2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【上総】千葉の歴史【安房】

1 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 15:45:08
千葉の歴史について、神代から近代まで幅広く議論しましょう。

2 :1:2006/01/06(金) 15:56:07
当方千葉在住ですが、千葉の歴史を何も知らないので立てました。
現在の千葉形成に至るまでの変遷、またそれに伴う県内の史跡などについて
学べる場、そして皆さんの議論出来る場としてご活用下さい。
自身浅学のため、有識な方の数多の参加をお待ちします。

3 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 16:22:40
作物が育たない地

4 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 16:25:35
千葉・・・・ 縁が無いのでわからんちん

5 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:28:52
近代になると千葉は面白い黒歴史が色々あるんだけどね。

6 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:31:23
下総(´・ω・) カワイソス

7 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:43:11
肥溜めの歴史かな

8 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:56:12
>>3
育たなかったの?
穀倉地帯だからいつの時代も合戦が絶えなかったんだと勝手に解釈してたが。

9 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:58:08
安房の小湊

10 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:27:51
房総半島は島だったんだよね?

11 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 06:42:42
島と半島の区別がつけられないバカがいる

12 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 10:13:41
>>8
利根川に恵まれた下総と大河のない上総・安房では水に関する環境が全然違う。

13 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 11:31:25
>>12
何だかんだで小さい川は走ってるし、下総のイメージが強くて思い至らなんだ。
江戸期の大規模開発以前の状態をよく知らないからなー。
でも安房里見氏は結構積極的に軍事行動起こしてるイメージあるけど、
どうやってその兵力を養ってたんだろ。

朝電車で毎日眺めてる亥鼻山や国府台でも合戦があったって知ってから、
ちょっと風景を見る目が変わった。だから郷土史は面白い。

14 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 11:43:59
当家は安房国が豪族岡本家の子孫。
 分家衆だが

15 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 16:40:48
>>14
それはいいな。先祖が史料に出てくるのって羨ますぃ。
岡本随縁斎とかその辺りの人しか知らないが、里見水軍の主軸だよね。
何か伝わってたりするものはあるの?

16 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 17:04:50
甲冑と旗と太刀が伝わってます。書状もあるが読めない

17 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 17:24:12
>>16
そりゃいいなー、旗まで残ってるなんて。由緒ある家柄じゃないか。
書状は図書館の学芸員とかに持っていけば解読してもらえるかもよ。
あと太刀って、打刀じゃなくて太刀だったら実は凄い年代物かもよ。価値は兎も角。

18 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 21:00:00
上総は水には困っていないよ。

19 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 22:43:09
頼朝の忠臣・千葉常胤もこの辺が根城では?

20 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 23:55:56
頼朝に嫌われたが、上総広常の方が男気があって好きだな

21 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 02:12:08
広常は実直だが、柔軟性には欠ける男じゃ。

22 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 08:03:46
千葉だったら新撰組が有名じゃない 流山

23 :高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 :2006/01/08(日) 10:19:21
ベニー・アグバヤニ

24 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:07:58
>>22
京都か函館ぐらいしか一般認知度はないな。
一部自治体が一生懸命宣伝材料にしてるぐらいで。

25 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:15:04
貝塚の多さでは世界屈指だわね
古墳もなんだかんだでいっぱいある

26 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:23:18
そういや加曽利貝塚って日本最大の縄文貝塚なんだっけか。
近所に当たり前のようにあったからどうも実感がなくて、
教科書見たときは驚いたもんだなー。

27 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 21:52:30
古代;「総の国」 総=麻 麻が良く育つ土地なため

京の都に近い順に上総国、下総国に分割(後に上総国から安房国が分割)

平氏系が土着、平常長が勢力を伸ばす

平将門・平忠常の乱

上総氏(上総)と千葉氏(下総・忠常流)に分裂、対立

上総広常粛清により千葉常胤が権力掌握

室町時代:千葉氏、家中分裂により徐々に衰退

里見氏・足利氏侵攻に対峙するため北条氏と手を組む

秀吉の北条討伐と同時に千葉氏滅亡

安房から里見氏が勢力伸ばす

江戸幕府によって里見氏改易

天領・旗本領・小大名に分割、最大は徳川譜代堀田氏の佐倉藩

佐倉惣五郎指導する伝説的百姓一揆

幕末:佐倉藩より堀田正睦、席塾藩より久世広周が老中として幕末を司る

明治維新

28 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:02:59
「千葉」って語の由来は沢山葉っぱが生い茂っている地だったから、
ってのを以前聞いた気がするんだが、本当なの?
Wikiで調べてみたら「茅場」「茅生」の変化したものとか出てるんだけども、
昔は茅が沢山茂ってる地だったのかな。

29 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:03:41
>>27
簡単なまとめ乙

30 :日本@名無史さん:2006/01/11(水) 00:29:39
誰か岡本氏がいつから安房にいたか分かる人いますか?

31 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 22:53:47
自分で少しは調べてみなさいよ

32 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 02:08:33
千葉といえばあのあほみたいに濫造された城の数に唖然とした。

33 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 19:41:49
家康が関東に移封になった時 木曽義昌の子供が千葉の九十九里のほうに領地をもらった
木曽家はすぐに断絶してしまったが
明治になって土地の名前をつける時、その木曽家の領地は旭と名乗ることになった
源頼朝の従兄弟で 強引に征夷大将軍になった木曽義仲が朝日将軍と呼ばれていたかららしい

34 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 19:57:56
たしかに千葉って城多いよね1キロ歩くたびに城だよ

35 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 21:18:17
>>16
その書状って、研究者が調査に来たことはないんですか?

36 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 21:58:36
俺が生まれる前に人が来て土蔵の中を見ていったらしい

37 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 23:26:13
海に囲まれてるのに海運が発達しなかった不思議。

38 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 23:54:19
>>34
流石にそれは大げさじゃ。って俺は千葉市内しかしらんが、市内にもそんなあるのかね。

>>37
地理的な問題じゃないかね。江戸と近すぎるし。

39 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 00:16:46
俺がすんでる袖ケ浦市内だけで7は城跡あるよ

40 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 01:40:22
城も古墳も多いよ
うちの裏山にも城(砦程度かも)跡があるし
自転車で少し走れば古墳もある
東京にいると実感できない事が多いね

41 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 01:58:08
まあ千葉城はアレだが……

42 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 02:36:46
万喜城のわけのわからん展望台もかなりのもんだ
うちの某公園も城跡らしきとこにちんけな展望台立ってるけど

43 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 02:55:32
久留里・大多喜・館山が一番まともだな

44 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:07:56
千葉城はな・・・まあ史跡的価値はないが、見所的役割は果たしてるからいんでね。
やっぱ千葉市内は曲りなりにも政令指定都市だけあって開発進んでるから、
見るべき史跡って思い当たらないな。

45 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:15:40
シンデレラ城は天守閣が現存してる貴重な史跡。

46 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:35:14
>>45
あの城は良いよな!展示物も魔女とか地獄の釜とか民俗的価値
高いのあり、ガラスの靴とか芸術的価値の高いものもあるし。
しかも少し足を伸ばすと中東の宮殿や人魚の史跡もある。

47 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 21:21:41
>>46
中東の宮殿や人魚の史跡なんて発掘されてたのか。
俺最後に行ったの随分前だから、まだそんなの発見前だったぽ。
それとも気付いてなかっただけかもしらんが。
あの史跡は人多すぎるし拝観料が高いからあまり行きたくないよ。

48 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 16:58:29
その至近距離にある港なんか完全に
南欧の建築文化を模倣した画期的な都市らしい
支那大陸文化からの決別を意味するエポック的存在だね


49 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:17:14
>>38
千葉市内にも城跡はたくさんあるよ。
http://homepage3.nifty.com/yogokun/tibasi.htm

50 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:51:47
「図説房総の城郭」って欲しいなあ。持ってる人いる?

51 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 03:24:38
>>42 剣豪板から来たんだが
御子神典膳(小野派一刀流)は上総の万喜城主「土岐氏」の家臣だったと聞いたけど
詳しい人いない?
香取、鹿島神宮は武術の総本山だったよ。当時「神宮」は香取、鹿島、伊勢の
三社のみだったと思う。

52 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 03:34:43
>>12 
利根川に恵まれた下総・・・って、利根川はとんでもない暴れ河ですぜ。
平将門の時代から開拓が始まり、家康入府までの約1000年間、手が付けられなかった。
水郷地帯が貧乏だったのは利根川のせいでもある。

53 :バロン曽志崎:2006/01/26(木) 03:49:31
そういえば、小野忠明(御子神典膳)の墓が成田山新勝寺にあったな。

54 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 05:59:44
>>52
坂東えい(ry

55 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 07:01:35
鹿島・香取のどちらかに棒踊りがあって、由来は防人
供給地?

56 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 08:02:15
>51 伊勢神宮(本来は単に神宮という)は、内宮(皇祖皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)及び末社の総称だから、3つ(三座)とは言えないよ

57 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 08:07:18
千葉郡は下総だから、スレタイ変だねw
揚げ足スマソ

58 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 08:07:53
>>50
内容が充実しているから、買った方がいいと思うよ。

59 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 12:42:48
印旛沼の干拓。でもさっぱり知らないのでカキコできない。

新京成電鉄は、旧陸軍管轄軌道を転用したもの
列車砲を打つことを念頭に置いてるので無駄にくねくねしてる。

成田空港予定地には、皇室向け乳製品を製造する御料地があった。
戦後、満州からの引き上げ組の、貧乏なものの一部が政府の計らいで
その周辺に住み着き、荒野を開拓して細々と農業を営む貧困層がいた。
御料地であれば土地買収の手間も省けよう、という理由で成田に
空港建設が決まり、その周囲に住んでいた貧農を移住させようとしたが
話がこじれた。それを、過激派・街道が政治利用して、闘争に発展した。

でもこれ近現代史だよな〜板違い

60 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 12:49:28
浜公とかいう政治家の地盤がある
千葉県最大勢力の8とのつながりが深いという噂
その8が、浜公を通してアクアラインの出口を無理やり
今の場所に引水したというのが通説になっている

61 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 16:36:12
>>51
物凄く過疎りそうな板だな・・・因みに俺もそのスレ住人。
若い頃土岐氏に仕官してて、一兵卒として出陣もしてたらしい。
一刀斎が当地を来訪したおり勝負を挑んだら惨敗したそうで、
下野して弟子入りしたとかしないとか、と何かで読んだ。
そういえば万木城公園の鯉のぼり一度みたが綺麗だったなぁ。

>>57
千葉郡じゃなく千葉県ってことじゃ?

62 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:03:18
>>59 印旛沼の干拓は田沼意次時のやつならマンガでよければ みなもと太郎の「風雲児たち」(リイド社)
に経緯が出てくる。
俺は20年前にコミックトムで読んだので何巻に掲載かは知らないw
まだ続いてるんだよな〜w

63 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:27:12
>>61 いや、その剣豪スレも一時期過疎りながら900越えたからな。
他にも香取神道流や立身流が県の無形文化財になってるね。
野田には戸隠流忍法も有るし・・・w
万喜城は里見、正木が最後まで落とせなかったと聞くが、名城なの?

