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源頼朝・徳川家康・大久保利通

1 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 23:09:27
源頼朝・徳川家康・大久保利通

自然発生的な古代国家から確固たる信念と次世代へのビジョンを持って
新秩序を確立した彼らは現在日本人の思想・文化等に多大なる影響をもたらした
日本史上極めて重要な人物であり、この3人を語らずして日本史を語ることはできない。

※大化の改新、聖徳太子等古代の政変・事跡についてはその真偽が定かではないので割愛させていただきます。

2 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 01:50:10
2

3 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 09:44:23
業績の割りに不人気な人達ですね。

4 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 20:41:24
源頼朝と徳川家康は、
同じ武士精神ラインにおける頭と尾の関係で、一つの完成系なので
>1の言う日本史の壮大な大局観に基づく
民族としてのこれまでの生活様式、庶民の価値観、秩序や社会体制を
完全に引っくり返した決定的な転換点となると
源頼朝と大久保利通になるな

5 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 13:30:33
ここに小泉純一郎も加わるべき。

6 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:08:01
織田信長もな

7 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:58:00
大久保って、開発独裁のリーダー、くらいのイメージしかないなあ。

8 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 15:28:08
そういう不勉強な君には講談社学術文庫「大久保利通」をお勧め

大久保卿が太陽系史上最高の政治指導者と言われる理由が分かる事だろう。

9 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 11:33:42
3人の共通点冷酷 ずるがしこい(3人とも他人の築きあげたものをそのまま横取り

10 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 14:11:27
ずいぶん無知な奴だな

11 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 07:44:01
源頼朝 鎌倉に幕府を開く
徳川家康   江戸に幕府を開く
大久保利通  東京に遷都する

政治の中心を京都から移した人たち。
遷都を繰り返した天皇はいるし、平清盛もいるが‥。

12 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 18:42:05
大久保はバックが三菱
三菱との関係を引き継いだのが大隈
大隈以後は三菱は娘婿の加藤高明(憲政会)を政界における代表に

大久保のアイデアはほとんどが旧幕府の西欧留学系の学者官僚からのパクリ。
人をまとめて国をうまく運ぶという政治家本来の能力は同じパクリ屋でも伊藤に及ばない。

その伊藤は井上馨と共にバックが三井。
処女の千人切りと言う有名なエピソードも、処女集めたのは多分三井。

13 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 21:00:06
三菱って創価だろ

14 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 10:48:37
源頼朝・徳川家康・大久保利通

そして小泉純一郎

15 :日本@名無史さん:2006/02/28(火) 21:18:08
源頼朝と藤原道長ってどういう関係かわかりますか??
自分はこのどっちかの子孫だって教えられました。
自分は真面目です。
どうか本気で教えてください。

16 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 09:53:26
大久保利通は明治から現代にかけての近代国家において最強最大の指導者。
大久保を超える人物はもう二度と現れない。

17 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 10:20:42
>>15 何の関係もありません。
 血筋も、生きた時代も全く違います。

18 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 14:42:11
>>4
とはいえ、家康以前と以降では随分武家社会の体制も変わったよな。

 そういう意味では同じ古代王朝でも律令体制を完成(とまで言ってはいけないかもだが)
 させた天武あたりはその三人につけ加えても良いとは思う。


19 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 14:45:05
逆に考えれば頼朝の改革から朝廷を守りきった後白河は別の意味でスゴイかもしれんw

20 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 14:47:39
>>12

逆、逆。
三菱(九十九商会)は大久保その他の政府がバックになって成長した政商的財閥。
三井や住友なんかとは違うので、その辺間違わないように。



21 :18:2006/03/23(木) 14:47:47
うあ……スレタイよく読んでなかった。スマソ

22 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 15:04:38
義経、信長、龍馬が天才

23 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 16:50:51
義経は騎馬戦術、信長は既存秩序を破壊したこと、竜馬はフリーな立場から幕末勢力図を巧く調整したことがそれぞれ最大の功績かな?
三人とも天才だとは思うけど、スレちがいなのでお逝きなさい。

24 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 16:54:11
>>22
龍馬が天才ね。さてな。どうだろうなぁ。
義経とかは軍事的には天才なんだろうな。信長も色々凄い感じはするな。
でも、天才というより、三大人気者の間違いでない?

