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▲▼皇后・国母・女院を語る…幕末以前…▼▲

1 :日本@名無史さん:2005/11/30(水) 23:45:49

幕末以前の、日本の皇后・国母・女院について、語るためのスレッドです。

●注意事項
○大政奉還以後の時代についての話題は、禁止。
○天皇・上皇・皇太子・他の皇族・他の貴族等についての話題は、メインにする事は禁止。
○固定ハンドルネームの使用は、禁止。
○当分の間、すべてのレスはageで。
○他人の書き込み文に対して反論・批評をする時には、言いっ放しの短文は、禁止。
 ある程度の長文で根拠を丁寧に述べ、粗暴な言葉遣いをしないよう通常時以上に気を配る事。
○誹謗・中傷・暴言・嘲笑は、禁止。 荒らしには、徹底スルーで。
●扱う時代について
○下限は、大政奉還まで。
○上限は、神話伝説と実在との境界を明確に引く事が出来ないので、神武天皇以降とする。
●皇后について
○皇后の他、三后(皇后・中宮、皇太后、太皇太后)も扱い、三后には、尊称・追尊(贈)も含む。
○三后・国母・准母・女院に至らない、准三宮・女御・更衣・妃・夫人・嬪・典侍等は、扱わない。
○具体的人物では、神武天皇の皇后で綏靖天皇の生母の、媛蹈鞴五十鈴媛命から、
 孝明天皇の女御で明治天皇の嫡母の、英照皇太后九条夙子の、大政奉還前の人生まで。
●国母について
○国母とは、皇后の意味で使われる事もたまにあるが、ここでは「天皇の生母」の意味で使う。
○国母の他に、天皇の准母も扱う。
○具体的人物では、彦波瀲武鵜草葺不合尊の妃で神武天皇の生母の、玉依姫命から、
 孝明天皇の典侍で明治天皇の生母の、一位局中山慶子の、大政奉還前の人生まで。
●女院について
○追尊(贈)女院も、含む。
○具体的人物では、円融天皇の女御で一条天皇の生母の、皇太后東三条院藤原詮子から、
 仁孝天皇の典侍で孝明天皇の生母の、新待賢門院正親町雅子まで。

2 :日本@名無史さん:2005/11/30(水) 23:52:41
そんなに細かくルールを決めてもどうせ誰も守りません

3 :日本@名無史さん:2005/11/30(水) 23:57:23
>○三后・国母・准母・女院に至らない、准三宮・女御・更衣・妃・夫人・嬪・典侍等は、扱わない。

きびしいよ

4 :日本@名無史さん:2005/12/01(木) 01:17:52
大宮院

5 :日本@名無史さん:2005/12/01(木) 01:43:37
皇后定子、中宮彰子が好き。

6 :日本@名無史さん:2005/12/01(木) 04:11:49
東三条院詮子を抜きには、語れないな〜

7 :日本@名無史さん:2005/12/01(木) 20:24:39
新待賢門院は2人いる

8 :日本@名無史さん:2005/12/01(木) 20:32:03
>○三后・国母・准母・女院に至らない、准三宮・女御・更衣・妃・夫人・嬪・典侍等は、扱わない。
ちっ、文武天皇の二人の嬪はアウトか
史上ただ2人だけ最初で最後の嬪なのだが

9 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 01:20:26
とりあえず皇后等一覧を初代から10代まで、日本書紀によりまとめてみました。
元より史実でも実在でもなく、殆ど語るべきものもない時代だけれど順序ですので。
●皇后等一覧1(初代〜10代)
天皇代数 夫たる天皇等 【身位の変遷】 名 [父母子等]

×彦波瀲武う草葺不合尊【妃・国母(没後?)】玉依姫[父海神豊玉彦。神武母]
1神武【皇后・国母・皇太后】媛蹈鞴五十鈴媛命[父事代主神。母三嶋溝くひ耳神女の玉櫛媛。綏靖母]
2綏靖【皇后・国母・皇太后】五十鈴依媛命[父事代主神。安寧母]
―――【皇后(異説)】川派媛[父磯城県主]
―――【皇后(異説)】糸織媛[父春日県主大日諸]
3安寧【皇后・国母・皇太后】渟名底仲媛命[父事代主神男の鴨王。懿徳母]
―――【皇后(異説)】川津媛[父磯城県主葉江]
―――【皇后(異説)】糸井媛[父大間宿禰]
4懿徳【皇后・国母・皇太后】天豊津媛命[父安寧皇子の息石耳命。孝昭母]
―――【皇后(異説)】泉媛[父磯城県主葉江弟の猪手]
―――【皇后(異説)】飯日媛[父磯城県主太真稚彦]
5孝昭【皇后・国母・皇太后】世襲足媛[兄尾張連遠祖の瀛津世襲。孝安母]
―――【皇后(異説)】渟名城津媛[父磯城県主葉江]
―――【皇后(異説)】大井媛[母倭国の豊秋狭太媛]
6孝安【皇后・国母・皇太后】押媛[父孝昭皇子の天足彦国押人命。孝霊母]
―――【皇后(異説)】長媛[父磯城県主葉江]
―――【皇后(異説)】五十坂媛[父十市県主五十坂彦]
7孝霊【皇后・国母・皇太后】細媛命[父磯城県主大目。孝元母]
―――【皇后(異説)】春日千乳早山香媛
―――【皇后(異説)】真舌媛[父十市県主等祖]
8孝元【皇后・国母・皇太后】欝色謎命[兄穂積臣遠祖の欝色雄命。開化母]
9開化【皇后・国母・皇太后】伊香色謎命[父物部氏遠祖の大綜麻杵。立后前孝元妃。崇神母]
10崇神【皇后・国母・皇太后】御間城姫[父孝元皇子の大彦命。垂仁母]

10 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 12:15:15
皇女和宮最強

11 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 15:59:50
五條院懌子について詳細をご存じの方、ぜひ教えてください。

12 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 16:15:49
自分にとって最大の悲劇の皇后は、聖武天皇の娘で光仁天皇の皇后の、井上内親王。
藤原氏の陰謀によって皇后位を廃され、3年ほど幽閉された後わが子と共に殺された。
光明皇后や孝謙・称徳女帝の権勢の陰で、斎宮に押しやられ晩婚の上、夫と共に忍従し、
思いがけなく皇后・皇太子の母となると罪に落とされた、何という一生だろうと思う。

13 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 17:19:26
五條院懌子内親王。
後嵯峨天皇の第3皇女。母は藤原孝時の女の刑部卿局藤原博子。1262年誕生。
同母兄に一品覚助法親王。同母妹に内親王某(柳殿)。
異母兄亀山天皇との間に皇女某を出産。
1289.12.7.内親王宣下。同月10日准三宮宣下。同日女院号宣下、五條院。
1294.11.25.薨去、33歳。

14 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 23:01:47
後嵯峨院の皇女繋がりで…神仙門院腹の皇女某は、内親王宣下を受けているのでしょうか?


15 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 00:01:30
>>14
さあどうでしょうか、記録には神仙門院腹の皇女某に、内親王宣下はないようです。
生母の出自を考えれば、成人していれば内親王宣下があるはず、早世したのじゃないでしょうか。
柳殿の方は『本朝皇胤紹運録』に、「皇女 内親王。柳殿 母同五條院」とあります。

16 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 15:01:00
15さん
ご教示ありがとうございます。神仙門院腹の皇女については、『増鏡』に成人しているという記述が見られるのですが、やはり内親王宣下はなかったのですね。

17 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:31:25
有名なのは、光明皇后・神功皇后・檀林皇后・建礼門院・東福門院・
定子皇后・彰子中宮・阿野廉子・推古天皇・皇極斉明天皇・持統天皇…etc。
皇后・国母・女院が、精彩を放って華やぐのは、やはり平安朝後期かな。

18 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 19:37:58
もし後桜町天皇が即位しなかったら、孝子内親王(礼成門院)や桂准后みたいな待遇を受けていたんでしょうかね?


19 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 20:20:27
つ尼寺

20 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 21:37:27
後桜町天皇=智子内親王は、二条舍子腹ですよね?
女御腹の皇女で、門跡に入寺した前例があるのでしょうか?
↑後水尾院皇女顕子内親王は、出家前に亡くなってますからね。
即位以前に、縁組や門跡へ入寺の様子が見られないので、疑問に思った次第です。

21 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 11:19:05
教えてクンですが
太皇太后って結局何人いたんですか?

22 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:21:14
太皇太后といえば、藤原多子

23 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:23:19
藤原彰子も太皇太后なんだよな

24 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:18:51
史上最初の太皇太后は、聖武天皇生母の藤原宮子娘。文武天皇の夫人で藤原不比等の娘。
聖武天皇即位後、大夫人・皇太夫人問題でもめた後、皇太夫人となり、
孝謙天皇即位後、光明皇后が皇太后となるのに合わせて、宮子は太皇太后となる。
ただしこの場合は尊称太皇太后。待遇等は正式の太皇太后と変わりない。
皇后・中宮を経ずに生前に皇太后・太皇太后となったものを、尊称皇太后・尊称太皇太后と言う。
類例に、天皇を経ずに生前に太上天皇となったものを、尊称太上天皇と言い、2例ある。
太皇太后が何人いたか、さあきちんと調べないとわからないな。
正式の太皇太后・尊称太皇太后・没後贈られる追尊太皇太后…。

25 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:26:26
わからないなら書くな、あほ

26 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 18:33:41
>>21
太皇太后は大方平安時代ばかりで、18人。誤りもあるかもしれません。
●太皇太后
52嵯峨  皇后 橘嘉智子
53淳和  皇后 正子内親王
60醍醐  皇后 藤原穏子
63冷泉  皇后 昌子内親王
64円融  皇后 藤原遵子
66一条  中宮 上東門院藤原彰子
69後朱雀 中宮 陽明門院禎子内親王
70後冷泉 中宮 二条院章子内親王
     皇后 藤原寛子
76近衛  皇后 藤原多子
●尊称太皇太后
42文武  夫人 藤原宮子娘
54仁明  女御 藤原順子
55文徳  女御 藤原明子
74鳥羽  准母 令子内親王(尊称皇后)
●追尊太皇太后
49光仁  夫人 高野新笠
50桓武  皇后 藤原乙牟漏
62村上  皇后 藤原安子
72白河  中宮 藤原賢子

27 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 20:14:40
新清和院は、30半ばになっても出産してたんだね。
産まれた親王が無事に成長していたら…ちょっと勿体ないな。

28 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 21:27:23
>>18

多分結婚したんじゃないんでしょうか。同母姉の盛子内親王もどこかの宮家の若宮と婚約して
いたみたいですし。(誰だったかは失念)

29 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 21:58:26
>>20
青綺門院はやっぱり広義門院の先例を踏襲しているのでしょうか?

30 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 22:09:17
青綺門院については勉強不足なので、どなたかご教示いただけると幸いです。
以前、宮内庁書陵部の紀要に青綺門院を取り上げた論文があったのですが…。

盛子内親王は婚約してたんですか。情報ありがとうございます。

レスの付け方を誤りました。ごめんなさい。

31 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 22:11:07
後花園生母の敷政門院庭田幸子が女院号宣下に際して「経子」から「幸子」に改名した理由を教えてください。

32 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 23:45:36
「皇后宮」は「こうごうぐう」と読むのがただしいのですか?それとも「きさいのみや」と読むのが正しいのですか?

33 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 00:13:44
>>20
安土桃山時代の後陽成天皇の女御、近衛前子腹の皇女では尼門跡寺院へ入寺の例がありますが、
江戸時代(後水尾天皇以後)の、女御・中宮腹の皇女は脇腹の皇女と違って、入寺の例はないようです。
女御・中宮腹の皇女ともなれば、結婚相手は、天皇家・摂家・宮家の当主・継嗣しか考えられず、
その時代に適当な相手がいなければ、入寺せず独身を通す慣習が成立していたのではないでしょうか。
夭逝者や明正・後桜町両女帝以外にも、女御・中宮腹の皇女で、入寺せず独身で終わった人はいますよね。

34 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 00:45:38
>>29
もう少し具体的に書いてくれないと、素人には何の事だか分からないのですけれど。
>>32
どちらも正しいのでは。漢語と和語、時と場合での使い分けでしょう。

35 :20:2005/12/05(月) 01:27:39
33さん
ありがとうございます。個人的に、文高女王に興味がありますが、スレ違いなので止めときます(笑)
そういえば、後西天皇や霊元天皇にも未婚の内親王がいましたね。
これもスレ違いだった!
スミマセン。

36 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 02:04:25
>>34
桜町崩御後(桃園即位時)の青綺門院の立場が、正平一統後(後光厳即位時)の広義門院の立場に似ているということでは?

37 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 02:09:30
>>7
やっぱり阿野廉子は南朝側による女院宣下なので、先例として考慮されなかったのでしょうね。

38 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 02:12:23
歴代天皇の后妃およびその所生の皇子の一覧とかってどこかにないですかね?
後鳥羽以前については平安時代史辞典の表とかでわかるけど、それ以降はどうでしょう?

39 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 02:27:26
↑ありますよ。

40 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 03:13:29
>>38
自分は手軽に見るには、歴史読本臨時増刊の『天皇皇族人物事典』を使ってる。
平成7年発行…、古書店で入手できるかな。
他の本も、新刊書として流通していそうもないものが、殆どだな。

41 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 03:29:35
俺のイメージ
平安中期・・・天皇の生母・正妃はほとんど摂関家出身者。
院政期〜鎌倉初期・・・天皇の生母・正妃に摂関家出身以外の者が出現。
鎌倉中期〜末期・・・閑院流(西園寺・洞院など)が天皇の生母・正妃を独占。
南北朝〜織豊期・・・中下級貴族出身の天皇生母だらけ。正妃は立てない。
近世・・・摂関家クラス出身の正妃はいるが、生母は側室であることが多い。


42 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 03:33:37
>>1
重要な質問なのだが、女院なら誰でも話題にしてOKですか?
そうすると、足利義満室の北山院日野康子(一応女院号宣下を受けている)も
OKということになりますよね?

43 ::2005/12/05(月) 04:10:15
>>42
勿論OKです。高倉天皇准母の近衛基実室の平盛子もOKです。
メインの話題として採り上げる人物は、独身者も含んで、
幕末以前の三后・国母(子たる天皇の践祚以前に没も含む)・天皇の准母・女院。
他の人物の話題は、メイン人物の話題にサブで付随する程度の範囲内で…、と考えます。

44 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 08:58:23
>>41
時代が下るにつれ、身分の高い女性が子を産まなくなってきてるね。

45 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 11:39:49
江戸時代は、女御が立てられるようになっただけマシなのかなぁ?
性別や早世を抜きにすれば、正妃の出産率も高いし。

46 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 16:39:52
>>1
>○固定ハンドルネームの使用は、禁止。
どして?

47 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 16:50:59
1は何の目的でこのスレを立てたのですか?
規制が多すぎて、趣旨が掴めません。是非教えてください。

48 ::2005/12/05(月) 22:22:17
>>46 コテハンに対しては、たいてい反感・敵愾心を持つ人間が現れて来て、
本論を離れてスレが荒れる、大きな原因の1つとなると思ったからです。
>>47 目的…、皇后・国母・女院について興味があるので、語ったり話を伺わせて頂くためです。
まあ新規スレ立てる人間は、みんなそんなもんじゃないでしょうか。
規制…、当分ageで、は常連さんが付く前にスレ落ちするのを、避けるためです。
自分は荒らし・罵倒・嘲笑等が大嫌いで、回避するための文言も入れました。

・取り扱う時代・人物についての規制について
まず類似スレと内容が重複しないようにしました。
天皇皇室公家関連スレ、近現代の天皇皇后后妃皇族華族関連スレは、他にあります。
次にこのような通史の場合、扱う時代と人物が広すぎるので、絞る事を考えました。
訪問者はスレタイトルを見て訪れるのだから、スレタイの範囲内でメイン人物の規定をしました。
男性・一般后妃・一般皇女までメインに含むと、ただでさえ多いメイン人物数が、何倍にも膨れ上がります。
>>43ぐらいのところで、ご贔屓の人物・話題の披露を、皆さんどうぞよろしくお願い致します。

49 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:26:38
女陰萌えーーー

50 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:38:53
ていうか、近現代は厨が集まるからな。

51 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:42:42
要するに>>1のオナニースレ

52 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 00:35:02
ちなみに>>1さんのご専門の時代はどのへんですか?

53 :47:2005/12/06(火) 00:43:07
1さん、レスありがとう。
私は、このスレタイに関する分野を専門に研究してます。今後、このスレが意義深いものになるよう、陰ながら見守ってますね。

54 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 00:49:03
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1123501362/
読み方がわからない人名はこちらで!

55 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 01:14:15
これを専門に研究してる人って全国探してもかなり限られませんか?