>>56 なるほど伊勢神宮っていっぱい有るのね。ありがd

64 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:37:01
>>63
板じゃなくスレだろって暗なる突っ込みだと思うが

65 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 20:13:01
蘇我氏最後の大臣、赤兄が流されたのはこのあたりですか?

66 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:36:05
我孫子にある手賀沼って、元々は今より広かったの?
前に一回だけ行ったことあるけど、明治期の著名人の別荘とか
いくつかあるんだよね、確か。

67 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 00:40:43
>66広いと言うより長かった(西のほうに)。もとは狭沼(=細沼(さぬま))と呼んだらしく、相馬(さふま→そうま)の語源との説もあり。

68 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 04:05:59
ややや・・・山下清も、手賀沼にいた、いたのかなぁ?
のりのみやさまはもう居ないのかなぁ?
やっぱ手賀沼にっぽん一なんだなぁ〜

69 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 18:39:32
この前、休みの日に館山城登ったんだけど、2〜3才くらいの子供がヨタヨタ
と親御さんといっしょに登ってた。私もブラブラ登っていってたから途中途
中で見てたんだけど、そのお子様、ヨタヨタとあっさり天守まで登ってきて
ました。なるほど、里見氏は弱いわなぁ。妙に納得してしまった。

70 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 19:44:57
里見が弱い?何故そう思った?

71 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 19:47:30
城の造りを知らない素人みたいだから暖かい目で見てあげなさい

72 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 21:22:26
69さんの言ってることはただの笑い話でしょう。



73 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 21:51:55
ユーモアセンスが足りないですよおまいら。

>>63
武田や正木なんかに幾度も攻められてるが、忠勝によって落城するまで
あの支配が複雑な地を守り通したわけだから、なかなかの城ではないかと。
但し領主の土岐氏がかなり辣腕家だったから、城のお陰が城主のお陰かは
微妙なところ。俺はよく知らない。

74 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 21:44:27
まあまあ、いいじゃないですか。ま、弱いかどうかは別として。でも、強かった
のかなぁ?

75 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 23:05:27
強弱の定義がなけりゃなんとも言えん。
天下統一してなきゃ弱いとすれば、雑魚もいいところだな。

76 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 07:46:29
あの小田原北条氏が倒せなかったというのはそれなりに強いと言う証明では?

77 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 10:20:35
かつての将門領では、砂鉄での製鉄やソ(乳製品)の生産をしていたようですが、
今は産業としては途絶えているのでしょうかね?

78 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 10:56:41
里見氏は鉄砲玉や火薬を領内で量産してたのは確かといいますが  里見氏が軍馬を育てるために創った牧場は現在、養豚所に言ったらしいです

79 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 11:00:19
製鉄も乳業も行われてるけど、その頃からの流れかというと
別にそういうわけじゃないと思うぞ。
製鉄は立地的にみても経済上必然的なものだったろう(今は衰退してるが)。
明治八年に下総牧羊場が設置されてるから、乳産業の産地として脈々と
残っていたのかもしれないが、詳しい設置経緯は知らない。
但し成田空港建設で御料牧場は栃木に移ってしまったね。

そういえば空港建設問題も調べていくと、かなり歴史に根深くて面白い。

80 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:26:51
>>73
万喜城趾が部屋の窓から見える者です。
城自体が堅固だったかは定かではないですが、周りに夷隅川という川が囲うようにうねっていて濠の役割をしていた…と言われればそんな感じがしますね。
城主の土岐為頼は結構な戦上手だったらしく『万喜少弼』なんてあだ名されたりしてたみたいですね。


81 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 15:05:55
千葉県は本来、平氏(平家)一門の領地だが、里見、土岐、武田など、源氏一門の勇気ある一族が進出してきた場所でもある!
平家の落人はよく聞くが、うちのとこには、源氏の落人がある!木曽義仲の一族らしい。今井、宮沢など。

82 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 15:32:05
安房岡本氏って何者?

83 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 20:11:01
自分で少しは調べてその結果を書き込むぐらいしろよ

84 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 20:27:06
ちょと前に岡本氏の子孫を名乗る人がいて気になって調べたけど岡本城とかいう得体の知れない城しか出てこなかった

85 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 22:04:02
俺知ってるよ。岡本信人が作ったのはいいけどロミオに奪われたトーチカ。
千葉県のどこかの山を探せば見つかるはず。
地下には豪華なリビングルームがあって毎日NHKの番組を楽しめることができる
日本史上もっとも住み心地の良いトーチカ。

86 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 22:05:14
葛飾郡てやたら広い(1都3県に跨る)けど、郡衙は松戸市にあったのかな?
遺構等ありますか?

87 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 19:30:15
葛西って葛飾郡の西で葛西なのかな?であれば西葛西って面白いな。

88 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 22:41:01
戦国大名葛西氏は葛西の出身?

89 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 23:28:03
ってか、下総も全範囲千葉県だったら古河も結城も今頃千葉県だろ?
江戸川区あたりも千葉県か?デカイぜ下総國!

>>76
あと小田原役が数年先だったら、おそらく北條勢力に併呑されるかしてたんじゃ
ないか。かなりギリギリのタイミングで命拾いした感じじゃないか?→里見氏
千葉氏も土岐氏も高城氏も原氏も、とっくに北條勢力に組み込まれてほぼ下総は
制圧下、上総も半分以上は北條支配下で小田原役開始だよね。
千葉氏当主は屁の恨みで殺された邦胤の次は直重・・・氏直の弟じゃなかったっけ?
武蔵千葉氏にも玉縄北條から養子が入って家督継いでるし、ほとんど北條一門化
されてる情況。でも北条家に強力な水軍が無かったのも最後まで反攻できた理由かも。

90 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 23:54:30
戦国末の上総安房は北條勢力が一番強かったの?対抗できた勢力ってどこ?
上杉とか佐竹じゃ遠いでしょ?

91 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 00:05:16
安房にはさすがに北條勢力は及んでないよ。
国府台合戦後に一時期は富津辺りまで北條領になった。
佐貫城にも北條家の武将が城代として入っていたし。
三船山合戦で一発逆転したけど危なかっただろ。
木更津に北條家の築いた城跡も有るらしい。

対抗勢力は佐竹と上杉、宇都宮、皆川、佐野と言った辺り。
里見も上杉と連絡取って対抗してるよ。

92 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 00:13:39
面白いのは北條早雲(本当は伊勢宗瑞と言ったほうがいいのかな?)の
息子幻庵に宛てた所領の譲状。
なぜか茂原に所領がある。当時はどう考えても北條家の勢力が上総に
及んでいたとは考えられない時代。
諸説有るが真理谷武田氏辺りとの関係で一時期所領を得たらしい。

93 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 00:31:04
>>92
それは興味深い…。茂原在住なので詳しい場所がわかれば現地で調べてみたいが。

94 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 01:22:48
>>93
すまん、譲状の全文が掲載されてる本をを実家に置いてきてしまっているので
後日書きます。


95 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 03:29:31
>>82
岡本城の登り口に、まさに「岡本」さん表札の家がある。
そこで聞いてみたら?

96 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 03:33:08
運河と醤油

97 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 03:35:41
房総半島にも三浦半島のような墓地形態が・・・。

98 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 03:56:40

>>86
郡衙が在ったのは国府台では?
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/kounodai.html

松戸は明治期に東葛飾郡の郡役所があった。

慶応4年に江戸で謹慎中の徳川慶喜が松戸で一泊して水戸に移動しているし、
その2週間後に新撰組と旧撒兵隊とが国府台で集結、新撰組に関しては流山に移動で、近藤と土方の別れとなる。



99 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 03:58:16

<市川戦争(市川・船橋戦争)/1868年(慶応4年)>

4月12日に旧幕府・陸軍歩兵奉行、大鳥圭介や土方歳三率いる新撰組の残党らが国府台に集結し、
軍議の結果、隊長を大鳥圭介、副隊長を土方歳三とする総勢2000人の部隊を編成。
彼らは、宇都宮、日光、会津と転戦し、仙台で旧幕府海軍副総裁であった榎本武揚と合流し、
函館の五稜郭に立てこもる。
一方、江戸を船で脱出した福田八郎右衛門道直、江原鋳三郎率いる旧撒兵隊(さっぺいたい)は
4月12日に、木更津に本陣をおき、総勢2000人の部隊で「徳川義軍府」を称した。
4月29日に江原率いる義軍府第一大隊は木更津から北上し、中山法華経寺に本陣をかまえ、
市川、国府台、真間まで進軍してきていた征東軍(官軍)とぶつかり、銃撃による市川戦争がおこっている。

100 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 04:03:41
千葉の歴史なら日蓮を忘れるな!安房国小湊 出生だぞ

101 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 04:27:09
>>100
生家はもはや太平洋の下だけどね

102 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 04:29:02
>>97
房総半島と三浦半島の関連は密接にあった。

+ 猿島の由来 +

この猿島の呼び名については、建長5年(1253)5月、日蓮が房州から鎌倉へ渡る途中に嵐に逢い、舟の進む方向さえわからなくなった。
そのとき、一匹の白猿が、舟の舳に立ち、この島へ案内したという伝説による。
富津岬⇔横須賀への船による往来は日蓮が房州から鎌倉へ渡る時から記録に残っている。

また、三浦半島の三浦氏が房総半島の里見氏・正木氏の関係を見ると相互の半島の関係が深いのが分かる。

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/masaki_k.html
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/meizoku/miura.htm


103 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 09:17:28
【千葉】前期里見氏の居城「稲村城跡」見に来て…館山に残る戦国前期の貴重な遺構
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1138887661/l50

104 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 12:11:00
横須賀の角なしサザエも日蓮絡み

105 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 18:31:17
某ゲームじゃ弱い里見も捨てたもんじゃないぞ。
しょっちゅう三浦半島を襲撃してるし、鎌倉を攻めて鶴ヶ岡八幡宮に放火したりと
一時期はやりたい放題。
三浦半島の東京湾側の村々は、「敵領半知」・・・北条にも里見にも貢納を
していたそうだ。
北条も苦々しく考えていたが、実際里見を駆逐出来なかった為、黙認せざる
を得なかったそう。金谷にも水軍基地を持っていたらしいね、里見家。

106 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 20:25:20
里見水軍は海賊集団だから乱暴狼藉のやりたいほうだい。
何ていうゲームですか?やりたい

107 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 20:45:46
うんにゃ、ゲームの話ではなく史実だす^^;

108 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 20:46:38
千葉周作って上総で念流と喧嘩して有名になったんだっけ?

