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ジャクソンポロックについて語りませんか?

1 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/02 04:37
ポロックの抽象表現についてどう思いますか?
勿論、アクションペインティング以外の彼の絵もOKですが。
最近映画になったので、そのことでも可。

2 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/02 05:05
ごめん。

3 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/02 06:34
え! ごめんって?

4 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/02 20:24
ポロックの手法ってドリッピングとか言うんだよね?
あれって誰にでも真似できるものなのかなぁ。
やっぱりポロックは絵の具を落とす技術力持ってたような気がするなぁ。


5 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/03 02:02
うん。やっぱり描く前にきちんとエスキースもしていたと思うし、
思った場所に落とす「技術」もあったと思う。
色の構成力もね。

6 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/03 03:11
すいません、エスキースてのは何ですかー?

7 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/03 03:57
下書きのことですね。
草案。練習。まぁ、そんなかんじです。

8 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/03 19:48
エスキースはしてないんじゃない?よく知らないけど。
彼は画面の構造や知覚的効果に関してある程度意識的だったと思うけど、
エスキースみたいなデザイン的な方法に頼ったとは思えないなあ。
ソースがあったら教えれ>>5

9 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/03 22:23
>>8
うむ。たしかにそれもそうですね。アクションペインティング以前の彼
と被ってました。デザイン的なこうかを狙っていないからこそ、あの手法
ですね。



10 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/04 19:14
マリファナやりまくってたってのは本当?

11 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/04 19:25
ザ・ストーン・ローゼズ。

12 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/04 20:15
マリファナやってたの?

13 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/04 20:43
ジャクソン ポックリ

14 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/05 04:43
彼の絵、この前見たけど、びびったね。
なんというか、本物は違うなぁ、って思った
迫力ありすぎ。

15 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/05 10:27
映画見たよ

16 :776:04/01/05 10:47
>>15
どうだった?感想キボン
>>11
ワ老田

17 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/06 15:27
評判は良いよね。<映画

18 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/06 18:24
日本でポロック展は開催可能か?

19 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/07 01:20
開催して見に来る人は少ないのかな?


20 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/07 01:59
ポロックの作品は、一点一点が非常に高額だから、
保険金だけでもすごい金額になる。
よほど強力なスポンサーがつかない限り、
いまの日本の美術館の企画展予算では
まず開催できんだろ。巡回展にしても厳しいな。

21 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/07 04:54
ふむ。 確かにこの間?も7億とかで取引されていたしね。
しかし、ポロックの絵がすらりと並ぶところを見てみたいものだ。

22 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/07 05:23
「ルシファー」と「スウィートラベンダー」が見たいんだけど
日本じゃ無理かな。

23 :22:04/01/07 05:26
間違えた「ラベンダー・ミスト」だっけ?

24 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/09 01:56
age

25 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/10 01:56
日本じゃ無理だと思われ・・・。
MoMaが来たときに見たけど、ポロックはすごい。

26 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/11 04:50
大分前に大原の収蔵品を観ました
予備知識が無いと、ポロックは理解出来ませんね
絶えず視線が定まらずに不確定なイメージが喚起されます

壁画級の大作を日本でも公開して欲しいです

27 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/11 16:57
予備知識が無いと理解が出来ないのは確かだと思いますが、
理解を超えた枠で心を打たれる。
それがポロックだと思う。

28 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/11 18:24
そうか?

29 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/11 19:26
まず実物を見ることだが、実物と呼べるものはアメリカに行かなきゃ見られない

30 :813:04/01/11 22:36
今飛行機だいぶ安くなったよ
見てくるだけなら五万円で大丈夫。

31 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/11 23:40
気合で見る。

32 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/13 13:08
日本では見ることが出来ないの?


33 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/13 21:58
Rosesよかったな〜
あのジャケのアルバムだけ

34 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/14 00:11
エド・ハリスはどうよ?

35 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/15 21:08
藤枝晃雄のジャクソンポロックって、どんな本ですか?
作品集?作品解説?生涯を綴った本? 買いですか?

36 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/16 00:08
シラソ。

37 :35:04/01/16 20:07
>>36
そーですか。。(´・ω・`)
どうもです。

どなたか、心当たりある方いませんか?

38 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/18 00:19
ポロックって、あのペインティング方法以外にも何か描いてたの?

39 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/18 00:29
>藤枝晃雄のジャクソンポロック

今となっては内容がないような低レベル

40 :35:04/01/18 00:57
>>39
ああ、マジっすか。ありがとうございました。

41 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/18 22:44
>>38
画集を見ろ。

42 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/20 01:35
>>38
普通?の油絵も描いていたようですね。
というか、ドリッピングを使った絵を描いていたのは、3年間くらいで
それ以後は昔の手法に戻ったらしい。

43 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/22 00:36
ポロックの絵って、ただの落書きにしか見えないんだけど。
あれは、そんなにすごいものなの?

44 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/22 16:37
誰が描いてもポロックの亜流になります

思想無き者は方法論を持て 寺山修司

45 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/23 02:23
↑確かにそうかもしれない。

なんかドリッピングを使って、顔とか描く画家がいたけど、それも
ポロックのパクリにしか見えなかった・・・。

46 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/23 02:40
>>44
上と下はどうつながってるの?


47 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/23 13:02
>>44
意味不明なことを急に書くな

48 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/23 16:47
ポロックの代表作って何?NO8?ルシファ?

49 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/23 16:51

青い極地

50 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/23 17:25
って言うか俺もかけた
http://www.jacksonpollock.org/

51 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/23 18:36
>50
面白いけど色を変えられないの?

52 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/23 21:05
>>50
確かに面白い。

53 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/24 17:13
ぜんぜんダメじゃん


54 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/25 13:31
age


55 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/25 14:34
>>35
遅レスだが、日本語ならば
なんたらフランク(女性)が解説書いている画集が良い。
フォーマリズムも前提として押さえてあり、
記述もまともだから藤枝の上位版。


56 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/26 01:52
新聞か何かに、ポロックの映画の評価が1800円払って、5800円の価値がある
って書いてあったんだけど、本当にいいの?

57 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/26 02:36
また具体的な数字だなぁ、、。5800円だったらDVD出るの待って買うよ。

58 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/26 13:21
DVDを待てるくらいには、大したことないと。

59 ::04/01/26 13:34
アメリカね。ポロックってなにがいいの?


60 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/26 13:35
撒き散らす頃より、初期のほうがいいよ。

61 :あれ?:04/01/26 13:37
なまえ・・・・

62 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/26 21:17
ピカソタンが絶句したそうだね

63 :35:04/01/26 21:34
>>55
あ、わざわざどうもです。お金に余裕ができ次第見てみたいと思います。
無駄遣いしすぎて金ねーよ( ´△`)

64 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/26 22:01
>>60
でも初期はなんだかありきたりと言うか、あの頃には
よく見る絵じゃない?


65 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/27 00:36
ピカソはどの絵に絶叫? >>62

66 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/27 02:21
ホイットニー美術館の収蔵品
ソースはNHK

67 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/27 15:46
ユングと何が関係あるの?

68 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/28 01:19
あるよ。

69 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/28 05:27
実は意外にシュールレアリスムの流れに位置付けられることもある人だよね。

70 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/28 14:34
ユングの弟子の分析家に治療を受けてたんだっけか?
治療の過程で描かれた絵を見たことがある。
まあ、そういった接点があるとしても、アクションペインティング
の技法そのものがユングの影響を受けているとはあまり思えないんだが。

詳しい人解説求む

71 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/28 14:57
>>70
藤枝の本を参照。
奴はフォーマリストのふりをしているが、
あの本で今も読めるのは、ユング派関連の解明の部分。
彼もしょせんは歴史家ということ。もちろんデータは古い。

72 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/29 03:39
藤枝先生か。懐かしい名前が……。
彼よりは宮川淳氏あたりのほうがスリリングかなあ。
まあ、もはやポロックが出てきた当時の美術界の文脈は存在しなくて、
今は彼の作品を作品として見ればいいのだから、今見るみんなの感
想が一番正しいとは思うけどね。

大阪の万博公園の国際美術館にいいのがあったと思うけど、閉館するん
だっけ?
漏れはMOMAですごい奴を見たけど、日本にも良作は複数あるよ。

73 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/29 09:48
>>72
OMA良かったね。あれでポロック好きになったよ。

74 :故宮ファン:04/01/29 19:39
>>360
中野の去来は、ずいぶん昔いったことがありますが、遠いせいもあり買った
ことがないのでなんともいえません。
東京では、繭山さんか日下さんあたりが無難ではないでしょうか?
青銅器といっても祭祀に使う容器は、そうとう高いと思います。
信用のあるところで、
まず絶対に本物の金具か小さな鏡あたりを買って、本物の金味、錆の具合
をよく知るのがいいと思います。

75 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/29 20:01
購入派バカすぎ・・・

76 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/29 21:55
なんの話?

77 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/29 22:25
誤爆で三人釣れたってこと。

78 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/30 20:34
ダリがフロイトを引用するのも、
ポロックがユングを引き合いに出すのも、

心理学から見れば、まあ、嬉しいことは嬉しいけど
基本的には迷惑だな。

79 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/31 01:28
>>78
その問題には「お互い様」という結論が出ています
あんた教養低いね

80 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/31 04:10
ははっ、教養低いかぁ。

・・・で、何がお互い様で、誰が結論付けたのですか?
迷惑をかけられた覚えしかありませんがね




81 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/31 04:28
>>80
迷惑をかけられたと言うのは何に対してですか?

82 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/31 04:38
>>80
79ではありませんが、
心理学の方が美術を引用して語る場合もある、
と言うことかと思います。

>>81
専門分野が一般に広まるとはいえ、
誤解が混ざるようでは複雑、と言うことでしょうか?

83 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/31 04:42
心理学の中の概念が絵画の文脈で使われることによって、
その本来の意味が変質してしまうことだな。
大迷惑とか、損害まではいかないけどさ。

例えばフロイトの無意識だって、神経症治療の為の作業仮説でしかなかった
のに、ダリがフロイトの弟子語って絵を描いて、無意識っていう用語
に変なイメージもった奴って多いはずだぞ。
フロイト自身がいい迷惑と言っていた。


84 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/31 04:54
>>82
心理学が美術を引用して語る場合も確かにあるけれど、
それは、「美術作品」「芸術作品」を引用するんじゃなくて、
精神病者の描画の特徴とか、子供の描画の発達から、人間の認知発達
を知ろうとか、そういう目的の為に引用する。

心理学は、人間の絵を描く過程だとか、
絵を描くことがどんな治療的意味があるかには興味あるけれど、
「何が芸術であるか」とか「どんな絵が良い絵か」とかは
とても言えない。
そんなこといったら、迷惑だろう。




85 :82:04/01/31 05:26
>>84
なるほど。
哲学、文学での、美術に関する誤解を含んだ引用がある、という話題が
どこかで出ていたので混同していました。

弟子を語ったというのは人間性の問題ではないですか?
専門的な理解なしに芸術に利用するのはどうか、ということなら、
厳しいご意見です。

86 :84:04/01/31 05:30
読み返したら、日本語になってない文章になってた。

言いたいことは、
「確かに引用はするけれど、その作品に対する評価に影響を与えたり、
 特別な価値を与えるようなことにならないように、引用している」
ということです。

87 :84:04/01/31 05:39
>>85
フロイトの所に押しかけていって、自分の絵を無理矢理プレゼントした
とか言う話も聞いてます。
でも、ダリは自らを道化師にしていたから、何処まで本気だったのかは
分からない。

ダリのフロイトの引用は分かりやすいんだけど、
ポロックがユングとどう繋がっているのかがまだ良く分からない。
藤枝先生という人が無理矢理関連付けてるだけなのかな?

88 :82:04/01/31 05:58
>>87
ユング派の精神科医に絵画療法を受けた、と聞きましたが、
詳しい話はどうなんでしょう。

89 :84:04/01/31 06:14
確かに受けている。
分裂病だったらしいんだけど、そのどん底だったころから、回復していく
までの、一連の鉛筆画を見たことがある。
最初は、黒く塗りつぶしただけのようなグチャグチャの絵だったけど、
徐々にまとまりが出てきて、マンダラ模様とか象徴的なものが出て来た。
その回復は劇的だったようだ。
分裂病は、自分の意志で自分を動かすことが出来なくなる。絵を描くのも
描きたいものを描くんじゃなくて、まるで何かに動かされるようにして描く。
もしかしたら、そこらへんの経験から、アクションペインティングの
発想を得たのかもしれない。

90 :82:04/01/31 06:36
>>84
私よりよほどお詳しいようです。
お役に立てなくて申し訳ありません。

仰りたい事についてはほとんど同感です。
大部分の芸術家は他の学問もひそかに創作の糧にしているはずです。
それをあまり表立って宣伝するのはどうか、ということですよね?

91 :84:04/01/31 06:56
いや、私なんか単なる絵を見るのが好きなだけで、
表現活動を実際にしている人達を羨ましく思いながら、鑑賞してるだけです。

あんまり表立って宣伝はして欲しくないですね。
誤解を生むかもしれないのもそうだけど、創作・表現活動はもっと哲学とか
他の学問の理論とかからもっと独立してて欲しいとも思います。

92 :82:04/01/31 07:09
>>91
ああ確かに。
うまく言えませんが、他の学問を自分に吸収するのでなくて、
そのまま表現に流用していると思える作品は
私もどうも違和感を覚えます。

書き込みのテンポが悪くてすみません。
長時間ありがとうございました。

93 :わたしはダリ?名無しさん?:04/01/31 09:10
84はやっぱりアホ。
心理学などという領域科学の縄張りのことばかり気にしているから。
正直そんな問題はポロックに関係ない。

94 :84:04/01/31 22:00
>>93
縄張りを気にしてますが何か?
心理学やってる人は、心理学の概念が他領域で使われることに
ものすごく敏感ですが何か?
ポロックがユングの後継者など自認する以上、問題大有りですが何か?

95 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/01 16:29
ある学問の概念が他領域で使われるなんて普通にあることだと思うのですが。
ポロックはアル中だったわけですから、そんなにムキになることもないかと。

96 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/02 01:59
まあ84みたいな縄張り厨は、
2ちゃんの学問板でよく見かけるが、
たいていは小物。
お前はギブソンとゴンブリッチの関係でも見習えっつうの。
大物はかえってそういう問題にルーズだ。

97 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/02 03:56
というか、フロイトやユングが心理学だと思ってる時点でどうかと思うが。

98 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/02 06:39
まあまあ、立場が変われば美術のひとだって縄張り厨になるんだから。
専門家が自分の研究を正しく理解してほしいと思うのは自然なこと。

99 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/02 10:16
>>84
ダリなんかと違ってポロックは別に自分のことをユングの後継者だなんていってないでしょ。
それにポロックとユングの関連性ということに関して問題性を指摘するなら、
どういう点が問題なのか具体的に論じてもらえるとちょっとは有意義な議論になるんじゃないかな。


100 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/02 11:47
>>98
いやいや、84の発言は、たいして美術を知らないのに
「心理学の縄張り」を荒らしそうな発言にのみ過剰反応している典型。
ポロックとユングについては99の言うとおり。
おそらく適当な評伝からの聞きかじりを曲解しただけでしょう。

「芸術と精神分析」という主題は、
それだけでもかなり多くの研究がなされている分野。
エルンスト・クリスとゴンブリッチの共同研究に始まり、
文学理論がラカン派を批評に使ったパターンなど。

それに、この主題について
「美術」と「心理学」という縄張りしか意識できないのはデータ不足。

漠然とした反感を持つのは別に良いけど、
作家であるポロックを煽るというのは全く意味不明じゃない?

101 :84:04/02/02 17:12
前、上野にmomaが来たとき、ポロック見てスゲーなと思ったけど、
その作品解説で、「ポロックがユングの後継者だと自認した」という
のを聞いて、ハア?と思ったんだよ。
何が関係あるのかと。別にポロックを煽っているわけでなく、単にどんな
関係があるのか知りたいだけだよ。
で、もしその関係がダリみたいな事なら、冗談じゃないぞ、縄張りを主張させてもらうぞ
ということ。

まあ、藤枝という人の本でも読んでみるよ。

>>97
それは分かってるから大丈夫よ



102 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/02 17:26
>101

その学芸員か何かは誤解しているんじゃないの

ttp://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/02artist/02art_index.htm

103 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/03 17:54
別にポロックがユングの後継者だとかどうでもいいけどさ、
ポロックがユングの心理学(まぁ、ここには反応しないで)を一歩自分の中で
推し進めた形で作品に投影するのは別に良いのでは?

いやぁ、その点ではダリも同じだと思うんだけどね。

104 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/05 08:44
84の怒りも分からないではないけどな。
無理矢理、精神分析を美術に取り込むなってことだろ。
ギブソンの話が出てきたけど
アフォーダンスの概念が美術で応用されるのと
精神分析が美術で応用されるのとでは
ずいぶん事情が違うだろうしな。


105 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/05 09:31
いずれにしてもこういうことは裁断的に語るのではなく、
具体的に語らないとほとんど意味なしですよ。
つーか、そろそろ別の話題にいきませんか?

106 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/05 22:58
>>105
そうだな。

それはともかく質問なんだけど、ポロックみたいな描き方で、
顔とか具体的に描く画家の名前って何だっけ?

107 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/06 02:09
>>106

コギャルとか描いてた日本人?

108 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/06 03:29
>>106
ウィレム・デ・クーニングか?
倉敷でちっちゃいけどなんかこうぐっときて夢にも出てくる作品を見たが。



109 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/06 05:26
>>106
Art&Languageが、
レーニンの顔をポロック様式で描いていたけど、そのこと?