>>12
>大久保のアイデアはほとんどが旧幕府の西欧留学系の学者官僚からのパクリ。
具体的にどのアイデアを言ってるのかな?その、留学系の学者官僚の名前も分るならプリーズ。

まあ、確かに大久保はアイデアの人ではないと思うけど。

25 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 17:01:45
頼朝がいなければ、中世も近世も来なかった


26 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 02:31:05
>>24

洋行組の官僚の事を言ってるんでしょ。


27 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 21:07:02
この三人が確立した制度の中では頼朝のものはやや精密性には欠けるように思える。
一族存続よりも武家政権確立が彼の目的だったとはいえ、結局北条に実権取られてしまったし。
その代わり、創造性では頭一つ抜けてトップだと思うが。

28 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 21:18:42
この三人は大政治家だな

29 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 09:08:33
>>17
痴レスですが。
源頼朝のご先祖の清和源氏の2代目源満仲は、摂関藤原家に仕えて官職を得いた。
時期的に言えば道長の叔父、藤原伊尹の時代。
その後、武蔵国、摂津国、越前国、伊予国、陸奥国などの受領を歴任し、
左馬権頭、冶部大輔を経て鎮守府将軍に至る。
河内源氏としての繁栄の発端が、摂関藤原家に取り入った事で始まった訳だから、
藤原道長と源頼朝の関係は全くないとは言えないと思う。

30 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 13:08:41
風が吹けば桶屋が……っぽい気がしないでもないが、意外な所であまり関わりの
ないような事象同士につながりがあったりするのも歴史の醍醐味かもな。

31 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 10:08:51
頼朝よりも、妻の政子のほうが凄かったと思う。

政治力といい、残忍性といい・・・・

ところで岩下版政子と財前版政子はどちらが実際の政子に近いのか?
財前版政子はあのまま行けば間違いなく頼家・実朝も手に掛けそうだが・・

32 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 13:42:51
>>31
たして2で割ったような感じ、と想像してみる。
一方は情が深すぎる女の部分、もう一方が冷酷な政治家。
どっちも極端な描かれ方だったとおもうから。

33 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 03:53:03
結論としては、ヤッパリ性格が壊れていたんだろう、と思うのです。
あの明かるさで何をしても許されると思っていたのではないか。
秀衡でしたっけ?オヤジさんの方。
あの人が生きてた時は大きな態度で居候していられたと思うのですが兄弟間のゴタゴタもあったわけだから
オヤジさんが亡くなってからは自分が転がり込むにはマズイんじゃないかと普通の人は考えると思うのですが。
自分の兄の頼朝と藤原家が自分の事で争うようになってはマズイと普通の人なら考えると思うのですが。
義経という人は人間の心の中の計算は全く思考回路に入っていない人のようです。
「弓流し」で弱い弓を使っているのを敵に知られたくないような人物が弓の事には見栄を張って、
正々堂々戦うことには頓着せず裏をかく手は次々と考えつく。
義経のような人は精神分析学の方ではどういう診断になるのでしょうか?


34 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:45:00
やっくん

35 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:49:49
スイマセン!質問があるのですがよろしいでしょうか…??
小牧・長久手の戦いで、家康は織田信雄と組んで、
秀吉と戦いましたよね???
どうしてこの2人はくんだのでしょうか???
よろしくお願いします★

36 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 04:01:57
頼朝が居なくても平家はいずれ自滅して
しばらくして戦国時代に突入したと思う。
誰が居ようが居まいが歴史の大きな流れは変わらないはず。

37 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 12:39:20
そうか?
薩長が倒幕しなかったら
今も徳川幕府が存続していた可能性が高いが・・・