109 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 21:41:53
室町時代に前期里見氏の居城となった、館山市の「稲村城跡」を紹介
するイベントが、四日に市内で開かれる。有志による保存会結成から
十年を経た今年は、行政や地元地区が初めて参加。国の文化財指定を
目指す動きが盛り上がっている。

 稲村城は十五世紀後半に造られ、十六世紀前半の内乱で里見義豊が
滅びるまで里見氏が居城とした。主郭や土塁、堀切などを設けた東西
五百メートル、南北五百メートルの丘を中心とする城で、戦国時代前期
の城の形を伝える貴重な遺構とされる。

 一時は道路建設計画で存続が危ぶまれたが、一九九六年に発足した
「里見氏稲村城跡を保存する会」が保存運動を展開。その後発足した
特定非営利活動法人(NPO法人)「南房総文化財・戦跡保存活用
フォーラム」と連携して、国の文化財指定を目指してきた。

 今回のイベントは、数年来開いていた「里見紀行」を拡大する形で、
保存する会と同フォーラムが主催。「わたしたちの稲村城跡大発見」と
銘打ち、市や地元の館野地区コミュニティー委員会などが初めて参画する。

 当日は稲村城跡を歩いて見学する第一部、専門家がスライドを交えて
講義する第二部、各分野の七人が座談会を行う第三部に分かれている。

 第一部は午前九時四十五分から、同市稲の「成勇館山店」向かいの
空き地(JR九重駅から徒歩十分)で受け付ける。参加費百円。第二・三部
は館野小学校体育館で午後零時半から受け付け。無料。会場で資料冊子
を販売する。問い合わせは保存する会へ。

(問い合わせ電話番号省略、ソース元でご確認ください)
ソース(東京新聞) http://www.tokyo-np.co.jp/00/cba/20060202/lcl_____cba_____002.shtml


110 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 22:04:18
里見義尭が義通を倒して里見家を継げたのは
ひとえに北条左京大夫氏綱のお陰だったと言うのも・・・・
随分恩知らずじゃあねーか!>義尭
ところで里見家の官途は何だったんだろ?

111 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 00:19:53
国府台というぐらいだから、そこに下総国府があったんだよな。
本八幡の「八幡」は八幡宮に由来するんだろうか?

112 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:09:36
>>111
ご明答!

ttp://www.st.rim.or.jp/~komatsu/simousa.html

113 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:11:11
>>112
知ったかぶりしやがって、ばーか!

114 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:22:30
知らぬバカよりまだましかと。。。^^

115 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:47:48
112は知ったかしてカキコしたわけじゃないだろうと思ふ。
ソースもちゃんと出してるしな。
ばーかとか煽るバカも、バカなりに何か書け。ただでさえ過疎スレが
さらに過疎になる。

116 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:49:58
過疎スレは消え行くのみ

117 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:52:19
ここのスレの住人は馬鹿ばかり。うざい!

118 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 02:00:31
ここのスレの住人は馬加ばかり。

119 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 02:08:51
馬加=幕張

120 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 02:26:18
都民になりそこねた千葉の田舎もの

121 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 03:01:19
千葉には千葉都民と言う歴とした東京都民がいます。


122 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 03:03:08
おっと、神奈川都民を忘れてもらっちゃ困るぜ

123 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 09:52:26
小笠原都民

124 :チバラキ:2006/02/04(土) 11:09:31
千葉の永遠のライバルは茨城です。

125 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 11:59:21
現在のチバラキの国境は利根川近辺だが、
下総・常陸の国境は旧小貝川近辺かな?領土争いのライバルは茨城だった
分断国家下総(チバラキ)に愛の手をw

126 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 14:29:35
なんか一気にウザいのが湧いたね。下らない卑屈な土地意識なんてどうでもいい。

幕張の元である馬加氏の居城、その名もずばり馬加城なわけだが、
遺構はもう京葉道路やらマンションやらで殆ど残ってなくて、
ちょっと哀しくなるよね。本に載ってたから近所なので見に行ってみたけど
それらしい遺構は全然わからなかった。っていうかあのデカいマンション、
だだっ広いとこにポツンとあるけど、一体何故あそこに建てたんだろう?

127 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 15:25:18
>>126
俺も気になってググッてみたらこんなHP発見した。
ttp://homepage2.nifty.com/mori-chan/sakusaku/1_5.htm
遺構も完全消滅かと思ったらかすかに残るんだね。康胤本人は
宗家を滅ぼして、また滅ぼされてしまった訳だが、結局以降は
馬加氏系で千葉氏が続いて行くのが面白いと思った。

千葉氏も名族なので、いくら小田原方に荷担していたとは言え、
小大名とか高家なりで維新まで残ってもおかしくなかったと思うが、
秀吉も家康もなぜ千葉氏に冷淡だったんだろうか?



128 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 15:28:14
後代からみれば名族を滅ぼすのは惜しいと思えるけど、
当時にしてみりゃ心臓部の江戸近辺にいる目障り外様なわけで。
況やそれが名族だったら。

129 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 16:51:17
でも別に転封するなり、数千石程度の旗本にしておいても良し、
(いずれにしても大々名とかはありえなかったとは思うけど)
実際、秀吉や家康は名家の家名は存続させるスタンスだったと思う。
今川や斯波や山名、大友などもそうして家名を存続させていたのに、
なぜか千葉氏に関しては小禄でもそう言う風に扱おうとした形跡も
余り聞かない。
余程嫌われる何かが有ったか、もしかしたら最後の(小田原役当時の)当主
が北条一門だったのが効いたかな?

130 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 20:33:59
御成街道の話しはどうかな?と、ふってみる!

131 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 20:42:40
> 江戸川区あたりも千葉県か?デカイぜ下総國!

遅レスだが、江戸川区どころか隅田川以東全て下総國じゃなかったか?
柏には東葛飾高校があるし、京成西船はかつて葛飾駅だった。
埼玉にも葛飾郡(?)があるし、ホント広いよな。

あと千葉氏は京葉銀行の重役だった。それなりに優遇されてるね。

132 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 22:42:40
両国は武蔵と下総の境だったから「両国」と名づけられたんでしょ?

133 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 23:07:39
>>131
重役って話まじで?
親戚に勤めてる人がいるんだが、それは初耳だ。

134 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 23:16:19
>>130
御成街道は下志津駐屯地と八街市沖で昔の道が消されてるね。
あと御茶屋御殿辺りで迷いやすいねw

135 :131:2006/02/04(土) 23:55:01
>>133
千葉興銀かもしれん…。今も現役かは未確認。

136 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 00:43:34
気になったのでぐぐったら、千葉商工会議所の会頭が
千葉滋胤氏という方で末裔だとか。千葉氏の通字も入ってるね。
まぁ勿論分家筋らしいけど、真偽のほどは解らない。
幕末まで宗家が残ってたら、凄く格のある武門の家なのに惜しい。

137 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 01:22:58
>>136
千葉銀行ですよ!
ハマコーさんの弟が京葉銀行だったな!

138 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 11:56:39
茂原のヒーローについて語ろう

139 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 11:57:25
スマン


誰もいなかったよ

140 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 12:35:26
>>138
歴史的にはパッとしないし今は殺人絡みの事件やたら多いし。
事件事故災害に自分がよく巻き込まれずにすんでるって感じ。

141 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 16:46:07
千葉県内に、新沼という地名があるかどうか教えていただけないでしょうか?
あれば、どこなのかもお願いいたします。

142 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 00:47:11
大名としての千葉氏は徳川が関東にくる以前に滅ぼされてるでしょ?
弱体化した家を維持するために北条と業務提携・事実上子会社みたいになってたから、
北条といっしょに滅んでしまった。

143 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 08:31:02
昨日「功名が辻」見てたら、オープニングで有力大名を
色分けした地図が出て、千葉は富津辺りまで見事に
北条色に染まっていたな。

144 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 10:38:23
普通に久留里も北条になっていたなあの地図は

145 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 10:40:57
千葉全部北条になっていないだけマシかも…

146 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 12:12:59
今は浦安氏が小領地ながら経済力で他を圧倒してるな。
南蛮風の居城には落窪物語のモデルになった上級貴族の末裔が住んでるとか・・・

147 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 12:13:04
現千葉県主要部は充分に北条支配下だったわけだが・・・

148 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 16:35:57
蔵波砦に里見、久保田城に北条って感じで現在の袖ケ浦市を真っ二つにして対峙してたのでは?

149 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 18:29:32
>>148
その辺り境界が微妙だね。
一時は久留里〜佐貫の線まで里見は押し込まれ、また追い戻して
また攻められるって具合で。
最後は北条の姫を迎え、人質を小田原に出したと言う事だから
事実上は屈服したような形かな?
でも里見は良く頑張った!感動した!
そこ行くと千葉氏は・・・

150 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 19:28:38
千葉の名士は、過去をさかのぼると千葉に土着した平家一門に逝きつくんだろうか?

151 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 20:43:47
千葉氏の出自(ってか、坂東八平氏)は本当は
平氏に仮冒した別氏族と云う学説も有るよ。
考えりゃ里見も先祖がはっきりしてないし、宇都宮氏も
藤原道隆流はウソらしいし。

152 :糸井勇:2006/02/06(月) 20:57:01
今の流山市付近は糸井勇が支配していました!!!

153 :糸井勇:2006/02/07(火) 17:38:05
勇くんキック〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(笑)

154 :糸井勇:2006/02/07(火) 18:13:36
やっほ〜

155 :糸井勇:2006/02/07(火) 18:28:22
136〜

156 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 19:59:20
結局ネタは尽きたか・・・

157 :糸井勇:2006/02/08(水) 00:02:15
その通りであります

158 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 08:39:02
戦国時代の千葉氏の居城は 本佐倉城
千葉市の千葉城のほうは、いつ頃まで使っていたのでしょうか?


159 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 11:07:32
千葉城は郷土史料館、亥鼻城が正しかったと思う。
亥鼻城は享徳の乱で焼失してしまったそうだから、室町後期までか。
それ以降宗家が岩橋氏系に移ってからが本佐倉城の時代だな。
千葉氏は滅亡が早かったから、城の遺構もあまり残ってない。
亥鼻山を注意して散歩すると、ようやく見つかる程度にしかないね。
まぁ明治まではいつの時代のかは解らないが濠などは残ってたようだが、
戦災もあったし、何より千葉市街のど真ん中だから殆どの土地は開発されてしまった。

160 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 12:12:29
千葉空襲はマイナーだな。
東京、横浜空襲は有名なのに・・・。

161 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 15:21:58
>>160
本土決戦すれば千葉は有名になったね…。

162 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 15:48:06
>>161
それでも主攻方面は相模湾。
千葉(それも九十九里)は助攻方面で陽動作戦だもんなあ・・・


163 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 22:04:46
千葉にあれだけ明治になって陸軍関係の施設が
いっぱい集まるようになったのは、演習などに

都合の良い牧や原っぱが多かったからだろ?
神奈川が海軍の軍都なら千葉は陸軍の軍都だな。
海軍なら木更津・館山ってとこか。

164 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 01:13:33
しのはらにならえで習志野って知っています?

165 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 01:14:36
>>5
くわしく

166 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 01:41:16
>>164
明治天皇が篠原国幹の指揮振りに感動して言った
言葉だろ。
でもそれまではなんて呼ばれていたんだ?>習志野辺り

167 :日蓮:2006/02/09(木) 02:06:28
ワシが生まれた安房に向かって南無妙法蓮華経と3回唱えろ!

