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河井継之助

1 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 06:52:57
つぐのすけだろ

日テレきもい

2 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 08:27:55
o--------------
やったー、2ゲットー

早起きは2げっとの得

3 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 11:42:26
ガトリング河井

4 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 13:08:01
>>1
(ノ∀`)アイタタタ〜痛いよ君
「つぎのすけ」でも「つぐのすけ」でも、どちらでも良いのだけど

5 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 13:11:28
ランス・アームストロング砲

6 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 14:29:05
敗走するときに放火して、街の9割を焼失させたのってコイツだっけ?

7 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 15:24:39
会津も官軍も放火しまくってたよ

8 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 15:32:09
8get こしぬけ武士の とる数字

9 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 15:50:27
越後の坂本竜馬、河井継之助。

10 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 16:58:55
農民に畳背負わせて隊列の最前列歩かせるといった
描写はもちろん行えません。


11 :世良酒蔵(仮) ◆j.J.FeP6ec :2005/12/27(火) 23:03:23
嗚呼・・・俺の中の河井継之助像が歪んでいく・・

12 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:09:04
元々逆賊だった人物を司馬が拾って作り上げた人物像ですから。

13 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:12:58
ガトリングを取ったら他の「賊軍」藩の家老と同じで非常にマイナーな存在だっただろうな

14 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:15:42
なんでドラマにすると武士でも何でも平和主義者になってしまうんだろうな?

15 :世良酒蔵(仮) ◆j.J.FeP6ec :2005/12/27(火) 23:20:23
官軍賊軍超えてカッコイイ人物ではある。

俺としては格好よければ、いや、男気のある人間は官軍、賊軍どっちでも構わない。



16 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:25:55
289 :名無しさんにズームイン!:2005/12/27(火) 23:20:36 ID:rvPmSMYY
河井継之助

指揮 81
武力 73
政治 42
知力 63
魅力 51

17 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:38:23
散って行く旧幕府軍、かっこよすぎです。
幕末の旧幕府軍が主役の何かおすすめ映画ありますか?

18 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:40:09
河井継之助はアイヌ民族の英雄です。
勝手に日本人にしないで下さい。
それにしても、さすがは明治政府軍‥‥罪も無い一般民衆に砲弾を
浴びせるとは‥‥

19 :世良酒蔵(仮) ◆j.J.FeP6ec :2005/12/27(火) 23:44:46
取厨たいちょーっ

アイヌ人に嫉妬しるチンパン人なみの>>18をハケーソしますたー!!

20 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:52:46
長岡の町焼失させて恨んだ住民に墓石削られたんだよね。

21 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:55:08
河井継之助は歴史的に見てどんな人なんですか?

22 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:55:59
政府軍悪者だったね

23 :世良酒蔵(仮) ◆j.J.FeP6ec :2005/12/28(水) 00:01:02
「大手通りには酒樽の山をなし、鏡を抜きて長岡勢を接待し、
その苦労をねぎらひたるが、終いに「長岡甚句」となり、
武装の藩士も町民の子女も「お山の千本桜、花は千咲くなる実は一つ」
とおどりだせりといふ」 

河井継之助伝より 



24 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:10:24
>>21
生きていれば日本を背負って起つほどの人物だったでしょう。
しかし死んでしまったので、あくまでも推測でしかないわけです。
死に際がかっこいい人物は美しい・・

25 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:11:01
>>18
お前はとことん日本国が嫌いな人間だとお見受けした。
お前のような愛国心も愛郷心もない奴が嫌韓厨をやっていると思うと
日本人として本当に情けなくなってくる。

26 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:11:19
>幕末の旧幕府軍が主役の何かおすすめ映画ありますか?

ジャズ大名


27 :世良酒蔵(仮) ◆j.J.FeP6ec :2005/12/28(水) 00:15:18
>>17
旧幕府軍とは別に、「奥羽越列藩同盟」という組織が結成されまして、
長岡藩はそこに組していたわけです。ここのいたでは「負け犬同盟」とか
言われていますけどね、僕は大好きですwww

28 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:20:32
河井の件といい世羅の件といい、
なんで東北人って墓を削り取るのが大好きなの?

遺伝子に組み込まれた民族性?

29 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:21:43
>>28
そう言えば、新選ヲタも、薩長士族の墓荒らしで有名だな。

30 :世良酒蔵(仮) ◆j.J.FeP6ec :2005/12/28(水) 00:25:08
ああ・・・タケダが来たようだww

か、それの一派。だめだこりゃ。

31 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:30:50
>>29
でっちあげないようにw

32 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:37:15
石原莞爾が大正6年に『長岡藩士河井継之助』って著作を書いてるよ。 読みたい。

33 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:39:44
米百俵?

34 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 00:47:02
石原や東條という軍人は東北出身だな。
彼ら東北出身の元帥たちは幕末の奥羽越列藩同盟に対するシンパシーはただ事じゃないからな。
薩長に対して仕返しするためにあの戦争を起こしたという説もあるぐらいだからな。

35 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 02:32:12
>>34そんな珍説はないし、二人は元帥ではない。

36 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 02:34:38
>>34
そんな珍説あるの?

37 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 03:03:19
東条は岸や松岡などの長州人ととも満州の利権にたかってた人間。
松岡が大東亜共栄圏をぶち上げ、アメリカを敵にまわし、
日本外交をめちゃくちゃにしたため、軍人の東条が責任をとるはめに。


38 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 04:52:11
立ってると思ったよ。それだけ。

39 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 08:25:53
姉歯と藤村もな。

40 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 08:29:13
維新賊軍三藩のランク

南部藩 維新以降の生き方は実に立派です。原敬を生みました。
会津藩 同情すべき点は多々ありますが、怨念に凝り固まった部分も多いです。
長岡藩 クズです。

41 :40=チャンコロ:2005/12/28(水) 11:13:08
↑支那人にあれこれ言われたくないお (`・ω・′)

42 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 11:28:58
>>41はルサンチマンの国=姦国大使館からの投稿です。

43 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 13:02:04
>>32
確か
石原莞爾の祖父が長岡応援軍の軍艦だった

44 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 13:07:55
あれ?おかしいな。
長岡藩が買ったガトリング砲は確か、冷却機構が壊れていたとか、付いていない
まがい物だったようで撃っているうちに銃身がただれて使い物にならなくなったそうだが。




45 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 14:34:00
河井が現在語り継がれるのはガトリング砲のおかけだが、
当時としては道楽者の馬鹿な買い物だったんだろうな。
おまけに冷却機能の壊れた紛い物を掴まされてるしさ。

長岡藩が時勢を読めずにずるずると
会津の味方をする羽目に陥っていったのも、
民衆が河井を恨んで墓を破壊したのもわかるわ。

46 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 15:10:07
>>40
ほー。

山本五十六を出した藩はクズなんだ。

ふーん。

47 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 16:19:38
河井はガトリングが撃ちたかっただけだろ

48 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 16:23:36
山本はクズだよ
あいつが拒否すれば太平洋は起きなかったのに
2、3年ぐらいなら暴れてみせるとか無責任な事言ったから戦争に突入した
なんで戦犯にしないのか謎

49 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 16:31:38
河井って犠打記録の人か?
あれって線から足はみ出てたよな。

50 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 16:32:40
半年〜1年なら暴れてみせる、から2〜3年に増えたの?

51 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 16:34:57
山本はクズじゃない。
薩長藩閥を打倒して軍部・政界をのっとった東北人が、
一体となって大馬鹿コングリマリットを形成してしまっただけ。

52 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 16:41:57
間違った
半年や1年は暴れてみせる
だったか
これほど無責任な話はない
とても将たるものの発言とは思えない

53 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 18:55:36

お前みたいなゴミが将たるものだ何だと語るな。クズ。
それ以上回りの人間に馬鹿にされないように大人しくしてろ。

54 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 19:28:19
山本は最後まで戦争反対してたよ

55 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 20:00:30
>>53
アホ丸出しの煽りするより
少しは知性を見せたらどうだね
山本君のどこが優れていたのか言ってみなさい

56 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 20:53:05
>>46
そんなヘボ博徒の名前出してどうするの。阿川の三流小説の読みすぎじゃないか?