110 :106:04/02/06 09:15
>>108
それぽいね。
>>109
その作家を初めて知ったけど、なかなか面白い絵だね。

111 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/06 23:13
ポロックって日本だと知名度低くない?
私的にはピカソくらい近代絵画世界において革命を起こしたと
考えているんだけど。間違い?

112 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/06 23:26
>>107 今井俊満でしゅか

113 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/07 11:32
>>107
描き方が違うと思われ。

114 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/07 12:01
こんなとこ見つけた。
http://www.meiga.net
本当に何でもありました。


115 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/10 12:00
日本の美術館でポロック置いてあるところってどこ?


116 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/10 12:32
倉敷の大原にカットアウトがある
珍品で楽しい

117 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/10 16:10
関東圏にはないの?


118 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/11 00:00
>117
川村にある。
ポロックの絵は大体つまらないけど、川村のはわりとよかった。

119 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/12 02:18
ポロックつまらないか?
前より評価が下がっているのは認めるが…

120 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/13 13:12
というかポロックの一般的認知度低すぎる。あれほどの画家が何故・・・。
映画で知名度アップかと思いきや、見るのはポロックファンだけなので
意味の無い現実。

121 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/13 20:46
最近のアメリカ美術は以前より勢いを失っている。

だが、ついぞ日本における「泰西名画」に、
ポロックやロスコが含まれることはなかった。
受容の歪み。

122 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/15 02:56
日本の洋画は「洋画道」だからね。
ポロックやステラやロスコをうけいれる余地などありようもない。

結局、現物にふれる機会の多少ではないかなあ。
漏れもポロックに本当に震えたのはニューヨークに出張したときだった。

123 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/15 03:34
ステラって75年ぐらいまでだろ?
ポロックも50年ぐらいまで。
ロスコはどうでもいい。
こういう短命ぶりもアメリカの典型か?

124 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/15 21:33
でもポロックが後に与えた影響はかなりのものだと思うけど。
最後にちょっとしたアクセントとしてドリッピングを使う画家は多いと思う。
(まぁ、ちょっとしたアクセント意外に使うとただのパクリになるわけだが・・・。

125 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/16 01:41
>123
「欧羅巴」に対する「亜米利加」だろ

20世紀(第二時大戦以降)にグローバルスタンダド化した国にとっては
旧大陸を救ったという優越感がああいったトンチンカンなモノに
ナショナリズムとしての使命を鼓舞させたんだろう

作者の意図は如何だったかは別にして、お化け屋敷だよ

126 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/16 11:49
ステラは、全米の美術館やコレクターに作品が行き渡ると、スタイルをガラッと変えるので、いつまでも健在さ

127 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/17 02:33
>>125
おまえはバカ。
少なくともアメリカ美術を「お化け屋敷」と捉えているようでは、
しょせんは「工芸」しか理解できないと思う。
同時代の「欧羅巴」が壊滅状況だったのをもっと知るべきだ。


128 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/18 19:20
確かにヨーロッパの壊滅的状況に比べるとあの時代のアメリカはすごかった。

シュール系から完全抽象、ポップまですごい奴らが勢ぞろいしていたからな。
というか、短命というのは革命的すぎて一世代しか使えない技術が多かったからでは?


129 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 02:21
学問もそうだが、
ヨーロッパの大物が多数亡命していたからね。
まあたしかにその後の世代交替によって、
アメリカ特有の糞展開も生まれるわけだが。
今はだいぶパワーバランスがまともになってきたね。
イギリスががんがったのも大きい。


130 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 03:30
ダリ等だな。まぁ、奴は長生きしたが・・・。

そういえばこのスレで以前心理学と芸術の境界みたいのについて語られていて、
ダリが批判されていたが、ダリとバタイユの関係を見ると、普通に心理学自体が
芸術方面に接近している気がしないでもないな。勿論、はじめは例のアメリカに亡命
していたシュールレアリスト達がフロイトに接近したんだろうけど。

古い話でスマソ。

131 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 03:37
>>130
前に暴れていた奴は実験心理学系だろう。
微妙に理系厨の香りを感じた。

心理学というよりむしろ精神分析の影響は無視できない。
ラカンってダリに励まされたんだろ?
芸術→精神分析という流れは基本。

132 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/19 10:55
>>129
まぁ、イギリスが頑張ったというより、アメリカが落ちたって感じだが・・・。

133 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/21 16:51
話題供給あげ。

134 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/21 17:39
バタイユはラカンに影響を与え、ダリはバタイユを刺激し、ダリは
ブルトンに気を遣ってバタイユと距離を置き、アンフォルムと写真の
水平のヴィジョンはポロックに影響を与えたね。

135 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/21 22:50
>>134
ロザリンド・クラウス説ですな。


136 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/22 00:27
チンパンジーに描かせた絵を鑑定させたら、ポロック作だと認定されて
話題になった。という話をきいたことある。
その程度の絵だと思う。

137 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/22 03:40
あまりにも前衛的過ぎた天才を批判するために作り出された逸話だろ。

138 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/22 12:19
>>136
当時の文脈の中でああいう絵を描いたということを評価すべき。
天才神話はごめんだが。

139 :わたしはダリ?名無しさん? :04/02/22 14:00
お猿もいいが、象さんもスゴイぞ!
ttp://www.elephantart.com/catalog/default.php

140 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/22 14:38
>>138
よくそういう言い方する人がいるけどそれって間違ってると思う。

141 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/22 15:00
盛り上がっていたのは海の向こうだけ

142 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/23 01:00
>>140
どこがどう間違っているか言葉にすることによって、あなたの審美眼は
磨かれるだろう。

143 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/23 04:08
>>142
ドリップは相当コントロールされている。
動物では無理。
例えば「ラベンダー・ミスト」。

144 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/24 01:29
>>135
おお友よ!(藁

145 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/29 23:01
ラベンダーミストはやばい傑作だね。

146 :わたしはダリ?名無しさん?:04/02/29 23:07
ポロックはサル顔だから相当得をした(ワイルド)が、
損もした(繊細さが理解されず)。
「ラベンダー・ミスト」「五尋の深み」「秋のリズム」が重要。

147 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/01 20:13
漏れ十年位前にNYの近代美術館に
ポロックの絵を見に行ったよ…

行った甲斐あったよ。

148 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/01 23:52
五尋の深み」を見た時は人生観変わりましたね。
高校一年生のときだけど、自分の画風も一緒に変わりまくった。

まぁ、実際の絵の影響自体はないんだけど。・・・いや、やっぱりあるんだろうな・・・。

149 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/02 16:37
私はいつもポロックのように壁におしっこをひっかけるのが好きだす

150 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/02 18:30
>>149

アスファルトの路上でドリッピングすると彼女が喜びますよ

151 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/02 18:56
インディアンの砂絵にヒントを得て、呪術的な力を身に付けたポロックは



152 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/05 02:48
自動車事故のなか、実は変わり身の術をしており、

153 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/05 03:04
>>149
ウォーホル

154 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/05 18:57
アンディーウォーホル?

そんなことやったの?

155 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/06 00:55
ピス・ペインティング
しょんべん絵画
これぞウォーホル流

156 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/07 16:07
>152
魂をフランク・ステラと入れ替えた・・・・・その後ステラは、


157 ::04/03/07 22:59
>156
 ↓
ステラれた・・・・続け、
 ↓

158 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/07 23:55
もうやめようぜ


159 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/07 23:56
シェイプド・キャンバスは

そして衰退

まるでポロックのような末路

160 : ◆B.catJHYOw :04/03/09 12:39
だれ?

161 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/09 13:18
矢印でつなぐのつまらないからやめようぜ

初期ステラの作風をシェイプド・キャンバスと呼ぶ。
ストライプの形が外形になっているから、
長方形とは限らない外形(シェイプ)にされたキャンバス。

162 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/09 19:17

ストライプの形が外形

ほんとだ

163 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/12 01:20
アンディ・ウォーホルは素晴らしい。

スリープは芸術の境地をさらに切り開いた。

164 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/12 01:48
いつのまにかポロック&ステラ&ウォーホルスレに?

165 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/12 02:11
共通点はあるかな。

166 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/13 00:29
抽象的表現主義


167 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/14 02:38
資本主義的

168 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/16 18:55
夢見がち。

169 : :04/03/16 19:08
共通点はあるかな。

2ちゃんねる

170 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/19 18:13
そろそろネタ切れか。

171 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/23 13:10
ポロック定期あげ。

172 :恋するクロネコ ◆B.catJHYOw :04/03/29 13:53
たまに見てるけど、ポロック良いよね!
なんだっけあれ、えーと「カットアウト」でしたっけ?大原にある奴。
あれはすごいと思った。「五尋の深み」も好き。
ラベンダーミストは本物も見たことないし、評価できませんです。
ポロックは本物こそに力があるとおもわれ。

173 :わたしはダリ?名無しさん?:04/03/29 14:17
カットアウトも面白いけど、やっぱり本領は大画面かな。
1947-50年は神。


174 :恋するクロネコ ◆B.catJHYOw :04/03/30 20:44
うむ。大きい作品には圧倒されますね。

正直、MOMAが来た時、一番感動したのはピカソでもダリでもなく、
ポロックだったです。

175 :マンセー名無しさん:04/04/04 12:48


ポロックは陶芸家。
尾形乾山の作品と並べて鑑賞して見ろ。




176 :わたしはダリ?名無しさん?:04/06/02 22:03
映画見ました。
ポロック云々よりリーに健気さに泣けた。
こんな女は今のご時世じゃなかなかいないだろうなぁ。
もちろんルックスはご本人より演じてた女優さんのほういいけどさw

177 :わたしはダリ?名無しさん?:04/06/03 00:51
ピカソ>>>>>>>>>>>>>>>>>>村上隆>ボロック

178 :わたしはダリ?名無しさん?:04/06/03 12:06
http://www.artbrillant.co.jp/
■マーティロ・マヌキアンプロフィール 
http://www.artbrillant.co.jp/artists/martiros.html

179 :わたしはダリ?名無しさん?:04/06/28 20:07
ポロックのドリップペインチングにはフラクタル性があるらしい。
だいぶ前の日経サイエンスに記事が出てた。

180 :わたしはダリ?名無しさん?:04/06/28 21:02
オマエあたま悪いだろ

181 :わたしはダリ?名無しさん?:04/06/29 16:17
ビデオけっこうよかたよ

やっぱりヤラセな部分は否めない
っと前から思てたよ

182 :わたしはダリ?名無しさん?:04/06/29 21:48
デッチアゲのところもあるけどな

183 :わたしはダリ?名無しさん?:04/07/01 21:23
ビデオ見たけど、
グリンバーグがあんなにポロックと親密な付き合いだったとは驚いた

184 :わたしはダリ?名無しさん?:04/09/17 03:08:45
美術の知識に疎かった20ん時、ポロックの絵を見て
すごい感動した。以来ずっと好きです。

185 :わたしはダリ?名無しさん?:04/09/27 13:44:55
グッゲンハイム美術館展にポロックの作品がふたつあるけど
なかなかよかった。でも川村にあるやつのほうが好き。


186 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/11 22:38:14
ほしゅ

187 :sage:04/11/11 22:52:26
>>179
アメリカの科学雑誌でもそんなこと言ってた。
パクリか。

188 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/12 15:26:17
ウォーホルが80年に著した『ポッピズム』という本にポロックに対する記述がある。以下、引用。

 ぼくはラリーにジャクソン・ポロックのことを聞いてみた。「ポロック?ああ、あいつは全くの鼻つまみでね。
 そばにいると不愉快だった。(中略)やつがどんな風な男だったかいってあげようか。
 黒人のところへいってね、「おまえ、自分の肌の色はお気に入りかい?」とか聞いたり、
 ホモに向かって、「どう最近おしゃぶりしたかい」なんて聞いたりするんだよ。

高島平吾訳のp22−23あたり。一行目の「ぼく」がウォーホルのことで、
ポロックの思い出を語るラリーというのは、ラリー・リヴァース。

189 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/12 23:53:34
ポロックなんか見てないで、
雑草の密集した河川敷でもながめようよ。

楽しいよ。

190 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/13 00:53:20
>>188
二人とも代表的なゲイのアーティストだからな。ポロックを始めとする抽象表現主義者たちの
マッチョぶり(毎晩同じバーにたむろして芸術論を闘わせたり、ただ単に喧嘩したりする)
はいやだったろう。
とはいえウォーホルは抽象表現主義に対する憧れは強かった。特にポロック。
愛人(あの自動車事故から生き残った人)に接近して異常に仲良くなったらしいし。

191 :age:04/11/30 02:18:07
age

192 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/30 03:19:14
クラウスによれば、
ウォーホルもポロックの映画撮りたかったんだってね。
主演にジャック・ニコルソンを考えてたらしい。

ポロックをabject artとみる意見どう思う?

193 :わたしはダリ?名無しさん?:04/11/30 10:10:49
いまさらという感もあるが、やっぱりエド・ハリスの映画は異常につまんなかったと改めて言いたい。
ポロックの伝記(分厚いが、英語圏では伝記はだいたい分厚いもんだし、人気のあるジャンルだから、読んでる人は多いだろう)
を一応知っている人なら、「あ、これあのエピソードだ」とか「あ、これあの写真の再現だ」とか
一々確認できるんだけど、それだけ。
デ・クーニングとかグリーンバーグが、登場したと思ったら、
まるでオウムのように、彼らの一番有名な台詞を機械的に繰り返して消えていく。
クラズナーもあんなに「貞淑な妻」じゃなかったと思う。

>ポロックをabject artとみる意見どう思う?
そういう風に言ってる人がいるの? わからなくはないが。
とはいえポロックは、単に「ゾッとするようなもの」「気持ち悪いもの」を提示するだけ
じゃないことは確かじゃないか。結果としてそうなっているように見えるとしても。

ちなみに、クラウスの主張は一見アブジェクトに近いように見えるけど、
クラウス本人は、その手の議論については、ネタ元であるクリステヴァともども
痛烈に批判していて、自分の主張と区別してる。

194 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/01 00:47:01
>>193
確かに、映画のグリーンバーグは "surface, surface"ばっかり言ってたなあ。ポロック夫妻の大ゲンカの時ソファ−でちっちゃくなってる彼にはワロた。

クラウスの論は、敢えてポロック−ウォーホルのラインを造ることによって反グリーンバーグの一例を出すことが目的だったと私はみているんだけど、読みが浅いかな?

195 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/01 22:47:53
>>194 ポロック―ウォーホルのラインってそんなに新しいんですか?
   ポロック関係は知らないけど、ウォーホルの抽象表現主義との関わりって
   結構論じられてると思います。
   というかクラウス難しくて咀嚼できていませんが。英語の方が分かりやすい?

196 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/01 22:58:36
>>194-195
>ポロック関係は知らないけど、ウォーホルの抽象表現主義との関わりって
結構論じられてると思います。

それはその通りですね。初期の、漫画を抽象表現主義(以下AbEx)風の運筆で描いたやつ
が既にしてパロディになってるとかね。
その意味では、ウォーホルとポロックをつなげてみせること自体は
もちろんとくに目新しいことじゃない。
ただ、クラウスの解釈は、今まで注目されていなかった視点(水平性)を
持ち込むことで、ウォーホルとAbExの関係が単なるパロディとか影響とか模倣とか
というのではなくて、理論的にみて複雑な「批判的読解」になってるんだ、
と主張するもので、その点が新しいことになるってわけです。

そしてそれは、194さんが言う通り、クラウスのグリーンバーグ批判の
要点の一つなわけです。(グリーンバーグ批判はこの議論が出てくる
「視覚的無意識」のライトモチーフですから。)
ただ、クラウスが標的にしているのはグリーンバーグだけじゃなくて、
ローゼンバーグでもあるということは確認しておいた方がいいですが。



197 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/01 23:01:44
>>195
>クラウス難しくて咀嚼できていませんが。英語の方が分かりやすい?
英語も読みやすいとは言えないですよね。わざと学術論文的な文体を
避けてるから。翻訳は見たことがないのですが、国立国際の「重力」展
のカタログにポロックを扱った章が載ってるんでしたっけ?

198 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 01:18:55
>>195,196
なるほど〜。参考になります。
自分はMoMAのカタログレゾネの記事をざっと読んだだけだったので。
The Optical Unconsciousちゃんと読んでみます。

ところで、そのカタログレゾネでは、研究の成果として数点の作品の中に
ひと形の形象が確認できるって、なんかX-レイとか使ってやってましたけど、
この実証的な成果は、今後どういう風に役立っていくのかなあって
思うんですよね。
自分にはちょっと興味ぶかいです。


199 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 01:52:50
それはX線使う前から予期されていたね
ポロックがドリップの線をコントロールしている事はよく知られていたが、
その原因が、人の形を描いているからだということが、これである程度確定する。

「オールオーバー」の内実を問い直す契機となっている。

200 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 01:58:41
>>198-199
MoMAでやった大回顧展のカタログのことですよね?(イェールから出ているカタログ・レゾネ=作品総目録ではなくて)。
あれに載っているヴァーネドーの文章では、確かにウォーホルのことも取り上げられてますが、
展覧会があったのは98年だから、時期的に言うと「視覚的無意識」よりだいぶ後ですね(細かいことを言ってすみません)。
もちろん、それ以前にもポロック/ウォーホルの関係性は指摘されてたわけですけど。

ポロックの絵をX線とかで撮影すると人体みたいな形が見えるっていうのは、おっしゃる通りMoMA展の
最大の「発見」の一つでしたよね。もう一人のキュレーターだったカーメルはその点に特に注目して、
なんだかんだいってポロックはそれとわかる形、しかも人体っていう超伝統的な形を描いてたんだ、と主張した。
一見完全な抽象に見える成熟期の作品も、まず人体を線的に描くことから出発していて、その後のドリッピングも基本的には
この出発点を尊重するような仕方でなされたんだ、というんですね。そこからさらにカーメルは、以上を踏まえると
ポロックは線(ドローイング)で人体を描く画家であって、だからミケランジェロ以来の偉大な西洋絵画の伝統に繋がるんだ、とまで主張した。
ここまでいっちゃうとちょっとやりすぎという感じがします。ポロックは結局具象画家だったっていうことになるわけですから。


201 :194:04/12/02 01:59:09
>>195  私もなるほどでした。
 で、教えてもらってばかりで申し訳ないですが、
 その辺の議論を知るためには、どんな本を読めばいいですか?
 クラウスが何を問題にしてるかすらついていけてないような感じですので。
 やはり最初はグリーンバーグの著作を読んでいって、という方法しかないのですか?