168 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 04:21:18
>>167
だから生家は水没してるから唱えるなら太平洋に向かってでしょ

169 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 12:05:38
>>166
正確には「習志野原」になったんじゃなかったっけ、地名は。
それまでは小金原とか大和田原と言われていた。
習志野原は現習志野市よりも広大だったから、市外にも習志野の地名が
残ってるのは当時の名残なんだそうだよ。行政区分編成でも
習志野なんて原っぱばっかりの土地だったのに名前が残されてるし、
流石は叡感効果というところ。

170 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 20:06:42
俺の住む八千代も習志野原だったのだろうか?
何となく「原」とするのは微妙だが・・・。
大和田新田あるからなあ。

171 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 01:30:19
今日千葉パルコいったんだけど、そこの上にある本屋の最奥部一角、
棚一つ丸々千葉の郷土史本が揃えてあるんだね。ビックリしたわ。
城郭関係から逸話、民俗学研究まで分野・時代も幅広で、品揃え以上に
書店で買える千葉についての本があれほど上梓されてたことに驚いた。
今日は軽く立ち読みしただけで帰ったけど、今度何冊か買ってこよう。

隣がホモとか男色衆道の歴史みたいな本のコーナーで、
ちょっとばかし気まずいんだけども・・・

172 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 01:34:26
>>171
情報ありがとう、俺も早速行ってみるわ
隣に

173 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 07:31:29
>>172
船橋北駐で待つ

174 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:27:10
さとう珠緒を船橋北高でつ。

175 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:34:09
養老渓谷はなかなかの景勝地。
里見も行ったのか?

176 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:38:01
>>172
ホモ書籍に興味があるんならすれ違いだぞ。

177 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:41:03
>>176 ホモで悪いか!

178 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 18:08:00
>>177
八千代運動公園で待つ

179 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 18:08:44
養老渓谷付近は湯治場だったようだよ

180 :糸井勇:2006/02/10(金) 19:31:38
【その時歴史が動いた】平成十八年二月十日、糸井勇が<天下統一>!!!

181 :糸井勇:2006/02/11(土) 01:07:10
本日から私はこのスレの主と致します!私は大統領です。文句あっか?

182 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 01:18:24
日本語がおかしいです

183 :糸井勇:2006/02/11(土) 01:27:58
そうか?おれ実は北朝鮮とイラクのニョーハーフなんだ

184 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 01:30:10
ニョーハーフ?馬鹿か?

185 :糸井勇:2006/02/11(土) 01:51:06
バカですもん。しょうがないじゃないですか?

186 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 01:57:41
てか荒らしだろ貴様は

187 :糸井勇:2006/02/11(土) 01:59:40
いいえ。嵐です。

188 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 02:10:37
とりあえず消えろ

189 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 02:14:22
あんたこそ!!

190 :糸井勇:2006/02/11(土) 02:22:54
やったぁオレッて天才?荒らしをたいじしたぞ!!!!(^0^)/

191 :亀山ダム:2006/02/11(土) 02:34:41
かなり前(5〜7年前?)に久留里戦に乗った
ことあるけど、ひたすら女子高生にからむ
いかにも朝鮮人ぽいおやじがいたけど
久留里線沿線って在日部落があるの?
蔑視するつもりなど更々なかったん
だけど、なぜか朝鮮人かなぁ?…て
思ってしまったことだったので印象的。
(民族衣裳っぽいおばちゃんなんかも
同乗してたのかも?んーワカランス…)

192 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 04:56:43
久留里線てパー線と呼ばれてるんだけど由来は青葉高校の生徒はくるくるパーだからだそうな

193 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 09:11:52
いやいや、「久留里」の語感から来た通称だろ?>パー線

194 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 09:18:11
ちょっと雨が降っても風が吹いてもすぐに運休っ
てのはやめてくれんか?パー線。
三浦半島部分の横須賀線級に風雨に弱い。
エンジンが凍結したって40分も遅れんでくれんか。
いかにもローカル線なイメージは好きなんだが。

195 :萩原豊:2006/02/11(土) 10:55:42
林家パー子

196 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 14:55:50
パー線の無人駅はヤンキーの溜り場になっているところが多いですよね

197 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 18:25:10
佐倉惣五郎は主家千葉氏再興を幕府に願い出て処分されたらしいのに
いつの間にか領主堀田家の悪政を訴えて殉死した英雄扱いにされている

198 :坂本金八:2006/02/11(土) 23:59:32
あ〜ぁみんな死ねばいいのに......

199 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 00:20:09
>>198
お前も死ね

200 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 00:22:38
>>198逝って吉!!!

201 :バンテリン:2006/02/12(日) 00:30:01
>>199-200
オマエモナ━━━━━━━。

202 :糸井勇:2006/02/12(日) 00:33:37
まだ私糸井勇の天下統一はやまないぞ!!!!!

203 :萩原豊:2006/02/12(日) 00:40:41
>>202
あの〜、私のことを忘れてませんか?

204 :糸井勇:2006/02/12(日) 00:44:02
あ〜すまないねぇ豊くんじゃあいまから二人で千葉県を支配しに逝こう!

205 :萩原豊:2006/02/12(日) 00:56:44
私は庭で鳴いてますからいいですよ。

206 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 01:05:55
荒らしは消えろ

207 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 01:49:03
>>197
佐倉惣五郎は殆どが伝説だからね。「佐倉義民伝」成立までの過程で
徹底的に劇化されちゃってるから、今じゃ殆ど何やった人かわからない。
千葉氏再興の請願説も一次史料がなく定かではないよ。
惣五郎の姓である木内が千葉四天王の木内家かどうかの確証はないし。
四天王の木内家は江戸時代越前藩で禄を得てたし、俺はこの説は疑わしいと思う。

1650年代(正確な年号は失念)の史料では、既に宗吾として神格化され社が
建てられている記述があるので、宗吾信仰は存外かなり古い。
後年の安房万石騒動とも混同されて、最早惣五郎自身が何をしたかは知れないが、
口之明神として祀られていたことからも、伝説の尾ひれとは違うかもしれないが
何かしら農民の崇拝対象に足ることをやったのは違いないと思う。
一応実在はしてたことが確認されたしね。

208 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 01:52:24
>>207
「確認された」と言うのは、何か新発見の文書でも
見つかったのかな?詳細お教えいただきたく・・・。

209 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 02:03:04
>>208
確認されてるというのも言いすぎだった。ごめん。
児玉幸多氏によって、現在の成田、公津村名寄帳に「惣五郎」という人物が
確認されてる。まぁこれも宗吾本人かどうか確定する材料ではないんだけど・・・。
兎も角今のところ、これが惣五郎に関するほぼ唯一の根本史料だとされてる。
この「惣五郎」なる人物が木内姓らしく(この辺の経緯は浅学のため知らず)、
木内惣五郎が本名であるとされてて、千葉四天王木内家と結びつけている
千葉氏再興説などもこれに基づいていると思われる。

210 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 11:17:03
山本勘助みたいな人だな、宗吾。
資料が一点しかないなんて。
もっとも、この「山本官助」が「山本勘助」かどうかも
証明されて無いけど・・・。
八百屋お七は今の市域で言えば八千代市の生まれだそうな。

211 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 12:27:13
八百屋お七は流山出身ときいたのだが

212 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 12:44:38
流山(゜∀゜)キタ━━━━━━━━━━━━!!

213 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 13:01:48
いや、八千代だよ。墓も萱田にある。

214 :糸井勇:2006/02/12(日) 13:34:12
そうか草加......八千代か...「あっ間違えちゃった」(おさるさんポーズをとる)

215 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 14:23:38
>>214
間違えちゃったじゃねえよ!!オタクが!!

216 :糸井勇:2006/02/12(日) 17:17:39
>>215「わたしはオタクではありません(`ヘ´)」

217 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 17:23:35
落花生でも作ってりゃいいんだよ千葉はw
最近じゃシンデレラ城を築城して客呼んでるらしいがな
里見なんてカスだしな

218 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 17:33:20
>>217
okわかった。俺が落花生全部食べる。

219 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 18:05:16
>>216
何!?落下女?

220 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 20:13:35
真間の手児名も今で言えば市川生まれだし、俺の元カノは八千代だし
下総は良い女の産地だな。

221 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:13:23
>>220
ちょっと待て!!!w

222 :相州人:2006/02/12(日) 22:04:38
>>220
俺の女も下総女(津田沼)だ。まあそれなりに可愛いし床上手。
まっ、昔から「相模男に下総女」と言う罠(ウソだけど)。
休日のデートの待ち合わせがめんどうくさいが・・・。

223 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 22:23:26
千葉の女が可愛いなんて例外では?
外房線や内房線の電車の床に座り込んでる女子高生どもは神奈川からでも来たとでも???

224 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 22:41:39
千葉なんてカスだよ


225 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 22:50:29
外房線・内房線は上総・安房人の利用多し。

226 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 23:08:06
千葉のオンナは緩いとか聞くが

227 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 23:14:17
千葉県って下総と上総・安房の半島部とで分割したほうがいいんじゃない?
住んでる人種とか違うし。

228 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 23:42:47
「上総女郎に相模下女」と江戸時代の言葉だが・・・。
当時から上総が女郎の産地だった。


229 :糸井勇:2006/02/13(月) 19:38:51
千葉県流山市は次世代の秋葉原として有名ですよ

230 :電車男実行委員会:2006/02/13(月) 21:07:42
>>229
有名じゃないから。

231 :リバティ ◆dXgNZ2yJ32 :2006/02/13(月) 21:52:15
ねじめ正一は長嶋茂雄の大ファンだったが、ある日長嶋が、
「僕の最も尊敬する人は、佐倉惣五郎です」
と言っていたのに感動し、自分の長男に宗吾という名前をつけた。
わたしも、そんなせりふを長嶋が言うとは思わなかったので感動した。
ところが、ねじめ正一が長嶋に会ったとき、その話をすると、
「えっ、僕そんなこと言ったかなあ」
と答えたそうだ。やっぱりな。

232 :糸井勇:2006/02/13(月) 22:07:29
「理科をなめるな?私、そんなこと言った覚えないなぁ」

233 :萩原豊:2006/02/13(月) 22:12:36
>>232
勇はだまってくれ_| ̄|○

234 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 22:36:24
>>227
仮にも学術系の板で、軽々に人種という言葉を使うなよ。
南部は移住系で北部は現地系とでも言う気かい?

>>228
産地というと畜生や穀物の特産品のようだが、
そういう言葉が出来た背景を調べると面白いことが沢山解ると思うよ。

235 :日蓮:2006/02/14(火) 09:28:36
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経

236 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:36:56
>>234
いや、俺もそう思うんだが、以前千葉の方言を調べようと思ったら
そんなような分け方をしてるサイトが有って驚いた事がある。
南武の農村地区が原住民系で、北部都市部は新興住民みたいな仕分け方。
確かに人口が急増してる地区は余所者がどうしても多くなるわな
東京を筆頭に神奈川とか埼玉とかも。
でもって自分はあたかも都会のスマートな人間だとか顔したり。
しかし実はお父さんの代に東北の寒村から越してきたとか、お爺さんが
戦時中に越してきたとかパターンが多い。

しかし千葉県人の郷土愛の無さ加減はどうにかならんか?俺の周りの千葉県人
だけなのかも知れないが・・・。

237 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:32:08
>>236
そういう分け方は別に人種云々ではない上にただの偏見だな。
転居の自由のもと色々混在してるのに、なんともアホらしい。
郷土愛に関しては郷土意識が薄れているのが一番の問題だろうけど、
関東圏は総じて元来そういう傾向にある気がする。京大阪沖縄のような都市は兎も角、
発展した都市に近い住民は実質両都市を股にかけて生活してるようなもんだから、
とりたててベッドタウンに愛着を持つということも無いんだろうかね。
遠方に数年もいれば大抵は恋しくなるんだろうけど。

238 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:45:50
東京に住んでるやつは東京を自慢する。神奈川に住んでるやつも
神奈川の良さを語る。埼玉と千葉に住んでるやつは都内に出るまでに
短時間で行ける事を自慢する。

239 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:50:36
物事を一括りにしてレッテル貼るのが好きな人は困ったものだ。

240 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:52:36
俺は生まれ育った上総国を自慢する

241 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 07:48:12
皆、千葉に住んでることを自慢しよう。
歴史と伝統に培われた千葉県はすばらしい。


242 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 11:22:53
その歴史と伝統にどれほど造詣が深いのか披露してもらおうか

243 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 12:08:21
そんなもん千葉にあるか!