38 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:08:28
>>22
悲劇の三人www

39 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:20:03
頼朝もいいけど、北条泰時の方が重要人物だ。
承久の乱後、後鳥羽上皇を追放し、天皇家の土地を没収して
それを自分のものにせず、すべて部下に与えたのだ(封建制)。
これは本当にすごい!
なぜなら泰時は自分の部下の土地所有〈私有)を完全に認めたから。
そしてこれは、日本が公地公民制〈土地国有制)と完全におさらばしたことを
意味する。
要するに、日本はこの地点で他のアジア諸国(王や皇帝が土地所有者)と決別
し、土地私有制〈封建制)を発展させていくのだ。



40 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 21:45:16
頼朝君は・・・
鎌倉幕府開いた。












【常識】

41 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:19:05
なぜかくも泰時を重視するか。
それは、鎌倉幕府という政治組織体の設立よりも、
土地私有のルールと所有権概念の確立を重視するから。
泰時は関東御成敗式目制定により、それを成し遂げたのだ。

42 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:45:49
>>1
君の考えに基本的には賛成だ(古代を取り敢えず省くというのも懸命)。後、
これにマッカーサーを入れるべきであろう。

43 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 00:55:01
ほう

44 :名無し募集中。。。:2006/07/15(土) 12:03:50
太一がいるな

45 :じいさんにあわせる顔がない:2006/08/25(金) 18:56:19
孫の大久保利謙(としあき)は日本近代史家で東大名誉教授。
もう一人の孫大久保利春は丸紅専務で、ロッキード事件に際し
ては贈賄側の一人として逮捕起訴され、有罪判決を受けた。
「じいさんにあわせる顔がない」が口癖だったという。




46 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 23:10:55
頼朝を尊敬していた家康
愛読書が頼朝の吾妻鏡

47 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:22:02
>>46
家康は幼少から岡崎入城までの忍耐の時期の自分を、流罪地での頼朝と
重ね合わせてたのかもしれない。
お互いに父が殺されているという共通点もあるし・・・

48 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 01:43:58
家康の墓は立派だね


49 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 02:07:50
よく頼朝の冷酷さを語る奴がいるが、史実の義経もそう褒められたもんじゃないぞ

50 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 08:05:45
大久保利通は人気が無いのかな?
日本の歴史の中で、尊敬できる一人なんだけど。

51 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 08:25:22
白河が院政を敷いて、北面、西面の武士を重用して
摂関家を弱体化させた時点で武士の世でしょ。
その後の保元の乱で完全に武力で王権が左右される時代になり、
平治の乱でそれが確固たるものとなった。

平安時代の凄さは、古代は武力で王権争いを繰り返していたのに、
天皇というものを権威づけて、武力を用いないで権力争いを繰り返した。

白河、後白河が莫迦すぎたのが政権中枢の権力闘争が武力へと流れて言った原因かな。
源頼朝は時代逆行じゃないの?莫迦院2匹がいなければ、時代の方向性はまた変わっていたな。

52 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 12:44:39
>>51
俺は頼朝が時代を逆行させたとは思わないな。
天皇家や貴族よりも武士の方が圧倒的に人口も多かったし、武士の人権や財産を保障してやる権利も何もなかった時代だ。
すでにそういった不満が平将門の時に噴出してるにも係わらず、朝廷は何の対策も打っていない。
保元・平治の乱がなければ、全国各地に第2・第3の将門が現れて混乱が深まっただけだろう・・・
頼朝が全国に守護・地頭を置く権利を朝廷から手に入れて、頼朝の名で武士に褒美を与えたり武士の持っている土地を
保障してやれるようになって初めて、将門以来の武士の不満が解消されたと言えるのでは・・・

53 :日本@名無史さん :2006/09/23(土) 14:04:34
>>1
源義経、石田三成、榎本武揚

武威ではなく交易による平和な世を夢見たが頼朝に潰された
平和をもたらした豊臣政権を乱す奸雄徳川を鎮定しようとして潰された
北海道に理想共和国を作ろうとしたが大久保に潰された

