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織田信長は織田朝廷を創ろうとしていた。

1 :織田不信長し:2006/01/23(月) 23:50:56
戦国の覇者織と言われる田信長は自分を最高の者と
神の化身と信じていたのではないか。もし明智光秀
が謀反を起こさなかったら自分自身が天皇に成ろうと
していたように感じる。秀吉は関白、家康は征夷大将
軍の地位で満足していたが信長の場合はそれでは満足
せず天皇を目指していたと勝手に推測する。それに気
付いた明智光秀がそれを阻止した。
どうだろうか。


2 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 23:52:10
ヒャホー

2

3 ::2006/01/23(月) 23:53:13
すいません立てる板を間違えました
どなたか削除お願いします

4 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 23:53:51
>>1
説としては昔からあるけど、根拠が薄い。

5 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 23:55:24
大東亜共栄圏を作ろうとしてた…に100ライブドア株

6 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 00:02:41
紙屑かい・・・

7 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 00:03:46
上場廃止にされそうな株だからな…。

8 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 00:06:43
2億株くらい買い注文を出して「ライブドアはおれがもらった!」
とほざいてくれる勇者を募集します。

9 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 00:14:59
>>3
が名乗る1は偽者です
本物は明智君が好きな俺です

10 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 00:18:58
信長が天皇になろうとしてたかどうかなんてわからんが、
まぁ自分を神と呼ばせたがってた節はあるけど・・・・
光秀が謀反起こした理由には天皇家だの平家の末裔だのの
理由があるのかもしれない。

11 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 01:09:36
安土城には「天主閣」があるからな。天守閣じゃなくて

12 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 01:16:37
>>1
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1136483670/
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1055052617/
ifスレは重複・・・だと思ったら誤爆?

13 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 01:18:06
ネットウヨクなんか天皇崇拝しないと朝鮮人とか言うけど信長も朝鮮人なのかな?

14 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 01:56:15
さすが勝手に推測していらっしゃる。どうぞ
このまま勝手に満足していてください。

15 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 02:00:42
歴史なんてそんなもの。

>>14は神だからなんでも知ってるけどね。

16 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 02:02:47
>>ネットウヨクなんか天皇崇拝しないと朝鮮人とか言うけど信長も朝鮮人なのかな?

どうみても、国粋主義、全体主義の中韓と、
それを支持する在日のほうがネットウヨクです。

あと、リアル街宣ウヨには、朝鮮人多数。


17 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 02:05:05
全体主義という言葉自体きな臭い。

18 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 21:13:37
信長は天皇なんか眼中になかったと思う。

19 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 21:16:48
「拉致疑惑は、右翼の陰謀です。」

覚えていますか?

20 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 21:49:26
家族会の政府やマスコミへのゆすりたかりもいいかげんにしてほしい

21 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 21:52:14
>>20
朝鮮総連の方ですね。
こんばんは。

22 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 21:56:38
>>21
きみにとってはさぞ世の中は単純にできているんだろうな

23 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 22:56:52
世の中って複雑に見えても実際は単純。

いつの世も金と女と権力・・・・これさえ押さえとけば歴史は完璧。

オレモナー

24 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 01:34:39
信長は天皇に成ろうとしたかどうか分からないが
伝統を壊し自分の好きなような世界にしたったのだろうな。
伝統破壊には冷酷に見えた面もあったり他者にはついて行けない
ところもあったろう。そこに家来との確執も生まれたのかもしれない。

25 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 02:24:54
伝統を壊すやつは天皇になど興味ない。

26 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 00:52:13
信長が目指していたのは中華世界の皇帝だろう
天皇ごときは日本ローカルの神主の親分に過ぎない


27 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 02:03:50
>>26
日出るところの天子
日没するところの天子
中国の皇帝と日本の天皇は対等関係が伝統
ローカルと言うのは心外である
さらに中国の皇帝は国が変わればその血統は変わるが
日本の天皇の血統は2600年以上続いている。
その点で天皇家は中国の皇帝より遥かに上である。

28 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 21:24:09
>>27

そんなもん、長く続いたから価値があるってモノじゃないシィ(笑

29 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 22:38:13
在日 乙。「偉大なる祖国」へ帰国しましょう。

30 :1に同意:2006/01/29(日) 23:22:29
>>1その説をとなえてる歴史学者、研究家っているかな?ちなみに俺は男係維持賛成論者。

31 :30:2006/01/29(日) 23:24:53


32 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 23:44:11
男系論者が何で1に同意なんだよ?

おまえ馬鹿だろ?

生まれ変わって出直して来いw

33 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 13:07:45
>>32 お前が馬鹿なんだよ!30は1の『推測』に同意であって『天皇になろうとした信長の本音』に同意とは書いてない。お前は単にに>>30の書き込みを誤読してるんだよ。

34 :1:2006/01/31(火) 01:25:22
まあ、私の推測で喧嘩はしないで下さい。
織田信長がどんな人だったか皆で検討すれば
良いし明智光秀の謀反は私利私欲だったか正
義だったかどうか検証できればと思っています。

35 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 02:41:29
1の性格はナイスである。

36 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 03:35:54
信長は義昭を延暦寺焼き討ちなど既存権威を否定していた
正親町天皇に譲位を要求しそれに対して征夷大将軍か太政大臣・関白を
与えることで妥協しようしたのを断った経緯から朝廷の権威も必要としなかった
自らの代わりに石を神として崇めさせた

以上から天皇になるというよりも天皇制を破壊し新たな絶対君主になろうとしたと思われる


37 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 17:28:33
合理主義者だから権威にはこだわらないかも

38 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 18:37:35
>36
譲位したがってたのは正親町帝。
実際、信長が譲位を持ち出すと、正親町帝も「長年の願いが適い、めでたし云々」と言ってる。
なんせ、在位が以上に長かった。この頃、すでに60歳近いんじゃなかったかな。
朝廷の歴史的慣行からすれば、皇太子が適齢年齢になれば早々に退位し「治天の君」として、ある程度自由な立場から天皇を後見し、朝廷を動かすと言うのが本来の姿。
乱世だったんで、やむえず在位していたが、信長の統治が進み、安定したおかげで譲位の環境が整ったのだろうね。

また、石を崇める云々はフロイスの記録しか出てこないが、フロイス自身、この石を崇めさせていたと言う時期は九州におったし、記録を書いたのは信長死後。
京洛周辺の公家等の記録にも「石を崇めさせた」とか「参拝させた」とかの記録は無い。
吉田兼見が、信長の誕生日に盆栽の石の様なものを信長に贈った、ってのを自身の日記に書いてるだけ。
おそらく、不慮の死を遂げた者(=信長)はゼウスから天罰が与えられるような所業があったのだろう、と言う意味で、創作したものと思われる。




39 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 22:37:05
信長って、尾張時代から献上金を天皇に対して何回かしてたとか記録あったよね?
誰の説か忘れたけど、俺が聞いたのは、天皇を排するのではなく公家衆を無くそうとしたとのこと。
その意味で、朝廷、天皇の取り巻きを潰すっていう話。
都が荒廃してる時は、天皇だけを置いて自分達は地方へ落ち延びてたのに。復興させるといつの間にか近くに居て、偉そうな顔をする。
その存在が信長の性格上気に食わなかったんだろうって。
普通の為政者なら公家を厚遇してくれるのに適当にあしらわれるだけで、親交を持てなかった。
でも、参内や献上は欠かさない・・・そこから「信長は朝廷{公家衆}を潰そうとしている」って
で、その苦情を光秀にいい、本能寺を起こさせたとかって、朝廷陰謀説に繋がるんだって
説の提唱者を調べなおしてみるけど、知ってる人居たら教えて

40 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 22:38:58
よろしく。

41 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 22:50:15
どうでもいいが>>1の文章がおかしいと思うのは俺だけか?

42 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 23:11:49
>>39
信長は公家をけっこう優遇しているよ。
公家の借金を帳消しにしてやったり新しい領地を与えたりしている。
公家のほうも感謝して信長には熱心にサービスしている。
軍勢を率いて信長の出征に従軍するものまでいた。
「将軍でも太政大臣でも関白でも望みのままに」という提案もサービスのひとつだな。



43 :39:2006/02/01(水) 23:04:00
>>40まだ提唱者名が見つかりません。
ただ、私が読んだのと同じ意見の人への質疑応答があったので
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/6291/situgi/ookubo1.html

44 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 00:40:55
この前読んだ山口敏太郎の「是非に及ばず」って本だと
信長は公家から与えられた役職を蹴ったのは、それ以上の存在を
狙っていたからだって書いたあった。
この本、霊視を元にしてるらしいけど、大胆な展開の小説だったな。


45 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 01:19:39
てか、なぜ過去の日本の権力者達は、諸外国と違い、天皇を排して自らが国王になろうとしなかったんだ?
せいぜい足利義満くらいだろ。
現代に伝わっている信長の性格からすれば、当然>>1のような推測はあっても不思議ではないが、それが一般的な説でないのは、少なくともそれを示す証拠が出てきてないからだろ。

江戸末期以降はともかく、それ以前なら義満に限らず、そういう考えを持つ権力者がいても不思議じゃないと思うのだが。

おかげでいまだにややこしい問題に悩まされてるし…。

46 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 01:29:13
>>45
簡単な事。国王ではなく法王だから>天皇

47 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 22:33:06
関係無いが、
信長は桶狭間の時、震えていたのだろうか?普通怖いだろ。
涙ぐんでいたとか。

48 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 00:09:49
>>45
上の44の書いてある本にもちょっと書いてあるんだが朝廷が使っている
陰陽師たちの力が強いというのがあるみたいだね。この本のちとおもしろかった。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4792603862/qid=1138892741/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-0561701-5222654

49 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 00:51:01
>>46
法王でも教皇でも構わんが、実権はともかく将軍も関白も朝廷から下される官位だろ。
従わざるを得ないほど圧倒的な実力があったならともかく、実際にはそうでない時期の方が長かったわけで、
現実に時の実力者にとって扱いにくい天皇が譲位させられたケースは少なくないが、それでも結局代わりの
天皇を据えただけで、天皇家そのものを潰そうという発想は見られない。

まぁ、新たな権威をイチから築くのは大変なことだから、わざわざ苦労するくらいなら既存の権威を利用して
名より実を取れればいいという考えは分かるし、その方が合理的だとも思うが、例え実権がなくても、そういう
存在を認めてる以上なにかと窮屈な場面があるだろうから、中には短絡的に「邪魔だから消してしまえ」という
考えに至るヤツがいたとしてもおかしくないと思うのだが…。

例えば家康(秀忠)なんか、公家諸法度を公布するくらいなら武力で天皇や公家を潰す方が速いだろう。
もちろん諸大名からの反感は買うだろうし、さすがに全大名に一斉に蜂起されたら徳川といえど
持たなかっただろうが、そこは根回し上手な家康のこと、自分に従ってくれれば新国家で新たに
貴族相当の地位を認めるとか、やりようはあったんじゃないか?

あるいは、もっと遡れば蘇我氏や平氏あたりもそう考えて不思議じゃない気がするが…。

50 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 02:14:48
>49
もっとも安定した政権であった徳川幕府を例にとると、徳川将軍も天皇から任命されてた立場であった、と言う部分が大きい。
たとえ形式的にしてもね。
徳川家も、天皇家の権威を越えようとは努力してる。
世俗的には天皇(王法)>幕府なんだけど、王法の正当性を裁定するのは徳川家の祖神である山王権現(東照権現)・・・、と言う感じで。
でもこれは、結局徳川家の統治に、天皇に一定の役割を与えてしまっているので、天皇を否定する事は幕府を否定する事になると言う矛盾に陥る。

結局の所、徳川家等の世俗権力は、自身の正当性をなにかしらに求めなきゃならず、その役割を天皇が担った、と言う感じ。
徳川家にしろ、源平にしろ、武力で天下を取った訳だけど、武力で取った天下は、それだけでは正当性を得られず、家康等の個人的力量のみが、それを保証する。
しかし、後継者にその力量があるか、と言うとその限りではないし、予想も出来ないから、結局、家康の血統であれば、天下様と言う秩序を求めるにあたって正当性を必要とする訳だが、その正当性を与えるものが日本の場合、天皇であった、と言う事じゃないかな。

51 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 22:02:30
豊臣氏滅亡後は、表立って徳川に対抗できる勢力はなくなったわけだろ。
そのうえでまだ朝廷の権威は必要だったのかな?

徳川政権の安定期、例えば家光あたりが「朝廷を討つ」と宣言していたら
諸大名は朝廷側について徳川を倒したのだろうか?


52 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 09:04:41
>>51
武力で倒そうと思えば出来たかもしれないが、
神の子孫と言う思いが日本人の心の根底に刻み
込まれているので出来ない、と言うより思いつ
く人はあまりいないだろう。もしやったとした
ら諸大名から一般庶民に至るまでことごとくに
反感を買われ幕府崩壊を免れなかったと思う。


53 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 10:35:07
>>52
そもそも家光の頃って京周辺以外の一般庶民(町人、百姓)は朝廷とか
天皇を知ってたの?

54 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 11:33:24
>>52
その神の子孫という思いこみが、当時の人々にどのくらいの影響を与えていたのかが
今ひとつピンとこないとんだよね。
庶民レベルならともかく、天皇と直接対面したことのある歴代将軍クラス、あるいは対面まで
しなくても幕府の閣僚クラスであれば、天皇といえど、老いて死んだり女性との間に子供を
作ったり病気になったりする、同じ人間だということは分かっていたはず。

つまり、天皇は神の子孫なんかじゃないと言ってしまうか、あるいは逆に自分の方こそ神の
子孫だと主張する輩がいても不思議じゃないと思うのだが、そういう発想が生まれなかった
理由が分からない。

中国や西欧でも王朝の勃興など珍しいことじゃないのに、なぜ日本はそうじゃなかったのか?


>>53
そう、それもある。
庶民レベルでは、仮に知ってたとしてもせいぜい京に天子様がいるということくらいで、
畏怖や敬愛の対象にまではなってないんじゃないか?
武士だって忠誠の対象は自分の藩の盟主なわけだし、そうすると朝廷の権威が及ぶのは
公家や幕府の他には、朝廷から官位を受けてる各地の守護職くらいだろう(あと、宗教関係者
も知ってたかな)
即ち各地の大名を味方につけられるなら、公家ごと潰せばよかっただけなのに。

江戸時代ぐらいの頃は庶民の生活も安定していたので、単純に戦乱は嫌だという理由で
反発される可能性はあるが、戦国時代、それこそ信長なんかだとそう考えたとしても不思議は
ない気がするんだが…。



55 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:40:55
>>54
島国だから、中国や西欧みたいに他国の王朝の情勢がダイレクトに分からなかったのと
いわゆる朝廷以外の勢力(クマソ・エミシ達)が朝廷に
さしたる反抗もできずに鎮圧されたからじゃね?

例えばイギリスにおけるスコットランドみたいに、優れた指導者が
長年に渡って中央政権と戦ったとか、そういうのあんまり聞かないな。
アテルイとかが田村麻呂ぬっ頃したりしてたら、変わったのかな。

あと、外敵の侵入による完全支配ってのもなかったよね。
西欧だとしょっちゅう隣国に攻められたり、モンゴル帝国の侵入とかもあったし。
日本史的には元寇が思い付くけど、あれは追い返したからなあ・・・

56 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:47:23
本州・九州とかだと侵略は元寇くらいか・・・・
対馬は朝鮮によく攻撃されて島民が連れ去られてるけど、国間ではちゃんと返すように交渉してるもんね。
なんか今とかわんないねw

57 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:51:50
戦国時代の天皇はわざわざ倒すほどの価値もなかったと考えるのが妥当では

58 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 22:13:50
>>57
やっぱりそう考えるのが妥当なのかな。
労多くして益少なしというか、倒すだけなら難しくないけど、それなりに反発を買うことになるから
それを抑えるのは大変だし、ならば生かしておいて利用した方が得策だと…。

まぁ仮に滅ぼしてしまったら、当事者の代は統治できても、2〜3代もすれば今度は自分たちが
滅ぼされる側になるんだろうし、それこそ中国みたいに次から次へと国が変わって悲惨なことに
なってた可能性は高いかな。



59 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 22:27:27
南北朝で懲り懲りか

60 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 07:07:05
>51
徳川幕府は儒教を根本にしたから、名目上でも朝廷から任命だれてる以上、家光が朝廷を討つ、って事になれば、根本が覆る。
例えば、別の問題での事だけど、お抱え学者の林家などは明らかに朝廷>幕府ってのを主張してるし。

それと、鎌倉時代の承久の乱以降、天皇側が世俗的な統治のほとんどを執政者に委ねた、って点が大きいと思う。
中国とかは、皇帝が最高権力者で、統治者=皇帝だけど、日本の場合は天皇にならんでも最高権力者にはなれるし。


まぁ、>>58さんのおっしゃる通りで、潰しても面倒が多いだけ、ってのが一番だろうけど。

61 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 21:48:01
徳川家康と違い織田信長は既成の権威をほとんど壊そうとしていたから
天皇家もその対象となっていたかもしれない。天皇に成り代わる権威と
してあるいはキリスト教を利用しようとしていたかもしれない。これは
私の邪推だが。

62 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 21:53:30
うん、まさに邪推だな。

63 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:19:08
>61
秀吉ほどで無いにせよ、信長も天皇家・朝廷は尊重してますよ。
ってか、上洛後は正親町帝と信長の二人三脚みたいな面もあるし。
まぁ、信長が利用した、って面もあるけど、朝廷側も内裏の修繕、儀式の復活、荘園の回復等で信長を利用してるとも言える。

64 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:24:19
天皇に実権が無いのは日本の伝統です

65 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:28:57
日本の歴史上、その時代の権力者と天皇の関係を一言で表すならば

「持ちつ持たれつ」

かな。

66 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:30:22
戦国時代以降は天皇が権力者に一方的に寄生しているのでは

67 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:52:37
>>66
「物は言い様」
この言葉を君に送る。

68 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 01:34:42
色々な宗教・宗派を集めて、比叡山に取って代わろうとしていたんだろう。


69 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 17:15:53
室町時代、特に足利義満以降が朝廷自体の有名無実化をしたのが大きいんだと思う。
あれで、将軍は知ってても天皇の存在は知らないという構造ができてる。
織田家も訪れた公家衆が天皇に関する知識と正当性を主張したからこそ上洛と献金とか思いついたわけだし。
また、その公家衆の来訪を受けた他の大名{武田・上杉・徳川・毛利等など}がことごとく上洛を伺い、献金してたというのがあるし。

70 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:01:10
織田信長とは直接関係無いが上杉謙信は何故2度も上洛できたのだろうか?
他大名はやすやすとは出来ていない。秩序を重んじる上杉謙信は朝廷には
どのような想いがあったのだろうか?