202 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 02:02:09
細かい点は省きますけど、個人的にはカーメルの主張は間違ってると思います。確かに最初は人体みたいな形を描いてるにしても(それだって
人体「みたい」だってだけで、本当に人の形かどうか怪しい)、その後時間をかけて絵具をポアリングしていく過程では、
ポロックは別にこの最初の形を尊重してるだけじゃない。それはX線写真と完成作を比べてみれば解る。

カーメルの議論は、X線とか、具体的な「証拠」に基づいてる(と称している)ので、
一見「公正」で「科学的」に見えるんだけど、実は恣意的な解釈でしかない。 恣意的な解釈なのはいいんですけど、
それを「実証」と見せかけている。

しかも、本質的に反動的な議論だから、抽象芸術を理解できない一部の保守的な美術史家たちを妙に勇気づけてしまう
という悪しき副次的効果を及ぼすかもしれない。ポロックの専門家じゃないので、カーメルの説がその後どういう風に受け取られたのか
わかりません。「実証的」な見せかけに騙される人がいないといい、と個人的には思ってますけど。

203 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 02:06:58
>>200
クラウスのグリーンバーグ解釈はかなり独特です。グリーンバーグと、その弟子である
フリードをごっちゃにしている面もあるし。だから、彼女が何を問題にしているのかを掴むには、
結局彼女自身の議論をよく読まないといけない。とはいえ、当たり前ですけど、
グリーンバーグ(とフリード)の論文も読む必要はありますよね。このへんはクラウスの本に
の註を見れば、クラウスが主な標的にしているのがどの論文かわかるので、それをチェックすればいいのでは。

204 :194:04/12/02 02:13:22
どうも有難うございました!取り合えずクラウスと向かいあって見ます。
おやすみなさい


205 :196〜:04/12/02 02:18:54
>>194
いえいえ、長文続けてすいません。しばらく隠居します。

206 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 02:21:54
>>200
ポロックは具象画家だったという意見、クラウスにも認められますよね。
スカイドアの邦訳もでてる論文だったと思うんですけど、
例えば"White Cockatoo"(1948だったかな)のような作品のポーリングの線で囲まれたものをバイオモーフィックな形象と呼んで、
そうした形象が1950年の非形象的オーバーオール絵画になるまで、
しだいに線そのものに吸収されていくとクロノロジックに論じた。
線そのものが形象をすでに含んでいるから、ある意味具象だと。
その後、クラウスはどう言ってるか知りませんが、まあ"One"とかも具象だと言ってしまえば、翌年に急に具象画を描きはじめたことが断絶ではなくなるのかな?というところですよね。

207 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 02:43:11
>>202
確かに、ぺぺ・カーメルの主張は恣意的で、だからあれは具象画なんだといわれても説得力に欠けます。
またポロック自身、最初に描いたひと形を後で塗りつぶしたりしてるわけだから、重要視してなかったともとれます。お遊びだったのかもしれないですよね。
でも、その発見を喜んだ人は多いでしょうし、クラウスなどの議論よりも価値を見出だす人もいるでしょう。ポロック研究は頭打ちだったわけですから。
202さんと同じように私もカーメルの主張は度外視しますが、この発見は、謎の"Cut-Out"に関する議論にも役立つかもしれないし、今後の研究の成果が楽しみなんですよね。

208 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 02:43:39
>>206
"Reading Jackson Pollock, Abstractly"のことかな?とすると邦訳はリブロポート(絶版)ですね。
>>200の文章を一部訂正します。「ポロックは結局具象画家だったっていうことになるわけですから。」
→「ポロックは結局【ただの】具象画家だったっていうことになるわけですから。」
クラウスが上の論文で言っているのは、ポロックの作品はただの具象でもただの抽象でもなくて、
その両者が常に拮抗しあってる弁証法的な状況なんだってことですよね。
ここでクラウスが攻撃しているのは、この弁証法を理解せず、作品は必ず具象/抽象のどちらか一方
でなくてはならないと考えるような立場だったわけですけど、カーメルの主張はその典型的な例になってる。

209 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 02:46:15
>>207
史料とその解釈は別物なんで、207さんのおっしゃる通り、X線等々の
写真そのものは研究に新機軸を開く可能性があるかもしれないですよね。
賛成です。

210 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 03:04:41
>>208
ああ、そうでした。ヘーゲル的ニ項対立の弁証法を取り入れた彼女の論文でした。いやあ、そこが一番肝心な点ですね。
具象/抽象の二者択一はポロックに関しては、すでに無意味なんですよね。
まあでも、クラウスのクロノロジックな弁証法では論じれない作品も1947-50年くらいには多々ありますからね・・・

211 :210:04/12/02 03:11:20
>>208
何度もすいません。ええと、言い直します。
クラウスの議論で大事なのは208さんのおっしゃる「弁証法的拮抗」でしたね。
つまり、51年の絵画あたりになると、この拮抗が崩れたと。こう解釈できるわけですね。

212 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 19:33:01
>>210-211
クラウスの論文、実を言うと長いこと読んでいないのではっきり覚えていないのですが、211さんのお考えで当たってるんじゃないでしょうか。

ただ、最近の研究者の中には、逆に47-50年の「古典的」ドリップ絵画が極端に非具象的=抽象的であったために、51年のブラック・ポーリングはその反動として、
かなりはっきりそれとわかる形象(人体や顔)を導入した、といった図式を立てている人もいるようですね。この見方に従うと、具象/抽象という
「弁証法的」拮抗のバランスは、既に40年代末に崩れていたということになるのかもしれません。


213 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 19:44:48
>>212
一点訂正。「極端に非具象的=抽象的」になったのは50年の作品(ご存じ「ラヴェンダー・ミスト」とか)
ということになっています。それまでは、>>206さんも触れているWhite Cockatooみたいに、
「弁証法的拮抗」は多かれ少なかれ維持されていたので。

214 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 20:27:22
>>210

このクラウスの論文の内容は覚えてないですが、彼女の立場は
ポロックだけの抽象/具象論に限らず、現代絵画がセザンヌ以降
グリーンバーグの言う「平面性」を目指して「純粋な抽象」化していった、
と見るいわゆるフォーマリスト美術史観そのものに対する批判だと思います。

フォーマリズムの弊害で、現代美術=抽象であるべき、主題や作家の意図、
社会政治的背景は問わず、というアプローチが美術批評のみならず美術史界
に蔓延る状況に、クラウスは心理分析、ジェンダー論、身体論、脱構築/
ポストモダンやらを使って対抗してきて、確かに70-80年代にはインパクト
があったと思うのだけど・・・今となっては色褪せた言説という観は否めないです。

当時はフォーマリズム/グリーンバーグを批判することに意義があったけれど、
それがもう無効化してきているから。そういう意味では1998MoMAのカーメル
はフォーマリズム否定の総決算、とでも呼べるかと思うけど、主題へのつっこみ
がなくておもしろくないですね。X線写真は物理的に良い研究材料だと思うけれど。

クラウスのポロック論では次世代パフォーマンス・アートへの影響
(Allan Kaprow、Richard Serra)を指摘したのが美術史的には重要な議論
だと思います。ある意味、フォーマリスト達がflat surfaceとかpicture plane
の御託を並べている間に、作家たちは早々とポロックの中に「不純なもの」
(身体性とかバイオモーフィズムとか)を見てそれを抽出していた、ということでしょうか。

90年代に出てきたポロック・AbEx研究者では、Stephen Polcari(彼は新しく
ポロック本を執筆中)、Michael Leja、Ann Gibsonなんかがおもしろいです。





215 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 20:51:02
>>214
>クラウスのポロック論では次世代パフォーマンス・アートへの影響
(Allan Kaprow、Richard Serra)を指摘したのが美術史的には重要な議論
だと思います。
おっしゃる通りなんですが、カプロウについて言えば、本人が有名なポロック論(57年)で、自分の芸術はポロックのある特殊な解釈に基づいて
いるのだということを公言しているわけなので、特にクラウスの功績ということはないのでは。
むしろ、ロバート・モリス、ウォーホル、サイ・トゥオンブリあたりとの繋がりを指摘したことが特記されますよね。

社会史的アプローチに共感してらっしゃるようですが、たしかに>>207さんがおっしゃる通り、
ポロック研究が頭打ちという観を呈していたときに、レージャやギブソンが新風を吹き込んだということは確かだと思います。
ただ、こういう研究者たちはT.J.クラークのポロック論を一つの源泉にしているわけですが、
クラークという人が、ほとんど偏執狂的なまでに作品分析にこだわるのに対して、
彼に続く世代は、もっぱら社会史の部分にウェイトをかけていて、その結果、場合によると作品は
歴史記述の挿絵にみたいになってしまっていることもなくはないように思います。
もちろん、それが彼らの貢献の重要性を帳消しにするということはないんですが。

ポルカリがポロック論を書いているのは知りませんでした。

216 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 20:54:24
>>214
>心理分析
精神分析のことだろ。

>(身体性とかバイオモーフィズムとか)
クラウスはセラがポロックからバイオモーフィズムを取り入れたなんて言ってない。

217 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 20:58:24
>1998MoMAのカーメル
はフォーマリズム否定の総決算、とでも呼べるかと思うけど

そんな大袈裟なもんじゃない。絵には何か形が描いてないと満足できないっていう
保守的な立場を繰り返してるだけ。

218 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 21:08:47
>>214
セラをカプローと一緒にパフォーマンスにくくってしまえる神経もよくわからん。

219 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 22:12:37
カプローのポロック論を読んでない私が言うのもなんですが、
カプロ−が見出だしたパフォーマンス性は、
ハンス・ナムース(ネイムス)の写真に始まる或る作られたポロック像
を源泉にしているんじゃないでしょうか。この意味でカプロ−自身が社会学的な研究の対象になりうるし、実際なっているんではないかと思います。
やはり218さんのおっしゃるとおりカプロ−とセラを
一緒くたにするは少しまずいかもしれませんね。

220 :215:04/12/02 22:28:57
>>219
お察しの通りで、この点については既に何度も指摘されています。「ポロックのある特殊な解釈に基づいている」
というのはそういう意味です。

ちなみに、カプローの論文が初めて雑誌に載ったとき、図版として
ポロックがアトリエで制作している写真が使われましたが、その作者はナムート(ネイムス)では
なくてルディ・ブルクハルトでした。

221 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 22:44:52
>>214
>今となっては色褪せた言説という観は否めないです。

うん、でもね、君が「美術史的には重要な議論」だと認める、後の世代との繋がりの話も、
まずフォーマリズム批判という大前提があって初めて出てきた議論なわけよ。

クラウスの議論は確かに、フォーマリズムを内在的に批判するっていうものだから、君みたいに
フォーマリズムは完全に過去のものだって考える人には色褪せてみえるかもしれん。
けど、大事なのは、クラウスがそのフォーマリズム批判から出発して、「もう一つのモダン・アートの歴史」みたいなものを
出そうとしてるところなわけさ。

ただグリーンバーグを糞味噌にやっつけただけだったら、クラウスもあんなに影響力は持たなかったはずでしょ。
まあ、たしかに読んでみるといろいろ眉唾な話も多いんだけどさ。

222 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 22:50:22
>>221
クラウスの論が単に否定的なものではないというのは賛成です(ついでに、眉唾なところが多いというのも)。

それに、フォーマリズムを否定するにしても、なぜそれが間違っているのか、を精密に示そうとした、という点も、一応功績と言っていいのでは。
ただ否定するだけなら誰にでもできますから。

223 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/02 23:35:23
ポロック絵画のバイオモーフィックな性質、あるいは"terra"的な性質を指摘した批評家、研究者あるいは作家の脳裏には、
同じ抽象画とされるそれ以前のヨーロッパ・ロシアの抽象画の「冷たさ」
とは真逆なものを打ち出したかったというのがあったんでしょうかね。

例えば"One"や"Autumn Rhythm"の前に実際立ったときの「暖かさ」
(よく言われることですが)はこうした性質からくるんでしょうかね?う〜ん。

地の部分が色褪せて黄化してるのも、また関わってるかもしれませんね。

224 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 00:39:10
「冷たい抽象」「熱い抽象」ですな。むしろ戦後ヨーロッパで盛んに用いられた区別だ。

>"terra"的な性質
??

225 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 01:45:32
"terra"的性質とは、ポロックが移り住んだスプリングが象徴とも言える
「母なる大地」的な性質のようなものでしょう。誰が言い出したか忘れたのですが。

むしろ、以前の欧露の抽象を「冷たく」することで、AbExを「暖かく」するような言説だと私は思いますね。

>戦後ヨーロッパで盛んに
イーヴ・クラン(クライン)あたりが「熱い」とされるんですかね?

グリーンバーグ移行のアメリカ批評界に対するヨーロッパの人間の意見
も知りたいですね。ドゥルーズあたりが言ってそうですね。


226 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 02:09:49
>イーヴ・クラン(クライン)あたりが「熱い」とされるんですかね?
一つ前の世代。ジョルジュ・マチューとか。イヴ・クラインは「熱い抽象」に反発することから出発した
(だからといって別に批判性のある芸術家だったわけではないが)。

>ポロックが移り住んだスプリングが象徴とも言える
「母なる大地」的な性質

スプリングスって母なる大地かな〜。軽井沢みたいなところだけど(海があるのが違うけど)。

>グリーンバーグ移行のアメリカ批評界に対するヨーロッパの人間の意見
も知りたいですね。ドゥルーズあたりが言ってそうですね。

ドゥルーズのことはベーコンスレでちょっと話題になってたような気がする。
ローゼンバーグを再評価したんだっけかな?

227 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 02:28:00
>"terra"的
母なる大地というか、「土臭さ」という意味合いだったような記憶があります。
どんな英語だったか忘れました。

228 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 02:32:26
あんまりメジャーな言説じゃないんじゃない?

>むしろ、以前の欧露の抽象を「冷たく」することで、AbExを「暖かく」するような言説だと私は思いますね。

アルフレッド・バーが言っていた幾何学的抽象/非幾何学的抽象みたいなもんだね。

229 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 04:02:39
以前NYのDIAセンターでセラの作品を鑑賞したんですが、
その歪みというか傾きというか、その物体の中に入ったときにアフェクトされた感じ・・・
なんだかポロックの作品を前にしたときの感じに近かったように憶えてます。
この感じを言語化できたらすごいなあと思うんですが、
214さんがおっしゃるのはこのあたりなんですかね。

230 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 11:05:46
>229
これかな
ttp://www.diachelsea.org/exhibs/serra/ellipses/

>>214で触れられているカプローとかセラの初期作品(溶かした鉛を投げるやつ)とポロックとの繋がりは、ポロックの作品そのものと言うより、
>>219にあるように、絵を描いているときのポロックの写真に基づいている。作品というものが、キャンヴァスとか彫刻とか、一つの
オブジェクトに限定されるんじゃなくて、そのオブジェクトを含んだある環境、又その中で行われる行為
(パフォーマンス/ハプニング)へ、というように拡張される、っていう考え方。だからちょっと違うかもね。

でもあなたが言うような、作品が直接自分の身体に働きかけてくるような感覚(中期以降のセラみたいな)みたいなものがポロックにも
あるんだとしたら面白いと思う。

231 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 11:09:39
>>229-230
「作品が直接自分の身体に働きかけてくるような感覚」ということでいえば
ニューマンもそんな感じがする。ニューマンは「鑑賞者に空間の感覚を与えること」が自分の芸術の
目的だと言ってるしね。

セラとはちょっと違うかもしれないけど。

232 :214:04/12/03 17:38:01
>>215 >>219
おっしゃるとおりで、カプロウは"The Legacy of Jackson Pollock"という有名なエッセイを
書いていて、それがポロックの絵画そのものよりもハンス・ネイムスのフィルムで見れる
「アクション・ペインティング」の製作過程からのインパクトによる、というのはよく指摘されて
いることです。(あとローゼンバーグのAmerican Action Paitnerを通しての読みとか)

私がクラウスの功績?と言っているのはこれをセラに繋げた議論で、上で挙がっている
ポロック論の中ででていなければ、Passages in Modern Sculptureという本で
論じていると思います。大分前に読んだので記憶は朧げですが。

間をすっとばして手短に書いたのが悪かったのだけど、60sにパフォーマンスから発展して
ロバート・モリスなんかがグニャグニャゴチャゴチャしたインスタレーションと彫刻の中間の
ようなAnti-formとかProcess Artというのを始め、その流れでセラが69年頃にCastings
という作品をやるのです。この辺りを境に70sにはセラは巨大スケール彫刻を作り始め、片や
ハイザーやスミソンらのEarthworksなんてのが出てきて、表現方法がAbEx以降身体・空間・
環境的なもの向かっていってる、というラインを最初に作ったのはクラウスじゃないかと思います。
こんな説明では言葉足らないだろうけど、興味あったら読んでみて下さい。

あとセラがCastingsをやるちょっと前67-8年くらいにMoMAで死後初のポロック回顧展があって、
ポルトミニマル世代は彼をリアルタイムでは知らないから、ポロック再発見の大きな契機
になった、というのもよく指摘されます(Eva Hesseの最後の作品などでも)。

蛇足ですが、マシュー・バーニーのクレマスターでセラがCastingsのセルフ・パロディをやっている
のが見れます。


233 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 19:29:31
凄いレベルの低い質問で申し訳ないですが、以下の三つについて質問させてください。
@みなさんがおっしゃっている、誰から誰への「流れ」とか「繋がり」(例えば230さんのセラとポロックの繋がり)というのは
 名前が挙げられている当人達の意識としてそのように記述できるというのではなく、
 同時代の美術を並べてみるとそのようなことが言えるということなんですよね?
 つまり現代美術の流れを、グリーンバーグとかフリードとかクラウスとかがそれぞれ記述していて、
 それぞれの立場によって作品の解釈や歴史の記述の仕方が異なっているということですよね?
A例えば、日本近代美術の歴史を記述しようとすれば、当時の作家の言葉とか文化政策を行った人の思想とかが
 引き合いに出されると思うんですが、ここで名前が挙げられている批評家ってそういう作業をしていないように思います。
 なぜこのように美術の歴史の記述の仕方に違いがあるのでしょうか。
B Aと関連して、現代美術の流れの中で個人の制作意図はどのように考えられているのですか?
 

