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徳川将軍の贅沢について・・・

1 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:31:13
徳川歴代の将軍は、どんな贅沢をしていたんだ・・・

2 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:35:50


3 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:35:54
してねえよ。質素なもんだよ。

4 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:05:42
側室とでSEXし放題だったのですか?

5 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:31:19
祈り

6 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:32:09
>>4 自由にはできなかったらしいよ
「徳川四百年の内緒話」っていう田安徳川家第11代当主の宗英氏の本読むと
読んで、旗本とかの方が自由そうでいいと思った

7 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:52:08
日本の殿様は質素倹約が美徳だからな。帝も同じく。
子供のときから、スパルタで質素で質実剛健を叩き込まれるからな。

8 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 01:26:36
現在の天皇家も質素だよね。海外の王族にしたら考えられないだろうね。
皇室はヘタしたら一般の中流家庭よりずっと質素なんじゃないの?

そういえば、家康の時は側室に給金が無く、取次ぎ代とか貯めて老後に備えたとか話があったよ
秀忠も食事で白米食べなかったって聞いたし・・・家光辺りから食事は崩れたのかな?

9 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 02:13:41
家斉は贅沢してたんちゃう。
舅の島津重豪はもっと贅沢してたけど

10 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 06:13:22
>>9
吉宗も女に関しては贅沢だったらしい。

11 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 21:36:22
将軍になると食事も慣例にそって出されるし、なによりも
自由がなかった。
ある程度、贅沢ができて自由があって、側室も数人持つことが
できると言うことであれば、藩を持たなくて政務を見なくても良く
地位も高い、御三卿当主が一番良い。

12 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 21:52:37
家康公遺言碑

 わが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、
天下のこと心安し、されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、
艱難(かんなん)することあらんには、たれにても其の任に代らるべし、
天下は一人の天下に非(あら)ず天下は天下の天下なり、
たとへ他人天下の政務をとりたりとも四海安穏(しかいあんのん)にして万人
その仁恵を蒙らばもとより、家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし  

 元和2年(1616)

 (もはや自分《家康》の命が終わりに近づいたが、将軍《秀忠》が政治を
立派に行っているので、天下のことは心配ない。しかし、
将軍の政道が道をはずれ、多くの人々が苦しむことになれば、
誰でもその座にかわるがよい。
 天下というものは、一人のための天下ではない。
天下はすべての人のものであり、そのすべての人のために天から任されたものであった。
 たとえ、誰かが天下を治めようとも、四海安穏で平安に万人の幸せに通じるのなら、
これは家康の望むところである)

13 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 23:56:02
江戸時代の天皇には絶対なりたくないね。
天皇在位中は御所から原則的に出られないのは酷すぎる。

14 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 23:58:47
別に出してもらえなかったわけじゃない。
出る金がなかっただけだ。

15 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 00:38:06
紀州斉彊侯も相当な贅沢ぶり

16 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 00:39:03
>9
 家斉は、豪奢な生活で鳴らした人物だから。質素倹約とは程遠いだろうな。
 家斉時代は好色将軍としても有名で、50人以上の子供を作ったし。
 彦根藩からは近江牛の味噌漬けが献上されるし、贅沢品の白砂糖も使い放題。

17 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 00:41:24
まあ、男のロマンだな。

18 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 01:29:17
砂糖の消費量、発掘された家茂の歯は虫歯だらけであった。

19 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 01:55:01
>18
 家茂は大の甘党で、諸大名からの病気見舞いも、まんじゅう・かすてら
などお菓子ばかり。
 でも、それが原因で脚気になり、脚気衝心をおこして死亡。
>17
 でも、作りすぎて息子や娘の養子先や嫁ぎ先を探すのが大変だった
けどね。将軍の子だから小大名に出す訳にもいかないしね。かと言っ
江戸時代初期のように、分家をさせて領地を与える余裕もなかったし。


20 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 10:11:07
その割りに家達が家斉の血を引いていないのは変だな

21 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 12:55:26
家達は家斉の血を引いてるだろ

22 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 13:33:49
家達は家斉の弟の孫

23 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 20:54:10
昔の貴族とか王族は虫歯地獄が大問題だったわけで、
決して極楽などではなかったぞ。
歯医者もないのに虫歯になる苦しみを想像してみろそれは地獄。
しかも治療法は無理矢理、抑えつけてペンチで歯を抜くだけ。

24 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:23:10
料理を少しだけ食べて捨てたり、
毎日新品の足袋を履いたりしてたらしい

25 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:58:34
>>14
いや、幕府が出さなかったのだよ。
どの天皇か忘れたが上皇が病気になったので仙洞御所まで見舞いに
行きたいと京都所司代に申し出たが、所司代は江戸の許可が必要だと
言い張り、結局見舞いに行けなかった。

26 :日本@名無史さん:2005/10/23(日) 08:35:57
>>24
いや大奥辺りはそうだったかもしれないが将軍の食事はきわめて質素。
で、箸を滑らせて下に落とした米粒なんかも自らが拾って食べたらしい。

27 :日本@名無史さん:2005/10/23(日) 09:45:13
その将軍の平均身長、頭蓋骨は、農民や町民に比べて桁外れに
優れていた訳だが・・・身分制度が骨の育成まで支配していた
時代なんだよ。
将軍の質素と農民が三度の食事の代わりに水を飲んでいたのと
は、質が異なるよ。質が。

28 :日本@名無史さん:2005/10/23(日) 10:51:13
そんなもん当たり前だ。
身分制社会において身分が違うということは、生活の様式が全然違うってこと。
それらを比べて「こんなに贅沢してるじゃん」なんていったってあまり意味がない。
イギリスで王侯貴族の食事と中産階級の食事と労働者階級の食事が違うのと同じ。
インドだってヴァイシャの食事とクシャトリアやスードラの食事はまったく違う。

ここで話してるのは、徳川将軍家の食事は特権階級の食事としては質素だっていうだけの話。


29 :日本@名無史さん:2005/10/23(日) 11:09:57
>24
食事は初期(2代秀忠頃まで)は、戦国の遺風で質素倹約だっと思うが
、3代以降は贅沢になっていったと思われ。
 でも、日本に限ってことではないが、王侯貴族といえども、18世紀までは
冷蔵庫がない訳だから、生鮮食料品の保存は難しかった訳で、現代人の方が贅
沢になっているのでは?