57 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 21:21:39
>>48ば〜かば〜か(^^)昭和18年に戦死した山本元帥が何故戦犯なんだよw山本五十六が何者か全然知らないんだろ?教えてやるよ!日本人で海軍軍人だw勉強になったか?(@_@)

58 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 21:29:38
>>43研究対象として良かったんじゃないかな?薩長土vs長岡藩と米英vs日本の、敢えていうなら情勢の類似性が…。庄内藩と長岡藩が似た立場だったからシンパシーがあったらしい(同期の横山臣平談)

59 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:53:15
姉歯関連は創価学会だから論外。

60 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 23:00:49
会津に住む太郎さん(仮名)65歳の証言
:「大和の連中は、戊辰のドサクサに紛れて、アイヌ部落を皆殺しにしてまわった。
奴らは、女子供も関係なく、人狩りを行い、殺しては、焼いて、骨を潰して、荷台一杯
になると山に捨て去る。会津以外にも東北全土でやったんじゃ。なぜかというと
、薩長の偽幕府の命令だったからじゃ。わしも仕方なくやったんじゃ。そうしなければ、
わしも殺されとった。わしは初め拒んどったが、そういうと、薩長の兵卒から足を銃剣
の柄で潰され、ほんとに殺されるんじゃなかろうかと思った。しかし、
わしの痛みよりも、アイヌの人々の痛みを考えると、わしは殺されても
拒むべきじゃった。」


61 :世良酒蔵(仮) ◆j.J.FeP6ec :2005/12/28(水) 23:12:19
自分が面白いと思って自信満々で書き込んだものも、
他人にとってはサパ〜リ面白くないこともある。
またその逆もあるのだ。夜中に書き込んだものに、その傾向が強い。

62 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:36:56
>>48
山本五十六一人が拒否したところであの戦争が阻止できたとは到底思わんけどな。

63 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:38:49
>>60
薩長ってナチスなみのホロコーストをやったんだ

64 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:45:03
>63
その通り。
戊辰戦争での会津大虐殺の被害者は現在も増え続けてる。

65 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:55:33
>>60>>63>>64 自演乙w

66 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 02:08:33
>>64
被害者が増え続けてるの?
チュンチョンと一緒だなw

67 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:02:43
当時日本には、3門のガトリング砲があった。そのうち長岡藩は、2門持っていた


68 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:05:29
>>67
金の使い道を間違えたマヌケだな。

69 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:12:02
>>68
君、痛いよ

70 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:35:55
>>60
私は会津在住者です。
今でも日本人のアイヌに対するジェノサイドやホロコーストは
行われています。
義憤に駆られた私は、仙台に駐屯する自衛隊アイヌ対策班の基地を、
今夜襲撃します。
賛同者は、今夜12時までにアイヌの英雄「伊達政宗」像の前に集合して下さい。


71 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:37:12
河合なの河井?どっちですか?

72 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:38:10
>>71
カワイぃ♪

73 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:41:01
>>70
ネタではなく、本当に通報しました。
警視庁サイバーテロ対策班に通報しましたので、後々「内乱罪」で
検挙されるでしょう。
70は自分の愚かさを恨め。

74 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:41:54
長岡は国を亡ぼすようなやつばかり輩出するといわれている。
河井、山本に田中角栄。

75 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 21:37:18
>>73
通報されたのは正しいと思いますが、これでは内乱罪はおろか、
騒乱罪にすらなりません。

76 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 22:52:31
>>74
真紀子が抜けてるぞ

77 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 23:04:40
長岡藩!!

78 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 23:06:43
日テレは時代劇の作り方がヘタだと思った。
予算が無いのか兵隊は少ないしあまりにも、貧乏臭いドラマだった。
司馬遼太郎の「峠」が原作なら、話も広がっていいと思うが・・・・・。

79 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 23:06:44
薩長も会津みたいな小物いじってる暇があったら長岡を征伐して欲しい。

80 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 00:07:07
>>78
つーか、どっちにしても2時間半じゃまとめらんないと思う・・・。

81 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 03:30:59
次はこれかな?↓
長 岡 は 存 在 自 体 が 大 罪

82 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 06:06:52
本当は「峠」にしたかったんだろうけど
遺族が許可しなかったのだろう
まあ正解だったけどなwあの出来じゃ
「峠」の面白さは、河井ほどの男が
何故あのような無謀な戦争をしたか
というところにあるのに、ただの無能者になってた

83 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 08:10:41
河井継之助がいなければ阪神タイガースは存在しなかった。
功でもあり罪でもありw

84 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 10:17:46
このの歌舞伎役者が主演すると全部クズになる。昔の福沢諭吉もそう。
頭悪いから(親子揃って)人物の個性を深く理解することもできないし表現することもできない。
歌舞伎氏ね

85 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 10:18:33
稲森に薩摩を罵倒するセリフを用意して欲しかった。

86 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 10:42:08
唯一の救いは稲森いずみが綺麗にみえた事位かな?

87 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 12:43:43
>>81
既にそうなってるでしょww

88 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 12:45:55
>>84
前にも脚本家に「目が死んでる」とか言われてたしな。

89 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 13:56:43
河井と阪神の関係とは?

90 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 14:17:33
なによりショボイ小道具が気になって内容全く見てなかった

91 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 14:54:05
役者は役者でも歌舞伎役者じゃ使えなって事だな。
おまけに戦中のエキストラの演技が大根すぎだった。
但しこれだけは言える。



あれじゃ河井ファンに対して失礼だろ!

92 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 16:39:22
>>86
サツマイモ乙

93 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 16:56:42
>>89

阪神の起業者が幕末に継之助の部下で
長岡城落城直前に「これからお前は商売に生きろ」とかなんとか
言われたのがきっかけというどうでもいいネタ


94 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 17:21:11
岩村は、どうしても悪者になってしまうのか。

95 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 18:10:17
阪神じゃなくても、巨人と同じリーグで在阪球団だったら阪神とほぼ同じようなものが
出来上がっていたんじゃないかな。

96 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 18:24:24
岩村の行為は正しい。
河井の「武装中立」とは名ばかりで、
「新潟港を会津の貿易港として維持し、
 官軍に対する各藩の支援を中立を名目に遮断させる。
 また、官軍が会津へ進軍しようとしたら背後から薩長を討つ」
と宣言していた。これでは会津と同類扱いする方が正しい。

後の長州の連中による岩村批判には、
自由民権運動に向かう土佐を中傷する意図があった。
岩村批判の時だけ山県を礼賛する中村彰彦や長岡の郷土史家は、
ご都合主義の固まりだろう。

97 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 10:21:33
岩村は悪者として歴史に名を残したんだからそれでいいじゃないか

98 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 10:32:29
【勘三郎】河合継之助‐駆け抜けた蒼竜‐【長岡】
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/kin/1131847107/    @時代劇

99 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 10:37:22
不覚にも観てしまた。

100 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 11:17:09
>>96
それは中朝赤穂並みの歴史の偽造ですね。

101 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 19:30:08
いずれにせよ薩長は悪名高き東北ジェノサイドをやってのけたんだから批判されて当然だろ。
ヒトラーでも同じゲルマン民族には手をかけんかったぞ。

102 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 19:45:45
>>83
外山脩造と阪神タイガースは全然関係ないぞ。
確かに外山は阪神電気鉄道の初代社長となったが開業した明治39年には既に
その職から退いていて実権は専務の杉村正太郎や今西林三郎に移行していた。
阪神タイガースの前身大阪野球倶楽部が設立されたのは昭和11年でそのとき
の電鉄社長はその今西の養子で外山から数えること第九代目の社長今西與三郎
氏のときだ。 
また当時のオーナーは電鉄社長ではなくて松方正義氏の四男でJOBK
(NHK大阪)理事長の松方政雄氏であって阪神電鉄とは直接関係なかった。

103 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 21:12:26
>>96
監修が河井研究で有名な稲川明雄氏だった。
新潟地震で地元の中国人と揉めてしまって精神的に参った時期が
あったそうだよ。
>岩村批判の時だけ山県を礼賛する中村彰彦や長岡の郷土史家は、
>ご都合主義の固まりだろう。
稲川氏の編纂した北越戦争史料集は使えない史料集として酷評
されている。意図的に史料の中身が削除されており、新潟県
史料集と突き合せないと使えない。
その上、値段が1万以上もするのでどうしようもない。

なお、出版社は新人(ry

104 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 23:14:57
>>96
>「新潟港を会津の貿易港として維持し、
>官軍に対する各藩の支援を中立を名目に遮断させる。
>また、官軍が会津へ進軍しようとしたら背後から薩長を討つ」

これが事実なら河井に同情する余地はまったくなくなるんだけど

105 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 23:28:44
板違いです。年明けに削除依頼を出しておきますので、以降はこちらでどうぞ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1132450230/l50

106 :日本@名無史さん:2006/01/01(日) 00:38:12
サムライなんだから戦争に負けて死んでも文句言うな
女々しいんだよ列藩同盟擁護派は

107 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 10:09:41
>>74馬鹿だな〜山本元帥はただの出先機関の長だよ?総理でもないのに…馬鹿だな〜(^_^;)

108 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 10:35:24
投降した幕軍捕虜の大量虐殺があったとは聞かないが。

109 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 16:46:09
まあまあ会津も薩摩も長州も仲良くやろう。ぼくは相模。

110 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 08:03:09
まあまあ会津も薩摩も長州も仲良くやろう。ぼくは筑前。



111 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 08:03:52
まあまあ会津も薩摩も筑前も仲良くやろう。ぼくは長州。


112 :【 ´,_ゝ`】プ:2006/01/03(火) 08:56:16
http://8514.teacup.com/masatani/bbs

113 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 09:09:09
>>52
それは、そのくらいしか戦争できないってことだろ?物資の差で
だから戦争はしない方がいいって意味だろ

114 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 10:47:43
継之介の判断によって長岡藩は滅んだ。弁解の余地はない。

115 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:04:13
ぼくは継之介が好きです。
陽明学徒でもあります。

ただ「急いてはことをし損じる。」という諺があります。

愚かなり、継之介。

116 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:07:14
何故、陽明学は人を破滅に導くのだろうか。

117 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:18:37
確かに弁解してないね。

118 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:29:01
継之介が何を急いたと言うのだ?