71 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:16:08
京都までの道筋が幕府側だったからね。
そして、関東管領の役職名と幕府、朝廷からの召集命令は幕府側の人たちには効果あるからね。
その前に、上洛した時はまだ幕府の名前は十分利用されてたから無力ではないよ。
あの古河公方ですら関東では士気の鼓舞に役立ったくらいだし。

72 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:38:04
>>70上杉は幕府・公方への奉公のためであって朝廷は二の次だよ。
朝廷に直接結び付こうとした信長の上洛とは意味が違うよ。

73 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 01:48:18
便乗質問。
伊達家は、代替わりのたびに当主が上京したというけど、この経路はどうだったの?
政宗の時はとにかく、輝宗の時は戦国たけなわの頃でそ?

74 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 02:33:24
>>73
一年中戦争してるわけじゃないから
通行可能な季節もあるんじゃない?


75 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 07:31:08
>>44
>この前読んだ山口敏太郎の「是非に及ばず」って本だと
 信長は公家から与えられた役職を蹴ったのは、それ以上の存在を
 狙っていたからだって書いたあった。
 この本、霊視を元にしてるらしいけど、大胆な展開の小説だったな。

『信長の棺』の人気に便乗したトンデモ以下のパクリ満載本です。


76 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 07:47:00
易姓革命でござる。上総介殿は唐かぶれにあらせらせ候。

77 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 13:57:09
>>73 輝宗以前は、奥州探題{だったはず}の幕府からの役職拝命のため。
正宗以後はよく知らないが、大名でも格が違うのを示すためとか言ってた人がいたよ。

78 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 14:05:41
上杉謙信も上杉姓を称してからの始めの上洛は役職拝命ためだったよね。
その意味で、朝廷>幕府と置いてのは、信長くらいなんじゃないの?
室町幕府が健在な段階で。

79 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 20:45:29
>>73
仙台あたりから船に乗って、ではないかな。
陸路は危険が多すぎる。

80 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 20:49:42
>>73>>79
北陸道経由の陸路に決まってるだろ。

81 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 22:37:29
信長の本音はこんなところだろ。
○征夷大将軍→「貧乏公方足利義昭の後任なんて冗談じゃない」
○関白・太政大臣→「マブダチの近衛前久をいじめるのもかわいそうだしな」
○天皇→「たかが公家の親分になったところでうれしくもなんともない」

82 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 06:40:40
そこで第六天魔王ですよ

83 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:41:27
>>81
それでは信長は何を目指していたのだろうか?

84 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 00:44:20
破壊王

85 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 06:15:08
神だよ
デウスよりも上の

86 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 08:38:15
その前に明智佐馬之介にやられる

87 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 12:28:44
>>83
やはり「神」または「仏」だろう。
本願寺の法主が「生き仏」として門徒から崇拝された前例もある。
秀吉も家康も死後とはいえ神になった。


88 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 14:49:55
神になれない信長は(ry

89 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 23:27:50
>>88
信長も神として祀られた。→建勲神社

90 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 06:32:28
この頃の朝廷は、宗教勢力に対してはどんなもんだったんだろう。
「鴨川の水、賽の目、山法師だけはどうにもならん」と言わしめた
後白河法皇の時代とは違うだろうけど。

91 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 20:25:05
>>90
>「鴨川の水、賽の目、山法師だけはどうにもならん」
それは後白河法皇じゃなくて白河法皇な。

>この頃の朝廷は、宗教勢力に対してはどんなもんだったんだろう。
「武士がウチの所領を押領するので排除するよう幕府に口ぞえしてください」と頼まれる程度の存在感はあったらしい

92 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 20:43:05
>83
無官の支配者って感じじゃないかな。後の大御所・家康みたいな。
右大臣辞任の際の辞状では、嫡子・信忠を取り立てて欲しい、ってのを強調してるし。
信忠を表に立てて、彼を育てながら、日本を統治して行く、って感じじゃね?

妄想逞しくすれば、海外に野心があったとすれば、無官で身軽な方が自由かもしれない。
秀吉も秀次に譲ったのは、朝鮮出兵の関係もあった様だし。ま、これは妄想だけど。

93 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 01:37:51
もし、信長が裏切りに会わず日本統一をしていたら
朝廷をも凌駕するものとして君臨しただろうか?
海外に出兵しただろうか?
海外出兵するほどバカではないと思うが?

94 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 01:43:32
いやしてた

95 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 13:30:17
フロイスには出兵するといってたけどね。
統一したらボケて昔のようにうつけと言われたかも。

96 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 14:17:31
信長が歩んだのは禁断の「神への道」かつて窪塚が探求していたものだ

97 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:55:08
戦国時代、朝廷自体は天皇を宗教的な「神」として認識していたのだろうか?
いわゆる戦前の「神聖にて侵すべからず」の現人神天皇みたいに。

98 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 17:04:50
>>97
大王は 神にしませば 天雲の
 雷の上に 廬らせるかも

(柿本人麻呂)



99 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 17:21:54
明智のアホが謀反を起こさずに、信長が生きていれば天下統一したのはガチ!

100 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 17:26:20
>>99
アホに殺されるアホ

101 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 17:27:36
信長あっての猿、狸だ

102 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 18:16:32
秀吉の唐入りって信長の野望を忠実にインスパイアしたんだろうな。
世界帝国を狙ってたよ。奴は。

103 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:33:00
神を自称したところで神に成れるわけではないからね。
総見寺とか天皇の殿舎を模した建物を造ったくらいで
信長は天皇になろうとした!と言われてもなぁ・・・

104 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:35:48
>>97
してないだろう。していればもっと積極的にそのことを宣伝したはず。
実際にはわずかな礼金と引き換えに官位を授与するくらいのことしかしていない。


105 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:37:25
>>103
本願寺の法主が生きながら仏として崇められた例があるからね。
信長もそれを狙ってたんじゃないの?本願寺を軍事的に圧伏した自分にはその資格があると思っていたのでは。

106 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:57:03
思い上がりも甚だしいね

107 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:58:43
本願寺との抗争に調停の仲裁を活用したりしてるから、天皇の利用し甲斐を理解し
ていて天皇家を存続させながらNo2を世襲できる家柄を作ろうとしてたように思う。
公家は完全に排除しそう。
天皇の取り巻きを織田家とその家臣で固めて、天皇を傀儡して政治を司るつもだ
ったのではなかろうか。
既存の公家に取って代わりつつ、征夷大将軍より強大な権限を持つ未来永劫世
襲可能な家柄にでもしようとしていたと。

天皇に取って代わることをやってしまうと悪しき前例になるので、天皇は残すが
織田家も天皇に準じ神格化された絶対不可侵な家柄を標榜していたように思う。

108 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:18:56
>>107
安土城に天皇を迎える施設を作っていたし、そういう可能性もあるように
思う。法王のバビロン捕囚ならぬ天皇の安土捕囚というかんじでね。

109 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:31:00
天皇になろうとしたのは間違い。
天皇を維持して天皇より高い地位を作ってそれになろうとしていたのが正解だろう。

それが「天主」という地位。
安土城はその象徴物として作られ中心を天主と名付けた。

110 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:33:05
秀吉も「日輪の子」と称して生きながら神となっている。
信長にもそれに近い構想はあったのだろう。

111 :109:2006/02/23(木) 20:35:05
安土城の天守閣を天主と名付けたのではなく、
天主がいる所というのを示したのが、後世、天守=天主となったことも考えられる。

112 :109:2006/02/23(木) 20:46:46
自分が天主と名乗った事=フロイスのいう神になろうとしてたという記録も合致しよう。
キリスト教の天主を示すのがゼウス。


113 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:56:15
いづれにしても信長を神と崇めることに家臣さえ戸惑ったくらいだから
他の大名や農民、商人などは鼻で笑っていたのではあるまいか。

114 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:05:27
自分が仏をないがしろにしたように、
家臣にないがしろにされた哀れな神。

115 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:22:04
>109=112
フロイスの話は割り引かないと。
>>38 読んでみ。

天皇の権威を越えようとしてたとは思うが。

116 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:22:49
どうもこの板は信長に点が辛い傾向があるね

117 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:27:56
>>115
実際、信長の権威は天皇の権威を超えていただろう。
天皇自身がそのことを自覚して信長に媚びている。

118 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:33:56
>>115
フロイスがその時、九州にいたという理由で全てが創作だといえるだろうか?
伝聞ということも考えられるし、ネットワークがあることも考えられる。
それを言ってしまえば、信長公記も同じ事がいえるんではなかろうか?
どの資料にしろ、一方が書かれてあり、一方が書かれてない事は数多くある。

ま、こんなことを言ってしまえば、どの資料も怪しく思えてくるんだけどね。

119 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:42:18
天皇の権威は霊的なものだから、それを超えるには宗教的権威が必要かと。

120 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:45:55
一向一揆との戦いや遥か遠くからわざわざ日本にまでやってくる宣教師をみて
絶対的な人心掌握術として、キリスト教のノウハウを利用したんだろうね。

121 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:47:14
>>116
世間じゃ過大評価されてるからなぁ
信長厨も酷いし

122 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:15:01
>118
京洛の公家等の私的な日記にも、全く言及が無いってのは、神格化云々はかなり割り引かなきゃならんと思うよ。
当時、九州にいた者が聞いた話を、身近に居た者が知らない、って方がおかしい。
フロイスの記録は貴重ではあるけどね。

信長公記にしても、是非はともかく事象の大きさから言って、なんらかの記述があってもおかしく無いはず。

>>38にあるように、非業の死を遂げた者=(キリスト教の神から)天罰が降るような所業があった、って言うのを強調したいがための記述だと思うけど。


123 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:56:28
>>122

>信長公記にしても、是非はともかく事象の大きさから言って、なんらかの記述があってもおかしく無いはず。
例えば、、、
事象の大きさで判断するなら、、、

1.信長公記に書かれていて日本史にはかかれていない。
2.逆に日本史に書かれていて信長公記にはかかれていない。

他の資料には一切のこっていない・・・

この場合、二つとも創作になるわけかな?

124 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 02:41:40
何事も"創作"だけで片付けると簡単だわな。
どれも憶測にすぎず、残っている文献全てが創作になってしまうな。

かの国に証拠として資料を出しても捏造ニダと言うのと同じ。
日本書紀に書かれているからという理由で採用されてるのに、この部分は日本が捏造してるに違いないという風な。

こういう場合どう証明すればいいのかな?


125 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 07:26:53
>123,124
フロイスの記事と信長公記だけで比較すれば、おっしゃる通りかもしれないが、
ただ、その他の記録等にも、神格化についての記述が全く無く、フロイスのみが記述している点を考えればフロイスの記述が創作であった可能性が高いのでは?って事です。

例えば、吉田兼見は、おそらく、フロイスの言う神格化の象徴的存在である「拝ませた石」を贈った本人だけれども、兼見卿記には、誕生日に贈った、としか書いてない。
もし、自身が贈ったモノが、神格化に利用されていれば、吉田神社の宮司でもある兼見にも何らかの記述がある方が自然でしょう。
また、神格化について、フロイスの言う通り、安土に人数を集めたとすれば、多方面に話題として広まっているはずだが、兼見以外の公卿等の日記・記録等にも残っていてよいはずなのに、全く無い。

フロイスの記録は貴重な面も多いけど、キリスト教的価値観からの記述である、と言う点も常に考慮しなければ、と言う事です。


126 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 08:19:10
日本史板で叩かれやすい物

・東北(問答無用
・延々と争い続ける長州と会津(火と油
・薩摩
・信長と秀吉



127 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 08:35:02
信長が叩かれていると言うよりは、信長を過大評価する馬鹿を叩いているって感じだな。
現実に信長は天下盗りに失敗した。本能寺の変で死んだ。
それ以上でもそれ以下でもないんだから。
信長を叩く例としては虐殺に対する批難くらいのものか。

128 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 17:08:47
>>127
同意
妄想などしなくても信長は英雄
史料からできるだけその実像に迫りたいだけ

129 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 17:48:16
>>125
吉田兼見が送った石がフロイスのいう神格化した石である根拠ってある?

憶測だけで言えば、こういう事も考えられる。
昔から日本は神道や仏教が混ざり合ってて、自己の神格化に対しても日本人からすれば
そう重要な出来事でなかったのでは?と。

どんなものにも神様が宿っているという概念であらゆるものを神格化する日本人では、
そういう出来事は一般的な事であっても絶対神を信仰するものは神は唯一でなければならず、
そういう出来事が印象に残るって事も考えられる。

一つ質問だけど、信長が石仏を引いて二条城の石垣にしたという記録は吉田兼見とか他の公家の日記には残っている?

130 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 18:04:35
おならぷう

131 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 22:20:10
当時の群雄割拠状況では信長のような広域の大帝国と中央集権的権力を築いた人物は自然と超人的存在とみなされたのではないだろうか

132 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 04:14:36
総見寺の石ってどこかに行っちゃったのかな

133 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 06:13:42
>>132
どっかに転がってるのは間違いないw

134 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 14:13:46
>>129
記録は知らんが、
安土城の石垣の中に、石仏は確かにある。どこかの画像で見た。
信長は、父親の墓石を真っ先に使ったという。
天下布武のために役立つなら、何でも使うという姿勢だな。

135 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 18:40:30
>>131
妄想乙

136 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 19:12:40
>>36 信長は最終的には三位右大臣まで任官したよね。管領や副将軍などの幕府機構には入らなかったけど朝廷の構成要員にはなってるよ。

137 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 22:45:35
>>134
羽柴秀長も大和郡山城の築城に墓石を使っている。
というより当時はおまじないとして石仏や墓石を築城の資材に用いるのは一般的に見られた慣行。

138 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 23:46:11
>>131が妄想なら豊臣秀吉のルソン総督宛ての国書も相当の妄想だな。

139 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 11:43:09
>>136
朝廷からは超越した立場で武家伝奏を使役しているけどな。
信長が上洛するたびに摂関家以下の公家衆が出迎えに押しかけているし。

140 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:49:19
>>138
そうだよ。それがどうかした?

141 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 22:09:31
>>140
秀吉の妄想を笑うことは織豊期に生きた人々すべてを笑うことです。

142 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 22:10:44
信長厨は織豊期に生きた人々すべてを笑っている、ということで決まりですか?

143 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 22:35:15
もし信長が長生きして天下統一を成功させて帝王となっても
独裁的な政権は長続きしなかっただろう。ジュリアス・シーザーの
ように部下に殺されるか、子供の時代に家康にとって変わられるように
思う。

144 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:21:52
信忠が家康に乗っ取られるタマかよ

145 :日本@名無史さん:2006/02/28(火) 00:07:28
>>143
家康は、生きていたとすれば、東北で50万石くらいだから、それは無理。

146 :日本@名無史さん:2006/02/28(火) 12:18:13
信長は最終的には幕府のような朝廷とは独立した
統治機関を作っていたでしょう
征夷大将軍になっていたのではないでしょうかね

147 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 00:02:55
信長の子孫ってまだいるんですか。
それとも全滅してしまったんですか

148 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 00:23:39
スケートの選手にいましよ。
子孫はまだ残っていますよ。
織田姓は意外といるし何らかの血のつながりがあるかもしれない。

149 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 01:30:35
信雄の子孫ww

150 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 02:53:09
信長がどのような政治形態を取るにしても天下を取れたときには
天皇をないがしろにするであろう。自分が一番と思っている人だから。


151 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 10:38:56
そして天皇派のだれかに殺されるのか。
義帝をないがしろにした項羽のように哀れな最期を遂げるよりは、
本能寺で激しく死んだほうがかっこええな。

152 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 02:12:09
信長は自分の天下取りの目的を根本的に変えないと
生き残ることは難しいことだったろうな。

153 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 03:21:53
信長一代ならもったんじゃない?

154 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 12:31:56
>>153
ムリ

155 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 13:29:42
現実に、もたなかったじゃんw

156 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 01:50:36
>>146
源氏を称さない征夷大将軍か?

157 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 02:37:48
征夷大将軍は源氏から出ると言う暗黙の了解があるからな。
平家の血筋の信長なら清盛に習い太政大臣かな。

158 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 02:39:26
そういえば、秀吉も平氏を名乗ってたために
征夷大将軍を受けられなかったという話し有ったな

159 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 02:42:43
そんなの徳川の捏造だろ。蝦夷征伐した征夷大将軍を知らんのか?
それに征夷大将軍なんて、鎌倉源氏は三代で途絶え、足利はグダグダで
秀吉の時代にそんなに魅力ある役職じゃないだろ

160 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 13:51:56
>>159
正解

161 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 18:04:27
>秀吉の時代にそんなに魅力ある役職じゃないだろ

では家康はその地位を望んだのは何故でしょう。

162 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 18:15:34
>>161
征夷大将軍は武家の頭領にあたる地位だから。
武士で一番偉いということ。これにより武家を支配し
そしてその下の農工商も支配できるという拡大解釈で
政権を握るようにする。

163 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 19:15:15
だったら秀吉の時代でも結構魅力あるじゃん。
家康とそんなに隔たりがあるわけでない。

164 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 19:38:14
一条・二条・九条なんかの公家が持ち回りでやってた関白よりずっと魅力的だろ。


165 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 19:38:58
関白は継ぎたくなかったんだよ
判るか?
徳川政権は豊臣政権とは一線を画すもの出なくてはならない訳
豊臣の継承ではなく徳川の新政権にする必要があった。
豊臣のしがらみをバッサリ切り捨てられる(豊臣は豊臣、徳川は徳川のやり方があるんだと言える)

166 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 20:27:05
家康は豊臣家の関白公儀に対抗すべく征夷大将軍についたのであるが。

167 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 00:19:04
神はヒトなりと新井先生も言ってまつ

168 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 00:58:08
秀吉が政権の座に就いたのが義昭追放の10年後、だからまだ将軍の無力さの印象が残ってたと思う。
その20年後に家康が政権取ったときは、30年前になってるので懐かしむ空気もあったのかもしれない。

169 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 01:50:56
>>165 >>166 が正解。
家康死後、大明神にならず権現になったのもその理由。

170 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 02:00:50
本拠地の違いもあるだろうな。

東国は将軍、京都を含む西国は関白or太政大臣のほうがなじんでいる。

171 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 02:58:28
戦国期において、あらゆる地位や権威は失墜し、実力者が実権を握る時代であり中世以来の古い価値観は 一掃されたんだよ!名門の足利家も落ちぶれてしまった訳だし、寺社勢力も一掃された訳だ、信長は、なんの力も無い朝廷の存在自体を疑う感がある、

172 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 03:13:54
明智光秀は伝統、秩序を重んじた
朝廷が最高と思う想いが信長がそれを超えようと
したが許せなった。それが大切

173 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 06:18:25
>>172
キミは馬鹿かい。
光秀は、山門領の横領について朝廷から信長に苦情が申し立てられた
ことがあるんだよ。
細かい事象を見て行けば必ずしも伝統、秩序を重んじたなんて言えないよ。




174 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 07:54:41
明智光秀は、単にいじめられた仕返しをしに行ったに過ぎない。
それを利用した勢力がある。
朝廷とも足利家とも旧来の守護勢力とも。。。

いずれにせよ、信長も秀吉も
家康が政権を握るまでの繋ぎに過ぎない。

家康が幕府を開いて太平の世になった方が
あらゆる勢力にとって都合が良いし、組み易い。

寺社も再建され、大商人も出現し、世の中が安定した。
鎖国された後の時代も、表向きだけで、
地下では自由に入出国出来たのではないか?