30 :日本@名無史さん:2005/10/23(日) 15:31:59
一見、食材も豊富だし見た目には贅沢だよね。
でも冷蔵庫はともかく輸入大国だから農薬&毒菜ばっかだけどね・・・orz

いちいち信頼の置ける八百屋とか魚屋や商店で御用聞きしなくちゃいけない。
品質がいいものもってきてくれるのに安いとこもあるけど、地域によるしね。
国産と名乗っても無農薬と名乗っても偽装が多いしね。
日本人の心である米も、コンビニのオニギリなんて常温でも腐らないしな。

そろそろ業者と輸入商社を「打ち壊し」をすべきじゃないだろうか・・・。
そこで、みんな白装束に鉢巻して不法侵入して梱包してあるものブチまけるの。
でも窃盗はご法度で・・・しかも金持ちで、良家のニートイパーイいるだろ?なんてね・・・

31 :日本@名無史さん:2005/10/23(日) 22:53:09
>>28
イギリスの食い物は仏伊とは比較にならないほど不味いからなぁ
フィッシュアンドチップスくらいか、まともなの

32 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 23:52:49
大奥育ちの将軍と、そうじゃない将軍だと差がありそうだな。


33 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 06:11:51
>>32
女の趣味は確実に違いそう。

34 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 07:26:15
大奥では将軍の月命日にはSEXしない。
15代将軍の頃には、月の約半分はできないな!

35 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:12:56
>>34
慶喜は大奥に詰めていない(在京のまま将軍就任、そして大政奉還)。

36 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:23:19
昭和33年から昭和35年にかけて徳川将軍家の菩提寺である増上寺において、二代将軍秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の六将軍と綱重(三代家光の子)ら一族32人の改葬が行われた際、墓の構造、副葬品及び遺体の調査研究が行われた。

 それによれば将軍の平均身長は157.3pであり、当時の一般庶民とほぼ同じであったが六代家宣から明らかに一般庶民と異なった点が見受けられた。

@ 頭骨水平周が著しく大きい(頭でっかち)
A 顔型はかなりの過狭顔型(細面)
B 四肢骨が細い(華奢な体型)
C 鼻は高く筋が通っていた(家宣は例外)
D 眼は水平か多少下がり気味(推定)
E 歯は磨耗がほとんどなく、虫歯が非常に多かった
 ただし、二代秀忠の骨はたくましく発達しており、まだ、一般庶民とかけ離れたところは見受けられない。
 研究報告書では、遺伝と生活形態の変化が原因であるとしているが、やはり戦に明け暮れた戦国大名などと違い、将軍の存在が象徴的なものとなり次第に貴族化していったことは疑う余地はないだろう。

 なお、蛇足ながら将軍の正室・側室の体格は一般庶民女性と比較して、さほど差は見られなかったようである。(十四代家茂の正室和宮だけは貴族的体質であった。)
 ただ、頭蓋骨から推定すると正室・側室は例外なく絶世の美女ばかりであったという。


37 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:35:50
z

38 :骨は語れ:2005/10/26(水) 00:58:10
十五人の将軍の中でいちばん美男だったのは六代様ということでよろしかったでしょうか?

39 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 01:01:51
豪華な食事と言っても
同じ食器からは箸で三度までしか食べれなかった。

40 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 01:09:02
吉宗の倹約は鷹狩復活(数万人規模)という贅沢の誤魔化し。
この頃から改革には裏が有る。


41 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 01:26:12
家康は本物の倹約家・・・というか、マジでやらないと生き残れない戦国。


42 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 16:50:29
家康・秀忠はガチで質素。

43 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:28:47
   ∧ ∧
  ( ´・ω・`) oO( >>295
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

   
  <⌒/ヽ-、___ oO(下衆には、わかるまい)
/<_/____/



44 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:08:31
>>40
数万も動員する鷹狩りは実質、軍事訓練なわけだが。

45 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:31:05
快適な狩が出来るように非戦闘員が多く動員されたんだけど。
狩り場周辺では獲物が減るという理由で川魚漁禁止したり。

46 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:34:21
>>45
演習前に一般人立ち入り禁止にしたのでしょう。

47 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 19:11:39
しかも、狩場にあらかじめ獲物を放しておいた事もあったんでしょ?
それに不満の将軍様もいたようだが

48 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:49:24
人間って、脳以外は退化してないかい?