この3人こそ歴史に勝利すべきだったな

54 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:22:39
>>53
大河に影響され過ぎじゃない?
義経はそこまで深く考えてないよ・・・
交易による平和な世なんて、それを実現させようと足掻いた痕跡もないでしょ・・・

55 :日本@名無史さん:2006/09/25(月) 17:03:42
>>50
うちの予備校の先生は絶賛してたぞ
やつは日本のために自分を鬼にした

56 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 12:55:49
大久保は死ぬのが早かったので、家康ら3代と比べるのは
酷だとおもう。たしかに明治の黎明期に内務省を中心にして、
少ない人材を最大効率で使うという方法は的確だったと思う。

しかし、多分本人も理解していたと思うが
国家100年を考えると、明治のシステムは欠陥。

原理的に、運営する人が官僚主義におちいったとき
あれを制御できるのは天皇だけになってしまうからな。

それに対して家康以降3代のデザインは、日本史上の黄金期を
築いたといえるんでないか?考えようによっては、武家階級に
委託された共和制といえなくもない。地方の運営の方法や、
幕政への有力諸侯のかかわり方などは、下手な民主主義より
公正でよくできていた。

明治期〜現代は、基本的に江戸の遺産の食い潰しで、
日本の繁栄のここ30年は国際情勢的に運よく
はまっただけ。あとは普通の国になるような
気がする。


57 :日本@名無史さん :2006/10/19(木) 10:16:28
まぁ、今より地方分権できてた点では江戸時代評価か。
天皇制以降なら
古墳〜平安 集権
鎌倉〜江戸 分権
明治〜平成 集権
今後〜    分権

58 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 18:16:04
天武天皇と家康の立ち位置が似てる。 伊藤博文も。
そういう意味では北条泰時も。 簡単に言うと創業者じゃない、てこと。
頼朝 大久保と並ぶのは信長か聖徳太子だろうな。まあ1が古代を省いているし
頼朝 信長 大久保 が3偉人だと思うね。

信長と家康はカエサルとオクタビアヌスの関係だな。

59 :OPS:2006/10/22(日) 18:39:08
大久保利通ほど私欲を捨てきった政治家もいないだろ。
幕末の志士たちが明治になった途端今までの「維新にかけた闘志はどうしたって」
言いたくなるように私欲に溺れ汚職が公になり大久保や西郷、木戸は言葉も出なかったろう。
西南戦争で人生の最大の親友であった西郷隆盛のを失いその最中木戸孝允は病で倒れ
明治政府を引っ張る存在がほとんど消えてしまった。
そして西南戦争後の石川県士族らの大久保への報復。
少なくとも大久保の死で明治政府の状況は最悪になった。


60 ::日本@名無史さん :2006/10/22(日) 19:20:41
また薩摩のバカが自分達の歴史的地位を高めようとさりげなく偉人達の中に
地元の小物を無理矢理織り交ぜてきましたwww

61 :274:2006/10/23(月) 13:21:30
>>58
信長と家康はカエサルとオクタビアヌスの関係
まぁ、それはそうとも言えるとは思うが、

徳川の3代は家康の代では、方向は漠然とあったの
かもしれないが、具体的になっていない。
江戸を太平に導いた国家の理念とか、法治国家と
しての基礎とかはつくたのは、後の2代。よって、

信長+家康 = カエサル
オクタビアヌス = 家忠+家光

信長は過大に、あとの二人は過小に
評価されてると思う。


62 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 13:23:07
274は誤爆。

63 :58:2006/10/24(火) 16:05:56
中世から近世への転換の意義について、どう理解するかで信長と家康の評価が変わるね。秀吉は信長の延長とみていい。
つまり織豊政権と徳川幕府の評価の差だな。
一般的に信長がやったこととは
@荘園制を最終的に破壊したこと
A兵農分離を行い 領主権力を拡大したこと
B奈良時代以来 強大な支配権力であった仏教勢力を圧伏せしめたこと だな。
中世国家を解体せしめた、という1点に尽きる。だからこそ 近世は江戸時代ではなく安土桃山からはじまるわけで
そういう意味では家康も信長の延長となる。
信長+秀吉=カエサル 家康+秀忠+家光=オクタビアヌス が近いかな。
これは誰が上か下か というランク評価ではなく “立ち位置”の違い、ということ。
現代社会への影響・遺産という意味では信長より家康のほうが大きいとは思うよ。
だが、それは信長の破壊と創造があっての話だと思う。 つづく