56 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 01:38:45
橋本義彦先生の「女院号の意義と沿革」という論文が面白い。

57 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 01:39:55
>>52 素人ですから別に専門というものはありません。
通史で皇室ネタが好きだからといって、皇国史観論者や右翼思想者ではありません。
ヒロイン像があまり明瞭に浮かばない人物が多くて、少々苦手な時代は自分は中世ですかね。
>>52さんのお好きな時代は、どのあたりでしょうか? どうぞネタ振りをお願いします。

>>53 人それぞれに興味がある時代や、得意で詳しい時代はさまざまなので、
スレ進行は色々な時代の話題に、しょっちゅうあちこち飛ぶ事でしょうが、
皇后他に興味のあるという点での同好の仲間たちで、常識を弁えて穏やかに行きたいものですね。
ぜひ度々書き入れして、ご教示をお願い致します。

58 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 01:43:33
待賢門院とかいかが?

59 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 02:06:37
今イチ、性格が分かりヅラクありません?

60 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 02:09:33
七条院は?

61 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 02:12:15
やはり、誰の書き込みか判るようにした方がよろしいのでは?

62 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 02:20:06
北白川院持明院棟子とか敷政門院庭田幸子みたいに、予想に反して所生の皇子が
即位したため、思い掛けず女院号を貰った人って興味あるな。

63 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 02:36:35
北白河院には何人も娘がいたのに、なぜ式乾門院と安嘉門院の二人しか、院号宣下を受けていないのでしょう?
年長の利子内親王より、年少の邦子内親王が先に、準母→皇后→女院になっている。
おまけに八条院領の大部分を相続してますね。


64 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 04:17:59
女院と皇后だったらどっちが格上?

65 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 04:54:06
>>64
三后を経ていない女院だったら、皇后の方が格上。
三后宣下のない女院は逝去しても薨去と言い、墓所は墓と言う。
皇后の場合は崩御・陵。

66 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 14:29:17
>>1
准后はどうしてダメなの?

67 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 14:39:17
室町期の女院はほとんど天皇生母だけに限定されているような気がするのですが
これはどうしてですか?
天皇生母でも後柏原の母の庭田朝子なんかは女院じゃないし。

68 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 15:49:35
上東門院藤原彰子

69 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 16:10:22
安子中宮について
強烈な個性があるようで、案外資料に乏しいのが残念

70 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 16:56:13
>>66
准后は男もいるからじゃないの?

71 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 17:25:49
鎌倉スレにも書いてしまいましたが、
後白河天皇の第六皇女宣陽門院についての文献や史料教えてください。

72 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 18:19:13
庭田朝子は贈皇太后

73 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 19:12:19
>>67
女院にふさわしい身分の人がいないから。
天皇家に金がなくて后妃も内親王も養えないから。

74 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 21:37:49
>>66
1です。准后=准三后=准三宮を、メイン人物に入れないのは、
>>70さんの仰るように、男性も含むからです。人数もぐっと増えてしまいますし。
准三宮は三后に准ずる待遇で、天皇の妃嬪や内親王だけでなく、前摂政関白や門跡にも宣下があり、
太上天皇に准ずる待遇である女院よりも、格は下になります。
原則として三后でない女院宣下には、それ以前か同時に准三宮宣下があるのが前提となります。

75 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 22:36:18
>>31
敷政門院が女院宣下に際して、経子から幸子に改名した理由の件、
個人的な事情が消息にでも残されていなければ、不明じゃないでしょうか。
経子という実名は、父の庭田経有の諱の一文字、つまり偏諱を貰った命名法ですね。
周囲の誰かが言い出した縁起担ぎ等により、学者に勘考させた改名なんでしょうか。

女性名に関心があるならば、お薦めの本があります。
『日本の女性名(上・中・下) 歴史的展望』 角田文衛著 教育社歴史新書
新書版3分冊でなかなかの力作、このスレの読者なら感性に合う所があると思います。
残念ながら絶版のようで、古書検索でも引っ掛からないようですが、
図書館検索では、いくつか引っ掛かりました。既読でしたら、ごめんなさい。

76 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 23:01:18


546 :名無しさん@6周年:2005/12/04(日) 23:55:44 ID:VJLa4wW20
聖火ランナーの持つ火が今にも消えてしまいそうです。その時・・・

1:「オリンピアから運ばれてきた火である事に意義がある。消えたらその時の為に伴走させている予備の火種から火を貰うべき。」→男系維持派
2:「別に火なんて何でも同じなんだから消えたらチャッカマンで着ければいいよ。」→女系容認派

あなたは、どちらを支持しますか?


77 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 23:13:13
バカジャネーノ

78 :日本@名無史さん:2005/12/07(水) 11:55:05
歴代の女院のうち政治的影響力の大きかったのは誰です?道長を内覧にした東三条院詮子?

79 :日本@名無史さん:2005/12/07(水) 13:49:28
北朝滅亡の危機を救った
広義門院じゃまいか。

80 :日本@名無史さん:2005/12/07(水) 15:21:48
美福門院藤原得子

81 :日本@名無史さん:2005/12/07(水) 17:54:46
藤原嬉子も長生きしてれば女院になれたのだろうか。

82 :日本@名無史さん:2005/12/07(水) 22:25:08
質問や短い書き込みじゃなくって、多分>>1の人と思われる書き込み以外にも長文の書き込みがないと、
話が続いて行かない気がするけど。私は読むぐらいしか出来ないので皆さんよろしくお願いします。
個人的には奈良時代から前が好きです、聖徳太子のお母さんとか。偉そうに言ってすみません。

83 :日本@名無史さん:2005/12/07(水) 22:56:30
もともと>>1がスレ立てたこと自体無理があった

84 :名無し募集中。。。:2005/12/08(木) 00:49:11
藤原氏の摂関独占を作った、檀林皇后とか

85 :日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:56:42
>>82の派生
間人皇女は大后ではあったけれど皇后にはなってないよね。
制度として皇后というのが成り立ったのはヤパーリ持統天皇(うの讃良皇女)あたりから?

86 :日本@名無史さん:2005/12/08(木) 14:37:25
戦国時代や江戸時代の皇后や女院に関する論文って何がありますか?
久保貴子は読みました。

87 :日本@名無史さん:2005/12/09(金) 13:41:20
南北朝期から織豊期くらいだと、女院はほとんど天皇の生母だけだな。

88 :日本@名無史さん:2005/12/09(金) 13:43:32
やっぱり女院が爆発的に増える鎌倉期を考えないと、通史的理解が進まないと思う。

89 :日本@名無史さん:2005/12/09(金) 13:47:29
>>72
庭田朝子は女院号は持ってるんですか?

>>73
室町期の天皇家が前代(平安・鎌倉期)や後代(織豊・江戸期)に比べて
経済的に苦しいということは実証されてるんですか?

90 :日本@名無史さん:2005/12/09(金) 13:56:21
でも庭田家って室町時代に2人の天皇生母を出したことで大きく家格が上昇した感じがするね。
結局近代になっても、宇多源氏嫡流の綾小路家が子爵なのに、庶流の庭田家が伯爵になっているし。
明治維新の段階では、庭田家は「大納言までの宣任の例多き家」と見なされていたが、本家筋の綾小路家はそうじゃなかったってことだね。

91 :日本@名無史さん:2005/12/09(金) 13:58:47
江戸期の後光明の正妃も庭田家出身?

92 :日本@名無史さん:2005/12/09(金) 14:53:53
>>91

正妃ではない。典侍。
後光明天皇は若いうちに崩御しているので正妃はいないよ。

93 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 01:46:27
正妃って女御以上?

94 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 01:48:25
>>86
戦国期も調べたいのなら、近世史より中世史がメインの人の論文も見たほうがいいと思う。

95 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 01:58:47
>>84
檀林皇后って、嵯峨天皇の皇后(橘嘉智子)だよね?
藤原氏の摂関独占を作ったってどういうこと?

96 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 02:04:30
>>74
「満済准后日記」を書いた三宝院満済とかも男性ですね。

97 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 02:07:29
准三后と准三宮って同じですか?

98 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 03:29:57
>>95
手元に確かな資料ないから、間違ったら訂正して下さい
確か橘家は、当時没落していて(祖父の代あたり)、妃を望める立場ではなかったのを
藤原家の式家追い落としに、互いに利の適った北家と手を結んで后になり
以後、藤原(北家)の台頭になった事では
すごい簡略なんだけど…

99 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 03:49:33
>>89
庭田朝子は亡くなる前日に従三位、当日に准三宮、子の後柏原天皇が践祚し、13回忌に追尊皇太后。
女院一覧にもないし、女院宣下はなかったと思うが、
なぜだか『日本系譜綜覧』の「國母一覧」には、「蒼玉門院庭田朝子」とあり典拠不明。
「蒼玉門」は、平安宮内の諸門名にも見当たらないが、
内裏内閤門の中に「左青瑣門」・「右青瑣門」があり、
意味が似ているので、それらの別名かとも思われるが。

ついでに、主要な門で女院号に用いられなかった門の一覧を挙げてみる。
・禁門14門…朱雀門。偉鑒門。
・朝堂院25門…応天門。会昌門。含耀門。興礼門。
・豊楽院19門…儀鸞門。高陽門。含利門。福来門。立徳門。白綺門。不老門。
・宮門7門…なし。
・閤門12門…武徳門。
・内閤門14門…日華門。崇仁門。無名門。左青瑣門。右青瑣門。
・大内裏外の門…羅城門。
・他の大内裏内の門…(中和門が使われたが他の門名を自分は知らない)

100 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 03:57:57
>>99
GJ!
ついでに用いられた門も挙げてくれ。

101 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 04:05:16
>>97
三宮=三后なので、准后=准三后=准三宮。
ただし、二宮と言った場合には、中宮(皇后)と東宮(皇太子)を指す。

102 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 04:09:17
准后を准宮って言い方はするの?

103 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 04:10:05
てかなんで女院号は門の名前が多いんだ?

104 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 04:14:09
蒼玉門でくぐったら台湾のサイトがヒットしたよ。

105 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 05:44:20
>>102 准宮という言い方は、自分は出会った事がありません。

>>100 ええーっ、数が多いですよ、大変だな。 GJって何ですか。

女院号に使われた門名の一覧 (○印は、新〜門院の形でも重ねて使われた門名)

●禁門14門
美福門。○皇嘉門。談天門。藻壁門。殷富門。安嘉門。達智門。○陽明門。○○待賢門。
郁芳門。○上西門。○上東門。
●朝堂院25門
長楽門(閤門にも同名の門あり)。永嘉門。章義門。章徳門。盛化門(咸化門の別名?)。
敬法門。宣政門。章善門。通陽門。顕親門。永陽門。○広義門。昭訓門。光範門。東福門。
西華門。宣光門。寿成門。昭慶門。嘉喜門。永福門。
●豊楽院19門
豊楽門。○礼成門。○崇賢門。嘉楽門。陽徳門。開明門。延明門。万秋門。陽禄門。
逢春門。承秋門。青綺門。
●宮門7門
建礼門。春華門。修明門。宜秋門。式乾門。○朔平門。建春門。
●閤門12門
承明門。長楽門(朝堂院にも同名の門あり)。永安門。陰明門。遊義門。徽安門。玄輝門。
安喜門。嘉陽門。○宣陽門。延政門。
●内閤門14門
月華門。崇明門。明義門。神仙門。恭礼門。仙華門。宣仁門。敷政門。和徳門。
●大内裏外の門
坊門(三条から九条まで東西に、合計14の坊門があった)。
●他の内裏内の門
○中和門。

106 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 10:06:56
>>99
庭田朝子の院号宣下については橋本義彦は否定してる

平凡社選書 平安貴族 P163

「本朝皇胤紹運録」には、後柏原院に注して「母准三宮源朝子、蒼玉院贈内大臣女」と記すが
蒼玉門院なる号も、或は父の蒼玉院贈内大臣すなわち庭田長賢の号と混淆したものではなかろうか。

としている。院号宣下されたとされているのは「女院号便覧類聚」と「門院伝」だけらしいよ。

107 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 10:08:39
>>93
正妃って言うのは正式に入内した人だけじゃないの?
正式に宣下をもらって。
典侍なんかは「女官」だし。

108 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 16:19:14
>>105
GJ= good job

109 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 16:27:57
>101
女三宮も准三宮?

110 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 16:31:11
天皇は同じ名前で2人目がいると「後○○」という名前になるのに、
女院は2人目がいると「新○○院」となるのは何故ですか?

111 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 16:32:18
源氏物語配役スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1083969150/168-


112 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 18:24:48
>>103お願いします。

113 :日本@名無史さん:2005/12/11(日) 00:33:48
>>109
音読みで三宮(さんぐう)・二宮(にぐう)と読む場合の意味とは違って、
二宮(にのみや)・女三宮(おんなさんのみや)等と読んだ場合は、
第2皇子・第3皇女の意味であって、准三宮とも無関係です。

>>110>>112
むずかしい。よくわからない。

114 :日本@名無史さん:2005/12/11(日) 01:52:13
羅城門・朱雀門・応天門・高陽門・無名門・不老門・武徳門・福来門なんかは、
色んな意味でビビッてしまい、たしかに女院号には使いづらい気がする。
逆に建礼門・承明門・豊楽門・陰明門・神仙門は、よく使われたなと思う。
東福門院には、朝廷の幕府に対するおもねりとかすかな皮肉を感じるのは、自分だけかな。
武徳門院や新和徳門院だったらそのものズバリで、おもしろかっただろうが。

115 :日本@名無史さん:2005/12/11(日) 03:48:46
>>90 宇多源氏の嫡流は庭田家で、綾小路家は庭田家の庶流と定められています。
堂上家の家流内における嫡庶の位置付けは、家祖を基準に公的に定められるもので、
正式に改変されない限り、その後の事実上の血筋や養子のやりとり等には左右されません。
庭田家の祖の経資は、外祖父有資の養嫡子となり、有資の家を継承しました。
綾小路家の祖の信有は、有資の実子ですが、有資・経資ラインの分家扱いです。

確かに庭田家が権大納言のみならず、長命ならば従一位宣下まで昇れる家格を形成したのには、
宇多源氏嫡流というだけではなく、幸子・朝子、2人の国母を出した事が大きいでしょうね。

116 :日本@名無史さん:2005/12/11(日) 23:26:39
宇多源氏は庭田家が頑張っているけど、村上源氏は時代が下れば下るほど存在感が薄くなりませんか?

117 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 00:35:03
女院を専門に扱った書籍とかあったら教えてください。

118 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 00:53:55
女院や国母よりも、先ず皇后を語ろう。

119 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 03:41:15
女院になったときの年齢が最年少の人と最高齢の人ってそれぞれ何歳くらいですか?

120 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 13:55:00
>>99 >>114
高陽院は高陽門と何の関係もないの?


121 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 14:47:23
高陽院は住んでいた屋敷の名前からとったんじゃない?

122 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 20:54:16
その通り

123 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 20:54:31
高陽院は女院でしたっけ?

124 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 21:27:13
鳥羽上皇の皇后藤原泰子。譲位後の入内、立后は珍しいケース。

125 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 00:28:20
>>119  >女院になったときの年齢が最年少の人と最高齢の人ってそれぞれ何歳くらいですか?

章義門院・章善門院・崇明門院・章徳門院・嘉喜門院・新宣陽門院は、生年未詳なので、
それらを除いた他の女院の中で、女院宣下時の年齢(数え年)が、
最年少なのは、11歳の宣陽門院。 最高齢なのは、82歳の逢春門院。

宣陽門院覲子内親王。父は後白河天皇、母は丹後局高階榮子、1181誕生、1189内親王・准三宮、
1191女院(宣陽門院)、1192長講堂領相続、1205落飾(法名性圓智)、1252薨去72歳、生涯独身。

逢春門院櫛笥隆子。後水尾天皇の上皇時の後宮(御匣殿・四條局)、後西天皇の生母、父は櫛笥隆致、
1604誕生、1637後西天皇を出産、1654後西天皇践祚により国母、
1685.5.16従三位、17日准三宮、22日薨去82歳、24日女院(逢春門院、17日付に遡って)。

126 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 03:23:24
>宣陽門院覲子内親王。父は後白河天皇、母は丹後局高階榮子、1181誕生、1189内親王・准三宮、
>1191女院(宣陽門院)、1192長講堂領相続、1205落飾(法名性圓智)、
24歳で結婚経験無く出家というのはこの時代別に不幸な事じゃなかったのでしょうか。

127 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 08:35:26
このころの皇女はほとんど未婚でしょ。
八条院だって未婚だし。
宣陽門院や八条院は院号宣下されて、多大な領地を相続してまだ幸せなほうじゃないかな。
式子内親王は後白河院から譲られたはずの屋敷は兼実(だったかな?)にのっとられて
家臣の家に間借りしてて、あらぬ呪詛の疑いをかけられて追放されかけてるし。

128 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 12:29:22
高松院みたいな生き方もあるがね。

129 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 19:39:40
定子皇后がいい!!

130 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 20:03:28
>>127
式子内親王の兄・以仁王も天皇皇子でありながら親王宣下が無いという不当な扱いを受けてますが
不幸な兄弟ですねえ

院政の頃から皇女が皇室領の大半を相続するという例が多いですが
これはなんでなのでしょう?
「日本古来は母系社会で財産は母から娘に相続することが多かった」
という理由とは違うような印象を受けます。


131 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:41:52
>>129
だからwww、どんなところがいいんだよ?