234 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 20:48:28
>>232
>表現方法がAbEx以降身体・空間・
>環境的なもの向かっていってる、というラインを最初に作ったのはクラウスじゃないかと思います。

60〜70年代には、他の批評家たちもこの流れについては意識していたし、論じてもいたわけですが、
初めて理論的に総括したのがクラウスであったのは間違いないでしょうね。




235 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 21:01:25
>>233
(1) 歴史記述全般に関わる問題ですね。グリーンバーグやフリードは、自分たちの構想する歴史が真実であるという信念をまだ持っていたかもしれないけど、
クラウスになると、素朴な事実信仰みたいなものは完全に姿を消していて、自分の主張が、数ある可能な解釈の中の一つに
過ぎないという意識から出発していると思います。ただ、だからといってまったく恣意に流れているというわけでもないのですけど。
(2) 作家自身の発言は、少なくともフリードやクラウスは重視しています。また、>>214さんの挙げているような
70年代以降の研究の動向の中では、制度論がむしろ中心になってきています。
(3) (1)と(2)の両方に関係しますが、個人の制作意図は、作品を決定している実に様々な要素の中の一つに過ぎない、という見方が主流になってきているのではないでしょうか。
とはいえ、依然として、作家自身にある種絶対的な権威を付与するような傾向が見られるのも又事実ですが。

236 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 21:15:20
>>232
>私がクラウスの功績?と言っているのはこれをセラに繋げた議論で、上で挙がっている
ポロック論の中ででていなければ、Passages in Modern Sculptureという本で
論じていると思います。

クラウスは特にカプローを取り上げたことはないんじゃないか? セラの「Casting」(ちなみに単数ね)にしても、
カプローに直接つなげたっていうより、カプローのハプニングがそうであったのと同じように、ポロックに基づいている、
と言っている。だからポロック→カプロー→セラ、というより、
ポロック→カプロー
    →モリス
    →ウォーホル
    →トゥオンブリ
    →セラ
    etc.
って感じで、横並びで考えてるような印象があるよ。(ウォーホルとかは「The Optical Unconscious」で出てくる。)

実際にはセラがカプローのやっていたことを知らなかったわけないから、関係があるのは確かだろうけどね。



237 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 21:20:23
戦後アートに詳しいみたいなので、214さんにお聞きしたいんですけど、
モリスのプロセス・アートとか、アンチ・フォームとかがパフォーマンスの流れから出てきたとのことなんですけど、
そこで、彼が60年代の中頃にやっていた幾何学的な抽象彫刻はどういう風に位置づけられるんでしょうか?

あと、セラが「Castings」から巨大スケールに移行するのって、もう少し詳しく言うとどういう感じで変わっていったんでしょうか?
教えて君でもうしわけありません。

238 :233:04/12/03 21:24:41
>>235 レス有難うございます。
「個人の制作意図は、作品を決定している実に様々な要素の中の一つに過ぎない」というので
 分かりました。

239 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 21:32:40
>>235
たしかに最近制度論(というかコンテクスト研究みたいの)って流行だよね。
でもさ、制度論って基本的に史料(テキスト)中心でしょ。だから場合によっては、
じゃあ資料を読んでわかったことが作品とどう関係づけられるのかってことになると
>>215が言ってるように、なんか単純な反映論(作品は社会のありかたを映す鏡)みたいに
なってくることがあるんじゃないかって気がするんだよね。Lejaとかはカルチュラル・スタディーズ
っぽく読むと結構頑張ってるし、面白いんだけどさ。

240 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 21:44:34
セラの身体・空間・環境へのアプローチはポロックのイメージから出発したんでしょうけど、
230さんが挙げている作品の環境性はポロックの作品そのものの環境性を意識してると思います。
"One"か"Autumn Rhythm"のどちらかは忘れましたが、一部屋にそれだけを展示しているキュレーターもその環境性を意識してるように。

意識して環境性を持ち込んだのは、高野山の『阿弥陀如来来迎図』のアプローチと共通するかもしれません。「観想」させることを意図して描かれたらしいです。

ポロックが展示後のことを考えて作品をつくったのかどうかは、
残された彼の発言からはわからないと思います。

ただ、展示後は作品が立てられるので、そうなるとクラウスの「水平性」
は有効性を持たなくなりますね。

241 :240:04/12/03 22:16:09
宗教画との共通点はよく言われているでしょうね。

クラウスのことも受け売りです。

242 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 22:34:28
>>240
クラウスの水平性の議論は、まさに、水平から垂直へ、という移行に関わっています。
クラウスは主にフロイトとバタイユを援用して、水平性を、意味づけ以前の生々しい物質性の露呈する場として捉え、
垂直性を、こういう過剰が文化的・社会的等々の意味付けによって「昇華」される、つまり抑圧され消去される場として捉えた。
240さんのおっしゃる通り、ポロックの作品はキャンヴァスを水平に置いて制作され、展示するときには垂直に掛けられるわけですが、
一般の観者がポロックの作品に出会うときには、この垂直に掛けられた状態しか見ない。つまり、そこでは既に「昇華」のメカニズムが働いている。
しかしポロックは様々なやり方で、作品が元々は水平に置かれていたのだということを強調した(「五尋の深み」で、アトリエにあったゴミやガラクタをキャンヴァスの上に撒き散らしている)。
にもかかわらず、グリーンバーグはポロックの絵画の水平性=物質性を完全に無視し、純粋に視覚的なものとしてみようとした。これをクラウスは、水平→垂直の移行に一般的に見られる抑圧の過程を裏書きするものだとして批判する。

こんなふうに雜に要約してみても何のことだか解らないと言う方も多いでしょうが、要するに、
ポロックの作品が展示されるときは垂直になるという事実は、クラウスの議論の中核をなしているので、
それによって彼女の主張が無効化されるわけではないということです。


243 :242:04/12/03 22:41:10
>>240
クラウスの水平性の議論は、まさに、水平から垂直へ、という移行に関わっています。
クラウスは主にフロイトとバタイユを援用して、水平性を、意味づけ以前の生々しい物質性の露呈する場として捉え、
垂直性を、こういう過剰が文化的・社会的等々の意味付けによって「昇華」される、つまり抑圧され消去される場として捉えた。
240さんのおっしゃる通り、ポロックの作品はキャンヴァスを水平に置いて制作され、展示するときには垂直に掛けられるわけですが、
一般の観者がポロックの作品に出会うときには、この垂直に掛けられた状態しか見ない。つまり、そこでは既に「昇華」のメカニズムが働いている。
しかしポロックは様々なやり方で、作品が元々は水平に置かれていたのだということを強調した(「五尋の深み」で、アトリエにあったゴミやガラクタをキャンヴァスの上に撒き散らしている)。
にもかかわらず、グリーンバーグはポロックの絵画の水平性=物質性を完全に無視し、純粋に視覚的なものとしてみようとした。これをクラウスは、水平→垂直の移行に一般的に見られる抑圧の過程を裏書きするものだとして批判する。

こんなふうに雜に要約してみても何のことだか解らないと言う方も多いでしょうが、要するに、
ポロックの作品が展示されるときは垂直になるという事実は、クラウスの議論の中核をなしているので、
それによって彼女の主張が無効化されるわけではないということです。

なおT. J. クラークはネイムスらによる写真を綿密に分析して、ポロックは制作中、定期的に作品を壁に立てかけ、
垂直状態での効果を検討していた、と指摘しています。その後、再び絵を床に戻して作業を続けるので、
言ってみれば、絵は絶えず水平と垂直の間を行ったり来たりしていたのだ、ということです。
つまり、もし垂直に絵を掛けて見ることが抑圧なのだとしても、ポロック自身がこの抑圧を実行していた、
というわけです。(Farewell to an Idea)

事実のレベルに関するかぎり、クラークが正しいと思います。個人的には、彼の論には疑問も多々あるのですが。

244 :242:04/12/03 22:42:16
すみません。間違えて大幅に重複した内容を書き込んでしまいました。

245 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 22:48:24
>>242
なるほど〜。勉強になりました。
前の方で少し議論になった、
1)フォーマリスム批判と2)彼女の解釈の独自性が
まさに表裏一体あるいは同じ一つの主張だということがよくわかりますね。

246 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 22:51:53
>>242-243
おいおい。

>>240
>230さんが挙げている作品の環境性はポロックの作品そのものの環境性を意識してると思います。

これはイリュージョンとしての環境性ってことかな?>>229で言われてるみたいな、
ポロックの作品が見ているとこっちを包み込んできて身体にアフェクトするみたいな?
だとすると漏れが>>230で言ってるのとは違うんだが(セラのCastingもポロック写真から
出発してると思う)、「阿弥陀如来来迎図」の話は面白いね。
もうちょっと教えてくれませんか?

247 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/03 23:36:01
>>246
期待にそえるかわかりませんが、書いてみますね。

>イリュージョンとしての環境性
そうです。このことをすごく理解してると思えるのがDIAセンターのキュレーター。
セラの作品もそうですが、別の館で元ヴェルヴェットアンダーグラウンドのドラムの女性の作品、黄金のバーが並べてある空間。
空間を惜しまず作品のためだけに提供しています。
先にあげたポロックのキュレーターもそうです。

>『阿弥陀如来来迎図』
資料が手元にないので憶えている範囲で書きますが、
或る仏教では、極楽浄土へ行くには、死際に阿弥陀如来一行をイメージ
できなければならない。これが「観想」です。
生きている間にそのための努力をしなければならないのですが、
この努力のツールが巨大サイズの絵画『来迎図』なわけです。
これを使って練習した。
当時の天皇などが利用したそうですが、
まさにこのことが意図されて描かれた絵画というわけですね。

AbExの巨大画が宗教画と共通しているのは、よく指摘されていることだと思うんですが、
ツールとしての宗教画の側面のひとつとしてのイリュージョン性が、
ここでは共通していると言えるのではないでしょうか。

248 :246:04/12/04 01:41:15
>>247
ありがとう。よくわかりました。

>AbExの巨大画が宗教画と共通しているのは、よく指摘されていることだと思うんですが、
どうかな。そんなに一般的ではないんでない?漏れが把握してないだけかもしらんけど。
比較されるとしても、主にキリスト教的な伝統に属する宗教画じゃないだろうか。

比較がされる場合はやっぱりロスコってことになるのかな。自分の絵を作った礼拝堂を作ってるわけだからね。
観者を包み込むような感覚ってところも、観者の身体へのアフェクトを通じて、何か超越的な「観相」に誘う
ところとかも、「阿弥陀如来来迎図」と近いと言えそうだ。

ただ、ポロックやセラについて同じことが言えるのかってとこが問題だね。とくにセラは、これまたクラウスが最初に指摘してることだけど、
すごく現象学的な作品で、観者(っていうか作品を体験する人)に、自分が「いま・ここ」という特定の地点/時点に位置づけられている
ことをはっきり意識させるように仕組んであるわけだ。だから、むしろ「観相」とは逆のベクトルを持ってると考えた方がいい。

249 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 01:53:18
当然だけど、
ロスコ&ニューマンとポロックは分けた方がいい。
AbEx(なんて読むの?「エイベックス」?)という呼称を、
ポロックに留保なしで使うのは難しいと思う。

ポロックのモニュメント性については、
当然メキシコの壁画運動との関係が重要でしょう。

250 :214:04/12/04 01:54:28
>>236

>クラウスは特にカプローを取り上げたことはないんじゃないか? 
もしかして、1998MoMA回顧展のときのポロック・シンポジウムのレクチャーかもしれません。
この時はカプロウに言及して(確かトゥオンブリー、ウォーホルも)タイヤの写真のスライドを見た記憶が。
大荒れのシンポジウムで質疑応答時にクラウス激怒、ばっかり覚えているのですが。

>セラの「Casting」(ちなみに単数ね)
すみません。

>ポロック→カプロー→セラ、というより、...って感じで、横並びで考えてるような印象があるよ。

その通りだと思います。クラウスというとセラ押しって印象が強いので(読んでいて「惚れてるのか?」
と思ったことがある。実際のパートナーはモリスですが)、連発してましたが。あと、そもそもは
AbEx以降の絵画離れから身体感覚、earthworks、site specificityを論じる糸口を切り開いた
ことを評価したいと言いたかったので。

でも >242さんを読むと、holizontality/verticalityの理論付けも史料考察が甘くて破綻してる
んだなぁ、師匠叩きで名を揚げたのにやはり元グリーンバーグの弟子なのか、と思います。

ポロック→セラもCasting以外ではどこまで強固なものかは疑問なのも確かです。
セラ本人は「影響を受けたのはケージ」と言っていて、むしろチャンス、パフォーマンスの流れでは
その方がよっぽど筋だし、AbEx(ポロックは引きこもってたのであんまり交流はないかも)やカプロウ
やモリスもケージとは何かしらあるし、元をただせばケージ御大という方が「史実的」だったりして。

251 :246:04/12/04 01:56:07
>>247(スマソ、もう少し補足)
あなたの考える環境性っていうのは、作品そのものが、イリュージョン=アフェクトを通じて
現実の展示空間とは別に作り出すバーチャルな環境みたいなことでいいのかな?
となると、セラとはやっぱ正反対なんじゃないかな。サイト・スペシフィシティのはしりであることからも
わかるように、セラは作品が置かれてる空間(他のどれでもない、その空間)の特殊性を
作品を通じて見る人に認識させるっていうやり方なので。

あとポロックについても、一面では、周囲から分離した自律的な空間を作ろうって言う方向はあったと思うけど、
同時に、後でカプローとかラウシェンバーグにつながってくような、作品を取り巻いてる具体的な環境
(展示空間もそうだし、さらには社会も含めて)を巻き込むような場所を感じさせる面もあると思うんだよね。
そうすると、やっぱ宗教画とは違ってくると思うんだけど、どうでしょう。

252 :246:04/12/04 02:04:27
>>250
あー、シンポジウム行ったんだ。いいな。もめたらしいってのは聞いてたけど、
本になって出てる記録には質疑応答が載ってないもんね。

>読んでいて「惚れてるのか?」と思ったことがある。実際のパートナーはモリスですが
モリスは随分前のパートナーだね。セラは、クラウスがグリーンバーグと決定的に訣別するきっかけになった人だから、やっぱ相当惚れてるんだろうな。
>でも >242さんを読むと、holizontality/verticalityの理論付けも史料考察が甘くて破綻してる
んだなぁ、
裏付けは甘いよね、基本的に。ただまあ、ポロックに関してどこまで本当かってのは別にすると、
立論が乱暴なぶんだけ、他の対象への応用できる可能性の大きい議論になってる気はする。
けっきょくそれをめざしてんじゃない、クラウスは?自分の主張はフィクションだ、でもいろいろな可能性を開くからいいんだ、みたいに。

>元をただせばケージ御大という方が「史実的」だったりして。
それはそうだよね。

253 :214:04/12/04 02:07:42
またまたすみません。

>237
>彼が60年代の中頃にやっていた幾何学的な抽象彫刻はどういう風に位置づけられるんでしょうか?
あんまり詳しくないです、モリス。ただ、ミニマルの人たちの幾何学抽象彫刻は1960年頃にアメリカ
(というか西側諸国)で再発見されたロシア前衛の影響を直に受けています。更にそれをデュシャンの
レディメイド=作家神話否定のコンセプト(自分で作らず加工業者に依頼して生産してもらう)で再解釈
したので、よくNeo-Avant-Gardeとくくられます。

モリスはL-beamが3つ違う向きで並んでいる作品なんかで同一の形でも置き方が違うと別物に見える
=知覚・認識力の不確かさ、だまし絵遊びみたいな意図だったと思うので、デュシャン熱は高そう。
パフォーマンスとかとあわせて考えると、かなり積極的に反美術を表現することに興味があったのでは。

>セラが「Castings」から巨大スケールに移行
屋外展示のサイズの大きい作品、いわゆるパブリック・アートとかサイト・スピシフィックと言われる
を1970頃から作り始めます。(これで事故で人が死亡したり、住民に嫌がられて裁判に負けて撤去
されたりで悪名を馳せる)Castingがこれのきっかけになったというのは本人もよく言っていて、
あと同じ頃日本に招かれて京都に1カ月程滞在して、その時に禅庭園にものすごく感化された、
と言っております。宗教的なものというよりも、人が歩いて通って体感するように作られている
空間と、それに反映されてる精神性みたいなものに。

この禅庭の影響って、本人があちこちで言ってる割にはあまりちゃんと論じられてないのだけど、
>>229さんが書いてるような感想や>>247の「阿弥陀如来来迎図」とポロックの比較を読むと
もっと突っ込んでみたいところです。

1998Whitneyのロスコ回顧展は、さながら寺のようでした。ヒューストンのロスコ・チャペル、
行ってみたいです。(確か、建物がフィリップジョンソンというのがちょっと皮肉なんだが・・・)
ニューマンのStations of Crossなんかもリアルタイムでグッゲンハイムで見てみたかった。
AbExの人たちってみんな神秘主義とか神話とか精神的なものにすごく興味があった人たち
なんですよね。


254 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 02:23:21
>>249
>AbEx(なんて読むの?「エイベックス」?)
「アブ・エックス」だと思います。個人的に耳にした範囲ではそうでした。

抽象表現主義がごくごく曖昧な括りであることは研究者が一様に指摘するところですね。
(その際、印象主義がしばしば引き合いに出されます。)
ニューマンにしてもロスコにしても、個別に考えていくと、他の画家たちと同列には
語れない要素を多く持っている。ただ、いわば共通の問題意識というようなものを
手掛かりに、もう一度包括的な枠組みを出すことは不可能ではないようです。
社会的コンテクストの検討を通じて、AbExという概念に、もう少し厳密な
規定を与えようとしたのが、最近だと、前に出てきたレージャなどでしょうか。

>当然メキシコの壁画運動との関係が重要でしょう。
この点について、現時点で一番突っ込んだ考察を行っているのが、>>251-252で触れられている
シンポジウムでのロバート・ストーの発表だと思います。重要な指摘ではあるんですが、これはちょっと勇み足の感もあって、
従来ポロックの技法的革新とされてきたもの(ポーリング、床置き、等々)はすべてシケイロスたちが先にやっていた、と主張し、
その結果、これも今までは主流の見解だった、欧米モダニズムとの関連性をほとんど全面的に否定するのはどうかという気がしました。

255 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 02:26:57
>>253
ありがとうございました!!

