態度だったと思う。
そのあと、柴田領を分配するときに秀吉名義で宛行状を発給することで主従関係が成立して、
晴れて元同僚を呼び捨て、目下扱いってことでいいのか?

464 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:16:58
秀吉は政治力があるが、結局やったことは信長政策の踏襲。

465 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:32:47
>>462
やってることは五十歩百歩だろうが秀吉の織田家簒奪と家康の豊臣家簒奪では明らかに世間の空気が違くね?

>>463
山岡荘八の太閤記では山崎の合戦が終わった後、
秀吉がそれまで「堀殿」と呼んでた秀政を「久太郎」なんて呼び捨てにしちゃって、
それでも秀政本人が何か納得しちゃう場面が有る
流石に実際はこんな劇的ではなかったろうが

466 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:03:20
皇族だって、大化の改新という名のクーデターで
蘇我氏皆殺しじゃなかったの?
昔はだれもかれもが殺しあってたんでしょ。
俺たちはその子孫なわけだよ。

467 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 09:45:00
マジレスするかどうかは置いといて
公的場所での呼び名なんかはその都度変わっていくだろうけど
私的に呼び合うときなんてのは昔のままなんじゃね?
カズと高木監督みたいなもんだろ


468 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:15:54
そのタイミングは確かに難しい。
佐々木が横浜に帰ってきたとき、既に引退してコーチになっていた年下の野村が「佐々木さん」と呼んでいたのは頭抱えた。
一応、コーチなんだから「『さん』付け」はやめてほしかった。

469 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 12:16:56
ここは現代スポーツの事例を持って秀吉と前田との呼称問題を語るスレになりました

470 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 17:31:40
サルが信長の令嬢手篭めたって本当?
主君の娘だぜ。それでも織田家臣団が糾弾できないなら
その時点でサルの簒奪。しかし、異常な人格・・・


471 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:22:26
秀吉の側室らは浅井氏、前田氏、京極氏、織田氏、蒲生氏などの出身。
前田利家の娘の一方を側室とし、もう一方を養女にするところがいまいち理解できぬ

472 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:09:35
山崎の合戦の直後は、まだ柴田勝家みたいな反秀吉派が健在で、清洲会議の結果、
信長の遺領分配をやってるわけで、この時点ではまだ同僚たちとの主従関係はない。
あくまで、秀吉は織田家の重臣であり、秀吉死後の家康と同じポジションだ。

やはり、賤ヶ岳の合戦のあと、秀吉派の武将に秀吉名義で旧柴田領を分配することで
秀吉と元同僚たちとの間の主従関係が成立したんだろう。

473 :阿部怪異:2007/01/29(月) 20:22:31
その段階でもなお、秀吉は織田諸臣の盟主に過ぎなかった気がするがな

474 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:30:21
基本的に武士の主従関係が「御恩と奉公」のように、領地の授受によるものと考えれば、
旧織田家の将士が秀吉から新恩を給与された段階でその家臣となったと見るべきでは?

475 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 21:48:29
家康が関ヶ原後の領地分配で、豊臣家臣の地位から抜け出したのと同じってわけか。

476 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:00:32
考えてみれば、昔から家臣が勝手に戦うのを抑えられなくなった段階で、天下人の
権力はなくなるものと考えられるな。
平治・保元の乱後の天皇権力失墜、応仁の乱後の室町幕府形骸化、
天王山・賤ヶ岳後の秀吉による織田家乗っ取り、関ヶ原後の江戸幕府開府
これが分かっていたから、家臣の勝手な戦いを禁じた秀吉とそれを敢えて行った
家康。
天下を取った人たちは、みんな良くわかってたんだな。

477 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 22:15:44
>>463 >>465

功名が辻見てて思ったんだが、官位授与や謁見の場など公式な席において、官位は自分
が上なんで天皇の手前だけとか、形だけでいいとか言って、泣きついて、まず公式の席で
臣下の例を取らせ、そのうちいつでもどこでも24時間なし崩し的に家来にしてしまったんで
ねか?