119 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:33:42
残念ですがやむを得ません。

120 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:34:22
何を一人で語っとる

121 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 16:26:41
>>107は長岡から涙の投稿です。

122 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 16:28:47
>>116
「知行合一」などと称して、考えずに行動するからだ。

123 :【 ´,_ゝ`】プ:2006/01/03(火) 17:10:23
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200412290000/

http://snsi-j.jp/boyakif/diary.cgi?start=38&pass=

124 :日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:46:11
真相里見八犬伝

天下は着実に豊臣から徳川の世に移りつつあった。
房総半島の安房・上総の国を領していた里見家は、小田原攻めの際の合戦参加が遅れた事を理由に、
秀吉の命により上総の地を召し上げられてしまい安房一国のみとなる。
新しく関東に移封され、江戸に入った徳川家と関係を深めようと考えた里見家は、
徳川家で一番力がある重臣大久保忠隣と婚姻を結ぶ。
しかし政争が絡んだ大久保長安事件が起こり、大きな後ろ盾であった忠隣家を失い、
里見家は大きく慌てる。
秀吉が死に、天下を統一する為に大阪攻めを始めようとした家康だが、
現在も関東一の水軍という潜在能力を保有する里見家が隙をついて江戸を攻撃すると考え、
不安を取り除こうと里見家に対して理不尽な理由で改易を命じてくるのであった。
納得できない理由で改易を命じられ、
混乱しながらもそれに従うしかない意見が大部分を占める里見家だが、
黙って領地を受け渡すつもりのない勢力があった。
里見一族であり重臣でもある薦野甚五郎は、武士として最後の意地を見せる為、
幕府を相手に立ち上がる。
居城に立て籠もったのは、甚五郎率いる薦野一族と、戦国の世を懐かしむ老武士ばかりであった。

125 :日本@名無史さん:2006/01/04(水) 16:28:34
河井継之介は好きだけど負けは負けだ。
負けた男に同情はいらね。さぁーお雑煮食ーべよ♪

126 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 12:55:09
age

127 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 14:00:18
長岡、哀れよのう・・・

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/05(木) 17:41:24
>>116
現実とあまりにもかけ離れた理想を抱いてたって無駄ということだ。
それが陽明学を専攻とした薩摩藩とは大きな違いだよ。

129 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 19:03:06
専攻って意味教えてくだされ〜

130 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 21:12:30
>>128
理想主義的なのは、どちらかと言えば朱子学のほうだと思いますが。

朱子学  水に入らず畳の上で、教科書を開いて泳ぐ練習をする。
陽明学  泳げもしないのに、いきなり滝つぼへ飛び込む。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/05(木) 21:48:44
>>130
すまんが「たとえ陽明学を重視していたとしても」を>>128に付け加えておく。

132 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 21:53:57
>>131
どこに入るんだろう?

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/05(木) 22:17:03
たとえ陽明学を重視していたとしても
現実とあまりにもかけ離れた理想を抱いてたって無駄ということ

これでいいいか

134 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 23:11:53
了解

135 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 04:25:44
[ドラマ] DRAMA COMPLEX 河井継之助 「駆け抜けた蒼龍・激動の幕末、北国にいたもう一人の坂本竜馬」 2005.12.27.wmv

136 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:36:36
>> 10
もっと詳しく教えてください。


137 :日本@名無史さん:2006/01/12(木) 23:59:04
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmilitary&nid=9727
日本人と韓国人が、長岡城の落とし方について、論議しています。

138 :太朗 ◆rgd0U75T1. :2006/01/25(水) 00:20:32
継之介の二の舞は御免だ。継之介は志半ばで倒れたがぼくは必ず事を成してみせる。          また、報告いたします。

139 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 09:50:02
戊辰戦争の後半の北陸での戦いとか、会津での戦いとか
五稜郭での戦いとかは、避けられなかったものなのだろうか?
これから生きていれば日本のためになるような、優秀な人材が
たくさん死んだように思う

140 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 12:30:57
案外大物はみんな生き残ったよ
死んだのは憐れな兵隊達だ

141 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 13:44:56
優秀な人材ならそもそも負ける戦はしないんじゃね?

142 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 16:43:39


143 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 00:12:09
うほ

144 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 19:01:58
ご教授お願いします。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1142239107

145 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 20:15:37
>>141
それも確かだが河井継之助 のような己の一分を通す為に戦う男(回りは迷惑だろうが)が
そのカリスマ性で歴史を動かす事もあるし、いちがいには言えないんじゃない。

146 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 17:57:56
たとえ小千谷談判が平和に済んでいたとしても戦さは起こったろうよ

147 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 18:34:55
数年前、女遊びに耽ってたころ俺は”河合継一”と名乗っていた。
 けーいちゃん 
などと呼ばれてた。ゴメン、本名じゃねーよ。

148 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:37:45
河井も領内にうろつく佐川以下会津藩兵を血祭りに挙げて、
政府軍に敵対意思の無いことを証明してやればよかったのに。

まぁ中立体制なんてどっちみち無理だが。

149 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 21:21:28
そりゃチッと変でねぇかえ?それじゃ中立じゃなくなるでよ。
ただの恭順なら他藩と一緒だでぇ。

150 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 00:30:39
いや、変じゃない。武装中立とは国内に侵入するものは基本的には敵とみなす考え方。
ま、現実問題としてはそこまで徹底できた国はないけどね。
詳しくは、あー光文社文庫中立国の戦い・・・だったかな?
中立国の戦史の概論が出てるから参考までに・・・・

151 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 01:08:47
148の言ってるのは同盟の後のことだから、新政府軍に降伏するための血祭りageだ。

152 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 02:17:14
ガドリング砲の行方はどうなったのでしょうか?
調べるにも手がかり無さそうです。
実戦で役に立たなかったから廃棄されたのでしょうか?
官軍に鹵獲されたという話も聞きませんし。

153 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 06:23:45
溶かしてリサイクルしました^^

154 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 05:49:32
不明。本当にあったのかと思うくらい不明。
撤退するときに持ち運び出来ないものは敵軍に鹵獲されないように破壊するのが、
一応現代軍隊の習いなのだが・・・・
そもそも、近代的武装で名を売った長岡藩。降伏後の彼らの装備は一体どこへ?
何にせよ、西洋物であれば良いという安直さを感じてしまうんだよな。継サには。
陽明学のみ勉強して後は耳学問・・・・が本当かどうか知らないが、やはり
しっかり学び、考える事もまた大切だと余桃の学の元信者は思うわけです。

155 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:16:42
良いも悪いも、よく考えずに行動するのが陽明学でしょ。

156 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 19:26:22
そうね、だからときとして反逆者になったりする。
大塩平八郎、河合継之助、西郷隆盛・・・・
只、何も考えなかったわけではなく皆やむをえず立ち向かった印象がある。
ま、河合継之助の師匠格、山田方谷は官軍に恭順したわけですから、最後の
決断というのは学問の性格よりも個人の性格が決めるのかも。
あたりまえの話ですが・・・・

157 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 11:55:58
俺が正義ってことか!!

158 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 13:51:30
自分のプライドのみではなかった・・・と思う。
命より大切なものがある人とない人の差・・・書いてて嫌になった。
プライドと命という言葉の中には自分のだけではなく他人様のご先祖様から、
はるか未来の子孫まで入ります。

159 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:07:09
岩村が援軍で加わったからややこしいことになった。
もし交渉の相手が黒田だったならと「もし・・」ばかり考えてしまう。


160 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 09:23:39
そうね、一般的にも小千谷会談の相手しだいで変わったろうと言われてるね。
これはあくまで私見なので不快に思ったらスルーしてほしいのだが、長岡藩の
武装中立政策そのものが現実的ではないのが根本にあり政策責任者である河合
継之助がどこまで武装中立国を研究したのかと思う。ま、負け戦の責任者を
断罪するのは容易すぎるし、結論も出しやすいのだから慎重に慎重に・・・


161 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 14:48:54
降伏して家中・領民が安泰に暮らせるならともかく、そう思わせない何かが官軍にあったのでは?