244 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 12:15:29
上総堀り。雨城楊枝。久留里の名水。落花生。びわ。鋸山。九十九谷

245 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 13:18:27
上総掘りは確かに誇れるね。
衛生管理はまず水からだけど、重機や大きな労力をかけずとも
出来る秀でた鑿井技術として近年民間支援団体などに注目されてて、
NGOを通じて発展途上国に徐々に伝播してるみたいだよ。
先達の偉大な知恵が世界に敷衍されていくのは、やはり地元民としては嬉しい。

246 :SCIENCE先生:2006/02/15(水) 19:18:06
糸井勇バンザァ〜イハンザァ〜イ!

247 :萩原豊:2006/02/15(水) 20:08:51
>>246
やかましいですよ
http://no1-aflac.iad.jp/index.php?md=pmk20003

248 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:00:51
>>245
日本陸軍も給水部隊で上総掘りを採用したんだが、進撃が早い場合は
付いてゆけない為、作井自動車等の機械化が進んだらしい。
後方の安全地域では上総掘りかオーストリア式作井法とやらで
井戸掘りしていたそうだが。

249 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 00:24:03
とりあえずトーチカを誇ろう

250 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 00:40:08
>>248
九十五式動力鑿井機は井戸よりも石油掘りで活躍した印象が強いね。
軍部方針や資源的制約による配備不全で活躍というのも怪しいかも知れないが。
ところで俺もその話を何かで読んだ気がするんだが、元ネタは「工兵入門」辺り?
ってスレ違い甚だしいか、ごめん。

>>249
トーチカって、飯岡の・・?普通トーチカって言ったら北海道か沖縄じゃないの。
まぁそうでなくとも、千葉は戦時の跡が結構多いね。新京成は言うに及ばず。
習志野や松戸なんかは現存してるのも多い。

251 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 00:44:41
えん待壕もあるよ零戦隠したとこ

252 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 00:49:10
>>251
壕だったら、柏にあった秋水の地下壕の方がメジャーだと思う。
零戦というと、どうしても各務原飛行場の方が有名だしねぇ。
どちらも郷土史家と一部の軍ヲタぐらいしか知らないだろうけど・・・。

253 :坂本金八:2006/02/16(木) 18:26:15
はぁ〜い!みんな逝っていいよぉ!

254 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 19:09:44
木更津市街にある封鎖されたトンネル?は何だ?

255 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 19:59:17
>>254
そのような質問で有効な解答が得られると思っているの?

256 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 21:06:32
>>250
元ネタは「軍用自動車入門」だよ。w
作井機はパレンバンとかの油田でも確かに活躍したみたいだね。
もし旧軍の車両などにも興味あるなら結構お奨めです。
スレ違いですが。

俺は神奈川県人なんだけど、今千葉に単身赴任中。神奈川も戦争遺跡は
事欠かないです。横須賀なら富津にもあるけど東京湾要塞の施設跡とか
横須賀海軍工廠関係の施設等々。
平塚市辺りは海軍火薬廠の遺構とか、最近千葉でも話題になったけど遺棄毒ガス
の発掘(?)
相模原辺りは相模造兵廠などの陸軍関係の遺跡ね。それと千葉市もあるかと
思うけど、焼け焦げた電柱やら高熱で破壊された墓石とか、空襲の名残など
は県内で爆撃を受けた横浜・川崎・平塚の3市以外でもかなり残っていて、
自治体が保存に力入れてるよ。

257 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 22:18:40
>>256
ああ、そっちだったか。今確認してみたけど両方に載ってるね。
光人社NF文庫のその辺りのシリーズはなかなか面白い本が多いから好き。

千葉市はあまり戦争遺跡に関しての保存は積極的でないイメージがある。
「千葉県の戦争遺跡をあるく」という本に詳しいけど、千葉市は主な建物跡も
造成した片隅に碑を建てるだけで、細々したものには全く保存の動きないね。
戦中世代の方に話を伺うと、結構色んなところに色んな施設があったことが解る。
千葉公園の辺りにも演習地なんかがあったらしいんだけどね。
館山なんかは施設数が元から多い所為もあるけど、結構良く残されてる。
千葉はもっと昔の史跡保存には理解があるんだけどなぁ。

258 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 22:23:40
流山市はつくばエクスプレス

259 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 23:31:34
流山うりさ〜い!!

260 :糸井勇:2006/02/16(木) 23:43:13
>>259もうるさい!

261 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 23:56:57
>>257
俺も結構好き>光人社のシリーズ。w
神奈川が海軍なら千葉は陸軍だからね。お陰で神奈川県には
歩兵連隊がついに編成されずに終わっちまった。
千葉は鉄道連隊から騎兵連隊(学校も)、野戦重砲兵連隊、
歩兵学校、野砲兵学校、戦車学校、下志津飛行学校、陸軍病院等々
軍施設のオンパレードだもんな。木更津や館山には海軍もいたしね。

そう言えば731の石井中将は千葉県人だったね。
神奈川県人にはノモンハンの迷将小松原中将がいるけど。w

262 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 00:10:06
流山の学校は最高だよ

263 :ミゼットU乗りのハゲオタク:2006/02/17(金) 00:31:02
サニー(B13)も最高だよ〜。

264 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 00:35:13
流山と言えば近藤勇の終焉地って事と飛血山くらいしかないな。
マイナー市の多い千葉県の中の西の大関くらいだろ。
白地図で「どこが流山市?」って聞いて、何人くらいが正しい
場所を示すものか・・・。w
埼玉の蕨市(もう無いけど)や加須市がライバルだと思う。

265 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 01:47:30
朝鮮人の入植地の多かった神奈川や多摩(千葉は元々縄文系文化だな)よりまし。
しかも古代は主要街道から外れた奥地ときたもんだ。

房総半島の国境が細分化されて武蔵や相模がでかいままなのは元々房総半島の方が発展
していたからに他ならない。東北なんか明治まで細分化されず仕舞いだったしな。

266 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 01:53:01
ま現代では神奈川や多摩は朝鮮人に変わって首都圏最大の上京人入植地帯となり
千葉を追い抜いてゆくわけだがなw

267 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 12:04:40
>>265=266
まず図書館で良い。千葉県史と
神奈川県史などの古代編などを一読する事を勧める
話はそれからだ。w

268 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 02:24:25
>>265
朝鮮人の入植って?
戦後だったら千葉の方が御料所を貧農に開放したりしたから多いと思うし、
元より比較に意味があるほど当時関東には移住してきてないと思うがね。
もしかして渡来系弥生人のことを朝鮮人と言ってる?もしそうなら誤った表現だと思うよ。
あと千葉では確かに在来系弥生人骨が出土してるけど、神奈川や多摩は
渡来系が主流だったという論拠は?不勉強故、是非後学のために教えて欲しい。
残り三行は読むに耐えない妄説だけど。

269 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 08:28:47
>>266
昭和20年代後半くらいからの千葉県の人口の増加ぶりを
見てみるといいよ。
何を持って「上京人入植」と言うのか分からないけど、
八千代市などは人口増加率が国内3位とかなった事ある
よな。

270 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 08:57:41
煽りにマジレスはご無用でつ。

271 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 09:09:17
>265日本史板なんだから、新羅・百済人を朝鮮人と呼ぶなよw

272 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 09:44:01
高句麗もありますよ

273 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 12:14:24
>>271
その辺の人が渡来系弥生人の正体かというと、そうでもない。
遺伝子や物的文化から、北方モンゴロイド系が短期に朝鮮等を経由してきた集団と
言うのが今のところ定説じゃないかなぁ。まぁ文化の伝播具合と遺伝子が
どうにもチグハグしてて疑問は多い時代だけど。
中国江南起源説とかは最近わりと否定的に見られてるね。

あれ、またスレ違いなレスしてるな俺は。

274 :ステップワゴン乗りのDQN:2006/02/18(土) 15:20:16
流山もありますよ

275 :流山=DQN:2006/02/18(土) 18:01:37
264 :日本@名無史さん :2006/02/17(金) 00:35:13
流山と言えば近藤勇の終焉地って事と飛血山くらいしかないな。
マイナー市の多い千葉県の中の西の大関くらいだろ。
白地図で「どこが流山市?」って聞いて、何人くらいが正しい
場所を示すものか・・・。w
埼玉の蕨市(もう無いけど)や加須市がライバルだと思う。


276 :SCIENCE先生:2006/02/18(土) 18:22:27
>>275いや流山といえば次世代の秋葉原だから秋葉原がライバルだよ。わたしは流山市出身だが蕨市のとなり街なら逝ったことがある。ヒントはT市。W

277 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 18:47:50
流山again(°∀゜)キタ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━!!

278 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:10:32
流山ってどこにあるの?銚子の方?もっと下の方かな?

279 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 23:44:04
>>278銚子のまったく反対側だよ。ほら、ちょうど埼玉県と千葉県の県境のところで目印はちょうど松戸あたりかなぁ〜

280 :流山に住んでいるバカヲタク:2006/02/18(土) 23:46:24
松戸キタ―――――――(´∀`)――――!!!

281 :ミゼットU乗りのハゲオタク:2006/02/18(土) 23:55:40
そういえばホンダクリオ総武ってどこにある?うちのヲタ教師がそこでア〇ードを買ったみたいだけど

282 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 08:28:39
流山厨が湧いて来て、すっかり駄スレになってしまったなあ。
せめて船橋厨、もしくは佐倉厨クラスだったらまだ話題も
あっただろうが、流山なんぞマイナー過ぎて煽りになんね・・

283 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 09:38:22
じゃあその船橋や佐倉についての話題を披露してくれよ

284 :流山に住んでいるバカヲタク:2006/02/19(日) 09:48:36
>>281そのヲタ教師に聞いてみるのがイイ(*´∀`*)よ!

285 :SCIENCE先生:2006/02/19(日) 09:52:13
>>282流山はマイナーじゃないぞ

286 :ミゼットU乗りのハゲオタク:2006/02/19(日) 10:06:39
誰だよ?流山は新世代の秋葉原と言う馬鹿は?

287 :糸井勇:2006/02/19(日) 10:12:47
はいッワタシです!はぁ〜、ミゼットU乗りのハゲヲタクたん(*´θ`)ハァハァ・・・・

288 :ミゼットU乗りのハゲオタク:2006/02/19(日) 11:05:13
>>287
逝ってよし!!