>>130
式子の母は影の薄い人だしね。

あまりにも有名な「玉の緒よ・・・」の和歌より
「時鳥そのかみ山の旅枕 ほの語らいし空ぞ忘れぬ」が好きだな。
何だか、透き通った諦観の情がうかがわれる歌だと思う。


132 :日本@名無史さん:2005/12/14(水) 02:24:43
式子と同母姉、殷富門院亮子は対照的だね

133 :日本@名無史さん:2005/12/14(水) 20:46:15
亮子はどうだったの?

134 :日本@名無史さん:2005/12/15(木) 00:52:11
亮子 安徳、後鳥羽准母→尊称皇后→女院
式子 准后
↑この違いじゃね?

135 :日本@名無史さん:2005/12/15(木) 06:44:56
●皇后・国母一覧2 (11代〜20代)
天皇代数 夫たる天皇等 【身位の変遷】 名 [子父母等]

11垂仁――【皇后】――――――――狭穂姫――――[父彦坐王。母沙本之大闇見戸売]
―――――【皇后・崩後国母】―――-日葉酢媛命――[景行母。父丹波道主王。母丹波之河上之摩須郎女]
12景行――【皇后】――――――――播磨稲日大郎姫[日本武尊母。父稚武彦命]
―――――【皇后・国母・皇太后】――八坂入姫命――[成務母。父八坂入彦皇子]
13成務
×日本武尊【妃・国母・尊称皇太后】―両道入姫皇女―[仲哀母。父垂仁。母綺戸辺]
14仲哀――【皇后・皇太后・崩後国母】気長足姫尊――[神功皇后。応神母。父気長宿禰王。母葛城高ヌカ媛]
15応神――【皇后・国母・皇太后】――仲姫命――――[仁徳母。父品陀真若王。母金田尾野姫命]
16仁徳――【皇后・崩後国母】―――-葛城磐之媛命―[履中反正允恭母。父葛城襲津彦]
―――――【皇后】――――――――八田皇女―――[父応神。母和珥宮主宅媛]
17履中――【皇后】――――――――草香幡ビ皇女―[父応神。母日向泉長媛]
18反正
19允恭――【皇后・国母・皇太后】――忍坂大中姫命―[安康雄略母。父稚渟毛二派皇子。母百師木伊呂弁]
20安康――【皇后】――――――――中蒂姫皇女――[前大草香皇子妃。父履中。母草香幡ビ皇女]

そろそろ、実在と思われる大后が登場し始めました。

136 :日本@名無史さん:2005/12/15(木) 06:52:04
>>134
式子ももう少し長生きしていれば順徳天皇の准母になる予定だったらしいから、
そうなれば院号宣下になったんじゃない?

137 :日本@名無史さん:2005/12/15(木) 11:51:52
>>136
へえ、そうだったんだ。
違った境涯で晩年を過ごせたのかもしれないね。

殷富門院は・・・ 
保元3年(1158)に伊勢斎宮を退下、文治3年(1187)門院号を得、
建久3年(1192)出家、建保4年(1216)崩御
女房には三十六歌仙の1人である殷富門院大輔も出仕していたり、
文芸サロン的に賑わっていたんだろうね。


138 :日本@名無史さん:2005/12/15(木) 15:27:31
春華門院昇子が、土御門准母っていう記録が残ってるけど、本当かな?


139 :日本@名無史さん:2005/12/15(木) 20:19:37
春華門院は、順徳准母じゃない?土御門の准母は、坊門院範子内親王でしょ。
橋本義彦氏は、順徳准母説に否定的な説をとってるよね。それと、角田先生も書いてるけど、坊門院って存在感無さすぎ!
母の小督とは偉い違いだなと思う。

140 :日本@名無史さん:2005/12/17(土) 21:26:07
准母という地位はいつまであったんですか?江戸時代にもありましたか?

141 :日本@名無史さん:2005/12/17(土) 22:04:19
公家社会は中世から近世へも連続しているから、基本的には明治維新まであるんじゃない?

142 :日本@名無史さん:2005/12/17(土) 23:58:45
江戸時代にはありません。
江戸時代の天皇は基本的に父帝の正妻の実子または養子ですから准母を立てる必要はありません。

143 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 01:55:39
↑実子になったのって、仁孝天皇と明治天皇くらいかな?あとは全部、養子でしょ?
東山天皇の養母は新上西門院なのに、生母の敬法門院もかなり目立つね。

144 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 02:38:40
>>143
その場合の実子と言うのは、実の子の意味ではなくて、
養子制度(実子・養子・猶子)の1種ですよね。

145 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 09:34:47
そんな初心者的なことを一々書かないでください。

146 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 09:50:43
江戸時代の天皇の生母で目立つのは良くも悪くも敬法門院くらいだよね。
近衛基熙や常子内親王の日記に悪く書かれているみたいだし、敬法門院の
両親もよくは書かれていないみたいだね。

147 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 10:07:28
光格天皇の生母は、全くの庶民ってのは本当なんでしょうか?
どんな出自の女性か、ご存知の方がいましたら教えてください。
昔、私が見た本は、出雲の餅屋の娘と書いてあった。

148 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 11:19:00
光格天皇の生母は大江磐代という人で、倉吉市出身です。倉吉市の教育委員会が出してる小冊子がありましたよ。
磐代の墓所は京都の廬山寺にあるのですが、閑院宮墓地内ではなく、一般の墓域に墓があるのが、身分の違いを感じさせますね。
今、出先なので、詳細が書けなくですみません。

149 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 14:04:37
>>146
kwsk

150 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 14:17:10
確かに日記を読むと色々書いてあるから笑えるw
霊元天皇の儲君を決めるときなんて、松木が暗躍してたもんな。

151 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 17:01:35
>148さんへ
ありがとうございました。
早速、この名前でクグったらいろいろなことがわかりました。
2ちゃんでもかなり話題になってたんですね。
ただあるサイトでの「入内」っていう表記はいくらなんでも…。

152 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 19:16:51
入内ってw
そんな表記するド素人がいるとは!

153 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 19:42:13
松木家ってもとの中御門家だよね?

154 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 19:43:52
>>147-148
岩室氏って閑院宮家の諸大夫か何かじゃないの?

155 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 20:46:30
>>149
東山天皇即位後の議奏の人事に敬法門院とその母の河鰭秀子が人選を行って
縁戚を強引に推したり、東山天皇の後継への口出し(これは霊元院もだけど)
松木宗条がひ孫の中御門天皇即位時に摂政になろうとしたりと
評判はさんざんだね。

156 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 20:57:16
敬法門院の姉が、後西院の後宮にいたね。確か、子供がいたけど、こっちはパッとしないなぁ。
それにしても、霊元院の一の宮が可哀想!外祖父の小倉もなぁ。

157 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 20:58:39
>>155
d楠

実権のない宮中の地位にこだわるとはなんだか化石みたいな人たちですね。

序列を崩すから、そりゃ宮中では評判悪かったと思いますが
天皇外戚と言うことで親戚になろうという大名とかいたんでしょうか。

158 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 21:26:55
>>154
http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/koukyu/edo/sukehito.htm
ここなんかくわしいとおもうよ

父の岩室宗賢は、初め鳥取藩池田家老臣荒尾氏に仕えていたが、1743年浪人となり、
京に上った後は医者を業としていた。大江姓を名乗るも市井の出身。
磐代は長じて初め櫛笥家に、のち閑院宮家に仕え、当主典仁親王に寵愛されました。


159 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 01:44:28
>>158
諱は維子なの?
そうすると、後桃園妃の盛化門院と同名になっちゃうけど、こういう場合って
改名したりしないの?

160 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 02:29:18
後土御門天皇の生母の嘉楽門院って、どういう出身なんですか?
大炊御門家の実子じゃないんですよね?

161 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 02:32:55
後嵯峨天皇生母の土御門通子や後柏原天皇生母の庭田朝子は、どうして女院に
ならなかったのですか?
天皇の生母になったのなら、仮に存命中に宣下できなくても死後に追贈するのが
普通では?

162 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 02:45:03
>>157
明治天皇の生母の中山慶子なんかは、自分の母親(松浦愛子)の実家である
平戸藩主の松浦家から相当なバックアップを受けているよね。
しかも、松浦愛子の姉妹ってみんな公家と結婚している。
武家の場合、娘をストレートに宮中に入れることはできなくても、公家に
嫁がせることで、将来天皇生母の外祖父になることを密かに期待している
大名はいたかもね。
権勢という点では前代ほどではないにしても、朝廷・公家勢力には依然大きな
権威があるし、朝廷・公家社会とコネクションを持つことは、家格に箔を付ける
という意味ではこれ以上のものはないのでは?

163 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 11:05:18
>>160
尊卑分脈を見れば、詳しい系統がわかりますが、この家系は、琵琶で有名な家柄だったはず。
後嵯峨院刑部卿局博子(五条院等母)や西園寺実兼の召人孝子(後京極院等母)も、この家系の出身です。調べてみれば、結構面白いですよ。

164 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 21:49:40
>>160
『宣胤卿記』の別記によると、嘉楽門院信子の実父は藤原孝長という人ですね。
信子はのちに和気郷成の猶子となり、その後さらに郷成の子である保家(保成)の猶子に
なって、さらにさらに大炊御門信宗の猶子となっているようです。
『続史愚抄』などの編纂ものも概ね同じ記述になってます。
しかし藤原孝長って『尊卑』にそれらしき人が出てこないんだよなぁ。
「孝」の字がついてるから菅原かもと思って調べてもやはり出てこない。誰?孝長って?

165 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 23:01:47
>>160
琵琶西流本家、藤原孝道で調べれば、いくらでも分かりますよ。
孝長は、孝道の子孫です。あとはご自身でどうぞ!

166 :日本@名無史さん:2005/12/20(火) 00:35:53
てかさー1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開いてからは天皇とか貴族なんて
政治的には全く無力で無意味でどうでもいい存在になったのに国母とか女院とか
そういうどうでもいい役職がよく明治維新まで残ったよな。

167 :日本@名無史さん:2005/12/20(火) 01:16:26
鎌倉時代の宮廷は、政治的に無力な分、退廃的な部分が目立って逆に面白いと思うんだが。

168 :日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:20:10
>>166
はいはい。ご高説。
でもね、色々と語るのがこのスレの主旨なの。
否定的なことを偉そうに言うためにわざわざ出てこないでね。

>天皇とか貴族なんて政治的には全く無力で無意味でどうでもいい存在
wもっと通史を勉強したほうがいいよ、キミ。


169 :日本@名無史さん:2005/12/20(火) 21:25:29
そうだね。天皇が政治的には全く無力で無意味でどうでもいい存在になったのは南北朝以降。

170 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 01:09:33
1221年の承久の乱以降じゃね?
まあ1192年も大きいけど。

171 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 01:20:17
>>168
1192年に頼朝が将軍に即位して武士が天下を取った。
この時点で天皇・貴族は天下人ではないどうでもいい存在になった。

172 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 02:39:38
166=171か。単純な香具師だ。
悔しいから出てきたの?
頼朝が天下を取った・・・って表現は普通しない罠。
成熟した政権でもなかったしな。

どうでもいい存在に徳川和子は豪勢な支度で嫁いだわけね。
幕末の倒幕のお神輿でもあったわけだが。
施政的に無力で政権の蚊帳の外でも、
何らかの存在・利用価値があったゆえに存続し続けたのが朝廷勢力だろ。



173 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 19:39:48
織豊期以降は武家政権が朝廷に存在価値を賦与して存続させたのが実態

174 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 19:46:39
大幅なスレ違いの数々

175 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:01:05
>>171
>>将軍に即位・・・

将軍が即位??
なんで臣下の官職である征夷大将軍が即位なんだよ?

176 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:05:28
175は受験勉強の経験がないのかな?

177 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:15:30
>>176
どこの教科書に将軍職につくことを「即位」と言っているの?
どこの大学入試問題に将軍職につくことを「即位」と言っているの?
175はまともに日本史を学んでいないのがバレバレ。

178 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:18:08
即位とは天皇、皇帝、国王などの君主が位につくこと。
征夷大将軍など朝廷の官職につくことは補任。

179 :177:2005/12/21(水) 20:21:40
訂正
175ではなく、171,176が無知をされけ出しているのがバレバレ。
少なくとも日本史を学んでいる者が「将軍に即位」なんぞ言わない。


180 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:29:01
天皇って職に就く場合は就職
主権者の国民様に天皇って仕事を与えて貰ってるんだってわかってる?
給料はらってやってるのも主権者の国民様

181 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:46:08
こいつ何なの
ここは日本史板。
板違いだから消えうせろ。

182 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:47:55
頼朝は自分の意思とチカラで将軍になったわけで天皇にあたえられたんじゃない。
天皇は事務員と一緒で命じられるままに手続きを行なうだけで拒否権は無い。
それは今の天皇と同じだ。

183 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:48:21
>>180
こいつ171か?

184 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:50:19
>>182
それで「将軍に即位」?
アホ丸出し。

185 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:23:48
即位したというなら1180年時点だろ

186 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 00:52:00
せっかく、またーりとスレが続いていたのに
信じられない認識の馬鹿が・・・
いや、ここまで変だと特殊思想の持ち主かも。

187 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 01:05:19
松平忠直卿の孫娘か誰か子孫が京の禁裏へ入内したという話を聞きました。
系譜の上では、どうなって居るのでしょうか?
歴史には詳しくないので、分かりやすく教えて下さい。


188 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 01:31:28
しらない

189 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 01:32:41
>>187
それは、後西天皇の女御明子女王(1638-1680)ですね。
高松宮好仁親王の王女で、母は松平寧子(松平忠直の女、徳川秀忠の養女)です。外祖母(寧子の母勝姫)が秀忠の三女にあたります。
明子女王と後西天皇の婚儀は、まだ後西天皇のが高松宮だった時に行なわれました。その後、中継ぎとして後西天皇が即位するにあたり、改めて入内。
宣下のないまま、女御と称されました。天皇との間に誠子内親王と長仁親王を儲けました。
墓所は泉涌寺ではなく、大徳寺龍光院の有栖川宮墓地にあります。
初歩的な説明、駄文失礼しましたm(__)m

190 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 03:09:18
女院ってなんで作られたの?

191 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 14:33:33
>>172
東福門院和子の読みって「まさこ」が正しいのでしょうか?

192 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 16:12:04
>>191
まさこ。初名、松姫。

193 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 17:51:05
天皇信者と神道信者=信じられない認識の馬鹿。特殊思想の持ち主
やつらは北朝鮮のような自由と食料と物資のない戦時中の日本を望む
ほとんどの日本人が今の自由な日本に満足してるのに
信じるもの(教祖とか親分とか天皇)のために喜んで殺人をするのが当然と考える危険思想
個性と多様な価値観を認めず、天皇から与えられた価値観にしがみつき個性を攻撃する
歴史の事実を嫌い作り話と虚飾の歴史を押し付ける
日本人すべてが裸の王様を称える民衆であるべきと考え事実をしゃべるものは日本人じゃないと言う

194 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 20:19:52
東京都足立区にも女院がいるよ。本人は大谷田門院と名乗っている。

195 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 01:01:45
>>184
ドラマ「大奥」では即位といってましたが何か?
おまいこそ無知丸出しw

196 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 01:24:57
スルースルー

197 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 01:26:27
>>185
平将門の後継者として関東の支配者に即位したのが1180年
天皇と貴族の権力を停止して正式に即位したのが1192年

198 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 01:47:02
>>172 >>178
家永三郎さんは「江戸時代には天皇は君主としての地位を完全に失った」って書いてたけど。

199 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 02:12:42
>>187
松平忠直の極官って何?
卿を付けるってことは三位以上になってるの?

200 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 02:50:59
鎌倉期の大宮院や京極院ってどうしてこういう院号になったのかな?
「〜門院」でも「〜条院」でもない女院号って珍しいですよね。


201 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 07:42:39
上西門院の院号定では、院号候補で「永昌坊院」というのが上がってるね。
御所が永昌坊にあったからみたいだけど。


202 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 08:59:31
>>198
家永みたいな無知蒙昧な左巻きを信じてちゃ・・・

203 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:20:53
「忠直卿行状記」なんて新作歌舞伎の名作もあるな。

204 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:27:31
歴史オタが何を言おうと将軍が天皇をしのぐ事実上の日本国王であるというのが世間一般の常識

205 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 15:22:25
>>204
岡野友彦さんも
征夷大将軍+源氏長者→日本国王
っていってたね。

206 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 15:35:34
>>200
大宮は西園寺の別称、京極は洞院の別称だっけ?

207 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 18:28:16
>>202
歴史研究者は左派が普通だろ。
左派じゃないと批判的に見れない。

208 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 19:00:38
教えられた事柄、みんなが支持する事柄を鵜呑みにする=ネットウヨ
多角的、批判的に検証考察する=学者等


209 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 21:59:58
ウヨはしょせん宗教ですから。結論が先にあって理屈はあとからついてくる。

210 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 23:12:05
>>163-165
なんか同じ話題に正反対のレスをしているように見えるんだけど、本当のところ
『尊卑分脈』には載っているの?
その琵琶の家って家号はあるの?あるとしたら何?
もし室町段階で家号が成立していないとしたら、堂上じゃなくて地下の家?
あと名前は孝長でいいの?
孝長でOKだとすると、確かに第一印象的には菅原氏っぽい名前だね。
「孝」も「長」も菅原氏の名前に多そうな字だし。

211 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 23:25:51
>>210
『尊卑』に「孝長」載ってました。スマソ

212 :日本@名無史さん:2005/12/24(土) 00:30:12
で、家号は何?