162 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 15:57:38
>>161
東北以外の諸藩は、徳川の分家まで含めて
ことごとく新政府に恭順してるじゃん。

当時の地理感覚なら東北は東北で一種のムラ社会として
独自の連帯感を持ち易かったこと、
徳川体制の崩壊により新国家として独立して
その権力の中枢を占める可能性を見い出したこと、
京から離れ過ぎてて朝廷の威光が影響しにくかったこと、
東北にとってはそれこそ外国同然の
西南の果ての僻地藩に従うのが気に入らなかったこと。
理由としてはこんなところじゃないかな。

163 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 16:29:13
長岡含め奥羽越の国のやつらや降伏しないで徹底抗戦したやつ全員時勢の読めないクズ。
しまいにゃエゾ共和国つくるとか言って時代の流れに逆らい日本を危うくさせた糞ども!西洋列強に対する力をつけるためには国が二つに分裂されるのがいかにタブーか、その場の事しか考えず日本国の行く末を考えない輩

河井もその仲間である

164 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:34:57
うーん、結局、161さんも162さんも同じ事、指摘してるよね。
何故長岡は戦争に踏み切ったのか>どうにも官軍は胡散臭く見えた・・・と。
後世からみる我々は確かに官軍が勝つことを知っている。それが時勢って奴
なんでしょう。だけど当時は行く末がどうにも解らない、混沌でした。官軍側
だって薩・長・土の3藩以外いつ裏切るか解らない状況。河合がそんな中で、
考えた事。それが武装中立。河合は多くを望み過ぎたのかもしれません。
ただ戊辰、西南と内戦を通してそれまでの藩意識から”日本”意識が生まれた
事も真実で、内戦もせずにすんなりと新政府が成立したとしたら現代の日本人
という概念は違ったものになっていたかもしれませんね。

165 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:36:19
河合>河井の間違い。

166 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 23:48:11
会津勢は官軍来る前に近隣(越後・上野・下野等)に進入してる。
これに恐れを為したのは長岡(河井)。二次大戦のインチキ中立国スウェーデン並。
会津になびかず敗走兵に焼き討ちされた農民より肝の座って無い人物。


167 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 13:06:48
面白いものですね。戦略をどう見るかで人が受ける印象が全然違ってしまうんですね。
確かに戦史的視点でみると長岡は後手の印象をうけるのですが、これこそが
長岡が戦争を望んでいなかった証と理解できないでしょうか?
これは私見なので不快に思ったらスルーして欲しいのですが、厳密な局外武装
中立政策は理論上は成立しても、小国がこれを完遂するのは現実には不可能だと
思います。そして河井こそが、その厳密な局外中立をやろうとした人だと思っています。
最大の失敗は官軍に要衝を奪われた事ではないのかもしれません。


168 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 00:40:44
王政復古した以上、旧幕府側が恭順しても、「血祭り」の対象が「必要」だった。
しかし徳川本家は皇族と縁続きになってきたゆえ、殺すわけには行かない。
だから闘う気も無い会津、東北を血祭りにする必要があった。

169 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 02:13:40
薩・長・土の三藩の”凄み”は鳥羽、伏見の戦いにおいて勝てるかどうか解らない
のにもかかわらず戦端を開いたところにないだろうか?
そして官軍と幕府軍の戦力差が官軍に傾いたのはいつだったのかを考えると、
会津を攻める他、官軍には道がなかった気がする。革命の完遂のためではなく
只ひたすら己の存亡のためではなかったか・・・・と。

170 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 23:51:00
仲裁入ってまず会津さんを納得させる課程を見たかったものだよ。
峠エピソード2をフィクションで書いてくれ。

171 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 10:51:41
「どうした?刺せば気が済むのだろう?歳?・・・」筋肉質の肉体に篤い友情の持ち主なのだ_
そう歳三は感動していた。しかし、このまま謝るのも癪に触る。
「ああ、気が済むとも、思い知れ、俺を女扱いした奴ら!」癇癪玉が破裂したかのように
めちゃくちゃに叫びながら勇に突進した。混乱した男と肝を据えた男との勝敗は
直ぐについた、懐剣を直ぐにたたき落として歳三の両手首を掴み、体を回転させて
布団の上に組み敷いた。「どうした?俺を刺すのでは無かったのか?」「俺は、女じゃねぇ!」
「そうだな、でもまだ子供だ・・・」組み敷かれて悔しさに涙を浮かべ始めた歳三を
愛しく感じてしまった勇は、そのまま歳三の唇を奪った。「うっ」歳三の驚きの声は勇の厚い舌の塊
に押し込められた。



110 :風と木の名無しさん :2006/04/18(火) 15:02:46 ID:RTEvpCm8
「少し何かする前に考えろ、歳・・・」舌を差し込んで歯をこじ開けて歳三の柔らかい細い舌を絡めた。
唾液をたっぷり流し込んで、愛しさを込めて接吻を繰り返した。
「う・・・」涙を浮かべながら、その唇の動き、勇の舌の咥内の動きに逆らえなかった。
「歳・・・お前は男だ、男の子なんだな?なら男同士にしか出来ない契りを結ぼうな?」
「こ・・・」「かっゃんで良い、これからは、義兄弟、男同士の付き合いだ」
優しく諭すと桜色の乳首にも遠慮無く吸い付いた。「アッアアー」体を捻ろうとするが両手首を
しっかり押さえられていて、その愛撫から逃れる術は歳三には無かった。
「美味しいよ・・・甘い・・・」勇の額に汗が浮かび、それが歳三の首に落ちる。
「んっん」様々な場所に官能の刺激が走り、体がびくびくと震える。



172 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 21:47:00
↑つまらん

173 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 22:23:07
>>171ごめん、萌えてしまった…

174 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 23:01:15
171=173

175 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 20:59:52
>>170
果たして長岡に官軍と会津の仲裁が出来たのか・・・考えてみた。
停戦交渉とは理論をもって利益を争うものと定義しました。(専門家の皆様ごめんなさい)
終結の大原則はお互いに戦争を止めたいと願っていると定義しました(同上)
そう考えると官軍も、会津も戦争をなにがなんでも避けようとしたのでしょうか?
むしろ会津には戦わない理由よりも戦わなければならない理由の方が多い気がするのです。
会津は京都守護職として治安、政、謀略の最前線において官軍と互角以上の戦いをおこない
どの藩よりも官軍の実体を把握していました。会津の悲しさはそこにあるような気がします。
ラストサムライという言葉は彼らにこそふさわしいのかもしれません。
以上、私見です。




176 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 23:22:04
河井継之助と小林虎三郎は萌えますか?

177 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 09:31:25
河井継之助ってワッキーに似てない?

178 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 22:12:28
もうすこし顎が張ってればね。
関係ないけど”るろうに剣心”で斉藤一がブレイクしたように河井も
どこぞの漫画家が美男子に書いたら萌えの対象になるのかな?

179 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:26:05
それはそうでしょう
実像より自分の妄想の方が大事な連中だから

180 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:03:57
會津は最初恭順で行くつもりだったし、冷や飯を食わされているとはいえ
重役に恭順派も居たように思います。

戊申の後半戦は誰が考えても最初から勝敗が見えていたと思いますから、
むしろ西軍こそ後顧の憂いを断ち切るために世良修三のような輩まで動員して
奥羽列藩を戦場に引きずり出す必要があったのではないかと。

河合継之助の場合最初の西軍との接触で好感触を得たようですが、ここで
うまくいくとしても、条件から會津の説得を外させた上でのことではないでしょうか。

河合には外交戦で敗れた段階で藩國の末路が見えていたはずですが、
すべて見抜いた上で時間稼ぎのような選択肢をとらざるを得なかった事情の中に
己の軍事の才や新兵器の威力を試したいというような、陽明学の徒からみれば
いささか浅ましい動機も含まれているような気がしてしかたありません。

181 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 20:29:29
河井なんかより新撰組の方が萌えれます

182 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 22:13:53
>177
坂田利夫

183 :日本@名無史さん:2006/05/15(月) 03:20:56
>>180
ひさびさの大型投稿有難うございます。なるほど仰る通りだと思います。
ところで長岡の外交について詳しい資料を探しているのですが何かお勧め
なのがあればご教授願いませんか?



184 :180:2006/05/15(月) 20:19:38
残念ながら史書は読んでいません。
どこまでが史実か疑わしい「峠」の斜め読みしかしていないのですが、
外交戦はクライマックスのひとつなので、詳しく丁寧に描かれています。

その「峠」に長岡旧藩士今泉鐸次郎の「河井継之助伝」というのが
土佐の軍監岩村高俊との考証に関する参考図書として紹介されていました。

岩村は後日河井の申し入れを相手にしなかったことについて弁解していますが、
これは西軍が北越戦争で苦戦し、多大な犠牲を払わざるを得なかったという
結果をふんでの弁解のような気がします。


185 :183:2006/05/16(火) 21:45:23
>>184
ソース有難うございます。なかなか資料のない戦争なので大変ですよね。
ところで司馬作品のもう一つの河井の短編小説の方は読まれましたか?
180さんのもつ河井観に近い姿が書かれてますが未読ならお勧めします。
(余計なお世話とお感じになられましたら謝罪いたします。)
岩村についてですがこの人物も評価が難しいですよね。残された写真などを
見るとなかなか面白味のある人物に見えますし・・・
何にせよ官軍側も無我夢中だったのだろうなと思ったりしています。




186 :180:2006/05/17(水) 23:02:28
「峠」を読んだだけの私におつきあいいただいて恐縮というか、申し訳ありません。

私が若い頃は就職の面接で龍馬を尊敬しているだとか司馬の書籍が愛読書だとか
答えろと言うセオリーのようなものが吹聴されていて、私はそういうのに対する
嫌悪感から司馬遼太郎の歴史小説を遠ざけてきました。

従って、「英雄児」の存在すら文庫版「峠」の解説で知り、読んでいません。
「英雄児」と比較すれば「峠」は河井が比較的好意的に描かれているということ
ですが、傲慢不遜で己の才覚に酔っているなど、河井の人間性に関する叙述を
見ると作者がこの人物を武士道の精華とは思っていないような気がします(私は
司馬氏の作風を知らないので、このような描き方は人物を活き活きと描く
テクニックで普通なのかも知れませんが)。