49 :日本@名無史さん:2005/10/29(土) 00:38:37
>>46
一般人て何。皆臣民。
故に狩り場周辺の民を大量動員。
さらに快適な猟場維持が課された。

50 :日本@名無史さん:2005/11/16(水) 23:45:56
毎日 旗本の末っ子の振りをしては
江戸の町を徘徊し

火消しの家に繁くでいりしては お茶を飲んでくだらない話しに
華を咲かせ、訳のわからない忍者を放って小役人の監視をしていたとか。

せこい役人を見つけては、立場も考えず、組織として処分するという方法も採らず
一人で突撃しては大量殺人をして解決。

将軍とは なんと気楽な 身分よ。
これぞ 真の贅沢ではなかろうか。

ただ 「女はいらんと」 硬派な人生を送ったらしいとのこと

51 :日本@名無史さん:2005/11/17(木) 10:01:54
>快適な狩が出来るように非戦闘員が多く動員されたんだけど

実際の戦争も戦闘員だけではできないよ

52 :日本@名無史さん:2005/11/17(木) 10:03:11
>しかも、狩場にあらかじめ獲物を放しておいた事もあったんでしょ?

軍事訓練では的を用意するだろ

53 :日本@名無史さん:2005/11/17(木) 10:04:55
>さらに快適な猟場維持が課された。

訓練施設の整備は基本

54 :日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:05:16
財政破綻して倹約、農村再編等してるのに鷹狩復活は完全なる無駄使い(北鮮並)
しかも、そこに快適さ求めるのは完全に贅沢。
鷹で戦しないし。

55 :日本@名無史さん:2005/11/28(月) 09:27:29
将軍大名だとかたっくるしいから
4000石ぐらいの領地もち大旗本あたりが
一番楽しく過ごしてそうだ>江戸時代
直参だからえばれるしね。
領地が豊かだったら懐具合もいい感じ
基本的に江戸住まいだから都会人。
そこそこ出世できるし。

ちなみに戦国時代だったら俺は武芸できんが
6万石ぐらいは徒手空拳から切り取る自信がある。
それ以上は無理。維持も無理。つぶされるだろうけど。

56 :日本@名無史さん:2005/11/28(月) 09:30:38
>>8
でもうちの大学の先公は
「皇族は贅沢ものだ。城などに住み一流の素材の飯を食う。
まことに『象徴』ならば一般家庭と同じように借家マンションなどに住み
食事の質も下げるべきだ。うちなど皇居の何分の一しかないのに
これで象徴とは聞いてあきれる」と口癖のようにいってましたぜ
殴り倒してやろうかと思ったのですが単位もらえなくなるからやめました。
俺はネット極右翼。

57 :日本@名無史さん:2005/12/16(金) 17:28:16
慶喜の娘の顔は四角い

58 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:27:10
>>56
どこの大学のなんて野郎だ?

59 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:36:21
>>55
一番、気楽に過ごせるのは御三卿。
大名ではないので藩政で頭を痛める必要はないし、衣食住も
困ることもない。
将軍家一家の扱いなので序列も高い。

60 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:42:11
気楽って言う意味では七百〜九百石くらいの小普請の旗本が一番楽らしい。
千石を越えるとかなり格式が面倒になるらしい。
それと3千石超えると家中の制度については大名とあまり変わらないらしい、
だからどうせなら九千石程度の方がいいかも。

61 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:57:07
天保の改革で初物禁止、将軍の唯一の楽しみのひねしょうがの初物も食べられなかった。
将軍の贅沢って聞くと直ぐその話が脳裏に浮かんでしまう。
贅沢って言うか貧乏くさい話だけど。

62 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 22:08:30
将軍の贅沢とは食事ではさほどと言う感じでしょう。
贅沢なのは、風呂上りに水分をとるのに庶民のように手ぬぐいで
体を拭くのではなく、水分がなくなるまで何枚も真新しい木綿の
羽織りを使うことや、寝所で用足し起き上げるごとに枕を
取り替えるとかでしょ。

63 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 22:45:03
age

64 :世界@名無史さん:2005/12/21(水) 23:00:34
綱吉の時代には越後の縮緬問屋の隠居を名乗る白いヒゲの老人一行が
世直しの旅をしていたらしい

65 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:06:27
>64
それは ほんまのことらしい

66 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:16:42
歴代将軍の命日が忌日になるので
幕末になると月の半分近くが精進日で
将軍も美味いものが食えなかったみたいだ

67 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 05:06:50
>>59
逆にすること無くて人生つまらないんじゃないかなぁ
子供作る以外何のイベントも無いわけだし

そういや大名って参勤交代で江戸に登城して書く詰め間に
詰めてる間はなにやってるの?
ぼけーと数時間江戸城にいてかえるだけ?
「今年は冷えますねぇ」とか同じぐらいの石高の連中と世間話したり・・・
暇そう。暇すぎるってのも人間よくないって事が最近わかってきた。


68 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 05:44:15
>>27
>農民が三度の食事の代わりに水を飲んでいたのと

いつの時代のどこの農民の話してんだ?

江戸時代なら遅くても中期以降は米あまりが普通だぞ。
米の値段が下がって下がって武士は苦労したんじゃねえか。

おまけに年貢の実質は下がり続け。あまった米どうすんだ?
食うしかねえじゃねえか。

普通の江戸期の農民は普通に米食ってたんだよ。但し飢饉に
なると藩ごとに行政がばらばらであったことが裏目に出て
米調達の上手い藩と下手な藩とで極端に差が出て酷い藩だと
餓死者続出になったが。

69 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 08:34:20
なにか江戸後期になると年貢算定上の収穫高が現実の三分の一くらいになっていて、
三公七民でも実質税率1割とか読んだことがある。

70 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 10:01:13
>>69
そうですね。

日本の農民は江戸時代は当時の世界で最も豊かな部類に属すると
思いますよ。

日本の農民が苦労するのは、維新後地租改正で物納から金納に
変わってからですね。これで基本自作農の形態から小作が増え、
農民の生活が一気に苦しくなった。日本の左翼学者はそうした
苦しい明治後の農民を前提に江戸期の農民を想像していたようだね。