64 :58  連投すまそ:2006/10/24(火) 16:16:23
歴史の立ち位置

<創業者>  <第2創業者>  <発展・完成者>
始皇帝     劉邦       漢の武帝
カエサル   オクタビアヌス   5賢帝
聖徳+天智   天武天皇     持統・聖武
源頼朝     北条義時     北条泰時
信長+秀吉   家康       秀忠+家光
大久保利通   伊藤博文     原敬

まあ、こんな感じ。頼朝 大久保と家康は立ち位置が違う、というか一人違和感があるのだな。
家康が入るなら足利義満はあかんのか? と。  >>61

65 :58  快進撃:2006/10/24(火) 16:30:32
中世から近世への破壊者創造者としは家康は信長のエピゴーネンと思うけど、先に述べたように
後世への影響では家康の存在は信長より大きいともいえる。それは江戸300年泰平だったいう地味な意味ではなく
文明論的な意味で捉えることができる。
日本は国家誕生以来 畿内・西日本優位の国家構造であった。鎌倉時代に幕府が関東に置かれるが、鎌倉時代そのものが
京都朝廷と鎌倉幕府の二重構造政体であり、政治的には有史以来1600年まで畿内が中心だった。
また 経済・文化は18世紀の田沼時代までやはり上方優位であった。
今日の日本は 政治経済文化 いずれの面でも東京中心である。東西の転換 日本列島の構造転換を行った点にこそ、
家康の最大の存在価値なんかもしれんね。>1

66 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:55:06
頼朝がフロンティア。
京都政権に対しての体制としての異議申し立て

67 :日本@名無史さん :2006/10/24(火) 17:39:21
それは将門が先では>古墳以来の近畿政権への異議

68 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 20:49:58
家康は政治だけじゃなく軍事もできたから
能力的には家康の方が上じゃね?

69 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 21:47:59
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。



70 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:03:44
>>64
秩序は、破壊、創造、成熟という過程を
かならず経るが、大体、その役割を担う
人物はその中間をとるが、不思議と二つに
わけるのは無理で、3つに分けるのは
妥当だと思う。

で自分の知る範囲で印象に残ったのは
第2創業者 伊藤博文かな。


71 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:05:41
この伊藤の明治憲法によって、
ようやく、近代国家として形を整えたのだし、
ここで果たした彼の関わり方からみても
役割は大きいし、彼の個人の資質が明治憲法に
与えた影響も実に大きい。

この個人の資質に関する部分だが、

72 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:14:16
大久保が生きていたら、統帥権は果たして
天皇にあっただろうか。という"if"をどうしても
考えてしまう。

この統帥権によって第1次大戦でドイツ帝国
は滅亡する。

大久保はたしかにビスマルクのファンだったろうし
それを伊藤は身近にしっていた事は大きく影響して
いたに思う。

ここは彼は、いい人物だし頭も抜群だが、
思想として本質はあまり考えず、多分に
経験で考える人だったと思うが、

維新における錦の御旗の威力と、朝廷工作に巧みで
それをうまく利用した大久保をしる伊藤故に
統帥権を天皇に残したんだろうと思う。
もしこれが内閣あるいは日本独自の形態で
あったら、軍部の暴走はなかったかもしれないと
考えると。。。

73 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:16:24
あまり必要のない戦争に負けた後、日本はアメリカの庇護の
もとによる繁栄をてにいれた。だが江戸→明治で
つたわってきたよいものの多くも失ったのでね。
伊藤でなく大久保ならどうだったかと考えざるをえない。