経世家としての実績や北越戦争での活躍(と挫折)はあくまで結果論です。
しかし、河井をこの学派の先輩である中江藤樹や熊沢蕃山と比較すると、もっとも
基本であるはずの修身という面で著しい不足感があって不自然な感じがします。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9D%91%E9%AB%98%E4%BF%8A
は北越戦争時代の比重が高い岩村紹介ですが、これを読む限り「峠」での紹介に
ほぼ近いですね。

187 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 23:38:45
そうねぇ、その不自然さこそ
考えさせられるわけだが
俺は「きわどい夢をみていたのだよ」という表現が
「峠」の中で心に染みたよ。
小説に肩入れしすぎではあるかもしれないが
司馬作品はそういう風に胸を打つところがあるし
それを味わえるところが好きだ。

188 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 21:11:18
安岡正篤が山田方谷を紹介するのに
「人を人とも思わなかったあの河井継之助がたった一人方谷にだけ頭を下げた」
などと書いているので、「峠」の河井継之助像に作者の特別なフィルタ等は
かかっていない(敢えて曲げてはいない)ようです。
藤樹・蕃山の「愛敬」「謙」は河井の陽明学には全く無用のように思えるのが
尚不思議。

189 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:41:48
>>116>>122
「精神・道徳・言動は、おおむね自己の内に収斂せしめることを第一義とする。
 外に発出するとしても、それはやむにやまれるものがあってそうすることである。
 宇宙万物みな、そうである。」と陽明学にはある。
陽明学というと心で思ったことはなんでも行動に移すと思われがちだが、
本来は外へ向かう思想ではなく、己の心に向かう思想だと思う。

190 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 03:16:00
日テレ年末時代劇版「河井継之介」、DVD発売

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=ms_d_p_7_p1/250-2796111-3840230?a=B000FI8UCW&uid=NULLGWDOCOMO&edi=5wr361ari5cB048a0C9SGQb%2F2rRTVw%2FHgELpGjUCdVQ%3D

191 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 12:48:18
>>190
そんげ駄作いらね

192 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 23:29:42
河井の陽明学と言うのは、あくまで河井自身が政治家に必要な要素のみを凝縮した物のような気がする
どう見ても、鵜呑みにできるタイプじゃないですしね
だから、真正の陽明学とは違う物になったんじゃないでしょうか・・・・・




193 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:21:12
そうだね

194 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:04:09
とびだせ

195 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 13:51:51
この人のお墓は何度建てても壊されたらしいね。
無理もないけど。

196 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 05:01:05
尊敬はしている。だが尊敬が高ずる余り農作業まで手伝うとなれば、これはおべっかさ。
尊敬はあくまで純乎たるべきものであって、おべっかが混ざっては相ならぬ

197 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 18:37:26
何度も墓を破壊したかと思えば、
村興しの材料に使ったりもする。
どっちかはっきりしろよ、東北人。

198 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 19:49:44
新潟は東北ではありません

199 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 01:06:26
阿賀北は東北 糸魚川は北陸 新井頚南は信越

200 :名無し募集中。。。:2006/07/16(日) 04:39:29
天皇の世紀はこの人の死で終わったそうだがホントは明治天皇崩御かせめて西南の役まで書きたかったのではなかろうか

201 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 17:56:33
河井継之助が好きならば陽明学を学ぼう

202 :陽明学の対話:2006/08/02(水) 01:45:01
古来、英雄は自立した。しかし今の世は封建の世だ。人に使われぬ男は大したことはない…
…されば、佐久間象山はどうです?
佐久間は百年に一人、出るか出ないかの巨才だ。だが、おのれの才を頼む余り、つねに身を反らし、性格は驕慢で鼻持ちならぬ…
人はその才を恐れるが、その人物を蛇褐のようにきらう。これではせっかくの才が世に使われようもない。
な、河井。そう思うだろ?

203 :日本@名無史さん:2006/08/16(水) 16:56:32
命日あげ

204 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 16:18:07
昔「知ってるつもり」って番組で、河井継之助が取り上げられてたと思うのだけど、見た人いますか?ゲストの武田鉄矢が泣いていた記憶があります。

205 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 08:53:42
>>204
6年ほど前に結婚できない男の阿部ちゃんが主演した奴かな??
武田鉄矢が泣いてた記憶はあまりないけど、
現代のサラリーマンと河井をかぶせて放送した奴。

206 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 00:49:43
男の中の男、継之助

207 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 21:43:22
だとは思うが、あまり関わりたくはない

208 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 01:13:57
つぎさ〜

可愛い可愛いと今朝まで想い
今は愛想も
継之助

209 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 02:24:44
良運さんって実在したの?

210 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 02:26:17
さあな。
でも長岡の歴史資料館にも名前出てた気がする

211 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:33:23
アニメ出演記念

212 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 06:01:58
「犬死にする覚悟はあるか」ってのは脚色?

213 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 22:42:14
長岡まちめぐりミュージアム
http://www.e-machi.city.nagaoka.niigata.jp/

214 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 18:20:22
継之助が明治維新のメンバーに入れたとしたら
大久保の独裁はなかったろうな

215 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 22:01:08
揉めて即効辞めてそうだけどな

216 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 23:21:25
>>214
大久保の独裁の代わりに河井の独裁か。
まぁ教養が低くて客観的情報・大局観に欠けた民衆による民主政治はどっちみち無理だし。

しかし人脈スキルに幾多の政争経験からして、河井では大久保には太刀打ち出来ぬ。

217 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 23:42:01
江藤とか小栗とともに善政を行ったいたかも

218 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:16:27
ありえん、薩摩隼人に暗殺されんのがおち
幕府がわなら、水戸藩士に暗殺 キャラ強すぎ、行動力ありすぎ

219 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:59:38
長岡藩って水戸藩と因縁深いですね。
最後の戦いも水戸藩内だったし

220 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 07:23:19
戦争はしてはならんでや

221 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 07:43:17
ガトリング家老は政治をもうやらんだろう。
渋沢と同じ経済界で食って、回顧録を書いて70で死にますた。

ってところ。

222 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 02:00:28
「峠」は名作だな

223 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 09:40:18
>>222
長岡行って来い
感動するよ

224 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 10:03:45
>>223
行って来たぞ。長岡はいい町だ。酒もうまいし。

ついでにキチガイのような河井ファンもいなかったので
よかったw

225 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 11:15:54
歴史館の軍扇はガチ

226 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:31:40
俺もいつか長岡逝きたいなぁ

227 :日本@名無史さん :2006/12/24(日) 13:33:27
27日に長岡の河井継之助記念館行く奴いる?


228 :日本@名無史さん :2006/12/24(日) 13:55:48
規模が気になるな。

229 :日本@名無史さん :2006/12/25(月) 15:19:36
峠以外に河井主人公の名作ない?

230 :日本@名無史さん :2006/12/26(火) 17:46:56
明日記念館開館っつーから行ってこようかなと思ったけど雨かぁ。
あさっての雪とどっちがマシかな・・・
答えて長岡な人。

231 :日本@名無史さん :2006/12/28(木) 17:48:26
過疎っているのでやってきましたよ。
長岡は明日から雪っぽいね。

232 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:32:32
慈眼寺の会談の間は中越地震で壊滅的打撃を受けたけど有志によって復旧された
河合継之助が慈眼寺会談の後で飯を食べた料亭は今も存在する
当然、予約を入れて金さえ払えば食事をすることができる


233 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:34:55
旧宅跡はどうなっているのかなあ?

平凡社、『塵壺』また出版してくれんかなあ。

234 :日本@名無史さん :2006/12/28(木) 19:37:16
旧邸宅って河井継之助記念館のこと?
ほぼ当時の状態を現存して見学できるよ。

235 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:47:37
31日まで無料。

【新潟】河井継之助記念館オープン 俳優、中村勘三郎さんも駆けつける 31日まで無料開放…長岡
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1167275119/

雪は降ってるけど
駅から近いのでそんなに大変じゃないでしょう

236 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:57:01
河井継之助記念館が開館
長岡の生家跡遺品やパネルなど展示

 幕末の長岡藩家老・河井継之助(1827〜68年)の生涯を遺品やパネルなどで紹介する「河井継之助記念館」が27日、長岡市長町の生家跡でオープンした。市制100周年を記念し、長岡市が生家跡にあった住宅を記念館に改修した。31日まで無料で公開される。

 司馬遼太郎の小説「峠」の主人公として知られる河井。藩財政の建て直しや兵制の近代化に尽力をしたが、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍を指揮し、薩摩・長州藩率いる官軍に敗れた。

 記念館には、河井唯一の著書とされる日記「塵壺(ちりつぼ)」の原本や当時身につけた蓑(みの)など32点を展示。親友の藩医・小山良運に送った河井の書簡も北越銀行から市に寄贈され、展示された。

 開館式には、テレビドラマで河井役を演じた歌舞伎俳優中村勘三郎さんも駆けつけ、河井が国内で最初に使ったとされる「ガトリング砲」の原寸大模型を見て「テレビで使ったやつより立派」と感心しきり。

 河井のひ孫にあたる東京都目黒区、会社員河井弘安さん(44)は「(河井は)長岡をよくしようと知恵を絞った。記念館が長岡の将来を考えるきっかけになればうれしい」と話した。

 年内は午前10時〜午後4時。1月1〜4日は休館で、5日以降は午後5時まで。入館料大人200円、大高生150円、小中生100円。問い合わせは記念館(0258・30・1525)へ。
(2006年12月28日 読売新聞)
ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/news001.htm

>河井のひ孫にあたる東京都目黒区、会社員河井弘安さん
この記事中の「ひ孫」という表現は合ってる?
河井家を継いだ森茂樹は、河井継之助の姪の子供だから河井家の血は流れているけど、
河井のひ孫ではないよな?