175 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 08:29:59
地下で ってw
ロシアなんて高田屋事件まで堂々と入国していただろうが。


176 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 03:13:58
>>171
後世から分析してぶっちゃけるとそうなるけど、日本を統一したかったのなら、
なんらかの大義名分は必要に決まってる。下々に至るまで、「中世以来の古い
価値観は一掃されたぞ!実力ある織田に付いてこう!」って思うわけない。
一つ一つ潰してくのはメンドクサイ、くらいの事は信長だって気づいてたはずだ。

177 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 10:27:17
>中世以来の古い価値観は一掃されたぞ!

当時にしてみれば中世も現代であるわけだが。

178 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 15:08:46
なんかズレとる気が・・・

179 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 19:32:27
安土桃山時代は近世じゃないの?

180 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 19:53:15
秀吉の関白就任時には征夷大将軍は足利義昭がそのまま就任していたはず。
征夷大将軍のままかどうかしらんが
退官したという記憶は無いので将軍のままだろうが
征夷大将軍義昭を御伽衆として臣下にしていたから
武家関白を持って征夷大将軍を超える武家の棟梁にしようとしたんでないか?


181 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 20:32:58
秀吉が関白に就任した時には、
とっくに足利将軍は、追放されてたって、
言っとるだろうが!!!!!

182 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 21:45:07
戦国期において、武士そのものの価値が問われた時代であり、加賀の国などは、百姓と国人衆の自治政治が行なわれていたし、一向衆など全国各地で門徒を増やし、大名をしのぐ勢力を広げ各地で一揆を起こしている、

183 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 21:51:13
>>180 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yosiaki.html
上のサイトにあるけど、元亀四年(1573)に京を追放されてる。
その際に官位も剥奪されてる。だから、征夷大将軍という役職もここで剥奪されたと見るのが一般的。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hideyosi.html
こっちは秀吉の概略。
天正十四年(1586〉に藤原姓から豊臣姓へかわり、太政大臣となってる。

184 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 22:11:17
公卿補任読んだことないのか?
足利義昭は1588年まで権大納言兼征夷大将軍として公認されている。

185 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 22:52:12
>>184 一応は流し読み程度には。なので、手元にあるものとネットから調べてみた。
http://web.archive.org/web/20001005073119/www2u.biglobe.ne.jp/~koiduka/downroad.html
ここのからだと公卿補任は応徳3年(1086年)までのしか出てない。
他のを当たると又書きになるが、ウィキに出家による辞任の年として確かに1588年が出てる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%86%E8%BB%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7
ただし、公卿補任自体が後から書き足される物であることから信頼性が乏しいという話もあった。
また、命令として残ってるのが1573年の京追放と役職剥奪であり、復帰については記録が無い。
そのことを理由に上のウィキはじめ下記のサイトなど、足利将軍に関する本などでは73年までとしてる。
http://www.sengoku-expo.net/person/J/column/065-01.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yosiaki.html
また、個人サイトでソース掲示なしの所では、88年まで征夷大将軍在位を押す所もあったが
官位剥奪や復権に付いては一切触れられて無い。

とりあえず、正確な所では88年までか73年までか意見が分かれている状態らしい
だが、多くの秀吉や足利義昭についての物を見ると一般的には73年までという認識になってるようだよ。

186 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 23:42:07
>>185
公卿補任を買えとは言わないがせめて図書館で読め。
後からの書き足しと言うが、政治的敗北者の義昭をわざわざ罷免された事実を隠して公卿補任に記載する必要がどこにある。常識で考えろ。
だいいち義昭は1588年に出家して征夷大将軍を辞するまで将軍の権限を行使し続けている。


187 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 23:50:28
>>186
信長は、どうして義昭の将軍職を剥奪しなかったんだろう?
確かに官位では、信長が義昭よりも上になったけど。
(義昭は大納言、信長は右大臣)



188 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 23:51:22
>>186 うん、もう一回図書館で読んでみる。
とりあえず、言っておきたいのは、正式に退位がいつというのではなく
一般的な見方の話。一般的には73年として取り扱ってるという意味。実行力とかの話で
別に貴方の意見を間違ってるとか否定してるわけじゃない。そこだけ誤解無きように

189 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 06:49:44
>187
将軍職の与奪権は朝廷の専管事項だったからでは?
信長の意向だけで決められなかったのでしょう。

190 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 11:03:28
なんか>>181イタイな・・・
京都を追放されただけで、将軍じゃなくなったと思い込んでる・・・

某ゲームでちょっとかじっただけの知識で語ってんじゃねーよ!

191 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 19:50:52
だれか明智光秀を主役にして「美濃義士伝」書いてくんないかなー
この人ほど過小評価されてる武将はいないんじゃないだろうか?

192 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 14:31:00
確かに明智光秀はもっと評価されてよいと思う。
農民のことをよく考えていた武将だと言う人もいた。

193 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 15:22:35
優秀な人物じゃん。過少評価されてるかね? ドラマとか出てきても大抵は、
お行儀よく頭よく妻を大事にし、みたいに描かれてると思う。それじゃダメなの?

194 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 21:31:44
恩知らずは、現代の日本人には嫌われるからしゃーないだろ

195 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 22:22:03
光秀ファンの皆さまへ…
ご協力お願い申しあげます。

時代劇板 【光秀を】<ときは今>制作委員会【大河の主役に!】
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/kin/1115998835/l50

196 :195:2006/03/15(水) 22:23:20
あっ…スレ違いしました。
お許し下され!


197 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 02:15:27
明智光秀は人民(当時そのような言葉はなかったかもしれないが)のことを
考えてそのような治世を行っていたようだ。独裁的信長とは違い相容れない
ところがあり確執が生まれたのかもしれない。光秀としては日本を憂いて
(現代の言葉に置き換えて)止むに止まれぬ思いで主君を裏切り一人で汚名を
来たのかもしれない。推測であるが光秀の性格から言えば度外れではないと
思う。

198 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 08:24:50
信長と光秀は似たような性格だったと思う。
馬が合ったからこそ信長は光秀をあそこまで大出世させたわけで。

199 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 03:04:39
織田信長と明智光秀は性格がかなり違うと思う。
学問的に言っているのではなく幾つかの小説を読んで思った。
どちらかに義があると決めるなら私は明智

200 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 05:37:23
>学問的に言っているのではなく幾つかの小説を読んで思った。

おバカさんでつか?

201 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 08:53:31
足利義昭が将軍だったのが、いつまでだったかは何の意味も無い。
最初から最後まで力が無かった!
織田信長も所詮は時代の一時期威勢が良かっただけ。
淘汰される運命にあった。

202 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 10:24:30
>おバカさんでつか?

犯罪的なまでにおバカさんですね。

203 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 21:42:22
明智光秀は伝統を重んじ
織田信長は伝統を壊し新し
いものを取り入れようとした。
それも、かなり過激に。明智光秀は
そのやり方に憂慮を示したのかもしれない。
結局相容れなかった2人だったのだろう。

204 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 22:16:13
その考えは500年も前に否定されていますよ。

205 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 22:57:02
すでに高柳光寿が50年前に「光秀は信長と馬が合ったからあんなに出世できた」と指摘している。
信長が革新的で光秀が保守的だったというのは根拠のない思い込み。

206 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 23:27:16
信長以上に革新的で合理的であったが故に
信長を当然の様に排除した
という光秀像も面白いな
誰もついて来れないところまで
トバしてしまったんだな

207 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 00:07:26
面白いか?
ほんとに面白いか?
通俗的で平板で常識的で結果論で全然面白くないと思うが。

208 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 04:18:15
あんまり聞いた事ないが

209 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 01:01:12
歴史は多種多様な推理劇。
誰も見たことの無い、時代を考えているのだから人類の数だけの歴史観
それを何処まで真実に近づけるかなかなか難しい織田信長の評価も歴史
で重要視する資料、その歴史家の歴史観で変わるのだから。

210 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 03:16:03
相対主義ヴァカはけーん

211 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 01:40:24
信長を光秀が倒そうと考えるようになったのはいつごろからだろうか

212 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 12:40:51
>>以上の点から、織田信長を明智光秀が裏切った理由は、『源平交代政権思想』の裏にある平氏征夷大将軍の
阻止にあったと考えたのである

http://humanzu.hp.infoseek.co.jp/genron/genpei-koutai.html

213 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 15:10:51
司馬に影響されすぎよみんなw

ウマが合わない人間を重用はしないだろさすがに。
あそこまで大出世できたのはウマが合ったから。

214 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 20:29:01
すでに高柳光寿が50年前に「光秀は信長と馬が合ったからあんなに出世できた」と指摘している。

215 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 00:24:55
何度か名前が出てくる高柳光寿と言うのは誰よ?
知らないから教えてよ。

216 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:41:06
>>215
無精しないでぐぐれ。
高柳光寿は有名すぎるくらい有名な歴史学者だ。
いまでも一級の価値を持つ明智光秀の伝記を執筆している。

217 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 23:34:56
>>213
そういえば、昔のノブヤボの攻略本では
信長は個人的感情と才能は別個に見れたと書いてあったが
それなら、光秀以外にもウマは合わなかったが有能なので出世させた
という武将がいるはずだが特に聞いたことが無い。
ついでに言うなら、そんなにウマが合わないのに
何で光秀が信長のところに何時までも居たんだということも疑問だ。
やっぱり、実はウマが合ってたというのが正しいのかもな。

218 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:27:43
結局は光秀は最終的に信長を殺した。
最初は出世していたのだが。
最初、ウマが合っていたのだろうが
いつの間にか考え方ややり方に相違が生じてきて
確執が生まれウマが合わなくなり光秀が裏切る形
になったとするのが自然な推理かな。
そうするといつ頃からうまく行かなくなったのだろうか。
比叡山焼き討ちの頃だろうか、それとももっとあとだろうか。

219 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:22:34
『多聞院日記』に答えがあるよ。

220 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:33:57
>>218
俺と俺の上司の関係に似てるぜ

221 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:40:26
俺と俺の嫁さんの関係に似てるぜ

222 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 13:16:58
http://hp27.0zero.jp/533/sengokudai/

223 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 21:29:15
>>218
焼き討ちの功で坂本を得たし…、
信長自体は光秀をかなり可愛がってたんじゃない?

224 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:49:20
ヒント:四国政策

225 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 23:00:30
最後まで信長は光秀と相思相愛だったんだよ。でも本能寺の変前後だけもしかしたらやっちゃれるかも?という状況があったわけ。いくら調べても解らない理由がそこにある。だから本当に彼の個人的行動じゃないかなー。

226 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 00:03:20
光秀を追い詰めたのは、信長だよ!母親の死と引き替えにやっと治めた領地を取り上げられて、秀吉の指揮下になれとの命令に、堪り兼ね、張り詰めた糸が切れたんじゃないの?なんにも不思議な事は無いし、時は戦国、反逆は武士の意気地!

227 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 00:32:08
信長の最後は本能寺だったということを考えれば彼は日蓮宗に帰依していたのか?
それで浄土真宗や天台宗と対立していのか?

228 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 04:26:38
帰依という感じは違うんじゃないか? 真宗は過激だから、統治に邪魔。
天台も中世権威主義の権化みたいなモンだし、浅井朝倉をかばったりして邪魔。
キリスト教は西洋の文物取り入れられられるからオッケー。日蓮宗はおもだって信長に
逆らってないからじゃね。あと、城や居宅を京に構えない信長としては、駐屯するには寺が最適。

229 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 08:58:59
>>226
俗説並べ立ててどうするの。

230 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 11:24:47
平氏は清盛の時代、身内をどんどん昇進させ天皇家にも嫁を送りまくり
平氏じゃなければ人じゃないとまで言わせるくらいの勢いで天下を掌握した

源氏は元々坂東武士の棟梁的イメージがあったところに頼朝が幕府を開いて
坂東武士政権を樹立、だから清和源氏の征夷大将軍に政治的意味がある

室町幕府時代はこれらの混合
清和源氏で征夷大将軍で天皇の外戚、坂東武士の棟梁でありさらに公卿
源氏長者も足利から数人だしております

さて、これらを整理して
信長の場合、もうちょっと長生きしていればもっとはっきりしたであろうが
朝廷主導の天下を狙っていたものと思われるフシが多少見られる
後継である秀吉が摂関政治を世襲しようとしていたようにこれは多分織田家の
天下取りの最終形態だったはずであり
実際に信長は息子の任官にはかなり熱心だった

231 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 14:00:17
まあ、信長がその気になれば日本の皇帝にも成れただろうな

232 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 14:29:11
結局は謎だな。幕府はつくらなかっただろうが。

233 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 16:09:40
安土城に天皇をお迎えする予定だったんだよね?  信長は天守に住まい、  天皇を自分の下に置く  朝廷からすれば驚異、それは実現しなかったが、生きていれば、必ず実行したはず、

234 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 16:27:54
殺されるから実現しないって

235 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 16:58:38
信長は朝廷(摂関)だの将軍だの天皇だの皇帝だのといった、既存のものになる
つもりは毛頭ない。

236 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:08:30
おまいら信長に夢見すぎだから
普通に秀吉型の天下になってたろ
安土遷都はありえたかもしれんがな

237 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:13:01
「織田朝廷w」絶対に無理、本人に問題ありすぎ
人の上に立てるような器じゃないんだよ

238 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:14:03
信長の禁裏政策はかなり丁寧だったと思うけどな。
それに古風な事に関しても、全てを否定してるわけでもないし
まあ、新しい物好きで、害を為すと思ったものには容赦なかったのは強く感じるけどさ
禁裏も家康の使い方みたいにすれば、戦国で乱れた世を意識統一できるから
そのまま残したと思うけどなぁ。
まあ、天皇以外の公家についてはどういう殊遇にするかわかんないけど
嫌いな役立たずのぶら下がってるだけのポジションの人が多々居たから

239 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:14:32
逆だよ。信長の器には朝廷なんて小さすぎるんだよ。
何たってデウスになろうとしてたんだからw
ガンダムの機能がアムロの反射神経についてこれなくなったんだよww

240 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:17:18
デウス(創造神)なんて誰でもなれんじゃね?
日本人は死んだらみんな神仏、漏れでもなれるぞ

241 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:30:27
創造神と神仏いっしょにすんなよw

242 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:32:08
結局信長は平氏を名乗って清盛みたいになりたかったんだろ
信長は宗教も伝統芸能も保護してるし既得権益も結構保護してる
ただ公家衆はまちがいなくリストラかかっただろうが

243 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:33:52
ふと思ったが、信長って宗教なんなの?
神前の誓いだのを戦前は行ってたし、キリスト教改宗もしてなかったはずだし・・・

244 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:38:33
>>243 そりゃ無神論者でしょう

245 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:52:19
>>244
こらこら適当なこというなw

父親信秀が建てて葬儀を行った万松寺が曹洞宗
信長自身の葬儀は大徳寺で行われたけど臨済宗はじめ諸宗派での合同葬儀
みたいな感じ

当時の普通の人と同じ感覚をもった仏教信者ですよ

246 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:52:25
無神論者?寺も教会も作ってるわけだが

247 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 17:53:56
デウスになりたかったんなら、無神論者とはいえんな

248 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:33:11
「無神論者」というのはフロイスがそう書き残しただけだろ。
フロイスから見れば当時の日本人の大半は悪魔のしもべだ。
信長の宗教観が当時の普通の人間と比べて特に異常だったとは思えないな。
>>245の言うとおり仏事・神事はひとなみにこなしている。
珍しいところとしては自己神格化だが、生身の人間を仏や菩薩に擬した例は過去にいくらでもある。



249 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:33:36
信長は無神論者だと思う、キリシタンを優遇、保護した訳は、一向宗門徒や信者達を牽制するため、    清盛のようになりたいからじゃないよ!詳しい事は先生に聞いてくれ!

250 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:36:34
誰が先生なの?
原史料も読めない津本陽、秋山駿あたりか?

251 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:37:53
沢彦宗恩に「岐阜」の名前をもらったり、「天下布武」のスローガンも、
もらっているから禅宗(曹洞)に多少は傾倒してるんじゃないかな。
仏教はユダヤやキリスト、回教とは違い、絶対神を認めないから、
仏教徒は無神論者とは言えるかも。(浄土系は多少、色合いがちがうが)


252 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:41:43
信長は極めて現代人に近い感覚だったのでは?、当時の人達の感覚では、信長を理解できないでいたのではないのか?

253 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:51:31
>>252
桶狭間のとには熱田神宮に戦勝を祈願してるしね、
延暦寺の焼き討ちも前例があるし、全然、同じレベル。

254 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:52:42
>>252
仏教徒なのにクリスマスを祝ったり初詣行ったりみたいな?

255 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:53:31
現代人(ビジネス系作家)が無理やりに、
信長を現代人に近づけたがってるだけじゃね?

256 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 19:56:06
>>254
それは、今も昔も同じだろう。(神仏習合)


257 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:00:18
むしろ、現代人のほうが神仏習合などの
当時の信長たちの感覚を理解できんだろな。

258 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:02:44
岐阜の名の由来は、大河ドラマでやってた通りに中国で周の国が岐山によりおこり、天下を制したことにちなんだ名前だから、   天下布武を称するにふさわしい名前だわな!

259 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:17:05
もともと日本は多神教国家で、仏教徒でも神社などに参詣してるよね?    神仏を尊ぶ日本人の心がよくわかる!

260 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:20:06
信長の時代になるとかなり仏教のが強いけどな
信仰心という意味でも現代人とは比べ物にならんくらいの
宗教行事をこなしてるし全然感覚としては違うと思うんだがな

261 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:37:04
ある意味仏教はステータスだった訳で、位の高い僧から戒名やらなんやら、寺を作ったりする事で、人を殺しても極楽に逝けるとゆう武士の発想じゃないかな?