213 :日本@名無史さん:2005/12/24(土) 01:24:56
ないみたいですね。

214 :日本@名無史さん:2005/12/24(土) 06:32:29
163=165です。コテハン禁止なので判りにくかったと思いますが、164を書いたのは別の方です。
少しでもお役に立てればと思い書き込みましたが、今後はロム専になります。


215 :日本@名無史さん:2005/12/24(土) 13:34:22
>>194
え 何それ
近所なんだけど

216 :日本@名無史さん:2005/12/24(土) 15:16:39
>>213
子孫はいないの?

217 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 09:24:36
女院も院庁がつくられるからには上皇・法皇なんかの院の一種と見なされて
いたんでしょ?
てことは、歴代天皇の名前で一条・二条・三条・四条・六条・九条があるのに、
五条・七条・八条がないのは、女院に五条院・七条院・八条院がいるから?

218 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 12:30:20
九条天皇なんていません

219 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:34:25
二条院と九条院はいる。

220 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:39:18
>>218
釣りかも知れないけどマジレスするが、
九条廃帝=仲恭天皇じゃないの?

221 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 22:42:14
九条廃帝は朝廷が贈った号ではありません。俗称です。

222 :日本@名無史さん:2005/12/26(月) 00:05:16
じゃあ近江廃帝とか淡路廃帝とかは?

223 :日本@名無史さん:2005/12/26(月) 00:06:13
>>219
重複して紛らわしいと思わなかったのかな?

224 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 02:54:15
そろそろネタ切れか。

225 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 19:44:26
皇后・国母・女院ヲタのみなさんも是非お越しください。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1124704728/l50

226 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 20:18:12
定子が最高

227 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:37:47
敷政門院庭田幸子がいいね。

228 :これは笑うべきでしょうか:2005/12/29(木) 00:11:04
197 :大内持世 :2005/08/22(月) 23:32:22
俺の好物は……餅よ♪

198 :大内教弘:2005/08/23(火) 00:44:58
>>197
お父上、ここは笑うべきでしょうか?

199 :大内教世 :2005/08/23(火) 01:38:30
俺の好物は……海苔よ♪

200 :赤松円心:2005/08/23(火) 10:15:35
>>197>>199
ぎゃ−hhahahahahahaha!!!uhha−−−−−−!!

201 :大内満世 :2005/08/23(火) 19:44:19
俺の好物は……蜜よ♪

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1123329216/

229 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 13:03:11
室町の国母・女院は影薄いですか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1110023632/l50

230 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 15:13:19
一条天皇は定子様を愛していたんだね。

231 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 21:55:07
還俗させたもんね

232 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 22:47:47
一条天皇の愛のみが支えだったんだよ

233 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 02:01:28
道隆の家を訪ねたとき真昼間から子作り始めるくらいだからね(笑)
エロ坊主の花山法皇から余計な知識を吹き込まれたのかな?

234 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 02:03:07
天衣無縫の寵愛振りだったね!

235 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 05:51:12
定死厨ウザ


236 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 14:05:04
花山法皇はどうして出家したのに

237 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 17:48:37
エロ坊主とエロ尼と言われてたくらいだからね

238 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 18:34:48
定子は美人だった・・

239 :日本@名無史さん:2006/01/01(日) 00:41:44
定子様は一条天皇に寵愛されていた。

240 :日本@名無史さん:2006/01/01(日) 03:10:10
光源氏のモデルは道長らしいが時の権力者が夜這いで種付けしてできた子が天皇になってる事例は多いだろう。
権力者がごり押しで天皇にして、お前の本当の親父は実は俺なんだぜ、って言って権勢を極める。
権力に近い連中はみんな考えるだろう。出産の時にすりかえるのもありだ。
天皇が逆らわない様に自分の実子を天皇にする。外戚より確実。
源氏物語の性のおおらかさが歴史の可能性を思わせるね。

241 :日本@名無史さん:2006/01/01(日) 09:22:55
光源氏のモデルは源融では?

242 :日本@名無史さん:2006/01/01(日) 14:48:00
>>241
光源氏のモデルは恐らく複数だと思う。
源融や道長もそう言われるし、源高明もその一人。



243 :日本@名無史さん:2006/01/01(日) 17:42:07
足利義満もその一人。

244 :日本@名無史さん:2006/01/01(日) 18:33:02
定子様の皇子様もモデルです。

245 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 02:56:35
最初は良スレだったんだがな〜

246 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:08:02
秀頼でさえ治長の息子と言われている。
夜這いの風習が有った時代に本当の父親なんかわからないだろう。
美濃のマムシが死んだのももトキの子疑惑があったといわれているし、
側室に娘を出した親はどんな手を使ってもはらましたかったろうから
若くてイキのいい男を派遣したりもしただろう。


247 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 02:59:16
小一条院もモデルの一人?

248 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 03:05:44
>>240>>246ですか?
どうでもいいけどスレ違いなんですが。

249 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 07:33:25
そう、天皇や男性貴族や将軍大名の話題は、基本的にご法度だったはず。
制度ならば、天皇制や将軍制でなく皇后制や女院制についてでなければ、スレ違い。

250 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 17:43:02
定子さまの皇子さまは定子様に似て美しかったらしいのじゃ。

251 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 18:11:40
定子厨、スルーが一番かも知れないが…
枕草子以外には、定子が美しかったと言う描写はない
四の君が美しいと言う礼賛は、結構あるが

252 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 18:43:49
4の君は定子皇后亡き後一条天皇の御子を身ごもったんだよね。

253 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 18:44:45
大鏡に定子様の美しさを書いてあったと思うよん。

254 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:26:51
大鏡!よく読め
むしろ大鏡は定子に批判的だ
四の君の美しさしか書いておらんわ

255 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:45:22
上東門院彰子の立場はどうなるのよ。

256 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 03:25:06
むしろ、彰子の方が、后というには相応しい、品位と頭脳と思いやりを持っていたし
一条帝の出家間際に彰子に送った歌が悲しすぎ
反対勢力からも賢后と絶賛され、道長が亡き後も
第一人者として、政治の重責におり、非のうち所の無い貴婦人
公人としまた国母として、威厳は彼女がピークだと思います

257 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 18:55:33
歴代の女院のなかでも上東門院がずば抜けて権勢を誇ったということですか?

258 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 14:13:11
母后として女院としてのピークは姪の禎子内親王あたりまでか(不遇な期間もあったが)
それ以降は、母后というより、院の寵姫として女院号受けた女性が多過ぎて、実が伴ってはいなかったかも
もっとも、朝廷の権威も失墜していくんだが…

259 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 20:03:04
美福門院得子は?

260 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 21:14:27
定子さまが最高です!!

261 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 21:27:30
初代女院にして道長を擁立した姉詮子こそでしょ
なんてったって彼女を東三条院にするために女院なるシステムが構築されたわけだし

262 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 21:34:07
そろそろこのスレもネタ切れかね

263 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:38:11
定子は女院になってないから。

264 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 00:32:23
皇后にはなっている。
定子様は帝に愛されていた・・。

265 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:07:44
>>258
院政期になると朝廷の権威は失墜していくのか?
個人的にはあまりそのようなイメージはないのだが。
ただ天皇と治天の君の分離によって、朝廷の組織は摂関期やそれ以前とは大きく変質したとは思うけど。

あと、女院号の乱発ということについては院政期よりも鎌倉期のほうがさらに凄い。

266 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:52:41
院政期って、ちょうど武家政権との過渡期にあるから、断定し辛いんだよね
正妃以外でも、その下の階級(女官クラス)の女性達にも女院号が授けられる意味では、
やはり女院自体がさして重要性のない名目的な意味合いに成り下がった事が否めない?!
そして政治から疎外され、退廃していく鎌倉期になるんだが…


267 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 04:05:11
>>261
東三条女院詮子こそ、輝かしい女院号第一人者であったが、彼女の場合、割と早逝されているので、
道長との連携での政聴という感じかな?
彰子は親に逝かれ、二人の子に逝かれ、それでも政治の黒幕として君臨したよね
特に面白いのが、元、一条帝妃、元子女御と父親の顕光が堀川屋敷の相続を元子にさせないと言い切った
件、元子は誰あろう、一条帝正妃、彰子に相談した
そして御事、堀川第は元子の元へ


268 :日本史@名無しさん:2006/01/07(土) 12:51:50
>267
1013年、道長が彰子に遊戯の会を催そうと発案したけど、
彰子は夫・一条天皇が亡くなったばかりで身を慎むべきであり、
また行事続きでは人々の負担が重くなる、と断ったって話もあるよね。

この時、彰子は25歳。
こういう思慮深さの積み重ねがあの実資をして「賢后」と言わしめたんだろうね。

269 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:28:08
妍子が一種物の宴をしようとしたのを止めたのも彰子だったよな、たしか。
そういう思慮深さが彰子の国母としての成功の秘訣だったのかもね。
彰子の女房サロンは地味だと言われてたそうだけど、地味で正解だよ。

下手に定子時代のように派手な行いをしていたら、ただの二番煎じ
だし、とうてい定子のような風流さはかもし出せなかったろうから、
確実に顰蹙をかっていたはず。

道長が孫を帝位につけ、三后を出して舞い上がっていたときにも
彰子は自重して控えめに処していたのがすごく頭がいいと思う。

270 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 03:33:06
>>266
鎌倉期の朝廷は政治から疎外され、退廃していたのか?

271 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 05:39:37
このスレ、最初のほうは専門家っぽい書き込みとか多かったけど、今は酷いね。

272 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 22:36:49
もともとクソスレ

273 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 10:37:46
上代好きな人はいないのかな、ほとんど話題に出ないね。
大鏡の時代より前、六国史の時代の国母・皇后は、
藤原氏・内親王以外も多くて、けっこう面白いのではないかと思うが。

274 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 20:34:42
女院がいないからなあ・・・

275 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 20:56:19
定子様・・・。
枕草子をドラマ化するなら
定子様は仲間ゆきえがいい!!

276 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 21:32:56
清少納言っていやな女だよな

277 :日本史@名無しさん:2006/01/09(月) 22:45:51
>>273
最初の藤原氏の皇后・光明子とか?
長屋王の事件と併せてもなかなか面白い女性だよね。
って、藤原氏じゃん!

278 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 07:58:31
せめて安宿媛といって欲しかったな。

279 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 19:25:17
定子様は清少納言の才能を花開かせたお人。

280 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:57:01
「定子様」を連呼する厨以外は誰もいなくなった、と。

281 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:59:38
僕は詮子さま大好き

282 :日本@名無史さん:2006/01/11(水) 17:27:38
藤原が勢力を握りだしたのに橘氏の檀林皇后が后に立てたのはなんで?

283 :日本@名無史さん:2006/01/11(水) 17:33:13
冬嗣の身内に適当な娘がいなかったか、たまたま天皇の寵愛が深くて高津内親王に対抗できそうなのが
嘉智子だけだったんじゃないの?
あとは第一皇子の母親だからとか

284 :日本@名無史さん:2006/01/11(水) 21:21:50
>>242
中書王もね。

285 :日本@名無史さん:2006/01/11(水) 21:46:15
橘嘉智子は直接血縁じゃないけど藤原冬嗣の縁者じゃなかったかな
嘉智子の妹・安子が藤原冬嗣正室・藤原美都子の弟の三守の奥さん。

286 :日本@名無史さん:2006/01/13(金) 23:40:40
定子さまは大変聡明だった。

287 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 04:13:42
>>286
もういい加減に気付け。

288 :日本@名無史さん:2006/01/19(木) 11:51:23
美女の遺体が野晒しにされて腐ってゆく様子を欠いた絵巻のモデル候補は
壇林皇后(橘嘉智子)が小野小町と並んで有名だけど、
壇林皇后って確か60越してたよね?

289 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 18:37:31
上東門院は道長の娘ですよね?

290 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 22:29:11
もうこのスレやめにしたら。

291 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 23:16:09
定子厨はなんでこの板にいるんだ?
古文漢文板に帰れよ
定子なんて歴史の観点からすればなんにもしてない皇后なんだからさ。


292 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 23:21:39
>>288
九相図

293 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 23:59:19
ああ、あの絵巻物は凄い絵だよねえ。
服装から言うと女房で、皇后ではないと思いますがいかが?
古い写本が東博に寄託されているので時々展示されまつ。


294 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 01:00:29
壇林皇后を讃えるための逸話として亡骸を野辺に放置汁伝説があり・・・

奈良法華寺の本尊、十一面観音のモデルは光明皇后という伝承に
なっているけど、実は壇林皇后だという説もあり(杉本苑子も書いている)。
光明皇后の膿吸い伝説と同様に、
宗教心の篤さを後世に残すべく流布された逸話だよな。

295 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 03:42:29
橘氏って、皇后を出すような家系だったのに、後世に堂上公家としては1家も
残らなかったのはなぜ?

296 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 04:03:23
高階氏や三善氏が堂上で残らなかったのも気になる。

297 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 10:12:08
橘・高階 三善とも平安時代に受領階級になってしまったからじゃない?
橘は薄家が戦国時代に浮上しかけたけれども以継が横死してしまったからいかんともしがたいでしょう

壇林皇后は平安初期のまだ藤原氏が勢力を伸ばしきれていないときとはいえ、父親が謀反人の直系で皇后に
なったのは奇跡としか言いようがないと思うよ。

298 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 13:30:53
大江氏は堂上にもいるね。

299 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 14:37:21
スレ違いだけど沢家は清原氏?

300 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 17:26:54
yes

301 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 18:41:20
「中央線の呪い」とかを書いた三善何とかっていう女性ライターが
三善氏の末裔だと良く自慢してるよね。

302 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 01:42:45
鎌倉・室町の問注所の太田や町野は三善氏だね

303 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 00:22:22
折角だし美女との評判が高い女院も挙げようぜ。

上東門院は栄華物語の描写を信じるなら結構美人だったらしいが・・・
出家して門院号もらったとき実年齢より若く見えたらしい。

304 :日本史@名無しさん:2006/01/28(土) 02:47:16
美女と言えば、上西門院とか八条院かな……
どっちも鳥羽天皇の娘で、それぞれ母親から所領を受け継いでお金持ち。
それで言うと両方の母親の待賢門院と美福門院も美女か。

305 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 16:19:42
平安時代は美女だとか容姿についていろいろ残っているけど
室町や江戸の後宮の人や皇女たちについてはあんまり言わないよね。
史料が残ってないのかなあ

306 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 19:03:19
正式に入内した妃嬪でなく、家柄が低い女官にお手が付いて国母・女院になった女性なら、
まあ標準よりは美人だった可能性が高い。
平安時代の美女条件は、現代に通じる普遍的なものではないし、
幕末まで皇妃や女官は、べったり白塗りの厚化粧だったらしいが。

307 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 21:54:37
>>305
史料の残存率は時代が下れば下るほど、高くなるのが常でしょ。
貴方を含めて、そういうことに関心を持っている人が平安の宮廷ばっかりに目を
向けるから、他の時代には史料がないように見えたりするだけでは?

例えば幕末に皇女和宮が降嫁する際には、幕府側は予めかなり丹念に和宮の
養子について調べてるし。

308 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 21:55:20
× 養子
○ 容姿

309 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 21:55:40
江戸時代の朝廷に関する記録は内閣文庫や宮内庁書陵部にうなるほど所蔵されている。
分析して論文にする研究者が圧倒的に不足しているだけ。

310 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:16:40
史料が多すぎる時代は、それを網羅的に見ずに滅多なことをいうことは
できないから、ある程度史料の数が限定されてる時代のほうが研究者的には
やりやすいんだよ。
中世後半〜近世だと史料の数が膨大になるし、史料の数が増えれば増えるほど、
史料全体に占める活字化されていない史料の割合も高くなるし。

311 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:23:55
鳥羽天皇の皇子女は美男美女が多かったって聞くね。

312 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:25:45
>>303
「門院号」って「女院号」とイコールの意味?

313 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:39:40
「門院号」「女院号」ということば自体がそもそもない
女院が授与されるのは「院号」

314 :日本史@名無しさん:2006/01/29(日) 00:03:52
>>311
そりゃ鳥羽天皇の子供を産んだ后・待賢門院と美福門院は二人とも美女と名高いし。
それに、鳥羽天皇の母親も待賢門院・苡子の叔母だから、母親似なら当然美男だろうし。
待賢門院と苡子の生家・閑院流・藤原氏自体からして美男美女揃いだったから、
その血筋の鳥羽天皇の子供達が美男美女揃いなのはある意味当然かも。

315 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 02:39:46
美少女といえば、春華門院かな。『愚管抄』によると、物凄い美少女だったらしい。
早世したのが惜しまれる。

316 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 03:32:20
佐賀藩 小出 千之助の英学

317 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 03:39:42
>>316

小説:大隅 重信
山崎 光夫

【アペタイトの男】
知識欲

第6時話

英学へ@
幕末の
佐賀藩士 小出 千之助 の話しです。

新聞には本人の刀をさす古い写真付きで連載しています。

小説家:山崎 光夫 ネットなどで調べてね!