237 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 06:21:28
15年くらい前に、奥只見の記念館に行ったけど、
それより大きいですか?

238 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 19:27:03
「峠」また読んだ。「竜馬がゆく」より名作かもな

239 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 01:17:49
もう一つの答えとして、西軍に降伏した場合のことを考えてみよう。
降伏した場合、それは直ちに西軍への従軍、会津征討の先鋒を勤める事になる。
長岡領内は、西軍と同盟軍(精強を歌われた庄内の酒井家などが中心)とが激突する戦場になる。
仮に西軍に降伏して勝利を収めたとしても、出羽久保田の佐竹家の例もある。
佐竹家は慶応四年の7月4日に戦況が互角の時期に西軍の誘いに乗る形で同盟を離脱して、西軍に
参加。津軽家を始め、8つの大名家が佐竹家を支持し、奥羽戦線での西軍の勝利に一役買っている。
明治元年の太政官日誌では、「戊辰兵火焼失届」と「出兵人員及び死傷者調」が佐竹家から出ている。
これによると、佐竹家では領地の75%を同盟軍(酒井家や伊達家・南部家)に占領され、民家の総数
17085戸の内4684戸が焼失した。(戊辰戦争で長岡牧野家が失った戸数は、3598戸)
敗走する西軍(援軍としてきた鍋島家や、島津家など)や進攻する同盟軍の手で田畑は荒れ果てた。

240 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 01:42:14
金がなかったので、戦費として、イギリス商人のオールトから借金として
50万両を含む約160万両が借金として残った。この中には軍艦2隻(陽春・高雄)とエンフィールド銃3000挺と弾薬が含まれる。
兵士と軍夫あわせて8698人が戦場に投入され、戦死者329人、負傷者316人、合計645人。(戊辰戦争で長岡牧野家の犠牲者は、従軍者約1300人、戦死者309人、負傷者289人)
行き詰まる財政と荒廃した領内を立て直すため、太政官に50万両の下付を願い出たが、財政難を理由に下付されたのは20万両。また、太政官の戦後行政と欧化政策に反発する形で、
家臣団の中から大参事の初岡敬治が諸国の不満分子と一緒に太政官転覆運動に身を投じて、明治4年の「国事犯事件」で処罰された。(初岡自身は処刑された。)
太政官からは、「難治県」と呼ばれ、廃藩置県後に県令として赴任した島義勇に20年は遅れていると馬鹿にされるのである。

241 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 02:25:58
まあ、蛇足になるけど、酒井家側の資料(戊辰庄内戦争録)では、負け続ける佐竹家の戦死体は、領民たちの手によって、身包み剥がされて素っ裸で、雄物川に捨てられたとあります。
会津松平家にも、似たような話があると聞きます。また、出羽新庄の戸沢家の領民などは、西軍と同盟軍の戦いを弁当を持参して、負けた戸沢家家臣団に罵声を浴びせて見物していたと聞きます。
当時の民衆というのは、公平な裁判と公平な税制さえ行われていれば、支配者は天皇だろうが、将軍だろうが誰でもいいんじゃないの?


242 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 19:07:00
河井継之助記念館大晦日に行ってきました。
規模は小さかったけど面白かった。
また行って、もっと細かく見てこようと思う・・・

243 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 00:11:08
今日、白虎隊実況スレで記念館ができると聞いてきますた。
こりゃさすがに逝かないとな。

244 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 23:43:00
×ガトリング家老
○カトリング餓狼

×ガトリング砲
○餓式機関砲

245 :日本@名無史さん :2007/01/08(月) 02:12:22
峠>竜馬がゆく
だと思ってます。

246 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 08:18:20
去年、大雪で困ってる人が居ると聞いた瞬間高速バスの手配して雪下ろしに行きましたが、
これが知行合一でしょうか河井執政

247 :OPS:2007/01/08(月) 09:55:36
竜馬がゆくより名作なんですか峠は?

248 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 16:27:19
>>247
好みもありましょうな。

249 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 17:04:16
>>229
司馬の短編で河井主人公のやつがあるね。
「英雄児」だったかな?名前は忘れた。
俺はこれを読んで「峠」を読みたくなったよ

250 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 17:34:49
>>249
「英雄児」でOKです。
「峠」よりも短編の方が出来はよろしいかも知れません。
私は「馬上少年過ぐ」の長編がもし書かれていたら読みたかった。

251 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 17:43:46
>>250
「馬上少年過ぐ」は良い作品だよね。
司馬の好き嫌いは別にして、政宗への評価が見える。

252 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 11:52:36
2007年もアゲアゲでいきましょう!

253 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 19:10:12
新政府軍の書き込みなど、ガトリング家老自ら粉砕してくれるわ!

254 :山田方谷:2007/01/18(木) 02:44:32
河井、心せよ

255 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 20:19:06
河井さんをあまり叩かないように。長岡市民+長岡DNA保有人+田中真紀子サンが決起します。

256 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 08:23:32
田中真紀子のようなDQNの支持など迷惑千万! ガトリング家老自ら粉砕してくれるわ!

257 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 14:29:21
真紀子ですが何か?

258 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 23:08:59
長岡に本家ありますが何か?

259 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 10:37:22
なごーか

260 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 11:04:26
福沢諭吉の「痩我慢の説」を政治的に見たければ、越後長岡の牧野家を見てください。
その結果がよくわかります。河井は福沢理論を忠実に再現した人物といえましょう。

261 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 21:06:44
そんな書き方すると長岡系だけでなく、別な意味で慶應閥も敵にまわすんじゃないの?

262 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 22:15:44
>>261
私の意見は>>239>>240、に書かれています。
河井が領内を焼け野原にしないためには、独立特行策が成功する以外にないと言うことです。
それ以外は、西軍、同盟のどちらについても焼け野原は避けられないであると言うこと。
(それは慶応4年8月1日付、梛野嘉兵衛宛ての手紙によく書かれている。)
そうした河井の行為、思想を福沢が後から理論化したような気がするんだよね。
勝海舟に対するアンチテーゼとして・・・
ただ、この批評は昔(1980年代頃)からNHKテレビの「歴史への招待」などで評論家
がよく使っていたよ。
昔は故村上一郎。ちょっと前だと、松本健一、半藤一利両氏あたりが。
スタンスは、村上は好意的に、松本は中立的に、半藤はやや批判的に。
それでも、八幡和郎よりははるかにましだけど。


263 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:18:30
>>262
十分理解しました。

264 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 06:09:05
>>239によれば、久保田藩佐竹家二十万石では17085戸の内4684戸が焼失。
長岡藩牧野家七万四千石では3598戸の喪失か。喪失率では長岡の方がひどそうだな。
新政府による援助の受け安さというファクターをも加えると??

265 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 16:52:47
長岡藩総攻撃の官軍指揮官は土佐藩出身だ。継之助が単身和睦を談判しにいって「朝敵!朝敵!」と馬鹿の1つ覚えを怒鳴りまくっただけそうだ。
高知県とはそんな県なんだろうな。

266 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:30:47
長岡攻めの官軍軍監は岩村精一郎(土佐藩士)だ。こいつ、後に名前を変えて岩村高俊って名前で福岡県令(県知事)になってる。県令になるのに何万人殺したんだろうな!

河合継之助率いる長岡藩は、こいつらみたいに無駄な人殺しや略奪は一切してないぞ。
どっちが野蛮人だろうな。

錦の御旗って本質的に何の為にあるのか?
ハッキリ言えることは、相手が恭順を示しても虐殺するためにある[道具]であることは歴史が証明している。

267 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:48:03
このスレの結論は、「東北人越後人は要領が悪すぎる」だな。

268 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:53:46
正直自分は岩村がやったことのほうが正しいと思うけどな。
中立なんて認められるわけ無いだろ。阿呆らしい。
河合は元々主戦論者。中立なんて許したら会津は攻められない。
岩村も無理矢理な要求押し付けたりして馬鹿だったけどな。

錦の御旗は正義を主張する為だよ。自分達が正しいってことを証明してくれる。
要は天皇を握った証だと思うけど。天皇が正義だからね、あの時代。
ついでに恭順って何処の藩のこと?
長岡なら恭順じゃないし会津は武備恭順な上に反政府組織援助してる攻め込まれてもしょうがない藩だぞ?