262 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:56:01
信長厨の馬鹿が1人で書き込み多数。

263 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:57:12
わかってないな、おまいら
仏教寺院が神社の中にあって、神社領を実質的に支配したり
僧侶が明治以降の禰宜の代りに祝詞も上げてた。
そもそも八幡大菩薩(応神帝・戦の神様)のように、神が仏の
形で習合されたのが神仏習合。鎌倉仏教(禅宗・真宗・法華)において、
仏教の教義が独自化された。でも、真宗や法華の戦闘力(組織力)に
注目した戦国武将(信長含む)がこれを利用、ないしは敵対。
鎌倉仏教以前と以後ではかなり神仏習合も違ってくる。スマソ・・・

264 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 21:15:13
当時の宗教勢力は戦闘力もだがそれより経済力のが大きかったろ


265 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 21:58:03
>>1
>戦国の覇者織と言われる田信長は

久しぶりに来てワロタ ww
もうちょっと校正をタダスク汁!

266 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 22:05:42
>織田信長は織田朝廷を創ろうとしていた

いや、議会政治

267 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 22:21:44
元々仏教は宗教というよりも一種の哲学からスタートしたから中東発祥の
啓示宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム)などと違って唯一神に帰依する
という発想はないので日本に限らず仏教が伝播した各地で地の民間信仰と
融合していった。

268 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 22:52:53
信長が考えていた統治の概念は天皇無しよ処か朝鮮中国を占領して当時の概念でいう所の中華王になろうとしたのかも。秀吉もその事を何となく聞いていて朝鮮出兵したのではないかと。ただし信長ならルソンから攻めたんでは?いずれにせよ失敗したでしょうけど。

269 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 23:03:53
>>268
まだ未開の地だった樺太やアラスカを占領してくれたらなぁ
少しは資源問題で悩まなかったかもw

270 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 23:22:18
中華王になろうとした時に、はたと気がつく

「天皇つーのがいたな・・・」

で、おじゃる丸連中はうぜーから最後通牒をつき付けたんじゃないかね?
本能寺の変の直前あたりに。

271 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 23:43:10
>>270
それはないわな、信長が叡山の朝倉・浅井軍の前にはりつけ状態になり、
窮地に陥った時も、朝廷に和睦の周旋を依頼したし、
本願寺とも和睦にも朝廷の権威が必要だった。
松平と同盟する前には、家康が朝廷から三河守の官位を貰うや、
信長も対抗して尾張守の官位を貰っている。
朝廷側に、信長に対する危機感があったなんて記録もない。

272 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 00:04:53
秀吉が朝鮮出兵したのは家臣に与える知行が日本国内ではなくなってしまったから
止むを得ず大陸に進出したと聞いたけどな。

273 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 03:46:32
>>268 秀吉はどこまで本気かわからないけど、
三国{インド・中国・日本}の統一王になると掲げてたらしいよ。
で、天皇については北京に居を置き、秀吉は飛び回って西洋まで攻め入ろうって
少なくとも天皇については自分の上{実権無し}において置くつもりだったようだよ。

274 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 13:57:59
>>273
安土城に、天皇の行幸を仰ぐための部屋を作ったりもしてるから、
朝廷を上に置く気持ちは、秀吉と一緒だろう。


275 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:21:04
>安土城に、天皇の行幸を仰ぐための部屋を作ったりもしてるから、
>朝廷を上に置く気持ちは、秀吉と一緒だろう。


「天皇を挨拶に来させるほどの権力者」という発想のできない人はかわいそうだ。

276 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 20:26:40
行幸だとしか考えられない発想もいかがなものかと
安土遷都の計画だとかは思わんのかね

277 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:03:59
行幸だとしか考えてないわけではないだろ


278 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:54:46
行幸を考えて寝所を作ったのは伊達政宗w
信長は安土城に常駐というのを構想していたと言われている。
つまり、大内と同じように遷都を画策したってことやね。

279 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:22:01
そういえば、将来的には大阪に城を建てるつもりだったとか聞いたが、
となると天皇はどうなるんだろう。実はそこまで見越して天皇を安土に押し込めるつもりだったとかw

280 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:29:54
>>279
話を総合してみればわかるじゃん

織田家で朝廷高官を独占&世襲
天皇陛下を自分の城に居住(つまり遷都)
ちょうど平清盛と同じようなことをたくらんでるんだよ

281 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:41:28
無理、前例がない。可能だったとしても、藤原、平家、足利と同じ運命になる。

頼朝が官位官職を辞した(朝廷政治からの離脱)ように信長も真似をしてみたが、
そこから先は何も考えてなかったんじゃね?

282 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:50:03
清盛は普通に遷都してなかったっけ?福原宮

283 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:33:08
>>275
信長にはそんな発想はないな、
熱田神宮だけでなく、いろんな神社に祈願したり、寄進をしている信長が、
神道の家元のような存在の天皇に、そんな態度がとれるわけもない。
だいたい、過去に苦境を切り抜けるためのすがった、朝廷による和睦は、
対立する両者より、より上位の権威による仲介(形式上かもしれぬが)により
効力を発揮している。


284 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:13:52
>>283
朝廷による和睦?
本願寺との和睦のことを言っているのか?
あれは「大坂では伊勢長島や越前府中のような虐殺はしない」ということの証人として天皇をたてただけだ。
実質は信長単独の軍事力で本願寺を屈服させたもの。朝廷の仲介に実質的な意味はない。
朝廷にしてもそれをとりまく公家や門跡、神主たちにしても信長の経済的援助でかろうじて露命をつないでいた。
それに当時は神道の家元は吉田家だ。天皇家ではない。


285 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:23:51
>>281
おじゃる丸どもの乞食まがいのたかりには
親父の頃から苦労させられたわけでさ、
めんどくせーから囲い込んじゃおうという発想かもね。

生殺与奪は足利将軍家のようにどうとでもなるしな。

286 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:32:54
公家たちの金品の無心なんて信長にすれば小遣い銭程度の出費にしかならんよ。
そもそも公家たちは徳政令や知行給与などの経済的な援助で自分たちの生活基盤を保障してくれた信長に感謝するばかりで恨みに思う要素などひとつもない。
実際、公家たちの中で信長に敵対する行動に出たものはひとりもいない。
正親町天皇や誠仁親王をはじめとして公家たちはひとり残らず信長にたらしこまれていた。

287 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:17:24
>>286
そんなことはないだろ、正親町天皇に誠仁親王への譲位を要求しても、
のらくらかわされていたようだし。
たらしこまれていたんなら、ハイハイと言うことを聞くんじゃない。

288 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:24:18
>>284
朝廷は経済的援助は当然と思って感謝もしないさ。
毛利元就や織田信秀のように、献金してくれる武将は
いつでもいたからね。(謙信も上洛時に多額の献金をしている)

289 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:44:47
織田朝廷なんて与太話し
信長は右大臣は辞任したけど位階はそのまま
つまり朝廷の構成している構成員
したがって、宮中序列に縛られている

本当に織田朝廷を作ろうと思えば
朝廷(天皇)から授けられた位階から自由になる為に
足利義満みたいに出家して、その上で朝廷以外の
権威から、自分の地位を認めてもらう必要がある

そこで義満が目に付けたのが、明の永楽帝
明の正朔を奉じて(明の元号を使用する)
永楽帝から、義満は「日本国王」という称号を得た

この時点で日本は明の冊封体制構成する国家の
一員となり、足利義満は、名実ともに日本の頂点に立った

ちなみに琉球国、朝鮮国、越国(ベトナム)、吐蕃国(チベット)等も
明の冊封体制を構成した国々であった

290 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:57:17
結局は>>280みたいな感じで
本能寺で死ななくて天寿を全うしたとしても
死後乱になったこと必至だったろう
信長生存時ですでに経済が硬直し始めてるから
生存時点で失脚する可能性も高いわな

291 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:03:31
「日本国王 臣 源 表す」

大明帝国皇帝の臣下である、王足利義満と言うことは
日本国王である義満は、明の皇帝の臣下であっても
天皇の臣下ではないという論理的帰結となる

このやり方だと、血まなぐさいやり方で簒奪を行わずに済む利点と
膨大な量の明銭を下賜される(もらえる)

当時の日本は自国で貨幣を鋳造してなかったから、明銭を独占出来た
足利義満は巨万の富を手中に出来た

292 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:13:42
>>50の見解が一番的を得ているな

>結局の所、徳川家等の世俗権力は、
>自身の正当性をなにかしらに求めなきゃならず、
>その役割を天皇が担った、と言う感じ

これが天皇=朝廷の存続し続けた最大の理由
実力支配者への正統性を保証する役割を天皇=朝廷が持っていた

これを否定する為には、天皇=朝廷以外に自身の正統性の保証を
求めること

だからこそ足利義満は、明の永楽帝に、自身の日本における
支配の正統性を求め、それに成功したから、天皇を超えて
「日本国王」となった

293 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:42:28
>>288 応仁の乱からは一時ほとんど無くなってるよ。
だから、天皇自らが物語の模写や書を書いて糊口を拭ってる。
戦国も中期以降、後期あたりで献金が始まって、少々楽になった程度。
献金についても丁寧に礼を述べた書簡が存在してるから相当感謝はしてたようだよ。
本格的には信長京入りと秀吉の大献金までは朽ちた御所で貧乏暮らしw

294 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 19:56:30
>287
既出だと思うが、譲位を言い出したのは正親町帝だよ。
応仁の乱以降、財政が逼迫して、代替わりの儀式も中々出来ないから正親町帝から数代前までの天皇は中々譲位できなかったし在位も30年前後と長かった。
朝廷の慣例で行けば、後継者がそこそこ大きくなれば譲位して、前帝は「治天の君」として、ある程度自由な立場から皇位継承を定めたりと朝廷を指導して行く、と言うのが本来の朝廷の姿。

信長のおかげで京洛も安定したし、財政面も織田家の援助が見込めるんで、本来の朝廷の流れに戻そうとしていたらしい。
が、なんらかの理由(これは信長側の意向だが、まだはっきり解明されていない)で延期になり、本能寺の変、と。
ただ、延期になった際も朝廷では譲位の動きは着実に進めていたけどね。



295 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 21:00:23
ザビエルとかに日本の王になっちゃえとかはそそのかされていたと思う。

296 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:05:42
ザビエルと信長は会ってない

297 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 05:18:27
フロイスね

298 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 08:41:56
当時の宣教師が信長に王になれとか言っただろうか。
信長が一筋縄で行かない男だと想っていたのでは?
傀儡政権にするには危険すぎることはバカでないの
だから分かっていたと想う。

299 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 09:22:50
信忠の息子二人はクリスチャンだっけ?宣教師もコツコツ仕事してるなー

300 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 14:19:00
>>295
そそのかされて、なにかするようなタイプではないな。
キリスト教徒がいろいろと役立つ内は、利用するだろうが。


301 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:02:47
小島道裕著「信長とは何か」(講談社選書メチエ)に注目。
誰か読んでみたら感想聞かせてくれ。漏れも読んでみる。

302 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:12:02
フロイスとか当時の宣教師の資料とか読むとかなり御人好しなイメージを受けたよ。
江戸時代直前・初期の宣教師と違って、もっと信仰に純粋というか
やり手ではなく、ただただ自分の教えの価値観で猛進してるイメージ
なので、本気で言っててもおかしくないと思うw

303 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:52:19
宣教師と一言で言うけど、実際には各人の個性はさまざま。
戦国時代に来日した宣教師でもコエリョのように、日本人キリシタンから
「何か罪滅ぼしがしたい」
と聞かれて
「帰り道に寺の前を通ったら放火しろ」
と言い放ったキチガイもいる。


304 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 08:32:11
>>301
戦国時代は地方分権の時代、そのなかにあって信長の目指したものは中央集権の確立であり
時代の流れに逆行するものであった。
そうした視点から見直すことでいろいろ見えてくるものがあることを教えられるよ。





305 :のりべん:2006/04/09(日) 08:34:36
織田信長は奥さんとセックスしたの?

306 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 08:45:24
>>305
そりゃしただろ。
側室には十何人も子供を産ませて、正妻とだけセックスしないとは思えない。

307 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 10:47:01
信長が中央集権の確立を望んでいたのか?
子分に土地の支配権渡してるぞ?
支配地域が広がるたびにお国替えはしているが
将来の支配地域まで示していたと思うが
畿内を直臣で固めて辺境に活躍した子分を配置という
普通の秀吉型と見るのが普通なんじゃないか?

308 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 11:18:57
濃姫は美濃から嫁いで間もなく死んでるよ。おそらく病気か何かで。多分当時その事に触れるのはタブーだったんじゃ、、

309 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 11:37:32
>>307
もっと勉強しな。

>子分に土地の支配権渡してるぞ?

大身にはちゃんとお目付け付きでね。
それに支配方法についても細々と指示を与えているよ。


>普通の秀吉型と見るのが普通なんじゃないか?

それが今までの考え方の盲点なのさ。
つまり時代の流れに逆行する信長のやり方が信長自身を滅ぼしたものの、
それを受け継いだ秀吉が天下統一し、さらには家康が幕府を開いたたことで、
あたかもそれが順当な流れであったかのように認識させられてしまったのさ。


もし信長の登場がなければ、日本は有力大名たちによる分割支配の下での
連邦制のような形になっていたかもしれないというのが「信長とは何か」の
著者の示唆するところさ。

310 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:57:35
信長の居る方向に足を向けて寝るな、だもんなぁ・・・・。

311 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:32:59
信長のようなおっちょこちょいが仮に大陸に進出出来たとしても女真の
ヌルハチにけちょんけちょんにやられていただろうな。

312 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:09:00
>>308
濃姫がすぐに死んだ、と断言する研究家はいないような気がするw

313 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 10:24:19
信長が生きてたって有力大名の連邦制だろ
まさか中国みたいな強烈な郡県制のような中央集権に
一気に移行できたとでも思ってるのか?


314 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 15:03:29
>>313
>まさか中国みたいな強烈な郡県制のような中央集権に
>一気に移行できたとでも思ってるのか?

だから、それをやろうとしたから殺されたんだろう。


315 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 12:25:39
信長は強力な独裁者になれると想っていたのだろうな。

316 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 13:08:27
郡県制って意味わかってるのか?
大名の子分を取り上げる以上の意味があるんだが
それやろうとするには全然環境も整ってないんだが

基本的に室町末期の混乱は貨幣経済の崩壊から来てるんだけどな
明から貨幣の輸入が停滞したのと関所乱発で経済大混乱
貨幣の価値が落ちたんでブツブツ交換が主となり結果秀吉の時代に
米を基軸にした米本位経済になっていくんだがな
だから検地などをして米の供給量を中央が把握する必要がでてきたんだが

独裁者を目指されていた信長様ならこれをどう乗り切ったんだ?

317 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 13:50:59
>>315
哀れな道化よな・・・

318 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 15:42:36
>>316
>独裁者を目指されていた信長様ならこれをどう乗り切ったんだ?

だから乗り切るも何も、それ以前に危機感を持たれ殺されたんじゃん。
ありもしないifを質問するなんてナンセンスだし、厨呼ばわりされるだけだよ。


319 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 16:25:56
>>318
信長のどういうアクションが危機感を与えたんだ?

320 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 12:52:55
>>319
記録にははっきりと残されていないのかもしれないが
言動の端々に出ていたのだろう。
また、たいしたミスもしていない部下を解雇したり、
恐怖政治が進んでいたのかもしれない。

321 :日本@名無史さん :2006/04/15(土) 16:19:46
ふ〜〜〜〜〜ん。
経済的にも消滅寸前だった朝廷に三千石供御したんじゃなかった?
朝廷を作ろうとしたんならそんなことはしないでしょ。
わかるように説明してくれ。


322 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 17:40:39
横レス。

公家を廃して、武威のある天皇の側近的立場を目指してたんじゃねーの?
武家と違って公家は長く存続してるからねえ。
とって替われれば、未来永劫権威を持って織田家は存続できる。
天皇を殺しても、源氏だ平家だって縁戚を名乗って天皇になろうとする輩が
出てきてキリがない。(源氏の征夷大将軍と発想は同じ)
天皇家は存続させ権威も維持してNo2の地位を織田家が永続できるようにし
たほうが賢い。(新しい天皇家と織田家による政治制度の確立)
公家には武威が無いから、根絶やしにしても縁戚者が後継を名乗って武力
抵抗することは無い。

信長が「不必要」と考えそうなのは、天皇ではなく公家の方でしょ。
天皇の権威は利用し甲斐があるが、間に挟まる公家の存在は邪魔なだけ。
公家がやったように、天皇の権威を損なわない範囲で傀儡できればよい。

323 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 20:27:14
>>322
>公家には武威が無いから、

確かに武威は無いが、その代わりそれぞれが学問諸芸についての権威を持っている。
その彼らを従わせ束ねることは権力者としての権威付けにもなるから、そうした彼らの存在は
決して不要なことではない。

>公家を廃して

むしろ武家と公家双方の頂点に立つことで、天皇を超える(指名する)権威を得ることになるだろう。


324 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 22:23:14
戦国の世に学問諸芸についての権威なんて何の糞の役にも立たないではないか。
比叡山の天台宗にしても大坂石山本願寺の真宗にしても僧侶でさえ武装した。
それが戦国の世なんだよ。

325 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 03:57:13
>>324
諸芸の中のいくつかにはそういう面もあるだろうけど、
戦国大名だって戦の合間に和歌を学び茶を喫し
能楽師を抱えて能を楽しんだという事実は覆せないだろ。

戦国の世は確かに血みどろな殺戮の世だけど、
324の断言はただの学習不足、見当違いだ。

比叡山の僧兵、南都興福寺の僧兵、平安時代からいたぞwww

326 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 06:11:46
>>324
>それが戦国の世なんだよ。

>>3245
>戦国の世は確かに血みどろな殺戮の世だけど、

それぞれに、
講談社選書メチエ『信長とは何か』小島道裕・著
を読むことを薦めるよ。

327 :古今伝授:2006/04/16(日) 18:00:52
326も戦国大名と文化について記した著作を読むように。

328 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 22:13:49
本の営業が来てるのかww

329 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 05:09:57
>>327
>326も戦国大名と文化について記した著作を読むように。

良い本を教えてよ。

330 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:15:29
本ならば図書館でいろいろ借りればよい。
館内でもゆっくり読める。
インターネットでもある程度調べられる。

331 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 18:29:23
光秀は本当の文化人
信長は無骨だが学問もあり理想も有ったろうがいかんせん独善過ぎ
秀吉は成り上がりの成金男

332 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:04:06
>>331
ここまで一方的で根拠のない思い込みだけで書き込まれたカキコも珍しいな。


333 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 11:30:20
すいません。
「邪馬台国はどこですか?」(鯨 統一郎著)という本に、信長の本能寺の
変は、明智光秀に頼んだ自殺だと言う説がのってました。
自殺の動機は、「天皇を越えようとしたけど、越えられなかったのがショッ
クだった」と書いてありました。
根拠は、正親町天皇に譲位を迫ったけど聞き入れられなかったのに、
信長は敗北感を感じたらしいです。

この説の信憑性はどんなもんなんでしょうか? けっこう有名な説なんで
すか?
このスレの上を読むと、正親町天皇はむしろ禅譲したかったと書いてある
ようですが。

自分は信長と言ったら池上遼一先生の劇画を読んだぐらいの知識しかないの
ですが、その劇画では、ラジャタイを差し出すぐらい、朝廷は信長に服従
しているように書かれてました。
実際、力関係はどんなものだったんでしょうか?