新聞の連載も面白いから読むべし!

318 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 01:23:54
>>313
でも、「女院号」って言葉は論文の中とかではテクニカル・タームとして
見かけることもあるけど、「門院号」って言葉はあんまり見ないね。

319 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 07:14:33
「門」院号ではない人もいるしね



320 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 09:52:59
>>318
小説家のなかには女房たちに、女院のことを
「門院さま」とよばせてるのが結構いる。

321 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 13:12:04
>>320
ごめん。論文は読むけど、小説は読まないんだ。

322 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 14:10:27
国母・准母・嫡母・養母・生母の違いを教えてください。

323 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 14:37:40
生母・・・産んだ母
嫡母・・・父の正室で自分の母になったひと 
     自分の母親が側室、家女房などだと嫡子や結婚する時等に決める
養母・・・養子に行った先の自分の母がわりになるひと
     もしくは実母は死去、離別したあと新しく父の妻になって自分の母代わりになる人
准母・・・宮家の王子が宮家を継いだりどこかの門跡になる際、そのときの天皇の猶子になるが
     その時に母代わりになるひと。その天皇の典侍、掌侍がなることが多い
国母・・・時の天皇の母 皇太后など  昭和時代には国民の母という意味で香淳皇后をさす

324 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 16:34:21
所生の皇子が即位すれば天皇の生母は自動的に国母になるのですか?

325 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 18:53:23
国母という地位があるわけではない。


というか「国母」なんて使う人いるのか?
あれは明治に入ってからの言葉じゃないの?

326 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 19:00:42
平安時代なんかは所生の皇子が天皇になれば生母はそれなりの待遇を
もらっただろうけど、戦国時代から江戸時代だと生母だからといって
祭り上げられるわけではないよ。

江戸時代には即位しても正式な母親は先代の皇后だから。皇后や女御は
皇太后になれるけど、生母は位をあげてもらうくらいでいつまでたっても女官は
女官だよ。

待遇がよくなるのは皇太后が薨去するか所生の天皇が崩御したときだけ。

327 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 21:31:04
>>325
平安時代の史料でも出てくる言葉だと思ったが、違うの?

328 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 00:37:53
何この駄スレW

329 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 00:42:20
>>297
文徳源氏とかは?

330 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 00:45:40
>>314
待賢門院の出家後の肖像画を角田文衛氏の本で見たが、えらい色っぽい尼さんだったな・・・

331 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 00:50:28
ほんとだよね。
国母なんて六国史にも見えるのに。

332 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 13:43:31
角田先生って健在なのでしょうか?

333 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 13:50:32
そういえば鎌倉時代の女院で百余歳まで生きた人がいるって聞いたけど本当?

334 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 18:01:48
>>332
大変みたいだよ
ttp://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006012000034&genre=M1&area=K10

335 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 18:08:15
>>333

女院ではなく准后ならばいる。
北山准后 四条貞子 西園寺実氏室 大宮院・東二条院母
建久七年生まれ 正安四年逝去 107歳

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu10-kitayamajugoto-omiyain.htm

336 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:53:07
>>320
史料中で女院のことを門院っていってる例はある?

337 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 15:01:55
八条院領のことを八条女院領っていうことあるよね。
そうすると、○○門院のことを○○門女院っていうこともあるの?

338 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 22:02:37
ありません。

339 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 23:56:13
なにゆゑ?

340 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:11:53
>>334
情報ありm(__)m

341 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 17:27:45
ttp://www.geocities.jp/operaseria_020318/aoitei/nihonshi.html
今日見つけたが史料としてはここも詳しいかも。
准后と准三宮って同義だっけ?

>315
郁芳門院も美女だったらしいね。

342 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:51:51
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1123501362/l50
女院の話題あり。

343 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 03:09:00
>>341
郁芳門院も早世してるね。美人薄命??
同母妹の令子内親王他は結構長命なのに。

344 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 18:29:36
賢子の子供のうち郁芳門院と堀河天皇の寿命は賢子に似て令子とヮq(末娘)の寿命は白河天皇に似たんだと思う

345 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 20:05:22
女陰って〜門と呼ぶのは住んでる地名でよぶの?

346 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:16:35
>>345

いくらなんでも、「陰」はないでしょ…
内裏の諸門か、もしくは平安京内の主要な通りから院号を
とっていたと思うけれど、実際住んでたかどうかはあまり考慮しないんじゃないか?

347 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:20:37
関係ない話だがジョインを変換すると女院は無くて女○は出る。

348 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 22:25:01
>>346
平安時代には考慮してたんだよ。
東三条院は摂関家の本邸東三条第にちなむ。上東門院は彰子の屋敷が上東門大路に面していたことにちなむ。
時代がくだると関係なくなるけど。

349 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 12:42:06
女院。にょいん。
女陰。じょいん。

350 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 16:47:54
>>341
>郁芳門院も美女だったらしいね。

その母親の賢子中宮は美女だったのかな?

351 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 17:15:35
たしか栄華物語かなんかに、郁芳門院は母似の美女だったとあったはず。
そのため賢子中宮亡き後白河院に鍾愛されたということなので、
賢子中宮も美女だろうね。

352 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 02:08:38
>>322-323
そういう「○母」って、読みは「〜ぼ」なの? それとも「〜も」なの?

353 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 03:11:24
平安美女って今の感覚だとブスで
平安時代のブスが今の美女でOK?

354 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 11:36:59
国母。こくも・こくぼ。
こくもの方が、より正しい気はする。

355 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 23:35:00
嫡母とかも「ちゃくも」?

356 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 23:36:52
生母「せいぼ」
嫡母「ちゃくぼ」
准母「じゅんぼ」
国母「こくぼ」

357 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 00:36:07
「せいぼ」は「しょうも」

358 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 18:58:59
「古事記」で神武天皇の皇后を、もう一人の后の息子が奪い自分の妻にしようとした
話が出てきた。
…いったい何歳だったのだろうか(汗)

359 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:25:13
神武天皇の皇后は即位後に迎えたらしいから、庶長子であるタギシミミが皇后と
大差ない年齢の可能性はありかもね。
少なくとも、カムヤヰミミやカムヌナカハミミ(綏靖)よりはかなり
年上でしょう。

360 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:35:51
>>358
夫の没後に妻が、夫と他の女性との間の男子と再婚する事は、上代は不倫ではなく正式の結婚であったようだ。
不倫や略奪ではない正しい結婚を表わす、「娶る」の文字が使われている。

史実ではない神話伝説の時代だが、>>358の言う神武天皇皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命と、
手研耳命(父母は神武天皇と妃吾平津媛)の結婚例の他、
孝元天皇妃の伊香色謎命と開化天皇(父母は孝元天皇と皇后欝色謎命)の結婚例がある。
伊香色謎命は開化天皇の皇后となっていて、孝元・開化それぞれとの間に子を設けている。

史実では、用明天皇皇后の穴穂部間人皇女(聖徳太子母)が、用明天皇崩御後に、
田目皇子(父母は用明天皇と嬪蘇我石寸名)との間に佐富女王を生んでいる。

361 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 13:17:13
北山院について語ろう

362 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 15:51:33
欝色謎命

ものすごくエロい名前だな



363 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 22:56:24
>>360
平安末期でも藤原多子という例があるよ。

364 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 22:57:15
>>363
二条天皇は近衛天皇の息子ではない

365 :日本@名無史さん:2006/02/11(土) 23:04:50
2代の天皇って点では似たようなものかと。

366 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 16:10:41
霊元院が五宮であるはずの東山院を皇嗣に決め、これを不服とした小倉実起らを配流させた経緯が聞きたい。
やはり敬法門院の陰謀であったか?


367 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 17:21:21
>>366論文読んでみたら?

368 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:21:28
故近衛天皇の皇后であった太皇太后藤原多子を、二条天皇が自分の後宮に入れさせたのは、
周囲の批判・反対を強引に押し切って行なった事。
上代と違ってこの時代では、例外であって本来許される事ではない。

多子が女院となっていれば、多分実現しなかったのではないだろうか。
女院は出家していなくても、出家に準じた存在とみなされていたと思うので。
モラルが低下した鎌倉時代には、女院宣下後に上皇の御所に入る例があるが。

369 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 00:54:02
>>361 何の話題でも言える事だが、自分好みの話題にしたいのなら、
言いっ放しの短いネタ振りだけでなく、先ず自分から、
それも長文でやや詳しく語り始めないとダメ。人任せにしない事。

370 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 16:46:40
>>368
>女院は出家していなくても、出家に準じた存在とみなされていたと思うので。
くわしく。

371 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 19:02:15
>女院は出家していなくても、出家に準じた存在とみなされていたと思うので。

それは、あなたの思い込みです。

372 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 19:05:02
(・@・)しらんがな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

373 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 19:20:15
>>モラルが低下した鎌倉時代には、女院宣下後に上皇の御所に入る例があるが

だれのこと?

374 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:25:08
>>371に同意。
男性の院に俗体の上皇と法体の法皇の両方があり得る以上、女院に関しても
「院号宣下=出家と同等」などとは見なされないと思う。

375 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:31:01
>>373
かなり前からこのスレには、摂関期との対比において、院政期→鎌倉期と時代を
下れば下るほど、朝廷が退廃的でモラルが崩壊した状態になるという思いこみの
激しい御仁が約1名おられるようですよ。

376 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:39:13
摂関期に天皇の后妃が少数なのは、単に摂関の権勢が他の貴族を圧していて摂関の娘しか入内できなかったからに過ぎない。
天皇も摂関に遠慮して摂関の娘以外は寵愛しない傾向にあったしね。
摂関の権勢が衰えると貴族たちは争って娘や養女を後宮に入れるようになる。
天皇の側も鷹揚にこれを受け入れることになる。モラルの問題と捉えるのはまちがい。

377 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:57:59
そしてそういう下級貴族出身の女性が平気で後宮に入ってくるようになった
結果として、むしろそういう皇后にも国母にもなれない、出身成分の低い女性の
処遇の方法の一つとして、女院の制度が活用されたって感じなのかな。

378 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:55:05
家柄の低い女性でも国母(天皇の母)になれば女院になれる。
逆に国母でなければ家柄の低い女性は女院にはなれない。
特に天皇の寵愛が深い場合は准三宮で待遇されるケースはあるけど。

379 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 01:35:51
帝に気に入られればこちらのもの。
けど日本ではポンパドゥル夫人のような話はあまり聞かない。
あえて言うなら二代后多子ぐらい

380 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 18:44:45
家柄が低いといっても中国みたいに踊り子やってました。とか父親の身分が?というひとは
ほとんどないでしょう。家格が低いといっても貴族階級だし

381 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 19:40:01
>>380
国母以外で女院になれるのは内親王か摂関の娘だけというのが原則


382 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 18:13:52
悦仁親王(生母新清和院)って5歳ぐらいまで生きていたんだね。
もし成人していたらどうなったのだろうか。

383 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 01:09:24
>>382
仁孝を実子にしてるから何ともいえないけど、宮家の当主くらいにはなってたんじゃない?
仁孝の次に即位した可能性も考えられるけど。早世したのが惜しまれる!

384 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 17:57:57
>>341

今日確認したら「ページが見つかりません」だってさ。
残念だな。

385 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 01:49:56
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう

386 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 12:17:28
三廃帝スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1028039120/l50

387 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:10:35
>>380
六条天皇の生母って何者?

388 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:14:55
>>387
下級の女官

389 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 14:08:05
松尾大社の社家の娘らしいよ

390 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 14:31:28
光格の生母は?

391 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 22:17:59
>384
あ、ほんとだ…と思って探したらあった。
どうでもいいけどジオって広告ウザいな。
ttp://www.geocities.jp/operaseria_020318/aoitei/index.htm

392 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 07:21:52
>>390

>>147-



393 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:14:27
そういえば、こないだの朝まで生テレビで歴代天皇の5割強は側室から生まれた
って言ってたけど、この場合、例えば南北朝期以降なんかに多い
正式に立后してはいないけど天皇の実質的な正妻で死後皇太后を追贈されている
后妃なんかはやっぱ側室扱いで数えているのかな?

394 :日本@名無史さん:2006/02/28(火) 02:13:18
宮廷の場合は側室って言葉がそぐわないよな、感じじゃない。

女御、更衣は王朝の昔
江戸期は典侍、内侍、〜〜局が多くなる。


395 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 02:29:16
>>394
江戸時代には天皇として在位中のお手付きは、皇后(中宮)・女御は別格として、
典侍・掌侍(内侍)・命婦に限られていて、
それ以外(それ以下)の女官にお手が付いた例はないのだろうか。
〜局などは、即位前か譲位後のお付き女房名(上臈・小上臈・中臈・下臈)だよね。

396 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 18:43:11
じゃ詮子は側室あつかい・・・?

397 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 20:13:26
>>393
>歴代天皇の5割強は側室から・・・

宣旨受けて立后してなきゃ側室(王朝にそぐわない言葉だze)かよ。
華々しく入内した藤家の女御でも、皇后・中宮にならなけりゃ側室なんだwww

歴史的な言葉の意味合いを全く理解してないもんな。
角田文衛があの世で嘆いてるかも。

こういう奴らと議論しなきゃならないわけだから、
まともな歴史学者が皇位継承問題に意見しないのも理解できるな。


398 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 21:35:53
大昔は本当に一夫多妻
時代が進むと一夫一妻多妾

399 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 22:19:23
大昔は多夫多妻なんじゃないの


400 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 22:27:42
>>角田文衛があの世で嘆いてるかも

ころすなよw

401 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 23:15:30
皇太子様、彼氏にしたいランキング現在10位!
投票しよう!

ttp://www.e777.co.jp/tel/i/cgi-bin/game/2004man/ivote.cgi


402 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 23:21:55
あげ

403 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 03:49:00
>>397
確かに女御を側室に分類するのはかなり違和感あるね。

404 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 10:23:15
平安時代なんかは皇后(中宮)と女御の父親の身分の差がほとんどなくて
大臣の娘、孫ってのがおおいからあまり「側室」という言葉が似合わないよね。
妻の中の一番トップとその他って感じ。
江戸時代の大名の奥みたいに完全な身分の差はないでしょう。

朝生をみていないからなんともいえないが、発言した人間はそのあたりをわかっていないんじゃないか?
言葉だけで「側室」ってとらえているね。あまり日本史に造詣が深い人間の発言ではないでしょう。

405 :日本@名無史さん:2006/03/13(月) 01:25:26
側室5割発言は所功だったと思う。

406 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 21:36:49
5割だろうが1割だろうが側室がいなかったら男系がとっくに絶えていたのは事実。

407 :日本@名無史さん:2006/03/17(金) 00:20:05
政略結婚による形だけの夫婦があり得なくなり、医療技術も発達した現在は
昔よりもずっと世継ぎの誕生確率は高くなったはず。

408 :日本@名無史さん:2006/03/20(月) 04:11:37
>>404
将軍家や大名家の習慣と混同してる人も多そう

409 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 14:40:34
てゆうか、ああいう番組で議論してる奴の99%はわかってないと思う。

410 :日本@名無史さん:2006/03/21(火) 22:58:15
そもそも皇位の男系継承は伝統でもなんでもないし。
側室を持つのをやめたらたちまち行き詰まるようなチンケな代物が伝統などであるものか。

411 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 01:40:47
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137942517/l50

412 :元寇:2006/03/22(水) 16:03:35
http://kaga226.hp.infoseek.co.jp/13/genkou.html
「元寇(げんこう)」
永井建子(ながゐけんし) 作詞・作曲

1、
四百餘洲(しひゃくよしう)を擧(こぞ)る 十萬餘騎(じふまんよき)の敵(てき)
國難(こくなん)ここに見(み)る 弘安四年(こうあんよねん)の夏(なつ)の頃(ころ)
なんぞ怖(おそ)れんわれに 鎌倉(かまくら)男子(だんじ)あり
正義(せいぎ)武斷(ぶだん)の名(な) 一喝(いつかつ)にして世(よ)に示(しめ)す

2、
多々良(たたら)濱邊(はまべ)の戎夷(えみし) そは何(なに)蒙古勢(もうこぜい)
傲慢無禮(がうまんぶれい)もの 倶(とも)に天(てん)を戴(いただ)かず
いでや進(すす)みて忠義(ちゅうぎ)に 鍛(きた)へし我(わ)がかひな
ここぞ國(くに)のため 日本刀(につぽんたう)を試(ため)し見(み)ん

3、
こころ筑紫(つくし)の海(うみ)に 浪(なみ)おし分(わ)けて往(ゆ)く
ますら猛夫(たけを)の身(み) 仇(あだ)を討(う)ち還(かへ)らずば
死(し)して護國(ごこく)の鬼(おに)と 誓(ちか)ひし箱崎(はこざき)の
神(かみ)ぞ知(し)ろし召(め)す 大和魂(やまとだま)いさぎよし

4、
天(てん)は怒(いか)りて海(うみ)は 逆卷(さかま)く大浪(おほなみ)に
國(くに)に仇(あだ)をなす 十餘萬(じふよまん)の蒙古勢(もうこぜい)は
底(そこ)の藻屑(もくづ)と消(き)えて 殘(のこ)るは唯(ただ)三人(みたり)
いつしか雲(くも)はれて 玄界灘(げんかいなだ)月(つき)清(きよ)し

413 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 01:49:51
昔の皇太后などは、御所・里第の主にどちらで過ごされたのでしょうかね?