71 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 21:48:18
農民以外の連中には税金ないんだよなぁ
みんなワンルームみたいなもんだけど。
中規模の豪商とかいいかも

72 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 21:50:54
>>58
K士舘の憲法教えてる人

73 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:37:47
>>60
700石〜900石くらいだと出世したいときは同僚との付き合いや
上司へのワイロに使う金がなくてかなり苦労するらしい。

小普請だと、あまり付き合いがないから楽かもしれない。
借金さえなければだが。



74 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:13:26
綱吉の時代に
世直しのために 諸国を回った 白ひげの
老人の 話をもっとしてほしい

75 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:14:40
女はいらんと 硬派な人生を送った
火消しの家に出入りする
米将軍の 話しももっと聞かせてたもれ

76 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:25:28
>>74
世直し老人なあ。

結構な巨体で、ドラマのような好々爺では全然ない。

ちなみに自分を裏切った側近の家老を呼び出して、
手ずから刺し殺している恐ろしい男でつよw

77 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 02:48:37
家康の女道楽と言うと
家来の後家とか百姓女とか
年増&下女好みとずいぶん地味だそうな

秀吉は逆に
ロリ&上流女性が好みだ

78 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 03:45:25
太閤秀吉にも男色相手が居たぞ。
女色にしか関心が無かったというのは、
彼の素性の賤しさを誹謗する為の文書でしか無い。



79 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 04:55:36
将軍家以外で大奥みたいなシステム作った藩って在るのかな?

80 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 19:34:38
>>68
でも時代が下がるにつれて、一揆や村方騒動が増えていないか?

81 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 19:42:35
>>45
遅レスだが庶民が入れないために、御狩場では鶴や白鳥などが生息できた
らしいよ。
明治になると庶民に乱獲されてあっというまにいなくなったがな。


82 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 20:15:34
>>78
秀吉の男色相手は誰?あまり聞いたことない。
家康にはいたようだが。

83 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 21:54:07
>>79
各藩にも大奥にあたる「奥」があるよ。
「大奥」と言う名称は徳川将軍家だけが使用でき、大名は「奥」と
使っていた。本来の目的は大奥も奥も同じ。

84 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:02:30
age

85 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 19:07:53
なんか五代将軍綱吉には抱いて気に入った女がいたらしい。
で「お前の家族を大々名に取り立てよう」
なんてそいつに閨で囁いたのが公になり問題化したとか。
それ以来の大奥では女官が将軍の寝床の傍につき
どんな会話をしたかチェックされるようになった。
つまり将軍は監視さられながらのセックスしか許されなくなった。

86 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:33:48
人に見られて興奮する達の変態将軍以外はかなりストレスが
たまる状況だな。家斉は偉大なり!

87 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:34:06
ロト6大当たりー
http://shamech.kir.jp/ch/shame/img/1070924938093.jpg
きたきたきたー
とりあえずメルセデス買います


88 :日本@名無史さん:2006/01/13(金) 23:47:34
徳川将軍は 日本歴史上最高の 面積の私有地を所有した
人物であろう

この点では贅沢だ

89 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 01:07:13
>>88 徳川時代の領地は単に行政権の及ぶ地域でしかないからね。私有地と呼ぶのが相応しいか疑問だな。土地の所有権なら農民や町民がもってるしな。

90 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 02:06:27
>89
でも 天領である限り 将軍が自分の趣味で
「あそこの 場所に こんなものを作れ」
と一度 強権に命令したら、そこにすむ農民がいくら

「わしらの土地ですだ〜」

と主張してもまさか通らんでしょ。

意のままに扱える土地
これは まさに将軍の私有地でしょうな


91 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 06:47:11
>>90 ま、その辺は現代とはやはり違いますなw ただ、そういう場合普通に替え地を提供してたようですな。

92 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 07:14:22
>>77
家康は子供をなす必要がある、と考えていた時期は
出産経験がある後家なんかを相手にしてたけど、
必要が無くなった晩年は14歳の少女とかと寝てた。

年増と寝てたのは必要からで、趣味的にはロリだったのかもと。

93 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 10:30:38
>>66
>歴代将軍の命日が忌日になるので
>幕末になると月の半分近くが精進日で
>将軍も美味いものが食えなかったみたいだ

SEXもな!

94 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 14:25:00
>>92
戦国大名はたくさん子を作るのも仕事だからな。
だいたい幼児死亡率が高いし、成人しても戦死
する確率もかなり高かったからね。

好みでもない年増と寝なくちゃならんとは御苦労なことだ。

95 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 20:25:35
>94
毛利元就なんかも3人の頼もしい息子に恵まれたが、
難点は3人の息子に子供が少なく(隆景なんか子無し!)
後継者不足に危機感抱いた元就が晩年になってから
「自分がガムばらなきゃならんのか」と
さらに6人の息子を儲けたりしてるよな。

96 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 00:29:59
>>95
で、結局、江戸時代の毛利家は、その元就が年老いてからもうけた
6人の子達の子孫が主流になって継いでいったから元就も頑張った
かいがあったね。面白いことに維新時の当主の元徳が数百年ぶりの
隆元、輝元の系統の殿さんなんだよね。

ちなみに徳川家も結局家康が頑張ってつくった御三家の系統が
主流になって継いでいるもんね。今現在の徳川家の当主達は水戸
の系統が主流だし。

97 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 01:12:47
築山と中悪かったのがトラウマになって
幼女や自分より身分の低い女しか愛せなくなったってきいた>家康