256 :246:04/12/04 02:38:05
>>253
>ミニマルの人たちの幾何学抽象彫刻は1960年頃にアメリカ
(というか西側諸国)で再発見されたロシア前衛の影響を直に受けています。
アンドレがロトチェンコのモジュラー彫刻にヒントを得たのは間違いないよね。
モリスもそうなの?漏れは65年頃の幾何学っぽいやつはその前のパフォーマンスやってたころの
舞台装置の延長線だと思ってた。
ジャッド、ステラあたりはロシア・アバンギャルドが60年代に再発見された後も、
しばらくロシアのことはよくわかってなかったんじゃないかな。

Casting〜サイト・スペシフィック系の流れで、禅寺見たのが決定的だってのはその通りだよね。あれで歩き回るのが重要な要素
になってくるわけだ。ただ日本に来る前に、重力を扱った作品もやってるでしょ。プロップとか、セメントのブロックみたいのを積み重ねるやつとか。
あれは作品に作用してる見えない外的な力を意識させるっていうのがテーマだから、サイト・スペシフィシティの前段階と言えなくもないよね。


257 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 02:51:41
>>253
>さらににそれをデュシャンの
レディメイド=作家神話否定のコンセプト(自分で作らず加工業者に依頼して生産してもらう)で再解釈
したので、

作家=主体批判はロシア・アヴァンギャルドそれ自体にあった契機だと思います。
作品の形式は、作者の趣味とか表現の必要性とかによって決定されるのではなく、
素材とその結合の法則が決定するのだ、という思想ですね。

258 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 03:01:05
>>253
>ニューマンのStations of Crossなんかもリアルタイムでグッゲンハイムで見てみたかった。

Stations of the Crossのグッゲンハイムでの展示については
この点については最近の「オクトーバー」に詳しい分析をした
論文が出ていましたね。

>AbExの人たちってみんな神秘主義とか神話とか精神的なものにすごく興味があった人たち
なんですよね。

1940年代末、つまりAbExの主だった作家たちが次々自分の典型的なスタイルを
確立するまでは、確かに神話など精神的なものは大きな関心事だったと思います。
ただ、40年代末以降はどうなのか。そういう関心が消えてしまったとはまったく
考えませんが、その扱い方(作品による表現の仕方)が重要な変化を遂げるという
ことはあるのではないでしょうか。これも各画家によって非常に異なるので、
一概には言えないでしょうけれど。

259 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 03:05:13
>>258
>その扱い方(作品による表現の仕方)が重要な変化を遂げる
そうなんだよな。漏れもよくはわからんが。こういう話をしてる論文とかってあるの?たくさんありそうだけど。


260 :214:04/12/04 03:09:21
>>252
シンポジウムが本になってることも知らなかった。不勉強。
確か、クラウスはカーメルの議論に対してすごい腹を立てていて、カーメルはカーメルで
クラウスの何か事実誤認してる部分をつついて、クラウスが「あなたは私の言説を
まったく理解していない!」とか絶叫・・・そのちょっと後に、クラウス病に倒れる、
脳関係で結構重いらしい、と聞いたのでブツキレテしまったのか、と思った。

>セラは、クラウスがグリーンバーグと決定的に訣別するきっかけになった人だから、
やっぱ相当惚れてるんだろうな。
やはりそうなのか。

>>249
私の周りは「エイベックス」と呼びます。

261 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 03:38:02
>>248,251
なるほど、私はそれらを漠然と「環境性」で括っていたようです。
区別すると、
#いわゆる宗教画
 まったく別の空間へ観者を「超越」させる。

#サイト・スペシフィックな作品。
 観者と作品との「内在」を意識させる。

ポロックの作品は保留。少なくともポロックに宗教性を見出だすことは難しいといえる。
というわけですね。
オーバーオール絵画以前には神話を主題にした絵画を沢山描いていたようですが。

ただ、高野山の『阿弥陀如来来迎図』、「装置」として機能する点に注目するなら、
サイト・スペシフィシティを持っていると言えるのではないかと思います。
そこが、例えば臨終の床と如来一行を俯瞰する他の『来迎図』と
観者が臨終の場の視点に立つ高野山の『来迎図』との違いですよね。

262 :214:04/12/04 03:46:40
>>256
>モリスもそうなの?漏れは65年頃の幾何学っぽいやつはその前のパフォーマンス
やってたころの舞台装置の延長線だと思ってた。
ジャッド、ステラあたりはロシア・アバンギャルドが60年代に再発見された後も、
しばらくロシアのことはよくわかってなかったんじゃないかな。

モリスの実際のソースは分からないです。ミニマルの中で一番傾倒してたのは
アンドレと蛍光灯の人ですが(ぁあー名前が出てこない!)、戦後初の英語での
ロシア前衛本、Camilla GrayのGreat Experimentが(いい本です)c.1960に出版されて、
ベストセラーになり結構みんな読んでたらしいです。

モリスはあちこちに顔出してるし、インテリ系でもあるので話題のものには
とりあえず目を通していたのでは、という気がするけど、個人的にどこまで
興味を持っていたかは不明。

>プロップ
っていうのは、正方形の板を並べてバランスだけで立方体に立っているやつかな?
これ面白い作品ですよね。

>>253
>作家=主体批判はロシア・アヴァンギャルドそれ自体にあった契機だと思います。
あります。ただ、構成主義の場合は作家批判=資本主義イデオロギー批判で、
これによって集産的なボルシェヴィキの理想社会が形成されるとユートピア観に
燃えています。

ダダは、同じ資本主義批判ながら美術作品(時には作家本人までも)の商品化
される状況を徹底的に皮肉ったものなので、態度がまったく逆になります。


263 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 04:01:39
>>262
Dan Flavinでしょうか

264 :261:04/12/04 05:00:01
うーん、高野山の『来迎図』も最終的には「超越」を目標とするんですよね。

それに、サイト・スペシフィックを、ICCが打ち出しているようなinteractive
の類いと混同してしまってもまずい気がします。

西洋の宗教画は機能としては主に、
説話による伝道、特に字が読めない人のため
それと教会内の空間づくりというのがあると思うんですが、
後者は装置として働いているんでしょうかね。
美術史に詳しい方、どう思われますか?

265 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 05:35:08
>>248
>クラウスが現象学的だと指摘、
なるほど、サイト・スペシフィックは現象学的に解釈するとわかりやすいですね。
特にメルロ=ポンティの。
その空間は物理学的な客観的空間でもなければ、
知性が構成する主観的空間でもないと。
いま、ここにおいて、身体と世界は同じ肉を共有する、同じ時空にあると。

なんか、『来迎図』やこの話題に執着して申し訳ないですが。

266 :265:04/12/04 09:31:38
ちょっと話が乱暴すぎたので言い直します。

超越を目指す作品とは逆ベクトルで、
観者のいま、ここを意識させるのがサイト・スペシフィック
ということでいいんですね?

そこにクラウスが現象学的なものを見ただけのことですね。
ここでメルロ=ポンティを持ち出すのはおかしいと自分でも思いました。
ただ、年代的にアメリカでもメルロ=ポンティはブームになっていた
のではないかとは思うんです。

先に出たドゥルーズのローゼンバーグ評価は、
その実存思想的なところに関わっているではないかと思います。
テレビで熱弁をふるうサルトルを観て、ドゥルーズは興奮したといいます。

メルロ=ポンティを単に実存でくくることもできないとは思いますが。
推測ばかりですいません。もう寝ます。

267 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 11:00:40
>>264-265
いや、メルロ=ポンティは実際60年代から70年代のアメリカ美術と言説にとって
決定的な重要性を持っていたと思います。というかそれが現在の共通の了解です。
モリスの65年頃の作品は現象学的認識なしにはありえなかったでしょう。
彼が実際に書いたものの中でメルロ=ポンティに言及し始めるのは少し後ですし、
>>253さんのおっしゃる通り、ケージ〜デュシャンのラインも重要であるのは
確かですが。ただ、64年以前はもっと露骨にデュシャンを参照する作品だったのに
対して、65年前後の作品については、やはり253さんの指摘される通り、知覚の
問題が前面に出てくるので、デュシャンだけでは理解できなくて、やはり主に
現象学的と考えた方がいいようです。
だからおっしゃる通りだと思いますよ。


268 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 11:17:11
>>262
>ダダは、同じ資本主義批判ながら美術作品(時には作家本人までも)の商品化
される状況を徹底的に皮肉ったものなので、態度がまったく逆になります。

ご指摘の通りです。ただ、逆に言えば、ロシア・アヴァンギャルドもダダも、主体性批判という目的
だけは共通していた(両者とも表現主義に敵対していた)、つまりそれぞれの態度において
非常に異なりはするけれども、作家性批判の二つの戦略と見なすことができるのではないでしょうか。
だから、50年代後半から、アメリカでAbEx(抽象【表現主義】)への反動が出てきたとき、
両者がそれぞれ重要な参照項になってきたわけですよね。

その際モリスはデュシャン〜ケージ(+ラウシェンバーグ+ジョーンズ)というダダ路線を主に参照した。
途中から現象学的関心が入ってきますが。
他方アンドレ、フレイヴィンなどはロシア・アヴァンギャルドを主に参照した。
ジャッドやステラは、その関心や方法において、どちらかといえばロシア・アヴァンギャルドに近かった
(ご存じのようにステラはアンドレとアトリエを共有したりと非常に親しかったし)のだけれども、
直接参照することはなかった。
こういう図式で考えてみてはどうかと思うのですが。

269 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 11:22:25
>>262
グレイの本(The Great Experiment)は62年出版ですね。おっしゃる通り、
それまではロシア構成主義といっても、マレーヴィチ(シュプレマティシュム)か
西側に亡命した作家たち(ペヴスナー、ガボ、それに当事者ではないけれど
モホイ=ナジ)らを通した受容が中心だったわけで、この本のおかげで
一気に理解が深まったんですね。


270 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 20:25:42
>>260
>そのちょっと後に、クラウス病に倒れる、
そうなんだよね。でもだいぶ回復してるよ。まだちょっと変だけど。

>やはりそうなのか。
あ、惚れてるってのは抽象的な意味ね。

>私の周りは「エイベックス」と呼びます。
レコード会社みたいだな。

>>261
>オーバーオール絵画以前には神話を主題にした絵画を沢山描いていたようですが。
そうだね。たださ、>>258の人が言ってるみたいに、47年ぐらいから様式が大きく変わったときに、
主題と作品の関係も変わったんじゃないかってことだよね。

ちなみに、ポロックについては上で言ったみたいに保留だけど、ロスコについては「来迎図」の話は
かなりうまく当てはまるような感じがするし、あなたの話はすごく面白かったです。念のため。

>>262
>正方形の板を並べてバランスだけで立方体に立っているやつかな?
そう。それは一番有名なやつだね。「カードの家」。他にもいろいろあるよ。

271 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 21:02:07
>>253
「Neo-Avant-Garde」ってペーター・ビュルガーの用語ですよね。ミニマリズムも
Neo-Avant-Gardeになるんですか? 

272 :237:04/12/04 21:05:46
いぜん214さんに質問に答えていただいた者です。このスレにあつまってるみなさんって
美術史だけでなくていろいろ詳しい方がおおいみたいなんですけど、みなさん
大学院とかで勉強されてるんでしょうか? はなしをきいてるとアメリカにいる
方も多いみたいな気がするんですけど。

273 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 22:41:45
僕は修士1年生ですが、全く話に入れません。
これから勉強します!

274 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 22:50:24
1998年のMoMA展で"Pollock Jazz"って売ってましたよね。ポロックの持ってたレコードの曲が集められたやつです。
これのカーメルが書いたライナーノーツっていうんですかね、記事です。今読んでみたんですけど、
「ジャズと同様に、ポロックの線と色の錯綜は
アメリカ社会のダイナミズムと自由を伝えているように思える。」
なんて書いてるんですよね。一般向けに書いたんだろうとは思うんですが、今だにこれはないだろという感じです。これぞ悪しき反映論というか。

ポロックとジャズの関係ってこんな風にくらいしか
語ることはできないんでしょうかね。




275 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/04 23:01:49
>274
そういえば映画でもジーン・クルーパーのマネして食事中に騒ぐシーンがあったな

276 :214:04/12/05 00:58:39
>>263
そうだ、フレイヴィンです!ありがとう。

>>268
>他方アンドレ、フレイヴィンなどはロシア・アヴァンギャルドを主に参照した。
ジャッドやステラは、その関心や方法において、どちらかといえばロシア・アヴァンギャルドに近かった
(ご存じのようにステラはアンドレとアトリエを共有したりと非常に親しかったし)のだけれども、
直接参照することはなかった。
こういう図式で考えてみてはどうかと思うのですが。

そうやって考えるときれいに収まるんですよね。ただ、60sの状況をもちょっと詳しく書くと
ロシア前衛のラディカルな主体性批判と、それがボルシェヴィキ・イデオロギーに拠るもの
だったという背景がどこまで理解されていたのか、特に作家陣にどう受け止められたかは
はっきりしないんです。

グレイはそのあたりをかなりちゃんと書いているのですが、何せロシアの現代美術なんて
スターリン時代にすっかり払拭されてしまった後だし、当地に赴いての史料探しもなかなか
できないしで、構成主義の一番過激だった部分なんかはあんまり詳しく記述されてない。
(ロトチェンコが「絵画は死んだ」と宣言したり、その波についていけない画家カンディンスキー
がヴフテマスを追い出され、バウハウスに行く羽目になったとかの辺り)

アメリカではフォーマリズムまっさかりで社会政治的なものを美術にまったく持ち込まない風潮
だから、グレイ以降追随で色々あらわれるロシア前衛に関する文章も「幾何学的形態」とかに関する
ものばかりだったり、>>269さんが書いてるように西側でまだ存命のガボ、ペフスナーが(もともとは
構成主義に反対してロシアを離れたというのに)構成主義の生き残りとして祭り上げられてしまう
おかしな状況になってしまっている。



277 :214:04/12/05 01:00:06
長文・連投すみません。

フォームに関してはミニマルの作家が構成主義を見ていたのは明らかなんだけど、
それを彼らがどう利用したのかは・・・概して作品の意図(特に反体制/批判機能的なこと)を
あまり公言しない人達だしステラがインタビューで"what you see is what you see"なんて
言ったものだから、批評家/美術史家もあんまり突っ込んでこなかった。

この辺りの問題をAnna Chaveがミニマル・オブジェクトの「主題」を追求してみたり、
クラウスの弟子のHal Foster、Benjamin BuchlohがNeo-avant-gardeの文脈で
論じたりしてます。>>271さんの書いてる通り、もともとはPeter Burgerが言い出した
ことで、彼自身は確かウォーホルとか60sのダダ戦略にしか言及してないと思うけど
Fosterはロシア前衛(historical avant-garde)/ミニマル(neo)として書いていて
Burgerよりも幅を広げてます。



278 :214:04/12/05 05:34:49
>>277 訂正しておきます
>ミニマルの作家が構成主義を見ていた
アンドレ、フレイヴィン(ジャッドはグレー、ステラは多分違う)が・・・です。

>>262
モリスの舞台装置から、っていうのはおもしろいです。
直接関係ないだろうけど、構成主義も舞台デザインを盛んにやっていて
パラレルする。モリスはBlack Mountain Collegeと縁はあったのかな?