269 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:56:49
確に、手のひら反しの大名人山内一豊一族が納めた糞高知のように人間がだらしなくなれませんでしたね。

270 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:20:46
>>268
浅いよな。
継之助は、岩井のとこまで頭下げに行ってんだよ。
主戦派なんて、何でおまえが断定できるのか謎だな。
主戦派の根拠なんて、財政立て直して内部留保した10万両を原資にして、フランス式兵制へ変更したってんだろうがね。
単純に他藩はやりたくてもそれを行う金がないからできなかっただけじゃないのかな。
火縄銃で戦に勝てるなんて全国の武士は誰も考えてないよな。

主戦派云々なら、慶喜だって後世の歴史評論家の意見分かれてるくらいなのにな。会津だって容保帰国後に朝廷へ恭順の意と謝罪を示してるよな。

しかもさ、越後の中でも中立を保った藩が実際あるが、おまえさんの断定論法と食い違っているから楽しいよ。何を言っても自由だが、越後史を変えないでね。

271 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:22:42
>>270だが、岩村を岩井と誤記載スマン

272 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 21:21:31
      ./       ;ヽ 
      l  _,,,,,,,,_,;;;;i  <いいぞ ベイべー!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  逃げる奴は俄か西軍だ!!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i |  逃げない奴はよく訓練された薩長兵だ!!
     ,r''i ヽ, '~rーj`c=/ 
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/:: `ヽ
  /     ゙ヽ   ̄、:::::  ゙l, ホント 戦場は地獄だぜ! フゥハハハーハァー
 |;/"⌒ヽ,  \  ヽ:   _l_        ri                   ri
 l l    ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| |                   / |
 ゙l゙l,     l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
 | ヽ     ヽ   _|_  _       "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
 /"ヽ     'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄  [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/  ヽ    ー──''''''""(;;)   `゙,j"  |  | |

     ↑ガトリング家老の雄姿

273 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 00:29:36
河井継之助伝に小山正太郎氏の談話が掲載されている。
『故品川子爵(弥二郎)は、かつて当時の京都に関して自分にこういう話をなされたことがある。
「京都で皆が寄ってたかって相談の結果、各藩を説得して味方にするには、勅使を出したほうが良いと決まった。
しかし、単に勅使といっても、別に何か有難味がなくてはいかぬというので、それに錦の御旗が良かろうということになった。
ところが錦旗杯というものは何所にもない。さりとて無暗に作ったことが世間に聞こえては有難味がないという所から、
木戸の妾(幾松)が小才のあるのを幸いに、これに命じて西陣へ遣り、自分の帯にするという口実で錦を一巻買わせて来て、
夜こっそり旗に作らせ、翌朝禁裏の寶蔵から恭しく持ち出し、是が、錦旗節刀を賜うさ。
ところが我々を土下座させた大名共が、この木戸の妾の帯に土下座するという始末さ。ずいぶん滑稽だね。」
是が真面目の話で、当時の事情は全く斯くの如きものであった。』
参考文献 河井継之助伝 今泉鐸次郎著 昭和6年 目黒書店 731〜732ページ
錦の御旗に関しては、岩倉具視の謀臣、玉松操の説もあるので、なんともいえない。
しかし、当時の空気、雰囲気というものが伺えるものではないだろうか。

274 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:00:22
俺は時代劇に出てくる官軍の馬鹿どもが鳴らす笛の音を聞くとむしずがやどる。
DNAに複写されてるのだろう。

275 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:30:10
虫唾が走る、が正しいと思います。

276 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 16:31:52
宿っちゃったんだが、走らせるか(汗笑)

277 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 21:06:55
>>273
錦の御旗は幾松じゃなくて大久保の妾のおゆうだったと思うが。
本当に河井伝にはそう書いてあるの?

278 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 22:15:16
>>277
>>273に書いてあるとおりです。
図書館で借りるなり、古本屋に行って取り寄せて読むなりして、確認してください。
私は河井伝を持っていて、そのまま、引用しただけです。
ここでいいたいのは、小山氏は長州毛利家の錦の御旗がそのように作られたと聞いたということ。
実際、薩摩島津家と長州毛利家それぞれ材料が渡されて、薩摩では大久保が、長州では品川が
玉松操のデザインに基づいて錦の御旗を作った。
けど、それが重要なんじゃないんだよね。
事実や本質がわかっていれば、錦の御旗は、妾の帯でしかないこと。
それは作った本人たちが自覚しているのだから。
判ってない奴が土下座をするということだ。







279 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 22:21:14
今度、図書館で探してみるよ。
ただ普通の本には大久保の妾おゆうだって書いてあったから、疑問に思っただけ。
幾松は当時京都じゃなくて長州にいるから、成り立たないし。よくある当事者の記憶違いだろうね。

280 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 00:36:35
>>278
>けど、それが重要なんじゃないんだよね。
>事実や本質がわかっていれば、錦の御旗は、妾の帯でしかないこと。

本質は、「朝廷がこの軍を官軍として認め、これに逆らうものは賊軍となったこと」でしょう。
それを理解したかしないかが、河井の運命を分けました。

281 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 00:39:45
>>278
錦旗は朝廷の人間が手織でこしらえないといけないってことか?

282 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:41:00
源平合戦にしろ、戦国時代にしろ、朝廷は強いものを後押しするだけで、形勢が逆転すれば以前の敵方に皇軍の旗印を下げ渡す。
薩長が皇軍となっても、幕軍があれほど不甲斐なくなければ、それが単に一時的な状態だったかもしれない。

283 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:55:52
全く同意
薩摩と会津へ敕命が下り長州が敕敵になったこともあったが、あっと言う間に皆さんご存じの通りになった

284 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 23:56:56
敕敵×→朝敵〇

285 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 18:12:41
日本人として長岡藩を誇りに思う。


286 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 19:20:30
要領は悪いけどな。

287 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 20:47:52
そこが萌える。

288 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:44:16
健気なドジっ子だからな。

289 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:45:06
立見尚文という戦の神様も味方した

290 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 22:01:36
健気なドジっ子には主人公が味方になるのが定石だからな。

291 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 22:21:27
無器用で頑固で空気読めずにドジ実直なところは、昔の爺ちゃん達みたいだよな。
おれは好きだな。


292 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 06:01:45
 「河井継之助伝」には以下のような記述があります。
慶応4年3月2日のことです。
 『継之助は支封小諸藩の江戸在勤の重臣を招致し、小諸藩今後の方針に就いて説示する所ありしが、
席上継之助は一同に対し、
「偖て御一同、幸いに貴藩の改革も其の緒に就き、継之助の之より帰国の心組でござる。御別れに臨んで一言申し述べたい儀がござる。
今や世事紛々、情誼図り難し、願わくば御一同、須らく大義に寄りて事を處せられよ、大義親を滅するは是春秋の名分でござる、呉々もこの一言を御忘れあるな」
と述べ、とくに
「大義親を滅す」
という一語に力を入れたり。
 是宗家長岡藩の向背は、未だ何れとも決し難きものあり、万一武門の面目として、敢然薩長徒に抗戦することもありとするも、
小諸藩は、大義によりて、王事に尽瘁すべしとの意を漏らせしものなるべし。
 其の夜小諸藩の重臣、継之助の為に別宴を開く、酒間、継之助杯を挙げて、(牧野)隼之進に話して曰く、
「継之助は今より忠良の臣たらんか、英雄の人たらんか」
隼之進問うて曰く、
「今や道路既に塞がる、先生は何れの道より長岡に帰られるや」
継之助破顔微笑して曰く、
「天に翔りて帰るべきか、地を潜りて帰るべきか、帰路の如き、敢えて憂うるに足らず、意を安んじて可なり」
と。
 継之助又私かに隼之進に対し、
「政変近きに来るべし、御分家三家のうち、一家だけは、残したきものなり」
と語りしという。
(牧野隼之進の男、成功氏の談)』
参考文献 河井継之助伝 今泉鐸次郎著 目黒書店 昭和6年 278〜279ページ
 

293 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 07:14:18
 河井が太政官に牧野忠訓名義で書いた建白書(慶応3年12月)にしても、当時の江戸の譜代、家門大名の空気をそのまま書いたという話があるから。
当時(慶応3年10月)から紀州徳川家を中心に大政奉還後、徳川家に対して大政再委任の運動が行われていた。
檄文は11月5日に紀州徳川家の江戸屋敷において読まれ、11月17日までに94の大名家が、
「忘恩の王臣たらんより、今より全義の陪臣となり、ますます砥節奮武の目的相立て候」
いう目的の下、徳川家に官位返上の嘆願書を提出したとある。
檄文の原文は復古記の巻3にあるといいますが、これは入手するのが難しいので、簡単に見たい方は、
参考文献 勝海舟全集巻14 陸軍歴史4 講談社 江藤淳 川崎宏 司馬遼太郎 松浦怜 共著 昭和50年 741〜742ページ
に収められていますので参考にしてください。
その現代語訳は 
参考文献 最後の江戸留守居役 ちくま新書 白石良夫著 平成7年 106〜108ページ
にあります。
 更にいえば、こうした譜代、家門大名とその家臣団の
「忘恩の王臣たらんより、今より全義の陪臣となり、ますます砥節奮武の目的相立て候」 
と言う思想に対しての考察は井上勲の「王臣と陪臣-徳川支配の正統性についての断層」があります。
参考文献  江戸とは何か-徳川の政治と社会 至文堂 大口勇次郎編集 昭和60年 183〜209ページ
にあります。
井上勲には更に踏み込んで、「王政復古-慶応三年十二月九日の政変」-中公新書がある。
私は、河井がこうした思想の側の代弁者であり続けたと、考えるけどね。
結局、王政復古の思想を上回る思想、政策を打ち出すことが出来ず、(河井の政治思想は、あえて言うなら安政年間に橋本左内
が提案した、徳川色の強い公議政体論だったのではないか?)王政復古のやり直しを求めるにとどまったのではないだろうか?
甥の根岸練次郎の回想文を読むと、そう思えてならない。
参考文献 塵壺-河井継之助日記 平凡社 安藤英雄交注 昭和49年 318〜321ページ