289 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 11:12:52
>>283
まずお前が話を振れや。

290 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 11:27:06
千葉は農業生産高が全国上位だったと思うが、
印旛沼〜花見川の治水、新田開発(初富〜十余三)って全て明治以降だよな?

江戸期も肥沃な土地だったの?
むしろ利根川治水の失敗で良いイメージがないんだが

291 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 11:28:31
あと二宮尊徳も房総開発に加わってたような…。どんな結果だったか知らないけど。

292 :流山に住んでいるDQN:2006/02/19(日) 15:46:11
あと流山も暴走開発に加わっていたような・・・

293 :ミゼットU乗りのハゲオタク:2006/02/19(日) 16:56:01
そういえば千葉のホンダ限定でステップワゴン〜FROM.DQN people〜エディションが売られてるみたいだが

294 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 18:34:49
房総半島が本州に衝突結合する以前の伝説ってないのでしょうか?

295 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:38:41
>>290
千葉が農産物豊かな土地に変わったのは上げられてる治水が
成功してからでしょう。
江戸期以前は「牧」が多かったように、特に今の船橋〜八千代印西方面、
それから成田方面に掛けて水田というより畑と原というイメージだね。
それだから明治期以降に軍事施設が入りこむ余地が有ったわけだし。

296 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:42:31
上総は親王が国司に任命される上国扱いじゃなかった?
それだけ豊かだったということだろうか。

297 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:13:03
>>296
上総も下総も「大国」だよ(安房は中国)。それと国の
大・上・中・下は親王任国に関係ないよ。
任命される守の位階が違う。
周りを見ると常陸・武蔵も大国、相模、甲斐、下野などは
上国だね。
江戸期以降の石高的な米本位な視点で見ると豊かさの意味が
違うけど、馬や布、海産物などの産出などは豊かだったのだと
思う。
千葉氏や上総氏は牧の経営と交易などで力を蓄えていったらしい。
相模最大の豪族だった三浦氏も、本拠地は水田などとても多かった
とはいえない三浦半島だった訳だしね。


298 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:57:16
>>297
なるほど。
ともかく何らかの意味で豊かでなかったら千葉、
上総ほどの勢力が育つはずもないし。

299 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:18:52
>>297
加えて守の位階以外にも、国分で国司四部官の数や収入が違うというのは
まぁ日本史板住民諸氏には言うまでもない基礎事項か。
あと当時の朝廷勢力からして、当時明確に朝廷支配下だった東海道の
東端地域であり、経済以外にも軍事・行政的に重要な位置だったと思われるね。
それで上総が親王任国であったとういのも頷ける。

>>298
関東は早期から戦乱の火種が燻っていた複雑な地域なので、
いつの時代の何を以って豊かというのかという点には気をつけた方が良いね。
各地の米生産量があがってきた時代では暴れ河のせいで出遅れているし、
長い目で見るとその経済的地位が低下していったのは明白だから。

300 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:27:18
>>299
武蔵がいい例だね。かなり後世まで、まさに「武蔵野」だった訳で
米の産高だけ見ると後進地域だ。


301 :流山に住んでいるDQN:2006/02/19(日) 23:18:12
>>298ユタカキタ――――――――(*´∀`*)!!!

302 :アコード糊のオタク:2006/02/19(日) 23:19:55
えっ?秋葉原?

303 :流山に住んでいるDQN:2006/02/19(日) 23:25:27
えっ?流山?

304 :アコード糊のオタク:2006/02/19(日) 23:37:25
流山Threetimes(゜∀゜)キタ━━━━━━━━━━━━━━━━━━!!

305 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:26:58
昔の板東という呼び方は、やっぱり蛮東から転じてるのかな?

306 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:19:16
>>305
おお!そう言う転訛も考えられますね。
関東なら理由は明白だけど。

307 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:24:22
>>305
板東←いたひがし

「板(いた)」ではなく「坂(さか)」。

ちなみに坂西と言う言葉もあるよ。

308 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:26:38
江戸初期の下総や上総の石高はどれくらい有ったのだろう?
甲斐15万石や相模20万石、尾張50万石とかは良く聞くけど・・・。

千葉県地域は佐倉藩を筆頭に以下小大名の藩が林立してるね。
同じ江戸近国でも小田原藩以外は小藩2家しか無く、その他は天領と
旗本領に細分されていた相模とは好対照だと思う。

309 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:33:45
吉川弘文館の日本史年表だと
1591の天正検地で下総39万石、いつ検地したかはわからんが上総38万石
らしい。ちなみに安房は5万石。

310 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 04:21:10
数字だけ見ればなかなかのものだが…

311 :308:2006/02/20(月) 07:50:42
>>309
レス感謝。結構あるんだねえ、ちょっとビックリ。
安房5万石って一瞬ホントかなって思ったけど、館山藩が
三万石だったからそこから考えたら妥当かと。

312 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 12:27:26
安房は漁業利益があるから、実質石高はもう少しあったんじゃないかな。

313 :ミゼットU乗りのハゲヲタク:2006/02/20(月) 23:32:36
安房土=アコード

314 :真・ミゼットU乗りのハゲオタク:2006/02/21(火) 00:22:53
おいおいヾ(・・ )ちょっと他人のHNを
使 っ て な い か い ?

315 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 01:49:48
>>312
漁業収入も石高に換算されたっけ?あくまで米の生産高じゃ
なかったか?

316 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 02:40:12
だから実質のはなしでしょ
佐竹が林業のお蔭で表高以上に裕福だったように

317 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 06:40:43
>>316
それは秋田での話?

318 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 10:33:00
>>317
それぐらいは自分で調べてもらいたいとこだが、秋田移封後の話。
秋田杉や秋田炭という言葉も残ってる。
佐竹は林業と鉱業に力を入れたので、藩祖義宣をして
「国の宝は山であり、山の衰えは国衰である」と言わしめた。
名家老渋江内膳などの尽力もあって、現在の米所秋田としての
基礎を築いたのもこの頃。

安房は捕鯨や鰯漁が盛んで、酪農に於いても後に嶺岡枚が設置されてる。
漁業は海高と揶揄される特殊な石高表示の土地が多くて、
本村の借入地で分村化した漁師町の場合、帳面上石高なしとなるはずだけど、
小物成分の課税額を石高として表示していたこともあるそうだ。
この定免海高が結構重税だったらしく、不漁時の漁民にとっちゃ良い迷惑だったろうね。
詳しくは岡方、浜方なんて言葉で調べてみると良い。

319 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 12:49:36
さかなくんしか有名人はいない

320 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 13:02:51
これだと4万3500石 たぶん小数点打ち間違えだと思うが
http://www.asahi-net.or.jp/~MH6H-ECG/ksn/kssouran.htm

321 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 18:01:26
安房の石高は江戸期だと大体九万石少々。
後年になるほど石高は増加してるけど、まぁほぼその辺の数値。
四万幾千とする史料はなんなのだろう。
戦国期ということだが、なかなか興味が湧くね。

322 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 19:56:31
安房の石高が9万石というのは純粋に米だけとして考えたら
信じがたいな。


323 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 20:13:45
>>320
こう見てみると石高の高い土地=経済力=強力な戦国大名という図式が
必ずしも当てはまらないのが面白い。
むしろ周辺大名の草刈場みたくなってる国が多いな。
我が下総しかり信濃しかり武蔵も・・。

324 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 20:26:38
北条家と何十年もガチで戦い続けた里見はさすがだな。

325 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 22:09:47
>>320
そもそも戦国時代って、石高制なのか?
貫高制ではないのか?

326 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 22:13:33
文系なので計算できませんでした

327 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 22:17:11
里見辺境だったから途中まで生き残ったとも言え辺境だから成長しなかった
とも言え  なんだかわかんね

328 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 00:30:48
>>324
ガチで戦い続けてたわけじゃなく、付いたり離れたりの繰り返し。
権謀術数と外交に強かでないと、関東ではそうそう生き残れないよ。
家臣ですら戦毎にどちらへ靡くか定かでない土地柄なんだから。

329 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 01:00:57
>>324
最後は北条家に屈服した形になったね。婚姻関係を結ばされたはず。

>>327
しかし辺境から起きて上総のほとんどを一時期支配下にしたのはすごいと
思う。不運だったのは地勢的に北条家とモロだったのがアレな訳で・・・。

>>328
その通りだが、兵農未分離で大名の絶対権力が確立される
以前は関東に限らずどこでもそうだっただろう。
国人衆や一族の緩い連合体に大名が乗っかっているような構図。
利が無ければ平気で寝返るし、自分達の権利や既得権が犯されそう
なら平気で反抗する家臣たち・・・。
それらを家臣として整然と編成し絶対命令権を得た大名が家を残して
行ったし、逆にそれに失敗し家を滅ぼす大名も有ったりで。

後北条氏は結局近代的な封建体制に持って行く事なく滅んだが、旧体制
的な戦国大名としては一つの完成形だったような気がする。
大名と有力家臣の合議制を最後まで機能させ、直轄領以外では地方勢力を
そのまま残したにも関わらず大きな混乱も無く5代を乗り切って行ったのだから。
逆の例は我が千葉氏だろうな。

330 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 20:24:03
里見はよそ者

331 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 01:37:35
平家が下ってくる前の歴史って闇の中なのかな?
日本有数の貝塚遺跡があるから、縄文以来の古代社会で権力を伸ばし
君臨した小豪族が並立しててもおかしくないのだが。

332 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 02:47:39
古墳はやったらあるよ

333 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 02:48:38
すまん、わかりにくいから言い替える
古墳はあちこちにやたら作られてますね

334 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 08:29:21
本佐倉城跡発掘調査現地説明会

日 時 平成18年2月25日(土)11時〜15時
場 所 国史跡本佐倉城跡(京成線大佐倉駅から徒歩約15分)
問合せ 財団法人印旛郡市文化財センター
その他 申込不要、無料
    雨天中止(足元の状況により中止の場合もあります)
    駐車場はありません。



335 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:50:40
>>331
それらが平氏を仮冒した可能性もあるし、あるいは例えば千葉氏などの
家臣として編成されたのかもしれんです。
武蔵七党なども、それぞれ小野氏とか古代の大姓を名乗っているが
古代国造や地方豪族の子孫の可能性もある訳で。

336 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 18:21:58
本佐倉城から佐倉城を新規に築城しだしたのも北条家の
意向だったんだよな。
永禄・天正年間には、千葉氏の独立性ってほとんど失われていたのかな?
原氏や高城氏は本来千葉氏の重臣だけど、もうその前から北条氏の
直臣のような扱いで独自の行動をしてるし・・・。

337 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 02:30:15
age



338 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 02:49:14
富山の北峰は里見八犬士の終焉地。なお 一人列の外にて… 麗しき安房♪

339 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 09:04:34
丸氏、東条氏・・・安房の国人
真田安房守昌幸 北条安房守氏長

340 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 11:12:19
幕末なら上総木更津は請西藩林家を忘れてはいかんぞよ。
藩主ごと脱藩して幕府に殉じた忠義の藩。
箱根に行き小田原藩と共闘しようとしたら寝返られるわ、
苦労しながら戦い抜き、お陰で維新に爵位をもらえず。
しかし大藩が次々と新政府に転んでゆく中で長岡藩と共に
潔さでは随一だと思ふ。
将軍は佳例で元旦に兎の吸い物を食べるが、材料の兎とネギを
毎年献上するのは林家の伝統だった。
あとロクでもない藩は富津に幕末に移ってきた小久保藩田沼家だな。
天狗党大量処刑の田沼意尊が藩主の時。


341 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 11:16:13
東海道の到着点って、安房にあるの?