>>265-267
何か話が追えなくなって来てるんですけど w 「阿弥陀如来来迎図」が
高野山にある、っていうのが興味をそそります。具体的なサイズや画像が見れる
ところはありますか?

AbEx絵画を「宗教画」と読んでしまうのは語弊があるかなと感じるけど
(特定の宗教のドグマを諭すものではないっていうのと、美術史の慣習上誤解を招く
っていうのと)、敢えていうならごく個人的なという意味で「密教的」と呼びたいかも。
(これも意味が違うか)

site specific art の出現には、ニューマンのsublimeもインパクトを与えた
と思うのですがどうでしょう?「いま」「ここ」のモチーフを繰り返し使った人だし、
グッゲンハイムのStationsは観者が螺旋のパスを移動して体験する、極めて
現象学的な空間だったと感じるのですが。

>>258さん、October情報ありがとうございます。

279 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 06:46:50
>>278

ttp://www2.kyohaku.go.jp/tokuchin/kukai/contents-2.htm#4
ここで観れます。

京博に来ていたのは知りませんでした。実物は高野山で観れるようですが、
たしか期間限定の周期的展覧だったと思います。どれくらいのスパンかは忘れました。

280 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 06:58:15
高野山『阿弥陀聖衆来迎図』
縦210,0cm 横 中幅210,0cm 右幅105,2cm 左幅105,2cm
だそうです。

281 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 07:12:51
簡単に言うと、
中央が阿弥陀如来:如来なので一切装飾品を身につけません。
         あの世の使者。死神みたいなもんですか。
向かって右下が観音菩薩:死逝く人は観音の手の上の蓮に乗って浄土へ逝く。
向かって左下が勢至菩薩:死逝く人が蓮に乗れるように横で応援する。

282 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 11:57:35
>>276-277
大変勉強になります。214さん、いつもありがとうございます。

ロシア・アヴァンギャルドが60年代のアメリカ美術に受容されたとき、
本来ロシア・アヴァンギャルドが持っていた批判性・政治性が薄れ、
いわば骨抜きにされてしまった、というのはその通りだと思います。
何と言っても革命期のロシアは、芸術と政治が最も接近した時代
ですから、それと比較すれば他のどんな時代も、その政治性という
面では多少後退して見えるのは間違いない。

ただし、主体性批判という契機は、60年代のアメリカ美術にも
確実にありました。つまり、60年代のアメリカでロシア構成主義が
受容されたとき、それは単なる形態上の借用にとどまるものでは
なかったということです。その点は、有名なステラ/ジャッド/
フレイヴィンの三者インタビュー(214さんの引いている
"what you see is what you see"という発言が出てくる)を
見ればはっきりします。

もちろん、ミニマリズムはまだまだフォーマリズムの影響を
引きずっているので、政治批判という点を前面に押し出す
ことはしなかった。それは後に続く世代の課題になった。とはいえ、
中期〜後期のグリーンバーグが芸術を純粋に美的な領域に
囲い込もうとしたのだとすれば、ミニマリズムはもう一度
芸術に社会的なもの、政治的なものが導入されていく上で
重要な一段階であったことは強調しておきたいと思います。


283 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 12:05:49
サイトスペシフィックとニューマンは無関係でしょう。
むしろスミッソンに注目すべきですね。
するとポロックが別の文脈でクローズアップされてきます。

284 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 12:08:19
>>277
ステラの"what you see is what you see"についてもう一言だけ。この発言は
グリーンバーグ的なフォーマリズムとははっきり区別されるべきだと思います。
この発言がなされた頃(60年代中盤)のグリーンバーグは、既に初期の唯物論的な立場を捨てており、「モダニズムの絵画」
に代表されるような、イリュージョンを重視する立場に移行しています。
ステラのように"what you see is what you see"、つまり作品のリテラルな、物質的な在り方を改めて
表明することは、だから、フォーマリズムをひっくり返すことに繋がるわけです。

もちろんこれは、もう一つのフォーマリズム、つまりロシア構成主義のフォーマリズム
(フォルマリズム)とパラレルな立場です。グリーンバーグも本来はロシア構成主義に近い
立場から出発していたのですが、第二次大戦後のアメリカ社会の全体的な脱政治化の風潮に
寄り添うようにして、上で書いたような芸術自律主義に移行していった。ステラの発言と実践
(59年のブラック・ペインティング以降)は、こういうグリーンバーグの
「転向」を暴露する意味をもっていました。このあたりはもちろんティエリー・ド・デューヴが
詳述するところです。

285 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 12:13:53
>>278,273
ニューマンは、少なくともジャッドには非常に強いインパクトを与えました。
ただし70年代以降、サイト・スペシフィシティが重要な概念になってくるについては、
273さんがおっしゃる通り、スミッソンの役割が決定的ですね。

あと、ニューマンに関して"sublime"を強調しすぎるのはやや危険です。惹句としての通りの良さ
もあって、まるでニューマン美学の中心概念のように取り沙汰されることが多いのですが
(ローゼンブラムみたいな人が騒ぎ立てたこともあり)、実は例の"Sublime is Now"にしても
そもそもは注文原稿として書かれたのだということは忘れるべきではない。その上で、いわば
ニューマンの思考体系を構成する一要素として検討するなら、いろいろ興味深い概念だとは思いますけど。

286 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 12:16:00

273は283の間違いです。失礼しました。

287 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 12:30:46
ニューマンのsublimeは別文脈で重要でしょう。
それはアーティストが自ら文章を書く時代のはしりとしてです。
ジャッドやスミッソンはすぐれた批評家でもありましたが、
パノフスキーに論戦で勝つようなニューマンの存在は大きかったわけです。


288 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 20:44:55
>>282,284
だいたい漏れも賛成だな。ただ、ステラにそこまで批判性を担わせるのはどうかね。>>282にあるように、
次の世代への橋渡しをしたということはあるけど、ステラは基本的にフォーマリズムの「脱構築」
(フォーマリズムのロジックに寄り添いながら、それを極限まで推し進めることで、フォーマリズム自体が含んでる矛盾を
明らかにする)をやった人だから、逆に言えばまだフォーマリズムの土俵を借りてるってところがあるよね。
だから、確かに社会的なものとか政治的なものの話はしないし、よく言われることだけど、ジャッドやモリスなんかとは
違って、結局平面作品にとどまったわけだ。

ジャッドはというと、コンポジション否定=合理主義/デカルト主義(今風に言えば形而上学)批判、みたいなことは
>>282の言ってるインタビューでもはっきり打ち出してる。これはロシア・アバンギャルドのライトモチーフの一つだよね。

つうことで、ミニマリズムの連中は、それぞれやり方は違うけど、抽象表現主義(のある解釈)の批判を通じて
主体性の批判を始めてたのは確かだと思う。だからその流れの中で、アンドレとかフレイヴィンが、ちょうど再発見され始めてた
ロシア構成主義に注目するっていうようなことが起こったわけだ。だから、>>282「単なる形態上の借用にとどまるものでは
なかった」というのはその通りと思うよ。

289 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 20:51:20
>>278
>モリスはBlack Mountain Collegeと縁はあったのかな?
知り合いの知り合いみたいな感じでつながってたんじゃない?パフォーマンスつながりっていうか。
ケージ、ラウシェンバーグ、ジョーンズとは知り合いだったから。

290 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 22:45:06
>>288
補足ありがとうございます。確かに、ステラ自身はそれほど批判的な意図を持って
活動していたわけではないかもしれませんね。問題のインタビューの中でも、ジャッドに比べて
両義的な態度を示している箇所がいくつか見られますし。
ただ、彼の言説と実践(少なくとも60年代後半までの)はある程度切り離して考える
必要があるのではないかと感じています。作家自身の意図は別に、作品そのものを
見たときに、そこにある種の批判性を読むことができるのではないか、ということです。
上で引いたド・デューヴの論("The Monochrome and Blank Canvas" Kant after Duchamp)は
そういう読みのかなり徹底した例になっているように思います。

291 :282:04/12/05 23:11:20
>>282で多少曖昧な書き方をしましたが、何度か話題になっているインタビュー
(Bruce Graser, "Questions to Stella and Judd")は、当初ラジオ番組のために
ステラ、ジャッド、フレイヴィンの三人に対して行われたのですが、フレイヴィンが
その場であまり発言しなかったため、のちに批評家のルーシー・リッパードが編集して雑誌
Arts Magazineに66年に掲載された際、フレイヴィンはカットされてしまったという経緯があります。
その後、現在でもミニマリズムに関する基本文献であるMinimal Art: A Critical Anthology (1968)
に再録されたのもこの雑誌掲載バージョンなので、普通はジャッド+ステラ二人に対するインタビュー
と考えられています。以上の経緯はJames Meyer, Minimalism (Yale)に書いてあり、同じ著者が
編纂したもう一冊の本(Minimalism (Thames & Hudson))には、フレイヴィンの発言も含めたバージョンが
入っています。

292 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 23:21:46
>>277
>フォームに関してはミニマルの作家が構成主義を見ていたのは明らかなんだけど、
それを彼らがどう利用したのかは・・・
>この辺りの問題を。。。クラウスの弟子のHal Foster、Benjamin BuchlohがNeo-avant-gardeの文脈で
論じたりしてます。

Foster, "Some Uses and Abuses of Russian Constructivism"(1990)
Buchloh, "Cold-War Constructivism" (1990)
のことですよね。この二つの論文(とくにフォスターの方)は、ミニマリズムがロシア構成主義の
批判としての側面をある程度受け継いだということは明記されていますよね。ただし、ロシア構成主義の
トータルな社会・経済批判という側面が全面的に継承されるには、いわゆる「制度批判」の芸術(ハーケ、
ダニエル・ビュラン(ビュレンヌ)、スミッソン、マイケル・アッシャー)を待たなければ
ならなかった、とも言っています。

だから、やっぱり282さんの整理で当たってるんじゃないでしょうか。「アメリカではフォーマリズムまっさかりで
社会政治的なものを美術にまったく持ち込まない風潮だから」と272さんは書かれてますけど、
60年代のアメリカをフォーマリズムだけで括るのはどうかと。
横レス失礼しました。

293 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 23:33:49
ミニマリズムスレ立てた方がよさそうだね。

294 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 23:48:23
De Duveがでてきたので少し。
Didi-Hubermanはアメリカについて何か議論してませんでしたか?

295 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 23:53:32
>>294
Ce que nous voyons, ce qui ne regarde. ミニマリズム論。他にニューマンについての
単発論文とかもあった気がする。でも結局例の金太郎飴みたいな感じでとくに発見はない。
アメリカ美術についてとくに詳しいとも思えない。
トニー・スミスをやけに持ち上げてるけど、たぶん友達のJean-Pierre Criquiから
教えてもらっただけと思われ。
(MoMAで回顧展があったとき、CriquiはArtforumでスミスをべた褒めしていた。))

296 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/05 23:56:43
>>296
...ce qui NOUS regardeの間違い。スマソ

297 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:01:00
たしかにCe que nous voyons, ce qui nous regardeの巻末でクリキにお礼言ってますね。
ユベルマン、フランス国内では評価高そうでしたけど、
アメリカではどうです?


298 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:02:07
>>295
あっ、どうも即答ありがとうございました

299 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:12:51
>>298
いえいえ。

>>297
初めオクトーバー派はけっこう好意的で、翻訳を載せたりもしていたよね。ところが、
(あくまでも聞いた話なんだけれども)だんだんディディ=ユベルマンが調子づいてきて、
オクトーバー派は俺の影響受けてる、みたいなこと言ったりしたんでクラウスが
例によってブチ切れて、いまじゃ顔を合わせたらぶん殴るぞぐらいの剣幕らしい。
ゴシップはともかく、クラウスとイヴ=アラン・ボアはFormlessの中でGD-Hの
バタイユ=『ドキュマン』論(La ressemblance informe)はかなり痛烈に批判してる
から、理論的にも対立してるってことでしょうね。
あと、アメリカ人の知り合い(某アイビーリーグの美術史)に聞いたら、ベンヤミンとか
の使い方が気取ってる割にはいい加減でダメだ、とか言ってた。

フランスで受けてるのは確かだけど、喜んで読んでるのは主に文学とか映画とか他領域の人で、
美術史業界では評判悪いらしいね。まあフランスの美術史は最近保守化する一方だから、そもそも
話にならんのだけど。


300 :297:04/12/06 01:14:57
少し言うと、
史学的業績という点ではde Duveの影にかくれますが、
思弁的な点では評価されているというのがフランス国内での印象でした。


301 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:16:08
>>300
ド・デューヴってフランスで読まれてんの?

302 :297:04/12/06 01:19:44
なるほど、貴重なお話ありがとうございました。


303 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:23:46
de Duve読まれてると思います。
でも一番読まれているのは
Resonances du readymadeですね。
Yves Michaudのシリーズで出てます。

304 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:30:49
>>299
フランス美術史界はコレージュドフランスの連中でガチガチですね。
もちろん、Kant apres Duchampは前提としてあって、
Rresonancesは一般的に読まれているという感じです。
本屋でほんとうによく見かけるんです。98年出版。

305 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:31:27
>>303
Jacqueline Chambonでしょ。あのシリーズ結構いい本でてんだけど、図版が一点もついてないってのは
痛いよな〜。まあカタログとか他の本見ればいいわけなんだが。
で、読んで自分の論に有効に活かしてるフランス人はいるの?

306 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:35:02
日本人ならおるでー

307 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 01:35:14
>>304
漏れちゃんと比べたことないんだけどさ、Kant after Duchampって
ResonancesとNominalisme picturalを足してちょこっと書き加えたんじゃないの?
それともフランス語でKant apres Duchampって本があるの?

>フランス美術史界はコレージュドフランスの連中でガチガチですね。
つうか高等師範学校出身の皆さんね。いまコレージュ・ド・フランスで教えてるの
誰だっけ?前は修正主義の親玉みたいな人(名前忘れた)だったけど。

308 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 03:24:25
>>287
同意。ニューマンは自作を発表し始めたのが遅く、むしろ文筆家として名前を
知られていたので、時には芸術家として見てもらえないこともあったんですよね。

309 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 03:28:17
そろそろここで話を本来の主題であるポロックに戻さない会?

310 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 03:45:10
>>大変失礼しました
いまちゃんと調べたところ、Kant apres Duchampなんてありません。
おっしゃるとおりですね。いいかげんなこと言ってすいません。
Nominalisme picturalが84年、Resonances du readymadeが89年にフランスで出版されていますね。
で、MITpressの英語版Kant after Duchampがフランスの書店にもおいてあるというくらいですね。

で、De Duveを実際に自身の論に活かすという意味で読まれているか、
と言われれば、まったく知らないのですが、
パリでは知名度は高かったいう印象があるくらいです。

311 :310:04/12/06 04:05:33
今見つけましたが、Au nom de l'artの2章に
Kant (d')apres Duchampがありますね。
アメリカではこれが独立して読まれているんでしょうか。
それともまったく別にあるんでしょうか。
パリのある教授にde Duveの名を聞いたとき、
Kant apres Duchampという言葉が帰ってきたのはよく覚えているんです。

312 :307:04/12/06 10:20:18
>>310-311
そういえば Au nom de l'art っていう本もあったね。
いや、307でいったとおり、漏れもちゃんと把握してないんですよ。ただ、Kant
after Duchamp(つまり英語)は相当分厚いし、たぶんそれ以前に発表してた
仏語の本(元々英語で書いたものも多いはずだが)から抜粋して書き直して一冊に
したものみたい。
なにはともあれ、フランスでも読まれてるというのはいいことのような気がする。


313 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 10:31:47
>>309
そうしよう。といいつつ今気が付いたけど、
>>250
>師匠叩きで名を揚げたのに
だから、クラウスはグリーンバーグ批判だけの人じゃないんだって!たしかに最初は
ゴリゴリのグリーンバーガー(ジャッド)で、その後セラの作品に出会って劇的な転向を遂げ、
その後は徹底的なフォーマリズム批判を展開していく…ということはあるんだが、
それは出発点に過ぎないので、むしろ他領域(哲学、文学批評、精神分析…)の成果を積極的に
取り入れ、構造主義以後の美術史/美術批評と呼ぶにふさわしい枠組みを提示した
っていうのが一般的な見解でしょ。どれでもいいんだけど、たとえば『オリジナリティと反復』の
ル・ウィット論なんて、フォーマリズムとは何光年も離れた問題を扱いながら、いまだに
越えられてない視点を出してると思う。さらっと書いては居ますけどね。

314 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 10:36:53
(続き)
それに比べると(もしフォーマリズムの否定っていうことでいうなら)君が
共感を覚えてるらしい社会史的アプローチの方が、グリーンバーグに欠けていた
もの(社会・政治・経済・ジェンダーetc.)を補ってるだけで、フォーマリズムを
その核心において乗り越えていない、とさえいえると思う。まあこれはもちろん
極論なんで、個人的にはそんな風には思わないけど、でも君がクラウスに対して頑なに
適用する還元的・貶下的見方をあてはめればそうなる、ということ。

315 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 15:48:33
クラウスの功績は、実のところ本人の論考というよりは、
雑誌Octoberの編集というのが一番大きいでしょう。
彼女が圧倒的だったのは70年代後半の論考です。


316 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 16:44:01
>>313-315
そろそろ本題のポロックに戻そう。
313さんはこのスレでずっとクラウスを擁護している方ですか?
まあもうそろそろいいんじゃないでしょうか。心ある人はみんなクラウスの大事さは
わかってると思います。初期ジャコメッティ論とか、写真/シュルレアリスム論とか、
ピカソ論とかは80年代に入ってからの仕事だし、「彼女が圧倒的だったのは70年代後半の論考です」
っていうのが単純な事実誤認だってことは一通りクラウスの仕事を読んでる人なら把握している
はずです。「クラウスの功績は、実のところ本人の論考というよりは、
雑誌Octoberの編集というのが一番大きいでしょう」っていうのも、正確にどういう意味で
言っておられるのかはわかりませんが、Octoberにおけるクラウスの役割が
単なる編集者にとどまるものではなく、まさに「本人の論考」によって直接・間接に
美術に関する新しい言説のありかたを示したことも含まれると思いますし、
それも既に周知の事実です。
最近は例の病気もあって失速している感は否めませんが、依然として、過去の人みたいにして
無視してよい存在でないのは確かでしょう。
それでもなおクラウスを矮小化したいという人がいるんなら
それはもうしょうがないんじゃないですか?