98 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 02:37:17
水戸のウンコ馬鹿カス殿様のお陰でどれだけ領民が苦しみ死んでいった事か…
子作りは結構だが不出来な子供は部屋住みにでもしやがれ

99 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 06:11:33
>>97
政治と家庭を分離させるのが目的かと

100 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 07:54:29
>96
毛利家当主の主流は四男元清系が主流となっていくな。
でも元就は中国地方全域を治めていくのには後継者不足と
考えてがんがったのだが、防長2国に宗家、3支藩、
1準支藩(岩国)、8家の万石級の一門家老は多すぎるような。

101 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 08:47:32
>100
中国地方全域を統治するには一門の人材難だったので
元就の男系の子孫だけでなく、外孫(元就の娘の子)も
毛利家一門として数を補ったのだが、そこに関ヶ原の敗戦で
領土激減、今さら一門削減のリストラも実施できず。

102 :日本@名無史さん:2006/01/19(木) 07:06:25
>>
娘の子>>>妾腹の息子(虫けらの子)の扱いだったはずが
乗っ取られたんだよな。吉川家と仲悪かったのが災いして

103 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 16:01:51
男子>女子、嫡出の子>庶出の子 というのはどこの武家でも共通してるけど
嫡出の女子>庶出の男子 か 庶出の男子>嫡出の女子 かはいろんなケースがあるな。

初期の毛利家はあきらかに 嫡出の女子>庶出の男子 で、
筆頭一門家老は元就の嫡出の娘の子孫の宍戸家とされ(吉川家は別格)、
「虫の子」の子孫より上位に置かれた。

子無しの小早川隆景が吉川家を無視して輝元の養子に穂井田元清(元就四男)の子の秀元を
あてたり、関ヶ原の際に吉川広家が宗家を無視して裏工作したりして
元就の嫡出子系グループがゴタゴタしてるあいだに、庶出子系グループが勢力を増強して
江戸時代の毛利家の中心勢力になっていく。しまいには隆元、輝元の子孫から
「虫の子」の子孫が宗家当主の地位を奪取してしまう。

104 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 22:40:22
>>103
まぁ、最後は輝元の子孫だし・・・徳山分家だったっけ、よく養子を押し付けられなかったよな。
あと、幕末に宍戸も養子?だけど彦島香港化計画を粉砕した国士を輩出したわけで

105 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 22:54:17
萩の毛利家って中期以後かなり微妙な継承の仕方してるんだな

初代季就(元就の孫輝元の子)
2代綱広(初代の子)
3代吉就(2代の子)
4代吉広(2代の子)
5代吉元(元就の曾孫長府3代綱元の子)
6代宗広(5代の子)
7代重就(綱元の孫長府6代匡広の子)
8代治親(7代の子)
9代斉房(8代の子)
10代斉煕(8代の子)
11代斉元(7代の子親著の子)
12代斉広(10代の子)
13代敬親(11代の子)
14代元徳(輝元の5代孫徳山8代広鎮の子)

106 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 07:39:05
>>105
初代から誤字かよ。

107 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 10:08:14
だんだんスレ違いになってきてるけど毛利家の系図を貼っときますね。↓
http://daimyokeizu.hp.infoseek.co.jp/mouri1.html

最後の宗家当主は隆元系が奪還したけど
引き換えに徳山藩主家を元清系に継がすことになったようだな。

108 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:03:42
将軍は三食昼寝付きで
好きなとき好きな女をすきなだけ抱き放題

一日のスケジュールも好き放題で
うるさく説教したり口答えする奴はその場で切り捨て御免

些細なことが気に障ると それだけで一存で諸大名を改易し
近づくものみな 指先ひとつでダウンしてたらしい

勉強も仕事もせず
かんに障れば周りを粛清し
性欲と食欲を満たしながら怠惰な生活をむさぼる
これが将軍の真の姿であった

紛れもない真実

109 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:13:27
おまえの願望を書いてるだけじゃないか。

110 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 15:01:55
>110
その通り

111 :世界@名無史さん:2006/02/07(火) 04:15:19
>>108
てなことをやってた108将軍は、まもなく老中たちに精神薄弱
と認定され、退位、座敷牢に入りまもなく餓死しましたとさ

めでたしめでたし

112 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 16:14:11
明治に入ってから、江戸時代に側衆を勤めた
竹本隼人正正明という人が、「小姓をしていた
とき、同僚と冗談で、「お前は何になりたい」
「公方様以外なら何でもいい」といった事がある」
と言っているぐらいだから、贅沢かどうかはともかく
傍目にうらやましく思うような生活はしていなかった
のは事実と思われ。

113 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 17:37:06
>108
私も 歴史上最大のニート は 将軍だと聞いております

114 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:27:41
藤原紀香や小池栄子とやり放題。

115 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 13:17:38
>>113
自ら生産したりしていた訳じゃないが、儀式、儀礼で結構忙しかったと思うぞ。

と、ニートの俺が言ってみる。



116 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 20:25:45
>783
ぶっちゃけ
A:卒業生の何%程度がプロ野球の1軍でスタメンをはるレベルになっているのか
B:卒業生の何%程度が時給800円で道路工事の警備員になっているのか

実態をご存知の方は教えてください

117 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 21:02:55
誤爆を挟んでレス

メクラ印とはいえ幕府の決定事項はほとんど将軍決済だから、
最も忙しいときには寝る閑もなかったらしい。

118 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 11:48:36
なんの実権もない、いまの天皇が書類決裁だけは山のようにあるのと同じだな。

119 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 12:56:26
>>118
実権のある将軍も結構おるけどな。

綱吉、家宣、吉宗、慶喜あたりは相当な独裁者だ。

家重、家治、家斉あたりはかなり独裁しうる立場
にはいたが自らしなかった感じかな。家治はどうも
わからん。田沼に丸投げなのか、綿密に打ち合わせ
たうえで任せていたのかが。ま、彼が病で人事不省
になった途端に田沼が終了したのだけは事実だけど。

120 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 17:06:51

「徳川四百年の内緒話」によると、
家斉は松平定信にいろいろ苦言を呈されてて政治には結構詳しかったらしい。
ただの色ボケとは少し違っていたらしい。

121 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 19:51:42
>>119
慶喜って独裁だったか?