334 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:24:34
>>333
かなりマイナーな説です。信憑性はゼロに近いです。
朝廷は政治的にも経済的にも信長にべったりと依存していて、信長に反抗することなどは想像もできないですね。

335 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:11:21
>>332
そうでもないぞ。
信長マンセーの書き込みはほとんどが一方的で根拠のない思い込みだけ。

336 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 13:51:24
ラジャタイ?らんじゃたいの事か?

337 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 16:53:37
>>335
少なくとも、光秀が穏健な文化人で信長は既存秩序の破壊者というのが一方的で根拠のない思い込みなのは確か。
光秀が信長と既存秩序の破壊という価値観を共有していないければ信長が光秀をあそこまで出世させるはずがない。

338 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 17:15:17
>>334
いやいや、織田信長も朝廷にべったりだよ。
なんかやばくなるとすぐ朝廷に泣きついているし。
天正八年の石山本願寺との講和、
天正九年の織田信長と織田信忠らとの不和とか。

339 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 17:57:14
>>338天正九年の織田信長と織田信忠らとの不和とか。
kwsk!!

340 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 10:38:54
織田信長は日本の武将の中で最も開明性を持っており
新しい時代を開く寵児となりえただろう。明智光秀は
当初、そのような信長が新しい日本を創る英雄に写り
家来になったのだろう。
しかし、信長のマイナス面である、独裁性、他者への
不寛容等でぶつかり合うことが多くなったと推測する。
そして、本能寺で爆発することになったのだろう。もし
信長に家臣の言葉に耳を傾け、許しの心をもっと持って
いれば,優れた支配者となり平和だがこじんまりと
まとまった江戸時代と違う歴史が開かれた子だろう。

341 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 11:15:03
>>340
訂正
最後の一行
× 開かれた子だろう。
○ 開かれたことだろう。

342 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 13:23:14
信長、秀吉、家康などの東海大名の裏には伊勢や熱田神宮の意志があった
んじゃないだろうか?日本統一って感じで。

343 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 14:26:50
信長は中国古来の形式、禅譲とゆうかたちで天皇になろうとしたのではないか?実権のある朝廷を築くために!

344 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 15:02:31
それをしようとして殺されたということで




終了

345 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 15:39:01
当時の天皇には公家衆の頭領という程度の権威しかない。
信長が天下人より格下の天皇などにわざわざなろうとしたとは思われない。


346 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 15:46:21
天皇はそのような格下のものではない。
でなければ、秀吉が関白をほしがったり
家康が征夷大将軍とか冠位を朝廷から
もらおうとするはずがないではないか。
武力だけでは統一できないことを
彼らは知っていたのだ。
それだけ天皇の権威は会ったことになる。
武力的には力がないにしても。

347 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 19:01:02
権威があったら、即位費用に困る事もないなww
みんな皇室のことなんて忘れてたんだよ。

348 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 19:43:03
衰退していたとはいえ朝廷は武家にとってなくてはならない大切な存在。臣下である武家が天皇を尊ぶのは当然、、信長は、官位を与えるだけの飾りもの朝廷をより権力化し、まさに王政復古の大号令を天下にしらしめ自らが天皇を名乗る事を欲したにちがいない。

349 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:46:12
当時の一般的な日本人が天皇の権威に気づいたのは、関白に就任した秀吉が天皇にぺこぺこ頭を下げて、天皇は偉い人なんだ、と全国にアピールするようになってからだろ。
それ以前は単なる「官職を発行する家元」以上のものではなかっただろう。
信長の認識もその程度と思われ。
いったんは天皇にぺこぺこするポーズを取ってみせた秀吉も、のちには後陽成天皇を北京に移して日本の天皇には八条宮を、なんて勝手なプランを朝廷には事前になんの相談もなしにぶちあげているから、内心は天皇なんて馬鹿にしていたんだろうな。

350 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 18:51:36
先日,NHKの『その時歴史が動いた』を見ていたら
信長は日本統一が終わったら明に攻め入ろうとしていたようだ。
信長が目指したのは世界の帝王?

351 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 18:56:47
秀吉じゃなくて信長が朝鮮に兵を出していたかもな

352 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 22:16:11
足利義教がヒントになるな

353 :平民バカ:2006/05/05(金) 23:32:02
天皇のことを忘れていた。
なんてのはニッキョーソとか犯罪者の子孫のデマ。
侍ってのは刀装備して修行に明け暮れれば良いってもんじゃない。
ルーツをたどれば天皇家と繋がりを持つ、皇室の守護者。それが侍。
およそ侍で皇室を意識しない者はいない。
それは百姓でも同じこと、神社の祭囃に伊勢や出雲の歌詞が含まれる。
伊勢や出雲と天皇家の関わりを知らない奴は居たことは居たかも知れないが、九九を知らない中学生ぐらいのレベル。

354 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 00:03:59
謙信が上洛した折、正親町天皇から天杯と御剣を賜り感激したことは有名、
その際に多額の献金をしているが、献金の多さでは毛利元就や信長のおやじの信秀も有名。
まだ徳川と同盟してないころ、家康が三河の守の官位を朝廷から得るや、
それに対抗して信長も朝廷から尾張の守にしてもらっている。

信長は正親町天皇の掌上から出ることは出来なかった。

355 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 07:31:13
え!?ちがうだろ↑   同盟とか対抗とか桶狭間以降の歴史認識がたりないね、先生に聴いた話?

356 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 15:07:01
>>354 すまんが、上杉謙信は幕府の将軍に対しての念が強くて、朝廷は二の次だった人なんだけど
上洛の際の大義名分や対応など資料で残ってるので見てみるといいよ。
まだ、武田信玄の方が朝廷を立ててたってのがわかると思う。

357 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 22:07:36
謙信が御剣をもらったといえば、
天下三槍のうちの一槍「日本号」を
正親町天皇が将軍足利義昭に褒美として与えてるね。
(その後→織田信長→豊臣秀吉→福島正則→母里太兵衛)

朝廷には業物が集まるのだから、売り払えばいいのにね。
信長が求めた秘宝である香木なんか一片でも巨額の金になるのだから
香木まるごと一本とか正倉院の宝物を全部売れば荘園なんていくらでも買えただろうに。
このころの宮廷の主な業務って有形・無形の文化の保存や伝承だよね。
政治参加は政治家に要請されたときぐらい。自分の意思で停戦させた戦も文化保持がらみだし。

358 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 22:19:11
そういえば日本号って所有者がどんどんランクダウンしているな
最後は酒勝負に使われているし朝廷所持の槍といっても所詮その程度の扱い
どうりで朝廷が貧乏だったわけだ

359 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 22:29:33
全部、天下人の相伝だよ。
小田原城責めの軍功で福島正則に褒美として与えられたのは破格の恩賞。
母里太兵衛が伏見城内の福島邸での酒宴で呑み取ったのは、福島が酒に酔っていて
判断を誤ったからで、渡すつもりは全くなかったのを知らんの?

360 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 22:31:11
一番得した人間が犯人だというのはかなりあたってるらしい。

361 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 23:02:27
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が勝利していれば、一番の得(利益)を得るので
柴田勝家が犯人になるという論理ですね。

利益の回収なんかが因果関係にはなり得ないのに。

362 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:29:06
>354確か家康は、信長の推挙により三河守を受領したのでは?

363 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 01:41:36
馬鹿だね。
田舎者は任官できない言われ、近衛前久に頼んで吉田兼見の悪知恵で藤原の流れを詐称して
三河守を得たんだよ。

364 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:57:36
織田家って元々越前の織田剣なんとか神社の出のはずだろ?

365 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:16:26
織田家の家系図関連のサイト
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/oda_k.html
剣神社のは異説に属する

366 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 17:58:13
公家を抱き込めば、あとはどうでもなる、朝廷には金がなく貧乏公家の口添えがあれば飾りもの官位などぽんぽん与えてるよ!

367 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:03:31
家柄がないと金があってもなれない役職もある。

368 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:22:03
家柄も金があれば手に入る
農民出身の秀吉がいい例

369 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:30:29
織田朝廷ってwwwww
矮小化されすぎ。勘違いすぎ

信長は自ら神であると自認した
つまり、人間界のあらゆる仕組みを超越した
新しい世界そのものを創造しようとしていた
これが正解

370 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:32:03
>364-365越前に入封した勝家の発給文書に「織田寺の儀は殿様御氏神に付、……」ってなかったっけ?

371 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:53:14
信長は神主さんになりたかったんだよ。八幡神社も建立してるし。

372 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:56:18
信長公は新たに社殿を造営することを思い立ち、すぐさま山城国内で代官を務める武田佐吉・
林高兵衛・長坂助一を召し寄せた。そして末代まで腐らぬように長さ六間の樋を金物製の鋳物五本で
作り上げるよう命じ、また大工の棟梁や諸職人の頭たちが余分に費用を取ってあらぬ浪費をしたため
ろくに作業が進まなかった前例にかんがみ、しかるべき作料の他には少しも費やすことのないよう
各所に奉行を配したのだった。その上で信長公は、造営が半刻でも早く完了するよう念を入れて作業すべき旨を
固く命じたのであった。(公記・天正七年記)

373 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 22:27:41
仏僧への皮肉じゃなかったっけ?
当時はカルト集団や詐欺を行う売僧が横行していた。

374 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 01:36:58
>仏僧への皮肉じゃなかったっけ?

晩年の信長は、浄土宗を贔屓してるけどな。

375 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 02:51:19
神の血統なんて権威超えるには、
神になるしかないじゃん。

376 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 23:03:31
>>375 神の血を一族に引き込むのが常套手段ですがw

377 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 00:36:21
三戦板の信長スレのレベルの高さに驚いた。

378 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 03:28:09
>三戦板の信長スレのレベルの高さに驚いた。

激しく同意した。史料性の高さといい、ゲーマーならでは執拗。熱いな、あれは・・・。

379 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 04:31:46
それに対してここの信長厨のレベルの低さと来た日には……

380 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 11:47:41
>>369
それだと麻原レベルの偉人ってことだな。

381 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 12:42:26
レベルってなんだよ!?ラベルか!?

382 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 16:21:21
>>380
信長=麻原が証明されましたね

383 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 16:56:42
おまいら信長に夢見すぎだから

384 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 17:17:29
別に夢なんかないよ!生きざまが好きなだけだ!  人生は一瞬で終わるはかないものだからこそ、精一杯がんばると教えてる。

385 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 17:51:51
大量虐殺をこよなく愛するお方が御訪問の模様です。

386 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 18:59:41
なんていうか、天皇は日本っていう土地の持ち主みたいな感じで、
関白やら将軍やらはその土地の管理人みたいな感じだったんじゃねーの?
野球チームのオーナーと監督みたいな
監督ってあんまりオーナーになりたがるやついねーだろ

387 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 12:14:53
                   r、ノVV^ー八
                 、^':::::::::::::::::::::::^vィ       、ヽ l / ,
                 l..:.::::::::::::::::::::::::::::イ      =     =
                    |.:::::::::::::::::::::::::::::: |     ニ= 信 そ -=
                  |:r¬‐--─勹:::::|     ニ= 長 れ =ニ
                 |:} __ 、._ `}f'〉n_   =- な. で -=
  、、 l | /, ,         ,ヘ}´`'`` `´` |ノ:::|.|  ヽ ニ .ら. も ニ
 .ヽ     ´´,      ,ゝ|、   、,    l|ヽ:ヽヽ  } ´r :   ヽ`
.ヽ し き 信 ニ.    /|{/ :ヽ -=- ./| |.|:::::| |  |  ´/小ヽ`
=  て っ 長  =ニ /:.:.::ヽ、  \二/ :| |.|:::::| |  /
ニ  く. と な  -= ヽ、:.:::::::ヽ、._、  _,ノ/.:::::| | /|
=  れ.何 ら  -=   ヽ、:::::::::\、__/::.z先.:| |' :|
ニ  る と   =ニ   | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::.|'夂.:Y′ト、
/,  : か   ヽ、    | |::::::::::::::::::::::::::::::::::::_土_::|  '゙, .\
 /     ヽ、     | |:::::::::::::::::::::::::::::::::::.|:半:|.ト、    \
  / / 小 \    r¬|ノ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| \




388 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 16:35:44
>>386
天皇は日本の土地の持ち主ではないな。そんなイメージも無い。
信長は全ての土地を自分の物にしようとしていたかもしれないが。
自分を神と勘違いしていたかもしれない人だから。

389 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 17:40:19
>>388
「自分を神と勘違い」していたのなら相当な誇大妄想で麻原と同レベル、
というか病気なので殺してあげるしかないわけだが、
それ程バカではなく、親父ゆずりの勤皇家だろう。

390 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 21:30:05
単なる虐殺魔だろ?

荒木一党惨殺
 12月13日辰の刻に尼崎近くの七松という地で百二十二人が磔にかけられることとなり、
刑場へ向け人質たちが引き出されていった。さすがに歴々の上臈衆であり、いずれも美々しき衣装を身にまとい、
すでに命叶わぬを悟って美しき姿で静かに居並んでいた。
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

※直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
その惨状に誰もがふた目と見ようとはしなかった。


391 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 06:15:09
虐殺なんてほかの人らもしとるよ

392 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 02:34:13
虐殺は日本では少ないが外国では多かったようだ。
一つの都市を全滅させるようなこともしばしばあったようだ。
それに比べると日本の武士は信長も含めてかわいいもののようだ。

393 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 05:29:09
快楽殺人者ではないけどトンデモだよねぇ信長って。
まあそんな一面も含めて好きさ。


周りには絶対いないで欲しいけど

394 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 12:28:16
376<
それじゃあ、同化なんであって越えた事になんないでしょ。
秀吉は明神、家康も権現なってるくらいだから、
なんか考えてたとおもうよ。

395 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 13:19:44
安土城の本丸御殿が内裏の清涼殿とそっくりの造りだった。
ただ間取りは同じだが、東西の配置が逆になっていた。
日の出を迎えるべき御帳の間が西側だった。
ってどんな意味があったんだろう。

396 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 14:15:33
畿内を抑えた信長。これ見よがしの虐殺が、今後敵に動揺を与え、降伏や内応、
切り崩しに有効であるとの見識があったのだろう。

397 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:21:46
>>396
そのようなことを目的に虐殺したのは伊達正宗もやったが
信長も正宗も成功したといえるだろうか。
恐怖政治はいつか破綻するような気がする

398 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:44:21
というか、破綻したよな。
信長が世界を目指すと思っている奴らって思考が破綻してる。

399 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:50:20
信長=比叡山、一向宗などの当時のアウトサイダーを弾圧。

家康=服部半蔵に代表されるように当時のアウトサイダーから支持された。

400 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 00:34:01
叡山や本願寺、一揆は当時の主流では

401 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 01:56:10
一向宗門徒のものは権力に対する自分たちの生存権を主張する戦いとして
一揆と見なしてよいと想うが比叡山の僧兵の反乱は一揆だろうか。
単なる宗教気取りが自分が一番偉いと勘違いし暴れていたのではないだろ
うか。信長とどちらが支配者になるかの権力者同士の争いだろう。

402 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 02:02:16
一方秀吉はローマ教皇になろうとしていた

403 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 11:54:41
>>397
政宗は確か輝宗の仇じゃなかったか?

404 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 12:53:40
>>401
>自分が一番偉いと勘違いし暴れていたのではないだろうか。

信長のことですか?

405 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:36:19
相手の意見を良く読みましょう。

406 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 11:03:08
悪大将、夕里弾正の反乱を知った織田信長は居城清州から小人数を率いて京の都へ急いだ。
しかし、その道筋には、弾正に味方する根來の忍者が、恐ろしい怪獣を操って待ち構えている。
道中の無事を願う信長は、飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。
その名は・・・・・・赤影参上!!

http://www3.pos.to/~locutus/link/aka3.ra


407 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 16:17:38
信長は天下統一後、織田政権をどう維持するかなんてことは考えてなかったんじゃないの?
自分が死んだ後のことなんて興味ない。自分が生きている間、自分だけが面白ければそれでいい。
息子たち織田家がどうなろうと知ったことじゃない。そのへんのことはおまいらが自力でどうにかしろ、って感じ。
信長はあくまで攻めの人生をまっとうしたいだけ。守りのことには興味なし。

本能寺のころ信長が考えていたことは、
そろそろゴール(天下統一)が見えてきたが、その後どうするか?
「統一したらやることなくなっちゃうな」
ここでいう「その後」とは、「天下をどう治めるか」ではなく、次の軍事目標。
だから統一の形式的なことは曖昧なままうっちゃって(実を得ていれば名はどうでもよく)、
朝鮮や中国でも攻めてみるか? それとも南蛮人がゴソゴソやってる南方にでも乱入してみるか?
「どっちが面白いだろう?」

そんなこと考えていた矢先、
「まさか光秀に命取られるとは思わなかったが、まぁまぁ面白い人生だったな」と苦笑しつつ自害。

408 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 19:37:28
>>407
それは漫画とかドラマの信長像では?
武田信玄とのやり取りなんかを見ても、信長は自分が劣勢の時はあくまでも慎重。
まあ、勝てると踏んだ時の勢いは凄いものがあるが。

409 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 21:37:32
信玄か謙信、どちらかが存在しなければ、天下はその者の内にあったと学者は言う。
戦略の才能は信長以上であった2人だが、両方とも日本的な内治の才があり、
信長のように革新的で破壊的な権威否定は行わなかっただろう。
信長の凄さは、世界基準の先進性。世界初の軍艦や鉄砲の大量受け入れ。
既存宗教権威の否定と国家元首の絶対主義、楽市楽座などによる自由市場経済の
有効性。信長は300年後の日本が直面する大問題を既に見据えていたと思う。


410 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 21:45:26
↑うわ〜、漫画ワールド全開だねー!おぇっ^^

411 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 21:53:20
>>409
その学者の名前をうかがいたいものだ・・・おぇっ^^

412 :日本@名無史さん:2006/06/02(金) 22:32:50
>>409
現実としては、信長は本能寺で討たれたわけなんだけれども、
本能寺が無くあのまま、信長を長とした日本の政権が成立したとしていたら
実際のところ、どんな政治体制を信長はとっていただろうか?まっスレタイそのままだけどw
現代の俺たちは信長の革新的な面、奇抜な面をとらえて、織田朝廷のようなものを成立させるのでは?と思いがちだが
案外、日本的な武家による政治体制を取ったという可能性もあると思うよ。




413 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 11:48:19

◇浅井長政 → 戦さ最中の同盟反故、及び、退路を塞ぎ背後から追撃
◇松永久秀 → 突然の戦線離脱と無断帰還、及び、反旗を翻し篭城す
◇荒木村重 → 命令不服従と篭城、及び、敵将に内応す、完全な謀叛
◇明智光秀 → 用意周到に、無防備の主君の寝首をかき、嫡子も誅殺

下克上の戦国時代とは言え、無防備で就寝中の君主の寝首をかく奴は、卑劣である。
極端な言い方をすると女子一人でも枕を共にすれば、充分やれる暗殺なのである。

光秀は真夜中の3時過ぎに、本能寺の周りをがっちり囲み、一斉に本能寺に火を放って、
信長を誅殺したわけだが、味方の寝込みを襲うような奴は、以後誰からも信用されなくて
当然だと思うし、細川や筒井らは、賢明な選択をしたと思う。


414 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:22:09
大航海時代に入ったかもね。
儒教的な商人蔑視してないから。

415 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:23:33
信長はいくらなんでも裏切られすぎ
弱いから、恩賞が出せないから、裏切られたという人間は多いが
信長はそういう事情と無関係で裏切られまくる特異な人間だろう
でも三成と違って人望がないとは言われないな

416 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 02:40:35
信長は独創性が秀でているから付いて行けなくなる人が嫌がる。
また、信長は人の意見を聴かないからそれでも嫌がられる。
また、信長は帝王を目指していたのだから嫌がられる。
殺されても仕方が無い。
家康や光秀は平和で皆が幸せな世界を創りたい。
相容れなかったことが信長の不幸の始まり。
信長に人の話をきくことと他人への思いやりがあれば
もっと違った日本が出来たことだろう。

417 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 03:04:45
>>413
そんなに簡単ではない。
すでに織田家の家督を相続し、一方の軍団長でもある信忠を同時に始末しなければ、
天下を狙うどころか自分の身がすぐに危うくなる。
信忠は少なくとも2千を超える手勢を連れていたので、
関が原の島津義弘のように脱出される可能性もあった。

細川や筒井らは日和見をしていただけなので、秀吉「大返し」がなく、
光秀に時間がもう10日ほどもあれば、既に丹波・山城・近江を
制圧した光秀の圧力の前には従うしかない。


418 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 03:13:18
朝廷なんざぶっ潰せ!!!!