317 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 17:20:31
>>316
確かにクラウス噺を蒸し返したのは悪かった。スマソ というわけで
>>315に反論するのはやめる。

漏れもクラウスの回し者みたいに思われたくはないんだよね(もう
遅いかもしれんけど)。つきあいきれないと思うことも多いし。
ただ、>>250,315みたいのは、316さんが言うように
単なる事実誤認だし、何を根拠にそう言えるのか示してないわけじゃない?だから見過ごせなかったわけだ。
まあほっときゃいいってのはそのとおりなんだけどさ。

もしかしたら特に戦後アメリカ(50年代〜)に詳しいわけじゃないけど、
ちょっと何か言ってみようってことなのかな。
ミニマルとかセラについて議論になったときも、フレイヴィンの名前が
思い出せなかったり(>>262)、フォスターとかを引いてはくるけど
読みが甘かったり(>>253,277,292)、ちょっと勉強してたらえぇぇって
思うようなことやってるし。そんならそれでいいんだが(なんだかんだ言っても
漏れみたいな2ちゃんねらーとはちがっていろんなことを広く勉強してる
人みたいだからね)、根拠も示さないでクラウスは色褪せて見えるとか
言わないで欲しいってことです。

久々にクラークのポロック論(前に話題に出てた)を読み返したので、
次はポロックにおける主体性批判の話でもするよ。

318 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/06 20:06:12
上でステラについて発言した者です。ポロックに話題を戻そうという呼びかけが
たびたび出ていて、それは賛成なのですが、クラウスを巡る議論に関して一言だけ
付け加えさせてください。

>>315さんの、クラウスの「最盛期」は70年代後半だったという点は、なるほど少々
単純化のきらいはあるものの、ある程度当たっているようにも思えます。
>>316さんの指摘される諸論考は、確かに80年以降に書かれてはいますが、80年代
前半に集中しているからです。『オリジナリティと反復』(85年)出版以後
はややペースダウンしていますね。この間も『視覚的無意識』(93年)にまとめられる
ことになる諸論点を練り上げてはいるのですが、タイムリーに同時代の美術状況に対して発言することが
少なくなるのは確かです。ただ、その一事を以てクラウスは力を失ったとは言えないでしょう。

また『オクトーバー』についても、>>316さんのおっしゃる通り、既存の媒体とは異なる発表の場を
用意したのみならず、自らの批評活動を通じて批評のモデルを提示し、美術をめぐる言説を活性化した
わけですね。その結果、フォスター、ブクロー、ボア等々、かなりタイプの違う
書き手が、それぞれ重要な場面でクラウスを参照したり、時には異議を唱えたりしながら
独自の議論を発展させていく。また、これらのいわゆる「オクトーバー派」だけでなく、
一例を挙げればリンダ・ノクリンやトマス・クロウなど、より社会史的な立場に近い研究者たちも
クラウスの批評活動から重要な示唆を受けるということが起きる。


319 :318:04/12/06 20:11:14
それと>>317さんの、このスレでの議論を戦後アメリカ美術の専門家に
限定するかのような発言は少し気にかかりました(それが真意ではなかったかも
しれないけど、そう受け取られかねないということです)。私自身も、戦後
美術には強い興味をもっていますが、専門家というわけではありません。しかし、
このスレのみなさんと議論する中で、既にいろいろと勉強させていただいています。
なかなか実際にはこういう対話を持つ機会というのはないので、ぜひ今のまま、
開かれた場であってほしいと思っています。

320 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/07 07:30:43
最初のほうでドリッピングやポーリングをポロックはコントロールしていた
っていう話があったんですけど、ある程度はそうだと思うんですね。

でも自動記述的な要素がないわけではないし、画家がキャンバスの支配者だっていうような近代的主体性はポロックには無縁でしょう。(どれでもそうか)
>>243クラークによれば、ポロックは制作過程でなんども作品を立てて見返していたそうですが、それは制作におけるマチエールとの格闘、偶然性を呼び込み、
その都度、審美眼のようなもので評価して、方向性をつけたりしてた、ということでしょうか。

自動記述自体、シュルレアリスムの定義そのままではなくて、
習慣、熟練をふくめ、非主体的な身体性がどこまで見出せるか。

なんかいきなりですいませんが、ポロックの主体性に関して
思うのはこんな感じですかね。研究や批評をちゃんと読んでいない者の感想です。

321 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/07 07:50:49
316の権威主義はウザイよマジで
誰かわかった気がする

322 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/07 13:40:21
グリーンバーグ批評選集

C.グリーンバーグ 著
藤枝 晃雄(武蔵野美術大学教授) 監訳

四六判/256頁/上製 予価3360円(本体3200円)
2月下旬刊
[ISBN4-326-85185-6 C3070]

20世紀最高の美術批評家の一人、グリーンバーグの主論文、エッセイを収めた
待望の書!50年代後半以後の美術は彼の批評を巡って展開する。

出世作「アヴァンギャルドとキッチュ」など文化理論から出発し、その後美術
に絞ってポロックらと共に抽象表現主義をつくり上げた。具体的な個展/作品
の批評を通して自己の立場を形成し、的確な判断から優れた作家を発見する。
また、マネ以降の美術のモダニズムを歴史的な洞察を背景に理論化した。

http://www.keisoshobo.co.jp/kinkan.htm#K85185


323 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/07 14:20:43

ワインディングマシンは、自動巻上機などとも呼ばれている自動巻時計専用の電動振動装置です。
機械式時計のムーブメントは、長く動作させないと機構が劣化する場合があると考えられているため、
コレクターの方は定期的に時計を振って巻くという大変な作業が必要になってしまいます。
着用している場合でも、1日の巻き量が足らないと、翌朝停止して時刻合わせが必要になってしまいます。
ワインディングマシーンは、自動巻き時計のムーブメントを一定的に動かす自動巻き専用のマシーンで
最適な振動サイクルで振られるようになっています。
時計をセットして、スイッチを入れるだけで、いつまでもベストな状態で保管できます。

324 :年内じゃなかったのかよ!:04/12/07 17:10:50
>>322

やっと出るのか、楽しみだな。

325 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/07 17:17:56
翻訳の水準は全く期待できませんけどね。


326 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/08 09:19:16
214さんがまだいらっしゃるならお聞きしたいんですが、
日本の「具体」はポロックなどの何の影響もなしに
起こったというのが定説なんですよね?
それを誇らしげに語る日本人も多いようですが。

やっぱり疑問があるわけで、
具体の人らが「アートニューズ」などを何らかの仕方で見たのではないか?
あるいはどこかで聞いたのではないか?
と影響関係を考えるのが普通ではないでしょうか。

そうじゃないと、世界的な美術界に対する、あるいは世界的な世相に対する
人間の本質的な或る反応とでもいうようなモンスターを想定するしか
ないように思うんです。

最新の史学では具体はどう見られているんでしょうか?

327 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/08 12:09:07
具体はとっととアメリカ上陸したじゃん
相互交流は普通にあるし、
たかだか数年の違いでの先駆者捜しにミステリーを感じる方がどうかと思うが…

「影響」を狭く考える悪しき実証のような気がするけどね


328 :326:04/12/08 17:50:27
なるほど。
具体が何を元ネタにしたかはともかく、
アクションをすることが美術の言説にとって意味があると気づかせる
空気ってのはあったという解釈でいいんでしょうか。
ポロックがいなくてもアクションの言説は生まれたんでしょう。

となるとオートエクリチュールあたりが「アクション」を孕んでいた
と言えるかもしれませんね。まあこれも実証主義的な考え方なわけですが。


329 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/08 20:15:47
>>322
「モダニズムのハードコア」に載ってた訳は、まあこんなもんかもしれないけど
もう少し何とかなるんじゃない?って感じだったな。まあグリーンバーグの文章は
訳しづらいんだろうけど(アカデミックな文体じゃないって意味で)。

330 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/09 14:40:56
>322
あっ、出るんだ!
また川田トキコが絡んでるんだろうか?あの人昔「ユリイカ」でポロック特集
やったときにグリーンバーグのポロック論だけ集めて訳して解説付けてたけど、
witnessを「ウィットがあること」ッて訳しててアゼーン

331 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/09 17:41:26
さすがに訳が悪いと評判の日本語版を買うわけにはいかないので
原典で読もうともうけど、どの本がいいですかね?
糞田舎なのでアマゾンで手に入れるほかはないのですが。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url
/index=books-us&field-author=Greenberg%2C%20Clement/249-4528763-7149108
それで検索すると18件あったんですが、どの本が良いですか?


332 :214:04/12/09 19:29:11
>>279-281
ありがとうございます。落ち着いたら見てみます。

>>292
>(とくにフォスターの方)は、ミニマリズムがロシア構成主義の
批判としての側面をある程度受け継いだということは明記されていますよね。

同時にDuchamp、Brancusiなどを見ている。構造上の批判は読んでいるかも
しれないけれど(これが「ある程度」の部分)、Laboratory Period(Productivist)
の作品しか見ていないのでロシア構成の体制批判の側面を完全には見ていない
だろう、60sアメリカでのロシア構成の受容は概して西側フォーマリズム/モダニズム
の視点で解釈したものだ、と言ってるはずです。よかったら読み直してみて下さい。

Fosterは他にも"The Crux of Minimalism""What's Neo about Neo-Avant-Garde?"
というのでも、この点に関しては一貫していると思います。

それから誤解を招いてしまったかもしれないけど、私はミニマルの作家たちがフォーマリスト
だと言ってるのではなく、美術批評/美術史のアプローチがそれが強すぎて本人達も
あまり明言しないからそれ以上に深読みされてこなかった、と言いたかったのです。
むしろ個人的には20s/60sのパラレルが気になって、ミニマルにももっと意図された批判性
があるんじゃないかと思ったことはあるのですが、喰えないというか読みにくい人たちです・・・
だからおもしろい、というのもあるのですが。しつこくてすみません。

フォーマリズムに関しては、もっと原意的なformal analysisは重要だと思っています。
作品見なくちゃ始まらないので。ただ、戦後アメリカのフォーマリズム=ハイ・モダニズム
は別物と化し対象になる作品を選別して囲い込んでいるのと(その方がマーケットに
都合が良いというのもありますが)、これだけで美術「史」を書くとフリードの19cもののように
とんでもないものになって・・・ある意味すごいなとは思いますが。フォーマリスト美術史を
カノンにしてしまったという点では、グリーンバーグよりもよっぽど悪かったかもしれないけど
アルフレッド・バーは好き。彼はすごい人だった。



333 :214:04/12/09 19:31:18
>>326
ご指名恐縮ですが、戦後美術が専門なわけではないので(好きですけど)
心苦しくなってきました。もっと前に言っておくべきだったのでしょうか。

「教科書的」美術史では具体がパフォーマンスの走り、というのは定説の
ようですが、それを覆すほど熱心に具体を扱っている研究者自体が(海外では)
ほとんどいないのでは・・・

具体の派生については全く知らないですが、日本独自の背景からでてきた
というのも大ありだろうし、戦前の前衛ではフューチャリズムからしてパフォーマンス的
なものはあるし。日本の大正時代の前衛からの流れ、っていうのはないのかな?

ポロック離れする一方だし、修羅場ってるので撤退します。


334 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/09 22:16:43
>>332
横レスに答えてくださり、ありがとうございます。ついでに遡ってログ読んでみました。それを踏まえつつ・・・

フォスターの場合、特に"What's Neo..."では、以前ここでも話題に出たビュルガーの主張(ネオ・アヴァンギャルドは
歴史的アヴァンギャルドの反復・無効化に過ぎない、とするもの)に反論することを目的としているので、ミニマリズムが
ロシア構成主義の批判的側面を受け継いだ、というところに力点があると思います。もちろん、フォスターによれば、
この受け継ぎはまだ不完全なものにとどまり、ロシア・アヴァンギャルドの真の意味(その政治・経済・社会的側面)が
より十全な形で理解され、発展させられるについては、>>282さんの言う通り、ミニマリズム以後の、いわゆる institution(al)
critique の芸術まで待たなくてはならない、と。とはいえ、これも282さんが言われていたように、そのような70年代以後の展開
を準備したという意味で、ミニマリズムは重要であった、というのがフォスターの論調だと思います(これが彼の言う
The Crux of Minimalism ということですね)。つまり、彼が言いたいのは、ミニマリズムのロシア構成主義受容が偏っていたという
ことではなく(それも214さんの言われる通り指摘してはいますが)、逆に、当時としては例外的にロシア・アヴァンギャルドの核心に
迫るものだった、ということだと思います。

それと、"What's Neo..."のもう一つの大きな論点は、ロシア構成主義とデュシャンに代表されるダダ的戦略が60年代アメリカでほぼ同時的に
再導入されるということでした。>>268さんが指摘していたのと同じですね。60年代米では主体批判の二つの戦略としてロシア構成主義とダダが
参照されたのだ、と。そもそもフォスターの話は、これに214さんが>>276-277で疑問を呈された際に言及なさったものですが、こう見てくると、
フォスター自身が言っていることはむしろ268さんの考えを補強しているのではないかと思います。

335 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/09 22:18:06
[連投ご容赦下さい]
要は力点の置き方の違いかもしれません。214さんはロシア・アヴァンギャルドの受容が不完全なものにとどまったという点を強調され、282さんや268さん
は、確かに不完全だったかもしれないけれど、ロシア・アヴァンギャルドの「可能性の中心」みたいなものは、ミニマリズムによって掴まえられていた、
という点を強調されているわけですね。同時にこれは(またまた話を戻すなら)フォスターの諸論文が示す通り、戦後美術をどう見るかという巨大な問いに関わって
くることなので、両陣営?がすぐに和解するということはないでしょう。必要なら冷静に議論していけばいいと思います。
しかし214さん、一部にやや過激なレスがありましたが、
それも沈静化したようですし、私は214さんの博識と慧眼をいつも楽しみにしています(他にもそのような方が多いだろうというのは「ご指名」の多さからも伺えるのでは)。
撤退などととおっしゃらず、ぜひこれからも啓発的な書き込みをお願いします。ついでにいうと、私も214さんや>>319さんと同じように、戦後美術の専門家ではありません。


336 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/09 22:52:13
ポロックというと、スパッタリングの人でしたよね
あの描き方を最初にやった人なのでしょうか?
アクションペインティングというのも、そのはしりのような
ただ、解釈の出来る作品とか、知的に高度な作品かというと
そうでない 現代美術のひとつの思いつきにすぎない

337 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/09 23:50:04
今日届いた「美術史」にポロックの論文載ってました。
マティスの受容について論じています。

338 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 01:12:57
Art history誌のこと?


339 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 01:24:42
日本の美術史学会の「美術史」です。
どこの方かは存じませんが大島さんという方が書かれていて「ジャクソン・ポロックのマティス受容」という題目です。

340 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 01:27:17
美術史学会も戦後を解禁したんだ?
やっとか

341 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 02:31:52
私の記憶が確かならば前に尾崎さんの戦後の論文が載っています。
だけどやっぱり戦後は数として圧倒的に少ないですね。
今年の慶応大会でラウシェンバーグの発表された方もいましたが。

342 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 12:49:26
>>339
言われて思い出したが、大島さんという人は昔ポロック論をインターネットで公開していた
ような気がする。今ググっても見つからなかったけど。そのかわりニューヨーク
市立大学の院生さんだということはわかった。このスレの留学組の皆さんとも
お知り合い?あ、それともご本人参加中?

343 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 13:52:48
留学組が三人はいますね

344 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 14:45:05
いますねーいいなーもっと教えてください

345 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 17:16:58
詮索するのは野暮だろ

346 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 20:31:05
脳内破壊展企画しろ!

347 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/10 22:39:25
>>345
…あ、そうじゃなくてもっと現地ならではの情報などキボンヌってことでした

348 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/11 00:41:35
214さんバーについてもっと方って下さい。

349 :334-335:04/12/11 00:48:25
たびたびすいません。214さんのレス、ちゃんと読んではいたのですが、書いてる途中で筆が滑って何かちゃんと読んでいないみたいなレスを付けてしまいました。フォーマリズムに関するご意見、よくわかりましたし、基本的に賛成です。それだけいいたかったです。

350 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/11 03:01:49
ぶっちゃけThomas Crowってリヴィジョニストなんですか?

351 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/11 03:04:46

リヴィジョニズムの定義によりますよね、クロウファンのみなさん?