342 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 11:20:03
>>341
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93

343 :下総二区落選永田:2006/03/01(水) 23:24:22
藻前等、上げておくぞ。
下総四区当選の野田タソもなんか語れ。

344 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 10:58:45
     ./               \     ./               \ 
    /__.___________ヽ ./__.___________ヽ
      \ |        。    |__ノ   ゝ .| ■■■ii、,iii■■■  ゝ  /
        |::    ,,,.....    ...,,,,, |       /ゝ| <●> )( <● >  |/~ヽ
        ,ヘ;    ,,-・‐,  ‐・= .|        (  |   )~~) | |  )~~)   |  )
       (〔y    -ー'_ | ''ー | さあ、    ヽ| ヽ( (.( Ω_Ω )( ( ノ  |丿
        ヽ,,,,    /(,、_,.)ヽ .| 一緒に     |   ) ):::::l l::::::::: ) )   |
         ヾ.|   ヽ-----ノ /  逝こうか    ゝ ( (<三三>( (  ノ ママ こわいよー
          \   ̄二´ /            \) ) ⌒⌒   ) )ノ 
   チリン♪    人   ....,,,,./ヽ、             |\__i ___/ / ヽ、 
       ,...-'"■|:|彡''" /'■ ヽ、        ,...-'"■|:|彡''"  /'■  ヽ、



345 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 22:10:41
千野原靖方『関東戦国史(全)』(崙書房,2006年)



346 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 22:07:48
あげておく

347 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 22:21:15
三浦一族が三浦半島から渡ったと、
佐原市は三浦半島の地名ですね
安房経由で福島の芦名氏、芦名も三浦半島の地名だよ
山形県の長井市もそうだね
現在も横須賀市佐原・芦名・長井という住所があるよ


348 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 23:33:27
山形の長井市は別じゃないか? 置賜郡の地頭は大江広元の子孫の長井氏だし。

349 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 00:50:34
佐原(氏)は千葉氏族ですが…

350 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 07:38:49
しかし佐原氏は三浦氏でもある。佐原十郎義連の系統から
後世の三浦氏が栄えたってわけで。


351 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 08:14:27
頼朝に滅ぼされた板東平氏の嫡流
上総氏の子孫は どこかに残っていますか?

352 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 12:05:22
まさに千葉氏がそうだよ

353 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 19:53:46
千葉氏は上総氏の分家
本家がなくなって頼朝に優遇されてきた



354 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:35:40
小野次郎衛門

355 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 22:54:07
>>351
広常の子供が頼朝に再度召されて御家人になったが、後日謀反の嫌疑で
再び討滅されて一応アボン。
しかし戦国期の国人に子孫を名乗る者もあり(金田氏とか)。
いずれにしても分家の千葉氏にしてやられた感が強いな。

356 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 00:25:01
千葉氏って千葉で発生してねーよ?
植物人間か?生えたのか?

357 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 00:26:00
埼玉=千葉=多摩
って感じ!

358 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 01:59:54
江戸時代に下総に旗本で山名氏ってのがいたが但馬、因幡の山名氏と関係あるの?

359 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 02:05:56
>>358
山名は上野発祥、新田氏族

下総に領地があったんじゃね?

360 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 05:10:48
>349二つの系統がある。

361 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 07:52:59
小西城が消滅の危機です。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/chijoken/chijyoken2.htm


362 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 08:15:33
どこ?大網?

363 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 12:05:54
>>358
同じ

364 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 12:58:18
確か但馬の山名祐豊、堯煕親子の系統だろ?

365 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 21:13:58
佐是城って誰がいたの?
いつごろ?

366 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 22:19:20
広常はパワーゲームというのを理解できない田舎侍だった。

367 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 22:25:00
里見氏は新田系源氏だった筈だが
いつ頃安房に住み着いたのだろうか?


368 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 23:02:14
>>367
享徳の大乱の前後

369 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 01:10:43
>>367
里見が新田源氏と言うのはかなり疑問視されてる。

370 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 01:48:49
>>369
安房に流れ着いた里見は、だろ。

371 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 07:29:08
>>370
そう。

372 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 09:21:35
宗吾霊堂駅がある酒々井町に木内家っていう、
幼稚園とか経営している一族があるんだけど、
木内宗吾の子孫かなんかかな?
それとwikiに宗吾は千葉氏再興を目指したという説があるらしいけど、
元ネタってなんなんだろう?

373 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 11:13:48
千葉里見キモス
仁衛門島に幽閉す

374 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 12:25:42
酒々井町には千葉氏の本佐倉城があるな。
うちの苗字の先祖も本佐倉城の近くで千葉氏が秀吉に滅ぼされたあと帰農している。

375 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 12:27:16
うちの近所は高城伊勢守の勢力圏であったことが判明

376 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 12:30:29
しかも、居城の吉橋城が陥ちたあとの伊勢守遺臣が落ち延びて居着いた場所に近い

377 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 13:53:17
>369-371足利(将軍家)連枝を詐称は無理だから、新田傍流を名乗る。徳川と同じw
よって、改易となる(←多分)。

378 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 22:00:05
>>377
徳川そのものが詐欺

379 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 00:10:09
>>372

>酒々井町の木内家について

千葉一族の滅亡(1590)と時を同じく、千葉氏に仕えていた中川村の草分け6家
(青木家2家、岡田家、木内家、伊藤家、石渡家)は主家の滅亡と運命を共にし、刀・槍を捨て
徳川政権の下で農業で生計を立てる外なく、現在の千葉県本佐倉中川字前田の高台に居を構え中央に寺(西蔵院)を作った、と明記されている。
この西蔵院は現在、本佐倉の吉祥寺で、吉祥寺より東方500mに本佐倉城がある。

380 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 01:48:02
>>375
高城伊勢守は実在がまだ確認されてないんだろ?

381 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 09:45:19
佐是城って誰がいたの?
いつごろ?


382 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 19:43:32
>>377
大久保長安事件に連座じゃなかったか?

383 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 21:07:34
佐是城
http://yogokun.hp.infoseek.co.jp/saze.htm

384 :まる:2006/03/11(土) 21:37:10
374さんは 木内氏?

385 :まる:2006/03/11(土) 21:41:21
義民 佐倉惣五郎は 木内惣五郎 名主で 小田原落城後、帰農。

386 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 22:42:12
>>382
ありがとう
佐是→佐瀬って現在も子孫はいるかな?

387 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 00:08:52
佐瀬という名字は上総武田氏の流れみたいです!

388 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 07:56:18
秋元城の歴史を探る講演会が開かれます。

3月19日午後二時から君津市地域情報センター視聴覚室(君津中央図書館二階)

講師は県立房総のむらの井上哲朗氏




389 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:33:13
おい愛子様がシンデレラ城に登城して姫に拝謁されるらしいぞ。
これは皇室がシンデレラ王家に恭順の意を示したということでは?
東アジアのパワーバランスを揺るがす一大事じゃ!

390 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 12:03:10
ところでシンデレラって本当は下総出身の被差別民でしょ?
継母の正体は、シンデレラの身分ロンダリングのために担ぎ出された千葉の某名族庶流で、
養子縁組が成立した後、口封じのためにイジワルババアの烙印を押されて抹殺されたらしい。

シンデレラ出身のB地域には、今でも王家から巨額の補助金が交付されているとか。

391 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 14:12:59
おととい宗吾旧宅に行ったら、すぐ近くの家の表札に「木内」の文字が・・・
つながりあるんでしょうか?

392 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 07:37:06
>>391
可能性もあるけど、明治以降に地域の名主などの苗字をもらって名乗った
例も多いからな。

千葉県の、特に北西部などは高度成長期以降の転入者が多くて苗字だけじゃ
何も判断できないよな。どこから流れてきたんだ?>千葉都民。w
漏れは出会い系好きなんだが、千葉で知り合う女にどこの出身か聞くと高確率で
お父さんは○○県からこっちへ来た、小2の時に引っ越して来たとか、そんな
パターンが多い。
ムダレスすまそ


393 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 11:05:09
>>392
有り難う御座います


394 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 18:29:15
上本佐倉の被差別部落について教えてください。

395 :394:2006/03/22(水) 18:30:35
近代の話ではなく歴史的側面から教えて。

396 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:15:15
>>394
何故知りたいの?

397 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 03:26:50
佐倉にそんなのあるのか?
下総の部落て全然聞かないけど

398 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 04:14:11
知ってどうするんだ?

399 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 07:32:37
息子か娘の恋人の出自が心配とか?

400 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 10:06:07
>>396
何故でしょう?
昔からそういう地域があると聞いて、知ってはいたけれど
具体的な事は何一つ知らないので。

>>397
上本佐倉は正確には佐倉ではなく酒々井町だそうです。

>>398
知的好奇心を満たしたいのです。

>>399
当方、21なのでまだ子供はいないです。

401 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 10:28:58
>>394
確かにあります。詳しいことは知りませんが、その部落の研究をしている人が
酒々井にいるって話は聞きました。たしかその部落内に住んでるはずです。そ
れか酒々井に行って図書館等で調べるのもよろしいかと。

402 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 12:09:37
北西部は戦後人口が急増して、人間入り混じってるからなあ。
今となっては分かるかな。。。。?
まあ今70代〜以上の人に聞けば分かるかもね。

403 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 13:22:20
レス有り難うございます。
ちゃんと歴史的側面から研究している方がおられるのですか。
本佐倉城の千葉氏に仕えており、その為、お膝元である
上本佐倉に於かれた、という話を人から聞いた事があります。
どういう経緯でその身分になったんでしょうか。やはり一般的に
云われている話と同様なんでしょうか。
どういう生活をして、何に従事していたのか気になります。

タブー視というよりは、もはやそんな意識は希薄だと思いますが
人に聞くのはあまり良い顔されなそうですね。

404 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 18:29:23
>>403
ただその人は酒々井の部落の出身では無いそうです。で、時々講演もやってる
という話も聞きました。一般の人が聞けるかどうかはわかりませんが。

405 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 19:00:27
>>404
てか、戦国大名にとって兵器である刀・鎧や兜の材料や修理資材として皮革、
そして革職人は大事な物なんだよね。
小田原北条氏も役帳などでまとめて知行を宛がっている。だから千葉氏が
城下に集住させていても別段おかしくないと思う。
ただし402が書いてるように千葉の人口流入と開発のせいで、今はそこに
ブラクラあるか分らないと思うよ。
新編相模国風土記稿や、新編武蔵国風土記稿みたいなものが下総でも編纂
されたんなら多少の歴史的地域は分るかもしれんけど・・・・。
いずれにしても別スレで聞いた方が早いんじゃないか?

406 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 23:06:51
話題になってるので久しぶりに
検索で一番トップに来るあのサイト見に逝ったら閉鎖された。

407 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 17:58:13
土気東金酒井氏が何気におもろい

408 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 22:32:47
どのように?