294 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 09:02:57
>>293
なるほど

295 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 11:01:20
そんな譜代大名たちも、いざ官軍が東征を開始したら、奥羽列藩同盟を別にしたら、
林忠崇みたいな例外を除いて、みんな朝廷に帰順したんだが・・・

あえて官位を返上して徳川宗家の家臣にとどまるような骨のある大名はいなかったな。

296 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 12:57:54
>>295
そのことも踏まえて、井上勲氏は考察を書いています。
井上勲氏の考察や著述を読んでください。


297 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 19:42:13
いやー奥が深いね!

298 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 21:11:13
ますます「東北人越後人は要領が悪すぎる」という結論が強調されるスレの流れだな。
なにしろ、「譜代も外様も一緒くた」だからな。

299 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 02:06:03
 ただねぇ、要領がいいと言うのも考え物で、裏を返せば、あまりにも簡単に状況に従いすぎると言うことではなかろうか?
逆に言えば、原則に固執する頑固者-福沢理論でいうところの「痩我慢」-が少ないということでもあるわな。
 勝てば官軍、バスに乗り遅れるな、と言う現象はどこにでも見られるが、日本ほどそれが目立つ国は少ない。
 それは内政では更に見られることで、勝者が大をなすには、原則を守るがゆえに意地でも従わない、と言う人物がおらず、利益になるなら
従っておこうと言う状況判断がここ一番の場面で支配したことにもよる。
 よく言えば柔軟性という美徳ではある。が、悪く言えば、利益のためなら自分たちで定めた規範・規則と言った類を平気で無視する、
と言われても反論できない部分ではある。
 これは美徳とは表裏一体となる部分であり、美徳の裏の欠点を意識しなければならないのかな。

 
 

300 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 01:26:12
戊辰戦争において要領がいいのは美徳以外の何物でもないだろう。
御家を戦に巻き込み、領土を焦土にし、領民を苦しめるのよりよっぽどいい。
到底そうは思えんがな。だから自分は日和見マンセーだ。
自分達にとっての利益を追求するというのは別に悪いことでも何でもない。

301 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:52:27
 「河井継之助伝」にはこんな記述がある。
『山県老公に御逢いした当時は、某重大事件(大正十年の宮中某重大事件)の為、老公は快々として楽しまず、
余程機嫌が悪かったところが、彼。の蒼龍窟の絶筆(梛野嘉兵衛に宛てし書簡)をお見せしたに、非常に喜ばれ、
戊辰戦争当時を追懐して、
「之は実に珍しい、貴重の品を拝見した」
といわれ、
「私は河井という人には小千谷では逢わなかった。今から考えて見れば実に残念なことをしたと思う。
あの当時の状況は、譬えてみれば長岡藩の立場は、丁度今の(欧州大戦争〈第一次世界大戦〉の始まりし当時なり)
ベルギー国のような具合で、中立地帯であるというのを、之を突破して進むというのであった。
我々の意見は、兎に角河井をひっくくってしまえば後は大丈夫だろう、河井をひっくくらうというものであった」・・・・・
そうそう、この手紙にある「分捕り品山の如し・・・・・」とあるが、之に就いて思い出した。おもしろい話がある。
分捕られた品は皆薩摩の方の物で、彼等はすっかり分捕られてしまった、実に閉口して居った。
我々は(長州人)は何遍もからかってやったものだ。どうだ大急ぎで薩摩へ帰って、もう一度用意しなおして出て来るんだね。
−といってやったものだよ」
云々。
参考文献 河井継之助伝 今泉鐸次郎著 目黒書店 昭和6年 762ページ

302 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:53:47
 「河井継之助伝」にはこんな記述がある。
『山県老公に御逢いした当時は、某重大事件(大正十年の宮中某重大事件)の為、老公は快々として楽しまず、
余程機嫌が悪かったところが、彼。の蒼龍窟の絶筆(梛野嘉兵衛に宛てし書簡)をお見せしたに、非常に喜ばれ、
戊辰戦争当時を追懐して、
「之は実に珍しい、貴重の品を拝見した」
といわれ、
「私は河井という人には小千谷では逢わなかった。今から考えて見れば実に残念なことをしたと思う。
あの当時の状況は、譬えてみれば長岡藩の立場は、丁度今の(欧州大戦争〈第一次世界大戦〉の始まりし当時なり)
ベルギー国のような具合で、中立地帯であるというのを、之を突破して進むというのであった。
我々の意見は、兎に角河井をひっくくってしまえば後は大丈夫だろう、河井をひっくくらうというものであった」・・・・・
そうそう、この手紙にある「分捕り品山の如し・・・・・」とあるが、之に就いて思い出した。おもしろい話がある。
分捕られた品は皆薩摩の方の物で、彼等はすっかり分捕られてしまった、実に閉口して居った。
我々は(長州人)は何遍もからかってやったものだ。どうだ大急ぎで薩摩へ帰って、もう一度用意しなおして出て来るんだね。
−といってやったものだよ」
云々。
参考文献 河井継之助伝 今泉鐸次郎著 目黒書店 昭和6年 762ページ

303 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 21:56:08
すまん、おなじやつ2度いれた。


304 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 22:36:54
>>300
井上勲氏の「王政復古-慶応3年12月9日の政変」の273〜276ページに理由付けがあるよ。
あなたがこれに納得するかどうかはわかりません。
275〜276ページに結論が書いてあるから、そこだけ引用するね。
「天皇の決断と突然の公示とその想像を絶した内容と、発動のための軍事発動と、これらの複合は、たしかに人身を戦慄に陥れるだろう。
その何れもが予想と理解を超えたことだからである。天皇の決断とその内容が予想の内にあり、軍事発動の目的が理解できるならば、まだしも対応の方法がある。
だが、そうではない。いずれも予想と理解を超えている。
ここから戦慄が生じる。戦慄は畏怖に変化する。決断を下し軍事力を発動させた主体、つまり、天皇睦仁への畏怖へと変化する。政治君主としての天皇の権威は、
一挙に高揚するわけである。
そして、天皇への服従が始まる。服従を強いられたものは、戦慄に所由する畏怖である。
まずは、強いられた服従である。けれども、他から強いられてはじまった服従は、しばしば、自己の判断にはじまった服従よりも、その程度において強く、また強くなりうる。
何がしかの判断に基づいて、服従がはじまったとする。ここでは、その契機をなした判断の根拠の強弱は、そのまま服従の程度に比例する。その根拠が消滅した場合、
服従の関係が解除される可能性もなくはない。
 これに対して、強いられた理由なき服従は、次のような経過をたどって内面化するからである。
戦慄に発生する畏怖に強いられて、服従が始まった。当面は、理由なく服従すること自体が行為の確立である。だが、強いられた服従をそのまま放置することはできない。
強いられた者には、服従の行為を理由づけて、これを正当化しようとする心理がはたらく。外から強いられてはじまった服従は、内から正当化されていく。
この作業の結果が、天皇への忠誠である」
 服従するさいの理由付けが、民の為、お国の為、御家の為といっておけば、誰もが反対はしないからね。
更にいえば、これに箔をつけるための小道具が錦旗だったのでは・・・・・
参考文献 「王政復古-慶応3年12月9日の政変」 井上 勲 中公新書 平成3年

305 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 13:47:55
議論も出尽した。潔くスレを閉じよう。


【完】

306 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 20:27:28
>300 天皇の命令だからといって服従しなければならにいのは
愚民化政策ではないか。

307 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 12:52:34
スレ違いも増えてきた。
レスもない。
つまり議論は出尽した。
潔くスレを閉じよう。


【完】

308 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 20:25:12
このスレの結論は、これだ↓

「せっかく買ったガトリング砲、使わねえと勿体無えもんな!」

309 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 20:30:38
>>308
実際、継サ、そう思ってたと思うw

310 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 21:22:47
>>309
長岡牧野家出身で、慶応義塾を卒業後、社会主義の研究者になった城泉太郎の伝記には、ガトリング砲は横浜で購入された時点では、箱の中に部品が梱包されていて、
長岡にて、藤野某が英語で書かれている説明書とにらみ合いながら組み立てたとあるけどね。
>>308
スレの結論、
「痩せ我慢、負けるな継さ、ここにあり!」
で、いいんじゃねぇ?


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