実権握るまで、家中(幕府)も外部(外様諸藩)、公家にも結構政敵多かったじゃん。
いろいろ根回ししてるし。

122 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:45:11
征夷大将軍だった慶応2年と3年にはかなりの独裁者だったと思うよ。
一存で大政奉還を決断したりしてるんだから。





対抗したいと思う奴がいなかっただけという話もあるが。


123 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 23:25:09
それでも慶喜は打つ手が薩摩に比べ後手後手に回った観は拭えない。
それでも当時の幕閣よりは適切な対応はしていたとは思うが。


124 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 23:45:50
あの当時のあの状況であそこまでできる人間は慶喜だけの気がする。

ただ、幕府には政治的力量ある人材が彼しかいなかったから
手練揃いの薩摩長州にやられたけどな。当時の幕府は技術者では
有能なのが揃ってた感じだけど、政治家隠謀家は慶喜だけだった
もんな。つうか薩長が揃いすぎかw

125 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 02:53:05
ここって、どんな贅沢したかのスレなんだろ?

箱根や熱海の湯を江戸に運ばせて入浴してたって、贅沢だよな。

126 :日本@名無史さん :2006/03/03(金) 21:39:31
徳川家斉の贅沢には勝るものはおらんだろう。

127 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 21:47:08
家斉は生姜が大好物で、板橋あたりに専用の畑があったらしいぞw

随分つつましい贅沢だよなあwww

128 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 13:54:47
権現様もお気に入りのスイカ畑を鬼作佐に馬のえさにされて・・・。

129 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 21:35:59


130 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 22:44:30
将軍がつつましい贅沢しかしなかったから、対外戦争もやらずに江戸幕府は260年
も続いた。江戸幕府の間に庶民は順調にレベルアップ、人材が蓄えられ明治頃に短
期間で近代化した。隣の李氏朝鮮は・・・

131 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 23:04:12
>>130
江戸時代初期は7公3民で庶民の懐にはほとんど残らなかった
らしいんだが、それも灌漑などのインフラを整え終えた後は
事実上どんどん減税され、新井白石の頃には3公7民と大逆転
してたらしいね。

以後江戸期を通じて基本的に増税がなかったから(増税すると
一揆頻発するw)日本の庶民は当時の世界では物凄く豊かだった
んだよね。その富の蓄積が後の近代化の基盤になったのは
間違いないね。

132 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 00:47:25
大奥みたいなもん抱えといて、よくそんな事言えるな

133 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 17:11:28
大奥みたいなもん抱えといて・・・中原の文化圏はどこもそう。

134 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 12:24:13
ふうん

135 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 14:07:16
江戸時代ユートピア説はどうかと思う

136 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 15:39:49
将軍の生活に関しても?

137 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:47:19
将軍は三食昼寝付きで
好きなとき好きな女をすきなだけ抱き放題

一日のスケジュールも好き放題で
うるさく説教したり口答えする奴はその場で切り捨て御免

些細なことが気に障ると それだけで一存で諸大名を改易し
近づくものみな 指先ひとつでダウンしてたらしい

勉強も仕事もせず
かんに障れば周りを粛清し
性欲と食欲を満たしながら怠惰な生活をむさぼる
これが将軍の真の姿であった

紛れもない真実

138 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 03:44:25
でも常に誰かに見られているのは嫌

139 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 04:54:36
ウンコまで調べられるからな。

140 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 06:24:56
>>137当時は2食が当たり前なんだが…
3食になったのは明治も後半。
そんなことも知らずに語ってるんだ。
へーーーーっ。

141 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 07:13:08
>137
指先ひとつでダウンで不覚にも笑った

142 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 18:56:33
将軍は三食

143 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 19:13:45
しかしなぁ。おちおち「不味い」て言えないし…

144 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 19:56:22
143
今日は食がすすまぬ、でちゃぶ台返し

145 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 20:13:59
ああああ〜。このシワ腹を割サバいてお詫びを〜

146 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:25:27
>142
将軍以外も中食(昼飯)の 習慣は元禄の頃から庶民まで広まったよな

147 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:48:26
当時の将軍のスケジュールはかなり大変だったみたいだ。

148 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:10:04
なあに、ブラブラしてたらしいよ

149 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:32:33
>>147
そんなことはない。
忙しかったのは諸大名の挨拶を受ける正月前後ぐらい。
朝5〜6時起床、朝食、大奥にある仏壇に礼拝、政務がほぼ
毎日のスケジュールでその政務も正午ぐらいで終了。
午後からはフリー時間。
後は夕飯、風呂、寝るだけ(20〜21時就寝)

150 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:45:51
普段の政務と言っても、評定所や老中があらかじめ政策決定した
事案に裁可を与えるぐらい。
将軍を囲んで老中達が政策決定していたのは家光時代までだろう。
例外に吉宗はいるが常時会議に出るのではなく、重要なことぐら
だけだったらしい。