478 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:12:47
結局、秀吉って、信長のように残虐性があったてことだな。家臣の妻を手篭めにしたりしてたみたいだし。

信長、秀吉と恨みの連鎖を引き継いだわけだ、三成は、第二の光秀みたいなもんか

479 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:32:38
>>459
>源氏だって帝を擁する関白家の平家を帝含めて皆殺し
「関白家の平家」って意味が分からないから委細教えて

480 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:57:11
>>473
賤ヶ岳の合戦後、同じ年(1583年)に秀吉は大坂城築城を命じている。
みずからの居城を同僚だった諸大名に負担させていることで、信長時代とは一線を画した新たな主従関係が始まったと思う。


481 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 06:44:38
大坂城で普請を命じられた連中は西国の大名が中心だそうだから、
まだその時の秀吉には織田家の同僚達に遠慮が有ったんじゃないの

482 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 11:07:16
小牧のときも池田勝入、森武蔵らに押し切られて長久手の惨敗にいたってるし、諸侯が真に秀吉に服したのは徳川家康が上坂したときじゃないのかな

483 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 11:35:44
下克上激しい時代に余程先代からとかの付き合いでもなければ上下関係は希薄だったと思うんだがな
公式の席では関白様とやっといてみんなで温泉行ったときは猿扱いみたいな
あまりに無礼な振る舞いならともかく秀吉は結局大大名と織田譜代の狭間で気を使い続け死んでいくわけだし
絶対権力者というよりは稀代の気配り屋さんという面の方が大きいと思うぞ


484 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 22:40:37
>>483
とても頷ける

485 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:19:08
漏れは歴史をあまり知らないんだが、信長は権力と武力を持ってたのに、なんで朝廷共を皆殺しにしなかったんだ?
家康もついでに殺しとくべきだと思うんだが。


486 :阿部怪異:2007/01/31(水) 00:21:47
丹羽越前守長秀、池田勝入恒興、蒲生飛騨守氏郷は猿と呼んではばからなかった
朝鮮派兵を聞いた窓際大大名蒲生は会津で「猿め、死に場所を失って狂ったか」とバカにしていた

487 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 00:27:39
朝廷からの高い位が欲しいくて馬揃えをやってたてTVで言うてたけど、朝廷ら殺した方が簡単に天下とれるじゃないか。
信長ともあろう人が手ぬるいんだな。ちなみに朝廷って天皇のことですか?

488 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 13:22:36
関白になることにより諸侯を率いる名分を得ようとした秀吉が朝廷を滅ぼせるわけがないだろうが

489 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 14:18:36
学問板らしくマジレスしてやろう

朝廷を潰す=朝廷に変わる新しい概念や思想を持ち込む ことになるわけだが
日本は古来からそういう思想や概念を輸入してないし作ってもいない
易姓革命のような天皇の地位を交代させる概念もなければそれに変わる神話も作ったことがない

信長とて自分自身が頂点に立つことを望んだかどうかあやしいものだしな

そもそも戦国時代なんてだれもが天下を狙っていたわけでもなく
また戦乱の世の中だと認識していたかどうかすら怪しい
分裂した日本を再統一した信長というイメージだけで語ってはいけない
ただ権力争いに勝ち残っただけなのだからそれを補強するための概念として朝廷や幕府を使うのは当たり前の流れなんだよ

490 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 15:19:35
そうなんだよ。出来星大名とて朝廷や幕府の権威を借りて正統性を得ようとした点では変わりがないんだよ

491 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 15:43:42
地方の百姓に毛が生えた豪族ですらナントカの守だもんな。(自称)
信長も最初、上総守を名乗っていたけどそんな官職本当は無いって
突っ込まれて慌てて上総介に直したっていうエピソードもある。


492 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:12:02
お家と家紋を大事にするのが武士の思想なら、なおさら知将と言われてた明智が信長を殺すのは附におちないな。しかも石ころ同然の地位だった明智は引き上げてくれた信長には感謝しきれない恩があると言ってる。なおさらオカシイ史実だ。

493 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:16:06
光秀は義昭臣下
義昭を上洛させ将軍にするのが光秀の目的でそれを達成するために朝倉に行ったが取り合ってくれず
織田に義昭を売り込んで中央政界に織田を引き込み見事に将軍につけたわけだ
将軍配下ではあるが事実上天下人の信長指揮下という複雑な感じ

494 :日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:21:55
>>492
上1行は江戸時代に作られたものじゃないか?

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