414 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 12:28:13
>>413 大方里第です。

415 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:33:32
扨て話題は些か変わりますれど、
徳川家光の正室・鷹司孝子(「中の丸殿」)と日野権大納言資勝とが
親戚関係にあったという話を聞き及びました。
ために対馬の御家騒動「柳川一件」にて、
宗対馬守義成(その夫人が日野権大納言資勝の娘)は
「お咎め無し」と相成ったとか。
したが、日野家と鷹司家との親戚関係が、よく分かりません。
もしや中の丸殿の生母が日野家なりしや?
識者の方々の御教示を願い上げます。
何卒よしなに。


416 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:56:43
孝子の生母は佐々家の出身のはずだが?

417 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:33:28
>>415はマルチポストです。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1058634128/l50

418 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 08:44:35
家光公の息子で将軍になり損なった甲府宰相・綱重の正室「隆崇院」
二條関白光平の姫(九條兼晴の養女)の名前は何というのでしょうか?
また彼女の没後、二條光平の養女として綱重の継室「紅玉院」
となったのは、山科言行の女(実名不詳)が正しいのでしょうか?
或いは中納言綾小路俊景の女(実名不詳)が正しいのでしょうか?
兄の家綱、弟の綱吉ともに正室(御台所)の名前が判明して居るのに、
(伏見宮貞清親王の姫「顕子」とか、鷹司左大臣教平の姫「信子」と)
綱重の場合は正配の名前が二人とも知られて居ないのでしょうか?
たんに日本史門外漢の私が無知なだけやも知れません。
識者の御教示を願う次第で御座居ます。
何卒宜敷く。



419 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 13:08:19
>>418
マルチポスト+スレ違い

420 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 16:23:36
懲りないレスだよね。
よっぽど不満が溜まってるんだろう・・・

421 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 08:31:07
重ねて問いますれど、
家光公の息子で将軍になり損なった甲府宰相・綱重の正室「隆崇院」
二條関白光平の姫(九條兼晴の養女)の名前は何というのでしょうか?
また彼女の没後、二條光平の養女として綱重の継室「紅玉院」
となったのは、山科言行の女(実名不詳)が正しいのでしょうか?
或いは中納言綾小路俊景の女(実名不詳)が正しいのでしょうか?
兄の家綱、弟の綱吉ともに正室(御台所)の名前が判明して居るのに、
(伏見宮貞清親王の姫「顕子」とか、鷹司左大臣教平の姫「信子」と)
綱重の場合は正配の名前が二人とも知られて居ないのでしょうか?
たんに日本史門外漢の私が無知なだけやも知れません。
識者の御教示を願う次第で御座居ます。
スレ違いやも知れませぬが、何卒宜敷く。

同じ電脳を使った別人の書き込みと誤解しないで下さい。



422 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 14:46:34
鎌倉時代にあまり詳しくないので教えてください。(増鏡もないので)
後堀川天皇の各中宮(女院)3名のことです。
西園寺有子(安喜門院)は寵愛厚かったが、近衛長子の入内により退下
近衛長子(鷹司院)は入内(中宮冊立時)数えで9歳で寵愛は無く
九条よし子(藻壁門院)の入内により、長子は鷹司院として宮中から敬遠された
とありますが九条よし子は寵愛厚かったようですが、四条天皇のご出産の為
崩御された事は分かるのですが、その後の西園寺有子や近衛長子の事が
資料不足で分かりません。まぁあまり幸せではなかったと思われますが
ご存知の方レスお願いします。

423 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:42:01
>>422
つ ttp://homepage2.nifty.com/hpsuiren/koukyu/kamakura/gohorikawa.htm

424 :422:2006/04/02(日) 10:58:57
偽 西園寺有子(安喜門院)

正 三条有子(安喜門院)

「日本の後宮」の女院表は正しかったですが、本文には西園寺とありました。
角田先生、見つけちゃいました、

425 :422:2006/04/02(日) 11:13:07
四条天皇のご出産の為崩御

四条天皇の弟宮ごのご出産の為崩御


426 :422:2006/04/02(日) 12:24:55
>>423
ありがとうございました。


三条有子(安喜門院)はやっぱり寂しい余生を送られてたのでしょうか?
近衛長子(鷹司院)が宮中から敬遠された時に再び宮中に召され
なかったのでしょうか?やっぱり九条よし子(藻壁門院)に遠慮とか
あったのでしょうか?その後、九条よし子(藻壁門院)が崩御された時
天皇とっても6年の歳月はやはり長かったのでしょうか?

近衛長子(鷹司院)は三条有子(安喜門院)よりも多少はマシなのかな
と思う事も有りました。まず宣陽門院の猶子の上に九条よし子
(藻壁門院)の崩御後は再び宮中に召され四条天皇の准母に遇せられ
ました5年間だけだが。その後、養母宣陽門院崩御により上西門院領を
伝領(遺産が渡るので猶子で無く養女の可能性)
女院で、しかも先の天皇の准母で、養母より上西門院領を伝領と
経済的にはとても安定していますよね、入内から3年間の宮中に召され
その後、3年間宮中から敬遠され、また3年後に再び宮中に召され准母
ですもんね。三条有子(安喜門院)に比べれば家柄が違いますから
仕方の無い事なのかもしれないですが。。。


しかし、上西門院領が宣陽門院に相続されていたのは知らなかったので
新発見が出来ました。有名な長講堂領も、近衛長子(鷹司院)に
一時譲渡も考えていたみたいですが、許されず後深草天皇に譲られた
そうなんですね。
なんで後深草天皇なのかな?と思っていたもので。

427 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 16:39:41
昔、更衣から国母になった方はいました?

428 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 16:41:34
いるわけねえだろ

429 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 20:00:16
【衝撃】足利尊氏は朝鮮人だった!

http://english.chosun.com/w21data/html/news/200204/200204031021.html

the popular theory that Takauchi Ashikaga, an early
14th-century tribal lord of Japan, came from Korea,
the Ashikaga region is said to have been vaguely friendly
toward the Korean Peninsula.

430 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 20:56:08
みんな、このスレの時代範囲内で、子沢山な皇后・国母・女院をあげてみない?
私の場合子沢山といえば村上天皇中宮の安子を連想するけれど・・・ほら、皇子のうち即位できたのだけでも
二人もいるでしょ。

431 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 23:17:41
三条天皇皇后の 女成 子(?)も子沢山だったような。
ちょっとソース探してくる

432 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 02:35:03
   ____
     /三ミミ、y;)ヽ、
   /三 ミミ、ソノノ、ヾ、}
    ,':,' __  `´ __ `Y:}  ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    }::! { : :`、 ,´: : j !:! < ちょっと、アンタ〜人生終わってるわよ
    {:| -=・=i ! =・=-'|:}  | 
   「(    / しヘ、   )j  │
   g !  ` !-=‐!´ ,ノg  │ 
     \._ヽ _´_ノ ソ    \__________________
   __,/ ヽー ,/\___
  |.:::::.《  ヽー/  》.::.〈

433 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 02:40:19
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1132562211/l50
皇后・国母・女院は能力を数値化するとどうなりますか?

434 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 03:06:49
       、vベゞ:;ソ=レニヾ`:.`.:..、       |  われは国母なり。
      ゞシ=ン.:/ミミ、、ヾ::::.、::..:.: .\      |  愚民どもを呪い殺すわよ。
    /. :::/::::.ミ、ヾ::.ンへソ::::::::::.彡へ,  ∠、 
   /Ξニ(⌒ミミ三Ξ:::::::::::彡::::::.彡彡∧,    ` ───────── / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
  {{ . :::::::::::冫==-、:::::::彡ニ":::.彡ノノ彡ソ;          _, . ..-- ...、 .,  !  ママーーー
  ヾ . :::::::彡"    ``ヾ、.:::::::::::::::::::::.ツ彡,    ,.イ´'´. .:.. ... .  ..:.ヽ.\  
    〉 . ::::::i´         \.:::::::::::::::::::.彡ノ;,  /イ/.:..:..:..: :..:.:..:.:.:.:.:..: . \.` ─y──‐'
   \ . ::;'_,,,..,,、.   ,_,,,, ...、ヽ.:::::::::::::::::::.彡;'./ . :.::.:::.:::::::::::::::::::::::::::::::::..: . ゙、
     `‐-、_,.;‐; 、`.  冫;。-、_``‐、.:::::/`i:.// . :::.:::::i;.:::::::::::::::::::::::::::::::::::::..: . ヽ
       { `、,.フノ  く、 ̄>   ヾソ>リ!:.| i . ::::::::::{!、::::ト、::::::!、:::::::::::::::::::::..: . ',
      !    ,i  r 、`        j" '/:./ { . :::::::::::ド、ヾ、\ヾト、 :::::::::::::::::..: . i
      ',   /、_, - '\     l○:.j´ ヾ. :i+‐!ナゞミヾ_‐-ヾ、`、.::::::::::::::..: . i
         、 ├、=-─‐--i.    彡: ./    ヾ:!.ヘヽ  '´ゞ'` `` ゙、.:::::::::::::..: . |
       ヽ.  ヾ;┴'ニ´'´ヽ    =:::: .}     `|  ,.'  、      ! .:::::::::::..: . !
        冫、  ̄      / l!-‐'      !  ` t‐ '       リ!:::::::::.: . ,'
        / ヽ、__, -‐   /ヽ‐- 、 _  '、 ゞ→、     ノ{::::::::: . /
      , -‐'、    \::..:. .    \ l      ̄`\. `´   , ‐'´‐'´ ̄ヽソ
  ,. -‐'´   \    \_     . :::)}     ,、   >-‐' ´,. -‐'⌒``ママの顔が怖い

435 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 08:09:54
中和門院 近衛前子とか子沢山

436 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 15:13:34
近いところでいけば昭和天皇皇后良子女王とか、明治天皇典侍園祥子さんとか。

437 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 16:13:17
猫殿の画像
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=26125


438 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 17:38:21
その昔・更衣、典侍ではどちらが格上だったの?

439 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:33:59
用明・推古両天皇生母蘇我堅塩媛は十三人産んだ

440 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:39:14
織田    信長「おみゃぁら、人の言うこたぁええ加減に聞いとるでにゃぁよ、こんたぁーけが!」
豊臣    秀吉「まあまあ殿、そんなおそぎゃぁこた言わんでちょー。みんな反省しとるぎゃ」
徳川    家康「信長さんに秀吉さん、がんがんもだ事言っとらんと、ちゃっと京へ行こうまい」
今川    義元「また尾張と三河のバカガキらがあたけるづら。こりゃあまたこらしめなぁダメだ」
北條    氏康「っつうかさぁ、おめえら能力ねえくせにいばってんだろ。ほんっとバカじゃん!」
上杉    謙信「なあ東海の3兄弟、わしゃらの土地でちょしぼっこすんなや!ほんにおら迷惑だ」
武田    信玄「謙信、おまんどこ見てるだぁ!ええ加減ちょべっかしてると ぶっさらうぞ!」
伊達    政宗「信玄さん、そいなごどばりかだって!えらすぐねぇごど!おらぁほんにいずいっでば」
津軽    為信「おらたっつぁ、ぜっでぇに伊達の倅ぬぁ負げねえでよ、よう覚えとぐこっだべ」
荒木    村重「おう信長ども、ほんまええかげんせえよっ!しまいにいてまうど、こんダボが」
三好    長慶「まあまあ荒木はん、そんな慌てなさんと、まったり構えとったらどうでっしゃろ?」
尼子    恒久「ああみんなすぁん、わだすぁ、自分の好きじゃ思う方法で天下取ろうと思うとるけんね」
毛利    元就「三好さんや、わしゃ今でも体力あるけぇの、あがいなアホどもはちぃとわやしたる!」
長曾我部元親「なあみんなー、このあっしの存在を忘れてもろーたらしょうまっこと後悔するがでよ」
大友    宗麟「ちゃーま、四国んしがいちごーもねぇこつ言ぃちょる。けどしょわしくも聞こえる…」
島津    義弘「よお大友ドン、オハンなオイの土地をアッコなョ!オハンはよかニセじゃが人がのぉ…」
尚  真  王  「メンソーレ!ウンシラーシャルウチャウカギテーイビークトゥウワーガンソーチウタビンシェービリ!」

441 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 17:05:53
【芸能】深田恭子さんが妊娠3ヶ月できちゃった婚・・・3
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news7/1143822829/

442 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 12:40:56
>>438

更衣はほとんどが公卿の娘のキャリア組(の下っぱ)が多いけど
典侍は中流貴族の娘や奈良時代には地方豪族の娘などのノンキャリもいるから
更衣の方が格上ではないかい?

443 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 18:06:45
>>438
・・・王朝時代の後宮について書いた本はわりとあるので、
そういった本を読めば、すぐにきちんとわかることかと思う。



444 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 20:14:24
>>438
尚侍が更衣に準ずる、と聞いたことがある
ので、典侍よりは更衣の方が格上だと思う。
「禁秘抄」という文献から引用したある本で確認。

445 :日本史@名無しさん:2006/04/13(木) 21:42:32
尚侍と更衣だと、尚侍が下。
それなら、女御→天皇退位→尚侍、で正四位下より従三位に昇叙の場合は?
女御と更衣なら当然女御が上。
つまりは格下げ? でも官位は上がっているし……

446 :438:2006/04/13(木) 23:41:27
携帯から失礼。
442〜445の方々ありがとうございます。
やはり更衣の方が格上ではあるのですね。更衣→妃、典侍→女官という違いも関係してるのかな。

447 :日本@名無史さん:2006/04/15(土) 19:54:46
>>女御→天皇退位→尚侍

具体的にだれのこと?

448 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 04:08:33
更衣って平安後期には居なくなってしまったから、例も少ないよね。

449 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 19:47:00
すいません質問です。
NHKのチャングムの誓いを見てると、朝鮮王の妻が「皇后」と呼ばれています。
朝鮮王は普通に「王様」と呼ばれてるのに妻が「皇后」なのは不思議なのですがこれはNHKが訳し間違えてるのでしょうか?
確か「皇」の字はやたらに使えないはず…。
何か例外があるとかご存知の方がいたら教えてください。

450 ::2006/04/16(日) 20:44:41
単にまんどくさいor日本人に馴染みがない呼称だから。以上。

451 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 22:44:56
>>449
次のイギリス『王』のチャールズも、日本の報道では『皇太子』だからね。
間口を広くしたかったんじゃないのかな>皇后

452 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 23:08:32
時代的には王妃さま、だろうね。
あの時代に皇后なんて使ったら中国に敵対することになる。

453 :日本史@名無史さん:2006/04/17(月) 00:10:07
>>447
藤原師輔の娘で冷泉天皇の女御(付+心)子。
968年に女御に宣下されて、
天皇譲位後の982年に尚侍に任じられて、正四位下から従三位に昇叙している。

454 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 20:02:02
>>451
正確には王太子というべきだね。

>>452
もしくは王后かな。

455 :449:2006/04/17(月) 23:14:07
いろいろレスありがとうございます。
>452
そうなんですよね。朝鮮は朝貢してましたから。
NHKはあんまり時代的な背景を気にしないのかな。
>454
確かに王后が一番正確ですね。w


456 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 23:59:41
李氏朝鮮王朝は、たしか「王妃」と表記するのじゃなかったっけ。

457 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 00:11:43
チャングムはファンタジーとして見るのが定義なのだが・・・

458 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 12:51:05
滋賀県にはJR線の駅が58駅もありますが、そのうちの39の駅が名古屋駅より
大阪駅に近く、大阪駅より名古屋駅に近い19の駅(東海道線:河瀬〜柏原間
7駅、北陸線:坂田〜近江塩津間9駅、草津線:寺庄〜油日間3駅)のうち実に
16駅が名古屋に行くよりも大阪に行くほうが便利なんです。

つまり、滋賀県で名古屋に行くほうが便利な駅は柏原・近江長岡・醒ヶ井の
3駅のみということになりますが、その3駅周辺の住民ですら、名古屋志向と
いうより京都・大阪志向で、電車で名古屋へ出かけることはあまりなく、米
原駅や彦根駅の駐車場に車を置いて、京都・大阪へ出かけることが多いみた
いですね。

「何で名古屋のほうが近いのに何で?」と思う方は一度、醒ヶ井駅・近江長
岡駅・柏原駅の駅舎や駅前を見学に行ってみてください。そこはあなた方の
想像を超えた神秘の世界です。

459 :日本@名無史さん:2006/04/19(水) 15:00:28
王后
王妃
身分は同じだよね?