151 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:20:58
やり放題

152 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 22:46:44
>>140
>当時は2食が当たり前なんだが…
これ見てどこぞの本に「だから朝食はとらなくても大丈夫」
などと書いてあったのを思い出した。
どんな論理飛躍だよと思ったな。


153 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:46:07
大奥に行くときはあらかじめ言っておかないとお錠口が閉まってて入れてもらえなかったけどな

154 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:52:55
>153
将軍は 大奥でなくても視界に入った女は
誰でもいつでもどこでも セックルしてよかった

白昼堂々と 廊下を通りかかった侍女
と立ちバックなんて当たり前の世界さ

155 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 01:21:43
>>153
別に言わなくても、大鈴を鳴らせば鍵を開けてくれたのでは?

156 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:09:30
江戸時代だったら、なんかさまざまな習慣や儀式でがんじがらめにされてた将軍家より、大きな商家の方がよっぽど贅沢できただろうに。

157 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 01:08:25
そうなの?

158 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 07:04:08
ひょっとしたら将軍になってたかもしれない松平定信は、女とセクースするのは
あくまでも子孫を残すためであって、ああっ感じるーとか気持ちいいとか
思ったことがないと言う意味のことを言ってますね。

スカしていると言うか、本当に面白みが無いというか・・・・・・・

159 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 21:42:54
おれも贅沢三昧というより不自由そうなイメージしかないが。生きることが仕事みたいなとこあるし

160 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 21:59:28
>155
無理。女の園の掟は将軍すら従わないと駄目だった
御台所付き上臈を側室にするのも許可いったし さすがに嫁に拒否られた話は聞かないが

161 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 14:13:39
誰の許可がいるの?

162 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 15:07:51
御台所に。
「おい嫁さん、そっちの上臈を愛人にしたいからこっちにくれ」

163 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 23:07:28
許可など 最後は関係ない

上様がご乱心で サバンナの動物のように
やりまくってしまっても 誰も お咎めすらできない。

それが将軍

164 :日本@名無史さん:2006/08/09(水) 23:12:36
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】


165 :日本@名無史さん:2006/08/10(木) 16:49:03
>163
少なくとも徳川将軍でそんな人間は、いないな


166 :日本@名無史さん:2006/08/10(木) 19:29:00
>>165
北の将軍様のことだろ

167 :日本@名無史さん:2006/08/11(金) 08:26:25
大奥=よろこび組み

と考えて問題はないでしょうか?

168 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 00:53:55
問題ないかも
おい北はまだ日本の藩幕レベルかよ 笑

169 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 01:58:48
邪魔する奴は 指先ひとつでダウンしてた
というのは本当ですか

170 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 00:02:16
>>169
口先一つで ダウンしたことはあるかも

171 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 01:05:29
>>168
マジレス。
幕藩体制の方が北朝鮮よりずっとマシだろ。何言ってるんだw

172 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 06:15:27
鎌倉や室町の将軍に比べたら、華やかなイメージはあるけどな

173 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 08:47:49
徳川慶朝氏の朝食などは?

174 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 09:47:21
>>137
そこまで自由にはできんよ。
大奥に行って寝泊りする日も決められていたらしいし、その場で切り捨て御免は
まずあり得ない。戦国時代じゃないわけだし文句言ってくる重臣も改易程度しか
できない。現に綱吉時代の綱吉擁立反対派の代表格だった下馬将軍酒井忠清や吉宗時代の
新井白石など皆改易お役御免という処分であり殺されは全くしていない。

175 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 19:33:10
>>174
どっちも改易されてないよ。
老中への処分で一番厳しい目を見たのは田沼意次じゃないかな?

176 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 19:39:48
>>174
しなかっただけで、しようと思えばできたのでは

177 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 10:17:21
徳川セックス禁止令

178 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 17:53:54
家重たそは政を興味を示さず酒や女色に溺れてたが。
自由奔放。


179 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 21:45:13
将軍

180 ::2006/11/04(土) 22:37:31

「豆を火鉢で焙って、家臣らに振舞う」

のが趣味の将軍様がいましてね・・・。
将軍が豆を焙り終わり、次の豆を焙りたいから、
お火箸を「(次ぎよこせ)んっ」と脇に差し出すのです。

その刹那、さっと将軍様のそばに近寄り、恐れ多くもそのお箸先に、
”次の豆を、焼き易いように、素早くちゃんと挟む”専門の係(大奥なので女官)
がいたそうで。
つまりそれ以外の仕事はない・・・。


贅沢といえば贅沢。

181 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 14:17:18
徳川埋蔵金ってどこにあるん?


182 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 15:07:54
あっちこっちにある。

183 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 21:11:30
>>182
日光東照宮に埋めてあるってインターネットに書いてあったんだけど本当?


184 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 22:12:58
カロリー数 と その食材・食品を運送するのに掛かったトン・キロ、を1食あたりに換算すると、
現代日本人のsh食卓が世界中の歴代のどの帝王、王侯、貴族、ブルジョアとは比較にならない
はるかに贅沢な暮らしをしているそうだ。

大分佐賀関の関サバとスペイン沖のマグロと中国産のニンニクと
豪州産ビーフ、石油をボンボン湯水のように使ってできた長野県の温室野菜、
そういった食材をたった1日で消費し、ときには残してしまうっていうのは、
ローマ皇帝でも徳川将軍でも絶対にできなかった。

アルプスの雪でできたシャーベットを食すローマ皇帝はしょっちゅう暗殺されたし
フォアグラに舌鼓をうつフランス貴族は国王以下ギロチンの露と消えた。
後期の徳川将軍になるとやわらかいものを食べなれた貴族顔に変わっていったらしい。
租借しないと食材自体の甘味や酸味、塩味といった食感が堪能できないから
体感的にはあまり楽しくはないのでは?