419 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 04:16:22
>>418
自分に出来ない事を他人に期待するような奴は男じゃない

420 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 04:24:16
信長は、そんな事(朝廷はいらぬとか、それを匂わせる発言)は言って無く、文献にも存在しない。完全なフィクション。
逆に信長は、朝廷に莫大な寄付を献上し、天皇御子を養子にし、天皇の安土への行幸を目標にしていた。
天皇の行幸の為の宿すら多額の資金で安土に建築。
勅使に返答しなかったと言うが、逆に片手間で返答する方が失礼にあたり海外進出への支持を取り付けたい意図もあるし、出向くのが当たり前。
この時期には、まだ天皇に逆らう事は出来ないと歴史家も一致していて、これを反朝廷とみるのには飛躍しすぎる。
信長が自ら王を名乗ったと言う記録は日本には存在しない。宣教師の記録のみ。
しかし宣教師は足利家を国王と記録、報告してるし豊臣、徳川、に対しても同じように国を統治する君主。すなわち王であると。

また、宣教師は天皇に謁見を願い出たが僧=聖職者とは認められずに拒否された。
この事から足利家を国王としたとも言われてる。何かに似てないか?そう徳川の判子を国王と勝手に偽造した朝鮮の使者に似ている。
宣教師=朝鮮の使者と同じと考えても良い。
また、別の宣教師は天皇をローマ法王と同じ呼び方に訳している。      


421 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 04:25:55
さて>>420を観て時代考証してみようか。
●当時、一向宗との戦いが天皇の勅命により、本願寺を明け渡した、
これは宣教師にとって凄い事で本願寺と寺内町(今の大阪城)はカトリックにとってのバチカン明渡しなのだから。
また、当時は高野山や天台宗の座主は天皇一族の出身しゃがしめ最高法要が天皇関係。
日蓮系は尊皇を掲げ、日蓮宗は皇祖の座する伊勢神宮への参拝を僧に促した。
一向宗は聖徳皇を掲げて天皇一族を大切にせよとしていた。
信長は伊勢神宮や三種の神器を祭り皇室との関係が深い熱田神宮にも多額の寄付をしていた。熱田神宮を出陣式の地ともしていた。
●時代考証2
当時、キリシタンは多くの仏教寺院、仏像、神社を数万点もの破壊していた。
仏教徒は怒りキリシタンと戦ったが、その力は思いの外、強くキリシタンは。宣教師にしてみれば、あの一向宗や延暦寺の残存兵を勅命一つで引かせる天皇は都合が悪い。
さらに、この頃の武将は皇胤を多く信長も桓武天皇の子孫を自称していたし、東海地方の豊川稲荷と言う天皇の子の寒厳禅師が法祖で皇胤が開祖の寺が信仰を集め、菊紋のかがれてる 皇室出身者が貫主の善光寺が毎年、何万もの信徒を伸ばしていた。
●前に宣教師に謁見を拒否されてる。当時はキリシタンと戦う仏教。
信長の逸話や報告には宣教師の“希望”が含まれたと見て取れる。
しかし宣教師の記録にも信長が「朝廷を要らぬ」と言ったなど書かれて無い。
《日本語や文化な不慣れな宣教師の希望が含まれた訳文→それを日本人が訳す→それを小説家が空想→テレビが肥大解釈した。》
最近のNHKは天皇を軽く扱う事に普請していて、義経でもフィクションを出しまくり、
功名が辻では信長が朝廷への莫大な貢献を書かず、信長の宗教勢力との戦いに調停役を努めたりを無視したりね。
フィクションを拡大して史料に無い事を広げようとしてるとしか思えない。
また、徳川は自ら神とし東照宮を創った。諸法度で天皇を縛った。
少なくても信長は徳川より朝廷を重視していてた。信長は精々、朝廷を徳川なみにして海外進出を支持を要請した程度。


422 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 04:32:24
まぁ、確かに徳川も神として東照宮をこしらえたくらいだからな

飛躍して小説に影響されすぎかもな


423 :日本@名無史さん :2006/06/06(火) 11:45:24
信長が結構、朝廷を重視してったのには、賛成。
よく徳川幕府をローマ帝国と比較したりするけど、言ってしまえば織豊政権ってローマ帝政前のシーザーとかいた巨頭政治みたなもんじゃなかったのかな。
信長に国内統治の奇抜なビジョンの有無はあまり問題じゃない。
家康が三河の官僚機構を幕府に応用したように、当時の信長の占領政策そのものが彼の統治モデルそのものだったと見ていいと思う。
つまり、占領軍がそのまま占領地の統治に横滑りするってシステム。
それができたのは、兵農分離の徹底あってこそだと思うし、十分先進的。
でも、当時の武士(というより兵士か)はまだやっぱし国人や農民と区別しきれない部分が残ってたろうし、占領地がでかくなればなるほど、無理が来る。
美濃やら坂本やらの比較的都会人だったであろう国人で構成されていた光秀軍団が、神話の国である田舎の出雲にいって来いって言われる訳だから。
おそかれ早かれ、どっかで破綻は来たんだろうなぁと思う。


424 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 12:10:03
新参者です。私の空想にご意見お願いします。
空想1 信長はどのようなポジションを希望したのか? 将軍は武家の親玉、摂関は
貴族の親玉。信長は日本人の親玉、つまり全日本人の指導者になりたかったのでは?
そこで帝との上下関係が問題となり、信長は失脚したのでは。
パソコン初心者なのでヘタ文ですみません。

425 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 12:14:44
>>424
同感。
それが「天主」であると推測する。
だからといって朝廷を滅ぼそうとしたのではなく、天主の下に天皇があるみたいな。
安土城はそれを目に見える形で示そうとしたものだと思う。

426 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 12:39:52
424です。安土城の天主閣は単なる祭壇のような気がするのですが....?

427 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 15:51:34
天守の2層目には普通に生活用の座敷があったようだな。
本丸は天皇行幸時の宿泊用という気がする。
そして、本丸は西向き。
にしには天守。
目に見える形というのは同感だ。

428 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 18:44:05
空想その2 信長の後継者は?世襲制をひいたのか?信長はよく芸術家にたと
えられます。作品は彼の作った理想の体制。その作品を身内だからと息子たち
継がせるのか?今、ボンヤリと考えています。

429 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 03:02:55
信忠に官職をしきりに与えようとしていたのは史実にもあるから、既存の権威を利用した世襲制の効果は認めていたと思うよ。
しかし、一族や織田譜代の家臣より浪人上がりを重用したり、家康をしきりに接待したりという点を見ると、
たしかに彼が世襲制がベストと考えていたかは疑問。
「敦盛」を好んでいた所からも彼はもっと達観していたように思う。
織田家による国家統治という体制を永続的に残したいなら、もっと堅実な人材登用を採ったと思うし、
現に織田一族は秀吉や家康よりもまっとうな家系で一族も多かったはず。
彼は、自分がつくった一つの体制を永続的に残すことに執着していなかったのではないだろうかと思う。

信長は猜疑心がかなり強かったとよく言われ、「与力」という制度も半ば監視役だったとのこと。
そんな彼が僅かな手勢で本能寺に泊まり、襲われて逃げるのではなく、自害した。
彼は国家統治や官職が目的だったのはなく、今で言う「自己実現」を目的にしていたのではないか?
つまり、「どこまで突っ走れるか!?どこまで拡張できるか!?」みたいなw
だから、光秀に襲われた時点で自分の構想、というか、自分の「傾きものぶり」はゲームオーバー。
ポジションや体制なんかはあまり重要視しなかったんじゃないかな・・・。
戦争や政略をつぶさに見ていくと、彼の選択は合理的で慎重で、シンプルなパワーポリティックスに準じていると思うから、
ぶっちゃけて日本がどーなろーとどーでもよかたような気がする・・・。

430 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 03:10:24
信長が敦盛を舞ったというのは織田は平家からの伝説だろ

431 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 05:14:00

小学校(某地方)の教科書より

織田信長 (1534-1582)
ポルトガル出身。キリスト教を日本に広めた中世の宣教師。

違 う か ら ……


432 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 09:00:41
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│河│滝│稲│池│佐│不│柴│金│高│明│堀│中│丹│蜂│羽│前│
│尻│川│葉│田│々│破│田│森│山│智│││川│羽│屋│柴│田│
│秀│一│一│恒│成│光│勝│長│右│光│秀│清│長│頼│秀│利│
│隆│益│鉄│興│政│治│家│近│近│秀│政│秀│秀│隆│吉│家│
└─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┘

433 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 09:02:29

┌───────────────────────────────┐
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│新│吉│石│藤│久│後│道│辻│小│加│矢│安│高│亀│田│紺│
│垣│澤│川│本│住│藤│重│希│川│護│口│倍│橋│井│中│野│
└─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┴─┘


434 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 04:27:52
漏れは朝廷陰謀説派。
信長は朝廷や天皇を滅するつもりはなかったが、下におこうとした。
だが、それは朝廷や天皇にとって断じて受け入れることは出来ないことであった。

435 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:56:29
余が朝廷なんざぶっ潰す!!!!

436 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:59:50
日本史板のレベル

938 名前:日本@名無史さん :2006/06/10(土) 00:50:40
東宮って「ひがしのみや」「とうぐう」どっち?

「とうぐう」ならなんで皇太子だけ「ナンタラ宮」って読まないんだろうね

939 名前:日本@名無史さん :2006/06/10(土) 01:37:20
>>938
いまでも称号は浩宮ですよ。

941 名前:日本@名無史さん :2006/06/10(土) 01:43:00
>>939
じゃ東宮って何?


437 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 01:32:33
大河ドラマ「功名が辻」を見ていると信長は自分を神だと思っていたようだね。
どうせ、ドラマだけど本当の信長も近いように思う。
明智光秀によって日本は守られたと私は信じている。

438 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 11:02:21
>>437
誰の日本なのか?って問題になるね。
信長も日本人だし、朝廷も日本人だしね。

439 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 14:10:33
>>437
心配いらない。
仮に信長が神として朝廷を開いて今に至っていたとしても、
今頃お前はその信長朝廷をマンセーしてる。

440 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 15:43:12
>>439
結論を言ったら会話が成り立たなくなるぞ

441 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 15:55:35
>>433
お前そんな援交、枕女がいいのか


442 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 22:26:01
明智光秀って官僚タイプの優等生ちゅーイメージが強いけど、おれには幕末の
清川八郎とダブるな。策士で武勇もある。信長も光秀と出会った後、天下布武に加速。
二人とも道三の愛弟子と呼ばれるだけはある。

443 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 22:23:59
>>437
そもそも無神論者は神を信じない。
無論、自分を神だと思ったりもしない。

人は人。鳥は鳥。魚は魚。生と死。是と非。
正しく認識しているからこそ、言う(是非)に及ばず。なのですよ。


444 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:15:05
織田の最盛期の総兵力てどれぐらいですか?六万ぐらい?

445 :日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:54:40
20万。

446 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:02:56
マジ?そんな強大だったんだ。

447 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 11:19:56
433>>同感ス。ただ、信長は無神論者というよりルネッサンスの人間主義者の
ような印象がある。



448 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 15:54:51
上のミスです。433でなく443氏へです。

449 :日本@名無史さん :2006/06/21(水) 17:34:17
>>444
10万強だろう。





450 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:16:38
>信長は朝廷や天皇を下に置こうとしていた

今だったら右翼に滅茶苦茶攻撃されていただろうな。
安土城の周りに街宣車がw

451 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 15:34:01
天皇も結局は豪族達の統合同意で据えられた安定用権威だからな
信長が志向したような
全てを独裁する個人崇拝体制は日本の歴史上存在しないし、今後も有り得ない

452 :日本@名無史さん :2006/06/23(金) 20:10:31
日本にはいないけど北朝鮮には現在君臨しているな、そのタイプ

453 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 03:33:44
>>452
だとすれば(ドラマの功名が辻でもそうだが)信長は誇大妄想自己本位のアホ
光秀はそのアホを倒した英雄と言うことですね。
私は本気でそう思うけど。光秀は命を掛けてそれをやったと思う。
逆賊の汚名を着てまで。

454 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 03:47:07
おいおい・・・
光秀が謀反起こしたのは権力欲だろがw

妄想は他でやれw

455 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 09:08:17
信長を狂人にしているのは江戸時代から。徳川はよっぽど信長が嫌いだっ
たとおもう。もし信長がホンマに狂人だったら、家康も秀吉他の武将はついて
行かなかった。異常天才の信長を光秀には理解できなかったんだ。

456 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 12:22:32
古来伝統の保守派の光秀には、改革推進主義の信長を理解出来なかったんだな

457 :日本@名無史さん :2006/06/24(土) 13:00:33
>>もし信長がホンマに狂人だったら、家康も秀吉他の武将はついて行かなかった。

ついていけなくなったから本能寺の変ですよ

458 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 16:44:48
しかし、織徳同盟の約二十年、家康は信長が絶望的な時も、息子の粛清を
命令された時も裏切らなかった。信長が誇大妄想自己本位のアホなら家康は武田
信玄についていたと思う。


459 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 18:28:26
戦国の世だから確かにアホには味方しないよ。でも武田を倒せるぐらい有能なら味方になるだろう。信長な狂人だがアホじゃないよ。

460 :日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:24:23
安土城天守の黒塗り壁って史料に基づいてるの?
もし黒塗り壁が史実なら、朝廷に対する臣下の礼の顕れになるね。
当時、白塗り壁は内裏以外に使えなかったらしい。
近世平城に白塗り壁が多いのは、徳川一門が使って以降、
なし崩し的に「臣下は黒塗り壁」がなくなっていったからだという。

461 :日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:22:38
将門みたいに信長の怨霊ちゅーのは聞かないなー。

462 :日本@名無史さん:2006/06/25(日) 22:56:50
晩年の秀吉の夢枕に立って、襟首つかんで引きずったって話はあるがなw
死後もバイオレンスw

463 :日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:10:23
461>やっぱり、無神論者かな?

464 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 01:20:19
怨霊っつーのは祟られる人がいるんだよ。
信長を殺してやましい気持ちになる人がいるの。

わかる?

465 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 01:31:50
お前の態度がよくわからない

466 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 02:39:57
害吉悪鬼の家系を滅ぼしたゾ。という心境だったろうな、光秀にしても秀吉にしても

467 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 02:49:15
一説によると秀吉は、信長が殺され喜んだが
黒田官兵衛に皆の前では悲しんでいるふりをしなさい
と諌められたともいう。俗説だが本当かもしれない。
秀吉自信が信長の恐怖政治を恐れ、いつかなり代わる
ことを望んでいたのかもしれない。
勿論最初は秀吉も真面目に天下人となるという思いで
信長に仕えてはいただろうが。

468 :日出ずる処の愛国者:2006/06/27(火) 11:28:03
>>1

信長は、神になろうとしたが、秀吉は関白、家康は征夷大将軍で満足した。
というが、じつは、秀吉も家康も死後、神として祭られている。
そもそも神というのを大げさにとらえすぎているのではないだろうか。
日本の神は、福の神から貧乏神,村の守り神から便所の神様までいるお国柄
西洋流の神と同じに考えるのは間違いだと思う。


469 :日本@名無史さん :2006/06/27(火) 13:31:33
八百万から抜きん出た太陽の神様(天照)が日本においての擬似ヤハウェだけどな。

470 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 10:02:13
家康上洛のとき、信長は自ら御膳を運んで接待をした。現人神になりたいやつは
そんなことはしない。

471 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:07:58
尾張紺屋頭 小坂井氏

472 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 22:36:03
テレ東でやってるね!

天皇と幕府という伝統権威の上位に自分を置こうとしたとかいう仮説

473 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 22:44:02
>>456
どうですかね。だったら譜代ではないのだし、そもそも主君として選んではいないかと。
合う部分もあれば、合わない部分もあると考えた方が。
野望、、というか、もう一歩出世しようとして、足掻いた結果の失敗だと思います。

474 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 22:44:24
すまん、一番大事なとこでK−1見てた。
で、結局本能寺の変の真実ってなに??
信長のクーデターとか言われても意味不明なんで教えてくれー!!