74 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 23:06:26
1873(明治6)年、大久保利通は岩倉使節団の欧米視察の経験をもとに、政府に対して政体を定めるよう建言した。
次の引用文はその一部である。これを読んで下記の設問に答えよ。
なお、引用文は現代語に改め、一部は要約してある。

(1) 政体には、君主政治、民主政治、君民共治(後にいう立憲君主制)の三種類がある。

(2) 民主の政は、天下を一人で私せず、広く国家全体の利益をはかり、人民の自由を実現し、
   法律や政治の本旨を失わず、首長がその任務に違わぬようにさせる政体であって、
   実に天の理法が示す本来あるべき姿を完備したものである。アメリカ合州国はじめ、
   多くは新たに創立された国、新しく移住した人民によって行われている。

(3) 君主の政は、蒙昧無知の民があって、命令や約束によって治められないとき、ぬきんでた才力をもつ者が、
   その威力・権勢に任せ、人民の自由を束縛し、その人権を抑圧して、これを支配する政体で、
   一時的には適切な場合もある。

(4) イギリスは土地・人口の規模が日本とほぼ同じであるが、その国威は海外に振い、隆盛をきわめている。
   それは3200万余の人民がおのおの自身の権利を実現するために国の自由独立をはかり、
   君長もまた人民の才力を十分にのばす良政を施してきたからである。

設問

大久保は諸国の政体を比較した上で、日本には君民共治の制がふさわしいと主張した。なぜそう考えたのか。
当時の日本がおかれていた条件や国家目標を考えて、5行以内で説明せよ。

94年 東大入試

75 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 23:57:14
大久保本人に訊けよタコ。

76 ::日本@名無史さん :2006/10/26(木) 00:31:24
大久保天誅に加わった6名の加賀藩士たち

 島田一良(しまだ・いちろう) 長連豪(ちょう・つらひで) 杉本乙菊
 脇田巧一 杉村文一(以上石川県士族) 浅井寿篤(島根県士族)

戦国史をちょっとかじった連中なら彼ら藩士の名前にハッとする。
近江や能登の武将の末裔らしき彼らがただの暗殺者などとは誰も思わない。
いかに薩摩が捏造で大久保を持ち上げたところで所詮はそういうことです。

77 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 02:15:30
会津の捏造よりまし。

78 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 02:41:04
>>75
ちょっと3つに分けるのは乱暴な気がするなぁ。
イタリア都市国家の共和制とか、ローマの帝政(主権はローマ市民)
とか、ベネチアの共和制とか。これらはなにに分類するのかな?

民主制は個が成熟していなければ不可能。時の日本にはとても無理。
君主制を明治政府が採用すれば、維新の意味や当時の世論や機運を
考えると反発は必至。大義名分がなくなり諸藩の群雄割拠の内戦に
なるだろう。消去法でも立憲君主になるが、まぁ明治国家の成熟度
に従い徐々に民主国家をめざし移行させていくのが望ましいと
いったところか。あっ6行。。。。。。。。


79 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 02:46:00
>>76
藩士の名前はたしかに戦国武将の姓があるが負けた連中でね?
加賀の連中はその薩摩の西郷に対する恩を返すといって
暗殺を企てたという事になってるが。
ただの暗殺者じゃなければなんなのさ。
いいたいことがわからないなぁ、教えてくれまいか。




80 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 12:55:58
>>74
なんか、別に大久保でなくても当時
立憲君主制以外のシステムにしようと
していた参議はひとりもおらんと思うな。
あまりに概論すぎる気がする。

なんか出題の意図もわからないから
出題者の解答も聞きたいね。


81 :大久保利通:2006/10/26(木) 15:43:10
日本のビスマルクである、この俺の抱負経綸を
たった5行で述べろ、とは
俺も安く見られたもんだ。、

ていうか、おまえら世界史もちゃんと履修しろよタコ。




82 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 12:16:43
三好長慶 清河八郎 高田がん



83 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 16:52:34
あげ

84 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:48:16
急進派の大久保の手綱を締握ってコントロールしてたのが
木戸じゃなかったっけか