460 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:20:36
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1028039120/l50
高倉、仲恭、後堀河、桃園が若くして死んだ理由は?

461 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:22:17
皇后
皇妃
身分は同じだよね?

462 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 12:22:12
皇后=皇后、中宮
皇妃=皇后、中宮以下、女御、更衣などすべての正妃
ではないの?

ところで、二代后多子は皇子女を生まなかったの?

463 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 15:10:06
>>462
生まなかった。
1150近衛天皇に入内皇后宮
1155近衛天皇没
1160二条天皇に太皇太后として入内
1165二条天皇没
  多子出家
近衛天皇には中宮藤原呈子(九条院)がいたし
二条天皇に思ったほど寵愛は厚くはなかった様。

464 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 15:31:37
>>462
>皇后=皇后、中宮
>皇妃=皇后、中宮以下、女御、更衣などすべての正妃
                       ↑
正妃って入内した人の事でしょう?后妃ではあると思うけど
お手つき女官は正妃じゃないのでは?

465 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 15:34:23
>>463みたいに大昔の天皇の婚姻関係とか詳しいヤツってキモイんだけど・・・
そんなの覚えてどうすんの?

466 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:09:23
お前は歴史板住人を馬鹿にした

467 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:12:51
465こそ
そんなこと気にしてキモい件について

468 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:31:14
>>465
そうなんだよね、実生活や職場でなーんの役にも立たないのに
一生懸命本読んでしまうんだな・・・・
もっと違うことに力を注げば、違う人生があったかもしれないと良く思うよ。

469 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 07:09:04
>>465
歴史好きの人間は、自分の興味ある分野を憶える事が単に楽しいだけ。
役に立つとかどうこうする為とかではなくて、それがその人にとっていわば趣味・娯楽。
興味ある事は人それぞれなんだから、それでいいと思う。

470 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 13:26:20

http://ranobe.sakuratan.com/up/src/up101675.jpg
http://ranobe.sakuratan.com/up/src/up101675.jpg
http://ranobe.sakuratan.com/up/src/up101675.jpg
http://ranobe.sakuratan.com/up/src/up101675.jpg
http://ranobe.sakuratan.com/up/src/up101675.jpg

471 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 00:36:53
>>469
現在も生存している旧宮家・旧華族の人たちの家系や婚姻関係に執着して詳しく調べたがる香具師はキモイけどな。


472 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:28:32
皇后・中宮・女御・更衣以外のお手付きは、
尚侍・典侍等の女官(天皇在位時)、上臈・中臈等の女房(皇太子・上皇時)を、
ひっくるめて後宮という言い方をするな。

473 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:45:16
>>471
私の場合は江戸の後半以降は現代史に直結しちゃうから手を出さないことにしているよ☆

474 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 02:08:36
近世の皇室領・公家領・寺社領一覧
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/dhkjs_shoryou_index.html
天保期の地下官人一覧
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/jige18430201_index.html
天保期の社家坊官一覧
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/shakeboukan18440201frame.html

475 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 07:25:26
あてくし定子と彰子では
定子が好きですが

476 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 05:27:18
私も定子の方が好きですね。後宮の雰囲気とか。
ただ、賢母となると、上東門院でしょう。
生きた年齢が違うので、もし定子が長生きをしたら
また変わった評価になるでしょうけど。
けど、あんまり幸せではないよなぁ。。。

477 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 07:35:24
475は定子厨だからスルー

478 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 11:19:03
475ですが厨ではないんだが…
あの有名な人とはちがうよ。 一条帝もかなり寵愛されたようだし興味はあるだけだよ

479 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 12:25:44
>>478
じゃあちょうど過疎ってたことだし話題作りしてよ。ただ『好き』なんてだけじゃなく、
定子が皇后としてどんな位置づけでどんな存在だったか>>478の意見など聞きたい。
ただ「一条に愛された」ってだけだと話題としては古文・漢文板のほうがふさわしいと思うし。

一般的には繊細とか言われている定子だけれど、衝動的に髪を切ったその後も一条に
召されて後宮入りした点をみると、案外と図太い性格だったんじゃないかと思う。
ひたすら一条の愛情を頼りにしていた、というよりも、一条の子供をもっと生んでやろう、
兄弟の流刑を撤回させようとかさ。

でもその意気込みのわりには、実力が足りなくて、状況も道長に有利に運びすぎてたって
ところか。一条も馬鹿じゃないから、定子の願いを丸々聞き入れることはしなかったんだろう。

480 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 23:32:26
定子って結局国母でも女院でもないからなぁ

481 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 01:53:52
血も残せてないしね。
皇后宮と中宮を無理に分けてもらって后になれたものの、
それが結果として、二后併立時のみじめさを
余計に際立たせてしまったような部分もある。

482 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 07:10:27
定子の血は意外としぶとく
歴史の表舞台に絡んでこないだけで。
げん(女原)子女王の所生の皇女の
祐子内親王等まで続くよ。


定子皇后が有名なのは枕草子の影響だからだよね。

皇后宮と中宮を無理に分けたのだって詮子を差し置いて
立后した藤原遵子を貶めたい気持ちもあったんじゃないのかな


483 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 12:30:23
おまんこついてればなんでもいいヨ(^-^)v

484 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 14:35:52
>>482
>皇后宮と中宮を無理に分けたのだって詮子を差し置いて
>立后した藤原遵子を貶めたい気持ちもあったんじゃないのかな

そういう心情もあったのかもね。
このときは、太皇太后=昌子内親王、皇太后=詮子、皇后=遵子
で埋まっていて、どれもまだ死にそうor出家しそうにないから、焦った
道隆が無理矢理に定子を立后させたと思ってたんだが。

しかしこの時点ではまだ兼家存命中なんだよな。兼家から太皇太后か
皇太后に、何か話はなかったのかね。それだと詮子がもっと速い時点で
女院になってたかもしれないのに。

485 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 21:01:52
祐子内親王って定子のひ孫だけどあんまりしぶとくないな
そういえば祐子の同母妹の示某子は精神異常で斎宮か斎院を辞めたって本当?

486 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 21:00:08
示某子内親王は斎院を退下した理由までは分からないけど
退下後は六条斎院として歌壇を形成し、よく歌合せをした
みたいだよ。

487 :みゆき:2006/06/05(月) 09:26:32
六条斎院が精神を病んだことは事実らしい。賀茂祭など神事への奉仕も疎かになったので、神罰を恐れた頼通が斎院から退下させた、と。
そういえば、頼通の六条斎院への後見について取り上げる資料は少ないね。姉の祐子内親王の方は鍾愛の孫娘だったけれど。

定子と彰子の対比論は、いつの時代でも色褪せぬ話題らしい。年齢の差、生まれと育ち、置かれた環境の違いを考えると、この二人を比較することが不自然とさえ思えるのに。
(一帝二后は未曾有だけど)一夫多妻があたりまえの時代だったし、まして定子と彰子が同時に妃であった時期はわずか一年ほど、一つ屋根の下に住んだことは一度もない。
定子が彰子(道長の娘という以外に)を恨み、彰子が定子を嫉妬がましく思った確証はないばかりか、定子の遺児と彰子・頼通姉弟の交流にてらせば二人は意外とお互いライバルの仲を意識していなかったかもしれない。
従姉妹の血のつながりの上にかけ離れた年も手助け、一条の後宮では彰子より元子の方が定子のライバルというのにふさわしいように思える。
定子も彰子も、きちんと「帝の正妻」という自分の公式の身分をわきまえて行動した人だ。後世による定位がどうであろうと、二人にとってそれは何にもならないはず。
一条が定子と彰子の両方を大事に扱ったことは史実といえる。定子が残した辞世によって、また一条が彰子に贈った歌によって、それははっきりと判る。
でも、「定子と彰子のどちらを最も愛したのか?」ということは、一条自身に聞かなければ判らぬことだし、その本人でさえ、十年のずれに二人を重ね合わせることは難しいだろう。それは、思春期の従姉と青年期の従妹への感情の本質上の違いにもなる。
歴史にifはないものだから、こう言ってもなんだけど、『寛弘御記』『一条院御集』など残っていたら、と切に思わせられる。

488 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 18:57:47
>>487
改行シル!


それは紫式部と清少納言を語るときに、主人であるこの二人も出てきてしまうからだろ。
簡単な解説だと、式部少納言があたかもリアルタイムで宮廷内で対立していたように
言われる場合もある。その流れから、詳しく知らない&特に知りたくないという人達にとって
は、定子VS彰子という図式も出来上がるというかんじでさ……。


489 :日本@名無史さん:2006/06/16(金) 10:59:50
    .┌━┐    ┌━┐
      ┃┌╋──╋┐┃
      └╋┘    └╋┘
        ┃ ・   ・  ┃        ┌━━┐
    ●━╋┐    ┌╂━━━━╂┐  ┃
    └━┷┴━━╂┘        └╋━┘
同じスレにはコピペ ┌╋┐        ┌╋┐
できるけど、違う  ┃└╋╋━━╋╋┘┃
スレにはコピペでき ┃  ┃┃    ┃┃  ┃
ない不思議コピペ ┃  ┃┃    ┃┃  ┃
           └━┘┘   └└━┘



490 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:00:50
雅子がいずれ国母になる

491 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 21:28:34
阿野廉子って女院とは云えないんですかねぇ?
南朝側の宣旨じゃ、無効なんでしょうか?
新待賢門院が2人居るのってそう云うことなんでしょうか。


492 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 22:34:52
江戸時代の朝廷は北朝で南朝方を認めていないので幕末に「新待賢門院」がいたけれども
今は南朝が正統としているから阿野廉子への宣旨は有効ってことではないのかな?

493 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:35:30
他には女院号の重複って例があるの?

494 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 09:43:02
礼成門院

後醍醐天皇の中宮の西園寺禧子
後醍醐天皇の隠岐配流後に院号を北朝方からもらったが、
天皇の帰京後に院号を停止されて皇太后になる。
その後逝去の日に改めて「後京極院」の院号宣下。

江戸時代後光明天皇の皇女孝子内親王
逝去の日に院号宣下



495 :日本史@名無史さん:2006/07/01(土) 12:35:37
礼成門院って言うと、26歳の後醍醐天皇に11歳で入内して、
13歳で内親王産んだ人だよね。
しかも、後醍醐天皇が無理矢理入内させたとか何とか……ロリコン?

496 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:00:31
礼成門院って失踪して発見されたときには既に妊娠していたらしい

497 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:05:12
>>496
それって、後醍醐が拉致したお姫様のこと?

498 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 14:50:14
>>495
昔は女性に初潮さえあれば、現代的観点でいかに幼くとも、
実質的結婚(というかつまりはお床入り)が充分可能だった。
たとえ初潮終了直後のお床入りでも、本人たちも周囲の人間も無体な事とは思わなかっただろう。

499 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 16:23:10
じゃあ礼成門院は早熟?(´Д`)ハァハァ

500 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 17:03:32
計算すると礼成門院の初潮は、小学校4〜6年の範囲の幅があるが、早熟?

501 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 20:29:24
>>礼成門院

単なる戸籍(?)の間違いだったりして

502 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 20:56:09
当時の寿命は今より短いから、人の肉体が成熟するのも今よりは
若干早かったんじゃないかと思うよ。ということは初潮年齢が10歳前半
でも不思議じゃないような。
ただあくまでも記録なので、本当の年齢かどうかは怪しいかも。数年の誤差
があったとしても、これも不思議じゃないし。

門院の父・実兼は後醍醐に娘を入れるつもりはさらさら無かったのを
後醍醐が無理矢理犯して妻にしたの?それが誘拐→見つかったときは妊娠
の真相?


503 :関東の国母:2006/07/05(水) 21:29:25
明治の天皇制国家の洗脳教育で、関東人はすっかり郷土に誇りを持てない自虐的な
人間に成り果ててしまったようだ。
俺の祖母は平気で北条政子の悪口を言っていたが、今から考えてみれば祖母は
天皇制による関東人敵視の洗脳教育を受けていたのだろう。
しかし、北条政子は「関東の国母」とでもいうべき人物なのである。
承久の乱の際の政子の演説が、多くの鎌倉武士の魂を奮い立たせ、関東側に大勝利を
もたらす原動力になったのだ。
そしてその結果、鎌倉幕府(関東国家)はその基盤を固めたのではなかったのか。
そんな北条政子のことを真の関東人ならば絶対に悪く言うべきではない。
今こそ我々関東人はアズマ思想を興隆し、郷土の誇りを取り戻さねばならないのだ。



504 :日本史@名無史さん:2006/07/05(水) 22:36:25
>>502
どうだろうね。
そもそも、後醍醐が禧子に手を着けたのも、
朝廷と幕府の取り次ぎ役である関東申次の西園寺家を取り込む為とも言われている。


禧子が失踪した当時、西園寺家は大騒ぎになって
後醍醐が攫ったとは誰も思わなかったらしい。
末っ子の禧子を可愛がっていた実兼は、
見つかった娘が妊娠五ヶ月となっていて激怒したらしい。
入内させるつもりはあったけど、こんなに早くとは考えてもいなかったらしいよ。

あと後醍醐は実兼の目を盗んでこっそりと禧子に通って、暫くして邸から連れ去った模様。
源氏物語を愛読していた後醍醐が「光源氏ごっこ」をやりたくてやった誘拐とも言われている。
禧子は十歳強と若紫とあまり変わらない年齢だしね。



505 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 11:08:00
>>373
超亀レスだし、もう見ていないかもしれないけれども、遊義門院の事だと思う。
後二条天皇の准母として皇后になり、後日女院となり、その3年ほど後に
後宇多天皇の後宮に入った方です。当時25歳。

「仙洞御所に入る」という記録があるために、「後宇多天皇の親父の後宮に
入ったのでは?」という説まである。
けれど、遊義門院が崩御した二日後に後宇多が出家したことから、後宇多の
妃の一人とされています。

506 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 15:09:48
>>505 >後宇多天皇の後宮
当時、後宇多は上皇。


507 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 16:30:56
あ、間違えた。スマン

508 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 17:52:03
平安あたりの藤原系の女院さまって長生きしてるのがやたら多いけど、あそこは女性は
長寿の家系なのだろうか?男も当時としては長生きという部類のが多い感じもする。今の
天皇家が長寿が多いのもその血が開花したのだろうか?

509 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:22:38
香淳皇后の母方の島津家は長生き
百歳近くまで生きた伯母やイトコもいる
皇后の弟の邦英王は現在九十六歳
柳原愛子も結構長生きのはず

510 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 08:09:57
>>508
藤原道長の妻・鷹司殿とその生母が長寿だったから、彼女達の子孫である
上東門院とその弟達、更に陽明門院へと受け継がれたのかもしれない。
もし彼らの遺伝子が、現在の天皇家の方々にまで強く影響を及ぼしている
のであれば、興味深く感じます。

511 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 11:03:55
>>510
でも院政時代にはいると短命な天皇、親王、内親王も多いし
今の天皇家で長寿の人が多い理由は医学の発達が主な理由なんじゃ無かろうか

512 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:29:08
摂関期でも後一条とかは短命だと思うが。

513 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 19:49:31
鳥羽天皇だったかな?
藤原氏の娘を皇后にした。
その皇后が後の崇徳天皇だったと思うが男子を産む。(後白河かもしれん)
ところがこの皇子どうも自分の子ではないようだ。
親父の白河法皇がやたらと怪しい、また皇后の寝所へ夜這いをかけた者は数多く
皇后も夜這いが来たからといちいち灯をともして相手を確認なんかしない。
声でなんとなしに相手を知るぐらい。皇后は声から皇子の父親は白河法皇だと思うと侍従にもらす。
それを伝え聞いた白河法王、息子の鳥羽を廃してその子を天皇にする。
鳥羽天皇が嘆いていると鳥羽天皇の母親が慰めに来た。
「あなたが天皇でなくなって良かった。あなたには王家の血はながれていないのだから。」
その後鳥羽天皇は息子の嫁には片っ端から手を出したそうだ。

514 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 20:28:08
むちゃくちゃやなwww

515 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 20:39:33
夜バイしたいんですが現代では犯罪ですね


516 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 22:43:40
>>513
野暮なつっこみだが

鳥羽天皇の父親は白河天皇ではなく堀河天皇。白河は堀河の父親だから鳥羽の祖父。

鳥羽の中宮は待賢門院。待賢門院は幼いころから白河の養い子になっていて
鳥羽に入内する前から関係はあったし、白河以外にも関係のあった男は何人もいた
といわれている。

待賢門院が白河と関係を持つ時は、白河の御所へいっているので夜這いをしたわけではない。

確かに白河は鳥羽に譲位を迫ったが、それによって不利益は被ったわけではないので
特に嘆く必要なし。

鳥羽天皇の母親は鳥羽を産んですぐなくなっている。

鳥羽天皇が息子の嫁に手を出したという史料はない。

517 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 16:18:23
万世一系という明治以降に創られた価値観を守るため日本史の真実を捻じ曲げ
皇国史観にまったく関係ない明治以前の人々までも無理やり皇国史観に従わせる
源氏物語のような性の世界では身分などなく自由に振舞っていたのでは天皇は誰の子かわからない
だからあの時代は女系で家系は成り立っていて婚姻があっても女性の家系に男性が通い子供は女性の家の一員となる
でも皇国史観にとってその事実は邪魔な真実
だから無理やり事実の捏造や改竄をする
特定の神道系大学の学者など何故か原本秘蔵の家伝書を依拠に説を述べるが
何故公開できないのだろうか
ニーズに合わせていくつもの歴史をつくりだすのもいいだろう
真実を追究する歴史以外に皇国史観の歴史、講談小説を基にした痛快娯楽歴史にはニーズがある
住み分けることによって皇国史観のためなどの理由で事実を潰す人がいなくなればいい

518 :日本@名無史さん:2006/07/30(日) 22:27:48
日本史板の住人ならわかると思うが

天下を治めた秀吉の寵愛を受けた淀
その淀が生んだ秀頼
秀頼が秀吉の跡を継いだとしても男系で繋がっているといえるのか?
遺伝子検査をしてみたらOH!NO!となるかもしれない
天下人秀吉が囲い込んだ淀と比べ天皇の后はよほど自由に性を謳歌したろうに


519 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 13:33:08
>>518
天皇の后(女御その他を含む)だからこそ、後宮に入った女達の
密通には、相応の処分が下される訳で。
・后や妃を廃された人(高子皇太后(没後、皇太后に復す)・高津内親王など)
・後宮に戻れず、実家などで蟄居した人達(藤原綏子など)
・猪熊事件(天皇から寵愛を受けつつも密通した女官は流罪)

他にも探せば出てくると思いますよ。

520 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 13:54:53
高津内親王の廃后理由は理由不明じゃなかったっけ?