475 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 22:49:00
まあ、積極に取ろうとしたよりも、秀吉等に追い落とされそうとして
焦った結果と見た方が良いかもしれません。
若しくは信長の血縁に拠る中央集権体制に於いて、外される事に不満を覚えたか。
何にせよ性格の不一致そのものが強く影響したのは、考えにくいんじゃないでしょうか。
後世作られた物だと高柳氏が述べておられる事ですし、

476 :長者殿:2006/06/30(金) 22:54:46
 昔の人ってハゲがバレ難い頭してんな〜

477 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:20:20
信忠が二条城に駐留していて、約二千の兵。
それに光秀の1万あまりの兵を加えて、京に織田の大軍を駐留させる。
それで朝廷に圧力をかけ、信長の養子にした正親町帝の皇子に譲位させる。
これが信長のクーデター。

それを阻止するため、光秀は本能寺を襲った。
当時、信長は光秀の軍勢を閲覧するため、京に呼んでいたが、これの本当の意図
は信長が朝廷に圧力をかけるために京都に織田の大軍を置くためだった。
そのため、深夜に明智の大軍が本能寺に向かってきていても少しも疑うものがなく、
光秀軍は何の抵抗もなく本能寺境内に侵入、信長に矢をいかけた。


まあ、こんな感じの事をテレビでは言っていた。

478 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:04:36
ほほー。
馬揃えは信長が指示したのか。

479 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 03:37:41
神だと自称したのは、一向一揆の恐ろしさから学んだ信長流の人心掌握術と、
のちのち朝廷への戦略を睨んだ巧みとユーモア。

480 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 12:58:06
例えの話だけどさ、江戸中期辺りで徳川吉宗位の能力と権力を持った将軍いたとしてその彼が朝廷を滅ぼして己が皇帝になろうと目論んだらどうなったんだろ?
やっぱ周囲の人間に毒殺されるのかな?

481 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:06:59
時代は違えど義満がやろうとして失敗してるって話があるからなぁ
また、大奥とか城内の役回りに朝廷出身者{公家関係とか}が居るから折に触れて抵抗されそうだね。
それに水戸とか、朝廷大事を公言してる所は終結して反発しそうだ

482 :日本@名無史さん :2006/07/01(土) 13:17:28
そういや信長の丸焼けになった兜が出てたけど、
本能寺の変当日は雨だったんだよな。
信長は伊勢神宮の式年遷宮を復活させただろ。
ほっとけば財政難で朝廷なんか勝手に滅んだ可能性があるんだよ。
なんでクーデターなのか意味不明だよ、まったく。


483 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:33:43
功名が辻で信長にはまりました
なにか信長に関する良い本があればご教授おねがいします
スレ汚しすいません。

484 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:34:06
>>481
まあそうだろうな。水戸では「もし朝廷と幕府が戦う事あれば朝廷側につけ」という家訓があるくらいだからな。
倒幕の動きにはならないだろうが何かしらで潰されるのがオチか・・・

485 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 14:19:03
>>483
小説なら坂口安吾の「信長」がおすすめ。漫画は池上遼一の「信長」
ワクワクするのが秋山駿の「信長」。

486 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 15:16:59
>>481
義満の場合は
朝廷関係者は義満の朝廷乗っ取りを支持していて
武家のほうが反対派だったんだけどね

487 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 16:01:55
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

488 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 17:47:27
明智光秀ってウヨ?

489 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 23:27:03
>>488
当時のウヨサヨの区別って何が基準なんだ?

490 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 03:57:01
基準どころか存在がない。

491 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 02:05:41
信長は龍のデザイン気に入ってたみたいだね。
天下布武の印や安土城の内装とかに用いてたし。
やはり最終的には自分を皇帝のイメージとして捉えていたのか・・・。

492 :日本@名無史さん :2006/07/03(月) 09:37:37
皇帝のイメージは現代の信長像であって、信長自身がそう捉えていた訳でもなかろう

493 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 11:15:34
何で?中華皇帝を意識してたんじゃないのか?

494 :日本@名無史さん :2006/07/03(月) 16:52:53
サヨが歴史に登場するのは徳川家斉時代のフランス革命から>>489

495 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 01:17:09
>>494
フーン、サヨか。
でも体制に反対する人は昔からいるように思う。
人間に不平等の事態が現れてきたときから。

496 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 04:33:02
>>495
いつの時代も平等というのは人間として生まれてきたということだけ
原始時代でも狩りの上手い奴はいろんな面で仲間に良くしてもらえたと思うぞ
そういう何らかに秀でた者は回りに人が集まって体制のようなものができるんじゃないだろうか?
その体制が限度を超えて弱い者から搾取するなら、もちろん反体制も必要というか民衆は支持するだろうね

フランス革命時の議事会で議事席からみて左側に急進派が席を占めたことから左翼
おっしゃるとうり、フランス革命以前から反体制という立場に立たされた人達はいるだろう

497 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 05:18:24

信長は頻繁に本拠地を移した武将なわけだが、
兵農分離だとか美濃攻略だとか上洛目的だとか(全否定はしないが)……、
この移した理由や目的も誤解されている傾向にある。

そもそも濃尾平野(尾張・美濃)と言うところは、
天然自然の障害物が極めて少なく、防御に向く土地では決してない。

こんな無防備な領地の領主になった信長は、必然的に堅牢な防御拠点探し
と城普請に明け暮れたのだ。(結局この目的は果たせなかったと見てよい)

だが、思わぬ副産物に恵まれた。それは普請を繰り返すうちに、
領地の経済事情は劇的に向上していったのだ。当然、人の往来も
多くなり、商いの座や港貿易から上がる莫大な収入によって、
信長の戦費に余裕が生まれることになってゆく。(これは完全に経済政策である)

このように、今までの定説とやや違う、事情があったと言うことは、以外に
知られていない。


498 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:53:49
信長にとって邪魔なのは公家だけだろうな。
天皇は傀儡したほうが利用価値がある。
公家は武威もないのに天皇に近しいところにいて専横しているから、
権力者の目で見れば最も無駄で排除すべき対象。
天皇家と織田家で政治を司るつもりだったのだろう。
天皇家の地位は、現代の象徴性のような実行力のない名目上の地位。
長い日本の歴史の中でも、天皇が直接政治に関わろうとした時代は少
ないから、神格化して敬うが実権は与えない形にしていたほうが、好ま
しい。
信長は敵対した宗教には情け容赦しないものの、全ての宗教を毛嫌い
したわけではなく、利用価値を見出して庇護したりもしている。
天皇は「神の子」として神格化された地位だから、それを殺してしまうこと
より利用したほうが良いと考えるのが、合理主義というもの。

499 :日本@名無史さん :2006/07/04(火) 18:01:43
もし信長が生きていたら、
いずれは宦官狩りの袁紹のような公家大粛清を敷いていたのかも知れんな。
それが終わったら国人も粛清。

500 :日本@名無史さん :2006/07/05(水) 18:38:45
その前に自分が粛清されるわけだが

501 :日本@名無史さん :2006/07/06(木) 10:35:16
ウヨサヨって・・・。
議会が存在してこその「ウヨサヨ」だろうが。


502 :日本@名無史さん :2006/07/06(木) 13:12:01
100歩譲って反戦・進歩・平等がサヨの特徴としても、
仏僧や切支丹さえ戦ってる時代に
戦自体を否定する層が日本に居たんだろうかと。

503 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 04:32:46
>>502
左翼が反戦というのは戦後の日本になってから。
というより戦後も全共闘などみてもわかるように武力革命をつい最近まで目指してた。
今でも極左のような過激派の中には武力革命肯定派もいるんじゃないの。

504 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 18:52:58
戦国時代に右翼も左翼も無いだろう。
マルクス主義が出てくる以前は何が右翼で何が左翼なのだ。

505 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:00:19
例え本能寺の変がなくてもあのあと何年後かに朝廷をとる前に、脳卒中や
心臓病で死んでる可能性が高いんでないか?たしか信長っても現代からみても一日30グラム
くらいと明らかに塩分を取りすぎだったから。歴史好きの医者が信長が晩年にささいなことで人を
殺したりと極端に怒りっぽくなってるを従来の癇癪持ちに加えて長年の食生活で動脈硬化になってた
と考えればつじつまがあうかもなと。また例えそうでなくてもああいう生活では数年以内に病気
になっていたとも



506 :日本@名無史さん:2006/07/20(木) 21:20:35
30グラムって出典はなに?

507 :日本@名無史さん:2006/07/21(金) 00:50:16
>>505
本能寺の前に信長が死に、信忠政権になっていたほうが織田家にとってはよかったかも。

508 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 08:49:45
ある歴史家が(名前を忘れた)テレビで言ってたがたとえ本能寺が無くても
信長死後、家康等に取って代わられるだろう。信長の子どもにろくな奴が
いなかったから、と言っていた。

509 :日本@名無史さん :2006/07/23(日) 12:14:36
信長だってろくなもんじゃないがな

510 :日本@名無史さん :2006/07/23(日) 15:30:54
20年後の前倒しで
知能派秀吉と武断派柴田がいがみ合ってる間に
家康が織田恩顧をかき集めて天下取りに出る可能性も

511 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 00:38:48
>>508
結果論だな。

512 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 12:24:10
ttp://www.youtube.com/watch?v=qRCVioLsuXU

513 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 13:17:19
結果論

事が起きたあとで、そのわかっている結果を前提としてあれこれ論ずる無意味な議論。

514 :あのさ:2006/07/27(木) 16:33:25
信長は安土城敷地に天皇の住まいを作ったという。天守閣から天皇を見下し支配しようとしていたのだ。


515 :あのさ:2006/07/27(木) 16:44:48
本能寺の変の真相は信長が光秀の戦を見物する予定だった。それも天皇に対する戦。現代より無音に近い当時の夜、予定外に光秀の軍勢が接近してきたならば信長は逃げたはず。しかも近くの二条城には信長の息子の軍勢もいた。信長は攻撃されるまで気がつかなかったはず。

516 :日本@名無史さん:2006/08/04(金) 01:35:38
>>70-80
謙信も海路を使ったらしいけど、「光厳院殿なんちゃら」の面々はどうゆう基準なんだろ。
義輝就任後の上洛経験者?

>>108
「安土城に天皇を迎える施設」ってのはなにか傍証があっての説?
まさか清涼殿に似た建物跡が見つかったから=天皇を迎える施設なんてバカな話じゃないよね?

>>395
そもそも天皇用じゃないか、公家社会の慣習を全否定して無理やり押込むための建物かどっちか。

>>409
謙信の戦略なんて下手そのもの、越後国内ですら謀叛が続出。
北条と結んだせいで関東の国人連合からも総スカン食らってます。

>>415
謙信には負ける、彼は被謀叛の天才。

>>418
丹波・山城・近江を制圧したところで、ゲームのように徴兵できるわけではないから。

517 :日本@名無史さん:2006/08/04(金) 09:33:30
ここまで遅レスを堂々と並べる奴も珍しい

518 :日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:11:55
明智光秀は天海というあまり信憑性のない説もあり信じている人も
いるようです。
そうすると本能寺は家康とつるんだ出来事かも。
小説にすれば面白いかな。

519 :日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:20:31
>>517
逆に言えば、ちゃんと1から読んだのがわかる。
学問板だから、その姿勢は立派。

520 :日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:41:29
よく戦国時代系のレスで「ゲームじゃないんだから」とか「ゲームのようにそううまくはいかないよ」
とか言う人いるけど意外と的外れなこと多いよな。
少なくとも、制圧した先から徴兵することは、制圧の方法次第では可能。
大名つっても、「ゲームのように」土地家来兵士すべてを掌握した一枚岩ではないからね。

521 :日本@名無史さん :2006/08/08(火) 13:03:24
>制圧の方法次第では可能

それが出来る人は天下人になれる。
出来なかった人は本能寺でこけた。

522 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 01:19:57
>>508
信忠がいれば十分、武田討伐で実績もあげた。
信長死後はその遺領を濃尾に加えて信忠が相続
秀吉領はその大部分が秀勝にスライド
畿内から関東にかけて殆んど滝川・森・河尻ら信忠閥と織田一門の所領。
勝家の与力(目付け)前田は嫡男が信忠の妹聟
光秀の最も有力な与力細川も嫡男が信忠の擬制的な子(信忠→忠興の偏諱子)
信忠腹心長可の岳父は信長の乳兄弟恒興
信忠の従兄弟で勝家を守役に育った信澄は岳父が光秀
信長女婿の蒲生が変後に示した織田家への忠誠は知ってのとおり
家康如きじゃどうにもできまへん。
変がなけりゃ、信濃・甲斐・上野は織田家の所領ですよ?
変の前に信忠の管轄下にあった、美濃・尾張・伊勢・信濃・甲斐・上野だけでも
家康には到底手出しできませんが。

つか、信長って軍団長クラスの後継ぎは女婿にせずに
その軍団長クラスへの与力を命じた家を閨閥に入れて楔にしてるのな。
恒興は信忠の指揮下にあった5男勝長と長可の岳父になってるから
本当に信頼篤い人物だったんだな。

523 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 02:17:37
>>520
農兵は「大名→城持ち・国人級→地侍→農村」(簡略)
という支配大系の中にいたわけだからトップが替わって
さあ徴兵「どんとこい」とはいかない。

524 :日本@名無史さん:2006/08/13(日) 14:06:58
>>523
で、トップが替わったときに国人級を掌握すればいいってことだろ。
確か徳川家康が甲斐と信濃奪ったときにそいつらにばら撒いた本領安堵の書状と起請文が残りまくってる。

525 :日本@名無史さん:2006/08/14(月) 17:22:49
んで、信長は掌握できないの。

526 :日本@名無史さん:2006/08/16(水) 01:20:51
>>273
"京の外の山の上"に行幸させるなんて熊野の神仏レベルですよね。

>>276
山上の清涼殿(内裏)だけでは遷都できませんね。

>>283
中世の天皇は神道の家元だったの?
吉田神道とか土御門神道ってのはどーゆう位置付け?

527 :日本@名無史さん:2006/08/18(金) 12:05:51
 戦争責任は人類すべての人間にあるのです
 野生の動物の世界は弱肉強食の悪法がはびこり、戦争状態である。たとえ、
百獣の王ライオンであっても、その子はハイエナに食われる。人間の世界も物
欲によって争闘し、最後には殺し合いとなる。これは人間の欲望に限りがない
からであり、ぜいたくを享楽しているためである。肉食は食欲のぜいたくの極
みであり、これを得るためには家畜を殺し、弱者を犠牲にしなければならない。
動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。これでは、人間の霊性は獣と
何ら変わることがなく、自分の子供がハイエナに食われても文句が言えない。
 人間の横暴によってすべての生物が地獄の苦しみにあえいでいる。先の大戦
の犠牲者はこうした人間の行為の償いであり、神からの啓示である。だから、
戦争責任は人間が自らの行為を反省することなく、物欲を発揮してぜいたくを
むさぼっている、人間一人一人にあるのです。
 偽科学が常識を盲信させる
 非ユダヤ人において、科学の盲目的信仰が功を奏しているようである。学校
の教科書で教えられる事がすべて正しいと信じる。こういった人々にとっては
権威ある学会が言うことのみが正しく絶対なのである。
 ユダヤ議定書(第2議定書)
 非ユダヤ人は歴史を基礎とする観察を怠り、専ら理論上の旧弊に囚われて、
その結果に対する批判的工作を忘却している。我々は新聞雑誌を利用してこの
科学理論を盲目的に信用させる。非ユダヤ人の知識階級は自己の知識を誇りと
して、科学から得た知識でものを考えようとする。その知識を論理的に吟味も
せず、その知識なるものが、人間を我々の目的の実現に向けて、教育するため
に作られた事に気がつかないのである。悪魔の世界制覇に向けて。我々の主張
を根拠なきものと思ってはいけない。我々の仕組んだところのダーウィン、マ
ルクスの教説の成功に注意なさるがよろしい。これらの教説は非ユダヤ人の心
に破壊的作用を及ぼした。ダーウィンの進化論は常識となっている。チンパン
ジーは何時になったら人間となるのか。急には進化できないから、その中間の
形態のものが存在しなくてはならない。


528 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 09:40:34
徳川家康は腹の底ではずっと信長を恨んでいただろうな。
妻子を詩に追いやらなければならなかったのだから。
力で支配して心服しているように見えてもいつか遣ってやると
思っている者は多かっただろう。



529 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 15:13:53
>>522
信忠には武田於松もいるからな。
彼女が信忠の元に嫁げば武田遺臣も自然とこっちに
流れるだろうからそう簡単には家康に付かなかっただろうよ。

530 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 16:02:32
>>528
妻子に関しては、さほど気にも留めていないのではないか?
今川に人質に出された流れであてがわれた今川縁戚の女なんぞ
どうでも良かった筈。
好きでもない女とやって出来たガキに愛情なんかもつものかと
次男の取り扱いの悪さを見ても、母親への見方で意思が左右されて
いて、秀吉に養子に出されたこと自体、母親が誰かによって大事に思
われない意図が見える。

酒井忠次が、家康妻子の謀反の嫌疑で信長に対して一切申し開き
をしなかったことを、家康が恨んでいたかのような記録もあるようだが、
結束の固かった時期の徳川家臣団にいて、勝手に申し開きを自重す
ること自体ありえないので、家康の意志に基づいて信長に逆らわなか
ったと考えたほうが無難。(家康の意思に反していたら、家康が何もしなく
ても同輩に切られている)
忠次が我が子の加増を家康に願い出て「お前でも、自分の子は可愛く思う
のか?」と言われた話があるようだが、実際に言ったとしても別の意
味合いがあるのだろう。
引き合いに出した相手が、本多忠勝・榊原康政・井伊直政ら、四天王
当人だから、「お前本人が大して役に立ってないのに、なんで息子に
加増できるのか?」って言いたいところを、面倒くさがって信康の一件
を引き合いに出した程度のもの。
信康の一件を持ち出されたら反論が出来ないほど、それ以降の活躍が
ないって事であって、恨まれていたのではなく実際に役に立っていなか
っただけのことw

531 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 16:21:18
確かにあの時点で唯一武田姓を使える松を織田に取り込めれば
信州・甲斐・上野を治める名分も成り立つから
家康の出番はまずないな。
彼女を使って穴山を家康から離して自分の下に付ければ尚ベターだろうし
東の北條も血縁者だからね。
信長の娘が氏直に嫁げば信忠は氏直と義弟であり義理の甥にもあたるし
氏政は義兄になるから、織田ー(武田)ー北條ラインができて
家康はますます動きづらくなるだろう。
あとの気がかりといえば松の実姉が嫁いでいる上杉か…。