352 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/11 03:07:40
crowのポロック論ハケーン
ttp://www.findarticles.com/p/articles/mi_m0268/is_8_37/ai_54454994

353 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/11 23:18:41
これ面白いね。ふつう社会史的美術史家と目されてるクロウが
フォーマルな問題に特化して論じている。
同じ号に載ったフリードの論文も同じサイトで読めるが、
こっちは相川ら図って感じだな。まあウン一〇年同じことを
言い続けてるのがフリードの偉さといえば偉さな訳だが。

354 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 00:13:35
フリードは前に出てきたクラウスとカーメルと、あとヴァーネドーにも反論してるね。というか自分の昔の論に対する彼らの反論に再反論している。といっても、「ホラ見ろ、みんな結局俺と同じことを言ってるだけじゃん」みたいな感じで、新しい説は別に出してないけど。

355 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 00:29:30
>>351
「修正主義。美術史研究において過去を見直し、これまでの固定された
見方を修正しようとする傾向。1970年代半ば頃からめだつ。とくに、
モダニズム中心の観点を退けて、19世紀美術を再検討する作業が注目
される。これによって、メソニエ、ブーグロー、サージェントなど、
さほど重要視されなかった画家たちが再評価されてきた。」
(岡田隆彦@『イミダス』1990年版)
これを引く阿部良雄はさらにこう続ける。
「「画題の消滅」をテーマとして、新古典主義からロマン主義、レアリ
スム、印象主義、新印象主義、キュビスムを経て抽象絵画に至る予定
調和論的な「物語」への修正ないし反動としての見直し」。
同じく阿部によると「この見直しの大潮流はほぼ三つの潮流が合流して
できたもののように思われる。
(1)抽象絵画の自律性を理想とする禁欲主義に抗って「イメージの魅惑」
を解禁しようとするシュルレアリスム系の見直し。
(2)1930-40年代のメイヤー・シャピロの業績を出発点として、主として
英米の新左翼系美術史学者による、19世紀絵画史の見直し。
(3)70年代以降、主としてフランスの保守系美術史学者による、19世紀絵画corpus形成作業に伴う、価値基準復元の試み。」
(阿部良雄「勲章と残虐--レヴィジォニスムに対応する19世紀美術史再構築のための断章」
『モデルニテの軌跡--近代美術史再構築のために』岩波書店)


356 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 00:52:47
>>331
壱)初心者コース→Art&Culture+"Modernist Painting"が入ってるCollected Essays and Criticism4巻
弐)中級者コース→A&CとCollectedぜんぶ
参)上級者コース→弐+Homemade Esthetics+Late Writings
四)マニアコース→参+The Harold Letters
ちなみに私は参

357 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 02:37:46
>>355
阿部良雄。。。久しぶりに見た名前だ。
この分け方で強いて言えばクロウは2かな?

358 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 02:43:10
age

359 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 12:32:36
阿部は2と思わせて、1-3全部だったりする。

360 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 14:05:47
その通りじゃないでしょうか。『イメージの魅惑』という本を出されてますし。
でも昔ジェフ・クーンズについて「大変面白いことには違いない」っていってたなあ。
彼が3に含めてるフランスの「保守系美術史学者」にはかなりヤバイ人たち
が多くて、それと比べれば阿部氏ははるかに良識的だと思いますがね。


361 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 15:03:06
でポロックの修正主義っていうとどうなるんだ?

362 :331:04/12/12 22:19:45
>>356 どうもありがとうございます 取り合えずArt&Cultureを買います

363 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/12 22:26:16
>>362
もし一冊だけってことならA&Cよりcollected 4巻が良いよ。よく話題になるテキストは
大体これに入っている。

364 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 01:12:42
>>363
1巻の方が良く話題になるじゃん


365 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 01:48:32
>>364
「前衛とキッチュ」「新たなるラオコーンに向けて」は確かに良く話題になる。でもそれ以外で1巻が
話題になることはあまりない。「前衛とキッチュ」はA&Cにも入っている(改訂なし)。

366 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 01:59:20
>>361
214という人が修正主義的に20世紀をやってるっぽかったのでレスを待っていたが、
出てこないみたいなので浅学非才の身を省みずにレスしてみる。

抽象表現主義研究で修正主義が言われるときは、70年代に出てきた、冷戦期アメリカの
イデオロギーとの関係を問題にするもののことのような気がする。アメリカは共産圏に対抗するために
大戦でメタメタになっていたヨーロッパに復興資金を大量にばらまいたりしていたわけだが、同時に
民主主義のイデオロギーを浸透させるためのいろいろな政策もやっていた。その一つが文化政策で、
世界的に見た場合のアメリカ文化の優位性を印象づけようとした。その流れで、当時のアメリカ美術を
代表する抽象表現主義を世界各地で展示する展覧会などが行われた。だから抽象表現主義は冷戦の武器に
なったんだ、という話。
グリーンバーグも戦前はヨーロッパの芸術の方が優れていると言っていたが、戦後はアメリカ美術がヨーロッパを
超えたという話になる。「Modernist Painting」はCIAと関係のあった団体が全世界に向けて発信していたラジオ番組
のために書かれたとかいう事情もあるので、グリーンバーグも当時のアメリカ政府の手先だった、みたいな説が
出てきた。
最近では、実際の状況はもっとややこしかったと主張する学者が出てきているみたいだが、大体こんな感じじゃないか。

367 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 02:08:27
阿部良雄が2に入れてるのはT.J.クラークとかだと思うけど、クラークはグリーンバーグ論とかポロック論とかも書いている。
クラークの視点は366とはちょっと違う(踏まえてはいるけど)。芸術と社会の関係を問題にしてはいるが、もうちょっと
一般的なアプローチっていうか。
資本主義社会は生活のありとあらゆる側面をスペクタクルにして取り込んでしまうが、芸術はいつもその取り込みに
対抗しようとしてきた(ちなみにクラークはもともとシチュアショニストだった)。
抽象表現主義がやった無意識とかプリミティヴィズムとかを芸術に導入する試みもその一環。でも最終的にはやっぱり取り込まれてしまうのだが。
そういう話だったと思う。違ったらすまん。あとこういうのも修正主義というのかどうか知らない。

368 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 02:50:00
>>366-367
美術と社会の関係を論じるのが修正主義ということでいいのか?

369 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 02:59:05
>>368
全然違う。

370 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 02:59:55
アメリカでの「モダニズム」の用法がおかしいのが混乱の原因。
それだけグリーンバーグの力が大きかったというべきか。


371 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 03:00:41
>>369
では何?

372 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 03:02:25
>>370
卒論で使いたいのでモダニズムの正しい用法を教えてください。

373 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 09:28:35
>372
一般に現代に特有な風俗・思考法・表現法などをいうが,とりわけ20世紀初め
第一次世界大戦から1930年ごろまでにおこった芸術上の運動をさす。
これは広くモダンアートと呼ばれている。
機械文明の進歩による生活の変化・機械的美の認識・分析を通じての現実の再構成をその特徴とし,ロマン主義や自然主義を退ける。日本でもヨーロッパの影響を受けて大正末期から昭和初期にかけて同じ運動がおこった。
キリスト教においては,19世紀末にカトリック教会の内部で外的な権威を捨てて,近代科学の成果をとり入れ現代にふさわしい形のキリスト教を提唱する運動がおこり,これをモダニズムと呼んだ。この運動は教皇ピオ10世によって異端とされた。

374 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 11:22:46
ありがとうございます。
でもこれだとまだ漠然としていますね。

375 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 16:46:56
>374
このスレ的には狭義のモダニズムの使い方が妥当

376 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 17:03:27
370の指摘は気にしなくていいということか。
しかしそもそも370はなんで混乱とか言い出したんだ?

377 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/13 20:16:52
>>373 モダニズムとモダン・アートってのはまた別物じゃないかと思います。
   でもキリスト教にもモダニズムなるものがあるとは初耳でした。

378 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/14 00:40:00
>>332
>フォーマリズムに関しては、もっと原意的なformal analysisは重要だと思っています。
作品見なくちゃ始まらないので。ただ、戦後アメリカのフォーマリズム=ハイ・モダニズム
は別物と化し対象になる作品を選別して囲い込んでいるのと

最近だとグリーンバーグはフォーマリズムをいいながら、実際の作品は
全然見ていないと批判するのがオサレ。だからチミは正しい!

379 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/15 03:25:22
藤枝晃雄が昔詩を書いていた(いまでも?)ってしらなかった。
そのわりには香具師の散文はメチャクチャだと思う。その辺が昔は受けたのだろうか。
実作者に支持されたというが、あの文体はそうでなくては表現できない感覚みたいな
ものを表現しているのかしら。

380 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/15 03:45:21
藤枝っていつの間にか学術誌を主宰しているのね。

381 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/15 03:51:56
ああ、なんだっけ、京都かどっかで出てるやつね。
藤枝は身内主義の権化みたいな香具師らしいが、あの雑誌チラッと見たとき、
本当にこの人たちの仕事全部に目を通して承認してるのかなって思った。

382 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/16 14:28:44
>>320 すごい亀レスなんだけど。

オートマティズム=自動書記ってものが、そもそもシュールリアリズムにおいても
頭を空っぽにして、恐山の巫女が憑依を待つようにして霊感=言葉が無意識からわき出てくるのをまつ、みたいな
単純な話ではない、ということは、シュール研究の文脈でも最近言われていることだよね。いつだったか忘れたけど、
最初のオートマティズム作品とされるブルトン+スーポー『磁場』の草稿がひょっこり出てきた。それを見ると、
一度書きつけた言葉を著者たちが事後的に推敲していることがよくわかるらしい。しかもその推敲のやり方って言うのが、
いってみれば、一旦書かれた言葉が新しい言葉を連想させる、喚起する、それを改めてテキストに組み込んでいく、っていう
ような感じらしい。だからオートマティズム、単に霊感に衝き動かされて一気に書き上げてできあがり、というのではなくて、
二次的な加工を含む重層的なものだ、ということで最近は意見が一致しているらしい。

これはポロックにもある程度あてはまるんじゃないかな。ローゼンバーグが「アクション・ペインティング」っていう括りで言おうとしたのは、
まさに単純に理解された限りでのオートマティズムみたいなものだったわけだけど、ポロックも、一度キャンヴァスに絵具を置いたあと、絵を
壁に立てかけて吟味し、それからまた床に戻して製作を続けていた、と。この一旦終わりにして、
その状態に対して反応していく形で次の絵具をおいていくっていうところね。

もっとも、ポロックにしてもシュールリアリズムにしても、意識的なコントロールをできるだけ逃れながら書く/描くっていうのは
そうなんで(出来上がったものに対して改めて手を加えていくときはやっぱり「自動的」だったと思う)、
ただ、それがローゼンバーグの論文がイメージさせるのとは違って、中止と再開を繰り返しながら進んで行くような、
重層的なものだったってところが大事なんじゃないかな。

383 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 00:13:26
>>382
どうもレスありがとうございます。
なるほど。シュールのオートエクリチュールも叩けばまだまだ出てきそうなんですね。

推敲と自動の繰り返し。そうなんですよね。
自動の部分は現象学的な身体とタブローとの関わり方にポロックの独自性があって、
推敲という部分では、それまで画家として培ってきた感性というか「目」で「選んだ」というか。
ポロックの真似して描いても、絶対ポロックのようにならないのはこのためだ、と思うんですよね。
ストーンローゼスのジャケットなんてポロックと全然違う。

ポロックの動きに関するグリーンバーグの意見も面白いですよね。
すべてを作品に還元してしまう。手を伸ばすのもタブローのまわりをぐるぐるまわるのも、
すべては作品がそう描かれるための必然なんだと、
アクション性全否定なわけで。


384 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/17 00:46:41
>>383 亀レスだったのに即レスどうもです。

>ポロックの真似して描いても、絶対ポロックのようにならないのはこのためだ、と思うんですよね。

ポロックの真似をするのがいかに難しいかってことは、MoMAの大回顧展の時に、修復家がやった実験によっても
証明されている(ということになっている)。なるべくポロックが使っていたのと同じ特性を持つ材料(絵具、ツール)を用意して
みたんだけど、細部まで含めて完全に再現するのはすごく難しかったらしいね。

>ポロックの動きに関するグリーンバーグの意見も面白いですよね。
>すべてを作品に還元してしまう。手を伸ばすのもタブローのまわりをぐるぐるまわるのも、
>すべては作品がそう描かれるための必然なんだと、
>アクション性全否定なわけで。

あれ?グリーンバーグこんなこと言ってたっけ?もし特定のテキストが念頭にあるのだったら
教えてもらえませんか。
グリーンバーグが絵が実際に出来上がる過程に全然興味を示さなかったというのも有名な話だよね。
それに対してローゼンバーグは、自分で詩(だったかな?)を書いていたりして、創作に関わっていたし、
作り手の視点から書いているというわけだ。
そんなこといったらグリーンバーグだって(片手間にだろうけど)絵を描いていたし、ローゼンバーグの
論文も、実際の創作行為から切り離された一種のフィクションという面は間違いなくあると思うけど。
ちなみにドゥルーズが、最近翻訳の出た『感覚の論理』の中でローゼンバーグを再評価してるって
随分前に松浦寿夫氏がちらっと書いてたんだけど、詳細を知ってる人いますか?



385 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/19 22:34:20
ベーコンスレを見れ。

386 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/19 23:00:08
宗教に影響受ける作家て沢山いるけど
そのただ中にいてしかも若いと
ちょっと違うと思う。

387 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/21 01:34:36
↑スレ間違えてないか?

388 :わたしはダリ?名無しさん?:04/12/28 15:30:22
このスレも寂れたのぉ。みんな師走で帰省しちまったんだろうか。

389 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/12 22:52:08
賀正age

390 :わたしはダリ?名無しさん?:05/01/13 19:36:03
過去ログ読んだけど、今別スレにカキコしてる何人かの香具師はもともとここに
屯していたと思われ

391 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/23(土) 11:07:35
ポロックの画集&ポロックについての入門解説書
がほしいと思っているのですが、お薦めを教えていただけませんか?
当方ポロックについてまだほとんど知りません。

392 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/23(土) 11:27:40
エリザベス・フランク解説の画集がよい。


393 :391:2005/04/23(土) 11:43:45
>392
ありがとうございます!
しかし、、、今大型書店のホームページで検索したらどこも品切れで注文不可でした・・・。
古本で探すしかないのですかね。

394 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/04/23(土) 11:46:51
>>393
なぜその本を薦めたかというと、
解説がしっかりしていて、二度手間にならずお得だから。
日本で出ている他の画集は記述が薄すぎる。

どうせならいっそ画集は洋書にして、
解説は別の本に頼るのもいいかもしれない。

395 :391:2005/04/23(土) 22:13:57
>394
画集、さっそく買っちゃいました。
解説集はまだ買ってません。

396 :わたしはダリ?名無しさん?:2005/07/25(月) 21:08:56
ジャクソンポロック最高だよ
大好きだよ

397 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/02/09(木) 06:45:49
キタ━━━━━(゚∀゚≡゚∀゚)━━━━━!!!!!!
キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!
キタ━━━━━━━(・∀・)━━━━━━━!!!!

398 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/06(木) 09:09:17
画集を買いました

399 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/08(土) 02:47:55
絵よりその破天荒な人生に興味がある

400 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/08(土) 03:04:38
ポロックが自分の絵を見て一言。
「コレは、絵だろうか?」
実話らしい。

401 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/09(日) 04:20:14
>>400
さすがは偉い人は言うことが違うな。(´ω`)

402 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/19(水) 03:49:01
絵画ってパワーあるなって

403 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/20(木) 16:43:57
アル中もかっこいいっておもうよ

404 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/04/24(月) 19:47:22
けっこうアル中絵画は多いんだ

405 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/09(土) 02:19:49
インディアンの砂絵って、どういうものですか。

406 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/09/26(火) 04:42:59
クレメント・グリーンバーグ『近代芸術と文化』(原題『芸術と文化』)
復刊投票
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=28926

費用等はかかりません。簡単な手続きです。
訳はやや問題ありですが、依然として重要文献。
新訳の可能性も!
古書店でもほぼ入手不可能。
みなさん、ご協力を!

407 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/11/05(日) 16:21:45
【現代美術】絵画売買で史上最高額の1億4000万ドル ジャクソン・ポロック作品「No.5,1948」に
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1162645243/

408 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/11/05(日) 17:51:34
ヒャクゴジューオク!!


409 :わたしはダリ?名無しさん?:2006/11/07(火) 09:40:15
6 名前: goatsong 投稿日: 2000/10/14(土) 22:20
最近では、ポロックの絵画などは、アクション・ペインティング
(以下AP)って呼ばないんだよ。(というか、誤解されやすい
ためか、この用語自体、あまり使われない)
行為の痕跡みたいな解釈もポロックに限っては過去のものと
なっていて、今そんなこと書いてる本は、まず信用できないもの
と思っていい。
今日、アクション・ペインティングと呼ばれるのは次の世代で
あって、日本では篠原うしおみたいなの。彼らの場合、重点が
行為にスライドして、画面は行為の記録と考えられている。
この前のMOTでのAP展でも、ちゃんと区別していた。
言葉だけが一人歩きしてしまった、APだが、後にポロックの
制作風景が公開されて、その計算された制作過程にみんな驚いた
という。そこには、偶然性が入り込む余地はかぎられており、
彼自身、自分の作品はすべて計算されたものだ、みたいなことを
言っている。

7 名前: goatsong 投稿日: 2000/11/12(日) 18:17
>>15
それを言えば、「描く」こと自体が「行為」だと思うけど。
ポロックをAPと区別っするのは、「綿密に考えられた」か
どうかというじゃなくて、その作品が「行為の痕跡」
として、提出されているのではないことだと思うんだけど。
ローゼンバーグの言説は70年代の修正主義を経験してない
かななぁ。通用しないことも多いだろうと思う。今日では、
ポロックを象徴主義的、表現主義的側面から捉えるわけだし。



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