85 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 19:34:13
この三人って、若いころに人質になったり仕事獲られて極貧になったり
散々だったんだよね? 
後大久保さんって家康の政治も目標にしてたって本で読んだけど。
・・・・頼朝は解らんが家康と大久保さんは共通点多いのかもね。

後大河とか本で家康が遺言に自分の墓を南に向けろって言って死んで
何百年も後に自分と似たようなタイプの大久保さんのいる薩摩が
西の藩と手組んで幕府倒すのは・・・・ごめん妄想しすぎた。。

86 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:55:20
源頼朝・徳川家康・大久保利通=大政治家

源義経・織田信長・西郷隆盛=国民的英雄

源義仲・豊臣秀吉・木戸孝允=萌えキャラ

87 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 22:56:35
源頼朝・徳川家康・大久保利通=大政治家

源義経・織田信長・西郷隆盛=国民的英雄

源義仲・豊臣秀吉・木戸孝允=萌えキャラ

88 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 17:12:28
国民的英雄というなら、信長より秀吉じゃないの?
大政治家というなら、家康より信長の方がしっくりくる。

しかし萌えキャラ家康はありえんし・・・・・

89 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 20:38:48
最強内閣

90 :武陽陰士:2007/02/05(月) 23:27:18
>>86>>87
信長が脚光を浴びるようになったのは80年代半ば以降だよ。
津本陽の小説が加速させたね。
それまでも信長は一応人気はあったけど、世間の大人たちに人気があったのは
家康。山岡荘八の「徳川家康」を愛読書に挙げる経済人が多かった。
「そんなの嘘だ」って思うなら、戦後の週刊誌と新聞をザッと目を通して
みるといいよ。
ちなみに終戦後占領下のの日本で、大衆が最も憎んだのが、東條英機。
もっとも尊敬されている人物は昭和天皇じゃなくて、マッカーサーだよ。
まあ「日本人は12歳」といってからはちょっと嫌われたけど。
あと吉田、岸首相も国民にはほとんど人気がなかった。今の再評価は
逆転だな。

91 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 09:10:03
むしろ木戸の軽率な言動を大久保が手綱捌きでコントロールしていたというのが正解
端的な例は木戸と伊藤が2人で前原一誠を参議にする事を要請する為に大久保を訪ねた際のエピソード。
大久保は2人の要請に対し「その件については考えがあるので暫く待ってくれ」とあしらった。
2人は大久保が何を躊躇しているのか分からずに苛立ったが、間もなく前原が萩の乱を起こして逆賊になってしまった。
大久保はその情報を事前に把握しており、2人が同郷の逆賊を参議に推薦して面目丸潰れになってしまう所を救ってやった訳だ。

それを機に伊藤は大久保を深く尊敬するようになり、軽率でイジケ虫の木戸から距離をとるようになる。

92 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 10:47:17
>>91
木戸が仇敵に近い前原を参議に推薦ってとこが怪しい説だな

93 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 11:02:42
講談社学術文庫の「大久保利通」によると大久保や伊藤の部下だった元役人が伊藤本人から聞いた話として報知新聞の特集記事に載った話だよ。
疑う理由は無い。

94 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 13:21:47
吉田松陰が書いた伊藤博文の紹介状が残っている。

「何の取り柄も無い無駄飯食らいですが根は善良なのでヨロシク」
といった内容でこんな紹介状なら無い方がマシというDQNぶりが松陰先生の人となりを偲ばせる。

そんな屈辱的な扱いに耐えていた伊藤に目をかけていた恩人が木戸。

その伊藤があっさり大久保マンセーになって木戸から離れていったのだから木戸と大久保とでは資質の差が歴然としていたのが分かる。

95 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:16:04
>>90
ならば、家康を狸にしたのは司馬ですか?

96 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 17:12:57
つテイエムオペラオー、シューマッハ

97 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 01:04:13
>>95
立川なんとか

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