521 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 17:17:04
原因不明だけど「密通ではないか?」という説はあります。
井上廃后のようなはっきりした理由がなく廃されたという意味では、
前代未聞の処分。

522 :日本@名無史さん:2006/07/31(月) 20:22:32
>>519
藤原高子って坊さんと密通して皇太后を廃されたんだったけ?


523 :日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:54:42
>522
そうらしいです。
高子が当時55歳である事を考えると、胡散臭さを感じるけれど、
「政治的に失脚させなければならないほどの権力を持っていたか?」と問われると
甚だ疑問です。

524 :日本@名無史さん:2006/08/03(木) 19:39:59
高子の皇太后を廃された件、宇多天皇の母の光孝天皇の(当時は皇太夫人)
班子女王を皇太后にしたかったとか?

確かに、>>523の様に高子には政治力は無かった訳だし。

525 :日本@名無史さん:2006/08/03(木) 20:39:04
昔はDNA検査なんてできなかった。だから母親の思惑で父親が決まった。
でも現代においても天皇家の新生児のDNA検査はやっていないじゃん。
天皇家は血筋が税金で養われる要件なんだから子供ができない連中が他人の子を自分の子と捏造して
税金を詐取する可能性が有る。
税金で養ってやってるんだからDNA検査は義務化する必要が有る。
いい年こいたバアサンが都合よく妊娠なんかするなんて検査してオーナーの国民に報告するのが被支配階級の義務だろう。

526 :日本@名無史さん:2006/08/03(木) 20:58:38
■歴代天皇【日本版ダヴィンチコード】■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1148778771/49-54

第11代の垂仁天皇の時代=178年頃に、天日矛が日本に来たらしい。
この時点では、まだシラキは倭人が支配していたようだ。
やがて、魏が建国されて、公孫氏の楽浪郡を攻撃した頃から、シラキの政治情勢は
不安定化し、北方のワイ人がシラキに流入し始めたようだ。
3世紀から4世紀初頭にかけて、シラキ領内のワイ人が急増し、
シラキは、ワイ人国家=新羅に変質してしまう。

どうやら、百済を建国したのは神功皇后のようだ・・・。
百済が最初に建国されたのは西暦314年。
神功皇后の時代と重なる。

 百済国=百姓国(はくせい国)
  百姓=多くの姓=百官(多くの官吏)


527 :日本@名無史さん:2006/08/10(木) 13:46:45
阿蘭陀で白馬に種付けされて
本当はマル外なのに父内国産馬として天皇賞をとる産駒が来シーズンあたりでるかも


528 :日本@名無史さん:2006/08/19(土) 00:16:41
>>523
高子から見ればしょせん宇多は息子の侍従
宇多にとって高子は永遠に目の上のたんこぶ

529 :日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:07:15
>>528
そういう発想もありだと思うけれど、宇田の善政を鑑みると「聖帝」で
あろうとする意識が強い天皇だったのでは?と思います。

ただ、即位してから十年近くが過ぎ、宇田が醍醐に譲位する前年に
高子が廃后になっていることと、廃后の年に醍醐の生母が逝去しているから、
当時3つしかない后の位を巡る帳じり合わせの犠牲になったかもしれない、と思いました。
明日少し調べてみます。

530 :日本@名無史さん:2006/08/19(土) 20:32:26
>>529
宇田じゃなくて宇多だよ。
それはともかく、宇多ってそれほどの人じゃないと思うよ。


531 :日本@名無史さん:2006/08/19(土) 23:12:43
>530
失礼しました。変換ミスです。
宇多天皇は、上皇として醍醐天皇の治世を支えた功績をある程度評価出来るのでは?と思います。
父子の対立もありましたけどね。

高子廃后の前後を整理してみました。
877年 高子が皇太夫人となる (当時、皇太后:藤原明子 太皇太后は空席)

882年 陽成天皇元服 明子が太皇太后に、高子は皇太后となる

884年 光孝天皇の即位直前に、生母である藤原沢子に皇太后を追贈

887年 班子女王が皇太夫人となる (この時点で三后に空席なし)

896年6月末 藤原胤子卒去
   9月  高子、皇太后を廃される

897年7月3日 宇多天皇譲位 同日敦仁親王が元服・践祚
   7月13日 敦仁親王即位(醍醐天皇)
   7月19日 胤子に皇太后を追贈
   8月26日 班子女王が皇太后に、藤原温子が皇太夫人へ

当時皇后(中宮)の代わりに皇太夫人の称号を活用していた事を考慮すると、
明子・高子・班子のうち誰かが后位を降りない限り、温子は女御の一人でしかない。
「高子廃后の黒幕は藤原温子の父・藤原基経ではないか?」
という説をかなり前に読んだ気がしますが、文献名を忘れてしまいました。

532 :日本@名無史さん:2006/08/19(土) 23:25:14
内訳
藤原明子(文徳女御・皇太夫人・清和生母)900年崩御
藤原高子(清和女御・皇太夫人・陽成生母)910年崩御・943年皇太后に復位される
藤原沢子(仁明女御・光孝生母)839年卒去
班子女王(光孝女御・皇太夫人・宇多生母)900年崩御
藤原胤子(宇多女御・醍醐生母)896年卒去
藤原温子(宇多女御・皇太夫人・醍醐養母)907年崩御

もし違っていましたら、訂正をお願いいたします。

533 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 00:20:00
>>531
基経は891年没なのにどうして黒幕なんだよ。ありえんだろ。
だいじょうぶ?

534 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 00:26:54
>>533
失礼しました。
基経の兄弟・・誰かは忘れましたが、そういう説を読んだ事がある
という記憶で書いています。

533さんの方がお詳しいと思うので、素人の私はこれにて失礼します。

535 :日本@名無史さん:2006/08/27(日) 18:49:59
∩゚∀゚∩age

536 :日本@名無史さん:2006/08/28(月) 12:58:00
上のやり取り見て思ったのだが、
「皇后陛下と『する』時にゃ 直立不動で・・・」
と爺さん連中がエロ歌を歌っていたのを思い出した。
まさか藤原高子がモデル?

537 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 11:29:49
日本の皇后(もしくはぞれに準じる)で男関係をうわさされているのって藤原高子くらいなもの?

538 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 20:32:30
桓武天皇の妃の酒人内親王は、噂と言うより説話として残ってる

539 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 11:00:17
酒人内親王に関してはこういう解釈もあるそうな
ネット上ではいい加減なソースしかないが、参考になるかな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%BA%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

説話で男性関係が言われているのは藤原明子かな
『今昔物語』でそれとなくにおわされている。

540 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 11:19:47
うわさだけなら光明皇后(仲麻呂)や藤原宮子(名前忘れたけど病をなおした坊主と)

541 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 01:42:19
111 :日本@名無史さん :2006/09/03(日) 14:29:49
上東門院  待賢門院  美福門院
権勢 93  権勢 65  権勢 84
美貌 76  美貌 87  美貌 91
知力 87  知力 55  知力 89
歌才 53  歌才 10  歌才 16
魅力 82  魅力 43  魅力 67


出典http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1132562211/

542 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 22:05:22
美福門院より待賢門院のほうが美人ってイメージがあるな
でもこの二人が美人だったっていう資料って残ってるんだっけ?


543 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:21:12
>>542
肖像画が残ってる。
待賢門院は角田文衛著"待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄"(尼姿)
美福門院は同著者"日本の後宮"(袿姿)に載ってます。
個人的には尼姿でも待賢門院のほうが美人だと思う。
美福門院は、ダメじゃんって感じ。

544 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:34:53
皇后の実態を間近で見ていた紫式部は源氏物語で夜這い文化を記し後世に残してしまったのがイタイ
通い婚で女系社会だったことや天皇は母親はわかっても父親は確かではないことも後世に知らしめた現代の天オタのカタキ

545 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 19:38:51
>>544
とはずがたりの方がイタくない?

天皇のみならず阿闍梨や女院や(元)斎宮のイメージまで崩しまくっているし。

546 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 22:49:12
亀山天皇なんか性欲の塊ですぞ。もともと女好きだったが、それでも寵愛No1の皇后存命中はまだましな方だったとか。
ところが彼女が亡くなってからはもうヤケクソになったかのように女を漁る日々。
あの男は京都の南禅寺の「黒歴史」と言うべきでしょうか?

547 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:41:53
>>544
王朝時代の男女関係を夜這いと表現するのも低俗だな
それに、源氏物語以外にも書いてあることじゃん。

>>545
その前に伊勢物語があるだろ。
それにイメージ崩すも何も、そういう慣習の時代だったわけだしな

548 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 14:38:14
>>546
黒歴史も何も、この人が南禅寺のスタートラインだしねぇw
はっ、近年の「南禅寺登録商標騒動」とか「何有荘騒動」とか、
全部この業の強い初代の祟りなのか・・・

そういえば後醍醐天皇の母も途中から乗り換えたんだったっけ。
もっとも大勢子供を産んだ割には後宇多の寵愛が薄かったので面当て
・・・という面もあったみたいだけど。


549 :日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:18:36
南北朝のころは北朝も南朝も後宮関係は乱れまくってる。
北朝にもたしか兄弟だったかおじ・おいだかで女官を共有していた天皇がいたし。



550 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 01:30:51
というか異母妹に子ども生ませてさらに女院にしている時点で基地外


551 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:04:28
まだ女院にしてある程度の待遇をしているからいいんじゃない?
後醍醐天皇は叔母の亀山天皇の皇女に子供を産ませてそのままだし。

552 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 01:18:09
王権の衰退に比して、宮廷内の男女関係も乱脈になっていくしな。

553 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 17:15:45
でも、戦国時代の宮廷は衰退していても乱脈ではないよね

554 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 17:27:14
>>553
戦国時代は、徳川史観から脱却できれば、かなり見方が変わるからなぁ。

555 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 01:53:58
>>553
食べていくことと、貴種として体面をたもつことに精一杯の毎日で
性欲まで手がまわらなかったんじゃないのかw

でも、事件が書き残されていないだけで内実は乱倫だったんじゃない?
貴族には淫蕩な血が流れているからね。

556 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:39:52
>>555
なるほど

557 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 18:29:34
公家の元気さは南北朝のほうが上だよ。
南北朝期の公家は、朝廷・国家を動かす為に大活躍しているけど、
戦国期の公家は、そんな大事はお構いなしで自らの利権保持のみに関心が向いてる。

558 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 03:19:52
>>549
花園と光厳だね。
共有していたのは萩原宮直仁親王(正平の一統の際に廃太子)の生母だね。

559 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 16:35:57
中宮定子が好き。天皇へ向けた三首の歌が泣ける。。。
国母だったら上東門院も大物政治家だと思う。彰子は一条の后というより、
政治家としての印象のほうが強い・・

560 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:22:59
>>558
違うだろ。もっと調べろや!

561 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 22:49:01
>>557
南北朝の公家だって北畠などの特殊な熱血漢を除いてはそんな大事はお構いなしで自らの利権保持のみに関心が向いてる。
むしろ、所領や家督を巡る対立が原因で南北に分裂した家が殆ど。

562 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 20:13:12
桜田門院伸子

563 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 02:03:41
>>561
例えば近衛経忠と近衛基嗣だね。

564 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 14:39:09
エイショウ皇太后

565 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:14:15
確か阿野家だけは南朝方だったのに合一後もそのまま家系を維持して再興して維新を迎えたはず。

566 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 21:47:38
私も定子皇后好き!!!

567 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 20:42:54
定子様と一条天皇の愛に感動した!

568 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:57:12
>>565
阿野家は廉子を出しているし、南朝方の中心だと思っていたけどよくつぶされなかったよね

569 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 15:02:16
上東門院彰子ってやはり大物政治家だと思う。
どうして中宮時代ばかり語られて、政治家としての彼女は
全然語られないんだろう・・・夫天皇死後の彼女のほうが
絶対魅力的だと思う。

570 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:11:57
定子様と一条天皇の愛はすごい。

571 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 02:04:37
>>568
阿野家は南北に分裂したんじゃなくてまるごと南朝に属したので、京都に帰ってきても居場所があったから存続できたわけ。
分裂した家、たとえば近衛とか洞院とか花山院とかは南朝側の家は悲惨だった。


572 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 04:32:05
すみません、准母ってのは
天皇家以外で准母になれる(家柄の)条件とか決まっているのでしょうか?
例えば、五摂家の女しかなれないないとか・・・?
そういえば足利義満の正室・日野康子がありましたね。

573 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:28:36
皇族以外の准母は日野康子だけでしょ

574 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 21:53:00
平清盛の娘・平盛子も高倉天皇准母だよ。
日野康子は、天皇の配偶者でも皇族でもなく准母となり女院となった女性であって、
非皇族の准母というだけなら平盛子が初。

575 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 10:28:04
定子皇后最高!

576 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 03:52:10
定子様長生きしてほしかった

577 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 14:33:48
定子様長生きしてたら こんな人気者になってなかったと思われ

578 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 21:37:33
定子は長生きしたとしても、彰子の風下にたたなくてはいけなかっただろうから、
愛されたまま短命でなくなったのは幸せだったんだよ

579 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 01:30:12
>>573
正確には日野康子は、天皇・皇族の配偶者でも内親王でもない身分で
准母や女院になった唯一の人物と言うべき。

580 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:11:50
不登極帝の配偶者で女院号を宣下されているのは、
持明院棟子(北白川院)、庭田幸子(敷政門院)、勧修寺晴子(新上東門院)の
3人だけ?

581 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:58:44
示某子内親王(崇明門院)も邦良親王の妃だからいれてもいいとおもうよ

582 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 16:37:11
>>577
枕草子があるから、長生きしてもそれなりに人気者だったと思う。
大体、皇后にされても(おそらくは夫の心情を思いやって)引きこ
もることすらしない可憐な性格をしているし★☆

>>578
そういえば、定子の第一皇女の脩子は彰子の風下に立ちたくなくて
父の死後内裏を退出したよね☆←何故か思い出した。。
脩子は何気に良い子だな♪

583 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 17:36:54
文章がキモイ>>582みたいなのに粘着された定子様はかわいそう

584 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 19:25:00
>>582 女一ノ宮はすぐ出家したんだよね。

585 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 09:36:14
天皇が亡くなって13年後の出家だから「すぐ」とはいわない
出家したのが治安4年(1024) 天皇崩御は寛弘8年(1011)

早くに母親がなくなっても、12歳で一品准三宮になったり
本封のほかに千戸加えられたりと待遇はかなり良かったと思いますよ

定子厨がどれだけ妄想しようと歴史的事実は変えられない

586 :日本@名無史さん:2007/01/29(月) 20:57:22
脩子内親王は藤原延子を養女にしてそれなりに幸せだったんじゃ
ないかな?延子は後朱雀天皇へ入内してしまい、茨の道を歩むけど
子供も出来たしまぁ、良かったんじゃないの?

脩子が出家したのは養生を貰った後だったみたいだけど。

587 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:40:12
ついでに若い頃はともかく
あとになると脩子と彰子は割と交遊があったみたいだし、
定子厨が言うほど仲は悪くないよ。

588 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:42:09
追記。
言うというよりも勝手に思い込んでいると言い直すわ。

ついでに枕草子はそもそも定子様マンセーエッセイじゃないか。
アレで人気者言われても・・・

589 :日本@名無史さん:2007/02/01(木) 20:15:28
たまきはるも建春門院マンセーエッセイだけど本当の所どうなんだろう?
以仁王の事もあるしなぁ。。。

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