409 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 06:51:19
歴代の上総介をまとめたサイトないかな

410 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 06:52:00
信長入れてもいいよ

411 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 07:13:40
>>410 お〜、おぬし知っとるな!
織田上総介信長だな。織田家は越後?越前だが、先祖は千葉県の平家一門の出であるんだな。だから家紋が揚羽蝶!

412 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:33:17
越前からだよ。
斯波氏の尾張守護兼任に従い尾張へ移った。

413 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 11:58:53
岩手の北上に行くと
@高橋A千葉B菊池C小原D八重樫の順 
で千葉は全体の15%位だね

414 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 12:31:10
織田家が本当に平氏だと思ってるのか

415 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 12:47:03
>>411
マジレスすると、織田氏の先祖は家伝では平維盛〜となっているので、
同じ平氏でも千葉氏の家柄とはかなり遠い平氏。
むしろ伊豆北条家(これも怪しいが)と後北条家の伊勢氏の方が同系の
平氏になる。
千葉氏の先祖は平良文(または良茂)の孫の平忠常から。維盛は
良文の長兄、国香の長子貞盛からの伊勢平氏の出自で、比較的早い時期に
坂東から京方面へ勢力を移したから千葉県とは繋がりが無い。



416 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 15:44:02
なんで信長は上総介名乗ったの?
サイト探しても、大した答えが見つからない。

417 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 16:09:37
>>415
マジレスすると、国香の父は上総介なので千葉とまったくつながりがないとはいえない。


418 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 20:21:05
織田は忌部氏
織田本家は剣神社社家
越前国守護の朝倉家臣
もっこう紋は朝倉の影響

419 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 23:27:42
織田の歴史

420 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 08:19:57
>>417
マジレスすると、415は「千葉県の平家一門の出」というレスに対する
マジレスだからそこんとこヨロシク。

421 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 09:36:51
今、自分の子供に上総介って名前をかってに付けてもいいのか?

422 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 07:31:12
>>421
オケ!なんなら下総守とつけろ。安房守なら尚可。

423 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 08:09:56
上総守と付けるのはさすがにはずかしいけど、介ならいいんじゃ
信長は最初に守にしてたそうだけど。

424 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:03:44
自分の子供に上総介って名前がつけば
上総のどんな権利が得られるんでしょうか

425 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:23:51
介と守は、どっちが上ですか?
介かな?今の役職で言うと知事クラス?

426 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 09:35:01
上総の場合は特別で新王任国。
上総守となるのは親王だけ。
したがって、上総介が民間レベル
これを知らずに、信長は初め上総守としちゃったんだな。
そんですぐに上総介に変えたおちゃめな信長公。

427 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 10:43:55
>>421
「かずさ」なら普通の名前っぽいけどな

428 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 12:27:17
マジレスだが、あんま子供に変な名前つけん方がいいよ(経験者は語る
つけられた方はどれだけ苦労するか・・・
極たまに「主計」とつけられた女の子が居るけど、新学期に必ず「これなんて読むの?」と
訊かれてるもんな・・・

429 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 12:41:16
>428「かずえ」かな?
主水、主税、内匠もいそう

下総はカコワルイな(-.-;)

勝 安房

430 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 19:31:25
どこぞのDQN夫婦のつけた「詩流美亜(シルビア)」よりはいいんじゃマイか。

431 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 06:49:57
>>428
『何て読むの?』なんてとこから友達になれたりするんじゃない?

432 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 20:58:21
主計はなかなか良い名と思うが。男の子に付ける方がいいな。
主水は藤田まことだな。w

で話は変わるが、近所に○○三郎秀綱と言う名の人がいた。
三郎〜が名前。
10年ほど前に亡くなってしまったが、子供心にはかっこいい♪と
思っていた。本人は嫌がっていたようで、三郎と呼ばせていたよ。

433 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:20:49
主計=ちから
主水=もんど
でつね!


434 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 04:25:02
ちゃうちゃう
主計=かずえ
主税=ちから

435 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 08:20:57
主計頭・・・・かずえのかみ
主水正・・・・もんどのかみ または もんどのしょう

国の守も国により位階が異なるが、同じ寮の「かみ」でも主計と主水では
位階が違うんだよね。
主計頭と言えば加藤清正を思い出す。


436 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 17:42:25
房総(千葉)学検定試験ができたそうです。

http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/chiba/060419/kiji01.html

437 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:04:48
>>436
下らないもん作るね・・・ご当地資格ブームの尻馬に乗ったか。

なんか話題が枯れ気味だけど、近世以外は何かない?
古代や現代でも。

438 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 13:32:21
>>436
面白そう
つか安藤さんなんだ

439 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 17:11:07
房総の城跡でなんかオススメの場所ない?
館山城、大多喜城、久留米城以外で。

440 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 17:22:18
みんな、もっと佐貫城に行こう!

441 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 18:27:39
>>439
臼井城、佐倉城、亥鼻城

442 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 22:47:35
>>441
小田原城のパクリの亥鼻城?


443 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 14:34:03
房総学検定の本どこに売ってる?

444 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 20:45:58
はいはッい(・∀・)ノ
八千代市の村上って城あったんでつよね??誰が城主だったんでつか??

445 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 21:25:40
米本城じゃないのか?
最後の城主は村上綱清と云われちょる

446 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 21:49:35
>>439
稲村城

447 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 22:01:55
>445信濃村上氏と同族ですか?

448 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 23:19:38
>>446
館山にある?

449 :☆千葉☆人権擁護法案モドキ条例☆緊急☆:2006/05/11(木) 05:09:03
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1126474294/806 ←凸先有
 http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/chiba/html/kiji01.html
( http://www.sankei.co.jp/edit/kenban/chiba/060510/kiji01.html ←翌日以降)
 ★障害者条例案 自民「賛成」転換 修正が条件、公明と妥協か
 ...十一日の県連政調会で決定する...

450 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 02:45:46
>>445
村上綱清は実在する人物か不明だそうだ。

451 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 15:17:32
451

452 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 20:01:05
>347,>349,>351他人の事言える程の知識は無い漏れだが、藻舞らもう少し勉強汁

453 :日本@名無史さん:2006/05/16(火) 04:39:51
>>439
万喜城

454 :日本@名無史さん:2006/05/16(火) 22:09:47
>>453
どこにある?

455 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:33:27
大多喜城の東南、勝浦城のほぼ真北、三船台のほぼ真東

456 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 00:02:17
>>455
再建された城みたいのある??

457 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 03:31:09
てか、百首城と佐貫城行け。
後者には千葉県唯一の石垣遺構あり。

458 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 18:26:58
>>457
440 441

459 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 15:17:16
何故少しも自分でググる気はないんだろうな

460 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 16:38:46
213 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2006/05/19(金) 14:26:02
関ヶ原の戦いや、戦国時代において
関東武士や武蔵七党の面々は何をしていたの?


成り上がり武士、三河武士、帰化人系武士等、西軍の活躍が目立つようですが。
まさか、桓武平氏の子孫である関東人は商人になりさがってたの?


↑こいつと同じ奴かな。
漠然としすぎて疑問の要点すらまとめられていない。

461 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 21:25:29
>>460
その213は馬鹿な奴だw

462 :日本@名無史さん:2006/05/19(金) 22:21:24
みっけ♪
ここの馬鹿だったか。

☆常総平氏について語る☆

463 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 08:05:09
>>459
パソコンない

464 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 12:26:57
国府台の里見公園って落ち武者の霊が出るってホントかな?

465 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 13:36:57
>>464
あそこは雰囲気マジでヤバイ。
俺は霊感とか無いし基本的にオカルトとか信じない。
でもあそこに夜行きたいとは思わない。

466 :日本@名無史さん:2006/06/19(月) 19:20:23
敷地の所々は鬱蒼としてるけどそんなキモくないぞ

467 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 06:50:42
南房総市の岡本城の構造って珍しいよな山の上に水堀があったりして

468 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 22:03:43
そうでもないよ

469 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:35:43
見境なし

470 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 20:02:52
あります

471 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 00:23:19
深井城跡と深井古墳群行ってきた!よかったよぉ。

472 :日本@名無史さん:2006/07/12(水) 02:21:48
天養記をみると「字上総曹司源義朝」というのが出てくる。
あの義朝のことなんだけど、上総曹司とは?
一説には上総氏に世話になっていたとか言われているらしいが。
育てられたのか、婿になったのか。

473 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 16:56:43
「字」ってなんだろうね。

474 :日本@名無史さん:2006/07/26(水) 00:56:32
頼朝の鎌倉幕府は千葉氏や上総氏などの房総の人達の力なくしては成立しなかった
だろうに、いまひとつマイナーとゆうか人気がないとゆうか、もっと注目されてもいいと思う。

475 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 02:10:26
うるせバカ!おまえら最悪なんだよハゲ!

勝手に行けサルが!

お前は俺の怖さをしらねーのか!

自称山口組の二瓶洋昭が暴れまわるぞ!

びびってしょんべんもらすなよ!

オナってろ!サルが!

476 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 10:05:10
>>475
病院に帰った方がいいよw

477 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 00:03:16
千葉周作だろ

478 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:59:05
こないだ万喜城に花火見に行った。もうちょっと草刈ってくれ

479 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 01:44:21
犬と伏姫が住んでた洞穴があるのですか?

480 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 02:50:02
そういや、近所に「正木」やら「里見」ってヤシがいたなぁ。
更に近所には切替という苗字も多い。
頼朝がここらへんを通る時、頼朝が宿泊し、ノボリの竹を
そこらへんから切って替えてあげたことから頼朝に切替の姓を
賜ったそうな。


481 :日本@名無史さん:2006/08/22(火) 14:01:14
>473
字は、「あざな」では?

父の為義が上総氏に預けて育ったそうです!
千葉氏との関係は、千葉氏が代官を務めていた、下総相馬御厨(伊勢神宮領)で、後継争いが起こり、義朝が分家筋であった常胤に加勢して勝利に貢献したため、それを恩義に感じたということです

482 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 13:35:04
>>479
あるよ〜

483 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 15:02:53
age

484 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 23:50:36
里見ウォーキング

http://www2.city.tateyama.chiba.jp/Guide/?tpcid=44&stoid=8083


485 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 10:35:38
>>464
俺は夜1人で行って見たが、何ともなかったよ
チンチンの小さい男が、空気のもやまでが、幽霊に見えるだけ

486 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 13:05:07
房総(千葉)学検定試験3級、平成18年度の合格率97パーセント。

http://www.furusatobunka.jp/ken-kentei.html



487 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:32:34
あげ

488 :日本@名無史さん :2006/12/10(日) 18:00:50
東北の相馬氏は、千葉系。
既出かもしれんが。

489 : :2006/12/17(日) 01:30:31
武石(亘理)・国分も

490 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 19:18:10
保守

491 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 22:21:48
時代によっても全然違うけど、ある時代での大名領、旗本領の比率って分かりますかね?
千葉県は小大名領、旗本領が入り乱れてて分かりにくいんですよ。

492 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 14:38:10
あげ

493 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 18:45:58
千葉よりも里見よりも土岐が好きでたまらない
為頼-頼春と二代揃って戦上手でかっこええ

494 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:31:38


97 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)