532 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:28:15
信長は、自分が天皇に替わる存在になろうとしてたんじゃないかな。
安土城内に自分を神として祭るお堂も建ててるし、御神体(石)も置いている。
これは、天皇家がアマテラスの子孫として現人神として敬われてきたのに対して
織田家の子孫が現人神(信長の子孫)として君臨していこうというビジョンを表明しているのでは・・・

533 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:38:18
>1
証拠がない。

534 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:38:23
そう推測ばかりで語られてもね・・・・・

535 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 07:32:30
推測するのは自由だろw
「定説」がどんどん覆されていくのが歴史を学ぶ楽しみなんだからw

536 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 08:17:22
かっこいいお( ^ω^)
http://www.youtube.com/watch?v=ru8E1fLA4Ps

537 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 08:18:35
推測で覆せるわけねえべw
妄想は三戦板でやれ

538 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 08:19:37
推測と妄想は違うが、妄想→推測→定説覆るのはよくあることだよ。

539 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 08:20:18
>>537
先祖代々石頭だろw

540 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 09:01:47
信長厨は現実と妄想の区別がつかないようでつね

541 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 10:05:04
じゃ、>>1も妄想だろw


542 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 10:09:44
>>541
>>540にとっては自分の推測が推測、他人の推測は妄想なんだよ。

543 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 21:49:41
宣教師から世界をレクされてた信長が「朝廷」なんてださださな名前つけない
だろうと思われ

544 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 18:41:22
>>543
じゃあ何て名前付けるんだ。語って下さい。

545 :信長:2006/09/13(水) 21:10:10
ユナイッテド キングダム オブ 尾張

546 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 21:14:44
某寿司屋オダーメニュー

ο葵[5人前]10000エン
ο毛利[5人前]9600エン
ο織田[5人前]7800エン
ο薩摩[5前]6220エン
ο徳川[5人前]5320エン
ο豊臣[5人前]4600エン

ο武田[4人前]6000エン
ο上杉[4人前]4200エン
ο足利[3人前]4800エン
ο津軽[3人前]3800エン
ο伊達[3人前]3400エン

ο島津[2人前]3750エン
ο紀伊[2人前]3450エン

ο木曽[1人前]1700エン
ο伊予[1人前]1380エン
ο仙台[1人前]1700エン


値段つけた理由がわかりません

547 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 09:58:03
>>545
尾張の王国連合って、尾張の中にいくつ王国が?W

ところでUKって連合王国より英3王国連合、USって合衆国より米50州連合の方がピンとこない?w


548 :信長:2006/09/14(木) 16:07:46
>>546
家紋、地名、名字、本性
なかなか粋なおやじだがね
理由?おっさんの身入りだがね

549 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 20:05:20
>>546
大殿もワシも安すぎるぎゃあ。なんで臆病毛利や薩摩ずれがワシより上なんじゃい。

というか、仙台とか木曽とか、もう意味わかりません

550 :信長:2006/09/15(金) 14:16:36
>>546
おっさっんによ。売れんでもええでよ。
織田を5万エンくらいにしておくようによ。
まぁ神仏も恐れんわしだでよ。おっさんもわかると思うんだわ。
これ以上はわしもよ。捕まったらかなんでよ。

551 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 03:07:08
>>545
天皇はエンペラーなのでキングより偉いぞ

552 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 03:20:09
信長は天皇や将軍なんかをも超越した権威、神になろうとしていたのだ。
いや、神をも超越したものになろうとしていたのだ。
結局は停戦やその他様々な場面で、天皇権威を利用せざるを得なかったのが現実ではあったが。

553 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 03:50:46
キリスト教の宣教師にデウス扱いしてもらいたかった?
国民にデウスと認めさせたかった?
比叡山焼き討ちも一向一揆鎮圧も仏が邪魔だからだったかも。

554 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 05:29:45
>>551
そんな言葉の綾を持ち出されても
三皇五帝を束ねたのが皇帝(エンペラー)であって、中国皇帝(唐)をはばかったから
天(アメ)氏の王ということで天皇とされたんだよ。

555 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 10:07:18
>>553
宣教師にデウス扱いしてもらって何かいいことあるのかな?
天皇から将軍なり関白に任命してもらって、統治していくってパターンは
信長としては避けたい所だっただろうけど。
俺の想像では、西洋にあった絶対王政−−神に選ばれた信長、及びその子孫が
統治していく・・・に近い物を目指していたのでは。

556 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:27:02
王権神授説ね

自分が神になるつもりはなく、それを超越した世俗的・合理的権力を築き上げようとした
信長にすれば、最も明確なモデルだからね。宣教師が悪魔の所業というのは所詮キリスト
教をも超えようとしたからであって、西洋の王様だって実体は同じw

557 :信長:2006/09/16(土) 23:38:20
アナタハカミヲシンジマスカ?

558 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 23:54:15
昔の天皇に対する敬いはどれほどのものがあったのか
自分は現代レベルか、それ以下だったと思うが


559 :光秀:2006/09/17(日) 07:49:21
殿、それはモルモン(ry

560 :信長:2006/09/20(水) 10:40:01
朝廷を蔑ろにしようとしたのかなぁ。
布教の邪魔になるので、耶蘇の坊主に焚き付けられた
だけなんじゃぁないかな。
熱田神宮に行ったり、朝廷に寄進もしてるようだし。
と、ゆーてみるテストじゃーねぇーだで。

561 :市松:2006/09/20(水) 21:06:04
またまた、大殿は人事みてゃーにいっとられるわ。

562 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 01:31:02
>>271
そーゆのってさ、信長が感じていたというよりは、
浅井・朝倉(というより叡山)や本願寺に有効な権威として朝廷を使ったんでは?
荒木の説得に朝廷使えば良かったのにそうしなかったのは何故?

563 :日本@名無史さん:2006/09/27(水) 05:58:23
あれ?使ったんでなかった?

564 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 01:01:44
使おうとしていたね。正確には、荒木謀反に対処するために本願寺へ講和を
依頼したら、まず毛利と和睦しろと言われて対毛利の講和斡旋を朝廷に依頼
した、のだと思う。
しかし中川と高山が寝返って情勢が有利になると、朝廷への依頼は取り下げて
攻勢に出た。もちろん毛利や本願寺との講和なんて白紙撤回。

565 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 03:47:17
信長は最終的には自分を神だと勘違いし
朝廷より上だと思ってしまったのだろう。
明智光秀は開明的な信長に魅かれたのかも
知れないが最終的にはそのような信長に
嫌悪感すらあったと思う。

566 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 23:24:35
馬鹿なの?
麻のごとく乱れた戦国を統一し、新たな世の中を創出しようとした
信長が、そんなリアリズムに欠ける稚拙な思想だけで行動してたわ
けがない。

567 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 23:34:18
>新たな世の中を創出しようとした

ゲラゲラ

568 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 23:40:03
>>1
織田信長は天皇になろうとしても無理w
皇族じゃないから誰も認めないw
それに信長は確実に日本の実権を握れた本能寺には帝召されて
来てたらしいよ。そのときに関白 又 太政大臣に確定してた
し、それ以上望むやついないでしょww
大体歴史で「もしも」は厳禁でしょい

569 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 23:41:53
統一してないし。
信長はただ京都を中心に自分の勢力圏を拡大させようとしていただけで、
戦乱の世を終わらせるなんて思想は持っていないだろ。
秀吉のような懐柔策のほうが有効。

570 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 23:42:34
566
馬鹿なの?
君は信長に聞いたんか?

571 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 02:03:21
>>230
平氏から後宮に入ったのは徳子だけ。時忠一門まで含めても滋子と2人。送りまくりじゃない。
源氏将軍に政治的な意味があったのは初期の鎌倉幕府だけ。
室町将軍は一人として天皇の外戚にはなっていない。

572 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 02:54:55
>>569
信長語るなら信長公記くらい嫁。信長が天下統一を目指したのは
正親町天皇の勅命という大義名分があったからだろうが、もちろん
信長以外にも武田家や今川家や各有力大名へ勅命が下され争いも起きたが
勝ち抜いた信長がほぼ天下を治めた形になったんじゃないか
分けの分らないドラマや時代小説観てないで文献開いて本当の事実を知れよ。

573 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 15:04:42
だから治めてないだろ。
光栄の信長の野望ばっかりやってないで史実を認めろよ

574 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:26:28
もし信長が天下を取ったら超独裁政権、恐怖政治で
で大変なことになっていたように思う。信長亡き後
また戦国時代になっていたかもしれない。

575 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 18:37:56
秀吉ですら関白になれた時代、実力がすべての時代では、権威とゆうものは、ほぼ無意味。

576 :独身ホモ貴族:2006/11/14(火) 21:33:33
織田信長の時代に創価があったら間違いなく焼き討ちの対象だなw


577 ::日本@名無史さん :2006/11/14(火) 21:59:27
信長現在に降臨してほすぃ、焼き払ってちょ

578 ::日本@名無史さん :2006/11/14(火) 22:00:43
安部と奥田も爆死の方向で

579 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:08:23
 

580 ::日本@名無史さん :2006/11/14(火) 22:09:58
戦国の騒乱は三好や細川による朝廷腐敗と足利将軍暗殺によるもの。それが引き金。
だから1はまんざら間違いじゃないと思う。結局、第二の三好になろうとするもの
が出てきたんでしょ。

581 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:18:34
>>574
日本の土台が封建制(欧州の封建とは勿論違うが)だから、
「超独裁政権、恐怖政治」が何を持って言うのか分からないが、
唐の則天武后や、明の太祖的なものであるのなら、
日本では誰であろうと、もとより不可能。

庶民の統治では、信長が生存している時でも、
特別に酷い税率をかけている訳でもなし。


582 :日本@名無史さん :2006/11/15(水) 13:14:11
信長政権が続けばジョンイル政権の北朝鮮同様になっていただろう

583 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 13:21:20
>>582
あんまり適当なこと言ってると、学がないのがバレルぞ。

農民と軍人しかいない貧乏国と、流通を盛んにした重商主義の信長、
180度違うな。

584 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 13:34:33
582もどうかとは思うが
学があって

> 農民と軍人しかいない貧乏国

と言うのは凄いな

585 :583:2006/11/15(水) 13:39:36
外れちゃいなかったと思うんだが・・・

586 :日本@名無史さん :2006/11/15(水) 21:16:18
いいじゃん、信長政権なんで実在しなかったんだから

587 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 13:54:02
>>586
釣れますか?

588 :日本@名無史さん :2006/11/18(土) 13:38:42
>>587
雑魚が一匹連れたみたいだ

589 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 15:01:08
587と588に時間の歪みが・・

590 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 15:04:46
ふ、また現代日本人の信長コンプレックスか。
信長を買いかぶりすぎだよ。企業躍進の神つうところだなw

591 :日本@名無史さん :2006/11/18(土) 20:54:51
信長厨のほとんどが自虐的史観の持ち主。
「チキショー信長サマだったらもっといい日本になっていたのにだー」
こんなやつらは北朝鮮にでも逝ってこい。

592 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 22:57:15
>>591
クソはヌー速逝けよ。

>>583
当時の日本で重商主義とか言っても所詮人口はしれてるよ。
それより猖獗を極めた農民〜在地武士〜国人〜大名と、百年いくさ続けてても
いくらでも涌いてくる日本の軍事力を押さえきるのは信長でも難しかったんじ
ゃないか。人口比で圧倒的に世界一の軍隊、鉄砲や刀槍の数も世界一。

>>581
もし信長が王になっていたとしたら、中国の歴史だと誰がモデルとなるかな?
よく朱元璋や曹操に例えられるけど。

593 :日本@名無史さん :2006/11/19(日) 15:32:44
>>592
曹操よりは董卓だろ。
部下に殺される哀れな末路はソックリw

594 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 17:13:01
董卓も本能寺もよく燃えたらしいな

595 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:39:08
董卓は酷いが、曹操の場合は統率力抜群で、部下に寝首を掻かれるような
甘ちゃんでもなかったのは確か。
朱元璋・・・。部下が恐怖した点は同じだけど、やっぱり天寿を全うした
よな。あれほど殺しまくったら暗殺されてもおかしくないのに。やっぱり
信長よりは上か。

596 :日本@名無史さん :2006/11/19(日) 21:37:44
統率力抜群で部下に寝返られる奴があるかw

597 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:35:52
>>596
統率力と寝返りは関係ない。
寝返られたのは、人望がないから。

598 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 01:39:28
寝返えられたのは戦国の世だから。

599 :日本@名無史さん :2006/11/20(月) 11:03:55
戦国の世でも、寝返られることもなく、さらには天下をとる者だっている。

600 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:45:03
600

601 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 19:00:43
>>599
石川数正、大賀弥四郎

602 :織田信長@案内人:2006/11/22(水) 01:43:16
          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ    <おれいずれ削除人になって2ちゃん統一するからよろしくだぜ皆の衆
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)    イェ〜イ
| / / /      |r┬-|    | (⌒)/ / / //  
| :::::::::::(⌒)   | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
|     ノ     | |  |   \  /  )  /  
ヽ    /      `ー'´      ヽ /    /     
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l   バ   
 ヽ    -一''''''"〜〜``'ー--、   -一'''''''ー-、 ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒)) バ
                             ン

603 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 15:52:52
 岩波新書の今谷明著『武家と天皇』読んでいたら次のことが出てたよ。
「信長は朝廷より将軍宣下を受けようとしていた」
 このことは1968年になってやっとわかったことらしい。
 ほかに小牧・長久手以降に秀吉が天皇の影響力を利用しだしたことや、家康は天皇を「国王」とみていること、など書かれてある。


604 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 06:41:52
今谷明はDQN。花の乱見てがっかりした。

605 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 07:59:09
> 今谷明はDQN。花の乱見てがっかりした。

何それ?
今谷明って市川森一と同一人物なの?

606 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 00:59:07
>>603
結局スレ的には結論は同じだが、

橋本政宣は信長が受ける予定だったのは太政大臣という説を取っている。
5月に権力執着の強い近衛前久がわずか3ヶ月で太政大臣を辞任した事。
本能寺直後の7月に秀吉から毛利宛に出した手紙に「大相国」(太政大臣)と信長の事を呼んでいる事。
10月の贈位贈官の宣旨に「重ねて太政大臣に任じる」という文言がある(つまり2度目の任命である)事。
以上から、太政大臣就任は決まっていたのに正式な手続き以前に本能寺の変が起きたと。

607 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:18:25
>>599
信康にも疑惑あり

608 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 23:45:32
数千年の永きに渡り天皇を尊重し
神話の一族を殺して自分が取って代わる事が無かったのは
まさに奇跡。諸外国と比べるとその凄さが分かる。

伝統なんて馬鹿にしてたけど、これは本当に素晴らしい事だと思う。
共和制原理主義の左翼は天皇制が許せないらしいけどね。

609 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 13:26:08
もし、本能寺の変がおきなかったら
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1165242777

610 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 14:35:55
>>608
尊重されているハズの天皇に政治的な力がないのはオカシイ気もするが・・・

611 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 03:33:05
>>610
天皇は昔から宗教的精神的支柱で
政治は周りの人が行うのが和国の
伝統と思われる。

612 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:42:27
蘭奢待や暦を改めようとした件はどうなの?

613 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:11:17
べつに、蘭奢待の所持が天皇に対してなにか意味を持つものでなし。
改暦に関しては、武家棟梁のというより政権者の権限。

614 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 15:20:14
しかも信長は改暦というのは可能かどうか訊いているだけだったような気がする。

615 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:01:38
 信長は天皇の為に内裏の修復をしたり、金品などを献上している。誠仁親王
の2条御所も献上している。将軍足利義昭を担いだりしたが、結局は天下布武
と言う武力による方法しかないと悟っている。天皇家は尊敬するべきだが、官
位などは問題にしていなかった。安土城に天皇を招待する間があり、瓦に桐や
菊の御紋を使用している。これは天皇に対しての忠誠心の証であり、彼は勤皇
家である。彼は皇室でない以上天皇になることはできない。それに武家(軍部
でもいい)がある以上は天皇は武家に頼ってへつらうことしか出来ないのある。
信長は名誉だけの権威に対しては興味がないのである。お分かりかな。

616 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:17:58
 ずいずいずっころばし ごまみそずい
お〇んこちん宝はめまくり、ごまのはいの秀吉淀はめっこ
 茶壷に追われて トッピンシャン
茶壷=千利休(光秀)が自分の正体をばらして、秀吉を追及する 
 抜けたらドンドコショ 俵のねずみが
利休切腹で危機を脱して、腹鼓を打って笑う 俵藤太(藤原氏)の子孫のはげねずみ(秀吉)が
 米くってチュー チューチューチュー
天下を盗んで(千万石取りとなって)チューと鳴いて喜ぶ 
 おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでも
殺されて怨霊となった信長(おっ父さん)と濃姫が幽界から、秀吉に早く来いと呼んでいるが 
 行っこなしよ
なかなか死なない  
 井戸の周りでお茶碗欠いたのだーれ
茶室で茶碗=利休を切腹(芝居)させたのはだれだ
本能寺の真犯人(鬼)は誰だ
                       天海(光秀)作



617 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:30:15







また
メンヘルが
あばれてる






死ねよキチガイども









618 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 14:16:50
野球でいうところの
オーナー・天皇
フロント・朝廷
チーム監督・将軍
コーチ・大名
選手・武士
ファン・一般庶民
こんな感じで考えられない?
監督ってフロントに文句言うことはあっても、オーナーには
ほとんどなにも言えないし
ファンにとってもオーナーがいなくなったらチームがなくなるも同然で
困ると思うし


619 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:50:13
>>615
信長は平氏政権みたいに権威としての朝廷を必要とするが、あくまでも朝廷に属さずに自己で権力のみを掌握する方式を取りたかったんでは?
信長が平姓なのも清盛志向の表れ。

620 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 22:13:13
暴論かも知れませんが 信長公の真の狙いは 天皇を安土に 移住させ 京都を朝廷ごと焼き払うつもり だったのでは それを明智に 命じ 裏切りに合ったのでは 合理主義の彼には 朝廷がどう見えていたか 叡山焼きの明智も流石に 朝廷焼きまでは

621 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 22:54:59
織田家は現在も存在するのだから
何か信長のそういう資料をとっていないんでしょうか?

622 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 23:37:42
無いでしょう 自分の説だと 流石の信長公も気が引けて いたのでは 明智 一人に任せて 賭けをしていたのでは 本能寺での 是非も無し は ああ朝廷を 取ったのか 仕様が無いな では

623 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 22:09:11
秀吉や家康が織田家を調べて都合の悪い資料は破棄させているでしょう。
おとなしく体制に従い織田家を存続させたかも。


624 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 22:45:35
織田朝廷の都は長安あたりの予定だったのかな。
天皇は今までどおり、織田領の一である日本の天皇でしょ。どうこうするつもりは無かったような。

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