185 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:21:41
団塊のアホどもは、今まで
散々贅沢してきた我慢知ら
の連中だから、この国が今
こうなってしまった以上、
真っ先に処刑するべきだよ
こんな奴らが更に歳を取り
国の金を湯水のように使っ
てしまえば、若者の未来は
ありません。大体、奴らの
為に汗みず流し働く事程、
馬鹿馬鹿しい事無いよねw


186 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:09:17
家重てオカマかよ!

187 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:32:10
前もやってたけどとんでも説ばっか
さすがテレ東┐(´〜`)┌

188 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:45:08
あれはエンタメとわりきって見るべし

189 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 14:14:16
140年くらいになるのかな
幕府を復活させることはできないだろうか・・・



190 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 14:17:43
早く埋蔵金見つけろよ

191 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 14:34:54
>>189
その幕府は将軍も武士もサラリーマンみたいな髪型でスーツ着用なのか?

192 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:10:15
>>191
もちろん時代にあったものではないと


電話帳に載ってる「徳川」って苗字のひとは
将軍家の子孫だろうか・・・

193 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 03:15:26
そんなはずないっしょ。大体が明治維新で苗字が認められた時に新しく名乗りだした農民だ。

194 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 04:26:52
徳川は尾張、紀伊、水戸、田安、一橋、清水とあるからね
その子孫だとかなりな数になるんじゃないかな
もちろん明治新姓で勝手につけた家もあるけど

195 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 04:28:03
本家の将軍家忘れてたw
しかし松平入れると子孫は結構な数になるなあ

196 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:26:30
水戸徳川家最強

197 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:53:38
ドラマの中で ドンな将軍とされるのは 秀忠

家忠と 改名できてもしなかったあたりに人間性が偲べる

198 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 00:08:59
将軍は皆、感応寺の坊主の子孫だろ

199 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:38:07
テレビの美杉

200 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 11:26:52
蝦夷を討伐すべき 最後の将軍は 慶喜で間違いないですね

201 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:08:16
>>192-195明治新姓に『徳川』は居ない。徳川を名乗る家は、
@徳川家康の子孫
 ア・将軍家 イ・御三家 ウ・御三卿 エ・徳川慶喜家
A新田姓世良田氏徳川家(秋田藩佐竹家臣)
 一応ホンモノの新田庶流徳川家だから、江戸時代になっても苗字を変えなかった。公儀からの御咎めもなし。

202 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:47:47
どっかで明治新姓の徳川もいるって見たよ
徳川家とはまったく関係ない広島かどっかの農民だそうだ

203 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 22:28:10
坂崎家は秀忠に騙されて
取り潰されました

204 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 23:46:15
テレビの美杉

205 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 09:10:35
徳川慶喜って大政奉還の後は何を考えていたんだろ‥‥‥‥‥

贅沢出来ていたのかな

206 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 21:05:03
慶喜は、明治政府より隠居させられ静岡へ移り妾を4〜5人かこって遊興三昧だったそうだよ。
その後京に戻って余生を全うしたそうだ。

207 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 21:45:19
新門辰五郎の娘も妾だよな

208 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 21:53:44
贅沢はできたよ。
大御殿に暮らして美味しいものを食べて、写真自転車釣り油絵狩猟を毎日やっていた。
妾いっぱいいて子供も十人以上いた。
でも将軍のままだったら、もっと贅沢できただろうね。
こんな贅沢な暮らしも、孫の代でお屋敷も何もかも全部無くしてしまった。


209 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:02:05
>202
在日チョンだよ。

210 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 10:30:40
家斉だっけ?一番子供が数が多い将軍様は?いいーよなー。いいーよなー。いいーよなー。

211 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 11:25:32
家斉の子供はわかってるだけで55人だっけか。
オスとしての生殖本能を極限まで満たしたという点で、生物レベルで羨ましいなw
まあ成人した子供は殆どいなかったが。

しかし性的な面で言うと、印象として将軍や大名級のセックスって女が完全な受け身
だったように思われるから、フェラチオとかアナル舐めwとか、女側が攻めるプレイは
ほとんどなかったんでは。そう考えると現代のほうがいいかも。

212 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 11:34:39
>>208
それを聞いた元老中の板倉勝静は「たくさんの家臣が徳川家のために討ち死にしたのに何を考えているんだ」とマジギレした。

213 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 19:27:00
ヤンゴトナキ御身分の方々なんてそんなもんだよ
下々の者が死んだって虫が死んだくらいの感覚しかない

214 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 15:13:04
将軍は三食昼寝付きで
好きなとき好きな女をすきなだけ抱き放題

一日のスケジュールも好き放題で
うるさく説教したり口答えする奴はその場で切り捨て御免

些細なことが気に障ると それだけで一存で諸大名を改易し
近づくものみな 指先ひとつでダウンしてたらしい

勉強も仕事もせず
かんに障れば周りを粛清し
性欲と食欲を満たしながら怠惰な生活をむさぼる
これが将軍の真の姿であった

紛れもない真実

215 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 13:02:39
>>214
誰のこと?

216 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 11:58:10
>>213
徳川はやんごとなきどころか、非常に新しい家系だと思うのですが…

217 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:08:29
非常に新しいってこともないんじゃね


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